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研究分野:専門分野はイギリス19世紀の文化と
せいみや み ち こ 教授 清宮倫子 1.研究分野:専門分野はイギリス19世紀の文化と文学です。イ ギリスのキリスト教会の屋台骨を揺さ振ったダーウィンの進化論を 研究テーマとしてきました。その時、科学時代にあわせてキリスト 教精神を再生させた人々がいました。そういう人々の研究をしてい ます。大学自体も競争にさらされる時代です。しかし、茨城キリス ト教大学は、その建学の精神を見失ってはならないと思います。そ こにこそ生き残る道があると思うのです。そういう気持ちで研究と 教育に励んでいます。 2.学歴・学位:早稲田大学大学院文学研究科英文学専攻博士課程後期単位取得退学。 文学博士。ケンブリッジ大学客員研究員 3.主著: 『ダーウィンに挑んだ文学者―サミュエル・バトラーの生涯と作品』(単著)南雲 堂。 『Darwinism in the Art of Thomas Hardy』 (単著)雄松堂・Proquest。 『進化論の文学 -ハーディとダーウィン』 (単著)南雲堂 讀賣新聞全国版(平成 22 年 6 月 13 日)に取り上げられました。 4.趣味:音楽鑑賞。エッセイ創作。 ひとつご披露します。 研究余滴 私は、平成22年に『ダーウィンに挑んだ文学者ーサミュエル・バトラーの生涯と作品』 を南雲堂から出版した。四六版二〇四ページの本であり、本学の図書館にも寄贈したので ご興味のおありの方にはお読み頂ければ幸いである。サミュエル・バトラーといっても、 イギリス文学に興味の無い人にとってはほとんど無名の作家と思われる。しかし、イギリ ス文学史において言及されないことはない。教養小説『肉なるものの道』や、風刺物語『エ レホン』や、『ノートブックス』の作者として知られ、我が国の芥川龍之介に影響を与え た。さらに、進化論の大科学者チャールズ・ダーウィンと大喧嘩したことが知られている。 私はここに興味を惹かれた。 1 私は、二〇年前に彼の作品を論じた紀要論文をひとつ書いた。その後は、別の作家を主 題にした博士論文の作成に没頭していたため、バトラー研究は一時休止せざるを得なかっ た。再開出来るようになったのが三年半前である。ちょうどその頃、ケンブリッジ大学で 客員研究員として留学する機会を得たので、迷わずバトラーに研究の焦点を定めた。ダー ウィンもバトラーもケンブリッジ大学の出身で、大学総合図書館に二人が交わした手紙が 保管されているので、チャールズ・ダーウィンとの絡みで、バトラーの全体像を把握して みたいと考えたのである。 ケンブリッジ大学総合図書館は素晴らしい建物である。焦げ茶色の石造りでそびえ立っ ている。遠くからでもその場所が分かるので、遠出して迷子になりかけた時には、これを 目印にした。その三階に「手書き原稿読書室」というのがある。そこに行って、申し込み 用紙に書き込んで司書に渡し、奥の方から現物を持ってきてもらうのである。私が頼んだ のは、かなり分厚い資料集二冊であった。始めから最後まで読む必要はない。それこそ「探 し読み」の能力が問われるのである。それも一日では読み切れない。何日か通った。出版 の話はすでについており、その中から選んで口絵にする資料の写真版を注文する際に、地 下にある「イメージング・サーヴィス」に降りていって手続きをした。 ダーウィンの手書き資料もバトラーの手書き資料も、ケンブリッジ大学が独占している わけではない。ロンドンのブリティシュ・ライブラリやアメリカのウィリアムズ・カレジ にも部分的に収蔵されている。特にダーウィンの資料は世界中どこの図書館でも垂涎の的 となっている。私が渡英していた二〇〇八年は、ダーウィンの生誕二〇〇年記念、主著『種 の起源』出版の一五〇年記念の前年にあたるため、前夜祭の雰囲気で、ケンブリッジ大学 でも記念の展示会を催し、記念の書物が出版され、市民対象の講演会もダーウィンを取り 上げ、定刻前にいっても座る席がないくらいの大盛況であった。 ロンドンにはナショナル・ポートレイト・ギャラリという美術館があり、著名人の肖像 画や彫像が収められている。そこに出掛けたのは、ゴーギャンが描いたバトラーの油絵が 収蔵されていると知っていたからである。ところが展示されていなかった。館員に尋ねる と、倉庫に仕舞ってあるという。そこではたと気づいたのは、ダーウィンに挑んだバトラ ーには、今このギャラリで展示される場はないという事実であった。ためしにダーウィン やバトラーが生きた時代、すなわちヴィクトリア朝時代の部屋を訪ねると、やはり、中心 にはダーウィンの巨大な肖像画が飾られ、ダーウィンのブルドッグと称されたトマス・ヘ ンリ・ハクスレーや、地質学の大御所チャールズ・ライエルらの肖像画が脇を固めていた。 ロンドンの自然史博物館も休日には大変な混雑であるが、その正面玄関に、巨大なダーウ ィンの大理石像が座っている。今日、科学が時代を動かし、社会を変えていることは、誰 の目にも明らかなので、一九世紀の後半に、このような時代に先鞭をつけた偉大なる人物、 宗教が懐疑の目をもって見られる現代を生み出した天才として、ダーウィンの業績は不動 のものであることは、誰もが知っている。 