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新たな節目を迎えて - Index of

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新たな節目を迎えて - Index of
【巻頭言】
新たな節目を迎えて
酒木 保 ( 運営委員長 )
本誌は、節目の50巻を迎えました。運営委員会も20期目です。いま、伝統ある我わ
れ日本臨床心理学会そのものも、曲がり角に来ています。しかしこの角を、躓くことなくしっ
かりと曲がりきり、次の時代の臨床心理学を示してゆける底力を、我が学会は持っています。
節は、芽の出る所でもあります。
私たちは、半世紀に渡る臨床現場の「生きた臨床」を、折りに触れ再確認してきました。
臨床の実践とは、己れの身全てを以て行い、クライエントとの共同作業が体に刻み込まれ
るものと考えております。理論を学び、頭で考えても、何も起こりません。企ては、実践
によってはじめて意味を持ちます。だが、実践への独りよがりの埋没は、相手方を傷つけ
るだけでしょう。学問と実践の両輪がそろって、学会活動はまっすぐに進みます。
日本臨床心理学会は、西暦 1964 年の創立から、いくつもの節目を越えてきました。最
大のものが、1969 年に始まった改革です。日本精神神経学会や日本精神分析学会など、精
神医学をふくむ臨床心理学全体に、大きな改革の波が起きました。心理検査や心理療法が「す
る側」の都合を押し付け、「される側」となった「精神障害」当事者の立場を考えなかった
ことへの批判と言えます。背景には、差別を当然とする治療や検査の場を作り出す、世の
中の仕組みがあり、 これを批判できなかった学問の未熟がありました。このときに確かめ
まこと
あったことは、今も生きています。当事者ともどもに考えてこそ、真の臨床心理学への道
は開けます。
二十年あまり経った 1991 年には、本学会も心理職の国家資格化を容認し、推進する向
きに舵を切りました。「精神障害者」の立場を守るためには、心理職の待遇と地位の安定も
必要と考えたからです。ここもきびしい峠越えでした。はじめの時と同じく、多くの会員
が去りました。
さて、それからまた二十年が経過しました。いま、私たちはどう進めばよいのでしょう。
中国と手を携え、比較民俗学会の協力を得る大連大会の計画は、他の学会に類をみない、
画期的なものでした。(延期のやむなきに至りましたが、進む方向に違いはありません。)
西洋からキリスト教文化による方法論が次々と輸入され、あたかも偏見のない、新しい心
理学であるかのごとくに宣伝されてきました。しかし、私たちの出会う「精神障害」の当
事者たちは、東洋の一角の日本で暮らしています。まず同じ所に身を置いて、人びとの心
に寄り添うことが求められます。山川郷土、草木鳥獣に守られ、祖先から受け継いだ「う
ぶすな」の身がまえを省いて、真の臨床心理学はあり得ません。
私たちは「いま」「ここ」において、日本人・東洋人としての己れを反芻しつつ、臨床の
原点に立ち返らねばなりません。はじめの改革で大きな足跡となった、当事者との対等の
−1−
臨床心理学研究 50 - 1
付き合いが、何より大事です。彼らの入会を認め、互いに「私たち」となれる学会は、か
つても今も、ごく少数です。「する/される」の固定した枠組みからでなく、対立にはまら
ぬ「お互い様」の臨床心理学を組み立ててゆきましょう。
東日本大震災では、「心のケア」の言葉が蔓延し、ボランティアが全国から駆けつけまし
た。しかし、体を切り離し「精神性」のみに注力しては、片寄ります。本年度大会の東京
会場では手林さんが「心のケアを熱く語ったのは、外部から来た人たちだけだった」と報
告しました。これも、 近代心理学の歪みの露呈です。気仙沼のある被災者は「ボランティ
アに気を使って、被災者がケアした」とぼやきました。ある宗教団体の若者たちは、
「心の」
話を一切せずに黙々と物を運び、掃除し、修繕し、所属も語らずに去って、感謝されたと
いいます。タイ焼きを配って、「心から」喜ばれた人もいます。
人と人が出会ったとき、「おのづから」見えてくることを為すべきです。「心の」であれ
何であれ、あらかじめ構えた「専門性」からでは、こちらの都合の押し付けになります。
私たちは、何であれ相手方を軽んじてはならないことを、半世紀の歴史から学んできました。
いまが、これを広く伝えてゆく時なのです。
「うぶすな」の暮らしを考えれば、霊性とかスピリチュアルと呼ばれる、広い意味での宗
教的次元を、心理学に取り戻さねばなりません。明治以降これらは「非科学的」として、
教育からも学術からも締め出されてきました。しかし、盆と正月、秋祭り、お彼岸、先祖
の年忌、諸々の供養など、私たちの暮らしには神仏、精霊との付き合いが根付いてます。
これら民俗は、間違いなく「心の」事柄です。精神科やカウンセラーにかかる人の大部分は、
宗教や拝み屋さんなどにも頼ります。近代医学が支配するはずの病院で、必ず霊異が語ら
れます。ふつうの若者たちも占いが大好きで、
「パワースポット」に群がります。霊、精、気、
魂は今も求められ続け、むしろ「心の」営みの礎と言えます。だからこそ、オウム真理教
のような動きが、それを取り込んだのでした。これを学問として、治療法として、きちん
と位置づけるのが、学術団体の課題です。
お互い様とおのづからとを双璧の礎に、「障害」の当事者、霊性・魂、うぶすなの暮らし
を三本の柱に、臨床心理学という屋根を掛けるのが、これからの仕事です。
『臨床心理学研究』
は屋根の瓦、掲げる幟、千木・鴟尾ともなります。理論と実践、経験と論証を混ぜ合わせ、
崩れない壁土を捏ねましょう。
私たちの学会は、赤堀裁判 ( 島田事件 ) などで「精神障害」当事者を支援し、精神保健
福祉法、医療観察法などの法律、保安処分への動きなどに、立場をはっきり示してきました。
象牙の塔や治療室に引き篭もらず、世の中に働きかけることも、私たちの務めです。おか
しいことにはおかしいと、はっきり声を上げねばなりません。ただ、批判には心構えが要
ります。己れの正しさを信じ込めば、批判のための批判、片言隻句を捉えての揚げ足取り
に陥ります。視野を広げ、事の軽重を見分け、学術団体として言葉の重みを量りつつ、こ
れからも発言を続けてゆきたいと考えます。
そのためにはまず私たちの側で、学会運営を風通しよいものにせねばなりません。運営
委員は、会員に背を向けて独走してはなりません。無駄を省き、情報を公開して運営を透
明を保ち、学会員による学問と実践の創意工夫、新しい芽を伸ばす身がまえを、私たち運
営委員がとりたいと考えます。そして、 その先に来るであろう真の臨床心理学を築くのは、
他の誰でもない、会員の皆さま一人一人です。
−2−
民間治療場の日本近代
【論文】
民間治療場の日本近代
─「治療の場所」の歴史から
兵頭 晶子 1)
索引用語:歴史 治療 場所 日本 近代 民間治療 精神医学
1.問題の所在
─民間治療場を考えるために
は病気が治ると言い伝えのある寺院や神社、温
現代の私たちは、病気にかかれば病院へ行き、
泉などで、どのように日々を過ごし、病気と向
薬を貰う。精神病も同様である。外来へ通院し
き合っていたのか。家族はどんな思いを抱えて、
たり、入院したり、いずれにしても薬物療法で
病者を見つめていたのか。警察や医師、神主や
病気を治すことはすっかり自明になっている。
僧侶、宿屋の主人、そして地域の人々は、病者
それは医療の発展と普及の成果であるのかもし
と家族に、いかに関わり合っていたのだろうか。
れない。
本稿は、このような問いから生まれたもので
しかし、かつて、全く異なる病気への向き合
ある。
い方が、日本にはあった。民間治療場の歴史を
2.問い返された瞬間
考える上で、このことは非常に重要である。民
たとえば、ここに、一つの精神病院があると
間治療場とは、病者や家族が治病を求めて集
まった寺院や神社、温泉などの「治療の場所」
しよう。そこでどんな治療が行われているのか、
を指している。筆者はこれまで単著『精神病の
病者や家族はどんな風に過ごしているのかを、
日本近代』(青弓社、2008 年)や共著『治療の
地域の人々に聞いてみる。するとおそらく、
「そ
場所と精神医療史』(日本評論社、2010 年)で、
んなことは知りません。病院で直接聞いて下さ
そうした民間治療場の歴史を追ってきた。従来
い」という返事が返ってくるだろう。それほど
の精神医療史において、民間治療場は、薬物療
に、精神病院という場所と地域の人々は没交渉
法が発達していなかった頃の、言い換えれば医
である。
療的貧困の産物だと見なされている。
だが、民間治療場になると、事情が変わって
だが、本当にそうだろうか。かつての精神医
くる。寺や神社の関係者に話を聞いても、あま
療の貧困は事実だとしても、人々が民間治療場
り詳しいことは分からないことが多い。むしろ、
へ集った背景には、もっと違う何かがあったの
寺や神社は場所を提供していただけという場合
ではないか。そしてそれを突き詰めれば、今日
さえあり、様々な形で治病-医学的治療に限
の精神医療を問い直すきっかけにもなるのでは
らない、病気を治すための全ての行為を指す-
ないだろうか。
に関わっていた地域の人々に話を聞いた方が、
日本近代の歴史の中で、精神病者は、どんな
よっぽど病者や家族の姿が見えてくる。それほ
風に生きていたのだろうか。
どに、地域の人々は、民間治療場へ主体的・自
家に作られた座敷牢で、精神病院で、あるい
律的に関与していたのである。
1)大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了・文学博士
−3−
臨床心理学研究 50 - 1
たとえば、富山県大岩山日石寺を例に挙げよ
神病学や精神病院ではないのである。滝と不動
う。現地調査では、まず、日石寺の現管長とそ
の霊験が伝わる日石寺が「治療の場所」として
の奥さんにお話を伺ったが、あまり詳しいこと
選ばれたのも、そのためだ。
は分からなかった。その夜、かつて病者も泊まっ
そのような場所を調べるとはどういうこと
たであろう、日石寺の傍の旅館「だんごや」の
か。私たちは、樫田と同じ立場にいていいのだ
滝川巖氏(1926、大正 15 年生まれ)からお話
ろうか。滝川氏の問いは、このことを、鋭く突
を伺った。すると、滝川氏は、開口一番にこう
きつけるものだった。
言った。
ここに、精神病院と民間治療場の、「治療の
「精神病とはそもそも何なのか。それをまず
場所」としての違いが、最も端的に現れている。
聞きたい」
しかし、精神病院の側には、記録が残る。病
私たちは、一瞬言葉に詰まってしまった。何
者のカルテや病院史として、情報は文字となり、
を聞かれているのか、どう答えていいのか、とっ
後世に伝えられる。それに対して、民間治療場
さにたじろいだ。調査に来たはずの私たちが、
の歴史は、文字にならないことがほとんどであ
逆に問い返されたのである。
る。往事を知っている地域の人々も、今ではあ
日石寺には、不動に祈願し、滝を浴びると病
まり多くない。その人々が亡くなってしまった
気が治るという言い伝えがあり、精神病者も多
ら、民間治療場に関する「歴史の記憶」も、語
く集まっていた。1914 年(大正3年)に樫田
られることなく消えてしまう。
五郎がこの地を視察し、その記録が『私宅監置
だから、今こそ、明らかにしなければならな
ノ実況』に残っている。そこでは、潅滝(滝を
い。フィールドワークや聞き取りを駆使して、
浴びること)は有害であり、実際に滝を浴びて
埋もれていく病者の姿を、家族の肉声を、地域
病気が悪化した三人の事例が報告されていた。
の人々の関わり方を、そしてそこから引き出す
しかし、滝川氏は言う。「病気が治ってお礼参
ことができる今日への問いかけを、形にしなけ
りに来る人もたくさんあった。これは本当のこ
ればならないのである。本稿は、そのための、
とです」と。
ささやかな始まりである。
眼病や足腰の痛みなどに悩む病者を率いて、
そこで本稿では、民間治療場を培った歴史的
日石寺を訪れる民間宗教者たちがいた。そこで
背景と、近代精神病学によって再発見された経
は精神病は、狐が憑いたり、先祖が殺した霊魂
緯、および、民間治療場が近代において辿った
が祟っているためだと説明されていた。般若心
歴史を考察したいと思う。
経や祝詞を唱えながら、滝に打たせて治してい
近代精神病学は、民間治療場から何を見出し、
たという。こうした滝川氏の話は、呉や樫田の
同時に何を見落としたのか。そうした葛藤の果
ような精神病学者が「迷信」として否定したあ
てに、民間治病場は、それぞれにどのような運
りようそのものだった。
命を選んだのか。それは、本稿によって初めて
しかし、滝川氏が語る彼らの姿が、なんと生
明らかとなる、「治療の場所」の歴史である。
き生きしていることか。精神病学が決して見よ
3.民間治療場の背景にあるもの
うとしなかった病者や家族の現実が、そこには
⑴近代以前の医療事情
ある。それは、迷信と言うよりむしろ、精神病
学とは異質な、ひとつの世界ではないだろうか。
かつて、薬は買うものではなかった。自分で
そこでは、病者や家族は病気を「精神病」だと
採り、作るものだったのである。田中圭一は、
は思っていない。だから、それを治すのも、精
江戸時代(以下、近世と称する)の医療の特徴
−4−
民間治療場の日本近代
を、次のように指摘している(1)。
り巻く世相は一変した。温泉経営者は企業とし
百姓たちは、家の周りに空き地を作って、そ
て利益を追求することに専念し、温泉地には大
こに自家用の薬用植物を植えた。庭はまさに「自
きなホテルが建ち並び、客が大型バスで玄関に
家の薬籠」であったのだ。また、村のどこの家
乗りつける観光地になった。そうしたホテルに
に行けば、自分の家にない薬用植物を得られる
泊まるには、高い宿泊代が必要である。温泉は
かを皆が知っていて、必要な時にそれを分けて
もう、自炊をするような人たちを相手にする湯
貰った。だから、村中を探せばおおかたの薬種
治場ではなくなった。客の側も、二〇日や一ヶ
を手に入れることができた。それを煎じたりし
月も休みを取って湯治に出かけるほど暇のある
て飲めば、立派な薬になる。
人がいなくなった。
鳥や獣が傷を負えば温泉に浸かってその傷を
さらに、西洋から入ってきた合理主義は、理
治したり、何を食べると危険か、何を食べたら
論的に説明できないものは非科学的、不合理な
病気に効くかを知っているように、人々は体験
ものとして排除した。その影響が温泉の世界に
をもとに植物を薬種として利用し、その効用を
も及んだ。また、すぐに効く薬や注射が現れ、
親から子へ、子から孫へと伝えてきたのである。
手間をかけずに病気を治せると考えるように
しかし、こうした自家用薬草類を、平素、日
なったことも大きい。こうした湯治場の変遷は、
常的に用いるという手法を捨て去った明治とい
日石寺を始めとする民間治療場の歴史とまさし
う時代は、経験に基づく民間療法を、遅れたも
く相関関係にある。宮城県の定義温泉は、その
のとして無視し、ひたすら西洋の医療にすげ替
最たる例だろう。
えてしまった。同じことは、精神病についても
そして、病気を治すのは医者だけではなかっ
言えそうである。
た。村に住む修験者は、災厄除けや、病気に対
また、薬草と並んで療治の頂点にあったのは
する療治の役割を担っていた。人々は彼らから
温泉だった。近世の温泉に関する案内書を読む
お札を請けて一家の一年間の安全と無病息災を
と、湯の色や性質、一日に入るべき回数や湯治
祈り、神仏が生活を守ってくれることを信じた。
の日数などの入浴方法が詳しく書かれており、
多種多様なお札を見ると、身の回り全体を神仏
関心さえ持てば誰でもこれを見て、自分の行き
に取り囲まれて生活していたことが分かる。ま
たい湯治場を選ぶことができた。温泉が単に湯
た修験寺では、護摩行において、読経で病者を
を浴びるためにあるのではなく、当時の人々が、
極度の緊張状態に置き、香水を用いたり、香料
それぞれの温泉の泉質や効能について実に深い
を焚いてその吸気によって病気を治すことも
知識を持っていたことが分かる。つまり、自然
あった。それは「とりわけ気の病にはもっとも
の治癒力によって、病気を根本から治そうとし
有効な、そして唯一の手段であった」のではな
ていたと言えるだろう。
いかと、田中は推測している(2)。
明治・大正の頃まで、人々はしきりに温泉へ
修験者は、深山幽谷を踏み分けて、護摩行に
湯治に出かけていた。村の百姓たちは米や味噌
用いる薬種を発見・採取し、それを薬とする知
を背にして旅籠に泊まり、自炊して一回りも二
識や行動力、薬を配合する能力を持っていた。
回りも滞在し、一日に幾度も温泉に浸かった。
いわば、修験者が療治に当たるということは、
やくろう
こうずい
それぞれの温泉のしきたりに従って湯治をした
「経験を土台とする科学的方法」だったのであ
のである。温泉に浸かるほかに、温泉水を飲む
る。だからこそ、人々から仰がれ拝まれる存在
所もあった。
になり得たと言えよう。しかし、明治政府は、
しかし、高度経済成長期を境に、湯治場を取
こうした修験道を禁止してしまった。その影響
−5−
臨床心理学研究 50 - 1
を、田中は次のように述べている。
療に限らない、病気を治すための全ての行為を
指す-を行っていた。これは、先述した湯治場
それまで「気のやまい」の治療にふかくかかわって
の感覚とかなり近い。宮城県定義温泉の場合は、
きた修験道が禁止され、それと共に修験者の医療行
まさしく湯治場そのものだった訳だが、潅滝や
為はきびしいとりしまりの対象になった。はげしい
旧慣破壊の嵐の中で、気を病む者は、信ずべき神仏
水行を行う社寺なども、一定の期間滞在しなが
をもぎとられた。修験道が政治の力で壊され、廃仏
ら病気を治す「治療の場所」として考えられて
毀釈で寺の住職の八割がいなくなってしまった。こ
いたと言えよう。
れまで病の五割を占めていた「気のやまい」は、そ
さらに、そこではしばしば、僧侶や神官によ
の治癒をはかる場所と手段のことごとくを失ったの
きとう
る祈禱が行われたり、行者などの民間宗教者が
である。
治病に介在したりしていた。これらは、修験者
そうなると世の中は無慈悲なもので、聴診器をあて
が治病を担っていた伝統に連なる。そしてそれ
ても埒のあかない「気のやまい」の患者たちを救う
は、医療の欠如がもたらしたものではない。田
ことに力を入れるかわりに、社会から隔離してその
中が調査した近世の佐渡においても、村には医
影響を受けなくするというすこぶる消極的な対応し
かできなくなった。気を病んだ患者を鉄格子のつい
者が多くいた。医者と修験者はそれぞれに棲み
た病室に入れ、それを「閉じこめた」とは言わず「環
分けをしていたのであり、
「気の病」の場合には、
境を整備した」のだと説明する始末となった。まさ
後者が対応することが多かったのである。
に時代の悲惨である。
しかし、こうした経験に基づく治病を、近代
「気のやまい」、すなわち心の病に対してこんにちの
に導入された西洋医学は迷信として否定した。
社会は、もはや予防もしなければ療治もできないの
「自家の薬籠」は忘れ去られ、温泉は観光地化
である。心の病を化学薬品を投与することによって
し、修験者は表立った治病行為を禁じられた。
治療しようとするのはきわめて独善的、一方的で、
今日の私たちにとって、これらの伝統が馴染み
いささか無謀であると思うのだが、今の日本の社会
のないものであるように、社寺ももはや病気を
(3)
はそれを乗りこえる術をもたないのである。
治す場所ではなく、国宝などの文化財や庭園を
だが、実際には、「その治癒をはかる場所と
鑑賞しに行く観光地となってしまっている。民
手段のことごとくを失った」訳ではない。その
間治療場の歴史が長らく顧みられなかった背景
場所こそ、民間治療場という「治療の場所」で
には、こうした推移があったのである。
あった。そこで治病がどのように語られ、人々
では、代わりに樹立された近代精神病学は、
がそこに何を求めたのかを、追っていきたい。
人々の目にどう映ったのだろうか。弟が精神病
⑵民間治療場の論理
を病んだ実体験を小説化した中村古峡は、興味
精神病が治ると言い伝えのある場所は、眼病
てんきよう
深い癲狂院(精神病院の古称)の描写を行って
平癒の霊験も伝えられていることが多い。たと
いる。
えば、富山県大岩山日石寺の参籠堂には、精神
癲狂院に入院している主人公の弟は、次のように訴
病者よりも眼病者が多く、水がホウ酸を含むか
かぶ
える。病室には「病人が夜昼なしに布団を冠 って、
ら眼に良いという言い伝えを皆で信じていたと
いう(4)。人々は経験的に、そうした水の効果
かんろう
を知っていたのだろう。精神病者の潅滝や温泉
への入浴も、このような経験から生まれた可能
ごろごろと寝て」おり、「大小便垂流しの奴もある」。
きちがひ
「まるで豚小屋同然」の中に「狂 人の叫声」が響き、
「朝から晩まで、殆ど誰奴か此奴かが、咆えるか喚く
し
か為 し続けてゐる」という。食事のひどさや、看護
性が高いと思われる。
夫が物を盗んでしまうこと、
「病院の一日は実に長い」
また、多くの民間治療場では、病者や家族は
ことや、病院が「監獄のよう」であることも指摘さ
米などを持参し、自炊しながら治病-医学的治
れている。
−6−
民間治療場の日本近代
ひもと
初期の精神病学書を繙くと、西洋の水治療が
こんな処に一年も押籠められてゐては、大抵の者が
きちがひ
気 狂にならざるを得ませぬ。最初から気狂で入院し
どのように紹介され導入されていったかがうか
ますます
こうし
たものは、 益 悪くなるばかりです…善くなって退院
がえる。近代精神病学の専門書の嚆 矢である
(5)
したものは、まだ一人もありませぬ。
H.モーズリー著/神戸文哉訳『精神病約説』
(1876、明治9年)には、既に「医薬治法」の
不思議なことに、ここには一切の「治療」の
一つとして「温浴」が紹介されている。「急性
イメージはない。高額な入院費の負担は家族の
狂症の興奮を沈静し睡眠を促すが為」として、
重荷となり、病者自身も一向に救われていない。
患者を温浴させ頭部に冷水を注ぐ方法や、温浴
日本近代において、病者や家族にとっての精神
のみの方法が効果的とされる。他方、「水線浴
病院が何であったかが、ここには端的に示され
かつ
及び冷浴を一時に長く用うるは嘗て大に流行せ
ている。
し方なれ共、方今は全く之を廃せり」と、長時
そしてそれは、小説だけの話ではなかった。
1932 年(昭和7年)、愛知県で私宅監置されて
間の冷水浴に対しては否定的な見方をしている
。温浴を評価する一方で冷水浴に注意を促す
(7)
いた病者たちに、無料であれば精神病院に入り
見解は、以下の論者にも一貫して見られる。
たいかどうか尋ねたところ、入りたくないと答
石田昇『新撰精神病学』には、第二版(1907、
えた人が約 66%だったという報告がある。病
明治 40 年)から持続浴に関する記述が登場す
院に入れられると何をされるか分からないし、
るという。手元にある第八版(1919、大正8
家族は自分の手元で看病してやりたいと思って
いたためである
年)で確認すると、「浴治法(水治法)」として
。
(6)
「持続浴(Dauerbad)」などが挙げられ、「之を
精神病学は私宅監置の惨状を指摘し、精神病
精神病者に応用するに至りしは主としてショル
院への入院を理想としたが、病者や家族は全く
ツ、クレペリーン等の功なり」とされている。
別の判断を行っていたことがうかがえよう。治
石田はその方法を、日本の浴室・浴槽の構造と
病の手段とは言えない私宅監置ではなく、家族
高温を好む習慣を考慮して変化させており、
「数
から引き離されてしまう精神病院でもない、家
年来之を家庭に於ける精神病者に応用し其功を
族が付き添いながら、自分たちに分かる論理で
収めたり」と述べている(8)。西洋から導入さ
病気を治すための選択肢が、民間治療場だった
れた水治療が、日本の実情に合わせて再編され
のである。
たと言えるだろう。ここでも、冷水浴より温浴
近代精神病学も、やがて、人々が集う民間治
が重視されている。
療場へ着目し始める。そこで、民間治療場はど
呉秀三『精神病学集要』第二版(1916、大
のように評価されたのか。節を改めて検討した
い。
正5年)にも、「治療通論」として「水治法」
4.近代精神病学からの再発見
や心臓の運動を緩く大くし又整斉にするし、又
潅滝や水行、温泉など、民間治療場は水と関
能を損じないで静安な睡眠を催す」「持続浴」
が登場する(9)。「血管を開張するに由って呼吸
血圧も増加する」という「微温浴」や「精神作
⑴水治療の学理と民間治療場
わっていることが多い。そこで近代精神病学は、
西洋より導入された水治療という観点から、民
のように、それぞれの水が身体に与える物理的
効果が論じられ、それが医師の手で管理可能な
ものと見なされている。呉は特に鎮静作用のあ
間治療場を再発見していった。その過程を追い
る持続浴を高く評価し、「此療法がよく行われ
ながら、何が見出され、何が見落とされたのか
るようになってから、従来あった強迫的の装置
を見ていこう。
−7−
臨床心理学研究 50 - 1
や隔離室の設備などは、殆どその必要を感じな
た民間治療場は、いかなる運命を選ぶのだろう
くなった」と述べている。
か。
精神病院を開放的にしようと努めていた呉に
⑵民間治療場への現地調査
とって、持続浴はまさしく理想の療法であった
1912 年(大正元年)に出された呉秀三『我
と言えよう。換言すれば、持続浴は病者を開放
邦ニ於ケル精神病ニ関スル最近ノ施設』の「医
的に管理するための手段として歓迎された。実
療上の目的にあらざる精神病者収容所」という
際に東京府巣鴨病院では、1902 年(明治 35 年)
一節に、各地の民間治療場への言及がある。本
に、三宅鑛一が持続浴を試み始めており(10)、
書に登場する群馬県室田不動と同滝澤不動、千
おそらく相当の成果があったものと思われる。
葉県長国山鷲山寺、同宮久保山高圓寺、同仙瀧
だが、効果の是非は別として、水の物理的効果
山龍福寺、徳島県阿波井神社に関する記述が見
を管理し、それによって病者を管理するという
られる。後述する現地調査の対象となった、東
思想が水治療を貫いていたことは、注意しなけ
京府高尾山薬王院、千葉県正中山法華経寺、同
ればならない。
原木山妙行寺、静岡県竜爪山穂積神社も採録さ
温浴に積極的な姿勢を見せた呉は、逆に、
「冷
れている。記述の内容は、それぞれの民間治療
水全身浴は精神病の療法として広く需要がある
場の住所と管理者、精神病者の参籠の様子など
ものではない」と否定している。こうした、温
である
浴への肯定的態度と冷水浴への警戒は、後述す
そして 1918 年(大正7年)、呉秀三・樫田
る民間治療場の評価へも大きく影響していくこ
五郎「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観
とになる。ただし、この段階では以下のよう
察」が『東京医学会雑誌』に掲載され、同年内
に、呉は民間療法全てに否定的な態度を示して
務省から同内容の抜き刷りが出された(以下、
。
(12)
『私宅監置ノ実況』と略す)(13)。この報告書は、
いる。
東京帝国大学医科大学精神病学教室のメンバー
が各府県の私宅監置や民間治療場について現地
滝及び温泉は現今で云えば水治療法でありて今日猶
お民間療法として盛に行われて居る。是等は…何等の
調査を行ったものであり、民間治療場に関する
こんぱい
学理的論根がなく…病人を困 憊疲労させて其怠るの
記述は、「民間療方の実況」として一節を設け
を見て治癒したのだと考えるに過ぎない。故に精神病
られている。
には最早やかかる療法は用いられるべきでない。
(11)
そこでは、富山県大岩山日石寺は、水治療の
いわば、滝や温泉などの民間治療場は、「水
本質を理解せず、潅滝を病者に強いている場所
治療法」を施す場所として再発見されたと言
として、否定的に記述されている。逆に、宮城
えよう。その後に、「現代の水治療法」として、
県定義温泉は、その入浴法が持続浴の学理に一
先述した持続浴などが挙げられている。
致する点が着目され、「精神病者の民間水治療
しかし、ここで「学理的論根」がないとされ、
方場としては理想に近きものなり」と、非常に
過去のものとして退けられた民間療法は、後述
高く評価されている。民間治療場への評価が、
する現地調査以降はやや異なる評価の対象と
水治療という観点に基づいていることがうかが
なっている。「学理的論根」が評価の基準とさ
えよう。
れる点では同じなのだが、民間治療場が持つ治
こうした各施設の「民間療方」の報告を受け、
病の有効性について、呉は条件付きで評価する
呉は以下のような批判を述べている(14)。「祈禱
姿勢を見せているのである。それはどのような
禁厭の類は一種の精神療方」であり「滝に潅浴
評価なのか。そして、その評価を突きつけられ
する方法の如きも一種の水治方」であるとは言
−8−
民間治療場の日本近代
え、疾病の種類・程度や体質を考慮せず、「強
し、「ダンプヅーシュ」(ダンプドゥーシェ)な
烈なる水勢に頭背を打たしめ、或は強いて暴力
どの「水治療法を行う」ことを目的とした施設
を以て之を水中に押入るるが如き荒暴なる処置
である。いわば、民間治療場の伝統から水治療
を取るものあり」、このような現状をふまえる
だけが取り出され、それを近代に適合する形で
と「医師の監督なきは大なる欠点」である、と。
特化することによって生き残りを図ったと言え
だからと言って、こうした場所を直ちに廃止
よう。
すべきだとは呉は考えない。「此に医師の監督
また、病者を茶屋や農家などで預かっていた
を起き、或は精神病院の組織となし、医師法に
京都府岩倉は、岩倉病院が設立され、院長の土
遵 う形式の下に其改善策を講ずるは頗る有益」
屋栄吉により、ゲールに匹敵する「家族的看護
だと提唱している。そうした医学の監督の下に、
型式の精神病者コロニー」として内外に宣伝さ
したが
すこぶ
「幽邃静寂なる閑境と、古来必治の称ある(宗
れた。千葉県正中山法華経寺も、1917 年(大
教的)伝説と、旧時より病者を招集したる風習
正6年)に、中山療養院を設立した。東京府高
とを善用して、組織ある保養所を設立」するこ
尾山には、1935 年(昭和 10 年)に、高尾保
とへの期待が述べられている。特に「定義温泉
養院が開設された。そして、徳島県阿波井神社
に於ける精神病者に対する処置の如きは、更に
は、呉や土屋の指導を受けながら、1927 年(昭
之に医学的施設を加味せば、之を頗る良好なる
和2年)、阿波井島保養院を開院した。いずれも、
保養所となすを得べし」と、ここでも定義温泉
病院を設立することで、精神病学の期待に応え
が期待の筆頭に掲げられているのは、やはり持
る形になったと言える。
続浴との類似性の故であろう。
しかし、そのことによって、民間治療場はど
以上のように、民間治療場が否定されるのも
うなっていくのだろうか。民間治療場にとって、
肯定されるのも、水治療の物理的効果を管理す
このような選択を迫られた近代とはいかなる時
る医学療法との遠近においてであった。水治療
代であったのか。それぞれのその後を見ていき
という媒介を経ることで、民間治療場の有効性
たい。
ゆえ
を前にしてなお、精神病学の自明性が全く揺ら
5.民間治療場の現実
いでいないことがうかがえる。そして、それら
⑴民間治療場を支えていたもの
は医学の監督を受けることで初めて「良好なる
保養所」になるとされる。
先に述べた、精神病学から潅滝のみが重視さ
つまり、民間治療場は精神病院への発展の階
れた日石寺は、行者などの民間宗教者が病者を
梯に位置づけられており、先述したような民間
受け入れ、病気治しの講を率いて当地を訪れて
治療場独自の論理は全く顧みられていないので
いた。病者は、眼や足腰を病んだ他の病者とと
ある。こうした近代精神病学が、公認された制
もに、治病に向き合うことができた。治病を信
度として民間治療場に向き合った時、民間治療
じさせてくれる宗教者の力に加えて、このよう
場はそれぞれの選択を迫られていった。
な共同性が治病に果たした役割は大きいと思わ
潅滝する病者が参籠していた群馬県滝澤不動
れる。
は、赤城山南麓粕川有志が赤城山慈恵会を組
また、定義温泉の現当主・石垣章男氏は断言
織して、同村出身の医学博士・齋藤玉男を顧
する-「お風呂に入れただけでは治らない」と。
問とし、同村の医師・松村正巳を主任として、
石垣氏は、病者は親子や夫婦との関係の中で
1931(昭和 6)年に、その付近に赤城山滝澤
病気になるのであり、そうした付き添いが一緒
水治療養所を設立した。近代的な設備を導入
に治そうとしなければ治らないと考えている。
−9−
臨床心理学研究 50 - 1
従って、親が付き添いをせず金だけで子どもの
者を預かり続けたのである。
面倒を頼もうとする昨今では、もう引き受ける
さらに、法華経寺では、中山療養院ができた
気にならない、と。「親が3回涙を流すと(後
後も、新たな参籠所が作られていた。病者の参
悔すると)子が治る」というのが、石垣氏の経
籠のニーズは減るどころか、病院設立後も引き
験則である(15)。
続いていたのである。民間治療場が精神病院の
このように、病気を家族の問題としてのみと
前身や代替物では決してなく、医療の貧困によ
らえることにも、別の問題が生じるだろう。だ
るものではなかったことが、この事実から裏付
が、病者が人との関係性において病み、人との
けられよう。
関係性においてこそ癒されるという信念は、病
これらの民間治療場が辿った運命は、民間治
者を人々のただ中へ置くことを促す。先代の石
療場が、水治療や精神病院によって代替可能な
垣幸一氏が、
「同じ悩みを持つ者が裸で話し合っ
ものではなかったことを端的に示している。人
たりってのがやっぱりいいんでしょうな」と言
との共同性において病気を治すこと、そして、
、自分の家族や、他の病者とその
病者を受け入れる地域の人々を含め、病者や家
家族が一緒に入浴するという共同性が、そこに
族が、治病へ自律的かつ主体的に関わっていた
はあった。
ということ。それこそが、民間治療場を支えて
こうした共同性は、どこかで、日石寺の病気
いた現実に他ならない。そしてその現実は、今
治しの講に連なる。水治療という観点からは、
日の精神医療に対して、最も根本的な問題提起
全く逆に評価された日石寺と定義温泉だが、両
を行っているのではなかろうか。
者の間には、このような共通点があったのであ
⑵民間治療場の衰退・廃絶、そして変質
る。
一方、人々の意識が徐々に変わり、病者が来
また、赤城山滝澤水治療養所は、松村が第二
なくなった民間治療場もある。静岡県竜爪山穂
次世界大戦中に軍医として従軍し、1943 年(昭
積神社では、
「昭和 10 年[1935 年]頃までは、
和 18 年)に戦病死してしまった。主人を亡く
焼津や静岡の人が来ていたが、その後いなく
した水治療養所は荒廃し、地元の人からも忘れ
なった」らしい。そこには、「社会もだんだん
去られてしまった。2006 年(平成 18 年)6
進歩してもう祈禱で治る筈がないと皆思ってい
月に現地を訪れた時、それと思われる場所は、
た」という、意識の変化が深く関わっているだ
完全に廃墟となっていた。現在も参籠堂が残り、
ろう(17)。
管理する人がいる滝澤不動との対比は、何かを
さらに、この時期には、竜爪山の麓にあたる
物語っているように感じられる。
静岡市内に、静岡脳病院と駿府脳病院が作られ
岩倉は、岩倉病院ができたものの、土屋院長
ていた。1920-40 年代(大正末期から昭和にか
は病院の経営にも、保養所となった茶屋の経営
けて)は、持続睡眠療法、発熱療法、インシュ
にも関与していなかった。だから、ゲールにお
リン・ショック療法、カルジアゾール痙攣療法、
いて行われていたように、病院の医師が全ての
電気ショック療法など、矢継ぎ早に諸種の身体
病者を診察して、病院における看護と民家にお
療法が創始され、「精神科医は明るい希望の下
ける家族的看護のどちらが適当なのかを決める
に精神病院を開設しはじめた」時期だとされて
ことはできなかった。つまり岩倉は、「治療を
いる(18)。
施すべきである」とか「病院の統制のもとにあ
病気を治すと考えられたものが祈禱から身体
るべきである」などの要請を受けながらも、以
療法へ移ったのだとすれば、治病のニーズも、
前と同様に、茶屋(保養所)や農家において病
民間治療場から精神病院へと移行するのかもし
うように
(16)
きとう
− 10 −
民間治療場の日本近代
れない。しかし、それは医療の進歩という一言
ために他ならない。看護人は夜間まで巡回して
で片付けられる現象ではない。それは、民間治
監視を行い、出入口には鎖錠が施され、水行も
療場と精神病院の狭間でどちらかを選択する、
厳重な監視下で行われた。
人々の意識の変化こそがもたらした現象だっ
病者は、脱走の可能性によって区分され、そ
た。
れによって水行の仕方さえ異なっていた。そし
また、もっと暴力的に、民間治療場が封じら
て、保護室などに監禁された病者は、水行以外
れた場所もある。1927 年(昭和2年)には、
は全く出ることができず、ますます病状を悪化
高尾山に大正天皇の多摩御陵が作られた。その
させ、治病から取り残されていったのである。
ため、警察の干渉が強くなり、琵琶滝側にあっ
民間治療場が精神病院に転じれば理想的だと、
た佐藤旅館が、1935 年(昭和 10 年)に高尾
呉たち精神病学者は大きな期待を寄せたが、そ
保養院を開設した。つまり、高尾保養院設立に
の結果は、民間治療場の治病の力を歪め、「嫌
は、近代天皇制の圧力がかかっていたのである。
がる患者を強制的にでも[水行に]参加させる、
のみならず、蛇滝側にも、多摩御陵ができたの
それ以外は厳重に監禁した収容所」
と同じ 1927 年(昭和2年)に、小林病院が創
質させることでしかなかった。
立されている。これらの病院は、病者が潅滝し
これらの結末は、近代天皇制の下に国家を運
ていた滝を塞ぐ、あたかも関所のような位置に
営し、精神病学を公的制度として樹立した日本
作られたことになる。この影響で、全国の民間
近代という時代が、民間治療場を許容せず、排
治療場よりはるかに早く、高尾山の滝治療は終
斥していったことを示している。民間治療場は
息を迎えてしまった。
人々にとって馴染み深い治病の伝統を引き継い
類似の例が、兵庫県の民間治療場にも見られ
でおり、近代においてなお、あるいは私宅監置
る。岩龍寺は、1932 年(昭和7年)頃、所轄
や精神病院という選択肢を迫られてからはいっ
の警察署から、神戸に天皇行幸があるから病
そう、人々のニーズに応え続けてきたにも関わ
院外収容を中止するようにとの強い要請を受け
らず。そして、この国の精神医療史は、その排
た。その後、1937 年(昭和 12 年)に、地元
斥を時代の必然として語ることで、民間治療場
の有志によって同地に精神病院が開設され、岩
の歴史から、一切を学ぼうとはしなかったので
龍寺の参籠は終幕を迎える。この時期は、昭和
ある。
初期戦時体制が確立されていく頃であり、何度
戦後、1950 年(昭和 25 年)に精神衛生法
も兵庫県を訪れた天皇行幸のたびに、精神病者
が制定され、病院以外での病者の収容が禁じら
の取り締まりが繰り返された。おそらくその影
れた。精神病院は雨後の筍のように増設され、
響で、兵庫県の他の民間治療場も、多くはこの
私宅監置されていた病者は措置入院へ切り替え
。つまり、近代天皇
られていった。精神衛生法が制定された 1950
制は、民間治療場を廃絶に追いやる力であった
年の精神科病床数は、1万 7686 床にすぎな
のだ。
かったが、その後、政府の増床目標に従って精
そして、徳島県阿波井神社に設立された阿波
神科病床は著しく増えた。1970 年代の半ばに
井島保養院では、病気を治すための水行が、拘
は、国の目標値でもあった1万人あたり 25 床
束具と同様の、病棟において病者を管理するた
を突破したが、諸外国の脱施設化の流れに反し
めの手段に変質してしまった。それは、精神病
て、なおも精神科病床数は増え続けた。病床
院という場所が、「危険」な病者を病院から出
数のピークは 1994 年に 36 万 3000 床あまり、
さないよう、常に監視と監禁を義務づけられる
入院患者数のピークは 1991 年に 35 万人であっ
時期に廃絶されている
(19)
(20)
− 11 −
へと変
臨床心理学研究 50 - 1
た。そして、多くの民間治療場が、これを機に
廃絶を迎えることになる。
やがて、薬物療法が全盛の時代となり、精神
病は薬で治すのが当たり前となった。その延長
上にいる私たちにとって、民間治療場はあまり
にも遠い存在となってしまった。他方、周囲か
ら切り離される形で入院した病者は、病気が落
ち着いても帰る場所を失った。こうした事情に
よる社会的入院の多さは、今日に至るまで大き
な問題となっている。
空費されていた。“ 人間倉庫 ” と呼ぶにふさわしい建
物そのままに、彼らは人でなく “ 物 ” として扱われて
いた。“ 物 ” としての存在しか認められないから、彼
(21)
らのほうもやむなく “ 物 ” となった。
国は、病者に対するに、収容施設を作ってそ
こで彼らの面倒を見るのが「福祉」だと、思い
違いをしていた。それは「排除の福祉」だった。
この排除の福祉が、病者をいっそう不幸にした。
精神病院は、地域から病者を排除する機能を果
たすことになり、世間の人に、病者への蔑視や
-なぜ、こうなってしまったのだろう。
差別感を育ててしまった。近年、国は、ようや
くその誤りに気づき、ノーマライゼーションを
6.民間治療場の歴史が問いかけていること
だが、全ての民間治療場が廃絶してしまった
訳ではない。大阪府生駒山地の「星田妙見道場」
には、今なお病者と家族が訪れ、宗教者に見
守られながら治病の営みを行っている。薬物療
法が定着した感のある現在も、民間治療場への
ニーズは絶えることなく続いているのである。
それは、精神医学や精神科病院では代替不可能
なニーズだと言えよう。このような民間治療場
の歴史は、現代の精神医療に、何を問いかけて
いるのだろうか。
戦前、病者は町中にいた。私宅監置されたり、
精神病院に入院する病者よりも、人々とともに
生活している病者の方がずっと多かったのであ
る。食事と引き換えに薪割りを頼まれたり、お
堂に住み着いて周囲の人々から飲み物や食べ物
の世話を受けたり、彼らは具体的な顔と名前を
持って、そこにいた。
しかし、戦後、彼らのほとんどが精神病院へ
収容される事態となり、私たちの目の前から姿
を消してしまった。目の前からいなくなって、
私たちは、彼らに無関心になった。無関心になっ
ただけなら、まだいい。彼らを恐れ、忌み嫌う
ようになった。そして精神病院では、以下のよ
うな光景が繰り広げられていた。
謳うようになった。それでもなお、心神喪失者
等医療観察法に体現されるように、精神病者を
「危険」視し監禁する動向は今なお生きている。
今日、多くの人々にとって、精神病者(およ
び「精神病者」を含む広義の精神障害者)のイ
メージは、はっきりしなくてぼやけている。ぼ
やけていて、どう接していいか分からない。そ
れでなおさら病者は敬遠される。その上に、病
者が起こした事件を大々的に報道し、不可解な
事件全てを精神病の産物であるかのように煽り
立てるメディアがある。人々と病者の距離は、
隔てられこそすれ、一向に縮まることがない。
「だから、精神病者に対する文化を変えるに
は、手段はただひとつしかない。精神病者が一
般の人に接する機会をできるだけ増やし、彼ら
の真の姿をじかに知ってもらうことだ」と、石
川信義は 1990 年(平成2年)に訴えた。「「社
会生活」そのものが、彼らを現実に引き戻す引
き金になる。それは、治療の強力な武器なのだ」
とも主張している
。
(22)
しかし、それから十年以上経った今なお、長
期在院患者の滞留、形式上の任意入院、精神病
院の密室性、尊厳を傷つける処遇、精神病院
による退院患者の囲い込みなど、精神病院の医
学的パターナリズムが病院内や地域を覆ってい
彼らは打ち棄てられ、打ち棄てられたままに “ 倉庫 ”
る。だから、伊藤哲寛は次のように提言する。
いたず
に格納され、彼らの人生の時間だけが、ただ徒 らに
− 12 −
民間治療場の日本近代
「精神医療にとっての地域」を語ることを止め、「精
神障害を持つ人々にとっての地域」が語られるべき
(23)
時である。
で、彼が治ったのかは分からない。
1回に 2 週間ほど、何年もかけて泊まりに-
およそ近代医学とは相容れないような、ゆっく
それは換言すれば、「病者を受け入れる人々
にとっての地域」でもあるだろう。だが、そう
した「地域」とは、かつて民間治療場を取り巻
いていたものではないか。そこで病者や家族、
周囲の人々は、治病へ主体的かつ自律的に関
わっていた。精神病学や精神病院が主語ではな
い「治療の場所」、「精神医療にとって」ではな
い「地域」が、そこには確かにあったのである。
それこそが、今求められている「地域」に重な
り合うのではなかろうか。
また、「「精神障害者の社会復帰」を阻んでい
るのは、実はリハビリテーションシステムや社
会資源の不足以上に、地域や場全体のコミュニ
ケーションシステムの不全状態ともいうべき状
況にある」と、向谷地生良は指摘している(24)。
だとすれば、今必要な「地域」とは、精神病
者だけではなく、そこに住む全ての人々の共同
性を取り戻すことなのだ。かつて民間治療場が、
ごうりき
病者や家族だけではなく、強力や看護人のよう
な形での労働、茶屋(保養所)や旅館の生計な
どをも支えていたように。そのなかで、病者や
家族、そして地域の人々が、治療行為を通じた
支え合いや < 居場所 > を、確かに共有していた
ように。
りとしたペースの治療である。今日でも大岩へ
旅するのはそれほど簡単なことではない。まし
てや、北海道から病者を連れつつ何年もかけて
となると、それは並大抵のことではないだろう。
つまり、大岩は、確かにこの親子にとって、
その労を厭わないほどの ” かけがえのない場
所 ” であり、そして実際に彼らを救ったのであ
る。樫田が視察したようなかたちでの精神病者
が途絶えたあとも、大岩は、なお民間治療場、
すなわち「治療の場所」であり続けていたこと
がうかがえる。
そして、 参籠堂がなくなったいまでも、「ふ
つうでない」人が気を鎮めるために、滝に打た
れに来るという。その様子を見守る現管長の奥
さんは、次のように語っている。
カッカしていて頭を滝に当てたがる人もいる。胸(心
労)を病んでいる人は少し違って、迷っている感じ
がする。いずれも「気が違っている」状態だが、精
神病とはまた違う。そういう人には、間違った方向
に行かないように、静かに精神統一するよう促して
いる。
去年の今頃、毎日来ていた人もいる。心が弱かった
から、心を鍛えるために知り合いのお寺に勧められ
て、9 月から 12 月の 90 日間滝に打たれ、1日も休
まなかった。その人は僧侶になるのは好きではない
たとえば、富山県大岩山日石寺では、1975
が、気などに関心があるという。今は学習塾を経営
年か 1985 年に、 北海道から母に付き添われた
しているらしい。
息子が訪れたという。 そして 10 年前(1995 年)
真冬でも、「滝に当たらんと生きていけん」
に、 治ってお礼参りに来たと、 滝川巖氏は語っ
た。
- 20 年前か 30 年前、母が付き添ってきた
息子がいた。 頭が悪かった。夢で不動さんに会
うなど、母親に霊感があったようだ。そのため
か、指導する人は特にいなかった。親子で北海
道と行ったり来たりしながら、1回に 2 週間ほ
ど、何年もかけて泊まりに来た。10 年前、治っ
てお礼参りに来た。不動信仰と滝治療のおかげ
人もいたのだと、奥さんは述懐している。滝に
救いを求めてくる人はいまでも確かにいて、大
岩という地はそれを受け入れていることがわか
る。一方で、現管長は「いまでも精神病の人は
来るが、あまり近づかないようにしている」と
も語っており、管長にそう言わせるものが一体
何なのか、問うてみる必要があるのかもしれな
い。
その時、私たちは、民間治療場を過去の遺物
− 13 −
臨床心理学研究 50 - 1
にしてはならない意味を知るだろう。そこには、
12)呉秀三『我邦ニ於ケル精神病ニ関スル最近ノ施
設』1912 年(復刻版、精神医学古典叢書、創造出
今日の精神医療を根本から問い直し、新たなあ
りようを指し示す手がかりが、確かに存在して
いるのである。
版、2003 年)。
13)呉秀三・樫田五郎『精神病者私宅監置ノ実況及
ビ其統計的観察』1918 年(復刻版、精神医学古典
叢書、創造出版、2000 年)。
14)呉・樫田注(13)前掲書 PP.136-137。
註
1)田中圭一『病いの世相史-江戸の医療事情』ちく
ま新書、2003 年。
15)石垣章男氏に、2006 年7月 16 日聞き取り。
16)昼田源四郎「「気違いの湯」-定義温泉の歴史聞書」
『日本医史学雑誌』23 巻3号、1977 年、PP.370-
2)田中注(1)前掲書 P.107。
379。
3)田中注(1)前掲書 P.119。
4)日石寺の横にある旅館「だんごや」の滝川巌氏
17)木村健一「静岡県龍爪山穂積神社における「精
神障害者」治療のその後」『社会精神医学』3巻1
(1926 年生まれ)に、2005 年9月 17 日聞き取り。
5)中村古峡『殻』春陽堂、1913 年、P.375。
6)児玉昌「愛知県下に於ける精神病者、精神薄弱者
調査報告」『精神衛生』1巻6号、1934 年。この
調査も含めた、私宅監置をめぐる別の角度からの
号、1980 年、PP.40-44。
18)八木剛平・田辺英『日本精神病治療史』金原出版、
2002 年、P.132。
19)吉田貴子・岩尾俊一郎・生村吾郎「近代における「民
間」精神病収容施設の実像-兵庫県でのフィール
評価に関しては、橋本明「精神病者私宅監置に関
ド・ワークを通して」『精神医療』第4次 10 号、
する研究-呉秀三・樫田五郎『精神病者私宅監置
ノ実況及ビ其統計的観察』を読み解く」『愛知県立
大学文学部論集社会福祉学科編』53 号、2004 年
を参照されたい。
7)H.モーズリー著/神戸文哉訳『精神病訳説』
1876 年(復刻版、精神医学古典叢書、 創造出版、
2002 年)。
8)石田昇『新撰精神病学』第八版、1919 年(復刻版、
1997 年、PP.34-56。
20)『阿波井島保養院五十年史』1978 年、PP.136137。
21)石川信義『心病める人たち-開かれた精神医療へ』
岩波新書、1990 年、P.17。
22)石川注(21)前掲書 P.231、P.84。
23)伊藤哲寛「相互支援システムの構築-【序論】
地 域 を 語 る べ き 者 は 誰 か 」『 精 神 医 療 』34 号、
精神医学古典叢書、創造出版、2003 年)。
9)呉秀三『精神病学集要』第二版、1916 年(復刻版、
精神医学古典叢書、創造出版、2003 年)。
2004 年、PP.7-16。
24)向谷地生良「「べてるの家」から学ぶもの-精神
障害者の生活拠点づくりのなかで」
『こころの科学』
10)岡田靖雄『私説松沢病院史』1982 年。
67 号、1996 年、PP.8-12。
11)呉注(9)前掲書 PP.885-886。
Healing Places in the Japanese Modernity
- a historical research -
Akiko HYOUDOU (PhD.)
