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エリィ・ゴールデン ~ブスでデブでもイケメンエリート

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エリィ・ゴールデン ~ブスでデブでもイケメンエリート
エリィ・ゴールデン ∼ブスでデブでもイケメンエリー
ト∼
四葉夕卜/よだ
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
エリィ・ゴールデン ∼ブスでデブでもイケメンエリート∼
︻Nコード︼
N0121CU
︻作者名︼
四葉夕卜/よだ
︻あらすじ︼
自称スーパーイケメンエリートの小橋川は、花の金曜日に六本
木へ繰り出し、へべれけになるまで飲みまくっていた。女の子をナ
ンパでゲットし意気揚々とタクシーへ乗り込もうとするところへ、
暴走した車が突っ込み、交通事故に遭う。目が覚めると見たことの
ない英国風の造りの病室で眠っていた。そして鏡を見て絶叫する。
鏡に映っていたのはジムで鍛えた筋肉美でなく、ブスでデブでニキ
ビ面で冴えないエリィという少女だった。小橋川はデブでブスにな
1
ったことを苦悩しながらも、大切なものを失ったエリィの辛い境遇
を知り、自身の経験を駆使し、ダイエット、おシャレ、営業活動、
冒険、と自由に生きていくことを決意する。
デブでブスの女の子に転生した完璧主義のイケメンが努力して美
人になり、学校の成績もぶっちぎり、ついでに営業力を発揮して成
り上がる、シンデレラサクセスストーリー。
痛快でわかりやすい物語が好きなので、ベタが好きな方は楽しん
で頂けると思います!
※更新は一週間を目安にさせて頂いております。
※返信は稀ですが感想欄は必ず拝見させていただいております。
※双葉社様から書籍化致します。第1巻2016年8月18日発売。
第2巻2016年11月30日発売。
2
第1話 エリィ︵前書き︶
さあ皆様、ブスでデブで中身がイケメンエリートの女の子が、はち
切れんばかりの身体と精神で闊歩する、ダイエットスペクタクル冒
険活劇ここに開演。
⋮ということで、友人の勧めで書き始めました。
以前からハートフルなギャグファンタジーが書きたいと思っていた
ので、念願が叶いました。
お時間があれば、是非とも読んでいってください。
※書籍化します。第1巻は2016年8月18日発売予定です。
3
第1話 エリィ
目を開けると、白いレースの天蓋が風になびいてやさしく揺れて
いた。
やけに身体が重く感じる。
ここがどこなのかわからなかった。
自宅の寝室に天蓋付きベッドなんて置いていないし、知り合いの
女の家でこんなに豪華な内装をした部屋はなかった。
俺はまたやってしまった、と思った。
いや、ヤってしまったと言い直したほうがいい。
きっとクラブか飲み屋かバーで引っかけたどこぞの女とアレに及
んで、しかも泥酔して記憶がない、という最悪パターンだ。そして
ここがどっかのホテルだ。ラブホテル。間違いない。
俺は重い頭を左右に振った。
隣に見知らぬ女が、と思ったがそんなことはなく、ベッド脇にあ
るテーブルに清潔そうな白い洗面器が置かれ、同じく清潔そうなタ
オルがかけられている。品の良い絨毯が敷かれた、十畳ぐらいの部
屋だ。家具はベッドと高級そうなタンス、あとは椅子がいくつか置
いてある。どれも高級そうで、そして英国風なエレガントな家具揃
えだった。
4
病院?
ちょっと不安になってきて昨日、仕事が終わってからのことを反
芻する。
花金だ!
と叫んで同僚と六本木に繰り出し、よく行く高級定食の店で飯を
食べ、そのあとバーで飲んでからクラブでVIP席を取って、女の
子をとっかえひっかえして何度もシャンパンを乾杯した。
同僚が昇進した祝いもあって、俺とそいつはしこたま酒を飲んだ。
ネクタイを振り回して踊りまくった。
そのあと気に入った女の子ふたりを引き連れて外に出た。
ここまでは憶えている。
そこから先の記憶が、霧がかかったように思い出せない。
とてつもなく重要なことで、思い出さなければまずいことになる、
と本能が警告をはじめた。
思い出そうとすればするほど、心臓の鼓動が速くなり、頭の中が
焦燥で破裂しそうになる。全身から汗が噴き出していた。
気持ちの悪い冷や汗が額からだらだらと流れていく。
おれは、あのあと、何をしたんだっけ?
どうしてこうなったんだ?
もう一度思い出そう。
5
クラブでVIP席を取ったところまでは記憶がはっきりしている。
そして三番目にナンパした女の子の足がきれいでずっと触っていた。
色白できめ細かい肌で、あれは気持ちが良かった。
いやちがうちがう、その先だ。
俺はその子をつかまえ、同僚はギャルみたいな軽そうな女にもた
れかかっていた。
全員酔っ払っていた。
そして店を出て、飲み直そうということになり⋮
そうだ、タクシーを呼んだんだ。
そこまで思い出して俺は目を見開いた。
そうだ⋮
あのあと俺は⋮⋮
︱︱︱俺は、暴走してきた黒塗りの高級車に、轢かれたんだ。
○
気づいたら寝てしまっていた。
なにはともあれ生きている。
そろそろ会社に連絡をいれないとまずいだろう。一日寝ていたと
すれば、日曜日になっているはずだ。症状を医者に聞いて最悪休み
6
をもらわないといけない。
くそ、うまい商談が決まりそうだっていうのに最悪だ。
﹁エリィ様!﹂
ドアが開いたかと思うと、誰かがベッドに飛びついてきた。
﹁やっと目を覚まされたのですね⋮。わたくし心配で夜も眠れませ
んでした⋮⋮﹂
誰だこのオバハンは?
外人だな。
しかも苦労してそうな深い皺がいくつも顔に貼りつき、髪はぼさ
ぼさまではいかないが栄養がいっていないのかしなびている。
外人の苦労したおばさんだな。
茶髪に茶色の瞳。
古い海外映画の使用人みたいだ。
というか格好も使用人だった。
黒地の膨らみのあるワンピースに白いエプロンを掛けている。作
業を色々やり終えてからこの部屋に来たのか、エプロンはところど
ころ汚れていた。
﹁なぜあのようなことを⋮⋮。いえ、あのような場所に行かれたの
7
ですか?﹂
彼女は涙をぬぐおうともせずしゃくりあげている。
﹁旦那様や奥様、お姉様方、皆様エリィ様が悪魔に取り憑かれたと
⋮⋮わたくしはそのようなこと一切信じておりません。エリィ様の
お立場をわかっているひとなど誰もおりません⋮⋮⋮﹂
あのさ、エリィって誰よ?
オバハンメイドは、ハッとした表情になって俺の顔をのぞき込ん
だ。
﹁もうしわけございません。まだお体が本調子ではないのですね⋮
⋮﹂
やべ、声がでねえ声が!
どうすんだよ、明日の商談、俺がプレゼンしないと絶対に獲れな
いぞ。
﹁お体をお拭きしますね﹂
彼女はやさしくうなずくと、タオルをしぼって、大事な壊れ物を
扱うかのように俺の顔を拭いていった。
心の中は明日の仕事のことで非常に焦っていたが、首筋や腕を拭
いてもらうのは気持ちがよかった。
﹁いつ見てもエリィ様はお肌がきれいですこと⋮﹂
8
そう言ってオバハンメイドは俺の腕をそっと持ち上げた。
つーかエリィって誰だよ。
だが俺は持ち上げられた自分の腕を見て驚愕した。
︱︱エリィ!?
心の中で叫び声を上げるぐらいぶったまげた。
声が出てたら﹁なんじゃあこりゃあ!﹂と叫んでいただろう。
俺の腕は、白く、ぷよっと、太くなっていた。
あの、黒く、がちっと、ジムで鍛えた筋肉は、いったいどこにい
ったんだ!
﹁大丈夫ですよエリィ様。すぐお体はよくなりますから⋮﹂
﹁大丈夫ですよ⋮﹂
﹁大丈夫﹂
︱︱いやだからエリィって誰よ?
9
第2話 伝説級
︱︱どうなってんだこれ。
俺はなんとか動くようになった両腕を顔の前にかざした。
そこには俺の腕じゃない俺の腕があった。
なんともだらしなく太い腕。異常、といっていいほど白い肌。毛
なんかは一本も生えていない。よく見ると毛根すらないぐらい、つ
るっとしている。
手のひらなんかはもっとひどい。
俺の手はもっと男臭くて、ジムでかなりトレーニングしていたの
で血管が浮き出ていた。それがどうよ、この手は!
ぷよぷよして関節が脂肪で埋まってやがる。
デブだな。
これはデブだ。
人間ってこんなにすぐ太れるの?
結果にコミットするトレーニングジムの逆バージョン?
ぶーちゃ、ぶーちゃ! これであなたもぶよっぶよ!
10
ひゃっふー! モテモテ間違いなし!
ふざけるなよ⋮⋮?
どんだけトレーニングしたと思ってるんだ。
仕事の合間を縫ってジムにいって、食事制限までしてたんたぞ。
もちろんモテるために。
あと俺は完璧主義なんだ。ぶよぶよのおっさんとか格好悪いだろ。
来年で30だから健康には人一倍気を遣ってきたんだ。それに営業
は見た目が大事だ。精悍な体つきのほうが信頼度も高くなるだろう。
しっかしどうしたもんか。
声は出ないし、身体は腕と頭しか動かない。
﹁失礼しますエリィ様、エイミーお姉様がお見舞いに来られました﹂
そういうメイドオバハンの声と共にドアが静かに開いた。
﹁エリィ!﹂
入ってきた人物はメイドオバハンと同じように俺に飛びついた。
そして顔を上げると、はらりと悲しげに涙を流した。
顔面が、どアップになった、パツキンの美女がそこにはいた。
金色の髪にブルーの瞳、桜を散らしたような薄いくちびるは、嗚
咽をこらえて揺れている。輪郭もほどよく丸く、しかし丸すぎない。
11
垂れ目なのが、どこか保護欲をそそる。まぼろしでも見ているかの
ような、伝説級の美人であった。
俺はなにを隠そう女好きだ。それも相当の女好きだ。追加してイ
ケメンで営業力はトップクラス、趣味も多くて友達も多い。身長は
180センチに少し届かないぐらい。最近でいうところの、リア充
の完全体みたいな人間だ。まあ冷静に第三者の目で自分を分析して
も、他人からかなり羨ましがられる容姿をしている。
それもあり女性経験は普通の男より遙かにあると自負している。
その俺が伝説級というのだ。
間違いなく伝説級の美女だ。そして伝説級にいい匂いがする。
とりあえず色々考えるのをやめて俺は深呼吸をした。肺のすみず
みまで伝説がいきわたるように思い切り空気を吸い込んだ。
﹁どれだけ心配させれば気が済むの⋮。あなたは私以上に繊細で引
っ込み思案で臆病で⋮⋮﹂
ぽかり、と俺の肩を美女は叩いた。
﹁あの、エイミー様﹂
﹁ごめんなさいクラリス。病人にわたしったらなんてことを﹂
美女は叩いた肩にそっとくちづけした。
おいおいおいおい、叩いたところにくちづけ?
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くせえ! 映画でしかみねえぐらいくせえ行動! 行動も伝説級
! すげえ悔しいんだけど、なんかそこはかとなくうれしい!
﹁エリィ、今度こんなことをしたらわたくし、もうあなたとは二度
と口をききませんからね。嫌いになっちゃいますからね⋮⋮﹂
そう言って美女はまた涙を流すのであった。
メイドオバハンがハンカチを出してそっと美女の涙を拭こうとす
る。それを美女は押しとどめてハンカチを受けとり、自分でハンカ
チの角っこを使って涙を吸い取った。仕草までも伝説級だった。こ
んな所作ができる女は銀座の一見さんお断りのとある店ぐらいでし
か見たことがない。その店にも負けてない。いやむしろ見た目補正
が入って余裕で勝っている。
しばらくの間、エイミーと呼ばれる美女は俺のぷよぷよになった
手を握っていた。
よほど心配だったらしい。オバハンメイドともろくに口をきかず、
ベッドの脇にひざまずいたまま、かれこれ三十分ほどそうしていた。
﹁早く元気になってねエリィ。あなたの部屋にあったものはクラリ
スにもってこさせるから。なにか必要なものはある?﹂
そうだな、とりあえずスマホ、持ってきて。
﹁あら、まだ声が出ないのね⋮⋮よほどショックだったのでしょう﹂
そうして美女は俺のぷよっぷよの手を握り直して、十分ほど自分
の胸に抱いた。
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やわらかい感触を楽しみつつ、俺は嫌な予感を身体で感じていた。
見ず知らずの伝説級美女が飲み過ぎて車に轢かれた男を、なぜこ
んなに心配しているのかわからない。陰謀に巻き込まれた、と冗談
ながらも半分本気で推測する。そこまで重要な個人情報や会社の機
密は取り扱っていないが、俺の営業力目当てで引き抜きにくる輩は
他社に多数いる。まさかこの美女を使って俺をヘッドハンティング
するつもりだろうか。
こんな美女を雇って引き抜くメリット、費用対効果が俺にあるの
か?
いや、あるかもしれない。
去年、派手に他社の契約を全部うちのモノにしたのは俺で、ライ
バル営業からは露骨な牽制をくらった。他社ライバルならかまわな
いだろうと、睨まれた営業の担当場所を狙って契約を正規の方法で
ぶんどった。それ以上はやるなと会社からは釘を刺されたぐらいだ。
普段じゃ見られないほどの特別賞与をもらった。ちょっと同僚に
は話せないレベルだ。
その年の年収はやばかった。今年の税金もやばいが。
まあ俺の営業力なら他社に行っても相応の成果は出せるだろう。
そうこうしているうちにクラリスというメイドオバハンが、部屋
に女物の荷物を次々に運んできた。
﹁エリィ、わたしはあなたの味方だからね。なんでも言いなさい。
出来る限りのことはするわ。学校が終わったらまた見に来るからね﹂
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エイミーと呼ばれていた伝説級の美女がいなくなると、メイドオ
バハンも姿を消した。
くそ、声が出ればいろいろ聞けるものを。
会社に連絡ができないのは心配だが、まずは身体を治すことに専
念しよう。なぜ外人メイドなのか、なぜ金髪美女なのか、なぜ太っ
ているのか、めちゃくちゃ疑問点はあるものの、現状ではなんにも
できない。こういうときは図太く立ち回るのが俺流だ。
ちらりとテーブルを見た。
外人メイドオバハンが持ってきた物が整理されて置かれている。
花柄の可愛らしいポーチ、化粧道具が入っているであろうこれま
た可愛らしい両手大の箱、手鏡、雑多な本、ピンクとか白とか男の
俺からしたら絶対着ないであろう女用の服がいくつか、あと皿の上
に甘そうなお菓子類。
俺はギリギリ手の届く場所にあった手鏡を持った。
そしてなにげなく覗き込んだ。
ファッ!?!?!?!?
そう、俺は何気なく覗き込んだのだ。
フェッ!?!?!?!?!?!?
15
そうなのだ、俺は何気なくのぞきヒィィッ!!!!!!!!!
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第3話 どうすんのこれ
ブスだ。
あとデブ。
ブスでデブだな。うん。間違いない。デブスだ、デブス。
﹁くそっ!!﹂
俺は手鏡を思い切り地面に叩きつけた。
﹁どうなってやがる!﹂
手鏡で自分を見た俺は何時間か失神していたようだ。
何度も何度も確認した。間違いではなかった。手鏡の中にはぽっ
ちゃりと丸い顔をして、肉の厚みで目が陥没している少女がいた。
不摂生をしていたのか脂物ばかり食べていたのか、ニキビ面だった。
そんなブスが申し訳なさそうな顔で手鏡に映っているのだ。一ヶ月
契約を取れなかった営業マンのような、本当に申し訳なさそうでう
ちひしがれた顔だった。
年齢はおそらく12∼15才ぐらいだろう。いまいち外人は外見
から年齢はわからない。
まあそんなことはどうだっていいんだ。
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なぜ、俺が、デブで、ブスで、ニキビ面の、外人で、女で、少女
になってるんだ!
おかしいだろこれ。
くそ、顔を引っ張っても痛いだけだ。
おー神よ!
我を救い給え!!
神様信じてないけど。
あーもうなんなんだよこれは!
このデブ! くそ! どうなってやがる!
自分の腹をパンチしても、ぽよん、と小気味良い弾力で押し戻さ
れる。
﹁誰か説明してくれ!﹂
あれ、しゃべれる。つーか声、女の声じゃん⋮⋮。
﹁あーあーあー﹂
なんだこの可愛い声は!
きゃわいい声は!
デブのくせに。
﹁わたしの名前は小橋川デス﹂
自分の名前を言ってみるが、なんつーんだろ、違和感しかない。
18
あれ、そういえば身体が動くな。
俺は試しに思い切り力を込めて起き上がった。そしてその巨体に
驚いた。たぶん起き上がれなかったのは身体の具合がよくなかった
せいもあったが、それより単純に身体が重かっただけだろう。
ベッドから下りるだけなのに、転びそうになる。
俺は必死に絨毯にぶっとい足を伸ばして立ち上がった。軽い立ち
くらみがしたものの、すぐに平気になったので、ゆっくりと歩いて
みる。
なんだろう。すんげー重い。
本当の俺の身体機能は素晴らしかった。全身筋肉だったしそこま
で体重は重くなく、運動神経も悪くなかった。大股で早歩きをすれ
ば小さい女子が走るのと変わらないぐらいのスピードが出た。
だがこれはなんだ。
歩く度にどこかしらの肉がぽよんぽよん上下に揺れて邪魔。身体
全体にバーベルがついたように重い。乳と腹が出ているせいで真下
が見れない。俺は何度か転びそうになり、タンスや壁にもたれかか
った。
ふらつきながら部屋のうろうろしていると小さなドアがあった。
開けると、そこは小さなクローゼットになっていて、ドアの裏側が
全身鏡になっていた。不意に映った姿を見て、口を開けて、完全に
放心してしまった。
身長は160センチほど、体重は100キロあるであろう金髪の
19
少女が、ぽかんと口を開けていたのだ。
そう、俺だ。
いや、俺、なのか?
﹁まあエリィ様! いけませんまだ歩いてはお体にさわります!﹂
ドアを開けて入ってきたクラリスと呼ばれていたメイドが、俺に
しがみついてくる。
どうやら、俺の腕らしい、白いぷよぷよをつかんだオバハンメイ
ドは、顔を覗き込んできた。
﹁どうされたのです?﹂
﹁⋮これは、誰だ?﹂
﹁なにを言っているのです。エリィ様に決まっているじゃないです
か﹂
﹁エリィ⋮⋮﹂
﹁はい。由緒正しきゴールデン家四女のエリィ・ゴールデン様でご
ざいます﹂
﹁ゴールデン⋮⋮ヨンジョ?﹂
﹁はい。そうでございます﹂
﹁ゴールデン⋮⋮ゲキジョウ?﹂
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﹁はて。私物の劇場などございましたか?﹂
﹁いや、なんとなく⋮﹂
﹁そうですか。それではベッドに戻りましょう﹂
オバハンメイドが言い終わるか終わらないかのタイミングで、こ
の現実についていけずに、俺は卒倒した。
○
俺は降りしきる雨の中、空中をさまよっていた。
身体にあたる雨粒は、透明な俺の身体をすり抜けて地面で弾け、
吸い込まれていく。天空では見ているだけで焼け焦げてしまいそう
な巨大な稲妻が走り、大音を轟かせ、世界を丸呑みにしようとして
いた。
大木を中心にした池のほとりに誰かがいる。
金持ちが屋敷のついでに道楽で作った池であろうか。まわりを見
ると、池のちかくには洗練されたあずまやがあり、大理石のような
テーブルがしつらえてあった。さらにその奥には屋敷に繋がる通路
が続いていた。
俺は気になって池のほとりへとふわふわ漂いながら進んだ。
そこには、全身鏡に映っていた、デブでブスでニキビ面の少女が、
21
ずぶ濡れになって突っ立っていた。その悲壮感たるや言葉では言い
表せないものであった。見ているこっちまで辛くなるような、絶望
した顔でうつむいたまま、動こうとしなかった。
どれぐらいそうしていただろう。
彼女は時折、くちびるをかみしめ、眉をひそめ、自嘲気味に笑っ
たりしているが、注視していないと見逃してしまうような些細な表
情の変化であった。俺はその様子を空中に浮いたまま、見つめてい
た。磔にあったように目が離せないでいた。
やがて少女は泣いた。
すすり泣きだったそれは、時を待たずして号泣に変わった。
すべてをあきらめたかのような、鬱憤をぶちまける号泣であった。
稲妻を飲み込むかのように天をあおいで大口を開けて、絶叫してい
た。
俺は胸が苦しくなった。
息もできずに両手で心臓を押さえ、身もだえた。身をよじること
で何とか平静を保ち、少女の悲しみを全身で受け止めないようにし
た。そうでもしていないと、悲しみに押しつぶされそうになった。
少女はひとしきり泣くと、風呂にでも入るかのような手慣れた仕
草でサンダルを脱ぎ、服を着たまま池の中に入っていった。
俺は止めようとした。
だが身体がびくともしないのだ。
22
動かない。
そもそも今の俺は透明で、身体がある状態でなかった。動けても
彼女を止める事なんてできない。それでも、池に入ることを止めな
ければ。
俺がもがいているうちに、彼女は胸のあたりまでどっぷり池につ
かり、両手を組んでお祈りをした。何かをつぶやいているようだ。
俺にはそれが何なのかわからないが、早く彼女を池から引きずり出
さなければいけないことだけはわかった。
天空では稲妻が雷光を放つ。
デブでブスでニキビ面なんてことはどうでもいい。俺は彼女を助
けたかった。事情はわからないが、おそらく彼女は死のうとしてい
る。目の前の女の子ひとり助けられず、男を名乗る資格があるであ
ろうか。
俺は無理矢理に身体を動かして、彼女のもとへ走った。
空中に浮いていたので、飛んだ、といったほうが正しいかも知れ
ない。がむしゃらに前に進んだ。
しかし、間に合わなかった。
彼女はつぶやきをやめると、両手を目いっぱい広げて、笑顔にな
った。
鼓膜を突き破る凄まじい破裂音と同時に、目の前が雷光で真っ白
になり、髪が逆立ちになるほどの爆風が巻き起こる。池の真ん中に
あった大木がメキメキと音を立てて倒れ、炎が舞い上がった。
23
彼女は大量の電流を浴びて、ショック死した魚のように、池にぷ
かりと浮かんでいた。
俺は彼女を真上から見下ろし、いつの間にか意識を失った。
○
俺はそれが夢だったと気づくのに五分ほどかかった。
横を見ると心配そうな顔をしたオバハンメイドがうちわで風を送
り、隣では伝説級の美女が俺の手を握っていた。
彼女は死んだのだ。あのとき、雷に自ら撃たれて死んだ。あれは
たぶん、夢なんかじゃなく現実なんだろう。というか、俺の記憶な
んだろう、きっと。
そして俺も、六本木で酔っ払って、ふらついてるところを黒塗り
の高級車に轢かれて死んだのだ。
きっとそうに違いない。
それで魂みたいな状態になっていたものが少女に乗り移った。そ
ういうことではないだろうか。
ということは、俺と彼女はふたりともあのとき死に、そして身体
だけエリィ、中身は俺、という新しい状態で復活した。
24
そうか。
そうだったのか。
なるほど⋮⋮
これが神様のいたずらか。
いたずらオブゴッドか。
って、ずぇんずぇん納得できねえええ!
なぜイケメンの俺が、ブスで、デブで、ニキビ面で、外人で、女
で、少女になってるんだ!
くそ! このデブ!
腹をパンチしても小気味良い弾力で、ぽよんとはじき返されるだ
けだ。
頼むから誰か俺を元の姿にもどしてくれえええええぇ!
25
第4話 エリィの日記
﹁エリィ大丈夫?﹂
エイミーという美女が瞳をうるませながら顔を覗き込んでくる。
俺はとりあえずうなずいた。
﹁まだ事故から二日も経ってないのよ。安静にしていないとだめ﹂
俺は美女の黄金比のように美しく均衡の取れた顔を見つめながら、
茫然自失していた。
俺はもう俺ではないのだ。
イケメンで、トップ営業で、モテる男、デキる男の小橋川ではな
いのだ。
両手をあげて、脂肪で陥没した指を見つめる。
ああ⋮
本当に俺はもう俺ではないんだ。
スーパーイケメンで、スーパートップ営業で、モテる男で、デキ
る男で、イケてる男で、ヤレる男で、キレる男で、最強で最高の小
橋川ではないのだ。
やり残したことは山ほどある。
翌日に控えていたプレゼン。あれでニューオープンする都心の大
26
型ショッピングモールの一角を手に入れる予定だった。うちの会社
の化粧品ブランド商品を初めて独立店舗で展開する絶好の機会だっ
た。管轄はまったく違うが、新規店舗プロジェクトチームから部署
をまたいで俺が抜擢され、プレゼンを行う予定だったのだ。どれほ
ど練習して時間を費やしたか、おそらくプレゼンの練習だけでも五
十時間は使っている。チーム全体の時間を準備段階から換算すると、
相当の費用がかかっていた。それをすべて俺の営業力とプレゼン能
力につぎこんだのだ。未練が残らないはずがない。
口説いていた途中の女の子が五人いる。
とりわけ気に入っていたのはなかなか番号を教えてくれない他社
の企画営業だ。黒髪できつい目をしたガードの堅い女だ。そのわり
にセンスのいい香水とスーツを着ていて、気配りのできるひとだっ
た。彼女は自分のことを魅力のない女だから、番号は教えられませ
ん、と連呼していたが、そんなのはとんでもない。俺に言わせれば
すぐにでも抱きたい素敵な女性だった。
偶然、営業の移動中に新橋で会って、そのままコーヒーを飲んで
番号を交換できたところだったのに、こんなことになるなんて、本
当にもったいない!
次に気に入っていたのはガールズバーでバイトをしていた女子大
生の子だ。俺は夜の店も好きでよく行くが、プライベートで店の嬢
と遊んだりはしないという己の不文律がある。休みの日に営業をか
けられるのがきらいなのだ。それにプライベートなのか仕事なのか
恋愛している振りなのか、そういう駆け引きが最近では煩わしかっ
た。だが、その女子大生は違った。幸運にも俺に一目惚れしてくれ
たらしい。米を譲ってくれたんじゃねえよ? ひとめぼれしてくれ
たんだぞ?
しかもありえないぐらいの巨乳。まじででかい。すんげーでかい。
特大のスイカが胸にくっついてる感じ。遊びに行けばあの巨乳をい
27
じりたおせたはずだ!
くそう、なんてもったいないんだ! ちくしょう!
俺が悔しそうにベッドの端をバンバン叩いていたので、伝説級美
女は驚いたような困ったような顔をした。
﹁ごめんね。そんなにベッドから出たかったの?﹂
﹁ちが⋮⋮います﹂
あやうく男言葉になるのを寸でのところで堪えた。
﹁そう。でも元気になってよかった﹂
﹁さようでございますね﹂
伝説級美女とオバハンメイドは交互にうなずいた。
俺は自分が死んだという仮説に、妙に納得していた。信じたくは
ない。信じたくはないのに、考えれば考えるほど、その結論が腑に
落ちる。あの夢でみた雷雨も、実際にこの目で見ていたのだろうと、
なんら問題なく受け入れることができる。
これでも俺は現実主義で、完璧主義だ。
だからなのかもしれない。
こんな状況になって、信じられない、とずっとわめいてる奴のほ
うがどうかしている。現に俺はブスでデブでニキビ面の少女なのだ。
動かそうと思えば、腕も動くし頭も動くし話すことだってできる。
この身体が俺自身なのだ。これが現実なのだ。
28
﹁あの、ここは私の部屋ですか?﹂
俺はとぼけたふりをして聞いた。
﹁ここはグレイフナー病院よ﹂
伝説級美女は俺の手を両手でにぎりしめた。
﹁ご自宅にはいづらいだろうというエイミーお姉様の配慮でござい
ます﹂
﹁どうして?﹂
オバハンメイドに俺は尋ねた。
不思議なもので、一度しゃべるとすらすらと女っぽい口調で言葉
が出てくる。生前のエリィのなごりなのだろうか。
﹁どうしてと言われましても⋮﹂メイドは困ったように目を伏せた。
﹁それはエリィお嬢様が一番わかっていると⋮﹂
﹁ごめんなさい⋮⋮ええっと、クラリス。わたし、記憶が曖昧にな
っているみたいなの﹂
﹁まあ!﹂
美女がすかさずおでこに手をあてがった。
﹁痛いところはないの?﹂
29
﹁今のところ、ないです﹂
﹁それならいいけれど⋮。ねえエリィ、あなたあの日のことは憶え
ているの?﹂
﹁雷雨があった日のこと?﹂
﹁そうよ。あなたは屋敷の裏庭で池に飛び込んで、運悪く一本杉に
落ちた雷の衝撃で倒れたの。お医者様が言うには生きているのが不
思議だと言っていたわ。わたしの治癒魔法で傷は癒えたけれど、全
身やけどでひどい状態だったのよ?﹂
池には飛び込んでないが、まあ似たようなもんだろう。
それよりこの美人、治癒魔法、とか言ってなかったか?
冗談にしては笑えないな。
﹁お父様はあなたに悪霊が乗りうつって、あなたを自殺に追い込ん
だと言っているけど、わたしはそんな事信じてません﹂
﹁悪霊⋮﹂
﹁エリィは気にしなくて良いのよ﹂
しばらくエイミーという伝説級美人と話をした。
どうやらこのエイミーはゴールデン家の四姉妹の三女で、顔も頭
も良く、性格も優しく、いい匂いがし、おまけに胸もでかいという
超人のような人であった。そして話の中で度々あがってくる、治癒
魔法、という単語から察するに、本当に魔法というアホみたいな非
30
科学的なものが存在していて、この世界では常識として受け入れら
れているようだ。
しかし現実は非情である。
このエイミー姉さんと話せば話すほど、彼女の美しさを知ること
になり、俺が憑依したエリィはブスでデブだと実感してしまう。本
当に同じ遺伝子なのか鑑定依頼をかけるべきだ。むしろ俺はエリィ
とエイミーが姉妹であることのほうが魔法だと思える。
夜食をエイミーとメイドのクラリスがかいがいしく世話してくれ、
面会が終わりの時間まで俺のことを看てくれた。
どうやらエリィはこのふたりには相当に可愛がられているようで
あったが、父親や別の姉妹とはあまり仲が良くないようであった。
その話題にとぼけて触れると、途端に二人の顔色が曇り、別の話題
へとあわてて切り替えるのだ。
ふたりが去ってから、様々なことが頭をよぎり、とても眠れる気
分にはなれなかった。
俺は太い足を動かしてベッドから這い出た。
カーテンを開けると、満月が浮かんでいた。
月が地球の倍はあった。
﹁はははは⋮﹂
なんとなくわかってはいたが、ここは地球ではないようだった。
それに言葉もおかしい点が多々あった。
31
まず日本語ではないのに俺が話せている。
無意識のうちに身体であるエリィが理解し、俺が勝手に日本語で
認識しているのであろうか。それとも俺とエリィが合体するなんて
不思議現象があるぐらいなのだから、勝手に翻訳する機能が備わっ
ているとか。まあ、どっちにしろ楽してしゃべれてるから何でもい
いが。
文字も日本語ではないのに読める。
メイドのクラリスが持ってきた本を手に取ってページを適当にめ
くると、すんなりと言葉が理解できた。英語と似ている文法のよう
であったが、時折ひらがなや漢字が混ざって出てくる。これは俺の
目にだけそう見えるようになっているのだろうか。
俺はそこまで考え、部屋の奥にあるクローゼットを開けて、姿鏡
を見た。
そこにはなにやら営業が得意そうな表情をしたブスでデブでニキ
ビ面の少女が立っていた。
はあ⋮
俺が肩を落とすと、少女も贅肉でまるくなった肩をがっくりと落
とした。
エリィは俺で、俺はエリィになってしまった。
これはまぎれもない事実なのだ。
現実を受け入れようと、新米営業時代に培った不屈の闘争心とポ
ジティブシンキングで何度もガッツポーズを取ったが、効果はほと
32
んどなかった。デブの少女がむやみやたらと﹁よっしゃあああ﹂と
ガッツポーズを取る姿を見て、一体、全世界の何人が鼓舞されると
いうのだ。まったくバカげている。
﹁くそっ!﹂
地団駄を踏むと、その重みで床が抜けそうだ。
そして声が女の子のかわいい声なので、まったく迫力がない。
﹁くそっ!﹂というよりは﹁くそっ☆アハッ﹂と言っているよう
に聞こえる。
これが自分の声なら少しは発散できるものを。
○
﹁あーもうだめだー﹂
俺は考える気力が出ず、ベッドの上でごろごろしていた。
エリィの巨体でも左右に寝返りをうてるほど、でかくていいベッ
ドだった。
デブのわりに食欲はあまりない。
というか精神が俺だから食欲が湧かないのかもしれない。
朝昼晩の食事はパンと野菜スープ、生野菜、デザート、という健
康的なメニューだったが、食べる気にもなれずスープとデザートだ
け食べていた。
かれこれ自分の姿を見て三日は経つ。
無駄だとわかっていても、何度か姿鏡で自分を確認した。当然、
33
俺はエリィであった。
現実は受け入れなければいけない。
ちなみにこの三日間で驚愕したのはエリィのパンツが特大だった
ことだ。
パンツっていうよりは、ちょっとした子ども用タンクトップ? レディース物の上着?
頭にかぶると穴が二つ空いたチューリップハットのようになって
しまう。女子のパンツといえば水泳帽のようにピチッ、となるのが
常識というものだ。小さい頃、姉さんのパンツをかぶって﹁パンツ
マン!﹂とポーズを取って何度となくげんこつをもらったものだ。
⋮姉さん元気かな。
いつになるかわからない俺の結婚を楽しみにしてくれてたのに、
それが今やわけわからん異世界でデブでブスの少女になってるって
言ったら笑ってくれるだろうか。うん、きっと豪快な姉さんなら爆
笑だな。
パンツをかぶっている俺を見て、メイドのクラリスが顔を真っ青
にして止めてきたのには笑った。﹁お、お、お嬢様、おパンツをか
ぶるなんて、なんて果てしない﹂と、どもりながら、はしたないを
果てしないと言い間違えていた。ある意味、でかパンツが果てしな
さを演出していたので間違いではない。
もちろん、笑ったのは心の中だけだ。すぐ叱られて、静かにマイ
パンツを脱いだ。脱帽ならぬ、脱パンツ。
34
ちなみにメイドのクラリスは、どうやら家の仕事を終わらせてか
ら、合間を見てせっせと病院に顔を出してくれているようだった。
クラリスの他にメイドは来ないのかと聞いたら、ものすごく寂しそ
うな顔をされたので、今後はその話題に触れないでおこうと思う。
彼女が寂しそうな顔をすると、苦労皺がより濃くなり、悲壮感が半
端じゃなくなる。
クラリスが夕食を膳にのせて運んできてくれた。
﹁エリィお嬢様、こんなにやつれてしまってはお体に障ります。し
っかり食べませんと⋮﹂
いやいや、ぜんぜん、まだまだ現役でデブっすよ?
推定で百キロはあるからね。
つーかどんだけエリィの顔ぱんぱんだったんだよ。
相変わらず食欲はなかったのでスープとリンゴとグレープフルー
ツを食べて、膳を下げてもらった。パンに手をつけなかったのでク
ラリスが食べさせようとしてきたが、やんわりと断った。
部屋を簡単に掃除してベッドのシーツを替えると、彼女は部屋を
出て行った。
ひとりになって、色々と考える。
やり残した仕事のこと。
家族のこと。
友人のこと。
日本のこと。
35
重い体をゆすって部屋をうろうろと歩き回る。
ふとテーブルに積んであった書籍類の一番下に、隠れるようにし
て置いてある文庫本サイズの日記帳を見つけた。ピンク地の外装に、
花柄のレリーフが装飾されている、いかにも女子という外見の日記
だった。
日記には銀製の鍵がかかっていた。
しかも、ひっくり返しても横から見ても上から見ても、鍵穴がな
い。
どうやって開けるのか四苦八苦していると、鍵に親指をのせたら
勝手に鍵が解錠された。
なかなかにすごい仕組みだ。
原理は不明だ。
本が開かないように、くの字に曲がった銀板で表拍子と裏表紙が
つながれていたのに、親指をあてがうと、自動で銀の真ん中がぱか
っと開くのだ。
重い体で机まで移動して、備え付けの椅子に座った。
太っているせいで椅子の取っ手に贅肉がはみ出るのはご愛敬だ。
電気がないこの世界では、夜具にランタンを使っている。
机にあったランタンの火を強くし、日記を開いた。
日記にはエリィのすべてと言える物が詰まっていた。その衝撃の
内容に目を見張り、時間を忘れて読みふけり、エリィの12才から
14才になるまでの生活を疑似体験することになった。どうしてエ
リィが日記に鍵をかけていたのか、なぜ雷が鳴る豪雨の日に自宅の
池に入ったのか、その理由が記録されていた。
36
第5話 エリィの日記その2
俺は本腰を入れてエリィの日記を最初から読むことにし、太い腕
を伸ばしてランタンを引き寄せた。
丸くて可愛らしい字で、丁寧に書いてある。几帳面な性格だった
のだろう。
﹃○○年×月△日
私はエイミー姉様とお話をしていると、嬉しい気持ちと悲しい気
持ちで、時たま混乱してしまう。あんなに美しいエイミーお姉様と
私が姉妹であることが信じられない。今日、お父様に私は養子なの
かと聞いたら、ひどい剣幕で叱られてしまった。
やっぱり私には信じられない。
せめて私にエイミー姉様の十分の一の美しさがあればと、鏡を見
ていつも思う。どうして私はこんなにデブでブスなんだろう。
それに、エドウィーナ姉様は身長が高く、聡明で、スタイルがと
てもいい。タイトなドレスを着たエドウィーナ姉様を、紳士達が振
り返って確認していた様子を私は何度も目撃している。男性は、女
をよく品定めしている。私が通りすぎたときに振り返るのは、私が
デブでブスだからだろう。こんなに太っているのは町で私ぐらいし
かいない。
私はお姉様が大好きだけど、ブスでグズの私のことをエドウィー
ナ姉様はあまり好きじゃないみたいで、ちょっと悲しい。年が離れ
37
てるし仕方ないのかな。
エリザベス姉様はゴールデン家の特徴である垂れ目ではなく、釣
り目で大きな瞳。うらやましい。気が強い姉様に見つめられると簡
単な殿方なら、なんでも言うことを聞いてしまう。ちょっと怖いけ
ど、美しくて素敵な姉様だ。もちろん私はエリザベス姉様のことも
綺麗で大好きなんだけど、やっぱりお姉様は私のことが好きじゃな
いみたいだ。こんなデブと町を歩いたら恥ずかしいもんね。
私も綺麗になりたい。でも、どうせそれは無理だ。
せめて魔法がうまくなればみんな私のことを褒めてくれるかもし
れない。
魔法学校に入学したら、とことん魔法の練習をしよう。デブの私
が剣術や槍術をやってもたかが知れている。自分なりに頑張ってみ
よう﹄
﹃○○年××月△日
今日は入学式だ。入学祝いと12才のお祝いもしてもらった。
エイミーお姉様が自分のことのように喜んでいてくれたことが私
は嬉しかった。
お父様、お母様、エドウィーナ姉様、エリザベス姉様はあんまり
喜んでいなかった。なんでだろう。私が歴史ある有名校に入ること
を心配しているのだろうか。私のことをゴールデン家の恥だと思っ
ているのかもしれない。仕方ないよね。
38
こんなこと考えていても何もはじまらないよ。
緊張でうまく話せるかわからないけど、学童でほとんど友達がで
きなかったし、グレイフナー魔法学校では友達をたくさん作りたい
な﹄
﹃○○年×月△△日
光魔法の適性があった私はライトレイズのクラスになった。ゴー
ルデン家はその名の通り、鉱物や自然に関係した﹁土系統﹂﹁水系
統﹂の適性者が多いとお母様から聞いていたので、私は特別なのか
と思ってしまう。きっとエイミー姉様に話したら喜んでくれるだろ
う。
適性検査が終わった後、クラスの自己紹介のときに何人かの男子
生徒が私を見て笑った。すげーデブだ、と小声で言っていたのが聞
こえてしまい、悲しい。でも、こんなことはいつものことだ。お母
様やエイミーお姉様が言うように真心をこめて人と接すれば、いつ
か友達ができるはずだよね﹄
﹃○○年×月△日
お昼休みにお弁当を食べようとしたら、中身がからっぽになって
いた。その日は食堂がお休みなのでみんなお弁当を持ってくる日だ
った。クラリスがお弁当の中身を入れ忘れるはずがない。
自己紹介のときに私のことをバカにしていた男子生徒がこっちを
見て笑っていたので、私は勇気を出して、問いただした。彼は否定
したけど、ズボンにクラリス特製のソースがついていたので言い逃
れはできない。
39
私が、人の嫌がることをしてはいけない、と言ったら、彼に、食
い意地の張ったデブがうるせえぞと言われた。あんまりだ。ひどす
ぎるよ。私は何も悪いことしてないのに。
次の時間、おなかがすいて、おなかが何度も鳴ってしまった。
クラスのみんなは私のことを見てくすくす笑っていた。男子生徒
は先生に見えないように腹をかかえて笑っていた。
私は恥ずかしくて、その授業が終わった後、すぐに学校を早退し
た。
レディがお腹を鳴らすなんて、恥だ。
お母様に言ったら叱られてしまう。明日学校にどんな顔をしてい
けばいいんだろう﹄
﹃○○年×月△日
クラスではグループができあがりつつあって、私はどのグループ
にも入っていなかった。別にグループに入りたい訳じゃない。ただ
友達がほしい。学校の帰りにカフェに寄ったり、一緒に勉強がした
いだけ。そういう普通の学校生活が私の憧れだ。
エイミーお姉様は四年生なので時々、学校で見かける。いつも素
敵な友達と一緒で、男子はみんな姉様を見てため息を漏らしていた。
あれだけ美人だからね。私にも少しだけ分けて欲しかったな﹄
﹃○○年×月△日
クラスで一番お金持ちのサークレット家の次女、スカーレットが、
私の杖を隠してしまった。次の実習で必要なのに、なんてひどいこ
40
とをするんだろう。
彼女に理由を聞いたら、私が太っていて邪魔で黒板が見えないか
ら、と言われた。そんなことで大事な杖を隠すなんてひどすぎる。
言ってくれれば頑張って脇にずれたり身体を倒したりして黒板が見
えるようにできたのに。
そのことを彼女に言ったら、いちいちうるさいから話しかけるな
と言われた。
まわりにいた女の子達にもなぜか嫌われてしまった。私を見る目が
冷たかった。
エイミー姉様に相談したら。姉様は泣いてしまった。
姉様はすぐにでもお父様に話すと言っていたけど、私はこれ以上
お父様をがっかりさせたくなかったので、秘密にしておくよう姉様
にお願いした。
姉様は、エリィの優しさに気づいてくれるひとがきっと現れると
も言ってくれ、私の頬に優しくキスをしてくれた。エイミー姉様の
おかげで、少しだけ気分が軽くなった﹄
﹃○○年×月△日
入学から一ヶ月。友達ができない。
ひとりでいるのがすごく寂しい。勉強はまだついていける。
実習はようやく杖が見つかったので、参加できるようになった。
もう杖を隠されないように、制服の内ポケットに常に入れておくこ
とにした。
今日の授業でもペアを組むはずが、ひとり余ってしまい、先生と
やることになった。
41
これはこれでお得なのかもしれないけど、私も誰かと一緒に実習
をしたい。
どうやって友達を作ったらいいんだろう﹄
エリィはいじめられていたのか⋮。
どこの世界でもいじめなんてもんは存在するんだな。俺にはいじ
めをする奴らの気持ちがさっぱりわからないし、いじめられている
奴の気持ちもわからない。だが、エリィの日記は俺の心を強烈に刺
激する。
その後の日記は、散発的に書かれていて、主にいじめられたこと
についてと、友達を探そうとしている前向きな文章が書かれていた。
エリィ健気すぎ。
もう読んでて、つらい、俺。
胸、いたい。
彼女はろくに友達もできないまま、二年生になった。
クラス替えはあるようだが、年に一回ある適性検査がどの分類に
なるかでクラスが決まるらしく、日本のように学年ごとにランダム
でクラスが変わる訳ではない。
クラスは全部で六種類。
﹁光﹂﹁闇﹂﹁火﹂﹁水﹂﹁風﹂﹁土﹂の六系統に分類されてい
て、適性が変わることはほとんどないようだ。よって学年が上がっ
てもクラスメイトはほぼ変わらない。一年の勉強の成果で、特例的
に適性魔法種が変わったりもするが、クラス移動のほとんどが家の
事情や、転校であった。さらに付け加えると﹁光﹂﹁闇﹂は六種の
中でもレアのようで、﹁光﹂﹁闇﹂クラスは1クラスのみだったが、
他四種は3クラスある。めったなことでクラスメイトが変わること
42
はないだろう。
当然、いじめの首謀者であるサークレット家の次女スカーレット
とも、エリィは同じクラスになり、いじめは止まらなかった。
サークレット家の次女スカーレット、リッキー家の長男ボブ、こ
のふたりが中心になってエリィにちょっかいを出していた。
俺は胃に穴が空きそうになりながらも決して手を止めずに日記の
ページをめくった。
そんなつらい内容を打破する日記が百ページぶりぐらいに現れた。
心なしか可愛らしい丸文字が大きく感じる。
﹃○○年×月△日
図書室でクリフ・スチュワード様とお話しをした。
つい朗読して魔法書を読んでいると、あの方は私の声が妖精のよう
に澄んで美しいと言ってくれた。たとえそれが声だけだったとして
も、異性に美しいと言われて、私は顔が熱くなった。きっと真っ赤
になっていたと思う。
クリフ様は目の病気で、残念ながら視力がない。
だからこそ私の声を聞いてそう言ってくれたのかもしれない。
クリフ様のお顔は美しかった。瞳は晴れた大空のような淡いブル
ーをしていて、病気のせいなのかわからないけど、白目の部分が光
にあたるとラメが反射するようにキラキラと輝いた。どこをみてい
るか分からないはずなのに、その目はすべてを見通しているようだ
った。金色のまつげに太陽の陽射しが当たると、私は何も言えずに、
43
ただその美しさに見惚れた。
鼻筋もまっすぐで、口元は優しそうにいつも微笑んでいる。
黄金の髪は肩口まで優雅に伸びていた。
そのことを話し、私の容姿のことを話すと、あなたの髪の色とお
そろいで光栄です、と笑ってくれた。
ああ、なんて素敵なひとなんだろう!﹄
﹃○○年×月△日
クリフ様とお昼に図書館で会う約束をした。
彼は読めないけど本がとても好きだった。私に朗読をしてほしい
そうだ。
私は即オーケーをした。
そして見えていないのをいいことに、ガッツポーズをしてしまっ
た。最近流行っている、拳闘士のガッツ・レベリオンが試合で勝っ
たときにするポーズ。やってみると、なんだか楽しい気持ちになれ
た。レディには向かない仕草だけど今日ぐらい、いいよね。
だってあのクリフ様と毎日ご飯が食べられるなんて。しかも、ス
チュワード家の執事が私のお弁当まで持ってきてくれるのだ。もら
っている食堂代がおこづかいになっちゃう。クリフ様に何かプレゼ
ントを買ってあげようかな。
早く明日になってくれないかなぁ。
こんなに学校に行きたいのは、生まれて初めてだ﹄
﹃○○年×月△日
44
クリフ様とお昼を一緒になってから一週間。
毎日がすごく楽しい。
私は本を読むことが少しでもうまくなるように、近くの孤児院で
朗読会のお手伝いをするようになった。引っ込み思案の私にとって
は天地がひっくり返るほどの進歩だと思う。
今日はグレモン・グレゴリウス著﹁光魔法の理﹂という五年生で
使う教科書を読んだ。しばらくはこれになるけど平気かな、とクリ
フ様がおっしゃったので、私は光の速さでオーケーをした。内容は
難しいけど、いずれ私もやることになるのだから損はない。という
よりクリフ様と一緒にいて損なことなんて何一つない。
授業で、私ができない魔法をわざとやらせて、スカーレットとそ
の取り巻きに笑われたことなんてどうでもいい。どん底の一年間か
ら私を救ってくれたクリフ様、ありがとう。そして大好きです。
クリフラブ! クリフラブ!﹄
クリフ熱がやべえ。
つーかクリフまじで神だ。俺の次にイケメンだと認定しよう。
エリィの日記はしばらくクリフと過ごした昼休みのことが書かれ
ていた。
というより、それしか書いてない。
やっとできた自分の居場所だもんな。嬉しかったんだろう。俺も
嬉しい。
あとは朗読会をやっている孤児院のこともちょいちょい出てきた。
彼女はひたむきになれる努力家だ。好きな人のために頑張れる熱
いハートを持った情熱家だ。うん、俺と同じだ。案外、俺とエリィ
は似ているのかも知れないな。
しばらく読み進め、二年生の冬まで時間が経過した。
45
エリィの年齢は、いま俺が開いている日記のページでは13才。
日記のページ数は残りわずかだ。厚さ的にあと三ヶ月分ぐらいの分
量だろう。
﹃○○年×月△日
孤児院の朗読会にも慣れてきた。子ども達はすごくかわいい。
男の子達はすぐ私のことをデブだと言う。やんちゃですきっ歯の
ライールと、黒髪で黒い瞳のヨシマサは特に口が悪く、いつも私の
ことをデブだデブだと笑っている。今日は朗読中に走り回っていた
ので、静かに座りなさい、と叱ると、不機嫌そうに床に音を立てて
座った。
しばらく朗読をしていても聞いている様子がないので、手招きを
した。冗談のつもりで自分の膝を叩いてここに座りなさいとジェス
チャーすると、悪ガキふたりは膝の上に乗ってきて、柔らかいから
ずっとここがいい、と笑った。そのあとは真剣に朗読を聞いていた。
朗読会をやってからずっとなついてくれなかったので、とても嬉し
い。いつの間にかみんな私に寄りかかってくる。みんな私の弾力の
ある体に軽く肩をぶつけたりして、おもしろがっていた。
子ども達の小さな身体は、暖炉のように温かかった。デブでよか
ったと思ったのは今日が初めてだ。
気づいたら私は泣いていた。みんなが必死になぐさめてくれた。
子ども達のその行動で、私はまた涙が止まらなかった。
泣いちゃだめだと思えば思うほど、涙がたくさん出てしまった。
デブだって真心で接すれば思いは通じるんだ。エイミー姉様の言
っていた通りだ。
デブでブスだっていいんだ。
46
クリフ様が子どもには天使が宿る、とおっしゃっていたのは、こ
ういうことだったのかもしれない。あの子達は私にとって天使だ。
ずっと大切にしていきたい﹄
俺は不覚にも号泣した。
ちくしょう、涙が止まらねえ。
うおおおお、エリィ!
お前はレディだよ。素敵な女だ!
ブスでデブかもしれないが、心は綺麗で清らかな女子だ!
俺は手鏡を取って覗き込んだ。
でもブスだあああちくしょー!
俺は手鏡を絨毯に叩きつけた。
子どもネタは昔から弱いんだよ。映画だってドラマだって子ども
が絡んでくると、涙腺がゆるくなってしまう。
それに、エリィが自分をはじめて認めたのだ。両親には認められ
ず、美人な姉三人とは毎日のように比較され、クラスでは陰湿ない
じめにあい、友達ができなかったエリィ。内気で弱気で、それでも
優しい心を持っているエリィが、ようやく自分自身を認めることが
でき、居場所を得たのだ。
エリィおまえは本当に強い子だよ。
俺が同じ境遇だったらどうしなっていたかわからない。幸い、俺
はイケメンで頭も良くて性格も良かったから、努力すればすぐに報
47
われた。いやこれは決して自慢じゃない。事実だ。でもエリィはど
うよ?
家族からはちょっとハブられ、クラスではいじめられて友達もい
ない。それなのに、おかしいことをされたらいじめっ子に勇気を出
して進言し、愛する人のために孤児院で朗読の練習をし、子ども達
にデブだデブだとバカにされても冷たくせず、真心があれば必ず伝
わると清らかな心を持って人と接していた。デブでブスじゃなけれ
ば、さぞみんなに愛された人気者だろう。
クリフはそんなエリィの優しさに惹かれて朗読をお願いしたんだ
ろうな。
しかもエリィは無謀にもクリフの目を治そうと、光魔法の研究ま
で始めていた。
かなりの本を図書室で読んで、相当量の練習をしていたようだ。
どうやら魔力量が少ないので、練習は捗っていなかったみたいだが、
普段の勉強をしっかりやって、その後にできる限りの資料を集めて
いた。
日記は冬休み、正月、三学期へと入る。学校の休み周期は日本と
ほとんど変わらないみたいだ。
エリィは昼休みにクリフと会い、孤児院で朗読をし、空いた時間
で光魔法の特訓をしていた。字体が一年生の頃よりはっきりとした
ものになり、自分に自信がついてきたのではないかと俺は予想した。
事実、いじめの首謀者であるバカ二人を、堂々と反論して追い返し
ていた場面もあった。
クラス内では、やはり居場所がなくて辛い、悲しいと書かれてい
たものの、一年生の頃より陰湿なシーンは出てこなかった。
これは、このまま何事もないまま日記が終わるのではないだろう
48
か、と思ってしまう。
自分に自信のないひとりの女生徒が、自分の居場所を見つけて一
生懸命頑張る日記なのだ。あの雷雨の日、池に落雷したのは単なる
偶然で、彼女の悲痛な号泣や絶望にゆがんだ顔は、魔法の研究がう
まくいかなかったからではないか。そう予想して結論づけようと、
次のページをめくったところで、俺は手の震えが止まらなくなった。
日記の文字が殴り書きになっている。
彼女のものとは思えない、傾いた汚い字で、長文が記されていた。
49
第6話 エリィの日記その3
﹃○○年×月△日
クリフ様がいなくなってしまった。
図書室の奥にある歓談室には書き置きがあった。走り書きで﹁エ
リィごめんね﹂とだけ書かれていた。くずれた字体はクリフ様が書
いた物に間違いなかった。私は混乱した。学校中を探し回った。グ
ラウンド、屋上、食堂、演習場、職員室、魔法実験室。クリフ様の
いた四年生のライトレイズの教室に行ったときは、なんだこのデブ
はという目で見られたけどそんなの関係ない。
いない。クリフ様も執事もいない。
私は昼休みが終わって始業時間になっても、歓談室にあった置き
手紙を見て、学校中をうろうろとした。
嫌な予感がしていた。本当はわかっていた。
クリフ様はセラー教皇の孫だ。次男だとしても、地位は私より遙
かに高い。あの方の祖国でなにかあったのかもしれない。
私は心配でどうしていいかわからず、書き置きを胸に抱いて何度
も泣いた。
泣いたってクリフ様は戻ってこない。そんなことはわかっている。
放課後になって校長室のドアを叩き、校長に行方を聞いた。校長
は白いひげをいじっているだけで何も教えてくれない。
私はクリフ様が住んでいる、町で一番大きな教会に行って神父に
聞いた。笑うだけで何も答えてくれない。
とにかく教会の店や民家に入って、所在を聞いて回った。誰も知
らない。クリフ様の存在を知っている人も少ない。あんなに目立つ
人だから、誰か知っていてもいいのに。
50
夜になると教会騎士が私を捕まえて、不敬な行動を慎むようにと、
その区域から放り出されてしまった。
あの笑顔をこんなに簡単に失ってしまうとは思っていなかった。
いつかはお別れが来るとはわかっていたけど、突然すぎて心がつい
ていかない。胸が張り裂けそうだ。
クリフ様がいなくなるなんて私には耐えられない。
私は誰かになぐさめて欲しくて孤児院に行った。
孤児院はなくなっていた。
戦争でもあったかのように、建物が全壊し、燃え尽きていた。消
火活動をしている警備団しかいない。
跡形もなくなっている。
見間違いかと思って来た道を引き返した。間違っていなかった。そ
こには孤児院があったはずだった。
私はその辺にいた警備団のひとを捕まえて事情を聞いた。
盗賊の襲撃があって子どもは全員さらわれた、と言った。
もうなにがなんだかわからない。
いない。誰もいない。
私は走った。
町の外へと走った。
デブだから何度も転んだ。
起き上がって走った。
誰もいなくなっていた。
途中、見廻りをしている警邏隊につかまった。事情を話すと、家
に帰れと言われた。
帰れないと言ったら、馬車に乗せられて、家に無理矢理護送され
た。
51
お父様とお母様は私の泥だらけになった姿をみてカンカンに怒っ
ていた。そんなことはどうでもいいのに。
頭の中がぐるぐるしている。なんでこんなときに日記を書いてい
るのかわからない。
クリフ様と子ども達がいないのに、私はなんで自分の部屋にいる
んだろう。
わからない。つらい。かなしい。
クリフ様。クリフ様。誰か助けて﹄
走り書き、というよりは殴り書きだった。
最後の一行は彼女の几帳面さからほど遠い、書いた文章の上から
書かれたものだった。
俺はその先が気になり、動悸が激しくなっていることも気にせず
に太い指でページをめくった。
次のページは、前のページの比ではないほどに、荒れていた。な
んとか字の体裁を保ってはいたが、長時間彼女の字を読んでいなけ
れば判別は難しい。それほどの殴り書きだった。
﹃○○年×月△日
リッキー家の長男ボブ!
許せない!
孤児院がなくなったのはあいつのせいだ!
檻つきの馬車に乗せられていく子ども達を見た!
私は見たんだ!
52
あいつは燃えた孤児院を見て笑っていた!
あいつの父親は孤児院の管轄だ!
絶対に何かやったに決まっている!
許せない!﹄
なんてことだ!
あの大人しくて優しいエリィが、他人のことを﹁あいつ﹂と書く
なんて信じられない。どんなにいじめられても、ひどい言葉は今ま
で一言も出てこなかった。ここまでエリィが言うなんて、リッキー
家の長男ボブは何をしたんだ。
しかも子ども達が、檻つきの馬車に乗せられていた?
檻つき、ということは護送車のようなもので、もちろん逃げられな
いようにするためだろう。
これは俺としても許せないな。事実関係を確認した後、立ち直れ
ないほどの罰を与えるべきだ。
俺はさらにページをめくる。
﹃町の裏路地でローブを着た老人にあった。
必要な物を召喚する魔法陣の書き方と、落雷魔法の呪文を教えても
らった。
どのみちもう私には何もない。
魔法が成功すれば、クリフ様が召喚できるかもしれない。
落雷魔法はボブに使おう。
なんてね。
こんな複合超級魔法が私にできるはずはないのはわかってる。
ダメだっていいんだ。
53
もう、いいんだ⋮。
エイミー姉様ごめんなさい。
クリフ様ごめんなさい。
ああクリフ様。最期に会いたかった。
また図書室で一緒に本を読みたかった。
あなたの包み込むような笑顔を見たかった。
クリフ様に、あいたい⋮﹄
エリィ! なんて可哀想な子なんだ。
日記がここで終わっている、ということはエリィはこの後、雷に
打たれてしまうのだろう。雷雨の日、この世のすべてを掻きむしる
かのように泣き叫んでいた彼女の悲痛さが、日記を通して俺の心に
突き刺さった。
次のページを開くと、茶色の羊皮紙が日記からはらりと落ちた。
俺は椅子からはみ出たぜい肉を手すりから引き抜いて、転びそうに
なりながら拾い上げる。紙には、円を基調とした複雑な文様が描か
れていた。
青いインクでまず円が描かれ、その内側に均等な大きさの円が四
つ並んで描かれている。四つの円の内側にはびっしりと文字が、メ
ビウスの輪のような形で浮かび上がっていた。文字なのか模様なの
かは判断がつかない。
これが日記に書いてあった﹁召喚する魔法陣﹂というやつだろう
か。
裏面には何も描かれていない。
そういえば、なーんか視界が悪いと思ったら、自分の目から涙が
流れていたことに気づいた。
54
あれ、なんでだ。
寝間着の袖でぬぐっても、すぐにあふれ出てくる。俺の意志とは
無関係じゃねえか。ひょっとし⋮⋮エリィが泣いてるのか?
深呼吸すると、ようやくおさまった。
窓の外は明るくなっていて、小鳥が鳴き、淡い朝の太陽が部屋に
差し込んでいた。俺は日記の後半に他の魔法陣が挟まっていないか
窓枠に寄りかかってぱらぱらとページをめくり、今後の計画につい
て考えていた。寝不足の体に淡い太陽の光があたって心地良い。
とりあえずやることは決まった。
その1、ボブに復讐する。
その2、孤児院の子どもを捜す。
その3、クリフを捜す。
その4、ダイエットをする。
その5、日本に帰る方法を探す。︵元の姿で︶
エリィの無念を晴らしつつ、日本に帰る方法をダメもとで探そう。
ここまできたらもはやエリィは他人じゃない。彼女のやりたかっ
たことをやりながら、自由に生きてみるか。まあ、デブでブスだけ
ど、それはイケメンエリート営業の俺にとってちょうど良いハンデ
だろうよ。いやあ、やっぱり俺って超プラス思考ーっ。
日記にはさっきの魔法陣しか挟まっていなかったが、最後のペー
ジに走り書きで、落雷魔法の呪文が書いてあった。
おお、魔法本当に存在するんだな。すげー。
サンダーボルト
﹃落雷
やがて出逢う二人を分かつ 55
空の怒りが天空から舞い降り すべての感情を夢へと変え
閃光と共に大地をあるべき姿に戻し 美しき箱庭に真実をもたらさん﹄
めっちゃ恥ずかしいんだけど、大丈夫かこれ?
魔法ってこんなにめんどくさいもんなの?
うわーこれ絶対に人前で言うの嫌だわー。
まあでも誰もいないし、試しに読んでみるか。
俺は咳払いをして、落雷の呪文を読み上げた。
﹁やがて出逢う二人を分かつ⋮﹂
俺は読んだ瞬間に、これは﹁やばい!﹂と思った。
やべえ! まずいぞこれまじでやべえ!
今まで感じたことのない力が、へその下辺りから体中を駆け巡っ
て、今にも全身から弾け出そうになる。飲み過ぎてゲロを吐きそう
なときに、必死にこらえる感覚と少し似ているが、あれの何倍も暴
発力がある。しかもそれが全身だ。指の先、胸、頭、のど、すね、
肘、どこか出口を見つけて、力が飛び出そうとする。
俺は日記を握りしめながら、耐える。
呪文の詠唱をやめる、という選択肢が頭をよぎるがすぐにかき消
す。
途中でやめたら、たぶん全身がばらばらになる。
最後まで読めるかこれ?
早口で終わらそうにも、一文字発するごとに、口が粘土になった
みたいに鈍く、動かなくなってくる。
56
やべえぞ。これが魔法ってやつか。
落ち着け、落ち着け!
やれる。スーパー営業で天才でイケメンの俺にできないはずがな
い。
気合いで文字を読む。
言葉を口に出すと体内の力が増大していく。爆発しそうになる熱
い﹁何か﹂を強烈な意志で食い止め、抑えつける。
なんとかして最後の一文字を吐き出すと、体が嘘のように楽にな
って、凝縮された力がピンボールのように全身を跳ねていた。
直感で理解した。
﹁落ちろッ﹂
空気を切り裂く轟音が響き、空から叩きつけるようにして落ちた
雷が、病院の庭にあった十メートルほどの木を真っ二つにした。
近くの木にいた鳥がギャーギャーとわめきながら一斉に飛び立っ
ていく。
何事か、と病院の職員と警備員、近所の人が、真っ二つになった
木の周りに集まってきた。
すみませーん。魔法練習してたら、まぐれでできちゃったんです
ぅ。ごめんなさーい。
デブの俺が言っても絶対に許してくれないな。
これは⋮
洒落になんねーな⋮
どういう言い訳をしようか考えていると、体が急にダルくなり、
その場にへたりこんだ。
57
猛烈な睡魔に襲われて、落雷魔法がとんでもない魔法、いや、魔
法とすら呼ばれていないことを知らないまま、俺は絨毯の感触を頬
で感じたところで意識を失った。
58
第6話 エリィの日記その3︵後書き︶
序章終了です。
これからスーパーイケメンエリート営業小橋川ことエリィの本格的
な活動がはじまります。
59
第1話 魔法とイケメンエリート
ぷりんぷりん。
瑞々しく跳ねる、おしりと乳。
﹁はははっ。まーてーよー﹂
俺は女の子達の水着を笑顔で追いかけていた。
それはもう絶景であった。きわどいデザインの水着が何着も若い
女の子に貼りつき、これでもかと肉体を強調している。鷲づかみに
したくなる豊満な乳を持つ女子が、わざとらしく転び、砂浜に素晴
らしき肢体を放り出す。これまたわざとらしく、いたーい、と呟き
ながらずれた水着に指を入れて、ゆっくりと直す。エロ仙人がいた
ら、空中から鼻血を垂らし﹁ここが桃源郷ぞ! 男共、我につづけ
!﹂と号令をかけることだろう。
俺はただひとりで女人の群れを追いかけていた。
捕まえた女子をやさしく海に放り込み、押し倒して乳繰り合い、
あるいはお姫様抱っこをして胸の谷間をのぞき込む。一人だけにか
まうと、私もかまってよぉと言って逃げていく。俺はまただらしな
く笑って走り出す。あまりの楽しさに何度か我を忘れてしまう。
俺はひときわ目立つ女の子を見つけた。
とびきり可愛くてスタイル抜群の金髪女子。身長は約百六十センチ、
腰が最高にくびれ、きめ細かく搾りたての牛乳のように白い肌、甘
く垂れた瞳が庇護欲をかき立てる。
俺は全力疾走で彼女を捕まえた。
60
﹁天使めッ。ついに捕まえたぞ﹂
俺は誰が聞いても引くであろうセリフを吐き、女の子の肩をうし
ろから抱いた。
﹁捕まっちゃいました﹂
その子は、どこかで聞いたことのある可愛らしい鈴の鳴るような
声で言うと、ゆっくりと振り返った。俺は瞬間に恋の予感を憶えた。
高鳴る鼓動、高まる感情と体温。女の子の柔らかさと匂い。
俺はもったいぶって、目を閉じた。視界が開けた瞬間に美少女が
目の前いっぱいに広がる幸福を思った。
目を開くと、そこにはデブでブスでニキビ面の金髪少女がいた。
○
﹁エリィッッ!!?﹂
俺は布団をはねのけて起き上がった。
﹁お嬢様! 大丈夫でございますか!?﹂
メイドのクラリスが、心配そうな顔で覗き込んでくる。
﹁み、水着は⋮?﹂
﹁水着でございますか?﹂
61
﹁⋮⋮ごめんなさいクラリス。なんでもない﹂
﹁よほど怖い夢を見たんでしょう、おいたわしや⋮﹂
クラリスはまめまめしく俺の額を濡れタオルで拭き、冷たい水の
入ったコップを差し出した。
ありがたく水を飲み干して、あれが夢だったことにがっかりする。
エロ仙人、残念だが桃源郷はただの夢だったよ。俺の作り出した妄
想に過ぎなかった。あの水着群はこの世界のどこを探しても存在し
ない。
しばらく何も考えずにいると、クラリスが何事かを言いたそうに、
上目遣いで俺を見てきた。
﹁あのお嬢様。大変聞きづらいことなのですが﹂
彼女は絨毯を見て、こちらを見て、また絨毯を見て、という動き
を繰り返す。
﹁お伺いしてもよろしいでしょうか﹂
﹁なに?﹂
水着の余韻に浸っていたかったがそういうわけにもいかないな。
居住まいを正してクラリスを見た。
﹁あの木は、まさかお嬢様が?﹂
そう言って、病院の庭で雷に打たれ横倒しになっている大木を彼
女は見た。
﹁どうして、そう思うの?﹂
62
﹁お嬢様が倒れた横にこちらが⋮﹂
彼女の手には日記が握られており、最終ページの落雷呪文をしっ
かりと広げていた。
俺はどう答えて良いのか分からなかった。あれをやったとバレた
ら怒られて弁償になるだろうか。営業時代にも、やったやってない
のいざこざはしょっちゅうあったが、責任をどこに持っていき、ど
ちらが非をどのくらい被ればいいのか、経験と相対する人間の人と
成りを観察分析し、リスクを考えればすぐさま答えをはじき出すこ
とができた。だが、この異世界ではできない。圧倒的に情報が足り
ない。どこにリスクが転がっているかわからない。
思案顔でいると、クラリスがさめざめと泣き出した。
苦労皺の彼女が悲しそうに泣くと、それはもう世界の悲しみをか
き集め、丸めて粘土にして飲まされた気分になる。
俺はあわてて両手を広げた。
﹁お願いだから泣かないでちょうだい﹂
﹁わたしくは⋮⋮わたくしは⋮⋮陰ながらお嬢様を見守っておりま
した。お嬢様が夜更けまで魔法書を読み、何度も呪文を唱えるお姿
を見ておりました⋮。もし、落雷魔法がお嬢様のものであったなら
ば、こんなに嬉しいことはありません。お嬢様は誰にも負けないほ
どの努力をしておりました。落雷魔法をマスターしたならば、それ
はゴールデン家の快挙。そして大冒険者ユキムラ・セキノ、砂漠の
賢者ポカホンタスが使ったとされる伝説の魔導です。それを、それ
を⋮ううっ﹂
クラリスはついに絨毯に突っ伏して号泣し出した。
俺は重い身体をベッドから引きはがして、彼女の脇にひざまずい
た。いや正確にはひざまずこうとしたところ、贅肉でふくらはぎが
63
押し返されて尻餅をついた。気にせず彼女の肩に手を置いた。
﹁顔を上げてクラリス。そうよ、私がやったの。だからもう泣かな
いで﹂
﹁お嬢様⋮⋮﹂
クラリスは涙でぼろぼろになった顔を上げてこちらを見つめると、
感無量とばかりにとびついた。
﹁よかったですお嬢様!﹂
﹁ありがとう﹂
﹁ということは白魔法と空魔法までマスターされたのですね!﹂
﹁え、ええ。そうよ﹂
﹁おおお⋮⋮エリィお嬢様⋮﹂
俺がわけもわからず相づちを打つと、ついにクラリスは俺から飛
び退いて、神を崇めるかのように両手を組んだ。
﹁ちょっとちょーっと! やめてクラリス!﹂
組んだ腕を解こうとすると、思いのほか強い力で抵抗する。この
まま放っておけば、会う度に土下座して合掌されそうだ。いい加減
やめてほしいと、十回お願いしたところで、ようやくクラリスは平
常運転に戻った。
﹁もうほんと勘弁してよね﹂
﹁申し訳ありませんお嬢様。あまりの嬉しさについ﹂
﹁これからは何があってもいつも通りにしていてちょうだい﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁ところで聞きたいことがあるんだけど︱︱﹂
64
さっきから意味不明な単語が多々登場してきた。白魔法だ、空魔
法だ、大冒険者なんちゃらセキノ、日本人かよッ、それに砂漠の魔
法使いアンポンタン?
うまいこと誘導して一つずつ説明を求めた。
﹁それぐらいのことはゴールデン家に代々メイドとして仕えるバミ
アン家の端くれ、もちろん存じております。まず魔法には六芒星の
頂点を結ぶ基本魔法がございます。﹁光﹂﹁闇﹂﹁火﹂﹁水﹂﹁風﹂
﹁土﹂の六系統。さらには上位魔法﹁白﹂﹁黒﹂﹁炎﹂﹁氷﹂﹁空﹂
﹁木﹂を合わせて十二系統の魔法がこの世には存在しており、すべ
てをマスターせし者にグランドマスターの称号が与えられます。称
号を受けた者はただ一人。あの伝説の大冒険者ユキムラ・セキノた
だ一人なのです!﹂
なんだろう。だんだんクラリスの口調が熱くなっていく。
﹁砂漠の賢者ポカホンタス、南の魔導士イカレリウス、この両者も
グランドマスターではという噂がありますが、かれこれ三十年も姿
を見た者がおりませんし、生きているかどうかも怪しいです。です
が賢者と魔導士の争ったといわれるヨンガチン渓谷には絶大なる魔
力の傷跡が残っており、少し危険な観光名所として有名でございま
す。その傷跡を作った魔法が、賢者ポカホンタスの放った落雷魔法
ではないのか、と言い伝えられております﹂
﹁クラリスはこういう話好きなの?﹂
﹁大っ好きでございます!﹂
イメージ崩れるッ!
つーか苦労皺の多いおばさんメイドが魔法と魔法使いについて力
説しているのはかなり笑える。日本で置き換えると、普通のオバハ
65
ン主婦がラノベ片手に主人公について井戸端会議で熱く語っている、
そんな感じだな。
﹁お嬢様だって小さい頃、大冒険者ユキムラの話をしてくれと、何
度もわたくしにせがんだではないですか。一人だけずるいです。お
好きなくせに﹂
どうやらクラリスは夢中になると親戚のおばさんのようになるら
しい。堅苦しいよりは、俺はこっちのほうがいい。お堅いのは好き
じゃない。
﹁じゃあもう一度、大冒険者ユキムラの話をしてちょうだい﹂
﹁まあお懐かしいですね。よろしゅうございますよ﹂
クラリスは俺の手を取って立ち上がらせると、ベッドに誘導し、
自分は立ったまま話を始めようとした。俺はベッドの隣をぽんぽん
と手で叩く。恐縮した様子で彼女はベッドに音もなく座った。
彼女から物語が語られた。それは何度も話したであろうと思わせ
るに充分な、完璧な語り口調と抑揚、盛り上がるところでは効果音
までついてくる。きっとエリィが幼い頃、何度も話をせがんだのだ
ろう。
話をまとめると、大冒険者ユキムラは仲間と共に世界の果てを目
指して旅に出て、すったもんだの末に目的地にたどり着くというス
トーリーだ。この世界が一体どこまで続いているのか、何のために
存在しているのか、彼は謎を解き明かしてこのグレイフナー王国に
帰還する、という冒険譚だ。炎龍と氷龍との死闘は、悔しいが手に
汗握ってしまった。中でも興味を引かれたのは、世界の果てには、
何もない虚無空間が広がっており、この世の終わりを思わせるよう
66
な絶景が広がっている、という話だ。まあ四百年も前の話なのでも
はや伝説と化して、童話に近い扱いになっているようだった。
日本で四百年前といったら、江戸時代ぐらいの話だろ。そんだけ
昔だと信憑性に欠けるなあ。それにこの世界は文明があまり発達し
ていないみたいだから、余計そう感じる。
それに世界に果てなんてものはない。星が丸いことを理解していな
いだけだろう。
まあ、色々と突っ込みどころが満載だが、ひとまずは気にしないで
おくか。
俺は話を魔法に戻した。
﹁私が落雷魔法を使えるってあまり世間に知られないほうがいいん
じゃない?﹂
﹁どうしてでございます?﹂
﹁だっているかいないか分からない砂漠のバカボンと南の帝王イカ
レルしか使えないんでしょ?﹂
﹁砂漠の賢者ポカホンタスですお嬢様! 南の魔導士イカレリウス
ですお嬢様!﹂
﹁ごめんなさい。で、そのふたりしか使えないような魔法が私に使
えたら、なんだか色々な面倒事に巻き込まれるような気がするんだ
けど﹂
仕事ができすぎる奴、特殊ソフトを使える奴、事務処理がやたら
と速い奴、どこの世界でも業界でも大体こういう奴らには面倒事が
ふりかかる。無理な仕事を押しつけられる可能性が高い。
﹁これでゴールデン家は向こう五十年は安泰でございますよ。魔闘
会で、ばばーんと他の家に見せつけてやればよいのです﹂
﹁どうもあなたは魔法の事になると見境がなくなるようね﹂
67
﹁申し訳ございません。ですがお嬢様、ご自分のお力を隠すなんて
とんでもない。力は示してこそでございます。貴族はそうして繁栄
を許されているのですから﹂
﹁そうね⋮﹂
俺は適当に相づちを打った。
エリィのゴールデン家は貴族なのか。なるほどね。
﹁大きな声では言えませんが旦那様はここ五年、体調がすぐれず魔
闘会で負けっぱなしです。どれほど領地を獲られてしまったか⋮。
ああなんということでしょう! ゴールデン家が五年連続で負ける
などあってはならないことでございます! わたくしは悔しいです
! 去年のリッキー家との一騎打ち! 勝負は五分五分というとこ
ろで最後に旦那様が放ったウインドブレイク、あれは悪手でござい
ました!﹂
﹁落ち着きなさいクラリス!﹂
布団のはしを拳でずんずん殴りつけるオバハンメイドを俺は止め
た。
﹁これは失礼を致しました﹂
﹁とにかく、落雷魔法のことはしばらく公表しません!﹂
﹁ええーっ!﹂
﹁だって砂漠の申し子ピラチンタスと南の覇者イカリャクが︱﹂
﹁砂漠の賢者ポカホンタスですお嬢様! 南の魔導士イカレリウス
ですお嬢様!﹂
これ以上からかうとクラリス血管が弾けそうだ。
﹁ごめんなさい。で、その伝説の二人ぐらいすごい魔法なんでしょ
68
? 私だって次にできるかわからないのよ﹂
﹁できます。お嬢様なら絶対にできます﹂
クラリスは目をらんらんとさせて俺の分厚い手を握った。力強く。
手が白くなるぐらいに。
こわい! このオバハンこわい!
それから言う言わないの押し問答をしたあと、不満を隠そうとも
せずにクラリスは昼食を置いて退室した。すでにだいぶ陽が高くな
っている。まったく、やれやれだ。
ほっとしたのもつかの間、俺とは反対にやる気を出したクラリス
が、エリィの部屋にあった魔法書をありったけ持ってきた。でかい
リュックと子どもが入るぐらいの手提げ袋を両手に持つほどの量だ。
ベッドの横に積み上げて、頑張って下さいと三十回ほど言って、今
度こそ屋敷に戻った。
魔法根性が凄まじいな。
ちょうどよかったので彼女が持ってきた魔法書の﹃初心者でもわ
かる魔法大全﹄を開いて落雷魔法について調べた。
﹃超級複合魔法・落雷
﹁光﹂の上級にあたる﹁白﹂
﹁風﹂の上級にあたる﹁空﹂
この二種を掛け合わせてできる雷を落とす魔法。天変地異、厄災、
とも言われるほどの超強力な魔法で、﹁魔導﹂と呼称する。呪文す
ら紛失しており、今のところ使える魔法使いはいない﹄
なるほどね。うん。説明がざっくりすぎてぜんっぜんわからん。
69
﹃上位魔法・﹁白﹂
﹁光﹂の上級にあたる。
全十二種の中でも最強の補助魔法であり、使用者は非常に少なく
どの国でも重宝される。回復に特化し、﹁水﹂﹁木﹂の回復魔法よ
りも強力で、上級を極めし者は切れた腕や足を再生することが可能。
基礎構成は下記の四つ。
下級・﹁再生の光﹂
中級・﹁加護の光﹂
上級・﹁万能の光﹂
超級・﹁神秘の光﹂
ミラージュフ
基礎構成の中級まで習得すれば、相当数の魔法を使いこなすこと
ができ、優秀な後衛としてパーティーの要になるであろう﹄
すごっ! 腕とか再生できるとか外科医いらねーな。
白魔法すげー。
﹃下位魔法・﹁光﹂
ェイク
キュアライト
六芒星の内の一つである魔法。補助系の色が強く、中級の幻光迷
彩、上級の癒発光などが有名な魔法。探知、索敵には向かないが、
癒しの光が使えることから冒険者には必須の魔法と言われている。
基礎構成は下記三つ。
下級・﹁ライト﹂
中級・﹁ライトアロー﹂
上級・﹁ライトニング﹂
世界の魔法学校では卒業基準の一つを上級魔法の使用としている﹄
どうやらこの本は題名通り、魔法の種類を簡単に記している初心
者向けの本らしい。まったく知識ゼロ、生粋のジャパニーズの俺に
とっては非常にありがたい内容で、読み終わる頃には魔法の種類に
よってどのような効果があるのか何となく把握できた。
70
そしてさっき俺が放った落雷魔法がどれだけ難易度が高いのかも
理解できた。超簡単に、日記に魔法とはなんぞやをメモっていく。
日記に書いたのは、近くに紙がなかったからだ。
まとめた魔法の六芒星を俺は見つめた。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
炎
白 | 木
\ 火 /
光 土
○
風 闇
/ 水 \
空 | 黒
氷
下位魔法﹁光﹂﹁闇﹂﹁火﹂﹁水﹂﹁風﹂﹁土﹂
下級↓初歩
中級↓ふつう
上級↓けっこーすごい
上位魔法﹁白﹂﹁黒﹂﹁炎﹂﹁氷﹂﹁空﹂﹁木﹂
下級↓かなりすごい
中級↓やべえ
上級↓できたら天才
超級↓崇められるレベル
上位複合魔法
下級・中級・上級・超級複合↓神クラス
71
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
すなわち俺は神クラスの魔法をこの世界に来て早々ぶっぱなした
わけだ。確実に色んな工程を飛ばしているような気がする。それに
クラリスが﹁白﹂と﹁空﹂をマスターしたんですね、と言って、驚
喜したのも無理はない。まあ気に病んでもしょうがないことだし、
できてラッキーぐらいに思っておこう。
ひとつ疑問なのは呪文すら紛失したと記されていたが、エリィは
落雷魔法の呪文をどっかのじじいからもらったと日記で書いていた。
そいつを捜すことも、やる事リストに追加しておこう。だって明ら
かに怪しいだろ。伝説級の魔法の呪文を持ってて、ピンポイントで
エリィに授ける理由が、俺がこの世界に転生してしまったこと以外
に考えられない。何か知っているはずだ。
よし、やることが見えてきてやる気が出てきた。まずはこの世界
に慣れないと日本に帰る方法も見つけられないしな。
気づけば夕方になっていた。
病院の庭では、フード付きのロングコートを着た集団が、いかに
も調査してるという風貌でノートを取りながらなにやら話し込んで
いる。日本の事件現場のようにロープがされ、どこから噂をかぎつ
けたのか見物人が集まり、串焼きを売る出店まで出でいた。
窓枠に寄りかかって呆れながら見ていると、クラリスが満面の笑
みで夕食を持ってきた。
﹁クラリス。明日退院するわ﹂
72
配膳する手を止めて、彼女はこちらを心配そうに見つめた。
﹁お体は大丈夫でございますか?﹂
﹁平気。エイミー姉様にもこれ以上心配はかけられないし﹂
﹁それはそうでございますね。エイミーお嬢様は毎日わたくしにエ
リィお嬢様の体調をおたずねになられます﹂
﹁そうでしょう。なので退院するわ﹂
伝説級美女に心配かけたくないというのは半分で、もう半分は退
院しないとこの世界に馴染めないからだ。まず情報が必要だ。何度
も言うが圧倒的に情報が足りねえ。
﹁それからクラリス、誰にも見られずに魔法の練習をする場所はあ
る?﹂
﹁あります! ありますともお嬢様!﹂
真空を巻き起こさん勢いでこちらに顔を寄せるクラリス。
近いっ! 顔近い!
﹁ゴールデン家の秘密特訓場がございます! 小さい頃はよく旦那
様の練習をのぞきに行きましたねぇ!﹂
テンションがうなぎのぼりのクラリス。
﹁かしこまりましてございますお嬢様。三年生の始業式は三日後で
ございますから二日間落雷魔法の練習ですね! お昼のお弁当はわ
たくしがお持ち致します。なあに大丈夫でございますよ。家のほう
の仕事は他のメイドにうっちゃってきますのでご心配なさらないで
くださいまし﹂
﹁そ、そう。ありがとうクラリス﹂
73
﹁伝説の魔導が明日⋮⋮しかもエリィお嬢様が⋮⋮﹂
﹁クラリス?﹂
﹁ああ、夢のようでございます⋮﹂
﹁あのーちょっと?﹂
﹁まさかお嬢様が伝説の⋮⋮伝説のユキムラ・セキノと同じ⋮⋮⋮
くふふ﹂
﹁クラリース﹂
肩を叩いてようやく彼女は我に返った。
﹁はっ! 失礼を致しました。では明日お迎えにあがります。退院
の手続きは今からしておきますので、家に帰らずそのまま秘密特訓
場にまいりましょう﹂
﹁そうね﹂
﹁ではしっかり食べて、早く寝てくださいね﹂
うきうきした足取りでクラリスは部屋から出て行った。
どんだけ魔法好きなんだよ。
苦笑いをして、また窓の外を見た。
魔法か⋮。小さい頃ゲームで魔法にあこがれていたけど、いざ現
実で使うとなると、どうなんだろうか。今後、必要になりそうだし
色々できるようになっておいたほうがいいだろうが、未知すぎてこ
ええ。
日本に帰る方法を探すにせよ、﹁力﹂と﹁金﹂はどの世界でもア
ドバンテージになる。当面はそのふたつを手に入れる行動をしつつ、
情報収集ってところだな。あと、ダイエットは絶対な。この体型は
本気で許せん。
74
俺は部屋の奥にある鏡付きクローゼットを開けて、大きなため息
をついた。
鏡に映るエリィは自分の理想を遙かに下回る、というか日本でも
これだけ太った女子はいない、そんな女の子だった。
ふとクローゼットの中にある、四角い平べったい木製の物を見つ
けた。右側に数字が1から120まで書いてあり、可動式の矢印が
0を差していた。
体重計だなこれ。間違いない。
俺は現状を知ろうと軽い気持ちで体重計に乗った。そう、自分が
どこにいて、どれくらいの能力があるのかを知るのはビジネスマン
として大切なこと︱︱
﹁クラリィィィィス!!!!!!!!﹂
俺は病室のドアを開け放って叫んだ。
﹁クラリィィィィィスッ!!!!!!!!﹂
本気の叫びを聞いてクラリスが短距離選手ばりの速さで走ってき
た。
﹁ど、どうされましたお嬢様ぁ!﹂
﹁きなさい!﹂
﹁どちらに!﹂
﹁いいから早く!﹂
クラリスを病室に押し込んで、体重計を指さした。
75
﹁乗りなさい﹂
﹁え⋮⋮⋮なぜでございます?﹂
﹁いいから乗りなさい﹂
﹁でもお嬢様⋮⋮それはいくらなんでも⋮﹂
﹁の・り・な・さ・い﹂
﹁かしこまりましてございます!﹂
彼女の乗った体重計の矢印は50で止まった。
俺はがっくりと膝をついた。いや正確には膝をつこうとしたとこ
ろ贅肉が邪魔をして尻餅をついた。
間違いない、日本と同じ﹁キログラム﹂単位だ。
﹁どうされたのです⋮?﹂
﹁ひゃく⋮﹂
﹁ひゃく?﹂
﹁百十キロ!﹂
﹁へ?﹂
﹁私の体重よ!﹂
﹁ほ?﹂
﹁ほじゃないわよほじゃ! なんでこんなに太ってんの!?﹂
﹁それはお嬢様⋮まああれでございますよ。がりがりにやせている
よりいいではないですか﹂
﹁よくない!﹂
クラリスが背中を撫でてなぐさめてくれる温もりを感じながら、
俺はやることリストの一番を頭の中でしっかりと書き換えた。
最優先、ダイエットする。
その1、ボブに復讐する。
76
その2、孤児院の子どもを捜す。
その3、クリフを捜す。
その4、怪しげなじじいを捜す。
その5、日本に帰る方法を探す。︵元の姿で︶
77
第1話 魔法とイケメンエリート︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重110㎏
78
第2話 洋服とイケメンエリート
朝の六時、うきうきと鼻歌を歌うクラリスに叩き起こされてパジ
ャマ姿のまま、俺はゴールデン家秘密特訓場にやってきた。病院か
ら馬車で三十分ほどの林の中にある空き地にあり、訓練を覗かれな
いように十メートルの高い塀が設けられている。広さは野球場ほど
で、ところどころに木が生えており、三分の二が平らな地面、残り
は岩場と水場がある。様々な訓練を想定されて造られているようだ。
﹁なぜこんなに厳重なの?﹂
秘密特訓場といってもこの塀はやりすぎじゃねえか?
﹁他家に手の内がバレては大変なことになります﹂
クラリスはこれでも秘密度が足りないとでも言わんばかりの解答
をした。
﹁バレたら大変なの?﹂
﹁もちろんでございます。魔闘会の勝敗に響きます﹂
﹁その魔闘会にはクラリスも出るの?﹂
俺はまさかと思って聞いた。
そしたらオバハンメイドはツボに入ったのか、オホホホホ、オホ
ホホホ、オホホッホホ、と笑いはじめた。
﹁お、お嬢様! わたくしのような弱っちい魔法しかできない人間
が出れるわけございません。そりゃわたくしも一般参加の部で若い
79
頃何度か挑戦しましたが一回戦で敗退でございます。若気の至りで
ございますね。オホホ−﹂
そこからクラリスの魔闘会マシンガントークがはじまった。
魔闘会とやらは年に一回、一般の部と貴族の部、二つが開催され
る。貴族にとってはとてつもなく大きな意味があるそうだ。
なんと、貴族の部で勝てば領地が増え、負ければ領地が減る。
要するにバトル式の陣取り合戦だ。
花形は一騎打ちの魔法勝負で、勝てば負けた側の領地を奪える。
﹁一騎打ち﹂﹁団体戦﹂﹁個人技﹂の三種目が魔闘会で競われる。
国を挙げての一大興業なので、連日たいへんなお祭り騒ぎになるそ
うだ。そして毎年、語り継がれる逸話と魔闘会の英雄が誕生するら
しい。
確かに自家の領地がかかるとなると、入る熱も否応なしに高くな
るだろう。
現代風にいったら給与年俸の取り合いみたいなもんだ。
俺なら間違いなく興奮する。というかどんな手を使っても勝つ。
ちなみに伝説級美女のエイミー姉さんは﹁個人技﹂で十位に入賞
したそうだ。伝説級美人で優しくて魔法が使えてスタイルがいい。
もはやオーバースペック、チートと言える。
そんな話をしている間にもクラリスは俺の横に長机を設置し、う
きうきした足取りで病室にあった書物を両手に抱えて持ってきた。
てきぱきと病室に置いてあった配置を寸分違わず再現し、落として
80
地面で本が汚れないようにシーツを引く細かさと気配り、そして作
業の素早さ。ひょっとしてクラリスはめっちゃ優秀なメイドなんじ
ゃねえか?
﹁どんな研究でもできるようにアシストすることがメイドの務めで
ございます﹂
﹁さ、お嬢様、気兼ねなくやってください﹂
﹁うわっ!﹂
音もなくクラリスの隣に現れたのは、真っ白のズボンとシャツと
エプロンを身に纏ったコック姿の男だった。
見た目は初老で、頬に深い傷があり、眼光が鋭く、ただ者ではな
い空気を発している。白いコック姿よりもブラックスーツとグラサ
ンが似合いそうな風体だ。
﹁お嬢様申し訳ございません。夫がどうしても同行したいと駄々を
こねたので仕方なく連れて参りました。お嫌であればすぐに帰らせ
ます﹂
旦那かッ。
﹁何を言うかクラリス。私は駄々なぞこねていないぞ﹂
ぎろりとクラリスを睨むコックヤクザ⋮⋮もとい、クラリスの旦
那。
﹁俺も行く! 連れて行かなければここを動かん! と言って玄関
であぐらをかいていたのはどこの誰よ﹂
﹁うっ⋮﹂
﹁なぜあんたは魔法のことになると怪盗ゼゼメーリみたいに目端が
81
利くようになるんだよ﹂
﹁お前があんなにうきうきして俺に弁当を頼むからだろう! 何か
あると誰だって気づく!﹂
﹁私はうきうきなんてしていません﹂
﹁へたくそな鼻歌まで歌ってどの口がそれを言うんだ﹂
﹁行くったら行くぞ! 行くったら行く! とわめいたあんたは子
どもみたいだったわよ! 普段は偉そうに俺は世界一のコック、バ
リー・バミアンとか言って! 世界一でもないくせに!﹂
﹁なにを!﹂
﹁おやめなさい二人とも﹂
俺は言い合いをする二人の間に割って入った。いや、正確に言う
ならば割って入ったというよりは太い身体をねじ込んで吹き飛ばし
た。
﹁これ以上言い争うなら二人とも出て行ってもらうからね﹂
﹁ごめんなさい﹂
﹁ごめんなさい﹂
シュン、と二人は俯いた。
子どもかッ。
﹁クラリス、ええっと、バリーに例の話はしたの?﹂
クラリスの旦那は会話から察するにバリーという名前みたいだな。
俺は昔から人の名前を覚えるのが得意だ。名前を瞬時に憶えて呼
ぶことは営業マンにとって非常に重要だ。それができなくて嘆いて
いる同僚や後輩が数多くいたのでコツを教えてやったが、できるよ
うになったのはほんの数人だった。
82
﹁お嬢様との約束でございますから話しておりません﹂
落雷魔法を知っている人間は少ないほうがいい。どこから情報が
漏れるか分からない。
こわもて
俺が腕を組んで考えていると、強面のバリーが、ずいと顔を近づ
けてきた。
﹁お嬢様。私は料理を作るしか能のない男です。どんな練習をされ
ていようと、秘密は厳守致します。たとえ拷問をされようとも口を
割ることはありません。どうか、お気になさらず訓練を行ってくだ
さい﹂
一瞬、仁義を切られたのかと思って驚いたが、バリーの目は真剣
そのものだった。
クラリスを見ると、彼女もそこは信用ができるのか、大丈夫でご
ざいますと俺に一礼した。
﹁わかったわバリー。但し、絶対に他人に言っては駄目よ。クラリ
スと二人でいるときも落雷魔法のことは話してはいけない。いいわ
ね?﹂
﹁かしこまりました﹂バリーはコック帽を手にとって胸に当て、頭
を下げた。﹁契りの神ディアゴイスに誓って約束をお守り致します﹂
﹁よろしい﹂
契りの神が何者かは知ったこっちゃないが、俺はそれが違えては
サンダ
いけない宣言であり、バリーが約束を破るようには見えなかったの
で、空気を察してうなずいた。
ーボルト
クラリスの用意した椅子に座り、日記の最終ページを開いて﹁落
83
雷﹂の呪文を確認する。
朝のやわらかい陽射しが日記を照らす。
クラリスは素早く日傘を差して、傍らに立った。
サンダーボルト
﹁落雷
やがて出逢う二人を分かつ 空の怒りが天空から舞い降り すべての感情を夢へと変え
閃光と共に大地をあるべき姿に戻し 美しき箱庭に真実をもたらさん﹂
またあの感覚に襲われるのかと思うと、どうも緊張してくる。俺
は緊張なんてほとんどしない質だが、未知の体験に胸の高鳴りと不
安をおぼえた。
絶妙のタイミングでバリーが紅茶を差し出した。ほんのり温かく
温度調整されている。ありがたく飲み干し、俺は立ち上がった。
﹁いくわよ﹂
意を決し、俺はあの全身から力が噴き出そうとする感覚を想像し
て精神を統一した。
﹁あの⋮お嬢様、杖は?﹂
﹁いらない﹂
さらに集中して、息を、吸って、吐いて、吸って、吐いて、俺は
呪文を唱えた。
﹁やがて出逢う二人を分かつ︱︱﹂
84
昨日とは違う感覚になった。制御が非常に簡単だ。
へその下から力が湧き出て、全身をゆっくりと覆っていく。これ
なら詠唱の途中で、魔法を唱えることも可能だろう。
サンダーボルト
俺は瞬時に理解して詠唱を途中でやめ、三十メートルぐらい先の
地面に雷が落ちるイメージをし、落雷を一気に放出した。
バリバリバリッ︱
ドォン!
サンダーボルト
轟音と共に落雷が地面に落ち、衝撃で爆風と砂埃が舞った。
﹁どうやら呪文は最後まで唱えなくてもいいらしいわ﹂
サンダーボルト
落雷の落ちた場所まで行くと、エリィが横になって隠れるぐらい
の穴が空いていた。かなりの威力だ。
どうよ、とクラリスを見ると、バリーと一緒にわなわなと体を震
わせていた。
﹁おおおおおお⋮﹂
二人は戦慄した表情から、信仰している神を見たような感動した
表情で膝をつき、這いつくばってこっちに来ると、俺のパジャマの
ズボンをつかんだ。
﹁お、お、お嬢様⋮⋮なんと⋮⋮﹂クラリスが呟く。
﹁お嬢様! お嬢様ッ!﹂バリーが叫ぶ。
顔を上げた二人は顔面をぐしゃぐしゃにして涙を流していた。
85
﹁落雷魔法⋮⋮なんて神々しい⋮﹂
﹁おどうだば! おどうだば!﹂
クラリスとバリーは顔中から出るであろう体液を全部出さん勢い
で号泣している。バリーは鼻水とよだれまで垂らしており、抗争に
敗れたヤクザが死んだ仲間を思い悔しがっているようにしか見えな
い。
そしてふたりとも我を忘れて俺のパジャマズボンを引っ張る。
﹁しかも⋮杖なしでぇ!﹂
﹁づえなじ!? おどうだば!﹂
﹁ズボン! ちょっとズボン!﹂
ぐいぐいと引っ張って二人は号泣をやめない。
﹁杖なし! 落雷! お嬢様あぁぁ!﹂
﹁ぶひょうずう゛ぉあ!﹂
﹁やめ! ちょ!﹂
二人は全体重をパジャマズボンにかけて腕をぴんと伸ばした。
﹁おじょうざば⋮わたぐじは⋮⋮わだぐじは!﹂
﹁べじょうぞう゛ぉあぁぁ!﹂
﹁こらッ! やめなさい! あっ!﹂
ついに俺のパジャマズボンはズリ下ろされ、二人はズボンに顔を
うずめるように感極まってうわんうわん泣いた。バリーに至っては
何を言っているかわからない。
86
デブの少女がパンツ丸出しでオバハンメイドと強面の料理人を這
いつくばらせて泣かせている。
端から見たら恐ろしい光景だ。
﹁クラリス! バリー! 手を離して!﹂
﹁離しませんお嬢様!﹂
﹁じゅぼうずびぃ!﹂
ズリ下ろされたズボンを取り戻そうと、じたばたもがいていたら、
太っているせいか尻餅をついてしまった。それでも二人は両手でし
っかりとズボンを握りしめて離そうとしない。
やめてちょうだい、とふたりの頭をげしげし蹴飛ばすこと五分、
ようやくクラリスとバリーは正気に戻ってくれた。
﹁二人ともそこに座りなさい﹂
俺はパンツ丸出しのまま両手を腰に当て、地面に正座をした魔法
バカのオバハンメイドと強面コックを叱った。二人は取り乱したこ
とに対して大変反省したが、落雷魔法をその目で見た興奮は醒めな
いようで、叱られても目を輝かせていた。
サンダーボルト
次やったらバリーに落雷をぶつけてバリバリにする、と宣言する。
﹁是非とも!﹂と身を乗り出す彼にため息をついた。
チュンチュン︱︱
秘密特訓場には爽やかな朝の風がそよぎ、小鳥達が楽しげにパン
ツの脇を飛んでいく。
87
地面に正座するオバハンとおっさんの前で小鳥が求婚のダンスを
し、どこかへ去っていく。
サンダーボルト
﹁とにかく落雷は秘密よ! いいわね!﹂
﹁イエスマム!﹂
正座したままなぜか敬礼する二人。
﹁で、ちょっと聞きたいことがあるんだけど﹂
﹁なんでございましょうお嬢様!﹂
﹁クラリス顔が近いわ。あと立ち直るのが早いわ。杖なし、と言っ
ていたけど、普通は杖が必要なの?﹂
﹁そうでございます。杖があるとないでは十倍ほど威力に差が出る
と言われております。一般人は杖なしでは魔法は使えません﹂
そう説明しながら、クラリスは俺の太い足についた埃をタオルで
拭き、新しいズボンを履かせてくれる。
﹁じゃあ私はなぜ使えるんでしょう?﹂
﹁それはお嬢様が天才だからでございましょう!﹂
﹁左様でございます! 杖なしで、しかも落雷魔法を⋮⋮ううっ⋮﹂
バリーがまた泣き出しそうだったので、こら、と叱ってから話を
戻す。
﹁詠唱の途中で呪文を唱えることはできるの?﹂
﹁できます。慣れれば魔法は無詠唱で使えます。さらに付け加える
なら、威力や範囲など様々な応用が利くのでございます。基礎魔法
88
が行使できれば、派生して応用魔法が使えますが、六芒星の魔法才
能と個人の得手不得手によってできるできないがあるので練習には
注意が必要でございますね。苦手な種類の魔法を頑張っても効率が
悪く、時間と魔力の無駄になります﹂
サンダーボルト
俺は先ほどの落雷を発射する感覚を思い出しつつ、小さな雷が落
ちるイメージで、地面に指を差した。
バガァン、という破壊音と一緒に軽く地面がえぐれる。
ひざまづ
クラリスとバリーがまたしても跪いたので、怖い顔を作って二人
に指を向ける。すると二人はあわてて立ち上がった。またズボンを
ズリ下ろされるのは勘弁だ。
サンダーボルト
どのぐらい威力を調整できるのか確認しながら落雷を放っている
と、お腹がすいてきた。
これまた絶妙なタイミングでバリーが昼ご飯を台車に乗せて持っ
てきた。それを見たクラリスが、本が山積みになったテーブルの横
に食事用の丸テーブルを運んで、脇にパラソルを立て、あっという
間に準備を完了させた。
バリーが満面の笑みで料理を並べていく。
ストップ。
この昼ご飯、ちょっと待った。
﹁少し⋮いいかしら?﹂
﹁なんでございましょうお嬢様﹂
﹁クラリス顔が近いわ。私っていつもこんなに食べるっけ?﹂
﹁え? ええ、その通りでございます。お嬢様はよく食べる健康的
89
女性でございますから﹂
﹁それにしてもこれは⋮﹂
肉の乗った皿が三つ、ポテトサラダのようなものが山盛り、甘っ
たるそうなお菓子が二皿、パンがバスケットにたくさん入っている。
﹁あのねバリー。私これ、いつも全部食べてる?﹂
﹁はい。お嬢様はいつも美味しそうに食べておいでです﹂
﹁あなたにお願いがあるわ﹂
﹁お嬢様、なんなりと﹂
バリーは旋風が巻き起こらんばかりに顔を寄せてくる。夫婦は似
てくると言うが、苦労皺の多いオバハンと頬に傷がある強面のおっ
さんが瞬間的に移動して眼前にどアップになるのは心臓によくない。
﹁バリー顔が近いわ。あと怖いわ。顔がカタギじゃないわ。私これ
からダイエットをするから食事を減らしてちょうだい﹂
﹁ああ、ダイエットですね。かしこまりました﹂
﹁何その信用していない顔は﹂
﹁お嬢様これで三百五十八回目のダイエットでございます﹂
エリィ⋮お前はどんだけダイエットに失敗してるんだよ。
﹁今回はうまくいくから﹂
﹁そうだと良いのですが﹂
﹁あの事故で覚醒したからね﹂
エリィの行動が変わっておかしく思われないように伏線を張って
おく。何かあったら全部あの雷雨のせいにする予定だ。まあこの二
人ならそんなことしなくても大丈夫そうではあるが。
90
﹁できます。お嬢様は天才ですから﹂
クラリスがうなずいて紅茶をティーカップに注ぐ。
﹁筋肉量を増やすからタンパク質を多めにして、炭水化物を少なめ
にするわ。お肉は鶏肉を中心にしてちょうだい。魚類ならサバか鮭
がいいわね。あとはビタミンのバランスもよく考えて、生野菜と果
物のサラダをドレッシング少なめで用意してほしいわ。消費カロリ
ーが摂取カロリーをやや下回るように調整して筋肉をつけながら身
体を少しずつ絞っていきたいから、毎日の献立の記録が必要ね。ク
ラリスにお願いしてもいいかしら﹂
二人はぽかんと口を開けている。
あ、そうか。異世界にタンパク質、炭水化物などの概念はないの
か。
﹁鶏肉中心でよろしいのですか? お嬢様はピッグーの肉が何より
お好きですよね?﹂
バリーはそう言って豚の生姜焼きみたいな皿をこちらに見せる。
ピッグーは豚肉と似ているらしいな。もう呼び方、豚でよくねえ
か?
﹁いいのよバリー。痩せたいから﹂
﹁魚類は高級品になるのでご用意するのは旦那様の許可が必要でご
ざいますね。それにサバとシャケという魚は聞いたことがございま
せん﹂
﹁あのね⋮健康にいいらしいってどこかの本で読んだのよ﹂
91
﹁なるほど。後ほど町の商人に聞いてみましょう﹂
﹁え? そこまで無理しなくていいんだけど﹂
﹁いえいえお嬢様が真剣なことは今回よくわかりました。私もゴー
ルデン家の専属料理人としてできる限りの協力を致します﹂
﹁そう。ありがとう﹂
一番心配していたダイエット食問題がバリーの出現によって解決
したのはよかった。あとゴールデン家が金持ちっぽくて助かる。こ
れが貧乏人に転生していたら健康的なダイエットは難しかっただろ
う。いい食事は金がかかる。
そんなこんなでバリーには悪かったが四分の三ほど食事を残して
再び訓練を開始した。
サンダーボルト
サンダーボルト
落雷の威力を調整して放つ練習を繰り返す。
この落雷で、なんとなく魔法のコツをつかみたかった。体内に循環
する力が魔力のようなものなのだろう。完全に掌握できれば、クラ
リスの言うとおり様々な応用が利きそうだった。
太陽が傾いてきたところで魔法練習は終わりにして、特訓場をラ
ンニングする。正確には身体が重すぎて走ることができないから早
歩きだ。
しっかり汗をかいて、夕日で特訓場がオレンジに染まったところ
でトレーニングを終わりにした。
﹁しかしお嬢様の魔力は底なしでございますねぇ﹂
シャワーを浴びた後、クラリスが感慨深げに特訓場の更衣室で私
服に着替えさせてくれる。
92
﹁そうかしら﹂
﹁そうでございますよ。なんせ﹁白魔法﹂と﹁空魔法﹂の混合魔法
を何度も放てるんですから﹂
﹁クラリスは何か魔法を使える?﹂
﹁お嬢様の前であまり使ったことがございませんね。わたくしは風
魔法が使えますよ﹂
そう言ってクラリスはポケットから鉛筆サイズの杖を取り出すと
﹁ウインド﹂と呟いて杖を振った。
そよ風が疲れた体を吹き抜けていく。
﹁クラリスの適性は﹁風﹂なのね﹂
﹁そうでございます。洗濯物を乾かすのに便利です﹂
﹁へぇー。他には?﹂
﹁食器を乾かすのに便利でございます﹂
﹁ほぉーあとは?﹂
﹁いけすかない貴族のヅラを飛ばすのに便利でございます﹂
﹁うんうん。他には何かできるの?﹂
﹁そうですねえ⋮﹂
﹁他には魔法使えないの?﹂
﹁⋮﹂
﹁ほら何かあるでしょう。竜巻みたいに風を起こしたりとか﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁あのークラリス?﹂
クラリスはエプロンを持ち上げてムキーと噛みついた。
﹁お嬢様! わたくしにも魔法の才能を分けてくださいまし!﹂
93
これ以上いじめるとクラリスが泣きそうだ。
﹁ごめんなさい。で、クラリスは他の六芒星魔法は使えないの?﹂
﹁残念ながらわたくしはシングルでございます﹂
﹁シングル?﹂
﹁魔法を一種類しか使えないことございます﹂
﹁あ、そういえば﹂
たしか日記の中でエリィが、シングルだと散々バカにされて悔し
い、と時々書いていたな。待てよ。てことはエリィは適性魔法の﹁
光﹂しか元々は使えなかったってことじゃねえか?
いやまずいだろ。急に落雷魔法使えるようになったら、どうやっ
てできるようになったのか、どこで習得したのか、なぜシングルだ
ったのに突然落雷魔法を云々、あらぬ嫌疑をかけられる可能性大だ
な。
﹁落雷魔法は絶対に秘密よクラリス﹂
﹁ええーっ!﹂
﹁ええーじゃないわよ!﹂
﹁せめて奥様と旦那様には言うべきかと﹂
﹁だーめ。言っちゃ駄目だからね﹂
﹁かしこまりました⋮﹂
着替えが終わったので部屋を出る。
誰かに着替えさせてもらうのがこんなに楽だとは思わなかったな
ー。楽ちん楽ちん。
クラリスがドアを開けたので部屋を出ようとする。入り口にあっ
た姿鏡を見て俺は絶句した。
94
︱︱!!!!!!!!!!
冷や汗が流れ落ちる。
ありえねえ⋮これは、絶対にありえねえ。
まじで。
MA・JI・DEありえねえ!!!
﹁クラリス! この服はなに!?﹂
﹁何というのは? いつものお嬢様の私服でございますが⋮﹂
なんてことだ。
﹁これが、あたい⋮⋮?﹂
あまりの混乱に一人称がおかしくなる。
この私服を見て混乱しない奴がいるのだろうか。
白地にほんのりとピンク色が混ざった生地が、ワンピースの形に
加工してある。まず、デブが膨張色である白とピンクをチョイスし
ていることが間違っている。それに裾やら腕周りについたフリルは
なんだ。なんの冗談なんだ。背中の真っ赤なリボンは何なんだ。こ
れは⋮⋮いったい⋮⋮
﹁何なんだぁ!!﹂
俺は怒りのあまりスカートの裾についたフリルを力任せに引きち
ぎり、背中のリボンをむしり取って、色合い的に意味不明な黄色い
ヘアバンドを頭から引き抜き、統一感の欠片もないぼてっとした革
95
サンダーボルト
靴を脱ぎ捨て、全部特訓場に放り投げ、落雷で粉砕した。
ピッッッッッシャアアアアアアアアン!!!!!!
ドズグワァァン!!!!!!
ギャーギャーバサバサバサ
ブヒヒーン
ガラガラガラガシャーン
ヒーホーヒーホー
ブシュワーーー
サンダーボルト
耳をつんざく雷音が轟き、本日一番強力な落雷がワンピースのフ
リル達を黒こげにしながら地面に大穴を開け、近隣の鳥が一斉に飛
び立って、驚いた馬が急に走り出し、馬車が倒れ、臆病者のヒーホ
ー鳥が驚きで呼吸困難になり、なぜか特訓場から温泉が噴き出した。
︱︱あかん。やりすぎた。
96
第2話 洋服とイケメンエリート︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重109㎏︵−1kg︶
97
第3話 服屋とイケメンエリート
パジャマ姿に戻ってやっと平静を取り戻した。
俺としたことが怒りで周りが見えなくなってしまった。
あれが俺の着ている服だということが許せなかったのだ。そう。
俺はスーパーイケメンエリート営業。服には人一倍のこだわりがあ
る。妥協は許されない。あんなコーディネートを自分が着ているこ
とは、他人の体に転生してしまったとしても、異世界にワープさせ
られたのだとしても許せない。
別にエリィの服装の趣味をバカにしているわけではない。
人それぞれ好きな服やジャンルの好みがあり、好きに買って組み
合わせるのは本人達の自由であり、楽しみでもある。それに、他人
がどんな服を着ていようと興味はない。他人に服がダサいと指摘さ
れるのは本人のプライドを著しく傷つける可能性がある。人は誰で
も自分の服が、格好いい、可愛い、と思っているものだ。
たとえそれが﹃大いなる間違い﹄であったとしても、だ。
横を見ると、なぜかクラリスとバリーが土下座をしていた。
﹁ええっ!? ちょ、二人とも顔を上げて!﹂
俺は急いで二人を立ち上がらせようとした。
しかしどれだけ引っ張っても頑なに動こうとしない。
98
﹁お嬢様のお怒りはごもっともでございます!﹂
﹁我々夫婦の不徳の致すところ! どうぞ煮るなり焼くなり黒こげ
にするなり好きにしてくだされ!﹂
話が大事になっている。おいおい、どこでどうなったよ?
﹁話がまったくわからないから顔を上げて、二人とも﹂
クラリス、バリーはおそるおそる顔を上げた。
﹁別にあなた達に怒ったわけじゃないわよ﹂
﹁え?﹂
﹁私が怒ったのは着ている服があまりにもダサかったから、自分自
身に怒りを憶えたの﹂
﹁で、では、我々夫婦の粗相が原因ではないと?﹂
﹁あたりまえじゃない。あなた達の一体どこに失敗があったの?﹂
﹁パジャマのズボンをズリ下ろしてしまったことです﹂とクラリス。
﹁パジャマのズボンに鼻水をつけてしまったことです﹂とバリー。
思いっきり失敗があった。
﹁それは感動のあまりやったことでしょう、気にしてないわ﹂
二人は安堵から正座していた力を抜いて、お互いに寄りかかった。
﹁それよりクラリス、この辺でいい服屋はある?﹂
﹁ありますともお嬢様!﹂
もう復活したのか、各駅停車駅を通過する特急ばりの風圧を巻き
99
起こしてクラリスがこちらに近づいた。
﹁顔が近いわクラリス。じゃあ家に帰る前に店に行きましょう﹂
﹁かしこまりました﹂
静かにしていたバリーが手綱を操り馬車を移動させ、特訓場に乗
り入れる。
いきなり噴出した温泉は、家に帰ったら別の使用人にまかせること
にし、俺はパジャマ姿で馬車に乗り込んだ。
揺られること三十分、町に戻ってきた。夕日が消えて街灯が灯る。
時刻で言うと午後六時頃だろうか。
馬車が乗り入れられるほど広いメインストリートは人が激しく往
来しており、石畳の道路に面した店はバーや居酒屋、レストラン、
定食屋、カフェ、服屋、武器屋、防具屋、ひっきりなしに人が出入
りしている。馬車に轢かれそうになる酔っ払いなんかもいるが日常
茶飯事なのか怒号が飛び交い、警邏隊らしきハンチング帽を被って
大きな剣を背負った連中にしょっぴかれている。
俺は海外旅行に行ったときの何倍もの感動を覚えた。
こんな異文化があるんだろうか。
人間じゃない人間がいるのだ。
変な言い方だが、人間にまじって、虎の顔をして鎧を着込んでい
る戦士風の男、とかげ頭でターバンを巻いた性別が謎の奴、うさぎ
の耳をした女、猫耳の子ども、腕だけ猿の大道芸人、中でも驚いた
のは下半身が馬で上半身が人間というケンタウロスみたいな輩、そ
んな生き物が普通に行き交っているのだ。
100
人種問わず肩を組んでわいわい飲んでいたり、真剣な顔で値段交
渉したり、愛を語らっていちゃいちゃしたり、この世の動物全部を
ボールに入れてかき混ぜたような光景だった。
自然と目がそちらへ動いてしまうのは、やはり魔法関連の店だ。
杖専門店、魔法専門店、魔工具専門店、魔道具専門店、魔法とは
違う愛玩獣専門店なんて店もある。
﹁いつ来てもグレイフナー通りは混んでおりますねえ﹂
クラリスは軽いため息をついた。
﹁毎日これぐらい人がいるの?﹂
﹁そうでございます。お嬢様はこのお時間あまり外出されませんも
のね。人攫いにでもあったら大変でございますから﹂
この巨体を連れ去る輩がいるとは思えねえ。
百十キロだぞ。
﹁それで服屋はどこ﹂
﹁あちらが若い女性物で人気の店です﹂
何を隠そう、俺は一抹の不安を覚えていた。
﹁クラリス。ここは国の首都なのよね?﹂
﹁もちろんでございます﹂彼女は胸を張った。﹁グレイフナー王国
首都グレイフナーでございます﹂
﹁そうよねえ﹂
101
やっぱり。
﹁どうして今更そのようなことを?﹂
﹁うーんちょっとした確認ね﹂
そうなのだ⋮。
ごった返す町の人々の服装が全体的にダサいのだ⋮。
いや、むさ苦しいと言ったほうがいい。とりあえず困ったら飾り
をつけておけ、という大ざっぱな服、でかいのが正義と言わんばか
りのアクセサリー類、おまけに服装にあまり色がなかった。
よく使われているのは、白、茶色、黒、たまに緑色、紺色。パス
テルカラーは稀に見る程度だ。
年頃の若い女は、ほとんど白いシャツに茶色の皮ドレス、丈は膝
下、靴はぼってりとしている。もしくは無地のチュニック。意味不
明なペイズリー柄のチュニックを着ている女もちらほらいて、それ
はもーとてつもなくダサい。形がダサい。生地が微妙。変なフリル
がいらない。異世界クオリティなのか皆スタイルがいいので、なん
とか見れる、という状態だ。せっかくのスタイルが台無しだ。
髪型はトレンドなのか小さい三つ編みを耳の上に通してうしろで
しばる、というもの。ファンタジー映画でよく出てくる村娘のイメ
ージだな。
男は大体だぼっとだらしないズボンを履き、上から被るシャツの
ようなものを身につけている。胸のところに紐が通してあって、そ
こで締めたり緩めたりするらしい。いかんせん形がひどい。なんで
102
もいいから動きやすければいいんだよ、といった風情だ。オシャレ
のつもりかハットをかぶっている連中がおり、そいつらは服装と帽
子のミスマッチで、俺にはかえってダサく見えた。時折、おっと思
う服装をしている貴族風の男も、よく見ると生地がいいだけで、全
体的な形やフォルムはよろしくない。
﹁全部消し飛ばしたいな⋮﹂
俺は完璧主義の癖で、ついぼそっと呟いた。
クラリスが隣で合掌して﹁それだけはおやめ下さいお嬢様﹂と懇
願してくる。
﹁聞こえてた? てへ﹂
自分で言ってから、おデブの﹁てへ﹂に殺意が湧いたのはここだ
けの話にしておこう。
そして馬車が向かっている店の看板を見て、俺は御者をしている
バリーの肩を叩いた。
﹃愛のキューピッド﹄
﹁引き返そう﹂
嫌な予感しかしねえよ?
いやまじで。
103
﹁ねえねえこの服どこで買ったの?﹂﹁愛のキューピッドよ﹂﹁ま
あ! あそこのお店ね﹂﹁私いつも服は愛のキューピッド略して愛
キューって決めてるの﹂﹁うらやましいなあ﹂﹁あなたも愛キュー
に買いにいけばいいじゃない!﹂﹁でも⋮⋮お高いんでしょう?﹂
どこの漫才だッ。
﹁あのーお嬢様﹂
﹁なに?﹂
﹁通過してよろしいんですか?﹂
﹁一刻も早く他の店に行ってちょうだい、一刻も早くッ﹂
﹁いつもお嬢様はあの店の服をご所望でしたのに⋮﹂
﹁いいったらいいのよ! それより他のお店はないの?﹂
﹁どのような店がよろしいでしょうか?﹂
御者のバリーが窓に顔を張り付けて尋ねてくる。
こええよ。ホラーかよ。
そうこうしているうちに﹃愛のキューピッド﹄の前まで馬車がさ
しかかった。馬車は急には回れない。
外観は、それはもうピンクな雰囲気だった。
窓にもドアにもあまーい配色でフリルのついたカーテンがついて
おり、壁も窓枠も屋根もすべて白。店の入り口に飾ってある鉢植え
にはハート型の葉をした謎の植物がお出迎え。入り口の上には、丸
字に赤で﹃愛のキューピッド﹄と刻印がされた看板がランプに照ら
されている。日本なら絶対に入りたくない店だ。
げんなりした顔で窓から店を見ていると、入り口のドアが開いて、
104
まるまる太った厚化粧の女が出てきた。
﹁エリィ様、メイド長クラリス様、ご機嫌麗しゅう﹂
新型の特殊装甲かと疑いを抱くほどワンピースにフリルをつけた
そのご婦人は、黄金の髪にきついパーマをあて、唇には真っ赤なル
ージュを引き、目元はブルーのアイシャドウを入れていた。
これはあれだな、夜中、枕元に出てきたら絶叫するレベルの化け
物だな。
﹁新作ができましたので、是非ともエリィお嬢様にご試着をと思い
まして﹂
﹁お嬢様、どうされますか?﹂
﹁断って﹂
﹁かしこまりました﹂
クラリスは﹃愛のキューピッド﹄の店長らしきご婦人に向き直っ
た。
﹁本日お嬢様はお疲れでございます。またの機会に是非﹂
﹁まあそれはいけませんわね。では新作は取り置きをしておきます
ので、どうぞご気分の良い日にお越し下さいませ﹂
とんでもない見てくれだが、店長ご婦人の礼儀作法は美しかった。
なるほど、こんなメインストリートの一等地で変な店を流行らせ
ているだけの手腕があるんだ。おそらくエリィのような貴族や金持
ち向けの服をデザインしているのだろう。単価も高いし、若い女子
の服なら回転率もいいはずだ。店の様子や店長ご婦人の着ている服
からしても、結構儲かっているのだろう。
105
﹁どうされましたお嬢様?﹂
﹁なんでもないわ﹂
﹁では別の店へ﹂
バリーは馬車を巡らせ、服屋というか雑貨屋のような日本の古着
屋を連想させる店に入った。
店の中にはところせましと服が置いてあり、新品が手前、古着が
奥に陳列され、使用済みの皮の盾やステッキや銅っぽい剣なんかも
置いてある。いやーこれはファンタジーだな。
俺はリングを捨てに行く小人族がいないか見回した。
︱︱!!
いない。いるわけがない。あの映画好きなんだよ。マイプレシャ
ス。
お目当ての女性物洋服類は流行であろう白シャツにやぼったい茶
色の皮のドレスが中心で、ワンピース、チュニック、カーディガン
のような羽織る服なんかもあり、値札と一緒になぜが防御力の説明
書きがある。
﹁クラリス、なんで値札に説明書きがあるの﹂
﹁冒険者がよく来るのでそういう書き方のほうがウケるのですよ﹂
そう言って俺は値札に目を落とした。
﹃皮のドレス。4000ロン。
流行の皮ドレス、スライムなんてへっちゃら!
106
一角ウサギの突進ぐらいなら大丈夫、かも!?﹄
なんだよ﹁かも!?﹂って。
﹃ペイズリーチュニック。3000ロン
かわいらしいペイズリー柄。スライムぐらいならきっと平気。
ゴブリンはちょっと危ないかも!?﹄
だからなんだよ﹁かも!?﹂って。
しかもデザインが下手でペイズリーじゃなくてゾウリムシに見え
るぞ。
しばらく店内を物色して、服を広げては閉じ、を繰り返す。服を
取って広げてくれるのはクラリスだ。彼女はこちらの心を読んでい
るかのような素早い動きで先回りしてくれる。
茶色い麻のシャツ、薄茶色の麻のシャツ、どれもボタンはない。
胸のあたりでひもを通して結ぶようだ。綿や皮は値段がちょっぴり
高い。綿があるなら文明的に色々なデザインで加工できるはずだ、
という俺の考察は店内をよく観察するにつれて、なぜこのグレイフ
ナー王国ではお洒落デザインがないのかという解答に近づいた、気
がする。
そして俺はとある柄がないことに愕然とした。
﹁チェック柄が、ない⋮⋮だと?﹂
あれほど有用で組み合わせに便利な柄が販売されていないことに
戦慄を覚えた。この国のファッションは一体どうなっているんだ。
107
デブが店内でがっくり膝をついているのは邪魔で仕方ない。俺は
気を取り直してバリーに言って次の店へいく。
﹃秘密の道具屋﹄という店だ。
どこに秘密めいたものはない。ふつーの道具と服を扱う店だ。エ
リィに似合う大き目のサイズはない。チェック柄の商品も当然ない。
馬車に乗り込み、さらに違う店へと向かう。
﹃ザ服屋﹄
安易すぎるネーミングに古着屋と大して変わらない品ぞろえ。
次、行こうか。
﹁洋服の専門店はないの? ブランド物みたいな﹂
﹁ブランド、とはお酒のことですか?﹂
﹁それブランデーのことでしょ﹂
﹁そうでございます﹂
﹁そうじゃなくて個人が広めたデザインの洋服を扱う店よ﹂
﹁そういった店はありませんね。服屋は服屋です﹂
﹁さっきの﹃愛のキューピッド﹄みたいな店よ﹂
﹁あの店が特別でございますよお嬢様﹂
大体把握できてきた。
ブランド物、という思考はない。たぶん﹃愛のキューピッド﹄が
その走りのようなもので、これから時代の流れと共にブランド名が
ついた商品が流行っていくのだろう。
ふふふ、なるほどね。
﹁お嬢様、どうされました?﹂
﹁いいえ、なんでもなのよクラリス﹂
108
次の店﹃タンバリン21﹄という店もごく普通の品ぞろえと、流
行を押さえた服しか置いてない。防御力の説明書きはあった。大し
た感動もなく店を出る。
﹁お嬢様﹂
﹁ひっ!﹂
御者の窓に顔面を密着させてバリーが突然声を出した。
﹁バリー、心臓に悪いからそれはやめてちょうだい﹂
﹁申し訳ございません。私も会話に入りたくてつい。少し年齢層は
上ですが﹃ミラーズ﹄はどうでしょうか﹂
バリーが手綱を操りながら聞いてくる。
﹁じゃあその店にして﹂
﹁かしこまりました﹂
一番大きいグレイフナー通りへ戻り、次の交差点を曲がると﹃ミ
ラーズ﹄があった。
なかなか洒落た外観であった。俺が知っているシャレオツな日本
の店とはまた趣が違って感心する。
白亜の木製ドアに大きな鉄製ドアノブがついており、店の壁には
新作らしき洋服がハンガーにかけられ、その周辺を光の玉が三つふ
よふよと浮遊している。たぶん魔法だろう。看板の文字も﹃Mir
rors﹄と控えめの刻印がされていた。文字は英語なのかわから
ないが、俺の目には英語表記に見える。脳内で変換されているらし
い。
109
精悍な顔立ちのドアボーイが待ち構えていた。着ている服装はや
はりだぼっとしていまいちであったものの、背にしょっている剣が
いかにも異世界でかっこよく、鍛えぬかれているのか姿勢が良くて
見栄えが良い。
やっぱ男だし憧れるよなー剣とか鎧とかこういうの。まあ俺はデ
ブでブスの女の子だけどな。
店に入ると、店員が俺の服装を見て困惑し、お辞儀だけして去っ
ていった。
パジャマじゃしょうがねえ。
クラリスが影のごとく静かについてくる。店内の服を取ろうとす
ると、さっとこちらに広げてくれる。
うん、まあまあだな。
﹁ここは十代後半から二十代前半の女性向けのお店ですね﹂
わりと上質なチュニックとシャツがある。カーディガンや、ワン
ピースもある。やはり、日本だったらあっていいはずのズボンやジ
ーンズはない。
﹁ズボンはないの?﹂
﹁まあお嬢様。ズボンは殿方の履くものでございますよ。冒険者で
もない限りレディの着るものではございません﹂
﹁昔からそうなの?﹂
﹁はて、いつからかわかりませんがわたくしが子どもの頃から女は
スカート、男はズボン、と決まっておりました﹂
110
﹁キュロットはないの?﹂
﹁キュロ⋮なんでございますか?﹂
﹁最近、日本⋮⋮おっほん、最近思いついたんだけどね、こういう
形をしたズボンがあってもいいと思うのよ。スカートっぽいけど、
足を広げてもパンツを覗かれることはないわ﹂
﹁ほほう、それはなかなかよろしゅうございますね﹂
クラリスは俺が手を動かしてみせた形を確認してうなずいた。
﹁あとこういうフリルはいまいちよ﹂
俺は店に飾ってあった、皮のスカートを広げる。腰のあたりから
スカートの裾まで斜めに伸びているフリルを指さす。発想は悪くな
いと思うが、茶色の厚みがあるスカートにフリルをくっつけている
のは、ぼてっと見た目が重たくなるのでいただけない。
﹁どうせならもっと生地を薄くしてなめらかさを出すべきね。それ
から靴ね﹂
﹁靴でございますか﹂
﹁ヒールとかパンプスとかはないの?﹂
﹁回復魔法と、かぼちゃですか?﹂
﹁ちがうわ、そういう靴よ。ちょっとかかとがついて高くなってい
る靴﹂
﹁いえ、存じ上げません﹂
﹁ないの!? なんてこと⋮﹂
﹁お嬢様?﹂
﹁あれがあればデブなんかは多少細く見せることができるのよ。も
ちろんわたしぐらいのデブだとワンピースしか着れないし履いても
意味ないけどね﹂
111
ぽっちゃり系ならまだしもエリィは太すぎる。関取とあだ名をつ
けられてもおかしくない。ああ、そういえば小学校の頃﹁よこづな
どすこい﹂とあだ名を付けられた女の子いたな。あのときは申し訳
ないことをした。なんたって付けたの俺だもんなー。ああいうのっ
て本当に傷つくよな。大人になってから女性にはそんなこと一切言
わなくなったけどさ、子どもって残酷だなほんと。登下校で遭遇す
ると﹁どすこい!﹂って腹に張り手してた。偶然再会したら﹁よこ
づなごめん!﹂って謝りてえなあ。
﹁ご来店ありがとうございます。店主のミサと申します﹂
茶色のボブカットをしたスレンダー美人が華麗にお辞儀をした。
店主と言う割にはずいぶん若い。二十歳前後に見える。
﹁当店の商品に何か問題がございますか?﹂
さっきの会話が聞こえていたみたいだな。
怒っては、ないようだ。好奇心が勝っている、といったほうがよ
さそうだ。
﹁ゴールデン家四女エリィ・ゴールデンです。パジャマ姿で失礼致
します﹂
自分で言って笑いそうになるが堪えてパジャマの裾を上げた。
こういう女っぽい動きはなぜかオートマチックでできる。あと言
葉遣いも口に出すとある程度修正が入るから不思議だ。ひょっとし
たらエリィの意志がまだどこかに残っているのかもしれない。これ
はじっくり研究すべきだろう。
112
﹁本日はどうされたのですか?﹂
﹁ええ、普段着があまりにもダサくて着れないのよ﹂
﹁なるほど。だからパジャマ姿なのですね。では当店で見繕ってさ
しあげましょう﹂
﹁それでもいいんだけどねえ⋮﹂
俺は意味ありげに店内を見回した。
店主ミサの眉毛がぴくっとつり上がるのを見逃しはしない。
﹁じゃあ私の体に合う服を選んで﹂
﹁かしこまりました﹂
ミサが持ってきたのは白のワンピースと、グレイフナー王国で流
行の白シャツにもっさりした皮ドレスだ。
﹁ありがとう﹂
まあ白シャツに皮ドレスの合わせはエリィには無理だな。飛び出
る腹に、うなる二の腕。下っ腹が皮ドレスを押しだし、ぱつんぱつ
んのシャツに二の腕の太さがくっきりと出るだろう。﹁頑張って流
行の服を着てます感﹂しか出ねえ。
白ワンピースの生地は綿だ。膝下まで裾が広がり、袖は切りっぱ
なしで、ボタンやしぼりはない。日本でいうところのオーガニック
系だな。家庭菜園とか無農薬とかが好きな主婦が着てそうな、ゆる
い自然っぽいファッションだ。
黒地のものが欲しかったが、わりとまともな部類に入るので、ク
ラリスに言ってワンピースの料金を準備させる。金はエリィが貯め
ているものがあるし、なくなれば家の誰かがくれるから問題ないそ
113
うだ。いやエリィは貯金に勉強にほんと偉い子だな。俺は金、持っ
てるだけ使うからな。
﹁ワンピースをもらうわ﹂
﹁ありがとうございます﹂
店主ミサ自ら会計をしてくれ、クラリスが支払いを済ませた。
﹁あの、お嬢様。先ほどお話しされていたことなんですけれど、よ
ければ詳しくお聞かせ願いませんか?﹂
﹁あら何の話?﹂
俺はとぼけて聞き返す。
﹁フリルがいらないことや、靴の話です。非常に興味がわきまして
御迷惑でなければなのですが﹂
﹁クラリス、時間はある?﹂
﹁そろそろお夕食のお時間です。本日はお嬢様の退院祝いですので
早めの帰宅を﹂
﹁あらそう﹂
﹁そうですか、残念でございます﹂
﹁また時間ができたらくるわ﹂
﹁ええ、是非ともそうしてください!﹂
俺が思った通り、このミサという店主はかなりセンスがあるとみ
た。
その内、オーダーで服を作ってもらう予定だし、懇意にしておく
べきだろう。
114
○
今日服屋を回ってほぼ確信したこと。ずばりこの国の人は、洋服
にそこまで興味がない。ほとんどは防御力重視だな。行き交うおっ
さんや、若い女性でさえ、どれだけ頑丈かを気にしている節があっ
た。
革命的なデザインの服が出ていないことも原因のひとつだ。
﹁お嬢様が洋服にあれだけの情熱をお持ちだとは知りませんでした﹂
クラリスは馬車のドアを開けて下りるよう促す。
﹁実は前からずっと気になっていたのよ﹂
﹁お嬢様のご立派なお考えを店の者が認め、私は鼻が高いです﹂
﹁やめてクラリス。そんなにすごいことじゃないわ﹂
﹁いいえお嬢様。わたくしは今日からお嬢様付きのメイドになるこ
とを心に決めました。あなた、いいわよね?﹂
﹁もちろんだ﹂
バリーは馬車をゴールデン家の使用人に任せ、クラリスの後に続
く。
﹁大丈夫なの?﹂
俺には専用のメイドがどういう立ち位置になるのか分からない。
﹁ええ、旦那様には常々言っていたことにございますから﹂
﹁でもメイド長なのでしょう?﹂
115
﹃愛のキューピッド﹄のご婦人がクラリスをメイド長と言ってい
た。
﹁そんなものは誰かにうっちゃればいいのです。わたくしは心優し
くも努力家のエリィお嬢様が好きなのです﹂
﹁クラリス⋮﹂
﹁私も料理長でなければお嬢様の護衛としておそばにいるのですが﹂
﹁あんたは駄目よ。バミアン家の当主なんだから﹂
クラリスの言葉に、悔しそうにバリーは拳を振った。
愛されてるなーエリィ。
ゴールデン家の屋敷はそりゃでかかった。
武家らしくがっしりした門に、いかつい門番が立ち、ちょっとし
たパーティーができそうな庭を通って、玄関に到着する。庭は屋敷
の奥に続いており、おそらく向こうにエリィが入水した池があるの
だろう。
玄関を開けると、ばたばたと走る音がして、伝説級美女が飛びつ
いてきた。女性特有の柔らかい匂いが鼻いっぱいに広がる。
﹁エリィ! 退院おめでとう!﹂
一日ぶりに見る伝説級美女エイミーはやはり美しかった。
﹁ありがとうお姉様!﹂
﹁おなかすいたでしょ﹂
﹁うん﹂
116
﹁遅かったけどどうしたの﹂
﹁ちょっと町に﹂
﹁病院は退屈だものね﹂
そう言いつつもぺたぺたと俺の顔や体をさわってくる。
﹁ちょっと痩せた?﹂
﹁そうかな?﹂
﹁そうよ。よかったやっと敬語が元に戻った﹂
うふふ、と笑うエイミー。可愛いな、おい。
﹁エリィおかえりなさい﹂
輪郭や鼻、口元はエイミーにそっくりで、
続いてやってきたのはエイミーの垂れ目とは対称的な釣り目の、
気が強そうな美女だ。
目だけが逆になったかのようだ。これだけでだいぶ印象って変わる
もんだな。
﹁ただいま戻りました﹂
﹁なぜパジャマ姿なの?﹂
﹁自分の服が許せなくて﹂
﹁あら、あの店の服は悪くないと思うけど?﹂
﹁そう、ですか?﹂
﹁あなた⋮﹂
釣り目で気が強そうな美女は俺に近づいて顔を覗き込んだ。彼女
の身長は百七十センチぐらいだろう。
﹁ちょっと変わったわね﹂
117
﹁エリザベス姉様、そんなにエリィを睨まないで。病み上がりなの
よ﹂
﹁そうだったわ。それにしても⋮本当にあなたって子はいつもみん
なに心配ばかり掛けて⋮﹂
エイミーの進言でエリザベス姉様と言われた人物は身を引いた。
たしか日記にも出てきた次女のエリザベスか。あまり仲良くない、
と日記には書いてあったが、ただ心配されてただけなんじゃないか
?
﹁あなた達、そんなところでしゃべってないで食堂にいらっしゃい﹂
最後に現れたのは細身で柔和な笑みを称える大人の女性だった。
﹁ごめんなさいエドウィーナ姉様。エリィ、いきましょ!﹂
エイミーが保護欲をかきたてる顔。三女。
エリザベスが気の強い美女系。次女。
エドウィーナ姉様。長女。
エドウィーナ姉様はなんというか、大人の女だった。色気が周囲
に充満するかのような、優しさと、そう、エロス。エロスを感じる。
ウイスキー、お好きでしょ、って感じでCMに出てそうだ。いつも
の俺なら確実にむらむらきているはずなのに、体がエリィのせいな
のか、そっち方向の気分には一切ならない。
ばばーん。
そして俺ことエリィである。デブでブスでニキビ面で中身がスー
パー天才イケメンエリート営業。四女。
118
これはきつい。
こんな美人三姉妹と並んで歩いたら、そりゃ笑われるし言い見世
物だしどうすりゃいいかわからない。エリィが不良にならず十四歳
まで成長したのは奇跡といえる。さすがだエリィ。おまえは強い子
だよほんと。
食堂には、きれいに口ひげを整えた垂れ目のくせにダンディな親
父と、ちょっときつそうな顔つきだが美人の母が待っていた。
エリィの退院を祝ってから、食事がスタートし、途中でエリィの
誕生日を祝うバースデイケーキが出される。入院中に十四歳になっ
たから誕生日祝いはやっていなかったのか。父親は一度優しそうな
笑顔をすると、あとはむっつりと黙り込んだ。口数は少ない。
代わりに母親が色々と俺にお小言を言ってくる。
やれ危機管理がなってない、勉強が足りない、みんなに心配をか
ける、などなど。恐縮するふりをし、俺は食べ過ぎないように好き
な食事を取り分ける。いつものことなのか、俺を除く三姉妹は世間
話をしながら楽しそうに食事を摂っている。父親は仲睦まじい娘達
を見て、垂れ目をもっと下げ、ワインを飲んでいた。
母親に心配されてるんだ、ということがわかって安心した。別に
みんなエリィが嫌いというわけではないようだ。ただ一人だけちょ
っと太ってて出来の悪い末っ子、と思っているみたいだな。
いつもより食べない俺を心配するエイミーには食欲がないといい、
父親に明日明後日、始業式まで秘密特訓場を使う許可を取った。つ
119
いでに温泉が出た、と言ったら、白い歯をきらりとさせてエリィは
冗談が上手いなあと笑った。いや、まじで出たぞ、温泉。
食事が終わると、両親と長女は食堂に残って食後のお茶に興じた。
俺はこっそりクラリスを呼んで、場所が分からないエリィの部屋を
うまいこと聞きだし、そのまま中へ入る。なぜかエイミーもついて
きて、そのままベッドに座った。
﹁エリィ、少し変わったよね﹂
エイミーはそう切り出した。表情はいつも通り優しさに溢れてい
る。
﹁そうかな?﹂
俺は女の子女の子しているエリィの部屋の内装を変えないといか
ん、と頭の端で考えつつ首をかしげてみせた。
﹁ご飯をちょっとしか食べないし、病院で変な寝言言ってるし、心
配してるんだからね﹂
﹁姉様のおかげでもうこの通り元気だよ﹂
普段の俺だったら上腕二頭筋をこれでもかと見せつけるのだが、
いかんせん贅肉を披露しても誰も喜ばない。
そんなしおらしくしている俺を見て、エイミーは言いづらそうに
もじもじと自分のスカートの裾を握った。
﹁あのねエリィ⋮⋮﹂
あまりの可愛さに抱きしめたくなる衝動を抑え、言葉を待った。
120
﹁学校⋮大丈夫なの?﹂
﹁学校?﹂
﹁そうよ。その⋮⋮クラスにあまりいいお友達がいないんでしょう
?﹂
﹁大丈夫だよ﹂
﹁うそ! いつも学校ですれ違うと居心地の悪そうな顔しているじ
ゃない﹂
本来の俺なら﹁返り討ちだ﹂と言ってこれ見よがしにバキバキに
割れた腹筋のシックスパックを見せつけるのだが、いかんせんそう
いう訳にもいかない。
﹁平気よ姉様。ちゃんと学校には行くから﹂
登校拒否なんてしたらリッキー家のボブに復讐できねえし。
﹁そう⋮﹂
俺の言葉を聞いて、エイミーはなんて健気な子なんだろうと心配
と感動が入り交じった顔で、ゆっくり抱きしめてくれる。しばらく
その温かさを感じ、俺はボブがどんな奴なのかをあれこれ想像して
いた。まず自分の目で現状を確認する。そして然るべき判定を下し、
どのようにするか決める。何事も自分の目で見て決めることが、ミ
スを防ぐものだ。
しばらくエイミーと雑談し、体重計に乗ってベッドにもぐりこん
だ。
一キロ痩せていた。
百キロ台は変わらないので感動は一ミリもない。
121
始業式まで、専属メイドになることを許されたクラリスとバリー
と三人で、秘密特訓場に行き、トレーニングをして、グレイフナー
通りを回って情報収集をし、家に帰る。というサイクルを二日送っ
た。なかなかに充実した時間だ。
そして始業式当日。
ちょっとわくわくした気持ちと、リッキー家のボブがどんな奴な
のか抜かりなく調べること、目的を忘れずに実行すること、色々な
思いを胸に、窮屈な学校指定の制服に袖を通した。
122
第3話 服屋とイケメンエリート︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重107㎏︵−2kg︶
123
第4話 学校とイケメンエリート︵前書き︶
後書きに、イケメンエリートがメモした﹃かんたん魔法早見表﹄を
載せました。
魔法の話が頻繁に出てくるので参考にしてください。
124
第4話 学校とイケメンエリート
﹁いいなーエリィはライトレイズクラスで﹂
エイミーは学校指定の鞄を両手で前に持ち、こちらを上目遣いで
見てくる。
いま通学路をエイミーと二人で歩いていた。姉妹はだいたいこう
して、いつも一緒に登校しているみたいだ。玄関でエイミーが待っ
ていて自然と一緒に登校することになった。
﹁私も適性テストで光にならないかしら﹂
﹁そんなに光がいいの?﹂
﹁もちろん! なんたって大冒険者ユキムラ・セキノと同じ適性よ
!﹂
﹁姉様も好きなんですね⋮﹂
クラリスといいバリーといい、みんな大冒険者とやらが大好きみ
たいだ。
﹁エリィも好きでしょう﹂
﹁もちろんです姉様﹂
俺はとりあえず深く同意しておいた。
﹁エリィは特別よ。ゴールデン家は代々、﹁水﹂か﹁土﹂に適性が
あるからね﹂
﹁姉様のクラスで適性の変わった人っている?﹂
125
ヘキサゴン
でしょ? そっちの方が羨ましい﹂
﹁いないわ。滅多にそんなこと起こらないよ﹂
﹁でも姉様は
エイミーは六系統の魔法を使用できる凄腕魔法使いだ。すでに国
の研究機関からお声がかかっている。
使える魔法は下位魔法﹁土﹂﹁水﹂﹁風﹂﹁火﹂﹁光﹂、上位魔
法の﹁木﹂で、適性の﹁土﹂と上位魔法の﹁木﹂が得意だ。魔闘会
個人の部では、この﹁木﹂魔法で十位入賞を果たした。これは俺が
昨日エイミーの部屋に行って根掘り葉掘り聞きまくった情報だ。恥
ずかしそうにしながら話すエイミーはたまらなく可愛くて、男なら
ほっとかねえ、と何度も思った。
﹁私はエリィがいつかすごい魔法使いになると思うんだけどなあ⋮﹂
﹁ははは⋮頑張るよ﹂
サンダーボルト
口が裂けても落雷がぶっ放せるなんて言えねえ。
学校に近づくにつれて制服姿が多くなってくる。
制服は紺のブレザー、シャツ、男はズボン、女は膝下スカート、
という平凡な制服だ。ローブを羽織っている生徒が半分ぐらいいる。
その辺の服屋で売っている物より倍ぐらい質感のいい制服だ。
エイミーを二度見し、鼻の下をのばす男子が後を絶たない。そし
て俺を見て、ぷっ、と笑う輩も後を絶たない。バカ共のケツに雷を
落としたい衝動を堪えつつ、エイミーと楽しく雑談する。
校門のところで黒髪の和風顔をした女子生徒とエイミーが合流し
たので、俺は一人で校内へ入った。適性テスト、という看板の案内
に向かって進んでいく。
126
きょろきょろとせわしなく顔を動かしているあどけない生徒はきっ
と一年生だろう。皆、一様に緊張した面持ちだ。
人の流れにまかせて進み、適性テストの会場であるグラウンドに
入った。
生徒の行列ができていて、とび出るウサギ耳、猫耳の生徒、エメ
ラルドグリーンの髪、身長三メートルの男子、後ろ姿を見ているだ
けでも全然飽きない。やべえ、超楽しい。俺デブだけど、すげえお
もしれえ。俺、デブで女だけど!
グラウンドには天幕が張ってあり、暗幕で三十個ほどに区切られ
ている。高校文化祭のお化け屋敷みたいだな、と一瞬思った。生徒
は次々と暗幕で区切られた適性テスト部屋へと入っていく。
受付で名前を言うと、個人情報の書かれた茶色の羊皮紙を渡され
た。
きた羊皮紙!
ファンタジーの定番ッ。
ファンタジー映画通の俺、テンション上がるー。デブだけど!
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
グレイフナー魔法学校 200期生
エリィ・ゴールデン
適性魔法﹁光﹂
習得魔法﹁光﹂
下級・﹁ライト﹂
127
中級・﹁ライトアロー﹂
一年生﹁ライトレイズ﹂
二年生﹁ライトレイズ﹂
三年生
四年生
五年生
六年生
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
空白が目立つ。卒業までこの用紙に情報を追加して使うんだろう
な。
しばらく書類を見ていると、前方の列から﹁エリィ!﹂と声がし
て顔を上げた。
エイミーが可愛らしく手を振ってくる。
美人のくせに、妙に子どもっぽいというギャップに負け、俺は頬
が緩むのも構わず手を振り返した。しばらくして、彼女の入った天
幕の奥から、巨大な大木が幕を突き破って生えてきた。そしてパッ
と消える。
並んでいる生徒から﹁おおおお﹂という声が上がり、口々にしゃ
べり出す。
﹁木だぜ。すげえ﹂﹁上位魔法適性かよ﹂﹁半端ねぇ﹂﹁つーか可
愛いな﹂﹁はぁはぁ⋮たまらん!﹂﹁エイミー様!﹂﹁お姉様!﹂
﹁私たちのお姉様!﹂﹁今年こそお近づきに!﹂﹁拙者のエイミー
ラヴレター手裏剣をみよ﹂﹁この腕に彼女を⋮!﹂﹁せめて近づい
てにほひを嗅ぎたい!﹂﹁俺はエイミー様のにほひを収集し大量生
128
成するッ⋮﹂﹁くんっふはぁ!﹂
すげえ人気だ。
そして危険な人気だ。なんだよにほひって。
あれだけ美女で魔法も得意、優しくて人情に厚くて面倒見もいい。
人気が出るのは無理もない。﹁エリィ!﹂と、天幕から出てきてぶ
んぶん手を振るエイミーは何も気づいていない。たぶん天然だな。
ど、の付く天然だ。俺は苦笑いして手を振り返す。
それを見た俺へのひそひそ話も聞こえる。
﹁あれがエイミーお姉様の妹?﹂﹁ペットの間違いではなくって?﹂
﹁すげえデブ﹂﹁末っ子だけブスとかまじないわー﹂﹁しかもシン
グルらしい﹂﹁え、シングル﹂﹁っぷぷ﹂﹁お前あれとつきあえよ。
一万ロンやるから﹂﹁一分も無理!﹂﹁いや、にほひを嗅いでから
判断だ﹂﹁贅肉魔神だ﹂﹁ピッグーじゃねえのか?﹂﹁姉妹とかあ
りえない﹂
俺は顔面に青筋が浮き立つ感覚をひさびさに覚え、くそったれ共
に裁きの雷を落としたい願望を不動の精神力で脳内に留めて、無表
情で順番を待った。
﹁書類を渡しなさい﹂
順番が来ると、白衣を着た神経質そうなメガネのおっさんがこち
らを見もせずに手を出す。光り輝く額が気になる。ハゲだな。おっ
さんは書類を見ると、ああ、エリィ君か、と言って、ようやく顔を
上げた。どうやら知り合いのようだ。たぶん教師だろう。
129
天幕に入ると、でかいテーブルに魔法陣が書かれ、その奥に六個
の水晶玉が並んでいた。
ハゲメガネのおっさんと、三十代後半の緑色のローブを着た化粧
っ気のまったくない女が、テーブルの前に来なさいと促す。
﹁エリィ君、お姉さんはすごいね。適性テストで天幕を突き破った
のは初めて見たよ﹂
﹁私もびっくりしました﹂
﹁君だって数少ない光適性者だからね。それだけでも胸を張ってい
いよ﹂
﹁はい﹂
続いて冴えない緑ローブの女がにこりと笑う。
﹁エリィさん、あなたの努力は素晴らしいです。図書館に籠もって
書籍を読んでいるところを何度も拝見致しました。わたくしも若い
頃苦労しましたの。ええ、それはもう恋なんかせずに勉学と魔法に
打ち込んでようやくグレイフナー魔法学校の教員になることができ
ました。そう、あなたも負けないでちょうだい。恋なんていいのよ。
魔法が人生のすべて! 魔法こそが、すべて、なのです!﹂
﹁⋮マダムボリス?﹂
ハゲメガネはどうどうと宥めるが、マダムボリスと呼ばれた緑ロ
ーブは聞いていない。エリィを見て何かしらのスイッチが入ってし
まったらしい。
﹁思えば始まりは入学の時でした。ライトレイズになったことが嬉
しく私は友人とふたりで必死に勉強しました。そして四年生に上が
る頃にはスクウェア、卒業してすぐに﹁白﹂を習得。でも、友人は
130
わたくしを裏切った。そう、わたくしの知らないところで男といち
ゃいちゃしていたのです。しかもイケメン。性格がよくて逞しい人。
思えばあの六年生のとき、わたくしを慕ってくれたあの人とお付き
合いしていれば今頃こんなことには⋮﹂
﹁マダムボリス、それくらいにしてください、後が詰まって︱︱﹂
﹁おだまりくださいハルシューゲ先生! わたくしはこの健気なエ
リィ嬢に話をしているのです!﹂
﹁いや、しかし時間が⋮﹂
﹁時間!? ええ時間が戻るならわたくしも戻りたいです! 過去
に! 学生時代に!﹂
冴えない女教師マダムボリスは、俺の太い肩をつかんで熱っぽい
目で見つめた。
﹁負けちゃ駄目よエリィ嬢! いいわね!﹂
﹁え、ええ﹂
﹁⋮⋮いい加減よろしいですかな?﹂
ハルシューゲ、略してハゲ先生がため息をつく。マダムボリスは、
きっと睨むと、一拍置いてうなずいた。
ハゲ先生はやれやれといった風にうなずくと、﹁両手を魔法陣に﹂
と言った。俺は言われるがまま両手をのせる。
﹁では集中して⋮﹂
オッケー集中。
﹁魔力を高めて﹂
131
オッケー、魔力を⋮⋮どうやんだ。
へその辺りが熱くなるあの感じを高めればいいのか。
﹁いいですよ。そのまま全開にしてください﹂
よーし。
全開ね。
すると魔法陣が青白く光り輝く。
俺はへそから湧き上がる力を、腹筋に力を込める要領で高め、熱
くなった魔力を両手に注いだ。どんどん魔力が魔法陣に吸い込まれ
ていく。ハゲ先生の言うとおり、俺はさらに力を込めた。
魔法陣から突き刺すような光が漏れる。
天幕内が光り一色で塗りつぶされ、俺はあまりの眩しさに目をき
つく閉じる。
﹁エリィ君⋮?﹂
ハゲ先生が訝しげな声を出す。
これ、なんか⋮
﹁ちょとエリィ君?﹂
ハゲ先生が近づいてくる。
ちょっと、これ、やばい?
﹁エエエ、エリィ君!?﹂
132
うおおお、なんかやべえぞこれ!?
﹁まだ限界じゃないのかね!?!?﹂
﹁ハハハハ、ハゲ先生ッ!!!?﹂
俺は強引に魔力注入を遮断した。
ピカッ!
バリバリバリバリバリィィン!
ドッガァァァン、ブシャーン、メキャキャキャ、ギュブオゥ、ブ
ゥゥゥン!
ヒヒーン!
キャアアアア!
ドガラガラガッシャーン!
ヒーホーヒーホー
ビリビリビリビリ
ブシュワー
魔法陣から閃光が放たれると六個の水晶がすべて割れ、部屋の天
幕が大爆発を起こして大量の水が落ち、地面が五メートル隆起した
と思うと、強烈な風が巻き起こって空間が一瞬闇に包まれ、学校外
にいた馬が暴走して女が悲鳴を上げ、何かが盛大に転倒し、臆病者
のヒーホー鳥が驚愕でヒーホーヒーホーと呼吸困難に陥り、テスト
会場の天幕が横倒しになって暗幕が破れた。
最後にグラウンドから十メートルほどの綺麗な放物線を描いて温
泉が湧き出した。
俺とハゲ先生とマダムボリスは、爆発コントのオチみたいに、髪
の毛が逆立って顔が真っ黒になり、服がところどころやぶけた。
133
会場中が吸い寄せられるようにこちらへ視線を投げる。
これは⋮⋮あかん。
﹁エリィ君﹂
﹁は、はい﹂
﹁適性テストとハゲ先生と言った件で話があります。あとで職員室
に来なさい﹂
ハルシューゲ先生が額の黒ずみを白衣でぬぐって、そう言った。
○
職員室でハルシューゲ先生にこってりと怒られ、いかにして自分
が毛根を守ってきたのかの戦歴を聞かされる。頭皮への水魔法、毛
根への光治癒魔法、保温はどうかと暖房魔道具の使用、毛むくじゃ
らな魔物の生き血を頭にぶっかける、などなど。現在、顔の横に残
っている毛を維持する消耗戦が繰り広げられている、とのことで、
毛根活性剤があればすぐにでも買うそうだ。
原因不明の爆発事件に、校長までやってきて校長室に連行された。
校長は男のエルフだった。細い銀髪にとんがった耳、怜悧な目、均
衡の取れた顔をしている。
﹁エリィ君、もう一度適性テストを行います﹂
エルフ校長はそう言うと、重厚なテーブルに置かれた魔法陣と六
134
個の水晶を杖で指した。
﹁校長!?﹂
ハルシューゲ先生がテカテカの額から冷や汗を流す。
﹁魔法陣の一部が消えて誤作動したのでしょう。さあエリィ君﹂
俺は校長とハルシューゲ先生、マダムボリスがじっと見る中、魔
法陣に手を置いた。
今度は手加減して魔力を流す。
すると水晶玉のひとつが綺麗に光った。
魔力注入をやめると、ピカッ、と激しく光ってすぐに消えた。
俺はハルシューゲ先生の額をチラッと見、すぐ視線を水晶に戻し
た。
水晶は元の無色透明に戻っている。
安堵のため息を漏らすと、エルフ校長が意味深に目を細め、俺を
見てから口を開いた。
﹁ふむ、よろしい。エリィ君はライトレイズクラスだ。いいねハル
シューゲ先生﹂
﹁校長、先ほどのテストはやはり魔法陣の故障でよろしいのですね
?﹂
﹁全魔法に適性がある、そんな人間はどこにもいませんよ﹂
校長は思慮深く微笑むと杖を取り出して、指揮者がタクトを振る
ように、優雅に一振りした。
135
俺の太い体が黄色く光ると、綺麗に制服と髪型が元通りになった。
ハルシューゲ先生とマダムボリスも元通りになる。校長の魔法で
衣服が修復されている最中、光り輝くハゲ先生の額を全員が見てい
たのは気のせいだ、ということにしておいた。
○
ハルシューゲ先生と教室に入ると、クラスメイトが一斉にこちら
を見た。好奇の目を気にせず、俺は先生の指定した教卓の真ん前の
席へ座る。
俺は表情を消し、怒りを胸に秘め、座る直前にざっと教室を見回
した。
どいつだ!
どいつがリッキー家のボブだ!
うちのエリィ泣かしといてタダですむと思うなよアァ゛?!
教室は半円の段々になって、後の席に行くほど高く、教卓を見下
ろす形になる。
その教室の奥、一番後ろの席に座っていた、くすんだ茶色の髪を
モヒカンカットにした男子生徒が、俺をバカにしたような目で見て
いた。たぶんあいつだな。
﹁三年ライトレイズ担当のハルシューゲだ。といっても一人もクラ
ス変更になった生徒はいないようだな。ではせっかくなので新学期
ということで一人ずつ挨拶をしていこう﹂
136
簡単なクラスメイトの自己紹介がはじまった。
これは非常にありがたい。とりあえず顔と名前ぐらいは一致する
ようにしておこう。
すでに三年目、同じクラスメイト、ということで随分砕けた挨拶
が多かった。途中でお調子者の挨拶で笑いが起こったりする。
いやぁまさかまた学生になるとはな。青春だな。早く日本に帰り
たい気持ちは大きいものの、このファンタジーを堪能してからでも
いいんじゃないかと思えてくる。俺は信じてるぜ、守護の魔法があ
ることを、浮遊の魔法があることを、武器無効化の魔法があること
を、そして丸めがねで額に稲妻の傷跡がある生徒が箒で飛び回って
いることを!
一番後ろのモヒカン男子生徒が立ち上がった。
﹁ボブ・リッキーだ。このあいだ﹁火﹂を習得してトライアングル
になった﹂
偉そうにボブはのけぞると、クラスの半分ぐらいが﹁おお﹂と歓
声を上げた。よく見れば、濃いまゆげにくっきりした目、口元には
余裕の笑みをこぼし、クラスに一人はいる悪い系男子生徒そのもの
だった。まあ悪くない顔だ。女子が何名か、きゃあきゃあ言ってい
る。それに気をよくしたのか、ボブはさらに、にやっと笑った。
﹁今年は上位魔法を習得することが目標だ。よろしく﹂
かっこつけて座ると、女子がまたきゃぴきゃぴやり出した。
いや、全然かっこよくねえよ?
137
俺が半ば呆れたように見ていると、ボブは視線に気づいたのか
﹁見るんじゃねえよデブの分際で﹂と平然と言った。
くそ⋮。
許さねえよ。
エリィをデブって言っていいのはな、エリィと俺だけなんだよ。
つーか俺だけなんだよ。
視線を教卓へと戻すと、きゃあきゃあ言っていた女子が俺を見て
﹁ほんとブス﹂﹁ボブ様みてんじゃねえよ﹂﹁きもい﹂など呟いて
やがる。
取り巻き女子の中心人物は日記にも出てきた、サークレット家の
スカーレットという女子生徒だった。やけに目立つ黄色に近い金色
の髪を、耳元で縦巻きにしている。いかにも金持ちでわがままで気
位が高そうな、生意気な顔をしていた。
つんと顎を上げて偉そうに挨拶をする。
﹁わたくしは皆さんのお役に立てるようがんばりますわ﹂
サンダーボルト
などほざいてやがる。
今すぐにでも落雷をぶっ放して縦ロールを横ロールにしてやりた
いところだったが、まだどれほどの実害があるのか検証が済んでい
ない。プラスして、どのくらいエリィをいじめていたかで制裁のレ
ベルを決めてやろう。
ボブはもうまったなしだな。
陰湿ないじめを繰り返し、エリィのような弱者を弄んで悦び、孤
138
児院を壊滅させた原因の一端に担っている。あの感じじゃ、どうせ
性根も腐っているだろう。
孤児院の子ども達の行方は気になるところだが、情報もない、金
もない、力もない、こんな状態で捜索に行けるとは到底思えない。
ひとまずはこの世界のルールやら状況を知って準備が整ってから、
行動を開始しようと思っている。
ボブには苦い経験をさせてやろう。
精神的に、肉体的に、社会的に、経済的に、徹底的に制裁を加え
てやるとするか。
いや、懐かしいね。うちの後輩に取り入って誤情報を流し、会社
の利益と信用、情報を根こそぎ持って行き、挙げ句の果てに純朴な
あいつを手玉にとって、ゴミのように捨てた女。
あれは大変だった。でもやりがいのある制裁だった。俺と俺の大
事な人間に手を出したらどうなるかわかってなかったな。
まず興信所に女の素行調査を依頼、行動パターンを把握し、好青
年を装って俺自ら親しくなる。うちの強みである財閥関連会社のコ
ネをフルに使い、女の会社の業績、戦略、戦術、指揮系統、体質な
ど弱点を徹底分析。俺は女と恋人関係になり、女の担当していた資
料をこっそりと改ざんし、失敗を繰り返させ、さらに裏では社内営
業を行い女の会社を吸収合併させる。コネで合併会社に口添えし、
女の築いた地位を剥奪して給与を下げ、プライベートで俺に泣きつ
くあいつをボロ雑巾のように捨ててやった。最後に後輩の名前を出
したら、目を見開いていたな。バカは死んでも治らない、という言
葉を残した先人は本当に人間の本質を分かってらっしゃる。
女が自分のやったことに苦悩しているなら許してやるつもりだっ
139
たが、あいつは手柄話のように、後輩を罵って自身の能力を誇って
いた。情状酌量の余地なし、と俺は判断した。
俺は別に他人を痛めつけることに快楽を求めたりしないし、楽し
くもない。ただやられっぱなしは許せない質だ。敵意を持ち、尚且
つ心底許せない奴はすり潰す。ある意味、性格が悪い、いい性格し
てる、と言える。多分、というか十中八九、他人に報復の件を話し
たら引かれると思うので、誰にも話していない。他の連中には、俺
が頑張って営業成績を稼いでいたように見えていただろう。
やるなら徹底的にやれ、やらないなら意地でもやるな、決めたこ
とは貫き通す。
情に厚く、敵には容赦しない。
俺が一流と言われている財閥系企業に就職し、数々の欲望や失敗
を目の当たりにしながら自分の中に芽生えさせた、自分自身の掟の
ようなもの。
エリィの涙を思い出し、ボブのふざけた面を見ていると﹃敵には
容赦しない﹄という思いが胸の内側を貫いて、のどから怒りが湧き
上がる。
とは言っても今は何もできない。気持ちの整理を瞬時にして、俺
はそんなことを考えている、なんておくびにも出さずに、すまし顔
でハルシューゲ先生の言葉を聞いていた。
︱︱リーンリーンリーン
甲高い鈴の音のような、授業終了のチャイムが鳴り響いた。
140
生徒達は鞄を持って帰路へとつこうとしている。どうやら今日は
簡単なホームルームだけで終了のようだ。
﹁おいデブ﹂
俺が鞄を取って教室を出ようとすると、剣呑な声色で呼び止めら
れた。
無視して出て行こうとすると肩をつかまれた。
振り返るとボブ・リッキーがにやついた表情で俺を見下ろしてい
た。後ろには取り巻きが三人いる。そばかす、デブ、真四角メガネ
の粋がった男子生徒だ。わざと制服をだらしなく着ている姿は、ガ
キだな、と笑いが漏れそうになる。
﹁聞いてんのかよ﹂
思わず﹁ハァ?﹂とメンチを切りそうになるが、黙ってボブを見
た。
﹁明日からお前学校に来んなよ。ブスデブが同じ空間にいると気分
が悪くなるんだよ﹂
とりまきの三人組が﹁ぎゃははは﹂と笑う。おいデブ! てめえ
もデブだろうが!
﹁あなたが来なければいいでしょう﹂
﹁ハァッ!? デブの分際で何言ってんだ?﹂
﹁だから、あなたが来なければいいじゃない﹂
﹁んん? きこえねえなぁ。人語で話してくれよ﹂
141
また三人組が﹁ぎゃはははは﹂と笑う。
これは相手にしてらねえ、と思いさっさと教室を出て行こうとす
る。
ボブと三人組は無視されたのが気にくわなかったのか、さらに何
か言おうと詰め寄ってきた。そこで気の抜けた可愛らしい声が俺を
呼んだ。
﹁エリィ∼いる∼?﹂
ひょこっと教室に顔を出したのは愛するエイミー姉様だった。
﹁あ、姉様!﹂
すぐに重たい体でエイミーに駆け寄る。
ちらっとボブ達を見ると、惚けて、顔を赤くしながらバツが悪そ
うに目を背けた。ボブだけはすぐに目線を戻し、エイミーを食い入
るように見つめはじめた。
はっはあん。エイミーのこと好きらしいな。
だが残念。お前には高嶺の花だよ。
﹁あらお友達?﹂
何も知らずにエイミーは首をかしげる。細い金髪がさらりと肩か
ら落ちる。つい俺も見惚れてしまう。
﹁ただのクラスメイト﹂
﹁そうなの? これから用事はない? ないなら一緒に帰りましょ﹂
142
エイミーは軽く会釈をする。ボブ達もあわてて首を下げる。
﹁行きましょ、姉様﹂
俺は一瞥もせずにエイミーの手を取ってさっさと教室を後にした。
いじめを察してかどうなのかは分からないが、エイミーが歩きな
がら心配そうにこちらを覗き込んでくる。俺はとぼけて﹁どうした
の﹂と聞いてみる。すると彼女は﹁ううん。なんでもないの﹂と、
はにかんだ。くそ、可愛いな! 俺、妹だけどエイミー可愛いッ!
校門には馬車で帰る生徒もいるようで、グレイフナー魔法学校の
入り口周辺は帰宅ラッシュでごったがえしている。そんな光景を見
て、俺は一つ重大な疑問を持った。まさかとは思うが、ファンタジ
ーな世界のくせして、魔法が使える異世界のくせして、アレ、が存
在しない、なんてことないよな。本当に、まさか、とは思う。俺は
おずおずとエイミーに尋ねた。
﹁あのーエイミー姉様。ひとつ質問があるんだけど⋮﹂
﹁なあに?﹂
﹁みんな歩いて帰る、んだよね?﹂
﹁そうねえ。全員が馬車だと大通りの邪魔になるからね﹂
﹁じゃあ、どうしてみんな空を飛んで帰らないの? ほら⋮⋮箒に
またがったりして﹂
﹁え??﹂
﹁あ、あれ?﹂
﹁箒に?﹂
﹁そうそう。箒にまたがって、ふわーっと飛んでいったりしないの
かなって⋮﹂
143
﹁エリィ、大丈夫?﹂
エイミーは俺のおでこに手をあてた。
﹁熱は⋮⋮ないみたいね﹂
その反応に俺はショックを隠しきれなかった。
空が飛べない! 箒もない! なんてことだ! ジィィザスッ!
﹁どうしたの急に両手を空に広げて⋮﹂
﹁姉様、魔法で空は飛べないの?﹂
﹁私には無理だよ∼﹂
笑いながら顔の前で右手をちょいちょいっと横に振って否定する
エイミー可愛いッ。って言ってる場合じゃねえ。
﹁飛べる人はいるみたいだけどすんごい難しいんだよねあの魔法﹂
レビテーション
﹁どのくらい難しいの?﹂
﹁ええっとね、浮遊っていう魔法で﹁風﹂の上位である﹁空﹂魔法
よ。ふわふわ浮くの﹂
﹁じゃあびゅーんって飛んだりは⋮?﹂
﹁できないよ﹂
エイミーはあっさりと否定した。
﹁がーん﹂
﹁⋮⋮エリィ。がーんって何?﹂
﹁ショックだったときの音﹂
﹁ぷっ﹂
144
あははっ、と可愛らしくエイミーは笑う。
﹁それ面白い! 確かにショックだったとき、がーん、って感じに
なっちゃうかも!﹂
﹁そうでしょ﹂
﹁エリィやっぱり変わったね。前よりずっと明るくなったよ﹂
﹁前はそんなに暗かった?﹂
俺は両手で自分の顔を挟み込んだ。
﹁がーん﹂
﹁ぷっ﹂
またエイミーが黄色い声を上げて笑う。自然な笑顔が実に健康的
で可愛らしい。
俺たちがきゃいきゃいしていると校門に軽い人だかりができてお
り、﹁エイミー様が笑っている﹂﹁お姉さまが微笑んでいる﹂﹁カ
ワイイッッ﹂﹁癒される∼﹂と口ぐちに言いながら食い入るように
こっちを見ている。なんか追っかけアイドルの出待ちみたいだな。
﹁あら皆さん。さようならー﹂
にこやかに手を振るエイミーに、全員顔面を赤くし、溶けかけた
ゼリーのように頬を緩ませて手を振り返す。
あれは、重症だ⋮。
﹁姉様すごい人気だね﹂
﹁みんな私のことからかってるだけ﹂
145
エイミーはぷくっと頬を膨らませる。見た目が美女とのギャップ
がたまらん。
﹁違うと思うよ?﹂
﹁そんなに私ってからかいがいがあるかなぁ。エリィひどいんだよ、
我、好きな食べ物、アップルパイ
って言うから私何度も詠唱
サツキちゃんも私のことからかうの。今日だって新しい魔法の呪文
が
しちゃったんだよ。クラスのみんながくすくす笑っておかしいな、
何か変かなーって思ってたら、その呪文まちがってるよって。もー
恥ずかしかったんだから﹂
とりあえずエイミーが相当な天然だということは分かった。ぷり
ぷり怒っている様は可愛さを波動のようにまき散らすだけで、友人
のサツキちゃんとやらはエイミーのこれが見たいだけなんだろう、
ということが手に取るようにわかった。サツキちゃんとはいい友達
になれそうだ。
﹁エリィ、あれクラリスじゃない?﹂
砂埃を上げて猛ダッシュしてくるオバハンメイドは間違いなくク
ラリスだった。世界陸上顔負けの見事な走りっぷり。彼女は俺とエ
イミーの前で急停止すると、恭しく一礼して、もう我慢できないと
ばかりに聞いてきた。
﹁エリィお嬢様! 適性テストはどうでございましたか?﹂
﹁⋮クラリス、まさかそれだけのために走ってきたの?﹂
﹁お嬢様! どうだったのでございますか?!﹂
﹁話聞いてる?﹂
﹁聞いていますとも! で、で、どうでした?﹂
146
﹁⋮⋮⋮光、だけど﹂
﹁おおおおお!﹂
ありがたや、と言わんばかりの勢いでクラリスは胸の前で手を組
み、祈りを捧げる。
﹁やはりお嬢様は天才でございますね! あの大冒険者ユキムラ・
セキノと同じ適性!﹂
﹁一年生から光でしょうに﹂
﹁いえいえ専属メイドとしては初テスト! これが興奮せずにはい
られますかッ﹂
あっ、とエイミーが声にならない声を上げて、俺の顔を急にぺた
ぺたと触りだした。
﹁姉様、なに?﹂
﹁エリィの魔法陣大爆発したんでしょ?!﹂
﹁ああ⋮⋮それなら何ともないよ﹂
﹁お嬢様! いまなんとおっしゃいました!?﹂
﹁顔が近いわクラリス﹂
マッハで飛ぶ戦闘機が急旋回するようにクラリスが顔を近づける。
クラリスを静かにどかして、エイミーは俺から離れた。
﹁エリィの適性テストで魔法陣が大爆発したのよ。すごかったんだ
からー。眩しいぐらい光ったあと爆発して風が吹いて水が飛び出て
暗くなって地面がもりもりもりーってせり上がったのよ!﹂
エイミーが息継ぎなして言いきると、クラリスが全身を震えさせ
て膝をついた。
147
﹁大冒険者⋮⋮逸話と同じでございます⋮﹂
﹁ああっ! そういえば⋮﹂
﹁そうですエイミーお嬢様。大冒険者の適性テストもすべての魔法
が放出されたと、とある伝記に記されております⋮⋮。ああっ! やはりお嬢様は、天才!!﹂
﹁すごいすごい! エリィすごい!﹂
あれは単なる事故だったんだよね、と手を取り合って飛び跳ねる
二人には申し訳なくて真実を言えない。これは黙ってイエスともノ
ーとも言わないでおこう。しばらく夢を見せてあげるってのも男の
役割というもんだ。
ひとしきり二人は盛り上がると、ゴールデン家の馬車がこっちに
向かってくるのが見えた。
御者をしているのはクラリスの旦那バリーであった。
道が混んでいるのが余程イラつくのか、トロい馬車に﹁てめえの
持ってるのは鞭だろうがぁ? 鞭は何のためにある? ああん?﹂
とひたすらメンチを切っている。
怖いからやめてあげて。
ヤのつく怖い職業の人に見えるから。
ほらお隣さんの乗客がバリーの頬の傷と狂犬のような表情を見て、
顔を引き攣らせてるから。
彼はこちらに気づくと、馬の手綱を放り投げて猛ダッシュしてき
た。
﹁で、で、お嬢様、適性テストの結果は?!﹂
148
﹁近い。近いわバリー﹂
﹁申し訳ございませんつい。それで結果は?﹂
﹁⋮⋮闇よ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮へっ?﹂
﹁だから闇よ﹂
バリーは、あと五分でこの世の終わりです、と言われたかのよう
な苦渋に歪む顔で地面に片膝をついて慟哭した。
﹁ま、まさか⋮⋮我らのエリィお嬢様が闇!?﹂
ずん、と地面に拳をめり込ませる。
﹁清廉潔白で才色兼備なエリィお嬢様が やみぃッ!?!?﹂
バリーは両手でうおおおお、と叫びながら地面を叩きまくった。
﹁偽り神ワシャシールめぇ! お嬢様の光を返せええええ!!﹂
地面が徐々に陥没していく。
﹁お嬢様! 再試験を! 再試験を具申致しますッ!!﹂
今にもグレイフナー魔法学校へ突撃しそうだったので、バリーの
肩に手を置いた。そろそろ止めないと周りの目が痛い。へこんだ地
面も痛い。
﹁⋮⋮嘘よ﹂
﹁ふぁっ!?﹂
﹁冗談よ﹂
149
﹁⋮⋮⋮お嬢様!?﹂
﹁あんたバカね。我らがエリィお嬢様が闇魔法適性のはずないでし
ょ!﹂
クラリスはバリーの肩をばしんと叩いた。
﹁うおおおお、お嬢様。よかった、よかった、光でよかった⋮﹂
なぜか男泣きするバリーに﹁もう二度と中途半端な冗談は言わな
いわ﹂と謝罪する。
驚いて、わたわたしているエイミーに癒されながら、クラリス、
バリーと馬車へ戻る。
クラリスが迎えに来たのは他にも用事がある為のようだ。
﹁お嬢様、ミラーズの店主が本日どうしても会いたいとのことです
のでお迎えに上がりました。ご予定はよろしいですか?﹂
﹁ええ、かまわないわ。姉様も一緒にいく?﹂
﹁どこにいくの?﹂
﹁服屋よ﹂
﹁いくっ!﹂
ようやく穏やかな顔に戻ったバリーの運転する馬車は、グレイフ
ナー大通りへと向かった。
かぽかぽ、と蹄を鳴らして馬車は進む。
何の用があるのか大体の見当をつけ、ゆっくり流れる窓外の景色
をエイミーと二人で眺める。美人で天然の姉が近くにいる、という
現実も捉えようによっては悪くないな、と俺は思った。
150
第4話 学校とイケメンエリート︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重106㎏︵−1kg︶
﹃かんたん魔法早見表﹄
炎
白 | 木
\ 火 /
光 土
○
風 闇
/ 水 \
空 | 黒
氷
下位魔法﹁光﹂﹁闇﹂﹁火﹂﹁水﹂﹁風﹂﹁土﹂
下級↓初歩
中級↓ふつう
上級↓けっこーすごい
上位魔法﹁白﹂﹁黒﹂﹁炎﹂﹁氷﹂﹁空﹂﹁木﹂
下級↓かなりすごい
中級↓やべえ
上級↓できたら天才
超級↓崇められるレベル
上位複合魔法
下級・中級・上級・超級複合↓神クラス
151
第5話 服飾とイケメンエリート
ミラーズの店主ミサは爽やかな営業スマイルで出迎えてくれた。
茶色のボブカットがふわりと動いて、腹の前で合わせている両手が
なんとも美しい。ただ、どことなくスマイルには陰があるように見
えた。そう、営業職にしかわからない、悪い売上げが頭にこびりつ
いて離れない、という焦燥が垣間見える。
﹁店内で長話も何ですから、奥の応接室へどうぞ﹂
﹁お嬢様よろしいですか?﹂
﹁いいわよ。バリーには少し遅くなると伝えてちょうだい﹂
﹁かしこまりました﹂
クラリスは御者をしているバリーのもとへ行くと、すぐに戻って
きた。
﹁エリィ、これなんてどう?﹂
店内をうろうろしていたエイミーが、心底嬉しそうに洋服を広げ
た。
新作、と値札に書かれている。
言われてみれば、茶色のやぼったい皮のドレスが細身に合うシル
エットで作られていて、大きい丸襟になっている。首もとや背中を
すべて覆うような従来の防御力重視のデザインではない。これはデ
ザイナーのセンスが光るな。
﹁姉様はなんでも似合うと思う﹂
152
﹁もうちゃんと考えてよエリィ﹂
ちょっぴりふてくされて眉を寄せるエイミーが可愛い。
﹁後ほどご試着されてはいかがですか?﹂
店主のミサが笑顔でエイミーから皮のドレスを受け取り微笑んだ。
﹁ええ、そうします!﹂
﹁ではこちらへどうぞ﹂
俺とエイミーとクラリスは店の奥へと通された。中は採寸途中の
洋服や、デザイン用の厚紙、定規やはさみなどが作業台に散乱して
いる。さらに奥には応接室があり、簡単な話し合いや取引に使用す
るであろうソファと机があった。机は入り口と同じ白亜の木製であ
った。
﹁あの服のデザイナーはミサさん?﹂
﹁いえ、あれは私の弟が作った物です。まだまだ半人前ですが才能
はあると思います﹂
座ると、エリィと同い年ぐらいの青年が、紅茶を持ってきた。
なかなかの美青年だ。頭の部分が大きいハンチング帽をかぶって、
紺色のシャツとグレーのズボンを履いている。形はいまいちだがオ
シャレに見えないこともない。ちらっと目が合い会釈をする。
﹁弟のジョーです﹂
ジョーはハンチングを大ざっぱな手つきで取って無愛想に挨拶を
153
した。栗毛が帽子から飛び出して彼の額を隠す。好奇心が強いのか
俺たちをよく観察していた。
﹁愛想がなくて申し訳ありません﹂
﹁ええ、それは構いません。それよりあの新作はどういった意図で
デザインをしたの?﹂
﹁ほらジョー、黙ってないで答えなさい﹂
めんどくさそうにハンチングをかぶり直し、ジョーは両手を広げ
た。
﹁最近の服は全部でかい。だから細いラインの服がいいと思ったん
だ。それだけだよ﹂
﹁人気が出るかしらね?﹂
﹁いいって感じる人がいると思う﹂
﹁どの年齢層に向けて作ったの?﹂
﹁若い女性向けだよ﹂
このジョーという青年は今の流行がどこかおかしい、と勘付いて
いる。
どう考えたってバリエーションが少なすぎる。チェック柄もスト
ライプ柄もドット柄もないなんて、普通に売れる服を考えていたら
必ず出てくるデザインだろうよ。地球の百年前のファッションでも
存在するよ? おかしいよまじで?
異世界のファッションにかなり期待してたんだよな。
なんかこう、ぶっとんだデザインとか、胸だけを隠すきわどい鎧
とか、色々と妄想してた。
154
﹁で、話は終わり? 仕事があるからもういいかな﹂
﹁ジョー! 世間知らずで誠に申し訳ありませんお嬢様﹂
﹁ううん、かまわないわ。仕事中に呼び止めてしまってごめんなさ
いね﹂
ジョーは俺をちらっとみると、不愉快そうに眉をひそめて首だけ
で会釈して部屋を出て行こうとした。
分かるよ。仕事中に余計な話されるとほんと迷惑だよな。それも
集中してる仕事ならなおさらだ。うん、しょうがないしょうがない。
だが去り際に聞こえてきた言葉に、俺は一瞬思考が停止した。
小声で﹁すげえデブ﹂と言ったのが聞こえたのだ。
ジョーはドアの前で一礼して出て行こうとする。
おいこらくそガキ。
調子に乗ってんじゃねえぞ。
初対面でデブなどふざけているにもほどあがる。しかもこちらは
客。ちょっといいデザインができるのか何だかしらねえが営業がま
るでなってない。
俺は無言で立ち上がった。
皆が何事かと俺を見上げてくる。
﹁待ちなさいあなた﹂
俺の声にびくっとしたジョーはこちらを向いた。
155
﹁客に向かってデブとはよく言ったものね﹂
﹁い⋮⋮いや、俺はそんなこと⋮﹂
﹁聞こえていたわよ﹂
﹁ええっと⋮⋮﹂
﹁正直に言ったらどうなの﹂
﹁いや⋮⋮⋮﹂
やっちまった、という顔をしている。
﹁本当のことを言うなら許す機会をあげるわ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁男らしく言ったらどうなのよ!!?﹂
﹁あの、ごめん!﹂
おぼんを下げて青年は謝った。
﹁ジョー! あなた何てことしてくれるのッ!!﹂
ミサは顔を真っ赤にして飛び掛からん勢いで怒鳴りつけた。
﹁だ、だってさ、あまりにも⋮﹂
﹁もう向こうに行ってなさい!﹂
﹁いいんですよミサさん﹂
俺は立ち上がって、うなだれる彼に向き合った。
﹁ジョー。こっちを見なさい﹂
顔を上げた瞬間に、俺は彼の頬をかなり強く張った。
156
ばちん、という音が響く。
全員言葉を失った。
一見すると虫も殺せないような少女が怒って強烈なビンタをした
のだ。無理もない。
﹁年頃の女にそういうこと言うのは冗談でもやめて。すごく傷つく
から﹂
﹁⋮⋮悪かったよ﹂
﹁デブって本人に伝えてどうするの?﹂
﹁どうするって言われても﹂
﹁言って誰かが得するの?﹂
﹁いや⋮⋮しないよ⋮﹂
﹁身体のことは本人が一番気にしてることなんだから言うべきじゃ
ないわよ。たとえどんなに気になったとしてもね。あなたはそれを
思ってしまったとしても、胸にしまっておくべきなの。わかる? そんなことすらできないの?﹂
﹁で、できるよ!﹂
﹁じゃあこれからはそうして﹂
俺は言いたいことを言ってさっさと椅子に座った。
クラリスは神妙にうなずき、店主ミサは何度も頭を下げる。
エイミーは驚いて口をあんぐり開けている。
ジョーは俯いたまま部屋を出て行った。
やりすぎたか、と思ったがあれぐらいやっとかないと気がすまな
い。エリィはデブでブスでニキビ面ではあるが心優しきレディだ。
エリィをデブと言っていいのは俺とエリィだけだ。
それに、相手の失策から優位に立つのは営業方法として悪くない。
157
優位性が霧散しないうちに、俺は切り出した。
﹁お話というのは?﹂
店主ミサはどうやら気を取り直すためか、ボブカットを二、三度
かき上げた。
﹁エリィお嬢様が先日お話ししていたスカートのフリルの件です﹂
﹁別にあなたの店の物が悪いと言っているわけじゃないわよ﹂
﹁それはわかっています。ただ、どの辺がおかしいのか教えてくだ
さい﹂
﹁ええっと、どの辺というと?﹂
俺はわざと分からないふりをした。
﹁お嬢様がもっとスカートの生地を薄くした方がいいと。それはな
ぜです?﹂
﹁だってやぼったいじゃない﹂
﹁ですがあの形が現在の流行ですよ﹂
﹁流行、流行ねえ⋮⋮﹂
逡巡し、言葉を選んでいく。
﹁ミサさんはどうしてこの店をやろうと思ったの? 若いのにこん
な素敵なお店の店主さんになるのは大変だったでしょう﹂
話を逸らし、俺はにっこり笑った。ミサは弟の失敗があり、あく
までも教えを乞う側なので俺の世間話にもすんなり付き合ってくれ
た。
158
﹁昔からの夢だったのです﹂
﹁そういえば⋮⋮ここは以前肉屋でした、お嬢様﹂
クラリスが静かに合いの手を入れる。
﹁そうです、父が代々肉屋をやっていました。十年前メインストリ
ートに大きな肉屋とステーキ屋が併設してできたことで徐々に客足
が遠のいていき、売り上げと経営維持のストレスで父が病気になり
ました﹂
それから家族総出で店の立て直しを計ったが、結局、素人同然の
母やミサだけではうまくいかず、借金をする前に肉屋を閉めること
にしたらしい。その跡地をどうするかと言う話になったところで、
有名貴族の侍女をしていたミサが貯めていたお金を使って、個人服
飾店を作ったそうだ。母親にはかなり反対されたが、絵師を目指し
ていた弟のジョーの説得もあり、押し切って開業、なんとか一年間
店を潰さずにやってここまできた。
だが、経営は苦しい。経営で貯金を崩すほどではないにしろ、ぎ
りぎり黒字というありさまで、結局は生活費で貯金がなくなってい
くという状況だ。新しい服を開発しようにも資金がない。借りるに
しても、この店と土地を担保にする必要があるそうで、失うことを
考えると怖くてできない。ジョーが出稼ぎに行って貯めた金でちょ
こちょこ新作を出す程度。八方塞がりってやつだ。まあ、俺からす
れば全然塞がってないけどな。
涙もろいクラリスはハンカチで涙を拭いている。
ここまでの話を聞くために、俺は様々な営業技術を使っていた。
159
俺の営業スタイルはシンプルで﹃聞くのが上手い﹄それに集約し
ている。
﹃聞くのが上手い﹄この技術でトップ営業にのし上がった。
どんな業界の営業でも基本はこの三つ。
挨拶する
聞く
提案する
営業はこの三つが長い会話の中で常に入り交じって完成するもの
だ。同僚に話しても、もっと魔法のような売れる言葉を教えてくれ、
と言われるが、はっきり言ってそんなものはない。話を聞いて、何
が欲しいのか聞き出し、相手に見合った自社の商品やサービスを提
案していく。話に具体性があるとさらに理解してもらいやすい。
九割方の営業マンは聞くのが上手くない。下手ではないんだが、
相手との距離感だったり、会話のテンポを考えていない。考えなさ
すぎる、といってもいい。何が欲しいのか分からないうちに商品の
提案をしたって、響かないのは当然だろう。一方的に押しつけられ
るようで、まったく納得できない。
あとは質問攻めになるパターンもよく見る。論外だ。
今回は単純に多く相づちして、大きなリアクションを取り、話し
やすいように自分の悲しい話を間に挟んであげた。話しすぎないよ
うに短めに伝えるのがコツだ。こっちの話を聞きたがったら少し話
せばいい。俺がいじめで肩身が狭い、でも頑張ってるよ、という話
題で随分警戒心を解いてくれたようだ。主導権はこちらにあるので
至極簡単だな。
160
親身になって話を聞いてくれる人に、誰でも自分のことを話した
くなるものだ。
俺は嘘をつかないようにしている。嘘くさい相づちや合いの手も
しない。常に真剣に、誠実に相手の話を聞こうとしている。できて
いなくても、やろうとする。これを心に決めて実行しはじめてから
めきめき営業成績が伸びて、給料が気づいたら三倍ぐらいになって
いた。それに加えて商品知識や業界の流れ、業界で起きた昔の出来
事、話題にことかかないよう勉強をしていた。
何だか遠い過去に感じる。
⋮⋮あのプレゼン、どうなったかな。
﹁経営挽回のアイデアが、先日のお嬢様の言葉に隠されているので
はないかと思ったのです!﹂
語り尽くしたのか、クラリスに続いて店主ミサまで泣き出した。
現状が相当きついんだろう。
藁にもすがる思いだな。
﹁最初の話に戻るけど、ミサさんはどうしてこの店をはじめたの?﹂
﹁え? ですからこの店がなくならないように⋮﹂
﹁違うわよ。夢だったんでしょ、服屋を開業することが﹂
﹁あっ⋮﹂
ミサは顔を上げて、驚いたような顔をした。
﹁それは忘れちゃいけないんじゃない?﹂
161
俺は彼女が何を欲しいのか﹃聞き出す﹄ことに成功した。欲しい
物が分かれば、こちらの持っているカードを上手く見せていくだけ
だ。
彼女は目を伏せて黙り込み、やがてくすくすと笑い出した。
﹁私、そんなことも忘れちゃってたみたいですね﹂
﹁いいじゃない。いま思い出したんだから﹂
﹁そうですね!﹂
﹁エリィが立派になってる⋮⋮わたし感動した⋮﹂
﹁お嬢様! 素晴らしきお考えでございます!﹂
﹁おどうだば! おどうだば!﹂
いつの間にか部屋に来ていたバリーが号泣している。
入ってきたの全然気づかなかったよおっさん!
﹁それでさっきの話なんだけど、オーダーメイドで私の服と、エイ
ミー姉様の服を作ってくれないかしら。仕上がりを見れば、良いか
か悪いか、流行るかそうでないか、分かるでしょう﹂
﹁はい! ありがとうございます!﹂
よしよしうまくいったぞ。これを最初からオーダーメイドで新作
を作ってくれ、と言っても作成はしてくれなかっただろう。デザイ
ナーは個人で独特のこだわりがあるし、素人のデザインなんかを受
け付けてくれるとは思えない。
最後のダメ押しといこう。
﹁この店が流行の発信地になったら⋮⋮すごいと思わない?﹂
162
俺は目を輝かせて身を乗り出した。
店主ミサは電撃に打たれたようにハッとした表情になり、やる気
に満ちあふれた目をこちらに向けた。
﹁それは、すごいですね⋮。そんなこと考えたこともなかった。い
え、昔はもっと考えていたのよ! そうだったじゃない。色んな服
を作りたいって考えていた!﹂
まあミサに才能があるかは賭けだな。
それから俺たちは作業場へ行き、細かいデザインの指示を出した。
できるできないは関係なく、とにかくアイデアを出していく。あと
の采配はミサに任せればいい。正直、デザインの細かい所まではわ
からない。だが日本のファッション雑誌を読み漁り、最先端の服を
着る人間に囲まれてきたのだ、自分のセンスには絶対の自信がある。
このダサい国をまともにするのは急務だ。見ていてげんなりする。
まあ見た目がデブの少女にどこまでできるかはわからないが、面白
いし、やりたい放題やってやろう。
ミニスカートがばんばん見れるようにするぞ!
ホットパンツがどんどん流行るようにするぞ!
えいえいおーッ!
﹁エリィ、えいえいおーってどういう意味?﹂
いかん口に出てた。興奮しすぎた。
163
﹁よしやるぞ、っていう意味﹂
﹁えいえいおー?﹂
﹁違います姉様。えいっ、えいっ、おーッ!﹂
俺は拳を空中に突き出した。
エイミーも真似して拳を上げる。
﹁エリィは面白いね﹂
にこにこしている伝説級美女のエイミーにもいい服を着せたい。
今の服じゃ彼女の良さを一割も引き出していない。俺の横ですごい
すごいと連呼している優しい美女を、お洒落ガールにしてやろう。
ふふふ⋮。
俺の指示に従って紙にラフ画を描いていくジョーは、目を白黒さ
せていた。
この世界で見たことのないデザインを見て、狐につままれたよう
な気分なのだろう。
﹁あんた⋮⋮何者?﹂
﹁こらジョー!﹂
﹁あいたっ﹂
﹁あんたじゃないでしょうエリィお嬢様でしょう﹂
﹁ぐっ⋮⋮エリィ、お嬢様⋮﹂
﹁エリィでいいわよ。ジョー﹂
先ほどの失態は気にしてないと前面に出して俺は笑った。
相当ビンタが利いているのか、やけに従順だ。
﹁エリィ、これはどこで考えたんだ?﹂
164
ジョーはオーガンジースカートのラフ画を指さした。
丈は膝上で細かいプリーツが入った、透けるぐらい薄いふわっと
したスカートだ。柄はお上品なスミレ柄にしておいた。これを実現
できる縫製の技術があるかはわからない。
﹁あとこれ。縦線がいっぱい入ってる服。こんなのが似合う人いる
? 花瓶とか調度品でした見たことないんだけど﹂
﹁ストライプ柄ね﹂
﹁スト⋮⋮?﹂
﹁私が名付けたの。ストライプ﹂
これはエイミー用だ。膝上スカートは恥ずかしいから、膝下まで
あるロングワンピースで、防御力を完全に無視した綿生地で作る予
定だ。染色はミサが知り合いの職人に頼んでどうにかするらしい。
色は白地に紺のストライプなので、落ち着いた﹁お嬢﹂な雰囲気に
なるだろう。
﹁それになぜカーディガンを首で結ぶんだ? 邪魔じゃないか?﹂
﹁アクセントになるでしょ。遊び心よ﹂
日本で流行っている、肩にカーディガンを掛けて胸元で結ぶ、例
のアレだ。
薄手の生地で色は薄黄色。エイミーに似合うこと間違いなし。
﹁ねえエリィ。なんで靴はサンダルなの?﹂
エイミーがラフ画の足を指さした。
﹁サンダルは防御力が最低ランクですよ?﹂
165
クラリスが大きく首をかしげる。
どんだけ脳筋!?
﹁ねえ、防御力ってそんなに大事?﹂
﹁それはもう! 有事の際には防御力! そして攻撃魔法! 武の
国グレイフナー王国の伝統でございます!﹂
﹁クラリスが言う有事っていうのは年に何回あるのよ?﹂
﹁ええっとですね⋮⋮最近じゃ平和なので、数十年とんとありませ
んね﹂
﹁でしょう!?﹂
﹁ですがお嬢様! わたくしにはこのデザインの服が流行るとはと
ても思えないのですが⋮﹂
﹁やってみないとわからないわよ﹂
交渉の結果、服の原価のみでオーダーメイドをやってもらうこと
になったし、懐はそんなに痛くない。流行らなくても俺とエイミー
がいいならそれでいい。文化も思想も違うから確実に流行るとは言
えない。流行ったらめっちゃ面白いけどな!
まさにローリスクハイリターン。
﹁エリィは天才だから大丈夫よ! えいえいおーっ!﹂
エイミーはかけ声の使い方が微妙に違う。
﹁サンダルだと足下がすっきりして爽やかに見えるでしょ。それに
最近暑くなってきたし、過ごしやすいよ﹂
﹁言われてみればそうかも⋮﹂
166
﹁サンダルなんて家でしか履かないと思ってたわ﹂
ジョーは鉛筆を口にくわえて腕を組み、ミサはラフ画を広げて唸
った。
サンダルは足下が木製でかかとを少し底上げし、細い革ベルトを
使う。
﹁ねえエリィの服はこんなシンプルなのでいいの?﹂
﹁姉様、私デブだからワンピースしか似合わないよ﹂
﹁そんなことないと思うけど﹂
エイミーは本気で疑問、と思ったのか顔中にはてなマークを浮か
べている。
﹁そんなことあるの! 黒にしておけば引き締まって見えるから多
少ましになるわ﹂
﹁色にそんな効果が?﹂
ジョーが身を乗り出して聞いてくる。好奇心が先行してビンタの
件はもはや頭にないようだ。
﹁黒、紺、深い色は収縮して見える。ピンク、赤、パステルカラー
は膨張して見えるの。例えば今私が着ている制服は紺色でしょ? これを脱いで⋮﹂
ブレザーを脱いで、近くにあった薄ピンクの布を体に巻き付けた。
﹁どう?﹂
﹁確かに言われてみれば⋮﹂
167
今度は椅子に掛けてあった黒の膝掛けを巻き付ける。
﹁ほら﹂
﹁うん、そうかもしれねえ⋮⋮﹂
ジョーは心底驚いたのか、ハンチングを取って頭をがしがし掻い
ている。
﹁おやいけませんお嬢様。もうこんな時間でございます﹂
﹁バリー、いたのね﹂
部屋の隅っこにいたバリーが懐中時計を出している。
﹁いますぞお嬢様! 私はずっとお側におりましたぞ!﹂
﹁いけない∼! 早く帰りましょ! お母様に叱られる!﹂
エイミーがあわあわと慌て出したので、急いで帰り支度をした。
夕食が遅いと美容にも悪い。
これ以上ニキビが増えるのは困る。
乙女は大変だ。つれぇー。
﹁では試作品ができたら伝えてちょうだい﹂
そう言って俺たちは布やら裁縫道具が散らばる工房から出て、ミ
ラーズのドアを開けた。外にいたガタイのいいドアマンが剣をしょ
って頭を下げる。彼はエイミーの横顔をちらちらと見ていた。
﹁エリィ⋮⋮!﹂
168
ジョーが鉛筆を持ったまま走って追いかけてきた。
何事かと全員が注目する。
彼は思い詰めた表情をしたあと、くちびるを噛みしめて、俺の目
を睨むように見つめた。
﹁さっきは本当にごめん!﹂
猛烈な勢いで頭を下げた。心の底から反省しているようだ。
﹁他の女の子にはひどいこと言わないようにね﹂
俺は微笑ましくなってお小言を言った。
﹁わ、わかってるよ!﹂
ジョーはバツの悪そうな顔をしてから、何か言いにくそうに頭に
かぶったハンチングを取った。
﹁俺⋮⋮あんなすげえデザイン初めて見た。エリィはすげえよ!﹂
﹁ふふふ、そうでしょう﹂
中身はスーパーイケメンエリートだからな!
外見はデブだけど!
﹁次来るとき俺の考えたデザインを見てくれよ!﹂
﹁ええ、いいわよ﹂
馬車が動き出して帰路につく。
169
ジョーは路地を曲がるまでずっと馬車を見ていた。いい青年じゃ
ないか。
﹁仲直りしてよかった﹂
馬車の後部座席からジョーを見ていたエイミーが呟いた。
﹁ふふ、そうだね﹂
﹁エリィがあんな風に怒るところ初めて見たからびっくりしたよ﹂
﹁雷に打たれてから、思ったことはちゃんと言うって決めたの﹂
﹁それは⋮どうして?﹂
﹁人間言わなきゃ伝わらないことばっかりでしょ。あのとき死んじ
ゃってたら、と思うとね⋮⋮後悔しない生き方をしないと﹂
﹁エリィ⋮﹂
エイミーは泣きそうな顔になって俺を抱き寄せ、やさしく頭を撫
でてくれた。
分かってもらえた、と思っていても相手には三割ぐらいしか伝わ
ってないもんだ。だからみんな一生懸命、自分の思っていることや
気持ちを伝えるんだ。いや、伝える努力をしなくちゃいけない。エ
リィはもっと自己主張をするべきだった。だから俺が代わりにやっ
てやるんだ。
そう、どんな偶然かはわからないが、日本の記憶を持ったままエ
リィという人間に俺はなったのだ。彼女のためにも恥じない生き方
をしなくちゃいけない。何事にも妥協しちゃいけない。いやー俺っ
てめっちゃいい奴。
﹁新しい服、楽しみだなあ﹂
170
﹁うん﹂
よし、服が売れたらがっぽり胴元としてデザイン料をもらうぞ。
クラリスに頼んで契約書を作ってもらうつもりだ。この世界にも
しっかり契約書は存在するみたいだしな。
﹁お嬢ざまっ!﹂
﹁おどうだば!﹂
また涙腺が崩壊しているクラリスとバリーはスルーしておいて、
俺はエイミーの胸の温かさをしっかりと堪能した。
つーかバリー。泣きながら馬を操るのはほんと危ないからやめて
くれよ。
171
第5話 服飾とイケメンエリート︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重106㎏︵±0kg︶
172
第6話 エリィお嬢様の素敵な日常︵前書き︶
今回はクラリス、エイミー視点での話です。
173
第6話 エリィお嬢様の素敵な日常
エリィお嬢様の一日は大変忙しいのでございます。
朝の六時に秘密特訓場へ向かいトレーニングを致します。
ウォーキングをたっぷり一時間。
そのあとに魔法の練習。
かわいいお身体で腹筋を百回。
膝立ちの腕立て伏せを百回。
最後に柔軟体操。
トレーニングが終わるとシャワーを浴びて屋敷へ戻ります。
朝食と夕食は必ず全員で取る、というのがゴールデン家のルール
でございますから遅刻は許されません。
お嬢様はご自分で決めた食事制限をしっかりと守り、わたくしは
献立をノートに記します。
本日の朝食は︱︱
クロワッサン一つ。
サラダをお皿で一杯︵ドレッシング少々︶
茹でた鶏もも肉を一ピース︵旦那特製︶
リンゴを三切れ。
ダイエットをすると宣言をしたお嬢様の決意はなかなかに固いご
様子。お腹がすいて倒れやしないかとわたくしはいつも心配してお
174
ります。お嬢様にその旨をお伝えすると決まってこうおっしゃいま
す。﹁クラリスは心配性ね﹂と。
あの雷雨の事故以来、お嬢様はまるで別人になったかのように明
るくなられました。わたくしは旦那のバリーといつもそのことばか
りを話しています。お優しくありすぎるお嬢様が学校で損をしてい
たことも知っております。
わたくし達は近頃、妙に涙もろくなってしまいました。朝、お嬢
様を見る度に目元が涙でにじんでまいります。お元気なお嬢様がま
ぶしくて仕方がないのです。
お嬢様がまだ十歳だった頃、右手に怪我をしたわたくしを心配し
て泥んこになりながら四つ葉のクローバーを持ってきて頂いたこと、
今でも忘れておりません。あのクローバーは魔導具店にお願いして
風化防止付きのしおりにしてもらいました。わたくしの宝物でござ
います。
お嬢様は、頬に傷があるうちの旦那のことを怖がったりしません。
美味しいご飯を作ってくれるから好きだと旦那にいつも言っており
ます。うちの旦那もすっかりお嬢様に骨抜きにされてしまいました。
何かにつけてお嬢様はどうした、お嬢様は元気か、お嬢様はどこに
いる、と聞いてくる始末でございます。
さて、朝食を終えたお嬢様は制服に着替えてエイミーお嬢様と仲
良く登校致します。本当に仲良し姉妹でございます。目元がそっく
りなお二人が楽しそうにお話をしているご様子を見ると、心の真ん
中がほっこりとあたたかくなるのです。
以前はエイミーお嬢様の美しさに引け目を感じていたお嬢様でし
175
たが、最近そんなご様子は少しもございません。伏せがちだった目
も、今では真っ直ぐと前を見ております。なにやら達観したご様子
でございます。エリィお嬢様はひたむきで優しく美しいレディでご
ざいますから、自らを卑下する理由なんてどこにもございません。
そんな本当のご自分にようやくお気づきになったのかもしれません。
奥様にエリィお嬢様のご様子を報告し、わたくしはお嬢様にお願
いされていた情報収集をするべく町へと繰り出します。
まず孤児院の件。楽しそうにお手伝いをされていた孤児院があん
なことになってしまい、お嬢様の心痛は計り知れません。少しでも
手がかりがないか、足がつかないように調査をしております。
そちらが終わると次はクリフ様の件。セラー教の教皇のお孫様で、
何の前触れもなく姿を消してしまったそうです。エリィごめんね、
という書き置きだけを残して消えてしまったあの方は、何かの事件
に巻き込まれたと考えるのが妥当でございます。お嬢様とは図書館
で逢瀬を重ねたタダならぬご関係であったそう。別れの挨拶をしな
いようなお人ではないとのこと。
なにやら孤児院の件と関係がありそうで、きな臭いことこの上な
いのでございます。
孤児院はリッキー家の領地内ですから、第一容疑者はリッキー家
で間違いございません。他家の事情を嗅ぎ回るのは得策ではござい
ませんし、あの家はどうもガードが堅く何の噂も出てきません。火
のないところに煙は立たぬ、という名言を残した大冒険者ユキムラ・
セキノが言っている通りシロなのかと思いましたが、わたくしの勘
がリッキー家はクロだ、と警鐘を鳴らしております。挑戦的かつ好
戦的なあの家のことです、いつか尻尾を出すでしょう。
176
リッキー家は今年の魔闘会一騎打ちで旦那様が惜敗した相手でご
ざいます。二年前も戦い、敗北してございます。あの家とは遠から
ず因縁が存在しているのかもしれません。
そうこうしている内に下校のお時間です。わたくしはグレイフナ
ー魔法学校へお嬢様をお迎えに上がります。ほぼ百パーセントの確
率で、うちの旦那が自分の仕事を部下に任せて馬車でやってきます。
来るんじゃないと何度言っても聞く耳を持たないので、あきらめて
おります。
馬車でお嬢様は洋服店のミラーズへ赴き、あれこれと指示を出し、
お貯めになっていたお金を出し惜しみせずに店主に渡しております。
お嬢様に失礼なことを言ったジョーという青年とも仲良く、ああじ
ゃないこうじゃないと、デザインについて熱く語っております。本
当にお洋服が好きなご様子。そろそろエイミー様へのお洋服が完成
するとのことだったので、わたくしも非常に楽しみでございます。
ミラーズへ行かない日は、秘密特訓場へと向かいます。ここでも
お嬢様はストイックにトレーニングを致します。ウォーキング、魔
法練習、筋トレ、をみっちりと行います。﹁風﹂魔法も習得し、楽
しげでございます。
そうなのです。驚くことに﹁風﹂を習得せずに﹁雷﹂魔法を使え
るようになってしまったのです。普通では考えられないことでござ
います。複合魔法を使うには、必ず上位魔法を二つ習得する必要が
ありますので、お嬢様は天才、と言うべきなのでしょう。
わたくしが唯一使える﹁ウインド﹂の魔法にも大変興味を持たれ
ており、特に﹁いけすかない貴族のヅラを飛ばす方法﹂を習得しよ
177
うと躍起になっておられました。下の下、初歩の初歩﹁ウインド﹂
を、的確に相手の額めがけてバレないように飛ばすだけでございま
すが、魔力制御がなかなかに難しく、わたくしも習得には大変苦労
致しました。お嬢様はなにやらコツを掴んだのか、つい先日、完璧
に習得致しました。
ミラーズへも特訓場へも行かない日は、美容関係のお店を巡りま
す。ニキビを消す方法と髪をさらさらにするグッズをお探しになっ
ており、未だに見つかっておりません。たまに、﹁マツモトキ○シ
はないの?!﹂﹁ビダル○スーンのリンスが欲しい﹂﹁資生○があ
ればすべて解決する﹂など、謎のフレーズを呟いておいでです。何
かのおまじないでしょうか。
サンダーボルト
落雷が使えると分かってから早三週間、お嬢様は目に見えてお痩
せになりました。体重はなんと94キロ。入院中は110キロでし
たから、16キロも痩せた計算になります。スカートのウエストを
詰めないといけませんね。
こうして放課後を満喫したお嬢様はお家に帰り、旦那様、奥様、
エドウィーナお嬢様、エリザベスお嬢様、エイミーお嬢様と楽しく
お話をし、十時には就寝致します。夜更かしは美容に悪い、と自分
自身に、そしてわたくしにも口を酸っぱくしておっしゃいます。わ
たくしの苦労皺はもはやトレードマークですから、気を遣って頂か
なくてもよろしいのですが。
愛するお嬢様のためでしたら、どんな苦労だってちっとも辛くは
ございません。お嬢様専属メイドになってから、このクラリス、幸
せでございます。毎日が薔薇の咲いたような満ち足りた時間で埋め
尽くされてございます。
178
ですが、どんな物語にもトラブルはつきものでございます。
わたくしの、わたくし達のエリィお嬢様が、本日あのような姿で
帰って来ようとは一体誰が想像したでしょう。
わたくしは怒りで我を忘れてしまいそうになりました。
誰がお嬢様を傷つけたのか。
どこで、いつ、どうやって。
犯人を見つけて厳罰を与えねばなりません。
誰にやられたのでしょう。
健気なお嬢様はわたくし達の問いにこうお答えになりました。
﹁ちょっと転んだだけよ﹂と。
○
エリィは可愛い。引っ込み思案でちょっと人見知り。でも優しく
て芯が強く、他人を思いやれる女の子。私の可愛い妹。
あの雷雨でエリィが事故に遭ったとクラリスが血相を変えて部屋
に飛び込んで来たとき、私は血の気が引いて気絶しそうになるほど
キュアウォーター
気が動転してしまった。池のほとりで倒れているエリィに、私は持
キュアライト
てるすべての魔力を使って﹁水﹂の上級・治癒上昇と﹁光﹂の上級・
癒発光をかけた。あのときほど、上位である﹁白﹂魔法ができれば、
と思ったことはない。
駆けつけた白魔法士がエリィを治療し、どうにかして絶望的状況
179
を脱した。白魔法士の話によれば、驚異的な精神力のおかげ、らし
い。私からすれば、私の使った、﹁下の上﹂魔法と彼の﹁上の中﹂
魔法には隔絶した差があったと痛感させられ、回復は﹁白﹂魔法が
必要だと思い知らされた。
目が覚めてからエリィはしばらくしゃべれず、怖い夢を見ていた
ようだったけど、すぐに元気になってくれた。そして何よりエリィ
は明るくてお茶目になった。あの子がなんだか別人になったみたい
だった。
でもエリィとお話をして、すぐにそんなことは忘れてしまった。
やっぱりエリィはエリィで、優しさや心の強さは何も変わっていな
かった。むしろ前よりも強くなっているような気がする。ときおり
見せる真剣な顔は、我が妹ながら惚れ惚れするほどだ。
最近じゃ、エリィにからかわれることがある。もう本当にひどい
んだから。この前なんか、スライムの抜け殻ゼリーを顔に塗ると、
空を飛べると言われ、エリィがまず顔中にゼリーを塗ってベッドか
らジャンプした。すると、エリィが三秒だけ浮いたのだ。私はそん
なはずない、と思ったけど、ついうっかり信じてしまった。
私も顔中にゼリーを塗ってベッドからジャンプした。ぴょんぴょ
ん跳んでいるとエリィが楽しそうに笑い、﹁姉様、ゼリーで空を飛
べたら今頃ゼリーは売り切れよ﹂と言った。近くにいたクラリスも
笑っている。単純に、エリィとクラリスが同時に﹁ウインド﹂を唱
えてちょっぴり空中に浮いただけだった。やっとそれがいたずらだ
と気づいてエリィに怒ったけど、姉様は可愛いわ、と言うだけで何
の効果もない。エリィったらあんなに笑って⋮⋮ひどいんだからッ。
そのあと部屋に来たお母様が顔にゼリーをくっつけた私たちを見
180
て、こっぴどくお説教をした。エリィは全然懲りていないみたいで、
すまし顔でお母様のお説教を受けていた。
エリィが元気になってくれて本当に良かった。
私はエリィが笑っている顔を見ると時々涙が出そうになる。学校
でいじめられていて、ここ二年間、エリィはすっかりふさぎ込んで
いた。いつも肩を落として歩いていたあの子が、近頃は嬉しそうに
私と肩を並べて学校に行ってくれる。前向きでひたむきなエリィが
私は愛おしい。
エリィの一日は忙しい。朝は特訓場に行き、魔法の練習をし、学
校に行ってそのあとミラーズに行く。ミラーズに行かない日は、ど
こか別のお店を探索する。買い物をしているエリィは真剣で、あれ
これと私に質問をしてくる。
サツキちゃんと約束がない日はいつもエリィと放課後を満喫して
いる。近頃の私の日課になりつつある。
ミラーズのジョーというデザイナー志望の青年をビンタしたとき
は驚いて腰が抜けそうになった。あんなに怒ったエリィは初めて見
た。でもあの青年も青年だ。年頃の女子にあんな失礼なことを言う
なんて、乙女心がわかってない。あのあとエリィが﹁後悔しないよ
うに生きたい﹂と口にした事で、私は彼女が本当に変わったんだな、
と思った。エリィが生きていてくれてよかった。神様には感謝して
もしきれない。
全世界の乙女を代表したようなビンタを見て、ちょっとすっきり
したのはここだけの秘密だ。
181
そして、彼女があそこまで洋服が好きだとは知らなかった。すご
く物知りだし、突拍子のないアイデアをいくつも持っている。わた
し専用のお洋服をお小遣いで作ってくれると言ったときは、嬉しく
てその場で飛び上がりそうになった。
あの事故から三週間。エリィはダイエットを継続している。別に
しなくてもいいと思うんだけど。それを言うといつも悲しい顔をし
て﹁デブは損なのよ姉様﹂と言い﹁デブでブスは年収が半分になる
という統計もあるわ﹂﹁デブは自己管理ができないと見なされ出世
に響くの﹂などの謎の言葉達を呟くこともある。難しいから私には
よく分からない。多分、何かの冗談だろう。
今日の放課後、めずらしくエリィは一人で町を歩きたいと言って
いた。早く帰ってくるように言って、私は家に帰った。
エリィをひとりで町に行かせたことを後悔した。
帰ってきたエリィは全身泥だらけ。服はところどころ破け、すり
傷がいくつもある。
キュアライト
私は急いで癒発光をかけながら、どうしたのかを彼女に聞いた。
クラリスが山火事から逃げるピッグーのように転がりこんできて、
神に見放されたジプシーのように嘆きながらエリィを介抱した。
するとエリィはこう答えた。
﹁ちょっと転んだだけよ﹂と。
182
第6話 エリィお嬢様の素敵な日常︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重94㎏︵−12kg!︶
183
第7話 外出とイケメンエリート
﹁ちょっと転んだだけよ﹂と俺はエイミーとクラリスに言った。
俺は今日、一人で町に出かけた。
化粧品を見て回り、何となく一人の時間を満喫したかったのだ。
この世界の化粧品の種類は地球とそこまで変わらないように思え
る。ただ、効果や効能は試してみないと分からない、という点が大
きく違うところだ。配合や成分があやふやで、意味不明であり、元
になっている製品も異世界クオリティでさっぱり理解ができない。
買って試してお肌が荒れました、という話はザラにあるらしい。
こええよ。
試せねえよ。
俺、乙女だから。
﹃基礎化粧品﹄﹃薬用化粧品﹄﹃メイク化粧品﹄
大まかに化粧品はこの三種類に分類される。
作り方までは分からないが、最後に担当していた部署が新規立ち
上げの化粧品部門だったので、ある程度の知識はある。とある化粧
品会社を買収して、うちのグループがそっちの業界にも手を出そう
としていたところだった。噂によると会長が孫の為に買収したらし
184
いが⋮その噂を確かめるすべは俺にない。
もう二、三年あれば相当量の化粧品知識と営業経験を積めていた。
止まり木美人
の商品を見て回
まあ、それをここ異世界で言ってもしょうがないんだけどな。今の
俺はデブでブスだし。
気を取り直して、俺は化粧品店
った。
キュール
﹃森林治癒配合・マグマ熱入り化粧水﹄
顔が灼けるだろ。
﹃ドウレンジャー赤魔物エキスの肌荒れ防止水﹄
真っ赤! エキスってどこの何のエキスだ!?
﹃アンアンズのオーガニックシャンプー﹄
なにアンアンズって。あんず? あんず飴のあんず?
あんが多いよ。喘いじゃってるよ。
﹃西砂漠の南風・リンス﹄
ぱっさぱさになりそうだと思うのは俺だけだろうか。
﹃メデューサの顔パック﹄
顔面が石化しそうだ。
185
﹃ニキビ落としフジツボ石けん﹄
気持ちわりいいいい!
﹃タヌキングのちゃん玉美容液﹄
ちゃん玉ッ?!
﹃若返りの水・ドラゴンの吐息﹄
値段たっか! 一億ロン?!
だと判明した。わ
しかもちょびっとしか入ってない。うすーく伸ばして塗って、や
一ロン
だ。
っと顔全体にいきわたる程度の量だ。
ロン
が
を使っていて、めったにお目にかか
一円
ちなみにこの世界の貨幣は
色々と調べ、ざっくりと
かりやすくて助かる。
白い金塊
紙幣は存在していない。
石貨=十円
銅貨=百円
銀貨=千円
金貨=一万円
大金貨=十万円
白金貨=百万円
白金貨は貴重な
れない。
186
じゃらじゃらと音が鳴るし重いし、紙幣のほうが断然使いやすい。
文明と経済がもっと発達しないと紙幣は登場しないのだろう。残念
だ。
厳重な防犯処置が施された﹃若返りの水・ドラゴンの吐息﹄は小
瓶の中で金色に光っていた。店主に聞いたら、ドラゴンを追い詰め
て泣かせることではじめて採取できるらしい。体に塗ると、たちど
ころに傷が治り、肌が活性化するそうだ。
ドラゴンをひいひい言わせるぐらい強くなって吐息を強奪しに行
くのも悪くない。
﹁ドラゴンを泣かすってどうすればいいの?﹂
﹁お嬢ちゃん、ドラゴン狩りにでも行くのかい﹂
﹁いずれね﹂
﹁ぶわーっはっはっはっは!﹂
﹁なによ! 笑うことないでしょ!﹂
﹁ドラゴンの吐息があればお嬢ちゃんのニキビも一発で治らぁね。
ちげえねえ﹂
ひげ面で小綺麗な服に身を包んだ店主は腕を組んで神妙にうなず
いた。さすが化粧品を扱う店の店主だけあって、綺麗になりたい女
心がわかっているみたいだ。
あたい、きれいになりたいんです⋮。
ちなみにこの﹃若返りの水・ドラゴンの吐息﹄は四十年前に砂漠
の賢者ポカホンタスが持ってきて譲ってくれたそうだ。いくつかの
小瓶に分けて、代々この店で大切に販売しているとのこと。十二種
の魔法をすべて使えるグランドマスターぐらい強くないと採取は無
187
理みたいだ。
うん、﹁光﹂と﹁風﹂しか使えないダブルの俺には当分無理だな。
﹁雷﹂は使えるが、それでも無理だろう。つーかドラゴンが存在す
るのか。まじこええな。
﹁無理ね﹂
﹁だろうな。残念だけどな﹂
﹁一番売れてるニキビに効く薬、ない?﹂
﹁そうさなぁ、これなんか人気だな。値段も高くない﹂
店主が出してきたのは﹃神聖の泥水﹄という商品だ。
﹁泥水? ああ、泥パックみたいなものね﹂
﹁おお、大抵のお嬢さんは嫌な顔するんだがお嬢ちゃんは違うみて
えだな﹂
﹁まあね。いろいろと調べているから﹂
﹁よしわかった。六千ロンのところ、特別に五千ロンにまけてやる
よ﹂
﹁いいの?﹂
﹁おういいぞ﹂
﹁ねえ⋮⋮私いずれ物凄い美人になると思うのよ。それはもう誰も
が振り向くようなとびっきりの女ね。いつか一回デートしてあげる
権利をあげるから、﹃神聖の泥水﹄四千ロンにまけてちょうだい﹂
﹁んん?﹂
﹁いいじゃないおじさん。ねえいいでしょ?﹂
﹁⋮⋮ぶわーっはっはっはっはっは! ひいーっひっひっひっひ!﹂
ひげ面店主はカウンターを叩いて大笑いした。
ひとしきり笑って涙を拭うと顔を上げた。
188
﹁お嬢ちゃんおもしれえなあ。それに物言いが堂には入ってやがる。
気に入った﹂
カウンターの中で店主は自分の膝をばしんと叩いた。
﹁四千ロンでいいぞ。その代わり、美人になったらデートしてくれ
よ﹂
﹁もちろん。レディは嘘をつかないからね﹂
俺は優雅にワンピースの裾をつまんでお辞儀をした。
イエス! 冗談のつもりがちょっと得した。
﹁楽しみにしてるな﹂
﹁ちゃんとエスコートしてよね。それから今のうちに奥さんに言っ
ておいたほうがいいわよ﹂
﹁どういうこった?﹂
﹁今日ブスでデブな女の子が店に来て、将来美人になったらデート
する約束をしたって﹂
﹁ほう、そりゃどうしてだい?﹂
﹁だって可愛い子とデートしたら奥さんが嫉妬するでしょ?﹂
店主は一瞬、きょとんとした顔をしたが、言葉の意味がわかった
のかまた腹を抱えた。
﹁ぶ⋮⋮ぶわーっはっはっはっはっはっはっは!﹂
﹁そんなに笑うことないでしょ!﹂
﹁ひーひーっ﹂
﹁ねえ私ってそんなにブス?! デブ?!﹂
﹁すまんすまん。いやー久々にこんなに笑ったな。もういいよ、そ
189
いつはタダでくれてやる﹂
﹁え? いいの?﹂
﹁おういいぞ。いつかデートする相手だからな﹂
﹁でも駄目よ。お金はちゃんと払うわ﹂
俺は銀貨を財布から四枚出してカウンターに置いた。
冗談のわかる店主が気に入ったので、しっかりと金を払ったほう
が今後の為になるだろう。
それから少し雑談をした。
どうやら店主はトリプルで、適性は﹁火﹂のようだ。商売柄、危
険な場所にある素材を取りに行くため、自衛ができるぐらいの腕っ
ぷしは必要なようだ。
この世界の人はほとんどがシングルかダブル。
魔法が得意な人間でトリプル、スクウェア。
冒険者や貴族、凄腕魔法使いはペンタゴン、ヘキサゴン、セブン、
エイト。
それ以上は滅多にお目にかかれないらしい。
﹁そういや残念だが﹃神聖の泥水﹄は今後の入荷が難しそうだ。大
事に使ってくれ﹂
﹁何かあったの?﹂
付近で採取できるんだが、近頃あの辺が物騒になってや
﹁その泥水は、砂漠の国サンディとグレイフナー王国の間にある
自由国境
がる﹂
﹁戦争でもあるのかしら﹂
﹁さあな。武の王国グレイフナーに戦争ふっかけるバカはいないか
ら、おそらくパンタ国あたりに仕掛けようって腹だろうよ﹂
190
﹁砂漠の国サンディが、そのパンタ国に戦争を?﹂
﹁わからん。最近子どもの失踪事件が多発している。どうもうさん
くせえ﹂
失踪事件、と聞いて俺は真っ先に孤児院の子ども達を連想した。
エリィの日記に書いてあった、さらわれた子ども達だ。
情報収集をしているクラリスの報告にも、どうやら人攫いが多発
している、行き先は西ではないか、という内容がよく出てくる。だ
が戦争を仕掛けるにしても子どもを誘拐する理由にはならない。
﹁ここ首都は安全で警邏隊も優秀だ。誘拐犯はよほど狡猾で腕が立
つんだろうよ﹂
﹁あの雷雨の日から町の巡回は厳しくなっているしね﹂
﹁さすがお嬢ちゃん、よく知ってるじゃないか﹂
﹁ええ、さらわれたら困るでしょ﹂
﹁はっはっは、確かにな。将来べっぴんさんになるしな﹂
﹁そうよ﹂
互いに笑い合った。話がわかる店主で会話が非常に面白い。
なかなかの営業力。
やはり買い物はこうでなくちゃな。
﹁私はエリィ・ゴールデン。また来るわね﹂
﹁俺はマッシュだ。おまえさん、ゴールデン家の娘か?﹂
﹁ええそうよ﹂
﹁じゃあ帰ったら当主に伝えてくれ。来年の魔闘会は勝って領地を
取り戻してくれって﹂
﹁⋮⋮わかったわ﹂
﹁うちの実家がマースレインにあるんだけどよ、リッキー家に代わ
191
ってからあまり感じがよくないんだと。自分の家ほっぽり出すわけ
にもいかんし今は黙っているが、このまま雰囲気が悪くなるならよ
そへ出て行くって婆さんが騒いでてな﹂
﹁リッキー家に代わってからどう悪くなってるの?﹂
﹁なんでも怪しい連中が領地で寝泊まりしてるらしい。旅人や冒険
者はいくらでもいるが、どうもそういった類の連中じゃないみたい
なんだ﹂
﹁へえ。私もリッキー家が怪しい連中とつるんでいるって噂を聞く
わ﹂
この言葉は単に俺の憶測で、会話をつなげる撒き餌のようなもの
だ。
﹁元来血の気の多い家柄だからな、問題の種になってるんだろうよ﹂
なるほど。世間一般からリッキー家はこういう評価なんだな。
有益な情報だ。
﹁でも気になるわね、領地の雰囲気がよくないっていうのは﹂
﹁そうさな⋮⋮お嬢ちゃん。あまり他でこういう話はするんじゃな
いぞ﹂
﹁ええ分かってるわ﹂
﹁ふっ。お前さん、ただの学生じゃないみたいだな。一瞬、大人の
男と話している気分になったよ﹂
﹁ま、まあね。ゴールデン家ではこういった話題は普通だからね﹂
中身は三十手前のイケメンエリートでーす。
﹁それじゃあ気をつけてな。まいど!﹂
192
俺は﹃神聖の泥水﹄の入った紙袋を受け取って町に出た。今日は
授業が長引いてしまったせいで放課後の時間が少ない。そろそろグ
レイフナー通りの街灯に灯りがともる頃だろう。
俺は何も考えずにぶらぶらと歩いた。途中、窓ガラスに映る自分
を見る。
百十キロの巨漢デブであった当初より十六キロ痩せた姿は、おデ
ブさん、と呼ぶのがふさわしい体つきになっている。巨漢デブがお
デブさんになったのだ。かなりの進歩、ダイエット効果だろう。頑
張ったもんな。全然まだまだだけど。
顔をよく見ると、贅肉で薄くしか開けられなかった目が、ほんの
ちょっとだけ大きくなったような気がする。たぶんエリィは顔に肉
が付きやすいタイプなのだろう。うっすら、ほんっとうにうっすら
とだが、エイミーと目元が似ている気がした。痩せたら美人になる
可能性は大いにあるな。
頬にある赤いニキビはなかなか消えそうにない。
﹁エリィ!﹂
俺は声のする背後を振り返った。
行き交う人混みの中からトレードマークのハンチングをかぶった
ジョーが笑顔で出てくる。
﹁あらジョー。ごきげんよう﹂
﹁こんなところでどうしたんだ?﹂
﹁うん、ちょっとお買い物﹂
﹁へえ﹂ジョーは俺の持っている紙袋を見た。﹁何を買ったの?﹂
193
﹁乙女の秘密道具よ﹂
﹁ああ、化粧品か﹂
﹁もう! そういうのは言わないでよ!﹂
﹁あっ。俺またやっちまった?﹂
﹁ちょっとでいいから乙女心を考えてよね。男の子に何を買ったの
か知られたくないっていう恥ずかしがりの女の子だっているんだか
ら、化粧品だってわかっても、ふーんそっか、って言えばいいのよ。
知らないフリは男の優しさよ﹂
﹁でもエリィはそんなに恥ずかしがってないから別にいいだろ?﹂
﹁私はいいけど、ジョーに好きな女の子ができたとき困るわよ?﹂
﹁べ、別に俺は好きな子なんてできねえよ⋮﹂
﹁あら? その反応は⋮⋮ねえ好きな子いるんでしょ?﹂
﹁いねえよ!﹂
﹁ちょっと教えなさいよ! 誰よ? あ、向かいにあるパン屋のバ
イトの子でしょ?﹂
﹁はあ? そんなわけないだろ﹂
﹁わかった。たまに牛乳配達にくるメリッサって女の子ね。あの子
の胸、大きいものね﹂
﹁ば、ばか、ちげえよ!﹂
﹁違う? ってことはやっぱり好きな子がいるのね?﹂
ジョーは顔を赤くして表情を隠すようにハンチングを目深にかぶ
り直した。
﹁お前としゃべってると何でも聞き出されそうで困るッ﹂
﹁あなたの協力がしたくて言ってるのよ。私は仲間に引き込んでお
いて損はない人材よ﹂
何を隠そう俺は恋愛話が大好きだ。
ジョーを見ていると高校生に戻った気分になる。
194
﹁いや⋮⋮別に好きとかそういうんじゃねえよ。ただ、なんつーか
ちょっと気になるって言うか⋮﹂
﹁へえ∼﹂
﹁何だよその意味深なへえは! このデブ!﹂
﹁ちょ! あなたそれは禁句よ?!﹂
﹁うるさいこのデブ!﹂
﹁何よこのくるくるパーマ!﹂
﹁なんだとッ!﹂
俺たちは、それはもう若々しく、冗談めかして罵倒し合った。
ついつい俺も調子に乗って言い返してしまう。お互い認め合って
いるからこそできるおふざけだろう。
大体、俺が泣き真似をして終了する、というのが最近の流れだ。
女は泣けば九割方、許される。泣き真似は必須スキルだな。
﹁悪かったよごめんごめん﹂
ジョーはハンチングを取って謝罪する。
わかればよろしいと許す俺。
くせえ青春の一ページ。
エリィ見てるか! 青春満喫なう!
﹁そんなことよりちょうどいいや。エリィにこれを見て欲しかった
んだよ﹂
﹁そんなことって⋮⋮まあいいわ﹂
通行人が増えてきた。仕事が終わってみんな町に繰り出している
195
んだろう。俺とジョーは向こうから来た図体のでかいケンタウロス
の集団に巻き込まれないよう、壁際まで移動した。
俺はジョーの広げたデザインのラフ画を覗き込む。
ラフ画には、ボーダー柄で七分丈のシャツが描かれていた。﹁生
地・ゴブリン繊維と綿﹂と記され、配色﹁白と黒﹂となっている。
﹁縦がアリなら横もアリかなと﹂
﹁良いわね。実は私も考えていたけどね﹂
﹁ちょくしょーやっぱり考えてたか﹂
﹁これはボーダーシャツと名付けましょう﹂
﹁命名まで取られた!﹂
それから、生地感や着幅、裾回りの大きさ、ボーダー柄の幅、実
現可能かどうか、費用はどれくらいか、なんて話をあれこれして、
ジョーと別れた。俺がデザインしたエイミーのストライプワンピー
スが完成するから最終調整をする、と言って楽しそうに走っていっ
た。
ついにエイミーが地球と同じようなデザインの格好をしてくれる
のか。
あの美しくも優しげな垂れ目に、爽やかな白地にストライプが入
ったワンピース。ワンポイントでカーディガンを巻き付ければ、さ
ながらモデル顔負けのお嬢様スタイルになるだろう。可愛いな。間
違いなく。
手を振って見送ると、誰かに急に襟首をつかまれ、裏路地に放り
出された。
196
急に襲ってきた浮遊感に、声にならない声が出る。
﹁いたっ﹂
突然のことだったので地面に滑り込むようにして転んでしまった。
制服が泥だらけだ。
顔を上げると、サークレット家のスカーレットが、黄金の縦巻き
ロールを見せつけるようにして仁王立ちをしていた。そのうしろに
取り巻きの女子が四人立っている。
﹁エリィ・ゴールデン。男といちゃいちゃしているなんていいご身
分じゃない﹂
俺は近くにこいつらがいたことに気づけなかった自分に心の中で
舌打ちし、立ち上がろうとした。
が、頭の真上から突風が吹いてきて、地面に抑えつけられた。
右頬を汚い地面にくっつけたまま横目でスカーレットを見る。彼
女の手には杖が握られていた。何か魔法を使ったらしい。
﹁誰が起き上がっていいと言ったのかしら?﹂
眉を上げたスカーレットは、わがままお嬢様が癇癪を起こす一歩
手前、という顔をしている。
﹁あなたって本当に目障りなデブね。ボブ様にちょっかい出してお
いて、他の男と逢い引きですって?﹂
197
再びスカーレットの杖が振られる。
ウインドブレイク、と言ったのが聞こえた。
突風が吹き下ろされ、圧力で体が地面にめり込むんじゃないかと
思うほどの衝撃を食らう。
﹁ぐっ⋮﹂
くそ。どうしてこうなった。
警戒していなかった俺の責任だ。
﹁無様ね。ピッグーには地面がお似合いでしてよ﹂
取り巻きにいた女子達が、一斉に笑い声を上げた。ボスのご機嫌
取りのような下卑た笑い方は、営業時代に何度も見た、誰かの腰巾
着でしかない奴らの笑いそっくりだ。むなくそが悪い。
代わる代わる、俺が立ち上がれないように﹁ウインド﹂を吹き付
けてくる。
﹁ほら、スカーレット様と言って謝罪するなら許してあげるわよ﹂
そういって杖で自分の手のひらを軽く叩きながらスカーレットが
言ってくる。口元は優越感でゆがみ、蔑むように顎を突き出してい
る。
﹁⋮⋮あなた達は、一人で、何もできないのね﹂
俺は心の底から呆れて言った。
他人を傷つける前に自分を磨いたらどうなんだ。
198
﹁このデブおんなッ!!!﹂
おさげ頭の取り巻きの一人が﹁サンドウォール﹂と唱えて杖を振
ると、俺の真下の地面が盛り上がった。即席でできた一メートル四
方の土の山に持ち上げられる。そいつが杖を横に振ると、土の山が
横向きになり、俺は何の抵抗も出来ないまま空中に放り出された。
高さ二メートルから落ち、受け身も取れないまま自身の体重も相
まって、全身が打ちつけられる。
変なうめき声が口から漏れた。
﹁私はね、あなたが嫌いなんですの。いつでも正義感丸出しで正論
を言うあなたが嫌いなのよ﹂
スカーレットが杖を振る。
ウインドブレイクが体全体にのしかかる。
取り巻き連中もウインドを詠唱し、こちらに放つ。
幾重にもなった風が俺の体を押しつぶそうとした。
﹁何とか言ったらどうなの?﹂
魔法が止まり、やっとまともに呼吸ができるようになった。全身
が痛い。
﹁ほら、いつもみたいに正論を吐きなさいよ﹂
﹁私もあなたが⋮⋮嫌いよ。バカを引き連れなければ何もできない
んでしょう?﹂
﹁デブ! スカーレット様になんてことを!﹂
199
サンドウォールを唱えたおさげ頭が再度杖を振りかぶった。
スカーレットは﹁やめなさい﹂と言って下がらせる。
おさげ頭は憎々しそうに俺を睨みつけると一歩下がった。
﹁泣いて謝れば許してあげるわ﹂
スカーレットは杖をこちらに向けたまま、俺の背中を思い切り踏
みつけた。
﹁うっ⋮﹂
﹁ほら言いなさいよ。ごめんなさい、私が間違っていました。スカ
ーレット様に楯突いて申し訳ございませんでした﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁どうしたの。またウインドブレイクが欲しいの?﹂
﹁スカーレット⋮⋮あなたボブのことが好きなんでしょ?﹂
﹁なっ!﹂
一瞬だが、背中に押しつけられたスカーレットの足が軽くなる。
俺は隙を逃さず真横に吹っ飛ばすイメージで﹁ウインド﹂を唱え
た。
目に見えない風の塊が背中の上を駆け抜け、スカーレットにぶつ
かった。
だが所詮そこまで練習していない﹁下の下﹂﹁初歩の初歩﹂魔法。
彼女に尻餅をつかせるのが精一杯だった。
取り巻きの女子四人が一気に反撃してくる。四人分のウインドと
ウインドブレイクが地面に体をめり込ませようと吹き荒れる。
200
くそ、息が⋮できない⋮⋮。
サンダーボルト
こうなったら落雷を使うしかないか⋮?
町中で使ったらとてつもない騒ぎになることは明白だ。それに人
間相手に使ったらタダで済まないだろう。よくて大やけど、悪くて
感電死だ。エリィを殺人犯にするわけにはいかない。
ここは我慢するしかないな⋮。
﹁こいつ⋮杖なしで⋮?﹂
﹁まぐれよ﹂
気を取り直したのかスカーレットが制服で埃を叩きながら顔の前
までやってきて、見下ろした。
ウインドがぴたっと停止する。
﹁で、私がボブ様を好きで、何がいけないの?﹂
﹁⋮ボブはあなたのことなんかこれっぽっちも好きじゃないわ﹂
﹁⋮⋮へえ。じゃああんたは知ってるの? あの人の好きな人﹂
﹁わたしの姉様よ﹂
スカーレットは反応ができないのか、無言でこっちを見下ろして
いる。
﹁ボブの分際で姉様に懸想するなんて⋮呆れて物が言えないわ。あ
なたといい、ボブといい、バカはバカ同士でくっついた方がいいの
にね⋮﹂
俺は息も絶え絶えになるべく精神ダメージが大きそうなことを言
201
った。
﹁そんなにウインドが欲しいのね﹂
スカーレットが号令を掛けると、一斉にウインドが放たれた。
今度のウインドには、サンドストーンという石つぶて魔法が混じ
っていて、小石が雨あられのように、バチバチと風に乗って地面に
降り注ぐ。
俺の体に、勢いがついた大量の石つぶてがぶつかる。
頭にあたると、殴られたような衝撃が走り、痛くて涙が出そうに
なる。攻撃がやむまで、俺は土を握りしめて、漏れそうになるうめ
き声を口の中で殺す。弱気なところを見せれば向こうが調子に乗る
だけだ。
口のなかに変な味が広がった。頭から血が出て口の中に入ったみ
たいだった。
﹁ふん、デブだから脂肪にガードされてるみたいね﹂
距離を取っていたスカーレットがまた俺の背中を踏みつけた。
﹁それ以上ボブ様を悪く言うならこれを毎日やってさしあげますわ。
ウインドの的、サンドウォールの練習台。汚い練習台ですけどね﹂
けたけたと小悪党のように取り巻き連中が笑う。
俺は何も考えないように精神を統一させる。今の俺じゃこいつら
に勝てない。
使える魔法は少ない。
202
光の初級﹁ライト﹂これはただ光で周囲を照らすだけの魔法。
光の中級﹁ライトアロー﹂攻撃魔法ではあるが死霊やアンデッド
系に有効なものなので人間への効果が薄い。
風の初級﹁ウインド﹂練習不足なのでせいぜい尻餅をつかせるの
が限界。
悔しいけど勝てない。力で屈服させられる。
サンダーボルト
切り札の落雷は使うことができない。
くそッ! ﹁スカーレット様。このピッグーを黙らせます﹂
おさげ頭が、忌々しいと言わんばかりに杖を振り上げた。
サンドウォールの魔法が発動する瞬間、この裏路地に気づいた通
行人が、大声で人を呼んだ。
﹁あそこで人がもめているぞ!﹂
それを聞いたスカーレット達の行動は早かった。
俺を置き去りにして、通りとは逆側へと走り去っていく。
その途中で俺のポケットに入っている紙袋に気づいたおさげ頭が、
紙袋を逆さまにして中身を地面に出した。
出てきた﹃神聖の泥水﹄を一瞥すると、おさげ頭は拾い投げ、わ
ざと見えるようにして地面に叩きつけた。瓶は割れ、﹃神聖の泥水﹄
203
は無残にも乾いた土に吸い込まれていった。
﹁ゾーイ、早く来なさい!﹂
スカーレットの取り巻きの一人がおさげ頭に向かって叫ぶ。
ゾーイと呼ばれたおさげ頭は満足げに俺を見下ろすと、俺の背中
を踏み台にして走り出した。
しばらくすると、警邏隊専用の制服とハンチングを身に纏った二
人組が走ってきた。
﹁おい君! 大丈夫か!﹂
﹁ええ、大丈夫⋮⋮です﹂
優しげな警邏隊のひとりがハンカチで俺の顔を拭いてくれる。
ヒール
﹁治癒﹂
光魔法の中級、回復魔法の初歩だ。
体の痛みが和らぎ、頭から流れていた血が止まった。
警邏隊は俺を介抱しながら事情聴取を行った。俺は死角からやら
れて犯人を見ていない、と言った。使われた魔法に関しては嘘なく
答える。
ここで犯人を言っても証拠がない。
それにやはりこの借りは自分で返さないと気が済まない。
怒りよりも、悔しさが先行している。
こうなるかもしれないということは容易に想像できたはずだ。で
204
はなぜ対人戦闘の練習をしなかったのか。
俺は異世界を甘く見ていた。いつもだったらこんなミスをするま
えにリスクを考え対策をしてきたじゃないか。どうしてそれができ
ていない。
まったく⋮⋮入社したての新人みたいじゃねえか。
スカーレットよりも自分自身に腹が立つ。
俺は警邏隊への挨拶もそこそこに家に帰った。制服が汚れている
ので馬車で送っていこう、という提案はやんわり断った。警邏隊の
馬車で家に帰ったら家族を心配させるだろう。
太い足を動かして早歩きで向かうと、十五分ほどで家が見えてく
る。自分の家を見てこんなにほっとしたのは初めてだ。思っていた
より精神的にやられているらしい。仕事でいくつもの修羅場をくぐ
り抜けてきたものの、肉体的に追い詰められることはなかった。日
本であんなことしたら犯罪だからな。
ボディビルダーのような屈強な門番が俺を見つけると、血相を変
えて走ってきた。
俺の安否を確認し、すぐ家に飛び込んでいく。
⋮⋮結局、大事になりそうだ。
門番は治癒ができるエイミーを真っ先に呼びに行ったらしかった。
玄関からエントランスに入ると、エイミーが美しい顔を悲しみで
いっぱいにして階段を駆け下りてくる。
﹁エリィ!﹂
205
キュアライト
エイミーは俺を抱きしめると、すぐに癒発光を唱えた。
警邏隊にかけられた治癒魔法より遙かに温かく安らぎを感じる。
腕や、足の擦り傷がみるみるうちに消えていった。文字通り、消え
ていくのだ。しばらく俺はその効果に驚いて観察し、無言になって
しまった。
﹁おじょうすぅわむあぁーーーーーッ!﹂
﹁クラリス?!﹂
クラリスがエントランスの踊り場から飛び降りてきた。
オバハンメイドがハリウッド映画のようなアクションをかますの
はシュール以外の何物でもない。
﹁大丈夫で⋮⋮大丈夫でございますか!?﹂
﹁エリィ、いったいどうしてこんな事になったの?﹂
魔法が終わったエイミーが聞いてくる。
﹁そうでございます! 一体誰がお嬢様にこんなことを⋮⋮!﹂
クラリスは今にも玄関から飛び出しそうな勢いだ。
俺は余計ないざこざが起きないようにこう答えた。
﹁ちょっと転んだだけよ﹂
二人はつらそうに下を向いた。
そしてすぐに顔を上げる。
206
﹁エリィ⋮。あなたは優しい子ね。でも今回ばかりは黙っていられ
ないわ。教えてちょうだい。どこで、どんな奴にやられたの?﹂
﹁あの切り傷はウインドブレイクによるものでしょう。そこそこに
魔法が使える者が犯人でございます﹂
そう言ってクラリスは奥の部屋へ消えた。
キュアライト
﹁癒発光かけてくれてありがとう﹂
﹁ううん。当たり前よ。自分の妹が怪我をしたんだもの﹂
﹁姉様、聞きたいことがあるの﹂
﹁なあに?﹂
﹁ゴールデン家で一番強いのは姉様?﹂
﹁⋮どうしてそんなことを?﹂
エイミーはなぜこんなときに強さを聞くのかわからないみたいだ。
﹁私、強くなりたいの。姉様、私に魔法を教えて﹂
﹁エリィ⋮⋮﹂
﹁その必要はございませんお嬢様﹂
振り返るとクラリスが俺たちの前に立っていた。
﹁ちょ⋮⋮クラリスそれは何?﹂
黒いコートに黒頭巾をかぶり、中国映画でよく見る青竜刀のよう
なものを左右の腰に差し、肩には特大のハンマーを背負い、コート
の裏地には魔法の杖が二十本ほど、いつでも取り出せるように縫い
付けてあった。
﹁犯人の目星はついております。ここでお待ち頂ければ敵の首級を
207
上げて参ります﹂
クラリスが本気だ。
これはやべえやつだ。
目が狂気と殺気でぎらぎらしている。
﹁首級ってあんた⋮⋮﹂
ついツッコミを入れてしまう。
止めなければガチで特攻するだろう。
﹁ええ。ぶっ殺して参ります﹂
にこりと笑うクラリス。
こわい!
このオバハンメイドこわいよ!
エイミーの顔が恐怖で引き攣ってるよ!
﹁お嬢様ご安心を。このバリー、お嬢様のためなら命も惜しくあり
ません﹂
﹁ひいっ!﹂
声のする方を向いたら、茶髪の角刈りで眼光の鋭い頬に傷のある
おっさんがこちらを睨んでいた。悲鳴を上げるなと言われても絶対
に無理だ。
﹁バリー近いわ! 顔が怖いわ! あと顔が怖いわ! それから顔
が怖いわ!﹂
﹁お嬢様に仇なす下衆な輩は確実に我々夫婦が仕留めて参ります﹂
208
何をしでかすかわからない不敵な顔をしている。
﹁どうするつもりなの?﹂
念のため確認してみる。
﹁どこのどいつだか知りませんが脳天をぶちまけるのは間違いあり
ませんね﹂
﹁恐ろしいことを言わないでちょうだい!﹂
﹁今回ばかりは堪忍袋の緒がぶっちぶちのびっりびりに切れました。
いえ、キレました﹂
﹁姉様ふたりを止めてよ!﹂
エイミーはバリーの格好を見てぽかんと口を開けている。
バリーは日本刀に酷似した剣を二本腰に差し、﹃必殺﹄と書かれ
たハチマキを巻いて、そのハチマキには蝋燭が左右にぶっ刺してあ
る。さらに防弾チョッキに似た革の鎧をつけ、腰のベルトには魔法
の杖が乱雑に十本ほどねじ込んであった。ヤのつく人々の仁義なき
戦いそのものだった。これはダメなやつだ。人に見せたらあかんや
つだ。
﹁うちの旦那はこうみえて元冒険者。相当な奥地まで探索した猛者
でございます﹂
﹁左様でございます。魔法使いのひとりやふたり、何ら遅れは取り
ません﹂
﹁首級はこちらにお持ちした方が?﹂
﹁いらない! 生首なんていらない! てゆうか行かないでちょう
だい!﹂
209
俺は必死に止めた。
﹁料理長ーっ!﹂
するとキッチンから、あわてた様子でコック姿の若い男、四人が
走ってきた。
﹁料理ほっぽり出してどうしたんすか?!﹂
﹁早く戻ってください!﹂
﹁もう食事の時間過ぎてます!﹂
口々に叫んだ後、料理長であるバリーの顔を見て、コック四人の
動きは止まった。
﹁何事ですか?﹂
﹁討ち入りだ﹂
短く答えるバリー。人物の見た目は西洋風なのにヤクザ映画を観
ている気分になっているのは俺だけだろう。
さらに家のそこかしこからメイド服を着た侍女が六名、スカート
の裾をからげてエントランスに駆け込んでくる。
﹁メイド長!﹂
﹁そのような格好でどうされたのです?!﹂
﹁一体何が!?﹂
メイド達はバリーも武装している様子を見て息を飲んだ。
210
﹁どうされたのです?﹂
メイドの中で一番年かさの女が、ゆっくりと息を吸ってから口を
開いた。
﹁何があったんですか?﹂
バリーは説明しろという目線をクラリスに送った。
クラリスがゆっくりうなずいた。
﹁エリィお嬢様が何者かに襲われたのよ﹂
﹁なんですって!?!?﹂
コック達、メイド達は信じられないと目を見開いた。
まず俺のやぶれた衣服や泥だらけの腕と足を確認し、無言でお互
いを見つめると、こっくりと首を縦に振った。視線だけで通じ合っ
たらしい。
全員同時のタイミングでこう言った。
﹁ぶっ殺しましょう﹂
﹁ぶっ殺しましょう﹂
﹁ぶっ殺しましょう﹂
綺麗なハミングだった。
すると食堂の方から父、母、長女、次女がやってきた。
﹁もうとっくに夕食の時間ですわよ!﹂
211
ちょっぴりヒステリックな母がバリーに叫ぶ。が、エントランス
に集合したゴールデン家の使用人達、俺、エイミーを見て、怒りの
顔がすぐに訝しげな表情へ変わった。
﹁何事だ!﹂
垂れ目でイケメンの父親が似つかわしくない怒鳴り声を上げる。
すぐさまクラリスとバリーが恭しく頭を下げると、使用人の面々
も帽子かぶっている者は取って礼をし、手にぞうきんやら道具を持
っているものは床に置いて礼を取った。
﹁お父様、エリィが誰かに襲われたの⋮﹂
エイミーが泣きそうな顔で俺を抱きしめたまま言った。
﹁なんだとッ!?﹂
それを聞いた長女エドウィーナと次女エリザベスが、こちらに駆
け寄ってひざまずいて俺を抱きしめた。﹁大丈夫?﹂﹁怪我はない
?﹂など優しい言葉が頭上から落ちてくる。美女三人に囲まれ、い
い匂いに包まれる。これは悪くない。うむ、悪くないぞ。
﹁旦那様、どうか討ち入りの許可を﹂
﹁下衆の脳漿をぶちまけて参ります﹂
クラリスとバリーがこわい。
﹁おだまりッ!﹂
212
母が底冷えする金切り声で一喝した。
場にいた全員が全身を硬直させ母を見つめた。
﹁あなた﹂
﹁ああ﹂
母と父はうなずいてエントランスを上がっていった。そして一分
もしないうちに、完全武装して、出てきた。
﹁タダじゃおかないわよ﹂
﹁ああ﹂
なんだろう。すごく冷静なところが却って怖い。恐ろしい。
特に母の目は野生の鷹のようにくわっと開かれ、らんらんと獲物
を探している。
マミーが一番怖いッ!
ゴールデン家に冗談は通じない、ということが今日よくわかった。
クラリスとバリーが、静かに父と母の背後に付き従った。気づけ
ばコックとメイド達も各々、槍やらバスタードソードやらメリケン
サックを装備して列に加わった。
﹁四人は家で待っていなさい﹂
母は俺たち四姉妹に厳命すると、キッと前方を睨んで、杖を振り
上げた。
﹁爆炎のアメリアと呼ばれたわたくしを怒らせたらどうなるか、身
213
をもってわからせてあげるわ﹂
俺はすべて理解した。
ゴールデン家で一番強いのは母だと。
間違いなく母が最強だと。
その後、俺は討ち入りしようとする母と父、クラリスとバリーを
説得するのに小一時間を要した。
214
第7話 外出とイケメンエリート︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重94㎏︵−12kg!︶前回と変わら
ずです。
215
第8話 特訓とイケメンエリート︵前書き︶
ブックマークありがとうございます!
今回は特訓回です。
216
第8話 特訓とイケメンエリート
俺はエイミーと秘密特訓場に来ていた。
スカーレット達に襲撃された夜、怒り狂うゴールデン家の面々を
何とか説得し、一人で戦えるぐらい強くなる、と言って家族に溜飲
を下げてもらった。普通の家庭なら絶対にありえない話だ。しかし
ここは異世界で、武の王国グレイフナー。俺の決断は矜持を大いに
得ている、ということになった。
俺がスカーレットを返り討ちにするまで手は出さない、但し、危
険だと判断したら一家総出で討ち入りする、との約束をした。
母がやり場のない鬱憤を晴らそうと庭に火炎魔法をぶっ放したと
きは正直肝が冷えた。
近所の人がどうしたのかと家に来る始末だ。
俺はどうやってスカーレットに報復するか一晩じっくり考えた。
かつて日本で敵と見なした奴らに自分がどんな鉄槌を下したのか
を参考に、吟味した結果、焦点を三つに絞った。
まず力で屈服させる。
武の王国グレイフナーに取って強さはプライドだ。それをへし折
る。
そして恋愛。
217
理想の形は、俺がめっちゃ可愛くなってボブを誘惑し、スカーレ
ットに見せつけ、最終的に可燃ゴミを出すかのように捨てる、とい
う筋書きだ。好きな男を取られ、失恋し、しかもその男をボロぞう
きんのように利用され捨てられる。プライドと乙女心をズタズタに
できるだろう。
他のプランも考えてあるので、ひとまずは綺麗になる努力をしよう。
さらにはお洒落だ。
どれくらい上手くいくかは異世界のお洒落センス次第なところは
あるが、俺がデザイナーとして売り出した流行のファッションをス
カーレットとその周辺には購入できないようにする。という報復は
という
どうだろう。想像するだけで笑いが止まらない。若い女の子がみん
エリィモデル
なと同じ流行に乗れないのは、さぞかしキツイだろうよ。
ミラーズには俺のデザインした商品には
コレ
持ってないんですのね﹂とい
タグをつける予定だ。服に人気が出て、付加価値が付いてくれば﹁
あらスカーレット様は流行の
う優越の目で見下されるだろう。人間はいつでも優劣をつけたがる
からな。
強くなってぶちのめせばいいんじゃないか、と日本にいる同僚あ
たりに話したら言われそうではあるが、それでは魔法使いとしてだ
け勝ったことになるので、大した意趣返しにはならない。エリィが
女としても魔法使いとしても格上だとスカーレットと取り巻き連中
にわからせることが重要だ。
あいつがエリィ、つまりは俺を見る度に劣等感に苛まれるような、
そんな屈辱を味合わせてやるべきだろう。
218
なんたってボブとスカーレットは入学からエリィを追い詰め、自
殺させる原因の一端にまでなっている。これを野放しになどできな
い。もしエリィが生きていたら俺を止めるだろう。彼女は優しいレ
ディだ。でも関係ないね。俺はもう許す気になれないところまで怒
りのメーターが振り切れている。
やるなら徹底的にやる。それが俺のスタイルだ。
ともあれ時間がかかる報復ではある。強くなってダイエットして
お洒落して、お金も稼ぎたいし、やることはいっぱいだ。
すべてを並行させて進める必要があるな。
家に帰ったらクラリスに計画の一部を話そう。
ちなみに、クラリスほどの優秀な秘書は日本でも見たことがない。
密偵はできる、政治にも詳しい、計算や理に聡い、読心術にも長
け、メイドをさせれば心配りは完璧、というスーパーオバハンメイ
ドなのだ。俺の専属メイドになる、という話を父と母が何度かやん
わりと断った理由がよくわかった。クラリスはゴールデン家の執事
のような存在で、財政や領地の統治などを手伝っていたらしい。先
日、娘にメイド長の座を一任したようで、その娘も激ハイスペック
であった。
スカーレットへの報復は、ボブへの復讐と項目がいくつか重なっ
ているので、焦らずにじっくりやっていこう。
まずは強くならなければ。
俺が武で負けていたらなんの意味もない。
エリィ見ててくれよ。このイケメンがお前を変身させてやる。
219
そんなこんなで特訓の監督役となったのがエイミーだ。
父は肺の持病があるのでなるべく安静にしていたほうがいいらし
く、宮殿で内勤をしている。母は領地経営や騎士団の手伝いがあっ
て稽古をつけられない。そこで上位魔法﹁木﹂を使え、回復魔法も
使えるエイミーが監督役に抜擢された。
俺にとっては都合がいい。
サンダーボルト
どのみち、エイミーには落雷を見せようと思っていたのだ。
﹁ということで姉様見ててね。あとびっくりして飛びついたりしな
いでね。どこかのメイドとどこかの料理長は飛びついてきて私のズ
ボンをズリ下ろす、という蛮行に及んでいるわ﹂
﹁ごめんなさい﹂
﹁ごめんなさい﹂
俺の言葉でクラリスとバリーは頭を地面につかんばかりに下げた。
サンダーボルト
﹁わかったけど、そんなにすごい魔法なの?﹂
﹁落雷よ、姉様﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ふえ?﹂
長い沈黙のあとにエイミーは顔をはてなマークでいっぱいにした。
220
冗談なのか本気なのかわからない、といった表情だ。呆けた顔も可
愛らしい。
﹁ああっ⋮!﹂
﹁おどうだば⋮!﹂
早くもクラリスとバリーは地面に膝をついて俺に祈りを捧げ始め
た。
だからそれをやめなさいって言ってんのに。
﹁姉様、聞いてる?﹂
﹁はっ、ええ、ああ⋮⋮聞いてるわよエリィ。でもさすがに伝説の
複合魔法は⋮﹂
エリィ大好きのエイミーでも信じられないらしい。
どうやら雷魔法は本当に伝説のようだ。
サンダーボルト
気を取り直して、俺は集中し、魔力を手のひらに集めた。
﹁いきます﹂
﹁あ、はい﹂
なぜか敬語になる俺とエイミー。
高めた魔力で雷をイメージし、解き放つ。
サンダーボルト
﹁落雷!!!﹂
空気を切り裂く雷が地面に突き刺さった。
ビシャアン!
というけたたましい音が特訓場にこだまし、落雷で空いた穴から
221
静けさと一緒に砂埃が舞い上がった。
﹁え、え、え、エリィ!﹂
﹁︱︱ッ!!!!!﹂
エイミーは言葉にならない言葉を上げた。
﹁エリィィィ!!!!!﹂
叫びながら猛牛のように突進してきて俺に抱きついた。
感動したのか嬉し涙を流している。
﹁エリィ⋮⋮すごいわエリィ⋮。あの伝説の⋮⋮ぐすん⋮⋮ユキム
ラ・セキノと同じ⋮⋮⋮すん⋮⋮雷の魔法を⋮﹂
俺のワンピースをぐいぐい引っ張って、しかもご丁寧それで涙を
拭いて、また引っ張ってくる。
﹁エリィはすごい魔法使いに⋮⋮なるって⋮わたし⋮⋮いつもみん
なに⋮⋮⋮でも⋮⋮学校の友達とか⋮⋮ぐす⋮⋮先生とか誰も信じ
てくれなくて⋮⋮⋮⋮信じてくれたのはお父様とお母様だけで⋮⋮
⋮⋮ちゃんと信じてたけどでも心配で⋮⋮﹂
﹁姉様⋮⋮﹂
俺はエイミーの頭をゆっくりと撫でてやった。
だが今日のエイミーはひと味違った。
﹁だから⋮⋮エリィが立派になって⋮⋮しかも雷魔法まで⋮⋮⋮⋮
222
!﹂
﹁あの姉様、少し苦しいんだけど?﹂
﹁だから⋮⋮だから⋮⋮わたしッ!﹂
﹁お゛ね゛え゛⋮⋮ざま﹂
﹁わたしッ!!﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁エリィーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!﹂
﹁おじょーさまぁーーーーーーーーーーーーーー!﹂
﹁おどうだばぁぁああああああああああああああ!﹂
なぜかクラリスとバリーにも飛びつかれ、抱きしめられてワンピ
ースの上半身をこれでもかと引っ張られた。エイミーは抱きついて
後ろに回した手の力を緩めようとしない。
﹁エリィは天才だねッ!!!!﹂
﹁クラリスは一生ついて参りますぅぅ!﹂
﹁おどうだば! おどうだば!!﹂
﹁ちょっと! 離してちょうだい!﹂
三人が俺にひっついて、ワンピースに全体重をのせるようにぐい
ぐい引っ張ってくる。
そうなると服はどうなるのか。もちろん結果は明白であった。
︱︱ビリビリビリィ
﹁あっ!﹂
﹁ああっ!﹂
﹁おどうだば⋮!﹂
223
ミラーズで作ってもらった黒のワンピースは、盛大な音を立て、
縦三つに破れた。
俺はスポーツブラのような下着姿に、見事なまでの三段腹をさら
し、上半身裸になった。
三人は無言のまま俺の下着と突き出た腹を見て固まった。
︱︱チュンチュン
小鳥達が俺たちの脇で楽しそうにダンスをし、互いのくちばしを
突き合って飛び去っていく。
︱︱そこに座りなさい
俺の冷めた声が特訓場に響く。
︱︱はい
三人を正座させ、大人の癖に何しているの、とお説教した。
上半身裸で三段腹の少女が、オバハンメイドと強面料理人、伝説
級美女を正座させて叱りつけている様は、端から見れば意味不明な
光景だろう。
224
三人とも興奮しすぎたことに反省し、ようやく特訓を開始するこ
とになった。
ほんと勘弁してくれ。この手のギャグはいらねえよまじで。
デブの裸を見て誰が得するんだよ。
﹁エリィは本当に上位魔法が使えないの?﹂
﹁そうなの。そういう事例ってあるの?﹂
木
しかできないから﹂
﹁聞いたことがないなぁ。複合魔法は、必ず上位魔法を組み合わせ
ないと発現しないよ﹂
﹁姉様はできる?﹂
﹁できないよ。上位魔法は
﹁じゃあ今の私の状態で雷魔法が使えるのって⋮⋮﹂
﹁はっきり言うと、異常だよね﹂
エイミーは割とひどいことをにこやかな笑顔で言った。
﹁でもエリィは天才だから﹂
そしてさらりと問題を回避した。
いやそこは原因追及しようぜ。
﹁とりあえず、魔力を練ることからやろうよ。エリィってあまり魔
力操作が上手くないでしょう?﹂
﹁うん﹂
エイミーは杖を出して魔法を唱えようとしたが、ぴたっと動きを
止めた。
﹁そういえば⋮⋮さっき杖なしで魔法使ったよね?﹂
225
﹁ええっと⋮⋮そうだけど⋮⋮⋮﹂
﹁エリィ!!﹂
がばっと抱きついてエイミーは俺の頭を撫でた。替えのワンピー
スまで破られたら洒落にならないので、飛びつこうとしているクラ
リスとバリーをたしなめるように睨んでおく。
﹁お嬢様は天才でございますからね﹂
クラリスはエイミーに言った。
﹁クラリス、ちょっとあなたの杖貸してくれない?﹂
﹁もちろんですお嬢様!﹂
サンダーボルト
サンダーボルト
試しにクラリスの杖で落雷を使ってみる。
杖で指したあたりに、落雷が落下した。
﹁杖だとやりにくい﹂
﹁ええっ! そうなの?﹂
エイミーが驚きの声を上げる。
杖を持っていると、勝手に魔力が杖へと引っ張られていくのだ。
地味に制御しづらかった。杖なしでやったほうがよっぽど効率がい
い。
おそらく杖は魔法を発動させる補助の役割をしているみたいだ。
使い慣れると、これなしで魔法を使うことが難しくなるのではない
だろうか。オートマに慣れるとマニュアルの運転が下手になる、そ
んな感じだろう。
226
次にエイミーから教えてもらったのが魔力循環の練習だ。
まず力を抜いて立つ。
へその辺りに魔力を集中させて体内で循環させるイメージ。
高速回転させたりゆっくり回転させたりを、何度も繰り返す。
十分もやると汗が吹き出てきた。
これダイエットにいいかも!
