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シエイクスピア全キャリアの中では第一一期に分類される

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シエイクスピア全キャリアの中では第一一期に分類される
﹃十二夜﹄における変装の特色
時期に書かれた喜劇﹃十二夜﹄ 弓≦。一︹庄Z一σq葺 二六〇
シェイクスピア全キャリアの中では第二期に分類される
ラとうり二つということになっている。ヴァイオラは兄に
起こる。当然兄のセバスチャンは見た目が男装のヴァイオ
井 上
一年ころ︶のプロットの特色をなすのは、以下の二点であ
いる︵第三幕第四場︶。もちろん二卵生双生児が外見までそ
似せて自らの男装を形作ったことは台詞として明かされて
っくりになるというのは、生物学上では無理があるが。
ろう。まず、第一に、女主人公ヴァイオラの男装による彼
女自身の内面の葛藤。ヴァイオラは男性としてイリリアの
ヴァーリオを巡る笑劇的なエピソードがあり、これももち
ろん様々な点で重要な要素ではあるが、それはここではそ
以上の二つの他に、 ﹃十二夜﹄には、副筋としてのマル
ァイオラをその女性への恋の使者に送る。そこに起こって
れはひとまずおく。この二つのプロットの具体的な展開に
てしまう。しかし、公爵は別の女性に心を寄せており、ヴ
くるのが、男としての見掛けとその仮面の下の女性として
ついては筆者は既に他のシェイクスピア喜劇における変装
オーシーノウ公爵に仕える。そこで、彼女は公爵に恋をし
の素顔との食い違いであり、その混乱は、さらに公爵の恋
れている喜劇ということができる。というのは︿見掛けの
するオリヴィアが小姓姿のヴァイオラに恋するようになる
き別れたヴァイオラの双子の兄セバスチャンが偶然同じ町
違いー内面は同じ﹀という男性/女性のいわゆる変装状態
いうならば、 ﹃十二夜﹄は二つの変装状態によって支えら
に辿り着いたことから生じる誤解の数々。つまり、自分の
に対置されるものとしてのヴァイオラ/セバスチャン間の
と比較・検討を試みているので詳細は省略する垣 一言で
知らないところでもう一人の自分が行動しているという自
双子の騒動を︿見掛けは同じ−内面は異なる﹀という構図
ことから一層深まることになる。そして第二に、難船で生
我の混乱、いわゆるミステイクン・アイデンティティーが
一9一
優
両者はそれぞれ、主人公の自己を最大限まで引き裂き、そ
で、これも一つの変装状態ということができるからである。
に照らして考えてみるならば、前者に対応するという意味
では彼の作業を踏襲しながら、より具体的に、変装と人違
<orト。︵印o巳8巳σqρ﹂⑩σc。︶において行っているので、ここ
材源﹄Z胃冨ごくo碧画O﹃①目①富o。。○旨ooΦo︷o。巨畏o・・駕胃o
較はG・ブラウが彼の著書﹃シェイクスピアの物語と劇の
いのメイン・プロットに話題をしぼりたい。そうした作業
れゆえ、最終場面で約束されているハッピーエンドを、よ
り強烈に印象づけるのである。
の中で、シェイクスピアの採った独自の見地が明らかにな
与えてくれよう。というのは、そうした伝統的な作品に対
ャリアの中での﹃十二夜﹄の位置付けについても、示唆を
ってくるだろうし、また、それが、シェイクスピアの全キ
しかし、これらの要素は、どちらもシェイクスピアの独
創によるものではない。周知のようにシェイクスピアの作
この﹃十二夜﹄の場合、一六世紀イタリアの喜劇﹃だまさ
品にはたいていの場合、種本となった作品があるのだが、
れた人々﹄ ○一、甘σq①口8茸︵一五三八年。イントロナティ
という文学者サ|クルの作とされる⊃がそれにあたる・そ
クスピアのヴァイオラに当たる主人公はここではレリアと
ロットは、 ﹃十二夜﹄のそれとほとんど大差ない。シェイ
べたように、 ﹃だまされた人々﹄の基本的な背景およびプ
する姿勢は、彼のキャリアの中では微妙に変化しているか
一
らである。
10
まず、女主人公の男装という点から見てみよう。既に述 一
