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15.教誓寺
15. 教誓寺 あんげんさん きょうせい じ 安元山 教 誓寺 宗派 浄土真宗大谷派 茨木市大字安元92番地 慶長 10 年(1605 年)に書かれた『摂津国絵本図』では【安本村】となっているが、この地 域に【安元寺】と称する寺院があって、その寺名が土地名になったとも伝えられが詳細は 定かでない。 旧大門寺村内の大門寺は、京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山仁和寺(にんなじ)の 末寺で、仁和 2 年(1241 年)に書かれた仁和寺文書に、この地域に大門寺の他に延福寺、白 牛寺、西方寺の存在が記されている。しかし、現在は大門寺以外の三ケ寺は存在せず、こ れらに関しての詳細は不明。 過去に発生した火災により、過去帳等寺史の資料を全部焼失したため教誓寺の創建につ いての詳細は不詳。文化 14 年(1817 年)、石川県鹿波(かなみ)の妙覚寺僧侶信明(しんみよ)が入 寺し、中興となり再建。天保 12 年(1841 年)、本山の許可を得て、本尊・親鸞聖人絵像・蓮 如上人絵像・聖徳太子絵像・七高僧絵像を拝受し寺院となり現在に至る。信明が石川県の 妙覚寺から旅立ち当地に至る間を綴った『往来書(通行書)』が教誓寺に伝えられ今も残って いる。 昭和 3 年(1928 年)、周辺家屋の火災により類焼し灰燼と帰す。その後、昭和 7 年(1932 年)、門徒衆の協力により再建落慶した。この火災で、大超(だいちょう)先代住職と坊守が、天 保 12 年(1841 年)に本山より拝受した本尊及び親鸞聖人絵像、『往来書』等を辛うじて運び 出しが、過去帳等寺史その他の大切な資料の大半を焼失した。 寺院創建 創建は不明。文化 14 年(1817 年)、僧侶信明(しんみよ)が中興となり再建。 天保 12 年(1841 年)本尊、親鸞聖人絵像他三幅を拝受、寺院として今日に至 る。 本 尊 木造阿弥陀如来立像 像高 60.3cm 江戸時代作 主たる什物 ◎ 親鸞聖人像 絹本著色 約 90.0cm×49.0cm 江戸時代作 ◎ 蓮如上人像 絹本著色 94.3cm×39.4cm 江戸時代作 ◎ 聖徳太子像 絹本著色 106.9cm×49.0cm 江戸時代寛延年間(1748 年~1751 年)作 ◎ 浄土七高僧像 絹本著色 107.0cm×49.1cm 江戸時代寛延年間(1748 年~1751 年)作 ◎ 方便法身像 絹本著色 81.0cm×33.6cm 室町時代作 建 造 物 法要・行事 本堂 昭和 3 年(1928 年)類焼で焼失。昭和 7 年(1841 年)再建落慶 修正会(1 月 1 日)、永代経法要、盂蘭盆会(8 月 16 日)、報恩講、春秋彼岸 法要 住 職 藤波 剛(ふじなみ つよし)住職 平成 15 年 六代住職に就任 古代の創建は不詳。文化 14 年(1817 年)に石川の妙覚寺から信明(しんみよ) が当寺に入寺し、それから現在に至り現住職は六代目住職。