﹁私は毎日やってるよ﹂
﹁姉様は美人で努力家でえらいなあ﹂
﹁エリィ、恥ずかしいこと言わないで。エリィのほうが可愛いんだ
から﹂
﹁ないない。姉様それはない﹂
サンダーボルト
エイミーと話し合ってしばらく学校を休んで特訓することにした。
スカーレットの顔を見ると怒りで落雷をぶっ放しそうだからな。
エイミーも練習に付き合ってくれるそうだ。美人と練習。いい響き
だな。本当は﹁夜の﹂が付くともっといいんだが、俺、女だしなぁ。
○
それから一週間、朝から晩飯の時間までみっちりエイミーと練習
した。
魔力循環の練習。
エイミーと模擬戦。
227
さらに元冒険者であったバリーと、魔法を使わない相手との戦い
を想定した模擬戦。
日に日に強くなっていく自分がわかるので楽しい。
ジムに通って自分の体がでかくなっていくのと同じだな。
この強くなっていく感覚はやり出したら止まらない。
魔法について色々とわかったことがある。
基礎魔法が使えるようになれば、あとは応用で自由が利く、とい
うことだ。
例えば風の中級基礎魔法﹁ウインドブレイク﹂は突風と小さな風
の刃を作り出し相手を攻撃する。﹁ウインドブレイク﹂を薄く細く
すると、﹁ウインドカッター﹂になる。イメージすればカッターの
形を半月型にしたり、円形で飛ばすこともできる。
風の上級基礎魔法﹁ウインドストーム﹂はつむじ風と中ぐらいの
刃を作り出し相手を攻撃する。﹁ウインドストーム﹂を薄く細くす
ると﹁ウインドソード﹂になる。﹁ウインドカッター﹂よりも強力
な切断力で、岩をも両断する。
不思議なのは、どれだけ﹁ウインドカッター﹂に魔力を注いでも
﹁ウインドソード﹂にはならないことだ。魔力を注げない、という
表現が正しいかもしれない。茶碗に入れられる米の量が決まってい
るのと同じだろう。魔法によって器があり、魔力を注げる量が決ま
っているようだ。
新しい基礎魔法を憶えるには魔法の詠唱が必要だ。
とりあえず片っ端から詠唱してみた。
228
﹁光﹂上級
﹁風﹂上級
﹁土﹂初級
﹁水﹂初級
﹁土﹂﹁水﹂を習得できた。
残念なことに﹁闇﹂と﹁火﹂ができなかった。もっと修練を積め
ば誰でも初級ぐらいまではできるようになる、とエイミーは言って
いたが、彼女も天才の部類に入るようだからあまりその言葉は信用
していない。
それを言ったら泣きそうになっていたので、可愛い姉をいじめる
のはそこそこにしておこう。
○
﹁姉様、学校をこんなに休んで大丈夫なの?﹂
俺は魔力循環の練習のあと、汗をクラリスに拭いてもらいながら
聞いた。
特訓は十日目に突入している。さすがにまずいんじゃないかと思
った。
﹁六年生は自由研究だから平気。それに卒業資格はもうあるしね﹂
﹁上位魔法ができればいつでも卒業できるんだよね?﹂
﹁そうそう﹂
﹁どれくらいできる人がいるの?﹂
229
﹁うーん六年生の中だと十分の一ぐらいかな﹂
﹁やっぱり姉様はすごいね。あと可愛いし美人だし優しいし﹂
﹁だからエリィってばからかわないでよぉ﹂
顔を赤くして、ぽかりと俺の腕を叩くエイミーは、それはもうと
てつもなく可愛い。
﹁考えたんだけど、エリィは雷魔法が使えるんだから上位の白魔法
と空魔法ができる下地はあると思うんだよね﹂
﹁うーん試したけどできなかったよ?﹂
昨日、すんげえ小っ恥ずかしい詠唱をしてみたものの、﹁白﹂と
﹁空﹂は習得できなかった。雷魔法を使ったときの魔力の暴走みた
いな熱さを感じたが、あと一歩、コツがつかめない。何度か試して
魔力切れを起こし、ぶっ倒れそうになった。魔法は失敗すると魔力
のロストが激しい。
﹁私のイメージだと、土魔法を体内で循環させて、木魔法に変換す
る感じだよ﹂
﹁そのときどれくらい魔力を使うの?﹂
﹁なんていうんだろう、いっぱい? たくさん? 木が私の中で生
えてくる感覚。こう、中を突き抜けていく感じかな﹂
今の表現がちょっとエロいと思った俺は健全な男子だと思います。
﹁白魔法も同じような感覚なのかな﹂
﹁習得したくて聞いてみたけど、みんな言うことがバラバラなんだ
よね﹂
﹁感覚に個人差があるってことか⋮﹂
﹁そうなんだよねぇ﹂
230
﹁白魔法ができたら便利だよね﹂
﹁私ができていればエリィに教えてあげられたのに﹂
エイミーは悔しそうな顔して俯いた。
﹁ううん姉様。私が憶えて教えてあげるわ﹂
﹁そうだね。そうなったら嬉しいな﹂
﹁あら、ありがとうクラリス﹂
クラリスがぬるめのハーブティーを俺とエイミーに出してくれる。
そろそろお昼の時間だ。
クラリスが作った即席の野外テーブルの席に着き、俺はノートに
書いた魔法を確認した。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
炎
白 | 木
\ 火 /
光 土
○
風 闇
/ 水 \
空 | 黒
氷
習得した魔法
231
下位魔法・﹁光﹂
下級・﹁ライト﹂
ミラージュフェイク
中級・﹁ライトアロー﹂
ヒール
﹁幻光迷彩﹂
﹁治癒﹂
キュアライト
上級・﹁ライトニング﹂
﹁癒発光﹂
下位魔法・﹁風﹂
下級・﹁ウインド﹂
中級・﹁ウインドブレイク﹂
﹁ウインドカッター﹂
上級・﹁ウインドストーム﹂
﹁ウインドソード﹂
﹁エアハンマー﹂
下位魔法・﹁水﹂
下級・﹁ウォーター﹂
下位魔法・﹁土﹂
下級・﹁サンド﹂
サンダーボルト
複合魔法・﹁雷﹂
落雷
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
いやーめっちゃ憶えた。
俺、凝り性だからな。
232
ミラージュフェイク
幻光迷彩は光の屈折を利用して自身の残像を見せる魔法だ。これ
はすごいぞ。なんたってデブが真横に四人ダブって見えるからな。
対人戦ではかなり有効だ。
近づいてきた奴は空気の拳、エアハンマーで遠くへ吹っ飛ばす。
距離を取ってウインドカッターとウインドソードで切り刻む。
傷ついたら光魔法で回復する。
今のところ誰かに襲われたらこんな感じで戦う予定だ。
○
さらに三日、俺は新しい魔法の開発に成功した。
消音
バニッシュ
というオリジナル魔法があったのだ。
ヒントはバリーの魔法にあった。バリーの適性魔法は﹁闇﹂で、
彼が使う魔法の中に
のせい
﹁何度も脳内でイメージしながら、自分でつけた名前を唱えていた
らできるようになりました﹂
﹁自分で魔法を作ったの?﹂
﹁左様でございます﹂
﹁他の人は知ってるの?﹂
消音
バニッシュ
﹁冒険者同士で自らの秘技をしゃべることはありません﹂
気づかないうちにバリーが近くにいるのは、この
だった。
魔法使って近づくとかほんとやめて。
233
サンダーボルト
どうにかして雷魔法、落雷が有効活用できないかと思って試行錯
誤していたので、バリーのアイデアは素晴らしかった。その結果、
確固たるイメージを構築して自ら命名すると、新しい魔法が作れる
ことが判明し、俺は三つの雷魔法が使えるようなった。
エレキトリック
スタンガンみたいな、触れた相手にショックを与える魔法。
﹁電打﹂
インパルス
前方に電流を放出して相手をはじき飛ばす魔法。
﹁電衝撃﹂
サンダーボルト
ライトニングボルト
落雷を一点に集中させて放出する魔法。
﹁極落雷﹂
ライトニングボルト
極落雷はあまりに強力で、特訓場からまた温泉が噴き出る、とい
うアクシデントが起きたためエイミーに使用を禁止された。
サンダーストーム
﹁姉様。私の目に見えている範囲すべてへ雷を落としまくる雷雨っ
ていうのも思いついたんだけど︱︱﹂
﹁エリィ、お願いだからやらないでね﹂
釘を刺したエイミーは必死だった。
﹁なんかごめんなさい⋮﹂
俺はちょっとやり過ぎたと反省する。
234
ノートに新しい魔法を追加した。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
炎
白 | 木
\ 火 /
光 土
○
風 闇
/ 水 \
空 | 黒
氷
習得した魔法
下位魔法・﹁光﹂
下級・﹁ライト﹂
ミラージュフェイク
中級・﹁ライトアロー﹂
ヒール
﹁幻光迷彩﹂
﹁治癒﹂
キュアライト
上級・﹁ライトニング﹂
﹁癒発光﹂
下位魔法・﹁風﹂
下級・﹁ウインド﹂
中級・﹁ウインドブレイク﹂
﹁ウインドカッター﹂
上級・﹁ウインドストーム﹂
﹁ウインドソード﹂
235
﹁エアハンマー﹂
下位魔法・﹁水﹂
下級・﹁ウォーター﹂
下位魔法・﹁土﹂
下級・﹁サンド﹂
サンダーボルト
複合魔法・﹁雷﹂
エレキトリック
﹁落雷﹂
インパルス
﹁電打﹂
ライトニングボルト
﹁電衝撃﹂
﹁極落雷﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
○
夕食はいつも通り家族全員で取っている。
俺はダイエットをしっかり継続し、甘い物の誘惑を断ち、余計な
炭水化物は摂取しないようにしている。
﹁それでエリィ。特訓はどうなの?﹂
母アメリアがついにしびれを切らしたのか尋ねてくる。
驚かそうと、俺もエイミーも特訓の成果をずっと黙っていたのだ。
﹁それがお母様⋮⋮﹂
236
俺はわざと残念そうな顔をした。
ヒール
ピクッと母の眉がつり上がる。
ミラージュフェイク
﹁ダメ、だったのね?﹂
キュアライト
﹁そうなんです。幻光迷彩、治癒、上級のライトニング、癒発光、
中級のウインドブレイク、ウインドカッター、上級のウインドスト
ーム、ウインドソード、エアハンマー、それから水魔法の下級と土
魔法の下級しか習得できなくて⋮⋮﹂
﹁え? なんですって?﹂
﹁今言った魔法しか習得できなかったんです﹂
母アメリアは目を見開いて愕然とし、父ハワードは持っていたス
プーンを落とし、長女エドウィーナはパンをかじったまま動きを止
め、次女エリザベスは音を立てて立ち上がった。
﹁あなた、四種類魔法が使えるように⋮⋮?﹂
﹁そうですよお母様。エリィはスクウェア魔法使いになりました﹂
エイミーがどうだ! といわんばかりに胸を張った。大きい胸が
これでもかと強調される。
﹁エリィィィィィッ!﹂
﹁うおおおおおおおお!﹂
﹁エリィーーーーーー!﹂
﹁エリィーーーーーーーッ!﹂
四人は急に立ち上がって俺に抱きついてきた。
父はどこにそんな力があるのか、俺を抱きしめる妻と娘二人ごと
持ち上げてぐるぐると回った。
237
﹁く、くるしいッ!﹂
何か事件か、と食堂に飛び込んできた使用人達は、嬉しそうな俺
たちを見て﹁どうしたんですか!?﹂とせき立てる。
エイミーが事情を説明し、スクウェア魔法使いになったことを説
明すると、一気に俺のところまで集まってきて、ぼろぼろ泣いて﹁
ばんざぁぁい!!!!﹂と叫ぶ。俺はようやく父親から下ろされた。
﹁わたくしがどれほどエリィを心配したか⋮﹂
﹁俺は嬉しいぞ! 嬉しいぞ!﹂
母と父が口々に言う。
嬉しいときはすぐに飛びつく。
これはクラリスやバリーだけではなく、ゴールデン家の家風のよ
うだった。
俺はワンピースが破られないようにガードしながら笑った。
ゴールデン家の温かさに、なぜか俺も涙が出てきた。
日本に戻れず、異世界で女になったことで、さすがの俺も精神的
に結構きていたのかもしれない。新しい家族の心地よさに身を任せ
ながら、俺は日本のことを思った。
向こうに戻りたい。でもこっちの世界も、悪くない。
238
﹁お嬢様。明日からの魔物狩り演習合宿、ご活躍に期待しておりま
す!﹂
使用人の歓声の中から、クラリスのそんな言葉が聞こえたような
気がした。
239
第8話 特訓とイケメンエリート︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重87㎏︵−7kg︶
240
第9話 合宿とイケメンエリート
なぜこうなってしまったのか。
俺はクジ運の悪さに嫌気が刺していた。
班員は6名。
ランダムにくじ引きで選出される。
まずスーパーイケメンエリート小橋川ことエリィ・ゴールデンの
俺。
闇のクラスから、狐人の女の子、アリアナ。
がりがりに痩せていて、すんげー暗い。近くに行くと空気がどよ
ーんとする。顔は目鼻立ちがはっきりしていて可愛らしい、のだが、
いかんせん痩せすぎで可愛く見えない。狐の耳が頭から出ていて、
たまにぴくぴく動いている。
火のクラスから、人族のむさい男、ワンズ。
顎がしゃくれていて、眉毛が濃い。暑苦しい顔だ。地球で言う中
東系の顔立ちで、見れば見るほど味が出てくる顔をしているので、
俺は﹁スルメ﹂というあだ名をつけた。腰には両手剣のバスタード
ソードを帯刀している。魔法と併用して使うのだろう。
水のクラスから、人族のイケメン風、ドビュッシー。
241
とりあえずカッコつけすぎでうざい。気障ったらしくてうざい。
髪の毛が亜麻色で名前がアレだったので﹁亜麻色の髪のクソ野郎﹂
とあだ名をつけた。
土のクラスから、ドワーフ族の男、ガルガイン。
ことあるごとに地面にツバを吐くから、俺は﹁たんそく﹂とあだ
名をつけた。痰を吐く、と短足をかけている。身長は百五十センチ
ないぐらいだ。腕がやたら太い。
そして光のクラスから、人族のおすまし女、スカーレット。
言わずもがな、あのスカーレットだ。イケメン風のドビュッシー
にちやほやされてご機嫌の様子だ。光のクラスメイトが同じ班にな
ることは滅多にないらしいが、その滅多が運悪く起こってしまった。
引率はハゲ⋮⋮もとい、ハルシューゲ先生だ。
唯一の救いだ。ハゲ神とお呼びしたい。
﹁野営地点はまだなんですの?﹂
﹁もう少しだよ、麗しきレディスカーレット。僕に着いてくれば何
の問題もないさ﹂
亜麻色の髪のクソ野郎は髪をかきあげて、気障ったらしく一礼す
る。そんなことしてる暇があるならちゃきちゃき歩けや。リーダー
をやるとしゃしゃり出てきたので今のところ黙ってはいる。他のメ
242
ンバーも、まあとりあえずやらせてみるか、といった具合だ。
﹁黙って歩けねえのか?﹂
ドワーフのたんそくが、ペッとツバを吐いて言う。
右肩に担いだアイアンハンマーを軽々と左肩に移動させた。
﹁あなたツバを吐くのはマナー違反ですわよ。わたくしにかかった
らどうしてくれますの?﹂
﹁ああん?﹂
﹁紳士としての振る舞いができないのですね﹂
スカーレットが汚い物を見るような視線を送った。
﹁なんだよ、変な髪型﹂
たんそくはしかめっ面でスカーレットの髪型を見た。
縦巻きロールがおかしいらしい。
俺はこっそり笑った。
﹁な、なんですって!?﹂
﹁やめたまえガルガイン君。レディを罵倒するなんて紳士のするこ
とじゃないよ﹂
亜麻色の髪のクソ野郎⋮⋮もうめんどくさいから亜麻クソでいい
や。亜麻クソが右手を広げて、気障ったらしく杖を構えてポーズを
取った。
﹁なんだあ? やるってのか?﹂
243
ペッとツバを吐いて、たんそくが重そうなアイアンハンマーを両
手に持って構えた。
﹁ちょっとスルメ。あなた止めなさいよ﹂
﹁誰がスルメだ! 誰がッ!!﹂
﹁あなたに決まってるでしょ﹂
﹁変なあだ名つけるんじゃねえよ!﹂
濃い顔のしゃくれたスルメが俺に顔を近づけて怒鳴った。
﹁男なら男らしく止めてきなさいよ﹂
﹁おうよ!﹂
どうやら男らしさに美学を感じているらしい。扱いが原付バイク
並に簡単だ。
道中が暇なので、俺はスルメをからかって暇つぶしをしている。
﹁おめえら喧嘩はやめろ!﹂
﹁なんだあ? おめえもやるってのかぁ?﹂
﹁何ッ!? 売られた喧嘩、このワンズ、買わない男ではないぞ!﹂
スルメも杖を抜いて構えはじめた。
止めに入って二秒で喧嘩に参加してるじゃねえか!
﹁皆さん、わたくしの為に争うのはやめて⋮﹂
スカーレットがおろおろする演技をして、口元に両手を当てて上
目遣いで男達を見ている。
おめえの為に争ってねえよ?!
244
思わずツッコミそうになるのを我慢するのが大変だ。
止めるのも面倒くさいので傍観していると、狐人のアリアナが﹁
うるさい﹂とぼそっと呟いて杖を振った。
黒い霧が三人の顔を覆っていく。
睡眠霧
スリープ
だ。
全員、身もだえて、地面に転がった。
﹁闇﹂の上級魔法
﹁アリアナ、悪いわね﹂
俺はぼそっと礼を言った。
彼女は小さく首を横に振った。大したことじゃない、と言ってい
るようだ。班の中で、この小さい狐人が一番頼りになりそうだ、と
俺は思っている。
﹁なんてことを!﹂
ヒール
スカーレットが亜麻クソに駆け寄って治癒をかけ、顔を優しく叩
く。
スルメとたんそくのことは無視だ。
ヒール
スリープ
睡眠霧
を発動させているので、治癒ですぐに起
ヒール
治癒はほんの少しではあるが、解毒作用がある。アリアナがかな
り手加減をして
きる。
ヒール
たんそくとスルメには、俺が仕方なく治癒を唱えてやる。
﹁ペッ。こ、ここはどこだ﹂
245
﹁なぜ俺は寝転がっているんだ?﹂
とまあこんなやりとりがこれで三回目だ。
みんな目的を遂行しようっていう気持ちはあるのかと疑問でしょ
うがない。ビジネスマンだったらこんなもんすぐにクビだぞ。
ハゲ神⋮⋮もといハルシューゲ先生はこの一連の流れを見てため
息を漏らした。さっきから、はぁはぁとため息ばかり漏らしている。
あんまりため息をすると毛が抜け落ちますと進言した方がいいだろ
うか。
○
やっとのことで野営地点に到着した。
通常の二倍は時間がかかってしまっている。
食事は碌に作れず、簡易的なスープとパンをかじってすぐさまテ
ントに入った。やけに疲れている。スカーレットは俺と同じテント
が嫌だといって亜麻クソにテントを張らせ、一人で寝ている。男三
人は同じテントに入っているようだ。
俺はアリアナと二人だ。
彼女は起きているようだったが何も話さない。死んだ魚のような
目をして本を読んでいた。本が読みやすいように光魔法の初歩﹁ラ
イト﹂をかけてあげたので、俺に多少は感謝しているようだった。
何かしゃべれよ、と思いつつ、間が持たないので外に出る。
246
外に出ると、たき火にハルシューゲ先生が両手を広げてあたって
いた。
額がたき火の明るさでテカっている。
季節は夏でも、大草原の夜は冷えるな。
﹁エリィ君か﹂
﹁まだおやすみにならないんですか?﹂
﹁そろそろ魔物が出てもおかしくない。見張りだよ﹂
﹁では私たちも見張りをしたほうがいいですね﹂
﹁リーダーのドビュッシー君がその指示を出すべきなんだよ。私は
引率兼採点者にすぎないからね﹂
この合宿は点数制になっている。
○各班に与えられた場所への到達時間。︵十点︶
○指定した魔物を狩ること。︵十点︶
○くじ引きで決まったメンバーとの連携。︵十点︶
○個人の評価︵二十点︶
最高点は五十点だ。
﹁愚痴を言っていいかねエリィ君﹂
﹁ええ先生﹂
俺もたき火の近くに腰を下ろした。
空を見上げると地球の三倍ぐらいある三日月が怪しく輝き、草の
香りが風に乗って鼻をくすぐる。右を向いても左を向いても見渡す
限り草しかない大草原だった。小さいたき火を囲んでいると、無人
247
島に取り残されたような、そんな気分になる。
﹁こんなにひどい班を引率したのは初めてだよ﹂
﹁そうでしょうね﹂
俺はハルシューゲ先生が可哀想になった。
確かにこれはひどい。
﹁はあ⋮⋮君がリーダーをやったほうが遙かにいいだろう﹂
﹁そういう訳にもいきませんよ。みんなプライドが高そうですから﹂
﹁前々から思っていたけど君は本当に大人だねえ。最近明るくなっ
たし、勉強も頑張っているようだし、素晴らしい﹂
﹁ありがとうございます先生﹂
﹁それに⋮⋮少し失礼かもしれないが言わせてもらおう。随分痩せ
たようだ。以前より綺麗になったね﹂
﹁まだまだですよ﹂
﹁頑張っているようで何よりだ。頑張っている生徒が先生は好きな
んだよ。この班のメンバーも頑張ってはいるんだがね⋮⋮いかんせ
ん我が強いというか何というか⋮﹂
俺はうんうんとうなずいた。
﹁エリィ⋮﹂
テントから狐耳をぴこぴこさせてアリアナが出てきた。
﹁ライト⋮﹂
ライトが切れたので魔法をかけてほしいようだ。適正が闇だと光
魔法の習得は難しいらしい。基礎魔法六芒星の逆にある魔法は誰で
248
も苦戦するようだ。光なら闇、水なら火、土なら風、といった具合
だ。
﹁アリアナ、ちょっとお話ししましょう﹂
俺はダメもとで誘ってみた。
同じ班の仲間なのだから交流は大事だ。それに俺はこのアリアナ
が一番冷静で魔法も上手いと踏んでいる。
意外にも彼女は素直に俺の横に腰を掛けた。
﹁風が気持ちいいわね﹂
﹁そうね⋮﹂
﹁あなたどこに住んでるの?﹂
﹁グレイフナーのはずれ⋮﹂
﹁へえ。通学に時間がかかるでしょ﹂
﹁一時間⋮﹂
﹁遠いわね﹂
﹁別に⋮﹂
﹁兄弟はいる? うちは四姉妹よ﹂
﹁七人兄弟⋮﹂
﹁長女なんでしょ。面倒を見るのが大変そうね﹂
﹁別に⋮﹂
これは全力でホテルに行くのを拒否する女子と同じパターン!
くっ、間が持たねえ。
いや、恥ずかしがっている可能性だってある!
攻めるんだ、俺ッ。
249
﹁それにしてもあなたスリムね。私の肉を分けてあげたいわよ!﹂
さあ吉とでるか凶とでるか。体型の話題は女子にとっては禁句。
だが渾身の自虐ネタだ。こい、食いついてこい!
﹁いらない⋮﹂
ダメーーーっ!
﹁そういえばアリアナ君はグランティーノ家だったね。お父様はお
元気かい?﹂
ハゲ神、ここでナイスアシスト。
ここから話題が膨らんでいくはずだ。いいぞ先生!
﹁父は死にました⋮﹂
あかーーーーーーん!
﹁おお⋮⋮それは大変申し訳ない﹂
﹁別に⋮﹂
先生、頭をぺちぺち叩いて困った顔をしている。それはダメだ。
困ったときこそ困っていない振りをしないと。堂々としていないと
いい営業にはなれないぞ先生!
大草原は風を受け、ビロードのように揺らめいている。
たき火の中で木が爆ぜてパチンという音が鳴った。
250
﹁エリィ⋮ライト⋮﹂
﹁え、ええそうだったわ。ライトね﹂
助かった、と思った自分が残念だった。
俺の会話術もまだまだだな。
アリアナはテントに戻ろうとして、立ち止まった。耳が右に左に
向き、前方で止まると、ぴくぴく痙攣するように震えた。
﹁くる⋮﹂
彼女は腰にさしていた杖を抜いた。
﹁むっ﹂
アースソナー
ハルシューゲ先生も杖を抜き、大地に片手を置いて、土の上級魔
法・地面探索を使った。この魔法は地面の上を歩いている生物や、
動いている物を探知するものだ。町中で使うと人の数が多すぎてほ
とんど無意味であるが、こういった開けた場所だと、どこに、どれ
くらいの生き物がいて、大きさがどれぐらいかわかる有効な魔法だ。
﹁魔物だな。おそらくウルフキャットだろう。数は⋮⋮十、いや十
一か﹂
﹁そんなに?﹂
﹁エリィ君、すぐに班のメンバーを起こしてきなさい﹂
俺は男性陣のテントに入り、水魔法の初歩﹁ウォーター﹂を三人
の顔にぶっかけた。
251
ちなみに俺の持っている杖は、ただの棒きれだ。
無杖だと驚かれるので、クラリスと話し合って適当な棒きれを持
つようにしている。
﹁起きて! 魔物よ!﹂
いきなり水をかけられて怒ろうとするものの、すぐ事態に気づい
て三人とも武器をひっつかみ、テントを飛び出した。
スカーレットはどうせ亜麻クソが起こすだろうと思って声は掛け
ていない。
全員がハルシューゲ先生のもとに集合する。
﹁すぐそこまでウルフキャットがきている﹂
﹁はん! たかがウルフキャット、僕一人で充分ですよ﹂
﹁さすがはドビュッシー様。万が一、お怪我をしたらわたくしが治
して差し上げますわ﹂
﹁おお麗しのスカーレット! 君が後ろにいるだけでどんなに心強
いか﹂
﹁ペッ。喜劇はその辺にしろよ。くるぜ﹂
たんそくがいいことを言った。
ウルフキャットは十メートル前まで来ているのだ。
見た目は猫が少し大きくなった程度で、あまり怖くはない。
ただ、牙から流れるよだれは、こいつらが魔物であることを物語
っている。己の欲望のまま、本能のままに動く存在。魔力が集まり
化け物になった動物、らしい。見るのは初めてだった。
252
十一匹のウルフキャットは俺たちの回りを旋回する。
﹁ライトニング!﹂
俺はすぐさま光の上級魔法を唱えた。
ファイヤーボール
を
光の玉が上空に浮かび、広範囲を明るくする。これで夜目が利く
魔物のアドバンテージはなくなった。
﹁やるじゃねえかエリィ・ゴールデン!﹂
しゃくれ顔のスルメが一気に飛び出し、
唱える。
よけきれなかった一匹に当たり、黒こげになる。
続けて杖をしまいバスタードソードを抜いて斬りつけた。素早い
ウォーターウォール
ウルフキャットは空中に跳び上がって、剣撃をかわした。
後方では亜麻クソが髪をかき上げながら、
でウルフキャットを二匹まとめて弾きとばしている。
たんそくはバッティングセンターの要領で、飛び掛かってきたウ
ルフキャットを、アイアンハンマーでぶっ叩いていた。魔法はどう
した魔法は!?
睡眠霧
スリープ
スカーレットは怖がる振りをして亜麻クソの後ろに隠れている。
働けッ!!
連携もクソもあったもんじゃねえな。
個々がそれなりに強いから成り立ってるって感じだ。
アリアナは男三人が撃ち漏らした敵に向かって、正確な
253
を唱えている。一メートル四方の黒い霧の中に、吸い込まれるよ
睡眠霧
スリープ
うにしてウルフキャットが突撃し、霧を飛び出すと、眠りこけてい
た。アリアナがウルフキャットの動きを読んで、的確に
を飛ばしているのだ。上手い。
を消す。
俺は何かあったときいつでも対応できるように様子をうかがって
いた。
ライトニング
五分もかからずにウルフキャットは全滅した。
俺は他の魔物に見つからないよう
周囲が夜の景色に戻った。
﹁移動したほうがいい⋮﹂
アリアナが珍しく意見を言った。
﹁血の臭いで他の魔物が来るからな﹂
ドワーフのたんそくがツバを吐きつつうなずく。
﹁ではテントを回収し、奥へ進もう!﹂
﹁どっかのおデブさんは何にもしなかったわね﹂
亜麻クソが張り切って仕切り出し、スカーレットがすれ違いざま
にそんなことを言う。
いやいやお前もだろうが。
ハルシューゲ先生はやれやれといった表情でため息をついてテン
トを片付け始めた。
254
第9話 合宿とイケメンエリート︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重87㎏︵±0kg︶
255
第10話 魔物とイケメンエリート︵前書き︶
ブックマーク、評価、ありがとうございます!
256
第10話 魔物とイケメンエリート
グレイフナー王国北部に位置する﹁ヤランガ大草原﹂は奥地に行
くほど湿地帯へと変化し、死を覚悟してさらに進むと沼地になる。
沼地は未知の生物や魔物、底なし沼が点在し、入り込んだ者を容赦
なく食らい尽くす、前人未踏の秘境であった。
王国では﹁ヤランガ大草原﹂の五分の一までを王国領土と定め、
その先を進入禁止区域とし、進む場合には冒険者協会を通して許可
を必要とさせた。あまりにも危険なので、おいそれと国民に近寄ら
せないようにしているのだ。
そんな規則を作らなくても誰も近寄らないほど﹁ヤランガ大草原﹂
は危険だ。進入禁止区域を越えると凶悪な魔物が激増し、生半可な
冒険者ではすぐ自然の掟の餌食になってしまう。さらにはC級クラ
ス亜竜ワイバーンの魔窟があるとされていた。大草原は奥へ進むほ
ど弱肉強食の世界が広がり、人間などはちっぽけな存在に成り下が
る。
それでも冒険者達は沼地の最終地点がどうなっているのか知りた
がっていた。冒険魂が俺たちを冒険に駆り立てるッ、というむさ苦
しいセリフを残して帰って来なかったパーティーがここ百年で九組。
命からがら戻ってきたパーティーが三組。その十二組の中で沼地に
到達できたのはわずか二組。逃げてきたパーティーが沼地入り口で、
前の冒険者パーティーの遺品を見つけたのだ。他のパーティーも沼
地までたどり着いたのかもしれないが、確かめる術はなかった。
257
今回の実習では﹁ヤランガ大草原﹂の入り口から﹁進入禁止区域﹂
へ二十分の一まで進んだところで実習を行っている。大草原の入り
口から近いので、強力な魔物はほとんど現れない。グレイフナー魔
法学校三年生の通過儀礼であり、この実習で実力を示すと実力者と
して認められる。いい勤め先に入れるし、王国へのコネもできる。
俺はスルメの暑苦しいしゃくれ顔を見ながら、暑苦しい解説を聞
いていた。
周囲には朝日が満ち、草原に生命の彩りを加えていた。
﹁だから俺はこの実習で失敗したくねえんだよ。わかったかエリィ・
ゴールデン﹂
﹁エリィでいいわよ、スルメ﹂
﹁だから誰がスルメだよ誰がッ!!﹂
﹁あなたよ﹂
﹁変なあだ名つけるんじゃねえよ!﹂
﹁いいじゃない。憶えやすいし﹂
﹁あ、そうか憶えやすいか﹂
﹁そうよ﹂
草が服に当たる柔らかい音が響く。
歩き続けてこの、サワサワサワ、という音にも慣れた。
前方を歩く、ハゲ神、アリアナ、たんそく、亜麻クソ、スカーレ
ットがちらりとこちらを見る。スルメのでかい声に呆れているよう
だった。
258
﹁ってやっぱりスルメかよ!!!﹂
﹁おそっ! 気づくのが遅いわよスルメ﹂
﹁だから誰がスルメだよ誰がッ!!!!!!﹂
﹁あなたよ﹂
﹁変なあだ名つけるんじゃねえよ!﹂
﹁いいじゃない。憶えやすいし﹂
﹁あ、そうか⋮⋮ってその手は食わねえよッ!﹂
﹁ちょっと、あまり大きい声を出さないでちょうだい﹂
﹁誰のせいだよ誰のッ!!﹂
﹁あなたよ﹂
﹁あ、そうか。俺のせいか﹂
スルメはやはり原付バイク並に扱いやすい男だった。
ただ、戦闘に関してはなかなかに優秀だ。ほぼ詠唱なしでファイ
ヤーボールを連射でき、狙いが正確、両手剣のバスタードソードの
使い方も様になっていた。ウルフキャットぐらいならこいつ一人で
全滅させられるだろう。
先頭を歩いていた狐人のアリアナが、頬のこけた顔を右へ向け、
立ち止まった。
﹁くる⋮﹂
それだけ言って、杖を抜いた。
﹁敵は何匹いる?﹂
﹁三⋮⋮四匹。中型⋮﹂
﹁では僕に任せてもらおう﹂
259
亜麻クソが気障ったらしく、おもむろに杖を腰から抜き放ち、天
高くかかげ、魔物のいるであろう方向へ構えた。
もし効果音を付けるなら、シュバ、ピュキュイイン、ババッ、ズ
ビシィ! といった具合だろう。非常にうざい。まとわりつくうざ
さだ。間違えて手に木工ボンドつけちゃった時ぐらいうざったい。
﹁ペッ。てめえ、また手柄を独り占めしようってんだな﹂
﹁今度はこのワンズ・ワイルドがやろうではないか﹂
ドワーフのガルガイン、通称たんそくが息巻いている。
スルメの名字は﹁ワイルド﹂だ。ぴったり過ぎて笑える。
﹁でこぼこコンビの君たちには荷が重い。後ろで隠れていたまえ﹂
﹁ペッ。ご託はいい。キザ野郎﹂
﹁誰がでこぼこコンビだ誰がッ!!﹂
そうこうしているうちに魔物が俺たちに突進してくる。
グリーンバッファローというイノシシぐらいの緑色をした魔物が
四匹、結構な勢いで突撃してきた。大型バイクが突っ込んでくるよ
うな迫力がある。俺はいつでもよけられるように身構えた。デブで
も横に転がるぐらいはできる。デブでもなッ。
﹁ウォーターウォール!﹂
亜麻クソが杖を掲げると、グリーンバッファローの手前で強力な
水の壁が地面から現れる。グリーンバッファローはかまわず突っ込
んできて、下から吹き上げる水の圧力でウォーターウォールに弾き
飛ばされてひっくり返った。
260
ファイヤーボール
をグリーンバッ
撃ち漏らした一匹がたんそくとスルメに突進する。
まずスルメは得意の火魔法
ファローの顔面にぶち当て、怯んだ隙に距離をつめる。
先に飛び出していたドワーフのたんそくがアイアンハンマーをグ
リーンバッファローのがら空きになった横っ腹へ豪快にフルスイン
グした。
ウォーターウォール
で地面に倒
フ
ブモ、という吐息を漏らしてグリーンバッファローは五メートル
ぐらい吹き飛び、血を吐いて動かなくなった。
を亜麻クソの
スルメは獲物を獲られたことが気に入らないのか舌打ちして
ァイヤーボール
れているグリーンバッファローへ放った。先ほどより大きなバスケ
ットボール大の火の玉が飛んでいき、着弾すると、一匹が丸焦げに
なった。
シャークテイル
﹁集え水の精霊よ。穿て青き刃よ。鮫背!﹂
亜麻クソの振った杖の先から飛び出した、鮫の背に似ている水の
刃が、地面を走って寝転がっているグリーンバッファローへ向かっ
鮫背
はグリーンバッファローを真っ二つにし、水泡になって
シャークテイル
ていく。草原の地中を鮫が泳いでいるようだ。
地面に吸い込まれた。
﹁さすがでございますわドビュッシー様ッ!﹂
感激ですぅ、といった表情でおすましバカのスカーレットが亜麻
261
クソに駆け寄る。だから働けよお前は。って俺もか。
﹁僕にかかればどうってことはないさ﹂
髪を、ふわさぁ、とかき上げる亜麻クソは、そりゃもうバンバン
に冷や汗をかいていた。
ビビったのか魔力を使いすぎたのかはわからないがやせ我慢もい
いところだ。大丈夫か?
ちなみに魔物はいろいろな素材になるらしい。薬、食べ物、武器、
防具、その他諸々。
使えそうな素材で邪魔にならない物だけ集め、俺たちは集まった。
﹁さあ進もうか諸君!﹂
﹁あっち⋮﹂
アリアナは頭についている狐の耳を動かし、地図を見ながら指を
差す。亜麻クソの魔法に大した感動はないらしい。結構すごいと思
うけどな。
あれはおそらく魔力の込め方からして上級の水魔法じゃないだろ
うか。
つーか亜麻クソは惜しげもなく魔力ポーションを飲んでいる。あ
れ確か一瓶で十万ロンだよな。日本円で十万円だ。たっけえ。俺も
クラリスから貰って一回飲んだけど、ちょびっと魔力が戻ったかな、
というレベルの回復量だ。
アリアナの音頭で、班は探索を再開した。
262
﹁あとどれくらいなの?﹂
俺はアリアナに聞いた。
﹁三時間⋮﹂
﹁まだそんなにあるのね﹂
﹁遅い⋮⋮﹂
うつろな表情で不満げにアリアナは亜麻クソを見ている。
﹁他の班はもう目的地に着いていそうよね﹂
﹁だと思う⋮﹂
﹁もうリーダーはアリアナでいいんじゃない?﹂
﹁めんどい⋮﹂
﹁確かにあなた似合わないわね、リーダー﹂
俺はちょっとおかしくなって微笑んだ。
﹁わかってるなら言わない⋮﹂
﹁ごめんね。私思ったことは言うタイプなのよ﹂
﹁嘘。言葉を選んでる⋮﹂
﹁あら、バレちゃった?﹂
﹁あなたは人の気持ちを考えて話してる⋮﹂
﹁そうかしら﹂
営業で人の話を聞く技術は一級品まで磨かれてるからな。
﹁そう⋮﹂
﹁それよりもう少し効率よくできないのかしらね﹂
﹁みんな自分勝手⋮﹂
263
スリープ
戦闘はこれで六回目であったが、男三人が好き放題やってアリア
ナが睡眠霧で後始末をする、という構図ができあがっていた。昨日、
ウルフキャットに夜襲を受けたせいで碌に寝ていないし、本来なら
魔力と体力を使わないように戦うべきだろう。リーダーがまとめる
べきなんだが⋮⋮
﹁ハハハ、スカーレット! 先ほどの魔法のやり方だって!? 水
の愛を感じるんだよ!﹂
﹁愛なのですねドビュッシー様ッ﹂
﹁水の精霊を感じることから始めればいいのさ。我がアシル家では
寝室、居間、食堂、すべてに水の精霊の石像が置いてあってね、彼
女らの力をいつでも身近に感じられるようにしてあるのだよ﹂
﹁素晴らしいお考えですね!﹂
﹁ああスカーレット。この素晴らしさが理解できる君こそが水の女
神だよ。なんと美しい黄金の髪だろう!!﹂
﹁おやめになってドビュッシー様。恥ずかしいですわ。ぽ﹂
何が﹁ぽ﹂だよッ!
思わず鋭いツッコミを入れるところだったわ! まじで!!
これ以上は眼球がつぶれそうになるので直視するのはやめよう。
治癒
ヒール
で治し
スルメとたんそくが忌々しいという顔つきで今にも殴りかかろうと
している。いいんだぞ、思い切り殴ってやれ。俺が
てやる。
﹁エリィ、わたし頭が痛い⋮﹂
﹁あのおバカ達のせいね?﹂
﹁うん⋮﹂
﹁よしよし﹂
264
治癒
ヒール
を唱えた。道すがらあいつらの愚痴を言い合
俺はぴこぴこ動いているアリアナの狐耳を触ってから頭に手を乗
せ、やさしく
っていたらアリアナともだいぶ打ち解けた。淡い光がアリアナの頭
を包む。
﹁なんかすっきりした⋮﹂
﹁また言ってね﹂
﹁ありがとう⋮﹂
﹁おう、俺も頼むわ、おデブなお嬢︱︱サボハァッ!﹂
俺は強烈なビンタをスルメにかました。
スルメは二回転ほど錐揉みして地面に倒れる。
レディをデブ呼ばわりとは最低な男だ。
﹁それで目標の魔物ってどんな奴かしら?﹂
﹁ペッ。リトルリザードだな﹂
そういえばまだちゃんと話したことのないドワーフのたんそくが、
残念そうな眼差しでスルメを見てこちらにやってきた。
﹁あなたは私のことをブスとかデブとか言わないのね﹂
﹁なんだあ? そんなこと言うわけねえだろうが﹂
﹁中型の魔物⋮﹂
﹁強いのかしら﹂
﹁ランクはEだ。大したことねえな﹂
たんそくは肩に担いだアイアンハンマーを担ぎ直した。
﹁群れで行動することが多い。ベロに触れるとマヒで動けなくなる
265
から、ベロ攻撃に注意だ﹂
﹁それは厄介ね﹂
マヒ毒や状態効果、いわゆるバッドステータスってやつを解除す
る魔法は上位の木魔法だ。光や白魔法でもある程度の緩和する魔法
は存在するが、瞬時に効果は出ない。上位の木魔法が使えるメンバ
ーはこの中にいないから、マヒ毒を全員が食らうとまずい事になる。
ちなみに三年生で上位魔法を使える奴はこの学校にいない。
﹁大丈夫だ。なんかあったら俺が守ってやるよ﹂
たんそくはツバを吐いて、ぶっきらぼうにそう言った。
﹁たんそ⋮⋮ガルガイン。ちょっと見直したわ﹂
﹁おめえ今たんそくって言おうとしなかったか!?﹂
﹁︱︱レディがそんなこと言うわけないでしょ﹂
﹁おめえ⋮⋮まあいいか﹂
たんそくには男気があったので、俺は心の中でしっかりと名前で
呼ぶことにした。
ちなみに俺はあだ名を付けるマジシャン、と会社で言われていた。
犬のようによく舌を出す安藤という上司はポメラニアンドウ、略し
て﹁ポメアン﹂。ななめを向いたまま話す受付嬢は﹁クリステル﹂。
絶対に書類不備を出さない後輩は﹁仕事人﹂。廊下の真ん中をわざ
と歩いて、右手を何度も振ってどけどけ言うむかつく人事のおっさ
んは﹁しゃぶしゃぶ﹂。
懐かしき日本を思い出しつつ前方への警戒はリーダーの亜麻クソ
に任せ、俺とガルガイン、アリアナで話をしながら歩いて行く。
266
ガルガインはグレイフナー王国南部の出身で、家族で一番魔法才
能があったので入学試験を受けたそうだ。親類一族はもれなく全員
鍛冶屋で、冒険者同盟が近くにあるため結構裕福な生活をしており、
こうしてガルガイン一人を入学させることができているらしい。学
校を卒業したら冒険者になって未開の地へ挑戦するのが夢、とツバ
を吐きながら言う。
一方のアリアナは特待生で入学した優秀な生徒だった。過去のこ
とはあまり話したがらない。強くなって魔闘会で勝ちたい、と言っ
ていた。どうも過去にいろいろあったみたいだな。これ以上聞くの
は無粋だからやめておこう。
ちなみにスルメはデブだブスだと俺に突っかかってくるので、そ
の度にビンタをお見舞いしている。いや、ビンタしたせいで突っか
かってくるもんだから、無限ループになっていた。
ビンタする、このデブ、ビンタする、なにしやがるブス、ビンタ
治癒
ヒール
かけて
する、いい加減にしろよデブス、ビンタする、こ⋮このおデブ女、
ビンタする、あの⋮ちょっと体力が、ビンタする、
くれよゴールデン、ビンタする、やべえ⋮頬が取れそうだ、ビンタ
する。
後半、勝手に手が動いていた気がしたけど気にしない。
そうこうしているうちに目的地に到着した。大草原の真ん中に、
ぽつんとある大岩は遠くから見てもよく目立った。人間が三十人ぐ
らいは乗れる大きさで、高さは三メートルほどある。学校から配ら
れている実習の手引きには、この大岩の上に目的地へたどり着いた
証があるそうだ。証ってどんなんだろ。
267
亜麻クソが格好をつけて
ウインド
を使いながら岩を登る。
途中、ずり落ちそうになって、俺とガルガインとスルメは﹁ぷー
ッ﹂っと笑いを噛み殺した。
﹁諸君! 証があったぞ﹂
亜麻クソは声を張り上げた。
﹁何があるんだよ!﹂
スルメが大岩にいる亜麻クソを見上げながら叫ぶ。
﹁短剣のようなものが突き刺さっている!﹂
﹁わかった! さっさと抜いてくれ!﹂
﹁抜けないんだ! 何か魔法がかかっているらしい﹂
その言葉で全員、大岩をよじ登る。いやデブには辛いよ。三メー
ウインド
で邪魔してきやがるか
トルのロッククライミングはね、ひじょうに辛い。体重九十キロ近
いからね。
先に上がったスカーレットが
ら余計に時間がかかった。どんだけ性格が悪いんだあいつ。
大岩の中央には亜麻クソの言うとおり短剣が突き刺さっていた。
無骨なデザインの柄が地面から見え、どのくらい深く刺さっている
のかはわからない。亜麻クソが短剣、と言ったのは持ち手が短剣っ
ぽいデザインだったからだろう。
﹁俺がやる﹂
ガルガインがアイアンハンマーを放り投げ、ペッ、と両手をツバ
268
で濡らしてしっかりと短剣を掴むと、一気に引き抜こうとした。だ
が短剣はぴくりとも動かない。ガルガインの顔と腕がどんどん真っ
赤に染まっていく。
﹁うおおおおおお⋮⋮﹂
そんな気合いのかけ声もむなしく短剣は大岩に刺さったままだ。
ついに力尽きてガルガインは尻餅をついた。
﹁はぁはぁ⋮かてえ⋮﹂
俺は気になって短剣をよく観察する。
持ち手には皮布が包帯のように適当に巻かれているだけで、なん
の変哲もない。ひょっとしたらと思って、巻かれている皮布をほど
いていった。皮布の裏には、びっしりと文字が書かれ、うっすらと
光を放っていた。俺はすべてほどいて全員に見えるように、地面に
広げた。
﹁魔道具の一種かしら﹂
スカーレットが偉そうに腕を組んで言った。
﹁さすがは美の女神スカーレット! 間違いない!﹂
﹁たぶん封印の魔法が付与されている⋮﹂
﹁封印?﹂
﹁うん⋮﹂
アリアナが痩せこけた顔で不吉なことを言う。
269
﹁さすがグレイフナー魔法学校ね! きっとこれも課題のひとつな
のよ!﹂
﹁素晴らしい推理だよ美の化身スカーレット!﹂
﹁待ちたまえ。今回の実習ではそのような課題はない﹂
ずっと黙っていたハゲ神ことハルシューゲ先生が鋭い眼光で周囲
を見回した。
﹁おい、こんなんが落ちてたぞ﹂
ガルガインが木でできた学園のレリーフを持ってきた。
﹁それが目的地到達の証だ!﹂
ハルシューゲ先生が思わず叫ぶ。
﹁ということは⋮﹂
﹁あの短剣って⋮﹂
俺とアリアナが、皮布に書かれた封印の文字を見て、顔を見合わ
せた。
﹁うおおおおおお! 抜けたぜッッ!!!!﹂
振り向いたときには遅かった。
スルメがドヤ顔で突き刺さった短剣を引き抜いて、意気揚々と振
り回している。
すげえ嫌な予感がする⋮⋮
270
﹁ん、どうした? 俺の凄さにみんな声もでねえか?﹂
スルメは事態を把握していないのかアホ面で俺たちの顔を覗き込
む。
ゴゴゴゴゴ、という地響きがし、大岩が揺れ始めた。俺たちは全
員膝をついて、揺れがおさまるのを待つ。
さらに大きく揺れたかと思うと、短剣が刺さっていた部分に亀裂
が走り、大岩が真っ二つに割れた。俺たちは地面に放り出された。
﹁うおっ!﹂
﹁うわっ﹂
﹁きゃあ!﹂
﹁イテッ﹂
﹁⋮﹂
地面に倒れた俺は、すぐさま飛び起きた。
前を見ると信じられない光景がそこにはあった。
割れた大岩から、禍々しい雰囲気をまとった骨だけの動物が這い
出してくる。落ちくぼんだ頭蓋骨の眼球部分には黒い光のようなも
のが渦巻き、確実にこちらを見据えていた。恐竜? 博物館で見た
恐竜じゃねえか! 五メートルぐらいはあるぞ!
やばくねえ? これやばくねえか?
﹁あ、あ、あなた何てことしてくれたんですのッ?!﹂
271
スカーレットがスルメに向かって指を差した。
多分、あの短剣には﹃何か﹄が封印されていたんだ。
﹁え? あ? なんだ、これ⋮﹂
﹁こ、これは⋮﹂
スルメとハルシューゲ先生が絶句する。
﹁ボーンリザード⋮﹂
アリアナが杖を握りしめてそう呟いた。
272
第10話 魔物とイケメンエリート︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重87㎏︵±0kg︶
273
第11話 戦闘とイケメンエリート︵前書き︶
いつも読んで頂きありがとうございます!
評価&ブックマークありがとうございます!
ハゲみになります!
274
第11話 戦闘とイケメンエリート
リザードの最上位種が魔力の溜まりやすい場所で五百年ほど放置
されると、ごく稀にボーンリザードとして復活するらしい。凶暴凶
悪、防御力は折り紙付き、破壊の限りを尽くす魔物。
byアリアナ談、ってなんでこんなところに封印されてんだよ?!
封印した奴空気読んでもっと草原の奥でやれ!
いい迷惑だよコレほんと!!
シャークテイル
﹁集え水の精霊よ。穿て青き刃よ。鮫背!﹂
亜麻クソが格好を付けてズビシィッ、とポーズを取ると鮫の背に
酷似した水の刃が地面を這うように滑った。ふわさぁ、と前髪をは
ね上げ、ドヤ顔でウインクする。
がボーンリザードの右腕に直撃した。
シャークテイル
鮫背
ボシュン、という水のぶつかる音がし、水滴が飛び散る。身体で
五メートル、尻尾まで入れると十メートル以上あるボーンリザード
には傷一つ付かず、ダンプカーにホースで水をかけるほどの効果し
かないようだった。
シャークテイル
﹁な、な、な、なんだって⋮⋮僕の鮫背が⋮﹂
亜麻クソが驚愕した顔でボーンリザードを見つめた。
上級攻撃魔法が効かないってやべえ。
そしてウインクまでした亜麻クソが最高にダセぇ。
275
﹁キシュワーーーーーーーーッ!!!!!﹂
強烈なボーンリザードの雄叫び。
魔力の波動が周囲に伝播し、俺たちは後ずさった。
ボーンリザードがもう一度叫ぶと、草原に不気味な影が集まり、
どこからともなくリトルリザードの群れがこちらに接近した。太い
腕で四足歩行をし、赤い舌をちろちろと見せ、爬虫類特有の無機質
な眼が光っている。あの腕で殴られたらデブの脂肪を持つ俺ですら
吹っ飛ばされるだろう。
背筋に寒気が走った。
その数はざっと数えて二十強だ。
これ絶対やべえやつだよな。
上級の魔物の中には下級の魔物を従えることのできる奴がいるっ
てクラリスが言ってた気がする。うん、そんな気がする。アハハハ、
嘘だと言ってくれクラリス。
﹁ライトニング!﹂
ハルシューゲ先生が杖を頭上へ上げると、光の玉が上空へ上がり、
半径十メートルほどを照らした。
276
﹁みんな、ライトニングの中へ!﹂
我に返った俺たちは素早く光の中へ転がり込んだ。
間一髪、俺たちのいた場所に、ボーンリザードの尻尾が叩きつけ
られた。そのままの勢いで横に一回転すると、再度ボーンリザード
は尻尾によるなぎ払い攻撃をしかけてくる。
﹁きゃあ!﹂
ライトニング
の光
スカーレットがあまりの迫力に、思わず頭を抱えてうずくまった。
骨だけの尻尾はハルシューゲ先生の唱えた
にぶつかると、壁があるかのように弾かれた。
﹁ボーン系の魔物は凶悪だが光魔法に弱い! 奴は光の中には入っ
て来れん! 私が抑えているうちにリトルリザードを!﹂
ハルシューゲ先生の指示が飛ぶ。
ライトニング
なんぞおかまいなしで三匹同時に飛び
その間にも、二メートルほどの身体に深緑の鱗を持ったリトルリ
ザードが、
掛かってくる。奴らにとって光魔法は脅威ではない。迎え撃つしか
ねえ!
﹁ファイヤーボール!﹂
スリープ
﹁おらぁ!!﹂
﹁睡眠霧﹂
スルメ、ガルガイン、アリアナが応戦する。
277
ファイヤーボール
をモロに食らったリトルリザードが上半身
ファイヤーボール
を黒こげにして後方へ飛び込んだ勢いそのままにすっ飛んでいく。
さすがに一発で倒せないのかスルメが追撃弾の
を二発放った。
ガルガインのアイアンハンマーが飛び込んできた別のリトルリザ
ードのどてっ腹に直撃し、野球のフルスイングさながら左前方に飛
び、ボーンリザードにぶつかる。
スリープ
で
ライトニング
ウインドカッター
睡眠霧に突っ込んだリトルリザードがつんのめるようにして地面
とお友達になる。俺はすかさず最大出力の
トドメを刺した。
ボーンリザードはイライラした様子で、何度も
に向かって尻尾攻撃をし、噛みつき、横殴りし、弾き飛ばされては
攻撃を繰り返す。
﹁くっ⋮⋮!﹂
ハルシューゲ先生のつるっとした額から汗が吹き出る。
申し訳程度に生えているサイドの毛からも汗がしたたり落ちる。
﹁ライトニング!!﹂
の輝きが広がる。
俺は棒きれを上空に掲げ、光の玉を発生させた。
ライトニング
﹁先生少し休んでください!﹂
﹁う、うむ!﹂
俺の周囲十メートルに
278
﹁おまえら、時間を稼いでくれ!﹂
スルメが光の効力がギリギリ届く場所で杖を構えて叫んだ。
シャークテイル
呼応してアリアナとガルガインがスルメを庇うように応戦し始め
た。亜麻クソは自身の最強攻撃である鮫背が効かない相手に呆然自
失している。一匹のリトルリザードがそんな格好の的へ飛び掛かっ
た。
サンドニードル
﹁うわあああ!﹂
﹁土槍!!﹂
地面から突如として突き出した鋭い円錐状の土がリトルリザード
を貫いた。ハルシューゲ先生が杖を向けている。
亜麻クソは泣きそうな顔で尻餅をついた。
﹁しっかりしたまえドビュッシー君!﹂
﹁いくぜ!!﹂
スルメが叫んだ。
アリアナとガルガインがスルメから飛び退いて距離を取った。
ファイアスネーク
﹁火蛇!!﹂
スルメの杖から二メートルほどの蛇の形をした火が、五匹飛び出
した。
火の蛇は前方へ飛んでいき、遠隔操作のような動きでリトルリザ
ードを追尾して、一匹ずつ、着弾した。
279
五匹のリトルリザードが悲鳴を上げてのたうち回り、丸焦げにな
って絶命する。
﹁すげえじゃねえか!﹂
﹁もう一回⋮﹂
ガルガインとアリアナが下の下、初歩の初歩魔法で飛び掛かるリ
トルリザードをいなしながら賛辞を送り、スルメを守るように囲む。
スルメは再度、魔法の準備に入った。
そして魔力が充分に練られると、ふたりに合図を出した。
アリアナとガルガインが絶妙なタイミングで後退する。
ファイアスネーク
﹁火蛇!!﹂
先ほどより気持ち小さめの火の蛇が四匹、生きているかのように
獲物を探し、頭から突っ込んでいった。すべて着弾。四匹のリトル
リザードが黒こげのトカゲ焼きに早変わりした。
﹁いけるか?﹂
﹁まだいける⋮?﹂
﹁もう撃てねえ⋮⋮﹂
スルメが青い顔で冷や汗をかいてバスタードソードを抜いた。魔
力切れ一歩手前だ。
そうこうしているうちに俺もやばい。
ライトニング
を使用し
魔法は連続使用すると、全速力で走ったみたいな疲労が襲ってく
る。まだ魔力は余っているが、これ以上
280
続けるのは無理だ。
ライトニング
は光魔法の上級。レア適性だけあって、適性者
﹁スカーレット! 交替してッ!﹂
でないと使用が相当に難しい。光適性者が三人いたのは不幸中の幸
いだった。
うずくまっているおすまし女は顔を上げた。
再度、俺は叫ぶ。
﹁これ以上は保たない!﹂
﹁あ、あなたごときがわたくしに命令しないでちょうだい!﹂
ライトニング
を
﹁そんなこと言ってる場合じゃない! ライトニングが消えたらあ
いつに食われるのよ?!﹂
ボーンリザードは凶悪な顎をがぱっと広げて
食おうとする。
むき出しの歯が光の壁に衝撃を加え、使用者の俺にその負荷が伝
サンドウォール
で、
播する。自分の思うようにならないボーンリザードは、怒りでドシ
ンドシンと地面を踏みならした。
﹁なな、なんであんたの命令を⋮⋮﹂
﹁おい女! 早くしやがれ!﹂
ガルガインが魔力を相当込めたであろう
後方へ回り込んだリトルリザードを光の中に入れないよう壁を作る。
高さ三メートル、横幅十メートルの壁が俺たちの後方に現れた。
そろそろまじでやばい!
281
早くしろおすまし女!!
﹁ライトニングッ!﹂
ハルシューゲ先生が俺の隣に来て杖を振った。
俺は魔力を解放する。体中からどばっと汗が出て、激しく呼吸を
した。
もうちょいで魔法が切れるとこだった。
あぶねえー。息を整えるんだ。
落ち着いて深呼吸しろ。
﹁あ、あ、あんたごとき、ピッグーが⋮⋮わたくしに⋮﹂
﹁はぁ⋮はぁ⋮⋮あなた、できないんでしょ?﹂
ライトニング
⋮⋮まだできないんでしょう?﹂
ビクッとスカーレットが身を震わせた。
﹁
スカーレットはぐっと言葉を飲み込み、屈辱で顔を歪めている。
下位基礎魔法・﹁光﹂
下級・﹁ライト﹂
中級・﹁ライトアロー﹂
上級・﹁ライトニング﹂
スカーレットの様子からして中級までしか使用できないんだろ。
282
散々偉そうにエリィをいじめていたくせに、適性の上級が使えない
って?
笑わせるんじゃねえよ。
﹁な⋮⋮な⋮⋮なにを言って⋮⋮⋮﹂
鮫背
の詠
シャークテイル
を飛び越えてリトルリザ
﹁できるの⋮? できないの⋮? どっち!!?﹂
サンドウォール
できるなら早くやれ!
やってみせろ!
﹁シャアアアアッ!﹂
ガルガインが作った
ードが亜麻クソを攻撃してきた。亜麻クソはあわてて
唱をするが、敵はそれを察知して素早くサイドステップし、ベロを
伸ばした。
﹁うわあああっ!!!!﹂
詠唱したまま顔面を蒼白に
長く伸びたベロが亜麻クソの足首に絡みつき、彼を宙づりに持ち
ライトニング
上げ、そのまま放り投げた。
﹁しまっ⋮⋮!﹂
ハルシューゲ先生が
させる。
エア
今ここで先生が助けに行けば、光の防御がなくなってしまう。
を空中に飛んだ亜麻クソに放った。
俺は素早く体内の魔力を風のイメージで循環させ、最小の
ハンマー
283
風の拳が、亜麻クソの身体を飛んでいく方向とは逆に殴り、安全
地帯である光の中へ押し戻す。
﹁ウインド!﹂
アリアナがすかさず風を上方へ起こし、クッションにして亜麻ク
ソを回収した。
﹁ウインドソード!﹂
俺は居合抜きをイメージした風の刃を、土壁を飛び越えたリトル
リザードにぶつける。
頭を割られたリトルリザードがのたうち回って動かなくなった。
﹁やるじゃねえか!﹂
﹁すごい⋮﹂
﹁へっ⋮﹂
ガルガイン、アリアナ、スルメが感嘆の声を上げる。
うまくいってよかった。失敗してたら亜麻クソはボーンリザード
の餌食だった。エイミーとクラリス、バリーと特訓したおかげだ。
﹁ドビュッシー君はマヒ毒だ!﹂
先生が大量の汗を流しながら叫んだ。
亜麻クソは白目を向いて痙攣している。
﹁スカーレット君! 早く交替を!﹂
﹁せ、先生⋮⋮わたくし⋮⋮﹂
﹁はやくっ!!﹂
284
﹁
ライトニング
!!﹂
はできません! わたくしまだ使えませんのッ
ちっちぇプライドを折られたスカーレットは自慢の縦ロールを振
り乱して泣き叫んだ。
﹁では治療を!﹂
治癒
ヒール
は使えるね!?﹂
﹁ちりょう⋮?﹂
﹁中級の
﹁⋮⋮はい﹂
﹁では急いで!﹂
ハルシューゲ先生を中心に、前方でアリアナ、ガルガイン、スル
メがリトルリザードの集団と戦い、俺とスカーレットは後方、亜麻
クソは左側にいる。
スカーレットは這いつくばって亜麻クソのもとへ行こうとしたが、
土壁を乗り越えた新手のリトルリザードが彼女の目の前に着地した。
﹁いやあぁぁぁ!! こないでえぇ!﹂
ウイン
ウインドブレイク
と連呼する。
ウインドブレイク
ウインドブレイク
ウインドブレイク
ウインドブレイク
スカーレットは絶叫してめちゃくちゃに杖を振り回し、
ドブレイク
ウインドブレイク
ウインドブレイク
﹁︱︱︱︱︱︱ッ!!﹂
あのバカ女!
亜麻クソを巻き込みかねない!
285
が浮かび上がった。先
を連発で食らったリトルリザード
ぶん殴って止めようと立ち上がったら、スカーレットは魔力切れ
ウインドブレイク
であっさり意識を手放した。
ついでに
も事切れた。
アホかッ!!
ライトニング
﹁エリィ君⋮⋮もう⋮ッ!﹂
﹁ライトニング!!﹂
俺が棒きれを上げると、
生と重なった光で一瞬ではあるがボーンリザードが怯む。
先生は限界寸前だったようで、ぶはぁっ、と息を吐くとすぐに詠
唱をやめ、膝をついた。
﹁ぐわあッ!﹂
魔力切れ寸前のくせにバスタードソードだけで頑張っていたスル
メが、リトルリザードの腕の振り下ろし攻撃で吹き飛んだ。彼のつ
を維持しつつ、スルメの傷を見る。
キュアライト
癒発光
をスルメの胸
で治
けていた胸当てが、爪の形くっきりに切り裂かれ、中から血が噴き
ライトニング
出した。
俺は
癒発光
キュアライト
内臓にまでは達していないだろう。光の上級魔法
る傷だ。
先生が肩で息をし、顔面が真っ青のまま
286
にかけた。柔らかい光がスルメの上半身を包み込んでいく。血が、
癒発光
キュアライト
を使うと奴の痙攣が
みるみるうちに止まり、顔色が元通りになる。さらに先生が力を振
り絞って亜麻クソのところまで歩き
治まった。すげえ手際の良さ、魔力循環だ。
﹁エリィ君⋮⋮すまない⋮⋮もう交替は⋮⋮﹂
﹁ハゲ先生ッ!!!!﹂
ライトニング
の光が反射し、俺の絶望感が一気に募る。
ハルシューゲ先生が、ついに魔力切れでぶっ倒れた。
額に
やべえやべえやべえ!
どうする!
前方のリトルリザードは残り五匹。
そこらじゅうに二メートルのとかげの死体が転がっている。
頼りの先生は倒れ、スルメは打ち所が悪かったのか起き上がらな
い。
亜麻クソとスカーレットも倒れたまま。
ボーンリザード⋮⋮
まだ諦めないのか、ボーンリザードが白骨の身体を光の壁にぶち
当てる。全長約十メートル、横幅二メートルの巨体の体当たりだ。
ミシッという衝撃が俺の上げている右手に伝わる。
奴の全長は十数メートル。
亜麻クソがやったように下位の上級魔法では歯が立たない。
287
かといって俺は白魔法や空魔法のような上位魔法は使えない。
普通に戦ったら絶対に勝てないだろ。おそらく数十人の優秀な魔
法使いでチームを組んで、ようやく倒せる相手じゃないだろうか。
これは⋮⋮アレをぶっ放すしかねえ!
﹁アリアナ! ガルガイン!﹂
﹁おう!﹂
﹁なに⋮﹂
二人とも魔力切れ寸前、身体にはあちこちすり傷がある。
それでも生きることを諦めず、呼びかけに答えてくれる。
﹁一瞬でいいからボーンリザードを後退させて! とっておきをぶ
ちかますわッ!﹂
リトルリザードが学習したのか、個々に飛び掛かるのではなく、
残り五匹で二人を取り囲んでいた。
睨みを利かせながら二人が答える。
﹁よしッ!﹂
﹁やるッ⋮﹂
﹁アリアナ、ちいせえほうを頼む﹂
﹁わかった⋮﹂
288
反撃の気配を察知したのか、リトルリザードが五匹一斉に飛び掛
かった。
アリアナは華奢な体でバックステップし、杖を大きく振った。
コンフュージョン
﹁混乱粉﹂
アリアナの杖から大量の鱗粉が発生し、リトルリザードを覆い尽
くす。
飛び退いたガルガインが﹁うおおおおおお﹂と叫びながらアイア
ンハンマーを 両手で持って遠心力を利用し駒のようにぐるぐる回
り始めた。
﹁サンドウォールッ!!!!﹂
土の塊がアイアンハンマーの先に吸い付き、どんどん大きくなる。
そしてさらに回転が速くなっていく。ガルガインよりも大きくなっ
たアイアンハンマーは強烈な回転音を生み出す。
﹁うおっしゃあああ!!!﹂
光の範囲限界の場所で最高速度に乗った土塊付きアイアンハンマ
ーは顎を閉じたボーンリザードの右頬に直撃した。
︱︱バガァァン!
強烈な破壊音と共に、ボーンリザードが後方へすっ飛んでいく。
289
﹁これでいいかよ⋮⋮ペッ﹂
ツバを吐いてガルガインが魔力切れで倒れた。
﹁エリィ⋮⋮﹂
を解いて、杖に見せか
アリアナの使う魔法は相当に魔力を消費するようだ。
﹁やるしかないッ!!!﹂
俺はできる。俺ならやれる。
ライトニング
ビジネス界の怪物と渡り合った俺だ。
異世界だって関係ねえ!
俺は光の壁になっている
けた邪魔な棒きれを投げ捨てた。
290
第11話 戦闘とイケメンエリート︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重87㎏︵±0kg︶
291
第12話 落雷とイケメンエリート︵前書き︶
このペースで更新できたら⋮いいなぁ。
ということでエリィ無双の回です。
292
第12話 落雷とイケメンエリート
﹁エリィ⋮﹂
アリアナが限界なのか苦悶の表情で立て膝をついた。
頬のこけた顔がよりやつれて見える。
を受けたリトルリザードは、全員その場で暴れ出し、な
コンフュージョン
混乱粉
ぜかボーンリザードへ突撃した。狂ったような雄叫びを上げている。
おそらく神経中枢に作用する魔法だろう。大量に散布しないと効果
がないが、魔力消費が大きい分、複数を同時に混乱させられるみた
いだ。序盤で使用していたら、リトルリザード二十数匹がめちゃく
ちゃに暴れ回る、という地獄絵図になっていたな。使いどころが難
しい魔法だ。
ガルガイン渾身のたんそくホームランを食らったボーンリザード
は仰向けになって、じたばた骨だけの体を起こそうともがいていた。
骨だけの生物が引っくり返ってゴキブリのように動いているのは気
色が悪い。
ガルガイン、おめえすげえよ。まじで。
ぎゃあぎゃあと喚いていたリトルリザードのうちの一匹が、アリ
アナに突進してきた。
﹁アリアナ!﹂
彼女は疲労で動けないのか、きつく目を閉じる。
293
もうバレたってかまわねえ!
サンダーボルト
﹁落雷!!﹂
草原の大地に一筋の閃光が走り、バリバリバリッという音を立て
て墜落する。
直撃したリトルリザードは電流と高熱で焼かれ、木っ端みじんに
なった。
やべえええええ。
威力がやべえッ!!!
﹁エリィ⋮?﹂
落雷
が強烈
サンダーボルト
アリアナがおそるおそる目を開け、何が起きたのかわからないと
首をかしげる。
俺はさらに魔力を練る。
サンダーボルト
﹁落雷!!!﹂
十五メートル先にいるボーンリザードを狙うと、
な光を放って落下した。
ボーンリザードの右腕に命中し、ビシャアアアンという音と共に
白骨がはじけ飛んだ。ついでに突撃していたリトルリザードが巻き
込まれて二匹黒こげになった。
﹁もう一発ッ!!﹂
294
ババババリィッ!
落雷
がボーンリザードの腹部に直撃して、白い骨がポップ
サンダーボルト
という凄まじい耳を塞ぎたくなる音を鳴らし、かなりの魔力を込
めた
コーンみたいに弾けて草原にまき散らされた。ついでに近くにいた
リトルリザードがすべて黒こげになった。
うおおおおっしゃあ!
落雷
すげえ!
サンダーボルト
すげえ。俺すげえ!
あと
落雷
ヒール
治癒
をか
を見て驚愕し、狐の
サンダーボルト
さすが上位複合魔法。威力が半端じゃねえな。
﹁サ、サンダァボルト?!?!﹂
ポーカーフェイスのアリアナですら
耳がピンと立った。開いた口がふさがらないようだ。
﹁伝説の魔導⋮⋮!﹂
﹁秘密にしておいてね﹂
﹁エリィ⋮⋮すごい﹂
﹁そうでしょ﹂
﹁ということは白魔法と空魔法も⋮?﹂
﹁ま、まあね⋮。それより立てる?﹂
アリアナは驚いた顔のまま首を横に振った。
俺は彼女に手を貸して細い体を引っ張り、そのまま
けようとした。
﹁エリィうしろ!﹂
振り返ったときには遅かった。
295
ヒ
一匹だけ残っていたのかリトルリザードがガルガインの作った土
治
をかけようとしていたので他の属性の魔法に魔力を変換できな
壁の上から飛び降り、鱗に覆われた太い右腕を振り下ろした。
ール
癒
い。
咄嗟に俺はアリアナをかばって地面に転がる。
なんとか直撃はかわしたが、強力な振り下ろしによって地面がえ
ぐられ、石が飛び散った。俺は重さでつぶさないよう気をつけアリ
アナに覆い被さって盾になる。
続けざまリトルリザードが頭を引っ込め、体当たりしてきた。
エアハンマー
で殴りつけた。
気絶しているハルシューゲ先生をリトルリザードが踏みつけそう
になって一瞬ひやっとする。
俺はすぐさま発動スピード重視の
目と鼻の先を突風がかすめ、リトルリザードにぶち当たって吹っ
飛ばした。
サンダーボルト
﹁落雷!﹂
追撃ッ。
リトルリザードの着地点を狙って俺は指を差した。
空気を切り裂く閃光がトカゲの魔物をただの消し炭に変えた。
あぶねえええっ。
俺は抱きかかえていたアリアナを覗き込んだ。
﹁大丈夫?﹂
﹁あ⋮⋮あの⋮⋮﹂
なぜかアリアナが顔を赤くして熱っぽい目で俺を見てくる。
296
いやいや、わたくしおデブなレディなんでそういうのはちょっと
⋮。
﹁⋮あのね⋮⋮⋮﹂
﹁?﹂
﹁ありがとう⋮﹂
はにかんだ彼女は、すんげえ可愛かった。
このまま持って帰りたい。家に飾っておきたい。これでもっと肉
付きがよければ完全にハートを打ち抜かれていたところだ。いかん
ッ。俺ってばおデブでおしゃまな女の子なのに!
俺はアリアナの狐耳ごと頭を撫でた。
手が耳を往復するたびに、ぴこん、と狐耳が立つのがたまらない。
これは癖になるな。
﹁くすぐったい⋮﹂
﹁気持ちよくってつい﹂
﹁別にいいけど⋮﹂
そろそろ他のメンバーを看ないとな。
っと、その前に救援が先か。ハルシューゲ先生、ガルガイン、お
すまし女、が魔力切れ。スルメと亜麻クソが怪我。合宿の続行は不
可能だ。
﹁アリアナ、合宿の冊子持ってる?﹂
﹁ん⋮﹂
意図を察してくれたのか、ポケットから手帳サイズの冊子を出し
て開いた。
緊急の際の対処法を探してぱらぱらめくっていく。しかしアリア
297
ナの手は止まり、前方へと向けられていた。
﹁うそ⋮⋮﹂
﹁えっ?﹂
振り返ると、ボーンリザードの白骨が独りでに動き出してビデオ
の逆再生みたいに傷一つない状態に戻った。不気味に顎をカタカタ
鳴らし、己の体を確かめるようにこちらへゆっくりと近づいてくる。
空洞の瞳には闇が渦巻いていた。
﹁キシュワーーーーーーーーッ!!!!!﹂
怒り狂ったかのような雄叫び。
くそ! 復活とか反則だろ!
サンダーボルト
﹁落雷!!﹂
バガァン!
炸裂音と雷光がきらめいてボーンリザードの後ろ足を粉砕する。
落雷
!﹂
サンダーボルト
だが細切れになった白い骨は意志があるかのように、本体へと飛
! サンダーボルト
落雷
び、再生する。
﹁
298
足がダメなら頭はどうだ!
落雷
サンダーボルト
バリバリリリィッ、と雷が空気を切り裂いて、両手を開いても抱
えきれないぐらい大きいボーンリザードの頭部に、二本の
が突き刺さる。
を
サンダーボルト
落雷
頭部は四散するものの、パズルのピースが勝手に合わさっていく
ように再生し、割れた傷跡もきれいになくなった。
﹁アリアナ! どうなってるのあれ?!﹂
﹁不死身⋮聖なる光で浄化するしかない﹂
﹁聖なる光? それって白魔法?﹂
﹁光魔法でも⋮⋮アレは魔力が強すぎる⋮﹂
﹁てことはやっぱり白魔法が必要ってことよね﹂
﹁そうなる⋮﹂
﹁私できないわよ!?﹂
﹁え? どうして?﹂
﹁ああ、それはあとで説明するから何か考えて!﹂
﹁わかった⋮﹂
俺はボーンリザードを近づけないために、足を狙って
ぶっ放した。
昼の大草原に雷光が走る。
右の前足を砕かれたボーンリザードの行進が一時的に止まった。
近くまで来られたら万事休すだ。地面に倒れている誰かが襲われて
しまう。
アリアナは逡巡すると口を開いた。
299
﹁骨も残さないほどに破壊する⋮﹂
﹁骨だけに、ね﹂
﹁そう⋮﹂
よし、わかりやすくて大変結構。
極落
ライトニング
問題が発生したらシンプルな思考に戻る。ビジネスマンと同じだ。
﹁アリアナ、これから一番強力なのを撃つわ﹂
﹁えっ⋮⋮アレよりすごい魔法がまだ⋮?﹂
﹁まあね﹂
俺は不敵に笑って、息を吸い込み魔力を練る。
まず足止めをして、それから特訓で作ったオリジナル魔法
をぶっ放す。
ボルト
雷
本来、ボーンリザードは白魔法の浄化系魔法を複数名で行使し、
はじめて浄化できるのではないだろうか。そうでなければこんな草
原の入り口付近に中途半端に封印されているはずがない。白魔法士
は数が圧倒的に少ないだろうし、負傷者を瞬く間に完治させる治癒
魔法を重宝していない国はないので、人員の関係でこのボーンリザ
ードは﹁浄化﹂ではなく﹁封印﹂という選択になったに違いない。
そんなことを考えていたら、ボーンリザードがでかい口を開けて
こちらに照準を合わせ、動きを止めた。動けないことにお怒りのご
様子だ。
なんか、すげえ魔力練ってねえ?
これ俗に言う必殺技みたいんじゃねえの。
いや絶対にそう。
300
黒い波動がぐんぐんお口の回りにお集まりあそばしていますが!
これ! ちょっと! やばくね!?
重力砲
⋮⋮﹂
グラビティキャノン
アリアナが隣で呆然としている。
﹁
﹁ちょっとアリアナ! あなた闇適性でしょ?! 相殺して!﹂
俺は彼女の肩をつかんで揺さぶった。
同等クラスの魔法がぶつかると、魔力が飛んで相殺される。
﹁無理⋮﹂
﹁なんでッ!﹂
﹁あれは黒魔法の中級⋮﹂
上位の中級魔法!?!?
俺は急いで魔力を練る。
ボーンリザードは口を閉じると、おもむろに口を開いた。
重力砲
が通過した地面が草ごとえ
グラビティキャノン
漆黒の波動が放出され、筒状の巨大な黒い物体がこちらに迫って
くる。
速さは大したことないが、
重力砲
の動線上に移動した。
グラビティキャノン
ぐり取られている。あれを食らったら全員おだぶつだぞ!
俺は素早く
﹁エリィ⋮⋮!﹂
﹁大丈夫ッ﹂
301
アリアナの悲痛な叫びが聞こえる。
女の子を守れなくてなにが男だ!
あ、俺デブの少女だっけ。
が落下攻撃だ
は前方の相手を弾き飛ばす魔法だ。端から見
落雷
サンダーボルト
んなことはどうだっていいんだ。集中、集中!
練っていた魔力を切り替えた。
インパルス
﹁電衝撃!!!!﹂
電衝撃
インパルス
花火を撃ち出すイメージで雷を展開する。
とすれば、
はギャギャギャギャッ、という動物の悲鳴に近い音を
重力砲
インパルス
電衝撃
が
重力砲
を飲み込み、筒状のどす
グラビティキャノン
とぶつかり、当たった瞬間、放射線状に電流をま
グラビティキャノン
電衝撃
インパルス
れば俺の体から、前に向かって雷が飛び出すように見えるだろう。
立てて
き散らした。
凄まじい勢いで
黒い物体が霧散する。二つの魔法がぶつかった場所には大きなクレ
電衝撃
インパルス
を撃つ。
ーターができあがった。
さらに俺は
電衝撃
インパルス
はボーンリザードの
再度、動物が叫ぶような音を発しながら、電光が真っ正面へ突き
進み、ボーンリザードに直撃する。
内部まで貫通し、花火のようにバリバリバリィッ、と電流を弾けさ
電衝撃
インパルス
が起こした熱により黒こげになったボーンリザードが、
せ、巨体を後方に吹き飛ばした。
ズゥンという音を立てて崩れ落ちた。
302
﹁アリアナ! 耳を塞いで!﹂
落雷
が幾重にも重なって、太い柱に
サンダーボルト
彼女は俺の声で咄嗟に頭の上にある狐耳を両手で押さえた。
急激に魔力を練り、俺は
なるイメージを繰り返す。
跡形も残さないぐらい破壊しなければまた復活してしまう。
俺は狙いを定め、腕を振り下ろした。
食らえクソ骨野郎ッ!
ライトニングボルト
﹁極落雷ッ!!!!!!!!!!!!!!﹂
パチッ⋮
パチパチッ⋮
ババババババババババババババババリバリバリバリバリィッ!!
!!!!!
顔を背けなければ目が潰れてしまいそうな閃光が草原を包み、先
303
ほどより遙かに太い雷がボーンリザードの体を蹂躙する。突如とし
て降り注いだ強大なエネルギーが大草原の地面をえぐり返し、衝撃
を吸収しきれなかった大地が粉々になって爆風を巻き起こして、熱
ウインドブレイク
を唱えてくれたおかげで、若干である
風と一緒に土や石を四散させた。アリアナが俺たちを守るように、
咄嗟に
が二次被害は緩和された。
だが近くにいた俺は相当数の飛んできた石がぶつかって地面にな
ぎ倒され、したたかに体を打ちつけた。
一瞬の静寂のあと、遠くから色んな音が聞こえた。
ギャーギャー
バサバサバサバサ
ヒーホーヒーホー
ブシュワーーー
かなり遠くのほうにいたであろう大型の鳥が何事かとあわてて飛
び立ち、不運にも近くで休憩していた臆病者のヒーホー鳥がびっく
りしてヒーホーヒーホーと呼吸困難になり、そして封印があった大
岩の割れ目から一筋の水が噴き出した。湯気が出ているから温泉だ
ろう。俺は寝そべったまま、その光景を見ていた。
温泉出すぎッ!
﹁エリィ⋮⋮﹂
魔力切れ寸前のアリアナがふらふらとこちらに近づいて、へたり
込んだ。
304
﹁大丈夫?﹂
健気にもこの狐人の少女は俺を気遣ってくれているようだ。
俺は重い体を頑張って起こし、アリアナに向かってうなずいた。
﹁さすがに。死んだわよね?﹂
﹁最初から死んでる⋮﹂
﹁骨だけだったからね﹂
﹁うん⋮⋮もう動いてないから大丈夫だと思う﹂
目を凝らしても骨の残骸すら見当たらない。
俺は魔力切れ寸前と打撲でぼろぼろの体をなんとか動かし、気絶
インパルス
電衝撃
と
極落雷
を最大
ライトニングボルト
している亜麻クソの鞄をむしり取って、魔力ポーションの入ってい
る小瓶をすべて拝借した。さすがに
出力で使っただけあって、魔力がほとんど残っていない。
五本あったので、俺が三本、アリアナが二本飲んだ。
を二回かけ、続けて自分に
癒発光
キュアライト
オロナ○ンCみたいな味で、疲れた体に染み渡る。うまい。
ヒール
治癒
しばらくすると、魔力がほんの少し戻ってきた。
俺はまずアリアナに
をかける。完全に傷を治すのではなく、痛みが引いて普通に動け
る程度の魔力をかけた。使いすぎると他のメンバーを治癒できなく
なってしまう。
アリアナは治癒魔法が使えないため申し訳なさそうにしているが、
闇魔法適性者は光の習得が相当難しいのだ、適材適所でそんなに気
にすることはないと思う。それを伝えると、目を輝かして、うなず
305
いていた。
俺たちはテントを張り、倒れているメンバーを移動させ、治癒魔
法を施した。
もちろんスカーレットはその辺に転がしておいた。
癒発光
キュアライト
をかけると呼吸が安定し
アリアナは冷たい目線を向けぼそっと﹁足手まとい⋮﹂と言う。
大けがをしたスルメは、俺が
ヒ
た。かなり血を流しているようなので安静にするべきだろう。魔力
治
をかけておいた。どこを怪我しているかわからないからな。
切れを起こして気絶したハゲ先生、ガルガインにも、もちろん
ール
癒
魔力切れを起こすと、個人差はあるものの三時間から四時間ほど
で目を覚ます。アリアナが言うには﹁黒﹂の下級魔法に魔力を譲渡
するものがあるらしい。使えたら便利、でも使えない、と言って彼
女はがっくり肩を落としていた。すぐできるようになるわ、と俺は
また彼女をなぐさめなければならなかった。
大草原はようやく静けさに包まれた。
﹁エリィ、救援を呼ぼう⋮﹂
アリアナは合宿の冊子にある最終ページをこちらに見せてきた。
ラブリードッグ
﹃緊急の場合、または引率担当者が行動不能な場合、担当者の持っ
ている発情犬煙玉を使用して救援を要請すること。ただし、生命の
306
危険がある場合に限る。それ以外で使用した場合は即刻退学処分と
す。見極めて使うべし。本当に必要だと思ったときのみ使用するよ
うに。絶対に、興味本位で使ってはいけない。いいな、必要じゃな
いなら絶対に使うなよ﹄
なんか最後命令口調になってるな⋮。
ラブリードッグ
﹁発情犬煙玉?﹂
﹁これ⋮﹂
ラブリードッグ
野球ボールぐらいの煙玉だ。
で燃やした。ピンク色の煙が真っ直ぐ立ちのぼる。
アリアナは躊躇せず発情犬煙玉を地面に転がして火魔法の初歩
ファイア
﹁アリアナ⋮⋮﹂
﹁エリィ⋮⋮﹂
﹁臭いわね﹂
﹁鼻が曲がる⋮﹂
くさやと硫黄を大量に混ぜて煮詰めたような、とてつもない香り
が周囲に充満する。
俺たちはたまらず鼻をつまんで距離を取った。
そして救援を呼べたことにほっとし、ようやく肩の力が下りた。
﹁念のため確認しておきましょうよ﹂
ボーンリザードの残骸を指さした。
まさかとは思うが、倒したかどうか確認したい。
307
﹁うん⋮﹂
俺とアリアナはボーンリザードいたところまで歩いて、残骸を確
極落雷
の威力は凄まじく、落雷した中心点から半径十メート
ライトニングボルト
認した。
ルほどがごっそりえぐられていた。そこだけぽっかりと草がなくな
って地面がむき出しになっている。深さも相当あった。
骨の残骸らしきものはまったく見つからない。
﹁あれ、何かしら?﹂
でできた大穴の降りや
ライトニングボルト
極落雷
大穴の中心点で、赤い石が光っていた。
﹁わからない⋮﹂
アリアナが首をかしげる。俺は
すそうなところを探して中心点に向かった。
赤い石が地面の上できらめいている。
拳サイズの丸みを帯びた石だ。よく見ると石の中で、小さい火花
のような物が散っている。
﹁これ⋮⋮魔力結晶﹂
﹁なにそれ?﹂
﹁魔力を貯めたり、出したりできる⋮﹂
﹁ふうん⋮﹂
﹁この大きさだとたぶん一億ロンぐらいする⋮﹂
﹁一億ッ!?﹂
﹁うん⋮﹂
﹁もらっときましょ﹂
308
俺はささっとポケットの中に一億円⋮⋮じゃなくて魔力結晶を入
れた。
ラブリードッグ
こんな石ころが一億円とかまじでやべえな。地球でいうところの
宝石と同じ扱いだな。
ウインド
ラブリードッグ
で風を送りながらみんなが寝ているテ
鼻がひん曲がりそうな臭いを発している発情犬煙玉の煙がこっち
にこないように
ントに戻り、煙が消えそうにない発情犬煙玉を風下へ、アリアナが
ラブリードッグ
蹴った。
発情犬煙玉がスカーレットの真横でぴたっと止まり、猛烈に煙を
浴びてあいつがうなされる。ナイスシュート、と親指を立ててアリ
アナを褒めた。
ようやく落ち着いて俺たちは腰を下ろした。
まだ魔物が来る可能性はある。
用心のため、眠らないで救援を待つ。
時刻は昼過ぎといったところだろう。俺とアリアナは鞄から鍋を
出し、簡単なシチューを作ってぼんやりと空を見上げた。
︱︱︱大草原が風に揺れ、草の擦れる優しげな音だけが聞こえる。
﹁エリィ⋮﹂
﹁なに?﹂
﹁さっきは⋮⋮助けてくれてありがとう﹂
﹁いいのよそんなこと﹂
﹁あと⋮⋮庇ってくれてありがとう﹂
309
﹁だからいいのよ。わたしってデブだから盾にはちょうどいいでし
ょ?﹂
﹁自虐ネタは⋮⋮ダメ﹂
そう言ってアリアナはくすっと笑った。
表情のない大きな目がすぼまり、ほんのちょっぴり口角が上がっ
ただけなのに、俺は何とも言えないほっこりとした気分になった。
やだ何コレ。超可愛い。
﹁あのねエリィ⋮。私たち狐人は命の恩人に一生尽くすの⋮﹂
﹁へえ、面白い風習ね﹂
民族による文化の違いってやつか。
﹁だから私はエリィに一生尽くす⋮﹂
﹁えっ!?﹂
俺に?! 確かに命は助けたけど一生っていうのはちょっと重く
ないか?
﹁だから私の主になってエリィ⋮﹂
﹁主って⋮⋮ファンタジーじゃないんだから! それにほら、ハル
シューゲ先生だってガルガインだってスルメだって、みんな頑張っ
たじゃない。私だけがアリアナの命の恩人じゃないわ﹂
﹁ううん、そんなことない。あなたがいなかったら全滅していた⋮﹂
﹁た、たしかにそれはそうだけど⋮﹂
﹁それにあなたの落雷魔法、すごかった。伝説の魔導士とずっと一
緒にいれるなら私は本望⋮﹂
﹁落雷魔法できちゃったのはまぐれなのよ。たまたま呪文を唱えた
らできたの。ほら、だって私、白魔法も空魔法も使えないでしょ!
310
?﹂
何とか弁解、というか撤回してもらおう。
さすがに一生は彼女に申し訳ないし、主とか無理だ。
﹁まぐれで落雷魔法は使えない。それに白も空も憶えずにできたの
なら、それはまさしく天才。益々いっしょにいたい⋮﹂
﹁ちなみに、狐人の一生尽くすっていうのは具体的にどういうこと
をするの?﹂
﹁雨の日も風の日もいつも一緒。寝るときもご飯を食べるときも一
緒﹂
めずらしくアリアナが強い口調で言った。
﹁いやーさすがにそれはちょっと⋮⋮困っちゃうかなぁ﹂
﹁⋮⋮⋮ダメ⋮⋮⋮⋮なの⋮⋮?﹂
瞳に涙を溜めはじめるアリアナ。
俺はあわてた。
今日一番あわてた。
﹁ダメじゃない! 全然ダメじゃない! ダメじゃないんだけどほ
ら! ああっ、泣かないでちょうだい! じゃあこうしましょ! 友達になりましょ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮ぐすん⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ともだち?﹂
﹁ええ、そう!﹂
我ながら名案だ!
311
﹁友達になりましょう! 私、一年生からスカーレットにいじめら
れてて友達が一人もいないのよ﹂
いじめ、という言葉にアリアナはピクッと耳を動かした。
﹁エリィ⋮⋮今ならバレない。あそこで眠っている足手まとい⋮⋮
⋮殺る?﹂
スチャッ、とアリアナは杖を構えた。
﹁お願いだから物騒なこと言わないでちょうだい!﹂
﹁わかった⋮﹂
素直に杖を下ろし、ほっとする。
﹁じゃあエリィ。私たち友達ね⋮⋮﹂
﹁ええ、友達よ!﹂
俺とアリアナはしっかりと握手をした。ぷよぷよの手と、かりか
りの手がしっかりと組み合わさる。なんだかデコボコな二人だな、
と俺はつい嬉しくなって笑った。
エリィ見てるか!
友達ができたぞーーーっ!
これからは学校で一緒に勉強したり、放課後に町へ繰り出して買
い食いしたりできるぞーっ!
﹁よろしくね、私の主様﹂
312
﹁⋮⋮⋮へ?﹂
そう言って恥ずかしそうに笑うアリアナに、俺は何も言えなかっ
た。
313
第12話 落雷とイケメンエリート︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重87㎏︵±0kg︶
重力砲
上位中級
グラビティキャノン
※魔法名とランクを変更致しました。
上位上級↓
グラビティウェーブ
重力波
314
第13話 ミサの多忙で刺激的な日常︵前書き︶
時系列は少し遡り、合宿の前夜になります。
今回はミラーズ店主のミサ視点です。
315
第13話 ミサの多忙で刺激的な日常
一ヶ月ほど前、エリィという少女がうちの店に現れた。
忠実そうなメイドを連れて私とジョーで作った洋服にあれこれと
ケチをつけていた。実際そういった、いちゃもんをつけるお客様は
かなり多い。声高に自分のセンスをひけらかすような人はほとんど
的外れなことを言っているので、別に腹が立ったりはしない。営業
スマイルで、そうですかそうですねとうなずいていればいいのだ。
でもその少女は違った。
話に具体性があるのだ。中でも驚いたのが、いまグレイフナーの
流行であるワンピースのフリルをすべてはずし、薄手にしたほうが
いいと言ったことだ。私は瞬時にその完成した服を想像し、脳内で
自分に着せてみる。なるほど、確かにこれはいいかもしれない。シ
ンプルで女性的、女の魅力を引き出してくれそうだ。
ジョーも、グレイフナーの流行はおかしいんじゃないか、と言っ
ていた。流行におかしいとかおかしくないとかはない。みんながオ
シャレだと思って、みんなで作った価値観の洋服を着ることが流行
なのだから、的外れな洋服を作ったら売れない。私はそう思ってい
た。でもジョーは違うと言う。今の王国のデザインは何かを壊さな
いと前に進めない、そう言っていた。売れる、売れない、ジョーは
そういった利益のことは一切考えていなかった。
ジョーは弟でありながら私より先見性がある。デザインにしても、
まだ細かい部分でミスは多いものの、そこら辺のデザイナーよりず
っと腕がいい。宮廷画家を目指していただけあってデッサンの基礎
316
がしっかりしており、着ることが無理なデザインの洋服などは一切
ない。アイデアが現実的なのだ。宮廷に勤務していた経験のある私
がジョーに、宮廷画家になんてなるものじゃないと諭し、店に誘っ
たことはある意味大正解だった。
私はエリィという少女とジョーを引き合わせようと思った。
いいアイデアが生まれて、経営不振のミラーズが僥倖にめぐりあ
うかもしれない。私は少女が有名貴族のゴールデン家のお嬢様であ
ると聞いていたので、使いを走らせてお呼びした。だがジョーはこ
ともあろうに彼女の見た目をけなし、ビンタされてしまった。彼女
の怒りはもっとも。あのとき私のほうがジョーをビンタしてやりた
かったぐらいだ。
それにしてもお嬢様は不思議な子だ。
一見、気が弱そうなのに、妙に押しが強くて聞き上手。締めると
ころはしっかり締め、芯が強くて合理的。おまけに膨大な服の知識
を持っており、あの日は何度驚かされてしまったことか。やり手の
商人のような気配りまでできる。ジョーのことだって一度叱りつけ
ると、あとは気にした風でもなく、洋服について熱く語り始めるし
⋮⋮まったく大したお嬢様だ。
ジョーはすっかりエリィお嬢様に惚れ込んでいた。いつも、エリ
ィならこうする、エリィならこう考える、エリィは、エリィは、と
言っている。私がそのことを言うと、顔を赤くして、あんなデブの
ことなんか気にしてねえよ、と恥ずかしがって反論するので、私の
ゲンコツがジョーの頭に落ちる。
かく言う私もエリィお嬢様のデザインに魅了されていた。
エリィお嬢様の三つ上のお姉様、エイミーお嬢様専用の服は、群
317
を抜いて素晴らしく、縫製と着色の現実味があって量産できる可能
性が高い。あの美しいお嬢様がすっきりとした縦縞のワンピースを
着ていたらグレイフナーの男共は百人中百人が振り返るだろう。
お嬢様は私専用の服までデザインしてくれた。
なんとカーキのロングパンツ。ズボンを履いて町中を歩く女性は
冒険者だけだ。ズボンでお洒落するなんて前代未聞だ。しかもこの
ズボンはただのズボンではなく、丈は膝下までになっていて、裾が
広がっている。エリィお嬢様が﹁ガウチョパンツ﹂と名付けていた。
どうやったらこんな発想が出てくるのか不思議でしょうがない。
トップスはボタン付きの白ワイシャツの袖を全部なしにする、と
いう大胆極まりないデザイン。エリィお嬢様が﹁ノースリーブシャ
ツ﹂と名付けたそれは、二の腕が全部見えてしまうので正直ちょっ
と恥ずかしい。痩せたら私も着るのよと意気込んでいて可愛らしか
った。
ベルトは細い茶色のベルトを指定してくる。ベルトなんて、と思
ったが、エリィお嬢様が怖い顔をして、小物がダサいとすべてが無
駄になると断言していた。あの眼力はすごかった。
足下はやはりサンダル。もうすぐ夏だからね、とお嬢様は当然の
ように言う。色は黒。艶出し加工で。しかもお嬢様がデザイン指示
を出したサンダルは、かかとが五センチも高くなっていて非常に歩
きづらそうだ。郊外じゃ無理だけどしっかり舗装されている町中な
ら大丈夫。よかったわねミサ、町に暮らすシティガールしかできな
い格好よ、と謎の文言を残している。シティガール、とは何かまた
新しい用語だろうか。それに加えて、足が長く見えるのよ、と自信
ありげに言ったので、私はすぐに靴屋に発注をかけた。だって足が
318
長く見えるって、女にとって夢のような話だからね。
極めつけは麦わら帽だ。あってもなくてもいいけど、できれば作
って欲しい、と言っていた。麦わら帽子なんて農家の人か、村のお
じさんぐらいしかかぶっていない。でもやっぱりエリィお嬢様が言
うデザインは普通の麦わら帽子と少し違う。通常はツバが広めで頭
の部分が球状になっているが、ツバは狭く、頭の部分は平べったい
円柱状になっている。﹁カンカン帽﹂と名付けていた。相変わらず
謎のネーミングセンスだ。このカンカン帽、エイミーお嬢様のワン
ピーススタイルにも使えるそうだ。
この三週間は怒濤だった。
まず布屋に行ってストライプ生地を多めに注文する。
おシャ
私が注文票を出すと、知り合いの親方さんが目を白黒させた。
﹁ミサちゃんこんな薄い生地じゃあ洋服はダメだよ﹂
﹁どうしてです?﹂
の時代は終わります。これからは
﹁防御力がゼロじゃねえか﹂
防御力
の時代です。こういった防御力ゼロの商品がバンバン売れる
﹁親方。もう
レ力
と思うので生地の量産をお勧めしますわ﹂
﹁平気かいこんなに注文して?﹂
親方は私の言葉を軽く受け流して、注文票に目を落とした。
﹁大丈夫です。その代わり流行ったら他の店にはこういう防御力の
低い商品は卸さないでくださいね﹂
﹁うーんそうだなぁ⋮﹂
319
親方はよくわからんといった顔で何度も首をひねっている。
﹁じゃあ賭けましょう。負けたら私が一日親方とデートする、って
いうのはどうです?﹂
﹁⋮⋮ほほう。面白いこと言うじゃねえか。ミサちゃんみたいな別
嬪さんとデートだなんておっさんには夢物語だ。悪くねえ賭けだな﹂
﹁それでしたらこの契約書にサインを﹂
親方は私が本気だということがようやくわかったらしい。器の狭
い男ならここで突き放すところではあるが、さすがグレイフナーで
一番の布専門店。親方はおもしれえ、と言って、ストライプ、ドッ
ト、ボーダー、チェック柄、その他細々した生地の取引を他店とは
しない、と約束してくれた。
さらに私は織物店、靴屋、皮物屋、帽子屋、鍛冶屋へも足繁く通
った。
各親方から言われた台詞は以下の通りだ。
織物屋﹁これでは防御力が低くてゴブリンに一撃で破られてしまい
ます﹂
靴屋﹁サンダルを普段着に? 防御力は大丈夫ですか!?﹂
皮物屋﹁こんな子どもが付けるような弱っちいベルトに需要がある
んかねえ⋮﹂
帽子屋﹁デザイナーは素人ですね。このツバの広さでは日光を遮断
できません﹂
鍛冶屋﹁HEY! なんだこの紙細工みてえなブレスレットは?!
お洒落で腕につけるぅ? こんなもんゴブリンに殴られただけで
ぶっこわれちめぇYO!﹂
やはり防御力重視だ。
320
武の王国らしい予想通りの反応に私は営業スマイルを顔に張り付
けっぱなしだった。
ともあれ粘り強く通って生産をオーケーしてもらい、賭けを名目
にしてうちとの独占取引を了承してもらった。特に、鍛冶屋のノリ
についていくのは本当に大変だったなぁ⋮。賭けと称した契約書に
は、どの親方もこんなものが流行るはずがないと思って気軽にサイ
ンしてくれた。相手側のメリットが大きいことも功を奏している。
服が売れれば商品が大量発注されて利益になる。全然人気が出なけ
れば私とデートできる。どっちに転んでも利益にしかならない。正
直、私にそんな魅力があるとは思えなかったので堂々と﹁あなたと
デートしてあげますわッ﹂と言うのは恥ずかしかった。
実はこれ、すべてエリィお嬢様の知恵だ。
流行になった商品は他社が必ず追随して、最終的にはコモディテ
ィ化してしまう。流行の第一人者はその利権を確保すべきだそうだ。
コモディティの内容は説明してもらっても全然わからなかった。要
約すると新しい魔法の特許みたいに他社に製品を盗られなければい
いということだろう。もちろん布屋は他にもいくつかあるので独占
は不可能だが、最初のノウハウは私が契約した店が持っているので、
他社が真似をして開発している期間は完全独占になる。その期間で
相当稼げるとお嬢様は言っていた。
そしてその期間中に完全差別化を図り、ミラーズをブランド化さ
せると力説していた。正直、私には半信半疑だ。服は服屋に行けば
売っている物で、どこで買っても同じ、というのが常識だ。そんな
ことを言う私にお嬢様はわかりやすい解説をしてくれた。
﹁じゃあ例えばだけど、ミサはこれから卵焼きを作ろうとしていま
321
す﹂
﹁わたし卵嫌いなんですよね⋮﹂
﹁もう! 例えばだから話を合わせて。で、ミサは卵を買いに行き
ます﹂
﹁はい。私は卵を買いに行く﹂
﹁行ったお店には二種類の卵があって、一種類は普通の卵。もう一
種類は国王御用達と書かれています。値段はほとんど変わりません。
さあどっちを買う?﹂
﹁もちろん国王御用達の卵です﹂
﹁それはどうして?﹂
﹁国王様が食べている卵のほうが美味しいに決まっています﹂
私は当然だと思って国王御用達を選びました。
お嬢様はにやりと不敵に笑って、大きくうなずきました。
﹁ミサ、それがブランド力よ﹂
﹁えっ?﹂
﹁国王が食べているから美味しいだろう。あの冒険者が使っている
剣だから切れ味がいいだろう。有名料理店の暖簾分けした店だから
美味しいだろう。そして、ミラーズで買ったから町で一番お洒落な
服だろう⋮⋮。蓋を開けると、実はそこまで大差がない﹂
﹁そういうことですか。私には何とも想像ができかねますね⋮﹂
エリィモデル
と記載してちょうだい。あと、ロ
﹁ミラーズの商品にはすべてタグをつけるわ。それから私がデザイ
ンした商品には
ゴは考えた?﹂
﹁いまジョーが必死に考えています﹂
﹁いくつかジョーに案を出してもらってミサが厳選し、最後に私が
チェックする、という方向でいいかしらね﹂
﹁もちろんですわ﹂
﹁ありがとう。グレイフナーの女性達が自分たちの着ている服に疑
322
問を持てば、瞬く間に売れるわよ。そのときにミラーズのロゴ付き
商品が爆発的人気になるわ﹂
お嬢様は実に楽しそうに計画をお話になっていた。
そして宣伝方法についても、色々とアイデアがあるそうだ。
グレイフナーの町並みを眺めながら、あの建物と、あれがいいわ
ね、と自分の言葉にうんうんとうなずいている。きっとまた突拍子
のないことを言うのだろう。
そうこうしている間に時間は過ぎ、お嬢様が何者かに襲われた、
という話をゴールデン家から聞いた。私は冷水を頭からかけられた
ように全身から血の気が引き、未だかつてないほど狼狽した。もう
ミラーズはお嬢様のアイデアがなければ経営不振でこのまま潰れて
しまう。庶民向けなのか貴族向けなのか中途半端な位置づけのミラ
ーズを、彼女のアイデアなくして復活させることは私にはできない。
ジョーの慌て方がすごかった。
止めなければゴールデン家にすっ飛んでいっただろう。
幸い、お嬢様の命に別状はなかった。その代わり、しばらく自己
防衛の特訓をすると言って、店には顔を出さなくなってしまった。
ジョーは心配し、エリィお嬢様が来ないことでちょっと寂しそうだ
ったので、私はあなたもレベルアップしろと仕事を投げてやった。
エイミーお嬢様専用の洋服試着会はエリィお嬢様が落ち着いてか
らという話になって延期された。その間もやることは山積みだった。
新しい服の値段の決定や、類似品の作成、仕入れルート、試作品の
見直し。しばらく仕事に追われていると私専用の服が完成した。
私は試着したあと、感動のあまり涙が出てきた。
323
これが私なのだろうか。
鏡に映っているのは清楚な中にも知的な雰囲気を持ち、女の色気
を醸し出している私だった。真っ白なノースリーブシャツから惜し
げもなく二の腕が伸び、カーキのガウチョパンツと特注したかかと
の高いサンダルが大人っぽさを演出し、カンカン帽からは夏っぽさ
が出て涼しげな印象を与える。鍛冶屋の親方に散々言われた極細の
金色のブレスレットがなんとも言えないアクセントになっていた。
私のボブカットと非常にマッチしている。髪型も計算のうちだろう。
あと⋮⋮足が長く見えるッ。何コレッ。すごい。これはすごい!
特訓が終わって学校の合宿に行くので今日来て欲しい、とお嬢様
から連絡があり、私は嬉々としてジョーと一緒にエイミーお嬢様の
新しい服を持って馬車に乗り込んだ。ジョーは自分の考えた服を見
てもらおうと、ラフ画を大量に鞄に詰めている。もちろん私はお嬢
様がデザインしてくれた服を身に纏っている。
まず面白かったのが、私の格好を見た護衛のマッチョな人だ。
ぽかんと口を開けて、しげしげと上から下まで私を見て、顔を赤
くしていた。ふふ、そうでしょうそうでしょう、可愛いでしょうこ
の服は。
次にエリィお嬢様専属メイドのクラリスさんは、私の服を見て、
お嬢様はやはり天才だ、と涙腺から大量の水分を放出させた。
そしてエリィお嬢様がエントランスから駆け降りてきた。私の姿
を見るなり満面の笑みになった。
﹁ミサ! とても似合っているわ! あなたの魅力が百二十パーセ
324
ント発揮されているわ! 最高ね!﹂
﹁お嬢様﹂
私は思わずひざまづいてしまった。
﹁わたくしこの服に感激し、言葉もございません⋮⋮このような素
晴らしい、いえ、革命的なデザインに感服致しました﹂
﹁やめてミサ、顔を上げてちょうだい﹂
﹁エリィ、俺もだよ﹂
﹁ジョーまで膝をつかないで。もう、調子が狂うじゃないの﹂
雑談もほどほどに、いよいよエイミーお嬢様の試着が始まった。
私は人生で一番胸が高鳴った。エイミーお嬢様がお部屋から出て
くるまでの時間が、何時間にも感じたほどだ。ゴールデン家のサロ
ンに通され、家族全員、使用人の方々まで勢揃いしている。一家の
大黒柱でエリィお嬢様のお父様、ハワード・ゴールデン様は人の良
さそうな垂れ目でダンディな方だ。炎の上位魔法使いとして名高い
奥様のアメリア様は凛としてお美しい。長女のエドウィーナお嬢様
は色気たっぷりの美人さん、次女のエリザベスお嬢様は奥様に似て
キリッとしておりまた違った美しさがある。
美男美女で有名なゴールデン家は、息が詰まるほど華やかだ。エ
リィお嬢様はこんな方々に囲まれ、よく卑屈にならず成長したもの
だ。やはりただ者ではない。
エイミーお嬢様が恥ずかしそうにサロンに現れると、全員から感
嘆ともため息とも取れる声が上がった。
﹁どう、かな?﹂
もう何と言っていいのかわからないほどにカワイイ!
325
きゃー、はにかむのをやめてッ!
これは反則よ! 反則ッ!
スレンダーな体の線がわかるように薄手のストライプワンピース
がエイミーお嬢様の可憐さを強調し、白い足に纏われた皮紐サンダ
ルが足下をすっきりと見せている。肩にかけた薄黄色のカーディガ
ンが大きな胸をやんわりと隠して、さらさらの金髪と相まってエイ
ミー様のお嬢様度をこれでもかと上げていた。
﹁姉様、スーパー可愛いですわッ﹂
エリィお嬢様があまりの感動でよくわからない言葉を言っている。
﹁これは⋮⋮素晴らしいデザインだ﹂
旦那様はいたく感動していた。
そして奥様と長女のエドウィーナお嬢様が、どこにいけば売って
いるの、とすごい食いつきを見せる。若いメイド達も、耳をそばだ
て興味津々だ。次女のエリザベスお嬢様だけは首をかしげていたが、
新しい斬新なデザインだ。全員が全員、いいとは思わないだろう。
﹁ミサ、カンカン帽を貸してちょうだい﹂
エリィお嬢様がおもむろに私のかぶっている帽子を取って、エイ
ミーお嬢様にかぶせる。
これまた何とも言えない爽やかさがサロンに吹き抜けた。エイミ
ーお嬢様がくるっとまわって、どうでしょう、と裾をつまむと、女
の私ですらつい口元がにやけてしまった。人間は真に可愛い物を見
ると口元がゆるんでしまうものだ。
326
﹁ジョー、頼んでいたピンクのカーディガンを﹂
﹁オーケー﹂
ジョーからカーディガンを受け取ると、エリィお嬢様は肩に掛け
ていたカーディガンを取って、エイミー様にピンクのカーディガン
を着せた。
﹁これもいいわね﹂
くっ、なんてこと!
凶悪なまでにカワイイわッ!!
ピンクのカーディガンを着ただけで年相応の十七歳に見え、アー
モンド形の垂れ目とぴったり合う。
S級美女モンスターの誕生よ⋮⋮。
奥様とエドウィーナお嬢様、若いメイド達がエイミーお嬢様を囲
んできゃいきゃいと黄色い声を上げる。男性陣はただただにやけ面
でエイミーお嬢様を見つめて頬を染めていた。
﹁これをエリィが⋮?﹂
旦那様がエリィお嬢様に尋ねた。
﹁素晴らしいでしょうお父様﹂
﹁ああ、本当に素晴らしいな。我が娘なのが惜しいほどだ﹂
﹁ふふ、そのお気持ちはよくわかります﹂
﹁それにしても⋮⋮エリィはいつの間にか立派になっていたんだな。
一人で服を注文してデザインまでお願いしているとは思わなかった
よ﹂
327
旦那様は優しくお嬢様の頭をなでています。
﹁今までエリィには貴族の自覚を持って欲しく厳しく接してきたが、
これからは一人前のレディとして対応しないといけないな﹂
そう言った旦那様は爽やかに白い歯を見せて、にこやかに笑って
いた。
エリィお嬢様は嬉しそうに、よろしくお願いします、とお辞儀を
している。
﹁エリィちゃん﹂
今度は奥様が来て、お嬢様を抱きしめた。
普段は厳格であろう奥様が相好を崩している。
﹁あなたは天才ね⋮。特訓でスクウェアになって、自分の趣味も頑
張って、私は鼻が高いです。よくやりましたねエリィ﹂
﹁ありがとうお母様﹂
﹁ところで⋮⋮私の服もデザインしてくれないかしら?﹂
奥様がひそひそとお願いすると、エイミーお嬢様が割り込んでき
た。
﹁ずるいわお母様! 次の次にしてくださいね!﹂
﹁あらエイミー。次は私ですよ﹂
エドウィーナお嬢様がその輪に加わって、楽しげなエリィお嬢様
争奪戦が始まった。その華やかな光景はまるで物語の一ページを見
ているみたいだ。そんな話を女性陣がしている中、ジョーがお嬢様
に自分で開発した新デザインを広げて見せている。旦那様が、娘は
328
やらねえよ小僧、という怖い目を向けていたが、二人はそんなこと
そっちのけでラフ画とにらめっこをしていた。こうなると中々終わ
らないことを知っている。
舞台上の役者になった気分で、私は思った。
これからグレイフナー王国にオシャレ旋風が巻き起こるであろう
と。
その中心にいることが誇りに思え、まだ見ぬ明るい未来を想像さ
せた。
私は寝たきりの父と家を守ってくれている母、肉屋をやめて服屋
をやると説得したときの家族の顔、ミラーズを立ち上げてからの苦
労と葛藤の連続、利益が上がらない辛酸と焦燥、デザインに対する
理想と現実、全部がないまぜになって涙がこぼれ、ゴールデン家の
華やかなサロンを見ながら両手を胸に当てた。
﹁ミサ、どうしたの?﹂
エリィお嬢様が心配そうな顔で私を気に掛けてくれる。
どんなに忙しくても人の機微に鋭く気づき、優しく接するお嬢様
が私は好きだ。
私は精一杯笑顔を作って﹁何でもありませんわ﹂と泣き笑いの顔
で答える。
329
すべてを理解したのか、お嬢様は不敵に笑って、﹁大変なのはこ
れからよ﹂と言った。
私はお嬢様が男であったら間違いなく惚れているだろうな、と思
いながら、最近ジョーに教えてもらったビシッと親指を立てるポー
ズをお嬢様に送った。そう、大変なのはこれからなのだ。まだまだ
やることはたくさんある。私とジョーとエリィお嬢様の洋服物語は
これからはじまるのだ。
330
第14話 イケメンエリート、王様に呼ばれる︵前書き︶
更新が遅くなりました!
読者の皆様のおかげで更新20回までこれました。
PV7000アクセス越えありがとうございます!
いつもお読み頂きありがとうございます!
評価&ブックマークありがとうございます!
ハゲみになりますッ。
ご意見感想等、いつでもお待ちしております。
331
第14話 イケメンエリート、王様に呼ばれる
﹁きゃーーっ! なんなんですの!? なんなんですのこの犬は!
?﹂
おすまし縦巻きロール女、スカーレットはパグに似た子犬五匹に
まとわりつかれていた。逃げようとするたびに跳びつかれ、両腕、
頭、両足に一匹ずつがへばりついて、犬は尋常でないよだれを垂ら
して荒い息をつきながら腰をカクカク振っている。
﹁破廉恥ですわよ!! 離れなさい、この、発情犬ッ!!!﹂
﹁ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ⋮!﹂
犬はベロを出して激しい呼吸をする。意地でもスカーレットを放
さねえ、と意気込んでいるように瞳が輝いていた。
﹁このっ! このっ! このぉーっ!﹂
﹁ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ⋮!﹂
スカーレットは犬がくっついている腕をぶんぶん振り回している。
やべっ、ちょーうけるんですけど!
俺とスルメとガルガインは腹を抱えて笑っていた。
ラブリードッグ
救難信号の発情犬煙玉はパグに似た犬のオスを瞬間的発情期にさ
せて呼び寄せる魔道具だった。グレイフナー魔法学校の合宿管理小
332
屋に飼われているこの犬は、救難信号を匂いで察知し、目標に向け
ラブリードッグ
て欲望のまま休憩なしでひた走る。五十キロほど先まで匂いが届く
というこの発情犬煙玉の効力は凄まじかった。
煙を数時間、もろに浴びたスカーレットは気の毒なほど犬に大人
気だ。
教師と上級生の混合チーム七名はモンスターを蹴散らしながら、
草原入口からここまで五時間、犬と一緒に休憩なしで走ってきてく
れたらしい。このメンツの体力も凄まじい。大半が息も絶え絶えで
あったが、救援チーム七人全員が脱落せずに到着している。
﹁見てないで! 早く! なんとか! してちょうだい!!﹂
スカーレットは金切り声で叫ぶ。
だが、もはや誰も助けようとしない。
引きはがそうと救援チームがチャレンジしたものの、発情した犬
達は引きはがした先から追尾ロケット弾のようにスカーレットに跳
びつくのだ。
ぱっと見、新しく開発された犬の防護服だった。頭にへばりつい
た犬がヘルメット、両腕の犬がガントレット、両足の犬がすね当て。
しかも全部の犬が腰を振っている。スカーレットは突っ立っている
だけで、己の意思に反して常に揺れている。
スルメなんかは笑いすぎて仰向けでひーひー言いながら、地面を
這いずりまわって呼吸困難を起こしている。アリアナは鼻で笑い﹁
ぷっ﹂とスカーレット犬合体バージョンを見ないように顔を逸らし
た。
333
﹁ちょっとあなた達! 笑ってないでどうにかしてちょうだいッ!
!﹂
羞恥と怒りで顔を真っ赤にした犬合体スカーレットが俺たちに指
を差す。
だが上げた右手にはパグに激似の目が飛び出ているまぬけな顔の
犬が恍惚とした表情で腰を振っている。犬合体スカーレットの指先
は定まらず、カクカクゆらゆらハァハァしている。
﹁ぎゃーっはっはっはっは!﹂
﹁やめてくれー! ごほっごほっ⋮⋮俺を笑い殺さないでー!﹂
﹁ぶーーーーーーっ﹂
﹁ぷぷっ⋮﹂
俺たちの瞳と、腰を振るパグのつぶらな瞳が交錯する。
スカーレットの腕が小刻みに揺れている。
ガルガインが四つん這いになって右手を地面にバンバン叩きつけ
て笑い、スルメが地面をのたうち回って笑い死に寸前、俺は我慢し
きれず落ち着くために飲んでいた水を吹き出し、アリアナが肉のな
い頬をにやりと釣り上げた。
﹁あ、あ、あ、あなた達おぼえてなさいよぉーーーーーッ!!﹂﹂
犬合体スカーレットが古今東西の脇役とまったく同じ捨て台詞を
吐いて、涙を流しながら大草原の奥へと消えていった。スピードに
乗ったパグ似の犬はスカーレットに振り落とされないように前足だ
けで器用にしがみついている。風を受けるバスタオルのように犬が
なびく。犬は空中でも腰をカクカク動かしている。
334
﹁ぎゃーっはっはっはっはっは!!﹂
俺はレディらしく笑っていたが、もう耐え切れず、ガルガインと
一緒に地面をバンバン叩いて笑った。
﹁ひーっ、ひーっ⋮⋮もう⋮ぶひゃひゃっ⋮無理っ。ふぎゃっ!﹂
スルメは笑いすぎで腹筋が攣ったらしい。
﹁今世紀最大級⋮ぷっ⋮﹂
アリアナはツボに入ったらしく、にやっとしては真顔に戻る、を
繰り返している。
さすがに見るに見かねたハルシューゲ先生が、苦笑いで俺達に声
を掛けた。
﹁君たち、そろそろそれぐらいにしてあげなさい。彼女は結婚前の
乙女なんだからな﹂
﹁ひーっ、ふーっ⋮⋮ごめんなさい先生。レディらしく我慢します
わ﹂
﹁そうだよエリィ君﹂
﹁あれを見せられたら誰だって笑う⋮﹂
アリアナが横からもっともな意見を言う。
その通りだ。でも俺はおしゃまでおデブな可愛いレディ。
水でも飲んで心を落ち着かせよう。
335
しかしその決意はすぐに打ち破られた。
︱︱ァァ⋮⋮
︱︱ァァァア⋮⋮⋮
︱︱ァァァァァアアア⋮⋮⋮⋮
︱︱キャーーーーーーーーッ!!!!
︱︱魔物ですわーーーーーーーーっ!!!!!!
走り去ったはずの犬合体スカーレットが、ウルフキャットに追わ
れて出戻りしてきた。小柄であるが獰猛な牙をもっている魔物に追
われ、スカーレットとパグ五匹は必死の形相になっている。もちろ
んパグはその体をなびかせながら、恐怖の形相で腰をへこへこ動か
している。その滑稽さたるや何にも形容できない。
いぬ! フィニッシュ寸前の顔にしか見えねえーッ。
﹁ぶぎゃーっはっはっはっはっはっはははッ!!!!!﹂
﹁ぎゃはははははははッッッ?! ぷげっ!﹂
﹁ぶぅぅぅぅぅーーーーーーーっ!!!!﹂
﹁⋮⋮⋮くっ﹂
336
ついにガルガインは自身のたんそくとアイアンハンマーを地に投
げだし、じたばたもがいて笑い出した。
スルメは腹筋が崩壊してぴくりとも動かない。
俺は口に含んでいた水を盛大に吹き出した。
アリアナは苦しそうに立膝をつく。
﹁き、君たち⋮⋮笑っちゃ⋮可哀そうだよ⋮⋮ぷっ﹂
ウォーターウォール
でウルフキャッ
ハルシューゲ先生は顔を引き攣らせて笑いを堪えながら、なんと
か教師らしいことを言って
トを退治した。
○
スリープ
救援チームが笑い出したので収拾がつかなくなった。アリアナが
仕方なく睡眠霧でスカーレットと犬を眠らせ、何とか場を収める。
ラ
合宿の冊子に﹃興味本位で使うな﹄と書かれていた理由がよくわか
った。
ブリードッグ
時刻は夜の七時。救援を待っている間、魔物が出なかったのは発
情犬煙玉の臭いが強烈で魔除け代わりになっていたから、と救援に
きた火のクラスの担任教師が言っていた。確かに服を嗅ぐと、わず
かながらクサヤと硫黄を混ぜたような独特の異臭がまだ残っていた。
時間的には野営をするべきであったが、これだけの人数がいれば
そうそう何があっても対処ができるということで、俺たち十四人は
移動を開始した。
337
﹁別に救援を呼ばなくても僕がボーンリザードを撃退していたのに
ね!﹂
痺れ状態と疲労から復活したイケメン風で全くイケメンに見えな
い亜麻クソが、長い前髪をふわぁさ、とかき上げて、ズビシィッと
杖を構えた。俺たちは犬合体スカーレットのせいで笑い疲れ、数時
間前の魔力枯渇で精神的にも疲労が溜まっていたのでガン無視する。
亜麻クソに唯一反応してくれるスカーレットは、救援チームで一番
ガタイのいい熊人の六年生の背中で眠りこけていた。五匹の犬も熊
人が腰に付けたロープに引っ張られて移動する小さいソリの中で眠
っている。
﹁僕の奥義を使えばボーンリザードなんてイチコロだったのにね!﹂
ライト
で照
俺、アリアナ、ガルガイン、スルメ、ハルシューゲ先生は大草原
を黙々と歩く。光魔法の初歩、光を出すだけの魔法
らしながら、救援チームが俺たちを護衛するように左右に分かれて
進む。周囲の警戒をしてくれているので、気持ちが楽だ。
﹁ぼ、ぼくの奥義を使えばボーンリザードなんて一撃でボーンだっ
たのにね!﹂
やはり夜の大草原は星がきれいだ。背負ったバッグを担ぎ直して、
俺は夜空を見上げる。白、赤、黄色、満天の星空が俺たちを見つめ
ている。風が吹けば草がざわめき、遠くの方で獣とも動物とも判断
がつかない鳴き声が聞こえる。
﹁ぼ、ぼくの奥義で、きっと⋮⋮倒せたんだ! はははっ!﹂
俺はアリアナに水の入った水筒を渡した。﹁ありがと⋮﹂と言っ
338
て彼女は蓋を開けて一口水を飲んだ。後ろを歩いていたガルガイン
が﹁ほし肉食べるか﹂と一切れちぎってくれた。俺は﹁それじゃあ
いただくわ﹂と礼を言って口にほし肉を放り込む。しょっぱさと肉
の臭いが口いっぱいに広がっていく。
﹁ぼくのおうぎ、見たくないのかい!? リーダーのおうぎだぞぅ
!!﹂
スカーレットを背負っている熊人に俺は近づいた。バッグから小
ラブリードッグ
さく切ってある止血用の布を取り出し、丸めて彼の鼻に詰めてあげ
る。スカーレットは未だに発情犬煙玉の異臭を放っているのだ。熊
人の六年生は丸い鼻をずるずる吸って﹁ありがとよ。これは助かる﹂
と言った。試しにだらしなくよだれを垂らして眠りこけるスカーレ
ットのスカートを嗅いだら、鼻が曲がった。まじでくせえ。
﹁ぼくのぉ! おうぎをぉ! 見たくはないのかいしょくん!!!﹂
ライト
ハゲ先生
と呼ばなかっ
に照らされる額には若干の青筋が浮かんでいる。
そういえば、といった具合でハルシューゲ先生が顔を上げた。
﹁私が魔力切れになる寸前、私のことを
たかい?﹂
﹁え⋮⋮⋮? なんのことです先生?﹂
くっ!
なんてこった!
切羽詰まって略して叫びました、なんて口が裂けても言えねえ!
キュ
癒
かけて魔力切れになりそうな朦朧とした意識の中で確かに君
もうろう
﹁いや聞き間違いのはずはない。私は最後、ドビュッシー君に
アライト
発光
339
の声を聞いた。ハゲ先生ーッ、と叫ぶ君の声をね﹂
﹁せ、先生⋮それは意識が朦朧としていたのでそう聞こえてしまっ
たのではないですか?﹂
﹁ぼくの、さいしゅうおうぎ、それは水魔法ッ﹂
ハゲへの執着か!?
これはハゲへの執着なのか!??
﹁私は記憶力に人一倍自信がある。君の声は聞こえていた﹂
﹁魔力切れで上手く頭が働いてなかったんだと思います﹂
ハゲ先生
などとお呼び
﹁魔力切れは何度も経験している。限界まで冷静な意識を残してお
くのは造作もないことだ﹂
﹁そ、そうだとしても私は先生のことを
していません﹂
﹁ところがどっこい先日の適性試験で呼んでいるじゃあないか﹂
﹁ぐ⋮⋮それはそうですが私は過去を乗り越えたのです﹂
﹁ぼくの、おうぎ、それは水魔法のアノ魔法だ⋮﹂
俺とハゲ⋮⋮もといハルシューゲ先生は言った言わないの押し問
答を小一時間ほど続け、この件はまた改めて真偽を確かめたいと思
う、という言葉を何とか引き出して事なきを得た。危なかったー。
まだまだ大草原は続いている。
俺たちはひたすら歩いていた。
途中、遠巻きに現れる魔物は火クラスの教師が面倒くさそうに放
った魔法の圧倒的な火力で消し炭にされる。
静かになると、夜の湿った空気が顔に当たった。
340
﹁しっかしエリィ・ゴールデン。てめえはやればできるじゃねえか﹂
ハルシューゲ先生と俺の熱きハゲ問答のあと、スルメが暑苦しい
しゃくれ顔をこちらに向けた。
﹁レディに向かっててめえはないんじゃないの?﹂
﹁別にいいだろ。俺たちゃ戦友だ。あのボーンリザードとリトルリ
ザードの群れに遭遇して生き残った戦友だぜ﹂
﹁ぽ⋮⋮⋮ぽくの⋮⋮⋮⋮おうぎぃ⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹁はあ⋮⋮あなたそんなことだからモテないのよ﹂
スルメは俺の言葉に戦慄し、思わず立ち止まった。隊列の後方へ
と流れていく。
しかしすぐさま猛ダッシュで俺の横まで来て、急き立てるように
声を上げた。
﹁ど、どうして俺がモテねえって!? どうしてそう思うんだよ!
?﹂
﹁どうしてって⋮⋮ねえ?﹂
目線を受け取ったアリアナがダルそうに口を開いた。
﹁がさつ⋮﹂
﹁が、がさつ? 俺ががさつだと!?﹂
﹁あと暑苦しい﹂
﹁なにぃ!? それはてめえの体型もじゃねえ︱︱ぷべらッ!﹂
﹁乙女心がわかってない﹂
﹁そんなもん知るか!﹂
﹁総合的に見てモテないと一瞬でわかるわ。ねえアリアナ﹂
﹁モテるはずがない⋮﹂
341
﹁そ、そ、そんなぁ⋮⋮﹂
﹁ぽ⋮⋮ぽくのおうぎぃ⋮⋮みじゅ⋮⋮みじゅ⋮⋮⋮⋮﹂
その場で四つん這いになってうなだれるスルメ。前進する隊列の
後方へとまた流れていく。だが立ち直りが早い。短距離走選手のよ
うなきれなフォームで走ってきて俺とアリアナの間に割り込んだ。
﹁どうすれば! どうすればモテるんだ!﹂
﹁どうって言われてもね﹂
﹁頼むエリィ・ゴールデン、教えてくれ!!﹂
﹁そういう空気読めないところがダメ⋮全然ダメ⋮﹂
心底嫌そうにスルメを押しのけて、アリアナが俺の横を陣取って
並んで歩く。
﹁え? え? どういうことだ? さっぱりわからん!﹂
スルメは頭を抱えて必死な顔で、うおおおお、とうなり声を上げ
た。
なんつーか、非常に残念な奴だ⋮。
﹁そんなにモテたいの?﹂
﹁あたりめえだろッ。うちの家系は代々自由恋愛なんだよ!﹂
﹁スルメの口から恋愛とかないわー﹂
﹁ない⋮﹂
﹁ちょ、おめえら俺の精神を地味に攻撃するのやめてくれねぇか﹂
﹁でも事実だし、ねえ?﹂
﹁仕方ない⋮﹂
﹁⋮⋮だれかはぁ⋮⋮⋮⋮おうぎぃ⋮⋮⋮⋮みてへぇ⋮⋮﹂
﹁んなこと言ったらおめえらだってモテねえだろうがよ!﹂
342
﹁あらそんなことがいつまで言えるかしらね。私とアリアナはすぐ
綺麗になるわよ。それで将来あなたが私とアリアナにデートを申し
込んでも絶対に断るからね。よろしく﹂
﹁どっからその自信がくるんだよこのデブげらッッ!!!﹂
俺のビンタでスルメは上半身だけひねらせて後方へ飛んだ。
﹁レディにデブって言わないでちょうだい﹂
﹁エリィはすごい人なの⋮バカにしないで﹂
アリアナが心配そうに上目遣いで俺にすり寄ってくる。
くっ⋮なんて可愛いんだ。
彼女の頭を撫でて狐耳を堪能し、ふといいことを思いついた。
﹁スルメ、モテるようにアドバイスしてあげてもいいわよ﹂
﹁まじかッ!?﹂
速攻で復活するスルメ。
ガルガインが面白そうだとツバを吐いて、救援チームとの会話を
切り上げてこちらにやってくる。
﹁で、で、どうすりゃいいんだ俺は!﹂
﹁その前に条件があるわ﹂
複写
コピー
ができる魔法使いを捜してきて欲しいのよ。火魔法の上
﹁条件?﹂
﹁
級でそんな魔法があったわよね?﹂
複写
コピー
は見た風景を白い紙に複写できる、という文字通りただ
﹁⋮⋮⋮⋮⋮ぽくちんの⋮⋮⋮⋮ぉぅぎぃぃ⋮⋮﹂
のコピー機能だ。しかもインクが近くにないと魔法が発動しないと
343
いう残念な仕様になっている。使った分だけインクが減るので、俗
に言う﹃使えない魔法﹄の部類に入っており、使いどころは国から
出す発行証などの複写のみだ。上級魔法ということで扱える人が一
般人に少ないのと、攻撃的な性格の多い火魔法適性者がこんな地味
な魔法を習得している確率が低いのとで、使用者を探すのは一苦労
だった。
﹁まあ下の上にそんな魔法があるはあるがよ、あんなクソの役にも
立たない魔法何に使うんだよ﹂
﹁乙女の秘密﹂
﹁なーにが乙女だよ﹂
﹁ふーん。いいのよ別に。私はあなたがずっと女子にモテなくて一
生独身のまま生涯を終えてもなんにも損はしないし悲しくもないし。
きっとあなたはどうして自分がモテないかもわからずに悶々と苦悩
しながら生きていくんでしょうね⋮﹂
﹁おい⋮﹂
﹁ああなんて悲しいスルメ。女子からはスルメと呼ばれて友達には
なれるけど絶対に恋仲まで発展せずただいたずらに時間とお金を浪
費するだけ。そして女の子たちはそれぞれの想い人と結ばれてスル
メにはおこぼれ一つも落ちてこないのよね⋮﹂
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で
俺の言葉にスルメは顔面を蒼白にさせた。ボーンリザードと対峙
したときより悲壮感が漂っている。
﹁わかった! わかったから頼む! うちのわけえ奴で
きるのが二、三人いるからそいつらでいいだろ!?﹂
﹁ありがとうスルメ!﹂
俺は心からの礼を言った。
口ぶりからしてスルメの家は結構でかいみたいだな。
344
これで例の計画が一歩進んだ。魔力結晶を売れば金も足りるだろ
う。
﹁おめえ本当いい性格してるよな⋮⋮。他の奴らにはおめえのこと
ただの落ちこぼれだって聞いてたけど、ありゃ真っ赤な嘘だったな﹂
﹁能ある鷹は爪を隠すっていうからね﹂
﹁自分で言うのかよ。ま、お前が優秀だっていうのは認めるがな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮ぽく⋮の⋮⋮⋮⋮ぉぅ⋮⋮⋮⋮ぎぃ⋮⋮﹂
ちなみにボーンリザードは、たまたま落ちた局地的な落雷で死ん
だことにしている。そんな都合良く、とハルシューゲ先生は疑って
いたが、伝説の複合魔法を俺が使えるとも思えず、渋々信じてくれ
た。スルメはアホだから、すげえラッキー俺って幸運すぎぃと叫ん
でいた。まじでアホだ。ガルガインは、助かってよかったぜ、とだ
け言っていた。
﹁そういえばガルガインの実家って鍛冶屋だったわよね﹂
﹁ペッ。なんか売って欲しいのか?﹂
﹁カメラってないの?﹂
﹁カメ⋮⋮?﹂
﹁風景とか人を紙にそのまま写すことができる道具なんだけど﹂
﹁ああ、﹃記念撮影具﹄な。俺んところの実家から取り寄せると時
間がかかるぞ。それに、かなり高い﹂
﹁いくらぐらいするの?﹂
﹁三百万だな﹂
﹁えっ!?﹂
予想以上にたけえ。
﹁誰か結婚でもすんのか?﹂
345
﹁しないわよ﹂
﹁じゃあなんに使うんだよ﹂
﹁まあ、色々とね﹂
﹁⋮⋮みてよ⋮⋮⋮⋮ぉぅ⋮⋮⋮⋮ぎぃ⋮⋮﹂
買うしかないな。
幸い俺の懐には一億ロンの魔力結晶が眠っている。
背に腹は代えられない。
﹁どうしてもっていうなら知り合いの魔道具屋に口きいてやるよ﹂
﹁ほんと! ありがとうガルガイン。あなた男ね﹂
﹁それくらいなんでもねえよ﹂
﹁ちょーーっと待った!﹂
スルメが俺とガルガインの間に入ってきて、しゃくれ顔を突き出
した。
﹁男気があるのは俺のほうだ﹂
﹁はあ? 何言ってんだよスルメ﹂
﹁おぉぉぉい! おめえも俺のことスルメって呼ぶのかよ!?﹂
﹁呼びやすいからな﹂
﹁エリィ・ゴールデン! てめえは変なあだ名を浸透させてんじゃ
ねえよまじで! ガルガイン、てめえのあだ名はたんそくだ! 今、
俺が決めた!﹂
﹁その発言はドワーフすべてを敵にまわすぞ⋮⋮﹂
ガルガインが剣呑な声色でアイアンハンマーを構えた。
﹁スルメを撤回しろ! 今すぐ!﹂
﹁ペッ。たんそくを撤回しろ。今すぐな﹂
346
﹁お前が先に謝罪しろ﹂
﹁お前が先だ﹂
﹁いいやお前だ﹂
﹁お前だ﹂
﹁謝れば許してやるよたんそく﹂
﹁ペッ。てめえのしゃくれ面を矯正してやる、スルメ﹂
﹁んだとぉたんそく!﹂
﹁うるせえぞスルメ!﹂
﹁ちょっとあなた達こんなところで喧嘩はやめなさいよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮ぉぅぎぃ⋮⋮⋮みてへぇ⋮⋮﹂
俺の声はもはや二人の耳には入っていない。
スルメがバスタードソードを抜いて構える。
両者が睨み合い、何事かと救援チームが前進を止め、ハルシュー
ゲ先生が喧嘩の仲裁に入ろうと杖を構えた。それと同時に二人が叫
び声を上げて飛び掛かった。
﹁うおおおおおおおお!﹂
﹁うおりゃあああああ!﹂
バスタードソードとアイアンハンマーぶつかり合い、鈍い金属音
をまき散らして勢いが止まる。力はガルガインが有利ではあるが、
スルメは身長差にものを言わせてバスタードソードに体重を乗せた。
二人は武器に入れた力を抜かないまますり足で前進し、お互いの
体が接触するほどに睨み合う。
﹁撤回してもらおうか、アアッ!?﹂
﹁調子に乗るなよスルメェ!﹂
つばぜり合いは拮抗していた。ギリギリギリ、とバスタードソー
347
ドとアイアンハンマーが金属の不協和音を奏でる。埒があかないと
思ったのか、二人は同時に相手を押し返し、一気に距離を取り、素
早く杖を抜いて構えた。
﹁ファイアボール!!﹂
﹁サンドボール!!﹂
スルメの杖からはバスケットボール大の火の玉が勢いよく飛び出
し、ガルガインの杖から同じ大きさの土の塊が空中に出現して高速
で飛んでいく。
は
は大草原
サンドボール
ファイヤーボール
下位魔法の中級ではあるが限界まで魔力を練り込んであり、近く
で見るとかなりの迫力だ。スルメの
に焦げ跡を残しながら突き進み、ガルガインの
草を引きちぎって前方へすっ飛んでいく。
ぶつかる!
俺は咄嗟にアリアナを抱き寄せて余波に備える。
両者の魔法がぶつかると思った、ま、さ、に、その瞬間!
﹁ぽくの⋮ぉぅぎゃああああああああ!!!﹂
348
ファイヤーボール
と
サンドボール
ていた亜麻クソの尻に当たった。
はその辺をふらふらし
ちゅどーんというアホみたいな音をさせて亜麻クソが空中に放り
出され、尻を突き出した状態で地面に、ぼとっ、と落ちる。
﹁あ﹂
﹁あっ﹂
﹁⋮⋮⋮ぉぅぎぃ⋮⋮⋮かんせいだはぁ⋮⋮﹂
亜麻クソはつぶやいて、静かに意識を手放した。
○
ボーンリザードに襲われた、という話は俺が帰宅する前にゴール
デン家に伝わっており、家に戻ったら深夜にもかかわらず一家総出
で出迎えてくれた。クラリスとバリーは涙を流しながら俺がボーン
リザードを倒したと信じて疑わない。いや、実際そうだけど俺の評
価どんだけ高いんだよ⋮。
心配してあちこち触ってくる家族の対応もそこそこに、自分の部
349
屋にもどり、疲労で泥のように眠った。
翌日、俺はグレイフナー城に呼び出された。
Aクラス判定がされている厄介なボーンリザードをどうやって倒
したのか、なぜ封印が解けてしまったのか、どうやら王様に会わな
ければいけないらしい。
日本だったら大体こういう呼び出しはバッドなことが多く、事後
処理を押しつけられる可能性大だ。ため息をつきながら﹁感謝状が
でますねぇ! 勲章かも!﹂とうきうきしているクラリスと共に、
そうだったらいいんだけどな、とあれこれ考えながら着替えをすま
せた。
350
第14話 イケメンエリート、王様に呼ばれる︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重86㎏︵−1kg︶
351
第15話 イケメンエリート、筋肉と会話をする︵前書き︶
352
第15話 イケメンエリート、筋肉と会話をする
﹁私はグレイフナー王国筆頭魔法使いリンゴ・ジャララバードだ﹂
数あるファンタジー映画の常識を覆す魔法使いの姿がそこにはあ
った。
俺の通っていたジムのボディビルダーを彷彿とさせる筋骨隆々な
体躯。胸板はその辺に生えている木よりも厚く、予想するにベンチ
プレス250キロぐらいは上げれるんじゃないかと思われる。切り
っぱなしの半袖シャツから出ている腕は、丸太に血管が浮かんでい
るようで、おデブの俺の腕が細いと思ってしまうほどに太い。下半
身も太い。ゆったりめのズボンがはち切れんばかりの筋肉の主張で
限界まで張り詰めている。本気でスクワットしたら400キロぐら
いは上げれそうだ。ここが地球であるならば是非とも一緒にジムに
いって記録に挑戦してほしいところだな。
﹁わたくしはゴールデン家四女、エリィ・ゴールデンですわ﹂
俺はレディらしく制服の裾をつまんで頭を下げた。
﹁ほほう、お前がエリィ・ゴールデンか﹂
しげしげと俺を見つめる眼光は、値踏みする、というよりも魔力
と強さだけを計っているように見えた。強さこそすべて。筋肉至上
主義。全体的に無骨な顔と、冗談が効きそうもない灰色の瞳が、冷
徹な印象を与える。筆頭魔法使いというより職業軍人という表現が
しっくりくる。そして名前はリンゴじゃなくてプロテインのほうが
合っている。
353
﹁アリアナ・グランティーノ⋮﹂
﹁ワイルド家長男、ワンズ・ワイルドです!!!﹂
﹁鍛冶屋の息子、ガルガイン・ガガ﹂
﹁アシル家次男、ドビュッシー・アシルですジャララバード様!!﹂
﹁サークレット家次女、スカーレット・サークレットでございます﹂
合宿メンバーが一人ずつ挨拶をした。
全員心なしか頬が上気している。スルメの話だと筆頭魔法使いリ
ンゴ・ジャララバードは歴戦の勇者で、﹃魔物五千匹狩り﹄の異名
を持ち、グレイフナー王国最強魔法騎士団﹃シールド﹄の団長だそ
うだ。王国内のファンは数知れず、こうして会えるだけでもすごい
ことらしい。俺にはただの筋肉狂の暑苦しいおっさんにしか見えな
い。
ラブリードッグ
それよりも隣にいるスカーレットがくせえ。
未だに発情犬煙玉の臭いがする。
臭いが落ちなかったんだろうな⋮。
﹁ここからは王の御前だ。粗相のないように﹂
﹁みんないいね。くれぐれも失礼なことを言わないように﹂
引率者であるハルシューゲ先生が一番緊張しているように見えた。
荘厳な扉を兵士二人が開けると、赤絨毯が敷き詰められた床の奥
に王座があり、柔和な笑みを浮かべた中年の男が座っていた。茶髪
をオールバックにし、赤いマントにブルーに輝く胸当て、やたらと
分厚い紫色の膝当てを装備している。デザインより防御力を重視し
ているのは色合いのちぐはぐな組み合わせからすぐにわかった。玉
座の横では、高さ五メートル、先っぽに緑の宝玉がついた杖を侍女
354
が二人がかりで持っていた。あんなでけえ杖で魔法唱えられるのか?
﹁朕が第五十二代グレイフナー王国国王バジル・グレイフナーだ!﹂
一人称が朕!!
ちん、キターー!
映画の和訳でも滅多にない呼び方。
実際に聞くとうけるーっ。
王様が二人集まったらやべえな。朕と朕⋮⋮。
いや、やめよう。俺は素敵なお洒落おデブだ。こんなアホなこと
考えていたらエリィに申し訳が立たない。
﹁この者達が封印されしボーンリザードを倒した学生です﹂
リンゴ・ジャララバードが膝をついた。
俺たちもそれに倣う。
﹁大儀ッ!﹂
国王はバッっと立ち上がると、ババッと近衛兵が持ってきたお盆
から小さなメダルのついた勲章を掴み、ササッと玉座から降りてこ
ちらに来ると、俺たちの首に勲章をかけて手を握る。サッ、ガシ、
うむ! サッ、ガシ、うむ! サッ、ガシ、うむ! サッ、ガシ、
うむ! サッ、ガシ、うむ! サッ、ガシ、うむ! サッ、ガシ、
うむ!
なんか素早い。
この国王すげえ素早い。つーかめんどくさがり?
俺の知ってる国王のイメージと違えぇ。
355
俺が首をひねっていると、他のメンバーは喜びで声も出ないほど
感動し、口々に感謝の意を伝えていた。てかさ、亜麻クソとスカー
レットなんもしてねえよな。
おっかしいなー納得いかねえー。
国王はササッと音もなく玉座に戻ると口を開いた。
﹁それで、誰が倒したんだ?﹂
勲章を見て顔を赤くしていた面々が固まる。
すぐさまハルシューゲ先生が、恐れながら、と膝をついた体勢で
一歩進んだ。
﹁封印を解かれたボーンリザードはリトルリザードの群れを呼び、
我々は防戦一方でした。ここにいる優秀な生徒と力を合わせ、ボー
ンリザードの強烈な攻撃をしのぎつつ、リトルリザードをすべて倒
したところで︱︱﹂
﹁長い! 結論を申せ!﹂
国王は耐えきれなくなったのか苛立ちを隠そうともせず先生の話
を遮った。ハルシューゲ先生は国王に咎められ、慌てに慌てて何度
も額に落ちる冷や汗をハンカチで拭き、なんとか言葉をひねり出す。
﹁運良く落雷がありました﹂
﹁落雷?﹂
﹁はい。それが偶然にもボーンリザードに当たり、跡形もなく消し
飛ばしました﹂
﹁リンゴ、それは本当なのか?﹂
﹁はい。報告の通りでございます。現場には爆発系の魔法でない痕
跡が残っておりますので間違いないでしょう﹂
356
﹁そうか⋮⋮﹂
さすがは国王、何かに気づいたようだ。
﹁ふむ⋮⋮⋮﹂
俺は落雷魔法がバレないことを祈った。
ここでバレたら絶対に面倒なことになる。まず伝説の魔法と言わ
れている落雷魔法をどうやって習得したのかを根掘り葉掘り聞かれ、
王国のためと言って軍事利用される可能性が高い。戦力として王国
に組み込まれ、特殊訓練を施される可能性だってある。海外ドラマ
とかエスパー系映画定番の話だ。ストーリーとして見ている分には
面白いけど自分がいざ渦中の中心になり、自由がなくなって行動に
制限をかけられたらたまらない。俺はエリィとしてまだやることが
たくさんあるのだ。
国王は渋い顔で腕を組み、俺たちを見下ろしている。
俺はごくりとツバを飲み込んだ。
︱︱くわっ!!!
357
すべてを理解した、といった感じで国王は目ん玉をかっ広げた。
﹁おぬしらラッキーだったなぁ!﹂
前言撤回。国王アホだ。
威厳もクソもねえよ!
﹁してエリィ・ゴールデンは?﹂
﹁この女子学生でございます﹂
すぐさまリンゴ・ジャララバードが俺を立たせた。
﹁おぬしがそうか! 最後まで全員を守ったそうだな! 大儀ッ!﹂
﹁ありがたきお言葉﹂
俺は裾をつまんでお辞儀をする。
﹁特別に何か褒美を与えよう!﹂
﹁エリィ・ゴールデン、欲しい物を言え﹂
リンゴ・ジャララバードがいかつい顔をこちらに向けた。
﹁金か領地か?﹂
﹁早く言え﹂
せっかちな国王を待たせるな、ということらしい。
俺はどうせなら、と頭に描いていた計画で、もっとも厄介そうな
358
問題をここで解決しようと思った。それはボブに復讐することでも
スカーレットをけちょんけちょんにすることでもない。そのふたつ
は自力でやらないと意味がないからな。
﹁では恐れながら申し上げます。グレイフナー大通りのメインスト
リート一番街の建物の壁面をお借りしとうございます﹂
﹁ん?﹂
﹁⋮どういうことだ﹂
リンゴ・ジャララバードが冗談ならタダで済まさないと言った目
で睨んでくる。そして筋肉が凝縮した胸板を、ぴくぴくっと動かし
た。
﹁広告に使うのでございます﹂
﹁広告?﹂
国王は興味が湧いてきたのか身を乗り出した。
﹁特大の布に書いた洋服の広告を飾るのです﹂
﹁ほほう⋮﹂
﹁なんと面妖な⋮﹂
﹁エ、エリィくん⋮⋮!!﹂
国王が頬をさすり、リンゴは理解できないと上腕二頭筋に力を込
め、ハルシューゲ先生が大量にかいた汗を拭きながら小声で諫めよ
うとする。
﹁おもしろい! 許可する!!﹂
﹁ありがとうございます!﹂
359
前言撤回。国王最高ッ!
勲章よりこっちのほうが嬉しい。イエス!
今のミラーズに圧倒的に足りない物、それは宣伝力だ。
この世界には、テレビもねえ、ラジオもねえ、車もぜんぜん走っ
てねえ。口コミで宣伝するぐらいしか方法がねえ。
そこでだ。エイミーをモデルにしたどでかいポスターを大通りに
飾って、ブランド力アップと市場拡大を狙う。それこそ渋谷のビル
みたいに空いているスペースを広告に使うのだ。くっくっく、グレ
イフナーの国民は度肝を抜かれるだろうよ。
ササッと国王が素早く右手を挙げると、ローブに身をつつんだ神
経質そうな犬耳の男がらしくない前転で御前に登場し、﹁書類を!﹂
と一言だけ言われ、残像を残すほど素早い後転で消えた。
全員、国王のせっかちに合わせてるんだろうなぁ。上司が特殊だ
と大変だ。
﹁それから縦巻きロールの女子生徒!﹂
国王の声を聞いてリンゴ・ジャララバードが素早くスカーレット
を立たせた。
﹁は、はいっ!!!!﹂
唐突に指名され、かちこちに緊張した面持ちで直立不動になるス
カーレット。その顔には国王に呼ばれた優越感がにじみ出ている。
なんだと、この足手まといにも褒美か?
それはおかしいんじゃねえか国王。
あげるならアリアナだろ。
360
﹁おぬしレディとは思えぬ臭いだ! くさいぞ! 特別に宮殿の風
呂の使用を許可する!﹂
﹁え⋮⋮?﹂
に、におい注意されとるーッッ!!!
﹁ぷぷっ﹂
﹁ぷ⋮﹂
﹁ぶー﹂
﹁ひぃっ﹂
俺、アリアナ、ガルガイン、スルメは吹き出しそうになるのを寸
でのところで堪えた。スルメの奴が小声で﹁犬合体⋮﹂と呟くもん
だから、昨日の犬合体スカーレットが脳裏に浮かぶ。ここは耐えろ
! 耐えるんだ俺! これより辛かったこと、何度もあったよな!
ここで噴いたら負けだ!
褒められると思っていたスカーレットは完全に涙目だ。
俺たちは膝をついた状態で下を向き、歯を食いしばって笑いをこ
らえた。
﹁どうした。国王様に礼を﹂
﹁あ、あ、ありがたき⋮幸せでございます﹂
﹁よい! 気にするな!﹂
なんて素敵な国王なんでしょ!
スカーレットは屈辱で顔を上げられないみたいだ。
ぷぷーっ、ざまあねえぜ。
俺は心の中でぐっと親指を立てて笑った。
361
国王はバッと立ち上がると、大きな声で﹁大儀ッ!!!﹂と叫ん
で、俺たちに向かってババッと右手を水平に振った。これにて謁見
終了、ということだろう。
○
俺は謁見の間を出たところで、神経質そうな犬耳でローブのおっ
さんが高速回転の前転で現れ、一枚の書類を渡してきた。﹃王国許
可証﹄と題が打ってあり、グレイフナー通りの建物の壁面を三つま
で使用していい、と書かれている。
﹁場所が決まったら教えなさい﹂
そう言うと犬耳のおっさんはつむじ風を起こすほどの速さで走っ
て消えた。
俺は大事に折りたたんで胸ポケットにしまいこむ。
書類作るの早すぎだろ。日本の市役所も見習え、まじで。
﹁エリィ・ゴールデン。お前は俺と共に来て貰おう。他の者は帰れ﹂
やることがいっぱいだぜ、と意気込んだ俺はボディビルダーのよ
うな筆頭魔法使いに声を掛けられ、やる気を削がれた。
﹁後日ではダメでしょうか?﹂
﹁今すぐ来い﹂
362
﹁レディを誘う言葉ではありませんね﹂
﹁エ、エリィ君!!﹂
ハルシューゲ先生は王宮に来てから心配してばかりだ。おそらく
頭のサイドに残ったわずかな毛が何本か抜けたに違いない。伝える
かどうか迷うところだ。
﹁いや、これは俺が悪かったようだな﹂
ボディビルダー、じゃなくてリンゴ・ジャララバードはにやりと
笑って、丸太のように太い左手を、分厚すぎる胸に当てて一礼した。
﹁お嬢さん、わたくしめにお時間を頂戴できますかな﹂
﹁ええ、喜んで﹂
エリィはデブでブスだが、高潔で優しいレディだ。
これくらいの扱いは当然だ。
リンゴボディビルダーはなぜか嬉しそうに笑うと背を向けた。つ
いてこい、ということだろう。
﹁エリィわたしも⋮﹂
アリアナがついてきたそうな顔をして見てくる。ああ、連れて行
くとも。だからそんな潤んだ目で見ないでくれ。
﹁リンゴ・ジャララバード様、私の友人もご一緒してよろしいです
か?﹂
彼は筋肉でできた体をこちらに向け、アリアナをじろりと睨んだ。
アリアナは特に怖じ気づくこともなくじいーっとリンゴ・ジャラ
363
ラバードを見つめている。
﹁いいだろう﹂
このやりとりを無視して、国王から貰った小さい勲章に﹁んんー
まッ﹂と何度もキスをする亜麻クソがすげえうるさい。うぜえ。
スカーレット以外と軽く挨拶をし、亜麻クソに汚いからやめろと
言い、踵を返した筋肉のあとに俺とアリアナはついていく。
王宮はとにかく広かった。防衛のために内部構造を複雑にすると
いう話を聞いたが、これがまさにそうなんだろう。右に行ったり左
にいったり、さすがの天才の俺でも憶えきれない。まあそれはいい
んだが、廊下に飾られている調度品、絵画は意匠を凝らして作られ、
イギリスの博物館で見たことのあるような完成度の高い物が多い。
なぜなんだ。なぜ建物や調度品の技術が高いのに、服はあんなにダ
セぇんだ。おかしいだろ。ミニスカートとショートパンツがないの
はおかしいだろ。どうして。なぜ。なぜなんだッ。
王宮の端に位置しているであろう簡素な扉をリンゴ・ジャララバ
ードは開いた。部屋の中は武器が並べられ、この国の地図が壁に貼
られている。地図には赤い印がしてあったり画鋲の旗が刺さったり、
何か作戦を練っていたのだろうと思わせた。窓の外からは訓練をし
ている男共のかけ声が聞こえてくる。
﹁わざわざすまんな﹂
皮のソファに腰をかけ、俺たちにも勧めてくる。しつれいしまぁ
す! と気合いの入った鎧姿の青年が、お茶を持ってきて、すぐに
出て行った。
俺とアリアナはいかつい軍人にしか見えないリンゴ・ジャララバ
364
ードの前に座った。
﹁ボーンリザードはお前が殺ったんだろう?﹂
間髪容れず、刺すような視線を俺にぶつけてくる。
随分とストレートに聞いてくるな。ここでバレるわけにはいかね
え。
落雷魔法が使えるなんて知られたら面倒事に巻き込まれるに決ま
っている。
﹁いいえ、違いますわ﹂
﹁その魔力量、ボーンリザードを塵にできるのはあのメンツでお前
ぐらいだ﹂
﹁大した魔力じゃありません﹂
﹁ほほう⋮グレイフナー王国筆頭魔法使いに匹敵する魔力を保有し
て、大したことがない、か﹂
﹁それに私はスクウェアになりたての魔法使いです。Aクラスの魔
物など到底倒せません﹂
Aクラスはヘキサゴン以上の魔法使いが十人がかりで倒す魔物ら
しい。そんな化け物みたいな魔物をスクウェアの学生が倒せるはず
がない。化け物みたいなっていうか、実際に化け物だったんだが。
﹁まあいい。奥の手を隠すのは当然だからな﹂
リンゴ・ジャララバードはコップをつかんで、お茶を一口で全部
飲んだ。
﹁要点を言おうエリィ・ゴールデン。王国最強魔法騎士団﹃シール
ド﹄に入団しろ。お前のその魔力、放っておくのはもったいない。
365
俺が直々に鍛え上げて歴戦の戦士にしてやる﹂
﹁あのリンゴ・ジャララバード様﹂
﹁リンゴでいい﹂
﹁じゃあシュワちゃん﹂
﹁⋮急にあだ名か﹂
﹁ダメでしょうか﹂
﹁ダメだ﹂
﹁リンゴ様、﹃シールド﹄に女性はいますか?﹂
﹁一割だな﹂
アリアナがお茶をぐびぐび飲みつつ俺の裾を引っ張った。
﹁エリィ、﹃シールド﹄は魔法使い憧れの職業、すごい⋮﹂
﹁おまえはグランティーノと言ったな﹂
リンゴが上腕三頭筋をぴくつかせて前のめりになった。
顔と体のでかさをアリアナと比べると、大人と五歳児ぐらいの差
がある。
﹁あの﹃漆黒のグランティーノ﹄の娘か?﹂
﹁そう⋮﹂
﹁わかった﹂
リンゴは目を閉じ、体中の筋肉を動かして考えている。
なんだ? 筋肉と対話しているのか?
﹁卒業まで猶予をやろう。グランティーノにも入団試験の資格をや
る﹂
366
○
﹁で、どんな話だったんだよ﹂
﹁ペッ﹂
王宮の入り口で待っていたスルメとガルガインが俺たちを見つけ
ると駆け寄ってきた。なんだかんだこの二人、つるんでるよな。
﹁エリィはすごい⋮﹂
﹁アリアナ・グランティーノ、お前が言うと不吉な事案にしか聞こ
えねえ﹂
﹁しつれい⋮﹂
﹁だからあんたはモテないのよ﹂
﹁ぐっ⋮⋮その件はまただ。あのグレイフナー王国筆頭魔法使いリ
ンゴ・ジャララバード様はなんて言ってたんだ?﹂
﹁なんかね、入団しろって﹂
俺はむきむきの筋肉とテカテカしたリンゴの顔を思い出してため
息をついた。
﹁騎士団にか?﹂
﹁ええ﹃シールド﹄ってとこ﹂
﹁はあ!? ﹃シールド﹄にぃ!?﹂
﹁わたし入る気ないわよ。あんなむさ苦しいところ﹂
﹁お、おまえさっきもそうだったけど大物だな⋮⋮﹂
﹁そう?﹂
﹁グレイフナーの憧れだぞ﹃シールド﹄は! それにリンゴ・ジャ
367
ララバード様にレディがどうだこうだって盾突いたとき俺は自分の
玉が、ヒュン、てなったぜ!﹂
﹁おめえすげえな⋮⋮ペッ﹂
王国最強魔法騎士団﹃シールド﹄は入団試験を受けるのに他の団
員の推薦が必要であり、試験が過酷すぎてほとんど入団できないそ
うだ。試験期間は二ヶ月。その間に様々な拷問に近い訓練兼試験を
させられ、最後まで残った強靱な精神と肉体の持ち主のみが入団で
きる世界屈指の最強軍団らしい。﹃シールド﹄の団員というだけで
尊敬され畏怖される存在になる。どんな任務も必ず遂行するグレイ
フナー王国の誇りだそうだ。
というスルメの力説を聞きながら、ガルガインの知り合いが経営
している魔道具店へ俺たちは向かった。
魔道具屋はグレイフナー通りメインストリートから一本奥に入っ
た、ディアゴイス通りにあった。この通りは雰囲気でいうと吉祥寺
とか下北沢とちょっと似ている。雑貨屋や知る人ぞ知る店がひしめ
きあい、路地は人であふれていた。道幅が狭くて、四人で横並びに
歩くのがやっと。デブの俺もいるからぎりぎりってところだろう。
俺はきょろきょろと通りを見ていた。
さすが異世界。さすがファンタジー。
浮遊
を習得してい
レビテーション
普通のオープンテラスの店からスライムのように液体化している
建物、ドアがななめに曲がっている入り口、
ないと入れない魔道具屋、番犬がケルベロスの食器屋、ゴーレムに
腕相撲で勝たないとダメな薬草屋、奥行き三センチで入店するとな
ぜか体育館ぐらいある建物になる杖専門店。
魔法使いがそこらじゅうで飛んだり、魔法をぶっぱなしたり、魔
368
法陣を描いたり、客引きと一悶着したりと、実に騒がしい。大通り
とは違った喧噪が奥まで続いている。みなそれぞれの買い物を楽し
んでいる。杖で店主を脅して一ロン単位で値切ろうとしている奴な
んかもいる。
﹁ここだ﹂
ガルガインがツバを吐いて、鉄格子のドアをつかんだ。
今まで見た店の外観でトップクラスにやべえ。
その店はSMクラブ、と言われてもなんら疑問を抱かないだろう。
鉄格子の窓には蝋燭、鞭、革のパンツ、棘のついた金棒、拘束具、
太いロープなどが飾られている。
﹁ちょっと待て﹂
スルメがたまらずガルガインの腕をつかんだ。
﹁なんだよ﹂
﹁この店であってるよな?﹂
﹁ああん? あたりめえだろ﹂
﹁お前がそういう趣味があってこの店を選ぶんじゃねえよな﹂
﹁何バカなこと言ってんだよ。バカは顔だけにしろ﹂
﹁さらっとひでえこと言うな!?﹂
﹁平気だよ。最初は俺もびびったけど大丈夫。心配するな。誰にで
も初めてはあんだからよ﹂
﹁信用できねえ説明だよそれぇ!﹂
﹁おめえの言うことは意味がわかんねえ。ま、新しい世界への扉っ
てとこだな﹂
369
ガルガインがニヒルに口角の片方を上げる。
﹁だから全然安心できねえ口ぶりなんだよッ!! なんだよ新しい
世界への扉って!﹂
﹁ペッ。おまえは黙ってついてくることができねえのか? ああっ
?﹂
﹁誰がスルメだよ誰が!!﹂
﹁いや言ってねえよ﹂
﹁あそうか、言ってねえか﹂
ガルガインはやれやれとドワーフ特有のごつい肩をすくめて鉄格
子の扉を押す。
ギギギィという無機質な音を出し、扉がゆっくりと開いた。
俺とスルメ、アリアナは思わず喉をならしてツバを飲み込んだ。
370
第15話 イケメンエリート、筋肉と会話をする︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重86㎏︵±0kg︶
371
第16話 イケメンエリート、編集長になる
ガルガイン紹介の店は、実に普通だった。いや、日本に比べたら
そりゃ色々ファンタジーだったけど、想像していた海パン一丁のも
っこりしたドワーフとか、亀甲縛りされた女性店員とかはいなかっ
た。まじでよかった⋮。
店内にはところせましと魔道具が置いてある。
拷問具のような武器が半分を占めているので、店のSM的外観は
あながち間違いではない。
いらっしゃい等の来店の感謝など一切告げず、身長百五十センチ
ぐらいの髭面で堀が深いドワーフがカウンター越しにぎろりと睨ん
できた。
﹁誰かと思えばガガんとこの小せがれか﹂
ドワーフの店主はそう一言つぶやいて視線を手元に戻した。見る
と、細かい部品のようなものにペンで魔法陣を描いている。
﹁おっさん﹃記念撮影具﹄あるか﹂
﹁⋮おめえが買うのか?﹂
﹁いや、エリィ・ゴールデンが買う﹂
俺は一歩前に出て、懐に忍ばせていたボーンリザードの魔力結晶
をカウンターに出した。こぶし大の赤い結晶は、中で激しく火花を
散らしている。昨日試しに魔力を注いだら、魔力切れ寸前まで魔力
を持っていかれた。相当量の魔力が内包された状態だ。
372
﹁まずこれを買って欲しいの﹂
ドワーフの店主はつまらなそうに目線を上げ、魔力結晶を見ると
鼻で笑って手元の作業に戻った。だが二度見すると、持っていた魔
道具を放り投げて、サヨナラ逆転タイムリーツーベースで頭から突
っ込む走者のようにカウンターに飛び付いた。
﹁こここ、これぇ! てめえどこで手にいれたぁ!!﹂
﹁きゃ! びっくりさせないでちょうだい!﹂
﹁そんなこたぁどうだっていい! てめえこいつをどこで手に入れ
たんだ!﹂
﹁ボーンリザードを倒したのよ﹂
﹁⋮はあっ!?﹂
そう驚くドワーフ店主に俺はさっき国王からもらった小さな勲章
を見せた。
金色のコインに狼のようなマークが入っている。スルメが聞いて
もいないのに、これは在学中の魔法使いが武勲を立てた際にもらえ
る﹃大狼勲章﹄で、未成年しか受勲できないため希少価値が高く所
持している貴族は非常に少ない、と力説した。ありがたいけど説明
してるときの声がでかくてうるさかった。
﹁てめえ、そりゃあ⋮﹂
大げさに驚くドワーフ店主。ガルガインといい店主といい言葉遣
いがラフなのは、ドワーフ共通らしい。まあ妙にかしこまってるよ
りは全然いいが。
そういや魔力結晶を見せたときのガルガインとスルメも店主と同
373
じような反応をしていたな。二人とも腰を抜かして大声を出してい
た。うん。そろそろリアクション王決定戦を開いたほうがいいと思
う。
﹁おっさんほら﹂
ガルガイン、スルメがドヤ顔で胸に下げた大狼勲章を店主に見せ
つける。ドワーフ店主は、おおっと声を上げてカウンターを飛び越
えてくると、ガルガインの肩を音が出るほどに叩いた。
﹁ガガの小せがれ! よくやった!! ドワーフの誇りだてめえは
!!﹂
ぐわーっはっはっは、と笑いながら、よくやった、すげえじゃね
えかと連呼する店主を見て、ガルガインは少しバツの悪そうな顔を
した。だがまんざらでもないようで人差し指で何度も鼻をこすって
いる。
﹁で、そのボーンリザードを倒した話はあとで聞くとして、お嬢ち
ゃんはこれを俺に売ってくれるのか?﹂
﹁ええ﹂
﹁本当にいいのか? こんなでけえ魔力結晶滅多にお目にかかれな
いぞ。俺が鍛冶屋になってから数回見た程度だな。しかもこれより
やや小ぶりだ﹂
店主はしげしげと壊れ物を扱うように店内のランタンにかざして
魔力結晶を観察している。
﹁すでに相当な魔力が入ってるじゃねえか。これはお前たちで入れ
たのか? 何日も大変だったろう﹂
374
﹁いえ、昨日私が魔力を込めたわ﹂
﹁は? お前さん一人でか?﹂
﹁そうよ﹂
﹁がっはっはっは! バカ言っちゃいけねえ! 一日でこの魔力を
入れるなんてお前さんどこの﹃シールド﹄だよ!﹂
﹁おっさん、エリィ・ゴールデンはさっき筆頭魔法使いリンゴ・ジ
ャララバード様に﹃シールド﹄入団の勧誘を受けたばかりだ﹂
﹁⋮⋮⋮え?﹂
﹁うそじゃねえぜ、まじだ﹂
ガルガインとスルメが悔しそうに言う。
﹁おいおい嘘だろう⋮。こんな年端もいかねえぽちゃーっとした女
の子が﹃シールド﹄に?﹂
﹁ぽちゃーっとは余計よ!﹂
﹁余計もクソも本当のことじゃねえか!﹂
﹁エリィはすごいの⋮ぽちゃとか言わない﹂
静かだったアリアナがドワーフのおっさんに杖を向けた。
﹁お、おお、わかったわかった。狐人のお嬢ちゃん、目つきがちょ
っとアレだから杖をしまってくれ﹂
﹁わかればいい⋮﹂
アリアナは静かに杖をしまって、よしよしと俺の腕をなぐさめる
ように触ってくる。
く、なんていい子なんだ。俺が男だったらお付き合いしてるとこ
ろだ。
﹁それで、いくらで買ってくれるの?﹂
375
﹁一億ロン⋮⋮いや近頃は魔力結晶不足で値段が高騰しているから
な⋮。一億二千万ロンぐらいまではいけるんじゃねえか?﹂
﹁知り合いのエルフにも見せているのよ﹂
﹁ほほうエルフに⋮?﹂
店主の視線が細められる。言葉の意味がすぐわかったようだ。
このグレイフナー王国は大冒険者ユキムラ・セキノの功績により、
四百年前から多種族交流が盛んで近年ではほとんど人種差別などは
ない開けた国だ。どんだけすげえんだ大冒険者ユキムラ・セキノ、
というツッコミをいれたい。その影響か、友好国で獣族が多く住む
パンタ国、隣接国である水の国メソッド、自由国境を挟んで莫大な
領地を有する砂漠の国サンディも、多種族交流が盛んである。巨大
山脈の向こう側にあるセラー神国はばりばりの人族主義ということ
因縁の仲
が存在する。
だが、一種族主義を謳っている国はこのご時世セラー神国ぐらいだ。
多種族交流は複雑怪奇だ。種族間には
例えば狐人と熊人は仲が悪いとか、エルフと兎族は千年前から親交
があるとか、ドワーフはどの種族でも強ければ婚姻を結ぶとか、ま
あ理由は様々で、過去の戦争や文化によるものらしい。
ちなみにドワーフとエルフの友好関係は良好であるものの、こと
に物作りに関しては譲れない﹁何か﹂があるらしく、その技術力を
敵同士のように見せつけ合って争っている。切磋琢磨していると言
えば聞こえはいい。魔道具展覧会で罵声を浴びせ合うのは毎年の恒
例行事だそうだ。
当然、今回俺が持ち込んだ魔力結晶がエルフの技術者に渡ること
はドワーフにとって面白くないだろう。
俺は値段を釣り上げるためにエルフの名前を出した。
376
もちろんエルフに知り合いなんていない。
まあ何ということでしょう。
俺ってばちょっぴりワルでおしゃまなおデブさん!
うふ!
⋮⋮ちょっと自分で言って気分悪くなってきた。
気を取り直してドワーフ店主に向かって口を開いた。
﹁エルフは一億三千万まで出すと言っているわ﹂
﹁で、おめえさんはどっちに売ろうってんだ﹂
剣呑な声でドワーフ店主がずいとこちらを睨んでくる。背は小さ
いのに身体がでかくみえるのは気のせいじゃないな。これはあまり
怒らせない方がよさそうだ。
にしても一億超えの取引かよ。胸が高鳴るな。
でもってイニシアチブは完全に所有者の俺にある。たまらなく楽
しいね。
﹁もちろんこちらで売るつもりよ。ガルガインの紹介もあるし、値
段は多少エルフより低くてもいいわ﹂
﹁おい頼むぜエリィ﹂
﹁わかってるわガルガイン。でも貴重な商品だから私もほいほい売
りたくはないのよ。売らずに自分で使ってもいいんだし﹂
魔力結晶は好きなときに貯めておいた魔力を取り出せる。戦闘の
際は有用だ。
﹁⋮⋮商会の連中に掛け合ってみよう。一億ロンなんて即金で払え
377
ねえからな﹂
﹁おっさん何としても買い取れよ。こんなにでけえ魔力結晶、他に
ねえぞ﹂
﹁わあってるボケぇ! 俺に任せとけ!﹂
﹁わかったわ。それじゃあ値段が決まり次第、売ることにするから
ね﹂
﹁おう! ありがとよ!﹂
店主は嬉しそうに手を出してくる。俺も手を出して握った。分厚
い手のひらだ。
魔道具の性能がよければ今後贔屓にしたい。
﹁それで話は戻るけど⋮﹂
﹁ああ﹃記念撮影具﹄な﹂
店主は奥の部屋に引っ込むと、物をひっくり返しつつ、どこいき
やがったと叫んで、見つけた木箱を両手で持ってきた。
﹁こいつだ﹂
蓋を開けて中を確認する。
見た目は巨大望遠レンズがついたカメラに近い。
カメラの本体部分が地球のカメラの倍ほどはあるので、手に持っ
ての移動撮影は無理だろう。現に箱の中には金属製の三脚があった。
据え置きタイプだ。
﹁持っていっていいぞ。三百万ロンだが二百五十万ロンにまけてや
る。金は魔力結晶を売った中からさっ引いておくからな﹂
先に商品を渡して魔力結晶の売買を確約させるとはなかなか商売
378
が上手い。
俺はおっさんを信用して魔力結晶を手渡した。
﹁ん? まだ買い取ってないが⋮?﹂
﹁物がなければ売るのも難しいでしょ﹂
﹁おめえさん⋮剛毅だな⋮⋮おれぁ猫ババするかもしれねえぞ﹂
﹁あなたはそんなことしないわよ﹂
﹁あたりめえだ! 誰がそんなこと言った!﹂
﹁いや自分で言ったんでしょ⋮。とにかく! 商会とやらにこの特
大魔力結晶を見せつけて高く買い取ってもらってちょうだい!﹂
﹁やっぱりエリィはすごい⋮﹂
落雷
でSM風の
サンダーボルト
アリアナが尊敬の眼差しを向けてくる。いいぞ、もっと俺を褒め
てくれ。俺は褒められて伸びるタイプだ!
もしドワーフ店主が魔力結晶を猫ババしたら
店を消し飛ばして塵に還す予定です。ええ。
まあそんな事態にならないと思うけどね。
○
ができる若い衆を紹介してちょうだい﹂
﹁カメラはゲット。あとは印刷班ね﹂
複写
コピー
﹁カメラ? 印刷?﹂
﹁スルメ、早く
﹁へいへいわかってるよ﹂
﹁約束はちゃんと守るからね﹂
﹁そこまじで忘れんなよ! モテる方法の伝授な!﹂
379
グレイフナー通り一番街に巨大広告を出す。
広告作戦を第一計画とすれば、連動して第二計画であったファッ
ション雑誌創刊に着手するべきだろう。
ミラーズ宣伝のために俺が考えていたのは二つ。
第一に巨大広告。
第二にファッション雑誌の創刊。
この世界には雑誌の概念がない。
連続小説のような書籍はあるが、本のほとんどが魔法関連のもの
に偏っている。それもこれも強さこそすべて、という風潮があるか
らだろう。この考えに俺は風穴を開けようと思う。
アイデアはあったものの、カラー印刷なんて無理じゃね?
コピー機ないしカメラもないし、と思っていた。
複写
コピー
を見つけたときは興奮した。
そんな根本を解決してくれるのがやはり魔法だ。エイミーと特訓
中に学術書から火の上級魔法で
クラリスにカラーコピーが出来るのか何度も確認してしまった。
グレイフナー王国初のカラー雑誌を作る。
上級魔法を使って作成するから魔法使いを雇うコストがめっちゃ
かかるのが難点だ。
プラスしてカラーのインク代金とカラーに耐えうる用紙の代金。
製本の方法や料金。おそらく一冊、五千ロンぐらいになってしまう
だろう。
日本円にして五千円の雑誌。うけるな。
一冊にプレミア感を出せば、裕福層にぼちぼち売れるだろうと楽
観視している。アイデアがいいからな。売れるだろう。万が一売れ
380
残ったらどこかの貴族に営業かけて押し売りするから大丈夫だ。ふ
ふふ、楽しみだ。
ガルガインとはディアゴイス通りで別れ、俺とアリアナはスルメ
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コピー
が使える魔法使いは使用人なの?﹂
に連れられスルメの実家に向かっている。
﹁あなたの家の
﹁一人は分家でおれの家臣。もうひとりは俺の弟だ﹂
複写
コピー
だろ。大丈夫に決まってる!﹂
﹁結構きつい作業になるけど大丈夫かしら?﹂
﹁たかが
豪快に笑うスルメによく考えてみなさいと言いたい。
複写
コピー
を唱えることにな
例えば二百冊の雑誌を作るとして、表紙を含めて二十ページとす
れば全部で四千ページ。ふたりで二千回
る。魔力切れで何度もぶっ倒れることになるだろうよ。まあ、人は
もっと雇う予定ではあるが。
ちなみにこの計画と実行の日付はクラリスに言って、ミラーズの
ミサとジョーに伝えてある。金はあるからとにかく服をできるかぎ
り量産しろとお願いしておいた。ミシンや裁断機などの便利な機械
はこの世界にないので、ほとんどが手作業になってしまう。早めに
作っておかないと人気が出たときに在庫がない、なんて最悪の事態
になる。営業マンは在庫にも気を遣わなければならない。
俺はその辺、あまり得意じゃないからなぁ。日本でも得意な奴に
ぶん投げてたし。店がでかくなったら事務関係が得意な人が必要だ。
複写
コピー
を使える魔法使い。
とにかく人材集めだ。
事務が得意な奴。
雑誌編集ができそうなセンスのいい担当。
381
文章が得意な記者に向いているやつ。
そしてカメラマン。
王宮から歩いて二十分ぐらいの場所にスルメの家があった。がっ
しりとした石造りの家で、ちょっとした美術館のような趣がある。
三メートルほどある風神雷神みたいな厨二病全開の石像が入り口の
門に飾ってある。聞いたら、戦いの神パリオポテスと契りの神ディ
アゴイス、らしい。ちょいちょい出てくる神シリーズは日本でいう
ところの、七福神みたいな扱いなんだろうと勝手に解釈している
スルメのワイルド家はそりゃもうワイルドだった。
家中の人間は色黒で顔がとにかく濃い。三分の一がしゃくれてい
る。俺とアリアナは五十人ぐらいに囲まれて、暑苦しく勲章につい
て褒められ、むさ苦しくスルメを治療したことについて礼を言われ、
鬱陶しいぐらいに決闘を申し込まれた。
めんどくせえから決闘は全部断った。
エアハンマー
で視界から消えてもらった。
ついでに、君は太すぎだアッハッハッハ、と言ってきたスルメの
親戚にはビンタと
﹁ワンズの家臣、スギィ・ワイルドだ﹂
﹁弟のスピード・ワイルドです﹂
﹁⋮⋮﹂
もう名前にツッコミを入れるのはやめよう。偶然だと思いたい。
俺を笑わせようとする罠じゃないよね。立派な名前だよ二人とも。
笑ったら怒られるよ。
382
スギィ・ワイルドはシャツを腕まくりして真っ黒に日焼けしたお
っさん。
弟のスピード・ワイルドはストリートレーサー映画の碧眼のイケ
メン主人公ブライアンを気弱にして色黒にさせたような少年だ。ち
なみに弟、といってもスルメの腹違いの弟らしく、年は一つしか離
れていない。グレイフナー魔法学校の二年生だ。二年生で火の上級
が使えるとはかなり優秀だな。
俺は﹁おすぎ﹂﹁黒ブライアン﹂とあだ名をつけて二人を臨時で
雇うことにした。二人ともちょうど金が必要だったらしく、冒険者
複写
コピー
が唱えられるかで
協会にいって魔物狩りに行こうとしていたところだったので快諾し
てくれた。
報酬は出来高制で、どのくらいの質で
決めようと思っている。
﹁おすぎ、黒ブライアン、よろしくね﹂
俺はレディらしく裾をつまんで礼をした。
﹁おすぎ⋮⋮俺? 俺の名前はさっきも言ったがスギィ・ワイルド
だろう?﹂
﹁あのエリィさん! 黒ブライアンって僕のことですか!?﹂
﹁またてめえは変なあだ名つけやがって⋮⋮﹂
おすぎはワイルドに腕を組んで、まあ仕方ないかとうなずいた。
黒ブライアンことスピード・ワイルドは悲鳴に近い抗議の声を上
げる。
﹁どこからどうなるとブライアンになるんですか!? 誰なんです
か! 黒は家系が地黒なんで仕方ないにしても!﹂
383
﹁ワイルドスピードって映画、観たことない?﹂
﹁僕の名前はスピード・ワイルドです! えいがって何のことです
! 観たことなんてありませんよ! 知りもしません知りたくもあ
りません!﹂
﹁ほら、早く馬に乗ってストリートバトルしてきなさいよ﹂
﹁馬? ストリートバトル?﹂
﹁血が滾るような速度で曲がれるかどうかギリギリのカーブに突っ
込むんでしょ?﹂
﹁いや僕そんなふうに乗馬したことないです!﹂
﹁嘘おっしゃい! スピード狂なんでしょ!? というか今からス
ピード狂になりなさい黒ブライアン!﹂
﹁兄さん何なんですかこの人!?﹂
﹁俺に聞くなよ! 俺だってこいつには困ってるんだからな!!﹂
黒ブライアンの反応が面白すぎてつい調子に乗ってしまった。
悪ノリとスピードはほどほどにね。アハッ。
⋮⋮自分で言って気分悪くなってきたパート2。
﹁兄さんもあだ名を!?﹂
﹁くっ⋮⋮⋮そうだ﹂
﹁なんてあだ名なんです?﹂
﹁ぐっ⋮⋮⋮⋮それは⋮⋮⋮﹂
﹁スルメよ。ス・ル・メ﹂
俺がにっこり笑って黒ブライアンに言った。
﹁スルメ?﹂
﹁なんかスルメ顔じゃない?﹂
﹁そ⋮⋮それは⋮﹂
﹁ほら、噛めば噛むほど味が出てきそうな。ねっ?﹂
384
黒ブライアンはスルメの顔を何度か見て、顔を引き攣らせて自分
の腹をパンチし始めた。笑わないようにしているんだろうが、口元
がしっかりと笑顔になっている。
﹁てめえ! おいエリィ・ゴールデン! 黒ブライアン! 表に出
ろ!﹂
﹁兄さんまで僕を黒ブライアン呼ばわりですかッ!?﹂
﹁おめえが俺のことをスルメと呼んだらぶっ殺すからな﹂
で攪乱し、
ライト
で目つぶしをして、
エアハ
で二人を吹き飛ばして事は収拾した。終わったあとに、ち
幻光迷彩
ミラージュフェイク
そのあと中庭で決闘騒ぎに発展。俺はデブが四人に見える残像魔
法
ンマー
ょっぴり悪かったな、と反省した。
まあ使用人と親戚、スルメの母親までもが即席の賭けに興じてい
たのでお互い様だろう。スルメに賭けていた使用人のむさ苦しい男
共は、坊ちゃんのせいで大損だ、と言いながらスルメにファイヤー
ボールをぶつけようとしているし。隅から隅まで騒がしい家だ。
﹁エリィ⋮﹂
終始大人しかったアリアナが、俺に有り金ありったけを賭けて、
二十万ロンをゲットしてほくほく顔だったことに笑った。いつも通
りの、口角をほんのちょっぴり上げる笑顔で、金貨と銀貨でいっぱ
いになった財布を見せてくる。
俺はアリアナの狐耳を撫でて、金貨を渡そうとしてくる彼女の手
を優しく押さえた。そのお金でいい物をたくさん食べなさい。君は
もうちょっと太ったほうがいいよ。俺と違ってね。
385
○
おすぎと黒ブライアンにはまた連絡すると言い残して、俺はバリ
ーが御者を務める馬車に乗り込んで、﹃記念撮影具﹄⋮⋮もうめん
どくさいからカメラでいいや。カメラを乗せた。
﹁お嬢様そちらは?﹂
バリーが窓に顔をへばりつけて質問してくる。
こええよ。いつ見てもこええよ。
﹁バリー顔が近いわ。これはカメラよ﹂
﹁カメラ?﹂
﹁記念撮影具とも言うわね﹂
﹁そのような高価なもの、どうされたのです?﹂
﹁買ってきたのよ﹂
﹁⋮失礼ですがお金はどうされたのですか﹂
﹁ボーンリザードを倒したときに見つけた魔力結晶を売ったわ﹂
﹁ほお! さすがはお嬢様です!﹂
﹁一億二千万ロンぐらいになると思うのよね!﹂
﹁⋮⋮⋮ほ?﹂
金額に度肝を抜かれたバリーを尻目に箱を開けると、カメラと三
脚と用紙がきれいに収納されていた。用紙はA4サイズの厚紙で特
殊塗料が塗ってあるらしく、光に当てると七色に変化する。これを
カメラの上部に刺して魔力を込めるとシャッターが下り、見えてい
386
る情景が写される仕組みだ。正直、仕組みがさっぱりわからない。
魔法バンザイということにしておこう。
俺とバリーは町中を馬車で回ってカメラマンを探した。
だが、これだ、という人物がいない。
カメラマンはただ情景を写し出せばいいものではない。モデルの
喜びや悲しみまでも抽出できるような、乾坤一擲の一枚を写せるで
あろう己の内側に鬱屈した何かを溜め込んでいるような人間がいい。
モデルはあのエイミーなのだから、そんじょそこいらのやつにお願
いする気はこれっぽっちもないんだよ。俺は完璧主義だから。
翌日もその翌日もカメラマンを探し回った。
アリアナはアルバイトがあるのでカメラマン探しには参加できな
かった。捨てた子犬のような顔をしていたからなぐさめるのに時間
がかかった。
俺はクラリスとグレイフナーをぐるっと時計回りに散策する。方
々で聞いた噂を頼りに移動した。
泣く子も黙る芸術家、記念撮影具のプロ、グレイフナー王国一の
魔道具師、七色の声色を持つ吟遊詩人、センスがありそうな奴は片
っ端から尋ねた。だがどいつもこいつもダメ。結局はすでにできあ
がった世界観があるのだ。
違う! 違うんだ! 今そこにある物、人間を、無心で撮影でき
る奴がいいのだ! 被写体の最高の状態を逃さない目を持っている
人間がいいのだ!
﹁わたくしにはお嬢様の深慮はわかりかねます。正直、腕っぷしが
強いその辺の男ではダメなのでしょうか。こう、勢いで、でええい
387
っ! とシャッターを切るような﹂
﹁ダメよ! ダメに決まっているわクラリス!﹂
﹁左様でございますよね⋮﹂
はぁ、とため息をつくクラリスは自分が役に立てないことが悔し
いようだ。
これは俺がこだわっていることだから、きっちり自分で探し出さな
いといけない。
見つけられなければクラリスがもっと落ち込んでしまう。
﹁では見つかるまでどこまでもお供致します!﹂
﹁ありがとうクラリス!﹂
さすがはクラリス。前向きだ。
俺たちはうなずきあって、グレイフナーの中心部へと歩き出した。
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第16話 イケメンエリート、編集長になる︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重86㎏︵±0kg︶
イケメンさん、雑誌と洋服に夢中です。
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第17話 イケメンエリート、撮影会をする︵前書き︶
ブックマーク&評価ありがとうございます!
この物語はファンタジー5、ギャグ3、イケメン1、お茶目なおデ
ブ1、の割合でお送りしております。
390
第17話 イケメンエリート、撮影会をする
☆
俺はテンメイ・カニヨーン。
グレイフナー魔法学校の六年生だ。
成績は中の下。﹁土﹂﹁水﹂﹁火﹂﹁風﹂のスクウェアで、すべ
て中級まで習得している。一般人から見ればさぞ羨ましい魔法能力
であろう。だが、こんな中途半端な能力ではせいぜい町の警邏隊に
なって出世もできず一生を終えるのが関の山だ。自分に魔法の才能
がないということは自分自身がよく理解しており、若さゆえの才能
に対する苦悩や嫉妬を一通り経験して、今はその事実を甘んじて受
け入れることで自分という存在を昇華しようともがいている。俗に
言う青春の一ページ。実にくだらない、どうしようもない、そして
重大な、小さすぎて大きすぎる悩みを抱えている。
俺の中には一人の妖精が住んでいる。
その妖精のおかげで俺はどうにか退学せず進級できている。
何度才能のなさに唾を吐き、何度挫折しただろうか。
妖精は壊れそうになった俺の心をあと一歩のところで繋ぎとめて
くれた。
俺には体内に精霊を宿らせるすごい才能があるのかって?
答えはイエスでもありノーでもある。
なぜならばその妖精は誰の心にも等しく宿る。
391
嫉妬の神ティランシルのような内側から身を焦がす炎を発し、そ
れと同時に契りの神ディアゴイスのような誠実さを思い出させ、戦
いの神パリオポテスのような誰にも負けぬ不屈の精神を与えると共
に、偽りの神ワシャシールのごとく我々に欺くことを強要し、婉美
の神クノーレリルのような艶やかで美しい花を心に咲かせる。
妖精の名はエイミー・ゴールデン。
見た者を魅了する笑顔と、大人びた見た目に似合わぬとぼけた性
格に、我々はいつの間にか五体を釘で磔にされる。馬鹿げていると
いうならば、グレイフナー魔法学校まで確認しにくればいい。何人
もの人間がエイミーという妖精を心に宿し、極上の肉を靴底で焼い
て食うような希望と絶望を味わっているのだ。我々にはもはや彼女
なしで生きるという選択肢は存在しない。辿り着く答えがすべて同
じであるあみだくじのようなもので、乳飲み子が母親なくして生き
ライト
に集まる魔妖蛾のように、彼女の姿を校内で探す。
られぬこととなんら変わりない。
俺は
例えるならば歴史上最悪の麻薬バラライ。やめなければ、と理性は
警鐘を鳴らすが、本能が妖精の姿を探し求める。
届かぬ物を追い求め、現実を直視せず、果敢に死地へと身を投じ
わめ
る猛者もいる。彼女の麓までも辿り着けぬ恋文を出し、拒絶という
きつい否定を味わって、涙で枕を濡らす。泣こうが喚こうが涙は消
えぬし、心の妖精も消えぬ。我々の内に宿した妖精は常に我々に寄
り添い、微笑んでいる。それと同時に妖精は彼岸に咲く花のごとく
遠い。
これが恋。
違う、恋ですらない。
392
恋でないならば一体これは何なのだ。
わからない。俺はこの気持ちの正体を知りたい。
今日も彼女に逢えぬとため息をついて、裏庭で空を見上げる。あ
の空を額縁に入れてプレゼントをすれば彼女は喜んでくれるだろう
か。自由で誰にも縛られぬあの雲を献上すれば俺にだけ笑顔をくれ
るだろうか。何を言っているんだ俺は。我ながら自分が耐え難いロ
マンチストで馬鹿だと自嘲する。
両手の親指と人差し指を直角にし、指先を合わせて、即席の額縁
を作った。
見れば見るほど空が絵画に、校舎が写生に、地面が切り抜きに変
化する。雲がゆらめき風がそよぐ、今この時この時間を止めて風景
画が描ければ俺は満足するのかもしれない。
指先で作った額縁で、俺は俺の回りにある景色を写生していく。
いつか彼女にも俺の見て感じた風景と色と音を伝えられるように
心に刻み込む。
様々な角度、美しい曲線、黄金の旋律、世界の真理を俺はこの日
常に探す。
﹁あなたカメラマンなの?﹂
天から鐘を鳴らされた?
天使の声が後方からする。
俺は指先で額縁を作ったまま振り返る。
﹁ああ、やっぱりそうなのね﹂
393
俺の額縁の中にはうっすら妖精の面影がある太めの少女がいた。
﹁ちょっと来てちょうだい﹂
﹁誰だ、君は﹂
俺の声は自分で予想しているより強ばっていた。
何か今までの自分が破壊されるような不安がよぎる。
彼女の瞳は強すぎる。
﹁これは失礼を。わたくしゴールデン家四女、エリィ・ゴールデン
でございますわ﹂
彼女の心の美しさを表すかのような流麗な所作に俺は思わず息を
飲んだ。
とてつもないことがこれから起こるでは、と心臓がバッタのよう
に跳ねる。
﹁カメラマンを探しているの。あなたにお願いしてもよろしいでし
ょうか﹂
なぜだろうか。
俺はカメラマンというものが一体何なのか分からないくせに、マ
リオネットのように、指先の額縁に彼女を入れたままこくりと頷い
た。
﹁探し回ってよかったわ。あなたは間違いなく最高のカメラマンよ﹂
﹁そうなのか⋮﹂
﹁ええ、そうよ﹂
自信たっぷりにうなずいた彼女はまぶしかった。
394
俺は直視できず、思わず目を逸らして遠くを見つめる。
あれ、ゴールデン?
ゴールデン家四女、エリィ・ゴールデン?
ということはあの、ゴールデン家?
我が愛しの妖精エイミー・ゴールデンの⋮⋮
﹁ええええええええええええええええええっ!!!!!?﹂
俺は絶叫した。
﹁きゃあ! ちょっと急に大きな声を出さないでちょうだい!﹂
﹁ああ! ごめん! 君は、あの、ゴールデン家の末っ子の⋮?﹂
﹁エリィ・ゴールデンよ﹂
﹁ということはお姉さんはこの学校にいる⋮﹂
﹁エイミー・ゴールデンよ﹂
﹁な、なんということだ⋮⋮﹂
﹁あ。ああ∼っ﹂
我が愛しの妖精の妹君は納得したように腕を組んでうなずいた。
395
﹁あなたエイミー姉様のこと好きなんでしょ?﹂
﹁なはぁッ!? ななんなななんなんななん何を言っているんだひ
!?!?﹂
﹁いやいや慌てすぎだから﹂
﹁はあぅっ! なんということだ⋮⋮﹂
仕方のない事よ、とエリィ嬢は俺の肩に手を置いた。
﹁だって姉様、可愛すぎるもの。普通の高校生⋮⋮じゃなくて男子
生徒が恋に落ちるなというほうが無理だわ。あれはある意味災害の
ようなものね﹂
﹁君! なんて言い得て妙な例えをしてくれるんだい! その通り
だッ。かのエイミー嬢は比類なき美しさと可愛らしさを装備した人
類の最終魔道具である!﹂
﹁その通りよ!﹂
﹁さすが妹君だ! 素晴らしい! やはり俺のこのやり場のない気
持ちは恋ではない! そう、いわば大地や自然と同じ現象だ! は
はは、ありがとうエリィ嬢! この気持ちに答えを出してくれて!﹂
﹁それって恋でしょ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮え?﹂
﹁えじゃなくて。それ恋でしょ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ほ?﹂
﹁ほじゃなくて。あなたのその気持ち、恋でしょ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ひ?﹂
﹁ひじゃなくて。あなたのそのやりきれない気持ち、恋でしょ﹂
﹁こ⋮⋮⋮⋮これが⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮恋?﹂
﹁そうに決まっているわ。そのやり場のない気持ちや届かない想い
が恋じゃないわけないじゃない﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮え、でも﹂
396
﹁でもじゃなくて。それ恋でしょ﹂
﹁これは恋なのか﹂
﹁そうよ﹂
﹁エ、エリィ嬢⋮⋮⋮そうか。そうだったのか⋮⋮⋮⋮この俺の気
持ち⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮これがまさに⋮⋮⋮⋮恋⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
KOI
⋮⋮⋮⋮﹂
すべての人間に等しく分け与えられる恋慕の神ベビールビルの慈し
み⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮これこそが⋮⋮⋮⋮⋮
﹁ぷっ、変なひと﹂
エリィ嬢は口元を手で押さえて朗らかに笑った。
ああ、なんであろうか。
なにやら癒される気がする⋮。
﹁それじゃ行くわよエロ写真家さん﹂
にっこりと笑った彼女は俺に右手を差し出した。
変な名前で呼ばれようとも、俺は真っ直ぐな彼女の瞳を美しいと
感じてしまう。そうか、俺の心にはもうすでに彼女が入り込んでし
まったのだ。太陽を背にまぶしく光り輝くぽっちゃり系の女の子は、
清く、正しく、美しく、神々しかった。
その日から、我が愛する内なる妖精は、エイミー嬢とエリィ嬢の
二人になった。
○
397
﹁ははは、はじっ! はは⋮はじめっ! は、ははっ⋮はじめマヒ
! はじめ⋮⋮はじめまして!﹂
﹁あ、あの! 私こそ! 私こそはじめましてッ!﹂
テンメイ・カニヨーンことエロ写真家は、エイミーを目の前にし
て絶対零度で凍りづけになったバナナみたいに、かちこちに緊張し
ていた。短く切りそろえた髪、俺と同じぐらいの身長、物事にこだ
わりがありそうな大きな鼻、中肉中背で一見するとまじめに見える
細い瞳にはエイミーしか映っていない。
そして何故かモデルのエイミーも緊張していた。
﹁お、お、お、俺はテンメイ・カニヨーン! 妖精のように美しい
エリィ嬢にカメラマンとして雇われた次第であります!﹂
﹁あ、あの! 私はエイミー・ゴールデンですぅ! そういえば⋮
同級生?﹂
﹁イエッサー! 同級生です! 俺はあなたの美しさに感銘を受け
ておりまぁす!﹂
﹁や、やだぁ⋮そんなこと言ってからかわないでほしいな﹂
﹁ウ⋮⋮ホッ⋮﹂
あ、エロ写真家が恥ずかしさで死んだ。
つーかなんで返事がイエッサーなんだよ⋮。
ヒール
﹁治癒﹂
俺は仕方なく魔法を唱えてエロ写真家を復活させる。
398
﹁⋮ぶっはあ! あれここはどこだ?﹂
﹁大丈夫テンメイ君?!﹂
﹁ああ、妖精がいる⋮ということはここは天国なのだな。婉美の神
クノーレリルよ、俺にこのような美しい光景を見せてくれて⋮⋮あ
りがとう﹂
﹁どこか打ったんじゃない?﹂
エイミーが心配してエロ写真家のおでこを触る。
みるみるうちに顔が赤くなるエロ写真家。ゆでだこになるとはこ
のことだろう。
﹁ウ⋮⋮⋮ホ⋮⋮ッ﹂
あ、また死んだ。
ヒール
﹁治癒﹂
俺はまたしても魔法を唱えるはめになった。
埒があかねえ。
﹁⋮⋮ぶっはあ! ここは?!﹂
﹁テンメイ君、今日はお家に帰ってゆっくりしたら?﹂
﹁おうち? 妖精がなぜここに⋮?﹂
﹁妖精ってさっきから⋮⋮もう。恥ずかしいこと言わないでよねっ﹂
頬を赤らめて目を逸らすエイミー。当然、エロ写真家は、いわゆ
る萌えの限界突破で死にそうになる。
﹁ウ⋮⋮⋮ホ⋮⋮ッ﹂
399
俺は肩をつかんで極小の
をエロ写真家にお見舞いした。
エレキトリック
電打
この魔法は触れた相手にスタンガンのような電気ショックを与え
ることができる。最大出力にすれば人間を黒こげにするほどの威力
だ。
﹁アバババババババババ﹂
一本釣りされたカツオのように全身をびくんびくんと揺らし、電
気ショックで目覚めたエロ写真家にすぐさまビンタをする。
﹁あなたは生きているわ! そしてエイミー姉様の写真を撮るの!﹂
﹁俺は⋮⋮生きている?﹂
﹁ええ。さあ、早く準備をしてちょうだい﹂
﹁あ、ああ。そうだったな。ありがとうエリィ嬢﹂
﹁ということで姉様、もうすぐミサとジョーが来るから準備お願い
ね﹂
﹁うん! が、がんばりまぁす!﹂
﹁そんなに緊張しないでいいからね﹂
エイミーは心配をよそに手と足を同じ方向に出して歩き、自室へ
ともどった。
⋮⋮大丈夫だろうか。
○
カメラを初めて使うと言っていたテンメイ・カニヨーンは、素晴
400
らしいセンスを持っていた。正直、俺も驚いたほどだ。一枚一枚に
魂を込める、とはこういったことなんじゃないだろうか。
﹁エイミー嬢! その手すりに座って、右足を伸ばしてください!﹂
﹁こ、こう?﹂
﹁そうです! 何て素晴らしい! エェェクセレントッ!﹂
﹁あ、あのぅ⋮﹂
﹁カメラに向かって笑って貰えますか?﹂
﹁こう、かな?﹂
ぎこちなく笑うエイミー。だがエロ写真家は決して咎めたりしな
い。ひたすら褒めまくる。
﹁とても魅力的なレディに写っていますよ! すばぁらしい! そ
してこの服をデザインしたエリィ嬢! あなたには心の底から畏敬
の念を抱かずにはいられない﹂
﹁そうでしょうそうでしょう﹂
俺はしたり顔でうなずいた。
いまエイミーが着ているのは、青地に小さな水の精霊をちりばめ
たデザインの膝丈スカートに、細身に加工された白地のボタンシャ
ツ。首元の第一ボタンを開け、小さなペンダントを見えるようにし、
足元にはミサが靴職人と口論しながら作ったという渾身の力作のパ
ンプスを履いている。
﹁エイミー嬢もそう思うでしょう?﹂
﹁うん! エリィってほんとすごいよねぇ。この服すごく可愛いも
の﹂
﹁俺もそう思います。エイミー嬢はエリィ嬢が大好きなんですね!﹂
﹁とっても好き! 大好きなの!﹂
401
﹁ストレェェェングス!﹂
エイミーの自然な笑顔を逃さず、意味不明なかけ声でシャッター
を切るエロ写真家。A4サイズの写真用紙が、ゆっくりとカメラの
サイドから出てくる。俺はその写真を見て、思わずため息を漏らし
た。
爽やかなスカートを履いたエイミーが弾けんばかりの笑顔でこち
らを見ている。ゴールデン家のサロンに咲く花たちと共に、エイミ
ーの笑顔がこれでもかと咲き誇っていた。絹のような金髪をサイド
にまとめ、白亜の手すりに腰を掛けている彼女は、誰よりも綺麗で、
誰よりも可憐だった。
ミサとジョーが俺に顔を寄せて写真を覗き込む。
二人とも、言葉にならないため息を漏らしていた。
﹁あなた天才よ!﹂
俺は思わずエロ写真家の右手を両手で握った。
しかし彼はまだ納得していないのか、首を振っている。
﹁エイミー嬢の可憐さは、もっとこう、美しくも儚げで、それでい
て希望と憐憫を感じさせると共に、世界の果てのような壮大で唯一
無二のストーリーなのです。俺は悔しい。この身のうちに燃え上が
る焦がれた気持ちを一枚に乗せ切れていない﹂
﹁やはり⋮あなたを連れてきて正解だったわ⋮⋮﹂
俺はよくわからない口上に、よくわからないまま感動した。
意味は一ミリも分からないがエロ写真家のパッションはしっかり
伝わった。
402
﹁お嬢様、私いま、猛烈に感動しています⋮﹂
ミサが隠そうともせずに涙を流している。
この服ができるまで、彼女はどれだけ苦労したんだろうか。
﹁エリィ! 俺だって負けないからな!﹂
ジョーはデザインにさらなるやる気を見せた。
﹁ビュウゥゥティフル!﹂
エロ写真家が、カメラをぐりんと九十度横に回してシャッターを
切った。
俺は写真用紙が一枚五千ロンするんだけどな、と思ったが、そん
なことはどうでもよくなった。この雑誌撮影は俺たちの集大成なの
だ。ミラーズで二人に出逢ってから二ヶ月近くが過ぎている。
﹁オーケー! 表紙はこの写真でいきましょう!﹂
俺はエロ写真家の肩を叩いた。
彼は感動にうち震えていた。
﹁エリィ嬢⋮⋮。俺は君に救われた。やっと自分のやりたいことを
見つけられたようだ⋮⋮ありがとう⋮⋮⋮これで青春の苦悩から解
放されるんだ⋮﹂
﹁何言ってるの。苦悩するのはこれからよ。最高の写真を撮るんで
しょ?﹂
﹁もちろんだとも! 契りの神ディアゴイスに誓ってここに宣言し
ようじゃあないか!﹂
403
﹁そうだよテンメイ君! えいえいおーッ!﹂
エイミーがこちらに向かって右手を挙げた。
うん、使い方、あってるよ。
﹁可愛い⋮ウホ⋮⋮⋮ッ﹂
エロ写真家がまた萌え死にをした。
さて。ここから二週間、ファッション誌﹃Eimy﹄特別創刊号
ができあがるまで、俺は奔走することになった。
複写
コピー
を使える魔法使いの求人募集をかけ、
ドワーフ店主から魔力結晶が一億三千五百万ロンで売れた、と連
絡が来たと同時に、
事務が得意な兎人を雇い、コピーライター候補のセンスがいい町娘
を強引に引き込み、文章が得意で記者に向いていそうな狐人の少年
を囲い込んだ。
その間、学校にもちゃんと出席した。
クラリスは八面六臂の活躍を見せてくれる。
もうクラリスなしでは生きていけない、あたい⋮。
製本のリーダーをしっかり者の黒ブライアンにまかせ、雑誌は五
百部を目標に設定した。
一冊の金額はなんと六千ロン。
この金額でないと採算が取れないのだ。
俺の情熱を他のメンバーが感じ取ったのか、徐々に全員がワーカ
404
ーホリック状態になりつつあった。徹夜上等。目を赤くさせ、疲れ
ているのに身体がいつもの倍動く。魔力ポーションとマンドラゴラ
の強壮剤をがぶ飲みして、仕事に打ち込んだ。
複写
コピー
した、特大の布製ポスターが飾られた。
雑誌発売の三日前、グレイフナー通り一番街の壁面に、でかでか
とエイミーの写真を
そのサイズは、グレイフナー王宮の次に大きな建造物である七階建
ての﹃冒険者協会兼魔導研究所﹄を覆い隠さんばかりであった。残
りの二つは今回製本を協力してくれた﹃オハナ書店﹄、そして若者
が集まる一番街終点の人気カフェ﹃イタレリア﹄に設置した。
そんな熱狂に包まれた中、雑誌発売日の二日前。
俺の部屋を誰かがノックする。
事務が得意な兎人とクラリスとの当日の打ち合わせをやめて、机
から顔を上げた。
部屋に入ってきたのは次女のエリザベスであった。
こんな夜更けになんの用事だろうか。
顔だけを部屋に入れて恥ずかしそうにしている。
﹁エリィにお話があります﹂
﹁どうしたのエリザベス姉様?﹂
﹁エリィにお話があります﹂
﹁それはわかったから⋮⋮とりあえず部屋に入ってほしいんだけど
⋮﹂
気の強そうなエリザベスが顔を赤くしながら睨むようにして、口
405
を尖らせる。そのギャップに思わず可愛いな、と思ってしまう。
﹁それじゃ、入るわね!﹂
﹁どうぞ⋮⋮⋮ッ!﹂
︱︱︱︱︱︱︱これはッ!!!!!
︱︱︱︱︱︱︱︱︱!!!!!!!!
俺は四つ上の姉の服装を見て﹁ずこーーっ﹂と言いながら、某大
阪の喜劇ばりに、盛大に椅子から転げ落ちた。
406
第17話 イケメンエリート、撮影会をする︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重86㎏︵±0kg︶
イケメン小橋川、雑誌と洋服に夢中です。
407
第18話 イケメンエリート、恋の相談会
﹁ずこーーーっ﹂
俺はエリザベスの服装を見て、思い切りずっこけた。丁寧に効果
音つきで。
隣にいた事務のできるおっさん兎人のマックス・デノンスラート、
通称﹃ウサックス﹄がびっくりして尻餅をつき、クラリスが唖然と
した表情を一瞬だけ作って俺に駆け寄った。
﹁エリィ!?﹂
エリザベスも驚いて、心配したのか部屋に入ってきて俺を支えた。
大丈夫、大丈夫だお姉様⋮。
ただし、その服装は全然大丈夫じゃないがな⋮⋮。
﹁姉様それは⋮?﹂
その服装に意図せずして眉をひそめてしまう。
﹁明日の舞踏会に着ていく服なんだけど⋮どう思うかしら﹂
﹁どうって⋮﹂
どうって、どう言えばいいんだろう。
もう思い切り罵倒してやりたくなっているんだが、俺はこの衝動
を抑えなければいけない。この人は美人で大切なエリィの姉だ。ゴ
ールデン家の次女なのだ。
408
﹁どうかしら?﹂
だが、しかし⋮⋮くっ⋮⋮俺は一体どうすれば⋮
﹁どう思うか聞いているのよ﹂
エリザベスが段々といつもの強気な姉御肌を出してきた。
俺やエイミーと対称的な釣り目が細められる。
﹁エイミーに聞いたのよ。エリィは服のセンスがすごくいいからお
姉様も聞いてくればって。それであなたに恥を忍んで聞きに来たの
よ﹂
強い口調でそう言った。半分照れ隠しもあるんだろう。
そうか、そこまで言うなら俺も腹を括ろうじゃないか。でも、ま
さか、よりによってこんなに⋮⋮⋮アアッ神よ! 嘘だと言ってく
れ!
﹁⋮⋮お姉様、私は白黒はっきりした言い方をしますけれど、よろ
しいですか?﹂
﹁ええ、もちろんよ﹂
﹁本当によろしいんですね?﹂
﹁いいわ﹂
﹁お姉様がショックを受けることも少なからずあるかもしれません﹂
﹁構わないわ﹂
﹁本当の本当によろしいんですね?﹂
﹁本当にいいわよ﹂
﹁ズバッと言っても?﹂
﹁ズバッと言ってちょうだい。そのためにエリィの部屋まで来たの
409
だから﹂
﹁いいんですね?﹂
﹁くどいわよエリィ! 私がいいと言ったらいいのよ!﹂
﹁⋮わかりました。では⋮⋮申し上げます﹂
﹁ええ、申し上げてちょうだい﹂
俺はエリザベスの服装を一瞥し、なにやらマグマのような噴出す
る怒りがこみ上げてきた。
その怒りの限界点が振り切れるのに時間はかからなかった。
足の先から頭のてっぺんまで、熱い怒りが瞬間的に爆発した。
﹁エリザベス姉様ッ!!!!﹂
﹁は、はいぃ!﹂
俺の叫び声で、なぜかエリザベスが立ち上がって直立不動の姿勢
になった。
身長の高い姉を、俺は親の敵のように睨みつけた。
﹁おねえさまぁッ!!!!!﹂
﹁はいぃぃッ!!!!!﹂
もう、ダメだッ!
怒りのゲージが振り切れるッ!!
﹁おねーーーさまぁぁぁッ!!!!﹂
﹁はいぃぃぃぃぃぃぃッ!!!!!!!﹂
うおおおおおおお!
冗談も大概にしろよぉぉぉぉッ!!!
410
﹁なんなんですの! なんなんですのその格好はッ! その訳の分
からないピンクのふりふりはなんですの! そのきらきらに光って
いる黄色い漫才師みたいなリボンはなんなんですの! どこで買っ
てきたか聞きたくもないエナメルみたいなぼてっとしたブーツはな
んなんですの! 腕につけた芋虫みたいなシュシュはなんなんです
の! おまけにぃーーーッ、全身についているぅーーーーッ、その
ラメの入ったぁーーーーッ、フリルなのかワンピースなのかわから
ないモノはぁーーーーーーッ、いったいぜんたいぬわんぬわんです
のぉーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!﹂
﹁ごめんなさぁぁーーーーーーい!!!!!!!﹂
俺は怒りにまかせてフリルを引きちぎり、黄色いリボンをむしり
インパルス
電衝撃
電衝撃
インパルス
が雷光
を空中
取り、シュシュを腕から強奪し、足払いでエリザベスを転がしてブ
ーツを引っぺがし、すべてを窓の外に放り投げて
に打ちだした。
ギャギャギャギャギャ!!!!!!
バリバリガガバリィィッ!!!!!!
鳥型モンスターの悲鳴に近い音を発しながら、
をきらめかせ、エリザベスの着ていた服を黒こげに粉砕した。電撃
が花火のように余波を空中に吐き出し、クモの巣状に広がってから、
消えた。
冬の木の葉が落ちるように、焦げた残骸が落下していく。
﹁おたすけをーーーーッ!﹂とウサックス。
﹁何とぞお慈悲をーーー!﹂とクラリス。
411
﹁ごめんなさぁぁーーーーーい!﹂とエリザベス。
﹁やりすぎたぁぁーーーーーい!﹂と俺。
オギャアオギャア!
バサバサバサバサ
ヒヒーン
ドンガラガッシャーン
ヒーホーヒーホー
続けて近所の赤子が泣き叫び、止まり木で休憩していた鳥が一斉
に飛び立って、馬がどこかでいなないて荷物を転がし、不運にも近
くにいた臆病者のヒーホー鳥がヒーホーヒーホーと呼吸困難を起こ
した。
いつものパターンじゃねえか⋮。
︱︱あかん、やりすぎた。
温泉が出なかったのが唯一の救いだ⋮。
︱︱ブシュワーーッ
三軒先の民家から大量のお湯が噴き出し、周囲に湯気が充満した。
⋮やっぱり出るんだよなぁー温泉。
412
○
﹁ごめんなさいエリザベス姉様﹂
魔法のことを適当にごまかしたあと、自室の床に正座し、誠心誠
意エリザベスに謝罪した。
俺は自分自身に怒りを感じている。
こんなに可愛い姉さんの価値観をぶちこわしてしまったのだ。彼
女がよかれと思って着ていた服装を、木っ端みじんにしてしまった
のだ。それは彼女にとってかけがえのないものだったかもしれない。
一生懸命考えたコーディネートだったかもしれない。
俺はなんてひどいことをしてしまったんだ。
﹁い⋮いいのよエリィ。あなたがそれほどまで怒る格好を私がして
いたんでしょう?﹂
﹁あのー、すごく言いづらいんだけど⋮⋮そうなの。あの格好は姉
様に全然これっぽっちも似合ってないの⋮。リトルリザードの尻尾
の先っちょほども似合ってないの⋮。どう考えてもおかしいと思う
の⋮﹂
うーんやっぱり思い出せば出すほどあのフリッフリの服はねえな。
何度思い返しても︱︱ない。
ああしてよかった。うん。間違いない。
やっぱり俺天才。イエーイ。
413
エリザベスは泣き笑いのような顔になって、両手で顔を覆った。
いやいやと首を振っている。
どうしよう、とそんな重苦しい雰囲気になりそうな絶妙のタイミ
ングで、クラリスがハーブティーを人数分用意してくれた。俺とエ
リザベス、そしてこの場にいて未だに腰を抜かしている兎人のウサ
ックスは、いい香りに包まれてようやく人心地ついた。
﹁姉様まさかとは思うけど、あの服を買った場所は⋮﹂
﹁恋のキューピッドってお店よ﹂
やっぱりかーい!
忘れようとしても忘れられない悪夢に出てきそうな厚化粧のマダ
ムな店長。フリルをつけまくったゴスロリ系の服。きれい系で大人
っぽいの顔立ちのエリザベスに似合うはずがない。
﹁エリィだって買ってたじゃない!﹂
﹁あのお店は卒業したの!﹂
﹁だって可愛くて防御力も高いって評判なのよ! 私にはそんなに
おかしいとは思えないんだけど!﹂
﹁あれはあれでいいと思うけどエリザベス姉様には似合わない!﹂
﹁そ、そんなぁ⋮﹂
エリザベスはベッドに突っ伏して泣き出した。
俺は背中をさすってやる。
兎の耳を頭につけた気の弱そうなおっさん、ウサックスは、クラ
リスと俺を交互に見て気まずそうにハーブティーをすすった。ウサ
耳が申し訳なさそうに垂れている。初めて来たゴールデン家でこの
騒ぎに遭遇するとは運のないウサ耳だ。
414
ウサックスよ⋮完全にとばっちりだな⋮。
あとでボーナスやるから勘弁な。
ドアの外があわただしくなり、ノックされた。
俺が返事をすると、ちょっぴり怒ったエイミーが部屋に入ってき
た。
﹁エリィ! 街の中でバチバチは使っちゃダメって言ったじゃない
!﹂
﹁あ⋮⋮姉様ごめぇん﹂
﹁もう、しょうがない子なんだから﹂
エイミーはそこまで言うと泣いているエリザベスに気がついて、
すぐに駆け寄った。
﹁どうしたの? エリザベス姉様が泣くなんてよっぽどよ﹂
﹁それが⋮﹂
﹁いいよのエリィ⋮⋮⋮ぐすん⋮⋮私から話すから﹂
エリザベスはようやく泣き止んで顔を上げた。頬には涙の跡が残
っている。
彼女の話によると、明日の舞踏会はグレイフナー魔法学校主催の
大きなもので、在学生、卒業生、教師、事務職員など、関係者であ
れば誰でも自由参加らしい。多種多様な人が集まり共通の話題があ
ることで、カップルが成立することがしょっちゅうあるそうだ。エ
リザベスは今年で十八歳。お父様のようないい男をゲットしたいと
のこと。それも切実に。だから今回の舞踏会は張り切って準備し、
いい男をゲットしようとやる気満々だったそうだ。
415
﹁私って本当にモテないのよ⋮。だからせめて服だけでも頑張ろう
って思ったの。でもそれがこの結果よ﹂
エリザベスは恥ずかしがりながら、半ば投げやりにそう言った。
ここに悩む乙女がいる。
それを救わずして男、いや、おデブ女子と言えるか。
否。断じて否だ。
﹁おかしいなぁー。エリザベス姉様はキレイで優しいのにモテない
はずがないよ﹂
エイミーが首をかしげる。
その通りではある。だがしかーし、美人だけど恋人いない女子だ
って結構いるのだ。それには様々な理由がある。
数多の恋を成就させたスーパーイケメンエリートの俺はどうして
エリザベスがモテないのかすでに看破していた。
﹁エリザベス姉様がどうしてモテないのか⋮私にはわかります﹂
﹁えっ?﹂
﹁ええっ?﹂
﹁えええっ?﹂
エリザベス、エイミー、ウサックスの順に身を乗り出してくる。
すでに溶け込んでいるウサックスの順応性がやばい。
﹁まずエリザベス姉様は殿方に頼み事をしたことがある?﹂
﹁頼み事?﹂
﹁例えばそうですね、重い物を持って欲しいとか、自分の代わりに
仕事をやって欲しいとか﹂
﹁いいえ。私はゴールデン家を代表するレディよ。そのような些末
416
なことに殿方をかかずらわせることはしないわ﹂
﹁じゃあ全部自分でやってるの?﹂
﹁もちろんそうよ﹂
エリザベスは堂々と胸を張って答える。
俺は腕を組んでうなずいた。
気づいたら、絨毯の上で車座になっていた。
俺、エリザベス、エイミー、ウサックスの順で、クラリスは俺の
後ろに控えている。
﹁じゃあもう一つ質問ね。姉様は美人だからよく褒められると思う
の。道ばたで、綺麗ですね、とか。職場で、今日も美しいですね、
とか。あなたには白い薔薇が似合いそうだ、とか。レストランでボ
ーイにウインクされたり、とか。思い返せば色々あるでしょう?﹂
﹁え⋮⋮ええ。たしかにそうよ。私あなたにそんな話したかしら?﹂
﹁いいえ姉様聞いていないわ。これは簡単に予想できることよ﹂
﹁エリィすごい!﹂
﹁さすがエリィ嬢!﹂
エイミーとウサックスが感嘆の声を上げる。
ふっ、恋の名探偵とは俺のことだ。
エリザベスはまさに日本で言うところの﹃デキル系女子﹄﹃気の
強い系女子﹄に見られてしまっているのだろう。ガードが堅くてと
っつきにくい印象を与えてしまいやすく、美人なのに彼氏ができな
い。早く私をくどいてよ、と内心では思っているのになかなか男が
寄りついてこない。そんな状態なのだ。それに相まって本人の恥ず
かしがりな性格が男との関係を発展させないことに拍車をかけてい
る。
417
ちなみに俺はこれ系の女子、大好きです。いや、大好物です。
くそ! なぜ俺は男じゃないんだ。
俺が男だったら今頃⋮⋮ちくしょう! ガッデム!
気づいたら俺は絨毯に拳をめり込ませていた。
﹁あのーエリィ嬢?﹂
﹁エリィどうしたの?﹂
﹁ああ、私としたことが! 何でもないわ!﹂
ウサックスとエイミーに言われ、すぐ手を引っ込めた。
﹁それで⋮それが分かったとして一体何なの?﹂
エリザベスが俺の行動など目に入っていないのか、身を乗り出し
て続きを急き立てる。
﹁姉様はそのあと、どういう対応をしている?﹂
﹁うーんそうねえ⋮﹂
﹁まって。当ててあげる﹂
俺は少しばかり逡巡し、すぐに考えをまとめた。
﹁褒められたら姉様は恥ずかしいから、こうやってちょっと怖い顔
をして、そんなことありませんわ、と言っているんじゃないかしら﹂
﹁あぅ⋮⋮﹂
エリザベスが顔を赤くしてフリルがちぎられたスカートを握り、
下を向いてしまった。どうやら図星らしい。
418
﹁姉様、当たり? 当たり?﹂
﹁エリザベス嬢、当たりですかな? ですかな?﹂
エイミーとウサックスがマジックを見破ってマジシャンを追い詰
める子どもみたいになっている。
やめてあげて。
﹁どうなの姉様。ねえ∼﹂
﹁どうなんですエリザベス嬢∼﹂
ウサックス溶け込みすぎ⋮。
﹁ねえお姉様ぁ∼、当たり?﹂
﹁お嬢∼、当たりでしょう?﹂
やがて観念したのかエリザベスが勢いよく顔を上げた。
﹁当たりよぉ! みんなで寄ってたかってひどいですわッ!﹂
エリザベスが柄にもなく照れ隠しで頬をぷくっと膨らませた。
どうしよう、すごく可愛いんですけど。
﹁エリィは私を辱めたいの!?﹂
﹁ちがうわ姉様。そういうことじゃないの﹂
﹁じゃあ何なんですの?﹂
﹁いま質問した二つが、姉様がモテない理由よ﹂
﹁え?﹂
﹁ええ?﹂
﹁えええ?﹂
419
﹁えええッ?﹂
エイミーとウサックスに加わり、クラリスまで驚きの声を上げた。
恋の名探偵スーパーイケメンエリート小橋川が全員に解説しよう
じゃないか。
﹁お姉様は殿方を頼らずに、すべてを自分で解決しようとしている
わ。レディとして素晴らしいと思うんだけど、多分、殿方⋮⋮面倒
なので男と言うけど、男からは完全にデキる系女子に見られてしま
っているわ﹂
﹁デキる系女子?﹂
﹁そうよ。考えてもみて。例えば姉様がお仕事中に重い本を両手一
杯に抱えていたとするわ。そこにイケメンが颯爽と現れて、エリザ
ベス嬢、手伝います、なーんて本を持とうとするでしょ。でも姉様
は頑なに、結構ですわ、と断りを入れる﹂
﹁⋮ええ、そうよ。その通りだわ。まるで見ていたんじゃないのと
思うほど、そのままのことが昨日起きたわ﹂
﹁ウサックス。あなたは善意で手伝おうと思ったことをにべもなく
断られたらどう思う?﹂
﹁がっかりしますな﹂
﹁それが美人だったら﹂
﹁がっかりの頂点ですな。あいや、がっかりなのでがっかりの最下
層ですな﹂
﹁そうよ、がっかり最下層なのよ姉様の行動は﹂
﹁でも⋮⋮私そんなつもり⋮⋮⋮。というよりあなた誰なんですの
!? 私のこんな話をさも平然と聞いているなんて!!﹂
エリザベスは恥ずかしいのか急に矛先をウサックスに向けた。
﹁ひ! いえ私はマックス・デノンスラートと申しまして⋮そのエ
420
リィ嬢に先日雇われたしがない事務員でございます!﹂
﹁ウサックスよ、姉様﹂
ウサックスはウサ耳を揺らしながら、ウサックスです、すいませ
んすいません、と何度も謝っている。
さすがは元役場の窓口係。謝罪が板についてやがる。
このウサックス、仕事があまりにもできすぎて役場レベルでは扱
いに困る人材だったようだ。人の十分の一の時間で仕事を終わらせ、
あとは職場で遊んでいたらしい。まじめにやっていればもっといい
職場を見つけていたかもしれないが、先日ついにクビになったそう
だ。
﹁年上の男性の意見が聞ける滅多にないチャンスよ! 姉様ここは
ぐっとこらえて﹂
﹁わ、わかりましたわ。ごめんなさいウサックスさん急に取り乱し
まして﹂
﹁私ごときが麗しいお嬢様のお役に立てるのであれば、いかように
も罵ってくだされ﹂
﹁それじゃただの変態よウサックス﹂
﹁エリィ嬢、たしかに!﹂
これはしたり、とウサックスはうなずく。
﹁それで話を戻すけど、エリザベス姉様はモテないんじゃなくて、
本当はモテているのよ。男たちが手を出しづらいのね。ウサックス、
あなたエリザベス姉様をくどけ、って言われたら緊張するでしょ?﹂
﹁そりゃもう! こんなに美しくて気の強そうなお嬢様ですから。
私には到底無理ですな﹂
﹁逆に、こんなに美人な姉様からお願い事をされたらどう?﹂
﹁獅子奮迅の働きを致します! 美人に頼られるのは男冥利に尽き
421
ますな!﹂
﹁こういうことよ﹂
おお∼、とエイミーとクラリスから驚嘆の声が上がる。
エリザベスだけは恥ずかしそうに俯いていた。
﹁ということで、私からの提案は二つ。一つは明日の舞踏会で殿方
に簡単なお願い事をすること。もう一つは褒められたら笑顔であり
がとう、と言うこと﹂
﹁うんうん! それはいいと思う!﹂
﹁お嬢様! 何というご慧眼ッ!﹂
﹁おどうだば! おどうだば!﹂
エイミーが嬉しそうに言い、クラリスが感動し、勝手に入ってき
たバリーが泣いている。
バリーいつの間に!?
﹁クラリス、バリー、ミラーズに行って例の物を。ミサにエリザベ
ス姉様の、と言えば分かるわ﹂
﹁かしこまりました﹂
ちょうどいいので二人にお願いすると、影武者のように素早く一
礼して部屋から出て行った。
﹁さあ後は姉様が頑張ればいいだけよ﹂
﹁エ、エリィ⋮⋮私には無理だわ⋮﹂
﹁どうして?﹂
﹁だって恥ずかしいもの⋮﹂
できる系で気の強い系の美人が顔を赤くして下唇を噛んでいる。
422
これは凄まじい破壊力だ。
﹁姉様は美人で優しいんだから大丈夫よ﹂
俺は笑ってエリザベスの肩に手を置いた。
﹁そんなこと⋮ありませんわッ﹂
﹁姉様ちがうでしょ? ありがとうよ、あ・り・が・と・う﹂
﹁あ⋮。んッ︱︱︱︱ダメよエリィ、恥ずかしくてこんなこと言え
ない﹂
﹁大丈夫ですぞ、さあにっこり笑って、あ・り・が・と・う﹂
﹁あ、りが⋮⋮⋮⋮ぅ﹂
﹁んん? 聞こえませんな、あ・り・が・と・う﹂
﹁あ、あ、りがと⋮⋮⋮﹂
﹁ダメですぞそんなぼそぼそ言っては! セイ、アゲイン﹂
なぜかウサックスが指導に情熱を注ぎ始める。
﹁姉様がんばれ! せえの、あ・り・が・と・う﹂
エイミーも調子よく乗ってくる。
﹁ありがとぅ⋮⋮ですわ﹂
﹁声が小さいわ姉様!﹂
423
俺が四つ上の姉に活を入れる。
エリザベスは涙目になりながら、懸命にお礼を言った。
こうして恥ずかしがりで可愛い姉のエリザベスを指導しつつ、夜
は更けていくのであった。
424
第18話 イケメンエリート、恋の相談会︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重86㎏︵±0kg︶
次回、甘い旋風が巻き起こる⋮
﹃イケメンエリート、恋の舞踏会﹄乞うご期待!
425
第19話 イケメンエリート、恋の舞踏会︵前書き︶
皆さんご愛読ありがとうございます!
評価&ブックマークありがとうございます!
大変お待たせ致しました。
今回は予告通り、恋の旋風巻き起こる舞踏会の話になります!
426
第19話 イケメンエリート、恋の舞踏会
朝日も昇りきらぬ澄んだ空気の中、俺たちはグレイフナー通り一
番街にある七階建ての﹃冒険者協会兼魔導研究所﹄を見上げていた。
そこには特大の布製ポスターが飾られている。真下からでは全貌を
確認できない大きさのため、よく見える通りの真ん中辺りに俺たち
は佇んでいた。
Eimy
店主ミサ、独占インタビュー付き!﹄
創刊!!﹄
ポスターには皆と協力して作った洋服に身を包んだ、咲き誇る花
のようなエイミーの笑顔があった。
キャッチコピーは、
﹃防御力よりオシャレ力﹄
﹃私を守ってくれますか﹄
ポスター右下には、
﹃グレイフナー王国初のファッション誌
ミラーズ
﹃○月×日オハナ書店にて限定500部発売!﹄
﹃仕掛け人
まさに最高の出来映え、渾身の力作であった。誰一人欠けてもこ
こまで辿り着けなかっただろう。
﹁明日ね⋮﹂
俺は感無量でつぶやいた。
他のメンバーも口々に肯定の言葉をつぶやき、ポスターを見上げ
たままうなずいている。
427
そう、明日が雑誌の発売日なのだ。その日の売り上げが運命を握
っている。新しいファッションが流行するか否かのスタートライン
なのだ。
俺は夜から舞踏会があるため、皆に無理を言って全員が集まれる
早朝に集合してもらった。全員でこのエイミーポスターを見たかっ
たのだ。横を見れば皆、一様に疲れていたが、達成感で表情はこの
上なく明るかった。
俺は一人ずつ顔を見ていく。
ミラーズ店主のミサ。自ら新しいデザインの服を着て方々へ奔走
した。
デザイナーのジョー。俺の無理なデザインを実現させたやり手の
新鋭デザイナー。
を休まず唱え続
複
コ
スピード・ワイルドこと黒ブライアン。責任感から副編集長を任
を昼夜唱え続ける。
複写
コピー
せ、俺の意図を汲んで書店とのやりとりをしつつ火の上級魔法
ピー
写
スギィ・ワイルドことおすぎ。四十歳。
け、魔力切れになること十五回。
テンメイ・カニヨーンことエロ写真家。エイミー専属カメラマン
428
の他、無理難題をすべて聞き入れ最終ページのためにグレイフナー
王国初であろう魔物撮影を敢行。
マックス・デノンスラートことウサックス。三十九歳。ハイスペ
ックな事務処理で全員分の食事代から給与まですべて一ロンも間違
わずに計算し、全員分のスケジュール管理までやってのけた。
パイン・オーツィンことボインちゃん。元武器屋のバイト娘。十
七歳。攻撃力コメントが面白かったので強引に勧誘。﹃私を守って
くれますか﹄のキャッチコピーは彼女が考えた。今では彼女自身が
この雑誌とファッションの虜になっている。
フランキー・グランティーノことフランク。アリアナの七人兄弟、
上から二番目の弟。十一歳。勉強ノートをチラッと見たときに文章
が面白かったのでなんとなく採用。的確な取材と不確かなことは探
複写
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魔法使いが三人。マルオ、そば屋、
求する性格がマッチし、記者能力を発揮。
あとは臨時で雇った
オチョウ婦人。
俺の背後には、すべてにおいて支えてくれた専属メイド、クラリ
ス。顔に刻まれた苦労皺も今日は和らいでいるようだ。
そして雑誌専属モデル、エイミー。彼女はでかでかと自分の写真
429
が飾られていることに恥ずかしさを隠しきれないようだ。いつ見て
も可愛い。
﹁ミサ、ジョー。ここまでありがとう﹂
﹁何をおっしゃるんですお嬢様!﹂
﹁そうだぞエリィ! 感謝しているのは俺たち姉弟のほうだ!﹂
二人は嬉しそうに言う。
﹁印刷班! 本当に辛かったでしょ⋮あのポスター何度も失敗した
の知ってるのよ﹂
﹁へへっ、あれぐらいは大したことないですよ!﹂
コピー
複写
魔法使いの三人が感無
﹁エリィ俺たちのこと誰だと思っているんだ、ワイルド家だろう?﹂
黒ブライアンとおすぎ、それから
量だ、と言う。
﹁エロ写真家! あなた最高よ!﹂
﹁すべては被写体の美しさ⋮妖精であるエイミー嬢、そしてエリィ
嬢のおかげだ﹂
エロ写真家はあの日から片時もカメラを離そうとしない。
いつでも背中にしょっている。
﹁ウサックス、いろいろ雑務ありがとう!﹂
﹁光栄の至りですな! あの退屈だった日々は一体何だったのか⋮。
私はエリィ嬢に出逢えて幸せですぞ!﹂
昨日は俺とエリザベスを深夜まで指導していたせいで寝不足だっ
430
たが、ウサ耳が天に向かって真っ直ぐと伸びている。
﹁ボインちゃん、サンキュー!﹂
﹁私だけ軽ーい! でもエリィちゃん愛してる! あとそのあだ名
変えない?﹂
推定Hカップを派手に揺らして新作のワンピースを着たボインち
ゃんがボインをボインボインさせる。
﹁フランク! あとで耳触らせて!﹂
﹁別にいいけど⋮﹂
アリアナと似たぱっちりお目々をしているフランクはそこいらの
女の子より可愛かった。子どもっぽさが抜けたらさぞかしイケメン
になるだろう。記者能力と共に成長が楽しみだ。
﹁クラリス⋮﹂
﹁お嬢様⋮﹂
目配せでわかり合うってすごくいい。
﹁エイミー姉様⋮。本当にありがとね。姉様は世界最高の姉様よ﹂
﹁私もすごく楽しかったよ! 色んな洋服着れるしミサさんが全部
タダでくれるし、お礼を言わなきゃいけないのは私だよ﹂
エイミーの笑顔は今日も光り輝いている。彼女抜きでこの雑誌は
思いつかなかっただろう。他のメンバーもエイミーのことは特別だ
と思っているようだった。
﹁ということでみんな、明日は﹃Eimy﹄発売祭りよ! オハナ
431
書店に集合! いいわね!!﹂
﹁はいですわ!﹂﹁ああ!﹂﹁よし!﹂﹁おう!﹂﹁ついに!﹂﹁
了解!﹂﹁いえーい!﹂﹁わかった⋮﹂﹁はい!﹂﹁はい!﹂﹁は
い!﹂﹁お嬢様ッ﹂﹁エリィかっこい∼!﹂
各々、好き勝手に返事をしたあと、成功を信じて疑わないと言わ
んばかりに右手を挙げて親指を立てた。
やはりチームってのはこうでなくっちゃな!
○
俺は鏡を見て深いため息をついた。
時刻は放課後の夕方。朝のテンションはどこへいった。
雑誌騒動で睡眠不足になり、ニキビが二つも増えていたのだ。二
つもだぞ!
ショックを隠しきれない乙女でおデブな俺。
明日から慎ましい生活に戻ろう。
はぁーニキビって消えないんだな。
もし男に戻れたらニキビ女子にエールを送る。
つーかニキビ消す魔法とかないわけ。白魔法の超級をぶち当てれ
ばお肌つるつるになったりしないか。しないよなー。白魔法の超級
使えるのは噂によるとセラー神国の教皇だけっていうし、ニキビの
ために魔法使ってくれないよなー。
﹁お嬢様、そんなにため息ばかりついては可愛い顔が台無しですよ﹂
432
﹁ブスだしニキビ増えたし困ったわ﹂
あまり聞かない俺の弱音に、ミサはボブカットを揺らしてくすっ
と笑った。
ミサは空き時間を使って舞踏会のヘアメイクをしてくれている。
﹁それに髪の毛だってぱさぱさでしょ?﹂
﹁根本はしっかりしてるので、すぐに艶がでますよ﹂
﹁本当? ねえミサはいつも何使って洗ってるの?﹂
﹁ええっと私はですね⋮⋮﹂
とまあこんな感じで、すっかりガールズトークにも慣れたもんだ。
そうこうしているうちにヘアメイクは終わった。アップした髪に
紺色のバラが添えられ、うまいこと髪型が崩れないようにヘアピン
で留めてある。特注したよそ行き用の、黒いシックなワンピースと
合っている。さすがミサ。ほんのりと化粧もしてくれ、二点が五点
ぐらいにアップした。点数はもちろん千点満点ね。うふ!
﹁お嬢様、アリアナ・グランティーノ様がいらっしゃいました﹂
﹁お通ししてちょうだい﹂
折良くアリアナがやってきたので巻き添えにしてミサにヘアメイ
クしてもらい、くるぶしまで隠れる丈の白襟がついた紺のクレリッ
クワンピースを着せた。これも俺が特注していたもので、いつかア
リアナにあげようと思っていた。うまくアリアナの細すぎる線を隠
したコーディネートで、お尻に開けた穴から出ている狐の尻尾がな
んとも可愛らしい。ミサが興奮して何度も﹁まあ! まあ!﹂と声
を上げている。
﹁エリィ⋮⋮似合う?﹂
433
﹁ええとっても﹂
そう言って頭を撫でると、尻尾をぶんぶんと風を起こさん勢いで
振っていた。
エリザベスとエイミーも仕事と学校から帰ってきたのか、舞踏会
の準備をはじめた。ミサと三人できゃいきゃいと言いながら準備を
進めている。女って集まるとほんと元気になるよな︱︱︱︱!!
はっ、俺も女だった! デブだけどッ!!
○
俺とアリアナ、エイミー、エリザベスはゴールデン家の馬車で会
場まで向かった。
会場はグレイフナー魔法学校の講堂と裏庭だ。三千五百人の生徒
を収容できるマンモス校らしい大きなもので、シャンデリア付きの
多目的ホールのような造りになっている。裏庭には池になっていて、
空中に浮かんで光を発する魔道具のおかげで幻想的な雰囲気になっ
ていた。会場には至る所にバイキング式の移動キッチンがあり、ボ
ーイかメイドに頼めば好きなときに好きなだけ食べて飲める仕組み
になっている。パーティー、お祭りが好きな俺にはたまらない。
心、踊るッ! ダイエット中だから食べれないけどッ!!
なんてこった⋮。
すでにパーティーは始まっていた。会場内は人で溢れ、講堂のス
テージで演奏されるダンスナンバーに合わせて幾人もの男女が中央
434
の赤絨毯で踊っている。うわーリアル舞踏会だよ、と思ったのは俺
だけだろう。
﹁みんな踊ってるね⋮﹂
俺だけじゃなかった。アリアナも初めて見るようだった。
ちなみに貴族のアリアナがなぜ舞踏会を初めて見るのか、俺には
理由がわかる。アリアナの家は没落寸前なのだ。領地があと二つし
かない崖っぷち貴族で、父は死に、母は宮殿の侍女として家には帰
って来られない。アリアナを含めて兄弟が七人もいる限界の生活を
送っている。魔闘会であと二回敗北すれば領地が二つ剥奪され一般
市民に格下げされてしまうので、アリアナは強くなるために必死だ。
彼女が痩せているのも、学校から配給される食堂のご飯を食べず
に家に持ち帰っているからで、自分の食べる分を節制しているため
だ。俺は泣いた。その話を聞いたとき、くっそ泣いた。こんな可愛
い女の子が戦いで勝たなければならず、尚且つ一家の命運を双肩に
担っているのだ。できる限りの事をしてあげたいと思っている。
を図書館で探したけど、なかった。あるわけねーか。
そしてできることならば俺の脂肪分をアリアナに譲渡したい。
脂肪譲渡魔法
しっかしあれだな、服装が本当に舞踏会なのか疑うほどにおかし
なことになってるな。
男はとにかく強そうに見せている。胸にプレートは当たり前、人
によっては全身を覆うフルアーマーの輩もいる。全身鎧でパーティ
ーって仮装かッ。唯一許せるのは異世界のパーティーっぽさが出て
いる魔導士風の男だな。高級そうなローブにブーツという出で立ち
だ。まあそれでも野暮ったいことには変わりない。
女性は、まあいつもの感じだ。茶色のぼてーっとした革ドレスに
白シャツ、髪型は頑張って変えているようだ。でもやはり防御力重
435
視。腕にガントレットを付けている女子なんかも多い。中には鎖帷
子に黒い皮のロングパンツ、なんて人もいる。
これはこれで見ていて異世界っぽくて面白いんだが⋮ちょっとダ
ンスパーティーではないな。
俺たちが会場に入ると、瞬く間に注目された。
それもそのはず、伝説級美女エイミーとデキル系美女エリザベス、
ロリ好きにはたまらないアリアナがいるのだ。しかもその服装が俺
とミラーズが丹精込めて作った、最高に可愛いものだ。
エイミーは裾の辺りにひだがついている赤のペプラムスカート、
長袖ボタンシャツ、その上からセーターのベストを着て、いかにも
フェミニン女子大生という仕上がりになっている。足元はポスター
と同じパンプスで、すぐ飛び付きたいぐらいに可愛い。タイツがあ
れば完璧だったのだが、この世界の技術ではまだタイツの作成は無
理らしい。ジョーに頼んで早急に作ってもらう必要があるな。
タイツは男のロマンと言っても過言ではない。
本日の主役であるエリザベスは俺とジョーがラフ画を百回ほど描
き直したであろう、ひらひらが何とも女性らしいブルーのフレアス
カート。純白のサマーニットは袖を切り落としたノースリーブで、
エリザベスの美しい細腕がまぶしい。腕には魔力結晶で作ったとい
う母からプレゼントされたブレスレットをつけている。前髪のない
髪型は上品に中分けして耳にかけられ、討伐ランクBのヒメホタテ
からしか採れない、輝く真珠のピアスが見る者を釘付けにした。
女性には怪訝な目と嫉妬のため息、男性陣からは獲物を見るよう
な目を向けられる。
436
ちなみに完全なドレス仕様にしなかったのは絶対に浮いてしまう
と思ったことと、どうせなら洋服の宣伝をしてしまえという下心に
あった。
気づけば、すぐに人だかりができていた。
﹁あなたはポスターの君!!﹂﹁美しい⋮﹂﹁そのような防御力の
低い格好で⋮﹂﹁お名前を!﹂﹁明日お茶をしませんか?﹂﹁なん
ていいにほひなんだ﹂﹁守りまぁす! あなたを守りまぁす!﹂﹁
ぼくは死にましぇん!﹂﹁絶対に本買います!﹂
俺はマネージャーのようにエイミーに群がってくる男共を﹁ご用
電打
で感電してもらった。
エレキトリック
があるならこちらから誘いますので!﹂と言って百人ぐらいを蹴散
らした。このデブ、といった殿方には
つーか誰だ、にほひって言った奴。
エリザベスのほうもすごい。二十人ほどが集まって、彼女を質問
攻めにしている。異世界の男は積極的でいいね。日本の健全な男子
諸君も見習うべし。こっちに来る機会があればいつでも俺が相手を
しよう。デブでよければな!
って俺は誰に言ってんだよ⋮。
そしてエリザベスの困った顔。たまらなく可愛い。
これはしばらく放置しておこう。
﹁エリザベス嬢、飲み物は何がよろしいですか?﹂
﹁む、わたくしめが持って参りましょう﹂
﹁いえいえ俺が﹂
﹁あ、あの⋮自分で取りに行くから結構ですわ﹂
437
違う違うエリザベス姉様!
そこはお願いしちゃえばいいんだよ。
ちらちらと俺に目線を投げてくる彼女に、俺はうなずいてウイン
クした。
すると彼女は顔を赤くしてうつむいた。
三秒ほどして意を決したように顔を上げると﹁で、では⋮軽めの
シャンパンを⋮﹂と言った。
うおおおおお、よく言えた、よく言えたよエリザベス!
俺はいま巣から飛び立つ雛鳥を見ているようだ!
彼女の言葉を聞いて男達は我先にとシャンパンを求めてダッシュ
する。俺はすかさずエリザベスのもとに駆け寄った。
﹁どう、いい男いた?﹂
﹁エリィ⋮わたし人生で初めてモテてる﹂
﹁姉様当たり前のことよ! なんたって姉様はキレイで優しい人で
すから!﹂
﹁ありがとうエリィ。あなた本当に変わったわね﹂
﹁いいえ、変わったのは姉様ですよ﹂
﹁まあ、あなたってば口が上手いわ﹂
﹁で、どの男がいいの?﹂
﹁まだわからないわ⋮﹂
﹁そうよねー。でも姉様のこと全部好きになってくれる人がいいわ
ね﹂
俺は事実そう思っていた。短いつきあいではあるがエリザベスが
いい子であるとわかったし、俺が乗りうつる前のエリィに厳しくし
ていたのも彼女を思っての行動であったようだし、そのせいでエリ
438
ィが家に少しばかり居づらかったことはそこまで気が回らない彼女
の不器用さだと思っている。不器用で恥ずかしがりだけど真っ直ぐ
なエリザベスを愛してくれる人を見つけて欲しいものだ。
横にいるエイミーを見ると、会場内にいた同じクラスのメンバー
と盛り上がっている。女性陣はとにかく彼女の服が気になるようだ。
ふっふっふ、いいぞいいぞ、防御力なんて捨ててしまえ。そのやぼ
ったい革のドレス、訳の分からないごついブーツなんてすぐ物置に
放り込め。その足でミラーズに駆け込め。
﹁じゃあ姉様頑張ってね﹂
﹁え、え、ちょっと待って! エリィ近くにいてくれないの?﹂
﹁うふふ、コツは気に入った男とだけ話すこと。簡単でしょ﹂
﹁エリィ∼∼ッ﹂
置き去りにされる子どものような声を出したエリザベスの回りに
シャンパンを持った男達が戻ってきた。がんばれ、姉様!
○
さてアリアナを探そうと思って振り返ると、すぐ後ろにいた。
﹁あ、エリィ⋮もぐもぐ﹂
﹁アリアナ?﹂
アリアナは両手にお皿を持って、口にトマトソースを付けている。
食べるときは器用に片手で皿を二つ持ち、フォークを動かしていた。
白襟がついたクレリックワンピースを着ているのでよく食べる可愛
439
いお人形のようだ。
﹁アリアナちゃん、春巻きすごくおいしそうだろう?﹂
﹁ほら珍しいゴブリンプリンセスのゼリーなんかどうだろう﹂
﹁僕の持ってきた熱々の大きいソーセージを食べてみて﹂
なんかめっちゃハァハァしている中年男三人に囲まれてる。
ソーセージの男、確信犯だな。
﹁うんありがとう。お皿戻してくれる?﹂
﹁ああ、もちろんだよ﹂
そして平然と下僕として扱っているアリアナ⋮。
あかん、汚い大人に騙されちゃあかん!
﹁アリアナ、料理はあとで包んでもらうことにして会場を回ってみ
ましょうよ﹂
﹁うんわかった。これいらない⋮﹂
うなだれる変態中年を振り返らず放置し、アリアナとシャンデリ
アを眺めたり、ステージの近くまでいって生演奏を聴いたりして会
場の雰囲気を楽しんだ。中央で踊っている男女はみな快活そうに笑
い、ダンスに興じている。
曲が激しいものに変わると、活きの良さそうな若者達が腕を組ん
で颯爽と現れ、タンゴのような足さばきの華麗なステップを踏んだ。
シャンデリアの輝きにステップの影が舞い、グラスのぶつかる音
と女の嬌笑が響く。異国の不思議な音色の楽器が俺の心を捉えて離
さない。
雑誌の疲れもあってか酒に酔うような気分を味わっていると雑音
440
が聞こえてきた。
﹁お、黒ピッグーがいるぞ﹂
俺とアリアナの前に現れたのはボブ・リッキーとその取り巻き連
中だった。
○
﹁おいデブ、てめえよくそんなツラで舞踏会に来れたな﹂
﹁行きましょアリアナ﹂
﹁デブとガリ女が一緒とは傑作だ﹂
俺が手を取った逆の手で、アリアナが素早くクレリックワンピー
ダーク
を唱える。
スをたくし上げ、腿に括りつけていた杖を出した。
目にも止まらぬ速さで闇魔法の初歩
ボブの生意気そうな太い眉毛ごと、闇が視界を遮った。
闇の基礎魔法は
下級・﹁ダーク﹂小さい闇を作り出す。
中級・﹁ダークネス﹂一メートルほどの闇を作り出す。
上級・﹁ダークフィアー﹂精神に干渉する闇を作り出す。
下の下
の魔法を相手の視界にのみ集中して
というもので、上級まで習得しないとなんら使えない魔法種とし
て認識されている。
アリアナはそんな
発生させたのだ。
441
﹁このガリ女! てめえ何しやがった!﹂
ボブが三年生、十四歳にしては大柄な体躯をぶんぶんと振って視
界を取り戻そうともがいた。取り巻きにいる三バカトリオ、そばか
す、デブ、真四角メガネが右往左往している。なんだろうこの小物
感⋮。
﹁私のことはいい⋮⋮エリィのことをこれ以上悪く言うなら容赦し
ない⋮﹂
アリアナは杖を一振りして魔法を解除し、無表情でボブをじっと
見つめた。
ボブは怒りで顔を歪めている。自分の思い通りに事が運ばないと
納得できないお坊ちゃんなのだろう。
﹁てめえ名前は﹂
﹁お前に名乗る名前はない﹂
﹁闇魔法を使ったな﹂
﹁さあ⋮﹂
何がおかしいのか、ボブはにやっと笑って子どもが動物をいたぶ
るような目線を向けた。
﹁⋮そこのデブみたいに大事なモノを壊されたくなければ大人しく
するんだな﹂
大事なモノ⋮⋮?
﹁ちょっとあなた、私のモノに手を出したってどういうことよ﹂
442
﹁んん? ああ∼どうだったかなぁ⋮﹂
ボブが短く切りそろえた髪をわざとらしく掻いて、首をかしげる。
三バカトリオがにやにやと下卑た笑みでこちらを見ている。
﹁大変だったなデブ。おまえがせっせと点数稼ぎで手伝いに行って
た孤児院、あんなことになってなぁ∼﹂
﹁⋮どういうこと?﹂
﹁ん? いやーそのままの意味だ。うちの管轄だから後処理が面倒
だったんだぞ﹂
﹁後処理って⋮⋮あなたは何もしてないでしょ。どうせ誰か大人が
後始末をやったに決まっているわ﹂
﹁しかもあのガキ共、どっかにさらわれちまったしなぁ∼﹂
ぎゃはははは、と三バカトリオが合いの手を入れるように笑う。
﹁そこのガリ女もそうなりたくなければ言うことを聞くんだな﹂
﹁あなたね⋮⋮﹂
﹁てかさぁ、黒いワンピースって黒ピッグーで呼んでほしくて着て
きたんだよな?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁お前ら足して二で割ったらどうだ? ちょうどよくなる⋮⋮いや、
黒ピッグーがデブすぎてデブにしかならねえか!﹂
ぎゃーっはっはっは、とまた取り巻きが笑った。
俺の怒りなのかエリィの怒りなのかわからない。
生演奏の激しい楽曲と共に両手が小刻みに震え、脳天が弾けそう
なほどに熱くなる。こいつがやりやがったんだ。やはりこいつがあ
の孤児院をエリィの居場所をぶちこわしたんだ。くそ、くそッ!
443
クールになれクールになれと言い聞かしているのに、怒りが全身
から、ありとあらゆる場所から込み上げてくる。自分を抑えられな
い。
﹁このゲスが⋮﹂
エリィの声色に似合わない、汚い言葉が口から出てしまう。
パチッ、という放電音が体のどこからか鳴った。
﹁別に俺がどうこうしたわけじゃないぞ? お前がもっとデブじゃ
なかったら孤児院も助かったかもな∼、俺の家の管轄だからなぁ∼、
いやぁすげえ残念だったなぁ﹂
﹁意味が⋮わからないわ⋮﹂
﹁バカだなおまえ。お前がデブじゃなかったら、俺が口利いて孤児
院の警備を多くしたりさぁ∼、さらわれたガキの捜索隊を増やした
りできたんだよなぁ∼。ま、するわけないけど﹂
ボブの嫌味と三バカトリオの笑いが怒りで遠くのほうで響いてい
るような、遠くでサイレンが鳴っているようにくぐもった音で聞こ
えてくる。ステージの演奏音だけがやけに生々しく聞こえた。
もう、ダメだ⋮⋮。
パチパチッ、と俺の目の前で電流が走る。可視できる電気が目の
前を通りすぎて空中に消える。
こいつらを、今ここで⋮。
﹁連れ去られたガキ、どこに行ったか⋮⋮⋮ごめぇんわからねえわ
ぁ!﹂
﹁ぎゃははははははっ!!!﹂
444
ステージ上で演奏される楽曲が最高潮に盛り上がり、壮大な重音
と一緒にフェードアウトではなくフィーネで決然と一気に終わった。
︱︱︱︱︱こいつらをッ!!!!!
俺が限界にきて右手を振りあげようとしたそのときだった。
﹁エリィダメ!!﹂
アリアナが咄嗟に俺の右腕をつかんできた。
445
第19話 イケメンエリート、恋の舞踏会︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重86㎏︵±0kg︶
次話は明日or明後日に更新致します!
446
KOI
してますか?
第20話 イケメンエリート、恋のから騒ぎ︵前書き︶
皆さん、突然ですが
私はしていますよ⋮⋮そう、読者の皆様にね⋮⋮⋮へぶぅ!
ちょ! ビンタしたの、誰よ!
⋮ということでお待たせ致しました。
恋の舞踏会の後編です!
447
第20話 イケメンエリート、恋のから騒ぎ
﹁エリィ駄目ッ!!﹂
アリアナが咄嗟に俺の右腕をつかんできた。
俺はハッと我に返って魔力を霧散させる。アリアナを見ると必死
な顔で覗き込むように見つめてくれていた。大きな瞳がうるうると
涙をためている。
あぶなかった。俺はあやうく落雷魔法でこのバカ達を吹き飛ばす
ところだった。こんな奴らエリィの手で制裁をする価値も値打ちも
ないのだ。手を汚す必要なんてこれっぽっちもない。
﹁んん∼どうしたんだよ。お腹がすいたか、デブだから﹂
ボブの言葉に耳障りな三バカトリオの嘲笑が響く。
深呼吸して落ち着き、アリアナに小声で﹁ありがとう﹂と言った。
彼女は顔を横に振ってから、心配した様子でうなずいた。
俺がボブに何も言わずにその場を去ろうとすると、さらに嫌な声
が会場の奥から聞こえてきた。
﹁ボブ様!﹂
黄金の縦巻きロールの髪をゆさゆさと揺らして、スカーレットが
走ってきた。
見れば俺を散々に痛めつけたスカーレットの取り巻き連中も一緒
448
だ。皆、ぼてーっとした防御力の高そうな皮のワンピースやドレス
を身につけ、ダサいフリル付きのシャツを身に纏っている。その中
に、化粧水の瓶を割ったゾーイとか言うおさげ女もいた。相変わら
ず何がそんなに憎いのかこちらを睨んでくる。
﹁ボブ様もいらしていたんですね!﹂
﹁ああ、まあな﹂
キラキラッ、という効果音がつきそうな目でスカーレットが話し
かけるものの、ボブの反応はいまいちだ。脈なしだな。ご愁傷様。
スカーレットは俺とアリアナを見ると、苦虫を噛みつぶしたよう
な表情になった。
﹁ごきげんようエリィ・ゴールデン。相変わらず太いのですね﹂
﹁ごきげんようスカーレット・サークレット。宮殿のお風呂はいか
がでしたか?﹂
俺が優雅に礼をすると、彼女は顔を引き攣らせた。そりゃそうだ。
国王にくせえから風呂入れって言われる珍事件の当事者だからな。
﹃犬合体スカーレット∼くせえから風呂入れ事件簿、真実はいつも
ひとつ∼﹄として王国の記録に残り続けるだろう。
﹁ええ! スカーレット様宮殿のお風呂に?!﹂
﹁まあ! なんて羨ましい﹂
﹁すごいですわ! でもどうして?﹂
取り巻き連中の女子がきゃあきゃあとやりだし、スカーレットは
答えに窮したかのように、取り繕った笑顔でこう答えた。
﹁色々とございまして湯浴みをさせて頂きましたの﹂
449
と言って高々と笑いだした。
いや苦しい! その言い訳苦しいぞ!
﹁宮殿の侍女は素晴らしい手際で、お風呂には黄金の花びらが浮い
ていましたわ﹂
﹁まぁ∼﹂
﹁素敵∼﹂
段々と調子が出てきたスカーレットは胸を張って自慢している。
するとそこに、なんだか騒がしい集団が歩いてきた。
とかき上
と掲げて、んん∼まッ、と
フォァスワァ
女五人に囲まれたドビュッシーこと亜麻色の髪のクソ野郎、亜麻
クソだった。
ズビシィィッ
亜麻クソはうっとうしい前髪を何度も
げ、首に飾った勲章を
何度もキッスをし、鼻高々に笑っている。俺とスカーレットを見つ
けると、笑いながら近づいてきた。いつ見てもキザでうぜえ。つー
か行動だけでうるさいってどんだけうっとうしいんだよ。
﹁これは麗しのスカーレット嬢ではないかッ! いつ見ても君の黄
金の髪は美しい。そう、この﹃大狼勲章﹄のように光り輝いている
!﹂
バッと勲章を掲げると、女どもから黄色い歓声が上がる。
そうしておもむろに亜麻クソはスカーレットに近づいた。
﹁うんうん、スカーレット嬢はいい匂いだね。僕もこれで安心した
よ。一時はどうなることかと思ったからね﹂
﹁え、ええ⋮ありがとうドビュッシー様﹂
450
﹁なぁに、レディを気に掛けるのは僕の役目だからね!﹂
きゃードビュッシー様ぁ!
という声援が響いた。見る限りアホそうでちょろそうな娘ばっか
りだ。それこそ俺が男だったら会って五秒でベッドに連れ込めそう
な、頭のからっぽそうな女ばかり。俺はこんな女達ごめんだが。
亜麻クソはほんとアホだなぁ。最近、亜麻クソを見ていると楽し
くなる自分がいるぜ。
﹁あのときは大変だったからね!﹂
﹁ええ⋮⋮そうですわねドビュッシー様⋮﹂
そして相変わらず空気が読めねえ亜麻クソ。
スカーレットが冷や汗を垂らしている。
いいぞ! もっと言ってやれ!
俺が犬合体スカーレットの件を暴露してもいいんだがそれじゃ面
白くないもんな。
スカーレットの取り巻き連中と、亜麻クソにくっついているバカ
女達が、興味津々に何があったのかを聞いてくる。女に胸を押しつ
けられて、緩みっぱなしの亜麻クソの顔がひでえ。
﹁つらくて思い出したくもありませんわね!﹂
﹁はっはっは、僕の華麗なる水魔法が脳裏に焼き付いているのかい
?!﹂
﹁ええ、そうなんですの!﹂
もう会話めちゃくちゃじゃねーか!
スカーレットはとりあえず話を逸らそうと必死だ。亜麻クソは相
変わらず人の話聞いてねえし。
451
﹁僕の最終奥義が炸裂していればもうちょっと早くボーンリザード
は倒せていたんだがねぇ⋮﹂
そう言って、亜麻クソはちらっ、ちらっ、と女どもを見ている。
するとすぐに﹁最終奥義ってなんですかぁ!﹂と元気のいい質問
が後ろから響いた。めっちゃ嬉しそう! めっちゃ嬉しそう亜麻ク
ソッ! まじうけるーッ!
﹁ふふふ、それはね⋮アシル家に代々伝わる伝説の水魔法で⋮⋮﹂
﹁あれ! エリィ・ゴールデンとアリアナ・グランティーノじゃね
えか!﹂
その言葉をさえぎったのはシルバープレートを胸につけたスルメ
と、ドワーフらしい無骨な革の鎧を身に纏ったガルガインだった。
ふたりは酒を片手に﹁よう﹂と手を上げながらこの輪に入ってき
た。この世界だと未成年でも酒は飲めるらしい。
近くにいた誰かが﹃大狼勲章﹄のメンバーだぞ、と声を上げ始め
る。確かに気づけば、俺、アリアナ、スルメ、ガルガイン、スカー
レット、亜麻クソの六人が勢揃いしていた。それが面白くないのか、
ボブは俺たちを睨んで、どこかに消えた。﹁次は殺っちゃおうねエ
リィ﹂と割と強めの語気でつぶやきながらアリアナがボブを睨みつ
けていたので、よしよしと彼女の頭を撫でておいた。アリアナは本
当にヤりかねない。
﹁お、亜麻クソと縦巻きロールもいるじゃねえか﹂
﹁誰が亜麻クソだッ!!﹂
﹁誰が縦巻きロールですって!?﹂
452
亜麻クソとスカーレットが同時に言った。
実は俺が亜麻クソのあだ名を披露したら、二人がげらげら笑って
即採用し、それ以来彼を見つけては連呼しているようだった。やは
り、俺、天才。自分の才能が怖い⋮。
亜麻クソとスカーレットの反論なぞおかまいなしに、スルメがし
ゃくれた顎をさすりながら亜麻クソの尻を指さした。
﹁おめえ尻はもう大丈夫かよ﹂
﹁はあぁああぁあぁっ!? い、い一体なんのことだね﹂
亜麻クソが素っ頓狂な声を上げる。
後ろにはべらしている女子が怪訝な顔をした。
﹁いや悪かったなあんときは。まぁてめえがふらふらしてっからい
けねえんだけどよ﹂
﹁ちげえねえ﹂
スルメの言葉にガルガインがうなずいた。
﹁ななんなななんのことだか僕にはさっぱりわからないよ。それよ
り聞いてくれたまえ諸君! 今から僕の家に伝わる奥義を披露しよ
うと思っていたところなんだ!﹂
ファイヤーボール
と
サンドボール
﹁そんなもんいらねえよ。それより本当に尻は大丈夫なのか﹂
﹁あんときかなりの威力の
が尻にぶつかったからな﹂
﹁ふえぇぇッ!? いやー憶えていないなぁ⋮﹂
盛大に汗をかいて、わざとらしく、フッ、フッ、と前髪に息を吹
453
きかける亜麻クソ。
俺は自分の腿をグーパンチで叩いて何とか笑いをこらえる。
と
﹁ほら思い出せよ! 俺とガルガインが口論になって決闘騒ぎにな
ったじゃねえか!﹂
ファイヤーボール
がぶつかったじゃねえかよ!﹂
﹁そのときふらふらしていたおめえの尻に
サンドボール
﹁い、いやぁぁぁ⋮⋮誰かの間違いじゃあないのかねッ!? いや
きっとそうだよ! 二人は勘違いしているんだ! ほら考えてもみ
たまえ、僕はあのとき皆に奥義を披露しようとしていただろう!﹂
まくし立てるようにスルメとガルガインの言葉から現実逃避を試
みる亜麻クソ。
さあ亜麻クソ苦しい! どうする! どうするんだ!
﹁いや別に誰も奥義とか聞いてねえよな?﹂
﹁エリィ、聞いてたか?﹂
﹁私は聞いてないわ﹂
俺はガルガインの言葉に淡々と答えた。
二人の顔は笑いをこらえるのに必死だ。多分、女の子を何人も連
れているのが気にくわないんだろう。モテないスルメが後ろにいる
女どもを見て何度も舌打ちしているし。
﹁そんなことわぁないだろう! この僕のアシル家に代々伝わる伝
説の水魔法のことだよ!﹂
﹁つーか水魔法が伝説? 下位魔法が伝説とかしょぼい家だな﹂
﹁たしかに﹂
﹁そこは上位の氷魔法だろうがよ﹂
﹁たしかに﹂
454
スルメがガルガインと共に亜麻クソに追い打ちをかける。
取り巻きの女子達が、疑いの目で亜麻クソを見つめていた。
﹁あ、とにかく悪かったな、俺たちのせいで尻丸出しになっちまっ
て﹂
﹁めんご﹂
これは苦しいぞぉ∼。
さあ亜麻クソ、笑顔が張り付いたままだ。
どうする亜麻クソ! 絶体絶命ィ!
﹁ん、ま⋮⋮⋮まあそんなことも? うん、あったようななかった
ような気がしないでもないんだけど? まあさ、君たちがそう言う
んだったらそういう事にしておいてあげるよ﹂
﹁は? 意味がわかんねえよ﹂
﹁俺たちゃごめんって謝ってんだよ。てめえの尻をすかんぴんにし
ちまって悪かったって﹂
﹁ああ、うん⋮⋮⋮まあ、うん。べ、べべべ、別に気にしてないよ﹂
﹁本当か?﹂
﹁まじか?﹂
﹁ああ、うん⋮⋮まあ⋮﹂
﹁本当だな?﹂
﹁まじだな?﹂
﹁うん、べべ別に⋮⋮﹂
亜麻クソがかすれた小声でそう呟くと、スルメとガルガインはわ
ざとらしく﹁よかったぁ∼﹂と肩を前へ下げた。
﹁いやぁよかったよ。お前が何もできずボーンリザードに吹っ飛ば
455
されたあげく、俺たちのせいで尻丸出しになっちまったからさぁ。
気にしていると思っていたんだ﹂
﹁ほんとだよなぁ!? すぐにボーンリザードにやられちまってノ
ビたあげくに尻丸出しだもんなぁ!﹂
﹁ああああああッ! なーにを言っているんだい!!﹂
﹁え? だーかーらーぁ。お前が何もできずボーンリザードに︱︱﹂
﹁ああああああああッ! そうだ諸君! そういえば僕がリーダー
だったんだがね、いやあ色々と大変だったんだよ! 目的地につく
までにも魔物が出るわ出るわで⋮﹂
﹁あのドビュッシー様?﹂
﹁どういうことなんですか?﹂
﹁ボーンリザードに何もできず?﹂
﹁最後まで戦ったのでは?﹂
﹁尻丸出しって?﹂
亜麻クソの取り巻き五人組の女の子が、怒ったようながっかりし
たような顔で亜麻クソを見ている。
亜麻クソは浮気がバレた新婚夫婦の旦那のように、必死に両手を
広げて﹁ほらこれを見たまえ﹂と﹃大狼勲章﹄を出し、引き攣った
笑顔で五人に言い訳をはじめた。だが何を話しても五人は聞く耳を
持たず、スルメとガルガインに話を聞き、そして俺とアリアナにま
で裏を取って亜麻クソが早々に脱落した事実を確認すると、﹁サイ
ッテー﹂と言った。
﹁そこでウルフキャットがぐわーっと来たときにね僕の必殺魔法
がズバァッと連続で二匹にあたってピッ!!﹂
シャークテイル
鮫背
パァンといい音で亜麻クソはビンタされた。
続けざまにパァン、パン、ペシン、パァァァンッッ、と全部で五
発のビンタをお見舞いされた。
456
女の子達は怒って会場の奥へ散り散りに消えた。
亜麻クソは丸めた新聞紙で叩かれたゴキブリのようにうつぶせに
なり、ぴくぴくっとかろうじて動いていた。
﹁ぎゃーっはっはっはっはっは!﹂
﹁ぶわーっはっはっはっはっは!﹂
スルメとガルガインが腹をかかえて笑っている。
こいつら結構えげつねえな。と言いつつ俺とアリアナも笑ってい
るんだが。
こらアリアナ。拾った棒で犬の糞をつんつんするみたいに、杖で
亜麻クソの残骸をつんつんするのはやめなさい。ばっちいですわよ。
ひとしきり笑ったあと、二人はスカーレットに振り向いた。
﹁あ、そういえばにおい大丈夫だったか?﹂
﹁結構ひどかったもんな、におい﹂
﹁えっ?﹂
突然のフリにスカーレットは全く対応できない。
﹁においだよ。あと犬﹂
﹁お前、すげえ犬に好かれるもんな﹂
顔の筋肉が痙攣し始めるスカーレット。
取り巻きが、なんのことだ、と首をかしげる。
多分、というか絶対に取り巻き連中はスカーレットからアノはな
しは聞いてないんだろうな。犬合体スカーレットの話。
さあこれからいびってやろう、とスルメとガルガインが口を開こ
457
うとしたとき、入り口付近でグラスが割れる音が響き、男の怒声が
響いた。
﹁もう一度言ってみたまえ!﹂
﹁ああ何度でも言ってやる! その汚い手を離せと言っているんだ
!﹂
生演奏が急に止まり、会場には一瞬の静寂が訪れ、すぐざわめき
へと変わった。
ただ事ではない。
俺たちはスカーレットそっちのけで、音のするほうへ向かった。
﹁貴様が俺の女を横取りしたのであろう? お前如き若造に入り込
む資格などない﹂
﹁彼女が嫌がっているではないか!﹂
﹁シルバー家とゴールデン家は古くからのつながりがあるのだ。そ
んなことも知らないのかね﹂
ゴールデン家?
まさか⋮⋮
人垣をかき分けると、スケベで羞恥プレイが好きそうな脂ぎった
おっさんに我が麗しのエリザベス姉様が両腕を押さえられていた。
いかん! 早く助けないと!
エリザベスは確かペンタゴンの魔法使い。そう簡単に負けたりは
しないが両腕を押さえられては杖が持てず魔法が使えない。
﹁そんなものは知らない! 嫌がっている女性がそこにいる! そ
れがすべてだ!﹂
458
一方、エリザベスを救おうとしているイケメンの優男は身長が高
く、凛々しい顔立ちをしていた。
﹁私とエリザベス嬢はすでに婚約しておるのだよ⋮。なあそうだろ
う?﹂
脂ぎったカエル顔の男に顔を寄せられ、エリザベスは思い切り顔
を背ける。
婚約ぅ?
そんな話、一切聞いたことがないんだけど⋮。
﹁あのお話は反故になったはずですわ!﹂
﹁いいや、まだ有効だ﹂
﹁ではこの場でなかったことにさせて頂きます!﹂
﹁いいのかなそんな事を言っても。どれほどシルバー家がゴールデ
ン家に支援していると思っているんだね?﹂
﹁それは⋮﹂
言葉を詰まらせるエリザベス。
カエル野郎、まじで汚ねえ!
経済力を利用して脅す気だな。日本もこっちもこの辺は全く変わ
らねえ。過去、俺の回りじゃ権力、欲望、女、渦巻く感情と共に陰
謀や権謀術数が日常的に飛び交っていた。
﹁エリザベェス。君は職場でも私に冷たく接してくるからね。今日
からは婚約者としてちゃんとしてくれないと困るよ﹂
﹁冷たく接するのはお前のボディタッチが激しいからだろう!﹂
イケメンが果敢にも反論する。
カエル野郎はスケベそうな外見でセクハラおやじだったんだな。
459
サイテーじゃねえか⋮。
﹁お嬢様﹂
振り返るといつの間にかクラリスが後ろに立っていた。
﹁クラリスどうしてここに?﹂
﹁ミサ様がどうしてもお嬢様方の舞踏会で華やいでいるお姿を見た
いとのことでしたので、特別許可を頂いて入場致しました。それで
お嬢様。なぜベスケ・シルバーがあのようなことを?﹂
﹁急にエリザベス姉様の婚約者だって言いだしたのよ﹂
﹁あの男まだそのようなことを言っているのですね﹂
﹁その婚約は間違いなく破棄されたのよね?﹂
﹁もちろんでございます。婚約はただの政治的ポーズにすぎません﹂
﹁それを聞いて安心したわ﹂
げろげーろカエル野郎が舐めるような視線をエリザベスに送り、
今にも二の腕にかぶりつこうとしている。
﹁離しなさいこのカエル男ッ!﹂
エリザベスがついに耐えきれなくなったのか、いつもの強気な性
格で相手を睨んだ。だが男はどこ吹く風と言った様子で、エリザベ
エアハンマー
を唱えようと魔力を練った。
スの後ろに回り込んで、舐めるように背後から顔を寄せる。
俺は
﹁そこの下卑! 今すぐ決闘しろ!﹂
エリザベスを助けようとしていたイケメンが杖をげろげーろへ向
けた。
460
決闘とかカッコいーっ。
ひとまず俺は魔力を霧散させる。
﹁おやめ下さいハミル様!﹂
﹁んん、決闘? 私にそんなことをする利点がないな。もうすでに
私とエリザァベスは婚約しているのだから﹂
﹁だからそれはもうすでに破棄されていますわ﹂
﹁おーそうかそうか、では援助は打ち切りでよろしいんだな﹂
俺は事の成り行きを見つめながらクラリスに小声で聞いた。
﹁うちの家ってあいつんとこの支援がないとまずいの?﹂
﹁今年は特にまずうございますね。ゴールデン家は鉱山の領地を多
数所有しておりますが、流行風邪のせいで鉱夫がばたばた倒れ、今
年は生産性が落ちております﹂
﹁でもお父様がこの事態を見たら⋮﹂
﹁あのゲスは地中に埋められます﹂
﹁でしょうね﹂
エリザベスが泣きそうな顔でイケメンのハミルという男に叫ぶ。
﹁もういいんですの! こちらの事情ですのであとは私が解決しま
す!﹂
﹁しかし⋮!﹂
﹁お気持ちだけお受け取り致しますわ﹂
﹁男として放っておけない!﹂
﹁同期のよしみとして、これ以上関わらないことをお勧め致します﹂
﹁エリザベス嬢!﹂
ああ、姉様違う! そこはそうじゃなくて、上目遣いで﹁たすけ
461
て⋮﹂でしょうが!
﹁エリザベスお姉様ッ!﹂
俺は思わず叫んでしまった。
ばちばちとウインクをして合図を送っている俺を見て、エリザベ
スはハッとした様子になり、顔を羞恥で真っ赤にさせてもう一度俺
を見た。その目には、本当に言うの? と書かれている。もちろん、
と俺は深くうなずいた。
エリザベスは迷ったように目を伏せると、勢いよく顔を上げて口
を開いた。
だがすぐに閉じてしまう。完全に言いよどんでいた。
﹁どうしたんだいエリザベェス。さあ、中庭で愛について語り合お
うではないか﹂
カエルげろげーろがエリザベスの手を強引に引く。
体勢を崩して、彼女は転んでしまった。会場の人々から、あっ、
という声がいくつも漏れる。女の子座りになってスカートからキレ
イな足をのぞかせるエリザベスは失礼だが美しかった。
彼女はようやく決意したのか、恥ずかしがりながら、目だけを上
げてハミルを見つめた。
﹁ハ、ハミル様⋮⋮助けて⋮くださいまし﹂
ずきゅーん、という効果音が聞こえてきそうなほどの可愛さに、
男どもが息を飲み、女は頬に手を当てる。釣り目の潤んだ瞳で、性
格のきつそうなエリザベスがそんなことを言うのだ。そらそうなる
462
わ。言われたハミルはエリザベスに見惚れて一瞬呆けたような顔を
したものの、すぐさまカエル野郎に近づいた。
﹁ここは男らしく決闘をしろ、ベスケ・シルバー!﹂
効果はばつぐんだ!