こでの男装の主人公をめぐるプロットは﹃十二夜﹄のそれ
代ローマの喜劇作家プラトゥスの﹃メナエクムス兄弟﹄
名乗っている。オーシーノウ公爵はフラミニオ、オリヴィ
とほとんど変わりない。また、双子ものという点では古
ζoづ①o合日一の数多くある改作の一つということもできる
まず第一に挙げられるのが両者の変装の目的の違いであろ
では、ヴァイオラとレリアの間の決定的な違いは何か。
アにあたるのがイサベラという女性である。
︵その中には当然シェイクスピア自身の﹃間違いの喜劇﹄
さて、シェイクスピアは、この﹃十二夜﹄においてそう
う。レリアの場合は変装の目的がすなわちそのまま、プロ
Oo日o身o︹国ぼo誘も含まれる︶。
した伝統的な喜劇の約束事に対して、どのような﹁味つけ﹂
常に明確な理由を持っているからである。レリアは劇の第
ットの推進力になっている。というのは、彼女の変装が非
を行っていったのであろうか。この小論ではそうしたいわ
ゆる﹁大陸的﹂な喜劇群との比較において﹃十二夜﹄を検
討したい。ただし﹃だまされた人々﹄と﹃十二夜﹄との比
の目的はフラミニオに近づき、そして彼のイサベラに対す
レリアと侍女のクレメンツィアの会話の中でレリアの変装
一幕から既に男装した姿で観客の前に姿を現す。そして、
れしそうにおまえを迎え入れて歓迎している、彼女が
ってこないとは。それでいて彼女は、いつもあんなう
おかしいじゃないか、今までおまえが何の返事ももら
フラミニオ ファビオ︵筆者注・レリアの男装中の名前︶、
きです。
方をあきらめて、あなたを愛してくれる女性を探すべ
足するものですか。僕の忠告を聞いてください。あの 一
力的な話をなさるハンサムな男性ー貴方様はまちが
いなくそうなのですーが、どうして女性の伴侶に不 一
11
思いますね。あなたのように高貴で、才能豊かで、魅
たら、自分の求婚を歓迎してくれる人に奉仕したいと
説明したはずですが。 ︵中略︶もしも僕があなただっ
レリア そのことについては、あなた様には20回以上も
僕をきらっているとはどうしても思えないよ。
る思いを断念させようとすることにあることが明かされる。
フラミニオは以前レリアに恋をしたことがあるが、現在は
心変わりをして、イサベラに思いを寄せているという、﹃夏
の夜の夢﹄を彷彿させる状況が説明されるのであ肥・
レリア フラミニオは今言ったように、イサベラ・フォ
私を彼女のところに遣って、手紙と伝言を届けさせる
イアー二に恋をしている。それで、あの人は、いつも
のよ。イサベラはもちろん、私を男と思っている、そ
れで私のことが心底好きになってしまったのね。考え
られるかぎりの親切を尽くしてくれるわ。でも私は彼
そして、レリアが、 ﹁他にあなたを愛してくれる女性はい
女に言ったの。私はあなたを愛せない、フラミニオの
あなたに対する思いがなくならない限りはって。私、
ないのですか﹂と聞くと、フラミニオはおまえにそっくり
なレリアという女性が昔自分を愛してくれたし、自分も一
うまくいったと思うの。二、三日ですべてが終わるわ、
ラへの思いへと導いたのだ、というような答えをする。そ
年近くの間彼女を愛していたが、運命は今、自分をイサベ
したがって、彼女はフラミニオとの会話においてもイサベ
れに対して当のレリアはー
あの人はイサベラのことを諦めるはず亭
ラへの思いを断ち切るような何度となく提言する。例えば
第二幕冒頭ー
女を捨てて、他の女性に求婚したりするのですか。
まだあなたのこと変わらず愛しているのなら、何で彼
レリア そのかわいそうな女性があなたの初恋の人で、
もみんな無駄。だましてみたところで何にもなりはし
てみたって何の得にもなりゃしない、これまでの親切
って私をこぼむ男に仕えるのさ! 私をはねのける男
て、はねのけられて、避けられて、嫌われて! 何だ
なかったんだわ。何てかわいそうなレリア! 拒まれ
言うまでもなく、これは彼女の仮面の下に隠れた、女とし
だって私を嫌う男を愛するのさ! ︵中略︶もうあの
人に仕えるのはやめ、こんな服も着てはいられないわ。
