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葬列の花籠について

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葬列の花籠について
葬列の花籠について
はじめに
横 井 教 章
各地の葬送儀礼にみられる葬列の持ち物の一つに花籠がある。葬送儀礼の際に供される﹁花﹂関連のものには、
生花を生けた盛籠や生花自体の供花や、葬列で用いるシカ花︵四花・紙花花・死花花︶があるが、本稿で取り扱う
事例は、一般に﹁花籠﹂とされる、おもに葬列の際に用いられる葬具に限定することとする。
葬列の花籠について、各地での名称、由来、意味や働きについて述べ、先行研究者の諸説を検討しながら、その
役割について論ずるのが本稿の目的である。
葬列の花籠は、一般的に細く割った竹で編んだ球状の籠を、竹竿の先に取り付けたものが多い。編み残した部分
は放射状に広げ、籠のなかには細かく刻んだ色紙や紙に包んだお金を入れておき、葬列が歩く際、竹竿を振り、籠
の中のものを撒くのである。従って、花籠といわれる葬具は、
﹁花﹂の文字が使われていても、実態は銭貨や刻ん
だ色紙などの入った籠︵多くは籠を竿の先端にとりつけている︶であり、供花とは全く用い方が異なるものである。
一二七
一
花籠の呼称と用い方
一二八
1
まず、各地の花籠の呼称についてみてみよう。カラカサバナ、ゼニカゴ、ミョウガ、ユキカゴ、ユキフラシ、ヤ
ナギなどともいわれ、地域により他にも様ざまな名称がある。次に花籠はどのように作られ、用いられているのか、
以下、地域ごとにみてみたい。
1
東北地方
2
青森県上北郡では、喪家の前に花籠︵カラカサ花ともいう︶が立っていると、ダミの日だなとわかった。手伝い
人が仏事の花を作った。りんごの手籠に蓮花の花をつけ、籠から四方に枝を出してそれに桜の花をつけて飾ったと
される。その籠のなかには、色紙を細かく切ったのを入れて道の角で振ってまき散らす。
この事例からは、葬儀の手伝いの人たちが花籠を作っていたことがわかる。りんごは青森県の特産品であり、花
籠を作る際の材料として、りんごの手籠が用いられているのは、地域的特徴であると考えられる。
装飾に用いられる蓮の花は、仏花の蓮華を連想させるし、桜は春の比較的短い期間に散る花であり、桜の花の装
飾は、つかのまのはかない命を象徴していると思われる。装飾の花が造花でない場合は、季節的に限定される装飾
であろう。色紙の細かく切ったのを入れてまき散らすのは、植物の花びらが散る様子を葬具で再現したものと思わ
れる。ダミの日というのは、荼毘の日の訛りだろうか?葬儀の日を意味していると考えられる。
宮城県亘理 町 逢隈、同県丸森町筆甫では、竹ヒゴを荒目に編んで小さい籠を作り、その籠の中に、葬式道具を作っ
3
た残りの色紙などを花型に切って入れる。この葬式の道具を、﹁花籠﹂と呼んでいる。
この事例からは、花籠に入れる色紙は、他の葬具を作った残りの紙であることがわかる。花型に色紙を切って、
籠に入れるのは、植物の花びらが散る様子を表現しようとしたものと思われる。
宮城県大郷町大松沢では、この籠を竹の先につけ、火縄を結んで葬列の際に墓地まで持って行き、埋葬後花籠は
はずされ、火縄をつけただけの竿が墓に立てられる。
埋葬後の火縄をつけた竿は、松明を儀礼的に表現したものだろうか?松明の場合は、道案内の役割を果たしてい
ると思われる。
亘理町逢隈では、埋葬後花籠を息つき竹に結びつける。息つき竹というのは、中の節を取り除いた竹を墓地にさ
したもので、亡くなったはずの被葬者が、万が一息を吹き返した時のために埋葬地に立てておくとされる葬具であ
るが、息つき竹に花籠の竿を結びつけるということは、花籠の竿を倒れにくくするという補強の意味もあろうが、
それだけでなく、なにか死者に対して特別な意味を込めているようにも思える。
五来重氏は、花籠の古い形状は、大阪四天王寺聖霊会舞楽の石舞台の四隅に立てられる﹁曼珠沙華﹂とよばれる
張籠の花籠であり、霊魂の鎮魂のために花籠を立てて﹁曼珠沙華﹂としたもの、としている。
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花籠が鎮魂の宗教的意味を持つものであれば、息つき竹に花籠の竿を結びつけるという儀礼的行為も、鎮魂と密
接な関連性をもつものとも受け取れる。
丸森町筆甫では、この籠を竹に吊るして担いで行き、埋葬後、他の竹と一緒に墓に立てるとされる。そのように
花籠の竿を他の竹と一緒に墓に立てるのは、なぜか。
マンデルバウムの説によれば、呪術・宗教的機能には、超越的機能と実用的機能の両面があり、この二つの機能
は、人間の宗教的欲求に対応するものであるとされる。超越的欲求とは不可視の領域を含めた世界や人生の説明で
あり、社会的、恒久的解決を必要とする。もう一方の実用的機能とは人間が現実に直面する苦悩、不幸の解決であ
一二九
5
一三〇
り、個人的、直接的なものであるとする。この説に依拠して、超越的機能について考えてみると、被葬者の鎮魂に
用いたモガリの柵の代替物と解釈することができるし、実用的機能について考えてみると、野良犬などの獣を寄せ
付けないための柵として用いられたとも考えられるのである。
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関東地方
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栃木県芳賀郡では、花籠に銭を入れ、葬列の出る時、庭先に振り、銭を撒くとされる。
この事例では葬列が喪家から出発する際に、花籠に入った銭を撒くとされる。花籠から色紙の花吹雪が舞い降り、
銭が庭先に撒かれることで、被葬者のあの世への旅立ちを荘厳化する役割を果たしていると思われる。
埼玉県児玉郡では、花籠は銭籠ともいわれ、前記の例と同様の性格を持つと思われる。葬列を組む前に、硬貨を
紙や布に包んだおヒネリと、竿の先端に籠をとりつけたものを、あらかじめ用意しておき、その籠の中へ用意して
おいたおヒネリを入れておき、喪家から寺や墓地までの道中、これを振っておヒネリに入っている銭をばら撒くと
される。葬儀・葬列に参加した人々への御礼の意味もあろうが、長生きした人の葬式に用いられる花籠で撒かれた
銭を拾うと縁起がよい︵吉兆の記号の意味︶といわれ、衣服に縫いつけて、お守りにしたとされる。花籠は金持の
葬式に限られるところが多いが、死者の身内の者が金をばら撒く、おひねりの撒き銭はより一般的であるとの報告
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がある。他方で、その銭の持つ意味については別の設定もある。つまり、この銭はとっておかずにすぐ使うべき
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ものとも考えられ、子どもたちは早速駄菓子屋へ走ったものだという。籠の形状は、竹で球形に編み、竹の先は
四十九本放射状に出ているのが範型とされる。
この事例に見られる、長命だった被葬者に用いられる花籠の銭貨を、衣服に縫い付けて、常に身につけようとす
る行為の背景には、長命だった被葬者の生命力が銭貨に宿っており、衣服に縫い付けることで、その力を身につけ
ようとする考えが窺える。また拾った銭貨をとっておかず等にすぐに使うべきものというのは、銭貨に呪力が宿っ
ており、葬儀に撒かれた銭貨を使ってしまうことで、葬儀にまつわる、死の影響力がいつまでも続かないようにと
の考えが窺える。竹を球形に編むというのは、植物のつぼみを意味しているのであろうか?