Key words : history, healing places, Japan, modernity, folk, therapy, psychiaatry
− 14 −
「存在の大いなる連鎖」と < 完全強迫 >
【論文】
< 一つ掲げ > について
-差別観念の根を西欧思想史に探る-
實川 幹朗 1)
その1:
「存在の大いなる連鎖」と < 完全強迫 >
要約
「精神障害者」への抑圧、差別を準備する枠組みを、西欧思想史のなかに探る試みの第一
弾である。私が < 一つ掲げ > と名付けたこの構えは、「存在の大いなる連鎖」に近縁で、
西欧思想史に頻発する「唯一」「絶対」「完全」などと、その陰画としての蔑まれ、 非難
されるものの組み合わせである。後者の代表が「精神障害者」となる。< 一つ掲げ > は、
あたかも自明であるかの如くに、現代の我われに馴染んでいる。だから、ちょっと見に
は単純極まりないが、じっさいには入り組んだ、特異な複合から成り立つ。絶対を掲げ
つつも実態は相対関係からなることが、錯綜の根にある。この錯綜から、際限ない序列
付けが産まれてくるのである。起源は古代ギリシアに遡れるが、この文明での「完全で
なければいけない」とのこだわり、すなわち < 完全強迫 > が、すでに < 丸抱え > と <
選りすぐり > という両立しがたい性格を内包していた。けれども、そこまでではまだ、<
一つ掲げ > のための決定的な要因が欠けている。
索引用語:一つ掲げ 存在の大いなる連鎖 精神障害者 完全強迫 偽の絶対性
はじめに
「精神障害者」への抑圧、差別の仕組みに、
らかにするのが、ここでの課題である。
近代という時代の力が大きな役割を果たして
その構えに、私は < 一つ掲げ > との名を与え
いるのは、間違いない。近代における理性の
たい。< 一つ掲げ > とは言葉のままに、「一つ
支配にその根源を見出したのが、フーコーで
の何かを掲げる」との意味である。高く掲げて、
あった 。しかしながら、こうした巨大な力が、
この「一つ」を目立たせ、誉めそやし、際立た
二三百年という歴史全体から見れば短期間のあ
せる働きを言い、またそれに伴う様ざまな効果
いだに、一気に形成されるとは考えにくい。近
をも含める。
1)
代を準備した西欧文明のなかに、この抑圧の仕
この掲げられ、目立った「一つ」の陰画として、
組みを支える成分が、より古くから見出せない
蔑まれ、非難され、貶され、憎まれるものが産
だろうか - この立場から探ってみると、特
まれる。「心の近代」には、「精神障害者」をそ
徴のある一つの構えに突き当たった。それを明
の陰画の代表に位置づける仕組みが、備わって
1)姫路獨協大学
− 15 −
臨床心理学研究 50 - 1
いるのである。手短かに言えば、彼らの行為や
重要な役割が覆い隠すことから生じている。あ
思考の特異性に、「現実」とのずれしか見出さ
たかも単純で自明であるかの如く振る舞えるほ
ない見解がそれである。
どに深く西欧に根付いた仕組みだ、と言っても
「心の近代」の、この重要な一側面を形成す
よい。だから、ここに絡んだ思想家もまた多い。
る力は、< 一つ掲げ > だけではない。私が < 意
名付けこそ私流だが、「独創性」を言い立てよ
識革命 > と呼ぶもう一つの要因は、世界のすべ
うとはまったく思わない。しかし、夥しい先人
てを意識に、それも「明瞭で健康な意識」に基
の所説の整理は難しく、それだけで一仕事とな
づける構えである。これは、短い期間での急激
る。ここではごく一部だけ、話が分かりやすく
な変化であった。兆しこそ十七世紀に遡れるも
なる程度に絞って触れつつ、枠組みを簡略にま
のの、十九世紀の中頃になって急激に形を整え
とめてみる。
た変革である。「明瞭で健康な意識」の対極に、
「無意識に支配されて混乱した、病んだ意識」
を置くので、< 一つ掲げ > の応用と理解できる。
「唯一」からの対立
< 一つ掲げ > は、西欧思想史に頻発する「唯一」
また、< 心の囲い込み > と名付けた別の要因は、
「絶対」「完全」などの考えと、その効果をひっ
心を「個人の内面」のみに限定する動きである。
くるめた用語となる。「唯一」とは、ただ一つ
これにより、心理的な不都合の原因はすべて、
しかないことなので、単純きわまりないかと思
誰か一人の個人に帰せられる。こちらは開始が
わせる - けれども、それは見せかけである。
古く、古代まで辿れるが、完成は紆余曲折を経
「一つのみ」と言われたときには、もう「二つめ」
て、ようやく二十世紀にほぼ今の姿となった。
が思われている。「絶対」とは、対になるもの
これらに対し < 一つ掲げ > は、成立そのもの
を見出せない関係のはずだが、そういう関係自
が古い。それ自からもまた、いくつもの成分か
身は、
「相対」との相対関係からのみ理解される。
らなるが、各おのが古いし、成分どうしの融合
「完全」のはずのものは、これを誇った時点で
も、古代の終わりごろにほぼ完成していた。以
もう、不完全との対比により、他から補われて
来、二千年近くの長きにわたり、ほぼ同じ仕組
いる。こうした矛盾の連鎖によって、実態は限
みが、世界のあちこちに影響を及ぼしてきた。
りない錯綜を宿すのである。「唯一」
「絶対」
「完
古代から現代までを貫く、言わば時間軸に平行
全」の強調は、錯綜を隠蔽する手だてに過ぎな
に置かれた筋である。
い。< 一つ掲げ > において「唯一」とは、必要
この仕組みは、古いけれども、近代に入って
不可欠な、偽りの名なのである。
新たな勢いを得て働いている。それにより、こ
「一つ」への疑問もさることながら、これに「掲
の「一つの時代」を掲げ、目立たせているので
げ」が加わると、矛盾はさらに拡大する。「唯一」
ある。もとより西欧において、その影は濃い と言われるとき、ほとんどの場合にその「一」は、
- 「西欧という一つ」を目立たせる働き、と
低い 何ものかを土台に、高く 掲げられている。
も言えるであろう。
つまり、引き立て役が動員されているのである。
現 代 を 生 き る 我 わ れ に、< 一 つ 掲 げ > は、
4
4
4
4
「二つめ」の力に頼る「唯一」は、高さについ
ちょっと見には単純極まりなく、自明かとさえ
ても、低さに支えられる矛盾によってのみ成り
思わせる力を振るう。だが、じっさいには非常
立つ。だから、引き立て役の方が目立つ場合が
に入り組んだ、特異な複合から成り立つのであ
あるし、
「絶対者」に刃向かう者さえ現われても、
る。この不思議は、この構えの備える他文化に
不思議ではない。仕組みそのものが、反逆を誘
は類い希な特異性を、西欧文化で果たした長く
うのである。
− 16 −
「存在の大いなる連鎖」と < 完全強迫 >
掲げられた「一つ」は、「優れた」ものとし
キリストに対するユダの関係が、その典型をな
て具体化される。このときの「優れた」性質とは、
す。キリスト教では反逆が最大の罪だが、いか
真理、善、美、存在、自由、完全、正義、勝利、
に悪逆非道と決めつけられても、これを省いて
支配、積極性、能動性・活性などである。
「優れた」
はイエスの事跡の意味が変わってしまう。< 一
ものなら高く持ち上げ、崇めるのが似つかわし
つ掲げ > には、こうした込み入った事情が、つ
いと、ひとまず思われよう。「絶対者」を「掲
ねに織り込まれる定めなのである。
げる」構えは、この見立てに沿っている。しか
ヘーゲルはこの二元性をみごとに利用し、壮
し、ほんとうは、「優れた」ものが上とは限る
麗な弁証法の哲学を組み上げた。だが < 一つ掲
まい - 受け止め、礎となり、下支えしても
げ > は、歴史のなかに置かれたとき、必ず「質
よいではないか。すなわち、上方や能動性・活
的な展開」を伴うのであろうか。ここでは古代
性への偏愛も、この思想の特異な複合の一特徴
から現代まで、見掛けこそ異なるが、大もとは
をなすことが、ここから知れるのである。
一貫した仕掛けとして、これを考察したい。
ひるがえって、低い「二つめ」は、反抗すれ
ば「反逆者」となる。だが、こちらもまた、そ
の名を真に受けるわけには行かない。「劣った」
「唯一」からの序列
< 一つ掲げ > では、「一つだけ」を強調しつ
反対者は、虚偽、悪、醜、虚無、隷属、欠陥、
つも、「二つめ」の対極が必ず「一つ」に比べ
不正、邪悪、敗北、従属、消極性、受動性・不
られる。ところがさらに、「二つめ」でも止ま
活性などの性格を与えられる。そして低く、下
らないのが、この構えの、もう一つの重要な特
に押し込められる。こちらも下とは限るまい 徴をなすのである。「一つ」を掲げるためなら、
- が、ともかくその支えで、
「唯一」
「絶対」
「完
原理的には「二つめ」までで充分かもしれない。
全」の優秀者は存立する。すなわち、「優れた」
けれども、じっさいには「三つめ」以降が、次々
ものは、
「劣った」ものに恩義がある。けれども、
と連鎖して産み出されてゆく。つまり < 一つ掲
これにはあえて目をつぶり、引き換えに、攻撃
げ > では、無際限の序列化が避けられないこと
し、滅ぼし、無きものとすべき対象の地位を与
になる。
ものごとを単純に二分するのは、明らかに無
え、「醜い嘘つきの悪者」などという札が掛け
理がある。加えて、「これしかない」と「一つ」
られるのである。
4
4
4
4
ではこの避けがたい反対者は、< 一つ掲げ >
を掲げても、恩義ある反対者の力は強い。これ
の破壊に通ずる危険要因、獅子身中の虫なのだ
は、反対者を敵として対立を煽らなければ、呑
ろうか - もちろん、そうではない。
「絶対者」
み込まれる恐れさえあることを意味する。< 一
は、反対者に支えられて成り立つのであった。
つ掲げ > の実態は、両者のあいだの綱引きとな
だから、刃向かう者でも、< 一つ掲げ > の原理
らざるを得ない。「どちらに付くか」を二分法
を否定するとは限らない。多くの場合に反逆者
で問い、二者択一を迫る仕掛けとなってゆくの
は、全体構図はそのままに、せいぜい地位の入
である。
4
4
4
れ替えを図るに過ぎない。すなわち、< 一つ掲
この二者択一が、「どちらに近いか」で、無
げ > そのものから見る限り、極めて保守的なの
限に多くの相対性を産出する働きに化ける。あ
である。さらに、「絶対者」を表向き批判しつ
いだのものごとは、ただ中間にあるのではない。
つも、ほんとうは、倒して入れ替わろうさえせ
それらは掲げられた「一つ」と、敵対する反対
ず、かえって最高の引き立て役を務めあげる場
者とに挟まれ、身の証しを強いられ続けるので
合がある。一つだけ具体例を挙げれば、イエス・
ある。この仕掛けからは、「一つ」に最も近い
− 17 −
臨床心理学研究 50 - 1
ものから対極に接するものまで、一次元での序
の産物である。「精神障害」「心の病まい」など
列形成が避けられなくなる。そして序列は、上
の名で呼ばれるものが、ここでは「一つ」への
下、優劣、正義と邪悪、支配と服従、自由と隷
反対者となる。しかも、心理治療の対象は、欠
4
4
4
4
4
4
4
4
4
属、能動と受動などの程度ないし値として、表
かせぬ役割を振られることのないのを特徴とす
現され、様ざまな質と量が交錯する。すなわち、
る。ただ「欠けている」だけなら、ちょうど光
< 一つ掲げ > は「唯一」を掲げつつ、じっさい
の欠けが麗しい陰翳を彫るように、必ずしも埋
には多様性を帯びたものごとを、両極のあいだ
めるべきとは限るまい。だが < 欠けの眺め > の
に並らべる仕掛けとならざるを得ない。こうし
それは、直さねばならぬ、当然に変化を求めら
た世界では、「相対性」とか「多様性」と言わ
れる < 欠け > である。つまり「劣った」「低い」
れても、その意味するところが、対等な多元性
ものとして、「優れ」の対極に置かれ、< 一つ
とは異なることに注意せねばならない。謂わば、
掲げ > の特徴を明白に示している。
差別による多元性なのである。
ここまでを整理してみよう。< 一つ掲げ > と
さて、「唯一」がほんとうは唯「一つ」でな
はまず、「唯一にして絶対のもの」のみに拠る
い点で、< 一つ掲げ > の看板には偽りがある。
と名目上は唱えつつ、実態としては「二つめ」
だが、「一つ」の原理が、全く働かないわけで
の反対者を支えに、「一つ」を高く「掲げ」る
もないのである。なぜなら、掲げられたものが
ことである。反対者は貶められ攻撃されるが、
ほんとうは絶対でなくとも、上下・優劣などの
裏腹に、隠された不可欠の役割を盾に、隠然た
4
4
序列は一次元であり、かつ一方向的とされるの
る影響力を行使し続ける。次にこの構えは、掲
だから。この限りでは、「一つ」が、したたか
げられた「一つめ」から、支えの「二つめ」ま
に生き残る仕掛けとなっているのである。
でのあいだに評価の次元を配し、対極関係によ
この「一つ」が過酷な力を発揮すると、「ど
る一次元・一方向で、ものごとを序列化する。
うしても」とか、
「絶対的」にとか、あるいは「事
このような、建て前上での「唯一」を起点に、
実」として、人間やものごとの序列を判定する。
実態としては対立と差別と序列を産みだす仕掛
劣った下の者が何を言おうが、それは「客観的
けを、< 一つ掲げ > と名付けるのである。
に」見て、負け犬の遠吠えだったり、懲りない
悪あがきでしかない − 「真理は一つ」なの
だ。こうした言い草の使い回しが、< 一つ掲げ
「善のイデア」から「存在の大いなる連鎖」へ
アーサー・ラヴジョイ (Lovejoy, Arthur O.)
> の独特の味わいを醸し出してきた。今どきの
は、一次元での序列の形成と、これに基づく支
身近な例では、学力試験の偏差値による序列や、
配の正当化が西欧思想史を貫通するのを認め、
利潤の量などによる「成果主義」の評価が、分
かつての西欧で人口に膾炙した「存在の大いな
かりやすいところとなろう。満点を取った者が
る連鎖」との表現で、それらを要約した3)。こ
「唯一」の地位を占める。明白な「真理」の裏
の言葉は、ユダヤ = キリスト教の神に創造さ
付けを伴っているから、利潤の多いほど評価も
れた「存在者」、つまり「被造物」すべての、
高まるのを、最適にして最善とする他の道はな
途切れのない上下の序列を指す。古代に始まり
い - 批判は、やっかむ者の仕業だ。
近代に至るまで、西欧的世界観の屋台骨の形成
臨床心理学には、この学が対象とする現象を、
人間の完全な状態からの < 欠け >、埋めるべき
に与ってきた思想である。< 一つ掲げ > は、彼
のこの分析に重なるところが多い。
「存在の大いなる連鎖」を手軽に知るのに、
欠損と見做す考え方がある。私はこれを < 欠け
の眺め > と名付けるが 、それも < 一つ掲げ >
2)
おそらくよい例が、生物の分類学にある。すべ
− 18 −
「存在の大いなる連鎖」と < 完全強迫 >
ての生き物を、人間が頂点の一次元の系統とす
とき以来、そして未来永劫、決して変わること
るのが、この分野での十七世紀頃までの前提で
5)
がないのだ 。
< 一つ掲げ > は、この「存在の大いなる連鎖」
あった。生物を、完成の度合いで上下一列に並
らべるアリストテレースの思想をもととする。
の着眼に多くを負う。あえて別の名付けにした
ただし、これを採り入れたスコラ哲学の体系は、
のは、「連鎖」という呼び方では、連続性が強
キリスト教にふさわしい新たな根拠を求めた。
調されすぎるためである。私としては、「掲げ
人間をこの世の支配者とする『旧約聖書』創世
られた一つ」に注目したい。「存在の大いなる
記の記述がそれであった4)。宇宙を創造した神
連鎖」は、ラヴジョイにとっても、起点となる
がまず最高の支配者である。これは「唯一」で
「一つ」から始まる。そして連鎖する駒の各お
別格の、「存在そのもの」とされる。その下に
のが、常にここからの隔たりを測られ、評価さ
は天使が、天空を舞っている。これらに及びも
れるのである。だから、彼の名付けは、私から
着かないとはいえ、地上では人間が最上位を占
見れば不十分に感じられてしまう。とは言え、
め、支配者となる。その下には、人間とよく似
まずは彼の分析に沿いつつ、「存在の大いなる
た猿、次第に人間から遠い四足獣、鳥、魚、昆
連鎖」の成り立ちを考えることから始めよう。
虫と並らび、さらに木や草など植物が、直線を
この「連鎖」の起源は、ラヴジョイによれば、
なして続く。最も下には鉱物、土、水、大気と
プラトーン哲学に遡る。彼は『ティーマイオス』
いった無生物が置かれる。
『国家』ほかの解釈から、次のように論ずる。
最上位で別格の、絶対的で完全な支配者が神
- 「善のイデア」は、何にも増して望まし
で、最高の理知性を備える。能動性・活性が支
い。望ましいものすべてを備えるので、自から
配の力であり、これを最高かつ無限に保持して
で満ち足り、他の何ものをも欲しがらない。す
いるのもこの神だ。人間はと言えば、これらの
なわち自足しているから、妬んで侵すこともな
特性を、神には及ばないながら受け継ぐ - い。ところが、それほどの完全さゆえに、この
それは、人間が神を象って造られからなのだ。
イデアが不完全の起源になる6)。そして、完全
すなわち、理知性を備えた魂を持つ「霊長」と
と不完全との隙間のない繋がりが、「存在の大
して、地上の支配を委ねられたのだ。人間の下
いなる連鎖」を紡ぎ出すのだという。
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
の序列の基準は、やはり能動性・活性の程度で
では、完全がどのように、不完全を産み出す
あった。無機的な物質は、単純で魂がなく、受
のだろう。しかしその前に、この時代の「自足」
動的で不活性、つまり自発的な活動をまったく
と「完全性」の位置取りを考えておく必要があ
しないから、最下位になる。受動的で単純なら
る。古代ギリシアでは、「ある」は「なる」と
値打ちがないとの考えである。人間とそれらと
で対をなす。つまり「ある」は、必ずしも「な
の中間には動植物があり、やはり魂はないが、
い」とは結びつかないのである。プラトーンに
幾分かの能動性・活性は与えられている。いず
従って対立を語れば、こうなる - もう「あ
れにせよ他の「存在者」すべては、地上の支配
る」からには、
「なる」必要はない。何かに「なる」
者たる人間のために創られたという。例えば馬
のは、いまの「ある」から外れることだ。だか
は、人が乗るためにいて、この目的にふさわし
ら、「なりつつある」などは、言葉の使い誤り
い姿をしている。全知全能の神が造ったのだか
でしかない。
ら、これが理性に沿った仕組み、すなわち「合
理性」なのだ。神が与えた知性で、人間はこの
仕組みが捉えられる。この上下の序列は創造の
まず第一に、次の区別を立てねばならない。つまり
常に「ある ( エイナイ )」もので、
「なる ( ギグノマイ )」
ことをしないものとは何なのか。また、常に「なる」
− 19 −
臨床心理学研究 50 - 1
はっきりと立つ「存在」について、ここで重
を続けて、「ある」ことのけっしてないものとは何な
のか。前者は、常に同一を保つもので・・・
7)
要なのは、それが「無い」や「虚無」との対を
4
「ある」と「なる」とのこうしたすれ違いは、
我われの < うぶすな > の語感から、かなり隔たっ
ている。このままでは、かえって誤解を産みや
すかろう。むしろ、前者を「存在」と呼び、後
者を「生成」ないし「変化」とする硬い言葉遣
4
いの方が、分かりやすそうである。すると、存
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
在するとは、生成・変化せぬことだ、と言える。
プラトーンは、この意味での「存在」を重んず
る。「存在」とは、「不生不滅で、永遠に不変で
不可侵の、自己同一に自足すること」と言い表
わせるであろう。欲しいものも、付け加えるべ
き何ものもないのが、理想の境地なのである。
多くの人には、幾ばくか奇異の感を与える理
想かもしれない。すべての人間、あらゆる慣ら
わしに「普遍的」だとは、とうてい思われない。
なるほど「動かざること山の如し」は素晴らし
いが、「疾きこと風の如く」も捨てたものでは
ない。生々流転は、恥ずべきでなく、むしろ麗
しい。何ゆえに、ギリシア人たちが同一にこだ
わり、変化を嫌ったのかは分からないし、探求
するゆとりもない。だが、西欧文明に限っては、
この理想は深く根ざし、今の世に至るまで、そ
の流れを縛っているのである。
4
なしてはいないことである。プラトーンにとっ
て、形相の最高のものが「善のイデア」であっ
た。このイデアは、彼の立場では「真」も「美」
も、さらに「存在」をも超えるとされている9)。
だから、「虚無」もまた、超えられているわけ
である。
ただ、ここでの「善」の意味も、我われの <
うぶすな > の語感とはかなり異なる点に気をつ
けたい。古代ギリシア語の「善 ( アガトス )」は「役
立つ」こと、つまり「用向きに適った」、また
はその意味で「巧みな」ことが基本である。だ
から豊かさ、便利さ、財産などが、意味の上で
重きをなす。その理想を表わす「善のイデア」
とは、欲しいものは何でもある、豊満・充足の
意味での自足の極みなのである。他からは手出
しをさせないが、他に求めることもない。これ
が素晴らしいことなのだ。したがってまた「善」
4
4
は、「悪」の対語ではない。「善なる泥棒 ( アガ
トス・クレプテース )」との言葉遣いが、義賊
でなくとも、腕前さえ確かなら成り立つとは、
アリストテレースの言いぐさである 10)。泥棒
であっても、腕がよすぎて、欲しいものを何で
もいつでも盗めるのなら、「善の極み」にいる
わけである。
さて、ラヴジョイは、豊満・充足の極みにあっ
自足する「善のイデア」と二つの完全性
古代ギリシアでは「自立」し、かつ他から
「独立」した何かのみが「存在するもの ( オン )」
の名に値する。この思想が、今の世のわが国に
及んでいることは、「障害者の自立」などとい
うスローガンから、たやすく解るであろう。さ
て、「自立した存在」の代表格が、イデアまた
は形相 ( エイドス ) である。
て「最善」の自足を誇るこのイデアを、「最も
4
4
4
偉大で美しく、最も完全」だとして、完全性に
着目する。完全から不完全へと連なる「存在の
大いなる連鎖」が始まるのは、ここからだされ
る。 - 「完全」とは、しかし、そもそも何
であろうか。
「完全無欠」と言うからには、何であれすべ
てが、欠けずに備わることかもしれない。例え
同一を保っている形相というものがあり、生じるこ
とも滅びることもなく、自分自身の中へよそから他
のものを受け入れないし、自分がどこか他のものの
中へ入って行くこともなく・・・
8)
ばアリストテレースは、「完全 ( テレイオン )」
に三種類の定義を与えている 11)。その最初の
ものが、
「それ以外には、それのいかなる部分も、
一つの部分さえも、見い出されえない」となっ
− 20 −
「存在の大いなる連鎖」と < 完全強迫 >
ている。これは定量的で、論理的な性格を帯び
た定義と言えよう。自足する「善のイデア」は
産み出しから不完全が
では、二つの完全性で自足している「善のイ
豊満・充足の極みなので、これに当てはまりそ
デア」から、いかにして、不完全で劣ったもの
うである。
を含む「存在の大いなる連鎖」に至れるのだろ
4
しかし「完全」は、「善 のイデア」の性質な
うか。ラヴジョイによれば、「善のイデア」の
のであった。「善」の意味を考えれば、論理的
完全性には、二つの意味を橋渡しするかと見え
な完備よりは、自足のための役に立つ望ましさ、
る性質が備わる。それが「産み出す」ことなの
つまり質的な充実に傾きそうでもある。すると、
であり、次の手順により導入される。 - も
アリストテレースの二番目の定義が、よく当て
し「善のイデア」に、自分以外のものを産み出
はまるかもしれない。
「巧みさ ( アレテー ) や良
す力がないなら、完全性を形成する要素をひと
4
4
4
4
さ ( ト・エウ ) の点において、それの類いのう
つ欠くこととなる。これでは完全でない。しか
ちに、それを超える何ものもないもの」で、好
し、「善のイデア」は完全なはずだ。したがっ
みや評価の性格が強い。「完全無欠」は、欠点
てそれは、産み出すものなのだ。
この筋書きは、< 丸抱えの完全 > からは、す
が無いと考えれば、こちらの意味にも取れる。
なお、三番目の定義は「終わり ( テロス ) に達
んなり受け入れられそうに思える。完全たるに
したもの」だが、ここでは触れないでおく。
は、何であれとにかく備えるべきなら、産み出
「完全」の二つの意味は、「至れり尽くせり」
しが加わるのは当たり前だろう。けれども、<
という限りで、似た感じがする。だが、よく考
選りすぐりの完全 > からは、難しくないだろう
えれば、両立しがたい性質を備えている。はじ
か。「善」のもとの意味は、役立つ望ましさの
4
4
4
めの定義で、すべてが備わるからには、望まし
4
4
豊満・充足であった。自足していて、もう何も
くないものの組み入れも見込まれよう。しかし
いらないはずなのだ。産み出しにこだわれば、
次の定義なら、逆さまに、望ましくないものが
ほんとうは足りないからだろう、と言われるに
すっかり排除されてこそ成り立つ。だから、両
違いない。加えて、産み出しに「産みの苦しみ」
者を突き合わせると、矛盾が出る。公理系が完
が伴うのは、周知の事実ではないか。苦しみが
全なのは、すべての命題の肯定または否定が証
望ましいとは、一ひねりしなければ受け入れが
明できる場合で、望ましい命題だけを証明した
たい言い立てである。
のでは足りない。片や、野球の完全試合には、
すなわち、自から造り出したり産み出す必要
ヒットや出塁が含まれてはならないのである。
を、「善」の追求から、直ちに導くことはでき
だが、近ごろでも「完全」は、二つの意味の入
り交じった用い方となっている。
ないのである。それにも拘わらず、産み出しが
「善のイデア」の性質とされた。自足した完全
4
4
4
二つの完全性に名前を付けておこう。はじめ
性を誇りつつも、己れの豊かさだけでは足りな
の、望ましくないものも含めた一網打尽の完全
かったのだと、言わざるを得ない。だから、あ
を < 丸抱えの完全 >、あとの、欠点を排した方
4
4
4
4
4
えて外へ向けての産み出しが付け加わった。
は < 選りすぐりの完全 > と、ここでは呼んでお
これは何を意味するのか - この力そのも
く。
「存在の大いなる連鎖」ないし < 一つ掲げ >
のが、何ゆえか強く望まれたとしか、考えられ
の発生は、これら二つの完全性をめぐる追いか
ない。< 丸抱えの完全 > に沿ってすべてを取り
けっこを起点とする。そして、その込み入った
揃えるにせよ、ものごとの備える性質は、無数
模様は、矛盾しつつも離れられない二つの考え
にある。そのうちから、産み出しをとくに選ん
を、縦横の糸に組みつつ織りなされるのである。
で求める理由は、別に説明せねばならない。こ
4
− 21 −
4
4
臨床心理学研究 50 - 1
の力は明らかに、それ自身の、他を圧する望ま
のすべてを「一つ」からの流出で説明した帝
しさによって、「善」に組み込まれたのである。
政ローマ時代の新プラトーン派 ( 三から五世紀
すなわち産み出しは、唐突に無条件で、
「原発的」
頃 ) だとされる。代表者の一人プローティーノ
に強く望まれて登場した。それにより、< 選り
ス (204-269) は、「一つ」の完全なる源泉から
すぐりの完全 > を補佐しつつ、< 丸抱えの完全
すべてが産み出され、かつ、この仕組みからは
> をも満足させたのである。
優劣が必然になると説いた。
4
4
4
別の言い方をすれば、ギリシア的な「善」の
すべてが強調されるこちらの議論には、< 丸
転倒が起こったのであった。この「善」はもと
抱えの完全 > の影が濃い。しかし、やはり望ま
もと、所有と消費の立場から考えられていた。
しさへのこだわりもある。産み出す「一つ」は
自からは働かず、したがって産み出さず、かつ
完全なのだから、この多様な世界も全体として
「善いもの」をできるだけ集めて自足する。 「美」であるに違いない、と論じられるからで
- 奴隷制の市民社会との関連が思われるが、
4
4
この点には踏み込むまい。ともかくも生産の労
4
4
ある。「美」の優位は、古代ギリシアの神話世
界から引き継がれた構えである。「善」より「美」
働は、軽蔑されていたはずである。それが、こ
を重んずるのが異なるけれど、完全性に望まし
こに来て急に「善」に転じた。この力の登場の
さを求めるところは、プラトーンと同じである。
持つ違和感を、ラヴジョイは次のように、簡潔
だから、こちらの議論からも、< 選りすぐり >
な表現に収めた。
の響きは聞こえてくる。
自己充足している完全さという観念が大胆な論理的
転換によって - はじめの意味を全然失わずに - 自己
を超越する豊饒さの観念に換えられたのであった 12)。
ともあれ「善のイデア」に、産み出しの力が
備わった。この力が何か産み出せば、それは「善
4
4
4
4
4
4
のイデア」から、このイデアによって産み出さ
れたもの - したがって、「善のイデア」自
4
4
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4
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身ではありえない。ところが、完全であるとは、
4
4
4
「善のイデア」である ことなのだ。つまり、他
4
のものならば完全ではない。ゆえに、完全でな
4
い ものが産み出される。丸抱えと選りすぐり、
いずれの完全であれ、「善のイデア」と異なる
からには、そこには至り得ないはずなのだ。こ
うして、不完全で望ましくないものが、必然的
に産み出される。 - ラヴジョイの解釈に従
うかぎり、圧倒的な望ましさを備えるはずの産
み出しは、あたかも「不善」のためにあるかの
如く振る舞う。
さてここから、不完全で望ましくないものが、
どのように産まれるのか。ラヴジョイはプロー
ティーノスの『エネアデス』から、「劣れるも
のを除こうとする者は、摂理そのもを除こうと
する」との言葉を引く 13)。美は、優劣の相違
あってこそ、実現される。 - 悲劇の舞台で、
登場人物が麗わしい英雄だけならどうなるか。
見苦しい奴隷や百姓が舞台に出て美を乱してい
る、などと言いがかりをつける者がいたら、そ
れこそ悲劇を理解していない。低俗な人物のお
蔭あればこそ、一つの芝居は欠けるところなき
ものとなる。彼らを除くなら、一つの全体とし
ての美を損うのだ。
プラトーンから新プラトーン主義に受け継が
れたこの思潮に、「存在の大いなる連鎖」の起
源を認めるのが、ラヴジョイの解釈である。た
しかに上下、優劣が導かれているかに見かけら
れる。いかに完全な「善」と「美」から始めても、
必然の摂理あるかぎり、
「善からぬ」あるいは「美
選りすぐって丸抱え - < 一つ掲げ > より弱く
このプラトーン説に磨きをかけたのが、世界
ならぬ」ものは生じてしまう、というのである。
しかしながら、こうした差別は、本来の < 一
つ掲げ > に比べれば、まことに緩いものでしか
− 22 −
「存在の大いなる連鎖」と < 完全強迫 >
ない。ことにプローティーノスなら、望ましか
プラトーンでは、< 選りすぐりの完全 > への傾
らざるものでも全体の美の内に留まり、必須の
きが強いけれど、選ばれなかったものを深追い
位置を得ている。蔑まれたり攻撃されたりはし
はしない。もちろん、蔑んだり責め立てるべき
ないし、それどころか、「劣った」ものも加え
「悪」とは異なり、「不善」もまた、有って当た
4
4
た「みんなで一つ」が、選りすぐりの美を造り
り前なのだ。その限りでプラトーンにも、< 丸
なす。起源の「一つ」とは異なるものの、流れ
抱えの完全 > はしっかり働いている。
出た全体が「一つの」完全性へと丸抱えされる
プローティーノスなら、この点がもっと明ら
わけである。プラトーンが「善のイデア」の外
かである。欠けた、劣った ( と思われる ) もの
に置いたものを、すなわち、ラヴジョイの解釈
さえも、求められ、大切にされるから、< 丸抱
に従うかぎり完全性の外に置いたものを、プ
えの完全 > がくっきりと姿を現わす。「欠けた」
ローティーノスは、美を通じて < 丸抱えの完全
「劣った」と、言葉の上で軽んじられようとも、
4
4
4
> の内へと呼び戻した 14)。流れ出したのだから、
それらの役割に掛け替えがないからには、見掛
その限りで、「一つ」とはたしかに区別される。
けの悪いのは名前だけで、中身は立派なのかと
けれども、全体としての美の要請が、この区別
さえ疑われる − 神話においては、門番がし
を乗り越えさせるのである。
ばしば大賢者であるように。
反対者を踏みつける < 一つ掲げ > に至る道の
一次元の序列が入り込む隙は、ここには見ら
りは、このように、意外にも険しい。新プラトー
れない。彼らの試みは、「選りすぐって丸抱え
ン派はもちろんだが、プラトーンの場合でさえ、
に至る」思想とも言えよう。すなわち、「存在
< 一つ掲げ > における上下関係の、とくに一次
の大いなる連鎖」のこの段階には、いまだ < 一
元の序列の持つあの独特の味わいには、辿り着
つ掲げ > の誕生を見ることができないのであ
けていない。なるほどプラトーンなら、産み出
る。
されたものは、「善のイデア」とは区別され、
独自の劣位を得ている。宇宙に住む者たちに永
遠の自足はならず、生成・変化・消滅に委ねられ、
豊満・充足の「善」から < 完全強迫 > へ
単純かと見かけられる < 一つ掲げ > はこのよ
不完全な「不善」がつきまとう。だが、「不善」
うに、いささか意外にも、たやすくは成立しな
どうしでは、互いの序列がはっきりしない。そ
い。しかし、「存在の大いなる連鎖」のこの初
れらはただ、「善のイデア」に及びも付かない
期の有り様にも、重要な予感は含まれている。
意味での「不善」というだけである。なるほど
ラヴジョイは、自足した「完全なるもの」の産
プラトーンにも、真、善、美の程あいを問う思
み出しに伴う変質、つまりそこからの相対性の
想はある。太陽の光の明るさが夜には衰えるよ
成立に、決定的な一歩を見出そうとした。彼は
うに、「善」もまた薄れてゆく場合がある
。
15)
プラトーンらの「善のイデア」や「一つ」を、
だが、その薄れ方の規定は、極めて不明確に留
比較を超越した「絶対者」と見る。そしてこの「絶
まる。
対者」が、自から産み出した不完全者と向かい
考えてもみよう - 「不善」なるものが完
合う有り様を指し、「不変の実体とは相反する
全から「欠けている」として、欠け方には質的
ものに、すくなくとも含意と因果律とで結びつ
に様ざまがある。左の欠けと右の欠けに、序列
くため、本当は絶対でない絶対者」がここで誕
を付けるのは難しい。色が褪せたのと汚れが付
生した、と論ずるのである 16)。
4
4
4
これは重要な指摘であろう。不完全なものを
4
4
いかに軽んじようと、もう「絶対者」は、己れ
いたのではどうか。つまり、ただの 欠けでは、
下方への一次元の連鎖は生成しない のである。
− 23 −
臨床心理学研究 50 - 1
4
4
4
4
4
以外と比べられる立場に入り込み、相対性に捉
その試みそのものが、まさに完全性への執着で、
えられている。しかも「絶対者」自からが、こ
< 完全強迫 > の感染を疑わせる。しかし、手が
の相対性の根源をなすのである。プラトーンの
かりくらいは掴めてもよかろう。次にそれを考
「善のイデア」は、自からの産み出した他者と
えてみる。
比べられれば、答えざるを得ない − 自分の
方が完全に決まっている、と。だが、いかに圧
倒する優位であれ、もはや相対者の立場である。
プローティーノスの「一つ」が、自から産み出
4
4
した己れ以外 との係わりを問われるときには、
産み出しの欲と不完全恐怖
何ゆえに不完全を恐れ、追い立てられるよう
に完全を求めるのか。まず考えられるのは、
「善
4
4
4
4
4
4
のイデア」や「一つ」が、何かを産み出したい
「二つめ」が兆していた - もう「唯一」で
ばかりに、自から「絶対」を捨て、完全性を失
はいられない。「絶対者」は、この名前で呼ば
う恐れを紛れ込ませたのか、である - 不完
れる限り、矛盾を抱え込まざるを得ない事態に
全恐怖は、産み出す力の代償なのだろうか。も
なった。
しそうなら、< 完全強迫 > の根源は、産み出し
たしかに、< 一つ掲げ > への不可欠の一歩を
への執着だったこととなる。この力に「原発的」
なす出来事だと言える。掲げられた「一つ」は
な望ましさの認められることは、すでに述べた。
常に、あってはならないはずの反対者に、支え
ラヴジョイは、産み出しの付加に伴い、完全性
られるのだった。その構図への道が、ここで拓
の性格に、飛躍的で不連続な変化が起こったと
かれ始めている。そして、この歩みを後押しす
考えている。
ところが、この恐怖症が不完全者の産み出し
る「神経症」の形成が、ここに認められるので
以前からすでにあった、と思わせる証拠がある。
ある。
「相対的な絶対者」の眼前に、不完全なもの
産み出す前に、この「絶対者」はもう「欲しが
が突きつけられた。すると、完全なるものにとっ
らない」とか、産み出さなければ「完全でなく
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
ても、不完全へと変化する可能性が、少なくと
なる」との心配を抱えていたのであった。ラヴ
も論理的には、常にあることとなった。完全へ
ジョイの解釈では、プラトーンの「善のイデア」
のただならぬ執着が、かえって自からの本質を
が、完全なら産み出しも含むとの論理的要請
4
4
4
4
脅やかす事態を招いている。完全でなくなるこ
から、宇宙を産み出したことになっている 17)。
とへの恐れ、「不完全恐怖」と言うべき症状が
しかし、論理のみならず、不完全になりたくな
現われるのは、避けがたい。たった一つの小さ
いとの、心理的な脅えにも駆られていた、と考
な否定辞で立場の逆転するのが、論理の世界で
える方が自然である。
ある。完全性は、まさに論理と水魚の交わりに
古代ギリシアにおいて、抱え込んだまま施さ
ある。だから「絶対者」さえ、完全を誇るかぎ
ない「吝嗇」は、大きな罪であった。なぜなら
り、論理の事実を前にすると、安心が奪われて
それが、妬みという、この文明の隠れた基盤と
しまう。こうした完全性への偏執と、ここに起
も言うべき、恐るべき衝動を引き起こすからで
因する解消不可能な脅えを、< 完全強迫 > と名
ある。他から妬まれれば、奪われれるかもしれ
付けたい。完全性が < 選りすぐり > でも < 丸抱
ない。奪われれば欠けができて、不完全はいや
え > でも、同じことである。執着との裏表で発
増すであろう。そうならないためには、まず施
生する恐怖が、強迫症の特色をなす。
すことだ。このとき、いくら施しても足りたま
どうしてこのような病理が生じたのだろう。
余すところない解明など、不可能に違いない。
4
4
まで、欲しがるなどあり得ないと大見得を切り
たいがために、産み出しを求めたのではないか。
− 24 −
「存在の大いなる連鎖」と < 完全強迫 >
だが、そうだとすれば「善のイデア」は、はじ
こか強迫的なこだわりが感じ取られるであろ
めから「絶対者」ではなかったことになる。他
う。これらにおいても < 完全強迫 > は、産み出
と比べられるのが大前提で、そのうえで、いく
すことに先行していたのである。
4
ら比べられても大丈夫な備えを求めていたのだ
産み出しが不完全恐怖を造り出したのではな
4
4
4
4
4
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4
4
4
4
4
い。産み出しはむしろ、不完全恐怖に急かされ
から。
4
アリストテレースでは、「反対者を持たない
て、付け加わったのである。絶対なはずの自足
第一の原因」という思想が現われる。この「原
した安らぎは、すでに完全を誇ったところから
因」なら、なるほど「絶対者」に近いかもしれ
脅やかされていた。妬みと、不完全恐怖とから
ない。けれども、プラトーンの場合には、最善
来るその脅えが、産み出しを呼び込み、「善の
と自足にこそ強調点があった。対立者を排除す
イデア」や「一つ」とは異なるものの成立を導
るはずの「絶対」にこだわるラヴジョイの解釈
いた。それらとの比較で不完全恐怖がさらに強
が、のちのキリスト教の展開に引きずられた深
まり、明確になったとは言えよう。だが、不完
読みだった可能性は高い。プローティーノスか
全恐怖がなければ、産み出しを備える必要もな
らは「完成の極にあるものと最高の善とが、あ
かった。すなわち、自から産み出した不完全な
たかも物惜しみしたり無力であるかのように」
ものと比べられて起こる恐怖は、二次的な形成
4
4
4
。ここには力を見切ら
物である。< 完全強迫 > の成立を、産み出しへ
れたり、ケチと思われたくない用心が見え透い
の執着やその付加から説明するわけには行かな
ている - 「絶対者」がこんなことを考える
いのである。
との言葉が引かれる
18)
のだろうか。彼の「一つ」も、言葉の見かけほ
どには、完結していなかったわけである。
古代ギリシア・ローマの完全性への希求は、
真・善・美との表現で広く知られている。だが
「完全」を、豊満による自足と定義したアリ
根底では、ラヴジョイの指摘どおり、「何でも
ストテレースの教え子アレクサンドロスは、
「欠
持っている」豊満・充足、ないし自足する「善」
けたることもなし」と思えるほどの大帝国を築
の枠組みが支えていた。これに付き物の気前の
いた。しかし、強迫的と言うべき彼の飽くなき
よさは、妬みに対する「持てる者の不安」から
侵略は、産み出すより、まず奪うことなのであっ
来ている。「欲張り」は評判を落とし、襲われ
た。他方、キニク派のディオゲネースは、評判
やすいから、先んじて与え、不安を打ち消す。
を聞いて訪れたその大王に望みのものを尋ねら
- このように、完全でありたい欲は、不完
れ、「陽が当たらないから、そこをどいてくれ」
全になる心配を、あらかじめ抱えていた。つま
と応えたと言われる。酒樽を寝ぐらの無一物の
り、不完全恐怖を自からに内蔵していたのであ
暮らしぶりは、物質的な豊満の対極かもしれな
る。
い。欲を捨てたのだろうか - そうかもしれ
ここに産み出しを加えると、どうなるであろ
ないが、何も望まない構えは、己れに満ち足り
うか。奪われてもその分だけ、またはそれ以上
ていたためとも解しうる。ラヴジョイの解釈で
に産み出せるから、完全性が護られるはずで
も、この限りで「善のイデア」と共通するので
あった。しかし結果は、相対性の拡大が、不完
ある。そう考えれば、何ごとにも心を乱さない
全恐怖をかえって増幅したのである。後門の狼
エピクロス派の平静 ( アタラクシア )、情に流
を追ったのは、前門の虎であった。そしてここ
されないストア派の無感動 ( アパテイア ) など
からは、さらにまた産み出して不完全を追放す
にも、他と切り離された自己充足の傾きが見て
る努力、ないし相対的な完全性を求める循環が、
取れる。そして、彼らの言動からも、やはりど
立ち上がることになる。
4
− 25 −
4
4
4
臨床心理学研究 50 - 1
すなわち、心理から見るかぎり < 完全強迫 >
保護色が形成され、目立たずに過ごしてきたの
には、産み出しに先立つ、別の成立要因が認め
である。すでに古代ギリシア・ローマにおいて
られる。そしてそのなかに、循環的に自からを
このような仕組みが形成されていたからこそ、
強化する仕組みもまた、備わっていたわけであ
保護色は長い洗練を経て、限りなく巧妙となり
る。
得た。
このことは < 一つ掲げ > への理解に重要で、
< 完全強迫 > の保護色とその意義
また、この構えの下拵えに不可欠の成分である。
西欧的な価値観では、遅くともプラトーン以
けれども、やはりまだここまででは、< 一つ掲
来ずっと、完全性そのものは疑問の余地なく望
げ > は姿を見せていない。そこにはまだ、決定
ましかった。だからこそ、ユダヤ = キリスト
的な何かが足りないのである。この点の考察は、
教の神の性質とも見做されてきたのである。近
次を待たねばならない。
ごろの常識でも、完全性を求めることそのもの
は、症状とは捉えられない。家の鍵をきちんと
掛けたかが気になり、何度も戻って確かめるの
で刻限に遅れるといった例が、強迫性障害の典
型とされよう。このとき、障害とされるのは、
4
4
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4
家の鍵を完全にかけることではない。結果とし
4
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4
ての遅刻が、社会人としての完全性を害なうか
註
1)フーコー / Foucault, 1972
2)實川 2004
3)ラヴジョイ / Lovejoy, Arthur O. 1936
4)『旧約聖書』創世記 1 章 26 節 神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そ
ら、病まいなのである。完全性を追求し損ない、
4
4
4
4
4
して海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うも
4
結果としてかえって不完全を招くからこそ、治
のすべてを支配させよう。」日本聖書協会による
療の対象となるに過ぎない。
「新共同訳」キリスト教聖書 http://www.bible.