エリザベスはカエルげろげーろの気持ち悪さよりも自分があんな
セリフを言ったことで動けなくなっていた。
げろカエルはイケメンの提案をのらりくらりとかわす。徐々に会
場の野次馬からブーイングが起き始めた。ここは武の王国グレイフ
ナー。群衆の前で決闘を断るのは恥であろう。
﹁お嬢様﹂
クラリスが耳に顔を寄せてくる。
なぜが顔を青くして切羽詰まった様子だ。
﹁どうしたの﹂
﹁わたくし重大なことに気づいてしまいました﹂
﹁えっ、何に気づいたの?﹂
﹁まさかとは思ったのです。ですがわたくしの知識、経験、判断力、
すべてを総動員して、結論に至りました。お嬢様ッ。その、まさか
です﹂
﹁何? 具体的に言ってちょうだい﹂
﹁お嬢様⋮⋮﹂
ごくっ、とクラリスが唾を飲み込む。
463
俺もつい耳を寄せてしまう。
彼女がここまで驚いており、そして焦っているのはめずらしい。
﹁あの者は⋮﹂
﹁ええ⋮﹂
﹁あの者はですね⋮﹂
俺は砂時計が遅々と減っていくようにゆっくりとうなずく。
一体どうしたというんだクラリス!
﹁まさかとは思ったのですが⋮﹂
俺はさらにクラリスに顔を寄せる。
聞かれてはまずい情報かもしれない。
464
﹁あの者⋮﹂
﹁ええ⋮﹂
﹁あのゲスカエル野郎は⋮⋮﹂
﹁ゲスカエル野郎は⋮﹂
﹁確実に⋮⋮⋮⋮﹂
﹁確実に⋮⋮⋮?﹂
俺は緊張して生唾を飲み込んだ。
クラリスは小声で絶叫する、という器用な声で叫んだ。
465
﹁ヅラでございますッッッ!!!!!!!!!!!!!﹂
︱︱ヅラでございますッッ
︱︱でございます
︱︱ざいます
︱︱います⋮
︱︱ます⋮
︱︱す⋮
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
466
﹁ぬわんですってええええッ!?!?﹂
俺の耳にはクラリスの言葉がエコーして聞こえた。
何事だ、と野次馬が一斉に俺を見た。俺はあわてて、いえいえな
んでもありませんのでどうぞ続きをオホホホホ、と言ってごまかす。
そんなバカな!!
すぐさまクラリスを見た。
﹁どういうこと?! 私にはまったくそうは見えないけど﹂
﹁左様でございますお嬢様。一見すると健康な毛でございます。で
すが生え際のあたりをよーく見ると、どうも不自然なのでございま
す﹂
﹁私には全然わからないわ﹂
﹁これはヅラを長年研究せし者にしか分からないでしょう。耳の上
にかかっている髪の毛と、頭後ろの襟足部分の髪質がほんのわずか
ではございますが違うのです﹂
俺は注意して観察してみる。ゲロガエルの髪型は脂ぎッシュに頭
に張り付き、茶色の髪がうねって耳の下まで伸びている。
あれが、ヅラ? 見えねえええっ。
アデラ○スも真っ青だよ異世界のヅラ技術!
﹁もしそれが事実なら⋮﹂
﹁ええお嬢様⋮﹂
467
﹁ついに
あの魔法
を使うときが来たようね⋮﹂
ウインド
の
最終進化形
⋮﹂
﹁そうでございます。我々が昼夜かけて編み出した
﹁風の初歩
新魔法
⋮﹂
﹁先日、この魔法に関しては無杖での使用ができるようになりまし
た⋮﹂
﹁さすがよクラリス⋮。タイミングは私が決めるわ﹂
﹁仰せのままに﹂
﹁私は左ヅラ。クラリスは右ヅラよ﹂
﹁かしこまりましてございます⋮﹂
そうこうしているうちに決闘することになったらしい。
野次馬サイドに学校関係者の中で偉い魔法使いがいたらしく、そ
の人が審判をするようだ。会場はすごい熱気だ。ステージにいた演
奏隊が近くまで来て、決闘を煽るような激しい音楽を奏でている。
当然のごとく、利に聡い人間が、賭けの仕切りを始めていた。
決闘は﹃偽りの神ワシャシールの決闘法﹄
ルールは三つ。
一つ、下位中級以下の魔法のみを使用。
二つ、合図と同時に放つ。
三つ、両足を地面から離すと負け。
中々に面白い決闘だ。これなら実力も図れるしやりすぎて死んで
しまうなんてこともない。合図への反応スピードと魔法の錬成スピ
ード、威力がモノをいうな。素早く、高威力で魔法をぶっ放せば勝
てるわけだ。
﹁ゲロガエルをぶっ殺せ!﹂
﹁やっちまえ!﹂
468
スルメとガルガインが叫んでいる。他の連中も似たような感じだ。
アリアナはぼそりと﹁あの人きもちわるい﹂と言っている。
﹁おもしろいものが見れるわよ﹂
俺は三人に耳打ちし、エリザベス陣営へ駆け寄った。すでにエイ
ミーとエリザベスの友人数名が彼女を保護している。彼女たちは結
構ガチでゲロガエルに怒っていた。
そしてハミルとゲロガエルが向かい合う。距離は十メートルほど
取ってあった。その周りを観衆が円になって、固唾を飲んで見守っ
ている。俺とクラリスは魔法が放ちやすい位置へと移動する。
﹁ではこれよりエリザベス嬢と愛を語らう権利を賭けて﹃偽りの神
ワシャシールの決闘法﹄を行う。数字の合図で魔法を使うように。
よろしいかな?﹂
ハミルは凛々しくうなずき、ゲロガエルは何が面白いのかにやに
やとエリザベスを見つめたままうなずいた。
﹁では⋮⋮まいる!﹂
観衆が静まりかえった。
﹁イチッ!﹂
審判のかけ声で、二人はすぐさま杖を振った。
﹁ウインドカッター!!﹂
﹁ファイヤーボール!!﹂
469
不可視の風の刃と熱を帯びた火の玉が、決闘者の中間付近でぶつ
かり合い、空中にかき消えた。
うおおおおお、というオーディエンスの叫び。実力は互角のよう
だ。
勝負は拮抗していた。
若さと勢いで押すハミルに対し、狡猾に相手の魔法を読んで少な
い魔力で相殺させるゲロガエル。このままではハミルが先に魔力切
れを起こしてしまう。
審判のかけ声が﹁ジュウナナ!﹂まで来たところで俺はクラリス
に目配せをした。
クラリスが黙ってうなずく。
イメージはクレーンゲームのアームのような形をした極薄で強固
ウインド
新魔
な
を奴の耳元に撃てばいい。すこしでもヅレるとヅラが飛ばせな
。俺の担当は左ヅラなので﹃し﹄の形をした
法
いので、相当の集中力が必要だ。タイミングはクラリスと何度も練
習をしているので、新魔法が超高速で上空に舞い上がるクレーンゲ
ームのアームのようになり、それに引っ掛かったヅラが天高く弾け
飛ぶ、という寸法だ。
審判が大きく息を吸い込んだ。
﹁ジュウハチィッ!!!﹂
470
サンドボール
が左右から飛び、中央付近でぶつかって、バガ
決闘十八回目の魔法を両者が詠唱する。
ァンという大きな音を立てて粉々になった。
ウインド
で輪の中へと残骸を押し戻す。
観衆から悲鳴が上がる。手際のいい連中が、土の残骸が皆にぶつ
からないように
︱︱︱今だッッ!!!!!
︱︱︱クラリスッ!!!!!!
貴族のヅラを飛ばす砲
﹁ハゲチャビン!!!!!!!!!﹂
ハゲチャビン
貴族のヅラを飛ばす砲
が発動し、目に見えない極小の風
俺は右手の人差し指を、くいっと上へ上げた。
ハゲチャビン
貴族のヅラを飛ばす砲
それはクラリスも同時。
見事、新魔法
がゲロガエルの頭をかすめるように駆け抜ける。
ゲロガエルの髪の毛は急に持ち上げられて一瞬
に逆らったが、あまりの的確な力加減に耐えきれず、べりぃっ、と
糊がはがれるような音を出して、上空へすっ飛んだ。
ほんの一瞬の出来事。宙を舞い、皆がその物体に注目する。テニ
スのボールを追うように、顔がヅラを追い、自由落下してくる髪の
471
毛を人々は唖然として見つめた。
ぱさっ⋮⋮
悲哀と哀愁のこもった音と共に、ヅラがゲロガエルの肩に落ちた。
彼のつぶれたような顔は狂気に引き攣り、シャンデリアの光がつ
るつるの頭部に反射した。
しばらくの沈黙。
観衆はヅラとゲロガエルのハゲ頭を交互に見やる。
気を利かせたトランペット風の楽器担当の青年が、パンパカパー
ン、と大きな効果音を演出した。
みんな爆発した。
笑いの渦。阿鼻叫喚の嵐。頭を抱えてうずくまるゲロガエルこと
ベスケ・シルバー。
彼は﹁おぼえてろよぉ!﹂とお決まりの捨て台詞を吐いて会場か
ら消えた。
いや、忘れたくても忘れられねえよ? わりと本気で。
あの顔でハゲは相当きついもんがあるな⋮。
当然、両足をスタート地点から離したゲロガエルが負け。イケメ
ンのハミルが勝った。
この日を境に、決闘前に﹁ヅラを飛ばすんじゃねえぞ﹂と相手を
挑発するネタが流行った。
472
○
やっと会場が落ち着き、俺とアリアナ、エイミーはミサに洋服を
披露した。エリザベスはハミルといい雰囲気になっていたので、そ
っとしておいた。二人はシャンパンを片手に顔を赤くしながら初々
しく話をしている。甘酸っぱい雰囲気を見ているだけで、お腹いっ
ぱいです。よかったなエリザベス!
﹁色々あったけど楽しかったわ﹂
﹁そうだね⋮﹂
俺の言葉にアリアナがうなずく。
﹁そういえばエイミー姉様は誰かとダンスしたの?﹂
﹁わたし? サツキちゃんと踊ったよ﹂
﹁いやいや男よ。お・と・こ﹂
﹁えーわたし別にモテないし、そういうの無理だしいいよー﹂
あんた間違ごうてる。わての心の声がエセ関西弁になるほど間違
ごうてる。あんさんがモテへんとかどこの冗談やねん。
﹁エリィはどうなの?﹂
﹁わたしはブスでデブだから﹂
﹁そんなことない⋮﹂
﹁アリアナちゃんの言うとおり! エリィはこんなに可愛いのにな
あ﹂
﹁うん⋮うん⋮﹂
やけに積極的にうなずくアリアナ。尻尾もぶんぶん動いている。
473
いや、この二人の目はおかしい。
﹁だよねーそうだよねー!﹂
﹁エリィは⋮可愛い﹂
エイミーとアリアナが俺をそっちのけで勝手に盛り上がり始めた。
なんか面白い取り合わせだな。
しばらくミサと談笑していると、シャツにネクタイを締めて細身
のズボンを履いたジョーがやってきた。おっと。教えたばかりなの
にその着こなし、なかなかいいセンスしてるな。さすが。
﹁よかった間に合った﹂
ジョーはハンチングを取って肩で息をしながらそう言った。
﹁よく入場できたわね﹂
﹁知り合いに招待状を譲って貰ったんだ﹂
﹁私はクラリスさんと入れたわよ﹂
﹁え、そうなの!? なんだ、ミサとクラリスさんと一緒に来れば
よかった﹂
ミサの言葉にジョーは骨折り損だった、と笑う。
﹁それで、どうしたのよジョー。また新作でもできたの?﹂
﹁いや、そういう訳じゃない﹂
﹁じゃあ?﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁それじゃ私は明日の準備があるから帰るわね﹂
ミサがボブカットを揺らしてこちらの返事も待たずに颯爽と会場
474
を後にした。まだ話したいことがあったけど、まあ明日の雑誌の発
売で会えるからいいか。
俺とジョーはミサの後ろ姿を見つめ、向き直った。
なぜか無言で見つめ合う。
ジョー、なんか言って。
﹁エリィ、これを﹂
ジョーの右手には包装された白いバラが一輪握られていた。
﹁え、これを私に?﹂
予期せぬプレゼントについ声のトーンが上がってしまう。
﹁エリィに似合うと思ってね﹂
﹁なに言ってるのよ﹂
ジョーはバラの茎を半分に折ると、俺のワンピースについている
胸ポケットにそっと刺してくれた。よく見ると棘はすべて取ってあ
り、触っても安心だ。﹁いいね﹂といって嬉しそうに笑うジョーは
魅力的だった。
って俺は何言ってんだよ。俺は男。ジョーも男。
オーケー。ビー、クール。
そんな俺の心中なぞ知らず、ジョーは真剣な表情で右手を差し出
し、ハンチングを胸に当てた。
﹁一緒に踊って下さいますか、お嬢様﹂
475
﹁⋮⋮⋮⋮⋮え?﹂
突然の申し出に俺は慌てた。とてつもなく慌てた。
気づいたらどうにも頬が熱くなっている。
﹁一緒に踊ろう、エリィ﹂
﹁ダメよ。わたしみたなデブでブスと踊ったらジョーが笑われるわ﹂
﹁そんなのは関係ない。俺がエリィと踊りたいんだ﹂
﹁な、な、なに言ってるのよ⋮﹂
﹁いいだろエリィ。さ、早く﹂
﹁でも⋮﹂
だぁーー﹁でも⋮﹂じゃねえよ俺!
何よこの胸のどきどきは!
あかん、これはあかん! 制御不能!
俺が冷静でも体のほうがしっかり反応してしまう!
﹁ほら!﹂
ジョーは強引に俺の左手を取り、爽やかに笑いながらホールの中
央へと俺を連れて行くのであった。
きらめくシャンデリアにジョーの笑顔がまぶしく映る。
KOI
⋮⋮?
この胸の高鳴りは俺のものなのか、それともエリィのものなのか
⋮。
まさか、これが⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
476
ってばかやろうッ!
俺は一瞬よぎったエロ写真家と同じ言葉を、首を振ってかき消し
た。
両手を取り、簡単なリズムでジョーとダンスをする。
俺はひとまず、色々なことは忘れてこの場を楽しむことにした。
このうきうきする、胸の内から湧き上がる興奮は本物だ。楽しまな
きゃ損だろう。
俺たちはステージの演奏が終わるまで、いつまでもダンスを踊り、
乾杯をし、そして笑い合った。素晴らしい楽曲は、時に激しく、時
に優しく奏でられ、若い男女を包み込むように陶酔させる。この時
間がいつまでも続けばいい、と近くにいたカップルの女性がつぶや
く。
音楽と喧騒はパーティーの終わりまで止まることはなく、いつま
でも、いつまでも夜のパーティー会場に鳴り響いた。
477
第20話 イケメンエリート、恋のから騒ぎ︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重85㎏︵−1kg︶
478
第21話 日本にて︵前書き︶
おまたせしました!
日本が舞台の間話になります。
短いですので続きは今日中にアップします!
479
第21話 日本にて
病室は静かであった。
生命維持装置の機械音だけが、無縁慮に静寂の中で響いている。
﹁ったく小橋川よお⋮⋮お前のせいでプレゼンは惨敗だ⋮﹂
小橋川の同僚であり高校からの親友である田中は、真っ白い顔を
した寝たきりの友人を見下ろしていた。
﹁お前がうちの会社にいるありがたさがよくわかったよ⋮⋮だから
頼む⋮目を覚ましてくれないか。お前がいないとみんな暗いんだ﹂
当然、返事はない。
黒塗りの高級車に轢かれて意識不明の重体。生きていることが奇
跡に近い、と医者が言い訳がましく言っていた。
﹁まさかお前も香苗ちゃんのところに逝くつもりか?﹂
田中の独白は続く。
﹁あの子が死んでからお前がちゃんと恋愛できないのは知っていた。
お前は絶対に認めようとしなかったけどな。何が千人斬りだよ。誰
かと付き合う度に傷ついていたくせに⋮﹂
田中は無表情で眠っている小橋川が、段々といつものふてぶてし
い態度を取っているように見えてきて、なんだが腹が立ってきた。
小橋川は田中がまじめな話をすると、聞いていないフリをしたり茶
480
々を入れたりする。いつでも自信満々で俺は何でもわかってるぜ、
という態度をするのだ。
﹁あと、女の子を脱がす前に乳首の色を当てるゲーム、同期の女子
が聞いててめっちゃ引いてたぞ。それに賭けても確認できるのお前
しかいないから賭けにならねえよ。お前ほんとバカだよな。頭いい
くせにバカだよな﹂
乳首、という単語に、ピクッと反応したような気がした。田中は
食い入るように小橋川を見つめる。変化はないようだ。呼吸器と点
滴の管がなんとも痛々しい。
﹁巨乳。乳首。スレンダー美人。Tバック。下乳。挿入。未経験。
合体。どM﹂
思いつく限りの小橋川が好きそうな卑猥な言葉を田中は淡々と羅
列する。ひょっとしたら、と思ったが小橋川に反応はない。
﹁お前が狙ってたA社の営業だけどな、すまんが俺がいただいた。
食事の約束を取り付けてある。残念だったな﹂
小橋川に反応はない。
﹁田中さん?﹂
突然後ろから声をかけられ、田中は素早く振り向いた。
病室の入り口にはプレゼンメンバーである佐々木がいて、なぜか
呆れた顔をしていた。
﹁田中さんは病人に卑猥な言葉を言う性癖が?﹂
481
﹁佐々木ちゃん違うからね。これはそういうアレじゃないから﹂
﹁アレ?﹂
﹁いやアレっていうか⋮何て言ったらいいのか﹂
若くてキレイ系女子に若干引かれて焦る田中。
﹁ほんとですか?﹂
﹁こいつがエロい言葉に反応するかもって思って実験してたんだよ﹂
﹁ああ﹂
佐々木は納得がいったようだ。
こんな説明で納得される小橋川は常にアホでスケベな言動をしてい
たようだ。正真正銘のバカだ。
二人は小橋川の病室を掃除して、花瓶の水を入れ替え、しばらく
雑談した。出てくる話題は小橋川の事と、準備していたプレゼンの
内容がメインだ。とりとめもなく、思いつくままに話をする。小橋
川の話題には二人とも事欠かない。
会社からも異端児扱いされており、営業力、プレゼン能力は折り紙
付き。人の上に立って取り纏める能力はそこまでなかったものの、
天才的な発想とコミュニケーションの上手さで、どこのチームに入
っても問題のない人材だった。自分で自分のことを﹃スーパーイケ
メン営業﹄と言っていたのでチームメンバーのありがたみは半減し
ていたが。
﹁わたし思ったんですけど、もし小橋川さんが女だったら凄まじく
モテると思うんですよね﹂
﹁こいつが女? 想像したこともないな﹂
﹁他の部署の子が、一瞬だけ小橋川さんが窓によりかかってぼーっ
482
としているところを目撃したそうなんですよ。そのときの顔が女の
子みたいだったって言うんですね。確かに言われてみれば、角度に
よっては中性的な顔に見えますよね﹂
﹁まあ、そうかもな⋮﹂
田中はそう言われて寝たきりの小橋川を眺める。
二十九歳の顔にしては皺一つない。
﹁この性格と能力で女の子。すごくないですか?﹂
﹁俺は完全に手玉に取られるね﹂
﹁でしょう?﹂
﹁どこかの誰かに憑依したらやばそうだな﹂
﹁それはとんでもないことになりますね。その子きっとすごい美人
になりますよ﹂
﹁あーなんかそれ分かるかも。こいつ変なところで完璧主義だし﹂
﹁いつもふざけてますけど自分に厳しい人ですからね﹂
﹁バカだけど﹂
﹁スケベですけど﹂
そう言って二人は笑い合った。なんだか小橋川が寝たきりのまま
﹁うるせーよ!﹂とツッコミを入れてきた気がしたのだ。
﹁どこに行っても何かしらヤラかしてそうだよな﹂
﹁ですね。それこそ常識を破壊していそうです﹂
﹁俺たちも何度破壊されたか⋮﹂
﹁悔しいですけど、この人は天才です。本人には言いたくないです
けど﹂
﹁言ったら調子乗るだけだな﹂
﹁意識不明のくせして不敵に見えるってすごいですよね﹂
﹁たしかに﹂
483
﹁今にも起き上がって、うそでしたードッキリ大成功、とか言いそ
う﹂
田中と佐々木は軽く笑ったあとに小橋川を見てため息をついた。
彼の顔は白いままだ。
﹁田中さん。小橋川さんが目を覚ます可能性って⋮⋮﹂
恐る恐る、といった様子で佐々木は聞いた。
﹁0.001パー﹂
﹁れーてんれーれーいちぱー⋮⋮?﹂
﹁十万人に一人の割合だな﹂
﹁つまり十万人の中に目を覚ました人が一名いたってことですか?﹂
﹁そうらしい。まあ奇跡って言ったほうがしっくりくるな﹂
﹁こういう言い方は好きじゃないですけど、はっきり言って絶望的
ですね﹂
﹁それでもこいつなら、って俺は思ってる﹂
﹁そう⋮⋮ですね﹂
田中は真剣な表情でベッドに眠っている小橋川を見つめていた。
現実主義の佐々木は複雑な心境で田中と小橋川の寝顔を交互に見や
り、悲しめばいいのか笑えばいいのか分からず曖昧な笑みをこぼし
た。
病室には心電図の音だけが一定のリズムで響いていた。
484
第22話 イケメンエリート、天才的な発想をする
貴族のヅラを飛ばした舞踏会の翌日。
とんでもないことになっていた。
そう、一言で言うなら﹁何これぇ!﹂だ。
雑誌の販売店である﹃オハナ書店﹄には長蛇の列ができていた。
デパートの初売りの列とか、ネズミの遊園地のアトラクションの列
とか、人気スイーツの限定販売の列とか、そんなものと同じぐらい
人が並んでいる。
列はグレイフナー通り一番街の終点﹃オハナ書店﹄から始まり、
二番街へと続く﹃出逢いの橋﹄を越え、最後尾が見えない。
これは想像以上でビビるな⋮。
ほんとに全員ファッション雑誌﹃Eimy﹄を買いに来た人だよ
な?
開店前でこんなに並んでるってことは、先頭の女子二人はどんだ
け早くから集合したんだっていう話だよ。ありがたくて泣けてくる。
熱い抱擁をしてあげたい。俺デブだけど。
俺とクラリスが﹃オハナ書店﹄に着くと、書店の店長と、販売の
手伝いをする予定の黒ブライアンが血相を変えて走ってきた。
﹁エリィお嬢様! 見て下さいよこの列を! 一部六千ロンの本が
五百部完売確実です!﹂
485
﹁どうしましょう? 絶対に五百部じゃ足りません⋮﹂
小太りで、いかにも本が好きそうな温厚な顔した店長は鼻息を荒
くしている。
一方、黒ブライアンは持ち前の責任感からか、並んでくれている
客に対する申し訳なさで気持ちがいっぱいになっているようだった。
﹁店長、お釣りの準備は大丈夫ね? 黒ブライアン、印刷班を呼ん
できてちょうだい。こんなことになるかも、と思って予約票の原紙
を持ってきているわ﹂
﹁もちろんですとも!﹂
﹁オーケーです!﹂
店長は開店準備の最終確認をしに店内へ戻っていく。
で千部印刷
コピー
複写
黒ブライアンには雑誌の予約票原紙を渡して
し、
複写
コピー
するように伝える。お札ほどのサイズの用紙に原案を
オハナ書店の判子を押して手書きで1∼1000まで番号をふる、
という簡単なものだ。判子を押すので偽造はまずないだろう。小さ
い用紙で白黒印刷だ。魔力と時間もそこまでかからない。
予約の件を店長に伝えると男の若い店員が出てきて、長蛇の列に
向かって叫び出した。
﹁初版は五百部限定です! 本日買えないお客様には優先して買え
る予約票をお渡ししております! それでもいいという方のみその
ままお待ち下さい!﹂
店員は叫びながら﹃出逢いの橋﹄を渡り、見えない最後尾まで歩
いて行く。
その説明を聞いても列から出る客はほとんどいない。
486
その代わりと言っちゃなんだが、列の真ん中あたりで割り込みし
たしてないの喧嘩がはじまり、いい余興になっていた。血の気が多
いのは大変結構だが、大人のくせしてぼこぼこの鼻血ぶーになるま
で殴り合って警邏隊のお世話になるのはどうかと思う。
開店三十分前に、ミサとジョーがやってきて、行列を見て驚いて
いた。そのあとすぐにコピーライターのボインちゃんと、アリアナ
の弟である狐人の記者フランクが来たので、売り子の手伝いをする
ように伝えて店長のもとへ行かせる。
続いて来たエロ写真家にはその辺の写真を撮ってもらい、という
か勝手に﹁ファァァンタスティィック!﹂と意味不明なかけ声でシ
ャッターを切っているので無視し、ミサとジョーのところへ移動し
た。
﹁お嬢様⋮これは一体⋮⋮﹂
ミサは目の前の光景が現実に思えないようだ。鯉のように口をぱ
くぱくさせている。
ジョーは﹁すげえ﹂を連呼していた。
すると女の子が列から駆け寄ってきて、ミサに声を掛けた。ミサ
の知り合いではないらしい。
﹁あの! その服はどこで買ったのですか? デザインしたのは誰
ですか? あの雑誌を作ったのはあなたですか? どこに行けば服
は買えますか? 私にも合うサイズの服はありますか?﹂
立て続けに質問をする女の子は十五、六歳といったところだろう。
ガウチョパンツ姿のミサを見る目が輝いている。
487
ミサは気を取り直して可愛らしい少女に満面の笑みで答えた。
﹁これは私の店﹃ミラーズ﹄で買えます。デザインしたのはこちら
のエリィお嬢様とミラーズの専属デザイナーであるジョーです。雑
誌を作ったのもこちらにいるエリィお嬢様です。このお嬢様はすご
いお方なんですよ。サイズはあるにはありますが、このガウチョパ
ンツよりあなたに似合う素敵な服がありますから是非お店に来て下
さいね﹂
﹁うわぁ本当ですか?! お店の場所はどこですか?﹂
﹁これから買う雑誌に書いてありますよ﹂
﹁わかりました! あ、あの⋮⋮わたし、一番街のポスターを見た
とき、心臓が飛び出るほど驚きました! あんなキレイな人がいて、
あんなに可愛く笑って、素敵なお洋服でとっても美しくて⋮⋮。お
つかいの途中で何時間も見ていたらお父さんに怒られてしまいまし
た。洋服の雑誌という本が発売されると書いてあったのを見て友達
と来たんです!﹂
﹁それはありがとう。私はデザイナー兼雑誌編集長のエリィ・ゴー
ルデンですわ﹂
元気いっぱいの女の子に礼をいって、俺は裾をつまんで挨拶をし
た。
﹁ただあなた、知らない人に質問するならちゃんとレディらしく振
る舞わないとダメじゃない。女は見た目も大事だけど一番重要なの
は中身よ。ほら、こうして、お辞儀して、ああもう! シャツがは
み出ているじゃないの! 鏡は見てきたの?﹂
﹁あのぅ⋮急いでお家を出てきたから⋮﹂
﹁どんなに急いでいても身だしなみはきちんとしないとダメよ﹂
なぜか説教を始める俺。
488
こういう素直で元気な子には心を強く持って、いい女になってほ
しいもんだ。うんうん。
しばらくして少女が列に戻ると、販売の時間になった。時刻は朝
九時。行き交う人々、仕事へ向かう人、駆け足の運び屋、大声で練
り歩く売り子、冒険者らしき集団、様子を見にくる警邏隊、様々な
人種のるつぼであるグレイフナー王国の首都グレイフナーは今日も
賑わっていた。普段の喧騒に加えて、雑誌待ちの行列が騒がしさに
拍車をかけている。
﹁それではみなさぁぁん! グレイフナー王国初ファッション雑誌
﹃Eimy﹄の販売を開始いたしまぁぁす! お手元にお金のご準
備をして押さないようにおねがいしまぁす!!﹂
オハナ書店の店長が大声で開店をコールすると、列からは﹁わあ
ああああッ!﹂という歓声と拍手が響いた。さすがテンション高め
のグレイフナー国民らしい反応だ。
﹁あなたが記念すべき初めての購入者です! おめでとうございま
す!﹂
列の先頭に並んでいた女子がお金を払って雑誌を受け取ると、嬉
しそうに胸に抱え込んで飛び跳ねるように列から離れた。彼女たち
の笑顔がまぶしい。百万ドルなんて目じゃない、プライスレスな笑
顔だ。俺はこの雑誌を作って本当によかった。ミニスカートとホッ
トパンツを流行らせるという壮大な下心があったものの、女性が笑
顔になるのはいい光景だ。俺、やはり天才。
○
489
クラリスと雑誌の完売を見届け、次にミラーズへと足を運んだ。
こっちも人だかりですごかった。
いつも門番のように立っているマッチョなドアボーイが整列に大
わらわで、それを補佐するようにウサックスがウサ耳をピンと立て
ながら、手際良く客に対応している。並んでいる客の九割が女性で、
年齢層は十代から二十代。みな雑誌を必死に覗き込んで、ああでも
ないこうでもないと言い合っている。
複写
コピー
の関係でページ数を増やせなかった。カラーが表紙
雑誌の内容は、正直言って薄い。本も薄い。
予算と
を入れて九ページ、白黒のページが九ページ、全十八ページ。コー
ディネートは厳選した七種類を掲載している。
俺はクラリスの持っていた雑誌を受け取り、何度となく確認した
ページを開いた。
﹃Eimy﹄
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹃防御力よりオシャレ力!﹄
一、二ページ。
見開きに特大のエイミー。
爽やかなストライプワンピースとカーディガン巻きでほほ笑んで
いる。
かわいい。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
490
﹃私を守ってくれますか﹄
∼防御力はもういらない。好きなあの人に守ってもらうから∼
表紙と同じ、青地に小さな水の精霊をちりばめたデザインの膝丈
スカートに、細身に加工された白地のボタンシャツ。
エイミーがはじけるような笑みをこちらに向けている。かわいい。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹃今年はこれでモテる! 好きなあの人もイチコロ!﹄
エリザベスが舞踏会で着ているものと似ている、赤いフレアスカ
ート。サマーニットはグレイフナーではめずらしい半袖。
エイミーが上目づかいをしている。くっそかわいい。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹃デキる女はガウチョパンツ﹄
カーキのガウチョパンツをはいて、魔法学校の図書館で真剣な顔
をして勉強をするエイミー。女性がズボンを履くのはタブーという
グレイフナーの常識をぶっ壊す写真。とにかくエイミーがキリッと
した顔で大人っぽく見える。かわいい。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹃オフはお気に入りのカフェでまったり﹄
白地に太い赤のボーダーロングスカート。薄茶のジャケットで、
インナーは白のタートルネック。イヤリングは討伐ランクFのミニ
ミニウサギの尻尾を加工したボンボン。
撮影場所のカフェは若者に一番人気で﹃オハナ書店﹄の向かいに
ある﹃イタレリア﹄
491
くっ⋮⋮男だったらエイミーとカフェで待ち合わせしたかった。
きゃわいい。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
俺はパラパラとページをめくった。
あと二つのコーディネートは冒険者風の物と、グレイフナーの流
行を取り入れたシンプルな物。
白黒ページはかなり面白い出来栄えになっている。
ミサのインタビューと写真。俺たちがいかにしてボーンリザード
を倒したかという記事には、エロ写真家が死ぬ思いで撮影してきた
リトルリザードの群れの写真が掲載されている。
他のページは服の情報と、服の着こなし方、待ち合わせ場所特集、
どうすれば意中の人を落とせるかという女性雑誌っぽい内容を載せ
た。
俺は満足して雑誌を閉じ、クラリスに渡す。
並んでいる客にぶつからないように店内に入ろうとした。
すぐに並んでいる女性から﹁割り込みはダメよ!﹂という声が上
がる。どうしたもんかと考えていると、店から笑顔のミサがやって
きて﹁デザイナーのエリィ・ゴールデンお嬢様ではありませんか!﹂
とわざとらしく大声を上げて、俺を中に通してくれた。皆、あのデ
ブの女の子が、と不思議そうな目で見てくる。
店内は思ったより混んでいなかった。
入場制限をかけているのだろう。
﹁お嬢様見られましたかあの大行列、大盛況を! 嬉しくてどうに
492
かなってしまいそうですわ!﹂
ミサが歓喜の声を上げる。
俺の肩を力任せに揺するのをやめてほしい。腹と二の腕の贅肉が
たゆんたゆん揺れて酔いそう。
ジョーは真剣な顔して、若い女の子の洋服を選んであげている。
こちらには気づいていないようだ。にしてもすごい人気だな。女子
が餌に跳びつく猫みたいに群がってやがる。ジョーはなんだかんだ
イケメンだからな。
﹁この分ですと今日で在庫がなくなってしまいそうです!﹂
﹁どんどん売ってちょうだい! グレイフナーのファッション歴史
を塗り替えるのよ!﹂
﹁ええ、そうですねお嬢様!﹂
そして俺の懐には利益の十パーセントがデザイン料として入る。
少なくないかとミサに言われたが、これぐらいでいいだろう。あん
ま貰いすぎてミラーズが新しい服を作れなくなったりすると困る。
○
かくして雑誌販売の初日は大成功で幕を閉じた。
俺は﹃コバシガワ商会﹄という自分の商会を立ち上げ、運営等は
雑誌編集のメンバーに丸投げすることにした。このまま自社の商会
を立ち上げないと、後々面倒なことになりそうだったのだ。
商機に鋭い商人たちが、何人もオハナ書店とミラーズにやってき
493
て交渉していったそうだ。利益を奪われないように、今のうちに宣
伝、流通、販売、などを﹃コバシガワ商会﹄で囲ってしまおうとい
う作戦だ。
俺は売り込み営業とか企画営業は得意だが、経営、管理などは全
然できない。事務作業なんかはまじで苦手だ。会長を俺にして、以
下副会長をウサックス、クラリスに一任し、その他のメンバーに適
当な役職を与えておいた。
雑誌の第二号を作成しなければならないし、他店とのタイアップ、
どうせなら化粧品やメイク、髪型の特集なんかも組みたい。ひとま
ずの方向性としては雑誌企画をメインにしたミラーズを支援する﹃
コバシガワ商会﹄といった感じだな。
○
数日。
雑誌と洋服の騒動がそこそこ下火になり、ようやく学校の授業と
特訓に集中できるようになった。ダイエットが計画よりだいぶ遅れ
ている。これはまじで問題。大問題。贅肉がほとばしる由々しき事
態だ。
俺は放課後、秘密特訓場に来ていた。
魔力循環で体内の魔力を十分間回し、クラリスにもらったタオル
で汗を拭く。
アリアナも訓練に参加していた。彼女には落雷魔法の秘密を知ら
れてしまっているので問題ないだろう。
494
﹁そういえばアリアナが使える魔法ってどのくらいあるの?﹂
俺は好奇心と、これから模擬戦をするので彼女に聞いた。
アリアナは﹁ん⋮﹂とうなずいて俺のノートに自分の使える魔法
を書いていった。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
炎
白 | 木
\ 火 /
光 土
○
風 闇
/ 水 \
空 | 黒
氷
下位魔法・﹁闇﹂
下級・﹁ダーク﹂
中級・﹁ダークネス﹂
スリープ
上級・﹁ダークフィアー﹂
コンフュージョン
﹁睡眠霧﹂
バーサク
﹁混乱粉﹂
ロスヴィジョン
﹁狂戦士﹂
ロスヒアリング
﹁視覚低下﹂
アノレクシア
﹁聴覚低下﹂
﹁食欲減退﹂
495
アブドミナルペイン
﹁腹痛﹂
下位魔法・﹁風﹂
下級・﹁ウインド﹂
中級・﹁ウインドブレイク﹂
﹁ウインドカッター﹂
上級・﹁ウインドストーム﹂
下位魔法・﹁火﹂
下級・﹁ファイア﹂
中級・﹁ファイアボール﹂
下位魔法・﹁水﹂
下級・﹁ウォーター﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
アリアナは俺と同じでスクウェアなのか。
そして闇魔法がやばい。食欲減退!? 腹痛!?
腹痛
唱えられたらリアル登校拒否だな。
アブドミナルペイン
この子だけは敵に回しちゃダメ。つーか闇魔法凶悪だろ。毎日こ
っそり
闇が上級、風が上級、火が中級、水が下級。
さすがに上位魔法は憶えていないのか。アリアナならまさか、と
思ったんだけどな。
﹁エリィの使える魔法、教えてほしい⋮﹂
つぶらな瞳を輝かせてアリアナが俺を見上げてくる。尻尾が扇風
496
機のようにぶるんぶるん回っていた。狐耳は興奮で動きっぱなしだ。
俺はノートに書いてあった表を見せた。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
炎
白 | 木
\ 火 /
光 土
○
風 闇
/ 水 \
空 | 黒
氷
習得した魔法
下位魔法・﹁光﹂
下級・﹁ライト﹂
ミラージュフェイク
中級・﹁ライトアロー﹂
ヒール
﹁幻光迷彩﹂
﹁治癒﹂
キュアライト
上級・﹁ライトニング﹂
﹁癒発光﹂
下位魔法・﹁風﹂
下級・﹁ウインド﹂
中級・﹁ウインドブレイク﹂
﹁ウインドカッター﹂
上級・﹁ウインドストーム﹂
497
﹁ウインドソード﹂
﹁エアハンマー﹂
下位魔法・﹁水﹂
下級・﹁ウォーター﹂
下位魔法・﹁土﹂
下級・﹁サンド﹂
サンダーボルト
複合魔法・﹁雷﹂
エレキトリック
﹁落雷﹂
インパルス
﹁電打﹂
ライトニングボルト
﹁電衝撃﹂
﹁極落雷﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
電打
を何度も叩いた。
エレキトリック
目をキラキラさせてノートを見るアリアナ。そしておもむろに複
合魔法のところを指さして
﹁これ見たことない⋮やって﹂
﹁これすごい地味よ?﹂
﹁いいの、それでも見たいの⋮﹂
﹁そこまで言うなら﹂
頬を上気させるアリアナを見て断れるはずもなく、俺は特訓場の
エレキトリック
端っこにあった岩に右手を置いた。瞬間的に魔力を循環させスタン
ガンをイメージしながら﹁電打!﹂と唱えた。
498
強力な電流が強引に岩へ流れ込み、手を置いた場所から十字にヒ
ビが入った。
電流の熱で切れ目は少し焦げている。
﹁すごい⋮﹂
電打
を流し
エレキトリック
﹁これは相手に触れただけで電撃攻撃ができるわ。威力を調整すれ
ば⋮﹂
俺は近くにいたバリーの肩に手を置いて、極小の
た。
﹁どうされましたお嬢さババババババババババ﹂
全身を硬直させ、強面のバリーが気持ち悪く痙攣しながら地面に
ぶっ倒れた。
髪の毛が爆発し、白い湯気が立ち上っている。
あら、ちょっと強かったかしらオホホホ⋮。
ごめんバリー。
﹁と⋮こんな感じで相手を無力化できるわけね﹂
﹁いいないいな⋮﹂
﹁調整の練習が必要だけど﹂
﹁そのままパンチしたらすごそう⋮﹂
﹁あ、それは試したことないわね﹂
やったことがない、となるとやってみたくなるのが俺の性分だ。
電打
を拳に流す。そのまま岩を殴りつけた。
エレキトリック
早速、十字にヒビ割れた岩の前に立ち、バリーに流した電流の倍
ぐらいのパワーで
自分の予想より遙かに速いスピードで拳が岩にめり込み、腕が中
499
程まで入ったところで、バガァンと岩が破裂した。
﹁いったあい!!﹂
うおおおおおお、めっちゃいてえ!
なんじゃこれ! 手が、手がもげる!
俺は右手を左手で押さえて、あまりの痛さにその場で飛び跳ねた。
揺れるマイ贅肉たち。
﹁エリィ大丈夫!?﹂
﹁お嬢様!!﹂
キュアライト
癒発光
﹂
そんな大きい声出せるんだ、とびっくりするぐらいの声量でアリ
アナが叫んだ。
クラリスがすぐ駆け寄ってくる。
﹁大丈夫よ⋮ちょっとびっくりしただけ。
淡い光に右手が包まれる。痛みが嘘のように引いていく。
魔法便利すぎだろ。
﹁ごめんエリィ⋮痛い? 痛い?﹂
アリアナが今にも泣きそうな顔で俺の右手を持ち、ふぅふぅ息を
吹きかけてくる。あらやだ、超可愛い。クラリスが﹁あまり無茶は
しないでくださいわたくしの心臓が止まります﹂と言う。それは困
る。
500
︱︱︱︱︱︱︱︱!!!!!
と、俺はここで閃いた。頭の上でぴこーんと電球が光るように、
急にいいことを思いついた。
魔法はへその辺りから魔力を循環させてイメージを膨らませ、魔
法名を口にするか、心の中で魔法名を唱えて行使する。ということ
はだ、魔法二つ分の魔力を循環させ、その途中で二分割し、魔法名
を連続で唱えれば同時に二発の魔法が撃てるのではないだろうか。
﹁ちょっと試したいことがあるわ。二人とも、下がってちょうだい﹂
まず俺はリラックスするように体の力を抜いてだらーんと立つ。
だらしない体がだらしない立ち方により、さらにだらしなくなる。
息を大きく吸って吐く。これを繰り返し、魔力をゆっくりと体中に
行き渡るように循環させる。へそから胸、胸から頭、頭から体をな
ぞるように、魔力を全体へ這わせる。
ウインド
と
ライト
さらに今度は練った魔力を二つに分ける。右手と左手に半分ずつ、
熱くなった魔力を送り込む。唱える魔法は
だ。
ライト
!﹂
ウインド
左手から
指先から魔法が飛び出るイメージを三回繰り返し、俺は目を開い
ウインド
た。
﹁
両腕を一気に振り下ろす。
魔力が放出される浮遊感があり、右手から
501
ライト
が飛び出した。端からは、光りながら風が通り抜けた光
景に見えただろう。
﹁うーん、威力がいまいちね⋮﹂
実戦で使うには相当の訓練が必要になりそうだ。初歩の初歩、下
の下でこの難しさ。どれぐらい難しいかというと、普通の魔法は手
に卵を持ってそのまま運び、箱に入れるぐらいの難易度。組み合わ
せ魔法は両手にスプーンを持って、その上に卵を乗せ、歩いて箱に
入れるぐらいの難しさ。繊細で微妙な力加減が必要だ。
まあ、実験は成功したからよしとしようか。
﹁エリィ今のって⋮﹂
﹁同時に魔法を使ってみたんだけどダメね。難しいから実戦向きじ
ゃないわ﹂
﹁お嬢様ッ!! いまなんと?!﹂
クラリスがタイムセールで残りわずか十二個入り卵パックに飛び
付く主婦のように、俺の言葉に食いついてきた。
﹁クラリス顔が近いわ。だから、同時に魔法を使ったのよ﹂
﹁快挙でございます! 誰しもがやろうとして挫折してきた難問を
いともたやすくぅ!﹂
﹁おどうだば! おどうだば!﹂
﹁お嬢様は天才ですッ! このクラリス一生ついてまります!﹂
這い寄るクラリスとバリー。
この流れは⋮⋮ズボンをずり下ろされるパティーンッッ!!!
俺はデブに似合わぬ軽快なバックステップでふたりから距離を取
502
った。
セーフ! セーフ!
﹁エリィすごい⋮私にも教えてッ﹂
アリアナがヒーローを見つめる子どものような顔で俺を見てくる。
いやあ照れるなぁ。
﹁いいわよ。でも杖だとたぶん無理だと思うわ﹂
俺は試しにクラリスから杖を二本受け取り、組み合わせ魔法を試
みた。
魔力を練るところまではいいが、左右の手に持った杖へ、勝手に
魔力が流れてしまい微調整が全然できない。魔法を唱えるどころか、
碌なイメージができなくなる。何度か試して全く上手くいかなかっ
たので、俺はクラリスに杖を返した。
﹁ダメね﹂
﹁ショック⋮﹂
﹁アリアナも杖なしで魔法ができるようになればいいじゃない﹂
﹁うん⋮うん⋮エリィと一緒がいい﹂
犬のようにすり寄るアリアナの狐耳を俺は心ゆくまで撫でた。
あー癒されるこれ。柔らかくてぷにぷにしてて髪の毛もさらさら
だし最高。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱!!!!!!
503
俺はまたしても閃いた。自分のこのあふれ出る才能が、こわひ⋮。
一般の魔法使いは杖から魔法を出す。
でも俺は杖なしだ。ということは一体魔法はどこから出ているの
か?
いつも魔法を使うときは、イメージしやすいように発射する場所
へ指を差している。だから、指先から魔法が出ると考えるのが妥当
だ。
そして回復系の魔法は両手を広げて、包み込むような感覚で使用
している。
!﹂
サンダーボルト
落雷
よし、試しに⋮
﹁
が前方の地面に突き刺さる。
サンダーボルト
落雷
電衝撃
インパルス
を
を唱えた。
俺は目に魔力を込めるイメージで、くわっとまぶたを押し上げた。
続けて肘に魔力を込め、突き出すようにして
電衝撃
インパルス
けたたましい音と共にデブの肘から電流がほとばしる。
さらに俺は調子に乗り、三段腹に魔力を集中させ、
使った。
脂肪たっぷりジューシーなお肉から強烈な電気が巻き起こり、岩
にぶつかって放射状にまき散らされる。
これは便利だ。もし誰かに追われていても、前方を向いたまま後
頭部から魔法が発射できる。決闘の際は一回限りの奇襲がかけられ
504
そうだ。
ウインドカッター
。
の使
俺は曲芸師のように次から次へと、様々な部位から魔法を放つ。
癒発光
キュアライト
蹴るような動作での
直立不動で
ウインドソード
サンダーボルト
アゴをつきだして
落雷
色んな所から魔法が出ます
ウインクしながら
俺とアリアナはしばらくこの
い道をあれこれ検討し、夕ご飯の時間になったので特訓場を出るこ
とにした。
シャワーを浴びて馬車に乗り込む。
食事を誘ってもアリアナは頑なに拒否してくる。俺のお願いする
ことで唯一首を縦に振ってくれないのが家族との食事だ。アリアナ
の家は七人兄弟で、毎日の食事に事欠くほどの貧乏貴族だ。アリア
ナが家に帰らないと誰も食事を作れないし、材料すら買って来れな
いらしい。俺はまた軽く泣きそうになった。
バリーにアリアナをグレイフナーのはずれまで連れて行くように
お願いし、自分はゴールデン家に帰る。
これから頑張ってダイエットしないとな。
そう思っていると、クラリスが特訓グッズの入った鞄から黒い本
を手渡してくる。
505
﹁アリアナ様の物が紛れ込んでいたようです﹂
﹁そうね。あの子が持っていた闇魔法の本よ﹂
﹁返しにいかれますか?﹂
﹁ええ、すぐ追いかけましょう。お母様には食事に間に合わないか
もと伝えておいて。私は先に行っているから追いかけてきてちょう
だい﹂
﹁かしこまりました﹂
俺は駆け足でアリアナの後を追った。
506
第22話 イケメンエリート、天才的な発想をする︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重84㎏︵−1kg︶
アブドミナルペイン
魔法名を腹痛に変更しました。
507
第23話 イケメンエリート、悪漢に狙われる
夜のグレイフナーにはきらびやかな魔法の明かりが灯り、地球で
は考えられないような異形の種族が行き交う。それを気にするよう
な人はどこにもいない。人々にとってはそれが日常になっているか
らだ。
アリアナを追いかけて、早歩きでグレイフナー通りを進んでいた。
ちらほらとミラーズで買った洋服を着ている女性がいて、俺はそっ
とほくそ笑む。国民の新しいファッションを見る目は、羨望と懐疑
だ。防御力をのぞけば好意的な目の方が多いようで、エイミーの巨
大ポスターが功を奏している証拠だった。
一番街まで来ると、エイミーポスターの前に人だかりができてお
り、交差点のど真ん中に即席のベンチと屋台がひしめき合うように
出現していた。酒を飲みながら、ポスターを鑑賞しているらしい。
花見ならぬポスター見だな。
酔っ払った男共は﹁俺がお前をまもるぅぜぇぇい﹂と呂律の回ら
ぬ口調で叫び、女性グループは﹁あの服売り切れだったぁ∼﹂とか
﹁雑誌二万ロンで譲ってもらったの﹂とか黄色い声を上げている。
通行の邪魔をしている露店のせいで、警邏隊の面々は交通整理に忙
しい。
六千ロンの雑誌が二万ロンか。随分プレミアがついたな。
複写
コピー
ができる魔法使いの補充はしてあるので、
今頃、黒ブライアンとおすぎ達が予約分の雑誌を頑張って印刷し
ているだろう。
すぐにでも予約の千部は捌けるはずだ。ミサとジョーは服の発注に
508
大忙しだ。コバシガワ商会のメンツを戦力として貸し出しているか
ら、ウサックスと一緒に生産ラインの拡充に奔走してるに違いない。
一番街の出発地点である宮殿の入り口まできた。まだアリアナと
バリーの馬車には追いつけない。どうせ道が混んでいるから途中で
馬車が引っ掛かって追いつけると考えていたんだが、意外と早く先
へ行ってしまったようだ。
このままアリアナの家まで行こう。
彼女の家は宮殿から左右に伸びているユキムラ・セキノ通りを東
に真っ直ぐ進めば着く。一度バリーと馬車で行ったことがあるから
細かい場所もだいたい把握している。小走りで行けば三十分か四十
分ぐらいで着くだろう。帰りはバリーの馬車でスピードを出せば二
十分で着く。夕食には間に合わないがこれも初めてできた女友達の
ためだ。
俺はどんどん奥へと進んでいく。
宿屋街を抜け、闘技場の巨大な壁面を眺めつつ歩き、貴族住宅街
を越え、橋を渡って一般市民の区画へと入っていく。首都グレイフ
ナーは王国最強魔法騎士団﹃シールド﹄の本拠地ということもあり
治安が非常にいい。女がひとりで歩いても大丈夫なほどだ。
さらに進むと貧困層の住む区画に入る。その区画に間違えて入る
と少々危ないと言われていた。さすがに人殺しなどはないが、強盗
や窃盗はわりかし日常的に起きるそうだ。国もここまでは手が回ら
ないんだな。
アリアナの家は貧困街と近いが大丈夫だろ。それにこんなおデブ
をさらう奴がいるとは思えない。この八十五キロの巨体を運ぶのは
509
大変だ。
俺は夜風を太めの体で切りながら、先を急ぐ。
ちらほら見える宿屋やバーを除けば、周囲は暗い。民家から漏れ
る明かりがやけに温かく感じてしまう。
そういえばクラリスがなかなかやってこない。
母アメリアにお小言でももらっているのだろうか。
貧困街に近くなってきた。
すると前方に馬車が見える。ゴールデン家の紋章が書いてあるの
で、間違いなくバリーの運転するものだろう。
いや⋮⋮ちょい待て、様子がおかしいぞ。
アリアナの家に着いていないのに馬車は停車して動こうとしない。
よく見れば怪しげなローブ姿の人間が何人かいる。耳をすませば男
の話し声が聞こえてきた。
俺は咄嗟に路地に身を潜める。
顔だけを覗かせて様子を見た。
馬車の脇にバリーが倒れている。
そのすぐ横にアリアナが寄りかかるようにして馬車の車輪に倒れ
ていた。
510
なんだ?
一体なにが起きた?!
男たちは何かひそひそと話し合っている。
数は見えているだけで五人。黒いローブ姿なので顔まではわから
ない。そのうち主犯格らしき二人が、しきりに意見を交換している。
他の三人は周囲を警戒し、バリーに猿ぐつわをかませ、縄でしばり
あげていた。よかった。死んではいないようだ。
男たちは意識のないアリアナを見下ろした。
﹁こんな痩せっぽちでしょうかね?﹂
﹁いや、報告によれば百六十センチぐらいでニキビ面の巨漢だった
はず﹂
﹁どう見てもこの狐人じゃないですね﹂
﹁だがこの家紋はゴールデン家のものだろう﹂
﹁まさか、俺たちのことがバレて?!﹂
﹁可能性は薄いが、なくはないな。影武者を用意していた可能性も
ある﹂
﹁影武者ならもうちっと似ている風体にすると思いますぜ﹂
﹁む⋮たしかにそうだな。こんなに痩せていては似ても似つかない﹂
ニキビ面で巨漢?!
絶対に俺のことだ。
くっそ失礼な野郎だな。あいつは往復ビンタ確定。
とにかくあいつらは敵だ。
バリーとアリアナを助けなければ。
どうやら奴らの狙いは俺のようだが、そんなものは全員ぶちのめ
せば関係なくなる。
511
バリーは元冒険者、アリアナは冷静沈着なスクウェア魔法使い、
この二人がやられたとなれば敵はかなりの手練れと考えていいだろ
う。
俺は住宅の陰に身を潜めつつ、馬車に近づいた。
夜の闇はこの太い体を隠してくれる。
素早く路上に置かれていた樽を背にし、見張り三人を観察する。
ローブの中でしっかりと杖をにぎり、目をぎらつかせて周囲を警
戒している。これはうかつに近づいたら一瞬で魔法の餌食だ。
俺は逆側から様子を見ようと、体を反転させた。
︱︱︱︱︱︱︱カラン
やべ! 空き瓶蹴っちゃったよ。
﹁誰だッ!﹂
近くにいた身長の高い男がこちらに向けて杖を向ける。
太ってるとこういうときに物にぶつかったりして不便。
を唱えた。
痩せなきゃなーって今はそんな場合じゃねえ。
エアハンマー
こうなったらやるしかねえな!
俺は背後の民家に向かって
空気の塊が民家の壁を破壊し、レンガが崩れて静寂に崩壊音が響
く。
512
音に驚いて全員が振り返った。
俺は瞬時に飛び出し、一番近くにいた男の腕をつかんで
を発動させる。強力な電流を一気に流すイメージだ。
閃光が闇夜に瞬く。
エアハンマー
エレキトリック
電打
をお見舞いし
アバババァッ! という悲鳴を上げて、男が痙攣しながら地面に
倒れた。
俺は驚愕している二人目に特大の
た。
魔力を帯びて揺らめいている不可視の空気が二人目の体にぶちあ
たって、民家の壁へすっ飛んでいく。男はしたたかに体を打ちつけ、
落ちた拍子で頭を強打した。ごろん、とうつぶせになって動かなく
なった。
﹁貴様ァ!﹂
主犯格の二人が即座に反応して杖を向けてくる。
513
ファイアランス
﹁ファイヤーボール!﹂
﹁火槍!!﹂
空中に真っ赤な炎が出現し、中サイズの火の玉と、二メートルの
に防がれ
ウインドス
特大サイズの火の槍がこちらに迫る。暗い住宅街の石畳は魔法で昼
で前方に風の壁を作った。
間のような明るさになった。俺は咄嗟に風の上級魔法
トーム
ウインドストーム
が弱くなった風の壁を消滅させる。火の
は俺の
ファイヤーボール
火槍
ファイアランス
敵の
てかき消えたが、
槍が俺の脇腹をかすめて後方に着弾した。
あっちい! あぶなっ!
ウォーター
で脇腹をすぐに冷やした。お気に入りのワン
あんなもん食らったら絶対やばいだろ?!
俺は
ピースが焦げて破れている。なんだろう、俺のワンピースは必ず破
ける運命にあるのか⋮?
﹁貴様、そのニキビ面、その太い体、デブでブスのエリィ・ゴール
デンだな!?﹂
こいつほんと失礼な野郎だな!
火槍
を唱えた主犯格が偉そうに杖で俺に向ける。
ファイアランス
レディをデブでブスだと?!
フードから見える顔は、浅黒く、目が鋭い。グレイフナーではあ
514
まり見ない種類の顔だ。まつげが長く、鼻筋が通っているのでイケ
メンの部類に入るのだろう。
﹁杖なしで魔法か。どのようなカラクリか知らんが大人しく我々に
ついてきてもらおうか﹂
﹁お頭、こいつまじでブスでデブですね。ニキビがひでえし目が脂
肪で陥没してますぜ﹂
主犯格の子分っぽい奴と、護衛の一人が俺を見てゲッヘッヘッヘ
と下品に笑っている。
もーこれは完全に有罪。
趣味
なんだ。俺たちがとやかく言うことじゃない﹂
往復ビンタと、股間に電気バチバチの刑確定ッ。
﹁依頼主の
﹁へい﹂
﹁火魔法は使うなよ﹂
﹁へーい﹂
お頭、子分、護衛の三人は俺を取り囲むように移動する。
ミラージュフェイク
三方向から魔法を撃たれたらやばいな。
﹁幻光迷彩﹂
光の屈折を利用した幻惑魔法を唱える。向こうには俺がダブって
四人に見えているだろう。
すぐに魔力を練り、新たな魔法を構築する。
そのわずかな時間を狙って、三人が一斉に魔法を唱えた。
515
サンドニードル
﹁土槍!﹂
スリープ
﹁エアハンマー!﹂
﹁睡眠霧!﹂
地面が隆起し、突如として円錐状の土が足元から突き上げられた。
と
睡眠霧
スリープ
俺はよけようとしたが思ったより地面の盛り上がるスピードが速く、
エアハンマー
バランスを崩して空中へ放り出されてしまった。
﹁くっ⋮⋮﹂
その動きを予想したかのように、
が空中の俺に向かってくる。アリアナが得意な黒い睡眠の霧はエア
ハンマーと混じり合っていた。
やばっ!
エアハンマー
が軌道を逸らされ後
をあわてて撃つ。
は正拳突きをイメージしているが、平手
と混じり合った
エアハンマー
エアハンマー
﹁エアハンマーッ!!!﹂
普段の
睡眠霧
スリープ
打ちをイメージした
方の民家にぶち当たる。住民の悲鳴が中から聞こえたが、ふにゃ、
と言って静かになった。
そのまま落下し、俺は受け身も取れずに地面に落ちた。
516
いってえ⋮。
をかけていなければ、今頃
土槍
の餌食だっただろ
サンドニードル
肩から落ちてしまい、痛みで顔がゆがむ。
ミラージュフェイク
幻光迷彩
う。あぶねーっ。
をちょっと浴びたみたいだ。
ちらりと見ると、馬車の脇でバリーとアリアナが気絶している。
睡眠霧
スリープ
目を覚ましそうにない。
クソッ。さっきの
眠気が襲ってきやがる。
どうする、どうする?!
さっき開発した組み合わせ魔法は発動が遅いからダメ。
アリアナかバリーに回復魔法をかけるか。
いや、背を見せたら確実にやられる。
を使ったら確実に敵は黒こげだ。
以外は微調整があまりできないから使いたくない。
電衝撃
インパルス
電打
エレキトリック
やっぱり落雷魔法しかねえか⋮。
正直、
や
サンダーボルト
落雷
﹁デブの割にはやるじゃないか﹂
﹁お頭、こいつ杖なしですぜ﹂
﹁変なデブだな﹂
﹁違います、変なデブブス、ですぜ﹂
﹁そうだな﹂
﹁ゲッヘッッヘッヘ﹂
よし殺っちまおう。
レディに失礼なこと言う奴には電撃の鉄槌だ。
517
アリアナに聞いた
スリープ
睡眠霧
の対処法。気を強く持つこと、それ
だけ。いやどうやんのそれ!?
ただの根性論じゃねーか。
よし、俺は眠くない、眠くない、絶対に眠くない。
俺の名は不眠王。夜の帝王。
眠気がほんの少しましになった⋮かも。
﹁もう一度だ﹂
﹁へい﹂
﹁了解です﹂
お頭、子分、護衛が再度杖を構えた。まだ三人には余裕がありそ
うだ。
こうなったら町中だろうが関係ねえ。
ふらつく体をなんとか起こし、俺は魔力を練る。
そして爆発させるように三人に向かって指をさした。
同時にお頭と呼ばれる男が真顔で杖を振る。
﹁ウインド﹂
いまさら初歩魔法?
関係ねえ。
518
電衝撃
インパルス
もうやるっきゃねえ。
食らえ特大の
!!
パチパチッという聞き慣れた電流の小さな音が鳴り⋮⋮⋮
︱︱︱魔法は発動しなかった。
﹁あ、れ⋮⋮⋮?﹂
俺はその場に崩れ落ちた。
気づいたら目の前が真っ黒い霧で覆われていて、まぶたが言うこ
とを聞かずにゆっくりと落ちていく。
なんだ、これ⋮。
どういうことだ⋮?
をお嬢様の背後に唱えたんだよ。それを俺
でお嬢様にぶつけたんだ﹂
睡眠霧
スリープ
﹁びっくりしているようだなおデブなお嬢様。俺たちが無駄話をし
ウインド
ているうちに
が
﹁え⋮⋮⋮⋮そんな⋮⋮﹂
﹁残念だったな。正直ここまで戦えることに驚いている﹂
519
﹁デブでブスのお嬢さん、ゆっくりおねんねしな﹂
﹁安心しろ、死ぬことはない﹂
俺は⋮⋮眠くない⋮⋮⋮。
俺こそが⋮⋮⋮夜の帝王⋮。
不眠不休⋮⋮徹夜の覇者⋮⋮。
ダメだ、意識が⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮。
遠くのほうから警邏隊の笛の音が聞こえてくる。
お頭、と呼ばれていた男が﹁いそげ!﹂と指示を出す声を聞いた。
アリアナ⋮⋮⋮バリー⋮⋮⋮⋮わりい。
バリーが路上に放り出され、アリアナがでかい麻袋に入れられる
ところまで見て、俺は意識を失った。
○
不規則な揺れを感じて俺は目を覚ました。
どうやらどこかへ運ばれているらしい。起き上がろうとすると、
両手両足を縛られているのかまったく手足が動かせなかった。頬に
木の板の感触を感じ、息を吸えばほこりっぽい匂いが鼻孔を不快に
520
刺激する。
たぶん馬車の中だな。
暗くて周りに何があるのかぼんやりとしか見えない。体を動かそ
うにも、汚い麻袋に入れられており、顔だけ袋から出している状態
だ。俺は勢いをつけて寝返りをし、反対側を向いた。
目の前にアリアナの顔があった。
俺と同じ状態にされている。麻袋に入れられ、首だけを外に出し
て、苦しそうに唸っている。額にはびっしりと玉のような汗をかい
ていた。
﹁アリアナ? 大丈夫!?﹂
彼女は返事をしない。
車輪に何かがぶつかったのか、馬車が大きく揺れる。
﹁アリアナ! アリアナ!﹂
俺は芋虫のようにアリアナに近づいて、耳元で叫んだ。
ようやくアリアナが目を開けたかと思うと、彼女は申し訳なさそ
うに呟いた。
﹁エリィごめん⋮﹂
﹁どうしたの? 怪我してる?﹂
﹁ううん⋮﹂
サンドボール
が当たって⋮⋮よけれなかった⋮で
﹁嘘おっしゃい。顔色が真っ青よ﹂
﹁⋮⋮お腹⋮
も二人は⋮⋮倒した﹂
521
﹁まって、今すぐ治療を﹂
俺は魔力を練ろうとした、が何度やってもヘソから別の場所へ循
環させようとすると霧散してしまう。
﹁魔法が使えないわ⋮﹂
もう一度、魔力を込め、顔の方向へと移動させる。熱い魔力がヘ
ソから腹のあたりまでくると、何かに邪魔されるかのように乱され、
魔力がどこかへ消えてしまう。
﹁エリィ⋮魔力妨害⋮⋮﹂
﹁どうしたのアリアナ﹂
﹁たぶん魔力妨害⋮⋮の腕輪⋮⋮⋮エリィ杖なくても⋮⋮⋮魔法使
えるから⋮﹂
﹁そんなものがあるの?﹂
﹁ある⋮⋮﹂
魔法が使えないとなるとまずいな。
どう頑張っても手の拘束は取れそうにない。
暗闇にやっと目が慣れてきた。馬車の中には樽や箱が乱雑に積ん
であり、麻袋に野菜のような物や、果物が入っている。狭い空きス
ペースに俺とアリアナは転がされているようだ。
馬の蹄が土を蹴る音が複数することから、馬車を守るように馬が
何頭か併走しているらしい。度々、馬車が激しく揺れることから舗
装されている道を走ってはいないようだ。
まさかこんなことになるなんてな。
522
複数の対人戦の練習をしていなかったのがいけなかった。判断ミ
スだ。あの場で引き返して救援を頼むべきだったのか。いや、あそ
魔法
という大きな武器を
こで俺が飛び出さなかったらアリアナとバリーが殺されていたかも
しれない。結局は後の祭りだ。
異世界と日本は違いすぎる。個人が
持つことができるため、危険が身近に存在しているのだ。それを俺
は忘れていた。つい街は安心だとばかり⋮。
まあいいや。どうにかして逃げだそう。
こういうときこそポジティブにいこう。
俺は天才だからどうにかなるだろ。イエス、ジーニアス。
できるできる、俺ならできる。
そんで、今できることは⋮⋮ないな。チャンスを逃さず行動すれ
ばいい。
俺が独りごちていると前方の布が開いた。
先ほどの襲撃グループの子分らしき男が馬車の中を覗き込んでく
る。
﹁デブのお嬢ちゃんお目覚めかい。でも残念。すぐにおねんねだ﹂
﹁私たちをどこに連れて行くの?﹂
﹁知りたいかい?﹂
﹁⋮⋮ええ﹂
﹁とってもいい所さ﹂
ゲッヘッヘッヘと下品な笑いを子分はし、隣にいる男に目配せを
した。
523
スリープ
隣の男はローブから杖を取り出し、小さな声で﹁睡眠霧﹂と唱え
て俺に振った。
目の前が真っ暗になってまぶたが重くなり、俺は急激な睡魔に勝
てず意識が朦朧とする。俺は夜の帝王、不眠不休の徹夜王、そう呟
いて睡魔を跳ね返そうと試みたが、効果はまったくなく、五秒もせ
ずに眠りについてしまった。
524
第23話 イケメンエリート、悪漢に狙われる︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重84㎏︵±0kg︶
525
第24話 イケメンエリート、人生で一番不愉快になる
誘拐されてから五日経過した。
俺とアリアナには最低限の食事と水が与えられるのみで行動の自
由は一切ない。やけに騒がしい検問のような場所を通ったところで、
麻袋からは出してもらえた。俺は両手を後ろに固定され、両足には
鉄製の手錠のような拘束具をつけられていた。拘束具には不可思議
な模様が描かれており、アリアナの話ではその両手両足の拘束具が
魔力阻害の魔道具、ということだった。
魔法を使用するには両方とも破壊しなければならず、普通の力で
は不可能だ。そうなると襲撃者から鍵を奪ってはずすしかないが、
誰が持っているのかわからない。鍵が存在しない、ということはな
いだろう。こういった魔導具は高価なので必ず再利用するはずだ。
いちいち破壊していたらコストがバカにならない。現に足首の拘束
具を見ると、鍵穴が空いている。
あれから何度となく魔法は試してみた。
結果は同じだ。せめてアリアナに回復魔法をかけてやりたい。俺
が襲撃者たちに口うるさくアリアナを治療しろと騒いだので、渋々
といった様子で回復ポーションの瓶が乱暴に投げられた。アリアナ
はそれを飲んでいくらか傷がましになったようで、呼吸が安定した。
それでも魔法でやられた腹部が痛むのか、時折苦しそうな顔をし、
碌に食事も取れない。元々痩せていた彼女はさらに細くなり、すっ
かり憔悴してしまった。
俺は馬車内の板と板のあいだに挟まっていた小さな釘を後ろ向き
526
の体勢で引き抜いて、物音を立てないよう慎重に馬車を覆う布へ突
き刺した。釘を捨て、空いた穴を覗き込む。外には何の変哲もない
平野が広がり、奥は森が続いている。道は赤レンガが敷き詰められ
ていて、この街道が大きなものだという推測が立つ。馬車は速度を
出しているのか景色が次々と後方へ飛んでいく。
地図を思い出しても、赤レンガの街道があるとは書かれていなか
った。もっと知識を得ておけば現在地がどの辺かということがわか
ったはずだ。今更それを言っても仕方ない。俺は穴から離れて腰を
下ろし、樽に寄りかかった。馬車の中に逃げ出せる道具になるよう
が飛んでくる。
な物はない。馬車内をうろうろしているのが見つかると、すぐに
スリープ
睡眠霧
考えられる移動先は三つ。
一つは東にある人族主義のセラー神国。
一つは南西にある獣人の治めるパンタ国。
一つは自由国境を越えた砂漠の国サンディ。
砂漠の国サンディとパンタ国は戦争がありそうできな臭い、と前
に誰かが言っていたな。できればそっちでないことを祈る。
とか言っていたが、まさかデブ好きの変態のところへ連れて
にしてもこいつらの目的って俺なんだよな。この間、依頼主の
趣味
行かれるとかないよな。ほんとそういうの無理。まじでありえない。
どうにかして逃げ出さないとまずいことになりそうだ。
﹁食事だ﹂
子分っぽい男が車内に水の入った瓶と紙袋を放り込み、すぐに顔
を引っ込める。なんだか苛ついた様子だ。この先で何かあるのか、
527
単に機嫌が悪いのか、分からない。とにかく食べておかないといざ
っていう時に力が出ないな。
﹁アリアナ﹂
﹁ん⋮﹂
俺は横になっている彼女を起こした。
アリアナは辛そうに後方の木箱へ寄りかかる。本当なら俺が支え
てやりたかったが、両手が後ろにあるのでそれができない。
﹁食べれそう?﹂
﹁ん⋮⋮﹂
体は拒否している。でも食べないと体力が回復しないと理性で分
かっている。無理にアリアナはうなずいて、紙袋を開いた。彼女の
拘束はロープのみで両手は前になっている。やりづらそうに中に入
っていたサンドウィッチを取り出して、端っこのほうだけをかじっ
た。
﹁けほ⋮⋮けほ⋮﹂
相当苦しそうだ。最悪、内臓がやられている可能性がある。いつ
もは元気な狐耳が、今はへなんと萎れていた。
﹁大丈夫? 水は飲めるでしょ?﹂
﹁ん⋮⋮﹂
サンドウィッチを諦めて袋に戻し、水の瓶を開けようとする。コ
ルク式になっており、アリアナは力が入らないのか、抜くことがで
きない。俺は後ろを向いて、手を出した。アリアナがコルクをうま
528
く俺の右手に当ててくれる。
﹁押さえててね﹂
﹁ん⋮﹂
アリアナが瓶を押さえていることを確認して、俺はコルクを抜い
た。かなり固く蓋がしてあった。何の嫌がらせだ。
水を飲んで落ち着いたところで、彼女にサンドウィッチを持って、
食べさせてもらう。この作業も慣れたものだ。食べさせてもらわな
ければ俺は犬みたいに這いつくばって食べるしかない。こういった
事まで考慮して、襲撃者たちはアリアナの拘束だけ両手を前にした
のかもしれないな。
それから二時間ほどして、襲撃者たちが大声で何か連絡を取り合
い始めた。
﹁もう着くぞ!﹂
﹁通行証は持っているな。金の準備をしろ﹂
子分とお頭らしき男の声だ。着く?
どこに着くんだ。
俺は先ほど開けた穴のところまで這って移動し、外をのぞき見る。
ちょうど真横に護衛の馬が走っていて何も見えない。何だか嫌な予
感ばかりがよぎる。
馬車は、動いたり止まったりを繰り返している。列に並んでいる
529
のかもしれない。十五分ほどして、お頭が今まで聞いたことのない
声の男とやりとりをすると、馬車は軽快に走り始めた。周囲が騒が
しい。売り子の声や、すれ違う人の声が大きく聞こえる。
○
街に着いたようだ。
見張り番とお頭の会話から、ここは﹃トクトール﹄という地名だ
とわかった。襲撃者たちは街に入れてほっとしたのか口数が多くな
っている。何か情報がないか耳をそばだてていると馬車が止まった。
﹁出ろ﹂
﹁出れるわけないでしょ﹂
男の言葉に俺は反論する。両手両足を拘束されてどうやって移動
しろというんだ。
﹁ちっ﹂
嫌味を隠そうともせず、前歯のない男が馬車に入って俺の腕をつ
かんだ。そして乱暴に引っ張る。ずりずりと床をこするように移動
させられ、馬車の外に放り出された。
﹁おい手伝ってくれ﹂
﹁やだよ﹂
﹁俺一人じゃむりだこんなデブ﹂
﹁自慢の身体強化はどうした﹂
﹁そんなもんできねえよ﹂
530
﹁やっぱり法螺吹いてたんじゃねえか﹂
﹁たりめえだろ。できてりゃ今頃俺は騎士団だ﹂
ああだこうだ言い合いながら、下品な男ふたりが俺を担ぎ上げ、
停車した家へ運んでいった。アリアナは米俵を持つように別の男に
担がれている。
襲撃者のアジトだろう。入り口すぐの樽に剣が無造作に入れられ、
いつでも戦闘にいけるように準備されている。廊下を進んだ先、質
素なリビングには三人掛けソファが二つと一人掛けソファ一つが無
秩序に置かれ、物が少なく生活感が全くない。湿気とカビ臭さが鼻
につく。
俺をソファに放り投げ、前歯のない男が、三メートル四方はあり
そうな大きな絵画の前に立った。絵画には夕暮れの湖が不気味に描
かれている。夜中に一人で見たらちびりそうな絵だ。前歯のない男
がおもむろに右手を上げ、絵画にぴたりと手を当てた。
﹁汝、我の欲する物を知り、我、汝の欲する物を知らず。その姿、
未だ見れず、我は汝を欲す﹂
すると額縁が光り、絵画に描かれた夕暮れの湖が渦に飲まれて真
っ黒く変色していく。軟体動物のごとく激しくうねり、絵画のあっ
た場所にはぽっかりと空洞が現れた。
﹁いくぞ﹂
﹁おい、そっちの痩せっぽっちと交替しろ﹂
﹁やだよ﹂
断られた前歯なしの歯抜け男がわざとらしく舌打ちをし、俺をう
531
んざりとした様子で担いだ。もう一人も嫌々足のほうへと回り込み、
持ち上げる。男達は絵画があった空洞の中へと入っていった。アリ
アナを担いでいる男も当然うしろをついてくる。
空洞は地下へと続いていた。
俺とアリアナは地下の部屋にある、鉄製の牢屋に転がされた。歯
抜け男が、乱雑に毛布を二枚放り込んでくる。
﹁大人しくしてれば何もしねえ﹂
凄んだ歯抜け男の顔は汚らしかった。無精髭に今朝食べたパンく
ずがこびりつき、顔中が垢だらけ。おまけに臭い。
やめれ、顔近づけんな。ばっちい。
俺が顔を背けたことに満足したのか、歯抜け男は下品に笑って牢
屋の鍵をかけた。
ガチャン、という重い鉄の錠前が落ちる音が牢屋に響く。
男たちは俺を見て鼻で笑うと、階段をのぼり、消えた。
○
牢屋は太い鉄の檻になっている。魔法なしで破壊するのは不可能
だ。俺は冷たい床に毛布を敷き、アリアナを寝かせて毛布をかけて
やった。彼女の衰弱が激しい。意識が朦朧としているようで、うわ
ごとのように弟妹の名前と俺の名前を呼んでいる。
﹁エリィ、エリィ⋮⋮﹂
532
﹁大丈夫よアリアナ。私はここにいるわ﹂
﹁エリィ⋮⋮エリィ⋮⋮⋮⋮﹂
しばらくアリアナの手を握ってあげる。随分と冷たく、細くなっ
てしまった。
俺は怒りが込み上げると同時に、憤怒したところで逃げ出せない
と思い直し、冷静な目で牢屋を観察する。どうにか逃げる手段を考
えなければ。
つーかこんな状況で冷静とか俺ってやっぱ天才。鉄のハート。
と、自己暗示をいつも通りかける。
ピンチのとき、辛いときは、俺ならデキル、俺は天才だ、と言っ
ていたら癖になってしまった。会社の連中にも言っていたことを思
い出す。まあ本当のことだし別にいいよな。
俺、天才、イエーイ。
にしてもつい数ヶ月前までぶいぶい言わせていたスーパー営業が、
今はデブでブスで牢屋にインとか、まじで誰も信じねえー。
俺は驚く友人の顔を想像し、にやっと笑った。
こういうときこそ笑いは必要だ。
とにかくどうにかして抜け出せないもんか。ドラマとか映画だと
誰かが腹痛とか病気になったフリをして看守を呼び出し、鍵を奪い
とる、というのが定番だ。だが自分が牢屋にぶち込まれて分かる事
実。そういうの絶対無理だわ。
それにここは異世界で人の命が軽い。魔物にやられることもあれ
533
ば、夜盗に襲われることだってある。魔法で決闘をして死ぬことだ
ってある。日本よりも死が近い。そんな世界で病気の演技をしたっ
て大した効果はないだろう。どうでもいいと思われるか、回復魔法
でも唱えられ放置されるのがオチだ。
でも俺が諦めたらアリアナも終わりだ。
アリアナだけは絶対に助けると心に誓った。
奴らにさらわれてから、そればかり考えている。
もしエリィが生きていて、アリアナと友達になっていたら、彼女
は嬉しそうにクラリスに話し、エイミーに紹介し、毎日お昼ご飯を
一緒に食べて色んなところへ遊びに行っただろう。学校で勉強し、
特訓場で魔法の訓練をし、いじめっ子を撃退し、帰り道を遠回りし
て恋の話だってしただろう。エリィは人を大切にする素晴らしいレ
ディで、他人に優しくできるいい子だ。初めて出来た友達を自分の
家族のように大事に思い、相手が傷つくような事があれば身代わり
になって守り、かばう、そんな女の子だ。
俺だってアリアナのことは大事だと思っている。ボーンリザード
に襲われたとき彼女がいなければ全滅していた。それにアリアナは
家族のように俺のことを考えてくれ、つらいときは慰め、楽しいと
きは一緒に笑い、彼女のこっそり笑う可愛らしい笑顔に何度も心が
軽くなった。彼女を助けない、という選択肢はない。俺はアリアナ
が好きなんだ。可愛い妹みたいな存在で友達なんだ。エリィだって
出逢っていたら彼女のことを好きになっていたに違いない。
アリアナの境遇も悲惨だ。一家の命運を背負い、ひとりで六人い
る弟と妹を養っている。そんな重圧から逃げもせずにアリアナは立
ち向かっている。俺は勇敢で頑張り屋の彼女の力になれてない。こ
534
んな中途半端なところで終われない。俺は彼女を助け、友達として
少しでも手伝いをしてやりたい。
あれ?
なんか真剣に考えていたら涙が出てきた⋮。
俺が泣いているのかエリィが泣いているのか、わからない。
俺はこんなようなことで泣くような男じゃないと自負している。
でもなぜ⋮。
体育座りになって、ワンピースの膝で涙を拭いた。
きっと、一人だったら絶望的な気分になっていただろう。アリア
ナを助けるのか、彼女に助けられているのか⋮⋮多分その両方なん
だろうな。俺は後ろを向き、拘束された手でアリアナの狐耳を揉ん
で癒され、よしと気合いを入れた。
なんとしてでもここを抜け出す。
絶対グレイフナーに帰るんだ。
○
牢屋に入れられ数時間が経過した。
地響きのような音が聞こえる。
瞬間的に揺れ、すぐにおさまるような突発的な音だ。重機での工
535
事は異世界なのでありえない。とすると、雷か。
耳をすませると、微かにゴロゴロと雷雲が喉を鳴らす音がする。
外は雷雨の可能性があるな。
俺が聞き耳を立てていると、上の階がにわかに騒がしくなった。
数人の足音がする。構造的に真上がリビングなのかもしれない。く
ぐもったしゃべり声がすると、階段の辺りがうるさくなり、数人が
階段を下りてくる音がした。
﹁我が輩の天使ちゅわんはどこだ!﹂
天使ちゅわん?
﹁愛しのマイスゥイートエンジェル!﹂
スゥイートエンジェル?
﹁おおお! ついに⋮⋮!﹂
牢屋の前に現れたのは色白でぽっちゃり系の男だ。見たところ三
十代に見えるが、頬が赤くて二十代にも見える。気が小さいのか、
豆のように小さな瞳がせわしなく動き、唇がやけに分厚く、だらし
なく半開きになっている。好色そうな顔で、俺を舐めるように見て
いた。すげー気持ち悪い。女子がやらしい目で見られる気分を初め
536
て知った。
不愉快ですわよ。わたくし不愉快ですわよ!
右頬に﹁性﹂左頬に﹁欲﹂と書いてディザイアーと読ませたいほ
ど、鼻息が荒い。
﹁我が輩はアデル・ポチャインスキーだ。そなたがエリィ・ゴール
デンだな?!﹂
﹁⋮⋮﹂
俺は不快すぎて黙っていた。
十秒ほど沈黙していると、お頭と呼ばれていた鋭い眼光の男が、
ガァンと思い切り檻を蹴り飛ばし﹁答えろ!﹂と恫喝してくる。
渋々、俺はうなずいた。
﹁⋮⋮ええ、そうよ﹂
﹁うほおおおおおおッ! なんとぉ! なんと可愛らしい声ッ。早
朝の小鳥のさえずりのような、いや、そんな動物で比喩してはいけ
ないほどの、透き通るような天使の声だ!﹂
アデル・ポチャインスキーは、興奮した様子でぽっちゃりした腹
を自分の両手で円を描くように何度も何度もさすっている。それが
癖なのかもしれない。
あだ名は自動的にポチャ夫だ、こんな奴。
﹁我が輩のことは憶えていないか? ん?﹂
俺は首を横に振った。
こんな奴、見たら忘れねえわ。
537
﹁二年前のグレイフナー魔法学校入学式、保護者席でそなたに熱い
視線を送っていたのだがな﹂
憶えてるわけねええぇッ。
いちいち保護者席の保護者見ねえだろ。どんだけ自意識過剰なん
だ。
つーか俺がエリィになったのほんの数ヶ月前だし。エリィだって
憶えてねえよ。
﹁ん? どうなんだ? んん?﹂
ひぃぃぃぃっ!
近寄るなぁー!
﹁ペスカトーレ、牢屋を開けてくれ﹂
﹁ポチャインスキー殿、まだ支払いが済んでおりませんが⋮﹂
﹁いま準備しておろう! 前金も払っているではないか! 別にこ
のまま連れて帰るわけではない!﹂
﹁はあ⋮、まあいいでしょう﹂
お頭と呼ばれていたペスカトーレはポケットから牢屋の鍵を出し、
錠前をはずした。
ポチャ夫がペスカトーレを脇へ追いやり、急いで中に入ってくる。
﹁エリィ・ゴールデン⋮⋮エリィちゃん⋮⋮こっちへおいで﹂
﹁こ、こないで⋮﹂
俺は全力で後ずさる。
だがすぐに牢屋の鉄格子が背中に当たった。
538
﹁怖がらなくていいんだよ⋮⋮我が輩は君を、あ、あ、愛している﹂
恐怖と混乱から、俺は血の気が引いた。こいつはあれだ。真性の
変態の目をしている。
ポチャ夫はおもむろに俺に近づき両手を広げて深呼吸すると、俺
の腹めがけて水泳の飛び込みみたいに飛び付いてきた。
﹁いやぁーーーーーーーーーーッ!﹂
ぎゃぁぁーーーーーーーーーーッ!
変態だ。こいつ変態だ!
やべえ変態だ!
﹁なんといふ弾力。なんという穢れなき肌。んんすぅぅぅぅはぁぁ
あぁぁっ。なんといふ芳醇なかほり。我が輩は、いま恋をした! 我が輩と結婚してくれ!﹂
﹁ぜっっっっっっっっっったいに嫌ッッ!!!!!﹂
﹁んほぉぉう! つれないのぉ! だが、それがいいッ!!!﹂
てめえエリィの体に勝手に触るんじゃねえよ!
はーなーれーろぉぉぉっ!!!
俺は全力で引きはがそうともがいた。しかしなかなかポチャ夫の
しがみついた両手ははがれない。むふっ、むふっ、と言って俺の体
に顔をうずめてやがる。
いい加減、見るに見かねたお頭ペスカトーレがポチャ夫を引っぺ
がし、牢屋の外に放り出して鍵を締めた。
ここはありがとうと言わざるを得ないッ!
人生で一番不愉快だったかもしれねえ。
539
﹁これ以上はやめて頂こう﹂
ペスカトーレの目には軽蔑の光が見える。そらそうだ。
﹁むう! 仕方ない。おぬし今から屋敷に来い。秘書を待ってなど
おれぬわ。すぐに金を払ってやる﹂
﹁わかりました。こちらとしても早く支払いをしてくれるに越した
ことはない﹂
﹁ふん、何を偉そうに。まあおぬし達﹃ペスカトーレ盗賊団﹄の腕
は買っておるがな﹂
﹁今後ともごひいきに﹂
﹁わかっている。おい、いくぞ﹂
ポチャ夫が従者にアゴをしゃくり、こっちに振り返って満面の笑
みで見つめてきた。
いやほんと勘弁して。
﹁寂しいと思うが待っておるのだぞ﹂
俺は全力で無視する。
甲子園決勝最後の一球ぐらい力の限りを尽くした全力の無視。
﹁うほほ! つれないのぅ。だが、それがいいッ!﹂
うるせえ!
早くどっかいけ!
﹁さようなら、愛しのヤボーン、アデル様と言ってくれ﹂
﹁!?﹂
540
ヤボーン!?
﹁ヤボーン。我が輩が今作った言葉だ。意味は最愛の人﹂
あかん!
こいつおかしいぞ!
愛しの最愛の人って意味かぶってるじゃねえか!
あやうくツッコミを入れるところだ。
﹁さあ、エリィちゅわん⋮⋮言ってごらん﹂
俺は全力で拒否する。
甲子園決勝最後の一球のサインを拒否する投手ぐらい全力の拒否。
﹁つれないのぉ。ほれ、怖くない。言ってごらん﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ほれ、ほーれ。愛しのヤボーン。言ってごらん﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁だいじょうぶ、怖くないよ。ほら﹂
﹁⋮⋮言ってもいいけどお願いがあるわ﹂
﹁うほほッ! 何度聞いても美しい声だッ! のうペスカトーレ!﹂
﹁⋮⋮そうですな﹂
条件付けは取引の基本だぞポチャ夫。
お前は自分の欲しい物を言ってしまった。その時点で不利になる
んだ。
といってもこいつ何も気にしてねえな⋮。
お頭ペスカトーレは渋面を作って曖昧にうなずいた。
541
﹁して、願いとは﹂
﹁アリアナ⋮友達を治療してほしいの。あとはこれをはずして﹂
俺は拘束具を前に出した。
するとペスカトーレがすぐに反応する。
﹁それはできん。お前は杖なしで魔法ができるからな﹂
﹁じゃあせめて両手両足が自由になるようにしてよ。どうせそうい
った種類の魔道具、あるんでしょう? お願いを聞いてくれたら言
ってあげるわ﹂
﹁よいぞ、それぐらいならよい!﹂
﹁ポチャインスキー殿。この娘はグレイフナー魔法学校の生徒です。
あまり自由な拘束にはしないほうがいいかと﹂
﹁どのみち我が屋敷で生活するのだ。いま自由にしてやってもよい
だろう﹂
﹁⋮⋮あなたがそこまで言うのなら、いいでしょう﹂
ペスカトーレは渋面を隠そうともせず牢屋の鍵を開けて、近くに
いた子分に合図をする。
すると子分と他三人が俺に杖を構えた。
くそ、拘束具をはずした瞬間に魔法は無理だな。ここは大人しく
しておこう。
両手両足の拘束具がはずされ、代わりにリストバンドのような鉄
製の腕輪を、右手、左手、右足、左足、すべてに付けられた。五日
間以上芋虫状態だったので、解放感が半端ない。両手が伸ばせるっ
ていいな。
﹁これで魔法は使えない。変なことを考えても無駄だ﹂
542
ペスカトーレが鋭い目をより細めて釘を刺す。
﹁あと友達の治療よ。それがなければ言わないわ﹂
﹁ちっ、うるさい女だ﹂
合図で子分が上着のポケットから小瓶を取り出し、俺の前に転が
した。
体力回復のポーションだ。
﹁これ以上は無理だ。あとはポチャインスキー殿にお願いするんだ
な﹂
﹁そんなことはいい。エリィちゃん、はやく、はやく言っておくれ﹂
﹁うっ⋮⋮⋮﹂
﹁ほらほらどうしたんだい、約束だろう。それとも君は約束を守れ
ないレディなのかい?﹂
こいつ⋮⋮。
﹁さようなら、愛しのヤボーン、アデル様だよ、間違えないように﹂
﹁さ⋮⋮さようなら、愛しの、ヤ、ヤ⋮⋮﹂
なんたる屈辱!
くっそ! くっそ!
﹁ヤボーン、アデル様ッ!﹂
﹁うむ! うむ! うむ! ではいい子にして待っているのだぞ!﹂
後半を投げやりに言った。それでポチャ夫は満足したのか笑顔で
階段を上っていく。そのうしろをポチャ夫の従者二人、ペスカトー
543
レ、子分、その他盗賊団のメンツが続いた。
しかし全員階段を上りきる前に、全身ずぶ濡れの甲冑の男が転が
り込んできた。
﹁ポチャインスキー様、緊急事態です! 大量の魔物がこちらに向
かっております!﹂
﹁なんだと!?﹂
﹁情報によると千匹ほど! いま街の防衛隊が出動しております!﹂
﹁千匹?! ランクは?!﹂
﹁E∼Cかと!﹂
﹁街の警護は最低限にし、冒険者協会に依頼をかけろ﹂
﹁かしこまりました﹂
意外とまじめなポチャ夫。
見直したりは絶対しないけど。
そうこうしているうちに、また伝令らしき甲冑の男が血相を変え
て現れた。
﹁砂漠の国サンディが本日出兵! 街を通過してパンタ国に戦争を
しかけるようですッ!﹂
﹁なにぃッ!? 一ヶ月は先だと聞いていたぞ!﹂
﹁理由は不明です! 食糧の優遇を希望する早馬が届きました!﹂
﹁こんなときに⋮⋮ペスカトーレ、金の支払いは明日だ。いいな﹂
﹁一度、屋敷に戻られるんでしょう? でしたらご一緒しますよ﹂
﹁あとだと言っている! おい、さっさと行くぞ!﹂
男達はせわしなく階段を上がっていき、ペスカトーレは忌々しい
といった表情でポチャ夫を睨んでいた。全員がいなくなると静寂が
訪れる。
544
なんだか外は大変なことになっているらしい。逆に好都合だ。
俺は自由になった腕で回復ポーションを手に取り、アリアナにゆ
っくり飲ませた。
最初は飲むことを嫌がっていたが、飲み始めると落ち着き、五分
ほどで穏やかな顔つきになった。
脱走のタイムリミットは魔物の群れを退治し、金が支払われるま
で。おそらく明日の午後。早ければ今晩魔物討伐が終わるので、明
日の午前中もありえる。ということは今晩どうにかして脱出しない
と、ポチャ夫の家にご招待だ。
まじでやだ。それだけは勘弁だ。
ほんとの本気で無理ッ!!
俺はアリアナの頭を撫でつつ、脳内で策をめぐらせた。
545
第24話 イケメンエリート、人生で一番不愉快になる︵後書き
︶
エリィ 身長160㎝・体重84㎏︵±0kg︶
→マイナス4キロで前回表記しましたが設定上、体重を戻しました。
▼以下、駄文です▼
作者 ﹁なんか⋮なんかランキングがおかしい⋮﹂
エリィ﹁どうしたの?﹂
作者 ﹁日刊12位?!?!? ぴぎぃ!!!﹂
エリィ﹁あ、気絶したわ。あなたのおかげじゃなくて私のおかげな
んだけどねッ!﹂
スルメ﹁おれだろ﹂
ガルガイン﹁俺のおかげだな﹂
アリアナ﹁エリィのおかげ⋮⋮﹂
クラリス﹁おじょうざば!﹂
バリー﹁おどうだば! おどうだば!﹂
亜麻クソ﹁はっはっはっは諸君! ぶぅおくが格好いいからに決ま
っているだろう!!﹂
スルメ﹁ファイヤーボール!﹂
ガルガイン﹁サンドボール!﹂
ヒール
亜麻クソ﹁ぎゃああああああぁぁぁぁ⋮⋮⋮⋮⋮ぁっ﹂
エリィ﹁⋮⋮⋮治癒﹂
▼ ▼
546
ということでお読み頂き感謝感激です!
更新は不定期ですが、四日は空けないペースでアップしていこうと
思っております。
次回は三日後更新予定です!
よろしくお願い致します!
547
第25話 イケメンエリート、悪い子をおしおきする︵前書き︶
まさかの日間ランキング2位!!
皆さんありがとうございます!!
感想、ご指摘、誤字修正、ブクマ&評価ありがとうございます!!
様々なご意見を頂き、感激しております。
ひっそりとアップしていた日々が嘘のようです。
あたたかい言葉や厳しいお言葉もありましたが、そのすべてが嬉し
いです!
しつこいようですが、ありがとうございます!
まだまだエリィちゃんとイケメンの冒険は続きますので、是非とも
最後までお付き合いください♪
548
第25話 イケメンエリート、悪い子をおしおきする
上の部屋は静かだった。
魔物の大量出現と砂漠の国サンディの出兵という一大事の様子を
見に行っているのか。
いや、盗賊団というぐらいなのだから混乱に乗じてどこかを襲撃
しているのかもしれない。この家の見張りが少人数の可能性が高い
な。
俺は魔力妨害の腕輪を思い切り檻に叩きつけてみる。
ガンと鈍い音がするだけで、腕輪も檻も傷ついた様子はない。手
が痺れただけだ。強引に破壊するのは難しい。
続いて牢屋を子細に調べてみる。鉄格子はご丁寧に四方、天井、
地面、すべてにしっかりとめぐらせてある。こういう異世界とか中
世物の映画だと壁があってそこから脱出できるとかさ、定番だと思
うんだよね。隠し通路とか排水溝とかさ⋮⋮両方ねえよ?
どこかに錆びてるところ⋮⋮ないな。
俺はダメもとで、魔力を練ってみる。
ヘソの辺りに魔力が溜まり、ゆっくりとヘソ周辺を循環する。た
めしに右腕のほうへと魔力を流すと、角砂糖を握りつぶすみたいに
魔力がバラバラになった。
もう一度、と気合いを入れて魔力を練る。
今度は左足へ⋮⋮ダメだ。
549
次はお腹から⋮⋮ぐっ、魔力が放出される前に消えてしまう。
脇腹は⋮⋮⋮これもダメか。
魔力妨害の腕輪から糸のような見えない何かが出されており、触
れると魔力が散ってしまう。糸が全身に絡まっているような感覚だ。
前につけられていた拘束具とはちょっと中身が違うらしい。前のや
つは魔力を練っても、見えない壁に押し返される感覚だった。
どうにか魔力の抜け穴を探せば、いけるかもしれない。
俺は仁王立ちで瞠目し、集中する。
雷が近くで落ちたのか、地響きがする。
自分の呼吸音とアリアナの寝息だけが薄く伸び、時たま雷音が遠
くのほうから聞こえてくる。集中だ、集中しろ。魔力妨害の魔道具
の抜け道を探すんだ。焦らず、慎重に、ゆっくりと⋮。
何度も魔力を練り、魔力妨害に阻まれ霧散させる。
額から汗が流れ落ちる。
どれぐらい魔力を練っていただろうか。
俺は、くわっと目を見開いた。
550
︱︱︱︱︱︱︱ッ!!!!
﹁なんてこと⋮⋮﹂
思わず口から驚愕の言葉が漏れてしまう。
いや、まさか⋮⋮これは⋮⋮。
信じられない。
だが、これしかないッ。
ぐっ⋮⋮⋮しかし⋮⋮こんな、こと。
なぜ?! なぜなんだ!!
そりゃやるしかないよ?!
でもこれはひどすぎる。あんまりだ!
これしか手がないなんてひどすぎる!
おお神よ!
信じてないけど神よッ!
551
魔法が︱︱︱︱
魔法が︱︱︱︱︱︱
魔法がッッッ︱︱︱︱︱︱!!
﹁魔法が尻から出るッ!!!!!!﹂
552
癒発光
キュアライト
ズゥゥン、と外で大きな雷が落ちたのか、牢屋が微かに揺れた。
○
﹁アリアナ、ごめんね。なんか、すごく、ごめん﹂
俺は葛藤しつつも、おもむろにアリアナへ尻を向けて
を唱えた。背に腹は代えられない。いや、背に尻は代えられない。
なに言ってるんだ俺は。落ち着け。やっと魔法が使えるんだぞ!?
これで状況は一変したのだ。喜ばしいことだ。笑え、俺よ!
﹁はーっはっはっはっは﹂
アホかッ。
癒発光
キュアライト
がアリアナを包む。切り傷、打撲ぐ
って⋮誰も見ていないノリツッコミほど悲しいもんはねえな。
魔力妨害を抜けた
らいなら瞬時に治る魔法だ。彼女の苦しそうな表情は和らぎ、土気
色だった顔色にほんのり赤みがさし多少なりとも体調が良くなった
ことを伺わせる。俺はアリアナのシャツをたくし上げた。腹にあっ
た青あざは消えていた。よかった。
553
念のため、もう二回ほど
キュアライト
癒発光
をかける。
やはり、というか当然これ以上の効果はないようだ。
下位の光魔法と、上位の白魔法の治療魔法は物理的な傷を治す事
治癒
ヒール
以上の魔法が必
を百回かけ
に長けており、魔法のランクで治癒できるレベルが決まっている。
例えば魔物に噛まれて腕が取れそうな患者に
加護の光
ても効果はない。せいぜい数十秒血が止まる程度だ。
腕が取れそうな場合は白魔法の中級
要で、唱えれば瞬時に腕がくっつくらしい。多分、腕が取れそうな
患者に絆創膏をいくら貼っても意味がない、という事と同じだろう。
そういえば、教科書には大体の効果が書かれていたな。
俺は教科書の内容を思い出そうと、目を閉じた。
ヒール
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
治癒魔法
光魔法
キュアライト
中級﹁治癒﹂↓切り傷、擦り傷、簡単な止血等。
上級﹁癒発光﹂↓大きな切り傷、打撲、捻挫の治癒等。
白魔法
下級﹁再生の光﹂↓斬撃、やけどの治癒等。
中級﹁加護の光﹂↓切断直後の部位接着等。
上級﹁万能の光﹂↓欠損した部位の再生等。
超級﹁神秘の光﹂↓あらゆる事象の再生等。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
554
確かこんな感じだった。
ということは、アリアナは少なくとも白魔法の下級以上の怪我を
しているってことか。もしくは物理的なものでなく、内臓や消化器
官がウイルスや菌にやられている可能性がある。内科の治療に使え
そうな魔法は、下位の水魔法と、上位の木魔法だ。俺はどっちも使
えないからダメだな。
確か水魔法と木魔法はこんな感じだったか。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
キュアウォーター
治癒補助魔法
水魔法
上級﹁治癒上昇﹂↓治癒力を高める。
木魔法
下級・﹁緑の微笑﹂
中級・﹁緑の浄化﹂
上級・﹁緑の慈愛﹂
超級・﹁緑の豊穣﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
木魔法の効果はよく憶えていない。
エイミーがいたら治癒してくれただろう。
エイミー今頃心配してるだろうな⋮。
つーかみんな俺のこと血眼になって探しているだろうな⋮。
555
クラリスとかバリーはやばそうだな⋮⋮。
ウインドカッター
とにかくここにいてもアリアナの容態は良くならないってことは
確かだ。
俺はアリアナを縛っていたロープを極小の
で切り飛ばし、そっと抱き上げ、鉄格子の扉の遠くへと移動させた。
そして、くいっと尻を扉へ向けて魔力を練る。
﹁ウインドソード!﹂
岩をも切断する風の刃が鉄格子にぶち当たり、ギィンという金属
音が鳴る。
をピンポイントで落とすこと
サンダーボルト
落雷
鉄格子にうっすらと傷がついた。
やっぱダメか。
俺は扉の錠前を目標に定め
にした。
だが後ろ向きだと狙いが上手く定まらない。
尻を突き出したままちょっとだけななめに体を動かし、魔力を練
る。
サンダーボルト
﹁落雷!﹂
威力を相当に落とした電撃が錠前に落ちる。
落雷
を唱えた。
サンダーボルト
近づくと、熱で上部が溶けていた。俺はもう一度同じポーズを取
って
ゴトリ、と錠前が落ち、反動でゆっくりと牢屋の扉が開いた。
556
﹁よし﹂
俺は小声で叫んでガッツポーズを取った。
階上からは物音はしない。どうやらバレてないようだ。
﹁アリアナ、アリアナ﹂
呼ぶと、狐耳をぴこっと動かして彼女が薄く目を開けた。
﹁これから逃げ出すわ。背中におぶるからちょっと辛いかもしれな
いけど我慢してね﹂
﹁ん⋮わかった⋮﹂
毛布にくるんで、アリアナを背負う。軽いので全く問題ない。
俺は音を立てないようにゆっくりと階段をのぼった。
上りきって壁の前に立つと、独りでに壁が動き出し、空洞ができ
た。室内の明かりがやんわりと差し込んでくる。アリアナを背負っ
たまま身をかがめて部屋を見ると、誰もいなかった。
ソファの横には誰かが持ってきたのか、魔力ポーションやマンド
ラゴラ強壮剤が乱雑に置かれている。俺は魔力ポーションをポケッ
トに入れ、一番高そうな瓶に入っているマンドラゴラ強壮剤を飲ん
だ。
オロナ○ンCのような味がする。美味しい。
雑誌作成で徹夜したときに飲んだ物よりも随分と味が濃い。多分
すげえいい薬だ。しみるー。
心なしか体が軽くなった気がした。
十秒ほどすると体中がギンギンになった。
557
周囲に気を配りながら部屋から出ようとする。
すると奥から物音がしたので、すぐさまキッチンの奥へ隠れた。
見張りらしき男が、濡れた手をズボンで拭きつつだらしなくソフ
ァに座った。どうやらトイレに行ってたみたいだな。
しばらく様子観察する。
複数見張りがいるかもしれない。
そうだ、気をつけろ、俺!
﹁ったくなんで俺だけ見張りなんだよ⋮﹂
男はそう呟いた。
ふっふっふっふっふ。
はーっはっはっはっは!
見張りが一人とはなんてバカなんだ!
残念だったな! 俺たちは逃げ出しちゃうよーん。
なんか俺、めちゃくちゃストレス溜まってたのかもしれない。
いま、猛烈にテンションが高い! 急にキタ!
営業成績最高得点を叩き出して表彰され、朝までキャバクラとク
ラブで大騒ぎしたときぐらいテンションがやばい!
魔法使えるって最高ッ! 自由最高ッ!
イエスマイドリーーーームッ!!!
インパ
電衝
を解き放った。やるときはとことんやる。頬に人差し指を当て
すべてが吹っ切れた俺は、一回転して尻を向け、容赦なく
ルス
撃
る可愛いポーズ付きだ。もってけ泥棒ッ。
558
ギャギャギャギャバリィッ!!
﹁ぎゃああああああああ!﹂
室内にクモの巣のような閃光が走り、俺は眩しくて目を細める。
感電した見張り番が白い煙を頭からゆらゆらと出しながら、車に踏
みつぶされたカエルのような格好でうつぶせになった。
ソファに近づいて顔を確認すると、俺を散々バカにした前歯のな
い歯抜け男だった。
どうやらまだ生きているらしい。
出力を最低にすればかろうじて生きていられるみたいだ。これは
いいことを知った。いい人体実験だ。今日の俺はマッドサイエンテ
ィスト!
ヒール
﹁治癒!﹂
男をちょっぴり回復させて、男の背中の上にゆっくりと足を揃え
て座った。
﹁ぐほっ⋮⋮⋮ひぃ⋮ひぃ⋮⋮な、なにが起きやがった⋮﹂
﹁あなたに天罰が下ったのよ﹂
電打
を唱える。
エレキトリック
﹁て、てめえは⋮⋮どうやって出てきたデブ!﹂
﹁お口が悪いわね﹂
意識は失わないが激痛を感じる強さの
尻から放たれる電流。
559
﹁ギャアアァァアァアァーーーーーッ!﹂
﹁お口が悪い子には天罰よ﹂
﹁て、てめえ⋮⋮⋮いったい⋮なにを⋮﹂
電打
!
エレキトリック
﹁てめえ?﹂
﹁アアアアババババアアアッババアアッ⋮⋮﹂
﹁もう一度言うけどマナーが悪いとおしおきよ﹂
電打
!
エレキトリック
﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮⋮くそがっ⋮なんの魔法だッッ﹂
﹁ダババババッバアアアッババ!﹂
男が悲鳴を上げると、電流で硬直した筋肉が手足を真っ直ぐに伸
ばし、すぐ地面に落ちる。空気を入れるとぴゅーと鳴って伸び、空
電打
は俺のところまで電流がこない。便利ーっ。
エレキトリック
気を止めると縮む縁日のおもちゃみたいだ。
ちなみに
三十回ぐらいそんなやりとりをすると、歯抜け男はよい子ちゃん
になった。
﹁マナーが悪いとおしおきよ﹂
﹁しゅみましぇん﹂
﹁いい子ね﹂
﹁はいぃ。ぼくちんいい子﹂
560
﹁盗賊団のアジトはここじゃないわよね?﹂
﹁うん﹂
﹁どこにあるの?﹂
﹁それは言えましぇん﹂
﹁あらぁ? 私とお頭、どっちが好きなのぉ?﹂
﹁エ、エ、エリィちゃんでふ!﹂
﹁じゃあ答えられるわね?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁またバチバチがいいの⋮?﹂
﹁あ、あの! 街の西にある﹃ギャラン・DO﹄というバーの地下
にあるのですぅ! ぼくちんのコインを持っていけば入れましゅ!
マスターにダービィの使いだと言ってくだしゃい!﹂
歯抜けよい子ちゃんはうつぶせのまま、いそいそとポケットから
銀色のコインを出した。そして詳しい行き方を教えてくれる。
﹁いい子ね。ありがとう﹂
﹁はいぃ﹂
﹁あと手錠の鍵、持ってる?﹂
﹁お頭が持ってましゅ﹂
﹁お頭はどこにいるの?﹂
﹁アジトにいましゅ﹂
﹁他の団員は?﹂
﹁どこかを襲ってましゅ﹂
フレアアロー
﹁お頭の得意魔法は?﹂
﹁上位の炎でしゅ。炎矢がしゅごいでしゅ﹂
﹁へえー優秀なのね。他に上位魔法が使える団員は﹂
﹁いないでしゅ﹂
﹁わかったわ。最後に私からお願いがあるんだけどいいかしら?﹂
﹁うん﹂
561
﹁デブでブスの女の子を見ても絶対ブスデブって言っちゃダメよ。
優しくしてあげてね。わかった?﹂
﹁わかった!﹂
﹁いい子ね。じゃあおやすみなさい﹂
エレキトリック
﹁おやすみ!﹂
﹁電打!!!﹂
バチバチバチ︱︱︱
よい子ちゃんは幸せそうな表情で意識を手放した。
○
俺は隠れ家にあった目出し帽をかぶってロープとマントでアリア
ナを背中にしっかりと固定し、さらにその上から黒いマントを羽織
った。これで両手が動かせる。なぜか目出し帽には頭のところに猫
耳が付いていた。人族ではない、というカモフラージュなのだろう
か。
目と口しか出ていない猫耳目出し帽、黒いマント。背中に子ども
のようなアリアナ。怪しさがやばい。
俺たちは隠れ家を出た。
﹁さあ、おしおきの時間よ!﹂
依然としてテンションが下がらない。あの強壮剤のせいか?
随分と高そうだったが⋮。
まあいいっしょ! 細かいことは全部終わらせてからかんがえよ!
そんなことよりおしおきや!
562
街はたいへんな騒ぎになっていた。
人々は泣き叫びながら、大きな荷台や馬車で街の西側を目指して
いる。時々、防衛線を越えて街に入ってきた魔物が誰かを襲い、そ
のたびに対抗する攻撃魔法の光が瞬く。
﹁おしおき! おしおき!﹂
しかも雷雨だ。そこかしこで雷鳴が響き、街のどこかに稲妻が落
ちる。避難する人々で渋滞になっている通りから女性の悲鳴が響く。
雷に驚くのはどこの世界でも女性だ。
落雷
で撃退する。
サンダーボルト
でも俺の気分は最高潮。ウキウキが止まらない。心、踊るッ!
途中、襲ってくる魔物は
威力は抜群。すべて一撃だ。
﹁悪い子はおしおきよ!﹂
俺は群衆をすり抜け、街の西側を目指す。
路地を通り﹃かっこうのさえずり﹄という道具屋を曲がってさら
に進む。途中で右、左、と何度か曲がり﹃蠱惑宿場﹄と書かれた宿
屋の看板が見えたのでその先三つ目の路地で止まった。
雨でマントがびしょ濡れだ。
でも俺はテンションが高いおかげであまり気にならない。
むしろ雨が気持ちいいぐらいだ。
﹁アリアナ、大丈夫?﹂
キュアライト
﹁ん⋮⋮平気⋮﹂
﹁癒発光﹂
563
﹁ありがと⋮⋮﹂
﹁ちょっと騒がしくなるわよ﹂
﹁ん⋮﹂
もうすでに騒がしくしているが、まあいい。彼女が小さくうなず
いたことを確認し、俺は﹃ギャラン・DO﹄と魔法のネオンが光る
店の扉を開けた。
カラン、と鈴が鳴る。
西洋風の造りのバーだ。六人掛けのカウンターと二人掛けのテー
ブルが二つ。まさにアジトって感じだな。
白シャツを着た初老のマスターらしき男がコップを拭きながら、
じろりとこちらを見た。
﹁ダービィの使いよ﹂
盗賊団はおしおきよ、と言いたい気持ちをぐっと堪えて、俺はそ
う言ってよい子ちゃんにもらったコインを出す。
マスターは片方の眉を上げ、くるりと後ろを振り向き、そしてど
こかのレバーを引いた。
すると奥の壁にぽっかり穴が空いた。
俺は無言で中に入っていく。
簡素な扉が一枚あり、俺はゆっくり開けた。
中にはお頭ペスカトーレが、部屋の奥でなにやら書類にペンを走
らせている。他には誰もいない。
ふっふっふっふっふ。
564
はーっはっはっはっは!
団長がアジトに一人とはなんてバカなんだ!
残念だったな! 俺がこらしめちゃうよーん。
俺ってば本当にストレスマックスだったんだな。こんなにずぶ濡
れで尻からしか魔法が出ないのに、このテンション!
小さな声で背中のアリアナが﹁やっちゃえエリィ﹂と呟く。
おうともやっちゃうよ!
エリィアンド小橋川アンドアリアナ参上ッ!
﹁遅かったな。あのぽっちゃり領主は金を渡したか?﹂
そう言ってペスカトーレはこっちを見て、ぎょっとした顔になっ
た。
こちら猫耳目出し帽に黒マント、背中にはアリアナだ。
﹁お前は、誰だ⋮?﹂
﹁ダービィの使いよ﹂
﹁その声、まさか!﹂
インパルス
電衝撃
素早い動きで机の上にあった杖をペスカトーレが取る。
インパルス
﹁ファイアボ︱︱﹂
﹁電衝撃!!﹂
ペスカトーレよりも早く俺は一回転して尻を突き出し
を遠慮なくぶっ放した。しかも両頬に人差し指をあてがうという可
愛いポーズのおまけつき。もってけ泥棒ッ。今夜は大盤振る舞いだ
ッ!
565
﹁あぎゃあああああああっ!﹂
お頭ペスカトーレは整っている顔を見るも無惨にゆがめ、魔法の
勢いでずっこけて京都の大文字焼きみたいに、大の字にうつぶせで
ぶっ倒れた。
俺はそっと、そう、それこそ赤ちゃんをベビーベッドに寝かせる
ように、やさしく、愛おしく、ペスカトーレの背中に足を揃えて座
った。
﹁うぐっ⋮⋮⋮き、貴様⋮⋮どうやってここに⋮﹂
﹁貴様?﹂
﹁アガガガババババアアッッッバアアババババ!﹂
!
エレキトリック
電打
ペスカトーレに、電流、走るッ。
﹁言葉遣いの悪い子はおしおきよ?﹂
﹁おまえ⋮⋮⋮こんなことをして⋮⋮ぐっ⋮⋮⋮ただで済むと思う
なよ⋮﹂
電打
!
エレキトリック
﹁おまえ?﹂
さらに
スタンガンのような刺す痛みの電流が駆け抜ける。
﹁ギィヤアアアアアッガガガガババババババッバ!﹂
﹁あなたに聞きたいことがあるの﹂
﹁俺は⋮⋮⋮﹃ペスカトーレ盗賊団﹄の⋮⋮⋮団長だ!﹂
﹁知ってるわよ﹂
﹁俺はな⋮⋮⋮⋮上位魔法の⋮⋮炎を⋮⋮使える!﹂
566
﹁よい子ちゃんから聞いたわ﹂
﹁お、お、俺は⋮⋮⋮お前のような⋮⋮デブに⋮⋮﹂
﹁デブ?﹂
エレキトリック
電打!
﹁アバババババッッバババババババアビバッッ!﹂
﹁悪い子はおしおきよ﹂
﹁て⋮⋮てめえ⋮⋮どんな魔法を⋮⋮⋮使ってやが⋮﹂
エレキトリック
電打!
﹁ガラバラアババババババババッバアビバッッッヒッ!﹂
と、俺とお頭はそんなやりとりを百回ほど繰り返した。
なんということでしょう。まるで子どものような、よい子のお頭
ができあがったじゃないか。うんうん、やっぱり世の中はよい子で
溢れていたほうがいいな。素晴らしい! エロ写真家ならきっとこ
う言うな。﹁エェェェクセレント!﹂と。
﹁聞きたいことがあるんだけどいいかしら?﹂
﹁うん﹂
﹁腕輪の鍵はどこ﹂
﹁ぼくのポッケに入ってるよ﹂
いそいそとよい子のペスカトーレは大文字焼きのポーズのままポ
ケットから鍵を取り出す。
俺は右腕、左腕、右足、左足、とすべての魔力妨害の腕輪をはず
567
し、その辺に転がした。ようやく俺は解放された。試しに魔力を循
環させる。すると全身に熱い魔力が駆け巡る。
これこれ! やっぱりこの感覚だよな!
﹁ありがとう。まだ聞くけどいいかしら?﹂
﹁うん﹂
﹁あなたたちはいつもグレイフナーで人攫いをしていたの?﹂
﹁そうだよ﹂
﹁ふぅん⋮⋮⋮まさかとは思うけど⋮孤児院を襲ったりしてないわ
よね﹂
﹁襲ったよ﹂
なんだと⋮⋮?
孤児院を、襲った⋮⋮?
こいつらが⋮⋮あの⋮⋮⋮?
﹁ぬわんですってええええええええええええ﹂
﹁ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ! ごめんなさいごめんなさいエリィち
ゃん! ごめんなさい! ぼくはただ命令されてやっただけなんだ
よぅ!﹂
﹁それでもやったんでしょう!﹂
﹁はいぃ! やりました! もう二度とやらないよぅ!﹂
﹁嘘おっしゃい!﹂
﹁うそつかないよぅ! ぼくはいい子だよぅ!﹂
﹁だまらっしゃい!﹂
﹁ひぃぃぃぃ!﹂
﹁どこの孤児院なの!?﹂
﹁北側の孤児院と魔法学校に近い孤児院だよぅ!﹂
﹁魔法⋮⋮学校に⋮⋮ちかい⋮⋮孤児院ですって?﹂
568
間違いねえ。エリィの通っていた孤児院だ。
俺はなんとかして怒り狂う自分の精神を抑えつける。妙にテンシ
落雷
を我慢した。
サンダーボルト
ョンの高い今の状態でそれは相当に難しかった。だが頑張った。鉄
の精神で
﹁誰にやれって言われたのッ!!﹂
﹁ここの領主だよぅ!!﹂
﹁ポチャ夫ね?!﹂
﹁ポチャ夫だよぅ!﹂
﹁わかったわ。あとはあの人に聞くわね⋮﹂
﹁うん!﹂
﹁ちなみに子ども達はどこにいったの?﹂
﹁知らないよぅ﹂
﹁本当に?﹂
﹁ほんとうに﹂
﹁ほ・ん・と・う・に?﹂
﹁嘘じゃないよ本当だよぅ! ぼくは知らないよ!﹂
ふん。
どうやら子ども達がどこに行ったかは知らないようだ。
武の王国グレイフナーから人をさらう芸当ができる奴らがごろご
ろいるはずがないのでまさかとは思っていたが⋮⋮こいつらが子ど
もをね⋮⋮⋮許せん!
悪い子にはおしおきだッ!!
﹁盗賊団は何人いるの?﹂
﹁三百人だよぅ﹂
﹁⋮すごいわね﹂
﹁えへへ﹂
﹁褒めてないわよ!﹂
569
﹁ごごごごめんなさいエリィちゃん!﹂
﹁あなたもコイン持ってるんでしょ? ダービィが持っていたやつ。
あたしに
ちょうだい﹂
﹁え⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮それは⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹁いーやーなーのぉー?﹂
﹁そ、そんなことないよ! いいよ! うん!﹂
いい子のペスカトーレはあせあせとポケットから金色に光る高価
そうなコインを出した。一目で最高級品だとわかる、精緻なデザイ
ンだ。
﹁それはぼくの団長の証なんだけど⋮⋮⋮返してくれる?﹂
﹁ダメよ。今日から私が団長ね﹂
﹁えええええっ?!﹂
﹁名前は﹃エリィちゃんボランティア団﹄よ。街の困っている人を
助けるの。ゴミ拾いとか猫探しとかお掃除とか。いいでしょ∼﹂
﹁そ、そ、そんなぁ⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮なぁに? 嫌なの?﹂
﹁いやじゃない! いやじゃないよ!!﹂
﹁よしよしいい子ね﹂
﹁うん!﹂
﹁でもちゃんと罪は償わなくちゃいけないわね。これから警邏隊の
お世話になって、しっかり刑期を終えてから仕事をするのよ﹂
﹁わかった!﹂
﹁あと私からお願いがあるんだけどいいかしら﹂
﹁うん!﹂
﹁デブでブスの女の子を見てもバカにしちゃダメよ。優しくしてあ
げてね。わかった?﹂
﹁わかった!﹂
570
﹁いい子ね。じゃあおやすみなさい﹂
エレキトリック
﹁おやすみエリィちゃん!﹂
﹁電打!!!!﹂
バチバチバチ︱︱
あたたかい毛布にくるまれて眠る子どものように、気持ちよさそ
うにペスカトーレは気絶した。きっと夢を見ていることだろう。幸
せで、楽しい夢をね⋮。
○
﹁おしおき! おしおき!﹂
俄然テンションマックスな俺。
このほとばしる熱いパルスが稲妻になってトクトールの街に鳴り
響く。
途中、避難する人を襲っている不逞な輩はしっかりとおしおきを
した。
その数、二十数名。内、﹃ペスカトーレ盗賊団﹄⋮⋮もとい﹃エ
リィちゃんボランティア団﹄は十九名。まったくもってしょうがな
い団員だ。みんなすぐよい子になったけどな。
街の警邏隊に、隠れ家、アジトの位置を伝え、不逞な輩の逮捕も
お願いする。警邏隊の人数は相当に少ないがすぐに対応してくれる
とのこと。仕事熱心な人を見ると応援したくなるな。俺のことを見
て、やたらぺこぺこお辞儀をしていたのはなんでだろう。
ま、細かいことはいい!
571
﹁悪い子はおしおき!﹂
ついに親玉の本拠地、ポチャインスキーの屋敷に到着した。
なかなかに豪華な屋敷だ。高さ五メートルほどある鉄柵が敷地を
守るようにして覆い、白壁に赤い屋根がなんともお洒落だ。
俺は濡れた猫耳目出し帽を脱いで、水が抜けるようにしっかりし
ぼってかぶり直す。
正面玄関には護衛らしき甲冑の男が二人立っていた。
インパルス
﹁電衝撃!﹂
﹁あぎゃあ!﹂
﹁ひぎゃあ!﹂
もはや躊躇などしない。
広範囲にまき散らされる放射状の電流に巻き込まれ、あっという間
に護衛二人が失神した。
﹁アリアナいくわよ﹂
癒発光
キュアライト
﹂
﹁やっちゃおうエリィ⋮﹂
﹁その前に
﹁ありがと⋮﹂
﹁辛くなったらすぐ言うのよ﹂
癒発光
キュアライト
をちょくちょく唱えてあげているのでアリアナの容態
﹁わかった⋮﹂
は問題なさそうだ。それに、彼女もおしおきを望んでいる。
572
落雷
を落とした
サンダーボルト
屋敷に入り、その辺にいたメイドを捕まえてポチャ夫の部屋まで
案内してもらう。彼女のほんの一メートル横に
ら、ちゃんと言うことを聞いてくれた。うんうん、教育が行き届い
ているじゃあないか!
﹁こちらです⋮﹂
﹁ありがとう。お願いがあるんだけどいいかしら﹂
﹁なな、なんなりとお申し付け下さひッ!﹂
落雷
サンダーボルト
﹁この屋敷は非常に危険だわ。すぐに使用人全員で避難してちょう
だい﹂
﹁危険?!﹂
﹁大きな雷が落ちるのよ﹂
うそぶいて、タイミングよく俺は五メートルぐらい先に
を落とした。ガラスと共に、屋敷の壁が木っ端微塵になる。メイド
は転がるようにして廊下を駆けていった。いい走りっぷり! 君の
あだ名は今日からスプリンターだ!
俺は親指を立ててから、ポチャ夫の書斎へと続くドアノブをひね
った。ガチャリ、と音がして扉が手前に開かれる。
高級そうな赤絨毯が敷き詰められ、巨大な本棚に様々な書籍が置
かれた、だだっ広い部屋が広がっていた。
正面の机にポチャ夫がおり、奴は一心不乱に本をめくっている。
ふっふっふっふっふ。
はーっはっはっはっは!
屋敷の主が一人で︱︱︱以下略ッ!
﹁遅かったではないか! エリィちゅわんを連れてきたか?!﹂
﹁ええ、ここにいるわ﹂
573
﹁その声は!!﹂
ポチャ夫が読んでいた本を放り投げて机をぐるりと回り込み俺の
ほうへと近づいてくる。
そして不思議そうな顔をした。
﹁どうしてそんな格好を?﹂
﹁悪い子におしおきするためよ﹂
﹁魔力妨害の腕輪が、ないっ?!﹂
ポチャ夫は思ったより素早い動きで袖口に仕込んであった杖に手
を伸ばし、振りかぶった。
インパルス
﹁我の声を聞き水の精霊よ収束せよ。ウォーターウォ︱︱﹂
﹁電衝撃!!﹂
電衝撃
インパルス
を気持ちよくぶっ放した。しかも右手でピ
あくびが出そうなぐらい遅い詠唱付き魔法より速く、俺はたっぷ
り三回転して
ースを作り、くるっと回して右目の横に当ててウインクするおまけ
付き。もってけ泥棒ッ。今夜は大盤振る舞い赤字大安売りだッ!
ギャギャギャギャバリィ!
﹁うぎゃあああああああああああああああ!﹂
ポチャ夫が突然の電流で痙攣し、倒れそうになる。
俺はすぐさま右の人差し指をくいっと動かした。
574
﹁ウインドストーム!﹂
下から上へと吹き上がる竜巻状の強風に巻き込まれ、ポチャ夫は
時計回りに回転しながら天井に突き刺さる。
電打
をまとわせ、落
エレキトリック
パラパラと木片が落ち、重力に逆らえず、ポチャ夫の体が自由落
下する。
俺は絨毯を蹴って前方に突進し、右手に
ちてきたポチャ夫の腹を殴り飛ばした。
﹁エリィちゃんパーンチ!﹂
﹁へぼおおおおおおおっ!﹂
秘密特訓場で試したパンチはとんでもない威力だ。
ポチャ夫が後ろへ吹っ飛び、仕事机にぶつかって、その勢いで机の
へりに身体が埋まり、壁にぶつかると机が爆散した。
あへあへ言いながら、ポチャ夫は前のめりにぶっ倒れた。
間違えて踏みつぶしてしまった蟻んこのように、ぴくぴくと動い
ている。
キュアライト
﹁癒発光﹂
なんだか死んじゃいそうだったので割と強めにポチャ夫を回復し、
俺は⋮⋮そう、子守歌を歌いながら愛しの我が子を撫でる母親よう
に、優雅にも見える動きで、愛と慈しみを持ってポチャ夫の背中に
そっと腰を下ろした。
﹁うごっ⋮⋮⋮あれっ⋮⋮⋮⋮我が輩は何を?﹂
﹁おしおきされたのよ﹂
﹁ああ⋮⋮⋮⋮天使の声が聞こえる⋮⋮﹂
575
﹁今までいっぱい悪いことしてきたでしょう?﹂
﹁我が輩は⋮⋮悪いことなど⋮⋮⋮何一つして⋮⋮ないッ﹂
エレキトリック
電打!
ポチャ夫に突き刺さるような電流が走る。
悲痛な叫び声。
たっぷりと電流を味合わせると、ものの五分でよい子が完成した。
﹁例えばどんなことしたの?﹂
﹁ぜぜ、税金を無理矢理⋮⋮引き上げましゅた﹂
﹁それから?﹂
﹁強引に立ち退きさせて一家離散させたのでしゅ﹂
﹁それから﹂
﹁女、子どもを誘拐させまひゅた﹂
﹁それで?﹂
﹁ぼくの⋮⋮好きなようにしたんだよぉ﹂
﹁その子達はどこに?﹂
﹁気に入った女の子は隣の部屋。あと小さい子は砂漠の国サンディ
に売りましゅた﹂
俺はちらっと隣の部屋へと続く扉を見た。
﹁サンディのどこに売ったの?﹂
﹁特殊な工作員を養成しているところ﹂
﹁グレイフナーの孤児院の子どもは﹂
﹁全部サンディ。ぼくも頼まれただけでしゅ﹂
﹁誰に頼まれたの?﹂
576
﹁有名な貴族﹂
﹁なんて名前?﹂
﹁わからないよ﹂
﹁教えなさい。い・ま・す・ぐ!﹂
﹁ひぃぃぃ! わかったよエリィちゃん!!﹂
ポチャ夫は立ち上がって粉々になった机をひっくり返し、一枚の
手紙を差し出した。十字に落ち葉のようなマークが入った印が押し
てある。
俺はポケットにしまい込んだ。大事な手がかりなのであとで調べ
よう。
﹁工作員を養成している場所はどこ?﹂
﹁ぼくにはわからないよ﹂
﹁本当に?﹂
﹁うん﹂
﹁本当の本当に?﹂
﹁うん!﹂
﹁ほ・ん・と・う・に?﹂
﹁ほんとだよエリィちゃん! ぼくは嘘付いたりしないよ!﹂
﹁うそおっしゃい!﹂
﹁あひぃーーーー! ごめんなしゃい! でも本当だよぅ!﹂
﹁分かったならいいわ。じゃあ隣の部屋に案内してね﹂
﹁うん!﹂
そのあと隣の部屋で捉えられていたぽっちゃり系の女の子五名を
解放し、ポチャ夫に見舞金として一人に百万ロンと清潔な洋服を準
備させた。女の子らには何かあったらグレイフナー王国のコバシガ
ワ商会を尋ねるように、と伝えて屋敷から脱出してもらう。
ついでに俺も首から下げる巾着袋に金貨を三十枚ほど入れた。帰
577
宅用の資金だ。
俺とアリアナ、ポチャ夫は屋敷の外へ出た。
雨はまだやみそうもなく、雷が轟く。
屋敷に人がいないことはしっかりと確認してきた。
﹁ではポチャ夫さん。冥途のみやげにいいことを教えてあげるわ﹂
﹁メイドのモミアゲ?﹂
﹁冥途のみやげよ! み・や・げッ!﹂
﹁はいはい! おみやげほしいでしゅ!﹂
﹁こほん。デブでブスの女の子に優しくすると幸せになれるのよ。
知ってた?﹂
﹁知りませんでしゅた!﹂
﹁いいことを知ったわね!﹂
﹁うん! エリィちゃんありがとう!﹂
﹁じゃあおやすみなさい﹂
﹁おやすみッ!﹂
﹁いい夢を﹂
エレキトリック
﹁うん!﹂
﹁電打!!!!﹂
バチバチバチバチ︱︱
ポチャ夫は、二日徹夜してベッドに飛び込み、泥のように眠る期
末テスト明けの学生みたいに穏やかな顔で眠りについた。大丈夫。
すぐに誰かが君を見つけてくれるさ⋮。
を唱えようと意識を集中させた。自分の
を落としまくるという広範囲殲滅魔
サンダーボルト
落雷
雷雨
サンダーストーム
そして俺は最後に、エイミーに使用、というか試すことすら禁止
されていた新魔法
目に見えている範囲に
法だ。
578
心の中で強く魔法名を念じ、魔力をこれでもかと練り上げる。
まだだ⋮
もうちょっと練る⋮⋮
よし。いくぞ。いけーーーーっ!
くるっと一回転して両手でピースを作り、両目に添えて頬をふく
らませるという可愛いポーズのおまけつき。もってけ泥棒ッ。こん
雷雨
!!!!!!!!!!!!!!﹂
サンダーストーム
なにサービスするのは今日だけなんだぜッ!
﹁
風船の空気が抜けるように魔力が一気に消費される。
一拍おいて、ゴロゴロゴロと雷雲が轟いた。
失敗か!?
と思った瞬間、目の前が閃光で埋め尽くされ、ポチャ夫の屋敷が光
で見えなくなった。
ガリガリガガガガガバババッババリバリバリバリバリバリバリィ
!!
ピッシャアアアアアン!
ズドーンズグワーン
キャーーーッ!!
ヒヒーン
ドンガラガッシャーン
ヒーホーヒーホー、ヒッ⋮
ブシュワーーーーッ
579
数え切れないほどの稲妻が右へ左と入り乱れ、圧倒的なエネルギ
ーで屋敷を破壊し、地面をえぐり、空気を切り裂き、粉微塵になっ
た破片にも容赦なく降り注ぐ。あまりの雷鳴にそこかしこから女の
悲鳴が聞こえ、馬が転倒し、物が大量に倒れ、臆病者のヒーホー鳥
が呼吸困難でヒーホーヒーホー鳴きながらついには失神し、ポチャ
夫の屋敷があった場所から、温泉が噴き出た。
屋敷は灰燼と化し、穴だらけの更地になった。
﹁おしおき完了!﹂
﹁やったねエリィ⋮!﹂
﹁ええッ!﹂
これにて一件落着ッ。
その後、自由国境の街﹃トクトール﹄は雷雨と魔物の大量発生で
未曾有の危機に陥ったが、温泉街として奇跡的な復興を遂げる。背
景には、見た目が盗賊団のようだが純朴な男たちが無償で働いてく
れたことが大きいとのことで、彼らは自分たちのことを﹃エリィち
ゃんボランティア団﹄と呼称し、今では街の名物になっている。街
の五分の一の住民が団員になるほど人気のボランティア団体だ。
580
彼らに聞いても名前の由来は憶えていないそうだ。悪い子にはお
しおきがある、と常々言っており、雷雨の日はひどくおびえた様子
になるらしい。そして彼らは不思議なことに、太っている女の子や
ブスとからかわれている女の子に異常なほど優しく、女性から非常
に評判が良かった。
また、トクトールの街では子どもを叱るとき、必ず﹁黒い猫耳の
カミナリ様がおしおきをしにくるわよッ﹂と言うようになったそう
だ。災害の日に、子どもを背負ったカミナリ様の目撃情報が多々上
がったことから、こういった逸話が生まれたらしい。
○
俺とアリアナは避難している屈強そうな冒険者の兄ちゃんにお願
いし、馬車に乗せてもらった。さらに魔法で服を乾かしてもらい、
ホッとすると、疲れが一気に出てきて、興奮状態が徐々に冷めてく
る。
そして気づいた。
んんんんあああああっ!
恥ずかしいッ!
581
俺はなんてことをしちまったんだ。
あんな恥ずかしいポーズを何度も取り、おしおきだ、とか言って
街中で落雷魔法をぶっ放しまくった。穴があるなら入りたい。恥ず
かしい、恥ずかしい、きっとあのマンドラゴラ強壮剤のせいだ!
誰だあれを俺に飲ませた奴は!
俺だッ!!!!!
冒険者の兄ちゃんに聞いたら﹃リアルマンドラゴラ濃縮強壮剤﹄
だろうと予想され、薬は一本五百万ロンほどする代物らしい。興奮
作用と引き替えに、魔力を限界値まで引き出す魔薬なのだそうだ。
俺は心に誓った。
もうあの薬は絶対に飲まないと︱︱
﹁エリィのポーズ、可愛かった⋮⋮﹂
アリアナやめてくれぇぇぇ!
俺の傷をぐりぐり抉らないでくれぇぇぇ!
﹁私にもあとで教えてね⋮﹂
やめてくれええええ!
582
それ以上言われると引きこもるわよッ!!!
﹁おしおきッ⋮⋮めっ﹂
アリアナが寝っ転がったまま、指を頬に当てた。
かわいいッ!
彼女の体調が悪くてもこの破壊力⋮⋮これは⋮⋮⋮。
そんなこんな言っていると急激な睡魔がやってきた。今日は一日
中気持ちを張り詰めていたからなぁ。
俺たちは疲労ですぐ眠ってしまった。
馬車はごとごと揺れながら安全地帯へと移動していた。
583
第25話 イケメンエリート、悪い子をおしおきする︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重84㎏︵±0kg︶
584
第1話 イケメン、砂漠、オアシス︵前書き︶
新章スタートです!
585
第1話 イケメン、砂漠、オアシス
俺はごとごと揺れる馬車の中で寝転がっていた。
ポケットに入っているよい子のポチャ夫からもらった手紙を取り
出し、広げてみる。手紙の右端に、十字に落ち葉のようなマークが
焼き印で押されており、内容は素っ気ないものだった。
﹃トクトール領主へ
例の団体を雇ってほしい。
場所、要件は使者に口頭で伝えさせる。
ガブリエル・ガブル﹄
﹁アリアナ、ガブリエル・ガブルって知ってる?﹂
﹁ガブル⋮!?﹂
起き上がって何気なく聞くと、普段めったに感情を出さない彼女
がひどく嫌そうな顔をした。大きい目が細められ、小さな口がゆが
む。
ごめん、アリアナにそんな目で見られたら俺もう生きていけない。
﹁ガブルはグレイフナーで五百五十の領地を持つ大貴族⋮﹂
﹁五百五十ッ!?﹂
グレイフナー王国は完全実力主義で、魔闘会で勝てば領地が増え、
586
負ければ減る。また武力だけでなく、領地を良く治めている貴族も
評価の対象に入り、評判が悪ければ容赦なく領地が剥奪された。あ
のせっかちな国王だったらすぐに﹁剥奪ッ!﹂って言うだろう。
クラリスに聞いた話だと、千の領地を持つ大貴族が二つ。五百以
上の領地を持つ貴族が四つ。その六つの貴族がグレイフナー王国六
大貴族と言われていた。
ちなみにゴールデン家の領地は百個だ。
数が百を超える辺りから、家名が有名になる傾向がある。ゴール
デン家がグレイフナーでかなり有名なのは、武よりも、美男美女を
代々輩出してきたことが大きいらしい。俺が美人の遺伝子を持って
いるのは間違いない。デブだけど。
﹁ガブリエル・ガブルは⋮⋮わたしの父を殺した張本人⋮﹂
﹁ええっ!?﹂
アリアナは苦しそうな顔でそう言った。
それは初めて聞く話だ。
﹁狐人の里⋮グレイフナーの南東にある領地⋮⋮それを魔闘会で取
られた⋮﹂
俺はそっとアリアナの手を握って、うなずいた。
彼女はちょっぴり頬を緩める。
だが、すぐ辛そうな表情に戻ってしまった。
﹁ガブル家は狼人族⋮。狐人と仲が悪くて、みんなひどい扱いをさ
れた⋮﹂
﹁うん⋮﹂
﹁父は領地を取り返すために⋮生死不問の﹃戦いの神パリオポテス
587
の決闘法﹄で決闘して、負けたの⋮⋮﹂
﹁そうだったの⋮﹂
﹁あの男は⋮⋮卑怯にも⋮⋮⋮お母さんを人質にした⋮⋮⋮⋮それ
で、お父さんは⋮⋮得意の黒魔法を使えずに⋮⋮⋮﹂
﹁なんてひどい⋮﹂
﹁お母さんは妾にされる前に⋮⋮宮廷の親戚を頼って後宮侍女にな
った⋮﹂
気づけばアリアナはぼろぼろ涙をこぼしていた。長いまつげが涙
で濡れて、しっとりと光る。
俺は思わず彼女を抱きしめた。
アリアナはずっとそんな悔しい気持ちを溜め込んでいたのだろう。
﹁後宮侍女になると四年に一度しか宮殿から出られない⋮。もう随
分お母さんと会ってない⋮⋮お母さんの手料理⋮弟と妹が悲しまな
いように⋮⋮わたし⋮頑張って真似した⋮⋮⋮。でも⋮本当は⋮⋮
⋮⋮わたしが⋮⋮わたしが⋮⋮⋮⋮食べたかった⋮⋮⋮ッ﹂
﹁アリアナ、あだじ⋮⋮﹂
うおおおおおっ!
ちくしょう。涙が止まらねえ。
ガブリエル・ガブル!
てめえは俺のアリアナをこんなに泣かせたな!
ガブ野郎、てめえだけはぜってーけちょんけちょんのギッタギタ
におしおきだッ。
﹁アリアナ、聞いて頂戴。私、絶対にガブガブを許さないわ﹂
﹁エリィ⋮⋮﹂
﹁それに平気よ! 弟妹たちはコバシガワ商会とクラリスがどうに
かしてくれているわ。実はね、私、常々クラリスに話していたのよ。
588
二人でアリアナの家を助けましょうねって。商会の利益はゴールデ
ン家とアリアナのために使うつもりだったの﹂
﹁エリィ⋮?﹂
アリアナはぽかんとした顔になり、顔をくしゃっとゆがめて俺に
飛び付いた。
﹁エリィ⋮エリィ⋮!﹂
ぐりぐりと俺のふくよかな腹に顔をこすりつけるアリアナ。
俺は狐耳をやさしく撫でた。
もっと強くならなきゃな。盗賊に捕まるなんて論外だ。もう二度
とあんな失敗はしない。大切な友人のために、俺は強くなる。
﹁エリィ⋮﹂
にしても⋮⋮アリアナは可愛いなぁ。
よーしよしよしよしよし。
このね、狐耳のもふっとした感じがいいんだよ。
柔らかくて優しい感触。
いや∼役得役得!
狐耳、最高! ガブガブ、死刑ッ! 狼人、滅殺!
﹁アリアナ、何としても早くグレイフナーに帰りましょう!﹂
﹁ん⋮⋮!﹂
○
589
そんな誓いをした一時間後、冒険者の兄ちゃん、ジャン・バルジ
ャンがとんでもないことを言った。彼は縮れ毛を短く刈り込んでお
り、もみあげが長い。誠実そうなブルーの瞳が、難しい試験問題を
見たかのように険しく動いた。
ジャン・バルジャン、略してジャンジャンだ。
﹁これは当分、東側へはいけないな⋮﹂
﹁え?! どうして?﹂
﹁ほら馬車の外を見てみな﹂
御者席に向かい、外を見る。
物々しい甲冑姿の兵士が長い隊列を作っている。その列は前方の
遙か先まで続いており、右側が兵隊、左側が避難民、という流れに
なっていた。兵隊は東へ、避難民は西へ移動している。
﹁砂漠の国サンディとパンタ国が戦争をするのは知っているわ﹂
﹁奴ら今回はどうやら本気みたいだ。あの荷馬車を見てみろ、戦利
品を入れるための空の馬車だ﹂
﹁本気だとどうなるのよ?﹂
﹁情報封鎖だろうな。サンディとパンタを結ぶ﹃赤い街道﹄には通
行規制が入るだろうよ。おそらく猫一匹通れない完全な封鎖になる﹂
﹁ということは、グレイフナーに帰れないってこと?﹂
﹁ま、そうなるな﹂
﹁それは困るわ!﹂
俺は立ち上がって叫んだ。
八十キロ越えの俺が急に立ち上がったから、馬車が揺れる。
590
﹁雑誌の編集をしなきゃいけないし学校にもいかなきゃいけない、
ダイエットも特訓もしないとダメなのッ﹂
﹁んー? よくわからないけど、戦争が終わるまではやめたほうが
いいぞ﹂
﹁ジャンジャン! 他に道はないの?!﹂
﹁あるのはサンディと湖の都メソッドを結ぶ﹃旧街道﹄ぐらいだ。
でもあそこはヘキサゴンクラスの魔法使いが十五人で小隊を組んで
やっと通れる道だから、利用するのは現実的じゃない﹂
﹁どういうことよ﹂
﹁自由国境のど真ん中にある街道だ、魔物の数が半端じゃない。A
ランクの魔物もちらほら出現するらしい。あの辺は魔物の吹きだま
りみたいなもんだからな﹂
﹁全部蹴散らせばいいんでしょ?﹂
﹁エリィちゃん、君がグレイフナー魔法学校の生徒なのは知ってい
るがやめておけ。あの街道を通過したいって酔狂な魔法使いが集ま
るとは思えない﹂
ジャンジャンは傷のある顔を険しくした。
見た目は若いが、歴戦の戦士だと思わせる雰囲気を身に纏ってい
る。
俺は太い肩をすくめてうなずいた。
﹁とりあえず二人は俺と一緒に実家へ避難するんだ﹂
﹁今ってジャンジャンの実家へ移動しているの?﹂
﹁ああそうだよ。落ち着いたら家に帰ってこい、というのが祖母と
の約束だったんだ﹂
﹁へえーーーーーっ、そうだったの。てっきり好きな女の子を待た
せているのかと思っていたんだけどぉー﹂
﹁な、何を急に! べ、べつにそんなんじゃあないよ!﹂
﹁えーっ。だって怪我したわけでもなくまだまだ現役でやっていけ
591
る強そうな冒険者がひとりで帰郷するって、ねえ?﹂
俺がアリアナを見ると、彼女は車内から御者席へ顔を出し、こく
こくとうなずいた。ついでに狐耳がぴこっと動く。
ジャンジャンは顔を赤くした。どうやら予想通りらしい。
くぅーっ。青春じゃねえか!
﹁い、いやぁ⋮⋮ははは⋮まいったな﹂
﹁恋の相談なら私にまかせなさい﹂
﹁ん、まあ、そういう、わけじゃないんだけど⋮﹂
﹁認めちゃいなさいよ。こういうのはまず自分の気持ちを整理する
事が大事なのよ﹂
﹁いやぁ、まあ、そういうわけじゃ⋮⋮﹂
○
ジャンジャンが幼なじみの町娘コゼットに恋をしている事を、つ
いにゲロった。
周囲がすっかり暗くなる頃だ。﹁好きなんでしょ?﹂﹁いいやそ
んなことは⋮﹂というやりとりを五時間ほど繰り返し、やっとのこ
とで﹁まあ⋮そうなんだ﹂とだけ言った。幼なじみだから仲はいい
が、デートすら行ったことがないらしい。
どんだけ奥手なんだよ⋮。そんなんで恋人とか無理だよまじで。
﹁とにかく! 君たちはしばらく俺が保護するからな!﹂
﹁あなたほんといい人よね。コゼットもきっとそう思っているわ﹂
﹁ちょ! エリィちゃん! あんまりその、コゼットのことは言わ
ないでくれるか?!﹂
592
﹁はぁ∼いいわね∼。冒険者として一人前になったら告白すると決
めて町を飛び出したんでしょ。まるで甘酸っぱい青春映画の世界ね
ぇ﹂
﹁えいが?﹂
﹁そう、映画。そんなことより、私たちはすぐにでもグレイフナー
に帰りたいんだけど﹂
﹁そうはいかないよ。アリアナちゃんが元気になってから帰れる方
法を考えよう。まずは健康第一だ﹂
﹁それは⋮⋮そうねぇ⋮﹂
俺はすっかり痩せてしまったアリアナを見た。彼女は眠っている。
﹁ジャンジャン、またお願いしてもいい?﹂
﹁ああ、いいぞ﹂
治癒上昇
キュアウォーター
を唱える。アリアナの身体を、
そういって、ジャンジャンは手綱を片手でつかみ、空いた右手で
ポケットから杖を出し
光る水泡が包み込んだ。
﹁もう二、三日すれば良くなるよ。あとはいっぱい食べさせないと﹂
﹁ジャンジャンが水の適性でよかったわ。本当にありがとう﹂
﹁いいんだよ。女の子を助けるのが男の務めさ﹂
﹁あなた⋮それをコゼットに言いなさいよ﹂
﹁なはぁッ! いやぁ⋮ははは、そうだねえ⋮﹂
こりゃあかん。
アリアナを助けてくれたし馬車に乗せてくれたお礼もしたいし、
しばらく一緒にいて恋のアドバイスをしてあげようかな。
いつ﹃赤い街道﹄が通れるようになるかわからないなら情報集め
593
だ。
砂漠の国に売られた孤児院の子どもたちの事もかなり気になるし、
そっちの情報も集めたい。
○
それから一日して馬車は自由国境を抜け、砂漠の国サンディに入
った。荒涼とした平地に赤レンガの﹃赤い街道﹄だけがまっすぐ続
いている。じりじりと天から陽射しがふり注ぎ、太陽の光が地面に
反射して気温を上げる。
とにかく暑い。まじで暑い。これは痩せる。
俺は暇だったので馬車内で魔力循環の練習をした。
暑さで、すぐに大量の汗が出てくる。
これはいいシェイプアップ。
道すがら魔物がちょくちょく出てきたが、ほとんどが無視してい
いレベルの雑魚モンスター。﹃赤い街道﹄の赤レンガは魔物が嫌が
る土でできており、虫除けならぬ魔物除けの効果が多少なりともあ
るそうだ。この街道の周辺は魔物が少ないので安全な旅ができる。
途中、小さな宿場で一泊し、さらに二日ほど野営をすると、ジャ
ンジャンの実家がある﹃砂漠のオアシス・ジェラ﹄が見えてきた。
着く頃にはアリアナの体調も良くなり、俺と彼女は馬車の外に出て、
荒野に出現したオアシスを見ていた。
﹁きれいね﹂
﹁うん⋮﹂
594
幻想的、と言いたくなるほど美しい景色だった。丘の上から見え
る町は海に浮かぶ孤島のように茶色い砂漠の世界にぽっかりと浮か
び、緑の木々と青い豊かな泉をたたえている。オアシスの町は碁盤
目模様に広がり、小さく人々が動き回っている様子が見えた。
﹁どうだ。すごいだろ﹂
ジャンジャンは誇らしそうに胸を張る。
確かに、この町の出身というのは胸を張りたくなるかもしれない。
﹁じゃあ行くぞ。ふたりとも、馬車に戻ってくれ﹂
﹁いよいよコゼットと再会ね﹂
﹁楽しみ⋮﹂
﹁ちょっと! 二人とも会話の端々にコゼットを挟むのをやめてく
れないか?!﹂
﹁サンドウィッチと一緒よジャンジャン。旅、食事、コゼット、時
々魔物。どう?﹂
﹁どうって言われても⋮﹂
﹁あなたがコゼットのことを好きじゃなかったらこの旅は味気ない
ものだったでしょうね﹂
﹁たしかに⋮﹂
﹁グレイフナーに行けるようになるまで私が恋の相談役、恋のアシ
スタントマネージャーとしてあなたについてあげるわ﹂
﹁え? アシスタ⋮?﹂
﹁あなた、私が帰る前に絶対告白しなさいよ﹂
﹁ふえっ?!?! ⋮⋮いやぁ、それは、まあ、なんというか⋮﹂
﹁じゃあいつ告白する予定なのよ﹂
俺の言葉を聞くと、アリアナがふんす、と鼻息を吐いて激しくう
595
なずく。どうやら彼女も恋の話が好きらしい。
﹁いやぁ⋮⋮折を見て⋮﹂
﹁あなたが折を見てたら十年ぐらい経ちそうなのよ! そのときに
はコゼットはもう誰かに寝取られてるわ! これは完全なる寝取ら
れパティーンなのよ!﹂
﹁パティーン⋮?﹂
﹁ぼくはいつか告白するよ⋮そう寂しげに言う青年達が幾度となく
寝取られる様子を私はつぶさに観察してきたの。ジャンジャンはそ
の典型とも言っていいチキン体質。ここで私と出逢えたことは神の
お導きとしか思えないわ﹂
ちなみに寝取っていたのは俺だッ!
﹁いいわね! 絶対よ! 私のアドバイスに従って行動すれば万に
一つも負けないわ!﹂
﹁あのーアリアナちゃん⋮エリィちゃんはいつもこうなの?﹂
﹁たまにこうなる⋮﹂
﹁着いたら紹介しなさいよ。絶対!﹂
俺はジャンジャンに詰め寄った。
彼は逃げるようにして馬車の御者席へ乗り込む。
﹁ああ、わかってるよ﹂
﹁絶対絶対ずえーったい紹介するのよ!? いいわねッ!﹂
○
596
砂漠のオアシス・ジェラは周囲を防壁で囲んでいる。魔物と砂嵐
対策だろう。
東門に着くと、ジャンジャンは冒険者のカードを見せ、俺とアリ
アナは短期滞在ということで十日間のパスを三千ロンで買った。
﹁パスをなくすと再発行に三千ロンかかるから気をつけてくれ﹂
仏頂面の門番に言われ、町の中に入る。
町は活気に満ちあふれていた。男はターバンを巻くか帽子をかぶ
っていて、長袖シャツにズボン。女性は砂漠の国らしいギャザース
カートにヴェールを羽織っている。綿のような絹のような、その中
間の素材が使われており、魔法陣に似た模様の服を着ていた。なん
だか不思議な服だ。見ていると目が回りそうな柄だな。
そんな一般人に、獣人や冒険者が紛れて行き交っている。
陽射しが強いため、白の生地が多い。全体的にさっぱりした印象
だ。
俺とアリアナは旅の途中で食べられなかった濃い味の料理を露店
で買い食いしつつ、歩く。食べ過ぎは太るので、半分ぐらいでやめ
て残りは全部アリアナにあげた。
途中で入るジャンジャンの説明がいかにも観光っぽい。
﹁町には東西南北の門がある。で、あそこに見える三角の建物が冒
険者協会だ。ジェラには凄腕の冒険者が集まっている﹂
﹁へえーさすが物知りね﹂
﹁当然だろ、地元なんだから﹂
597
満更でもないと言った顔でジャンジャンが答える。
﹁クノーレリル神降祭のときは町が観光客でごったがえすぞ。縁日
が出て大道芸に武術会。演劇に歌唱大会。すごいんだからな﹂
﹁楽しそうね!﹂
﹁見たい⋮﹂
俺とアリアナはすっかり観光気分になっていた。
どうせなら楽しんでいこうぜ、というのが俺のポリシーだ。
いいじゃん砂漠の町!
戦争が終わったらすぐ帰るけどね!
しばらく西へ歩くと閑散となり、さびれた商店街が見えてきた。
西門はほとんど使わないそうなので、なんとなく落ち着いた雰囲気
だ。というより、全く活気がない。
﹁ジャンジャンの実家って確か道具屋よね?﹂
﹁そうだ﹂
﹁⋮これじゃ儲かってないでしょ﹂
﹁まあ、ちっちゃい店だから仕方ないさ﹂
ちっちゃいというよりこの商店街に問題があると思うんだが⋮ま
あいい。
西門の近くにある﹃バルジャンの道具屋﹄が、ジャンジャンの実
家だ。見た目は、まあなんというか、その、言葉に表すのも憚られ
るほどに統一感がない。
店の前にトーテムポールのような置物が置いてあり、その横には
特大の壺。屋根から剣と弓がぶらさげてあり、すぐななめ前には可
598
愛らしいウサギのぬいぐるみらしき商品。ついでにと言わんばかり
に一メートルほどあるガマガエルみたいな魔物の剥製が鎮座してい
る。
﹁なんなのこれ?﹂
俺は若干の怒りを覚えた。
数多の店舗を見てきた俺にとって、この店は破壊衝動を感じるほ
ど最低のデキだった。
日本だったら即刻店長と担当営業を呼びつけて、なぜこんな商品
の展開をするのか問い詰めるところだ。
ヒュウウウ︱︱
風が吹くと、どういう仕掛けなのか、ガマガエルの置物が、ゲッ
ゲッゲッゲッゲと笑いだし、道ばたに汚らしい粘着性のある液体を
飛ばした。その上に飛んできた砂漠の砂がくっつき、さらに汚らし
い物体になる。その間もガマガエルの置物は笑っていた。
﹁今すぐ⋮⋮いいかしら?﹂
落雷
をぶっ放して
サンダーボルト
俺が指を向けると、アリアナが飛び付いて﹁ダメッ﹂と言う。
オッケーオッケー。
ふう⋮落ち着け俺。こんなことでいちいち
いたらこの異世界の道具屋が減ってしまう。
だが⋮⋮これはあまりにも⋮ひどい⋮⋮。
激昂するレベルだぞこんなもん。店長出せ! 店長!
﹁いらっしゃ︱︱︱ジャン?!?!﹂
599
店から出てきた若い女の子が、持っていたハタキを驚きで取り落
とした。
上から下へとジャンジャンを見つめると、近づいて彼の身体をぺ
たぺた触り出す。
﹁ほんとに、ジャンなの?﹂
﹁⋮ああ。ただいまコゼット﹂
﹁ジャン!!!!﹂
コゼットはすごい勢いでジャンジャンに飛び付いた。彼は頬を染
めながら目を白黒させ、彼女を抱きしめるかどうか必死に考えてい
るのか、両腕を開いたり閉じたりさせる。
おまえは壊れたクレーンゲームかッ。
いけ、抱きしめろ!
ぎゅっといけ、ぎゅーっと!
アリアナがこっそりジャンジャンの後ろに回り込んで手を伸ばし、
一気に彼の腕を内側へ巻き付けようと迫る。
ゴー! いけアリアナ! ゴーゴーッ!!
﹁えい⋮﹂
ジャンジャンの腕がコゼットを抱きしめた。
突然の出来事に全身を硬直させるジャンジャン。
﹁ふぅあ!﹂
だがチキン野郎はすぐに両手をバンザイにした。
600
どんだけー。
もう。
どんだけー。
﹁あらこの子たちは?﹂
コゼットがジャンジャンから離れて首をかしげた。途端、悲しそ
うな顔するジャンジャン。いやいやだったらぎゅっと抱きしめてお
けよ。ぎゅっと。まじで!
﹁エリィ・ゴールデンですわ。この子は友人のアリアナ・グランテ
ィーノ。ジャンジャンに助けてもらって馬車で送ってもらったの﹂
﹁あら、ご丁寧にありがとう。私はコゼットです﹂
お互いにレディのお辞儀をした⋮⋮んだが⋮⋮。
﹁あのコゼットさん。ひとつ質問いいかしら﹂
﹁なあに?﹂
﹁あなたの着ている服? それは何なのかしら?﹂
﹁これのこと?﹂
これのこと? じゃねーよ。それしかねえだろうがッ。
なぜ頭蓋骨を真っ二つにしたブツを帽子代わりにしてんだ!?
どうしてポシェットを三つも付けてるんだ!?
黄色とか青とかのレースをなぜ腕に巻き付ける!?
靴がネズミの剥製?
なんでヘソのとこだけシャツがハートにくりぬいてある?!
意味がわからん!! ぜんっっっぜん意味がわからん!!!!
601
彼女はくりっとした目を俺に向けて自信ありげに口を開いた。
﹁お洒落でしょ?﹂
﹁お洒落なわけないでしょッ!!!!﹂
○
店に入ると、よぼよぼのおばあちゃんが店番をしていた。ちんま
りと座布団の上に座っている姿が招き猫みたいでかわいい。ジャン
ジャンの祖母、ガン・バルジャンばあちゃんだ。名前は頑張って店
特に俺!
番をしてるからツッコまないでおこう。くれぐれも﹁頑張るじゃん
!﹂とか言わないように!
ジャンジャンが帰ってきた事を知ると、ばあちゃんは涙をぽろぽ
ろ流して喜んでいたので、感動の再会についうるっときてしまった。
泣いてない。俺は断じて泣いてないッ。
服のセンスゼロのコゼットが、ばあちゃんの面倒を見ながら店番
を手伝ってくれていたらしい。好き勝手に陳列していたらこんな店
になってしまったそうだ。ハリセンがあったらコゼットを思いっき
りはたきたい。ちなみにコゼットの家は隣のバー﹃グリュック﹄だ。
コゼットの服装はあとで直すとして、俺とアリアナは夕食もほど
ほどに案内された空き部屋のベッドにもぐりこんだ。数日、馬車に
揺られていたせいで疲れがたまっている。
ベッドは二つあったが、アリアナは俺の布団にもぐりこんできた。
602
﹁今日は一緒⋮﹂
﹁そうね﹂
﹁ん⋮﹂
俺は寝る前に、ジャンジャンからもらった紙とペンでやるべきこ
とを記入していった。何事も目標を決め、目で確認することが大事
だ。
アリアナが狐耳を動かしながら覗き込んでくる。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
砂漠でやることリスト
最優先、ダイエットする。
その1、強くなる。
その2、グレイフナーに帰るための情報収集。
その3、ジャンジャンとコゼットをくっつける。
その4、孤児院の子どもを捜す。
その5、砂漠にあるいい生地を探す。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
ダイエットと修行はもちろん、ジャンジャンの恋路をサポートし、
孤児院の子どもたちが売られたという特殊な工作員を養成している
場所を見つけ出したい。ついでに洋服の生地になるような面白い物
がないかどうか調査をしようと思っている。やることはいっぱいだ。
﹁わかりやすい⋮﹂
﹁そうでしょ。ひとまず今日は寝ましょう。明日から忙しくなるわ﹂
603
﹁うん、そうだね⋮﹂
﹁おやすみアリアナ﹂
﹁おやすみエリィ⋮﹂
俺とアリアナは早めの就寝をした。
☆
その数日前。
エリィが誘拐された当日、グレイフナーのゴールデン家では大変
な騒ぎになっていた。
﹁お嬢様はわたくしが救出します!!!﹂
﹁私はぁ! お嬢様方を守れなかったぁ! 切腹致します!!!﹂
クラリスは青竜刀を左右にぶら下げマントを装備し、出陣の準備
は万端。一方、バリーはコック服を脱ぎ捨て短刀を腹に当てている。
﹁賊をぶっ殺しましょう﹂
﹁賊をぶっ殺しましょう﹂
﹁賊をぶっ殺しましょう﹂
きれいなハミングで料理人らとメイド隊が宣言し、バスタードソ
ードやらメリケンサック、パルチザン、グレートアクス、キラーボ
ウなどを持ち、各々が完全武装でエントランスに集合していた。
﹁エリィ、今頃つらくて泣いてるよね﹂
﹁あの子ってばほんと世話の焼ける妹ね⋮﹂
604
エイミーが階段の隅っこで体育座りをし、エリザベスが杖を片手
に旅支度を済ませている。
長女のエドウィーナは﹁おいき!﹂と言って、使役している小鳥
の使い魔を窓から解き放つ。
﹁落ち着け!﹂
﹁静かになさい!﹂
父、ハワード・ゴールデンと﹃爆炎のアメリア﹄こと母アメリア・
ゴールデンが面々を諫めた。
﹁これから指示を出す。一度しか言わない﹂
普段、温厚そうなハワードは怒りを何とか抑えている、といった
表情だ。
﹁まずは敵を見つける。クラリス、例の情報屋のところにバリーと
行け﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁はっ! この命に代えても賊を見つけ出します!﹂
クラリスとバリーは忍者のように素早く消えた。
﹁メイド隊は二人を選抜して警邏隊と近隣住民から情報収集をしろ。
金に糸目はつけるな﹂
﹁かしこまりました旦那様﹂
﹁承りました旦那様﹂
見目麗しいメイド二人がお辞儀をしてエントランスから出て行く。
605
﹁エイミーとエリザベスはコバシガワ商会の面々にエリィが誘拐さ
れたことを伝え、協力要請をしろ。その後の判断はそちらで決めな
さい﹂
﹁ぐすん⋮わかりました!﹂
﹁はい、お父様﹂
エイミーがなんとか気を取り直し、エリザベスが優雅にうなずく。
﹁エドウィーナは使い魔の索敵範囲を徐々に広げてくれ。まずはグ
レイフナー周辺だ﹂
﹁わかりましたわ﹂
エドウィーナは集中しているのかその場で目を閉じた。
﹁料理隊は精が付く料理をたっぷり頼む。ある意味お前達が一番重
要だぞ﹂
﹁サーイエッサー!﹂
なぜか軍人言葉で敬礼する料理人達。
﹁俺はこれから宮殿に行ってくる。なんとかして﹃シールド﹄の特
殊部隊に渡りを付けるぞ﹂
﹁私は家で待機し、集めた情報を取り纏めます﹂
﹁うん、そうしてくれ﹂
﹁あなた⋮⋮﹂
ハワードはアメリアを優しく抱きしめた。
﹁あの子、大丈夫よね?﹂
606
﹁ああ、エリィなら平気さ。もう一人前のレディさ﹂
﹁心配だわ⋮⋮。あの子はあなたに似て妙に優しいところがあるか
ら⋮﹂
﹁大丈夫だよ。僕たちの子どもじゃないか﹂
﹁あなた⋮﹂
﹁アメリア⋮﹂
なぜかいい感じの雰囲気になり、熱い接吻をする父と母。
だがその空気は二人の身体が離れると嘘のように消えてなくなり、
ピリッとした雰囲気に戻った。
﹁ではいってくる﹂
﹁いってらっしゃいあなた。吉報をお待ちしております﹂
﹁ああ、可愛い娘のためだ。手段は選ばん﹂
﹁ええ。お願い致します﹂
その後、調査は何度も空振りに終わり、賊の足取りはつかめなか
った。数日後にようやく西に逃げた、との情報をクラリスが得たと
ころで、サンディとパンタが戦争になり、調査が難しくなる。それ
でもゴールデン家の面々にエリィ捜索を諦める様子はなかった。
その頃﹃砂漠のオアシス・ジェラ﹄では︱︱︱
○
607
もふもふもふもふ。
﹁ん⋮⋮あ⋮⋮﹂
もみもみもみもみ。
﹁んん⋮⋮⋮あ⋮⋮⋮﹂
さわさわさわさわ。
﹁ひぅ⋮⋮⋮あっ⋮⋮⋮⋮﹂
俺は寝ぼけてアリアナの狐耳を揉んでいた。
608
第1話 イケメン、砂漠、オアシス︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重82㎏︵−2kg︶やっと痩せた・・・
▼▼▼▼▼▼▼▼
いつもお読み頂きありがとうございます!
読者の方からエリィちゃん画像をいただきました。
あとがきにURLを貼っていいかわからなかったので活動報告のほ
うに掲載致しました。
このページ左下の作者ページ↓活動報告
からチェケラできます!
屋外閲覧と食事中のチェケラ注意です!笑
ということで次話も是非ご覧下さい!
609
第2話 イケメン、冒険、追跡者
翌日、﹃バルジャンの道具屋﹄の隣にあるバー﹃グリュック﹄で
コゼットのおやじさんに戦争に関しての情報を聞いた。さびれた商
店街のバーといえども、やはり人の集まる場所は情報も集まる。時
刻はお昼過ぎなので開店前の貸し切りだ。
ジャンジャンの予想通り、砂漠の国サンディは﹃赤い街道﹄を完
全封鎖しているらしい。場所は﹃自由国境の街トクトール﹄から三
十キロほど東へ進んだ地点だ。商隊も通れなければ、一般人も通れ
ない。ちょっとおかしいぐらいの徹底ぶりらしく、早くも、各地で
流通に弊害が出ているそうだ。
サンディは自給率が高いのだろうか。
砂漠の国と言うぐらいだから物資は輸入に頼っているような気が
するが⋮。あまり長い間、封鎖をしていると自国経済の首を絞める
ことになりそうなもんだけどな。その辺も情報を仕入れてみないと
何ともいえない。異世界だし地球の常識が通じない部分があるだろ
う。
ちなみに衝撃だったのが、赤い街道を封鎖した時刻が、俺とアリ
アナが馬車に乗った翌日。ということはだ、ポチャ夫やペスカトー
レ、盗賊団をおしおきしてすぐ東に進んでいればグレイフナー王国
にそのまま帰れたってことだ。なんてこった。
ただ、あのときは魔力と体力が限界だった。
それに東側からは大量の魔物が出現していた。
アリアナを抱えて魔物を倒しながら脱出するのは不可能だっただ
610
ろう。ま、あれが最善だったと思う。そもそも元を辿れば俺が誘拐
されたことがいけなかったんだしな。俺、バカだわー。次はミスら
ないから天才だけど、あんときはバカだったわー。
ま、終わったことをぐじぐじ言っててもしょうがねえ。
サンディはトクトールに着いて、すぐ魔物を殲滅し、そのまま東
へ進んで封鎖線を張った、という流れだな。
一番気になっている、どれぐらいで戦争が終わるのか、という俺
の問いに、コゼットのおやじさんはただ首を振るだけだった。一ヶ
月かもしれないし一年かもしれない、とのこと。
いやいやいや、一年とか長すぎ!
超楽観的に考えてたよ。そのスパンは予想の右ななめ上だった。
俺、あんま歴史物は得意じゃねえ。親友の田中がペラペラとしゃ
べっていた記憶をほじくり返すと⋮⋮十年ぐらい戦ってた戦争があ
るとかないとか言ってた気がする⋮。あいつ歴史好きだったからな
ぁ。あいつ今頃俺がいなくてヒーヒー言ってるんだろうな。
にしても十年とか、アホか。どんだけ戦争好きなんだよ。
なんか、すぐ帰れないような気がしてきた。
これはやべーな。雑誌もミラーズもすべて中途半端で放り出して
きた格好になる。
新商品と新デザインの原案はジョーに、雑誌のアイデアやアジェ
ンダは黒ブライアンやエロ写真家、ウサックス、クラリスに話して
いたからある程度の時間、俺が不在でも問題ないと思う。
611
が、やはり細かい部分の調整、そして他社競合から差別化ができ
るか不安だ。おそらく大型の商会なんかはすでに服の発注を行い、
独自の方法でデザインを真似てくるだろう。いまこの段階で圧倒的
攻勢に出ないと負ける可能性がある。
コモディティ化は必ず起きる。
皆が、どれぐらい﹃ブランド﹄に執着できるかが鍵だ。
ミラーズは借金をしてでも店舗拡大。
コバシガワ商会はミラーズと連携し、新しいデザインの生地流通
の独占強化。
加えて縫製職人との専属雇用を結ぶ。
さらに雑誌の第二号を創刊。
秋物、冬物の発注とか、モデル発掘とか、新店舗の社員教育とか、
うわーすげえやりたかった! 一番街の一角をショッピングモール
にするとかまじで計画してたのに! そして新作を出すたびにちょ
っとずつ、女性物のスカートの丈を短くし、最終的にミニスカート、
ショートパンツを流行らせるという俺の﹃ちょっとずつだったら短
くなってもバレないよね。ああんコバシガワさんてばずるいんだか
らぁ作戦﹄があああぁぁぁああぁっ! くそおおおおおっ!
いでよ! どこでもDoor!
しーん⋮⋮。
いでよ! 時空のはざまッ!
612
しーん⋮⋮⋮⋮。
アリアナが可愛らしく、こてん、と首をかしげるだけだ。
もふもふもふもふ。
とりあえず狐耳で癒されて、と。
結局のところ、戦争が終わるのを待つか、別ルートで帰るか、の
二択だ。
みんなを信じてこっちで出来ることを精一杯やるしかない。
お、いま俺すげーいいこと言った。俺、天才。イエーイ。
それから、店の手伝いをしていたコゼットに昨日のことを謝って
おいた。
﹁昨日はいきなり怒鳴ってごめんなさい。あまりにも私のお洒落な
イメージとは違っていたからつい。人それぞれの価値観があるもの
⋮⋮私の勝手なイメージをあなたに押しつけてしまったわ﹂
﹁いいんだよエリィちゃん。自分でも分かっているから﹂
コゼットはにっこりと笑った。
純真無垢に笑う彼女は、見る者に安堵感と癒しを与えた。ああ、
613
なんか癒される。変な服装だけど。すごく癒される。変な服装だけ
ど。
今日のコゼットはドクロをかぶり、レインボーの布を体中に巻き
付け、魔除けと書かれた肩当てをし、りんごの刺繍が入った膝まで
ある靴下をはいている。
これはもはや新境地だ。ファッションのフロンティアや!
﹁でも初対面でひどいことを言ってしまったわ。何か一つ借りにし
ておいてもらえないかしら﹂
﹁いいよそんなの﹂
﹁私に借りを作っておいて損はないわよ﹂
﹁困っちゃうなー。なしっていうのはできないの?﹂
﹁ダメよ。私の気持ちが収まらないわ﹂
﹁うーん。そう言われても⋮﹂
﹁最近、困っている事、ないの?﹂
コゼットはくりっとした目を閉じ、首をかしげる。短めの三つ編
みがななめに垂れた。
一瞬、何か思いついたような顔をしたが、すぐかぶりを振る。
﹁今のところないよ。本当にいいんだよエリィちゃん﹂
﹁恋の相談⋮⋮というのも大丈夫だけど?﹂
﹁こ、恋?!﹂
コゼットは椅子から転げ落ちそうになるほど動揺した。
はっはぁん、やっぱり。
昨日のジャンと再会した喜びようからして、二人は両想いらしい
な。
614
黙っていたアリアナが、ふさふさしている狐の尻尾を勢いよく振
って無表情で身を乗り出した。よく見ると目元が少しだけ笑ってい
る。俺を見て、話の先を急かしてきたので、力強くうなずいた。
﹁誰か好きな人、いないの?﹂
﹁え、え、え、ええっとぉ∼﹂
助けを求めるように右往左往するコゼット。首を振るたびに頭に
かぶったドクロが揺れる。
﹁ああ、そうよねぇ。昨日会ったばっかりの人に大事な気持ちを言
えるわけないわよね⋮﹂
﹁え? んんーそういうわけじゃあ⋮⋮﹂
﹁いいのよいいのよ。大切な気持ちってむやみに言うものじゃない
わ﹂
﹁そう、なのかな?﹂
﹁そうよ﹂
俺は共感し、そしてコゼットの言葉に肯定する。
﹁でもね⋮﹂
人の心は不思議なもので、最初から否定されるより、肯定されて
から否定されるほうが心に響きやすい。
何度となく部下に聞かせ、取引先にこの簡単な技術を使ったか分
からない。
ま、俺はコゼットの服装を初っぱなで全否定したわけだが⋮⋮あ
んな格好してたらそりゃ誰だってツッコミを入れるだろ。めんごめ
んご。
615
﹁話せば楽になることもあるわ。私たちは封鎖が解除されればすぐ
に帰る旅行者みたいなものよ。だから話したからってあなたの大事
な気持ちが減ったりはしないし、むしろ言葉にすることによってよ
り確かなものになると思うのよね﹂
﹁そうかな?﹂
﹁そうよ。私たちが協力できることもあるだろうし﹂
﹁協力する⋮﹂
アリアナがさらに身を乗り出す。ガチで恋バナが好きらしい。
﹁実はね︱︱﹂
恋する乙女コゼットは堰を切ったように、いかにジャンが好きか
をしゃべり始めた。もうそりゃマシンガンだ。段々と俺とアリアナ
も興に乗ってきて、きゃー、とか、まあ⋮、なんていう合いの手を
入れる。延々に続くガールズトーク。
これを楽しんでる俺って⋮⋮ウサックスばりに順応力高すぎか?
○
︱︱︱チリン
もうバーの開店の時間になっていたらしい。
店に入ってきたのは薄汚れたローブ姿の老人だった。白い髭を生
やし、ぼさぼさの白髪で、飲んでいるのかすでに顔が赤い。こちら
をちらりと見てカウンターに座ると、コゼットのおやじさんに﹁強
616
い酒﹂とだけ言った。
客などおかまいなしにコゼットのジャンジャントークが炸裂する。
小さい頃の話から成人までのヒストリーを俺とアリアナは聞いた。
ジャンジャンはめっちゃいい奴だ。
コゼット目線だと超スーパーイケメンに映っているらしい。
何度となくコゼットを助けてくれ、いつも見守ってくれたそうだ。
彼が冒険者になる、と言ったときは谷から突き落とされた気持ちに
なり、こうして元気な姿で戻ってきてくれたことが天へ上らんばか
りに﹁嬉しい!﹂いや、﹁嬉ぴいッ!﹂とのこと。
いや、天に上ったらあの世いきだからな。
その他にも砂漠の魔物デザートスコーピオンに襲われた話、ジャ
ンジャンが病気の人を診療所まで走って運んだ話、誰よりも魔法と
剣を練習していた話、そりゃもう聞きましたとも。延々とね。
俺は区切りのいいところで本題を切り出した。
﹁それで、いつ告白するの?﹂
﹁︱︱︱ッ!?﹂
コゼットは、今度は比喩でもなんでもなく椅子から転げ落ちた。
ドクロのかぶり物が床に落ちてひっくり返り、くるくる回転する。
﹁そんなびっくりすることないじゃない﹂
﹁だってエリィちゃん⋮ジャンが私のこと好きなわけないよ⋮﹂
コゼットはドクロを拾ってしっかりとかぶった。
617
﹁どうして?﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁なにか、言えない事情でも?﹂
あいつコゼットにベタ惚れだが。
﹁あのね⋮⋮⋮﹂
コゼットはかすれた声で言うと、自分の服装を見て、黙り込んで
しまった。
そのあとは、どんなになだめすかしても続きを話してくれなかっ
た。
二人の間には何があったんだろうか。
これ以上は無理に立ち入ってはいけない話のようだ。
俺は空気を読んで質問をやめた。
○
俺とアリアナはジャンジャンに連れられて冒険者協会までやって
きた。
目の前には石造りのどっしりした建物がそびえ立っている。四階
建て、訓練場つき、というオアシス・ジェラの冒険者協会は大きか
618
った。ま、グレイフナーの協会ほどじゃないが。
滞在中、タダ飯をもらうわけにもいかないので、道具屋の店番を
やりつつ冒険者登録をして魔物退治や素材集めをするつもりだ。修
行とダイエットも兼ねている。俺には実戦経験が圧倒的に足りない
からな、魔物との戦闘はいい訓練になるだろう。
ジャンジャンの話だと、冒険者は大きく二つに分かれるらしい。
魔物を狩る冒険者。
未知の場所へ行く冒険者。
世界の果てへ到達することが冒険者の意義であり存在する理由、
だそうだ。
俺は建物に入る前にジャンジャンに聞いた。
なので、未開の地への挑戦者のほうが尊敬される。
﹁世界の果てって本当にあるの?﹂
﹁エリィちゃんそれは常識だ。ユキムラ・セキノが見つけたんだよ﹂
﹁えー。だって世界って丸いんでしょう。世界に果てなんてないわ
よ﹂
﹁はっはっはっはっは! エリィちゃんはおもしろいことを言うね
!﹂
ジャンジャンは爆笑した。
﹁世界は真四角だ、というのが通説で、実際にユキムラ・セキノが
世界の果てを見つけているから、それは証明されているよ﹂
﹁真四角ぅ?﹂
619
俺は信じられなくてつい素っ頓狂な声を上げてしまった。
だって真四角って、ねえ。
端っこはどうなってるわけよ。この世界って宇宙にあるんじゃな
いの?
大地は象が支えているっていう古代インドの宇宙観みてえだな。
てか、まじなわけ?
﹁世界の果てがどうなっているのか皆知りたいのさ﹂
﹁ユキムラ・セキノが間違っているって可能性は?﹂
﹁ないね﹂
﹁どうして?﹂
﹁彼は映像記録の魔道具で世界の果てを撮影しているからね﹂
﹁えええ!?﹂
うっそぉ!
それ超見たいんですけど!
﹁どこで見れるの?﹂
﹁冒険者同盟に行けば見られるよ⋮⋮ただし、ランクがA以上じゃ
ないと門前払いだけどね﹂
﹁よし! 頑張ってAランク目指しましょう!﹂
﹁わたしも⋮﹂
﹁ははは、俺でもCランクなんだよ?﹂
﹁ジャンジャン、私はやると言ったことはやるのよ﹂
﹁わたしも⋮⋮﹂
苦笑するジャンジャンを尻目に、俺とアリアナはうなずきあって、
冒険者協会の扉を開けた。
620
スイングドアの先には、小綺麗な空間が広がっていた。窓口が七
つ、カウンターに様々な記入用紙があり市役所みたいな感じだ。
ジャンジャンは顔見知りが多いのか、再会の挨拶をしながら窓口
へ進む。
屈強でむさ苦しい鎧に身を包んだ男達が俺とアリアナを見て、侮
蔑の目を向け、鼻で笑う。
俺たちが冒険者登録をしようと受付嬢に話しかけたところで、い
きなり窓口のカウンターにバァンと手を叩きつけられた。
﹁お嬢ちゃんたち⋮まさか冒険者になろうってんじゃないだろうな
?﹂
見ると、唇の半分がめくれ上がった、いかにも映画の序盤で主人
公にやられそうな男が凄みをきかせて睨んでくる。体格が良く、結
構強そうだ。
﹁ここはガキの来るところじゃねえんだよ。とっとと消えな﹂
レディに話しかける礼儀作法が全くなってない。
よし、無視だな。無視。
﹁私とこの子が登録︱︱﹂
﹁デブのお嬢ちゃん、俺を無視する気かァ!?﹂
﹁あ、これに記入すればいいのね﹂
﹁てめえ! いい加減にしろよ!﹂
﹁ペンを貸してちょうだい﹂
﹁聞いてんのかぁおい! デブの分際でこのビール様を無視すると
621
はいい度胸だな!﹂
男は再度、カウンターを思い切り叩いた。
猫耳のかわいらしい受付嬢があわあわと慌てている。
ジャンジャンが剣呑な顔つきになり、ポケットの杖に手を伸ばす。
俺はさらに無視することにした。
﹁アリアナ、ちゃんと書くのよ﹂
﹁ん⋮﹂
﹁いい加減にしろよぉ!﹂
唇男で名前がビール、クチビールが俺とアリアナの登録用紙を奪
い取ってぐしゃぐしゃに丸めた。
ジャンジャンが怒って杖を向ける。
﹁おいお前! 冒険者は十四歳から登録が可能だ! お前にこの子
たちを止める権利はない!﹂
﹁はあぁぁぁッ?! 黙れ出戻りが!﹂
﹁で、でもどりだと?!﹂
﹁なりたてのランクCで故郷に凱旋!? ハッ、笑わせるな﹂
﹁きさま⋮⋮﹂
周囲がこちらに目を向けている。あまり興味がないことから、日
常茶飯事の出来事らしい。
﹁ジャンジャン、どいてちょうだい﹂
俺はジャンジャンの前に出た。
﹁エリィちゃん! こいつは何かあるたびに難癖をつける有名な奴
622
だ!﹂
﹁忠告と言ってもらおう﹂
クチビールはドヤ顔で胸を張り、唇をゆがめた。
﹁こんなおデブのお嬢ちゃんと細っこいガキが俺と同じ冒険者! 虫ずが走る!﹂
﹁あなた今なんて言ったかしら?﹂
俺は少し絡まれる程度なら文句は言わないつもりだったが、こい
つは言っちゃいけないことを何度も言った。何度もな。
俺をデブと、アリアナを細い、と。レディが一番気にしているこ
とを何度も⋮。
﹁なんだってえ?﹂
﹁あなた、いま、何て言った、って聞いたのよ﹂
︱︱︱パチパチッ
俺は魔力を循環させ、電流を流す準備をする。
静電気が巻き起こる。
﹁エリィが怒った⋮﹂
﹁エ、エリィちゃん? 髪の毛が逆立ってるけど?!﹂
623
アリアナとジャンジャンが怒りの空気を感じて俺から距離を取っ
た。
﹁何度でも言ってやるよ! デブとひょろひょろのガキが冒険者な
んかに︱︱﹂
俺はクチビールの腕をそっとつかんだ。
﹁おいおいやる気かァ! 笑わせるぜ! よし、ここは痛い目を︱
︱﹂
エレキトリック
電打!!!!!
﹁見せたばばばばばババババッバババビルベピィ!!!﹂
気持ちの悪い痙攣をしてクチビールが床にぶっ倒れ、頭から湯気
を出し、白目を向いた。
○
624
﹁エリィちゃんここに名前を書くんでしゅ﹂
﹁あらそう﹂
﹁ここに特技を﹂
﹁うんうん﹂
﹁ここに年齢と出身地を書いてくだしゃい﹂
﹁ありがとう﹂
よい子になったクチビールが丁寧に登録票の書き方を教えてくれ
る。
気づけば俺とアリアナを蔑むような目で見る冒険者はいなくなっ
ていた。俺が﹁麻痺魔法の餌食になりたければ私の前に来なさい﹂
と言ったからだろう。幸い、麻痺魔法は上位魔法の﹃木﹄に存在し
ているらしく、俺が上位魔法使用者だと皆が勘違いしてくれた。
それにこの男は誰に対しても突っかかっていたらしい。協会内で
も煙たがられる存在だったそうで受付嬢もホッとしていた。
なんか可哀想だな、クチビール。孤独だったのだろうか。
﹁悪いことはしないで冒険者として頑張りなさい!﹂
﹁うん!﹂
彼にそう言って、俺たちはデザートスコーピオン討伐の依頼を受
け、冒険者協会を出た。
○
西門に向かっている途中、ジャンジャンが俺とアリアナに耳打ち
625
してくる。
﹁誰かにつけられている﹂
﹁え?﹂
﹁んん⋮?﹂
アリアナがぴこっと耳を後方へ動かし、歩きながら耳をすます。
﹁後ろのほう。ひとり⋮﹂
﹁誰よ?﹂
﹁わからない﹂
ジャンジャンが首を捻った。
﹁敵意はなさそうだ。西門から出れば砂漠の危険地帯に入る。追っ
てはこないだろう﹂
﹁そうね﹂
俺とアリアナはうなずき、一度﹃バルジャンの道具屋﹄に戻って、
水と食糧を持ち、熱を遮断するヴェールを借りて外に出る。ガンば
あちゃんは頑張って店番をしていた。あとで手伝うから待っててく
れ、ばあちゃん。
﹁よおジャン! 元気か!﹂
西の門番の男が懐かしげにジャンジャンへ声をかけた。
﹁おう! お前も相変わらずだな﹂
﹁まあな。で、コゼットとはどうなったよ?﹂
626
﹁いやー! まあ、タイミングってやつが⋮⋮まだな!﹂
﹁はっはっは。その様子じゃ結婚は俺のほうが先だな﹂
ジャンジャンはしばらく昔話をし、門番の男に気をつけて、と言
われて外に出る。
町の外はすぐに砂漠、というわけでなく、荒野が続いている。固
い地面に草がちらほら生え、乾いた風が吹き抜ける。どこまで続く
とも分からない地面が延々と続き、目をこらせばうっすら遠くのほ
うに砂丘が見えた。
暑い。まじで暑いよこれ!
痩せちゃうよ! シェイプアップしちゃうよ!
俺たちは途中で休憩を取りながら一時間ぐらい歩いた。
﹁まだついてくるな﹂
ジャンジャンがしかめっ面でぼそっと言った。
アリアナが耳を動かして、首肯をする。
﹁ほらエリィちゃん、町の方角を見てみなよ﹂
俺は言われた通り、町の方向へ目を細めた。
確かに、熱気で空気が揺らめいているが、人間がひとりこちらに
近づいてくる。
距離はかなり遠い。追っ手の姿が米粒大に見える距離だ。
627
﹁先ほどからつかず離れずだ。町の外までついてくるとはな⋮﹂
サンダーボルト
﹁あやしい⋮﹂
インパルス
電衝撃や落雷の範囲外だ。さすがにあそこまで遠くに飛ばせない。
おおっぴらに落雷魔法を見せるわけにもいかねえしな。ジャンジャ
ンがビビるだろう。
俺たちは無視することに決め、先へと進んだ。
討伐ランクEのデザートスコーピオンは砂漠と荒野の境目を巣に
している全長五十センチほどの魔物で、尻尾に毒があり刺されると
危険だ。定期的に倒しておかないと町まできてしまうことがあるら
しい。
ジャンジャンが毒消しポーションを持ってきているので万が一刺
されても問題はない。
﹁二人とも風魔法が使えるってことだからウインドカッターは使え
るよね?﹂
﹁ええ﹂
﹁ん⋮﹂
﹁遠距離からウインドカッターで攻撃し、急所の頭に当たれば一撃
で倒せる。落ち着いてかかれば問題ない。はずしても俺が盾になる﹂
ジャンジャンが前衛をつとめてくれる。心強い。
彼の装備はロングソードに革の鎧、左腕に小さな盾をつけている。
水を飲んで一息つき、五十メートルほど進むと、黒い影がうごめ
いている様が見えた。
数は二つだ。
﹁あれがデザートスコーピオンだ。俺の合図で魔法を。エリィちゃ
628
んは左、アリアナちゃんは右だ﹂
俺たちはうなずき、いつでも魔法が撃てるように魔力を練った。
﹁あれ、エリィちゃん、杖は?﹂
﹁私は杖なしよ﹂
﹁なんだか⋮君は色々とすごいな⋮⋮﹂
ジャンジャンは感心し、すぐに表情を引き締めた。
﹁Eランクといえど油断は禁物だ﹂
もう十メートルほど進む。まだ敵は気づかない。
ジャンジャンが手を上げた。
いけ!
﹁ウインドカッター!﹂
﹁ウインドカッター﹂
は右にいたデザート
はデザートスコーピオンの頭を両断し
ウインドカッター
ウインドカッター
風の刃が二十メートル先にいるデザートスコーピオンに向かう。
俺の
て絶命させ、アリアナの
スコーピオンの尻尾を切り飛ばした。
ウインドカッター
が尻尾を失って動き
﹁いいぞ二人とも! これはすごいや! もう一発いけ!﹂
﹁ウインドカッター!﹂
﹁ウインドカッター﹂
俺とアリアナの放った
の鈍っているデザートスコーピオンに突き刺さり、頭部と胴体を分
629
離させた。
あんま強くねーな。
﹁あれほど正確に狙うなんて。ひょっとして⋮二人はすごく優秀?﹂
嬉しそうにジャンジャンが聞いてくる。
﹁私とアリアナはスクウェアよ﹂
﹁え? スクウェア?﹂
﹁そうよ。そういえばジャンジャンは?﹂
﹁てっきり風適性のダブルかトリプルだと⋮⋮ああ、俺もスクウェ
アだよ﹂
﹁私は光適性でアリアナは闇適性よ﹂
﹁ウソッ?! 光と闇?!﹂
﹁そんなに驚くこと?﹂
﹁驚くもなにも、レア適性じゃないか!﹂
﹁そうなのかしらねぇ⋮うちの学校じゃ結構いるし﹂
﹁それはグレイフナー王国の魔法学校だからだよ⋮﹂
光と闇の適性は二十人に一人ほど。適性を活かした凄腕魔法使い
になれるのは五十人に一人、と言われている、とジャンジャンが力
説する。
そういえば一般人から見るとこんな位置づけらしいな。
シングル、普通。
ダブル、トリプルは優秀。
スクウェア、ペンタゴン、ヘキサゴンはすごい。
セブン、エイト、ナインはやべえ。
テン、イレブンはとてつもない。
630
グランドマスター、そんな魔法使いいないでしょ。
って感じだ。
まあ、魔法の種類をいくつ使えるかって呼び方だから、強さの目
安に多少なる程度だ。ヘキサゴンは六種魔法が使える。でもすべて
の魔法が下位の下級のみって可能性もあるわけで、たくさん使える
から強い、ってことでもない。
ただし、セブン以上の魔法使いは自動的に上位魔法を取得してい
るってことになるから、扱いが別格になる。
﹁それじゃ尻尾を切り取ろう。討伐の証になる﹂
ジャンジャンがデザートスコーピオン近づくと、乾いた地面が、
急にボコッと盛り上がった。
﹁サンドワーム?! 二人とも下がって!﹂
ジャンジャンが言い終わるか終わらないかのタイミングで地面か
ら巨大なミミズが土埃を舞い上げながら出現した。直径が二メート
ルほどある。
やべええええっ。
めっちゃきもい! これはグロ!
リアルグロ! まじで!
﹁逃げるぞ!﹂
ジャンジャンが必死の形相で言う。
アリアナがぼそっと﹁討伐ランクC⋮﹂と言った。
631
﹁何している二人とも。早く逃げるんだ﹂
﹁その必要はないわ﹂
﹁え?﹂
俺は一気に魔力を練り込み、放出した。
サンダーボルト
﹁落雷!﹂
荒野の砂漠に一筋の雷光が瞬き、空気の膨張で起こる真空により
轟音が響いた。
落雷
が突き刺さり、一瞬で黒こげ
サンダーボルト
芸術家が作った意味不明な巨大オブジェのように醜悪な姿でそそ
り立っていたサンドワームに
になった。
もう躊躇しないよね。
敵は完膚無きまでに打ち砕く。
それが魔物ならなおのこと、だ。
にしても、ちょっと威力が強すぎたかな。
爆風でジャンジャンが尻餅をつき、口をぱくぱくさせている。
驚愕の表情のまま、無言で俺を指さし、サンドワームを指さし、
落雷が落ちる軌跡を辿るように指を上から下へ動かし、また俺を指
さし、またサンドワームを指さした。
いや、驚きすぎだから。
632
﹁エリィはすごいの⋮﹂
アリアナが説明になっていない解説を入れる。
﹁今のまさか⋮⋮伝説の⋮⋮伝説の⋮⋮魔法⋮⋮⋮⋮⋮サ、サ、サ、
⋮⋮⋮サ﹂
ジャンジャンがなんとかして言葉を紡ぐ。
あまりの衝撃に口が上手く動かないようだ。
よしわかった。
俺は彼の意志を受け取り、続きを言うことにした。
﹁⋮⋮⋮サ、サ、サ、⋮⋮⋮サ﹂
﹁サマン○タバサ﹂
伝説の魔法、その名もサマン○タバサ!
その鞄を持った者はすべてプリティ系へとクラスチェンジする伝
633
説の魔法ッ!
異世界に激震、走るッ!!
﹁サマン○タバサ!?﹂
﹁鞄のブランドよ﹂
﹁エリィちゃん意味分からないよそれ! ぜんぜん意味が分からな
いッ! 何語?!﹂
﹁エリィはたまに意味不明⋮⋮﹂
﹁ちょっとしたギャグね﹂
落雷
だよね?! そうだよね!?﹂
サンダーボルト
﹁いやそんなことより今のってあの、伝説の、ユキムラ・セキノが
使っていた
﹁そうよ﹂
ジャンジャンはそんなキャラだったっけ、とツッコミを入れたく
なるほどに興奮し、両手の拳を握りしめて天へと突き上げた。
なぜかアリアナもガッツポーズを作っている。
﹁うおおおおおおおお! すごいよ! すごいよエリィちゃん!﹂
﹁エリィはすごいの⋮﹂
﹁あの伝説の落雷魔法だよ?! 全世界で複合魔法が使える魔法使
いっていないんだよ?!﹂
﹁いないのぉ?!﹂
﹁いないよ! 謎の魔法だっていくつかあるし!﹂
てっきり使える奴、何人かいると思ってたんだが。
﹁とにかくこれはすごい! これならランクA⋮いやランクSだっ
て夢じゃない!﹂
﹁エリィならできる⋮﹂
634
﹁そうかしら? でも落雷魔法で目立つのはちょっとね⋮﹂
絶対、面倒事に巻き込まれるだろ。軍事利用されるとかほんと勘
弁だし。俺は自由に生きたいんだ。
﹁ああ、人気者になっちゃうもんね!﹂
﹁そこ!?﹂
﹁え? 違うかい?﹂
﹁え、ええ⋮。まあ違わないけど﹂
﹁それよりどうやって憶えたのさ! どういう呪文を詠唱をするん
だい? 俺なんかにできるはずないけど是非とも詠唱したいんだよ
!﹂
﹁ちょ! ジャンジャン、顔が近いわ。テンションが高いわ﹂
﹁ごめんこの興奮は抑えられないッッ﹂
﹁なんかね⋮エリィが変なおじいさんにもらったんだって⋮﹂
﹁わしのことじゃな﹂
﹁そうそうこんな怪しいおじいさんにもらったのよ﹂
エリィの日記にはグレイフナーで変なじじいに落雷魔法をもらっ
た、と書かれていた。
﹁それで詠唱してみたらできちゃったのよ﹂
﹁エリィは天才⋮﹂
﹁へえ! へえ! すごいね!﹂
﹁まあ私は天才だからね﹂
﹁エリィ⋮⋮尊敬﹂
﹁うわぁー俺ってば今、まさに伝説を目の当たりにしているんだな
⋮﹂
﹁ほっほっほ、そうじゃな﹂
635
感動したジャンジャンがさらに俺に詰め寄る。
﹁で、エリィちゃん! 是非とも、是非とも落雷魔法の呪文を教え
て欲しい!﹂
﹁いいわよ﹂
﹁詠んでもおぬしには使えぬぞ。いいのか?﹂
﹁ああ、それでもいいんだじいさん﹂
﹁ほぉーまあそこまで言うならな。ほれ﹂
﹁ふむふむなるほど⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
俺とアリアナとジャンジャンは首を一斉に一カ所へ向けた。
﹁あなた誰ッ!?﹂
﹁じいさん誰!?﹂
﹁あやしい奴⋮ッ!﹂
自然すぎる流れで会話に入っていたじいさんが、何食わぬ顔で俺
たちの輪にいた。赤ら顔で白髪に白髭、さっきバーに来ていたじい
さんじゃねえか。
﹁ほれ、青年よ。落雷魔法が詠みたんじゃろ﹂
﹁え⋮⋮﹂
じいさんはおもむろに落雷魔法が書かれたメモを見せてくる。
ジャンジャンは思考が停止したのか完全に固まった。
636
つーかこのじいさんなんで落雷魔法を?!
てかさっき俺に落雷魔法を教えたのを、わしのことじゃなって⋮
⋮。
ま、ま、まさか!!
﹁久しぶりじゃのエリィ・ゴールデン。わしの見込んだとおりじゃ﹂
﹁あなた⋮⋮一体何者ッ!?!?!?!﹂
やべえやべえ! 落ち着け俺! クールになれ!
こいつには色々と聞きたいことがあるんだよ。つーか日記に書か
れていた謎のじいさんがこんな突然現れるとかまじ反則でしょ?!
﹁わし? わしは一介の魔法使いじゃ﹂
じいさんは飄々とした様子であごひげをゆったりと触っている。
砂漠に一筋の風が吹くと、じいさんの白髪がなびいた。
﹁わかりやすい自己紹介をせんといかんようだな。仕方ない⋮⋮。
皆、わしのことをこう呼ぶ。砂漠の賢者ポカホンタス、とな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮え﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮え﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮え﹂
637
俺とアリアナとジャンジャンは絶句し、そして絶叫した。
﹁えええええええええええええっ!?﹂
﹁えーーーーーーーーーーーーっ⋮﹂
﹁えええええええええええええっ!﹂
ほっほっほっほっほ、とじいさんは満足そうに笑った。
俺は後ずさりをし、言葉を失う。
﹁ま、まさかあなたが、あの⋮⋮﹂
魔法ミーハーのクラリスがここにいたら喜びで失神するぞ。
さすがのアリアナですら結構びっくりした顔をしている。
ジャンジャンは先ほどと同じように名前を言いたいが言葉が出な
いようだ。
無言で俺を指さし、サンドワームを指さし、落雷が落ちる軌跡を
辿るように指を上から下へ動かし、また俺を指さし、最後にじいさ
んを指さし、頭からつま先まで何度も動かした。
﹁あ、あなたが⋮⋮あの⋮⋮伝説の魔法⋮使い⋮⋮⋮⋮ポ、ポ、ポ
⋮⋮﹂
638
この世界で伝説とされ、生死すらわかっていない魔法使いが目の
前に現れたのだ。無理もない。
そりゃびっくりするよな。
俺は彼の意図をくみ取り、しっかりと言葉の続きを言うことにし
た。
﹁ぽ、ぽ、ぽ⋮⋮⋮⋮ポォッ︱︱︱﹂
﹁アンポンタァンッ!!!!!!﹂
俺は全力で言い切った。
﹁だぁれがアンポンタンじゃ! ポカホンタス! 砂漠の賢者、ポ・
カ・ホ・ン・タ・スッ!﹂
639
じいさんは怒るが説得力がない。
なぜなら、なぜならば⋮⋮⋮⋮。
︱︱︱︱︱なぜならば!!
俺は怒りのあまり絶叫した。
﹁私のぉーーーーーーーーーーーおしりをぉーーーーーーーーーー
ーーーー触ってるじいさんが砂漠の賢者なわけないでしょーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!
!!!!!!!!!!!﹂
エレキトリック
電打!!!!!!!!!!
﹁これはいい尻ぃぃぃぃぃぃぎゃばばばばばバガガガガリピィィィ
ィッ!!!!﹂
640
じいさんは電動マッサージ器みたいに小刻みに痙攣しながらぶっ
倒れ、桃源郷を発見した遭難者のように、幸せそうな顔で昇天した。
641
第2話 イケメン、冒険、追跡者︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重81㎏︵−1kg︶
642
第3話 イケメン、特訓、砂漠の賢者︵前書き︶
つ・・・ついに・・・・・!!
ということで地図を作成致しました。
位置関係の参考にしてください。
<i169945|16267>
643
第3話 イケメン、特訓、砂漠の賢者
﹁冗談はさておき、じゃ﹂
﹁さておきじゃないわよ! なんでそんなすぐ復活するのよ! レ
ディのお尻を触るとか淫行罪よ!﹂
﹁まあまあ、柔らかい尻で固いことを言うでない﹂
﹁ちょいちょい下ネタ入れるのほんとやめて﹂
懲りずに俺の尻を触ろうとするじいさんの手を、ベシッと叩いた。
﹁証拠⋮証拠を見せて⋮﹂
アリアナがスケベじじいに鋭い目線を向ける。
﹁あなたが砂漠の賢者だっていう証拠⋮﹂
﹁ほう、証拠、ねえ﹂
確かにアリアナの言うとおり、落雷魔法の呪文メモを持っている
だけで、砂漠の賢者ポカホンタスだ、という証明にはならない。
﹁そうだ! 貴様のようなスケベなじいさんが賢者ポカホンタスな
はずがない!﹂
ジャンジャンが怒り狂って杖を向けた。
伝説がスケベだった、とか悲しいよな。
﹁そうじゃのぉ⋮⋮まあとりあえずおぬしら全員本気になってもわ
644
しに勝てんよ﹂
﹁な、なんだと!﹂
﹁若いのぉ﹂
﹁よしわかった。その言葉、後悔させてやる!﹂
鮫背
をぶっ放す。
シャークテイル
いきり立ったジャンジャンが飛び退いて杖を構えた。
そしてなんの躊躇もなく水の上級
水の刃が地を這い、じいさんに迫る。
﹁あぶない!﹂
﹁あっ⋮⋮!﹂
さすがにやりすぎだ!
俺とアリアナは思わず両手で口を押さえた。
亜麻クソの得意技と同じだが、威力は断然ジャンジャンのほうが
はじいさんにぶつかると同時に水泡とな
鮫
シャー
上だ。魔力が相当に練り込まれている。でかい岩ぐらいなら簡単に
真っ二つだ。
スケベじいさんは朝刊を読むおっさんのようにあくびをして
をよけようともしない。
クテイル
背
鮫背
シャークテイル
鋭利な水の刃がじいさんの身体を切り裂く︱︱!
︱︱︱ボシュッ
そう思ったが、
ってかき消えた。
645
﹁えっ?﹂
唖然とするジャンジャン。
魔法が固い物質にぶつかったかのように霧散した。
どうなってんの?
鮫牙
!!﹂
シャークファング
﹁ほれほれどうした。そんなもんかい﹂
﹁くっそぉ!﹂
﹁ほっほっほっほ、若いのぅ﹂
﹁水に潜む邪悪なる牙よ、敵を穿て
鮫牙
が滑るように飛んでいく。
シャークファング
ジャンジャンの杖から、鮫の牙に似た、回転する水の弾丸が発射
される。
前方へ
じいさんは寝起きのおっさんみたいにぽりぽりと尻をかいて動こ
うとしない。
下位の上級。下位魔法では最強クラスの魔法だ。
あんなのを食らったら散弾銃で撃たれたみたいになっちまう!
鮫牙
はじいさんに当たるとただの水になり弾け飛んだ。
シャークファング
︱︱︱ボボボボボシュゥ
﹁へっ?﹂
﹁青年よ、ちと修行が足りんのぉ﹂
646
﹁ば⋮⋮化け物か。高ランクの魔物ならまだしもただのじいさんが
⋮﹂
﹁ほれ、そんなことで動揺しとったら腕利き冒険者にはなれんぞ﹂
が出現し、撃ち
そう言って、じいさんは右指をジャンジャンへ向ける。
サンドボール
サンドボー
サンドボールじゃ︱︱!?﹂
するとバスケットボールほどの
出される。
﹁何を偉そうに! ただの
︱︱︱ドドドドドドドッ!
うおおっ! すごっ!
が撃ち出される。機関銃さながらの波状攻撃。
数が尋常じゃねえ。じいさんの指からは絶え間なく
ル
サンドボール
から逃げる。
ファ
ジャンジャンは初撃を魔法で防いだが、あとは砂漠を全力で走っ
て
﹁ちょっと! なぜ! 連続! で! 魔法を!﹂
﹁ほれほれ。よけるだけじゃ倒せないぞぉ﹂
﹁いや! 待ってくれ! あの! ちょ! あっ!﹂
﹁よく見てよけるんじゃ。あーだめじゃのぉ∼﹂
﹁タンマ! ちょい! あっ! あああああッ!﹂
サンドボール
にぶち当たり、五メート
を混ぜるおまけつき。ジャンジャンはついによけき
発射のスピードをさらに上げるじいさん。しかも、たまに
イヤーボール
れず、高速で飛ぶ岩の塊
ルほど吹っ飛んだ。
647
サンドボール
﹁⋮⋮どうやって⋮⋮そんな連射﹂
﹁それでも冒険者かのぉ。
かせい﹂
スリープ
﹁うっ⋮⋮じいさんあんた⋮⋮﹂
﹁睡眠霧﹂
睡眠霧
スリープ
の直撃。
睡眠霧
スリープ
の
ぐらい気合いでなんと
突然、アリアナが魔法を唱えた。じいさんの顔面が
霧で覆われる。
彼女の得意魔法
じいさんはすぐに夢の中だな。
﹁あれくらいなら私たちも練習すればできる⋮﹂
﹁じいさんのことちょっと見直したのに﹂
﹁あっけない⋮﹂
アリアナが、魔法の連射は修行次第で会得できる、と言っている。
実際に魔闘会であれぐらいの連射をする貴族を見たことがあるらし
い。
俺とアリアナはじいさんを一瞥する。
そろそろ眠りの効果で倒れるだろう。
﹁ほっほっほっほ⋮﹂
だがじいさんは倒れるどころか、黒い霧の中で笑い出した。
不気味に思い、俺とアリアナは咄嗟に飛び退く。
﹁そんな弱い魔法はきかんぞぉ﹂
648
そう言ってじいさんが腕を一振りすると
スリープ
睡眠霧
が一瞬のうち
に消え、老人とは思えない軽快な動きでバク宙をし、俺たちと距離
を取った。
﹁たまには人と闘うのも悪くないのぉ﹂
﹁どうやって⋮!﹂
﹁わからない! わからないけどタダ者じゃないわ!﹂
﹁ただのスケベじゃない⋮⋮?﹂
﹁アリアナ、ジャンジャンの敵を取るわよ。あとお尻のうらみッ﹂
﹁オーケーエリィ⋮﹂
﹁お、やる気になったかの。ええのぅええのぅ。強気な女はええの
ぅ﹂
サンダーボルト
落雷
が大量に吹き出す。
俺たちとじいさんの距離はざっと十メートルある。これは
混乱粉
コンフュージョン
の的にしてくれと言っているようなもんだ。
﹁アリアナ、足止めを﹂
﹁うん⋮﹂
﹁ほれ、早く仕掛けてこい﹂
コンフュージョン
﹁後悔するわよ!﹂
﹁混乱粉﹂
アリアナの杖から鱗粉に似た闇魔法
消火器から出る煙の十倍ぐらいの勢いと量だ。
俺は一気に魔力を練り上げ、スケベじじいに照準を合わせ、指を
振りおろした。
649
サンダーボルト
﹁落雷!!!﹂
︱︱バリバリィィッ!
落雷
の衝撃で四散する。
サンダーボルト
空気が切り裂かれ、強烈な落雷がじじいを襲う。
先ほどまで彼が立っていた砂地が
これじゃいくら強くたって助からないだろう。
まあ所詮こんなもんだ⋮。
︱︱︱え!!!?
混乱粉
を吸いながら、じいさんは飄々と笑っている。近所の
コンフュージョン
﹁ほっほっほっほ、さすが複合魔法。だが遅い﹂
スーパーに買い物に来て偶然会いました、みたいな緊張感のなさだ。
なんなんだよこのじじいは!
普通なら混乱で正気を保てないはずだ!
レビテーション
﹁浮遊﹂
650
竜巻
トルネード
﹂
じいさんが気球のように、ふわっと浮き上がった。
﹁ほい
混乱粉
を巻き上げながら地面の砂をすべ
コンフュージョン
右腕を振ると、俺たちとじいさんの間に直径五メートルほどの竜
巻が突如として現れ、
インパルス
電衝撃
を
て吸い込まん勢いで回転し、ゆっくりとこちらに向かってくる。お
そらく上位魔法だ。
突風で動けねえ!
アリアナが俺にしがみつく。
に向かって
このときばかりは体重が重くてよかったと思う。
トルネード
竜巻
少しでも気を抜けば吹っ飛ばされる。
アリアナをかばいながら、俺は
ぶっ放した。
インパルス
電衝撃
が突き進み、
竜巻
トルネード
とぶつかると、割
ギャギャギャギャギャ、という悲鳴のような真空から起こる摩擦
音。
地面と水平に
れ物を満載にしたトラックが壁に激突するような破裂音が響いて両
者が霧散した。
﹁ほっほっほっほ、オリジナル魔法じゃな。おもしろい﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
﹁もう終わりかの?﹂
﹁まだよッ!﹂
651
もう一発
インパルス
電衝撃
!!!!
ギャギャギャギャギャ!
けたたましい音が周囲をつんざく。雷光が一筋の軌跡を描き、じ
いさんに直撃して放射状に電流がはじけ飛ぶ。
刹那の轟音。砂漠に訪れる静寂。
さすがにアレを食らってただで済むはずがない。
﹁⋮⋮ほっほっほっほ。さすがに効くのぉ﹂
﹁は?﹂
ちょっとちょっとこのじいさんまじでやべえ!
雷が直撃で無傷とかどうなってんだよ!
おかしいよこいつ! 変態! 変態じじい!
サンダーボルト
﹁落雷!!﹂
俺はすぐさま魔法を唱える。
稲妻が砂漠に轟き、じいさんを狙ってまっすぐに落ちた。
﹁当たらんよ﹂
652
ドッヂボールの球をよけるかのような気軽な仕草。
落雷
はかすりもしない。
サンダーボルト
老人ということを疑う反応速度でじじいは落雷を回避する。
サンダーボルト サンダーボルト サンダーボルト
﹁落雷! 落雷! 落雷!﹂
﹁あ・た・ら・ん・よ﹂
俺がやけくそになって連発する
アリアナも同時に魔法を唱える。
サンダーボルト
﹁ほっほっほっほ、これはいい運動じゃ﹂
﹁落雷!﹂
﹁ウインドストーム﹂
サンダーボルト
﹁ほい﹂
﹁落雷!﹂
﹁ファイヤーボール﹂
サンダーボルト
﹁もっと速く﹂
アブドミナルペイン
﹁落雷!﹂
﹁腹痛﹂
サンダーボルト
﹁もっと魔力を循環させい﹂
バーサク
﹁落雷!﹂
﹁狂戦士﹂
サンダーボルト
﹁遅いぞぉ﹂
﹁落雷⋮﹂
﹁ウインドカッター⋮⋮﹂
﹁どうしたどうした﹂
653
﹁はぁはぁ⋮⋮﹂
﹁ふぅふぅ⋮⋮﹂
俺とアリアナはいったん距離を取った。
ふたりとも完全に息が上がっている。
雷雨
っきゃねえ。
サンダーストーム
このじじい、中身は全然じじいじゃねえ。息一つ切らしてねえぞ。
まじで化け物だ。
こうなったら唱えるのは
当たらねえなら範囲攻撃で逃げられないようにすればいいだけの
話だ。このじいさんなら死にはしねえだろ。
ウインドカッ
俺は自分の目の前に雷が無限に落ちるイメージで魔力を練りこむ。
を連発した。威力より手数だ。
アリアナが詠唱を援護するため呼吸を整えてから
ター
﹁ほっほっほ、ぬるいぬるい﹂
じいさんは不可視の刃を食らってもびくともしない。そよ風にあ
たっているかのようだ。
﹁はぁ⋮はぁ⋮⋮エリィこれ以上は⋮﹂
アリアナが魔法の連続使用で息が上がって膝をつく。
﹁いくわよッ﹂
654
俺たちは力を振り絞って、飛び退いた。
いっけえええ!
サンダーストーム
﹁雷雨!!!!!!!﹂
ガガガガガガガガガッバリバリバリィィィッ!!!!!
じいさんを中心とした半径二十メートルに一発で人を黒こげにす
る威力の雷が入り乱れ、強烈なエネルギーで範囲にあるすべての物
体を破壊しようと周囲を蹂躙する。地形が変わるほどの衝撃と破壊
が起こり、砂埃で完全に視界がふさがれた。
﹁はぁ⋮はぁ⋮⋮これで終わったでしょ﹂
﹁ん⋮⋮﹂
雷雨
の被害にあった地点が、徐々に見えてくる。
サンダーストーム
静かになった砂漠に風が吹き、砂をゆったりと押し出していく。
やがて
︱︱︱︱︱︱︱!!!!!!
﹁ほっほっほっほ、普通の魔法使いなら死んでおるのぉ。あぶない
655
あぶない。ほっほっほっほっほ﹂
﹁へっ?﹂
﹁うそ⋮﹂
再生の光
﹂
俺とアリアナは驚愕し、魔力切れ寸前でがっくり膝をついた。
﹁だらしないのぉ。ほれ
俺たちを淡い光が包み込む。
魔力がほんの少し戻った感覚があり、体が軽くなった。
続いてすっかり存在を忘れていたジャンジャンの体を白く美しい
光が包み込む。
光の上位、白魔法だ。
初めて見た白魔法はきらきらと輝き、神々しかった。
つーかじいさん、鼻歌交じりに上位魔法を使うとかやべえ。
﹁お、おお⋮。全然痛くない。アバラが何本か折れたはずなのに﹂
ジャンジャンが起き上がり、神妙な顔をしてこちらにやってくる。
まるで上司に叱られた部下のようだ。
俺とアリアナは、落雷魔法をあれだけ食らってピンピンしている
じじいに尊敬の目を向けざるを得なかった。
いや、まじで人間じゃねえよ?
どういう原理なんだよ。教えてくれ。
まじで教えてくれッ!
﹁あなた本当に砂漠の賢者⋮⋮なの?﹂
656
﹁だから言っておるじゃろ、砂漠の賢者ポカホンタスじゃと﹂
﹁さ、さ、先ほどは大変失礼をいたしましたァッ!﹂
きれいなジャンピング土下座を決めるジャンジャン。
﹁ポカホンタス様! 俺を、弟子にしてください!﹂
彼は決意を固く、顔を上げる。
じいさんは重々しくうなずき、ウム、と声を出す。
ジャンジャンは歓喜の表情を作った。
﹁やじゃ﹂
﹁え?﹂
﹁やじゃよ男の弟子なんて﹂
﹁え、え? 今さっき⋮⋮ウム、と⋮﹂
﹁しかしもヘチマもない。弟子にするのはエリィとそこの狐人のお
嬢ちゃんじゃ﹂
﹁えっ!?﹂
﹁ん⋮⋮?﹂
がっくりうなだれるジャンジャン。
急に弟子入りさせる、と言われて俺とアリアナは驚いた。
是非とも弟子入りはしたい。アリアナを見ると、こくこくとうな
ずいている。
657
﹁ちなみにわし、今まで弟子を取ったことないぞ﹂
﹁そうなの?﹂
﹁ん⋮?﹂
﹁おぬしらとてつもない魔力を内包しておるくせに魔力制御が下手
すぎる。これは放っておけん。特にエリィ。おぬしには落雷魔法を
授けた責任もある﹂
ちょいまて。
急に週刊少年誌のテコ入れ回みたいなこと言われても困るんだが
⋮。
﹁エリィは魔力の循環が下手。狐人のお嬢ちゃんは︱︱﹂
﹁アリアナ・グランティーノ⋮﹂
﹁いい名じゃな。アリアナは杖に頼りすぎじゃ﹂
﹁今なんて? 魔力の循環が下手?﹂
エイミーにもちょろっと言われたが、俺ってそんなに魔力循環が
へたくそなのか?
自分じゃ全然わからない。
あんだけ複合魔法使えるし、結構うまいほうなんじゃねえの、俺。
﹁おぬしが太ってるの、魔力のせいじゃからな﹂
﹁︱︱︱ッッ!?!?﹂
な、な、な、な、な、な、なんだとォォッ!
どういうことだじじい!
突然、核心に触れるようなこと言うなよ!
658
心の準備ぜんぜんしてなかったよ!
一刻も早く説明プリーズ!
﹁どういうことなの!!!?﹂
﹁魔力が御しきれず、細胞に吸収されてしまうんじゃよ。一般的に
知られていないようじゃが世の中の太っちょはほとんどこれが原因
じゃ。わしが落雷魔法を教える前、何度ダイエットをしても痩せな
かったじゃろ?﹂
﹁⋮た、たしかに﹂
﹁ほっほっほっほ、やはり年頃の乙女は皆ダイエットをするんじゃ
な﹂
クラリスが、エリィお嬢様はダイエットを三百回ぐらい失敗して
る、とか言ってたよな。俺はてっきりエリィの意思が弱かったから
痩せれなかった、と思っていたんだがどうやら違うらしい。まじか
ー。
﹁落雷魔法を憶えて魔力がある程度循環するようになったからここ
まで痩せたんじゃよ。わしと会ったとき、もっと太っていたもんの
ぉ。あれほど強力な魔法を何度もぶっ放せばいい感じで魔力が消費
されるからの﹂
落雷
を使い続けよう!
サンダーボルト
﹁じゃ、じゃあ魔法を使えば使うほど痩せれるってこと?!﹂
それはいい!
俺は昼夜問わず
循環
と
制御
が下手なのじゃ。上手くならない限り、自ら
はっはっは! 何て簡単なんだ!
﹁
の魔力を自由自在に操れんし、一生痩せんの﹂
﹁一生!? 一生痩せないっていうの!?﹂
659
﹁おぬしこのままダイエットしていてもずっと今と同じままか、痩
せてもほんのちょっとじゃったぞ。よかったの、わしに出逢えて。
ほっほっほっほっほっほ﹂
﹁どさくさに紛れてお尻を触らないでちょうだいッ!﹂
﹁けちけちするんじゃないわい。減るもんじゃあるまいし﹂
﹁減るのよ! レディのお尻は減るのよ!﹂
﹁えっちぃのはダメ⋮﹂
アリアナがわりと本気で怒っている。
じじいはそんな突き刺さる目線を気にせず話を続ける。ついでに
尻を触ろうとする。マイペースすぎるだろ。
﹁ジャージャー麺とか言ったなおぬし﹂
﹁ジャン・バルジャンです賢者様!﹂
ジャンジャンが嬉しそうに名乗る。
﹁そうか。ではジャンよ、この子たちは今からわしが預かる。基礎
ができるまでは会えんものと思ってくれ﹂
﹁け、賢者様! 俺も弟子入りを!﹂
﹁だめじゃ。おぬし普通すぎ。わし、興味なし﹂
﹁ぶひいいいいぃぃっ﹂
あまりのショックで豚のように吼えるジャンジャン。
キャラ崩壊してるじゃねえか。
﹁ねえ賢者ポカホンタス。基礎ができるまでってどれぐらい?﹂
﹁エリィ、アリアナ、わしのことはポカじいと呼んでくれい﹂
﹁わかったわスケベじい。で、どのくらいのスパンになりそうなの
よ﹂
660
﹁ポカじいじゃ! ポ・カ・じ・いッ!﹂
﹁わかったわエロじい﹂
﹁おしりさわっちゃダメ⋮﹂
﹁呼んでくれんと弟子入りはなしじゃ﹂
﹁ええ∼っ﹂
﹁むぅ⋮﹂
子供のようにじいさんはそっぽを向いた。
くっ、ここは交渉の余地がない。完全にイニシアチブを取られて
しまっている。
アリアナを見ると、どうする、という目をしていた。
俺は観念して口を開いた。
﹁⋮⋮⋮わかったわよ、ポカじい﹂
﹁ポカじい⋮⋮﹂
﹁ウム! ウム! それでこそ我が弟子たちじゃ!﹂
﹁だからどさくさにまぎれてお尻さわらないでぇぇぇぇぇ!!﹂
電衝撃
インパルス
!!!!!
﹁別にええじゃないか﹂
お尻から
﹁減るもんじゃジャンババババババババッバババラバラバヤァッッ
!﹂
○
661
﹁とまあ冗談はさておき﹂
﹁さておきじゃないわよこのスケベ!﹂
﹁めっ⋮⋮お尻さわっちゃめっ⋮⋮﹂
﹁あ、ジャン、おぬしもう帰ってええぞ﹂
﹁そんなああああああッ﹂
﹁ポカじい、あまりジャンジャンをいじめないでちょうだい﹂
そんなこんなでスケベじじいの家に向かうことになった。今日か
ら棲みこみで稽古をつけてもらえるらしい。
ジャンジャンにはサンディとパンタ国の戦争の経過を伝える連絡
係になってもらい、戦争が終わった場合すぐさま知らせてくれる手
筈になった。じじいの話では二カ月は基礎訓練になるそうで、しっ
かり魔力の土台を作らないと強くなれないと言われた。
二か月⋮二か月か。
なげえな。グレイフナーがどうなっているか心配でしょうがねえ。
それに孤児院の子供たちがめっちゃ気になる。
ついでに、ジャンジャンとコゼットの恋もな。
でもまあ、強くならないとな。
強くなきゃすべての計画、報復は成り立たない。
伝説の賢者に弟子入りとか滅多にないチャンスだし、ここはこの
機会を最大限に活かそう。グレイフナーに帰るのも、孤児院の子供
落雷
が直撃しても平気だったの?﹂
サンダーボルト
たちを探すのも、ひとまずはお預けか。
﹁ねえ、どうして
662
じいさんの家へ行く道すがら、俺は疑問を口にした。
﹁直撃はしとらんの﹂
﹁え? どういうこと?﹂
﹁よけたのじゃよ。オリジナル魔法はちょっと食らったがの﹂
豹の眼
レパードアイ
身体強化
という魔法のおかげじゃな。動体視力と
﹁雷をよけるって人間業じゃないわよ⋮﹂
﹁木魔法の中級
反射神経を増幅させる支援効果で反応スピードを上げ、
で素早く動く、というタネじゃ。こんな風にの﹂
じいさんはつま先で地面をトントン叩くと、一気に右足を踏み込
んだ。
砂が後方へ蹴られ、じいさんが一瞬にして十メートルほど前方へ
をしながら反復横跳びをすると⋮﹂
跳んだ。そしてバックステップし、すぐ元の位置に戻ってきた。
はやっ!
身体強化
人間の動きじゃねえええ。
﹁こんな感じでの、
じじいが残像して三人に見える。
これはじじいの残像祭りッ。
﹁同じ事をできる魔法使いはグレイフナー王国にもいるじゃろうの﹂
﹁上の中⋮⋮詠唱が必要⋮⋮﹂
﹁まあわしぐらいになると詠唱などいらん。ほっほっほ﹂
アリアナが心底驚いたのか俺の裾を引っ張ってくる。
663
﹁上位魔法は使えるだけでもすごい⋮﹂
﹁たしかにそうよね。エイミー姉様も使えるのかしら﹂
﹁使えると思うけど長い詠唱が必要⋮﹂
エイミーすごっ。
身体強化
すらできておらんじゃないか﹂
そういや木魔法の中級までいけるって言ってたっけ。
﹁しかしおぬしら
﹁できるわけないじゃない。高レベルの魔法使いがやっと使える技
でしょ?﹂
身体強化
を率先して憶えるぐらいな
難易度が相当高いため、グレイフナー魔法学校でも教員で数名が
使える程度だ。生徒たちは
ら別の魔法を練習したほうがいい、と思っている。就職では身体強
身体強化
の話題があがっても、
化より魔法の数や質のほうが優先される。それが原因だろう。
にしても学校でちょいちょい
全く気にしてこなかった。なんとなく流されちまったな。つーかや
身体強化
が使えれば多少の無茶がきくぞい。さっきみたいに
り方がわからんかったし。
﹁
落雷魔法が当たってもダメージが軽減されるからのぉ﹂
していれば最強じゃな
は魔力を体内で活性化させ
身体強化
身体強化
﹁えーっ。それだったらずっと
いの﹂
﹁そういうわけでもない。
落雷
を食らっても耐えられる強度の
サンダーボルト
身体強化
なぞ維
るから消費が激しい。常時発動していたらすぐ魔力枯渇じゃな。そ
れこそ
持は相当の負荷じゃわい﹂
﹁使いどころが重要ってことね﹂
サンドボール
や
フ
﹁そうじゃのぉ、使いどころ、というよりどのくらいの魔力を込め
るか、が重要じゃな。微弱に流しておけば
664
ァイヤーボール
ぐらいびくともせんよ﹂
﹁そういうことね﹂
﹁どうしてもよけられん強力な魔法を受ける際に、魔力の出力を上
げるのじゃ﹂
悔しいが、スケベじじいの話はとてつもなくためになった。
身体強化は魔法の中で唯一どの属性にも属さない技だ。魔法、と
いうより魔力操作の発展型といったほうがいいかもしれない。身体
強化しながら魔法の行使はもちろん可能で、じじいいわく、それが
身体強化
は﹃シールド﹄の必須技術⋮﹂
できなきゃ話にならないそうだ。
﹁
アリアナが目を輝かせて呟いた。
よーしよしよしよし。
とりあえず狐耳をもふもふして癒される。
﹁ん⋮⋮入隊試験中に習得させる訓練をするらしい⋮⋮﹂
彼女の話では、身体強化ができれば打撃攻撃に参加でき、不意の
一発をもらっても死ぬ確率が低くなる。グレイフナー王国最強魔法
騎士団は全団員、身体強化が可能だそうだ。
身体強化
も会得してもらうからのぉ﹂
団長のリンゴ・ジャララバードはすごそうだな⋮。
﹁ということで
﹁のぞむところよ!﹂
﹁楽しみ⋮⋮﹂
﹁あっ﹂
じいさんは何か嫌なことを思い出した、という顔つきになって立
665
ち止まった。
﹁どうしたの?﹂
﹁イカレリウスの奴が黙ってなさそうじゃのぉ⋮⋮面倒くさいわい
⋮⋮﹂
﹁イカレリウス?﹂
﹁何でもない。ただの独り言じゃ﹂
﹁あ、そうだポカじい。家に着いたら手紙を書いてもいいかしら?﹂
﹁国の両親宛かの?﹂
﹁そうよ。みんな心配していると思うから﹂
﹁ええぞええぞそれくらい。その代わり、尻をひとなでさせてくれ
ぃ﹂
﹁いやよスケベ! せっかく尊敬しかけていた気持ちがぶち壊しよ
!﹂
﹁めっ⋮⋮﹂
○
一ヶ月半が経過した。
俺とアリアナはじいさん特製﹃深緑草﹄のベッドから出て、顔を
洗う。じいさんの家でくみ上げる地下水は冷たいが、顔が引き締ま
って美容によさそうだった。
666
じいさんの家は居心地が良かった。
砂漠の蜃気楼に隠された別荘のようなオアシス。二階建てのログ
ハウスの周囲にだけ草が青々と茂り、十メートル進むと何の前触れ
もなく地面が砂漠になる。砂漠にでかい草のカーペットを引いたみ
たいだ。
魔力結晶を原動力にした氷魔法の結界が張られており、じいさん
の許可がないとログハウスを見つけることすらできない。一度、許
可なく来ようとしたジャンジャンが遭難しかける、というハプニン
グがあった。
外に出ると、熱線のような砂漠の陽射しの中、じいさんが水晶片
手にランニングをしていた。年寄りの朝が早い、というのは異世界
でも通例らしい。
俺とアリアナは軽く目配せをすると、じいさんのランニングに加
わった。
667
第3話 イケメン、特訓、砂漠の賢者︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重71㎏︵−10kg!!!︶
668
第4話 イケメン、おにぎり、水晶玉
へそから湧き上がる魔力を全身へ巡らせる。素早く、両手、両足、
つま先、髪の毛の先まで満遍なく循環させるイメージで、魔力が粒
子になってぐるぐる回るような感覚を維持する。
で回復され、
が飛んで
俺とアリアナは一ヶ月半、ひたすら魔力循環をさせながら砂漠を
ランニングした。
正直、思い出すだけで吐きそうになる。
再生の光
サンドボール
スケベじじいはまじでスパルタだった。
少しでも魔力循環が乱れれば容赦なく
くる。
体力が切れて倒れると、すかさず白魔法
すぐに走らされる。魔法で体力は回復するが、精神的な負荷までは
回復しない。どこの軍隊だよ、と心の中で何度ツッコミを入れたか
わからない。
このトレーニングを休みなしで一ヶ月半、俺とアリアナはやり遂
げた。
じじいに、今日で基礎練習はおわりじゃな、という言葉を頂戴し
たとき、俺とアリアナは跳び上がって熱い抱擁を交わした。ほんと
に辛かった。いやまじで。もう一回やる? と聞かれたら断固とし
て拒否する。
この俺を追い詰めるとはやるじゃねえかスケベじじい。
669
今では魔力循環しながら五十キロは走れるぜ。
ちなみにこの一ヶ月半で俺は痩せた。
激痩せ。いや、爆痩せ!
ば・く・や・せ!
体重計がないから何キロになっているのか気になるところだが、
見た目はデブからぽっちゃり系ぐらいになっている。相当痩せたに
違いない。
ふっふっふっふっふ。
はーっはっはっはっはっはっは!!
刮目せよ!
エリィをデブと言った者ども!
目ん玉かっぴらいてこの姿を焼き付けろ!
しかも魔力循環のおかげか、顔中にあったニキビがちょっと減っ
た。
超嬉しいいいい!
ニキビはガチで消えなかったからな。
グレイフナーにいた頃、ひとつも消えなかった。むしろ雑誌制作
の不摂生で増えてたし。これは進歩だ。エリィ美人化列伝ついに始
まる、って感じだな。
とはいうものの、どうやらエリィは顔に肉がつきやすいタイプら
しく、まだ顔面の肉が取れない。なんとなくゴールデン家の片鱗で
ある、大きな垂れ目、すっとした鼻筋は見えているんだが、もうち
ょっと、といったところか。
670
俺より変わったのはアリアナだ。
あれはそう⋮⋮遡ること一ヶ月前。
スケベじじいが夕食に米を出してくれたときのことだ。
俺は久々の米に感動し、異世界に米ってあるんだなと不思議な気
持ちになりつつ舌鼓を打って白米を堪能していた。アリアナは一口
米を食べ、電流が走ったかのように固まった。文字通り完全に固ま
った。
﹁ポカじい⋮⋮これ⋮⋮なに?﹂
﹁米じゃな﹂
﹁こめ⋮⋮⋮⋮?﹂
﹁どうしたのアリアナ? 好きじゃなかった?﹂
彼女はふるふると首を横に振った。
椅子から飛び出す尻尾を見ると、ワイパーの一番激しいやつみた
いにぶるんぶるん左右に動いていた。
﹁おいしい⋮⋮﹂
﹁あら? 私もお米、好きよ﹂
﹁うん⋮! うん⋮!﹂
その後、じいさんの計らいもあって、俺がアリアナのおやつ用に
おにぎりを作ってあげた。
これが大ヒットだった。
毎日毎日、おにぎりを食べたいとせがまれ、最近じゃアリアナお
やつ用のおにぎりを作ることが日課になっている。彼女は常に自分
671
専用の肩掛けショルダーバッグにおにぎりを忍ばせ、小腹がすいた
らぱくぱく食べていた。
近頃は具にも力を入れている。
豚肉みたいな﹃ピッグー﹄の生姜焼きを入れたり、鮭に似た味の
﹃ヨツコブラクダ﹄の塩焼き、ホタテのようにジューシーな﹃ヒメ
ホタテ﹄の丸焼き、おにぎりの定番梅干しっぽい﹃ウンメイボシ﹄
の漬け物、まんま地球の昆布と同じ﹃コンブ﹄などなど。
呼び方は、わかりやすく日本風に﹃豚焼肉﹄﹃シャケ﹄﹃ほたて﹄
﹃梅干し﹄﹃こんぶ﹄と命名した。
料理が人並みにできてよかった。
おかげでアリアナの姿は見ちがえたぞ。
まじでもーほんとごめん。
誰に謝っているのか分からんけど、謝りたくなるほど彼女は可愛
くなった。
げっそりしていた頬に肉がつき、腕や足にもほんのりと贅肉と筋
ウインド
が起こりそうなほ
肉がついた。暗く淀んでいた大きな瞳が今ではきらきら輝いて見る
者を吸い込もうとし、瞬きをすると
どの長いまつげが惜しげもなく揺れる。黒に近い色合いの茶髪に、
狐耳がぴょこんとくっついていた。
一言で言うならば、ほっそりした超かわいい狐のお嬢さん、とい
う感じだ。
これでもうちょっと肉がつけば女性的な体つきになり、男どもが
黙っていないような美人になるだろう。今の状態だと、ロリ好きの
672
変態どもが飛び付きかねない。見つけたら全員死刑だな。
﹁あら、お米がついてるわよ﹂
﹁どこ⋮?﹂
﹁しょうがないわね﹂
俺はアリアナの口元についた米を取ってそのまま食べた。
﹁ありがと⋮﹂
ちょっぴり笑うアリアナ。
ぱちぱちと大きな目が瞬きをする。
ぎゃああああああ。
かわいい! かわいすぎる! これはあかん!
俺はロリ好きではない。断じて違う。だが⋮⋮だがこの破壊力は
なんだ?
まさか、この俺がロリ好きに?!
いや、ちがう。ちがうんだ。
彼女の中には芽生え始めた大人の色気がほんのりと垣間見える。
可愛さの中に、ひっそりと龍が谷底に伏せていつか飛び立たんとし
ているような、女性的なものが見え隠れするのだ。
だがちがう! 俺はこんな年下の女の子にときめいたりしないん
だ! これはアリアナだけに抱く感情。
KOI
?
いや、まさか⋮⋮まさかこれが⋮⋮⋮。
これが⋮⋮⋮⋮⋮
﹁ねえエリィ⋮⋮おにぎりなくなった﹂
673
だ。
﹁⋮ハッ! ああ、ほんとね。じゃあキッチンに行きましょ。スケ
ベじいさんの分も作りましょうか﹂
OYAGOKORO
ではない!
﹁シャケが食べたい⋮﹂
﹁いいわよ﹂
KOI
これは違う。
これは
きっとこれは⋮⋮⋮
KOI
ではない。
アリアナは俺の妹的存在で、保護者のような目線でいつも見てい
るじゃあないか。だからこの感情は
だが⋮しかし⋮⋮。
くっ、初めて体験するこのハートの真ん中あたりがあったかくな
ってキュン、となる感じ。
KIMOCHI
をうまく説明できない!
俺は⋮⋮俺は人生で初めて自分の感情を持てあましている。
この
﹁またオニギリかのぅ﹂
ポカじいがひょっこりキッチンに顔を出した。
﹁じいさん!﹂
エレキトリック
﹁なんじゃエリィ!﹂
﹁電打!!﹂
﹁相談があるならバババババババババンナンババデキュウニベベベ
ベベベッ﹂
じいさんが電流をしこたま食らってぶっ倒れた。
674
﹁ふぅ、すっきりした﹂
﹁仕事やりきったみたいな職人のような顔するんじゃないわい! じじいを殺す気かッ!﹂
すぐに復活してツッコミを入れてくるじじい。
﹁やっぱり持つべき者は師匠ね﹂
﹁わしゃ避雷針かッ!﹂
﹁それだわ! 今日から避雷じいと呼ぶわね﹂
﹁破門! そう呼んだらすぐ破門ッッ!﹂
﹁平井じい﹂
﹁何かいま違うニュアンスで言ったじゃろ! 近所のじいさんみた
いに言ったじゃろ?! 破門ッ!﹂
﹁ポカじい⋮⋮エリィ破門⋮⋮だめっ﹂
アリアナがむぅと怒る。
すかさずポカじいは笑顔になった。
﹁そんなわけないじゃろアリアナ。冗談じゃ﹂
完全に初孫ができたじじいの顔になるポカじい。
﹁冗談でもダメッ⋮﹂
﹁わ、わかった。もう冗談でもそんなこと言わんよ⋮﹂
﹁うん﹂
﹁ほっほっほっほ、わしもアリアナには勝てんのぉ﹂
﹁それは仕方のない事よ﹂
﹁ん⋮?﹂
よく意味がわからない、とアリアナは首をかしげた。
675
○
俺のにぎったおにぎりとポカじいの作った特製スープで昼食を取
った。
アリアナは﹃シャケ﹄おにぎりが食べれてご機嫌だ。
じいさんは稽古以外の時間、地下室にある特大の水晶で世界の様
子を観察している。自らを﹃観測者﹄と名乗っていた。何を格好つ
けて言ってんだよ、と思ったが、実際に見るとまじですごい。特異
な魔力の波動を感じると、水晶で監視カメラみたいにその様子を見
て、危ない場合は裏から手を回すそうだ。
それじゃ﹃観測者﹄というより﹃調整者﹄じゃねーの、と言った
ところ、まあ時と場合によるのぉ、と返された。
卦
が出たかららしい。十年に
俺に落雷魔法の詠唱呪文を渡したのも、魔力量が多かったことと、
﹃月読み﹄という予知魔法で良い
一回、月が砂漠の頂点にきたときにのみ使える予知魔法だそうだ。
砂漠を拠点としているのも﹃月読み﹄に合わせてらしい。いやーこ
ういうのファンタジーだよな。
そしてどうやらエリィの中身がイケメンの俺だとは気づいていな
いようだ。
伝説クラスのじいさんでも思考を読んだりはできないらしい。
なんかじいさんは﹃月読み﹄で出た結果から、俺以外の二人にも
複合魔法の詠唱呪文を渡したそうだ。
どうやら落雷魔法ではないようだ。それ以上は教えてもらえなか
676
った。
すんげー気になるんですけど。
ちなみにじいさんの年齢は百八十三歳だ。
ははは⋮⋮もうファンタジーってことで片付けよう。
これに関してごちゃごちゃ考えちゃダメだ。
ができるなら接近戦の訓練も必要じゃ。魔物によっ
とメインウエポンの
エルフとかドワーフは長寿なので、その辺の血が混じっているん
身体強化
じゃないかの、とじいさんは言っていた。
﹁今日から稽古は第二段階じゃ。
訓練。並行して魔法の種類を増やすぞい﹂
身体強化
﹁メインウエポン?﹂
﹁
ては魔法を完全に防ぐ奴もおるでの。それに、戦闘の幅が格段にあ
がるぞい﹂
身体強化
を視野に入れていたのかもしれない。
そういやスルメとガルガインは武器を使っていたよな。
今思えばあれは
﹁ポカじいは何なの?﹂
﹁わし? わしは素手じゃ﹂
﹁素手?﹂
﹁ざっくり言うと体術じゃな﹂
﹁ちなみにエリィもわしと同じ体術で決定じゃからな﹂
﹁なんでよ﹂
えー。剣とか刀とかのほうがかっこいいじゃねえか。
それに武器を持っていたほうが、攻撃力が上がりそうだが。
677
﹁おぬしのビンタを食らったときに決めた﹂
﹁あなたがことあるごとにお尻を触るからでしょ!﹂
﹁お尻さわっちゃめっ⋮﹂
﹁あのビンタの威力。おぬしには才能があるはずじゃ⋮﹂
遠い目をするスケベじじい。
なんか、俺の尻がお気に入りらしい。
いやまじで気軽に人の尻をお気に入り登録すんなよ。ふざけたじ
いさんだ。
﹁ポカじい、アリアナの武器はどうするつもり?﹂
﹁そうじゃの⋮⋮﹂
そう言ってじいさんはタンスから武器各種を取り出して並べた。
大剣、片手剣、小太刀、双剣、ハンマー、アックス、長槍、短槍、
ボウガン、弓、棍、ヌンチャク⋮まだ出てくる。タンスに武器入れ
すぎ。
﹁うーん⋮﹂
アリアナは腕を組んでテーブルに並べられた武器を見つめる。
なかなか決まらない。
﹁どれがいいかな⋮?﹂
どれもこれもアリアナっぽくないんだよな。
剣は持ってなさそうだし、弓は魔法で遠距離攻撃できるからいら
ない。
678
俺たちはあれこれ試しながら武器を手に取り、振り回したり、試
しにじいさんを斬ってみたりしたが、結局決まらなかった。
﹁決まらぬなら水晶で故郷の様子でも見てみるかの?﹂
﹁えっ!? 見れるの!?﹂
﹁見れるぞい﹂
﹁それならもっと早く言ってよ﹂
﹁見せてッ⋮﹂
俺とアリアナはじじいに詰め寄った。
俺たちがどんだけ心配したと思ってるんだよ。アリアナは弟妹た
ちがちゃんとご飯を食べているか心配で、毎日俺のベッドに入って
くるんだからな。大丈夫だって言って頭を撫でてやらないと寝付け
ないほどだ。
クラリスとバリーなんかはきっと未だに俺のことを血眼になって
探しているはずだ。エイミーは落ち込んでいるだろうし、ミサとジ
ョーは経営を軌道に乗せることで必死だろう。
﹁すまんかったのぉ。基礎訓練ができるまでは黙っていようと思っ
ていたのじゃ。わしのほうで安否確認はしておったから安心せい。
おぬしらの家族は無事じゃぞ﹂
﹁そうなの? というよりなんで私たちの家族がわかるの?﹂
﹁エリィのことはたまに確認していたからの。その流れでアリアナ
のことも少し観察しておった﹂
﹁そういうことね﹂
ハッ!!!
そこまで言って俺は重大な事実に気づいた。
679
これは見逃せないことだ。
﹁ポカじい、まさかとは思うけど、お風呂のぞいたりしてないわよ
ね﹂
﹁ギクゥッ﹂
﹁伝説にまでなっている魔法使い、砂漠の賢者ポカホンタスがのぞ
きとか、するわけないわよね﹂
﹁も、もちろんじゃ。わしを誰だと思うておる!﹂
﹁そうよねぇ⋮⋮。ごめんなさいね、師匠を疑ったりして﹂
﹁いいやいいんじゃよ。げふん。誰にでも間違いというものはある
からの﹂
﹁ところでポカじい。私の姉様はスタイルよかった?﹂
﹁そりゃもう! 三人ともたまらない体つきじゃったのぉぉ!﹂
﹁へえ、どんなふうに?﹂
﹁こう、くびれがキュっとなって、出るところがしっかり出ておる。
全員いい尻をしておった!﹂
﹁誰のおしりが一番よかった?﹂
﹁甲乙つけがたいが、わしとしてはあの、ぷりんっとしておる三女
エレキトリック
エイミーの尻に、尻ニストとしての清き一票を︱︱﹂
﹁電打!!!﹂
﹁投じたいとおもモモモモモモモモモモモジジジリィィッ!!!﹂
スケベじじいは頭を黒こげにしてぶっ倒れ、びくんびくんと痙攣
すると、ぴくりとも動かなくなった。
やめなさいアリアナ。奇妙な物体を拾った枝でつんつんするみた
いに、杖でじじいの残骸をつんつんするのはダメよ。ばっちいです
わ。
680
○
﹁ということで投影するぞい﹂
﹁今後スケベな場所をのぞいたらこの水晶を粉々にするわ﹂
﹁ほっほっほっほっほっほ﹂
﹁返事は⋮?﹂
﹁ほっほっほっほっほ﹂
﹁へ・ん・じ・は?﹂
﹁⋮⋮わかったわい﹂
﹁わかればいいのよ。じゃあポカじい、お願い﹂
アリアナが食い入るように水晶を見つめ、今か今かと待ち構えて
いる。
ポカじいは楽しみがなくなったのぅ、とかぶつぶつ言いながら両
手を水晶にかざした。
両腕を伸ばしても抱えきれないほどの大きさがある水晶がゆっく
りと輝き、霧のようなもやがかかってしだいに輪郭が形成されてい
く。俺が異世界に来るまで地球で流行っていたドローン撮影機みた
いに、上空から街の様子を撮影しているようだ。
映像は懐かしき首都グレイフナーを映し出し、滑るようにして中
心部から貧民街へ進んでいく。時刻はまだ昼過ぎなので人通りが多
い。
じいさんは気を遣って、アリアナの家を最初に見せてくれるよう
だ。
何だかんだじいさんは優しい。
朝昼晩のご飯を作ってくれるし洗濯も掃除も全部してくれる。俺
681
たちが好きな食べものをさりげなく聞いて街までこっそり買いにい
ってくれていた。いいじいさんだ。スケベだけど。感謝してもしき
れない。スケベだけど。
水晶の映像はどんどん進み、アリアナの家の前まで来た。
いくつもの世帯が暮らす長屋住宅のような家だ。おまけにボロい。
弟妹たちがどうなっているのか不安で、アリアナが俺のスカートの
裾をつかんでくる。
家の前には、白い高級そうな馬車が停まっていた。
﹁あれってうちの馬車よね﹂
﹁誰かな⋮?﹂
ゴールデン家の家紋をつけた馬車がアリアナの家の前に停車して
いた。
﹁家の中を映すぞい。音は出ないから映像だけじゃ﹂
﹁ええ﹂
﹁ん⋮﹂
映像が長屋の壁をすり抜けて室内へ移動する。
アリアナの家ではこれから食事なのか、弟妹が席についてテーブ
ルを囲んでいる。
全員、狐耳で尻尾がふさふさだ。
雑誌制作の際に記者としてスカウトした長男のフランクが、一番
下の妹を抱っこしてあやしている。十一才の長男フランク、九才の
次女、八才の三女、六才の次男、四才の四女、三才の五女、みんな
元気そうだった。俺は何度か家にお邪魔したことがあり、狐耳に囲
まれるという素晴らしい体験をした。なんかすごく癒されたなーあ
のとき。
682
﹁みんな元気そうね﹂
﹁うん⋮⋮!﹂
アリアナは心底ほっとして嬉しそうにうなずいた。
しばらく弟妹たちがきゃいきゃいと騒いでる様子を見ていると、
キッチンのほうから俺のよく見知った、苦労皺の絶えないオバハン
メイドがでかい鍋を抱えて現れた。
クラリスだ。
彼女は満面の笑みで鍋をテーブルに置くと、お椀にスープを移し
始めた。みな、手伝っている。九才の次女がパンを皿に取り分ける
と、祈りを捧げるようなポーズを取り、一斉に食べ出した。
アリアナの弟妹たちは楽しそうに食事をしていた。
クラリスが何かを話し、全員が笑ったりうなずいたりしている。
一番下の三才児がほっぺたのまわりをスープだらけにすると、ク
ラリスがまめまめしくハンカチで拭いてやっていた。次女と三女は
何かを言い合いながら、パンを取り替えっこし、その横で長男のフ
ランクがお兄さんらしく、みんなに公平にパンが行き渡るよう切っ
て配り直したりしている。
俺は色付きの無声映画を観ているような気がしてきて、水晶の映
像がいまこの場で起きている出来事で手を伸ばせば届きそうな距離
にあると錯覚した。
クラリスは俺との話をしっかりと憶えていてくれた。一緒にアリ
アナの家を助けましょうね、という話だ。子どもたちを不安にさせ
ないよう気を遣っているのか、クラリスは笑顔で子どもたちの相手
をしている。彼女は素晴らしいメイドであり、機転の利く女性であ
683
り、情に厚いんだ、と俺は改めて思った。
﹁クラリス⋮﹂
俺は思わずつぶやいてしまった。
会いたい。クラリスに会いたい。
思えば初めてこの世界に来たときも、すべては彼女のおかげで色
々なことを知ることができた。彼女は俺という存在ではなくエリィ
のことを心配している、ということは分かっていたが、それでも俺
にとってはありがたかった。
﹁エリィ⋮⋮﹂
アリアナは泣いていた。
俺はあふれそうな涙をごまかすために、何度もアリアナの頭を撫
でた。
そうして三十分ほど、水晶の映像を俺たちは見ていた。
ポカじいが﹁そろそろエリィの姉を映すかの﹂と言ったので黙っ
てうなずいた。
映像が上空へ上がると、街が衛星写真のように小さくなり、一気
に下降した。場所はグレイフナー通り一番街﹃冒険者協会兼魔導研
究所﹄だ。
エイミー特大ポスターはすでにはずされているのかいつもの日常
的な通りの風景が映し出される。
684
ちょうど映像が冒険者協会の入り口を映した。
麗しのエイミーと、友人の黒髪和風美人、テンメイ・カニヨーン
ことエロ写真家の三人が協会へ入っていくところだった。
﹁どうして冒険者協会に?﹂
﹁見ていればわかるぞい﹂
水晶の映像は三人の背中を映しながら、映画さながらの下アング
ルで冒険者協会へ入っていく。
古めかしいが小綺麗な協会内は明治時代の建築物を連想させる。
すべてが木製で、床にニスが塗ってあるのかぴかぴかと光っている。
歴史ある建物、といった様相だ。
先頭のエイミーは三十ほどある受付の一つに行くと、受付嬢に何
かを言った。受付嬢は残念そう首を横に振る。するとエイミーが映
像だけでもわかるぐらいに落胆して肩を落とした。友人の黒髪和風
美人とエロ写真家が、必死に彼女をなぐさめた。
エイミーはもう一度、受付嬢に何かを話すと、壁を指さした。
ポカじいが﹁ほれ﹂と言うと映像が右に動く。
壁にはなぜか俺の人相書きのポスターが貼ってあり、見つけたら
三百万ロン、と記されていた。
いやいやいや、指名手配犯みたいで嫌なんだけど!
しかもポスターが妙にリアル!
輪郭とかニキビの数とか髪型とか体型とか⋮つーかあの絵のタッ
チ、絶対ジョーだな。ジョーが俺のモンタージュを描いて、ゴール
デン家が﹃探し人﹄として懸賞金をかけた、という流れだろう。
685
﹁おぬしの姉は毎日おぬしの行方を確認しに冒険者協会へ行ってい
るようじゃな﹂
﹁そうなのね⋮﹂
うおーーーエイミーーーーッ!
可愛い! 久々に見たけどやっぱ伝説級の美しさ!
俺は生きてるぞーー!
﹁そういえば送った手紙、届いてないの?﹂
﹁おお、手紙は⋮﹂
ポカじいが答えると、冒険者協会のスイングドアがあわただしく
開き、傷だらけの青年が転がり込んできた。
を唱え
をかけ、
深緑のシャツに深緑のリュックサック。この世界の郵便配達員だ。
キュアライト
癒発光
再生の光
近くにいたエイミーが驚いて駆け寄り、すぐに
冒険者協会の白魔法士が奥から急いで出てきて
た。
傷が回復した青年は、まだ疲労が回復しきっていないのか息も絶
え絶えにリュックサックから手紙を出した。それを見たエイミーと
黒髪和風美人とエロ写真家が跳び上がらんばかりの勢いで驚き、引
ったくるようにして手紙を取った。
サインを、と郵便配達員の青年が仕事熱心にポケットから手帳を
出してエイミーに渡している。もどかしそうに彼女はサインをし、
手紙の封を切った。
﹁私の手紙?! どうして二ヶ月もかかったの?﹂
﹁戦争のせいじゃな。いま自由国境の街トクトールの東は封鎖が相
686
当に厳しい。サンディとパンタの戦いは膠着状態じゃ﹂
身体
﹁じゃああの郵便配達員はその封鎖を抜けてグレイフナー王国に入
ったってこと?﹂
﹁そうじゃな﹂
﹁それなら私たちも⋮﹂
﹁無理じゃな。彼の腕章を見てみい﹂
﹁腕章?﹂
一心不乱に手紙を読むエイミー。
その横にいる配達員の腕章には星が四つ付いていた。
﹁星四つ?﹂
と上位魔法が二つ使える﹂
﹁見たところあの青年はセブンの魔法使いじゃな。おまけに
強化
﹁ええ?! 郵便配達員のくせに?﹂
﹁郵便配達員は誰しもが憧れる職業じゃぞ? 強くないとなれない
し、責任感も必要じゃから国中から尊敬されておる。あれほどの実
力の者で瀕死じゃ。いまのおぬしらには封鎖線を越えるのは無理じ
ゃの﹂
映像の中のエイミーは読み終えると、手紙を抱くようにして崩れ
落ちた。文字通り、ぼろぼろ涙をこぼしている。同じ言葉を何度も
叫んでいた。
おそらく﹁生きてる﹂だと思う。
そうか、やっぱ二ヶ月も行方不明じゃ死んだと思ってしまうよな。
エイミーの言葉を聞いて、黒髪和風美人とエロ写真家が抱き合っ
て飛び跳ねた。
ああくそっ! みんなに会いたい!
687
こんなに心配させるなんて、俺は⋮⋮俺は最高のバカだ!
映像の中の三人は喜びもつかの間、急いで協会を出てゴールデン
家に向かった。
﹁ほっほっほっほ、エリィは愛されておるのぉ﹂
﹁そうね⋮﹂
﹁ほれ、泣くんでないわい﹂
﹁泣いてなんかなびばぼ⋮﹂
﹁エリィハンカチ⋮﹂
﹁あでぃがどう⋮﹂
アリアナにハンカチを受け取ると、さらに映像は飛び、ミラーズ
へと移動した。
店の前はすごい行列だった。
相変わらず売れ行きは好調らしい。
俺がほっとすると、映像が建物内へと入っていく。
中では女性客が楽しそうにショッピングをし、エイミーが着てい
たワンピースが飛ぶように売れる。驚いたことに、縦巻きロールの
スカーレットが服を買おうとして、店員に止められていた。いやー、
この光景を見られるとは思っていなかったな。
なにやらレジで店員三人とスカーレット、その付き人が言い争っ
ている。
スカーレットは激昂して、顔を真っ赤にし、店員をつかみかから
んばかりの勢いで怒鳴り散らしていた。きいきい声がここまで聞こ
えてきそうなほど、レジのカウンターを叩いている。
688
くっくっくっくっく⋮。
はーっはっはっはっは!
ミサに厳命していたのだよスカーレット!
﹃サークレット家とリッキー家、それに与する者に販売を禁ずる﹄
とね。
スカーレットとボブ、その取り巻き連中の写真をエロ写真家に撮
ってもらい、従業員に憶えさせるという徹底ぶり。見ろ、鉄の意志
でスカーレットを追い返す店員たちを。並んでいる客に時間の使い
すぎでブーイングまで食らっているスカーレットを!
スカーレットよ、エリィをいじめたせいで、お前はミラーズ純正
の洋服は買えないんだ。どうせ今後真似されて出てくる二番煎じの
洋服で我慢しろよな。
犬合体の件や、国王に臭いを注意される事件で軽い仕返しにはな
っていると思うが、当初の計画通り事を進めさせてもらう。俺はや
ると言ったらやる男だ。
そんなこんなでスカーレット達が帰るとミラーズは普段通りに戻
った。
ミサの姿はなく、映像が奥の部屋へと入っていく。
ジョーが奥にいる。そう思うと、急に胸が苦しくなった。
これは俺のハートがドキドキしているわけじゃない。エリィだ。
きっとエリィの心が反応しているんだ。そう言い聞かせる。だって
689
俺、男だからな。
ジョーは作業場で服の型を取っていた。厚紙にハサミを入れたり、
ペンでデッサンに書き込みをしていく。壁には一面、服をデッサン
した用紙が飾られ、色とりどりの模様が作業場一面に広がっていた。
作業台をよく見ると、俺が使っていた洋服用のノートが置いてあ
った。
ジョーはぱらぱらとノートをめくって何度か自分の描いたデッサ
ンと比較すると、よしとうなずいて何か文字を書き加えていく。
﹃秋物﹄﹃冬物﹄﹃タータンチェック﹄と書いているようだ。
どうやら俺が、地球で存在していた洋服を思い出しつつ片っ端か
ら描いていったラフ画を、新作の参考にしているようだ。
やはり彼は天才の部類に入るのではないだろうか。センスが抜群
にいい。ジョーのラフ画には地球のものと少し違う雰囲気のタータ
ンチェック柄が描かれており、タイトなスカートは膝上の丈で仕上
がるようだ。しかも防御力が高いというおまけつき。走り書きに﹃
ゴブリン角の繊維を配合し防御力アップ﹄と書かれている。まさに
俺が言いたかったことが実行されていた。
﹁エリィ顔赤いよ⋮﹂
﹁そう?﹂
こんぶおにぎりをぱくぱく食べながらアリアナが言った。
興奮して気づいたら水晶に張り付かんばかりの体勢になっていた。
おっといけない。俺はレディで天才営業だ。
ここは落ち着こう。
690
○
こうして俺たちは一時間ほど水晶の映像を見続けていた。
スルメやガルガイン、父と母、バリー、コバシガワ商会の面々な
ど、みんな元気そうだった。
俺は手紙が全員に行き渡ることに安堵した。実はあの手紙、ゴー
ルデン家、コバシガワ商会、ミラーズ、スルメ宛て、四部構成にな
っている。封筒を四つにすると料金が四倍、ということだったので
すべてを同封して郵便配達員に頼んだ。
特にコバシガワ商会とミラーズの面々は、あの手紙を参考にすれ
ば洋服ブランドの確固たる地位を獲得するイメージを持てるはずだ。
もっと映像を見ていたかったところをポカじいに止められた。強
くならんと帰れんぞい、と。
俺とアリアナは後ろ髪引かれる思いで水晶のある地下室をあとに
し、ポカじいとの訓練を開始した。
691
第4話 イケメン、おにぎり、水晶玉︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重71㎏︵±0kg︶
日にちが経過していないので体重は変わっていません。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
いつもお読み頂き誠にありがとうございます!
気づけばPV二百万アクセスになっており戦々恐々としております。
稚拙ではありますが簡単なプロット通りに物語は進んでいるので途
中でめちゃくちゃになることはない・・・はずです。
更新は四日以内にする予定です。
ほんとはもっと早く更新したいです。
精神と時の部屋、レンタルしていれば籠もりたいです。。
ご指摘ご意見いつもありがとうございますー!
ということで次話も是非ご覧下さい!
692
第5話 エリィの手紙∼砂漠から愛を込めて∼
私は手紙を持って家に転がり込んだ。
私についてきてくれたサツキちゃんとテンメイ君も玄関から駆け
込んでくる。
優秀なゴールデン家のメイドの一人が、何事かとスカートの裾を
からげてエントランスにすっ飛んできた。
私はあまりの興奮から、レディとしての帰宅の挨拶もせず、息も
絶え絶えにこう言った。
﹁エリィが⋮⋮エリィが生きていた!﹂と。
私の声は思ったより大きく、家中に響き渡った。
するとキッチンから皿や鍋を落とす音が聞こえ、家のそこかしこ
から悲鳴のような驚きの声が上がり、バタバタと足音を隠そうとも
せずに家中の人間がエントランスに飛び込んできた。
﹁エイミーお嬢様!﹂
﹁お嬢様どういうことです?!﹂
﹁エリィお嬢様はどこにッ!!!﹂
﹁本当なのですか?!﹂
﹁何があったのです!?﹂
﹁べびぃじゅぼうずびぃ! びっばいっばびぼぼにッッッ!!!﹂
みな口々に思ったことを叫び、バリーにいたっては顔中から液体
693
を出してよく分からない言葉を叫んでいる。
気づけばゴールデン家の使用人すべてがエントランスに集合して
いた。
エドウィーナ姉様とエリザベス姉様はお仕事で、お父様は宮殿に行
っている。クラリスはいまアリアナちゃんの家にご飯を作りにいっ
ている頃だろう。クラリス、この手紙を見たら喜びのあまり泣き叫
ぶだろうな。
エリィ捜索本部、として使っていた二階の一室から、仮眠を取っ
ていたお母様が普段絶対に見せないような焦った足取りで階段を下
りてきた。
﹁エイミー、どういうこと!? 説明してちょうだい!﹂
お母様の言葉で水を打ったように静まる使用人達。
爆炎のアメリアとしてグレイフナーに名を馳せたお母様の凛とし
た雰囲気が、場の空気を一気に引き締める。
私はお母様に手紙を見せた。
﹁あの子から手紙が届きました!﹂
﹁場所は!? 場所はどこなの!?﹂
﹁砂漠の国サンディ、オアシス・ジェラというところです﹂
﹁サンディ⋮⋮また随分と遠くね﹂
﹁戦争があるから帰って来れない、と書いてあったけど⋮﹂
お母様は私から封筒を受け取ると、消印を見て眉をひそめた。
﹁日付が二ヶ月前になっているわ﹂
﹁サンディの封鎖線のせいだと思います﹂
694
あれから私も色々とエリィの行方を追って調べた。その中で知っ
たのが、サンディとパンタ国をつなぐ﹃赤い街道﹄が軍隊によって
完全封鎖されている、ということだった。
﹁エリィはオアシス・ジェラに住んでいる、ジャン・バルジャンさ
んと、お婆様のガン・バルジャンさんの家にご厄介になっているそ
うですよ﹂
﹁では安全ということね⋮。エリィを誘拐したであろう盗賊団は?﹂
﹁お母様がおっしゃっていた﹃ペスカトーレ盗賊団﹄のことですか
?﹂
﹁ええ。そうよ﹂
﹁そのことも書かれてありました。お母様の調査された通りでした
ね﹂
﹁グレイフナー王国から人攫いをするほどの凶悪で大きな組織。あ
る程度予想はついていたのよ﹂
お母様はだいぶ疲れた様子で、ゆっくりと指で眉間を揉んだ。
すぐさまメイドの一人がお母様の肩を揉み始めた。
﹁エリィがおしおきしたから大丈夫って書いていたけど⋮﹂
﹁おしおき?﹂
お母様は肩を揉まれながら大きく首をひねった。
確かに、冷静になって考えてみると上位魔法が使えるほど凶悪と
噂される盗賊団を一人で倒せるはずがない。エリィお得意の冗談か
もしれない。
﹁とにかく見てみましょう。ハイジ、みなにも聞こえるように読み
上げて頂戴﹂
﹁かしこまりました奥様﹂
695
クラリスの娘、ハイジが手紙を恭しく受け取り、おもむろに開い
た。
彼女は何をやらせてもそつなくこなす、凄腕メイドだ。この若さ
でゴールデン家のメイド長を任されている。
﹁ハローみんな! 心配かけてごめんね!﹂
ハイジの澄んだ声色がエントランスに響き渡った。
﹁⋮⋮ハロー?﹂
さっそくお母様のツッコミが入る。
﹁たぶんエリィ語だと思うよお母様﹂
私はつい敬語を忘れて、訝しげな顔をするお母様に言った。
﹁エリィ語、とはなに?﹂
﹁あの子、たまに自分で考えた言葉を使うんです。昔からお茶目な
ところがあったから﹂
﹁そうかしら? たしかにそうかもね﹂
﹁でしょう?﹂
696
﹁まあいいわ。ハイジ、続けて頂戴﹂
﹁かしこまりました﹂
気を取り直してハイジが手紙に目を落とした。
﹁ハローみんな! 心配かけてごめんね! 私はいま砂漠の国サン
ディ、オアシス・ジェラにいるわ。優しい冒険者のジャン・バルジ
ャンという青年に助けられ、彼の実家にお世話になっているのよ。
砂漠の国というだけあって陽射しが強く、じっとしているだけでも
汗が流れ落ちてきてげっそり痩せてしまいそう。サンディとパンタ
国の戦争のせいで、しばらくグレイフナーに帰れないと思うわ﹂
﹁⋮随分と元気そうね﹂
﹁そうみたいですねお母様!﹂
お母様はほっとしたのか笑顔になった。
私はうなずいて、ハイジに続きを読むようお願いした。
﹁あの日、ペスカトーレ盗賊団という悪い連中に誘拐されてしまっ
たんだけど、色々あって盗賊団におしおきをしておいたわ。やっぱ
り悪はこらしめないとね。怪我も病気もしていないから安心して。
ジャン・バルジャンはすごくいい青年で、お婆ちゃんのガン・バル
ジャンはよぼよぼだけど店番を頑張っている優しい人。不自由はし
てないわ。しばらくこの家で封鎖の解放を待つことが最善だと思う
の。友達の狐人、アリアナも無事だわ。彼女は手紙が恥ずかしいと
言っていたので、家族に彼女の無事を伝えてほしいわ。家の場所は
クラリスに聞いてちょうだい。いつになるか分からないけど必ずグ
レイフナー王国に帰るから、みんな体に気をつけて元気でいてね﹂
ハイジは呼吸を整えると、次のページへ手紙をめくった。
697
﹁クラリス、心配かけてごめんなさい。すごくびっくりしたでしょ
う? でももう大丈夫。私は元気よ。エイミー姉様。お姉様の素敵
な笑顔を早くみたいわ。帰ったら新しい洋服を着てまた街へ遊びに
行こうね。バリーは泣きすぎ。もう泣かないでちょうだい﹂
﹁べんばごどびっだっで! ぼじょうずびぃ!﹂
バリーは相変わらず何を言っているかわからない。涙でぐちゃぐ
ちゃになった顔を白エプロンで拭いている。
﹁エリザベス姉様、恋は順調かしら。エドウィーナ姉様、お母様、
二人の洋服はミラーズに置いてあるから是非着てみてください。お
母様、お父様にはあまり根を詰めないように言って下さい。肺の持
病が心配です。メイド、使用人のみんな、心配かけてほんとごめん
ね。ゴールデン家のみんなの顔を見るのが楽しみだわ。それじゃあ
また! 近いうちに必ず戻るわ! エリィ∼砂漠より愛を込めて∼﹂
ハイジが顔を上げて手紙をめくった。
エントランスにいる全員が、よかった、とか、お嬢様、とか、エ
リィ様、などつぶやいている。
﹁エイミーお嬢様、続きはお読みしたほうがよろしいでしょうか?﹂
﹁その必要はないと思うな﹂
﹁あら、どういうこと?﹂
お母様がハイジの持っていた手紙を覗き込んだ。
さっき冒険者協会で読んだとき、この手紙が全部で四部構成にな
っていることを知った。このあとは﹃ミラーズへ﹄﹃コバシガワ商
会へ﹄﹃スルメへ﹄となっている。
698
そのことを説明し、内容を簡単に話すと、お母様はざっと中身を
見てすぐ手紙を分け、メイドに配達させた。
﹃ミラーズへ﹄と﹃コバシガワ商会へ﹄という手紙は経営に関わ
ることだったので早いほうがいいと思ったのだろう。
﹁エイミー、あの子は本当に立派になったわね﹂
﹁そうですねお母様﹂
﹁それで、スルメ、というのは誰なの?﹂
﹁エリィのお友達みたいです。ワイルド家の長男だそうですよ﹂
﹁ワイルド家? 領地が百五十の超名門貴族じゃないの。お付き合
いしているのかしら﹂
﹁きゃっ。そうかもしれませんね!﹂
私はまさかと思ったが、二人が付き合っているのかもしれないと
思った。だって、ねえ。わざわざ彼にだけ手紙を宛てるなんてよっ
ぽどよ。しかも絶対にこの先は読んではダメ、と書いて便せんの四
方にのり付けまでしていたものね。
でも私はミラーズのジョー君が怪しいと思っていたんだけどなー。
舞踏会で楽しそうにダンスしていたし、いつも洋服の話をしてい
るしお似合いだと思ったんだけど。
ふふっ。エリィったらしっかり男の子のハートを射止めちゃって!
帰ってきたら恋の話もしなきゃだよね。
よかった。本当によかった。
エリィが生きていてくれてよかった。
無事でいてくれてよかった。
699
灰色に見えていた世界が、手紙をもらった今では輝いて見えるよ。
エリィ、すぐに会おうね!
戦争が終わったら真っ先に迎えにいっちゃうんだから!
☆
私はマックス・デノンスラート。
エリィお嬢様にはこのウサ耳からウサックスの愛称で呼ばれてい
る。
ゴールデン家の美しいメイドがグレイフナー二番街に居を構える
コバシガワ商会にやってきて、手紙を渡してきた。私はこなしてい
た仕事の書類から顔を上げた。
﹁ウサックス様ですね? エリィお嬢様からお手紙です﹂
﹁な、なんですとぉ!!?﹂
私は歓喜した。
生きておられた! お嬢様が生きておられた!
生きているとは信じていたものの、やはり確証が得られて心の底
から嬉しい!
さすがお嬢様! ただ者ではない!