茨城県大和村辺りでは、葬式の際に用いた花龍の竹を、切り節を抜いて、それを頭部の位置に立てて、翌日、早
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朝、戸主がこの息抜き竹に触れ声を掛けてくる。これを仏おこしと呼んでいる。この事例は、宮城県亘理町逢隈の
事例と似た事例であるが、この事例の場合には花籠の竿そのものを息つき竹に用いている。戸主が声を掛けるとい
うのは、埋葬後の被葬者の様子を見に来ているということであろう。この仏おこしと呼んでいる儀礼的行為は、果
たして死者の蘇生を願ってのことであろうか。むしろ、この儀礼により、被葬者の死を再認識し、生と死の境目を
秩序立て、明瞭化させるために行っているものではないかと思われる。
群馬県安中市では孫がいる人の場合のみ花籠をつくり、それから撒かれたお金を持っていると長生きするとされ
る。この事例も、花籠から撒かれた銭貨に呪力が宿るという観念が伺える。この事例では銭貨に宿る呪力とは、孫
達が銭を拾うとされる。この銭は、前記児玉郡の例のように永く持たないようにといわれている。
栃木県安曇野郡野上村では、竹製の柄に鬚籠をつけ、これへ数本の芭蕉葉状の飾りをつけたものをハナカゴ︵花
籠︶という。葬式の時、それを二本列ね、墓地へと赴く。籠には銭を入れ、送りながら揺振して銭を撒き、子ども
観念が窺える事例であると思われる。
をもうけるまで生きた被葬者の生命力ということになろう。銭貨を拾う者が、被葬者の生命力にあやかろうとする
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一三一
3
中部地方
新潟県新発田市では、先頭グループに歩く花籠に四十九枚の銭に短冊形の紙を貼ったものを入れて、辻々で花籠
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一三二
を振って銭を撒いて行った。四十九枚の銭は家によっては死者の年齢の数だけとする人もあり、また親に先だった
死者の場合は、この花籠の風習の実施を遠慮した。
四十九という銭の数は、中陰とされる期間と同じ数であり、仏教の影響が窺える数である。年齢の数だけという
のは、銭貨を拾う者が被葬者の年齢分ほどの生命力にあやかりたいという願いがあるものと思われる。
同県新発田市の事例では、子が親より先に亡くなる場合は花籠を用いないとされるが、他の事例でも花籠を用い
るのは、被葬者が比較的長命だった場合が多かったようである。
同県東蒲原郡上川村粟瀬では、六、七〇歳の年寄りの死者の場合、歳の数だけ花籠に銭を入れ、出棺のときから
落として歩き、これを拾った者はそれを火難よけとしたとされる。この事例では、銭貨の持つ呪力の効能は火難よ
新 潟 県 で は 花 籠 の 中 に 入 れ る ハ ナ は 紙 類 を 使 っ て 作 る と さ れ る 。 花 籠 と い っ て い る も の の 籠 に 入 っ て い る の は、
植物の花ではなく、紙であり、他の事例でも同じことがいえる。それは、籠に入った紙を花に見立てているのであ
えられている。
けとされている。したがって、ここでは、銭貨の呪力が災厄をよけると信じられている護符と同様の力を持つと考
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切り、葬儀にまつわる死の影響力を断ち切ろうとしたものと思われる。
ないから花籠の材料として有効に使うというだけでなく、葬具を作るために準備した紙をあとに残すことなく使い
る。なぜ、植物の花びらでなく紙を用いるのかといえば、他の葬具を作るのに用いた紙の残りを捨ててはもったい
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石川県金沢市では、明治末期の花籠は、竹の大籠に二間ほどの竿をつけ、二段に細かい割竹に紙の花をつけたも
のとの報告がある。二段にしているのは、枝分かれをして咲いている花を表現しているもので、一層、丁寧なつく
りで被葬者を荘厳化しようしたものと思われる。
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すと、ノオクリの人や子どもが拾いあう。籠を振るのは二人の男の役で、前花籠・後花籠と呼んでいる。宝珠形の
られており、籠の中には五円・十円︵硬貨︶が入れられており、葬列が進む道なかでその籠を振って銭を撒き散ら
福井県三方郡美浜町では、竿の先に三〇センチぐらいの目の粗い宝珠形の籠をつけ、その底部は紙を貼っておく。
その籠から一・五メートルぐらいの竹のヒゴを無数に八方へ垂らし、それには紙花や色紙の短冊が美しく飾りつけ
石川県江沼郡では、籠に色紙の切れを入れて散るようにした葬具を散華と呼んでいる。この事例で籠に入った色
紙を花に見立てていることが伺える。
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後は墓地に立てる。棺の前後に位置するのは、棺の前後が被葬者を荘厳化する意味で花籠の配置にふさわしいとさ
山梨県富士吉田市では、花籠は二メートルくらいの棒の先に竹籠を作りつけて、その上部に竹ヒゴに色紙を巻い
て花としたものを十数本飾りつけて一対を作り、籠のなかに銅貨を入れて棺の前後を振りながら撒銭をする。埋葬
置したものと思われる。
色紙の短冊は、植物の花びらを表現したものと思われる。前花籠・後花籠というのは、葬列の前後に花籠の役を配
籠の底部に紙を貼っておくのは、葬列が歩き始める前に籠から硬貨が落ちないようにするためと思われる。紙花や
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同市下吉田では、被葬者の娘たちがキンチャク︵巾着︶に銅貨を入れて、葬送の途中道の辻々で撒銭をする。同
市明見向原では、白布で頭陀袋を作り、なかに銅貨を入れて、被葬者の娘たちが葬送の途中撒銭をする。最近は香
こととする。
れたためであり、撒き銭は植物の種まきを儀礼的に表現したものと思われるが、これについては後に詳しく述べる