「完全癖」は障害だが、完全性は理想だ −
or.jp/vers_search/vers_search.cgi 以下、聖書か
古代から引き続くこの「善」は、「心の近代」
らの引用は、断りの無いかぎりこの訳を用いる。
の価値観にも組み入れられている。国際疾病分
5)十八世紀になると、植民地主義の進行に伴い新
しい生物が「発見」されたので、一次元系列での
類ICD10の「F42 強迫性障害」の項には、
「こ
分類は無理な状況となった。そこでリンネが、こ
れらは、それ自身で有用な課題の完成を導かな
の上下関係を基本的に崩さずに神の配置と設計を
「完全癖」とは、
い」と記されているのである 19)。
説明すべく、分岐のある分類体系を工夫したので
4
じつは不完全性に捉われた状態を言う。それが
4
あった。これを考慮するなら、天皇がイギリスの
4
完全性の追求を阻む限りにおいて、問題視され
リンネ協会の会員であり、リンネの生誕三百年を
るだけである。
記念して「世界の分類学に普遍的な基準を与えた」
しかし、ここで導入した < 完全強迫 > は、こ
と英語で講演した ( 読売新聞 2007 年5月29日 )
れとは異なる。むしろ逆さまに、この用語は、
「完
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
全性」という考えそのものの病理性を述べる。
もちろん、個人の心理状態には留まらない。I
CD10のいまの規定こそが、まさにこの「精
のは、驚くべきことである。
6)ラヴジョイ / Lovejoy 1936 訳書 pp.52-5 プラ
トーン『ティーマイオス』29E
7)プラトーン『ティーマイオス』27D。また、彼
神障害」の格好の事例なのである。この強迫は、
歴史を貫く世界観として、西欧の世界の造りに
強く影響を与えてきた - ゆえに、ありふれ
て見える。歴史を通じて、完全性の病理性への
− 26 −
に先立つパルメニデースは「あるものは、< あった
> ことも、< あるだろう > こともない」(DK, Fr.8)
と述べた。プラトーンもその影響を受けたと考え
られる。片や、ヘーラクレイトスの代表する、生成・
変化こそが万物の本性、との立場もあった。だが
「存在の大いなる連鎖」と < 完全強迫 >
この場合でも、「存在」と「生成」の対関係は変わ
しろ近い面が多かろう。とは言え、泥棒の場合は、
らない。この対は、インド思想に通ずる点でも興
やはり意味が重ならず、常に通るとは限らない。
「よ
味深いが、ここでは扱いきれない。
さのイデア」という訳もあるが、もっとも一般的
8)同前 52A
と思われる「善のイデア」を、この訳の使用の歴
9)プラトーン『国家』509a-b など パルメニデー
史をも顧みつつ、ひとまず踏襲する。
スは「ある」を「ない」に対比させた。だが彼の説も、
「ある」の変化を否定するための立論であって、
「虚
11)アリストテレース 同前
12)ラヴジョイ / Lovejoy 1936 訳書 pp.52
無」を対立者と見做すわけではない。この時代の
13)同p .67 プローティーノス『エネアデス』の
西欧に、零という数がなかったこととも繋がるで
引用は第三論集、第三論文、7章 Volkmann 版 1
あろう。パルメニデースの説を、のちのスコラ哲
p.259
学における「存在論」の先駆けと見做す向きもあ
14)プローティーノスと同様、プラトーンも < 丸抱
るが、それは恣意性の強い読み込みであろう。彼
えの完全 > を主軸に据えているとの解釈も可能で
がもし「虚無」を知ったなら、変化しない点に着
ある。プラトーン自からは、『ティーマイオス』に
目して、「ある」の仲間としたかもしれない。
おいて、次のように述べている。「死すべきもの、
不死なるもの、どちらの生きものをも取り入れて、
10)アリストテレース『形而上学』第五巻 1021b
この古代ギリシア語の響きは、西欧語のその後
この宇宙はこうして満たされ、目に見える、もろ
の意味にも通じ、現代でも英語のグッド (good,
もろの生きものを包括する、目に見える生きもの
goods) が「良い」にも「品物」「財産」にも用い
として、理性の対象の似像たる、感覚される神と
られるのは、その例となる。プラトーンやアリス
して、最大なるもの、最善なるもの、最美なるもの、
トテレースなどの哲学者はここから始めて、次第
最完全なるものとして、それは誕生したからです。
に精神的な善性を、抽象的な倫理的価値として探
そして、これこそ、ただ一つあるだけの、類いな
究した。それでも、西欧での「善」の基本をなす
き、この宇宙にほかならないのです。」(92C) しか
のは相変わらず、「財政再建の最善の方策」とか
しここでは、「存在の大いなる連鎖」を彫琢したラ
「ネズミを捕る猫は善い猫」といった場合の「善さ」
ヴジョイに敬意を表し、また議論の流れを慮って、
彼の解釈を紹介しておく。
なのである。キリスト教の神の「全知全能」も、
15)プラトーン『国家』508e-9a など。また、
『ティー
この流れのうちで理解せねばならない。
4
「善のイデア」とは、欲の塊でありながら、それ
マイオス』では、人間の男を最上位に、魚類を最
をすっかり満たしてしまったという世にも希な 下位に置く輪廻思想が語られている。ここには優
- あえて言えば、ひけらかしの極みなのである。
劣の順位が確かに見られるけれども、行ないのよ
妬み、嫉妬が生じ、ギリシア文明を特徴づけるの
い魂は死後に上の生物に産まれ変われるので、序
は当然であろう。
列の固定が弱いし、また下位のものを滅ぼすべき
邪悪と見るような好戦性は皆無である。(41D-42D
「善」という翻訳に、戸惑いを感じさせる場合が
など )
出てくるのは、この故である。「善」は古い言葉な
がら、あくまで中国哲学から採り入れた学術的な
16)ラヴジョイ / Lovejoy 1936 訳書 p.53
用語なので、下世話な感じがない。「善人」「善行」
17)同 p. 56
「性善説」「善意」「偽善」などの熟語の示す通り、
18)同 p. 64『エネアデス』の引用は第五論集、第四
論文、一章、Volkmann 版 1 p.203
もともと気取りのある言葉で、「正義」とか「人情
に適う」の如き意味が、はじめから基本をなすの
妬みこそが、不完全恐怖の正体なのかもしれな
である。イデア説における「善」とは、語感がか
い。また、一部の精神分析家などの説く、妬みに
なりずれる。「善のイデア」よりは、
「便の」「利の」
よって奪われ、破壊される恐れこそが西欧文明の
根底で、現代に至るまでの基調なのかもしれない。
「巧の」あたりの方がましかもしれない。
古代ギリシア風のこの考えの翻訳には、< やまと
これは、他の慣らわしには必ずしも当てはまらな
言葉 > の「いい」や「よい」を当てたほうが、む
いし、そこから文明の類型論を考えることもでき
− 27 −
臨床心理学研究 50 - 1
名付けは、修正を迫られるかもしれない。ここで
よう。だがここで、これ以上は論じられない。
19)F42 Obsessive-compulsive disorder; nor do
も完全性と不完全の対比を強調し、下方向の反対
they result in the completion of inherently
者という観点が希薄だったからである。だが、矛
useful tasks http://apps.who.int/classifications/
盾を抱えるほどにはずれていないし、「欠け」とい
apps/icd/icd10online/
う言葉に下方向の響きを籠めるのも、< 一つ掲げ
わが国ではこれよりも広まっているアメリカの
> の流行する今の世の中でなら、不自然ではない。
以前の著作との関連の分かりやすさにも意義はあ
DSM‐IV‐TR も、考え方は同じである。
また、以前に決めたこの < 欠けの眺め > という
るので、引き続きこの名付けを用いることとする。
参考文献
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1985 マルジュ社
Toulmin, Stephen / トゥールミン Goodfield, June / グッドフィールド "The Discovery of Time" org. 1965
Hutchinson /1967 Penguin (Pelican books ; A855)
石塚 正英、柴田 隆行編「哲学・思想翻訳語事典」2003 論創社
實川 幹朗 2004 心の病まいをめぐる哲学的問題と,新たなパラダイムヘの展望 - ないし心理療法の危険性と
進歩への希求「心理臨床大事典」(氏原寛ほか編)培風館 改訂版 第5部第 15 章
− 28 −
「存在の大いなる連鎖」と < 完全強迫 >
On “The Supreme One Principle”
- in search of Roots of Discrimination Ideas in the Western Thoughts Histroy -
Chapter 1. The Great Chain of Being and the Completeness Obsession
ZITUKAWA Mikirou (Himeji-Dokkyo University)
Abstract
This is the first bulletin of a series to search out the frame which prepares discrimination
and suppression to "the mentally disabled", in the history of the Western Europe thought.
"The supreme one principle" is closely related to a historical notion "the great chain of
being". It is a combination thought of supremacy such as "only", "absolute", "complete"
etc. and their negative sides that are criticized and disdained. "The mentally disabled"
represents the latter. "The supreme one principle" is so familiar to us that it appears
evident and doubtless in the present age. The apparent simplicity hides behind it a
peculiar compound binding a false absoluteness and the real relativity together, which
produces the one-dimensional and endless rank order. The origin is traced to ancient
Greece, where "it should be complete" characterizes the civilization. This "completeness
obsession" already encapsulates both <embracing> and <selection> that are hard to
balance. However, a definite factor for the principle is still lacked there.
Key words : supreme one principle great chain of being mentally disabled completeness obsession false absoluteness
− 29 −
臨床心理学研究 50 - 1
< 一つ掲げ > について ー 差別観念の根を西欧思想史に探る
その 2:
「存在」と時間の編む序列の梯子
要約
< 一つ掲げ > の成り立ちには、古代ギリシアにはない要因を、一つ加える必要があった。
それは、アウグスティーヌスにより確立されたキリスト教の根本教義の一つ「虚無から
の創造」である。これに伴って、理想が「善」から「存在」へと移り、「虚無」との両極
関係が成立した。さらに、かつては円環的だった時間が直列化しつつ「存在」と練り合
わされ、「存在」の優位は「先なるもの」としても強調されるに至った。この両極の対立
から、中間にはいくらでも多くの段階が、すなわち序列が、一次元・一方向の秩序で刻
まれる。このとき、もっとも低く無価な「虚無」に接するのが、大地であった。この両
者には、古代地中海の地母神の名残りが感じられる。産み出す力を確保しつつ、女神か
らの脱却を目指して構築された教義が、「虚無からの創造」であった。
索引用語:一つ掲げ 虚無からの創造 存在 時間 地母神
はじめに
「精神障害者」のこうむる徹底した差別につ
過去のものと認知されている。もはや「滅びた」
いて、古代ギリシア文明にもすでに、重要な成
文明に、「起源」として言い及ぶので、語りや
分の用意があった。だがこれだけでは、一次元
すい。批判も、修正を加えるのも、気軽にでき
の対立と序列を不可避とする < 一つ掲げ > は成
る。だが、ユダヤ = キリスト教は、今も生き
り立たない。西欧文明とはヘレニズムとヘブラ
た宗教である。しかも、政治や経済にまで、大
イズムの複合だと、教科書には書かれている。
きな影響を及ぼしている。したがって、これに
通説を疑ってみることも大事だが、考察の手掛
言い及ぶには、保身の上からも、慎重さが求め
かりとしては捨てがたい。
られる。
わが国の西欧研究は、ヘレニズムを梃子とす
わが国は、西欧ではない。こうした縛りを受
る場合が多く、ヘブライズムを正面から扱うも
けることは、まったくないとは言えないが、極
のは少ない。どうしたことだろうか - 簡単
めて弱い。しかしながら、西欧「研究」の実態は、
な答えは、そもそも西欧における自己理解が、
ほとんどが文化輸入業である。いや、
「西欧研究」
少なくとも表向きは、ヘレニズムに偏る点であ
とさえ名乗らずに、「最新の優れた思想・方法」
ろう。神学系統以外の思想書において、古代ギ
の研究者と称する輸入業者が跋扈している。あ
リシアの哲学者の引かれることは多くても、イ
ちら物をそのまま紹介できる人ほど「学識があ
エスの事績や、キリスト教の教義が論述の基礎
る」とされる。だから、ヘブライズムを批判的
となることは希である。
に語れる立場にあるのに、これが活かされない
このことはしかし、ヘブライズムの影響の乏
のである。
しさを意味しない。当たり前のことは、かえっ
て語られないものである。古代ギリシア文明は、
本論では、表立って語られることの少ないに
せよ、差別の思想に決定的な役割を果たすヘブ
− 30 −
「存在」と時間の編む序列の梯子
ライズムの要因について考えてみる。もっとも、
件が、一つ抜けている。それに < 一つ掲げ > に
ユダヤ教からキリスト教が誕生し発展する過程
は、まだ他にも、欠かせない特徴がある。直線
では、ヘレニズムが強く作用したので、両者を
的な生物分類に見られる如く、順位の上が下を
峻別するのは困難である。したがって、ここで
支配し、一方的に利用する権利を持つことであ
4
4
論ずるのはヘブライズム寄りの立場、ないしヘ
る。さらに、下のものがたやすく「悪」となり、
レニズムとヘブライズムの複合のなかから、現
滅ぼし、無に帰すことをさえ目指せる。これら
役の宗教との繋がりが前面に出ている部分であ
に至るには、< 完全強迫 > だけでは、なおさら
る。
役者が不足なのである。
ラヴジョイの着目した西欧中世の言い回しが
「虚無」の必要とためらい
「存在の大いなる連鎖」であった。その鎖の輪
先の論考で描いた < 完全強迫 > はたしかに、
が連なり、< 一つ掲げ > の一次元を構成するに
< 一つ掲げ > の重要な成分をなす。だがそれだ
は、
「二つめ」の立ち出でが欠かせない。
「二つめ」
けでは、この構えの形成に、まだ足りない -
は、起点の「一つ」に向き合い、
「下」の方向を、
なぜなら、「掲げ」が形成されていないのだ
しかも下劣に指し示す。反対するだけなら、
「横」
から。古代ギリシアの自足した完全性からは、
でもよかろう。だが、< 一つ掲げ > では絶対に
もう不足・欠けが予感されていた。そしてこの
「下」、それも悪い意味において「下」でなけれ
予感は、不完全なものの産み出しにより、「絶
ばならない。
対者」への相対性の形成として実現した。そう
このとき反対者は、敵対者・反逆者なので、
なるとここには、すでに「一つ」への反対者も
協力とは縁遠く思える。「唯一」「絶対」の建て
予感されていたことになる。すなわち、「一つ」
前を裏切るのは、最も許されないかに見かけら
を掲げるための礎が、準備されていたのである。
れ、断罪される。だがそれは、じっさいには「掲
不完全恐怖は、「落ちる」恐れに似たものを感
げられた一つ」と、秘かに協働しているのであ
4
4
じさせさえする。しかしながら、下への方向性
4
4
る。とりどりの質的な差をも序列化し、全体を
は、ここにはまだないのである。ケチなだけな
縦の一次元に集約する自信の裏付けは、この裏
ら、必ずしも転落と決まってはいない。ケチな
切りの仕掛ける両極の上下対立によってこそ生
いし締まり屋もまた一つの特性として、気前の
ずるからである。高みにいる者は、ここでやっ
よいタニマチと並んでもよいではないか。二つ
と安心し、反対者を滅ぼしに向かえる。
が力を合わせ、プローティーノスの言う「全体
< 完全強迫 > の誕生から < 一つ掲げ > への移
の美」を対等に形成する可能性が、残されてい
行までには、もう一歩が必要なのである。方向
るではないか。完全で唯一なのは「掲げられた
の定まらない「不完全」や「欠け」に留まらず、
一つ」でなく、多様な反対者も含めた全体とな
反対者が序列の方向を決めねばならない - る。我われの < うぶすな > には親しい陰と陽の
まさに「絶対時空間」のなかで。ラヴジョイは、
気など、上下でありながら対等な補い合いにも、
反対者のこの役割を充分に自覚しつつも、敢え
通ずるところである。
て言挙げを避けたのだと思われる。ここで言い
ラヴジョイが古代ギリシア・ローマ世界の <
淀まれたのは、反対者の「虚無」としての明確
完全強迫 > に、すでに < 一つ掲げ > の兆しを感
化である。これとともに、「絶対者」の性格の
じ取ったのは、鋭い嗅覚のなせる業であろう。
基本は、「善」から「存在」へと変成する。
けれども、ここまでなら一次元の下方向が、一
方通行にて指し示されはしない - 必要な条
この変成は、新プラトーン派的な「絶対者」に、
ユダヤ = キリスト教の創造神話が重ねられて
− 31 −
臨床心理学研究 50 - 1
起こる - このとき創造神話は、大幅な再解
釈を受けるのだが。豊満・充足の「善」が、捨
てられるのではない。しかし、「絶対者」の性
格が「存在」となり、「虚無」との対極関係に
置かれてはじめて、方向性の明確な一次元の成
立が可能となる。< 一つ掲げ > とは、ほんとう
は「二つ」からなる原理であった。そして、上
下対立の一方向性のうちには、対立を明確化し
つつ再生産する仕掛けがある。それが、この構
えを「不滅」のものとするのである。
「虚無」が言い淀まれたのは、キリスト教の
根本教義に含まれる「虚無からの創造」への、
批判的な考察に繋がるからである。さらには、
「虚無」と秘かに協働しつつ序列を生成する、
かの「掲げられた一つ」にも、批判が及ばざる
を得ないからである。この宗教が、学問的のみ
ならず政治的、社会的にも甚大な影響力を持つ
西欧で、その元締めに逆らうには、蛮勇が必要
となる 。
1)
ものではなく、他の何かをお造りになるための素材
(materia) ですが、その素材そのものは、いったいど
こからあなたのもとに到来したのでしょうか。じっ
さい、およそ存在するものは、あなたがましますゆ
えにこそ、存在するのではありませんか (Quid enim
est, nisi quia tu es?)。3)
神は「存在 (esse)」において、すべてに先立
たねばならない。「始め」でなければならない
のだ。もし素材を使ったのなら、神に先立ち、
あるいは神の関与しないところで何ものかが
「存在」したことになるが - それでは神の
優先権は脅かされる、との発想である。先立つ
素材は、消さねばならない。ここにももちろん、
< 完全強迫 > が認められる。ただし、「完全性」
において護るべきものが、「善」から「存在」
へと切り替わっているのが分かるであろう。
このような見解が、何ゆえに成立したのか、
導く論理はない。まさにそう「聞こえた」ので
あろう。古代ギリシア以来の思想史に鑑みれば、
『ティーマイオス』篇にも語られた製作者デー
ミウールゴスが、かつて宇宙を造った神であっ
「虚無からの創造」の存在と時間
「 虚 無 か ら の 創 造 (creatio ex nihilo)」 の
思想を確立したのはアウグスティーヌス
(Augustinus, Aurelius 354 - 430) と さ れ る。
彼はキリスト教がローマ帝国の国教となる前後
に教義を確立した「教父」たちのうち、少なく
とも西方教会においては、最大の権威と影響力
を持つ人物で、カトリックでは「聖人」に列せ
られる。人生の前半はマニ教を信奉し、その後、
プローティーノスの影響も強く受けた。このア
ウグスティーヌスは、天地の万物が、「我われ
は造られた、自分で自分を造ったのではない」
と叫ぶのを聞いたと記している 。では、誰が
2)
造ったのか − 創造主としてのユダヤ = キリ
スト教の神だ。しかもこの神は、創造の際に、
一切の材料を用いなかったとされる。
た。ただしこの神は、与えられた素材を用い、
イデアの手本に従いつつ造る者で、宇宙の創始
者とは言え、礼拝の対象とならなかった。アウ
グスティーヌスは、こうした立場と己れの神と
を区別し、崇拝の必要を導きたかったのかもし
れない。
さらに、「絶対者」の性格が、満ち足りた者
から、造る者、産み出す者へと変わった。すで
に古代ギリシアにおいて、産み出しは強く求め
られたが、あくまでも自足を支える手だてで
あった。だが、アウグスティーヌスではもはや、
足りる足りないが問題ではない。理想の根もと
が、産み出すか与えられるかの二者択一に移っ
たのである。このため、のちに検討するが、自
足した安らぎの理想は決定的に変質した。新た
4
あなたは手に何かを保持していられ、それによって
天地を造られたのでもありません。もし何かを保持
していられたなら、それはあなたによって造られた
4
4
4
4
に、余所に働きかける能動性・活性こそが、「完
全性」の目立った特性となる。そしてここから
は、受動性・不活性を劣位と見て、能動性・活
性の優位を相対的に争う道も開けるのである。
− 32 −
「存在」と時間の編む序列の梯子
「存在」は「善い」よりも広そうである。じっ
4
4
立てば立つほど、反対者を予感させ呼び寄せる。
さい、「である 」はどんなものにも、どんな性
するとこれにより、< 完全強迫 > が強まるので
質にも付けられるから、仕切る範囲が広がる。
ある。この症状は、時間を含めた優位の相対的
先の論考で述べた両立しがたい二つの完全性の
な確認へと、さらに向かわせるであろう。< 一
うち、何でも抱え込む意味での完全性が、すな
つ掲げ > とは、「絶対」を掲げた相対性の原理
わち < 丸抱えの完全 > が、文句なく手に入った
なのであった。
かの如くである。「およそ存在するものは、あ
なたがましますゆえにこそ」との思想が、豊満・
充足にして大もとをなす「善のイデア」の系譜
直列化した時間
ここで登場した時間の性格を、もう少し考え
4
4
4
4
に属するには違いない。「存在」の対極に登場
てみよう。素材が、もし前もって「存在」した
するはずの「虚無」は、豊満・充足の対極とし
のなら、神の手に委ねられてさえ、取り返しの
ても、ふさわしく思える。
つかない後れを、神に取らせる - あっては
4
ただしここには、「存在」をめぐって、もう
4
ならないことだ。こう考えられているのである。
一つの見過ごせない動きがある。時間の絡んで
それは時間が流れ去るのみで、決して戻らなく
きたことが、それである。
てこそ、出てくる発想である。これを、時間の
4
あなたはすべての世紀の創始者であり建設者なので
すから、お造りになる前に、どうして数えきれない世
紀の過ぎ去ることができたでしょう。また、あなたに
よって造られなかった時間があったでしょうか。4)
「存在」のみならず、時間をも、神の産み出
したものとする - 産み出しの前に、時間は
なかった。時間のないところにでも、何ものか
は有るかもしれない。じっさい、この神は「存在」
したらしい。だが、素材は無かったとされてい
る。この両者の差別の根拠は、もちろん分から
ない。だがこれによって、この神が、己れ以外
の「存在」するものを、すべて時間に委ねたこ
とは明らかとなった。神以外の「存在」はすべ
て、時間とともに歩む他なくなったのである。
反対者を「虚無」として消し去るのに、時間
も手伝わされたことになる。言い換えればこの
神の「存在」は、時の流れから、選りすぐられ
て先になった。するとこちらでは、もう一つの
完全性が、すなわち望ましいものだけを集める
4
4
「存在の大いなる連鎖」の、
直列性と呼んでおく。
強力な補強材である。
「創造者」についてアウグスティーヌスの語
る「全知全能」の誇りは、時代掛かって見える
かもしれない。だが、これを支える後先のはっ
きりした時間なら、近代直結の構えに他なな
い。だからこそ見過ごしやすいけれど、この重
要性は強調してもしきれないものである。時間
4
4
4
の一次元・一方向化、すなわち直列化は、今の
世の西欧的な世界秩序に向けての、巨大な一歩
であった。
未来が「まだない」ことをだれが否定しましょうか。
にもかかわらず未来に対する期待は、精神のうちに
「もうある」のです。過去が「もうない」ことを、だ
れが否定しましょうか。にもかかわらず過去の記憶
は、精神のうちに「まだある」のです。現在の時に
長さが欠けていることを、だれも否定するものはあ
りません。なぜならそれは一点において過ぎ去って
ゆくのですから。にもかかわらず直視は持続します。
この直視を通って、「あろう (aderit) もの」が「あら
ぬ (abesse)」へと移ってゆくのです。5)
< 選りすぐりの完全 > が手に入りそうである。
「完全性」が一分の隙もなく組み上がったか
に思われよう。だが、何につけても、掲げられ
る者の「絶対」の優位を言い立れば、建て前と
は裏腹に、相対性が強力に形成される。優位に
「現在」は、幅のない一点なのだ。時間は、
そこを境に過去と未来に分かれ、三者は決して
混ざり合わない。しかも、現在だけが明らかさ
− 33 −
臨床心理学研究 50 - 1
をもって直視 (attentio) され、そこにおいての
る。それ故にこそ、「直列性」という耳慣れな
み、時間は持続 (perduro) する。そして未来か
い用語を用いた。
ら過去へと、あるいは過去から未来へか、とも
かく一方向に不可逆で流れてゆく 6)。
ここには、二つの論点を数えられる。まず、
物理学の直線的な時間が、アウグスティーヌス
今どきなら、「当たり前のことを仰々しく」
の時間で中核をなす「現在」という特異点を欠
と思われかねない書き振りかもしれない。だが、
くこと、それから、時間の流れる方向も速度も、
振り返ってみれば、時間は必ずしも一方向には
理論的には任意に変えられることが、もう一つ
進まなかった。過去と未来とが繋がらないわけ
の特徴となる。
でも、流れが戻らないわけでもなかった。例え
まず、物理学の時間は一次元の実数に対応し、
ばプラトーンにおいては、時間とは天体の運動
そのうちの任意の点が選べる。すなわち、どの
に等しかった。だから、動きはするけれど、円
時間点も、物理学的には同等なのである。選ん
を描き、各天体の回転周期の比率 ( ロゴスつま
だ点を「現在」と呼ぶことは自由でも、それ
4
4
4
4
4
り秩序 ) に従って、元に戻ったのである。過去
によりアウグスティーヌス的な特異性は生じな
と未来が触れ合うからこそ、時間は、円という
い。次に、物理学では、時間を逆行させて運動
「完全な形」をなぞる。もとに戻るからこそ、
の軌跡を遡れるが、その計算手続きは、時間を
流れ去ることがなく、同一に留まる。まさにそ
順行させた場合とまったく同じである。つまり、
れ故に時間は、生成と消滅を続ける有限な世界
アウグスティーヌスの厳密な一方向性とは、決
における「永遠の模像」と、見做されたのであ
定的に異なるわけである。物理学の時間は一方
る 7)。
向的でなく、ただ我われがその理論を、いまや
このような時間は、古い「永遠」とともに捨
て去られた。「永遠」とは、かつてなら生成せ
一方向性の影の濃くなった体験に合わせて利用
するに過ぎないのである。
ず、変化しないことであったが、いまや、変化
したがってアウグスティーヌスは、ベルクソ
を総括するものとなったのである。まず、丸く、
ンの言う「時間の空間化」を行なったわけでは
完全な形であった時間が、こま切れにされた。
8)
ない 。彼の持続論は、時間をこま切れにこそ
そして細かな破片は各おの、過去と未来にばら
しないが、現在を特権化した中心と見ており、
まかれた。そのうちのただ一片だけが、「現在」
むしろアウグスティーヌスへの回帰を目指して
として「存在」を与えられている。他のすべては、
いる。そしてこの特徴は、十九世紀末から二十
これを境に、「まだない (nondum esse)」未来
世紀にかけての「社会科学」「人文科学」方法
と「もうない (iam non esse)」の過去との、二
論に通ずるものである。例えばリッケルトは、
4
種類の「非 存在」に振り分けられたのである。
現実の世界は、空間的にも時間的にも、異質な
プラトーンの時間理解に引き比べるとき、その
ものの連続からなると考えた。だが、そのまま
4
4
4
新しさは紛れもない。新しい理想である「存在」
では学問的な取り扱いができない。そこでこの
と、それへの支えとしての時間とが練り合わさ
連続性を切断し、異質な個性を際立たせると、
れた現場、しかも一方通行の矢印付きで融合し
文化的科学が成立するという 9)。人間の事象で
た瞬間が、ここに記録されているのである。
は、一回限りの個性が、評価の条件となるのだ。
ただし、注意すべきところがある。時間のこ
うした一次元・一方向化は、十七から十九世紀
の自然科学を支配したガリレイ・ニュートン物
4
4
4
理学での直線性とは、明らかに異なるからであ
そして、カール・ロジャーズは、次のように述
べたのであった。
効果をもたらす諸要素はことごとく現在に存在する
こともまた、注意されるべきであろう。行動は、過
− 34 −
「存在」と時間の編む序列の梯子
去に起こった何かに “ 起因する ”(caused)もので
10)
はない。
るなら、論理では、この争いに巻き込まれよう
彼のカウンセリング理論の要こそ、「いまこ
こ」の体験であった。アウグスティーヌスと同
じく、時間はこま切れにされる。過去は、もは
や影響を及ぼす力がない - 「もうない」の
だろう。そして分断され、特権化した現在が、
未来に向けた人間の行動に関わるすべてを孕む
と、言い立てられた。ここでも過去は記憶とし
て、未来は成長と実現への傾向として、現在に
収まっているのである。この「新しい」理論の
4
るかもしれない。なるほど、ほんとうに超越す
4
古さ、ないし過去の学説との唐突な接続は、あ
るいはこれらの時間理論そのものへの、反駁と
なっているのかもしれない。
がない。だが、アウグスティーヌスのこの神は、
4
4
事実として、順序での優越を放棄していないの
である。
そもそも、「時間においてでない」との言い
4
4
4
4
4
4
立てを構えたのが、時間に先んずるためにこそ
であった。「すべての時間に先立つ」こと、こ
れはすべての時刻に対し、「先前の先」を言い
立てることに他ならない。この神は、「最初の
4
過去より先に」のみならず、おそらく「最後の
4
未来よりも先に」はいるのだろう。だが、決し
て「遅れ」たり「後手にまわる」ことがない。
神が時間を「虚無」から造り出した、として
みよう。するとそこから、「神はすべての時間
に先立つ」ことを、論理的に導けるだろうか。
「存在」の先陣争い
直列化しても、アウグスティーヌスの時間は、
今の世の物理学とは異なる。そして文化諸科学
とも異なり、各おのの瞬間を独立させて、個性
を与えるにも留まらない。彼の神の類い希な特
徴は、とにかく先へ先へと回り込みたがるとこ
ろにある。
もしそうなら、先立ちは「創造」への付録に過
ぎない。後先争いと見えるものは、まことは争
いでなく、私の思い過ごしだったことになる。
「善のイデア」についての、ラヴジョイ解釈が
思い出されよう - イデアの産み出したもの
は、イデアそのものでないがゆえに、完全でな
い。同じように、「神の造り出した時間は、神
あなたは先立ちますが、時間において時間に先立
つ の で は あ り ま せ ん (Nec tu tempore tempora
praecedis)。 さ も な け れ ば、 あ な た が「 す べ て の
時間に先立つ」ことはできないはずです。そうでは
なくて、あなたがすべての過ぎ去った時間に先立つ
のは、常に現在である永遠の高さによるのです。そ
れによってあなたは、すべての来るべき時間を追い
越していられます。・・・あなたの年は、すべてが
同時に立ち止まっています。なぜなら静止している
11)
(stant) のですから。
時間を造り出したのなら、この神自からは、
時間を超えたところにいてもよかろう。ところ
が、そうではない。この記述で神は、「先立つ」
ことを言うのに汲々と、まるで「先回りの鬼」
である。直列化した時間への、猛烈なこだわり
が感じ取られる。 - 時間の直列性を超越す
るからには、後先争いからも超然だと、思われ
自からと異なるがゆえに、神はすべての時間に
先立つ」と、言う他ないのだろうか。
しかし、そうとは限らない。この神が「自由
に」、どこかある時刻を選んで居着いたり、気
まぐれにあちこち顔を出しても、時間を「創造」
4
したことに矛盾はしないからである。時間の中
4
にいても、時間そのものになるのではない。だ
から、それが制約になるとは言えないはずであ
る。アテーナーの知恵のフクロウのように、い
ちばん後ろにいてかまわないし、もちろん、超
然として無関係でもよかろう。
4
4
4
ところが、ついにこの神は、先立つことにお
いて、最終的な勝利を飾るはずなのだ。だから
これは、筋道によるのではない。論理は、これ
とは交わらないところを走っている - つま
り、この結果こそが、故なく「原発的」に選ば
− 35 −
臨床心理学研究 50 - 1
れているのである。やはりこの神は、事実とし
く、関わりの直接性を言ったものなのである。
て、後先争いのただ中にいる。言い換えれば、
「自分が先だ」と争う身構えを、「原発的」に選
んだことに他ならない。
すべてお見通しどころか、目が万物の間近に
据えられている。さらには、すべてを手近に、
むしろ手の内に置いていること - これが
「現在」なのだ。だからこの神にとっては、
「現在」
争いから < 一つ掲げ > へ
に留まるからとて、欠けたところはない。すべ
この争いで、何が得られるだろうか。何ごと
4
でも勝てば、負けるよりはよかろう。だが、先
4
4
4
てを見張り、すべてを手に入れ、支配するのだ
から、「主」たる神の面目が立派に立つ 12)。
4
立ちの言い立ては、古代ギリシアの追い求めた
この神は「永遠の現在」に、この点に限って
自足を、さらに難しくするであろう。競争相手
はあの古代ギリシア・ローマの自足の理想どお
の「素材」は、時間に絡めて消された。つまり
り、動きも変化もせずに住み続ける。しかもそ
4
4
4
4
4
4
4
4
ここで「存在」の性格に、時間における優先の
れにより、すべての後先争いに勝利を収める。
課題が、新たに組み込まれたのである。アウグ
すなわち、この神の求めた「先前の先」とは、
スティーヌスの神は、後先争いなら必ず勝つと
ほとんど「支配」の別名なのである。アレク
いう。だが後先とは、引き比べに他ならない。
サンドリアのユダヤ人ピロン (Philon Judaeus
つまり、勝利を重ねるほどに、皮肉にも、「絶
Alexandrinus 西暦紀元前後 ) がすでに記し、
4
4
対者」への相対的な比較の材料が増え続けてゆ
その後も議論されてきた考え方であった 13)。
く。これは、落ち着きを奪うに足る事態である。
それがアウグスティーヌスにより、いよいよ明
対抗するには、さらに勝利を重ね、力を示し続
白となったのである。
けるのが、ひとまずは方策であろう。どこでも、
この流れは、人間にも及ぶ。彼の所説では、
いつでも、何に対してでも、勝ち続けが求めら
人間においても「現在」は、明証性を保持する
れる。先立ちへのこだわりから、好戦性が誘発
とともに、過去と未来とを、記憶と期待として
されたのである。
閉じこめる。だから、この瞬間は、人間の時間
「永遠の現在」の性格も、これをよく表わし
のなかで、もっとも「永遠の現在」に似ている
ている。現在が「一点」なら、過去と未来を欠
という。したがって、神の秩序に学ぶ特権を保
いて不完全かとも思われよう。だが、もちろん
持するのだ。だから人間は、現在に集中するこ
アウグスティーヌスの神になら、とんでもない
とでのみ、純粋で真実の生き方ができる。ロ
言いがかりである。そのわけは、「現在」とい
ジャーズの登場は、すでに予言されていたので
う言葉の含みから知られる。この単語は、彼の
ある。
用いたラテン語では ( 名詞形なら )「プラエセ
プラトーンの時間は、戻るからこそ永遠の似
ンチア (praesentia)」で、「前にあること」が
姿であった。だが、アウグスティーヌスでは、
もともとの意味である。英語の present、ドイ
戻らなくとも永遠が手に入る。アリストテレー
ツ語の Gegenwart など、今の世の西欧語もこ
スに比べても、新しさは際立つ。なるほど彼も、
れを引き継いでいる。ここで重要なのが、「前」
4
4
「現在」を幅のないものと考えていた。だがそ
とは言え、時間における前ではない 点である。
れは、過去と未来の境を画し、運動を分割する
むしろ、空間的な響きを持つ「前」であって、
「目
目印としての意味でしかない
の前」とか、「手前」との訳が似合う。この言
おいて、もっとも明らかで完全なのは、「現在」
葉の響きは、またその表わす考えも、もともと
ではなかった。万物に目的を認めるアリストテ
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
過去と未来には対比されていない。そうではな
。彼の思想に
14)
4
レースの思想では、目的に向けて運動を導く未
− 36 −
「存在」と時間の編む序列の梯子
4
来 の形相こそが、完全を実現する終点であっ
る。この福音書自身がすでに、旧約聖書「創世
た。それがアウグスティーヌスでは、
「現在」の、
記」冒頭部分の大胆な解釈なのである 16)。こ
4
4
4
4
4
4
すなわち今、ここの手許において、実現してい
れを受けて、言葉が「存在」を造り出すのだと、
る支配へと置き換えられたのである。
アウグスティーヌスははっきり語る。
かくして時間もまた、直列化により、優劣の
順を振りうる形に進化した。アウグスティーヌ
スの神は、この時間を利用して、「何より先」
を手に入れた。どうやら「先立つ」ほうが勝れ
ですからそれらのものは、あなたが「在れ」とのた
もうて造られたのです。あなたはそれらのものを、
御言において (in verbo) お造りになったのです。17)
ているらしい。時間における < 選りすぐりの完
「絶対者」がなぜ「善」から「存在」へと軸
全 > が得られたのだろう。またこの神は、すべ
足を移したのか、大いなる謎である。だが、要
ての時間に居合わせるから、「存在」のみなら
因を探ることくらいは、できるかもしれない。
ず時間においても < 丸抱えの完全 > を手に入れ
歴史的に見て重要なのが、地母神信仰との対決
ている。あれほど困難に思われた二種類の完全
である。バッハオーフェン (Bachofen, Johann
の統合が、ここにおいて成し遂げられた。
Jakob) が大著『母権論』(1861) で取りまとめ
存在と時間との両次元において、いや高い「絶
たとおり、古代ギリシア・ローマ時代の地中海
対者」が出来上がったのである。存在と時間が
周辺には、獲物や作物を産み出し、豊饒をもた
ともどもに、「掲げ」の「一次元」の成分に練
らす女神の祀りが溢れんばかりであった。我わ
り込まれて、< 一つ掲げ > はいよいよ、その全
れの < うぶすな > の祀りにも、もとより共通点
貌を整え始める。人間はこれに倣い、「現在」
が多い。しかしギリシアでは、すでにオリュン
の意識の明証に絶対の信頼を置きつつ、世のも
ポスの神がみにも男尊女卑の傾きが見られた。
のごとを己れの企てに使い回せば、それらの「存
家父長制の確立が、古代ギリシア文明の成立に
在の意味」をさえ決められるのだ。ただし、神
不可欠との説もある 18)。この流れを汲んだ初
ならぬ身には、いまだ知らぬ未来の様子の少し
期のキリスト教徒たちは、さらに断固たる構え
だけ気にかかるのが、違いと言えば違いである。
で、女神信仰に闘いを挑みつつ、布教を図った
のであった。アウグスティーヌスによるその総
4 4 4 4
ありありした「虚無」
括が、次の文章である。
「虚無からの創造」について、先に引いたア
ウグスティーヌスの一節「およそ存在するもの
は、あなたがましますゆえにこそ、存在する」は、
キリスト教の新約聖書「ヨハネによる福音書」
の冒頭を承けての解釈であった。その有名な件
りは、こうなっている − 「初めに言があっ
あなたは存在したもうた。他は虚無だった。その虚
無からあなたは、天と地という二つのものを造りた
もうた。一方はあなたに近く、他方は虚無に近い。
一方より高きものはあなたあるのみ、他方より低き
ものは虚無のみ! 19)
4
4
4
4
た。言は神と共にあった。言は神であった。こ
「虚無 (nihil)」 − これはまったく無いはず
の言は、初めに神と共にあった。万物は言によっ
のものである。しかしこの「虚無」が、無いの
て成った。成ったもので、言によらずに成った
だと言われつつ、明瞭な名前とともにありあり
4
4
4
4
4
ものは何一つなかった」15)。ここで「言」と訳
と導入され、「二つめ」の反対者を演じている。
されているのは、原文のギリシア語では「ロゴ
しかも、アウグスティーヌスの神が天地を造っ
ス」である。筋道、比率との意味もある「ロゴス」
たのは、この「虚無」からなのであった。先の
は、すなわち言葉であって、かつ理知性でもあ
引用では、「素材は無かった」と言われている。
4
− 37 −
4
臨床心理学研究 50 - 1
4
4
だから、「虚無」は「素材」ではない のかもし
ト教においても、「創世記 」(2 章 7 節 ) で、人
れない。しかし、何も「存在」しないのが「虚
間が土から造られたことは、よく知られている。
4
4
「土 ( アダマ ) の塵で人 ( アダム ) を形づくり」
こそが天地の「素材」とも考えられよう。
と言われるとき、「土の塵」は間違いなく素材
無」で、かつそこから造られたのなら、「虚無」
「素材 ( マーテリア materia)」とは、哲学用
である。素材が「虚無」でも大地 ( の塵 ) でも、
語では「質料」で、アリストテレースならこれ
そこから ものごとが産み出された - 「母な
を「質料因」として、原因の一種に数えていた。
るもの」「女なるもの」への重なりは明らかで
それくらい歴史的な重みのあるもので、今の世
ある。それが、アウグスティーヌスの思想にお
の西欧語にも派生語が生きている。そしてその
いては、「存在」の序列の最低位か、その隣か
語源が、「母 ( マーテル mater)」であった。い
に置かれる。
4
4
ま、掲げられた「一つ」の対極に位置づけられ
神 が、 こ れ に 代 わ り、「 御 言 に お い て (in
たのが、この重い役割の担い手なのである。そ
verbo)」産み出しを仕切る運びとなった。ラテ
の何ものかは、ここでもまだ - 「素材」で
ン語の「言葉 ( ウェルブム verbum)」という単
4
4
あろうとなかろうと - そこからものごとが
語が、新約聖書の「ロゴス」を受けているのは、
産まれ出る何かとして、語られている。この役
言うまでもない。つまりここでは、言葉であっ
割は、どうしても消し去れない。けれども、そ
て、かつ理知性であるものが、万物を産み出す。
の名は「虚無」と成り果て、何の力も意味もな
ふつうに考えれば、これほど抽象的なものに、
いとの含みが込められた。大地の女神が、ここ
産み出す力があるとはとても思えない。やはり
まで貶められたのである。
産み出しは生え抜きの性質でなく、女神からの
インドネシアのハイヌウェレ神話や、記紀の
簒奪の名残りが、この不自然なのであろう。
4
4
4
4
4
オホゲツヒメをはじめ、殺された女神の屍から
ありありとして見栄えの悪い名前を与えた引
作物の生ずる話は、地球上に広く見られる。だ
き換えに、地母神のすべてを奪うことで、ロゴ
がアウグスティーヌスは、死体さえ残さず、女
スははじめて、産み出しの力を得た。「存在な
神の痕跡の完全な消去を企てた - そうしな
る父」と「虚無なる母」との両極関係が新たに
いと、何が出るか分からないと思ったのだろう
成り立つのと時を同じく、「虚無からの創造」
か。ともあれ、「絶対者」なる「存在」に相対
は実現したのであった 20)。
4
4
4
4
4
的に向かい合い、そしてありありとしつつ「虚
さて、「存在の大いなる連鎖」は、多くの輪
無」なる反対者という、不可思議の極みを担う
が連なってできている。< 一つ掲げ > も、
「一つ」
役割は、このようにして準備されたのである。
を掲げて終わるのでなく、一次元・一方向の序
列が特徴であった。その姿に至るための最初の
序列を繋ぐ「存在の梯子」
歩みが、天と地の登場により、刻まれた。両極
ものの有りえぬほどの所に置かれたのも、やは
ら数えて「二つめ」と、下から数えて「二つめ」
りまた、「地」であった。こちらの方は、はっ
をなす。これらが序列の代表として、他に先ん
きりとその名で呼ばれている。「地」は、
「虚無」
じて登場したのであった。これは、どうしたわ
でなかったとしても、それに準ずるものなのだ。
けであろうか。
さて、この「虚無」に近く、これより「低い」
の間に、上下の極みに接しつつ、各おのが上か
土をこねて人間を造る神話・昔話は、地球上に
いや高き「掲げられた一つ」と、何より低い「二
広く見られる。ギリシア神話では、プロメーテ
つめ」とが定まれば、その次の一歩は、すぐ当
ウスがこれを行なっていた。ユダヤ = キリス
たり前に決まるかとも思えよう。 - しかし、
− 38 −
「存在」と時間の編む序列の梯子
そんなことは、しなくてよかったのかもしれな
れはやがて、「前進」や「進歩」へと結実する
い。両極だけで放っておいても、「相対的な絶
のである。
対者」の形容矛盾を除けば、大した不都合はな
4
4
4
「存在の大いなる連鎖」は、またの名を「存
かろう。そこから新たに、数えて「二つめ」の
在の梯子」と言う。梯子とは概ね、上り下りす
位置を作り出す必要は、とくになかったのであ
るためのものだから、上下の序列関係を表わす
る。ところが何ゆえか、次の一歩が踏み出され
には、この方がふさわしかろう。「連鎖」だけ
てしまった。それは、「さらなる次」を求める
では、横に連なるかもしれず、円環をなすのか
一歩でもある。これあってはじめて、連なる鎖
もしれない。梯子の一段ごとなら、各おのが唯
は形成されるのである。
一無二である。その掛け替えのない地位が、上
ただの対立に留まらない、序列へのまた新た
がるか下がるかのいずれかで、失われる - な「原発的」選好が、ここに生じている。なる
どうせなら、上がって失いたいものではないか。