メイドが礼をして出て行くと、事務所にいた商会のメンバーが叫
びながら集まってきた。みな、一様に笑顔だ。創設者にして出資者
のエリィお嬢様が生きている。その事実に両手を挙げて喜んでいる。
黒ブライアン、おすぎ、ボインちゃん、印刷部隊のメンバー、新
しく雇ったスタッフ十数名はグレイフナー王国民らしく、テンショ
700
ン高めに万歳三唱をした。
だが私は手紙を見て、笑顔を引き締めた。
﹁みな、静かに。お嬢様からの手紙だ。これはコバシガワ商会への
指示書になっているであろう。心して聞くように﹂
気持ちのいい返事をして、全員がうなずく。
私ははやる気持ちを抑えて手紙を開いた。
﹁やっほーみんな! 元気ぃ!?﹂
お嬢様は、どこに行ってもお嬢様だった。
皆、くすくすと笑っている。
﹁いや違う! 手紙にこう書いてあるのだ!﹂
私は咳払いをして続きへと目を落とした。
﹁やっほーみんな! 元気ぃ!? 私はいま砂漠の国サンディにあ
るオアシス・ジェラという町にいるのよ。いずれ帰るから心配しな
いでね。さて、早速で申し訳ないんだけど、本題に入るわ。ごめん
なさい、ここから先は仕事モードで書くわよ﹂
701
私は集まっているメンバー全員に目配せをした。皆が黙ってうな
ずく。
﹁私がいなくなったことでコバシガワ商会は運営の方針があやふや
になっているはず。現在の商会は﹃雑誌制作会社﹄という名目で﹃
ミラーズ﹄の洋服の販売サポートをする、という位置づけになって
いる。雑誌が売れる↓服が売れる↓雑誌のブランドが上がる↓また
雑誌が売れる、というのが好循環の簡単な流れ。今ここで雑誌の最
新号を作らなければこの流れは完全に途切れてしまうわ。簡単な骨
組みを書いておくので、いますぐ第二弾の作成にとりかかってちょ
うだい!﹂
うおおおおっ! 全員が叫んだ。
この手紙が来るまで、我々はミラーズのサポートばかりしていた
のだ。
自分たちの手で何かを作りたくてうずうずしていた。
次のページに雑誌第二弾の骨組みが書かれていた。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
表紙
﹃Eimy﹄秋の増刊号
︵秋っぽいフレーズとエイミー姉様の可愛い写真︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
1、2ページ
702
目次と広告
※広告とは他店の宣伝をする代わりに費用をもらうこと。
今後はこの広告料が莫大な利益になる。
口外禁止。
載せる広告は我々が売りたい化粧品がいいと思う。
ウサックスは良さそうな化粧品店を買収して子会社化しておいて。
実験的に目次ページと背表紙に入れるわ。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
3、4ページ
今期一押しの服。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
5、6、7、8ページ
着回しコーデ特集。
ジョーが知っているから詳しく聞いて。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
9、10、11、12ページ
今期流行る服。︵流行らせる服︶
タータンチェック特集。
モデルをかえてちょうだい。
エリザベス姉様にお願いして。恥ずかしがってダメなら他を当た
って。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
703
13、14、15、16ページ
防御力が高く、なおかつ可愛い服特集。
ジョーが知っているから聞いて。
無理そうならなしで。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
17、18、19、20ページ
恋愛特集。
ボインちゃん、フランク、頑張って。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
20∼26ページ
靴、小物、アクセサリ、便利な日用品などの紹介。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
27、28ページ
エイミーの日常という題でインタビュー。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
あとはみんなのアイデアにまかせるわ!
齟齬がでたり順序で違和感があればどんどん変えてちょうだい。
これはあくまでも骨組みよ!
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
704
私は次々に湧いてくるインスピレーションと、費用やそれに対す
る効果を瞬時に計算し、雑誌が創刊されるまでの具体的な時間を脳
内で逆算する。
この手紙が書かれてから二ヶ月が経過していることから、秋の増
刊号ではなく、秋冬号にしたほうがいいのではないか、という発想
が頭をかすめる。だが、徹夜でやれば二週間でいけるのではないか?
夏服の雑誌が出て、秋服が出ないなどおかしい。
世の女性は雑誌を待っているはずだ。よし。
私は突貫で秋の増刊号を制作することを決断した。
指示書にはこんなことも書かれていた。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
ウサックスとクラリスやることリスト︵優先順位なし︶
複写
コピー
不足のため︶
1、グレイフナー六年生の火魔法、上級の使い手をコバシガワ商
会に就職させること。︵
2、優秀な人材を確保︵多岐にわたる。使えそうな人間は採用︶
3、年齢層が高めの女性誌の制作着手。ジョーと連携すること。
4、武器防具雑誌の制作着手。合わせて魔物写真の掲載。
5、男性誌の制作着手。
6、各社の反応を見つつ、上記掲載をした際の広告収入の予想を
705
立てる。︵どのくらいの効果があるか予想が付かないため、調査し、
具体的に数字で報告︶
7、他商会への牽制。︵方向性が合えば契約を交わして引き込む︶
8、すべてを迅速に。内容よりスピード。真似される前にすべて
の雑誌創設がコバシガワ商会であることを世に見せつける。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
いやはやこれはまた⋮⋮とてつもない分量の仕事だ。
クラリス殿に手伝ってもらわなければ到底無理だな。
雑誌第二弾を今か今かと待っていた面々は、すでにせわしなく行
動を開始していた。全員が持ち場へと消えていく。
忙しくなる。これは忙しくなるぞぉ!
☆
﹁ミラーズ専属デザイナーのジョー様ですね?﹂
﹁いま、忙しいからあとにしてくれない?﹂
あまりの忙しさから、勝手に作業場へ入ってきた誰かにそう言っ
た。
仕事がまったく終わらない。どんどん新作を作って販売する。秋
物、冬物、靴、小物、バッグ、手袋、帽子、とにかく頭にあるデザ
インを現実の物にしていく。
706
﹁エリィお嬢様からお手紙です﹂
﹁え? 誰からって?﹂
﹁エリィお嬢様からです﹂
﹁え⋮⋮エリィからッ!!?﹂
ウソだろ、と思って俺はペンを放り投げて素っ頓狂な声を上げて
しまった。
それもつかの間、エリィが生きているとわかると、身体が熱くな
り、全身が喜びに反応して歓喜に変わる。
連絡が遅いぞ、あのおてんばめ!
俺は自分が感じている喜びが小っ恥ずかしくて、心の中でエリィ
に向かって毒づいた。
﹁こちらです﹂
﹁あ、どうも﹂
メイドが手紙を渡して帰ると、俺はすぐ手紙を読んだ。
﹃ハロハロー! ジョー、ミサ、元気してるぅ!?﹄
⋮⋮あのおてんばお嬢様はどこに行っても変わらない。
俺はそっとほくそ笑んだ。
相変わらず変なやつ。なんだよ、はろはろーって。
﹃私はいま砂漠の国サンディにあるオアシス・ジェラにいるわ。ジ
ョー、ミサ、心配かけてごめんね。ということでミラーズの今後に
707
ついて書いていくわ﹄
説明が少ない!
これだけ心配したのにこれはない気がする。あ、でも俺とミサだ
けに書いてるわけじゃないもんな。色んな人に手紙を書いているか
ら仕方ないのか。
﹃ミラーズは今、攻めの一択。商品を真似た二番出しの店が続々と
出てくるわ。グレイフナー大手の布屋や裁縫店はミサが独占契約を
しているからある程度の時間はかせげるでしょう。たぶん、あと三、
四ヶ月ってとこかしらね。どこまでブランド力を高めるかが重要よ。
ミラーズに必要な行動はおおざっぱにこんな感じね。
1、店舗拡大︵急務!︶
2、生産ライン拡大
3、秋物、冬物作製
4、姉妹ブランド立ち上げ
5、男性ブランド立ち上げ
6、防御力が高いお洒落服の開発
こんな感じかしらね。やっぱり近くで見ていないと流通とか売れ
行きがなんともいえないけど、この六つは最高速度でやりとげない
といけないわ。コバシガワ商会にも簡単な指示書を送っているから、
私が帰ってくるまで頑張ってね。もっと書きたいことがたくさんあ
るけど、時間がなくなってきたわ。配達の便がいっちゃうのよ。あ
とジョー。他の商会から引き抜きやちょっかいが入ると思うけど、
気にせず我が道を突き進むのよ。ミサ、変な奴に騙されないで。最
後に信じるのは自分の直感と相手の人となりよ。それじゃあ会える
日を楽しみにしているわ。チャオ﹄
エリィはすごいな。遠くにいてもみんなのことを心配していた。
俺も頑張らないとな。
708
それにしても、チャオってどういう意味があるんだろう。
帰ってきたらエリィに聞いてみないとな。
店舗拡大はミサが奔走しているから問題ない。秋物はいま俺がバ
リバリ作っている、大丈夫だ。あとは男性ブランドかぁ⋮。ついに
この日がやってくるとはな。アイデアがたくさんあってやりたかっ
たんだ。
俺は今までエリィのことを忘れるために仕事に打ち込んでいた。
休んでいると、思い出してしまうからだ。彼女が死んでいるかも
しれない、という悪い予感が頭を何度もよぎってしまった。
でも今は違う。彼女のために俺は仕事をし、デザインをし、洋服
を作ろう。
エリィが帰ってきたとき、だらしないわね、と笑われないように
このミラーズを大きくし、グレイフナーに新しい流行の風を最高速
度で吹かせてやる。そして再会したら言ってやるんだ。
あの舞踏会で言えなかった、あの言葉。
ずっと胸の内にしまいこんでいた自分の気持ちを。
だから俺はもう忘れるためなんかに仕事はしない。
☆
﹁お坊ちゃま、お坊ちゃま﹂
オレは庭で振っていたバスタードソードを止め、ああん、と振り
709
返った。
﹁お客人です﹂
﹁あとにしてくれ﹂
﹁いえ、火急の用だと﹂
使用人が連れてきた奴はやたら美人のメイドだった。オレを見て
一礼すると﹁スルメ様ですか﹂と言いやがる。
﹁誰がスルメだよ誰が!!﹂
﹁お名前が違いますか?﹂
﹁ちげえよ! 盛大に間違ってるよ!!﹂
﹁ですがエリィお嬢様がワイルド家の長男様がスルメ様だと⋮﹂
﹁なにっ?! エリィ? ひょっとしてエリィ・ゴールデンのこと
か!﹂
﹁はい。ゴールデン家のメイド長、ハイジと申します。今日はお嬢
様からの手紙をお渡しに参りました﹂
﹁なんだぁ!? てえことはあいつ、生きてんのか!﹂
﹁はい。もちろんでございます﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮はっはっはっは! やっぱりな! あいつはこんなこ
とでくたばるようなタマじゃねえ﹂
オレはなんだか可笑しくなって大笑いした。ガルガインやハルシ
ューゲ先生、ついでに亜麻クソたちとエリィ・ゴールデンがどこで
どうなったか話し合ったりもしたが、結論は﹁ま、生きてるっしょ﹂
ということで片付いた。みんな心配はしていた。でもどう考えても
あいつが死んだとは思えなかった。当然、一緒にいるであろう細っ
こいアリアナ・グランティーノも無事だろう。
あのデブっちょ⋮⋮おっと、レディには禁句だったな。あいつ、
今頃どこかで知らねえ誰かに変なあだ名でもつけているんだろう。
710
﹁では私はこれで﹂
美人のメイド長は手紙を手渡すと、そっけなく帰って行った。
愛想のねえメイドだな。
だが⋮めっちゃ可愛い。あいつが帰ってきたら紹介してもらおう。
﹁で、なぁんであいつがオレに手紙を?﹂
﹁スルメ坊ちゃま、恋人ですか?﹂
﹁ちげえよ! 全然そんなんじゃねえよ! つーかさらっとあだ名
使うなまじで。次言ったらクビだ!﹂
﹁ですがこのあだ名、言い得て妙、です﹂
﹁料理評論家みてえにドヤ顔でうなずいてんじゃねえ! ったく⋮﹂
オレが猛烈なツッコミを入れたらさっさとどこかへ行ってしまっ
た。うちのメイドも愛想がねえ。
気を取り直してオレは手紙を読むことにした。バスタードソード
を庭の地面にぶっさして、四方をのり付けされた手紙を丁寧にやぶ
る。細けえ作業は苦手だ。
﹃開封厳禁・スルメのみ閲覧可﹄
﹁なーにがスルメのみ閲覧可だよ﹂
オレは独りごちて次のページをめくる。
711
﹃ボンジュール、スルメ! 私がいなくて寂しいでしょ。大丈夫、
私は元気よ。いまオアシス・ジェラという町にいるわ﹄
ボンジュール? 何語?
意味がわからねえ。
あいつの言うことにいちいち反応していたら疲れるだけだな。
﹃戦争のせいでグレイフナーへ帰れないのよ。終わり次第そっちに
帰るから安心してちょうだい。それで本題に入るけど、あなただけ
に手紙を送ったことには理由があるわ。ほら、憶えてる? あなた
にモテる方法を教えるって話。あれを簡単にここに書き記しておこ
うと思うの。もし私がいない間に運命の相手が現れて全然ダメでし
たーってなったら嫌でしょ? 恋愛の師匠としてその辺はきっちり
しておきたいの﹄
オレは手紙に力を込めた。
あいつ憶えていやがった!
最高だ! やはり持つべきものは友だな!
﹃まずあなたがどうしてモテないか、それにはいくつか理由がある
わ。言っておくけど別にあなたのことを卑下したりしていないわ。
大貴族の長男だし、顔は味のある顔だし、魔法も結構上手いしモテ
ないほうがおかしいのよ﹄
オレはにやっと笑った。
まあな。オレはいい男なんだよ。
﹃ずばり言うわ。あなた、人の話を聞かなすぎるわ。特に女の子と
話しているとき、一方的にしゃべっているの。あとは会話の際、次
712
に話す言葉を決めているでしょう? あれもよくないわ。会話が成
立しているようでしていない感じ、女の子はああいうのすごく敏感
なのよ。学校とか舞踏会であなたのことちょこちょこ気に掛けてい
たんだけど、実は結構緊張しているんでしょ﹄
ギクッ。
な、なぜバレている。それにオレが緊張して次の言葉を決めてい
ることをどうして⋮。こ、こいつ天才かッ!?
﹃もっと自分に自信を持ってちょうだい。あなたはやればできる男
じゃない。女の子がしゃべっているとき、全部話し終わるまで待っ
てやるか、ぐらいの大きい気持ちでいればいいのよ。すごく簡単で
しょ? あと言いにくいんだけど、友人として言っておくわ。あな
た舞踏会のとき⋮⋮その⋮⋮ちょっと鼻毛が出ていたわ。すぐに言
えばよかったんだけどごたごたしていて言いそびれてしまったのよ﹄
﹁うおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!﹂
ファイアアロー
オレは恥ずかしさのあまり手紙に顔をうずめて地面に叩きつけた。
ファイアスネーク
﹁ファイアボール! ファイアボール! ファイアボール! 火矢
! 火蛇! ファイアボール!﹂
これでもかと庭にある的に魔法を撃ち込んだ。
なんてこった。まさかそんなことが!
確かにしっかり処理したはずが! くっそ! なんて恥ずかしい
んだ!
ぐおおおおおおおおお! 時間よ! 時間よ舞踏会の日に戻って
くれ!
713
バスタードソードをめちゃめちゃに振り回して、なんとか心を落
ち着ける。
オレは手紙を拾って皺を伸ばし、続きを読むことにした。
﹃誰にも言っていないから安心してちょうだい。今後、そんな致命
的なミスがないように、私のほうで確認と心構えのリストを作って
おくわ。時間がないから簡易版だと思ってね﹄
なんだ、あいつは女神なのか?
優しさを、温かさを感じる⋮⋮。
オレはしわしわになった手紙のページをめくった。
﹃スルメおでかけチェックシート︵オッケーだったら印をつける︶
□女の子との待ち合わせ場所と時間に間違いがないか
□シャワーを浴びたか
□歯を磨いたか
□鼻毛は出ていないか
□財布は持ったか
□ハンカチは持っているか
□女の子が好きそうな話題を三つ準備しておく
□しゃべりすぎない
してもらって使
□自分が楽しくなければ無理をしてデートを継続しない。時間は
大事
□ドンと構える
□何かあったら守ってやるという気持ちでいる
コピー
複写
□女の子を最低一回は褒める︵できたら︶
とまあ簡単に書いたわ。黒ブライアンに
うか、書き写して使ってちょうだい! いい女、ちゃんとつかまえ
714
るのよ。それじゃシーユーアゲイン∼﹄
なんだよシーユーアゲインって。意味がわからねえ。
そんなツッコミを入れつつ、オレはこのチェックシートと手紙を
大事にポケットにしまった。
︱︱︱その頃、オアシス・ジェラでは⋮。
○
﹁はいあーん﹂
﹁あーん⋮﹂
﹁どう?﹂
﹁おいひい⋮⋮﹂
新しいおにぎりの具﹃ツナマヨ﹄の完成だ。
アリアナの尻尾がぶるんぶるん揺れている。
715
﹁ほっほっほっほ。これはなかなかに美味いのぉ。してアリアナ、
メインウエポンは決まったかの?﹂
﹁うん、これにする﹂
おにぎりを頬張りながら、彼女はタンスの奥のほうに入って埃を
かぶっていた鞭を持ってきた。
﹁鞭? どうしてそんな使いづらそうな物にするの?﹂
﹁ポカじいをおしおきするの⋮﹂
﹁え、わし?﹂
﹁エリィのお尻さわるから⋮触ったらこれで⋮﹂
そう言ってアリアナは思い切り鞭を振る。
パシィン、と床が叩かれていい音が鳴った。
なぜだろう、もうすでに様になっているんだが⋮。
﹁ほっほっほっほっほ、どうやらおぬしに合っているようじゃの﹂
じいさん、余裕ぶっこいているが冷や汗が出てるぞ。
アリアナが強くなればなるほど俺の尻が触れなくなる、という魔
の方程式だ。
﹁エリィちゃーん! アリアナちゃーん! 賢者さまぁーっ!﹂
夕飯を食べているとジャンジャンが血相を変えて家に飛び込んで
きた。
716
﹁一緒に町まできてほしいんだ!﹂
俺たちは顔を見合わせて、ジャンジャンの話を聞いた。
717
第5話 エリィの手紙∼砂漠から愛を込めて∼︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重71㎏︵±0kg︶
日にちが経過していないので体重は変わっていません。
718
第6話 イケメン、ルイボン、商店街︵前書き︶
後書きにイケメンが書いた﹃かんたん魔法早見表NEW﹄を載せま
した。
物語の参考にしてくださいッ。
719
第6話 イケメン、ルイボン、商店街
﹁このデブッ。小デブッ!!﹂
﹁ぬわんですってぇ! 誰が小デブよ!﹂
﹁あんたのことに決まってるでしょ! むちむちして暑苦しいわ!﹂
﹁それを言うならあなたのそのルイ14世みたいな髪型どうにかし
なさいよ! 暑苦しいったらないわよ!﹂
﹁だ、だ、誰がルイ14世よ! 誰だか知らないけどバカにされて
いる気しかしないわッ﹂
﹁ファイヤーボール百発撃たれたってそんな髪型にならないわ! 何なのその巨大おにぎりみたいな天然パーマは!﹂
﹁あんたァ! 髪型のことは言わないでちょうだい! これはボン
ソワール家の由緒と伝統のある髪型なのよ! 私はね、これっぽっ
ちもこの髪型が嫌だって思ったことはないわ! デブ! このデブ
ッッ﹂
ルイス・ボンソワールは変な髪型を振り乱して叫んだ。
俺はデブデブと連呼されてカチンときた。
﹁だれがデブよ! 私はぽっちゃり系よ! ぽっちゃり女子の進化
形よ!﹂
﹁ぽっちゃり系?! 笑わせないでちょうだい!﹂
﹁それはこっちのセリフよ! 変な髪型!﹂
﹁デブ!﹂
﹁ルイ14世!﹂
﹁デーブデーブッ!﹂
﹁おにぎり頭ッ! 富士山盛りッ!﹂
﹁意味がわからないこと言ってバカにしないで!﹂
720
﹁おバカ髪型事件簿ッ!﹂
﹁贅肉肉体サウナ!﹂
﹁じっちゃんの名にかけてッ!﹂
﹁きぃーーーーーーッッ!!!﹂
﹁髪型活火山!﹂
﹁おデブ行進曲!﹂
﹁鳥の巣ッ!﹂
﹁駄肉製造器!﹂
﹁あんたねえぇぇぇぇぇーーーーーッ﹂
﹁なによぉぉぉーーーーーーーーッ﹂
﹁私たちに勝ってから言いなさいよ!﹂
﹁いいわよ! 勝ってやるわ! 楽勝よ!﹂
﹁そっちの商店街とこっちの商店街で集客の勝負よ!﹂
﹁のぞむところよ!﹂
﹁こっちが勝ったら商店街、孤児院、治療院の取りつぶしはなしよ
! いいわね!﹂
﹁こっちが勝ったらあんたは一年間わたしの従者になってもらうわ
!﹂
﹁ふふん。いいでしょう。私たちが負けることなんて絶対にありえ
ないけどね!﹂
﹁言ったわねぇぇ!﹂
﹁それじゃここにサインしなさい!﹂
﹁やってやろうじゃない!﹂
俺が﹃東と西の商店街・集客増加率勝負。西が勝ったら取り潰し
なし。東が勝ったら一年従者﹄という用紙を殴り書きした。
ルイ14世みたいな髪型のルイス・ボンソワール、ルイボン14
世が勢いでその用紙にサインする。
俺とルイボン14世が言い争いを始めてから、かれこれ体感で三
721
十分は経過していた。﹃西の商店街﹄のど真ん中で罵倒し合ってい
たため、人がかなり集まってきている。
﹁ルイボン14世! 負けて悔しがるあなたを見るのが楽しみだわ﹂
﹁誰がルイボン14世よ! 変なあだ名つけないでちょうだい!﹂
﹁いいたいことはそれだけよ﹂
﹁準備期間は一ヶ月ッ。そこから一週間勝負! いいわね!﹂
﹁いいでしょう!﹂
ジェラの領主の娘、ルイス・ボンソワールはこちらを一睨みする
と、ぷん、と言って群衆を蹴散らし、ルイ14世みたいな珍妙な山
盛りパーマの髪型をゆっさゆっさと揺らしながら﹃西の商店街﹄か
ら姿を消した。
散々バカにされて今頃怒り狂っているだろう。ふふ。俺がわざと
怒らせたとも知らずにな。
﹁それにしても⋮﹂
俺はやれやれとため息をついた。
なぜこうも問題ばかり起きるのだろうか。
早く帰りたいのにこんなことになっちまうなんて⋮。
ま、恩人であるジャンジャンのピンチだしな、一肌脱がずして男
が語れるか。否、語れない。ここは全力で問題を解決しようじゃね
えか。
犬も歩けば棒に当たる。イケメン歩けばアクシデント。
ことわざ完成。イエーイ。
722
︱︱やはり天才ッ!!
﹁エリィちゃん⋮あんなこと言って大丈夫なのか?﹂
﹁大丈夫よジャンジャン。問題ないわ﹂
﹁ルイス様にあんなこと言うなんてすごいわね﹂
﹁コゼット。相変わらずドクロの帽子がお似合いね﹂
﹁ありがとう∼﹂
ジャンジャンがポカじいの家に転がり込んできて言われた通りつ
いてきてみれば﹃西の商店街﹄を潰して冒険者協会の訓練場にする、
というとんでもない事態になっていた。商店街がなくなればジャン
ジャンの実家もなくなる。その陣頭指揮を取っていたのが領主の娘
ルイボン14世だった。
俺とアリアナとポカじいが着いた頃には、取り潰しが決定してお
り、何の打開策も見出せないまま商店街の人々はただ抗議を繰り返
していた。ジャンジャンが俺たちに泣きついたのは、どうにかして
くれそう、だったからだろう。
そして俺は商店街のど真ん中でルイボン14世に喧嘩をふっかけ
た。
次第にヒートアップして最後のほうは何を言っているか自分でも
よく分からなくなったが、何とか条件付きでの勝負に持ち込めた。
ルイボン14世が、親から﹃東の商店街﹄の運営権利をもらってい
ることを引き合いに出してきたので、それを逆手に取ったのだ。
そうでもしなければ今すぐに取り潰しを着工しそうだったから仕
方がない。つーか商店街を潰しても住民たちの生活は保障をしない、
ってどんだけ専制政治なんだよ。やべえよ。
723
﹁その女の子は誰だ?!﹂
﹁あんなこと言ってタダで済むはずがない!﹂
﹁ぼくたちの家が⋮﹂
﹁この商店街を守ろう!﹂
﹁ぽっちゃり進化形女子とは?﹂
﹁勝てる見込みはあるのか?﹂
商店街のメンバーから悲痛、対抗、疑問など様々な声が上がる。
商店街に五十強ある店舗の店主たちが俺を取り囲んだ。どのみち勝
つしか存続の道はない。やるしかないだろう。
﹁わたくしはグレイフナー王国ゴールデン家四女、エリィ・ゴール
デンと申します。皆さんまずは落ち着いてお話を致しましょう﹂
俺は営業の基本である挨拶から入った。
○
西の商店街で一番大きな店﹃ギランのケバーブ﹄という店に店主
一同が集合した。
現状の把握と、事の経緯が説明され、会議が進行する。
会議を聞いた結果、俺の頭の中に問題点がいくつも浮上した。
まず東門がオアシス・ジェラの玄関口になっており、北門へと街
道が続いているため、人の流れが東から北へと流れる傾向がある。
724
よって西門を通る人間はほとんどいない。しかも、青々と水をたた
えたオアシスが町の真ん中にある。わざわざオアシスを迂回して西
側には来ない。
商店街に人気がないのは外的要因が大きかった。
﹃西の商店街﹄に来る客層は、近隣住民と西の危険地帯へ魔物狩
りに行く冒険者、この二種類だ。それ以外の住民や旅行者は、西に
来る必要性が全くない。
おおだな
続いて﹃東の商店街﹄は冒険者協会が角地に建っており、頻繁に
人々が行き交っている。通りにはジェラ有数の大店が多数あり、単
純に、何もせずとも人が集まる。
西の商店街の面々は絶望的な顔をしている。
普通に考えたら絶対に勝てない勝負だ。みなが暗い顔になるのも
無理はない。
中には俺を憎悪の目で睨んでくる輩もいる。
だが、俺は可笑しくて仕方がなかった。あまりのちょろさに笑い
が込み上げてくる。アホだ、アホすぎる。ルイボン14世のまぬけ
さが愛すべきものにすら思えてきた。
﹁皆さん。勘違いしているようだけど、この勝負は西の商店街が圧
倒的に有利だわ﹂
﹁エリィちゃんどういうこと?﹂
ジャンジャンがすぐさま聞いてくる。
集まっていた面々が半信半疑な視線をこちらへ投げた。
俺は立ち上がり、その目線をすべて受け止めた。
725
﹁集客数勝負ではなく、集客増加率勝負なのよ?﹂
﹁ん?﹂
俺は勢いで書いたふうを装った、ルイボン14世のサインつき用
紙を掲げて見せた。
﹁純粋な商店街の集客人数ではなく、どれだけ増加したかってこと
が重要なの。つまり、現在の集客を五百人とすると、その倍の千人
を呼び込めば、増加率は百パーセントになるわ。対する東の商店街
の集客を一万人とすると、倍にするには二万人。今より一万人も人
を呼ばなければいけないのよ。集客を倍にするには相当の施策⋮⋮
作戦が必要になるでしょうね﹂
﹁てことは一時的に客を呼び込めれば勝ち目があるってことか?﹂
﹁ええ、そうよ。むしろこんな好条件の勝負、他にないわ﹂
俺は﹃西の商店街﹄で一番の大店﹃ギランのケバーブ﹄の店主を
見た。彼はギランという名前の大柄な虎の獣人で、虎の耳が頭につ
いており、獰猛な牙を口元からのぞかせている。
文字通り砂漠の国でポピュラーな、ケバブに酷似したケバーブを
店で販売している店主だ。商店街メンバーからの信用が厚く、会議
の司会進行を務めている。
その彼が口を開いた。
﹁何かいい案でもあるのかよ﹂
﹁あるにはあるけど、まずはみんなでアイデアを持ち寄りましょう。
準備は一ヶ月。勝負期間は一週間よ﹂
﹁ま、それがいいか。ここでしゃべっていても埒があかない﹂
ギランが立ち上がった。
726
﹁では明日、朝の八時に集合だ。それまでに全員集客のアイデアを
考えておいてくれ﹂
こうして二時間ほどの会議が終わった。
各店の店主が挨拶やこの先の展望を話しながら三々五々消えてい
く。
俺とアリアナも会議場である﹃ギランのケバーブ﹄から出て行こ
うとした。
﹁お嬢ちゃん、ちょっと残ってくれ﹂
声をかけてきたのはギランだ。難しい顔をして腕を組んでいる。
俺はうなずいて、会場である店から人がいなくなるまで待った。
○
﹁ジャンの小僧からお嬢ちゃんが凄腕魔法使いだと聞いて会議に参
加してもらった。そしてルイス・ボンソワールに対しての機転には
商店街一同感謝している。あのとき君が割って入らなければ、誰も
打開策を見いだせず商店街は取り潰しになっていただろう。だが⋮
⋮俺は自分の目で見ないと信用できないタチでな。お嬢ちゃんが凄
腕だという証拠をどうしても見たい﹂
﹁別にかまわないわよ﹂
﹁ほう、随分と肝が据わっているのだな﹂
﹁グレイフナー王国のレディとして当然よ﹂
﹁なるほど⋮ジャンが言うだけのことはあるようだ。凄腕魔法使い
なら君が若い女の子だとしても、敬意を払って商店街へのアイデア
727
を聞こう。だがジャンの言うことが嘘ならば、商店街には関わらず、
客人として過ごしてほしい﹂
虎人のギランが気むずかしそうな人物だとは思ったが、やはり、
といったところか。ジャンジャンの奴、余計なこと言いやがって。
黙っておいてくれれば俺のほうで勝手に関係値を高めたものを。
ま、こういうことはよくある。誰かが余計なおせっかいをしたり、
不利な発言を気づかないうちにしたり。こういうのがおもしれえよ
な、営業って。
とは言うものの、ここは最終手段を使うしかない。
証拠ってアレだよなぁやっぱ。
﹁町の中では使えない魔法だから外に出ましょう﹂
﹁む⋮。いいだろう﹂
俺たちは暑い陽射しの中、西門を通り、外に出た。
ちなみにポカじいはバー﹃グリュック﹄で酒を飲んでいる。俺た
ちとの基礎訓練中、酒が飲めなかったからどうしても飲みたかった
らしい。じいさん、酒を飲まずに特訓してくれてありがとな。スケ
ベだけど。いつもご飯作ってくれてありがとな。スケベだけど。
移動しているときも魔力循環を忘れない。
ポカじいには常に循環させるように言われている。俺もアリアナ
も、かなりできるようになってきているが、会話をしたり、別の行
動をすると循環が途切れがちになってしまう。こうした何気ない移
動などは絶好の練習機会だ。
728
ついてきたメンバーは、アリアナ、ギラン、ギランの隣に店を構
える猫人、その向かいで野菜を売っている豹人。この獣人三人だ。
俺は猫人にはヒロシ、豹人にはチャムチャム、とあだ名をつけた。
ヒロシは背が低くてマラソンが得意そうだから。
チャムチャムは取引先の社長夫人が飼っていた豹の名前から拝借
した。
どうやらこの三人、相当に仲が悪いらしい。歩いている最中、口
をきこうともせず、目が合うと睨んで威嚇し合っている。
﹁猫と豹と虎は仲が悪いの?﹂
こっそりとアリアナに聞いた。
彼女はショルダーバッグから﹃ササの葉﹄にくるまれたおにぎり
を取り出し、一口食べてから首を横に振った。
﹁もぐもぐ。聞いたことない⋮﹂
﹁じゃあ種族間の問題ではないってことね﹂
﹁うん﹂
﹁凄腕魔法使いのお嬢ちゃん、一体どこまで歩けばいいんだ﹂
ギランがあまりの暑さからか、批難めいた口調で言ってくる。
俺は町から充分な距離があることを確認し、足を止めた。
﹁ここでいいでしょう﹂
﹁で、証拠、見せてくれるんだろうな﹂
﹁もちろんよ﹂
﹁それじゃあ頼む。時間がおしい。早くやってくれ﹂
729
﹁わかったわ。それじゃみんな、大きい音がするからびっくりしな
いでちょうだいね﹂
﹁ああ﹂
俺はせっかくなので、呪文を詠唱することにした。
﹁やがて出逢う二人を分かつ 空の怒りが天空から舞い降り すべての感情を夢へと変え
閃光と共に大地をあるべき姿に戻し 美しき箱庭に真実をもたらさん﹂
へそのあたりから湧き上がる魔力の本流。
詠唱のせいか思ったより魔力を込めてしまう。
砂漠だし、どれだけ強力でも問題ないだろう、と俺は結論づけて、
一気に魔力を解放した。
サンダーボルト
﹁落雷!!!!!!﹂
バババリィィィッッ!!
焼き付けるような鋭い閃光が不規則な線を描いて乾いた地面へ突
き刺さる。高熱のエネルギーを受けた地面がえぐり返され、熱風と
共に四方八方へと爆散し、砂塵を巻き起こした。あれ? 前より少
ない魔力なのに威力が上がっている?
730
﹁⋮⋮は?﹂
﹁⋮⋮⋮ひ?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮ほ?﹂
落雷
の威力に
サンダーボルト
落雷
が落ちてえぐられた地面を呆
サンダーボルト
ギラン、ヒロシ、チャムチャム、獣人三人組が
愕然とする。
驚きすぎて声が出ないのか
けた顔でじっと見つめていた。
やがて、現実に戻ってきたギランがゆっくりと口を開いた。
﹁で、で、で、伝説の落雷魔法⋮⋮⋮⋮⋮?!﹂
﹁ユキムラセキノの⋮⋮⋮﹂
﹁使ったと言われるあの⋮⋮⋮???﹂
仲が悪いと言いつつ会話のコンビネーションは抜群だ。
﹁お、お嬢ちゃん⋮⋮もう一回、いいか? まだ目の前で起きたこ
とが信じられん﹂
﹁いいわよ﹂
を高出力でぶ
サンダーボルト
落雷
をお見舞いした。修行の成果なのか、どれもこれ
を巨大なサボテンへぶち当て、ついでにギラン
俺は段々面倒くさくなってきて詠唱なしで
電衝撃
インパルス
っ放し、
電打
エレキトリック
に微弱な
も流れるように発動する。
﹁アババババババババ﹂
その場で痙攣するギラン。
731
﹁どう、これでわかったでしょう﹂
﹁こ、これが落雷魔法⋮!!﹂
三人は相当に興奮した様子で詠唱呪文の内容やどうして使えるよ
うになったかなど質問をさんざん俺に繰り返し、教えてくれと懇願
してきたので、呪文のメモを渡してやった。当然、使えない。三人
は失敗のせいであっという間に魔力枯渇寸前まで追い込まれた。急
激な疲労で、ギラン、ヒロシ、チャムチャムは立っていられない。
虎と豹と猫が四つん這いになって並んでいる姿は結構面白かった。
こんな堅物そうなおっさん達が子どもみたいに魔法を試すんだか
ら、やっぱ落雷魔法ってみんなが憧れる魔法なんだな。猫人のヒロ
シなんかは気絶ギリギリまで試したのか、フルマラソンを走ったみ
たいに疲れて顔を真っ青にしていた。
そんなこんなで少し休憩をしてから俺たちは商店街へと戻った。
三人の態度がだいぶ軟化しており、今後の話がしやすくなった。
俺が営業について詳しいってことは、実家のゴールデン家の領地管
理をしているから、ということにしておく。
﹁三店舗合同で屋台を出したらどう?﹂
俺は会議の最中からずっと考えていたアイデアを伝えた。
しかしすぐ三者から悲鳴があがる。
﹁なにっ?!﹂
732
﹁なぜこいつらと!﹂
﹁合同?! やなこった!﹂
﹁まあまあ。これには理由があるのよ﹂
﹁どういう理由だ?!﹂
ギランが虎っぽくグルルルと唸りながら聞いてくる。
﹁ギランのお店はケバーブでしょ? ヒロシのお店は肉屋。チャム
チャムのお店は八百屋。ということは?﹂
﹁いうことは?﹂
﹁なんだ?﹂
﹁全然接点はないぞ?﹂
俺はアリアナに目配せをした。
彼女が会議の前に見つけた特殊な形をした鉄板を三人の前に置い
た。
﹁エリィがおにぎりより美味しい物を作ってくれる⋮﹂
﹁おにぎり?﹂
﹁狐っ子よ、さっきから気になっているんだが﹂
﹁その食べものはなんだ?﹂
ギラン、ヒロシ、チャムチャムの視線が一斉にアリアナの右手に
集まる。
アリアナは小腹が空いたらすぐにおにぎりをかじっていた。ずっ
と気になっていたらしい。
﹁やっ⋮ぜったいあげない⋮﹂
瞳をうるませるアリアナ。
733
そんなに?!
そんなにおにぎりが好きか!?
﹁あと一個しかない⋮﹂
可愛い子が泣きそう。
こうなると男は狼狽えるか焦るかのどちらかしかない。獣人三人
組も例外に漏れず、わたわたと両手を動かして必死に否定する。
﹁お嬢ちゃんの物を取り上げたりしないよナァ!﹂
﹁お、おうとも!﹂
﹁おじさん達はそんな悪い獣人じゃないよ!﹂
肩を組んで苦笑いに近いむさ苦しい笑顔を作り、妙なことで一致
団結する三人組。
﹁ちょっと見せてくれるだけでいいんだ﹂
﹁お、おうとも!﹂
﹁食べたりしないよ!﹂
﹁ほんとう⋮?﹂
﹁当たり前だ。ナァ!?﹂
﹁お、おうとも!﹂
﹁そうだそうだ!﹂
﹁⋮⋮⋮はい﹂
アリアナが渋々、食べかけのおにぎりを三人に見えるように差し
出した。
ギラン、ヒロシ、チャムチャムは顔をくっつけておにぎりを覗き
込む。
734
﹁ほお、米の真ん中に味の濃い食べものを入れているんだな﹂
﹁うまそうだ﹂
﹁しかも持ち運べる﹂
﹁これは私が考案した料理よ﹂
驚く三人におにぎりとはなんぞやを熱く語った。
おにぎりは日本人の魂だからな。米なしでは生きていけない。
俺の解説に感動した三人が、一ヶ月後の勝負でおにぎりを露店販
売することに決め、いよいよ本題の鉄板へと目を向けた。
鉄板は三十センチ四方の大きさで、直径五センチほどの丸いくぼ
みが等間隔についている。そう、完全にたこ焼きの鉄板と一致して
いるのだ。どうやらこの鉄板、半球状のクッキーを焼くための物ら
しい。
俺はたこ焼きについても熱く語った。
ギランのケバーブからはソースと小麦粉を、ヒロシの店からはタ
コに似た肉を、チャムチャムの店からは野菜を仕入れれば、異世界
バージョンのたこ焼きの完成だ。
いまいちピンときていないのか、俺は実演することにした。
たこ焼きをひっくり返す棒の代わりになるアイスピックを﹃グリ
ュック﹄から二本借りてきて、記憶を辿りながら具を作る。タコは
味と食感が酷似しているパラインコヨーテという魔物の肉で代用す
る。ついでのようについてきたポカじいはかなり酔っていて、一緒
に様子を見にきたコゼットの尻を触ろうとしていたので電気ショッ
クを与えておいた。
大学時代に下宿先でさんざんたこ焼きパーティーをした経験がま
735
さか異世界で活きるとはな。何が人生で役に立つかわからないもん
だ。
鉄板を熱し、いよいよたこ焼き作りに取りかかる。
熱くなりすぎないよう火加減を調整し、小麦粉と具の入った液体
を鉄板に流し込む。油が跳ねる音と、美味そうな匂いが﹃ギランの
ケバーブ﹄に充満する。
手際よく液体の入ったくぼみへアイスピックを入れる。ぶつ切り
にしたパラインコヨーテの肉である偽タコを入れて、さらに形を作
る。ひっくり返すたびに、おおーっ、と歓声が上がり、俺は調子に
乗ってどんどんたこ焼きをひっくり返した。
くるくるとひっくり返す動作がなんとも楽しい。
たこ焼きが丸くなっていく様子を全員が食い入るように見つめて
いた。
﹁おまちどうさま!﹂
アイスピックでたこ焼きを刺して皿の上にキレイにうつし、ソー
スをかけて青のりに似た調味料を振りかければ、異世界たこ焼きの
完成だ。
うおおおおお、懐かしい!
まじでなんか感動した。
もうこっちに来て四ヶ月か五ヶ月ぐらい経ってるもんな。
つーかホームシックにならない俺ってまじで鋼の精神。天才すぎ
る。自分の才能がこわい⋮。
﹁エリィエリィエリィ﹂
736
俺の袖を引っ張るアリアナの目がキラッキラ輝いている。
もふもふっと狐耳を撫でて、俺はみんなに言った。
﹁さ、食べてちょうだい!﹂
○
﹁うまっ!﹂
﹁これはうまい!﹂
﹁な、なんだこの美味さは!﹂
もはや三人組だろとツッコミを入れたいほど息がぴったりな獣人
の三人が、たこ焼きの美味さに驚嘆する。
アリアナと、ドクロをかぶった天然系女子コゼットがたこ焼きを
頬張っている。美味いもの食べてる女子ってほんと幸せそうな顔す
るよな。
ポカじいもたこ焼きがお気に召したようだ。
﹁ほほう。これはまた一風変わった料理じゃな。この形がなんとも
エレキトリック
いえんのぅ。そうこの柔らかくて丸い形、まさに若いおなごの︱︱﹂
﹁電打!!!﹂
﹁オシシシシシシシシシシシシシシシシシシシリィィィッッ!!!﹂
﹁ちょいちょい下ネタ挟むのほんとやめて﹂
﹁エリィ、美味しいね⋮!﹂
﹁そうね。よかったわねアリアナ﹂
737
﹁うん⋮!﹂
アリアナの尻尾が臨界点を突破せん勢いでぶるんぶるん揺れてい
る。
彼女は自然体でスケベじじいの残骸を踏んづけていた。
食べ終えて落ち着いたところで、俺はみんなを見た。
﹁ということでこれが商店街の呼び込みのメイン商材ね﹂
﹁なるほどな。これだけで客は来そうだな﹂
﹁ギラン。あとは呼び込み用のフックが必要よ﹂
﹁フック?﹂
﹁消費者を惹きつけてメイン商材を買ってもらう、補佐のような役
目ね﹂
﹁ほほう。ダテに領地経営はしていないようだな。で、そのフック
とやらは一体なんなのだ?﹂
﹁ずばり、治療院ね﹂
﹁んん? あんなさびれた治療院でどうにかなるのか?﹂
現在、サンディは戦争中で治療ができる白魔法士が圧倒的に不足
している。会議の際に確認したら、案の定この町でも白魔法士が不
足し、怪我人があぶれている状態らしい。町の北東にある治療院に
は連日長蛇の列ができているそうだ。怪我人をさばききれていない。
この政治事情を使わない手はない。
つぶれかけている﹃西の商店街・治療院﹄を普段より安価に解放
し、客寄せを行う。治療に来た怪我人が元気になり、目の前で売っ
ているたこ焼きを買う。美味いから噂になる、という寸法だ。
738
﹁仕掛けるのは勝負の五日前あたりからがいいでしょうね。集客勝
負開始の当日からでは口コミで店の情報がうまく広がらないわ﹂
﹁口コミ?﹂
﹁噂よ。う、わ、さ﹂
﹁どうしてだ?﹂
﹁初日に噂が広がっても、広がりきるのに四日、五日かかるでしょ
? そうしたら最終日前後でようやく集客が爆発するって案配にな
っちゃうじゃない﹂
﹁ほほう。早めに仕掛けておいて集客を前もってしておく、という
ことか﹂
﹁別に今から何かしちゃダメってルールじゃないからね。あくまで
も集客のカウントが一ヶ月後スタートってだけだから﹂
﹁お嬢ちゃん、なかなかのワルだな﹂
﹁勝負とは非情なものよ﹂
﹁だが治療院には肝心の治療士がいないぞ﹂
﹁ここで伸びているじいさんと私が治療するわ﹂
﹁このスケベじじいが?﹂
﹁この人、こう見えて白魔法士なのよ﹂
﹁なんと!?﹂
白と黒はレア適性。驚くのも無理はない。ましてや人の尻を触っ
て下ネタを言うじいさんだ。
じじいよ、キリキリ働いてもらうからな。
治療魔法の修行にもなるし、もってこいだろ。
﹁さらにポイントカードを作るわよ﹂
﹁ポイントカード?﹂
今度はコゼットが首をひねった。
739
﹁商店街で買い物をするとポイントが貯まるようにするの。スタン
プの数で景品が交換できるわ。たこ焼き店でポイントカードをもら
った客が、商店街の奥へと足を運ぶ理由づけね。景品交換所をこの
店かヒロシの店の前に設置しましょう﹂
﹁おもしろい! エリィちゃんは天才か?!﹂
ギランが高々と笑った。
﹁そうなの。わたしって天才なの﹂
﹁はははっ!﹂
﹁それでね⋮⋮。三人とも仲が悪いのはわかるけど、この勝負期間
だけは休戦ってことにしましょうよ。ねッ?﹂
俺の言葉を聞いた、ギラン、ヒロシ、チャムチャムはお互いを睨
みつける。
この三人がどうして嫌い合っているかはわからない。会話を聞い
ていると、きっと昔は仲が良かったのではないだろうかという予想
がつく。これをきっかけに関係が修復すればいいと思う。
見かねたアリアナが、喧嘩はめっ、と言い、その言葉を合図に三
人はぎこちなく握手をかわした。
﹁休戦だ﹂
﹁おうとも﹂
﹁この勝負期間のみ、だ﹂
○
740
そのあと、俺は商店街を見て回った。客としてではなく、営業と
して、ビジネスマンの目で視察する。
一言で言うならば﹁ひどい状態﹂だ。
アイキャッチがなけりゃ商品陳列にまったく意味を持たせていな
い。
ただ並べて、売れそうな物を前面に出すだけ。
これは店舗ごとにテコ入れが必要だな。
たこ焼きとおにぎりの準備にポイントカード、商店街のテコ入れ、
あとは治療院の改装。やることがありすぎる。人員の分配はギラン
にまかせ、細かいことは商店街の大人たちに丸投げし、俺は最小限
の動きで済むようにしよう。修行を投げっぱなしにはしたくない。
﹁ポカじいしか白魔法が使えないのは痛いわね。重症患者がきたら
どうしましょ⋮﹂
﹁ほっほっほっほ。エリィ、おぬしもう使えるぞぃ﹂
﹁え?﹂
酒を片手についてきたポカじいが、あっさりとそんなことを言う。
﹁白魔法じゃよ﹂
﹁何言ってるの。使えないわよ﹂
﹁基礎が終わってからまだ一度も試してないじゃろうが﹂
﹁それはそうだけど⋮⋮﹂
グレイフナーで何度詠唱しても魔法が発動しなかった。
それが今ならできるって?
741
﹁おそらく白の中級までいけるじゃろうな﹂
﹁中級までッ?!﹂
﹁上位の中級使用者は魔法学校でも一握り⋮﹂
アリアナが真面目な顔でおにぎりを頬張る。
﹁ちなみにアリアナ。おぬしも上位の黒魔法までいけるぞい﹂
﹁えっ⋮⋮⋮?﹂
驚きのあまり彼女がおにぎりを落としそうになり、俺があわてて
キャッチする。
﹁ほんとに? ポカじいウソついてないよね⋮?﹂
﹁ほんとじゃ。尻は触るが嘘はつかん﹂
俺たちは日が落ちて暗くなってきた西門から急いで外に出る。
門番が﹁夜はあぶないぞ﹂という警告をくれたので﹁すぐ戻るわ﹂
と叫んだ。
俺とアリアナは早速、上位魔法の詠唱を開始した。
742
第6話 イケメン、ルイボン、商店街︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重70㎏︵−1kg︶
﹃かんたん魔法早見表NEW﹄
炎
白 | 木
\ 火 /
光 土
○
風 闇
/ 水 \
空 | 黒
氷
下位魔法﹁光﹂﹁闇﹂﹁火﹂﹁水﹂﹁風﹂﹁土﹂
下級↓初歩
中級↓一般人・五人に一人は使える
上級↓魔法学校四∼六年レベル
上位魔法﹁白﹂﹁黒﹂﹁炎﹂﹁氷﹂﹁空﹂﹁木﹂
下級↓魔法学校六年生で十人に一人
中級↓才能がないと習得できない
上級↓できたら天才
超級↓名前が文献に載るレベル
上位複合魔法
下級・中級・上級・超級複合↓使える奴はこの世界にいないらし
743
い。なんか他にいそうだけどな。それと、俺が使ってる落雷がどの
レベルの複合なのかわからねえ。
▼
次回は新しい魔法を習得する予定です!
744
第7話 イケメン、アリアナ、上位魔法
夜の砂漠は冷える。
荒涼とした景色が月夜に照らされ水平線の向こうまで続いている。
をイメージした。
俺は意識を集中させ、何度も唱えて何度も失敗した白魔法の下級
再生の光
光魔法の上位である白魔法は使用者が少なく、光の適性者の中で
も習得できる人間はほんの一部。確率としては二十人に一人と言わ
れている。グレイフナー魔法学校の﹁ライトレイズ﹂クラスの人数
が毎年四十人前後ということを考えると、光魔法適性クラス一つに
つき、二人しか使えないという計算だ。
白魔法は効果が凄まじい。
中級では斬られた腕をくっつけたりできる。
上級では欠損部位がにょきにょきと生えてくるらしい。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
光魔法
下級・﹁ライト﹂
中級・﹁ライトアロー﹂
上級・﹁ライトニング﹂
白魔法
下級﹁再生の光﹂↓斬撃、やけどの治癒等。
中級﹁加護の光﹂↓切断直後の部位接着等。
上級﹁万能の光﹂↓欠損した部位の再生等。
745
超級﹁神秘の光﹂↓あらゆる事象の再生等。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
治療効果に浄化効果が付随するので、アンデッド系の魔物に絶大
な効果がある。
それこそ白の上級であれば、ボーンリザードを消滅させることが
できる威力を秘めているらしい。上位魔法の上級の使用者ともなれ
ば、二つ名が付くレベルで、様々な団体から引っ張りだこだ。しか
も白魔法は使用者が燦然と光り輝くため、派手で人気がある。
俺もできたら人気者だな。
ま、できれば、の話だが。
ポカじいが言うには俺はすでに白魔法の中級まで習得が可能との
再生の光
の呪文は﹃我、慈しみの心を持ち、光を受け、
ことだったが、果たして本当にできるのだろうか。
下級
愛する友に光を授けん﹄だ。
俺はゆっくりと呼吸をし、ポカじいが何度も唱えていた白く神々
しい白魔法を思い出す。魔力をへその中心から髪の毛、爪の先まで
しっかり循環させ、全身に魔力が巡る状態を作り出した。
﹁我⋮⋮⋮慈しみの心を持ち⋮⋮⋮⋮光を受け⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
湧き上がる魔力の本流を循環によって操り、暴走させないように
する。
746
以前は詠唱のこの辺で必ず魔力が寸断されてしまい、失敗して詠
唱が霧散した。
しかし、今は嘘みたいに楽だ。
これなら⋮⋮いける。
﹁⋮⋮愛する友に光を授けん﹂
魔力がどっと抜けていく感覚と共に、傷をつけておいた目の前の
サボテンが光り輝き、瑞々しい緑の表皮がビデオの逆再生ように塞
がった。
うおおおおおおっ!
思わず俺はレディらしくないガッツポーズを取ってしまった。
いや、エリィもそれほどに嬉しいってことだろう。普段、男っぽ
い行動をすると必ずエリィの身体が嫌がって淑やかな動作になるの
だ。それがないってことは乙女の動作を忘れちまうほど嬉しいって
ことだろう! きっとそうだ!
やった! やったぜエリィ!
上位魔法がついにッ!
クラリス! バリー! エイミー! みんな!
﹁やったわーーーーー!﹂
俺は嬉しさのあまりアリアナに飛び付き、次にポカじいに飛び付
747
いた。
突然の出来事にじじいは目を白黒させたが、ほっほっほっほっほ、
と親のように笑ってくれている。ただ、右手はしっかり俺の尻に添
えられていた。
﹁ほっほっほっほッピイ!!﹂
俺のビンタでじじいが錐揉み三回転し、ぶっ倒れる。
だがスケベじじいは何ともない表情で起き上がって笑顔でうなず
いた。
﹁おぬしが基礎訓練を頑張った成果じゃな﹂
﹁ええ。ありがとうポカじい﹂
﹁なあに。上位魔法なぞ序の口じゃぞい﹂
﹁わかってるわ!﹂
続いてアリアナがシャケおにぎりを飲み込んで気合いを入れると、
闇魔法の上位、黒魔法の詠唱に入った。
足を揃えて両手を広げ、目を閉じる。
集中しているのか、ふさふさの尻尾が時折思い出したかのように
揺れ、離れていてもわかるほど長いまつげが微かに動く。
俺は闇魔法と黒魔法の基礎を思い浮かべた。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
下位魔法・﹁闇﹂
下級・﹁ダーク﹂
748
中級・﹁ダークネス﹂
上級・﹁ダークフィアー﹂
上位魔法・﹁黒﹂
下級・﹁黒の波動﹂
中級・﹁黒の衝動﹂
上級・﹁黒の激動﹂
超級・﹁黒の重圧﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
黒魔法は精神と重力を司る魔法だ。
下級・﹁黒の波動﹂は小規模の闇が発生し、精神を不安定にする。
中級・﹁黒の衝動﹂は中規模の闇が発生し、精神を異常にさせる。
上級・﹁黒の激動﹂は大規模の闇が発生し、精神を崩壊させる。
超級・﹁黒の重圧﹂は精神を掌握する。
すべての魔法に重力干渉が不随する。
これだけ見るとやばそうだが、魔法を食らっても精神訓練をして
いれば問題なく処理できるそうだ。例えば下級﹁黒の波動﹂は精神
を不安定にするが、同レベルの魔法使いにはあまり効果がない。
ただ、ポカじいは上級まで使えるそうで、格下の俺たちに上級・
﹁黒の激動﹂を使用した場合、半日ほどパニックを起こす症状が出
ると言っていた。一般人や魔力が弱い人間に使用した場合、効果は
文字通りで元の人格を保っていられないような精神崩壊を呼び起こ
す、とのこと。
いや、まじでこええよ。
さらに基礎魔法から派生する魔法が非常に強力で、重力を使った
攻撃が相当にやばい。
749
グラビトン
重力
、ぶつか
電衝撃
インパルス
、超重力で押しつぶす中級
グラビティハンマー
など。
は俺が
グラビティキャノン
重力砲
重力槌
重力弾
グラビティバレット
下級の派生魔法である重力負荷を対象にかける
グラビティコフィン
、超重力で殴りつける
っただけで相手を吹っ飛ばす
重力棺桶
ボーンリザードが唱えた中級の派生、
で相殺したからよかったものの、もしあれを食らっていたら重力
に引き寄せられ粉々になっていたらしい。いやーほんと落雷魔法さ
まさまだな。
アリアナの父親は黒魔法の中級まで使えたそうだ。
そりゃ決闘をしたガブリエル・ガブルってクソ狼人も奥さんを人
質に取りたくなるってもんだろう。炎、氷などのわかりやすい強力
で動きを封じられ、他の魔法で攻撃されるという最悪コンボ
な攻撃魔法と黒魔法を併用されたら対応するのが相当にきつい。
グラビトン
重力
が容易に想像される。
黒の波動
の呪文は﹃魂なき操り人形は
とはいっても全くガブガブには共感できない。卑怯で卑劣な奴は
許さん。
ちなみに黒魔法、下級
貴方の記憶を観測し暗雲に迷える物を記録せん﹄だ。超恥ずかしい
な。日本で唱えたらめっちゃイタい奴だ。異世界全力フルスロット
ルって感じだよな。
と、俺が考えている間にアリアナがくわっと目を見開き、詠唱を
始めた。
どうやら杖なしでやるようだ。
練習の成果でアリアナも杖なしで魔法が使えるようになっている。
問題ないだろう。
750
﹁魂なき操り人形は⋮⋮⋮⋮貴方の記憶を観測し⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
が発動した。
アリアナの顔が苦悶にゆがむ。相当に魔力操作が難しいみたいだ。
頑張れアリアナ!
声に出さずエールを送るぜ。
いけ! ぶっ放せ!
﹁暗雲に迷える⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
狐耳がピンと上がり、尻尾が逆立つ。
もうちょいだ。いける。いけっ!
﹁物を⋮⋮⋮記録せん﹂
うおおおおおっ!
黒の波動
全部詠唱した! いけたか!?
数秒の間があり、黒魔法下級
アリアナを中心とした一帯だけ鉛筆で塗りつぶしたかのように闇
が濃くなり、彼女の姿が瞬間的に見えなくなる。なんだか漠然とし
た不安に包まれるのは黒魔法のせいだろうか。
751
試しに、俺は気持ちを強く持った。
俺は天才、俺ならできる、俺はイケてる男、俺は最強の男。
スーパーイケメン営業小橋川。アーイェオーイェ俺テンサイ。
大事な商談やプレゼンの前に唱える言葉。自己暗示をかける。
すぐに漠然とした不安はかき消えた。
やはり黒魔法は気持ちを強く持たないと精神的に参ってしまうよ
うだ。疲労困憊のときやフラれた瞬間とかにやられたらやばそうだ
な。まあ俺がフラれるってことはないが、スルメとかスルメとか、
あとスルメとか、フラれたとき要注意だな。念のため会ったらあい
つに教えてやろう。
しばらくすると、闇は消え、砂漠の夜空に照らされたアリアナが
こちらにやってきた。稀に見る満面の笑みだ。余程嬉しかったのだ
ろう。
きゃ⋮⋮きゃわいい。
﹁エリィ⋮!!!!﹂
尻尾を振ってアリアナが俺に飛び付いてきた。
﹁やったわねアリアナ!!﹂
﹁うんっ。うんっ!﹂
﹁これでお父様に一歩近づいたわね﹂
﹁うんっ! エリィのおかげ⋮⋮!﹂
﹁二人で修行頑張ったからね。砂漠を延々と走りながら魔力循環⋮
⋮思い出しただけで吐きそうよ﹂
﹁ポカじいも⋮ありがとっ⋮!﹂
752
﹁ほっほっほっほっほ。さあわしの胸に飛び込んでおいで﹂
ポカじいがスケベな顔をして両手を広げている。
アリアナはじっと見つめると、小さな声でこう言った。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮やっ﹂
﹁うっ!﹂
スケベじじいは可愛い子に拒否される、という精神ダメージを負
い、心臓を押さえてうずくまる。スケベ心がなければアリアナも抱
きついたんだけどな。
﹁なんじゃろう、この胸の痛みは⋮﹂
﹁自業自得よ﹂
﹁わしは嬉しいんじゃよ! 孫のような可愛い弟子が成長してのぉ
! 少しぐらいええじゃないか!﹂
﹁エッチなこと考えてたでしょ!﹂
﹁どさくさに紛れてアリアナの小さい尻⋮⋮いや、わしは何も考え
とらん!﹂
﹁ポカじい⋮えっちなことは⋮⋮めっ﹂
冷たい表情でアリアナに怒られ、しゅんとするスケベじじい。
どうせ五秒で復活するんだが。
尻
﹁わしは尻のすべてを知りたいッ!﹂
じじいは二秒で立ち上がった。
﹁ほっほっほっほ。二人とも上位魔法習得おめでとう。これでよう
やく新しい魔法の世界へ踏み出せるな﹂
753
﹁なんで急に真顔でそれっぽいこと言うのよ。調子が狂うわ﹂
﹁ん⋮⋮﹂
﹁締めるところは締めんとな。尻の筋肉と一緒じゃ﹂
﹁ちょいちょい下ネタ挟むのほんとやめて﹂
﹁えっちぃのは⋮⋮めっ﹂
﹁ほっほっほっほっほ。よいか二人とも、下位魔法と上位魔法には
隔絶した威力と効果がある。使い方を間違えば簡単に人を不幸にす
ることができ、正しく使えば素晴らしく有用で大切な人を守る力に
なるじゃろう。おぬしたちなら大丈夫であろうが、魔法の使い方、
魔法使いとしてのあり方について、これから一生向き合っていかね
ばならん。肝に銘じるのじゃぞ﹂
俺とアリアナはじいさんの言葉を受け止めて、飲み込んだ。
そして姿勢を正して返事をした。
﹁はい!﹂
﹁はい⋮!﹂
ポカじいは久々にいいことを言った。
確かに強くなることは大事だ。しかしどうやって自分の力を使う
か、これは重要だ。ビジネスマンの中でも自身の力に溺れ、人を騙
して金を稼ぐ奴らもいる。そういう奴らは大抵目が濁っていて笑顔
が不自然だった。俺のような営業畑出身の人種や、観察眼に優れた
人事部、数多の職種を見てきた総務部の奴など、デキる男達は、そ
ういった悪意に染まった種類の男を見るとほぼ百パーセント嫌悪感
を抱く。
半端なビジネスマン、信念のない営業マンは奴らにころっと騙さ
れてしまう。あいつらは狡猾で自身の悪意を消すことに長けている
が、ほとんどの場合、吟持はない。ただ醜いだけだ。
754
ポカじいは俺たちにそういった魔法使いになってほしくないのだ
ろう。
大丈夫。俺は大事な人を守るために強くなると決めた。それが男
ってもんだろ、じいさん。
﹁特にエリィには注意したいことがある﹂
﹁なに?﹂
﹁もう少しでいいんじゃが、あのバチバチ攻撃を弱くしてくれんか
のぉ⋮﹂
﹁お尻を触らなければしないわ﹂
﹁いや、それは無理じゃな﹂
なぜか睨み合う俺とポカじい。
ヒュウゥゥッ︱︱
砂漠の荒野に風が吹く。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁交渉決裂ね﹂
﹁尻裂となッッ?! もう尻は割れておろうに! ぱっくりと! ぱっくりとなッ!﹂
﹁⋮⋮スケベじい。電気ショックを一発お見舞いして差し上げまし
ょう﹂
﹁ふえぇ?! ちょっと待ってくれぃ。なぜじゃ?!﹂
755
﹁せっかくいい話してくれたのに台無しよ。私の感動を返してちょ
うだい﹂
身体強化
をして反復横跳びを始めた。
﹁⋮残念じゃがエリィよ、わしを捕まえられるかのぉ﹂
じじいはこともあろうに
巻き起こるじじいの無限残像。
俺とアリアナの周りにポカじいが十人現れた。
﹁ほっほっほっほっほっほ。ほれエリィ、わしを捕まえてみい﹂
こんなこともあろうかと、俺は今まで使っていなかった奥の手を
使うことにした。
大きく息を吸い込んで、俺は叫んだ。
﹁見てポカじい! なんてキレイな桃尻でしょう!﹂
﹁なにぃ!? どこじゃあ!﹂
﹁あそこよ! あそこ﹂
立ち止まって、俺の見ている方向へと目をこらすポカじい。
完全に棒立ちだ。
俺はぐっすりと眠っているペットに毛布をかけてやるように、そ
っと彼の手を握った。
﹁エリィ、どこにおるんじゃ桃尻は!﹂
﹁いないわ。見間違いだったの﹂
ケツレツ
ケツレツ
じゃよ﹂
をやってくれる桃尻女子かもしれんじゃろ!?﹂
﹁そんな! わしが夢にまで見ている尻の上にオムレツを乗せる料
理
﹁え? なぁにその夢?﹂
﹁尻の上にオムレツを乗せる夢のような料理
﹁あのー、ちょっと意味がわからないんだけど⋮﹂
756
﹁だーかーらぁー、ぷりんぷりんの尻の上にじゃな、あつあつのオ
エレキトリック
ムレツを乗せて食べるという尻ニストの夢︱︱﹂
﹁電打!!!!!!!!﹂
﹁ケツケツケツケツケッッッツレレレレレレレレレレレツゥゥゥッ
ッピ!!!!!﹂
変態スケベじじいは黒こげになって夜の砂漠にぶっ倒れた。
その下にアリ地獄が現れて、じいさんの残骸をサラサラと飲み込
んでいく。
ヒュウゥゥッ︱︱
砂漠の荒野に風が吹く。
﹁下品はいやぁね本当に﹂
﹁おげひんは⋮⋮めっ!﹂
○
﹁ということでじゃ﹂
﹁ということでじゃ、じゃないわよ! 本当に下品ねあなた!﹂
﹁まあまあ、柔らかい尻で固いこと言うでない﹂
757
﹁ちょいちょい下ネタ挟むのほんとやめて﹂
﹁⋮⋮⋮めっ!﹂
武
身体強化
合間を縫って
﹁これからは
という三つを行っていくからの。商店街の問題もあ
新しい魔法の習得
器攻撃の練習
るが、手は抜かん。よいな﹂
﹁もちろん!﹂
﹁うん⋮!﹂
﹁それからエリィが基礎修行の最中に言っていた孤児院の子どもの
件じゃが、探すのは相当に骨じゃぞ﹂
﹁どうして? ポカじいの魔法でどうにかならないの?﹂
水晶で映像を見れるということを知って、俺は孤児院の子どもた
ちが売られてしまったという謎の訓練施設を見つけられるのでは、
と思いポカじいに話していた。だが、そう上手くいかないようだ。
なんだよ。ぱーっと魔法で調べてくれよ。
﹁おかしな波動の魔力やとびきり強い魔力なら遠くまで感知できる
がのぉ、そういったヒントなしの場所や人物を見つけるのは無理じ
ゃぞ。それこそ砂漠の中から一粒の砂を見つけるようなもんじゃ﹂
言われてみればノーヒントで探すのは無理があるな。
インターネットの地図を地道にマウスで動かしつつ拡大縮小を繰
り返して、それっぽい建物を探す。その作業を水晶でするってこと
だ。パソコンでやれって言われても絶対いやだな。ましてや水晶で
そんなこと長時間やったら魔力が減って疲れるだろう。つーか見つ
けられる気がしねえ。
﹁はぁ∼そう全部がうまくいくってことはないのね﹂
﹁ま、そういうことじゃの。もちろんかわいい弟子のためじゃ。時
間があるときに探してみるがの﹂
758
﹁ポカじい⋮ありがとう﹂
﹁その代わり﹂
﹁お尻は触らせないわよ﹂
﹁おぬし⋮人の心が読めるのか?﹂
﹁それぐらいわかるわよこのスケベッ!﹂
身体強化
○
こうして
の修行が始まった。
新しい魔法の習得
攻撃の練習
大体の一日の流れはこうだ。
合間を縫って
武器
朝起きてご飯を食べ、アリアナのおにぎりをにぎり、魔力循環を
しつつポカじいの家からランニングでオアシス・ジェラへ向かう。
ざっと四十キロを二時間。オリンピック選手もびっくりのタイム。
これやばくね。軽く地球の最高レベルを越えてきた気がする。
あと鼻歌まじりで走りながら魔力循環を注意してくるじいさんや
べえ。
おにぎりを食べてるときだけ循環を乱さないアリアナのおにぎり
への愛がやべえ。
九時頃﹃バルジャンの道具屋﹄でシャワーを借りてさっぱりし、
ガンばあちゃんの肩を揉み、コゼットとジャンジャンと合流する。
そのまま虎人のギランがいる﹃ギランのケバーブ﹄へ向かって一日
の打ち合わせをし、各商店街の店を回って陳列やポップの書き方、
接客方法を教えていく。
759
最初、俺のようなぽっちゃりの小娘が言うことなんてきけるか、
と反発する人が多かったが、ギランが率先して自らの店を改良して
くれたおかげでハードルが下がった。そして俺の指示通り店を直す
と物凄く見栄えのいい店になると評判になり、あっという間に不満
の声は上がらなくなった。ふふ、この辺は天才だよな。
めっちゃ楽しいな、小型店舗営業めぐり。しかも色んな業種を体
験できる。
武器屋、防具屋、鍛冶屋、桶屋、パンに似たナンっぽい食べ物の
店、小物アクセサリ屋、魔道具やポーション販売店、揚げ物屋、八
百屋、絨毯屋、ラクダ販売兼貸しだし屋、宿屋、カフェ、レストラ
ン、本屋、などなど。
異世界で異国情緒あふれる砂漠の町。
砂のレンガでくみ上げられたもろそうに見えて実は頑丈な建造物。
ヴェールを被る小麦色の肌をした女達。
戦争中ということを思い出させる傷ついた帰還兵。
ときおり吹く、湿気の少ない乾いた風。
そんな町で懸命に店のコーディネートをするぽっちゃり系の俺。
ファンタジー。まさにファンタジー。
俺は持ちうる限りの知識を使って商店街を売れる店にする努力を
した。
こういった店舗改革に魔法は存在しない。できることをできる範
760
囲で、手持ちの商材を把握し、出し方と見せ方を工夫しつつ地道に
データを集めていく。俺は各店舗に何時に何が売れた、などのデー
タを取ってもらうことにした。異世界はデータが少なすぎる。一ヶ
月での効果は期待できないだろうが、一年、二年と続けていけば必
ず商店街の財産になるだろう。
俺がいなくなってからもこの商店街は続いていくのだ。できる限
りのことはしてあげたい。
こうしてエリアマネージャーのように一日に三、四店舗の店をコ
ーディネートすると時間は夕方の四時か五時になる。西門の外で二
時間ほどみっちり訓練をし、﹃バルジャンの道具屋﹄でコゼット、
ジャンジャン、俺、アリアナ、ポカじい、ガンばあちゃんの六人で
晩ご飯を食べる。たわいもない話をしたり、途中で商店街の人がや
ってきたりして、わいわいと食卓を囲む。
そうして夜の九時に﹃バルジャンの道具屋﹄を出る。
西門から砂漠の荒野に出て、魔力循環をしながら四十キロを走っ
て帰ると時刻は十一時だ。
俺とアリアナは眠くてふらふらしながらお風呂に入ってすぐに寝
る。
朝起きてマラソンをし、コゼットとジャンジャンと合流して、商
店街の店をコーディネートし、きつい訓練を終え、商店街の人々と
夕食を食べ、マラソンをして帰宅する。
761
こんな日々が三週間続いた。
いよいよ今日は最後の店舗をコーディネートする。
長いようで短かった三週間。
商店街勝負まであと七日。
たこ焼きとポイントカードの準備も滞りなく進んでいる。
治療院格安解放大作戦決行の二日前。
俺たちがマラソンで西門にたどり着くと、門の手前で変な髪型の
女子がふんぞり返って腕を組み、こちらを睨んでいた。
﹁待ちくたびれたわよ小デブ⋮⋮ってあんた痩せたわね!?﹂
ルイボン14世が俺を見て驚きの声を上げた。
762
第7話 イケメン、アリアナ、上位魔法︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重64㎏︵−6kg︶
763
第8話 イケメン、コゼット、静かな夜に
﹁待ちくたびれたわよ小デブ⋮⋮ってあんた痩せたわね!?﹂
ルイボン14世が俺を見て驚きの声を上げた。
﹁そうかしら?﹂
﹁頬の辺りとか、目元の肉とか落ちてるじゃない!﹂
最近、忙しすぎてちゃんと鏡を見ていない。いつもアリアナに髪
型と顔のお手入れをしてもらってるからな。じいさんがニキビに効
きそうな薬を買ってきてくれるし、肌の調子がいいのはわかってい
たが⋮⋮まさかルイボン14世に痩せたわね、と言われるとは思わ
なかった。
﹁私、痩せた?﹂
﹁うん⋮﹂
アリアナがこくりとうなずく。
﹁お目々が前より大きく見える⋮⋮かわいい﹂
﹁まあ! ありがとう!﹂
俺は嬉しくてアリアナを抱きしめ、これでもかと狐耳をもふもふ
した。
気持ちよさそうに目を細めるアリアナ。
﹁ま、まあそんなことはいいわ﹂
764
仕切り直し、とルイボン14世がわざとらしく咳払いをする。
﹁よーく聞きなさい小デブ! 見たところ西の商店街はちょっとば
かし小綺麗になったようだけど私たち東の商店街には勝てないわよ
!﹂
﹁ふぅーーん﹂
﹁な、なによその余裕の表情は﹂
﹁知っているのよ、あなたたちがどういうキャンペーンをやるのか
ね﹂
﹁きゃんぺーん?﹂
﹁当ててあげましょうか? あなたたち東の商店街がどうやってお
客さんを集めようとしているのかをね!﹂
﹁ばかおっしゃい! 私の崇高な作戦があんたごとき小デブニキビ
に分かるわけないでしょ!﹂
﹁髪型トルネードの考えることなんてお見通しよ﹂
﹁きぃーーーーーっ! 誰が髪型トルネードよ! じゃあ当ててご
覧なさいよ!﹂
﹁どうせあれでしょ、一週間のセールでもやるんでしょ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ち、ちがうわ﹂
動揺を隠せないルイボン14世。マスカラをたっぷりつけたまつ
げが何度も瞬き、小さなお口がへの字に歪む。後ろに控えていた付
き人の一人から扇子をふんだくって激しく扇ぎはじめた。
そういやルイボン14世は何歳なんだろうか。みたところ十七、
八ってとこだが⋮ま、いいか。
﹁んん∼? 違うのぉ?﹂
俺はわかっていない振りをしてわざとらしく聞いた。
765
別に嫌味ではなく、相手の心を乱す作戦だ。
﹁一週間のセールを商店街全体でやるんじゃないのぉ?﹂
﹁きぃーーーーーーーーーーーーっ!!!!!﹂
ルイボン14世が悔しそうに歯がみして扇子を地面に叩きつけた。
後ろにいた付き人の女性があわてて拾う。
﹁私ぐらいの経験があれば簡単に予想がつくわ﹂
﹁ふ、ふん! まぐれ当たりでしょ⋮騙されないわ! 私だってお
父様から東の商店街を任されているんだからね! 最初やれって言
われたとき全然できなかったけど、いまは色々考えて︱︱﹂
実は﹃東の商店街﹄に親戚がいる我が商店街の宿屋店主に頼んで、
情報を吸い出してもらっていた。簡単にいうとスパイだな。
宿屋店主の話によると、﹃東の商店街﹄の面々はルイボン14世
のわがままでセールをやることに辟易しており、できることならや
りたくないらしい。それもそのはず、戦争の最中に商品の割引をす
るなど店にとっては自殺行為だ。流通が戦争のせいで変わり、仕入
れ先や物量、輸送費など様々な差異が出て、赤字の店舗もあるだろ
う。商品の入荷に苦労している店舗も多いはずだ。値段を上げこそ
すれ、下げるのはいかがなものかと。
オアシス・ジェラの住民にとってはありがたいかもしれないが、
まあそれも一時の喜びにしかならない。
セールをやるって作戦なら領主権限で補助金を出し、大店を中心
に恩を売っておくのがベターだと思う。その頭はルイボン14世に
はないようだ。セールをやりなさい、の一言だけを伝え、あとは﹃
東の商店街﹄の大店である﹃バイマル商会﹄の当主にすべてを丸投
766
げしたらしい。
まとまった権限を与える丸投げ行為は悪い事じゃない。ただ、そ
れはしっかり経営側に意図があってこそ成り立つもので、今回はた
だの思いつきだ。﹃東の商店街﹄が今回の勝負で一週間セールをや
ることは、悪手、だな。もっと違うタイミングでやるべきなんだろ
う。
そう、それこそ戦争がもっと長引いて国が疲弊したときにやれば、
好感度の急上昇を狙える。商店街の慈善事業だ。後々、国に功績が
残るように演出すれば、町民からの信頼も増すであろう。だがその
場合リスクヘッジのコントロールが難しいな。一時的なダメージは
避けられないだろうし、その後、施策のせいで会社、いや、店が資
金難になる可能性がある。好感度アップのイメージ戦略よりも実利
を取った方がいいのかもしれない。となると︱︱
﹁エリィ、エリィ⋮﹂
袖を引っ張られ、我に返った。
久々にビジネスモードになっちまった、いかんいかん。
見るとアリアナがコンブおにぎりを食べながらルイボン14世を
指さしていた。
﹁あんたねぇ! 人の話聞いてるの?!﹂
﹁ごめんなさい聞いていなかったわ。続けてちょうだい﹂
﹁何を偉そうに!﹂
﹁あらいけない。もうお店に行く時間だわ。それじゃルイボン14
世、ごきげんよう﹂
﹁ちょーっと待ちなさいよ! まだ話は終わってないわ!﹂
﹁セールをやるんでしょう? お互い頑張りましょう﹂
﹁ぐぅっ⋮⋮⋮⋮﹂
767
﹁あ、そうだ。大事なことを忘れていたわ﹂
俺は西門の付近に集まり始めていた野次馬の中にいた、ギラン、
ヒロシ、チャムチャムの獣人三人組に書類を持ってきてもらった。
そこには先週の﹃西の商店街﹄集客数が書かれている。集客増加率
勝負なのだから、現在の集客数が必要だ。
﹁はいこれ﹂
﹁私としたことがニキビに気を取られて忘れていたわ。アレを出し
てちょうだい﹂
ルイボン14世が付き人に言うと、ギャザースカートにヴェール
を羽織った砂漠っぽい服装の女が用紙をこちらにもってきた。
受け取って、アリアナと一緒にのぞきこむ。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹃東の商店街﹄集客数
月 7023人
火 7689人
水 6875人
木 7111人
金 7980人
土 9566人
日 10560人
平均 8114人
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
この人数は商店街を訪れたひとではなく、商店街の店舗を利用し
768
た人数だ。
計数
カウント
という地味で使えない扱いをされている
ただ商店街を通過した人はカウントされていない。
風魔法の上級に
計数
カウント
してくれる魔道具を各
魔法がある。その応用で作られた﹃計数計算ボックス﹄という、設
置すると通過した物や人を感知して
店舗に置いた。不正がないよう東と西の代表者が立ち会いのもと行
っている。
店がむきだしになっている持ち帰り専門の露店にも﹃計数計算ボ
ックス﹄は設置できる。一定時間立ち止まった人間の魔力を探知し、
カウントするように設定できるらしい。
めっちゃ便利っしょこの魔道具。
地球にあったらバカ売れする。間違いない。
﹁おーっほっほっほっほっほっほ!﹂
ルイボン14世が﹃西の商店街﹄の集客平均を見て高々と笑った。
人数が少ないから笑っているらしい。
彼女は渡された用紙をこちらにわざわざ見えるように突き出し、
ふふんと得意げに笑った。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹃西の商店街﹄集客数
月 523人
火 501人
水 476人
木 609人
金 599人
769
土 679人
日 460人
平均 549人
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
日曜が少ないのは冒険者が西門から狩りに出かけないからだ。
さすがに異世界でも日曜は休もうぜって感じか。
﹁こんなに少ないんじゃどう頑張っても勝てないわね! 西の商店
街の取り潰しはもう決まりかしら!﹂
﹁⋮いちお言っておくけど集客増加率だからね﹂
﹁え? なぁにそれ?﹂
やっぱりわかってなかったか⋮。
全然あかん!
俺は親戚の子どもに数学を教えるように、懇切丁寧に増加率をル
イボン14世に教えてやった。理解が進むにつれて顔がゆがむルイ
ボン。どうやら彼女も不利な勝負になっていることをやっと悟った
らしい。
﹁ま、まあ! こんなね! さびれた商店街に! 人なんてこない
わよ!﹂
﹁勝負は勝負だからね。逃げないでちょうだい﹂
﹁この私が逃げるわけないでしょう! このデブ! 小デブ! デ
ーブデーブ!﹂
﹁ふん、何とでも言うがいいわ﹂
﹁ニキビデブ! ニキビ小デブ! お肉ぜい肉ッ!﹂
﹁せいぜい頑張るのね⋮﹂
770
﹁ニキビピッグー! ニキビおもち! ニキビスコーピオン! ニ
キビコヨーテ! ニキビオーク! ニキビゴブリン! ニキビスプ
ラッシュ!﹂
ルイボンは俺がそこそこ痩せてしまったので、デブコールからニ
キビコールへシフトしたらしい。
いや、だからって⋮⋮
言い過ぎだろ?
どんだけこのニキビを俺が気にしてるか知ってんのか?
ああん?
﹁ニキビケバーブ! ニキビニキビ! ニキビニキビニキビ! ニ
キビ小デブ! このニキビーーム!﹂
もー我慢の限界だッ!
﹁これでもねぇぇぇぇ! 半分減ったのよぉぉッ! この人間砂上
の楼閣ッッ!!﹂
﹁なんですってぇ! 私のどこが砂上の楼閣なのよぉ!﹂
﹁全部よ全部! その髪型とまぬけさとお金かけただけのメイクと、
ぜんぶッ!﹂
﹁私の専属メイドはメイクすんごい上手いんだからねえぇ!﹂
﹁それでその顔っ!? 涙が出るわ!﹂
﹁濃いのが好きなのよ私は! あんたなんかただのすっぴんでしょ
うが!﹂
﹁うるさいわね! メイクはお肌に良くないのよ!﹂
﹁ニキビを気にしてるんでしょ! このニキビ魔神ッ!﹂
﹁なによ髪型一発屋!﹂
﹁うるさいニキビだんごむし!﹂
﹁脳天ハッピー!﹂
771
﹁ニキビチェインメイル!﹂
﹁失敗パーマバイオレンス!﹂
﹁ニキビシャークテイル!﹂
﹁ヅラ?! それはヅラなの?!﹂
﹁ヅラなわけないでしょ!﹂
﹁ってぐらい変な髪型ッ!﹂
﹁むきぃーーーーーーーーーーっ!﹂
﹁なによぉーーーーーーーーーッ!﹂
﹁せいぜい自分の勝利を信じておくのね! 絶対に負けるけど!﹂
﹁今のうちに負けた言い訳を考えておくのね!﹂
﹁うるさいうるさい! あんたのニキビ見てると胸焼けがするわ!﹂
﹁あなたの髪型見てると汗が出てくるわよ!﹂
﹁きぃーーーっ!﹂
﹁なによぉーー!﹂
﹁ぷん!﹂
﹁ふん!﹂
俺とルイボン14世は顔を背け合った。気づけば周囲に野次馬が
わんさか集まっている。
彼女は群衆を蹴散らし、大股で去っていく。
途中振り返って﹁ニキビばら肉ーーーーーっ!﹂と叫んできたの
で﹁おバカ髪型ボンバイエーーーーーッ!﹂と叫び返す。ついでに
﹁私が勝ったら髪型変えてもらうわよーーー!﹂と言うと﹁やれる
もんならやってみなさぁーーーい!﹂と返事がきた。
よし、俺が勝ったらラーメ○マンみたいな髪型な。
○
772
アリアナの狐耳
をもふもふして怒りを鎮め、
沈静、沈痛、解熱、肩こり、リウマチ、関節痛など人類すべての
症状に効果がある
コーディネート最後の店舗﹃魔道具・ポーションの店カッちゃん﹄
に来た。
店主は人の良さそうな人族のおっさんで、にこにこ笑っている。
魔道具や薬草の匂いが混ざった独特の臭気が鼻につく。だがそれも
不快ではなく、店の演出になっていた。この匂いを嗅ぐとこの店に
来たんだな、って思わせるような心地のいい香りが漂っていて、店
内になんともいえない雰囲気が充満している。こだわりの品々を置
いた小綺麗な雑貨屋、と言えば分かりやすいかもしれない。
ちなみに店主の名前がカッチャンなのだそうだ。覚えやすい。
俺はまず店を褒めて、店主の説明をひたすら聞く。
自分の店にこだわりがない店主などいないのだ。相づちや合いの
手、上手く質問を挟み、どんどんしゃべってもらう。相手がどうし
たいのか、ニーズを引き出し、それに見合った内容のアドバイスを
するため、とにかく俺は話を聞いた。
商品の説明から、どうして店をオープンしたのか、奥さんとの馴
れ初めまで聞いたところで、冒険者らしき三人組が店内をちらっと
覗いて、店には入らずそのまま素通りしていった。おそらくこれか
ら砂漠へ魔物狩りに行くのだろう。何も買わなかったのはすでに道
具が揃っているからに違いない。
俺はそれを見てピンときた。
﹁いま、店の入り口には何を置いてるの?﹂
773
﹁入り口には良く売れる魔力ポーション、疲労回復剤、マンドラゴ
ラ強壮剤、あとはランタンの魔道具なんかだよ﹂
﹁定番といえば定番って感じよね?﹂
﹁そうだね。どこの店でも売れる商品さ﹂
﹁ねえ、冒険者はだいたいいつも朝、西門から出て行くのよね。そ
のときって何を買っていくの?﹂
﹁うーん、さっき言った必需品だよ﹂
﹁ということは、行きはたまに売れるけど、狩りから帰ってくると
き必需品はほとんど売れないわよね﹂
﹁そうだねぇ、帰りに魔力ポーションやランタンを買っていく冒険
者はいないね﹂
﹁じゃあ朝と夕で、入り口の商品を替えましょう﹂
﹁替える?﹂
開店から三時までは冒険の必需品であるポーション、傷薬、疲労
回復剤、消耗品など。
三時から閉店までは冒険後に必要である、汚れ落としの魔道具、
疲労蓄積防止剤、すぐに飲める冷えた栄養剤など、魔物との戦いで
疲れた冒険者達が欲する商品を置く。魔道具や便利グッズの置いて
いる店を通過する際、ちらっと見てしまうのは危険な冒険者家業な
ら当然だろう。その、ちらっ、と見たときにニーズに合った商品が
あったら買ってもらえる確率が大いに上がる。
﹁それはいいアイデアだエリィちゃん! ああ、どうして気がつか
なかったんだろう!﹂
カッチャンは大いに興奮し、早速準備を始めた。
あとは地球と違って店頭に商品を置くと高確率で盗られてしまう
ため、オススメ商品を目にとまるよう手書きポップで説明し、さら
に新商品入荷リストを黒板に書いて毎日更新する、というアイデア
774
を二人で出し合い、それも実行することにした。
そうこうしているうちにお昼を過ぎていた。
てっぺんにのぼった太陽が砂漠の町を照らしている。この時間が
一番暑い。
﹁エリィちゃん、お昼ご飯食べていくかい?﹂
﹁うーん嬉しいけどコゼットとポカじいが用意してくれているの﹂
﹁そうかい。僕にも子どもがいれば君ぐらいの年だったんじゃない
かと思ってね⋮。じゃ、また店の様子を見に来ておくれよ!﹂
﹁ええ、もちろん!﹂
﹁あと狐のお嬢ちゃんにはこれをあげよう﹂
﹁なに⋮?﹂
俺にくっついて話を聞きながらずっと魔力循環の訓練をしていた
アリアナが首をかしげる。カッチャンが渡したのはペロペロキャン
ディーみたいなお菓子だった。
﹁セラー神国のお菓子なんだって。この前来た冒険者がくれたんだ﹂
﹁くんくん。甘いにおい⋮﹂
アリアナはちっちゃい口でキャンディーをぺろぺろしはじめる。
狐耳の美少女が一生懸命アメを舐める。
癒しだな。癒し効果抜群だ。
﹁あまい⋮⋮エリィも舐めてみる?﹂
こてん、と首をかしげてアリアナがキャンディーを俺の口元に寄
せる。
そんな可愛くされたら誰も断れないよな、うん。もちろん俺も舐
775
めた。
これは⋮⋮⋮ペロペロキャンディーの味とまんま一緒じゃねえか。
○
ルイボン14世に遭遇する事件はあったものの、商店街すべて、
五十二店舗のコーディネートは終わった。いやー三週間みっちりか
かったもんなー。やりきったぜ!
あとはどのぐらい効果が現れるか経過待ちだ。
俺とアリアナは暑い陽射しの中﹃バルジャンの道具屋﹄に戻った。
﹁おかえり∼﹂
気の抜けたのほほんとしているコゼットの声がし、エプロンをは
ずしながら玄関にやってきた。その後ろからジャンジャンもやって
くる。
﹁新婚の夫婦みたいね、ふたり﹂
﹁え、え、え、え⋮﹂
﹁なはぁっ! 急に何を言うんだよエリィちゃん!﹂
﹁見たままを言っただけよ。ね、アリアナ﹂
﹁うん⋮﹂
赤い顔をしたコゼットとジャンジャンを食い入るように見つめる
アリアナ。
776
﹁そんなことあるわけないよぉ!﹂
﹁そ、そうだぞぅ!﹂
コゼットがにやにやを隠しきれず、丸めたエプロンで俺の肩を叩
いた。ドクロのかぶり物がカタカタと揺れる。
対するジャンジャンは長いもみあげをいじくりまわして、がっか
りした顔で叫んだ。
ジャンジャンどんだけ恋愛ベタなんだよ。気づけよ。この反応、
もうオールオッケーじゃねえか!
表面の言葉に踊らされるな! コゼットは恥ずかしがっているだ
けだ!
もうずっとこんな調子だもんな。ちょいちょい二人をくっつけよ
うと商店街での役割分担が被るようにしてあげているんだけど⋮ジ
ャンジャン、男を見せろやまじで。
﹁はあ、まあいいわ。ご飯食べましょ﹂
﹁うん⋮﹂
○
俺とアリアナ、ポカじい、コゼット、ジャンジャン、ガンばあち
ゃんのいつものメンバーで昼ご飯を食べた。
ちなみに﹃バルジャンの道具屋﹄だけは店のコーディネートを一
切していない。コゼットが泣くほど嫌がったからだ。あれはちょっ
と普通じゃなかった。絶対このほうがいい、と言い張っていたが、
あれは何か他に理由がありそうな様子だった⋮。
777
﹁ねえねえエリィちゃんこれ見てッ﹂
﹁なあに?﹂
﹁じゃーん﹂
コゼットが得意げな笑みを浮かべて、手に持っていた服を広げた。
﹁それはッ!﹂
﹁どう? これをみんなで着るの﹂
服に袖を通し、コゼットはくるりと一回転する。
かぶり物のドクロがカタンと鳴り、服がふわっとなびいた。
それはまさしく⋮⋮。
﹁法被じゃないの!﹂
﹁はっぴ?﹂
コゼットの着ている上着は、縁日なんかでよく着ている祭の定番
アイテム﹁法被﹂を薄手のヴェールで改良したものだった。普通、
法被は綿の生地でしっかりと縫製されているが、コゼットの作った
ものは砂漠らしい透けるような白の薄い素材を縫い合わせた物だ。
これ、いいね。異国情緒あふれるハッピ、いいね。
商店街全員で着たらええんじゃないの?
統一感出るし、お祭りみたいだし。
﹁採用ッ!!﹂
﹁ふえ?﹂
﹁すごいわねコゼット。これどうやって思いついたの?﹂
778
﹁あのね、なんかね、商店街のみんなと話してたら同じ服を着るの
がいいんじゃないかって話題になって、全員サイズとか気にせず着
られて簡単に脱いだりできる服、って言ってたらこういうのになっ
たの。わたしが作ってみたんだよ。すごいでしょ∼﹂
﹁へえーー﹂
﹁なんかおもしろい⋮﹂
﹁コゼットは器用だなぁ﹂
﹁尻が隠れるのが残念じゃのう﹂
﹁ふぉっふぉっふぉっふぉ﹂
俺は感心し、アリアナは好奇の目を向け、ジャンジャンはコゼッ
トの顔と胸ばかりを見、じじいはやっぱりスケベじじいで、ガンば
あちゃんは笑っている。
﹁もう商店街の女の子たちで作り始めてるんだよぉ。エリィちゃん
とアリアナちゃんの分もあるからね﹂
﹁まあ!﹂
﹁うん⋮!﹂
はっはっはっはっは!
見よこの西の商店街の団結力を!
東の商店街など敵じゃない!
﹁まだ全然足りないから頑張って全員の分を作るよ。わたし、この
商店街が好きなの。絶対になくなってほしくないの﹂
﹁コゼット⋮﹂
ジャンジャンが思い詰めたような表情を一瞬し、そしてすぐ笑顔
になった。
779
﹁そうだな! 俺だってこの商店街が好きだ!﹂
﹁うん! ジャンが帰ってきてくれて本当によかった。ジャンがい
なかったらわたしきっと今頃つらくて泣いちゃってたと思う⋮⋮あ
れ?﹂
ぽろりとコゼットの瞳から涙がこぼれ落ちた。
﹁おい⋮なんでこのタイミングで泣くんだよ﹂
﹁ごめんね。ジャンのことずっと待ってたから﹂
﹁悪かったよ急に家を飛び出したりして﹂
﹁ううんいいの。ジャンにはジャンの考えがあったって今は思える
から﹂
﹁ごめんな⋮⋮謝るから泣き止んでくれよ。なっ?﹂
そう言ってハンカチを出すジャンジャン。
見つめ合う二人。しばらくの沈黙。
﹁うん⋮。もうだいじょぶ﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
完全に二人の世界入ってない?
もう付き合ってるってことでいいんじゃねえかな。
と思ったらジャンジャンが恥ずかしがって目を逸らした。チキン
ーッ。
﹁そういえばジャンジャン。治療院の改装は大丈夫なの?﹂
﹁ああ、大丈夫だよ。かなりキレイになった﹂
気を取り直して俺はジャンジャンに聞いた。
780
﹁あと
キュアライト
癒発光
癒発光
キュアライト
を使える人、見つかった?﹂
﹁いや、それがね⋮﹂
﹁やっぱり。まあ仕方ないわ。上級の
治癒上昇
キュアウォーター
が使える人はなか
はできるから、内科系の患者さんなら
なかいないし。わたしとポカじいで頑張るわ﹂
﹁俺、水の上級
見れるよ﹂
﹁もちろんそのつもりよ。ちゃーんとジャンジャンも頭数に入って
いるわ﹂
﹁さすがエリィちゃん。それから賢者様、ありがとうございます﹂
﹁ほっほっほっほ。わしは師匠として弟子を手伝ってやるだけじゃ
よ。それにのぉ、まだ始まってもいないんじゃ。礼はあとにしてく
れぃ﹂
ちなみにポカじいは誰にも砂漠の賢者だとバレていない。俺とア
リアナの師匠で、ちょっとスケベで面倒見のいい白魔法使い、とい
うのが商店街の認識だ。ジャンジャンが賢者と呼んでいる事も、そ
れぐらいすごいじいさんなんだな、程度にしか思っていないようだ。
﹁じゃあ俺は最後の確認で治療院に行ってくる。あと治癒系が得意
な冒険者がいないか探してくるよ﹂
﹁ええ。もし雇ったら、お金はしっかり払うと伝えてちょうだい﹂
﹁わかったよ﹂
﹁気をつけてねジャン﹂
﹁ああ。コゼットも﹂
いそいそとコゼットがキッチンから水の入った水筒をジャンジャ
ンに渡す。笑顔で受け取るジャンジャン。もうどっからどう見ても
完全に夫婦なんだけどなぁ。
781
﹁相思相愛⋮﹂
アリアナがぽつりとつぶやいた。
○
その翌日。
治療院格安解放大作戦の前日だ。
俺とアリアナは﹃バルジャンの道具屋﹄で針仕事をしていた。コ
ライト
で部屋を明るくして、俺とア
ゼットに教わりながら商店街で着る法被を縫っている。もう時刻は
十時を回っており夜遅い。
リアナとコゼットは黙々とヴェールに針を通していた。
﹁エリィちゃん﹂
﹁なあに?﹂
﹁今日は泊まっていけば?﹂
﹁そうね⋮そうしようかしら。明日早いし﹂
﹁そうしましょ!﹂
﹁なんでそんな嬉しそうなの?﹂
﹁ええーだってお泊まり会って楽しいよ!﹂
﹁ふふっ、そうね﹂
コゼットの無垢な笑顔がなんとも可愛らしい。ジャンジャンはコ
ゼットのこういう素直で可愛らしいところに惚れたんだろうな。
﹁アリアナもいいでしょ?﹂
782
﹁ん⋮﹂
ライト
で影になるくらい長
アリアナは針仕事に夢中だ。細かい作業が好きみたいだな。
つーかアリアナのまつげながっ。
い。下を向いて作業しているから余計に目立つな。いやほんと可愛
いこの生物。針を通すたびに狐耳がぴこぴこ揺れるの反則だってば
よ。
﹁あとポカじいにも泊まるって言っておかなくちゃ﹂
﹁実はもう伝えてあるの﹂
﹁あら、気が利くのね﹂
﹁こういうことは手際がいいのですッ﹂
えっへんとコゼットは針を持ったまま胸を張った。いい胸だ。う
ん。ジャンジャンが食い入るように見るのも無理がない。
﹁じゃあコゼット。女子らしく恋の話をしましょう﹂
﹁ええーっ! エリィちゃん恥ずかしいよぉ﹂
﹁そうねえ。でもそろそろ教えてほしいわ⋮﹂
俺は真剣な表情を作ってコゼットを見つめた。
初めて両親に挨拶に行く男ぐらい真剣な顔になっていると思う。
﹁あなたたち、何があったの?﹂
俺の問いかけにコゼットは時間が止まったかのように、針仕事を
する手を止めた。
﹁⋮⋮⋮⋮何って?﹂
﹁この前言っていたじゃない。私はジャンジャンに好かれていない
783
って。どういうことなの? それにコゼットが変な服装をしている
ことにも何か理由があるんじゃない? 変な感覚の持ち主がこんな
まともなデザインをするとは思えないわ。だからあなたはわざと変
な格好をしているんじゃなくって?﹂
﹁エリィちゃん⋮⋮﹂
﹁どうなのかしら?﹂
﹁これは私の好きでやってる服装だよ﹂
﹁ごまかさないでちょうだい﹂
コゼットに対して初めて俺は強めの口調で言った。
この子は危なっかしくて放っておけない。俺がグレイフナーに帰
るまでに、ジャンジャンとくっつけてあげたい。例えそれがおっせ
かいだとしても、これは必要なおせっかいなのではないだろうか。
付き合うことが無理であれば、せめてきっかけぐらいは作ってこ
こを出て行きたいと思う。そうでもしないと二人は永遠に幼なじみ
をやっていそうだ。
彼女は無理に笑おうとしたが上手くできず、取り繕うように自分
の短い三つ編みを握り悲しげにうつむいた。
﹁うん⋮⋮⋮当たり。エリィちゃんの言っている通りだよ。私は理
由があってこんな格好をしてるんだ﹂
﹁そ⋮。わかったわ。ごめんね問い詰めるような聞き方してしまっ
て﹂
﹁ううん、エリィちゃんが心配してくれているのは知ってるから、
平気だよ﹂
﹁これ以上は無理に話さなくていいわ。すごくつらそうな顔になっ
てるもの﹂
﹁いつかはどうにかしゃなきゃって思ってるんだけどね⋮ダメだね、
わたしって﹂
784
﹁そんなことないわ。可愛いわよコゼットは。さっきだってジャン
ジャンの奴、あなたの顔と胸ばっかり見ていたわよ﹂
﹁え、え、え⋮?﹂
ぼん、と効果音がつきそうなほど急激に顔が赤くなるコゼット。
﹁頑張って。わたし応援してるから﹂
﹁コゼット、好き⋮﹂
﹁エリィちゃんアリアナちゃん⋮⋮﹂
﹁気持ちの整理がついたら話してほしいわ。私とアリアナはいつで
もあなたの味方だから力になりたいのよ。誰かに話してすっきりす
ることだってあると思うしね﹂
﹁うん⋮⋮ありがとうエリィちゃん﹂
﹁コゼットがんばれ⋮﹂
﹁ありがとアリアナちゃん。⋮⋮商店街の勝負がついたら、きっと
話すね﹂
﹁オッケー約束よ。でも、無理しちゃダメよ﹂
﹁コゼット好き。エリィ大好き⋮﹂
﹁え?﹂
急にアリアナに言われて、柄にもなく慌てる俺。
﹁真顔でそういうこと言わないでちょうだい! わたしだってアリ
アナこと好きなんだから。好きすぎて困ってるんだから!﹂
だぁーーーっ!
俺は何言ってんだッ。
小っ恥ずかしい! 小っ恥ずかしいぜよ!
この好きって意味はあくまでも友人として、妹的存在としてなん
だ!
785
﹁エリィ⋮⋮﹂
今度はアリアナが顔を赤くして下唇を噛みしめた。
やだそれ⋮、可愛いんですけど。
﹁ふたりはほんと仲良しね﹂
コゼットが嬉しそうに笑う。
彼女が笑うとなんか今までの雰囲気とか全部帳消しになるからず
るい。
﹁コゼット、ファイト!﹂
﹁わたし、がんばる!﹂
﹁エリィ⋮⋮﹂
﹁コゼットはジャンジャンのどこに惚れたんだっけ?﹂
俺はアリアナに好きと言われて動揺している照れ隠しのために、
コゼットにジャンジャンの話題を振った。
﹁あのねあのね、色々あるの。まだ話してないこと﹂
﹁聞きたいわ﹂
﹁気になる⋮﹂
﹁いいよ!﹂
こうして小っ恥ずかしくて甘い空気の中、ガールズトークと共に
夜は更けていった。
786
第8話 イケメン、コゼット、静かな夜に︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重64㎏︵±0kg︶
787
第9話 イケメン、商店街、七日間戦争・前編
砂漠の国で一番楽しかったことは? と聞かれたら、俺は間違い
なく﹃商店街七日間戦争﹄だ、と答えると思う。
あまりに凝縮された七日間プラス五日だったので、俺は東と西の
商店街勝負のことを、﹃商店街七日間戦争﹄と呼んでいる。俺とア
リアナ、ポカじい、コゼット、ジャンジャン、そして獣人三人組の
ギラン、ヒロシ、チャムチャムなど、商店街の面々のことを思い出
すたび、あの一週間は怒濤だった、と笑みがこぼれてしまう。大き
なイベントや商談準備をしているビジネスマンみたいだったな、と
日本がちょっとばかし懐かしくもなった。
商店街七日間戦争の序章は、勝負開始日の五日前から始まった。
○
商店街七日間戦争・五日前︱︱
俺たちは改装をした治療院に集合していた。
ステンドグラスが新しくなり、ボロボロだった床がしっかり修繕
されている。中は教会を彷彿とさせる造りになっていて、映画で見
たことのある古い教会とほぼ一緒の内装だ。違う箇所はオルガンや
788
天使の像がなく、代わりに診察台や治療器具があることだろう。
﹁ということで、今日から商店街勝負終了の日まで、治療院を格安
でオープンします!﹂
ジャンジャンを筆頭に、準備に携わってくれたメンバー十二名が
拍手を送る。
﹁受付さん、準備オーケーね﹂
﹁はい、エリィちゃん!﹂
﹁会場整理さん!﹂
﹁オッケー!﹂
受付嬢は機転が利いて愛想のいい、クレームを起こさないであろ
う二十四歳、服屋の新妻。
会場整理には芯が強くて頼りになり、どんなことにも全力で立ち
向かう二十六歳、桶屋の息子。
﹁治療士さんたち!﹂
﹁いいわよ∼﹂
﹁いいぜー!﹂
﹁まかしとけ!﹂
﹁頑張りますエリィしゃん!﹂
﹁ほっほっほっほ﹂
治療士は俺を含めて全部で六名。
まず、スーパーイケメンの俺こと最近痩せて可愛くなってきたエ
リィ。
使用可能魔法は
789
﹄
治癒
ヒール
﹃光魔法・下位の中級
癒発光
﹄
﹄
﹃光魔法・下位の上級
再生の光
キュアライト
﹃白魔法・上位の下級
治癒上昇
キュアウォーター
︵水魔法。対象者一人の自己治
次に、コゼットにベタ惚れのC級冒険者ジャンジャン。
使用可能魔法は
﹃水魔法・下位の上級
癒力を高める。風邪や腹痛、毒に有効︶﹄
冒険者協会からは、俺たちに散々いちゃもんをつけてきたときの
悪さはどこへやら、唇がめくれ上がったビールことよい子のクチビ
﹄
ール。報酬はいらないからエリィしゃんとデートがしたいでしゅ、
ヒール
治癒
とのこと。C級冒険者。
使用可能魔法は
﹃光魔法・下位の中級
商店街で唯一光魔法が使えるお調子者男女ペア、マッツーニとボ
治癒
ヒール
﹄
ックル。二人会わせてマツボックリ。
使用可能魔法は
﹃光魔法・下位の中級
最後に砂漠のスケベ賢者、ポカじい。
彼にはスーパーバイザー的なポジションにいてもらい、俺や他の
メンバーの補助に入ってもらう。どうしようもない時だけ魔法を使
ってもらう予定だ。
使用可能魔法は
治癒
﹄
﹃光魔法・下位の中級
癒発光
﹄
ヒール
﹃光魔法・下位の上級
再生の光
﹄
﹄
﹃白魔法・上位の下級
加護の光
キュアライト
﹃白魔法・上位の中級
790
﹃木魔法・上位の上級
﹃木魔法・上位の中級
﹃木魔法・上位の下級
﹃水魔法・下位の上級
﹃白魔法・上位の上級
緑の豊穣
緑の慈愛
緑の浄化
緑の微笑
治癒上昇
万能の光
﹄
﹄
﹄
﹄
﹄
﹄
キュアウォーター
﹃木魔法・上位の超級
ね。まずは治療院の宣伝よ。東西南北
その他、治療に使えそうな派生系魔法数十種類。どんだけすげえ
アリアナ遊撃隊
んだよ⋮。
﹁あとは
を練り歩いて噂を広めてちょうだい。人が集まってきたら、たこ焼
き屋と治療院のサポートに入ること。タイミングは私から指示を出
すわ。私がいないときや手が離せない場合、遊撃隊リーダーである
アリアナが指揮を取ってちょうだい﹂
﹁まかせて⋮﹂
﹁了解エリィちゃん!﹂
﹁がんばるニャ!﹂
アリアナ遊撃隊
はアリアナを含めた四名。
﹁よろしくお願いします。エリィちゃん、アリアナリーダー﹂
アリアナと獣人三人組の娘達だ。
狐、虎、猫、豹、四種類のケモノミミが勢揃いするという、キュ
ートすぎて可愛さがインフレーションし、俺の脳内ケモノミミ株価
が爆裂に上昇するという訳の分からない状態で、もう本当にどうに
かしてほしい。しかも全員、背が百五十センチ前後とちっちゃい。
四人が集合すると、きゃいきゃい、というか、きゃぴきゃぴ、とい
うか、なんか見ているだけで顔がほころぶ。
年齢は十四歳から十七歳だ。
全員が薄手のヴェール法被を着てねじりハチマキを巻き、ギャザ
ースカートにサンダルを履いた時点で俺の自制心は大恐慌を起こし
791
た。とりあえず我慢できなかったので全員の耳をもふもふしておく。
あー癒されるわーこれー。
﹁と、和んだところで作戦開始よ!﹂
﹁エリィ⋮耳のうしろもうちょっと触ってほしい⋮﹂
﹁エリィちゃん私の左の耳撫でてないっ!﹂
﹁撫でるよりつまんでほしいニャ﹂
﹁あ、あの⋮できればでいいのですが⋮もう少しだけお願いします﹂
なぜがおねだりをされ、狐娘、虎娘、猫娘、豹娘に囲まれる。
もふもふもふもふ。
もみもみもみもみ。
つんつんつんつん。
さわさわさわさわ。
﹁ん⋮⋮﹂
﹁ひあっ!﹂
﹁ニャニャニャッ﹂
﹁わっふぅ﹂
あーこれ世界平和だわー。
癒されるー。
一日中こうしていたいが、今日から大事な決戦だ。
アリアナ遊撃隊が満足したようなので気を取り直して俺は口を開
いた。
792
﹁⋮今度こそ作戦開始ッ!﹂
オウッ、よっしゃ、了解、など全員が気合いの入った返事をして
くれる。
いよいよ作戦がスタートした。
と、まあ勢いよく号令したものの、急に客が来るわけもなく、俺
は治療院と路面販売をしているたこ焼き屋を行ったり来たりして様
子を見ていた。
治癒
ヒール
で治った。
アリアナ遊撃隊の話を聞いて治療院に来る客はほとんどが軽傷者
で、簡単に
怪我人たちは半信半疑でやってきたようだったが、ちゃんと格安
ヒール
治癒
三時間待ち、
で治る程度の傷な
とその他治療魔法が
治癒
ヒール
癒発光
キュアライト
料金で治療を受けられて喜び、宣伝を約束して帰っていく。北東に
ある治療院は
四時間待ち、という状況で、皆並ばずに
ら我慢しているそうだ。しかも料金を通常の五割増しにしているよ
うで、割引している西の治療院との料金差がやばい。
両者の料金表の看板はこういう表記になっている。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
北東の治療院
﹁光﹂
↓2250ロン
↓3000ロン
↓1500ロン
治癒
ヒール
癒発光
キュアライト
治癒上昇
キュアウォーター
﹁水﹂
793
加護の光
再生の光
↓300000ロン︵ジェラで使える魔法使いはい
↓75000ロン
﹁白﹂
ない。なぜか表記をしている︶
※3倍の料金を払って頂ける方、優先致します。
※診断状況によって順番が前後する場合がございます。
※治療士不足のためお並び頂いても治療できかねる場合がござい
ます。
※院内での犯罪行為は即刻警備兵に通報致します。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
西の治療院
﹁光﹂
再生の光
↓使用できません︵重傷患者が来た場合のみポカじ
↓20000ロン
↓1000ロン
↓1000ロン
↓500ロン
治癒
ヒール
癒発光
キュアライト
治癒上昇
キュアウォーター
﹁水﹂
加護の光
﹁白﹂
いにやってもらう︶
※重傷・重体・危篤状態の方を優先させて頂きます。
※診断状況によって順番が前後する場合がございます。
※この格安料金は西の商店街の協力とご厚意により成り立ってお
ります。
※現在、正規の治療士は従軍しており一人もおりません。治癒は
有志の方々によるものですので突然終了する場合がございます。
794
※上記を守れない方、納得できない方は利用をお控え下さい。
※院内で暴れる方には強制退去して頂き、その後キツイおしおき
を致します。
再生の光
については五万五千ロンもの
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
とまあこんな感じで、
差額が出ている。あと、表示金額の三倍の金を払えば優先してやる、
という北東治療院は一般人からは批難轟々だろうが、金持ちからし
たら素晴らしいシステムだ。必要悪とまでは言わないまでも、治療
士が少ないこの状況では必要なシステムなのだろう。
ちなみに後から文句を言われないよう、ルイボン14世から﹁何
をしてもいいわよ。どうせ勝てないから﹂というお墨付きを、領主
のサイン付きで書状でもらっている。なので、勝手に治療院を割引
しても問題なしだ。
あの自信と豪快さはある意味すげえよ。まじで。
治療院格安解放なんてやるとは微塵も思っていないだろうな。ル
イボン14世のびっくりする顔が楽しみだ。
この日と次の日は合わせて五十名ほどを治療して終わった。
○
商店街七日間戦争・三日前︱︱
795
超プリチーなアリアナ遊撃隊がオアシス・ジェラをプリチーに練
り歩きながら、町中の人に噂を広めてくれたおかげで、治療院には
客がぼちぼち集まり始めていた。外を見ると開院前なのに十名が並
んでいる。
聞くと、先日治療を受けた人から噂を聞いた患者が五名、アリア
ナ遊撃隊の呼びかけを聞いた患者が四名、アリアナが可愛くて我慢
電打
でよい子にしてから治療してやった。
エレキトリック
できず抱きつこうとしたら虎娘に噛まれたという男が一名、という
内訳だ。
変態男は俺が
口コミとアリアナ遊撃隊の効果は少しずつ出てきている。そして
たこ焼き組も、売り上げは計画通りで上々の滑り出しだ。ただ、た
こ焼きを担当している獣人三人組は相変わらず仲が悪く、お客さん
の前で取っ組み合いの喧嘩を二度したという報告を受けている。次
やったらお灸を据えてやろう。
治癒
ヒール
で治るのでマツボッ
今のところ白魔法を使うほど重傷な患者は来ていない。
切り傷、擦り傷、軽い症状の患者は
クリの二人組とクチビールへ。腹痛や風邪はジャンジャンへ。
それ以上の傷を負った患者はすべて俺の担当だ。
魔力循環を乱さない訓練をしながら患者と話し、魔法を唱えてい
く。一人診察するたびに、魔力循環が途中で途切れる、魔力の入れ
すぎ、イメージを明確に、相手に親和させるように、発動が遅い、
などの細かいポカじいのダメ出しが入り、いい勉強になる。
治療院をスタートして一番驚いたことは、患者の俺に対する態度
796
だ。
キュアライト
﹁癒発光﹂
﹁おお⋮﹂
﹁はいおしまい﹂
﹁全然痛くねえ⋮。ありがとよ、お嬢ちゃん!﹂
﹁お仕事頑張るのはいいけど寝不足は危険よ。今回は捻挫で済んだ
けど、大きな事故に繋がるわ﹂
﹁わーってるよ﹂
﹁ほんとにわかってる?﹂
﹁今日は早く寝る﹂
﹁おじさん一人の身体じゃないんだから。絶対よ。ね?﹂
﹁⋮かなわねえなぁ﹂
土木関係の仕事をしているらしいおっさんは苦笑いを作って頭を
かいた。
﹁お前さんみたいな可愛らしいお嬢ちゃんにお願いされちゃ従うし
かねえな。かみさんに言われるよりよっぽど効く﹂
﹁おじさん⋮お世辞はいいのよ﹂
﹁お世辞なもんか。お前さん、名前は?﹂
﹁エリィよ。あらこれは失礼を⋮。ゴールデン家四女、エリィ・ゴ
ールデンと申します﹂
俺は立ち上がってレディらしく裾をつまんでお辞儀をした。
おっさんも、名前を名乗って礼をする。
﹁こりゃ丁寧にわりいな。俺はここらじゃ有名な工事会社のもんだ。
他の連中にも怪我をしたらここに来るように言っておくからな﹂
﹁まあ! ありがとう﹂
797
﹁可愛い子ちゃんが治療してくれるって宣伝しとくからよ﹂
そういっておっさんは日に焼けた顔を崩して豪快に笑った。
身体のほうが反応し、俺の意に反して顔が赤くなってしまう。
ちょっ! 待て! 顔めっちゃあつい!
﹁顔が赤けえぞ。治療士さん﹂
﹁もう! からかわないでちょうだいッ﹂
﹁はっはっはっは。いいもん見せてもらった。それじゃありがとよ、
可愛い治療士さん﹂
そうして颯爽とおっさんは治療院から出ていった。
﹁まったく⋮﹂
まったくもう。
あのおっさんてば。
いやぁ⋮⋮⋮
可愛いってよ。俺のこと。
798
見る目があるじゃねえか。
︱︱︱︱ほっ!!!!!!
褒められるの全然慣れねええええ!
エリィィィィ!
可愛いって言われたぞぉーーー!
いつもデブだのブスだの言われてたから、可愛いとか男に言われ
るとびっくりするわ。つーかエリィが反応しすぎて困る。勝手に顔
が赤くなるし。
てか六十キロ台になってから周囲の反応がかなり変わったんだよ
な。
特に男が俺の顔をよく見てくるようになった。
デブだった頃は俺を見て陰で笑ったり、まずい物を食べたあとみ
たいな不愉快な顔をされたが、今は確実に女の子として見られてい
る。顔の肉が相当落ちたからなぁ。ついに、ゴールデン家の遺伝子
が表面に現れてきたか。昨日ジャンジャンの家で鏡を見たら、あん
なに細かった目が倍ぐらいの大きさになってて正直まじでビビった。
まだ顔の肉は落ちそうだから、もっと変わるだろう。
799
鏡をまじまじ見て思ったけど、エリィは目が綺麗だ。
光に当てたサファイアみたいに青く輝いていて、見ていると不思
議な気持ちになる。
俺、エリィ本人なのに。
このまま痩せたらめっちゃ可愛くなるんじゃね?
ちょっと焦るレベルだな、これ。
顔の肉が落ちて輪郭がすっきりして、ニキビが消えて、髪がもっ
とさらさらになったら、とんでもない究極美少女になるかもしれな
い。
これはあれだな。
いまのうちから誘ってくる男どもを振る練習をするべきだな。
﹁お仕事できる人じゃないとイヤ﹂とか﹁年収おいくら?﹂とか﹁
恋させてくれるの?﹂とか、考え出したらきりがない。ふっ、面白
くなってきたな。
﹁エリィしゃんは可愛いでしゅよ﹂
担当の治療を終えた、よい子のクチビールが隣にやってきて嬉し
そうに言う。
でかい図体とイカつい顔でこの口調。慣れるのに時間がかかった。
﹁あら、ありがとう﹂
﹁商店街勝負が終わったらデートでしゅよ?!﹂
﹁もちろん忘れてないわよ﹂
﹁さっきの男じゃなくてぼくちんと行くんでしゅよ?!﹂
﹁ええそうね。約束だもんね﹂
﹁わーい﹂
800
ぶっとい腕を突き上げてクチビールは飛び跳ねた。
世紀末みたいな刺々しい鎧がガチャガチャ音を立てており、他の
メンバーがキャラのギャップに失笑している。
うんうん。よい子になったな。
ちなみにこのクチビール、最近じゃ冒険者の中で誰もやりたがら
ない面倒な依頼をこなしているので、冒険者協会内の評価が良くな
っているらしい。やっぱり人のために何かするってのは評価に繋が
り、自身の存在意義にもなり得るな。いいことだ。
この調子で頑張れクチビール!
デートはしてやるからな!
この日の来院者数は97名。
八個入り四百ロンのたこ焼きが90パック売れた。
○
商店街七日間戦争・二日前︱︱
もうすでに三十人が並んでいる。
聞くと、治療を受けた人から噂を聞きつけた患者が十六名。アリ
アナ遊撃隊の呼びかけを聞いた患者が十二名。アリアナが可愛くて
801
我慢できず、勝手に尻尾を触ろうとしたら猫娘に引っかかれた、と
重力
グラビトン
で動きを封じられ鞭で叩か
いう男が一名。アリアナのお尻を触ろうとしたのがアリアナにバレ
て、彼女が最近習得した黒魔法
電打
でよい子になってもらってと。
エレキトリック
れる、という凶悪コンボを食らった男が一人、という内訳だ。
変態二人には
その後、特に変わったことも起きず、粛々と患者を癒し、休憩を
挟みつつ業務にあたる。治療組にはまだ余裕があり、魔力枯渇にな
るメンバーは出ていない。
一つ気になったのは患者の一人が教えてくれた﹃北の方角でデザ
ートスコーピオンが大量発生した﹄という情報だった。デザートス
コーピオンが大量発生した場合、討伐ランクBのクイーンスコーピ
オンも一緒にいる可能性が高く、その凶暴性と防御力の高さで、か
なり厄介な魔物に分類される。だがオアシス・ジェラの護衛兵と冒
険者が討伐に行く準備をしているので大丈夫、とのこと。なんでも
今現在のジェラには﹃竜炎のアグナス﹄の二つ名を持つ、ランクA
のイケメン冒険者がいるから問題ないらしい。
まあ大丈夫だよな。
いざとなったら俺の落雷魔法で木っ端微塵だ。
この日の来院者数は130名。
たこ焼きは182パック売れた。
802
たこ焼きめっちゃ人気出てるッ。
たこ焼きは持ち帰りもできる優れた商品だ。買って食べてよし、
持ち帰って家族と分け合ってもよし、作っているのを見て楽しんで
もよし。たこ焼きのいいところしか思いつかん。
相変わらずギラン、ヒロシ、チャムチャム、獣人三人組の仲は悪
い。
客の前で怒鳴り合うという失態を犯している。
アリアナ遊撃隊の、虎娘、猫娘、豹娘が﹁オヤジがバカでごめん
エリィちゃん!﹂﹁あちしのお父ちゃんがごめんニャ!﹂﹁本当に
なんとお詫びをすればいいか分かりません⋮。娘として恥ずかしい
です﹂と報告しつつ泣きそうになりながら謝ってきた。
あのさぁおっさん達⋮⋮娘に謝罪させるとか⋮⋮そろそろエリィ
ちゃん怒っちゃうよ?
お客さんの前で喧嘩とか⋮⋮それでもビジネスマンなの?
娘っ子たちに免じてチャンスはあげるけど⋮⋮。
これ以上は堪忍袋の緒がもたないからね⋮⋮?
○
803
商店街七日間戦争・前日︱︱
午前九時半。
開院前、五十人が並んでいる。
聞くと、治療を受けた人から噂を聞きつけた患者が二十八名。ア
リアナ遊撃隊の呼びかけを聞いた患者が十七名。アリアナが可愛く
て我慢できず、デートに誘ったら豹娘に回し蹴りを食らった、とい
う男が一名。アリアナに告白しようとしたところ、同時に三人の男
が鉢合わせになり、アリアナは渡さないなどたわけたことを言って
勝手に決闘をし、三人で相打ちになって血まみれ、というアホなの
が三名。この五日ですっかりアリアナファンになった輩がこともあ
グラビトン
アノレクシア
食欲減退
腹痛
コンフュージョン
混乱粉
と闇魔法をしこた
アブドミナルペイン
で動きを封じられて鞭で叩かれ、
ロスヒアリング
聴覚低下
重力
ろうにアリアナの食べていたシャケおにぎりを奪おうとして逆鱗に
触れ、黒魔法
ロスヴィジョン
視覚低下
ま食らうという凶悪フルコースを受けた男が一名、という内訳だ。
電打
でよい子にしてから治療し、決闘した三
エレキトリック
そんだけ食らってよくこの治療院に来れたな⋮。
一人目の変態は
人は治療後にアリアナにそっけなくフラれて精神ダメージを負い、
最後の一人は一日経てば治るので治療院の隅っこに毛布を引いて転
がしておいた。
患者の数がかなり増えてきている。
会場整理の桶屋の息子が次々に患者を選別して列に並ばせる。
列は全部で三つ。
804
ヒール
治癒組、クチビール、マツボックリの列。
内科担当、ジャンジャンの列。
中傷、重傷者担当、俺の列。
キュアウォーター
最初に魔力枯渇で悲鳴を上げたのはジャンジャンだった。
治癒上昇は水の上級なのでかなりの魔力を使う。
ちょうど患者が捌けたところだったので、コゼットに連れられて
フラフラしながら奥の休憩室へ入っていった。
続いて午後三時にマツボックリの二人組が脱落。
を三十七回、
再生の光
クチビールが﹁エリィしゃんとデート﹂と呟きながら奮闘し、閉
癒発光
キュアライト
院までに一人で残りの三十名を捌ききった。
俺は平気だった。
ポカじいにしごかれながら
を七回唱えた。まだまだいける。
じいさんに聞いたら、俺は人の十倍ぐらい魔力があるらしい。む
しろじいさんよりも多いかも、とのこと。そうでないと落雷魔法を
何度も使えんのぉと言われた。
この日の来院者数は219名。
たこ焼きは253パック売れた。
そして︱︱︱
805
獣人三バカトリオはまたしても店頭で喧嘩をした。
そのせいで二十分ほどお客さんを待たせてしまったとの報告を受
けた。
具の分量を、間違えた間違えてない。
釣り銭が百ロン、合う合わない。
たこ焼きを作っているときに、邪魔だ邪魔じゃない。
そんなくだらないことで喧嘩⋮⋮。
あのバカ虎、アホ猫、ジミ豹め⋮⋮⋮。
俺は怒りのあまり魔力を高速で循環させ、電撃発動の準備をした。
﹁あ⋮エリィが怒った﹂
﹁エリィちゃん、髪の毛が逆立ってるけど?!﹂
﹁普段怒らないエリィちゃんが怖い顔してるよ!?﹂
アリアナがつぶやき、休憩室から出てきたジャンジャンとコゼッ
トが俺を見てギョッとした表情になった。
﹁止めないと⋮﹂
﹁エリィちゃんからパチパチした音がきこえるけど⋮あっ! まさ
か?!﹂
﹁アレを使うかも⋮﹂
﹁ままま、まずいよそれは!﹂
落雷魔法だと理解したジャンジャンがあわてて俺に駆け寄ってく
る。
俺は獣人三バカトリオがビジネスをないがしろにし、私情を挟ん
806
で喧嘩ばかりしていることに、はらわたが煮えくりかえった。
この勝負で負けたら商店街がつぶれるんだぞ?
みんなの家もなくなるんだぞ?
お前らの間で過去に何があったかは知らないが、そんな事はこの
状況ではどうでもいいちっちぇえことなんだよ。もっとプロ意識も
ってやれよ。それでも商店街でずっと店をやってきたのか。どうな
んだよ。
俺は怒りにまかせて治療院を飛び出そうと走り出した。
﹁いけないエリィちゃん!﹂
﹁エリィ⋮ダメッ!﹂
ジャンジャンとアリアナが後ろから追いかけてくる。
それと同時に入り口から虎、猫、豹の獣人三人娘が治療院に入っ
てきた。
俺はかまわず三人をすり抜けて入り口から出ようとする。
﹁エリィちゃんを止めてくれ!﹂
﹁止めて⋮!﹂
獣人三人娘はハッとした表情になり、小柄な体であわてて俺に飛
び付いた。
﹁うああっ!?﹂
﹁ウニャニャッ!?﹂
﹁痺れますッ!﹂
放電していた俺に触ったので、ほんの少しだけ感電したらしい。
それでも三人は俺を放そうとしなかった。
807
﹁放してちょうだい! あなたたちのお父さんをオシオキするわ!﹂
追いついたジャンジャンとアリアナが俺の両腕をつかんだ。
﹁エリィちゃん落ち着いて! まずはあの三人から話を聞こう﹂
﹁エリィ、おしおきするなら冷静に⋮﹂
二人の必死な声色に俺は冷静さを取り戻した。怒りは収まらない
が⋮⋮なんかこっちの世界に来てからちょっと感情的になることが
多い気がするな。いや、表現方法が違うだけで日本でもこんなもん
だったか。
﹁エリィちゃーん⋮きゃっ!﹂
事態をよくわかっていないコゼットが鈍くさそうな走り方で俺た
ちに追いつき、俺の目の前で転んだ。かぶっていたドクロがはずれ
て床を転がっていく。
コゼットが恥ずかしそうに立ち上がってドクロを拾ってかぶり直し、
俺を見てにっこり笑った。
﹁怒ってるエリィちゃんも可愛いね﹂
何を言うのかと思ったら、そんなことを言った。
いかん。天然だ。
すっかり毒気を抜かれちまったぜ。
﹁もう大丈夫だから放してちょうだい﹂
俺の言葉で獣人三人娘が手を放した。
808
すぐコゼットに駆け寄り
﹁ごめんねドジで﹂
ヒール
治癒
を唱える。
﹁あなたはずっとドジでいいわ。いつでも治してあげるから﹂
﹁いつでも? うれしいなぁー﹂
﹁そうよね、ジャンジャン﹂
﹁え? ああ、そうだ。コゼットは今のままでいいぞ﹂
﹁えー、私だってしっかり者になりたいよ﹂
﹁まあいつかはなれるわよ⋮⋮多分﹂
﹁きっとなれる⋮⋮⋮多分﹂
﹁エリィちゃんアリアナちゃん、その顔は絶対なれないって思って
るよね?!﹂
﹁あら鋭いわね﹂
﹁⋮バレた﹂
﹁ひどいひどい∼﹂
すっかり場が和んでしまった。これが天然で素直な性格の威力か。
﹁エリィちゃん何があったの?!﹂
﹁あんなに怒るニャんてただ事じゃニャい!﹂
﹁もしかしてまた父のことで⋮?﹂
虎、猫、豹、の三人娘が聞いてくる。
ジャンジャンとアリアナが、獣人三バカトリオが喧嘩をしたこと
に俺が腹を立てておしおきしに行くところだった、という事情を話
した。
三人は悔しさで泣き始め、床に正座をして俺に謝罪をした。
いやいやいや、謝られても困る!
つーか娘に正座までさせて泣かせた獣人三バカトリオに対してま
809
た怒りが沸々と⋮⋮いかんいかん。
﹁三人とも顔をあげて! レディが床に座るなんてダメよ!﹂
﹁だって⋮﹂
﹁でもニャ⋮﹂
﹁しかし⋮﹂
﹁いいから立ってちょうだい。お父さん達を叱りに行ったりしない
から﹂
﹁本当ッ!?﹂
﹁よかったニャ。尻尾が縮み上がったニャ∼﹂
﹁ありがとうございます。広いお心に感謝します﹂
﹁あのー三人とも? どうしてそんなに安堵しているのよ?﹂
三人娘は立ち上がると、目配せをし合った。どうやら猫娘が話す
ようだ。
﹁アリアナリーダーから聞いたニャ。エリィちゃんは優しくて頼り
にニャるけど、怒ったら尻尾が勝手に逆立つほど怖いってニャ⋮。
自分のミスを言わずに人のせいにしたり、他人を騙したり、お仕事
を途中で放棄したり、デブとかブスとか言ったりすると、強烈な大
目玉が落ちるニャ⋮﹂
﹁今さっき確信した!﹂
元気のいい虎娘が激しくうなずく。
﹁だってエリィちゃんの髪、こおんなふうになってた!﹂
こおんなふう、のジェスチャーをして俺の髪が静電気で浮いてい
る様子を表現した。虎耳をつけた女の子が動物の真似をして、ガオ
ーってやってるみたいで微笑ましい。
810
﹁私は雷神がこの世に顕現したと思いました⋮それほどに怖かった
です﹂
﹁そんなに?!﹂
ちょっとショック。
あと落雷魔法のことを言ってないのに﹁雷神﹂とは、なかなか鋭
い表現をするな、豹娘よ。
﹁それでエリィちゃんどうする? あの三人に話を聞きに行く?﹂
﹁いえ、やめておくわ。今見たら多分怒ってしまうからね﹂
﹁そ、そう。それなら見ないほうがいいね﹂
﹁あの人達には猶予をあげることにしましょう﹂
ジャンジャンが心底安心したのか胸をなで下ろし、三人娘も息を
吐いた。
﹁お父さんに伝えてちょうだい。明日から商店街勝負の開始だから
気合いを入れ直しなさいって。今後ちょっとでも喧嘩したら三人に
はキツイおしおきをするわ。あと仲が悪いからってメンバーの入れ
替えはしないわよ。具の材料の仕入れ先である三人がたこ焼き組か
ら外れると面倒だし非効率的だからね。最悪、ポジションのチェン
ジをして三人がかぶらないようにもできるけど、あくまで最終手段
ね﹂
﹁分かったよエリィちゃん!﹂
﹁了解だニャ!﹂
﹁しかと承りました、ボス﹂
﹁ちゃんと伝えておいてね﹂
﹁うん! できればずっと今のままにしてあげてほしいんだ!﹂
﹁そうなのだニャ! お父ちゃん家でたこ焼きの話ばっかりするニ
811
ャ!﹂
﹁そうなのです⋮父はたこ焼きに夢中です。これからも父をお願い
します、ボス﹂
豹娘が俺をついにボスと呼び始めた⋮。
﹁エリィ、いつでもオッケーだから⋮﹂
アリアナがたこ焼きを作る動作をする。アリアナ遊撃隊にはたこ
焼きの作り方もしっかり教えてあり、治療院とたこ焼き、両方とも
サポートできる。
ちなみにアリアナ一押しのたこ焼きに併設しているおにぎり屋も
ちょこちょこ売れているようで、ちょっとして副収入的な存在にな
っていて調子がいい。
ポイントカードはじわじわと浸透しているようだ。より効果を望
むならポイントカード説明所のような場所を作ったほうがいいかも
しれない。今は商店街の真ん中あたりに景品引換所があるだけで、
利用客が少ない。治療院とたこ焼き屋で﹃西の商店街﹄入り口に集
まったお客さんを奥へと誘導する大事なツールなので、いっそのこ
とたこ焼き屋の隣に景品引換所を持ってきてしまうのもアリだな。
明日、景品引換所組に相談してみよう。
そんなこんなで治療院で俺たちは解散し、明日に備えることにし
た。
獣人三人娘は尻尾をふりふりしながら仲良く帰っていき、俺とア
リアナ、ジャンジャン、コゼット、ポカじいは﹃バルジャンの道具
屋﹄へ戻った。
812
明日からいよいよ勝負の一週間だ。
813
第9話 イケメン、商店街、七日間戦争・前編︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重62㎏︵−2kg︶
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
いやー乱世乱世。
時は戦国。
数多の国々が勃興しては衰退し消えゆく群雄割拠の非情な世界。
そんな乱世の荒波に揉まれたひとりの男がいた。
男はある重大なことを心の中でつぶやいたのだった。
小生、風邪を引いたでござるッッ
・・・ということで更新が少し遅れました。
商店街編を書ききろうと思ったのですが長くなってしまうので、前
編後編に分けました。続きは早くアップしますのでよろしくお願い
致します。皆さん風邪にはお気をつけ下さい。
814
第10話 イケメン、商店街、七日間戦争・中編︵前書き︶
お待たせ致しました。
次は後編だよーんというお話だったのですが長くなってしまい、中
編・後編に分けることに致しました。
一気にアップしようと思っていたのですが無理でした。アハッ☆
もう後半はほぼできているので二日以内にはアップできると思いま
す。
一気読みしたい方はもう少しだけお待ち下さい!
よろしくお願い致します!
︵増加率が間違っていたので修正致しました︶
︵冒頭のギランの説明を少し付け足しました。流れには全く支障あ
りません︶
815
第10話 イケメン、商店街、七日間戦争・中編
商店街七日間戦争・一日目︱︱
ついに戦いの幕は切って落とされた。
西と東の商店街七日間戦争ここに開戦ッ。
﹁全員いいな! これから一週間が勝負だ! 治療院とたこ焼き屋
のおかけで集客は先々週の倍以上になっている。549人から13
02人。集客増加率は137%、まだまだ集客は伸ばせるぞ。ポイ
ントカード景品交換所の場所はエリィちゃんの提案で商店街の奥の
方ではなく、治療院とたこ焼き屋の間に移動することにした。受付
は先週と同じ、各店のローテーションで行うので順番を再度確認し
てくれ﹂
まとめ役のギランが虎人らしく、戦場に出掛ける武人かくやと言
わんばかりの勢いで獰猛に牙をむいて交換所のローテーション表を
掲げた。
商店街の全長は百五十メートル。
まず商店街の入り口に﹃治療院﹄と﹃たこ焼き屋﹄があり、五十
メートル奥に﹃ポイントカード景品交換所﹄、もっと奥へ進むと﹃
バルジャンの道具屋﹄で、終点が﹃西門﹄という一直線の作りだ。
﹃ポイントカード景品交換所﹄を人目のつきやすい商店街の入り
口ど真ん中に移動することによって、ポイントカードの存在を印象
づけ、消費者に訴求する作戦だ。
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開院前の治療院に集まっている西の商店街五十二店舗の全店主、
その家族、従業員、約三百名は真剣な面持ちでギランの話を聞いて
いる。
﹁敵である﹃東の商店街﹄も本日から大々的にセールを行い、集客
増加を狙ってくる。だがその実情は脆い! 連携が取れていない!
先々週の集客は8114人。先週は8233人で集客増加率はた
ったの1%! セールは所詮、付け焼き刃の攻撃にすぎん! 一時
的に客は増えると思うが良質な商品が売れてしまえば客足は途絶え
る! 俺たちの団結力と情熱を見せれば必ず勝てるッ! 勝てるん
だ!﹂
集まったメンバーから威勢のいい雄叫びが上がる。
﹁体調管理はしっかり行ってくれ! 最近特に暑くなってきている。
外に出る機会が多くなるから水分はきっちり摂るように。一週間で
熱中症になった、なんて洒落にもならんッ。うちの店とたこ焼き屋
は常時水を飲めるよう開放しているので、つらくなる前に水分補給
をしてくれ! いいな!﹂
再度、返答の雄叫びが響いた。
これからが本番なのだ。全員が、領主の小娘ごときの思いつきで
自身の家と大切な商店街を潰されてたまるか、と瞳にぎらついた炎
を宿している。
開店三十分前。
気合いも充分。ギランの演説は良かった。全員がこれで気持ちを
一つにして一週間戦えるだろう。最高の士気だ。
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その後、猫人のヒロシから簡単な伝達事項があり、決起朝礼会は
終了した。
三百人が治療院から自分の持ち場に移動しつつ、互いに挨拶をし
たり肩を叩き合って激励したり、綿密にポイントカードの内容を確
認し合ったりと、三々五々入り口から外へ出て行く。
﹁ギラン、ヒロシ、チャムチャム、ちょっといいかしら﹂
俺は別々に出て行こうとする獣人三バカトリオを呼び止めた。
何を言われるのかわかっているのか、三人はバツの悪そうな顔を
して互いに顔を背けながら俺の前にやってきた。
﹁わかってるわよね?﹂
あえて言葉少なに俺は三人の目をじっと見つめた。
すべての伝えたい事柄とビジネスマンとしての魂をエリィの美し
いサファイヤの瞳に込めた。
ギランはたじろいで一歩後ずさりし、ヒロシは電撃を浴びたよう
に尻尾を逆立て、チャムチャムは俺の瞳から目を逸らして瞑想する
かのようにまぶたを閉じる。
しばらくの沈黙。
ほとんどのメンバーが治療院から出ていく中、アリアナ、獣人三
人娘、ジャンジャン、コゼットが心配そうにこちらを見つめていた。
端から見れば獣人のおっさん三人を金髪少女が叱っているという不
思議な光景だろう。
沈黙に耐えきれなくなったギランが深く首肯して口を開いた。
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﹁わかった⋮。エリィちゃん。それから、ぐっ⋮⋮⋮すまなかった、
二人とも﹂
拳を握りしめ、ギランは小さく頭を下げた。
ギランがぎこちなく謝る姿をみて、虎娘が驚愕したのかぽかんと
口を開けた。
﹁父ちゃんが⋮謝った?﹂
突然の出来事にヒロシ、チャムチャムも驚きを隠せないのか、床
を見たり、頭を掻いたり、耳をさわったり、動揺が隠せない。
どんだけ動揺してんだよ⋮。
﹁い、いやぁ、俺も⋮⋮悪かった﹂
﹁すまなかった⋮⋮⋮この一週間、心を入れ替えて協力しよう﹂
ヒロシとチャムチャムがギランの誠意に折れて、謝罪を表明した。
﹁お父ちゃん、やればできるニャ﹂
﹁それでこそ豹人です、お父様﹂
猫娘、豹娘がホッとしたのか笑顔になってうなずいた。
ギランは商店街のためによくプライドを捨てられたな。すげーじ
ゃねえか。これでプリティーな三人娘も心配せずに済むな。
○
開院十分前になった。
819
もうすでに六十名ほどが並んでいる。
これから始まるであろう商店街七日間戦争、開戦の狼煙はそのう
ち来ると思っていたルイボン14世の罵声ではなく、会場整理の桶
屋の息子から発せられた。
﹁ハァハァ⋮⋮エリィちゃん大変だ!﹂
彼は院内に駆け込んできて、肩で息をしながら叫んだ。
開院前なので治療組は精神統一をしたりリラックスをしたりと各
々で準備をしているところだった。全員が一斉に桶屋の息子へ注目
する。
﹁南門近くの工場で火事があった。建物は全焼。今から怪我人がこ
こに来る!﹂
うお! それはやべえ!
オッケーオッケー。こういう時こそ冷静にいこう。
﹁落ち着いてちょうだい。会場整理がそんなに慌てたらダメよ﹂
俺はあえてにっこりと笑い、余裕の表情を作った。
タフな精神を持っているので彼をこの役職に抜擢したのだ。桶屋
の息子はすぐ冷静になった。
﹁まず人数を。それから症状を教えてちょうだい﹂
﹁怪我人の人数は五十人から七十人ほど。軽傷者が半分ぐらいで、
中傷者と重傷者がもう半分だ﹂
820
﹁わかったわ。桶ヤンは入り口で待機。アリアナ遊撃隊は今並んで
いる患者さんで辛そうにしているひとを見つけて先に通してちょう
だい。選別しつつ軽傷の患者さんに事情を話して待ち時間が延びる
旨を伝えて。火事の負傷者からは受付でお金を取らなくていいわ。
あとでまとめて請求しましょう﹂
﹁よっしゃ!﹂
﹁うん⋮﹂
﹁やるぞぉ!﹂
﹁いくニャ﹂
﹁行きますっ!﹂
桶屋の息子とアリアナ遊撃隊が飛び出していく。
﹁みんな治療の準備をしてちょうだい! ジャンジャンとコゼット
は患者用の水を!﹂
﹁はいよ!﹂
﹁オッケー!﹂
﹁はいでしゅ!﹂
﹁オーケーエリィちゃん﹂
﹁がんばるねっ!﹂
全員が急いで準備に入る。
癒発光
キュアライト
と
再
アリアナ遊撃隊が連れてきた、並んでいて尚且つ症状が重い患者
を連続詠唱して治した。
五名、捻挫、打撲、深い切り傷、裂傷、骨折、を
生の光
﹁ほっほっほ、いい集中じゃ。発動もなかなかに速い﹂
﹁ありがとポカじい﹂
﹁失敗したらわしが治してやるからの、気楽にやれぃ﹂
﹁わかったわ﹂
821
じいさんはまじで頼りになる。スケベだけど。
そうこうしているうちに桶屋の息子が、バァンと治療院の扉を開
いて﹁来たぞ!﹂と大声を上げた。
続々と患者が搬入される。
入ってきた全員が煤だらけだ。担架で運ばれる患者は火傷でうめ
き声を上げ、両肩を支えられて何とか歩ける者たちが苦しそうな顔
をし、動けない患者は力持ちらしき屈強な男達におぶられて運ばれ
る。
ヒール
指示を出したとおり、会場整理である桶屋の息子が手際よく重傷
患者を俺の列へ並ばせ、軽傷な者を治癒組の列へと移動させる。コ
ゼットとジャンジャンが喉の渇きを訴える患者に水を配る。
瞬く間に治療院は戦場になった。
﹁いてえ! いてえよぉ!﹂
﹁おい治療士! 早く魔法を! こいつは俺をかばって火の中に飛
び込んだんだ!﹂
﹁そこに寝かせてちょうだい!﹂
﹁お嬢ちゃんが治療士だって?! 冗談はよせ!﹂
﹁おだまりッ! いいから早く寝かせないさい!﹂
必死に友人の助けを求める男を一喝し、俺は即座に魔力を循環さ
せる。
再生の光
でないと治らない。
全身を火傷して腕と両手がただれている。これは相当量の魔力を
込めた
﹁ぐああ! いてえッ。いてえよぉ!﹂
822
﹁寝かせたぞ! 頼む!﹂
対象者の全身が生まれたての素肌になるようイメージして、俺は
再生の光
!!!﹂
魔法を解き放った。
﹁
俺の身体から神々しい光が漏れ、患者が淡い白光に包まれる。
火傷した肌の上から絵の具を塗っていくように新しい皮膚が再生
され、みるみるうちに傷が消えた。
﹁い⋮⋮いたくねえ?!?!﹂
﹁おおおおおおっ⋮詠唱なしで⋮⋮﹂
﹁しばらくは安静に。あっちにベンチがあるわ﹂
﹁わかった⋮﹂
安心させるように男の目を見て笑顔で言う。火傷が治った彼はゆ
っくりした足取りで奥のベンチへ移動した。
﹁お嬢ちゃんありがとう! ありがとう! ほんとにありがとう!
あいつは昔っからの悪友でよぉ!﹂
﹁お礼はあとよ! あなた、手伝ってちょうだい! どんどん私の
前に患者を寝かせてッ﹂
﹁おう! まかせとけ!﹂
再生の光
で
元気そうなその友人に協力を要請し、次々に患者を治療していく。
ポカじいに患者の重症度のアドバイスをもらうと、
全員治せるレベルの傷だったので、重傷者はすべて俺が担当するこ
とにした。ポカじいが後ろに控えていてくれるので、思い切り魔法
が使える。ありがとよじいさん。
823
﹁すごい! 一瞬で
再生の光
を詠唱したぞ!﹂
﹁ぎゃあああぁぁ⋮⋮⋮って治ってる!?﹂
﹁なんだあの子は!? 杖なしだぞ!﹂
﹁あんな子この町の治療士でいたか?!﹂
再生の光
十回が限度だと聞いたが?!﹂
﹁いかん! あの子が女神に見えてきた!﹂
﹁北東の治療士は
﹁よくわからんけど重傷者をあの子の前へ運べ!﹂
ジャンジャン、コゼット、桶屋の息子、受付嬢が獅子奮迅の働き
で会場内を動き回り、火事現場から患者を運んできた元気な男共が
治療に協力する。アリアナ遊撃隊に呼ばれた商店街で手が空いてい
るメンバーも駆けつけ、全員で負傷者の治療に当たった。
そんな緊迫した雰囲気をぶちこわす声が入り口から響いた。
﹁おーっほっほっほっほっほ! ニキビ小デブ! やっと見つけた
わよ⋮⋮⋮⋮って何この惨状はッ?!﹂
﹁邪魔⋮﹂
﹁どいて!﹂
﹁どくニャ﹂
﹁失礼ッ﹂
満を持して登場したルイボン14世は大量の水とタオルを運んで
きたアリアナ遊撃隊によって奥へ押しやられた。
ちらっとルイボン14世を見ると、バカにしていい雰囲気でない
ことをさすがに悟ったのか言葉が何も出てこないようだ。付き人ら
しき四人も治療院の奥へと追いやられる。
824
﹁
再生の光
!!﹂
火事の崩落によって右半身に大けがを負っていた患者が、癒しの
白光に包まれ回復していく。
﹁す、すごいわね⋮﹂
思わずルイボン14世が呟く。
﹁暇なら手伝って⋮﹂
﹁このタオルは向こう!﹂
﹁水をコゼットのところに持っていくのニャ!﹂
﹁よろしくお願いします﹂
アリアナ遊撃隊はルイボン14世とその付き人にタオルと水の入
った壺を押しつけて、外へ飛び出していった。
﹁な、なんで私が!﹂
そう叫ぶルイボン14世だったが、周囲から﹁領主様の娘ルイス
様だぞ﹂﹁手伝いに来てくれたらしい﹂﹁跳ねっ返りのお転婆が?﹂
﹁なんにせよありがてえ!﹂という声を浴びてしまい﹁しょ、しょ
うがないわねえ!﹂と大声で言って手伝い始めた。
基本いい奴のルイボン14世に俺は思わず笑ってしまった。
﹁あの子が笑ったぞ!﹂
﹁まだ魔力が尽きないらしい!﹂
﹁誰なんだあの子は! 垂れ目が可愛いッ!﹂
825
﹁うあぁ! からだが熱くっ⋮⋮⋮⋮⋮ないッ!?﹂
﹁もう二十人は治療してるってのにまだいけるのか!?﹂
再生の光
は見たことがないッ!﹂
﹁頑張れみんな! あの女神みてえな子が治してくれる!﹂
﹁あんなに発動の早い
ルイボン14世を含めた全員が事態を収束させようと駆け回って
をかけていた。疲労軽減の効果がある魔法だ。
いる。ポカじいがこっそりと動き回っている連中に木魔法の下級
キュール
精霊の森林浴
ヒール
それから十五分ほどで重症患者は治療し終わり、続いて中傷者の
治療をする。治癒組も奮闘している。まだ魔力は切れていないよう
ヒール
だ。桶屋の息子が周囲の状況を確認し、並んでいた患者を院内へ案
内し始めた。治癒組の列がすぐに行列へと変わる。
﹁まだいける!﹂
﹁やるわよ!﹂
﹁エリィしゃんとデート!﹂
お調子者マツボックリペアとクチビールが奮闘する。
そこから二時間ほど経過して、ようやく院内が落ち着いてきた。
俺はベンチやベッドに寝ている重傷だった患者の様子を見てまわり、
治療漏れがないかを確認していく。様子を尋ねると﹁ありがとう﹂
や﹁助かった﹂などの感謝の言葉をもらった。いやー人の為になる
ことってやっぱ気持ちいいね。誰かの役に立って、エリィも喜んで
る気がするぜ。
﹁ハァハァ⋮⋮言い遅れたけどねッ! 今日から一週間が勝負だか
らね!﹂
826
煤で汚れた治療院を掃除していたルイボン14世が山盛りパーマ
をゆさゆさ揺らして、思い出したかのように指さしてくる。
﹁わかってるわ。絶対に西が勝つけどね﹂
﹁ふふん、私にはとっておきの秘策があるから負けないわよ!﹂
﹁どうせあれでしょ、有名な吟遊詩人でも呼ぶんでしょ?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ち、ちがうわ﹂
俺がスパイから得た情報を披露した。
動揺を隠せないルイボン14世。
﹁へーそうなの、へー﹂
﹁ち、ち、ちがうわ﹂
﹁へぇ∼。そうなのぉ∼﹂
﹁むきーーーーーーーーーーーーーっ!!!!﹂
彼女は腹に据えかねたのかタオルを床にたたきつけた。
﹁そうよ! 超有名な吟遊詩人様が東の商店街で演奏してくださる
のよ! 集客はうなぎのぼり間違いなし!﹂
﹁それはそれは⋮⋮﹂
﹁な、何よ﹂
﹁頑張ってね﹂
﹁きぃーーーーーーー! バカにしたような目で見ないでちょうだ
い!﹂
﹁別にバカにしてないわよ。財力で集客するなんて当然の戦略でし
ょ﹂
﹁ま、まあ、そうよね。ふん﹂
﹁それからルイボン14世⋮⋮治療を手伝ってくれてありがとね。
あと付き人の人も﹂
827
俺は心から礼を言った。顔が勝手に微笑むのはエリィのせいだろ
うか。
ルイボン14世は熱に浮かされたようにぼーっと俺の瞳を見つめ
て顔を赤くし、振り切るように首を振った。
﹁領主の娘として当然よ! 礼なんていらないわ!﹂
﹁そう。何にせよ助かったわ﹂
﹁ふん! 一個貸しよ、貸し!﹂
﹁いいわよ﹂
﹁忘れないでちょうだい!﹂
ルイボン14世は念を押すように何度も俺の顔を指さした。
こらこら、そんなに人を指さすのは失礼だぞ。
﹁それにしてもあなた⋮白魔法使いだったとはね⋮⋮さすがに驚い
たわ﹂
﹁頑張って練習したから﹂
﹁そうなの、偉いのね﹂
﹁ルイボンの適性魔法は何なの?﹂
﹁私は⋮⋮土。でもダメ。魔法の才能が全然なくって﹂
﹁へえ。でも練習はしっかりしておかないといざってとき対応でき
ないわよ﹂
﹁そうね、家庭教師にもう一度言って練習しようかしら﹂
﹁それがいいわよ。たまになら練習に付き合ってあげるし﹂
﹁本当に?!﹂
﹁私も自分の修行があるから、たまによ?﹂
﹁いいわよたまにでも! 絶対に約束よ!?﹂
﹁ええ、別にかまわないわ﹂
﹁本当の本当に忘れないでよね!﹂
828
﹁わかったわよ⋮そんなに大声を出さなくても⋮﹂
そこまで言って自分が何を念押ししているのか気づき、あわてる
ルイボン14世。
余程恥ずかしかったのか、ルイボン14世は立ち上がって﹁勝負
は勝負だからね!﹂と言ってつむじ風を巻き起こさん速度で去って
いた。
あれか? ルイボン、友達いないのか?
その後、特に大きい事故などはなく、患者が散発的に来院してき
た。
他のメンバーが早くに魔力枯渇になってしまったので、後半は重
軽傷者関係なく俺がすべて治療をした。
この日の来院者数は339名。
たこ焼きは301パック売れた。
ポイントカード景品交換所を商店街のど真ん中に持ってきたおか
げで、カードに興味を持ってくれるお客さんが増え、商店街には過
去最高数の人が集まった、と報告を受けた。
○
商店街七日間戦争・二日目︱︱
829
午前九時五十分。
開院前だというのに百五十人が並んでいる。
ちょ! まじ並びすぎっしょ?!
何が起きた?!
聞くと、治療を受けた人から噂を聞きつけた患者が八十八名。朝
のアリアナ遊撃隊の呼びかけを聞いた患者が二十五名。アリアナが
可愛くて我慢できず、上半身裸になって飛び付こうとしたら虎娘に
噛みつかれ、猫娘に引っかかれ、豹娘に回し蹴りを食らった、とい
う男が一名。アリアナに告白しようとしたところ、ライバルと鉢合
わせになり勝手に決闘をして、相打ちになって血まみれ、というア
ホなのが四名。アリアナに﹁⋮⋮いやッ﹂と一言でフラれ、心の傷
を癒して欲しく来院したのが六名。俺に感謝の花束を持ってやって
きた昨日の患者が二十六名。
なんか、すごいことになってるな⋮。
再生の光
に感動し、これから俺のことを﹃白の女神﹄
治療の前に、花束を持った二十六名を中に通した。
彼らは
と呼ぶ、と口を揃えて言った。
待ってくれ。ちょっと待ってくれ。すげえ恥ずかしいんだが!
﹁それはやめて⋮!﹂
﹁はっはっはっは、恥ずかしがる白の女神もかわいいね﹂
﹁君には感謝してもしきれないのさ﹂
830
﹁呼ぶくらいはいいだろう?﹂
ということで押し切られてしまった。
デブでブスだった俺がいつの間にか﹃白の女神﹄かよッ。
急展開すぎてついていけないんだが⋮。
ニキビだってまだ半分ぐらいしか消えてないし⋮。
まだそんな女子としての自信がないんだけど、俺。
うろたえている間に、大量の花束が治療院に飾られた。
赤、白、黄色、水色、色とりどりの花で埋め尽くされ、治療院が
一気に華やかになった。甘い香りが院内を包み込む。
まあ、こうなったらもう期待に応えるしかねえな。よし、妥協せ
ずに精進し、スーパー魔法使いアンド超絶美少女を目指すぞ。天才
的なプラス思考を今ここで発揮するべきだ!
俺、超かわいい。白の女神。イエーイ。
それから患者が来るわ来るわで大盛況だ。
なんでも昨日の火事の対応が良かったとの噂が一気に広まり、北
東の治療院からわざわざこちらへ患者が来ているようだった。女神
のような白魔法使いがいる、という声が聞こえ、俺を探す視線が痛
い。好奇の目、というか、尊い者を見るような目線を向けられた経
験はさすがの俺にもなく、どういう反応をすればいいのかわからな
かった。
人気者って結構困るな。いや、まじで。
なるべく視線を気にしないように患者を捌き、魔力ポーションや、
マンドラゴラ活性剤などで体力を維持しつつ全員でなんとかその日
831
を終わらせた。アリアナ遊撃隊がお昼とおやつにおにぎりとたこ焼
きを持ってきてくれたのはまじで助かった。下手したら飯抜きだっ
たぜ。
この日の来院数は520名。
たこ焼きはなんと400パック売れた。
アリアナ遊撃隊が上手く立ち回ってくれ、治療院とたこ焼き屋を
行ったり来たりして不足分を補充してくれたようだ。後半はたこ焼
き屋にかかりきりだったみたいだな。向こうも行列ができてやばい
らしい。たこ焼き器を三機追加しても捌ききれず、閉店時間で並ん
でいる客を帰してしまうほど、人員が間に合わなかったそうだ。閉
店した今も材料をギラン、ヒロシ、チャムチャムが必死にかき集め
ている。喧嘩してないみたいだし、えらいえらい。
あれからちょこちょこルイボン14世が治療院に顔を出すように
なった。彼女から聞いた話によると、明日からデザートスコーピオ
ンの討伐作戦が開始されるようだ。﹃竜炎のアグナス﹄というA級
冒険者を筆頭に、B級が七名、C級が二十名、オアシス・ジェラの
兵士が八十名、計百八名という大規模な作戦だ。
ちなみにルイボン14世は﹃竜炎のアグナス﹄というイケメン冒
険者にお熱らしい。語り口調がやけに情熱的だった。あなた恋して
うぶ
るんじゃないの、と聞くと、かつてないほど狼狽して治療院から走
り去っていった。初心だなー。
832
身体強化
できる、と言われ
なんだか、魔力循環が日に日に上手くなっている気がする。
ポカじいに、これならすぐにでも
た。修行したいのも山々だったが、疲れすぎてアリアナと風呂に入
ってすぐ寝てしまった。
○
商店街七日間戦争・三日目︱︱
午前九時五十分。
開院前だというのに二百人が並んでいる。
どうしてこうなった!?
並びすぎいいい!!
オアシス・ジェラ中の患者が西の治療院に来ているんじゃねえの
? まじで!
聞くと、治療を受けた人から噂を聞きつけた患者が百二十五名。
朝のアリアナ遊撃隊の呼びかけを聞いた患者が三十名。アリアナが
可愛くて我慢できなかったが、アクションを起こすと怪我をすると
ようやく学習した野郎共が集団で告白したところ﹁⋮⋮⋮いやッ﹂
と一言でフラれ、心の傷を癒して欲しく来院した、という同情して
いいのか笑っていいのかわからない患者が十五名。そして、実に真
剣な面持ちで俺に感謝の花束とラブレターを持ってやってきた元患
者が三十名。
何が起きてるッ!
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一体何がッッ!
俺の理解の範疇を超えて事態が動いてるぞ!!
アリアナはわかる。ちっちゃくて可愛くて、まつげが長いつぶら
な目で見られたら男は一撃でノックアウトする。おまけに狐耳がそ
の可愛さを増幅させてるからな。あれは反則だ。別に小さい子が好
きじゃなかった俺ですら、もうアレだ。あかんのや。刑事さん、白
状するで。俺ですら⋮⋮⋮あかんのや。
それに、グレイフナーの家族が平気だとわかってから益々元気に
なったからな。見た感じ、またちょっとアリアナの体重が増えた気
がする。もうちょい太って筋肉がつくと細身でバランスのいい体つ
きになるな。そうなったら⋮⋮⋮いや、やめよう。妄想だけで結構
やばい。鼻血出そう。俺、女だけど。
綺麗
に
可憐さ
と
可愛い
を地でいく
を内包させた﹃伝
エイミーとは真逆のベクトルの美人になるな。
エイミーが
可愛いは正義
を極めし﹃アルティメット狐美少女﹄って感じか。つーか
説級美女﹄だとすると、アリアナは
可愛い
日本でもあそこまでの美人、美少女はみたことがねえ。
って何の分析してんだよ。
アホかッ。
そういや昨日、治療院の端っこで、コゼットがアリアナにフラれ
た男たちを懸命になぐさめていたな。あれはもはや恋の精神科だっ
た。男達の晴れ晴れした表情が印象的で、みんな吹っ切れたみたい
だ。コゼットすげえな。今日もフラれた男達の心のケアはコゼット
にまかせよう。
にしても急に﹃白の女神﹄とか呼ばれてラブレターたくさんもら
834
っても本気で困るんだが⋮。全員フッて、コゼットに丸投げするの
がいいかもしれねえ。さすがに尊敬されるような眼差しで見られて
﹁おとといきやがれですわーおっほっほっほ!﹂とかふざけた対応
できねえ⋮⋮。ちょっとやってみたいが。
何にせよ、真摯に対応しよう。営業時代とその辺は同じだ。
とりあえず俺へのラブレターと花束を持った男達を院内へと通し
た。
﹁皆さん、花束をありがとう﹂
両手で抱えきれないほどの花束を受け取った。
つい色とりどりの花がきれいでうっとりと微笑んでしまう。
男だろうが女だろうが美しい物を見ると自然と口角が上がるもん
なんだな。俺、前からきれいなものとか美しいもの好きだし、つい
ね。
我に返って前を見ると、男たちや治療院のメンバーが俺のことを
ぼーっとした顔で見つめていた。何? 何なの? なんか問題ある
なら言ってほしいんだけど!
花束を持ってきた男たちの代表っぽい豪奢なターバンを巻いた初
老の男性が、厳かに一歩前へ出て胸へ右手を当てた。咄嗟に裾をつ
まんでレディの挨拶を返す。
﹁南の商店街代表、エゲレンタ・ボンテミーノと申します。先日は
火事の際、助けて頂きありがとうございました。運悪く私は現場に
いて巻き込まれたのですが、幸運にも女神の助けを得られました。
すべての被害者を代表して心からのお礼を申し上げます﹂
﹁グレイフナー王国ゴールデン家四女、エリィ・ゴールデンと申し
835
ます。グレイフナー王国のレディとして当然のことをしたまでです
わ﹂
﹁エリィさん⋮⋮いや、白の女神エリィちゃん。私たちは君に感謝
と尊敬を送ると共に、突然現れた君に対してどう接すればいいのか
気持ちを持て余している、ということを伝えなければなりません。
あなたの治療を受け、白い光で身体が包まれたとき、何か大事な気
持ちを思い出したような気がするのです。この気持ちを砂漠の男と
して表現しない、という選択肢はありません。我々砂漠の男は常に
情熱的で行動的であれ、と先祖から教えられております。ですので
はっきりと言います。私と友達からでいいので付き合ってください
ッッ!!!!﹂
﹁じじいてめえ偉そうなこと言って抜け駆けすんじゃねえよ!﹂
﹁エリィちゃん初めまして!﹂
﹁俺と付き合ってくれ﹂
﹁あ、てめえ! 俺も君が好きだ! 惚れたッ!﹂
﹁その瞳に負けた⋮⋮もう好きにしてくれ﹂
治癒
ヒール
を唱えてくれ。俺はケバーブを作ろう﹂
﹁優しげな瞳に宿した情熱の炎に身を焦がされたい!﹂
﹁毎晩
﹁んんああッ! すべては君の瞳の中にッ!﹂
男たちが右手を差し出して一斉に頭を下げる。ワイシャツを広げ
て乳首を見せつけている訳のわかんねえ奴もいる。こんなシチュエ
ーションどっかのテレビ番組でしか見たことねえよまじでッ。
何が起きてるッ!?
一体何がッッ!!
もー何が何だかよく分からん!
当然、こんな男たちの一斉攻撃を受けたら顔が赤くなるわな。
熱ッ。己の意に反して顔が熱いぜ。
836
そして可愛らしい女の子みたいにきょろきょろしてしまう俺。
だぁーーっ!
もう何なの?!
やだこれもう!!!
力を振り絞って、声を出した。
﹁あ、あ、あの皆様? 私はそんな美人でも可愛くもないんだけれ
ど⋮。最近ちょっと痩せたとは思うけど⋮それはほんのちょっとっ
ていう話で⋮﹂
﹁何を言うか!﹂
﹁その所作、行動、微笑み、あんたは白の女神だ!﹂
﹁そんな大きな垂れ目、見たことがない! かわいいっ!﹂
﹁それにエリィちゃんのその肩の下についているおっぱ︱︱ぐぎゃ
あ﹂
﹁てめえエリィちゃんをそんな目で見るんじゃねえ!﹂
﹁ふつくしいぃ﹂
﹁魔力枯渇寸前まで何度も何度も治療魔法を唱えてくれたあんたの
姿、この目に焼き付いてるぜ⋮﹂
﹁アリアナ、アリアナ、助けてちょうだい﹂
俺は精神安定剤であるアリアナに助けを求めた。
思えば助けてくれと言ったのは初めてかもしれない。
彼女は待ってましたと言わんばかりの勢いで飛び出してきて、俺
をかばうように両手を広げた。
﹁エリィが困ってる⋮やめて﹂
837
男たちが、ぐうと唸って一歩引いた。
﹁アリアナ、ちょっといいかしら﹂
﹁ん⋮?﹂
﹁耳を触らせて﹂
﹁ここで⋮?﹂
﹁自分が自分でないぐらい動揺してるのよ。お願い!﹂
﹁別にいいけど⋮﹂
﹁ありがと﹂
もふもふもふもふもふ。
あー癒されるーこれ。
アリアナの狐耳
があって本当によかったー。一家に一人、
精神錯乱、情緒不安定、肩こり、リウマチ、悪寒、すべてに効能
がある
アリアナの狐耳って感じだー。
﹁ん⋮エリィ、もうちょっと下﹂
﹁この付け根のところね﹂
気持ちよさそうにアリアナが目を細めるので、つい微笑んでしま
う。
﹁南の商店街代表、エゲレンタ・ボンテミーノはここに宣言するぅ
! 我々は、いま、ここに、人類の楽園を見たと!!!﹂
﹁何なんだよあの狐娘はッ! 反則的な可愛さだろ⋮﹂
﹁超可愛い狐娘の耳をこれでもかといじる白の女神⋮⋮生きててよ
かった﹂
やいのやいの言っている男たちの言葉が聞こえてきたので夢中に
838
なっていた狐耳から手を離した。
すると、獣人三人娘がすり寄るように集まってくる。
﹁リーダーだけずるいぞ!﹂
﹁そうニャそうニャ!﹂
﹁できれば⋮お願いしますボス﹂
虎、猫、豹の娘っ子にあっという間に取り囲まれた。
よーし、こうなったら︱︱
もふもふもふもふ。
もみもみもみもみ。
つんつんつんつん。
さわさわさわさわ。
﹁ん⋮﹂
﹁うああっ!﹂
﹁ニャニャニャッ﹂
﹁わふぅ∼﹂
アリアナはいつも通りに、虎娘は全体的に、猫娘はつまむように、
豹娘は撫でるように、これでもかといじり倒してやった。
﹁ケモノミミに囲まれる女神⋮﹂
﹁あちら側とこちら側には隔絶した差がある﹂
﹁むこうは楽園だ⋮﹂
﹁あの輪に入りたいッ﹂
﹁なんてこった、なんてこった⋮﹂
そうこうしているうちに開院の時間になってしまった。
839
こいわずら
告白してきた男たちはコゼットが行う﹃恋患いセラピー﹄の特設
ブースへ移動させ、いつも通り治療を開始する。
この日の来院数は557名。
たこ焼きは428パック売れた。
治療院も昨日同様大混乱で大忙し。たこ焼き屋のほうは阿鼻叫喚
の地獄絵図になっていたそうだ。商店街から出せるギリギリの人員
で水を配っていたが、熱中症で倒れるお客さんが続出。そのまま治
療院に運ばれるというなんともよくわからない事態になった。
ポイントカード効果が功を奏しているのか他の店舗の売り上げも
上々だ。商店街のメンバーは疲れてはいるものの、一様に表情が明
るい。
﹁ねえアリアナ。私ってそんなに変わった?﹂
﹁うん⋮﹂
﹁どの辺が?﹂
﹁目がおっきくなった﹂
﹁それって顔の脂肪が取れたって事?﹂
﹁うん⋮先週より痩せたと思う﹂
﹁え?! 先週と全然違うの?﹂
﹁エリィの目、エイミーと似てるよ⋮﹂
﹁まあ! まあ! 姉様と?!﹂
﹁似てる⋮⋮でもエリィのほうが少し大きいかも?﹂
﹁ええーっ! それはないわよ∼﹂
840
俺は全力で否定した。
エイミーの目はでかい。そして顔が小さい。まじで小顔だ。
﹁それはどうでもいいこと⋮。私はエリィのほうが可愛いと思う﹂
語気を強めてアリアナが言った。
いやーそれこそないと思うよ。うん。
ニキビあるし、髪もまだまだ綺麗じゃないし。
○
商店街七日間戦争・四日目︱︱
開院前だというのに百二十人が並んでいる。
前日より随分少なくて、正直ホッとした。
西の商店街情報担当の話によると、今日はルイボン14世が言っ
ていた﹃超有名吟遊詩人﹄が演奏を披露する日程になっているそう
で、明日も講演が組まれているらしい。二日連続ステージか。悪く
ない作戦だ。そうこなくっちゃ面白くない。
だがいいのかルイボン。呼ぶだけじゃダメなんだぞ。商店街を利
用してもらわないとカウント魔道具が動かない。つまりはコンサー
トを開いても、その帰りなり途中で買い物をしに店を使ってもらわ
ないといけないのだ。
841
もう一つは﹃東の商店街﹄の大店﹃バイマル商会﹄がたこ焼きの
レシピを盗みに来ているそうだ。絶対渡すな、と伝えてある。せい
ぜい自分たちでレシピを解明するんだな。調理法は見えているんだ
し、そんな時間はかからないだろ。
だが、元祖たこ焼き屋はゆずらねえぜ。
いつもの流れで開院した。
治療をしつつ、俺とアリアナにフラれた男をコゼットセラピーに
送り込んでいく。みんな疲労が蓄積しているのか魔力の枯渇が早い。
本来だったら一日は休みを入れているはずだ。それを無理して全員
に出勤してもらっている。クチビールとマツボックリペアは弱音一
つ吐かずに自分の限界まで魔力を使い、患者を治していく。健気で
献身的な姿に俺はちょっと感動を覚えた。
この日の来院数は333名。
たこ焼きは325パック売れた。
842
第10話 イケメン、商店街、七日間戦争・中編︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重60㎏︵−2kg︶
次回、商店街七日間戦争・後編です!
843
第11話 イケメン、商店街、七日間戦争・後編︵前書き︶
増加率が間違っていたので修正致しました!
増加率︵%︶=︵増加量/増加前の量︶×100
ご指摘、感想いつもありがとうございます。
返信が遅くて申し訳ありません。
今回、ちょっと長めです。
それでは後編です!!
844
第11話 イケメン、商店街、七日間戦争・後編
商店街七日間戦争・五日目︱︱
今日も吟遊詩人のコンサートがあるのか、並んでいる人数は百人
ちょっとだ。
合わせてルイボン14世のほうでも、治療院をこっちの格安金額
に三日間だけ合わせるらしい。いい判断だが、ちょっと遅かったな。
そろそろ体がきつくなってきていた頃だったから、来院者が少な
いのは正直ありがたい。
たこ焼きは軌道に乗っているし、ポイントカードもお客さんに面
白がってもらえている。お調子者のマツボックリペアがポイントカ
ードを百枚コンプリートすると、﹃エリィ、アリアナのどちらかと
半日デートできる券﹄というのをギャグのつもりで景品交換所に書
いたらしい。
このポイントカード、一枚で百ポイントまで貯められて、一ポイ
ント千ロンだ。つまり一枚満タンにするのに日本円にして十万円必
要で﹃エリィ、アリアナのどちらかと半日デートできる券﹄と交換
するには一千万ロン必要だ。まさかポイントカード百枚貯めるアホ
はいないだろう。
ちなみに一ポイントから景品と交換できる超良心的システムを採
用している。
すぐ交換できたほうが楽しめると思ったからだ。
845
この日も陽射しは強く、晴れ渡る空が砂漠の町に広がっている。
俺とアリアナ、ジャンジャン、コゼット、ポカじいがいつものよ
うに治療院の準備を進めている。治療院の開放も準備期間の一週間
と勝負五日目、あわせて十二日目に突入しており、準備は流れるよ
うに行われる。
ただ、変わったことが一つ起きた。
いつもは隙を突いて尻を触ってくるポカじいが今日に限って妙に
静かだ。
俺は事情を聞こうとポカじいに近寄ると、賢者らしく瞑想して何
かの気配を探っているところだった。探索系魔法を使っているのだ
ろうか。じいさんの使用できる魔法は数が多すぎてすべて把握しき
れていない。
﹁む、エリィか⋮⋮﹂
﹁何かあったのポカじい﹂
﹁ふむ⋮⋮ちぃとな。こっちにきてみい﹂
ポカじいは俺を近くへ呼ぶと、窓の外を覗くように言ってくる。
なんだ? なんかあるのか?
雲一つない晴天の空に、大きな赤い鳥がトンビみたいにゆっくり
旋回していた。
﹁エリィ、わしはどうしても家に帰らねばならんようじゃ﹂
﹁あの鳥、何なの?﹂
846
﹁なぁに、アレ自体は大したモノではないのぅ。だが、警戒してお
いたほうがええじゃろ。面倒じゃが結界の張り直しが必要じゃな﹂
﹁平気?﹂
﹁時間がかかるからそのつもりでおるんじゃぞ﹂
﹁どれぐらいかかりそう?﹂
﹁丸一日じゃな。詳しくはあとで話すわい﹂
﹁⋮わかったわ﹂
﹁今までの教えを守っておれば大丈夫、おぬしなら平気じゃ﹂
﹁ありがとう⋮ってお尻は触らせないわよ!﹂
﹁最近妙に勘が鋭くなって尻をさわるのも大変じゃ!﹂
捨て台詞を残してじいさんは治療院から出て行った。去り際に﹁
まーたイカレリウスがのぅ⋮﹂というぼやきが聞こえてくる。
イカレリウス?
どっかで聞いたな⋮。
確か南の魔導士、だったか?
そうだ。砂漠の賢者ポカホンタス、南の魔導士イカレリウス、っ
てクラリスが何度も言ってたもんな。じいさんとどういう関係にあ
るのかは分からないが、まあとりあえずポカじいが平気って言って
るなら大丈夫だろう。
俺たち治療組は久々に余裕のある治療ができるので、患者さんと
談笑しながら仕事を進めていく。ジャンジャンとコゼットも穏やか
な顔だ。
するとここ何日かですっかりお馴染みになったルイボンが高笑い
しながら登場した。
﹁エリィ・ゴールデン! お邪魔するわよ!﹂
847
﹁あらルイボン、どうしたの?﹂
﹁別にあなたのニキビを数えにきたわけではなくってよ﹂
﹁そう。患者さんがいるから静かにね﹂
﹁あらごめんなさい﹂
素直に声のトーンを落とすルイボン14世。
﹁で、あなたいつ東の商店街に来るのよ?﹂
﹁え? 何の話?﹂
﹁ほ、ほら。敵の大将の私が来たんだから、あなたが来ないとおか
しいでしょ!﹂
﹁私、治療で忙しいから無理よ﹂
﹁そうよね⋮﹂
ルイボンはがっくりと肩を落として、付き人から扇子を受け取り、
パタパタと力なく扇ぐ。
俺は患者に向き直り、魔力を放出させた。
キュアライト
﹁癒発光﹂
﹁おお⋮杖なしか。美しい﹂
﹁それよりもう怪我しちゃダメよ﹂
﹁わかったよ。白の女神の頼みじゃ断れないな﹂
﹁その呼び方⋮⋮⋮まあいいわ﹂
﹁白の女神エリィちゃん、ありがとう﹂
﹁どういたしまして﹂
患者に手を振り、ルイボンを見た。
﹁それで、何か用なの?﹂
﹁コンサートのチケット⋮⋮いる?﹂
848
﹁吟遊詩人の?﹂
﹁ええそうよ。超特別に最前列の席を確保しておくわ﹂
﹁うーん、でもやっぱり時間がなぁ⋮﹂
﹁そうよね⋮⋮仕方ないわよね⋮﹂
﹁観てみたいけど今回は諦めるわ﹂
﹁そう⋮そうよね﹂
明らかにがっかりしているルイボン14世がちょっと可哀想にな
ってしまう。
仕方ないから時間を作って顔を出そうかと思っていると、治療院
の扉が慌ただしく開いた。桶屋の息子が血相を変えて飛び込んでく
る。治療組、患者たち全員が何事かと注目した。
﹁た、たいへんだエリィちゃん!﹂
﹁どうしたの桶ヤン?﹂
﹁デザートスコーピオン討伐組が帰ってきた!﹂
﹁あら、討伐はうまくいったのね﹂
﹁成功は成功らしいんだ! でも予想されていた出現魔物B級のク
イーンスコーピオンの他に、B級キングスコーピオンもいたらしく
︱︱!!﹂
﹁キングスコーピオンですって! クイーンとキングは本来別行動
をしているはずよ?! 竜炎の! 竜炎のアグナス様はご無事なの
ですか!?!?﹂
ルイボン14世が顔面を蒼白にして桶屋の息子に詰め寄る。
﹁わっぷ! 髪ッ。髪の毛で息ができないッ!﹂
﹁こらこらルイボン落ち着きなさい!﹂
849
俺は桶屋の息子に頭から突っ込むルイボンを引っぺがした。
﹁生きているよ! でも右腕をやられて出血多量、意識不明の重体
だそうだ! いまからこの治療院に搬送される!﹂
﹁討伐地域は北側でしょ? 北東の治療院のほうが近いじゃない﹂
﹁それが⋮格安で開放したせいで治療士が魔力切れなんだ! 白魔
法を使える状態じゃないらしい! 討伐に同行した領主お抱えの白
魔法士もまずい状況みたいだ。おそらくここに七十名ほどの患者が
来る!﹂
途端、ざわつき始める治療院。
ルイボンが信じられないのか腰砕けになってへたりこんだ。
﹁あの、あの竜炎のアグナス様が⋮⋮炎の上級まで使えるお方が⋮
⋮﹂
緊急事態は日本でもよくあったな、と思いつつ立ち上がった。
﹁みんな静かに! やることは前回の火事のときと同じよ! 私の
指示を聞いてちょうだい﹂
治療院は俺が発した可愛らしい声によって静まりかえった。
﹁まず桶ヤンは南の商店街から応援を呼んできて。みんないい人た
ちだから協力してくれるわ。アリアナ遊撃隊は今まで通り、たこ焼
850
き屋、ポイントカード、治療院に情報を伝えつつ穴埋めを。ジャン
ジャン、コゼットは治療士の魔力を温存するために、今並んでいる
怪我人を魔法ではない通常の処置で治療してあげて﹂
﹁よっしゃ!﹂
﹁うん⋮﹂
﹁やるぞっ!﹂
﹁がんばるニャ!﹂
﹁やります!﹂
﹁オーケーエリィちゃん!﹂
﹁がんばりまーす!﹂
桶屋の息子、アリアナ遊撃隊、ジャンジャン、コゼットが準備の
ために走り出した。
﹁マツボックリペア! クチビール! ここが正念場よ! 気合い
入れなさい!﹂
﹁エリィしゃんのために!﹂
﹁よぉーし!﹂
﹁やるわよ!﹂
三人は互いの手を叩き合って、魔力ポーションを一気飲みした。
いつの間にかめっちゃ仲良くなってるし。
﹁ルイボン! あなた家に帰ってありったけ魔力ポーションと光魔
法が使えそうな人間を引っ張ってきてちょうだい! 領主の家なら
色々あるでしょ?﹂
﹁そ、そんな⋮⋮⋮アグナス様⋮⋮﹂
﹁ルイボン! 聞いているの?!﹂
﹁あのお方はお強くて⋮⋮凛々しくて⋮⋮﹂
﹁ルイボン!﹂
851
跪いて彼女の肩を両手で揺らした。
かくんかくんと力なく首が垂れ、変な髪型が揺れる。
﹁意識不明だなんて⋮⋮そんな⋮⋮﹂
﹁ルイボン14世!﹂
﹁あのお方が⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ルイス・ボンソワールッ!!!﹂
俺はパン、と音が鳴るほどの力でルイボンの頬を張った。
﹁いたっ⋮⋮何するのよ!!﹂
﹁⋮なんだ、まだ元気じゃない﹂
ルイボンを抱きしめて、背中をゆっくりと撫でてやった。
わかる。わかるぞルイボン。好きな異性が死にそうだったら誰だ
って狼狽えるよな。
俺だってそうだった。
思い出したくない記憶だってある。
でも大丈夫だ、何とかする。俺が何とかしてやるから。
﹁え⋮ああ。私すっかり⋮⋮﹂
﹁いいのよ、恋する乙女だもの。好きな殿方を心配しないほうがお
かしいわ﹂
﹁エリィ⋮あなた⋮⋮﹂
﹁大丈夫よ﹂
﹁本当に?﹂
﹁まかせて﹂
﹁ふん、さすがは私のライバルね⋮﹂
﹁あなたの想い人、竜炎のアグネスちゃんは私が治すわ﹂
852
﹁アグナスよ。あとちゃん付けしないで﹂
﹁あら失礼。アグナスは私が治すわ。だからあなたもその人が好き
なら自分のできることを精一杯しなさい!﹂
﹁言われないでもそうするわ! 行くわよ!﹂
さすが領主の娘、立ち直るのが早い。付き人を連れて走って治療
院から出て行った。
俺たちは重体患者がいつ来てもいいように治療院内のベンチや診
察台を移動させ、場所を広く取った。
ポカじいがいないので正直、不安だ。
が必要になる。
再生の光
では腕は元に戻
しかもアグナスは腕をやられた、と言っていた。まさか切断され
たのか?
加護の光
もし切断されていたら白魔法の下級
らない。中級
ふう、落ち着け。
こういう時こそ落ち着きが大事だ。
焦っていては正常な判断ができない。
精神統一をしていると外が騒がしくなり、治療院の扉をバンと勢
いよく開けて桶屋の息子が飛び込んでくる。
﹁エリィちゃん、第一陣が来る!﹂
﹁みんな、いいわね!﹂
全員が返答をすると同時に、ずたぼろになった男たちが搬送され
てくる。見たところほとんどが重傷者で、魔物の返り血であろう緑
色の液体を全身にこびりつかせ、呻くこともできないほど憔悴して
いる。破れた衣服から痛々しい傷口がのぞき、体のそこかしこに砂
853
と汗と血が入り交じってくっついていた。
馬車を院の前に乗り付けたのか、患者が一気に運ばれる。
治療院は戦争映画で観た、野戦病院のような様相に一瞬で変わっ
た。
﹁うぅっ⋮⋮⋮﹂
﹁治療士はどこだ! 早く治療士を!﹂
﹁患者をその毛布の上に寝かせて!﹂
﹁君のような若い子が治療士?! 白魔法が使えるのか?!﹂
﹁私がこの治療院の代表よ!﹂
﹁バカを言うな! くそっ! 今日は何て厄日なんだ!﹂
﹁おだまりッ! いいから寝かせなさい!﹂
火事のときと同じリアクションをされ、男を一喝した。
見れば怪我人を搬送してきたその男も満身創痍で、装備は半壊し
癒発光
キュアライト
では治らない傷だ。
て原型を留めておらず顔が泥だらけだ。
患者は
俺は患者が寝かされるのを待たず、ずっと循環させていた魔力に
再生の光
!!!﹂
白魔法を乗せ、解き放った。
﹁
体が光り輝き、患者の傷が嘘のようにみるみる塞がっていく。
患者は苦悶の表情から穏やかな顔へと変化し、気持ちよさそうな
寝息を立てた。
﹁へ⋮⋮⋮⋮へっ?﹂
﹁しばらく安静に。奥へ運んでちょうだい﹂
﹁う⋮⋮うおおおおおおおおおっ! ありがとうお嬢ちゃん、あり
854
がとうっ! こいつはキングが出てきたとき囮になって⋮⋮それで
癒発光
キュアライト
を唱え
⋮⋮⋮全員の命を救った! こいつが死んじまったらおれァ、おれ
ァッッ!!!﹂
言葉にならない声を上げて号泣する連れの男に
る。白い光が瞬き、男の傷をゆっくりと癒していく。
﹁いいのよ、うん。お疲れ様。もう休んでちょうだい﹂
﹁お、お、おぢょうぢゃん、おでばッ⋮⋮﹂
﹁あなたたちがいなければ町は魔物に襲われていたわ⋮⋮心からの
感謝を﹂
﹁あ゛あ゛っ!﹂
勇敢な男に向かってレディとしてできる最高の礼を取った。今ま
では俺がお辞儀をすると勝手にエリィの体が裾をつまんで礼をして
いたが、俺自身の心も込めたレディの礼だ。ありがとう、勇敢な男
よ。俺はお前を尊敬するぜ。
男は泣きながら何度もうなずき、同胞である患者を奥へと運んで
くるとすぐに戻ってきた。
彼は歴戦の勇士なのか、ほんの数秒で気持ちを切り替えたらしく
すっかり精悍な顔つきになっている。日本でもそうだった、こうい
う武士のような男は土壇場でも音を上げずに成果を出す。
﹁重傷者をこのお嬢ちゃんの前へ! 全員急げッ!﹂
﹁あなた大丈夫なの?﹂
﹁こんなときに休んでられっかよ!﹂
﹁そう、助かるわ﹂
﹁おれァ、オアシス・ジェラ護衛隊長のチェンバニーってもんだ﹂
855
﹁私はゴールデン家四女、エリィ・ゴールデンよ。よろしくチェン
バニーさん﹂
﹁チェンバニーでいい﹂
﹁わかったわ、バニーちゃん﹂
﹁ば、バニーちゃん?!﹂
﹁話はあとよ!﹂
﹁よ、よし、そうだな。おい野郎共、どんどん連れてこい! この
白魔法士様が必ず助けてくれるッ!﹂
ヒール
怒号が飛び交い、魔法の光が院内で輝いては消え、血の臭いと砂
の混じった埃が宙を舞う。
治癒
ヒール
を唱
を唱える。重篤患者には治癒組が一時
を唱える。数十秒ではあるが、
再生の光
ヒール
治癒
次々と患者に
的処置として
えると止血の効果がある。だからといって連発しても深い傷は治ら
ない。あくまでも症状の進行を食い止めるだけだ。
治癒
ヒール
を連発して、裂傷、打撲、無数の切り傷を浴びた患者の
﹁エリィしゃん!﹂
傷口が開かないようにしていたクチビールが叫ぶ。
再生の光
を唱える。
患者が危険、という合図だ。
そちらへ走り
患者が多すぎて俺の前に運びきれず、俺自身が移動して治療をす
再生の光
に包まれた患者の傷が瞬く間に消えた。
るほうが、効率がいい。
柔らかい
﹁エリィちゃんこっちだ! この患者の意識が飛びそうだ!﹂
﹁オーケージャンジャン!﹂
856
素早く移動して
再生の光
を行使する。
﹁お嬢ちゃん、こいつを頼むッ!﹂
護衛隊長バニーちゃんの呼ぶほうへ駆けつける。
汗が流れ落ち、息が切れてくる。ポカじいの言いつけ通り、魔力
再生の光
ッ!!!!!
循環は絶やさない。
くそ、あと何人なんだ!
再生の光
を三十発以上唱えているぞ!
まだ患者はいるのか?
もう
再生の光
を詠唱!?﹂
﹁誰なんだあのお嬢ちゃんは?!﹂
﹁杖なしッ? 一瞬で
﹁普通じゃねえ! どんだけ魔力があるんだ!﹂
﹁なぜあんなに神々しい!﹂
﹁う、美しい⋮⋮⋮﹂
﹁彼氏はッ!? 彼氏はいるのか!?﹂
﹁しらん! 俺が聞きたいぐらいだ!!﹂
治癒
ヒール
俺が魔法を使い、ジャンジャン、コゼットが甲斐甲斐しく治療後
の患者を介抱し、クチビール、お調子者マツボックリペアが
を唱え、アリアナ遊撃隊が足りない物資を運んできてくれる。他
治癒
ヒール
ができる魔法使い
にも救護班であろう男たちが入れ替わり立ち替わり手伝ってくれ、
さらには南の商店街からの応援が来た。
が三人いるそうなので急いで治療に参加してもらう。
﹁ジャンジャン、あと何人!?﹂
857
問いかけにジャンジャンが駆け寄ってくる。
﹁山場は越えたと︱︱﹂
﹁エリィちゃん! 第二陣だ!﹂
ジャンジャンの声をかき消すように桶屋の息子が治療院に飛び込
んできた。
﹁ぎゃあああ! いてえ!﹂
﹁た、たすけてくれ!﹂
﹁ぐぅーーっ﹂
﹁ママン!﹂
﹁死にたくねえ! 死にたくねえよぉ!﹂
癒発光
キュアライト
か
再生の光
で治りそうなレベルで、斬撃系
たちまち運ばれてくる患者たち。軽く見積もっても三十人はいる。
怪我は、
の傷が目立ち、ほとんどの患者が貧血状態になっているようだ。
早く傷を塞がねえとやべえ!
こうなったらアレを試すしかねえな。
一回成功したことがあるから集中すればいけるはずだ。
﹁みんな! 患者を私の周囲に集めてちょうだい! 早く!﹂
。
を大きくした範囲魔法で、半径五メートルほ
癒大発光
キュアハイライト
指示通り、メンバーたちは俺を中心に円形に患者を配置していく。
癒発光
キュアライト
唱えるのは白魔法・下級
文字通り
どにいる人間すべてを対象にできる。人数が多いと魔力消費が激し
858
いものの、一度に大勢を癒せる便利な魔法だ。ただ、この魔法、結
構難しい。
よし、集中⋮⋮⋮
集中しろ⋮⋮
﹁あの灯火を思い出し⋮⋮汝願えば大きな癒しの光になるだろう⋮
⋮﹂
イメージは瞬間的に傷が癒せる培養カプセルだ。すげー前に見た
SF映画がイメージの原点になっている。これで一回成功した。
俺ならできる。
キュアハイライト
癒大発光
!!!﹂
やれる!!!
﹁
大量の魔力が抜け落ちてく独特の感覚と共に、両手両足、全身か
ら光があふれ出す。イメージした範囲、半径五メートルの地面が輝
いてドーム状になり、イルミネーションの電球のような白と黄色の
光を交互に発した。
癒発光
キュアライト
に極限まで魔力を込めたものと同じ。複雑骨折、
範囲内にいた負傷者の傷がゆっくりと、しかし確実に塞がってい
く。
効果は
深い斬撃痕でない限りは完治する。
院内にいた全員が固唾を飲んで見守っていた。
やがて漏れる声と、傷が塞がった安堵のため息が響く。
﹁エリィちゃん⋮⋮﹂
859
﹁エリィ⋮﹂
﹁すごい⋮⋮﹂
ジャンジャン、アリアナ、コゼットが呟いた。
﹁痛くねえ。痛くねえぞ!﹂
癒大発光
キュアハイライト
癒大発光
キュアハイライト
が使えないってのはよく聞くぜ!﹂
?! 熟練の白魔法使いでも難しいのに⋮﹂
﹁ママン⋮⋮⋮ってあれ?﹂
﹁
﹁白の中級ができて
﹁女神だ、女神がいる⋮﹂
﹁すげえよあんた⋮﹂
﹁彼氏は⋮⋮いるのか⋮?﹂
﹁しらん⋮⋮俺が聞きたいぐらいだ⋮﹂
だがこれでもまだ完治していない重傷者はいる。
再生の光
を唱えた。これで山場は越えた。
額から落ちる汗をぬぐって魔力切れで倒れそうになる体を根性で
なんとか支え、三名に
あとは他のメンバーでなんとかなる。
第二陣が比較的軽傷でよかった⋮。
﹁エリィ! エリィ・ゴールデン!﹂
息をついたのも束の間、泣きそうな顔で治療院に入ってきたのは
変な髪型のルイボンだった。続いて熟練の冒険者らしきメンツが鎧
をガチャガチャいわせて入ってくる。
﹁アグナス⋮⋮アグナス様を看てちょうだい! あの方は頑なに最
後でいいと言い張っていて⋮⋮﹂
﹁俺からも頼むっ!﹂
﹁アニキを看てくれ!﹂
860
﹁頼むッッ﹂
﹁わかったわ、早く連れてきて⋮﹂
俺は魔力枯渇寸前でふらついて倒れそうになった。
あわててジャンジャンとアリアナ、コゼットが支えてくれる。
揺らさないよう慎重に運ばれてきたのは、赤い鎧に赤いマント、
赤い髪を後ろで束ねた美丈夫で、美しいであろう顔には脂汗が大量
に浮かび、だらりとした右腕は根本から切断されている。担架には
大量の血が付着して、生きているのが不思議だった。それでも精神
力が相当強いのか、意識をギリギリのところで保っている。
﹁まだ魔力が⋮⋮⋮あるかい⋮⋮治療士のお嬢ちゃん⋮⋮﹂
﹁しゃべってはダメですアグナス様!﹂
ルイボンがすかさずアグナスに駆け寄った。
﹁アグナス様はキングスコーピオン、クイーンスコーピオンを倒す
事と引き換えに右腕をやられ⋮⋮それでも半数の敵を屠り、討伐を
成功へ導いたのです⋮。アグナス様こそ真の勇士、冒険者の中の冒
険者です⋮﹂
付き人なのか仲間なのかわからないが、連れ添っていた神官風の
男が涙を流しながら言った。
﹁我々が不甲斐ないばかりに⋮⋮⋮くそっ!!﹂
﹁旦那!﹂
﹁アニキっ!﹂
﹁もう⋮⋮いい﹂
﹁アグナス様ッ!﹂
861
﹁ルイスも⋮⋮ありがとう⋮﹂
竜炎のアグナスは周囲のメンバー、神官風の男とルイボンへ笑顔
癒発光
キュアライト
でいい⋮⋮唱えて⋮⋮くれないか⋮⋮⋮。
を贈ろうとし、激痛に耐えられずしかめ面のまま口角を上げた。
﹁最期に⋮⋮⋮
ぼくは⋮⋮⋮治療魔法の光が⋮⋮⋮大好き⋮⋮⋮なんだ﹂
治療院の中央に下ろされた竜炎のアグナスの頭のそばへ、俺は跪
いた。
﹁わかったわ﹂
決然とした意志でうなずく。
﹁ルイボン、魔力ポーション持ってない﹂
﹁⋮⋮あるわ﹂
彼女から最高級品らしき魔力ポーションを受け取り、飲み干した。
味はメロンソーダと酷似していて、疲弊しきった体に染み渡るよう
に広がっていく。
治療院はお通夜のように静まりかえっていた。共にスコーピオン
を討伐したであろう冒険者風の男たち、オアシス・ジェラの兵士た
ちからはすすり泣きが聞こえてくる。みな、分かっていた。この傷
を治すには白魔法・中級以上の魔法が必要だ。使用できる治療士は
このジェラの町には一人もいない。
再生の光
を
ポカじいが言っていた。致命傷の場合、適切なレベルの魔法を使
用しない限り助からないと。今の竜炎のアグナスに
862
唱えても傷は塞がるが、塞がっただけで助かりはしない。失った血
液や生命力は戻らず、ほんの少し延命するだけだ。
再生の
で回復できただろう。負傷直後は命に別状はなかったはずなの
これがもし右腕を切断され傷を負った直後だったのなら
光
では助
の詠唱は﹃親愛なる貴方へ贈る、愛を
再生の光
で、腕はくっつかないにしろ命は助かったはずだ。しかし、こうな
加護の光
ってしまっては遅い。時間が経ちすぎている。
けられない。
白魔法・中級
宿して導く一筋の光を、我は永遠に探していた﹄だ。
普通だったら絶対に人前で言いたくないセリフだな。
もう一度、竜炎のアグナスを見つめた。
通った鼻筋と赤い髪が特徴的だ。鍛え抜かれた右腕は無残にも分
を唱えてやる。
離しており、痛々しく包帯で血止めがされ、患部はむき出しになっ
ている。
加護の光
ここでやらなきゃ男じゃねえ。
やる。俺は白魔法・中級
両膝をつき、両手を組み、リラックスして深呼吸をする。
アグナスの体が健康体になるイメージを何度も何度も繰り返す。
863
数々の商談をまとめ、プレゼンを成功させ、危険な人脈の橋渡し
をしてきたじゃねえか。こんなもん余裕だ。
修行中にチャレンジして何度も失敗しているが、そんなことは関
係ねえ。
できるできる、俺ならできる。
俺、天才、イエーイ。俺なら絶対できる。
深呼吸を十回ほどして両手を広げ、循環させた魔力を一気に放出
した。
﹁親愛なる⋮⋮⋮⋮貴方へ⋮⋮⋮﹂
強烈な呪文の波が内側から押し寄せる。
凡人では越えられない壁があると言われる上位・中級魔法。
半端じゃない圧力が体中でせめぎ合う。
やべえ! まじでやべえこれ!
こんなん絶対疲れてるときに試しちゃいけねえヤツじゃねーか!
﹁エリィ⋮?﹂
アリアナが何かに気づいたのか不思議そうな声を出す。
﹁エリィちゃん?﹂
次にジャンジャンが歩み寄る。
864
﹁あれ? エリィちゃん?﹂
コゼットがドクロのかぶり物を揺らして首をかしげる。
﹁まさかエリィしゃん⋮﹂
﹁うそだろ﹂
﹁やる気?﹂
クチビール、お調子者マツボックリペアが魔力切れ寸前でへたり
こんだ姿勢で呟く。
﹁おいおい⋮まじかよお嬢ちゃん⋮﹂
護衛隊長のバニーちゃんが信じられないと言った表情で見つめる。
﹁エリィ⋮⋮⋮⋮お願いッッ!!!!!!!!﹂
そしてルイボンが悲痛な叫びを上げてすがるように祈る。
﹁愛を、宿し、て⋮⋮⋮⋮⋮⋮導く一筋⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮の光⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮を﹂
へそから湧き上がる魔力が入り乱れ、魔力循環がめちゃくちゃに
されそうになる。竜巻を飲み込んだみたいに全身に食い込んでくる
魔力の奔流に、負けそうで負けない寸でのところで踏みとどまる。
歯を食いしばり、目をきつく閉じ、次に続く詠唱を何とか紡ごうと
する。
﹁何の呪文を唱えようとしてるんだ⋮?﹂
﹁女神⋮⋮まさか中級を?﹂
865
﹁白魔法の⋮中級ッ?!﹂
﹁魔力枯渇寸前で⋮無茶だ⋮﹂
院内が色めきだつ。
無理だ、無茶だ、白魔法の中級は他より難しい、など様々な声が
上がる。
それでも最後の希望に賭けたいのか、次第に声は多分に願望を含ん
だ叫びに変わり、俺を囲むようにして全員が集まってきた。
﹁いけ⋮いけーーーーーっ!﹂
﹁いけーーー! 成功してくれ!﹂
﹁お願いだぁぁぁぁぁぁぁぁッ!﹂
﹁アグナスの旦那を助けてくれ!﹂
﹁やれーーやってくれぇぇぇえええ!﹂
﹁うおおおおおおおおーーーーー!﹂
院内にいる人達の絶叫が聞こえる。
﹁我は⋮⋮⋮⋮⋮⋮永⋮⋮⋮⋮⋮⋮遠に⋮⋮⋮⋮⋮﹂
さらに魔力の奔流が強くなる。初めて白魔法の中級を成功させる
には、明確な意志と確固たる決意、清い心、人を救わんとする熱い
思いが必要で、心に不純物が入っていると魔法は失敗して霧散する。
ポカじいの魔法授業が頭をよぎる。
866
俺はやるんだ。絶対助けるんだ。
この目の前の人を。
この人のために。ルイボンのために。
町を救ってくれたから。
だから俺が助けるッ!!
﹁いけエリィ⋮!!﹂
﹁成功してーーー!﹂
﹁がんばるニャ∼!﹂
﹁ボス⋮⋮ッ!!﹂
﹁エリィちゃんやれーっ!!!﹂
﹁がんばれエリィちゃあああん!!!﹂
﹁やるでしゅエリィしゃん!!!﹂
﹁いっけー!!!﹂
﹁ゴーゴー!!﹂
仲間が何度も叫び、院内の全員が声を張り上げる。
俺は霧散しそうになる魔力をかき集め、張り詰めて途切れそうに
なる緊張の糸をギリギリのところで保ち、鉛のように重くなった唇
867
を必死に動かして、一文字、一文字、ひねり出すみたいに声に出し
ていく。
﹁⋮⋮⋮探⋮⋮し⋮⋮⋮⋮⋮⋮て⋮⋮⋮﹂
﹁うおおおおおおおおおおおおおおっ﹂
﹁うわああああああああああああああ﹂
﹁いっけえええええええええええええ﹂
﹁女神いいいいいいいいいいいいいい﹂
﹁たのむううううううううううううう﹂
﹁あと二文字ぃぃぃっぃぃいいいい!﹂
﹁エリィちゃああああああああああん﹂
﹁エリィ⋮⋮⋮⋮⋮!!!!!!!!﹂
最後の二文字がまるで唇を接着剤で固定されたみたいに出てこな
い。刻一刻と魔力が消費されて循環が途切れそうになる。崖っぷち
で踏みとどまるように広げた両手に渾身の力を込め、唇を噛みしめ
て両目をきつく閉じる。
ここでやらなきゃ、男じゃねえええええええ!
うおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!
最後の二文字を、細い隙間へ強引に物を突っ込むみたいにひねり
出してねじ込んだ。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮いた﹂
868
いったああああああ!!
最後まで詠唱したぜええええええ!!!
うおおおおおおおおおッ!
加護の光
!!!!!!!!!!!!!!!﹂
治れこんちくしょーーー!!!!
﹁
しん、と静寂に包まれる治療院。
身を乗り出し生唾を飲み込む周囲の人々。
しばらくして俺の体から眼がくらむほどのまばゆい光が立ちのぼ
り、束になって天井へと突き上がった。魔力の圧でまとめていた髪
がほどけて、髪の毛も光と一緒にぶわっと逆立つ。
アグナスの全身からも同様の光の柱が上がり、彼が魔物から受け
た傷が塞がって、切断された右腕がアメーバのようにくっつき血の
通った元の腕へと再生した。流れ出た血ですら再生したのか、死ぬ
寸前だった土気色の顔にはほんのりと赤みがさし、アグナスは数十
加護の光
が収束し、消えた。
秒にして健康体に戻った。
力が入らなくなり両手を地面につく。
ちくしょー、魔力切れ寸前だ。
でもやった。やってやったぜ。
869
﹁アグナス様ッッ!!﹂
﹁旦那ッ!!﹂
﹁アニキィ!!﹂
﹁うわああああああっ!!﹂
ルイボンとアグナスの仲間たちが一斉に駆け寄った。
竜炎のアグナスは鼻筋の通った顔をほころばせ、心配かけてごめ
んな、と皆に声を掛ける。
よ﹂
癒発光
キュアライト
は初めてだったよ⋮﹂
そして寝たままの体勢で、ゆっくりと俺を見つめた。
﹁ありがとう⋮⋮こんなに美しい
アグナスがにっこりと笑った。
癒発光
キュアライト
俺も顔を上げて微笑み返す。
﹁エリィ特製の⋮⋮
俺はパチッとウインクを決めた。
あ⋮やばっ⋮⋮。
870
格好つけた途端、猛烈な酩酊感が押し寄せてくる。
地面についていた手の力が抜け、床に突っ伏した。
ぐわんぐわんする視界の端で、アリアナとジャンジャンとコゼッ
トが心配そうな顔で駆け寄ってくる姿を一瞬だけ捉えたが、それ以
上は意識を保っていられず、魔力切れで目の前が真っ暗になった。
○
加護の光
を使ったあと、丸一日眠ってしまった
商店街七日間戦争・最終日︱︱
白魔法・中級
らしい。
時計を見ると朝の十時。デザートスコーピオン討伐隊とアグナス
を治療したのが昼の十二時頃だったから、二十二時間寝てたってこ
とか。
体がいてーっ。
魔法の連続使用に魔力切れ寸前での新魔法。まあ仕方ないか。
枕元におにぎりと水が置いてあった。
アリアナが作ってくれたんだろう。小さいサイズのおにぎりが何
とも可愛らしい。
871
おにぎりを食べて一時間ほどぼーっとすると、目が冴えてきたの
で、ヴェールを羽織って一階へ降りる。﹃バルジャンの道具屋﹄は
相変わらず雑然とした陳列で、よぼよぼのガン・バルジャンばあち
ゃんが座布団にちんまり座っていた。俺はその横に腰を下ろした。
﹁起きたのかぇ?﹂
﹁ええ、おはよう。みんなは?﹂
﹁張り切って外へ行きよったよぉ﹂
﹁あらそう。⋮ねえガンばあちゃん﹂
﹁わしゃガンバッとるよぉ﹂
﹁ふふっ、知ってるわ。お客さん増えた?﹂
﹁いいんや、とんと増えないねぇ﹂
﹁そうよねえ∼﹂
陳列がめちゃくちゃで、店の前には口から粘着性の水を吐くガマ
ガエルの置物がある道具屋だ、そうそうお客は増えないだろう。俺
は何も変わらないこの変な道具屋が何だかかけがえのない物のよう
に思え、この町を出て行った後、いつでも思い出せるようにじっく
りと眺めることにした。
ばあちゃんとのんびり麦茶に似たお茶を飲んでいると、素早く店
内に入ってきた人影があった。
その子は長いまつげの瞳で、頭にキュートな狐耳がつき、すらっ
とした腕と足をしている。
﹁エリィ⋮﹂
ひしっ、とアリアナは俺に抱きついた。
俺も、ひしっ、と抱きしめ、ついでにもふもふ狐耳を撫でる。
872
﹁ずっと起きないから心配した⋮﹂
﹁ごめんね。あと、おにぎりありがとう﹂
﹁みんながエリィに会いたがってるよ⋮。もう外に出れる?﹂
﹁ええ、大丈夫よ﹂
﹁じゃあゆっくり行こう⋮﹂
﹁そうね﹂
﹁転ばないように手、握るね﹂
﹁それは助かるわ﹂
﹁ん⋮⋮﹂
﹁うふふ﹂
俺とアリアナは無性に可笑しくなって笑いをこらえた。
何が面白いのかはわからない。ただ、こうして一緒にいられるこ
とが嬉しいのかもしれない。
たった一日ぶりなのに。
西の商店街は、一言で言うならば賑わっていた。
初めて来たときは通りに二、三人の人影があって、あとは砂漠か
らやってくる南風だけが吹いているという、まさに閑古鳥状態だっ
た。それが今はどうだ。見渡せばポイントカードを持った人、たこ
焼きを食べながら買い物をする家族連れ、青のりをつけたまま微笑
み合うカップル。すごいじゃねえか。
西の商店街入り口まで歩くと、たこ焼き屋の出店がある。
人気ラーメン店なんて目じゃない行列ができていた。
路地を曲がってまだ最後尾が見えない。暑さ対策のためか、日よ
けを作って、日陰になる建物の隙間へと列を伸ばしている。おお、
いいアイデアだな。
﹁ああッ! 白の女神さま!﹂
873
アリアナと手をつないだまま、すごいねえ、なんて人ごとみたい
に言っていると、日に焼けた兵士風の男がこちらに駆け寄ってきて
膝をついた。
え? え? ちょっと商店街のど真ん中で何?
﹁わたくしは白の女神エリィちゃんに助けられたジェラの兵士です。
君が治療してくれなければ半数が死に、竜炎のアグナス様も死んで
いたでしょう。あなたに、心からの感謝とお礼を﹂
﹁あの⋮顔をお上げになって。こんな人前で⋮⋮その⋮﹂
だあーーーーーーっ!
もう最近こういうのばっかでまじで慣れねえ!
グレイフナーでブスとかデブとか言われすぎたッ。
てかね、こういうのはずばーっと﹁そんなことあーりませんわ。
おっほっほっほ!﹂とか言っとけばいいんだよ。
俺は何をおろおろしてんだよ。
乙女かッ。俺は乙女かッ。
あかん⋮⋮⋮⋮⋮⋮乙女だった。
そうこうしているうちに﹁あ、エリィちゃんだ﹂とか﹁白の女神
!﹂とか叫ぶ輩が吸い寄せられるように集まってきて、全員が膝を
ついた。それを面白がって、野次馬が輪を作る。
たこ焼き屋ではギラン、ヒロシ、チャムチャムが忙しそうにたこ
焼きを作っている。
874
その向かい奥にある治療院はそこそこ人が並んでいた。
あとで手伝いにいかなきゃなー。
通りのど真ん中にあるポイントカード景品交換所は、なぜか目を
ギラギラさせた男たちが景品の書いてある大きなボードを睨むよう
に確認している。
いきなりできた膝をついた男共の人垣に、どう対応すればいいの
かわからず、しばらく押し黙った。
見かねた代表らしき男が膝立ちのまま一歩前へすり寄り、顔を上
げた。
再生の光
を唱えて部下を
というか護衛隊長チェンバニーことバニーちゃんだった。
﹁エリィちゃん。おれァお前が一瞬で
助けてくた光景を一生忘れねえだろう。また礼になっちまうが、も
う一度だけ言わせて欲しい。ありがとう。あの場にいてくれてあり
がとう。あきらめず最後まで治療してくれてありがとう。君のおか
げでたくさんの命が救われた。エリィちゃんがおれには天使に見え
たぜ。だから一言だけ言わせてほしい﹂
バニーちゃんは無精髭を右手でさすり、鋭い目元を細め、躊躇し
た素振りをほんの少しだけ見せると口を開いて右手を差し出した。
﹁一生のお願いだァ! おれとデートしてくれぇぇええ!!﹂
場の空気が固まった。
875
近くにいた兵士が思い切りバニーちゃんにゲンコツを食らわせて
場が一気に動き出す。
﹁隊長てめえどさくさにまぎれて!﹂
﹁エリィちゃん俺! 俺のことおぼえてる?!﹂
﹁俺とデートしてほしい!﹂
﹁馬に乗って夜景の綺麗な場所へ行こう!﹂
﹁たこ焼きを食べながら町をまわろうぜ!﹂
﹁俺のこの割れたシックスパックを見てくれぇ!﹂
﹁オアシスで愛を語らおう!﹂
﹁あ、あの⋮皆さん一体なにを⋮?﹂
俺はうろたえて一歩後ずさった。
ちょっとエリィ。エリィちゃん。勝手に動くのはやめよう。
﹁何をって君を誘っているに決まってるじゃないか﹂
﹁砂漠の男は猪突猛進!﹂
﹁惚れた女には猛アピール﹂
﹁それが砂漠のやり方だッ﹂
﹁みんな君が好きなんだよ。一生懸命で優しい君がね﹂
﹁誰だァおれの頭ぶん殴ったやつァ!!﹂
俺の顔面は、おそらくどうしようもなく赤くなっているだろう。
人形を抱くようにアリアナに後ろから抱きついていると、ジャン
ジャンとコゼットが東の方角から走ってやってきた。手にはなにや
ら用紙を持っている。
876
﹁エリィちゃーーーーん!﹂
﹁エリィちゃ∼ん、きゃっ!﹂
ずざぁ、といい音を出しでコゼットがずっこけた。
あれは痛いぞー。
ジャンジャンに支えられ、ドクロをかぶり直してコゼットは再び
走り出した。
ようやく俺とアリアナのいるたこ焼き屋の前に着くと、息を切ら
癒発光
キュアライト
﹂
しつつ用紙を渡してきた。
﹁
﹁ありがとーエリィちゃーん﹂
﹁コゼットはほんとドジね﹂
﹁ごめーん﹂
﹁これ、見て。勝負の集計と途中結果だ。勝負終了まであと六時間
あるけど、これはもう⋮⋮﹂
ジャンジャンから俺は集客数を記した用紙を受け取った。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹃東の商店街﹄集客数
月 7023人↓11230人
火 7689人↓12001人
水 6875人↓11899人
木 7111人↓16221人︵吟遊詩人ライブ︶
金 7980人↓15712人︵吟遊詩人ライブ︶
土 9566人↓13826人
877
日 10560人↓2856人︵十二時の時点︶
平均 8114人↓11963人
増加率47%
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹃西の商店街﹄集客数
月 523人↓1409人
火 501人↓1745人
水 476人↓2310人
木 609人↓1650人
金 599人↓1832人
土 679人↓3066人
日 460人↓399人︵十二時の時点︶
平均 549人↓1773人
増加率222%
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
ふっふっふっふっふ。
はーっはっはっはっは!
我が西の商店街は圧倒的じゃねえか!
たこ焼き屋はこの様子だと今日が最高の売り上げで、治療院にも
人が集まっている。ポイントカードもしっかり運用されている。 勝ったな。これは間違いなく勝ちだ。
878
﹁これは勝ったわね﹂
俺とアリアナ、ジャンジャン、コゼットはハイタッチをして抱き
合った。
準備期間を入れると一ヶ月と一週間。長かったけどあっという間
だった。
振り返ると、ねじりハチマキにハッピ姿のギラン、ヒロシ、チャ
ムチャムの獣人三バカトリオと獣人三人娘がいつの間にが俺の持っ
ていた用紙をのぞきこんでいる。
﹁あなたたち店は?﹂
﹁ちょっとお客さんには待ってもらっている﹂
待たせるのはどうかと思ったが、この結果を確認するぐらいの時
間はいいだろうと思い、軽いため息をつくだけにした。
﹁⋮⋮まあいいわ。で、結果を見てどう?﹂
﹁おう! 最高じゃねえか!﹂
﹁まあ本気を出せばこんなもんさ﹂
﹁嬉しいよ。商店街の力を合わせた結果だ﹂
虎、猫、豹の順番で、笑顔で答える。
﹁嬉しいときは仲間とハイタッチよ﹂
俺は見本を見せようと、アリアナ、ジャンジャン、コゼットとハ
イタッチをし、ついでにプリティー獣人三人娘ともハイタッチをし
た。周りの男達と野次馬は、いまだに俺を中心にして円になってい
879
る。
ギランたち三バカトリオはお互いの顔をちらっと見ると、仕方な
さそうに手を上げた。
﹁まあ、なんだ。お前らもやればできるじゃないか﹂
ギランが猫のヒロシと豹のチャムチャムの手を叩いた。バシッ、
といういい音が鳴る。
﹁ふん、まあな﹂
続いてヒロシが二人の手を強く叩く。
﹁この一週間は協力する、という約束だったからな﹂
バシン、とチャムチャムがギランとヒロシの手を叩いた。
﹁おい⋮⋮⋮どうしてそんなに強く叩くんだ﹂
﹁いてえぞジミ豹﹂
﹁別に普通に叩いただけだ。おまえらが弱いだけだろ﹂
﹁ああん? どういうことだ﹂
﹁おまえわざと強く叩いただろう﹂
﹁おい、そういうギランこそ強かったぞ﹂
﹁俺は普通に叩いただけだ﹂
﹁ふざけんな痛かったぞ。このバカ虎﹂
﹁いちいち理屈っぽいんだよこのバカ虎﹂
次第に剣呑な雰囲気になっていく三人。
必死に止めようと周りをぴょんぴょん跳んでいる娘たち。
880
﹁アホ猫、ジミ豹﹂
﹁バカ虎、ジミ豹﹂
﹁バカ虎、アホ猫﹂
﹁ああん?﹂
﹁んん?﹂
﹁やんのか?﹂
やめなさい、と制止しようと思った矢先、ギランの右ストレート
がヒロシの顔面にクリーンヒットし、チャムチャムの胴回し蹴りが
ギランの脇腹にめり込んだ。
そこからは見苦しい取っ組み合いの喧嘩だ。
パンチ、キック、頭突き、飛び出す鼻血、猫のひっかき、虎の噛
みつき、豹のジャンピングニー。襟を掴んではぶん殴り、地面に這
いつくばり、隙あらば強烈な一撃を食らわせる。二人がつかみ合っ
ていると空いている一人が拳を突き入れ、仕返しをされ、砂まみれ、
泥まみれ、三人とも鼻血ブーでコゼットと娘達で作ったお手製の法
被はぼろぼろ。ねじりハチマキはどこかへ吹っ飛ぶ。
野次馬がやっちまえーと騒ぎだし、俺をデートに誘った兵士と冒
険者らしき男たちも囃し立てる。
忘れていた怒りが沸々と腹の底から湧き上がってくる⋮。
こいつらは何をやってるんだ⋮?
お客さん待ってるだろ⋮?
881
近くにいた女性と子どもがびっくりしてるよ⋮?
﹁父ちゃんやめれ! あうっ﹂
﹁おとーちゃんみっともないニャ! ニャニャッ!?﹂
﹁もうやめてくださいお父様! きゃっ﹂
獣人三バカトリオは健気に止めようとした娘たちを、見もせずに
突き飛ばした。
三人娘は悔しさと申し訳なさと悲しさで、涙をうるうると瞳に溜
める。
アリアナが侮蔑の目で三バカを見ながら、三人を介抱する。
おまえたちなぁ⋮。
娘を泣かせて、謝らせて、困らせて、突き飛ばして⋮⋮。
それでも大人なのか?
男なのか⋮⋮?
882
︱︱︱︱パチパチパチッ
もうお客さんどんだけ待たせてんのよ⋮?
たこ焼き食べたくて並んでんだよみんな⋮?
︱︱︱パチパチパチパチパチッ
﹁あ⋮エリィが怒った﹂
﹁うわ! エリィちゃん髪の毛が逆立ってるっ!﹂
﹁あわわわわ。エリィちゃんが怒ってる?!﹂
﹁三バカ⋮⋮きらい﹂
﹁あの魔法⋮まさか町中で?!﹂
﹁そ、そ、そんなに怖い魔法??﹂
アリアナ、ジャンジャン、コゼットの声が、怒りで渦巻く頭の片
隅でうっすらと聞こえる、
大の大人が殴り合いの喧嘩⋮?
しかも全員鼻血ブー?
883
見れば三人はまだ殴り合っている。
しかも体力がなくなってきたのか、無様にも内股でふらつきなが
ら、殴られ、蹴られ、噛みつき、ひっかく。もうコゼットと娘たち
が作ってくれた法被はずたぼろで跡形もない。
﹁あ⋮あんたたちね⋮⋮﹂
俺は何とか声を押し殺して、怒りを静めようとする。
﹁ぶはっ﹂
﹁げばぁ﹂
﹁ぶぎゃ﹂
殴り合う三バカトリオを見ると、怒りがすぐに限界点を超える。
加護の光
と同等レベルの精神力をすり減らしてなんとか
﹁あんた⋮⋮⋮たち⋮⋮⋮⋮ね⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
俺は
爆発しそうな怒りを静める。
だが、無理だった。
三人がもみくちゃになって地面を転がり始めたら、理性が弾け飛
んだ。
884
﹁あんたたちいいいいいいいいいいいいいいッ!!!!!!!!!
!!﹂
インパルス
電衝撃!!!!!!!!!!!
︱︱︱︱ギャギャギャギャギャギャバリリィ!!!
周囲をつんざく電撃の摩擦音が空気を切り裂いて、晴天のオアシ
ス・ジェラに打ち上がった。商店街の真上で電流が放射状に広がっ
て空中に霧散する。
あまりの爆音に、商店街のすべての時が止まった。
たこ焼き屋に並ぶ人、ポイントカード交換ボードを睨む男たち、
野次馬、兵士と冒険者、買い物客、すべてが一斉に足を止めて声を
失った。
獣人三バカトリオも例外に漏れず、地面を転がって殴ろうと腕を
引いたポーズで固まった。
﹁この獣人三バカトリオおおおおおおおおッッッ!!!!!!﹂
俺の叫び声だけがこだまする。
885
﹁大の大人がぁッ! お店放り出してぇ! 全員鼻血ブーになるま
で殴り合いの喧嘩してるんじゃないわよぉーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーッッ!!!!!﹂
インパルス
電衝撃!!!!!!!!!!!
落雷
をぶっ放すのは避けた。本
サンダーボルト
︱︱︱︱ギャギャギャギャギャギャバリィ!!!
けたたましい電流の炸裂音。
なんとか怒りを抑えて町中に
当に寸でのところだ。
獣人三バカトリオはあまりの凄まじい魔力と電撃に腰を抜かした。
周囲は何が起きたのか理解不能のようだ。
﹁ギラン、ヒロシ、チャムチャム、そこに座りなさいッ!!!!!
!﹂
﹁は、はいぃぃ﹂
﹁すすすみません﹂
﹁座る座るッ﹂
ギランはでかい体を縮こまらせ、ヒロシは小さい体をさらに小さ
くし、チャムチャムはどこにもツッコミどころがない地味な動作で
かしこまった。
﹁これはなにっ! この騒ぎは何なの! なんで娘が悲しそうな顔
886
してるかわかってんの?! どうしてすぐやめないの?! この間、
私伝えたわよねぇぇッ!?!? あれは最終警告よ!!!!!﹂
﹁ごめんなさい﹂
﹁すみません﹂
﹁許してください﹂
﹁おだまりいぃぃぃぃぃッ!!!!!!!!!!!!﹂
﹁ひぃ!﹂
﹁はぁふ!﹂
﹁ほわぁ!﹂
﹁許さないわよ⋮⋮。泣こうがわめこうが絶対に許しませんからね
⋮⋮。何度言っても治らない大人にはぁ、バツが必要なのよぉーー
電打
を纏わせたエリィちゃんパンチを放った。
エレキトリック
ーーーーーーーーーーー!!!!﹂
地面に向かって
バガァン! と地面が爆散する。
バスケットボールより一回り大きい穴が三バカトリオの前に出現
した。
﹁は⋮⋮⋮?﹂
﹁ひ⋮⋮⋮?﹂
﹁へ⋮⋮⋮?﹂
﹁さあ⋮⋮最初は誰がいい? 最初の人はエリィちゃんパンチじゃ
なくて、と・く・べ・つ・にバチバチだけにしてあげるわ⋮﹂
お互いの顔をちらちらと確認し合う、ギラン、ヒロシ、チャムチ
ャム。
887
野次馬が固唾を飲んで成り行きを見守っている。
﹁おまえ行けよ﹂
﹁おまえがいけ﹂
﹁いや、おまえがいけよ﹂
﹁なぁに? 早く決めてちょうだい。それとも全員エリィちゃんパ
ンチがいいの?﹂
﹁いやいやいやいや﹂
﹁それは! それだけはっ!﹂
﹁勘弁してください!﹂
﹁じゃあ早くしてちょうだい! お客さんをこれ以上待たせたくな
いのよッ!﹂
﹁わかったぁ! 俺がいく﹂
苦渋の決断、といった様子で鼻血を両穴からブーしているギラン
が正座したまま手を挙げた。
﹁いや、ここは俺がいく!﹂
すぐさま鼻血ブーしたままの豹のチャムチャムが挙手した。額に
は脂汗がびっしり浮かんでいる。
﹁わかったぁ! じゃあ俺がいく!﹂
最後に手を挙げたのは二人に挟まれた鼻血ブーの猫のヒロシだっ
888
た。
そして彼が手を挙げると、ギラン、チャムチャムは同時に挙げて
いた右手をヒロシに向けて、こう言った。
﹁どうぞどうぞ﹂
﹁どうぞどうぞ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ええええええッッ!!!!﹂
どっかで見たやりとりだが、まあいい。怒りが今にも弾けそうだ。
﹁ヒロシ。潔いわね﹂
エレキトリック
﹁ちょと! あのエリィちゃん!? 俺はその︱︱﹂
﹁電打!!!!!!!!!!!﹂
﹁さんババババババッババババババババビンブバラボラギボーブッ
!!﹂
癒発光
キュアライト
をかけてあげると、ヒ
ヒロシが正座のまま前のめりに倒れた。頭からは湯気があがって
いる。
ちょっぴり可哀想になったので
ロシはバネ仕掛けのように起き上がった。
﹁てえめらぁ! 人をダシにしてぇ!﹂
﹁うるせえアホ猫﹂
﹁だまれアホ猫﹂
889
﹁あ・な・た・た・ち⋮?﹂
﹁はいぃぃぃぃぃぃぃ!﹂
﹁なななんでしょうかエリィちゃん!﹂
﹁ごめんなさいごめんなさい﹂
﹁まだ仲良くできないのぉ? 次は誰? ヒロシはおしおきしたか
らギランかチャムチャムよねぇ? バチバチの次はエリィちゃんパ
ンチだけどいいのかしらぁ?﹂
﹁ひいいいいいぃぃぃぃぃっ﹂
﹁それだけはご勘弁を!﹂
両穴鼻血ブーしたままの虎人と、両穴鼻血ブーしたままの豹人が、
必死に土下座する。その横で両穴鼻血ブーしたままの猫人がざまあ
みろとにやついていた。それを見て、俺の怒りのボルテージがピク
ッと反応し、わずかに上昇する。
アリアナは無表情に、ジャンジャンは顔を引き攣らせて、コゼッ
トは﹁エリィちゃんこわひぃ﹂とへたり込み、プリティー獣人三人
娘はあっけに取られた顔で、事の行方を見守っている。
﹁どっちか決めなさい! 早く! 5! 4!﹂
﹁あーーーちょっとまってエリィちゃん!﹂
﹁虎!! 虎にしてくれ!!﹂
﹁てめえ豹!! お前が食らえ!﹂
﹁うるせえ!﹂
﹁3! 次のおしおきも、と・く・べ・つ・にバチバチにしてあげ
るわ。だから早く決めなさい﹂
﹁ぐう⋮⋮﹂
﹁ふむん⋮⋮﹂
﹁2ぃ!﹂
890
カウントダウンに迫られ、半ばやけっぱちにギランが挙手した。
﹁俺が受ける! 俺だ!﹂
すぐにチャムチャムも挙手した。
﹁俺だ! 俺が受けよう!﹂
なぜかヒロシもつられて右手を挙げた。
﹁俺が受ける! 仕方ねえ!﹂
するとギランとチャムチャムが挙げていた右手をヒロシに向けて、
こう言った。
﹁どうぞどうぞ﹂
﹁どうぞどうぞ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ああああああああッッ!!!!﹂
もうお笑いトリオじゃねえか!
﹁ヒロシ。素晴らしい自己犠牲ね﹂
﹁ちょと! あのエリィちゃん!? 俺はその! ああ、なぜ俺は
エレキトリック
勢いで右手を︱︱﹂
﹁電打!!!!!!!!!!!﹂
﹁アゲアゲアゲアゲアゲアゲアゲパパパパパパパバギャリピポォウ
891
!!!!!﹂
ヒロシは仰向けになって正座したままぶっ倒れた。
﹁おあとが﹂
﹁よろしいようで﹂
そそくさと逃げようとするギランとチャムチャム。
﹁よろしくなわよぉッッッ!!!!!﹂
﹁ひいぃぃぃぃぃぃぃぃっ!﹂
﹁ごめんなさいごめんなさい!﹂
父親の威厳、商店街の中心人物で尊敬される姿などかなぐり捨て
て、二人はすかさずジャンピング土下座をかました。
気づけば野次馬からは笑いが起こっていた。
そりゃそうだ。両穴から鼻血を出したおっさんが、少女に折檻さ
れているのだ。端から見たら、アホすぎる。
﹁さあ、どっちがいいのかしら∼?﹂
俺は仁王立ちして二人を見下ろした。
﹁豹! 豹で!﹂
﹁虎! 虎で頼むよ!﹂
﹁5・4・3⋮⋮⋮﹂
﹁はやいはやい! エリィちゃん早いよ!﹂
﹁うわああああ、こわい!﹂
﹁2ぃ⋮⋮⋮先に挙手したほうだけパンチじゃなくて、と・く・べ・
892
つ・にバチバチにしてあげるわよぉ∼﹂
﹁うぐぅっ﹂
﹁くはぁっ﹂
﹁いーーーーーーーーーーーーーち﹂
1の数字を長く取ったところでギランが観念したのか右手を挙げ
た。
﹁わかったぁ! 俺が受ける!!﹂
チャムチャムがそれに追随する。
﹁いや! 俺が先にうける!!﹂
そして今度はなぜか野次馬サイドから﹁俺が!﹂﹁いや私が!﹂
﹁ぼくが!﹂など面白がっているのか、右手が挙がった。アリアナ、
ジャンジャン、コゼット、獣人三人娘、俺に告白した兵士、冒険者
風の男たち、青のりの歯につけたカップル、ポイントカード交換ボ
ードを睨む男たち、買い物帰りの家族連れ、背後を見ればたこ焼き
屋に出来ている行列からも手が挙げられていた。ざっと見て総勢百
人ほど、全員が面白がっていた。
ギランとチャムチャムは必死でそれにはまったく気づかず、再度
声を張り上げた。
﹁俺が受けるぅ!!!!!!﹂
﹁俺が先だぁぁ!!!!!!﹂
そして観客全員が、挙げた右手をギランとチャムチャムに向けて
893
こう言った。
﹃どうぞどうぞ﹄
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ふええええええっ!?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮はひぃぃぃぃぃっ!?﹂
やっと周囲に気づき、大量の右手が自分に向いている光景を見て
ギランとチャムチャムが絶叫した。
完全にお笑いの興業になってるじゃねえか!
だがこの怒りは収まらん!!!
﹁ギラン、チャムチャム、潔いわね﹂
俺は優しく、そう、それこそ繊細なガラス細工を扱う職人のよう
に、ゆっくりとふたりの肩に手を乗せた。
﹁ちょ! エリィちゃん!? 俺は商店街を誰よりも︱︱﹂
エレキトリック
﹁はの? エリィちゃん?! まって俺はたこ焼きで一生懸命︱︱﹂
﹁電打!!!!!!!!!!!!!!﹂
﹁スキスキスキスキスキスキバババババババダデボビンボオ!!!
!!!﹂
894
﹁ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒックリガベジデダグザベボビンヂ!!!
!!!﹂
強烈な電流を浴びて、ギランとチャムチャムが仰向けにぶっ倒れ
た。鼻血ブーで白目を向いているおっさん三人が仲良くおねんねし
ているの図、がここに完成した。
観客からは大笑いと、拍手喝采が巻き起こる。
おしおきが終了してすっきりしたので、笑顔で群衆に答えた。
この﹃西の商店街・獣人三バカトリオ、白の女神エリィちゃんに
おしおきされる﹄のやりとりを境に、﹁どうぞどうぞ﹂というフレ
ーズがオアシス・ジェラで流行した。また、普段優しい女神が怒る
とバチバチした神の鉄槌が下るので、絶対に怒らせないように、と
いう不文律がオアシス・ジェラの常識になった。
俺のせいじゃねえよ、まじで?
幸い、あれだけやって落雷魔法だとバレなかったらしい。
みんな白魔法のイメージが強いのか、白魔法の派生系だろう、と
思っているのかもな。まあ勘のいい奴なら気づいていると思うが、
バレてなんか言われたらそんとき対応すればいいだろ。
895
その後、ルイボンと竜炎のアグナスがやってきて俺に礼を言い、
ルイボンはなぜか嬉しそうに﹁ふん! あなたの勝ちでいいわよ!﹂
と敗北を認めた。
896
第11話 イケメン、商店街、七日間戦争・後編︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重59㎏︵−1kg︶
ついに50キロ台!
長かった・・・・・。
897
第12話 スルメの冒険・その1︵前書き︶
スルメの冒険です。
898
第12話 スルメの冒険・その1
オレはグレイフナー通り一番街を早足で歩き、冒険者協会兼魔導
研究所の壁面に飾られたエリィ・ゴールデンの美人な姉ちゃん、エ
イミー・ゴールデンのポスターを眺めながら二番街を目指していた。
よくわかんねえけどエリィ・ゴールデンが発案者である﹃ファッ
ション雑誌﹄とやらの第二弾が今日発売らしい。一番街と二番街を
つなぐ﹃出逢いの橋﹄の目の前にある﹃オハナ書店﹄には長蛇の列
ができていた。並んでいるポニーテールのカワイ子ちゃんに声をか
けて聞いたら、一冊六千ロンの本を買うために朝五時に起きたらし
い。バカバカしい、と笑ったらめっちゃ睨まれた。
んだよ⋮別に睨むこたねえだろ。
なんでも、斬新で素晴らしいデザインの服を買うには、この雑誌
が必要不可欠らしく、お洒落女子のあいだで﹃Eimy﹄はバイブ
ルとなっているそうだ。
そこまで言うんならあとで買ってやらぁ。どんなもんかオレがチェ
ックしてやろうじゃねえか。
そういや最近、グレイフナー王国の女子が、妙に防御力の低いぴ
らっぴらの服を着ている姿を見かける。目の保養にはなるが、あん
なもんゴブリンに襲われたら一撃でやられちまうぞ。大丈夫なのか?
ファイヤーボール
で黒こげにして
まあ首都グレイフナーに魔物なんて出るはずがねえけどな。仮に
出てきたとしてもオレが全部
やる。
そんな本屋に並ぶ行列を尻目に、イチャつくカップルへガンを飛
899
ばしながら﹃出逢いの橋﹄を渡り、十分ぐらい進んでから右へ曲が
った。
しばらく歩くと、がっしりした門構えの屋敷が見えてくる。
エリィ・ゴールデンの家だ。
オレはあのぶっ飛んだお嬢様からもらった手紙の返事を書き、懐
に忍ばせていた。いやーあれな、あの手紙、もらったときはすげえ
スルメおでかけチェックシート
は全く役に立たなかった。
有用だと思ったんだけどよ、エリィ・ゴールデンがわざわざ書いて
くれた
いやほら考えてもみろよ。
あのチェックシートってデートに行くことが前提で書かれてるじ
ゃん。
あれから意気揚々と色んな女の子をデートに誘いまくった。それ
こそ食堂にいるメイドにまで声をかけた。
それなのに。それなのにだ⋮⋮。
どうして誰もデートしてくれねえッッ!!!??
これは由々しき事態だ。
事は急を要する。
すぐさまこの手紙をあのおデブ⋮おっと怒られちまうな。あのお
てんばお嬢様に返信して、どうやったら女子をデートに誘うことが
できるかのアドバイスをもらわなきゃいけねえ。一刻も早くだ。も
う手紙を受け取ってから三週間近い時間が経っている。
900
で、どうせたけえ金を払って郵便配達員に頼むのなら、ゴールデ
ン家と合同で送っちまえと考えた。我ながら名案。戦争のせいで砂
漠の国サンディへの郵送料がとんでもねえぐらい高騰してやがる。
通常の十倍、十二万ロンだ。
命がけで運んでくれるからしゃーないと言えばしゃーない。
別に十二万ロンぐらい大したことねえ。ま、でもいっぺんに送っ
たほうが効率はいいからな。
ゴールデン家の門前で、鎧を着た門番と背の低いドワーフが何か
しゃべっている姿が見えた。
﹁よう﹂
﹁おう﹂
ガルガインだ。
太くて短けえ腕を上げて挨拶をよこしてくる。
こいつはエリィ・ゴールデンに手紙を送るのではなく、雑誌とや
らに掲載されているデザインに興味があるようで、デザイナーと話
がしたいらしい。どうやら﹃ミラーズ﹄に行ったところ、門前払い
を食らったみてえだ。エリィ・ゴールデンと友人だというツテを使
えばなんとかなんじゃねーの、という発想で、実家のゴールデン家
に押しかけている。ついでだから家の前で待ち合わせすることにし
た。デザインを気にするあたり、さすがは鍛冶屋の息子といったと
ころか。
聞けばこいつの実家、相当やべえ鍛冶屋だ。王国最強魔法騎士団
﹃シールド﹄の武器防具を下ろしている超有名店で、名だたる魔法
使いが個別で杖や防具を注文していると自慢された。
﹁で、新しい魔法は?﹂
901
オレはガルガインに習得しようとしている魔法について聞いた。
﹁できねえ。おめえは?﹂
﹁まだだ。上位の炎やってんだけど無理だわ、あれ﹂
﹁おめえの実力で上位は早いだろ。ペッ﹂
ガルガインはツバを吐いた。が、人ん家の前だったので門番に﹁
すまん﹂と言って靴底でもみ消した。
﹁詠唱に失敗すると魔力消費が半端じゃねえ。一日に何度も試せね
えよ﹂
﹁まあそこが上位習得の難しさってやつだろ﹂
﹁つーか魔力操作がむずい﹂
﹁おめえは適性が火だから試せるだけ充分だろ。俺はまだ詠唱が反
応しない﹂
﹁てめえの適性は土だろうが。先に木を試せよ﹂
魔法の才能がなかったり実力不足だった場合、魔法は詠唱しても
何の反応も示さねえ。魔力が消費されるということは習得の余地が
あるってことだ。ガルガインはやたらと火と炎にこだわっているが、
これも家が鍛冶屋だからだろうか。まあこいつはこう見えて結構才
能あると思うから、そのうちできるようになりそうなもんだが。
﹁木は練習すりゃいつかできるようになる。それよりも炎だ。ここ
ぞってときに自身の魔力を込めた炎魔法を鍛冶で使うと、よりいい
仕上がりになる。おめえしらねえのか﹂
﹁しらねぇよそんな細けえこと。ま、そんなこったろうと思ってた
わ﹂
﹁町中でぶっ放すわけにいかねえからあとでおめえん家の庭使わし
902
てくれ。今日学校は休校で入れねえだろ?﹂
﹁ああ、別にいいぜ﹂
しばらくオレとガルガインは魔法についてしゃべり、話題がエリ
ィ・ゴールデンの話になった。
﹁あいつ今頃何してんだろうな﹂
ガルガインが太え腕を組んで誰しもが思っている疑問を口にする。
﹁どうせ誰かに変なあだ名でもつけてんだろ﹂
﹁ぶはっ、そうかもしれねえ。どうする? あいつが俺たちより先
に上位魔法を習得してたら﹂
﹁いや、あいつの適性は光だからありえねえだろ。白と黒魔法は別
格だって聞くぜ﹂
﹁まあな。そう考えるとハルシューゲ先生ってけっこうすごいんだ
な﹂
﹁頭はつるつるでも白魔法使いで光適性クラスの担任だからな﹂
﹁あんまでけえ声で言うなよ。おめえの声はただでさえでけえんだ
から。女と話してるとき会話丸聞こえだぞ﹂
﹁まじか?! だからオレと話すときあいつらイヤそうな顔すんの
か?﹂
﹁そういう訳じゃねえと思うがよ。まあどうでもいいよそんなこと
は﹂
﹁よくねえよ﹂
﹁いやどうでもいい。じゃあおめえさ、もしエリィ・ゴールデンが
白魔法習得していたら何してくれるんだよ﹂
ガルガインが彫りの深い顔でニヤッと笑った。
903
﹁何してくれるってどういうことだよ﹂
﹁ありえねえんだろ? 習得してることがよ﹂
﹁ああ、ないな。もし習得してたらフルチンで一番街を疾走してや
るよ﹂
﹁ぶっ。まあ俺もないとは思うが約束だ﹂
﹁ああ、別にいいぜ。あんなクソ難しい魔法習得は無理だ。オレな
んて光の下級だってできねえんだぜ?﹂
﹁俺もだ。下級で詠唱が反応しないって光と闇はどんだけ適性重視
なんだよ⋮。他の魔法のほうがよっぽど簡単だぞ﹂
﹁ちげえねえ。つーかそろそろ行こうぜ﹂
﹁だな﹂
ガルガインはオレの言葉にうなずき、鎧姿の門番に声をかけた。
﹁わるいがメイドか誰か呼んできてくれ。俺たちはエリィ・ゴール
デンの友人だ﹂
仰々しく門番がうなずいて家に入ろうとしたところで、勢いよく
玄関の扉が開き、﹁私は一人でも行きますからねーっ!﹂と叫びな
がら、妖精かと見間違えるような年頃の美女が荷物を抱えて出てき
た。
それを追うように美人で気の強そうな中年の女と、このあいだ手
紙を持ってきた可愛いメイドが玄関から飛び出してくる。
﹁エイミー! バカを言うんじゃありません!﹂
﹁お嬢様! お戻り下さい!﹂
﹁もうこれ以上待っていられないの! エリィの居場所がわかって
るんだから私は迎えにいきます!﹂
﹁あなた一人で何ができるっていうの! 戻りなさいッ!﹂
﹁赤い街道は封鎖されているのですよお嬢様! お迎えに行くのは
904
無理でございますッ﹂
﹁やってみないとわからないでしょ?!﹂
雑誌の表紙になってるクッソ美人の姉ちゃんが目の前に出てきて
なんか得した気分になった。つーかめっちゃいい匂いするし。
エリィ・ゴールデンの姉ちゃん、エイミー・ゴールデンはお洒落
っぽい旅装に身を包み、オレとガルガインの間をすり抜けて走り去
ろうとする。
母親らしき中年の女がため息をついて杖を取り出し、瞬間的に魔
力を練ると、無詠唱で杖を振り下ろした。
エクスプロージョン
﹁爆発﹂
爆発
が行使された。
エクスプロージョン
ドグワーン、という炸裂音と共に、爆風だけがうまくあたるよう
に微調整された
やべえええええええええええええ!
爆発
っつったら上位の中級だぞ?!?!
エクスプロージョン
なんなんだよこのおばさんはッ!?
それを無詠唱?!
しかも詠唱時間がほぼノータイム?!
ありえねえ! うちのオヤジよりぜってえつええ!
突然空中に現れた炎の爆発と爆風に驚き、エイミー・ゴールデン
は﹁きゃあ﹂と言って引っくり返った。その足元へ顔面に青筋を立
てながらゆっくりと歩み寄る母親らしき中年の女。まさに怒りが爆
発によって体現されたみてえに、顔を引き攣らせている。
﹁エイミーーーーーッ﹂
905
﹁は、はいお母様﹂
﹁あなたって子はどうしてそういつも思いつきで行動するの!﹂
﹁だってお母様! エリィがサンディにいることはわかってるので
すよ?! どうして迎えに行かないのですか?!﹂
﹁おだまりなさいッ! あなた一人でどうこうできるレベルではな
いのよ? あなた封鎖線をどうやって越えるつもりなの?﹂
﹁現地でどうにかします!﹂
﹁バカおっしゃい! あなたみたいな可愛い子が一人で行ったら手
込めにされるのがオチよ!﹂
﹁私は木魔法が使えます。そう簡単に負けはしません!﹂
そういうと美人な姉ちゃんは杖を取り出して﹁精霊よ樹木の歌を
聴け﹂と省略した詠唱で魔法を唱えた。
すると地面からぶってえ木がせり上がってきて枝を四方八方へと
!?
伸ばすと、青々した葉っぱが一斉に広がった。
シルキーアンセム
精霊の樹木賛歌
やばっ! やべえっ!
木魔法の中級派生系
本でしか見た事ねえよ! 初めて見たぜ!
使用者が指定した対象者に疲労軽減と体力回復だったか?
しかも樹が消滅するまで有効とかいうやばい効果だった気がする。
双炎
﹂
ツヴァイフレア
隣にいるガルガインのアホもでけえ口をあんぐり開けて驚いてや
がる。
﹁どうですお母様!﹂
﹁まだ分からないようね⋮⋮。
精霊の樹木賛歌
シルキーアンセム
を丸呑みにした。
母親らしき女が杖を振りあげると、絡み合った巨大な炎が地面か
ら噴出し、
906
一瞬で
シルキーアンセム
精霊の樹木賛歌
うおおおおおおおおお!
すげええええええええ!
双炎
がかき消えやがった。
っつたら中級の派生系でクッソ強力な炎魔法じゃねえか。
ツヴァイフレア
マジ誰だよこいつ!?
炎魔法士の切り札みてえな魔法だぜ!?
それを無詠唱?!
しかもわずか三秒ほどで?!
﹁お母様ひどいっ! 私のアンセムちゃんを丸焦げに!﹂
そこで怒るのかよ⋮。
エリィの姉ちゃん怒るポイントがちげえ気がする。
普通なら、一瞬で私の魔法が消えるなんて⋮、とか言うとこじゃ
ね?
﹁何度も言っているけど木魔法は補助がメインなのよ? あなた一
人で行動するのは危険だわ﹂
﹁ですがお母様! エリィはきっと私たちに会いたがっています!﹂
﹁それはそうでしょう⋮知らない国で辛い思いもしているはずです﹂
﹁じゃあ行かせて下さい!﹂
﹁ダメだと言っているでしょう。一人で行くのは絶対にダメよ﹂
﹁それなら一人でなければいいんでしょう!?﹂
﹁実力者が揃えば考えなくもないわ﹂
﹁それなら⋮﹂
エリィの姉ちゃんはきょろきょろと周囲を見回し、オレとガルガ
インを見つけると、こちらへ走ってきて、オレたち二人に向かって
指を差した。
907
﹁初めて会ったけどこの二人も行きます!﹂
﹁⋮⋮⋮はっ?﹂
﹁⋮⋮⋮ん??﹂
どうしよ、開いた口がふさがらねえ。
ガルガインのスカタンも同様だ。
﹁あら、あなた確か⋮﹂
そこでようやく母親らしきおばさんがオレに気づいたのか、ゆっ
くり近づいてきて上から下までオレのことをしげしげと眺めた。
﹁あなたワイルド家の?﹂
﹁ワンズ・ワイルドだ﹂
﹁エリィから個別に手紙をもらったスルメ君ね⋮⋮いいでしょう。
ちょっと来てちょうだい﹂
○
なぜかオレとガルガインは、実力を見るとかでエリィの母ちゃん
と戦う羽目になった。
裏庭で対峙したエリィの母ちゃんとオレとガルガインは睨み合っ
ている。
細けえことは苦手だ。
小細工なしにすぐさま魔法の詠唱を開始する。
908
﹁
!!﹂
ファイアスネーク
火蛇
が五個、火の大蛇になって前方へ突進して
!﹂
火蛇
ファイアスネーク
あれだけすげえ魔法使いだ、出し惜しみなく得意な魔法を唱えた。
火魔法の上級
サンドウォール
いく。
﹁
すぐさまガルガインがエリィの母ちゃんの背後に、縦三メートル
横十メートルの巨大な土壁を出現させ、退路を塞いだ。やるじゃね
えか。
オレはゴールデン家から借りたバスタードソードをひっつかんで
前に突っ込む。
火蛇
がエリィの母ちゃんに
ファイアスネーク
十五メートルある距離を詰めようと全力で走った。
人一人なら簡単に丸焦げにできる
ぶち当たろうとするが、よけようともしねえ。まじか? 丸焦げだ
ぞ?
火蛇
が四匹消滅し、残りの一匹が裏拳一発で
ファイアスネーク
だがオレの予想に反して、エリィの母ちゃんが持っていた杖をく
いっと上げると、
粉微塵に霧散した。
なんだあ?!
何したんだ?!
﹁うらあああ!﹂
かまわずオレはバスタードソードを振り下ろした。
909
だがその攻撃も、いとも簡単に風をまとわせた杖で受け止められ、
がら空きになった脇腹へ前蹴りをお見舞いされた。女の蹴りぐれえ
平気だ、と思ったが、巨大ハンマーでぶっ叩かれたみてえな衝撃が
腹から背中へ突き抜け、気づいたら二十メートルぐらい吹っ飛ばさ
れた。
オレと同タイミングで突っ込んだガルガインもやられたのか、空
中を飛んでいるドワーフの姿を目の端で捉えた。
したたかに地面へ体を打ちつけ、しばらく息ができねえ。
してやがる。しかも半端
くっそ。なんだよあのオバさん。めっちゃつええじゃねえか。
身体強化
を裏拳した左手を見つめながら、オ
ファイアスネーク
火蛇
おそらく、というか確実に
じゃねえ強さだ。
﹁もういいわ﹂
エリィの母ちゃんは
レとガルガインに近づいた。
﹁エイミー﹂
癒発光
キュアライト
を唱えてくれた。
そう言うか言われないかのタイミングでエリィの美人な姉ちゃん
が走ってきて
﹁あなたたちの実力はわかったわ。冒険者でいうとEとDの間ぐら
い。冒険者協会定期試験の点数でいうと400点前後でしょうね。
三年生でこの実力は大したものよ﹂
﹁いや、全然うれしくねえんだけど⋮﹂
オレは蹴られた腹をさすりながら言った。
910
﹁私たちゴールデン家はエリィを迎えにいくことにするわ。あなた
たちも来たいなら来なさい﹂
﹁お母様!? いまなんて?﹂
﹁エリィを迎えに行くと言ったのよ。何度も言わせないでちょうだ
い﹂
﹁でもさっきまであれほど反対を⋮﹂
﹁私も同行します。今決めました﹂
﹁お母様!﹂
エリィの姉ちゃんがオバさんに抱きついた。
﹁ただし準備期間中、あなたたちにはみっちりと訓練をしてもらい
ます﹂
﹁あの、お母様それって⋮﹂
﹁私が﹃シールド﹄に在籍していた時のものと同等の訓練をやって
もらうわ﹂
﹁え? ちょっと待て。﹃シールド﹄? あんた元シールドなのか
?﹂
オレはたまらず確認した。
だってなあ、﹃シールド﹄って言ったら国中の魔法使いが憧れる
王国最強魔法騎士団だぜ?
﹁ええ。あなたのお父様とも交友があるわよ。同じ炎使いとしてね﹂
﹁オヤジと? オヤジは別に﹃シールド﹄じゃねえけど⋮﹂
﹁爆炎のアメリア、と言ってくれればわかると思うわ﹂
﹁え⋮ええええええええええええッ!? あ、あ、あんたがあの、
爆炎の?!﹂
911
やべええええええええええええええええええええええええ。
爆炎のアメリアといえば王国内でも超有名人。
その美しさから婉美の神クノーレリルの化身、容赦のなさから戦
いの神パリオポテスの申し子とまで言われた、炎魔法の爆発系を得
意とした猛者中の猛者。討伐ランクAのグレートフルサーベルタイ
ガーを一人で退治した逸話まであり、グレイフナー歌劇の舞台にま
でなっている人物じゃねえか。若くして結婚し、引退したって聞い
たけど⋮⋮まじかよ。エリィの母ちゃんかよ⋮。
なんか上手く説明できねえけど、すげえ納得した。
隣を見るとガルガインのアホチンも愕然とした様子で彼女を見て
いる。
﹁すぐにでも出発したいところだけど人員の確保、通過国への根回
し、領地経営の件もあるから早くても一ヶ月半はかかるわね﹂
﹁戦争で赤い街道は封鎖してっけどどうすんだ⋮⋮するんすか?﹂
﹁旧街道を行きましょう。戦力を確保すれば問題ないでしょう﹂
﹁まじすか? 旧街道っつったら魔物がバンバン出てくる廃道じゃ
ないっすか﹂
﹁ええ。ですので、エイミー、スルメ君、あと⋮﹂
﹁ガルガインだ﹂
﹁ガルガイン君には強くなってもらうわよ﹂
﹁わかりましたお母様! 私、強くなります!﹂
エイミー・ゴールデンは小顔にくっついているでけえ垂れ目をぱ
ちぱちさせて、むん、と両手で拳を作った。
⋮大丈夫かよ。
つーか成り行きでオレとガルガインも行くことになってるけど⋮
⋮まあいいか。あの爆炎のアメリアに修行してもらえると思えばラ
ッキーだ。細けえこと考えるのはやめやめ、めんどくせえから。エ
912
リィ・ゴールデンに会って一刻も早くデートの誘い方を伝授しても
らわなきゃいけねえしな。
ガルガインも満更でもなさそうだし、いいじゃん。よし決めた。
いっちょやってやらあ!
エイミー・ゴールデンが満面の笑みで握手を求めてきたので、オ
レとガルガインはしっかりとその綺麗な手を取った。
﹁スルメ君、ガルガイン君、よろしくね!﹂
﹁誰がスルメだよ誰がッ!!﹂
﹁え、違うの? だってエリィの手紙にはスルメって⋮﹂
﹁ワンズ・ワイルド! スルメは不本意にも勝手につけられたあだ
名ッ!﹂
﹁そうだったの⋮気をつけなきゃ。よろしくね、スルメ君! あっ
⋮﹂
間違えちゃった、と可愛らしく両手で口を押さえるエイミー・ゴ
ールデン。
これは⋮。わざとじゃなさそうだ。
この人に訂正してもらうのめんどくさそうだな。
﹁できれば名前で呼んでくれ﹂
﹁わかった! 頑張るね、スルメ君! あっ⋮﹂
﹁ぶーっ﹂
﹁ガルガインてめえ笑ってんじゃねえよ!﹂
﹁わりい、ついな、つい。まあよろしく頼むわ、ス・ル・メ・く・
ん﹂
﹁だぁれがスルメだよ誰がッ!!﹂
﹁ハイジ﹂
913
アメリアさんが今まで空気のように控えていた可愛いメイドを呼
んだ。メイドはすでにわかっていたのか、紙とペンを持っている。
アメリアさんは素早く書状をしたためると、オレとガルガインに手
渡した。
﹁ご両親に許可をもらってきなさい﹂
﹁了解っス﹂
﹁俺は下宿してるんで別に大丈夫っすよ。あとで実家に手紙だけ送
っておきます﹂
ガルガインが受け取りながら言った。
﹁では明日、朝の六時にここに来なさい。それから学校へは当分行
けなくなるからそのつもりで。手続きは私がしておきます﹂
え? 学校にいけねえ?
泊まり込みで修行?
しかもさっき﹃シールド﹄と同じ訓練って言ってたよな。
やべえ⋮⋮嫌な予感しかしねえ⋮。
﹁エイミーはコバシガワ商会にしっかり言っておきなさいね。モデ
ルの仕事があるでしょう。撮影スケジュールをきちんと組んでおか
ないと皆様に迷惑がかかります。もうあなた一人の身体ではないん
ですよ? それをきちんと肝に銘じなさい、いいわね﹂
﹁はい、お母様。ありがとうございます﹂
﹁それからはっきりと言っておきます。あなたたちの今の実力で﹃
旧街道﹄を行ったら生還率は一割でしょう。私がゴーサインを出さ
なければ旅のパーティーからはずしますから、そのつもりで﹂
﹁はい!﹂
﹁うっす!﹂
914
﹁おう!﹂
○
朝六時きっかりに俺とガルガインはゴールデン家の門前に集合し
た。
秋に入った朝の空気は冷たく、もうちょい厚着でもよかったかな
と思う。
まあ、鞄の中から洋服を出して着るのはめんどくせえ。
﹁おはよー﹂
そう言って家から出てきたエイミー・ゴールデンは、やはりゲロ
可愛くてクッソ美人だった。エリィ・ゴールデンと同じ色をした金
髪は絹糸のようにさらさらと朝日に反射し、顔面がまじでちいせえ。
縦幅に関しちゃオレの二分の一ぐれえだ。
﹁うっす﹂
﹁ういす﹂
オレとガルガインは彼女に敬語を使う気になれず、エリィ・ゴー
ルデンと同じような感じで接する流れに自然となっていた。
﹁う∼っす。うふふ﹂
エイミー・ゴールデンは面白がって同じような挨拶を返してくる。
美女がそんなふうにくだけた言い方をすると、なんかすげえ反則的
915
に可愛い。
これはグレイフナー魔法学校で人気があることもうなずける。フ
ァンクラブまであるらしいからな。
ま、オレはもっと釣り目で性格がビシッとしている女が好みだが。
爆炎のアメリアさんなんかはまさにどストライクなんだけど、あ
んだけ気が強くて戦闘もつええと絶対に尻に敷かれるな。
あ、そういや、ゴールデン家の当主ってそんなに強くねえよな?
アメリアさんはなんで魔闘会に出ねえんだろうか?
﹁おはようございます﹂
﹁おはよー﹂
そんなことを考えていると、角刈りで背の低いずんぐりした男と、
黒髪ストレートで細身の女がやってきた。
﹁これからアメリアさんの特訓に無理を言って参加させて頂くこと
になったテンメイ・カニヨーンです。グレイフナー魔法学校の六年
生で、スクウェア。コバシガワ商会の専属カメラマンをやっていま
す﹂
真面目そうな角刈り男が、ずんぐりな身体を三十度折って、きっ
ちりと礼をした。
﹁サツキ・ヤナギハラよ。六年生でヘキサゴンね。ああ、キミがス
ルメ君⋮⋮たしかにスルメっぽい﹂
﹁誰がスルメだよ誰がッ!﹂
くすっと笑うサツキとかいう女にオレは思いっきりツッこんだ。
失礼な野郎だ。
916
だが、見た目はオレのどストライクだった。黒髪が胸のあたりま
で伸び、茶色の瞳が凛々しく真横に引かれている。生意気そうな感
じがたまらなくいい。これは久々にキタ。
つーかヤナギハラって領地七百超えの六大貴族じゃねえか!!
しかもあの大冒険者ユキムラ・セキノと共に冒険し、名字を命名
された仲間の末裔とかオヤジが言ってた気がする。変な響きの名字
だな。
てかこいつ、グレイフナー魔法学校六年生の主席だったよなたし
か⋮。
入学式の在学生代表とかでしゃべってた気がする。
噂だと上位が二つできるとか⋮。
やべえ、クソつえーじゃねぇか。
﹁私も参加するから。よろしくね、スルメ君﹂
﹁だから誰がスルメだよ誰が!!﹂
﹁キミのことよ。ねえエイミー、エリィちゃんが言ってただけあっ
て面白いねこの子﹂
﹁でしょ∼﹂
よし、エリィ・ゴールデン。あとで覚えてろよ。
きっちりと文句言ってやる。
とりあえずこの中で一番強くなってやる。
砂漠で待ってやがれエリィ・ゴールデン!!
○
917
こうしてオレ、ガルガイン、エイミー・ゴールデン、サツキ・ヤ
ナギハラ、テンメイ・カニヨーンは爆炎のアメリアさんのしごきを
みっちり二ヶ月間受けることになった。思い出しただけでゲロが出
そうになるしごきをな⋮。
918
第13話 イケメン砂漠のデートタイム︵前書き︶
遅くなりました⋮。
砂漠の休日回です!
919
第13話 イケメン砂漠のデートタイム
今日は商店街七日間戦争の翌日ということでポカじいの稽古は休
みで、治療院も休館だ。久々に何もない一日だったので、俺はとあ
る人物とオアシスの噴水前で待ち合わせをしている。
アリアナは獣人三人娘のトラ美、ネコ菜、ヒョウ子と遊びに行く
っていってたな。どこいくんだろ? それにしても我ながら適当、いや、適切なあだ名だ。
トラ美、ネコ菜、ヒョウ子。わかりやすい。
観光名所としても名高いジェラのオアシスには多くの家族連れや
カップルが往来している。戦時中でもその人気は絶えることがなく、
水際をなぞるようにして露店や商店が店を出していた。
美しいオアシスに砂漠の暑い陽射しが落ちて水面が光魔法のよう
にまぶしく輝き、その上を船が行き交う。大きな波紋によってでき
た水の不規則な揺れに合わせて光が揺らめくと、照りつける砂漠の
暑さが和らぐような気がした。青々と輝くオアシスに、風が吹き抜
け、自分の履いているギャザースカートが優しげにそよぐ。
思えば随分スカートを履くことに慣れちまったな。
今じゃ違和感なんてまったくなく、この体が俺自身の体だって思
える。まあ、たまにエリィが勝手に動くこともあるけど。
試しに、がに股でダブルピースをしてみる。
920
するとあら不思議。自動で内股になってピースもお上品なピース
になる。やっぱ何回やってもこの感覚は不思議だな。
勝手に動くのに、違和感が全くない。誰かに説明するなら、やろ
うと思っていた行動が脳内で自動変換されて腕や足に伝達され、あ
たかも最初からその行動を取ろうと思っていたような錯覚に陥る。
もうちょい具体的に言うなら、がに股でダブルピースしようとし
ていたくせに、気づけば内股になっていて、ああ、そういや内股で
ピースしようとしていたよな、と頭が勝手に納得している。でも、
がに股で行動しようと体に命令を出した記憶はしっかりと残ってい
る。こんな感じか。
﹁エリィしゃん⋮そのポーズはなんでしゅ?﹂
ピースをしたまま顔を上げたら、クチビールが頬を染めて立って
いた。
デート場所の噴水が魔法の力なのか一気に上がった。
水滴が水蒸気のように空中を舞うと、一瞬ではあるが七色の虹が
現れる。その美しい光景をバックに、唇がびろんとめくれ上がり子
どもが見たら泣き出しそうな人相で、世紀末に弱者から食糧をヒャ
ッハーする奴らみたいな刺々しい鎧を着たクチビールが佇んでいる。
場違いも甚だしい。
俺はちょっとツボに入ってしまい、小さく笑った。
﹁そのポーズは待ち合わせのポーズでしゅ?﹂
﹁そうよ﹂
﹁こうでしゅかね﹂
﹁もう少し顔の前に持ってきて⋮そうね、地面と水平にしてちょう
921
だい。そうそう! そのままの姿勢で、ダブルピース、って言って
ちょうだい﹂
﹁ダブルピース﹂
﹁ぷっ⋮﹂
明らかに人相の悪いクチビールのダブルピースは強烈だった。
やべー超うけるー。
素直にやってくれるとは、ほんといい奴になったな。
しばらく俺とクチビールは噴水近くのベンチに座り、世間話をし
た。クチビールは十五才の頃から冒険者家業をしていて今年で二十
七だそうだ。頑固な性格が災いしてパーティーのメンバーと衝突し、
意固地になって仲直りできず、数年間他人に当たり散らしていたら
しい。そこに現れたのが俺だ。
おしおき
は今でも夢に見るらしく、もう二度と
電撃を浴びた直後、自分自身が生まれ変わって世界が輝いて見え
たそうだ。あの
電打
しただけなんだが。
エレキトリック
味わいたくないが人生最高の衝撃的出来事であり、自分が変わるき
っかけになった、とのこと。
いやいや⋮俺は手加減せずに
﹁エリィしゃんは僕にとっての女神なんでしゅよ﹂
クチビールはさも自信ありげに胸を張った。
﹁女神ってあまり言わないで⋮恥ずかしいから。それよりその口調
は直らないの?﹂
﹁これでしゅか? あの日から唇が痺れてうまくしゃべれないんで
しゅよ。でも今までしてきた悪さへの罰だと思ってましゅから気に
しないでくだしゃい﹂
﹁あらそう﹂
922
今までおしおきしてきた連中もそうなんだろうな。
まあ時間が経てば治りそうなもんだけど。
ちなみに健気にもクチビールがエリィ用の日傘を持参していたの
はちょっと嬉しかった。
今、彼に日陰を作ってもらい、その中で快適におしゃべりをして
いる。
これはエリィも喜ぶだろう。
﹁あのエリィしゃん⋮⋮﹂
﹁なあに?﹂
﹁これ⋮プレゼントでしゅ﹂
﹁まあ! でもいいのかしら、私何も持ってきてないわ﹂
﹁いいんでしゅ! これは僕のエリィしゃんへの気持ちでしゅ!﹂
まじかーー!
女の子になって初めてのサプライズプレゼントがクチビールとは!
あ、いや、ジョーにも舞踏会でもらったか。
でもこういうデートでちゃんとしたプレゼントは初ッ。
つーかエリィの初デートクチビールじゃねえかッッッ!!
いいのか、いいのかこれ!?
⋮⋮だがなんだろう、嬉しいな。プレゼントをもらっている女子
はいつもこんな気分なのか。
サプライズプレゼントは好きだったから色んな子にあげまくって
たぜ。いやー、俺って数々の女子に幸せをあげていたんだな。うん
うん。やっぱ天才だなー俺。
﹁ありがとう﹂
923
ほころぶ顔が自分でも抑えきれず、笑顔がこぼれてしまう。
中身はなんだろう?
☆
﹁⋮⋮エリィがあんなに嬉しそうな顔を﹂
﹁リーダー!﹂
﹁リーダー落ち着くニャ!﹂
﹁鞭をしまってください!﹂
﹁トラ美、ネコ菜、ヒョウ子、みんないい⋮? もしクチビールが
エリィにハグしようとしたりキスしようとしたりしたら、私は躊躇
なく黒魔法を唱える⋮⋮ッ!﹂
﹁リ、リーダァ?﹂
﹁いつも冷静なリーダーがおかしいニャ﹂
﹁リーダー、これは二人の問題なのでそっとしておいたほうが⋮﹂
﹁む⋮⋮たしかに言われてみればそれもそう⋮⋮でも⋮⋮⋮﹂
﹁いいなあデート﹂
﹁私もしたいニャ﹂
﹁いいですね∼プレゼント。あっ、リーダー見て下さい! プレゼ
ントの中身が嬉しかったのかボスがクチビールに抱きついています
!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮ッ!!﹂
﹁リーダァ⋮?﹂
﹁怒ってるニャ⋮﹂
﹁初めて見たアリアナリーダーの怒る顔⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮混沌たる深淵に住む地中の魔獣⋮⋮我が願いに応え指し
示す方角へ己が怒りを発現させよ⋮⋮⋮⋮﹂
924
﹁うわわわわわッ!!!﹂
断罪する重力
ギルティグラビティ
﹁リーダーだめニャ!!!﹂
﹁黒魔法中級
?!?﹂
﹁クチビールあんなにニヤけて⋮⋮﹂
﹁黒魔法中級だって!?!?!﹂
﹁まままままずいニャ!﹂
﹁リーダーいつの間に習得をッ!?﹂
﹁有罪確定⋮⋮ギルティ︱︱︱﹂
﹁飛び付け皆の衆ッ!﹂
﹁ニャーーーー!!!﹂
﹁リーダーごめんなさいッッ!!!﹂
○
ん?