を求めるのさ! 私を避ける男を追い掛けるのさ! 何
ここでの変装の特質は﹃だまされた人々﹄というタイトル
もうあの人にも会うまい。だって私、こんなに嫌われ
ての本心である。この劇のおもしろみは、当然、こうした
からも分かるように、 ﹁だます﹂という点に重点がおかれ
てるんだもの。
変装と素顔との境目の揺れにもある。しかし、基本的に、
ている。レリアは言うまでもなくイサベラをだまそうとす
も副筋で別のだまし合いを展開する。イタリア喜劇の基本
レリアと結ばれようとするし、そうした騒動に加えて侍女
だろうか。結論から言うと、毛利三弥氏も指摘しているよ
それに対して、シェイクスピアの男装はどうなっている
とからも、レリアの行動の目的は明らかである。
﹁だましたところで何にもなりはしなかった﹂とあるこ
る。そしてそのイサベラもフラミニオをだまして変装した
だからレリアの苦悩は﹁だます﹂という策略の挫折にある。
う喧ここには﹁だます﹂ということが目的の変装はない・
的な性質である﹁だますこと﹂に徹していると言っていい。
以下、第二幕終盤近くのレリアの独白を見てみよう。
その点が﹃十二夜﹄の変装を巡るプロットの特徴を﹃だま
る。もちろん﹃十二夜﹄でも、すでにみたような、変装し
た姿において自分の本心を語ってしまう、という、観客だ
された人々﹄のそれと大きく異なるものにしているのであ
んなにおまえを愛しているか分かったろう。かわいそ
けが知っている主人公の二重の立場のおもしろみに重点が
ずのフラミニオの口からもれた言葉を。これで彼がど
うなレリア! あんな残酷な男にこれ以上仕えて時間
置かれているという点では﹃だまされた人々﹄と共有する
レリア さあ、おまえは自分の耳で聞いたんだ、恩知ら
を浪費しようっていうのかい?辛抱したって、祈っ
一12一
とはできないと言われたら?
ヴァイオラ ︵オリヴィアが︶もしも貴方様を愛するこ
練されている。例えば有名な第、一幕第四場のやりとりー
部分は多い。もちろんシェイクスピアのやりとりは数段洗
はフラミニオを自分に振り向かせるように仕向けること。
く左右している。レリアがはっきりと、自分の変装の目的
ている。それは変装のプロットの在り方そのものをも大き
アとヴァイオラは、その変装の目的において大きく異なっ
夜﹄に軍配が上がってしまうのは仕方ないとしても、基本
技術面においては原作の半世紀以上後に書かれた﹃十二
どこかにいると思いますが、/一人の女があなた様へ
とりあえず身を落ち着かせるためである。もちろん結果と
ヴァイオラの変装の目的は見知らぬ異国の地に漂着して、
つまり、 ﹁だますこと﹂にあると言明していたのに対して、
的な面白みはほぼ共通していると言えよ犯・しかし・・リ
ヴァイオラ 聞かないわけにはいきません。/たとえば、
公爵 そのような返事は聞かぬ。
の愛ゆえに、いまのあなた様と/同じ悩みを味わって
してヴァイオラの変装は人を欺くことになるが、もともと
が欺くことを目的としていない点において、より純粋な変
事を聞かないわけにはいかないでしょう? /︵中略︶
でも私は知っておりますi
装、言い換えるならば、変装そのものの面白みに焦点をし
いて、あなた様に愛を拒絶されたら、/そのような返
ヴァイオラ 女の愛がどんなものであるのか。/女も私
公爵 何を知っておる?
度はヴァイオラの方の、変装による混乱が引き起こした困
の中に引き起こした混乱についての悩みに見て取れる。今
ぼった変装ということができよう。それは変装が自分の心
ありまして、ある男を愛しました、/私が女でしたら
惑についての独白を見てみよう。
たちに劣らずまことの愛を捧げます。/私の父に娘が
きっと貴方様に抱いたであろうような、深い愛でした。
ず、/胸に秘めて、つぼみにひそむ虫のような片思い
ヴァイオラ 白紙のままです。自分の恋をだれにも言わ
なり、/お嬢様はかんちがいして女で男の私に首った
様を愛し、/男で女のこのあわれな私は公爵に夢中に
ヴァイオラ これからどうなるのだろう? 公爵はお嬢
公爵 で、どうなった、その恋物語は?
