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配布プリント

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配布プリント
視聴覚教育(視聴覚メディアの歴史Ⅲ)
コンピュータの歴史
1.コンピュータの誕生
(1)自動計算機の登場
イギリスの数学者(
)(1812年ごろ)
差分機関(差分に基づいて関数表を作成する機械)と解析機関(現在のディジタル
コンピュータの先駆けをなす機械)を発明
1)数を蓄える装置(ストア )
、2)蓄えられた数値間の計算をする装置(ミル)、3)機
械の動作を制御する装置、4)入出力装置
からなり、今日のコンピュータとまった
く同じ構成になっている。しかし、すべ
て機械部品が用いられたのであるが、時
代の技術的制約のために実現までには至
らなかった。
(2)最初の自動計算機
西ドイツのツーゼ(41年ごろ)リレー
式計算機Z3
(3)電子管を使った最初の電子自動計
算機
(
)エッカートとモークリー
が製作(1946年夏に完成)
1万8000本の真空管と1500個のリレー
を使い、150Kw の電力を消費する大規模
のもので、加算に0.0002秒、十進数10桁
どうしの乗算に0.0028秒、除算に0.006
秒という当時としては画期的な速度であ
った。しかし、事実上最初の汎用コンピ
ュータは、43年12月に完成していたイギ
リスの電子式暗号解読機 COLOSSUS であったらしい。これには1500本の真空管が使われていた。
(4)プログラム可能なコンピュータ
ノイマン(1945年) (
)型コンピュータ(記憶装置にコンピュータの命令もデータもいっ
しょに記憶させる方式)の考えを発表
初のノイマン型コンピュータ EDVAC(ペンシルバニア大学51年に完
成)。
(5)商品としてのコンピュータ
エッカート・モークリー・コンピュータ社が1950年に設計した
(
)
これは事務用の計算を目的としたもので、2000語の容量をもつ水銀遅延回路
と、数本の磁気テープを入出力装置として備えていた。その後スペリー社、
IBM社をはじめ、数多くの会社で製造され、販売された。
(6)日本で初めて製作された自動計算機
1952年 通商産業省工業技術院電気試験所で製作されたリレー式計算機
ETL-MARK-I
2.パソコンの登場
●1971年
●1973年
●1947年 ベル研究所の3人の科学者、William Shockley (1910-1989),Walter
Brattain (1902-1987), John Bardeen (1908-1991) が(
)を発明。
●1959年 フェアチャイルド・セミコンダクタ社とテキサス
・インストルメンツ社が集積回路(IC)の発表をおこなう。
●1966年 Steven Gray によって Amateur Computer Society と
いう世界初のユーザーグループが設立される。
●1969年 日本のビジコン社エンジニアがインテルと電卓用
ICの設計のために渡米、インテルはこの契約に基づいて電
卓用のICの設計を行う。このICが最初のマイクロプロセ
ッサ(
)となる。
インテル社がビジコン社に「4004」を出荷。
XEROX 社が Alto コンピュータを開発。SmallTalk 言語を搭載、マウス、イサーネットネットワ
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ークに対応したコンピュータは2000台しか製造されなかった。
●1974年 インテル社が(
)という8
ビットのマイクロプロセッサを発表。64 K のメモリ
領域と6000のトランジスタを集積。このマイクロプ
ロセッサの登場で、マイクロコンピュータのビジネ
スとしての生産が可能になったと言われている歴史
的なチップであった。
●同年 MITS 社がマイコンキット(
)を発売する。
●同年 Bay Area Amateur Computer Users Group- Homebrew Computer
Club 設立。
●1977年 RadioShack ( Tandy Corp.の1部門) が初のパソコン TRS- 80を発表。価格は US$600。
●同年 Apple 社が Apple Ⅱを開発。
●1981年 IBM 社が IBM PC を発売。世界的ベストセラーとなる。
●1984年 Apple Macintosh を発売。
3.パソコンを作り出した文化
『マッキントッシュ・レジェンド』より引用)
1960年代後半のアメリカには、「カウンター・カルチャー」ないしは「ドラッグ・カ
ルチャー」と呼ばれるムーブメントが吹き荒れていた。反戦運動と LSD が相乗的に、
アート、音楽、文学、思想などありとあらゆるアメリカの文化に大きな影響を与える
こととなったこのムーブメントは、既存の権威や価値観をすべて否定するところにそ
の特徴があった。そして、この「反体制思想」こそ、パーソナル・コンピュータを生
み出した土壌となってゆくのである。
その引き金となったのは、ほんの数センチ四方の電子部品であった。
1970年代初頭に繰り広げられた「電卓戦争」は、マイクロプロセッサと呼ばれる非
常に小さな副産物を生み落した。この部品はプログラムを入れ換えることで「いろい
ろな」ことができるという、「ただそれだけ」の電子部品に過ぎなかったのである。
この、一般人が決して興味を示さ
ないようなマイクロチップに目を着
けたのが、スティーブ・ウォズニア
ックに代表される電子機器のマニア
たちであった。彼らマニアの中に
は、こういったカルチャー・ムーブ
メントの影響を多分に受けている人
間が多く、無線機を改造して盗聴を
働いたり、電話をただでかけたり、
といったことに夢中になっていた。
最初に彼らを大きく触発したのは、通信販売で発売された Altair という
コンピュータ・キットであった。個人でコンピュータを所有したり、作ったりすることは、マニアの間で予想外の人気を呼ぶ
こととなるが、それに加速される形でフリークたちの集まりは到るところで開催されるようになるのだが、その草分け的な存
在にホームブリュー・コンピュータ・クラブというグループがあった。
ホームブリューとは「家庭醸造」という意味であると同時に密造酒のような怪しげな響きを持つ言葉である。思い思いに作
ったコンピュータを持ち合っては自慢し合い、あるいは情報交換が行われたこの会合は、もともとは主催者のガレージに数人
が集まって開かれたものだが、積極的に会員を集め、回を重ねるに連れ規模を大き
くしていった。部品を組み合わせることで、計算だけでなくいろいろなものに化け
る機械は、社会のシステムにいたずらをする格好の道具であった。こういった過程
を通して、彼らフリークは半導体でできた電子部品の潜在的可能性を見事に開拓し
ていくことになるのである。そして、Apple Computer という名のボード・コンピ
ュータが生み出されたのもこのホームブリュー・コンピュータ・クラブにおいてで
ある。
このホームブリュー・コンピュータ・クラブの主宰者、フレッド・ムーアは学生
時代ベトナム戦争出征の召集令状を拒否したために刑務所に入れられた経歴を持っ
ているという。このムーアが出所後に主催したのが、このホームブリュー・コンピ
ュータ・クラブというわけであった。権威の象徴ともいうべき大型コンピュータへ
の反発は、マイクロチップという時代の落とし子と出会ったことで、予期もしない
産業を生み出すことになるのである。
こういった文化背景こそが、
「電子立国」日本とアメリカの、後に「パソコン」
と呼ばれる製品の本質的な違いをもたらした最大の原因と思われる。つまり、日本
の電機メーカーが「企業」として製品開発部品と捉えていたこのマイクロチップ
に、米国のハッカーたちは「個々人」としてはっきりとした「目的意識」を見いだ
していたわけである。
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