なんか今アリアナと三人娘の声が聞こえた気がする。この近くに
でも来ているのだろうか。
﹁あ、あのエリィしゃん⋮⋮﹂
﹁あら、ご、ごめんなさい。嬉しくってつい﹂
あわててクチビールから離れた。
クチビールのプレゼントが欲しかった物なので、はしゃいで抱き
ついてしまった。嬉しいと飛び付く、というゴールデン家の血がそ
うさせたのかもしれない。
彼が持ってきてくれた物はなんと﹃デニム生地﹄だった。
探し求めて止まなかった洋服の生地ランキング一位がいま、なん
925
と目の前にある。これはテンションあがるぜ、まじで。
デニムといったらズボンにしてもよし、スカートにしてもよし、
オーバーオールにしてもよし、言うならばほぼどんな靴や服と合わ
せられる神の生地。これがあれば﹃ミラーズ﹄には人気商品がまた
一つ生まれる。
﹁そんなに嬉しかったんでしゅか? エリィしゃんが面白い洋服の
生地を探しているのよねって言ってたのを思い出したんでしゅよ。
それで知り合いの冒険者に無理を言って譲ってもらいましゅた﹂
二、三発なら
﹁この生地ってどうやって作ったの? 教えてほしいわ﹂
﹁これは作るのではなく魔獣の毛皮でしゅよ﹂
﹁魔獣の?﹂
ファイアボール
﹁Dランクのデニムートンの皮でしゅ﹂
﹁乱獲決定﹂
﹁え? 捕まえるんでしゅか?﹂
﹁ええ、これで洋服を作るわ﹂
聞けばこの生地、防御力が高く
防いでくれるそうだ。まじか、益々欲しいぞ。砂漠の荒野にしか住
まない魔物なので、グレイフナーでの飼育は難しいみたいだ。こう
なったらオアシス・ジェラにコバシガワ商会支部を作って捕獲と輸
送拠点にしよう。決めた。
﹁ということでクチビール、あなたはデニムートンの捕獲隊長兼コ
バシガワ商会支部の支部長ね! よろしく!﹂
﹁エリィしゃん何のことでしゅ?﹂
﹁いいのいいの、こっちの話よ﹂
﹁よく分からないけど分かりましゅた!﹂
﹁さすがクチビール﹂
926
とりあえず貰った生地で俺とアリアナの分の洋服は作れそうだな。
帰ったらコゼットに相談してみるか。
そうしてご機嫌気分のままクチビールとのデートを楽しんだ。
露店で珍しい餅みたいな辛いお菓子を食べ、ボートに乗り、広場
でやっていた蛇を使った大道芸を見て、クチビールが蛇に唇を噛ま
れて笑い、二人で小一時間ほど北東の治療院を手伝い、気づけば時
刻は四時になっていた。
ちょいちょいアリアナと三人娘の楽しそうな声が聞こえたので、
彼女たちとも偶然すれ違ったのだろう。そこまで大きくないオアシ
スの観光名所を回っていればそういう偶然は必然的に起きる。近く
にいるなら声ぐらいかけてくれてもいいのにな。
☆
﹁魔力が⋮⋮切れそうッ⋮﹂
﹁はぁはぁ⋮リーダーが悪い⋮﹂
﹁何度も黒魔法を唱えようとするからニャ⋮﹂
﹁今日だけで⋮寿命が半分縮みました⋮﹂
﹁エリィが言ってた⋮。どんなときでも冷静でなければいい結果は
出せない。当たり前のことを当たり前にできてこその一流だって⋮
⋮。私は⋮まだまだ⋮⋮﹂
﹁リーダー、エリィちゃんのことになると目の色が変わる﹂
﹁そうニャそうニャ!﹂
﹁でも私、すごく楽しかったです﹂
﹁あ、もうこんな時間⋮﹂
﹁あーああ、もう時間切れか。リーダー今度はちゃんと遊ぼうな﹂
﹁そうニャそうニャ!﹂
927
﹁これはこれで楽しかったので私は満足です﹂
﹁そういえば⋮こんな風に年が近い女の子と遊ぶの⋮はじめてかも﹂
﹁ええっ! リーダーそれはほんとか!﹂
﹁またお休みの日遊ぼうニャ﹂
﹁賛成です﹂
﹁うん⋮⋮。そうだね。またみんなで集まろう﹂
○
クチビールと別れて、なぜか魔力を著しく消耗したアリアナと合
流し、ルイボンの家へ向かう。
実はルイボンの家にお呼ばれをされており、専属メイドに化粧を
教えて貰ってからルイボンの断髪式を行う予定だ。
ふっふっふ、どんな髪型にしてやろうか⋮。
遠くからでもわかるぐらい、そわそわして玄関前で待っていたル
イボンは、俺たちに気づくと、あわてて家の中に駆け込んだ。
アリアナと目を合わせて笑う。たぶん、ずっと私たちが来るのを
待っていたのだろう。
門番に取り次ぎをお願いすると、すました顔をしたルイボンがつ
んと顔を上げて出てきた。
﹁ごきげんよう﹂
﹁ごめんね待たせちゃって﹂
﹁待ってたでしょ⋮?﹂
﹁べ、別に待ってなんかいないわよ! さあ、私の部屋にいきまし
ょ!﹂
928
ルイボンの家はさすが領主邸ということもあってゴールデン家よ
りも大きかった。高級そうな絨毯や幾何学模様をした壺はグレイフ
ナーでは見たことのないデザインで、観察しながらルイボンの部屋
に入った。
部屋の中ではすでに専属メイドが化粧の準備をしていた。
メイドはベリーショートに茶髪、砂漠の民らしい褐色の肌をした
性格の良さそうな人だ。
化粧品の数がすごい。
口紅、グロス、ファンデーション、コンシーラー、チーク、アイ
シャドウ、アイライナー、マスカラ、それが各種二十種類以上ある。
他に見たことのない化粧道具が多数。
すべて異世界の物だが、中身や効果は地球の化粧品類とほとんど
変わらないみたいだ。呼び方もほとんどが一緒で助かる。
﹁ふふん、すごいでしょ﹂
胸を張るルイボンが自慢げに口をとがらす。
たしかにこれはすごい。思わず﹁まあ﹂と声を上げて化粧品に釘
付けになった。それを目の端で見たルイボンは有頂天といった様子
で﹁大したことはないけどねッ! ふん!﹂と口元のにやつきをお
さえて言う。
ルイボン専属メイドの手ほどきを受け、俺とアリアナとルイボン
は、ああでもないこうでもないと言いながら化粧をしていく。何度
か失敗して顔を洗いに行き、五度目でまあまあの出来のメイクがで
きた。
929
﹁アリアナまつげ長いッ!﹂
﹁あなたすごいわね∼﹂
﹁マスカラって強烈﹂
﹁ほんとね﹂
俺とルイボンが感心しきってまつげを人差し指で触ると、アリア
ナはくすぐったそうにして瞬きをした。
﹁くぅぅぅ∼なんて可愛さ﹂
ルイボン専属メイドが、身もだえて自分の両腕を抱いていやんい
やんと首を振っている。この人、ナチュラルメイクをしていて、め
っちゃきれいなんだよな。実際、整った顔の人なんだが、化粧で相
当美人になっているように見える。
すげー。化粧ってまじですげえ。
﹁エリィかわいい⋮﹂
アリアナが嬉しそうに俺の顔を見て言った。
﹁メイクって奥が深いわね﹂
﹁そうよ! だからこれから私の家で練習よ!﹂
﹁賛成⋮﹂
﹁そうねぇ⋮。修行のあいまにルイボンの家に来ましょうか。お言
葉に甘えちゃっていいの?﹂
﹁いいわよ! まあそこまで言うなら仕方ないわよね! 絶対来な
さいよね! 約束だからね! 時間のあるときっていうか毎日でも
いいからね! 絶対来なさいよね!﹂
﹁嬉しい﹂
﹁あらアリアナ。お化粧気に入ったの?﹂
930
意外に思って聞くと、アリアナは固い決意を込めた様子でうなず
いた。
そのあと、メイドさんに色々と技法を教わっていると夕飯の時間
になってしまった。コゼットとジャンジャンが遅いので迎えに来て
くれたが、ルイボンたっての希望で今日は泊まっていくことになっ
た。
そのときのルイボンの嬉しそうな顔といったらなかった。
仕方ないわね、と言ってお泊まり会を承諾すると、ルイボンは﹁
部屋はいっぱいあるから好きにしたらいいじゃない! まあ、でも、
私の部屋がいっちばん綺麗でいっちばん落ち着くからみんなで私の
部屋で寝るのがいいわね! 最高級のお布団がたまたま手に入った
から仕方ないけどエリィとアリアナに貸してあげるわよっ﹂とまく
し立てた。
ほんと、素直じゃねえなあ。
ルイボン一家専属シェフの豪華な夕食をいただき、俺たちはつい
にルイボンの髪型変更の儀式をとり行うことにした。
ルイボンの父親の許可はもらっている。父親は年頃の女の子に髪
型を強要することに後ろめたさを感じていたのか、渡りに船といっ
た様子で快諾してくれた。
﹁では、ラーメ○マンの髪型にするわ﹂
﹁エリィ、そのラー○ンマンというのはどういう髪型ですの?! 言葉の響き的にすごーく嫌な予感がしますわっ!﹂
ルイボンが両目を見開いて疑惑の視線をこちらに投げる。
﹁見てのお楽しみよ﹂
931
そう言いつつルイボンの家にいる専属の美容師に指示をどんどん
出していく。
その間、ルイボンの前の鏡は取り外された。完成してから自分の
髪型とご対面だ。
﹁そうそう、そこを切って﹂
﹁へえ⋮﹂
﹁パーマが取れるようにヘアアイロンで﹂
﹁へええ⋮﹂
﹁前髪は、そんなかんじね。いえ、もうちょっと切ってちょうだい﹂
﹁おおお⋮﹂
﹁バランスが良くないわね。髪をすいて⋮。切りすぎないように﹂
﹁エリィすごい⋮﹂
リアクションを取るたびにルイボンが驚くので、アリアナは面白
くて大げさにやっているようだ。こう見えてアリアナって結構お茶
目だよな。
○
﹁できたわ﹂
﹁変な髪型より断然いい⋮﹂
﹁な、な、なんですの二人して?!﹂
美容師たちに鏡を移動させ、ルイボンの前に置いた。
ルイボンは自分を見て驚嘆し、眉をへの字にして口をとがらせ、
食い入るように髪型を見つめる。
932
﹁そうね、名付けるならばフェミニンショートボブといったところ
かしらね。きついパーマを伸ばしてできたゆるいウェーブを活かし
つつ、大胆にあごのあたりまでばっさりと切って女の子らしさと活
発さを強調したわ。私ルイボンをはじめて見たときショートが似合
うと思ったのよね﹂
美容師たちが俺の解説にうんうんとうなずいている。
ルイボンは話を聞きつつも、鏡を割らんばかりの勢いで自分を見
つめていた。
﹁どうルイボン。変な髪型にされるよりよかったでしょ?﹂
﹁え、ええ⋮⋮⋮⋮そうね。私が私じゃないみたいね⋮⋮﹂
﹁あ、それわかる。私も最近一気に痩せたから鏡を見るとびっくり
するのよね﹂
そのあとルイボンは﹁おとうさまぁッッ!﹂と叫んで髪型を見せ
て褒められ、次に﹁おかあさまぁぁぁ!﹂と母親にも見せに行って
ベタ褒めされテンションが最高潮になって、執事、使用人、料理人、
庭師、メイド、家庭教師、ボンソワール家すべての人々に新しい髪
型を披露した。
﹁あなた髪型と化粧を変えただけで随分きれいになったわね﹂
﹁ま、まあね! 私は元から可愛かったからねっ!﹂
ルイボンはこれ以上ない、といったほどに嬉しそうだ。何とかし
て嬉しさを隠そうとしているが、口元が常ににんまりと上がってい
る。俺とアリアナはそれが面白くて仕方なく、終始笑っていた。
933
○
朝、ルイボンの家から﹃バルジャンの道具屋﹄へと向かった。
家を出るときにルイボンが冗談抜きで百回ぐらい﹁また来なさい
よね!﹂と言っていたのがうけた。まあアリアナも楽しんでいたみ
たいだし、また来るか。あと美少女への布石としてメイク術も憶え
ておきたいしな。
それにこのメイク、ビジネスのにおいがぷんぷんするぜ。
聞けばほとんどが砂漠で作られた化粧道具らしい。﹃コバシガワ
商店オアシス・ジェラ支部﹄の設立待ったなしだな。デニムに加え
てメイク道具を輸入し、両方のオリジナルブランドを立ち上げても
いい。いやー構想がやべえ。超湧いてくる。
﹃バルジャンの道具屋﹄にはガンばあちゃんしかいなかった。
コゼットはお隣のバー﹃グリュック﹄にいるみたいだな。
俺とアリアナはお隣さんへと移動した。
開店前のくせに、カウンターに見覚えのあるじいさんが酒を飲ん
でいた。
﹁この店の酒はうまいのぅ﹂
﹁朝から飲んでるの?﹂
﹁まあまあそういうなて。ほれ、まだ二割ぐらいじゃ﹂
ポカじいはそう言いながら純度の高そうな酒のボトルを上げた。
確かに二割ほどしか減っていないが、じいさんの顔はほんのりと
赤くなっている。
934
身体強化
と
ウエポン
の訓練じゃぞ。
なくして旧街道を抜けるのは不可能じゃからな﹂
﹁今日から本格的な
身体強化
﹁あら、じゃあ旧街道を抜けるルートでグレイフナーに帰るのね﹂
﹁それが一番無難な帰り道じゃろうのぅ。あちらさんは異常なほど
警戒した封鎖をしておるでな﹂
﹁あちらさん?﹂
﹁サンディ軍の情報封鎖じゃよ。本当に戦争しとるのか怪しいとこ
ろじゃがな⋮﹂
﹁水晶で様子は見れないの?﹂
﹁ふむ。両軍睨み合ったままで、かれこれ二ヶ月ほど経っているか
のう。魔法の一発すら交換しとらん﹂
﹁じゃあ全く終わりそうにないってことね﹂
﹁そういうことじゃな。早く強くなって旧街道を抜ける。これがグ
レイフナーへの一番の近道じゃ﹂
﹁前から思っていたんだけど、ポカじいも一緒に来てくれない? ポカじいがいれば今からだってすぐいけるでしょ?﹂
﹁ほっほっほっほ。年頃のおなごに一緒に来てと言われるなぞ中々
に魅力的じゃの。だが、わしはこの地を離れるわけにはいかんのじ
ゃ﹂
﹁そう⋮⋮ごめんなさい、無理な提案をしてしまって﹂
﹁いいんじゃよ。おぬしたちは孫みたいなもんじゃ、はっきり言い
たいことを言ってくれたほうがええのぅ﹂
﹁じゃあ二度と私のお尻を触らないでちょうだい﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ほっほっほっほ﹂
﹁触る気まんまんじゃないの!﹂
﹁お尻触っちゃ⋮めっ﹂
アリアナがじとっとした目線を向けると、ポカじいは頬をぽりぽ
りとかいて視線を逸らす。そして思い出したかのようにアリアナに
言った。
935
﹁そうじゃアリアナ、おぬしの二週間の成果を見せてやったらどう
じゃ?﹂
﹁⋮⋮うん﹂
なに、成果?
二週間ってこの商店街七日間戦争の二週間のことか?
﹁これ見て⋮﹂
アリアナが長いまつげをぱちぱちしながら、ポケットからメモ用
紙を取り出して渡してくる。
俺は丁寧に折りたたまれたメモ用紙を広げた。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
炎
白 | 木
\ 火 /
光 土
○
風 闇
/ 水 \
空 | 黒
氷
下位魔法・﹁闇﹂
下級・﹁ダーク﹂
中級・﹁ダークネス﹂
スリープ
上級・﹁ダークフィアー﹂
﹁睡眠霧﹂
936
コンフュージョン
バーサク
﹁混乱粉﹂
ロスヴィジョン
﹁狂戦士﹂
ロスヒアリング
﹁視覚低下﹂
アノレクシア
﹁聴覚低下﹂
アブドミナルペイン
﹁食欲減退﹂
﹁腹痛﹂
上位魔法・﹁黒﹂
グラビトン
下級・﹁黒の波動﹂
グラビティバレット
﹁重力﹂
グラビティリリーフ
﹁重力弾﹂
グラビティウォール
﹁重力軽減﹂
メランコリー
﹁重力壁﹂
テンプテーション
﹁憂鬱﹂
サァヴィジュ
﹁誘惑﹂
﹁殺伐﹂
ギルティグラビティ
中級・﹁黒の衝動﹂
チャーム
﹁断罪する重力﹂
﹁魅了せし者﹂
下位魔法・﹁風﹂
下級・﹁ウインド﹂
中級・﹁ウインドブレイク﹂
﹁ウインドカッター﹂
上級・﹁ウインドストーム﹂
﹁ウインドソード﹂
﹁エアハンマー﹂
下位魔法・﹁火﹂
下級・﹁ファイア﹂
937
中級・﹁ファイアボール﹂
上級・﹁ファイアウォール﹂
下位魔法・﹁水﹂
下級・﹁ウォーター﹂
中級・﹁ウォーターボール﹂
下位魔法・﹁土﹂
下級・﹁サンド﹂
中級・﹁サンドボール﹂
下位魔法・﹁闇﹂﹁風﹂﹁火﹂﹁水﹂﹁土﹂
上位魔法・﹁黒﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
なんだこれ。アリアナが使える魔法の種類か。
黒魔法の中級まで書いてあるが⋮まさか。
﹁エリィが寝ている間にポカじいと練習した⋮﹂
﹁ほっほっほっほ!﹂
﹁すごいわね!﹂
加護の光
を成功して
﹁エリィだけ治療院で白魔法の経験を積んでいて、置いてけぼりに
されそうだったから⋮﹂
﹁そうだったの⋮﹂
﹁エリィのおかげ⋮。エリィが白魔法中級
いなかったら私も黒魔法の中級は習得できなかったと思う﹂
﹁それはどうして?﹂
﹁魔法はイメージが重要⋮。成功したエリィの美しい姿があったか
ら最後まで諦めずに詠唱できた⋮﹂
938
﹁そう⋮⋮頑張ったのね﹂
アリアナを抱きしめて、いつものように狐耳をもふもふする。
こんな小さな体で頑張り屋だな、ほんと。
﹁これでお揃い。二人とも中級⋮﹂
﹁そうね。お揃いね﹂
﹁アリアナは相当魔法の才能があるのぅ。二人ともいい弟子じゃ﹂
﹁どさくさに紛れてお尻を触ろうとしないで!﹂
﹁おお、こわやこわや﹂
重力
グラビトン
﹂
﹁こわやとか言いながらつんつんするんじゃないわよッ!﹂
﹁黒き重圧を受けよ⋮⋮
えっちぃのは⋮めっ、と呟きながらアリアナがポカじいに指を向
けると、地面が黒く染まり、重力が倍近くにふくれあがる。周囲の
空気までが重くなったようだ。黒魔法の重力系。食らったら確実に
重力軽減
グラビティリリーフ
﹂
動きが阻害される。やべえな。
﹁ほっほ! を相殺しやがった!
そして反復横跳び﹂
重力
グラビトン
すぐさま魔法を詠唱したポカじいが酔っ払いとは思えない動きで
飛び退いた。
重力軽減
グラビティリリーフ
すごっ! 簡単に
﹁さらに
じいさんの体がほんのり黒く染まると、とんでもねえ速い動きで
反復横跳びを始めた。俺とアリアナの目にはじいさんが十五人ほど
に見える。厄介なのはちょこちょこ俺の尻を触ってくることだ。
939
電衝撃
インパルス
を使うわけにもいかねえ。つーかバー﹃グリュ
﹁行きがけ駄賃みたいにお尻を触らないでちょうだいッ!﹂
店内で
ック﹄のマスター、何も言わずにグラスをひたすら拭いているが大
丈夫か。ある意味大物だなおい。
俺とアリアナがポカじいを攻めあぐねていると、店の裏からコゼ
ットが入ってきて、酒の空き瓶に蹴躓いたのか音を立てて転び、そ
の勢いでバーに入ってきた。
﹁いったぁい。お尻ぶつけちゃった∼﹂
﹁む、それはいかんのぅ。すぐに治療せねばならん!﹂
﹁あ、ポカじい。おはようございます﹂
﹁コゼットや、尻を出してみぃ﹂
﹁うん﹂
反復横跳びをやめてポカじいがスケベ面で近づいていく。
父親であるマスターがぴくっ、と眉を寄せたが、俺が目で制して
ポカじいの腕をつかんだ。
﹁あ⋮﹂
﹁ポ・カ・じ・い⋮?﹂
﹁しもうた! コゼットの健康的でハリのある尻に吸い寄せられて
しもうたわい!﹂
﹁スケベはいつになったら直るの?﹂
﹁これは直らんのう⋮わしは尻ニストの中の尻ニスト。世界の女尻
エレキトリック
のデータを頭脳に集積した歩く︱︱﹂
﹁電打!!!!!!﹂
﹁シリシリシシシシシシシシトショショショショバブベブラカァァ
ン!!﹂
940
じいさんが白い煙を上げながら髪の毛を逆立たせてぶっ倒れた。
ヒール
﹁治癒﹂
じいさんの死骸を踏んづけながらコゼットに魔法をかけてやり、
尻の治療をする。
﹁ありがとうエリィちゃん﹂
﹁どういたしまして。ごめんねうちの変態じいさんが﹂
﹁いいのよ。大事なお客さんだし﹂
﹁ねえコゼット、これ裁縫できる?﹂
﹁ああデニムートンの皮ね。できるけど砂漠だと暑いよ、この生地
? どうするの?﹂
﹁砂漠にも合う洋服にしようと思って﹂
﹁へえ∼面白いねエリィちゃんて。じゃあ私の部屋に来てくれる?﹂
﹁もちろん﹂
﹁じじいを殺す気かエリィ!? 三途の川の渡し船に乗っていた船
頭まで見えたわぃ!﹂
スケベじじいが復活して猛抗議をしてくる。
﹁あ、そうだコゼット﹂
俺は尻じじいを無視してコゼットに向き直った。
﹁昨日ルイボンに聞いたんだけど、五年前にオアシス・ジェラを襲
った盗賊団がいたらしいわね。ジャンジャンがこの町を出たのも五
年前ぐらいって話だし⋮あなたとジャンジャンの間にあった事に何
か関係があるんじゃないの?﹂
941
﹁あ⋮それは⋮﹂
﹁無理に答えなくていいわ﹂
﹁⋮⋮⋮うん﹂
途端、いつもは天真爛漫で明るいコゼットの表情が曇る。かぶっ
ていたドクロが悲しげに、カタンと音を立てた。
﹁エリィちゃん⋮前に話すって約束したよね? このままじゃ私も
ジャンも先に進めないし何も変われない⋮。エリィちゃんが竜炎の
アグナスさんを治療したときに、私思ったの、エリィちゃんに話せ
ば何かが変わるかもしれないって。ほんとはね、昨日の夜ルイス・
ボンソワールさんの家に私もお邪魔して話しちゃおうなかって思っ
てたんだよ?﹂
﹁そう⋮﹂
﹁部屋に行きましょ⋮。覚悟はできてるから﹂
﹁わかったわ⋮﹂
﹁ありがとう﹂
﹁アリアナはもちろんとして、ポカじいも一緒にいいかしら。こう
見えて私たちよりすごい魔法使いなのよ。何か手助けになるかも。
いいわよね、ポカじい﹂
﹁ほっほっほ、可愛い弟子の頼みじゃ。ええとも﹂
﹁コゼット⋮大丈夫?﹂
今にも倒れそうな顔をしているコゼットの手をアリアナが握った。
やっぱアリアナってこういう優しいところが七人弟妹の長女だよな。
﹁うん、平気⋮⋮﹂
コゼットはアリアナに向かって無理に笑いかける。
それを見て、不意に石つぶてを投げられたみたいに胸が痛んだ。
942
俺たちは重い足取りのコゼットについていき、バー﹃グリュック﹄
の裏口から出た。ちらっと後ろを見ると、ずっと無表情でグラスを
拭いていたマスターが悲しげな表情になっていた。
943
第13話 イケメン砂漠のデートタイム︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重59㎏︵−1kg︶
前回と変わらずです。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
いや∼乱世乱世。
師走、忙しいですね∼。
なんとか四日に一度の更新は守っていけるよう頑張ります。
グラビティコフィン
あと、黒魔法中級で
グラビティハンマー
重力棺桶
重力槌
上級
というものが出たのですが、自分の中の厨二精神が雄叫
グラビティウエーブ
重力波
びを上げたので﹃断罪する﹄などの言葉付きに変更する予定です。
アリアナが厨二全開の魔法をどんどん習得していくという・・・。
物語上はまったく支障がありません。時間があるときに前の話の
修正をすると思いますので、読み返す方は﹁あ、変わってるなぁ∼﹂
重力波
ぐらいなのですが。
グラビティウエーブ
とやさしい目で見てほしいです。。。とはいっても実際に行使され
ている魔法はボーンリザードの
許せないなら⋮⋮ええ、ビンタしてください。いいですよ、ビン
タしたければしてもね。まあ、このご時世に本気でビンタする人が
944
いるとは全然思えないんですけ︱︱ひぶぅっ!!
治癒
治癒
!!!
!!
!
ヒール
治癒
ヒール
ヒール
殴ったね! オヤジにもぶ︵ry
コゼットたちの問題が解決後、念願のグレイフナー凱旋になりま
す。
ファンタジー5、ギャグ3、イケメン1、可愛いエリィちゃん1
の割合︵当社比︶でお送りしているエリィ・ゴールデンですが、こ
れからも更新致しますので是非ご愛読ください!
945
第14話 イケメン砂漠の回想
コゼットの部屋は彼女の人柄をよく表した家庭的なものだった。
裁縫道具が机の上に置いてあり、手作りのクッションが部屋の隅に
並べてある。裁縫で使うのか、色とりどりの布きれが麻かごに収納
されいた。よく言えば斬新、悪く言えば趣味が悪い、意味不明なフ
ァンションの数々がハンガーにかけられ、部屋の一角で異彩を放っ
ている。
コゼットは俺たちを敷物へ座るようにすすめ、クッションをひと
つずつ配った。部屋を出て麦茶によく似たお茶を人数分持ってくる
と、自分も腰を下ろした。
コゼット、俺、アリアナは膝をつき合わせるように座り、ポカじ
いは座らずに窓の近くで佇んでいる。どうやらそこで話を聞くらし
い。
﹁えーみなさんお集まり頂きまして誠にありがとうございます﹂
﹁コゼット、そういう慣れない前置きは別にいいわよ﹂
﹁あ、そうだよね∼﹂
﹁自分のペースで話してくれればいいから﹂
﹁うん。ありがとうエリィちゃん﹂
コゼットはいい意味で普段からしている気の抜けた顔を、沈痛な
面持ちに変えて黙り込んだ。過去の出来事を思い出して、どこから
話せばいいのか分からなくなっているのだろう。
その気持ちはよく分かる。
人間は辛い過去を本能的に頭の奥底へ追いやっているものだ。そ
うでもしないと、正常な思考ができず、日々の生活に支障が出る。
946
最悪の場面をリフレインして脳が痺れ、その痺れが両腕両足にまわ
り、呼吸が浅くなる。どうして自分はここにいるのか、どうしてあ
のとき何もできなかったのか、何度も逡巡して後悔し、解決しない
問いを自分自身に延々と投げ続ける。
そんな記憶、辛い過去は、時間が経つと次第に薄れていく。
忘れたい記憶をいつまでも鮮明に覚えていては、人は生きていけ
ない。
人間はたくましくできている。
だが、完全に忘れるわけではない。自分の心に薄皮を張って問題
ないふうを装っているだけだ。ふとした日常の瞬間に薄皮が破れて、
記憶の暗い穴に戦慄し、何度もえぐられた傷が再度広がって自責の
沼へ落ちていく。
咄嗟に彼女の手をにぎり、できる限り優しく包み込む。
アリアナが反対側から、寄り添うようにしてコゼットの腕を抱き
しめた。
﹁ごめんね⋮⋮エリィちゃん、アリアナちゃん⋮﹂
﹁いいのよ﹂
﹁大丈夫⋮﹂
しばらくしてようやく考えがまとまったのか、コゼットは口を開
いた。
顔色は悪くないが、いつもの元気な様子は欠片もない。
﹁ジャンにはね、フェスティっていう七個下の弟がいるの。いえ⋮
⋮いたの﹂
947
そうか⋮⋮今の一言でぼんやりと話が見えてきたな。
黙って力強くうなずき、彼女が話しやすい雰囲気を作る。コゼッ
トは大きく息つぎをして言葉をつなぐ。
﹁五年前、オアシス・ジェラに大規模な盗賊団が襲撃した、という
話はエリィちゃんがルイス様から聞いたとおりだよ。彼らの目的は
金銭や物ではなく、子どもだった。どういう基準かわからないけど、
あらかじめ決めていた標的を狙うように、特定の子どもをさらって
いったの。その標的にフェスティも入っていた﹂
途切れ途切れではあるが、コゼットは五年前の悪夢を語った。
五年前の深夜二時、新月の夜に盗賊団による大規模な人攫いが発
生。男女を問わない六才から十才の子どもが三十五名誘拐された。
誘拐は粛々と実行され、子どもがいなくなったことに気づいたのは
攫われた後、という家がほとんどだったそうで、盗賊団の仕業だと
わかったのは、町の有力な商家が襲われた際にたまたま泊まってい
た冒険者パーティーと盗賊団が戦闘になったからだ。
冒険者パーティーは四名で、全員がCランク。
Cランクといえば実力者と認められるレベルで、下位上級魔法が
瞬時に唱えられる強さだ。さらに冒険者としての知恵、未開の地を
歩く知識が必要で、ある程度強い魔物を退治できないとCランクに
は上がれない。身近な存在だと、ジャンジャンやクチビールがCラ
ンクに当たる。
話によれば、Cランクの冒険者の四名がわずか五分ほどで戦闘不
能にされたらしい。しかも相手の盗賊はたったの三名。しかもその
うち十才ほどの子どもが二名。
948
この世界では基本的に、子どもは魔法が使えない。
未成熟の身体で魔法を使うと負荷がかかりすぎ、四肢が破損する
と言われており、実際に無理に魔法を使って死亡するケースが過去
何度も起こっている。グレイフナー魔法学校の入学条件が十二歳か
ら、というのもそれが原因だ。
事態の異常性を感じた有力商家がすぐさまジェラ警備隊に呼びか
け、町全体が緊急警戒態勢になった。その日、町は上を下への大パ
ニックになったそうだ。いつ自分の子どもが攫われるかわからない
のだ。
混乱に乗じて別の盗賊団が強盗騒ぎを起こし、事態はより深刻に
なる。
その間にも子ども達は盗賊団に攫われ続け、西の商店街﹃バルジ
ャンの道具屋﹄にも魔の手は伸びた。
﹁あの日、私はギランさんと西門の兵士さんが商店街に注意を呼び
かける声で起きたの。お父さんがサンディまでお酒の買い付けに行
っていたから、家には私ひとりだけで⋮⋮不安になっちゃって、す
ぐジャンの家に行ったんだ。そうしたら黒い頭巾をかぶった大人一
人と子ども二人が店の中に入っていくのが見えた。⋮⋮私、怖くっ
て⋮⋮⋮足が動かなかった。その三人組は私に気づいていたんだけ
ど、冷徹な目で睨んで家の中に入っていったの。あの目は、怖かっ
た。何を考えてるのかわからない目をしていた⋮﹂
そのあと、部屋で争うような音があり、ジャンジャンの弟フェス
ティが連れ去られたそうだ。当時フェスティは十歳、ジャンジャン
は十七歳。ジャンジャンは肩から血を流した状態で二階から降りて
きて、外まで出ると、意識を失ったらしい。
そのときまでずっと店の外でコゼットは放心しており、ジャンジ
949
ャンが倒れてようやく助けを呼ぶ声を張り上げることができたそう
だ。
﹁あのとき私がすぐ誰かに助けを呼んでいたら⋮⋮きっと⋮⋮⋮﹂
五年間してきたであろう自問を吐露し、コゼットはスカートの端
を握りしめて口元を歪める。決して泣くまいとしているのか、瞳に
溜めた涙が臨界寸前といった様子だ。
﹁だから私なんかが、ジャンの恋人になる資格はないよ⋮﹂
﹁そんなことはないわ﹂
﹁ううん、エリィちゃん⋮どうしてもダメなの。ジャンのこと⋮⋮
こんなに好きなのに⋮⋮⋮﹂
あのときこうしていれば、あのときああ行動していれば、たられ
ばでは誰も救えない。おそらく助けを呼んだとしてもジャンジャン
の弟フェスティは助からなかっただろう。異常な盗賊団相手に、西
門の兵士と商店街の一般人が駆けつけたところでどうにもならなか
ったはずだ。
それでも、優しくて真面目なコゼットは耐えられなかったんだろ
う。自分ができたであろう最善の行動を緊急時に取れなかった自分
が許せなかった。
﹁どうして盗賊団の仕業、と言われているの? そこまで異常な集
団が各個に行動して子どもを誘拐したんでしょ。ただの盗賊団とは
思えないわ﹂
沈黙を破る意味も含めて、疑問をコゼットに投げた。
950
﹁捕縛した数名が、自らを盗賊だ、と名乗ったからだよ。でもね、
捕まえた大人と子ども、全員何かしらの強力な黒魔法がかけられて
いたみたいで、それ以上の事は聞けなかったらしいの。それにもう
捕まった人たちは誰かの手で⋮⋮⋮﹂
殺されたのか。
やけに物騒な話になってきたな。
十歳前後の子どもがいる盗賊団。
子どもを攫う理由は一体なんなのか。
どこに連れ去ったのか。
﹁わかったわコゼット。ちなみにその盗賊団はペスカトーレ盗賊団
という名前ではないわよね?﹂
﹁ううん、違うよ。特に名前はないみたい。ただ﹃盗賊団﹄と自白
したらしいの﹂
﹁ポカじい、どう思う?﹂
これまで窓の外を見ていたポカじいがゆっくりと振り返った。
﹁ふむ。盗賊団にいた子どもは魔法を使えたのじゃろ?﹂
﹁そうみたいです⋮﹂
コゼットは信じられないけど、といった顔でうなずいた。
﹁子どもに魔薬を投与すれば、魔法を行使しても未成熟さによる四
肢断裂等の被害が防げる、という文献を百年ぐらい前に読んだこと
があるのぅ。まさか実行している輩がいるとは思えなんだが⋮。ど
うやらそういうことらしいのぉ﹂
﹁なるほど。ということは少なくともそういった魔薬が作れる場所
951
か取引できる場所に、子どもが攫われた可能性が高い、ということ
ね﹂
﹁そう考えるとじゃ。おそらくじゃが攫った子どもたちにも魔薬を
投与している可能性が高いんじゃないのかの﹂
﹁人体実験ということ?﹂
﹁ふむ、そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。憶測ではあ
るが、子どもが魔法を行使でき、尚且つCランクの冒険者に勝つほ
どの実力を身につけている、となると導かれる可能性は少なくなる
じゃろうて﹂
確かにポカじいの言うとおりだ。
狙った子どもを攫うような誘拐の手順、ということはあらかじめ
魔薬投与に耐えられそうな子どもを選別しておき、一気に誘拐した、
という憶測が立つ。方法は不明だが。
攫った子どもを魔薬で魔改造し、強い魔法使いになるよう訓練し
て、どこかへ送り込む。あり得なさそうであり得る話だ。そういや
歴史好きの田中が、世界大戦中に子どものうちから訓練して軍の戦
士に仕立て上げる組織があった、という話を声高にしていたような
気がする。
あーくそ。こんなことならあいつの話をもっとちゃんと聞いてお
けばよかったぜ。
﹁今の話を聞く限り、子どもを誘拐している輩の中に強力な黒魔法
や
脅迫
ス
を使える魔法使いがいるんじゃろうな。子どものうちから精神系の
ヒプナティズム
催眠せし者
という魔法を浴びせ続ければ、使用者の傀儡になるじゃろ
強烈な黒魔法、そうじゃな、中級クラスの
レット
せし者
うの﹂
ポカじいの言葉に同じ黒魔法使いとして感じるものがあるのか、
952
アリアナがぴくりと反応し、コゼットが信じられないと目を見開い
た。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
という禁魔法があっての、
﹁ないとは思うが黒魔法の上級まで使える魔法使いがいたら厄介じ
ゃ。さらに強力な
条件が揃うと文字通り己が信ずる思想を根本から改ざんされる。使
用者が死ぬか魔法を解除せぬ限り、思想支配が続くのじゃ﹂
﹁なによそれ。反則技じゃない?﹂
﹁詠唱呪文が秘匿されており、尚且つ黒魔法の上級じゃ。使用者が
いるとは思えんが可能性はゼロでない。わしも文献でしか見たこと
がないのぅ﹂
﹁ポカじいは使えないの?﹂
﹁わしは使えんよ。使いたくもない﹂
﹁エリィ⋮﹂
今まで思案顔で押し黙っていたアリアナが無表情に声を上げた。
﹁その話が本当なら⋮おそらくグレイフナー孤児院の子どもたちは、
その危険な盗賊団の元へ運ばれたんだと思う⋮﹂
﹁どうして?﹂
﹁わざわざグレイフナーからサンディへ子どもを誘拐する理由がな
い⋮。でも、魔力が高い子どもや資質がありそうな子どもだったら
話は別⋮﹂
﹁たしかに辻褄は合うわね﹂
﹁グレイフナーは武の王国。でも国民全員が整った環境で教育を受
けられる訳ではない。強い魔法使いの資質を持っているにもかかわ
らず、孤児になってしまう子どもはいる⋮﹂
﹁孤児院に有能な子ども達を集めていた、ということ?﹂
﹁たぶん⋮﹂
953
そう聞けば、グレイフナーで起きた孤児院の不可解な誘拐事件が、
線として繋がってくる。思えばおかしい。ただ子どもを誘拐するだ
けなら、郊外の警備が手薄な町を襲撃すればいいだけの話だ。
なぜ、わざわざ首都グレイフナーのど真ん中にある孤児院を襲っ
て子ども達を誘拐したのか。警備が厳しいグレイフナーから数十人
の子どもを連れてどうやって抜け出したのか。
前者は、才能がある子どもを一括管理でき、孤児院なので余計な
詮索が少ない。首都であれば孤児になる子どもが多い。いや、考え
たくないが、意図的に孤児を作っている可能性もある。
後者は、有力者の協力をしてもらったに違いない。でなければ無
傷でグレイフナーから出られない。
﹁そうなると孤児院を管理していたリッキー家が怪しいわね﹂
﹁怪しいというかほぼ黒⋮。リッキー家はガブル家と繋がっている
⋮﹂
﹁アリアナの敵であり、トクトール領主に手紙を送ったガブルね﹂
﹁そう﹂
思わぬところで話が繋がってきたな。
リッキー家はガブル家と繋がりがあり、孤児院に有能な子どもを
収容。その子どもを盗賊団に襲わせて、サンディの魔改造施設へ輸
送し、何らかの対価を受け取る。そういう筋書きか。
つーか子どもが可哀想じゃねえか。
許せねえなこれは⋮。
さっきから胸が熱いのは、きっとエリィが怒っているからだろう。
やけに心臓の鼓動が速い。
まあ何にせよ、危険な盗賊団の潜伏先を見つけねえと話は進まね
954
え。もちろん、見つけてぶっつぶして子どもを取り返す。
﹁エリィ⋮やるの?﹂
﹁その危ない施設を探しましょう。コゼットの話が思わぬヒントに
なったわ﹂
﹁ふむ、そこまでの情報があればある程度、探す手間は省けるのぅ。
どれ、わしがひと肌脱いでやろうかい。その前におぬしたちが話し
ていた、グレイフナーのリッキー家とガブル家とやらのことを話し
てみぃ﹂
ポカじいとコゼットに、グレイフナーの孤児院の誘拐事件を話し、
それが五年前の誘拐と理由が同じなのでは、という推測を伝える。
さらに自由国境トクトールの領主ポチャ夫が持っていた手紙を見せ
た。そこに書いてある、ガブリエル・ガブル、という名前も教えて
おいた。
コゼットは俺たちが盗賊団を探す、という言葉に驚いたが、ジャ
ンジャンの弟フェスティが生きている一縷の望みを信じたいのか、
稀に見る真剣な顔で話を聞いた。うなずきが大きすぎて何度かドク
ロのかぶり物を落とし、そして言いづらそうにこう言った。
﹁ジャンに⋮⋮この話をしてあげてくれないかな。ジャンはずっと
フェスティのことを探しているから⋮﹂
○
どうも気分が湿っぽくなってしまったので、俺とアリアナはひと
まずたこ焼きを食べて獣人三バカトリオの﹁どうぞどうぞ﹂ネタを
955
拝み、サンディの冒険者協会へ向かった。真剣なのは好きだが、暗
い雰囲気はあんま好きじゃない。
ポカじいは早速、水晶で思い当たる場所を探してくれるそうだ。
相変わらず砂漠の陽射しは強い。アリアナが水の入った水筒をく
れたので、唇を湿らす程度に飲んだ。
冒険者協会のスイングドアを開けると、市役所のような小綺麗な
空間が広がっており、七つあるカウンターの一つで、ジャンジャン
が狩りで取ってきたらしき魔物の毛皮を提出していた。買い取って
もらうみたいだな。
﹁ハロージャンジャン﹂
﹁ハローエリィちゃん﹂
笑顔で答えるジャンジャン。
この挨拶も何度目か。すっかりハローが定着したな。
﹁お、エリィちゃん! どうしたんだい?﹂
﹁俺とのデート考えてくれたか?﹂
﹁アリアナちゃん、おにぎり俺も買ったよ!﹂
屈強な冒険者の男たちが俺とアリアナを見つけて声を掛けてくる。
あのデザートスコーピオン討伐の依頼を受けていた冒険者たちだ。
好意的な態度は素直に嬉しい。
軽く男たちと挨拶をし、ジャンジャンのそばに落ち着いた。
﹁ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかしら﹂
﹁いいよ。もうすぐ終わるから待ってて﹂
956
ジャンジャンは誠実そうなブルーの瞳で俺とアリアナを見ると、
受付嬢が出した書類に急いで記入していく。
暇なので、アリアナの耳を揉んだ。
と
テンプテーション
誘惑
魅了せし者
チャーム
ってあるでしょ?﹂
﹁あ∼癒されるー。あ、そういえばなんだけど、アリアナが使える
黒魔法で
﹁うん﹂
﹁どういう効果があるの?﹂
はかかった相手が恋に落ちて一時的に自分の命令
テンプテーション
誘惑
﹁下級の
はこちらが魔力を切らない限り相手
魅了せし者
チャーム
を聞く。中級の
が恋に落ちて指示通り動く﹂
﹁恋に落ちる魔法⋮?﹂
チェリーブロッサム・
キッス
悲劇恋愛する乙女心
という魔法があるけど、これも禁
アリアナは小さな顎を引いて肯定を示す。
﹁上級に
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
と似ていると思う⋮﹂
魔法。一度かかるとずっと惚れてしまうらしい。さっきポカじいが
言ってた
﹁黒魔法って恐ろしいわね⋮﹂
﹁でも所詮は魔法。人の心の奥底にある気持ちまでは変えられない
⋮。たとえどんな魔法にかかっても私はエリィのことを絶対忘れた
りしない﹂
﹁照れちゃうわ﹂
﹁狐族は惚れると世界の果てまで追いかけるよ⋮男女問わず﹂
﹁ちょっと怖い! まあ、アリアナに追いかけられるならいいけど﹂
を使ってみてくれない?﹂
テンプテーション
誘惑
﹁大丈夫、離れたりしないから⋮﹂
﹁ねえ、アリアナ。ちょっと私に
﹁エリィに⋮? なんで?﹂
﹁どんな感じになるか知りたいのよ﹂
﹁ん、わかった⋮﹂
957
誘惑
を唱えた。
テンプテーション
アリアナは俺の目じっと見つめながら集中すると、詠唱を省略し
て
︱︱ほわん
ん、なんだ?
なんだろうこの温かい、しかし焦がれるような気持ちは⋮。目の
前にいるアリアナがいつもの三倍、いや、五倍ぐらい可愛く見えて、
キラキラと輝いてやがる。まずい、これはまずい。可愛すぎだろ。
なんだ、なんか言ってみなさいよ。アリアナちゃんなんでも言って
ちょうだいな。もー全部願いを叶えちゃうから、だから何かしゃべ
っておくれ。
﹁エリィ﹂
ああっ! なんて可愛らしい声なんだ!
この声を聞けただけでもう今日は何も食べなくて大丈夫。何もし
なくて大丈夫。俺、だいじょうぶ。あはは。
満たされる、満たされていく。ああ⋮⋮。
﹁命令する⋮私を優しく抱きしめて⋮﹂
﹁命令なんてしなくたって抱きしめるわ﹂
アリアナの細い身体を慈しむように抱きしめた。
細いのに女性らしい体、柔らかい抱き心地、ちょうど顔の真下に
アリアナの髪の毛がきて、いい匂いが鼻孔をくすぐる。
958
﹁耳を揉んで⋮﹂
﹁がってん!﹂
もふもふもふもふもふ。
艶やかな触り心地が指の腹に伝わり、どんな形に変形させても上
を向こうとする狐耳。
あああ⋮⋮もう⋮何も⋮いらない⋮。
世界はこんなにも⋮充ち満ちたものだったとは⋮。
﹁解除⋮﹂
﹁はっ!﹂
﹁こういう感じになる﹂
﹁私は、いま何を⋮?﹂
﹁何をしてるんだい二人は?﹂
受付嬢から報酬を受け取ったジャンジャンが、気まずそうな顔で
後ろに佇んでいた。
﹁いえ、ちょっと魔法を試していたのよ。オホホ﹂
魅
はかかると頭にお花畑が出るってポカじいが言っていた
﹁発動条件は相手の目を見ている事。好感度が高い事。中級の
チャーム
了せし者
けど、どうなんだろう⋮。複数人を恋に落とすことができて、下級
より強制力が強い⋮﹂
﹁アリアナ、私に使わないでちょうだい。一瞬で恋に落ちる自信が
あるわ﹂
﹁うん。使わない﹂
﹁いまの、黒魔法?﹂
﹁うん⋮﹂
﹁アリアナちゃん、砂漠に来たときはできなかったよね?﹂
959
﹁ポカじいに教えてもらった﹂
﹁さ、さすが砂漠の賢者様だ⋮。俺もいつか弟子入りをッ﹂
ジャンジャンは無理だとわかっていても拳を握りしめ、一度は折
られた弟子入りの気持ちを復活させ、アリアナを見つめた。
○
冒険者協会近くのレストランで食事をし、ジャンジャンに先ほど
の内容を洗いざらい話した。コゼットに五年前のことを聞き、グレ
イフナーの孤児院が襲撃された事、危険な盗賊団と関連性があり、
攫った子どもに魔薬投与をしている可能性が高い、という推測だ。
ジャンジャンは真剣な面持ちで一度も口を挟まずに、ずっと腕を
組んで話しに聞き入っていた。食後のコーヒーは完全に冷めている。
﹁そうか。そういうことか⋮。子どもの魔法適齢期を早める薬がや
はり⋮。コゼットはまだあの時のことを気にしているんだよね?﹂
﹁そうよ﹂
﹁エリィちゃん。俺が冒険者になったのは五年前に盗賊団に勝てな
かったからだ。強くなって、奴らを探し出し、この手で捕らえる。
そのためにこの町を出た﹂
﹁ええ、そうなのね。そうだと思っていたわ﹂
五年前の盗賊襲撃事件で弟を失い、真面目で誠実な青年ジャンジ
ャンは苦悩しただろう。その結論が強くなることだった、というの
は想像に難しくない。
960
﹁俺は五年、ずっとフェスティを探していた。冒険者の特権を利用
して、仲間にも頼み、どんな些細な情報でもいいからとにかくかき
集めた。いま話してくれたエリィちゃんの推測、それはほぼ間違い
なく真実だと思う。子どもが魔法を使える方法はあるのか、という
というキーワードで確信に変わったよ。方々の伝記や伝承
疑問をずっと持っていたけど、ポカホンタス様がおっしゃっていた
魔薬
に、魔薬の言葉が出てくるんだ。賢者様があるのだろうと言ったの
なら、おそらくそういった薬は存在するに違いない﹂
﹁いまポカじいが存在の是非を調べてくれているわ﹂
﹁それは⋮⋮ありがたい﹂
五年間探し求めていた解答がもうすぐ見つかるのでは、という期
待を胸に、ジャンジャンは積年の苦労がこもったため息をついた。
﹁ねえジャンジャン。話を聞いて、ひとつわからない事があるのよ﹂
﹁なんだい﹂
﹁どうしてコゼットはあんな服装をしているの?﹂
﹁ああ、あれはね⋮﹂
ジャンジャンは今にも泣き出しそうな赤子を抱き上げる父親よう
に、ちょっと困った顔をして、そっと口を開いた。
﹁フェスティが笑ったからだよ﹂
﹁笑った?﹂
﹁そうなんだ。コゼットが一度冗談でドクロのかぶり物をして、変
な服を着たときに、フェスティがツボに入ったのか大笑いしてね。
たまにあの格好をしてあげていたんだ。だからだと思う。きっとフ
ェスティが帰ってきたとき、笑っていてほしいから、あんな服で毎
日いるんだろうね⋮﹂
﹁そうだったの⋮﹂
961
言葉では言い表せないほどの優しさと自責の念が、あの服装には
込められていたのか。
コゼット⋮おまえはどんだけ不器用で愚直で真面目なんだ。好き
な男に泣きつきもせず、弱音も吐かず、フェスティが帰ってくるこ
とをひたすらに待ち続けている。誰にバカにされようが、いつも笑
顔でドクロのかぶり物をして、ずっとジャンジャンの弟の帰りを待
っているんだな。
待ち人が、笑ってくれるように。
自分も、笑って出迎えできるように。
フェスティの消息がわかるまで、コゼットはずっとあの服装で、
いつまでも待っているんだろう。砂漠の乾いた風を浴びながら暑い
陽射しを見上げて、五年前にいなくなったジャンジャンの弟へ、永
遠に思いを馳せるのだ。
たぶん地球の映画だったら、ここでエンドロールが流れるな。
そんなすっきりしねえ二流映画みたな結末はイヤだな。めっちゃ
納得いかん。
入場料返せ! って感じ。
フェスティを見つけ出して、孤児院の子どもたち、誘拐された子
どもたちを全員連れて帰り、コゼットとジャンジャンをくっつける。
全部解決してやろうじゃねえか。それでこそ大団円だろう。
﹁やることは決まったわね﹂
﹁うん⋮﹂
親父の仇、ガブリエル・ガブルが関係しているとわかって、アリ
962
アナは俄然やる気だ。
﹁ジャンジャンには仲間集めをお願いしたいわね。敵は組織立った
動きを見せているわけだから、こちらもある程度の戦力を持ち出す
必要があるわよ﹂
﹁たしかにそうだね。いつでも招集できるように、それとなく声は
かけておくよ﹂
﹁あとは引き続き調査を。ここまで話に具体性が出てきたのだから、
何か糸口はあるでしょ。ポカじいを待っているだけじゃ時間がもっ
たいないわ﹂
﹁了解⋮⋮。たまに君は本当に少女なのか、って疑問を憶えるよ。
少女とは思えないほど聡明だ﹂
﹁褒めても何も出ないわよ﹂
﹁それでも褒めたくなるのさ。あれだけの人を救って、落雷魔法が
使え、他人にも優しく、頭もいい。おまけに美人だ。褒めない要素
がないよ﹂
﹁ちょっとジャンジャン、突然恥ずかしいこと言わないでッ﹂
急に褒められると耐性がついてないから体が反応して、顔が赤く
なっちまうんだよ!
﹁コゼットとよく話しているんだけど、二人とも見ちがえたよ。エ
リィちゃんは痩せて、アリアナちゃんは女の子らしくなった。それ
にエリィちゃんて結構鍛えてる? 腰がくびれてるよね。もっと痩
せたらすごいことになりそうだなぁ﹂
﹁うん、こっちの世界に来てから⋮⋮じゃなくって、そう! グレ
イフナーにいる頃から寝る前に腹筋だけはやってたから﹂
﹁エリィは偉い。毎晩こうやって⋮﹂
アリアナが両手を頭の後ろに持ってきて腹筋のポーズを取った。
963
﹁私もやってる⋮﹂
﹁アリアナはスクワットもやってるもんね﹂
﹁そうそう⋮﹂
﹁スクワット? 何だいそれ?﹂
﹁こうやってね﹂
ジャンジャンが首をかしげたので、立ち上がって、はしたなくな
い程度に膝を曲げてスクワットを実演した。
﹁こうすると太ももに筋肉がつくのよ﹂
﹁そうなの。おかげで足が速くなった⋮﹂
﹁アリアナは筋肉が足りてないからね。まあ私が言えたアレじゃな
いんだけど。というよりジャンジャン、乙女の腰を指さしてくびれ
てるとか、ちょっとエッチなんじゃないの?﹂
﹁あ⋮⋮いやその⋮あまりにも二人が変わったから! 言いたくな
っただけだよ!﹂
﹁エリィをえっちぃ目で見てるの⋮⋮?﹂
眉をひそめてアリアナが鞭に手を添える。
﹁いや! 断じてそんなことはない! 全然これっぽっちも!﹂
﹁それはそれでショックなんだけど﹂
﹁とても魅力的だよ! あ、いや、でも、エッチな目では見ていな
いよ! そうだな、美術品! 芸術を見るような清い心で見ている
んだ!﹂
﹁そう、わかったわ。とりあえずコゼットに報告しておくから﹂
﹁ええっ! なんでだいエリィちゃん!?﹂
﹁うーん、なんとなく﹂
﹁なんとなくでそんな重大なことされたらたまってもんじゃないよ
964
ッ。思い直して!﹂
これ以上いじめるとジャンジャンが可哀想だな。
﹁冗談よ﹂
笑顔でそう言ったところで、いつの間にレストランに来ていたの
かコゼットがふくれっ面でテーブルの脇に立っていた。
﹁どーせジャンはエリィちゃんがいいんでしょ! ぷんッ!﹂
コゼットが腕を組んでそっぽを向いた。走り去らないところを見
ると、よく女の子がやるフォロー待ち体勢だ。ここで男がはっきり
と﹁そんなことない。君が一番だ!﹂と言えればセーフ。違うこと
を言うとアウト。
にしてもコゼットすげー。リアルにぷんって言う人初めて見た。
﹁何を言ってるんだよコゼット! エリィちゃんが俺みたいな普通
な男にかまってくれるわけないだろ! 白の女神だぞ、白の女神!
一体何人がデート待ちしていると思ってるんだ!﹂
これは完全にアウトパターンッ!
﹁もう知らないッ! ぷん!﹂
﹁あ、おいコゼット! 待ってくれよ、違うんだよ!﹂
勢いよく走り去ったコゼットはレストランの入り口で派手に転ん
でドクロを落とし、半泣きで拾い上げて猛ダッシュで消えた。その
後ろを、困り果てた顔で追いかけるジャンジャン。去り際の彼のセ
965
リフは﹁俺の話を聞いてくれよ∼﹂だ。
リアルラブコメッ。しかも甘酸っぱい!
﹁エリィどうしよう。顔のニヤニヤが止まらない⋮﹂
二人のラブコメぶりに当てられたのか、アリアナが口元を両手で
押さえている。それでも感情を抑えきれないのか、尻尾がゆさゆさ
揺れて、狐耳がぴこぴこ動いていた。
いや、どんだけ他人の恋愛好きなんだよ。
つーかどんだけ可愛いんだよこの生物ッ。
﹁とりあえず耳を揉んでおくわね﹂
﹁ん⋮﹂
もふもふして落ち着いたあと、ジャンジャンが食事代を払わずに
食い逃げしたことに気づき、全員分の料金を俺が支払った。ここは、
ラブコメ視聴料と恋を応援する代金ってことで勘弁してあげよう。
このあとは治療院を手伝って、ポカじいの家に帰り、本格的な訓
練だ。
盗賊団の居場所調査はポカじいとジャンジャンに任せ、俺とアリ
アナは当面、強くなることに集中しよう。俺たちができることって
ほとんどないからな。
仮想の敵は黒魔法中級レベルを行使できる魔法使いだ。
やるぜー。
それに、魔力循環が上手くなればさらに痩せれる。
目指せ最強パーフェクトバディ!
アーンド誘拐事件解決! イエーイ!
966
第14話 イケメン砂漠の回想︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重59㎏︵±0kg︶
967
身体強化
を使った訓練を本格的にやっていくぞい﹂
第15話 イケメン砂漠の身体強化
﹁これから
ポカじいの家から出てすぐのところで、俺とアリアナはポカじい
に向き合っていた。雲一つない砂漠の陽射しが暑い。日焼けしない
身体強化
の才能があるようじゃから、落雷魔法を組
ようにヴェールをしっかりと羽織った。
﹁エリィは
み込んだ体術を憶えてもらう。中距離攻撃、遠距離攻撃は落雷魔法
の十八番じゃ。逆に言うと接近戦には弱い。そこで、近接攻撃が得
じゃ﹂
体術
って話だ
意な敵に間合いを詰められた際、距離を取れる役割になるのがこの
体術
﹁ポカじいの戦闘スタイルもウエポンを持たずに
けど、普通の魔法使いはどういうスタイルが多いの?﹂
﹁片手剣やレイピアが多いのう。空いた手で杖を持って、魔法と物
理で攻撃する魔剣士スタイルが近年の主流じゃ。身体強化が苦手な
魔法使いは相手との距離が取れる戦法、風属性の扇子で相手を吹き
飛ばしたり、逆に武器を持たずすべて魔法で対応したりと、十人十
色じゃな。両手剣やハンマー系はめずらしいのぅ﹂
身体強化
を視野
スルメとガルガインはバスタードソードとアイアンハンマーだか
ら、かなりレアってことか。あいつらは完全に
に入れた武器選びをしているみたいだな。中距離系の魔法で相手を
釘付けにして、一発が強力な武器で敵を粉砕するスタイル、って感
じか。
それとも⋮⋮両手持ち武器を選んだ理由が他にあるのかもしれな
い。
968
﹁ついでに言うと、体術と鞭も相当めずらしい。特に体術は無杖で
ないと無理なスタイルじゃからな﹂
﹁なるほどね﹂
﹁私は鞭がいい⋮﹂
アリアナが腰につけた鞭をなでた。
気に入っているらしく、空いている時間に練習してる姿をよく見
る。
﹁変える必要はないと思うぞい。むしろ黒魔法の鞭使いとはなかな
かに面白い。ちょっと鞭を貸してみぃ﹂
アリアナから鞭を受け取ると、ポカじいは魔法を呟いて、砂丘に
向かって一振りした。
ドパァン、という破裂音が響き、高さ二メートルほどの砂丘が弾
け飛んで、直径十メートルほどえぐられた。
すごっ! 何その威力! 人間に使ったら跡形もなくなるんじゃ
ねーの?
アリアナが驚愕して目を見開いている。
鞭を返してもらい、彼女が思い切り砂を叩いた。パァンと鋭い音
し、鞭の先が砂
がするものの、砂漠に鞭の跡ができるだけだ。細身の女の子が鞭を
叩きつける威力はそんなもんだろう。
のパワーで
身体強化
下の上
﹁今のは右腕を
をかけたもんじゃ。
重力
グラビトン
に当たる瞬間、タイミングを合わせて
一瞬、砂が引き寄せられるような変な動きをしたじゃろ?﹂
﹁全然見えなかったけど⋮﹂
﹁よくわからない⋮﹂
969
﹁
身体強化
みたいにの﹂
下の下
、
はどれぐらい魔力を込めるのかを魔法のランクに合
上の中
わせて言われることが多い。下位魔法の下級レベルなら
上位魔法中級レベルなら
﹁下の下でどのぐらい強くなるの?﹂
ウインド
﹁下位下級魔法なら全く効かなくなるぞい。あとは身体能力が上が
るのぅ。エリィ、右手に魔力を集中してみぃ﹂
ポカじいに言われた通り、魔力循環をして、下位下級
を撃つぐらいの魔力を右手に集めた。
だが、集めた先から魔力が霧散していく。
むずっ!
めっちゃむずい。
﹁ほっほっほっほ。魔力循環をしっかりコントロールして魔力を右
手に集中させるのじゃ﹂
これはあれだな。磁石で遊んでいるのと似ているな。小さい磁石
を人差し指と親指に置き、反発する面を向けてくっつけ、指で押さ
えつける。小学生のとき、勝手に離れようと暴れる磁石を押さえつ
けて、反発する感覚を楽しんだもんだ。懐かしい。
は磁石遊びと似ている。しかもこっちのほうが遙か
指へ入れる力具合が悪いと、磁石がずれて、すぐに両者がくっつ
身体強化
いてしまう。
に難易度が高い。
無理に右手へ魔力を留めておこうとすると、勝手に霧散してしま
う。力が強くてもダメ、弱くてもダメ、絶妙な力加減が必要だ。魔
力循環をうまくコントロールできないと、一秒も魔力を留めておけ
ない。
970
﹁いつぞやにやっていた
ゃぞ﹂
を右手に纏わせる技と同じ要領じ
エレキトリック
電打
ああ、エリィちゃんパンチね。
どれ、落雷魔法を右手に纏わせる感じで⋮。
お、さっきよりはましになったような気がする。五秒ぐらいは魔
力が霧散しないように耐えられるぞ。
﹁やはりスジがいいのぅ。落雷魔法のおかげなのかはわからんが⋮。
お、そうじゃ、ちぃとわしの手のひらを殴ってみぃ﹂
下の下
身体強化
し、じいさんの手の
のパワーだ、たいした反動はこないだろう。
ポカじいは何を思ったのか右手を広げてこちらにかざす。
まあ所詮
言われた通り、もう一度右手を
ひらを殴った。
﹁えいっ!﹂
﹁むっ﹂
じいさんが仁王立ちの姿勢のまま足元の砂ごと、二メートル後方
へ滑った。二本の砂の軌跡が足元に描かれる。
え⋮⋮⋮?
やばくね、これ?
女の子がパンチして成人男性が二メートル地滑りするとか、どん
だけだよ⋮。
地球の格闘家が助走つけて殴るのと同じぐらいの威力が出てるん
じゃね?
971
なしで受けると痛いのぉ。
って⋮﹂
身体強化
身体強化
﹁ふー、さすがに
﹁すごいわね
﹁これができなければ強くなれんよ﹂
﹁どうして魔法学校は教えてくれないのかしら﹂
﹁たしかに⋮﹂
ヒール
治癒
﹂
アリアナに尋ねると、彼女も疑問に思っていたのか首をかしげた。
﹁難易度が高い、ということじゃろうな。この世界で一、二を争う
グレイフナー魔法学校ですら身体強化までは面倒がみきれんのじゃ
身体強化
は重要視されんからの。魔法の知識と豊富さが重
ろうて。それに冒険者や魔闘会の出場者にでもならぬのなら、そこ
まで
身体強化
ってそんなに難しいことなの?﹂
視されるもんじゃ﹂
﹁
﹁そうじゃのぅ⋮⋮今おぬしたちはわしの言いつけを守って魔力循
環しているじゃろ?﹂
﹁ええ、常に魔力循環しているわ﹂
身体強化
は無理じゃ。そこまで魔力循
﹁うん。近頃は会話中もできるようになった⋮﹂
﹁そのレベルにならんと
環ができる魔法使いは一握りじゃろう。冒険者で言うとCランク以
上、おぬしらの王国基準で表すと騎士団の﹃シールド﹄入団レベル、
といったところか﹂
﹁私たち、何気にすごいことやってたのね﹂
が
できる
身体強化
身体強化
グレイフナー王国最強魔法騎士団﹃シールド﹄は
入団必須条件だと言っていた。魔法学校ですら
生徒はごく一部って聞いたし、飛び抜けて優秀な魔法使いじゃない
身体強化
を憶えさせて合格にするって
と﹃シールド﹄に入団できない。才能がある優秀な受験者に対して
は、入団試験中、強引に
972
身体強化
話だが⋮⋮果たしてどんな訓練なのだろうか。
﹁では話を戻そうかの。エリィの場合
を極限までマス
ターすれば、近接で殴打してもよし、中、長距離で落雷魔法をして
もよしの、万能型魔法使いになれるぞぃ。当面は、護衛と距離を取
るための護身術の役割じゃがな。アリアナは黒魔法を中心とした中
距離型を目指すべきじゃろ。相手を近づけさせない鞭の手数で牽制
し、一発が強力な黒魔法重力系で相手を屠る、というスタイルじゃ
な﹂
おお、万能型かっこいいな。
つーか落雷魔法が強すぎんだよ。
は中距離拡散系。
は中、長距離攻撃。
サンダーボルト
落雷
インパルス
電衝撃
は近距離攻撃。
エレキトリック
電打
当たったら感電&超高温だ。まあ強力すぎてどこでもぶっ放せる
わけじゃないから、近接戦闘を憶えるにあたってのデメリットは一
切ない。
それに、落雷魔法があるから、という慢心は二度としない。そん
落雷
で解決すると
サンダーボルト
な慢心がペスカトーレ盗賊団に誘拐される、という最低の結果を生
み出したんだ。あのときの俺は、何かあれば
いう安易な考えで行動し、簡単な連携に負けた。
妥協せず、憶えられることは全部やるぜ。
砂漠でポカじいと出逢えたことは、まさに僥倖といっていい。
弟子にしてくれてありがとうポカじい! スケベだけど!
たまに風呂を覗いてるのには心の底から呆れているけど、ありが
とう!
相棒であるアリアナの黒魔法もめちゃめちゃ強い。
973
中級の
ギルティグラビティ
断罪する重力
は、背筋が凍るほどの威力だ。指定した
場所に二つの重力場を作り、互いの斥力を利用して物体を切断する
魔法で、三階建ての建物ぐらいなら真っ二つにできる。
ちっちゃくて人形みたいに可愛い狐娘が、ここまで強いって誰が
重力弾
だ。黒い重力弾を飛ばす魔法
グラビティバレット
信じるよ。やっぱ異世界すげえな。
アリアナのお気に入りは
で、飛んでいくスピードは速くないが、一メートルまで近づくと、
抗えない引力で引き寄せられてぶつかった物体がぐしゃぐしゃに潰
される。
重力弾
をわしに撃ってみい﹂
グラビティバレット
連射できるように頑張る⋮ニコッって笑ってたな。いや、怖いよ!
﹁それじゃアリアナ、
﹁え⋮いいの?﹂
﹁問題ない。思い切りやってみぃ﹂
を唱える。
グラビティバレット
重力弾
重力弾
が飛
は鉄板を引き
グラビティバレット
はポカじいの右手にぶつかり、激しく揺れると、溶け
重力弾
グラビティバレット
俺のときと同じようにポカじいが右手を広げて突きだした。
アリアナが
大型機械が発するような低音を響かせ、こぶし大の
んでいき、ポカじいの右手にぶつかった。
重力弾
グラビティバレット
﹁むん﹂
るように空中へ消えた。
﹁え⋮⋮?﹂
驚いたのはアリアナだ。そりゃそうだ。
潰して貫通するほどの威力がある。
974
﹁右腕を
上の下
まで
身体強化
したんじゃよ﹂
は上位下級魔法よね。ということは同等レベルの
をすれば、魔法が無効になるってこと?﹂
重力弾
グラビティバレット
﹁すごい⋮⋮﹂
﹁
体強化
身
下の上
﹁平たく言うとそうじゃな。ただ、込める魔力が攻撃魔法を下回る
と相応のダメージを負うから注意が必要じゃ。今の攻撃を
身体強化
でガードするのがいいじゃろう﹂
のパワーで防御したら、右腕がぼろぼろになっとるわい。あくま
でも緊急の場合だけ
﹁そんなに都合がいいってわけでもないのね﹂
身体強化
﹁むしろ使いどころが難しいぞい。魔力の消費も多い。だが自衛と
攻撃、両面から鑑みて非常に有用じゃ。さらに言うと、
身体強化
の訓練をした。
なしで強い敵には勝てん。﹃旧街道﹄を通過するのは、何度も言
うが、無理じゃな﹂
○
その日は、ひたすら
を発現さ
ではあるが、全
身体強化
下の下
アリアナは五時間かけて、なんとか右手に
せることに成功し、俺は時間をかければ
身への強化が十秒ほど可能になった。じいさんに言わせると、相当
に早い習得で自分の若い頃と同等の飲み込みのよさ、だそうだ。
じいさんの若い頃か。ちょっと気になるな。
夕飯を食べて風呂に入る。
もうアリアナと入ることに何の抵抗もない。彼女の素っ裸を見て
もムラムラしないのは俺が女だからだろうな。
975
アリアナは俺の頭と体を洗ってくれ、風呂上がりにつける化粧水
も塗ってくれる。最初は断っていたけど、どうしてもと言われて、
最近じゃ、なすがままだ。
﹁ルイボンに感謝ね﹂
﹁これすごくいい。お肌がぴちぴちになる⋮﹂
この化粧水、ルイボンにもらった﹃星泥の化粧水﹄というもので、
一瓶三十万ロンする。
星屑が落ちた沼地でしか取れず、グレイフナーと冒険者同盟のさ
らに南方﹃恐喝の森﹄でしか採取できない超高級化粧品だ。ニキビ
にすんげえ効くとのことで、ルイボンが自分のお小遣いでわざわざ
取り寄せてくれた。なんだかんだ優しい、というか友達思いだよな、
ルイボン。そしてお小遣いが日本円にして三十万円⋮羨ましいぜ、
ルイボン。
昨日から使い始めたんだが、まだ効果は出ていない。まあね、そ
んなにすぐ頑固なニキビたちが消えるはずがないよな。
﹁エリィ⋮どうしたの?﹂
タオルで頭を拭いているアリアナがこてんと首を顔かしげて、肌
着姿で鏡を見ている俺に尋ねてくる。
﹁お昼にジャンジャンが、結構鍛えてるよねって言ってたけど、あ
れってヴェールとギャザースカートで肌を出してないからそう見え
たのよ。お腹まわりはちょっと引き締まっているけど、そこまで筋
トレはしていないもの﹂
エリィが成長期なので、本格的な筋トレはせず軽い運動程度のメ
976
ニューにしている。毎日やっているのは腹筋だけだ。あまりやりす
ぎてムキムキになっても俺の理想体型じゃないし、筋トレに時間を
割くより魔力循環に時間を割り振ってきた。魔力循環をしながら筋
トレできれば最高なんだろうが、筋トレをやり出した瞬間に魔力循
環ができなくなる。せいぜい今の実力だと、会話しながら魔力循環
するのが限界だ。他の動作が入ると集中が切れてしまう。
﹁まだ脂肪が多いのよね﹂
太ももの肉をつまんでため息をついた。外人のぽっちゃり系って
感じだな。ショートパンツが似合うぐらいまで細くなりたい。
そんなことを思っていると、アリアナが両手で二の腕を掴んで揉
んできた。
﹁柔らかい⋮﹂
﹁くすぐったいからやめてちょうだい﹂
﹁もうちょっと﹂
ぶんぶん揺れる狐の尻尾を見ながら、体重計に乗る。
五十九キロ。
﹁やっぱり減ってないか⋮。ジャンジャンが鍛えてるって言ったの
は腕とか足が太いのにくびれがあるから、冒険者によくいる女戦士
っぽく見えたんでしょうね。ほら、女性冒険者って太くてガタイの
いい人が多いから﹂
男に言われた言葉がこんなに後を引くもんだとはな⋮。
ちょっと言われただけで傷つく女子の気持ちが今なら痛いほどわ
かる。女性に﹁太ったね!﹂とか安易に言うべきじゃねえ。友達で
もダメ。絶対だ。
977
﹁増えてる⋮﹂
﹁何キロ?﹂
交替して体重計に乗ったアリアナが真顔で言う。
﹁三十四キロ﹂
﹁一キロ増えたわね﹂
百五十センチで三十四キロは細い。
日本の若者向け女性雑誌モデルがこういう小さくて細い体型だ。
あとは若いアイドルなんかもこれぐらい細い。一回アイドルの卵と
合コンしたけど、片手で二人抱えられるぐらい細かったな。
まあ、細い細い言ってるけど、思い返すとアリアナの体調がやば
かったとき、体重二十キロ台だったからな。あのときに比べたら健
康的になったもんだ。ほんと良かったよ。
あとは砂漠に来てから軽くやってるスクワットがいい感じに効い
ているみたいで、細い真っ直ぐな太ももには、ほんのりと肉がつい
ている。常に食べているおにぎりも痩せやすい彼女には絶妙なカロ
リーになっているのだろう。うむ、計算通り!
﹁あと五キロは欲しいわね﹂
腕を組んで、彼女のスレンダーな生足を凝視しながらプロデュー
サー風に独りごちる。
﹁太ってから疲れにくくなった⋮﹂
﹁健康になったからよ。もう少しお肉つけましょ﹂
﹁エリィはむちむちのほうが好きなの?﹂
978
﹁どうだろ? 私がむちむちだからね﹂
﹁たしかに⋮﹂
﹁そこは否定して欲しいところよ!﹂
﹁むちむちも⋮⋮いい﹂
﹁二の腕を触らない!﹂
﹁あと胸がむちむち⋮﹂
そう言ってアリアナがじっとりした目で俺の胸を見つめてくる。
いや、ここは遺伝だからどうしようもないよな。だからデザート
スコーピオンを見るような目で俺の乳を見ないでほしい。
あとは顔だ。顔の肉が取れない。あごのあたりにまだ脂肪がある。
エリィは相当顔に肉がつきやすいタイプなのだろう。それを考え
ると、もっと痩せるのは確定だ。痩せない限り小顔になれず、ゴー
ルデン家の真価が発揮されない。
痩せるには今以上に魔力循環が得意にならないとダメだ、という
のがポカじいの見解で、エリィの体にはまだまだ脂肪に魔力溜まり
が起こっているらしい。原因は常人の十倍以上の膨大な魔力を保有
体術
していることにある。そいつらを制御できるぐらい繊細な魔力循環
が可能になれば、身体が求める理想の体型になるんだとか。
今後、どういう筋力トレーニングにするかは、ポカじいの
の訓練もあるし、魔力循環との兼ね合いを見つつ考えていくか。
とりあえず腹筋は、ジムでのトレーニングでも必ず最後にやれ、と
いうのが一般常識になっているほど大事な部位なので、引き続き毎
日やろうと思う。今現状のちょいぽちゃ体型でも気持ちくびれるぐ
らいの効果はあるし、なにより贅肉が取れたときにくびれが現れる
のは嬉しい。
979
エリィの大事な体だ。この身体が求める理想体型を目指しつつ、
色々な洋服が似合う体型にし、尚且つ戦いでも有用なものにしたい。
欲張りかもしれないが、俺、天才だし、いけるだろ。
○
身体強化
をしながら、だ。
身体強化
ファイ
がすぐに消えてし
朝六時に起きて、ポカじいの家からジェラまで四十キロのランニ
ング。
しかも
初日は、俺もアリアナも全身への
サンドボール
まい、ポカじいの容赦ない魔法攻撃を受けた。
が切れると下位中級魔法
身体強化
ウォーターボール
身体強化
は数十メートル進んだところ
の攻撃が飛んでくるルールだ。
ヤーボール
俺たちのレベルだと必ず
で切れてしまうので、二人で防御の連携しながらランニングを行っ
た。
身体強化
があまりに難しいので、全身に張り巡らせると、ゆ
ランニングというより、亀の行進だ。
下の
が解除されてしまう。するとすぐに波状攻撃のような
っくりした動きしかできない。数十メートル進むと、集中が切れて
身体強化
魔法が飛んでくる。
を
身体強化・下の
身体強化
のパワーで完成させたところで防御を交替。
片方がポカじいの魔法をガードし、片方が
中
が完成したところで、
で魔法を弾き飛ばし、二人の
身体強化
中
980
行進を再開する。
の発動が遅いこと。
十時間使って、一キロしか進めなかった。
身体強化
原因は二つ。
一つは
一つは防御魔法の発動が遅いこと。
防御魔法の発動が遅いというのは、ポカじいがマシンガンのよう
に下位中級魔法を連射できるのに対し、俺とアリアナはせいぜいポ
ファ
ファイヤ
や
カじいが撃つ五発に一発の連射速度しかない。となると一ランク上
や
サンドボール
ウインドストーム
の上級魔法で防御する必要が出てくる。
を、下位上級の
などで防御壁にすれば弾き返せる。ただし、魔力を込
イヤーボール
ーウォール
め続けて維持するため、必然的に魔力消費が激しくなる。
余裕を持って防御するには、同等レベルの魔法を同等レベル連射
とは違い、
ファイ
サンドウォ
を習得するべきだろうな。
ウォーターウォール
サンドウォール
速度で発射して打ち落とすか、もっと防御効率のいい魔法を習得す
るか、だ。
や
は一回唱えれば土壁が破壊されるまで攻撃に耐えられる。
ヤーウォール
ール
結局、この日は町にたどり着くことができず、ポカじいの家に引
き返した。
○
981
を唱えてくれたから回復したわ﹂
身体強化
の自主トレだ。
家に戻り、休憩をしてから俺はポカじいと体術の訓練。
俺よりも上達が遅いアリアナは家で
周囲はすっかり暗くなっている。
加護の光
﹁疲れておるかの?﹂
﹁
﹁ほっほっほ。それでも精神疲労と蓄積した肉体疲労は消えんもん
じゃぞ。相変わらず気丈な娘じゃな﹂
﹁ゴールデン家の娘だからね﹂
には、その日に浴びた日焼けを戻す効果もあるから
とは言ったものの、いますぐベッドに飛び込みたいほど疲れてい
加護の光
る。
﹁
の。これから二人には毎日唱えてやるわい﹂
﹁その情報、早く欲しかったわ﹂
エリィは色白なので、長時間日を浴びると肌が赤くなって痛い。
加護の光
を唱えればいいわけだ。ヴェールでいちいち肌
焼けないのはいいが、お肌が荒れちまう。これからは日を浴びても
自分で
を隠さなくていい。魔法まじ便利ーっ。
﹁わしが開発した体術をエリィに伝授する。型をすべて記憶し、淀
みなく舞うことが第一段階。第二段階が組み手。最終段階が魔法と
組み合わせた混合攻撃として昇華させることじゃ﹂
﹁わかったわ﹂
﹁全部で十二の型がある。便宜上、魔法の元素と同じ呼び方をして
おるぞ﹂
﹁へえ∼。風の型、火の型、みたいに?﹂
982
﹁そうじゃ。型には特徴があるのじゃが、説明よりも実際に見たほ
うが早いの。いくぞい﹂
実演、と言ってポカじいが見せてくれた型を見て、張り裂けんば
かりに胸が高鳴った。
やべえええええええーーーッッ!
めっちゃかっこいい!
に酷似していた。しかも二つが上手く混ざり合ってい
洪拳
食い入るように、ポカじいの流麗な型を見つめてしまう。
詠春拳
その動きは俺がカンフー映画で何度も観た、中国拳法の
と
る。その上、予想のできない動きも組み込まれ、かっこよさが倍増
していた。
てっきり体術っていうからボクシングとか総合格闘技とか、そっ
ち系をイメージしていた。異世界でカンフーができるなんて思わな
かった。いつか習おうと思ってるぐらい好きだからくっそテンショ
ン上がる。やべえ。
﹁どうしたんじゃエリィ?﹂
﹁早く! 早くやりましょう!﹂
﹁おお、そんなに体術が気に入る魔法使いは珍しいのう﹂
﹁だってかっこいいもの!﹂
風の型
をもう一度お願い! いえ、お願いします!﹂
﹁ほう、かっこいいと⋮?﹂
﹁ええ! ポカじいは俺がやる気になったことが相当不思議みたいだ。
でも嬉しいのは間違いないらしく、笑顔でうなずいて構えを取る。
983
腰を落とし、左手を手刀の形にして顔前に持ち上げ、右手も同じ
形で左手の後ろに持ってくる。
カンフーじじいだ。リアルカンフーじじいだよ!
﹁ふん﹂
風の型
かけ声と一緒に腕を動かしていく。横へ、縦へ、クロスさせて前
へ突き出し、拳を返し、流れるように、一つ一つ丁寧に
をつないでいく。その場から動かない足捌き、コンパクトでありな
がら力強く、素人目に見ても合理性を求めたのだと思わせる形で、
ポカじいが舞う。
空の型
へ、どの形からでも移行可能。このように⋮ッ﹂
風
﹁攻・防がバランス良く組み合わさった型じゃ。相手の得物が両手
は
剣じゃろうがレイピアじゃろうがすべてに対応できる。さらに
の型
ポカじいの体がワイヤーアクションのように不自然な横滑りをし、
足を交差させて踏ん張った勢いで手刀を放った。手刀を振った先に
風が巻き起こる。
やべえやべえなんだこれすげえ超かっこいいよ、やべえよこれ!
﹁ポカじい! 早く教えてッ!﹂
あまりに興奮してポカじいに駆け寄り、顔がくっつくぐらいの距
離で懇願した。
格好良さのために武術を習うことは不謹慎だと、カンフー映画を
観まくった俺は痛いほどわかっている。でも、かっこいいもんはか
っこいい。しょうがねえじゃん!
984
﹁む? やる気があるのは大変いいことじゃな﹂
﹁それで! この体術の名前は何なの?!﹂
﹁名前なんぞないのぅ﹂
十二元素拳
じゃな﹂
﹁つけましょうよ! 何とか拳、何とか流、みたいに!﹂
﹁ふむ⋮⋮もしつけるなら
﹁まあっ! すごくかっこいいわね!﹂
﹁そ、そうかの?﹂
﹁ええ、とっても!﹂
﹁エリィ⋮今までで一番目が輝いてるぞい﹂
﹁ポカじい、私はいま猛烈に感動しているのッ。素晴らしい体術だ
わ! 合理性の中に柔らかさ、優しさ、剛健さが同居し、洗練され
た動きが芸術性まで感じさせる! こんなに素敵な武術に出逢える
なんて私ってほんと運がいい!﹂
﹁そう褒めるでない﹂
ポカじいはにまにまと嬉しさをかみ殺しながら、師の威厳を保と
うと胸を張る。自分が開発し、作った物を褒められて嬉しくない男
はいない。俺だってそうだ。普段なら、あらポカじい嬉しいのね、
なんて軽口を叩くところだが、興奮しすぎてそんなジョークを言う
余裕はなかった。
その後、興が乗ったポカじいが熱く体術について語り出したので、
一言一句逃さないように聞き入った。
アリアナが夕飯だよ、と呼びに来るまで時間を忘れて、ポカじい
の高説をたまわった。
○
985
朝起きて、身体強化ランニング、家に帰って十二元素拳。次の日
も、身体強化ランニング、十二元素拳、という流れで修行の時間は
過ぎていく。
俺とアリアナは身体強化ランニングで町に辿り着けるようになる
まで一ヶ月かかった。二人で協力しなければ不可能だっただろう。
身体強化・下の上
サンドウォール
もばっちり
の力のまま五分ほど動くことも可能にな
おかげでアリアナとの連携はほぼ打ち合わせなしでできるようにな
り、
った。
何かと使い勝手のいい土魔法上級
できるようになったぜ。
そして、魔力循環が見ちがえるほど上手くなった。
スポーツでも勉強でも、コツをつかむ瞬間ってあると思う。修行
開始から二週間経った日、魔力は小さな原子のようなもので構成さ
れており、その一つひとつが生きているみたいだなと直感的に感じ
た。すると、魔力循環の様相が、がらりと変わった。
今までの魔力循環は、勢いのある川で流れに逆らって泳ぐような、
困難なものに思えていた。しかし、コツを掴んでからは、魔力がど
う動くかを先回りして読み、自在に動かせる簡単なものになった。
拳法風に言うなら、流れに逆らうな、流れを読め、ってやつだな。
アリアナにコツを説明すると、何かピンとくるものがあったらし
エア
く、めきめきと魔力循環を上達させ、魔法の発動が以前より三倍ほ
空理空論
で呼び寄せた、すんげえエロい体つきのサキュバスに鞭
ど速くなった。さらに彼女はポカじいが、空魔法・超級
レター
召集令状
術を教わり、そっちもいい感じで上達している。
召喚してから毎晩、ポカじいの部屋から悲鳴のような声が聞こえ
るのがちょっとアレだが⋮。
986
アリアナが﹁覗きに行く⋮?﹂と聞いてきたけど、目に毒な行為
が行われていたら嫌なので覗かずにいる。
﹁ハロー﹂
﹁ハロー、エリィちゃん、アリアナちゃん⋮⋮?﹂
ジェラに戻ってきた俺たちは、西門の兵士と挨拶をして門をくぐ
った。そんなに見なくてもいいじゃん、とツッコミを入れたくなる
ほど、兵士が俺とアリアナを見てくる。町に来るのが一ヶ月ぶりだ
からな。
久々にやってきたオアシス・ジェラの町並みが、なんだか懐かし
く思える。
顔見知りと挨拶をしつつ、商店街を進む。みんなが俺とアリアナ
を見て、ちょっと驚いた顔をするのはなぜだろう。
﹃バルジャンの道具屋﹄に入ろうとしたところで、ポカじいが口
を開いた。
﹁例の魔薬の正体が昨日わかったぞい﹂
﹁え? 本当に?﹂
ポカじいは俺たちに稽古をつけた後、夜な夜な過去の文献を分析
してくれていた。考えてみれば、ポカじいは超人的な働きをしてい
る。
俺たちに稽古をつけ、ご飯を作り、サキュバスの相手をし、水晶
で異常な魔力がないかチェックしつつ、魔薬文献の分析までやって
いるポカじいは、やっぱ砂漠の賢者って呼ばれるほどあるよなー。
スケベだけど。
987
一つ咳払いをして、ポカじいが口を開いた。
﹁魔薬は﹃ハーヒホーヘーヒホー﹄という砂漠に生える草からでき
ておる。﹃ハーヒホーヘーヒホー﹄を一定量採取して毒素を抽出し、
﹃ハーヒホーヘーヒホー﹄の新芽に混ぜてから液状にするようじゃ
の﹂
どうしよう⋮⋮⋮⋮。
真面目な話なのに名前のせいで集中できない⋮⋮。
988
第15話 イケメン砂漠の身体強化︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重54㎏︵−5kg︶
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
いつもご愛読、ご感想書き込みありがとうございます。
四日に一度更新、守れず申し訳ありません。
これが・・・これが最速です・・・。
出したかったカンフーのくだりまでやっと来れました。
そして体重が54キロ!
いやー長かった。ほんとよかった痩せてくれて。
体型に関するお言葉、とても参考になりました。
フィギュアのマオちゃんみたいな体型がいい、という感想を見て、
芸能人の体重を調べたりもしましたよ。
彼女は163センチ48キロだそうです。
さすがアスリート。細いですねー。
せっかくなので、アリアナの身長体重も今回載せました。
完全にモデル体型ですね。
今後、もっと詳しい描写を入れる予定です。
どうでもいい話なんですが、最近、小さい女性にとてつもなく萌え
るんですよね・・・。この小説を書き始めてから特に。アリアナを
書きすぎたせいかもしれません。もふもふもふもふ。
989
作者の考えているエリィ完全体まであと少しです。
あとは17号と18号を吸収させてベジータにファイナルフラッシ
ュを使わせるだけです。
更新頑張りますッ!
ウソジャナイ! ウソジャナイヨ!
ボク、ガンバッテルヨ!!
あ、ちなみに、みんなが知りたくて仕方ない
あけぼのの身長体重は204センチ233キロです。
ということでまた次回更新もよろしくお願いします∼!
990
第16話 イケメン砂漠の冒険者パーティー
﹁これエリィ。ちゃんと聞いておるのか?﹂
﹁ええ⋮ごめんなさい大事な話の途中でぼーっとしてしまって﹂
﹁それでじゃ。﹃ハーヒホーヘーヒホー﹄という砂漠に生えるめず
らしい草は、一年中日陰になる場所でしか育たず、魔力が多く集ま
る場所でしか採取できん。そんな場所はこの広い砂漠でも多くはな
いからの。しかも採取してから二十四時間以内に生成しないと魔薬
としての効果を発揮しないのじゃ﹂
﹁あら⋮⋮ということは⋮﹂
﹁群生地の近くに魔薬製造所がある。製造所から子どもがおる施設
へ魔薬が運ばれる。その流れを水晶で追えば、場所が特定できる。
という寸法じゃな﹂
﹁そうなるわね﹂
﹁これから毎日、水晶で﹃ハーヒホーヘーヒホー﹄の群生地を探す
つもりじゃ﹂
﹁その危険な植物、ハーホヘーヒーヒホーはどんな見た目なの?﹂
﹁ハーヒホーヘーヒホーじゃぞエリィ﹂
﹁ハーホヘーヒーヒホー?﹂
﹁ハーヒホーヘーヒホーじゃ﹂
﹁もう! こんなふざけた名前つけたの誰よッ!? シリアスな話
なのに笑っちゃうじゃない!﹂
﹁それをわしに言われてものう﹂
﹁わたし⋮もうダメッ⋮﹂
名前がツボに入ってしまったアリアナが口元を手で押さえて、尻
尾をぴんと立てる。
991
﹁うおっほん。話を戻すぞい。見た目は、一センチほどの茶色い草
じゃな。砂漠と同系色じゃから、発見しづらく知名度が低いんじゃ
ろう。しかも予測される群生地は、砂漠奥地の危険区域じゃから、
滅多に人が近づかん﹂
﹁どのくらいで見つけられそうかしら?﹂
﹁運が良ければ一日、悪ければ二ヶ月ぐらいじゃないかのぅ﹂
﹁そうよねぇ。私たちも手伝いたいんだけど⋮﹂
﹁ほっほっほっほ、気にすることはないんじゃぞエリィ。わしが好
きでやってるんじゃから﹂
﹁でも大変でしょう?﹂
インターネットの地図情報を拡大したまま、特定の家を数百キロ
単位で探すぐらい面倒な作業だ。ある程度、場所の心当たりがつく
といっても、大変なのに変わりはない。
﹁かわいい弟子のためじゃ。ひと尻もふた尻も脱ぐのは当然じゃ﹂
にある、後ろ足を曲げて蹴りを入れる動作で、ポカじい
ポカじいが素早い動きで俺の尻に手を伸ばす。
風の型
の手を弾き飛ばした。
まったく、油断も隙もない。
﹁ほっほっほっほ、これはいよいよ触ることが難しくなってきたの
う﹂
﹁教えの成果ね﹂
﹁うむ、いいことじゃ。残念じゃが、いいことじゃ﹂
恨めしそうに俺の尻を見るポカじい。
992
﹁ジャンジャンに﹃ハーヒホーヘーヒホー﹄の事を報告しましょう
!﹂
﹁そうじゃのう﹂
俺とアリアナ、ポカじいは﹃バルジャンの道具屋﹄へ入り、ガン
ばあちゃんに挨拶し、部位ごとに身体強化する練習をしながらジャ
ンジャンの帰りを待った。
三十分ほどすると、魔物の血がこびりついた皮鎧のまま、ジャン
ジャンが店に入ってきた。魔物狩りの帰りらしい。
﹁あ、エリィちゃん! いつ来たんだい? 一ヶ月、姿が見えなか
ったからみんな君に会いたがっているよ﹂
﹁ハロージャンジャン。ポカじいと特訓していたのよ﹂
﹁へえー、すごい興味があるなぁ。アリアナちゃんも久しぶり。ハ
ロー﹂
﹁ハロー﹂
﹁賢者様、またお会いできて光栄です﹂
﹁うむ﹂
が限界なの﹂
﹁特訓って言っても、身体強化しながらランニングするっていう単
純な訓練よ﹂
下の下
が限界なんだけど﹂
が限界って言ったんだけど﹂
下の上
﹁あー身体強化ね。あれは難しいからなぁ﹂
﹁そうなのよねぇ。まだ全身の強化は
下の上
﹁⋮⋮⋮⋮え? 今なんて?﹂
﹁ん? ﹁うそでしょエリィちゃん。俺は
﹁嘘じゃないわよ﹂
﹁まさかアリアナちゃんも? 違うよね!?﹂
﹁私もできる。エリィより時間は短いけど⋮﹂
静かにコンブおにぎりを食べていたアリアナが、ちょっぴり悔し
993
そうに呟く。
﹁持続時間って⋮十秒ぐらい?﹂
﹁私は五分かしら。アリアナは三分ぐらいね﹂
﹁ははは⋮⋮⋮﹂
下の上
なら十時間の全身強化が可能だ。
ジャンジャンが乾いた笑いをし、引き攣った顔のまま固まった。
ちなみにポカじいは
﹁町に来るまで大変だったのよ! 身体強化が切れた瞬間にポカじ
いの魔法が飛んでくるんだから!﹂
﹁それは⋮どういうこと?﹂
﹁そういう修行だったのよ。身体強化でランニング、強化が切れる
と魔法攻撃。おかげでアリアナとの連携と魔法発動がかなり上手く
なったわ﹂
ファイア
で火を作り出す。
を連射じゃな。これぐらいの速さで﹂
﹁賢者様、修行で使った魔法攻撃というのはどのくらいの強さでし
下の中
ょうか?﹂
﹁
ポカじいが人差し指を上へ向け、
そして付けて消してを繰り返し、連射速度を実演した。目を離すと
何回魔法が行使されたのか数え間違えるほどのスピードに、ジャン
ジャンの開いた口が塞がらない。
﹁賢者様が私を弟子にしない理由がわかった気がします⋮﹂
﹁この二人は特別じゃ。気に病む必要はないぞい﹂
﹁なぐさめになってないですよ⋮⋮﹂
﹁おぬしはおぬしでしっかり訓練しているようじゃから、地道にや
るのが一番の近道じゃ﹂
﹁ええ、わかりました﹂
994
がっくりと肩を落としたジャンジャンがひとしきりため息をつき、
思いついたように顔を上げた。
﹁そういえばエリィちゃん、ものすごく痩せたよね? 顔が小さく
見えるよ﹂
﹁あらぁ。本当に?﹂
﹁ほんとだよ。お肌もきれいになっている気がする﹂
﹁まあ、そうかしら﹂
嬉しくてつい頬を両手で押さえてしまう。
顔の肉がだいぶ落ちて、ニキビは四分の一ぐらいになった。ほん
とルイボンには感謝してもし足りない。俺たちが一ヶ月いなかった
から寂しがってるだろうな。あとで会いにいかないと。
﹁エリィは可愛い⋮輝きがほとばしってる⋮﹂
アリアナが嬉しそうに口角を上げる。
﹁そういうアリアナちゃんもなんて言っていいのかわからないけど、
女らしくなったような気がするよ。すごく可愛くなったと思う﹂
﹁そうかな⋮?﹂
﹁そうだよ! 二人とも、ほんといつもびっくりさせてくれるよね﹂
﹁ん⋮﹂
恥ずかしいのか、アリアナが目を伏せる。
ほんのわずかな表情の変化なので、俺以外気づいていないだろう。
だが見逃さないぜ。この顔がたまらなく可愛い。家に持って帰って
飾りたいレベルだ。
家っつっても日本に帰れないけどなっ! ちくしょー、絶対いつ
995
か帰る方法見つけねえと。
﹁エリィちゃーん! アリアナちゃーん!﹂
気の抜けた声を出してコゼットが店にやってきた。
ジャンジャンからコゼットが変な格好をしている理由を聞いたせ
いで、ドクロのかぶり物を見ると胸が締め付けられる。なるべく意
識しないように笑顔で挨拶を交わした。
コゼットは駆け寄ってきて陳列した商品に足をぶつけてつまずき、
俺たちにそのまま抱きついた。
﹁二人ともどこに行ってたの∼。修行するからって聞いたけど、一
ヶ月も来ないとは思わなかったよ﹂
﹁ごめんね。本当はもっと早く戻ってくるつもりだったんだけど﹂
﹁え? え? んん?﹂
抱きついていたコゼットが身を起こし、驚いたように俺の腰を何
度もつかんだ。
﹁くびれがすごぉい! それにエリィちゃん、どうしたの、その顔
? そんなに顔ちっちゃかったっけ?﹂
﹁痩せたのよ! 顔のお肉が落ちたの!﹂
﹁すごーい! きゃー、足も細くなって引き締まってる!﹂
﹁コゼット⋮﹂
アリアナがコゼットの服の裾を引っ張り、俺の胸を指差す。なぜ
か生唾をごくりと飲み込み、コゼットがおもむろに胸を触ろうとし
てくる。
咄嗟に胸を隠そうとしたが、両腕が鉛に変質したかのように重く
なった。
996
重力
グラビトン
グラビトン
かけたでしょ!﹂
は上位下級魔法ではあるものの、
のフルパワーで腕を強引に動かし、アリアナの狐耳の
重力
﹁や、やわらかい⋮あと大きい⋮﹂
﹁ちょっとアリアナ! 私の腕に
﹁ふふっ⋮﹂
下の上
﹁身体強化ッ﹂
裏側をつんつんする。
身体強化
のおかげで缶ジュースを手に取るぐ
が解除されたので、胸を揉んでいるコゼットを引っぺが
でフルパワー部位強化すれば動くことが可能だ。
重力
グラビトン
下の上
して持ち上げた。
らいの重さに感じる。
﹁きゃっ﹂
﹁弱点をつつくのは禁止⋮﹂
﹁勝手に胸を揉まないでちょうだい!﹂
﹁だってだって∼﹂
﹁だってだってじゃないわよ。まったく⋮⋮もうッ!﹂
電打
をお見舞いした。
エレキトリック
コゼットを下ろして身体強化を解除し、どさくさに紛れて尻を触
っているポカじいに
﹁世界最高峰の尻に育ってわしは誇らしイィィィィイイバババババ
バキャバルディッ!﹂
黒こげになったポカじいを外に捨てて、と。
﹁全然話が進まないわよ! ジャンジャンとコゼットに話そうと思
ってたことがあるの⋮⋮ってジャンジャン!?﹂
997
﹁ご、ごめん⋮⋮鼻血が出てしまった﹂
治癒
ヒール
﹂
ジャンジャンが申し訳なさそうに、鼻の穴に指を突っ込んでいる。
﹁もうほんとにみんな仕方ないわねぇ。
﹁ありがとうエリィちゃん﹂
﹁どういたしまして。えっちな観察はほどほどに﹂
﹁うっ⋮!﹂
﹁アリアナ、コゼット。次、勝手に胸を揉んだり揉ませたりしたら
おしおきだからね﹂
﹁ごめんエリィちゃん﹂
﹁しゅん⋮﹂
そのあとジャンジャンがコゼットに﹁やっぱりエリィちゃんがい
いの?!﹂と理不尽に叱られ、アリアナが麦茶似のお茶を持ってき
て落ち着いたところで、例の植物﹃ハーヒホーヘーヒホー﹄の話題
になった。
危ない盗賊団の根城である子ども魔改造施設がもうじき見つかる、
という報告にジャンジャンが跳び上がって喜んだ。
彼は彼で、信用できる冒険者に声を掛けて、魔改造施設の攻略パ
ーティーを組織しており、今のところCランクが八名、Bランクが
二名、参加に了承してくれているそうだ。
﹁竜炎のアグナス様が協力してくれると心強いんだけどね﹂
﹁あら、お願いしてないの?﹂
﹁そんな! 恐れ多くて話しかけられないよ!﹂
﹁へえーアグナスってすごいのねぇ﹂
﹁Aランクで炎の上級まで使える冒険者だよ! キングスコーピオ
ンとクイーンスコーピオンを一人で倒せるのはジェラに彼しかいな
998
い! しかも、冒険者協会定期試験でジェラの最高得点記録877
点を保持している凄いお方なんだよ!﹂
﹁じゃあ頼みましょ。ルイボンと仲良いみたいだし﹂
﹁そんな軽い感じで頼める相手じゃないよ。雇うことになったら一
週間で最低でも五百万ロンはかかると思う﹂
﹁五百万ですって!?﹂
﹁しかもアグナス様のパーティーには、もう時期Aランクだろうと
言われている、Bランクの﹃烈刺のトマホーク﹄﹃白耳のクリムト﹄
﹃無刀のドン﹄っていう凄腕三人がいるんだ。全員雇うとなれば二
千万ロンはするんじゃないかな﹂
﹁やめましょう。ええ。そんなお金ないわ﹂
ジェラの町民から募金でもするか。ひょっとしたら子どもを取り
戻せるかもしれないし、協力してくれる可能性はある。だが、施設
に子どもが一人もいませんでした、って可能性もあるし、変に期待
させても面倒だ。募金は却下か。
﹁エリィちゃん。そろそろ来る頃だと思うよ﹂
﹁誰が?﹂
コゼットが店の入り口を見ている。
すると、髪型を変えてすっかり別人になったルイボンが入ってき
た。
﹁コゼット! エリィは帰ってきた!?﹂
﹁ほらね﹂
コゼットがくすっと笑って俺を見て、ルイボンに向き直った。
﹁ハロールイス様。私の隣にいますよ﹂
999
﹁エ、エ、エリィーーッ!﹂
ルイボンが満面の笑みで叫んで駆け寄ってくるが、その行為が恥
ずかしいと思ったのか途中で急ブレーキをし、怒って口をとがらせ
た。
﹁ふ、ふん! ほんのちょっとだけ心配だったから様子を見に来た
わよ! たまたま今日来ただけよ! たまたま用事があったからね
ッ!﹂
﹁ルイス様は毎日二回、必ずお店に来てくれるの﹂
﹁コゼット! それは秘密にする約束でしょう!?﹂
﹁あ⋮⋮ごめんなさい。つい言ってしまいました﹂
﹁違うわ! 嘘なの! コゼットの言っていることは嘘よ! 毎日
エリィが帰ってきているか確認なんてしていないわ!!﹂
﹁ハロールイボン! 会いたかったわ!﹂
思わず彼女に抱きついた。
﹁見てよほら! こんなにニキビが減ったのよ! あなたがプレゼ
ントしてくれた﹃星泥の化粧水﹄のおかげ!﹂
これでもかとルイボンに顔を近づける。
﹁まあっすごいキレイになっているじゃない!﹂
﹁そうなのよッ。ニキビにずっと悩んでいたから嬉しいわ﹂
﹁よかったわねエリィ! あとちょっとでつるつるのお肌よ!﹂
﹁ルイボン本当にありがとうね。探すの大変だったでしょう? し
かもお小遣いまで使わせてしまって⋮﹂
﹁べ、別にたいしたことないわ! 私にかかればちょちょいのちょ
いよ! ふん!﹂
1000
﹁実はポカじいに聞いちゃったのよ。あなたが自分の足であの化粧
水を探し回っていたって。商人と交渉までしたんでしょ?﹂
﹁ま、まあね。それぐらいは当然よ!﹂
﹁見てルイボン⋮﹂
今度はアリアナが顔を出した。ルイボンがほっぺたをつつく。
﹁アリアナの顔もキレイになってる!﹂
﹁ぴちぴち⋮﹂
﹁よかったわねぇアリアナ﹂
﹁うん⋮﹂
俺とルイボンで、アリアナの狐耳をもふもふした。
そして、思っていた言葉をルイボンに伝える。思ったことはちゃ
んと言葉にしないと、しっかり伝わらないもんだ。
﹁あなたと友達になれてよかったわ﹂
エリィのサファイヤの瞳に、本気の気持ちを込め、ルイボンを見
つめる。グレイフナーじゃ雑誌の編集やデザインで忙しくて友達を
作る暇がなかった。大切な仕事仲間はできたが、年の近い女友達は
エリィにとって二人目だ。きっとエリィでも、俺と同じことを言っ
たんじゃないだろうか。
ルイボンがどぎまぎした顔を作り、すぐさま顔を背けた。
﹁ふ、ふん! エリィが言うから仕方なく友達になってあげたの!
仕方なくね! そこのところを間違えないでちょうだい!﹂
﹁うふふっ。そうね﹂
1001
素直になれないルイボンが妙に可愛らしいのでつい笑顔になって
しまう。
ルイボンは顔を赤くし、もじもじしながらニヤけるのを我慢してい
た。
○
ルイボンにも俺たちが置かれている状況を話すことに決め、あり
のままを伝える。彼女も五年前の盗賊襲撃事件には心を痛めていた
ようで、真剣に話を聞いてくれた。
﹁そういうことだったら私がアグナス様に頼んでみるわ。というよ
り、アグナス様は命を救ってくれたお礼がしたい、と常々言ってい
るから快く引き受けてくれると思うわよ﹂
﹁それは本当ですか?!﹂
﹁ええ。それからお父様にお願いして護衛の兵士をつけてあげる。
本来なら私たち領主が解決しなければいけない事件ですもの。でき
る限り協力させてちょうだい﹂
﹁ありがとうございますルイス様!﹂
ジャンジャンが土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。
﹁別にたいしたことじゃないわ! 当然のことよ!﹂
自信ありげに言うルイボンが頼もしく見える。施設の規模などは
わかっていないので、どのぐらいの人数を割くのかなどは、ルイボ
ンが父親である領主に聞くそうだ。まあなんにせよまずは奴らの居
場所がわかってからだな。
1002
話の間、お隣のバー﹃グリュック﹄で酒を飲んでいたポカじいを
連れて俺たちは冒険者協会に向かう。途中でたこ焼きを買い、獣人
三バカトリオの﹁どうぞどうぞ﹂を見ることも忘れない。
道すがら、みんなが口々に痩せたね、と言ってくれるのが嬉しか
った。俺に見惚れて、たこ焼きを取りこぼす男もいるぐらいだ。
エリィ見てるかー! モテてるぞー!
冒険者協会のスイングドアを開けて、カウンターの一つへ向かう。
時刻は夕刻。素材を換金しにきている冒険者でごったがえしていた。
七つあるカウンターすべてに列ができており、フリースペースにあ
るテーブルでは、泥や返り血で汚れたむさくるしい男たちが豪快に
笑い合って酒を飲んだり、パーティーで集まって話し合いをしたり、
武器の点検をしている。
列に並ぶと、商店街七日間戦争で顔見知りになった冒険者たちに
声をかけられ、そこかしこから野太い声が飛び交った。
﹁お、エリィちゃん! 久しぶり!﹂
﹁エリィちゃんまた可愛くなった?!﹂
﹁デートしてくれる気になったかい﹂
﹁アリアナちゃん! 俺を鞭で叩いてくれ!﹂
﹁あの子が白の女神だよ。かわいいだろ﹂
﹁ジャンから聞いたよ! 俺も参加するから!﹂
﹁断固として俺はアリアナ派だ﹂
いつになったら褒められる事に慣れるのか、顔を赤くしつつ、知
り合いと挨拶をかわしていく。
全然知らない冒険者から自己紹介をされ、褒められてデートの誘
いを受ける。褒められすぎてエリィの体がオーバーヒートしそうだ。
1003
列の先頭に来てほっと一息つき、ネコ耳の受付嬢に聞いたところ、
アグナスは簡単な討伐の仕事に行っており明日戻ってくるそうだ。
竜炎のアグナスへの伝言を残し、ジャンジャンとコゼットと別れ、
俺とアリアナ、ポカじいはルイボンの家へ向かった。どうしても今
日は泊まってほしいとのことだったので、ポカじいに許可をもらっ
た。別に他人に見られても問題ないそうなので、十二元素拳の稽古
はルイボンん家の庭でやるつもりだ。
○
食事後、きゃぴきゃぴと騒ぎながらルイボンとアリアナと化粧の
練習をし、ルイボン邸の庭に出てポカじいに十二元素拳の稽古をつ
けてもらう。
いつもならアリアナは鞭術を教えてもらう時間なのだが、サキュ
バスはポカじいの家から離れられないらしいので、稽古風景を見な
がら身体強化の練習だ。アリアナはついでにと、ルイボンに魔力循
環を教えている。
﹁やあっ!﹂
﹁強化が乱れておるぞぃ﹂
腰を落としたまま両手を突き出し、左手を下げ、右手を顔の横へ。
﹁はっ! やあっ!﹂
﹁もっと己の奥底にある魔力を見つめるんじゃ﹂
1004
膝蹴りの要領で片足を上げ、相手の顎を狙うように右手を打ち出
す。
﹁はっ! やあっ!﹂
﹁武術は自己修養じゃ。己を見つめよ、エリィ﹂
火の型
と
土の型
を繰り返す。腰を落とした状
足を踏み込んだ勢いで左手を正面へ打ち、右拳は腰へ。
洪拳に似た
態を基本とした、攻撃に特化した型で、いずれも力強く、拳ではな
下の下
。
く指をかぎ爪の形にして構える。
身体強化は
下の上
で思い切り殴打する
型稽古をしながらこれ以上の強化は今の段階では無理だ。魔力循
環を調整する時間が二秒ほどあれば
ことは可能だが、戦っている最中にその余裕があるとは思えない。
﹁形がちいと違うのぅ。腕がその位置だと防御がコンマ一秒遅れる
ぞい﹂
﹁こうかしら﹂
﹁こうじゃ﹂
上の下
。腕を振るだけで砂埃が舞う。もし誰
ポカじいが見本を見せてくれる。キレがよく、姿勢がブレない。
しかも身体強化は
風の型
と
水の型
を繰り返す。詠春拳に似た、最小限
かに拳が当たったら、五十メートルは吹っ飛ぶらしい。まじでやべ
え。
次に
の動きで攻・防をバランスよく使い分ける型だ。隙をついて相手の
姿勢を崩し、手数が多い攻撃で仕留めるというもので、非力な使い
1005
手でも相手に決定的なダメージを与えることができる。基本、待ち
の姿勢であるが、連続肘打ちや、回し蹴りのような攻撃的な型もあ
り、不思議にも火と土へスムーズに移行が可能だ。
一時間半で体力切れになり、そろそろ稽古は終了だ。型もだいぶ
下の上
の全身強化した状態
憶えてきて、上達していることがわかり俄然やる気が出る。なんと
か盗賊団の根城を襲撃するまでに、
で型をできるようになりたい。
☆
﹁はぁ∼あの子すごいわねぇ。いつの間にかあんなに痩せて、綺麗
になって、しかもまだ自分を鍛えてる。会ったときはおデブのニキ
ビだったのに、今は別人だわ﹂
﹁エリィはいつでも一生懸命⋮﹂
﹁なんだかエリィを見ていると、今までの自分がすごく恥ずかしい
わ﹂
﹁どうして?﹂
﹁領主の一人娘でありながら勉強を途中で投げ出しちゃってるし、
領地のことだってよく知らないし、魔法の練習も中途半端だもの﹂
﹁そう⋮⋮ルイボンはこれから頑張ればいいよ⋮﹂
﹁そうよね、今から頑張ればいいのよね。でも⋮来年から領地を見
るお手伝いがあるの。うまくできるか不安だわ﹂
﹁大丈夫。ルイボンは優しいから⋮﹂
﹁べ、別にそんなことないわよ! アリアナとエリィに優しくした
ことなんて一回もないんだからね! 一回も!﹂
﹁ふふっ。そうだね⋮﹂
﹁そうよ!﹂
1006
﹁応援してる﹂
﹁あ、ありがとう﹂
﹁どうしたの? 顔が赤いよ⋮?﹂
﹁べ、べ、別に赤くなんかないわよッ!﹂
﹁そう⋮⋮。見てルイボン、稽古が終わったみたいだよ⋮﹂
﹁ほんとだ。エリィって何をやっても様になるわね。十二元素拳だ
ったかしら? 体術なんて全然流行らないのに﹂
﹁エリィは天才。ポカじいはすごい人。スケベだけど⋮﹂
﹁そういえばあのおじいさん、ただ者じゃないみたいだけど、誰な
の?﹂
﹁砂漠の賢者ポカホンタス﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮え?﹂
﹁嘘みたいだけどほんとの話⋮﹂
﹁いやぁねえ⋮⋮そんなわけないじゃない! 砂漠の賢者といった
ら伝説の人物よ。生死不明の謎多き魔法使いで、絵本にもなってる
んだから!﹂
﹁生きてる。スケベだけど﹂
﹁ううーん﹂
﹁嘘じゃない﹂
﹁ほんとに⋮?﹂
﹁そうだよ⋮﹂
﹁え∼っ。そんなまさか∼﹂
﹁信じられないのも無理はない。スケベだから⋮﹂
○
翌日、俺とアリアナ、ポカじい、ルイボンの四人でオアシス・ジ
ェラ冒険者協会へ向かった。
1007
いかつい冒険者の顔見知りと挨拶をしつつカウンターまで歩き、
アグナスが帰っているか確認してみる。受付の猫娘が嬉しそうに、
首肯した。
﹁カッコいいアグナス様は支部長の部屋にいるニャ。カッコいいア
グナス様はエリィ嬢が来訪したら、そのまま部屋に来るように言っ
ていたのニャ。カッコいいアグナス様に会いたい気持ちはわかるか
ら、ついてくるニャ﹂
猫娘がアグナスにぞっこんなのはよくわかった。
俺たちは尻尾をふりふりして歩く猫娘について歩き、日本の市役
所をレトロな木造にしたような、オアシス・ジェラ冒険者協会の階
段を上がり、奥の部屋に通された。
中には、白髪で腰が九十度曲がったじいさんと、燃えるような赤
髪に赤い鎧のアグナス、神官服のような服を着た大柄な男、中肉中
背で刀を背負ったターバンの男、背の低いマント姿の男が、品のい
いソファーに座っている。全員、旅塵にまみれた格好をしているが、
気にした様子は一切ない。
﹁白の女神エリィちゃん! 会いたかったよ!﹂
ギリシャ彫刻も逃げ出したくなるほどの整った顔をしたアグナス
が、白い歯をきらりと輝かせて俺の前に跪き、右手を取ると口づけ
をした。
﹁え、え、え⋮?﹂
ぎゃーーーっ! 不意打ちやめて!
ほんと覚悟してないと顔がまじで熱くなるんだよ!
1008
しかも焦って声が出なくなるおまけつき!
﹁おっと、これは失礼﹂
アグナスはくだけた調子で笑うと、俺を見てすぐに手を離してく
れた。
﹁お礼をしようと何度か西の商店街に行ったんだけどね。こうして
会えてよかったよ﹂
﹁白の女神。何度目になるかわからないが、アグナス様を救ってく
れてありがとう﹂
大柄な立ち上がって神官男が礼儀正しく一礼する。
﹁ありがとよエリィちゃん﹂
﹁白の女神、この礼は必ずする﹂
続いてターバンの刀男と、背の低いマント男が頭を下げる。
﹁レディとして人助けは当然だわ﹂
アグナスが離れて返事をする余裕ができたので、優雅にギャザー
スカートの裾をつまんで一礼を返す。
﹁ふっ、噂通りの子だね君は。それで、今日はどうしたんだい? ルイスまで一緒にいるようだし、何かあったのかな?﹂
アグナスは爽やかに言うと、ルイボンにも跪いて手の甲に口づけ
をする。
そういった挨拶が苦手なのか、アリアナは三歩ほど下がって牽制し
1009
ていた。かわいい。
ポカじいはアグナスと会えて嬉しそうなルイボンの尻をじっとり
と見つめて、トップブリーダーが自ら育てた犬を見るように、うむ、
とうなずいている。スケベじじいは尻にしか興味がない。
﹁実はお願いがあって来たの﹂
﹁お願い? 君のお願いなら世界の果てでも行くよ﹂
﹁まあ! でも⋮私たち、あなたを雇うお金はないわ⋮﹂
﹁お金なんていらないよ。遠慮しないで言ってごらん﹂
﹁ありがとう。でも休まなくていいのかしら? アグナスさんたち
は遠征でお疲れではなくって?﹂
﹁お気遣いありがとう。一日二日寝ないでも平気なぐらいには鍛え
ているよ。それから僕のことはアグナスでいいよ﹂
﹁ジェラでは有名な冒険者なのでしょう? 呼び捨てはちょっと⋮﹂
﹁かまわないよ﹂
﹁⋮⋮わかったわ、アグネスちゃん﹂
﹁アグネスちゃん?!﹂
﹁アグナス様がちゃん付け!?﹂
﹁しかも微妙に名前が違う!?﹂
﹁アニキがちゃん付けッ!?﹂
神官男、ターバン刀男、背の低いマント男が悲鳴に近い声を上げ
た。
﹁あっはっはっはっはっは! そんな変なあだ名をつけられたのは
初めてだよ!﹂
﹁エリィ! アグナス様にちゃん付けはやめてちょうだい! あと
名前が違う! アグナス様よ! ア・グ・ナ・ス・さ・ま!﹂
ルイボンが、行き遅れた年増女がブーケトスを奪取するぐらいの
1010
勢いで顔を寄せてくる。
近い近い! 顔が近い!
クラリスみたいなことすんなよ! あ、クラリス元気かな。
﹁面白いからそれでいいよ。でもせめてアグナスちゃんにして欲し
いかな﹂
﹁アグナス様!﹂
﹁まじかよ⋮﹂
﹁アニキがちゃん付け!?﹂
三人は信じられないといった様子でこちらを見ている。こう見え
てアグナスは気むずかしいところがあるらしく、怒りを買って丸焦
げにされてもおかしくなかった、というのは後日聞いた話だ。
それほど、俺に恩義を感じてくれているらしい。
﹁それで、どんな話なんだい?﹂
アグナスが優しく微笑む。
普通の女子なら一撃でコロッと恋に落ちる爽やかな顔だ。
﹁込み入った話になるから座ってほしいわ。私たちもよろしいかし
ら?﹂
営業の癖で、場の主導権を握るために、つい仕切りをやってしま
う。この中で一番偉いと思われる、支部長らしき腰の曲がったじい
さんに確認した。
彼はにこにこしているだけなので、肯定と受け取りソファーの空
いている席に座った。ポカじいはいつの間にか窓際に佇んでいる。
軽い自己紹介をし、本題に入った。
1011
ちなみに、神官服のような服を着た大柄な男が﹃白耳のクリムト﹄
、中肉中背で刀を背負ったターバンの男が﹃裂刺のトマホーク﹄、
背の低いマント姿の男が﹃無刀のドン﹄だ。アグナスをリーダーと
した四人パーティーらしい。
五年前の盗賊団の話から始まり、子どもの魔法使い、魔薬、ハー
ヒホーヘーヒホー、魔改造施設の捜索と、盗賊団から子どもたちの
奪取する作戦、すべてを伝える。さすがこの町一番の冒険者で、砂
漠の国サンディにも名が知られているパーティーだ。話が終わると、
具体的なメンバー編成の案と、旅に必要な物資や金額が提示される。
資金についてはジェラが持つとルイボンが保証してくれた。
盗賊団を倒したはいいが、子どもを安全に町へ輸送できませんで
した、ではお話にならない。その辺もアグナスたちならぬかりなく
案を出してくれそうだ。
﹁とりあえずはこんなところだろうね。敵の規模が不明なのが痛い。
情報が出揃ってからパーティーを組むとしても、結構な規模になる
から事前準備が大事だ。その辺の準備は僕らにまかせてくれ。お前
達、重い依頼はエリィちゃんの依頼が終わるまで受けないからその
つもりでな﹂
﹁はい﹂
﹁おうよ﹂
﹁ウッス!﹂
﹁ご高名な魔法使いの方、この度はご協力感謝致します。水晶で遠
見ができるとは⋮噂でしか聞いたことのない技術ですよ﹂
﹁ほっほっほっほ、気にせんでええよ。可愛い弟子のためじゃ﹂
﹁事件が解決したあと、あなたとは一つ手合わせをお願いしたいで
すね﹂
﹁ほっほっほっほ、それは勘弁じゃのお﹂
1012
クリムト、トマホーク、ドンの三人がぎょっとした顔でポカじい
を見た。どうやらアグナスがこんなことを言うのは滅多にないみた
いだな。しかもじいさん面倒くさがって断ってるし。
強者は強者を知る、ということなんだろう。
話がまとまったので解散となり、部屋から出ようとする。
すると、ずっとにこにこして黙っていた支部長のじいさんがおも
むろに立ち上がって、口を開いた。腰が九十度曲がっているよぼよ
ぼジジイなのに、滲み出る威厳を感じる。
俺とアリアナ、ルイボンは何か重大なことを伝えてくれるのでは、
と否が応でも期待を高め、身を乗り出した。
﹁じぇらぼうけんしゃきょうかいへようこそぉ﹂
やっと時が動き出したじいさんを見て、三人でずっこけた。
○
一ヶ月が過ぎた。
身体強化ランニングでジェラに向かい、治療院の手伝いをして、
新しい魔法を憶えて反復練習し、ルイボンの家でお化粧の研究をす
る。また身体強化ランニングで家に帰り、そのあと俺は十二元素拳
の稽古、アリアナは鞭術の稽古。これが基本的な一日の流れだ。
1013
身体強化ランニングは
所要時間は五十分だ
下の中
で走れるようになり、町までの
四十キロのフルマラソンを五十分とか、もはやツッコミどころし
かない。
それから、カンフーと同じで十二元素拳は足腰が重要なので、筋
トレもしている。ただ、筋肉量を増やす必要はそこまでないとポカ
じいに言われたので、自体重で行う簡単な筋トレだ。身体強化をす
と、マッチョ男の身体強化
下の下
は、パワーにほぼ差
ると魔力で筋肉量を簡単に補えるらしい。か弱い女性の身体強化
下の下
がないそうだ。
おかげで、しなやかで柔らかく、引き締まった体つきになってき
た。もともとエリィは体が柔らかかったのか、ストレッチのおかげ
で楽々股割りができる。百八十度開脚してからの、かかと落としも
ばっちりだ。体重計に乗ると五十二キロ。これ以上は減らさないほ
うがいいだろう。
というかね⋮⋮⋮まじで鏡に映っている自分が怖いぐらい可愛い。
自分で見て、思わず見惚れるレベルだ。
化粧水のおかげでニキビがすっかり消えてくれ、エリィ本来のき
れいな肌になっている。
髪の毛も運動と食事の献立がいいのか、若さの特権である瑞々し
さを取り戻し、キューティクルがやべえ。光に当たると天使の輪が
できる。金髪なのに。
百十キロからよく頑張ったぜ。
五十八キロもダイエットしたのか⋮。
思えば転生しちまったあのとき、座ると贅肉が椅子の手すりから
1014
はみ出してたもんな。それが今やどうよ。このスタイルなら子ども
用の椅子でも座れる。あ、いや、意外といい尻してるから無理か。
まあ、天才の俺じゃなきゃここまでやるのは無理だっただろうな。
エリィ見てるかー! 超絶かわいくなったぞー!
国宝級に可愛いぞおまえ! エイミーとタメ張るぐらい可愛いぞ
∼!
俺は仕事した! まじでいい仕事したと思う!
いやぁ、よかったよかった。これで大手を振って日本に帰れるな
ぁ∼。
完。
いや終わんねえから! そもそも日本帰れねえし元の姿にも戻れ
ねえから!
って俺は何ひとりでノリツッコミしてんだよ⋮。
あ、そうだ。今日はコゼットに作ってもらった﹃デニム生地﹄の
ショートパンツを履いていこう。俺のこの、健康的で白くて長い生
足を見て、みんな驚嘆するがいいさ。ふふふ⋮。
にしても、これから冒険者協会定期試験とやらに参加することに
なっているが、一体どんな試験なんだろう。ジャンジャンとクチビ
ールがやけに張り切っていたな。誰々が何点で何ランク、魔法発動
がやれ何点だ、打撃力がやれ何点だ、などなど。冒険者協会は最近
試験の話題で持ちきりだ。
出発の準備をしていると、ポカじいが顔を綻ばせて俺とアリアナ
1015
の部屋に入ってきた。
﹁ついに﹃ハーヒホーヘーヒホー﹄を見つけたぞい!﹂
1016
第16話 イケメン砂漠の冒険者パーティー︵後書き︶
エリィ 身長160㎝・体重52㎏︵−2kg︶
1017
第17話 スルメの冒険・その2︵前書き︶
スルメの冒険その2です。
1018
第17話 スルメの冒険・その2
訓練が過酷過ぎて、日にちの感覚がなくなった。訓練開始から一
ヶ月半経ったのか二ヶ月経ったのか、アメリアさんが情報を遮断し
ているため判断材料がなく、さっぱり分からねえ。ガルガインのボ
ケナスが二十四日目までは数えていたから、少なくとも三週間は経
っている。だが、あいつも訓練が辛すぎて日にちを憶えている余裕
がなくなり、日数のカウントがでたらめになった。
﹁エリィ救出隊、起きなさい﹂
アメリアさんの底冷えする声が、オレとガルガインとテンメイが
寝ている、ゴールデン家秘密特訓場の仮眠室に響く。入り口を見る
と、額から鼻までを覆う、鳥のくちばしを模した仮面をしているア
メリアさんが立っていた。なぜかアメリアさんは訓練の際、いつも
この仮面をつけている。パッと見、鳥獣人みたいでまじでこええ。
彼女の声はまさしく神の声であり、絶対に逆らえない号令だ。
﹃エリィ救出隊﹄というのがオレたち全体への呼称で、これには
エイミー・ゴールデンとサツキ・ヤナギハラも含まれる。
オレたち三人は、疲労のこびりついた体をベッドから引きはがし、
無言で訓練の準備を始めた。クッソ眠い。
動きやすい服に着替え、食堂に行くと、笑顔など全くないエイミ
ーとサツキが席に着いて朝食を摂っていた。グレイフナー魔法学校
じゃ人気の二人組だ。ファンクラブもあるぐらい憧れの的になって
1019
いる二人は、エイミーが金髪の垂れ目のクッソ美人、サツキが黒髪
のキリッとした美女で、朝食の姿を公開するだけで男達が集まりそ
うだった。
二人の横にオレ達三人も座り、バリーという強面のオールバック
コックが運んできた朝食を無心で食べる。
うめえ。
うめえし、美人が真横に二人もいるが、それどころじゃねえ。
ここで魔力循環を切らすと、連帯責任で一周五百メートルのラン
ニングが二周追加になる。初日はこのせいで、ランニング三百五十
周をくらった。全員、魔力循環が下手くそだったせいだ。当然、百
七十五キロなんてアホみてえな距離を一日で走れるわけもなく、全
員ぶっ倒れた。
こんな緊張感のある訓練を受けるのは初めてだ。
というより、これ以上シビアな訓練があんのか?
あるなら知りてえ。
○
キュ
癒
をかけられ、ゾンビのようにランニングを再開する、という
初日から延々と走らされた。ぶっ倒れたらアメリアさんから
アライト
発光
拷問に近い行進が一週間ほど続いた。走っているときも魔力循環を
絶やしちゃいけねえ。
魔力循環を切らすと、至近距離で怪我しない程度に調整された
1020
がぶっ放される。まじで洒落にならねえ。目の前に突然、高
エクスプロージョン
爆発
熱と爆音が現れてみろよ。ちびるぜ。
エイミーなんて怖くて泣きながらランニングしていた。そのくせ
こいつは魔力循環を切らさねえから、すげえんだかすごくねえんだ
爆発
を初日で百発ぐらい食らっている。よく逃げださねえ
エクスプロージョン
か分からねえ。ガルガインのスカタンと、写真家のテンメイは至近
距離
もんだ。
走る、魔力循環をする、食う、寝る、を繰り返した。
爆発
をぶっ放されたときは、ムカついてア
エクスプロージョン
人間ってのはまじで不思議なもんで、段々と体が環境に慣れてく
る。初めて目の前で
メリアさんに反撃しようかと思ったが、今じゃ、当たり前の事とし
爆発
を連発しているアメリアさんも大変だ。時折、
エクスプロージョン
て受け入れている。これは罰じゃねえ、ただの訓練だ。
よく見りゃ
魔力ポーションを飲んでいる姿を見かける。上位魔法の中級派生
は規模が小さくても魔力の消費は大きいだろう。しかも、五
エクスプロージョン
爆発
人の魔力循環をつぶさに観察している必要がある。疲労はオレ達の
比じゃないだろうよ。
爆発
を食らっていたが、
エクスプロージョン
三週間ほどすると、魔力循環を切らさず、安定したランニングが
できるようになった。テンメイがたまに
他のメンバーはまったく問題ない。オレとガルガインは軽口を叩け
るぐらいまでになり、元から魔力循環が得意なエイミーとサツキは
楽勝といった感じだ。
それを見たアメリアさんは、別の訓練を開始すると言って、オレ
達﹃エリィ救出隊﹄を馬車で半日かけて私有地の池へ連れて行った。
宮廷の風景画に出てきそうな、のどかな場所だ。小鳥がさえずり、
1021
池は十メートル先の水底が見えるほど澄んでいる。
そんな観光地みてえな場所での一週間が、やべえぐらいの地獄だ
った。
﹁一週間、この場所で特別訓練をします。グレイフナー王国最強魔
法騎士団﹃シールド﹄の入隊試験と全く同じの内容、通称﹃戦いの
神パリオポテスの一週間﹄と呼ばれている訓練法です﹂
﹁まじッすか?!﹂
オレの素っ頓狂な声に、アメリアさんは黙ってうなずいた。
いや、やべえよコレ。
あの﹃シールド﹄を受験できるほどの猛者が、半分脱走すると言
われている訓練法だ。内容は知らねえが、絶対にやべえ。
﹁この訓練法は優秀と言われていた魔法使いが何人もトラウマにな
るほど辛く厳しいものです。その代わり、対価も大きい。やるかや
らないかはあなた達が決めなさい。ただし、不参加の場合はオアシ
ス・ジェラへのパーティーに入れることはできません﹂
鳥を模した仮面をつけたまま、アメリアさんがオレ達を睨む。
どんな内容なのかは聞いても教えてくれないんだろうな。受講者
は全員、訓練内容について口をつぐむと言っていたが、その風聞は
嘘じゃねえんだろう。
ま、今更断るなんてありえねえな。それこそまじでめんどくせえ。
﹁やるぜ﹂
1022
一歩前に出て、アメリアさんに宣言する。
彼女はゆっくりとうなずいた。
﹁私もやるわ。ヤナギハラ家に生まれた者として、撤退は恥よ﹂
気の強いサツキが当然と言った表情でオレの隣に並び、ちらりと
こちらを見る。悔しいが、こいつは強い。グレイフナー魔法学校首
席の名は伊達じゃねえ。セブンの魔法使いで、使用可能魔法は下位
が﹁火﹂﹁土﹂﹁水﹂﹁風﹂﹁光﹂、上位が﹁氷﹂﹁空﹂だ。
戯れのつもりで﹃偽りの神ワシャシールの決闘法﹄を挑んだが、
わずか五カウントで負けた。魔法の発動が上手く、威力もかなりあ
る。さすがは名門ヤナギハラ家といったところか。ガルガインに至
っては二カウントで負けたな。
つーか、サツキは眉毛がキリッとしていて目元が涼しげに伸び、
高くはないが鼻筋がはっきりと通り、口元が自信ありげに上がって
いる。長い黒髪は定規で線を引いたみてえに真っ直ぐで美しく、見
ているだけでうめえ酒が飲めそうないい女だ。
まじでオレのタイプだ。しかも話してみると、グレイフナー竹を
割ったみてえにスカッとしていてオレと合う。口説きてえところだ
が、自分より女が強いのは癪に障るんだよな。まずはこいつより強
くなるぜ。口説くのはそっからだな。
一刻も早くエリィ・ゴールデンに会って、恋愛の指南を受けてえ
ところだ。
強くなっても、女に好かれなきゃ意味がねえ。
いや違うな。強いだけじゃ意味がねえ、ってところか。
﹁俺もやるぜ﹂
﹁同じく。契りの神ディアゴイスに誓って﹃戦いの神パリオポテス
1023
の一週間﹄への参加を表明します﹂
ガルガインのタコナスと、写真家のテンメイも一歩前に出た。
﹁私もやります、お母様。エリィのために﹂
エイミーが最後に一歩踏み出した。
アメリアさんの仮面の下の表情が微妙に変わったと思ったのは、
気のせいじゃないだろう。自分の娘が王国随一のきつい訓練を受け
るってんだ。複雑な思いだろうな。
﹁分かりました。では、まず全員これをつけてもらいます﹂
そう言うと、美人メイドのハイジが鞄から縄を取り出し、手際よ
く、オレの両手と両足を縛り上げた。
手伝いで来ているコックのバリーも他の連中に縄をつける。
やべええええええ、嫌な予感しかしねえッ!!!
浮遊
﹂
レビテーション
﹁まずはこの状態で二十分間水に浮いてもらいます。じゃあスルメ
君から。
﹁ちょ、ちょちょちょっと待っ、あーーーーーーッ!!﹂
体が浮いたかと思うと、池に叩き込まれた。
縄のせいで両手両足が自由にできねえ!
澄んだ水のせいで底が見えることが、恐怖心を煽る。服が水分を
吸って重くなり、体がどんどん沈んでいく。
やば! 落ち着け! 落ち着け!
魔力循環の要領で精神を統一させ、芋虫のようにくねくね頭と足
を動かして推進力を得て、一気に水面へと上昇する。息がもたねえ!
1024
﹁ぶっはぁ!﹂
水面から顔を出すと、水が頭から流れ落ちる。思い切り空気を吸
い込んだ。
空気うまっ! まじうまっ!
﹁あんたオレを殺す気かッッ!!!﹂
アメリアさんと言えど、さすがに抗議を入れざるを得ねえ。
しかし彼女はどこ吹く風といった様子でサツキ、エイミー、ガル
ガイン、テンメイに向き直った。
﹁という感じでやれば、浮いていられるわ﹂
﹁なるほど﹂
﹁ふむふむ﹂
﹁素晴らしいスルメ君! エェェェクセレントッ!﹂
﹁さすがスルメ。しゃくれてるだけあるな﹂
﹁おいこらクソドワーフ! オレがしゃくれてんのは関係ねえだろ
!﹂
そうこうしている間に、次々と池へ叩き込まれる。
なんとか全員水面に浮くことができた。常に動いていないと沈ん
でしまうので、泳ぎが得意でないガルガインのボケナスはきつそう
だ。
ボウフラみてえに全員でくねくねしながら二十分を耐え凌ぐ。
いやまじできつい。
両手両足を動かせないから焦りが生まれる。これが一番まずい。
精神的にやられると、集中が切れて一気に沈む。
1025
﹁では次﹂
そう言って、アメリアさんは仮面らしき物を池に放り投げた。ど
ぽん、という音と共に仮面が沈んでいく。
﹁一人一つ、仮面を拾いなさい。全員が拾ったら池から上がってい
いわ﹂
おいおいどんな拷問だよ⋮⋮。
浮いてるのもつれえんだぞ。
つっても時間が経てば経つほど体力がなくなっていくからな。細
けえこと考えるのはめんどくせえ。一気に行くぜ。
﹁おらよぉ!﹂
大きく息を吸って水中へ潜る。
強引に体を反転させ逆さになり、ドルフィンキックで潜水する。
ドルフィーンとかいう魔物の動きから、両足を同時に動かして水中
を進むことをドルフィンキックと言うらしいが、そんなことはどう
でもいい。つーか色々考えると息が苦しくなる。なんも考えるな、
オレ。
水深五メートルほどのところに仮面が五つ落ちている。場所を確
認して、オレは手近な仮面を引っつかんで反転し、急上昇した。息
がやべえ。死ねるわこれ。
﹁ぶっはあっ!﹂
1026
新鮮な空気を肺いっぱいに入れる。
﹁取ったぜ﹂
重りのついた仮面を、両手が縛られた手で掲げる。焦らずに潜水
すれば、問題なく取ることができるな。浮いているだけできつそう
なガルガインとエイミーにはちょっと難しいかもしれねえ。
そのあと、サツキとテンメイが仮面を取ることに成功したが、ガ
ルガインのスカタンとエイミーは十回ほど潜水して失敗し、息も絶
え絶えに水面へ浮上する。見れば浮いていることすら限界のようで、
次に失敗すればまじで溺れかねない。
水面を移動し、ガルガインのトンチキを手伝うことにする。
﹁アメリアさんは協力してはいけない、とは言ってねえ。オレがて
めえを引っ張って水底まで連れてってやる。仮面をつかんだらソッ
コーで水面にあがれ﹂
﹁ペッ⋮⋮わりいな﹂
﹁池でツバ吐くなよ。きたねえな﹂
﹁癖だ。気にするな﹂
せーので水中に潜り、縛られた両手でガルガインの胸ぐらを掴ん
で池底へと引っ張る。慣れねえドルフィンキックはまじで疲れる。
やはり、ガルガインは泳ぎが下手くそで、こいつ一人じゃろくに進
むことができねえ。
透きとおる水の美しさなんか楽しむ暇も余裕もなく、必死にボケ
ドワーフを引っ張って仮面を拾わせ、急上昇した。息がまじで続か
ねえ。
1027
﹁ぶっはあ!﹂
﹁ぼはあ!﹂
オレとガルガインは一気に空気を肺へと送りこむ。
隣ではサツキが溺れそうになるエイミーを助け、仮面を取ること
に成功していた。
水から上がることを許され、暴風雨で浜辺に打ち上げられた魚み
てえに池のほとりへ寝転んだ。すぐ縛られた縄は解かれたが、二十
分の休憩後、また同じように縛られて同じように仮面を取りに行か
された。何この訓練⋮。まじつれえんだけど。
これを三回やらされて、やっと次の訓練へと移った。
次の訓練は、四人乗りボートを五人で肩に担いで池の浅瀬づたい
に対岸へ運ぶという凶悪なもので、沼地みてえに足が取られて何度
爆発
がぶっ放される。
エクスプロージョン
もこけた。その間の休憩なんかは一切ねえ。少しでも魔力循環を切
らしたり、休もうとすれば
息を合わせて進まないとボートがずり落ちる。落ちると、沼地み
てえにどろっとしている地面に刺さってなかなか取れない。引き上
げるのに体力を相当使っちまう。
エイミーとサツキの女二人をかばうようにして、オレとガルガイ
ン、テンメイが中心になってボートを運ぶ。
二時間運んだ時点で気づいたのが、何も五人で必ず運ばなくては
いけないわけじゃねえってことだ。一人がボートを担がずに休憩し
て、残りのメンツで運ぶローテーション方式に変更したら、進みが
随分よくなった。
疲労困憊の状態で、ようやく対岸まで辿り着いた。
1028
全員ずぶ濡れの泥だらけで、エイミーとサツキは美人の面影が一
切ねえ。さすがに女子にボート運びはきつかったのか、しばらく二
人は起き上がれなかった。体力に自信があるガルガインとオレはま
だマシだ。テンメイは頭がイッちまったのか﹁ああ、妖精が見える
⋮﹂とか、よくわかんねえフレーズをぶつぶつと呟いている。
さらに休まず、アメリアさんは夜の池のほとりに寝転がるように
指示を出し、全員の手をつながせた。
は? 意味がわかんねえ。何なのこれ。両隣がエイミーとサツキ
なのは嬉しいけど、クッソ寒い。胸のあたりまで体が水に浸かって
るんだけど。
﹁ではこの姿勢で四時間。魔力循環を忘れずに﹂
﹁⋮⋮﹂
オレ達は言葉を失った。
バカなんじゃねえのか? 冬の池に四時間何もせずにただ浸かっていろって?
冗談も休み休み言ってくれ。
と思っていたら、どうやらまじらしい。
アメリアさんはメイドが用意した椅子に座り、離れた所からこち
らを観察している。
○
1029
ひたすら水に浸かり続ける。ただただ寒い。全員、唇を真っ青に
して疾患のように震えていた。それが四時間。手を握って仲間の鼓
動を感じていなければ気を失っていただろう。なんでこんなことを
するのか、意味がわからねえ。いやまじで。
気の遠くなるような、永遠とも感じられる時間が少しずつ過ぎて
いく。途中、意識を失わないように何度も叫び、仲間の安否を確認
した。あのエイミーですら、何か声を荒げて意識を保とうとしてい
る。
体が限界まで冷え切り、全員がたがたと震えて唇を真っ青にした。
意識が朦朧としてきたところで、アメリアさんの声がかかり、水面
ファイア
ファイア
を唱えて暖
で体を温めようと魔力を練る。
から出る許可をもらった。
すぐさま
考えは一緒だったのか、全員ほぼ同時に
を取った。
その後、一時間の仮眠だ⋮。
ってたった一時間だぞ!? どうなってんだよ! 全員死んだよ
うな目になってやがる。つーか誰も逃げ出さねえのが不思議でしょ
うがねえ。いや、みんながみんな、そう思っているのかもしれねえ
な。どうして誰も逃げ出さないのか、なぜこんなきつい訓練に耐え
られるのだ、と。
次は魔法を三十メートル先の的に当てる訓練だ。全員で千個の的
をぶっ壊す。
時間内にできなければ、ボートを対岸までまた運ぶという罰ゲー
ム付きだ。オレたちは死にもの狂いで的を壊しまくった。この時点
で意識は朦朧とし、魔力枯渇寸前の極限状態になった。
1030
美人なエリィの姉ちゃん、エイミーはひたすらに呟く。
﹁わたしはエリィに会いに行く⋮﹂
グレイフナー魔法学校首席のサツキが目をギラギラさせて杖を振
りかぶる。
﹁これは試練。そう、試練だ⋮﹂
ガルガインのクソヒゲは終始無言で、ときおり声を漏らす。
﹁強く⋮⋮なる⋮⋮﹂
写真家テンメイは悪魔に魅せられたような笑顔で笑う。
﹁愛と憂鬱と羞恥の狭間が目の前に見えるぅ! 見えるぞぉ﹂
オレは細けえことが苦手だから、叫ぶ。
﹁全員でぶっこわせぇぇええええぇぇえええ!﹂
なんとか時間内に的を壊したオレたちは、森で狩猟をし、鹿を解
体して食べた。もちろん魔力循環は切らさない。
なんかもう、すべてがどうでもよく思えてくる。
思考が泥のように停滞し、目を開けているのがやっとだ。いま倒
れたら、死んだように眠るだろう。体が自分の体じゃねえみたいに
鈍重で、意識を限界のところでつなぎ止めていなければ、動けなく
なってぶっ倒れるのは明白だ。
﹁では、この森を三キロ走ってもらいます。走りきったらご褒美と
して一時間の睡眠時間を与えます。さらに、一位には睡眠時間が一
時間追加され、最下位は一時間減るわよ﹂
1031
おいおい、ビリは睡眠なしじゃねーかよ!
﹁では、スタート!﹂
急に始まった競争に、全員あっけに取られたが、睡眠がゼロにな
る恐怖が背中を押すのか、一気に走り出した。
爆発
をぶっ放され、もんどりう
エクスプロージョン
当然、魔力循環を忘れてはいけない。
テンメイとガルガインは早速
って引っくり返った。
さすがにサツキは速く、もう三十メートルほどの距離ができてい
る。エイミーは魔力循環が得意だが、体力不足でオレより遅い。こ
こは一気に距離を開けるぜ。
二キロほど進んだものの、サツキとの距離は縮まらず、後ろの三
人とも距離が開かない。もはや疲労が濃すぎて全員たいしたスピー
ドが出せないためだ。ランニング、というよりはウォーキングだな。
みんな、ハァハァひいひい言いながら、森を抜けようと必死こいて
足を動かしている。
﹁テンメイ君!﹂
エイミーの叫びが聞こえた。振り返ると五十メートルほど後方で
テンメイが仰向けにぶっ倒れていた。限界だったのだろう。
正直なところ、テンメイがここまでついてこられた事が不思議だ
った。あいつはこの中では実力が一番下だ。
お世辞にも魔法の才能があるとは思えねえ。
1032
全身が痺れるほど疲労し、睡眠不足に魔力枯渇、今にも逃げたし
たいほど追い詰められている。他人事のように薄ぼんやりとテンメ
イがぶっ倒れている様を観察していたら、エイミーがふらふらとテ
ンメイの元へ足を向けた。
あいつ助ける気か? 一人でどうやってずんぐりむっくりのテン
メイを運ぶつもりなんだ。いまは訓練中だから魔法は唱えられねえ
爆発
がぶっ放される。
エクスプロージョン
ぞ。魔法を唱えるために魔力循環を切らすと、その瞬間にアメリア
さんから
そんなオレの疑問なんかはお構いなしなのか、エイミーがテンメ
イの腕を引っ張って運ぼうとする。
あいつの細腕じゃ、ゴールまで辿り着くのは一年後になっちまう。
⋮⋮しゃーねえな。
無理矢理に自分を鼓舞し、テンメイの救出を手伝った。
そのときは結局、オレ、エイミー、サツキ、ガルガイン、四人全
員でクッソ重いテンメイの体を一キロ先のゴールまで引きずって運
んだ。ほんと死ぬかと思ったぞ。魔力循環を切らしちゃいけねえし、
まじでしんどかった。
なぜかご褒美として全員に一時間の睡眠ボーナスが付いたときは
泣くほど嬉しかったものの、喜びを分かち合う余裕もなく、野宿の
準備をして昏倒するように寝た。
1033
さらに、着衣水泳、綱のぼり、魔法相殺訓練、闘杖術訓練、など
過酷な訓練が数十種類。一週間の合計睡眠時間は六時間もないだろ
う。思い出すだけでケツの穴がひりつくほどきつかった。逃げだそ
うと何度思ったかわからねえ。もう二度とやりたくねえ、というの
がオレ、ガルガイン、テンメイ、エイミー、サツキ、満場一致の意
見だ。
励まし合いながら、なんとか﹃戦いの神パリオポテスの一週間﹄
を乗り切ったオレたちは、以前より肝が据わったような気がし、団
結力が生まれた。この一週間を境に、全員がお互いを名前で気軽に
呼ぶようになり、強烈なチーム意識が芽生えた。できないことがあ
れば仲間が助け、できることをできる奴がする。
前までは自分の魔力量や魔法の種類にのみ気を遣っていたが、今
だぞ。
身体強化
じゃ仲間全員の状態や魔力残量まで考慮に入れて行動するようにな
っている。
身体強化
﹃戦いの神パリオポテスの一週間﹄の訓練後、全員が
を成功させた。
いやまじで嬉しかった。だってあの
グレイフナー魔法学校の生徒ですら使用者が数えるほどしかいな
い、魔力循環技術だ。今後、冒険者で未開の地を目指し、魔闘会へ
出場するなら必須の技術だ。
オヤジですら身体強化ができるようになったのが六年生の頃って
聞いていたからな、ガルガインのボケチンと柄にもなく抱き合って
喜んじまったぜ。
その後、身体強化をしたままのランニングへと訓練は移行し、新
1034
下の中
を十五分。
下の中
は使用できない。
を十分維持が可能。
なら一
ちなみに、ガルガインが全身強化
下の中
下の下
しい魔法や運用方法などのレクチャーがあって、数週間が経過した。
今現在、オレは全身強化
時間維持が可能だ。
を三十分で
帰ったら使用人たちに自慢してやろう。
下の下
なら一時間の維持が可能。
を三十分。
テンメイが
下の中
下の中
を三分、
を十分、
下の上
下の上
エイミーが
サツキは
やっぱサツキがつええ。
六年生と三年生の違いはあるが、ぜってーいつか勝ってみせる。
○
朝食を食べ終わったオレたち五人は、秘密特訓場で整列していた。
季節は冬。息を吐くと白い湯気が上がる。さみい。
﹁エリィ救出隊、点呼﹂
リーダーを任命されたサツキが、さらりとした黒髪を冬の冷たい
風になびかせながら、一歩前に出た。
﹁エイミー・ゴールデン!﹂
﹁はいっ!﹂
﹁スルメッ!﹂
﹁おう!﹂
1035
﹁ガルガイン・ガガ!﹂
﹁うっす!﹂
﹁テンメイ・カニヨーン!﹂
﹁はい!﹂
﹁エリィ救出隊、点呼終了です﹂
サツキが、キリッとした顔でアメリアさんに言う。
アメリアさんは渋面のまま、うなずいた。
オレだけずっとあだ名なのはもう何を言っても直らねえ。つーか
アメリアさんが、エリィがそう呼んでいたんだから私たちもスルメ
と呼ぶ、と言って聞かない。この人にそこまで言われたら逆らえね
え。
もうめんどくせえから抗議は後回しにすることにした。
あとで盛大な猛抗議だ。
にしても今日はどんな訓練なんだ。
昨日やった、下半身を氷付けにされ、身体強化のみで脱出するっ
てやつか。それとも、部位ごとに身体強化をして魔法を防御する訓
練か。まあ何にせよどんなことでもやってやるがな。
﹁エリィ救出隊﹂
アメリアさんは静かに言葉を発し、おもむろに鳥を模した仮面を
はずした。仮面の下から、眉の引き締まった綺麗な顔が現れる。子
供を四人産んだとは思えねえほど、若え。さすがエイミーの母ちゃ
んだ。
てか、エリィ・ゴールデンも血を引いているんだよな⋮⋮あいつ
太っちょだから面影が微塵もねえ。それを言ったら絶対怒るんだろ
うなーまじで。まあ言わねえけど。
1036
にしてもなんだろう。いつもと雰囲気が違うぞ。
またやばい訓練か!?
﹁ご苦労様でした。本日付けでこの特訓を終了にします。この二ヶ
月半の訓練であなた達は、自分自身が辛いときこそ、仲間を思いや
れる素晴らしい心を身につけました。その心は自信をもたらし、窮
地に陥ったときの救いとなることでしょう。自分を信じ、仲間を信
じなさい。それが強くなる何よりの秘訣です﹂
﹁はっ⋮⋮?﹂
オレはアメリアさんが何を言っているのか理解できなかった。
この訓練が終わり?
今このときをもって終了?
え? まじで? まじで終わり?
﹁終わりって⋮⋮終わりってことですか?﹂
普段はクールで自信家のサツキが、めずらしく狼狽えて質問する。
﹁ええ。本日をもってエリィ救出隊特別訓練を終了します﹂
﹁しゅう⋮⋮りょう⋮﹂
サツキがオレ達の顔をぐるっと見回す。
全員、呆然とした顔をしていた。
信じられねえ⋮⋮。
まじで終わり? 終わっていいの?
﹁お母様⋮訓練は終わりなんですよね? ほんとに?﹂
﹁何度も言わせないでちょうだい。本日で終了です﹂
1037
︱︱︱まじか!!?
﹁まじで⋮﹂
﹁本当に⋮﹂
﹁終わりなの?﹂
﹁おわり⋮?﹂
﹁なんということだ⋮﹂
オレ、ガルガイン、サツキ、エイミー、テンメイの五人は顔を見
合わせて、お互いを何度も確認し合った。
﹁うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!﹂
オレは叫んだ。
あまりの喜びに、胸がちぎれるほど雄叫びを上げ天空へバスター
ドソードを突き上げる。
横ではガルガインがアイアンハンマーを投げ捨てて﹁よっしゃあ
あああああ!﹂と絶叫していた。
﹁えいえいおーッ! えいえいおーッ!﹂
エイミーが涙ながらに意味不明なかけ声で拳を上げる。とりあえ
ずよくわかんねえけど美人で可愛い。
﹁ははは、夢じゃないんだ! ああ偽りの神ワシャシールよ! こ
れが嘘だというのなら俺はお前を差し違えてでも倒しにいくだろう
! サツキ嬢! 夢じゃないことを確かめたい! 俺を思い切り殴
1038
ってくれ!﹂
﹁テンメイ君! 夢じゃないよ!﹂
写真家テンメイがいつも通り、なんちゃらの神がどうだこうだと
ピーチクパーチク言って、サツキに思い切り腹パンされ、笑顔のま
ま地べたを転げ回る。
気色わりいよ! おもしれえけど!
最後に全員で抱き合って、本気で泣いた。
子どもでもねえのに号泣だ。
アメリアさんが訓練開始当日に言った﹁つらいわよ﹂という言葉
に対し、そんな大したことねーだろと高を括っていたが、実際はま
じで大したことあったな⋮。やばかった。クッソきつかった。死ぬ
かと思ったのは軽く十回を超えている。思い返せば思い返すほど、
地獄の訓練だったな。
でもおかげで身体強化をできるようになったし、魔法の発動が二
ヶ月前に比べて三倍は速くなっている。
﹁ではこれから冒険者協会定期試験を受けに行くわよ。事前に登録
は済ませてあるから安心しなさい。Cランク未満の場合は戦力外と
みなし、オアシス・ジェラへの同行は許しません。気合いを入れて
試験を受けなさい﹂
喜びが一変、またしても緊張感が場を包んだ。
冒険者協会定期試験だと?
年に一回ある、大冒険者ユキムラ・セキノの仲間が考案したって
いう、あの試験?
つーか今日とかぶっつけ本番過ぎんだろ! 大丈夫なのか?!
1039
しかもCランクって結構つええ冒険者だぞ。
最低でも下位上級が連続詠唱できないとCランクにはなれないっ
て、オヤジが言ってた気がするな。つーかオヤジも今年の試験受け
んじゃなかったっけ?
確か五年に一度試験を受けないと、自動的に冒険者証明書が剥奪
されるルールだった気がする。
まあ何にせよ受けるしかねえんだろ。
細けえことは苦手だ。
受けて、受かりゃいいだけの話、簡単だ。
﹁おいガルガイン﹂
﹁なんだ?﹂
﹁点数の低かったほうが酒をおごるってのでどうだ﹂
﹁ペッ。おもしれえ。ドワーフ代表として受けて立つ﹂
﹁決まりだな﹂
﹁ああ﹂
ガルガインのスカタンと約束を交わし、にやりと笑い合って拳を
突き合わせる。ドワーフの武骨なゲンコツがオレの拳に触れて鈍い
音が鳴った。
そのとき、この訓練が本当に終わったことをオレは実感した。
テンメイ、サツキ、エイミーが笑い合って訓練の終了を喜んでい
る。
仲間っつーのはなかなかいいもんだな。
なんだかこの場にエリィ・ゴールデンがいるような錯覚をおぼえ
たが、いるわけがねえと首を振る。まあ早く合流してエイミーと会
1040
わせてやろう。
オレも、あいつに会って色々話してえしな。なーんかあいつとは
気軽に話ができんだよな。女はめんどくせえといつも思ってたが、
あいつに会って考えが変わったぜ。仕草は完璧なお嬢様のくせに中
身が妙に男らしいなんて面白しれえ奴、どこを探したっていねえ。
そうか⋮⋮女というより、あいつの性別はエリィ・ゴールデン、
なんだな。そう言ったほうがしっくりくるぜ。
だからか。
だから話しやすいのか。
︱︱︱︱やべ、なんかうけるな。
そう結論づけると、笑いがこみあげてきた。
よっしゃ! 冒険者協会定期試験、待っていやがれ!
必ずCランクになってやるよ!
1041
第18話 スルメの冒険・その3
オレ達、エリィ救出組はゴールデン家の武器を借りて装備を調え
ることにした。一度、家に帰るかという案が出たが、サツキが﹁試
験をクリアすることでアメリアさんの修行が本当の意味で終わると
思う。だから家にはまだ帰らない﹂と言ったので、全員でそのまま
ゴールデン家秘密特訓場の武器庫に来ていた。
﹁お、これいいじゃねえか﹂
白っぽい金属を中心に練りこんだバスタードソードを掴んで持ち
上げる。
重心が柄のほうにあってバランスがいい。これなら身体強化を使
わないでも短時間なら片手使いができそうだ。
試しに軽く振ってみる。
刺突と斬撃の動作もスムーズにいく。
﹁それは私が若い頃に使っていた剣よ。七百万ロンしたわね﹂
﹁たかっ!﹂
﹁いいわよ、持って行きなさい﹂
とうじょうじゅつ
﹁いいんすか? アメリアさんが使うんじゃ?﹂
﹁私は闘杖術で十分よ﹂
闘杖術ってのは魔法使いの中でレイピア、片手剣に次ぐ人気の戦
闘スタイルだ。
硬い素材を使用した杖に魔法を纏わせて近接戦闘を可能にし、主
に敵の攻撃をいなしたり、かわしたりと、防御に特化している。片
1042
手にレイピア、もう片方に杖、という魔剣士スタイルのように両手
が塞がらず、はなっから両手持ちのバスタードソードやハンマーの
ようにいちいち杖を持ち替えなくてもいいところが利点だ。手入れ
も楽だしな。
つーかオレとガルガインが変わってんだよ。
バスタードソードとハンマーを使っている奴をグレイフナー魔法
学校じゃ見たことがねえ。たぶんオレらだけだろう。
オレは大した理由なんてなく、ただぶった斬るのがスカッとする
からバスタードソードを使用している。どうせ細けえことはできね
え。ちまちまレイピアとか闘杖術なんてやってらんねえ。あんなの
は、手先が器用な奴がやればいい。
ガルガインも似たような理由で、ぶっ叩いたり、ぶっ飛ばしたり
するのが性に合っているからハンマーを使ってるんだと。鍛冶で剣
を鍛えるときもハンマーを使うから修行にもなって一石二鳥とか言
ってやがったな。まあ言われてみりゃ鍛冶師になるんなら効率はい
いか。魔法を使うときは必ず杖と交換するはめになるから、片手持
ちできるバスタードソードより効率はクッソ悪いがな。
前々から疑問だったのが、ハンマーとかバスタードソードに杖を
練り込んだ、ウエポンと杖が一緒になった武器があってもいいんじ
ゃねえか、と思っていた。
アメリアさんに聞いたら、そいつは無理らしい。
どういう原理なのかは知らねえが、五十センチ以上の物体を杖に
すると、魔法がうまく発動しなくなるらしい。形も棒状でないとま
ずいみたいだ。だから剣を杖そのものにしたり、メリケンサックに
杖の機能を持たせたり、という便利グッズは作れねえ。
1043
だが、特殊な形状をした杖が存在しないわけじゃねえ。
遙か昔の失われた技術で、ウエポンに杖を練り込むことができる、
ぶっとんだ錬成方法があったらしい。グレイフナー王国にも、いく
つか杖ウエポンが存在している。千年前とかのまじでやべえぐらい
貴重な物らしいから、持っているのはごく一部の人間だけだ。
いつか欲しいもんだな。
ガルガインはぶっとび錬成方法を確立することが夢だ、と言って
いた。
そんな、武器庫を舐めるように見ているガルガインのボケナスの
肩を叩く。
﹁こん中に杖ウエポンあるか?﹂
﹁あるわけねえだろ。ペッ﹂
そう答えながら、目はゴールデン家の武器庫に釘付けだ。
杖ウエポンはなくても結構なお宝があるらしい。
﹁てめえ人ん家の武器庫でツバ吐くんじゃねえよ﹂
﹁癖だ。気にすんな﹂
﹁んなことよりどれにするんだよ。全員決まってんぞ﹂
エイミーとテンメイは闘杖術スタイルで戦うつもりらしく、専用
の杖を数本。
杖ってのは、魔力結晶のかけらと魔物の心臓を燻製にして混ぜ合
わせたものを媒体とし、魔力を魔法へと変換させ、魔力を通しやす
いと言われる﹃樫の木﹄や﹃ミスリル鉱物﹄にそれらを混ぜて加工
して完成する。闘杖術専用の杖は、硬度がそれなりにないとすぐ折
れるので、﹃ミスリル鉱物﹄を使用した物が多い。樫の木の杖じゃ
闘杖術に耐えられないだろう。
1044
そう言っても、別に杖ってのはめっちゃ高価なもんじゃねえ。
ピンからキリまで種類があり、一般家庭で使われている杖は五千
ロンで買える。
折れてもどっかしらの店でいつでも入手可能だ。
サツキは片手持ちの小太刀って武器を選んでいた。片側に刃がつ
いており、刀身がゆるやかに曲がっている武器だ。ヤナギハラ家伝
統の武器らしい。アメリアさんが若い頃に買った物が残っていたら
しい。
十五分後、ガルガインのスカタンがようやくハンマーを決めた。
﹁んだよ。結局アイアンハンマーじゃねえかよ﹂
﹁やっぱこれが馴染むんだよな﹂
﹁そういや自前のハンマーは?﹂
﹁てめえのウエポンと一緒で欠損が多くて使い物にならねえよ。ペ
ッ﹂
身体強化した状態での武器訓練のせいで、自前のバスタードソー
ドにヒビが入っちまった。ガルガインのアホチンのアイアンハンマ
ーも例に漏れない。アメリアさんが厳しすぎるんだよな、まじで⋮。
思い出すとケツがひりつくぜ。
武器庫を出ると、秘密特訓場のエントランスで強面コックのバリ
ーと、エリィ・ゴールデンの専属メイドである苦労顔をしたクラリ
スが、膝をついて待ち構えていた。冬の寒いエントランスでじっと
待っているとは、なかなか根性があるらしい。うちの忍耐が足りね
え使用人にも真似させてえところだ。
1045
﹁エリィお嬢様救出隊の皆様、特訓終了誠におめでとうございます。
このバリー、皆様の体調に合った食事を提供できたことの名誉を忘
れないでしょう。つきましてはゴールデン家に伝わる必勝祈願の儀
を執り行いたいと存じますので、そちらへ一列にお並び下さい﹂
﹁こちらへどうぞ﹂
メイドのクラリスが、オレ達を一列になるよう促す。
オレ、サツキ、エイミー、ガルガイン、テンメイの順で並んだ。
なぜかエイミーは両手で顔を覆っている。なんだぁ?
﹁では、参ります⋮⋮!﹂
そう言い終わるが早いか、バリーが持っていた袋からちいせえ玉
みてえなもんを思い切り投げつけてきた。
﹁いってえ!﹂
﹁ちょっと! 急に何をするの?!﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ってえ!!! いま大事なトコに当たったぞ!? ペッ﹂
﹁あたっ、いたっ! 何か粗相でも?!﹂
ふざけんな! いてっ! あてっ!
ったく何なんだよ。オラ、身体強化だッ!
あー全然いたくねえ。
玉はよく見ると、金でできた玉だ。純金だな。
バリーの野郎まだやめねえ。むしろ振りかぶって本気で投げつけ
てきやがる。
なんなんだよこれ!
1046
アメリアさんは腕を組んだままこちらを無表情に見、クラリスは
静かに顔を伏せて静観している。
しばらくして金の玉、金玉がなくなると、バリーがやっと投げる
のをやめた。相当な量があったので肩で息をしている。エントラン
スには金玉が散らばっていた。
﹁みんなごめんね。ゴールデン家の必勝祈願は金の玉をぶつけるこ
となの。でもさすがに今回は量が多いと思うんだけど⋮﹂
﹁エイミーお嬢様。今回はエリィお嬢様の無事を確認し、護衛して
帰還するという大事な大事な、大事すぎるお役目の第一歩。さらに
は皆様が死ぬ思いで訓練をされていたことはこのクラリス、誰より
も承知しております。ですので、金の玉を今回は増量致しました﹂
﹁やっぱりそういうことね﹂
﹁いやまじで痛えよ! つーか金玉ぶつけられて必勝祈願とかおか
しいだろッ!﹂
クラリスに抗議の声を入れたが、彼女は首を横に振った。
﹁いえ、さすがの一言でございます。皆様、即座に身体強化をでき
るほどに成長されたのですね⋮⋮。エリィお嬢様は素晴らしいご学
友とお知り合いになられたようで、クラリス感激のあまり涙が⋮﹂
﹁いや何も泣くこたぁねえだろう⋮﹂
﹁スルメ様、どうか試験をクリアし、お嬢様をお連れしてきて下さ
い⋮﹂
﹁おぜぅざば! おぜぅざばをどうかッ!﹂
バリーが横で鼻水と涙とよだれを垂らして号泣している。
汚ねえな!
1047
それから金の玉をぶつけられるっていう訳わかんねえ必勝祈願を
あと一回され、秘密特訓場を出た。エイミーに聞くと、二人はエリ
ィが好きすぎて、エリィ関連のことになると見境がなくなるらしい。
どうやらゴールデン家の使用人はみんなオレ達が試験を受けること
を知っていて、ランクが低いとジェラ行きのパーティーに入れない
ことも承知しているようだ。
○
ウォーミングアップを兼ねて、ランニングで冒険者協会へ向かう。
魔力をあまり消費しない程度に、足だけを強化する部分強化を混
ぜつつ、グレイフナー一番街へと走る。馬車でいくと一時間の道の
りがわずか四十分だ。まじで身体強化が便利すぎるな。
グレイフナー通り一番街﹃冒険者協会兼魔導研究所﹄はユキムラ・
セキノの時代からある歴史建造物の一つで、重厚感と存在感がやべ
え。グレイフナー王国きっての観光名所だ。
スイングドアの入り口付近は冒険者と野次馬でごった返していた。
そのせいで交通規制が入り、警邏隊が増員されている。何かあると
集まるグレイフナー国民はほんと野次馬するのが好きだよな。
﹁みんな、少し待ってもらいたい﹂
急にテンメイが人混みのど真ん中で足を止めた。
なんだよ、と尋ねる前にテンメイは素早く背中にしょっていた商
売魔道具の﹃記念撮影具﹄通称﹃カメラ﹄を取り出し、三脚に立て、
構える。なんか穴みてえなとこに目を当てているな。カメラってこ
1048
うやって使うのか。
﹁セレブレェェイト!!﹂
テンメイが叫んでシャッターとかいうものを切った。
いや、意味がわからん。
﹁この光景をあとでエリィ嬢に見せてあげたくてね﹂
﹁ああそういうことな。ペッ﹂
﹁へえーそうやって撮影するのね﹂
﹁さすがテンメイ君! きっとエリィ喜ぶよ!﹂
ガルガインがツバを吐き、サツキが感心し、テンメイの言葉にエ
イミーが喜んでにっこりと笑う。大輪の花が咲いたような、見るだ
けで魅了されるエイミーの笑顔に、テンメイは﹁あ、いや、まあ、
ははは、大したことは﹂と、顔を赤くしてどもりまくる。わかりや
すッ!
ちなみに今日のエイミーは、エリィがデザインをしてデザイナー
のジョーとかいう男が作った、黒いタイトなパンツに革の黒ブーツ、
純白のピーコートとかいう上着、その下に白と黒が混ざった柄のシ
ャツみてえなもんを着ている。なんかよくわかんねえけど、クッソ
清楚でお嬢に見える。なんかこの服、新開発した素材で作られてい
て、防御力がそこそこあって動きやすく、汚れも落としやすいとか。
すげえなおい。
とりあえず、冒険者協会定期試験を受けに来たようには全く見え
ねえ。
﹁もういいかしら。受付を済ませるわよ﹂
1049
アメリアさんが先頭をきって進んでいく。
見れば、アメリアさんとサツキもエリィ・ゴールデンがデザイン
したらしき服を着ていた。なんだか格段に綺麗に見えんな。こうい
うのをファッションっていうのか? ただの服なのにすげえ。エリ
ィ・ゴールデンに会ったら聞くしかねえな。
﹁そういやアメリアさんも受験するんすか?﹂
﹁ええ。今年が五年の満了だから、受けないと冒険者証明書が剥奪
されるわ﹂
﹁そういうことっすね﹂
﹁ほらみんな、行くわよ﹂
野次馬をかき分けてグレイフナー通り一番街﹃冒険者協会兼魔導
研究所﹄へ入った。入り口には馬鹿でかい立て看板に﹃冒険者協会
定期試験︵グレイフナー王国首都グレイフナー第402回︶﹄と書
かれていた。
休日は頻繁にオヤジと魔物狩りに行っているので、ちょいちょい
冒険者協会には来る。だが今日はいつもの冒険者協会とは全く様相
が変わっていた。とにかく人が多い。
オレ達が入ると、ざわめきが起こる。なんだあ?
﹁お、おい! あれ雑誌の⋮⋮﹂
﹁あーーーーーッ! Eimy専属モデルのエイミーちゃんじゃね
えか!﹂
﹁なんてこと! 実物のほうが百倍美しいわっ!﹂
﹁サインをくださいましッッ﹂
﹁ふつくしい! ふつくしいいいいいい!﹂
﹁その上着は発売前なのでしょうか!?﹂
1050
気づいたらエイミーのファンらしき屈強な冒険者たちに数十名に
囲まれた。男女問わず、この場でエイミーに会えたことに歓喜して
吠えている。
﹁あ、あの⋮落ち着いてください。私は今日冒険者協会定期試験を
受けに来ました。だから落ち着いてくださいッ﹂
そういうエイミーが腕をバタバタさせて一番焦っている。アホだ。
しばらくサインと洋服についての質疑応答が行われ、エイミーが
立て続けにデートに誘われ、それを片っ端から断り、ハートブレイ
クした男達をオレとガルガインで適当に励まして、やっとほとぼり
が冷めて受付カウンターまで辿り着いた。
三十あるカウンターの一つ、猫耳娘の受付でサインを済ませる。
すでにアメリアさんが手続きを進めてくれていたので、オレ達は参
加表明のサインをするだけだ。
﹁さあ張った張ったぁ! 第402回グレイフナー王国首都グレイ
フナー冒険者協会定期試験! 高得点者を当ててみやがれぇ! 人
気の出場者はこれだ!﹂
部屋の奥でさっきから胡散臭せえシルクハットの男がハリセンで
バンバン机を叩いている。
﹁おい﹂
﹁おう﹂
ガルガインのボケナスに、賭け屋をアゴでしゃくってみせる。
1051
意図を理解したクソドワーフがうなずき、共に賭け屋へ向かう。
﹁人気一位はなんといっても数々の伝説を残した炎魔法使い﹃爆炎
のアメリア﹄ことアメリア・ゴールデン! そして名門ガブル家当
主﹃冷氷のガブリエル﹄ことガブリエル・ガブル! さらに六大貴
族サウザント家からは若き新星﹃白光のエリクス﹄ことエリクス・
サウザント! さあ、今回の試験は見逃せないぞ野郎共ッ!﹂
︱︱︱バンバンバンッ!
ハリセンの音が響き、シルクハットのうさんくせえ賭け屋が声を
張り上げる。
賭け屋の後ろにはこれみよがしに金貨が積まれ、綺麗どころの姉
ちゃんたちが営業スマイルを振りまいて賭け券を売りさばいている。
つーか冒険者協会公認の賭けだからなー。さすがグレイフナーと言
ったところか。賭け券を買うための行列がやべえ。むしろ受験者の
列よりこっちのほうが混んでやがる。
﹁誰に賭ける﹂
﹁アメリアさんに決まってんだろ。ペッ﹂
﹁だな。オレはオヤジにも賭けるわ﹂
﹁てめえのオヤジ強ええのか?﹂
﹁かなり。アメリアさんほどじゃねえが、いい勝負はできると思う﹂
これはまじだ。あのクソオヤジ、かなりつええ。
﹁俺ぁ、シールド第一師団一番隊隊長ササラ・ササイランサに賭け
るぜ﹂
﹁あの女めっちゃつええんだろ?﹂
﹁やばいらしい。ショートソードの軌道が見えねえぐらい速いんだ
1052
とか﹂
﹁スルメ君、ガルガイン君﹂
受付付近で知り合いと話していたアメリアさん達がこっちにやっ
てきた。やべ、なんも言わずに賭けの列に並んじまったよ。
﹁紹介するわ、オアシス・ジェラへ同行してくれるジョン・ボーン
よ﹂
﹁よろしくデス﹂
ジョン・ボーンって男は色黒でつるっぱげ。身長は百九十ちょい。
でけえ。体つきはひょろっとしてて線が細く、目がまん丸で鼻は低
い。正直まったく強そうには見えねえ。木訥とした雰囲気のする奴
だ。
﹁うっす﹂
﹁よろしくっす﹂
﹁彼は沿海諸国の出身なのよ。シールド第二師団から無理を言って
引っ張ってきたわ﹂
﹁アメリアさん、尊敬してマス﹂
﹁現役のシールドッ!?﹂
﹁すごっ! ペッ!﹂
﹁私たちは先に行っているから、賭けが終わったら奥の試験会場に
爆発
は使えないしね﹂
エクスプロージョン
来なさい。エイミーが何人にも声をかけられて困っているのよ。こ
んな人混みの中で
そう言って頭を抱えるアメリアさんの指先の向こうには、エイミ
ーと話すための列ができていた。なぜかテンメイとサツキが列の整
理をしている。渦中のエイミーはあわあわと狼狽えているものの、
ちゃんと一人ずつと挨拶をしていた。律儀な奴だ。
1053
﹁ああ、それと私には賭けないほうがいいわよ。全盛期より魔力が
落ちているから﹂
釘を刺すように言って、アメリアさんとひょろ長いジョン・ボー
ンが人混みをかき分けて奥へと消えて行く。
爆発
を無詠唱ノータイムで発動できるのはアメ
エクスプロージョン
まあ、そう言われてもオレはアメリアさんに賭けるけどな。
上位中級魔法
リアさんと、ほんのごく一部の魔法使いだけだろう。
﹁おや! これは奇遇だねえ!﹂
﹁ああっ?﹂
﹁んん?﹂
聞き覚えのあるキザったらしい声が聞こえたので、そっちを向く
と、会いたくもねえクソ野郎が白い歯をキラキラとさせて立ってい
た。両脇に可愛らしい兎人と人族の女をはべらせている。
﹁何の用だよ、亜麻クソ﹂
﹁いま忙しいんだよ、亜麻クソ﹂
﹁なはぁっ! 君たちいい加減に僕を変なあだ名で呼ぶのはやめた
まえ!﹂
突然現れたドビュッシーこと亜麻クソが、うっとおしい前髪を何
度もかき上げながら、気障ったらしく、ズビシィという音が聞こえ
てきそうなポーズで指を差してくる。
﹁ドビュッシー様をそんな名前で呼ぶなんて許せない﹂
﹁訂正してちょうだい、二人とも﹂
1054
想い人をかばうように、ウサギ耳の女と、茶色の髪をした背の低
い女がドビュッシーの前に出る。
っざけんな! なんでこいつは大して実力もねえくせに女ウケだ
けはいいんだよ!
しかも二人とも可愛いから許せねえ!
ウサギ耳のほうは巨乳で目がぱっちりしている。茶色髪のほうは
お嬢様らしいお淑やかな美少女だ。
ガルガインも同じ気持ちなのか、額に青筋が浮かんでいた。
フォワスワァ
と音が鳴らんば
﹁亜麻クソ、お前何しに来たんだよ。賭けか? 賭けなら最後尾に
並べよ﹂
﹁とっとと後ろへ行け。ペッ﹂
﹁はーっははははっ!﹂
亜麻クソは芝居がかった動きで
かりに前髪をかき上げて両手を広げた。
﹁何をって決まっているじゃあないか! この僕が冒険者協会定期
試験を受けに来たんだよ!﹂
﹁はあっ!?﹂
﹁おめえが試験をぉ?﹂
﹁そうさ! ちょうど奥義も完成したところだしね。まあ、僕の実
力ならCランクも夢じゃないと思うんだよ! アハハハハッ!﹂
両脇の小娘たちが、キャーかっこいいー、と黄色い声援を上げる。
クッソ。いまこの場で亜麻クソの鼻の穴に指つっこんでがくんが
くんいわせてえ。
﹁おめえCランク狙ってるってことは身体強化できるのか?﹂
1055
ガルガインが怒りを堪えて質問する。
﹁え? 何を言っているんだい? 僕ら三年生が身体強化を使える
わけがないだろう。だから魔法の実力で高ランクを目指すんだよ僕
は!﹂
﹁できねえの?﹂
﹁できねえ癖にCランクとかギャグだな﹂
下の中
を全身にかけて、ウ
﹁なんだい君たちぃ。まるで自分たちができるかのような口ぶりじ
ゃあないか﹂
﹁オレらはできるぞ、身体強化﹂
亜麻クソにそう言うと、身体強化
サギ耳の持っている﹃ドビュッシー様がんばれ﹄と書かれた木製の
看板を真っ二つにし、さらにそれを重ねてバキバキに折り曲げた。
亜麻クソと女二人は唖然とし、開いた口がふさがらない。
我に返った亜麻クソが苦しい言い訳をしてきた。
﹁それはただ君が怪力なだけだろう! ほら貸してみたまえ!﹂
んんんんとうなり声を上げて亜麻クソが茶色髪女の持っている看
板をへし折ろうとするが、意外と硬い素材にびくともせず脂汗だけ
が浮かぶ。
無理だとわかった亜麻クソはわざとらしく、ふう、と息をついて
看板を茶色娘へ返した。
﹁マグレだということがよーくわかったよ! まあ僕もね、実は身
体強化は使えるんだよ! ほんとうはねえぇぇっ! でもね、今回
の試験では使わずに魔法だけで高ランクを狙おうと思っているのさ
1056
!﹂
﹁ほぉ∼そうなのか! じゃあ一次試験は軽々突破だな﹂
一次試験は﹃障害物競走﹄だ。
身体強化が鍵になる。一次試験のタイムが一定基準を超えていな
いと二次試験にいけず、そこで採点が終わるから気持ちを締めてか
からねえとやべえ。
﹁ま、まあね! 僕ぐらいになると楽勝ってやつさ﹂
﹁そうかそうか。お互い頑張ろうぜ﹂
﹁そうだな。そこまで言うなら一次試験の突破は確実だな。すげえ
なー﹂
ガルガインがすげえなーの部分を棒読みで言う。
﹁では諸君! また後ほど結果発表で会おうじゃあないかッ!﹂
バッ、と両手を広げて、そのまま髪をかき上げ、女二人の腰に手
を当てると、亜麻クソが去っていった。看板を割られたウサギ耳女
に散々睨まれたが、そんなこたぁ知らねえ。
○
普段は訓練場として使われている試験会場に入ると、受付カウン
ターとは一変して、ピリっとした緊張感が漂っていた。受験者が各
々好きな場所で好きなように準備をしている。瞑想したり、武器の
点検をしたり、談笑したり、と様々だ。受験者が四百人ほど参加し
ているので、入り口付近は人で溢れていた。
1057
グレイフナー王国首都グレイフナー冒険者協会会長から簡単な言
葉があり、試験が始まった。
試験会場はかなり広い。
一番街の一等地にあるくせに、一周四百メートルのコースが作れ
るほどだ。
順番はくじ引きで、オレはラッキーなことに最後のほうだ。この
会場は順番待ちで試験の様子を見ることができる。今のうちに見て
障害物の構造を頭に叩き込んでおくぜ。
サツキ、アメリアさん、エイミー、テンメイ、ガルガイン、オレ
の順番だ。一レース十人が走り、オレは三十五番レースだ。
他の受験者への妨害工作は禁止で、発覚した場合は自動で0点に
なる。
第一関門は三十メートルの泥沼。ここは身体強化で飛び越えれば
いい。
第二関門は火炎放射。ランダムで両脇に五基設置された魔道具か
ら炎が飛び出す。威力が下位中級程度だから身体強化で突っ切るこ
とができる。
第三関門は的当て。百メートル先の的をぶっ壊す。ここは得意魔
法で一掃だな。
第四関門は水晶破壊。魔力を注ぎ込んで水晶を壊せばいいだけ。
魔力循環の速さが肝になる。
第五関門は鉄球運び。重さ百キロの鉄球を運んで所定の位置に入
れる。
ガルガイン、サツキ、エイミー、テンメイと攻略法について相談
しつつ時間を待つ。
1058
見ていると、色々な奴が試験を受けていた。初心者から相当な実
力者までピンキリだ。実力者は明らかに動きが違い、それが身体強
化によるものだというのは誰の目から見ても明白だ。
やはり、身体強化ができないと相当に不利だな。魔法が得意な奴
なら、泥沼を氷らせたり、火炎放射の装置をぶっ壊したりして進め
ばいいと思うが、いかんせん効率が悪い。しかも設置してある障害
を破壊すると減点になっちまう。
﹁おいサツキとアメリアさんが出るぜ﹂
﹁まじか﹂
秀麗な顔を引き締めて、サツキがスタート位置につく。屈強そう
な冒険者、貴族と思わしき人間、明らかに素人の奴など、受験者は
ファイヤーボール
が打ち上がる。
千差万別だ。アメリアさんがリラックスした様子で列の一番外側に
並んでいた。
スタートの
と同時に会場からざわめきが起こった。
やべええええええええええええええっ!
はやっ! くっそはやっ!
アメリアさんまじクッソはええ!!
爆発
で十個の的を一撃で吹き飛ばし、指先を当てて
エクスプロージョン
三十メートルの泥沼を軽々と飛び越え、火炎放射を涼しげな顔で
走り抜け、
魔力を一気に流して水晶を破壊し、百キロの鉄球を、買い物袋を持
つみてえに小脇に抱えてゴールした。
﹁記録っ。アメリア・ゴールデン、四十七秒!﹂
1059
よんじゅうななびょうッッ!?!?
やばーーーっ!!
﹁アメリアさんやべええええ!﹂
﹁俺らとんでもねえ人に指導を受けてたんだな⋮⋮ペッ⋮﹂
そうこうしているうちに十人のランナーが進んでいく。
﹁記録っ。サツキ・ヤナギハラ、二分五十六秒!﹂
おおっ!
サツキもかなり速い!
Cランクの目安が五分になっているからな。あいつならBランク
までいけるんじゃねえか?
○
三十五番のグループが呼ばれて、スタート地点へと向かう。
またしても気障ったらしい笑い声が聞こえてきた。
﹁はーっはっはっはっは! 君も同じ組だったとはね!﹂
﹁うるせえよ亜麻クソ﹂
﹁いい加減そのあだ名はやめたまえ!﹂
﹁声援ねえから力が出ねえか?﹂
﹁そんなものなくったって平気さ﹂
試験会場には受験者以外入れないので、連れてきた女も当然応援
1060
には来れない。って、んなことはどうだっていい。亜麻クソなんか
に構ってられねえんだよ!
集中しろ、集中だ。
訓練のとおり魔力を循環させて、と。
﹁三十五番の方々、位置についてください﹂
審判の魔法使いが言うと、十人のメンツがスタート位置につく。
なるべくいい位置を確保するため内側へと移動する。
﹁おっと。わりいな﹂
知らねえ奴と肩がぶつかっちまった。
﹁いえいえ。大丈夫ですよ﹂
にこにこと笑う白いコート姿の優男が、のんびりと頭を下げた。
大丈夫かこいつ?
女みてえな綺麗な顔で、金髪を伸ばして後ろ結びにし、優雅に移
動している。見た感じどっかの神官みてえだな。常に笑みを絶やさ
ず、隣の奴にもねぎらいの言葉をかけている。
しっかし覇気がねえな。
を全身
女みてえな綺麗な顔してニコニコうなずいているけどよ、これが
冒険者協会定期試験って分かってんのか?
が打ち上がった。
下の中
﹁では準備をしてください。5、4、3、2、1﹂
ファイヤーボール
オレはオンナ男から目を離し、一気に身体強化
にかける。
ボン、と
1061
オラ行けえ!
強化した身体で猛ダッシュし、そのままの勢いで眼前に広がる三
十メートル沼へジャンプする。
下の中
で三十メートルを一気に跳ぶことはできねえってわか
ざぶん、と泥が飛び跳ね、陸地の五メートル手前で落ちる。
っていた。
身体強化を維持したまま、もう一度跳躍して沼から脱出する。
するとオレの頭上を軽々と飛び越える影があった。
うおおおおまじかよ! あの神官オンナ男じゃねえかッ!
ウォータースプラッシ
やべええええええええええええええええええ。
まじクッソはえええええええ!
どうなってんだよあいつ!
もう第三関門まで行ってやがる!
!﹂
﹁アシル家に伝わる奥義を見るがいい! ュ
スタート地点と思われる後方からバカの声が聞こえるが気にしね
え。
全身を強化したまま、火炎放射に突っ込む。
ちょっと熱いが問題ない。いける!
火炎放射ゾーンに入ったところでありえないコールが審判から伝
えられた。
﹁記録っ。ゼノ・セラー、三十二秒!﹂
1062
はああああああああああああああああああっ!?!?
バカじゃねえの!?
なんかの間違いじゃねえかッ?
さんじゅうにびょう?!?!?!
アメリアさんよりはええじゃねえかよ!
クッソ! 無視だ無視! 目の前の自分のレースに集中!
第三関門に辿りつくと、コースの脇にゴブリンを模した的が十個
現れる。
火蛇
!!!﹂
ファイアスネーク
計画通り、得意魔法を唱える。
﹁
修行の成果で、無詠唱で下位上級が唱えられるようになった。今
を一度の発動で十匹まで作ることが可能。追尾
ファイアスネーク
火蛇
が吸い込まれるようにして十個の的をぶっ壊した。
ファイアスネーク
火蛇
のオレなら
型の魔法
下の中
をかけ一気に走り、第四関門の水晶
よっしゃあ! 前じゃ考えられないぐらい精度が上がってやがる
ぜ!
足だけに身体強化
に魔力を込めてぶっ壊す。
これが意外と難しくて手こずるが、なんとか四十秒ぐらいで破壊
した。オレと似たような実力の奴が、隣で同時に水晶を破壊する。
﹁あああああああ熱いぃぃぃぃっ! アシル家の最終奥義いいいぃ
ぃ!!﹂
火炎放射のほうからバカの声が聞こえるが、振り向かねえ。
1063
バカがうつっちまう。
最後、ありったけの魔力で身体強化
下の中
をかけ、第五関門
の鉄球を持ち上げる。距離はわずか三十メートル。身体強化のおか
げで、体感で二十キロぐらいに感じる。
一気にいけえええええ!
集中を切らさないようにしつつ、鉄球を両手で抱えて走る。こん
なもんアメリアさんの訓練に比べたら屁でもねえ。
ゴール付近の所定位置に鉄球を投げ捨てて、ゴールした。
﹁記録っ!﹂
頼むぜぇ! 五分切っててくれよ!!
﹁スルメ、四分三十八秒ッ!!﹂
うおっしゃあああああ!
第一試験はこれで突破できる!
Cランクの目安が五分以内、Dランクが八分以内。一次試験の突
破はDランク以上を確定させる。五分切ってりゃ突破は間違いねえ
だろ!
つーか誰だよオレの名前スルメで登録したやつッ!!!!
っざけんなまじでクッソッッ!!!
ゴール付近で息を整えていると、神官オンナ男がゆったりとした
足取りでオレのところまでやってきて、聖職者のようににこりと笑
った。
﹁グレイフナー魔法学校の生徒さんとお見受け致しますが、落雷魔
1064
法を使える少女の噂を聞いたことはありませんか?﹂
﹁はあっ? なんだよ急に﹂
﹁これは失礼を。私はゼノ・セラーと申します﹂
﹁おめえ何者だよ﹂
﹁ただの神官ですよ。もう一度お尋ね致しますが落雷魔法を使える
少女の噂を聞いたことはありませんか?﹂
﹁はあっ?! ねえよ。つーか使えるわけねえだろ複合魔法なんて
よぉ﹂
﹁そうですか。それは残念です﹂
﹁それよりもおめえに聞きてえこと⋮⋮っておい! 勝手に聞いて
きてそっちは何も答えないのかよ! おい!﹂
ゼノ・セラーとかいう神官オンナ男はこちらを振り向きもせずに
会場から出て行った。
ったく、何なんだよあの自己中野郎。
﹁記録っ。ドビュッシー・アシル、十七分三十秒﹂
振り返ると、火炎放射で尻のあたりだけズボンを燃やして丸出し
にした亜麻クソが、生まれたてのヤギみてえな足取りで、ゴールし
てからぶっ倒れた。さっきまで格好つけた小綺麗な洋服は無残にも
汚れて泥だらけになり、モテる要素が微塵もねえ。
﹁ぶわーっはっはっはっはっは! 亜麻クソまた尻丸出しじゃねえ
かッ!﹂
ガルガインが外野からクソでかい声で大笑いしている。
﹁ぽ、ぽくちんの⋮⋮⋮⋮⋮おうぎぃが決まればぁ⋮⋮⋮⋮さんぷ
ぅんで⋮⋮⋮⋮ごぅるできたんだぁ⋮⋮⋮⋮⋮﹂
1065
﹁記録。十七分三十秒だってよ﹂
﹁そんなぁことはない⋮⋮⋮⋮きっと、きっとなにかの⋮⋮⋮まち
がいだあ﹂
そこまで言葉をつなぐと、亜麻クソはふっつりと意識を手放した。
⋮まあ途中リタイアしない根性は認めてやろう。
○
ようやっと一次試験が終了し、オレ達は結果が貼り出される冒険
者協会カウンターの前に集まっていた。なぜか亜麻クソと取り巻き
の女二人も一緒にいる。
部屋の隅で賭け券を売っているシルクハットが、最後の追い込み
だ、とハリセンをバシバシ叩いて宣伝をしていた。賭け券の販売は
一次試験の結果発表が出る前までだ。
﹁はーっはっはっは! 諸君! 僕らは帰るよ!﹂
﹁えーなんで帰るんですかドビュッシー様ぁ﹂
﹁もうすぐ結果発表ですよ。ドビュッシー様は一次突破しているん
ですから帰ったらダメじゃないですか﹂
着替えていつもの調子に戻った亜麻クソが、顔を引き攣らせて何
とか帰ろうとしている。アホだ、アホすぎる。なぜその実力で受験
したんだ。
﹁まあまあ亜麻クソ。彼女たちもこう言ってるんだから、結果を見
て行けよ﹂
﹁一次突破してるなら帰れねえぞ。ペッ﹂
1066
治癒上昇
キュアウォーター
でも唱えとけよ﹂
﹁なはぁっ! いやぁなんだかね⋮お腹の調子が悪くてね⋮いたい
なぁ⋮痛むなぁ⋮﹂
﹁てめえは水魔法使いだろ。
シルキーソング
精霊の歌声
﹂
シルキーソング
精霊の歌声
﹁いやぁ、ちょっと魔力を使いすぎたかなぁぁーーっ﹂
﹁大丈夫? 近くにいたエイミーが心配して、上位木魔法の下級
を唱える。亜麻クソの身体が緑の葉っぱに覆われ、二十秒ほどし
て魔法が消えた。
﹁これで腹痛はだいぶよくなると思うよ﹂
﹁いやぁ⋮はっはっはっは。これはご丁寧にどうも⋮⋮﹂
﹁あなた亜麻クソ君でしょう? エリィから聞いているよ。面白い
人なんだってね!﹂
オレとガルガインは思わず笑って噴き出しそうになった。エイミ
ーぜってえ意味がわからずに亜麻クソを亜麻クソって呼んでやがる
ッ。
﹁なっ! あなたのような美人まで僕のことを亜麻クソと⋮⋮くっ
!﹂
﹁ねえドビュッシー様ぁ。この人誰なの?﹂
﹁ドビュッシー様、私たちという女がありながら、この人と?﹂
﹁違うよ愛しのハニー達。僕の心は君たち二人に釘付けなんだ。で
もね、僕は恋慕の神ベビールビルに気に入られて、すぐ女の子が寄
ってくる困った体質なのさッ。だから君たちはどうか嫉妬の神ティ
ランシルのようにならず、僕を見守って欲しいんだ﹂
﹁まあ⋮﹂
﹁もう⋮﹂
1067
クソみてえな茶番劇が繰り広げられ、オレとガルガインはため息
をつく。エイミーはなぜか腕を組んでほうほうと言いながらうなず
いていた。アホだ。アホの共演だ。
そうこうしているうちに結果が冒険者協会カウンターの上にある
掲示板にでかでかと貼り出された。
四十七秒のアメリアさんは当然として、二分五十六秒のサツキ、
三分五十秒のエイミー、四分三十八秒のオレ、四分四十五秒のガル
ガイン、五分三十秒のテンメイ、全員一次試験通過だ。
全員でよし、と言ってうなずきハイタッチをする。
その後ろでは悲劇という名の茶番劇が終幕を迎えようとしていた。
﹁ドビュッシー様! 一次試験通過していないじゃないですかぁ!﹂
﹁どういうことなんです!? 凄腕魔法使いではなかったのですか
?﹂
﹁なはぁっ! いやぁ⋮⋮調子が出なかったかなー。あれあれぇ⋮
⋮⋮おかしいなぁ∼﹂
﹁十七分三十秒でEランクって! がっかりです!﹂
﹁Eランクということはあの勲章も嘘なのですか?﹂
﹁いやぁ違うよ! 大狼勲章は本物さっ!﹂
﹁じゃあどうして! せっかくすごい人だと思ったのに⋮﹂
﹁失望しました⋮﹂
﹁待ってくれ! 話せばわかるッ。だから落ち着いて僕の話を聞い
てくれたまえ! まずあれは魔法学校の合宿のときだった。リーダ
ーを任された僕はみんなに指示を出してこう言う︱︱﹂
﹁触らないで!﹂
﹁腰に手を回さないでください!﹂
﹁おおっとこれはリトルリザードの群れだ! でも大丈夫、僕の最
終奥義が炸裂すればすぐに敵は一網打尽んッピ! ポッ!﹂
1068
パン! パァン!
女の子の怒りのビンタが亜麻クソの顔面に突き刺さり、そのあま
りの強烈さに三回転して、馬車に轢かれたカエルみてえにぶっ倒れ
る。
﹁もう二度と誘わないでっ!﹂
﹁嘘はよくないと思います﹂
ウサギ耳と茶色髪女は怒ってどこかに去っていった。
女の子にこっぴどく振られた亜麻クソは、無残な格好でぴくぴく
と痙攣している。
﹁ぎゃーはっはっはっはっは!﹂
﹁ぶわーっはっはっはっはっは!﹂
﹁アホだ! アホすぎる!﹂
﹁おめえほんと面白れえなぁっ!﹂
オレとガルガインは腹がよじれるほど笑い、エイミーが驚いて両
手で口を押さえ、テンメイが﹁ワンダァフォォゲルッ!﹂と意味不
明なかけ声でカメラのシャッターを切った。
ジー、という音と共に、縦二十センチ横十センチぐらいの写真が
カメラから排出される。
見ると、一枚の写真用紙に、つぶれたカエルのようになった亜麻
クソが映っていた。
﹁ぎゃーっはっはっはっはっは!﹂
﹁ぶわーっはっはっはっはっは!﹂
1069
オレとガルガインはそれを見てまた爆笑した。
これはエリィ・ゴールデンに見せるべき写真だな。あいつぜって
ー大笑いするぜ。
1070
第18話 スルメの冒険・その3︵後書き︶
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
年内更新間に合いました!!
いや∼皆さん、今年は本当にお世話になりました。
いろいろな方からメッセや感想を頂き、楽しい時間を共有できてい
る、と作者は勝手に思っている次第であります。
今年一番楽しかったことは?
と聞かれたら、私は光の速さで﹁この小説を書けたことです﹂と回
答します!
多くの方がこの小説で繋がっているんだなー思うと、目から水がこ
ぼれ落ちてきます。
いやー思いつきで書き始めてほんとよかったです・・・。
紹介してくれた友人にはほんま感謝ですね・・・。
エリィ﹁あなたいちいち言うことがクサいのよね﹂
アリアナ﹁早く続き書いて⋮﹂
あ、すみません・・・・笑
1071
年明けすぐに更新できると思いますので、のんびりとお待ち下さい。
ということで皆さん!
今年一年ありがとうございました!
来年も何卒よろしくお願い致します!
次回﹁スルメの冒険・その4﹂でお会いしましょう♪
良いお年をッ!!!!!!!
1072
第19話 スルメの冒険・その4︵前書き︶
本編の途中で試験の順位表が出てきます。
スマホの方は画面を横にすると見やすくなりますYO!
1073
第19話 スルメの冒険・その4
二次試験へ駒を進めたメンツは118名。
オレ達は二次試験会場のグレイフナー王国コロッセオへと来てい
た。
このコロッセオは大冒険者ユキムラ・セキノの時代からある歴史
的建造物で、魔闘会や敵討ちの果たし合い、戦いの神パリオポテス
の決闘など、数々の名勝負がここで生まれ、伝説となり、吟遊詩人
の歌う詩になって今も人々を熱狂させている。
コロッセオには会場が五つあって、今回の試験は一番でかいメイ
ン闘技場で行われるみてえだ。
﹁いいみんな。会場に入るとすぐ試験開始になるわ。目の前の敵を
ひたすら破壊しなさい﹂
ひんやりした薄暗い廊下にアメリアさんの冷静な声が響く。
メイン闘技場は東西南北にそれぞれ門が設置され、オレ達エリィ
救出隊は偶然にも全員同じ南門に割り振られた。一次試験で三十二
秒なんていうとんでもねえタイムを叩き出した、ゼノ・セラーとか
いう神官オンナ男は別の門に割り振られたらしい。
二次試験の内容はこうだ。
﹃制限時間内にできるだけゴーレムを破壊せよ。以上﹄
細けえことは苦手だから、こういうシンプルでわかりやすいルー
ルは好きだ。
要はぶっ壊しまくればいいんだろ?
1074
簡単でいい。
﹁中心に行けば行くほどゴーレムが強くなるわ。無理に進んで、自
分の実力以上のゴーレムに挑んでは駄目よ。実力の判断も冒険者の
技術として見られているから、怪我をすると大幅な減点になるわ﹂
﹁了解っす﹂
﹁うっす﹂
﹁わかりました﹂
﹁が、頑張りますっ﹂
﹁我が麗しの妖精エリィ嬢よ、このテンメイ・カニヨーンに力をッ
!﹂
オレ、ガルガイン、サツキ、エイミー、テンメイが武器を手に、
アメリアさんの忠告をしっかりと受け止める。
﹁おい爆炎。俺の邪魔をするなよ﹂
物騒な声色が廊下に響き渡る。
振り返ると身長が二メートルほどある、狼人の大男が犬歯をむき
出しにして、アメリアさんを睨んでいた。
こいつ、冷氷のガブリエルじゃねえか。
狼人特有の濃い体毛が、雷の模様のように頬に三本走っている。
目つきは冷水をぶちまけたみてえに冷たくて鋭く、情も慈悲もなさ
そうだった。武器は片手斧らしいが、片手斧と呼ぶべき代物なのか
わからねえほど、バカでかい。
ガブリエル・ガブルはグレイフナー六大貴族の一つ、五百五十の
領地を保有するガブル家の当主だ。
千の領地を持つ貴族が二つ、五百以上の領地を持つ貴族が四つ。
1075
この六貴族がグレイフナー六大貴族と呼ばれている。
こいつは腕っぷしも強く、統治手腕もあるらしい。らしいが⋮女
癖が悪いことでも有名で、狐族の女を何人も妾にしてるって話だ。
まあ狐族の女は男心をくすぐるやたらエロい姉ちゃんが多いから無
理もねえか。あ、そういやアリアナ・グランティーノも狐族だった
な。あいつも成長したらフェロモンがむんむんの女になる⋮⋮訳ね
えか。
﹁あなたこそ私の近くに来ないでちょうだい。身体が冷えて仕方な
いわ﹂
﹁貴様⋮⋮﹂
アメリアさんとガブリエルが睨み合う。
炎と氷のスペシャリスト同士だ。反目し合う何かがあるのかもし
れねえ。もしくは二人の間には過去何か痛烈なやりとりがあった、
とか。やべえな。二人の魔力がぐんぐん高まっている。亜麻クソが
この場にいたら、ちびってズボンを濡らし﹁ママン!﹂とか言って
逃げ出すに違いねえ。
それほどに両者の重圧が凄まじい。
シルキーソング
精霊の歌声
周囲の連中が二人を遠巻きに見て後ずさりしている。
﹁お母様、身体が冷えると風邪を引いちゃいますよ。
﹂
精霊の歌声
シルキーソング
を唱えた。アメリアさ
近くにいたエイミーが緊張した空気をぶった切って、亜麻クソの
ときと同じように木魔法下級
んの身体が緑の葉っぱに覆われる。一瞬にしてアメリアさんが見え
なくなった。
1076
﹁お母様、大丈夫ですか?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁なんだその女は。顔つきからして⋮⋮貴様の娘か﹂
精霊の歌声
シルキーソング
が解除され、葉っぱから抜け出したアメリアさん
﹁だったら何だというの﹂
が眉を釣り上げてガブリエルに聞く。
﹁どうだ。うちの息子と結婚させてやろうか? その美貌があれば
息子も納得するだろう﹂
﹁エイミーがガブル家の人間を好きになるはずがありません。くだ
らない妄想は余所でやってちょうだい﹂
﹁⋮⋮五年連続負け越しの弱小貴族が生意気な﹂
﹁何とでもいいなさい。私はあなたに構っている暇はないのよ﹂
﹁俺はその娘が気に入った。必ずモノにしてやる﹂
﹁略奪者、と呼ばれる理由がよくわかるわ⋮。お話になりません。
もうどこかへ行きなさい﹂
野良犬を追い払うように、シッシとアメリアさんが左手を振ると、
ガブリエルはうなり声を上げて今にも飛び掛からん姿勢を作った。
エイミーが怖くなったのかアメリアの後ろに隠れて、健気にも杖
を構えたので、アメリアさんも杖をゆっくりと取り出す。
︱︱︱受験者の皆様、闘技場へ出てください
タイミングよく風魔法で声を拡張するアナウンスが入った。
二人は睨み合ったまま、戦闘態勢を解いた。ガブリエルは大きく
1077
舌打ちをし、威嚇するようにオレたちの横を通りすぎると、闘技場
へと出て行った。
﹁何なのあいつ!﹂
真っ先に文句を言ったのはサツキだ。
﹁だーれがガブル家の息子とエイミーを結婚させるもんですか!﹂
﹁サツキ、落ち着きなさい。今は試験に集中を﹂
たしな
アメリアさんが窘めると、サツキはすぐに気持ちを切り替えたの
か、キッと会場を睨んだ。
﹁よし、行くぜ!﹂
オレはひとまず気合いを入れるために叫んだ。
それに呼応して他のメンバーが各々声を上げ、会場へと向かった。
○
直径が三百メートルほどあるバカでかい闘技場には、見渡す限り
のゴーレムがいる。赤、茶、青、白、うじゃうじゃと数え切れない
ほどのゴーレムがひしめき合っていて、中心部には五メートルほど
あるゴーレムが二十体、黒光りする硬そうな体躯を揺らしていた。
なんだろう、蟻の巣みてえだな⋮。
ゴーレムは一体の大きさが一メートル五十センチほど。ガルガイ
ンのクソヒゲと同じぐらいの体格だ。それがざっと見て万単位でい
1078
やがる。
色別になっているのは属性が別れているからだろうか。
闘技場の壁から三メートルの地面に白線が引いてあり、そこから
先へはゴーレムが侵入できないよう妨害魔法が仕掛けてあるみてえ
だ。白線と壁の内側が安全地帯ってわけか。なるほどな。
されます。
の魔法を付与され
計数
カウント
計数
カウント
クソ狼人、ガブリエル・ガブルはすでに距離を取って三十メート
ルほど離れた場所にいる。
︱︱︱受験者の皆様は門を通った時点で
ました。
︱︱︱倒したゴーレムの数、強さが自動で
︱︱︱強力なゴーレムほど高得点です。
︱︱︱他受験者への攻撃は冒険者証明書の永久剥奪になります。
︱︱︱制限時間は十五分です。
︱︱︱5!
︱︱︱4!
うおおっ! まじですぐ始まりやがるんだな!
﹁おいみんな、気合い入れてけよ!﹂
﹁誰に向かって言ってるのよ﹂
﹁俺が勝ったらおめえが破産するぐれえ酒おごってもらうぜ﹂
1079
サツキが相変わらず強気の返事をし、ガルガインがペッとてめえ
の両手にツバを吐いてアイアンハンマーを握りしめる。
︱︱︱3!
﹁がんばろうね!﹂
﹁戦いの神パリオポテスよ! 麗しのエリィ嬢よ! 我に力をッ!﹂
エイミーとテンメイが闘杖術用の杖を構えて前傾姿勢になる。
︱︱︱2!
﹁ふっ、行くわよ﹂
アメリアさんが不敵に笑って杖をゆっくりと構え、上着を脱いだ。
︱︱︱1!
うおっしゃあああああああああ!
やったるぜえええ!
︱︱︱開始っ!!!!!!
1080
﹁
爆発
火蛇
!﹂
!﹂
!﹂
ファイアスネーク
﹁
土槍
サンドニードル
エクスプロージョン
﹁
オレが唱えた
が十匹前方へ飛んでいき、狙い通り火が効
ファイアスネーク
火蛇
きづらい土属性らしきゴーレムをよけてぶち当たり、アメリアさん
豹の眼
レパードアイ
﹂
でゴーレムを十体ほど吹っ
で丸ごと焼き払い、ガ
エクスプロージョン
爆発
土槍
サンドニードル
が気を遣ってくれたのかその後方を
ルガインが相当の魔力を込めた
飛ばす。
﹁遙か古代から脈づく獣の血よ蘇れ⋮⋮
トルネード
竜巻
!﹂
!﹂
シャークファング
鮫牙
トルネード
竜巻
レパ
でゴーレム達を
豹
﹁渦巻く空の粒子よ。気まぐれな運び屋よ。形をとりて我が前へ姿
を現せ⋮⋮
﹁水に潜む邪悪なる牙よ、敵を穿て⋮⋮
を唱え、サツキが強力な空魔法中級
少し遅れて、エイミーが動体視力を格段に上げる木魔法中級
ードアイ
の眼
百体ほど巻き上げて粉々に砕き、テンメイが水の上級魔法で十数体
を吹っ飛ばした。
エイミーとサツキが上位中級魔法を使いこなしててやべえ。
エイミーは魔力量が化け物並みにあるから補助魔法をかけて攻撃
魔法を連発する作戦だろう。サツキの魔力量も優秀だがエイミーほ
どじゃねえ。おいそれと上位中級は連発できねえだろう。それでも
上位中級が使えるだけすげえ。
﹁全員身体強化! 跳びなさい!﹂
なんだっ!?
1081
アメリアさんの指示通り、全身強化をかけて思い切り跳んだ。
︱︱︱バキキキキキキキッ
︱︱︱︱!!!!!?
なんじゃこりゃあ!!
闘技場の地面、五十メートル四方が突如として氷付けになり、ゴ
ーレム達が数百体、氷のオブジェと化した。
逃げ遅れた受験者たちのほとんどが腰の辺りまで分厚い氷で覆わ
れ、地面と同化しそうになって、あわてて火魔法で氷を溶かして脱
出を試みる。
足が滑らないように着地して魔法の発生源を見ると、ガブリエル・
ガブルが獰猛に笑い、杖を構えていた。
この威力は間違いなく上位の﹁氷﹂中級魔法、広範囲型。
やべえよおい。初めて見たぜ。
つーかぜってーオレ達を巻き込もうとしただろ!
地面爆発
の広範囲型魔法ッ!
!!﹂
グランドプロージョン
狙ってなくて、うっかり巻きぞいならルール違反にならないって
か?!
﹁地を這う咆吼を⋮⋮
爆発
エクスプロージョン
うおおおおおおおおおおお!
炎魔法中級
しかも絶妙な威力調整で氷を爆砕して溶かし、他の受験者に被害
が出ない!
1082
足元の氷ほとんど溶けてるじゃねえか!
アメリアさんすごっ! すごーっ!
いつかオレも習得してみせる!
﹁気にせずゴーレムを倒しなさい!﹂
アメリアさんが凛とした声を張り上げると、ガブリエル・ガブル
は苦虫を潰したような表情になり、そのまま闘技場の中心へと斧を
振り回しながら突き進んでいく。
オレとガルガインのタコナスは身体強化をしてゴーレムの群れに
突っ込んだ。
バスタードソードでゴーレムを刺突し、なぎ払い、懐に入り込ま
れたら拳でぶん殴る。そこらじゅうで魔法が飛び交い、詠唱の声が
聞こえ、気合いの咆吼が遠くから聞こえる。流れてくる魔法にも気
を遣いながら、ゴーレムをぶっ壊しまくった。
ゴーレムは動きが遅いものの、体当たりやパンチを繰り出してき
て、殴られると結構いてえ。囲まれると防御一辺倒になるから上手
く移動して立ち回る。
﹁こんちくしょうッ﹂
思わず叫んじまった。
調子に乗って中心部へ進みすぎた。明らかに土ではなく鉱物で作
られたゴーレムが混じっていて、そいつらがクッソ硬い。
﹁ガアアアアアアアアア﹂
ブルーの鉄製ゴーレムがオレに体当たりを食らわしてくる。
1083
全身強化
下の中
下の中
でバスタードソードを体の前に構えて受け止
だと歯が立たねえ。
めると、スピードと重量で五メートルほど吹っ飛ばされた。
クッソ。
身体強化
すぐに体勢を立て直し、近くにいた雑魚ゴーレムをバスタードソ
!!!﹂
ファイアランス
火槍
ファイアランス
火槍
が矢の形状になって赤々と燃
は一点集中型の
ードで真っ二つにして、ベルトに差していた杖を取り出す。
﹁
が複数遠隔型とすれば
ファイアスネーク
火蛇
身体強化を解除してすぐさま魔法を発動。
得意の
火槍
ファイアランス
攻撃魔法だ。現状、オレが使える最強魔法。
限界まで魔力を練り込んだ
え、ブルーの鉄製ゴーレムにぶち当たり、胴体を貫いた。
うっし!
この辺よりちょい手前ぐらいの位置がベストポジションだな。鉱
物系ゴーレムが下位上級魔法で倒せるレベルだとわかったから、そ
いつを倒しつつ雑魚で数稼ぎだ。やっぱ鉱物系ゴーレムくらいは倒
せねえとCランクは無理だろう。
ガルガインのボケチンもオレと同じような位置取りをして、二十
メートルほど横で戦っている。
左後方にいるテンメイもなんとかやれているようだ。
憤怒の形相で敵を倒しながら、何を思うのか十秒に一回ぐらい恍
惚とした表情になり、カメラがないことを忘れて背中に両手を伸ば
してがっかりしていた。ありゃ職業病だな。
1084
オレとガルガイン、テンメイが壁から五十メートル進んだ地点で
戦い、エイミーがオレ達より二十メートルほど奥。サツキはさらに
その二十メートル奥で戦っている。
壁から百メートルより先は、どうやら次元が違うらしい。
使用されている魔力の波動がとにかく強力でやべえ。バンバン上
位魔法が唱えられているようで、一瞬ではあるが、ゼノ・セラーと
かいう神官オンナ男が黒い球体を両手から出して、中心部にいるク
ッソ強そうな五メートルのゴーレムを一瞬で消した。冗談とかじゃ
なくて、五メートルあるゴーレムが黒い球体に吸い込まれるように
して消えていった。
黒魔法の重力系?
それにしちゃ威力が尋常じゃねえ。
つっても黒魔法はそもそも使える奴が少ねえから、魔法の数や威
力が明確になっていない部分が多々ある。つーか遠すぎて何が起こ
あれはガチでやべえ
ってことぐら
っているのかいまいちわからねえし、観察している暇もねえ。
とりあえずいま言える事は
いだ。
﹁うらぁ!﹂
﹁ふんッ!﹂
気づけばガルガインのボケナスが近くに来ていた。
オレを見つけると、アイアンハンマーで敵を屠りながらこっちに
近づいてきて、話しかけてくる。
﹁何匹倒したんだ!?﹂
﹁わからねえ!﹂
﹁俺もだ!﹂
1085
火槍
を発動。緑色の鉱物ゴー
ファイアランス
バスタードソードを片手持ちして雑魚ゴーレムの攻撃をいなし、
杖を取り出し身体強化を解除して
レムに着弾して真っ赤に燃え上がる。
﹁ぬりゃあ!﹂
ガルガインが身体強化したまま遠心力を利用して鉱物系ゴーレム
をぶっ叩くと、アイアンハンマーがめり込んで、ゴーレムの体がひ
下の中
でも鉱物系ゴーレムを
しゃげる。倒れたところにもう一発追加をお見舞いすると、ゴーレ
ムが粉砕された。
アイアンハンマーなら身体強化
破壊できるみてえだ。バスタードソードだと無理だな。
つーか強引にもほどがある。
まあぶっ倒せばいいわけだから何でもいいちゃいいんだが。
時間いっぱいまでオレとガルガインは近くでゴーレムを破壊しま
くった。
十五分の制限時間はなげえかもな、と思っていたが、戦っている
とあっという間だ。
︱︱︱試験終了です。ウエポンと杖を下ろしてください。
風魔法で拡声されたアナウンスが闘技場に響き渡り、二次試験が
終了となった。試験終了と同時にゴーレムの動きが止まり、あれだ
け騒がしかったコロッセオが静かになる。
サツキとエイミー、テンメイ、アメリアさんがこちらに集まって
1086
きたので、お互いの奮戦を労い、冒険者協会へと移動した。
○
冒険者協会へ戻ると、魔闘会のお祭り騒ぎばりに野次馬が集まっ
ていた。協会の人間が怒声を上げながら人員整理をしてようやく中
に入れる道ができるほどだ。
三次試験が終わると成績発表があるからな。野次馬連中の賭け券
を見る目が血走っている。
三次試験は指名を受けたメンバーだけ現役冒険者と一対一の戦闘
をすることになっている。呼ばれたのはゼノ・セラー、ガブリエル・
ガブル、エリクス・サウザント、アメリアさんの四人だ。この時点
で四名が上位得点者であることは間違いない。
この個別戦闘は誰も見ることができない。技の秘匿が主な理由だ。
クソ狼人ガブル、エリクス・サウザント、アメリアさんが終わり、
ゼノ・セラーが試験会場へ入っていく。すると、三十秒もしないう
ちに神官オンナ男が涼しい顔をして出てきた。
出てくんのはやくね? 緊張して便所か?
﹁便所ならあっちだ﹂
親切で教えてやると、ゼノ・セラーはにこにこと笑顔のまま会釈
をして、付き人らしきメンツのところへと移動する。
なんだあ? なんか癪に障るな、あいつ。
あと異様なまでの胡散臭さを感じるのは気のせいか?
1087
﹁で、どうだったよ?﹂
結果発表をカウンターの前で待っているサツキに質問した。
サツキは自信ありげに胸を張ると、背中に垂れていたポニーテー
ルを片手で持ち上げて、右肩に乗せる。髪が長いからできる芸当だ
な。
﹁壁際から百メートル付近まで行けたから期待していいと思う。そ
ういうスルメはどうだったのよ﹂
﹁オレは余裕だ。余裕﹂
﹁そんなこと言ってCランクになれてなかったら怒るわよ﹂
﹁大丈夫だ﹂
﹁⋮心配だけど信じるわ。あなたって何だか土壇場で強そうだもん
ね﹂
﹁あたりめーだろ。男が大丈夫って言ってんだ。大丈夫なんだよ﹂
﹁何それ。根拠が全然ないんだけど﹂
﹁そんなもんだ﹂
﹁どんなもんよ﹂
﹁男に二言はねえってことだよ﹂
﹁スパイシィィィイ!!﹂
突然、テンメイがオレとサツキに向けてカメラのシャッターを切
った。
﹁なんだよ急に! 心臓にわりいな!﹂
つい
なんだよ﹂
﹁ああ、申し訳ない。ついね﹂
﹁どう
﹁いやあ何ていうのかな。唐突に婉美の神クノーレリルが微笑みを
分けてくれたかのような、かけがえのない温かさを感じたんだ。あ、
1088
いや、その表現では誤解を生んでしまう。恋慕の神ベビールビルが
朝ぼらけのなか湯浴みをし、それを嫉妬の神ティランシルが覗き見
て暗い情念を憶えるが最後は契りの神ディアゴイスに諫められて改
心するようなそんな心情になった︱︱﹂
﹁だあああっ! うるせえよ耳元でピーチクパーチク!﹂
﹁これでもだいぶ噛み砕いているんだけど?﹂
﹁わかるかっ!﹂
﹁スルメ⋮テンメイ君のそれに付き合っていると疲れるだけよ﹂
﹁ああ、ちげえねえ⋮﹂
﹁君たち、ちょっとひどくないかいその言い方は?!﹂
﹁みんな、結果発表が来たよっ﹂
エイミーがオレ達の肩を叩いて冒険者協会のカウンター上を指さ
す。
協会の職員が二人がかりででかい用紙を持ってきて、脚立に上っ
て順位表を貼り付ける。
﹁さあさあ皆さまご覧あれ! 第402回グレイフナー王国首都グ
レイフナー冒険者協会定期試験の結果発表がついにきたぁ! さあ
一位はどいつだ! 賭け券はハズレても投げないようにお願いしま
ぁす!!﹂
︱︱︱バンバンバンバンッ
賭け屋のハリセンが建物中に響き、否が応でも期待が高まる。
高額を賭けたであろう連中が両目をかっぴらいて、順位表を見つ
める。受験者が生唾を飲み込み、自分の点数と順位を確認しようと
見やすい位置へ移動した。
オレ、ガルガイン、サツキ、エイミー、テンメイ、アメリアさん、
1089
沿海州出身で現役シールドのジョン・ボーンも加わり、全員で結果
表を見つめた。
=============================
冒険者協会定期試験
︵グレイフナー王国首都グレイフナー・第402回︶
参加人数389名
Sランク︵1000∼980点︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
1位 ゼノ・セラー 995点
Aランク︵979∼750点︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
2位 ガブリエル・ガブル︵冷氷のガブリエル︶883点
3位 アメリア・ゴールデン︵爆炎のアメリア︶879点
4位 エリクス・サウザント︵白光のエリクス︶876点
5位 ロー・マウンテン︵木盾のロー︶801点
6位 ササラ・ササイランサ︵シールド第一師団︶796点
7位 イッチー・モッツ︵巨木のイッチー︶792点
8位 ターキー・ワイルド︵情熱のターキー︶788点
9位 センティア・ライスフィールド 780点
10位 ラッキー・ストライク︵幸運のラッキー︶777点
11位 ヴァイオレット・サークレット 758点
12位 ジョン・ボーン︵シールド第二師団︶756点
1090
Bランク︵749∼650点︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
13位 ・・・・・・・・・・・・・・・・
14位 ・・・・・・・・・・・・・・・・
・
・
・
30位 サツキ・ヤナギハラ︵グレイフナー魔法学校首席︶652点
Cランク︵649∼500点︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
31位 ・・・・・・・・・・・・・・・・
32位 ・・・・・・・・・・・・・・・・
・
・
・
40位 エイミー・ゴールデン︵Eimy専属モデル︶592点
・
・
・
55位 ガルガイン・ガガ 550点
55位 ワンズ・ワイルド︵スルメ︶550点
・
・
・
・
・
76位 テンメイ・カニヨーン︵Eimy専属カメラマン︶500点
1091
Dランク︵499∼400点︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
77位 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
78位 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・
・
・
118位 ベスケ・シルバー︵ヅラ︶ 401点
=============================
うおおおおおおおっ!
全員Cランク以上達成ッ!
﹁一位はなんんんんと! 995点! ゼノ・セラー! さあ賭け
た奴ぁいるかぁっ!﹂
賭け屋が腕の血管が切れんばかりにハリセンでテーブルをぶっ叩
く。
やべえええええええええええええええええええ。
995点だと!?!?
現役時代のアメリアさんでも910点が最高ってさっき聞いたけ
ど、それより上ってことか!?
あいつまじで何者だよ!
やべえ。ぜってーやべえ奴だよあいつ。
つーか落雷魔法がどうちゃらこうちゃら聞いてきやがったけど、
リアルに複合魔法を探してんのか? 1092
﹁995てんッ!?!?!?!﹂
﹁俺の五百万ロンを返せーーーーーっ!﹂
﹁ふざけんなぁ!!﹂
﹁うちのパーティーにスカウトしろっ。早く!﹂
ぎゃーぎゃーと野次馬から悲鳴が上がり、賭け券が宙を舞う。
肝心のゼノ・セラーはどこを探してもおらず、騒ぎを嫌って消え
たらしい。
鯨飲馬食する重力珠
グラビティジュエル
って誰も知らねえやべえ重力
さっきアメリアさんに聞いた話だと、ゼノ・セラーは二次試験中
に黒魔法上級
魔法を使ったらしい。上位上級って言ったら、一発で一日分の魔力
を消費するほど強力な魔法がほとんどで、乱戦の中で唱えるには詠
唱が困難なものばかりだ。無詠唱なんてほぼ不可能で、アメリアさ
んですら、魔力を練る時間と詠唱時間を入れて一分はかかるらしい。
それをあのオンナ男はものの十秒でドカン、だそうだ。
セラーと名が付いてあの強さ。おそらく、というか十中八九、セ
ラー神国の回し者で、身分が相当上にある人物だと予想されんな。
信者のような奴らが十人ほどゼノ・セラーの周囲を取り巻いていた
から間違いないだろう。
一応、アメリアさんに﹁落雷魔法を使える少女の噂を聞いたこと
があるか﹂という質問をされたことをさっき伝えておいた。すげえ
眉間に皺を寄せてたな⋮。
﹁見て見てみんな! 全員Cランクだよっ。サツキはBランク! よかったぁ∼﹂
そんなことを一瞬考えていると、エイミーに肩を叩かれた。彼女
は全員の成績を見て嬉しそうに飛び跳ねている。
1093
相変わらず美人っぽくない行動をする奴だ。まったくいつでも︱
︱︱
︱︱︱︱!?
︱︱︱︱ばいんばいん
︱︱︱︱!!!!!!???
な、なにかが胸のあたりでばいんばいん荒ぶってやがる。
エイミーが飛び跳ねるたびに、その二つの何かが重力に対抗して
クッソ揺れるじゃねえか。アレこそ本当の化け物かもしれねえ⋮。
クッソ、両目が吸い寄せられるぜ。
サツキがこっちを睨んでいるのは気のせい、ってことにしておこ
う。
﹁おおおおおっ! 戦いの神パリオポテスよ! 契りの神ディアゴ
イスよ! 神は我をお見捨てにならなかった! まさに奇跡ッ! これを奇跡と呼ばずして何と呼ぶんだっ。500点のギリギリ合格
ライン滑り込みセーフ! 麗しのエリィ嬢の思し召しとしか思えな
い! テンメイ・カニヨーン、今ここにCランクになったことを宣
言するぅ!!﹂
テンメイが喜びのあまりバカでけえ声でピーチクパーチク言って、
全員と抱き合っている。エイミーと抱き合ったとき鼻血を大量出血
させて死にかけていた。アホだ。
1094
にしても嬉しいぜ!!
つーかテンメイまじでギリギリすぎだろぉ!
金の玉がヒュンってなったわまじで!
﹁エリィ救出隊、全員Cランク以上達成だぜッ﹂
﹁うおっしゃあ! スルメと同じ点数なのが不満だがな、ペッ!﹂
﹁待っててねエリィ﹂
﹁私が⋮⋮Bランク⋮﹂
﹁エエエェェェェェェェェクセレントッ!!!﹂
オレたちは両手が赤くなるまでハイタッチをし、お互いを褒め称
え、これから始まるであろうオアシス・ジェラへの冒険に向けて激
励し合う。後ろではアメリアさんが満足そうにうなずき、優しい眼
差しで拍手を送ってくれていた。
長かった地獄の訓練が今日をもって終了したんだ、とオレは思い、
最後に言っておかなけりゃならない事案について叫んだ。
﹁せっかく修正した名前の横にスルメって付け足した奴ぁ誰だ! ご丁寧に括弧までついてるじゃねえかよ! 括弧スルメって何だよ
括弧スルメって! オレはあのあだ名を認めた覚えはねえからな、
まじでええええっ!﹂
メンバー全員が目を背けた。
1095
っざけんなよ!
○
冒険者協会定期試験をクリアしたオレたちは、三日の準備期間を
アメリアさんにもらい、装備やらを調えて、オアシス・ジェラへと
向かうための馬車へ乗り込んだ。
家の連中に激励のため散々酒を飲まされて、ちょい二日酔いだ。
オヤジはオレがCランクになったことをやたら喜んでいたな。あ
とはアメリアさんの点数をいつか越えると息巻いていたが、オヤジ
が8位で788点ってのに対し、アメリアさんは3位で879点だ。
よほど強くならねえと越えられねえ。まあオレも最終目標はアメリ
アさんに勝って、誰よりも強くなることだ。気持ちはわかる。
オアシス・ジェラ到着まで一ヶ月を予定している。
首都グレイフナーを出て西に進み、﹃青湖﹄を渡って﹃湖の国メ
ソッド﹄へ入国。さらに西進して難関の﹃旧街道﹄を踏破し、﹃砂
漠の国サンディ﹄を南下して、ようやくオアシス・ジェラに到着す
る。
メンバーは、オレ、ガルガイン、エイミー、サツキ、テンメイ、
アメリアさん、ジョン・ボーンの七名だ。
Aランクが二人、Bランクが一人いるから道中の魔物は問題なく
対処できるだろう。それこそボーンリザードみてえな化け物クラス
の魔物が現れなけりゃな。
こう言っちゃ何だが、冒険ってわくわくするよな。
1096
エリィ・ゴールデンの驚く顔が早く見たいぜ。
ジョン・ボーンが御者をする馬車は、アメリアさんが結構な金を
かけて用意させたもんだ。揺れが少なく、スピードが出る。七人分
の荷物と食糧を積んで、全員が乗っても余裕がある大きさだ。
何事もなく順調に首都グレイフナーから西へ二日進んだ。しかし、
国境を越えるあたりで、異変が起きた。
馬を休憩させ外に出て体をほぐしていると、エイミーが血相を変
えて馬車から出て、オレとガルガインの肩を叩く。
﹁た、た、樽が動いてるよ!﹂
﹁ああん? んなわけ⋮⋮まじだな﹂
エイミーが幽霊を見たようなびびった顔で言ってきたので、馬車
に積んであった樽の一つをガルガインと見ると、確かに不自然にガ
タガタと動いていた。
﹁なんで動いてんだ?﹂
﹁魔物が入り込んだのかもしれねえ⋮⋮ぶっ壊そう。ペッ﹂
﹁変なの出てこないよね?﹂
﹁エイミー、おめえびびりすぎだろ﹂
完全にへっぴり腰になっているエイミーは美人が台無しだ。
﹁私、聞いたことがあるの。ユキムラ・セキノの伝記で、馬車に入
っていた樽が突然動き出して、中に入っていた凶悪なスライムが馬
車ごと御者を飲み込むってお話。スライムが巨大化してしまい、退
治するのに一週間かかったんだって⋮⋮﹂
﹁まじ?﹂
1097
﹁スライム⋮ペッ﹂
﹁スルメ君、ガルガイン君、気をつけて﹂
ガルガインと目配せをしてゆっくり馬車に足をかけ、
下の中
のパワーで身体強化し、揺れている樽を持ち上げた。大した重さじ
ゃねえ。ガルガインは杖をポケットから引き抜き、いつでも魔法が
使えるように樽へと照準を合わせている。
﹁ゆっくり移動するぞ﹂
﹁⋮⋮ペッ﹂
樽を睨んだまま首肯したガルガインを確認して、野外へと運び、
樽をそっと道の真ん中に置いた。
てめえは
サンドボール
サンドボール
だ﹂
を同時にぶっ放した。
フ
何事かと集まってくるメンバーに、エイミーが事情を説明する。
ファイヤーボール
その間にも樽はガタガタと不規則に揺れている。
﹁オレは
﹁わかった﹂
と
樽から距離を取り、オレとガルガインは杖を構え、下位中級
ァイヤーボール
︱︱︱ゴオオオオッ
︱︱︱バガァン
︱︱︱ぎゃああああああああああああっ!!!
1098
火のかたまりと土のかたまりがぶち当たって樽を粉々にし、中に
入っている生物らしき何かにダメージを負わせ、悲鳴が上がった。
その生物はスライムでも魔物でもなく、不格好に尻を押さえて飛
び跳ねている。
﹁あああ熱いぃぃい一体何が起きたんだぁ! 天変地異っ?!﹂
その生物はキザったらしく尻をさすりながら、うざったく髪をか
き上げて、うっとおしくズビシィッとポーズを取る、亜麻クソだっ
た。
なんで樽ん中に亜麻クソがいるんだよ⋮⋮⋮。
メンバー全員が呆然として視線を亜麻クソに集中させると、あい
つは尻を片手で押さえながら高らかに笑った。
﹁はーっはっはっはっはっは! 諸君! 国境を越えるまで我慢し
ているつもりだったんだけどね、この僕を旅のメンバーに加えない
なんてありえないことだよ! さあつるっぱげで色黒の御者の君っ。
早く出発したまえ﹂
﹁亜麻クソてめえどうしてここにいるんだよ!?﹂
﹁どうしてって決まっているじゃあないか。エリィ・ゴールデン嬢
を助けに行くんだろう?﹂
﹁だーかーらぁーっ。どうしててめえがエリィ救出隊のパーティー
に潜り込んでんだって聞いてんだよ!﹂
﹁はーっはっはっはっはっは! スルメ君、それは僕がリーダーだ
からに決まっているだろう! なんだいもう忘れてしまったのかい
1099
?﹂
﹁誰がスルメだよ誰がッ﹂
﹁君のあだ名だろう?﹂
﹁てめえにスルメって言われんのが一番腹が立つんだよ! つーか
どこのどいつがリーダーなんだよ、ああん!?﹂
﹁僕に決まっているだろう。合宿班でも僕がリーダーだったじゃな
いか﹂
﹁これは遊びじゃねえんだよ! 冒険者Cランク以上じゃないとメ
ンバーに参加できない過酷な旅なのぉ!﹂
﹁う゛っ⋮⋮⋮﹂
亜麻クソはてめえがEランクだということを思い出し、気まずそ
うに一歩下がる。
﹁わかったら帰れっ。とっとと帰れっ﹂
﹁ふふふっ⋮⋮⋮⋮はーっはっはっはっはっはっはっはっは!﹂
﹁何だようるせえな﹂
﹁今はEランクだが来年Cランクになる予定だ! 僕はランクの前
借り制度をいまここで発動させることを宣言する!﹂
﹁はあああああああっ!? 寝言は寝て言え!﹂
﹁もう手遅れだよスルメ君。このぶぉくが前借り制度を宣言してし
まったからね⋮﹂
ふっ、ふっ、と前髪に息を吹きかけて自分の発言に酔いしれ、身
もだえする亜麻クソ。
⋮⋮⋮ぶん殴っていいか?
﹁よし。よーくわかった﹂
﹁ふっ⋮⋮やっと理解してくれたみたいだね⋮﹂
﹁とりあえず一発殴らせろ﹂
1100
﹁なはぁっ! どうしてそうなるんだい!?﹂
﹁意味はねえ。ただむかついたからだ﹂
﹁ふふふっ、このぶぉくを簡単に殴れると思っているのかい?﹂
片足を上げ、左手を額に当て、右手に杖を持って、右腕を地面と
ドバピュウウン
という感じで決まる。
水平に後方へと亜麻クソは上げた。キザの代名詞みてえなうっとお
しポーズが
よし、ガチで殴ろう。
﹁身体強化ッ!!﹂
﹁なはぁっ! スルメ君それは反則じゃあないかな?!﹂
﹁っるせえっっ!﹂
オレが地面思い切り蹴って前方へダッシュしようとすると、オレ
と亜麻クソの真ん中あたりの空気が大爆発を起こした。とんでもね
え爆風に、オレと亜麻クソはおもちゃみてえに吹っ飛ばされて、地
面を三メートル転がった。
﹁おやめなさい﹂
アメリアさんが冷たい表情でこちらを見ていた。
やべえ⋮⋮あれはぜってえ怒っているときの顔だ。
オレは素早く立ち上がり、駆け足でアメリアさんの前に直立した。
本能的にアメリアさんは怒らせたらやべえ人だと察したのか、亜麻
クソも猛ダッシュしてオレの隣に直立し、冷や汗を流しながら無駄
に敬礼を三回する。
﹁わたくしはエリィ・ゴールデンの母、アメリア・ゴールデンと申
1101
します。亜麻クソ君⋮⋮と言ったわね?﹂
﹁イエスマムッ!﹂
ズビシィッ、と敬礼をする亜麻クソ。
﹁あなたもエリィのために、私たちと一緒に行きたいのかしら﹂
﹁当然だ! なんたって僕は合宿班のリーダーだからね﹂
﹁⋮⋮死ぬかもしれないけど、いいのかしら﹂
﹁なはぁっ!﹂
﹁旧街道には強力な魔物が数多く生息しているわ。遭遇せずに抜け
る、という幸運はまず起きないでしょうね﹂
﹁きゅ、旧街道だって?! なんだってそんな危険なルートを?﹂
﹁近いからよ﹂
﹁な、なるほど⋮それでランクC以上でないと参加できないと⋮⋮﹂
﹁そういうこった。ペッ﹂
様子を見ていたガルガインが腕を組んだままツバを吐く。
﹁帰るなら国境を越えていない今しかないわ。あなたがどうしたい
のか聞かせてちょうだい﹂
﹁ぼ、ぼくは⋮⋮﹂
亜麻クソは猛禽類のようなアメリアさんの本気の睨みを受け、威
圧感からか両手をぶるぶると震わせる。
覚悟がない者がアメリアさんの威圧を受けると、完全に萎縮して
言葉が出なくなる。旅の途中でエイミーやサツキにちょっかいを出
してきたゲスな男たちが、この目の犠牲になっていた。
だが何を思ったのか、顔を上げて亜麻クソはこう言った。
﹁死ぬなら死んだで構わない! 連れて行ってくれたまえ!﹂
1102
﹁はあっ? てめえまじで死ぬぞっ?﹂
﹁スルメ君、やはりリーダーが同行しないのは締まらないだろう。
ここは死ぬ覚悟で同行させてもらおうじゃあないか﹂
﹁だからいつてめえがリーダーになったんだよ﹂
﹁わかったわ亜麻クソ君。あなたの同行を認めましょう﹂
﹁は⋮⋮⋮⋮⋮はーっはっはっはっは! 望むところだよ!﹂
﹁なっ! まじで言ってんすかアメリアさん﹂
﹁ええ、本気よ。ただし条件が一つあります﹂
﹁なんだいエリィ嬢のお母上。何なりとお申し付けを⋮﹂
﹁旅の途中で一言でも根を上げたらその場で放り出します。いいわ
ね﹂
﹁はっはっはっは! そんなことならお安いご用さっ。アシル家の
人間として弱音なんて吐いたことがないよ!﹂
﹁ビシビシ指導するからそのつもりでいなさい﹂
オレ、ガルガイン、エイミー、サツキ、テンメイは思わず亜麻ク
ソから顔を背けた。
旅をしながら訓練なんて、考えただけでゲロを吐きそうになる。
亜麻クソ、ご愁傷様⋮⋮。
﹁お、おい君たちぃ⋮⋮なぜそんなに顔が青ざめているんだい⋮?﹂
﹁てめえは知らねえほうがいい⋮⋮いずれわかることだからな⋮⋮﹂
﹁ではみんな、出発するわよ! 準備を始めてちょうだい!﹂
﹁その前にひとつだけいいかい諸君!﹂
﹁なんだよ﹂
亜麻クソが偉そうに手を挙げたので、渋々振り返る。
1103
﹁樽の中で二日間トイレに行ってなかったんだ! トイレはどこだ
い?﹂
○
こうしてオレ達は亜麻クソというアホな同行者を加え、グレイフ
ナー王国から﹃湖の国メソッド﹄へ行くため﹃青湖﹄へと馬車を進
めていった。
1104
第19話 スルメの冒険・その4︵後書き︶
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
次回﹁第20話 イケメン砂漠のハーヒホーヘーヒホー﹂
明日投稿致します!
1105
第20話 イケメン砂漠のハーヒホーヘーヒホー
﹁ついに﹃ハーヒホーヘーヒホー﹄を見つけたぞい!﹂
﹂
電衝撃
インパルス
!﹂
ポカじいが喜色を顔に浮かべてノックもせず部屋に入って来た。
重力弾
グラビティバレット
﹁きゃああっ! ﹁
着替えの真っ最中だった俺とアリアナは、あらわになっている下
インパルス
電衝撃
と
を
グラビティバレット
重力弾
着姿を持っていた服で隠して、じいさんに向けて魔法を放った。
﹁むっ﹂
じいさんは咄嗟に身体強化したのか、
右手で受け止める。凄まじい破裂音と雷音が室内に響き、ドアが粉
々に吹き飛んだ。
﹁あいたたたた⋮痺れるのぉ。ってじじいを殺す気かっ!﹂
右手にふうふうと息を吹きかけながら抗議するじいさん。しかし
その目はパンツ姿のオレとアリアナの尻に釘付けだ。アリアナは狐
の尻尾で尻をできるだけ隠している。
﹁レディの部屋にノックなしで入らないでちょうだい!﹂
﹁スケベ、きらい⋮﹂
﹁うっ⋮⋮いやそんな事よりやっとこさ﹃ハーヒホーヘーヒホー﹄
を見つけたぞい!﹂
1106
﹁ええっ?! ほんとに?﹂
﹁もちろんじゃ﹂
﹁すごいわねポカじい! じゃあ着替えたら地下に行くわ!﹂
﹁いや、ここで待っているから、はよう着替えるんじゃ﹂
﹁わかったわ⋮⋮⋮ってどうしてここで待っているのよ。早く部屋
から出てちょうだい﹂
﹁うおっほん。弟子の成長をしっかりとこのまぶたに焼き付けてお
く必要があると思うのじゃ﹂
﹁へえ⋮それはどうしてよ?﹂
にっこりと笑って下着姿を隠しながら、じいさんの肩に優しく手
を置いた。
﹁二人とも素晴らしい尻に成長してくれた! エリィはなで回して
酒の肴にしたいほど美しく素直でぷりんとした魅力的な尻にっ。ア
デ
リアナは小さいながらも力強さと意志の強さを感じさせる可愛い尻
は最高峰の尻にして最高級品に育︱︱﹂
にっ。わしは尻ニストとして数々の尻を見てきたが、弟子の尻
シジリ
エレキトリック
︱︱︱電打!
﹁育ダダダダダダダダダダダダダダルビッシュYOUッ!!﹂
尻じじいは気持ち悪い痙攣をして、実験に失敗した科学者みたい
に髪が爆発し、日焼けサロンに行ったかのようにこんがりと焼けて
仰向けにぶっ倒れた。
アリアナが身体強化をして尻じいを担ぎ、窓の外へ放り投げる。
1107
﹁のぞきは⋮⋮めっ﹂
﹁スケベがなければいい師匠なのに﹂
﹁ほんとそう⋮﹂
﹁アリアナ、早く着替えましょう。﹃ハーヒホーヘーヒホー﹄の場
所がどこなのか気になるわ。ポカじいが嬉しそうにしていたから魔
改造施設も同時に見つかったのかもしれないしね﹂
﹁ん、そうだね⋮⋮﹂
○
着替え終わったあと、鏡で自分の姿を見てしばし時が止まった。
あまりに可愛くて、自分自身に見惚れてしまう。いや、元々はエ
リィの体だから別人でもあるんだが⋮。
そんなことより︱︱︱
﹁可愛すぎるわね⋮﹂
いや、可愛い、と一言で片付けられるレベルじゃねえ。
顔は魔力循環と修行の成果ですっかり肉が落ちて、手を広げると
楽々隠せるほど小顔になっており、ゴールデン家特有であるはっき
り二重の垂れ目が愛らしく瞬きをする。その清く澄んだサファイア
のような蒼玉の瞳はどこまでも続く海のようで、見る者を虜にし、
神秘的な幻惑にかけられたような気分にさせる。だが、よく見ると
両目がほんのちょっぴり、ほんの数ミリ離れていて、どこか親近感
1108
を感じさせると同時に、エリィの印象をより魅力あるものに変えて
いる。
人っていうのは完璧すぎる造形物を見ると近寄りがたくなるもの
だ。だがエリィの場合はキュートな目のおかげで、上手い具合に完
璧さが緩和されている。
瞳の下についている鼻は、しっかりと鼻筋が通っていて、全体的
に女性らしくふんわりと丸みをおびた曲線を描いている。エイミー
の鼻先と比べると丸みを帯びているためか、エイミーが正統派美女
に見え、エリィは優しさがこぼれ落ちるようなおっとり系の美少女
に見える、といったところか。
唇は桜色で比較的ふっくらとしており、笑うと白い歯が出迎えて
くれる。頬は夢から覚めた薔薇のように、ほんのりとピンクに染ま
っていた。
おそらく初見でエリィに会った人間は、はじめに瞳へ吸い寄せら
れてぼおっとした気分になり、次に神秘性を感じ、最後に親近感を
感じて優しい気持ちになるだろう。そう、エリィのサファイア色の
双眸と綺麗な顔は、神秘性と親近感を感じさせる。
日本にいた頃、数々の美女やイケメンを見てきた俺だが、エリィ
は見たことのない種類の顔をしている。唯一無二、と言っていいだ
ろう。
神がいたずらをしたとしか思えないほど、顔のパーツが絶妙なバ
ランスで配置されている。
清楚で清廉な顔に反して、胸は結構大きい。数々の女性のカップ
数を当ててきた﹃イケメン小橋川カップ数鑑定﹄によると、DとE
の間ぐらいの大きさだ。これ以上でかくなると動きづらくて困るん
1109
だが、これがまだ成長しそうな気配がして怖い。
腕と足は健康的に引き締まっている。日本基準で十人中九人が細
いと回答するだろう。雑誌モデルのように細すぎず、スポーツ選手
のように太すぎない。コゼットに作ってもったデニムのショートパ
ンツから伸びる美脚は、脚フェチからしたらまさに垂涎ものだろう。
太ももに触るとふにふにしていて気持ちいい。俺がもし、いま男の
体だったら膝枕を懇願するレベルだ。
絹糸のようなさらさらの金髪は、アリアナたっての希望で耳の横
で結ぶツインテールになっている。髪をしばる紐にはポカじいがく
れた青い魔力結晶の玉がついていた。魔力が枯渇した際に補充でき
る便利グッズで、アリアナが色違いの赤い魔力結晶の髪留めを持っ
ている。買うと一個一千万ロンほどするらしい。大きさはビー玉ぐ
らいだ。
鏡を見ながら、白の半袖シャツのボタンを、両手でしっかりと留
めた。
たったそれだけ、ボタンを締めるだけの所作なのに、洗練されて
いて美しい。指が真っ直ぐできれいだ。さすがお嬢。俺じゃこんな
動きは絶対にできない。
全身を確かめるように眺める。
虫も殺せない優しそうなお嬢様。神秘的で親近感の湧く顔に、ダ
イエットと修行により完璧になった未だ成長中の魅力的な肢体。
ごちゃごちゃと考えていたが、ビジネスマンらしくはっきりと結
論を言おう。
1110
めっちゃ可愛いいいいいいいいいいいい!!!!!!
何度言っても足りねえ。俺まじで仕事した! ほんと頑張った! エリィ見てるかーーっ!!
これが本来のお前なんだぞーーっ!
グレイフナーに戻ってみんなをびっくりさせてやろうぜ!
リッキー家のボブ! 縦巻きロールのスカーレット!
この姿を見てどんな顔をするかな?
ふふふ⋮⋮はっはっはっはっはっは!
楽しみすぎる! 楽しみすぎるっ!
つーかエリィのショートパンツは反則だな。
﹁エリィ、背、伸びた⋮?﹂
鏡の前でぼおっと立っていた俺を見て、アリアナがこてんと首を
かしげる。
我に返ってアリアナの方を向いた。
﹁あらほんと?﹂
﹁うん﹂
確かに言われてみれば背が伸びてるような気がするな。
アリアナが巻き尺を部屋の隅から持ってきて、尻尾をふりふりし
ながら背伸びをして身長を測ってくれる。
﹁161てん5﹂
﹁伸びてるわね﹂
1111
﹁そうだね⋮﹂
なんか全身が成長痛っぽいなーと考えて腕を組んでいると、私も
計ってよ、といった表情でアリアナがじいっとこちらを見てくる。
長い睫毛で上目遣いをされると、ほんと断れない。
もうやだこの生物。可愛すぎ。
にしてもアリアナもまじで変わったよな。
グレイフナーに帰っても、みんなアリアナだって気づかないんじ
ゃねえか?
黒みがかった茶髪が自然とウェーブし、胸のあたりまで伸びてい
る。狐耳の明るい茶色が、黒茶髪とほどよいコントラストになって
おり、後頭部より上で結んだポニーテールが高貴な可愛らしさを演
出していた。
反則なほど大きい目と、長い睫毛。
つんとした小ぶりで可愛い鼻。
おにぎりをぱくぱく食べるリスみたいに小さい口。
指導の甲斐あって、肉がつき、ストンと真っ直ぐでなく、斜めの
線を描くバランスのいい細い脚。
出会ったときは、げっそりと頬がこけていて、手足も病的なほど
細かった。風が吹けば吹き飛ばされそうだった。
それが今は、モデル級の細さとスタイル、健康さを手に入れ、お
まけに最近妙に勉強熱心なメイクのおかげでもはや別人。まじでや
ばい。全然小さい子の属性がない俺ですら、もうアリアナから目が
離せない。
グレイフナーに帰って学校の連中がどんな反応をするか楽しみす
1112
ぎる。
﹁エリィ?﹂
﹁ごめんなさいぼーっとしていたわ。背筋を伸ばしてちょうだい﹂
しゃがんで巻き尺の先端をつま先で押さえ、巻き尺を右手に持っ
たまま立ち上がってアリアナを計測する。
﹁155てん8⋮⋮あらっ?﹂
﹁んんん⋮﹂
﹁こら。ズルは駄目よ﹂
懸命に背伸びをしているアリアナの肩を押さえてしっかり直立さ
せ、再度計測する。
﹁150てん7﹂
﹁2ミリしか伸びてない⋮﹂
﹁2ミリも伸びてるじゃない!﹂
﹁エリィはずるい⋮﹂
ちなみにアリアナは、デニム地のサロペットスカートを着ていて、
インナーには胸元がレース生地になっている黒の半袖シャツを採用
している。サロペットスカートってのはオーバーオールとミニスカ
ートを合体させたような服だ。可愛さの中に誘惑する女らしさを追
求。短い丈のスカートから惜しげもなく細くて綺麗な両足が伸びて
いる。髪留めは赤い魔力結晶付きの物で、俺と色違いだ。尋常じゃ
なく可愛い。もはや狂ってる。おかしい。天地がひっくり返って太
陽が地面にぶつかって人類が絶滅するぐらい可愛い。いかん、自分
でも何言ってるのかわかんねえ。
1113
﹁あ、そういえばアリアナ。黒魔法中級
る?﹂
﹁なんで?﹂
チャーム
って今使え
を耐えられれば、他の
魅了せし者
魅了せし者
チャーム
﹁自分の精神力を試したいのよ﹂
いまこの状態で黒魔法中級
精神系の魔法攻撃にも耐えられる気がする。
﹁いいよ。いまやる⋮?﹂
﹁やってちょうだい﹂
﹁わかった﹂
チャーム
アリアナは魔力を高速循環させ、魅了せし者を詠唱する。
俺の目をじいっと見つめたまま、ゆっくりと右の人差し指を一回
転させた。
︱︱︱ほわわわん
あれ、何だか気持ちいい。そうか、俺はいま天国にいるんだっけ。
くそ、なんてことだ、目の前に一人の狐美少女天使がいる。しかも
こっちを見ている。ああ、それだけで満たされる。脳髄がしびれる。
目を離したくない。瞬きもしたくない。目が痛い。でも絶対目を離
さない。んんあああっ。なんて大きくて美しい瞳なんだ。
﹁エリィ⋮どう?﹂
これは⋮⋮神様の声?
そうか。俺はいま神の声をきいたんだ。腰が砕けそうになるほど
1114
かわいらし声じゃねえか。アリアナちゃんなんかしゃべって。もっ
と声をきかせてくれ。でないと発狂しちまいそうだ。早くしゃべっ
て早く早く早く。
﹁命令する⋮⋮私の耳を揉んで﹂
﹁待ってましたぁぁぁっ!﹂
もふもふもふもふもふ。
はああああああっ。なんて触り心地のよさ。狐耳最高ッ!
もうやめられない止まらないっ。こんなもふもふどこにもない。
ずっと一生こうしていたい。
あーーー異世界最高。狐耳最高。一家に一人アリアナの狐耳っ。
これが⋮⋮⋮⋮⋮⋮KOI⋮⋮⋮⋮?
ちがう⋮⋮これは⋮⋮⋮トキメキ。
そう⋮⋮⋮TOKIMEKI⋮⋮⋮。
﹁解除﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮はっ!!﹂
頭にかかっていたモヤが急に晴れた。
無言でアリアナと見つめ合い、しばし沈黙する。
デシジリ
窓の外に捨てられたポカじいが起き上がったのか﹁死ぬところだ
ったわい﹂とぼやく声が外から聞こえ、そして﹁しかし
は譲れんのお﹂とスケベな発言をして家に戻った。玄関のドアを
閉める音が家に響く。
アリアナが長い睫毛をぱちぱちさせた。
1115
﹁思い切り魔法にかかってたよ⋮﹂
﹁ああっ、なんてこと!﹂
ジーザス!
ぜんっぜん耐えるの無理じゃねえか!
あかん! これ絶対かかっちまう!
チャーム
魅了せし者
﹁エリィ、今ので何か掴めたかも⋮﹂
、黒魔法中級
テンプテーション
誘惑
﹁あ、オリジナル魔法ね﹂
﹁うん⋮﹂
黒魔法下級
は発動条件が厳
チャーム
魅了せし者
をかけ
しい。まず対象者と目を合わせていなければならず、加えて好感度
、
テンプテーション
誘惑
がある程度高くないと魔法にかからない。
なので、初対面で出会ってすぐ
ても、成功する確率はかなり低い。しかも戦闘中は使えない。じっ
と見つめるなんて暇は戦っている最中にあるはずねえからな。そも
そも敵対している時点で好感度が低いだろう。
アリアナはこの誘惑系の魔法をどうにかオリジナル魔法として昇
華させ、戦闘で運用できるものにしたいと前々から言っていた。
⋮⋮?﹂
恋
というふざけた名前の魔法にかかる姿は滑稽
トキメキ
﹁アリアナ。オリジナル魔法の名前は、恋と書いてトキメキにして
恋
トキメキ
ちょうだい﹂
﹁
屈強な強者が
で痛快だろう。見てみたい。それにアリアナっぽいしな。完成する
かわからないが、一個ぐらいラブコメみたいなギャグ魔法があって
もいいんじゃねえか。
1116
いやー、俺やっぱ天才だな。イエスマイドリームッ!
﹁じゃあ完成したら最初はエリィにかけるね⋮﹂
﹁はっ⋮⋮!﹂
恋
とかいうおふざけネーム魔法の第一犠牲者は俺じゃねえか!
トキメキ
ぎゃーーーーーーっ!! しまった!
なんてこったぁーーーーーーい。
とんでもねえ名前をアリアナに教えちまったっ。
訂正っ! 訂正を求むっ!
﹁やっぱり違う名前にしましょう!﹂
﹁ううん⋮⋮気に入った⋮。できそうな気がする⋮﹂
あかーーーん!
手遅れ! あとの祭り! 切れたパンツのゴム!
﹁楽しみにしててね﹂
そう言ってアリアナが嬉しそうに口角をあげて、こてんと首をか
しげた。
かわいい。両目がつぶれる。
よし。俺は俺によってネーミングされたラブコメ魔法を甘んじて
受けよう。
発言者は責任を取るべき。ビジネスマンとしても、責任の所在は
恋
が完成したあかつきには被験者第一号になろうじゃ
トキメキ
はっきりさせるべきじゃねえか。そうだな、そうだろうよ。
黒魔法
ねえか。
どんな魔法になるかは⋮⋮アリアナのみぞ知るってところだ。
1117
○
落雷魔法と重力魔法によって破壊されたドアから出て、俺たちは
ポカじいの待つ地下室へと向かった。
古ぼけた扉を開けると、復活したポカじいが水晶玉の前で瞑想し
ている。
俺とアリアナが入ってきたことに気づいたのか、目を開けた。
﹁きたか︱︱︱︱!!?﹂
くわっ、と音が鳴りそうなほどに目を見開いたポカじいは、俺た
ちの服装を見つめた。
﹁な、なんじゃその服は?﹂
﹁デニムショートパンツとデニムサロペットのミニスカートだけど
?﹂
﹁足がむき出しじゃぞ⋮⋮﹂
﹁いいでしょ﹂
﹁いい具合に尻の形がわかるのぅ﹂
﹁あまりじろじろ見ないでね﹂
﹁眼福じゃ⋮⋮⋮わしゃ生きててよかったわい﹂
﹁そうでしょうそうでしょう。こういう服をどんどん流行らせてい
くから、近い将来色んな女の子が着てくれると思うわよ﹂
﹁なんということじゃ! こんな砂漠のど田舎に住んでおる場合じ
ゃないのぅ!﹂
それから、このショートパンツとミニスカートがどれほど素晴ら
1118
しいものか力説する。本気のプレゼンばりの説明口調で、抑揚をつ
け、どのように流行させていくかをストーリー仕立てで進めると、
ポカじいがグレイフナーへの同行を本気で視野に入れ始めた。スケ
ベの力は偉大なり。
話が落ち着くと、ポカじいが水晶に魔力を込めた。
中の映像がゆっくりと動いていき、大きな砂丘を滑るように進ん
で日の当たらない日陰へとズームした。
映像はひっそりと群生している植物へフォーカスを当てる。
﹁これが﹃ハーヒホーヘーヒホー﹄じゃ﹂
﹁なんかあれね⋮⋮地味ね﹂
﹁地味⋮﹂
拳ほどの大きさと予想される茶色いしなびた草が、水晶に映し出
されていた。葉の形はその辺に生えているイネっぽい長細い雑草と
なんら変わりない。ただ、へにゃん、としなだれるやる気のなさが、
いかにもハーヒホーヘーヒホーだった。
ここに生えてるの面倒くさい⋮⋮そんな僕の名前はハーヒホーヘ
ーヒホー。なんでここにいるんだろう⋮⋮そんな僕の名前はハーヒ
ホーヘーヒホー。といった感じだ。
映像が左へと移動する。太陽の熱い陽射しがきらりと光ると、地
味なハーヒホーヘーヒホーに似合わない、大きな建造物が現れた。
丸みを帯びた立方体が砂漠の上へ不自然に鎮座しており、外壁は
すべて白。水晶が上昇して俯瞰すると、ロの字型の建物を中心にし
て、三つの長方形をした白い建造物が並んでいる。真ん中が空洞に
なったサイコロの周りに豆腐を三つ並べたみたいだ。
パッと見は美しい幻想的な景色に見えるが、よく観察すると外壁
1119
に窓が少なく、変な煙が上がる建物があって何やら不気味な印象を
受ける。
ビンゴ
じゃ。十二歳以下の子ども
﹁ポカじい、ひょっとしてこの建物が?﹂
﹁エリィの言葉を借りるなら
を魔法使いに仕立て上げる魔改造施設じゃな。﹃ハーヒホーヘーヒ
ホー﹄の加工工場も併設しておる﹂
﹁まあ! ここからどのぐらいの距離なのかしら﹂
下の中
で三時間ぐらいね﹂
﹁ざっと百五十キロぐらいじゃのう﹂
﹁身体強化
﹁途中、強力な魔物がおるじゃろうから三時間ではつかんじゃろう
な。しかも今回は子ども達を救出しなければならんから、護送用の
馬車が必要になるじゃろうて。それを考慮して計算すると、片道一
週間は見たほうがええじゃろう﹂
﹁じゃあ地図に場所を書いてジャンジャンとアグナスちゃんに知ら
せましょう。ちょうど冒険者協会定期試験でみんな集まっているだ
ろうし﹂
﹁そうじゃの﹂
ツナおにぎりを食べていたアリアナがジェラ周辺の地図を持って
きて、机に広げてくれる。ポカじいがペンで印をつけてくれたので、
地図を折りたたんでポケットにしまった。
﹁それで、子ども達は何人ぐらい捕まっているのかしら⋮?﹂
聞きたかった事を言葉にすると、エリィのせいなのか、心臓が大
きくドクンと一回跳ねた。おそらく、というか間違いなくエリィが
心配しているみたいだ。いつになく鼓動が速い。胸に両手を置いて
深呼吸をし、心を落ち着ける。
大丈夫だエリィ。俺が何とかしてやるから。
1120
﹁魔薬の投与をされていない子どもがざっと三十人ぐらいじゃな﹂
ポカじいがその先を言いづらそうに顔をしかめる。
﹁投与が完了して魔法訓練を受けている子どもが五十人ほどおる。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
を行使
全員、残念なことに黒魔法で洗脳されているようじゃ。最悪なこと
に使い手の魔法使いは、黒魔法上級
しておる﹂
﹁なっ⋮⋮⋮﹂
﹁黒魔法上級⋮⋮﹂
驚きのあまりアリアナがおにぎりを取り落としそうになる。
この前の話で出てきた精神作用系黒魔法の上級版。たしか、魔法
ならば精神の
が必要じゃ。エリィが
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
万能の光
を解除されない限り、使用者のいいなりになるんじゃなかったか?
﹁完全解除するには白魔法上級
新しく習得した浄化系・白魔法中級
改善が見られるやもしれん。精神作用系黒魔法は対象者の心が強か
ったり、人との強い繋がりがあったりと、精神を正常に繋ぎとめる
命綱のようなものがあればかかりづらく、解除しやすい﹂
﹁つまりは子どもたちが、帰りたいと強く願っていたり、待ってい
る家族がいれば、私の魔法でも解除できるってことなのかしら?﹂
﹁そうじゃな。人との繋がりは精神に多大な影響を及ぼすからのう﹂
﹁そういうこと⋮⋮孤児を狙っていたのは黒魔法への抵抗力の低さ
も考慮に入れていたのかもしれないわね。孤児は家族がいなくて人
との繋がりが希薄でしょうから⋮﹂
﹁人の心を弄んでる⋮﹂
アリアナがツナおにぎりを口に放り込んで憤った。
1121
や
はアンデッ
などの基礎魔法に回復
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
加護の光
白魔法は基礎魔法以外の魔法がほとんどなく、黒魔法のように何
再生の光
種類にも派生しない。
というのも、
と浄化の効果があるからだ。
ポカじいにお願いして憶えた浄化系
ド系魔物や精神汚染の浄化に特化していて、習得難易度は全魔法中
の最高峰クラス。使える人間は世界でもほんの一握りらしい。
浄化のイメージが難しいからだろうな。映画好きの俺としては、
CGで浄化する映像を見たことがあったからイメージは割と簡単だ
った。憶えるのはめっちゃ苦労したけど。
習得しようと決意したのは、子どもたちの精神が黒魔法や魔薬に
よって汚染されていた場合、即座に浄化できると思ったからだ。魔
法で癒されるならてっとり早くていい。つらい気持ちはすぐにでも
安らいだほうがいいに決まっている。この鋼の精神を持つ俺だって、
悲しい時間、辛い気持ちは短いことを望む。
聖光
ホーリー
と
純潔なる聖
ピュアリーホー
が特別な位置づけにあるようだ。
ちなみに回復に特化した派生系白魔法は存在しない。
どうやら浄化系魔法
加護の光
の精神汚染に白魔法
ならば対抗できる、と言ったのだろう。あと
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
の方が倍ぐらい、効果が出るそうだ。
に同じ魔力量を込めて、同じアンデッド魔物へ行使した場合、
ポカじいの話によると、白魔法中級
リー
光
ピュアリーホーリー
純潔なる聖光
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
なので、黒魔法上級
中級
は対象者の精神力次第だろうな。魔法が精神の根っこの部分までか
かっているようだと、解除が難しいので白魔法上級を使うしかなく、
1122
使用できるポカじい頼りになってしまう。
﹁こやつらの所業は人の行いではないのぅ﹂
ポカじいが目を細めて水晶玉を見つめると、映像がロの字型の建
物に寄っていき、四方を囲まれた中庭を映し出す。そこでは八十名
ほどの、小学生ぐらいから中学生ぐらいの子ども達が等間隔に並ば
され、壇上に立つ男の話へ耳を傾けていた。
男は顔の輪郭が真四角でぎょろ目。ほお骨が高く、エラが張って
おり、ごつごつとした印象を受ける。宣教師のような黒服を着てお
り、手には不気味なほど曲がった長さ一メートルの樫の杖が握られ
ていた。
﹁演説みたいね⋮。何を話しているのかしら﹂
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
を?﹂
﹁演説ではないぞエリィ。あれは黒魔法をかけておるのじゃ﹂
﹁え⋮⋮? じゃあ、あの男が
﹁どうやらあの禍々しい杖で魔力を増幅させておるようじゃ。嫌な
波動をあの杖から感じるのう﹂
﹁杖ってあんなに長いと魔法が発動しないんじゃない?﹂
﹁通常はそうじゃ。しかしあの杖は⋮⋮かなり古いアーティファク
トのようじゃな。失われし技術を使こうておるから、魔法を行使で
きるのじゃよ。使用している男の実力は黒魔法中級程度であろうが
杖の効果で底上げされておる﹂
﹁それでポカじい、子ども達は大丈夫なの?﹂
﹁みんな洗脳されておるのぅ⋮。発動条件が揃っておるから子ども
でアレを耐えるのはちぃと難しいじゃろうて﹂
﹁発動条件⋮?﹂
静かに水晶を見ていたアリアナがポカじいに聞く。
1123
﹁第一に目を見ている事、第二に声を聞いている事、第三に指定し
た魔法陣の中に入っている事、じゃ。ほれ、足元を見てみい﹂
砂漠の陽射しのせいで目立たないが、よく見るとうっすらと地面
が光っている。中庭全体に魔法陣が張り巡らされているようだ。
﹁救出の前に黒魔法の洗脳を解除しないとまずそうね﹂
﹁そうじゃのう。洗脳のせいで最初は我々のことが敵に見えるじゃ
ろうな﹂
﹁戦って傷つけるわけにもいかないし、なかなかに救出が難しそう
ね﹂
﹁最悪、眠らせて運ぼう⋮﹂
アリアナが人差し指を回して言う。
確かにそうだな。抵抗されるようなら動けないようにして、あと
でゆっくり洗脳を解除すればいい。
﹁てっとり早いのはあやつを捕まえ、魔法を解除させるか、殺すか、
のどちらかじゃが⋮⋮﹂
俺とアリアナは黙り込んで水晶を見つめる。
見れば見るほど、宣教師風の男が洗脳の専門家に見える。ぎょろ
目には狂気が宿り、子どもを視線で射貫かんばかりにねっとりと見
回し、口元は残忍に歪んでいた。
﹁ひとまずはアグナスちゃんとジャンジャンに報告ね。今すぐにで
も助けに行きたいけど⋮⋮焦ってもいい結果にならないわ。私たち
だけでどうにかなるとも思えないし。まずは心を落ち着かせて、冒
険者協会定期試験を受けに行きましょ﹂
1124
﹁ん⋮﹂
﹁おお、もうこんな時間じゃ。はよういくぞい﹂
○
下の中
に
下の上
を混ぜながらでランニングをし
軽い準備運動をしてポカじいの家から出た。
身体強化
て西門から商店街へと入る。四十キロの距離が三十分とか、もう人
間じゃねえな⋮。景色が高速道路みたいに後ろへ動いていくのは面
白い。
走っている最中もポカじいから﹁重心がぶれておる﹂などの厳し
い言葉が飛んでくる。
途中、サンドスコーピオンが出てきたので思い切り蹴ったら、一
発でどこかへ吹っ飛んでいった。
﹁エリィちゃん、アリアナちゃん、賢者様、ハロー﹂
﹁門番さん、ハロー﹂
﹁ハロー⋮﹂
﹁ハローじゃ﹂
﹁あのさエリィちゃん⋮⋮その⋮⋮その服は⋮⋮?﹂
﹁コゼットに作ってもらったのよ! いいでしょ﹂
ジャンジャンの友人である西門の兵士が聞いてきたので、サービ
スの意味も込めて、腰に手を当ててモデルポーズを取った。
﹁う⋮⋮⋮ッ!!﹂
﹁あ、あら⋮? どうしたの?﹂
1125
﹁何でもない何でもない大丈夫気にしないで﹂
と言いつつ門番の彼は全力で鼻を押さえている。
﹁今日は冒険者協会定期試験だろう? もう時間だから早く行った
方がいいよ⋮﹂
﹁あらそうね。じゃあ行ってきます﹂
門番、大丈夫だろうか⋮?
西門を通過してポカじいがバー﹃グリュック﹄に入るのを見送り、
お隣の﹃バルジャンの道具屋﹄に寄ってコゼットとガンばあちゃん
に挨拶をし、商店街を進んで﹃西の治療院﹄に顔を出し、ついでに
﹃ギランのたこ焼き屋﹄で三バカトリオのどうぞどうぞを見ておく。
ガシャーーン
パパパパパリーン
は⋮⋮ほひ⋮⋮いたたたたっ、ぱぁぁん!
ドンガラガッシャーン
ヒヒーーン
ぬおおおおおおおおおおおおおおっ!
うわあああああああああああああっ!
ヒーホーヒーホー
なんだろう。どうも今日は商店街が騒がしいな⋮。
アリアナもコンブおにぎりをぱくつきながら、首をかしげている。
まあ気にしていたら試験の時間に間に合わなくなる。冒険者協会
1126
へ急ごう。
☆
俺っちは生まれて初めて職務放棄した。
門番は門に張り付いているのが仕事だ。だが、俺っちは頭のてっ
ぺんからつま先まで魔法をかけられたように、ふらふらと白い二本
の何かを追って西門から離れた。
この世にあんな美しいものが存在するってことを、今日初めて知
った。
すらりと伸びる悩ましげな美脚は、健康的でありながら蠱惑的な
フェロモンを放っている。尻しか隠していない短すぎるズボンは、
形のいいヒップに押し上げられ、一目でも見れば自然と口元がだら
しなく半開きになった。くびれた腰が、たまらなく、いい。
﹁ああ⋮エリィちゃん⋮⋮﹂
彼女のあとを追って俺っちは歩く。鼻の両穴からは熱い液体がし
たたり落ちているようだが、拭う気になれないほど頭がどうにかな
っている。
ガシャーーン、とどこかでエリィちゃんに見惚れた奴が食器を落
とす。
パパパパパリーン、と西の商店街の雑貨屋店主が、両手で持って
いた五枚の皿をじょうろで花壇に水をやるみたいに落として割る。
デート中だった若い男がエリィちゃんに釘付けになり﹁は⋮⋮ほ
1127
ひ⋮⋮﹂と鼻を両手で押さえるが﹁いたたたたっ﹂と彼女に耳をし
こたま引っ張られ、それでもエリィちゃんの胸元から目を離さない
ので彼女のビンタを食らい、ぱぁぁん! という小気味いい音を商
店街に響かせる。
さらには馬車に荷を積んでいた商人の男がエリィちゃんとアリア
ナちゃんを見て驚愕し、股間と鼻を押さえるという不格好な姿で、
ドンガラガッシャーンと馬車から転げ落ち、その音にびっくりした
馬がヒヒーーンと叫ぶ。
絶賛彼女募集中、と昨夜酒場で管を巻いていた鍛冶屋のおっさん
が開店準備中にエリィちゃんの生足を見て、意味不明に﹁ぬおおお
おおおおおおおおおおおっ!﹂叫んで手に持っていた看板を地面に
叩きつけ、その叫びを聞いて何事かとあわてて外に飛び出した鍛冶
屋の親友である宿屋の店主が﹁うわあああああああああああああっ
!﹂とアリアナちゃんを見て頭を抱えると両穴から鼻血を噴出させ
て気絶し、近くにいたらしい臆病者のヒーホー鳥が驚いてヒーホー
ヒーホーと呼吸困難を起こす。
阿鼻叫喚、地獄絵図、とはこのことを言うんだろう。
エリィちゃんとアリアナちゃんが道を歩くだけで、破壊された物
が散乱し、鼻血によって地面が赤く染まり、気絶者が多数転がる。
出血多量で意識が朦朧としている男どもが、アンデッドモンスター
のように不気味なうなり声を上げてのたうち回っていた。
新鮮な生肉に吸い寄せられるデザートスコーピオンのように、ま
だ動ける商店街の男たちはエリィちゃんとアリアナちゃんの後をふ
らふらと追う。
俺っちはエリィちゃんがたこ焼き屋の前でギランの旦那たちの持
ちネタ﹁どうぞどうぞ﹂を披露され、満面の笑みでころころと笑う
姿を見た。
1128
﹁て、てんし⋮⋮??﹂
心臓と下半身に熱いパルスが駆け抜け、鼻から血まみれのウォー
ターボールが噴き出ると、俺っちの意識が母ちゃんの子守歌を聴い
て眠りにつくときのように、ふっつりと断絶した。
○
冒険者協会についた俺とアリアナはカウンターで受付を済ませた。
協会内はこれから試験を受ける冒険者数百名と、応援に来ている
町民、賭けに興じる客でごった返している。
﹁あ、ジャンジャーン! クチビールゥ!﹂
二人を発見したのでアリアナと手を振って呼んだ。
﹁エリィちゃんハ︱︱︱ロッ!!!?﹂
﹁エリィしゃ︱︱︱︱んっっ!!!??﹂
先に受付を済ませたらしいジャンジャンとクチビールが、俺の姿
を見て股間と鼻を押さえる、という器用な動きをする。
二人はくるっと踵を返し、人混みの奥へと消えた。
あかん⋮⋮。
ちょっとこの服装は刺激が強すぎるのかもしれない⋮。
いや、もともと好感度が高い二人だから、可愛いって思ってくれ
1129
たんだろうな。他人が見てあんな風にはならないだろうよ。さすが
にエリィが超絶可愛いっていっても、なあ?
﹁これはこれは、何とも刺激的な服装だね﹂
﹁あらアグナスちゃん。ハロー﹂
竜炎のアグナスが赤いマント、赤い鎧に身を包んで、人混みの合
間を縫いながらこちらにやってくる。
後ろにはパーティーメンバーである、神官服のような服を着た大
柄な男﹃白耳のクリムト﹄、中肉中背で刀を背負ったターバンの男
﹃裂刺のトマホーク﹄、背の低いマント姿の男﹃無刀のドン﹄の三
人が控えていた。なぜか全員、鼻を押さえている。誰か屁でもこい
たのだろうか。
﹁例の件だけどね、僕が知り合いの冒険者達に声をかけておいたよ。
ジェラの上位ランカーが軒並み救出部隊に参加してくれることにな
った﹂
﹁まあ! ありがとうアグナスちゃん! さすがトップ冒険者ね!﹂
嬉しくなって自分の両手を組み合わせ、胸のあたりへもってきて、
にっこりと笑った。
﹁ふふっ。君はどうやら男泣かせのレディに変貌したようだね﹂
﹁ん? 何かしら?﹂
﹁いやいや、何でもないさ。あとは魔改造施設が特定できれば作戦
開始だ﹂
﹁それがね、今日わかったのよ﹂
﹁本当かい?﹂
﹁ええ!﹂
1130
うなずいて、ポケットから地図を取り出すと、アリアナが受け取
ってフリーになっているテーブルへ広げた。周囲にいる冒険者たち
が遠巻きに俺たちを見ていることが視線でわかる。男はなぜなのか、
ほとんどが鼻先を指でつまんでおり、女はアリアナを見て目を輝か
せている。
くんくん。
別に臭くはないなぁ。
にしてもアリアナの可愛さは女性にはたまらないだろう。
お人形さんみたいだもんな。
ひとまずギャラリーは気にしないことにし、エリィの美しい指で、
ポカじいがつけてくれたバッテン印を指さした。
﹁ここよ﹂
﹁ここは⋮﹂
地図の印を見たアグナスが、難しい顔を作る。
﹁まさか﹃空房の砂漠﹄とはね⋮﹂
﹁くうぼうのさばく?﹂
﹁砂地獄が多数存在していて、足を踏み入れると帰ってこれない、
と言われているんだよ﹂
﹁あら⋮⋮でも行くしかないわよ?﹂
﹁敵さんも物資の輸送をしているから安全なルートがあるはずだ。
知っている人間がいるかもしれない。クリムト﹂
白い神官風の服を着たクリムトがうなずいて、人混みをかき分け
ながら協会の奥へ続く階段を上がっていく。よぼよぼのジェラ支部
1131
長に聞くのかもしれない。たしかに年は取っているし、冒険者協会
の支部長になるほどの人物だ。色々と知っているだろう。
﹁エリィちゃん! エリィちゃんいるぅ!?﹂
突然、入り口のスイングドアが勢いよく開いて、コゼットがドク
ロを揺らしながら冒険者協会に転がりこんできた。
なんだろう。
俺とアリアナはコゼットに駆け寄った。
﹁どうしたのコゼット?﹂
﹁大変なの! 原因は不明なんだけど、西の商店街にいた男の人が
何人も鼻血を出して倒れちゃったの!﹂
﹁なんですって!?﹂
えらいこっちゃ!