に/バラの頬をむしばませたので古。
け。/いったいどうなるのだろう? 私は男だから/
一13一
がいくら溜息をついてもそれはむだ!/このもつれた
女だからーああ、何と言うことだろうー/お嬢様
いくら公爵をお慕いしても望みはない。また、/私は
んここでは、レリアは父親の意図する結婚から逃れ、最終
たレリアに恋をしてしまうイサベラの父親である。もちろ
させようとしている。このジェラルドというのは、変装し
父親ヴィルジニオは、彼女を自分の友人ジェラルドと結婚
ってこうした父親像は喜劇の対象としては関心を引かな
初期の喜劇はともかく、この時期のシェイクスピアにと
つからないうちに結婚式を挙げようと退場する。
的には当初の目的のフラミニオの翻意に成功し、父親に見
糸は私の手にあまるわ。ああ、時よ、/おまえの手に
まかせるわ、これを解きほぐすのは。 ︵第二幕第二場︶
この独白は、先のレリアと同じく、第二幕に見られるもの
か・たようであ弛父親はむしろ悲劇の中に色濃く現れ
であるが、レリアの混乱が、すでにみたように、自分の策
筆・上演されていくわけであるが、この中の二作、つまり
略の挫折にあったのに対し、ヴァイオラの悩みは自分の置
﹃ハムレット﹄ ﹃リア王﹄は父と子の関係を扱っている。
るようになる。 ﹃十二夜﹄ ﹃お気に召すまま﹄を頂点と
う点は、 ﹃十二夜﹄を大きく特徴付けるもう一つの要素に
シェイクスピアが喜劇の対象として父親像を扱い始めるの
かれた複雑な状況そのものに対するものとなっていること
もはっきりと見て取れる。よく指摘されるように、 ﹃十二
は、彼のキャリアの最後に至ってである。 ﹃テンペスト﹄
するいわゆる喜劇の時代以後、シェイクスピアは悲劇の時
夜﹄の世界には、 ﹁だますべき﹂父親の影がまったく見ら
を頂点とするいわゆるロマンス劇の中で、父親像は重要な
代に突入する。世界演劇史に輝く四大傑作悲劇がここで執
れな嘔。純粋に若い世代の間のみで演じられる喜劇なので
は一目瞭然であろう。
ある。ギリシア・ローマ以来の伝統として喜劇においては、
位置を占めるようになる。ただしここでは、父親は嘲りの
そして、その﹁だますこと﹂に主眼を置いていないとい
父親は主人公である若者にとっては敵対するものであった。
対象ではない。許しと慈愛の象徴的なものとなっている。
していない点はむろん無関係ではあるまい。それゆえ、こ
父親が欠落している点と、変装が﹁だますこと﹂を目的と
﹃十二夜﹄において、こうした﹁だます﹂対象としての
当然父親は主人公たちにとって欺きの対象であり、最終的
まされた人々﹄においても、父親の存在は、そうした伝統
なハッピーエンドは、父権に対する勝利でもあった。 ﹃だ
的な位置づけの中にあるといっていい。女主人公レリアの
一14一
景となる事件はすでに起こっていた。しかし、 ﹃十二夜﹄
冒頭からすでに始まっていて、古典主義の規則通りに、背
に向いていると言ってもいいだろう。レリアの変装は劇の
せている。つまり、この劇の視点は人間性についての洞察
こでは、プロット展開は純粋に変装そのものに焦点を合わ
れる。しかし、 ﹃間違いの喜劇﹄においては、シェイクス
先述したようにシェイクスピアの﹃間違いの喜劇﹄も含ま
様々な国で翻案・改作されてきており、その中の一つには、
である。この﹃メナエクムス兄弟﹄は、ルネサンス以後、
できる範囲での起源はプラトゥスの﹃メナエクムス兄弟﹄
エリザベス朝演劇を特徴づける挿話的展開を取っている点
性の目を通してすべてが展開していくのである。もちろん、
らかになり、主人公たちのアイデンティティーが再び確認
つまり、双子同志が最後に出会い、そして、混乱の源が明
ス兄弟﹄を読むときに期待するものとそれほど違わない。
混乱の収拾の仕方は、私たちがプラウトゥスの﹃メナエクム
ピアは、まだ大陸的な作劇法の範囲を出てはいない。主人
で、 ﹃十二夜﹄には古典主義的な緊張感は欠落している。
されるというパターンである。
では冒頭ヴァイオラは変装する前の姿で現れる。当然事件