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一三三
具返しの品に、長寿の小袋に銅貨を入れて、ホッチキスで留めて撒賎代りとしている。銭は長寿のマブリ︵守・護︶
になるという。
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一三四
この事例は葬列の撒銭の事例であり、花籠の撒銭に類似した儀礼と思われる。注目されるのは、被葬者の娘たち
が撒き銭をする点であり、娘たちは出産の能力を持つ、つまり増殖の力を持つ者たちであり、子孫の繁栄や生命の
再生を儀礼的に表現している点で、花籠と共通点を持つ事例と思われるのである。
長野県三岳村では、年の数だけ銭をまくための花籠をつくるとされる。竹を割って細くしたものを組み合わせ籠
のようにして、そのなかへ銭と色紙の切ったものなどを入れるとされる。
長野県大河内では、出棺の行列のときの花籠から落ちた金を拾っておいて、土地を買うとき使うと地所が容易に
人手に渡らないという。
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花籠は棺とともに穴に埋めるが、籠を支える竹の捧は埋めずに墓に立てかける。葬列が並び終ると、門口を三周
してから墓地へ向かう。花籠の竹の棒は地上に立て、もう一本竹を立てるのは息抜き竹だという。
この事例でも、銭貨の呪力を述べている事例と考えられるが、銭貨が大地の力と密接な結びつきを持っていると
考えるならば、大地に人をつなぎとめておく力が、銭貨に宿っているとの観念が窺える事例であると考えられる。
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岐阜県大野郡白川村では、曼荼羅を降らすと称して、紙屑籠にするような目のあらい籠に、花片のごとく細かく
切った種種の色紙を入れておき、途中処々で籠を振り動かしてこれを散布するとされる。
墓に立てたものと考えられる。
息抜き竹は他の地方の息つき竹と同じ意味をもつものと思われる。息抜き竹︵息つき竹︶と花籠の竹竿を別々に
立てた事例である。花籠の竹竿を息つき竹と区別しながらも、両者に被葬者の鎮魂という類似した意味を持たせて、
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岐阜県上宝村田谷では、葬列の順序は、まずハナカゴ︵花籠︶、菊の花と蓮の花・張菓子一対、アラメモリ︵荒目盛?
ワカメの上に白い紙をかぶせたもの一対とされる︶、シカバナ︵四花︶、燈籠などの順序であるとされる。この事例
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では、花籠は葬列の先頭に位置している。これは葬列の道案内の役割と考えられる。
岐阜県金木戸・双六では、葬列は花籠・僧侶・飾り花・盛り物・膳・塔婆・位牌・四旗・天蓋・旗・参列者の順
であるとされる。この事例も先述の事例と同様、葬列の先頭が花籠となっている。
花籠︵銭を入れて葬列の途中で振って銭を撒く︶会葬者の順とされる。
杖・笠︵孫または曾孫︶
・生家︵喪家の女︶
・四カ花︵近親の女二人で持つ︶
・三の幡︵近親の者︶
・四の幡︵近親︶
・
ずつ持つ︶
・香︵喪家の娘︶
・膳︵嫁︶
・位牌︵喪主︶
・卒塔婆︵近親︶
・棺︵孫四人︶
・天蓋︵上の婿︶
・墓標︵近親︶
・
・提灯︵近所の︶人・花籠︵前後につくか、ない場合もある︶
・天蓋︵親
岐阜県加茂郡白川町では、案内︵隣り組長︶
族総代︶・一の幡︵近親の男︶・二の幡︵近親の男︶・役僧・生花︵喪家の女たち︶・四カ花︵近親の女が二人で一本
福井県美浜町の例のように、葬列の前後に位置する事例もあるので、次に述べてみたい。
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岐 阜 県 山 県 郡 小 山 町 で は、 案 内・ 僧 侶・ 大 幡・ 花 籠・ 先 灯 籠・ 四 旗・ 造 花・ 四 カ 花・ 生 花・ 菓 子・ 団 子・ 燭 台・
香炉・位牌・棺・天蓋・後灯籠・花籠・一般会葬者の順とされる。
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一三五
の籠には小さな刻んだ色紙と死者の歳の数だけ銭を入れてあり、静岡の場合は鳩も入れた。鳩は葬式の終ったとこ
荷のような形となるために、このように呼ばれている。静岡大谷の葬列の先頭の竿につけた籠もこれにあたる。こ
静岡県静岡大谷では、籠のなかに五色の色紙を小さく切って小銭とともに入れ、沼津江ノ浦では同様のものを
﹁ミョウガ︵茗荷・冥加?︶﹂と呼んでいる。竹の棒の先を割ってひろげ、色紙を何枚も貼って造った形が植物の茗
荘厳化しながら歩くのである。
先述の二つの事例では、花籠は葬列の前後に位置しており、前方は道案内、後方は葬列を荘厳化する意味を持っ
ていると思われる。野辺送りの途中で、花籠の中から舞い降りてくる紙吹雪が、あたかも花吹雪のように、葬列を
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一三六
として着物のアゲ︵丈を調節して余った布を腰の辺りに縫い付けた部分︶などにつけたとされる。色紙は花ふぶき
た長生きした人が亡くなったときは、この籠に赤いキレを何枚もつけたが、これを子どもたちがもらい、縁起もの
まいたもので、こぼれ出た銭は子どもたちが拾ったとされる。長寿にあやかって縁起のよいものとしたという。ま
のときも作ったとされる。花籠は葬列にしたがい、施主家から寺までの道中で、辻などで振って色紙や小銭をばら
ろで放す。花籠は長寿で亡くなった人の場合だけ作ったが、一部では孫のある人、近年では老人クラブに入った人
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される。放生とは、捕獲した鳥や獣を放して殺生を戒める儀礼である。この儀礼の典拠となった経典は、
﹃金光明