新種の疫病とかだったらまずいな。
﹁アグナスちゃん、またあとで話しましょう﹂
﹁わかったよお姫様。試験の時間までには戻ってきなよ﹂
﹁もちろん。でも患者さんが優先よ﹂
﹁君ならそう言うと思った。僕が協会に口利きしておくから多少な
ら遅れても大丈夫だよ﹂
﹁ありがと! 行きましょアリアナ!﹂
﹁うん﹂
治癒
ヒール
で回
協会を出て、患者が収容されている西の治療院へ急いで向かう。
途中でコゼットが豪快に二回転んだので、二回とも
復し、すぐに走り出す。
走っていると、なぜか後方から、皿の割れる音や物をひっくり返
1132
す音が聞こえてくる。ほんと今日のオアシス・ジェラは騒がしいな。
きっと冒険者協会定期試験のせいだろうな。
西の治療院に到着し、バンと扉を開けた。
﹁みんな安心してちょうだい! 順番に看るから具合の悪いひとか
ら並んでちょうだいねっ﹂
患者を安心させるように、笑顔で院内を見回した。
エリィの可愛らしく神秘的な笑顔だ。落ち着いてくれるだろう。
ブーーーーーーーーーーーーーッ!!!!
患者数十人の鼻から、ウォーターボールみたいな勢いで鼻血が噴
出し、壁、窓、床、ステンドグラス、治療ベッドに吹き付けられ、
院内がスプラッタ映画さながら血みどろの惨状になった。
ひいいいいいいいいっ!!
なんじゃこりゃあああああっ!!!
﹁きゃああああああああっ!﹂
コゼットが大量の血を見て気絶し、ドクロが頭から転がり落ちて
血の海で回転する。
﹁エリィ⋮!﹂
﹁わかってるわ﹂
1133
コゼットに
ヒール
治癒
をかけて院内の隅へ運んで寝かせ、身体強化
を使ってアリアナと患者達を急いで治療院の中心に集め、魔力を高
速循環させる。
!!﹂
癒大発光
キュアハイライト
が患者たちを包み込む。
﹁あの灯火を思い出し、汝願えば大きな癒しの光になるだろう⋮⋮
キュアハイライト
癒大発光
範囲型回復魔法
失った血は戻らないが、体力は回復する。
数十名は息も絶え絶えだが、何とか一命を取り留め、危機は過ぎ
去った。
あぶねーーっ。てかこれ原因なんなの?
疫病とかだったら結構やばいよな。
﹁あら⋮西門の門番さん?﹂
﹁エリィ⋮⋮ちゃん⋮⋮⋮ううっ⋮⋮﹂
﹁だいじょうぶ?!﹂
﹁ああ、大丈夫だ⋮﹂
﹁無理に起き上がったら駄目よ﹂
すぐに駆け寄って、門番の背中に太ももを入れ、頭を右手で支え
る。
﹁ううううっ!!!﹂
﹁なんてこと!﹂
ぶばっ、と門番の鼻からまたしても大量の鼻血が飛び出した。
いかん、このままだと死んでしまう!
門番の頭を太ももに乗せ、急いで魔力を練り上げた。
1134
していた⋮⋮
加護の光
加護の光
が発動すると、光の柱が天井へ突き抜け
!﹂
﹁親愛なる貴方へ贈る、愛を宿して導く一筋の光を、我は永遠に探
白魔法中級
るようにして直進し、俺と門番を包み込む。魔法の風圧で金髪ツイ
ンテールが上方へ持ち上がり、ゆらゆらと揺れた。
上位中級魔法なら多少の血は取り戻せる。
﹁う、うつくしい⋮⋮﹂
﹁しゃべっちゃダメよ﹂
﹁エ、エリィちゃん⋮⋮もう⋮⋮⋮その⋮⋮⋮ふ⋮﹂
﹁しゃべらないで。安静にしていれば大丈夫だから﹂
門番は口をぱくぱくさせて、何かを必死に訴えている。
只ならぬ雰囲気を察し、彼の口元へ耳を近づけた。
﹁もう⋮⋮⋮その服で⋮⋮⋮⋮出歩いちゃあ⋮⋮⋮⋮いけない⋮⋮﹂
﹁それは⋮どうして?﹂
﹁君が⋮⋮⋮⋮あまり、にも⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮かわいい⋮⋮⋮⋮か
ら⋮⋮⋮⋮⋮みんな⋮⋮⋮⋮⋮こんなことに⋮⋮﹂
﹁えっ?﹂
﹁おれの⋮⋮⋮⋮頭の⋮⋮下にある⋮⋮⋮ふとも⋮⋮⋮ふとも⋮⋮
⋮⋮﹂
﹁ふとも?﹂
﹁ふ⋮⋮⋮ふともも⋮⋮⋮が⋮⋮⋮⋮⋮⋮鼻血の⋮⋮⋮原因⋮⋮⋮
⋮⋮だッ﹂
言い切ると門番は、がくっ、と力尽きた。
エリィの太ももに埋もれた門番の顔は、特化商材を見事売り切っ
1135
たセールスマンのように、満足げで幸せそうだった。
何だか恥ずかしくなってきて、すぐに太ももを門番の頭から抜い
た。ごん、と彼の頭が床にぶつかる。
﹁あのー、アリアナ⋮⋮私ってそんなに魅力的かしら⋮⋮?﹂
鞭の柄で門番の顔をぐりぐりやっているアリアナにたまらず尋ね
た。
見ただけで男達が鼻血ブーするぐらい可愛いとか、信じられん。
グレイフナーじゃ、ブス、デブ、って言われ続けたんだぞ。そりゃ
ないだろーさすがに。
﹁かわいい⋮⋮私ですらおかしくなるぐらい⋮﹂
﹁はははははは⋮﹂
﹁このスケベな人たちは、二度とそういう気持ちにならないように
しておくね⋮﹂
俺の乾いた笑いを聞いて、アリアナが優しげに口角を上げた。
﹁混沌たる深淵に住む地中の魔獣。我が願いに応え指し示す方角へ
己が怒りを発現させよ⋮⋮ギルティ︱︱﹂
﹁ストップストーップ! 重力魔法なんて使ったらトドメの一撃に
なっちゃうわよ﹂
﹁だめ?﹂
﹁だーめっ!﹂
﹁わかった⋮﹂
アリアナが渋々といった様子で魔法を止めたところで、入り口が
バンと開き、ジャンジャンとクチビールが入ってきた。
1136
﹁うわぁ! これはひどいっ!﹂
﹁な、なんでしゅこの血だまりは!﹂
﹁ねえねえ二人とも。私ってそんなに可愛いかしら?﹂
呆然と院内を見るジャンジャンとクチビールに向かって、ツイン
テールを両手でふわっと上げて、腰に左手をつき、右手を太ももに
乗せ、前屈みになって胸を寄せ、軽くウインクしてみる。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮うっ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮でしゅっ﹂
︱︱︱ブシャア!!!
を詠唱し
二人の鼻から血まみれのウォーターボールが飛び出し、ジャンジ
ャンは前のめりに、クチビールは仰向けにぶっ倒れた。
あかん⋮⋮。
断罪する重力
ギルティグラビティ
しばらくショートパンツは封印だな⋮⋮。
﹁全員、有罪⋮﹂
アリアナがぽつりと呟いて、重力魔法
1137
始めた。
1138
第20話 イケメン砂漠のハーヒホーヘーヒホー︵後書き︶
エリィ 身長161㎝・体重53㎏
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
いつもお読み頂きありがとうございます!
なんと、読者の方からエリィちゃん完全体の挿絵をいただきました。
前回同様、後書きに載せていいのかわからないので活動報告のほう
にURLを掲載致しました。
かなり可愛く描いて頂いておりまして⋮⋮
︱︱︱ブシャア!!!
このページ左下の作者ページ↓活動報告
からチェケラっ!
次回からいよいよ魔改造施設攻略編に突入します。
更新は少し遅くなるかもしれません・・・。
完全体エリィちゃんとイケメンの冒険はまだまだ続きます。
次回﹁第21話﹂も引き続きよろしくお願い致します∼。
1139
第21話 イケメン砂漠の冒険者協会定期試験︵前書き︶
お待たせ致しました!
スマホの方は試験結果表のところで画面を横にすると見やすくなり
ますYO!
1140
第21話 イケメン砂漠の冒険者協会定期試験
鼻血被害が拡大する一方なので、コゼット部屋まで行ってギャザ
ースカートを借りてショートパンツの上から履いた。これで大丈夫
だろう。
アリアナにはデニムサロペットのミニスカートのままでいてもら
う事にした。彼女に見惚れる男女は数多くいるが、鼻血ブシャアす
る奴はごく一部しかいないので問題ない。まあ、ブシャアする奴は、
背の低い女子が好きな奴か狐人好きのどちらかで、放っておいたら
アリアナにどこまでもついてきそうだったから、鼻血を出してフラ
フラになってもらうぐらいがちょうどいいだろ。
それにね、可愛いから着替えるのはもったいないよね。こんなプ
リチーな女子、日本で見たことないからな。イケメンエリート女の
下の上
で屋根の上を忍者のように駆け抜けて冒険者
子スカウターでアリアナを見ると、数値がマックスで振り切れる。
ほんと。
身体強化
協会へ行くと、ちょうど一次試験がスタートしたところだった。協
会内のカウンターから試験会場へ行く際、受付嬢の猫娘に﹁かっこ
いいアグナス様からお話はきいてるニャ﹂と言われ、遅刻にも関わ
らず特別待遇で試験を受けることができた。あとでアグナスちゃん
加護の光
をかけて回復してあげたジャンジャンとク
にお礼を言わなきゃな。
治療院で
チビールも間に合っている。
あぶねー。
自分が可愛すぎて周囲が鼻血ブーで試験間に合いませんでした、
1141
とかギャグ以外の何ものでもない。くぅー美少女はつらいぜ。
﹁一次試験って障害物競走?﹂
試験会場にいるジャンジャンに聞いた。
四百メートルトラックぐらいの大きさでコースが作られており、
第一関門は三十メートルの泥沼、第二関門は火炎放射、第三関門は
的当て、第四関門は水晶破壊、第五関門は鉄球運びだ。
﹁そうだよ。あんな風に五つの障害を越えて早くゴールに辿り着け
ばオッケーなんだ﹂
﹁簡単そうね﹂
ジャンジャンの指さした先では、クチビールが膝まで浸かる泥沼
を根性で渡りきろうとしている。微量の魔力だが身体強化をしてい
るみたいだ。
ん? なんかよく見るとぶつぶつ呟いてるな。
﹁アリアナ、クチビールがなんて言ってるか聞こえる?﹂
﹁ん⋮﹂
狐耳をぴくぴくさせてアリアナが目を閉じる。三十メートルぐら
い離れているが、聞こえるのだろうか。
少し眉間に皺を寄せてアリアナが目を開き、小さな声で言った。
﹁エリィしゃんのふともも⋮⋮って言ってる﹂
クチビールにエリィの美脚は相当な衝撃だったのかもしれない。
重力魔法をクチビールに放とうとするアリアナを宥めている間に、
1142
クチビールは火炎放射を越え、的当てをクリアし、水晶を破壊して、
鉄球を運んだ。
﹁記録。クチビール、五分三十二秒!﹂
おおっ。なかなかいい記録なんじゃないか?
同じレースの走者でクチビールが一番速い。
記録を聞いたジャンジャンがうなり声を上げて腕を組んだ。
﹁んー、Cランクぎりぎりってところだなぁ⋮﹂
﹁あら、そうなのね﹂
﹁三分を切ればBランクってとこかな﹂
﹁へえ﹂
﹁がんばろう⋮﹂
障害物レースを面白そうに見ているアリアナが、おにぎりを食べ
ながら言う。
﹁そうね。あ、でも私、ポカじいから落雷魔法は禁止されているの
よ﹂
﹁そのほうがいい。あの魔法は目立ちすぎるから⋮﹂
﹁それにね、二次試験は魔法なしで身体強化のみって言われてるの。
どのぐらいまで点数が出るかしら﹂
ポカじいには﹃落雷魔法禁止﹄﹃二次試験は魔法禁止﹄を言い渡
されている。なんでも、二次試験は十二元素拳のいい訓練になると
のことで、別に点数にこだわってないから修行も兼ねちゃおうぜ、
という作戦だ。
落雷魔法以外の攻撃系魔法が非常に少ないので、障害物競走の的
当てが不安だ。最近憶えた﹃空魔法﹄は詠唱に時間がかかって使い
1143
エアハンマー
ぐらいだな。
物にならないので、使えそうな攻撃魔法は風魔法の
ド
ウインドソー
アリアナはしっかり全力で試験を受けて、父親の仇であるガブガ
ブと自分の実力差を確認するとのこと。ガブリエル・ガブルの四年
前の点数は887点だ。
ちなみにアリアナの父親﹃漆黒のグランティーノ﹄の点数は92
3点。点数からも分かるようにかなり強かったらしく、魔闘会では
負けなしで、一代で相当の領地を稼いだそうだ。そのため、二つ名
が名前ではなく名字についたんだとか。
ガブガブが卑怯な人質作戦を決行した理由がよくわかるな。
にしてもガブガブってどんな奴だろうか。狼人っていうぐらいだ
から、耳と尻尾はついてるんだろうな。牙もありそうだ。勝手なイ
メージだけど、身長がでかそう。
電打
は確定している。あら手が滑りま
エレキトリック
まあどんな奴であろうと、グレイフナーに帰って見かけたら、出
会い頭の挨拶でビンタ&
したわ、おほほほほ、とか言って、バチン、バリバリ、あひぃ、っ
て感じだ。
○
最終レース、俺とアリアナは同じ組になり、スタート位置につく。
横にはアグナスと、クリムト、トマホーク、ドン、というジェラで
最強のアグナスパーティー、さらにその横にはバーバラと呼ばれる、
身軽そうな踊り子っぽい服装をした女がいた。
ちなみに踊り子っぽい、といっても露出度はそんなに高くなく、
1144
という意味を込めたであろ
頭からかぶったヴェールに巻きつけてある宝石類や濃いめのメイク
間にあってよかったね
が踊り子を彷彿とさせる。
アグナスが
うウインクしてくるので、ウインクをお返しし、お淑やかにスカー
トの裾をつまんでレディの礼を取った。冒険者協会に口利きしてく
れ、ウインクが爽やかなアグナス。うっとうしいキザ野郎、亜麻ク
ソと比べたら月とすっぽん、極上フカヒレと馬糞ぐらいの差がある
な。
﹁エリィーー! アリアナーーッ! アグナスさまぁー! 頑張っ
て∼!﹂
観戦禁止のはずなのに領主権限なのか、冒険者協会の二階の窓か
らルイボンが落ちそうなほど身を乗り出して手を振っている。
俺とアリアナ、アグナスはにこやかに笑って彼女に手を振り返し
た。
メイクがナチュラルになって髪型も変わって、ルイボンも随分可
愛くなったな。
﹁では、位置について⋮⋮﹂
スターターが拡声魔法を使って準備を促す。
全員が腰を落として、一気に身体強化をかける。ここにいるメン
ファイヤーボール
が打ち上がった。
バーは相当の実力者だ。魔力の波動が通常の冒険者よりも数段上で、
力強い。
︱︱ボンッ
スタートの合図である
1145
それと同時に身体強化
下の上
をかけていた足に力を込めて、
第一関門の泥沼を一気に跳び越える。地球じゃ考えられない、少女
の三十メートルジャンプ。向こうでこんなの見せたらスターになる
か化け物扱いかのどちらかだろうな。
てかアグナスはやっ!
誰よりも先に着地して火炎放射ゾーンに突入している。
他のメンバーがアグナスを追いかける格好で、猛然と進む。
アリアナとほぼ並んだ状態で、髪の毛が燃えないように毛先まで
下の上
なら楽々突破
身体強化をかけて、一気に火炎放射へ飛び込む。ジャンジャンの話
だとこの火炎放射は威力が下位中級程度。
できる。
神官風のクリムト、ターバンを被ったトマホーク、マント姿のド
ン、俺、アリアナ、踊り子っぽいバーバラはほぼ横並びで火炎放射
ゾーンに突っ込んでいく。
﹁うおおーーーーーっ!﹂
﹁はえええっ!﹂
﹁上位ランカーが集まってやがる!﹂
﹁エリィちゃん⋮俺っちより速い⋮﹂
﹁アリアナちゃんがっ! アリアナちゃんが可愛い!﹂
﹁アリアナちゃんのスカートの中が見えそうで見えない!﹂
試験が終わって観戦している冒険者たちから興奮した声が上がる。
目の前が火炎放射で真っ赤に染まり、呼吸ができないが、すぐに
ゾーンを抜けた。
続けて第三関門の的当てだ。
1146
指定された円の中に入ると、百メートルほど先にゴーレムの的が
コフィン
断罪する重力・棺桶
ギルティグラビティ
﹂
十個現れる。柵越しに魔法で破壊すればいいだけだ。
﹁己が怒りを発現させよ⋮⋮
横で自分の的を狙うアリアナが、水平にした人差し指を重ね合わ
せて重力魔法を放つ。
ゴーレム十体の上に黒く染まる一つ目の重力場が現れ、続いて現
れた二つ目の地面の重力場と激しく引き合い、間にいたゴーレムが
紙細工のようにあっけなく潰れた。
⋮いつ見てもとんでもねえ威力だな。
アリアナは身体強化よりも黒魔法の発動に重点を置いて訓練をし
ていたので、魔法の発動が早くなっている。
は形状を変え、状況に合わせて放つ
は無詠唱で三連続撃てる。
重力弾
グラビティバレット
黒魔法下級
断罪する重力
ギルティグラビティ
黒魔法中級
ギルテ
断罪
は中空に重力場を一層作り、さらに地面にも重力
の形状変形バージョンは様々で、例えば
ことができ、その気になれば省略詠唱で、発動までタイムラグは二
ギルティグラビティ
コフィン
断罪する重力
秒ほどだ。
ィグラビティ
する重力・棺桶
場を発生させ、二つを引き合わせ、文字通り物体を棺桶のように閉
は圧縮した重力を叩きつけ、さらにその上
マルトー
断罪する重力・鎚
ギルティグラビティ
じ込め、押しつぶす広範囲型。
からもう一層の重力をぶつけて二重攻撃する、打撃型。一度、アリ
アナが魔物に使ったとき、魔法を受けた敵はバラバラになりながら
百メートルぐらい吹っ飛んでどこかへ消えた。リアルグロだったな
⋮アレ⋮。
1147
ギルティグラビティ
は
スィクル
断罪する重力・鎌
ギルティグラビティ
断罪する重力
を移動させる、遠隔型
魔法。形状が鎌のように狭まるが、単体を狙う場合や近距離の敵に
有効で、端から見ていると柄のついていない黒い鎌が唸りながら空
中で動いているように見える。ただこの魔法、二層の重力を圧縮し、
ウインドソー
斥力を強引に維持するため異常なほど魔力を使う。アリアナいわく
あまり使いたくない、とのこと。
﹁ウインドソード!﹂
を五連射する。
負けじと魔力を練りこんで、下位上級、風魔法の
ド
不可視の刃が百メートル先の的へ何とかあたり、三個を破壊し、
一個は当たらずに消えた。
だあーーっ!
落雷魔法使えないのめっちゃ不便!
﹁エリィ頑張って⋮﹂
アリアナが申し訳なさそうに呟いて、走り去っていく。
ちらっと横を見ると、クリムト、トマホーク、ドン、バーバラも
的を一撃で破壊して走り出す。そのタイミングで拡声魔法を使った
審判から﹁記録。アグナス・アキーム、四十五秒!﹂という声が聞
こえてきた。まじで速すぎ。
﹁ウインドソード!﹂
どうせ精度が低いならと魔力を一気に練り込んで息が切れるまで
連射する。
十三発撃ったところで的をすべて破壊した。
1148
すぐに身体強化
下の上
を全身にかけ、水晶に魔力を流して割
り、百キロの鉄球を持ち上げて指定の場所へ転がし、ゴールした。
﹁記録。エリィ・ゴールデン、三分一秒!﹂
あー、結構かかっちまったな。
やっぱ落雷魔法以外の攻撃魔法を習得しないとダメだな。
ウインド系は魔力消費が少なくて使い勝手がいいけど、長距離に
ある物体を一気に破壊するのには不向きだ。離れれば離れるほど、
目に見えて威力と精度が減少していく。
﹁エリィすごいわー! 三分一秒よー!﹂
ルイボンが嬉しそうにバタバタと二階の窓から両手を振っている。
せっかくなので、一回転して腰に手を当て、ガッツポーズを作った。
ルイボンはえらく興奮したのか、部屋の中に戻ってなぜかくるく
る回った。
その様子を見上げていたアリアナが、微笑ましいのか、くすっと
笑いつつこちらにやってくる。
﹁エリィお疲れ様⋮﹂
﹁アリアナの記録は?﹂
﹁一分四十七秒﹂
﹁すごいわね!﹂
﹁ん⋮⋮でもエリィが落雷魔法を使っていれば負けていたと思う﹂
﹁そうかもねえ。もっと攻撃魔法を覚えなきゃ﹂
第三関門の的当てに時間をかけすぎたな。
もし来年受けることがあれば、泥沼三秒、火炎放射三秒、的当て
1149
上の中
まで使えるようになった。
まで使えるもんね⋮﹂
上の下
までマスターす
五秒、水晶割り五秒、鉄球十秒、合計二十六秒でクリアしたい。ふ
っ、この高すぎるように見えて身体強化
上の下
ればいける、という目標設定。やはり天才⋮。
﹁エリィは
身体強化は一瞬だけなら
上の下
魔力効率がまだまだ未熟だから、使用するとだいぶ魔力を使う。
慣れればポカじいのように十二元素拳の型をやりながら
の身体強化をかけつつ修行できるだろう。
ポカじいに言わせると習得が異様なほど早いらしく﹁わしより天
才かもしれんのぉ﹂とのこと。エリィの体は身体強化が得意みたい
だ。いや、俺に素質があったのかもしれない。まあどっちなのかは
確認する方法がないが。
にしてもアリアナは鞭術も相当上手くなったよなー。召喚したサ
キュバスの教えが上手いのか、俺の尻を触ろうとするポカじいを幾
電打
電打
が接骨院
エレキトリック
を受け始めてから腰
エレキトリック
度となく鞭で妨害している。ポカじいによると、尻に集中している
とよけられない、らしい。
じいさんはまじで懲りねえ。むしろ
痛がなくなったとか言っている始末だ。あれか。
とかでやってる電気治療法になってるのか?
なんにせよ、これ以上エリィの尻を触らせるわけにはいかねえ。
○
圧巻だ。東京ドームがライブ会場になったとき人がわんさか集ま
1150
る。それと同じぐらいの数のゴーレムが会場を占拠している。その
すべてが制止しているから何とも不気味だ。運営大変だろうな。
相当金がかかってるよな、この試験。ゴーレム作成費、それを動
かす魔法使いの賃金、運営の日程調整や採点者。時間と労力が半端
じゃねえ。ま、それだけ意義と意味がある試験なんだろう。聞いた
話じゃ全世界に散らばった冒険者協会で同じ試験をするって言うん
だから驚きだ。
冒険者協会の力と資金力が垣間見える。
場所はオアシス・ジェラのはずれにある闘技場だ。近年ほとんど
使われないので、開放されるのはこの冒険者協会定期試験のときぐ
らいらしい。
二次試験はゴーレムをどれだけ破壊するか、という至極簡単な内
容。
量と質、両方をカウントの魔法で計測される。
東西南北にある各門へ受験者が割り振られ、好き勝手に仲のいい
連中同士で集まってリラックスしていた。俺とアリアナの周りには
偶然一緒になったジャンジャン、クチビール、護衛隊長のチェンバ
ニーことバニーちゃん、それから顔見知りになっているスコーピオ
ン討伐に参加していた冒険者数名が集まってきている。
﹁クチビール、Cランクに入れるかどうかの瀬戸際だ。気合い入れ
ていけよ﹂
杖の点検をしながら、いつになく男らしい言葉で発破をかけるジ
ャンジャン。
﹁がんばるでしゅ﹂
1151
﹁Cランクになれなかったらクチビルって呼ぶからね﹂
﹁エリィしゃんっ! しょれは嫌でしゅ!﹂
﹁頑張ってね﹂
クチビールを茶化してみんなの緊張をほぐしてやる。俺が笑いか
けるととクチビールはめくれ上がった唇をだらんと半開きにし、熱
に浮かされたような陶然とした表情になった。
ただの笑顔でこの破壊力。美少女、おそろしいな。
よし、そろそろ準備運動するか。
開始まであと五分ほどだ。
気合いを入れてストレッチをし、十二元素拳の型を確認する。十
二種類ある型の内、俺が使えるのは下位の﹁火﹂﹁水﹂﹁風﹂﹁土﹂
の四種類だ。
というのも、上位の名前がつく﹁炎﹂﹁氷﹂﹁空﹂﹁木﹂﹁白﹂
﹁黒﹂は、身体強化しながら魔法が使用できないと習得が不可能と
いう超高難易度体術だ。
身体強化しながら魔法を使うとか、正直言って相当にやばい。以
前に魔法を二発同時に撃てないか、という実験をしたアレよりもむ
ずい。簡単に例えるなら、バットを振りながらボールを投げる、み
たいな離れ技だ。
下の下
をかけるとすると、下位下級の魔法を右手へ放出し
身体強化は常に魔法を発動させる事と同じで、仮に、右手に身体
強化
続けていることになる。魔力はヘソのあたりから湧き上がってくる
ので、イメージでいうとヘソから右手にどんどん魔力が流れ込んで
いく。
1152
十二元素拳﹁炎﹂﹁氷﹂﹁空﹂﹁木﹂﹁白﹂﹁黒﹂の型は、流れ
下の下
プラス下位下級魔法です
込む魔力を制御しながら、別の魔法を唱え、さらに使用部位へ纏わ
せなければならない。身体強化
ら今の俺にはできないのに、纏わせる魔法がすべて上位魔法という
鬼畜難易度。そんな鬼畜難易度の体術をポカじいは呼吸するように
できるから、本気ですげえと思う。やっぱ砂漠の賢者と呼ばれてい
るだけあるよな。スケベだけど。
ちなみに、下位の﹁光﹂﹁闇﹂と上位の﹁白﹂﹁黒﹂の型は秘術
なので教えてもらっていない。どんなカンフーが飛び出すのか楽し
みだが、とりあえず今は﹁火﹂﹁水﹂﹁風﹂﹁土﹂四つをマスター
することが目標だ。
﹁動きづらいわね﹂
コゼットに借りたギャザースカートは走ったりする分には問題な
いものの、カンフーをやると腰を落としたとき膝がひっかかる。
﹁切っちゃう?﹂
アリアナが大胆な提案をする。
﹁コゼットがやぶれてもいいって言ってたよ⋮﹂
﹁あらそう。ちょっと申し訳ないけどあとで新しいスカートを買っ
て返しましょ﹂
﹁うん。なるべく綺麗に切るから⋮﹂
そう言ってアリアナが﹁ウインドカッター﹂と小さくつぶやくと、
右の太もものあたりから、スカートだけが縦にすっぱりと切断され
た。チャイナドレスの要領だな。
1153
試しにかかと落としを素振りしてみる。
ぶん、と垂直に上がった右足が鼻にくっつき、振り下ろされた。
邪魔っちゃ邪魔だけど、まあ問題はねえ。
﹁やっ、はっ﹂
十二元素拳﹁土﹂の型をつないでいく。
腰をおとした状態から右腕を九十度に曲げて振り上げ、腰にため
ていた左拳を正面へ突く。身体を反転させ、両手の掌を捻るように
打ちだし、打撃力が最大になるよう両腕を真っ直ぐ伸ばす。
思いっきり右の太ももがむき出しになってるけど、仕方ないか。
﹁えい、たあっ﹂
エリィの可愛らしい声が、辺りに響く。
よし、調子は悪くない。むしろ絶好調だ。やっぱ痩せてる身体は
まじで動きやすいな。
にしても︱︱
なんかあれだな⋮。どうも周囲からの視線が痛い。
型をやめて見まわしてみると、屈強な男どもがだらしない顔で、
ばっくり割れたギャザースカートから覗くエリィの太ももを見てい
た。
反射的に腰を落とした姿勢を崩して立ち上がり、スカートの切れ
目を閉じた。
﹁もうっ!﹂
1154
いや、俺的には﹁見ないでくれる?﹂って言ったつもりなんだ。
補正が入って﹁もうっ!﹂という可愛い女の子らしいセリフに変わ
った。当然のように顔が赤くなるおまけつき。
エリィ、どんだけ恥ずかしがり屋なんだよ。つーかイケメンの俺
が﹁もうっ!﹂とかまじありえねー。やめてーほんと。
﹁いや∼、ああー、いいてんきだなぁ∼﹂
﹁ごーれむおおいなぁたおせるかなぁ﹂
﹁ぴゅーーーほんじつもくちぶえのちょうし、さいこうっ﹂
﹁でしゅね∼ごーれむおおいでしゅね∼﹂
﹁こぜっとげんきかなぁぁっ﹂
なんとかごまかそうとする男達。
しかし、守護神アリアナの目はごまかせるはずがなかった。
︱︱パァン!
アリアナの鞭が地面を一筋えぐりとる。
︱︱パァン! パァン! パァン!
誰しもが可愛いと思うキュートな顔を能面のようにし、鞭の素振
りを続けるアリアナ。
その長い睫毛を持った綺麗な瞳が、だらしない顔をしている男達
の両目を射貫く。
︱︱パァン! パァン! パァン! パァン! パァン!
えぐられた地面にはいつしか文字ができあがっていた。
1155
﹃スケベキライ﹄
アリアナやめてあげて!
そんなつぶらな瞳で見られたら男が罪悪感で死んじゃう!
﹁うおっしゃ! うおっしゃ!﹂
﹁ふん! ふん!﹂
﹁でしゅ! でしゅ!﹂
﹁そりゃ! そりゃ!﹂
﹁コゼット! みてろよ!﹂
沈黙に耐えきれずウエポンを抜き放ち、急に素振りをし始める屈
強な男たち十名弱。
幾重の修羅場をくぐり抜けてきたであろう鍛え抜かれた肉体が揺
れ、むさくるしい鎧がこすれる音が一斉に響き、アリアナを見ない
ように目を逸らした顔には気まずい笑みが張り付いていた。
︱︱では受験者の皆さまは会場へお入りください
素振りが二百回に届くか、というところで拡声魔法の場内アナウ
ンスが流れた。
助かった、といった安堵の表情で男達は素振りをやめ、いよいよ
冗談抜きの引き締まった顔つきへと変化していく。年に一度しかな
や
格
に関わってくる。適当に流してやろう、なんて輩は
い冒険者協会定期試験。この試験結果は冒険者として、男としての
箔
1156
一人としていない。
全員が闘技場へ出る。
地面に引かれている白線の外側が安全地帯のようだ。
﹁エリィちゃん、勝負だね。治療魔法は君のほうが遙かに上だけど、
実戦は負けないよ﹂
﹁いいわよジャンジャン。私が勝ったらコゼットに告白しなさいよ﹂
﹁うっ⋮⋮⋮わ、わかった。望むところだ﹂
﹁今日中によ?﹂
﹁ええっ! それはちょっと⋮⋮ははは﹂
﹁目指せCランク維持でしゅ﹂
︱︱これより二次試験を開始致します。5、4、3⋮
タイミングがいいんだか悪いんだかアナウンスが入り、ジャンジ
ャンとクチビールが杖を取り出し、魔力を練り始めた。なるほど、
開始早々に魔法を使うわけか。
ばち
開始の合図に使うのか、両手を広げても到底端から端まで届かな
いほどのドでかい銅鑼の前で、筋肉隆々のスキンヘッドが撥を構え
る。銅鑼には砂漠の町によくある魔法陣を模した幾何学模様が刻ま
れており、魔法が付与されているみたいだ。
﹁アリアナ、頑張りましょう﹂
﹁狙うは高得点⋮﹂
﹁私はカンフーでどれだけ破壊できるかね﹂
1157
︱︱2
﹁カンフー?﹂
﹁十二元素拳の略称よ﹂
﹁へえ⋮﹂
︱︱1
﹁いくわよ﹂
﹁ん⋮﹂
︱︱ゴワァァァ∼∼ン!!!
開始の銅鑼が鳴り響く。
をぶっ放す。
ジャンジャンとクチビールが下位上級魔法
ー
エアハンマ
シャークファング
鮫牙
闘技場中が音楽ライブのスタートみたいに、色とりどりの閃光と
轟音に包まれた。ライブって例えるには殺伐とした危険な演出だが、
闘技場全体が軽い振動を起こしていて似ていなくもない。もーなん
下の上
で腰を落として地面を蹴り、近場のゴーレム
か日本が遙か遠くに感じるな。
身体強化
へ肉薄。そのまま右の拳で殴りつける。
1158
バゴッ、と鈍い音が鳴って、ゴーレムの胴体に大穴が空いた。
下の上
をかけており、鞭を目で追え
アリアナはゆっくりと散策をするように歩いている。しかし利き
手である右腕のみ身体強化
ないほどのスピードで縦横無尽に振り下ろし、進行方向にいるゴー
レムをことごとく粉砕する。
巻き込まれると痛いし邪魔になるので、距離を取るように進みな
がらゴーレムを破壊していく。
修行によって全身へ叩き込まれた十二元素拳が苛烈にゴーレムを
責め立て、舞うようにして破壊の限りを尽くす。今までポカじいと
の組み手のみだったので、一対多数は初めての経験だ。それでも、
十二元素拳は多人数をものともしない。
どうやら中心へ行くにつれてゴーレムが強くなっていくらしい。
百メートルほど進むと、ゴーレムの硬さに殴った手が痺れた。
おそらくこの辺が今の俺の実力なんだろう。魔法が使えればもう
少し奥へと進めるが、今はポカじいとの約束がある。拳だけでいく
ぜ。
︱︱おりゃ!
﹁えいっ!﹂
︱︱せりゃ!
﹁やあっ!﹂
倒しても倒しも奥から雪崩のようにゴーレムがやってくる。殴り
1159
かかってきたゴーレムの腕をかわし、そのまま掴んでこちらへ引き
寄せ、肘打ちをお見舞いする。
身体強化をし、尚且つ修行で幾度となく練習した重心のブレない
強烈な肘打ちが、体勢を崩したゴーレムの顔面にクリーンヒットし
て粉々に粉砕する。さらに頭のないゴーレムの腕を離さず一回転し
て遠心力をつけ、数が多い前方へ投げ飛ばした。
走ってくるゴーレムとぶん投げたゴーレムが交錯して、岩同士が
ぶつかり合う嫌な破壊音を奏でながら五、六体が派手に地面へ倒れ
込む。そこへ十二元素拳﹁火﹂の型で攻勢をかける。
足底に魔力を注ぎ込んで地面を掘るように蹴り、一気に距離をつ
め、硬そうなゴーレムへ側宙から右足を振り下ろす。足の先がめり
込み、衝撃が膝まで伝わったところで岩の身体にビキッとひびが入
でギリ倒せるレベルのゴーレムかよ。めちゃ
り、ゴーレムが真っ二つに割れた。
﹁いったーい!﹂
下の上
いってえ!
身体強化
めちゃかてえ。魔力をもっと込めたほうがいいな。てか鉱物で作ら
れたゴーレムか? これ以上硬いやつが出てくると厄介だ。
逡巡した後、拳打で正面にいる鉱物系のゴーレムを破壊し、前蹴
りでもう一体を吹っ飛ばしつつ、足を下げずに立ち上がったゴーレ
ムへ蹴りを一発。足を引き戻して後方のゴーレムへもう一発。横に
回って軽く跳び、反動を利用して両足を開脚し、左右から来ていた
二体に蹴りをめり込ませる。
左右別の方向へ弾け飛んだゴーレムが数体を巻き込んで地面とお
友達になる。
1160
五体のゴーレムがものの三秒で瓦礫と化し、余波で十数体が地面
に転がった。
ちらっと前を見ると、ここより二十メートルほど進んだ場所で、
断罪する重力・
ギルティグラビティ
アリアナがゴーレムと戦っていた。闘技場の中心を陣取っている超
合金で作られたような五メートル級のゴーレムへ
を使用し、吹き飛ばした。
マルトー
鎚
うお、アリアナすごっ!
でもゴーレムまだピンピンしてやがる。上位中級で破壊できない
とかどんだけ硬いんだよ。
あいつが一番の強敵で、破壊できれば相当高い点数が加算される
だろうな。
視線を元に戻して、十二元素拳﹁風﹂の型、基本姿勢である左手
を前、右手をその後ろ、手の形は手刀、というポーズを取り、一息
つく。﹁風﹂﹁水﹂の型は詠春拳に似ており、短い連打と細やかな
足捌きが特徴で、防御に適している。乱戦にはもってこいだろう。
﹁きなさい!﹂
︱︱こいや!
伊達にカンフー映画観まくってないってところを見せてやる。
異世界版ジャッ○ー・チェンとは俺のことだ。
と、息巻いたところで一回り大きい二メートルほどあるゴーレム
がこちらに突進してきたので、あわててステップしてかわす。
近くにいた鉱物系ゴーレムが巻き込まれ、十体ほどが破壊され、
破片が周囲にまき散らされた。
1161
あ、このゴーレムやばい強いやつじゃね?
○
そろそろ得点表を持った係員が来る頃だ。冒険者協会のカウンタ
ー前は、受験者、賭けに興じる観戦者、身内を応援する者達でごっ
た返している。
三次試験に呼ばれたのはアグナスちゃんだけだった。この時点で
アグナスの一位が確定したので、賭けをやってる連中は二位が誰な
のかを声高に話し合っている。
二次試験も領主権限で観戦していたらしいルイボンが興奮した様
子だ。
﹁エリィってばすごかったのよ! こうやって、腕を動かして、空
中でくるっと回ってキックが見えないの! ゴーレムがバラバラに
なっちゃうのよ! なんだかよくわからなかったけど、格好良かっ
たわ!﹂
最後に出てきたゴーレムはやばかったな。
下の上から
上の下
に引き上げ、掌打で何とか破壊した。
足の関節部分を狙って連打を浴びせ、動きが鈍ったところで身体
強化を
あれ一体で魔力がかなり減ったな。まだまだ修行が足りねえ。
そうこうしているうちに冒険者協会の係員がポスターサイズの用
紙を持ってきて、見えやすいように脚立にのぼってカウンターの上
に貼り付けた。
1162
騒がしかった周囲が静まり、全員が食い入るように試験結果を見
つめる。
﹁エリィ⋮﹂
下の中
をかけた。
アリアナが真剣な顔で言うので、狐耳をもふもふしてから両目に
身体強化
倍とまではいかないが、視力が向上し、結果が鮮明に映る。
=============================
冒険者協会定期試験
︵砂漠の国サンディ、オアシス・ジェラ・第192回︶
参加人数172名
Aランク︵979∼750点︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
1位 アグナス・アキーム︵竜炎のアグナス︶880点
2位 トマホーク・ガルシア︵裂刺のトマホーク︶766点
3位 クリムト・フォルテシモ︵白耳のクリムト︶758点
Bランク︵749∼650点︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
4位 ドン・アルデリア︵無刀のドン︶740点
5位 アリアナ・グランティーノ 735点
6位 バーバラ・ストレイサンド︵撃踏のバーバラ︶722点
7位 サルジュレイ・ホーチミン︵苦拍のサルジュレイ︶698点
8位 ポー・サーム︵一音のポー︶677点
9位 ラッキョ・イデオン︵炎鍋のラッキョ︶670点
1163
10位 チェンバニー・ジョーンズ︵ジェラ護衛隊隊長︶666点
Cランク︵649∼500点︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
11位 エリィ・ゴールデン︵白の女神エリィちゃん︶640点
・
・
・
・
20位 ジャン・バルジャン 520点
21位 ・・・・・・・・・・・・・・・
22位 ビール・アレクサンドロ︵クチビール︶503点
Dランク︵499∼400点︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
23位 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
24位 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・
・
・
=============================
うわーあとちょいだったーBランク!
すんげえ悔しいーこれ!
﹁エリィしゃんが640点でしゅっ?!﹂
﹁負けた⋮⋮惨敗だ⋮⋮﹂
1164
クチビールとジャンジャンががっくりとうなだれる。
﹁アリアナちゃん強すぎでしゅ﹂
﹁ななひゃくさんじゅうごてん⋮⋮?!﹂
さらにアリアナの点数を見て、二人は驚愕して小さい彼女の顔と
得点表を見比べた。信じられないのは無理がねえ。こんな可愛らし
い狐美少女がオアシス・ジェラで五番目に強い魔法使いとかどこの
ファンタジーだよ。
ってココだよココ! ヒアーだよ! 異世界だよ! 久々のノリ
ツッコミだよ!
が効かなかったでしょ?﹂
マルトー
断罪する重力・鎚
ギルティグラビティ
﹁一番強いゴーレムに魔法を使いすぎた⋮⋮失敗﹂
﹁見ていたわ。
﹁うん⋮。何度か当てれば倒せたと思うけど⋮⋮。アレを一撃で破
壊するには上位上級の魔法が必要﹂
﹁無駄玉を使っちゃったわけね﹂
﹁そう。もっと勉強が必要だね⋮﹂
﹁私もよ。もっともっと身体強化と十二元素拳を練習しないと﹂
﹁アリアナがBランク! エリィがCランク! んまあでも私のア
グナス様はAランクよ!﹂
﹁ルイボン応援ありがとね﹂
会話に顔を突っ込んできたルイボンへ礼を言うと、顔を赤くして
俺とアリアナから目を逸らした。
﹁ふ、ふん! 別に応援してたわけじゃないのよ! ただ暇だった
から声をかけていたのっ! そこのところを勘違いしないでほしい
わ!﹂
﹁うふふ。はいはい、そうよね。そうだと思ったわ﹂
1165
﹁わかればいいのよ、わかれば﹂
﹁でもどうしてあんなに大きな声で名前を呼んでくれたの?﹂
﹁そ、それは⋮⋮何となくよ! 何となくっ!﹂
いつも通りのやりとりをしている所に、知り合いの冒険者や護衛
隊の面々、隊長のチェンバニーが人混みをかき分けてこっちにやっ
てきた。
﹁おれぁアリアナちゃんに負けたぜ!﹂
﹁白の女神! まさかあんなに強いなんて⋮﹂
﹁白状しよう。エリィちゃんの足がちらちらスカートからのぞいて
集中できなかった﹂
﹁あの体術はどこで?!﹂
﹁白魔法が使えて身体強化も上手いなんてすごいよ!﹂
﹁俺と付き合ってくれッ﹂
﹁きゃっ!﹂
男たちからお褒めの声が立て続けに浴びせられる。
最後どさくさに紛れて俺の手を強引に握った兵士は、他の連中に
よってタコ殴りにされる。効果音をつけるならば﹁どかん、ばきん、
ぼこん、ゆるひてー﹂だ。鼻血出てるし髪ぼさぼさだし顔に痣でき
てるし、やめてあげてほんと。
急に手を握られてびっくりしたけど、そんな気にしてねえよ。
むしろこんだけエリィが可愛いんだから仕方ない。可愛くて優し
くて芯が強くて、おまけに胸もでかい。エリィを見ているだけで心
臓がビートを刻むのは男の性ってやつじゃねえか。
くぅー美少女って大変だなぁおい!
﹁エリィちゃん﹂
1166
堂々一位のアグナスが周囲に声をかけられ、それに答えつつこち
らへやってくる。
へえー。やっぱアグナスはオアシス・ジェラの英雄で、みんなか
ら憧れられる人気者なんだな。
﹁素晴らしい点数だね。とても魔法学校三年生の成績とは思えない
よ﹂
彼は爽やかに笑うと、表情を緊張感のあるものへと一変させた。
﹁クリムトが﹃空房の砂漠﹄を抜けるルートを支部長から入手した
んだ。今後の動きについて打ち合わせをしたい。上位ランカーたち
には声を今掛けているところだから、落ち着いたら二階の会議室に
集合だ﹂
﹁ありがとうアグナスちゃん。ではみんな、早速行きましょう﹂
周囲にいる面々へ目線を投げる。
アリアナ、ルイボン、ジャンジャン、クチビールはもちろん、護
衛隊長のチェンバニー、Cランクの冒険者達がうなずいた。
俺たちは話もそこそこに、冒険者協会の奥へと向かい、二階へと
上がって会議室の扉を開いた。
1167
第21話 イケメン砂漠の冒険者協会定期試験︵後書き︶
エリィ 身長161㎝・体重53㎏
1168
第22話 イケメン砂漠の誘拐調査団
オアシス・ジェラ冒険者協会会議室には、ルイボン、ルイボンの
父親であるジェラ領主、ジェラを活動拠点にする冒険者の上位ラン
カーが集まっていた。
今試験1位である﹃竜炎のアグナス﹄880点、2位でアグナス
パーティー切り込み隊長の﹃裂刺のトマホーク﹄766点、3位の
白魔法使い﹃白耳のクリムト﹄758点、刀身がない不可思議な剣
を腰に差す、4位﹃無刀のドン﹄740点。
1∼4位がアグナスパーティーということが実力者の証明になっ
ており、協会におけるアグナスら四人の信頼は非常に高い。椅子に
座っているよぼよぼで腰が九十度曲がった支部長が、彼らを見て満
足そうにうなずいている。
彼らの他に、一人で様々なパーティーを渡り歩く踊り子風の女、
試験6位﹃撃踏のバーバラ﹄722点。
すべての下位上級魔法をオールラウンドに使えるベトナム原住民
のような風貌の男、試験7位﹃苦拍のサルジュレイ﹄698点。
得意魔法の省略詠唱が一文字、という変わった男、試験8位﹃一
音のポー﹄677点。
つるっぱげ、試験9位﹃炎鍋のラッキョ﹄670点。
ジェラ護衛隊隊長こと﹃バニーちゃん﹄試験10位、666点。
誰しもがその点数を疑い、驚愕し、戦慄し、信じられないと、試
験結果を二度見し、可愛いな、と顔を綻ばせる、俺の横でシャケお
にぎりを惜しむように食べている狐耳美少女、アリアナ・グランテ
ィーノ。試験はなんと5位、735点。もふもふもふもふ。
1169
そして、生きとし生ける者すべての夢と希望を詰め込んだ美貌と
肉体を持つ、元はデブス、今はスーパーミラクルハイスペック美少
女、悪い子は即座におしおき、未だ成長中、エリィ・ゴールデンこ
とイケメン小橋川の俺。二次試験で魔法を使わず試験11位、64
0点。
その他、試験を受けていないBランク冒険者が五名参加し、ジャ
ンジャン、クチビール、俺を含めるCランク冒険者五十一名が参加
した。
Aランク三名。
Bランク十二名。
Cランク五十一名。
総勢六十六名、ジェラ史上初と言えるほどの豪華キャストが勢揃
いしており、各冒険者の熱が否応にも高まる。そこへ、誰も砂漠の
賢者だと思っていないポカじいが、酒瓶を片手にふらりと入ってく
る。
これで役者は揃ったと言わんばかりにアグナスが口火を切った。
緊張した数名がごくりと生唾を飲む。
﹁今日は招集に応じてくれてありがとう。今回の依頼はオアシス・
ジェラからのもので、大がかりな作戦になる。依頼の危険度はAだ。
それでも話を聞きたいという人間だけこの場に残ってくれ﹂
赤いマントに赤い長髪をしゃらりと垂らし、ギリシャ彫刻も逃げ
出したくなるほどいい男であるアグナスの流麗な目が、試すように
全員へぶつけられる。聞いた話だとランクAっていうのはキングス
コーピオンとクイーンスコーピオンが同時に出てくるレベル、すな
わちアグナスパーティーが瀕死になる危険度、ということだ。
1170
沈黙と緊張で空気が張り詰める。
ここにいる冒険者達の決意は固いのか、誰一人として声を上げな
い。
アグナスはその様子を見て、やれやれといった風に両手を広げな
がら満足げな顔をした。
﹁君たちのような命知らずが僕は好きだよ。よし、では詳細は依頼
立案者でもあるCランク、ジャン・バルジャン君から説明してもら
おう﹂
﹁か、かしこまりました!﹂
ジャンジャンが緊張気味に一歩前へ出る。
すると、数多の死線をくぐり抜けてきたであろう冒険者達が、鋭
い眼光を向け、一言一句聞き逃さんと神経を張り詰めた。立ってい
るだけで存在感を存分に滲ませる冒険者達がこの場に六十六名いる。
占拠された狭い会議室の空気が膨張したように感じた。
そういや社運を賭けた新製品開発のために各エキスパートを集め
た会議もこんな雰囲気で、ほどよい緊張と息苦しいほどの熱量が部
屋に充満していたな。こういう一体感のあるプロジェクトは成功す
る確率が高い。どの時代、どの場所でも、大事なのは肩書きや金じ
ゃなく、人だ。人の力が成功を引き寄せる。
緊張していた声色が話し始めると滑らかになっていく。ジャンジ
ャンの説明に全員聞き入った。
五年前にオアシス・ジェラを襲った誘拐事件から始まり、自身が
事件を追うために冒険者になったこと。博学なポカじいが、誘拐の
1171
裏には十二歳以下の子どもを魔薬で覚醒させ、魔法使いにさせる人
為らざる陰謀があるのではという推測を立てたこと。そこから魔薬
に必要なハーヒホーヘーヒホーという草の存在。そのハーヒホーヘ
ーヒホーが見つかったことにより魔改造施設の場所が確定し、すべ
ての推測の裏が取れ、今回の誘拐調査に参加してくれる冒険者を募
集したこと。
﹁事件の真相を解明したのは、そちらにおられる賢者様です﹂
﹁ほっほっほっほっほ﹂
遠見の水晶
は伝説級のアイテム
すべてを聞いた冒険者たちが納得した表情を見せ、ポカじいに興
味と畏敬を込めた念を送った。
で、使用には熟練魔法使い五人分の魔力が必要らしい。相変わらず
じいさんのスペックがやべえ。
﹁ひとつええかのぅ﹂
今まで笑って酒を飲んでいたポカじいが挙手したので、一同の視
線が窓際に立っている彼に集中した。
﹁攫われた子どもは黒魔法で洗脳されており、どのような行動をす
るかわからん。五年前の誘拐事件に盗賊団として参加した子どもた
ちが、Cランク冒険者をあっさり倒した、という事実はジャンが話
した通りじゃ。捕らわれている子ども達は魔薬によって魔力を開放
され、強力な魔法使いになっており、さらに洗脳者に従うよう教育
を施されておるじゃろう﹂
﹁つまり、救う子ども達に攻撃される可能性が高い。ポカ老師はそ
うおっしゃっりたいのですね﹂
﹁その通りじゃ。洗脳者である黒魔法使いが、子ども達を操ってこ
ちらに攻撃してくるじゃろうの﹂
1172
アグナスが冷静に言葉をつなぎ、ポカじいが厳かにうなずく。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
じゃ﹂
﹁洗脳魔法は黒魔法中級レベルでしょうか?﹂
﹁黒魔法上級
﹁それは⋮⋮厄介だな⋮﹂
にかかると操り人形になるのじゃ。命令され
﹁知らん者もおるじゃろうから説明をしておくとの、黒魔法上級
グレート・ザ・ライ
強制改変する思想家
た任務を遂行するために死ぬ事も厭わんぞい﹂
﹁まじかよ⋮⋮﹂
﹁黒魔法⋮上級⋮?﹂
﹁いつの時代も黒魔法士は問題を起こす⋮﹂
冒険者達が思い思いの言葉を口にし、途端に会議室が騒がしくな
ったので、アグナスが両手を叩いて場を鎮めた。
﹁聞いたとおりだ! 子ども達を無力化して搬送する方法も作戦に
盛り込む!﹂
﹁うむ、それがよかろう﹂
抵抗されるなら、眠らせるか拘束して、あとでじっくり洗脳を解
くしかない。
にしてもさぁ、聞けば聞くほど仄暗い陰謀を感じさせるよな。子
どもを魔改造するなんてまじでありえねえ。
奴ら盗賊団の目的はなんだ?
思えば、俺を誘拐したペスカトーレ盗賊団は、この魔改造施設の
存在を知らなかった。あいつらはトクトール領主、ポチャ夫に言わ
1173
れて仕事をしただけで、誘拐し、砂漠まで護送、そして依頼人へ引
き渡す。
さらにはポチャ夫も魔改造施設についての知識がなかった。
ポチャ夫はよい子になったあと﹁子どもは砂漠の国サンディに売
った﹂とだけ言っており、手紙にはガブリエル・ガブルの文字があ
ったものの、その後どういった事が行われているかは知らない。
黒幕はガブリエル・ガブルなのか?
いや、グレイフナーの大貴族といえ、こんな大がかりな仕掛けを
スポンサーなしでやるのは厳しい。日本で言うなら、国外で武器の
開発を一企業が勝手にやっているようなもんだ。グー○ルとか、マ
イク○ソフトとか、うちの財閥ぐらい国家規模の企業ならできなく
はないんだろうが、一部上場してますって程度の企業が手に負える
内容じゃねえ。
黒幕ではないにしろ、魔改造施設とガブリエル・ガブルが繋がっ
ている、と考えるのは妥当だろうな。ガブリエル・ガブルは傘下の
リッキー家に魔法の素養が高そうな孤児をグレイフナー孤児院に集
めるように指示し、ある程度集まったら国外へ輸送する。行き先は
砂漠の国サンディ、魔改造施設だ。
魔改造か⋮。海外の経済誌だとちょいちょい戦争や武器の記事が
出てくるよな。
戦争が起こる最たる理由は、経済、宗教、人種、と一般的に言わ
れている。
今回の件は戦争ではないものの、それと密接な関係がある武器開
発、武器商人と事柄が似ている。子どもを魔改造して戦士にする。
戦士、武器は金になる。それは地球でも異世界でも変わらない。
1174
にしても何の目的で子どもを魔改造するのかわかんねえんだよな
ぁ。
どうにも効率が悪いように思える。強い兵隊が欲しいのなら、わ
ざわざ子ども攫ってきて魔改造するより、強い冒険者を捕まえて洗
脳するほうが時間とコストがかからないだろ。企業に例えるなら即
戦力になるビジネスマンをヘッドハンティングすることと同じだ。
子どもだったら相手が油断するから、とか?
いや、子どもはすぐに成長するからその効果だけだと経費が回収
できない。
じゃあ子どものうちから魔法教育をすると強くなるとか?
これはあり得る。費用対効果が良いのなら、魔改造をする動機に
はなりそうだ。ちょっと説得力に欠けるが。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
なら条件に合えば誰
子どもなら洗脳魔法が効きやすい、なんて理由はどうだ。
うーん、黒魔法上級
でも洗脳できそうなんだよなー。まあ鋼の精神力を持つ俺レベルに
なると絶対に効かないだろうけど。
﹁⋮⋮以上がこの事件の真相です。これから我々は﹃魔改造施設﹄
を調査、誘拐された子どもたちを奪還します﹂
長い時間考えこんでしまっていたようで、ジャンジャンがすべて
を話終わったのか、一歩下がって元の位置へ戻った。
﹁ひでえ奴らだ﹂
﹁許せねえな⋮﹂
﹁俺はどんなことがあっても戦うぜ﹂
﹁あたいは親戚の子を攫われた。盗賊団を踏みつぶして助け出すわ﹂
1175
﹁俺だって知り合いの子どもを攫われたんだ。許せねえ﹂
﹁あの日の騒ぎで強盗に母親が殺された。仇は絶対に討つ﹂
このジェラに住む者にとって、五年前の誘拐は未だ拭いきれない
爪痕を記憶に残した悲劇的な事件だ。そんな迷宮入りしかけていた
事件を改めて聞き、心胆寒からしめる真相に衝撃を受けて、各々事
件解決を心に誓う。
﹁ジャン・バルジャン君ありがとう。これから敵の規模、作戦の説
明に入りたいと思う。白の女神、地図を出してくれないかな﹂
﹁ええ、いいわよ﹂
エリィの可愛らしい声が会議室に響くことで、部屋の空気が一気
に弛緩した。なんでか知らんが全員ほっと一息ついている。
それほどにエリィの癒し効果は半端じゃないってことか。
自分じゃよくわかんねえんだよな、エリィが与える周囲への効果
が。
ある程度の予想はつくんだけど、近頃じゃ思わぬリアクションさ
れたり、知らないうちに見惚れられたりして結構驚く。
試験の結果発表を待っているときも何人もがこっちを見て口をあ
んぐり開け、ぼーっとして頬の肉を完全に緩め、手に持っていたジ
ョッキを逆さまにしてドボドボ中身をこぼしていた。
あとはエリィの顔を見ると、二度見ならぬ三度見をする輩が百人
中九十人いる。しかも男女問わず、だ。まあ確かに鏡で自分を見る
と、あまりの可愛さに時間が止まることが多々あるしな。
反則的な可愛さになってんなぁおい!
しかし! まだ可愛くなれるはずだ! 完璧主義として、ここで
終わりですよーなんてないんだよ! まだだ! まだいけるぜエリ
1176
ィ! 存在しているだけで世界が崩壊するぐらい可愛くなろうぜ!
﹁あらっ? ああ、こっちだったわね﹂
地図を出そうとギャザースカートのポケットへ手を入れ、ああそ
ういえば中に履いているデニムのショートパンツにしまったんだっ
け、と気づき、アリアナが切ってくれたスカートの切れ込みを両手
で広げる。
この場にいた冒険者のほとんどが、ぎょっとした顔になり、露わ
になった白くて長いエリィの生足へ釘付けになった。
いかん失敗した!
あんまり見ないでくれる、まじで?!
﹁もうっ﹂
ほらー、非難がましい声が思わず漏れちまったじゃねえか。
﹁もうっ﹂って何よ﹁もうっ﹂って。ほんとウブすぎる。
エリィさんよ、もうちょい恥ずかしさ耐性をつけてくれ。って自分
の身体に言ってもしょうがないってことはわかってんだけどなぁ。
例によってちょっと顔が熱い。
批難の目を向けられた男連中は何食わぬ体を装い、気持ち悪い笑
顔を貼り付けて顔をそらした。優しい顔をしたピュアな美少女の恥
じらいを受けて気まずくならないのは、そういう趣味の変態だけだ
ろ。
いやーまじで周囲のこの反応に慣れない。
とは言ってもいちいち気にしていたらきりがねえしな︱︱よっし
1177
ゃ、頑張って無視だ無視!
皺を伸ばしながらテーブルに地図を広げ、ポカじいつけてもらっ
た印の場所へ指をさした。
﹁ここに魔改造施設があるわ。﹃空房の砂漠﹄と言われている場所
よ﹂
﹁え?﹂
﹁く、空房の砂漠だって?﹂
﹁そいつぁ厄介な⋮﹂
﹁行くだけで被害が出るぞ﹂
﹁空房の砂漠かよ⋮﹂
﹁ほっほっほっほ﹂
ポカじいが囁き合う冒険者の間を縫って俺の隣へやってきて、笑
いつつ酒をぐびりと飲み、地図へと目を落とす。
﹁どうして空房の砂漠と言われているか知っておるか?﹂
﹁いえ、知りませんっ﹂
ジャンジャンが興味深いのか目を輝かせて答えた。
﹁ほっほっほ、では教えてやろうかのう。かつて仲のいい夫婦がお
った。二人は誰もが羨むほど仲睦まじく暮らしていたんじゃが、村
に謎の疫病が蔓延し、妻が病気になってしもうた。衰弱していく愛
する妻を見て夫はとある決意をするんじゃ。その決意とは未知の砂
漠を探索し、薬になるであろうハーヒホーヘーヒホーを取りにいく、
という無謀な作戦で、普段なら誰一人賛成する人間はおらんかった
じゃろう。じゃが砂漠にぽつんとあるその村は必死じゃった。候補
者を募り、誰も帰らぬ冒険へと出掛けたんじゃ⋮。待っていた妻は
亡くなり、夫は家へ帰れず、村に残ったのは空き屋だけ。それから
1178
電打
をお見舞いした。
エレキトリック
砂漠はこう呼ばれるようになったのじゃ⋮⋮くうボボボボボボボボ
ボボボボボノサバッポォォォウッ!﹂
どさくさに紛れて尻を触るじいさんに
﹁悲しい話をしながらお尻を触らないでッ!!!﹂
じいさんが出来たてほかほかのカリントウのように黒くなり、口
から煙を吐いてぶっ倒れた。
﹁ナイス⋮⋮ヒップ⋮⋮⋮がくっ﹂
スケベじじいは静かに息を引き取った。
∼砂漠の賢者ポカホンタス、弟子の尻を触ってオアシス・ジェラ
に散る∼って墓標にしっかり刻んでおいてやるからな。じいさん、
いや、スケベじじい⋮安心して逝ってくれ。
﹁女神の怒りだ⋮﹂
﹁エリィちゃんを怒らすと黒こげになるって本当だったのか﹂
﹁怖い⋮怖いけど可愛い⋮﹂
﹁死んでもいいから一度だけあのお尻を⋮﹂
﹁バカ野郎っ! アリアナちゃんのあの目を見てみろ﹂
﹁ひい! あんな冷たい目でアリアナちゃんに見られたら生きてい
けない!﹂
﹁エリィにえっちぃことしたら軽蔑する⋮﹂
アリアナがポカじいを靴底でぐりぐりやりながら鋭い眼光を男た
ちへ向け、狐の尻尾をピンと垂直に立てた。あまりの迫力に後ずさ
りする冒険者が多数出た。
1179
﹁賢者様⋮⋮スケベがなければこれほど尊敬できるお方はいないの
に⋮﹂
ジャンジャンが残念なものを見るようにポカじいの残骸へ目を落
とし、祈りを捧げた。
﹁すごいのかすごくないのか分からない人だな﹂
アグナスが呆れた様子で肩をすくめ、ポケットから一輪の花を取
り出してポカじいへ落とし﹁みんな! 空房の砂漠は確かに危険な
場所だ。しかし安全なルートは存在する!﹂と大きな声を出した。
その声に呼応して、白い神官風の服を纏ったクリムトが、ざわつ
く周囲を鎮めながら、ずいとでかい身体を割り込ませてテーブルの
真ん中に手をついた。
﹁こちらにおられる支部長と、一級情報屋からの情報で﹃空房の砂
漠﹄を抜ける安全なルートは確認している。皆の衆、安心しろ﹂
そう言って、クリムトは﹃空房の砂漠﹄の細かい地図を広げた。
俺の持っていた地図が大ざっぱな場所を示した縮小版だとすれば、
クリムトの地図は﹃空房の砂漠﹄をより詳細に書いた拡大版だ。地
複写
コピー
してもらってポカじいと一緒に安
図の左下が空白になっている。それ以外ははっきりと地形が描かれ
ていた。
おお、これはいいな。
全なルートの道筋の確認をしよう。ポカじいが見るだけじゃ安全か
わからんって言ってたから、かなり有益な情報だろう。あっ⋮⋮つ
ーか水晶でずっと魔改造施設を見ていれば、敵さんがどのルートで
移動するかわかるじゃねえか。
1180
おそらくアグナスが安全確保のためにルート確認をポカじいにお
願いするだろう。俺ならそうする。
﹁こいつぁすげえ﹂
﹁さすがクリムトさん!﹂
﹁クリムトさん、よく支部長から話を聞けたな﹂
﹁地図にない未知の土地か⋮⋮腕がなるぜ﹂
﹁随分と遠回りになるが仕方ないだろうな﹂
﹁やったるでぇ∼﹂
また様々な声が上がる。どうやらジェラの冒険者は賑やかな人間
が多いらしい。
しばらくして、ずっと黙っていたルイボンの父親、ジェラの領主
が口を開いた。
白ターバンに白い布を巻き付けた砂漠装束。口ひげとあごひげ。
いかにも砂漠の男といったこんがりと焼けた肌はつるりとしており、
領主の見た目を幾分若く見せている。全体の印象は優しげなものだ。
﹁諸君。作戦決行は三日後だ。ジェラからもチェンバニー隊長率い
る部隊を五十名出す。成功報酬は参加した冒険者すべてに百万ロン。
盗賊団の殲滅と誘拐された子どもの奪還は我がオアシス・ジェラの
悲願でもある。何卒、よろしく頼む﹂
領主が頭を下げ、続いてルイボンも領主の娘らしく頭を下げた。
﹁頭をお上げください﹂
すぐにアグナスが二人の顔を上げさせる。
1181
﹁報酬がなくともやりますよ。我々冒険者は下衆で卑怯な連中が嫌
いなのです﹂
彼の言葉に、冒険者全員がうなずいた。
本来、冒険者とは未知の土地へ向かう者を指すらしい。設立者で
あるユキムラ・セキノの高潔な精神が脈々と受け継がれており、冒
険者はCランク以上ともなれば一般人から尊敬され、それだけで信
用にたるものと判断される事が多く、今や彼らの仕事は未開の地へ
行くだけでなく捜索、探索、討伐、護衛、教育、研究、など多岐に
わたる。血の気が多い連中が多数いることは事実だが、あまり目立
つ素行の冒険者は即刻証明書を剥奪される。
﹁私は一人でも行くわよ。子ども達のために浄化魔法を習得したも
の﹂
念のため決意表明をしておいた。若いから参加しちゃだめ、と言
われたら洒落にならない。
浄化魔法を習得した、という言葉に周囲が驚嘆した。あのアグナ
スですら驚きの様子だ。魔法使いの中でも白魔法士はレアで、浄化
魔法は白魔法の中でもレア中のレア魔法。驚かれるのも無理はない。
加護の光
で
てか俺ってばよく習得できたよな。ぬああっ⋮やはり天才っ!
﹁君は本当に白の女神なのかもしれないね﹂
アグナスが嬉しそうに自分の右腕をなでる。俺が
くっつけた場所だ。
ジャンジャンがこちらを見て、誇らしさと優しさをない交ぜにし
た表情を作った。
﹁エリィちゃんがボランティアでお世話していたグレイフナーの孤
1182
児院も盗賊団に襲われたんです。エリィちゃんが知っている孤児院
の子どもが、魔改造施設にいるかもしれない⋮⋮だから頑張って浄
化魔法を憶えた⋮⋮そうだよね?﹂
﹁⋮ええ、そうよ﹂
﹁そうだったのか﹂
アグナスが複雑な表情を作って剣柄へ手を乗せ、少し思案顔をし
たあと、こちらに自信たっぷりの笑みを向けた。普通の女子ならコ
ロッといってしまいそうな、魅力的な顔だ。
﹁なんとしてもこの作戦は成功させよう﹂
﹁もちろんよ!﹂
気合いを入れて胸元で拳を握る。
生き残っている孤児院の子どもは全員助けてやるぜ。エリィもそ
れを強く願っているだろう。
周囲からは﹁エリィちゃん健気や∼﹂とか﹁白の女神降臨せし﹂
とか﹁何もしゃべらないアリアナちゃん可愛い﹂などの声が漏れる。
一同が気合いとやる気を入れ直して、さらに細かい作戦が話され
ようとした。
そのときだった。
中央のソファにじっと座っていたオアシス・ジェラ冒険者協会、
支部長のよぼよぼじいさんが、手すりにつかまりつつ亀みたいな動
作でのっそりと立ち上がった。クリムトへ未知の土地の情報提供を
した支部長。集まっていた冒険者総勢六十六名、ルイボン、領主が、
支部長が何を発言するのか、固唾を飲んで見守る。アグナス、クリ
ムト、トマホーク、ドン、最強パーティーの四人ですら敬意を払い、
1183
一歩下がる。
今まで腰が九十度に曲がり、碌に顔が見えなかった支部長。なん
と、その腰が驚くことに七十度まで引き上げられた。
何か重要な発言をする。間違いないっ。
俺とアリアナはつい身を乗り出した。
よぼよぼの支部長はおもむろにテーブルへ両手を付き、歯が抜け
た口を大仰に開いた。
︱︱ごくり
そこかしこから生唾を飲み込む音が響く。
支部長の腰が七十度になったことは強烈なセンセーショナルをこ
の場にいるメンツに与えたようだ。
なんだ! 何を言うんだ支部長っ!
︱︱ぷるぷるぷる
テーブルについている両手が小刻みにぷるぷる震えている。
どうやらそれほど言いづらいことらしい。
まさか⋮⋮﹃空房の砂漠﹄にはとてつもない化け物級の魔物がい
て、このメンバーでは到底倒せない、とか。もしくは砂地獄は地下
世界へと続いていて、支部長は若かりし頃、そこで数々の冒険をし
ていた、とか。いや、ひょっとしたら﹃空房の砂漠﹄にすら辿りつ
1184
けないほどの難所が途中に待ち構えていて、子ども達の救出どころ
じゃない、とか。
なんだ! 何を言おうとしているんだ支部長っ!
まぶたがはち切れんばかりに両目をかっぴらき、冒険者達が前の
めりに支部長へ近づく。
よぼよぼの支部長は拳銃を四方から突きつけられるように、約六
十個の頭を突きつけられていた。やがて支部長を囲む円は、きれい
な輪を描き、隣と隣の距離が狭められ、今にもお隣さんの鼻息がこ
っちにぶつかるほど密着する。
支部長は大仰に開いた口を一回閉じ、大きく息を吸い込んで、つ
いに溜め込んでいた至言となるであろう言葉を発したっ!
﹁じぇらぼうけんしゃきょうかいへようこそぉ﹂
歯抜けの口から、気の抜けた挨拶が漏れる。
歴戦の冒険者達が瞬時にその言葉の意味を逡巡し、裏の意味を読
み取ろうとする。
三秒ほどして、ここにいるすべての人間がその言葉を理解した。
ズコーーーッ!
どたん!
ばたん!
でしゅっ!
1185
ドンガラガッシャーン
パリーン
俺は肩すかしを食らったようにテーブルに突っ伏し、アリアナが
その上に倒れ、ジャンジャンは力を入れすぎた拳を空中に振り抜き、
クチビールがその拳に不運にも殴られ、クリムト、トマホーク、ド
ンが盛大にすっ転び、サイドテーブルが重みで壊れてコップが割れ、
期待していた冒険者約六十名も入れすぎた力を逃がせず床にぶっ倒
れ、領主とルイボンが椅子からずり落ち、最後に一人だけ立ってい
たアグナスが苦笑しつつ両手を広げ︱︱
﹁やれやれだ﹂
と苦情に近い感想を漏らした。
1186
第22話 イケメン砂漠の誘拐調査団︵後書き︶
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
いや∼乱世乱世。
﹁お約束﹂と﹁天丼﹂が大好きな作者でござる。
敬愛する諸兄諸姉の皆さまに伝えねばならぬことがあり、この場を
借りて発言する権利を得もうした。
小生、仕事とプライベートがばたばたしており、四日更新がなかな
か厳しいでござる。
もうお察しの方も多数いるかと思うのでござるが・・・
今後は一週間を目安に待って頂ければ幸いでござるよ・・・。
だがしかし!
しかし!
できる限り早くアップはしていく所存!
今後は石の上で座禅を組むような平静な心で更新をお待ち下され!
全裸待機している諸兄諸姉の皆さまには大変な苦行・・・
小生も涙の飲んでの・・・
エリィ﹁早く書きなさい!﹂
アリアナ﹁スケベキライ⋮﹂
すみましぇん・・・・・・
1187
早く仕上がればどんどん上げていく、というのは変更しませんので
⋮何卒っ、何卒ご了承頂ければと!
次回アップは未定!
頑張ります!
ボクハガンバッテマス。
ウソジャナイYO。
ということで敬愛する諸兄諸姉の皆さま、次話にてまたお会いしま
しょう!
1188
第23話 イケメン砂漠の誘拐調査団・準備
感電から復活したポカじいが、﹃空房の砂漠﹄のルートが安全か
の確認をしてほしいとアグナスに頼まれ、まあ仕方ないのう、とい
った様子で引き受けた。スケベじじいは尻を触ったことなど忘れた
ような顔をし、何食わぬ様子で会議の輪に加わる。
一方で俺は、白魔法を使え、640点というBランクに近い強さ
を持つので、特別なポジションに据えられることになった。
今作戦で白魔法を使えるメンバーは俺、白耳のクリムト、北東の
治療院から名乗りを上げた有志一名、計三名だ。
を使用できるのは俺の
を行使でき、子ども達の治癒
加護の光
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
この三名のうち、白魔法中級
み。さらに浄化魔法
と怪我人の看護など治療の要となるため、最優先で護衛され、魔改
造施設での戦闘を極力避けるようにと厳命された。
ただ後方支援は嫌だったので、主要メンバーに入れてくれとおね
だりして何とか潜入班に入った。だってさ、むかつく敵さんを十二
元素拳でぶん殴りたいじゃん。
ちなみに、ポカじいは本当に困ったときのみ助けを乞う予定なの
でカウントしていない。
調査団は魔改造施設に到着後﹁潜入班﹂と﹁待機班﹂に別れる。
﹁潜入班﹂は子ども達を見つけ、抵抗された場合無力化して脱走
させる。交戦する可能性が非常に高い。
﹁待機班﹂は保護した子どもを搬送する馬車の護衛と退路の確保
だ。
1189
﹃空房の砂漠﹄の攻略ルートは砂漠地帯のため、物資の現地補給
ができない。食える魔物も砂漠にはそんなにいないらしいので、現
地で肉をゲットして参加者全員に配給する、というのはいささか厳
しい。
生命線である物資を載せて子どもたちを搬送する馬車の護衛は重
要なので、統率の取れたジェラの兵士達が中心になって行ってくれ、
﹁潜入班﹂は冒険者中心、﹁待機班﹂はジェラの兵士中心、という
割り振りになった。
馬車は合計で十台、ジェラ領主とジェラ一番の豪商から出資され
る。
○
会議の翌日、俺とルイボン、アリアナ、護衛隊長バニーちゃんの
四人はオアシス・ジェラの商店を回って物資発注をした。
白の女神エリィの俺、狐美少女アリアナ、髪型を変えて劇的イメ
チェンに成功し、可愛くなった領主の娘ルイボン、信頼の厚い護衛
隊長チェンバニー、この四人は物資調達にうってつけのメンバーだ。
事情を話すと商店の旦那達は、ほぼ無料で物資を回してくれる。
これはプレゼンするまでもない完全なイージーモード。
まあ商人からしたら謎の盗賊団なんて潰してくれたほうがいいに
決まってる。それに、五年前の事件でかなりの痛手を被った店は多
く、腹に据えかねている面もあるだろう。利害と感情が一致した投
資だな。
1190
ポカじいの水晶によると八十名の子どもが施設に捕らわれている
ので、帰路一週間の食糧、衣類、武器など人数分。プラスして冒険
者、ジェラ兵士たちの物資を往復二週間分。合計すると、八十人分
の片道分物資、冒険者六十六名と兵士五十名の往復分物資が必要に
なるので、結構な量になる。というか、見ているだけでわくわくす
るような量の荷物が馬車へと搬送されていくので、めっちゃ楽しい。
地球と違うところは、魔法属性を考慮に入れて部隊が編成される
ことだ。
今回、熱中症や脱水を回避するため水魔法を使える人間を必ず各
班に一人配属しており、水魔法適性の人間は重宝される。
水を馬車に積まないだけでもだいぶ楽できるよな。
これがもし地球だったら、八十人プラス百十六人の水を馬車に積
み込むことになる。しかも途中補給はできない。成人男性が一日に
必要な水は二リットルと言われているから、それを元に計算すると
⋮⋮やばっ。とてつもない積載量になるな。考えるだけでおそろし
い。砂漠を横断するのに水を載せないってのは異世界ならではだな。
やっぱ魔法便利すぎんだろ。
あと面白いのは馬ね。馬っていうか、ラクダ?
馬とラクダが合体したような謎の生物が砂漠の旅にはかかせない
らしく、ラクダよりも歩行速度が速く、燃費がいいので、町のいた
るところで見かける。見た目は、胴体がラクダで、顔が馬って感じ。
でもところどころラクダに馬のパーツを貼り付けたような、日本人
の俺からしたら不可解極まりない見てくれをしている。簡単に言う
と、こぶつきラクダが馬の顔をし、太もも部分が馬の太ももになっ
ている。
1191
﹁こいつァ、パンチンピョンテ・パラピャンチャパパレ・ポラポン
チンパリロっていう名前だ﹂
商人から手に入れたウマラクダを引きながら、無精髭をさすりつ
つバニーちゃんが言った。
ながっ!
憶えらんねえよさすがの俺でも。
⋮どうして砂漠のネーミングってこうも変なんだ?
不思議なのは、異世界なのに地球と酷似している生物が多々存在
していて、しかも呼び方が同じってところだ。まあ転生してから脳
内で言葉が都合良く変換されているので、これに関してはあまり深
く考えないほうがいいだろう。便利であれば、なんでもよしっ。
どうせこっちの世界でも、馬って呼ばれている地球とまったく変
わらない馬の生物と、ラクダって言われているまんまラクダみたい
な生物はいるんだし、ウマラクダって命名でよくねえ?
﹁名前が長いからほとんどの連中がウマラクダって言ってるがな﹂
結局、ウマラクダじゃねーか⋮。
﹁あらぁそんな変な名前があったのね。知らなかったわ﹂
﹁ルイス様、ウマラクダはお好きですか?﹂
﹁好きでも嫌いでもないわね﹂
ルイボンが競走馬ほどあるウマラクダの身体を眺めながら、興味
なく答える。
1192
﹁そうでございますか⋮⋮。エリィちゃん、ウマラクダの顔を見て
みな﹂
﹁どうして?﹂
そう言いつつ、ウマラクダの前に回り込んで、長いウマヅラを見
つめた。
﹁すきっ歯だろ?﹂
﹁ほんとね﹂
ウマラクダが﹁ふっ。俺のことを呼んだかい﹂といった表情でに
かりと笑いかけてきた。
子どもの拳ほどある二本の前歯が、見事なまでのすきっ歯で口か
ら生えている。おまけに出っ歯、しかも鼻の穴がやけに大きく、思
わず吹き出してしまいそうなひょうきんな顔をしていた。端的に言
うならば、すっげぇブサイクだ。
﹁すきっ歯であればあるほど優秀って言われているんだよ。こいつ
ァなかなかのすきっ歯ぶり。いいウマラクダだ﹂
良馬を見つけた野武士のように、バニーちゃんが満足そうにウマ
ラクダの腹を叩いた。ウマラクダは仕方ねえ奴だな、と今にも言い
そうな顔で、ぶひんといななく。
﹁エリィ⋮旅の途中おにぎり食べれる?﹂
アリアナがブサイクなウマラクダなんてどうでもいいのか、話を
で
ぶった切って、捨てられた子犬のように上目遣いで覗き込んできた。
ウォーター
あ、そういやおにぎり問題のことを忘れてたな。
砂漠で米か⋮。釜と火があれば大丈夫か。水は
1193
出せば問題ないだろうし。あとでポカじいに言ってもらっておこう。
﹁大丈夫よ。ポカじいにお米を貰っておきましょう﹂
﹁うん﹂
アリアナが狐尻尾を扇風機みたいに振って口角を上げたので、耳
をもふもふしておく。
砂漠の暑い陽射しを受けながら、ウマラクダを引いて北の商店街
へ向かい、大きな商家や武器屋を回って物資を次々と発注し、途中
ケバーブで腹ごしらえをしつつお出かけでテンションマックスなル
イボンのマシンガントークが炸裂する。ある程度、調達が終わった
ところで冒険者協会へ足を向けた。
アグナスら冒険者達はポカじいから水晶で見た地形を聞いて魔改
造施設へのルートを明確にし、馬車の確保や武器の調達、商人から
輸送される物資の分配、誘拐にあった家族から子どもの情報を吸い
上げなど、なかなかに忙しい様子だ。
俺たちが部屋に入ると、みんな顔を綻ばせる。
鎧を着たむさ苦しい男達にとって、俺とアリアナとルイボンは、
爽やかな清涼剤のようなもんだろう。
アグナスが手伝いで会議室に来ている受付嬢の猫娘に水を人数分
頼み、こちらに向き直って笑いかける。
﹁エリィちゃん、物資の調達は順調みたいだね﹂
﹁ええ、おかげさまで順調よ﹂
﹁出資を渋っていた商会からもオーケーはもらえたかい?﹂
﹁もちろん﹂
1194
﹁ははは、やっぱりね。あそこの大旦那は女性にとことん弱い﹂
﹁あらやだわ﹂
﹁君がいけば首を縦に振るだろうと思ってね。もちろん、ルイスも﹂
突然、アグナスにウインクをされたルイボンは、瞬間湯沸かし器
ばりに一瞬で顔を真っ赤にした。
﹁も、もちろんですわアグナス様! 領主の娘に恥じないお願いを
してきたつもりですわよ!﹂
﹁ルイスは髪型を変えてぐっと可愛くなったからね﹂
﹁はぅ⋮⋮⋮あの⋮ありがとう⋮ございますアグナスさま⋮﹂
ルイボンは恥ずかしさのあまり言葉尻が小さくなった。
﹁遠征中は町のことを頼んだよ﹂
﹁お任せ下さい! わたくしがお父様と一緒に、しっかりとジェラ
をお守りしますからね! 安心してご出立くださいまし!﹂
﹁後顧の憂いなしだね﹂
﹁当然ですわ!﹂
自信ありげに胸を張るルイボンは、近頃勉強を頑張っているらし
く、毎日が充実しているそうだ。優秀な補佐がいれば、なんだかん
だいい領主になりそうだな。
○
出発の前日。
早朝、冒険者協会に集まり、誘拐調査の最終確認を行った。持ち
1195
場と役割の確認を済ませ、各自準備に余念がない。熟練冒険者らは
魔物や報酬の取り分をしっかりと決め、後々もめ事にならない配慮
までしているようだ。
俺とアリアナ、ジャンジャンが冒険者協会を出ると、コゼットが
砂漠の陽射しを避けるようにして果実ジュースを売る屋台の陰で待
っていた。
コゼットは俺たちを見つけると、腕がちぎれんばかりにぶんぶん
身体強化をかけて飛び出し、彼女の体を抱きとめた
と振って駆け寄ってくる。案の定コケそうになったので、両足に
下の上
﹁セーフ﹂
﹁きゃっ⋮あれ? 転んでない﹂
﹁急いで走っちゃだめじゃない﹂
﹁ごめーんエリィちゃん﹂
﹁いいわよ。それよりどうしたの?﹂
抱きとめた手を離し、コゼットをしっかり立たせる。
﹁エリィちゃんが言っていたズボンと上着ができたの! 間にあっ
てよかった∼﹂
﹁まあ! お家に置いてあるの?﹂
﹁ジャンの家に置いてあるよ﹂
﹁それは嬉しいわね。いきましょ﹂
俺、アリアナ、コゼット、ジャンジャンは連れだって冒険者協会
から西の商店街へ向かい、獣人三バカトリオのどうぞどうぞを見て、
知り合いと挨拶をしつつ足を進める。フライパンに卵を落とせば目
玉焼きができそうなぐらい、照りつける陽射しが強い。
1196
西の商店街は七日間戦争以降、非常にいい賑わいを見せている。
ポイントカード交換所には暑い陽射しの下で列ができていた。
商店街の奥へと進み、置物のカエルが吐く謎の液体をよけ﹃バル
ジャンの道具屋﹄に入る。
店内ではガンばあちゃんが頑張って店番をしていた。
﹁ハローガンばあちゃん﹂
﹁はろぉ。わしゃがんばってるよぉ﹂
﹁うふふ。知ってるわ﹂
﹁もうすぐお昼ご飯にするからねぇ﹂
﹁ありがと。すぐ手伝いに行くからね﹂
店から家の中へ入って二階に行き、ジャンジャンの部屋に入る。
窓枠にハンガーが掛けられ、そこには日本で何度も着た、ジーンズ
とデニムシャツがぶら下がっていた。
うおーっ、めっちゃ懐かしい!
﹁エリィちゃんの言ったとおりに作ったんだけどどうかな?﹂
﹁ありがとうコゼット! 試着してもいいかしら?﹂
﹁早く着てみて!﹂
﹁デニムシャツはアリアナ用よ﹂
﹁わたしの?﹂
﹁そうそう。絶対似合うと思ってね﹂
そう言いつつ、デニムシャツを手にとってアリアナに合わせてみ
る。
﹁丈も袖もちょうどいい。生地も薄手のものを使っていて砂漠の旅
1197
でも使えるわね﹂
﹁着てみていい⋮?﹂
﹁いいわよ。じゃあ私も履くわね﹂
ハンガーから細身のジーンズを取ってギャザースカートを脱ごう
とする。するとアリアナが俺の手を取って入り口へと目を向けた。
﹁ジャン⋮あなたは男⋮﹂
﹁え?﹂
﹁このまま着替えを見るつもり⋮?﹂
﹁あ、ああ! いや別にエリィちゃんの着替えを覗こうとしていた
わけじゃないんだ! ただ何となく流れで部屋から出て行きにくか
ったというか⋮!﹂
﹁退出と黒魔法、どっち⋮?﹂
﹁出ます! 出ます! 今すぐに、はいっ!﹂
ジャンジャンがどたんばたん音を立てながら大慌てで部屋から出
ていった。
﹁ギルティ⋮﹂
﹁ジャン⋮やっぱりエリィちゃんのことが⋮﹂
﹁コゼットそれは違うわよ。ジャンジャンは断じて私のことなんか
好きじゃないわ﹂
﹁えーでもでもエリィちゃんって可愛いし⋮可愛すぎるし⋮﹂
﹁何言っているのよ。ジャンジャンとコゼットは昔からの仲でしょ
? 私にはない絆がたくさんあるじゃない﹂
﹁絆なんて⋮⋮﹂
途端にコゼットは表情が暗くなり、スカートを両手で握りしめる
と、目の端から涙を流した。
1198
﹁あらあら⋮何も泣くことないじゃない﹂
﹁ううん⋮違うのエリィちゃん⋮⋮違うの﹂
﹁何が違うの?﹂
俺とアリアナは左右から、そっとコゼットの手を取る。
彼女の細い指は、肉食獣に睨まれ耐え難い恐怖と戦わなければな
らない小動物のように、小刻みに震えていた。
﹁私⋮⋮もうどうしたらいいのか⋮⋮みんなが盗賊団の根城に行く
って聞いて⋮⋮﹂
しゃくりあげるコゼットはドクロのかぶり物を揺らし、様々な思
いがせめぎ合う心の震えをどうにかして押さえようと下唇を噛む。
だがその努力も空しく、震えは収まるどころか大きくなり、ドクロ
が床に転がり落ちた。
俺とアリアナが必死になって強く手を握ると、コゼットはどこに
そんな力があるのかわからないほどに、強く握り返してくる。
そう。俺とアリアナ、ジャンジャンが魔改造施設の調査に行くと
伝えてから、コゼットの様子がおかしくなった。表面上では平静を
装っているが、心ここにあらずといった風体で、急に泣き出したり
する。突然泣くのは、これが初めてじゃない。
コゼットの心には不安と期待が入り交じり、自分でもどうしてい
いかわからず、桶に貯まった水が溢れるように感情の制御が効かな
くなっている。昔、俺が感じたことのある絶望に近い気持ちを彼女
も感じているのかもしれない。
もしジャンジャンの弟、フェスティが死んでいたら?
1199
見つかったとしても五年も経っている。自分のことを憶えていて
くれているのか?
会いたい。でも怖い。生きている? 死んでいたら?
生きていたとしてどんな状態になっている?
あのとき自分が助けを呼んでいたら? それをフェスティに言わ
れたら?
知りたい。でも知りたくない。
様々な葛藤、強い想い、愛する男の愛する弟への気持ち。
コゼットは五年も自分を責め続け、それでもフェスティが帰って
きたときのことを思って彼が笑ったという変なファッションを一日
もやめず、ずっとこのオアシス・ジェラの商店街で奇跡が起きるこ
とを待っていた。五年分の想いだ。どんな心情でどのくらいの嵐が
彼女の中で吹き荒れているのか、想像はできても正確に言い表すこ
とはできない。彼女が今どんなことを考え、どのような気持ちで待
っているのか、俺にはわからない。ここで﹁わかる﹂と言ってしま
うほど、自分は思い上がりではない。
コゼットは誰もが認めるいい女の子だ。
ちょっと思い込みの激しいところはあるが、真面目で思いやりが
あって、誰にでも親切で、どこに出しても恥ずかしくない可愛らし
い女の子だ。
この遠征がどんな結果になっても、事を重く受け止めてしまう彼
女には、誰かの助けが必要だろう。もちろんフォローの筆頭はジャ
ンジャンであり、次に俺とアリアナの役目だ。この誘拐調査の結果
は、コゼットのフェスティに対する思いへの最終通告になる。
どんな結果であろうと、コゼットに結果を伝えるつもりだ。
そうしないと彼女は前に進めねえ。ジャンジャンもだ。
1200
﹁ごめんねエリィちゃんアリアナちゃん⋮いつもごめんね⋮⋮﹂
﹁いいのよ﹂
﹁コゼット好き⋮。泣かないで?﹂
﹁うん⋮うん⋮﹂
﹁黒き道を白き道標に変え、汝ついにかの安住の地を見つけたり。
﹂
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
が発動した。
愛しき我が子に聖なる祝福と脈尽く命の熱き鼓動を与えたまえ⋮⋮
ピュアリーホーリー
純潔なる聖光
白魔法中級、派生系レア魔法
足元に幾何学模様の魔法陣が現れ、星屑みたいに輝く光の粒子が
俺の体から溢れ出でゆったりと放出される。端から見ると、エリィ
の体のいたるところからわき水のように星屑が流れ出ているように
見えるだろう。相変わらず白魔法はド派手だ。
優しく念じると、星屑の群れがコゼットの全身を包みこんで、淡
く点滅し、最後に瞬いた。
﹁ああ⋮﹂
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
を解除し、ゆっくりと手を離した。
安堵のため息がコゼットから漏れる。
彼女の精神錯乱は魔法によるものではないので、根本的な解決に
はならないが、一時的に心を落ち着かせることができる。この魔法
は、アンデッドや不浄な対象を浄化する他に、感情の高ぶりを平静
にしてくれる効果があった。浄化魔法がすげえと言われる由縁かも
しれない。
﹁ごめんねエリィちゃん⋮こんな貴重な魔法を私なんかのために⋮
⋮﹂
1201
﹁友達に使わないでいつ使うのよ﹂
﹁ありがとう﹂
﹁綺麗な魔法⋮﹂
﹁ちょっと派手すぎるのよねえ。こっそり使ったりするのは無理よ﹂
﹁私はエリィっぽくていいと思う⋮﹂
﹁あ、私もそう思う﹂
アリアナとコゼットがお互いに顔を見合わせて笑う。
エリィっぽいってどういうこと?
しっかし隠密行動には完全に不向きな魔法だよな。何度か改良し
ようとしたが、どうやっても星屑がばらばら出てくるから無理だっ
た。足元に思いっきり魔法陣が出ることも、どう頑張っても消せな
い。改良は不可能だ。
○
コゼットがやっと落ち着いたので、ジーンズを試着して満足し、
アリアナにデニムシャツを着せてもふもふしつつ、ガンばあちゃん
とジャンジャン二人の手伝いをして昼ご飯を食べた。
ジャンジャンはまだ冒険者協会に用事があるとのことだったので、
俺たち三人は、ポカじいが戻ってくるまでコゼットの部屋で服を選
んで待つことにした。
ジーンズを手に取り、しげしげと眺めてみる。
見事なブルーのスキニージーンズに仕上げたコゼットは縫製の才
能があるのかもしれない。引っ張ってみても、ちょっとやそっとで
ほつれたりしなそうだ。
1202
うきうきしながら履いてみると、何だか懐かしさが心に去来した。
尻がちょっときついがデニムートンの皮は伸縮性があるので、慣
れると全く問題ない。ただ、ぷりんとした尻の形がこうも全面に出
ると確実にスケベじじいが狙ってくるだろう。さらなる警戒をせね
ばならん。
上はシンプルに白シャツでいい。
にしても、尻、胸、足、全部のバランスが神がかってるな。何度
見ても飽きない。しかも成長痛で膝がぎしぎしいってるから、まだ
足が長くなる気がするぞ。スタイルよすぎだろこれ⋮。
アリアナはコゼット特製の通気性のいい魔物の革を使った黒いミ
ニスカートを履き、肌が透けないようにインナーの上から白い薄手
のノーカラーシャツ。その上からデニムシャツを羽織って時計が見
えるように軽く袖まくりしてもらった。腕にはアリアナファンの紳
士からもらった一本百万ロンする、細工の美しいオシャレ腕時計を
している。スケベはきらい⋮でも時計に罪はない⋮とのこと。可愛
らしさにどことなく高貴さを漂わせるアリアナの、カジュアルであ
りつつ女の子らしいフェロモンを放つ、デニムシャツコーディネー
トの完成だ。メイクはちょっぴり濃いめを要望し、靴は動きやすい
脛まであるブーツを履いてもらった。
いかん⋮。地面が割れてそこから石油がどばどば出て、速攻で石
油王になって、左右からでっかい葉っぱみたいなやつでぴらっぴら
の服を着たエロい姉ちゃんに扇がれ、わしが狐王国狐耳の王様フォ
ックス・ザ・モッファーだ、ぐっはっはっは、と笑っちまうぐらい
可愛い。俺に電流、走るっ。くそ、自分でも何言ってるかわかんね
えぜよ。
時間はあっという間に過ぎ、夕方になった。
﹁やれやれじゃわい。全くあのアグナスとかいう小僧はしつこくて
1203
敵わん⋮﹂
ポカじいがぶつくさと文句を言いながらやっと戻ってきたので、
ガンばあちゃんとアリアナ、コゼットで夕飯を作り、ジャンジャン
が帰ってきたところで食卓を囲んだ。
コゼットは健気にも﹁明日いよいよ出発だね﹂と言って楽しい雰
囲気にしようとしている。
ポカじいがアグナスに一勝負しようと散々持ちかけられ辟易した、
という話をし、ジャンジャンが話題を変えて誘拐事件解決への意気
込みを皆に伝える。アリアナがおにぎりを無心で頬張り、コゼット
がジャンジャンに寄り添って野菜炒めを取り分けた。
のんびりとした夕食の時間がゆっくりと過ぎていく。
﹁しかしエリィ。そのズボンはいかんともしがたい魔力を秘めてお
るのぉ﹂
﹁あら? デニムートンの皮って魔力付与されているの?﹂
﹁そうじゃ。尻ニストの心を呼び覚ます魔の力が込められておる﹂
﹁わかったわポカじい。もう二度と私に話しかけないでちょうだい﹂
﹁冗談じゃ! 冗談じゃぞい!﹂
﹁ギルティ⋮﹂
﹁賢者様、スケベさえなければ心から尊敬できるのに⋮﹂
﹁ポカじい、エリィちゃんに嫌われちゃいましたね!﹂
﹁わしゃがんばっとるよぉ﹂
﹁若い娘の考えていることはわしにはちぃとも理解できん! どう
してそんなにも尻を強調する服を着るんじゃい﹂
﹁オシャレでしょ?﹂
﹁斬新⋮﹂
﹁これでは生殺し! いや、生尻殺しじゃぞい!﹂
﹁意味のわからない下ネタを食事中に言わないでちょうだい﹂
1204
いつも通りのやりとりをして、夕食を終わらせ、食器の後片付け
をしてからジャンジャンの家を出た。砂漠の夜空には地球の倍ほど
ある大きな月が、煌々と西の商店街を照らしている。
﹁エリィちゃん、気をつけてね! アリアナちゃん、エリィちゃん
が無茶しないようにちゃんと見張っておいてね!﹂
﹁無茶なんかしないわよ﹂
﹁ん、まかせといて⋮﹂
﹁それからジャンのこともお願いね!﹂
﹁おいおいコゼット。俺が二人を守るよ﹂
﹁ジャンジャン、頼りにしてるわよ﹂
﹁ジャンは頑張る男⋮﹂
アリアナがコゼットとジャンジャンに向かってびしっと親指を立
てた。
﹁二人が無事に帰ってくることを祈ってる。本当はお見送りしたい
んだけど⋮﹂
﹁領主が見送りは不要、ってお達しを出しているからね。仕方ない
わよ﹂
﹁コゼット、元気で⋮﹂
﹁うん! 私は大丈夫。だから二人とも思いっきり盗賊団をこらし
めてきてねっ﹂
﹁待たせたのう﹂
お隣のバー﹃グリュック﹄で酒を買い込んだポカじいが、ほくほ
く顔で俺たちに合流したので、外まで見送りに来てくれたコゼット、
ジャンジャンに手を振り、身体強化を全身にかける。
1205
﹁じゃあまたねコゼット!﹂
﹁ちゃんとご飯食べるんだよ⋮﹂
﹁しばしの別れじゃ﹂
両手を胸に当て、コゼットはこちらを見つめている。
その横でジャンジャンが心配そうにコゼットの様子を見ながら、
俺たちにうなずきかけた。
﹁エリィちゃん、アリアナちゃん、ポカじい⋮。必ず帰ってきてね
⋮﹂
﹁大丈夫よ。私は由緒正しきゴールデン家の四女、エリィ・ゴール
デン。約束は必ず守るわ﹂
﹁私も⋮﹂
下の上
の身体強化で一気に駆
﹁わしゃ酒が飲みたいから帰ってこざるを得ないのう﹂
もう一度コゼットに手を振り、
けだした。
○
俺とアリアナはポカじいの家まで戻ってきて、風呂に入り、寝る
準備万端でベッドに入った。ルイボンにもらった化粧水をしっかり
と顔につけ、ストレッチも済ませてある。
明日は五時にジェラの北門に集合なので、早めに寝ておかないと
つらい。
アリアナはルイボンの専属メイドからもらった化粧品の確認が終
わったらしく、当然のように俺のベッドへ潜り込んできた。
1206
月明かりが窓から差し込み、布団からはみ出た狐の尻尾を照らす。
﹁エリィ⋮﹂
アリアナが狐耳をぴこぴこさせ、何か言いたげに袖を引っ張って
くる。彼女特有の甘い香りが心地よく鼻孔をくすぐった。
﹁魔法の確認しておこう⋮﹂
﹁いいわよ﹂
﹁念のため﹂
﹁明日出発だもんね﹂
﹁うん﹂
﹁⋮⋮コゼットのこと心配なの?﹂
﹁⋮⋮うん﹂
﹁平気よ。フェスティは生きているわ﹂
ここぞ、とポジティブシンキングを前面に押し出す。
ネガティブイメージを持って成功した人間はいない。とにかくい
いイメージを持つことが重要だ。
プラス思考が成功を引き寄せ、運もタイミングも引き寄せる、と
俺は勝手に思っている。
﹁なんたって私が助けに行くんだからね。私ほど幸運な女子はいな
いわよ﹂
﹁ふふっ﹂
﹁世界の幸運が私に降り注いでいるんだから﹂
﹁⋮そうだね﹂
﹁あ、ちょっと。その顔は信じてないでしょう?﹂
﹁そんなことないよ⋮。エリィのことはいつでも信じてる﹂
1207
そう言って胸に顔をこすりつけてくるアリアナの狐耳を、これで
もかともふもふした。
﹁そういえば魔法の確認だったわよね﹂
狐耳から手を離してアリアナの長い睫毛を見つめ、枕元に置いて
あるノートに手を伸ばして取り、再び寝っ転がって広げた。
ポカじいの教えや、憶えきれない詠唱を書き込んである魔法ノー
トだ。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
炎
白 | 木
\ 火 /
光 土
○
風 闇
/ 水 \
空 | 黒
氷
下位魔法・﹁光﹂
下級・﹁ライト﹂
ミラージュフェイク
中級・﹁ライトアロー﹂
ヒール
﹁幻光迷彩﹂
﹁治癒﹂
キュアライト
上級・﹁ライトニング﹂
﹁癒発光﹂
1208
上級魔法・﹁白﹂
ホーリー
下級・﹁再生の光﹂
﹁聖光﹂
ピュアリーホーリー
中級・﹁加護の光﹂
﹁純潔なる聖光﹂
下位魔法・﹁風﹂
下級・﹁ウインド﹂
中級・﹁ウインドブレイク﹂
﹁ウインドカッター﹂
上級・﹁ウインドストーム﹂
﹁ウインドソード﹂
﹁エアハンマー﹂
上級魔法・﹁空﹂
下級・﹁空間把握﹂
下位魔法・﹁水﹂
下級・﹁ウォーター﹂
中級・﹁ウォーターボール﹂
上級・﹁ウォーターウォール﹂
下位魔法・﹁土﹂
下級・﹁サンド﹂
中級・﹁サンドボール﹂
上級・﹁サンドウォール﹂
サンダーボルト
複合魔法・﹁雷﹂
﹁落雷﹂
1209
エレキトリック
インパルス
﹁電打﹂
ライトニングボルト
﹁電衝撃﹂
サンダーストーム
﹁極落雷﹂
﹁雷雨﹂
﹁自分の周囲に放電する落雷魔法︵開発中︶﹂
﹁エリアを指定して感電させる落雷魔法︵開発中︶﹂
下位魔法﹁光﹂﹁風﹂﹁水﹂﹁土﹂
上位魔法﹁白﹂﹁空﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
ノートに書かれた魔法を見て、アリアナは複合魔法のところで首
をかしげた。
﹁自分の周囲に放電⋮⋮これは何となくわかる。自衛のための落雷
魔法。でも⋮エリアを指定して感電させる⋮?﹂
﹁ああ、これは地面にスタンガンを置いたような⋮⋮ええっと、地
とか
サンダーボルト
落雷
電衝撃
インパルス
面から電気を放射して対象者を感電させられないかと思って。電気
の絨毯を想像してくれればいいと思うわ。
って威力が強すぎるじゃない? 痺れさせて相手を無力化させるこ
とが狙いの、落雷魔法の出力を抑えた感電魔法よ﹂
﹁エリィは面白いことばかり考えるね⋮﹂
﹁そうでしょ﹂
﹁できそう?﹂
﹁どうかしら。かれこれ三週間ぐらいチャレンジしているんだけど、
ネーミングとイメージが合わなくて魔法が発動しないのよ﹂
﹁オリジナル魔法って難しいんだよ? Aランクの冒険者でも開発
に成功した人は一割ぐらいってポカじいが言ってた⋮。それに、高
ランクの冒険者にしかオリジナル魔法の情報は伝えないらしいよ⋮
1210
存在とか作り方とか⋮﹂
﹁へえ、そうだったの。てっきり強い魔法使いならみんな知ってい
ると思ったわ﹂
﹁ん⋮そうでもないみたい﹂
﹁なるほどね。何とか出発までには完成させたかったんだけど、厳
しいかもしれないわ﹂
﹁ノート貸して⋮私の魔法も書くね﹂
﹁前にアリアナにもらったメモを写しておいたわ。四ページ前よ﹂
ぱらぱらと前のページに戻り、アリアナは俺が書いた使用可能魔
法の写しを見ると、枕元からペンを取って、新しく覚えた魔法をつ
けたしていった。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
炎
白 | 木
\ 火 /
光 土
○
風 闇
/ 水 \
空 | 黒
氷
下位魔法・﹁闇﹂
下級・﹁ダーク﹂
中級・﹁ダークネス﹂
上級・﹁ダークフィアー﹂
1211
スリープ
コンフュージョン
﹁睡眠霧﹂
バーサク
﹁混乱粉﹂
ロスヴィジョン
﹁狂戦士﹂
ロスヒアリング
﹁視覚低下﹂
アノレクシア
﹁聴覚低下﹂
アブドミナルペイン
﹁食欲減退﹂
﹁腹痛﹂
上位魔法・﹁黒﹂
グラビトン
下級・﹁黒の波動﹂
グラビティバレット
﹁重力﹂
グラビティリリーフ
﹁重力弾﹂
グラビティウォール
﹁重力軽減﹂
メランコリー
﹁重力壁﹂
テンプテーション
﹁憂鬱﹂
サァヴィジュ
﹁誘惑﹂
ディープスリープ
﹁殺伐﹂
﹁熟睡霧﹂
ダブルグラビトン
中級・﹁黒の衝動﹂
ギルティグラビティ
﹁二重・重力﹂
ギルティグラビティ
﹁断罪する重力﹂
ギルティグラビティ
コフィン
マルトー
﹁断罪する重力・棺桶﹂
ギルティグラビティ
スィクル
﹁断罪する重力・鎚﹂
ギルティグラビティ
カラー
﹁断罪する重力・鎌﹂
チャーム
﹁断罪する重力・首輪﹂
トキメキ
﹁魅了﹂
﹁恋︵開発中︶﹂
下位魔法・﹁風﹂
下級・﹁ウインド﹂
1212
中級・﹁ウインドブレイク﹂
﹁ウインドカッター﹂
上級・﹁ウインドストーム﹂
﹁ウインドソード﹂
﹁エアハンマー﹂
下位魔法・﹁火﹂
下級・﹁ファイア﹂
中級・﹁ファイアボール﹂
上級・﹁ファイアウォール﹂
下位魔法・﹁水﹂
下級・﹁ウォーター﹂
中級・﹁ウォーターボール﹂
下位魔法・﹁土﹂
下級・﹁サンド﹂
中級・﹁サンドボール﹂
上級・﹁サンドウォール﹂
下位魔法・﹁闇﹂﹁風﹂﹁火﹂﹁水﹂﹁土﹂
上位魔法・﹁黒﹂
だな。
の強力なバージョンなんだろう。
熟睡霧
ディープスリープ
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
初めて見る魔法は
スリープ
は重力場を輪状にして相手を縛り付け、
睡眠霧
カラー
断罪する重力・首輪
ギルティグラビティ
おそらく闇魔法
二つ目の重力場で引き寄せたり、さらに拘束を強めたりする、拘束
1213
系の魔法だ。
﹁エリィこっちを見て⋮﹂
恋
﹂
トキメキ
﹁なあに?﹂
﹁
ノートから目線をアリアナへずらすと、彼女は何を思ったのか突
然ウインクしながら人差し指をほっぺたに当てた。
何コレ超かわいい⋮。
ああなんだろうこの気持ち⋮⋮熱に浮かされ全裸になって、ハワ
イのビーチでリンボーダンス。胸が締め付けられて、今にもハート
がファイヤーボール。この世に生を受けた喜びを噛みしめて、海辺
で絶叫エターナル。
﹁エリィ、エリィ⋮﹂
魅了
チャーム
と変わらない⋮﹂
﹁はっ! わたしったら何を⋮?!﹂
﹁うーん、これじゃまだ
﹁急に実験台にしないでちょうだいッ﹂
﹁もうちょっとで完成しそう⋮﹂
﹁あら。可愛いから許すわ﹂
﹁可愛いって言ってくれるのエリィだけだよ﹂
﹁そんなことないわよ。東西南北の商店街合同でアリアナファンク
ラブができてるんだから﹂
﹁え⋮⋮ほんとに?﹂
﹁あら、知らなかったの?﹂
﹁やだっ⋮⋮﹂
そう言いながら頬を染め、口を尖らせながらうつむくアリアナが
あまりにも︱︱
1214
﹁う゛っ!﹂
﹁⋮エリィ?﹂
﹁な、なんでもないわ﹂
恋
を使ってみてちょうだい﹂
トキメキ
なんか今、心臓を鷲づかみにされたような気がした。
これはまさか⋮。
﹁アリアナ、今の気持ちでもう一度
﹁え⋮⋮? うん、わかった﹂
﹁さあきなさい!﹂
ベッドから出て仁王立ちし、へその下に力を入れて構えた。
ついでに軽く身体強化もしておく。これで準備万端。
よしこいや!
﹁じゃあいくよ⋮﹂
﹁いいわよ﹂
そう言うのが早いか、アリアナが無造作に両手を頬に当て、にっ
こりと笑った。
普段あまり表情が変わらないアリアナの笑顔は、手榴弾を投げた
ようにその辺で爆発して、アルティメットな可愛さをまき散らし、
恋
﹂
トキメキ
俺を刺し貫いた。
﹁
﹁う゛っ!﹂
咄嗟に胸を押さえてうずくまる。
1215
ぎゃああああああっ!
心臓止まるわ! これまじであかん!
TOKIMEKI
⋮⋮⋮?!
これが⋮⋮⋮これがトキめいて心臓が止まるってやつなのか⋮?
これが本当の⋮⋮⋮
﹁今の⋮私がイメージしてる魔法に近い⋮﹂
魅了せし者
チャーム
は恋の虜にする魔法。でも、発動条件が厳しいか
﹁そ、そうなの?﹂
﹁
ら戦闘中は使えない⋮。対するオリジナル魔法は低い発動条件で相
手を恋の虜にして、一瞬だけ行動を阻害することを目的にしている。
発動条件は見ていること。あとは⋮⋮私のことを少しでも⋮⋮少し
でも⋮⋮﹂
﹁少しでも?﹂
﹁ん⋮⋮﹂
﹁恥ずかしがらないで言ってちょうだい﹂
﹁少しでも⋮⋮⋮可愛いって思うことっ⋮﹂
語尾が消えそうになっているウブなところが、たまらなくきゃわ
いい。
﹁これぐらいの発動時間なら戦闘中に使えそうね﹂
﹁タメを入れて三、四秒ぐらいかな⋮﹂
﹁やられた相手はたまらないわねこの魔法⋮。心臓がギュっとなっ
て、グッって握られる感覚よ。心臓が止まるから魔法も使えないし、
行動が大幅に制限されるわ﹂
﹁効果は五秒ぐらいかな?﹂
﹁相手がどれぐらいアリアナに好意を抱いているかね。私は好感度
マックスだから十秒ぐらい魔法が使えないと思うわ﹂
いやまじで。
1216
﹁なんとなくコツが掴めた⋮ありがとうエリィ﹂
﹁どういたしまして﹂
﹁でも⋮⋮恥ずかしいからあんまり使いたくないな⋮﹂
﹁な、何を言っているの! せっかくのオリジナル魔法なんだらバ
ンバン使わなきゃ意味ないわよ! バンバン使って! バンバン!﹂
﹁ん⋮がんばる﹂
﹁そうよそうよ。それがいいわ﹂
を試してことごとく心臓が止まり、満足感
トキメキ
恋
あの笑顔が見られるなら、心臓が止まることも辞さない覚悟だ。
○
その夜、何度か
とほどよい疲労感を感じた俺たちは寝ることにした。
アリアナがぐっすり眠ったあと、狐耳をもふもふし、次第に睡魔
に襲われ意識が飛んだ。
かなり時間が経ったと思われる頃、はっきりとした夢を見た。
その夢は、夢を夢だとわかる、いわゆる明晰夢というやつで、俺
が乗りうつる前のエリィが登場し、孤児院で朗読をしている最中だ
った。
エリィはまだデブで、ニキビが顔にたくさんあり、両目が脂肪で
細く見えるようなブスだったが、俺の目には可愛らしい少女に見え
1217
る。性格を知っているからなのか、今の自分が可愛いからなのかは
わからない。ただ、デブスのくせにやたらと可愛く見える。
もはやこれはブスじゃねえよな、と夢の中で独りごちていると、
彼女が本棚から一冊の古ぼけた本を手に取り、絨毯の上に女の子座
りをした。
1218
第23話 イケメン砂漠の誘拐調査団・準備︵後書き︶
ディープスリープ
エリィ 身長161㎝・体重53㎏︵体型は変わっておりません︶
ハイスリープ
熟睡霧↓熟睡霧に変更致しました。
1219
第24話 イケメン砂漠の誘拐調査団・出発︵前書き︶
お待たせ致しました。
皆さんが心配してくれたにもかかわらず、風邪引いてしまいました
YO⋮。
許してチョンマゲ。チョンマゲの先っちょパイナポー。
皆さんも風邪にはご注意を・・・・!
ということで、前回の夢を見たところからの続きです!
1220
第24話 イケメン砂漠の誘拐調査団・出発
明晰夢というものは夢の中で思いのままに行動できる、って話を
うんちく博士の田中から聞いたような気がする。だがこの場合は少
し違うみたいだ。
俺の身体は映画で見た霊体のように透明になってその辺を浮いて
いて、煙のようにゆらゆら浮遊しながら、エリィと孤児院の子ども
達を見ていた。声を出しても誰にも届かないし、動こうとしても自
由に移動できない。透けた腕が振り回されるだけだ。
夢のせいなのか、男の体になっている。
この感覚、まじで忘れかけてた⋮。
透けているとしても、動かないとしても、やっぱ自分の体が一番
いい。筋肉質な腕、バランスのいい足、男らしい手。こっちの世界
に来る直前の自分の体と一緒だ。夢から覚めたらまたエリィの体に
戻るんだろうけど、今はこの感覚が懐かしい⋮。
﹁今日はこのご本を読みましょうね﹂
しゃべった!
エリィがしゃべった!
いつもの自分の声だから、なんかすげえ不思議な感覚になる。
っておい。自分じゃないのにエリィを見て自分って⋮完全にエリ
ィと同化してきてる気がするぞ。
1221
優しげな声でエリィが本の表紙をみんなに見えるように胸の前へ
掲げる。太い腕、座っているのも辛そうなほどに盛り上がった太も
もの脂肪、顔は贅肉で今の倍ぐらいの大きさだ。それでも健気に子
ども達へ笑いかけ、優しげな瞳を全員に向けている。
太っていた頃のエリィの姿も懐かしいな。
やっぱり改めて見るとすげえ太い。この姿を見て、今のエリィと
同一人物って、誰も思わないだろ。いやまじで街頭アンケートした
ら、百人中百人がびっくり仰天して、レポーターに﹁嘘ですよね﹂
と聞くだろうな。
それにしても子どもはかわいいな。
みんないい返事をして、エリィの周りに集合している。
あ、ひょっとして⋮これってエリィの記憶じゃねえか?
孤児院で朗読の手伝いをしていたときの実体験で、身体が同化し
た俺がエリィの記憶を覗いている。なんか妙にリアルで鮮明だから、
そう考えると得心がいくな。
頑張って子どもを座らせているエリィを見ていると、胸の奥から
感情が込み上げてくる。
この頃のエリィは昼休みにクリフと会うことだけを楽しみにし、
あとの時間はリッキー家のボブとスカーレット達にこっぴどいイジ
メを受けていたはずだ。それを考えると⋮あれ、おかしいな⋮⋮鼻
の奥がツンとして目から熱い何かが⋮。
いや、俺は泣いてないよ。こんなことで、この天才イケメン営業
が泣くわけないだろ。
﹁大冒険者ユキムラ・セキノのお話です﹂
﹁そんな本なんて読んでも聞かねえよ∼デ∼∼ブ﹂
1222
﹁でぶエリィはでーぶでーぶ﹂
見るからにやんちゃで、ウマラクダのようにすきっ歯な男の子と、
これまた言うことを聞かなそうな黒髪でそばかす顔の男の子が、ゲ
ラゲラと笑いながら音をまき散らして部屋を走り出した。見た目か
らして八歳から十歳、といったところか。
﹁やめなよライール﹂
﹁ヨシマサ、また院長に怒られるよ﹂
﹁エリィお姉ちゃんにデブって言っちゃいけないって院長が言って
たよ﹂
﹁女の子にデブっていうのはひどいんだよ﹂
円を描くようにエリィの前に集まっていた子ども達から批難の声
が上がる。ざっと数えて十五人いるな。皆、質素な上下を着ており、
半分が人族、半分が獣人、男女比もちょうど半分といった案配で、
年齢は五歳から十歳ぐらいだ。
場所は談話室のような場所だろうか。レンガ作りの暖炉があり、
ところどころ破れている古ぼけた大きな絨毯が敷かれ、汚さないよ
うに入り口で靴を脱ぐ決まりになっているらしい。部屋は学校の教
室、半分ほどの広さで、入り口から左手の壁際には手作りの本棚が
あり、寄進されたであろう子ども向けから学術書まで、何の脈絡も
ない種類の本がぎっしり詰め込まれている。
﹁エリィお姉ちゃん。院長呼んでこようか?﹂
利発そうな目をした犬獣人の女の子が怒った顔で立ち上がった。
あどけない顔には小ぶりな鼻と大きな口がついていて、柔らかそ
うな茶色の耳が頬のあたりまで垂れており、優しげな印象を与える。
1223
是非とも耳を持ち上げて上下に揺らしてもふもふしたい。
﹁ううん、呼んでこなくていいわ。ありがとうマギー﹂
﹁せっかくエリィお姉ちゃんが来てくれたのに、デブだなんてひど
いよ⋮﹂
﹁いいのよ⋮⋮⋮こら二人とも! 静かにしなさいっ﹂
﹁やーだーよ∼﹂
﹁でーぶの言うことはきーかーなーいー﹂
エリィに叱られてドタバタに拍車がかかる悪ガキの二人。
手に持った棒きれでチャンバラを始め、朗読会を妨害するためな
のか、わざと奇声を上げている。
よし、今すぐクソガキの頭をぶん殴ろう。
エリィにデブデブ言いすぎだ。
それに引き替え、利発そうなマギーっていう犬獣人の女の子はえ
え子や。お兄さんが欲しい物をなんでも買ってやろう。うんうん。
﹁ライールとヨシマサは大冒険者のお話が好きでしょう?﹂
﹁好きだけど嫌い∼﹂
﹁俺も∼﹂
エリィの優しい問いかけに、悪ガキ二人はあえてつっけんどんな
答え方をし、否定的な声を上げる。
﹁聞かなくてもいいから静かにしていてちょうだいね。みんな朗読
が聞こえなくなっちゃうのよ﹂
﹁やーだよーん﹂
﹁やだやだー﹂
1224
そう言って悪ガキ二人はまたぎゃーぎゃー騒ぎ出し、ドタバタと
部屋を走り回ってチャンバラで斬り合い﹁うおー﹂とか﹁ぎゃああ
ああ﹂と悲鳴を上げてふざけ合う。しまいにはエリィの前にできて
いる輪の中に入って腰をくねくねさせる意味不明な踊りをはじめた。
見るに見かねた犬獣人の女の子マギーが、立ち上がって﹁もう!
いい加減にしてよ!﹂と一喝したが、悪ガキに効いた様子はなく、
さらに棒きれを振り回した。
﹁シールド騎士団の魔法を受けてみよ!﹂
﹁われは大冒険者ユキムラ・セキノ!﹂
﹁とりゃあ!﹂
﹁おりゃあああ!﹂
魔法もヘチマもなく、ただ棒きれをぶん回しているだけなんだけ
どな、そんなに振り回したら絶対に︱︱
バチン
ベチン
あ⋮⋮。ほらいわんこっちゃない。
﹁う⋮⋮うわああああああああん!﹂
﹁い⋮⋮⋮いだあああい!﹂
年少の男の子と女の子の頭に棒きれが見事クリーンヒットして、
耳を塞ぎたくなるような大声で泣き出した。すると静かにしていた
子ども達もさすがに怒ったのか、すきっ歯のライールとそばかすの
ヨシマサの悪ガキ二人に苦情、というか、体当たりをして、取っ組
1225
み合いの喧嘩になった。
瞬く間に談話室は本を読むどころの騒ぎじゃなくなり、年少組は
喧嘩のせいで大泣きが連鎖し、男の子達はすったもんだの乱闘を始
める。
﹁やめて! もうみんなやめてよぉ! エリィお姉ちゃんが来てく
れたのにぃ!﹂
年齢が他の子どもより上であろうマギーが大声で止めに入ろうと
した。
﹁そんなデブの話なんて誰が聞くか!﹂
﹁そうだそうだ!﹂
元凶である悪ガキ二人は取っ組み合いをしながら、大声で反発す
る。
エリィはちょっと傷ついた顔をしたが、すぐに気を取り直して気
丈な声を上げた。
﹁二人とも静かに! おやめなさい!﹂
﹁うるせえデーブデーブ﹂
﹁でぶエリィ!﹂
﹁ひどいよ⋮⋮女の子にデブって言っちゃ⋮⋮⋮ひっく⋮⋮いけな
いんだよぉ⋮﹂
ついにはマギーが犬耳をしおれさせ、悔し泣きを始めた。
もはや収拾が不可能になりつつあった。知恵の回る子どもが、院
長を呼んでくる、といって部屋から駆け出していく。
1226
何を思ったのか、エリィがゆっくりと立ち上がった。
小さな子どもからすれば、百キロ超えの大人が立ち上がることは
巨大戦艦が迫り来るみたいなもんだろう。
﹁みんな、ふたりを押さえてちょうだい﹂
﹁わかった!﹂
多勢に無勢であったライールとヨシマサはすぐに捕まって、浮沈
艦のようにのっそりとやってくるエリィの腕につかまれた。
﹁な、なにすんだよ!﹂
﹁離せ! はーなーせー!﹂
﹁離さないわ。みんながお話を聞きたいのにどうしてこんなことす
るの?﹂
﹁別に⋮⋮聞きたくないんだもん﹂
﹁おれもだ!﹂
﹁正直に言いなさい﹂
﹁うるせえデブ!﹂
﹁デブエリィ!﹂
﹁もうやめてよ!﹂
マギーが今にも噛みつく勢いで二人に詰め寄り、怒りの目を向け
る。この子はエリィが罵倒されることを本気で怒っているみたいだ。
﹁マギー、いいのよ本当のことだから。それより二人とも、こっち
に来なさい﹂
﹁引っ張るなよ!﹂
﹁院長先生に言うぞ!﹂
エリィが二人を抱えるようにして引きずり、定位置に座ると、ラ
1227
イールとヨシマサの二人を自分の脇へと座らせる。二人は暴れてい
るが、エリィに腰をしっかりとつかまれているので逃げられない。
﹁ここにいらっしゃいね﹂
そう言ってエリィはぽんぽんと膝の上を叩く。
悪ガキは恥ずかしいのか、焦ってわぁわぁ喚きながら、なんとか
脱出を試みようとするものの、網にかかった魚のようにエリィの膝
の上へと引っ張られた。
﹁罰として二人は私の膝の上ね﹂
﹁えーーーっ﹂
﹁やだ﹂
﹁ダメよ。あなた達はお兄さんなんだから小さい子を守らないと。
それを棒で叩いて泣かすなんて、男として、騎士として恥ずべき行
為よ﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁お返事は?﹂
﹁⋮⋮⋮ったよ﹂
﹁⋮⋮⋮よ﹂
﹁聞こえないわよ﹂
﹁⋮わかったよ!﹂
﹁⋮今日だけだからな!﹂
﹁よろしい﹂
そう言ってエリィはにっこりと笑った。
その笑顔は天使のように純粋で優しげで、見ている者を魅了し、
心を温かくさせる。
1228
そうか⋮。エリィが白の女神って呼ばれる理由が何となくわかっ
たような気がする。こんな顔で微笑まれたら、怒っていたこととか、
不安なこととか、全部どうでもよくなるな。デブのままのエリィで
も十分に可愛いと思うぞ。
エイミーやクラリスは、エリィが学校でいじめられていることを
知り、彼女のこういった可愛らしい笑顔が見られなくなって、さぞ
心配したことだろう。俺がエリィに乗りうつって元気になったとき
は、飛び上がりたくなるほど嬉しかったはずだ。
中身が入れ替わっていることは、落雷魔法のせいで性格が明るく
なって頭の回転が速くなった、と言い訳して気づかれなかった。た
ぶん、嬉しさのあまり正常な判断ができなかったことと、仕草が完
全にエリィと同じだった、あとは落雷魔法が異世界では神格化され
るレベルですげえもんだと認識されていたおかげでバレなかったん
だろう。
エイミーに落雷魔法の説明をしたとき、大丈夫大丈夫、私はわか
ってるよぉ、と、したり顔で何度もうなずいていたしな。
﹁マギー、手が離せないわ。本のページをめくってちょうだい﹂
﹁うんっ!﹂
エリィの膝の上に乗せられ挙動不審な悪ガキを見て、犬獣人のマ
ギーは女の子らしい含み笑いをし、エリィの横に回って、見えるよ
うに本を広げた。
するとドアががらりと開いて、初老の女性が入ってくる。栗毛色
のウエーブした髪は後ろで束ねられ、ところどころ白髪がまじって
おり、顔には柔和な笑みが浮かんでいた。
﹁ホラ見て院長先生! ってあれ?﹂
1229
知恵の回りそうな細身の男の子が、静かになった部屋の様子を見
て首をかしげた。
隣にいた院長が、笑いながらおもむろに口を開く。
﹁おやおや随分といい席に座っているのね。ライール、ヨシマサ﹂
﹁ち、ちげえよ﹂
﹁これは⋮﹂
﹁私もエリィちゃんの朗読を聞かせてもらうわね﹂
﹁はい、院長先生﹂
いい返事をして、エリィは朗読を開始しようとし、ふと気づいた
ように悪ガキ二人に声をかけた。
﹁苦しくないかしら?﹂
﹁⋮⋮なんかあったかい﹂
﹁柔らかい⋮⋮落ち着く﹂
﹁まあ⋮⋮そう。それはよかったわ﹂
﹁あのなエリィ⋮⋮お姉ちゃん﹂
﹁なぁに?﹂
そう言って、すきっ歯のライールは恥ずかしげにうつむくと、見
下ろしているエリィのやさしげな表情を見て、決心したように顔を
上げた。
﹁あのな﹂
﹁ええ、何かしら﹂
﹁あの⋮⋮﹂
﹁うん﹂
﹁⋮⋮ごめんな、デブって言って⋮﹂
1230
その言葉を聞いたエリィはハッとした表情をし、自嘲気味に笑っ
て首を振った。
﹁⋮⋮⋮いいのよ﹂
﹁ごめんな⋮﹂
﹁ううん⋮﹂
続いてそばかす顔のヨシマサも、エリィの腕をつかんだ。
﹁ごめん⋮⋮なさい﹂
﹁いいのよ二人とも⋮⋮全然そんなこと⋮⋮⋮気にしてない⋮⋮ん
だから⋮﹂
そう言ったエリィは、我慢しようと思ったが上手くいかなかった
らしく、ぽろぽろと涙をこぼした。
﹁いいのよ二人とも⋮いつも元気でいてくれて⋮⋮ありがとう⋮⋮﹂
泣きながらエリィは二人を抱きしめた。
﹁あ∼っ! 二人がエリィちゃん泣かしたぁ!﹂
﹁ごめんエリィ姉ちゃん!﹂
﹁泣くなよ! なんで泣くんだよ!﹂
﹁ごめんなさい⋮⋮⋮なんでだろう⋮⋮涙が⋮⋮止まらないわ⋮⋮﹂
﹁よしよし。エリィお姉ちゃん﹂
お姉さんらしいマギーが手に持っていた本を絨毯に置いて、エリ
ィの頭を撫でる。
すると、子ども達が全員エリィの周りに集まってきて、エリィに
向かってよしよしと頭を撫でようとする。頭を撫でられない子は腕
1231
や膝にくっつき、五才ぐらいの女の子三人は出遅れて場所がなかっ
たらしく、背中を一生懸命に撫でた。
﹁ご⋮⋮ごめんなさい⋮⋮⋮私⋮⋮⋮⋮みんな⋮⋮ありがとう⋮⋮﹂
﹁エリィお姉ちゃん⋮⋮⋮泣かないで⋮⋮﹂
﹁私は⋮⋮⋮⋮みんなに⋮⋮助けてもらって⋮⋮⋮⋮みんながいな
かったら⋮⋮私⋮﹂
そう言って、エリィは震えた声で言葉を紡ごうとする。しかし言
葉はそれ以上出てこず、右手で口を押さえて嗚咽を堪えることに必
死になった。
﹁う⋮⋮⋮ううっ⋮⋮⋮﹂
彼女のふっくらした頬に、止めどなく涙がこぼれ落ちる。
院長先生も子ども達とエリィの様子を見て、涙をハンカチで拭っ
ている。
ぐうっ⋮⋮⋮。
くそ⋮⋮⋮涙が⋮⋮止まらねえ⋮⋮。
日記にあった内容と同じだ。
エリィが悪ガキ二人を膝の上に乗せるのは、凄く勇気のいること
だっただろう。これまで彼女は誰にも認められず、自分に自信がな
く、しかもイジメを受けていて精神的に相当な傷を負っていたはず
だ。
それでも子どもとの距離を縮めようと、一歩踏み出して、二人を
膝の上へと抱き寄せた。上手いやり方じゃないが、エリィの気持ち
1232
は確かに伝わったように思えた。
他の子ども達にこんなにも心配されて、ようやく自分の居場所が
ある、ってことを確認できたんだ。
日記には、私はデブでもいいんだ、って書いてあったもんなぁ⋮。
ちくしょう⋮⋮。
俺は泣いてないっ。泣いてないぞ!
断じて泣いてないからな!
これはただ目に巨大なゴミが入ったからだ。
さっき前方からゴミがぶわーって飛んできて、ちょうど目の中に
入りやがったんだ。透明だけど。体は透明だけどっ。大事なことだ
から二回言ったぞ。こんな夢の中だって目にゴミは入るんだよ。こ
の天才エリートが、こんなみっともなく声を出して泣くなんて、そ
ーんなことあるわけねえだろ!?
てかね、エリィの場所をぶち壊した奴ら、まじで許さねえ。
孤児院の子どもの顔はしっかりと覚えたから、全員救出してやる。
覚悟してろよ、盗賊団。全員、首洗ってまってやがれ。
あと、魔改造施設はぶっ壊すからそこんとこよろしく。
どうせどっかのお偉いさんに渡したら、やれ利権がどうだ、薬の
効果がどうだ、我が軍にも採用しましょう、とか、碌でもないこと
に使うに決まってる。
証拠品を押収して、二度と魔改造ができないようにぶっ壊すぜ。
これ、決定事項ね。まじで。
にしても⋮⋮涙が止まらねえええっ!
ちくしょう!
1233
○
﹁エリィ⋮エリィ⋮﹂
眠たげで可愛らしい声が聞こえると、肩がゆっくりと揺すられて
いることに気づいた。
目を開けると、鼻がくっつきそうになるほど顔を近づけているア
リアナが心配そうに見つめていた。
﹁大丈夫?﹂
﹁⋮⋮ええ。おはよう﹂
﹁怖い夢だった⋮?﹂
﹁私うなされていた?﹂
﹁ううん⋮﹂
そう言って、アリアナはタオルで俺の頬を拭いてくれた。
﹁あら⋮⋮泣いていたのね﹂
﹁うん﹂
﹁大丈夫よ⋮ちょっと昔のことを思い出していただけだから﹂
﹁そう⋮﹂
彼女は優しく俺の額に手を当てて、そのまま手櫛で髪を梳いてく
れた。アリアナのほっそりした指は、けだるい朝の寝起きに心地よ
く、また眠りたくなってくる。ポカじい特製の砂漠用の薄い布団を
たくし上げて、彼女に聞いてみた。
1234
﹁もうちょっと寝ていいかしら﹂
﹁時間⋮﹂
﹁そうよねえ﹂
だよなぁ。
﹁行こう﹂
﹁⋮⋮そうねっ﹂
まあ、寝起きはいいほうだ。遅刻なんて一度もしたことがない。
で水を入れてアリア
で水温を上げると、あっという間に湯船の
ウォーター
アリアナと風呂場に行き、ポカじいからもらった通気性のいいピ
ファイアボール
ンクのパジャマを脱いで、俺が
ナが
ウインド
でお互いの髪を乾かし、ス
完成だ。軽く入ると、さっぱりしてシャキっとした気分になる。
風呂から出て体を拭き、
キニージーンズを履いて、偶然にも市場で見つけた形のいい、地球
ではTシャツと呼ばれるであろうインナーを着た。色は白だ。この
ままだとあまりにも胸が強調されて周囲の目の毒なので、シースル
ーの白シャツを羽織る。
アリアナにやってもらったツインテールを垂らすと、金髪でちょ
うど胸が隠れて都合がいい。あんまじろじろ見られてもあれじゃん。
俺、美少女だしさ。そこんとこもっと気をつけようと思う。
美少女つれぇー。男に戻りてぇー。
アリアナはお気に入りのデニムサロペットスカートを着て、メイ
クは薄めにしている。利き手である右腰にはコゼットが改造してく
れた、鞭をくくりつけるデニムのホルスターがついており、肩から
斜めがけしたショルダーバッグには、夜のうち作り置きをしておい
たおにぎりがしっかりと入っていた。メイク道具を入れた小さいバ
1235
ッグを持っている姿は、ティーンファッション誌に出ていてもおか
しくない佇まいだ。
荷物のほとんどは馬車に積んであるので、俺は手ぶらだ。あー楽
ちん。
準備が終わると、前日にバー﹃グリュック﹄から酒を買い込んで
いたらしいポカじいが、ずた袋に入れた酒瓶をガチャガチャいわせ
ながら地下から出てきた。
﹁いくぞい﹂
﹁ええ﹂
﹁うん⋮﹂
ポカじいの合図で身体強化をし、駆け出した。
朝五時の砂漠には淡い太陽の光が差し込み、砂をじわりと照らす。
太陽が気温を上げ、砂に反射した光が大気を焦がし、これから数時
間で一気に気温が上昇するだろう。
下の上
の強度だ。景色が
走り慣れたジェラへの道を、俺たちは人間を超越したスピードで
走る。ポカじいの指示で、身体強化は
ガンガン後方へと飛び、空気が肌を強く撫でる。空圧は身体強化の
おかげでまったく問題ない。
四十キロの道のりが、なんとわずか二十五分。
もうなんだろう⋮⋮ツッコむ気力すら失せる人間離れした速さ。
軽く計算すると、時速百キロは出ていることになる。やばっ。
砂漠の荒野に、高さ五メートルの土壁で覆われたオアシス・ジェ
ラが見えてきた。
1236
さすがにこの強度の身体強化でぶっ通し走ると息が上がる。アリ
アナは肩で息をし、ポカじいは涼しい顔をしながら酒瓶が割れてい
ないかの確認をしていた。
息を整えてから西門をくぐると、いつもいる門番が手を振ってき
た。
﹁ハローエリィちゃん﹂
﹁ハロー﹂
﹁今日出発なんだよね?﹂
﹁そうよ﹂
﹁町のことは俺達に任せてくれ﹂
﹁ええ、頼りにしているわ﹂
﹁お⋮おうよ!﹂
笑いかけると、彼は自分で肺を潰しかねない勢いで胸をドンと叩
いた。
門番って朝から大変だよな、夜勤もあるだろうし。給料いくらぐ
らいなんだろう。
朝の商店街は鎧戸が閉められ、ひっそりとしており、もう少しす
れば住民達が起きて準備を始める頃だ。ポカじい、アリアナとオリ
ジナル魔法について話し合いながら歩いていると、上から声をかけ
られた。
﹁エリィちゃん、アリアナちゃん﹂
顔を上げると、バー﹃グリュック﹄の二階からコゼットが顔を出
して手を振っている。俺達がここを通ると思ってずっと見ていたら
しい。
1237
どたんばたんいたーい、という声がして、尻をさすりながらコゼ
治癒
ヒール
﹂
ットが裏の勝手口から出てきた。上下水色のパジャマ姿で、しっか
りとドクロを頭に被っていた。
﹁尻を揉んでやろうかの?﹂
﹁朝からスケベを発動させないでちょうだい。
﹁ありがとうエリィちゃん﹂
コゼットは、俺、アリアナ、ポカじいの順に手を取り、にっこり
と笑った。
﹁私、みんなが帰ってくることを待ってる。待っているのは得意な
んだ﹂
﹁早く終わらせて帰ってくるわね﹂
﹁すぐ帰るよ⋮﹂
﹁ほっほっほっほ、心配せんでもええぞい﹂
﹁そうだね⋮。強い人がいっぱいいるもんね!﹂
強がって言うコゼットはやはり不安なようで、小動物のように震
えている。俺とアリアナは彼女の手を取った。
﹁大丈夫。フェスティはきっと見つかるわ。なんだかそんな気がす
るの﹂
﹁本当? エリィちゃん本当?﹂
﹁ええ。私の勘、結構当たるのよ﹂
﹁そっかぁ⋮⋮﹂
小刻みに震えていたコゼットの手が少し静まり、彼女は不安げに
揺れる瞳を真っ直ぐ向ける。期待しているけど、その期待に押しつ
ぶされそうになってしまい、どうしていいか分からない、といった
1238
複雑な笑みをこぼした。
﹁いってらっしゃい、エリィちゃん。昨日もお別れ言ったもんね﹂
﹁いってくるわ﹂
﹁アリアナちゃん、気をつけて﹂
﹁うん⋮﹂
﹁ポカじい、二人をお願いします﹂
﹁ほっほっほっほ﹂
すぐ戻ってくるんだ。別れはあっさりでいいだろう。
手を振ってコゼットと別れて西の商店街を抜け、大通りへと向か
い、東の商店街に冒険者協会へ向かう。協会の前にはすでに半数以
上が集合しており、朝日に照らされた、屈強な冒険者たちの個性溢
れる服装が目に入ってくる。どの冒険者にも気合いの入った表情が
見え、士気は相当に高いようだ。
こっちに気づいたジャンジャンが駆け寄ってきた。
﹁ハロー、エリィちゃん。準備はオーケー?﹂
﹁もちろん﹂
﹁アリアナちゃん、よく眠れた?﹂
﹁うん。いつもエリィと一緒だから⋮﹂
﹁賢者様、このたびはご参加ありがとうございます﹂
﹁可愛い弟子の修行の成果を見ることが目的じゃ。気にすることな
いわい﹂
﹁いえ、それでも敵の戦力や出方が不明なので、心強いです﹂
﹁ほっほっほっほ﹂
冒険者協会に泊まり込んで最後の確認をしていたらしいジャンジ
ャンは、固い決意を伺わせる顔でポカじいに頭を下げた。
1239
知り合いの冒険者が続々と俺とアリアナに挨拶をしに集まってく
る。
というか、なぜか全員こっちに集合し、いつの間にか俺の場所が集
合地点みたいになっていた。
﹁いやーエリィちゃんがいると作戦が失敗する気がしないよな﹂
﹁ほんとほんと。幸運の女神って感じだもんな﹂
﹁いつ見ても可愛いなあ﹂
﹁エリィちゃん、アリアナちゃんコンビは見ているだけで癒される﹂
﹁怪我したら言ってね。治してあげるから﹂
これから何があるか分からない旅だ。脱落者は一人も出したくな
い。
そう言う気持ちも込めてみんなを見ると、屈強な男たちは眩しい
ものを見るように目を細めて照れるように笑い、数少ない女性冒険
者の三人が代わる代わる抱きしめてくる。その中には試験6位の撃
踏のバーバラと呼ばれる踊り子風の冒険者もいた。
なんで抱きしめてくるの?
女同士ってこういうスキンシップ結構多いのか?
いまだに女同士のコミュニケーションって意味不明なところがあ
るな⋮。
にしても、女性冒険者がいると安心するな
寝る場所やテントなんかも同じ場所を使う配慮をアグナスがして
くれたし、あいつは俺の次ぐらいに気が利く男だ。
﹁集まったみたいだね﹂
そう言って爽やかな笑顔を周囲にまきつつ、スイングドアからア
グナスと、パーティーメンバーが出てきた。
1240
﹁さあこれから盗賊狩りだ。五年前の誘拐事件を解決するときがき
たぞ。馬車とジェラの兵士は北門に集合している︱︱僕たちも行こ
う﹂
まるで気負っていないアグナスは非常に頼りになるように見える。
冒険者たちは﹁応っ!﹂と漢字で書きたくなるような野太い声を
上げて返事をし、パーティーごとに分かれ北門へ向かった。当然、
俺とアリアナ、ポカじいも流れに乗って進む。
ときおり朝日が鎧に反射して目に刺さり、がちゃがちゃと金属の
擦れる音が六十人分響く。よく見れば俺とアリアナが一番の軽装だ。
無杖ってことに冒険者たちはびっくりし、そして服装にも驚いて
いた。そんなぴらぴらの服で大丈夫、と何人にも声をかけられたな。
恋
があるから、
トキメキ
いや、逆に聞くけど、レザーアーマーとかプレートアーマーでカン
フーできると思うかね。それにアリアナは新魔法
可愛い服装をしているほうが断然いい。
今日も⋮⋮可愛いな、ちくしょう。もふもふもふもふ。
﹁どうしたの急に⋮?﹂
﹁いえ、何でもないわ。ただアリアナは可愛いなと思ってね﹂
﹁ん⋮⋮﹂
﹁あら照れてるの?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮うん﹂
もう一度、狐耳を触って癒されておく。
こっちの世界に来て、しかも女になって正気を保っていられるの
は、アリアナの狐耳のおかげな気がしてならない。
それにしても、オシャレで防御力が高い服、というのは今後ずっ
1241
とついて回ってくる課題になりそうだな。俺はオシャレで尚且つカ
ンフーに支障がなく、コバシガワ商会で売れる服。アリアナは可愛
くて防御力が高い服。
とりあえずこの作戦が終わったら、デニムの加工流通に向けて動
かないと。グレイフナーに戻ったら、新素材捜索隊のような、新し
い可能性を秘めた生地を開発する部門をコバシガワ商会で設立した
い。
○
誘拐調査団は馬車十台、人間約百人という大所帯で北へ北へと進
んで行く。
ジェラから旧街道へと繋がる﹃サボッテン街道﹄という怠け者っ
ぽい名前の街道があり、砂漠の荒野を何年もかけて踏み固めたので
あろう道が真っ直ぐ延々と思える距離で伸びていた。前方を見れば
陽炎でゆらゆらと道が揺れ、たまに現れるサボテンがおかしな飴細
工のように妙な方向に折れて重なり合っている。
初日はあらかじめ予約してあったらしい﹃バラドール﹄という宿
場町で宿を取った。この町はなんとか無理をして進めば半日でジェ
ラへ行ける距離にあるので、宿場としては好条件とはいえない場所
にある。利用者はジェラから北へ向かう旅人や商人が多い。
百人の団体が一泊してくれるだけでもかなりの収入になるらしく、
歓迎ムードだった。
加護の光
﹂
﹁親愛なる貴方へ贈る、愛を宿して導く一筋の光を、我は永遠に探
していた⋮⋮
1242
日焼けしないように白魔法中級
かけておく。
﹁ありがと⋮﹂
加護の光
を自分とアリアナに
﹁いいえ。それにしても治療院だったら一回三十万ロンする白魔法
を日焼け止めに使うなんて贅沢よね﹂
﹁そうだね。でもエリィが頑張って憶えた魔法⋮。どう使おうがエ
リィの自由だよ⋮﹂
﹁そうね﹂
二人部屋を用意された俺たちは、明日に備えてくつろいでいた。
二日目以降は﹃サボッテン街道﹄を西に逸れ、町など一切ない砂
漠を進まなければならず、ベッドや風呂は当分おあずけになる。思
加護の光
って一日前の傷や損傷なら元に戻せるみたいなの。
い切りのんびりしておこう。
﹁
何年も前の古傷のような、かなり時間の経っている傷は治せないら
しいわ﹂
﹁だから日焼けしても⋮﹂
﹁そう。日焼けしても魔法をかければ元通りにできるってことよ﹂
﹁日焼け痛いからキライ⋮﹂
﹁私もよ。お肌が白いから日焼けするとすぐ真っ赤になるのよね。
アリアナ、髪を梳いてあげましょうか?﹂
﹁いいの?﹂
﹁ええ﹂
﹁ん⋮⋮お言葉に甘えるね﹂
アリアナは嬉しそうに尻尾をふりふりしつつ、ポーチから櫛を取
ってこちらに渡しきて、ちょこんと椅子に座る。豊かな彼女の髪を
左手で持ち上げて、ルイボンからもらった高級な櫛で梳いていく。
1243
これも寝る前の儀式みたいなものだ。もふもふ。やるとやらない
とでは髪のさらさら具合がだいぶ変わってくる。もふもふ。男なら
ぜってーやらねえよな、櫛で髪を梳くとか。まじで。もふもふ。
﹁耳⋮くすぐったい﹂
﹁あらごめんね。ついつい触っちゃうのよね﹂
﹁ん⋮⋮いいけど﹂
﹁明日から砂漠を行進かぁ﹂
﹁頑張ろう﹂
﹁そうね﹂
☆
流砂が地面を静かに鳴らし、砂漠の荒涼とした大地が月夜に照ら
されている。
魔物同士が争う不気味なうなり声と、命を落とした敗者の奇っ怪
な悲鳴が周囲に響き渡ると、砂に音が吸い込まれ、辺りは数十秒前
の静寂を取り戻す。弱肉強食の砂漠では日常茶飯事である命のやり
とりが粛々と行われ、命の火花を見る者は誰もいない。
この﹃空房の砂漠﹄では生そのものが儚く、生き続けることが困
難な場所であり、生存をするために生息している生物の生態系は異
常な変貌を遂げていた。捕食される側の魔物ですらCランク級の強
さや狡猾さを有しており、ひとたび気を抜けば死神が熱烈な歓迎を
し、あっという間に食糧とされてしまう。
そんな過酷な場所に安全地帯を築き上げ、誰しもが忌避感を募ら
せる怪しげな実験を行っている集団があった。薄茶色の砂がどこま
1244
でも水平線へ続いている中、集団がいる建物は真っ白な外壁をして
おり、あたり一体の空間を支配しているように見える。
その一室で、背が低く、生物が脱皮する寸前のように背中が盛り
上がった、悪魔じみた外見をした男と、真っ黒な神父の服のような
服をきた、ほお骨とエラが張った男が、酷薄な笑みを浮かべて対峙
していた。
﹁六日後には準備が整います﹂
﹁そうですか。それは素晴らしい﹂
身長は百五十ほど、子どものような体躯である初老の男が恭しく
一礼をする。男の盛り上がった背中のせいで衣服が弾けそうになり、
さらには礼をしたことでいまにも服がやぶれそうになった。
だが男はさして気にした様子もなく、真っ黒い神父姿の男を熱い
目線で見つめた。
は子どもの胸にかなり根
﹁グレイフナーから仕入れた子どもは魔力が高く、いい素材かと﹂
﹁今回は何人ほど残るでしょうかね?﹂
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
﹁八割、といったところでしょうか﹂
﹁それは重畳﹂
﹁司祭様の黒魔法
深く食い込んでおりますれば⋮⋮魔薬への適性があれば、すぐいい
兵士になってくれるでしょう﹂
慈愛こもった目を背の低い男へ向けると、黒い神父はゆっくりと
うなずいて口を開いた。
﹁信じる者には神の導きがあります。我らに等しき愛をくださるの
は、父である神のみわざに他なりません﹂
1245
目下の存在にも敬語をやめない神父らしき男は、妄執に捕らわれ
たかのように、自らの右手に持っている禍々しい杖を撫で回し、妙
に熱い吐息を吐いた。その所作一つを見れば、男が信じているもの
は神などではなく、己と、己の魔力を高めるアーティファクトの杖
だけ、ということは一目瞭然であった。慈愛のこもった目線などは
所詮まやかし。観察眼に優れた人間が男の姿を見れば、自己愛の塊
が生きて歩いている、と評価を下すであろう。
しかしその場には、英雄を見てうっとりする乙女のような目をし
た、薄気味の悪い小柄な背中男しかいなかった。
﹁では、ハーヒホーヘーヒホーのエキス抽出はおまかせしましたよ﹂
﹁もちろんでございます。司祭様のためなら砂漠中のハーヒホーヘ
ーヒホーを魔薬に変えてみせましょう﹂
背中の盛り上がった男が先ほど同様、恭しく一礼をすると、満天
の星空が振る美しい夜が砂漠の狂気を煽り立て、不吉の象徴とされ
ている砂漠ハゲタカが奇妙な鳴き声を奏でながら、建物の上空をも
ったいぶるかのようにゆったりと旋回した。
1246
第24話 イケメン砂漠の誘拐調査団・出発︵後書き︶
エリィ 身長162㎝・体重53㎏︵エリィちゃん身長が伸びてま
す︶
1247
第25話 日本にて・その2︵前書き︶
間話になります。
短いですので続きは早めにアップしたいと思います!
1248
第25話 日本にて・その2
﹁なんかさぁ、日課になっちまったよ﹂
小橋川の親友で同僚の田中は、人気のない病室でコートを脱ぎな
がら、ひんやりとした丸椅子に腰を下ろした。一週間ぶりに見る親
友の顔はいつもと変わらず穏やかであったが、事故から半年近く経
過した今でも意識を取り戻す様子はない。
会社のプレゼンメンバーは事故から一ヶ月ほど暇を見つけて見舞
いに来ていた。しかし、時が移るにつれて仕事やプライベートに追
われ、いつしか病室に来る回数は減っていった。
そんな中、田中だけは週一回、足繁くこの病院に通い続けている。
田中にとって小橋川が意識不明で動けない、という事実がどうし
ても受け入れ難く、仕事中に気になってしまい営業を抜けて度々こ
の病院に来ていた。
﹁もういい加減、目を覚ましたらどうなんだよ。俺が営業部のエー
スになっちまうぞ﹂
そう嘯いてみても、白い顔をした小橋川はうんともすんとも言わ
ない。点滴の管が痛々しく右腕に刺さり、呼吸器と心電図が一定の
リズムを刻んでいるだけだ。かつては誰しもがイケメンと言った自
慢の顔は、肉が落ちて幾分ほっそり見え、男らしさが薄れている。
だがそれでもイケメンと言わざるを得ない風貌に、田中は少々の憎
たらしさと、親友の不敵さを感じ、顔から自然と薄い笑みがこぼれ
た。
1249
﹁プレゼンメンバーの佐々木ちゃんってさ、実はお前のこと本気で
狙ってたらしいぞ。でもほら、女って適齢期があるだろ? 取引先
のボンボン息子と今度結婚するってよ。佐々木ちゃんに言われたん
だ、小橋川さんによろしく伝えてくれって。彼女、お前が事故に遭
ったときショックで三キロ痩せたらしいぜ﹂
茶化すように田中は小橋川へ言葉を投げる。
一方的なキャッチボールには、この半年で慣れてしまった。特に
気にした様子もなく、田中はポケットの中からスマホを取り出して、
写真アプリを開くと、目をつぶる小橋川の前へつき出した。
﹁見てみろ、こいつが佐々木ちゃんの結婚相手﹂
田中はにやりと笑った。
スマホの画面には冴えない優男と、満面の笑みをしたキレイ系の
佐々木が写っている。
﹁不釣り合いだろ。うけるよなー﹂
やべ、これは完全に金目当てだ、と不謹慎な返答をするであろう
親友は、目を閉じたまま言葉を発しない。田中は、言われたであろ
うブラックジョークを想像して満足し、スマホをポケットへしまう。
最近起きたトピックスを話す。意識がないので、聞こえてはいな
いだろう。だがひょっとしたら、こいつなら夢の中で学習していて
すぐに前線へ復帰する、なんてこともやりかねない、と田中は勝手
に人類を超越するぶっとんだ過大評価を親友にしていた。それほど
に小橋川の営業成績、周囲からの評価が高く、同等レベルの人間が
現れないことが田中の小橋川像を大きくする要因になっている。
しかし助かる確率は0.001パーセント。意識が戻るはずもな
1250
く、睡眠学習などしているはずもない。
本社が六本木に移動する、行きつけの食堂で裏メニューを見つけ
た、右手を何度も振ってどけどけ言うむかつく人事のおっさん、通
称﹁しゃぶしゃぶ﹂がキャバクラの巨乳ちゃんにハマりすぎて預託
金に手を出した、など、世間話からニュースまでしゃべり、時間が
結構経っていることに気づいた。
そろそろ帰るか、と田中が丸椅子から腰を浮かしかけた時だった
無遠慮な足音が廊下に響き、この病室の前で止まる。
﹁失礼します﹂
野太い威勢のいい声が響き、病室のスライドドアが音を立てて開
いた。
入ってきたのは五十代前半と思われる、角刈りで太い眉毛をした
男だった。髪には白髪がまじり、上下茶色の作業着であろう衣服を
身につけ、胸にはペンが乱雑に三本ささっている。眼光は鋭く職人
気質なものを思わせるが、田中を見つけると口元が柔和にほころん
だ。
﹁どうも株式会社トウワイの五反田と申します。東京ナナヒシ営業
一課小橋川さんの病室はここですかね?﹂
﹁ええ。そうですが⋮﹂
田中はライバル会社の人間が来たのかと思い咄嗟に警戒するが、
わざわざ病院に来て何をするのだとすぐ臨戦態勢を解き、立ちあが
って営業スマイルを半分ほど顔に貼り付けた。
その表情を受けた五反田は、ほうっと一息ついた。
1251
﹁ひょっとして、同じ営業一課の方ですかね?﹂
﹁そうです﹂
﹁まさか、田中さん?﹂
﹁ええ、そうです⋮﹂
﹁おお!﹂
五反田と名乗る男は嬉しそうに距離を詰め、持っていた見舞いの
品とは別の手で田中の手を握った。
知らない中年のおっさんに急に握手をされて、田中はとまどった。
﹁あの、失礼ですが、どなた様でしょうか?﹂
﹁ああ、これは申し訳ありません。私は小橋川さんに助けられた、
しがない工場の社長です﹂
﹁助けられた?﹂
﹁そうです﹂
﹁それはいつ?﹂
﹁一年半前ですかね。たまたま飲み屋で知り合った兄ちゃんが、実
は超大手のやり手営業マンだった、ってことです﹂
﹁⋮⋮すみません。もう少し詳しくお願いします﹂
﹁失敬失敬。中身を飛ばしちまうのが悪い癖なんですよ﹂
堅苦しい言葉が辛かったのか、五反田の口調が段々と雑になって
くる。
彼は手に持っていた見舞いのフルーツを枕元のテーブルに置いた。
﹁簡単に言うと、仕事を斡旋してくれたんです。会社がポシャりそ
うで首くくろうか本気で思い始めたとき、兄ちゃんが知り合いを紹
介してやるっていうんでね、半信半疑で指定された待ち合わせ場所
に行きましたわ﹂
﹁こいつが橋渡しを?﹂
1252
﹁どえらい大物を連れてきたんでチビりそうになりましたわ。がは
はははっ﹂
五反田は古今無双の豪傑のように豪快に笑った。思い出すだけで
可笑しくなるらしい。
田中はうろんげな目で五反田を見つめ、寝たきり意識不明のくせ
に不敵な雰囲気を醸し出す親友に目を落とす。
﹁こいつは誰を紹介したんでしょうか?﹂
﹁アレですよ、アレ。有名な韓国の某メーカー﹂
﹁あ、ひょっとして⋮﹂
田中は咄嗟にテレビやケータイなどを手掛ける超大手メーカーを
記憶から引っ張り出した。会社のパーティーにお偉いさんが来てい
たというところまで思い出し、小橋川が何らかの方法でコネクショ
ンを手に入れている事実に戦慄した。しかも斡旋までするという離
れ技まで行っている。
こいつ⋮バカと天才は紙一重だとよく言う理由がいまはっきりと
わかった気がする。
何かしらの手を使ってパーティー会場にいるお偉いさんへ近づき、
話を盛り上げ、意気投合し、連絡先を交換。そのあと、他社への紹
介まで行ったのだ。一回会うだけでは信用は得られないだろう。何
度か会ったり連絡を取り合って関係値を深めたはず。
一体どんな手管を使ったんだ?
﹁そこの製品開発部門の部長さんを紹介されてまして、そんとき必
死にうちの製品をアピールしましたわ。それで首の皮がつながった、
というわけですな﹂
﹁そういう経緯があったんですね⋮。今日は小橋川の見舞いですか
?﹂
1253
﹁そうそう! いやー生きててよかったわ﹂
たまに来る知人、友人とは違った、やけに明るい反応をする五反
田に、田中は目を白黒させる。通常であれば、沈痛な面持ちになり、
小橋川に関する昔話を始めるところだ。
﹁死んじまったら人間なにもかもパーです、パー。どっこい兄ちゃ
んは生きている。この兄ちゃんなら奇跡を起こすような気がするん
ですわ﹂
﹁たしかに﹂
田中は深い肯定を示すために大きくうなずいて腕を組んだ。
こいつがこんなところで終わるタマじゃないってことは誰もが思
っていることだ。
﹁いやぁ風の噂で昨日、兄ちゃんが事故で意識不明って聞いたとき
は軽いパニックになりましたがね、こんな形でも生きててくれてよ
かった。奇跡を起こすにも生きてないといかん。こちとら一度死を
覚悟しましたからね、それが真理、真実というもんです。生きてり
ゃどうにかなるんですよ﹂
﹁十万人に一人、助かる事があるそうです﹂
﹁十万分の一か。結構な博打ですわな﹂
﹁起きると思いますか⋮?﹂
﹁この兄ちゃんなら起きるよりもとんでもないことをしでかしそう
だけどなぁ﹂
﹁はははっ、そうですね﹂
﹁ひょっとしたら今寝ている間もどっかで頑張ってる、とか﹂
﹁ああ、それは同僚とも話していましたよ。ただでは転ばない、寝
ている間も無駄にしない、そういう抜け目のない奴なんで﹂
﹁おおー田中さんらも中々のストーリーテーラーですな。兄ちゃん
1254
の空想世界を書いて小説化できるんじゃないですか?﹂
﹁いやいや、僕にはそういう才能はないですよ﹂
﹁あ、そうだ﹂
五反田は何か思い出したのか、右手で左手をぽんと叩き、小橋川
の寝顔を見てから田中に目線を直した。
﹁兄ちゃんから田中さんの話しを色々聞いてるんですよ﹂
﹁え? 僕の話ですか?﹂
﹁もし会う機会があったら五反田さんからも言ってやってください
よ、と飲み屋で言われまして﹂
﹁それで僕の名前がわかったんですね﹂
﹁ええ。聞いていた通りだったんで﹂
﹁どう聞いていたんです?﹂
﹁歴史好き、料理好き、アニメ好き。そこそこいい男で、そこそこ
モテて、そこそこ仕事ができる奴、と﹂
﹁こいつ⋮⋮﹂
ぷっ、と小橋川が笑ったような気がして田中はベッドを睨みつけ
る。
不貞不貞しく寝ている顔が今にも目を開け、まあなんでもそこそ
そこタナー
と呼んでやってください
こがいいよ田中君、と言いながら起き上がり、慰めるように肩を叩
いてきそうだった。
﹁そこそこの田中、略して
と言われましたな﹂
﹁そんな安っぽいカクテルみたいなあだ名は勘弁してください﹂
﹁まあまあ、いいじゃないの。ところで田中さん。いや、そこタナ
ーさん﹂
﹁言い直さないでくださいよ!﹂
1255
﹁がっははははは! まあまあまあ、どうです、これからコレでも﹂
豪快に笑い飛ばして、おちょこで酒を飲む仕草をする五反田。
それを見て田中は、何となく小橋川がこの男に肩入れした気持ち
がわかったような気がした。どうにも憎めない人というのはどこへ
行っても得をするよな、と少し羨ましい気持ちになって、快く頷い
ている自分に﹁仕事中だろ﹂とツッコミを入れる。
﹁仕事なんて一日ぐらいうっちゃっても平気ですよ﹂
﹁エスパーですかあなたは﹂
﹁そこそこ真面目な田中さんは分かりやすい﹂
﹁もうそれやめてくださいよ﹂
﹁がはははははっ。兄ちゃんに頼まれたんでね、言われたことを話
したいんですわ。それにどんな経緯でこの兄ちゃんと仲良くなった
かも話したいですしね﹂
﹁あ、それは僕も聞きたいです﹂
﹁それじゃ行きましょ。タクシーでちょいちょいと行ったところに
いいおでんを出す店があるんですわ﹂
﹁ひょっとして、そこでこいつと?﹂
そうです、とうなずいて、五反田は小橋川に﹁また来ますわ﹂と
軽く声をかけた。
その言葉に促されるように、田中はコートに袖を通して親友を一
瞥し、恨みがましく﹁おぼえておけよ﹂と捨て台詞を残して、ビジ
ネスバッグを手に取る。
田中の捨て台詞を聞いて五反田が豪快に笑い、たまたま近くにい
た看護士に静かにして下さいと怒られ、こりゃ失礼しました、すん
ませんすんません、と手刀を切りながら病室を出て行く。
田中も看護士に頭を下げながら、五反田と小橋川の行ったおでん
1256
屋がどんな店か想像し、なぜ俺に教えてくれなかったんだとやっか
みを言いたい気分を胸の奥にしまい込んで、五反田の背中を追った。
﹁冬の病室は暖房が効きすぎですね﹂と五反田に言うと、彼は﹁地
球温暖化ですわ、温暖化﹂と振り返って豪快に笑い、また看護士に
怒られた。
1257
第26話 イケメン砂漠の誘拐調査団・空房の砂漠
暑い。
とにかく暑い。
照りつける太陽が容赦なくすべてを熱し、延々と続く灰褐色の荒
涼とした大地が熱で揺らいで陽炎のように通りすぎていく。調査団
は馬車を引きながら黙々と行軍進路を進み、ただひたすら砂の大地
を靴底で踏みしめる。
露出の高い服だと確実に熱中症になって日焼けするので、通気性
のいいギャザースカートを履いてヴェールを頭に巻き、直射日光を
浴びないようにしている。隣にいるアリアナは歩きながら黒魔法
﹂
を自分と俺にかけて、魔法の発動練習をし、喉が渇くと
グラビティリリーフ
重力軽減
袖を引いてくる。
ウォーター
﹁エリィ⋮いい?﹂
﹁いいわよ。
魔法を唱えて場所を指定すると、バレーボールぐらいの水球がア
リアナの前に現れた。彼女は空中に浮いたままの水球をよけずに顔
を近づけて、こくこくと小さい口で水を飲み、満足するとそのまま
頭を水球の中へといれた。
そこで魔法を解くと、水球が引力に引かれて真下に落ちる。
﹁冷たくて気持ちいい⋮﹂
上半身が常温より少し冷たい水に濡らされ、気持ちよさそうに目
1258
を唱えないの?﹂
を細める。狐耳が水を弾いてぴくぴくと前後に動いた。耳と尻尾は
ウォーター
完全に動物の動きと同じだよな。
﹁そういえばどうして自分で
﹁⋮⋮ダメ?﹂
とてつもなく悲しい顔して狐耳をへにょんと萎れさせ、アリアナ
が上目遣いでこちらを見てきた。
は使えるじゃない
あ、なんかごめん。そういう意味で言ったんじゃないんだ。
ウォーター
そんな顔されるとお兄さん胸が苦しいっ。
﹁そうじゃなくてね、アリアナも
ウォーター
のほうが⋮味が甘い⋮⋮⋮気がする﹂
? 私に頼むより自分でやったほうが早いと思って﹂
﹁エリィの
﹁あらそう?﹂
﹁うん。そんな気がする⋮﹂
﹁違うわよね∼。アリアナちゃんはエリィちゃんにやってもらいた
んだよね∼?﹂
そう言って俺とアリアナの間に入ってきたのは、試験6位で72
2点の実力を持つ踊り子風の女性﹃撃踏のバーバラ﹄だ。彼女は砂
漠の女性らしい褐色の肌に白い歯を覗かせ、切れ長な目をいたずら
に細めて笑っている。どうやらアリアナが好きらしく、かまいたく
て仕方ないみたいだ。
歳は二十一歳って言ってたから地球だと大学生だな。妙に大人っ
ぽいのはやっぱ修羅場をくぐり抜けてきていることと、婚期が早い
異世界のせいだろう。魔物の危険があるこの世界では死亡率が高く、
早くに結婚して子どもを残す文化が根付いている。
聞いたら、バーバラは結婚していないそうだ。冒険者になる女性
は婚期を逃すパターンが往々にしてあるのよ、とやけっぱち気味に
1259
言った。
﹁ほ、本当にエリィの
ウォーター
ウォーター
は甘いから。だから⋮﹂
を唱えてくれないかな?﹄ってはっきり
﹁いいのよアリアナちゃん。頼むときはちゃんと﹃エリィにやって
欲しいから
言いなさい。ほら、できるでしょ。せーの、はい﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮むぅ﹂
﹁むう?﹂
﹁できない⋮﹂
ウォーター
をして欲しいだけなのよね?﹂
ウォーター
があるな
﹁できない? なるほどなるほど。そう言うってことは、エリィち
ゃんに
﹁⋮⋮!﹂
﹁ああーやっぱりそうなんじゃない。甘い
んて聞いたことがないもの!﹂
アリアナは歩くことをやめて、恥ずかしいのかぷるぷると下を向
いて小刻みに震えている。行軍の足は止まらないので、彼女の姿が
後ろへと流れていく。
﹁バーバラ、あまりアリアナをいじめないでちょうだい﹂
﹁だってえ∼可愛いんですもの﹂
﹁それはすごくわかるけど、あまりいじめちゃ拗ねて口を聞いてく
れなくなるわよ?﹂
﹁んん∼それはイヤね﹂
﹁でしょう?﹂
﹁でもっ! 私あんなに可愛い狐人の女の子に会ったことがないわ
!﹂
胸を抱くようにしてバーバラが身もだえすると、他の女性冒険者
の二人が近づいてきて神妙にうなずいた。
1260
一人は盗賊風の女性で、ヴェールの下に投げナイフや棒手裏剣を
専用のホルスターに数え切れないほど刺し、帯のように腰に巻き付
けている。頭に巻いたターバンにもナイフが仕込んであるらしい。
うん、普通にこええよ。ランクはC、点数は543点なのでジャン
ジャンよりちょい強いって感じだな。
もう一人は戦士風の女性で身長が百九十センチほどあり、よく日
に焼けている。茶髪をポニーテールにしていて、パッと見は女性サ
ーファーみたいな活発で爽やかな印象だ。身体強化が得意なのか、
この世界では珍しい両手剣を腰に差していて、よく手入れのされた
シルバープレートを胸につけている。ランクは同じくC、点数は5
98点だ。
﹁私はエリィちゃん派だ﹂
﹁あっしは二人とも可愛いと思う﹂
そう言って三人は歩きながら固まってわいわいと意見交換をはじ
下の上
をかけて、まだぷるぷるしているアリアナと
めた。なんだか気まずい。エリィが反応して顔が熱くなってきたの
で身体強化
ころまで走り、抱きかかえて行軍の列へと戻った。地面を蹴ったと
きに上がった砂埃が気に食わなかったのか、馬車を引いているブサ
イクなウマラクダが、ぶひんと批難めいたいななきをしてこちらを
見てくる。
治癒
ヒール
を唱えてやると、ウマラ
﹁あらごめんなさい。馬車を引いてくれてありがとうね﹂
そう言って優しく撫でて、軽く
クダはすっかり気分が良くなり、軽快な足取りに戻る。非常に分か
りやすい奴だ。
﹁動物も美人に褒められると嬉しいんだよ﹂
1261
御者をしているジャンジャンが、御者席から笑って顔を出してき
た。
﹁お世辞を言っても何も出ないわよ﹂
﹁本当のことさ﹂
﹁ありがとう﹂
﹁どういたしまして﹂
﹁コゼットに伝えるわね﹂
﹁ちょ、ちょっとエリィちゃん? 最近そうやって俺をいじめるよ
ね﹂
﹁あらごめんなさい﹂
ジャンジャンは誠実なあまりついからかいたくなるんだよな。こ
れはしょうがないことだ。
﹁エリィちゃんは将来魔性の女になりそうね⋮﹂
﹁いやいや、すでにほとんどの男が陥落しているぞ﹂
﹁あっしもそう思う﹂
バーバラ、女盗賊、女戦士の三人がこっちを見て楽しそうにして
いる。
ウォーターボール
を三人におみま
アリアナを元気づけてから地面に下ろし、いたずらのつもりでサ
イズが大きくて勢いが超弱い
いした。
バシャアンという音と共に、女冒険者の三人が濡れ鼠になる。
﹁きゃあ! エリィちゃん何するの! 涼しくてすごく気持ちいい
けど!﹂
﹁これは涼しい﹂
1262
ウォーターボール
﹁もう一回やってほしい!﹂
三人は突然食らった
んでいる。
⋮にしてもまじで暑すぎるな。
にも動じず、むしろ喜
今濡れた地面がすぐに水分を吸い込んで一瞬で乾いてやがる。
暑いし俺も水浴びしておくか。どうせすぐ乾くし。
ウォーターボール
を出現させ、しかも
水浴びバージョン!﹂
﹁じゃあみんなで。アリアナも一緒にやりましょ﹂
ウォーターボール
﹁うん﹂
﹁
五人を包み込むように
ウォーターボール
水浴
うまいこと空中に漂わせる。アリアナの顔が出るくらいの高さに調
整し、地面にくっつかないようにすれば
びバージョンの完成だ。魔力を結構使うが、そのまま空中に維持し、
進行方向へと水球を動かせば水に入ったまま移動できる。
アリアナは水球の中でくるくる周りながら歩き、バーバラが﹁あ
あー生き返る∼﹂と言って恍惚とし、女盗賊は﹁ナイフが濡れる。
ウォーターボール
に入って腕だ
だがそれもよし﹂とうなずいて、女戦士は﹁あっしは潜る﹂と宣言
して高い背を猫背にし、頭から
けを平泳ぎの動きにして進む。
この調査団で女は俺達五人だけだ。アグナスの計らいで、女性陣
でパーティーを組んでいる。まあなんだかんだ結構パーティーのバ
ランスもいいしな。
バーバラと女戦士が前衛、アリアナと女盗賊が中衛、俺が回復役
で後衛、という配置だ。Bランクのバーバラとアリアナがいるので、
調査団の中でも強力なパーティーの一つに数えられている。
1263
ちょっと魔力息切れしそうだったので、
浴びバージョンを解除した。
ウォーターボール
ああー気持ちいいー。水から出るとまじで暑いーっ。
ウォーターボール
水
を一日中浮かせていることができるだろうな。
などの強力な魔法はすぐ息切れする。ポカじいなら
なら三十分ぐらいの維持が可能だ
ちなみに魔法は維持し続けると、持久走のように息切れを起こす。
落雷
サンダーボルト
下位中級の
が、
ウォーターボール
それにしてもね⋮⋮まじで周囲の男共の視線がすごい。
ちらちらと何度もこっちを見てにやけている。
まあね、俺も男だからよくわかるよ。水浴びして服がぴっちりく
っついている胸とか腰とか尻、男だったら絶対に見ちまうよな。し
かもエリィは超絶美少女、アリアナは宇宙崩壊レベルの可愛さ、イ
イ女のバーバラ、ミステリアスな色気の女盗賊、とにかく巨乳な女
戦士の五人だ。見ているほうはウッハウハのウッキウキで、心の中
でターザンみたいに腰ミノ一枚の姿でイヤッホォォォウと叫び、ぶ
んぶんタオルを振り回してそのまま飛んできたボールを打ち返して
ヘッドスライディングでランニングホームラン、って感じだろう。
いや、相変わらず自分で言ってて意味わかんねえな。やっぱり、俺、
天才。
﹁ひゃっ!﹂
﹁どうしたの?﹂
バーバラが急に尻を押さえて飛び上がった。
﹁いま誰か私のお尻触った?﹂
1264
﹁さわってないわよ﹂
四人全員で首を横に振る。
﹁撫でるようにしてお尻を触られたわ﹂
﹁バーバラは油断しているからそういうことになるのだ。私のよう
に用意周到にナイフをこうやって全身に︱︱きゃあ!﹂
今度は女盗賊が飛び上がった。
﹁い、いま誰かが私のお尻をまるで採寸するように丁寧に触った﹂
﹁うそでしょう?﹂
﹁本当だ﹂
﹁二人ともだらしないなぁ。あっしみたいに常にこうやって周囲へ
と気を配っていれば尻を触られることなんてないぴゃあ!﹂
次に女戦士が尻を押さえて飛び上がり、咄嗟に両手剣を引き抜い
て構えた。
﹁い、いまあっしの尻を、鍋の縁をなぞるようにして触った奴は誰
だ?!﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
俺とアリアナはお互い顔を見合わせて黙ってうなずき、馬車の縁
に腰をかけてわざとらしく口笛を吹きながら酒を飲んでいるポカじ
いを見た。そりゃもうじいっと穴が開くほどに見た。目で相手を殺
せるほどに見た。
ただ、そこはさすが百戦錬磨の尻じじいだ。何食わぬ顔が板につ
いてやがる。
1265
﹁ポ・カ・じ・い﹂
﹁なんじゃ。可愛い弟子よ﹂
﹁ポ・カ・じ・い?﹂
﹁なんじゃエリィ。稽古をつける時間かのう?﹂
﹁ポ・カ・じ・いっ?﹂
﹁な、なんじゃい﹂
﹁ポカじいっ!!!﹂
﹁いかん!﹂
尻じじいを捕まえようと身体強化をし、地面を蹴って座っている
馬車まで一気に駆け寄った。が、おしおきを恐れたじいさんは大人
げないスピードで馬車から一瞬で離れ、何食わぬ顔で酒をあおった。
﹁人様のお尻を触るなんて最低だわっ!﹂
﹁濡れ衣じゃ。いや、濡れ尻じゃ﹂
﹁ギルティ⋮﹂
﹁三人とも! お尻を触ったのはこのじいさんよ!﹂
俺の言葉を聞いて、三人は魔物と遭遇したときと同じフォーメー
ションでポカじいに迫った。
レビテーション
﹁浮遊﹂
﹁だりゃっ!﹂
﹁シッ﹂
バーバラが杖を出して浮遊魔法を唱えて空中へと上っていき、前
衛の女戦士が豪快に剣を振って、女盗賊が投げナイフを身体強化し
た腕でぶん投げる。
バーバラの戦法はかなり面白く、浮遊魔法で空中へ限界まで上が
1266
り、落下の速度を加えて相手を踏みつける、というものだ。
の二つ名がぴったりの戦い方だ。
下の上
撃踏
まで強化されているので、かなりの剣撃スピードだ。
女剣士は両手剣の腹でポカじいをぶん殴ろうとしている。身体強
化
女盗賊は容赦なく足を狙ってナイフを投げた。
ポカじいはおどけたような口調で一歩前に足を踏み出すと、身体
幻光迷彩
ミラージュフェイク
重力
グラビトン
を一点
と身体強化を駆使しているせいでじいさんが十人い
を捻って剣とナイフをかわし、俺達の周囲を回り始めた。光魔法中
級
るように見える。
﹁そんなに高く浮遊すると危ないぞい﹂
そう軽く言って、ポカじいはバーバラに向かって
集中させた。
モーターの起動音みたいな不気味な音色を響かせ、黒いひずみが
バーバラの足元に現れて、彼女は重りを足につけられた鳥のように
ゆっくりと地面に落ちてきた。
﹁何なのこのじいさんは!﹂
﹁剣が当たらない?!﹂
﹁ちぃッ﹂
﹁私とアリアナの師匠なんだけどね⋮⋮すごくスケベなの⋮﹂
﹁えっちぃのは⋮めっ﹂
﹁ほっほっほっほっほ、授業料じゃよ。さあ、イイ尻を持つおなご
らよ、わしを捕まえてみぃ﹂
気持ちよく自分が犯人だと認めたポカじいのスピードがさらに上
がる。
先手必勝とバーバラが身体強化してポカじいに突撃し、女戦士が
1267
勘で剣を振り、女盗賊は容赦なくまきびしを地面にばらまいた。
しかしポカじいはバーバラと女戦士の尻をぺろんと触って軽くあ
しらい、まきびしは身体強化で踏みつけても痛くないように調整し
ているのか、平気で踏んづけている。
﹁きゃあ!﹂
﹁あっ⋮!﹂
ポカじいは結構酔っているのか、こともあろうに俺とアリアナの
尻も撫でた。
エリィの尻はこれ以上触らせねえぞ。アリアナの尻尾付きの尻も
そうだ。
﹁アリアナ﹂
﹁ん⋮⋮﹂
一言だけ言うと、すべての意図を汲んだアリアナがゆっくりした
足取りで一歩だけ前に出て、両手をげんこつにして顎の下に持って
恋
恋
が見る者を魅了してほとばしり、瞬間最大トキメキ
トキメキ
⋮!﹂
トキメキ
きて、ぷくっと頬を膨らませた。
﹁
新魔法
風速一億トキメートルを記録した。
﹃う゛っ!!!!!!!!!!!﹄
アリアナを視界に捕らえていた、ポカじい、俺、バーバラ、女戦
士、女盗賊、ジャンジャン、ウマラクダ、兵士十五人、冒険者五人
が、心臓を押さえて地面にうずくまった。
1268
後列の行軍が急に停止したので、何事かと前方のグループがこち
らに注目する。
この魔法やべええええ。
ライブ会場の特設モニターみたいにアリアナの顔が広がって、ハ
ートマークが視界を覆うようにしてチカチカ明滅したかと思ったら、
幸せな気持ちと一緒に心臓が握りつぶされる。
あかん。これは禁魔法だ。恐ろしい⋮。
てか見てたやつ全員うずくまってるし、ウマラクダ二頭も器用に
前足で心臓押さえて倒れてるし、すげえ威力だ。パワーでいったら
は黒魔法中級レベルだからな。
トキメキ
恋
﹁スケベ捕まえた﹂
対象者を釘付けにする効力は平均して五秒ぐらいだ。ポーズの決
まり具合がいいと、トキメキの力が上昇するらしい。俺は最大で十
五秒動けなくなったことがある。
アリアナは身体強化で瞬時にポカじいの後ろへ回り込み、右腕を
しっかりと握った。
﹁な、なんじゃ今の魔法は?!﹂
﹁秘密﹂
﹁このわしともあろう者が! しもうたわぃ!﹂
﹁スケベぇぇぇ!!﹂
﹁くらえっ!﹂
恋
から開放されたバーバラが浮遊魔法で上昇して落下し、ポ
トキメキ
﹁シッ﹂
カじいを思い切り右足で踏みつけ、女戦士が強烈なビンタを食らわ
し、女盗賊が鼻に激辛香辛料を突っ込んだ。
1269
﹁ほっほっほっほっほ⋮ごほっごほっ。効かぬのぅ﹂
砂に半分埋まって、顔にビンタのモミジを作り、鼻に真っ赤な香
辛料をつっこんだままポカじいが偉そうに言った。アリアナがこち
らを見てうなずいたので、ゆっくりとポカじいに近づく。
﹁ポカじい。他の人に迷惑かけちゃダメじゃない﹂
﹁そうじゃのう、反省しとるよ﹂
﹁あら、じゃあどうして右手が私のお尻を触っているのかしら﹂
﹁それは、尻がそこにあるからじゃ。尻・フォー・オール。オール・
フォー・尻﹂
﹁全然意味がわからないわ﹂
﹁なぜじゃ! 尻は人類が生まれた場所であり気高き部位っ。そこ
に思いを馳せぬ男なぞ所詮まがい物じゃとわしは思うのじゃ。尻こ
そが命。命の尻。尻がすべて。すべてが尻。尻の名の下に我らは集
いし使者であると共に、アヴァンギャルドに尻イズムを貫いた者こ
そが新の英雄と言えるのじゃ﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁尻を愛でし者こそが真の魔法使いでありアヴァババババババババ
電打
で痙攣して黒
エレキトリック
ババババババババババババババババババババッバババババババンギ
ャルドッ!!!!﹂ スケベじじいが超強風で揺れる旗のように
こげになり、ふらふらと上空を飛んでいた全長三メートルある温厚
なデザートゲルゲル鳥に鷲づかみされて、空中に持ち上げられた。
ばっさばっさという羽音が鳴り、大空高く舞い上がってどこかへと
消えていった。
﹁スケベ、ダメ、絶対﹂
1270
﹁⋮⋮⋮めっ﹂
○
﹁ふぃ∼酒を飲みすぎたわい﹂
﹁飲み過ぎたわいじゃないわよ! ポカじいのせいで行軍が止まっ
ちゃったじゃない!﹂
﹁ほっほっほっほっほ、愛嬌じゃ、愛嬌﹂
﹁お酒禁止! 没収っ!﹂
﹁そんなご無体な!﹂
﹁スケベな師匠なんて知りません。話しかけないでくださーい﹂
﹁アリアナよ、じじいの楽しみを取り上げるのはどうかと思わんか
?!﹂
﹁私のお尻触った⋮⋮めっ﹂
﹁ぐっ⋮⋮﹂
﹁いい子にしてるならこのお酒の入った袋は返します﹂
﹁わかったわい。飲み過ぎただけじゃというのにのぅ⋮﹂
﹁まったくもう。酔っ払った勢いでお尻を触るのは女の子に嫌われ
るわよ。それに飲み過ぎは身体に悪いし、節度を持って楽しんでち
ょうだい﹂
﹁弟子に説教される日がくるとはのう⋮。尻、ここにあらず。わし
はエリィの今の言葉をしっかり受け止めよう﹂
調査団は﹃空房の砂漠﹄の入り口付近まで来ていたらしく、ちょ
うどいいからここで野営をしようと荷を下ろして陣地を作っていた。
俺達は魔物の襲撃がないかを見張っており、後ろではひっきりな
しに兵士や冒険者が入り乱れて、危険がないかどうかの確認をしな
がらテントを張ったり食事の準備をしたりしている。地中にサンド
1271
ワームなんかがいたらおちおち寝ることもできない。全員真剣だ。
﹁そういえばポカじい。空房の砂漠ってどんなところなの?﹂
﹁うむ。生態系が大きく変わった砂漠じゃ。空気は乾き、見渡す限
り死んだ大地が広がっている。ごくわずかの水源を巡って生き物が
争い、命を糧とする魔物どもが互いを狙って狡猾に生き抜く、危険
な場所じゃの﹂
﹁ちょっと不安ね﹂
﹁不安そうには見えんが?﹂
﹁不安は不安よ。でも、どんな場所なのかという興味が大きいわね。
前に見た映画⋮じゃなくて本の内容で砂漠のことを色々と知ってい
るから﹂
﹁ほほう。おぬしは本が好きなんじゃのう﹂
﹁好きよ﹂
砂漠の行軍をしているとエピソード7の公開が決まった、全世界
で大ヒットSF映画のことをやたらと思い出す。あの映画は最初主
人公が砂漠に住んでるんだよな。ああ、フォースを感じる、とかふ
ざけてやってたけど、今はああ、魔力を感じるわ、何てことをガチ
でやってるからな。ったくとんでもない事になっちまったよな⋮今
更だが。こっちに来てから結構な時間が経っているから、今頃、向
こうでは劇場公開してんだろうなぁ。
あ⋮⋮俺ってば異世界来ちゃったからあの映画の続き見れねえじ
ゃねえか!
ぐおおおお⋮なんてこった。ちくしょー余計なこと考えるんじゃ
なかった、まじで。
見てえぇぇ、続き見てええええっ。
﹁エリィ⋮?﹂
1272
アリアナがこてんと首をかしげてこちらを見てくる。
ああ、この異世界に来なければこの狐耳には出逢えなかった。よ
し、そう考えよう。
もふもふもふもふもふ。
それにどうにか日本に帰る方法を見つければいいだけのことじゃ
ねえか。そうそう。その通り。やっぱ俺ってポジティブだよな。最
強のポジティブ男、ここに現る。
その後、ジャンジャン、クチビール、アグナスのパーティーと女
冒険者三人、ポカじい、アリアナで輪になって食事をしたあとに寝
た。
俺は回復魔法が使えること、アリアナは貴重な黒魔法使いという
ことで、いざというときのために夜の見張りは免除されている。何
かね、みんながすごく優しいんだよね。ほんとグレイフナーにいた
ときとは違う居心地のよさを感じる。俺とアリアナが可愛いからと
いうちょっとした下心、というか庇護欲のようなものも理由に少し
ありつつも、それ以上に魔法や努力が評価されているんだよな。ア
リアナなんていつも魔法の練習してるし。俺もポカじいと必ず一日
一時間は十二元素拳の稽古しているし。そういうところもみんな見
てくれているんだろう。
その夜は何も起きなかった。
深夜三時頃にデザートコヨーテが食事の匂いにつられて三百メー
トル付近でうろうろしていたらしいが、人間の集団を見て襲ってく
るわけもなく何もしてこなかった。
○
1273
行軍三日目。
空房の砂漠に入ると、周囲の空気が一変した。
今までの砂漠が過ごしやすかったかと聞かれれば、そんなことは
ない、と全員が口を揃えて否定するだろう。とにかく暑いし、地面
は砂で歩きづらいし、馬車が何度も車輪を砂に取られるし、普通の
旅とは全くちがう。
だがこの﹃空房の砂漠﹄は空気が淀み、実に居心地が悪い。
吹きすさぶ風が死の予感を運び、カチカチに固まった植物の育た
ない大地が灰褐色をむき出しにして、ところどころに砂丘が広がっ
たかと思うと、突如として不気味な背の低い樹木が老人のような皮
膚を日に照らして現れる。
乾燥した大地と移動する砂がこの﹃空房の砂漠﹄の特徴だった。
鷹の目
ホークアイ
で進路
一日経てば景色は様相を変え、足を踏み入れた者を混乱させる。
順路の通り進むには一キロ先まで見通せる木魔法
鷹
ホ
の安全を確認し、太陽の位置を正確に計測して方角をしっかりと見
極め、進んだ距離の計算も忘れてはいけない。
で順路を確認し、止まっていた行軍が開始された。
アグナスのパーティーメンバー、裂刺のトマホークが木魔法
ークアイ
の目
そう思ったら、すぐにトマホークが片手を上げ、先頭のアグナス
が大声を張り上げた。
﹁止まれ! 前方で巨大砂漠ヒルとゲドスライムが戦っている﹂
ゲドスライムって行軍中にみんなが散々﹁出会いたくない﹂って
言ってた魔物か。
原型がないゼリー状で半透明の灰色をした砂漠でもっとも忌み嫌
1274
われる魔物で、その性質は凶暴で残忍、見たものをすべて飲み込ん
で重みで破壊し、血肉を溶解させて養分にする。常に飢餓と憎悪を
まき散らし、核が小指ほどしかないため倒すことが非常に難しい。
﹁どれどれ﹂
アグナスの隣まで行って、両目に身体強化をかけて前方へと目を
こらすと、砂埃が上がっている様子が見える。
かなり距離があるので、姿形までは確認ができず、それがはっき
りと見えているターバン姿のトマホークは眉間に皺を寄せて嫌悪感
をあらわにしていた。
﹁旦那。あのゲドスライム、かなりでかいです﹂
﹁らしいな⋮。砂漠ヒルが飲み込まれたな﹂
﹁迂回するか、あいつの姿が消えるまで待ったほうがいいでしょう﹂
﹁ああ、そうしよう﹂
アグナスの指示で、小休止の指示が出る。
ゲドスライムの進路によってはすぐに行動する必要があるため、
装備は解かない簡単な休憩だ。こちらに向かってきたら、馬車があ
り逃げるのは難しいため、戦うしかない。
﹁ゲドスライムがこちらに向かってきた場合は全員でありったけの
魔法を撃ち込んでくれ。時間を稼いでいる間に僕が炎魔法上級の詠
唱を完成させ、奴に撃ち込む。いいな﹂
冒険者と兵士が﹁おう!﹂と返事をした。
小さい個体ならいざ知らず、あれほど巨大なゲドスライムに生半
可な魔法を放ったところで威力が吸収されてすぐに再生してしまう
ため、強力な炎魔法で一気に焼き払うしかない。
1275
全員が水を飲んで杖の点検をしつつ、緊張した面持ちで休息する。
暑さと緊張から、変な汗が額から流れる。
トマホークがじっと同じ方向を見ているので、嫌が応にもそちら
へと目線がいってしまい、ポカじいへと視線をずらした。
﹁ゲドスライムってそんなに危険なの?﹂
インパルス
電衝撃
なら倒せるじ
だと火力不足じゃな﹂
極落雷
ライトニングボルト
﹁あの大きさじゃとAランク指定される魔物じゃな。中途半端な魔
法では倒せぬ﹂
﹁落雷魔法なら倒せるかしら?﹂
や
サンダーボルト
落雷
﹁そうじゃのう⋮エリィのオリジナル魔法
ゃろう。
﹁わかったわ。いちおう私も万が一ってことを頭に入れておくわ﹂
﹁うむ。あまり人前で使ってよい魔法ではないが、おぬしの判断で
あればわしは構わぬ。この連中であれば、おぬしが落雷魔法を使え
ると知っても、むやみやたらに吹聴することもなかろうて﹂
﹁そうね﹂
﹁その前にわしが倒してやる。安心せい﹂
﹁ありがとう。でも、どうしようもないときだけね。なるべく自分
でやってみたいの﹂
﹁わかっておる﹂
アリアナの狐耳をもふもふして緊張を解き、事の成り行きを待つ。
ゲドスライムが近くにいる、そう思うとさすがの冒険者も不安に
なるらしく、バーバラと女戦士、女盗賊がこちらにやってきて、自
然と輪になった。
﹁あの気味の悪いブヨブヨした魔物、私はもう見たくないよ﹂
バーバラが思い出すだけで気分が悪くなるのか、ぶるりと身を震
1276
わせた。
﹁目も、口も、鼻も、手も足もなくて、ただ見つけた生き物を食ら
う魔物なんてこの世にいていいとは思えない。おぞましくて醜悪な
生物なのよ、アレは﹂
しばらくバーバラが初めて見たゲドスライムをどうやって倒した
のか、という話に耳を傾けた。
二年前、商人の馬車を護衛していたら三メートルほどのゲドスラ
イムが突然現れて、ウマラクダが飲み込まれた。そのとき、ブサイ
クなウマラクダが悲しそうな瞳でゼリー状のゲドスライムの中で溺
れながら、顔や身体を消化されていく陰惨な光景を見て、バーバラ
はしばらくシチューが食べられなくなったらしい。
運が悪かったことに、安全な道だったためバーバラ以外の冒険者
ファイア
エアハンマー
しか唱えられない。彼女が得意な風魔法と
や戦闘ができる魔法使いは護衛におらず、しかも彼女は火魔法が苦
手で下級の
空魔法はゲドスライムにはあまり相性がよくなく、
などでぶっ飛ばしても、不定形の身体が風の勢いを相殺してしま
う。上手く身体を分断させても勝手に集まって復活するのでたちが
悪い。
そのときはバーバラが囮になり、商品として輸送していた鳥肉の
中に燃料として使われる火鉱石を入れてゲドスライムに食わせ、商
人達が捨て身でたいまつを放り込んでようやく倒したそうだ。幸い
死人はでなかったが、全員の心には言いようのないべとべとしたよ
うな胸のむかつきが残って、忘れられない記憶になった、とバーバ
ラは話をまとめて肩をすくめた。
そうこうしているうちにトマホークが何事かをアグナスに話し、
1277
安堵したようにうなずいた。
﹁ゲドスライムは我々の視界から消えた。奴の移動速度はそこまで
速くない。このまま進めば方向転換したとしても追いつかれること
はないだろう。出発するぞ﹂
○
行軍七日目。
ゲドスライムが現れたのはあの一回きりで、他にも凶悪な魔物が
ちょくちょく現れたが、砂漠で活動する冒険者達と勇敢なジェラの
兵士によって次々と倒された。空房の砂漠の生物は獲物である俺達
を見つけると必ず襲ってくる。砂に擬態して狡猾に近づく奴もいれ
ば、変なにおいを出して攪乱する魔物もいて、まじ勘弁してくれよ
って気分になった。
返り討ちにした魔物は食糧になりそうな部分だけ冒険者達が回収
した。
一週間分の食糧を消費しているため、予備として確保しておくの
は当然だろう。
危なかったと言えば五日目の野営中に、兵士の一人が用を足すた
め、勝手に一人で野営地点から離れてスナジゴクにハマったことぐ
らいだ。あのときは近くにいた俺とアリアナ、バーバラが駆けつけ、
バーバラの浮遊魔法で兵士を脱出させ、アリアナが重力魔法でスナ
ジゴクを倒し、俺が白魔法で兵士を治療して事なきを得た。
﹁あの砂丘の向こうに魔改造施設があるのね﹂
﹁そうだね⋮﹂
1278
﹁何としても全員を救出しましょう﹂
﹁ん⋮﹂
調査団はついに目的地まで到着した。
いやーまじで長い一週間だった。
空房の砂漠の奥深く、魔改造施設のある場所だ。偵察のためにア
グナスパーティーが砂丘を越えたところ、真っ白い外壁をした不気
味な施設が砂漠の真ん中にぽつんと建っている姿を確認した。
夜を待ってから救出作戦を実行する運びになった。
樹木の城壁
ティンバーウォール
を使用して陣地を作成。その後、﹁潜入班﹂と
流れとしては、夜になり次第、砂丘の前まで馬車を進めて木魔法
下級
﹁待機班﹂に別れて魔改造施設へ侵入し、子ども達を確保した﹁潜
入班﹂パーティーから順次陣地へと帰還して、救出しきれない場合
は魔力の余っている者が魔改造施設へ再度向かう、というものだ。
ウォーター
で桶に出した水を
仮眠を取って休息した後、周囲は暗くなった。
馬車が十台一列に並び、兵士が
ウマラクダが首を突っ込んで美味そうに飲んでいる。
腹が減っては戦ができない、ということで作戦前の食事が振る舞
われた。
ウインド
で散らし、魔物を呼び寄せるような匂いは土系統
火魔法があるので目立つほどの炊事の煙は立たない。念のため、
煙は
の消臭魔法で消している。
あースープうめえ∼。
肌寒くなる砂漠の夜に温かいスープは心を落ち着かせるな。
1279
﹁アリアナ、しっかり食べなさい。長い夜になりそうよ﹂
﹁ん、そうだね⋮﹂
﹁体調はどう?﹂
﹁ばっちり﹂
﹁私もよ﹂
﹁エリィちゃんの浄化魔法が今作戦の鍵だ。何かあればすぐ言うん
だよ﹂
そう言ってスープを持ったアグナスが白い歯を覗かせて笑う。
アグナスはリーダーシップが取れるから日本で管理職についても
いい人材になりそうだよな。態度に余裕があって機転も利き、部下
の人望も厚い。
﹁ほっほっほっほ、禁止されたあとに飲む酒はうまいのう﹂
じいさんは酒が飲めて幸せそうだ。
俺、アリアナ、アグナス、ポカじい、ジャンジャン、女冒険者三
人とアグナスパーティーの三人、合計十一人、土魔法で作った簡易
イスとテーブルを囲んでいる。トマト風の野菜たっぷりスープとピ
ッグーの干し肉を水でふやかして炒めた激辛焼肉。アリアナと俺は
作ったおにぎりを人数分配って食べた。クチビールは見張りの順番
が回ってきたようで、ここにはいない。
﹁またご飯粒がついてるじゃないの﹂
おにぎりを食べているアリアナの口に米粒がついているので取っ
てあげる。
保護者か。俺は保護者なのか。
1280
﹁ありがと⋮﹂
﹁いいえ﹂
はにかみ笑い、可愛い。
保護者でもなんでもいいや。
﹁二人がいると和むな﹂
﹁そうですね﹂
﹁アニキもそう思いますか﹂
アグナスが可笑しそうに笑い、神官風のクリムトが神妙にうなず
いて、背の低いマント姿のドンがにかりと笑顔を作った。
満天の星空の下で食べる夜食は美味かった。
地球とはまったく違う星座に彩られた夜空が今にも落ちてきそう
な星々を輝かせ、照らされた砂の大地がどこまでも続いて砂丘を作
り、ロマンチスト達が求めて止まない幻想的な空間を広げている。
作戦を前にして変に気負わずにいられるのは、数多の修羅場をく
ぐり抜けてきたこの冒険者たちが近くにいてくれるからだろう。全
員が自然体なので心地いい。
しばらく物思いに耽りながら、空を見上げた。
グレイフナーにいるクラリス、バリー、エイミーのこと。新しい
デザインを生み出しているジョーとミサ。恋が上手くいっているの
か気になるエリザベス。コバシガワ商会のみんな。スルメとガルガ
イン、ついでに亜麻クソ。心配性のゴールデン家。
そして日本での出来事がいくつも頭を通り抜けて閃光のように消
えていく。発表することのできなかったプレゼンや、何度も挨拶を
1281
交わして数々の名刺を交換した日々。田中は俺が死んで悲しんでい
るだろうか。いや、まさかとは思うが、奇跡的に俺の身体がまだ何
らかの方法で残っているなら、あいつはそれを見守ってくれるだろ
う。例えば植物人間になっているとか。
そんな奇跡ありそうもねえー。
死んでいることが確定で、火葬されていたら元に戻るのはアウト
だろうな。
いや、どうにかして残骸をこっち呼び寄せて、スーパーでミラク
ルな白魔法で再生できたりするだろう。つーかできるって思ってお
かないとまじで精神がおかしくなるぜ。さすがのアイアンハートな
天才の俺でも、希望がない状態で生きていくのはいささか厳しい。
そんで、俺が俺として復活したら、スーパーでウルトラミラクル
な何かしらの魔法で日本に移動する。
やばっ。俺ってばまじでポジティブ。ポジ男。いえーい。
﹁むっ!﹂
思考はポカじいの声で中断された。
︱︱ガガガガガガガガッ!
いきなり、二階建ての建物ぐらいある氷の塊が弾丸のように飛ん
できて、ポカじいがテーブルの上に飛び乗って右手で受け止めた。
ガチャン、という食器が割れる音と共に、土魔法で作られた簡易テ
ーブルが一瞬で壊れ、ポカじいが数メートル地滑りする。
1282
嫌な摩擦音が鳴り響き、身体強化したらしいポカじいの右手の上
で、矢のように鋭くなった氷の塊が踊るように回転し、どんどん溶
けていく。
﹁むん﹂
そうポカじいが気合いを入れると、その氷の塊が粉々に砕け散っ
た。
﹁一体なんなのっ?!﹂
慌てて飛び退き、戦闘態勢を取る。
﹁馬車を引いてここから離れるんじゃ!﹂
ポカじいがついぞ見たことのない剣幕で叫んだ。
そう言われても、理由もわからずにすぐ馬車を発車させられない。
何が起きてもいいように魔力を練りながら氷が飛んできた上空を
見上げると、夜空にローブ姿の男が浮遊魔法で浮かんでおり、その
異様な雰囲気に思わず息を飲んだ。
な⋮⋮なんだあの男?
男の顔には全世界からかき集めたような傲慢さが張り付けており、
すべてを睥睨する冷たい目を冒険者とジェラの兵士に向けていた。
しかし、ほんの数秒で興味を失ったのか、すぐにポカじいへと視線
を移した。
1283
身長が二メートル近くあり、頬がこけているくせに目だけがらん
らんと獲物を狙う猛禽類のごとく見開かれ、見る者に恐怖と理不尽
な嫌悪を抱かせる。
地球ではありえない真っ青な髪は腰まで伸びており、髭までもが
青い。
手に金色の二メートルぐらいある禍々しい杖を持っている。
やばい。絶対にあいつやばい!
今まであった中で一番強いだろ。
敵意がむき出しの魔力をビンビン感じる。
ポカじいの敵?
さっきからポカじいを睨みつけている。
つーかどんだけ魔力練ってるんだよ!
俺でも異常だって分かるほどの魔法を使おうとしてやがる!
青髪の男は二メートル近い長身を揺らし、ゆっくりとこちらに近
づきながら、油断なくポカじいを見つめている。
年齢は五十代ぐらいだろう。憎しみを魔力に乗せて全身から放ち、
肩にはでかいインコみたいな赤い鳥が乗っていた。
まじ何なんだあいつ!
つーか絶対に攻撃しようとしてるだろ?!
﹁ポカじいどういうこと!?﹂
ポカじいはこちらを見ると、俺に向かって﹁あの男、イカレリウ
スじゃ﹂と呟き、目で早く逃げろと伝えてくる。
はあっ!?
1284
イカレリウス?!
イカレリウスって、あの、クラリスが何度も言っていた、ポカじ
いと昔に戦ったことがあるとかいう伝説の魔法使いイカレリウス?!
正式にはたしか、南の魔導士イカレリウスだっけ?
肩に乗っているのは、以前ポカじいが見てみろって言ったあの赤
い鳥じゃねえか。
おいおいおいおいどーすんだよまじで!
向こうさん、戦う気満々じゃねえかよ!
青髪、青髭の男、イカレリウスは、王者がかしずく配下の脇を通
りすぎるように、ゆっくりと砂漠の大地に舞い降りた。そして、杖
アブソリュート・ゲンガー
絶対零度の双腕復体
⋮⋮﹂
をおもむろに掲げると、静かな声でこう呟いた。
﹁
突如として男の背中から幾何学模様をした十メートルサイズの魔
法陣が二つ現れ、羽のように背中に取り付き、吸い込まれるように
してイカレリウスの両肩に取り込まれた。
1285
第26話 イケメン砂漠の誘拐調査団・空房の砂漠︵後書き︶
エリィ 身長162㎝・体重53㎏
後半、少しだけ文章を追加しました。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
ほとばしる高度な魔法!
うなる拳打!
砂漠の大地に強さを求めた男達の思いが交錯する!
次回﹁砂漠の賢者と南の魔導士﹂
・・・・乞うご期待!!
1286
第27話 砂漠の賢者と南の魔導士・前編︵前書き︶
長いので前編後編の二回に分けました。
また、前話のイカレリウス登場シーンを少し改変しております。
更新してすぐ呼んで頂いた方、申し訳ありません。
話の筋は一切変わっておりませんのでよろしくお願い致します。
後編は明日のお昼頃にアップします。
一気読みしたい方はお待ち下さい!
1287
第27話 砂漠の賢者と南の魔導士・前編
﹁むっ!﹂
ポカホンタスは咄嗟に飛び出して右手を開いて上空へと突き出し
た。
休憩中の簡易テーブルに飛び乗ったせいで食べかけの食事が砂ま
みれになり、エリィやアリアナ、メンバーが批難めいた目を向けよ
うとしたところ、全員瞬時に息を飲んだ。
二階建てほどある円錐状の氷塊が、目に見えぬほどの勢いで回転
しながら落ちてきた。銃弾レベルの初速で飛んできた氷塊は、クラ
と判
の強化をかけ、受け止めた。瞬間、飛び乗
氷塊狙撃
アイシクルスナイプ
ッカーのような形をしており、鋭い先端が明らかな殺意をもって殺
到した。
上の中
ポカホンタスは瞬時にその魔法が、氷魔法中級
断し、全身に
った簡易テーブルが音を立てて壊れ、彼の体が十メートルほど地滑
りする。
ガガガガガ、という耳障りな音と、ギィィィィィン、という鉄板
氷塊狙撃
アイシクルスナイプ
を電ノコで削るような音が響き、氷塊がポカホンタスの右手を貫こ
うとする。みるみるうちに身体強化した右手との摩擦で
が溶けていき、四分の一が蒸発すると、回転が止まった。
﹁むん﹂
1288
ポカホンタスが気合いを入れて右手を握り込むと、
が粉々に砕け散った。
﹁一体なんなのっ?!﹂
アイシクルスナイプ
氷塊狙撃
エリィが可愛らしい声を上げ、金髪のツインテールをなびかせな
がらすぐさま戦闘態勢を取る。
弟子の何事にも怖がらない胆力に、ポカホンタスは師として満足
感を憶えたが、ここであれこれと指導をしている時間はない。予想
通りであれば最悪の敵だ。そしてその予想は外れないだろう。魔法
あ
だ、とポカホンタスは心の中で独りごちる。そして上空にい
の練度、正確さ、強さ、すべてを鑑みるに、相手は間違いなく
やつ
る人物を視認し、思わず舌打ちしたい気分になった。
﹁馬車を引いてここから離れるんじゃ!﹂
ついぞ聞いたことのないような大声で、ポカホンタスが調査団へ
指示を飛ばした。
﹁ポカじいどういうこと!?﹂
﹁あの男、イカレリウスじゃ﹂
ポカホンタスのまさかのつぶやきに驚き、エリィが再度疑問を投
げようとしたときだった。
上空から男がゆっくりと近づいてきた。
ローブ姿の男は異様な殺気を放っており、見た瞬間に冒険者とジ
ェラの兵士達を萎縮させるほどだった。肩にコンゴウインコのよう
1289
な赤い鳥を乗せ、真っ青な長髪を腰まで伸ばし、口ひげが胸のあた
りまで伸びている。二メートルはある金色の杖を片手で持っており、
顔には頑固そうな鷲鼻が存分に存在感を主張し、怜悧さを伺わせる
切れ長の双眸が憎悪を渦巻かせながらポカホンタスへと向けられて
いた。精緻な金の刺繍が施された紺色のローブは、子どもが見ても
高価でありおそろしく貴重な物だと思わせる。
青髪、青髭の男は五十代前半に見えるが、頬がこけていることと
眼光があまりに鋭いせいで、もう少し歳を食っているように見えた。
しかし二メートル近い身長のせいで威厳はまったく衰えず、無邪気
な町人が見たら、泣きながら逃げ出すほどの恐怖と戦慄をその身に
纏わせていた。
⋮⋮﹂
青髭の男はふわりと砂漠に降り立つと、おもむろに杖を掲げ、静
アブソリュート・ゲンガー
絶対零度の双腕復体
かにつぶやいた。
﹁
ありえないほどの魔力の波動が周囲に放たれる。突如として男の
背中には直径十メートルほどの幾何学模様をした魔法陣が二つ対に
なって出現し、背中の中心付近へと収束していく。
すると、氷が砕ける音が甲高く響き、巨大な昆虫が紛れ込んだの
かと疑うほど背中が蠢くと、男のローブを突き破って氷で作られた
二本の腕が出現し、だらりと垂れた。
氷の双腕は、太く、いかつく、青髪の男よりも一・五倍ほど長い。
﹁超級⋮⋮魔法っ?!﹂
ジェラ一の冒険者アグナスが恐怖に顔を引き攣らせ、一歩後ずさ
った。
1290
青髭の男は
アイシクルスナイプ
氷塊狙撃
を放った後、すぐさま超級の詠唱を開始
し、降り立つと同時に発動させたようだった。
超級魔法。世界でも使用できる魔法使いは二人しか確認されてお
神秘の光
らず、詠唱時間は一時間前後、というのが常識であった。いや、そ
もそも超級魔法事態が非常識な存在だ。白魔法の超級
アブソリュートデュオ
や
が異様な雰囲気を
天災
は周囲の気温を絶対零度ま
は火山が噴火したほどの火力で周囲を燃やし尽くし、
は過去、死者を蘇らすことにも成功した例があり、炎魔法の超級
ボルケーノ
氷魔法の超級
で引き下げる。
絶対零度の双腕復体
アブソリュート・ゲンガー
といったレベルの破壊力や効果があった。
もはや超級魔法には魔法の域を超えた、いうならば
超常現象
青髭の男が発動させた
発していることは無理からぬことだ。
アグナスは今までの経験から、超級魔法をわずか一分足らずで唱
えたことへの畏怖と、にわかには信じがたい現実に直面し、普段の
アブソリュート
という言葉と、
彼ならば絶対にしないような行動、一歩下がる、という行為に及ん
だ。しかも魔法の効力が不明だ。
桁違いの魔力で超級と判断したものの、氷の腕が肩から生えてくる
魔法など今まで聞いたことがない。
それでもエリィとアリアナを守るように、二人の前へ移動したこ
とは、さすが凄腕A級冒険者といえる。
男が、にぃ、と口角を上げて笑うと、不気味さが増して敵意がむ
き出しになり、見た者に絶望が伝播した。
﹁ようやく貴様のねぐらを見つけたぞ⋮﹂
1291
そう囁くように声を出すと、男はゆらりと一歩近づいた。
肩にとまっているコンゴウインコに似た赤い鳥が、ぎゃあと一鳴
きし、青髪の魔法使いは可笑しくてたまらない、といった表情で頬
をひくつかせながら金色の杖を砂の地面へと突き刺した。
﹁ポカホンタス⋮⋮!﹂
探し続けていた親の仇をようやく見つけたかのように、狂気の笑
みを浮かべ、男は杖をポカホンタスへと傾けた。
﹁貴様を殺し、小汚い貴様の家の結界を破壊する﹂
その言葉にこの場にいた百名近い人間が息を飲んだ。
ポカホンタス、という伝説上の魔法使いの言葉を聞いて体が固ま
り、エリィの師匠であるスケベじじいがそれにあたるなど、すぐに
納得ができない。さらに、目の前でアグナスが顔を青くし、超級魔
法とつぶやいたことが全員の思考を止めた。
だが当の本人であるポカホンタスは涼しげな顔で、幾分か険のあ
る声色を作って異常な魔法使いに向かって声をかけた。
﹁おぬしは本当にいつも間が悪いのぅ、イカレリウス﹂
﹁⋮⋮⋮?﹂
﹁イカレリウス⋮?﹂
アリアナとアグナスが現実に起きていることが理解できずに思わ
ず疑問の声を上げる。
周囲の面々も、またしても口にされた伝説上の魔法使いの﹃南の
魔導士イカレリウス﹄の名前を聞き、もはや意味がわからない、と
いった呆けた顔になった。
1292
ポカホンタスの言葉に、イカレリウスと言われた青髪の魔法使い
は、機嫌の良さそうだった顔を嫌悪で満たした。
﹁ほざけじじい。こそこそと隠れ、俺を恐れていたのだろう﹂
﹁おぬし、面倒くさいからのう﹂
豹の眼
レパードアイ
を無詠唱で唱
まるで近所に住む面倒くさい知人へ小言をいうように返答をしつ
つ、ポカホンタスは抜け目なく木魔法中級
え、己の動体視力を上げる。
エリィ、アリアナ、アグナス、その他の冒険者は﹁イカレリウス﹂
という言葉を状況からようやく己に納得させたが、超級魔法によっ
て出現した双腕に釘づけになった。存在しているだけで胸の内をか
き混ぜられるような、不快な波動を感じる。
﹁ポカホンタス⋮⋮イカレリウス⋮⋮﹂
メンバーの中で唯一正気を保っているアグナス、エリィ、アリア
ナがポカホンタスへ目を向ける。しかし彼らの表情には余裕がない。
声を上げたアグナスは、自分の声が若干震えていることにも気づい
ていない。
﹁貴様の仲間か⋮﹂
イカレリウス、と呼ばれた青髭の男はつまらなそうに一瞥すると、
氷塊狙撃
アイシクルスナイプ
が高速回転をしつつ中空へ出現し、発射
エリィとアリアナに向かって杖を振りあげる。
氷魔法中級
された。
1293
﹁︱︱ッ!!﹂
﹁⋮⋮?!﹂
出現スピードがあまりに早すぎ、氷弾を目で追い切れない。
追加して、これほどの威力の魔法を、殺意を持って撃たれたこと
がなく、二人は身を強ばらせた。
それを見逃すポカホンタスではない。
氷塊狙撃
アイシクルスナイプ
を破壊し、反動を利用して宙
靴底に力を込めて飛び出すと、疾風のように二人の前へ飛び込み、
勢いのまま右足の蹴りで
返りで着地する。
砂漠にまったく似つかわしくない氷の粒が、バラバラと砂の上へ
と落ちていく。
﹁余程大切なようだな﹂
アイシクルスナイプ
氷塊狙撃
アイシクルバイト
氷傷噛付
氷突剣山
アイシクルスパイク
をエリィ達、馬車を守
酷薄な笑みを浮かべると、イカレリウスは杖を振りあげ、氷魔法
中級
る兵士達、その後方にいる冒険者達へ向かって、同時に行使した。
アイシクルスナイプ
アイシクルバイト
氷傷噛付
氷突剣山
アイシクルスパイク
が出現し、千を超えるアイスピックのよう
が迫り、兵士達の足元に直径二十メートルほどの鮫の
エリィ、アリアナ、アグナスに一軒家二階建てほどある円錐状の
氷塊狙撃
口を模した
な氷のつららをつけた三十メートル四方の氷状の天井
がグループごとに分かれていた冒険者の上空に現れる。
命の危険を感じ、調査団はすぐさま迎撃しようと杖を引き抜く。
だが、遅い。
いや、イカレリウスの魔法の発動が速すぎるのだ。
1294
調査団の中でかろうじて反応できたのはアグナスと、伝説の魔法
落雷
が
重力弾
グラビティバレット
が空中できらめいて
サンダーボルト
フレアキャノン
使いであるポカホンタスと普段から行動を共にし、敵の強大さを把
握できたエリィ、アリアナだ。
サンダーボルト
﹁フレアキャノン!﹂
グラビティバレット
﹁落雷!!﹂
﹁重力弾﹂
アイシクルスナイプ
と豪快に衝突し、エリィの
アグナスの放った炎魔法中級、基礎魔法
氷塊狙撃
氷塊にさらなる追い打ちをかけ、アリアナの黒魔法下級
が失速して小さくなった氷を粉々に破壊する。
氷傷噛付
アイシクルバイト
に突進し﹁炎﹂の型に
ポカホンタスはイカレリウスが魔法を唱えてすぐに、今にも凶悪
な氷の牙を閉じようとしている
﹂
氷突剣山
アイシクルスパイク
に
ある掌打でこれを全力で破壊。さらに、身体強化をしつつ魔法を発
動させるという人間離れした技で、上空に出現した
天井爆発
シーリングプロージョン
向かって炎魔法を行使する。
﹁
上位中級に限界近くまで魔力を練り込んだ、強烈な爆発魔法が上
空三十メートル四方に展開される。耳をつんざく破裂音と共に、氷
が爆発四散して地面へと落ち、氷粒がキラキラと周囲に散った。
馬車を引いていたウマラクダが突然の爆発音にいななき、辺りは
一気に騒然とした空気になった。
﹁落雷魔法だと⋮⋮!?﹂
1295
イカレリウスは自身の魔法が相殺されたことには驚かず、落雷魔
法が行使されたことに心底驚愕し、怜悧な目でエリィを刺すように
見つめる。そして、間髪入れずに哄笑を始めた。
﹁はっはっはっはっはっはっはっはっ! そういうことか! そう
いうことなのか、ポカホンタス! 予定は変更だ! 貴様を殺し、
その娘は頂いていく!﹂
﹁エリィ、アリアナ、あのバカはわしがヤる。おぬし達は動かせる
馬車を移動させ、一刻も早く魔改造施設へいけい﹂
﹁ふん、そう簡単に︱︱﹂
ショットエアバ
拡散空
可愛らしい弟子二人を一瞥すると、ポカホンタスはゆらりと一歩
で地面を蹴ると同時に、空魔法中級
右足を踏み出し、エリィ達の前から姿を消した。
上の中
︱︱︱!!!?
身体強化
を足の裏から発動させた。
レット
弾
砂を盛大に後方へ吹き飛ばしつつポカホンタスがジェット機のよ
うな急発進でイカレリウスの眼前に突如として現れ、精練された拳
打を放った。
﹁打ッッ!!!!﹂
展開し、拳を躱そうと後方へ跳ぶ。
氷結塊壁
アイシクルブロック
を己の腹
スケベなじいさんが放てるとは思えないミサイル級の拳打。
二重で
イカレリウスは氷魔法中級、防御特化魔法
部付近に
1296
︱︱︱ガッ!!!
ポカホンタスの拳が二重展開された
アイシクルブロック
氷結塊壁
を突き抜け、イ
カレリウスの腹部を殴打し、遙か後方へと吹っ飛ばした。
﹁⋮⋮⋮はっ??﹂
﹁な、何が起きた⋮⋮?!﹂
﹁わからない⋮⋮﹂
﹁あのじいさんが⋮砂漠の賢者っ⋮?!﹂
後方へすっ飛んだイカレリウスと、拳を突きだして残心を取って
いるポカホンタスを交互に見やり、一同は驚嘆の声を上げる。
﹁一刻もこの場から離れるんじゃ! 巻き添えを食うぞぃ!﹂
アグナスはポカホンタスの言葉を聞いて弾かれたように動き出し
た。
﹁全員撤退! 後方へと向かえ! 怪我人を馬車に入れ、身体強化
が得意な者は馬車ウマラクダを庇いながら馬車を引けっ!﹂
赤い長髪をふりみだし、アグナスは必死に指示を出した。あの攻
撃でイカレリウスが死んだとは到底思えない。ポカホンタスが砂漠
の賢者であることは、身体強化と魔法を同時行使するというおおよ
そ人間技ではない一撃で確実と判断した。ここは彼の指示に従うこ
とが最善だろう。
アグナスの指示で、混乱せず迅速に各員が撤退を開始する。
続いてアグナスのパーティーメンバー、クリムト、トマホーク、
ドンも的確な指示を出し始め、放心していたジャンジャン、近くに
1297
いたバーバラ、女盗賊、女戦士も急いで撤退を始めた。
イカレリウスと呼ばれた魔法使いに戦いを挑もうと思う冒険者、
兵士は一人もいなかった。あの異常なまでの魔力の波動を身に受け、
己の身の丈を超えた敵だとすぐに認識する。負ける戦いはしない、
というのは冒険者の心得のひとつでもあった。命は等しく一つしか
人間に与えられていない、という当たり前のことを冒険者と兵士は
死に近い家業と生業としているので明確に理解していた。
あの相手にマグレは絶対にない。全員で向かっていけば死者が出
ることは必至だ。
だが、あり得ない声が、ポカホンタスの近くで上がった。
﹁私は戦うわ!﹂
エリィが気丈に声を上げてポカホンタスの横に並ぶ。続いてアリ
アナも尻尾を逆立たせながらエリィの隣にやってきた。
この調査団のマスコット的存在であり、攻守の要である中心人物
の二人が健気にも戦う意志を示したので全員が手を止め、どこまで
も純粋で真っ直ぐな少女二人に感銘を受けた。だが直後にその思い
は消えた。
ここで二人を死なせる訳にはいかない。
誰しもが思った。
そういった全員分の思いを受け取ったポカホンタスが、うむ、と
うなずき、続いて首を横に振った。
﹁おぬしらでは相手にならん。足手まといじゃ﹂
﹁なっ⋮⋮﹂
﹁む⋮⋮﹂
1298
初めて師匠から辛辣な言葉をぶつけられ、二人はショックを受け
る。
絶対零度の双腕復体
アブソリュート・ゲンガー
という魔法⋮あれは過去の文献でしか見
しかし、続く言葉を聞いてそれが師匠の愛だと理解した。
﹁
たことがない、超級の分裂魔法じゃ﹂
﹁分裂?﹂
﹁氷の腕、一本一本に己の意志が宿る。すなわち、あの腕が一人の
魔法使いとなるため、魔法を同時に三発行使することが可能じゃ。
よもやあやつが習得しているとは思わなんだが⋮﹂
﹁同時に三発⋮⋮っ!?﹂
﹁おぬしらを庇いながらの戦闘は無理じゃ。早々に魔改造施設へゆ
けい。馬車を破壊されては子ども達を助け出すことはおろか、帰路
にも支障が出る﹂
そうこうしているうちに百メートルほど吹っ飛んだイカレリウス
が起き上がった。
氷傷噛付
アイシクルバイト
の余波で二台、車輪が氷づけで
ひぃ、という声が兵士と冒険者から上がり、全員逃げるように後
方へと駆ける。馬車は
動かなくなっていた。アグナスは廃棄することを即断し、急ぐよう
に叱咤する。
ウマラクダがイカレリウスから離れようと必死になって暴れ回るた
め、乗馬のうまい連中が飛び乗って馬車のスピードを上げる。
ポカホンタス、エリィ、アリアナと、調査団の距離は三十メート
ル弱広がった。
イカレリウスはポカホンタスに殴られた為、怒りのあまり大音声
1299
で叫び、身体強化を使って死神のように突進してくる。
﹁貴様ら全員氷漬けにしてくれる!﹂
イカレリウスに先ほどの拳打はほとんど効いていなかった。
の拳打は、氷の双腕
ショットエアバレット
拡散空弾
+上位中級
で威力を殺され、腹
上の中
身体強化
氷結塊壁
アイシクルブロック
によって二重展開された上位中級
部へ到達した際、イカレリウス本体が展開した身体強化で防がれた。
イカレリウスが吹っ飛んだのは、自らが後方へ跳んだことと、思い
のほか勢いを失わなかった拳打のためだ。
紺地に金の刺繍がされたローブをはためかせ、イカレリウスは詠
唱を始める。
上の下
のパワーでエリィとア
﹁氷の涙はすべてを憎み、氷針の処女は表裏を一体とせん⋮⋮﹂
﹁いかんっ!﹂
ポカホンタスは即座に身体強化
リアナの襟首をつかんで後方へ放り投げた。
可愛そうであったが、そうするよりほかない。
二人は豪快に三十メートルほど空中を飛び、急に自分の見ていた
氷姫の拷問具
アイシクルメイデン
﹂
景色が変わったことに驚いた。
﹁死ね⋮⋮⋮
ゴギャギャギャッ、という水が一瞬で氷づけになる不気味な音が
響き、鋼鉄の処女と呼ばれる拷問器具、アイアンメイデンを模した
氷魔法上級が砂漠の大地に出現した。
そのサイズは縦横約百メートル。
1300
分厚い本を開いたような形をした氷の拷問具は、内側の壁面に無
数のトゲを有し、一本が十メートルほどの長さで隙間なく埋められ
ている。しかも凶悪なことに、マイナス七十度まで冷却されており、
が思いの外、速いスピードで閉じ始める。
魔力の冷気によって触れた者を瞬間的に氷づけにさせる効果があっ
アイシクルメイデン
氷姫の拷問具
た。
上位上級でも最高峰の難易度と威力を誇る氷魔法が調査団へと牙
をむいた。
氷姫の拷問具
アイシクルメイデン
の奥へと疾走し、開閉の付け根に
このまま閉じれば調査団は丸呑みにされる。そう瞬時に判断した
ポカホンタスは
アイシクルメイデン
氷姫の拷問具
を止めた。
ある左右の間隔が狭まった場所で、トゲを掴んだ。
﹁ぬう⋮⋮っ﹂
ポカホンタスが身を挺して
約百メートルある巨大な氷の拷問具をスケベなじいさんが受け止
めている姿は、サイズが見合っておらず、ただのジョークにしか見
えない。両腕が冷気によって浸食され、氷が腕を覆っていく。
﹁きゃっ!﹂
﹁ん⋮⋮!﹂
上の中
その後方で、ポカホンタスに投げられたエリィとアリアナが、ア
グナスの両腕にキャッチされた。
アグナスは数分間のみ使える自身最高威力の身体強化
氷姫の拷問具
アイシクルメイデン
の効果範囲から抜け出すことに成功した。他
をかけ、その場から即座に離脱し、見上げなければ全貌を把握でき
ない
1301
の優秀な冒険者メンバーも己にかけられる限界の身体強化を利用し
てランクの低い者を戦線離脱させ、ウマラクダごと馬車を担ぎ上げ
て高速移動し、調査団を拷問具の効果範囲から脱出しようと試みる。
﹁ポカじい!﹂
エリィがアグナスに抱えられながら叫んだ。
百メートル後方にいるポカホンタスの両腕が氷づけになっている
ように見えたため、心配のあまり手を伸ばす。
﹁エリィちゃん、いくぞ!﹂
﹁ポカじいが!﹂
﹁我々がいては足手まといだ! 自分の師匠を信じるんだ、エリィ
ちゃん!﹂
﹁でもっ⋮⋮﹂
大きな垂れ目を悔しそうに閉じた。
アグナスはそれを確認して二人を下ろし、すぐに指示を出す。
﹁できる限り離れろ! 巻き込まれたら命はないっ! 走れ! 走
れっ!﹂
﹁エリィ⋮﹂
アリアナがつぶらな瞳でエリィを見上げ、裾を引いて離れるよう
に促す。彼女はポカじいを信じよう、と己のやるべき事へと目を向
けた。そんな狐人の親友を見てエリィも納得し、走り出した。
が、中身の小橋川は見た目の可愛らしさほど素直な性格をしてい
なかった。
即座に限界まで魔力を練ると、振り返って、ピッと一点を指さし
た。
1302
インパルス
﹁電衝撃!!﹂
インパルス
電衝撃
の上空へと雷鳴を起こしながら突き進む。
空気の摩擦によって発生する雷音を掻き鳴らし、
アイシクルメイデン
氷姫の拷問具
が
小橋川はイカレリウスの言動からポカホンタスに並々ならぬ感情
を抱いていることを推察し、仇敵が自分の魔法でどれほどダメージ
を負っているのか確認しにくるだろうと予想した。放火犯が必ず燃
氷姫の拷問
アイシクルメイ
えた家を確認しにくる心理と同じだ。さらに、イカレリウスは現れ
電衝撃
インパルス
を上空へと放った。
を回り込むのではなく、浮遊魔法で跳び越えて見下ろすのでは、
た際、わざわざ浮遊魔法で登場した。おそらく今回も
デン
具
と推測して
︱︱バリィィッ!
電衝撃
インパルス
がイカレリウスに命中した。
百数十メートル離れているここにまで聞こえる大きな雷音が轟き、
見事に小橋川の予想通り
氷姫の拷問具
アイシクルメイデン
の内側へ
距離があるため威力は落ちているが、足止め程度にはなるだろう。
小指の先ほどに見えるイカレリウスが
を空魔法で破壊したよ
とゆっくり落ちていくと同時に、強烈な空気の振動が起きて、百メ
氷姫の拷問具
アイシクルメイデン
ートル級の氷が粉々に砕け散った。
どうやらポカホンタスが
うだ。
﹁うふふっ﹂
1303
小橋川としては﹁見たかっ﹂と言って、ニヤリと不敵に笑ったつ
もりだった。
しかし、エリィの口から出た言葉は﹁うふふ﹂で、表情はお嬢様が
﹁いたずらしちゃダメでしょ﹂と子どもを叱るような優しげなもの
だった。
﹁エリィちゃん⋮﹂
アグナスがまたしても落雷魔法を使ったエリィに何かを言いたげ
に名前をつぶやくが、アリアナが裾を引いてきたので、この場は退
を破壊したポカホンタスはすぐさま白魔
却が優先だと自分に言い聞かせて前を向く。
アイシクルメイデン
氷姫の
アイシク
で、凍傷になりかけていた両腕を回復させる。
氷姫の拷問具
再生の光
一方、
法下級
を破壊した瞬間に攻撃を受けていただろう。
エリィの援護射撃がイカレリウスに直撃していなければ、
ルメイデン
拷問具
ポカホンタスは﹁本当にいい尻をしておるおなごじゃのぅ﹂と心
の中でつぶやき、前方でむくりと起き上がったイカレリウスに目を
向け、ちらりと後方を確認する。身体強化した視力で、全員が無事
撤退できたことを確認し、また前へと向き直った。
後顧の憂いはこれでなくなった。
電衝撃
インパルス
によるダメージは身体強化をしていた
﹁使い魔はもう使えんのう﹂
威力が下がった
イカレリウスになかったようだが、使い魔のコンゴウインコに似た
怪鳥は痺れて動けなくなっている。
﹁さて、なぜおぬしが氷魔法しか使わないのか、というなぞなぞの
1304
答えを教えてやるわい。
はその使い魔が行使しておった。
レビテーション
浮遊
なぜなら、おぬしはその杖のせいで氷魔法しか使えぬから。どうじ
ゃ?﹂
﹁⋮⋮じじい﹂
﹁その金の杖、疑似アーティファクトじゃな。おおかた、ドルフの
連中にでも作らせたんじゃろうて。己の氷魔法への適性を上げると
同時に、他種類の魔法が使えなくなる。ま、そんなところじゃろ﹂
﹁⋮その汚い口を今すぐ塞いでやる﹂
﹁ほっほっほっほっ﹂
イカレリウスが氷の双腕を広げ、本体の両腕が二メートルの金の
杖を掲げる。
それを受け、ポカホンタスはゆったりとした、大空を舞う鷹のよ
うな悠然とした動作で、左手を手刀の形にして前へ上げ、右拳を腰
だめにぴたりと付け、両足を軽く開いた。この戦いで初めて構えを
取ったポカホンタスの空気が変わり、砂がそよ風を受けたかのよう
に、彼を中心として外側へさらさらと流れる。
伝説として語られている二人の魔法使いが、眼光鋭く、無言のま
ま対峙した。
超高速の魔力循環から尋常でない魔力の集約が行われ、重圧が周
囲へと伝わり、遠巻きに様子を見つつ血肉のおこぼれを頂戴しよう
としていたデザートコヨーテが野生の勘を働かせ、背を向けて逃げ
出した。
見上げれば美しい月が輝き、濃紺に塗りつぶされた夜空に浮かぶ
1305
星々は、伝説級魔法使いの戦いを静かに見下ろしていた。
1306
第28話 砂漠の賢者と南の魔導士・後編
ポカホンタスがゆらりと身体を前へ倒した。
それに呼応するかのようにイカレリウスがバックステップをしつ
拡散空弾
氷十字架
を見事な
アイシクルーシファイ
のダッシュでポカホンタスは
ショットエアバレット
つ、無詠唱で氷魔法を唱える。
+
!!﹂
上の中
氷十字架
アイシクルーシファイ
﹁打ッッ!!!﹂
﹁
身体強化
一気に距離を詰め、イカレリウスの行使した
体捌きで左によけると、脇腹めがけて拳打を放った。
氷十字架
の二つ目が地中から現れ、拳打が防がれ
アイシクルーシファイ
だが、触れた者を取り込んで氷の十字架で磔にする、マイナス三
十度の凶悪な
る。
氷十字架
が割り込む
アイシクルーシファイ
ポカホンタスは全く動じず、そのまま十字架を破壊し、押し込ん
で拳打を打ち込もうとしたが、もう一体の
ように滑り込んでくる。
これもポカホンタスは突き出した拳打で破壊。
イカレリウスは防御を突破して威力の落ちた拳打をステップでか
わし、さらなる氷魔法を使用する。
そうはさせまいと、ポカホンタスは最小限の動きで横から左膝を
狙った蹴りを放つ。一見すると何の変哲もないただの蹴りだが、関
節部を狙い澄ましているため一撃でも食らったら、致命的なダメー
ジになるであろう。
1307
よけるか、身体強化でガードするかしかない。
︱︱ガキッ
イカレリウスはポカホンタスの予想とは違う行動に出た。
金の杖で蹴りを弾いたのだ。
の攻撃を受けて破壊できない杖となると、思いつくだけで
これにはさすがのポカホンタスもわずかばかり驚く。身体強化
上の中
も数は知れている。杖は剣や斧などの武器に比べて、魔力結晶が練
上の下
の魔法の直撃、身体強化による攻撃に耐え
り込まれているため、脆いというのが常識だ。闘杖術に使用される
杖もせいぜい
る程度の物が、作製の限界と言われている。そのため、闘杖術スタ
イルを取っている魔法使いは、破壊されてもすぐ予備を出せるよう
に複数の杖を持っていることが多い。
しかし驚きは一瞬だ。
砂漠の賢者とまで呼ばれた魔法使いポカホンタスは、追撃の手を
緩めず、自身の得意とする十二元素拳﹁空の型﹂で肉薄する。
衝撃を体内へと伝える右掌打、コンパクトな振りの左殴打、距離
拡散空弾
を使って速度を
ショットエアバレット
を詰めて肘打ち。正中線や関節を狙った狡猾な攻めが瞬時に行われ、
相手が回避困難なタイミングで空魔法
増幅させる。
アイ
氷
を同時に三発、頭上、後方、前方と、逃げ道を塞いで繰り
それをイカレリウスは杖で捌ききり、練った魔力を放出して
シクルバイト
傷噛付
出した。
大きさよりも威力に重点を置いた、三メートルに凝縮された不気
1308
味な氷牙の口が、一気に閉じる。観戦者がいたならば、氷の魔獣が
三匹現れ、ポカホンタスを飲み込んだように見えただろう。
上位中級魔法の三発同時直撃。
魔法の射出練度、強度、正確さ、どれをとっても敵ながら見事と
しか言いようのない詠唱に、さすがのポカホンタスも身体強化をし
ているとはいえ、身体に衝撃が走って、わずかばかり魔力循環がブ
レる。
氷傷噛付
アイシクルバイト
が容赦なく襲いかかった。皮膚に裂傷が走
魔力のブレにより背中の一部に身体強化のひずみができると、そ
の場所へと
り、身体強化が解けそうになる。
アイシクルフィントン
氷娘の拷問具
。
イカレリウスはにやりと笑い、追撃するため間髪入れずに詠唱を
開始した。
唱える魔法は、氷魔法上級
火炎放射ならぬ、氷霧を大量放射する魔法で、指定した範囲を一
瞬で氷漬けにする効果がある。
だがイカレリウスの詠唱が完成する一歩手前で、ポカホンタスを
飲み込んでいた氷の魔獣三匹が突如として爆散した。
破裂したかのように粉々になって、氷が水上花火のように周囲へ
まき散らされる。さらには耳を塞いだとしても鼓膜が確実に破壊さ
れるであろう強大な爆音が鳴り響き、音の中心部から三百六十度す
べての方向へ波動が広がった。砂が刹那のうちに二メートルほど陥
没し、巨大スピーカーに日本中の電力を流し込んでギターをかき鳴
らしたかのような爆音が衝撃波に変わって、音速で拡大し、周囲の
砂丘がまっさらな更地に変貌する。
1309
空魔法上級、広範囲殲滅魔法
エンパイアレコード
空帝の円盤音
。
使用者の中心から波動が広がり、爆音で周囲を丸ごと吹っ飛ばす
氷傷噛付
アイシクルバイト
の内側
という、ユキムラ・セキノの仲間が開発したと言われている魔法だ。
ポカホンタスはこの魔法を数秒で完成させ、
で
空帝の円盤音
エンパイアレコード
を防
で行使した。追い込まれた状況で上位上級魔法を行使する技術は、
アイシクルブロック
氷結塊壁
さすが伝説の魔法使いといえる。
イカレリウスは氷魔法中級
上の中
で衝撃の直撃
御したが、勢いは殺せず、衝撃波をモロに食らって後方へとすっ飛
ばされた。氷魔法の多重ガードと身体強化
アイシクルフィントン
氷娘の拷問具
⋮﹂
エンパイアレコード
空帝の円盤音
を受ける瞬間、完成させ
は避けたものの、音による軽い酩酊感に襲われ目の焦点が合わない。
﹁
しかしイカレリウスは
エンパイアレコード
空帝の円盤音
と
氷娘の拷問具
アイシクルフィントン
が行使されたタイミングは
ていた強力無比な氷魔法上級をポカホンタスに向かって放っていた。
ほぼ同時だ。
ほんの少しイカレリウスの魔法発動が遅かったため、魔法が相殺
されず、イカレリウスは爆音で後方へ吹っ飛び、ポカホンタスは氷
の氷霧放射が地面から噴き上がり、半径十メー
霧の強襲を受けた。
アイシクルフィントン
氷娘の拷問具
トルを冷凍地獄へと変えた。ポカホンタスの中心から魔法が発生し
ているため四方八方をふさがれ、回避は不可能。
1310
拡散空弾
を食らい
を射出し
ショットエアバレット
だがポカホンタスは、まるでこの魔法が存在していないかのよう
に無視した。
凍傷を覚悟し、防御をせずに瞬時に足から
氷娘の拷問具
アイシクルフィントン
て、吹っ飛んでいくイカレリウスとの距離を詰める。
攻撃は最大の防御だ、といわんばかりに
つつ効果範囲から脱出し、攻撃に転じた。
彼は長距離や中距離の戦いでは勝ち目がないと理解していた。
魔法を同時に三発放てるイカレリウスと魔法合戦をすれば、手数
で圧倒されることは火を見るよりも明らかであり、近距離戦に持ち
空帝の円盤音
エンパイアレコード
は使いたくない魔法であった。
込んで十二元素拳と魔法の混合技で勝機を見出す他ない。距離が開
いてしまう
上の上
で打ち砕くことも可能であったが、魔力
しかし、三方から同時に氷魔法中級の攻撃をされては使わざるを
得ず、身体強化
消費が激しすぎるためそれは避けた。
﹁斜ッ!!!﹂
ポカホンタスは二起脚を全力でイカレリウスに叩き込んだ。
アイシクルフ
両手を鶴のように挙げ、跳躍し、左足を伸ばして蹴り上げ、反動
を使って次に右足を蹴り上げる。
氷娘の拷
を脱出したため腕に相当なダメージを負っているが、痛みは
倒れ込むような前傾姿勢を作って両腕で顔をガードし
ィントン
問具
空帝の円盤音
エンパイアレコード
の音による攻撃から正気に戻ったイカレリウス
おくびにも出さない。
は追いすがってきたポカホンタスを視認し、二起脚の一発目を金の
杖で受け、もう一発を右腕で受けた。
1311
ミシリ、と強打による衝撃が右腕を襲う。
身体強化が間に合わなければ右腕が吹き飛んでいた。
二起脚を受け、イカレリウスの身体がさらに空中へと浮き上がる。
跳躍しているポカホンタスは、着地してから再攻撃に移る必要が
あった。だが、十二元素拳はそんな悠長で隙ができるような体術で
はない。
︱︱!!?
を背中から爆発させるよ
ショットエアバレット
拡散空弾
イカレリウスはなぜかさらに近づいてくるポカホンタスに目を向
け、心の中で舌打ちをした。
ポカホンタスは空魔法中級
うに射出。
落下する身体を強引に引き上げ、ジェット機のように推進力を得
た後、両腕をぐるんと回して身体を一回転させ捻り込むと、右足を
大きく振り、ハンマーで叩きつけるような旋風脚を食らわせた。し
空烈衝撃
ショックウェーブ
の追撃付きだ。
かも、当たる瞬間に空気の振動を利用した、小さいビルぐらいなら
木っ端微塵にできる空魔法中級
﹁波ッッ!!!!!﹂
捕らえた、とポカホンタスは確かな手応えを感じ、そのまま右足
を振り抜いた。
﹁ッ⋮⋮!﹂
1312
長身のイカレリウスが青髪をなびかせる暇すらないスピードで砂
の地面へと激突し、ボールのように三回跳ねながら吹き飛んだ。
空中での追撃や、無理な体勢からの移動ができる十二元素拳は、
とうろ
やはり地球のカンフーとは似て非なるものであった。カンフーでは
技のつながりを型のように練習することを﹃套路﹄と呼び、繰り返
し練習することで技を昇華させる。
十二元素拳も肉体の動きが効率的であり、内なる力を最大限発揮
できるような形にはなっているが、魔法を織り込んだ套路になって
いるため地球上のカンフーとは動きがかなり違う。
また、エリィの練習している﹁風﹂﹁土﹂﹁火﹂﹁水﹂の型は、
十二元素拳のほんの入り口にすぎなかった。ただ、その四つを習得
するだけでも体術ではほぼ負けなしになるレベルではあるが、彼女、
いや、彼はまだその事実をポカホンタスから知らされていない。
上の中
のコンビネーション技で猛烈
ショットエアバレット
拡散空弾
を受けたイカレリウスの右腕は使い物にな
+
確実に相手を仕留めるため、ポカホンタスは容赦なく追撃を計る。
身体強化
ショックウェーブ
空烈衝撃
に前進した。
旋風脚と
らなくなり、あらぬ方向へ曲がっている。
絶対零度の双腕復体
アブソリュート・ゲンガー
は使用者の意志で
あの連撃を受けて右腕だけで済んでいるのは、超級で作った氷の
双腕のおかげといえた。
動かすことができ、魔法を撃つ指示も出せると同時に、腕の一本一
本が意志を持っており、本体を守るために防御魔法をオートで行使
1313
する。味方であれば非常に優秀、敵であれば厄介といえる代物で、
さすが超級魔法だ、と観客がいるならば拍手が巻き起こったに違い
ない。
観客は夜空にきらめく星々のみ。
かつて起こった様々な歴史的戦いを目にしてきたであろう彼らは、
物言わず、静かに二人の魔法使いを見下ろしている。
﹁打ッッ!!!!!!﹂
ポカホンタスの拳打が起き上がったイカレリウスに殺到する。
氷結塊壁
アイシクルブロック
で二重ガードする。
豪腕の一発。身体強化なしの生身に当たれば一撃で身体が爆散す
る威力。
それを氷の双腕が
イカレリウスは右腕に走る激痛をものともせず、身体強化を行い、
ポカホンタスから距離と取ろうと後ろへ下がった。左手には杖をし
っかりと握り、まだ目は死んでいない。
片手の闘杖術でポカホンタスの多彩な攻撃を凌ぐことはできず、
双腕の防御魔法を駆使しながら防戦一方になるイカレリウス。
星々の下、拳打と蹴りが舞い、空中に氷が現れては粉々になり、
ダイヤを散りばめたように氷粒が砂漠の大地を輝かせる。拳と魔法
が交錯し、破壊音と衝撃が周囲の地形を変えていく。
時間にすればほんの三分ほど。
しかし技と魔法の応酬は数十撃にも及んだ。
近接戦闘で、尚且つ片手が動かないイカレリウスに遅れを取るポ
1314
カホンタスではない。徐々に均衡が崩れ、強烈な足払いがイカレリ
ウスを捕らえて、完全に有利な体勢へと持ち込んだ。
上の中
+空魔法
拡散空弾
で放った。
ショットエアバレット
ここでポカホンタスは全体重を足へ乗せ、滑るようにして打ち出
す右膝蹴りを、身体強化
﹁牙ッッ!!!!!﹂
打ったあとは隙ができるポカホンタスの大技を、こともあろうか
イカレリウスは防御魔法を使わずに氷の双腕で受け止めた。二人の
身体がワイヤーアクションのように十五メートルほど地滑りし、砂
漠の地面に軌跡が描かれる。
双腕の破壊はポカホンタスも狙っていたことだったので、砂漠の
賢者は意図を探ろうと、ぴくりと眉を動かした。
案の定、双腕にはヒビが入り、数発の拳打で破壊されるであろう
ダメージを負った。
氷の双腕がなくなればイカレリウスに勝機はない。
⋮⋮﹂
氷妃の拷問具
アイスフェンドネーゼ
が、青髪青髭の頬がこけた魔法使いは、にぃ、と口角を釣り上げ
アイスフェンドネーゼ
氷妃の拷問具
た。
﹁
︱︱!!!!?
ポカホンタスは突如として唱えられた氷魔法上級
に反応できない。
何の溜めや詠唱もなく上位上級魔法を行使したイカレリウスに驚
1315
愕すると同時に、あの疑似アーティファクトらしき杖に魔法を仕込
んでいたのであろう、という予想を瞬時に立てた。
逡巡している間も事態は悪い方向へと進んでいく。
足元が完全に氷漬けになり、地面から現れた氷樹が二本、ポカホ
氷妃の拷問具
アイスフェンドネーゼ
。
ンタスへと倒れるような格好で出現して両腕を氷漬けにして脱出を
不可能にした。
松の木折りといわれる拷問具を模した
ハの字に出現した二本の氷樹が、ポカホンタスの両腕を外側へと
引っ張り、腕を引きちぎろうと外へ向かう。最終的に氷樹はVの字
になり、捕らえられた人間は引き裂かれるという陰惨な拘束系の魔
法だ。
マイナス七十度の氷が、みるみるうちにポカホンタスの両足両腕
を真っ青に覆い尽くしていく。
﹁ぬう⋮⋮﹂
両腕に激痛が走る。
凍傷と斥力によって体躯が悲鳴を上げ、思わず口から言葉が漏れ
た。
青い氷が腕から肩へ、足から腹部へ、腹部から胸へ、と移動して
いく。
それを見たイカレリウスは勝ち誇ったかのように顔面を引き攣ら
せて狂喜し、砂漠中に聞こえるのでは、と思わせるほどの大声で哄
笑を始めた。
﹁はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは! 無様だな! 全く無様だポカホンタス! これで長かった貴様との
1316
氷塊狙撃
アイシクルスナイプ
を中空へと出現させ、
戦いも終わりだ! ようやく、ようやくだ!﹂
そう叫ぶと、イカレリウスは
に捕らわれているので放っておけば勝手に死ぬが、
高速回転した鋭い氷の先端をポカホンタスの鼻先へと移動させる。
アイスフェンドネーゼ
氷妃の拷問具
恐怖する相手の顔が見たかった。
アブソリュート・ゲンガー
絶対零度の双腕復体
が使えぬことだ!﹂
は上位上級魔法であり、身体強化
上の中
で
﹁貴様の敗因はこの杖に仕込まれていた魔法を見抜けなかったこと
と、
氷妃の拷問具
アイスフェンドネーゼ
イカレリウスは勝利を確信している。
は抜け出せない。この魔法の極悪なところは激痛と冷凍によるコン
ビネーションで引き裂くような痛みを発生させ、身体強化や魔力を
練ることをさせず、凍結が徐々に対象者を蝕んでいくという、名前
にふさわしい効果があることだ。
イカレリウスはポカホンタスがどんな顔をするか見たくてこの魔
氷妃の拷問具
アイスフェンドネーゼ
を仕込んでおいた。
法を選び、一発だけ詠唱なしで魔法を行使できる疑似アーティファ
クトの杖に
﹁複合魔法呪文は頂いていく! ついでに貴様の気に入っている金
髪の小娘もな!﹂
心底嬉しそうに口角を釣り上げ、ポカホンタスに向かって叩きつ
けるように宣言した。
﹁⋮⋮⋮﹂
砂漠の賢者はとうとう無表情のまま何の感情も表に出さず、頭ま
1317
が身を引き裂くであろう。
で氷で覆われ、全身氷漬けになってしまった。いずれ
ーゼ
具
アイスフェンドネ
氷妃の拷問
青髪青髭の魔法使いはゆっくりと杖を掲げ、振り下ろした。
お遊びはここまでだ。長年の強敵であった男に引導を渡す。
イカレリウスは己の半生をかけて探し回った憎き魔法使いを、最
後に睨みつけた。
﹁死︱︱︱﹂
死ね、と言おうとしたイカレリウスは最後まで言葉を紡ぐことが
できず、眼前で起きた事象に釘付けになり、思考が一瞬停止した。
氷塊狙撃
アイシクルスナイプ
を粉砕
バガァン、という破壊音が砂漠にこだまし、全身すべて氷漬けの
ポカホンタスが右腕を突き出して掌打を放ち、
した。
ただ単純に手を前へ出したようにしか見えない。
なぜか右腕の氷がすっかり溶けていた。
﹁ば、馬鹿な⋮﹂
氷塊狙撃
アイシクルスナイプ
を二発同時発射した。
イカレリウスは驚愕し、汚い物を排除するかのように睨みつけて、
再び
バガン!
バガァン! すくい上げるような動きで右腕を上げて一発目を破壊し、左掌底
を真横に振って二発目も破壊する。
1318
﹁むんっ!﹂
氷妃の拷問具
アイスフェンドネーゼ
を破壊した。
気合い入魂。ポカホンタスは全身に力を入れて己の肉体を覆い尽
くしていた氷魔法上級
であったため、
を破壊できるはずがない。拘束
上の中
イカレリウスには理解不能であった。ポカホンタスが先ほどまで
氷妃の拷問具
アイスフェンドネーゼ
かけていた身体強化の強さは間違いなく
上位上級の氷魔法
の最中に身体強化を高めることは激痛から不可能と言える。
だが、その不可能をポカホンタスは驚異的な精神力で可能にした。
から
上の上
まで引き上げて
氷妃の拷問
アイスフェンドネ
冷凍と斥力による激痛の中、魔力循環を通常通り行い、身体強化
上の中
を強引に粉砕したのだ。
を瞬間的に
ーゼ
具
一瞬だけ死を予感した際、ポカホンタスの心に去来したのは、ぷ
りんとした無数の可愛い尻だった。
柔らかい尻、温かい尻、無邪気な尻、ハリのある尻。まだ見ぬ乙
女の尻を思えば、こんな砂漠のど真ん中で無愛想な青髭の男に殺さ
れるのはバカバカしいにもほどがある。尻がポカホンタスの精神を
繋ぎ止め、百数十年の鍛錬の成果が激痛の中で身体強化を引き上げ
るという荒技を可能にした。
尻への想いが上位上級魔法を凌駕した瞬間であった。
﹁貴様ぁ!!﹂
氷傷噛付
アイシクルバイト
そんな敵の胸の内などいざ知らず、イカレリウスが氷魔法中級
を正面から二発放ち、後方には同レベルの
アイシクルスナイプ
氷塊狙撃
を出現させ、逃げ道を塞ぐ。彼は激昂しているが、冷静さは失って
1319
いない。
の維
このまま攻撃へ移ろうかと逡巡したものの、さすがのポカホンタ
上の上
へと一段階下げて
を破壊せずに手を軽く動かす最小の動作でい
上の中
スでもこれまで消費した魔力を考えれば、身体強化
氷塊狙撃
アイシクルスナイプ
持は魔力枯渇の危険がある。すぐさま
前進し、
なし、イカレリウスの眼前まで飛び込んだ。
の拳打で上位中級
アイシクルブロック
氷結塊壁
を破壊すれば
氷
アイ
そして、腰のひねりや振りかぶる動作のない、ただの拳打をイカ
レリウスに向かって放った。
の補助もない拳打だったので、
ショットエアバレット
拡散空弾
端から見れば、棒立ちのまま腕を突き出したように見える。
イカレリウスは
を一枚だけ出現させてガードする。
シクルブロック
結塊壁
これを防いで反撃する。そうイカレリウスは思った。
﹁⋮⋮ぐっ﹂
上の中
結果、イカレリウスの腹部に深々と拳がめり込んだ。
身体強化
威力が激減されるはずであった。
上の中
+
拡散空弾
で左腕
ショットエアバレット
イカレリウスの身体が意図せずくの字に折れ曲がったところを見
逃さず、ポカホンタスは身体強化
を振りあげ追撃をかける。
が二重展開される。
顔面めがけて掌打が繰り出されたため、氷の双腕がオートガード
氷結塊壁
アイシクルブロック
を発動。
1320
﹁がっ⋮⋮!﹂
だが、掌打が二重防御を破壊し、かち上げるようにしてイカレリ
ウスの顎にクリーンヒットした。
二メートル近い体躯が強烈な掌打によってふわっと浮き上がる。
視界が点滅する中、イカレリウスはなぜガードを破壊してこれほ
どの威力が出せるのか逡巡するが、原因がわからない。とにかく回
避しなければ、と頭と全身が警鐘を鳴らし、肉体を動かそうと躍起
氷十字架
⋮﹂
アイシクルーシファイ
になる。
﹁
攻撃を受けながらも、自身とポカホンタスの間に高さ二メートル
氷の十字架を出現させた。あくまでもイカレリウスはポカホンタス
をここで仕留めるつもりで、その意志は執念といってもよかった。
あの攻撃はなんだ⋮?
イカレリウスは飛びかけた意識の欠片をかき集め、経験や知識を
総動員して原因を探ろうとする。
上の中
+
拡散空弾
を見せ続けて
ショットエアバレット
ポカホンタスの今までの攻撃はすべて布石だ。
イカレリウスに身体強化
いたのも、これ以上の攻撃はないと思わせ、土壇場で秘中の秘であ
る技を使って相手に深刻なダメージを与えるためだ。
ポカホンタスが使った技は、魔力循環と魔力操作を極めし者のみ
1321
が使うことのできる、十二元素拳奥義・﹃魔力内功﹄だった。
通常、身体強化を行うまでの流れは、魔力を発生させる↓魔力循
環↓魔力を集める↓一カ所に留める↓身体強化、という経過を辿る。
魔力を持っていない地球人にどのくらい困難な作業か説明する場
合、部屋にある加湿器から発生する霧を魔力と見立てるとわかりや
すい。
部屋に充満させた霧の一粒一粒が魔力であり、それを操作して循
環させる。
循環させた後、霧を一点に集中させれば身体強化が完成する。全
身を強化する場合は、霧を結露するほど発生させ、すべてを操って
部屋中の壁を霧で覆う。何十万という魔力の粒を己の意志で操作し、
少しのブレも起こしてはいけないため習得が非常に難しい。
だが十二元素拳奥義・﹃魔力内功﹄は大きく異なる。
魔力を循環させず、爆発的に発生させて身体強化を行う。
一気に魔力を発生させ、コンマ数ミリの狂いもなく指定の場所に
魔力を押しとどめ、強引に身体強化をする、という方法だ。魔力が
少しでも外に出ると霧散し、内側すぎて強化場所に届かないと身体
強化がされない。
スピード百五十キロのボールを投げて、それに追いつき、コンマ
数ミリの狂いなく指定の場所でキャッチする。それぐらいの離れ技
である。
魔力内功で攻撃すると何が起きるのか︱︱
1322
をさらりとかわし、﹃魔力内功﹄
アイシクルーシファイ
氷十字架
﹁打ッッ!!!!!﹂
上の中
+
ショ
拡
の一撃がイカレリウスのオートガード、二重展開された
ットエアバレット
散空弾
を突き抜けて本体に突き刺さり、骨が砕ける鈍い音を響
アイシクルブロック
氷結塊壁
かせ、遙か後方へと吹き飛ばした。
﹁ぐがっ⋮﹂
上の中
の威力が一・五倍されれば、威力は絶大なものになり、
通常の身体強化より一・五倍ほどの威力を持った拳打が発生する。
パンチ一発でビルの一つは吹っ飛ばせる。しかも恐ろしいことに予
備動作が不要という驚くべき技だ。まさに奥義といえる。
とてつもない集中力を要するため、三撃しか放っていないポカホ
ンタスの額からじっとりとした汗が吹き出てくる。
ここで、ポカホンタスは気を抜いたりはしない。
敵がどんな隠し玉を持っているかわからないため、油断せずに追
い打ちを掛ける。
イカレリウスは相当のダメージを負ったはずであったが、杖を地
面について何とか体勢を立て直し、ポカホンタスを視界の端で捕ら
える。ポケットから素早く魔力結晶を取り出して魔力を回復させる
と、気力を振り絞って詠唱を始めた。
﹁氷の涙はすべてを憎み、氷針の処女は表裏を一体とせん⋮⋮﹂
1323
氷魔法上級の大魔法
アイシクルメイデン
氷姫の拷問具
うと試みるイカレリウス。
再度行使し、決着をつけよ
魔力が少ない今、この魔法を撃たれたら危険だ。
上の上
まで引き上げ、得意の
拡散空弾
を最
ショットエアバレット
ポカホンタスはここが勝機と、くわっと目を見開いて、右足部分
のみ身体強化を
大出力にして地面を蹴った。
大型地雷が爆発したかのように後方へ砂がまき散らされ、瞬時に
イカレリウスへと肉薄した。プラスしてポカホンタスは次の魔法の
氷姫の拷問
アイシクルメイ
︱︱﹂
ために小声で詠唱を開始する。
﹁
﹁貫ッッ!!!!!﹂
右手の指先を五本すべてくっつけ鳥のくちばしを模した形にし、
上の中
の攻撃がオートガードによって現れた
ポカホンタスが右腕を振った。
﹃魔力内功﹄
を粉々に破壊し、ポカホンタスの右手がイカレリウスの
アイシクルブロック
氷結塊壁
!﹂
空児の百鳴琴
トレーラーシャイン
がイ
左耳に突き刺さる。さらには呟いていた詠唱を完成させ、右手を左
空児の百鳴琴
トレーラーシャイン
耳にぴたりとつけたまま、一気に開放した。
﹁
音を一点に集中させる空魔法上級・音魔法
カレリウスの鼓膜を破壊し、三半規管を狂わせる。魔力内功と上位
上の中
以下で
上級魔法を防ぐことができず、彼の耳からはどろりと血が流れ、完
全な酩酊状態になってたたらを踏んだ。身体強化
あれば間違いなく死んでいた一撃だ。
1324
ポカホンタスは身体強化
上の中
を維持したまま右腕を大きく
時計回りに回してイカレリウスの両足をすくい上げる。空中に投げ
絶対零度の双腕復体
アブソリュート・ゲンガー
が粉々に砕け散っ
出され、身体が壊れた時計の針のように空中でぐるんぐるんと回っ
た。その勢いで氷の双腕
た。
さらにポカホンタスは腕を回して、何度も何度もイカレリウスの
両足を弾いて回転スピードを上げた。
﹁ちぃとばかしキツイおしおきをしてやろうかのぅ﹂
空中で磔になったかのようにイカレリウスが青髭を空圧で直角に
させながら、ルーレットみたいにぐるぐると回る。小橋川が見てい
たら﹁イカレリウスルーレット、スタート!﹂と司会者のように手
を上げて叫んだだろう。
空児の百鳴琴
トレーラーシャイン
、そして空中でぶん回されているせいでイカ
魔力内功による三半規管を狙った﹁貫﹂の一撃と空魔法上級・音
魔法
レリウスは魔力が少しも練れず、意識を飛ばしかけた。視界が赤と
青に点滅し、目の前で無数の円が描かれる。
﹁巧妙な手管によって隠蔽され⋮決したるは因果応報⋮⋮座したる
は名楽の楽士⋮⋮﹂
能を舞うかのような節をつけ、ポカホンタスが浪々と魔法を詠唱
する。
この戦いで一番の魔力が集約されていき、彼の周囲の砂が逃げる
ように跳ねる。
﹁いにしえから伝承される詩は誰がために唄われる⋮⋮﹂
1325
詠唱の時間はおよそ五十秒。
が発動し、ルーレット状態の
ほぼすべての魔力をつぎ込み、ポカホンタスはその魔法を完成さ
せた。
ゴーン・ウィズ・ザ・ウインド
空理空論強制異動
ゴーン・ウィズ・ザ・ウインド
﹁空理空論強制異動!!﹂
空魔法の超級
イカレリウスの背中に五十メートルほどの魔法陣が蜘蛛の巣のよう
に張り付いた。次に彼の後方に三メートルの魔法陣が夜空にかかっ
た橋のように、延々と星空の向こうへ伸びていく。
﹁おぬしの敗因は、おなごの尻を愛でぬことじゃ﹂
イカレリウスは空中で未だに回され続けているため、ポカホンタ
スの声が聞こえない。
彼が女性のどの部位に興味を抱いているのか? それは彼しか知
らないことであり、そのような自身の趣味を赤裸々にポカホンタス
へ語る日は来ないだろう。
ボシュッ、と真空になった瓶の蓋を開けたときに発する音が鳴り、
逆バンジージャンプの要領でイカレリウスが強烈な勢いで後方へ引
っ張られ、数珠つなぎで繋がっている魔法陣を滑るようにして爆進
した。
﹁おお∼良く飛ぶのぉ∼﹂
ポカホンタスはロケットのごとく星空の彼方へと消えていくイカ
レリウスルーレットを研究員のように右手を眉毛の上に当てて眺め、
しきりにうなずいた。
1326
﹁ツギアッダドギハゼッダイニブッゴロズゥゥゥゥゥ︱︱﹂
飛んでいる途中で意識を取り戻したらしいイカレリウスが叫んで、
声と共に星の彼方へとフェードアウトした。
空理空論召集
エアレ
荒涼とした砂漠の大地に静寂が戻り、辺り一面にまき散らされた
は同じ超級魔法
氷の残骸が月の光を浴びてきらきらと輝いている。
ゴーン・ウィズ・ザ・ウインド
空理空論強制異動
はアリアナの鞭の先生役としてサキュバス
の逆バージョン。指定した相手を空の彼方まで吹き飛ばす魔
空魔法超級
ター
令状
空理空論召集令状
エアレター
法だ。
を召喚した魔法であるが、この魔法、SFにあるような召喚魔法で
はなく、対象者を強引に空圧で引っ張ってくるだけの魔法だ。通常、
召喚魔法と呼ばれるものは、対象者を分子のように解体して出現場
空理空論召集令状
エアレター
はあくまでも空気や風を
所で再構築するようなイメージであり、まさにファンタジー全開の
魔法である。しかし
基本とした魔法なので、本当にただ引っ張るだけだ。
空理空論召集令状
エアレター
の引っ張る力と距離は尋常ではな
では空魔法超級は大したことない魔法なのか、というとそれは大
いに違う。
く、五千キロを十数分で移動させることができる。北海道から沖縄
よりも離れた距離を、わずか十数分でだ。しかも対象者には空圧の
空理空論強制異動
ゴーン・ウィズ・ザ・ウインド
は
保護がされ、ほとんどダメージを受けない。使える魔法使いは各国
から引っ張りだこになるだろう。
今回ポカホンタスが使用した空魔法超級
練り込んだ魔力の分だけイカレリウスを移動させる。方角は適当な
ので、行き着く先が、世界の果てか、暗黒の沼地か、漆黒の海か、
1327
飢餓の森林か、それは神のみぞしるところだ。
︱︱ギャア、ギャア
主を失った使い魔のコンゴウインコがふらふらと飛び立ち、ポカ
ホンタスを見て恨めしそうに一鳴きすると、イカレリウスを追いか
けて飛んでいく。魔力が枯渇寸前のため、追撃はせずに、ポカホン
タスは赤い鳥を見つめた。
﹁美しい星空に赤い鳥。うむ、なかなかに風流じゃのう﹂
気づけばボロボロになっていた服にはまるで頓着せず、彼はのん
びりとした足取りで砂漠に転がっている馬車の残骸へと足を向けた。
戦いの余波で二台乗り捨ててあった馬車の一台は木っ端微塵になっ
ている。比較的無事な横倒しになっていたもう一台の馬車に歩み寄
ると、ポカホンタスはがさごそと積み荷を漁り、お目当ての麻袋を
発見した。
﹁ひいふうみい⋮三本は無事じゃな﹂
そう言いながら嬉しそうに酒瓶を取り出し、コルク栓を抜こうと
する。
だが魔力枯渇寸前で力が上手く入らず、一度酒瓶を砂の上に置い
て両手を開いて閉じ、コルク栓を握りなおした。
キュポン、という小気味いい音と一緒に酒の匂いが鼻孔をくすぐ
る。
満足げにうなずくと、ポカホンタスは静寂に包まれた星空の下、
赤い鳥を眺めながら酒を飲んだ。
1328
﹁さて。魔力もないし、わしゃのんびり弟子の帰りを待つとするか
のぅ﹂
よっこらしょ、と言いながらポカホンタスは酒瓶を片手に馬車の
縁へと腰を掛け、のんびりと空を見上げた。
空房の砂漠に濃紺の夜空が落ち、美しく星を輝かせる。
どこか遠くでデザートコヨーテの遠吠えが聞こえると、周囲は静
寂に包まれた。
馬車の縁に腰を掛け、ちびりちびりと酒を飲む彼の姿は、どこに
でもいるただの酒好きのじいさんにしか見えなかった。
1329
第28話 砂漠の賢者と南の魔導士・後編︵後書き︶
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☆出てきた魔法まとめ☆
氷魔法中級
氷傷噛付
氷結塊壁
氷塊狙撃
︵広範囲型︶
︵範囲指定型︶
︵防御型︶
︵狙撃型︶
アイシクルスナイプ
氷突剣山
︵拘束型︶
アイシクルーシファイ
アイシクルスパイク
アイシクルバイト
アイシクルブロック
氷十字架
氷魔法上級
︵広範囲殲滅型︶
アイシクルメイデン
氷姫の拷問具
︵拘束型︶
アイスフェンドネーゼ
氷妃の拷問具
︵範囲指定型︶
アイシクルフィントン
︵分裂型︶
氷娘の拷問具
氷魔法超級
アブソリュート・ゲンガー
絶対零度の双腕復体
炎魔法中級
︵広範囲型︶
シーリングプロージョン
天井爆発
空魔法中級
︵砲撃型︶
ショットエアバレット
拡散空弾
︵近接型︶
ショックウェーブ
空烈衝撃
空魔法上級
︵広範囲殲滅型︶
エンパイアレコード
空帝の円盤音
︵近接型︶
トレーラーシャイン
空児の百鳴琴
空魔法超級
1330
ゴーン・ウィズ・ザ・ウインド
空理空論強制異動
︵移動型︶
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本編後に空気変わるキャラ出てくるとと読みづらいなーというメッ
セやコメを複数頂いたので、本編後・おたのしみコーナーは活動報
告に移動しました。
気が向いたときに息抜きでちょこちょこ書こうと思っております。
ご要望があればぜひメッセください∼。
やはり、簡単に修正できるのは﹁なろう﹂ならではですね。
すばらっ!
これからもご意見ご感想お待ちしております!