そのため、劇の前半はどうしても分散した印象を与えてし
この双子騒動を男女の兄妹の騒動に置き換えたのは、イ
設定し、双子騒動を倍加させたりなどの工夫は見られるが、
まう。しかし、そういう時間が止まったかのような前半部
タリアのビビエナの﹃ラ・カランドリア﹄二五二二年︶
公たちばかりでなく、それぞれに仕える召使までも双子に
分とは対照的に、後半部分には↓気に終結まで駆け抜ける
であるとい畑・兄妹の双子騒動という点では・’その二+年
はこれから起こる。事件に巻き込まれていくヴァイオラを
印象が残る。第五幕に向けて、すべての混乱が留保された
後の﹃だまされた人々﹄は、ビビエナに倣っていることは、
観客はつぶさに目にすることになる。ヴァイオラという女
は、 ﹃十二夜﹄に比較して前半でも後半でも一定のペース
まま拡大していくからである。一方で﹃だまされた人々﹄
︵レリアとファブリッツィオを同︸の俳優が演じたためか?︶
もちろん否定できない。しかし、その双子騒動においては
々﹄も﹃十二夜﹄も、共に双子騒動を中心に展開している
い。したがって、兄ファブリッツィオが登場する第三幕以
兄と妹が同時に舞台で出会う場が一つも設けられてはいな
が貫かれているように思える。後半部分は﹃だまされた人
の取扱いにかかってきていると言うことができるだろう。
降は、混乱の中心はファブリッツィオに移り、どうしても
ことを考えると、その印象の違いは双子をめぐるプロット
すでに述べたように、双子ものの現在さかのぼることの
一15一
騒動がヴァイオラという一人の女性を浮かび上がらせるた
の双子﹄などーとも、はっきりと境界を示すのは、双子
あるいは後続作品−例えばゴルドー二の﹃ヴェネッィア
違いの喜劇﹄︶まで含めたこうした双子ものの先行作品と、
しかし、 ﹃十二夜﹄が、シェイクスピア自身の作︵﹃間
レリア自身の印象は薄くなってしまう。
分の気持ちに大きく揺さぶりをかけられる。さらにはセバ
表明する。こうしてヴァイオラは、今確認したばかりの自
の事実を知った公爵も、ヴァイオラに対する激しい怒りを
わにする。そして、そこでヴァイオラとオリヴィアの結婚
い込んでいるので︶裏切られたと思い、自分の怒りをあら
を耳にしたオリヴィアは︵セバスチャンをヴァイオラと思
オリヴィアと内密に結婚式を済ませており、当然この台詞
をヴァイオラの面前で訴える。ヴァイオラのアイデンティ
スチャンと遭遇した連中が舞台に集まってきて、その被害
めに用いられているという点である。すべてが彼女の目の
長い最終場に集約されている。その中でヴァイオ゜ラは、ひ
ティーは、ここで最大限に引き裂かれる。そうしたギリギ
前で展開する。そして、それは第五幕第一場という比較的
とつの強い意思を確認していくことに注意しなくてはなら
て、引き裂かれ、錯綜していたアイデンティティーが一気
リの状況の中に兄のセバスチャンが登場する。ここにおい
に収束する。すべての混乱の源が明らかにされ、オリヴィ
ない。つまり、愛するオリヴィアに決定打とも言えるつれ
対する思いをヴァイオラはいっそう強くする。オリヴィア
アはセバスチャンとの愛を確認し、公爵は今までの献身ぶ
ないそぶりをみせつけられ、落胆するオーシーノウ公爵に
に対する台詞の中にそれがはっきりと見て取れる。
ぶ女よりも、/大事な方に従います。この気持ちが偽
このいのちよりも/この世のなによりも、将来妻と呼
ヴァイオラ 愛する方の/あとについて、この目よりも、
のである。レリアが冒頭から強い意思を持って行動し、し
大きく揺さぶりをしかけ、さらにそれを強調しようとする
れが最終的に能動的な意思を持つようになる。 一旦それに
ヴァイオラは冒頭から、あくまで受け身に徹していた。そ
入れる。そして舞台は、望まれたハッピーエンドを迎える。
りから、女としてのヴァイオラの愛に気づき、それを受け
げます、すぐさま。
物としての面白みを欠いた、単なる劇中人物に堕してしま
かし、劇の半ばでその意思の挫折を味わい、以後は登場人