ほど、ここではまだ「連鎖」の駒は、四個しか
強迫的な一次元の優劣の秩序は、連鎖よりも梯
ない。しかしこれだけ出来れば、あとはその間
子の譬えに映り出やすかろう。そこで今後は、
を埋めて、鎖の輪はいくらでも増やせる。登場
「存在の梯子」との表現も、同じ意味で用いて
したものを新たな基点に、また次の「二つめ」
ゆく。いずれも唯一の高貴から最低の下賎へと
を置いてゆけばよい。ヘーゲル的として具合が
連なる、一次元の縦の関係を表わす言葉である。
悪ければ、数学的帰納法のようなものだと言お
無理強いのロゴス
う。アウグスティーヌスはこう記した。
それはいかなる仕方で存在したにせよ、あなたによっ
て存在したことに間違いはありません。およそ存在
するものはすべて、存在するかぎり、あなたによっ
て存在するのですから。しかし、あなたに似る度合
いかに辛かろうと、受け容れる他に術のない
ことがある。いくら「かくあるべし」と思って
も、それは人間の勝手な望みでしかない。「存
在の梯子」の一段ごとは、支配者としての神の
いが少ないほど、それだけあなたから遠ざかります。
決めたもうたことなのだ。「被造物」たる者は、
21)
その「事実」を、与えられたままに生きるのが
万物のすべては、「存在」そのものなる神に
よって「存在」する。だが、この神にどれほど
4
4
4
定めだ。これを変えようと謀るなどは、神の縄
張りを侵す、冒涜の愚行なのだ。
4
似ている かにより、上下の差別が決まるのだ。
しかも、これこそまさに、全能の神の定められ
た「聖なる」掟、「摂理」に他ならない。
序列はこうして、あっさりと形成された。こ
の態勢を採れてはじめて、「存在の大いなる連
それゆえにあなたは、神なるあなたの許にまします
神であり、永遠に語られ、またそれによって万物が
永遠に語られる御言を理解するようにと、私たちを
呼びたもう。22)
鎖」は生成する。かつての生物分類に見られた
「御言」つまり神の言葉は、「神なるあなたの
如き、一次元の序列の仕組みが、これで見て取
許にまします神」だという。これは、新約聖書
りやすくなる。
「存在」の濃さ薄さの程度こそが、
から「ヨハネ福音書」1章1節の表現を引いた
序列の基準なのだ。それが数理を利用して呼び
ものである。「神のなかの神」は褒めの言い回
出され、上下一列に並んでいる。直列化した時
しで、古代ギリシア以来、よく用いられてきた
間も、それだけでは定量化が難しかった。だが、
が、キリスト教は神が複数にわたることを許さ
4
4
4
4
4
4
4
4
「存在」と練り合わされたからには、その性質
ない。したがってここでは、言葉がすなわち神
の転写を受ける見通しが立ったと言えよう。そ
だ、との意味に取る他はなかろう。人間にでき
− 39 −
臨床心理学研究 50 - 1
る「善い」ことは、この言葉を、すなわち神を「理
ないか。また予見に基づき、欲の制御、支配が
解する」ことのみだ。それがロゴスに、つまり
できて、さらには最善の方法での「欲求の充足」
筋道に沿うことなのだ。西欧文明における言葉・
が、もたらされる。 - 多くの心理学は、こ
ロゴスへの偏愛が、このような思想に結実した
うした「原理」を説明の根底に据えようとする。
と考えられる。その流れは今に及び、近代世界
ミシェル・フーコー (Foucault, Michel) ですら、
の秩序に影を落としている。
欲を離れられない。
梯子の序列がいかに不愉快でも、勝手に入れ
だがこれも、筋道の類いである。したがって
替えるわけには行かない。いかに厳しかろうと
この方法では、筋道そのものの押し付けは解き
苦しかろうと、「存在」とは、とにかくそのよ
明かせないだろう。また、欲を原初・根源に据
うに与えられた「事実」なのだ。これが「摂理」
えたうえで議論を始めて、はたしてよいものか、
であり、それを受け容れるのが、神の「真理」
大いに検討の余地がある。 - 欲はむしろ、
に与ることに他ならない。
状況に応じて成形される特殊な心の様態ではな
けれどもこの「真理」を、我われ人間はどう
いのか。仏教、キリスト教をはじめ、多くの教
やって納得できるのだろう。優劣・上下の一次
えが、欲を離れよと説く。だがそれらが、欲の
元連鎖の形成を、論理的に不可避とするには、
「実在」を認めた立論とは言えないだろう。「欲
疑問が残っていた。「絶対者」に対し「反対者」
を出すな」とは、場合に応じて欲が湧き上がる、
を置くのが、そもそも矛盾であった。これらの
その態勢に入るなとの戒めにも受け取れる。も
あいだに新たな「二つめ」を置き、その手順を
ともとある欲に「出るな」と命じたとは限らな
繰り返して段階を増やす理由も、同じくらい不
いのである。それなら、欲を前提に持ち出して
明であった。もし論理と数理が必然でも、「存
も、おそらく正しい説明にはならない。
在の梯子」を組む手順までは導けない。なるほ
心理学にも、やはり解決は期待できない。と
ど論理と数理は、「存在」の序列に先立って、
は言え、せめて彩りくらいは加えられようから、
独立に形成されうるかもしれない。そうだとし
その線を少し試みよう。すると、無理強いの原
ても、論理と数理を「存在」に適用し、序列を
因ではないにせよ、そこへの転回点が、それな
形成すべき理由は、別に探さねばならない。加
りに照らし出されるに違いない。
えて、そもそも論理と数理が、人間の活動を離
れて成り立つのかどうかさえ、極めて疑わしい
。だからここには、筋道からは解けない、筋
23)
道を押し付ける仕業が隠れているのである。
< 完全強迫 > と < 一つ掲げ > の完成
プラトーンの「善のイデア」が、すでに、ほ
んとうは自足せず、産み出しを備えなければ不
もしかすると、ここにこそ心理学の出番があ
完全との思いに駆られていた。無条件で唐突に、
るのかもしれない。天地を造ったとされる神を、
「原発的」に出現したとも思われる欲であった。
何よりも誉め称えたいアウグスティーヌスの切
だが、表立って語られずとも、産み出す女神の
なる願い、ないし「欲求」は、明らかに認めら
力は、ここでも深みで動いていたと考えてよか
4
れる。「欲求」ないし「欲望」、つまり欲には、次々
ろう。これに煽られた欲が、産み出しの取り込
と対象を求める特徴がある - 欲を出せば切
みを願ったのである。すると < 完全強迫 > は、
りがない。だから、この考え方の登場した時点
地母神の力への密かな憧れから、導かれたこと
で、すでに強迫心性が予感されているのである。
になる。アリストテレース的に言えば、地母神
もっとも、これが正しいなら、欲の特性を理解
こそが目的だったのである。
すると、これを抱いた者の振る舞いを予見でき
− 40 −
こうした事情は、例えばゲーテの「とわに女
「存在」と時間の編む序列の梯子
なるもの」やマリア信仰などの形で、今の世の
間での優越は、支配の強化のために構えられの
西欧にまで受け継がれている。ギリシア神話で
であった。ところがこれにより、先立つべしと
は、父ウーラノスのヘノコを切り落として支
の要求を、新たに受けてしまった。自からが優
4
4
4
4
配者となったクロノスが、産まれた子供たちを
越して素材を使用し、支配してすら、己れの「存
次々と呑み込んだ。取り込むことで豊満・充足
在」が時間において後れを取るかぎり、不完全
を実現する欲が、ここにも見受けられる。大地
恐怖が呼び起される仕組みとなった。何か「善
は、屍と種を呑み込んでから、稔りを産み出す。
い」ものを見つけて、さっそく「俺のものだ」
4
4
4
4
4
産み出しを取り込もうと動くのは、その顰みに
と手に入れることさえ、許されなくなったので
倣ったのかもしれない。それならもう女神の手
ある。
に、いや、おそらく腹に、乗せられているので
多くの点で「絶対」を強調すればするほどに、
ある。( フロイト派の精神分析なら、おおむね「口
優位が際立つ - これは間違いない。だがこ
唇的欲求」として、栄養摂取に結びついた「低
の「絶対的優位」は、ほんとうは相対性であった。
い」発達段階に位置づけようが。)
豊満・充足の度を増すにつれ、つけ込まれかね
この動きの延長上で、アウグスティーヌスの
ない弱みをも増す仕組みなのである。弱みは、
語るキリスト教の神が、ついに地母神の最大の
「存在」と時間に絡むあらゆる経路で、
「絶対者」
宝を「存在」として、時間にまで絡めて取り込
に結びついた。「完全性」は、兵站の伸び切っ
んだのであった。< 完全強迫 > は目標を、豊満・
た前線となったのである。「虚無」の対極にい
充足から、汎用性の高い「存在」の優先へと変
や高き座を占め、新たに産み出す者となった理
えた。加えて「すべての時間に先立つ」なら、
知性に、ただならず張りつめた気配が漂うのも、
支配はいよいよ完全となるはずであった。望み
無理はない。
は叶い、欲は完遂され、新たな「絶対者」の性
格は、盤石の保証を得た。では、< 完全強迫 >
が静まったのだろうか - とんでもない。こ
の「完全性」で、症状は強化されて再燃するの
である。
欲を、「存在」という、守備範囲が極限まで
広範なところに広げた結果、完全性の条件は限
私たちの神が滅亡 (corruptio) をこうむるということ
は、意志によっても、必然によっても、不測の偶然
によっても、絶対に起こりえません。なぜなら、そ
れが神ご自身であり、神がご自身のために欲したも
うことは善であり、ご自身が善そのものにまします
が、滅びるということはこれに反し、善ではないか
らです。24)
りなく厳しくなった。かつて産み出す者であっ
た地母神は、「虚無」に落とし込まれている。
奪うだけでなく、落として踏みつけたのだが、
その見返りは大きかった。両極対立は反転しや
すいものである。反転すれば、「存在」は「虚
無」へと重なる。どこにでもある「存在」への
誇りが、かえって、どこからでも直ちに転落と
「滅び」へと結びつく。「絶対者」が、そういう
兆しに脅えねばならなくなったのである。
しかも、この「存在」には、直列化した時間
が練り込まれている。だから、不完全は「欠け」
のみならず、「後れ」としても襲いかかる。時
「滅びない」と言い募るのは、滅びを恐れる
からである。「絶対に」と叫ぶのは、対極との
相対性を自覚するからである。反対者を滅ぼ
し、
「無きもの」にする構えの形成、つまり「滅
び」の成り立ちそのものが、すでに重い。「滅び」
が姿を現わしたからには、いつ立場が逆立つか
もしれない。両極対立の「反転図形」が、いつ
裏返って「存在」を転落させるか、予断は許さ
れない。だから、滅ぼす側に身を置いても、
「滅
び」の予感に変わりはないのである。むしろ、
優位に立った側にこそ、不完全恐怖はいよいよ
− 41 −
臨床心理学研究 50 - 1
募る。
合衆国で、正面からの批判を展開することは、今
も、様ざまな面から困難である。ラヴジョイがこ
< 完全強迫 > の理想が明確となるほどに、転
の著作の著わした時代には、なおさらであったろ
落の恐れも、行き着く先の最低の位置とともに、
う。もちろんわが国に、そうした事情はない。だ
また明確となった。じっさい、ここを落ちていっ
から、もっと思い切って語ってもよいはずである。
た天使もいるとされ、聖書では明瞭でないのに、
ところが、どうしたわけか西欧思想の研究者たち
キリスト教のなかで、誰知らぬ人なきほどの役
には、キリスト教から距離を置きつつ、かつ視野
割を果たしてきた。< 一つ掲げ > に伴う「滅び」
4
4
4
に入れた議論をする人が、極めて少ない。哲学系
4
の予感は、このように、具体性を以てありあり
のさる有力な学会で、「神」を論ずるワークショッ
4
と迫るのを特徴とする。落ちないためには一つ、
プに出て、呆れてしまったことがある。「神」と
また一つと、確かめ続けるしないのである。
いう言葉がキリスト教のそれを指すのを当然の前
提に話が進められ、誰も疑問を挟まなかったから
ギリシア・ローマの豊満・充足が内蔵してい
である。かと思えば、西欧哲学がキリスト教神学
た < 完全強迫 > は、これにより、ようやく完成
の教説とあたかも無関係のように論じられる場合
の域に達する。ラヴジョイは鋭く < 一つ掲げ >
もある。西欧哲学が神学の延長とさえ言えるのは、
を予感したが、かつての時代の思想では、まだ
紛れもないことなのに、知らん振りを決め込む人
芽ばえに留まっていた。その頃なら、まだ < 完
びとが多い。西欧人たちは共通の教養があるので、
全強迫 > も、ケチに思われたくない見栄の範囲
むしろそれを暗黙の前提に論じているのだが。い
だった。まして < 一つ掲げ > は影も朧ろで、 - まだ、引き返すこともできたはずなのであ
る。
ずれにしても、奇妙な話である。
なお、ここで「無」ではなく「虚無」という言
葉を選んだのは、キリスト教の思想におけるこの
4
4
言葉の特別な意味を考慮してのことである。( もち
「虚無」の出現を、完全性と絶対性への相対
4
4
4
ろん、かなり定着した訳語であるが。)「無」は大
4
性の根源 の形成、と呼んでもよかろう。「絶対
方の東洋思想においては、したがって我われの <
者」のはずの「存在」は、これに相対する「虚無」
うぶすな > においても、悪い意味ではまず用いら
に呑み込まれる「滅び」の恐れでこそ際立つ れない。「無心」「無為」などの熟語も示すとおり、
- 漆黒の「虚無」を背景に、
「完全性」を白々
4
4
4
4
あるがままの、自然で望ましい様を指す場合が多
4
と掲げて、「存在」が浮き立つ。ありありと し
い。これに対しキリスト教では、「神」が「存在」
ているのに「虚無」だと言い募る強引さに、<
そのものなので、「無」はこれに対立し、避けるべ
完全強迫 > の完成した勢いが感じ取られる。<
きものの代表となる。この含みを生かすため、「虚
一つ掲げ > の形成の、本格的に始まった徴しで
無」を用いたい。ただし「虚無僧」という禅僧が
ある。
いるように、この言葉でも誤解は避けがたいのだ
「存在」と「虚無」との両極対立が「完全」
4
4
4
となるほどに、不完全恐怖はいや増す。相対的
4
4
4
が、致し方ない。
2)アウグスティーヌス / Augustinus, 397-8『告白』
第11巻4章6 以下、同書からの引用は、だい
4
な完全性の勝利が、< 完全強迫 > をさらに強化
たい訳書に基づくが、部分的に筆者が改めたとこ
する循環が始まった。この体勢の確立こそは、
西欧思想史における < 一つ掲げ > の、おそらく
最も重要な機序の生成であった。
ろもある。
3)同 第11巻5章7
4)同 第11巻13章15
5)アウグスティーヌス 同 第11巻28章37
6)過去から未来に進むのか、未来から過去へと流
註
れ行くのかの区別を重要と考える立場も、もちろ
1)この宗教が事実上の国教となっているアメリカ
− 42 −
んあり得る。例えば、過去の因縁からの働きかけ
「存在」と時間の編む序列の梯子
と、未来の審判から呼びかけのいずれを信ずるか
去と未来を包むはずはない。まして、支配を及ぼ
は、おそらく小さな問題ではない。これに伴って、
すなどという発想は出てこない。その立場が近ご
時間の「向き」は違って感じられるであろう。だが、
ろ、あまり立派に思われないとすれば、我われの
この問題には深入りしない。ここでは、一次元か
心根にもこの直列化した時間が忍び入ってしまっ
た証しであろう。
つ一方向に進むとの特徴にもっぱら注目する。
7) プ ラ ト ー ン / Platon「 テ ィ ー マ イ オ ス 」
もともと、< やまと言葉 > の「いま」は「忌間」
37D-38B インドの古代思想においても同様であ
であり、特別な時ではあれ、存在・非存在には繋
る。時間はやはり戻るものだったので、文献には
がらない。また、「いまに」とか「いましがた」と
年代が記されておらず、古代インド研究者を悩ま
の言い方があるように、「いま」と「現在」の一点
せている。
とは、明らかに異なるのである。なお「イ ( 忌 )」は、
8.ベルクソン / Bergson 1889 ただし、ベルクソ
近ごろでこそ死にまつわる弔事に結びつくのがほ
ン的な意味での「空間化」がないとしても、「空間
とんどだが、古くは慶弔を問わず、振る舞いに意
化」そのものがまったくなかったとは言い切れな
を用い、慎む ( つつし忌む ) べき時を表わした ( 岡
田 昭和 57 年 )。
い。なぜなら、アウグスティーヌス当時の空間は、
均質でも等方でもなかったので、そうした空間と
日本語としての「現在」は、「過去」「未来」と
の関連までは否定しきれないからである。しかし
ともに仏教用語として導入された経緯がある。こ
ここでは、この問題にも深入りはできない。
のため三者一組で理解される。また「現在有体過
なお、物理学の時間との相違の三つ目として、
未無体」の教説から、アウグスティーヌス的時間
アウグスティーヌスでは定量化が充分でないこと
に馴染みやすい言葉となっている。しかし、この
を加えてもよかろう。定量性は、すでにキリスト
場合でも大きな違いがある。「目の前」とか「手近」
教紀元前から用いられていたユリウス暦が、日単
といった、主体/客体関係が、日本語の「現在」
位でかなり正確に備えていた。しかし、この暦の
には含まれていないところである。「現在」の時と
構想は天体の円運動に基づくので、アウグスティー
は、むしろ我われ自からを含めつつ、自づから流
ヌスの直列性の時間とどのように接続すべきか、
れ去る動きに他ならない。我われの時間はこの点
直ちには明らかでない。彼は次のように述べてい
で、対象への支配が主眼となる彼の時間とは、まっ
た (『告白』11巻29章39)。
たく異る造りをしている。彼の所説や、現象学の
時間論への我われの理解の困難は、このあたりと
深い繋がりがある。
主よ、ただあなただけが私のなぐさめ、わが父、
永遠です。それに反してこの私は、順序 ( 秩序 )
13)トゥールミンとグッドフィールド / Toulmin,
Goodfield 1967(org. 1965)pp.86-8
も知らない時間のうちに散らばっています。(in
14)アリストテレース『自然学』第4巻13など
tempora dissilui, quorum ordinem nescio)
15)ヨハネによる福音書 / 1 章 1-3 節 しばしば「は
過去と未来が現在を境に分けられるとしても、
じめに言葉ありき」との訳で引用される。わが国
過去どうし、未来どうしのなかでの秩序は不明な
で聖書から慣用的に用いられる引用としては、例
のだと思われる。したがって、「直線性」との表現
外的に飛び抜けて多い使用頻度となっている。た
も相応しくない。
だし、「はじめに○○ありき」ではないとして、否
4
9)リッケルト / Rickert 1901 訳書 pp.70-1
4
4
4
定的に用いられる場合がほとんどなのも、興味深
10)ロジャーズ / Rogers 1951 訳書 p.105
いところである。
11)アウグスティーヌス 同 第11巻13章16
16)創世記 1 章 1-7 節 初めに、神は天地を創造さ
12)日本語で「現在」と言うと、
「差し当たり」とか「今
れた。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、
のところは」との含みが出て、過去や未来はどう
神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光
あれと響く。我われの < うぶすな > の構えは、流
あれ」。こうして、光があった。神は光を見て、良
れ動くことを当たり前に考えるので、「現在」が過
しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、
− 43 −
臨床心理学研究 50 - 1
闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第
ら説明の必要のないくらい当たり前で、かつ表立っ
一の日である。神は言われた。
「水の中に大空あれ。
て語るにはいささかの差し障りがある。だから声
水と水を分けよ」。神は大空を造り、大空の下と大
高に語られることは少ない。だが、考えられてい
空の上に水を分けさせられた。そのようになった。
ないのではない。むしろそれゆえに、日本人に対
しては、言挙げの必要があるのだと考えている。
アウグスティーヌスは、この記述についても様
またこの点は、プラトーンとアリストテレースに
ざまに解釈し自説を確立してゆく。
17)アウグスティーヌス 同 第11巻5章7
見られる質料の永遠説と、これを受けた錬金術で
18)アイスレル / Eisler, R. T. 1987 彼女はこの説で、
の「第一質料 (prima materia)」の問題にも及び、
夥しい議論に繋がるのだが、ここでは省かざるを
西欧での女権運動に大きな影響を与えた
得ない。
19)アウグスティーヌス 同 第12巻7章 訳書
21)アウグスティーヌス 同前 第12巻7章 訳
p.443
書 p.443
20)ギリシア神話でも、大地の女神ガイアは、多産
の神である。キリスト教に馴染みの少ない日本人
22)同前 第11巻7章 訳書 p.407
の場合、西欧人なら語られずとも前提となる重要
23)ブルーア / Bloor, David 1976
な論点を見過ごしがちになる。これもその一例に
24)アウグスティーヌス 同前 第7巻4章6
数えてよいだろう。このような事情は、西欧でな
参考文献
Aristoteles / アリストテレース "Ta meta ta physika " 出 隆訳「形而上学」1959 岩波書
Aristoteles / アリストテレース "Physikes akroaseos (Physica)" 1968 The Physics「自然学」Philip H.
Wicksteed and Francis M. Cornford William Heinemann, Loeb classical library
Augustinus, Aurelius /Augustine, Saint, Bishop of Hippo / アウグスティーヌス "Confessiones" 397-8 http://
www.augustinus.it/index.htm「告白」山田晶訳 1978 中央公論社『世界の名著』16
Bachofen, Johann Jakob / バッハオーフェン "Das Mutterrecht : eine Untersuchung über die Gynaikokratie
der alten Welt nach ihrer religiösen u. rechtlichen Natur" 1861「母権論 : 古代世界の女性支配に関する
研究 : その宗教的および法的本質」岡道男 , 河上倫逸監訳 1991.9-1995.2 みすず書房
Bergson, Henri / ベルクソン "Essai sur les données immêdiates de la conscience" 1889 Presses
Universitaires de France
Bloor, David / ブルーア "Knowledge and social imagery" 1976 London ; Boston : Routledge & K. Paul, 佐々
木力 訳「数学の社会学」1985 培風館
Eisler, Riane Tennenhaus / アイスレル "The chalice and the blade : our history, our future" 1987 Harper
Collins,「聖杯と剣 : われらの歴史 われらの未来」野島秀勝訳 1991 法政大学出版局
Lovejoy, Arthur O. / ラ ヴ ジ ョ イ "The Great Chain of Being ; A Study of the History of an Idea" 1936
Harvard Universtiy Press 内藤 健二訳 1975「存在の大いなる連鎖」晶文社
Heidegger, Martin / ハイデゲル "Sein und Zeit" 1972 Max Niemeyer Verlag, Tübingen org. 1927
Hirschberger, Johannes "Geschichte der Philosophie" 1949-1952 Freiburg : Herder,「西洋哲学史」1 高橋
憲一訳 1967 理想社
Platon / プラトーン「ティーマイオス」種山恭子訳 1975.9 東京 : 岩波書店 ,『プラトン全集』(田中美知太郎 ,
藤沢令夫編 )12「ティマイオス クリティアス」
Rickert, Heinrich / リッケルト "Kulturwissenschaft und Naturwissenschaft" 1901 Freiburg「文化科学と自然
科学」1939 佐竹哲雄 豊川昇 訳 岩波書店
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「存在」と時間の編む序列の梯子
Rogers, Carl Ransom / ロジャーズ "Client-centered therapy : its current practice, implications, and theory"
Mifflin, 1951 The Houghton Mifflin psychological series(Part III)伊東博訳 1967 パースナリティと行
動についての一理論『ロージァズ全集 8 パースナリティ理論』岩崎学術出版社 第4章 pp.89-163
Toulmin, Stephen / トゥールミン Goodfield, June / グッドフィールド "The Discovery of Time" org. 1965
Hutchinson /1967 Penguin (Pelican books ; A855)
On “The Supreme One Principle”
- in search of Roots of Discrimination Ideas in the Western Thoughts Histroy -
Chapter 2. The Ladder of Rank woven by the “Being” and the Time
Abstract
For "the supreme one principle" to be established, one more factor is indispensable. It is
"creatio ex nihilo" (creation out of nothing). This foundation doctrine of the Christianity
was founded by Augustinus of Hippo. The Greek ideal "good" conceded its place to
"being" which constituted bipolar relationship against "nothing". In addition, the ancient
circular time the was transformed into serial order and synthesized with being. Priority in
being became prior also in time. It is in this bipolar relation that the one-dimensional and
one-directional rank order with endlessly multiple stages is generated between being and
nothing. "Nihil" is the lowest and most valueless. The next valueless stage is the earth.
Both symbolize a great remainder of the mother goddess of the ancient Mediterranean.
The "creatio ex nihilo" was an effort to evade this goddess without loosing the power of
production.
Key words: supreme one principle, creatio ex nihilo (creation out of nothing), being time,
mother goddess
− 45 −
臨床心理学研究 50 - 1
< 一つ掲げ > について ー 差別観念の根を西欧思想史に探る
その 3:女と男と永遠の争い
抄録
< 一つ掲げ > には < 完全強迫 > とならんで、もう一つの強迫症 < 能動強迫 > が付き纏う。
正確には < 受動恐怖を伴う能動強迫 > である。産み出しへの執着を保ちながら、もとも
とこの力の主であった地母神の影響を否定する試みと解釈できる。起源はアウグスティー
ヌスに求められるが、宗教改革が彼の予定説を、より徹底した姿で甦らせた。受け身に
回るのを嫌がり、
「男性的抗議」で対抗する構えは西欧文明に深く根付き、「悪」への攻
撃の正当化を掌る。二つの強迫症は、互いに矛盾しつつも強めあい、この構えを支え続
けている。
索引用語:一つ掲げ 能動強迫 受動恐怖 攻撃性 男性的抗議
はじめに
< 完全強迫 > に「虚無からの創造」が加わって、
して、今の世の我われをなおも縛る < 一つ掲げ
はじめて < 一つ掲げ > は成立した。両極の向か
> が、その勢いの拠り所を得るのも、ここから
いあいからのみ、一次元・一方向の序列は導か
なのである。
れる。この構えは、古代の終わり頃から今の世
に至るまで、ほぼ一貫して西欧文明の礎の一部
となってきた。身分上の拘束の無くなった今も
< 能動強迫 > と < 受動恐怖 > の登場
古代ギリシア以来、産み出す力は求められ続
差別が続くのは、この < 一つ掲げ > の仕組みが、
けていた。これを担う者は、かつての地母神信
中身こそ入れ替わっても、形としては変わらず
仰なら、物質であり女神であった。キリスト教
維持されているからである。
でこれに代わり、新たに産み出す神となった
4
4
4
4
無価値の極みの「虚無」のすぐ側には、古代
のが、言葉かつ理知性の「ロゴス」である。ア
の女神を引き継ぐ大地が置かれていた。「精神
ウグスティーヌスが新約聖書の記述に磨きをか
障害者」もほとんど同じ所にいるだが、なぜか
け、物質はもちろん、素材の何も無いところか
それほど強くは「女」を感じさせない。それは、
ら産み出す、特異な能力を導入したのであった。
地母神の性格が「受け身」にまとめられ、女性
彼は、語って産み出す言葉について、こう言っ
を隠しているからである。これに相対する性質、
ている。
したがって望ましいそれは、「男」でありかつ
「能動」「積極」だとされる。むしろこちら側か
ら見た方が、
「女」と「精神障害者」の繋がりは、
かえって分かりやすいかもしれない。
本論では、新たに < 能動強迫 > という考えを
導入する。これは、少なくとも西欧文明におい
それゆえあなたは、あなたと等しく永遠な御言によ
って、語りたもうすべてのことを、同時にかつ永遠
に語りたもう。そして、あなたが生じるようにと語
りたもうすべてのものは生じ、しかもそれは、あな
たが語ることによってお造りになるままに生じます
(dicis ut fiat)。1)
ては、男らしさへのこだわりとほぼ重なる。そ
− 46 −
女と男と永遠の争い
4
4
素材は無いのであった。産み出すことにかけ
受動性を備えていた。ところがアウグスティー
て、 神 の 言 葉 (verbum) な い し「 語 る (dico)」
ヌスの神は、これでは嫌だと言い出したのであ
こと以外には、何ものも関与しない。しかもこ
る。産み出しが欲しいだけなら、受動性も取り
の神は、あらゆる時間に先立つ「永遠の現在」
入れればよかろう。むしろその方が、産み出し
において、あらゆるものを同時に語るのだ。こ
そのものは盛んになるに違いない - だがこ
のとき「虚無」の生成に加え、いやむしろこれ
の神は、そうしなかった。つまり、産み出すだ
に伴って、< 一つ掲げ > の成立に資するもう一
けでは足りず、いっさいの受動性を拒否する戦
つ重要な変化が起こっていた。産み出しが、
「能
略を打ち出したのである。この頑なな構えを、
動」をもっぱらとする性格を得たことである。
< 受動恐怖 > と名付ける。
古代ギリシア・ローマの思想において、能動
古代ギリシア・ローマ世界の「完全性」は、
豊満・充足での自足を、究極の目標に据えてて
と受動の区別、対立が、まったく認められない
いた。ひるがえって < 一つ掲げ > には、自足を
わけではない。だが、ギリシア語の動詞変化で
打ち破り、打って出る能動性・活性が組み込ま
の中動相を持ち出すまでもなく、両者の区別は
れている。この点でも < 一つ掲げ > は、「ヘレ
しばしば曖昧であった。また、受けることへの
ニズム」のみからの説明を拒む。なるほど「善
強い怖れを見出すこともできない。だから、<
のイデア」や「一つ」も、己れ以外のものを産
能動強迫 > と < 受動恐怖 > は、新たな時代にお
み出した。だがこれは、能動性・活性にこだわ
けるキリスト教の展開の重要な指標とも見做せ
ってのことではなかった。理由は、「産み出さ
るわけである。
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それにしても、受動性を排除した能動的な創
ないと完全でなくなる」からで、つまり自足を
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十全にするためなのであった。これに対し < 一
造とは、類い希な性質ではないか。この珍しい
つ掲げ > には、「存在の梯子」の序列に加えて、
特性を、声高に求める理由は、どこにあったの
攻めかかる勲し、ないしは当然に変化を求める
だろう。なぜそうでなければならないか - 構えが、表裏一体をなしていた。それを支える
その問いを、ここで扱うつもりはない。< 完全
重要な性格が、「虚無からの創造」とともに、
強迫 > の場合と同じく、答えの出るはずもない
はじめて姿を現わしたのである。
し、背後には、一生かかっても読み切れないほ
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ありありとした「虚無」の出現は、ただやみ
どに膨大な神学が控えている。ここでは、受動
くもに「他者」を産み出す「善のイデア」や「一
性を拒み能動性をもっぱらとする構えが、「虚
つ」を乗り越えさせ、両極対立による一方向性
無」の成立と裏表になることだけを確かめてお
を導いた。それに留まらずこの動きは、「虚無」
く。
を「対象」に据えるという大胆な矛盾を梃子に、
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産み出しに能動性・活性、ないし一方的に仕掛
4
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ける主体性の性格を与え、またこれに限定した
女を捨てた男=父神
「善」を押しのけて主役の座についた「存在」
のである。このこだわりを、< 能動強迫 > と名
は、「虚無」を対極に据えつつ掲げられていた。
付けたい。
その不思議にもありありと した性格に絡むの
4
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産み出しは、もともと「出し」なのだから、
が、先の論考で述べた「虚無」の「素材」への
おそらく能動性は備えている。「産まされる」
近縁性、すなわちマーテル ( 母 ) なるマーテリ
可能性もあるのはもちろんだが、それについて
アへの近さだった。地母神信仰においては、こ
は、ここでは省く。そうでなくとも、大地の女
れこそが産み出し有らしめる基い、つまりはお
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神は種を受けて稔りを産み出すから、たしかに
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そらく「存在」の源だったのである。聖書を調
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臨床心理学研究 50 - 1
べると、「いま、わたしは子を産む女のように
恥じてなら、ここで堂々巡りが成り立つ。取り
あえぎ、激しく息を吸い、また息を吐く」( 旧
入れ ( 受け身 ) を認めたくないので「虚無」を
約の「イザヤ書 」/ 42 章 14 節 ) など、神が女
拵えた - 相手は「虚無」のはずだから、取
性を備えた記述も見出せる。これも、ユダヤ =
り入れ ( 受け身 ) はあり得ない - あり得な
キリスト教の神の産み出しが、女神の力の取り
いこと ( 取り入れ ) が起こらないよう、女神を
込みだった名残りと考えられる。
「虚無」として維持する、と回転する。
4
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4
アウグスティーヌスが、産み出すという仕事
こうしてこの神は、女を捨てた のである。<
を変質させ、己れから一方向的にのみ仕掛ける
母なる素材 > を「虚無」に落とし込めば、これ
能動性へと読み替えたのは、この故なのかもし
には何の力も意味も無いから、影響を受けるは
れない。創造者にして「主」なる神に、もし受
ずもない。だから「主体」たる神は、完全に「自
け身が見られたら、女神への依存を暴露する動
由」に、己れの意のままに振る舞えるのだ。こ
かぬ証拠となりかねない。それも二重の意味に
こに、能動性・活性の極限が示されている -
おいて、すなわち女神の性質を帯びること、お
そう呼ぶに値するとして。ただ、この「絶対
よび、その性質を自から「創造」したのではな
者」が、「虚無」への優位を保つためには、あ
いこと、においてである。
らゆる機会を捉えて受動を否定し、能動を確か
さてしかし、敵方のはずの女神に頼ったのは、
そもそも恥じたり、隠すべき振る舞いなのだろ
めねばならない - ほんとうは相対的な優位
なのだから、仕方がない。
うか。そうかもしれない - よもや、罪では
産み出しをめぐる諸成分の絡み合いが、硬い
あるまい。だが、勝れた敵を倒し、その力や名
< しがらみ >、心理学用語で言えば「コンプレ
前を受け継ぐ話は、地球上に広く見られる。ギ
クス」を生成している。もちろんそれが、さら
リシア神話ではアテーナーが、メドゥーサを殺
なる説明を不可能にする、果てしなく堅い礎と
したペルセウスから、助力の礼にその首を捧げ
は言えまい。だが、階段の踊り場、足がかりの
られ、盾の飾りとした。女神がこれを恥じたは
結び目くらいには考えられよう。
ずはない。記紀神話でも、女装したヤマトヲグ
アウグスティーヌスの神による産み出しの獲
ナが熊襲タケルを倒し、武勇を愛でてその名を
得が、プラトーンと新プラトーン主義の、産み
贈られる。「贈られた」との記述は、大和朝廷
出す力を備えた最高のイデアを利用したのは明
側のものだから、史実に沿わないかもしれない。
らかである。だが「虚無からの創造」では、そ
けれども、ヤマトヲグナ改めヤマトタケル自か
れに加え、女神の吸収に変質を組み合わせると
らが、また周囲も、女装による勝利と名前の受
いう、巧妙な戦略が用いられた。この動きが、
け容れを恥とも罪とも考えず、怖れもしない点
論理や数理からの導出だけでなく、
「神」の心理・
には、彼らの心構えが明確に現われている。
生理的な性格をも含めつつ、政略的に進められ
受け継ぎ、頼るのを恥じるのは、何ものにも
たと知れるであろう。
4
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4
かくして、受けずに出すだけで産み出す、不
拠らないぞと、何ゆえか決めた場合に限られる。
素材を使って産み出してよいなら、恥ずべき謂
可思議にも孤立した男=父神が誕生した。「善
われは何もない 。つまり、女神の力の取り入
のイデア」は、善いものをただすべて集めただ
れは、
「虚無からの創造」にこだわる場合にのみ、
けであった。したがって、方向性も男女別もな
隠すべきなのである。片や「虚無からの創造」は、
い。だが、「虚無」に加工したにせよ、産み出
なぜ構えられたのだろうか。その理由が、もし
す母=女神を対極に据えたアウグスティーヌス
女神からの、ないし女神そのものの取り入れを
の神は、出しにこだわる特異な「男性」を帯び
2)
4
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4
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4
女と男と永遠の争い
4
4
たのである。この神が男の完全性の具現者とな
の画期的かつあまりに有名な研究 (1904-5) の
り、西欧的な男優位の世界観を盤石とした。「産
なかで、プロテスタント諸派、ことにカルヴァ
み出さねばならない」こだわりが、女性を消さ
ン (Calvin, John 1509-1564) の流れを汲む諸
4
4
れて純粋な能動性・活性に化け、産み出しを独
派の世界観、倫理観が、「近代化」した諸地域
占する - これが「創造性」なのである。
の文化に与えた影響を論じた。資本主義経済の
形成こそ、この世界変容の最も顕著な実例であ
予定する至高の「一つ」
る。その根幹にあるのが、予定説に集約される
< 一つ掲げ > はこうして、すでに古代に完成
世界観であった。予定説は、宗教改革諸派の多
していた。この思想は、< 完全強迫 > と < 能動
くに共通する思想である。なかでも、カルヴァ
強迫 > に追われて一徹ものに鍛えられ、中世の
ンの説が、大きな影響力を持つ。ヴェーベルは、
スコラ哲学でも維持された。ルネサンス期にな
これを次のように要約した。
って緩んだ経緯は、ここでは省こう。古くかつ
周到にして頑固な < 一つ掲げ > が、メスメルに
おいて姿を隠していたのは、驚くべきことかも
しれない。彼は言わば、遅れて来たルネサンス
人であり、宗教改革の定着した近代に現われ、
ふたたびその裏をかこうと試みたのであった。
彼の理論と実践は、その後も受け継がれはした
が、徐々に近代に馴染みやすい立場へと変質し
ていった。動物磁気の反近代的、反 < 一つ掲げ
> 的な性格が維持されれば、近代心理学はずっ
と違った姿になったであろう。
だが、それから二百年を経たこのごろ、< 一
つ掲げ > はものの見事に復活を遂げた。復活し
たのみならず、< 意識革命 > と < 心の囲い込み
> の完成を経て、新たに体勢を確立してもいる。
人間の「健常な」意識が何より信頼できる基準
となり、またその意識を含む心の全体は、個々
人の「内面」に閉じこめられた。これこそが、
4
4
4
4
今の世の掲げられた「一つ」なのである。つまり、
「一つ」の内容の外見上の変化が、この古い仕
組みに、かつてない特徴をもたらしている。今
の世のこうした「新しい」< 一つ掲げ > の中心、
それが臨床心理学である。
この有り様を支える周囲の力には、近代市民
社会や資本主義の成立があった。それらの成因
として重要なキリスト教プロテスタントの倫理
にも、< 一つ掲げ > が明らかに認められる。
マックス・ヴェーベル (Weber, Max) は、そ
神が人間のためにいるのではなく、人間が神のため
にいるのだから、あらゆる出来事は・・・ひたすら
神の栄光の自己賛美という目的への手段としてのみ
意味がある。地上の「正義」の尺度を彼の至高の計
らいに当てはめることは無意味で、かつ神の栄光を
4
4
傷つける。なぜなら神は、そして神のみが、自由 な
のだから、つまりどんな定めにも服さないからであ
り、・・・すべての被造物は越ゆべからざる深淵によ
って神から隔てられ、
・・・われわれが知りうるのは、
人類の一部が救われ、残余のものは永遠に滅亡の状
態に止まるということだけである。人間の功績ある
いは罪過がこの運命の決定にあずかると考えるのは、
永遠の昔から定まっている神の絶対自由な決意を人
間の干渉によって動かしうると見なすことに他なら
ず、あり得べからざる思想なのである。3)( 強調はヴ
ェーベル )
プロテスタントの神ないし「主」は、人間を
二つに分けた。「選ばれし者」つまり最後の審
判で救われ永遠の天国に昇る者と、捨てられて
永遠に地獄に降だる「呪われし者」とにである。
この神は、アウグスティーヌスの神と同じく、
全知である。すなわち、永遠の過去から永遠の
未来までを、「永遠の現在」において見通して
いる。だから、するべきことに後から気付くな
ど、あり得ない。また全能なので、行ないを先
延ばしたり、頃合いを見計らうなどするはずが
ない。したがって、どの人物が救われるか滅び
るかは、もうすでに決まっているのだ。
− 49 −
臨床心理学研究 50 - 1
掲げられた「一つ」が明白で、反対者も明ら
けている。この律義な番人に守られて、神は欲
かである。< 一つ掲げ > の要素は揃っている。
「選
しいままに誇り、他のすべては、己れを誉める
ばれし者」と「呪われし者」だけでは駒数が少
ためのみにあると考える。気ままな支配者 -
ないから、「存在の大いなる連鎖」と言うには
まるで、甘やかされたヤンチャ坊主の性格で
寂しくも見えよう。だが、人間が道具、手段と
ある。精神分析は「自己愛」「ナルシシズム」
して用いる人間以外の「被造物」は、ふんだん
などとの用語を工夫したが、「自惚れ」でかま
に用意されている。「選ばれし者」が、神の定
わないだろう。これに対峙する人間には、明ら
めた合理的な法則を知れば、それらを駆使でき
かなマゾヒズムが認められる。
るのだ。この行為が、世俗のあらゆる局面で、
「被
しかしながら、完全無欠なはずのこの神は、
造物」の「存在の意味」を照らし出す。これは、
意外な脆さを抱えている。もし人間の善行や悪
人間の勝手ではなく、全知全能の神が、あらか
行により決定が変わるのなら、神は人間から影
じめ計画しておいた「摂理」の実現に過ぎない。
響を受けたことになる。これだけで、神の全能
馬の背に人が乗りやすいのは、偶然ではないの
の否定になってしまうのだ。だから、そう考え
だ。
るだけで、もう冒涜にあたるという。裏返せば、
4
4
4
この神の栄光と誇りは、人間の都合や振る舞い
傷つきやすい能動者の < 受動恐怖 >
をちょっと斟酌するだけで、いや人間がそう願
この神は完全に「自由」なので、その振る舞
うだけで傷つくほどに、不安定な造りとなって
いを何者なりとも制約できない。比べもののな
いる。すなわち < 受動恐怖 > が、極限にまで昂
い高みにいるからだ。したがって、神に課され
進しているのである。この特徴が、プロテスタ
る決まりなど、あり得ない。人間の立場からは、
ントの文化に独特の彩りを仕組むことになる。
いろいろと理由をつけたかろう − 善いこと
アウグスティーヌスの神にも、受け身に過敏
をした人、優しい人が救われるのだ、などと。
なこの特異性格は、やはり認められた。もっと
だがそれは、人間の勝手に過ぎない。神に比べ
も明確だったのが、産み出しをめぐる女神との
れば「虚無」に等しく、まったく無価値な「被
葛藤においてである。他の場面ではそれほど目
造物」の都合で、「創造者の自由」は束縛でき
立たないのだが、彼の論じ方には、すでに受動
ない。人情など、たわ言だ。人間の区分けには
性一般への過敏さが組み込まれていた。プロテ
もともと、全知全能の神がそう決めたという以
スタント思想は、筋立てを跡付けながらこれを
外に、理由は無い。だから、我われの限られた
忠実に取り出し、拡大して行ったものである。
知恵に、理由の知れるはずもないのだ。
アウグスティーヌスにおいては、「虚無から
千年以上を隔て、この神がアウグスティーヌ
の創造」で、完全性の中身が「善」から「存在」
スの思潮を受け継いでいるのは、明らかだろう。
へと移るに伴い、「絶対者」が、時間における
凄まじい強さに、磨きがかかっている。全知全