の意味であり、花びらが散る様子を再現したものと思われる。鳩を籠に入れて葬式の後に放すのは、放生のためと
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野生という大池があり、水が干上がり、多数の魚が死にそうだった。流水長者は王に頼んで、大象二十頭を借
り出し、川から水を汲み、池に入れる。つぎには王に頼んで、食べ物を大象に積み、池に入れ、魚たちに与え、
池に入り説法した。
﹃日本書紀﹄の天武天皇五年︵六七七年︶八月一七日に諸国へ放生令の詔を発したのが、最古の記録
日 本 で は、
とされる。
財宝は膝の深さにまで積みかさなった、と。
この池に棲む魚たちの寿命が尽き、三十三天に往生し天子となった。流水長者に感謝して財宝をあめふらせ、
最勝王経﹄長者子流水品第二十五とされる。以下は、その説話の要約である。
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また、先述の事例から、花籠は長寿の場合に多く用いられたことが窺える。長寿にあやかって縁起のよいものと
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したというのは、花籠からこぼれ出た銭や、花籠についていた赤いキレが吉兆の記号と考えられていたことから導
出できるのである。
愛知県北設楽郡津具村では、会葬者が昼食を済ますと屋内での式が終わり、オモテへ出て、棺を縁側の割り竹を
曲げて作った門にくぐらせる。オモテで読経と焼香があり、各自の持ちものを持って、台の上に安置した棺の周囲
を左回りに三度回る。回るとき花籠を振りながら、なかに入れた銭︵死者の歳の数だけ紙に包み、花と呼ぶ︶を撒
くとされる。
すぐに挿す風習があるが、昇天の意味を込めているなどとされる。
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一三七
同県豊田市では、女子の場合はその銭で針を買うと裁縫が上手になるといわれた。この事例も、花籠の硬貨が事
態を好転させる呪力を持つという、東加茂郡の事例と共通した観念が窺える事例である。また花籠を埋葬地にまっ
ことが窺える。
この事例からは、葬列の前後に花籠が位置していることがわかる。会葬者や子どもが拾うといいことがあるとさ
れるのは、花籠に用いられた硬貨には、事態を好転させる呪力があるとのおもいが、一定の地域に共有されていた
け、以前は一銭単位で籠に入れた︶を撒いた。それを会葬者や子どもが拾う。拾うといいことがあるという。
同県東加茂郡旭町牛地では、穴回り︵もとは墓の穴で行った︶と称し、ニワ先︵カド︶で、棺を中央にして、葬
列の順序で、左回りに三度回った。この列の前と後に、花籠が各一つずつあり、花籠を振って銭︵死者の歳の数だ
この事例では、屋外で棺の周囲を左回りに三回回るときに花籠を用いて、銭を撒くが、銭を花と呼んでいること
から、銭が花に見立てられていることが伺える。
愛知県知多郡では、花籠二本に銭を入れたものを、身内のものと近所のものが持つとされる。
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31
33
一三八
この事例は、花籠を埋葬地に立てる風習であるが、花籠の竿を真っ直ぐに立てることと、被葬者のあの世の行方
との間に密接な関係があるという意味づけをしていることが窺える事例である。
一宮市では、拾うと長生きするといって、撒かれた銭を奪い合ったという。この事例も︵撒かれた銭の功徳に対
する︶共通した観念が窺える。
︶の周りを左回
同県海部郡では︵棺が安置された︶蓮華台︵埋葬地にある棺を置く台で、石などでできている。
りに普通は三度︵渥美町では七度︶回り、回りながら花籠を振るとされる。
ている。この花籠から撒かれたお金を拾うことを﹁まいりにゆく﹂といっていることから、﹁まいり﹂という言葉は、
︵散華︶、供養した故事に基づくもので、金銭を花にしたのはその後の展開である。一宮市では﹁ぜにかご﹂といっ
同県知多郡日間賀島では、穴回りの際、花籠を振って小銭を撒くのは、にぎやかしのためにやるのだといってい
る。この金を拾うことを﹁まいりにゆく﹂といい、お守りにする人もある。花籠は釈迦の涅槃時に諸天が花を散じ
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はならないとされる。この事例では、被葬者の年齢と花籠に入れる硬貨の数との間に密接な関連性を持たせている
年齢と同じ数の銭を入れ、葬送の途次で撒くのであるが、そのとき拾った銭は家に帰るまでに使ってしまわなくて
三重県鳥羽市坂手では、花籠を近隣の参列者が通夜の際に手分けして作ることになっている。長さ三メートルぐ
らいの青竹に竹製の籠を吊るしたもので、そのなかに菓子と赤・白・黄・青・緑という五色の色紙、それに故人の
4
近畿地方
たお金をお守りとして用いていることからも同様のことが窺える。
社寺など、宗教施設へ行くことを連想させる言葉であり、特別な宗教的意味をもたせているように思われる。拾っ
36
ことがわかる。他の事例でも花籠を用いるのは、高齢者に多いことから、高齢者の葬儀では、花籠で銭を撒くこと
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で、長命にあやかるなどの功徳を得るなどの考えがあったことが窺える。
三重県浜島町では、近親者が花籠を振り、銭を撒く。花籠には色紙を細かく切ったものを入れ、途中の辻で紙吹
雪にして散らす。このなかには小銭を混ぜる場合もあるが、その数は故人の年齢より一つ多くするとされる。
にあたるとされる。
三重県南勢町では、ハナカゴ︵花籠︶と呼ばれる竹製の籠のなかに紙ではなく実際の花びらを入れ、被葬者の年
齢の数だけの小銭を混ぜて行列の途中でふりまき、子どもたちに拾わせて功徳とする。親戚の老人が花籠を振る役
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40
兵庫県では出たちが始まると、鉦を打ち鳴らし、花籠をゆすってなかに入れてある六文銭を振り落とす。この六