しかし、科学というものはそれほど信用できるものなのだろうか。宗教的懐疑の時代に 神の代わりになると見てよいものだろうか。たとえば、最近、判決があった「足利事件」 という例がある。菅谷さんという方の冤罪を晴らす判決が出た。DNA鑑定の精度が低い 時に、犯人でない可能性のある人を犯人と断定して、有罪判決を出し続け、高精度のDN 2 A再鑑定結果に基づく再審において、無罪判決が出たという事件である。本人は、殺人を 犯していないのに、科学的に証明されていると検事に追及されて、さぞ驚いたことであろ う。新聞にいろいろ論評されたが、つまりは、検事も判事も当時のレベルの科学を信じて しまったということなのではないだろうか。因みに、判事の立場からは、無罪という判決 を出しにくかったのでは無いかと思われる。科学というものは、信用できないという議論 を提示せねばならないからだ。科学者の倫理、社会的責任問題は、原子爆弾で論じ始めら れた議論なのだが、さらに難しい問題がつきつけられたといえないか。科学者のほうから、 「私どものいうことは将来撤回されるかもしれないから、そのつもりで聞いて頂戴ね」と は言えないであろう。そんなことを言ったら、事業仕分けで一円も予算が取れなくなるこ と請け合いである。しかし、ニュートンの「万有引力の法則」でさえ、アインシュタイン の「相対性理論」によって修正を迫られた事実を忘れてはならない。 私がサミュエル・バトラーに関心をもったのは、このような問題意識からであった。バ トラーが提示している進化論は現在の科学では否定されている。その進化学説をもってダ ーウィンに立ち向かっていったので、科学者たちからは馬鹿にされ、揶揄されたのであっ た。しかし、彼の文学者としての評価は、科学の視点から見た彼の進化学説の信憑性によ って決定されるべきものなのだろうか? 科学者と文学者はスタンスが違うにもかかわら ず、ダーウィンという、この科学時代においては神にも等しい人物に挑んだために、消さ れてしまったというのが、私のバトラーに対する率直な感想であった。 ケンブリッジに行って、私は自分の問題意識が間違ってはいなかったことを確認した。 バトラーは、無視されても、忘れられてもいなかったのである。ケンブリッジ大学は、沢 山のコレジと呼ばれる学寮の集合体なのであるが、その中でセント・ジョンズ・コレジと いうのはかなり格の高いほうである。伝統があるばかりではなく、優れた卒業生を大勢輩 出している。ここの付属図書館に「サミュエル・バトラー・コレクション」というのがあ った。生涯独身であったバトラーの、遺産の管理を任された親友ヘンリ・フェスティング・ ジョーンズが、種々の博物館などの施設に収められていない資料ーー彼の描いたスケッチ、 残した蔵書、ノートブック、原稿、手紙、身の回りの品々、彼についての研究書等ーーの 散逸を避けるために集めたのである。そして、ここの卒業生は自動的に「サミュエル・バ トラー・ソサエティ」の会員となり、「サミュエル・バトラー・ルーム」を使う事が出来 る。これはジョークではないのである。 ケンブリッジ大学といえば、ダーウィンと並び称される偉大な科学者、「万有引力の法 則」の発見者アイザック・ニュートンもこの大学を卒業して、教授をつとめていたことが ある。日本では子供向きの物語になっているジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行 記』は、ニュートン他界の前年一七二六年の出版だが、歴とした大人向きの風刺文学の嚆 矢であり、当時としては珍しかった科学者を揶揄しているので有名である。第三篇のラピ ュータ、バルニバービ両国の描写で、ニュートンが会長を務めていた時代の「王立協会」 の機関紙『科学会報』に報告された研究を風刺している。特に、バルニバービの首都ラガ ードにあるグランド・アカデミーで行われていた、胡瓜から日光を抽出する研究、蚕の代 わりに蜘蛛の巣で繊維を作る研究は実際この紀要に載っていた報告を使ったものなのであ る。スウィフトはさらにパロディーを効かせて、糞尿から食物を合成する科学者を描いて 3 いる。ラピュータ人は、常にボーとしているので、召使いが棒に豆を入れた袋を付けて、 その袋で、主人が聞くべきときは耳を、話すべき時は口を、見るべきときは目を叩くと書 いてあるのは、どうやらニュートンを揶揄しているということである。 バトラーの代表作『エレホン』はガリヴァー旅行記』を手本にして書かれた。「どこに もない」という意味の「エレホン」という架空の国を想定し、そこでは、機械使用禁止令 が施行されたり、犯罪より病気が重罪として断罪されている。これらはすべて、ダーウィ ンの進化学説を揶揄しており、彼のダーウィンとの位置関係は、ニュートンに対するスウ ィフトと同じであることは明らかである。 イギリス人は商品になるものとならないものを峻別するセンスに優れている。ダーウィ ンがもてはやされればそれを売りに出すことを優先する。しかし、一方で資料を大切にす る国民でもある。ひとつの思想や学説が永遠に絶対の真実ではありえないことを知ってい る。対立するものを抹殺せずに保管しておくのである。それはバランスを大切にする精神 でもある。私は、ここにイギリスという国の文化の奥行きを感じたのである。(茨城キリ スト教大学言語文化研究所パンフレット掲載) 4