新たな強みをも身に付けたのであった。この神
能かつ唯一にして絶対 - まさに超越的、す
は、直列化した時間の、すべての時に現前し「先
なわち、かけ離れて高く掲げられた「一つ」の
前の先」を取れた - だが、その必要はどこ
名にふさわしい。加えて、完全なる「自由」の
から来たのだろう。「存在」の優位と創造とが、
性質が際立つ。アウグスティーヌスならまだ、
直列化した時間と練り合わされたので、時間に
神の偉大さにひれ伏すのに忙しかった。だが、
おける優位をも確保せねばならないのである。
プロテスタント神学は、神への、他からの手出
この優位は、「先んじて仕掛ける」こととして、
し口出しを徹底的に拒む論理の周到さも身に付
能動性の確立と独占に繋がった。だがこれとと
− 50 −
女と男と永遠の争い
もに、後手に回ることが、受けを取ることに他
としての創造者=父神は、さらに数歩を進め、
ならなくなった。ところがこの神は、それをど
すべてを備えるのでは足らず、何も受けず、能
うしても避けたいらしい。どこにでも目を配り
動的な働きを出すのみにこだわった。この動め
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
手を伸ばしたのは、己れに先んじて勝手なこと
きが、千年余りを経てプロテスタント倫理に至
が行なわれないか、監視するためもあったろう。
り、極まって花開いたのである。
< 受動恐怖 > が、時間の直列性のなかに、すで
に仕組まれていたのだと知れる。
だから、時間における < 選りすぐりの完全 >
を獲得しても、これゆえの窮屈さが生じていた。
4
4
4
4
< 受動恐怖を伴う能動強迫 > の特異性
アウグスティーヌスにも、カルヴァン派を中
心とするプロテスタントにも、< 完全強迫 > と
はじめに「素材」が与えられただけでも、アウ
ともに < 能動強迫 > が、明白に認められる。ま
グスティーヌスの神には障害となったのであ
た「能動」にこだわるだけでなく、なんとして
る。現われた見知らぬ素材に出会うのさえ、有
も「受動」を避けたい < 受動恐怖 > を伴う。こ
り得ないことであった。なるほど素材は、出会
れらの症状は密接に絡み合いながら < 一つ掲げ
った者に、何らかの影響を与えるに違いない。
> を支え、西欧文明を色づける。だから、うっ
例えば、粘土に出会えば捏ねたくなろうが、そ
かりすると、これらはもともと一体で、同じ事
4
4
4
4
4
4
れで空気を作るのは難しかろう。すべて己れの
4
4
4
4
4
4
思うまま、とはならない。 - とは言え、何
4
4
柄の別名ではないかとさえ思われよう - だ
が、そうではないのである。ことに < 受動恐怖
かをしたくなるのは、時宜を得たことではない
> を、あえて < 能動強迫 > と別に立てたのには、
のか。難しければ困惑しようが、「無いより増
訳がある。
しで有り難い」と考えられないのだろうか。だ
4
4
4
が、これらはすべて、誘いを受けるとか、制限
4
4
4
を受けると解釈された。
能動と受動は、対語であろう。だが両者が、
事柄のうえで、必ずしも対立、矛盾を形成する
とは限らない。「受けてから出す」あるいは「受
どんな意味であれ、受け身となってしまうこ
けながら出す」ことは、不可能でないどころか、
とが、この神には我慢ならない。「恵まれる」
現によく行なわれている。地母神の場合もそう
のさえ、有り難いどころか、とんでもない侮辱
であったが、むしろその方が、ふつうなら能動
4
4
4
4
4
となる。すなわち、受け容れることを、徹底的
4
4
性が強められるのである。 - 樽から葡萄酒
に拒む性格であった。まさしく、過敏症と言う
を流し出す場合を考えてみよう。流入がなけれ
他はない。プロスタントの神の完全な「自由」も、
ば、流出が早晩止まるのは目に見えている。何
まさにこうした意味であった。
らかの方法で酒を樽に入れれば、つまり樽が酒
4
4
4
4
4
4
4
4
「虚無からの創造」が、すでに受け への過敏
を受け容れればどうだろう。能動的な流出は維
さを含み、< 受動恐怖 > と < 能動強迫 > を導い
持でき、「汲めども尽きぬ豊かさ」さえ、演出
たのであった。「永遠の現在」が、もう予定説
できるではないか - 受動を用いれば、能動
を先取りしていた。カルヴァンという一人の近
は弱まるどころか、豊満・充足の裏付けさえ加
代人の勝手に組み立てた教説が、歴史に影響を
わるのである。メスメルは、宇宙から動物磁気
与えたのではない。分厚い底流が、たまたまそ
を受けつつ、患者に流した。整体や気功など手
こに噴出口を見出したと考えるべきである。か
技治療の達人も、必ず「気」を他から受けなが
つてプローティーノスらの「善のイデア」は、
「ケ
ら施術する。そうでないと、自分の気が枯れて
チだと思われたくない」ほどに傷つきやすかっ
しまい、治療者側の健康が危うくなるのである
た。だが、アウグスティーヌスの、孤立した男
4)
− 51 −
。
臨床心理学研究 50 - 1
能動性の追求と受動性の拒否とが、もともと
4
4
別の事柄をなすことは明らかだろう。受けある
4
4
二つの強迫の矛盾と共謀
ところで、次の疑問が浮かぶかもしれない。
いは受動性とは、一般に、出しないし能動性と、
- 能動性・活性のような望ましい性質が、
両立不可能どころか、相互扶助する場合すら多
完全性の追求において無視されるはずがなかろ
い。さらに、受け容れ、取り入れるのも、やは
う。< 完全強迫 > さえ成立すれば、能動性・活
4
4
り活動ではないだろうか。肉食獣が獲物を勇ま
性が求められて当たり前ではないか。つまり、
しく襲い、喰らうのは、つまり取り入れ、受け
産み出しの獲得と変質からの < 能動強迫 > の発
容れることである。受動は、「活性」を大事に
生は、< 完全強迫 > の延長として説明できない
することとも矛盾しない。ゆえに、能動性への
のか。それなら、強迫症は一つでよかろう。<
執着から受動性を怖れるのは極めて特異な性格
完全強迫 > の細目に「能動への固執」を追加す
なのだと、改めて銘記しておく必要がある。
れば済むはずだ。
したがって、能動性・活性にこだわるだけな
しかし、筋道をたどれば、そうとは思われな
ら、必ずしも < 受動恐怖 > が発生するとは限ら
い。特異な男=父神の備えるこの < 能動強迫 >
ない。アウグスティーヌスに始まりプロテスタ
には、なるほど、不完全恐怖により強められる
ントに極まる < 能動強迫 > は、受動性への過敏
側面がある。「能動的になり切れないのではな
な拒否を長く貫いた点においてこそ、独特なの
いか」との怖れは、能動性・活性を求め続ける
である。これまで用いてきた < 能動強迫 > との
限り、完全性を失う怖れとも重なるのは確かで
表現では、これが伝わないし、受動にはこだわ
ある。それでも、両者は別ものと考えるのが正
らないとの誤解にもつながる。そこで、この神
しい。なぜなら、男=父神の < 能動強迫 > は、
経症の < 受動恐怖 > との融合を明示するため、
< 完全強迫 > とは矛盾する兆候を備えるからで
改めて < 受動恐怖を伴う能動強迫 > と表現して
ある。その特徴は、やはり < 受動恐怖 > から生
おく。ただし長すぎるので、以後は < 能動強迫
じてくる。
> を、誤解の恐れのない場合には、< 受動恐怖
能動性・活性を古代ギリシア的な意味での
を伴う能動強迫 > の縮約形として用いることと
「善」と見てこだわるだけなら、< 受動恐怖 >
したい 。
に出番はない。ひたすら能動的であり続けたい
5)
4
4
4
4
「虚無からの創造」は、出すだけ にこだわる
「ただの能動強迫」にしかならないであろう。
新しい型の産み出しと、裏表をなしていた。そ
この動きならなるほど、完全性追求の延長と理
れは < 受動恐怖 > にも直結している。「虚無か
解できるかもしれない。能動性・活性をどんど
らの創造」以前なら、これらの考え方は成り立
ん増やせば、「善い」ものが増える。能動性・
ちようがなかったのである。だから、この思想
活性そのものを取り入れて増やすのも、また方
が画期的なのは、自身が新しいだけでなく、付
策であろう。「善い」ものを増やすのに専念で
随する新しい発想の大盤振る舞いの故でもあ
きれば、< 丸抱え > はもちろん、おそらく < 選
る。< 完全強迫 > もまた、これに支えられてい
りすぐり > でも、完全性には近づく。つまり「た
る。なるほど、「完全性」への希求なら、古代
だの能動強迫」なら、少なくとも完全性を妨げ
ギリシアにも認められた。だが、滅びの怖れに
ることがないので、< 完全強迫 > とは共存、協
急かされる強迫症の完成は、やはり「虚無から
力できるはずである。
4
4
4
4
4
けれどもアウグスティーヌスらの神は、そう
の創造」を待ってなのであった。西欧思想史を
特徴づける二つの強迫症は、「虚無からの創造」
ではなかった。受け身に過敏な窮屈さが、自惚
の成果とさえ言えるのである。
れに等しい「自由」を求めさせた反面、「して
− 52 −
女と男と永遠の争い
はいけないこと」もまた、増殖したからである。
の完全 > への道が険しすぎる。
例えば、人間の都合を斟酌するだけでも、この
すなわち < 受動恐怖 > には、完全性からの <
神は「不自由」をこうむり、栄光が傷つく。完
欠け > の機会を増やす効果が認められるのであ
全なる「絶対自由」のはずが、まさにこの「自由」
る。こうした過敏さに、完全性を利するところ
により、
「タブー」が課されてしまったのである。
は、何もない。アウグスティーヌスとプロテス
< 能動強迫 > が < 受動恐怖 > を伴う限り、
「自由」
タントの神の < 能動強迫 >、正確には < 受動恐
からこそ、
「不自由」が結果する。これもまた、
「絶
怖を伴う能動強迫 > は、したがって、< 完全強
対」を掲げた相対性の矛盾である。そうなると、
迫 > とは、やはり異なる。この神には、独自の「原
完全性から遠のく動きが、どうしても起こらざ
発性」を備える症候を、少なくとも二つは数え
るを得ない。
る必要がある。
< 受動恐怖 > と完全性との関係を考えてみよ
受けたり感じたりの「善」を排除したので、
う。< 丸抱えの完全 > なら、あらゆるものを備
この神の「絶対性」は、新たな彩りを纏った。「絶
えるのが「完全」である。したがって、素直さ
対者」が、
「存在」に加えて、能動性・活性の「梯
とか感じやすさなどを含めた「受ける力」もま
子」の頂点からも、人間、獣、山川草木に君臨
4
4
4
4
た、備えて当たり前ではないか。受けが存在し
するのである。しかしこれは、「いつか来た道」
ても < 欠け > でしかないとの構えは、< 受動恐
でもある。「虚無」へと転落するあの怖れと同
怖 > の彩る「絶対自由」のもたらした、ひねく
じものが、受けにまわる怖れとしても、ふたた
れである。得る、出会う、受け止める、恵まれ
び現われたからである。この「絶対者」は、受
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
るなどの、有り難い ことすら、「自由」の妨げ
動を避ける分だけの弱みを新たに、やはり相対
であった。これでは、得るものが減ってしまう。
的に抱え込んだ。兵站の伸び切った前線が、こ
豊満・充足を素直に追求するなら、受け容れて
こからも拡大する。つまり < 受動恐怖 > の組み
集めるに越したことはない。この意味で < 受動
入れは、掲げられた「一つ」にとって、優位と
恐怖 > は、< 丸抱えの完全 > の追求を、明らか
支配との機会を犠牲に供する甲斐もなく、完全
に妨げるのである。
性や「絶対性」の不安定を増幅するのである。
4
4
< 選りすぐりの完全 > から考えても、やはり
けれどもこの不安定を、解消すべしとは言え
困難が待っている。< 受動恐怖 > を正当化する
ない。「絶対者」の絶対者振り が発揮されるの
4
4
4
4
には、受け身が優れたものでない理由を改めて
は、この不安定な相対的高みによってこそだか
探さねばならないからである。これは、難しい
らである。< 能動強迫 > と < 完全強迫 > とは、
「虚
仕事となる。 - 受け身のできない柔道家は、
無からの創造」において通底しつつ、前者が後
命が危ない。大相撲でも、かつての大横綱なら、
者を圧迫する。しかし、矛盾した要求から来る
受ける相撲においてこそ風格を発揮したもので
この軋轢は、< 完全強迫 > を弱めはしない。圧
あった。人の話をよく聞き、相手の立場を受け
迫により強まる不完全恐怖とは、< 完全強迫 >
容れることが、大切ではないのか。優れた巫、
の強化に他ならないからである。またしてもこ
預言者などは、神の思いをよく受ける人である。
こに、ありえない反対者・反逆者がじつは共謀
4
4
すなわち、受けることの一部は、明らかに「善」
するという、あの仕組みが働いている。「絶対」
なので、< 受動恐怖 > に脅されていては、大切
を建て前とする相対性のこの力こそが、「一つ」
なものを逃してしまう。少なくとも人間界では、
をいよいよ掲げ、さらにいや高く「超越」へと
4
4
受け・受動性が、たしかに求められている。「受
向かわせるのである。< 一つ掲げ > とはこのよ
け容れたならもう傷もの」では、< 選りすぐり
うに、危機に迫られてこそ、輝きを放つ仕組み
− 53 −
臨床心理学研究 50 - 1
でもある。
徴とは、努力で変えることが難しい特徴でもあ
る。事実として一次元の優劣があり、この秩序
「男性的抗議」と < 受動恐怖 >
からは絶対に逃れられないとの、歪んだ世界観
< 受動恐怖 > すなわち「受けない」ことへの
こだわりは、「原発的」とおそらく言えるほど、
が導かれやすい。神経症が発症するのはここか
らだと、彼は説くのである。
唐突に発生している。しかし、これによってタ
なかでも男の「第二次性徴」は、「男らしさ」
ブーは増え、完全性を護ることがたいへんに難
としての社会的評価に繋がるため、劣等感を刺
しくなってしまった。あまりよいことがなさそ
激しやすいという。西欧社会には、男の優位が
うなのに、どうしてこれほど強固なのか。伺わ
深く刻み込まれている。だから、「男らしくな
れる込み入った事情に、以下で、ほんの少しだ
い」はもちろん「たおやか」でさえ、言い訳し
けでも立ち入ってみよう。
ようのない劣位なのだ。そこで、「男性的抗議
ユングとともにフロイトの高弟で、のちに
7)
(männlicher Protest)」 により、埋め合わせ
袂を分かったアードレル (Adler, Alfred 1870-
を図るというのである。この「抗議」の中身こ
1937) は、「 劣 等 複 合 (Minderwertigkeits-
そ、受動性を拒否し、能動性を強調し、攻撃的
4
4
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4
komplex)」の考えで名高い。彼はこの理論に先
になることなのだ。少しでも受けが我が身に感
立ち、神経症を形成する要因として「神経質性
じられれば猛然と怒り、反発する。女の場合で
格 (der nervöse Charakter)」を論じていた 。
も、この仕組みは同じく当てはまる。なぜなら、
それによれば、神経質な人は「高低」
「勝敗」
「男
女はもう、あらかじめ劣位に置かれているから、
6)
4
4
女」などの対をなす枠組みを、優劣の秩序と固
埋め合わせるには、やはり男性を発揮するより
く結びつけがちだという。そこから、自分がわ
他に術がない、というのである。
ずかでも劣位に置かれたと思うと、過敏に反応
すなわちアードレルよれば、劣等感と神経症
する人が出てくる - それが神経症者なの
の起源は、
「男らしさ」をめぐる社会的な評価と、
だ。アードレルによれば、これは強い劣等感と、
これへの対処にある。ここに見られる能動と受
それへの対抗のために形成された、優越的な自
動の係わりは、< 受動恐怖を伴う能動強迫 > そ
我意識に支えられている。劣等感を克服する努
のものである。
力なのだが、認識の歪みが含まれるため、過敏
この優劣の起源を、アードレルはまさに、古
な反応は環境に即応せず、失敗行動となる。こ
代の地母神と母権の支配への、男からの反逆に
れを「症状」と、我われは呼ぶ。神経症とは、
見る。 - 女に抑えつけられていた男が、叛
不適当な方法での劣等感の埋め合わせに他なら
旗を翻した。この乱は事成り、やがて男を優位
ないのだ。
に、女を劣位へと逆転したのだ。彼はこれを、
< 一つ掲げ > の両極に備わった緊張感は、彼
政治史的な事実と推定している。具体的には古
の理論にかなりの整合性がある。この仕組みへ
代ギリシア文明の成立に重なり、以後はこれが、
の手がかりを、アードレルの理論なら、ある程
西欧文明の基本的な潮流になったという。女の
度は与えそうに思わせる。さて、彼が劣等感の
産み出す力には、頭が上がらない。だが、男の
根方に見出したのは、体の器官の外見的な特徴
方が偉いと思いたい。とは言え、産み出す力は
であった。つまり、生物学的な器官に着目しつ
羨ましい。だから、奪って取り込もう。そして
つも、その肉体的、生理的な作用はほとんど問
来歴を消し、初めから持っていたことにする わず、器官の社会的な機能から、神経症を説明
- ここまでなら、おとなしいコソ泥のような
したのである。生得的な素質で決まりやすい特
ものである。けれども、盗みが暴かれたとき、
− 54 −
女と男と永遠の争い
女から奪い、取り入れたことをどうしても誇れ
ら抜けられていないとも言える。
ない事情があるなら、居直りの「男性的抗議」
が出るに違いない。
しかし、「男性的抗議」の考えは、アウグス
ティーヌスの場合なら、たしかによく当てはま
る。もしかすると、ユダヤ人アードレルの分析
さが
西欧文明の性と「男性的抗議」
のほんとうの対象はこの神だったのではない
世界的に見る限り、他からの簒奪や受け継ぎ
か、とさえ疑われるくらいである。この筋書き
を隠す理由が必ずしもないことは、すでに述べ
を、政治史的な事実はともかく、先に述べた「虚
た。だが、なぜか西欧文明に限れば、それなり
無」の導入に絡む心理的な負い目と受け取るな
に見出せる。古代ギリシア以来の、「永遠に不
ら、西欧思想史に関するかぎり、かなりの説得
変の自己同一による自足」という理想が、その
力がある。
ひとつである。 - もし、女から何かを取り
4
4
4
4
フロイトも、アードレルの説を採り入れ、男
込んだのなら、自己以外に依存し、しかも変化
の「男性的抗議」と女の「陰茎羨望」を神経症
があったことになる。これで「主」なる「絶対
の基盤と考えた。
「分析治療を施しているうち
者」は、「自足」と「不変」の理想から外れる。
に、陰茎への願望と男性的抗議にまで達すれば、
加えて、もし「絶対者」がこの変化から出来た
すべての心理的なものの地層を貫いて、いわば
のなら、「自己同一」の理想も、「自己矛盾」に
人工の加わらない自然のままの岩石に突き当た
より崩壊する。やや意外にも、ここでは古いヘ
ったのであり、仕事はこれで終ったとの印象を、
レニズムが、< 一つ掲げ > の強化に効いている
しばしば抱くものである。これはおそらく本当
のである。
9)
であろう。
」 - 西欧近代精神のただ中でな
「自足」と「不変」や「自己同一」が成り立
ら、実感に違いない。この神経症理解は、上と
たないとは、恐ろしい考えなのだろうか。こん
先を争うことが当たり前の世界でなら、その陰
なことは、生々流転し、因縁に結ばれている我
画として、たしかに妥当するのである。しかし、
われの < うぶすな > から見れば、当たり前で、
この有り様を導いた心理的要因は、彼が『トー
気にするにも及ばない。お互い様とお蔭様で、
テムとタブー』(1913) で推定した「父殺し」で
日々を暮らしてゆけるからである。しかし、理
はなく、むしろ母なる女神殺しとその隠蔽であ
想の掲げ方次第では、この成り行きが重大とも
ろう。
「父殺し」説そのものも、むしろ反転によ
なるらしい。来歴を消したくなったのも、必要
り女神殺しを隠蔽する工作なのかもしれない。
アードレルは「男性的抗議」と言うのだが、
に迫られてなのであろう。
男の簒奪論はアードレルの独創でなく、バッ
私としては、より状態像に即した < 受動恐怖 >
ハオーフェンを含む多くの著者たちに言い立て
の名がふさわしいと、相変わらず考える - られてきた説でもあった。これ以後でも、例え
ほんとうの男っぷりのよさとは、おそらくこん
ばアイスレルは、西暦紀元前二千年ごろから地
なものではなかろう。男なら必ず受け身を拒む
中海地方に侵入した印欧語族の人びとが家父長
とは、とうてい言えないからである。インド神
制をもたらし、それまでの地母神中心の信仰を
話で、怒り狂った女神カーリーの足許に、男の
否定し、古い女神たちを怪物や悪役の人物に作
シヴァ神が横たわり、彼女を宥めた話は有名で
り替えていったと論じている 。女の強権的支
ある。このときカーリーのヨニ ( ホト ) が、シ
配が歴史的な実態に即すかは、疑わしいとされ
ヴァのリンガ ( ヘノコ ) を取り込み、世界が産
る。この枠組みそのものが、家父長制を裏返し
み出されたとも言われる。男が受け身になって
て母権に適用したものであり、父権的な発想か
こそ、重要な仕事が為されたのである。わが国
8)
− 55 −
臨床心理学研究 50 - 1
を含む他の地域にも類話が見られ、孤立した逸
球上に広く見られる。ただし、先にも触れた記
話ではない
紀神話のオホゲツヒメやインドネシアのハイヌ
。
10)
アードレルの分析では、
「男が能動・女は受動」
ウェレをはじめ、多くの地域で、女神殺しは隠
4
4
に固まった構えが、もう前提となっている。こ
されていないのである。アウグスティーヌスに
の意味から、西欧の慣らわしにぴったり沿った
おける徹底的な隠蔽との対照が、興味をそそる。
理論であり、適用範囲は限られざるを得ない。
アウグスティーヌスの場合には、差し迫った
ただし、むしろそれ故に、西欧での心理現象の
隠蔽の事情が見えていた。彼が女神の性質を「虚
分析には、威力を発揮する。要するに、そのた
無」へと落とし込んでから、女振りに通ずるも
めの理論だからである。だから、西欧でのこの
のはすべて「存在」から外され、滅びの淵に立
めざましい成果を、理論の「普遍性」の示唆と
たされた。この神が、もし自からに女性を認め
読み違えてはならない。西欧での当てはまりが
たら、「虚無」を内に巣喰わせたとの告白、「絶
横滑りできるのは、「普遍的な人間性が通文化
対的な滅び」に向かう宣言となってしまう。素
的に成り立つ」場合に限られる。これこそ、西
材は無いのだ、相手は「虚無」なのだと言い募
欧思想である。
り、連鎖のはるか彼方に、梯子の最下段に遠ざ
そうした「人間の本質」は、もしかすると、
けて「絶対的」優位を誇るのは、むしろ怖れゆ
あるのかもしれない。だがそれは、西欧での分
えであろう。だが、何ゆえに女神が「虚無」に
析のみから、たやすく得られるものではなかろ
なったかと言えば、すでにこれが隠蔽の手段だ
う。これまでしばしば、その類いの誤りが繰り
ったのだから、この < しがらみ > に、たやすく
返されてきた。我われは差し当たり、自からの
糸口は見つからない。
< うぶすな > を暖めつつ、語り続けるのがよい。
そして、いくら「虚無」を遠ざけても、もは
そこでは「男性的抗議」も < 受動恐怖 > も、影
や相対的な遠さなので、かえってありありと、
が薄いのである。
気になって仕方がない。女とは、もともと大き
4
4
4
4
4
な力を持ち、世界の半分ほどをなす - これ
二つの強迫の循環
に重ねられれば、「虚無」のさらなる巨大化は
男が受けに回ることは珍しくないし、恥ずか
避けられない。完全性を維持するには、「虚無」
しいことでもない - 「受け止める力」は、
の侵入に備え、少なくともこの世の半分に、常
頼りになる。しかし、キリスト教の主流にとっ
に目を光らさねばならなくなった。
ては、受けるとなれば女振りでしかなかった。
こんどはそこに、特異かつ頑固な結合に引か
4
4
しかもこれが、「虚無」に通ずるのである。こ
れて、受動性が封じ込められたのである。受け
の特異な結合はまことに不思議で、その頑固さ
が「虚無」なら、なるほど出会いや受け容れを「付
は、さらに奇妙である。この < しがらみ > が、
「虚
け加えて」てさえ、完全性は害なわれる。膨張
無からの創造」と重なり合うのは間違いない。
した「虚無」への怖れが、受けるというあまり
4
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4
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4
4
この仕掛けが < 受動恐怖 > を強化し、それによ
にありふれた構えで、さらにありありと彩られ、
り < 完全強迫 > に拍車をかけるのであった。加
転落の怖れを増幅した。これが不完全恐怖つま
えて、< 完全強迫 > の強化には、再び < 能動強
り < 完全強迫 > の、< 受動恐怖 > から強化され
迫 > を強化する循環機能が備わっている。ここ
る仕組みであった。
すると、再燃した < 完全強迫 > が、再び < 能
から、忙しさに追い立てられる今の世の我われ
動強迫 > を強化するのである。「虚無」を重ね
の有り様への、道筋がつくのである。
大地の女神、地母神殺しの神話・昔話は、地
ても「存在」は増えず、呑み込まれて完全性を
− 56 −
女と男と永遠の争い
損なう。それなら、「存在」そのものを固めて
対抗する他に、道はなかろう。「虚無」は、い
まや女振りで勝っている。だからこれを避ける
には、父=男神であり続けるのが有効に違いな
い。ところが、すでに男振りは < 受動恐怖 > で
4
4
偏り、ひたすら出し続ける他ないものとなって
いる。男らしくあるには、受動性抜きの能動性
をさらに強化するしか道がない - かと思わ
れよう。完全性を保って「存在」の滅亡を逃れ
る企てが、こうして再び、< 受動恐怖を伴う能
えられるもので、地上において人々は、自分の恩恵
の地位を確認するために、「己れを遣わし給いしもの
の業を昼のうちになさねば」ならないからである。
明白に啓示された神の意志によれば、その栄光を増
4
4
< 能動強迫 > とともに成立した < 受動恐怖 >
4
4
4
のみである。したがって時間の浪費 がなかでも第一
の、原理的にもっとも重い罪なのである。人生の時
間は、自分の召命を「確実にする」ためには、限り
なく短くかつ貴重である。時間の損失は、交際や「無
益な饒舌」や奢侈によるばかりでなく、健康に必要
な - 六時間かせいぜい八時間 - 以上の睡眠
らない。11)( 強調は原文 )
が、「虚無」に脅される < 完全強迫 > の強化を
経由して、再び自からを促す循環が産まれてい
る。この切迫感に触れると、完全性や絶対性な
ど、ほんとうはさして重要でないのか、とさえ
疑われてくる。簒奪を誇れないので、代わりの
表看板が必要だったのかもしれない。あるいは
もう、そんなきれい事は、簒奪を隠蔽する手だ
てに過ぎないのかもしれない - 覚られない
ためには、他に気を逸らすのが有効なのだから。
神に選ばれた者なら、この俗世のただ中でさ
え、惨めな暮らしをするはずがない。だから、
選ばれた者が富を得るのは、当たり前だ。ただ
し富は、神の栄光を現わすためにある。
「被造物」
を人間の企ての手段に用い、富を得れば、「多
様性」のなかに、秩序ある神の栄光を描き出す
ことができからだ。したがって、得た富を、肉
体の欲を叶えるために用いてはならない。なぜ
ならそれは、心地よい感覚を「受ける」ことに
他ならないからだ。そんなことをしたくなる者
受け身を避けて時間に追われる
さて、この仕組みで形成された勢いは、原発
性の < 能動強迫 > を再び強化するのだが、それ
に留まらず、この強迫性に独特の性格を帯びさ
せている。すなわち、< 欠け > のない完全を期
して、常に動き続け、追い立てられるように出
し続けなければいられない点である。そうでな
いと、< 受動恐怖 > が忍び寄ってくる。
なら、富は得られても、選ばれていないのかも
しれない。
時間のある限り、働き続けよ。休むとは、能
動を止めること - すぐに「受動的な快楽」
に結びつく。「存在」と練り合わされて重く、
かつ直列化した時間のなかで、最も稠密なのが
「現在」であった。二度と戻ることのないその
4
次はヴェーベルが、イギリスの清教徒バクス
ターに依りつつ描き出す、プロテスタント倫理
の構えである。
4
瞬間に、全力を出してこそ、選ばれた者らしい
振る舞いとなる。常に動き、能動的に「行為」
し続けることでのみ、神の栄光は現われる。そ
れが「虚無からの創造」を成し遂げた神への、
道徳的に真に排斥すべきものは、とりわけ所有のう
4
4
によるものでも、道徳上、絶対に排斥しなければな
動強迫 > を後押しするのである。
4
4
すために役立つものは、怠惰や享楽ではなく、行為
4
4
えに休息 することであり、富の享楽 によって怠惰や
肉の欲、なかんずく「聖い」生活への努力から外れ
る結果をもたらすことである。財産が危いものなの
人間の立場からできる限りの接近、つまり「神
に倣う」ことだからだ。それができない者は、
選ばれていないに違いない。
プロテスタントの神の「絶対自由」は、毛ほ
は、こうした休息の危険を伴うからであるにすぎな
ども受ければ崩壊の危機という、傷つきやすさ
い。けだし、「聖徒の永遠の憩い」は来世において与
であった。相対性を拒否しつつ、かつ、これと
− 57 −
臨床心理学研究 50 - 1
の追いかけっこを止められない。超越している
4
4
のように、産み出したい欲が起こった。「最善」
はずなのに、俗世間からの冒涜を受けることに
を保って完全たるべく、産み出しを身に付けた
は、過敏に反応する。このような「絶対者」の
ので、己れ以外のものが産み出された。自足は
気分には、超越したはずの時間の後先もまた、
そこから、いよいよ乱れはじめた。この理想
絡みついて当たり前である。だから、同じこと
が、自から産み出したものと比較されたからで
が人間にもあてはまる。時間に追われて浮き足
ある。比較とは、他との係わりに他ならず、自
立つ思いこそが、選ばれた者には似つかわしい。
足とは相容れない仕組みだったのである。
4
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休み、眠ることは、無為にして刺激と、時間の
とは言え、乱れたままでそれなりに暮らして
経過とを「受け」取ることに他ならない - いれば、< 一つ掲げ > の発生はなかったのであ
だから < 受動恐怖 > を呼び起こし、「罪悪感」
る。だが、「乱れた自足」はもはや自足ではな
4
4
い、との思い込みが付き纏った。そこから、強
が芽生えるのである。
こうした構えの源が、アウグスティーヌスに
迫が始まったのである。乱れがあってはいたた
遡れることは、もはや言うを俟たぬであろう。
まれない - これがおそらく、完全性への希
もちろんこれも、一人の天才の「創造」ではな
求であろう。乱れを排するには、どうすればよ
く、彼の取り集めた伏流水の噴出には違いない。
いか - 他との係わりを絶った「絶対者」こ
古代ギリシア・ローマから、キリスト教世界へ
そ、すなわち「乱れのあり得ない自足」ではな
の本格的な転換である
。プロテスタント倫
12)
いのか。
理の時間は、彼の築いた直列化を継承するのみ
「絶対者」となるには、比べられるものを排
ならず、物理学の進展にも合わせて精緻に計量
すればよい。比較対象は無い のだと、「虚無」
化され、強迫性に花を添える。< 受動恐怖を伴
を対極に置き、
「絶対性」を明白にしたのが、
「虚
う能動強迫 > が、< 完全強迫 > を触媒に自己増
無からの創造」であった。ところが「虚無」こ
殖を遂げつつ、時間からは貨幣をさえ、産み出
そ、この「絶対者」の実質的な相対化における、
4
4
4
4
4
4
4
そうとしている。彼らが受けてよいのは、神か
最大の立て役者となる。「絶対者」の性格が「善」
らの救いだけである。
から「存在」へと変化したのも、「虚無」にあ
4
「存在の梯子」を登ろうとするほどに「虚無」
への転落に脅え、「能動的」に突き進もうとす
4
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4
4
4
りありと 照らし出されてのことであった。「対
を絶つ」ために現われたはず「虚無」は、
「存在」
るほどに、受けを怖れて時間の直列性に追われ
との対なのであった。ヘーゲルも言うとおり、
る < 一つ掲げ > は、このようにして紡ぎ出され、
「虚無」に対比されてはじめて意味を持つ「存在」
今に至っている。
は、相対性を基盤とする「絶対者」なのである。
< 一つ掲げ > の成り立ちには、この珍しい特
振り返りと見晴らし
性が、不可欠の要因をなしていた。ところで、
おしまいに、三篇を通じた振り返りと、そこ
この「存在」を掲げる「虚無」は、「創造」の
からの見晴らしを置いておく。< 一つ掲げ > の
ための素材に重なっていた。素材 ( マーテリア
遠い淵源、古代ギリシアの理想とは、不生不滅
) とは、
「母 ( マーテル ) なるもの」である。
「存在」
で、永遠に不変で不可侵の、自己同一に自足す
には、ここで素直に母に抱かれ、甘える道もあ
ることであった。不思議な考えではある。だが、
ったに違いない。マリア信仰などに、その兆し
このままでは、「一つ」も「掲げ」も現われて
が見える。だが、どういうわけかキリスト教の
来ない。自足の境地の揺らぎはじめは、完全性
主流は、「女を捨てる」道を選んだのであった。
へのこだわりからであった。これと呼びあうか
「絶対者」への動きはもともと、産み出しの
− 58 −
女と男と永遠の争い
欲に駆られていた。産み出すといえば女、母、
こそ得られる。
あるいは女神である。いまやこれが「虚無」な
とは言え「悪」とは、
「虚無」に極まる「存在」
ので、もし「創造」に女の力を借りていたなら、
の < 欠け > のことなのだ。すでに無いものを、
己れの内に「虚無」を抱え込む。これは何とし
どうやって、それ以上に滅ぼせるだろう - てでも、否認せねばならない。完全性を「虚無」
それは無理というものである。滅びるのは、そ
から護るためには、女を避けることが、至上命
ういう「悪」を抱えた何ものかなので、そこに
令となった。女神殺しさえ、もはや勲しでなく、
は必ずいくばくかの「善」も含まれている。「善」
己れの内の「虚無」に繋がる。
を滅ぼすのか - そう、滅びた方がよい「善」
4
さらに、女性と受動性を頑固に結びつけたの
4
4
4
き纏いはじめた。なるほど、女も産み出す。だ
4
が、その前には必ず種を受けている。それなら、
4
4
男らしいとは出しに徹することではないか。 - おそらくそうではないのだが、思い込みな
いし妄想は、事実や論理では説得できない。加
4
があるのだ。
4
で、この「絶対者」に、受けに過敏な体質が付
4
あの悪なるものは、実在ではなかったのです。・・・
滅びるものもやはり善いもので・・・もしそれが善
いものでなかったとすれば、滅びることもできなか
ったでしょう。・・・あなたはすべてのものを平等に
造られなかった。14)
揺らぐことのない真の平和、
「永遠の、最も秩
4
えて、出しさえもが直列化した時間と練り合わ
4
4
4
4
4
4
4
4
4
されたため、遅れすなわち受けとなり、完全な
能動の実現はいよいよ困難となった。
「全知全能」なる神が、鴻毛ほどに軽い受け
身で傷つく儚い < 仕掛け三昧 > を誇る。「全身、
これ逆鱗」の我が侭な自惚れこそ、「絶対者」
の証しである。針の穴からでも「存在」へと忍
び入る「虚無」を埋めるため、「男性的抗議」
を掲げて、能動的に戦い続ける他はない。
序ある平和」とは、
「永続的に、劣ったものがす
ぐれたものに従う」ことなのだ。だから、相手
方にいくばくかの「善」があろうと、戦いをた
めらう必要はない。
「存在の梯子」において、
下々
の者を踏みつけるこの戦闘を、
「神の愛の火」が
焚き付ける。歴史的には、アレクサンドリアの
破壊、十字軍、異端審問、魔女裁判、宗教戦争
などが、この路線の実現であった。そして < 欠
け > を抱えた「善」とは、まさしく < 欠けの眺
人間の本性は、不幸にも自分自身と戦っている。こ
め > から見た、
「障害者」の姿ではないか。
れは悲惨な悪ではあるが、この生の以前の状態より
しかし、戦って滅ぼせば、滅びそのものであ
はよい。なぜなら、何らの抗争もなしに悪徳に支配
る「虚無」が拡大する。これに曝されて、
「相対
されるよりは、悪徳と戦うほうがよりよいからであ
る。わたしなりの言い方をすれば、永遠の平和の望
みのある戦いは、まったく解放の考えられない捕わ
れの身よりもよいからである。たしかにわたしたち
は、この戦いを免れることを望み、最も秩序ある平
和 - そこでは、まったく揺らぐことなく永続的
に、劣ったものがすぐれたものに従う - を得る
べく、神の愛の火によって燃やされるのである。13)
的な絶対者」の傷つきと怒りも、ますます拡大
する他はない。怒りは、人を戦いにまた駆り立
てる。この拡大再生産が、プロテスタント倫理
において、極限に磨き上げられたのである 15)。
< 一つ掲げ > は対立によって成り立つのだが、
これに留まってはいない。完全からの < 欠け >
4
4
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4
4
4
4
4
に対して、上から立ち向かう構えが特徴をなし
ている。「上」に立ち、「進んだ」者と自任し、
相手が「悪」ならば、戦いを仕掛けねばなら
「劣った」「遅れた」ものを利用し、さらには攻
ない、とアウグスティーヌスは言う。「悪」が
めかかり滅ぼす。能動性・活性の面目である。
相手なら、戦いは平和に勝る。むしろ戦いは、
また、< 欠け > があるからと、「改善」を求め
平和のためにある - 平和は、勝利によって
る動にもなる。これはすなわち、「虚無」に立
− 59 −
臨床心理学研究 50 - 1
ち向かうため、掲げられた「存在」を能動的に
サイルの構想を先取りしていた点は、評価できる
植え付ける仕業に他ならない。これらの形成に、
のだが。
< 受動恐怖を伴う能動強迫 > の果たす役割は大
きい。
「全知全能」ならば、傷ついて自ら身を引く「能
3)ヴェーベル (Weber, Max)1904-5 pp.92-3 訳書
下 pp.22-3
4)メスメルが、動物磁気を自からの体に宇宙から
流入させつつ患者に送ったのは、その好例である。
力」も、備えてよさそうなものである。だが、
なぜかこの神に限って、そうではない。傷には
罰で報いるしか、術が無いらしいのである。こ
快食あっての快便は、言うまでもないであろう。
5)< 受動恐怖 > を伴わない「ただの能動強迫」も、
理論的にあり得るのは言うを俟たない。しかし、
のとき怒りを向ける相手、すなわち対極の低い
ここで扱う西欧思想史の範囲では、この状態に重
反対者は、その必要性をいよいよ高める。戦い、
要性が認められない。これはいかにも偏ったこと
罰を与えるとは、相手あってこそ成り立つ行な
だが、それが西欧文化の特性なのである。したが
って、西欧思想史を考えるかぎり、< 能動強迫 >
いである。そうでなければ、自罰崩壊を起こす
4
4
はすべて < 受動恐怖を伴う能動強迫 > と見做して、
4
恐れが出る。ここで怒りを引き受けるのは、ア
事実上の差し支えはない。そしてこのことが、た
ウグスティーヌス以来、「虚無」に重ねられた
だ一度の受肉と受難という、キリスト教のもう一
女神の女振りと、その淵に立つ大地、物質、肉
体、感覚などであった。だから、そちらの側に
つく人びとは、滅びる定めなのだ。
つの根本教義を支えるのである。
不完全恐怖と < 完全強迫 > との関係は、これと
は異なる。不完全恐怖は、完全でないことを恐れ
プロテスタントの予定説ではこれに、何ゆえ
るのだから、< 完全強迫 > と分離することはできず、
にか、人の知り得ぬ理由によって見捨てられ、
4
地獄に降だり、「悪魔」とともに永遠の罰を受
4
4
ける定めの人びとが加わる。理由も知らされぬ
むしろこの言い換えと考えてよいのである。
6)アードレル / Adler, Alfred 1912
7)この考えは、アードレルの 1910 年の論文「生
活と神経症における心理的両性具有について」が
まま、憎まれ、嫌われ、虐げられ、滅びる役割
初出となる。「男性的抗議」とは、熟さない言葉で
を担うのも、神の計らいなのだ。いや高き神を
ある。むしろ「男の意地」「男気」「男の一分」な
責めることはできないし、不仕合わせな人びと
どの表現の方が、日本語としてしっくりするし、
を憎み、嫌い、虐げ、滅ぼす側の人間も、怨ま
分かりやすい感じがする。しかし、これらの通じ
れる謂われはない。
やすい日本語は、あくまでも日本の < うぶすな >
< 一つ掲げ > の両極はこのように、次々と幾
で培われたものであり、この西欧的な緊張感を表
重もの装いを纏い続けて、「絶対的な対立」と
現するには向いていない。通じやすい訳を無理に
これに由来する戦いを壮麗に、いつまでも繰り
用いれば、かえって両文化への誤解を招くと考え
広げるのである。
る。そこで、かなり定着していることもあり、こ
こではあえてこの不器用な言葉を採用しておく。
8)アイスレル/ Eisler, R. 1987
9)フロイト / Freud,1937 訳書 p.297
註
1)アウグスティーヌス / Augustinus, 397-8『告白』
10)沖縄の多良間島には「ウプマラ・アズ ( 大きな
第11巻7章 訳書 p.408
2)精神分析の立場からは、敵方の女神を己れのう
ちに見出せば、自からのしかけた攻撃が己れに戻
ってくる怖れを感ずる、との説明も可能であろう。
だが、このあまりに機械論的な説明は、もっとも
らしい分だけ胡散臭い。フロイトが赤外線追尾ミ
− 60 −
ヘノコの男 )」という話がある。 - 昔、とても
大きなヘノコを持った男がいた。あまり大きいの
で、七人の男が担いで用を足した。噂を聞いた大
きなホトを持つ女のマパイが、これは神の計らい
と、嫁を志願した。しかし、ウプマラは物笑いに
なるからと断り、走って逃げると、地面がこすれ
女と男と永遠の争い
て溝ができた。海辺で行き止まりとなり、仕方な
そり立つ男の力に圧倒されて死んだが、このとき
く海中に逃げると、ヘノコは塩が滲みて立ち上が
男は、むしろ「受動的」だったのである。こうし
った。追って来たマパイは、ウプマラを見失なった。
て両者ともに「死ぬ」ことで、彼らは我われの知
そこに大きな柱が立っていたので、見渡して探そ
る自然と一体になった。そしてこの < まぐわい > は、
うと登った。だが、マパイは高く登りすぎ、落ち
雨に濡れる溝として、今に至るまで繰り返されて
いるわけである。
て死んだ。その間に、ウプマラも起き上がれなく
て、潮で息が詰まって死んだ。いまも大雨が降ると、
インドネシアのハイヌウェレや記紀神話のオホ
ウプマラのつけた溝に水が流れる。( 宮古島の佐渡
ゲツヒメでは、「神の死」によって今ある食べ物が
山安公氏談 )
得られた。多良間島では、造られた溝に雨水が流
ここに語られているのは、沖縄の自然に通ずる
れる。食べ物も水も、人の口に入る必須の恵みで
「究極の祖先」ではなかろうか。この祖先としての
あり、神の死を契機に、今の世の形を得ている。
男は、「受動的」だったのである。はじめは男だけ
これが重要な共通点である。水は、ことに古代の
の、同質の世界であった。そこに異質な女が現わ
離島にとって、重要性が想像を絶する。雨が産み
れ、交わりを迫った。男は拒んだが、逃げるうち
出されたとはされていないが、もしかすると、ウ
に大地と、海と、空とに交わった。女に迫られて
プマラのヘノコが天を衝いて、これ以後に雨が降
逃げるのは、
「能動的」な行為とはとても思えない。
り出したのかもしれない。少なくとも雨水が人の
しかし、これによって地形が形成されたのである。
手に入りやすい姿になったのは確かで、それが男
( 溝以外については語られないが、他にも産み出さ
の「受動的」な逃走から産まれたのである。
れたものがあって、途中で脱落したとも考えられ
11) ヴ ェ ー ベ ル / Weber, Max 1904-5 訳 書 下
p .169
る。例えば太平洋地域には広く、巨人のヘノコが
海と交わり、魚が産まれたとする話も伝わってい
12)禁欲といえば、ストア派を考えないわけには行
かない。しかし、ここで詳しく論ずるゆとりはな
る。)
いが、心の平静を求めたストア派には、時間に追
人の姿をした女は拒まれたようだが、柱を登る
い立てられる強迫的な禁欲とは、異質のところが
のは、女を上の交わりの婉曲表現だろう。すなわち、
多いと考えられる。
女の側からの「能動性」で、< まぐわい > が行な
われた。それがあまり激しかったので、「死んだ」
13)アウグスティーヌス『神の国』第21巻15章
のである - それは、この交わりが人間の埒を
14)同『告白』第7巻12章18
超えていたことの表現とも考えられる。ウプマラ
15)いくら滅ぼしても、
「悪」は「虚無」なのだから、
とマパイは「ともに死んだ」のだから、死の領域
それ以上増える気遣いはない、と弁解することも
のうちで婚いだのだと言える。人間の立場から見
できよう。このあたりの議論は、重箱の隅をほじ
れば「死んだ」と言わざるを得ない出来事が起こ
れば、いくらでも込み入ってくるので、いまはこ
った。あるいは、神の変身を「死」と表現したの
れ以上踏み込むまい。日本への原爆投下はもちろ
だと言ってもよい。男が、女/母なる海の、月に
ん、ベトナム戦争やイラク戦争にも、この働きは
従って満ち引く潮水に溺れて「死んだ」。女は、そ
及んでいるであろう。
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− 61 −
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Weber, Max (Karl Emil Maximilian Weber) / ヴェーベル Die protestantische Ethik und der >>Geist<<
des Kapitalismus 1904-5 Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik 20-1 / 1999 Institut für
Pädagogik der Universität Potsdam
On “The Supreme One Principle”
- in search of Roots of Discrimination Ideas in the Western Thoughts Histroy -
Chapter 3. Female, Male and the eternal Strife
Abstract
Another symptom that the "supreme one principle" shows is the activity obsession with
the passivity phobia. We can interpret this phenomenon as an attempt to deny the power
and the existence of the Mother Goddess. Augustine of Hippo established it, and the
Reformation reinforced his predestinarianism. The evasion of passivity with masculine
protest characterizes Western civilization, performing a result of the aggression to the
"evil". The two obsessions keep strengthening mutually, while contradicting each other,
and support together the principle.