文銭を拾って財布に入れておくと、お金がふえてゲンがよいとされる。この事例では、花籠の中に入っているのは、
近親者が持つ葬具との認識があることが窺える。
大阪府豊能郡西野瀬村では、竹をもって、籠を作り、その籠の竹切れのはしを束ね、先に色紙を貼り、籠の中に
葬儀に用いた色紙の屑を入れる。被葬者の娘の妹婿がこれを持つ。もし二人いれば、二人分作るとされる。花籠は
︵長命︶にちなんだ、生命力の恩恵を受けることができるという考えが背景にあると思われる。
多くの地域で見られる小銭を撒き、それを拾わせるという、事例に見られる考えの背景について考えてみたい。
被葬者の年齢と同じ数の銭貨が、花籠から撒かれ、その銭貨を子どもたちが拾うという儀礼により、被葬者の年齢
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一三九
ともこれに基づいており、良い結果が出る行為を繰り返し行うことで物事の吉兆をおしはかることである。
験とはもともと修行を積んだ効果をいい、山で修行を積み、特殊な能力を身につけた宗教職能者を修験といったこ
る。或いは葬儀時に用いる硬貨を﹁六文銭﹂と総称したのかもしれない。ゲンがよいとは、験が良いということで、
六文銭であるとされるが、六文銭は、三途の川の渡し賃を意味する冥銭なので、一銭硬貨六枚ではないと考えられ
41
一四〇
兵庫県では、花籠は葬儀時に用いる葬具の天蓋や提灯を貼った裁ち屑を籠の中に入れたもので、娘婿が持つとさ
れる。この事例からは、花籠の中に入れて、花吹雪の役割をする色紙が、他の葬具を作って余った紙であることが
窺える。余ってゴミにするのはもったいないから、無駄にせずに使い切るというだけでなく、葬儀で使ったものは、
死にまつわる呪術・宗教的影響力が後まで及ばないように、その時に使い切るという考えがあるように思える。
奈良県天川村では、竹の先に紙を切って挟みいれたものを花籠といい、籠を振り、中の紙を撒きながら歩くとさ
れる。同様に奈良県日裏でも、花籠のなかに色紙を切って入れ、道中撒きながら歩くとされる。
43
供人などの順に続くとされる。
鳥取県八頭郡河原町小河内では、白旗をつけた笹つきの青竹四本が葬列の先頭に立ち、長堂・念仏鉦・花籠・枕
飯︵被葬者の配偶者︶
・位牌︵被葬者の長男︶
・腰折灯籠・ゼン︵善︶ノ綱︵親戚の女︶
・棺︵孫四人︶
・天蓋・龍頭・
5
中国地方
スに見立てられているように思われる。このことについては後に詳しく述べてみたい。
この事例では道中撒きながら歩くと報告される。撒きながら歩くという行為には、あの世へ旅立つまでの道程を
荘厳化するという意味だけでなく、花籠を振って撒きながら歩くという行為が植物の種撒きという、自然のプロセ
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意味をもっていると思われる。
島根半島の東部では棺の上に花籠をたて、葬列の行く途中で、ゆさぶりながら花を散らすとされる。この事例で
は、棺の上に花籠を立てていることから、被葬者を荘厳化する役割が強く表われているように思われる。
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鳥取県東伯郡赤碕町上中村では、葬列の順番は、松明、燈籠、花籠、鉦太鼓、位牌、枕飯、ゼンノ綱、棺、旗・
供人などの順とされる。鳥取県の二事例についてみてみると、葬列の前方に花籠が位置しており、花籠が道案内の
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岡山県外今村では、竹竿の先に粗めの籠をとりつけ、その縁から竹ヒゴを放射状にたらし、桜の花の形に切り抜
いて縁を薄紅色に塗った紙を、竹ヒゴに等間隔に貼り付けるとされる。この事例では花籠の図が掲載されており、
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引き覆︵棺に逆さにかける着物︶などであるとされる。
六個・死花四本・天蓋一・造花数本・ムケの飯︵茶碗に盛りくりぬき椀に移す︶
・七つ団子︵シトギ団子ともいう︶
・
広島県北備地方では、人が亡くなると組内へ知らせる。葬式の組合では、近隣の者が葬式の一切を支配するとさ
れる。整える葬具は、棺・棺台・棺屋根大小二本の旗、花籠一、昇龍・下龍︵藁で作る︶
・手火︵松明のようなものか?︶
位置しており、被葬者を荘厳する意味が強く表われていると思われる。
片を結びつけたもの︶、野礼︵講中の長老︶、留守居の順が、あげられている。この事例では、棺ぞいの前に花籠が
四花、天蓋、孫杖、膳の綱、天湯天茶、花籠、棺ぞい、位牌相続人、膳相続人の妻、作花︵椿の小枝に白い花の紙
岡山県美作地方では、葬儀の際に棺の蓋に石で釘を打ったあとに目録を読み、それに従って、葬列に持つものや
役割が読み上げられる。葬列目録の一例として、御導師︵僧侶︶、大手火、四本旗、龍頭、寺院御案内、小判菓子、
に竹竿をとりつけたものである。
花籠に用いる籠は目の粗い球形が用いられることが多いが、この事例の籠は、普通の籠の形をしており、籠の底面
47
一四一
山口県大島では、葬列の一番先は子供で、諸行無常、寂滅為楽と書いた長い紙旗を持つ。次に竹の先にさした草
履を持つ者、次が花籠を持った者だとされる。この事例では葬列の三番目であるが、どちらかといえば、先頭に近
この事例では、葬式の組合という地域の共同体が、葬式において大きな役割を果たしていることが窺える。
49
い位置づけであり、道案内の意味を持たせているように思える。
50
6
四国地方
一四二
屋外に出たとき、柩は庭の中央に構えてある台の上にのせて安置し、その上に天蓋を覆う。僧侶の読経とともに
近親者はこれを七回半回る。このとき講組は、龍の口のついた旗や花籠を持って一緒に回るとされる。この事例で
であると思われる。
この事例では講組が葬具の製作にあたることがわかる。人が亡くなると、日数を空けずに葬儀が執行されるため、
講組の講員は仕事を休んで、ただちに共同で葬具の作成にとりかかる必要があり、かなり手間のかかる大変な作業