1331
第29話 イケメン砂漠の誘拐調査団・突入
後方からとんでもない魔力の波動を感じるが、振り返らずに砂漠
を走る。
調査団は﹁ポカホンタス﹂﹁イカレリウス﹂﹁超級魔法﹂などの
空想に近い言葉を目の当たりにして、軽い恐慌状態になっていた。
ポカじいのことは心配だ。でも、あのじいさんが負けるはずがな
いよな、と思い直す。
アリアナもポカじいの勝利を確信しているようだった。
それに、ポカじいの本気の拳打が頭から離れない。
あれ⋮⋮かなりやべえよな⋮イカちゃんすげー吹っ飛んだぜ。
つーか何回か﹁空の型﹂を見せてもらったときと迫力が全然違っ
た。戦いともなれば型とは全く別次元の拳打になり、十二元素拳の
神髄を垣間見たような気がする。
しばらく進み、安全と思われる距離まで離れたところでアグナス
が声を上げた。
﹁全員、止まれ!﹂
やっと落ち着いてきた調査団はアグナスの号令で停止する。皆、
額から汗を流して肩で息をしていた。
﹁パーティーごとに別れて脱落者がいないか確認してくれ!﹂
各員が点呼を取り、パーティーメンバーの無事を確認する。脱落
1332
者はゼロだ。
俺、アリアナ、バーバラ、女盗賊、女戦士の五人も集合して全員
の安否を確認し、負傷していないことをアグナスに告げた。
彼は満足げにうなずいて俺の耳に口を寄せてきた。
﹁落雷魔法はあと何発ぐらい使える?﹂
﹁⋮そうね。軽いやつなら二百発ぐらい。すごく強いのは十発ぐら
いかしら﹂
ポカじいとイカちゃんが激しく戦闘をしているので、敵の警戒が
強くなっているに違いない。あまりうかうかしているとがっちり防
衛網を敷かれてしまう可能性が高いため、時間をかけずに突入する
のが正解だ。
やっぱこいつできる男だな。なぜ落雷魔法を使えるのか、という
質問よりも次の戦闘でどの程度使用できるか確認する現実的なとこ
ろは、ただの冒険者をさせておくのはおしい能力だ。もし地球のビ
ジネスマンなら時間の管理と危機回避能力が高く、どんな会社でも
活躍できるだろう。並のビジネスマンなら話を後回しにせず、あれ
はなんだ、とまず確認して貴重な時間を使ってしまうところだ。
﹁すごく強いの、というのはどれくらいの威力?﹂
極落雷
なら巨大ゲドスライムを一撃で
ライトニングボルト
﹁ポカじいの話だと上位上級ぐらいだと思うんだけど⋮よくわから
ないわ﹂
落雷を一点集中させる
倒せるって話だしな。というより、魔力循環が上手くなってから、
本気の一撃を撃ったことがないから自分でもどのくらいの威力が出
るのか正直わからない。
﹁オーケー。エリィちゃんにお願いしたいことは二つだ。一つ目は
1333
浄化魔法で子ども達の洗脳を解除できるか試すこと。もう一つはゲ
に
複合魔法
か⋮正直まだ信じられないよ﹂
ドスライムが現れた場合、迷わず落雷魔法を使うことだ﹂
伝説の魔法使い
﹁わかったわ﹂
﹁
﹁その話は終わってからゆっくりするわね﹂
﹁幸い、エリィちゃんが落雷魔法を使ったことは、あの場でしっか
り見ていた僕とクリムト、トマホーク、ドンの四人だけしか知らな
い。変に噂になることはないけど、魔改造施設で使えばみんなにバ
レるだろう。大丈夫かい?﹂
﹁ええ。危険に晒されたら迷わず使うわ。使わなかったせいで誰か
が犠牲になったりしたら嫌だもの﹂
﹁そうだね。例え強力な魔法が使えても、必要なときに使えないよ
うであればそれは無用の長物だ﹂
アグナスが俺に寄せていた顔を離して背筋を伸ばすと、斥候とし
て魔改造施設を見に行っていたトマホークが戻ってきて何かを報告
する。
それを聞いたアグナスは、調査団の面々をぐるりと見渡してゆっ
くりうなずいた。
﹁聞いてくれ! 敵は伝説の魔法使いの魔力波動を感じたのか警戒
態勢を取っている。施設の中庭にかなりの使い手と思われる子ども
が数十名陣を張っているため、正面衝突になるだろう。だが無力化
する作戦は変わらない! 子どもたちを取り返すぞ!﹂
﹁おうよ!﹂
﹁よっしゃ!﹂
﹁でしゅ!﹂
﹁やるわよ!﹂
﹁やるでい!﹂
1334
冒険者は思い思いに返事をし、ジェラの兵士達は一斉に﹁おうっ
!﹂と拳を上げる。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
を発動させる魔法陣が仕込んである。中
﹁首魁である洗脳系黒魔法の使い手はまだ確認できていない。中庭
に
心部に近づくと精神干渉が強くなるため、うかつに近づいて魔法を
行使されると厄介だ。中心部には絶対近づくな!﹂
﹁よっしゃ!﹂
﹁俺の鉄拳を食らわせてやる!﹂
﹁子どもを絶対に助けるぜい!﹂
﹁踏みつぶしてやる⋮!﹂
﹁何もしゃべらないアリアナちゃんかわいい﹂
﹁早く戦わせろ!﹂
﹁生きててくれっ⋮⋮⋮フェスティ⋮⋮﹂
全員が好き勝手に吠えて、ジャンジャンが思い詰めたような表情
でつぶやく。
﹁予定通り、砂丘手前に木魔法で陣を張る! その後突入だ! 魔
法合戦になるぞ! 気合いを入れろよ!﹂
アグナスの言葉で団員が奮い立ち、進軍を再び開始した。
子どもを取り返す、という最大の目的があるので士気がめちゃく
ちゃ高い。
俺達のパーティーも迷わず歩き始め、数分経った、そのときだっ
た。
エレキギターの音のような甲高い破裂音がうっすらと周囲に響き、
後方から前方へと通りすぎていく。何事かと、歩きながら団員が後
1335
ろを振り返った。
隣にいるアリアナの狐耳がぴくっと動き、こちらを見てくる。こ
んなときでも可愛いな。
﹁ポカじいが魔法を使った⋮。たぶん空魔法上級・音系の魔法だと
思う﹂
﹁戦っているさなかに上位上級魔法ね﹂
﹁うん⋮⋮私たちの師匠はすごい。スケベだけど﹂
﹁そうね、すごいわね。スケベだけど﹂
﹁心配?﹂
﹁ちょっとね。でも、あの場で私にできることは何もなかったわ﹂
﹁ポカじいなら平気だよ⋮﹂
﹁ええ。無事にイカちゃんを倒したら、ご褒美にお尻を触らせてあ
げようかしら﹂
﹁⋮⋮それはダメ﹂
﹁ふふっ、冗談よ。というより絶対イヤ﹂
☆
エリィが冗談を言い、調査団が行軍を開始した同時刻。
魔改造施設のとある一室に、背中が異常に盛り上がった不気味な
男が、真っ黒な宣教師風の格好をした男の前で跪いていた。
部屋には満月の光が差し込み、蝋燭の光がぼんやりと揺れてテー
ブルの書類を照らしている。
﹁アイゼンバーグ様。どのようにしてこの場所を突き止めたのか、
ジェラの冒険者と兵士たちがこちらへ向かっております⋮⋮いかが
1336
されますか?﹂
﹁いかがされますか、とは?﹂
﹁い、いえ⋮。グレイフナーの子ども達への実験を一端中止し、迎
撃にあたったほうがよろしいかと思いまして⋮﹂
背中男がそこまで言うと、アイゼンバーグと呼ばれた宣教師風の
男は、突き出たほお骨に張り付いている皮膚をぐしゃりとゆがめ、
立ち上がって激昂した。
﹁セラァァァァァァァァルッ!﹂
背中男はその迫力に小さい身体をさらに縮こまらせ、額を床にこ
すりつけて土下座の要領で身をこわばらせた。
セラー教が神を顕現させる際のかけ声が﹁セラール﹂というもの
だったが、千年の時を経てその言葉は信者同士の挨拶やかけ声で使
われる意味に変化した。肩幅が広く体格のいいアイゼンバーグがそ
の言葉を叫ぶと、信者たちが雷に打たれたように跪く。彼の目の前
にいる背中が盛り上がった男も例外に漏れず、アイゼンバーグの威
圧を受けて心を震撼させた。
﹁敬虔なるセラーの子、ジュゼッペよ。我が子、我が同胞が産声を
上げる⋮⋮今日この満月の時を待っていたのではなかったのですか
?﹂
﹁はい! 左様でございます! 魔薬の浸透率が格段に上昇する四
回目の満月の夜を我々は待っておりました!﹂
﹁では、あなたはまた三ヶ月間、時を費やすというのですか?﹂
﹁も、も、申し訳ございません⋮⋮直ちにハーヒホーヘーヒホーを
投与致します﹂
﹁有象無象の賊など、我々の敵ではありません﹂
1337
﹁わたくしめが浅慮、お許しくださいませ﹂
﹁⋮⋮よいのです。あなたが施設のためを思って提案した言葉、私
の胸にはしかと届きました。セラーの導きがあなたに祝福をもたら
さんことを﹂
そう言って優しげな表情を作ると、アイゼンバーグはジュゼッペ
と呼ばれる背中男の肩にそっと右手を置き、左手で十字を切って円
を描いた。
ジュゼッペは感極まったのか、肩を震わせて鯉のように口を何度
も開閉させる。
﹁ああ⋮⋮アイゼンバーグ様⋮⋮⋮このような醜いわたくしめに直
接触れるなど⋮⋮⋮あああっ、なんと美しい御手でございましょう
か⋮⋮﹂
﹁敬虔なるセラーの子、ジュゼッペよ。私はあなたの異形を異形と
は思いません。さあ、己の役割を果たすのです⋮⋮⋮⋮命、尽きる
まで⋮⋮﹂
﹁はい⋮⋮はい⋮⋮。わたくしめは⋮⋮命尽きるまでアイゼンバー
グ様とセラー様のしもべにございます﹂
ジュゼッペはアイゼンバーグへ恭しく一礼をすると、素早く部屋
から出て行った。
アイゼンバーグはその盛り上がった背中を無機質な視線で見つめ、
姿が消えたところで部屋の隅に置いてあった杖を手に取った。
ジュゼッペは気づいていない。恫喝するように対象者の行いを否
定し、その後に優しく諭す、という一連の流れは洗脳や教育の常套
手段だ。それを知っているアイゼンバーグは激昂したかのように怒
り、優しくするというアメとムチをただ大げさにやってみせただけ
だ。
1338
アイゼンバーグの心には感情の起伏などなく、何も去来していな
い。
﹁セラーの子でない者に、裁きの仕置きを⋮⋮﹂
そう呟いて、アイゼンバーグはほんの少し前までこの部屋にいた
ジュゼッペのことなど忘れたのか、禍々しい樫の杖を愛でるように
樹木の城壁
ティンバーウォール
を使用し、馬車八台を囲
撫で、愛しい恋人を見るような視線を送った。
○
トマホークが木魔法下級
うようにして円形の陣地を造り上げた。直径三十メートルの円をコ
樹木の城壁
ティンバーウォール
ね、見た目はただの分厚い木の板なんだ
ンパスで引くみたいに木の壁が出現する。
いやこの
けど、鉄板ぐらい硬いんだよな。叩くとコンコン、って音じゃなく
て、カンカンっていう金属っぽい音が鳴る不思議ね。魔法、不思議。
まじで。
十五分の小休止後に出発だ。
﹁エリィ、着替えよう﹂
﹁ええ﹂
俺とアリアナは馬車の中に入って、戦闘用の服装に着替えた。
履いていたスキニージーンズと白ワイシャツを脱ぎ﹃スノーラビ
1339
ットのワンピース﹄を広げて、頭からかぶった。
着心地がいい。
触れるとどことなくひんやりして気持ちのいいこのワンピースは、
﹁光属性の魔法効果をほんの少し上昇させる効果があるのよ! 別
にぜんぜん! これっぽっちもエリィのことなんか心配じゃないけ
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
ど、今回だけ特別に貸して上げるわ! 感謝しなさいよね!﹂とル
イボンから渡されたものだ。洗脳魔法を解除する
の効果を底上げできる。
デザインは、まあ普通だな。カントリー系の作りで何のひねりも
ない。腰の部分だけレースにするとか、袖口をフレアにするとか、
もうちょいアクセントが欲しいところだ。
とりあえずデニムシャツを羽織って甘いコーディネートから脱し
よう。
もっと服の種類がほしいところだけどまあこんな状況だし、しゃ
ーない。つーか何着ても似合うっていうね。美少女つれぇ∼。
アリアナはギャザースカートを脱ぎ、お気に入りのデニム地、サ
ロペットミニスカートを履いた。スカートには尻尾穴が空いていて、
ふさふさした狐の尻尾がひょっこり出ている。インナーの上から定
番になりつつある白い薄手のノーカラーシャツ。さらに通気性のい
い黒い魔獣のジャケットを羽織った。
口紅を赤にしてメイクをささっとやり直すと、あら不思議。
おすまし狐美少女の完成だ。
腰に鞭をくくりつけ、脛まであるブーツを履いているから、ちょ
っとロックテイストな感じに見えるな。豊かな髪の毛は高い位置で
ポニーテールにされ、そのまま背中に垂らすのではなく、長さを活
かして両肩へ半分ずつ乗せて胸の前へ垂らしている。
人類が滅亡するほど可愛い。
グレイフナーに帰ったらアリアナにもどんどん違う種類の服を着
てもらいたいもんだ。
1340
準備が終わったところで時間がきた。
調査団﹁潜入班﹂は陣地を背にし、砂丘を越え、魔改造施設へと
前進する。
二百メートル先に真っ白な外壁を有した魔改造施設が見えてきた。
空房の砂漠と呼ばれ、命あるものを食らおうとする灰褐色の大地。
その上にのっそりと建っている建造物は、あまりに不自然で砂漠の
蜃気楼によって作られた幻みたいだった。
陣地に待機したのはジェラの兵士二十名。
他のメンバーは全員出撃している。
四人から七人のパーティーに別れ、誰も声を発さずに前進する。
調査団の構成は冒険者が六十六名、ジェラ兵士が五十名。
﹁待機班﹂が二十名、﹁潜入班﹂は九十六名という内訳になる。
百名近い人間が無言で前進する姿はなかなかに迫力があり、日本
ではまずお目にかかれない光景だろう。しかも魔法使いが出てくる
映画のように、全員が杖を片手に魔力を循環させている。ファンタ
ジーッ。
ロの字をした魔改造施設の入り口は大きな門になっており、馬車
が並んで二台は出入り可能な大きさだ。
見張りなどはおらず、大型の魔物が大きく口を開けて獲物を捕食
するように門が開いていた。月夜が不気味に白塗りの壁を照らし、
門の両脇に差してある大きなたいまつが赤々と燃えている。
﹁苦拍のサルジュレイ、炎鍋のラッキョのパーティーは施設を回り
1341
か
ライトアロー
を上空に二発だ﹂
込んで侵入し、捕らわれている子どもを捜索してくれ。増援要請は
ファイアーボール
﹁御意でありんす﹂
﹁これはハゲじゃない。剃っている﹂
アグナスが小声で指示を出すと、冒険者協会定期試験698点﹃
苦拍のサルジュレイ﹄率いる五人、670点でスキンヘッドの﹃炎
鍋のラッキョ﹄率いる六名のパーティーが返事をして、素早く左右
へと別れていく。てか誰もハゲとか言ってねえし。
﹁この門の先に敵が陣を張っている。すでにこちらの動向は見破ら
れている可能性が高いため、強引にいくぞ﹂
冒険者達は﹁待ってました﹂という顔をして不敵に口角を釣り上
げた。血の気が多い連中ばかりみたいだ。
兵士を率いるバニーちゃんも、部下達を一瞥してにやっと笑い、
例のアレ
を投げろ。では、前進!﹂
ゆっくりとショートソードを引き抜く。
﹁合図で
アグナスが杖を門の入り口へと向けた。
冒険者とジェラ兵士が杖を前方に構えて走り出し、俺とアリアナ
も、バーバラたちと連携を取れる陣形で門をくぐった。
﹁なっ⋮⋮?!﹂
門を出ると、ロの字をした建物に囲まれた中庭に出たのだが、そ
サンドウォール
で作られた壁が十数枚展開されており、塹壕
の光景に一瞬息を飲んでしまう。
1342
らしきモノがその下に掘られている。しかし陣地に身を潜めるので
子ども
だった。
はなく、三十人のローブを着た魔法使いがずらりと整列していた。
陣地前で杖を構えている魔法使いは全員
見た目はポカじいの水晶で確認した映像通り七歳から十四歳ぐら
いだったが、実際に肉眼で確認すると痛々さが倍増する。皆、死ん
だ魚のようなうつろな目をして、口元だけに笑顔を張り付けていた。
くそっ! あの顔は確実に正気じゃねえな!
﹁やれっ!﹂
﹁
土槍
﹂
﹂
ウインドソード
ファイアスネーク
シャークファング
﹂
敵陣後方から、指揮官と思われる青い神父服姿の男が現れて叫ん
﹁
火蛇
﹂
だ。
﹁
鮫牙
サンドニードル
﹁
何の躊躇いもなく子ども達が下位上級魔法を無詠唱で行使する。
三十の魔法が殺意を持って調査団に襲いかかった。
蛇の炎がほとばしり、水の刃が地面を穿ち、空気の刀が周囲を切
﹁
サンドウォール
サンドウォール
⋮﹂
!﹂
り裂き、赤、青、黄色、緑、茶色の魔法が一気に迫った。
﹁
ポカじいとの修行を思い出し、俺とアリアナは咄嗟に土の壁を調
1343
査団の前へと作り出す。
それと同時に、すぐさま土魔法が得意な冒険者と兵士も土壁を数
十枚作り出した。
その間、数秒。
地面から生えるようにして大量に出現した土壁に、魔法がぶち当
﹂
サンドウォール
のほとんどが粉々に砕け散る。
たり、中庭が一瞬にして騒音に包まれた。
重力
グラビトン
即席で作った
﹁
先頭にいるアグナスパーティーが立っている地面が怪しくゆがみ、
黒い重力場が現れた。
﹁ちっ﹂
グラビティリリーフ
重力軽減
を唱えて
重力
グラビトン
を
アグナスは舌打ちをして、重力魔法を破壊するために杖を地面へ
向ける。
が、それよりも早くアリアナが
相殺した。
アグナスがアリアナをちらりと見て、軽いウインクを送る。
彼女は無表情にうなずいてそれに答えた。
﹁敵の陣地を破壊しろ! 黒魔法使いは優先して倒せ! 子どもは
絶対に殺すなよ!﹂
アグナスが叫んでいる間にも魔法のやりとりが激しく行われ、炎
が舞い、空気が乱れ、土の塊がバカスカ飛んでくる。
1344
一気に魔法合戦になった。
弾ける魔法の光が色鮮やかに明滅し、敵陣からこちらに放たれる
強力な上位魔法がアグナス、トマホーク、クリムト、ドン、チェン
落雷
が使えねえ。
サンダーボルト
バニーによって相殺され、土壁が現れては破壊される。
これじゃ
小学生みたいな子どもに当たったらただじゃ済まない。最悪、死
ぬ可能性だってある。火力が高いってのも不便だ。この戦いが終わ
ったら、中距離攻撃のできるスタンガン系の魔法を開発しよう。
﹁エリィ⋮﹂
アリアナが目配せをしてくる。
重力
グラビトン
で相手の行動を阻害しようとし
彼女も言いたいことは同じのようで、子どもに誤爆する危険があ
るので黒魔法を使えない。
サンドウォール
で味方の防御に努めている。
ているが、敵が陣地内に散開しているため大した効果がなく、アリ
アナは
恋
も効果は望めない。
トキメキ
こういった魔法合戦だと、相手に見られていることが条件の新魔
法の
魔法の飛んでくる数からして、前線に出張っている子ども三十名
の後ろに、さらに三十名ほど大人の魔法使いがいるみたいだな。
おそらくそいつらが、この魔改造施設の関係者なんだろう。
くそったれだ。
こっちが攻撃しづらいことを想定して、わざと子どもを前線に晒
!﹂
し、自分たちは陣地内の安全地帯から魔法を撃ちたい放題撃ってき
英雄の凱旋歌
リターンズマーチ
やがる。
﹁
1345
リターンズ
英雄の凱
を唱えると、調査団の後方に赤い木製でできた巨大な像が現
木魔法が得意なターバン姿のトマホークが木魔法中級
マーチ
旋歌
れた。高さ四メートル。杖を掲げてローブを着ている魔法使いの像
だ。
おお、すげえこれ!
身体が軽くなる!
周囲にいる味方の身体能力を底上げする魔法らしい。
リターンズマーチ
を破壊する
火蛇
鮫牙
サンドニードル ファイアスネークシャークファング
土槍
など上位下級魔法が撃たれ、
エアハンマー
アイスキャノン
英雄の凱旋歌
トマホークが片膝をついて肩で息をしているところから見るに、
相当維持がきつい魔法みたいだ。
﹁木魔法の像を破壊しろ!﹂
敵陣の青い神父服風の男が叫ぶと、
ウインドソード
ために魔法が後方へと集中した。
炎矢
フレアアロー
などの魔法が押し寄せる。
さらに
を唱えられたのか調査団後方の空気が一瞬膨張した。
エクスプロージョン
爆発
やばっ!
!!﹂
ツヴァイフレア
双炎
を使う前に、アグナスが素早く
サンダーボルト
落雷
双炎
を空中に出
を相殺しながら﹁アレを投げろ!﹂と叫んだ。
エクスプロージョン
爆発
ツヴァイフレア
上位魔法の使い手が数人紛れ込んでいるらしい。
﹁
俺が
現させて
やるなアグナス。
俺の次にイケメンと認定しよう。
1346
アグナスが右手を大きく振ると、冒険者、兵士達約百名が適当に
杖から魔法をぶっ放しながら、ポケットに入れていた野球ボール大
の煙玉を敵陣地に放り投げた。
﹁いけぇ!﹂
﹁⋮⋮それっ﹂
﹁はっ!﹂
﹁ふりゃあ!﹂
﹁シッ!!﹂
によって身体能力を引き上げられている。約百
俺とアリアナ、バーバラ、女戦士、女盗賊も思いきり煙玉放り投
英雄の凱旋歌
リターンズマーチ
げた。
英雄の凱旋歌
リターンズマーチ
を囮として使
個の玉が敵陣地の上空へと飛び、弧を描いて落ちた。途中、三分の
一が魔法で打ち落とされたものの、
ったこの作戦は成功したと言っていい。
と同じ効果が込められて
攻撃を受けた敵陣地が瞬く間に静か
睡眠霧
スリープ
敵陣地が、大量の煙で覆われた。
睡眠霧
スリープ
煙の色は濃紫。その成分には
いた。
突如として大量の
ウインド
を唱える。
になり、調査団内で風魔法、空魔法が得意な連中がこちらに煙がこ
ないよう
眠った隙に子どもをいただくぜ!
﹁突入ッ!!!﹂
1347
アグナスが叫ぶと、
た。
身体強化
をかけて走り、バーバラだけは得意の
サンドウォール
をかけて敵陣地へ猛然と突撃し
それに続けと、冒険者、兵士が即席で作った
の陣地から飛び出して前進した。
﹁アリアナ!﹂
﹁ん⋮⋮!﹂
下の上
俺たちのパーティーも前進する。
全員、身体強化
で空高く舞い上がった。
レビテーション
浮遊
このまま一気に制圧して子どもを無力化できる、と思った数秒後、
キュアハイライト
癒大発光
かよ!?
敵陣地の半分が球状に輝くと、イルミネーションみたいに点滅した。
白魔法下級
を唱えて
睡
ス
向こうにも範囲回復魔法を使える輩がいるってめっちゃ厄介じゃ
ねえか。
ウインドストーム
の煙を上空へと巻き上げた。
眠りから覚めた子ども数人が
リープ
眠霧
睡眠状態から次々に敵が回復し、すぐさま戦線へと復帰すると魔
で陣を再構
が敵に破壊され、子どもを
サンドウォール
英雄の凱旋歌
リターンズマーチ
改造施設の中庭は乱戦になり、敵味方入り乱れての攻防になった。
囮に使っていた後方の
うまく盾に取りながら敵が後退して
築しようとする。
調査団は子どもを無力化するため、どうしても接近する必要があ
る。
1348
下手に魔法をバンバン使って子ども達に誤爆なんかしたら大変だ。
近づいて拘束するか、睡眠系、麻痺系の魔法を使うしかない。戦力
エアハンマー
身体強化
で剣を突きつ
で土壁を破壊して塹壕を跳び越えようとし
としてはこっちが有利なのにやりづらいにもほどがある。
俺が
たとき、十歳にも届かないだろう少年が
けてきた。
﹁やっ!﹂
咄嗟に﹁風の型﹂で剣をかわして一歩踏み込み、少年の剣を蹴り
上げる。さらに塹壕へ飛び込むと同時に首筋へ手刀を落として彼の
意識を刈り取った。
下の上
をかけたまま鞭を振る。
すると別の場所から現れた猫人の少女がレイピアを突いてくるの
で、すぐさまアリアナが身体強化
⋮﹂
熟睡霧
が噴出し、少
ディープスリープ
鞭が蛇のように空中をのたうち、猫人の少女のレイピアに巻き付
熟睡霧
ディープスリープ
いた。
﹁
﹁はうっ⋮﹂
アリアナが指を向けると霧吹きの要領で
女が昏倒した。
﹁おねがい!﹂
すぐに少年を抱きかかえて、塹壕を飛び出し、女戦士と女盗賊、
アリアナに向かって叫ぶ。
1349
﹁黒き道を白き道標に変え、汝ついにかの安住の地を見つけたり⋮
⋮﹂
アリアナが猫人少女を俺の前へとやさしく横たえ、女戦士、女盗
賊が守るように杖を構えて敵を睨んだ。
周囲では兵士の叫び声が響き、剣戟が鳴り、魔法が飛び交い、時
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
を使い、効果が
折現れる魔法陣の出現音がそれらに重なって不可思議な戦場音楽を
奏でる。
この洗脳された少年少女二人に
どれぐらいあるのかを確かめたかった。もし正常な意識を取り返す
ようなら、隙を見て子どもをどんどん回復させるし、ダメなようで
あれば戦闘不能にさせて﹁待機班﹂の待つ陣地へと運ぶしかない。
それにしても繊細な魔法だ。
イメージがちょっとでもブレると魔力循環がかき混ぜられて魔力
が霧散しそうになる。集中、集中⋮。
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
!﹂
﹁愛しき我が子に聖なる祝福と脈尽く命の熱き鼓動を与えたまえ⋮
⋮
よし、成功だ。
純潔
ピュア
映画のCG顔負け、アニメが好きな田中がみたら泣いて喜びそう
が湧き出てばらばらと地面へ落ちていく。
な、美しい魔法陣が足元へ展開され、全身から星屑のような
リーホーリー
なる聖光
敵陣地の後方から﹁浄化魔法だと?!﹂という叫びが聞こえるが
無視だ。つーかこの魔法派手すぎる。ちょっと空気読んでくれ。
魔法を維持しつつ、少年の頭を膝の上へのせ、右手を少女の額へ
1350
と乗せる。
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
を滑り込ませた。
星屑で二人を包み込み、彼らの内側にある洗脳を綺麗さっぱり浄
化するようにイメージしながら
すると突然、意識の中に異物が流れ込んできた。
少年が母親と一緒に買い物へ行く姿、少女がオアシス・ジェラで
友人と遊ぶ姿、様々な思い出らしきものが走馬燈のごとく目の前に
現れては消え、最後には真っ黒な宣教師が気味の悪い笑顔で見つめ
てくる映像が割り込んだ。
﹁あの男⋮⋮﹂
思わず顔を顰めてしまう。
ポカじいの水晶で見た、ほお骨とエラが張った宣教師風の男だ。
俺と少年少女を守るようにしてアリアナ、女戦士、女盗賊が戦っ
ている。
撃踏
を食らわせ、地面へ埋めた。
空高く浮遊していたバーバラが敵の黒魔法使いである中年の男に、
重力落下+身体強化による
とい
純潔なる
ピュアリーホ
そんなパーティーメンバーの攻防を目の端で捉えつつ、少年少女
でかき消そうと魔力を込める。
にこびりついた悲しみとも怒りとも判断できない異物を
ーリー
聖光
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
どす黒いもやがまとわりついて離れない。
多分、このもやの残滓が黒魔法上級
う洗脳魔法なのだろう。銀色に輝く星屑が吸い込まれるようにして
消えていく。
負けじと、さらに魔力を循環させて、強引に星屑の輝きで不純物
1351
をかき消す。何度も何度も、大量の
と少女に流し込んだ。
ピュアリーホーリー
純潔なる聖光
を二人の少年
これは﹁ポジ男の俺﹂と﹁宣教師クソ野郎﹂、どっちがイケてて
ハートが強いかの勝負だな。
まかせろ。日本一ハッピーな男、小橋川が洗脳を消してやる。
へ魔力を注ぎ込む。ついでに暗い気持ち
いや、洗脳を上書きしてやる。
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
﹁いけっ!﹂
全力で
に飲まれないよう、とことんハッピーな記憶を引き出しから引っ張
り出した。
プレゼンが成功したときの喜び、大きな商談が決まったときの快
感、田中と飯を食べに行ってバカ話をしている楽しさ、姉さんの赤
ちゃんを抱かせてもらったときの嬉しさ、エリィが可愛いと褒めら
れる達成感、アリアナの耳をもふもふしているときの温かさ、クラ
リスの優しさ、グレイフナーの友人やメンバーのこと、この世界で
起こった異世界的な数々の興奮。
そういやハワイで田中の罰ゲームしたときまじウケたな。
腰ミノをつけて、無理矢理ファイヤーダンスをやらされたあいつ
のまぬけな表情といったら傑作だった。国宝ものだ。しかもダンス
が終わった後にでっぷりと肥えた現地人のおばちゃんから﹁ベリィ
エキサイティングゥ!﹂とか言われて思いっきりキスされて、口の
まわりを口紅でえらいことにしてた。ぶっちゅう∼って感じだった
もんな、あれ。熱い接吻のあと、あのおばちゃんやけに田中を気に
入って住所教えてるし、まじウケた。あのままおばちゃん家に行っ
ておけば熱いハワイアンナイトを送れたものを、あいつ完全に日和
1352
の抵抗が完全に消えていた。
って行かなかったからなぁー。バカだなーあいつ。まあ俺なら絶対
行かないけど。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
﹁あれ⋮⋮⋮?﹂
﹁ほえ?﹂
気づけば
おかっぱ頭の少年が首をかしげ、猫人の少女が奇妙ななぞなぞを
見たかのように目をぱちくりさせる。
幽鬼みたいな顔から、年相応の可愛らしい表情へと戻っていた。
ふっふっふっふっふ!
はっはっはっはっは!
どうだ見たか! 上位上級魔法を、上位中級で打ち消してやった
ぜ。ざまあみろ。なんかふざけた記憶を思い出しただけな気もする
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
を解除する。
が、ポジ男、小橋川の完全勝利!
すぐに
にしてもこの魔法まじで魔力使うし、憶えたてで魔力効率があま
りよくねえな。これは要練習だ。
﹁てん、し⋮?﹂
﹁めがみさま⋮⋮?﹂
﹁大丈夫かしら?﹂
安心させようとにっこり笑ってみせると、二人は呆けた顔をして
俺を見つめてきた。
﹁天使でも女神でもないわよ﹂
﹁じゃあ⋮⋮だれ?﹂
1353
﹁女神様でしょ?﹂
﹁私はエリィ・ゴールデン。あなたたちを助けに来たのよ﹂
﹁たす⋮⋮けに?﹂
﹁女神様、あのね、なんかね、腰に草みたいなのをつけた裸の人が
火の棒をもって踊ってたの⋮。それを見て周りの人が楽しそうに笑
ってたの⋮⋮﹂
あ、それ田中ね。
﹁あとね、なんかね、楽しい気持ちになったの。それからね、優し
そうなメイドのひとが笑ってたの﹂
﹁それはクラリスね﹂
エリィの意識も少女に伝わったのだろうか。もしエリィの意識が
まだ生きていれば、の話だけどな。
いや、俺もクラリスのことはすげー好きだし、そのイメージが少
女に伝播したのかも。
﹁ねえ、自分の本当のお家に帰りたくない?﹂
前方では数十人がドンパチ魔法をぶっ放しているので、あまり会
話をしているわけにもいかない。
話を切り替えるために、おかっぱ頭の少年と猫人少女を見つめた。
﹁あ⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮⋮!﹂
﹁思い出したかしら?﹂
﹁僕は⋮⋮何を⋮⋮⋮?﹂
﹁女神のお姉ちゃん⋮⋮私⋮⋮悪いこといっぱいしちゃった気がす
るの⋮⋮﹂
1354
﹁ううん、あなた達は何も悪いことをしていないわ。もう大丈夫よ﹂
二人はゆっくり起き上がり、記憶が途切れ途切れになっているの
か不安げに眉を寄せた。
しばらくすると、嫌な思い出を脳内で蘇らせたらしく身を震わせ、
泣き顔を作って俺に抱きついてくる。
﹁⋮⋮⋮お姉ちゃん﹂
﹁ごべんなざい⋮⋮⋮わるいごど⋮⋮ひっく⋮﹂
﹁大丈夫、大丈夫だからね⋮﹂
﹁⋮⋮なんだか⋮⋮胸の奥がいたいよ⋮﹂
﹁ごべんなざい⋮⋮ごべんなざい⋮⋮⋮﹂
﹁いいのよ。大丈夫だから⋮⋮﹂
できる限り優しく抱いてやる。
こんな十歳ぐらいの子どもにほんとひでえことするよな⋮。この
施設の破壊、まったなし。
﹁黒き道を白き道標に変え、汝ついにかの安住の地を見つけたり。
﹂
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
を二人へ唱
愛しき我が子に聖なる祝福と脈尽く命の熱き鼓動を与えたまえ⋮⋮
ピュアリーホーリー
純潔なる聖光
呼吸を整えた後、念のためもう一度
えておく。かなり混乱しているようだし、冷静になってもらおう。
﹁エリィ⋮⋮!﹂
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
で目立ち過ぎたらしく、俺を狙って魔法が一斉
前で俺たちを守ってくれていたアリアナが珍しく叫び声を上げた。
に放たれたところだった。
1355
ざっと見て四十発の魔法がこっちに向かってくる。
やばっ! よりによってこの魔法の最中かよ!
サンドニードル
﹁エアハンマー!﹂
﹁土槍!﹂
﹁ウォータースプラッシュ!﹂
バーバラ、女戦士、女盗賊が敵の放った魔法群へ下位上級を唱え
て同数の魔法を破壊し、一拍遅れてアリアナが黒魔法中級の詠唱を
完成させた。
ギルティグラビティ
﹁断罪する重力⋮!﹂
空中に現れた二つの重力場が互いに引き合い、斥力で空間が切り
裂かれ、近くを通り抜けようとした魔法が引き込まれてかき消える。
は魔法を中断して別の魔法に切り替える際のロ
だが、数が多すぎて破壊しきれない。
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
まずい!
スが半端じゃない。この魔法、やめるときも神経をつかうんだよ。
くそ!
誰かもう一発魔法撃って時間を稼いでくれ!
右側二十メートルアグナスパーティーがこちらに気づいて、敵の
フレアキャノン
を杖から撃った。
攻撃をかわしながら魔法を相殺させようとし、アグナスが炎魔法中
級
直径三メートルほどの巨大火炎放射。
アイスキャノン
とぶつかって爆発四散
高温が空中を焼き、飛来する大小合わせて十発ほどの魔法が相殺
され、最後に同レベルの
1356
した。
﹁エリィちゃん!﹂
アグナスが相殺しきれなかった魔法、約二十発を見て叫んでくる。
オッケーわかってるぜ!
サンドニードル
﹁エアハンマー!﹂
﹁土槍!﹂
グラビティバレット
﹁ウォータースプラッシュ!﹂
インパルス
﹁重力弾﹂
﹁電衝撃!!﹂
が、
重力弾
をぶっ放す。
グラビティバレット
バーバラ、女戦士、女盗賊が再度、下位上級魔法を完成させ、ア
電衝撃
インパルス
リアナがいつも練習していた黒魔法下級
そして俺の撃った
︱︱ギャギャギャギャッ
と、けたたましい鳥類の断末魔に似た雷音を響かせて、指をさし
た方向へ飛んでいく。
と
フレアアロー
炎矢
電衝撃
インパルス
が
バーバラ、女戦士、女盗賊、アリアナの放った魔法が、半分ほど
敵の魔法を吹っ飛ばし、高威力の上位下級
正面衝突して雷がクモの巣状に広がった。
ファイヤーボール
と
サンドボール
を撃ち漏ら
そこへ飛んできた残りの魔法がぶつかって、空中でかき消えた。
が、二発の
した。
まじかっ!
1357
あわてて身体強化をし、子ども二人に覆い被さる。
⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮あれ?
いつまで経っても衝撃が来ない。
が限界で、下位中級の
を唱える。
を背中で受け止めたせいで、めちゃく
ファイヤー
身を起こして目を開けるとジャンジャンとクチビールが、目の前
にいた。
﹁大丈夫でしゅか?﹂
﹁間に合ってよかった﹂
どうやら身を挺して庇ってくれたみたいだ。
癒発光
キュアライト
サンドボール
下の下
まじ助かった! かなりひやっとしたぞ。
と
二人の身体強化は
ボール
ちゃ痛そうだ。
﹁ありがとう﹂
すぐさま二人に
﹁ごめんなさい、怪我をさせてしまって⋮﹂
﹁エリィしゃんのためなら死ぬ覚悟でしゅ﹂
﹁エリィちゃんに怪我をさせないってコゼットと約束しているから
ね﹂
1358
クチビールが世紀末ヒャッハーな刺々しい鎧をバシンと叩いて頼
もしくうなずき、ジャンジャンがいつも通り優しげに笑った。
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
の中断が間にあってよかったぜ。
にしてもあぶなかった。
アリアナ、バーバラ、女戦士、女盗賊の四人はこちらの無事を確
認して胸をなで下ろし、ビシッと親指を立ててうなずいた。そして
すぐに俺達を守るように敵へ杖と鞭を向ける。いいパーティーだ。
戦況は今の集中砲火でこちら側に傾いた。
目の前の調査団を無視して俺一人を狙った結果、敵には重大な隙
ができた。
チャンスを逃さず調査団は子ども魔法使いの半分ほどを戦闘不能
にさせ、身体強化した冒険者が米俵を担ぐように後方へと移動させ
る。
どっちが人攫いかわかんねえな。
まあ胸がすく光景であることには変わりない。
﹁各自、子どもを後方へ待避させろ! 急げ!﹂
兵士隊長のバニーちゃんが門の入り口付近で叫んでいる。
ある程度まとまった人数の子どもを確保したら、一気に﹁待機班﹂
の待つ陣地へ移動するようだ。いいぞいいぞ。
クチビールにおかっぱ少年と猫人少女をまかせて後方に下がって
もらい、アリアナ達の戦いに加わった。
次々と子ども達を確保される魔改造施設の連中は焦っているのか、
1359
下の上
攻撃が散発的になっている。
アリアナは身体強化
で無表情に鞭を振るった。
鞭の範囲に入ると土壁が粉々に破壊される。
鮫背
を鞭で破壊し、滅多打
シャークテイル
アリアナは結構怒っているらしく、子どもを盾にして不意打ちし
ようとしてきた敵魔法使いの水魔法
ちにした。
﹁ヒィヤアアアアア︱︱!﹂
太った敵の魔法使いが服を細切れにされながら鞭で打たれていく。
彼が﹁もっと﹂と言ったのは気のせいだと思いたい。うん、気持
下の上
をかけ、地面を思い切り蹴って前進する。
ちはわからなくもないが。
身体強化
電打
をお見舞いした。つ
エレキトリック
急発進したバイクみたいに一気に距離を詰め、太った魔法使いの
肩をつかみ、すぐに身体強化を切って
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
で浄化だ。
いでに近くにいた子どもに﹁ごめん﹂と一言いってから、超微弱な
を使う。
エレキトリック
電打
そしてすぐさま白魔法中級
田中のファイヤーダンス姿を思い浮かべると、ハッピーで楽しい
イメージが伝わるのか、時間短縮で洗脳を解除できた。こんな異世
界であいつのファイヤーダンスが役に立つとは思わなかったな。サ
ンキュー、と軽い感じで感謝を伝えたい。
敵の陣地はほぼ破壊した。
調査団の負傷者は十名ほどで、後方へ治療のため子どもたちと一
緒に下がった。魔力切れのメンバーもそこまで出ていない。
1360
こっちの戦力は約六十名の冒険者と兵士。敵は二十名。
子どもの魔法使いはあと三人だ。
子どもを盾にして、敵はじりじりと後退する。
俺達はパーティーごとに散開して、子どもを確保するために退路
を塞ぐ。
アグナスが各パーティーに目配せをし、一斉突撃をしようとした
そのときだった。
敵後方の施設の扉が開き、真っ黒な宣教師風の男が物見遊山でも
するかのように、ゆったりとした足取りでこちらに向かってきた。
グレート・ザ・ライ
強制改変する思想家
を使う
隣には十五歳ぐらいの、赤毛でモミアゲが長い青年が付き添ってい
る。
あいつだ⋮。あいつが黒魔法上級
親玉だ。
親玉の威圧に冒険者と兵士は警戒の色を濃くし、一方﹁これは⋮
⋮どういうことでしょうか?﹂と静かに問われた敵の魔法使い達は、
顔を引き攣らせて今にも土下座しそうな表情になった。
﹁フェスティ⋮⋮?﹂
定期試験677点﹃一音のポー﹄のパーティーにいたジャンジャ
ンがぽつりとつぶやいた。
そのつぶやきは数秒もしないうちに確信に変わったようだ。
﹁フェスティ⋮⋮⋮フェスティ!!!﹂
1361
喉が張り裂けんばかりにジャンジャンが叫んで走りだした。
飛び出した彼を、パーティーメンバーがあわてて止める。ひとり
で突っ込んだら敵の餌食だ。
﹁俺がわかるか! お前の兄ちゃんだぞ! ジャンだよ! 一緒に
帰ろう!﹂
ジャンジャンが仲間の手をふりほどこうともがきながら必死の形
相で訴える。フェスティは五年ぶりに再会した兄を見て何も感じな
いのか、ただ無表情に首をかしげてどうしたらいいのか宣教師の様
子をうかがった。
フェスティの視線を受けた親玉の宣教師は、何も言わずにただじ
っとジャンジャンを見つめている。
親玉の隣にいるのが弟のフェスティか⋮。
見た感じ、だいぶ洗脳が進んでるみたいだな。さっきまでの子ど
もたちと雰囲気が違いすぎる。
﹁何をしているのです? セラーの教えを知らぬ愚か者に慈悲を与
えなさい﹂
魔法使いと子ども三人は宣教師の言葉でびくっと身体を震わせる
と、一気に魔力を練り始めた。
続いて親玉も何かの詠唱を開始した。
おどろおどろしい魔力が樫の杖に収束していく。
﹁いくぞ!﹂
アグナスが言うが早いか、前衛担当のメンバーが身体強化をして
飛び出し、中衛、後衛のメンバーは魔法を詠唱する。
1362
ファイアボール
が二発、窓ガラ
それと同時に﹁ぎゃあああああああっ!﹂という悲鳴が施設の奥
から響き、救援信号と思われる
スを破壊しつつ濃紺の空に打ち上がった。
1363
ファイアボール
を二発。
第30話 イケメン砂漠の誘拐調査団・闘争
別働隊の救援信号だ。
調査団六十名はパーティーごとに別れ、敵との距離はおよそ三十
メートル。
対する敵さんは、洗脳した子どもの魔法使いを盾にするかのよう
に約十メートルおきに一人ずつ立たせ、こちらを牽制する。
洗脳された子どもは三人。
子どもを最前線に立たせることにより、こちらが攻撃しづらくな
るという姑息な作戦だ。
子どもの背中にこそこそと隠れている敵魔法使いが二十名。
その後ろに敵大将みたいな面持ちで、親玉の宣教師とフェスティ
が並んでいる。
アグナスが咄嗟にジェラ兵士を統率するバニーちゃんへと目配せ
をすると、彼の意図を読み取ったバニーちゃんは﹁着いてこい!﹂
と叫び、身体強化をして駆けだした。約十五名の兵士達がそのあと
を追い、救援信号の上がった場所へと向かう。
﹁アイゼンバーグ様!﹂
﹁⋮⋮﹂
青い神父服のおっさんが声を掛けると、敵の魔法使い達の後ろに
いるアイゼンバーグと呼ばれた親玉の宣教師は首を横に振り、詠唱
1364
を続けながらこちらを指さした。
﹁
鮫刃
﹂
﹂
ウインドストーム
ファイアランス
サンドニードル
﹂
﹁白いワンピースを着た金髪の娘を狙え!﹂
﹁
火槍
﹂
俺かよ!
﹁
土槍
シャークナイフ
﹁
またしても下位上級魔法が十数発飛んでくる。
さらに遅れて高威力の上位魔法が唱えられた。
に激突し、壁が破壊
が冒険者たちによって張り巡
サンドウォール
サンドウォール
﹁サンドウォール!﹂
俺を守るための
らされる。
敵の下位魔法が構築した
された。
さらに上位魔法が迫る。
炎の弓矢が地面を焦がし、地中から巨大な木の拳が突き上がり、
剣山のような氷の天井が上空に現れて、爆発魔法が容赦なく指定さ
ウインドストーム
﹂
ティンバーウォール
!﹂
れた範囲を木っ端微塵に粉砕する。
﹁
鮫牙
シャークファング
﹁
樹木の城壁
!﹂
﹁
1365
掌炎
!﹂
!!﹂
フレアハンド
﹁
空弾
エアバレット
﹁
黙って見ている高ランク冒険者たちではない。
アグナスパーティーが上位魔法で敵の上位魔法を相殺し、他のパ
ーティーが魔法をよけながら下位魔法を防御に使って被害を最小限
に食い止める。
さすがに残っている敵の魔法使いは精鋭揃いだ。
一方、こちらは三人残っている子どもの魔法使いがいるために迂
治癒
ヒール
の光がそこかしこで輝いている。こちら側が傷を
闊に攻撃魔法を使えず、後手に回ってしまう。
現に、
負っている証拠だ。こちらに数の利があるため、まだ戦線は崩壊し
ていない。
やべえぞ。
そうこうしているうちにアイゼンバーグとかいう親玉の魔法が完
成しそうだ。
いま落雷魔法を使ったら、確実にフェスティにも当たっちまう。
よっしゃ。ぐだぐだ考えててもしょうがねえ。
後手に回るが、アリアナの重力魔法が完成するまで、いつでも魔
法が撃てるように魔力循環をして準備をしておくぞ。強力な攻撃と
上位中級の回復ができるのはこの中でも俺だけだ。迂闊に動かず状
況を冷静に分析しろ。
⋮﹂
味方がやられたら回復魔法で治癒し、隙ができたら落雷魔法をぶ
二重・重力
ダブルグラビトン
っ放す。
﹁
1366
ナイスタイミング!
アリアナが上位中級黒魔法を完成させ、敵の中心部へと重力場を
発生させた。
どす黒い波打つ重力場が水紋のように現れ、周囲の砂が蟻地獄み
たいに沈み込んでいく。
右手を敵へ向けているアリアナの表情は真剣そのもの。ぴくぴく
と狐耳が動く。
﹁ぐぅ⋮⋮﹂
﹁なん⋮﹂
﹁ぎぃ⋮⋮﹂
敵の十数名から苦悶の声が漏れた。
突然自分の体重が四倍から五倍にふくれあがり、立っていること
二重・重力
ダブルグラビトン
の威力がやべえ。
すらできずに跪く。
さすがは行動阻害系の魔法だ。物理的な攻撃を加えるわけではな
いので、子どもを殺してしまうこともない。まあ、長時間重力魔法
を受け続けるとまずいことにはなるが、数分程度なら大丈夫だろう。
好機とみてアグナスパーティーの、アグナス、ドン、クリムト、
トマホークの四人が身体強化を瞬時に行使し、猛アタックをかけた。
トマホークは木魔法を何度も使っているせいかスタートが遅れたが、
それでも他の冒険者より速い。
それに続けと、他のパーティー三十余名も走り出す。
﹁行きやす、アニキ﹂
マント姿の無刀のドンがアグナスの前に出て、刃がない刀を抜く。
1367
﹁
⋮!﹂
ノートソード
無刀
上位中級クラスの魔力が唸る。
子どもの間を縫うようにして空気の刃が生き物のように走り抜け、
敵陣をえぐり、魔法使いを五名ほど吹っ飛ばした。
魔法の発動が早い! ほぼゼロ距離なら子どもへの誤爆もない!
⋮⋮﹂
続いてアグナスが子どもを奪おうと、まさに手を伸ばしそのとき
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
だった。
﹁
突撃した全員の動きが停止した。
動画再生ソフトの停止ボタンを押したように、ピタっと全員が足
を止める。
足元に紫色をした不気味な魔法陣が浮かび上がり、うねうねと無
脊椎動物のように蠢く紫の光が足に絡みついてくる。
きもっ! これ気持ちわるっ!
アイゼンバーグとかいう親玉が杖を掲げながら口元を残忍に歪め、
侮蔑の目をこちらへ向けた。
背中に氷水をぶちまけられたような感覚が全身を駆け抜けた。不
安が脳内を突き抜けて、自分が存在している意味や理由が全部否定
されていく理不尽な圧力を感じる。さらに、一人で真っ暗な夜の帰
り道を歩いている際に、狂った奴が哄笑しながら追いかけてくる。
そんな戦慄する恐怖感に全方向から襲われ、焦燥と絶望が身体中を
舐めるように這う。
1368
これが洗脳系上級黒魔法
グレート・ザ・ライ
強制改変する思想家
か。
こんな魔法を子どもに使うとか、一発本気で殴らないと気が済ま
ねえな。
︱︱って、俺、どんだけ冷静なんだよ。
冒険者で立っているのは前方にいるアグナスと俺の隣にいるアリ
アナだけだ。
他のメンバーは苦悶の表情で頭を抱えてうずくまっている。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
のせいで完全に封
しかも二人ですら頭を押さえ、立っているのがやっとの様子だ。
アリアナの重力魔法は
殺され、霧散した。
上位上級の洗脳魔法が平気な俺。さすが天才、アイアンハート。
って言ってる場合じゃねえか!
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
の前では無力。
﹁黒き道を白き道標に変え、汝ついにかの安住の地を見つけたり⋮
⋮﹂
﹁⋮浄化魔法ですか。この
あなた達はセラーの教えを乞い、セラーの慈悲にすがるのです﹂
三十メートルほど離れているにも関わらず、その声はこっちまで
よく響いた。
数秒して、敵の魔法使い約二十名が息を吹き返し、魔法をぶっ放
してくる。
﹁ぎゃあ!﹂
﹁ぐっ!﹂
1369
﹁ぐあっ⋮⋮﹂
サンドボール
と
エアハンマー
無防備な冒険者たちが距離を詰めた順にやられていく。
ドンとトマホークも
を食ら
って後方へと 吹っ飛んでいった。下位魔法といえど、身体強化な
しの生身で受ければ相当に危険だ。
アグナスはかろうじて身体強化で防いでいる。
いそげいそげ!
超集中!
グレート・ザ・ライ
強制改変する思想家
を白魔法中級
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
で
﹁愛しき我が子に聖なる祝福と脈尽く命の熱き鼓動を与えたまえ⋮﹂
黒魔法
押さえ込むっきゃねえぞ。
さもないと全滅だ︱︱
やけに張っているほお骨を釣り上げ、アイゼンバーグが目を見開
く。
その顔は妄執に捕らわれた狂信者のようにただれた笑顔を張り付
かせ、見る者を不快にさせた。
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
!!!﹂
あんなバカ無視だ無視。
﹁
の黒い魔法陣を押しのけるよう
全身から光り輝く星屑がばらまかれ、足元に白光した魔法陣が広
グレート・ザ・ライ
強制改変する思想家
がっていく。
魔法陣は
にしてじわじわと広がっていく。
1370
いけ! いけえぇっ!
﹁ッ︱︱︱!!﹂
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
思い切り下っ腹に力を込めると膨大な魔力が魔法陣へと溶け込み、
満員電車で人間を奥へ押し込んで前に進むように
が円状に広がっていく。
中庭に構築された紫色の魔法陣の中に、直径二十メートルの白い
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
の範囲内にいる冒険者は胸を押さえていた腕を
魔法陣による安全地帯が現れた。
広げて立ち上がり、﹁おおおおっ﹂と歓声を上げる。
﹁エリィちゃんの魔法陣の中へ入れ!﹂
エアハンマ
で魔法陣の外にいる冒険者を強引にこちらへ叩き込んだ。それ
アグナスがすぐさま叫んで魔法陣に転がり込むと、
ー
に倣ってパーティーメンバーが次々と陣地へ味方を引き入れる。
敵はアイゼンバーグ、フェスティを入れて十五名ほど。調査団は
約二十名。魔力切れとさっきの攻撃でかなり減っちまった。
﹁なんだと⋮⋮?﹂
アイゼンバーグが驚愕の表情で目を見張り、杖を高々と掲げた。
強制改変する思
グレート・ザ・
奴の持っている樫の杖が禍々しく光ると、今度は向こうからの浸
食が始まる。
の重圧が強くなっていく。
頭上に次々と重りを乗せられているみたいに、
ライ
想家
1371
気を抜くとダメだ⋮⋮、魔法が霧散する⋮⋮。
それに続けと敵魔法使いが魔法を乱射する。
紫色の魔法陣と白色の魔法陣の陣地に分かれた魔法合戦が再度始
まった。
俺が押し負けたら全滅だ⋮⋮。
こんなときこそハッピーな記憶!
田中の⋮⋮
田中の⋮⋮⋮⋮
﹁ファイヤーダンス!!!﹂
思わず叫んでしまった。
腰ミノ、上半身裸の田中が、炎にびびりながらファイヤーダンス
する、滑稽で哀愁すらただようシーンを思い出して思わず笑みがこ
ぼれる。何度思い返してもオモシロすぎるだろ。現地人のオバハン
ピュアリーホーリー
純潔なる聖光
強制改変
グレート
へつぎ込むと、身体
から熱烈なキッス攻撃を食らって呼吸困難になる田中は、最高にウ
ケる国宝級のネタだ。
なんてことを考えて魔力を
の浸食を拒んで、逆に押し返していく。
から溢れ出る星屑が踊るように跳ねてキラキラと輝き、
・ザ・ライ
する思想家
﹁ファイヤーダンス⋮⋮?﹂
﹁エリィちゃんの新しい魔法か?!﹂
﹁浄化魔法にそんな名称のものあったか?﹂
﹁神々しい! 俺達も負けてらんねえ。反撃だ!﹂
1372
﹁美しい! なんて綺麗なんだい!﹂
冒険者が口々に叫びつつ、各自得意な魔法を敵陣へ撃ち込む。
﹁⋮⋮エリィ、前に行くね﹂
を集中させると、星屑が彼女の周
アリアナがかつてないほどの魔力を循環させながら、俺の隣から
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
離れて前線へと駆けていく。
アリアナへと
囲へと集まっていき、まぶしく輝き、スポットライトみたいに浮き
立たせた。
絶え間なく魔法のやりとりをしている敵陣と調査団。
様々な魔法の光が輝き、爆発し、穿ち、切り裂き、時たま土の壁
が現れてはすぐさま破壊される。
アグナスとフェスティの魔法がほぼ互角のようで、打開策が見い
だせない。ってフェスティ強すぎだろ! 上位魔法をバンバン撃っ
ているからジャンジャンより圧倒的に強いぞ!
調査団はアリアナの姿を見て、何か秘策があるのだろうと、彼女
を援護する作戦へ切り替えた。
アリアナは魔法陣の効果範囲限界まで進み、敵の魔法使いとわず
か三メートルの距離になると、注目を集めるように両手を大きく広
げた。デニムのサロペットスカートから覗くすらりとした足をつま
先立ちにしている。
﹁狐人の娘を狙え!﹂
1373
向こうの指揮官らしき神父姿の男が彼女の練っている膨大な魔力
を見て絶叫した。
が、アリアナはそれと同時に行動を起こした。
まるでその行動が俺にはスローモーションのように見え、口が半
開きになり、どうしようもなく胸が熱くなって、何も考えられなく
なった。
アリアナはつま先立ちしていた足を戻し、可愛い尻尾をピンと真
上へ立て、片足立ちになってくるりと一回転する。両腕を真下へ向
け、両手首を地面と水平に伸ばし、可愛らしく笑顔でピタリと止ま
恋
﹂
トキメキ
ると、両手を胸のあたりにもってきてハートの形を作った。
﹁
︱︱︱︱!!!!??
巻き起こるアリアナのトキメキ旋風。
その小さい姿は星屑と相まってキラキラと輝き、可愛さの中に美
しさを内包させる女神のごとく全員を魅了し、見る者を完全に釘付
けにした。
﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂
﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂
﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂
﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂
﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂
1374
﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂
瞬間最大トキメキ風速三億五千万トキメートル︵当社調べ︶を記
録っ!
アリアナのオリジナル魔法を受けた全員が、敵味方問わず心臓を
押さえてうずくまる。
アイゼンバーグとフェスティですら心臓を押さえてるじゃねえか!
すごっ!
つーか心臓がまじでいてえ!
グレート・ザ・ライ
強制改変する思想家
と
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
が地面からあっとい
これがトキメキ⋮⋮そう⋮⋮TOKIMEKI⋮⋮⋮。
う間に消えた。
てかね、多分だけどね、この場にいる全員が思ったと思うんだよ。
なんでパンツが見えなかったんだろうって。
結構な勢いでくるっと回ったからミニスカートの中が見えそうだ
ったんだ。
いやちがうぜ!
俺は別にスカートの中を覗いてうっしっし、とか言うタイプじゃ
ねえよ?
むしろ口説いて脱がすタイプだぞ?
でもさっきのは、何かそういうこととは別次元の問題なんだよ。
見たら絶対にイケない物を人間って見てみたいって思うじゃん。鶴
の恩返しみたいに! そうお鶴さんの恩返しのパンティみたいに!
って自分で何言ってんのか全然わかんねえぐらい心臓いたあああ
あああい!
1375
﹁えい﹂
アリアナは全員が動けない隙を突いて身体強化
下の上
をかけ、
前方にいた少年の魔法使いを掴んで後方へと放り投げる。さらに右
へ素早く移動し、うずくまるエルフの少女を放り投げ、投げた反動
恋
の
トキメキ
を利用して一回転し、鞭で間近にいた敵魔法使いをしこたまぶっ叩
いた。
もう一人いるドワーフの少年の所へは距離があるため、
効果が切れることを考えて攻撃に転じたようだ。
パパパパパパパァン! という鞭音が響き、ものの数秒で五人の
魔法使いがアヘ顔と共に後方へ弾け飛んでいく。うわぁ⋮⋮身体強
化した高速鞭術で叩かれたから、一瞬で服がボロボロになって血ま
みれだよ。アリアナ絶対に怒ってるな。
﹁い、いかん! あのキツネ娘を殺れ!﹂
ようやく復帰した敵魔法使いから焦りの声が上がる。
だが、こちらのほうがアリアナの魔法を見たことがある分、心構
えが多少なりとも出来ていたため初動が早い。
﹁ごめんな﹂
アグナスが最後の一人であるドワーフの少年に当て身を食らわせ、
後方へと投げ飛ばした。
後衛のメンバーがすぐさま子ども三人に駆け寄り回復魔法をかけ、
落雷
!﹂
サンダーボルト
睡眠煙をしみこませたハンカチで身柄を確保する。いいぞいいぞ!
﹁
1376
バリバリバリィ!
けたたましい落雷音が鳴り、敵魔法使いの真ん中に
が突
サンダーボルト
落雷
き刺さる。砂の地面が爆発したみたいに吹っ飛び、近くにいた三人
が運悪く感電して、高圧電流により一瞬で髪型がアフロヘアーに早
変わりした。例外なく口から煙を吐いてぶっ倒れる。
もはや人質という盾をなくした敵魔法使いに気を回す必要はない。
魔力が底を尽きそうなので精度がイマイチだが、この好機を逃す
俺じゃねえぞ。
向こうに残るのは、アイゼンバーグ、フェスティ、指揮官らしき
神父風の魔法使い、そのとりまき五名、計八名。
対するこちらは、俺、アリアナ、アグナス、トマホーク、ドン、
クリムト、バーバラ、女盗賊、ジャンジャン、上位ランカーのポー、
その他八名、計十八名。内、四名が魔力切れ寸前のため、子ども三
電衝撃
インパルス
!!﹂
人を連れて後方の陣地へと下がっていく。
﹁
ギャギャギャギャギャ!
指揮官を狙った稲妻の奔流が前方へと駆け抜け、守っていた取り
巻きの魔法使いにぶつかって放射状にその強烈な電流をまき散らし
た。
直撃を食らった魔法使いは感電しながら後方へ吹っ飛び、放射状
に広がる電流を受けた三人の魔法使いは﹁アババババババビバァ!﹂
とパソコン教室の名前っぽい悲鳴を上げて白目を向き、仰向けに倒
れて砂の大地とお友達になった。
これで向こうの残りは五人だ。
﹁はぁ⋮はぁ⋮﹂
1377
ダメだ、息が上がってきた。
浄化魔法の連続使用と落雷魔法の連発で魔力切れ寸前だ。
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
は練習不足で魔力効率が相当に悪い。無事帰っ
ふらついて、片膝をついてしまう。
たら練習しねえとな。
﹁落雷魔法ですか⋮⋮﹂
アイゼンバーグは未だに余裕しゃくしゃくの表情で杖を握りしめ
ている。
﹁あなたはセラー教への信仰を持つべきですね﹂
﹁フェスティ! 目を覚ませ!﹂
ジャンジャンが魔力切れ寸前で顔を真っ青にしながら、アイゼン
バーグの言葉を無視して声を張り上げる。
﹁この子はセラー教の熱心な信者です。以前の記憶が戻ることはな
いでしょう﹂
﹁なっ⋮⋮!﹂
﹁それをあなたが見届ける術はありません。なぜならあなたはここ
で︱︱﹂
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
!﹂
そこまで言って、アイゼンバーグはにぃと口元を上げ、杖を振り
かざした。
﹁死ぬからです。
1378
が俺たちの心をかき乱し、アイゼン
ぶわっと地面に紫色の禍々しい魔法陣が浮かび上がる。
﹁なにっ!﹂
﹁くっ⋮⋮?!﹂
﹁なんだと?!﹂
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
﹁詠唱なしだと!﹂
再び
バーグへと気持ちが引き寄せられる。アグナス、アリアナ以外のメ
ンバーが頭を抱え、あまりの激痛で地面に倒れた。
﹁くくく⋮。誰も詠唱が必要とは言っていませんよ?﹂
そう言ってアイゼンバーグはもっている樫の杖に頬を擦りつけ、
べろりと舌を這わせる。
きもっ! リアルにきもいんですけど!
フェスティが攻撃を封じられた俺たちを何の感情も籠もっていな
落雷
!﹂
サンダーボルト
い目で見つめながら、黒のローブを揺らしてこちらへ向かってくる。
﹁
落雷
を撃った。
サンダーボルト
アイゼンバーグとフェスティが離れた隙を逃さず、魔力を振り絞
って
だが敵の魔法使いの一人がそれを予期していたのか、アイゼンバ
ーグを突き飛ばして庇う。
ピシャアアンという雷音と共に、その魔法使いは感電して地面に
倒れた。
1379
﹁敬虔なるセラーの子に慈悲を﹂
アイゼンバーグは魔法を発動させたまま起き上がり、身を犠牲に
した魔法使いへ呟く。
間髪入れずに、残った魔法使い、指揮官らしき男、フェスティの
エアハンマー
三名がこちらへ魔法をぶっ放してくる。
﹁
ファイアボール
﹂
﹂
﹂
﹁
鮫刃
シャークナイフ
﹁
不可視の風の拳がポーを吹っ飛ばし、炎の玉が冒険者にぶちあた
り、水の刃が女盗賊を切る。
三人が声にならない声を上げて意識を手放した。
次々に魔法が撃ち込まれ、冒険者たちが戦闘不能に陥っていく。
﹁ぐわ!﹂
﹁ちっ﹂
﹁ぐ⋮⋮﹂
頼りにしていたアグナスパーティーの三人、トマホーク、ドン、
クリムトまでもが無防備の状態で魔法を食らって意識を失った。さ
らに、バーバラ、ジャンジャンも魔法の攻撃をモロに受けた。
﹁きゃあ!﹂
﹁うぐぅ⋮﹂
エアハンマー
でバーバラはかなり後方まで吹き飛ばされ、
﹁バーバラ! ジャンジャン!﹂
1380
サンドボール
落雷
をもろに受けたジャンジャンがうめき声を上げて、
!﹂
サンダーボルト
地面に転がった。
﹁
雷鳴を轟かせ、一筋の稲妻がアイゼンバーグの五メートル横に着
弾する。砂が弾け飛んでアイゼンバーグの黒服にパラパラと力なく
ぶつかった。
くそ! 魔力切れで落雷魔法の照準が合わない。
ジャンジャンは腹部を押さえて身もだえながらも、アイゼンバー
グを睨んでいる。
あの様子だと魔法の一発も撃てないだろう。魔力切れ寸前と魔法
直撃で意識があるのが不思議なぐらいだ。
待ってろ、あとで絶対に回復してやるからな。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
の影響下にあるいま、自己
アグナスとアリアナは何とか魔法を凌いで、じりじりとこちらに
後退してくる。
防衛で手一杯になっているようだ。
向こうに身体強化を使われたら一瞬で距離を詰められてしまうが、
!﹂
サンダーボルト
落雷
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
のせいで精度が最悪。アイゼ
とにかく散開するよりも合流したほうがいい。
﹁
ドパァン!
魔力不足と
ンバーグに当たらず、砂が弾け飛ぶ。
1381
﹁
!﹂
サンダーボルト
落雷
今度は指揮官らしい神父男を狙う。
落雷
が雷光をきらめかせて砂をえぐった。
サンダーボルト
フェスティに当たらないよう調整しているため狙いが逸れてしま
い、
落雷
は見た目の派手さと威力のおかげで牽制になる。
サンダーボルト
こういうときこそ冷静になれ。
に浸食される頭を押さえなが
みんな死んではいない。白魔法を唱えれば治癒できる。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
﹁エリィちゃん、これを!﹂
アグナスが
ら、手のひらサイズの小瓶を投げた。
弧を描いて飛んでくる瓶を片手でキャッチする。
魔力ポーションか! さすがアグナス!
その間に飛んできた魔法をアリアナが身体強化し、鞭で弾き飛ば
す。
かなりきついのか、彼女の額から汗がだらだらと流れている。
﹁我が家に代々伝わる秘伝の魔力ポーションだ! それを︱︱﹂
アグナスの言葉を待たずに蓋を開けて一気飲みした。
﹁一口⋮⋮って全部?!﹂
うおおおおおおおおおおおおおおおっ!
これ酒じゃねえかよ!
1382
焼ける! 喉が焼ける!
﹁こほっ! けほっ、こほっ!﹂
口から勝手に可愛らしい咳が出るけどまじ何十度ある酒だよ!
ぜんぜん可愛げねえよ!?
飲み込んじまったから腹も熱いっ!
﹁あああああああああっ﹂
焼ける。身体が焼けるように熱い。
思わず身もだえる。
﹁だ、大丈夫かい?!﹂
﹁エリィ⋮!﹂
﹁⋮⋮っ﹂
アグナスが心配した声を上げ、アリアナが飛び付いてくる。
喉が焼けるみたいに熱くて何もしゃべれない。
ファイアボール
を身体強
﹁魔力の回復はすごいがキツイ酒なんだ! 気持ち悪いなら吐いた
ほうがいい!﹂
﹁私のポーションを⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
アグナスは叫びながらどうにか敵の
化した片手剣で切り裂き、アリアナがポケットから魔力ポーション
を出そうとする。
﹁このままじゃやられる! アリアナちゃん、魔力ポーションを飲
1383
むんだ!﹂
﹁でもエリィが⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
を片手剣の腹でいなして
を上段から振りかぶって迎撃する。
サンドボール
ウインドソード
アグナスは飛んできた
進路を変え、
ギィン、という鉄と鉄がぶつかる甲高い音が響き、アグナスがよ
ろめく。
恋
を使ってくれ、と言いたいのに、アグナスか
トキメキ
アリアナは喉を押さえている俺を見て、魔力ポーションを握りし
めた。
それを飲んで
ら貰った魔力ポーションのせいで声が出ない。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
﹁くくくく⋮⋮セラーの教えを乞わない愚か者ども。我が前にひれ
伏し、セラーの慈悲にすがりなさい﹂
アイゼンバーグがそう呟くと、より一層
の禍々しい輝きが増し、紫色の光が生物のように纏わり付いてくる。
かろうじて残っていた冒険者もあっという間にやられてしまい、
立っている冒険者はついに俺とアグナスとアリアナだけになってし
まった。
﹁ぐっ⋮⋮なんて強力な⋮⋮洗脳魔法⋮﹂
﹁エリィ⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁さあフェスティ。セラーの教えをあの者たちへ伝えるのです﹂
﹁はい﹂
1384
と
を、下っ
の身体強化でこちらに突
ファイアボール
下の上
ウインドカッター
無機質な声色でフェスティが
進してきた。
援護射撃の
端っぽい魔法使いと指揮官の神父が撃ってくる。
﹁ちぃっ!﹂
﹁ダメ⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
アグナスとアリアナがなんとか二つの魔法を迎撃したが、フェス
ティへの攻撃が間に合わない。
フェスティが目の前へきて、ぼんやりした表情のまま、ショート
ソードを上段から振り下ろした。
﹁エリィちゃん!!!﹂
﹁エリィよけてっ!!!!﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
鋭い刃が当たる。
そう思ったそのときだった。
フェスティのショートソードが、俺の目の前でぴたりと停止した。
﹁な⋮⋮?!﹂
﹁エ、エリィ⋮⋮?!﹂
自分の両手が、フェスティの握っているショートソードをがっち
りと真剣白刃取りしていた。
1385
ふっふっふっふっふっふ⋮。
はっはっはっはっはっはっはっはっは!
この天才小橋川、伊達に時代劇ドラマを毎週かかさずチェックし
てねえぜ。
わずかばかり驚いたのか、フェスティの幼さが残る顔がぴくりと
反応する。
これにはアイゼンバーグも驚いたらしく、眉間に皺を寄せている。
まあ、別にこんなのね、この天才にかかれば造作もないことなん
だよ。
﹁白の女神エリィちゅあん! 悪を討つため、砂漠の大地に降ーー
ーー臨ッ!﹂
エリィが絶叫した。
そりゃもう喉がはち切れんばかりに叫んだ。
﹁えっ⋮⋮??﹂
﹁え⋮⋮??﹂
アグナスとアリアナが心底驚いて、口をあんぐりと開けた。
1386
ええええええええええええええええええっ!?
ここにきて勝手に叫ぶのまじやめようねエリィちゃん!
一番びっくりしたの俺だわ俺っ!!
何よ﹁悪を討つため﹂って?!
何よ﹁降ーーーー臨ッ!﹂って?!
お兄さん恥ずかしくてもうお嫁にいけない!
︱︱︱ッ!!!!?
ボグッ、という嫌な音がしてエリィの蹴りを受けたフェスティが
後ろへ吹っ飛んでいく。
うおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!
ちょっと待て!!
勝手に足が動いてフェスティに蹴り入れてる?! 思いっきりフェスティ蹴り飛ばしちゃったよーーい!
まじもーこれ何なの?!
酒癖悪い?! まさかのエリィお嬢さん酒癖めっちゃ悪いパティ
ーン?!
オッケーオッケー落ち着いて考えよう。
ビークール。BE・COOL。クールビズ。半袖短パンノーネク
タイ。
じょぶじょぶ大丈夫。向こうも身体強化してるから。
1387
きっと、たぶん。
ともあれ魔力は回復したし、いくぜ。
おりゃああああ!
さらに飛び出す天才小橋川アンド宇宙一優しき美少女エリィ。
あーなんかめっちゃ気分いいかも。
これ完全に酔ってる? 酔ってるよなぁ?
最高のきぶぅん。
絶好調ナリ! 魔力満タン!
フェスティが素早く後退するの、いい判断。
でも俺は突撃だぜっ。
おしおきだ!
﹁おしおきよーーーーーっ!﹂
﹁な、なんだあの娘! 急にっ!﹂
﹁バカ、魔法を撃て!﹂
ファイアボール
!﹂
下っ端魔法使いと指揮官神父が慌てて杖を構えるけど無駄無駄。
﹁
エアハンマー
!﹂
﹁
﹁それっ。えいっ﹂
炎の玉を最小限のステップでかわし、空気の拳にこちらの拳打を
合わせて相殺する。
﹁な⋮⋮!﹂
1388
指揮官神父の右横へ回り込み、右拳打をわき腹へ一発ぅ。
﹁う゛ッッ!﹂
さらに左拳打を腹の中心へぶち込んで内臓をかき回すぅ。
﹁ぐほわぁっ!﹂
そんでもって身体がくの字に折れたところへ脳天狙ってかかと落
としぃ。
﹁ひぎいっ!﹂
見たか、十二元素拳﹁火の型﹂!
かかと落としで見えたであろうパンツは敗北への選別だ。
﹁それそれそれそれそれそれぇ!﹂
﹁はひはひはひはひはへはひぃ!﹂
ちょちょちょちょちょちょーーーーーーっとエリィお嬢さぁぁん
?!?!
どんだけ攻撃的になってんのまじでぇ?!
勝手に他人の背中を踏みつけるのやめようね!
もー本気でびっくりだよお兄さん!
つーかエリィ酒癖わりいぞこれ!
手に負えねえって!
ってこいつむかつくから別にいいか。
1389
じゃあ俺もエリィに便乗してと。
﹁リピートアフターミィ﹂
﹁はひ?﹂
﹁それそれそれそれそれそれそれそれそれそれぇ!﹂
﹁はひはひはひはひはひはひはひはひはへはひぃ!﹂
どうだ乙女に踏みつけられる気分はぁ!
散々子ども達を苦しい目に合わせた罰だ!
ふぅーーー、いい感じに指揮官神父がボロボロになった。
ブーツの足形がおっさんのローブに無数に残って、死ぬ寸前のゴ
キブリみたいにぴくぴくしてる。
グッジョブ、俺とエリィ!
まさにほろ酔いまっただ中って感じだな。
もーちょっと飲めばテンションマックスになるんだが、エリィは
完全に酔っ払っているらしい。リアルに手癖が悪いぞこのお嬢さま。
だが⋮⋮もっと酒をよこせ。
異世界に来て色々なぁ、俺だって辛かったんだよ。久々に酒を飲
んで、このほろ酔いの気持ちいい感覚を思い出したぜ。
むっ!
それにしてもあの下っ端、かかと落としのときに絶対パンツ見た
な⋮。
エリィのパンツを見るなんて万死に値する!
よし! おしおきだ!
﹁おしおきしりゃうんだかりゃっ﹂
1390
酔いが回って呂律が回らねえっ。
が効かない⋮?﹂
にっこりと笑顔のまま砂の地面を思い切り右足で蹴り、一気に下
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
っ端魔法使いへと肉薄する。
﹁なぜ? なぜ
﹁ア、アイゼンバーグ様っ!﹂
﹁逃がしゃないわよおっ﹂
﹁エリィちゃん酔ってる?﹂
﹁みたい⋮⋮﹂
アグナスとアリアナが心配半分、驚き半分といった声が聞こえて
きたような気がする。
うむ、あとで酒盛りじゃ。くるしゅうない。
もっと酒をよこせ。
﹁捕まえたっ、アハ﹂
﹁ひいいいいいいいいいいっ﹂
なんて酒のことを考えつつ、下っ端魔法使いの肩をがっちりと掴
んだ。
そこにフェスティが無表情のまま身体強化で突っ込んでくるが、
下っ端を盾にしてガードする。
バックステップでフェスティがアイゼンバーグの元へと下がった。
では、異世界初公開。
新たに考案したオシオキを下っ端くんにプレゼントしようじゃあ
ないか。
﹁魔法のおべんきょ楽しいなぁ∼﹂
1391
﹁放せ! 放せええぇぇぇぇっ!﹂
﹁じたばたしてもダ∼メッ。身体強化してるかりゃね﹂
﹁酒くさっ!﹂
﹁はい、ご一緒に♪﹂
電打
!
エレキトリック
身体強化を切って、一気に魔力を練り、落雷魔法へ変換。
そして開放
﹁エ♪﹂
︱︱バチィッ!
﹁ペッ!﹂
﹁レ♪﹂
︱︱バチィッ!
﹁ペッ!﹂
﹁キ♪﹂
︱︱バチィッ!
﹁ペッ!﹂
﹁トリィィィィィィィィィィック♪﹂
︱︱バババババババババババチィッ!
1392
﹁ポペエエエエエエエエエエエエエッ!﹂
お勉強を頑張る下っ端がいい感じに電撃を浴びてアヘアヘしてい
る。
うんうん、やっぱ何事も努力が大事だよな。
俺がさぁ、日本にいたときもさぁ、みんなちゃーんとやってたよ。
一生懸命勉強して仕事がんばったもんなぁ。でもオンとオフも大
事だぜ!
そっかー。そうだよなー。
これじゃ足りないか⋮⋮。
﹁それりゃもう一度。アハッ﹂
﹁ひいいいいいいいいいいいいいいいっ!﹂
﹁りぴーとあふりゃーみぃ﹂
﹁ひい!﹂
﹁エ♪﹂
﹁ペッ!﹂
﹁レ♪﹂
﹁ペッ!﹂
﹁キ♪﹂
﹁ペッ!﹂
﹁トリィィィィィィィィィィィィィィィック♪﹂
﹁パペエエエエエエエエエエエエエエエエエップ!﹂
ババババババババババババババチバチィッ!
1393
電撃音が静まりかえる魔改造施設の中庭に響く。
下っ端の髪型がアフロヘアーに変わって皮膚がこんがりと焼けた
ので手を放すと、建造物が倒れるように、ゆっくりとぶっ倒れた。
﹁いい子いい子。お勉強はたのしゅいわねぇ∼﹂
﹁セラーの威光に跪け! セラアァァァァァァァァァル!﹂
アイゼンバーグが額に青筋を浮かべて杖を掲げ、訳の分からない
叫び声で魔力を増大させた。
うっとおしい紫色の光が足元に絡みつき、得体の知れない異物が
頭の中へ勝手に入ってこようとする。
そんなもんは今のほろ酔いのハッピーさで塗りつぶす。
全員を守るんだ。
ここでやらないで、誰が男だ。
﹁それそれそれそれそれそれそれっ!﹂
﹁ほげふげほげふげほげふげほげぇ!﹂
ちょっと待ってーちょっと待ってーお嬢さぁぁぁんん!!!?
足が勝手に動いて思いっきり相手の背中踏んづけてるんですけど
パート2!
﹁それそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれっ!﹂
﹁ほげふげほげふげほげふげほげふげほげふげほげふげほげぇ!﹂
だぁーーーーーーーーーーーーやめんかこの酔っ払いぃっ!
横! 横からフェスティが斬り込んできてんだよぉい!
﹁むむっ﹂
1394
﹁ほげぇぃ⋮⋮⋮﹂
よし、やめてくれた。いい子だエリィ。
でも下っ端の背中の上に、さも当然ですって感じで乗るのやめよ
うね。
﹁セラーの教えです﹂
﹁︱︱︱ッ?!﹂
眼前に迫っていたフェスティの袈裟懸けを軽いステップで躱し、
斬り上げをひねってよけ、スピード重視の打ち下ろしを、右足、左
足、とツーステップで華麗に回避しつつ、懐へ飛び込む。
頭が冴える、視界はクリア、オールグリーン発射オーケー!
剣士との戦いは懐に入ればこちらの勝ち。中距離で攻撃され続け
ればこちらの負け。ポカじいの教えのとおりに動く。
電衝撃
インパりゅしゅ
!﹂
でも残念。フェスティは攻撃しねえんだよーい。
﹁
電衝撃
インパルス
を撃ち込んだ。
フェスティの懐へ滑り込み、安全地帯を確保して身体強化を切っ
てアイゼンバーグへ
それと同時に再度身体強化をかけ、攻撃される前にフェスティの
懐から飛び退いた。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
の行使をやめ
ふっ、見たか。この蝶のように舞う俺とエリィの姿を。
﹁なんだと⋮!﹂
アイゼンバーグはあわてて
1395
電衝撃
インパルス
が奴の身体をかすめて後方の壁に激突し、稲妻を放射
て身体強化に切り替え、ごろごろと砂の大地を転がった。
線状に撒き散らして施設に無数のヒビを入れた。
アイゼンバーグの魔力供給が絶たれたため、紫色の禍々しい魔法
陣が足元から消える。
フェスティはアイゼンバーグの元へ戻り、安否を確認した。
電衝撃
インパルス
を躱すとは妙に勘のいい野郎だ。
にしてもアイゼンバーグめ。
﹁アリアニゃ! アグネスぅ! いみゃのうちに魔力ぽーちょんを
飲みなさぁい!﹂
﹁お、オーケーだ!﹂
﹁うん⋮!﹂
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
のくびきから解放された二人が、持って
アリアナとアグナスに指示を飛ばした。
いた魔力ポーションを開けて一気にあおる。
ちぃっ、アグナスちゃん、もうあの魔力ポーション持ってねえじ
ゃねえか!
あとで酒盛りしようと思ったのにYO。
セイ、ホーオオゥ。
﹁アグニャスちん、にゃんでさっきの魔力ぽーちょん持ってにゃい
のよ﹂
﹁え⋮⋮? あ、あれはね、秘伝のポーションなんだよエリィちゃ
ん﹂
﹁あるのかにゃいのか聞いてりゅんだけろ﹂
1396
﹁ごめん、もうないよ!﹂
﹁にゃんでよ∼ぷんぷん﹂
い、いかん。
落雷
!﹂
さんだぁぼりゅと
ほろ酔いでつい﹁ぷんぷん﹂とかふざけたことを言ってしまう。
﹁
ピカッ、と雷光がきらめいてアグナスの真横に突き刺さり、砂の
地面を爆散させた。
﹁うわ!﹂
撃っちゃダメ!
サンダーボルト
落雷
ちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっとエリィお嬢さまぁぁぁぁぁっっ
?!?!
酒がねえからってアグナスちゃんに
まじでダメ! ダメダメダメダメ!
謝らなければ! 一刻も早く!
﹁ごめんにゃさい!﹂
﹁ははは⋮⋮いいよ、うん﹂
思い切り頭を下げると金髪ツインテールが勢いよく一緒について
くる。
そんで顔を上げたときに視界へ飛び込んできた、アグナスのすべ
てを諦めたあの遠い目ね⋮⋮。
心に突き刺さるんですけど⋮⋮。
もうどんだけー。
1397
どんだけエリィ酒癖悪いのー。
禁酒! 禁酒令発動!
これ以上飲んだら何するかわからん!
﹁酔ったエリィかわいい﹂
アリアナがそんなことを呟いている。
エリィが酔っ払っているせいでめちゃくちゃじゃねえか。
そして勝手に頬を膨らませないでくれますエリィさん。
お酒はもうないんです。それは事実なのです、はい。
頬を膨らませたまま、アイゼンバーグを睨みつけた。
続いてフェスティ、後方で倒れているジャンジャンを見つめる。
アリアナとアグナスが魔力ポーションを飲みながら身体強化で駆
けつけ、俺の両隣に並ぶ。
気を取り直したらしいアイゼンバーグが杖を構え、フェスティが
ショートソードを鞘へ収めて杖を引き抜いた。
しばらくの沈黙。
が、その短い沈黙はすぐに破られた。
大きな悲鳴が聞こえて大地が揺れる。
施設の壁が粉々に吹き飛んで、雪崩のように崩落しながら魔改造
が現れた。
施設の内部をむき出しにし、もうもうと上がる煙と砂に包まれた
何か
全員、その異形なモノへと視線が釘付けになった。
1398
第30話 イケメン砂漠の誘拐調査団・闘争︵後書き︶
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
お久しぶりです!
何度か書き直していたら更新に二週間もかかってしまいました・・・
・。
お待ち頂いていた読者の皆さま、申し訳ありません。
第三章も残すところあとわずかです。
今後ともご愛読の程、何卒よろしくお願い申し上げます♪
1399
第31話 イケメン砂漠の誘拐調査団・決着︵前書き︶
お待たせ致しました!
いつもより長いです。
1400
第31話 イケメン砂漠の誘拐調査団・決着
煙の中から現れたのは小柄な男だった。
顔は不細工につぶれ、やけに背中が盛り上がっており、落ち窪ん
だ瞳は狂信者の光を宿しギョロギョロと動いている。
そいつを見て思わず悲鳴を上げそうになった。
男の右目にはナイフが突き刺さっており、誰がやったのかは分か
らないがどろりと眼球がクラッカーみたいにぶら下がって、小さい
体躯には槍が二本と剣が三本、まるで自分の腕のように埋まってい
る。
まっじでグロ! リアルグロ!
さらに、この場にいる誰しもが顔に突き立ったナイフに驚いたあ
と、背中へと視線が吸い込まれた。
背中からは小柄な男とは不釣り合いな大きさの、サソリの腕らし
きものが四本生えていた。
サソリの腕は一本一本が違う大きさをしており、一般女性の胴体
ぐらい太く、表皮は薄気味悪く黒光りしている。身長百五十ぐらい
の男の背中から、長さ五メートルの腕が四本も生えている姿は笑え
ない冗談だ。
いや、ありえないっしょアレ。
グロを通り越してもはや特殊メイクとか特撮なんじゃねえかって
思えるな。
1401
﹁セラーの教えにじだがえグギャガ!﹂
サソリ男がカクカクと全身を揺らしながら叫ぶ。
いやごめん。やっぱただのグロだわ。
﹁俺はハゲじゃない⋮⋮剃っている⋮⋮﹂
え?!
冒険者でつるっぱげのラッキョさん、サソリの腕に思いっきり捕
まってるけど!?
つーか誰もあんたがハゲかどうかなんて気にしてねえよ?!
捕まっているってことは、施設内に潜入して子どもを救出する役
目を負った、苦拍のサルジュレイ、炎鍋のラッキョのパーティーは
全滅ってことか⋮?
まじかよ。
俺とアグナスがラッキョを助けようと身構えると、もうもうと立
ちこめる砂埃の奥から護衛隊長のバニーちゃんが這いずり出てきた。
彼は血を吐きつつこちらに腕を伸ばす。
﹁逃げ⋮⋮⋮ろ⋮⋮﹂
崩落し、内部がむき出しになった施設には兵士とサソリ男が争っ
たであろう痕跡が散らばっており、ジェラ兵士たちが倒れている。
これだけ見ても潜入組が手痛くやられたことがわかった。
サソリ男はうるさそうに身体を一回転させ、バニーちゃんを尻尾
で弾き飛ばした。
1402
尻尾!?
バニーちゃん!!!
﹁バニーちん!﹂
﹁だめだエリィちゃん! あれはキングスコーピオンの腕だ!﹂
ほろ酔いの勢いで飛びだそうとした俺の腕を、アグナスは素早く
つかんだ。
﹁アグリャスにゃんどゆこと?﹂
いかん。
シリアスな場面なのに身体が酔っ払ってて呂律が回らねえ。
早くみんなを助けにいかねえと。
﹁わからない⋮⋮ただ、キングスコーピオンとなんらかの方法で融
合したのであれば、相当に危険だ﹂
﹁キングシュコーピンってアグニャスちんがやりゃれちゃった強い
まもにゅ?﹂
﹁そうだ。あいつの腕とデザートスコーピオンの大量発生には因果
関係がありそうだ⋮﹂
﹁よくわからにゃいけどけ早くあいつをちょんけちょんにしてちょ
うらい。みんなを回復してあげたいにょよ﹂
アグナスは軽いウインクでこちらに返答をすると、うなずいて魔
法の詠唱を始めた。
ポーションで回復した魔力のほとんどを使うつもりなのか、杖を
構え、燃えるような赤い髪をかきあげた。
上位上級レベルの魔力が練られていく。
1403
これは⋮⋮⋮相当にやばそうな魔法だ。
サソリ男を見て﹁あれヤダ⋮﹂と呟いていたアリアナも、ひっそ
りと魔力を練り始めた。
﹁アイゼンバァグ様! ごの不肖ジュゼッペ、命を賭して子どもに
ハーヒホーヘーヒホーを投与じまじたゲギョガギョギョ﹂
﹁よくやりました。敬虔なるセラーの子、ジュゼッペよ﹂
︱︱︱ん?
子どもにハーヒホーヘーヒホーを投与したって?
﹁わだぐじの実験は成功でございまず!﹂
﹁セラァァァル! なんと素晴らしい信仰でしょう! あなたこそ
が我が愛する同胞であり唯一無二の友人です。そんな敬虔なるセラ
ーの子、ジュゼッペに神託を与えましょう。あなたの命を燃やし尽
くし⋮⋮⋮⋮⋮そこにいる教えを乞わぬ愚か者どもに、永遠という
名の時を与えることを命じます﹂
﹁がじごまりまじた﹂
⋮⋮っざけんなよ。
周囲を睥睨するかのようにアイゼンバーグがゆったりとこちらへ
歩いてくる。
1404
絨毯の上を歩く王様みたいな奴の振る舞いに怒りが増大していく。
ハゲのラッキョとバニーちゃんと兵士たちに何してくれてんの?
子ども攫って実験して魔薬飲ませて洗脳⋮⋮?
人間舐めんもの大概にしろよ⋮。
お前らに生きてる価値なんて少しもねえ。
落雷
!﹂
さんだぁぼりゅと
尻から電流流して逆さづりにしてマッパで新宿二丁目に放り込ん
でやる⋮⋮。
おしおきだっ!
﹁おしおきりゃよ! まずはサソリ男!
呂律が回らないまま雄叫びを上げると、雷光がピカッときらめい
て空気を切り裂き、サソリ男に突き刺さる。
三メートル長のサソリの腕が一本弾け飛んだ。
﹁ぎゃあああっ!﹂
捕まっていたつるっぱげのラッキョが高々と放り上げられる。
それが合図になって各自が戦闘態勢に入った。
﹁おれはハゲじゃなぁぁぁぁぁぁぃぃぃぃ︱︱︱﹂
ラッキョはサソリ男の馬鹿力で放り投げられ、夜空の向こうへと
消えていった。
1405
ハゲは星になった。
﹁エリィちゃん、あと二分で詠唱が終わる。時間を!﹂
﹁ホッピー﹂
いかん!
ほろ酔いで﹁オッケー﹂が﹁ホッピー﹂になってまった。
!﹂
落雷
がジュゼッペとかいうサソリ
サンダーボルト
でも気にしまへん⋮⋮わて、美少女やから!
落雷
しゃんだーぼりゅりょ
おしおきぃっ!
﹁
威力よりも連射を意識した
男に落ちる。
近づかれてあの腕に殴られたらただじゃ済まないだろう。一撃の
大きい魔法で溜めを作って距離を詰められるより、アグナスの詠唱
が終わるまで時間稼ぎに徹するが吉とみた。
落雷
がサソリ男に突き刺さり、サソリ
サンダーボルト
奴はサソリの腕に身体強化をかけたのか、今度は腕が吹っ飛ばな
!﹂
さんだーぼりゅと
落雷
い。
﹁
バリバリィ!
威力を押さえた連射式
の黒光りする腕の表面を焦がして、パッと電流が弾ける。
左前方にいるアイゼンバーグが魔力を一気に練って増幅させた。
1406
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
まずい!
が発動する!
アグナスに目配せをするが、まだだ、と彼は目を伏せる。魔法の
詠唱は終わっていない。
﹁エリィ、アグナス、目をつぶって⋮﹂
アリアナが小さくつぶやくと、アイゼンバーグとフェスティに向
かって人差し指をさした。
突然、指をさされた二人は魔法の発動かと思って一瞬身構えるが、
アリアナは間髪入れずに胸の辺りで手を小さく振り、そのあと両腕
を腰に当て、上半身を前屈みにして右足を軽く前へ出して最後に﹁
恋
﹂
トキメキ
べぇ﹂と可愛らしい舌を見せた。
﹁
恋
。
トキメキ
いかぁぁぁん! 目ぇ閉じるの忘れてたぁぁぁぁっ!
巻き起こるトキメキ旋風!!!
﹁う゛っ!﹂
﹁う゛っ!﹂
﹁う゛っ!﹂
黒魔法中級・魅了系オリジナル魔法
瞬間最大トキメキ風速二億四千万トキメートル︵当社予想︶が吹
き荒れ、俺、アイゼンバーグ、フェスティが心臓を押さえて同タイ
ミングで仲良く砂漠の大地に膝をついた。
アリアナは俺をちらりと見ていたずらっぽく笑うと、身体強化を
施し、左前方へ飛び出す。
1407
何それ可愛いんですけど!
心臓めっちゃ痛いんですけどっ!
﹁えい﹂
﹁ぐあっ!﹂
アリアナの振り下ろしグーパンチを食らったアイゼンバーグが二
回跳ねながら十五メートルほど地滑りする。
うわぁ、あれは痛ぇぞ絶対。
下の上
プリティパンチが右頬にクリーンヒッ
アイゼンバーグはかろうじて身体強化でガードしたっぽいが、ア
リアナの身体強化
トしたとなれば、結構なダメージを食らったはずだ。
すぐさまアリアナは心臓を押さえているフェスティを見据える。
﹁アイゼンバーグ様ぁぁがぎゃゴベギャギャ!﹂
サソリ男が怒り狂ってアリアナへと向きを変え、突進した。
が、彼女はそれを確認しようともせずにフェスティに駆け寄ると、
熟睡霧
﹂
ディープスリープ
両腕を掴んだ。
﹁
真っ黒い睡眠の霧が問答無用でフェスティの顔に吹き付けられる。
!﹂
落雷
をキ
サンダーボルト
彼はしばらく息を止めて抗っていたが、そうそう耐えられるもの
落雷
にゃんだーぼると
でもなく、すぐに昏倒した。
﹁
トキメキによる心臓発作が治まったので、すぐさま
1408
モサソリ男へぶっ放した。
ピシャァン!
サソリ男の目の前に雷が落ち、砂が爆散する。
アリアナへと向かう進路を阻むようにさらに連射。
恋
トキメキ
金色の雷光が砂漠の大地に三本連続で墜落し、一本はサソリ男を
撃ち抜き、残り二本が地面に突き刺さって砂を舞い上げる。
﹁ゲギョっ!﹂
身体強化してやがるから効き目が薄い。
そしてうめき声が気持ち悪い。
サソリ男、ゲギョゲギョ言い出して人間やめ始めてんな。
極落雷
で一点集中攻撃か、本体に電流を流し
ライトニングボルト
が効かないのも、可愛いとかそういう感情が消えてるからじゃねえ
か?
あれを倒すには
て動きを止め、連続攻撃をする必要がある。
すぐにでもぶっ放したいところだが⋮⋮くそっ、やっぱ落雷魔法
の連発はキツイ。
﹁アリアニャ!﹂
アリアナはこくりとうなずいて、すかさず身体強化をかけ直し、
フェスティを担いで後方へと飛ぶように移動した。
よおぉぉぉし!
フェスティゲットだぜ!
アリアナ最高! もーあとでもふもふしちゃうぜ!
1409
しっかりと目を閉じていたアグナスがいいタイミングで目を開け、
魔法を発動しようとする。
!﹂
が周囲の空気を急速に膨張させて雷鳴を轟かせ、一瞬
電衝撃
いんぱりゅす
﹁エリィちゃん!﹂
電衝撃
インパルス
﹁ホッピィー。
でキモサソリ男へと到達すると、音を立ててクモの巣状に放電した。
サソリ男はお辞儀をするようなポーズでサソリの腕を前面へ出し、
インパルス
電衝撃
が男を襲う。
咄嗟にガードしたが、直進する電流をすべて受け止めきれずに後ろ
へ逸らした。
﹁アガガガガガガガガッ﹂
サソリの腕をかいくぐった
﹁はぁ⋮はぁ⋮⋮﹂
竜炎の担い手
フレアドラゴリウム
!﹂
さすがに落雷魔法の連射で息切れしてしまう。
﹁
アグナスが詠唱を完成させた炎魔法上級を行使した。
やっべえ、どんだけ魔力使ってんだよこの魔法。
噂には聞いていたがこれは⋮⋮っ!
赤々と燃える炎がアグナスの身体から発せられると、ドラゴンを
模した形へと変形していく。竜炎の頭の部分にすっぽりとアグナス
1410
が収まり、その後ろに炎でできた首、胴体、翼、尻尾が続き、まさ
にベタな少年漫画の主人公の様相になった。
これは少年心をくすぐる厨二魔法!
﹁かっくいいじゃにゃいのアグナスちん﹂
﹁エリィちゃん、アイゼンバーグを頼む!﹂
﹁ホッピィ∼﹂
うん、とうなずいてアグナスは竜炎に包まれたまま片手剣を抜き
放ち、眼前から消えた。
炎の残滓を残してアグナスがサソリ男へ斬りかかると、サソリで
はない人間の腕が宙を舞う。
﹁ギョギャガギャゴギャ! ゼラァァァァの教えを乞わぬ愚がもの
めががががが﹂
﹁僕はこの一ヶ月でサソリが嫌いになったよ﹂
アグナスちゃんが本気で相手を殺しにかかる。
と同等レベルまで引き上げ、
。
炎の形をした竜が縦横無尽に魔改造施設の中庭を駆け抜け、サソ
上の中
竜炎の担い手
フレアドラゴリウム
リ男は防戦一方になった。
上位上級強化系魔法
術者の身体能力を身体強化
攻撃に炎属性を追加するという強力なものだ。そんな大技だったら
詠唱も長いはずだ。
ということでキモサソリ男はアグナスちゃんにまかせて︱︱
1411
おしおきだ、アイゼンバーグ!
下の上
上の下
へ変化させるために魔力を全身へと一気に
まで身体強化をかける。
﹁おしおきにゃろれす!﹂
さらに強力な
練り込んだ。
レベルの魔力で全身の身体強化をするとなると相当の
魔力の渦が反発し合うようにうねり、勝手に霧散しようと拡散し
上の下
ていく。
技術と練習が必要であり、魔力の消費も半端ではない。酔った勢い
にまかせて強引に魔力を押さえ込む。
よし、前までは何度試しても無理だったけど今のほろ酔い状態な
らいける。
おそらく三分ぐらいは維持が可能。それ以上使うと魔力効率が悪
すぎて息切れしそうだ。
でも出し惜しみはしねえぜ!
﹁ハンバァーグ覚悟りゃっ﹂
猛烈にアイゼンバーグへと駆け寄り、起き上がろうとする奴の顔
面へ拳を打ち込む。
一切の手加減なし。
相手が死んじまってもしょうがない、という気持ちの一発。
1412
が、当たらずに拳が地面にぶつかって砂がえぐれ、直径三メート
ルのクレーターができあがった。
見ると、アイゼンバーグは杖に引きずられていた。
﹁にゃに?!﹂
ざざざざざ、と杖に磔にされたように地面を無規則にアイゼンバ
ーグが移動していく。
杖が地面から五十センチほど浮いて奴を引きずっている様子は、
新種のモップがけみたいだった。しかもアイゼンバーグはニタニタ
と笑顔を張りつかせて俺から目を離さない。
砂の上へ、奴の引きずられた軌跡が描かれる。
ポカじいがあの杖に気をつけろって言ってたのはこれ?
つーか不気味すぎる。こっち見んな。
アイゼンバーグは俺との距離を二十メートルほど取ったところで、
ゆっくりと立ち上がった。
酷薄そうな口元を歪め、突き出たほお骨をぐしゃりとつぶして引
き攣ったように笑う。
こええよ。普通にこええよ。
﹁この杖の力を解放するときがきま︱︱ぐぅ!﹂
ソイヤ! 相手の話を聞かないイケメンとエリィコンビの拳打がハンバーグ
野郎のどてっ腹に炸裂!
ハンバーグ野郎が吹っ飛んだ。
﹁愚か者め⋮⋮﹂
1413
﹁そりぇは自分のことれしょ﹂
距離を詰めながら冷静に相手の出方を観察する。
あの樫の杖、嫌な魔力が滲み出ている。
迂闊に手を出すと厄介なことになりそうだ。
今の一撃もそこまでダメージを受けていない。
ハンバーグが血を吐いて立ち上がると、杖から禍々しい黒い魔力
が噴出し奴の身体を覆っていく。
落雷
!﹂
さんだーぼりゅと
なんかあれはやばそうだぞぃ。
﹁
バックステップで距離を取り、身体強化を切って中距離攻撃に切
り替える。
落雷
はハンバーグに直撃せずに
サンダーボルト
バリバリィッ、と雷撃がアイゼンバーグへと一直線に落ちた。
が、威力も精度も申し分ない
進路を曲げられ、炸裂音を響かせて地面にぶつかった。
﹁にゃんなのら?﹂
ハンバーグは全身に黒い霧を纏い、見下した目でこちらを見つめ
る。完全に勝ち誇っている表情だ。
魔法無効化か? だとしたらかなり厄介だな。へいへい!
﹁この素晴らしいアーティファクトについて教えてあげましょう﹂
﹁⋮聞いてにゃいわよ﹂
﹁千年前に世界の果てを作った王国の話です﹂
﹁せかいのはてを作ったでしゅってぇ?﹂
﹁やはり知らないのですね。無知とは人間の人生を浅くさせる恐ろ
1414
しいものです﹂
﹁それはほんとのことりゃ?﹂
なにぃ? この世界ってまじで果てがあんのかい?
じゃあこの世界は球体じゃなくて真四角で出来てるってことか。
コペルニクスだかアリストテレスだかニコラスケイジだかが言っ
てた、天動説ってやつかもしれない。
地球が動いてるんじゃなくて太陽が動いているっていうアレね。
世界に果てがあるなら、この世界は球体の星の上に存在してない
っとことなのか?
うーん、にわかには信じられないな。
由々しき事態が起こった
為、持ちうるすべての魔
ほろ酔いにはちょうどいい与太話に聞こえるぞ。へいへい!
﹁かの王国は
法技術を結集させて世界の果てを作りました。その際に使用された
道具や武器がこのアーティファクトと呼ばれるものです。強大な技
術によって生み出された杖や剣がまったく色あせることなく、千年
の時を経て性能と効果を十全に発揮している⋮。誠に素晴らしいと
は思いませんか?﹂
﹁へいへい!﹂
い、いかん。結構重大な話なのにホロ酔いで合いの手を入れちま
う。
心の声が外にダダ漏れだ。
﹁⋮⋮﹂
和膳ハンバーグさんがなんか呆れた目でこっちを見てくる。
いや、どうぞどうぞ、お話を続けて下さい。
1415
俺が手をさしのべると、ふん、と息を吐いて和膳ハンバーグは口
を開いた。
﹁このアーティファクトはセラー教皇様からお預かりした唯一無二
の物。それが我が下にある。毎日この杖を見る度に私の心は感動で
打ち震え、セラーの御心に寄り添い、教えを乞うことをやめず、求
道せぬ者への導きを示さねばという使命感に駆られるのです﹂
そこまで言い切ると、和膳ハンバーグは満足した表情になり、両
手を大きく広げた。
﹁⋮ラール﹂
﹁ん?﹂
﹁セラーール﹂
凄まじい魔力の奔流。
目で見えるほどの黒い魔力が杖から吐き出される。
上の
咄嗟に、左手を手刀の形にして顔の前に構え、右手をその下に持
を一気にかけた。
ってきて十二元素拳﹁風の型﹂の形を取る。さらに身体強化
下
﹁セラァァァァァァァァァァァァル!﹂
案の定、和膳ハンバーグが飛び込んできて杖を思い切り振った。
で放つ強烈な掌打。
最小限の動きで躱して、みぞおちを狙った掌打を放つ。
上の下
﹁やあっ!﹂
身体強化
1416
黒ハンバーグは杖でがっしりと受け止めて後方へ跳んだ。
⋮﹂
打撃を杖で受けるってことは効果があるってことだな。
化身分身する種々相
ブラックアバター
魔法攻撃だけが無効?
﹁
げっ?!
壺の中で重なり合う蛇のようにうねうねと杖から魔力が這い出て
いき、人間の形を模していく。
黒い魔力の塊がマネキンみたいにのっぺりとした形に変形すると、
アイゼンバーグの横へ並んだ。イヤなことに顔のほお骨が同じ形を
していて、見ているだけで胸くそが悪くなってくる。
出現した黒マネキンは全部で三体。
﹁さあ、セラーへ慈悲を乞うのです!﹂
﹁うるしゃい!﹂
地面を蹴って高速移動し、重い拳打をアイゼンバーグに打ち込ん
だ。
するとマネキンが庇うように横入りしてきてガードし、拳が当た
ると同時に弾け飛ぶ。
ちっ、まるで手応えがねえ。
﹁たあっ、やあっ!﹂
洪家拳に似た力強い﹁火の型﹂で本体であるアイゼンバーグを狙
1417
う。
攻撃を受けたマネキンは爆弾を仕込んでいるみたいに、簡単に弾
け飛ぶ。
﹁セラーの導きをしらぬ者は野蛮ですねぇ⋮﹂
アイゼンバーグはにたりと笑うと、黒マネキンが次々と杖から生
成されていく。
﹁うごきづりゃいわね⋮﹂
ルイボンには悪いがここが正念場だ。
和膳ハンバーグと距離を取り、ワンピースの右サイドをビリビリ
と破って即席のスリットを作った。
酔いが回ってふらつき、足元がおぼつかない。
!!﹂
を撃ち込んだ。
倒れないように右足を一歩前へ出すと、真っ直ぐな美脚がスカー
トから現れる。
いんぱるすっ
電衝撃
電衝撃
インパルス
自分の足だけどワアォ。
﹁
身体強化を切り、
化身分身する種々相
ブラックアバター
とかいう胡散臭い黒魔法
ギャギャギャ、という悲鳴に近い雷音を上げ、電流がアイゼンバ
ーグへ直進するが
に阻まれる。
十体に増えていた黒マネキンが四体消し飛んだ。
どうやら魔法攻撃をあれが吸収するらしい。
1418
﹁セラーーーーーーールッ!﹂
化身分身する種々相
ブラックアバター
調子に乗った和膳ハンバーグお味噌汁セットが杖を高々と掲げる。
樫の杖からどんどん黒い魔力が溢れ出て、
が生成されていく。
やばいやばい、一気に三十体ぐらい増えてないか?
コフィン
断罪する重力・棺桶
ギルティグラビティ
⋮﹂
ちょっとしたアイドルの出待ちみたいになってやがる!
﹁己が怒りを発現させよ⋮⋮
突然、空中に黒く染まる重力場が現れた。続いて出現した二つ目
の地面の重力場と激しく引き合い、間にあった物を押しつぶす。
黒マネキンがあっという間に二十体ほど挽き潰された。
﹁エリィ、おまたせ⋮﹂
﹁アリアニャ!﹂
﹁フェスティは大丈夫⋮⋮それよりまだ酔ってる?﹂
﹁ぜーんぜん酔ってにゃんかにゃーよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮ん﹂
化身分身する種々相
ブラックアバター
。自分の分身を作り出す⋮。アレ自体に
﹁しょれよりあいつの魔法にゃんなの?﹂
﹁
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
を使われると危険⋮﹂
攻撃力はないけど、数の分だけ使用者の魔力が高まる。数十体出現
した状態で
﹁随分と博識な狐人ですね﹂
目論見を看破されたアイゼンバーグが喜色満面でアリアナへと拍
手を送る。
﹁この魔法を知る存在がいたとは﹂
﹁偉大なる黒魔法使い、父の教え⋮﹂
1419
﹁偉大なる父はセラーただ一人です﹂
﹁⋮⋮あなた気持ち悪い﹂
狐美少女軽蔑の目!
そんな目で見られたら俺もー生きていけない!
アイゼンバーグの精神に5のダメージ。
って全然平気な顔してるなあいつ。
﹁くくく⋮⋮あなたの父親の偉大さも今日限りで終わりです。杖に
保存された魔力は無尽蔵。さあ、お二人はいつまでその強気の姿勢
が保ちますかね⋮?﹂
﹁エリィ⋮﹂
﹁いくわよぉ!﹂
こくん、とアリアナがうなずくと同時に、俺たちは打ち合わせも
なくアイゼンバーグへ飛び込んだ。
俺が先に突進し、身体強化をかけて旋風脚で黒マネキンを三体破
恋
⋮!﹂
トキメキ
壊する。
﹁
アリアナを見ていなければ大丈夫だ。
後方で巻き起こっているであろうアリアナのトキメキ旋風!
﹁狐娘。あなたの魔法は看破しております﹂
恋
の発動
トキメキ
アイゼンバーグはアリアナを見ずに魔法を唱え続けていた。
ちぃ! アグナスちゃんが目をつぶっていることで
1420
条件に気づかれたか。
﹂
へぶっ放す。
最小の動きで最大の攻撃を心がけ、次々と拳打、掌打、蹴り、手
刀で黒マネキンを破壊していく。
エアハンマー
化身分身する種々相
ブラックアバター
が、一向に黒マネキンが減る様子がない。
﹁
アリアナが風の拳を
しかし一体を半壊にする効果もない。
﹁アリアニャ! 上位魔法じゃにゃいとダメにょ!﹂
こくん、とうなずいてアリアナは距離を取って詠唱に入る。
俺は前にいる黒マネキンに前転宙返りで一気に近づき、右拳打を
打って一体を破壊。
酔っ払ってふらついたので別の黒マネキンに寄りかかり、前方に
いたマネキンを蹴り上げてその反動を利用し、寄りかかっている黒
上の下
マルトー
断罪する重力・鎚
ギルティグラビティ
で強化された投げが、直線上にいた黒マネキ
マネキンの上で一回転して肩を引っつかみ、着地すると同時にぶん
投げる。
身体強化
⋮!﹂
マルトー
断罪する重力・鎚
ギルティグラビティ
ンを根こそぎ吹っ飛ばした。
﹁
さらにアリアナの援護射撃。
圧縮した重力の二重打撃攻撃、黒魔法中級
がアイゼンバーグを守るようにして立っている黒マネキンを盛大に
消し飛ばした。
1421
化身分身する種々相
ブラックアバター
﹁おしおきにゃのよ!﹂
一瞬だけできた
上の下
の隙間を縫うようにして
のダッシュで左右景色が一瞬で飛ぶ。
アイゼンバーグへ突進する。
身体強化
渾身の力を込めた拳打を奴のみぞおちへお見舞いした。
︱︱︱!!!!?
腕が⋮⋮体が⋮⋮動かねえ⋮⋮。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
を発動させた。
本日最高の一撃が当たる瞬間、アイゼンバーグがぼそりと﹁誠に
残念﹂と呟き、
足元に紫色の不可思議な魔法陣が浮かび上がり、発せられた光が
寄生生物のように纏わり付く。
ぐぅ⋮⋮⋮これは⋮⋮⋮⋮頭が⋮⋮割れそうだ⋮⋮。
﹁エ、エリィ⋮﹂
右後方にいたアリアナへと強引に首を動かすと、彼女が頭を押さ
えてうずくまっていた。
ミニスカートから伸びた細い足があらわになり、中が見えそうに
なる。って俺ってばこんなときでもスカートをチェックしちまう⋮。
や、やはり、て、天才⋮⋮。
﹁さぁお二人とも。私の後ろをご覧下さい﹂
1422
アイゼンバーグは後方へと飛び退り、距離を取りながら言った。
を囮
ハンマーで叩かれ続けるような頭痛を堪え、調子をこいているア
イゼンバーグの後方へと目をやる。
﹁⋮⋮っ?﹂
﹁なん⋮⋮にゃのよ⋮﹂
アリアナが絶句するのも無理はない。
ブラックアバター
を生成していた。し
化身分身する種々相
化身分身する種々相
ブラックアバター
アイゼンバーグは前方に展開させた
にして、自分の背後へ
を使わせたのですから賛辞をお贈り
かも、発見できないように地面に伏せさせていたようだ。
その数はざっと見て百体。
ブラックアバター
化身分身する種々相
こ、これは⋮⋮。
﹁私に
しますよ。この魔法は一度発動させると一年は使えませんからね﹂
﹁⋮⋮この⋮⋮頬骨ハンバーグゥ⋮﹂
悪態をついても事態は好転しない。
くそ、考えろ。
どうしたらいい。
﹁ではそこのキツネ娘。あなたの鞭で白い小娘を叩きなさい﹂
﹁⋮⋮っ!﹂
アリアナはぷるぷると全身を震わせながらゆっくり立ち上がると、
右手を腰に巻いてある鞭へと伸ばしていく。その手は反発する磁石
のように、何度も離れて、近づく、を繰り返すが、徐々に鞭へと近
づいていった。
1423
﹁エ、エリィ⋮⋮!﹂
普段はポーカーフェイスであまり表情が変わらない。
そんなアリアナが可愛い顔を苦悶にゆがめ、右手で鞭の柄をつか
んだ。
グレート
強制改変
強制改変する
グレート・ザ
﹁親愛なる友人に鞭打たれる。これぞセラーの説教ですよ、白魔法
使いの小娘﹂
﹁⋮⋮い⋮⋮⋮い⋮⋮⋮﹂
に身体を支配され、悲痛な声を上げた。
アリアナが抗うことのできない圧倒的な洗脳魔法
・ライ
思想家
﹁⋮いや⋮⋮っ!﹂
彼女はどうにかして魔法から逃れようと身をよじる。
によって強化された
化身分身する種々相
ブラックアバター
しかし、
の拘束は思っている以上に強力で、逆らうことができ
・ザ・ライ
する思想家
ない。
﹁くくく⋮⋮セラーの慈悲です⋮⋮﹂
アイゼンバーグが薄気味悪い笑みを顔中に浮かべ、さらに魔力を
増大させる。
鞭を持っているアリアナの右手がゆっくりと上がっていく。
彼女は懇願するようにこちらを見ると、耐えきれなくなったのか、
両目からぼろぼろと大粒の涙を流した。アリアナの小さな顎に、涙
が両頬を伝って流れ落ちる。
1424
﹁︱︱︱︱︱︱︱︱!!﹂
俺の中で何かがぷっつんと弾けた。
それも二回。
たぶん、エリィもキレた。
﹁あんたねえ⋮⋮﹂
独りでにパチパチッ、と電流が全身を駆け巡り、金髪ツインテー
ルががゆらゆらと静電気で立ちのぼる。
による頭痛がどこかへ消えた。
あまりの怒りで顔が熱くなり、こめかみに走る血管がどくどくと
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
脈を打つ。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
の束縛から逃れよ
﹁うちのアリアニャになにしてくれてんのよぉ!!!﹂
怒りにまかせて叫び、
うと強引に立ち上がった。
鉛の入ったカバンを背負ってるみたいに身体が重い。
精神に作用する魔法ならそれ以上の意志で跳ね返せばいいんだろ?
それだけの話だ。難しいことはねえ。
ビジネスの基本﹁重大な決断のときこそシンプルに﹂だコラァ!
1425
アリアナ泣かせてんじゃねえよクソが!
和膳ハンバーグぶっころす!!!
﹁やれっ!﹂
アイゼンバーグは俺の様子に慌てたのか、アリアナへと杖を向け
た。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
に抗っているようだ。
彼女はゆっくりと鞭を振りあげ、右手を挙げたポーズで固まった。
最後の最後で
彼女を安心させるように、にっこりと微笑んだ。
が効かな
その顔を見たアリアナはハッとした表情をし、目を閉じる。
そして鞭が振り下ろされた。
︱︱パァン!
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
鞭は砂の大地に一筋の軌跡を残した。
﹁な⋮⋮どういうことだ⋮⋮なぜ
い?!﹂
﹁あんたのちんけにゃ魔法でこのわたしを操れるわけにゃいでしょ
!﹂
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
の制御下で俺が動けるこ
飛び込み前転で鞭をかわし、アイゼンバーグに啖呵を切った。
魔力を増大した
とに、アイゼンバーグは心底驚いている。
1426
俺たちだからこそ
グレート・ザ・ライ
強制改変する思想家
が効かないんだろう。
俺とエリィ、二人分の精神力があるから強力な洗脳魔法に抗える。
確かめるすべはないがそうとしか思えない。
それに﹃アリアナを泣かせてんじゃねえよボケ﹄という気持ちが
完全にエリィと一致して、いつも以上の怒りが湧き起こった気がす
る。
おしおきフルコース・特選盛り地中海風∼あなたの
まあ、その辺の分析は後回しだ。おしおきタイム発動。とにかく
こいつだけは
確定だ。
エターナル
地獄は永遠∼
﹁キツネ娘! やれ! 金髪小娘を殺せェェ!﹂
﹁⋮⋮⋮っ!﹂
百体がゆっくりと
アリアナが緩慢な動きで鞭を再度振りあげる。
ブラックアバター
の効果が増大しているの
化身分身する種々相
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
黒いマネキンのような
近づいてきた。
な、なんだ?
近づくにつれて
か?
頭が⋮いてえ⋮⋮!
このままじっとしていてもジリ貧だ。
、
落雷
と
ライトニングボルト
極落雷
雷雨
は溜めが長す
サンダーストーム
は黒マネキンに身代わりガードされるので
サンダーボルト
カンフーによる肉弾戦じゃ短時間で全部の黒マネキンを破壊する
インパルス
電衝撃
ことは出来ない。
アイゼンバーグに当たらない。
ぎて使い物にならねえ。
1427
︱︱︱パァン!!
間一髪でアリアナの鞭打をサイドステップでかわした。
身体が重い。
酔いと怒りで足がもつれる。
こうなったらアレっきゃない。
!﹂
ぶっつけ本番で指定した範囲を攻撃する落雷魔法を作るっきゃね
エリアスタンガン
周囲感電
え。
﹁
思い切り魔力を右足に込めて踏みならした。
が、オリジナル魔法は発動しない。
イメージと言葉が上手く合致しないことが感覚で分かる。
﹁どうされたのですか。急に叫ぶなんてレディとは思えぬ行動です
よ﹂
﹁うるしゃい!﹂
﹁エ、エリィ⋮﹂
化身分身する種々相
ブラックアバター
﹁早く私を攻撃しないとキツネのお嬢さんが洗脳されてしまいます
ねぇ﹂
くぅーーーっ!
まっじでムカツク言い方しやがるぜ!
足元から電撃を出してアイゼンバーグと
をすべて感電させるイメージだ。集中しろ!
1428
地面から電撃︱︱
地面電撃
アースボルト
!!﹂
地面から電撃︱︱
﹁
右足を、ダン! と踏みしめる、が何も起きない。
くそ! 発動しねえ!
怒りで血管がちぎれそうだ!!
落雷
約百体を睨み
が分かっていたような動きで主を守
!﹂
さんだーぼると
﹁どうされたのです? 憤怒はあなたの心に余裕がない証拠ですよ。
精神の浄化が必要と診断します﹂
﹁だまらっしゃいハンバーグ!﹂
﹁あなたもセラーの庇護下に入るのです﹂
﹁あんたがあたしを洗脳できるわけにゃいでしょ! 化身分身する種々相
ブラックアバター
ピカッ、と稲妻が走り、アイゼンバーグに殺到する。
だが
り、電流と共に弾け飛んだ。
が迫る。
化身分身する種々相
ブラックアバター
化身分身する種々相
ブラックアバター
﹁くくく⋮無駄です﹂
ゆっくりと
目の前に広がる黒マネキン
つけるが、奴らの動きは止まらない。
アリアナが先ほどよりもスムーズな動きで鞭を打ってきた。
身をひねって躱すが鞭打が速くてよけきれず、ワンピースが胸の
あたりから腰まで破ける。
1429
アリアナが悲痛な表情で泣きながら鞭を振っており、その姿が俺
範囲電打!﹂
エリアエレキトリック
の怒りをさらに呼び起こした。
﹁
迫り来る鞭打を転がってよけ、両手を地面について絶叫した。
﹁あなたは先ほどから何をしているのです? 大人しくセラーの庇
護下に入りなさい﹂
﹁だまらっしゃい!﹂
あああああああもう!
なんで発動しねえんだよ!
イメージだってしっかりできてるってポカじいにも言われたんだ!
めっちゃ練習して魔力だって問題なく練れている!
くそ! くそっ!
﹁では、仕上げといきましょうか。キツネ娘、こちらにきなさい﹂
﹁⋮⋮いやっ﹂
﹁金髪の娘⋮エリィとか言いましたかね? 狐人が親愛する相手に
しか許さない行動があります。それをご存じですか?﹂
﹁しらにゃいわよ!﹂
﹁それはですね⋮⋮耳を触らせることです﹂
﹁︱︱︱︱︱!?﹂
アリアナがその言葉を聞いて絶句した。
化身分身する種々相
ブラックアバター
へ近づく格好になっ
どうにかして命令に逆らおうとするものの、足がアイゼンバーグ
へと向かう。必然的に
てしまうため、どんどん彼女の行動が流れるような動作になってい
く。
1430
アリアナの小さな姿が
けるように進む。
ブラックアバター
化身分身する種々相
﹁服従の証としてその耳を触らせて頂きます﹂
の群れをかき分
アイゼンバーグが、感謝しなさい、と言わんばかりのドヤ顔でそ
う言った。
﹁⋮⋮いや! やめてっ!﹂
本気で嫌がるアリアナが、振り向いて助けを求めるように俺を見
る。
彼女は普段の姿からするとあり得ないぐらいに感情を爆発させ、
いやいやと首を振りながら足をアイゼンバーグへと進める。
﹁やだ! やだ! 助けてエリィ⋮!!!﹂
前へと進みながら、アリアナが力を振り絞って泣き叫んだ。
それを見て、俺はぶちギレた。
過去類を見ないほど理性が吹っ飛んだ。
﹁あんたいい加減にしなしゃいよぉぉおおおおおおっ! なぁぁぁ
1431
にがセラーの教えよぉ?! セラァァァァァルってにゃんにゃのよ
! しょれにねえ! ハンバーグの分際でねえ! アリアナの耳を
触っていいとでも思ってんの?! しょの耳をねぇえええええええ
えええええ! 触っていいのはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 絶
対絶対ずえーーーーーったいにわたしだけにゃんだからねぇーーー
ーーーーーーーーーーーーーーっ!﹂
全員! 全部! 感電!
地面! 全部! 感電!
マネキン! ハンバーグ! 感電!
黒こげハンバーグだっっっ!!!
﹁くくく⋮⋮まったく品性のない娘ですね。セラー教えをあなたに
感電エブリバディ
感電えぶりばでぃ
!!!!!!﹂
も教えて差し上げましょう。そうすれば︱︱﹂
﹁
口から勝手に謎のフレーズが滑り落ち、怒りにまかせて地面を右
足で踏みつけた。
︱︱︱ババババババババババチチチチィ!!!!
俺とエリィの怒りを体現したようなオリジナル魔法が発動した。
高圧電流が爆音を発しながら地面から突き上がる。
アイゼンバーグの周囲数十メートルが電流でまばゆく発光し、う
ねるような電撃が砂の地面で踊る。
地面から湧き上がる魔力を察知したのか、アイゼンバーグの足元
1432
へ
ブラックアバター
化身分身する種々相
が集結する。
!!!!!!﹂
の前では無力!﹂
﹁無駄です! このような魔法は防御にも特化している
クアバター
感電エブリバディ
感電えぶりばでぃ
する種々相
﹁
が消えていく。
ブラッ
ブ
化身
化身分身
︱︱︱ババババババババババババババチチチチィ!!!!
化身分身する種々相
ブラックアバター
さらに電撃を追加。
次々に
もちろんアリアナには当てない。
が負けるはずがない!﹂
化身分身する種々相
ブラックアバター
﹁無駄だと言っているでしょう!? そのような魔法にこの
ラックアバター
分身する種々相
そういってアイゼンバーグは防御のために
!!!!!!!﹂
を目にも止まらぬ速さで生成していく。
知るかボケェ!
感電エブリバディ
感電えぶりばでぃ
感電しやがれ!
﹁
︱︱︱ババババババババババババババチチチチィ!!!!
1433
﹁くくく! この洗脳魔法専用アーティファクトがある限り! 複
合魔法にも勝てる!﹂
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
感電エブリバディ
感電えぶりばでぃ
!!!!﹂
黒こげハンバァーーーーーーーーーーーーーグ!
﹁
︱︱︱ババババババババババババババチチチチィ!!!!
﹁小娘! 諦めなさい! セラーの教えに従うのです!﹂
どりゃああああああああああああああああああ!
感電エブリバディ
感電えぶりばでぃ
!!!!!!!!﹂
黒こげ黒こげ黒こげ黒こげ黒こげ黒こげ黒こげ!
﹁
︱︱︱ババババババババババババババチチチチィ!!!!
うねる電流。
弾ける雷音。
1434
俺が指定した範囲。
地面に接触している物体すべてが感電する。
﹁セラーの教えを乞わぬ者がこんなにも愚かだとは思いませんでし
た。これはもう手の施しようがありません。残念ですが、複合魔法
を使えるといってもセラー様のお役に立てるとは到底思えない精神
状態です。仕方がありませんので私がすべての信者を代表し、あな
感電エブリバディ
感電えぶりばでぃ
!!!!!!!!﹂
たに死という名の永遠の時をプ︱︱﹂
﹁
﹁プププププププププププププププププレプレプレプレプレプレプ
レプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプ
レプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプ
レプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプレプ
感電エブリバディ
感電エブリバディ
が
化身分身する種々相
ブラックアバター
レプレプレプレプレプレゼンツビャァッッッ!!!﹂
オリジナル魔法
の生成スピードを上回り、ハンバーグを見事に感電させた。
アイゼンバーグは尖った頬骨をこれでもかと引き攣らせ、携帯の
バイブレーションみたいに小刻みに身体を痙攣させて気持ち悪く叫
ぶと、よだれと鼻水を垂らしながら仰向けにぶっ倒れた。
がすべて消え、
をかける。
強制改変
グレート
髪型は当然のごとくアフロヘアーになり、こんがりと表皮はハン
バーグのように黒く焼けた。
ブラックアバター
化身分身する種々相
癒発光
キュアライト
の魔法陣は気づいたらなくなっていた。
黒マネキン、
・ザ・ライ
する思想家
すぐさまアリアナの下へ駆け寄り
1435
﹁あいつ⋮⋮キライッ﹂
アリアナが耳を両手で隠しながら口を尖らせる。
よしよしと彼女の手も含めて頭を撫でてやり、安心させた。
﹁おしおきして⋮﹂
﹁ホッピィ∼﹂
満面の笑みでアリアナにオッケーサインを送る。
倒れて頭から湯気を出しているアイゼンバーグを一睨みすると、
身体強化で即座に距離を詰めた。
絶対に逃がさねえぞ。
﹁おしおきよぉ!﹂
﹁あばぁっ⋮⋮⋮!﹂
鼻水を垂らしながら、生まれたての子鹿のようにピクピクしてい
るアイゼンバーグの腹に飛び乗った。
﹁それそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそ
れそれぇ!﹂
﹁あばあばあばあばあばあばあばあばあばあばあばあばあばあばあ
ばあばぁ!﹂
身体が勝手に動いてエリィがこれでもかとアイゼンバーグを踏み
つける。
まったく、本当に困ったちゃんだな、エリィは!
お兄さん、そんな君が好きだぞ!
1436
﹁よいしょっと﹂
アイゼンバーグの上から降り、肩をつかんで無理矢理直立させた。
ついでに転がっている樫の杖のアーティファクトは踏んづけて真
っ二つにしておく。こんなもんがあるから余計なことを考える輩が
出てくるんだ。
﹁ハァ⋮⋮ハァ⋮⋮セラーの⋮⋮⋮⋮教えを⋮⋮⋮﹂
意識を取り戻したのか、息も絶え絶えにアイゼンバーグがまだセ
ラーがどうだとかほざき出した。
﹁その杖を⋮⋮罰当たりな⋮⋮⋮小娘ぇ⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹁小娘? 違うわよねぇ。エリィちゃん、でしょう?﹂
電打
!﹂
エレキトリック
﹁セラーの⋮⋮⋮教えは⋮⋮絶対⋮⋮⋮﹂
﹁
﹁アバババババババババババッッババラバビィ!﹂
強めの電流を食らってアイゼンバーグが小刻みに振動した。
違うんだよハンバーグちゃん。
セラーの正体はエリィちゃんなんだよ。
そこんとこ間違えないで欲しいなぁ。
これからお前が崇めるのは﹃エリィちゃん大好きです教﹄なんだ
よぉ。
﹁セラーなんていにゃいの。エリィちゃんしかいにゃいの﹂
﹁何を⋮⋮⋮ふざけたことを⋮⋮⋮﹂
﹁はい! おべんきょおべんきょ楽しいにゃ∼♪﹂
﹁セラーの下へ⋮⋮⋮⋮﹂
﹁りぴーとあふたーみぃ﹂
1437
﹁はなせ⋮⋮っ﹂
﹁エ♪﹂
﹁あば!﹂
﹁リィ♪﹂
﹁あば!﹂
﹁ちゃん♪﹂
﹁あばば!﹂
﹁だいすきですきょーーーーーーーーーーーーーーーっ♪﹂
﹁アババババベラバラバラババラバンババラバラビィィ!﹂
!
エレキトリック
電打
電撃音が魔改造施設の中庭に響き、人間の存在をないがしろにし
て散々洗脳を施したアイゼンバーグが悲鳴を上げる。
これぞ因果応報!
﹁りぴーとあふたーみぃ♪﹂
﹁は⋮⋮なせ⋮﹂
﹁いん♪﹂
﹁あばっ!﹂
﹁が♪﹂
﹁あば!﹂
﹁おうほーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーう♪﹂
﹁あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばびるべびぃ!﹂
1438
怒りとおしおきの
地中海風!
エレキトリック
電打
アイゼンバーグの凶悪に歪んでいた顔が心なしか、ほんの少し、
ほんのちょっぴり、ほんの1ケルビンぐらい、温かくなった。
⋮⋮いや、気のせいだ。
こんなんじゃ足りないな。
﹁りぴーとあふたーみぃ♪﹂
﹁き⋮さま⋮⋮っ!﹂
﹁エ♪﹂
﹁ぃぎ!﹂
﹁リィ♪﹂
﹁ぃぎ!﹂
﹁ちゃん♪﹂
﹁ぃぎ!﹂
﹁だいすきですきょーーーーーーーーーーーーーーーーっ♪﹂
﹁いぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぃっぽっぷぅ!﹂
﹁せいあげぃん♪﹂
﹁やめ⋮⋮⋮っ!﹂
﹁エ♪﹂
﹁てば!﹂
﹁リィ♪﹂
﹁てば!﹂
1439
﹁ちゃん♪﹂
﹁てばばっ!﹂
電打
がバチバチと雷音を鳴らし、美しく瞬いて周囲を
エレキトリック
オシオキの煌めきが中庭に走り、濃紺の星空が静かに笑う。
愛の鞭
蛍火のように浮かび上がらせる。
世界の理へ一石を投じるかのように、優しくも暴力的な落雷魔法
が周囲を照らすと、今この場にいることが夢であり、その先にある
世界が現実なのではないかという錯覚を起こさせた。
にっこりと笑ってアイゼンバーグを見つめる。
彼は許されるのかと思ったのか、口元をへの字に曲げて卑屈に笑
った。
あ、この顔は悪徳営業マンと同じやつだ。
﹁だいすきですきょーーーーーーーーーーーーーーーーっ♪﹂
﹁テバババババビィィィィィィィィィィィィィィィィッッ!﹂
﹁だいすきですきょーーーーーーーーーーーーーーーーっ♪﹂
﹁サビブベビィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!﹂
﹁だいすきですきょーーーーーーーーーーーーーーーーっ♪﹂
﹁バビブベブボォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!﹂
﹁だいすきですきょーーーーーーーーーーーーーーーーっ♪﹂
﹁バイブビベブボォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!﹂
﹁だいすきですきょーーーーーーーーーーーーーーーーっ♪﹂
電打
イベリコ豚のソテー赤ワインソース
エレキトリック
﹁バイブベブブビィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!﹂
止まらないおしおき
∼死海の塩を添えて∼、が線香花火のように一瞬の輝きを見せては
消える。
1440
あはは、ほろ酔いでおしおき楽しいなぁ。
アイゼンバーグはアヘアヘしつつ、内股になった。
それでもまだ威厳を保とうとしているのか、眉間に皺を寄せてい
る。
足りない?
ああ、そうだよねえ⋮⋮足りないよねこれじゃあ⋮⋮。
﹁せいあげぃん♪﹂
﹁⋮⋮ッ?! 待って! はぁはぁ⋮⋮待ってくれぇ!﹂
﹁にゃによ﹂
アイゼンバーグが懇願し、跪いてすがりついてくる。
触られるのが嫌なのでビンタをお見舞いした。
﹁ひぶっ!﹂
アイゼンバーグは強烈なビンタで一回転し、地面に突っ伏したが、
すぐさま起き上がって片膝を地面についた。
﹁⋮⋮わ⋮⋮わたしが⋮⋮わるかった⋮⋮ハァハァ⋮⋮⋮ここはセ
ラーの御心のような寛大な心で⋮⋮見逃してもらえないだろうか⋮
⋮?﹂
仏頂面を作って、跪いているアイゼンバーグをじっと見つめる。
黒こげになり、鼻水が垂れ、足元がアヘアヘと震えて随分と無様
であったが、目の奥は炯々と光っていた。
﹁わたしはただ⋮⋮セラー神国のためだけに⋮⋮⋮この身を捧げて
きた⋮⋮。何事も顧みずに、ただただセラーの⋮⋮⋮ために⋮⋮こ
の身を粉にして⋮⋮⋮⋮⋮私の青春や⋮⋮若かりし時間はないも同
1441
然だった⋮⋮⋮セラーとセラー神国⋮⋮⋮⋮そしてセラー教皇の⋮
⋮⋮⋮⋮⋮ためにぃぃっ!!!﹂
最後に叫ぶと、アイゼンバーグは靴底からアイスピックのような
針を出して、俺の太ももに突き立てようとした。
﹁ほい﹂
﹁︱︱なっ!﹂
予想していた通りだったので、右手で奴の腕をつかんで仕込み針
の攻撃を止める。
そして腰を折って、左手でツインテールの片方が相手の顔にかか
らないよう押さえ、アイゼンバーグの顔をゆっくりと覗き込んだ。
﹁だめじゃにゃい悪さしちゃあ﹂
﹁ひっ! はなせっ! はなせぇぇ!﹂
﹁だーめーよ﹂
﹁私は! 私はセラー神国の司教だぞぉ!﹂
﹁しきょー? にゃによそれ﹂
﹁し、しらぬのか愚か者め!﹂
﹁あにゃた子どもたちや他人を一方的に洗脳してきちゃんでしょ。
自分だけ助かろうにゃんてそんな虫のいい話はにゃいのよ。自分の
やってきた蛮行をしっかり思い出しまちょうねぇ。悪い子はおべん
きょうでしゅよ∼﹂
﹁ひぃぃっ﹂
エリィちゃん大好きです教
が正解にゃ
﹁くえすちょん。あなたの所属している宗教はにゃんでしょう?﹂
﹁セ、セラー⋮⋮⋮﹂
﹁ぶっぶーざぁんねん。
のでした﹂
﹁ば、ば、ば、ばかにするなぁぁぁっ!﹂
1442
﹁りぴーとあふたーみぃ♪﹂
﹁やめ⋮⋮っ!﹂
﹁エ♪﹂
﹁めぇ!﹂
﹁リィ♪﹂
﹁めぇ!﹂
﹁ちゃん♪﹂
﹁めぇ!﹂
﹁だいすきですきょーーーーーーーーーーーーーーーーっ♪﹂
﹁めめめめめめめみょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!﹂
﹁だいすきですきょーーーーーーーーーーーーーーーーっ♪﹂
﹁ダビブビベブビョォォォォォォォォォォォォォォォォォッ﹂
﹁だいすきですきょーーーーーーーーーーーーーーーーっ♪﹂
﹁ダビズビベフビュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ﹂
﹁だいすきですきょーーーーーーーーーーーーーーーーっ♪﹂
﹁ダビズビデブヒョォォォォォォォォォォォォォォォォォッ﹂
﹁だいすきですきょーーーーーーーーーーーーーーーーっ♪﹂
電打
!
エレキトリック
﹁はへひはへはふぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!﹂
愛とおしおきの
雷光がピカリと輝いて夜の魔改造施設を照らし、アイゼンバーグ
の全身に刺すような痛みの電流が流れる。
ドン、と後方で大きな爆発音がしたので、音の方向をちらりと見
れば、アグナスとサソリ男の戦いが終了したようだ。
遠くてよく見えないものの、アグナスが立ってサソリ男が倒れて
1443
いる様子を見る限り、勝負はアグナスの勝ちで確定だろう。
さぁて、安心したところで、この頑固者をよい子にしてやろうか。
早く倒れている冒険者に回復魔法をかけたいし、捕らわれている
子ども達を助けに行きたいからな。
おしおきを高速で繰り返すこと百三十七回。
サソリ男を倒したアグナスが合流した。
アグナスはサソリ男の、サソリの腕と尻尾をすべて切り落とし、
本体をロープでぐるぐる巻きにして引きずってきた。厨二な炎魔法
はもう解けており、魔力切れ寸前なのか若干顔が青い。
﹁エリィちゃん、アリアナちゃん大丈夫かい? 怪我は?﹂
﹁にゃいわよアグナスちゃん。あなたも大丈夫?﹂
﹁僕は大丈夫。ただ、魔力が切れそうだけどね﹂
﹁来るのがおしょいからハンバーグ倒しちゃったわよぉ﹂
﹁さすが伝説の複合魔法の使い手、ということだね⋮⋮ありがとう。
それで、この男から施設内部のことを聞いたんだけど、子どもたち
が地下牢の実験室に捕らわれていることがわかった。早く助けに行
こう﹂
﹁ありがちょ! 今ちょうどこの子が教えてくりぇた情報と同じに
ぇ﹂
﹁この子?﹂
アグナスが目を細め、地面に正座しているボロボロの宣教師服を
着た男を見つめた。
アリアナが俺の横でうんうんとうなずいている。
1444
﹁さあ和膳ハンバーグちゃん。あなたに質問でしゅ。あにゃたの所
属する宗教の名前はなぁに?﹂
﹁くくく⋮⋮﹂
アイゼンバーグはゆっくりと顔を上げる。
その不可解な様子にアグナスが身構え、いつでも剣が抜けるよう
に右手で柄をつかんだ。
﹁くくくく⋮⋮⋮﹂
アリアナもさすがに不気味に思ったのか、俺のワンピースの裾を
つまんでくる。
﹁くくくくく⋮⋮⋮﹂
﹁くくくじゃあ分からないわよぉ。あにゃたの信仰する宗教名は、
な・あ・にぃ?﹂
アイゼンバーグは日焼けしたサーファーのようにこんがり焼け、
電流でアフロヘアーになり、服はずたぼろ。鼻水がカピカピに乾い
て鼻の下に跡ができている。
その横には真っ二つになった杖のアーティファクトが転がってい
た。
変わり果てた姿でアイゼンバーグは正座したまま、数学の解答を
答える優秀な生徒のように、ズビシと右手を挙げた。
1445
﹁
エリィちゃん大好きです教
でぇーーーーーーーーーーす!﹂
一人の男が改宗した瞬間だった。
1446
第31話 イケメン砂漠の誘拐調査団・決着︵後書き︶
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
読者の方からまたまた挿絵を頂きました!
いつも本当にありがとうございます。
俄然やる気が出たので更新がむばりまうす。
←作者マイページからチェケラ!
活動報告﹁またまた読者の方から挿絵を頂きました﹂に、ピクシブ
のURLが貼ってあります。
是非ご覧下さい♪
1447
第32話 砂漠のグラッドソング︵前書き︶
前回、ちょっとやりすぎちゃいました。
少しマイルドになるよう書き直そうかとも思いましたが今は物語を
進めたいと思います。
感想、ご意見ありがとうございます^^
修正をいれる場合は必ずご報告致しますのでよろしくお願い致しま
す。
1448
第32話 砂漠のグラッドソング
敵を沈黙させた俺とアリアナ、アグナスは、中庭で倒れている冒
険者と兵士の治療を開始する。
再生の光
をかけて回復し、
折良く﹁待機班﹂の面々が魔改造施設に駆けつけたので、負傷者
の回収は早かった。
始めに、白魔法が使えるクリムトに
酒嫌いの清脈妖精
クリアウォーター
﹂
さらにトマホークを治癒して木魔法で酔い冷ましをしてもらった。
﹁
清涼感のある水が口内に溢れ出てきて、それを飲み込むと、何と
も言えない清々しさが体内を巡る。
この魔法、なんと木魔法の中級。
難しい魔法らしく、このせいでトマホークは魔力枯渇を起こした。
本当に申し訳ございませんお酒飲んで⋮⋮って別に俺のせいじゃ
ないよな。
不慮の事故だ。今後は酒に気をつけよう。
キュアハ
癒大
で一気に回復させる。部位の欠損までは治らないが、大抵の
続いて一カ所に集めた怪我人を白魔法下級・範囲回復魔法
イライト
発光
外傷なら治癒できる。
重傷者はクリムトが看てくれていた。
﹁⋮⋮ふぅ﹂
1449
数発分ってとこか。
まだ魔力は残っている。
ピュアリーホーリー
純潔なる聖光
それにしても、周囲からの視線が痛い。
一体何だって言うんだ?
酔っ払って醜態を見せたせいだろうか。
まあ、さっきのことを考えると顔が即座に熱くなるから、エリィ
が相当恥ずかしがってるみたいだな。
俺だって思い出すと恥ずかしいよ。
感電エブリバディ
感電エブリバディ
って⋮。
もー何かあれだ。是非とも時間を巻き戻してやり直したいってや
つだ。
なんだよ
エブリバディが感電しちゃってるよ⋮。
今まで格好いい名前だったのにさぁ⋮。
だよ⋮!
しかもこの魔法、さっき試したら名前を叫ばないと発動しないダ
メダメ性能だ。
エリィちゃん大好きです教
あとで絶対他の名前にして改良するからな。
それより問題は
完全に危ないカルト宗教っ!
誰だよそんなこと言ったの!?
俺だけど。
そんなふざけた名前の宗教が誰かの口から発せられて、誰かの耳
に届くとは、この世界にいたであろう賢人とかユキムラ・セキノと
か、誰しもが想像だにしなかっただろうよ。言ったの俺だけど。
人類史上最上級にバカな発言だ。
ったく誰だよそんな恥ずかしい小学生しか思いつかないようなこ
と言ったのは⋮。
1450
って俺だよ!!!!
ほろ酔い気分でテンション上がった俺だよ!!!!!
はいはい知ってます知ってます俺でした!
どーせ自分の仕業だって分かってたし!
外人に﹁ソレ誰ノ言葉デスカ?﹂って聞かれたら﹁オォゥ、アイ
キャンノットスピークイングリ∼ッシュ﹂って全力で解答を回避す
るレベルだよコレ!!!
くぅ⋮⋮⋮っ!
正座で大人しくしている和膳ハンバーグが、さっきからぶつぶつ
﹁エリーール﹂って呟いてるし。
いや、エリィとセラール混ざってるからまじで!
新しい言葉作らないでくれるほんと!?
金輪際、酒は飲まないからな!
⋮というよりだ。
酒を飲んで恥ずかしい思いをしたのはまっことに遺憾だが、これ
ことが確定した。
ではっきりした事実がある。まあ、ある意味では飲酒は良かったの
エリィの心が生きてる
かもしれない。
今までは肉体が記憶を憶えていて、貞淑な動きやお嬢様な言葉遣
いになっていたと思っていたんだが、それはどうやら違うらしい。
1451
エリィは雷を浴びるという自殺行為をして、心が死んでしまった。
身体は生きているが心がなくなった。
そこに俺が精神体で憑依した、と今までは推察していた。
たまにこの身体がオートマチックに動くことがあったから、それ
はエリィの心の残滓、魂の欠片なのかと思っていた。
でも違う。
おそらく今のエリィは眠っているような状態で、小橋川という人
間である俺が代わりに動かしているのだろう。強い酒のせいで、エ
リィの心が表面上に現れたのではないだろうか。声を出して怒って
行動する、ってのは心がないとできないだろ。
俺がエリィというロボットを操縦していると仮定しよう。
身体であるロボットが酒を飲んだらパイロットまで酔うのだろう
か?
分からない。分からないが、俺とエリィが、田中の大好きな某ロ
ボットアニメのようにシンクロ率何パーみたいに精神で繋がってい
るとしたら、俺の精神体も酔うのではないだろうか。というかそう
なったんだから、そうなんだろう。
身体に精神が引っ張られた、みたいな案配か。
そう考えれば身体が酩酊していて、精神がほろ酔い、という説明
もある程度は納得がいく。
エリィの身体
は
エリィの心
と
エリィの身体とエリィの心は酩酊状態、俺はほろ酔い状態になっ
た。
そうか⋮⋮そう考えると、
の結びつきが俺より強いんじゃねえか?
そりゃそうだ。だって本人の身体だもんな。
1452
あっ!
てことはだ⋮⋮。
俺の精神体とエリィの身体は完全に融合していないってことにな
らねえ!?
なるよな?
いやなるっしょ! つーかそうであってほしい!
そうすれば俺の精神体だけ引っぺがす、みたいなことが可能なん
じゃないか?
自分自身の身体に戻るのが一番の理想だが、それが無理だった場
合せめて男の身体に戻りたい。
汚い話、立ちションできないの、まじつらいんだよな⋮。
精神的にくるもんがある。こっちきて一年近く経つから慣れたっ
ちゃ慣れたけど⋮。
とにかく、男に戻れる可能性はあると!
よしよし、これはいいぞ。テンション、あがる∼っ。
息子カムバァ∼ク。
股間に息子カムバァ∼ック。
アグナスちゃんに、あとであの魔力ポーションの成分を聞いてお
こう。
ひょっとしたら精神作用系のファンタジー的な何かが混入してい
る可能性がある。その成分をうまく抽出して服用すれば、エリィを
表面上に出現させることができるかもしれない。
1453
︱︱彼女がそれを望んでいるかは分からないが⋮。
そもそも今この状態って、エリィの身体に二つの心が入っている
んだよな。
俺は﹁魂﹂だけ、みたいなもんなのか?
でも、思考も記憶も日本にいたときのまま残っている。
現代医学で考えると、思考や記憶は脳内にある海馬や大脳皮質な
んかでコントロールされているんだろ? だとしたら魂だけエリィ
の中に入っている状態で、自分の記憶があること事態がおかしい。
いや、どっかのビジネス書に人間の記憶がおおよそ10テラバイ
トの容量だっていう記述があった。その情報をデータ化して、何ら
かの方法で日本からこの異世界に運んで、エリィの身体に移植した
ら⋮。
いやいや、これ考えるの何回目だよ。
散々考えたじゃねえか。
急に科学的になっちまうんだよなぁ。
絶対こういう科学的な理由付けは事の真相と違う。
おそらく、というか確実に、ファンタジー的な何かが原因で俺は
異世界に転移したんだろうな。魔法って何でもアリだもんな。
まあ、それだとしても正確な解答はいずれ欲しい。
というか正確な解答が得られない限り日本には戻れない。
やっぱポカじいに相談するっきゃねえか⋮⋮。
修行中、人間の魂を入れ替えたりする魔法があるかって聞いたら、
やんわりと回答拒否されたんだよな。
うーん、どうしよう。
1454
この天才を悩ませるとは異世界ファンタジーめ、中々やるじゃね
えか。
﹁エリィ⋮エリィ⋮﹂
﹁あら、どうしたの?﹂
我に返り、ワンピースの裾を引っ張られた右を向くと、アリアナ
が浮かない顔で睫毛を伏せていた。
とりあえず狐耳をもふもふしておく。
ああ、癒されるーっ。
﹁服を⋮⋮﹂
そう言って、彼女は俺の着ているワンピースを申し訳なさそうに
指さした。
﹁服?﹂
彼女がそれを言うと、周囲で怪我人の包帯を巻いている冒険者や、
身繕いをしている兵士、何度も靴紐を直してちらちらこちらを見て
いた待機班の若い冒険者などが、一斉に目を逸らした。
アリアナの耳から手を離す。
首を下げて確認すると、右胸の下あたりから斜めに切れ込みが入
り、腰まで伸びていた。そのせいで、ワンピースがぺろりとめくれ
てヘソが丸出しになっている。よく見ればほんの少しだけ下着が見
えていた。
そういやアリアナの鞭で服が破れたんだっけ。
1455
そっかぁ、そうだったなぁー。
﹁いやぁー強かったなー敵はーーー﹂
﹁ほんとうになーーー﹂
﹁ぴゅう。ぴゅうううっ﹂
﹁包帯巻いて、イチ、ニッ、サンッ﹂
﹁さあてそろそろ子どもたちを見にいくぞぉ﹂
﹁エリーール﹂
男たちは白々しく世間話を開始し、意味不明な口笛を吹き始め、
約一名がカルト宗教のかけ声をつぶやく。
タイミングがいいのか悪いのか、世紀末でヒャッハーしていそう
な鎧をガチャガチャいわせながら、クチビールが向こうから走って
きた。
﹁エリィしゃん! 上位魔法でないと治らない怪我人がいるのであ
とで︱︱エ、エリィしゃんその服破れてましゅ?!﹂
クチビールはでかい図体にそぐわない両手で目を覆う、という仕
草をした。
が、両手は瞳の部分でがっつりと空いていて、全く意味をなして
いない。
あわてて破れた部分を隠したが、エリィの顔は一瞬でゆでだこの
ように熱くなった。
︱︱︱︱!!!!
1456
﹁
感電エブリバディ
感電エブリバディ
!!﹂
ダン、と砂の地面を踏みならすと電撃が男達の足元から突き上が
った。
﹁ツツツツツツヨカタッ!﹂
﹁ホホホホホホントニィ!﹂
﹁ピュブブブブブブブビィ﹂
﹁イチニサァァァァァン!﹂
﹁コドボボビニクグボォ!﹂
﹁エリィィィィィィィル!﹂
﹁エリィしゃんひどいでしゅしゅしゅしゅーーっ!﹂
﹁破れてるなら教えてちょうだいよっ!﹂
○
さて、シャツを上から着たのでこれで安心だ。
アリアナにはそんなに気にしないように言っておく。彼女はいつ
までも落ち込んでいそうだ。
﹁アイゼンバーグさん。あなたに質問があるの﹂
短時間で怪我人の治癒も済み、地下牢の実験室にいるであろう子
ども達を開放しに行こうとしていた。
アグナスがサソリ男から、子どもは全員無事、という情報を得て
1457
いるので皆の表情は明るい。サソリ男は死なないようロープで簀巻
きにされ、ジェラへ護送する予定だ。今頃、どのようにして異形の
生物になったのか、冒険者たちに尋問を受けているだろう。
アイゼンバーグもジェラに連行して領主の裁きを受けるのだが、
その前に聞いておかなければいけないことがある。
不穏な動きをしないよう、俺、アグナス、アリアナ、その他冒険
者十数名で取り囲んでいる。
アイゼンバーグは砂の大地に正座をしたままだ。
﹁くくく⋮なんでしょう?﹂
﹁あなたは一体何のために子どもを魔法使いにしていたの?﹂
﹁セラー神国のためです﹂
﹁子どもを魔法使いにする利点があまり思い浮かばないのだけれど﹂
﹁穢れなきセラーの兵隊にするためです、エリィちゃん﹂
﹁セラー神国は何か企んでいるのね?﹂
﹁企んでいるとは言い方が少々乱暴すぎますねエリィちゃん。大い
なる神の意志に従う、と言って下さい﹂
﹁詳しく説明してちょうだい﹂
﹁私も詳しくは知らないのです、エリィちゃん﹂
﹁⋮ごめんなさい、その、エリィちゃん、っていうのやめてもらえ
ないかしら?﹂
﹁なぜですエリィちゃん。あなたは我がセラーと並び立つ女神。敬
愛する名で呼んで悪いことなどあるはずがない。敬虔なる信者なれ
ばこそ、その御芳名を呼びたくなるものなのです﹂
﹁⋮⋮もういいわ。じゃあ、あなたはこれから何が起こるのか、ど
うして子どもを魔改造するのかを把握していないのね?﹂
﹁そういうことです。司教の私にも推し量れぬ事柄がありますから﹂
1458
この男は骨の髄まで﹃セラー教﹄に染まっている。
とは本来完全に消すことのできない精神作用。
洗脳
を受け
電撃の痛みで﹃エリィちゃん﹄と今は言っているが、よい子ちゃ
んにならなかったので、いずれ元に戻るだろう。
こいつは子どものころからセラー教という宗教の
洗脳
て生きてきたようなものだ。
営業の足しになるかと思って洗脳関連の本をかなり読んだが、わ
かったことは、洗脳は容易に解けないという実態だけ。現実的な解
除方法は、洗脳を上回る洗脳で上書きすることのみだ。それほどに
人の心とは厄介で簡単に改変できるものじゃない。
この世界は浄化魔法がある。
しかし、魔法で行使された洗脳以外は解けないだろう。
もし仮に浄化魔法でアイゼンバーグのセラー教の信仰が消えるの
であれば、それは根本的な性格や精神を変えることと同義だ。
浄化魔法にそんな効果はないため、洗脳を長く受けていた子ども
達が心配だ。
強制改変する思想家
グレート・ザ・ライ
の洗脳を五年にわたって受け続け、彼の
特にフェスティは誘拐されてから五年の月日が流れている。
性格や思考までもが根本的に変わっていたらまずい。
あとで落ち着いたら浄化魔法を本気マックス、激しい田中のリン
ボーダンス付きでかけるつもりだが、果たして効果が出るかどうか
わからない。今頃、ジャンジャンが一緒にいるはずだ。フェスティ
エリィちゃん大好きです教
を信仰
が目を覚ましたときに兄の顔を見て、何か思い出してくれるといい
が⋮。
アイゼンバーグがいつまで
するかは謎だな。
1459
﹁エリール⋮﹂
そんなことを思った瞬間、アイゼンバーグがまた独自のかけ声を
呟く。
俺は注意するように指先を顔の前へ突きつけた。
﹁エリールは禁止っ!﹂
﹁なぜです?﹂
﹁恥ずかしいからよ﹂
﹁私は恥ずかしくありませんが⋮?﹂
﹁私が恥ずかしいの!﹂
﹁しかしこのかけ声はエリィちゃんとセラー様が千年前に⋮﹂
﹁千年前に私はいないわよ!﹂
﹁な、なんですって⋮?﹂
どうしよう。
記憶が混濁して和膳ハンバーグさんの知能が著しく低下している
気がする。
すげえ面倒くさい。
﹁とにかく禁止! それから魔改造した子ども達は他にもいるんで
しょう?﹂
﹁ええ、その通りです﹂
﹁どこに、何人、何の目的で、誰と、いつ、どうやって、どうなっ
たのか、資料を作っておきなさい! 一時間以内!﹂
﹁エリール﹂
﹁ハンバーグ! 私はあなたのこと絶対に許しませんからね! あ
なたがどれだけひどい事をしてきたのか毎日反省して、しっかりジ
ェラでお裁きを受けるのよ! いいわねっ!﹂
1460
﹁エリーール﹂
アイゼンバーグは不敵に笑い、正座をしたままゆっくりと頭を垂
れた。
あーもうやだこいつ。
○
俺とアリアナ、アグナス、バーバラの四人で魔改造施設に足を踏
み入れた。
怪我人の治療と、敵魔法使いの捕縛を他のメンバーがしているた
め、魔力の残りが多い少数精鋭で乗り込むことになった。それに、
男でぞろぞろ行くと子どもがおびえる可能性が高いので、女性メン
ライト
を
バーが優先だ。強面で屈強な男、志願してきたクチビールは気持ち
だけ受け取り、メンバーからはずれてもらった。
破壊された外壁から中へ入り、奥へと進んでいく。
天井も壁も真っ白で光が反射するため、光魔法下級
弱めに点灯させる。
ライト
の光がホラー映画のように不気味に奥を
中は病院みたいな作りになっていて、無機質な廊下が延々と前方
へ続いており、
照らす。
﹁エリィちゃん、奥の扉を照らして﹂
﹁ええ﹂
アグナスに言われてロの字をしている施設の角部屋の入り口へ光
1461
を向けると、﹃使用不可﹄の看板が鎖につながれている姿が見えた。
を人差し指から出しつつ部屋に入ると、そこに
踊り子風の格好をしたバーバラが手際よく鎖をはずすと扉を開け、
ライト
中を覗き込む。
続いて
は何も置いていないがらんどうの室内が待っていた。
﹁あの壁だ﹂
アグナスがサソリ男から聞いたとおり、何もない白い壁に向かい、
両手をつけ、一気に押した。
ズン、という音と共に壁が向こう側へと倒れ、砂埃が舞う。
俺たちはうなずき合うと、無言で下へと続く階段を降りた。
その先には木製の診察台のような簡易ベッドが三十ほどずらりと
並び、さらにその奥に天井に埋め込まれた鉄格子が無機質な光を帯
びて部屋の端から端までを占拠している。
ライト
を当てると、牢屋の奥で子ども達が三十人ほど
この大部屋は実験スペースが四分の三、牢屋が四分の一ほどの大
きさだ。
急いで
震えながら固まっていた。人間と獣人が半々で、年齢は五歳から十
歳ぐらいに見える。
全員、おびえた目でこちらを見つめていた。
服は白い病人服のようなものを着ており不潔ではない。
しかし、精神状態が良くないためか、顔色が悪かった。
一番手前にいた、すきっ歯の男の子が、ぎろりとこちらを睨みつ
けて口を開いた。
1462
﹁俺だけを連れて行け⋮小さい子には何もするな﹂
ぶるぶると震えながら精一杯の虚勢を張っている。
それに続いて黒髪でそばかす顔の男の子が立ち上がった。
﹁さっきの苦い薬はぼくが全部飲む⋮﹂
よろめきながら、二人はこちらへ近づいてくる。
目は虚ろだが、まだ理性の光を失っていなかった。
二人の姿を見て思わず言葉がこぼれた。
﹁⋮⋮⋮ごめんなさい﹂
誘拐事件の発生した時期と、俺の転移した時期はほぼ同じだ。
俺がこっちに来て過ごしてきた時間、彼らはここに閉じ込められ
ていた。
その事実、現実を突きつけられた。
子ども達がどうなっているのか、エリィの夢を見てから、なるべ
く考えないようにしていた。思考の端へ追いやっておかないと、胸
が締め付けられた。
おかしい。
ここに来たら、必ず最初は笑顔で﹁助けにきたぜ﹂と言うつもり
だったのに⋮。
1463
﹁ごめんなさい⋮⋮遅くなって⋮⋮⋮本当にごめんなさい⋮⋮﹂
謝罪の言葉しか出てこない。
謝っても仕方がないことはわかっている。
俺だってこっちの世界に急に飛ばされて、何度嘆いたかわからな
い。
あのときはデブで無力で何もなかった。
図太く立ち回った。
上手くやったつもりだ。
だが、もっと早くここに来たかった。
早く来れたんじゃないのかという考えがぐるぐると回る。
﹁ごめんなさい⋮⋮⋮﹂
この謝罪はエリィの言葉なのかもしれない。
胸が締め付けられ、立っているのも億劫になる。
呼吸が乱れ、思わず身体を両腕で掻き抱いた。
口が勝手に動いている⋮⋮?
分からない⋮⋮ただ、胸が苦しい⋮⋮。
﹁お姉さん、誰?﹂
すきっ歯の男の子がいつもと様子が違うことに気づいたのか、目
を細める。
この子はすきっ歯のライールだ。
﹁どうして泣いているの⋮?﹂
黒髪でそばかすの男の子が優しげな表情で首をかしげる。
1464
ヨシマサだ。
気づいたら涙が頬を流れ、ぼたぼたと顎から落ちていた。
くそ。ちくしょう。
涙が止まらねえ。
これじゃどっちが助けられてるのかわかんねえよ。
かっこわりいなおい。
いつだってカッコつけてたいんだよ俺は。
カッコつけないでカッコいい男になれるわけないだろ。
だから子ども達に会ったときは絶対に正義の味方みたいな姿を見
せるって決めていた。でもさ、ははは⋮⋮、中々上手くいかないも
んだな。
アホみたいに涙が流れてきやがる。
エリィもすげえ辛そうだ。
それでも、なんとか格好をつけようと袖で涙をぬぐい、精一杯の
笑顔を作った。
全員の顔を見つめていく。
すきっ歯のライール、黒髪そばかすのヨシマサ、利発そうな犬獣
人の子、兎人ですばしっこそうな男の子、金髪で泣き虫そうな女の
子、少しぽっちゃりしている猫人の女の子、その子に抱きついてい
る一番小さい女の子⋮。
名前は分からないが、しっかりと全員の目を見て、深くうなずい
た。
﹁助けに来たのよ﹂
1465
優しく、美しい、鈴の鳴るようなエリィの声が地下の実験室に響
いた。
それは自分で声を発したにもかかわらず、身震いするほど綺麗な
声音に聞こえた。
﹁その声⋮⋮エリィ⋮お姉ちゃん?﹂
子ども達の真ん中にいた利発そうな目をした犬獣人の女の子が、
ゆっくりと立ち上がった。
﹁マギー⋮⋮﹂
マギーという彼女の名前は思ったよりすんなりと口から出てきた。
夢の中でマギーと呼ばれていた女の子。
ライールとヨシマサを叱っていた、お姉さん気質の子だ。
﹁お姉ちゃん⋮?﹂
マギーは信じられないという顔をし、もう一度、その言葉が真実
であることを祈るかのように、ゆっくりと言葉に出した。
それはいつか見た映画のワンシーン。
親に捨てられそうになっている子どもが、必死に手を伸ばしている
光景とよく似ていた。
﹁エリィお姉ちゃん⋮⋮⋮なの?﹂
1466
マギーが口元を震わせながら言った。
他の子ども達が、目を大きくして俺とマギーのやりとりを見てい
る。
ライールとヨシマサは訝しげな目をし、探るようにこちらを観察
する。
アグナスとバーバラは何も言わず冒険者として鍛え上げた鋭い目
を細め、見守ってくれている。
そしてアリアナは俺の手を取って包み込み、こくんとうなずいた。
彼女の小さくて細く、しかし誰よりもひたむきな温かい手のぬく
もりを感じ、気持ちが軽くなる。
もう一度涙をぬぐって、マギーの不安そうに揺れる瞳を真っ直ぐ
に見つめる。
この子が声でエリィのことを分かってくれた。
そう思うと、自然と心が温かくなった。
﹁⋮そうよ。デブでブスだったエリィお姉ちゃんよ﹂
俺とエリィは特大の笑顔を作ってそう言った。
○
1467
﹁お姉ちゃん⋮⋮﹂
マギーは生き別れた両親を見つけたみたいに安堵の表情をし、薔
薇が一気に咲いたように破顔して物凄い勢いでこちらに駆け寄って
きた。
﹁エリィおねええええちゃあああああああああん!﹂
すぐに駆け寄り、鉄格子を挟んでマギーを抱きしめた。
小さくて温かい感触が胸を喜びでいっぱいにしてくれる。うわん
うわん泣くマギーの頭をこれでもかと撫でる。
洪水のように子ども達が次々に飛び付いてくるので、鉄格子に頭
をぶつけないように押さえてあげつつ、頭を撫でまわした。全員が
大声で泣き、地下室には嬉し泣きの大合唱が反響する。
アグナスが身体強化で鉄格子を無理矢理こじ開けると、子ども達
が飛び出してきて、もみくちゃにされた。
ライールとヨシマサは恥ずかしそうに輪の外からこちらを見て、
泣かないよう我慢しているのかぎゅっと服の裾を握りしめていた。
よくみんなを守った、と賞賛のウインクをパチッと送ったら顔を
赤くして目を逸らされた。
﹁エリィお姉ちゃん! 来てくれるって思ってた!﹂
マギーが俺の腹に顔をこすりつけながら金色をした犬の尻尾をぶ
1468
んぶんと振っている。
尻尾が他の子どもの顔にビシバシ当たっているが誰も気にしてい
ない。
﹁お姉ちゃん美人になったのぉ?﹂
だっこしてくれとせがんできた一番小さい人族の女の子が不思議
だな、と首をひねった。
持ち上げてしっかりと腕に抱えてあげる。
﹁前のエリィお姉ちゃんも好き。今のお姉ちゃんも好き﹂
﹁⋮ありがとっ﹂
つぶらな瞳で見つめる女の子を、優しく抱きしめた。
よかったなエリィ。
あの時と全然違う見た目なのに、子ども達はお前だって気づいて
くれたよ。
やっぱお前はすごい女の子だよ。
エリィの優しさは全員に届いていたんだな⋮。
﹁わだぢ⋮⋮ぼんばびがんどうびだぼぼばばびぼ⋮﹂
なぜかボロクソに泣いているバーバラ。
何て言ってるか全然わからん。あんたは泣いたときのバリーか。
化粧がぐちゃぐちゃだ。
﹁よかったね⋮⋮﹂
アリアナも嬉しそうに泣き、近くにいる子どもの頭をよしよしと
1469
撫でている。
﹁僕は重要な資料がないか見てくるよ﹂
アグナスはくるりと踵を返し、地下室の奥へと歩いて行く。袖で
ごしごしと顔を拭っているので泣いているようだ。
照れ隠しなのか、後ろ姿のまま、何度も髪をかき上げている。
しばらく全員が落ち着くまで待ってやると、今度は沸々とした怒
りが込み上げてきた。
ほっとしたら、次に怒りだ。
子どもをこんなに悲しませたの誰のせいよ? ああん?
誘拐したペスカトーレ盗賊団。トクトール領主のポチャ夫。魔改
造を施したアイゼンバーグ。すべての指示を出しているセラー神国。
孤児院に子どもを集めたガブリエル・ガブルとその下っ端リッキー
家。
何となく話が見えてきた気がするんだけどね、とりあえずアレだ
な⋮。
ふふふ⋮⋮。
この施設は資料を回収したあと破壊だな⋮。
アリアナが俺の顔を見て、ぼそりと呟いた。
﹁エリィが怒った⋮﹂
○
1470
をかけておいた。アイゼンバーグがあ
子ども達の体調は栄養不足をのぞけば概ね良好で、精神汚染は特
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
にないようだった。
念のため
んな状態なので、かけられていたであろう洗脳魔法は解けているみ
たいだ。今後、子ども達の心のケアもしっかりやらないとな。
生きている敵の魔法使いは杖を取り上げ拘束し、魔改造施設にあ
った馬車に収容した。
護衛隊長のバニーちゃんや他の主要なメンバーは全員無事。
あれだけの激しい戦闘だったにも関わらず、死者は八名だった。
で範囲回復をしたのが功を奏したようだ。
パーティーごとの治癒魔法使いに熟練者が多かったことと、俺が
キュアハイライト
癒大発光
内部に侵入した兵士から五名。
魔法合戦で防御しきれず死んでしまった冒険者が三名。
近くで誰かが死ぬ経験をこの世界で初めて味わい、戦死者が少な
いことを喜んでいいのかどうかわからない複雑な心境になり、やっ
ぱり誰かが死ぬのは辛いなと悲しい気持ちが胸に広がった。
﹁エリィ、どうしたの⋮?﹂
アリアナが心配そうに顔を覗き込んでくる。
﹁⋮⋮人は死ぬんだって思ったら、なんだか悲しくなったの﹂
彼女の目が真剣だったので、どうも冗談を言って誤魔化す空気に
はできず、正直な気持ちを伝える。
彼らは兵士で、冒険者で、とても勇敢で、死ぬ覚悟はできていた。
1471
日本という死が近くにない世界にいた俺に彼らの決意は理解し難
く、覚悟があっても死んだことには変わりがないので、現実を見た
今この瞬間、心構えが不十分だったと痛感した。
何だかんだ、まだまだ覚悟が足りなかった。いや、覚悟していた
からってこのどうしようもないやり場のない気持ちが消える訳じゃ
ないよな⋮。
悲しいものは悲しい。
営業時代、怒りや、苛つき、不満、様々な負の感情を抱いた。む
かつく取引先の奴にストレスが溜まることも多々あった。喜怒哀楽
の感情は交渉の際、一種の演出として大事だとは思うが、行き過ぎ
ると必ず冷静な判断ができなくなって大失敗をする。精神を平静に
保つことを訓練し、気持ちを動揺させないことが賢い営業マンたる
べき姿だろう。
しかし、﹁悲しい﹂という感情だけはどうにも制御できない。
少なくとも、俺には無理だ。
アリアナは笑い飛ばすわけでもなく、慰めるのでもなく、長い睫
毛をぱちぱちと瞬かせてこくんとうなずいた。
﹁命に永遠はない⋮﹂
﹁⋮⋮そうね﹂
﹁⋮⋮ん﹂
おそらく、彼女の脳裏には母親を人質に取られ、決闘で死んだ父
親の姿が映っているのだろう。
多くを語らない彼女の目は、他の誰よりも言葉を話しているよう
に思えた。
1472
アリアナは優しく俺の手を取ると、いつもより強く握ってくれた。
理不尽な決闘で父親を失って母親とは数年に一度しか会えず、弟
妹と家を守ってきた彼女は、他の誰もが考えるよりずっと大人で女
性的だ。こんなに小さくて可愛らしいにもかかわらず、誰よりも母
性を感じてしまう。
年相応の子どもらしい精神と、大人っぽさが同居する、不思議な
女の子だ。
一瞬だけ、香苗のことを思い出した。
あいつのことを思い出す度に胸の奥底がずきりと痛み、奈落の底
へと突き落とされた得体の知れない浮遊感が全身を襲う。破れかけ
の心の薄皮はふとした瞬間に破れ、絶望が顔を覗かせる。あいつの
笑顔や怒った顔がフラッシュバックし、背後へと続くぼんやりした
暗闇へと吸い込まれていく。
首を振って打ち消した。
過去にとらわれているのは自分らしくない。
俺はデキる男で、ヤレる男で、キレる男で、地球一ポジティブな
男。通称ポジ男。
そしてスーパーイケメン営業マン。
俺、天才、イエーイ。
﹁さてと⋮﹂
気を取り直して、魔改造施設を見つめた。
大海原に浮かぶ無人島のように砂漠にぽつんと立っている真っ白
なその姿は、忌まわしい建造物にしか見えない。
1473
施設内の重要な資料やハーヒホーヘーヒホー、魔薬、食糧などは
すべて回収した。
一緒に寝るとぐずっていた子ども達は子守歌を歌うとすぐに熟睡
した。全員馬車の中で気持ちよさそうに眠っている。
馬車は魔改造施設から徐々に遠ざかっていく。
俺とアリアナは施設の正門を出て、少し離れた所に立っていた。
梟の眼
オウルアイ
で夜目を利かせて後方を見張
﹁大きな花火を打ち上げましょうか﹂
﹁⋮⋮ん﹂
そう呟いたとき、木魔法
っていたトマホークが顔面を蒼白にした。
﹁嘘だろ⋮﹂
﹁どうしたの?﹂
﹁い、いや⋮⋮ここからだと見えづらい⋮﹂
﹁何かいるの?!﹂
﹁偽りの神ワシャシールの虚言ならどんなにいいか⋮﹂
何が起きているのか教えてくれ、と言おうとした瞬間、凄まじい
轟音が地面を揺らした。
︱︱︱!!!?
﹁ゲドスライムがきやがった⋮!﹂
1474
﹁とんでもない大きさね⋮﹂
白い魔改造施設を重圧で挽き潰し、透明でぶよぶよした塊がうね
りつつこちらに迫ってくる。とてつもない大きさで、施設ごと飲み
込もうとしているようだ。
そのゼリー状の肉体は飢餓で我を失っているのか、至る所に触手
を伸ばして血肉を求めている。
次に狙われるのは当然、俺たち調査団だ。
﹁退避ーーッ!﹂
トマホークが悲鳴に近い叫び声を上げる。
﹁ゲドスライム?!﹂
﹁なんじゃあの大きさは?!﹂
﹁全速力だ! 身体強化できる奴ぁは馬車を押せ!﹂
﹁走れ走れ走れ!﹂
﹁あんなぶよぶよに食われるのは勘弁だぜ!﹂
冒険者たちが一斉に行動を開始する。
ゆっくりであった行軍が、ものの数十秒で最速の行軍へと切り替
わった。
﹁全員行け! ここは必ず僕が食い止める!﹂
アグナスが身体強化でこちらに駆け寄ってきて、大人しく立って
いる俺とアリアナの姿を見ると赤い髪を振って大声を張り上げた。
﹁二人とも早く行くんだ!﹂
﹁大丈夫よ﹂
1475
﹁⋮⋮ん﹂
﹁⋮⋮⋮⋮そういうことか。わかったよ﹂
アグナスが俺の意図を汲んで、爽やかな笑顔でうなずいた。
いまあるすべての魔力を循環させ、落雷魔法へと変換していく。
魔改造施設を覆い尽くすような雷神の怒りをイメージし、ひたす
らに魔力を練り上げる。
隣にいるアリアナが﹁やっちゃえ⋮﹂とつぶやく。
おおとも。やっちゃうぜ。
くわっと目を見開き、左手を魔改造施設にかざして、練り上げた
!!!!!!!!!!﹂
サンダーストーム
雷雨
魔力を全開放した。
﹁
︱︱パチ、パチチッ
小さな電流が数本、魔改造施設の上空に現れる。
そして︱︱
︱︱ガガガガガガガガガガガガガガガガガリガリガリガリビシャァ
ァンッ!!!!!!
1476
強烈な迅雷が大地を震わせる咆吼を上げ、幾重にも折り重なった
雷光が無数に地面へと落下する。熱量とその勢いで砂の大地は弾け
飛び、魔改造施設はエネルギーの暴力に勝てず上部から爆散し、ゲ
雷雨
が効果範囲にあったすべての物体を貫いて、
サンダーストーム
ドスライムは突然現れた死の宣告を受け入れる暇もなく、醜い肉体
を弾けさせた。
消し飛ばし、燃やし尽くす。
数十秒続いた落雷の蹂躙が終わると、周囲が静寂に包まれ、砂埃
がもうもうと立ちこめた。
砂漠の冷たい夜風が寂しげに吹く。
顔を撫でるように風が通りすぎる。
俺とアリアナの長い髪が、ゆったりとそよいだ。
魔改造施設のあったであろう場所は綺麗な更地になり、ゲドスラ
イムはあたかも砂漠の蜃気楼だったように破片すら残さず消えてい
た。
夜空には満天の星々がきらめいている。
トマホークが口をあんぐりと開けると、ターバンが頭からずり落
ちた。
近くにいたドンが小さい身体でずっこけ、俺を助けに来たクチビ
ールが音に驚いて盛大に転んで頭から砂に突っ込み、アグナスが、
やれやれ、とニヒルに笑って肩をすくめる。
馬車から顔を出していたジャンジャンが﹁これが⋮⋮伝説の落雷
魔法の威力⋮⋮﹂と感嘆した。
1477
﹁これにて一件落着﹂
﹁⋮ん﹂
言いたかったセリフをしっかり言うと魔力が切れ、アリアナに抱
かれるようにして倒れた。意識がブラックアウトする直前、耳の端
でウマラクダの嘶きと冒険者の歓声が聞こえ、星空がアリアナの狐
耳といいコントラストになっている様子が目の前いっぱいに広がっ
た。
ああ、やっぱここ異世界だよなー、と何回言ったか分からない言
葉を心でつぶやく。
帰りてえなー、男に戻りてえなー、と薄れゆく意識の中で強く思
う。
目の前に広がっているこの世界の星空は、東京の夜空よりも美し
かった。
まあ、ちょっとばかし長めの観光だ。
異世界観光。
アナザーワールドサイトシーイング。
ふふっ、悪くねえなその発想⋮⋮。
ポジティブに考えたところでくすっと笑い、俺は意識を手放した。
1478
第33話 砂漠のイージートゥーリメンバー︵前書き︶
感想、ご指摘ありがとうございます。
最近プライベートが忙しく、返信ができなくて申し訳ございません。
しっかりと確認しておりますのでこれからもよろしくお願い申し上
げます。
1479
第33話 砂漠のイージートゥーリメンバー
魔改造施設から二時間ほど離れた所まで移動すると、魔物の襲撃
に備えて周囲に警戒しつつ、野営の準備が進められた。
で眠らせ、
サンドウォール
スリープ
睡眠霧
熟練の冒険者と兵士が黙々とテントを張り、
で陣地を築く。
捕まえた敵の魔法使いとアイゼンバーグは
さらに厳重に縄で縛っているため、脱走する可能性は低い。
サソリ男はゲドスライムの騒ぎの最中、どさくさに紛れて自害し
てしまった。そのせいで人間が魔物の部位を取り込む﹃キメラ化﹄
の真相は一歩遠のいたといえる。遺体は検分のため氷魔法で氷らせ、
持ち帰ることにしたようだ。
子ども達は救出されて安心したのか、馬車の中で身を寄せ合いな
がらぐっすり眠っていた。
﹁かわいい寝顔ね﹂
﹁そうだね⋮﹂
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
を子どもの魔法使
俺とアリアナは、孤児院の子ども三十名と、子ども魔法使いの馬
車を順々に回った。
今日はゆっくり休んで、明日
い達と、フェスティにかけるつもりだ。
野営の準備が整うと、簡単な食事と酒が振る舞われた。
出逢いがあれば別れもある。
1480
月並みな言葉ではあるが、砂漠の大地でたき火に照らされながら
酒を飲む男達を見て、一番しっくりくる表現ではないだろうか。
誘拐調査団の面々は子ども達の奪還という出逢いに歓喜し、戦死
した仲間達を偲び、酒を酌み交わしつつ喜びと涙を交換して各々の
感情に整理をつけている。さっぱりしていて潔く、胸がすく光景だ
った。誰一人、後悔を訴える男はいない。皆、自分の行いと行動に
誇りを持っていた。
砂漠の夜空に野営の炎が燃え、わずかな煤が上空へと消えていく。
男達の陰が火に照らされ、淡くじんわりと伸びていく。
アグナスが飲み過ぎないよう注意を促しているが、多少の無礼講
は許すみたいだ。
それとは別に、サソリ男にぶん投げられて星になったハゲのラッ
キョさんの捜索の段取りが進む。
投げられた方向はちょうど調査団が移動する進路と一致している
ため、捜索隊も出しやすい。身体強化が得意で、まだ魔力が残って
いる冒険者の有志三名が出発の準備を進めている。
準備が整い、彼らがまさに出発しようとしたそのときだった。
﹁おおーい﹂
遠くのほうから声が聞こえてくる。
見張りの当番であった面々が警戒の色を濃くして杖を構えた。
﹁俺だー。ラッキョだー!﹂
ハゲのラッキョがなぜかポカじいとこちらに走ってくる。
怪我をした様子もなく、元気だった。
1481
ポカじいは、白い髭と白髪を飄々と風になびかせ、酒を片手に手
を振っている。
﹁ラッキョさん!﹂
﹁ポカじい!﹂
下の上
で一気に駆け寄った。
ラッキョのパーティーメンバーが真っ直ぐ走っていき、俺とアリ
アナはポカじいの下へと身体強化
﹁ポカじい! 無事だったのね!﹂
うおおおおお!
生きてるってことはイカレリウスを蹴散らしたってことだよな!
やっぱすげえなポカじいは!
思わずポカじいに飛び付く。嬉しいときに抱きつくのはゴールデ
ン家の家風だ。
﹁おぬし、わしを誰だと思ってるんじゃ﹂
﹁スケベなじいさんよ!﹂
﹁うむ! 手痛い皮肉! 痛烈な尻批判! いい弟子じゃ!﹂
珍しく尻を触ろうとせず、ぽんぽんと背中を撫でてくれるじいさ
んは中々にいい師匠だった。いつもこうだといいんだが。
ずたぼろのローブを見る限り相当激しい戦闘を繰り広げたことが
容易に想像できる。
﹁ポカじい⋮﹂
アリアナもポカじいが無事で嬉しそうだ。狐耳がぴこぴことせわ
1482
しなく動いている。
﹁二人ともようやったのう。その様子じゃと子ども達を連れてきた
のじゃろうて﹂
﹁ええそうよ﹂
﹁ほっほっほっほっ﹂
ポカじいが俺とアリアナの頭を撫でる。
思い返せばポカじいに頭を撫でられるのはこれが初めてだな。親
戚の尊敬しているじいさんに褒められているみたいでそこはかとな
く嬉しい。悪くないな、この感じ。
﹁じゃがその顔を見るに、まだまだ修行が足りんと言っておるよう
じゃ﹂
﹁ええ! 帰ってからまたビシビシ指導をお願いするわ﹂
﹁わたしも⋮﹂
﹁ほっほっほっほっほ! よい心がけじゃ﹂
﹁賢者様っ!﹂
声のするほうを見ると、ラッキョのパーティーメンバーである戦
士風の男と、ローブを着た男が、いつの間にか膝をついて頭を下げ
ていた。
﹁この度はラッキョさんを救って頂き誠にありがとうございます。
伝説の魔法使い様に救われるなど奇跡としかいいようがありません﹂
声を震わせ感極まった様子で二人の男は礼を言った。
ポカじいは、道を聞かれて答えるような、軽々とした口調で返事
を返す。
1483
﹁気にするでない。酒を飲んでいたら、夜空に舞う大きな真珠が眼
中に飛び込んできたもんでのぉ。はて、酒に酔ったかと思っておっ
たら、真珠じゃのぉてハゲ頭じゃった。ハゲじゃなかったら見過ご
しておったわい。ほっほっほっほっほっ﹂
﹁ハゲで⋮⋮⋮ハゲでよかったなラッキョさん!﹂
﹁ああ本当だ! ハゲててよかったなラッキョさん!﹂
﹁⋮⋮賢者様。恐れ入りますが、これはハゲではありません。剃っ
ております﹂
﹁ハゲはハゲじゃ﹂
﹁いえ。ハゲと剃っているとでは雲泥の差。デザートスコーピオン
のクソとクノーレリルのキスほどに違うかと⋮﹂
﹁ええでないか、ハゲで﹂
﹁ううっ⋮⋮ハゲててよかったラッキョさん⋮⋮﹂
﹁ぐっ⋮⋮ひぐっ⋮⋮⋮ハゲてなかったら⋮⋮あんたそのまま吹っ
飛んで砂漠でのたれ死んでたぞ⋮⋮⋮。よかった⋮⋮⋮ラッキョさ
んがハゲててよかった⋮⋮﹂
﹁受けていた傷は白魔法で治しておいたぞい。安心せい﹂
戦士風の男とローブを着た男は﹁ハゲててよかった﹂と口々に言
って男泣きしている。ラッキョ、慕われているんだなぁ。本人はハ
ゲハゲ言われてめっちゃ不服そうだが。
えんか
﹁炎鍋のラッキョが帰ってきたぞ! 砂漠の賢者様も一緒だ!﹂
おおおおおお、と調査団のメンバーから歓声が上がる。
﹁ハゲだったから助かったらしい!﹂
﹁うおおおお! よかった! ハゲでよかったラッキョさん!﹂
﹁ハゲ万歳ッ!﹂
1484
﹁ハゲラッキーだ!﹂
﹁ハゲに不可能はない!﹂
﹁ミッションハゲポッシブル!﹂
﹁ぎゃはははっ! ハゲに万歳三唱だああぁぁっ!﹂
ハゲばんざーい!
ハゲばんざーい!
ハゲばんざーい!
と、全員で心を一つにして三唱すると、仲間の死を悲しんでいた
連中から苦悩が飛び、笑顔が戻った。
場の空気が一瞬で明るいものへと切り替わる。
当の本人であるラッキョは怒っていいのか喜んでいいのか分から
ず、ハゲ頭に青筋を浮かべ、ハゲと言った連中を笑顔で殴り飛ばす。
ちぐはぐな表情と行動が、より笑いを誘った。
ラッキョから距離を取ろうとする冒険者は、俊足から逃れられな
い。ラッキョさん、短距離選手ばりに足が速くてまじウケる。ハゲ
の俊足ウケる。気づいたらハゲ頭が別の場所に移動しているの新手
のマジックーッ。
屈強で開放的な冒険者たちを止めることはできない。
帰路に必要な食糧はたっぷりと魔改造施設から運んでいることも
あり、なし崩し的にハゲの帰還と砂漠の賢者様歓迎、という簡単な
宴会が催された。アグナスはやれやれと肩をすくめつつもどこか嬉
しそうに、見張りの交替を早く回す指示を出した。
○
1485
﹁黒き道を白き道標に変え、汝ついにかの安住の地を見つけたり。
﹂
愛しき我が子に聖なる祝福と脈尽く命の熱き鼓動を与えたまえ⋮
ピュアリーホーリー
純潔なる聖光
ド派手な魔法陣が足元で輝き、美しい星屑が炎天下に照らされる
テント内にきらめいた。
田中のリンボーダンス、ハゲ三唱など、とにかく楽しいこと、ハ
ッピーなことを思い浮かべて子どもを抱きしめる。星屑が、乾いた
シーツへ水がしみこんでいくように、対象である子ども魔法使いの
男の子へと吸い込まれていく。
虚ろであった少年の目は光を取り戻し、しっかりと俺の顔を捉え
た。
﹁女神⋮⋮さま⋮⋮?﹂
三十人いた子ども魔法使い、二十九人目の浄化がこれでやっと終
わった。
というより毎回﹁女神様?﹂って言われるのはなぜだ。エリィの
目が綺麗すぎるからだろうか。
確かにエリィの瞳を鏡で見ると、海の底で輝くサファイヤを発見
したかのように、うっとり見とれてしまうのは間違いない。それに
空診の名医師
ラ・グランデ・シダクション
を
しても全員が全員、同じことを言うのはちょっとばかし不思議だ。
﹁ふむ⋮﹂
ポカじいが少年の頭に手を乗せ、空魔法上級
詠唱する。少年の身体に幾重の魔法陣がプロジェクターで投影され
1486
たように貼りつき、点滅しては消えていく。
この魔法は対象者の魔力の流れを読み取り、肉体の不調や精神の
疾患まで診断することが可能だ。ただし、使った本人が知らない未
知の病気や症状はわからない。知識と魔法技術の二つが揃って、は
じめて有用になる魔法だった。
中級や下級にも診断魔法があるそうだが、数段性能が落ちるらし
い。
﹁八割方、洗脳は解けたようじゃ。一週間ほど浄化魔法をかけてや
れば本来の性格を取り戻すじゃろう﹂
﹁わかったわ﹂
俺とポカじいの魔法を受けた少年は心ここにあらずといった風体
で、ぼおっと砂漠の大地を見つめている。
臨時で作った看護班へ彼を連れて行き、専用の馬車へと預けた。
看護班は治癒魔法が得意な冒険者と、女性メンバーで構成されて
おり、こうして浄化魔法を処置された子を優しく看てくれるため、
暴れて魔法を撃ったりする子どもは一人も出ていない。アフターケ
アって大事だよな。
﹁よし、やるわよ⋮﹂
いよいよジャンジャンの弟、フェスティに浄化魔法をかける。
彼を最後にしていたのは、魔力を一番使いそうだからだ。フェス
ティを先に治療して魔力がなくなると、軽症の子を浄化できなくな
ってしまう。時間はあるのだから焦らずに浄化が可能な子ども達か
ら治していく方針にした。
フェスティに関しては五年も洗脳を受けていたため長期戦を覚悟
している。
1487
ちなみに、五年前に誘拐された子どもで奪還できたのは、フェス
ティと他三名だけだった。
半数は実験で死に、もう半数はセラー神国の指示で様々な場所へ
派遣され、仕事をさせられている。アイゼンバーグの報告書によれ
ば、獣人の子どもはひどい扱いを受けている可能性が高いそうで、
相当な汚れ仕事をやらされているらしい。
人族至上主義のセラー神国。その実態が浮き彫りになってきたな。
こう考えると日本って平和だよな。差別するという行為がよくわ
からない、という感覚は島国特有だろう。いまいちこういった差別
的な考え方が、自分の経験に置き換えて理解することができない。
アイゼンバーグの報告書を見て、ジェラ冒険者達は独自の調査を
開始するそうだ。アグナスのパーティーもやる気をみせている。も
ちろん俺も、子どもを見つけ出して浄化させる腹づもりなので、グ
レイフナーに帰ったあともジェラとは連絡を定期的に取るつもりだ。
まあ、もともとコバシガワ商会の支部を作るつもりだったし、そこ
を連絡先にすればいいだろう。コバシガワ商会ジェラ支部兼、誘拐
調査団連絡所だ。
ひとまず、五年前に誘拐された三人の浄化がうまくいったのは良
しとしよう。
アイゼンバーグの片腕的存在だったフェスティの浄化がうまくい
くかどうか⋮⋮。全力でやるしかないな。
ジャンジャンが不安げな面持ちでフェスティを連れてきた。
手を繋いで治療用の大型テントに入ってきた彼らは、やっぱり兄
弟だなと思う。
目元が優しげで、モミアゲの長さや形がそっくりだった。鼻の形
1488
はジャンジャンが大きめでフェスティは丸みを帯びている。ただ、
口元と目元が似ているため、顔にそこまでの違いは見受けられない。
﹁知らないうちに弟の身長が伸びているのは⋮⋮嬉しいものだよ﹂
まじまじとフェスティを観察していた俺に、ジャンジャンは少し
寂しそうに言った。どうやら見比べていたことが分かったらしい。
十歳で誘拐され、再会した今では十五歳。フェスティの身長は百
七十センチ近い。百八十センチ近いジャンジャンとの身長差は十セ
ンチほどだ。
二人を見てどう答えればいいか分からず、曖昧にうなずいた。
﹁じゃあエリィちゃん、頼むよ⋮﹂
そう言ったジャンジャンはフェスティを俺の前に立たせた。
フェスティはこちらを見てはいるが、視界に入っている物を﹁モ
ノ﹂として認識をしていないらしく、うっすらと半目を開けている
だけだ。アイゼンバーグの洗脳魔法がある程度解けてからずっとこ
を詠唱する。
の調子らしい。心がどこかで欠落し、なくなってしまったのでは、
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
とジャンジャンは心配している。
﹁まっかせなさい!﹂
わざと明るく言って、
隣にいるアリアナが祈るような目で見つめ、ジャンジャンは文字
通り両手を組み合わせて祈っていた。ポカじいが、うむ、とうなず
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
﹂
いてこちらに目配せをする。
﹁
1489
魔力を相当込めたため、魔法陣が大型テントを飛び出して外まで
広がった。
が精緻な魔法陣を展開し、星屑が踊るように跳
近くにいた冒険者らしき男の﹁おおっ﹂と驚いた声がテント越しに
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
聞こえる。
ねる。フェスティの肩へ手をのせ、ジェラで待っているコゼットの
屈託のない笑顔を思い浮かべてありったけのハッピーな記憶をつぎ
込むと、星屑が彼の体内へと吸い込まれていった。
﹁⋮⋮くっ﹂
思わず顔を顰めてしまった。
どす黒い感情が墨汁をぶちまけたようにフェスティの脳内にこび
りついており、彼の記憶らしき映像が目の前を通りすぎていく。
アイゼンバーグに言われるがままその行いが善なのか悪なのか区
別せずに、彼はいくつもの仕事をこなした。それはあまりにもひど
く凄惨なものであり、フェスティの記憶が戻ったあと、精神が平衡
を保っていられるかが疑わしくなる記憶だった。
今は意識が戻っておらず、物事を自分で判断できない状態なので、
急に泣き叫んだりだとか喚いたりなどの発作行動は起こしていない。
だが、この記憶が自分のものだ、と認識してしまったら、彼は彼自
身でいられるのだろうか?
﹁エリィ大丈夫⋮?﹂
アリアナが心配そうに問いかける。
﹁大丈夫よ﹂
1490
気丈に答え、さらに
ピュアリーホーリー
純潔なる聖光
へ魔力を注ぐ。
まあね、フェスティの行いが消えるわけじゃないよ。でも悪いの
はアイゼンバーグだ。すべての罪をあいつになすりつければいい。
それに、洗脳が解けない限りフェスティは自分を取り戻せない。
兄のジャンジャンもいるし、コゼットもいる。あの優しい二人と
今後一緒に暮らしていくなら、きっと元の健全な青年に戻る。今後
のことだって、自我を取り戻したあとにゆっくり考えればいいだけ
のことだ。
得意のポジティブ思考で考えた。
ポジティブな考えは楽観主義と紙一重だと思っているが、楽観主
義だろうが何だろうが前向きなれるなら何だっていいじゃねえか、
とそこまでひっくるめて考えるのが小橋川流だ。人間は希望を持っ
てこそ生産的になるもんだからな。
純
ピ
とりあえずポジティブ。まず先にポジティブ。ふっ、やはり天才
は違うぜ⋮。
を解除する。
フェスティにこびりついている負の洗脳を奥へと押しやり、
ュアリーホーリー
潔なる聖光
正直、これ以上続けると魔法の連続使用による息切れで俺が倒れ
そうだ。
アリアナが背中をゆっくりさすってくれた。フェスティの体験し
てきた凄惨な過去が何度か頭をよぎったが、なるべくそれについて
は考えないようにする。
﹁どれ﹂
1491
ポカじいが
ラ・グランデ・シダクション
空診の名医師
をフェスティに唱える。目をつぶっ
て情報を読み取ったポカじいは、ゆっくりと目を開けた。
ジャンジャンが縋るような目でポカじいを見つめる。
﹁⋮⋮ダメじゃな。洗脳魔法は時間をかければ解除できるじゃろう
が、心が奥へと引っ込んでおる。奇跡でも起きん限り自我を取り戻
すのはちいと厳しいやもしれん﹂
﹁そ⋮⋮⋮そんな⋮⋮どうにかなりませんか?﹂
﹁諦めず一緒にいてやることじゃ。おぬしの愛がフェスティの慰め
になるじゃろうて⋮﹂
﹁そう、ですか⋮⋮﹂
﹁かなり辛い経験をしたようじゃな。心の奥ではおぬしに会えたこ
とを嬉しく思うておるようじゃが⋮⋮どうにも五年間の記憶を思い
出したくないように見受けられる﹂
﹁フェスティは⋮⋮そんなに辛い時間を⋮﹂
空診の名医師
ラ・グランデ・シダクション
は心を完全に読む魔
﹁うむ。彼がどうして欲しいのか、どうやったら自我が戻るのか、
ちいとこれ以上は分からん。
法ではないからのぅ﹂
ポカじいの診断を聞いて、ジャンジャンは頭を抱えた。
ジャンジャンはフェスティを救うために冒険者になり、今まで頑
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
を毎日唱えるわ﹂
張ってきたのだ。ショックも大きいだろう。
﹁ジェラにいる間は
﹁うん。ありがとうエリィちゃん。君がジェラに来なければフェス
ティにも会えていなかった⋮⋮本当にありがとう﹂
﹁いいえ﹂
ゆっくりと首を振り、ジャンジャンの肩をバンと思い切り叩いた。
急に叩かれて、彼は目を白黒させる。
1492
﹁ジャンジャンってば真面目すぎるのよ! あなたが前向きに考え
ないでどうするの!?﹂
﹁あ⋮⋮⋮ああ﹂
彼はゆっくりとうなずき、やがて力強く拳を握った。
﹁そうか⋮⋮そうだね。エリィちゃんの言うとおりだ!﹂
﹁でしょう? あなたがきちんとフェスティを見ていなかったら、
コゼットにバーバラの胸をずっと見ていた事をバラすからね﹂
﹁なっ⋮⋮なぜそれを?﹂
﹁あら、図星のようね﹂
﹁しまっ⋮⋮!﹂
﹁カマをかけたことぐらい見抜けないなんて冒険者失格ね﹂
﹁コゼットには言わないでくれよ!? ほんとのほんとに!﹂
﹁どうしよっかなぁ∼﹂
﹁スケベは⋮めっ⋮﹂
﹁ほっほっほっほっほ! ジャンは胸派なのか。尻もええぞい。と
いうよりわしには尻しか見えん﹂
﹁賢者様、どちらも素晴らしいものですよ!﹂
﹁ついに本性を現したわね﹂
﹁スケベは滅殺⋮﹂
女体派
アリアナが危険な発言をして、ゆっくりと鞭へ手を伸ばす。
ジャンジャンはあわててポカじいの後ろへと隠れた。
ちなみに俺は尻、胸、脚、顔、うなじ、すべてを愛する
だ。もとい、ただのエロともいえるが。
アリアナにバレたら⋮⋮いかん。想像しただけで背筋が氷る。
1493
この
う。
女体派
ということはそっと自分の宝石箱にしまっておこ
ちらりとフェスティを横目で見ると、彼はこの一連の会話に何も
感じないらしく、ぼーっとなりゆきを見つめていた。
うーん、これは本当に回復が難しいかもしれないな⋮。
とりあえずポカじいの話だと洗脳魔法は浄化できるようだから、
毎日魔法をかけてやろう。
○
調査団の馬車は、荒涼とした﹃空房の砂漠﹄を淡々と進んでいく。
冒険者、ジェラ兵士、孤児院の子ども三十名、子ども魔法使い二
十名、アイゼンバーグを含む捕らえた敵魔法使い十八名、という大
所帯ではあったが、アグナスの的確な指示で危険を回避しつつ進ん
でいく。
三日ほどで﹃空房の砂漠﹄を抜けた。
最後の最後で大型のゲドスライムが現れる事態が起きたが、俺の
落雷魔法とアグナスの炎魔法で蹴散らした。
落ち着いた状況で落雷魔法を見て冒険者と兵士はチビるほどに驚
いていたものの、救出作戦中の落雷や、施設を破壊した大量の落雷
のことを思い出し、すべて納得したようだ。
冒険者の中には俺のことを﹁白の女神﹂ではなく﹁白雷の女神﹂
と呼ぶ輩もちらほらと現れた。
1494
いや、呼び名を物騒にするのやめてほしいんだけど⋮。エリィは
普通の可愛い女の子なんだよ。まじで、本気で。
すぐにアグナスとポカじいの言いつけで、俺が落雷魔法を使える
事実には箝口令が敷かれたので、その呼び名はなくなった。
いやーよかった。たぶんエリィもホッとしていると思う。
通常の砂漠へ足を踏み入れると、警戒レベルはだいぶ下がる。
生活感
が存在していた。砂漠に生活感、というのも変
普通の砂漠では命がしっかりと生き、生物がまっとうな日常を送
っている
な表現だが、空房の砂漠はそれを感じさせない異常性を常にはらん
でいた。
旅の道すがら、孤児院の子ども達の名前はすべて憶え、一人一人
の生い立ちも聞いて回った。
皆、可愛くて素直だ。
全員を守ろうとしていた勇敢なすきっ歯のライールと黒髪のヨシ
マサは、俺があまりに美人になったため、どう接していいか分から
ないようだな。
うんうん。まあ確かに困惑するよなぁ。デブでブスだってバカに
してた姉ちゃんが、とびっきりの美人で現れたんだもんなぁ。おま
けに足が長くて腰もくびれてて胸も大きくて優しいときたもんだ。
思春期の少年には、多かれ少なかれ大人の階段を無理矢理登らせる
衝撃を与えただろうよ。
徐々に慣れていくだろうから、あんま意識しないであげよう。
﹁ねえねえエリィお姉ちゃん、またウサギとカメのお話してほしい
なぁ?﹂
そう言って抱っこをせがんでくるのは人族の可愛らしい五歳の女
1495
の子、リオンだ。
孤児院の中で一番の年下の子で、みんなから可愛がられている。
優しく抱き上げてやると、彼女は生えそろってない歯をにいっと
見せてとびきりの笑顔を見せた。
彼女の茶色の髪が砂漠の風に吹かれ、さわさわと揺れる。
あぁ⋮ほんと助け出してよかった。お兄さんあれだ、最近どうに
も涙もろいみたいだな。可愛いなあ子ども。
﹁エリィお姉ちゃん泣いてるのぉ?﹂
﹁⋮ううん違うわ。目に砂が入ったのよ﹂
﹁リオンが見てあげる﹂
﹁あら、優しいのね﹂
﹁うん! 私ねえ、エリィお姉ちゃんみたいに優しくて綺麗な女の
子になりたいの! だからみんなに優しくしてるんだよぉ﹂
いかん、なんだかまた砂が目に入ったらしい。なんだか熱いモノ
が目からこぼれてきそうになるぜ。
そうこうしているうちに子どもたちが集まってきたので、簡単な
日本の童話を話してあげた。
ウサギとカメの話は、ウサギはこの世界の兎人に、亀はデザート
タートルという長寿で温厚な魔物に置き換えて話している。その他、
簡単な童話はすべてこの世界観に合った動物に変えて話しているの
で、違和感はないはずだ。
エリィの綺麗な声で話すと、ただの昔話も神秘的な色合いを持つ
から不思議だ。
アリアナもすっかり子ども達と仲良くなったようで、同じ狐人の
女の子と手を繋いでいる。
1496
年齢の高い男の子達は、冒険者の野郎共に混じって野営の作業を
手伝っているようだ。和気藹々としていて和む。ライールとヨシマ
サが楽しそうに笑いながらクチビールに火の付け方を教わっていた。
ボーイスカウトを思い出すなーこれ。
ああやって日々の生活に戻してやれば、心の傷も癒えていくだろ
う。冒険者たちって気骨がある連中が多いから、変なこと教える奴
もいないし安心だな。
﹁わしの弟子になりたければ朝昼晩、尻を触らせてくれんかのぅ﹂
約一名、どうしようもないスケベじじいがいた。
﹁くっ⋮⋮それでも! 私は強くなりたい!﹂
﹁分かった! いいぞ!﹂
﹁強くなるためならやむなし⋮﹂
踊り子風のバーバラは苦しげな表情、女戦士は笑い、女盗賊が親
の敵を見つけたような顔でポカじいに尻を向ける。
﹁うむ、素晴らしい向上心! いや、向上尻じゃ!﹂
﹁砂漠の賢者様が⋮⋮こんな変態だったとは⋮⋮﹂
﹁尻は減らないからいいな!﹂
﹁心の中にある大事なものは減る気がする⋮⋮﹂
バーバラは苦虫を噛みつぶしたような顔をし、女戦士は元気ハツ
ラツ、女盗賊はベルトから何度もナイフを抜いたり入れたりを繰り
返し、ため息をついて苦言を呈す。
1497
﹁好きなモノを好きというのは大事なことじゃぞ﹂
﹁でもそれを要求しちゃダメよね?﹂
﹁いやいやそんなことはないぞい⋮⋮エ、エリィ?!﹂
﹁ポ・カ・じ・い⋮?﹂
素早く四人のいる場所に割り込んで、むんず、とポカじいの左腕
をつかみ、にこりと笑顔を作った。
﹁ま、待ってくれんか! わしゃ久々にこんないい尻をしたおなご
達に囲まれて浮かれておった! つい魔が刺したのじゃ! いや、
尻が刺したのじゃ! もうこんなことはせん!﹂
﹁尻が刺すなんて変な造語を作らないでちょうだい!﹂
﹁砂漠の賢者様が焦ってる⋮?﹂
﹁別に尻くらいいいんだけどな!﹂
﹁くっ、安堵している自分がいる﹂
﹁わし結構頑張ったんじゃぞ!? イカレリウスの大バカもしっか
り追っ払ったしのう! 少しぐらいの無礼講、いや、無礼尻ぐらい
許してくれんか?!﹂
そう謝りながら、ポカじいは俺につかまれていない左腕を器用に
使い、バーバラの尻を撫で、女戦士の尻をつまみ、女盗賊の尻を指
で弾いた。見事な体捌きと足裁きで移動し、瞬時に元の位置に戻る。
﹁ひゃっ!﹂
﹁むっ!﹂
﹁いやぁん!﹂
彼女たちが顔を赤くし、ポカじいは実に満足げにうなずいた。
﹁うむ、素晴らしい尻じゃ。わしが求めてやまなんだ、叡智、恥じ
1498
らい、青春、生命の息吹、宇宙の真理、すべてを内包しておる﹂
﹁って小難しいこと言って私のお尻まで揉まないでちょうだい!﹂
﹁ほっほっほっほ、気のせいじゃろう。大体のう、尻を持てあまし
ておることがこの世界にとっての大損失じゃ。こうしてわしのよう
な尻ニストに日々のつつがない尻の成長を伝えることで、はじめて
電打
!!!
エレキトリック
尻は己を知り、己を伝え、己を高め、そして︱︱﹂
︱︱尻から
電打
﹂が
エレキトリック
﹁オノノノノノノノノノノノノノノノノノノノYOOOKOッ!!﹂
じいさんのセクハラ対策で開発しておいた﹁尻から
火を噴いた。
高速で投げられたボールが強引に物と物の隙間に挟まるかのよう
に、ポカじいは激しく身体を揺らし、焦げた食パンみたいに真っ黒
になって倒れた。申し合わせたかのように巨大な砂漠ハゲタカが舞
い降り、ポカじいの頭をくちばしで掴んで、バッサバッサと飛翔し
て焼けるような太陽の向こうへと消えていった。
﹁良い子は真似しちゃダメよ﹂
子ども達にそう言うと、全員﹁はぁ∼い﹂と右手を挙げる。
このやりとりが十回目ともなれば慣れるのは当たり前だ。
じいさん、はっちゃけすぎ。
場を和ませるためにやっているんだろう。
たぶん、きっと⋮⋮⋮そうだと信じたい。
1499
○
通常の砂漠に入ると行軍スピードがぐんと伸びた。
全員早くジェラに帰りたいのか、自然と馬車を操る腕に力がこも
る。
それからわずか二日で砂漠を抜けた。
ジェラから旧街道へと繋がる﹃サボッテン街道﹄に入ったところ
で最後の野営をし、ジェラへ無事帰還する旨を早馬で先に知らせ、
本隊は一気に街道を南下した。
安全地帯に入るとメンバーの顔が自然とほころんだ。
子ども達と冒険者、ジェラ兵士達は一週間の行軍で大分仲良くな
ったようで、身寄りがない子どもを引き取りたいと言う者も現れた。
親類縁者の有無をジェラで確認し、両人が合意すれば、新しい家族
が誕生する。すべては領主の采配で決まるらしい。
グレイフナーの子ども達、三十人はまとめて一緒に俺が面倒を見
ることになった。
まあ、なった、というよりそうしたんだけど。いやね、子ども三
十人ぐらい面倒見られないで男は語れないと思うんだよ。それに、
みんなが安心する生活の基盤ができるまで近くにいてあげたい。何
よりエリィがそうするように願っている気がする。
よっしゃ! グレイフナー帰ったら稼ぐぞ∼。
ゴールデン家に面倒見てもらうのにも限界があるからな。
馬車を揺らし、調査団は南へ南へと進んでいく。
1500
だんだんと大きく見えてくるオアシス・ジェラの外壁。
見慣れた砂漠の景色に、暑さで蜃気楼のごとくゆらゆら揺れるジ
ェラの町。
時折いななくウマラクダ。
太陽が傾き、オレンジ色の一線が砂漠の大地を染め上げる。
たった二週間ぶりに見るオアシス・ジェラは何だか懐かしくて、
帰郷した錯覚を覚えるほどだった。
夕日が染め上げる中、調査団は進む。
十数台の馬車が、千夜一夜物語の一幕のように影絵を作ってゆっ
たりと動いていた。
アグナスがポカじいにあれこれ聞いている姿も、クチビールが両
肩に子どもを乗せている光景も、アリアナが年頃の女の子達にメイ
クを施している微笑ましい様子も、ジャンジャンが一生懸命フェス
ティに話しかける姿も、すべてがこの一週間で見慣れたものであり、
日常的な風景として過ぎていった。
もう、こうしたみんなの姿が見れない。そう思うとやけに物悲し
く感じるのは俺だけだろうか。
何も言わない夕日が、誘拐調査団の解散を物語っていた。
結わいていた髪紐と髪留めを外し、砂漠の風になびかせる。
エリィの錦糸のような白金の髪が幻想を見せるように流れていく。
何人かは俺の姿を見てため息を漏らし、思わずハッとして立ち止
まってしまった者は、後ろを歩いていた仲間にどやされる。
やがて北門に辿り着くと、大きなかがり火が焚かれ、町人が列を
なして出迎えた。その真ん中にはジェラの領主とルイボンが、今や
1501
遅しと俺たちを待ち構えていた。
新しい髪型を見せつけるようにルイボンがふんぞり返って腕を組
み、ちらちらと俺とアグナスを見て相好を崩し、すぐにふてくされ
た顔にあわてて戻す。
素直になれないルイボンのいじらしい姿が、二週間会ってない相
乗効果でいつもより可愛く見える。多分いま彼女が何か言うなら﹁
ふ、ふん! 別に待ってなんかなかったんだけどね! お父様の言
いつけがあったから仕方なく出迎えてあげたわよ!﹂とまあこんな
感じだろうよ。
﹁ただいま戻りました﹂
アグナスはジェラ領主の下へ行き、一礼した。
﹁ジェラの勇敢な戦士達よ、私は貴殿らに御礼と賞賛の言葉を送り
たい。長旅、ご苦労であった。積もる話もあるが、誘拐事件解決を
祝して宴の席を準備してある。今日はゆるりと旅の疲れを癒してほ
しい﹂
ジェラ領主が言い終わると同時に、とある町人の女性が誘拐され
た自分の子どもを見つけて駆け寄り、抱きしめた。
すると、次々と群衆の中から何組かの家族と思わしき面々が飛び
出しては、子どもに飛び付いていく。彼らはすぐに号泣し、子ども
の名前を何度も叫んだ。
五年前に誘拐された三名の子ども達はもれなく家族と合流し、別
の場所や、個別に掠われたらしき子ども達も家族と邂逅できたよう
だ。
家族と出会えなかった子ども達は冒険者に手をにぎられ、誰一人
1502
つらそうにしている者はいない。
子どもの半数は孤児だ。今後の子ども達の対応はジェラ領主がし
っかりやってくれるだろう。しっかりやらなきゃおしおきだ。
周囲に嬉し泣きと、拍手が喝采する。
﹁アグナス様ー!﹂﹁アグナス様格好いい!﹂﹁エリィちゃんこっ
ち向いて∼!﹂﹁アリアナちゃんラブぃ!﹂﹁ジェラ冒険者万歳!﹂
﹁おめえら全員砂漠の勇者だぁ!﹂﹁クリムトさまぁ!﹂﹁ドンち
ゃんかっくいい!﹂﹁バーバラ姉さんに踏まれたい﹂﹁トマホーク
さまぁぁ!﹂﹁エリィちゃんが美人すぎてつらいぃ﹂﹁ラッキョさ
ーん!﹂﹁ポー﹂﹁ジェラばんざい!﹂﹁ジェラ誘拐調査団万歳っ
!﹂
を上空に向かって唱えた。
ファイヤボール
冒険者が豪快に笑いながら手を挙げて答え、ジェラの兵士が﹁オ
ライト
アシス・ジェラに平和と安寧を﹂と三回叫んで
や
気づけば商店街の面々が俺とアリアナの所に集まっており、ねぎ
らいの言葉をかけてくれた。彼らにグレイフナーの子ども達を紹介
すると、皆自分の子どものように接してくれる。まったくもって彼
らは人情の塊みたいな連中だ。お前らほんと最高だぜ。
○
アグナスら含む冒険者と兵士達は噴水広場で催されている宴へ向
かった。
グレイフナーの子どもたちは犬人のマギー、すきっ歯のライール、
1503
黒髪のヨシマサをリーダーにして、ちゃんと大人の言うことを聞く
ように伝え、ポカじいと商店街の面々に預けてきた。今頃、治療院
でギランが作ったたこ焼きを食べているだろう。
ルイボンに宴参加の熱い誘いを受けたが、ひとまず断りを入れて、
俺とアリアナ、ジャンジャンは未だに焦点の合っていない目をして
いるフェスティを連れて西の商店街に向かった。
迎えに来ると思っていたコゼットが来ていないので、どうにも不
安になったからだ。
それに、彼女に早くフェスティを会わせてやりたい。
コゼットは五年間もの間、ずっと自分を責めていた。
フェスティが掠われる現場を目撃していながら、恐怖で助けを呼
べず、何も出来なかった自分が許せなかった。連れ去られるその瞬
間を見ていたにも関わらず、声のひとつもあげられなかった。
コゼットは愛情の深い女性だ。
そうでなければ、フェスティが笑ったからという理由一つで五年
間も変な格好を貫き通すことなどできないだろう。
消えそうな夕日が俺たちの姿を赤く染め上げている。
スタイルのいい少女と、狐耳で背の低い少女、冒険者らしき逞し
い男、その男に手を繋がれて歩くローブの少年。四人の姿が夕日に
照らされる。
バルジャンの道具屋が見えてきた。
相変わらず店の前にはガマカエルに似た置物が鎮座し、その他の
商品が雑然と並んでいる。
その店の前には、そわそわとしているドクロをかぶった女性のシ
1504
ルエットが夕日を背景に落ちていた。
蛍光色に塗られたギャザースカートが彼女の動きに合わせて揺れ、
変な形をしたポシェットが腰から落ちそうになり、お腹の部分だけ
ハート型に切り取られたブラウスからは小さなヘソが覗いている。
胸の前で祈るように組まれている手は小刻みに震えていた。
コゼットはこちらに気づくと動きを止め、ゆっくりと顔を上げた。
彼女の優しげな顔は今にも涙で決壊しそうになっている。
不安と期待。二つが彼女の中で渦巻き、自分で処理できないほど
に大きくなって、感情が今にも爆発しそうだった。
﹁ただいまコゼット﹂
ジャンジャンはフェスティの手を繋いだままコゼットに笑いかけ
る。
俺とアリアナは一歩下がり、横から彼らを静かに見守ることにし
た。
コゼットは彼ら兄弟の姿を見て、両手で口を押さえた。
﹁フェスティを連れて帰ってきたよ﹂
さらにジャンジャンは言った。
彼の顔はいつにもまして穏やかだった。もう大丈夫、何も心配い
らない、とコゼットに語りかけるみたいだ。
﹁⋮⋮⋮おかえり⋮⋮なさい﹂
絞り出すようになんとか言うと、コゼットはぽろぽろと涙をこぼ
1505
した。
﹁おかえりフェスティ⋮⋮﹂
彼女の言葉はフェスティの耳には届いていないようだ。
ジャンジャンの手を握っている彼は、何も感じないのかぼおっと
した顔でコゼットを見つめている。心ここにあらず、といった様子
だ。
﹁フェスティ、コゼットにただいまは?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ジャン、フェスティは⋮?﹂
その様子を見て何となく事情を察したコゼットは、涙を拭こうと
もせずにジャンジャンに説明を求めた。
﹁黒魔法のせいでずっとこの調子なんだ。エリィちゃんの浄化魔法
でかなり回復しているから、しばらくすれば元通りになるよ﹂
﹁そう⋮⋮﹂
﹁大丈夫。時間が経てばすべてうまくいく﹂
目一杯の嘘をついて、ジャンジャンは笑顔を作り、わしゃわしゃ
とフェスティの頭を撫でた。
フェスティは為すがままにされている。
もう治らないかもしれない、というポカじいの言葉を聞いた俺と
アリアナは何ともいえない気持ちになりながらも、三人から視線を
逸らすことはしなかった。
﹁ううっ⋮⋮⋮﹂
1506
コゼットの瞳から大粒の雫が流れ落ちていく。
たぶん、コゼットはジャンジャンが嘘をついているとわかったの
だろう。
前にお泊まり会でジャンジャンとどれだけ仲がいいか熱弁された
際、彼が嘘をつくとき頬を掻く、という癖のことを聞かされた。
そうなんだ。もうね、思い切りぽりぽりしちゃってるよ、ジャン
ジャン。どんだけ正直者なんだよ。俺たちでもわかっちゃうぐらい
だよ。こんなときぐらいちゃんとバレないように嘘つけよ。
と、心で罵っても届くはずがない。
心配させまいと嘘をついたジャンジャンの気持ちもよくわかるし、
その心遣いを察したコゼットの心の機微も胸を締め付ける。
アリアナがつらそうに俺の手を取ってぎゅっと握ってきた。
俺もしっかりと握り返す。
せっかく再会できたのに、フェスティがあんな状態じゃあ二人と
も辛いよな⋮。
魔法でも元通りにするのは無理らしい。
ポカじいは心を取り戻す魔法は存在しないと言っていた。
唯一効果のある魔法が浄化魔法で、心に一時的な安らぎを与える
ことができるそうだ。
フェスティは洗脳魔法でやりたくもない仕事をさせられ、絶望し、
さらに凄惨な仕事を回されて現実逃避し、やがて心を閉ざしてしま
った。年端もいかない十歳の頃からずっと彼は残酷な仕打ちを受け
ていたのだ。彼の受けた心の傷と悲惨な毎日は、想像を遙かに超え
る苦痛になり、彼という存在を押し潰してしまうには十分だったの
だろう。
1507
ひどい。あまりにも残酷だ。
落雷
サンダーボルト
セラー神国の奴らへの怒り貯金がパンク寸前だ。怒り大恐慌で小
橋川ハイパーインフレーションだ。
今からひとっ走りしてセラー神国の神殿とか主要な建物に
してきていいかな。まじで。
﹁ほら、何か言ってごらん?﹂
ジャンジャンが優しく諭すようにフェスティの顔を覗きこむ。
夕日がジャンジャンの人間味溢れる横顔を照らしている。
フェスティはジャンジャンをゆっくりと見て、そのあとにコゼッ
トへと顔を向けた。
しばしの沈黙。
コゼットが期待を込めた目で彼を見つめるものの、フェスティは
何も言わない。
じっと見つめ合っている。
うっすらとではあるが、治療院の方角から笑い声が聞こえる。
その喧騒がまるで現実味を帯びていないただの音に思えた。
夕日が西門へと沈んでオレンジの淡い光が斜めに走っていく。
﹁へんな格好⋮⋮﹂
フェスティが微かに表情を動かした。
俺、アリアナ、ジャンジャン、コゼットはあまりの衝撃に息を飲
んだ。
確かに、コゼットのドクロを見て口を開いた。
1508
呼吸をするのも忘れてしまう。
まさか、フェスティが意識を⋮⋮?
﹁⋮⋮⋮フェスティ?﹂
﹁いま、いま何て⋮⋮?!﹂
ジャンジャンとコゼットが慌てた様子でフェスティに詰め寄る。
コゼットはこんなときでもドジを発揮して、地面につまずいてベ
シャっという音と一緒に思い切り転んだ。
かぶっていたドクロがころころと回転しながら転がってフェステ
ィの足元で止まる。
不思議そうな顔でフェスティはドクロを拾い、そしてなぜか自分
の頭にかぶった。
﹁へんな格好⋮﹂
もう一度そう言うと、フェスティはコゼットの姿を見てくすりと
笑い、彼女のハート型に切り抜かれたブラウスを見て、場違いなピ
ンクと黄色に染められたギャザースカートへ視線を移し、イソギン
チャクみたいなポシェットを指さした。
﹁コゼット姉ちゃん⋮へんだよその服⋮⋮﹂
﹁フェ⋮⋮スティ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮へんだよ﹂
﹁あああ⋮⋮⋮フェスティ⋮⋮お姉ちゃん⋮お姉ちゃん⋮⋮ごめん
なさい⋮﹂
コゼットは人目を憚ることなく顔をぐしゃぐしゃにしながら、フ
ェスティに抱きついた。
1509
﹁いくじなしで⋮⋮ひっく⋮⋮⋮ごめんなさい⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁生きててくれて⋮ありがとう⋮⋮⋮会いたかった⋮⋮ずっと⋮⋮
⋮﹂
﹁⋮⋮?﹂
﹁会いたかった⋮⋮⋮⋮ずっと待ってた⋮⋮⋮﹂
フェスティがよく分からない、という顔で首をひねると、ジャン
ジャンが鍛えられた腕で二人をやさしく抱きしめた。
泣きながら抱き合う三人は、どこよりも素晴らしい家族に見えた。
ああ、もう、まただよ。
ちくしょう。我慢できねえよ。
涙がとまんねえよ。
ぼろっぼろ出てくるんだよ涙が。かっこわりいなあ⋮。
それにしてもよかったまじで。コゼットの思いが通じた。
あの様子じゃフェスティはまだまだ本調子とまではいかないだろ
うが、回復する兆しは見えた。さっきより人間らしい顔してるぞ。
コゼットまじでイイ女。お前は最高に優しい女だよ。
あーもう誤魔化すついでにアリアナの耳揉んどこ。
手触りのいい狐耳に手を添えて、左右に撫でる。
もふもふもふもふ。
﹁⋮⋮ん﹂
アリアナも泣いてるし。
うるうるした目で上目遣い、強烈。
1510
﹁⋮最近泣いてばっかりね﹂
﹁⋮⋮ね﹂
そう言ってどちらからともなく、笑い合った。
泣き笑いだ。
﹁黒き道を白き道標に変え、汝ついにかの安住の地を見つけたり。
⋮﹂
愛しき我が子に聖なる祝福と脈尽く命の熱き鼓動を与えたまえ⋮
ピュアリーホーリー
純潔なる聖光
精緻な魔法陣が足元に広がり、癒しの星屑がジャンジャン、コゼ
ット、フェスティへと吸い込まれていく。意識を取り戻したフェス
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
の星屑が三人の上を舞
ティに少しでも安らぎを届けることができるだろうか。
夕日のオレンジ色と共に
い、キラキラと発光しながら再会を祝福するように踊る。
太陽が沈んでいく。一日が終わってすべてが眠りにつく物悲しさ
が心を満たし、情景が瞳に焼き付いてじんわりと胸の奥底を炙って
いく。やがて夕焼けは夜に飲み込まれ、俺たちを寂しさの真ん中へ
と放り込むだろう。
だが、この輝きは消えない。俺たちが手に入れた思いは消えない。
誰かが誰かを想う気持ちは、いつの時代、どの世界でも一緒だ。
ジャンジャン、コゼット、フェスティの周囲で星屑が踊り続け、
エリィの金色の髪が魔法の風圧で上下になびき、アリアナがうっと
りした顔で三人を見つめる。
いつになく温かな気持ちで、俺は浄化魔法を唱え続けた。
1511
○
しばらくして落ち着いた俺たちは﹃バルジャンの道具屋﹄へと入
った。
ガンばあちゃんは孫のフェスティが帰ってきたことを喜んで﹁頑
張ったのぉ﹂と言って何度もフェスティの頭を撫で、ジャンジャン
を抱きしめた。よぼよぼの婆ちゃんは孫たちをよく見ていて、苦労
がすぐにわかったようだ。さすが家族だな。
感動の再会もひとしお、店内がどうもおかしいことが気になった。
なんかね、店の中が湯気で充満しているんだよね。
しかも珍しく店に客がいて、なぜか風呂上がりみたいに顔を上気
させて髪を湿らせている。
﹁やけに湯気が出ているけど、何かあったの?﹂
﹁あ、実はね、温泉が出たの﹂
﹁温泉⋮ですって?﹂
﹁すごいよねぇ。砂漠に温泉なんて聞いたことないよ﹂
コゼットが笑いながら道具屋の裏庭を指さした。
﹁いまも湧いているから、ギランさんがここを温泉場にしようって
いって簡単な工事をしたの。誰でも入れるよ﹂
何だか嫌な予感がしてきた。
1512
猛烈に。
﹁そ、それっていつ頃の話?﹂
﹁うーんとね、ちょうど一週間前の夜かな﹂
﹁あらそう⋮﹂
﹁どうかしたのエリィちゃん?﹂
﹁いいえ、何でもないわ﹂
雷雨
。
サンダーストーム
一週間前の夜といえば、まさに魔改造施設へ怒りの
っ放した時刻。
最大火力、一撃必殺、超弩級の
幾度となく温泉を噴き上がらせた怒りの落雷魔法。
完全に一致。完璧に符合。
弁解の余地なし。
をぶ
サンダーストーム
雷雨
砂漠に温泉が出るなんてこれ以外の理由が考えられねえ。
こんなんバレたら温泉出すために魔法使ってくれって言われかね
ないぞ。
そんなの面倒くさいしあらぬ嫌疑をかけられてもイヤだし、温泉
の女神エリィちゃんとか言われそうだし⋮。うわぁ、めっちゃヤダ。
温泉の女神とかお賽銭されそうでめっちゃヤダ。
よし、黙っとこ。
わたくしの落雷魔法と、温泉は、何の因果関係もございません。
﹁エリィ、どうしたの?﹂
﹁ちょっと考え事﹂
﹁困った顔⋮﹂
﹁あら、わかっちゃう?﹂
1513
﹁⋮⋮ん﹂
温泉、どこにでも出るんだな。
﹁とりあえず私たちも入りましょうか﹂
﹁うん⋮!﹂
アリアナはそりゃもう嬉しそうに耳をぴこぴこ、尻尾を左右に振
り始めた。
思わず狐耳をもふもふとしてしまう。
砂漠をひたすら歩いてたから風呂に入りたかったんだよ。
ちょうどいいな!
しかも露天風呂だぞ!
温泉は日本人の心で、日の本の国の象徴だ。
異世界で温泉に入れるなんてラッキーだな、と考えつつ、俺とア
リアナ、コゼット、ジャンジャン、フェスティは﹃バルジャンの道
具屋﹄改め﹃バルジャンの温泉﹄に入ることにした。
男湯女湯に分かれていて塀が高いので覗かれる心配もない。途中、
とアリアナの
断罪する重力
ギルティグラビティ
で念のため撃ち落として
浮遊魔法で飛んでくるスケベなじいさんの姿が見えた気がしたので、
インパルス
電衝撃
おいた。うら若き乙女三人の裸がのぞかれる事故などあってはなら
ぬことだ。
浴槽は定員六人ほどの大きさではあったものの、俺もアリアナも
久々の温泉に大満足だった。
コゼットは﹁はふー﹂とすべての息を吐く勢いで脱力し、全身の
筋肉を弛緩させている。五年分のため息だろう。
1514
俺とアリアナはそれを見て、くすっと笑い合う。
グレイフナーの子ども達を救出し、ジャンジャンの弟フェスティ
も奪還。そしてコゼットと再会を果たした。
うん、いいじゃん。とてつもなくいい。
あとは、ジャンジャンがコゼットに告ってラブエンド。
砂漠でやるべきことはこれですべて終了だな。
今の実力なら自由国境の﹃旧街道﹄も抜けられるだろう。ポカじ
いに確認して、オーケーが貰えたらグレイフナーへの帰国準備だ。
みんな、元気だろうか。
久々にエイミーの笑顔を見たい。クラリスにこの綺麗なエリィの
姿を見せてやりたい。バリーは会ったら泣いて何言ってるかわかん
ない状態になるんだろうなぁ。
帰ったらやることてんこもりだ。
雑誌の種類を増やしてコバシガワ商会拡大。学校の授業にも出て、
ボブを蹴散らしてスカーレットをぎゃふんと言わせて、ガブリエル・
ガブルにおしおきして、セラー神国が裏で何を企んでいるかも調査
する。魔闘会とやらにも出てみたい。
グレイフナーに帰るの、すんげえ楽しみだ。
風呂桶を手に取り、浴槽の縁に腰掛けていたアリアナの肩にお湯
をかけた。
温かい湯気が立ちのぼり、濡れそぼった彼女の柔らかい髪が湯気
に包まれる。
﹁背中、洗おうか⋮?﹂
﹁お願いしちゃおうかしら﹂
1515
﹁ん⋮⋮﹂
浴槽から出て、アリアナに背中を流してもらう。
こうして見上げる砂漠の夜空は何物にも代え難いと感じた。
砂漠に温泉。
いやぁ、オツですな。
可愛い女子の裸体を見て何ら興奮しないのは残念っちゃ残念だが、
ただただ眺めながら温泉に浸かるのも風情があっていい。これは女
じゃないとできない経験だろうな。もし俺が男だったら⋮⋮いや、
考えるのはやめよう。エリィが恥ずかしがる。間違いなく。
そう独りごちると、夜空の星々が今にも落ちてきそうだった。
コゼットが浴槽の縁に腰をかけて空を見上げた。
﹁エリィちゃん﹂
﹁なあに?﹂
﹁⋮ありがとう﹂
﹁いいえ﹂
﹁エリィちゃんに会えてよかったよ﹂
﹁私もコゼットに出会えてよかったわ﹂
﹁⋮⋮まだ、ジェラにはいるんだよね?﹂
﹁ええ。フェスティのこともあるし、彼が落ち着くまではいるつも
りよ﹂
﹁そっか⋮⋮そうだよね﹂
コゼットは嬉しそうに答えると、バシャンと音を立てて温泉に入
った。
温泉の湯気がのんびりと立ちのぼる。
1516
きっと、自分はこの砂漠の温泉を一生忘れることはないだろうな、
とぼんやり星空を見上げて何となく思った。
アリアナがそんな俺の気持ちを分かっているかのように、時間を
かけて泡を洗い落としてくれる。
少しばかり冷たい砂漠の風が火照った身体に当たり、悠然と通り
すぎていくと、頬が勝手に動いて笑顔になった。
エリィが喜んでいる。
コゼットが安心したこと。ジャンジャンの肩の荷が下りたこと。
孤児院の子ども達を取り戻したこと。
たぶん、その全部をエリィは理解して嬉しがっている。
それがわかって、今度は自分の意志で笑顔を作った。
するとその顔を見たアリアナが正面にまわって浴槽に腰を掛けて、
はにかむようにニコッと笑う。
俺は冗談のつもりで口をタコの形にし、寄り目を作ってみた。
エリィが止めるからできないか、と思ったが、ごく自然に顔が動
いてくれた。
アリアナは驚いた顔をしたあと、すぐに声を殺して笑い出した。
なかなか止まる様子がない。
普段絶対やらない行動が結構ツボだったようだ。
うん、いいね。
温泉はやっぱりいい。
その後、俺たちは気が済むまで温泉に入り、暑くなったら浴槽の
1517
縁に座る、ということを繰り返し、満足いくまでたっぷりと自然の
湯船を堪能した。
1518
第33話 砂漠のイージートゥーリメンバー︵後書き︶
※可愛いエリィの挿絵を頂きました♪
作者ページから確認ができます。
追加で近況報告もさせて頂いております。
1519
第34話 スルメの冒険・その5
せいこ
グレイフナーの国境を越えて、オレ達は﹃青湖﹄と呼ばれる有名
な観光地へと足を踏み入れた。
でも観光するわけじゃねえ。
一刻も早く﹃砂漠の国サンディ﹄へ行くのがオレ達の目的だ。
アメリアさんが手配していたゴールデン家の船を見つけ、ミスし
たらタダじゃおかねえぞ、と言わんばかりの空恐ろしい眼力を下っ
端へ飛ばしまくる。
てきぱきと対岸へと向かう準備が完了すると、バカでかい﹃青湖﹄
を渡航するため、船に乗り込んだ。
船はまあまあの大きさで、帆も立派。
乗組員は風属性の魔法使いが順繰りに帆へ風を送る。
風魔法の繊細な操作と、持久力が重要だ。
オレには無理。
細けえことは苦手だ。
そんなことを考えつつ海を眺めていたら、横でテンメイが三脚に
カメラを置いて大声を上げた。
﹁ああ、何て美しいんだろうスルメ君! 見てくれあの水辺を飛び
跳ねるサンショウトビウオの群れを! 水面が恋慕の神ベビールビ
ルの口づけのように揺れて、水しぶきが甘い誘惑を撒き散らすグー
デンモールのサキュバスのようじゃないか!﹂
﹁ああ? 魚がぴちぴち跳ねてんな。食えんのかアレ?﹂
﹁ウォォタァプルゥゥゥゥフ!﹂
1520
﹁うるせ! おめえ耳元で叫ぶんじゃねえよ!﹂
オレの言葉なんて全く聞かず、写真家のテンメイが水面に向かっ
てシャッターを切った。そしてカメラを三脚でおっ立てたまま素早
い動作でデッキの手すりに両手をつけ、ずんぐりむっくりした身体
を伸ばし、頭を水面へと下げた。
﹁オロロロロロロロロロロロロロ﹂
﹁ぎゃあああ! また吐きやがった!﹂
﹁ロロロロロロロロ﹂
﹁まじ汚ねえクッソ汚ねえ! 顔にちょっとかかっちまったじゃね
えか!﹂
船酔いしまくるテンメイが吐くこと十数回。
叫び声を聞いて、ぱたぱたと甲板をエイミーが走ってくる。でけ
え胸がそりゃもうこれでもかってほどに揺れる。やべえなアレ。
﹁大丈夫テンメイ君?﹂
船妖精の釣
シーシックハンモ
﹁ああ⋮申し訳ない⋮。どうにもすぐに酔ってしまう体質で⋮﹂
﹂
﹁船の錨をおろし、ヨーソレヨーソレ俺たちゃ唄う⋮
ック
床
エイミーが杖を取り出して流れるように詠唱する。
垂れ目が真剣に閉じて杖が掲げられると、緑色のツタがテンメイ
に絡みつき、ハンモックの形に変形して宙に浮いた。テンメイの頭
と足から生えるツタが甲板にしっかりと根を生やし、支柱になって
いる。
これもう五回目だからな。
まじクッソいい加減にしてくれ。
1521
つーかエイミーの木魔法、なにげに中級だから。
どんだけ才能あんだよ。
状態異常回復の魔法はリアルに習得がむずい。﹃酒酔い﹄﹃船酔
、
シーシックハンモック
船妖精の釣床
、
微笑みの七色妖
レインボースマ
い﹄﹃魔力酔い﹄の三大酔いを完全除去できるのはいずれも木魔法
クリアウォーター
酒嫌いの清脈妖精
の三種類だ。
中級
イル
精
どれか一つでもできりゃ、一生食いっぱぐれることはねえ。
なんたって完全除去だからな。グレイフナーの大貴族なら三大酔
酒嫌いの清脈妖精
クリアウォーター
いの除去魔法が使える魔法使いを必ず雇用している。うちの家でも
オヤジがクソ酒飲みだから、たけえ金払って
を使える魔法使いを雇ってるぐれえだ。
状態緩和の魔法なら下位上級、上位下級にもいくつかあるが、習
得難易度がちげえんだよな。
船妖精の釣床
シーシックハンモック
は船酔いだけじゃなく乗り物酔い全
この魔法、冒険者ランクでいうならAランク級の難しさだ。
ちなみに、
般に効果があるため、様々な場所で重宝される。まあ一番酔いがキ
ツイ船酔いに効きゃあ他の馬車酔いとかにも効くわな。
加護の光
でも完全除去までいかないにしろ、相当
あとヤベエのは白魔法。
白魔法中級
の状態緩和が見込める。つーか白魔法の汎用性の高さが異常。出来
たら一生食いっぱぐれないどころか豪邸が建つぜ。まじで。光魔法
クラスの担任のハルシューゲ先生でも白魔法の下級が限度らしいか
らな。
同行してくれているシールドのジョン・ボーンさん、しょぼい顔
してんのに白魔法下級が使えるからやべえ。身体強化も得意らしい
し。いやーやっぱシールド尊敬するぜ。
1522
テンメイが露骨に顔を赤くして、ツタのハンモックに揺られなが
らエイミーに礼を言っている。誰がどう見ても惚れてやがる。
惚れる気持ちは分かる。美人でちょいとヌケてるところがあるが、
そこをひっくるめて可愛いし、スタイルいいし、めっちゃいい匂い
するし。まあオレはサツキの方が断然好みだけどな。
船妖精の釣床
シーシックハンモック
に揺られるテ
﹁あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!﹂
船尾から叫び声が聞こえた。
なんだ?
オレとエイミーは顔を見合わせ、
ンメイを置いてそちらへ向かう。
﹁魔力を循環させないと死ぬわよ!﹂
﹁だばばばばばばばっ﹂
おおう。これはひでえ。
亜麻クソが両手を縛られて船尾から伸びるロープにくくりつけら
れ、水面を疾走している。
ロープの長さが十メートルほどあるのと、船体が相当なスピード
で走っているため、亜麻クソは湖の水面で尻を跳ねさせ、市中引き
回しの刑みてえに引っ張られていた。うっとおしい前髪が水しぶき
で顔に張りつき、顔にはいつもの余裕がない。そらそうだ。
﹁弱音を吐いたらその時点で放り出すわ!﹂
﹁吐いてまぜぇん!﹂
﹁よろしい!﹂
﹁この⋮⋮ぶぉくが⋮これしきのことで⋮⋮⋮弱音を吐くだばばば
ばばば﹂
1523
爆発
!﹂
エクスプロージョン
カッコつけようとして亜麻クソが沈んだ。
﹁
水中で小規模の爆発が起こり、ドグワッという音がして亜麻クソ
が浮上する。
﹁両足で水面を捕まえるのよ! すかさず魔力循環!﹂
﹁だばぁっ!﹂
この訓練、オレ達のときよりもキツイんじゃね?
﹁死ぬか魔力循環させるかどっちかよ!﹂
﹁だばぁっ!﹂
船の針路にサンショウトビウオの群れがいたのか、足を使えと言
われているのに尻で水面を滑る亜麻クソの周囲を小馬鹿にするよう
に、跳ねては潜り、跳ねては潜りを繰り返す。体長約二十センチ、
ヒレが翼の形になっているサンショウトビウオが海から飛び出し、
亜麻クソをわざと跳び越えるように空中で弧を描く姿は、笑っちゃ
いけねえと思うが腹の底から込み上げてくるもんがあった。
﹁あら二人とも、課題は終わったの?﹂
﹁ええお母様。それより⋮﹂
バルコニーで茶を飲んでいるかのような優雅な仕草でアメリアさ
んがこちらを振り返る。
現に、甲板の上にソファー持ってこさせて紅茶飲んでるんだけど
な。
1524
しかもシールドのジョン・ボーンさんに給仕させてるし。
エイミーがさすがにやりすぎでは、という目線を亜麻クソに向け
ていることに気づき、アメリアさんはこくりと頷いた。
﹁これはシールドでも伝統的な魔力循環法﹃水面滑走﹄よ。落第騎
士に施す強制訓練で、この方法で身体強化が上達しなければシール
ドを除隊になるわ﹂
﹁そ、そうなんですね﹂
﹁物騒なことを言っているけど死んだりはしないから安心なさい﹂
﹁ああ⋮よかったぁ﹂
誰にでも分け隔てなく優しさをみせるエイミーを、愛おしそうに
アメリアさんは目を細めて眺めた。
その後ろでは亜麻クソが﹁だばぁ!﹂と叫びながら身体を丸め、
器用に尻でくるくると水面を弾きながら滑走している。いい雰囲気
がぶち壊しだ。
﹁亜麻クソ君、根性みせなさーい!﹂
﹁ひでえなこりゃ!﹂
いつの間にか様子を見に来ていたサツキが右腕を振って声援を送
り、サツキと一緒に来たらしいガルガインがこの訓練法を恐ろしげ
な顔で見て叫ぶ。
﹁がんばって∼!﹂
エイミーが船尾の手すりに手を掛けて大きな声を上げる。
美人な女子二人の声援を受け、女好きの亜麻クソは気合いを入れ
1525
たのか、猛スピードで走る水面へ両足をつける。
両足から水しぶきが舞い、亜麻クソを押し戻そうとする。
何度も水の抵抗を受けた亜麻クソだが、ぷるぷると両足を震わせ
ながらロープにしがみつき、ゆっくりと立ち上がった。
思わずオレ達は﹁おおっ!﹂という歓声を上げた。
それに気をよくした亜麻クソは、ロープから片手を放して、濡れ
た髪をうっとうしい仕草でかき上げ、ズビシィという音が鳴りそう
な気障ったらしい動作で天空を指さした。
﹁魔力を循環させなさい!﹂
﹁カッコいいよ亜麻クソ君!﹂
﹁いいわよその調子!﹂
アメリアさんの檄が飛び、エイミーが嬉しそうに叫び、サツキが
楽しそうに笑いながら両手を叩く。
オレとガルガインもいいぞいいぞ、と囃し立てた。
根性みせながらふざける奴は嫌いじゃねえ。
だが、船と同じ進行方向に向かって跳ねていたサンショウトビウ
オが、亜麻クソの腰に当たった。
軽く触れる程度だったが水面でバランスを取っていた両足を崩す
には十分だったらしい。
﹁みたまえ諸君ッ! このぶぉくの華麗なるウォーターダンスぱび
ゃらぶばっば!﹂
盛大に亜麻クソがコケた。
水しぶきを上げて水面に何度も叩きつけられる。
1526
何度か変なポーズを空中で取ると、亜麻クソは初期状態の水面を
尻でくるくる回る走法に戻った。
﹁ぎゃーっはっはっはっはっはっはっは!﹂
﹁ぶわーっはっはっはっはっはっはっは!﹂
﹁バカだ! あそこにバカがいる!﹂
﹁調子こいてコケてやがる!﹂
悔しいが、オレとガルガインは腹をかかえて笑った。
﹁センチメンタルジャァニィィィィッ!﹂
そこをカメラを抱えたテンメイがスライディングの要領で滑り込
んでシャッターを切った。なぜこのタイミングなのか、さっぱりわ
からねえ。
つーかいきなり叫ぶのやめてくれ。普通にビビる。
船酔いが治ったらしいテンメイは満足げにカメラを持って起き上
がり、現像される写真へ目を落とした。
﹁見てみるかい?﹂
そう言われ、オレ、ガルガイン、エイミー、サツキは顔を寄せ、
写真用紙を覗き込んだ。そういやエリィ・ゴールデンはこの用紙の
大きさをA4サイズと呼んでいたな。
だんだんと写真に映像が浮かび上がってくる。
写真用紙に鮮やかな色がついた。
写真の右端にはソファに座って紅茶を飲むアメリアさんと、その
後ろに控える色黒のジョン・ボーンさん。船尾の手すりで亜麻クソ
1527
に声援を送る金髪のエイミーと黒髪のサツキ。その脇で腹を抱えて
いるオレとガルガイン。青空の下で水しぶきを上げながら飛び跳ね
るサンショウトビウオの群れが太陽の光できらめき、その真ん中に
は尻で滑走している亜麻クソのドヤ顔があった。
写真のことはさっぱりわかんねえけど、何かやたらと楽しげな光
景だと思った。
そしてテンメイがでかい声で何やらしゃべり出した。
﹁素晴らしい写真だ! そう、まるでライラックの木の下で再会の
誓いをした妖精王バイクリマ・クリスティンとジプシー族の姫シャ
ーライカ・ホライズンの美しくも青い春を彷彿とさせるプラトニッ
クな清涼感あふれる思ひでの一ページ! 僕らがこの湖で刻む青春
の一ペ︱︱︱﹂
そこまでまくし立てると、テンメイは船尾まで走って手すりにつ
かまり、上半身を乗り出して︱︱
﹁オロロロロロロロロロロロロロロ!﹂
またしても吐いた。
全員が悲鳴を上げ、大海原に撒き散らされた物体をサンショウト
ビウオが軽々とよけていく。亜麻クソも水面尻滑走で緊急回避して
いた。
いや、酔うならじっとしてろよ、まじで。
○
1528
青湖を三日で抜けたオレ達は、湖の国と言われる﹃メソッド﹄に
入った。
メソッドはグレイフナー王国の四分の一程度の国土を保有してい
る。
北側が自由国境に面しているため、魔物の侵入を防ぐ防衛ライン
が構築されており、必然的に優秀で実戦に長けた魔法使いが多数い
るらしい。四年に一度﹃大モミジ狩り﹄と銘打った魔物狩りをグレ
イフナーと共同で行うのは有名な話だ。
グレイフナーとメソッドは四百年前から同盟関係にあり、結束は
固い。
お国柄なのか歴史的なのかは不明だが、身体強化よりも魔法技術
に重きを置く傾向があるみてえだ。
数年前、恋人をめぐって行われたパリオポテスの決闘では、数々
の著書を残したメソッドの大魔法使いグレモン・グレゴリウスとグ
と
魔法技術重視
のどちら
レイフナーの拳闘士ガッツ・レベリオンが戦い、魔法の手数でグレ
身体強化重視
モン・グレゴリウスが勝利した。
この決闘のせいで
が強ええのか、という昔からの議論が再熱したのはオレ達でも知っ
ている。つーかオヤジが暑苦しく語ってきてまじでウザかった。
﹁不思議な町並みね﹂
﹁ああ、そうだな﹂
オレとサツキは旅館のベランダからメソッド一番の観光都市﹃ロ
ロ﹄を見下ろしていた。
1529
等間隔に大木が植えられ、木と木にはロープが張られており、提
灯ランタンとかいう色とりどりの照明器具がいくつもぶら下がって
いた。
大通りには商売熱心な食い物屋が並んでいて、誰でもすぐ物が食
えるように屋台形式になっている。この国の連中はひらひらした布
を身につけていて、腰に帯を巻いてずり落ちないようにしていた。
水辺に町があるからそういった服装をすれば湿度がうんぬんとテン
メイが言っていた気がする。すんげえどうでもいい。
それよりおもしれえのが、ここの商人は金を貰う際に、くるりと
一回転することだ。
回るとひらひらした服が広がって踊り子みてえになるんだよな。
﹁あ、また買ったわ﹂
サツキが嬉しそうに眼下に見える肉屋を指さした。
太った男の商人が﹁まいど!﹂と言いながら華麗に一回転する。
どうしてあんなエリィ・ゴールデンぐらいのデブが軸をぶらさず回
れるのかがオレには不思議だった。
ってこんなことあいつに言ったらビンタされるな。こええこええ。
﹁みんなが戻ってきたら私たちも買いに行きましょう﹂
ちょっとばかし遠くを見れば、湖に浮かぶ小舟の光が蛍火みてえ
にふらふらと浮かんでいる様子が見える。
﹁スルメ、聞いてるの?﹂
﹁聞いてる。つーかおめえ食い意地張りすぎだろ﹂
﹁そ、そんなことないわよ!﹂
1530
そう言ってサツキはむっとした顔を作った。
きりりと引き締まった眉がへの字に曲がっている。ぬめるような
艶のある黒髪が提灯ランタンの光をうっすらと反射させていた。
﹁それから︱︱誰がスルメだよ誰がっ。呼び方が浸透しすぎだろま
じで﹂
﹁本名を忘れたわ﹂
﹁うぉい!﹂
﹁冗談っ﹂
ふふふ、と笑うサツキは結構ジョークが好きらしい。
道中でエイミーをからかっている姿を見かけるしな。
﹁ったくよ⋮。エリィ・ゴールデンに会ったらぜってー文句言って
やろ﹂
﹁エリィちゃん、あまり話したことがないんだけど、面白い子なん
でしょう?﹂
﹁おもしれえ、っていうかぶっ飛んでるな﹂
﹁どの辺が?﹂
﹁訳わかんねえあだ名つけるし、気づいたら意味不明な雑誌とかい
う本作ってるし。あいつに振り回されてる奴は結構多いぞ﹂
まあ振り回される連中はみんな嬉しそうなんだけどな。
うちの弟、黒ブライアンとかいうふざけたあだ名つけられて、今
じゃ満更でもねえ顔してっから。
﹁あのファッション雑誌、革新的だよね﹂
﹁さあ、オレにはさっぱりわかんねえ﹂
﹁防御力以外にも大事なものがあるんだって言っている女の子は多
1531
いのよ。エイミーの特大ポスターを見てそれに気づかされたって人
は新しい服を受け入れているみたいね﹂
﹁ふぅん。まあ、おめえ美人だから何でも似合うだろ﹂
﹁⋮⋮そうでしょう﹂
一瞬驚いた顔をしてうつむいてから、サツキは胸を張って腰に手
を当てた。
なんか顔がニヤついてやがる。
﹁エリィ・ゴールデンに会ったら何か頼んで作ってもらえばいいん
じゃね? エイミーとアメリアさんは作ってもらったらしいぞ﹂
﹁それいいわね! スルメにしてはいいアイデア! スルメにして
は!﹂
﹁うるせっ﹂
﹁どんな服がいいと思う?﹂
﹁はあ? どんなって言われてもな﹂
そう言われてオレはサツキをまじまじと眺める。
ベランダの手すりに寄りかかったこいつは、黒髪を撫でながらオ
レに向き直った。
思わず触りたくなるような美しい黒髪と、意志の強そうな眉。大
きめの口は自信ありげで、口角が上がっている。茶色の瞳はテンメ
イいわく、宝石クレレシオンのようだ、という話だがよくわからね
え。とりあえずオレの目にはやたらと綺麗に映る。
どう? と聞いてくるようにサツキが首を傾げた。
なんでもいいんじゃね、と言ったら怒りそうだ。
﹁この国の服とか似合いそうだな﹂
1532
あのひらひらした布を合わせている服とサツキの黒髪は合いそう
だった。
﹁そうかな?﹂
そういってくるりと一回転して、サツキは楽しげに笑った。
﹁まいど﹂
商人の真似らしい。
腰まで伸びた艶のある直毛が、扇子を広げたようにゆったりと宙
を舞った。
サツキの黒髪が提灯ランタンの光を浴びると、ここがさながら別
世界みてえに見え、あまりの美しさに一瞬、見惚ちまった。
あわててオレは湖の方向を見つめて誤魔化す。
﹁へいへい、まいどまいど﹂
﹁ちょっとー、もう少しいい反応してよー﹂
﹁しねえよ﹂
﹁いい男なら、妖精のようだよサツキさんは、って言うのよ﹂
﹁誰言うかよそんなこと、誰が﹂
まあな。
︱︱︱ぶっちゃけ、今ので惚れたわ。
オレの反応が芳しくないせいかため息を漏らし、サツキは再び眼
1533
下に顔を向けた。
そして買い出しをしている旅のメンバーを見つけて手を振ってい
る。
ったく、年上なんだか年下なんだかわかんねえ奴だな。
仕方ねえから、なんかあったらオレが守ってやるか。
本人にはそんなクセぇセリフ言えねえけど。
小っ恥ずかしいから。
それからあれだ。エリィ・ゴールデンに会ったらモテる方法と女
を口説くコツを教えてもらうか。サツキに惚れたってことは⋮あい
つになら言っても問題ないだろう。何だかんだ義理堅い奴だし。
やっぱ当面の目標はサツキより強くなることだなァ。
惚れた女より弱いとかワイルド家の名折れだろ。
あいつは才能があるからな、引き締めてかからねえと追いつけね
え。
○
メソッド一番の観光都市ロロを出たオレ達は、予定通りに旅の行
程を進み、ついに問題の﹃旧街道﹄に辿り着いた。
喜んだのは亜麻クソだ。
奴は旧街道に着くまでランニングしながら寝ずの魔力循環を行っ
ていた。ついた途端にぶっ倒れてグースカ寝始めた。四徹してっか
ら無理もねえ。
正直、ここまで弱音を吐かない根性があることにオレとガルガイ
ンは驚いていた。
1534
﹃旧街道﹄の入り口は物々しい雰囲気だ。
百五十年前までは街道の機能を発揮していた﹃旧街道﹄はじわじ
わ広がる魔物の活動範囲に浸食され、今では危険度がめっちゃ高い
樹木の城壁
ティンバーウォール
が張り巡らさ
街道になっている。レンガが敷き詰められた道は長年管理していな
いせいで風化しているみてえだ。
入り口には三重に渡って木魔法下級
れていた。メソッドの兵士が街道から魔物が入ってこないように目
を光らせている。
﹁ごきげんよう。わたくしグレイフナー王国、ゴールデン家当主ハ
ワードの妻、アメリア・ゴールデンと申します﹂
そう言って門番に向かって流麗なレディの礼を取るアメリアさん。
無骨な皮の鎧を着た兵士が一瞬怪訝な表情をしたが、アメリアさ
んの尋常でない雰囲気を察して敬礼した。
﹁はっ! お疲れ様でございます!﹂
﹁通達があったはずです。ご確認を﹂
﹁かしこまりました。おい!﹂
迅速にやれよ、という圧力を込めたアメリアさんの視線が走る。
近くにいた魔法防御力の高いシルバープレートを付けた隊長らし
き兵士が冷や汗を垂らして大声でよばわると、すぐさま兵士二人が
詰め所へ駆けていく。一分も経たないうちに戻ってきた。
﹁確かに通行通知書がグレイフナーから届いております!﹂
樹木の城壁
ティンバーウォール
に折り重なるようにして作られた巨大な鉄門がギ
﹁良し。門を開けろ!﹂
1535
シギシと音を立てながら上へと持ち上がっていく。三つの門が開く
と、だだっ広い草原に真っ直ぐ伸びる一筋の街道が全貌をあらわに
した。
延々と草原の向こうへ街道が続いている。
﹁アメリア殿⋮⋮失礼とは存じますが、メンバーはこれだけですか
?﹂
隊長らしいシルバープレートが念のため、といった口調で声を掛
ける。
﹁ええ﹂
﹁しかしだいぶ若いようですが⋮﹂
﹁問題ありません。私とジョンは冒険者協会定期試験Aランク。黒
髪の女の子はBランク。他の子達は全員Cランクです﹂
ぴしゃりとそう言い、時間が惜しいといった様子でアメリアさん
はジョン・ボーンさんに馬車を出すように促す。
てめえ余計なこと言ってんじゃねえよ、とアメリアさんが今にも
エクスプロージョンしそうな眼力をシルバープレートへ向けた。
正直、玉が縮み上がった。まじで。
ガルガインのスカタンは何がおもしれえのかニヤリと笑ってアイ
アンハンマーを担ぎ直し、その横でエイミーはあわあわと狼狽えて
いる。サツキはさすが名門ヤナギハラ家の娘といった堂々とした佇
まいで興味深げに鉄門を見ており、馬車の後ろでテンメイが今か今
かとシャッターチャンスを狙っていた。亜麻クソは馬車で爆睡だ。
オレはとりあえず兵士達に舐められねえようにガンを飛ばしてお
いた。
1536
﹁し、失礼致しました!﹂
シルバープレートとその場にいた兵士達が即座に敬礼した。
﹁ご苦労様﹂
アメリアさんが優雅にねぎらいの言葉をかけ、馬車がゴトゴトと
進みはじめた。
いよいよ旧街道か。そう思うといやおうにも気持ちか高ぶってく
る。
﹁来たな、ここまで。ペッ﹂
﹁ああ﹂
ガルガインの言葉にうなずいて、オレは生唾を飲み込んで鉄門を
くぐった。
○
足を踏み入れた﹃旧街道﹄はCランクの魔物が頻繁に出現した。
逆をいえば、Cランクより下の魔物は現れねえ。
魔頁岩石
と、魔物が嫌う臭いを発する樹木
金木犀
キンモクセイ
が練
というのも、街道に使用されているレンガには、魔物除け効果の
ある
り込まれており、低ランクの魔物は近づいてこれねえ。
魔
メソッドとサンディの交易が盛んだった時代に相当の金をかけて
この街道が作られた、とアメリアさんが教えてくれた。また、
1537
頁岩石
と
キンモクセイ
金木犀
は冒険者や旅をする者には絶対に必要な知識
のため、見分け方も伝授してくれる。いざというとき自分たちで採
取して、即席の魔物除けを作れるからだ。何でも知ってるアメリア
さんカッケー。
低ランクの魔物は現れないため出現種類が限られ、対処しやすい
といえばしやすい。
オレ達はジョン・ボーンさん、サツキをメインにした陣形で街道
を進んでいく。
アメリアさんは監督役、ということで一切戦闘には参加してくれ
ない。本当にやべえ︱︱死ぬレベルのときだけ手助けしてくれるそ
うだ。
ジョン・ボーンさんが戦いに参加してくれるから、死ぬレベルっ
てAランクの魔物ぐらいじゃね?
つーかAランクの魔物といわれたら真っ先にボーンリザードを思
い出す。
まあ、Aランクモンスターなんて滅多に出て来ないから大丈夫だ
ろう。
無口なジョン・ボーンさんが﹁アメリアさんなら一人で旧街道、
歩けマス﹂と言っていた。やべえ。
﹃旧街道﹄に入って四日間で、Cランクの魔物、トリニティドッ
グ、ガノガ猿、蛇モグラ、魔式コウモリ、ジャコウオオカミ、魔火
鳥、の六種の魔物が現れた。Bランクは、ガノガ猿・長牙種が一度
だけ。
アメリアさんの訓練前のオレ達だったら、一匹にも勝てなかった
だろう。
1538
つーかBランクを全員で協力して倒せるようになっててまじ感動し
た。オレ達めっちゃ強くなったよなー。思えば身体強化もできなか
ったし、火魔法の上級を連射でぶっ放すなんてありえなかった。
金木犀
キンモクセイ
を
なんかさっきAランク無理、とか思ったけど相性がよけりゃ倒せ
る気がすんな。
あと重要なのは野営だ。
この﹃旧街道﹄には休憩地点が五つ存在している。
人々の往来が激しかった時代に作られた、魔除けの
大量に植林したキャンプ場が風化しているものの、まだ使用できる
キンモクセイ
金木犀
ではなく、モノホンの
キンモクセイ
金木犀
金木犀
キンモクセイ
がビンビン
状態で残っている。さすがの魔物も、レンガに練り込まれて効力が
弱くなった
に香りをばらまく場所へは侵入してこない。魔物にとって
の匂いは相当キツく感じる、というのが通説だ。全部、テンメイ
談。
問題は休憩地点以外で野営をする場合な。
なんの対策もせずにテントを張ったら魔物に襲われちまう。
そこでめっちゃ役に立つのがエイミーの木魔法だ。
正直、木魔法は地味、と思っていたが、この旅で大いにオレは意
見を変えざるを得なかった。木魔法便利すぎ。オヤジが冒険すんな
って魔法が非常に有用で、
ら白魔法使いと木魔法使いはぜってぇパーティーに欲しい、と言っ
精霊の鎮魂歌
シルキーレクイエム
ていた理由がよくわかる。
野営では木魔法中級
見た目には、ただ白っぽい木がにょきっと生えて葉っぱを揺らすだ
けなんだが、コレ、持続系の魔法で魔物の耳にだけ聞こえる嫌な音
を出す効果がある。
この木が生えている限りは大概の魔物は近づいてこない。
1539
罠炎
。
フレアトラップ
下級にも同じ効果のある魔法があって、そっちでも効果は十分ら
しい。
加えてアメリアさんの炎魔法下級
遠隔操作系の魔法で、発動条件を術者が指定できる。今回は地中
に魔法を隠しておき、魔物が通ったら襲いかかる設定にしたらしい。
弱点は詠唱に時間がかかることと、微弱な魔力を常に流しこまねえ
と魔法が消えることだ。
それをアメリアさんは半径二十メートルの円形に張り巡らし、八時
間持続させるんだから空恐ろしい。どんだけ魔力効率がいいんだよ。
やべえぜ。
○
野営の問題も魔法で解消し、旅は順調に進んでいた。
旅の途中でアメリアさんに言われて上位の炎魔法の詠唱にチャレ
ンジしたら、見事に成功した。
クッソ嬉しい。ガルガインのボケナスの悔しそうな顔といったら
ねえな。無駄にペッペペッペとツバを吐いてやがった。
まあ、あいつならすぐ出来るようになるだろう。
旧街道に入って十日目、何度目になるかわからねえCランクのガ
ノガ猿が三匹現れた。よだれを垂らし、長い腕で胸を叩くドラミン
グってのをしてこっちを威嚇してくる。素早い動きと腕の攻撃が強
力なので注意が必要だ。
すぐさま迎撃態勢を取る。
ジョン・ボーンさんとサツキが左右のガノガ猿を相手取り、エイ
1540
を発動させた。
ミーが迷いなく対象者に疲労軽減と体力回復の効果を付与する
ルキーアンセム
霊の樹木賛歌
シ
精
エイミーの魔法のおかげで思いっきり走っても全然息が切れねえ。
オレとガルガインは真ん中のガノガ猿に攻撃を仕掛けた。
﹁スルメ!﹂
﹁おうよ!﹂
ガノガ猿が長い腕を振り回してこちらに突進してくる。
ファイア
を最大火力で連発させると、
オレ達をごちそうだと思っているらしい。ふざけんなよ。
目くらましに下位下級
ファイアボール
三連射。
ガノガ猿が素早い動きを少しばかり遅くさせる。
そこへ
二発は外れたが、一発がガノガ猿の顔面にぶち当たった。視界を潰
された大型の猿は、ぎょわわ、という汚ねえ悲鳴を上げて顔面を両
手で覆った。
﹁どらぁ!﹂
身体強化したガルガインのアイアンハンマーがガノガ猿の土手っ
ファイアランス
火槍
が飛ん
ファイアランス
を発動させ、一気
腹にめり込み、敵がたまらずに身をくの字に折り曲げて悶絶する。
すかさずオレは火魔法上級
に放出した。
ゴオオッと音を立てながら弓矢ばりのスピードで
の連射でガ
であっさりガノガ猿を
ウインドソード
下の上
でいき、ガノガ猿にぶち当たって上半身を丸焦げにした。
ジョン・ボーンさんが身体強化
切り飛ばし、サツキは得意の風魔法
1541
ノガ猿を真っ二つにした。やっぱつええな二人とも。
﹁諸君っ! 素晴らしい活躍じゃあないか! リーダーとしてぼく
は鼻が高いよ!﹂
馬車の中で逆さ吊りになっている亜麻クソが叫ぶ。
いつも通りぴゃあぴゃあと何か言う亜麻クソは全員でフルシカト。
エイミーだけが律儀にうなずいている。
にしても逆さ吊り魔力循環⋮⋮あれオレ達もやったわー。
﹁まだ余裕があるみたいね﹂
アメリアさんがちらりと見て、わざと身体を押した。
ぶらんぶらんと亜麻クソが振り子のように左右に揺れる。
﹁まだまぁだ、余裕ですよ! アッメリア奥様! はっははははっ﹂
﹁それは頼もしいことね﹂
とか笑ってる亜麻クソの顔は逆さ吊りのせいで真っ赤だ。
シ
精
はかなり魔力を消費するでしょ。もっと強い敵が出
﹁エイミー、あの相手なら木魔法の下級でいいんじゃない? ルキーアンセム
霊の樹木賛歌
てきたときに使えない、なんてことになるとまずいわ﹂
﹁まだまだ大丈夫。でもサツキちゃんがそう言うならそうする﹂
﹁そのほうがいいわ。ありがとう﹂
﹁あまり木魔法の補助に慣れすぎるのはよくないデス﹂
サツキとエイミーの会話にジョン・ボーンさんが忠告を入れてく
る。
1542
まあ言われてみりゃたしかにそうだな。ここ最近はずっと木魔法
の補助ありで戦ってきたから、これが当たり前みてえになると補助
がないときに動きが鈍るかもしれねえ。
﹁そんなら次はなしでやってみようぜ﹂
﹁いいわね、そうしましょう﹂
オレの提案にサツキが乗ってきた。
﹁エイミーは後ろから全体を見てウォール系で敵の攻撃を妨害した
り、拘束系の魔法を使ってくれよ。おめえは連携の練習。オレ達の
木魔法補助なしの練習になるぜ﹂
﹁スルメにしてはいい提案ね! スルメにしては!﹂
﹁うるせえ﹂
﹁オッケ∼﹂
サツキに文句を言って、エイミーが垂れ目でウインクして了解す
る。
﹁エェェェクセレンッッ!﹂
今まで何もせずカメラを覗き込んでいたテンメイが、また意味の
わかんねえタイミングでシャッターを切った。
﹁いやぁいい絵が撮れた! 契りの神ディアゴイスに特大の感謝を
っ!﹂
﹁おめえは写真ばっか撮ってねえで仕事しろよまじで!﹂
﹁まあまあスルメ君。旅は道連れこの世はファンタスティックベイ
ベーっていうだろう?﹂
﹁いわねえよボケ!﹂
1543
﹁おや? エリィ嬢が、旅は道連れでこの世はファンタスティック
なベイベェ∼と鼻歌を歌っていたんだが⋮﹂
﹁しるか!﹂
さて、写真バカの相手をして時間を潰すわけにもいかねえ。
そろそろ移動しねえとガノガ猿の血の臭いで他の魔物がやってくる
だろう。ガルガインも同じ事を思っていたのか、無言で馬車を進め
ようと御者席へ上がろうとしている。
ガルガインが御者席に片足をかけた状態でぴたりと止まってツバ
を吐く。
なにやら耳をすましている。
﹁どうした?﹂
﹁ペッ。どうにも嫌な感じがするぞ﹂
ドワーフの種族特性なのかは知らねえが、こいつの勘は結構当た
る。
と思ったそのときだった。
アメリアさんが大声で叫んだ。
﹁その場に伏せなさい!﹂
全員、訓練のたまものなのか、間髪入れずにしゃがみこんだ。
オレとテンメイの頭上を、ぶぉんと何かが通りすぎる。
﹁︱︱なんだ!?﹂
﹁わからない!﹂
﹁スルメ、テンメイ、陣形を!﹂
1544
﹁おうよ!﹂
﹁了解!﹂
サツキの声でオレとテンメイは身体強化をかけて駆け寄る。
連携を取ろうとしたところで、先頭にいたジョン・ボーンさんが何
の前触れもなく吹っ飛ばされた。
﹁なっ⋮⋮?!﹂
魔法じゃねえ!
何もねえのに、ジョン・ボーンさんがボールみたいに上空へ吹っ飛
びやがった!
﹁くっ⋮⋮!﹂
下の上
を一気にかける。
サツキが飛び出し、腰に差していた小太刀を抜いて構え、身体強
化
︱︱︱ドゴッ!!!!
﹁きゃっ!﹂
サツキの足元で街道のレンガが弾け飛び、衝撃を受けて細身の身
体が後方へ横滑りしてきた。
!﹂
身体強化のおかげでダメージはないようだ。オレはがっちりとサ
ファイアウォール
ツキを受け止めた。
﹁
1545
どっから攻撃されてんのかわかんねえ!
杖をポケットから引き抜いて火の壁を前方へ二十メートル展開させ
る。
オレ達はあわてて後方へと下がった。
﹁ありがと﹂
﹁気にすんな。それより⋮﹂
サンドウォール
!﹂
﹁相手の姿が見えないわ﹂
﹁
ガルガインが馬車とオレ達を守るように土壁を張り巡らせた。強
度より範囲重視だ。
続いてエイミーがあわあわしながら合流する。
オレはサツキから手を離して地面へ下ろし、テンメイをちらりと
見た。
テンメイはカメラを両手で抱えたまま、ごくりと唾を飲み込んで
口を開く。
﹁図鑑の情報が正しいならカブラカメレオンだろう。皮膚で光を屈
折させ透明化するAランク指定の危険な魔物だ。皮膚が硬く、獰猛、
おまけに雑食だ﹂
﹁Aランクかよ!﹂
この旅で初めてAランクの魔物が現れやがった。
﹁パワーや素早さはBランクなんだけどね、周囲へ消える能力があ
るため最近Aランクの認定をうけたんだ﹂
しかも透明化するだと?
1546
反則もいいとこじゃね?
火蛇
!﹂
!﹂
!﹂
ファイアウォール
がかき消されて
がでかい音と共に破壊された。
そうこうしているうちに
サンドウォール
﹁
土槍
ファイアスネーク
﹁
ウインドソード
サンドニードル
﹁
﹁エネミィィィィッ!﹂
ウインドソード
を飛ばし、ガルガインが土壁の破壊され
ファイアスネーク
火蛇
を行使、サツキが横長の
サンドニードル
土槍
当てずっぽうで
た付近を狙って
を空中へ叩きつけ、テンメイがシャッターを切る。
しかし手応えはない。
︱︱︱!!!?
下の上
で全員の前へ
左前方、地面のレンガが何かに踏まれてみしりと音を立てる。
オレは最近できるようになった身体強化
飛び出して、背中からバスタードソードを引き抜いた。
ガァン、と岩で殴られたような衝撃がバスタードソードに伝わる。
﹁ぐっ⋮⋮!﹂
ってえ!
あまりの衝撃にたたらを踏んだ。
1547
サンドウォール
﹁スルメ!﹂
﹁
!!﹂
サツキが叫ぶと、エイミーがオレの周囲に土壁を出現させた。
が、すぐに不可視の攻撃で土壁が破壊され、残骸が飛び散ってオ
レにぶつかる。
﹁があっ!﹂
バスタードソードで顔を覆って何とか踏みとどまる。
そして、何かがこちらに向かって勢いよく振り回されたのか、風
が空を切る音が聞こえてきた。
勘にまかせ、思いっきりバスタードソードを振り下ろした。
︱︱︱ガイィィン!
鉄塊をぶん殴ったような音が響き、オレのバスタードソードと見
えない何かがぶち当たった。手がじんじんと痺れる。
﹁スルメ! 後退よ!﹂
サツキに言われ、足に力を込めて一気に飛び退る。
高出力の身体強化のせいで肩で息をしてしまう。
発光爆発
!!!﹂
サンセットプロ−ジョン
くそ、鍛え方が足りねえぞ!
﹁
1548
突如として目がくらむほどの発光が目の前で起こり、空中で爆発
した。
両目をつぶり、爆風で身体が後ろへ吹っ飛ばされる。
おそらく敵も向こうへ吹っ飛んだだろう。
﹁全員下がりなさい! それ以上は危険よ! ﹂
アメリアさんの凛とした声が旧街道に響く。
相当負傷しているようだが、気づけばジョン・ボーンさんが馬車
の側にいた。
﹁諸君ッ! リィダァのこのぶぉくがアシル家に伝わる伝説の魔法
を︱︱﹂
﹁はやく!﹂
そうアメリアさんが指示を出した。
オレ達だけじゃ、この魔物を倒せねえってことか!
くそ! まだ負けたわけじゃねえぞ!
連携すりゃギリ勝てるだろ?!