Key words: supreme one principle, activity obsession, passivity phobia, aggression,
masculine protest
− 62 −
「社会貢献」と日本仏教
【資料】
「社会貢献」と日本仏教
-寺族:寺という「場所」に生きること-
戸田 游晏 1)
要約
日本仏教に突きつけられた課題は「社会貢献」である。しかし、筆者は寺に生きる者として、これ
に違和感を感じた。本稿はこの違和感のありどころを求めて、フィールドワークで出会った方々か
らの聞き取りを踏まえた、当事者自身からの報告と提言の試みである。
「社会貢献」という思想は、プロティスタンティズ厶に基づく資本主義・科学的合理主義教育を施
された社会を前提としている。これが、果たして日本人の精神性にぴったりと馴染むものなのであ
ろうか。まずは、寺が資本や資源と見做されてしまうことには、物理的な構造物や空間のみが、寺
院であるとの見かたへの再考を促したい。西田幾多郎の「於てある場所」とは、物理的な場所とい
うよりは、「異形」の遊行の聖や巫女らが自らの身体を社・寺にして、自らが器であり、カミホトケ
でもある、という有りかたも含まれるのではないか、「ビハーラ」という用語法はこの意図を優れて
表現したものではないかと考えられる。
日本人の特徴的な信仰形態を体現しているとも見做される日本仏教は、近代に於てどのような変
貌を遂げたのであろうか。かつては医療・祈祷・死者供養という生老病死全般に渡る社会の大きな
職掌を受け持っていた日本仏教であったが、近代化の中で、それらは葬儀に関わる領域を残して全
て剥奪された。しかしながら、それらの営みは完全には抹殺されたわけではない。単なる風習・儀礼・
習俗という水準で認知されつつ、なお命脈を保ってきた。医療としては、滝行を伴うお篭りの霊地
がいまも各地にあり、ビハーラ活動や仏教看護が提唱されている。そのようなお篭りと癒しの地の
再興が、静岡の古刹の住職 O さんの悲願である。祈り・祈祷に於ては、小さな寺院の日々の祈念や
国家規模の修二会がある。具体的事例として都市部で活動する日蓮宗修法師Nさんの人知れぬ無償
の供養の営み、京都の ALS 患者で得度し、酷寒の日も猛暑の日も毎日移動式の寝椅子で神社仏閣を
遊行し、地域の人々との出合いと交流を続ける甲谷さんを紹介する。Nさんは、自分自身が寺である、
という自覚を持ち、甲谷さんは、その身体そのものが癒しと救いを体現している。
これら、練行衆の修二会も、O 師の悲願も、Nさんの供養も、甲谷さんの遊行も、筆者自身の実
家での生活体験も、つまるところ、全てこれは、「社会貢献」ではない、のである。近代科学主義教
育は、僧侶自らが自らの職掌を葬式仏教と自嘲することを促す結果を齎した。資本主義と科学主義
が世界の政治・経済を支配する現況に於て、最も先鋭的な自己矛盾に悩む人々の中に、日本仏教の
僧侶と寺族が確かに含まれる。それらの在りかたや生きざまを、「イメージ戦略」「感情労働」で切
り抜く社会学の皮相性もまた、葬式仏教への蔑みと同様に、日本の信仰の魂の基層を為してきた霊
的次元の広がりを不当に狭める解釈である。
3.11を期に日本仏教をはじめ宗教、これを研究する立場も、自ずと大きな改変を迫られている。
表の目に見える社会的実践も、裏の霊的次元の確固として場所・場に真に生きる者たちの力に支え
られてこそ成り立つのである。
索引用語:日本仏教 社会貢献 ケア 霊的次元 場所
1)宇部フロンティア大学
− 63 −
臨床心理学研究 50 - 1
はじめに:違和感の所在 注記)
私の出自は寺族である。寺に生まれ育ち、仏
複合が齎した事態だろう。だが、同時にこれは、
籍もある。現代の寺院は、世襲制、すなわち稼
「宗教」が文字通り、さわりある「祟り神」と
業は家業-ファミリービジネスだ。その家業は、
扱われる現況を露わにしているといえないか。
葬祭や回向・先祖供養・墓苑管理等、「葬式仏教」
こうした近代教育の現場事情が、核家族化・
の言葉で括られる。つまり寺は、人の死と死後
地縁コミュニティの衰退とあいまって宗教離れ
の管理業務に依り成り立つ。
を齎した、との解説は、表層的であることは否
ところが昨今、寺院が執り行う「葬祭サーヴィ
めないものの一定の説得力を持つ。
ス」や霊園・納骨堂の管理運営など「お墓ビジ
ただし、歴史的にも政策的にも輻輳した背景
ネス」が徐々に立ち行かなくなってきた、と言
を抜きにしても、日本の伝統仏教各派が社会か
われる。一部著名寺院は例外として、その他大
らの信頼を失った事態への、個々の宗教者の責
多数の寺院にとって、これは切実な問題である。
任回避が許されるものでもなかろう。 日本仏
当の事態を招いたのは、観光資源や歴史的遺
教に向かう風当たりが殊に強いのは、寺族たち
産であるハコモノの価値が認められるのとは裏
の、「坊主丸儲け」に安住した心がけの至らな
腹に、伝統仏教への信仰心が希薄になっている
さにある、との叱咤を、未だ日本の仏教が社会
ことが主要因、と解説される。基層の民俗・慣
の期待を完全には失っていないが故の諫言とし
習が失われゆくのと軌を一に、神仏への信仰は
て真摯に受とめるべきだ、との意見[例えば上
確かに薄れてきているように見える。実家の彼
田紀行の数々の提言]に、私も含めなまなかな
岸会・盂蘭盆会の手伝いに駆り出される私にも、
仏教者には異論を挟み難い。
この半世紀の間に、世代交替と共に顔馴染の篤
だが一方、このように「宗教」一般への信用
信の方々の参会が年毎に減っていることがわか
が凋落しているとはいえ、近年のパワースポッ
る。また、寺を訪れる人たちの来訪の意義の自
トブームが代表する、スピリチュアル・霊性と
覚が曖昧になっていて、「毎年の慣行だから、」
呼ばれるものへの関心は、一向に衰えそうにな
「時節のしきたりなので何となく」ぐらいの動
機でお参りされているようにも思われる。
い。むしろ、手を変え品を変え、消費財として
私たちの身近に手軽に提供される趣味や娯楽の
このように、民俗宗教的儀礼・習俗を下支え
選択肢となっている。そのような文化の潮流に
していた暗黙の合意にまで衰退が及んできたこ
目敏く、ネット文化の積極的利用をはじめとす
とがひしひしと感じ取れる要因の一つとして、
る時流に乗る方略を通して、経営建て直しに成
義務教育現場で大半の職務時間を過ごす私に
功しつつある寺社も少なくない[元中外日報記
は、戦後教育の現場での宗教觀が無関係でない
者荻原哲郎氏談話より:私信]。
と思われる。
この、社会変容に遅れまいとする宗教者側
教育基本法第 15 条 2 項は、公立学校で「特
の動きと機を同じく、宗教と社会との関係を
定の宗教」を教えることを禁じるに止まる。し
考 究 す る 方 面 の 研 究 者 や 識 者 か ら は、 寺 院
かし概ね、これが教育の現場では拡大解釈され、
や 僧 侶 が、 企 業 の C S R [Corporate Social
教諭・教師による一切の「宗教的」と解釈され
Responsibility] や、世界各地域の社会参加僧侶
る可能性を含む言語表現・教育的実践指導が回
[engaged monks] に倣って「社会貢献(稲場・
避される傾向が強い。これは無論、地域と学校
桜井 ,2009 等)」をせよ、との激励を戴く。資
との間の協同的養育・教育環境の劣化をはじめ、
本主義的経済効率で寺院運営を評価する立場か
今日の教育界が抱え込む、多層多元の問題群の
らの提言である。既成仏教を取り巻くいまの社
− 64 −
「社会貢献」と日本仏教
会事象を観る限り、一宗教としての日本仏教が、
的情動反応などではない。社会貢献の機会を自
社会に再びその存在意義を認められるには、
「実
ら見いだすことが叶い、積極的にそれに参加す
は仏教は、社会に貢献できるのだ」と誇り得る
ることに、いかなる異論があろう。しかし、如
活動を積極的に行う他はない、との主張でもあ
実には言葉にできない、なにか極めて重要な局
る。
面への配慮が欠落している、という漠然とした
2011 年3月1日にNHKの報道した『クロー
閉塞感が後を引き続けた。日々ふと気づけばそ
ズアップ現代』の構成もまた、寺は一民間企業
こに思考が回帰している。惑い続ける渦中に、
体として資本主義経済の基本原理に従うことが
3. 11を迎えた。
基本、との提言への疑いの翳りさえない見事な
福島第一原発、1号機に続く3号機の水素爆
切り口を示した。当の番組は、17.7%の高視
発の瞬間映像。その後幾日か後に漸く公開され
聴率を記録したという。「NHKも < こんな数
た、無惨に崩落した建屋内部の惨状。これらこ
字は台風情報とか災害報道でないとでない > と
そ、高木(1981)の予言した「安全性が依拠
驚いています」と出演者上田紀行は、「支援の
するシステム総体の虚構性(p65)」が招いた「非
町ネットワーク[超宗教・宗派の釜ヶ崎のホー
可逆的な変化(p31)」だ。
ムレス支援団体]」へのメール[2011 年 3 月 4
日 14:44 付 sorukama メーリングリスト配信。
原子力災害は、つい昨日までの悪夢だった。
それがいま、現実となっている。
渡辺順一氏による転載投稿]に記している。
常識や慣例を括弧に入れて、激甚な破壊の余
この番組を視聴しつつ私は、喉の奥に飲み込
波を超えていかねばならない、この世のあらゆ
み切れない違和感を感じていた。後日、知人に
る局面に隈なく改変の契機が訪れる、と強く思
出会う度、これを見たかと尋ねてみた。夕食時
われた。しかし、いったい何処から手を付けれ
でもあり、多くが番組の一部なりを視聴してい
ばよいか。新たな視角へのヒントを探るには、
た。その殆どの人たちに、番組主旨への異論は
まず、「こうしたら日本仏教は再生できる」と
無く、とはいえ、上田紀行や番組制作者の提言
の提案に耳を傾けてみよう。
に対する積極的評価があるわけでも無かった。
世間一般は、日本仏教の現況が芳しいもので
はないと思っていて、日本仏教がもし再生を目
1 資本・資源と見做される寺(場所と人)
1. 1寺院という場所の由来
指す気があるのなら、社会貢献の有り無しにか
「日本仏教にだって、できる」と奨励される
かっている、との意見にさして抵抗感を感じな
社会貢献の在り方は、無論様々であるが、個々
い、ということになるのだろうか。
の寺の寺族にも即時に可能な社会貢献と言え
ありふれた当然の事態が記述され議論される
ば、そのお寺の「場所」そのもの、つまりハコ
機会は稀だ。仏教の社会貢献が論じられるのは、
モノを基点或いはよりどころとして使うという
寺院や僧侶が社会に貢献し得ることが奇特、と
ことが、一般的、と言えよう。
見做されている現況を示す。
漢語辞典などを引いてみると、漢語「寺」の
ともあれ、私自身に代わり、この、出口が見
原義は役人の仕事場或いは官舎で、そこに僧が
えずに彷徨うかのような焦燥を伴った言うに言
仮住まいしたことから僧の住居を呼ぶように
われぬ感覚の源を、如実に言葉にしてくれる人
なった、また、「院」は、周囲に垣を巡らせた
に出会うことはなかった。
建物を指すとある。
この私の違和感、それは、「僧侶が社会貢献
をしていない」と明言されたことへの原始反射
そもそも仏教寺院は、釈迦が比丘たちを、雨
季に一定の土地を画し(「結界」)止住(「安居」)
− 65 −
臨床心理学研究 50 - 1
させたことに始まるといわれる。その止住地
ゴトの生成の < 場 > と類比できるものではなか
は Vihara(skt.)と呼ばれ、仏典では、「精舎」
ろうか。
と訳されるのが慣例だ。即ち、Vihara は「場所」
を表す言葉であった。
1. 2寺の建つ場所
仏教寺院の伽藍堂(ガランドウ)は、中村雄二郎
寺院は、堂宇や塔などのハコモノとそれらを取
が述べるように、磐座と同じく、空-間として
り巻く地域・環境を含め目に見える場所なのであ
の「 場 所( 中 村 ,1989,pp150-151)」 で あ る。
るが、安らぎ、浄らかさ、敬虔な思いなど、目に
ただし、そこで、法要・儀礼・まじない・演奏・
は見えないことごとの生じる、< 場 [field]> 得る
演劇・寄席等々が興(起)されると、当の空間
とも見做されてきた。
は、なにかが生まれいずる < 場 > となり、目に
< 場 > となる場所について、様々な語られ方
はさやかならぬ力さえ漲る、との感受・感応体
があるだろうが、本稿では、とりあえず、< 広
験を口にする人々もいる。
い意味での癒し、或いは超越的存在と人との繋
ときにそれは、「癒し」と言う言葉で、呼ば
がりの(主観的)体験が生じることもある、ス
れることがあるかもしれない。
ピリチュアルな時空として、或る条件の下、何
Vihara は比丘すなわち僧侶たちが棲まい集う
場所であるとともに、安居の期間中、比丘たち
処にでも普遍的に生じる可能性があるところ >
と、考えておきたいと思う。
はそこで、互いの身心をメンテナンスし「ケア」
私は、2006 年4月と昨(2010)年 11 月に、
し合っていたであろう。これらの営みを通して
静岡市龍爪山麓の古刹を訪れ、寺族への調査を
集合体の維持存続に携わっていたことは、例え
行った。この訪問は、2006 年2月、愛知県立
ば、『ダンマパタ』心の章七、『増一阿含経』な
大学の橋本明が代表を務める「近代精神医療研
どの種々の仏典から窺われる。
究会」の現地調査に参加した際に知己を得てい
我が国の仏道実践者たちも、上古来、四箇院
たO住職への、私の個人的調査として、改めて
(敬田院・療病院・施薬院・悲田院)設立の伝
の聴き取りをお願いしたものだった。
承が示すように、生老病死へのケアに社会事業
Oさんは、幼少時より背中から何者かの手が
として臨んできた。
出てきたり、身体に霊が出入りする体感がある
Vihara に生じたであろう、死を看取り看取
など、日常に多くの憑依体験を持つ霊的感受性
られる場の働きの意義は人々に深く評価され、
の高い人である。Oさんが継承した寺院は、戦
現在、日本の「ビハーラ」は、田宮仁らの提唱
国期から近世を通じて駿府の中心(城郭)か
によって、仏道に基づき終末期患者に寄り添い
らの鬼門に位置し、かつて当地一帯の鎮護を
看護り看取るありかたを意味する語へと転用さ
任じられた公の祈願所であった。このことが、
れている。
2000 年に、重要な古文書の発見により裏付け
場所に生成されるものごとの表れには、無論、
られた。この出来事をいっそうの励みとし、O
そこに居る人という触媒を欠かすことができな
さんは、自房を再び地域を護る祈祷寺院として
い。行為は人が起こすが、そこにまた、その人
復興しようと努めている。その寺院が建つ龍爪
の意識的思惟と別建てに自ずから起ってくる <
山麓の地は、遥か遠くに駿河湾へとに至る市街
モノゴト[賀陽濟[田無神社宮司で精神分析家
地が眼下に広がる、近年合併により創設した新
資格を有する医師]は、これを「事魂」と呼ぶ。
:
しい都市を見護るに相応しい場所であった。
私信]> があるのではないか。Vihara が「ビハー
昨年 2010 年、この地域を含む、橋本らの綿
ラ」と成立ちゆくありようもまた、その、モノ
密な調査の成果である『治療の場所と精神医療
− 66 −
「社会貢献」と日本仏教
史』(橋本 ,2010)が上梓された。この著には、
係があったと言われている。「場所」は、その
癒しが「場所」に依存するのではないかとの記
西田の主要論題の一つとして、よく知られてい
述が見られた。この国のみならず各地に、土着
る。
信仰に由来する或いはそれ自身が民間信仰の淵
この西田の「於いてある場所」は、上田閑照
源となる、癒しが起こる場所の伝承が在る。た
のエッセー「絶対無の宗教哲学」によると、
「於
とえば、ルルドへの巡礼やセドナへの来訪の如
いてあるもの」と「切り離せないままで一つで
く、癒しへの希求が癒しそのものを齎し得る場
所の機能が存続している。
あるところが「世界」として、…強調される
(2007,p.212)」とある。上田の理解に依る限り、
この所謂「霊地」の伝承は、我々のすぐ身近
西田の「場所」とは、いわば主客未分化な「世
に、見つけようと望みさえすれば、たやすく見
界」であるように窺われる。
出すことができる。
より後期近代へと下って類似の言表を見出す
2011 年の日本宗教学会第70回学術大会は、
なら、中沢(1988)の「記号論が問題にする
兵庫県西宮市の関西学院大学上ヶ原キャンパス
よりも、もっと原初的な「境界性」-近代の社
で開催された。その場所は、六甲山麓、西宮の
会では、ただ芸術だけがそれを問題にしてきた
景観を代表する甲山の東に位置している。実は、
ような、アルケーの場所(p.19)」が、或いは
私の実家祈祷寺院は、この会場から直線距離で
近いかもしれない。叔父網野善彦の研究に触発
2キロ弱の甲山の麓、北山と呼ばれる山中の渓
された、中沢の論集『悪党的思考』には、様々
谷に在る。この山麓一帯には、古い石仏や瀧の
な「異形」の人々が登場する。
修行場が遺されている。それら近世の修験に関
さて、ここまで本稿は、可視・不可視双方の
わる遺構に先立つ、古墳と見做された遺跡、そ
「場所」や < 場 > に着目して語ってきた。
れら古墳群より更に古い磐座群が散在するとも
それらの「場所」や < 場 > に生じる「奇跡」
言われている。「六甲山」「甲山」「目神山」等
や「不思議な」「呪術的」事象群は、橋本らの
の地名を、古代信仰の霊地であった根拠の一つ
注目する意義もさることながら、宗教的職能者
とする説(中島 ,2008 他)も見られる。
の資質と力量如何により依存する比重が高い
この、メソジスト派の関西学院大学上ケ原
と、私には思われる。
キャンパスも、かつての古墳群の在った場所、
とりわけ、霊的職能者の中には、神霊と一体
後の神呪寺(甲山大師)
[現在の神呪寺の堂宇は、
化したり自らの身体(からだ)を「社」として
最初に創建されたと伝わる甲山の中腹に寛延2
神を降ろす人々がいたことに、注目されるべき
(1749)年に再建されている。]の旧境内地跡
だろう。著名な例では、新宗教の教祖である、
に、古墳と伝わる石組みの幾つかを壊し、台地
天理教の中山みき、天照皇大神宮教の北村サヨ
に均して建設された。ヨーロッパで古代信仰の
らがそうであり、これにより教線が拡大された
霊地に基督教教会が多く建てられていたとのこ
ことは、言うまでもない。
と(Wilson,1987,p77)が、想起される。この
そしてさらに時代を遡れば、漂泊する求道者
場所で、本稿の元となるパネル発表を行えた意
ら、例えば、空海、円空、西行らの系譜がある。
義を改めて考えざるを得ない。
かれらは概ね、肌身に持仏を懐いて遊行し、各
地に数々な伝承を残した。この聖たちは、いわ
1. 3「於いてある場所」
ば、自ら移動する寺院であるかのようにも思わ
西田幾多郎は、禅をはじめとする大乗仏教の
れる。
再解釈を試み、鈴木大拙との間に互いに影響関
『治療の場所と精神医療史』の共著者兵頭が
− 67 −
臨床心理学研究 50 - 1
指摘した、その場所の「そこにしかにない場所
まりは、寺院という多元的な < 場 > を創出する
性(2010,p.244)」は、それらの聖たち自身に
潜在力を、物理的な「場所」として備える装置
も民衆にも、少なくとも当初は、さほど問われ
が、「資本 capital」や「資源」として活用され
ぬまま、かれらは、それぞれの遊行の地にて法
如何に社会に貢献できるのだろうか、との視角
施に勤しんだことであろう。
へと、この議論は結びつき展開してゆくのが定
「異形」の漂泊の遊行者たち、また新宗教の
石である。
女性教祖たちに於いて、身体が、寺院・社・厨
仏教が渡来して久しく、寺院は、医療・福祉・
子・器であり、カミホトケであり、また自らで
教育・娯楽、また地域の情報交換・相互交流
あるという在り方を措定したとき、これらもま
の場所として用いられてきた。ところが、近代
た、西田の、「於いてある」ありかたの一つと
以降は、「官」「公」がそれらの場所の建設・運
はいえないだろうか。
営統括・行事企画実施を一手に引き継いだ。こ
れら重要な社会事業の担い手となり、文化を創
1. 4資本・資源としての場所
出する < 場 > を提供する役割の幾許かを、「民」
宗教社会学の領域では、社会貢献に関わる研
である寺院に取り戻そうとの試みは、應典院の
究が多く成されているようだ。これは、オウム
事業に代表される。だが、新宗教教団がこれら
真理教事件の後、宗教者また宗教学者が、この
の事業に組織的に取り組むのに比し、伝統仏教
国の宗教の将来像を模索する中で、穏当で社会
各宗派宗門では、総本山を頂点とする組織が総
に役立つ学術研究課題の一つとして選択したの
体として積極的に公益事業に関わることが必ず
であろう、と推し量られる。それらの研究者や
しも多いとは言えない。この辺りの事情につい
実践家から、現代社会の実状に則した、寺院と
ては、櫻井義秀が『社会貢献する宗教』の一章
僧侶の意識改革案が提示されている(例えば上
で簡潔に纏めている(櫻井 ,ibid.,p.23)。
田紀行 ,2004,2007 や秋田光哉 ,2009)。
欧米由来のスピリチュアルケアやホスピスケ
ところが、日本の既存仏教各宗派は、社会の
アに比して、日本独自の在り方として、日本の
要請に対する反応が鈍いようにも窺える。それ
宗教界でも昨今認知され始めたものに「ビハー
は、地域ではなく、檀家への奉仕と経済的依存、
ラ」がある。このビハーラケアの考え方やあり
家元制度に似た宗派組織の構造、営利的事業へ
方に於いても、宗派間の理念や実践の様態には
の傾斜、等々が、公益事業への積極的参加を阻
温度差が窺われる。例えば、真宗本願寺派(西
む少なからぬ要素となっていると考えられてい
本願寺)のビハーラ活動は、1986 年に始まる
ると櫻井(2009,p)は指摘する。
宗門社会部の基幹的活動と見做される。また、
その櫻井らの共著著『社会貢献する宗教』書
NPO法人ビハーラ21(認証は 2000 年)で
評セッションが、2010 年4月3日、大阪市で
は、理事長以下役員を大谷派(東本願寺)僧侶
行われ、パネラーとして、秋田光彦師[秋田光
が務めているが宗門としての活動ではない。こ
哉師の兄]が、大阪市寺町の大蓮寺塔頭應典院
れら双方共に、臨床実践に踏み込む活動実績が
の試みを報告した。その際、秋田師もまた、仏
ある。一方、日蓮宗ビハーラネットワーク(2000
教寺院が全国に7万8千を数え、コンビニの全
年頃より活動)のように、教学解説等、大学教
国約4万店舗の倍近く在ることに触れた。この
員による公開講座での啓発活動が主となってい
物質(場所)的資源を公益に役立てられないも
るものもある。また、仏教看護・ビハーラ学会
のだろうか。... 寺の数をコンビニの数に比し
(2004 年創立)の活動には、善光寺(無宗派)
て譬える図式から容易に想像が付くように、つ
法主鷹司誓玉、水谷幸正(浄土宗)と医学・看
− 68 −
「社会貢献」と日本仏教
護学・ケア学・臨床心理学等の研究者および臨
年に、神官と共に新たな維新国家理念の教導
床実践者間の学際的交流が窺える。このような
職に任じられた。これら、世俗の一職業人と
現況からも、< 場 > としての場所すなわち「ビ
しての僧侶に国家への奉仕を義務づける(末
ハーラ」における組織的関与の在り方の今後の
木 ,2006,pp.84-85)政策によって、近代日本
課題が、改めて問われてくるのではないか。
の仏教は、末木が「世俗仏教」と呼ぶ如く、他
しかし、いずれにせよ、ビハーラという < 場
に類を見ない姿となった。
(「於いてある場所」)> に在って、実際に諸々
西欧近代は、そして明治以降の日本近代も、
の営為に携わるのは、個の単位、人である。実
科学で立証されない呪術・まじない・儀礼等を、
践は、稲場がまさに述べるように、
「見ちゃった、
「迷信」として排斥した。万一それらに効果が
知っちゃった」という「共感による現場主義の
あるかのように見られたときには、 個々人の内
営み」(稲場・櫻井 ,2009、あとがき)に他な
面や、 社会的に産出される「表象」の作用とし
らない。現場の個々人が背負ってきた生活史上
て扱うことが説明原理として採用された。この
の経験や個性が、各々の活動の在り方を左右す
ように、国策としての人間中心主義に依拠する
ることは言うまでもない。人をはじめとする社
「心理学化」が遂行される。
会資本・資源が、寺院という物質的な場所に於
今日、仏教が貢献する対象は、 維新後の危機
いて起こす、祈り・儀礼・催しの企画運営・管
[crisis] にあっての「国家」から、資本主義体
理・踊り・掃除・修繕…等、様々な位相での営
制の下では「社会」へと差し変わったかに見受
みを経て、確かに、場所にはその場所独特の趣
けられる。
が具わっていくのではないかと思われる。
宗教法人の社会事業は、保育園また初等から
上述の『社会貢献する宗教』書評セッション
高等に至る教育機関の運営、地域イベントへの
にて、秋田師が語ったのは、主に自房の事業経
敷地建物の提供、地域医療・福祉機関・老人保
営手法の側面であった。しかし、私は、同年
健施設等の設立と運営(秋田 ,ibid.)、終末期
10 月 6 日に大阪市立大学の関係する「阿倍野
ビハーラ活動と、人の一生(生老病死)に関与
religion cafe」講演会で、秋田師の人柄により
する。
身近に接する機会を得た。秋田師が語った自身
しかしながら、稲場の「宗教の社会貢献の領
の生活史には、霊的危機状況との遭遇があり、
域(2009,pp.41-42)」の定義では「宗教的儀礼・
その際の気付きを節目に、現在の秋田師の活動
行為・救済」は末尾の八番目に置かれている。
の原動力が生まれたものと、私には推し量られ
ここにも、宗教と宗教学を取り巻く状況が垣間
たのである。
見られるのではないか。
さて、ここからは、仏教を取り巻く「近代」
宗教社会学があり、社会宗教学はない。社会
の特性を考えに入れつつ、議論を進めたい。
科学方法論に基づく研究が専らだ。一方、人文
科学としての宗教研究は、 教義論に傾く、文献
2 日本仏教の近代
学が主流である。その他、様々なアプローチが
2. 1近代化する仏教
提示されようが、いずれも「宗教」という巨象
明治5(1872)年に国家は、既に戒律が形
の一部を撫でることしか叶わない。
ばかりであった実態を追認するように、僧侶の
ここで、現代日本に於いて、生老病死すべて
妻帯肉食を自由と布告した。僧侶の聖、つまり
に主導的に関わる医療を例に、後期近代/今日
聖職者としての特徴を極力薄め、他の国民と同
の「宗教」の取り扱われ事情を見ていきたい。
列に置く意図が、 ここには感じられる。また同
「医療現場」そこは、自然科学方法論と「宗教」
− 69 −
臨床心理学研究 50 - 1
的なるものとの鬩ぎ合いがドラスティックに表
めていたとしても、 実際の適用の場面が限られ
出する臨場の一つに他ならない。
ることが暗黙の了解であったことは、富永仲基
自身も認めている。
2. 2医療と仏教
ところが、現代 [ 後期近代 ] には、むしろ全
現代医学は人の生老病死を通して関与し司
体主義的現象が起こってきている。例えば、
法判断に用いられるなど、近代以降、「官」の
2010 年 8 月 24 日付の日本学術会議会長金澤
主導で構築された突出した地位を保っている。
一郎氏談話(「「ホメオパシー」についての会長
しかし近代以前には、「医療と仏教が一体(田
談話」)には、以下のディスクールがみられる。
代 ,2005)」であったと言い得る状況があった。
寺僧や遊行僧、修験者らが実践する、 経験知
に基づく本草学のみならず、寺院内の御籠り人
には心身療養・修養のための場所が提供され、
生活指導とともに加持祈祷が施されていた。
[下線:筆者]
…米国では 1910 年のフレクスナー報告に基づいて
黎明期にあった西欧医学を基本に据え、科学的な事
実を重視する医療改革を行う中で医学教育からホメ
オパシーを排除し、現在の質の高い医療が実現しま
実家も祈祷寺院であったので、私の幼いころ
にはまだ、お籠もりの人たちが一人二人、断え
ることなく常に滞在していた。老若男女、様々
な境遇の人々が、寺族と寝食をともにし、草取
りなどの作務を手伝ったり、山間の僻地のため
保育園や幼稚園に通えなかった私の遊び相手に
もなってくれた。
先述の静岡の寺院でも戦前、先々代住職の頃
迄に参籠の人々がまだ居たとのことだ。
した。/こうした過去の歴史を知ってか知らずか、
…ホメオパシーが医療関係者の間で急速に広がり、
ホメオパシー施療者養成学校までができています。
このことに対しては強い戸惑いを感じざるを得ませ
ん。… /その理由は「科学の無視」です。レメディー
とは、…「ただの水」ですから「副作用がない」こ
とはもちろんですが、治療効果もあるはずがありま
せん。/物質が存在しないのに治療効果があると称
することの矛盾に対しては、「水が、かつて物質が存
在したという記憶を持っているため」と説明してい
そのような療養のかたちは、「迷信」か、 せ
いぜい「気休め」、最も高く評価して「プラセボ」
と一括りに意味付けられるだろう。現在、これ
を「医療」として評価するには、「心理学」と
いう科学の枠組みを持ち出してこなければなら
ない。この時代の権力が、「心理学主義」を政
策として掲げる利を認めてきたことに、これは
深く連関している。
では、近代以前はどうだったのか。近世の類
「資本主義」の背景となる合理主義思想は、い
ま人々が想像するよりも、庶民の間に行き渡っ
ていたように窺える。例えば、井原西鶴の『日
本永代蔵』の記述(「皆信心にはあらず欲の道
づれ」等)、山片蟠桃や富永仲基の無鬼論(高
島 ,2007, 他)や、 平田篤胤を喜ばせた大乗非
仏説などの教義批判に顕著である。
しかし、 これらの正当性を一般の庶民さえ認
ます。当然ながらこの主張には科学的な根拠がなく、
荒唐無稽としか言いようがありません。/しかし、
その後の検証によりこれらの論文は誤りで、その効
果はプラセボ(偽薬)と同じ、すなわち心理的効果
であり、治療としての有効性がないことが科学的に
証明されています。英国下院科学技術委員会も同様
に徹底した検証の結果ホメオパシーの治療効果を否
定しています。…効果を判定するのは人間であり、
「効
くはずだ」という先入観が判断を誤らせてプラセボ
効果を生み出します。「プラセボであっても効くのだ
から治療になる」とも主張されていますが、ホメオ
パシーに頼ることによって、確実で有効な治療を受
ける機会を逸する可能性があることが大きな問題で
あり、時には命にかかわる事態も起こりかねません。
こうした理由で、例えプラセボとしても、医療関係
者がホメオパシーを治療に使用することは認められ
ません。/ホメオパシーは現在もヨーロッパを始め
多くの国に広がっています。これらの国ではホメオ
パシーが非科学的であることを知りつつ、多くの人
− 70 −
「社会貢献」と日本仏教
が信じているために、直ちにこれを医療現場から排
除し、あるいは医療保険の適用を解除することが困
難な状況にあります。またホメオパシーを一旦排除
した米国でも、自然回帰志向の中で再びこれを信じ
る人が増えているようです。…医療・獣医療現場か
らこれを排除する努力が行われなければ「自然に近
い安全で有効な治療」という誤解が広がり、欧米と
同様の深刻な事態に陥ることが懸念されます。そし
てすべての関係者はホメオパシーのような非科学を
排除して正しい科学を広める役割を果たさなくては
なりません。…[後略]
この言表への反駁として、高木仁三郎(ibid.)
が 30 年前に述べたことを記しておこう。
腹 ,2004,2006,2010)」である。
人の生老病死の生生しい現場には、日常の平
穏な状況に於いての人の意識的思惟と別建て
に、その臨場に自ずから起こりくる < モノゴト
(「事霊」)> があるのではないか。
Vihara が「ビハーラ」と成立ちゆく在りよう
の、現象学的研究が待たれる。
さて以下では、医療と共に日本の仏教が顕著
に果たしてきた役割である、祈り(祈祷)と死
者供養にも触れねばならない。
2. 3 祈りと死者供養
1. 2に述べた静岡の住職は、自房が駿府城
祈祷所であったとの言い伝えが古文書発見で裏
…生活者が実感しているような環境上の変化を、そ
の研究の内容に受けとめうるような専門性の質が必
要となる。それは、事柄の本質を最もその原理的な
点において説き明かすような努力である。そんな課
題を十分に意識して、このような試みが持続してい
くことの意味は大きい(スリーマイル島原発事故の
際に、周辺住民の間から「金属質の味がした」とか、
「眼がチクチクした」とかいう実感的な体験の声が多
く上がった。現在の科学ではそれは「非科学的なこと」
付けられ、祈祷が地域全体の癒しに関わるとの
信念を新たに、合併した新しい都市の鬼門を護
る意義を深く自認して寺の復興に取り組んでい
る。ただ、寺院の普段の顕在的な実践活動は、
本堂でのクラシックコンサート開催や郷土誌編
纂協力等、寺や住持が取り組む「社会貢献」と
して特に珍しいものではない。無論、法事や葬
儀も引き受けている。
と切って棄てられたが、このことはむしろ、そのよ
私の幼い頃、朝昼晩の食事の前の御宝前(本
うな実感的なものを現在の科学が受けとめ得ていな
堂)でのお勤めでは、天地国家から親族一同の
いという事実を意味しているのである。)。(p97)
者達に至る幸福と安寧の祈念が唱えられた。だ
我が国の学術研究最高機関の長が、「ホメオ
パチーは非科学であるゆえ、医療から排除せよ」
と断じた見解を公示するのは、如何なる企図か
らの押し立て [representation] であるのか。こ
の金澤発言こそ、自然科学で扱えない対象は無
意味との社会常識の形成を、 権威者が推進する
動きであり、明治以来の国策の強化に他ならな
い。
しかしながら、この時代精神の下、チャプ
レン[病院内でスピリチュアルケアに携わる
宗教者]制度さえも根づかない我が国で、ま
さに例外的に、仏教理念に基づく医療現場の
対人支援活動として認められつつあるかに窺
えるのが、ビハーラケアを含む「仏教看護(藤
が、このような貧しい末端寺院の営みなど、例
証として取るに足らぬものだろう。ならば、国
家規模の祈念の例を一つ上げよう。
東大寺修二会は、民と国土の安寧を祈る、国
家的祈念の儀礼である。不退の行と言われるよ
うに、1260 年間一度も断えることなく修され
てきた。練行衆と呼ばれる僧たちが身を < 献 >
じ、諸々の行を執り行う。そこには、日本仏教
の姿を優れて顕す、神仏習合の様相、修験の作
法等が、余すところなく盛り込まれている。本
(2011)年、修二会がまさに最高潮を迎える期
間に、東日本大震災が発災した。平岡昇修師は、
本年の練行衆を司る大導師の任にあった。師の
唱える本年の祈願の内容に、急遽この事態に応
− 71 −
臨床心理学研究 50 - 1
じた文言を盛り込まれたという。国家鎮護の祈
きことは、これなんだと思ったから」だという。
祷は、「観光資源」という装いはすれども、こ
京都市船岡山の麓のALS-Dと名付けられ
れからも名実ともに生き続けていくだろう。こ
た一軒の町家がある。そこは、ALS患者甲谷
の衆生の癒し(救済)を祈る営みは「社会貢献」
匡賛さんの住いに、ダンススペースが併設され
であろうか。
た < 場 > だ。甲谷さんが暮らす部屋とは引き戸
ともあれ、祈祷や呪術の実践を僧侶の基礎資
で仕切られたフロアが、月に一度、リーラと呼
格に累加する制度は、日蓮宗など、 特定の宗門
ばれる、思い思いのあり方で参加できる催しの
に存続する。その制度の下で養成され認証され
< 場 > となる。甲谷さんの体調が許すときには、
た祈祷者の施療・施術行為が、教団や祈祷僧が
甲谷さんの移動式寝椅子がその < 場 > に加わり、
住持する寺院の存続基盤の中核となる場合さえ
参加者と交感する。この住いに移り住んだ後に
ある(Toda,2006)。
得度した甲谷さんは、毎日袈裟を身につけ、吹
若手修法師[霊能を用いる身心治療者]Nさ
んは私のインフォーマントの一人である。
雪の日も酷暑の日も一日も欠かさず、寝椅子に
乗り、時には公共交通機関も使って、近隣の寺
日蓮宗修法師の職責の根幹である祈祷修法に
社を巡っている。
於いては、三力(神仏の加護と慈悲・媒介する
この < 場 > を紹介したNHK教育テレビ『き
験者の験力・病む信者自身の信心)の冥合が期
らっと生きる』(2011 年1月 21 日)で、自身
され、導師の身体は神霊の降りる場所、謂わば
が障がい者であるレポーター(玉木幸則氏)が、
「於いてある場所」となる。この理念は、持仏
甲谷さんが日々何を「祈っている」のかを知り
を懐に遊行し、ところどころで衆生に法施した
たいなあと呟いていた。 甲谷さんの友人でダ
と伝承される、かつての漂泊の修行者の系譜に
ンススペースを主宰する由良部正美さんは、甲
も連なるだろう。
谷さんとごく身近に接してきた介護者の一人
Nさんは、寺院の伝統的職掌の中から祈祷者
だ。由良部さんは、
「甲谷さんは、かつて「身
の役割を引き受け、社会の中に自房の存在意義
体が広がる」と言っていたことがあります。」
「祈
を見出している。彼が或る信者さん宅に回向に
るというより、からだと精一杯向き合うことそ
伺った際、その人が「家の近くに交通死亡事故
のものが、祈りのようなもので。... 身体(シンタイ)
が多発する場所があり、そこが気持が悪い」と
と向き合うことで、自他の区別がなくなってい
言ったという。彼は、その場所に行き、何か感
きます。」という。また、
「あの番組の25分では、
じるものがあったようだ。以来、信者さん宅の
全ては伝わりません。伝えるべきことが余りに
回向とは別に、月に一度、自房から車で一時間
も膨大で ... 雪の日にずっと巡る様子 ... 人々と
余りのその場所の祈祷供養に通い続けている。
の交流 ... 電車やバスを使って出かけるのです。
極めて多忙な中で何故、人知れず無償のお勤め
そのときのことを伝えてもらえたら ...。」と語
をするのかと、敢えて尋ねてみた。「聞いてし
る。
まったから…」というのがその答えだった。N
他者に支えられ生きることが、世に法施する
さんは、16 年前の阪神淡路大震災の時、大学
生きざまの一つとなり得る。このように考えれ
を出て本格的な修行を初めたばかりであった。
ば、ケアは、する側対される側という断絶の上
彼は、厳冬の候、昼夜を通して独り団扇太鼓を
に成り立つものではあり得ないことが、改めて
叩いて被災地を読経して巡った。「そんなこと
確かに認められるだろう。
をするぐらいなら、避難所のボランティアで力
人の棲まう僧院を表す語であった「ビハーラ」
仕事でもしろと言われるかも。でも僕がするべ
が、生老病死へのケアそのものとして用いられ、
− 72 −
「社会貢献」と日本仏教
それはまた、ターミナルケアとグリーフケアが
供養する儀礼が見られる。死者供養は、生者を
行われる < 場 > の呼び名ともなる。 「苦の中
慰める「グリーフケア」には止まらず、 祖先を
にあって、苦から逃げるのではなく、苦をその
はじめ、 この世ならぬものとの繋がりを確かめ
まま受容し、病のまま、死に逝くままに助かっ
る営みでもある。この必須の大事に、 日本仏教
ている世界(田代 ,1999,p47)」を、甲谷さん
の僧侶は携わってきた。
の身体が広がるALS-Dは体現しているのか
「葬式仏教」と、死者供養に携わる僧侶自ら
もしれない。終の棲み家にての安居(ビハーラ)、
が口にし、世間の揶揄に甘んじ、反論できない
それが、甲谷さんの身体を共に生きる介護者た
こと。これは、この時代精神である死の軽視、
ちのありかたでもあるだろう。
さらには「あの世」を含む霊的異次元が無みさ
甲谷さんの日々の遊行、これを共にする介護
れていることを端的に露呈する。
者、そして沿道で出会う人々との交流。そこに
生じる < モノゴト > を、科学や資本の言葉で語
3 資本主義と科学主義の狭間で
3.11後、宗教者、なかでも既成仏教宗派
ることができるのだろうか。
そう、つまるところ、練行衆による修二会も、
の人々の中から、自らが衆生の「心のケア」を
O師の悲願も、Nさんの供養も、甲谷さんの遊
担う責務を自明とする声が上がっている。一方
行も、私の実家での体験も、これらは全て、
「社
で私は、臨床心理士の職域に務めつつ、なぜ「心」
会貢献」ではないのだ。 であって「霊」ではないのかと、長年自問し続
祈祷と並んで、日本仏教のもう一つの特性と
けてきた。
いわれてきたのが、死者供養である。
脱魔術化された近代の社会常識は、何ごとを
祈祷と死者供養という二つの機能は、仏教の
も、「科学的」な基準のみで評価する。「科学的」
日本的展開の両輪であった。その片方の輪が外
とは一般に、公共的ないし相互主観的に再現可
れ、「葬式仏教」という定点で空回りしている
能な規則性に基づくこと、とされる。先の金澤
うちに現状を招いた、と解説できれば如何にも
談話は、 その好例だ。祈祷・祈りという行為が
奇麗にまとまる。だが、実際の事情はもっと込
齎す「結果」もまた、そのようにして「治療効
み入っている。つまり、死者供養には呪術を含
果」の有無を判定される。
む祈りも含まれているからである。
その事情が、伝統宗派の僧侶や信徒の立場を、
いずれにせよ、祈祷も死者供養も共に、対象
境界的 : マージナルなものと成らしめる。彼ら
を遍くする「支援」
・
「ケア」の実践であり、
「[元
の多くが、まず自らの霊的な体験を、近代心理
来仏教語である]利他」の精神 [altruizm: 愛他
学の枠組みに嵌めて翻訳し、 自らを納得させる。
主義 ] に基づく。祈祷は、神仏と人が一身とな
そして、日常での社会的活動では、それら「内
り、この世の安寧と人々の幸福を祈る。死者の
的」体験が、一般常識との間に齟齬を来たさぬ
供養は、 この世を超えた人びととの繋がりのう
よう、言動に気を配る。
ちに救いと安らぎを求める。[死者供養につい
寺族もまた、 小学校に上がる以前から < 近代
て、坂井祐円が、田辺元の「死者との実存協同」
主義の洗礼 > を受ける。現代社会に生活する限
の思想に基づき、死者から生者への供養という
り、 これは避けられない。近代主義を貫いた教
転回を通した新たな死者供養を考える視点を提
育が義務化される一方、仏教の教義や伝統的世
供している(宗教学会第 70 回学術大会パネル
界観を伝える宗門、また地域や家庭の教育力は
発表)。]
極めて低下している、とも言われてきた。身の
世界の文化習俗には必ず、死者を葬り・弔い・
回りで日々行なわれてきたことが、「迷信」で
− 73 −
臨床心理学研究 50 - 1
なければ、無意味な形式と映るのはむしろ自然
近代の教育を、世俗の等し並みに享受した僧
と言えるだろう。
侶自身が、自らの職務に自信を失い自己を否定
…仏教徒なら仏になって六道輪廻から解脱し涅槃に
はいればこんなに結構なことはないはずなのに、死
ぬのをいやがる。極楽往生が信じられない信徒ほど
している現実が、ここにある。
祈祷を専門とする僧侶に、祈祷依頼者からの
相談事について聴かせてもらっていると、興味
熱心に念仏を唱える。西洋では復活に備えてエンバー
深い事象に遭遇する。例えば、物語の流れの
ミング(美容的死体処理)を施し、燃やさないで埋
定式から、これこそ「霊の障り」との解釈が予
めるが、あんなものが復活した日にはミイラの怪物
があちこちうろつくような世界になってしまうだろ
う。誰もが腹の底では成仏も復活も信じていないこ
とは、洋の東西を問わず葬儀に際して親しい遺族ほ
ど落ち込んで涕泣していることからもわかる。感情
は信仰より正直なのだ。(頼藤 ,2000,p155)
精神科医師であり、児童相談所所長を務めた
頼藤(1947-2001)の率直な言表である。
測され、またこちらが期待するあたりで、イン
フォーマントからの、精神分析・深層心理学理
論、ときには脳科学に基づく理路整然とした解
説を聴くこととなる。
「科学の科学性」の問い直しは、「パラダイム
(Kuhn,T.)」概念の提唱以来、 論を尽くされて
きた。相互主観性も再現性も、 じつは内容が不
明確で、 学説の決定に文化的・社会的な要因の
…いったい未来を見えなくしているのはなんだろう
か。実は、ぼくには、人間を人間たらしめている当
のもの、「自己」とか「理性」とか「主体」とか呼ば
関与の大きいことは、 定説といえよう。数学で
すら、 社会的な制約を免れてはいない。すなわ
ち「科学性」とは、 特定の文化的価値というこ
れるものこそが、最大の阻害要因ではないかと思え
とになる。にも関わらず、いやむしろ、それゆ
てならない。動物には死期というものがだいたいわ
えに、 金澤談話に代表される科学主義は、 文化
かっていて、猫も象も死が近くなると自然に自分の
姿を隠す。人間はどうして何もかもわからない闇の
なかにいるのだろうか。(植島,2007,p93)
霊魂とあの世への掛け橋が取り外されたと
き、「葬式仏教」は、 骸のケアに高額な対価を
近代の教育は、(神ではなく)人間の「理性」
を頼りとして「自己」を実現することに、「主
体」的な人間の成長モデルの到達点を提示して
きた。
…反射的な拒絶が起こるところは、タブーが潜んで
いるポイントである。かつてタブーであった「性」
と「死」が、もはやタブーではなくなり、アカデミ
ズムでもジャーナリズムでも定番の演題となった今
日、
「死後生存」「霊」を語るタブーだけは濃厚に残っ
ている。(津城,2005.p192)
そして、
「性」と「死」は既に飼い馴らされ(た、
との錯覚の下)、近代科学が手なづけ難いもの
は、あたかも元々無かったと、集合意識から疎
外しようとの圧力がかかる。
的な強制力を揮う。
求める「丸儲け」商売のシノニムとなってしま
う。このような理解は、宗教者の職務を「イ
メージ戦略」や「感情労働」で切り抜く論説(高
橋 ,2010)と大差はない。総じて、霊的次元の
広がりを不当に狭める理解ではないか。
列強の圧力を受け、しかしある程度円満に開
国を遂げた明治の日本は、西欧世界の科学技術
を生真面目に取り入れた。それから百年、核爆
弾を投下された日本の戦後は、核を原子力と呼
び替え、官産学共謀の「エネルギー危機」の提
唱を隠れ蓑に、巨額な国家予算を投じる核開発
を国策として推進した。
「原子力平和利用」に「資
源のない」国の人々が過剰な協賛へと導かれた
ことの、これは、(少なくとも表向きの)理由
とされる。
近代日本の社会常識が実用主義へと平板化さ
− 74 −
「社会貢献」と日本仏教
れた背景には、プロテスタンティズムに基づく
しみの経験のもとに結び合せる。生老病死とい
世俗的合理主義が機能している。そこに収まり
う避けられない運命の旅路に、御仏は寄り添う。
きれない部分は、 サブカルチャーとなって生き
人びとは、そのお蔭を頂くことを篤く信じ、回
残ってはいる。だが、人文社会学系研究動向に
向 [pariNaama(skt.)] する。衆生の救いや癒
は、それらにさえ、 スピリチュアルの商品化、
しは、概ねこのように齎されてきた。私の世代
消費財としての意味を見ようとの傾向が見受け
の子どもの頃には、「ご先祖さまが見ているよ」
られる。
等と、まだいくぶんの心得があった。
それはまた、世間に暗黙に認められてきた筈、
日本仏教のゆくえ:むすびにかえて
でもあった。これを科学や資本に関わる言葉で
「よりよい死」
「よりよい生」をめぐる語りに、
語ろうとすることはできない。これらを対象か
昨今、しばしば出会うようになった。近世終焉
ら除外し、語り得るところのみ選り出して語ろ
までは、古代以来、四箇院等の公共事業だけで
うとする限り、予め語り手が設定した到達点(結
なく、遊行の僧侶をはじめ民間の個々の宗教的
論)しか見出せないことは、ことさら言うまで
職能者に、これらは委ねられていた。
もなかろう。これは、カテゴリーエラーを斟酌
その流れを曲がりなりにも引き継いた日本仏
する以前の問題である。 実家寺院は、六甲山
教は、確かに曲がり角 [crisis] を迎えている。
系の麓、関西学院大学の丘陵に続く山系の渓谷
葬祭や回向は、都市部のみならず、絶対必須の
にある。既述の宗教学会発表を前に、久々に本
儀礼ではなくなりつつある。
来の表参道を祈祷所を示す結界を越えて境内に
かつてなら、死者供養の意味は、教義として
向かった。参道を昇る一歩一歩と共に、密やか
仏教者らが改めて説かずとも、生活に根付き、
な独特のまた馴染み深い感覚が甦ってくる。民
共同体の中で子孫へと自ずと伝わっていた。仏
俗学で多く蒐集されてきた「山の怪異」なる事
教は、そのような社会構造に謂わば寄生してい
象群もまた、そこ、その場所での日常の暮らし
たのだ。
と違和感なく交じり合っていた。その「場所」で、
しかし近代社会は、資本と企業の論理を軸に
私は生い育っている。
廻り、幼少時から科学主義を注ぎ込み、霊魂の
このようなローカルな「場所」のみならず、
次元への無視が穏当な在り方だとの意識を育
かつては、明るい昼間の、翳りのない明晰な意
てる。建て前の上では自由な個々人が、「みず
識とは異なる心の働き、いや霊のうごめきが世
からの決断」でそれらに参与する、「心理主義」
界を覆っていたであろう。宗教の本領を考える
の時代となった。
には、この異次元に通ずることが不可欠だ。寺
このとき、 祖先も死者(鬼)一般も、改めて
族は、多かれ少なかれそれを身をもって知らさ
教えられなければ気がつかない、目立たずかつ
れている。だが、知りながらも自信をなくし、
異常な < 他所者(オニ)> となった。
戸惑うのが実状である。
宗教者一人一人が携わる「社会貢献」を裏打
渡辺照宏は、50 年以上前「仏教が将来生き
ちするのは、明確な言葉にはなり得ない霊的次
る道があるとすれば、形式だけで事足れりとす
元からの力、謂わば < お蔭 > の働きにあるとい
る葬式屋根性を捨てて、生死について自らも確
うこと、これを自覚する実践者は少なくないも
信を持ち、他にも示すことができるような方向
のと、私には思われる。
に進む他はあるまい。」と記した。
御仏の教えは、生の末期を超え、時空をも超
五来重も、「「死」こそ宗教のもっとも大きな
え、魂を癒し、死者と生者を互いの慈しみと悲
課題であり、それを「成仏」や「往生」のよう
− 75 −
臨床心理学研究 50 - 1