い丸籠を作る。編み余った竹は長く垂らしておくとされる。
徳島県那賀郡では、葬式のための講組があり、講員は五軒から二〇軒くらいまでさまざまあり、野辺送りに使用
する葬具の製作と労力奉仕が主な役割で、そのうちの一つに花籠の製作がある。竹をうすく割ったもので、目の粗
51
徳島県三好郡三加茂町では、竹を細く裂いて籠を造り、竹竿の先につける。籠のなかに小さく切った五色の紙片
をいれ、これを道中に撒き散らしながら進む。この事例からも、竹を細かく裂いて、手作りで花籠の籠を造ったこ
には何か意味があるのだろうか。
は、棺の周りを花籠などの葬列が七回半回る。光の速さは一秒間に地球を七回半回るらしいが、七回半という回数
52
同県国分町や同県豊浜町、同県内海町でも、葬列の先頭の方に花籠が位置しているという報告がなされており、
⑪色旗、⑫龍の口、の順である。花籠は道案内の役割をもっているとされる。
香川県財田町における葬列の順序は、①念仏を唱えて鐘を叩く人、②花籠、③花持ち、④蝋、燭六本を立てたお
盆を持つ人、⑤お膳︵お墓の水もりのお茶碗をのせて行く︶、⑥枕飯、⑦七日塔婆、⑧位牌、⑨しょうろう、⑩四本旗、
とがわかる。葬儀の準備はかなり手間のかかることだったことが窺われる。
53
香川県では花籠は道案内のような役割をしていることが伺える。
ばれている。
高知県高岡郡では、花籠は五色紙を細かく切って入れた籠を竹竿の先に吊るして紙吹雪を降らすもので、ユキカ
ゴ︵雪籠︶
、ユキフラシ︵雪降らし︶とも呼んでいる。安芸市では花籠持ちは婿の役なのでムコハナ︵婿花︶と呼
れたのであろう。
愛媛県温泉郡中島町における、老人の葬送の場合に作る花籠をやなぎ︵花籠の写真︶と呼んでいる。この事例で
は花籠が﹁やなぎ﹂と呼ばれているが、花籠から竹ヒゴが出ている様子が柳の枝に似ているので、このように呼ば
55
54
佐賀県唐津市唐房では、花籠・旗・蛇腹を墓に立てるとされる。花籠を墓に立てるのは、花籠が被葬者を荘厳化
する他にも機能があるためではないかと考えられる。このことについては、後に述べてみたい。
7
九州地方
ためであろうか。
この事例では、ユキカゴ、ユキフラシと呼ばれていることから、籠の中の紙吹雪が花ではなく、雪とされている
事例であると思われる。雪は白いが、ユキカゴ、ユキフラシと呼ばれるのは、紙吹雪に白い紙が多く含まれていた
56
長崎県では、花籠は竹を細かくはぎ籠状に編み、これを長くして柳枝状に束ね長い竹の先端につける。籠のなか
に紅白の紙を小さく切って半紙に包んで入れ、途中花吹雪のように散らす。
57
一四三
の組み合わせであり、通常、葬儀のような弔事には、用いない色の組み合わせである。弔事は通常、白黒の組み合
籠に紅白の紙きれをいれるのは、被葬者がおそらく長寿者のため、葬儀であってもそれを記念し、象徴する意味
をこめているためではないかと思われる。なぜなら、日本では、紅白という色の組み合わせは、慶事を象徴する色
58
わせにより、表現されることが多い。
一四四
ここで象徴というのは、抽象的な事柄を、具体的な色や形によって、一つの記号として示すことであるが、長寿
者が老衰で亡くなるような場合は、天寿︵あらかじめ定められた寿命︶などといって、引き物︵被葬者の遺族が葬
儀の際に会葬者に配る記念品︶などに通常の弔事の象徴ではなく、慶事の象徴が用いられる場合がしばしばあるか
らである。
長崎県壱岐郡では、葬式の時刻は午前を忌み、行列の順序は、六道祭、四本幡、高張、竜タツ、花籠、僧侶、造花、
茶、水、香、膳、位牌、棺、天蓋、導師、親類、一般会葬者の順序となるとされる。その際、花籠は割り竹で目あ
らに組み、上で束ねて端を長く垂れ、中にはミヤゲ︵土産︶といって、色紙を切ったものを紙に包んでいれ、途中
59
などに崩して撒き銭にする︶と混ぜて入れる。この事例では、竹竿と竿の上端の籠が同じ竹で作られている。三色
宮崎県宮崎市蟹町では、葬列中の花籠は長さ六尺の竹の上端一尺位を小さく分割して二個の籠を作る。そのなか
に赤・白・黄の色紙を小さく吹雪状に切って︵紙花︶、小銭︵総額百円∼二百円くらいの金子を十円・五円・一円
だろうか。
としていくからであろうか。それとも、色紙の他にも、何か籠の中に入れていて、それを籠から落としていくため
ゆすって散らすとされる。この事例では、色紙を切ったものをミヤゲといっているが、紙に包んだ色紙を地上に落
60
のことについては、後に詳しく述べることとする。
子孫繁栄の祈願︵植物の成長からの類推と考えられる︶が主な役割と考えられる。奈良県の事例でも述べたが、こ
の色紙と撒き銭が籠に入れられ、葬列が行く際に撒かれることから、花吹雪による被葬者の荘厳と、撒き銭による
61
二
花籠の意義について
﹃日本書紀﹄の、天武天皇の殯に花縵を立てたという記事に注目し、
﹁花縵﹂は、
花籠の起源について、五来氏は、
死霊の鎮魂のために、殯に献じたとされる呪具の一つであり、花籠は古代風葬の殯の花縵の残存としている。
荘厳化するのである。
また、葬列やそれを先導する花籠には、被葬者を荘厳化するという機能があると考えられる。花籠の竿をゆする
と、籠の中の細かく刻んだ色紙が、舞い散る花びらのように美しく見え、その様子が葬列をひきたたせ、被葬者を
依り代の種類が増えていったのが現在の野道具︵葬具︶であり、葬列であるとしている。
63
ように、しっかり何かに憑依させて運ぶことが必要だったのであり、その憑依させる対象は依り代とされ、次々に
花籠の持つ意義について、以下で先行研究者の諸説を紹介しながら検討してみたい。
井之口氏は、霊魂を実在的なものと感じていた時代、花籠に死者の霊魂を入れて運んでいたのであろうと推測す
る。その意味で花籠には、依り代の意味があると述べる。それに加えて、埋葬地へ行くまでの間、霊魂が離れない
62
一四五
上の構築物をつくる必要があった。そして五来氏は、その墓上の構築物は、古代の鎮魂の儀礼である殯に由来し、
五来氏によれば、亡くなったばかりの霊魂は荒々しく、様ざまな災厄をもたらすとされ、その考えに基づいて、
遺体を埋葬した後に霊魂が遊離し、埋葬地から出てきて災厄をもたらすことがないように、被葬者の上を覆う墓の