りなら、神様、/愛を汚した罰に私のいのちをさしあ
しかし、このときすでに、ヴァイオラの兄セバスチャンは
一16一
うのを考えてみるなら、シェイクスピアのプロットに仕組
では、初期のシェイクスピアの試行錯誤の辿り着いたひと
設けて、十分に検討しなくてはならない。とりあえずここ
まずの完成点を確認するにとどめたい。
まれた独創を十分読み取ることができるだろう。
結論するならば、ここでのシェイクスピアの喜劇的な約
束事の扱いは、伝統演劇の枠組みの中での大胆な実験とい
うことができるだろう。 ﹃だまされた人々﹄が伝統演劇の
枠組みにすっぽりはまった笑劇とするならば、 ﹃十二夜﹄
→︸拙論﹃変装のドラマトゥルギーーシェイクスピアとブレ
② イントロナティとは﹁雷雨﹂の意。この文学サークルの具
はその枠組みを最大限に拡大していると言うことができる。
呼ばれる数作を経て、最終的段階、つまり四つのロマンス
体的な個人名は不明のようである。
攻・修士論文︶を参照。
劇と呼ばれる喜劇へと移る。悲劇の時代に隣接する前者に
3 ﹁夏の夜の夢﹄はこの設定からもわかるように、イタリア
ヒトの場合ー﹄︵明治大学大学院・文学研究科・演劇学専
おいてー﹃尺には尺を﹄のような悲劇との境界を定め難
喜劇的な要素が強いといっていいだろう。
この傑作喜劇より以後、シェイクスピアの喜劇は問題劇と
いようなプロットを展開したりなどとー喜劇と悲劇とい
→︶ ﹃だまされた人々﹄の本文からの引用は、ここではすべて
豆 毛利三弥﹁シェイクスピア喜劇におけるく変装∨の問題﹂、
言bd28勺巴日g°勺ΦR已ロ9g巴○°。∨一鵠゜。°
烈g旨9礼§閲§9句句§口鳴9s&芯句゜&°pa言g°。°
ブルース・ペンマンによる英訳による。.、弓ずoOooΦ↑<Φ臼11ぎ
う枠組みそのものに対する実験を行う。そしてファイナル・
プレイズにおいて、シェイクスピアは、伝統的な枠組みか
らまったく自由になった劇を創出する。つまり悲劇的な破
滅的なビジョンをも、喜劇的な幸福感で包み込んでしまう
と言うような手法である。もちろんそれは、悲劇を単にハ
﹁成城文芸﹄第七四号、一九八〇年、三十一ページ。
⑥ ﹃十二夜﹄の本文からの引用は、ここでは白水社版シェイ
クスピア全集の小田島雄志訳による。
ッピーエンドで終わらせればいいというような、いわゆる
.悲喜劇的な手法とも当然異なる。そして、それは、例えば
﹃テンペスト﹄のように、形式の上ではまったく伝統劇に
ヱ また、この別の女性の描写を借りて、自分の本心を吐露す
るという手法の変遷については、前記切己一〇⊂φ古の著書を参
則った中で展開されている点も興味深い。もちろんこうし
たシェイクスピア喜劇の変遷については、また別に機会を
一17一
注
照。﹃だまされた人々﹄から﹃十二夜﹄の問に、同様の手法
を持つニコラ・セッシュの﹃だましあい﹄﹃関心﹄などの作
品が存在することが指摘されているが、結論から言うと、こ
こでも繊細さ、緻密さという点ではシェイクスピアに軍配が
上がる。ロ已巳o已西互↑9合℃Pωω⑩−ω﹄﹄°
豆 同じような変装のプロットを持つ初期の﹃ヴェローサの二
亙 bd已目o已σq亡 S 登 、 P N o 。 ︹ 。 、
紳士﹄はまだ、大陸経由の変装の姿に近いと言うことができ
よう。だます対象としての父親も存在するし、主人公の変装
の目的も自分の恋人を取り戻そうとしているためだと言えな
くもない。また、﹃夏の夜の夢﹄にも不当な結婚を子に強い
る父親の姿は見て取れる。しかし、﹃十二夜﹄と創作年代が
近いとされる﹃お気に召すまま﹄になると、父親は登場して
も、主人公たちの展開するプロットにはほとんど関わりをも
たなくなってきている。
匝 6﹃9巴く日弓’寅①口民ぎ旨Q☆臼さOoS⑩江∨S§Q
℃冨ωoり、℃P 弍一コO°
巳㊦さ9㊤c。☆さ6“ 一Φ留“弓古ΦG巳くΦ臣一言o︷=一日9切
一18一
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