な仏教理念で扱うのが日本仏教であったが、僧
かろうじて存立している。
侶が死者を成仏させたり、往生させたりする自
しかしながら、臨床実践に於ての個々の実践家の
信を失ったとき、日本仏教は葬式仏教になった
その臨床の場に誠実かつ真摯な向き合いの有りよう
のである(『喪と葬儀』1992)」と喝破してい
は、ときに自ずと非合理・非理性的な様態となり得る。
たという(碧海 ,2007)。
これは、学術論文としては記述不能であるか、ある
津城寛文は近著(2011)で、葬祭の形骸化
いはその事象が一期一会の非再現性という特質を帯
の主な原因を、「葬祭を司る専門宗教職の能力
びるが故に、元より言語化に馴染まず、不立文字の
(を巡る信憑性)の衰弱による」とし、「人々が
域となる。この事態に依って、臨床心理学は学術領
仏教や僧侶に、「死者の安寧を保証する」と信
域に止まろうと渇仰すればするほどに、書き物の非
じられた「法力」や「禅定力」を求めてきたの
臨床性がいや増す結果となる。近ごろの臨床心理学
に対して仏教界でそうした能力が議論され」な
論文には、心揺さぶられる行間のエネルギーを感得
かったと宗教側の責任を指摘した。
できるものが少なくなった。論文作法を貫き出でる
私の違和感を腑分けするには、これらの苦言
臨床力が枯渇し、文字通り、形通り体裁のみ整った
こそが、助けとなる。
増産可能な書き物が氾濫している。これが方法論テ
3.11を機に、日本仏教をはじめ宗教それ
クストとして採用されることにより、心理臨床領域
自体が、またこれを学問する立場も、変革への
総体としての臨床力が減退に向かう負の連鎖が既に
一層の要請を免れ得ない。表の目に見える実践
生じつつあると憂慮される。
としての社会事業もまた、裏の霊的次元との確
臨床の魂である癒し癒される力の枯渇への対策と
固とした繋がりを保つ僧侶ら寺族すなわち寺と
して、日本人の基層に深く根を下ろした心性を顧み
いう「場所」に生きる者の験力に支えられてこ
るべきであると、河合隼雄をはじめ文化人らが提唱
そ、まことの仏教の「社会貢献」が成り立つと
してきた。しかし、かれらはあくまでも、研究者・
考える。
調査者・観察者としての立場からの発言である。す
なわちそれらは、かれらの調査対象者・非観察対象
自らの語りそのものではなく、その生の語りをかれ
注記:本稿を「資料」とするにあたって
らの依って立つ理論・作業仮説・願望に基づいて加工・
仮構したものである。
本稿は、「資料」として提示する。
日本の心理臨床実践方法の主流として根づかせる
べく喧伝される、エヴィデンスに基づくと高唱する
認知行動療法、かつて主流であった精神分析系の力
動的方法論、またロジャースのカウンセリング等、
何れもユダヤ=キリスト教文化圏から輸入されたも
のである。先進国家に数えられ存分に近代化された
日本の社会においては、心理的対人支援の方法は心
理学先進国に学ぶべきである、との一抹の疑いなき
信念の下、日本の臨床心理学研究は構築されてきた。
だが、「臨床心理学」「精神病理学」が齎される以
前に、その務めを果たしていた領域があった。それ
らを、非科学(非合理・非理性)と切り分け排除す
ることに於て、日本の臨床心理学という学術領域は
筆者は、本来かれら研究者のインフォーマントの
地位にあるのが相応しい出自であり、また非合理・
非理性的臨床実践をときに応じ行う者である。しか
しながら、現にこのように言語化に拘泥する立場に
も留まることを希求している者でもある。
このような筆者は、「疎外されたスリランカ人」と
自ら語る Obeyesekere,G. に深く共感する、境界を
彷徨う遊行の者の一人であるのかもしれない。
本稿を、『臨床心理学研究』という心理学の専門誌
への発表を期するにあたって、筆者がいわゆる心理
学の方法論を用いることを敢えて選択しなかったの
は、それらの方法論に対して、もはや心が添わなく
なってしまったからに他ならない。このような感覚
− 76 −
「社会貢献」と日本仏教
を蔑ろにしないことこそが、現在の筆者が筆者なり
今一度顧みることを通し、文化人類学・社会精神医
の臨床への誠実さを護っていける唯一の方策ではな
学・民俗学等々の第三者からの客観的な研究ではな
いかと思われるのである。
く、それらの研究対象自身からの即ち当事者からの
本稿は、日本仏教の「社会貢献」という課題を突
発題を試みることを期している。
きつけられた、寺という場所・場に生い育ち、そこ
方法としては、通常の心理学的解釈は採らず、宗
に生きる者たちの立場からの、率直な戸惑いと異議
教社会学で専ら用いられる論述スタイルを模してい
申し立ての試みである。寺に生きる者(寺族)は、
る。それは、現在の筆者自身が、既存の「自我」主
自らの信仰的感性と近代社会のうわべの常識との間
体性の発達を目標とする心理臨床方法論への疑義を
の内的矛盾を抱えつつ二重標準を生きることを、他
抱いているからにほかならない。
の一般の日本人よりもより自覚させられる立場にあ
る。日本仏教の寺に生きる者という、周縁的な立場
から、解体の危機に瀕する日本の精神性の古層を、
引用・参考文献等
秋田(2009):『社会事業による寺院の再生 MBA 僧侶の挑戦』秋田光哉 , 中外日報社
藤腹(2004):『看取りの心得と作法 17 カ条』藤腹明子 , 青海社
藤腹(2006):『死を迎える日のための心得と作法 17 カ条』藤腹明子 , 青海社
藤腹(2010):『仏教看護の実際』藤腹明子 , 三輪書店
濱田(2008):「第 3 章」社会貢献する宗教』, 稲場圭信・櫻井義秀編著 , 世界思想社
橋本ら(2010):『治療の場所と精神医療史』橋本明編著 , 日本評論社
兵頭(2010):「第 9 章 民間治療場から精神病院へ」兵頭晶子 , 橋本ら(2010)所収
稲場(2008):『思いやり格差が日本をダメにする』稲場圭信 ,NHK 出版生活新書
稲場(2009):「第 2 章」
「あとがき」稲場圭信 ,『社会貢献する宗教』, 稲場・櫻井編著 , 世界思想社
伊藤ら(2004):『スピリチュアリティの社会学現代世界の宗教性の探求』伊藤雅之・樫尾直樹・
弓山達也編 , 世界思想社
金澤(2010):「「ホメオパシー」についての会長談話」金澤一郎
(www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/hohyo-21-d8.pdf)
川村(2007):「第 1 章近代日本における憑依の系譜とポリティクス」川村邦光 ,『憑依の近代とポリティクス』,
青弓社
中島(2008):「六甲山・三国岩の磐座」「甲山森林公園の磐座」中島和子 .『イワクラ 12』
中村(1989):『場所トポス』中村雄二郎 , 弘文堂
中沢(1988):『悪党的思考』中沢新一 , 平凡社
野口(2005):『ナラティヴの臨床社会学』野口裕二 , 勁草書房
碧海(2007):「仏教民俗学の思想 - 五来重について -」碧海寿広『宗教研究第 352 号』, 日本宗教学会
櫻井(1997):「神道と福祉」櫻井治男 ,『三重県の祭り・行事』三重県教育委員会
櫻井(2009):「第 1 章」櫻井義秀 ,『社会貢献する宗教』稲場圭信・櫻井義秀編著 , 世界思想社
佐々木ら(1991):『現代と仏教現代日本人の精神構造と仏教』佐々木宏幹編集 , 春秋社
島薗(2003):『< 癒す知 > の系譜科学と宗教のはざま』島薗進 , 吉川弘文堂
末木(1996):『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』末木文美士 , 新潮文庫 ,(初版 1992 年)
末木(2006):『仏教 vs 倫理』末木文美士 , ちくま新書
高木(1981):『危機の科学』高木仁三郎 , 朝日選書
− 77 −
臨床心理学研究 50 - 1
高橋(2010):「転換期仏教寺院における活動 - イメージ戦略と感情労働の間 -」高橋嘉代『宗教学研究 363 第
六十八回学術大会紀要特集』
高島(2007):「近世日本の合理主義」高島元洋 ,『お茶の水女子大「魅力ある大学院教育」イニシアティブ(対
話と深化)の次世代女性リーダーの育成活動報告書シンポジウム編』
(wwww.hdl.handle.net/10083/3389)
田代(1999):『仏教とビハーラ運動 - 死生学入門』田代俊孝 , 法蔵館 田代(2005):『ビハーラ往生のすすめ悲しみからのメッセージ』田代俊孝 , 法蔵館
寺沢(2011):「宗教活動は社会貢献か ? -「宗教団体の社会的な活動に関するアンケート調査」の分析-」寺
坂重法『宗教と社会貢献 Religion and Social Contribution 2011.04,Volume 1,Issue 1』pp.79-101
Toda(2006):‘Contemporary Japanese Buddhist therapies: An Observation on the Concept of
“Kaji reciprocal support”’Yuan(Masako)Toda“Kyoto 2006 Conference Self and No-self in Psychotherapy
and Buddhism ” Conference Brochure
津城(2005-a):『<公共宗教>の光と影』津城寛文 , 春秋社
津城(2005-b):『<霊>の探究近代スピリチュアリズムと宗教学』津城寛文 , 春秋社
津城(2011);『社会的宗教と他界的宗教のあいだ 見え隠れする死者』津城寛文 , 世界思想社
上田(2007):「絶対無の宗教哲学」『宗教』上田閑照 , 岩波現代文庫
上田(2004):『がんばれ仏教 !』上田紀行 ,NHK ブックス
上田(2007):『目覚めよ仏教 ! 上田紀行 , ダライラマとの対話』NHK ブックス
植島(2007);『偶然のチカラ』植島啓司 , 集英社新書
渡辺(1958):『日本の仏教』渡辺照宏 , 岩波新書
Wilson(1978):『ミステリーズ』Colin Wilson,Mysteries,Colin Wilson Publications, 高橋和久+南谷覺正+
高橋誠訳 , 工作舎 ,1987
安丸(1979):『神々の明治維新』安丸良夫 , 岩波新書
頼藤(2001);『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』頼藤和寛 , 文芸新書
− 78 −
「社会貢献」と日本仏教
"Contribution to Society" and Japanese Buddhism
- the temple family : living in a “Place” named Temple -
Yuan TODA (Ube Frontier University)
Abstract
The argument about Japanese Buddhism is "Contribution to society.” "However, I have an
odd feeling about that sort of demand as a person who lived in the temple. What I wish to
propound in this report is a question from the situation of insider based in my fieldwork.
The thought "Contribution to society" is required by capitalist society that scientific rational
education based on protestantism were given. Is it really fit and familiar in Japanese
mentality?
First of all, we have to reconsider the thinking that buddhist temples are structures, utility
spaces, capital matter and social resource.Kitaro NISIDA(philosopher)'s "Place on which
it becomes " was not supposed a physical place. Former "Strange appearance" shaman,
mendicant, pilgrim monk as wandering traveler sometimes became a container as an ideal
temple or shrine of Kami-Hotoke(god/goddess/spirit)at the client's request.
I conjecture that "Vihara" as today's term expressed the resemble thought and suppose
it may be the one of concrete examples of Nishida's "Place." What transfiguration did the
Japanese Buddhism considered to have embodied a feature Japanese belief form accomplish
in modern ages? Until the Meiji restoration, Buddhisms took charge of several important
duties of the society, but they were deprived all except for the area related to the funeral in
the modernization.
However, those domains were not completely erased. It has stayed in existence being
acknowledged by the level such as mere manners and customs. And the Vihara activity and
the Buddhism nursing are advocated. On the other hand, some sociologists clipped "Image
strategy" and "Emotional labour" out of ordinary Buddhist life. Those interpretations narrow
the extension of a spiritual dimension that has done the base-course of the soul of Japanese
belief as well as contempt to the funeral Buddhism. Also the modern scientism education
imposes self-mockery on Japanese Buddhist. In the current state when capitalism and the
scientism rule politics and the economy of the world, the temple family is certainly included
in the most radical self-contradiction.
The period after 3.11 urges Japanese Buddhists as well as religious people and researcher
to modify their traditional ways of thinking. A visible social practice will be truly effective
when the power of invisible spiritual dimension seems to supported it.
Key words: Japanese Buddhism, contribution to society, care spiritual dimension, place
− 79 −
臨床心理学研究 50 - 1
【資料】
親の高齢化 ・ 親亡き後に対応したひきこもり支援
-ライフプランの構築を考える-
竹中 哲夫 1)
要約
ひきこもる人は、長い年月、就労 ・ 就学をせず、多様な社会関係から退避し、自宅周辺
など限られた場で生活している。年齢は、10 代後半~ 50 代に及び、各年齢段階におい
て独自の支援課題がある。その意味から筆者は、「ひきこもり支援の基本的あり方」は、
「年
齢縦断的な支援」あるいは「ライフステージに対応した支援」 であると考えている。
本稿では、ひきこもり生活のために社会生活に多面的な困難を来している「長期・年
長のひきこもる人」(おおむね、ひきこもり歴 5 年以上、年齢 30 歳以上の人)の親が高
齢化・死亡などにより、ひきこもる人への世話が困難になったときの支援課題を考察する。
親亡き後 ( 類似状況を含む ) のひきこもる人の支援には、生活上の不安や対人関係など
の支援と、長期的視野からの日常生活全般、社会・経済生活全般の支援が含まれる。こ
こでは「ライフプラン」(「サバイバルプラン」とも言われる)の構築も課題となる。
本稿では、長期 ・ 年長のひきこもる人の特性を解明し、親が行っている生活上の世話の
内容を整理し、親亡き後などに、本人の世話を誰がどのように支援するのかを考察した。
結論として、「多面的なライフプランを設計する専門家」と「ライフプランをひきこも
る人が受け入れ活用できるよう支援するひきこもり支援者」のチームワーク形成の必要
性と「ひきこもり支援とライフプラン支援の連携・統合」の必要性について述べた。
索引用語: ひきこもり、長期・年長のひきこもる人、親による世話、ひきこもり支援、 ライフプラン
はじめに
ひきこもる人への支援は近年各方面で注目さ
⑥合宿 ・ 宿泊型の支援、⑦軽作業や就労準備支
れ充実の方向にある。各地で実践されている支
援、⑧就労に有益と思われる技術支援、⑨ボラ
援方法 ・ 手立ても次のように多様である。
ンティア活動支援、⑪実際の就労支援 ( ジョブ
①親や本人への対面型の相談 ・ カウンセリン
コーチなどを含む )、⑫様々な学習活動 ( 若者
グ、②医療的な支援 ( 精神科・心療内科の診断・
の現状などについて学ぶ当事者もいる )、⑬親
治療 )、③手紙やメールなどの直接対面型でな
の会 ・ 家族会などによる支援 ( その他の自助型
い支援、④訪問サポート ・ 付き添い型サポート、
の支援。ここではピア ・ カウンセリング、ピア
⑤居場所 ・ フリースペース ・ デイケア型の支援、
・ サポートなどが実践されている ) など多様で
1)日本福祉大学心理臨床相談室
− 80 −
親の高齢化 ・ 親亡き後に対応したひきこもり支援
ある。
フプラン」は、
「親が持つ資産を活用することで、
しかし、ひきこもり支援にはなお多くの課題
お子さんが一生食べていけるような『サバイバ
が残されている。特にひきこもり期間が長期化
ルプラン』」であるとも解説されている(畠中・
し、高年齢化した人 ( 長期・年長のひきこもる人:
浜田:2011)。畠中らは、親の資産を洗い出し、
おおむね、ひきこもり歴 5 年以上、年齢 30 歳
ひきこもる子のために活用することを語ってい
以上の人-竹中:2010) の支援のあり方は未確
る。割り切った提案ではあるが、現実を見た提
立である。ひきこもりは、10 歳代後半から 50
案でもある。ただし本稿では、親の資産の有無
歳代に及ぶ問題であり、各年齢段階において独
にかかわらず、「ライフステージに対応したひ
自の支援課題を持っている(竹中:2010)。そ
きこもり支援」との関わりも含めた、いわば「広
の意味から筆者は常々、「ひきこもり支援の基
義のライフプラン」を検討する。
本的あり方」は、特定年齢層に限定するのでは
なく、「年齢縦断的な支援」あるいは「ライフ
ステージに対応した支援」(竹中:2010)であ
1 典型事例(創作事例)の提示
ここでは、本稿のテーマについて実感を持っ
ていただくために、典型例として2つの創作事
ると考えている。
ちなみに、親の会(全国引きこもり KHJ 親
例を提示する。両事例は実在しない事例である
の会)の家族会員に対する全国調査(境他:
が、筆者が過去に支援に関わった事例から、よ
2010 年 3 月、2011 年 3 月、2012 年 3 月発表:
くある特徴を抽出したものである。長期・年長
2011 年、2012 年の結果は括弧内に示す)で
のひきこもる人を支援する関係者が支援現場で
は、ひきこもる人の平均年齢は 30.3 歳(31.61
しばしば出会う当事者の特徴を踏まえていると
歳、31.47 歳)、最年少が 11 歳(14 歳、12 歳)、
思う。
最年長が 55 歳(51 歳、52 歳)であり、思春
A 子さん:中学校で不登校が始まり、中学校
期から壮年期(高年齢期)に及んでいる。ひき
卒業以来 20 年以上ひきこもっている(30 歳
こもり期間は平均 9.6 年(10.21 年、10.28 年)、
代後半)。両親には、多少資産がある(父親は
最長 34 年(34 年、35 年)であった。また、
退職している。兄弟はいない)。A 子さんは、
ひきこもる人の中の不登校経験者は、50.9 %
①大半の時間、家にこもりきりであり、多くの
時間は自室で過ごしている、②長年にわたって、
(40.1 %、-)であった。
本稿では、ひきこもり生活のために社会生活
両親以外には顔も見せない、親戚縁者との交流
に多面的な困難を来し、 自立的生活ができない
も途絶えている、③両親以外とは会話をしたこ
状態の「長期・年長のひきこもる人」( 特に 30
とがない(両親との日常会話は自然にできる)、
歳代後半以降の人 ) の親が、高齢化・病気・障害・
④友人・知人は皆無である、⑤インターネット
死亡などにより、ひきこもる人への世話が困難
通信販売以外では買い物ができない、⑥電話、
になったときに、支援関係者はひきこもる人を
宅配便などを受けることができない、という状
どう支援するのかを考える。親亡き後 ( あるい
態である。できることは、①簡単な家事手伝い
は類似状況 ) のひきこもる人の支援には、日々
(簡単な料理、洗濯など)、②両親との日常会話、
の生活上の不安や対人関係などの支援だけでな
食事、③ペットの世話、④新聞を読む、テレビ
く、長期的視野からの日常生活全般、社会・経
を見る、などである。親が多少の財産を残して
済生活全般の支援が含まれる。ここでは、いわ
亡くなったとして、将来、A 子さんの生活全般
ゆる「ライフプラン」(「長期生活(人生)・経
を誰がサポートするのか、確実な見通しが立た
済設計」と呼ぶ)の構築も課題となる。「ライ
ない状況にある。両親も支援者も、両親健在の
− 81 −
臨床心理学研究 50 - 1
間に、彼女に最小限の生活力をつけさせたい、
②人間関係に対して回避的 ( 対人不安、対人恐
将来 ( 親亡き後 )、困ったときに相談できる人
怖 ) であるために、社会資源や支援に対し、
を確保したい、と念願しているが大きな困難に
接近できないだけでなく拒否する傾向が強
直面している。何よりも、両親が将来の対策を
い。そのため、既存の支援諸資源の活用が困
話題にしようとしても、本人は 「聞きたくない
難である ( カウンセリングを受けない、医療
」 と怒ってしまうため少しも話が進まない。本
機関に受診しない、居場所に出ることができ
人が相談機関・施設を訪ねることはなく、支援
ない、訪問支援を拒否するなど )。また、親
者の訪問も拒否している。
との対話も少なく、家庭内暴力が起きる不安
B 男さん:中学校で不登校を経験した。大学
もある。食事もいわゆる孤食状態であること
卒業後、一時働いたが、以後、10 年以上ひき
が多い。そのため、家族の支援を受けること
こもっている(30 歳代後半)。A 子さんと共通
も難しくなっている。
する部分が多いが、異なる点は、①両親ともあ
③親の高齢化が進み、経済的基盤が不安定であ
まり対話がない、対話してもすぐ怒り始め、時
り、親の失業、定年退職、疾病、死亡などの
には暴力もあるので、両親は当たらず障らずの
条件の変化に伴い、容易に生活基盤を失い、
対応をしている、②食事も大半は2階に持ち上
貧困化し、住居基盤を失う可能性がある。
がって一人でとっている、③友人 ・ 知人との交
④ひきこもるという状態像の背景に、多様な精
流はないが、外出して買い物などはできる、④
神障害を持つ人も多く、その中には、精神医
相談室には通っているが、就労などの話には進
療等の支援がないと自立の基礎を築けない人
まない ( 家族や社会への不満の話が多い )、こ
も多い。
となどである。
⑤本人だけでなく、親 ・ 家族の心労、経済的負
以上の創作事例からも、「長期・年長のひき
担、社会的重圧からのストレスなどへの支援
こもる人」への支援の難しさ、および、通常の「ひ
が重要である。本人支援と同じように家族支
きこもり支援」
(人や社会とつながる支援)と「ラ
援が大きな課題になる。
イフプランを作成する支援」の連携・協働の必
⑥「ひきこもる人およびその近縁者」とその家
要性などが浮上している。「長期・年長のひき
族の支援ニーズは多様であり、福祉・心理・
こもる人」の多くは、多かれ少なかれ類似の問
教育・精神保健医療・労働・住宅など広範な
題点・課題を抱えている。
支援と支援ネットワークが必要である。
2 ひきこもる人の特性
1の典型事例にも示したように、多くの「長
期・年長のひきこもる人およびその近縁者」は、
3「ひきこもり」が長期化した場合のひき
こもりの状態像理解について
ー〈「相互作用」モデル+「長期化付加要因」
次のような特性(困難・課題)を持っているこ
モデル〉の提案ー
ひきこもりが長期化しかつ年齢も高い場合
とが多い。
①長年のひきこもり生活(5~ 10 年以上)の
(長期・年長ひきこもり)、ひきこもり期間が短
ため、日常的な家庭生活だけでなく多様な社
期で若いひきこもる人とは異なった様相があ
会生活や職業生活の体験がなく、対人関係も
る。そのことを理解するために、一つの試案と
乏しく(生活機能の低下)、今後も、適切で
して「ひきこもりの状態像モデル」を提示する
長期の多様な支援がなければ、社会生活や職
(図1参照)。「長期化付加要因」「生活機能の低
業生活への移行が難しい状態にある。
下」がポイントである。ところで、「なぜひき
− 82 −
親の高齢化 ・ 親亡き後に対応したひきこもり支援
こもりが長期化するのか」という論点について
〈「長期化付加要因」 モデル〉とは、ひきこも
は、筆者は十分解明できていない。さしあたっ
りが長期化してくる中で、様々な要素が付加し
て、仮説的ではあるが、①本人の要因として、
てくる状態を意味する。「長期化付加要因①」
不登校以来社会生活を体験していないために、
が多い場合は、「生活機能の低下」が深刻化す
社会との接点をもつことに強い不安感がある、
る可能性がある。この「生活機能の低下」が、
②一度は社会との接点をもったが、職場環境 ・
親亡き後などにひきこもる人が安心して暮らす
生活環境の厳しさに圧倒される(特に職場で、
ことに対する大きな阻害要因となる。「長期化
時間との闘いを強いられる、本人より有能な若
付加要因②」は、通常の人生では得られないひ
年社員と比較され欠点を指摘される、など)、
きこもることから得られる独自の体験である。
③家族 ・ 地域の支援体制が十分でない、などの
「長期化付加要因②の A」に該当する体験は、
ためいつしかひきこもりが長期化してしまうと
当事者が「ひきこもりはプラスの体験であっ
考えている。
た。」「ひきこもっていたが故に得られた貴重な
係というとらえ方である。
とを心がけるべきであろう。現実に、自らの過
が短期で若いひきこもる人とは異なった様相がある。そのことを理解するために、一つの
こうして、ひきこもりが長期間継続した場合
体験があった。これが人生の糧になっている。」
試案として「ひきこもりの状態像モデル」を提示する(図1参照)。
「長期化付加要因」
「生
を考えると、図1に示す〈「相互作用」モデル
と振り返る体験である。ひきこもり生活を続け
活機能の低下」がポイントである。ところで、「なぜひきこもりが長期化するのか」とい
+ 「長期化付加要因」 モデル〉として理解する
ながらも、思索や学習を深めたり、貴重な出会
う論点については、筆者は十分解明できていない。さしあたって、仮説的ではあるが、①
ことが現実的になるように思われる。
い体験を持ったり、様々な作品(工芸作品や文
本人の要因として、不登校以来社会生活を体験していないために、社会との接点をもつこ
〈「相互作用」モデル〉とは、ひきこもりが発
とに強い不安感がある、②一度は社会との接点をもったが、職場環境・生活環境の厳しさ
学作品を含む)を製作したり、パソコンの技能
に圧倒される(特に職場で、時間との闘いを強いられる、本人より有能な若年社員と比較
生してくるプロセスは、「社会的諸要因」「広義
を習得したりする人の体験がこれに該当する。
され欠点を指摘される、など)
、③家族・地域の支援体制が十分でない、などのためいつ
の精神障害」「当事者側の諸要因」「ひきこもり
支援者としては、このような体験が充実し、活
しかひきこもりが長期化してしまうと考えている。
の形成」の四者の相互作用として理解できると
性化され、何らかの形で活かされる(例えば居
こうして、ひきこもりが長期間継続した場合を考えると、図1に示す〈「相互作用」モ
いう視点である。因果関係というよりは相互関
場所での作業に活かすなど)ように支援するこ
デル+「長期化付加要因」モデル〉として理解することが現実的になるように思われる。
図1 〈「相互作用モデル」 +
(ひきこもりが形成される状況)
社会的
諸要因
(困難)
教育
労働
福祉
社会
当事者
側の
諸要因
(困難)
本人
家族
生活諸
条件
広義の精神障害
(発達障害を含む)
ひき
こも
りの +
形成 →
(多
様な
状態
像)
「長期化付加要因モデル」〉
(ひきこもりが長期化した場合の状況)
長期化付加要因①
(外から見ると:観察される特徴)
社会体験学習の喪失、社会的諸関係・
諸条件の縮小、精神障害の重篤化、
身体諸機能の脆弱化
:「社会・生活機能の低下(不全)」
長期化付加要因②
(内から見ると:主観的体験)
ひきこもっていることに伴って起きる
独自の体験・思索・学習・感情*
A 当事者の人生を支える体験
B 当事者の人生を生きづらくする体験
* A、B 両体験の内、どちらを多く体験するか。
臨床的には、B の体験に苦しんでいる人が少なくない。
〈「相互作用」モデル〉とは、ひきこもりが発生してくるプロセスは、「社会的諸要因」
「広義の精神障害」「当事者側の諸要因」「ひきこもりの形成」の四者の相互作用として理
− 83 −
解できるという視点である。因果関係というよりは相互関係というとらえ方である。
〈「長期化付加要因」モデル〉とは、ひきこもりが長期化してくる中で、様々な要素が付
加してくる状態を意味する。「長期化付加要因①」が多い場合は、「生活機能の低下」が
臨床心理学研究 50 - 1
去のひきこもり体験を活用し、現在は、支援者
次に例示するような内容が含まれる。
として充実した活動をしている人もいる。ただ
①日常生活の世話(衣食住、特に食生活の補助・
し、筆者の場合残念ながら、実際の相談援助実
践 ( 長期 ・ 年長のひきこもる人が多い ) におい
買い物・通信連絡の補助・部屋の清掃)
②経済生活の保障(親の収入や貯蓄から本人の
て、「長期化付加要因②の A」が豊富な人に出
会うことは、あまり多くはない。
生活に必要な経済的負担をしている)
③こころのケア・話相手(情緒不安定になりが
「長期化付加要因②の B」に該当する体験は、
当事者が 「ひきこもりは胸をかきむしるような
ちな本人の世話、暴力への対処)
④社会復帰・就労などに向けた世話(本人が受
苦しい体験であった。将来に対する夢や希望の
喪失、社会や人々のなかで生きる希望の喪失、
け入れない場合も含めて世話をする)
⑤病気の時の看病(本人が医者にかからないこ
肯定的な自己評価をそぎ落としていく体験で
とが多いので親が無理をして看病する)
あった」 というように振り返る体験である。こ
これらの世話を仮に「親が行う世話・5項目」
の体験が、ひきこもる人の気分を重くし、社会
と呼ぶ。これらの世話は、長い年月に及ぶもの
復帰することや対人関係を回復する気力を萎縮
であるだけに、かなり重いものであり、親によ
させ、 さらにひきこもり期間を長引かせること
るこれらの世話ができなくなった(得られなく
になる。この様な事情が親亡き後の支援を難し
なった)ときにどうしたらよいのか。親として
くする要因にもなる。このような苦痛に満ちた
も、本人としても、予想するだけで、心労が重
体験も 「プラスの意味がある」 と考える立場も
なる事態である。このような場合、兄弟・親族
あるし、本人が過去を振り返って「この苦しみ
が、親に代わって本人の世話をするとよいので
に耐えたことが、自分を鍛えた」と回顧するこ
あるが、現実には親による世話ができなくなっ
ともあろう。しかし、筆者には、このような体
たときに、(心ならずも)兄弟・親族による世
験はできるだけ短期間かつ浅くなるように支援
話も難しくなっていることが少なくない。「ひ
したいという思いが強い。
きこもる人のためのライフプラン」( 広義のラ
イフプラン ) という場合、経済生活だけではな
4 親の病気・親の死亡等により本人が直
面する困難をめぐって
く、少なくとも上記の①~⑤のすべてを生涯に
これまでに明らかになったように、ひきこも
る ( その他の必要条件は6で示す )。それが「長
る人には、支援上、難しい課題をもっている人
期生活(人生)・経済設計」の意味であり、内
が多い(そうであるが故に長年ひきこもってい
容である。
わたって保障できる態勢を構築することでもあ
るとも言える)。
このような事情の場合、親が元気なうちは、
親が本人の生活維持に関して、何とか世話をし
ているが、親の病気・死亡などの場合、加えて、
5 兄弟・親族による世話ができない場合、
誰が本人を世話(支援)するか
1)兄弟・親族がひきこもる人の世話ができな
くなる事情
兄弟・親族に長年にわたって本人を世話する条
件がない場合は、本人は苦境に立つことになる
(心ならずも)兄弟・親族による世話がむず
(それ以前に、誰が老親を介護するのかという
かしくなる場合とは、どのような場合であろう
問題も生じるが、本稿ではこの問題は取り上げ
か。次のような事情が考えられる。
ない)。
①本人と兄弟・親族との関係が悪い(兄弟・親
「親が世話をしている」という一言の中には
− 84 −
族を拒否している)ため、兄弟・親族が世話
親の高齢化 ・ 親亡き後に対応したひきこもり支援
をしたくてもできない。
成年後見制度 ・ 任意後見制度の活用について解
②兄弟・親族が遠隔地にいたり、多忙であった
説している。上記論文はこの分野の必読文献で
りして、本人と接することが容易でない。
ある。ちなみに今後広がると予想される市民後
③本人に財産がなく、兄弟・親族にも経済力が
見については、池田他編(2011)が参考にな
なく、本人の世話まではできない。
る。ただし、それぞれの資源・制度には、利用
④少子化社会、「無縁社会」においては、そも
上の法律や諸規定その他の制約があり、ひきこ
そもたよれる兄弟・親族がいない。
もる人が活用できるかどうかは、一概に言えな
このような場合、誰が本人の世話をすること
い。さらに、ひきこもる人が多様な資源・制度
ができるのであろうか。希望的には、この際本
を利用する場合、次に例示するような課題(困
人が「自己の置かれた立場に自覚を深め、発憤
難)がある(これを「資源を利用する場合の困
して、日常生活自立を図り、かつ、就労し生活
難・7項目」と呼ぶ)。
費を稼ぐことになる」 という展開である。しか
①本人が関係制度を活用する意思表示をしな
し、このような展開を期待ができる人は、「長期・
い、また、活用に必要な行動(手続きなど)
年長のひきこもる人」のなかでは少数である。
なお、親亡き後を受けて、兄弟・親族が本人
の世話をする条件がある場合も、その条件がい
をとらない。
②支援者に会いたくない、会わない、拒否する。
③役所や社会福祉協議会に出向きたくない、出
つまで続くかは、兄弟・親族の生活状況による
ものであり、長年月の持続性は期待できない場
向くことができない。
④役所や社会福祉協議会の職員が訪ねてきて
合もある。兄弟・親族の善意に依拠することに
も、会わない、拒否する。
も限界があると言える。
⑤医師の診察を受けたくない、拒否する。
2)第三者による支援と課題
⑥就労支援などにおいては、まずハローワーク
兄弟・親族による世話も難しい場合、誰が本
に行きたくないか行かない、行っても就労の
人を支援できるのであろうか。活用できる可能
性のある社会資源・制度と支援は次のようであ
意思を表明しない。
⑦諸制度の利用において適切な意思表示(同意)
ろう。いずれにしても、親でも家族(親族)で
をしない。
もない、福祉・法律・医療・労働などの関係者
もしはじめから、①~⑦のような困難がなく
による支援、すなわち、
「第三者による支援」
必要な行動を抵抗なくとれるようであれば、そ
が必要となる。
の人はすでにひきこもりとは言えない状態であ
①従来、親・本人を支援していた支援者・支援
る。ひきこもる人が、①~⑦のような状態であ
団体が引き続き本人を支援する。
ることを前提に、本人が安心して生きていける
②年金・保健医療・福祉諸制度(年金諸制度、
よう支援をしなければならない。
生活保護、日常生活自立支援事業など)を活
用する。
本人の生活の場に出かけて行って支援するこ
とが「アウトリーチ支援(基本形)」であると
③民法上の制度(成年後見制度)を活用する(本
するならば、支援を拒否したり、消極的であっ
人と本人の家族・親族の状況によって、法定
たりする当事者に何とか接近して支援とつなげ
後見制度、任意後見制度を活用する)。
る作業も「アウトリーチ支援(発展型、応用型、
保健福祉関係の各制度については、長谷川
積極型)」と呼ぶことができよう。しかし、実
(2011)に詳しい。また、成年後見制度をめぐっ
際のアウトリーチ支援においては、本人の同意
ては、畠中・浜田(2011),畠中(2012)が、
を得ることが難しいという関門がある(アウト
− 85 −
臨床心理学研究 50 - 1
リーチについては、 竹中:2012 参照)。「アウ
ど多面的な課題がある。つまり、生涯にわたっ
トリーチ支援(基本形)」と「アウトリーチ支
て「広く生活を営んでいくことを視野に入れた
援(発展型、応用型、積極型)」のすべてを駆
ライフプラン」を策定し、実施に移す必要があ
使する必要がある。
る。
(支援者が克服しなければならないひきこもる
6 第三者支援の方法論と課題
1)支援内容と支援者が克服しなければならな
い状態
人の状態)
ところで、ライフプランが実際に有効に実施
されるためには、支援者は、ひきこもる人の「資
第三者が、長期・年長のひきこもる人を支援
するという場合、支援者としては、福祉・保健・
源を利用する場合の困難・7項目」で示した状
態を克服しなければならない。
労働などの行政職員や NPO(ひきこもり支援
このように、ひきこもる人を多面的に支援す
団体)職員、開業している社会福祉士など、医
るためには、ひきこもる人自身が社会生活や人
師・PSW・心理士・保健師など保健医療関係者、
間関係に対してもっている様々な抵抗や困難に
弁護士など法律関係者、などが考えられる。こ
どう対処するのかを考えておかなければならな
こでは、「これまでにひきこもる人と支援関係
い(これらのことはひきこもり支援の課題その
を築いてきた支援者」と「今後の多様な制度対
ものでもある)。特に、ひきこもりが長い年月
応などに対応する新たなライフプランの構築に
にわたる人には様々な心身の障害が併発する可
も対応できる支援者」との連携・共同作業が大
能性があり、支援者に重い課題を投げかけるこ
切である。また、親亡き後のひきこもる人の支
とになる(中垣内他:2010 参照)。
援と言っても、まずは、親が元気なうちに、親
2)ひきこもる人が諸支援を活用できるように
する支援
亡き後を視野に入れて支援を開始するところか
らはじまる。
以上を踏まえるならば、ひきこもる人の親亡
(親の病気・親亡き後などの支援内容の例示)
き後の支援を進めるために多くの工夫が必要に
親の病気・親亡き後などに必要な支援には次
なる。それらを例示すると以下のようになる。
のような内容が想定される。まず、「親が行う
①親が元気な間に、親の病気や親亡き後などの
世話・5項目」
(①~⑤)で示した支援がある。
支援の態勢を決めておくこと。「あと何年親
その他にも⑥~⑨の支援がある。
が元気でいられるか」を予想し、数年の余裕
⑥年金諸制度、生活保護制度を活用する。
を持ってライフプランを策定し、本人にも説
⑦成年後見制度(法定後見制度、任意後見制度)
の利用を検討する。
明し納得してもらっておく必要がある。
②単独の支援者では対応できない課題が多いこ
⑧日常生活自立支援事業の利用を検討する。
とを予想し、異なる支援分野の人がチームに
⑨その他利用できる制度の利用を検討する。
なって支援ができるよう工夫する。例えば、
「ひきこもる人のためのライフプラン」( 広義
ひきこもり支援者と弁護士、あるいは、社会
のライフプラン ) は、以上の①~⑨のすべてを
福祉事務所のケースワーカーが連携関係を築
含むものであり、金銭的な対応だけではない。
いておく必要があるかも知れない。
金銭は大切であるが、その他に、ひきこもる人
③ひきこもる人と直接関わることのできる人
の日常生活や福祉制度活用を誰がサポートする
(会って話ができる人)を、最小限1人、で
のか、病気の時は誰が医者に連れて行くのか、
きれば2人(支援の引き継ぎのためには、年
こころが不安定なときに誰がケアするのか、な
齢の異なる人がよい)は確保しておきたい。
− 86 −
親の高齢化 ・ 親亡き後に対応したひきこもり支援
④ひきこもる人が気が向けば出入りできる居場
所を確保する必要がある。
フプランは絵に描いた餅になる。このような場
合、「ひきこもり支援(者)」と「ライフプラン
⑤ひきこもる人の親亡き後の支援をする態勢
のある NPO 法人などの支援機関が必要であ
支援(者)」の緊密な連携・協力・統合が欠か
せない。
る。ここでは、「多面的なライフプランを設
このような連携・協力関係は、一例として、
計する専門家」と「ライフプランをひきこも
図2のようにイメージされる。「ひきこもり支
る人が受け入れ、活用できるよう支援する支
援」と「ライフプラン支援」が緊密に連携ない
援者」とのチームワークが必要になる。この
しは統合され(全体としての「ライフステージ
ことは、「ひきこもり支援とライフプラン支
に対応したひきこもり支援」の成立)、親亡き
援の連携・統合」と表現することができる。
後にも、ひきこもる人が安心できる生涯生活保
障態勢ができることが切望される。図2では、
7 ひきこもり支援とライフプラン支援の
連携・統合の必要性
分かりやすさのために、ひきこもり支援とライ
「長期・年長ひきこもり」支援において、ひ
しかし、実際の取り組みでは、ライフプラン支
きこもる本人の社会自立が難しく、親の高齢化・
援は、ひきこもり支援の第 3 期から第 4 期に
疾病・死亡などの諸事情の発生が予想される場
かけて、「ひきこもり支援の一環として取り組
合、ライフプランを考えることが必要となる。
まれる」ことが多いであろう。その場合は、ラ
しかし、ライフプランは、親の財産(遺産)の
イフプラン支援は、ひきこもり支援に組み込ま
活用、生活保護や成年後見制度などの公的制度
れる(統合される)形で図解するのが適切であ
の活用、日常生活や住宅に関する支援の活用、
る。
フプラン支援を便宜的に分けて表現している。
その他の制度・資源の活用のいずれを選択する
場合も、それぞれの分野の高度な専門知識(資
格)が必要となるために、( これらの専門性や
資格を有しない ) ひきこもり支援者にとっては、
おわりに:ひきこもる人の社会参加と
ライフプラン
ひきこもり支援において、ライフプランの策
適切な対応が難しい。多様な背景を持つひき
定と実施は重い課題である。ここに至るまでに
こもる人のライフプランを策定するためには、
ひきこもる人が社会参加を果たし、社会的に自
ファイナンシャルプランナー・弁護士・税理士・
立できればそれに越したことはない ( 一部にそ
社会保険労務士・司法書士・社会福祉士・精神
のような人もいるが )。ひきこもる人が増える
保健福祉士など各分野の専門職者(仮に「ライ
ことを予防する施策も必要である(ここで、予
フプラン支援者」と呼ぶ)の力が必要となる。
防とはひきこもる人を問題視するのではなく、
しかしまた、ライフプラン支援者が必ずしも
悩んでいる人に早期に支援を届けることであ
ひきこもり支援に詳しくないという事情もある
る)。「はじめに」の親の会の統計や例示した2
し、支援対象となるひきこもる人との支援関係
事例のように不登校を体験しているひきこもる
を形成していない(コミュニケーションが成
人も少なくないので、不登校支援は、ひきこも
立していない)場合も少なくない。本人の利益
りの早期支援・予防的支援としても、重要な課
にかなったライフプランを立て、 適切に実施す
題となる。
るためには、本人が支援者の助力により、それ
いずれにしても、現実には、ひきこもる人の
を活用できる状況になることが必須の条件であ
中に、「長期・年長ひきこもり」 の人が一定の
る。本人が有効活用できないのであれば、ライ
割合を占めており、その人たちの中から、社会
− 87 −
り支援」と「ライフプラン支援」が緊密に連携ないしは統合され(全体としての「ライフ
ステージに対応したひきこもり支援」の成立)、親亡き後にも、ひきこもる人が安心でき
る生涯生活保障態勢ができることが切望される。図2では、分かりやすさのために、ひき
こもり支援とライフプラン支援を便宜的に分けて表現している。しかし、実際の取り組み
臨床心理学研究
50 - 1
では、ライフプラン支援は、ひきこもり支援の第 3 期から第 4 期にかけて、「ひきこもり
支援の一環として取り組まれる」ことが多いであろう。その場合は、ライフプラン支援は、
ひきこもり支援に組み込まれる(統合される)形で図解するのが適切である。
図2
「ひきこもり支援」と「ライフプラン支援」の連携と統合
ライフステージに対応した
ひきこもり支援
(年齢は目安)
ライフプラン支援
(ライフプランの内容は、経済面、
法律面、日常生活面、消費生活面、
住宅面など多岐にわたる。また、
ライフプラン実施期は、本人・
親・家族の事情で変動する。)
1 思春期・青年前期支援
(15,6 歳前後~20 歳前後)
2 青年期支援
(20 歳前後~35 歳前後)
3 青年後期・壮年期支援
(35 歳前後~40 歳前後)
4 壮年期・高年齢期支援
(40 歳前後~50 歳以上)
ライフプラン準備期
連携
統合
ライフプラン実施期
(親の高齢化・疾病・死
亡などの諸事情)
全体としての「ライフステージに対応したひきこもり支援」
生活が難しく、次第に、ライフプランを必要と
環が「ライフブランを策定し実施する支援」で
おわりに:ひきこもる人の社会参加とライフプラン
する人たちが出てくることが予想される。すで
ある。本稿で述べたことが現実の課題として取
ひきこもり支援において、ライフプランの策定と実施は重い課題である。ここに至るま
に一定数の人たちはその時期に至っている。そ
り組まれ、公・民の支援活動・支援制度に具体
でにひきこもる人が社会参加を果たし、社会的に自立できればそれに越したことはない(一
のような現実も直視する必要がある。ひきこも
的に組み込まれることが切望される。
部にそのような人もいるが)。ひきこもる人が増えることを予防する施策も必要である(こ
る人のそれぞれの年齢段階や環境に対応した社
( 付記 ) 筆者は、心理臨床家として、大学の
こで、予防とはひきこもる人を問題視するのではなく、悩んでいる人に早期に支援を届け
ることである)
。
「はじめに」の親の会の統計や例示した2事例のように不登校を体験し
会参加支援と合わせて、本人・親・家族の現実
心理臨床相談室に所属し、現在はひきこもり支
ているひきこもる人も少なくないので、不登校支援は、ひきこもりの早期支援・予防的支
に対応して、ライフプランを策定し実施するた
援を中心に活動している。本人・家族との相談
援としても、重要な課題となる。
めの支援が必要になる。なお現在、ひきこもる
室での面接だけでなく、必要に応じて本人への
いずれにしても、現実には、ひきこもる人の中に、「長期・年長ひきこもり」の人が一定
人などを主たる対象としてこのようなライフプ
訪問サポート、および、ひきこもり支援地域ネッ
ランを構築する支援を行う団体は多くはないと- 7 - トワークづくりにも関わっている。その意味で
思われるが、「特定非営利活動法人若者と家族
は、心理臨床家兼ソーシャルワーカーであると
のライフプランを考える会」(活動拠点 : 京都市)
自己認識をしている。
のような各分野の専門職者による支援団体も立
ち上がりはじめている。非常に心強い動きであ
る。
ひきこもり支援は包括的であり、長期的視野
をもつ必要がある。その意味では、「ライフス
テージに対応した支援」がひきこもり支援の基
本である。全体としての「ライフステージに対
応した支援」(生涯生活保障態勢)の重要な一
− 88 −
親の高齢化 ・ 親亡き後に対応したひきこもり支援
文献
馬場敏彰(編著:2010)『はじめて読む 「成年後見」 の本』明石書店.