測する。
では﹁花縵﹂にどうして鎮魂の働きがあるとされるのだろうか。五来氏は、竹の先を細く割り、繖状にしたもの
が箒の原形であり、その箒を墓に立てたことから、それが一層装飾化された﹁花縵﹂がでてきたのではないかと推
64
一四六
その殯の際に献じたものが、被葬者の上を覆っておく花縵であったと述べる。花縵は被葬者の上を覆うことで、そ
の霊魂を封鎖、鎮魂する役割を果たしたとしている。
五来氏の説は、花籠の起源として殯の花縵をあげており、花籠が植物と密接な関連性をもっていることが伺える。
花籠が植物に見立てた儀礼的道具であるとするなら、花籠から撒かれる色紙はその植物の一部である花びらを象徴
しており、銭貨は植物の種を象徴していると考えられる。古代における銭貨の呪力の淵源は、大地の力から生み出
される生命の象徴であったという。この点でも植物と結びつくが、そうした考えを先行研究者の仮説を踏まえて、
このことについて考えてみたい。
栄原永遠男氏は、日本において、銭貨は大地の産み出したものをもとにして作られ、大地から産み出される生命
を象徴するものであり、それ故に日本における銭貨には呪力がこもっていると信じられていたとし、蔵骨器の内外
や墓域の各所から出土する銭貨は、死後の安全と平安を保証し、墓地を鎮めるためであったと述べている。栄原氏
植物は様々な生物や自然現象の力を借りて、自らの種を撒き、増殖する。大地の力を象徴する銭貨が植物を模し
きる。
近づいた生物に種がつき、結果的に種が撒かれることや、風に乗って種が撒かれることとの対比で考えることがで
種撒きとの類推で考えるならば、子どもや大人が花籠から撒かれた銭貨を拾いその銭を使うという行為は、植物に
つまり、花籠から撒かれる銭貨は、いわば植物から撒かれる種子であり、そこには、大地から産み出される生命
という、古代の銭貨につながる象徴的意味があり、繁栄への願いが込められていると考えられるのである。植物の
わりがあるのではないかと考えられる。
によれば、古代の銭貨は大地の産物と認識されていたという。花籠に入っている硬貨も、おそらくこの点と深い関
65
た花籠から再び大地に撒かれ、人々がそれを拾って用いることにより、さらに銭貨が各地に拡散することになる。
このことは、植物の種撒きを花籠という葬具で儀礼的に再現したものと考えられ、生命の再生や増殖︵子孫の繁栄︶
を象徴するものとも解釈できる。
佐々木宏幹氏は、愛知県の奥三河でかつて行われていた白山行事や仏教の授戒会を事例にあげ、大地に籠もった
種子が発芽し生長する営みと象徴的に重なることを指摘し、日本仏教が自然のリズムや特徴を教理や実践に、摂取
することにより、民衆に定着したことを述べている。
仏典の記述をみてみると、﹃長阿含経﹄には、﹁忉利天は虚空中において、曼陀羅花、優鉢羅、波頭摩、拘摩頭、
分陀利花をもって、如来の上に散じ、及び衆会に散じ、また、天の末栴檀をもって、仏の上に散じ、及び大衆に散
三
仏典の典拠について
ものと考えることが可能であろう。
上記の二説を踏まえ、花籠について考えてみると、花籠に花びらを模した色紙や硬貨が入れられ、葬儀の際に撒
かれるという儀礼的所作は、大地の産物である、植物など有機物の発芽・生長・増殖という、一連の過程と重なる
66
﹁ 無 数 百 千 種 種 の 上 妙 の 天 香・ 天 花 を 雨 ふ ら し て、 三 千 大 千 世 界 に 遍 満 し、 須 弥
ま た﹃ 大 般 涅 槃 経 後 分 ﹄ に は 、
を潸高して如来を供養す﹂と記されている。
ぜり﹂とある。
67
一四七
このように、仏典にも、花を散じて、如来を供養したことが記されており、花籠の習俗に影響を与えたものと考
えられる。では、どうして、先ほどの仏典の記述が、花籠の習俗と関係があるといわれているのだろうか。
68
一四八
それは花籠を振る際に、細かく刻んだ色紙が籠から出てきて、空中に舞う様子が、仏典に見られる散華の記述を
連想させるためではないかと思われる。
井ノ口章次氏は、お金を撒くのは、仏教の喜捨の観念に基づくと述べている。喜捨とは、他者に喜んで財宝を施
すことで、五来重氏は、葬列の花籠を路上で振ってお金や菓子を撒くことについて、人びとにひろく施す布施の意
69
で形成されたものと思われる。
的伝承が徐々に付加される形で現在の形へと洗練されてきたものであり、日本的原型と仏教的伝承とが混交する形
など、豊饒性の促進化︶などを目的とした、葬送に関する民俗的習慣を原型とした葬具に、散華などに始まる仏教
さらに花籠に込められる硬貨の数は、被葬者の年齢や仏教の中陰の日数などと関連づけられ、喜捨や布施といっ
た仏教的意味も付与されたのである。従って本来花籠は、葬送の荘厳化、死者の鎮魂、子孫繁栄の祈願︵人口、富
花籠から撒かれる硬貨を拾い所持あるいは使用することに、事態を好転させる力が期待されるのも、自然のプロ
セスの持つ大きな営みの力に由来するものと推察されるのである。
である。
自然の営みと重なる特徴を持っていたと考えられる。つまり、撒銭は生長した植物の種が撒かれる過程と重なるの
花籠について、各地の事例を踏まえ、考察してきた。花籠は、花吹雪のように色紙が落ちてくることで、被葬者
を荘厳化する働きをもつとともに、花籠から硬貨が撒かれるという儀礼的所作は、植物の発芽・生長・増殖という
四
まとめ
味を残しているとしている。
70
つまり、葬送儀礼の葬具として用いられる花籠は、植物に由来する自然の営みの類推を出発点とし、仏教的意味
も付与された、大きな呪術・宗教的な意味や働きを持つ、葬具と考えられるのである。
今後も、葬送儀礼に用いられる四カ花など、その他の葬具について、その由来を含めて考察を深めてみたい。
注
︵1︶三浦貞栄治他﹃東北の葬送・墓制﹄明玄書房、昭和五四年、一九頁
︵2︶三浦他、同書、九頁
︵3︶三浦他、同書、一一三頁
︵4︶三浦他、同書、一一三頁
一四九
︵5︶ D. G. Mandelbaum, “Transcendental and Pragmatic Aspects of Religion.” American Anthropologist, vol.68, No.5,
1966.
p.1138
︵6︶加藤嘉一﹁栃木県芳賀郡地方﹂、﹃旅と伝説
第六年
第七号﹄、昭和八年、六七頁
︵7︶池田秀夫他﹃関東の葬送・墓制﹄明玄書房、昭和五四年、一九二頁
︵8︶池田他、同書、一八五頁
︵9︶池田他、同書、一〇七頁
︵ ︶安中市在住の方から聞いた話。文献以外でも確認できる事例がある。例えば、栃木県小山市では葬列に竹を裂いて作っ
た球形の籠を竹竿の先に取り付け、籠から四方に竹ひごをだしたものが用いられた。籠の中に、駄菓子︵主に飴やラムネ等︶
や紙に包んだ硬貨、細かく切った色紙を入れ、喪家から墓へ向かう途中で竿を振り、籠の中の菓子や硬貨を撒く。筆者の
記憶では、平成のはじめ頃まで、行われていた。
︶倉田一郎﹁栃木県安曇野郡野上村語彙﹂、﹃日本民俗誌大系
第八巻
関東﹄角川書店、一九七五、三九三頁
︶小林一男他﹃北中部の葬送・墓制﹄明玄書房、昭和五十三年、一八八頁
︶小林、同書、一六六頁
︶小林、同書、七四頁
︶小林、同書、七五頁
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10
15 14 13 12 11
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︶小林、同書、二五頁
︶後藤義隆他﹃南中部の葬送・墓制﹄昭和五四年、二三頁
︶後藤他、同書、六五頁
︶後藤他、同書六五頁
︶︵ ︶後藤他、同書八五頁
︶川口孫治郎﹁飛騨の白川村﹂﹃日本民俗誌大系
五巻
中部一﹄一九七四、角川書店、三三三頁
︶後藤義隆他﹃南中部の葬送・墓制﹄昭和五四年、二二五頁
︶後藤他、同書、二二六頁
︶後藤他、同書、二三二頁
︶後藤他、同書、二三三頁
︶︵ ︶後藤他、同書、一一八頁
金光明最勝王經長者子流水品第二十五
︶﹃大正新脩大藏經﹄ T0665_.16.0448c22:
︶坂本太郎他校注﹃日本書紀︵五︶﹄岩波書店、一九九五、四一一頁
︶後藤他、前掲書、一六五頁
︶瀬川清子﹁日間賀島民俗誌﹂﹃日本民俗誌大系
五巻
中部一﹄角川書店、一九七四年、三九頁
︶後藤他、前掲書、一六六頁
︶後藤他、同書、一八七頁
︶後藤他、同書、一七四頁
︶後藤他、同書、一六八頁
︶堀哲他﹃近畿の葬送・墓制﹄明玄書房、昭和五四年、三四頁
︶堀他、同書、三八頁
︶堀他、同書、三九頁
︶H・H生﹁大阪府豊能郡西能勢村﹂﹃旅と伝説
第六年
第七号﹄三元社、昭和五年、一二五頁
︶堀他、前掲書、二四〇頁
︶︵ ︶堀他、同書、二八四頁
︶坂田友宏他﹃中国の葬送・墓制﹄明玄書房、昭和五四年、二三頁
44 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 27 26 25 24 23 22 20 19 18 17 16
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一五〇
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︶坂田他、同書、二三頁
︶坂田他、同書、六一頁
︶今村勝彦﹁岡山県外今村地方﹂﹃旅と伝説
第六年
第七号﹄三元社、昭和五年、一三二頁
︶坂田他、前掲書、一七四頁
︶坂田他、同書、一四二頁
︶宮本常一﹁山口県大島﹂﹃旅と伝説
第六年
第七号﹄三元社、昭和五年、一四五頁
︶市原輝士他﹃四国の葬送・墓制﹄明玄書房、昭和五四年、一五頁
︶市原他、同書、二六頁
︶市原他、同書、二五頁
︶市原他、同書、六一頁
︶市原他、同書、九六頁
︶市原他、同書、一五七頁
︶中村正夫他﹃九州の葬送・墓制﹄明玄書房、昭和五四年、八三頁
︶中村他、同書、一二三頁
︶山口麻太郎﹁壱岐島民俗誌﹂﹃日本民俗誌大系
第二巻
九州﹄角川書店、一九七五、二五四頁
︶山口、同書、二五五頁
︶中村他、前掲書、二七〇頁
︶井之口章次﹃生死の民俗﹄岩田書院、二〇〇〇、六〇頁
︶井之口、同書、一二七頁
︶五来重﹃葬と供養﹄東方出版、一九九二、七二頁
︶栄原永遠男﹃古代銭貨研究﹄清文堂出版、平成一一年、三〇六頁
︶佐々木宏幹編集﹃現代と仏教﹄春秋社、一九九一、五六頁
︶﹃大正新脩大蔵経﹄第一巻、二六頁下
︶﹃大正新脩大蔵経﹄第一二巻、九〇五頁中
︶井之口章次﹃生死の民俗﹄岩田書院、二〇〇〇、六〇頁
︶五来重﹃葬と供養﹄東方出版、一九九二、七二頁
70 69 68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45
一五一
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