畠中雅子(2007)
「ひきこもり・ニートとライフプラン-ひきこもりのお子さんのライフプランを立てる-」
「2007
年度青少年健康センター・シンポジウム(2007 年 11 月 10 日)
・高齢化するひきこもりとライフプラン・資料」
および社団法人青少年健康センター編(2008)『高齢化するひきこもりとライフプラン』.
畠中雅子・浜田裕也(2011)
「親が高齢化、死亡した場合のための備え(生活維持のための自助)」内閣府子ども若者・
子育て施策総合推進室『ひきこもり支援者読本』.
畠中雅子(2012)『高齢化するひきこもりのサバイバルプラン』近代セールス社 .
長谷川俊雄(2011)「親の高齢期及び親亡き後の生活維持のための相談支援と社会制度」 内閣府子ども若者・子
育て施策総合推進室『ひきこもり支援者読本』.
福田幸夫・森長秀(編集責任:2009)『権利擁護と成年後見制度』弘文堂.
池田恵利子・小渕由紀夫・上山泰・齋藤修一編(2011)『市民後見入門 市民後見人養成・支援の手引き』民事
法研究会.
中垣内正和他(2010)「長期ひきこもりにおける心身機能の変化」『アディクションと家族』26(3).
斎藤環(2007)「高年齢化するひきこもりの諸問題」『2007 年度青少年健康センター・シンポジウム(2007 年
11 月 10 日)・高齢化するひきこもりとライフプラン ・ 資料」および社団法人青少年健康センター編 (2008)
『高年齢化するひきこもりとライフプラン』.
境泉洋・野中俊介・大野あき子・NPO 法人全国引きこもり KHJ 親の会(2010)『「引きこもり」の実態に関す
る調査報告書⑦』.
境泉洋・堀川寛・野中俊介・松本美菜子・平川沙織・NPO 法人全国引きこもり KHJ 親の会(2011)『「引きこもり」
の実態に関する調査報告書⑧』.
境泉洋・平川沙織・原田素美礼・NPO 法人全国引きこもり KHJ 親の会(2012)『「引きこもり」の実態に関す
る調査報告書⑨』.
竹中哲夫(2010)『ひきこもり支援論―人とつながり、社会につなぐ道筋をつくる』明石書店.
竹中哲夫(2012)「ひきこもり支援における訪問サポート(アウトリーチ)の方法論-『同意ルール』づくりへ
の一つの提案-」(日本福祉大学 ・ 知多市社会福祉協議会 ・ なでしこの会合同企画「アウトリーチから考え
るひきこもり支援(2012 年 3 月 11 日)」に於いて報告).
Support to Hikikomori persons(the Socially Withdrawn) with
their Aging Parents and Continuous Assistance after their Death
- considering on the construction of their life plans -
T. Takenaka
Keywords: Hikikomori, prolong social withdrawal, parental support, life plan
assistance to the socially withdrawn,
− 89 −
臨床心理学研究 50 - 1
【資料】
高校生の長期欠席(不登校)に関する調査の課題について
堀下 歩美 1)
要約:2006 年度、高校生の不登校に関する調査が始まったが、この調査は高校生の長期
欠席・中途退学の実態をわかりにくくしている。よって、本調査に対し課題を 2 つ挙げ
考察した。1 つ目は、長期欠席(不登校)者数等を算出する際に、転学など一つの学校に
とどまらない数も考慮し母数を明らかにして分析すること。2 つ目は、中途退学に至る前
に長期欠席(不登校)、原級留置を経ている場合は合わせて分析すること。このように様々
な事象を丁寧に分析し、高校生に起こる問題に対し複雑に絡み合った背景すべての関わ
りあいを丁寧に見ていく必要がある。以上より、筆者は不登校だけでなく、不登校以外
を理由として分類された長期欠席や原級留置、中途退学および転学のような高校生に起
こる事象について合わせた調査の必要性を主張したい。
索引用語:高校生の長期欠席(不登校) 中途退学 原級留置 不登校調査
Ⅰ.問題の所在
これまで長期欠席(不登校)は小中学生の問
て―小学校・中学校編―』として小中学生の長
題行動として取り上げられてきた。小中学生の
期欠席(不登校)に関する 104 ページの資料
長期欠席(不登校)については学校不適応対策
を発行し、その中の 1 ページにも満たないが、
調査研究協力者会議が 1993 年に「登校拒否問
高校生の長期欠席(不登校)について記述した。
題への対応について」を報告し話題となり、そ
また同年、文部科学省は『生徒指導上の諸問題
れ以後不登校という言葉がメジャーになった
の現状』(現在の『児童生徒の問題行動等生徒
(坂本,1993)。しかし高校生の長期欠席(不
指導上の諸問題に関する調査』)において、国
登校)については全く取り上げられず、調査さ
公私立高等学校における長期欠席(不登校)調
れなかった。
査を開始し、それ以後毎年高校生の長期欠席(不
10 年後の 2003 年、不登校問題に関する調
登校)も小中学生と同様に調査されるように
査研究協力者会議は『今後の不登校への対応の
なった。さらに 2008 年、国立教育政策研究所
在り方について(報告)』において、不登校に
は『適応感を高める高校づくり』を発行し、高
なった中学生の卒業後の進学先での問題として
校生の長期欠席(不登校)と中途退学の両方に
初めて高校生の不登校について言及し、その実
焦点を当てた。このように、近年ようやく高校
態を把握する必要性を発信した。これを受け翌
生の長期欠席(不登校)は調査されるようになっ
2004 年、国立教育政策研究所生徒指導研究セ
た。(この間の長期欠席(不登校)に関する調
ンターは『不登校への対応と学校の取組につい
査研究の経緯を表 1 に示した。)
1)東京学芸大学大学院連合学校 博士課程
− 90 −
高校生の長期欠席(不登校)に関する調査の課題について
表1 高校生の長期欠席(不登校)に関するこれまでの行政の調査研究
年
報告や調査の名称
機関
学校不適応対策調査研究協力者会議
(座長 坂本昇一)
1993
登校拒否への対応について(小中学校のみ)
2003
今後の不登校への在り方について(報告)
不登校問題に関する調査研究協力者会議
不登校への対応と学校の取組について―小学校・中学校編―
文部科学省
(座長 森田洋司)
2004
生徒指導上の諸問題の現状について
文部科学省
2005
生徒指導上の諸問題の現状について
文部科学省
2006
生徒指導上の諸問題の現状について
文部科学省
2007
児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査
文部科学省
適応感を高める高校づくり
国立教育行政研究所
児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査
文部科学省
2009
児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査
文部科学省
2010
児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査
文部科学省
2011
児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査
文部科学省
2008
内容
報告
不登校の中学生の
進路先として1頁にも
満たない記述
小中学校の不登校
に関する104ページ
の本
長期欠席(不登校)
調査
長期欠席(不登校)
調査
長期欠席(不登校)
調査
長期欠席(不登校)
調査
14ページの資料
長期欠席(不登校)
調査
長期欠席(不登校)
調査
長期欠席(不登校)
調査
長期欠席(不登校)
調査
ところで、2004 年に発行された小中学生の
をより注視する必要があると考える。高校生の
長期欠席(不登校)についての資料は 104 ペー
長期欠席(不登校)は図 1 のように、高校生に
ジに及ぶ大作であるが、うち高校生の長期欠席
起こる様々な現象と関連性がある。以下、その
(不登校)についての言及は 1 ページにも満た
様々な現象について解説していく。
なかった。それに加え、この小中学生の不登校
についての資料は公式に販売され流布している
のに対し、高校生の不登校に関する最新資料は
2008 年にホームページ上に掲載された 12 ペー
Ⅱ.高校生に起こる様々な現象
(図 1 をもとに)
1.原級留置
高等学校は小中学校の学年制と異なり単位制
ジのみである。このように高校生の長期欠席(不
をとっている。単位制とは「単位制高等学校教
登校)への注目はまだ低いといえる。
しかし、筆者は高校生の長期欠席(不登校)
育規程」(文部科学省 2007)によると、学年
− 91 −
臨床心理学研究 50 - 1
による教育課程の区分を受けない全日制の課
年の途中や 2 学年以上から入学することを編入
程、定時制の課程及び通信制の課程のことであ
学という(期間をおいて同じ高校へ再び籍をお
り、必要な科目の履修および単位修得を卒業の
く場合を再入学という)。編入学や再入学の生
要件としている。よって、その学年で必要な単
徒は在籍校を中途退学することとなるが、転学
位を修得できないと原学年に留め置かれて、更
とは、1 日も期間をおかずに他校へ籍を移すだ
に一年間同じ教科科目を履修し直す必要があ
けなので、中途退学としてカウントされない。
る。長期欠席(不登校)になると自然と欠時数
よって図 1 の中途退学者枠とは重ならない。文
が単位修得のための限度を超え(欠時オーバー
部科学省の中途退学調査においても、中途退学
と呼ばれる。以後、欠時オーバーとする。)原
者としてカウントされないため、転学者数は明
級留置に至る可能性がある。なお、原級留置を
らかになっていない。
避けるため、中途退学(進路変更)や転学に至
る生徒も少なくない。
ところで中途退学については対策を打つべき
課題として調査研究が行われているが、その多
くは北大高校中退調査チーム(2011)のよう
2.中途退学(進路変更)
に「転学・編入」を高校中退の一部分として扱っ
中途退学には、法律に基づく懲戒処分として
ている。家田(2011)も、はるな少年院の女
の退学と自主退学の二種類がある。懲戒として
子の実態を記す上で中途退学と転入という用語
の退学は、処分理由を明示した退学処分書によ
を混在させ区別していない。このように、転学
り学校長が退学を命ずるものである。自主退学
と中途退学を別のものとして丁寧に扱った体系
は、学校長あてに本人と保護者から退学届が提
的な研究は筆者が管見した限り存在しない。
出される。自主退学の場合、理由はおおむね進
さらに、高等学校現場においても他校への転
路変更ということであり、就職(アルバイト等
学として原籍校を離れる生徒について、教員か
の非正規雇用を含む)する場合もある。これら
らは中途退学者として語られることが多く、明
の生徒については、中途退学というより、高校
らかな区別はされていない。
で勉強することとは異なる生き方を選択しただ
けなので、進路変更と呼ばれることが多い。し
かし先の見通しがないままとりあえず高校は辞
4.長期欠席(不登校)
(1)文部科学省調査について
めるというだけの場合、進路変更というよりは
現在文部科学省は、2004 ~ 2006 年度「生
単なる中途退学者も多い。図 1 のように、在籍
徒指導上の諸問題の現状と文部科学省の施策に
校の籍を失う中途退学という枠の中に、就職す
ついて」、2007 ~ 2010 年度「児童生徒の問題
るなどの進路変更者も存在するという構図とな
行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」にお
ろう。本来であれば二者を区別し論を進めるべ
いて、高校生の長期欠席調査、中途退学調査の
きであろうが、文中においては以下転学との区
結果を公表している。長期欠席調査は、国公私
別を強調するため、二者をまとめて中途退学(進
立高等学校を年間 30 日以上欠席している生徒
路変更)とよぶこととする。
についての調査であり、欠席理由別に 4 つに分
類し(表 2)、不登校だけ取り上げて分析して
3.転学・編入・再入学
いる。ただし、2010 年度の調査結果は東日本
転学とは、在籍校から他の高校へ籍を移すこ
大震災の影響で東北 3 県のデータが入っていな
とである。他方、在籍校を一度中途退学してか
いため、本論では 2009 年度のデータを最新デー
ら期間をおいて他校へ籍を置く場合、特に 1 学
タとして扱う。
− 92 −
高校生の長期欠席(不登校)に関する調査の課題について
表2 長期欠席の理由別分類
欠席理由
欠席理由の内容
本人の心身の故障等(けがを含む)により、入院、通院、自宅療養のため、
病気
欠席理由
欠席理由の内容
長期欠席した者。
本人の心身の故障等(けがを含む)により、入院、通院、自宅療養のため、
経済的
家計が苦しくて教育費が出せないとか、生徒が働いて家計を助けなければ
病気
長期欠席した者。
理由
ならない等の理由で長期欠席した者。
経済的 家計が苦しくて教育費が出せないとか、生徒が働いて家計を助けなければ
何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、生徒が登校しないあるいはしたく
理由
ならない等の理由で長期欠席した者。
不登校 ともできない状況にある者。なお、欠席状態が長期に継続している理由が、学校生活上の影響、あそび、
何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、生徒が登校しないあるいはしたく
非行、無気力、不安など情緒的混乱、意図的な拒否及びこれらの複合等であるものとする。
不登校 ともできない状況にある者。なお、欠席状態が長期に継続している理由が、学校生活上の影響、あそび、
非行、無気力、不安など情緒的混乱、意図的な拒否及びこれらの複合等であるものとする。
その他 上記「病気」、「経済的理由」、「不登校」のいずれにも該当しない理由により長期欠席した者。
表2 長期欠席の理由別分類
欠席理由が2つ以上あるときは、主な理由を1つ選択。
上記「病気」、「経済的理由」、「不登校」のいずれにも該当しない理由により長期欠席した者。
※文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(2009)により筆者作成
欠席理由が2つ以上あるときは、主な理由を1つ選択。
注
表3 2004~2009年度の理由別長期欠席者数
※文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(2009)により筆者作成
注
その他
在籍者数
表3 2004~2009年度の理由別長期欠席者数
2004
年度
2004
年度
2005
年度
2005
年度
2006
年度
2006
年度
2007
年度
2007
年度
2008
年度
2008
年度
2009
年度
2009
年度
理由別長期欠席者数
病気
経済的理由 不登校
その他
計
理由別長期欠席者数
15,811
4,459
67,500
22,517
110,287
病気
経済的理由 不登校
その他
計
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た 時 の 割 合
14.34%
4.04%
61.20%
20.42%
100.00%
3,711,062
15,811
4,459
67,500
22,517
110,287
在籍者数を100%とした時の割合
0.43%
0.12%
1.82%
0.61%
2.97%
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た 時 の 割 合
14.34%
4.04%
61.20%
20.42%
100.00%
3,596,820
16,170
4,078
59,419
27,754
107,421
在籍者数を100%とした時の割合
0.43%
0.12%
1.82%
0.61%
2.97%
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た 時 の 割 合
15.05%
3.80%
55.31%
25.84%
100.00%
3,596,820
16,170
4,078
59,419
27,754
107,421
在籍者数を100%とした時の割合
0.45%
0.11%
1.65%
0.77%
2.99%
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た 時 の 割 合
15.05%
3.80%
55.31%
25.84%
100.00%
3,489,545
17,194
3,755
57,544
28,122
106,615
在籍者数を100%とした時の割合
0.45%
0.11%
1.65%
0.77%
2.99%
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た 時 の 割 合
16.13%
3.52%
53.97%
26.38%
100.00%
3,489,545
17,194
3,755
57,544
28,122
106,615
在籍者数を100%とした時の割合
0.49%
0.11%
1.65%
0.81%
3.06%
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た 時 の 割 合
16.13%
3.52%
53.97%
26.38%
100.00%
3,403,076
16,658
3,396
53,041
27,043
100,138
在籍者数を100%とした時の割合
0.49%
0.11%
1.65%
0.81%
3.06%
16.64%
3.39%
52.97%
27.01%
100.00%
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た 時 の 割 合
3,403,076
16,658
3,396
53,041
27,043
100,138
0.49%
0.10%
1.56%
0.79%
2.94%
在籍者数を100%とした時の割合
16.64%
3.39%
52.97%
27.01%
100.00%
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た 時 の 割 合
15,254
2,735
53,024
23,577
94,590
3,365,558
0.49%
0.10%
1.56%
0.79%
2.94%
在籍者数を100%とした時の割合
16.13%
2.89%
56.06%
24.93%
100.00%
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た時 の 割 合
15,254
2,735
53,024
23,577
94,590
3,365,558
在籍者数を 100%と し た時の割合
0.45%
0.08%
1.58%
0.70%
2.81%
16.13%
2.89%
56.06%
24.93%
100.00%
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た時 の 割 合
13,666
2,628
51,726
16,316
84,336
3,346,981
在籍者数を 100%と し た時の割合
0.45%
0.08%
1.58%
0.70%
2.81%
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た時 の 割 合
16.20%
3.12%
61.33%
19.35%
100.00%
13,666
2,628
51,726
16,316
84,336
3,346,981
在籍者数を 100%と し た時の割合
0.41%
0.08%
1.55%
0.49%
2.52%
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た時 の 割 合
16.20%
3.12%
61.33%
19.35%
100.00%
※文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」により筆者作成
在籍者数を 100%と し た時の割合
0.41%
0.08%
1.55%
0.49%
2.52%
3,711,062
在籍者数
※文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」により筆者作成
表4 2004~2009年度の不登校生徒のうち中途退学、原級留置になった者
中途退学
原級留置
表4 2004~2009年度の不登校生徒のうち中途退学、原級留置になった者
不登校生徒
不登校生徒
そこで 2009 年度の長期欠席調査(表
欠席者の
16.20%、その他
19.35% となってい
不登校生徒
不登校生徒
中途退学 3)に
原級留置
のうち
のうち
不登校
のうち30 日以上欠席
のうち
不登校生徒
不登校生徒
よると、全在籍者数のうち年間
るが、
どれも全在籍者数に対して
0.41%(病気)、
中途退学に
生徒数
不登校生徒
不登校生徒 原級留置に
中途退学に
原級留置に
のうち
のうち
不登校
している長期欠席者は 8 万 のうち
4336 名と、全高校
0.08%(経済的理由)
至った者
なった者 、0.49%(その他)と 1%
のうち
至った者
なった者
中途退学に
原級留置に
生徒数
の割合
の割合
中途退学に
原級留置に
生の 2.52% を占めている。中でも不登校を理
に満たない。なった者
至った者
2004年度
67500
24725
36.63%
7551
11.19%
至った者
なった者
由とした長期欠席者は 5 万 1726 名で、全高校
文部科学省は長期欠席理由の分類について、
の割合
の割合
2005年度
59419
21882
36.83%
6291
10.59%
67500
24725
36.63%
7551
11.19%
生の2004年度
1.55%
であるが、全長期欠席者数を母数
欠席理由が
2
つ以上あるときは、主な理由を
1
2006年度
57544
21485
37.34%
5703
9.91%
2005年度
59419
21882
36.83%
6291
10.59%
2007年度
53041と半分以上の長期欠席者の
19774
37.28%
5243
9.88%
とすると、61.33%
つ選択することとしている。保坂(2000)は
2006年度
57544
21485
37.34%
5703
9.91%
2008年度
53024
18459
34.81%
5018
9.46%
欠席理由は不登校となっている。一方、経済的
文部科学省の統計調査における小中学生の長期
2007年度
53041
19774
37.28%
5243
9.88%
2009年度
51726
16629
32.15%
5053
9.77%
2008年度
53024
18459
34.81%
5018
9.46%
理由は全長期欠席者の
3.12%、病気は全長期
欠席と不登校について、病気に分類された生徒
※文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」により筆者作成
2009年度
51726
16629
32.15%
5053
9.77%
※文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」により筆者作成
− 93 −
臨床心理学研究 50 - 1
のうち明らかに不登校ではないと認められるも
表2 長期欠席の理由別分類
路変更)、転学、編入学、再入学という制度の
欠席理由
欠席理由の内容
のは全長期欠席者数に対しわずか
2.9% であっ
存在を踏まえ、高校生の長期欠席(不登校)調
本人の心身の故障等(けがを含む)により、入院、通院、自宅療養のため、
病気
たことから、病気を理由とした長期欠席の中に
査に対し以下 2 つの課題を指摘したい。
長期欠席した者。
不登校のものがいることを明らかにし、調査の
経済的 家計が苦しくて教育費が出せないとか、生徒が働いて家計を助けなければ
Ⅲ.高校生の長期欠席(不登校)に関する
何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、生徒が登校しないあるいはしたく
からとらえ直すとした。
これを受け山本(2008)
調査の課題
不登校 ともできない状況にある者。なお、欠席状態が長期に継続している理由が、学校生活上の影響、あそび、
は長期欠席の分類基準が都道府県により異なっ
1.課題1:非卒業者への注目
非行、無気力、不安など情緒的混乱、意図的な拒否及びこれらの複合等であるものとする。
理由
ならない等の理由で長期欠席した者。
代替案として不登校という問題を常に長期欠席
表 4 によると、不登校に分類された生徒のう
ていることを独自の調査により明らかにし、不
その他 上記「病気」、「経済的理由」、「不登校」のいずれにも該当しない理由により長期欠席した者。
ち 30%以上が中途退学に、およそ 10%が原級
登校公式統計に対する保坂の代替案を支持し、
欠席理由が2つ以上あるときは、主な理由を1つ選択。
注
留置に至っている。よって、60%程度は中途
不登校現象の指標として長期欠席統計を採用す
※文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(2009)により筆者作成
るとした。高校生の長期欠席(不登校)におい
退学と原級留置のどちらにも至っていないこと
表3 2004~2009年度の理由別長期欠席者数
ても山本と同様の調査を行えば、長期欠席の分
になる。また、前述したように、転学は中途退
在籍者数
類基準が都道府県、さらに高校および教員によ
学の数としてはカウントされていないため、転
り異なっていることが推測される。
3,711,062
学者数は不明である。そのほかに、一度中途退
15,811
4,459
67,500
22,517
110,287
理由別長期欠席者数
病気
2004
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た 時 の 割 合
(2)高校生の長期欠席(不登校)
年度
経済的理由
不登校
その他
計
14.34%
4.04%
61.20%
20.42%
100.00%
学して時間をおいて他校へ入学し直す編入者、
0.43%
0.12%
1.82%
0.61%
2.97%
16,170
4,078
59,419
27,754
107,421
55.31%
25.84%
100.00%
退学した高校へ再度入学する再入学者の数も明
保坂、山本と同様の観点により、高校生の不
在籍者数を100%とした時の割合
3,596,820
らかではない。
15.05%
3.80%
2005
登校も長期欠席全体で捉えなおすべきであると
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た 時 の 割 合
年度
0.45%
0.11%
1.65%
0.77%
2.99%
一方で東京都教育委員会は転学者の人数およ
在籍者数を100%とした時の割合
筆者は考える。以上のような高校生に起こる
3,489,545
17,194
3,755
57,544
28,122
106,615
16.13%
3.52%
53.97%
26.38%
100.00%
様々な現象は長期欠席を経て起こる可能性があ
2006
びその割合(平成 22 年度全日制転学者 1317
年度
ることに加え、長期欠席の原因は不登校とは限
在籍者数を100%とした時の割合
3,403,0761 である。
らない。そのことを示したのが、図
名 0.49%
0.03%、定時制転学者
178
人 0.04%)
をホー 3.06%
0.11%
1.65%
0.81%
16,658
3,396
53,041
27,043
100,138
ムページ上に載せており、学校基本調査の元
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た 時 の 割 合
何らかの理由により長期欠席になった者が原級
年度
16.64%
3.39%
52.97%
27.01%
100.00%
データとしている。筆者はここから非卒業者率
留置や中途退学に至るという流れを考えると、
3,365,558
を加え、表
5 に示した(非卒業者率については
15,254
2,735
53,024
23,577
94,590
在籍者数を 100%と し た時の割合
欠席(不登校)者へのケアという観点が必要に
0.45%
0.08%
1.58%
0.70%
2.81%
の生徒数を母数として割合を算出していること
なる。
から、4 月中の退学者数が含まれていない点は
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た 時 の 割 合
2007
0.49%
在籍者数を100%とした時の割合
2008
年度
1.56%
0.79%
2.94%
後述するものとする)
5 月24.93%
1 日現在100.00%
16.13%
2.89% 。当該年度
56.06%
中途退学を防ぐための長1期つの可能性として長期
欠 席 者 数 を 100% と し た時 の 割 合
2009
年度
0.10%
3,346,981
長 期 欠 席 者 数 を 100% と し た時 の 割 合
13,666
2,628
51,726
16,316
84,336
16.20%
3.12%
61.33%
19.35%
100.00%
1.55%
0.49%
2.52%
ご承知いただきたい。
0.41%
0.08%
以上より、高校生の原級留置、中途退学(進
在籍者数を 100%と し た時の割合
※文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」により筆者作成
表4 2004~2009年度の不登校生徒のうち中途退学、原級留置になった者
中途退学
不登校
生徒数
不登校生徒
のうち
中途退学に
至った者
原級留置
不登校生徒
のうち
中途退学に
至った者
の割合
不登校生徒
のうち
原級留置に
なった者
不登校生徒
のうち
原級留置に
なった者
の割合
2004年度
67500
24725
36.63%
7551
11.19%
2005年度
59419
21882
36.83%
6291
10.59%
2006年度
57544
21485
37.34%
5703
9.91%
2007年度
53041
19774
37.28%
5243
9.88%
2008年度
53024
18459
34.81%
5018
9.46%
2009年度
51726
16629
32.15%
5053
9.77%
※文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」により筆者作成
− 94 −
高校生の長期欠席(不登校)に関する調査の課題について
ところで青砥(2009)は、文部科学省の中
教育委員会のデータより非卒業率を算出し表 5
途退学調査は「現実を正確にとらえきれていな
に示した。増減に波はあるものの、非卒業率は
い」と主張し表 6 を作成した。そのポイントは
中退率よりも 2 ~ 4 倍程度多く、10%近くの
2 つある。1 つは、文部科学省の表す中退率は
生徒が入学した学校を卒業していない年もあ
その年度の調査時点でその学校に在籍する生徒
る。
数に対する中途退学率であって、母数があいま
以上のように、高校生の長期欠席(不登校)
いであるという点である。ある年度の入学者数
調査を分析すると、長期欠席(不登校)の延長
を母数として、その学年が 3 年生の卒業時に至
にある中途退学(進路変更)および転学は、在
るまでの中退者数および転学者数、を調査する
籍校を辞めているという点では同様であるにも
ことでより実態に近づけるとしている点で、東
関わらず、一緒に考えられてこなかった。
京都教育委員会のデータ算出の一助ともなろ
う。しかしもう 1 つは、母数を入学者数にする
と途中転入や転出など生徒数の増減が考えられ
2.課題Ⅱ:原級留置者への注目
上記でも述べたように高校は小中学校と異な
るため母数が一定しないという点である。転入
り単位制であることより、進級及び単位修得に
転出など転学の正確な数値については殆どの都
は欠課時数が関わってくる。この単位修得と欠
道府県教委が調査していないため実態を明らか
課時数について、全国統一の規則は存在しな
にすることは難しい。母数を明らかにするのは
いが、県ごとに施行規則、学校ごとに教務内規
上述のように今の高校の生徒数増減の実態を考
が存在する。例えばある県は、県立高等学校管
えると困難を極めるが、青砥が指摘するように
理規則(昭和五十四年四月一日教育委員会規則
「高校中退が社会問題化しなかったのは、文科
第一号)において「生徒が学校の定める指導計
省が中退の実態を正確に社会に伝えてこなかっ
画に従って受けた授業時数が学年の授業時数の
たから」であるとすれば、転学のように生徒が
三分の二以上の場合、校長は、科目及び総合的
一つの学校にとどまらない実態、非卒業率を調
な学習の時間の履修を認定する」としている。
査し明らかにする必要はあろう。筆者は東京都
よって欠席が多い場合、欠時オーバーとなり単
表5 平成22年度3月に卒業した全日制・定時制都立高校の生徒の状況
入学者A
卒業者B
中途退学者C
転学者D
原級留置者E
中退率(C/A)
非卒業率(C+D+E/A)
平成20年4月に全日制
都立高校に入学した生徒の
平成23年3月末の状況
40,066
36,424
2,212
1,317
113
5.5%
9.1%
平成19年4月に定時制
都立高校に入学した生徒の
平成23年3月末の状況
4,387
2,284
1,705
178
220
38.9%
47.9%
※全日制は原則3年間で卒業であるが、定時制は原則4年間であるため、平成22年度3月卒業者の入学年は平成19年と20年と異なる
東京都教育委員会ホームページより筆者作成
表6 全国高校の非卒業者率と中退率の比較
2002年度 2003年度 2004年度 2005年度
A在籍者数(各年度5月) 1276349 1277837 1217147 1186670
B3年度の卒業者数
1202738 1171501 1147159 1088170
C非卒業者数
73611
106336
69988
98500
非卒業者率
5.80%
8.30%
5.80%
8.30%
2.10%
2.10%
2.20%
2.10%
文科省発表の中退率
同中退者数
77897
76693
77027
72854
※青砥(2009)p188より転載
− 95 −
臨床心理学研究 50 - 1
位を修得できないケースがある。なお、小中学
生の不登校児童生徒と同様に、高等学校におけ
Ⅳ.考察
前述したように、これまで高校生といえば中
る不登校生徒も、学校外の公的機関や民間施設
途退学が問題とされてきたが、その前段階とし
において相談・指導を受ける場合は保護者との
て長期欠席、原級留置を経ているとすれば、高
連携等を要件に、指導要録上出席扱いとするこ
校生の中途退学を防ぐ手立てとして長期欠席の
とが可能となった(文部科学省初等中等教育局,
実態をより細かく調査する必要があろう。文部
2009)。しかし、「指導要録上の出席扱いと科
科学省初等中等教育局(2009)がいう「高等
目の履修に当たる授業への出席とは異なるため
学校における不登校は、中途退学に至るケース
在籍校の履修要件に準ずる」との記載があるた
も多く、また、いわゆるニート、引きこもりと
め、授業に出席しない限り単位をとることは難
いった社会的問題との関連性も指摘されている
しいと考えられる。
ことなどから、不登校生徒への支援に当たって
表 4 のように、不登校を経て原級留置となる
は、児童生徒など若者の将来的な社会的自立に
生徒は存在する。本調査の対象は不登校に限定
向けて支援するという視点に立つことが重要」
されているため原級留置率は 10%前後と少な
という意見には筆者も賛成である。また、中退
いが、病気、経済的理由、その他も合わせ長期
率が全国でワースト 1 の大阪府は、2007 年度
欠席全体を対象にすれば、原級留置者の人数は
から、「府立高等学校中退問題検討会議」を立
増加すると考えられる。なぜなら、高校は欠席
ち上げ、中途退学者および長期欠席者の減少に
日数が増え欠時オーバーすると自動的に単位を
向けての方策を検討してきている。大阪府教育
修得できないしくみとなっているからだ。単位
委員会ホームページでは中途退学者数、不登校
を修得できなかった生徒の多くは、Ⅱ- 1 で述
生徒数、留年(原級留置)者数を合わせて公開
べたように卒業のために必要な科目が未履修に
し、そのうえで「落ち着いて授業を受ける習慣
なり原級留置となるが、年齢が下の生徒と一緒
のない生徒」に対し基礎学力の定着や人間関係
に授業を受けることを拒み、中途退学(進路変
づくりなどの対策を講じている。急速な効果は
更)する現状がある。彼らは原級留置ではなく
発揮されないものの、中途退学と長期欠席の両
中途退学に分類されるため、文部科学省の調査
方に焦点を当てた対策は緩やかに効果を見せて
の中で原級留置者の数としては上がらない。ま
いるという。このように高校生をサポートする
た、Ⅱ- 3 で述べたように原級留置が決定した
ためには、生徒が在籍校から離れる過程をきめ
時点で通信制高校など他校へ転学する生徒は原
こまかく分析し、高校に登校できない背景ごと
級留置には含まれない。このように、原級留置
に支援方法を変えていく必要がある。その過程
になる生徒の実態は明らかにされていない。
を分析する前提として筆者は図 1 を提案した。
以上のように、原級留置についても正確な数
高校生をサポートする第 1 歩として図 1 を
値が出ているとは言い難い。長期欠席を経て原
念頭に、前述してきたような方法で高校生の実
級留置、さらに原級留置を経て中途退学(進路
態調査をする必要があろう。課題Ⅰは、東京都
変更)、言い換えれば、欠時オーバーのため原
教育委員会のように、母数を、入学者数をもと
級留置が決定したので中途退学(進路変更)と
に転出者や留年者、中退者等の数値を差し引き
いう構図は想像に難しくないにも関わらず、表
し、微調整を行ったうえで非卒業率を算出する
3・4 のように断片的な調査しか存在しない現
ことであった。このことから、長期欠席(不登
状にある。
校)を理由に 1 つの学校にとどまらない生徒の
割合が増加し、対策の必要性が高まる。課題Ⅱ
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高校生の長期欠席(不登校)に関する調査の課題について
は、どれだけの長期欠席(不登校)生徒が原級
対策は急務である。そのためには、東京都や大
留置になり、中途退学(進路変更)とどのよう
阪府のように長期欠席(不登校)を中心に起こ
に関連しているかに注目することであった。先
る様々な事象の関わり合いを提示し、そのうえ
の見通しを持たずに中途退学する可能性を考え
で丁寧に分析する必要がある。
ると、長期欠席(不登校)および原級留置への
引用、参考文献
青砥泰(2009).ドキュメント高校中退.ちくま新書.
北大中退調査チーム(2011).高校中退の軌跡と構造(中間報告)-北海道都市部における 32 ケースの分析-.
公教育システム研究.第 10 号(pp1-60).北海道大学大学院教育学研究院 教育行政学研究グループ.
保坂亨(2000).学校を欠席する子どもたち.東京大学出版会.
家田荘子(2011).少女は、闇を抜けて.幻冬舎.
国立教育政策研究所(2004).生徒指導資料第 2 週 不登校への対応と学校の取組について―小学校・中学校編―.
ぎょうせい.
国立教育政策研究所(2008).適応感を高める高校づくり.
文部科学省(2003).今後の不登校への対応の在り方について ( 報告 ).
文部科学省(2004).生徒指導上の諸問題の現状と文部科学省の施策について.
文部科学省(2004).生徒指導上の諸問題の現状について.
文部科学省(2005).生徒指導上の諸問題の現状について.
文部科学省(2006).生徒指導上の諸問題の現状について.
文部科学省(2007).児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査.
文部科学省(2008).児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査.
文部科学省(2009).児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査.
文部科学省(2010).児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査.
文部科学省(2011).児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査.
文部科学省初等中等教育局(2009).高等学校における不登校生徒が学校外の公的機関や民間施設において相談・
指導を受けている場合の対応について.
文部科学省(2007).単位制高等学校教育規程.学校教育法.
大阪府教育委員会ホームページ http://www.pref.osaka.jp/kotogakko/seishi/
坂本昇一(1993).登校拒否のサインと心の居場所.小学館.
津田仁(2012).七章 教育の総和としての進路の実現―大阪府立高校における進路保障の取り組み-.格差を
こえる学校づくり 志水宏吉編.大阪大学出版会.
山本宏樹(2008).不登校公式統計をめぐる問題.教育社会学研究.第 83 集(pp129-148).日本教育社会学会.
− 97 −
臨床心理学研究 50 - 1
On a Survey into Senior High School Non-attendant Students
HORISHITA Ayumi
(Graduate School of Education, Tokyo Gakugei University, Japan, Doctral Course)
Abstract
The Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology started the survey on
high school non-attendant students however it does not show clearly the reality of dropouts. In this study, I discussed on two points in the survey. First, when calculating the
numbers of long-term absent (non-attendant) students, it is advisable to use the parameter
for analysis, excluding the numbers of students who leave schools for the reasons such
as school transfers. Second, in studying drop-out, cases such as the differences between
long-term absence (non-attendance) and staying back a year before drop-out should be
considered. There is a need for more accurate analyses dealing with more background
factors. The author argued the need for study analyzing not only non-attendance but also
other behaviors such as long-term absence with other reasons than non-attendance, dropout, staying back a year and school transfer.
− 98 −
『臨床心理学研究』投稿規定
1.『臨床心理学研究』には、臨床心理学とその
1 査読は研究者どうしの対等の立場から
関連分野における高質かつ多様な原稿を掲載
行う ( いわゆる「ピアレビュー」)。
する。類別は「論文」「資料」「評論」「大会
2 内容の独創性と豊かさを尊重する。
報告」「学会記事」「その他」とする。「論文」
3 主張の適否を評価するのではなく、
は、臨床心理学と関連分野における新たな知
論述の質を点検する。
見を、学術的に説得力のある記述により提示
4 専門分野の慣習に縛られず、大局的な
したもので、理論研究、事例研究、総説など
見地を重視する。
にわたる。「資料」は、学術的水準において
5 学問の自由の観点から、政治的、経済的、
論文に準じ、前記に加え学説の紹介、臨床や
社会的な利害・影響は評価に含めない。
活動の記録、当事者手記などを含む。「評論」
5. 原稿は、原則として電子ファイルで提出す
は、書評、論文評、大会評、提言など。「論文」、
るものとする。形式はテキストファイル、各
「資料」、「評論」は会員からの投稿と編集委
種ワープロファイル、リッチ テキストフォー
員会よりの依頼により構成する。投稿者は、
マット (RTF) 等で、ファイルの種別は問わな
投稿に際して原稿の類別を申請する。ただし、
いが、印刷技術上の制約で扱いの難しい場合
編集委員会の判断で類別を変更することがあ
には、別形式での提出を求めることがある。
る。「大会報告」と「学会記事」( 委員会報告
(PDF の場合には、同内容のテキストファイ
など ) と「その他」(事務連絡など ) については、
ルを添えるのが望ましい。)
編集委員会からの依頼原稿とする。
テキストファイル ( 文字コード情報のみが
2. 投稿原稿は未発表のものに限り、投稿者は
含まれるファイル ) の場合、原稿中のルビ、
日本臨床心理学会会員に限る。使用言語は日
下線、上点、斜体、太字などの特殊書体、お
本語、または英語とする。ただし引用など部
よび特殊文字については、表記法を任意に定
分的な使用は、これ以外の言語についても認
義して指定する。( 丸囲み数字、ローマ数字
める。
などの機種依存文字についても同様で、直接
3. 投稿原稿の作成にあたってはヘルシンキ宣
に書き入れないよう留意する。) 例えば、
凡例 :[ ] 内はルビ、【 】内は太字、^2 は
言に準拠し、心理学の立場からの十分な配慮
上付き文字の 2、&eacute; は e の鋭ア
を行うものとする。
4. 投稿論文については、別に定める査読要領
クセント、〈ss〉はエスツェット、{" u}
に基づく査読意見を参考に、編集委員会が掲
は u ウムラウト、○ 5 は丸囲み数字の 5
などと原稿のはじめに指定する。
載の採否を決定する。編集委員会は、採択、
修正採択、修正再審査、却下のいずれかの結
6. 画像を入れる場合は、 JPEG 等汎用性のある
形式の別ファイルを添付すること。
論を著者に通知し、査読意見を参考にその理
由を明示する。再審査にあたっては、前回の
7. 論文と資料は、註と文献一覧を含め日本語
審査で却下と判定した者は、査読者となれな
の場合は 20,000 字以内、英語の場合は 5,000
い。
語以内を原則とする。表題は日本文 ( 語 ) お
なお、 投稿者と査読者は、 論文の採否が決
よび英文 ( 語 ) を記し、600 字以内の日本文、
するまで、 編集委員会を介した意見の交換を
および 300 語程度の英文の要約を加える。
除き、当該論文に係わる接触を行なってはな
要約には研究の意図、目的、方法から結論ま
らない。
でを含めることが望ましい。評論については
その他の投稿原稿については、編集委員会
が論文に準ずる審査を行い、採否を決定する。
論文審査では、次の点にとくに留意する。
− 99 −
全体で 2,000 から 10,000 字を目安とする。
いずれにも牽引用語 (Key Words)5 語以内を
日本語または英語で添える。
臨床心理学研究 50 - 1
8. 編集委員会は、文意を損なわない範囲で字
学 研 究 』 投 稿 専 用 ア ド レ ス (nichirinshin_
句の修正、図表の体裁の改変等を行うことが
できる。
[email protected]) に送付する。
12. 校正で極力、誤字、脱落の訂正のみに留め、
9. 投稿原稿の著者は、活動のうえでの主たる
新たな加筆は避ける。校正時の加筆で余分な
所属先がある場合には、著者名の後に明記す
費用が発生した場合には、原則として著者に
る。著者名は本名を用いることを原則とする
請求する。また、加筆によって論文などの趣
が、筆名を使用したい場合には、本名ととも
旨が大幅に変わったと認められる場合には、
に筆名使用の理由を申請することとする。
掲載を取り止めることがある。
10. 文献の引用、参照の記述は以下を目安とす
13. 論文の著者には掲載誌 5 部を贈呈する。た
る。
だし、別刷については著者の実費負担により
(1) 論文の末尾に引用、参照文献の一覧を付
し、次項の要領で記述する。
行うものとする。
14. 掲載されたすべての原稿の著作権は日本臨
(2) 雑誌論文の場合は、著者名 ( 発行年 ). 論
床心理学会に帰属する。ただし、著者が『臨
文題名 . 雑誌名 . 巻 - 号 (pp. 最初の頁―最
床心理学研究』への掲載を明示したうえで再
後の頁 ). 発行所 . などと書く。単行本の場
合は、著者名 ( 発行年 ). 書名 . 発行所 . な
使用することを妨げない。
15. その他必要な事項は、編集委員会において
どと書く。複数の著者による単行本の部分
決定する。
を指定する場合は、著者名 . 当該箇所の題
名 . 編者名 ( 発行年 ). 書籍の表題 .(pp. 最
付則 1 本規定は 2002 年 4 月 1 日より適用する。
初の頁―最後の頁 ). 発行所 . などと書く。
付則 2 本規定は 2004 年 9 月 16 日より一部改
訳本の場合は、原本を原語にて上記の様式
で書き、その後に ( 訳者 ( 発行年 ). 邦文書
正し適用する。
付則 3 本規定は 2010 年 8 月 1 日より一部改
籍表題 .) などと書く ( 全体を括弧で括る )。
(3) 引用、参照箇所を明示すべき場合は、本
正し適用する。
付則 4 本規定は 2012 年 6 月 23 日より一部改
文の註に前項の著者と発行年とを記し、必
要なら頁などを指定する。
正し適用する。
付則 5 本規定は 2012 年 9 月 20 日より一部改
11. 投稿原稿は電子メールにより、『臨床心理
正し適用する。
編集後記
節目の 50 巻 1 号をお届けします。少し遅くなってしまいましたが、体裁を一新し、お待ちい
ただいた時間を少し埋め合わせたかと思っております。題字の字体は受け継ぎつつ、色環で離
れた所から色を選び、上質の仕上げとしました。中身はこれまでになく、論文と資料のみの組
み立てです。様々な事情の重なりからですが、節目の時にあたり、学術誌としての面目を新た
に示す仕上がりとなりました。論文も資料も、いずれも ( 拙論もありますが前委員会の採択で、
お手盛りではありません ! ー これ以外のものがとくに ) 力作です。本学会の新たな局面が具体
化しています。執筆されなかった会員の方がたも、受けられた刺激を次なる投稿に込めて、学
会活動を盛り立てていただきたく存じます。意欲に満ちたより良い投稿を、編集委員一同はお
待ちしております。
なお、表紙はもう一色の支度をしており、号によって使い分けるつもりです。次号を楽しみ
にお待ちください。
( 編集委員長 實川幹朗 )
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