﹁アメリアさん! 限界までやらせて下さい!﹂
オレの気持ちを代弁するかのように、サツキが鋭い目でアメリア
さんに直談判する。
気づきゃ、ガルガイン、エイミー、テンメイも同じ目をして真っ
直ぐ前を見ていた。
﹁オレも同じこと思ってたッス﹂
1549
一歩前にでたオレを見て、サツキが﹁スルメにしてはいいこと言
うわね﹂という視線を送ってくる。
黙ってうなずいて﹁ったりめえだろ﹂という思いを込めた視線を
返した。
何となく理解したのか、サツキがほんの少し嬉しそうに口角を上
げた。
目で人を殺せるんじゃねえかと思うほどの強烈な眼力でアメリア
さんがオレ達を睨みつける。一人一人を斬り捨てるみてえに、鋭く
視線を走らせた。
だが、この中に目を逸らすような臆病者はいねえ。
オレ達はあの訓練を全員で乗り越えたんだ。目に見えねえ絆があ
る。そいつを思えば全然怖くねえ。
﹁⋮⋮⋮仕方のない子達ね﹂
早く倒しなさい、といった表情でアメリアさんが肩をすくめた。
サツキが綺麗な動作で一礼し、情熱と冷静さを兼ね備えたリーダ
ーらしく指示を飛ばし始める。
でオレ達に補助をかける。続
で相手の位置を探って! テンメイはエイミ
シルキーアンセム
精霊の樹木賛歌
サンドウォール
﹁私とスルメが前衛! エイミーはすぐに補助魔法! ガルガイン
は
ーの補助!﹂
まずエイミーが
いてガルガインが前方へと薄い土壁を百八十度展開。テンメイがい
つでもエイミーを守れるように杖を構える。
すぐに土壁の一部が破壊され、そこにカメレオンがいることが判
1550
明した。
火槍
!﹂
﹁
ウインドソード
ファイアランス
﹁
!﹂
﹁いま唱えようアシル家に伝わる伝説の奥︱︱﹂
真っ赤な槍と不可視の刃が飛んでいき、何かにぶち当たると、グ
エエと気味の悪い音を発した。馬車からバカの声が聞こえるが気に
しねえ。
を唱えて障壁
当たったみてえだが、血が流れていないところを見ていると敵に
サンドウォール
ダメージは与えられていねえらしい。厄介だな。
ガルガインとエイミーが交互に
を作り、穴が空いたところへオレとサツキが魔法をぶっ放す。
土壁の破壊される大きさから鑑みるに、敵の何ちゃらカメレオン
の大きさは七、八メートルってとこだろう。
どうやら尻尾を振り回して壁を破壊することもあれば、腕で破壊
することもあるみてえだ。尻尾を振ると土壁が真横にえぐれ、腕の
場合は地面も一緒にえぐれる。
土壁を作る、壊される、魔法をぶっ放す。
それが六回繰り返され、ダメージを与えているのかいないのか分
からないまま、じわじわと敵に距離を詰められた。距離は十メート
ルもない。
﹁サツキちゃん! 時間を!﹂
エイミーが叫んで杖を顔の前へ掲げて目を閉じ、詠唱を開始する。
を唱え、それに続い
を唱えた。
サンドウォール
サンドウォール
サツキはすぐに理解して
てガルガインも
1551
が、二枚出現した土壁はあっさりと破壊される。
は中距離
を穴の空いた場所へ撃
!﹂
鷲の眼
イーグルアイ
イーグルアイ
が遠くを見る探索魔法とすれば、
鷲の眼
火槍
ファイアランス
﹁諸君! 時間を稼いでくれたまへっ! ぶぉくの究極水魔法︱︱﹂
オレはありったけの魔力を込めた
ち込む。
着弾したらしいが、手応えがねえ!
下位魔法じゃ倒せねえってことか!?
﹁我の眼は獲物を逃さず追い詰める⋮⋮
ホークアイ
鷹の眼
エイミーが、くわっと目を見開いた。
から近距離を鮮明に映し出す戦闘補助魔法だ。不可視のゴーストや
こういった透明化する敵に有効。実体までは見えないものの、空気
鷲の眼
イーグルアイ
の効果でエイミーの瞳が猛禽類のようにぎょろりと右
中にただよう塵の動きまで見通せるため敵の居場所を把握できる。
に動いた。
﹁スルメ君! 右前方だよ!﹂
﹁うおっしゃあ!﹂
素早く杖をポケットにねじ込み、地面にぶっ刺しておいたバスタ
ードソードを引き抜いて振り下ろした。
身体強化した渾身の斬撃。
カメレオンの身体と剣が衝突し、ガン、という硬い手応えが両手
を伝って肩まで這い上がってくる。
1552
﹁そのまま突き!﹂
﹁だらぁっ!﹂
言われるがまま、バスタードソードを思い切り前方へ突き出す。
今度は柔らかい手応えと剣がめり込む感触。
目玉ぶっ刺したんじゃね?!
わっかんねえけど柔らかいってそこしかねえだろ!
﹁ゲギャアアアアアアアア﹂
﹁みんな後ろに跳んで!﹂
エイミーの指示通り、全員が飛び退る。
今まで立っていた地面がカメレオンの攻撃で陥没した。
﹁時間を! 時間を稼いでくれたまへっ! アシル家の︱︱﹂
﹁時間を稼いで!﹂
今度はサツキが大声を上げる。
あいつ、上位の空魔法を使うつもりだ。
﹁ガルガイン君の左! 尻尾攻撃!﹂
待ってましたと言わんばかりにガルガインがツバを吐いてアイア
ンハンマーを横殴りにする。
どでかい金属音が響いてガルガインが反動でのけぞった。
オレはカメレオンの場所に当たりをつけ、二歩駆けて上段からバ
スタードソードを振り下ろした。
硬い皮膚のようなもんがこそげ落ちる感触と、カメレオンの薄い
悲鳴が響く。
1553
﹁
ウォータースプラッシュ
!﹂
サンドニードル
土槍
﹁奥義ぃ! !﹂
が地面から突き上がった。
サンドニードル
土槍
にぶち当たって、そこら中が泥水まみれになった。
サンドニードル
土槍
ウォータースプラッ
ガルガインがズボンのサイドポケットから杖を引き抜いて詠唱す
ると、
が
そして亜麻クソが馬車から唱えたであろう
シュ
﹁あのボケ! 何やって⋮⋮?﹂
まじか。
空刃斬撃
!!﹂
エアスラッシュソード
泥水をかぶってカメレオンの姿があらわになった。
﹁そこね! 詠唱を終えたサツキが空魔法中級をぶっ放すと、目で追うのがや
空刃斬撃
はカメレオンの首筋にぶつか
エアスラッシュソード
っとの速度で白濁色をした刃が飛んでいき、泥まみれのカメレオン
にぶち当たった。
強力無比な空魔法中級
って、硬い皮膚を切り裂いて三分の一ほどめり込んでかき消えた。
!﹂
でカメレオン
﹁ゲギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!﹂
ティンバーアイビー
樹木の魔蔦
樹木の魔蔦
ティンバーアイビー
首から大量の血を出してカメレオンが暴れ回る。
﹁
エイミーが制御の難しい木魔法下級
の後ろ足二本を絡め取る。うめえぞ!
1554
﹁うおらぁぁぁっ!﹂
ガルガインが数十秒だけ使える身体強化
下の上
で飛び上がり、
アイアンハンマーを渾身の力でカメレオンの頭に叩きつけた。
﹁スルメェ!﹂
﹁おうよぉ!﹂
オレは動きの止まったカメレオンの首筋に杖を向け、憶えたての
炎矢
!!!﹂
フレアアロー
炎魔法をめくれあがった傷跡へぶっ放した。
﹁己が心は熱く燃える弓となる⋮⋮
くらえこらああああああああっ!
ゴオオオオッ、と周囲を焦がしながら火魔法の比にならねえ特大
の炎が飛んでいき、カメレオンの傷口にぶち当たった。
自慢の皮膚でガードできず、カメレオンは首を真っ赤に燃やして
悶絶し、周囲を転げ回る。
やがて、敵は動かなくなった。
全員がカメレオンがどうなったのか見つめ、三秒ほど静止した。
しん、と静まり返る旧街道。
﹁バイオレンスゥゥゥゥゥパフューーム!﹂
1555
テンメイが全身を投げ出して、ズザザザザ、と埃を上げながらシ
ャッターを切る。
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
しばしの沈黙。
ぐったりと横たわる全長七メートルのカメレオン。
戦闘のあった周囲は土壁の破片が散乱し、泥水で水浸しになって
いた。
オレは勝利を確信してバスタードソードを突き上げた。
﹁⋮⋮よっしゃあああ!﹂
全員でAランクの魔物を倒したぜええええええ!
やべえええええ、オレ達つええええっ!!
﹁うおっしゃあああ! ペッ!﹂
﹁やったわ!﹂
﹁怖かった∼﹂
﹁いい絵が⋮最高の絵が撮れたぞ!﹂
﹁さ、さ、作戦どおりだよ諸君っ! こうなることはまあ分かって
いたんだよこのぶぅおくはね!﹂
ガルガインと拳を合わせ、サツキとエイミーとハイタッチをし、
何もしてねえテンメイととりあえずハグをし、全員で馬車まで歩い
て行くと、やたらオレ達と絡みたそうにしている逆さ吊りの亜麻ク
1556
ソの手を仕方なく叩いてやった。まあ役に立ったしな。
自らの白魔法で回復したジョン・ボーンさんがこくりとうなずい
て、アメリアさんがおもむろに口を開いた。
﹁⋮⋮合格ということにしておきましょう﹂
そう言われ、オレ達はまた喜びを交換した。
﹁ですがここはまだ旧街道。旅は目的地に到着してはじめて終了す
るものです。一時の勝ちに酔いしれて驕り、死んでいった冒険者を
私は何人も見てきました。これを教訓とし、次からは目的が達成し
てから勝利の喜びを味わいなさい。いいわね﹂
そう言ってオレ達を最後まで指導するアメリアさんが、少しばか
り微笑んだ。
﹁では怪我の治療をしたのち、すぐに出発します。他の魔物が血の
においにつられてやって︱︱!?﹂
アメリアさんの表情が一瞬だけ固くなり、全員の前から煙のごと
く消えた。
○
﹁なっ⋮⋮⋮?!﹂
思わず息を飲んだ。
1557
いや、消えたんじゃねえ。何かの攻撃を受けたらしい。
ジョン・ボーンさんが即座に身体強化をかけてアメリアさんの飛
んでいったらしい方向へ猛スピードで駆けていく。
嫌な予感がして振り返ると⋮⋮ちろちろと長い舌を出し、もたげ
るようにして首をこっちへ向けている大蛇がいた。
オレ、ガルガイン、エイミー、サツキ、テンメイ、全員が顔を強
ばらせて後ずさりした。
その大蛇はただの蛇じゃねえ。
五人全員を一気に丸呑みできるほど口が裂け、獰猛な目が金色に
輝き、腫れ物みてえなグロテスクな黒い皮膚がテラテラと光ってお
り、頭から尻尾まで二十メートルはありそうな体躯が波のようにう
ねっている。顔の横には昆虫の羽に似た気味のわりい透明な耳がつ
いており、右へ左へとせわしなく動いていた。
やべえ。ぜってえやべえヤツだコレ。
音もなく近づき、長い尻尾で攻撃したのか?
じゃりゅうへび
だとしても、あのアメリアさんが気づかないなんてヤバすぎる。
ダブルエー
﹁AAランクの危険種⋮⋮邪竜蛇⋮⋮?!﹂
テンメイが独り言のように呟いた。
﹁なぜこんな⋮⋮ところに⋮﹂
シャアアア、と邪竜蛇がうなり声を上げると口元から唾液がぼと
ぼと落ち、レンガが嫌な音を立てて溶けていく。
そして目にも止まらぬ速さでオレ達を丸呑みにしようと首を振っ
てきた。
1558
呆けているエイミーにテンメイが飛び付いて右方向へ転がり、オ
レ、サツキ、ガルガインは思い切り後ろへ跳ぶ。
邪竜蛇は首の軌道を人数の多いこっちへ切り替えた。
すげえ速さ!
み込まれる、と思ったそのとき、邪竜蛇がのけぞった。
よけきれねえ!
﹁逃げなさい!﹂
オレ達の目の前に飛び込んできたアメリアさんが両手で邪竜蛇の
下あごを掴んで押し上げている。
上の中
上の中
はもって数十秒だろう。
をかけているみてえだ!
あんな細腕で邪竜蛇つかんでんのすげええええ!
身体強化
だがアメリアさんでも身体強化
﹁ふん!﹂
心配したのも束の間、ジョン・ボーンさんが邪竜蛇の目を狙い、
ショートソードで斬りつける。
敵はたまらず首をさらに上へ曲げて刃を回避した。
爆発
!﹂
エクスプロージョン
動きがはええ!
﹁
手を離したアメリアさんが素早い動きで杖を抜き、得意魔法を唱
えると、邪竜蛇のどてっ腹が爆発した。余波で街道のレンガがえぐ
れて飛び散る。
1559
!﹂
上の下
だろう。あまり効いてねえ!
すかさずジョン・ボーンさんががら空きの邪竜蛇の顔面へ蹴りを
銃弾爆発
バレットプロ−ジョン
叩き込んだ。身体強化は
﹁
銃弾爆発
バレットプロ−ジョン
!
さらにアメリアさんが杖を両手持ちにし、前方へ突き出して魔法
を行使する。
やべええええええええええ!
炎魔法中級派生の中で屈指の攻撃力を誇る
反動でアメリアさんの腕が真上にかち上がった。
︱︱ドドドドドドドドドドバァァン!!
アメリアさんを起点にし、直径十メートルの大爆発が数珠つなぎ
に発生した。爆発が串団子みてえに奥へ続いていく。
高威力の爆発は巻き込んだ物体を容赦なく破壊し、炎と力の暴力
を食らったはずなのに、平気な顔で佇んで
によって焦がして引きちぎり、跡形もなく塵にしようと進路上の空
間を飲み込んでいく。
銃弾爆発
バレットプロ−ジョン
﹁まじか⋮⋮⋮﹂
邪竜蛇は
いた。軽く表皮が焼けた程度のダメージしか負っていない。
何が面白いのか、ニタリと口を広げやがる。
クソっ! どんだけ皮膚の防御力が高えんだよ!
オレとサツキとガルガインは戦いの邪魔になると思い、さらに距
離を取った。
1560
サツキはさっき撃った空魔法中級のせいで魔力枯渇を起こしてい
るらしい。顔色がかなり青く、動きが鈍い。
オレとガルガインはまだ何とか動ける。
アメリアさんの爆発系を中心とした攻撃と、ジョン・ボーンさん
の身体強化による巧みな物理攻撃が、目にも止まらない速さで連携
され、交差し、幾通りもの組み合わせを生み出す。
邪竜蛇はそこまで知能が高くないのか己の身体能力だけを利用し
てしつこくアメリアさんを狙う。
ジョン・ボーンさんが爆発の中から現れるという、玉が縮みあが
る連携技で、邪竜蛇の舌を切り飛ばした。
その隙に、アメリアさんがとんでもない魔力を練って魔法の詠唱
を開始した。
まじかまじかまじか⋮⋮やべえぞ!
﹁全員さがれぇ!﹂
オレはあまりのやばさに叫ぶ。
それを察したのか、サツキ、ガルガイン、テンメイ、エイミーが
吹っ飛ばされた馬車のほうまで必死に足を動かして距離を取る。亜
麻クソは転倒した馬車の中で失神していた。
ジョン・ボーンさんが負傷覚悟で邪竜蛇を引きつける。
胸がつまるような焦燥感と共に時間が約六十秒経過したところで、
ジョン・ボーンさんが死角からの尻尾攻撃で吹っ飛んだ。
﹁ぐぅ⋮⋮っ!﹂
1561
プロ−ジョン
!!!﹂
その瞬間、詠唱の終わったアメリアさんが炎魔法上級を解き放っ
セブンアンガー
怒れる愛妻の七爆発
た。
﹁
瞬間的に空気が収縮し、わずかな静寂が周囲を包む。
そして鼓膜がちぎれるほどの爆音が巻き起こって空気を殴りつけ、
大量発生した熱が強引に周囲を膨張させてすべてを燃やし尽くし、
見上げるほどの大爆発が直径約四十メートル発生した。しかもそれ
が七発。とんでもねえ爆発に全員が軽々と吹っ飛ばされて目の前が
炎の閃光で真っ赤に染まる。
レンガやら土やら樹木が爆散してあられもない形になり、縦横無
尽に飛び散った。
爆発が収縮し、もくもくと爆発による煙の雲が現れる。
範囲外であってもこの威力。
食らったほうはひとたまりもねえ。
風が吹いて、爆心地がゆっくりと見えてくる。
あれじゃ邪竜蛇は木っ端微塵︱︱
︱︱︱!!!!?
おいおいまじかよ⋮⋮。
今日何度驚けばいいのかわかんねえ⋮⋮。
邪竜蛇が生きてやがる。
1562
ヤツはうまいこと自分の尻尾を巻いて頭を守ったらしい。その代
わり二十メートルあった胴体は半分以下のサイズになっている。
怒りのあまり、ジャアアアアアッと雄叫びを上げていた。
アメリアさんは炎魔法上級・特大殲滅魔法で魔力枯渇を起こし、
地面へ片膝を付いた。
ジョン・ボーンさんも、尻尾攻撃を受けて倒れたまま動かない。
邪竜蛇はメインディシュにしたいのかわざとアメリアさんを迂回
し、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。ずりずりと這い寄る気味の
悪い大蛇に思わず吐き気が込み上がってきた。悪趣味にもほどがあ
る。
このまま全滅⋮?!
ばかいうな。惚れた女ぐらい守れず何が男だよ!
くそったれ!
オレは恐怖で動けないサツキの前に立ってバスタードソードを構
えた。
﹁サツキ! てめえだけでも逃げろ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮スルメ?﹂
﹁エイミーはテンメイが逃がす! だからおめえは動けるなら自分
の足で逃げろ!﹂
﹁何を言って⋮⋮﹂
﹁早くしろボケがぁ!﹂
オレの叫び声を聞いたガルガインが横に並んでアイアンハンマー
を構える。
1563
﹁いけ。ペッ﹂
﹁女は逃げろってんだよ!﹂
そうこうしているうちに邪竜蛇が近づいてくる。
くそ! くそっ!
﹁私も戦う⋮⋮﹂
﹁おめえはもう魔力がねえだろうが!﹂
﹁いやっ! 私がリーダーよ⋮⋮!﹂
﹁るせえええええ!﹂
オレは魔力を振り絞って身体強化し、ふらついた足取りのサツキ
を後方へと放り投げた。
二十メートルほど飛んだサツキが地面を滑って倒れ込む。
いてえだろうが我慢しろ。
がぱぁ、と口を開けた邪竜蛇がオレとガルガインの目の前でぴた
りと止まる。
﹁おめえは右だ﹂
﹁てめえは左。ペッ﹂
ガルガインと目配せし、邪竜蛇の目を狙う。
どうせ死ぬなら一矢報いてやるぜ。
﹁隣は美女がよかったぜ﹂
﹁まあな﹂
オレの言葉にガルガインが、ふんと鼻で笑って答える。
邪竜蛇の唾液が音を立てて地面を溶かす。ぬらぬらと濡れた口内
1564
は暗く奥まで続いている。
⋮あれに食われたら絶対いてえ。
﹁すぐにおっ死ぬなよ﹂
﹁てめえもな﹂
﹁いくぜ!﹂
﹁うおおおおおおおおおお!﹂
最後に視線を交わし、死を覚悟したオレとガルガインが両手両足
に力を込めたそのときだった。
目の前の邪竜蛇が、黒と赤に染まり、まばゆい閃光に包まれた。
1565
第35話 砂漠のラヴァーズ・コンチェルト・前編
子ども達を救出してから一週間が経過した。
サンディとパンタ国の戦争が終わる、という噂話がちらほらと出
ているが、いつ終わるか分からない。理想としては、戦争が終わっ
て封鎖が解かれ、﹃赤い街道﹄を進み﹃トクトール﹄を経由して、
パンタ国からグレイフナーに入るルートが安全で効率もいい。
だが、ここまで長引いている戦争が、タイミングよく終わってく
れるとは思えない。
ポカじいには﹃旧街道﹄を二人で抜けられる、というお墨付きを
もらっており、野営や食糧調達の方法もアグナスやジャンジャン、
クチビール、チェンバニーから砂漠の冒険中に教わっているので、
準備が済めばいつでも出発できる。孤児院の子ども達をジェラに預
け、﹃旧街道﹄ルートで帰国し、戦力を整えて送迎するほうが確実
だろう。
ここ一週間、俺とアリアナは治療院で寝泊まりをしている。グレ
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
をかけることを日課にし
イフナーの子ども達が仮宿としているため、一緒にいよう、という
ことになったのだ。
そして朝昼晩の三回、
ていた。
﹁じゃあみんな、目を閉じて楽しいことを思い浮かべてね﹂
﹁はーい﹂
﹁思いつかない人は田中のファイヤーダンスね﹂
﹁はーい﹂
1566
グレイフナー孤児院の子どもと、魔改造施設に捕らわれていた子
ども魔法使い達が全員集まった。治療院の真ん中に俺が立ち、円形
になるよう均等な配置で子どもが並んだ。こうすれば一度の詠唱で
一気に魔法をかけれる。
ポーズは各々好きにしていいよ、と言ってあり、浄化魔法はリラ
ックスしているとより効果が高まる。
全員集まると五十人。この人数に魔法を一気掛けするのは慣れた。
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
を見物しに来る人が跡を絶たない。
それより問題はオアシス・ジェラの人達ね。
なんでも、ど派手な浄化魔法を使っているエリィの姿が本物の女
神に見えるんだとか。三日前から西の商店街の人達が整理券を配っ
て会場整理を行ってくれている。
まあ見るのは一向に構わないんだが、﹁ありがたや﹂といって祈
りを捧げるのだけは勘弁してほしい。ほんとに。
ルイボンなんかは領主権限、などと言って治療院の一番奥にある
一段上がった席で、必ず浄化魔法を見物する。そして﹁ふ、ふん!
結構きれいね! そこそこにね!﹂という、褒める捨て台詞なる
彼女らしい言葉を残し、嬉しそうに去っていく。
時刻は昼過ぎ。
治療院の窓や入り口は全開にされ、なるべく多くの人が浄化魔法
を見れるように配慮されている。
﹁黒き道を白き道標に変え、汝ついにかの安住の地を見つけたり。
﹂
愛しき我が子に聖なる祝福と脈尽く命の熱き鼓動を与えたまえ⋮⋮
ピュアリーホーリー
純潔なる聖光
1567
幾度となく唱え、魔力効率が良くなった
した。
ピュアリーホーリー
純潔なる聖光
が発動
足元に精緻な白い魔法陣が浮かび上がり、身体から銀色の星屑が
躍り出て楽しげに跳ねる。
大量の星屑がきらきらと輝きながら子ども達の頭へと降りそそぎ、
天からの祝福を浴びるように溶け込んでいく。
子ども達の顔が、母親に抱かれたときと同じ、安らいだ顔になっ
た。
周囲から﹁ほぅ⋮﹂と感嘆のため息が漏れる。
うん、みんなにはさぞ美しく見えることだろう。
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
を押しとどめるため相
だがこっちは必死だ。五十人分の浄化魔法は魔力の消費が半端じ
ゃない。霧散しそうになる
当の集中力を要するし、魔力がごっそりと抜け落ちて、百メートル
ダッシュを連続で五回するぐらい息が上がる。
魔法が終わって、はぁはぁ息してる俺も神々しいんだとか。
観覧者、お金取るよほんと。エリィが怒るだろうけどマニープリ
ーズ。子ども達の養育費にするからマニープリーズ。金貨のみ受付
マァス。
○
俺とアリアナ、ジャンジャンはルイボンから、西の商店街にある
1568
二階建ての空き屋を譲り受けたところだった。
コバシカワ商会の支部にする予定だ。
をかけている。
その帰り道、﹃バルジャンの道具屋﹄改め﹃バルジャンの温泉﹄
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
を目指し、大通りを三人で歩いている。
ちなみに、フェスティには個別に
朝昼晩と寝る前の四回だ。
そのおかけで黒魔法の精神汚染は何とか解除できた。
塞ぎがちな心のほうも、ジャンジャンとコゼットのおかげで回復
の兆しを見せている。
ジャンジャンから﹁フェスティが笑った!﹂という報告を日に何
度か受けるようになっていた。
それはいい。それはいいんだ。
すごーく喜ばしいことなんだ。でも何か忘れてないかジャンジャ
ン。
﹁で、ジャンジャン。いつ告白するの?﹂
﹁な、なんだいエリィちゃん藪から棒に﹂
﹁いつになったらコゼットに愛を伝えるのよ﹂
﹁えーっと⋮⋮うーん⋮ははは﹂
﹁えっとうーんはははじゃないわよ! フェスティが戻ってきてコ
ゼットの気持ちが落ち着いた今がチャンスなのよ? わかってるの
!?﹂
﹁わかってはいるんだけどね﹂
﹁煮え切らない男、格好悪い⋮﹂
シャケおにぎりをもりもり食べながら、アリアナが無表情でちら
りと流し目を送る。
1569
﹁うっ⋮⋮﹂
﹁明日のクノーレリル祭で告白しなさいよ。さもないとコゼットは
私がもらうわ﹂
﹁ど、どど、どういうことだいそれは?!﹂
﹁文字通り攫っていくわ。もちろん了解を得てからね。コゼットは
グレイフナーの私のお店で働いてもらいます﹂
﹁エ、エリィちゃんならやりかねない⋮﹂
﹁ふふん。さあどうするか決めてちょうだいね﹂
両手を腰に持ってきて、胸を張ってジャンジャンを見やる。
エリィの大きいわがままな胸が揺れた。
﹁あ、白の女神エリィちゃんだ!﹂
大通りを歩いていると大抵、こうやって声を掛けられる。だいぶ
有名人だ。
手を振ってきたターバンを巻いた子どもへ手を振り返す。
﹁ハロー﹂
﹁ハロー!﹂
恋
トキメキ
狐美少女のアリアナも相当の人気で、道行く人から声を掛けられ
ている。ちなみに、この数日間で、何人かがオリジナル黒魔法
の実験と称して心臓を止められていた。
彼女の可愛さは心臓を止める、というのがもっぱらの都市伝説だ。
いや、噂じゃなくてほんとなんだけどな。
﹁わかったよエリィちゃん。俺も男だ﹂
ジャンジャンは決意したのか、きりりと眉を寄せ、決然とうなず
1570
いた。
﹁今日、お祭りのあと、コゼットに告白する﹂
﹁ホント? ホントね? 絶対よ!?﹂
﹁ああ大丈夫。エリィちゃんにそこまで言わせてしまったことが恥
ずかしいよ﹂
﹁絶対に成功するわ。だから自信を持ってコクってらっしゃい﹂
﹁コクる?﹂
﹁告白するってことよ!﹂
﹁わ、わかった! ああ! コクる! コクるぞ!﹂
﹁いいわよ! その意気よ!﹂
﹁やっとやる気出した⋮﹂
コンブおにぎりをもりもり食べながら、アリアナがため息をつい
た。
その割に、尻尾は左右に激しく揺れている。彼女は大の恋愛話好
きだ。
○
ということで夜になり、そわそわしているジャンジャンがコゼッ
トと連れだって出掛けていった。男達はターバンを巻くしきたりら
しく、ジャンジャンは普段つけないターバンを頭に巻いていた。
めっちゃ緊張してたけど大丈夫だろうか。
あまりに初心すぎて高校生、というか中学生の甘酸っぱい青春の
一ページを思い出してしまう。まあジャンジャンには、相手の目を
見て、はっきり﹁好きだ﹂と言いなさい、と言い含めておいたから
1571
問題はないと思うんだが⋮⋮不安だ。
一方のコゼットはかなりのおめかしをして嬉しそうに家から出て
行ったな。
お祭りの日は綺麗な服装をすることが通例らしい。フェスティの
ためにつけていたドクロのかぶり物も久々に外していた。
いやーまさに恋する乙女っていうの?
もう期待に胸を膨らませて、頬を上気させていたな。アリアナが
﹁頑張って⋮﹂と声を掛けたら﹁あうぅっ﹂と可愛らしい声を上げ
ていた。
おいジャンジャン。ここまで期待させといて何もしなかったら、
まじでコゼット頂いていくからな。俺、美少女だけど。
そんな二人を俺とアリアナは見送ると、バー﹃グリュック﹄に入
り、二階に上がってコゼットの部屋に戻り、自分たちも出掛ける準
備をすることにした。
窓からは楽しげな喧騒が聞こえてくる。
オアシス・ジェラでは一年に一回、人々の健康と繁栄を願い、婉
美の神クノーレリルに祈りを捧げる。
今はまだ戦争中ということもあり、簡単な縁日と踊り子による祭
壇での演舞のみ、ということになったのよオホホ、とルイボンが言
っていた。本来なら観光客が首都サンディや他国からもやってくる
経済面でみても重要な祭なので、オアシス全体の総力を上げてやる
行事なのだが、状況が状況なだけに仕方がないだろう。是非とも来
年、観光で来たいものだ。
バーのカウンターで黙々とグラスを拭くコゼットの親父さんに挨
拶し、隣の家にいるガンばあちゃんにもいってきますと声を掛け、
西の商店街を進む。さすが砂漠の町、ということもあり、お祭当日
1572
は鮮やかでエキゾチックなギャザースカートがそこかしこでひるが
えっている。オアシスの人々は持っているとびきりの服で着飾って、
中央広場を目指していた。
俺とアリアナはコゼットに作ってもらった白の膝丈ジャンパース
カートに、丸襟の半袖ブラウス。足元はサンダルで、アクセントを
付けるためにバンダナに似たハンカチを頭に巻いている。
ブルーのバンダナを三つ編みで編み込むようにして巻く、お洒落
巻き。
アリアナはポニーテールを真っ赤なバンダナで結わいている。き
ゃわいい。
ぶらぶらと歩きながら知り合いと挨拶をかわし、西の商店街から
大通りに入った。
ちょうどそこで待ち合わせをしていたアリアナ遊撃隊の三人娘が
こちらに気づき、嬉しそうに破顔して手を振っている。
こちらも手を振り返すと、元気な虎娘、人なつっこい猫娘、真面
目な豹娘が、尻尾をふりふりして駆け寄ってきた。
﹁ハロー! リーダー、エリィちゃん!﹂
﹁たこ焼き食べるニャ﹂
﹁リーダー、ボス、行きましょう﹂
三人はどうしてもバンダナでお揃いにしたいというので、虎娘の
トラ美はグリーン。猫娘のネコ菜が黄色。豹娘のヒョウ子がピンク
のバンダナを頭に巻いている。
なぜ女子はお揃いにしたがるんだろうか。某有名アミューズメン
トパーク、ネズミの王国にいくと、必ず同じTシャツを着ている女
子グループがいるが、あの意味がわからん。誰か、女の子がおそろ
にしたがる集団心理の論文プリーズ。
1573
﹁エリィしゃん、アリアナしゃん、今日も素敵な服でしゅね﹂
その後ろから、ぬっと現れたのはクチビールだ。
顔面が凶器のクチビールはボディガードとして呼んでおいた。デ
ートしたいって行ってたし。
﹁ありがと﹂
﹁エリィのセンス⋮﹂
しかしあれだよな。
エリィ、こんだけ美人になったから惚れる男が増えるよな。クチ
ビールは紳士的で対応が楽だけど、強引に迫ってくる男が今後いな
いとも限らない。その辺の対応も考えておかないと面倒くさくなり
そうだ。美少女つれぇ∼。
俺、アリアナ、クチビール、三人娘、の六人でたわいもないこと
をしゃべりながら中央通りを歩いていく。
通りの両側には各商店街からの露店が出ており、日本の祭と少し
似ている気がしないでもないが、暖簾や作りのいい屋台などはなく、
各店でサイズや規模はバラバラ。それがかえって面白く、つい歩き
ながらきょろきょろと見てしまう。
それから、孤児院の子ども達には年少組以外、出店の手伝いをす
るように言ってある。たこ焼きがオアシス・ジェラの名物になりつ
つあり、人手が足りないってギランが言ってたからな。子ども達に
はどんどん社会経験をしてほしいと思う。
大通りには食べ物屋だけではなく、クジや、ゲームなんかの露店
1574
も出店されていて面白い。
ウインド
やってみたいのは、極上魔力ポーションが当たるという触れ込み
の胡散臭い魔法クジ、風魔法の的当て。途中、人だかりがすごかっ
たのは、偽りの神ワシャシールの決闘法で賭けをしているゾーンだ
った。賭けの外れた客が胴元にバックドロップを決め、そこから乱
闘騒ぎになり、どっちが勝つかの賭けに発展してやたらと盛り上が
っていた。とりあえず何でも賭けにするのはこの世界の常識らしい。
そこかしこでターバン姿の男達がエールや酒を飲んで馬鹿笑いし
ている。
やはり全員がターバンを巻いているのは見ていて面白いな。観光
気分だ。
隣にいるクチビールが、まじで似合わないターバンを巻いている
のには正直何度か吹いた。というより、今も吹いてしまった。ウケ
る。
﹁ひどいでしゅよエリィちゃん﹂
﹁似合ってなさすぎよ﹂
﹁巻くのに一時間かかりましゅた﹂
﹁砂漠の極悪盗賊団の下っ端って感じよ﹂
﹁しょれはあんまりでしゅよ∼﹂
前を歩いているアリアナと三人娘がきゃぴきゃぴと楽しそうに話
している様子が微笑ましい。頭にぴょこんと乗っている獣耳にたま
らなく癒される。
俺とクチビールはこのスーパー癒し四人娘の護衛みたいなもんだ。
かわいらしい四人に話しかけようと近づいてくる奴は大体クチビ
ールの強烈な顔を見てぎょっとし、白の女神であるエリィの顔を見
て遠慮をしてくれる。
1575
﹁ねえエリィ⋮﹂
アリアナが振り返った。
なんだかその仕草が妙に色っぽくて一瞬どきりとしてしまう。
﹁なに?﹂
﹁耳を揉んで欲しい⋮﹂
﹁あー、リーダーずるいぞ! 私も!﹂
﹁あたしも揉んで欲しいニャ﹂
﹁ボス。揉んで下さい﹂
なぜがおねだりをされ、狐娘、虎娘、猫娘、豹娘に囲まれる。
目の前にはキツネの耳、左にはトラ柄の耳、右にはまだら柄の耳、
その横にちょこんと小さなヒョウ柄の耳。
﹁しょうがないわねえ﹂
もふもふもふもふ。
もみもみもみもみ。
つんつんつんつん。
さわさわさわさわ。
﹁ん⋮⋮﹂
﹁ひあっ!﹂
﹁ニャニャニャッ﹂
﹁わっふぅ﹂
あーこれやっぱ世界平和だわー。
癒されるー。ずっとこうしてたいー。
1576
して
しちゃうかもしれない。
サンダーストーム
雷雨
電打
エレキトリック
しばらく耳を揉んでいると人だかりが出来てしまったので、後ろ
髪を引かれる思いだったが両手を離した。
他の知らない人に耳をもふもふされたら大変だ。
インパルス
電衝撃
特にアリアナの耳を触られたら、その不届き者に思わず
して
﹁どうしたの⋮?﹂
﹁何でもないわ。さあ、行きましょう﹂
まったり歩きつつ、中央広場に辿り着いた。すごい人だかりだ。
クノーレリル祭のために特設ステージが組まれており、千人規模
の大きなホール同等の舞台装置が設置してある。装置といっても全
部が魔法が必要な仕掛けだから、やぐらの上に何人も人間がいるん
だけどな。
ライト
を詠唱している。どうやら色付きの布が仕込ん
照明やぐらのところなんかは、大きな筒状の器具に杖を突っ込ん
で光魔法
であるらしい。布を通せば色とりどりの光線で舞台上をライトアッ
プできる、という寸法だ。
背後には月夜に水面を輝かせるオアシスがあり、ハープや横笛の
演奏が、聴き手の心まで入り込んでくるような、淡く、甘美な音色
を紡いでいる。
女性の若い踊り子が音楽に合わせて一回転すると、ギャザースカ
ートや腰まである幾何学模様に編み込まれたヴェールが扇情的にゆ
ファイア
で炎を出して場を盛り上げ
ったりとひるがえる。旋律に合わせて青や赤の照明が点滅し、舞台
裏にいるらしい魔法使いが
る。
文明の利器なんか思いっきり無視したリアルファンタジー。魔法
もここまでくると芸術だな。
1577
思えば遠くへ来たもんだ。
﹁きれいだね⋮﹂
﹁そうねぇ﹂
アリアナが舞台を見ながらぼんやりと呟いたので、それに答える。
近頃は彼女が何を考えているのがわかってきたような気がする。
あまり言葉は必要ない。隣にいて、視線を交わせば何となくお互い
満足できた。アリアナもどうやらそう感じているらしい。思えばア
リアナともここまで心を通わせられるとは、出会ったときは想像も
できなかった。魔法学校の合宿のときなんか、めっちゃ暗かったも
んなぁ。
○
舞台の演舞は夜が明けるまで続けられる。
俺たちは情緒溢れる景色を堪能し、舞台から離れ、オアシスに沿
うように右方向へと進み、所定の場所へ移動することにした。
途中、最前列のかぶりつきの席で、酒を飲んだスケベじじいが踊
り子のぷりんぷりんの尻を見て﹁尻の冒険ここに極まれり﹂と言っ
ていた気がするが、せっかくのファンタジックさがぶち壊しになり
そうだったので、気のせいということにしておいた。
﹁エリィ、こっちで間違いない?﹂
﹁ええ。アグナスちゃんが合図を送ってくれたから間違いないわ﹂
照明で明るい舞台から遠ざかるほど、周囲は薄暗くなる。
オアシスが舞台上の光に照らされ、水面が揺れて幻想的に屈折し、
1578
見る者の目を穏やかにさせる。
中央広場からオアシスに沿うようにして続いている遊歩道は、ジ
ェラで有名なデートスポットであった。
等間隔に設置されたベンチはオアシスを眺めるため遊歩道に背を
向けてあり、その後ろには手入れをされた腰ほどの高さの植え込み
と、金木犀が十メートルおきに植えてある。
そう。そうなのだ。ベンチに腰をかけると、遊歩道からはカップ
ルの頭だけが見え、身を沈めて抱き合えば、どこからも見えなくな
る、完全なるイチャイチャポイントなのだ。東京だったら井の頭公
園とか代々木公園みたいなもんか。
これはいい。すごくいいぞ。女の子を口説くときに絶対使うわ。
俺、乙女で美少女でお嬢様だけどぉ! くぅぅっ!
何となく音を立てないように、俺とアリアナ、クチビール、三人
娘は遊歩道を進む。
すると、赤い髪を束ねて右肩に垂らしている普段着のアグナスが、
金木犀の脇にしゃがみこんで手招きをしていた。
﹁エリィ⋮!﹂とアリアナが笑みを浮かべる。
﹁どうやらあそこのようね⋮!﹂俺は生唾の飲み込んだ。
﹁でしゅ⋮⋮かっ﹂神妙にうなずくクチビール。
﹁ごくり﹂わざわざ効果音付けるトラ美。
﹁ニャニャンと⋮!﹂興奮するネコ菜。
﹁覗きはよくないかと⋮⋮でも⋮⋮!﹂好奇心に負けてついてくる
ヒョウ子。
中腰になって素早く移動する。
アグナスはこちらを見ると、美麗な顔を茶目っ気たっぷりにニヤ
1579
リと釣り上げ、親指を背後に向けてこちらに来いとジェスチャーを
した。
こそこそと彼のあとについていく。
足元は芝生で、眼前には生命の源である水をたたえたオアシスが
広がっている。
植え込みに隠れるようにしてメンバーが集まっていた。
しかし、当初の予定より大人数で、思わず目を剝いてしまう。
まずはルイボン。彼女を守るようにアグナス、トマホーク、ドン、
クリムトのアグナスパーティー。
さらにはバーバラと女戦士、女盗賊。
冒険者上位ランカーと、調査団に参加した冒険者達。
調査団に参加したジェラの兵士達。人数が足りないのは非番をも
らえなかった連中がいるためらしい。チェンバニーは長期休暇でジ
ェラにはいない。
﹁なんでこんなに集まってるのよ⋮!﹂
小声でアグナスに抗議した。
﹁すまないエリィちゃん。話したらどうしても全員来たいと言って
ね⋮⋮ははは﹂
﹁エリィ! こんな面白いことなんでわたくしに教えてくれないの
っ!﹂
﹁ちょ! ルイボン声が大きいわよっ﹂
﹁あら⋮ごひぇんふぁひゃい﹂
思わずルイボンの口を右手で塞いだ。
1580
﹁大丈夫だエリィちゃん﹂
﹁どこが大丈夫なのよっ。こんなにいたらバレちゃうでしょ⋮!﹂
狭い植え込みの陰にこれだけの人数が隠れているのだ。息が詰ま
りそうなほど、ぎゅうぎゅうのすし詰め状態で、約四十人がしゃが
みこんでいる。
愛を囁き合っているバカップルでもさすがに気づくだろう。
﹁コレを見てほしい﹂
自信ありげにアグナスが呟き、植え込みの横にある土壁を指さし
た。
ん? そういえば言われるまで気づかなかったが、めちゃくちゃ
不自然な位置に、ベンチを覗く目的のために作られたかのような土
壁がある。
腰の高さぐらいの土壁が、集合しているメンバーの横に五メート
ル伸びていた。
幻光迷彩
ミラージュフェイク
をかけ、さらに
これなら顔を出せばベンチの様子が手に取るように分かる。
に光魔法
、それからポカ老師にお願いして空魔法上級
サンドウォール
エアミスリード
を付与してもらったんだ﹂
空散錯覚
﹁土魔法
空魔法
ケ・セラ・セラ
空廷の傍聴者
魔法の無駄遣いっ!
﹁こうして耳を近づけると⋮﹂
アグナスが土壁に顔を近づけたので、それに倣う。
すると、微かな人の話し声が聞こえてきた。
1581
﹃そうだなコゼット⋮⋮平和だな﹄
﹃うん。それもこれもエリィちゃんのおかげだよね﹄
﹃ああそうだな。助けたときは変わった子だなって思ったけど、今
思えばあれは運命だったのかもしれない﹄
﹃運命⋮⋮かぁ﹄
思いっきり盗聴じゃねえか!
みんなすんげえニヤニヤしながら嬉しそうに土壁に耳くっつけて
るよおおおお!?
いや、俺はここまでしてほしいなんて言った憶えはないよ。ちょ
っと心配だったから邪魔が入らないように見守ろうって話だったよ
ね? 違うかね?
﹁アニキ⋮!﹂
﹁敵か。何人だ?﹂
﹁若いカップルです﹂
﹁フォーメーション・パリオポテス﹂
アグナスが鋭い目線を全員に走らせる。
重力
グラビトン
おいおい何が始まるんだと思っていたら、アリアナがこくりとう
なずいて、遊歩道から近づいてくるカップルに黒魔法下級
浮遊
で浮いていたバーバラが素早く男の
レビテーション
をかけると、﹁うお!﹂﹁きゃあ!﹂と急に身体が重くなって男女
が驚き、いつの間にか
後ろに回り込んで首筋に手刀を落とし、身体強化した盗賊女が忍者
みたいに駆けだして女の口元をハンカチで塞いだ。
﹁うっ﹂
﹁⋮⋮!?﹂
がくり、と首を前に垂らし、デートを楽しんでいたカップルは意
1582
識を刈り取られた。
ええええええええ!
いつの間にそんな打ち合わせしてたんだよ?!
聞いてねえよ?!
アリアナを見ると、長い睫毛をぱちぱちさせ、当然だという顔で
こくりとうなずいた。
打ち合わせしてたこと聞いてないよお兄さん!?
ジェラの兵士二人が遊歩道へ飛び出し、バーバラと盗賊女と協力
オウル
梟の
してカップルを運び、近くのベンチに座らせ、アグナスが満足げに
首肯する。
﹁よしっ⋮﹂
﹁よしじゃないわよ⋮!﹂
﹁さすがアグナス様﹂
﹁ルイボン?!﹂
もうツッコミどころが多すぎてあかん。
﹂
﹁くっ、見えづらいな⋮⋮我は闇に潜む獲物を捕らえる⋮⋮
アイ
眼
冒険中、ずっとクールだったターバン姿のトマホークが歯がみし
ながら木魔法中級をかける。
まじで魔法の無駄遣いッ!
てゆうか土壁から顔出したらバレる!
頭下げて頭っ!
1583
と言いつつ俺も覗いちゃうけどぉ!
両目だけ土壁から出るようにして、そろりとジャンジャンとコゼ
ットの様子を伺う。
二人は拳一つ分の距離を開けてベンチに座っていた。奥にジャン
ジャン、手前にコゼット。コゼットの顔はジャンジャンに向けられ
ているため、こちらからは見えない。
眼前に広がるオアシスにはカンテラをつけた船がぼんやりと浮か
び、遠くからはハープと縦笛の音色が微かに聞こえる。
ちょうど曲の終わるところだったのか、美しい旋律が途切れ、そ
の代わりに拍手が響いた。
ジャンジャンは﹃曲が終わったみたいだな﹄と言い、コゼットが
﹃そうだね﹄と優しげに答える。
うん、前言撤回。この盗聴土壁最高。グッジョブと言わざるを得
ない。
﹃ねえジャン。⋮⋮そろそろエリィちゃん達、ジェラからいなくな
っちゃうんでしょ?﹄
﹃賢者様が旧街道へ行くことを許してくれた、って言っていたから
な﹄
﹃はぁ⋮⋮ずっといてくれないかなぁ﹄
﹃そういうわけにもいかないよ。それに、グレイフナーの子ども達
はジェラに置いていくことにしたみたいなんだ。もう西の商店街で
子ども達の受け入れは決まっているし﹄
﹃え? そうなの?﹄
﹃旧街道を子ども連れで歩くのは危険だ。グレイフナーに一旦戻っ
て、戦力を確保してから迎えにくるんだってさ﹄
﹃じゃあまた会えるね!﹄
1584
﹃ああ、そうだな﹄
﹃よかったぁ∼﹄
﹃⋮⋮⋮俺はさ、エリィちゃんのやっている商会に入ろうと思って
いるんだ﹄
﹃コバシガワ商会っていう不思議な名前の?﹄
﹃商店街を救ってもらったときの手腕をコゼットも憶えているだろ﹄
﹃うん。エリィちゃん何でもできて格好いいよねぇ。男の子だった
ら惚れちゃうよ∼﹄
﹃⋮そ、そっか﹄
﹃いつも真っ直ぐで、思いやりがあって、お仕事もできて、努力家
で⋮はぁ∼憧れちゃうなぁ⋮﹄
﹃たしかにそれは⋮⋮俺もそう思うけど﹄
なんか俺の話題で盛り上がってるな。
そうかそうか、コゼットは俺に惚れちゃうかぁ。いやー嬉しいね
え。
ジャンジャンは少し複雑な表情を作ってオアシスの水面へ視線を
うつし、すぐにコゼットへ戻した。
﹃きっとエリィちゃんのやる商会は大きくなると思うんだ。それに、
何かとんでもないことをしてくれるような気がする。その手伝いが
できればいいなって思うんだ﹄
﹃うんうん! いいと思う! 私もジャンのこと応援するね!﹄
﹃⋮⋮それでさ⋮⋮コゼット﹄
﹃なに?﹄
﹃お前もそばにいてくれないか?﹄
ジャンジャンが真剣な面持ちでコゼットを見つめる。
心なしかベンチに座る二人の距離が近づいたように見えた。
1585
﹃もちろんいいよ﹄
後ろ姿で見えないが、コゼットは笑っていると思う。
ダメだジャンジャン。そんな回りくどい言い方じゃコゼットは気
づかないぞ。彼女はお前に好かれているとは思ってないからな。
コゼットは真面目すぎるんだ。フェスティが攫われたとき、助け
を呼べなかったことを未だに悔やんでいて、自分を卑下している。
だから、ここでジャンジャンが押して押して押しまくって、彼女
を認めてやれ。
そうすればすべてが丸く収まって、コゼットが自分をようやく等
身大の自己評価をできるんだ。決めろ。男みせろやジャンジャン!
﹁んふー、んふー﹂
﹁ん⋮⋮﹂
それにしても右隣にいるルイボンが興奮しすぎで鼻息が荒い。
魅
をかけて操り人形にし、キスさせようか悩んでいる。今
左隣にいるアリアナは真剣な顔でコゼットとジャンジャンに
チャーム
了せし者
いいところだからやめてぇ!
アグナス、ドン、トマホーク、クリムト、バーバラ、女盗賊、女
戦士、冒険者達、兵士達は重なり合うようにして、我先にと強引に
土壁に耳を当てている。﹁重いっ﹂とか﹁どけ﹂とか﹁邪魔よ﹂と
か、静かなる陣地争奪戦でもうぐっちゃぐちゃだ。
クチビールはその後ろで四つん這いになり遠巻きに二人を見つめ、
その上に三人娘が乗っかっていた。
そうこうしているうちにジャンジャンは決意したのか、ゆっくり
と両手を伸ばし、コゼットの華奢な右手を包み込んだ。
﹃コゼット﹄
1586
﹃ジャ、ジャン⋮⋮?﹄
︱︱︱︱!!!!?
コゼットが息を飲み、俺たちは生唾を飲み込んだ。
土壁の下にいる連中は何が起きたか分からず﹁どうした⋮?!﹂
と小声で尋ね、上の方を占領している連中が﹁手を握った⋮!﹂と
ぼそぼそと実況する。
さらに興奮の空気が膨張していく。
﹃そういう意味じゃないんだ⋮﹄
﹃それじゃ⋮⋮どういう⋮⋮?﹄
不安げな声を上げるコゼット。やはりここまで言われて、ジャン
ジャンが自分のことを好きだ、という考えには至らないようだ。
押せ。ここが正念場だジャンジャン。押すんだ。
両手を握る拳に思わず力が入る。
ふんすーふんすー、と隣のルイボンの鼻息がさらに荒くなる。う
るさい。
﹃ずっと⋮⋮ずっとお前と一緒にいたいんだ﹄
﹃え⋮⋮⋮⋮?﹄
﹃なんで俺が冒険者になったと思う?﹄
﹃それは⋮⋮フェスティを探すためじゃないの?﹄
﹃そうだ。⋮⋮俺はフェスティを探し出し、自分を責め続けるお前
を否定したかった。俺は愛する二人のために冒険者に⋮⋮男になろ
うと思った﹄
1587
そこまで言い切ると、ジャンジャンはコゼットの手を握ったまま、
身体を寄せた。
二人の太ももがくっつき、視線が生々しく絡み合う。
うっすらと舞台上から、愛のプレリュードが流れ、ちゃぽん、と
オアシスにいる小魚が遠慮がちに跳ねた。
想い合う二人の間を、ゆったりしたそよ風が吹き抜ける。
さわさわ、と金木犀が葉音を鳴らす。
﹃コゼット⋮⋮⋮お前のことを愛している﹄
ジャンジャンが優しげにコゼットを見つめ、微笑んだ。
その笑顔は心からの言葉だと誰が見ても分かった。長年心の奥底
へ仕舞い込んでいた彼の本当の気持ちだった。周囲の人間も胸を打
たれ、ため息まじりの呻き声を上げる。
コゼットはびくり、と身体を震わせ、困ったように肩をすぼめた。
﹃う、うそ⋮⋮ジャンが⋮⋮わたしのこと⋮⋮﹄
﹃嘘なんかじゃないさ﹄
﹃でも! でも!﹄
触れれば壊れてしまいそうな、そんな危なげな声色でコゼットが
身をよじった。
﹃コゼット。落ち着いて。俺の目を見てくれ﹄
﹃⋮⋮⋮﹄
コゼットはジャンジャンに握られていない手で胸を押さえ、おず
おずと逸らした顔を愛しの彼へ向けた。
1588
視線が再度、絡み合う。
婉美の神クノーレリルが合図を送ったかのようなタイミングで、
舞台上で吟遊詩人が甘いバラードを歌い始めた。恋に恋をする乙女
が男に恋慕し、やがてふたりは両想いになるという甘ったるい詩が、
テノールのビブラートに乗り、ゆったりと小さな音でベンチにいる
二人へ染み込んでいく。
﹃コゼット⋮⋮俺と⋮⋮⋮俺と結婚してくれ﹄
﹃⋮⋮ジャン﹄
﹃優しくて可愛い、お前のことが好きなんだ。子どもの頃から、ず
っと⋮⋮好きだったんだ﹄
﹃⋮⋮⋮﹄
﹃お前のことを愛している﹄
隣にいるルイボンが﹁ううっ﹂と言って目と鼻を両手で覆った。
どうやら感動と興奮で涙と鼻血が出たらしい。
アリアナが目元を潤ませ、涙を堪えている。
﹃私も⋮⋮⋮⋮私もジャンが好き⋮⋮⋮私と、結婚、してくれます
か?﹄
コゼットが涙声で愛を告白し、左手をジャンジャンの手へ添えた。
そして、どちらからともなく近づき、抱き合った。
﹃コゼット⋮⋮﹄
﹃ジャン⋮⋮﹄
二人は一度離れ、お互いの顔を確認し、蕩けた顔で見つめ合う。
これで⋮⋮ようやくジャンジャンとコゼットの恋が成就したんだ。
よかった⋮⋮ほんとよかった!
1589
どんだけ心配したと思ってるんだよ。ジャンジャンもやればでき
る男だ。よくやった!
そうと決まったらさあ、熱い燃えるようなチッスを!
ぶちゅーっと! いってしまえ!
隣のルイボンは﹁はわわっ﹂と声を殺して呟きつつ、目を充血さ
せて食い入るようにベンチの二人を見ている。
アリアナは恍惚とした表情で﹁早く⋮キス⋮﹂とうわごとみたい
に繰り返していた。
そんな俺達の心の叫び、魂の叫びが聞こえたのか、恋人となった
二人はゆっくりとお互いの唇を近づけていった。
まさに、唇が触れあうと思ったそのときだった。
ドグワッッ!!
どたんばたん!!!
ガチャチャンガチャン!!!
ごろごろ、どさどさどさっ!!!
﹁いてっ﹂﹁うわ!﹂﹁しまっ⋮⋮!﹂﹁きゃあ!﹂﹁ん⋮?!﹂
﹁くっ!﹂﹁壁が!﹂﹁なんということだ!﹂﹁でしゅっ!﹂﹁ニ
ャに?!﹂﹁キスっ?!?!﹂﹁よがっだ!﹂﹁いってえ!﹂﹁重
い!﹂﹁どけっ!﹂﹁誰かおっぱい触った?!﹂﹁いててて⋮⋮﹂
﹁はわわっ﹂﹁ルイス様鼻血っ?!﹂
全員の圧力に耐えられなかった壁が決壊し、折り重なっていた連
1590
中がつんのめるようにして前方に投げ出され、雪崩式にごろごろと
愛し合う二人の前へ転がった。
小さい悲鳴や焦りが口々から漏れると、全員の視線と、驚いて振
り返るジャンジャン、コゼットの目が、ばっちりかち合った。
﹁みみみ、みんな?! ど、どうして?!﹂
﹁え? え? え? え?﹂
ジャンジャンが叫び、コゼットは完全に思考が停止したようだ。
二人は目を白黒させて立ち上がり、手を取り合ってこちらを見下ろ
した。
四十人の瞳が、愛を囁き合って今まさにキッスをしようとしてい
た男女の視線と交錯する。
あかん⋮⋮⋮。
どうしよう⋮⋮⋮。
言い訳が思いつかない⋮⋮⋮。
全員がそう思った。
長い沈黙がオアシスのデートスポットに落ちる。
その沈黙を破ったのは、コゼットだった。
﹁あわわわわわわ! 違うんです! こ、こここ、これは! あの
あのそのジャンがその! 私に好きって言ってくれて結婚するって
言ったからキス! キキキキキ、キスゥ?!﹂
ぼんっ、と音が聞こえそうなぐらいコゼットが顔を真っ赤にし、
ジャンジャンの後ろに隠れてしゃがみ、両手で顔を覆った。恥ずか
1591
サンドウォール
に魔法を重ねがけするのは無理があっ
しくて誰とも目を合わせたくないらしい。
﹁やはり
たみたいだね﹂
やれやれ、とアグナスが立ち上がって服に付いた芝生を払い、崩
れた土壁を見て肩をすくめた。あんたはいつでも冷静すぎる。
﹁フォーメーション・クノーレリル!!﹂
﹁応ッッ!!!﹂
突然のアグナスの叫びに、冒険者と兵士、は素早く立ち上がり、
ジャンジャンを取り囲んだ。
﹁な、なにを⋮?!﹂
﹁やれっ!﹂
屈強な冒険者と兵士、約四十人に囲まれて全身を掴まれると、ジ
ャンジャンは天高く胴上げされた。
誘拐調査団で二週間ジャンジャンと共に行動していた面々は、彼
がいかにコゼットを愛しているかを散々聞かされていた。それを知
っていたので、本気泣きをして﹁おめでとう!﹂とジャンジャンを
祝福する。しかも身体強化している奴がいるのか、大きな月に届か
んばかりにジャンジャンの身体が宙に浮かぶ。
何度も身体を宙に浮かせ、ジャンジャンも何だかだんだん面白く
なってきたらしい。謝辞を叫びつつ、笑っている。
恥ずかしがるコゼットに俺とアリアナ、ルイボン、三人娘が寄り
添って祝福の言葉を贈った。ついでに鼻血をだらだら流しているル
1592
イボンに
ヒール
治癒
をかけた。
﹁エリィぢゃああああん! わだじジャンど結婚じばずぅ!﹂
俺の胸に顔をうずめてコゼットがぐりぐりと顔をこすりつけてく
る。
コゼットのジャンジャンに対する想いをずっと聞いていたので自
分のことのように嬉しく感じ、熱い気持ちを込めて彼女を抱きしめ
た。コゼットの柔らかい匂いが鼻をくすぐる。
﹁よかったね﹂
﹁うん﹂
﹁コゼット頑張った⋮⋮偉いね﹂
アリアナが弟妹を宥めるときと同じ仕草でコゼットの頭を撫でた。
﹁アリア゛ナ゛ぢゃん! だいしゅきぃぃぃっ!﹂
コゼットはアリアナにも飛び付いて、ぐりぐりと顔を胸に押しつ
けた。
こうして想い合うふたりは結ばれた。めでたしめでたし。
○
で、なんで二人がうまくいったあとに俺がクチビールと冒険者三
1593
人、兵士四人から告白されてんの?
しかもエリィの恋愛に対する免疫がなさすぎて顔がまじであっつ
い!
絶対に顔真っ赤だわーこれ。
﹁エ、エリィしゃん! 第一印象から決めてましゅた! 僕と付き
合ってくだしゃい!﹂
﹁おねがいします!﹂
﹁おなしゃす!﹂
﹁エリィちゃん可愛すぎて死ねる!﹂
﹁僕をグレイフナーに連れてって!﹂
﹁君は俺が守るッ﹂
﹁好きです! マ・ジ・デ・君に恋してる!﹂
﹁トキメイたっ! いや、トキメイてるっ!!!!﹂
屈強な男達八人が、右手を突き出して頭を下げている。
クチビールは薔薇っぽい花を一輪持って差し出していた。
﹁え⋮⋮あのぉ⋮⋮⋮﹂
え、あのぉ、じゃないよ?
ちょっとエリィさん、勝手に内股擦り合わせてもじもじするのや
めようね。
これじゃリアル乙女だから。もーやだー。
﹁皆さんの気持ちは嬉しいんだけど⋮⋮ごめんなさい⋮⋮﹂
うおおおおおお、なんか勝手に断ってるし!!!
口が独りでに動くの慣れねえ!!
1594
﹁でしゅっ!﹂
クチビールが白目を向いて倒れると、他七名もハートブレイクし、
無残な恋の灰となった。
気持ちはわかる。わかるけど、本当に勘弁してほしい。
勝手にエリィが動いて制御不能になるし、なんかめっちゃ恥ずか
しい行動するし、何回やっても勝手にしゃべるの慣れないし、まじ
で恋愛はタブー! いいな!?
1595
第36話 砂漠のラヴァーズ・コンチェルト・後編
○
それからジャンジャンとコゼットは、そりゃもう甘ったるーい、
コーヒーに砂糖とガムシロップと蜂蜜を入れてかき混ぜたような、
幸せオーラ全快だった。目が合う度に、にへら、と笑い合っている。
ごちそうさまです。
もうお腹いっぱいです。
ということでハッピーな雰囲気のまま出発の準備を進めていき、
アリアナ、ポカじいと相談した結果、三日後に出発する運びとなっ
た。
ルートとしては﹃旧街道﹄を抜け、湖の国サイードに入り、グレ
イフナーへという流れになる。
出発までの三日間は、やり残していたコバシガワ商会・ジェラ支
部の立ち上げに時間を使った。
コバシガワ商会・ジェラ支部は、主力になるデニム生地が取れる、
魔物デニムートンの捕獲と加工が近々の仕事だ。サンディからグレ
イフナーに輸送する場合、ジェラに関税を取られると思っていたの
だが、どうやら捕獲した魔物の素材は捕獲者の物、という扱いにな
るらしく、その後どうするかは好き勝手にしていいそうだ。まあ、
乱獲できる魔物でもないし、養殖も難しそうだからその辺の管理が
1596
適当なんだろうな。
異世界チョロいな。これはボロ儲けの予感。
ルイボンとジェラ領主も輸出には協力してくれるそうで、さらに
は砂漠でしか採取できない高級化粧品の素材﹃ニコスクワラン﹄も
低額で譲ってくれるそうだ。とある場所にある鉱物らしく、自社で
の加工が上手くいけば、直接ジェラから化粧品を輸入するより利益
率が高くなるだろう。
友人といえどもビジネスなのできっちりと書面で契約を交わし、
双方に利益が出る内容にしておいた。
そういや新人のとき、うちの財閥系列の会社が契約書関連で派手
な裁判やってたな。日本人はほいほいサインしすぎ、と知人の英国
人が言ってたが、強く否定できないところが痛い。契約書には気を
つけましょうってことだ。
ちなみにコバシガワ商会・ジェラ支部長はクチビールだ。
クチビールは実に優秀で、計算は早いし、フットワークも軽く、
優先事項の絞り込みが上手い。俺におしおきされて心が浄化された
せいか懐が大海原のごとく広いので、従業員が増えても彼なら纏め
ていけるだろう。冒険者ではなく経営者なったほうがいいと思う。
それを本人に言ったら﹁やめましゅ!﹂と即答だった。その一言
で、当面は冒険者資格を維持するのみにし、支部長として頑張る、
とのこと。エリィの手助けを目一杯し、立派な男になってまた交際
を申し込む、と言っていたので、そのときはまた真摯な対応をしよ
うと思う。これは本気で愛されてるパターン。どうすんのエリィ?
あー顔が熱い。
副支部長はジャンジャン。服飾・デザインの担当にコゼット。経
1597
理、総務、人事、営業は西の商店街から信用できる何人かに、自分
の店と兼業してもらう。すぐには利益が出ないと言ったが、みんな
快く引き受けてくれた。どうやら、コバシガワ商会・ジェラ支部が
大きくなることを完全に信じているみたいだ。商店街七日間戦争で
頑張った甲斐があった。
支部の準備に奔走していると、アグナスから秘伝魔力ポーション
の成分がわかったとの連絡を受けた。べろべろに酔っ払った例の酒
ね。
﹁どうやら少量のハーヒホーヘーヒホーが入っているみたいなんだ﹂
またお前か、ハーヒホーヘーヒホー。
﹁エリィちゃんはこれに気づいて成分を知りたかったのかい?﹂
﹁え⋮ええ、そうよ﹂
﹁飲み過ぎると人が変わったように酔っ払う、というのは実家から
よく言われていてね。本当に困ったときだけ少量飲むようにしてい
たんだ﹂
あいすいません。がぶ飲みしました。
﹁ハーヒホーヘーヒホーを研究したいから、魔改造施設から押収し
たものを少し分けてもらってもいいかしら?﹂
﹁問題ないと思う。ルイスに確認してみよう﹂
﹁ありがとう﹂
スカートの裾をつまんでアグナスにレディの礼を取る。
確か、我が愛するエリザベス姉様が魔導研究所の職員だったはず
1598
だ。秘薬なんかの研究もできるだろうか。グレイフナーに帰ったら
聞いてみよう。
﹁それから気になっていたんだけど、アイゼンバーグ達はどうなる
の?﹂
﹁ああ、そのことなんだけどね⋮﹂
アグナスが何か言いづらそうな表情で顔を顰めた。
﹁どうも王国側の返事がはっきりしないんだ。とりあえず身柄を寄
越せの一点張りでね﹂
﹁まあ。それって⋮﹂
﹁そうなんだ。あの魔改造施設をサンディが黙認していた可能性が
ある﹂
﹁嫌な方向に話が進みそうね﹂
﹁サンディが黙認していたとすると、セラー神国との繋がりがある
かもしれない﹂
﹁サンディとセラー神国が結託して子どもを魔改造している、とい
うことね﹂
﹁ああ。大がかりで長期的な計画だ。おそらくそれだけじゃないと
思う﹂
﹁それだけじゃない、というと?﹂
﹁もっと別の何かが蠢いているような、そんな予感がするんだ﹂
﹁そう。じゃあこっちは任せたわね。グレイフナーは私に任せてち
ょうだい﹂
﹁計画通り、定期便で状況報告を﹂
﹁そうね。これ以上、誰かが巻き込まれるのはイヤだもの﹂
考えていないわけではなかった。
むしろ、サンディがセラー神国と繋がっていて、魔改造の手引き
1599
をしている、と考えたほうが妥当だ。魔力が高い子ども達を探すの
は思っているよりも大変で、熟練の魔法使いが近距離で視認しない
と発見できない。あ、ポカじいは別ね。あのじいさん、遠方からで
も相手の実力判別ができるから。
サンディ側から、魔力が高い子どもに関する情報提供がないなら
ば、セラー神国は他国に侵入して子どもを一から捜索しなければい
けない。そうなれば、時間と費用がバカにならなず、効率が良くな
い。サンディ側に協力させて情報を提供させたほうが手っ取り早い
のは明白だ。
もしこれが事実なら、サンディとしては絶対に露見させたくない
だろうな。自国民を他国に売るなんてとこがバレたら、クーデター
が起こり兼ねない。
まあ、あくまでも推論だ。予想の一つとして考えておこう。
○
出発の当日、子ども達をギランと西の商店街の人達にまかせる段
取りが終わった。ギリギリになってしまったのは、最年少のリオン
が俺たちと一緒にいると最後までぐずっていたからだ。
マギーとライール、ヨシマサが宥めてくれ、何とか納得してくれ
た。
大丈夫、すぐ迎えに来るからな。
準備をすべて終えた俺とアリアナは、万感の思いで西の商店街を
見つめていた。
思い返せば、本当に色々あったな⋮⋮。
1600
ジャンジャンの馬車に乗せてもらい、ポカじいに会って、ルイボ
ンと怒鳴り合い、商店街七日間戦争が勃発し、修行して痩せ、冒険
者協会定期試験を受けて、魔改造施設から子ども達を取り返した。
当日に挨拶すると湿っぽくなりそうだったので、出発前日にお世
話になったメンバーを治療院に招いて食事会を開いた。
ジェラの主要メンバー全員集合って感じだった。
コゼットとクチビールは号泣してたなー。
ジャンジャンの優しげな顔とコゼットのおっとりした顔をじっく
りと見て、忘れないよう頭に焼き付けておいた。アグナス達とも挨
拶し、ギラン、チャムチャム、ヒロシ、三バカトリオの﹁どうぞど
うぞ﹂を見納めし、三人娘には五年分ぐらいもふもふし、思い残す
ことは何もない。
コゼットに改造してもらったリュックサック改め、小橋川バック
パックを背中から下ろした。機能的なサイドポケットを増やし、腰
ベルトを作り、背負いやすいようフレームを追加してもらった、異
世界にない鞄だ。販売したら売れるな、これ。
中には最低限の食糧と、着替え、野営道具が詰まっている。基本
は現地調達だ。馬車で行こうか、という案も出たが、ポカじいが却
下した。
﹁それでは行こうかのう﹂
ポカじいが酒瓶を片手に飄々と呟いた。
﹁本当にいいの?﹂
1601
砂漠から出ても平気なのか、という意味で俺はポカじいに尋ねた。
﹁そうじゃのぅ。隠れ家がイカレリウスに見つかってしまったから
どのみち移動せねばならん。あやつの狙いは複合魔法の詠唱呪文じ
ゃ。このまま砂漠にとどまっていたら、また噛み付かれる。追っ払
うのも骨じゃし、面倒じゃ。エリィ達とグレイフナーへ一時的に行
くのもまた一興じゃろうて﹂
﹁わかったわ。⋮⋮これからもよろしくお願い致します、師匠﹂
﹁お願いします⋮﹂
ポカじいには感謝してもし足りない。修行も中途半端なところで
終わっているから、ついてきてくれるのはめっちゃ嬉しい。十二元
素拳の奥義修得まで是非とも!
俺はアリアナと並んで、丁寧に頭を下げた。
﹁ほっほっほっほ。かわいい弟子のためじゃ。ひと尻もふた尻も脱
ぐぞい﹂
﹁ありがとうポカじい。スケベだけど﹂
﹁ポカじいはすごい魔法使い。スケベだけど⋮﹂
﹁そんなに褒めるでない。師匠を敬うなら一日一回︱︱﹂
﹁おしりは触らせないわよ﹂
ぴしゃりと釘を刺しておく。
﹁これは手厳しい。いや、尻厳しい﹂
﹁変な造語を作らないでちょうだい!﹂
いつものやりとりをしながら商店街を進んでいく。
朝の六時ということもあり、オアシス・ジェラは動き始めたばか
1602
りだ。ちらほらと早起きな商人や店の人が、商売の準備をしている。
主婦らしき女性があくびをかみ殺しながら、桶を持って歩いていた。
水を汲みにいくのだろう。
馬車を使わないのは、身体強化で移動したほうが遙かに移動距離
下の中
で走り続ければ、時速百キロ近いスピードが
で大体、時速五十キロ。
が稼げるからだ。
身体強化
下の上
で行動するのは一時間半が限界だから、
身体強化
出る。
下の上
での移動が基本になる。ポカじいが同行してくれることに
アリアナは
下の中
なったので、訓練もできて一石二鳥だ。
大通りを北へと進んでいく。
オアシスをぐるりと沿って、北門へと向かう。
すると、見慣れたシルエットが見えてきた。
朝の爽やかな空気のもと、門兵の横で腕を組んで不機嫌そうに口
を尖らせたルイボンが仁王立ちしていた。
彼女は俺たちを見つけると、あわてて首をひねり、そっぽを向い
た。
ルイボンを横目に北門へと近づく。
門を守る兵士が俺を見つけ﹁白の女神様! オアシス・ジェラは
あなた様のお帰りをお待ちしております!﹂と敬礼して粋なことを
言ってくる。
1603
門の真下で立ち止まり、右を向いた。
ルイボンは意地を張ったまま腕を組み、地面をつまさきで踏みな
らし、遠くを見ている。
自己表現が苦手なルイボンを見ると愛おしい気持ちが沸々と湧い
てきて、自分の気持ちが伝わるように優しく声をかけた。
﹁ルイボン﹂
エリィの美しい声色が響く。
彼女が口を尖らせたまま、ゆっくりとこちらを向いた。
﹁な、なによ﹂
ルイボンの両目には涙が決壊寸前まで溜まっていた。
こちらも、涙が勝手にせり上がってきてこぼれそうになる。
﹁私たち、友達でしょ﹂
アリアナとポカじいが一歩下がり、俺たちのやりとりを微笑まし
く見つめている。
朝の太陽がななめに伸び、北門の陰が俺とルイボンの足元で縁取
られ、朝から商売っ気に溢れる商人の馬車がごろごろと通りすぎた。
﹁エ、エリィ⋮⋮﹂
ルイボンはぐずぐずと泣き始めた。
﹁わたし⋮⋮友達⋮⋮ずっとできなくて⋮⋮⋮ひっく⋮⋮﹂
﹁ええ﹂
﹁それであなたが⋮⋮はじめて友達⋮⋮でも⋮⋮うわああああああ
1604
ん﹂
彼女はついに耐え切れなくなったのか、強情で意地っ張りな性格
など忘れ、走って飛び付いてきた。
黙って抱きとめてやると、肩に顔をうずめて、涙声で﹁いかない
で﹂とつぶやき、ぐいぐいとブラウスを引っ張ってくる。
自然と俺の目からも涙がこぼれてきた。
ああ、これはエリィが泣いてるな⋮⋮。
胸が締め付けられて息苦しく、せつない気持ちで胸がいっぱいに
なる。
エリィもさ、ずっと友達がいなかったんだ。学校でさんざんいじ
められて、学校のクラスでも友達ができなくて、日記にも辛いよ悲
しいよって毎日書いていた。だから、友達ができてエリィはすごく
嬉しかったと思うんだよ。
俺と、エリィと、友達になってくれてありがとうルイボン。
俺達はいつまでも友達だ。
彼女の背中をさすりつつ、優しく声をかけた。
﹁また会えるから。ねっ?﹂
﹁う゛ん﹂
﹁素敵なレディになって再会しましょう﹂
﹁う゛ん﹂
﹁すぐ会えるわ﹂
﹁う゛ん﹂
﹁湿っぽい別れはなしにしましょ?﹂
1605
﹁う゛ん﹂
ルイボンはお嬢様らしくポケットからハンカチを取り出して涙を
拭く。すぐ側まで来ていたアリアナが、ルイボンの鼻を自分のハン
カチでびーんとかませたあとに丁寧に拭いて、よしよしと頭を撫で
た。
門を守る兵士たちは、歩哨として直立不動のまま、涙も拭かずに
号泣していた。
うおおおおおおん、と思いっきり泣いてる。いや、仕事して仕事。
そうこうしているうちに門を通行する人が多くなってきて、ルイ
ボンは泣き止んで、やっといつもの調子を取り戻した。
﹁ふ、ふん! 今のは嘘泣きなんだからねっ! 別にエリィと別れ
るのなんてこれっぽっちも寂しくなんてないもんね!﹂
﹁ふふふっ。そうね。また会えるもの﹂
﹁そうよ! ジェラに来たときは仕方なく会ってあげるから! ど
うしてもって言うならお泊まり会もしてあげるわよ!﹂
﹁ならお願いするわ﹂
﹁そこまで言うならお化粧も一緒にしてあげてもいいわよ!﹂
﹁いいわね﹂
﹁お食事会も開いてあげるわ!﹂
﹁そうね﹂
﹁ふ、ふん! もう! 早く行きなさいよ! どこへでも行っちゃ
いなさいよ! バカ! 早く行っちゃいなさいよぉ!﹂
地団駄を踏み、ルイボンがスカート裾を握りしめた。
俺とアリアナは笑顔で顔を見合わせ、クスッと笑い、ゆっくりと
前進する。
1606
前方には北門から延々と伸びる﹃サボッテン街道﹄が荒涼とした
砂漠の大地に続き、真上にはこれから照りつけるであろう太陽の光
が輝いていた。
後ろを振り返り、両手を口元につけメガホン代わりにして叫ぶ。
﹁ルイボン、風邪引かないようにね!﹂
﹁うるさいわね! あなただって風邪引くんじゃないわよ! 元気
でいなさいよ!﹂
﹁アグナスちゃんをしっかり捕まえておきなさいよ!﹂
﹁ななな、なにを言ってるの?!﹂
歩き出した足は止まらない。
踏み固められた街道の地面をブーツが捉え、俺たちを前進させる。
﹁ルイボン! またね!﹂
﹁バカ! もう行きなさいよ! あんたの声なんてもう聞きたくな
いのよぉ!﹂
俺とアリアナ、ルイボンは手を振り合う。
北門の下にいる彼女の姿がどんどん小さくなっていく。
名残惜しくて、俺はまた息を吸い込んで叫ぶ。
﹁お化粧とか化粧水とか、支部のこととか、本当にありがとう!﹂
﹁べ、別にエリィのためじゃないわよ! 私が好きでやったの!﹂
オアシス・ジェラが、色々な思い出ができた町が、ゆっくりと遠
のいていく。
﹁またねーっ! 元気でーーーっ!﹂
1607
﹁うるさぁーーーーーーーい!﹂
ルイボンは自分の気持ちを上手く言葉にできないのか、地面を踏
みならし、眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいる。
動かす足は止めず、後ろ歩きにし、小さくなっていくルイボンと
オアシス・ジェラを視界におさめた。
﹁ルイボーーン! 大好きよーーーー!﹂
あ⋮⋮エリィが叫んだ。
情熱的な別れの言葉だ。
﹁バイバーイ! またねえええっ!﹂
﹁エ、エ、エ、エリィィィィィッッ! さようなら! また! ま
た必ずジェラに来てええぇっ!﹂
最後は笑顔で、ルイボンは俺たちを見送ってくれた。
よく似合っているフェミニンショートボブカットの彼女は、涙で
濡れた瞳を輝かせ、俺とアリアナの名前を何度も叫んだ。
ポカじいが合図を送ったので、身体強化をして走り出す。
俺とアリアナは何度も振り返る。
やがて、ルイボンの声が聞こえなくなった。
聞こえるのは身体強化して走る足音と、風を切る音。
前方には真っ直ぐに伸びる荒野が続き、点々と生えているサボテ
ンが緑色の印を砂漠に散らす。厳しくも、すべての生物に平等な試
練を与える砂漠の大地が、後方へと飛んでいく。
1608
振り返るのはやめよう。
俺たちは砂漠を去る。
子ども達を迎えに、また来ればいいさ。
最後に、ジェラとルイボンのシルエットをこの目に焼き付けてお
こうと思い、振り返った。
小さくなった北門の下には、ルイボンだけではなく、砂漠で出逢
った人々のシルエットがあった。
ルイボンと、その横で寄り添うジャンジャン、コゼット。アグナ
ス、トマホーク、ドン、クリムトのアグナスパーティー。号泣して
いるらしいクチビール、浮遊魔法で浮くバーバラ。女盗賊と女戦士
と屈強な冒険者、ジェラの兵士達。西の商店街のみんな、助けた子
ども魔法使い、グレイフナー孤児院の子ども達。そして、大きく手
を振るフェスティ。
全員、手を振りながら何か叫んでいる。
きっとアグナスが見送りの計画を立てたに違いない。
﹁もう。見送りはいいって言ったのに⋮⋮﹂
﹁みんなエリィのこと好きだから⋮⋮﹂
アリアナがしんみりした声でつぶやく。
砂漠での日々が胸に去来し、旋風のように脳裏を駆け抜けていっ
た。喉元から、寂しさとも悲しさともつかない生温かいものがせり
上がってくる。目頭が熱い。
全員に見えるように、大きく両腕を振る。
1609
身体強化しているため猛烈な速さで腕が振られ、本当はもっとゆ
っくり振りたいのに、力が上手く抜けてくれず、もどかしい気持ち
になり、さらにはしばらく会えないと思うと寂しさが湧いてきて、
みんなが見送りに来てくれたことが嬉しく、自分の気持ちがよく分
からなくなって叫び出したい気分になった。
﹁さよならぁーーーー!﹂
また会える。そう自分に言い聞かし、俺とアリアナは、北門が見
えなくなるまで手を振り続けた。
○
下の中
で三時間進んで食事休憩をし、さらに四時間
寂しさを振り切り、北門を出てからはあっという間だった。
身体強化
進んで野営の準備だ。
その後は、魔法の練習と十二元素拳の訓練。アリアナは鞭術練習。
一日の移動距離は時速50キロとすると、50×7で350キロ
か。
途中で魔物に襲われてる商人を助けたり、行商人から食糧を買っ
たりしていたから走行距離は350キロより少ないだろう。
それにしても生身の人間が原付ばりのスピードで走るって、完全
にツッコミ待ちでしょ。
﹁そんなバカな﹂
1610
﹁どうしたの⋮?﹂
久々の一人ノリツッコミをすると、アリアナがこてんと首をかし
げた。
﹁アリアナは可愛いなぁと思って﹂
﹁⋮⋮もぅ﹂
俺の誤魔化しの言葉に、素直にはにかむ狐美少女の反則的なプリ
ティさね。
どこのアイドルよりもキュートだわ。
なんてことを身体強化で走りながら話しつつ、どんどん進む。
下の中
と
下の上
バックパックを背負ってのランニングにも二日ほどで慣れ、さら
に走行距離が伸びる。
アリアナが身体強化のコツを掴んだのか、
を混ぜての長時間ランニングにも耐えれるようになってきた。
商人や旅人を走って追い越すと、みんなびっくりするんだよね。
馬車より速く走る美少女二人と酒を飲むじいさんの図。そら驚く
わ。
身体強化で旅するのは郵便配達員ぐらいらしい。
﹃サボッテン街道﹄を北上し、﹃サイード﹄という宿場町で一泊
して、﹃旧街道﹄の入り口を守る兵士にジェラ領主の通行手形を見
せた。
あっさりと門を通過でき、正直、拍子抜けした。
○
1611
旧街道からは、がくっと移動距離が落ちた。
魔物のせいだ。
街道に使用されているレンガには、魔物除け効果のある魔頁岩石
と、魔物が嫌う臭いを発する金木犀が練り込まれており、低ランク
の魔物は近づいてこない。
そのため、Cランクが頻繁に現れる。
危険度Cランクの魔物は、上位魔法一発で大体倒せる。
下位魔法でも上手くやれば一撃だ。敵には種族特性や魔法耐性が
落雷
一撃で倒せるんだよな⋮⋮。
サンダーボルト
あるため、見極めて魔法を使わないと泥試合になる。
でもさ、
バリバリ、ドカァンで一発。
落雷
は禁止され、十二元素拳のみで倒
サンダーボルト
途中で出現した、フィフスドッグっていう頭が五個あるBランク
魔物も一撃だった。
訓練にならないから、
すように指導を受けた。
拳で魔物を退治するってファンタジーすぎる。
田中が見たら泣いて喜ぶな。
大事なのは思い切りの良さと平常心で、最初は生物を殴るという
行為が躊躇われたものの、中途半端に攻撃するとすぐさま反撃され
るため、半日ほどで吹っ切れた。
ついでに言うと﹁やあっ!﹂ってものすごい可愛らしい声でパン
チして、魔物が吹っ飛んでいくのは現実感がなさ過ぎる。まあ、そ
れをいったら、アリアナが鞭で猿の魔物を滅多打ちにしてるのも、
1612
作られた映像っぽくて現実感がないが。
狐耳の美少女が鞭で魔物を倒すって⋮⋮完全にアメコミかアニメ
の世界だろ。田中が見たら狂喜乱舞するぞ。
出てきたCランクの魔物は、トリニティドッグ、ガノガ猿、蛇モ
グラ、魔式コウモリ、ジャコウオオカミ、魔火鳥、グリーンパンサ
ーの七種だ。Bランクの魔物は、フィフスドッグだけ。
アリアナとの連携を高めるために下位魔法のみで二人で敵を殲滅
を
したり、身体強化の攻撃のみで倒したり、一人ずつ魔物を相手にし
たりと、ポカじいから様々な実戦訓練の指示が出される。
キンモクセイ
金木犀
二人で課題をクリアしつつ、奥へ奥へと進んでいく。
旧街道一日目は交替で見張りをしなが野営。
旧街道二日目は第一休憩地点で野営をした。
この﹃旧街道﹄には休憩地点が五つ存在している。
人々の往来が激しかった時代に作られた、魔除けの
大量に植林したキャンプ場がまだ使えるのだ。かれこれ百年は経っ
てるんだとか。
安全地帯なので火を起こし、米を炊いて今食べる用と朝ご飯用に
ウォーター
でよく洗い、サラダにし
おにぎりを作り、横でアリアナがトマトベースのスープを作る。ポ
カじいは野草を取ってきて
て皿に盛りつけた。
百年前に設置されたであろう風化したベンチに三人で座り、焚き
火を囲む。
﹁ねえポカじい。もっと早く進めないかしら﹂
﹁ふむ。はやる気持ちはわかるがのぅ、こういった場所で実戦でき
1613
るチャンスはグレイフナーに戻るとないじゃろう。わしはじっくり
進みたいと思うておる﹂
﹁早く帰りたい気持ちは分かるよ。でも、私はもっと強くなりたい
⋮﹂
アリアナが珍しく反対意見を出した。
そうか、彼女にはガブリエル・ガブルを倒すという目標があるん
だ。早く帰ってエイミーやみんなに会いたいが、ここは親友のため
に歩調を合わせよう。どのみちジェラで相当足止めをくっている。
一日や二日なら変わらない。
﹁そうね。そういうことならじっくり進みましょう﹂
﹁ん⋮⋮ありがとエリィ﹂
﹁いいえ﹂
﹁ポカじい。明日新しく憶えた魔法、試してもいい⋮?﹂
で街道を走る。
﹁ええぞ。まずは敵と距離を取って使ってみようかの﹂
﹁うん⋮﹂
下の中
見た目も威力も強烈だからな、あの魔法。
○
朝になり、準備体操をして身体強化
ところどころ壊れている赤レンガを踏みしめ、左右に気を配りつ
つ進む。左手にはちらほらと木々が生え、右側は窪地になったり、
途中で池があったりと、開拓されていない自然がそのまま残ってい
る。
1614
粘っこい独特の空気が顔をなでつけるため、あまり気分がいいラ
ンニングとはいえない。
旧街道は魔物の臭気がいたるところで発せられ、嫌が応にも人間
の勢力圏外だということを肌で感じてしまう。
﹁どうもおかしいのう﹂
ポカじいが走りながら器用に酒を飲み、何気ない口調でつぶやく。
確かにそうなのだ。
今日に限って魔物がまったく現れない。
﹁そうね﹂
﹁ん⋮﹂
アリアナも警戒しているらしく、狐耳をひっきりなしに動かして
いる。
﹁ふむ。ちいと見てみるか﹂
ポカじいは今からコンビニ行ってきます、みたいな気軽さで魔力
を練り始め、身体強化をして走っているにも関わらず詠唱を始めた。
暗霊王の魔眼
クレアボヤンス
﹂
﹁右に或るは星の瞬きを捉え、左に或るは輪廻を観測し、或るべき
姿を捉え解明する⋮⋮
朗々と詠唱を読み上げると膨大な魔力がポカじいの両眼に集結す
る。
閉じられたまぶたが開かれると、白目の部分が金色、黒目の部分
が真っ白になった、不気味な瞳が現れた。
1615
﹁木魔法上級、魔眼魔法⋮⋮﹂
アリアナが驚愕してポカじいを見ている。
木魔法上級?!
相変わらずうちの師匠は規格外だな。身体強化しながら上位上級
唱えるとか、すごいを通り越してもはや変態的だ。
どうやら時間制限付きで、両目が透視能力を持つ魔眼になるらし
い。
亡霊みたいな両目でポカじいはじっと街道の前方を睨みつけ、眉
をしかめた。
﹁このような場所に邪竜蛇とはのぅ⋮﹂
ポカじいが独りごち、さらに言葉を紡ぐ。
﹁数人が交戦しておる﹂
﹁じゃりゅうへび?﹂
﹁危険度AAランクの魔物じゃ﹂
﹁うそ?! AAっていったら上位上級魔法でも倒せるかどうかの
魔物じゃないの!﹂
﹁ちぃとまずい状況じゃのぅ﹂
﹁えっ?﹂
﹁⋮⋮?﹂
﹁行くぞい!﹂
ポカじいが叫ぶと、爆音が前方から七発響いた。ビリビリと空気
が震え、微かに周囲が振動する。
1616
なんだ今の魔力の波動は?
上位上級レベルだぞ。
下の上
まで引き上げ全力で走るんじゃ!﹂
使ったのは敵か味方か? いや、そんなことより移動だ!
﹁身体強化を
﹁はい!﹂
﹁ん⋮!﹂
ポカじいの指示通り、魔力を練り込んで身体強化を一段階上げ、
全力疾走する。
特急電車に乗っているみたいに景色が後ろへ飛んでいき、踏み込
んだ足元のレンガが弾ける。
動線上にいたガノガ猿をポカじいが蹴り飛ばし、俺とアリアナは
跳躍してかわす。
極落雷
を詠唱じゃ! 全力でやらんと死ぬぞい!﹂
ライトニングボルト
﹁左手の小高い丘へ! アリアナは新魔法で敵を足止め! エリィ
は
現時点で、俺とアリアナが使える最高威力の魔法を指定してきた
ポカじいの指示からして、相当に厄介な魔物らしい。
うなずいて了承し、街道を外れて一気に駆け上がる。
﹁ッ⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮?!﹂
敵の不気味さに俺達は思わず息を飲んだ。
五十メートルほど先の眼下には、尻尾がちぎれた大蛇がのたうち
回っていた。頭に透明な羽がくっついており、限界まで裂けた口か
1617
らは醜悪なよだれが垂れ、表皮は黒光りして人間の頭ほどあるコブ
が不規則に盛り上がっている。
邪竜蛇の前に、二人の冒険者らしき人影が見える。
﹁誰か戦ってる! 助けるわよ!﹂
﹁ん⋮⋮!﹂
俺とアリアナは身体強化を切り、限界の速度で魔力を循環させる。
﹁深紅の涙は汝を漆黒へといざない⋮⋮﹂
アリアナが新魔法の詠唱をする。
集中し、魔力を練り上げる。
︱︱︱︱!!!!?
ええええええええええっ?
ちょっと待って。
てゆうかよく見たらあれスルメとガルガイン?
奥の方でエリィママ倒れてるし。
さっきの爆発は絶対エリィママだろ。
エイミーとテンメイが奥に向かって走ってる。
ってテンメイも旧街道に?! 誰か説明プリーズ!
スルメとガルガインが標的なのか、邪竜蛇がおもむろに移動する。
1618
やばいやばいやばい。
余計なこと考えるな。集中だ!
﹁神聖なる戦いを弄び⋮⋮﹂
アリアナが新魔法の詠唱をさらに進める。
全力で魔力を循環させ、じりじりと魔法の完成を待つ。
スルメとガルガインは、邪竜蛇に向かって剣とハンマーを向ける。
蛇が不気味な咆吼を上げ、ひやっとして思わず目を見開いてしま
う。
ゆらゆらと蛇が巨体を揺らし、人間を丸呑みできる大口を開けた。
スルメがやられる! 何度も咀嚼されて味が出て死ぬ!
もう魔法ぶっ放すか?!
極落雷
は発動させてからタイムラグがあるため、魔法を撃っ
ライトニングボルト
いや我慢だ。
てから移動されたら当たらない。
アリアナ、早く!
限界ぎりぎりまで待つ!
だから早く!
﹁赤く染まる⋮⋮﹂
邪竜蛇がさらに口を開けたところで、アリアナが大きく息を吸い
込んだ。
1619
﹁
ブラッディグラビティ
クルーシファイ
血塗れの重力・十字架
⋮!﹂
アリアナが両手を邪竜蛇に向かって振り下ろす。
クルーシファイ
ブラッディグ
血塗れの
が発動し、赤黒い十字架が邪竜蛇にまとわりつく。
奇妙な重低音が響き、多角重力干渉、黒魔法中級派生
ラビティ
重力・十字架
二重・重力
ダブルグラビトン
より拘束力が遙
重力のベクトルが一方向ではなく、対象の形に合わせて多角的に発
生するため、ただ重力を倍化させる
かに強い。
邪竜蛇がアリアナの新魔法で血のように赤く染まり、地面が真っ
黒に変色した。
突然の拘束に対応できず、苦しそうに身もだえ動きが止まった。
新魔法を実戦で成功させるとはさすがアリアナ!
あとでご褒美のもふもふをプレゼントフォーユー!
極落雷
!!!!!﹂
ライトニングボルト
間髪入れず、邪竜蛇に向かって指を打ち下ろした。
﹁
魔力が指先から急激に抜けていく。
それと同時に、静電気が邪竜蛇の頭上で小さく起こると、千年生
きた大樹のような光の柱が、怒りの咆吼を上げて地面に叩きつけら
れた。さらに何本もの電流が絡まり、巨大な一本の電流になって醜
悪な皮膚を貫いて体内に入り込み、およそ生物が耐えきれないエネ
ルギーで肉体を削り取って通過し、邪竜蛇を蹂躙する。大蛇を貫通
した落雷は地面で爆ぜ、土と岩が盛大に爆散した。
スルメとガルガインが、あまりの波動で吹っ飛ばされ、ごろごろ
1620
と地面を転がる。
邪竜蛇は己の身体をなくし、首だけになって完全に沈黙した。
やがて、周囲が静けさに包まれる。
﹁アリアナ!﹂
﹁ん⋮!﹂
﹁ほっほっほっほ、上出来上出来﹂
俺たちはハイタッチをし、ポカじいが顔を綻ばせる。
あぶねー。冷や汗かいたぜ。
いち早く立ち上がったスルメが、狐につままれたような顔で口を
あんぐりと開け、正気に戻ると﹁はああああああああああああああ
ああああああああっ?!?!﹂と叫んだ。
離れたこっちまでしっかり聞こえる大音声だ。
相変わらずうるせえ奴だな。
﹁だからモテない⋮﹂
﹁ふふっ﹂
アリアナの言葉に含み笑いを返し、俺は身体強化をして小高い丘
から飛び降りた。
かれこれ半年以上会っていなかった、バカな男友達を見て、つい
笑顔になってしまう。
﹁スルメーーーーーーーッ!﹂
ぶんぶんと手を振って駆け寄ると、あんぐりと口を開けた、見れ
ば見るほど味が染み出てきそうなしゃくれ顔のスルメが近づいてく
1621
る。
スルメは俺を見ると、開いていたしゃくれ口を閉じ、目をまん丸
にした。
﹁スールーメーーーーーッ!!!﹂
泥で汚れた皮鎧とハーフプレートなんぞ気にせず、思い切り飛び
付いた。
嬉しいときは飛び付く。これぞゴールデン家流。
随分と精悍な体つきと顔つきになっているスルメの成長が垣間見
え、嬉しくなって抱きついたまま顔を見上げる。
スルメは困惑した表情で、俺の顔と胸元を交互に見ていた。何を
言えばいいか分からないらしい。
﹁久しぶりっ! もうほんとに危ないところだったじゃないの。私
達が来てなかったらどうするつもりだったの?﹂
﹁はっ⋮⋮?﹂
スルメは事態が飲み込めず、エリィの美しい顔と、胸元と、邪竜
蛇の生首へ何度も目を走らせる。
﹁まあ今回のことは貸しにしておいてあげるわ。いいわね、スルメ﹂
﹁⋮⋮あれ、おめえがやったのか?﹂
﹁ええそうよ﹂
﹁てゆうか⋮⋮⋮⋮おめえ、誰?﹂
﹁エリィよ。エリィ・ゴールデン﹂
﹁エリィ⋮⋮⋮⋮⋮⋮ゴールデン?﹂
﹁そうよ﹂
﹁エリィ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ゴールデン???﹂
1622
﹁ええ、そうよ﹂
抱きついていたスルメから離れ、ブラウスの裾をつまんで一礼し
た。
今日はスキニージーンズなのでスカートで一礼できないのが残念
だ。
﹁⋮⋮はあっ?﹂
スルメは、俺の顔を見て、胸元を眺め、美脚を見つめ、長い沈黙
を作る。
しばらく何かを言おうと逡巡したが、上手く考えが纏まらなかっ
たらしく、スルメは錆び付いた機械のようにゆっくりと顔を上下さ
せ、目をまん丸くし、眉間に皺を思い切り寄せ、しゃくれた口をあ
んぐりと開け、目をしばたたかせたあと、喉から声をひねり出した。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮はああっ?﹂
1623
第37話 スルメの冒険・その6
突然、空から落ちてきた閃光の眩しさに目を閉じ、身の危険を感
じて身体強化をかけた。
凄まじい魔法の余波に、オレとガルガインのボケナスは土やら岩
の破片と共に吹っ飛ばされ、胃を鷲掴みにされて引っ張られるよう
な浮遊感を味わった。轟音で耳が痛み、何が起きたのかさっぱり理
解できず、一瞬頭が白くなる。
邪竜蛇は?!
したたかに打ちつけられた頭を振り、バスタードソードを地面に
ついて起き上がる。あれほどの衝撃でも剣を手放さなかったのは訓
練のたまものだ。
シャツの袖で目を何度か擦り、クソ蛇のいた場所を確認する。
邪竜蛇の不気味な身体は消えていた。
アメリアさんの爆発魔法によるってできた大穴と、謎の超弩級魔
法でできた円形の穴の間に、ぽつんと、クソ蛇の生首だけが鎮座し
ていた。
﹁はあああああああああああああああああああああっ?!?!﹂
ありえねえええええええ!
クソ蛇がうねっていた場所は、大地ごとごっそり抉り取られてい
る。さすがの邪竜蛇も生首だけじゃ死ぬらしい。ってあたりめえか。
﹁やべえな⋮﹂
1624
それしか言葉が出てこねえ。
どんだけ強力な魔法なんだよ。しかも見たことねえやつだ。白魔
法の光線魔法か?
白魔法に唯一存在している攻撃魔法で、光を収束させてぶっ放す、
子どもに大人気のど派手なものだ。
あれ? 光線魔法って門外不出で、使えんのグレイフナー六大貴
族のサウザント家だけじゃなかったか? しかも魔力効率がクッソ
悪いって話だ。あれほどの威力でんのかよ?
左を見ると、ガルガインのスカタンが頭を打ったのか完全にノビ
ていた。
ま、生きてっから大丈夫だろ。
右を見れば、長い黒髪で顔が隠れているサツキが、ぐったりと横
たわっている。胸が上下に動いてっから生きてんな。オッケー。
﹁スルメーーーーーーーッ!﹂
前方の小高い丘からやたら可愛らしい声が聞こえてきた。
すぐに顔を上げると、金髪ツインテールの女子がこっちに飛び降
りて、手を振りながら駆け寄ってくる。
うおっ、クッソかわいい。
碧眼の垂れ目が嬉しげに細められ、小ぶりな口はエイミーみてえ
にピンク色でちょっと肉厚な感じだ。見たことのねえやけにぴっち
りしているズボンを履いていて、美脚をこれでもかと主張してやが
る。襟んとこが丸い白シャツがでけえ乳に押し出され、上下にばい
んばいん揺れていた。やべえ。
1625
﹁スールーメーーーーーッ!!!﹂
つーかオレのあだ名呼んでるけど、誰?
あんなカワイ子ちゃん知らねえんだけど?
ちょっと待てちょっと待て、ここまま飛び付いてくる気じゃねえ
だろうなって︱︱
うおおっ!
カワイ子ちゃん抱きついてきやがったッッ!
やっべ。意味わかんね。いい匂いするし乳当たってるし、やっべ
っ。これやっべぇぞ。
金髪ツインテールのカワイ子ちゃんが、オレの顔を見上げて嬉し
そうに笑った。
﹁久しぶりっ! もうほんとに危ないところだったじゃないの。私
達が来てなかったらどうするつもりだったの?﹂
﹁はっ⋮⋮?﹂
久しぶり?
いや、ぜってー会ったことねえけど?
てめえみたいな美人忘れるはずがねえよまじで。
事態が飲み込めねえ。カワイ子ちゃんの美しい顔と、ハーフプレ
ートに押しつけられて形の変わっている乳と、邪竜蛇の生首へ何度
も目を走らせちまう。
1626
﹁今回のことは貸しにしておいてあげるわ。いいわね、スルメ﹂
﹁⋮⋮あれ、おめえがやったのか?﹂
いやまじで誰?
すんげえ知り合いっぽく話してくるけど。
﹁ええそうよ﹂
﹁てか⋮⋮⋮⋮おめえ、誰よ?﹂
﹁エリィよ。エリィ・ゴールデン﹂
﹁エリィ⋮⋮⋮⋮⋮⋮ゴールデン?﹂
﹁そうよ﹂
はっ?
何の冗談だ?
エリィ・ゴールデンっつったら九十キロはあるおデブお嬢様だろ。
ドヤ顔でウインクを寄越すカワイ子ちゃん。
﹁エリィ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ゴールデン????﹂
嘘だとわかっていても何となく聞き返してしまった。
﹁ええ、そうよ﹂
抱きついていたオレから離れると、彼女はブラウスの裾をつまん
で一礼した。
﹁⋮⋮はあっ?﹂
お淑やかで洗練された身のこなしはどっかのお嬢様だな。
しっかし意味がわかんねえ。オレ、こんなカワイ子ちゃんとどっ
1627
かで会ったことあるか?
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮はああっ?﹂
混乱の極致。
もはや﹁はあ﹂しか言葉が出ねえ。
自分がエリィ・ゴールデンっていうギャグを使ってくるってこと
は、魔法学校の生徒か? にしても全然似てないから、ギャグにす
らなってねえんだけど。
を使用する。
癒発光
キュアライト
は魔力枯渇にも効くわよ。意識を取り戻す程度の効
再生の光
をかけ、素
放心しているオレを余所に、カワイ子ちゃんは当然といった顔で、
癒発光
キュアライト
近くに転がっているガルガインのタコナスに
早く移動し、サツキにも
やや離れた場所にいるアメリアさんには、白魔法下級
をかけた。
白魔法?!
しかも杖なし?!
再生の光
やっべえ、まじ意味わかんね。パネェ。
﹁
果だから、あまり無理させちゃいけないけどね。スルメはそっちの
人、エイミー姉様の友達のサツキさん? の方をお願い﹂
そう言いつつ、カワイ子ちゃんは身体強化でアメリアさんを丁寧
に運び、ガルガインの隣に寝かせた。
オレは言われるがまま、サツキの頭と膝下に左手を右手を差し入
れ、なるべく柔らかそうな草の生えている地面へ横たえる。
サツキの二の腕はやけに柔らかかったが、今はそれどころじゃね
え。
1628
﹁ジョン・ボーンさん⋮⋮向こうに色黒でスキンヘッドの人がいる
と思う。ちょっと見てきてくれねえか?﹂
﹁いいわよ﹂
そう言うと同時に、カワイ子ちゃんは身体強化で目の前から消え、
三分ほどで戻ってきた。
加護の光
を唱えておいたから大丈夫﹂
小脇にジョン・ボーンさんを抱えている。
﹁かなり危なかったけど、
﹁ああ、助かるぜ。なんてお礼していいかわかんねえぐらいだ﹂
加護の光
?! 白魔法中級じゃねえかよ!﹂
﹁いいのよお礼なんて﹂
﹁って
﹁そうだけど?﹂
﹁⋮⋮⋮まじパネェな﹂
﹁みんなじきに目を覚ますわ﹂
ジョン・ボーンさんを横たえ、懐かしげな視線をガルガインとア
メリアさんに送り、満足げに腕を組むカワイ子ちゃん。
見れば見るほど疑問しか浮かばねえ。
超弩級の光線魔法をぶっ放し、白魔法を無詠唱で使用できる。し
かも驚くほどにスムーズに身体強化から上位魔法へ魔力の切り替え
上の下
までいけそうだ
を行い、すべての魔法は杖なし。冒険者協会でも滅多にお目にかか
れない優秀な魔法使いだ。
あの雰囲気からして身体強化の使用は
上の中
を数十秒使え、炎魔法中級
な。冒険者協会定期試験を受けたら、何点ぐらいだ?
アメリアさんが、身体強化
を無詠唱で行使でき、数々の修羅場を潜った経験があるトップクラ
1629
で数十分動け、
上の
スの魔法使い。得点は879点。現役時代は900点オーバー。
上の下
は使えない。攻撃魔法は得意じゃねえから、ゴーレムを倒しま
ジョン・ボーンさんは身体強化
中
上の下
まで使用できると仮定し
くる試験では不利だ。それで、756点。
カワイ子ちゃんが、身体強化
よう。あの超弩級殲滅魔法が使用できるってことは、攻撃魔法が結
構得意なのかもしれねえ。だが、あの魔法が光線魔法なら、燃費が
わりいから連発はできない。詠唱にも時間がかかりそうだ。それを
加味しても、700点代後半から800点の得点になるはず。下手
すりゃ800点中盤までいけるかもしれねえ。
と考えると、シールド所属のジョン・ボーンさんより格上の、A
ランクってことになるぞ。
﹂
そんな、強くて、可愛くて、やたら美人な、オレのことを親しげ
癒発光
キュアライト
にスルメと呼ぶ、同年代の女子か⋮⋮。
いや、まじで誰ッ!?
﹁あら、あなたも怪我してるわね。
カワイ子ちゃんは透き通るブルーの瞳でこちらを見ると、指先を
オレの肩に当てた。
温かな光がオレの身体を優しく包み込み、肩や腕にできていた切
り傷がみるみるうちに塞がっていく。
癒発光
キュアライト
は初めてだ。
ああ、めっちゃ気持ちいい⋮⋮。
こんなに癒される
﹁まじで助かる。ありがとよ。んで、おめえ誰よ?﹂
1630
﹁え? だから、エリィ・ゴールデンよ﹂
﹁いやいや、そういうのはいいから﹂
﹁どういうのよ?﹂
あ、わかった。
このカワイ子ちゃんが誰かわかった。
そういうことか。
﹁はっはぁん、同姓同名か﹂
﹁違うわよ!﹂
﹁じゃあ誰だよ﹂
﹁グレイフナー魔法学校三年生で、あなたと合宿に行ったエリィ・
ゴールデンよ!﹂
﹁んな馬鹿な!﹂
だってエリィ・ゴールデンってこんなに目ぇでかくねえし、もっ
とデブだったし、顔中ニキビだらけだったし全然ちがうだろ。髪の
毛さらっさらでむっちゃいい匂いすんし、すっげえ可愛いし、ずぇ
んずぇんちげえ。
﹁バカはあなたでしょう!﹂
なんかカワイ子ちゃん、ぷんぷん怒り出した。
﹁スルメってあだ名であなたを呼ぶの、親しい友人ぐらいでしょ﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
確かに言われてみりゃそうだけど、スルメとかいう不名誉なあだ
名はエリィ・ゴールデンがアホみてえに連呼していたから、知って
る奴はグレイフナーに結構いるぞ。このカワイ子ちゃんが、誰かか
1631
らあだ名のことを聞いて、オレをスルメって呼ぶんだろうな。つー
かそれしか考えられねえ。
まあいいや。これ以上考えるのめんどくせ。
細けえことは苦手だ。
まずは礼だな。
﹁ま、冗談はさておき。あぶねえところ助けてくれてまじでサンキ
ュー。助かったぜ﹂
﹁どういたしまして、って冗談じゃないからね?!﹂
﹁おめえみたいな美人がエリィ・ゴールデンって名乗ったら本物が
びっくりすんぞ。あんまエリィ・ゴールデンいじめんなよ。あいつ、
めっちゃいい奴なんだ﹂
﹁んまぁ⋮⋮⋮って違う違う。私が、エリィ・ゴールデンなの! 本物! モノホン!﹂
﹁はいはい。にしてもさっきの魔法すげえな。あれ白魔法の光線魔
法か?﹂
﹁華麗にスルーしないでくれる!? ほら、よく見なさいよ! こ
うして、こうすれば﹂
そう言いつつ、カワイ子ちゃんは両手で自分の目を細くして、頬
をぷくっと膨らませた。
いや、可愛いだけなんだが。
﹁似てる似てる。にしても白魔法中級まで使えるってすげえな。練
習大変だっただろ?﹂
﹁ちゃんと見てよぉぉぉっ!﹂
カワイ子ちゃん、悔しくて内股でバシバシ地面を踏んづけるの巻。
ツインテールがひょこひょこ揺れてかわいいったらありゃしねえ。
1632
いい加減その冗談終わりにしようぜ。
﹁つーかおめえサウザント家の親戚か? さっきの光線魔法だろ?﹂
﹁だから! さっきからエリィ・ゴールデンって言ってるでしょ!﹂
﹁はいはい。んで、おめえ一人? よく一人で旧街道に入ったな﹂
﹁え? 一人じゃないわよ﹂
そう言うと、彼女は後ろを振り返った。
酒瓶持ったじいさんと狐人の女子が、丘から飛び降りて、こちら
に歩いてくる。
じいさんの両目は魔法の効果で変色しており、白目が金色、黒目
んとこが真っ白だ。
えっ? これって噂に名高い木魔法の魔眼シリーズじゃね? 使
えんのシールドでも二、三人って聞いたけど?
つーか隣にいる狐人の女子、むちゃんこカワイイじゃねえか⋮⋮。
睫毛クッソなげえ。口ちっちぇえ。鼻がつんとしてほっぺたぷに
ぷに。
弟のスピード、黒ブライアンが土下座して交際を申し込みそうだ
な。あいつはこういう女が好みだったはず。
﹁スルメ、元気してた⋮?﹂
はっ?
狐美少女もオレのことスルメって呼ぶのかよ。オレってそんな有
名人だっけ?
﹁おめえ誰だよ﹂
﹁忘れたの⋮⋮?﹂
1633
﹁ん? おめえ誰かに似てんな⋮⋮どっかで会ったことあるか?﹂
﹁ほほう。淡いブルーか。うむ、やはり美尻には薄色の下着じゃの
ぅ﹂
木魔法魔眼シリーズを使っているじいさんが、オレ達の会話に割
り込み、カワイ子ちゃんの尻を見ながら仰々しくうなずいた。
﹁ポ・カ・じ・い? まさか透視でパンツ見たんじゃないでしょう
ね﹂
暗霊王の眼
クレアボヤンス
か。
﹁しまっ︱︱︱あまりの美尻に口が滑ってしもうたっ﹂
じいさんの魔眼は透視能力
透視能力でパンツ覗くとか、アホほどに魔法の無駄遣いだな。気
持ちはわからんでもないが。
恋
⋮!﹂
トキメキ
﹁アリアナ、お願い﹂
﹁
狐美少女が人差し指を下唇に当て、右頬だけぷくっと膨らませ、
左目でウインクをした。
やっべ、クッソかわいい、と思ったら目の前が桃色に染まって心
臓がキュウゥゥっと締め付けられ、あまりの激痛に胸を押さえてう
ずくまった。
﹁う゛っ!﹂
﹁う゛っ!﹂
﹁う゛っ!﹂
いてえええええええっ! 死ぬ! 死ぬわこれ! なんかの魔法
か?!
1634
スケベ魔眼じじいもうずくまってるし! つーかカワイ子ちゃん
も!?
電打
!﹂と叫ぶ。
エレキトリック
狐美少女がじいさんを捕まえると、カワイ子ちゃんが立ち上がっ
て腕をつかみ﹁
﹁おししししししししししししししりぃぃぃぃっ!﹂
魔眼じいさんが残念なほど痙攣し、黒こげになってぶっ倒れた。
なんだこいつら? よくわかんねえけどまじやべえぞ。
オレがしらねえ魔法ばっか使ってやがる。
心臓いてえのはすぐおさまった。ひやひやしたぜ。
﹁透視の魔眼は禁止! 私の許可なく使ったらおしおきだからね。
わかったポカじい?!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮ふぁい﹂
ぷすぷすと黒い煙を上げたじいさんは口だけを動かして答えると、
魔眼を解除した。
おい、じじい死ぬぞ。
﹁まったく。油断も隙もないわね﹂
﹁スケベ⋮⋮めっ!﹂
それにしても、むちゃクソ可愛いなこいつら。
カワイ子ちゃんのほうがぴちぴちのズボン。狐っ子のほうがエプ
ロンにスカートがくっついてるみてえな変な服。どちらも見たこと
のない青い素材だ。防御力が低そうだが平気なのか?
1635
いや、どう考えてもこのカワイ子ちゃんは、エリィ・ゴールデン
じゃねえだろ。毛が生えてねえガキだってもうちょっとマシな嘘つ
けるぜ。
﹁ス、ス、スルメ君。へ⋮⋮蛇は?﹂
振り返ると、後方に下がっていたエイミーが、恐る恐るこちらに
向かってきた。彼女は特大の魔法でできた大穴を見つめている。そ
の横にテンメイが並び、杖を構えながら油断ない視線を周囲へ送っ
ていた。
エイミーは二つの特大魔法で空いた地面をじっくり見たあと、邪
竜蛇の生首を見つけ、﹁ひっ﹂と小さな悲鳴を上げた。まだ動くと
思っているのか、ポケットから杖を引く抜く。腰が引けているのが
ちょっとまぬけだ。
テンメイは﹁エェェェクセレンッ﹂と叫んで生首を激写しに走っ
ていく。写真バカは放っておこう。
﹁死んでるよ。こいつが倒してくれた﹂
﹁よかった⋮⋮﹂
オレが伝えると、強ばっていた全身を弛緩させ、緊張で肺にたま
っていた空気を﹁ほぅ﹂と吐き出す。
安堵し、いつものエイミーらしい笑顔が戻った。
﹁旅のお方、危ないところを助けて頂き︱︱﹂
彼女はそう言いながらこちらへ近づいてくる。
だが、言葉が最後まで紡がれることはなかった。
1636
エイミーはカワイ子ちゃんの姿を捉えた途端、垂れ目をぐわっと
開き、右手に持っていた杖を落とした。魔遊病にかかった魔法使い
みてえに、口元を力なく開閉させ、小刻みに身体を震わせる。
﹁⋮⋮⋮⋮エリィ?﹂
エイミーは消え入りそうな弱々しい声で、カワイ子ちゃんに尋ね
る。
すると、カワイ子ちゃんも、オレとしゃべっていた威勢はどこへ
やら。か細い声色で、そこにエイミーがいる、存在している、と確
認するみてえにゆっくりと呟いた。
﹁姉様⋮⋮﹂
二人はため息とも嗚咽とも取れない嘆息を漏らしてふらふらと近
づき、やがてどちらからともなく駆けよって、もう離さない、とい
わんばかりに抱きついた。
﹁エリィィィィィッ!!!!!﹂
﹁ねえさまぁぁーーーッ!!!!!﹂
おうおう感動させるじゃねえか。美人が抱き合うのは、悪くねえ
な。
﹁エリィエリィエリィ!﹂
﹁会いたかったぁぁ!﹂
﹁よかった! 無事でよかったよぉ! 私、心配したんだからね!
手紙が届くまで、生きた心地がしなかったんだからね!﹂
背の高いエイミーがカワイ子ちゃんの肩に頬ずりする。
1637
﹁ごめんなさい姉様﹂
﹁ううん、謝らないで。むしろ謝るのはエリィを誘拐から守れなか
った私たちなんだから﹂
﹁それでも謝りたいの。みんなに心配かけちゃったから﹂
﹁これからはずっと一緒よ? もう勝手にいなくなったり、危ない
ことしちゃダメだからね?﹂
﹁うんっ﹂
嬉しそうにカワイ子ちゃんがうなずくと、二人は両手を取り合っ
たまま、身体を離してお互いを見つめる。
﹁エリィってばこんなに痩せちゃって⋮⋮身体は大丈夫なの?﹂
﹁鍛えてるから大丈夫﹂
﹁そう⋮⋮それにしても⋮⋮﹂
エイミーは握っていた手を離し、カワイ子ちゃんをつま先から頭
のてっぺんまで眺め、そしてぺたぺたと顔を触った。
﹁ああっ⋮⋮かわいい⋮⋮物凄く⋮⋮﹂
﹁姉様、くすぐったいわ﹂
﹁お肌もすべすべ。綺麗になったね﹂
﹁ジェラの友達がニキビに効く化粧水をプレゼントしてくれたの﹂
﹁いいなぁ∼﹂
﹁あとで姉様も使う?﹂
﹁え、いいの?﹂
﹁もちろん。でも、姉様あまり必要ないと思うけど﹂
﹁そんなことないよぉ。旅のせいでちょっとお肌荒れちゃったの﹂
やっべ、ガールズトーク始まりやがった。こうなると長い。うち
1638
のメイドと母ちゃんは日が暮れるまでくっちゃべってるからな。
⋮⋮⋮って何か大事なこと忘れてねえ?
﹁あーちょっと待て﹂
オレはいいようのない不安と焦燥、邪竜蛇と対峙した緊張感でか
いた冷や汗とも違う、気持ちの悪い汗が背中から流れ出るのを感じ
た。粘っこくオレの心臓を包み込んでいく、奇妙な感覚が全身をの
ったりと走る。
﹁エイミー、カワイ子ちゃん。ちょっとこっち向いてくれ﹂
﹁なに?﹂
﹁カワイ子⋮⋮って私?﹂
素直に身体をこちらに向け、肩をくっつけて並ぶ二人。
左側には透き通るもち肌に金髪ツインテールのカワイ子ちゃん。
右側には陶器みてえな肌に金髪セミロングのエイミー。
カワイ子ちゃんは大きな瞳がほどよく垂れ、よく見るとほんの少
しだけ両目が離れている。だが、目と鼻と口の並びが絶妙で、何と
も例えられねえ神々しさと、清廉潔白な美しさを醸し出していた。
優しげな眼差しに、過去の過ちを懺悔したい衝動に駆られ、思わず
歩み寄りそうになる。だが同時に愛嬌とユーモアを感じ、それを自
身で理解していて相手に押しつけない、心の余裕や場慣れした経験
が見て取れ、オレは出しかけた足を戻した。こんなところで、出発
前にじぶん家の女風呂を覗いたことを懺悔したってしょうがねえ。
一方、エイミーはカワイ子ちゃんとよく似た大きな垂れ目を、の
1639
んびりと瞬かせている。真っ直ぐ伸びた眉に、高く整った鼻梁。ピ
ンク色をした唇はカワイ子ちゃんと瓜二つだ。全身から溢れんばか
りの優しさが発せられ、その雰囲気に似つかわしくないでけえ胸が、
旅のマントからでも分かるほど張り出しており、二つのアンバラン
スさがエイミーの魅力を底上げしていた。さらには、完璧に見えて
どこかヌケている顔つきが、守ってやらなければ、という男心をく
すぐる。
﹁どうしたのスルメ君?﹂
﹁あまりじろじろ見ないでほしいんだけど﹂
いや、なんつーんだろ。
似てるんだよな。それこそ家族、とか、姉妹レベルで似てるんだ
よ。二人が姉妹です、って言ってもなんら違和感がねえ。
﹁似てんな⋮⋮﹂
﹁似てる?﹂
﹁あたりまえよ。姉妹なんだから﹂
︱︱︱ッッ!!!!!!!??
爆発
をぶっ放されているような衝撃が走り、
エクスプロージョン
その瞬間、まさか、という三文字がオレの脳裏で弾けた。
頭の中で盛大に
思わず足がガクガクと震える。人間は己の信じられないものを無理
矢理受けれようとすると、精神と身体が分離して、思ってもいない
反応をしちまうらしい。やべえ。まじでやべえ。
1640
﹁おま⋮⋮おま⋮⋮⋮﹂
﹁おま?﹂
﹁⋮⋮??﹂
エイミーとカワイ子ちゃんが、同時に首をかしげる。
その仕草が確信めいていて、オレは吐いた息と一緒に全身の力が
抜けていき、さっきの、嘘だ冗談だと言っていたそれが間違いだっ
たという事実が強引に喉元へ突っ込まれ、口がぱくぱくと空気を探
して勝手に動いた。
﹁おまえ⋮⋮⋮まさか⋮⋮⋮⋮まじで⋮⋮⋮⋮⋮﹂
ありえねえ、と思いながらも、もう一度カワイ子ちゃんを上から
下まで確認する。
すらりと伸びた脚。くびれた腰。大きな胸。吹き出物の一つもな
い、つるっとした顔。錦糸みてえな金髪。
それは野菜のダーダイコンみてえな脚じゃなく、突き出た三段腹
でもなく、ニキビ面でもなく、しなびた髪の毛でもねえ。
いやいやいやいや、同一人物とかありえねえ。ありえねえけどエ
イミーと似ている。似すぎている。
オレは呼吸の足りていない口から、言葉をひねり出した。
﹁おま⋮⋮⋮まじで⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮エリィ・ゴールデン?﹂
まぬけヅラをしているであろうオレの質問を聞いて、カワイ子ち
ゃんは胸を張り、両手を腰に当てる。ふふん、と嬉しそうに笑うだ
けで、何人もの男が惚れそうだ。
1641
﹁そうよ。私はエリィ・ゴールデンよ。ダイエットして修行して痩
せた、エリィ・ゴールデンよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
そう言って、カワイ子ちゃんはこちらに近づき、耳元でそっと呟
いた。
﹁手紙に書いた﹃スルメおでかけチェックシート﹄は役に立ったか
しら?﹂
﹁なっ⋮⋮!?﹂
オレは思わず後ずさりした。
あれを知っているのは、エリィ・ゴールデンとオレだけだ。
﹁おま、おま、おま、おまえっ! おま、おま⋮⋮おまぁっ!﹂
もう、自分でも何を言ってるかわからねえ。
腰砕けになり、地面に尻餅をついて、カワイ子ちゃんの顔を指さ
し、乳を見て、エイミーを指さし、エイミーの乳を見て、二人の垂
れ目を交互に見やる。
二人、姉妹、垂れ目、唇、金髪、でけえ乳、二人、姉妹、エイミ
ー、エリィ・ゴールデン、嘘、冗談、本物︱︱︱
︱︱︱︱本物ッッ!!!?
﹁ハアァアアァァァァァァァァアアァァアアアアッァアアアァァァ
ァァァアアアァァァァァァアアアァァッァァアアアアアアアァァァ
1642
ァアアアアアアアッッ!!?﹂
︱︱︱︱まじでッッ!!!?
﹁ありえねえええええええええええええええええぇえぇえええぇえ
ぇぇぇええええええええぇぇぇええええええぇぇぇえぇええぇえぇ
っぇええええぇぇっっ!!!!!﹂
︱︱︱︱ホンモノッッ!!!?
﹁ウソだろおおおぉぉぉおおぉおぉぉおおおおおおおおぉおぉおお
ぉおおおおおおぉおおおおぉおぉおぉおぉおおぉおおおおおおぉお
おおおおおおっっ!!!!!!?﹂
喉仏がぶっ壊れるほどオレは絶叫した。
○
ありえねえ。まじでありえねえ。
別人とかそういうレベルじゃねえよ。まじパネェ。
すっげえ悔しい。クッソ可愛い。すっげえ悔しい。
﹁やっと信じてくれたの?﹂
1643
﹁あ⋮⋮ああ、まあ﹂
叫びすぎて力が抜けたオレを見て、エリィ・ゴールデンは呆れ口
調で手を差し伸べてくる。それを取り、立ち上がった。
﹁あなた合宿のとき私に散々おデブって言ったから、頼まれてもデ
ートしないわよ。と、思っていたけど、さっき私のこと、いい奴だ
からイジめるなって言ってくれて⋮⋮すごく嬉しかった﹂
﹁ああ⋮⋮まあ﹂
﹁だから一回ぐらいならいいわよ﹂
﹁ああ⋮⋮そう﹂
﹁でもアリアナは誘っちゃダメだから﹂
﹁ああ⋮⋮リアナ?﹂
放心ぎみの意識のまま、エリィ・ゴールデンの向けた視線の方向
を見ると、狐美少女がエイミーに耳をなでられていた。
﹁まあっ! まあっ! なんってプリティーなのぉ! 可愛すぎて
死んじゃう∼!﹂
﹁エイミー、久しぶり⋮⋮﹂
﹁うん! うん! 会いたかった! ふたりに会いたかった!﹂
﹁んっ⋮⋮﹂
そういや狐美少女、さっきからずっと楽しそうにオレとエリィ・
ゴールデンのやりとりみてたけど⋮⋮ってまさかっ。
﹁おま、おま、おま、おま⋮⋮⋮!﹂
オレの様子がおかしいと思ったのか、狐美少女はくるりと振り返
り、こてんと首をかしげる。エイミーが頬を緩ませ、大切な人形を
1644
抱く子どもを彷彿とさせる姿で、狐美少女を後ろから抱いた。 誘拐、エリィ・ゴールデン、一緒に、アリアナ、狐人、無口、無
表情︱︱
︱︱︱ひいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!!!!
﹁おめえアリアナァァァーーーーーーーーッ?!!﹂
オレは喉がちぎれるほど叫んだ。
叫びすぎて声帯が悲鳴を上げている。
﹁うん﹂
﹁どんだけ可愛くなってんだよ?! いや意味わかんねえよ?!﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁お前らどんな魔法使ったんだよ!?﹂
ぷい、っとアリアナは後ろを向いてエイミーの胸に顔をうずめた。
羨ましいなあおい! ってそうじゃねえ。
﹁スルメ、アリアナが恥ずかしがってるわよ。堂々と可愛いなんて
いうから﹂
﹁え? ああ、まあ、事実だしな﹂
﹁そうやってはっきり褒めるのは、すごくいいと思うわ﹂
﹁まじ?﹂
﹁まじよ、まじ。女は褒めて欲しい生き物なのよ﹂
ニヤリと指摘するエリィ・ゴールデンは、見た目こそ変わったが、
1645
仕草や言動はあのおデブだった頃のエリィ・ゴールデンと同じだっ
た。
まじか⋮⋮まじなのか⋮⋮⋮。まだ信じられねえ。
オレが、衝撃の事実、驚愕の真実を受け入れるため気持ちの整理
をしていると、魔力枯渇ではなく脳しんとうで気絶していたガルガ
インのアホチンが、むっくりと起き上がった。
髭面できょろきょろと周囲を見まわし、オレを見て、カワイ子ち
ゃんを眺め、狐っ子を観察し、生首の邪竜蛇を見つけて両目をかっ
ぴらいた。大体の状況を把握したらしい。
﹁あの魔法はあんたが?﹂
ガルガインはあぐらをかいて顔を上げ、カワイ子ちゃんに化けた
エリィ・ゴールデンを視界に入れて目を細める。
﹁ええそうよ﹂
﹁すげえな。あれ、白魔法か?﹂
﹁さっきスルメが言ってた光線魔法じゃないわ。落雷魔法よ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮は?﹂
ガルガインが固まった。
え? ちょっとまて。今なんて言った?
﹁落雷魔法よ﹂
﹁だはははっ。あんた、サウザント家の親族か? 礼はそっちに言
えばいいか?﹂
1646
ガルガインが自分の膝を叩いて笑うと、エリィ・ゴールデンが説
明をしようと口を開く。そのタイミングで、アメリアさんとサツキ
が目を覚ました。
﹁お母様﹂
エリィ・ゴールデンが跪いてアメリアさんの手を取った。エイミ
ーがサツキに近づき、肩を抱く。
﹁邪竜蛇は⋮⋮?﹂
ナイフみてえな鋭い眼光を即座に走らせ、アメリアさんはポケッ
トから予備の杖を引き抜いた。
﹁私が倒しました﹂
﹁あなたが⋮⋮?﹂
﹁はい﹂
アメリアさんは、こいつは誰だ、という疑問符を顔中に浮かべた
が、それも一瞬の出来事で、すぐに何かに気づいたのか両目を見開
いた。
﹁⋮⋮エリィ? エリィなの?﹂
﹁はい、お母様。ご心配おかけして申し訳ございませんでした﹂
﹁ああ⋮⋮なんて⋮⋮なんて⋮⋮﹂
アメリアさんは力なく杖を地面に落とし、娘の頬を愛おしげに撫
で、自分の胸に掻き抱いた。
エリィ・ゴールデンはアメリアさんの胸に顔をうずめ、両手を背
中に回した。
1647
﹁どれだけ心配したと思っているの?﹂
﹁ごめんなさい⋮⋮﹂
﹁まったく、あなたって子はいつもみんなに心配かけて⋮⋮本当に
手のかかる子ね﹂
﹁はい⋮⋮﹂
アメリアさんは優しげな手つきでエリィ・ゴールデンの頬を両手
で包み込み、目が合うよう自分の顔の前へ移動させた。
﹁グレイフナーに帰ったらお説教よ。いいわね﹂
﹁わかりました﹂
エリィ・ゴールデンは素直にうなずいて、細い手をアメリアさん
の両手に添えた。
やはり、誘拐されて家族と離ればなれになったことが結構堪えて
いたみてえだ。涙が溢れている。
しばらく見つめ合うと、アメリアさんが感慨深げにため息を漏ら
した。
﹁目はあの人そっくり。鼻は私に似ているかしら。口元はエイミー
と一緒ね。痩せるとこんなにも変わるのね。それに相当訓練してい
るでしょう? 三年生とは思えない魔力の循環よ﹂
﹁素晴らしい師匠にご指導していただいております﹂
﹁お礼をしなければなりませんね﹂
﹁あそこにいるじいさんが師匠です、お母様﹂
﹁あら、ご一緒下さっているのね﹂
そう言ってエリィ・ゴールデンは、白魚のように長く綺麗な指を
1648
エイミーの背後へ向けた。
じいさんが、エイミーの尻へ熱い視線を注いでいた。いつの間に
復活?!
﹁凄い魔法使いなんですけど⋮⋮スケベです﹂
﹁⋮⋮それは﹂
﹁お礼はしなくていいです。どうせ誰かのお尻を触りますから﹂
残念なものを見る目で、エリィ・ゴールデンとアメリアさんがじ
いさんを見つめる。
エイミーは尻をガン見されていることに気づいていないのか、こ
ちらの視線に合わせて、人懐っこく目を開いて口元をすぼめた。
﹁うむ。いい尻じゃ。うむっ﹂
あのじいさんがエリィ・ゴールデンの師匠?
強そうには見えねえけど。
﹁そんなに強いのか?﹂
﹁そうね。全員で挑んでも勝てないわね﹂
﹁ま、まじか?!﹂
﹁スルメなんか一瞬で干物にされるわよ﹂
﹁てめっ、うるせえよ! すでに名前が干物じゃねえかよ!﹂
﹁すっかり浸透しているようで名付け親としても嬉しいわ﹂
﹁誰が名付け親だよ誰がッ!﹂
﹁私よ、わたし﹂
﹁そうか、おめえか﹂
確かに名付けた奴はエリィ・ゴールデンだった。
ってちげえ。
1649
﹁って何かそれっぽい雰囲気にしてっけどオレは認めてねえからな
!﹂
﹁スルメ。いいじゃないスルメ。憶えやすいじゃないスルメ﹂
﹁連呼すんなボケ!﹂
﹁レディにボケとは頂けないわね﹂
﹁頂けっ! 頂いちまえ!﹂
﹁エリィちゃん、きちんと話すのは初めてだよね。私、エイミーの
親友、サツキ・ヤナギハラです﹂
オレ達のやりとりが終わらないと思ったのか、サツキが割って入
ってきて、エリィの両手を握った。
﹁いつも姉がお世話になっています﹂
﹁か、かわいい⋮⋮⋮くっ⋮⋮⋮!﹂
サツキ。なんでおめえは悔しげな顔してんだよ。
つーかオレを睨むな。意味がわからん。
﹁あー、ちょっといいか?﹂
あぐらをかいて会話を聞いていたガルガインが、彫りの深い顔に
困惑を貼りつけ、右手を挙げた。
﹁会話のやりとりから察するに⋮⋮そこのツインテールの美人が、
エリィ・ゴールデンか?﹂
﹁美人なんて⋮⋮まあ﹂
﹁おいスルメ。これは冗談じゃないんだよな?﹂
﹁あん? オレだって信じられねえよ﹂
﹁ま、まじなのか?﹂
1650
﹁マジらしい﹂
﹁ほ、ほんとうに?﹂
﹁ああ﹂
ガルガインは柄にもなく狼狽えて、ずりずりと地面を擦りつつ後
ずさりした。
﹁し、信じられねえ⋮⋮﹂
愕然とし、ガルガインはエリィ・ゴールデンの姿を穴が開くほど
見つめる。
﹁別人じゃねえか⋮⋮⋮ペッ﹂
自身の許容量をオーバーしたのか、ガルガインが前方へ目を向け
たまま完全に停止した。
顔の前で手を振ってもなんの反応もしねえ。
すると、邪竜蛇の生首を撮り終えたテンメイが猛ダッシュで合流
し、何か知らんけどエリィ・ゴールデンの前に跪いた。
﹁んああああっ! なんんんということだ! 婉美の神クノーレリ
ルが霞んでしまうほど神々しく、そして戦いの神パリオポテスの如
く真っ直ぐな瞳っ! あなたはまさか?!﹂
﹁あらテンメイ。私よ﹂
テンメイは、神託を受けて大げさな振る舞いをするアホな神官み
てえに、呆けた顔を作って、両手を広げた。
﹁その声は⋮⋮⋮⋮我が愛する内なる妖精、エリィ嬢っ!﹂
1651
﹁さすがテンメイ。よくわかったわね﹂
﹁この私が敬愛するエリィ嬢を見分けられないとでも? ああっ。
数多の男達が海の藻屑になった魔海の如く深い瞳! その瞳はもは
やチューベンハイムに集まる狂乱者が、手斧を一心不乱に振るい、
生と死をわかつ黄泉の世界へ旅立たんがための饗宴と同義!﹂
テンメイがピーチクパーチクやり始めた。クッソうるせえ。
﹁嫉妬の神ティランシルが妬むことすら忘れ、恋慕の神ベビールビ
ルが恋に落とせずフォーリンラブ。偽りの神ワシャシールがエリィ
嬢の前では真実を語り、契りの神ディアゴイスが最愛の妻との約束
を破ってあなたを逢瀬に誘う。なんということだ! なんんんんん
んんということだっ!﹂
﹁あ、あの、テンメイ⋮⋮?﹂
困惑するエリィ・ゴールデンを余所に、テンメイはそっと彼女の
手を握り、押し頂いた。
﹁会いたかった! 会いたかった! どれほどエリィ嬢に会いたか
ったか! 俺の一生に彩りを与えてくれた我が運命の女神よ! よ
かった! 無事でよかった! しかもこんなに美しくなって! う
おおおおおおおおおおおおおっ!﹂
テンメイ、号泣。
顔中から色んな汁が噴き出ている。
﹁ちょ、ちょっと。あなたって本当に大げさね﹂
﹁これが大げさなものか! エリィ嬢に会わなければ俺の青春は灰
色のままだった! 己の臓物を偽りの神ワシャシールに差し出して
でも、あなたに会いたかった!﹂
1652
﹁テンメイ⋮⋮﹂
テンメイ興奮しすぎだろ。
﹁さあエリィ嬢、グレイフナーへ帰ろうじゃないか! そしてまた
新しい青春の一ページを共に刻もう!﹂
﹁ええ、そうね! 青春一直線よ!﹂
﹁えいえいおーっ!﹂
テンメイが空に向かって指をさし、エリィ・ゴールデンが拳を上
げ、エイミーが変なかけ声を嬉しそうに叫んだ。
サツキとアメリアさん、やけに可愛くなったアリアナが微笑まし
く三人を見ている。
エリィ・ゴールデンの師匠らしきじいさんは、ひたすらエイミー
の尻を見ていた。
﹁いよっしゃあああああっ!﹂
とりあえずやけっぱちでオレも叫んでおいた。
まあ、無事にエリィ・ゴールデンとアリアナ・グランティーノに
合流できたし、良しとしておこうじゃねえか。こいつが目玉の飛び
出るぐらいの美人になったのは、慣れるっきゃねえ。
もうどうにでもなれ。まじで。
その声で、ジョン・ボーンさんが目を覚ましたのか、むくりと起
き上がった。
特徴のない顔で全員を見ると、神妙な顔つきになり、エリィ・ゴ
ールデンを見つめた。
﹁あなたは、女神デスカ⋮⋮?﹂
1653
エリィ・ゴールデンがちょっと困った顔をすると、ジョン・ボー
ンさんが神妙な面持ちで三度うなずき、居住まい正す。
﹁白魔法中級を杖なし詠唱とは⋮⋮脱帽デス﹂
﹁白魔法中級ですって?!﹂
﹁うそ⋮⋮!!﹂
﹁へえ∼﹂
﹁やばぁっ!﹂
アメリアさんが驚愕し、サツキが衝撃を受け、エイミーがすっと
ぼけている。
ガルガインのボケチンは放心したままだ。
まじか。まじなのか。
白魔法を中級まで使えるって、だいぶ先越されてるじゃねえか。
﹁頑張って憶えたのよ。あと、浄化魔法も使えるわ﹂
エリィ・ゴールデンは胸を張って、笑顔になる。アリアナが無表
情を幾分か誇らしげにし、こちらを見た。
﹁じょ、浄化魔法?!﹂
﹁ええええっ!﹂
﹁すごいねぇ﹂
﹁うそぉっ!?﹂
うそだろ?!
さすがのアメリアさんも信じられないのか、普段からは考えられ
ない大声を上げた。サツキはさらに驚き、エイミーは嬉しそうにエ
1654
リィ・ゴールデンに飛び付いた。
いやいや、浄化魔法はやべぇよ。
グレイフナーの白魔法使いでも使用できる人間はほんの一握りだ。
それが使えるってだけで、休みがねえぐらい引っ張りだこになる。
冠婚葬祭で浄化魔法があると箔が付くからな。何人いても浄化魔法
使用者は足りねえ。
﹁それから、邪竜蛇を倒した魔法は光線魔法じゃないからね?﹂
エリィ・ゴールデンは抱きついたエイミーと離れ、手を握ったま
ま囁いた。
﹁姉様、アレよ、アレ﹂
﹁アレ?﹂
きょとん、としたエイミーは、合点がいったのかすぐに﹁ああ∼﹂
と大きくうなずいて、ぽんと手を叩いた。
﹁落雷魔法ね! すごい音だったもん!﹂
﹁そうそう。ということで、さっき使ったのは落雷魔法です﹂
﹁エリィ、冗談はおよしなさい。伝説の複合魔法を使えるはずがな
いわ。白魔法中級、しかも浄化魔法まで唱えられると聞いて、お母
さんは充分鼻が高いのよ。よく頑張ったわ。お説教をなしにしても
いいぐらいよ﹂
﹁ありがとうございますお母様。でも、本当に使えるんです。⋮⋮
今まで黙っていてごめんなさい﹂
﹁何を︱︱﹂
落雷
﹂と呟いた。
サンダーボルト
アメリアさんが口を開こうとしたところで、エリィ・ゴールデン
は魔力を練り、﹁
1655
バリバリバリッ︱︱︱
ズドォン!
一筋の閃光が雷音を響かせ、地面を破壊した。
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁やっぱりカッコいいねぇ﹂
アメリアさん、サツキ、ジョン・ボーンさん、オレは、あまりの
驚きで完全に思考が停止し、ひとりエイミーが気の抜けた声を発す
る。
シャッターチャンスを伺っていたテンメイが﹁サンダァァァボル
ッ!﹂と叫んで、無駄に写真を撮った。
ガルガインはそれを見て、顎が外れるぐらい口を開いた。
アリアナは無表情でエリィ・ゴールデンにぴたりとくっつき、師
匠らしきじいさんはエイミーとサツキの尻を交互に見ている。
遠くのほうから﹁見たまへ諸君っ! このぶぉくが邪竜蛇をっ!﹂
ね。邪竜蛇を倒した魔法は落雷魔法を改良したオ
極落雷
よ﹂
ライトニングボルト
落雷
サンダーボルト
と、バカの声がうっすら聞こえる。
﹁これが
リジナル、
カワイ子ちゃんになったエリィ・ゴールデンが薔薇が咲くみてえ
に、にっこりと笑みを浮かべた。
知らねえうちにカワイくなり、白魔法中級を唱えられ、しかも伝
1656
説の落雷魔法まで唱えられる、元おデブお嬢様。
いや、まじで意味わかんねえよ⋮⋮。
よく分からないまま、腰砕けになり、オレは淡い敗北感を抱いて、
地面に膝をついた。
1657
第37話 スルメの冒険・その6︵後書き︶
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
以下、ご報告と近況になります。
エリィ&小橋川とスルメ、やっと合流できました・・・。
長かったぁ。無事に合流まで書けてほっとしております。
皆さまも見たいシーンだったと思うので、楽しんで頂けたならば幸
いです。
ストーリーとしても節目になりますね。
そんなところで、皆さまにご報告がございます。
なんと﹁エリィ・ゴールデン﹂書籍化決定です!!!!!
ネット小説大賞の受賞作品として書籍化が決まりました。
ガセじゃないですよ! 皆さん、ガセじゃないです!
あのおデブ時代のエリィちゃんが絵師様の手によって挿絵になりま
す!
ハラハラ、ドキドキのむっちむちですよ皆さん!
大丈夫なのか?! 大丈夫なのかっ?!
これもひとえに、本作品を読んで下さっている読者皆様のお力添え
のおかげでございます。
思えば学生時代に小説を好きになり、書き始めてからかなりの時間
が経ちました。とある小説と、とある映画の影響を受け、自分も誰
かに元気や楽しさを提供できるようになりたい、と思ったことが書
1658
くきっかけです。SF︵少し不思議︶系が好きで、ずっと学園もの
を書いていた日々が懐かしいです。
ご意見やメッセ、挿絵などを頂き、皆さまにパワーを頂いてここま
でこれました。深く御礼申し上げます。
誠にありがとうございます!
どれくらい感謝申し上げているかといいますと、上半身裸にジャケ
ットを着込んで、足元は素足の純一スタイル。前宙しながらあるあ
る探検隊、そのあとゲッツしてからのスライディング土下座。それ
ほどに感謝しております!
エリィ﹁あなたってホント、シリアスになりきれないわね﹂
アリアナ﹁早く続き書いて⋮⋮﹂
あいすいません。申し訳ございません。
スルメ﹁書籍化やべえええええ﹂
亜麻クソ﹁このぶぉくのおかげさっ︵ズビシィッ︶﹂
現在、急ピッチで書籍化作業が進んでおります。
内容も若干の変更がある予定ですので、詳細は追って報告致します
ね。
お暇な方は、六月からコメントできる、ネット小説大賞応援コメン
トなるものがございますので、メッセージを頂けると幸いです。
まだまだエリィ&小橋川の冒険は続きます。
ファンタジー5・ギャグ3・イケメン1・可愛いエリィちゃん1の
割合でお送りする本作ですが、ネット上でのダイジェスト等はない
予定ですのでご安心下さい。
長文にて失礼致しました。
1659
今後ともご愛読の程、何卒よろしくお願い申し上げます!
1660
第38話 砂漠のシェイズ・オブ・グレイ・前編︵前書き︶
今回も前編後編に分けておりますので、一気読みしたい方はお待ち
下さい・・・。
1661
第38話 砂漠のシェイズ・オブ・グレイ・前編
再会の挨拶もほどほどに、全員の体調が問題ないことを確認し、
スルメ達が乗ってきた馬車が壊れていないか様子を見に行く。
魔法によってできた大穴を迂回して馬車へ近づくと、地面に転が
っているアホな奴が声を掛けてきた。
﹁君は、誰だい?﹂
横転した馬車から放り出され、芋虫のようにロープでぐるぐる巻
きにされた亜麻クソが、ふっ、ふっ、と息で前髪を上げながら聞い
てくる。
﹁安心したまへッ、麗しきレディよ。このぶぉくの奥義で怪物はオ
ダブツなのさ。ふっ。ふっ﹂
亜麻クソも来たの? しかも何故にぐるぐる巻き?
久々に会ったが、相変わらず鬱陶しいキザさだ。うざい。イヤホ
ンをポケットに入れてたら思いのほかこんがらがって、早く音楽聴
きたいのに中々ほどけない時ぐらいうざい。
﹁こいつ勝手に馬車に乗り込みやがってな。何だかんだあって、今
アメリアさんの地獄の訓練中だ﹂
スルメが面倒臭そうに事情を説明し、しゃがみこんで亜麻クソの
ロープを解く。とりあえず一度、自由の身にさせるらしい。
﹁久しぶり、元気だった?﹂
1662
﹁おや、僕の知り合いのレディかい? このような美しい女性は忘
れやしないんだけどね﹂
相変わらずカッコつけて下唇を突き出し、ふっふふっふと息で前
髪を吹き上げる亜麻クソ。
思案顔の亜麻クソを見て、スルメが悪戯っぽく笑った。
﹁亜麻クソ、ヒントをやろう。こいつは魔法学校三年生だ﹂
﹁なんだとぉう⋮⋮?﹂
芋虫巻きのまま、亜麻クソがこちらを見つめてくる。
背後では、横転した馬車をガルガインとテンメイが身体強化で持
ち上げ、まっすぐ立たせた。右の車輪がダメになっているらしい。
ガルガインが、これから直すとのこと。
それ以外のメンバーは爆風で散らばった荷物を探しに、三々五々、
馬車から離れていく。
あとから手伝う旨をアリアナに伝えると、スルメが﹁うっし﹂と
声を上げた。
﹁ロープの結び目は解いたぞ。立ち上がってくれ﹂
﹁分からない⋮⋮﹂
亜麻クソは寝転がったまま、俺が誰かを考えている。
そんなに違うか? エリィってそんな太ってた?
心の清らかさは今も昔も変わってないぞ。
﹁おい亜麻クソ、聞いてんのか﹂
﹁スルメ君、しばし黙りたまえ﹂
1663
﹁誰がスルメだよ誰がッ。ロープ縛り直すぞ﹂
﹁愛の化身ともいえるこのぶぉくが同学年の女子を把握していない
と思ったのかい? 光、闇、火、水、土、風、すべてのクラス、す
べての女子の容姿を思い出すことができるんだよ、このぶぉくはね。
⋮⋮はっはぁん。なぁるほど・ザ・ドビュッシー。分かったぞ。こ
の僕の脳内に、答えが舞い降りてきた。それこそ婉美の神クノーレ
リルのウインクのようにね﹂
﹁どこまでもキザったらしいな。てか意味わかんね。で、誰なんだ
よこいつは?﹂
﹁私は誰でしょう?﹂
スルメが小指で耳をほじりながら、半笑い顔で亜麻クソに聞く。
せっかくなので、両手を腰に当て芋虫巻きの亜麻クソを見下ろし
た。
﹁ずばり正解を言おう! この麗しきレディはグレイフナー魔法学
校の三年生ではなく、別の学校の三年生なのだ! おそらくマース
レイン女学院の生徒とみた! スルメ君の言葉のロジックに危うく
騙される所だったがね、この慧眼のドビュッシー、そのような引っ
掛けむぉんだいに引っ掛かるほど間抜けじゃあないんだよ! ふは
っはっはっはっはっ﹂
﹁残念。はずれだ﹂
﹁な、なんだとぉう! この僕の名推理が間違っていると?!﹂
﹁こいつ、エリィ・ゴールデンな﹂
スルメが、親指を立て、肩越しにこちらを差した。
亜麻クソがその言葉を聞いて、完全にフリーズした。
﹁久しぶりね、亜麻クソ﹂
1664
笑顔で挨拶をした。
どうやらエリィの身体は、亜麻クソ、というどうしようもないフ
レーズをあだ名として認識しているらしく、汚い言葉にも関わらず
ちゃんと発音してくれる。エリィの可憐な口からお下品な言葉が出
る、唯一の現象だろう。
頭からつま先を何度も往復し、亜麻クソはぐわっと目を見開いた。
﹁ちょ、ちょっと待ってくれたまへっ! そんな、まさか⋮⋮!﹂
﹁エリィ・ゴールデンよ。少しだけ痩せたの﹂
﹁それのどこが少しなんだい! ぼかぁこんなに驚いたのは、助産
婦におぎゃあと取り上げられて以来一度もないと思うよ君ぃ!﹂
﹁そこだけは同意する。まじで﹂
驚く亜麻クソに、スルメが神妙な面持ちでうなずく。
失礼な奴らだ。と言いたいところだが、誘拐後に三十キロ近く痩
せたから無理もない。二リットルペットボトル、十五本分の重さの
脂肪が、エリィの身体から消えてなくなった訳だ。そう考えるとす
ごいな。
﹁エリィ!﹂
ぼふっ、と音が鳴るぐらい勢いよくエイミーが小走りに抱きつい
てきた。
伝説級美女のいい香りがふんわりと漂う。
﹁渡したい物があるんだよね。よかったよー傷が付いてなくて﹂
そう言って彼女は、旅行鞄らしき物の蓋を開け、何やらがさごそ
と中身を確認する。
1665
﹁エイミー嬢が何の疑問もなく、エリィと呼んでいる⋮⋮。ホンモ
ノで間違いないようだ﹂
﹁オレだって信じられねえ﹂
﹁ぶぉくは奇跡を、今ここに見た﹂
﹁ちげえねえ﹂
呆けた顔でのそりと立ち上がり、亜麻クソはロープから抜け出し
た。スルメが、俺と亜麻クソを交互に見て、深いため息をついてい
る。驚きすぎて疲労困憊らしい。
疲れさせるほど美人になっちゃってごめんな。すべてはエリィの
潜在的美貌がいけない。
そんなやりとりを余所に、エイミーはようやく鞄の一番奥から、
見せたい物、とやらを引っ張り出した。
彼女の手に握られていたのは、洋服だった。
﹁見て見て。可愛いでしょ!﹂
﹁あっ! チェック柄!﹂
うおおおおおおおおおおっ!
念願のチェック柄きたぜ! しかも定番のタータンチェック!
懐かしすぎて、一瞬、日本を思い出した!
﹁これ、ジョー君がエリィに渡してくれって。しかもエリィが痩せ
ていることを想定して、元より細身に作ってあるの﹂
そう言ってエイミーが広げたスカートは、確かに八十キロ台のウ
エストより細身に作られている。おまけに薄黄色地に青色チェック
で膝丈スカート。春感が迸る。
1666
ジョーは俺がダイエットをしっかりしていると疑っていないよう
だ。こういう気の利いた配慮をされるってことは、どうやらエリィ、
かなり愛されている模様。どうするエリィ。どうする俺。外見が美
少女で、中身がイケメンとか、どんなコメディだよおい。
グレイフナーに帰ったらジョーの様子を伺い、友好な関係を保ち
ながら恋愛シチュエーションを潰していくという、リアル小悪魔的
立ち回りを求められるな。想像するだけで頭が痛くなってくる。
もうこればっかりは考えていてもしょうがない。でたとこ勝負だ。
気を取り直してエイミーからスカートを受け取り、腰に合わせて
みる。残念なことに、ジョーの予想よりも身体が痩せすぎていて、
明らかにサイズが合わない。
これは女子高生のスカートのごとく、何回か巻くしかないな。膝
上スカートになるけど、エリィ美脚だし大丈夫だろ。むしろ見せつ
けるレベルだ。
それにしてもこのタータンチェックスカートには、モスグリーン
のジャケットを合わせたい。もしくはカーキのミリタリー風ジャケ
ット。足元はブーツで、アクティブなカッコかわいい系で決まりだ
ろ。インナーは白のブラウスだ。
だが、持ってきた荷物に上着がない。そのコーデは無理だ。残念
すぎる。
﹁あとね、これで合わせればおシャレ間違いなしだって﹂
エイミーは旅行鞄から、カーキ色の丈が短いジャケットを取り出
した。ボタンが一つも付いておらず、前を閉じない、というグレイ
フナーではあり得ない斬新なデザインの上着だ。胸ポケットがわざ
1667
とズラして配置してあるのが、何ともいじらしい。
奴は天才か? 天才なのか?
﹁新素材で作ってあるから防御力もあるみたい。でも、試作段階で
一発ぐらいなら、何とか燃えないって﹂
それなりの効果しかないから気をつけてくれ、って言ってたよ。
ファイアボール
﹁まあ! 凄いわね!﹂
新素材だと? 胸躍るな。踊りまくるな。
﹁エリィのことすごーく心配してたよ。妬けるわね∼このこの﹂
﹁あ、ちょっと姉様﹂
﹁このこのこのぉ﹂
エイミーは嬉しそうに右肘でぐいぐい突いてくる。
ただ、突いている場所が問題だった。
﹁あ、あの⋮⋮姉様、それじゃ飲み屋にいる酔っ払いのおじさんよ﹂
﹁え、そうなの? 妬けるときはこうやれってサツキちゃんが教え
てくれたんだけど﹂
﹁どさくさに紛れて肘を胸に当てるのは、おじさんのやることです﹂
妹の乳をぽよんぽよん肘でつつくのはどうかと思うぞ。
なんやかんやで、また勝手に顔面が熱くなるし。エリィのセクハ
ラ耐性が低すぎる。
くそぅ。男でないのが悔やまれるな。俺が男だったら仕返しと称
して、エイミーの胸をこれでもかと肘でつつくんだが。
﹁サツキさんの悪戯でしょ? 姉様もそろそろ気づこうね﹂
﹁そうだよねぇ。あれーおかしいなーって思ったんだけど﹂
1668
赤い顔をして謝るエイミー。
友人のサツキはエイミーをからかって反応を楽しむお茶目さん、
というのは知っている。
一連の流れを見ていた男子二人が、なぜか地面を殴っていた。
﹁スルメ君! ぶぉくの下半身に何やら熱ひプワッションが充填さ
れるのだが!﹂
﹁ちげえねえ!﹂
亜麻クソとスルメが俺とエイミーをチラ見しつつ、珍しく意気投
合していた。年頃の男子に、エイミーとエリィのコンビは目に毒だ
ろうな。高校生の自分がこの光景を見たら、完全に漲っている。
︱︱︱パァン!!!
﹁ひぃ!﹂
﹁あぶなっ!﹂
亜麻クソとスルメが鼻の下を伸ばしているちょうど目の前を、鞭
が高速で駆け抜けた。
真っ直ぐな軌跡を描いて、地面がえぐられる。
音がした方向を見ると、アリアナが無表情で鞭を持っていた。
﹁スケベは⋮⋮めっ﹂
狐美少女にそう言われ、二人は伸ばしていた鼻の下をあわてて元
に戻した。
が、亜麻クソが不思議そうな顔でアリアナを見つめる。しばらく
1669
すると、仰々しく両手を広げ、満面の笑みになって、ふっ、ふっ、
と息で前髪を吹き上げた。
﹁な、なんだい君は! 胸が張り裂けそうなほど可愛いじゃあない
かっ﹂
どうやら亜麻クソはアリアナのような女子が好みらしい。
食い入るように見つめられる彼女は、ピンクのリップを薄く付け、
控えめなアイラインを入れている。その他の箇所も、すっぴんじゃ
? と間違えられないギリギリのメイクが施され、可愛らしさが数
千倍にふくれあがっていた。アリアナの場合、幼さが若干残ってい
るため、普段着にはナチュラルメイクが合う。
しかも、暇さえあればおにぎりを食べているせいで、女性らしい
体型に変貌していた。エリィやエイミーに比べるとまだまだ細いが、
細身ながらも、太ももや胸にはしっかりと肉が付いている。
綺麗な足を惜しげもなくデニムスカートから出しているのには、
さすがの俺も、たまにちらちらと視線を送ってしまうほどだ。しか
も、どんな動きをしても、絶対にスカートの中身が見えない不思議。
女子ってすごいよな。俺も、よっぽどの動きをしない限り見えない
らしい。エリィが動きに補正を入れてくれているおかげだろう。
とまあ、はっきり言って、アリアナは誘拐後と今では別人だ。
可愛さが宇宙まで突き抜けて無酸素無重力状態で延々とバク転を
決め、雄叫びを上げながら片乳をはみ出させる原始人の毛皮スタイ
ルでウッホウッホ言いつつ、全力で手に持っていた槍を投げてその
辺の小惑星を木っ端微塵にさせるぐらい。それぐらい可愛い。うん、
久々に意味わかんねえ。
1670
﹁狐のプリティなレディよ! このぶぉくとデートをしてくれたま
へっ﹂
亜麻クソがくるりと一回転して跪き、フォワスワ、と髪をかき上
げて、ドヤ顔でウインクしながら、右手を華麗にアリアナへ差し出
した。アハッ、アハッ、と呟きつつ、これでもかと白い歯を見せつ
ける。
俺とスルメは顔を見合わせ、エイミーは、まぁと驚いて可憐な仕
草で手を口元へ運ぶ。
アリアナはじいっと差し出された右手を見つめた。
奇妙な沈黙が旧街道に下り、しばらくすると、アリアナの小さく
て蠱惑的な唇が開いた。
﹁絶対イヤ﹂
冷酷な断定と残酷な否定が、空気を切り裂いた。
亜麻クソは声にならない声を上げ、銃で撃たれたかのように、心
臓付近を押さえて大げさにうずくまる。
スルメが笑いを堪えきれず、ぶーっと吹き出した。
﹁ちなみにこの子、アリアナよ﹂
俺が補足を入れると、亜麻クソは雷に打たれたかのような驚愕の
表情を作った。
﹁な、なんだって!? 君があのアリアナかい?!﹂
﹁そうだよ⋮﹂
﹁た、たしかによく見れば⋮⋮。ぼ、ぼ、ぼかぁね、戦いの神パリ
オポテスが戦わずして降参するより驚いているよ! なんだってそ
1671
んな可愛くなったんだい?! ⋮⋮⋮はっはあん。なぁるほど・ザ・
ドビュッシー。わかったぞ、わかってしまったぞぅ! 君はこのぶ
ぉくと運命の再会をするために美しくなったんだねありがとうあり
がとう本当にありがとう!﹂
話を勝手に進めると、亜麻クソは立ち上がってもう一度一回転し、
フォワスワ、と前髪をかき上げてから跪き、ドヤ顔で左右三回ずつ
ウインクすると、右手を華麗にアリアナへ差し出した。アハッ、ア
ハッ、と白い歯を見せつけるのも忘れない。
アリアナは亜麻クソを一瞥すると、可愛らしい口をゆっくりと開
いた。
﹁好みじゃない。ムリ﹂
まさに一刀両断。
亜麻クソはあまりのショックで、ふっ、ふっ、と吐いていた息を
詰まらせ、﹁ひぶぅ﹂と声を上げると、両手で胸元を押さえて、小
さく叫んだ。
﹁ブロークンハァトッッ﹂
そして地面に倒れ込んだ。
俺とスルメは笑いを堪えられるはずもなく、ぶぅぅぅぅぅぅぅぅ
っ、と本気で吹き出した。
楽しそうに会話を聞いていたエイミーが、スカートとジャケット
と小脇に抱えながら、人差し指を頬に持っていき、小首をかしげた。
﹁私も亜麻クソ君は好みじゃない、かも﹂
1672
エイミーの不意打ちの追撃。
ど天然の彼女はただ思ったことを口にしただけだろうが、思春期
の青年にはきつい言葉だ。
亜麻クソは﹁ふぐぅ﹂と身もだえて地面でのたうち回り、両手で
頭を抱えて﹁そんなバナァナッ﹂と意味不明に叫んでエビぞりにな
る。
スルメは完全にツボに入ったのか﹁ぎゃーっはっはっはっは!﹂
と亜麻クソを指さして爆笑した。
俺はレディらしく、ギリギリのところで爆笑を堪える。
くっ、ここで声を出して笑ったら負けだ。
タイミングがいいのか悪いのか、話を聞いていたらしいサツキが、
黒髪を靡かせながら輪に加わった。集めた荷物を地面に置き、綺麗
にまっすぐ右手を挙げる。口元にはいたずらっぽい笑みが浮かんで
いた。
﹁あ、私も好みじゃないよ﹂
完全に面白がったサツキの冷酷な一打。
﹁私もよ﹂
俺もついでに便乗しておく。
亜麻クソは鼻の穴をぶわっと広げ、前歯をリスのように出すと、
魔物の断末魔のごとく﹁ぷぎぃ﹂と声を漏らした。そしてエビぞり
のまま、頭とつま先だけでブリッジ状態になって、始まってすらい
ない恋に敗れて白目になる。
心肺停止寸前といった具合で呼吸が荒くなり、不気味な声を一度
1673
上げたかと思うと、張り詰めていた亜麻クソの全身の筋肉が弛緩し、
彼はそっと意識を手放した。
﹁ぎゃーっはっはっはっはっはっはっは!﹂
﹁ぶわーっはっはっはっはっはっはっは!﹂
スルメと、いつの間にか輪に加わっていたガルガインが腹を抱え
て地面を転げ回った。
俺は声を上げずに腹を抱えて笑い、涙が目から出てきた。面白す
ぎて声が出ない。痛い痛い。笑いを堪えすぎておなか痛い! 亜麻
クソが面白すぎる。あかん。
○
エイミーがあわてて光魔法を唱えたおかげで、亜麻クソは数十秒
で復活した。
﹁ぶぉくは諦めない! 決して諦めなひっ!﹂と叫ぶポジティブさ
だけは素晴らしいと思う。
いやーアリアナを落とすのは相当難しいと思うけどな。完全にギ
ャグ要員になっている気がしないでもないが、まあ頑張れ。前向き
な奴は好きだぞ。
とまあそんなこんなでガルガインの馬車修理が終わり、俺達は安
全地帯までの移動を開始した。
進む方角は西だ。
これだけの戦力があれば、孤児院の子ども達をグレイフナーへ連
1674
れて行くことは可能だろう。
アメリア母さんはこのままグレイフナーへ戻る、と提案したが、
事情を話したところ、ジェラまで一度行ってから、子ども達を連れ
て帰国することを了承してくれた。元々、オアシス・ジェラが目的
地だったので、食糧はまだある。帰りの分はオアシス・ジェラで調
達すれば問題ないだろう。子ども達が乗る馬車も手配しないとな。
あれだけ涙の別れをしたあとに出戻りするのは、ちょっと気が引
けるが、まあ仕方ない。後々の笑い話になるさ。
それにしても、アメリアさんのことを心の中で何と呼んだらいい
のか分からない。口に出すと﹁お母様﹂になるんだが、俺の母親で
もないし、心の中で呼び捨てにするのは憚られる。とりあえず、エ
リィマザー、にしておくか。何となく。
﹁で、エリィ・ゴールデン。どうやったら落雷魔法を使えるように
なるんだよ﹂
スルメが顎を突き出して、真剣に聞いてきた。
歩いている足は止めず、どう答えていいか分からずにポカじいを
見る。
﹁ポカじい、スルメが落雷魔法を使うことはできるの?﹂
﹁ほっほ。天地がひっくり返ろうとも無理じゃな﹂
﹁ま、まじか⋮⋮﹂
スルメは残念そうに肩を落とした。やはり落雷魔法はユキムラ・
セキノ効果で人気のようだ。
﹁ねえスルメ。あなたいい加減に人のことをフルネームで呼ぶのや
めさないよ﹂
1675
﹁あん? 言われてみりゃあ面倒くせえな﹂
﹁これからはエリィ、でよろしくね﹂
﹁わあったよ。俺のことはワンズ、でよろしく﹂
﹁わかったわスルメ﹂
﹁全然わかってねえよな?!﹂
相変わらず大声でツッコミを入れてくるスルメ。
﹁つーかよ、このじいさんが、なんで落雷魔法のこと知ってるんだ
よ﹂
そう言って、スルメは会話の矛先をポカじいに向けた。
ポカじいはジョン・ボーンに貰った高級ワインを飲み、笑って答
えようとしない。代わりに俺が回答する。
﹁この人が教えてくれたのよ﹂
﹁はあっ? どういうことだ?﹂
﹁この人、砂漠の賢者よ﹂
﹁砂漠の賢者って、あの、砂漠の賢者ポカホンタスのことか?﹂
﹁それ以外にいないでしょ﹂
﹁こんなスケベなじいさんが砂漠の賢者?! ありえねえだろ﹂
﹁私もそう思ったけど、実際にそうだから仕方ないのよね⋮⋮﹂
﹁まじか? まじなのか? 証拠はあんのか?!﹂
﹁さっきの魔眼魔法を見てたでしょ? この人、上位上級魔法を数
十秒で唱えるわよ﹂
﹁はぁっ!?﹂
スルメが驚愕してポカじいを見ている。
会話を片耳で聞いていたのか、全員がこちらに寄ってきた。御者
をしているジョン・ボーンは、馬を操りながら聞き耳を立てている。
1676
亜麻クソは、修行の続きと言うことで、ロープを腰に巻いて走って
いるため馬車の後方だ。
馬車の中にいたエリィマザーが降りてきて、こちらにやってきた。
﹁何の騒ぎなの?﹂
﹁聞いて下さいよ。このじいさん、砂漠の賢者ポカホンタスらしい
っす﹂
﹁何を言っているの? そんなわけないでしょう﹂
エリィマザーは鋭い眼光でポカじいを見ると、こちらに戻した。
ポカじいはワインをラッパ飲みしながらエイミーの尻を眺め、ご
機嫌だ。
﹁いいえお母様。このじいさん⋮⋮いえ、この方は砂漠の賢者です﹂
尻好きさえなければという残念な気持ちと、尊敬の念、両方を込
めてエリィマザーに伝える。
爆炎のアメリアと言われたさすがのマザーも、狼狽の色を隠せな
い。
﹁そ、それは本当なの?﹂
﹁はい。強くて物知りで優しくて尊敬しています。スケベですけど﹂
﹁スケベは⋮⋮めっ﹂
アリアナが警戒態勢の新兵のごとく、俺の尻を触らせないようポ
カじいに睨みをきかせている。彼女の態度はポカじいを否定するの
ではなく、だらしない父親を叱る娘のような、愛情溢れるものだ。
もふもふもふもふ。
﹁納得は⋮⋮できないけれど、落雷魔法をエリィが使えるようにな
1677
っていることが、何よりの証拠なのかしらね﹂
﹁ほっほ。その通りじゃ﹂
ポカじいが嬉しそうにエリィマザーを見て、すぐさま真剣な顔に
なった。
﹁おぬしの娘に強力無比な魔法を勝手に教えてしまい、申し訳ない
と思うておる。これについてはちぃとばかし事情がある故、あとで
じっくり説明をさせてくれんかの。エリィの友人らにも聞いてもら
いたいしのぅ。こうして皆が出逢ったことは、月の導きじゃろうて﹂
﹁あなた様は本当に⋮⋮?﹂
砂漠の賢者なのか、という言葉を飲み込み、エリィマザーは鋭い
眼光を地面へ落として何やら考え込んだ。
﹁エリィ、アリアナ。おぬし達に何度か聞かれた、他の複合魔法に
ついても話してやろう﹂
﹁ポカじいは他五つの魔法について、詳しく知っているのね?﹂
﹁気になる⋮⋮﹂
﹁知っているも何も、おぬしの他二人に魔法を授けておる、と言っ
た通りじゃぞ。まだ、誰とは言えぬがな﹂
﹁まじで他の複合魔法のこと知ってんの? 俺が使える魔法ってね
えの?﹂
たまらずスルメがポカじいに聞く。
﹁ほっほ。ないのぅ﹂
﹁まじかっ⋮⋮!﹂
﹁こればっかりはどうしようもないぞい。まあ、おぬしは身体強化
の才能がありそうじゃから、そちらを頑張ればいいじゃろ﹂
1678
﹁まじ?! まじなのかそれはっ!﹂
﹁その様子からして適性は火じゃろ?﹂
﹁ウッス! その通りっす!﹂
ポカじいの威厳を感じてか、スルメが敬語になって敬礼している。
﹁一点集中型で訓練をしたほうがええじゃろ。エリィの母君のよう
にの﹂
﹁ウッス! 了解ッス!﹂
﹁話はあとじゃ。急がねば休憩地点に着く頃には真っ暗闇じゃぞ。
エリィ、アリアナ、馬車を持ち上げて身体強化。わしはウマラクダ
を運んでやろう。先に待っておるぞい﹂
話を切り上げ、ポカじいがジョン・ボーンに御者席から下りるよ
う促す。そして馬車とウマラクダを連結しているロープを外し、自
身の十倍はある体躯を右肩にひょいと担いだ。突然担がれたウマラ
上の中
まで身体強化を掛けたのか、旧街道のレ
クダが、すきっ歯をむき出しにして嘶く。
ポカじいは、
ンガを派手に踏みならし、一瞬で俺達の前から消えた。
スルメ、エリィマザー、エイミー、サツキ、ガルガイン、ジョン・
ボーンはぽかんと口を開けてポカじいが跳んでいった方向を眺めた。
テンメイは﹁オポチュニティィィィッ!﹂といってシャッターを
切り、亜麻クソは馬車がようやく停まってくれたので﹁諸ぅぅ君ん
! 僕は見事に走りきったぞぉう!﹂と叫んで足をガクガクさせた。
俺とアリアナは指示通り、身体強化を掛けて、よいしょと馬車を
両脇から担いだ。
﹁さあみんな、行きましょ﹂
﹁ん⋮⋮﹂
1679
六人乗りの馬車を美少女二人が御輿のように担ぐ姿は、端から見
てさぞシュールだろう。
○
全員で身体強化をし、旧街道を走る。
馬車は、魔力が回復したメンバーから順々に交代で担いだ。スル
メ、エイミー、ガルガイン、サツキ、テンメイの五人はやけに連携
がいい。そして全員が身体強化できることに驚いた。
どうやらエリィマザーの地獄訓練の成果らしく、あとでその内容
を教えてくれるとのこと。一部、話したくない訓練もあるんだよね、
とエイミーが顔を引き攣らせていた。
休憩地点へと付くと、ポカじいがウマラクダと共に待っていた。
金木犀に囲まれた野営地は、魔物の匂いが薄く、気持ちが随分と
落ち着く。
すっかり暗くなった空に、焚き火の煙が立ちのぼっている。
食事の準備、テント設営、水の確保、薪の収拾などなど、キャン
プさながらで、久々に再会した俺達はわきあいあいと分担作業をす
る。亜麻クソが、やたらとアリアナに自分をアピールしていて、笑
いを誘う。馬車に乗って担がれていた癖に、よくそこまで自信満々
になれるな。ポジティブも度が過ぎるとただの変態だ。
サツキともすっかり打ち解けた。竹を割ったようなスカッとした
性格は、大変付き合いやすい。黒髪で和風な顔を見ていると、日本
を思い出して心が和んだ。
1680
スルメと親しげに話している様子には、俺の恋愛センサーがぴく
ぴく反応する。
あの二人、相性がいいかもしれない。
ジョン・ボーンは無口だった。聞くところによると、シールドの
団員らしい。白魔法中級を使える俺に﹁さすがアメリアさんのご息
女デス﹂と言って、跪いてくる。
﹁沿海州ではあなたのような美しい女性を﹃マーメイド﹄と呼びマ
ス﹂
﹁まあ⋮⋮﹂
﹁あなたは私にとってマーメイドであり、女神デス﹂
なんか口説かれてない?
顔が熱いよ、いつも通りね。
﹁そ、そのようなこと⋮⋮﹂
﹁いえ、あなたは美しいデス﹂
﹁んまあジョン・ボーンさんったら﹂
﹁我がマーメイド。あなたに救われた命デス。お望みとあらば、あ
なたの為に、身も心も捧げまショウ﹂
﹁お、おほほほ⋮⋮﹂
口に出した言葉がお淑やかモードになるぜ。
んああ! 耐えられん! 俺、男なんだけど?!
ごめんあそばせ、と言ってそそくさとアリアナの所に逃げ、心を
落ち着かせるため素敵な耳をもふもふする。
くすぐったそうにアリアナが肩をすぼめて目をつぶった。ああ、
全世界の癒しはここにあるな。
1681
全員で焚き火を囲んで食事が済むと、エイミーとアリアナが食後
のスープを配ってくれた。ポカじいとエリィマザーには赤ワインだ。
夜空は雲一つなく、見慣れた異世界の星々が降りそそいでいる。
﹁では、複合魔法について話をしようかのう﹂
ぽつりとポカじいが呟くと、遠くで魔物の鳴き声が聞こえた。か
なり遠いため、こちらに来ることはない。全員が、自然と前のめり
になる。
伝説の魔法使いから、伝説の魔法について語られるのだ。ポーカ
ーフェイスのアリアナですら、興奮を抑え切れない様子だった。唯
一、エイミーだけがすっとぼけて、﹁エリィと食べるとご飯が美味
しいね﹂とスープをふうふう冷ましながら、柔和に微笑んでいる。
月読み
から話さねばの⋮⋮﹂
我が姉はやはり大物だ。そして美しい。
﹁まずは
我が師匠であり、スケベな伝説の魔法使い、砂漠の賢者ポカホン
タス。
彼は、赤ワインの入った木製のコップを一気に煽って空にすると、
訥々と語り出した。
1682
第38話 砂漠のシェイズ・オブ・グレイ・前編︵後書き︶
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皆さま、温かいお祝いのメッセージありがとうございます!
これからもエリィ&小橋川をよろしくお願い致します。
更新についてですが、週一回ペースに戻そうと頑張っております。
ふっ。ふっ。
プライベートも落ち着いてきたのでイケると思います。KITTO
ね!
拙者、常に全力投球しておりますっっ。
よつばゆうと
また、書籍化に伴いペンネームを﹁よだ﹂から﹁四葉夕卜﹂に変更
する予定です。
どちらの呼び方でも大丈夫ですので、呼びやすい方で気軽にメッセ
ージ等頂ければ幸いです!
1683
第39話 砂漠のシェイズ・オブ・グレイ・後編
満天の星空の下、ポカじいは語り始めた。
焚き火にゆらぐポカじいを見ていると、ここがファンタジー映画
の世界では、という錯覚に陥る。他のメンバーは思い思いのことを
考えているのか、何も言わずにじっと耳を傾けていた。亜麻クソが
月読み
が使用で
さりげなくアリアナに、アハッ、とウインクを送っているのが鬱陶
しい。アリアナはガン無視だ。
﹁十年に一度、月が頂点に届くとき、予知魔法
きる。場所と時間を指定される、限定条件下で発動可能な魔法じゃ。
使用可能な場所は世界で六カ所。砂漠、グレイフナー、セラー神国。
他三カ所は、おぬし達の言うところ﹃冒険者最高到達点﹄より奥に
ある﹂
﹃冒険者最高到達点﹄というのは、グレイフナー王国の南にある
﹃冒険者同盟﹄から南下する﹃ユキムラ・セキノルート﹄で人類が
踏破できる限界地点のことだ。ユキムラ・セキノが死んでから誰も
世界の果てへは到達しておらず、数年に一度、世界の果て攻略隊が
組まれるそうだが、成果は芳しくない。
﹃冒険者同盟﹄から南へ進み、方向感覚を狂わせる森﹃倒錯の樹
海﹄を抜けると、幅一キロ、深さ数百キロの亀裂が東西に延々と続
いている難所がある。あまりにまっすぐな裂け目なので、人工的な
雰囲気すら漂うこの難所、通称﹃奈落﹄と呼ばれている。落ちたら
最後、絶対に上がってこれないらしい。浮遊魔法で飛び越えようと
すると危険度A級の魔物に襲われ、橋を架けようとすると、まるで
異物を排除するように、吹き上げる突風で粉砕される。
1684
ちょうど五年前、冒険者同盟は百人の猛者を集め、浮遊魔法が得
意な魔法使いを一人選抜し、彼をひたすら援護して、何とか奈落を
渡らせたそうだ。だが、向こう側へ辿り着いた勇敢な魔法使いは、
一人で奥へ進むことを断念した。その先には、見たこともない植物
や動物が見えたらしく、生きた心地がしなかった、と彼は語った。
仲間の援護でこちら側へ戻ってきた勇敢な魔法使いは、﹃奈落﹄
の先へ行った生ける伝説として、今も冒険者同盟で虎視眈々と世界
の果て到達を目論んでいるそうだ。
﹁他三カ所は﹃冒険者最高到達点﹄と﹃世界の果て﹄の間に点在し
ている、ということですね﹂
﹁そうじゃ。まあ、場所はあまり重要ではない。知識として憶えと
ってくれればよい﹂
﹁まさかとは思いますが⋮⋮賢者様は﹃奈落﹄の向こうへ?﹂
魔法関連に詳しいテンメイが、知的好奇心を抑えきれず立て続け
に発言した。
ポカじいが何でもなさそうに、うむ、とうなずく。
テンメイ、スルメ、男性陣からは驚嘆の声が上がる。
﹁向こう側については話せぬ事柄が多いため、質問は受け付けんぞ﹂
ポカじいが言うと、全員がため息を漏らした。
テンメイが小声で﹁エェェクセエレンッ﹂と叫ぶと、さらにポカ
月読み
月読み
は千年前の魔法じゃ。
は失われし魔法、と聞き及んでおりますが⋮⋮?﹂
じいへ質問をぶつける。
﹁
﹁ふむ、よく知っておったのぅ。
アーティファクトの製造年号と合致するところから、おそらく古代
武器と共に開発されたようじゃの。詳しい歴史的背景は、残念なが
1685
ら分からん。わしは師匠から魔法を受け継いだに過ぎんのでのう﹂
月読み
はどの魔法属性にも当てはまらぬ魔法であり、
﹁そうですか⋮⋮﹂
﹁また、
身体強化と似ておる。己の心に月を落として未来のゆらぎを感知し、
予言を頂くのじゃ。習得方法は千年前から秘匿されておったようじ
ゃの﹂
﹁訓練すれば出来るようになるんですか?﹂
サツキが背筋を伸ばし、凛とした声で尋ねる。まるで、優等生が
先生に質問しているようだ。
その横で、エイミーが美味しそうにスープを飲みながら、ふんふ
んとうなずいている。
﹁できぬ。この魔法は世界で一人しか使えぬらしい。師から弟子へ
受け継がれた際に、師はその力を失うのじゃ。わしが力を引き継い
でから、かれこれ六十年経つのう。頂いた予言は全部で六回じゃ﹂
﹁ポカじいは何を予知したの? それから何を予知できるの?﹂
月読み
ができるのか。ポカじいが何を予知
これは前から気になっていた。
どのぐらい正確に
したのか。それこそノストラダムスの予言的なものなのか、自分が
月読み
を受け継ぐと、最初にまず﹃何を予知すればい
指定した未来を予知できるのか、それで今後の対応が大きく変わる。
﹁師から
いのか﹄を予知するのじゃ﹂
﹁あ、それは⋮⋮便利ね﹂
確かにその予知ならハズレがないし、効率がいい。
﹁どうやって予知を受け取るの?﹂
1686
﹁何とも説明しづらいんじゃがの。脳内に直接文字を書かれる感じ
かのぅ。記憶が自動的に追加される、と表現すると正しいかもしれ
ん﹂
﹁ちょっと気味が悪いわね﹂
﹁うむ。予言が発現したあとは、何とも言えぬ気分になるのぅ﹂
勝手に記憶が上塗りされるって感じだろうか。
例えるなら、覚えていない英単語を勝手に記憶している、とか。
行ったこともない旅行風景を思い出すとか。⋮⋮⋮あまり気分は良
くないだろう。
を使おうとは思わなかったの?﹂
﹁私、前から気になっていたんだけど、ポカじいは自分のために
月読み
﹁ふむ。もとより、わしらはこの世界の観測者のような立ち位置じ
ゃ。己のために予知は使わんよ。ただわしも人の子じゃ⋮⋮正直⋮
⋮後悔がないとは言いきれん⋮⋮⋮﹂
俺の何気ない疑問に、悔恨が心情を埋め尽くす、といった苦渋の
表情になり、ポカじいは焚き火へと目を落とした。片手で長い髭を
上から下へと、確かめるように梳く。皺の刻まれた頬は真横に引き
締められ、自責の念に駆られていた。
ポカじいは今年で百八十三歳、と言っていた。
それだけ長生きしていれば、今までの人生で色々あっただろう。
月読み
を伝授されたのが六十年前、ということは、
ポカじいに師匠がいたことも驚きだ。
師匠から
ポカじいはそれまで師匠の元で修行をしていたのだろうか。それと
も、予知魔法は訓練が必要ない、とか?
何にせよポカじいがここまで辛そうな顔したのは初めて見た。
きっと過去に、様々な人と出逢いや別れを繰り返し、ここまで来
1687
月読み
を使わなんだっ! 後悔しても
たのだろう。そう考えると、何とも哀愁がある格好いいじじいに見
えてくるから不思議だ。
﹁なぜわしは尻のために
しきれぬ!﹂
ただのクソじじいだった。
﹁お師匠様に謝りなさい! この⋮⋮スケベッ!﹂
﹁そんなこと言うたって気になるじゃろ?! 世界最高の尻に出逢
うにはどうすればいいか、という大いなる予知をしようと何度思っ
たことか⋮⋮くっ!﹂
﹁あのねぇ︱︱﹂
﹁それはありがたい﹂
ポカじいは俺の言葉を遮り、言葉をかぶせてくる。
﹁あとで尻を︱︱﹂
﹁触らせないわよ﹂
今度は俺が言葉をかぶせた。
﹁ええじゃろ減るもんじゃないし﹂
﹁い・や・よ﹂
月読み
﹁手厳しのぅ。いや、尻厳しいのぅ。エリィの尻はあとで触らせて
もらうとして、わしは﹃何を予知すればいいのか﹄という
をしたわけじゃな﹂
﹁さらっとお尻さわる宣言しないでよね!﹂
くすくす、とエイミーが笑うと緊張していた場の空気がいくぶん
1688
緩んだ。
ポカじいがワインを手酌しようと動いたので、仕方なくお酌をし
てやる。じいさんは嬉しそうに受け、ちびりとワインを飲んだ。
﹁一回目は﹃何を予知すればいいのか﹄に使った。すると、とんで
月読
は、大ざっぱな予知には細かい回答がされ、細かい予知には大
もなく大ざっぱな指示が出てきてのう。これには驚いたの。
み
ざっぱな回答がされる、という特徴がある。わしが得た予知は類を
見ないものであった﹂
ポカじい曰く、例えば﹃世界が平和になるにはどうすればいい﹄
といった大ざっぱな予知には、﹃とある日、とある場所で、とある
人物を訪ねよ﹄など細かく指示が出て、﹃なくした財布の場所が知
りたい﹄という細かい予知には、﹃西の風が吹く場所、水の音がし、
赤い石がお前を待つだろう﹄などという、ヒントみたいなものにな
るそうだ。
大ざっぱな予知のほうがどう考えても有用だ。元々、そういう用
途で作られた魔法なのかもしれない。
月読み
の回数は全六回。
で得た回答は、﹃今後すべて、己が何をするべきかを
ポカじいが、一回目﹃何を予知すればいいのか﹄という問いかけ
の
月読み
問え﹄というものだったらしい。
ポカじいが今までに使った
残りの五回、﹃世界最高の美尻はいずこにあるか﹄という己の欲
月読み
を行使した。
望のためでなく、﹃己は何をするべきなのか﹄という世界調和のた
めに、ポカじいは
この質問の予知結果は、本来なら明確な予言であるはずだった。
しかし、二回∼四回目は実にふんわりした内容であり、解明する
1689
のに相当の時間を費やしたそうだ。
予知結果はこうだ。
二回目﹃流星の見える年、人の増えたる地下、新書を暴き、三つ
目の悪魔が、臓物を引き出し、雷鳴の呪文を得る﹄
三回目﹃泥の沼地、息のかかる者すべて、底なしに飽き、東西南
北に風が吹き荒れ、緑の怪鳥が、生きる呪文を得る﹄﹃かの大地、
竜頭に巻き込まれ、渦谷の鱗、赤子泣きやまぬ虚ろな時、理を視る
呪文を得る﹄
四回目﹃世界の果て、深淵を除き、二つを裂く支柱に描かれし呪
文、無の発生なり﹄﹃太古の森、雪華作りし人、偽りの暮らし、幻
想の外へ、遺跡にありし呪文、刻の詩なり﹄
ほとばしる中二病!
うなるファンタジー感!
無性にわくわくしてきた。
一見するとなんのこっちゃわからないが、すべて場所を表してい
るそうで、ポカじいは二回目の予言後、十年間旅をして落雷魔法の
呪文を見つけた。
次に、三回目、四回目は、同時にふたつの呪文を求める回答が出
たため、二十年の時間をかけて、合計四つの複合魔法を手に入れた。
三十年かけて複合魔法の呪文を五つゲットしたわけか。
予言に従い放浪する、ひとりの魔法使い⋮⋮。ローブがはためき、
彼の行くところ、謎が解き明かされる。めちゃめちゃかっこいいな。
どのように旅をしたのかは、長くなるので省かれてしまった。ポ
カじいは北の沼地から、南の世界の果てまで、全世界を回ったそう
だ。
1690
旅の話はまたゆっくり聞きたいなぁ。クラリスがいたら、泣いて
話を懇願するだろう。
﹁まるで、ポカじいに旅をさせる為の予言ね﹂
はわしがすべきことを予
﹁ふむ。わしもそう睨んでおる。三十年旅をして、魔法の極意を得
た﹂
月読み
﹁それにも意味があるのかしら?﹂
﹁あるのじゃろうな。じゃが、
知しただけであって、旅の過程で得た知識や魔法をどのように使う
かはわしの自由であり、強制はしておらん。あまり予知にとらわれ
過ぎんことが大事じゃとわしは考えておる﹂
聞き入っていたメンバーは、しきりに感心している。
月読み
パチパチと焚き火が音を鳴らし、炎の光がぼんやりとポカじいの
顔を照らした。
ポカじいの話は続く。
旅を終え、砂漠に腰を落ち着けたポカじいは、五回目の
を行使する。
五回目は﹃十二元素拳・奥義習得の極意﹄が予知されたそうだ。
門外不出のため、予知内容は教えてくれなかった。いや、めっちゃ
気になるよ。
月読
そして六回目が、最も重要な﹃複合魔法を伝授する、人物、時、
で、ポカじいはエリィに落雷魔法を授けたそうだ。
場所、条件の正確な予言﹄という結果だった。この六回目の
み
予言をまとめるとこうか。
1691
二回目﹃複合魔法﹄
三回目﹃複合魔法×2﹄
四回目﹃複合魔法×2﹄
五回目﹃十二元素拳奥義﹄
六回目﹃複合魔法の伝授方法﹄
﹁複合魔法は全部で六種類じゃないの? なんで五種類だけなのか
しら?﹂
二回目から四回目で取得した魔法は落雷魔法を入れて、全部で五
種類だ。これだと数が合わない。
﹁わからん。予言がされん、ということは、必要がない魔法なんじ
ゃろう﹂
﹁そういうものなのね﹂
﹁そういうものじゃ﹂
﹁五回目の奥義修得、というのは?﹂
﹁わしが考案した体術。すなわち、おぬしが名付けてくれた十二元
月読み
がわしに授けたのかは不明じゃ﹂
素拳の、最強攻撃方法じゃ。わしは﹃魔力内功﹄と呼んでおる。な
ぜ
﹁私が習得する必要があるのかしらね?﹂
﹁そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん﹂
﹁曖昧ねえ﹂
﹁あくまでも予知、じゃからの。実際に動くのは我々生身の人間じ
ゃ。考えもするし、間違った行いをする可能性もある。どうなるか
月読み
月読み
は裏も表もない
魔法
じゃ。ちぃ
の習得者として予言を全面的に信じていないの
はわからんもんじゃよ﹂
﹁あら。
ね﹂
﹁ほっほっほっほ。
と特殊ではあるが、最終的に物事を決定づけるのは人の意志じゃよ。
1692
そういった意味では信じていないかもしれんのぅ﹂
そう呟き、ポカじいはワインを持っていない手を強く握りしめた。
過去の出来事に思いを馳せているのかもしれない。
話が途切れたところで、アリアナが食事の際に作っていたのか、
豆を煮て塩で味付けしたおつまみを全員に配った。見た目は枝豆と
似ているが、どことなく里芋の風味を感じる。気が利くアリアナは
いい嫁になれるな。間違いない。
全員がここまでで思ったことを、取り留めもなく話していく。
月読み
に、伝説の複合魔法。過去を語る伝説の
みんな心なしか興奮していた。
失われし魔法
魔法使い⋮⋮か。
⃝
﹁では話の本題に移ろうかの﹂
ポカじいがワインを二回おかわりしたところでそう全員に告げる
と、待ってましたとスルメとテンメイが手を叩いて焚き火の前に座
り直した。ガルガイン、サツキ、は神妙な面持ちで居住まいを正し、
ジョン・ボーンとエリィマザーは軍人と元軍人らしく背筋を伸ばす。
亜麻クソは、枝豆に、んん∼まっ、と熱い接吻をし、それを見てア
リアナはイヤそうに顔を背けた。エリィ大好きのエイミーは俺の隣
に来て、すごい話だね、と楽しそうに笑う。
﹁まずは複合魔法の種類じゃ。エリィの使う﹃雷﹄魔法が一つ﹂
1693
﹁ええ﹂
俺は話の先を促すようにうなずいた。
ずっと残りの魔法が気になっていたんだ。その中に﹁転移﹂や﹁
転生﹂と似た魔法があれば、俺とエリィが分離できる可能性が出て
くる。
﹁残りの四つは﹃生﹄﹃天﹄﹃無﹄﹃刻﹄じゃ﹂
ポカじいが、今までずっと黙っていた複合魔法の種類をさらりと
言った。
﹁﹃雷﹄の基礎魔法が﹃落雷﹄であるように、四つにも基礎魔法が
ある。﹃生樹﹄﹃天視﹄﹃無喚﹄﹃時刻﹄じゃ﹂
﹃生樹﹄﹃天視﹄﹃無喚﹄﹃時刻﹄の四つか。
月読み
に従って、﹃天﹄と﹃刻﹄は選ばれし者に伝授してお
名前からして、全部やばそうだな。
﹁
る。その者達がどう使っているかは不明だがの﹂
﹁賢者様、その四つの魔法の効果は一体?﹂
全員が聞きたかった内容を、テンメイが身を乗り出して質問する。
﹁ふむ。残念なことにわしにも分からん。名前からして、﹃生﹄は
生命に関する魔法。﹃天﹄は天に関する魔法。﹃無﹄は無に関する
魔法。﹃刻﹄は刻に関する魔法。そうとしか言いようがないのぅ⋮
⋮﹂
﹁な⋮⋮なんと面妖な﹂
1694
テンメイは内容が分からないことにより、自身の想像力で魔法の
効果を頭に思い描いたのか、ぞっとしている。
落雷
に最大魔力を込めると、
サンダーボルト
﹁エリィの落雷魔法がそうであるように、強力なことには違いない
じゃろうな。今のエリィの実力で、
上位中級ほどの威力が出る。しかも、無詠唱で連射可能じゃ。エリ
ィが天才であるとしても、魔法学校三年生の実力で、この威力、精
度、連射、できる魔法は、やはり複合魔法ぐらいしか考えられん。
さらには、オリジナルがたやすく作れるようじゃからのぅ。今後、
もっと魔力効率のいい魔法を作れる可能性がある。それこそ、上位
上級のパワーで連射できるような恐ろしい威力の雷魔法や、超級の
効果がある無詠唱魔法など⋮⋮正直、底がしれん﹂
﹁や⋮⋮やべえな﹂
スルメがごくりと生唾を飲み込み、ガルガインが癖で無意識のう
ちにツバを吐いた。
何となく息の合った反応だ。
悪意を持った連中が複合魔法を手に入れたら、まずいだろうな。
仮に生魔法が、生命を操る魔法なら、人を簡単に殺せる。生き返
らせることもできるかもしれない。
刻魔法は文字通り時間を操る魔法で、過去や未来へ飛べ、あまつ
さえ時間を止めることができる可能性がある。万が一そういった魔
法なら、ぶっちゃけ最強だろう。
無魔法は、無がマイナスイメージだけに、攻撃に特化しているの
ではないだろうか。もしくは空間を自在に操る魔法とか。便利そう
だ。
天魔法。この魔法にかなり希望を感じる。基礎魔法が﹃天視魔法﹄
という名前だけあって、天から授かりし運命を解き明かす魔法、と
1695
取れなくもない。俺とエリィのこの状態を解明する手がかりになり
そうな気がする。
﹁刻魔法と天魔法を授けた人は誰なの?﹂
﹁それは教えられん﹂
月読み
で、話してはならぬ、という卦が出ておるのじゃ。残
俺の質問を、ポカじいはノータイムで拒絶した。
﹁
念じゃがな﹂
月読み
の存在を話しても問題ないの?﹂
﹁⋮⋮わかったわ。あと気になっていたのは、なぜ、ここにいるメ
ンバーに
﹁特に、言ってはいけない、という予言は出ておらん。単に、わし
の判断じゃ﹂
﹁そうなのね﹂
﹁あくまで行動するのは生身の人間じゃ。予知でも魔法でもない﹂
ポカじいは師匠らしく、重々しくうなずいた。
そのままならカッコいい師匠なのだが、視線が、切り株に座って
むにっと形の変わっている俺とエイミーの横尻に釘付けだ。鼻の下
も伸びている。シリアスなのかエロなのか、はっきりしてほしい。
﹁伝授した人間は教えられんが、エリィに魔法を伝授した際の予知
なら教えられるぞい﹂
それは知りたい。
﹁どんな内容なの?﹂
﹁雷を操りし者の守護者、魔闘会が終わる次の週、雷雲の日に、グ
レイフナー一番街へ現れる。年頃は十三歳。プラチナブロンドに、
1696
純朴な碧眼。類を見ないほどの巨体で、身長は百六十センチ。予知
者はこの者を見つけ、落雷魔法と魔法陣を授けるべし﹂
月読み
さん。類を見ないほどの巨体て⋮⋮。ひどく
ポカじいが、長い予言を朗々と諳んじた。
ちょっと
ない?
少しばかり胸が痛い。エリィがちょっぴり悲しんでるな、これ。
エリィは乙女だから、前のことでもデブと言われるのは辛いんだ
ろう。
﹁雷を操りし者の守護者⋮⋮?﹂
アリアナが、口をすぼめて首をかしげる。
そう言われてみると確かにおかしい。この文言だと、エリィは落
雷魔法の使用者を守る役割になる。
﹁それはわしもちぃと気になっていたんじゃが⋮⋮﹂
思い当たる節があるのか、ポカじいが達眼をこちらへ向ける。
その眼差しはすべてを見透かすように真っ直ぐと伸び、俺の心臓
が跳ねた。
﹁エリィが落雷魔法を使えることは誰が見ても明らかじゃ。あまり
深い意味はないのかもしれん﹂
﹁そ、そうよね⋮⋮﹂
ポカじいが優しげに言い、心配させまいとゆっくりうなずく。
精神が男だってバレたかと思ってヒヤッとしたぜ。
1697
だが、遅かれ早かれ白状しないと、エリィと俺を分離する方法の
相談ができない。一人で方法を探し、行動するには荷が重すぎる。
いずれは話さなければならない。
タイミングをいつにするかだな。グレイフナーに戻って、スカー
レットとボブにきっちり報復し、コバシガワ商会が落ち着いてから
かな、やっぱり。
ちょっと待て。
よく考えると、守護者がエリィだった場合、雷を操りし者は俺っ
てことになるんじゃないか。そう仮定すると、俺が異世界に転移し
てきて、エリィが守ってくれる、というのが本来の流れだったのか
もしれない。
本当なら、俺は生身のままこっちの世界に来る手はずだった、と
か。
もしくは、エリィの中に俺が転生する事も織り込み済みの予知、
とかね⋮⋮。
うん、謎が謎を呼ぶな。分からないことだらけだぞ。
﹁落雷魔法の伝授は理解できたのですが、魔法陣、というのは? 何かの魔法が娘にかかっているのでしょうか﹂
沈黙を破ったのはエリィマザーだった。
こちらを心配した様子で見てくる。
﹁召喚を補助する魔法陣のようじゃ﹂
﹁召喚を⋮⋮補助?﹂
﹁何を召喚するのかは分からぬ。もしくは、すでにしたのか。何に
せよ、誰が、何を、どうやって召喚したのかは不明じゃ﹂
﹁召喚魔法など存在するのでしょうか?﹂
1698
召喚や転移関係の魔法がないか、クラリスに頼んで調べてもらっ
たが、そんなものは全く出て来なかった。出てきた文献は、作ろう
として失敗した記述や、偽物の魔法陣だけだ。
そういやあの魔法陣の紙、エリィの日記に挟んだままになってる
な。やはり、あれは手がかりになりそうだ。
﹁召喚魔法は存在はするのぅ。師匠の話では、それも千年前に作ら
れたようじゃ﹂
﹁それはすごい﹂
エリィマザーが、両眉を上げて目を輝かせた。
﹁わしが見たわけではないから、眉唾かもしれんぞ﹂
﹁それでも、その話を砂漠の賢者様から聞けた、ということに価値
がございます。召喚魔法は魔法使いにとって夢にも等しい技術です
から﹂
﹁あの魔法陣、私の部屋にあるわ。是非分析しましょうお母様﹂
とりあえずエリィマザーを焚きつけておこう。
有能な研究者が魔法陣の謎を解明してくれるかもしれない。
﹁それはすごいわね! よろしいでしょうか賢者様﹂
﹁ええと思うぞぃ。わしも一肌脱いでやろうかの。その代わり︱︱﹂
﹁ポ・カ・じ・い?﹂
尻を触らせてくれ、というお馴染みの言葉を怒りの形相で遮った。
マザーの尻まで狙うとはのっぴきならない。
﹁ええじゃないかええじゃないか﹂
﹁よくない! じいさんのブリッ子なんて需要ないわよ!﹂
1699
﹁じゃあ手伝わないぞぃッ﹂
駄々っ子のごとく、ポカじいが顔を背けた。
どんだけ尻さわりてぇんだよ。
﹁ちなみに最後になるが、複合魔法は、別名﹃古代六芒星魔法﹄と
も呼ばれておるぞぃ。千年前のさらにその前から、原型になる魔法
があったようじゃ﹂
﹁あら? じゃあ複合魔法は、上位魔法を掛け合わせているわけじ
ゃないの?﹂
﹁六芒星の表記の便宜上、複合魔法と呼ぶようになったようじゃな。
六芒星を二個書くより、六芒星の外側に六芒星を書いたほうが書類
の場所を取らんじゃろ? 古い文献を見つけた連中がそれを勘違い
ウインド
で文字を書いていく。
して、複合魔法と呼ぶようになったようじゃ﹂
﹁そ、そんな理由なのね⋮⋮﹂
ポカじいは地面に指を差し、
棒きれで地面を削るより、精緻な図形が描かれた。とてつもなく正
確な魔力操作だ。全員、声も出せずに息を飲んだ。
﹁天﹂ ﹁生﹂
炎 白 | 木
\ 火 /
光 土
﹁雷﹂ ○ ﹁無﹂
風 闇
/ 水 \
1700
空 | 黒
氷
﹁刻﹂ ﹁?﹂
ポカじいは書き終えて、うむとうなずいた。
なるほど、各魔法の間に複合魔法がくるわけだな。
﹁考えてみてみぃ。エリィは白魔法と空魔法を習得する前に、落雷
魔法使えるようになったじゃろ? おかしいとはおもわんかったか
?﹂
﹁思ったわ。わからないからあまり深くは考えないようにしていた
けど﹂
﹁ま、そういうことじゃ。それで話を戻すがのぅ。千年前、という
のが一つの節目になるんじゃよ。事の発端はすべてここから始まっ
ておる﹂
﹁キーワードは﹃千年前﹄ね﹂
﹁そうじゃな。そして、ユキムラ・セキノが活躍した﹃四百年前﹄
も、キーワードの一つじゃ﹂
千年前に古代六芒星魔法なる複合魔法が作られ、そして四百年前
にユキムラ・セキノとその仲間が使用した、という流れか。
確かユキムラ・セキノの伝記によると、四百年前に世界の果てに
辿り着いて、世界の謎を解明した、となっている。その﹃世界の謎﹄
とやらは、複合魔法と関係があるのだろう。そして大方、ユキムラ・
セキノの仲間が他の複合魔法を使えたのではないだろうか。
この流れってさ、映画とかSF小説だと俺とエリィも巻き込まれ
るパターンだよな。
1701
うわぁ⋮⋮⋮リアルに勘弁してほしいんだけど。
世界の果てまで冒険だ! って絶対行きたくない。エリィの身体
が危険に晒されるのは嫌だし、お肌荒れそうだし、すぐに都会の空
気が恋しくなるわけよ。アウトドアはたまにでいいわ、ほんと。誘
拐から帰国まで時間がかかりすぎたぜ。早く人がたくさんいる街に
行きたい。シティボーイの俺にとって、田舎はつらいんだよな。ビ
バ都会の空気。
⃝
ポカじいとメンバーの質疑応答が続いた。
月読み
は細かく出しているようだ。ポカじいは相当の
だが現状開示できる情報はまだ少ないらしい。その辺の指示も、
六回目の
知識があるのに、それを聞けないってのは残念極まりない。
ある程度話が落ち着き、夜も更けてきたので就寝しよう、という
ことになった。焚き火を小さくして各々テントと馬車に散っていく。
ジョン・ボーンとガルガイン、スルメ、テンメイ、亜麻クソは、
二人と三人に別れ、二つのテント。ポカじいは適当にその辺で寝る
ウォーター
と
ファイア
でお湯を沸かし、タオルで身体を
とのこと。女性陣は馬車を使う。
拭こうと準備していると、スルメが俺に声を掛けてきた。
﹁おいエリィ。一つ気になってたことがあんだけどよ﹂
﹁なぁに? 覗きに来たの?﹂
﹁ちげえわ﹂
1702
顎を上げてスルメがツッコミを入れてくる。
﹁私を覗きに来たんでしょ﹂
黒髪をポニーテールにしたサツキが、年上っぽくからかうニュア
ンスの抑揚で言いながら、馬車から顔を出す。
スルメは大きく舌打ちして、﹁ちげえよバカ﹂と彼女に言った。
サツキは自分の求めていた反応ではなかったらしく、頬を少し膨ら
ませて引っ込んでしまった。
ほほう、なるほどね⋮⋮。これは脈ありか?
スルメは、全然気づいてないな。相当鈍そうだもんなぁこいつ。
なんて考えていると、スルメが馬車から離れたので、後について
いく。近くにいたアリアナも追いかけてきた。
ある程度馬車から距離を取ると、スルメが腕を組んで、何かを思
い出すように下唇をぺろりと舐めた。
﹁グレイフナーで変な奴がいてよ。ポカじいさんの話を聞いて、思
い出した﹂
﹁変な奴?﹂
﹁冒険者協会定期試験をグレイフナーで受けた時だな。そんとき、
セラー神国の奴が、落雷魔法を使える奴の噂を聞いて回ってたんだ﹂
﹁どういうこと?﹂
﹁ん⋮⋮?﹂
俺とアリアナは、セラー神国、というワードに眉を顰めた。セラ
ー教には碌な思い出がない。
﹁しかもそいつは﹃落雷魔法を使える少女﹄の噂を聞いたことはあ
1703
りませんか、ってオレに聞いてきやがった。おかしくねえか?﹂
﹁ええ﹂
少女
って分かったんだよ﹂
﹁ポカじいさんの話じゃ、落雷魔法を渡したことは誰にも言ってね
えわけだろ? じゃあなんでそいつは
﹁あ⋮⋮!﹂
﹁だろ? しかもそいつ、めっちゃ胡散くせえ奴でな。セラー神国
のお偉いさんって感じだったぜ。名前もゼノ・セラーって試験結果
表に書いてあったし。んで、そいつの試験結果がまじでやべえ⋮⋮
⋮995点な﹂
﹁きゅうひゃく⋮⋮?!﹂
﹁⋮⋮⋮ッ?!﹂
あまりの高得点に、俺とアリアナは思わず息を飲んだ。
嫌な想像がどんどん膨らんでいく。
﹁それ本当なの?﹂
﹁まじもまじだ。二次試験で上位上級の重力魔法をぶっ放してたぞ﹂
﹁なんでその人が落雷魔法の噂を集めているのよ﹂
﹁知るかよ。おめえ何か心当たりはねえのか?﹂
﹁ないわね。ただ、セラー教には私達、少しばかりお世話になった
わ﹂
アリアナが魔改造施設の攻防を思い出したのか、狐耳をピクンと
動かした。
俺はスルメに、魔改造施設で何があったのかと、セラー教が陰で
コソコソ動いているという推測を話して聞かせる。ガブリエル・ガ
ブルが関与していることも続けると、味のあるスルメの顔が、しか
めっ面になっていった。
﹁子どもに薬物投与ぉ? そんなフザけた野郎はオレならぶっ殺す
1704
ぞ﹂
﹁セラー神国は子どもを魔改造し、落雷魔法を使える少女を探して
いるってことになるわね﹂
﹁しかも六大貴族のガブル家まで絡んでるのか?﹂
﹁そうよ。魔改造施設で指示書を見つけたから間違いないわ﹂
証拠品はすべて押収してある。
ガブル家が直接関与している物はないが、元を辿ると、グレイフ
ナー関連の書類はすべてガブリエル・ガブルに行き着く。足がつか
ないよう、クッションとして別の貴族や機関を経由しているみたい
だ。
グレイフナーの孤児院誘拐事件は、セラー教↓ガブリエル・ガブ
ル↓リッキー家or自由国境トクトール領主ポチャ夫↓ペスカトー
レ盗賊団↓魔改造施設関係者↓魔改造施設という流れで指示が出て
いる。魔力が高い子どもを集めるところから、誘拐まで、やけに手
が混んでいるな。
﹁んじゃ、セラー教がガブル家に指示を出して、それをリッキー家
が孤児院を隠れ蓑にして子どもを集めたってことか﹂
﹁そうなの﹂
﹁リッキー家っつえばよ、ボブとかいうエリィと同じクラスの奴が
いるよな?﹂
﹁ええ、顔も見たくないわ﹂
﹁おめえが誘拐されてからオレんとこに来て、ざあまねえな、とか
ほざいたこと言われたんだよ。噂も広がってねえ、わりとすぐのタ
イミングだった。あれは⋮⋮おめえが誘拐されんのを知ってたのか
もな。態度もそれっぽかったし﹂
﹁そんなことが?﹂
﹁いますぐ殺ろう⋮﹂
1705
スチャ、とアリアナが鞭を取り出したので、どうどうと宥めて狐
耳をもふもふする。
ピンと立った尻尾が、ふにゃりと垂れたところで、手を離した。
スルメがその時のことを思い出したのか、バシッと拳で自分の手
を叩いた。
﹁ムカついたから一発ぶん殴っといたぞ﹂
﹁あら、ありがとう!﹂
﹁スルメ⋮⋮見なおした﹂
﹁たりめえだろ。ダチが生きてっか死んでんのかわかんねえ時にそ
んなこと言われたら、誰だってムカつくだろ﹂
スルメは思い出したのか、額に血管を浮かべている。
﹁あら? もしそうだとしたら⋮⋮﹂
ちょっと待て。
リッキー家が、俺を誘拐することを知っていた。
ということは、ガブリエル・ガブルが、リッキー家経由で、自由
国境トクトールのポチャ夫に指示を出したってことにならないか?
もしくはそれを伝えてあった、とか?
まさかとは思うが、ガブリエル・ガブルはセラー神国に﹃落雷魔
法が使える少女を拐え﹄と指示を出された?
セラー神国からトップダウンで、ガブリエル・ガブル、ポチャ夫、
ペスカトーレ盗賊団、の流れで俺が誘拐された。
いや、そう考えるとおかしい。
ポチャ夫はピンポイントでエリィを狙っていた。
スルメの話だと、ゼノ・セラーという男は、﹃落雷魔法を使える
1706
少女﹄の噂、と聞いたらしいから、この時点でセラー神国は俺が落
雷魔法を使えると分かっていない。だから、奴らはエリィ=落雷魔
法使用者、とは気づいていない。
ポチャ夫が誘拐した女の子達は、全員ぽっちゃり体型で金髪だっ
たな。
やはり、俺が誘拐されたのは単なる偶然?
ポチャ夫の単なる趣味?
月読み
は世界で一人しか使えねえ
でも、なぜリッキー家のボブが知っているんだ。
﹁ポカじいさんはさっきよ、
月読み
月読み
って言ってたけど、セラー神国の奴らで、使える人間がいるんじゃ
ね? 落雷魔法を使える少女、って言ってるのが、何か
のぼんやりした予言っぽくねえか? セラー神国の奴らが
して、その予知に従って動いているって考えると、なんかしっく
りくんだけど﹂
﹁あ⋮⋮!﹂
確かにそうだな。
月読み
に代替する何らかの魔法がある、とか?
でもそんなことあるのか?
それとも、
﹁ん⋮⋮﹂
アリアナが狐の尻尾をふわりと揺らしつつ、思案顔になる。
真剣に考えているアリアナ、きゃわいい。
例えば、セラー神国が何らかの予知魔法を使って複合魔法を探し
たとする。落雷魔法は俺が使えるから、予言が﹃太っている十代半
ばの女の子﹄﹃魔力が高い女の子﹄﹃金髪﹄を探せ、みたいな内容
1707
だったなら⋮⋮エリィが誘拐された理由になるな。
ポチャ夫が俺を誘拐したのも、ひょっとしたらセラー神国のうま
い誘導かもしれない。
偶然か必然かは、わからない。
ポチャ夫はガブリエル・ガブルを通じて、セラー神国と繋がって
いた。誘拐されて逃げ出さなかったら、今頃、セラー神国に送られ
ていたな。そう考えると⋮⋮恐ろしい。
スルメの助言がなければ、この考えに辿り着かなかった。確証は
ないものの、流れは当たっていると思うぞ。スルメ、結構勘がいい
な。
﹁あいつら碌でもねえこと企んでるに決まってんぞ。ゼノ・セラー
って奴は、まじで胡散臭かった﹂
﹁そうなのね⋮⋮﹂
もしくは、
何らかの方法
で情報を
スルメの一言で、バラバラになっていた情報が、一つにまとまっ
たような気がする。
セラー教がすべての元凶。首魁と考えていいだろう。
月読み
そして、二つの目的で奴らは動いている。
まず一つ目は、
得て、複合魔法使用者に接触を図ろうとしていること。奴らのもっ
ている情報は、明確ではなく、曖昧なものだ。そうでなければ、わ
ざわざ他国の冒険者協会定期試験に顔を出して、﹃落雷魔法を使え
る少女の噂﹄などを聞いて回ったりしない。
おそらく他の複合魔法の適正者も探しているのだろう。なぜ探し
ているのかは不明だが、強力で桁違いの効果があるため、時間をか
1708
けて探しだす価値は十分にある。魔法の名前だけで、効果がとんで
もないとわかるからな。
二つ目は、戦力を集めていること。
魔改造施設を作り、強力な魔法使いを育成していた。しかも、他
はわししか使えんぞい﹂
は
国民までにも手を出してまでだ。奴らは戦争でもおっ始めるつもり
だろうか。
複合魔法と戦力増強。
月読み
あいつらは何を企んでいるんだ?
﹁
いつの間にか、ポカじいが隣に立っていた。
月読み
驚いで﹁きゃあ﹂という乙女チックな声を上げてしまう。
﹁すまんすまん。ちぃと話を聞かせてもらうたぞぃ。
間違いなく師匠からわしへと受け継がれた。それこそ師匠が死体で
蘇りでもせん限り、使用できる人間はおらんぞ﹂
月読み
よりも正確な魔法はな
﹁やっぱり⋮⋮。じゃあそれに代わる魔法があるのかしら﹂
﹁ふむ。ないとは言い切れんが、
いじゃろうな。わしもその辺は、おかしいと思っておったのじゃ﹂
月読み
﹁セラー神国は複合魔法を狙っているの? ポカじいは何か知って
いる?﹂
﹁そうじゃの。その話もせんといかんな。奴らはわしが
を使用した二回目以降から、どういう訳か、わしが複合魔法の詠唱
呪文を持っていると嗅ぎつけてのぅ、しつこく狙ってくるのじゃ。
その一人がイカレリウスじゃ﹂
﹁イカちゃんってセラー神国だったの?﹂
﹁いんや違う。あやつは沿海州の更に北にある、スノウリー出身じ
1709
ゃ。娘が死ぬまでは、素直で優秀な魔法使いじゃったんじゃがのう
⋮⋮ついぞ五十三、四年前からおかしくなってしもうた﹂
ポカじいは昔を懐かしむかのように、遠い目を視線の奥へと向け
る。
﹁なぜか知らんがわしに何度も弟子入りを懇願しての。断っていた
らこじれてしまい、いつの間にかセラー神国の手先になってしもう
た。五十年ほど前にヨンガチン渓谷で戦ったのは、懐かしい思い出、
といっていいんじゃろうな。わしにも奴がああなってしまった責任
の一端があるでのぅ、いつも殺さずに追っ払っておるんじゃよ﹂
﹁す、すげえ﹂
伝説の話として伝わっていることを本人から聞いて、スルメが目
を輝かせている。
クラリスの話だと、ヨンガチン渓谷には二人が戦った痕跡が残っ
ており、グレイフナーの危ない観光名所になっていたはずだ。
﹁どうしてイカレリウスが、わしが複合魔法の呪文を持っている、
と分かったのかが不思議なんじゃ。ただ、わしの脳内ではなく、書
面で持っている、と勘違いしておるようじゃがの。セラー教をそれ
となく水晶で観察してきたんじゃが、あやつらの国は魔素が強い。
おまけに重要な拠点には氷魔法の結界まで張っておるもんで、いま
いち実状が掴めん。グレイフナーへ行くのは、エリィを守ること、
セラー神国を調べること、それも含まれておる﹂
﹁それも予言で?﹂
﹁いや、わしの判断じゃ。あとはエリィぐらいのいい尻のおなごを
放っておくのは勿体無い、というのもあるがの﹂
﹁私の感動を返してくれないかしら﹂
﹁ほっほっほ。よいではないか。尻知らずんば、己を知らず。尻敷
1710
かれるは、我最上の喜び、とな!﹂
﹁それっぽい言葉でお茶を濁さないでちょうだい﹂
﹁お下品は⋮⋮めっ﹂
﹁ぎゃははっ! じいさんほんと尻好きだな﹂
俺がツッコミ、アリアナが怒り、スルメが笑う。
ポカじいは柔和に笑うと、優しげな目で俺たちを見つめた。
﹁まだまだ二人は修行の途中じゃ。最後まで見てやりたいのじゃよ﹂
﹁まあ⋮⋮﹂
﹁ポカじい⋮﹂
﹁オレもついでに頼んます!﹂
スルメがこれを機に便乗してくる。さすが伝説の魔法使い。ジャ
ンジャンのときもそうだったが、大人気だ。
﹁ふむ⋮⋮たまにならええじゃろ﹂
﹁ま、じ、かッ! うおおおおおおおおおお!﹂
スルメが絶叫した。相変わらずうるさい。
﹁たまにじゃぞ。わしはおなごにしか教えとうない﹂
﹁たまにでイイっすたまにで。やっべえ、めっちゃ興奮してきた。
これやっべぇぞ!﹂
馬車の方から﹁スルメ、うるさぁい!﹂とサツキの声がする。
そろそろ就寝時間だ。戻らないとエイミーが拗ねそうだな。我が
姉はエリィと寝るのを楽しみにしていて、三十回ぐらい﹁一緒に寝
ようねっ﹂って光り輝く笑顔で言ってきた。本当にエイミーは可愛
いよ。
1711
﹁怒られちゃうわね。そろそろ寝ましょうか﹂
﹁そうじゃな。エリィ、アリアナ、スルメよ。この話は他言無用じ
ゃぞ。あ、ちなみにじゃが、落雷魔法の呪文を教えた一般人には、
ちょぃと黒魔法の超級を掛けて記憶が出にくいようにしてある。ジ
ャンや西の商店街の面々じゃな。安心せい﹂
﹁ん⋮⋮?!﹂
﹁ちょ、超級ぅぅぅッ?!﹂
アリアナが口の中で悲鳴を上げ、スルメが普通に大声を上げる。
またしても馬車から﹁早く寝なさいスルメ!﹂とサツキのよく通
る声が響いた。
これ以上うるさくすると、彼女がこちらに来そうだ。
﹁とはいってものぅ、魔改造施設で思い切り落雷魔法をつかったじ
ゃろ? これからも使う場面は出てくるはずじゃ。いずれどこかで、
エリィが落雷魔法の使い手じゃと露見するじゃろうて。いつバレて
もおかしくないと思い、常に周囲には気を配っておくようにの﹂
﹁はい!﹂
﹁ん⋮!﹂
﹁何かあったら助けてやっからよ!﹂
ポカじいの言葉に、全員でうなずく。
﹁スルメは私より強くなってから言うのね﹂
茶化してそう言うと、スルメは悔しそうに拳を握りしめ、﹁ぐお
おおおおっ﹂と唸り声を上げた。
﹁この前までデブだった奴に言われんとめっちゃ悔しいな﹂
1712
﹁レディにデブってひどいわね!﹂
﹁しかもむっちゃ可愛くなっててまじ絡みづれえええっ﹂
﹁う、うるさいわよ!﹂
﹁おまっ! おまえ顔赤くすんなよ! そういうのが絡みづれえっ
て言ってんだよ!﹂
﹁なな、慣れてないだけよっ﹂
あーもうまた勝手に顔が熱くなるぜよ。
焦って声どもるし。
﹁ちょっとあなた達、いつまで起きてるの?!﹂
ライト
で照らしながらこちらにやってくる。ぷんぷん、
さすがグレイフナー魔法学校主席。真面目なサツキが右手に杖を
持ち、
というよりは、ぷりぷりと怒っている。
スルメは彼女の姿を見て、あんぐりと口を開け、完全に鼻の下を
伸ばした。
で鮮やかに光り、身を包
ポカじいも、ぐわっと目を見開き、腰の横付近に目が釘付けだ。
ライト
﹁明日は早いのよ。早く戻りなさい﹂
サツキのぬめるような黒髪は
んでいる薄いピンク色のネグリジェらしき服も照らされている。こ
れはジョーの新作だろうか。
薄手の寝間着のせいで、ブラジャーとおパンツが丸見えだった。
思ったより胸があり、腰がきゅっとくびれている。健康的で筋肉
質な足は、太すぎず、細すぎない。どうやら開放的で可愛らしい格
1713
好が好きなのか、下着は紐パンツだった。紐パンツに食い込んだふ
にっとしたお肉を、ポカじいは脳内メモリーに焼き付けるかのごと
く見つめている。目は一気に充血し、今にも飛び出しそうだ。
スルメは、どうリアクションしていいのかわからず、ただただア
ホみたいに鼻の下を伸ばしていた。
﹁きゃああああっ!﹂
が消え、代わりにアリアナが放った闇魔
がスルメとポカじいの目の前を覆う。
ライト
やっと気づいたのか、サツキが杖をほっぽり出してしゃがみこん
だ。
ダーク
それと同時に
法下級
﹁見えねえ! くそ、見えねえぞ!﹂
﹁紐パンツはどこじゃ?!﹂
ふたりともラッキースケベに気を取られ、魔法に気づいていない。
とりあえず二人の腕を掴んでおいた。
﹁見た!? 見てないよねスルメ?!﹂
サツキはしゃがんだまま涙目で声を上げる。
﹁みみみ、見てねえっ! 紐パンなんて見てねえ!﹂
﹁紐パンはどこじゃあああっ!﹂
スルメは口をへの字にして、額からだらだら冷や汗を出している。
そしてセリフが完全に棒読みだ。嘘つくの下手すぎだろ。てか紐パ
ンて言っちまってるし。
ポカじいは生下着と紐パンのせいで半狂乱だ。
1714
﹁う∼∼、もうバカぁっ!﹂
バシン、バシィン!
﹁見てねぇのぶほっ!﹂
﹁紐パンはどこぶぅ!﹂
サツキの強烈なビンタが、夜の旧街道にこだまする。
ラッキースケベは羨ましい限りだが、俺はあいにく楽しめない。
!!!﹂
エレキトリック
電打
ってことで︱̶
﹁二人同時に
﹁みみみみみみみみみみみみみみみみみみてねへへへいぃぃっ!﹂
﹁ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒモパンチィィラッッ!﹂
雷の閃光が暗闇に輝き、バチバチと電気音を響かせる。
魔法学校三年生、味のある顔をした男子と、砂漠の賢者といわれ
るスケベじじいは、夏の終わりのセミのごとく儚く痙攣し、髪を黒
焦げアフロヘアーにして煙を吐きながらぶっ倒れた。
この後、二人はしばらくサツキに口を聞いてもらえなかった。
ラッキースケベは諸刃の剣。
スルメとポカじいは旅の間ぶつぶつと呟きながら、サツキの下着
姿を思い出し、顔中の筋肉を緩めていた。
1715
⃝
オアシス・ジェラに戻った俺たちは、何とか馬車と食料を人数分
手に入れた。主に、エリィマザーの資金力と、ルイボンの友情のお
かげだ。
何かあったら頼ってね、というルイボンのお言葉を速攻で使った
パターン。
最悪、交渉してどうにかしようと思っていたが、杞憂に終わって
くれてよかった。
戦時中という事と、クノーレリル祭で食料の備蓄を使ってしまっ
た事もあり、グレイフナー王国に入るまでギリギリの食料しか譲っ
てもらえなかったが、そこは仕方がないだろう。
すぐに戻ってきたルイボンは大笑いし、俺とそっくりなエイミー
の美人さに興奮して﹁べ、別に美人だなんて思ってないわ!﹂と鼻
息を荒くしていた。
わざわざ戻ってきたのは、このメンバーでオアシス・ジェラへ来
るチャンスを逃したくなかった、って理由もある。
エリィマザー、シルード団員のジョン・ボーン。
スーパー美少女エリィの俺と、究極狐美少女アリアナ。
落雷
で魔物を倒
サンダーボルト
帰り道、この四人で襲ってくる魔物は楽に倒せる。
俺が馬車の上に陣取って、敵を見つけ次第、
してもいい。
1716
それに加えて、伝説の魔法使いポカじいと、木魔法が得意な伝説
級美女エイミー。グレイフナー魔法学校主席、黒髪和風美人サツキ。
頼りになるスルメとガルガイン。旅の思い出を記録するテンメイ。
賑やかし担当の亜麻クソ。
女性陣のビジュアル的にも最高だし、戦力としては十分だろう。
これだけ信用できるメンツを一気に集めるのは、相当に大変だ。
それに、何だかんだで、子ども達と別れるとき、胸がチクチクと
痛んだんだよな。エリィがつらいってことだ。これは早く解消しな
いといけない。なんて考えて行動する俺ってばほんとエリィ好きだ
よなー、と最近まじで思う。
馬車は全部で四台。
子ども達を三台の馬車に十人ずつ乗せ、残りの一台は食料兼女性
陣の休憩所になる。基本、子ども以外は馬車の外を走る予定だ。身
体強化の為せる業と言っていい。
新たに追加した馬車三台の御者は、ジェラ冒険者協会に依頼した。
内容はこうだ。
﹃旧街道経由・グレイフナーまで御者三名。
魔物との戦闘の可能性アリ。
期間・約二週間。
報酬・十五万ロン。
依頼者・白の女神エリィちゃん﹄
応募が殺到した。
冒険者協会が蜂の巣をつついた騒ぎになった。
エリィちゃんとお近づきになれるなら依頼料はなしでいい、とい
1717
う冒険者まで出る始末。挙句の果てには、クチビールとジャンジャ
ン、コゼットまで応募してきて、こらこらと叱るハメになった。
採用は厳選な審査の結果、上位ランカーのバーバラ、女戦士、女
盗賊、の三人に決定した。決してポカじいのセクハラを分散させよ
うと思ったわけではない。
この三人、一度でいいからグレイフナーに行ってみたかったらし
い。しかも、五月には魔闘会があるため、それまで滞在して観光と
腕試しをし、終わったら冒険者同盟にも行ってみるとのこと。
しかし、何とも素敵な集団になったな。女性陣の美貌がやばい。
亜麻クソが﹁なんんんと美しいっ﹂と、バーバラ達に格好をつけ、
アリアナに冷たい視線を向けられていた。アホすぎる。
そのままオアシス・ジェラに一泊し、再度出発した。
またしても盛大な見送りがあり、今度こそ会える機会が先になる
と思ったのか、お世話になったメンバーは瞳に光る雫を輝かせてい
た。
道中、子ども達はすっかりエイミーに懐いた。
そして以外にもスルメが男子に人気だった。どうやら弟がいるた
め、扱いをわかっているようだ。ライールやヨシマサ、年頃の男の
子に、棒きれを持たせて剣の練習をさせている。あと、ガルガイン
の真似をして、男の子らがツバを吐く。叱ってやめさせるのが大変
だ。
エイミーがこの世界で有名な歌を口ずさみ、馬車は進む。
後方を振り返ると、亜麻クソがひぃひぃ言いながら魔力循環ラン
ニングをしている。
1718
俺は最年少の女の子、リオンを抱っこしながら、身体強化で軽快
に走った。隣にはアリアナがいる。
﹁亜麻クソお兄ちゃんがんばれぇ∼﹂
リオンが亜麻クソを応援すると、奴は髪をフォワスワと掻きあげ
て、ズビシィと天高く指差した。
﹁少女よっ! このぶぉくを誰だと思っているんだい? かの有名
な水の使い手、ドビュッシー・アシルなのさっ。ハァ⋮ハァ⋮﹂
﹁あれ∼。亜麻クソお兄ちゃんじゃないのぉ?﹂
﹁エリィ君! 変なあだ名を教えないでくれたまへっ!﹂
威勢は良いものの、亜麻クソの足元はふらっふらで、顔面は苦悶
に歪んでいる。
そこまで見栄っ張りなのはある意味感心するな。
あと、あだ名を変えるつもりはないぞ。
⃝
旅は順調に進み、グレイフナー王国入りを果たしたのが、出発か
ら十日目。
首都グレイフナーに到着したのがそれから二日後だ。
グレイフナーの防壁が見えた瞬間、俺とアリアナは抱き合って喜
んだ。
﹁帰ってきたのね﹂
1719
﹁うん⋮⋮!﹂
涙がじわじわと浮かんでくる。
エイミーが嬉しそうに先へと走っていった。
巨大な首都グレイフナーを守る壁は、平原の奥へと延々続いてお
り、その中には様々な住人たちの生活があるんだ、と感慨深くなっ
てしまう。
ジョン・ボーンに先行してもらって、ゴールデン家には本日帰国
する旨を伝えてある。
門の前をよく見ると、そわそわと待っている懐かしい人物たちの
姿が見え、俺は手を振りながら駆け出してエイミーを追い越した。
地面を踏みしめるブーツが跳ね、徐々に彼らの面影が近づいてくる。
帰ってきた⋮⋮。
グレイフナーに帰ってきた⋮⋮!
﹁おーい!﹂
大きな声で、エリィが叫んだ。
居ても立ってもいられないみたいだ。
年頃の少女らしく嬉しげに叫ぶエリィを確かに感じ、俺はこぼれ
る笑みを抑えきれなかった。彼女の気持ちに答え、手を振る力を強
くする。
エリィは間違いなく生きている。
1720
俺がエリィに憑依して死を免れたのか、それともエリィを俺が助
けたのか、今までずっと考えていた。その意味と、これからどうな
るか、ずっと考えていた。
でも、そんなことはどっちでもいいんだろう。
俺たちがここにいるってことが大事なんだ。
もちろん、男に戻る方法は探すが、それまでは俺とエリィはまだ
まだ二人で一人だ。
手を振っていない左手が、優しく包まれた。
横を見ると、アリアナが走りながら手を握っていた。彼女の口元
には微笑が浮かんでいる。そうだ。俺たちはいつだって三人だった。
いつか彼女にも俺の存在を知ってもらいたい。できることならエ
リィではなく、小橋川としてアリアナと話たいもんだな。
﹁エリィ、行こう⋮!﹂
﹁そうね!﹂
俺は胸に去来する様々な思いを込めてアリアナの手を握る。
やることのリストを思い浮かべ、首都グレイフナーの防壁と大き
く開いている門を見つめ、今か今かと到着を待つ、懐かしい人物た
ちへと笑顔を向けた。
さぁて、帰国後も忙しくなりそうだ!
1721
第39話 砂漠のシェイズ・オブ・グレイ・後編︵後書き︶
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇
第三章終了です!
ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
間話を挟んで、第四章へと進んでまいります。
⃝新しい魔法メモ⃝
﹁天﹂ ﹁生﹂
炎 白 | 木
\ 火 /
光 土
﹁雷﹂ ○ ﹁無﹂
風 闇
/ 水 \
空 | 黒
氷
﹁刻﹂ ﹁?﹂
サンダーボルト
複合魔法︵古代六芒星魔法︶
﹁雷﹂落雷
﹁生﹂生樹
﹁天﹂天視
﹁無﹂無喚
1722
﹁刻﹂時刻
﹁?﹂??
1723
第40話 パンタ国にて︵前書き︶
前に載せた地図です。
参考にしてください。
<i169945|16267>
1724
第40話 パンタ国にて
パンタ国。
バスケット山脈を挟んでグレイフナー王国の西南に位置している、
国民の半分が獣人という特徴を持った国だ。
国柄は質実剛健腕力主義。力あるものを認める風習があり、挨拶
がてらの腕相撲が時間を問わず行われている。胸の高さまである切
り株が至る所に放置してあるのは、いつでも腕相撲ができるように
という昔からの習わしで、他国の者が見ると、なぜ中途半端な高さ
の切り株がそこら中にあるのか理解できず奇っ怪な風景に映る。
﹁文化の違いで驚く﹂という意味合いのことわざである﹁パンタ
国の切り株﹂という言葉は、ある程度教育を受けた人間であれば、
誰もが知っている言い回しだ。
国の特性上、人族至上主義のセラー神国とは犬猿の仲であり、奴
隷や人質問題で過去に何度か小競り合いが起こった。しかし、パン
タ国とグレイフナー王国とは同盟関係にあり、パンタ国、グレイフ
ナー王国、セラー神国、と並んでいるため、地理的な問題からも、
両国が事を構えるには至っていない。
膨大な戦力を有するグレイフナー王国とパンタ国を相手取り、セ
ラー神国もさすがに喧嘩をふっかける気にはなれないようだ。また、
グレイフナー王国は元来からすべてにおいて中立の立場を取ってお
り、情熱と戦力は主に魔獣の討伐に注がれているため、積極的に他
国と争うような真似はしない。よって、両国でいざこざがあった場
合、グレイフナー王国が仲裁に入る事例が多い。
そんな、質実剛健腕力主義を象徴するパンタ国の王宮。
どっしりとした石造りの外壁に囲まれ、宮殿は無骨で実用的な造
1725
りになっており、有事の際には三ヶ月籠城できる準備がある。
﹁ぬおおおおおっ﹂
﹁ぐおおおおおっ﹂
王宮の最深部、王の間。
特注の切り株で作られた腕相撲台で、二人の男が雌雄を争ってい
た。
樹齢千年の金木犀で作られた頑丈な台座が、ミシミシと不吉な音
を立てているが、決着はつきそうもない。
兵士風の男と、王冠をかぶった大熊猫族の男は、額に玉の汗を光
らせ、奥歯を砕けんばかりにして歯を食いしばり右腕に力を込める。
兵士風の男は身長が百七十センチ中盤。
土埃で汚れたレザーアーマーを着ており、どこかの傭兵、もしく
は警備兵の風体だ。
その精悍な顔つきから、人の上に立つ人物であろうと推察できた。
対する国王らしき大熊猫の男は、二メートルを余裕で超え、ざっ
と目算で二百五十センチはある。腕は黒と白の斑点になった毛がび
っしりと生え、成人女性の腰回りほどの太さがあり、顔は人間と変
わらないが、両目は獣特有のギラついたものであった。大熊猫族だ
けあり、目のまわりにはパンダと同じような黒いあざが楕円形に広
がっている。
パッと見て、兵士風の男に勝ち目はなさそうだった。
王の間に集まっていたパンタ国の主要人物達は、両者の戦いに固
1726
唾を飲んでいた。
うさぎの耳を持った兎人の男、豚の鼻から熱い鼻息を落とす豚人
の男、すらりとした猫族でも特有の魔力を有している白猫族の女は
頬を染めており、唯一の人族の男も真っ赤になるぐらい両拳を握り
しめる。
腕相撲をする二人の熱気が、王の間の高い天井へと上っていく。
兵士風の男は不敵に笑って、大熊猫の男を見ると、爆発的に魔力
を練り上げた。
観客は勝敗が決すると本能で察し、首を突き出して顔を赤くする。
﹁ぬ、お、お、お、おっ!﹂
﹁っ︱︱︱!﹂
上の上
が発動する。
兵士風の男が身体強化を一段階上げた。
ほんの数秒間、身体強化
。人智を超えた身体強化が施され、兵士風の男の右腕が一
アグナスやエリィの母アメリアですら使用ができない身体強化
上の上
回り肥大する。
大熊猫の男は対応できず、己の負けを悟って息が止まった。
瞬間移動かと見紛う速度で、拮抗して垂直に立っていた右腕が眼
前から消え、手の甲が切り株に叩きつけられた。
︱︱︱バギャアッ!!!
樹齢千年の台座が、轟音を立てて真っ二つに割れた。
1727
王の間に敷き詰められた絨毯に、ズシンズシン、と二つに分かれ
た切り株が倒れる。
兵士風の男、王冠をかぶった大熊猫の男、観客である四名は、し
ばらく無言で割れた切り株を見ていた。腕相撲台を破壊しての勝利
は、パンタ国では最も栄誉ある勝ち方であった。しかも頑丈な樹齢
千年の金木犀の切り株だ。割った本人も驚きで声が出ないらしい。
やがて、大熊猫の男が、大声を立てて笑い出した。
弾けるようにして観客四人も手を叩いて、この大一番に大きな拍
手を送る。
再生の光
を唱え、おかしな方向に曲がった手首を治癒した。
白猫人の女が杖を取り出し、王冠をかぶった大熊猫の男に白魔法
下級
﹁いやぁ、台座にもガタがきていたんでしょう﹂
兵士風の男が右手をぷらぷらさせながら、おどけた調子で言った。
﹁腕はなまってないようだな﹂
﹁デンデン様はだいぶなまったようですね。国王の仕事も大事です
が、運動もせねば長生きはできませんよ﹂
﹁がっははは。チェリオン、貴様も言うようになったな﹂
治療が終わった右手を一瞥もせず、パンタ国王デンデンが兵士風
の男の手を握った。
国王の右手からは信頼と再会の興奮が感じ取れ、兵士風の男、チ
ェリオンもそれに応えるよう手を強く握り返す。両者とも、二十年
ぶりの再会に胸が踊り、気分が高揚していた。
男たちは何を言うわけでもなく、握手したままお互いの目を見つ
1728
める。
互いの思いを伝えるにはそれで十分であり、余計な言葉は無粋で
あると二人とも感じたようだ。
現在、デンデンは四十一歳。チェリオンは三十六歳。二人が別れ
た時の年齢は、二十一歳と十六歳だ。
若かりし頃からライバル関係にあった二人は、大熊猫族と猿族と
いう種族柄、身体強化が得意であり、その中でも飛び抜けて優秀で
、チェリオンは一瞬
を行使できる。互いに離れた場所で研鑽を積
上の中
あった。何度も腕相撲で戦い、この勝負で長きにわたる戦いに決着
がついた、といっていいだろう。
上の上
デンデンの身体強化は最高出力で
といえども
み、二十年の歳月を経て、両者には隔絶した差が広がっていた。
国王のデンデンは満足したのか手を離すと、部屋の奥にある王座
の手前まで戻り、王座に座らず段差に腰を下ろした。
﹁国王様﹂
豚鼻をした豚人が、国王デンデンの常識はずれな振る舞いを咎め
る。
しかし彼は意に介したふうもなく、首を左右に振って骨を鳴らし、
先ほど白魔法で治療された右手に目を落とした。
﹁久々に負けた。敗北は腸が煮えくり返るはずだがな、あれだけ気
持ちよく負けると逆に清々しい気分になる﹂
﹁ご所望とあらばいつでも清涼感をお届けしますよ﹂
チェリオンが、笑顔で腕相撲の素振りを国王へ向ける。
さすがの国王も先ほどの負けを思い出したのか、さも可笑しげに
1729
苦笑いをこぼした。
﹁へらず口も相変わらずか﹂
﹁いえ、だいぶ忘れてしまいましたよ。なにせ向こうの生活が長か
ったですから﹂
﹁おう、そうだったな。おまえは隊長様だものなぁ﹂
﹁茶化さないで下さい。そのように取り計らったのは他でもないデ
ンデン様じゃあないですか﹂
﹁すまんすまん。おまえにしか出来ん仕事だからな﹂
﹁それにしたって長期すぎますよ﹂
﹁それだけ信用しているってことだ﹂
﹁まあ、そうですが⋮⋮﹂
デンデンは何かを思いついたのか、大口を開けて笑顔を作った。
大熊猫人が笑うと、獰猛な目つきが途端に愛らしいものになる。
このギャップにやられる女も少なくない。
﹁どうだ。国に帰ってこないか?﹂
﹁この耳と尻尾じゃ、嫁も貰えませんよ﹂
チェリオンは、自嘲気味に首を横に振り、自身の髪の毛をかき分
けて国王デンデンへ見せる。
四センチほどの傷が左右にふたつ見えた。
チェリオンの家は優秀な魔法使いを代々排出してきたが、二十年
前に謎の奇病が流行り、一族のほとんどが死んでしまった。この病
気は一度かかると高熱が続き、身体の先端から四肢が腐る、むごた
らしい病気だ。
猿人にのみ感染する病原菌だったようで、他の種族は被害を受け
ておらず、この奇病が拡大することはなかった。それだけは不幸中
1730
の幸いだった。
デンデンは、親友であり良きライバルであったチェリオンのため
に、禁忌の森へ軍隊を率いて入り、すべての万病に効くといわれる
賢者の葉を求めた。被害を出しつつも、賢者の葉を見つけ出したデ
ンデンはすぐに街へ戻り、瀕死の状態であったチェリオンと母親に
処置を施した。
チェリオンと母親はデンデンのおかげで助かった。もともと数の
少なかった猿人は、奇病のせいでパンタ国から消滅してしまい、残
されたのはチェリオンとその母のみだ。
さらに残念なことは続く。
チェリオンは奇病のせいで耳と尻尾が欠損してしまった。
聴力は人族とほぼ同じになってしまい、顔の横には、進化の過程
でただの飾りになった耳が張り付いているだけだ。白魔法上級で生
やすこともできるが、莫大な金がかかる。何より、デンデンが死ぬ
覚悟で治療してくれた証をなくすことなど、チェリオンにはできな
かった。
その後、耳と尻尾をなくしたチェリオンは、あからさまではなか
ったものの、獣人達から蔑みの言葉を物陰から囁かれた。獣人にと
って耳と尻尾は種族の象徴でありプライドであった。そのため、欠
損した者は憐憫と嘲笑の的になってしまう。
猿人で、腕っ節も強く、出生も悪くないチェリオンは、王宮で経
験を積み、デンデンの補佐をするはずであったが、その話も奇病事
件のあとでうやむやにされてしまった。
何とかチェリオンの立場を復活させようとしていたデンデンだっ
たが、その頃の王政は獣人が八割ほどを占めており、どうにも時勢
が悪かった。
1731
数カ月間紆余曲折した結果、チェリオンの申し出もあり、ちょう
ど重要視されていた砂漠の国サンディへスパイとして彼を送り込む
手はずになった。チェリオンはこの国にいても、デンデンに仕える
ことはできない。
デンデンは王国での獣人と人族の垣根をなくすと彼に誓い、親友
を送り出した。
長期的な諜報活動のため、おいそれとパンタ国へ帰ってくるわけ
にもいかず、今の今まで二人が再会することはなかった。
やりとりは密書のみ。私的な内容は一切ない。
それでも、デンデンとチェリオンは手紙が手元に届くたび、互い
の確かな信頼と友情を感じることができた。
そんな過去を吹き飛ばすように、デンデンは二メートル五十セン
チある巨体でのっそりと立ち上がり、犬歯をむき出しにして笑顔に
なる。
﹁俺に任せろ。耳と尻尾ごときでびゃあびゃあ言わんイイ女をお前
にくれてやる﹂
言ったあと、自分の提案が心底面白く思えたのか、大声で笑い始
める。
が、チェリオンは嬉しさと困惑をないまぜにして、眉毛の両端を
下へ落とした。
﹁いえ、まだ調べるべきことがあります。その甘い誘惑はすべてが
終わってから、ということでよろしいですか?﹂
﹁真面目だなぁおまえは。まあ前からそうだったか﹂
1732
﹁ご存知の通りですよ﹂
﹁仕方ない﹂
不服そうに息を吐き、国王は王座の前の段差へ腰を下ろす。
また豚鼻の豚人がお小言を呟こうとしたが、それよりも早く、国
王が口を開いた。
﹁で、おまえが急に帰国したのにはわけがあるんだろう? しかも
人払いまでして﹂
弛緩していた空気が一気に張り詰め、兎人の男、豚人の男、白猫
人の女、人族の男、の四人が真剣な表情を作る。
デンデンがぎろりとチェリオンを睨んだ。
怒っているのではなく、国王が人の話を聞くときの癖らしかった。
チェリオンも、気にした様子はない。
﹁はい。書面で報告するには些か事が重大です。話したい内容は二
つございます﹂
チェリオンは、国王と四人の要人達を見回した。
﹁まず、サンディが我が国に戦争を仕掛けてきた理由についてです
が⋮⋮どうやら奴らの狙いは﹃魔窟﹄にあったようです﹂
ぴくり、と国王デンデンのパンダの耳が動いた。が、言葉は発し
ない。
チェリオンはさらに続ける。
﹁不自然な時期の開戦、不自然な位置の封鎖線、まるでやる気のな
い野戦。電撃的な宣戦布告した割に、一向にパンタ国へ攻めてくる
1733
様子もない。これらすべての理由は、封鎖線の南にあった﹃魔窟﹄
を攻略し、魔力結晶を集めるためです﹂
﹁ふん。こちらと大して戦っていない癖に負傷兵がちらほら見えた
のはそのせいか﹂
﹁ええ、その通りです。我がパンタ国との戦争は﹃魔窟﹄攻略を悟
られない為のフェイクでしょう﹂
﹁タイフォンのお人好しは、魔力結晶を集めて娘に贈るつもりなの
か?﹂
国王デンデンは呆れ顔で彼に尋ねた。
砂漠の国サンディ国王・タイフォンは、お人好しで親バカ。野心
を持って行動する人間ではない。どちらかといえば保守的なタイプ
であり、宣戦布告も何かの冗談だと思い、デンデンは小一時間ほど
部下の報告を信じなかった。
そんなお人好しが魔力結晶を集めてどうしようというのか。
しかも﹃魔窟﹄もぐりを軍隊規模でするほどの量が必要だったら
しい。
皆目検討がつかない。売れば金にはなるが、サンディが金欠で困
窮している噂もなく、むしろ、香辛料、ウマラクダ、砂漠鉱物の輸
出で金庫は潤っているはずだ。
﹁さすがのタイフォン王も、麗しの姫君のベッドを魔力結晶で埋め
るつもりはないと思いますよ。残念なことに大量の魔力結晶の用途
はまだ分かっておりません。ですが、この件にセラー神国が一枚噛
んでいるようです﹂
﹁セラァ?﹂
途端、デンデンの眉間に皺が寄る。不愉快そうに唇を舐め、分厚
1734
い膝を自分の手で握りしめた。
﹁王都サンディに潜ませていた部下から、セラー神国の大司教を見
かけたとの報告がございました。教会に出入りしていたようでした
が、その後、砂王宮へ入っていったとのこと。それが、戦争の始ま
る二ヶ月前です﹂
﹁あのバカ共はまた何かやろうとしているのか﹂
﹁目的は分かりません。しかし、タイフォン王はセラー神国と何か
しらの取引をしたのでしょう。そうでなければ、あの王が挙兵する
とは思えません﹂
﹁⋮⋮わかった﹂
デンデンは厳しく顔を引き締め、やにわに立ち上がり、王座へと
腰を下ろした。
﹁こちらからセラー神国へ大量の間者を送り込む。グレイフナーに
と共同で大量の魔力結晶を使った過去の事例を調べ
も情報共有のため飛脚を送れ﹂
﹁はっ!﹂
大図書館
﹁御意に!﹂
﹁
上げろ。サンディとセラー神国に輸出する魔力結晶の値段を釣り上
げておけ、反応を見る﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁仰せの通りに﹂
デンデンの指示に、人族の男、兎人が威勢よく答え、白猫人の女
と、豚人の男が優雅に一礼する。
早速、四人が退出しようとするが、チェリオンが仕草でそれを押
しとどめる。
1735
﹁もう一つ、重大な事がございます。むしろこちらの方が本題です﹂
﹁おお、そうだったな。言ってみろ﹂
デンデンが獰猛に笑って顎をしゃくる。
チェリオンは聞き間違えがないよう、ゆっくりと一言一句しっか
り発音して言葉を発した。
﹁落雷魔法の使用者を発見しました﹂
︱︱︱︱!!!?
彼の発言により、王の間は真空状態になったかのように空気の流
れが止まり、国王を含めた五人は息を吸うのも忘れ、しばし呆然と
した。そんなバカな、という思いと、ようやくか、という相反する
思考が全員の脳内に吹き荒れる。
その空気を破るかのごとく、チェリオンは話を続けた。
﹁グレイフナー王国、グレイフナー魔法学校に通うエリィ・ゴール
デンという少女です。年齢は四月で十五歳。学年も四月で四年生。
ユキムラ・セキノと同じ光魔法適正で、白魔法中級まで使用でき、
高難易度の浄化魔法まで行使可能です。また、超大型のゲドスライ
ムを一撃で屠る威力の落雷魔法を操り、魔力量も普通の魔法使いの
二十倍から三十倍はあるかと予想されます。しかも、彼女に魔法を
教えているのは、伝説の魔法使い、砂漠の賢者ポカホンタスです﹂
﹁待て待て待て! それをすべて信じろと?﹂
﹁デンデン様、私を信用されていないのですか?﹂
1736
ニヤリと笑ってチェリオンが王を見つめる。
デンデンは珍しく言葉を言い淀むと、観念したとばかりに両手を
上げた。
﹁わかっている。わかっている⋮⋮が、なんだそれは? 落雷魔法
に砂漠の賢者だと? 一体何が起きている?﹂
﹁わかりません。単なる偶然だと思うのですが⋮⋮﹂
﹁で、そのエリィ・ゴールデンという少女はどんな女なんだ﹂
﹁何か陰謀を企むような人物ではありません。むしろ、他者を思い
やる慈悲を持った素晴らしい女性です﹂
﹁ん? おまえがそこまで言うのか﹂
﹁はい。正直に言って、惚れました。とてつもない美人です。彼女
の清廉潔白な振るまいと、女性らしからぬ大胆さ、時折見せる慈母
のような眼差し⋮⋮。オアシス・ジェラでは白の女神と呼ばれ、皆
から愛されておりました﹂
﹁さすがは落雷魔法適正者、というわけか﹂
﹁どうなんでしょうか。ユキムラ・セキノはかなり破天荒な人物だ
った、と言われておりますよ?﹂
﹁だが求心力があった。そこは一致している﹂
﹁そうですね⋮⋮誰かが彼女を担ぎ上げれば一大勢力になるかもし
れません。彼女は嫌がると思いますが﹂
﹁古代六芒星魔法の一翼が現れたのだ、他の使用者も出てきたので
は?﹂
﹁今のところ確認できておりません。我々パンタ国に伝わる﹃無﹄
魔法の使用者も現れておりませんね﹂
一同は思案顔になり、各々考え込んだ。
パンタ国にはユキムラ・セキノのパーティーメンバー﹃アン・グ
ッドマン﹄が残した手記が、国宝として保管されている。王族と王
1737
を使える者が現れたら、手
が許した者しか読むことのできない過去の文献だ。
無喚魔法
その手記にはこう記されている。
﹃私と同じ古代六芒星魔法
無喚魔法
で取り出せる仕組みになっている。また、その者
紙を渡して欲しい。手紙は、このメモと一緒にあった筒に入ってお
り、
が現れた際、私がユキムラ様に優しくしてもらったよう、皆で優し
くしてやってほしい。願わくば獣人達に安寧と繁栄を。アン・グッ
ドマン﹄
手記はたったこれだけだ。
筒と記述されている物体は、長さ三十センチの何の変哲もない、
蓋がついた入れ物だ。
四百年前からその秘密を解明しようと様々な学者があれこれ試し
たが、筒の中には何も入っておらず、手紙は見当たらない。やはり
﹃無﹄魔法でしか取り出せないようだ。
筒の解明には至っていないものの、この短い手記により、パンタ
国は、複合魔法が﹃古代六芒星魔法﹄と呼ばれ、雷魔法の他に無魔
法の存在を知った。
この重要な情報は、同盟国のグレイフナー王国にのみに話し、他
国には一切公開していない。セラー神国などもっての他だ。
獣人は千年前から、セラー教や人族からの迫害を受けており、ユ
キムラ・セキノとアン・グッドマンの助けにより、その地位を確立
させた。その副産物として生まれた国がパンタ国だ。二人がどのよ
うに活躍したのか、という昔話は口伝によって領民に根付き、伝記
も作られている。
1738
このパンタ国では、ユキムラ・セキノとアン・グッドマンの二人
が非常に有名で、人気が高く、誰しもがその名前を知っていた。そ
の辺りの事情は、グレイフナー王国と大きく違う所だ。
﹁まあいい。もし仮に他の使用者が出てきたとしても、我々パンタ
国は、アン様の願いを聞き届けるまでだ﹂
デンデン国王は思考を中断し、熱狂的な眼差しで宙を眺め、チェ
リオンを見やる。
手紙を渡す。
優しくする。
この二つの願いを、パンタ国の王家は何よりも重んじており、デ
ンデンは自分の代で役割を果たせることに狂喜した。落雷魔法使用
者が出現したということは、無喚魔法使用者もいずれ現れるだろう。
﹁それで、おまえが惚れたエリィ・ゴールデンとやらは、まだサン
ディにいるのか?﹂
﹁私が長期休暇を領主様に頂いたときにはまだおりました。ですが、
準備でき次第出立すると言っていたので、今頃、旧街道付近を移動
中でしょう﹂
﹁となると、グレイフナーに戻るのか﹂
﹁まだ学生ですからね﹂
﹁ふむ。グレイフナー魔法学校にこちらの手の者はいるか?﹂
﹁ジェベルムーサの次男坊が留学中だったかと。ちょうど四年生だ
ったと記憶しております﹂
優雅な動きの豚人が、素早く答える。
1739
﹁概要は伝えず、エリィ・ゴールデンの動向を注意するよう言い含
めておけ﹂
﹁仰せのままに﹂
豚人が一礼し、国王デンデンはチェリオンへと視線を移動させる。
﹁魔闘会には出場するのか?﹂
﹁エリィちゃ︱︱エリィ・ゴールデンが、ですか?﹂
あやうくエリィちゃんと言いそうになり、チェリオンは寸でのと
ころで言葉を飲み込んだ。
しかし、全員に伝わってしまい、軽い笑いが起きる。男は恥ずか
しさから顔を赤くし、すべてはエリィの可愛さが悪い、と勝手に結
論づけて真顔に戻る。
国王デンデンは笑いながら、うなずいた。
﹁その、エリィちゃんがだ﹂
﹁どうでしょうか。十五歳なので出場資格はありますが、落雷魔法
の使用は周囲に公言していないようです﹂
﹁出場すると仮定し、トーナメントをグレイフナー側でいじるよう
言っておくか﹂
﹁そんなことできるんですか? あの国王は不正をひどく嫌うと評
判ですが﹂
﹁あいつは俺に借りがある。それを返してもらうだけだ﹂
﹁さすがはデンデン様﹂
﹁エリィちゃんとやらの実力を見るにはちょうどいい。砂漠の賢者
の弟子なんだろう? 是非とも出場してほしいものだな﹂
﹁私としては複雑な心境です﹂
﹁惚れた者の弱みだな﹂
1740
﹁そういじめないで下さい。勝手な恋慕ですよ﹂
﹁他国出場枠には腕利きの拳闘士を送り込むぞ。決めた。俺も観に
行く。グレイフナー国王に言っておいてくれ﹂
﹁またそんな簡単に⋮⋮﹂
仲裁役の豚人がぶつくさと愚痴をこぼしつつ、懐から紙を取り出
して何やら魔法で記入していく。
他のメンバーも言葉を交わして、予定を確認し合う。
﹁砂漠の賢者ポカホンタスは出ないのか?﹂
﹁出ませんよ。出たら優勝です﹂
﹁おう! そんなに強いのか?!﹂
デンデンが興奮して王座から身を乗り出した。
﹁身体強化しながら魔法を唱えるんですよ? 人間業とは思えませ
ん﹂
男の言葉に全員が息を飲む。
あまりの驚きで豚人は杖を取り落とし、フゴッ、と思わず鼻を鳴
らしてしまった。
﹁まさか⋮⋮おまえの愛しのエリィちゃんもできる、など言わんだ
ろうな﹂
﹁さすがにそれはありません﹂
﹁安心したぞ﹂
身体強化しながら魔法が使えれば、戦術は大きく広がる。
簡単にいえば防御しながら攻撃ができるわけだ。対する相手はど
ちらか一方しか使用できない。しかもウエポンと魔法の合わせ技な
1741
どを開発したら、強力な攻撃になることは想像に難しくない。
身体強化と魔法の同時使用など、パンタ国に伝わるアーティファ
クトを使ったとしても無理な芸当だ。
﹁この場で根掘り葉掘り聞きたいところだが、あいにく予定が押し
ている。あとで俺の部屋に来い。それまではゆっくり身体を休めて
くれ﹂
﹁では、お言葉に甘えさせて頂きます﹂
チェリオンは、強行軍で来たため疲れていたが、それを微塵も見
せずに朗らかに一礼した。他の四人も彼にねぎらいの言葉を掛け、
彼よりも先に王の間から慌ただしく退出する。デンデンからの指示
をすぐ実行するためだ。こういったフットワークの軽さは、パンタ
国ならではだった。
ひとまず、伝えるべき内容を無事国王に話すことができ、チェリ
オンは肩の荷が降りて小さな息を漏らした。成り行きで二人きりに
なったデンデンと顔を見合わし、大きくうなずいたあと、チェリオ
ンは一礼して踵を返した。
大きな扉に手を掛けたところで、国王デンデンが口を開いた。
﹁チェンバニー﹂
若かりし頃の愛称で呼ばれたチェリオンは己の青春時代を思い出
し、笑顔で振り返った。
歩を戻してデンデンに近づき、ゆっくりと口を開く。
チェリオンのフルネームは、チェリオン・バーニーズ。デンデン
が名付けた愛称は、全部をくっつけて略した﹃チェンバニー﹄であ
1742
った。獣人の間で略した呼び方は、まま見られる。
﹁なんだ、デンデン﹂
敬語などや気負いをなくした、かつての友人として、親しみを込
めてチェリオンは国王を呼んだ。こんなところを誰かに見られたら、
間違いなく決闘腕相撲裁判を受けられずに不敬罪で即刻有罪だ。
﹁しばらくこっちにいるんだろう?﹂
﹁休暇が終わるまでは﹂
﹁そうか﹂
満足そうにデンデンがうなずいた様子を見て、チェリオンことチ
ェンバニーは二十年間オアシス・ジェラで過ごした時間が無駄では
ないと感じた。
母国にこのままいてもいいが、待っている部下たちがおり、セラ
ー神国の真意を探らなければならない。
やはり向こうに帰らないとな、と考えたところで、オアシス・ジ
ェラが自分にとって第二の故郷になっているんだと実感する。自然
と、向こうに帰る、という単語が頭に浮かんだのなら、そういうこ
となのだろう。
上の下
までと制約して向こうで活動していたため、
そして、身元がバレないよう、どんなに強くなろうとも使用する
身体強化を
何人かの部下を死なせた過去を思い出し、罪悪感を覚えた。スパイ
をすると決めた日から、己の感情は二の次と決めているものの、や
はり歯がゆい気持ちと後悔は消えない。
自分は親友であり敬愛するデンデンに会えて喜び、部下たちは魔
獣や凶悪犯にやられて死んだ。自分だけがいい思いをしていいのだ
1743
ろうか。身体強化を発揮すれば助けられたであろう部下たちの顔が
チラつき、死に際に名前を呼ぶ声が脳裏に響く。
あくまでも自分はパンタ国の間者だ。
そう言い聞かせるように、チェンバニーはデンデンに深々と一礼
した。
国王デンデンと目を合わせ、どちらからともなく真っ二つに割れ
た腕相撲台を見て笑い合い、彼は軽く敬礼した。
踵を返し、出口まで向かう。
使い古したブーツの靴底に、高価な絨毯の感触が伝わってくる。
ふと、白の女神と呼ばれた少女の笑顔が頭に浮かんだ。
彼女ならすべての事情を知ったうえで、許してくれそうな気がし
た。
うっとりする優しい笑顔で、頑張ったのね、と抱きしめてくれる
だろう。あの子はそういう女の子だ。どんなに屈強で、年が離れて
いようと、男は女にやすらぎを求めるのかもしれない。そこまで考
えると、心の中がほんのりと温かくなった。
切断された頭部の耳の切れ目を右手で軽く撫で、チェンバニーは
今度こそ王の間から退出した。
1744
第40話 パンタ国にて︵後書き︶
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇◇
読者様からお祝いイラストを頂きました。
ありがとうございます! あでぃがどーございまふ!
かわいいのでスマホに入れてにやにやしてます。
作者ページからチェケラできますので、よければ是非見て下さい∼。
1745
一∼三章で登場した魔法一覧︵前書き︶
魔法参考資料です。
グレイフナー魔法学校の期末テスト範囲ですぞ。要チェックやッ。
1746
一∼三章で登場した魔法一覧
一∼三章で登場した魔法一覧
﹁天﹂ ﹁生﹂
炎 白 | 木
\ 火 /
光 土
﹁雷﹂ ○ ﹁無﹂
風 闇
/ 水 \
空 | 黒
氷
﹁刻﹂ ﹁?﹂
⃝下位魔法⃝
﹁光﹂﹁闇﹂﹁水﹂﹁土﹂﹁火﹂﹁風﹂
﹁光﹂
基礎魔法
下級﹁ライト﹂
中級﹁ライトアロー﹂
ミラージュフェイク
上級﹁ライトニング﹂
派生魔法
ヒール
中級﹁幻光迷彩﹂
﹁治癒﹂
1747
キュアライト
上級﹁癒発光﹂
﹁闇﹂
基礎魔法
下級﹁ダーク﹂
中級﹁ダークネス﹂
スリープ
上級﹁ダークフィアー﹂
派生魔法
コンフュージョン
上級﹁睡眠霧﹂
バーサク
﹁混乱粉﹂
ロスヴィジョン
﹁狂戦士﹂
ロスヒアリング
﹁視覚低下﹂
アノレクシア
﹁聴覚低下﹂
アブドミナルペイン
﹁食欲減退﹂
バニッシュ
﹁腹痛﹂
﹁消音﹂︵オリジナル︶
﹁水﹂
基礎魔法
下級﹁ウォーター﹂
中級﹁ウォーターボール﹂
キュアウォーター
上級﹁ウォーターウォール﹂
派生魔法
シャークテイル
上級﹁治癒上昇﹂
シャークファング
﹁鮫背﹂
シャークナイフ
﹁鮫牙﹂
﹁鮫刃﹂
﹁ウォータースプラッシュ﹂
﹁土﹂
1748
基礎魔法
下級﹁サンド﹂
中級﹁サンドボール﹂
アースソナー
上級﹁サンドウォール﹂
派生魔法
サンドニードル
上級﹁地面探索﹂
﹁土槍﹂
﹁火﹂
基礎魔法
下級﹁ファイア﹂
中級﹁ファイアボール﹂
ファイアアロー
上級﹁ファイアウォール﹂
派生魔法
コピー
中級﹁火矢﹂
ファイアランス
上級﹁複写﹂
ファイアスネーク
﹁火槍﹂
﹁火蛇﹂
﹁風﹂
基礎魔法
下級﹁ウインド﹂
中級﹁ウインドブレイク﹂
貴族のヅラを飛ばす砲
上級﹁ウインドストーム﹂
派生魔法
下級﹁ハゲチャビン﹂︵オリジナル︶
中級﹁ウインドカッター﹂
上級﹁ウインドソード﹂
カウント
﹁エアハンマー﹂
﹁計数﹂
1749
※﹁ウインドカッター﹂﹁ウインドソード﹂﹁エアハンマー﹂﹁ウ
ォータースプラッシュ﹂の四つは、派生魔法でルビなしです。比較
的簡単な魔法なのでルビなし、という裏設定ですが、本編では特に
バニッシュ
言及致しません。
※﹁消音﹂はバリーが冒険者時代に偶然編み出したオリジナル魔法
です。音を消す、というよりは感覚阻害に近い効果です。特に本編
では触れていませんが本当の消音魔法は空魔法にあります。
⃝上位魔法⃝
﹁白﹂﹁黒﹂﹁氷﹂﹁木﹂﹁炎﹂﹁空﹂
﹁白﹂
基礎魔法
下級﹁再生の光﹂
中級﹁加護の光﹂
上級﹁万能の光﹂
キュアハイライト
超級﹁神秘の光﹂
派生魔法
ホーリー
下級﹁癒大発光﹂
ピュアリーホーリー
﹁聖光﹂
中級﹁純潔なる聖光﹂
﹁黒﹂
基礎魔法
下級﹁黒の波動﹂
中級﹁黒の衝動﹂
上級﹁黒の激動﹂
超級﹁黒の重圧﹂
1750
派生魔法
グラビトン
グラビティバレット
下級﹁重力﹂
グラビティリリーフ
﹁重力弾﹂
グラビティウォール
﹁重力軽減﹂
メランコリー
﹁重力壁﹂
テンプテーション
﹁憂鬱﹂
サァヴィジュ
﹁誘惑﹂
ディープスリープ
﹁殺伐﹂
ダブルグラビトン
﹁熟睡霧﹂
ギルティグラビティ
中級﹁二重・重力﹂
ギルティグラビティ
﹁断罪する重力﹂
ギルティグラビティ
コフィン
マルトー
﹁断罪する重力・棺桶﹂
ギルティグラビティ
スィクル
﹁断罪する重力・鎚﹂
ギルティグラビティ
カラー
﹁断罪する重力・鎌﹂
ブラッディグラビティ
クルーシファイ
﹁断罪する重力・首輪﹂
ブラッディグラビティ
﹁血塗れの重力﹂
チャーム
﹁血塗れの重力・十字架﹂
トキメキ
﹁魅了せし者﹂
ヒプナティズム
﹁恋﹂︵オリジナル︶
スレット
﹁催眠せし者﹂
グラビティキャノン
﹁脅迫せし者﹂
グラビティウェーブ
﹁重力砲﹂
グレート・ザ・ライ
上級﹁四方簒奪する重力波﹂
チェリーブロッサム・
キッス
﹁強制改変する思想家﹂
グラビティジュエル
﹁悲劇恋愛する乙女心﹂
ブラックアバター
﹁鯨飲馬食する重力珠﹂
﹁化身分身する種々相﹂
グラビティウェーブ
グラビティキャノン
※ボーンリザードが使用した﹁重力波﹂は上位上級でしたが、威力
の整合性が取れないため上位中級﹁重力砲﹂に変更致しました。申
1751
グラビティウェーブ
グラビティウェーブ
し訳ございません。読み返していただくとひっそりと変わっており
ます。
また﹁重力波﹂は﹁四方簒奪する重力波﹂という中二全開の名前
に変更致します。いまのところ物語上で出てくる予定はありません。
﹁氷﹂
基礎魔法
下級﹁アイス﹂
中級﹁アイスキャノン﹂
上級﹁アイスオブグランド﹂
アイシクルブロック
超級﹁アブソリュートデュオ﹂
派生魔法
アイシクルスナイプ
中級﹁氷結塊壁﹂
アイシクルバイト
﹁氷塊狙撃﹂
アイシクルスパイク
﹁氷傷噛付﹂
アイシクルーシファイ
﹁氷突剣山﹂
アイシクルメイデン
﹁氷十字架﹂
アイスフェンドネーゼ
上級﹁氷姫の拷問具﹂
アイシクルフィントン
﹁氷妃の拷問具﹂
アブソリュート・ゲンガー
﹁氷娘の拷問具﹂
超級﹁絶対零度の双腕復体﹂
﹁木﹂
基礎魔法
下級﹁緑の微笑﹂
中級﹁緑の浄化﹂
上級﹁緑の慈愛﹂
超級﹁緑の豊穣﹂
派生魔法
1752
キュール
シルキーソング
下級﹁精霊の森林浴﹂
ティンバーウォール
﹁精霊の歌声﹂
ティンバーアイビー
﹁樹木の城壁﹂
レパードアイ
﹁樹木の魔蔦﹂
オウルアイ
中級﹁豹の眼﹂
ホークアイ
﹁梟の眼﹂
イーグルアイ
﹁鷹の眼﹂
シルキーアンセム
﹁鷲の眼﹂
シルキーレクイエム
﹁精霊の樹木賛歌﹂
クリアウォーター
﹁精霊の鎮魂歌﹂
シーシックハンモック
﹁酒嫌いの清脈妖精﹂
レインボースマイル
﹁船妖精の釣床﹂
クレアボヤンス
﹁微笑みの七色妖精﹂
上級﹁暗霊王の眼﹂
﹁炎﹂
基礎魔法
下級﹁フレア﹂
中級﹁フレアキャノン﹂
上級﹁フレアオブグランド﹂
フレアアロー
超級﹁ボルケーノ﹂
派生魔法
ツヴァイフレア
下級﹁炎矢﹂
スフィアフレア
中級﹁双炎﹂
フレアハンド
﹁球炎﹂
エクスプロージョン
﹁掌炎﹂
グランドプロージョン
﹁爆発﹂
バレットプロ−ジョン
﹁地面爆発﹂
シーリングプロージョン
﹁銃弾爆発﹂
﹁天井爆発﹂
1753
フレアドラゴリウム
セブンアンガー
プロ−ジョン
上級﹁炎竜の担い手﹂
﹁怒れる愛妻の七爆発﹂
﹁空﹂
基礎魔法
下級﹁空間把握﹂
中級﹁拡散収斂﹂
上級﹁超音調音﹂
レビテーション
超級﹁空前絶後﹂
派生魔法
ノートソード
下級﹁浮遊﹂
エアバレット
﹁無刀﹂
トルネード
﹁空弾﹂
ショットエアバレット
中級﹁竜巻﹂
ショックウェーブ
﹁拡散空弾﹂
エアスラッシュソード
﹁空烈衝撃﹂
エンパイアレコード
﹁空刃斬撃﹂
ブルースブラザーズ
上級﹁空帝の円盤音﹂
トレーラーシャイン
﹁空夜の土曜日﹂
ラ・グランデ・シダクション
﹁空児の百鳴琴﹂
ケ・セラ・セラ
﹁空診の名医師﹂
エアレター
﹁空廷の傍聴者﹂
ゴーン・ウィズ・ザ・ウインド
超級﹁空理空論召集令状﹂
﹁空理空論強制異動﹂
⃝古代六芒星魔法︵複合魔法︶⃝
﹁雷﹂﹁生﹂﹁天﹂﹁無﹂﹁刻﹂﹁?﹂
﹁雷﹂
1754
サンダーボルト
基礎魔法
﹁落雷﹂
ライトニングボルト
オリジナル
サンダーストーム
﹁極落雷﹂
エレキトリック
﹁雷雨﹂
インパルス
﹁電打﹂
感電エブリバディ
﹁電衝撃﹂
﹁感電エブリバディ﹂
﹁生﹂
基礎魔法
﹁生樹﹂
﹁天﹂
基礎魔法
﹁天視﹂
﹁無﹂
基礎魔法
﹁無喚﹂
﹁刻﹂
基礎魔法
﹁時刻﹂
﹁?﹂
基礎魔法
﹁??﹂
1755
一∼三章で登場した魔法一覧︵後書き︶
本編は本日22時アップ予定です。
1756
第1話 帰ってきたエリィ︵前書き︶
本日、連投しているのでご注意ください。
第四章スタートです!
1757
第1話 帰ってきたエリィ
門兵の指示に従って入場手続きをし、西門をくぐった。
あらかじめエリィマザーに貰っていた入場証明書のおかげで、手
続きはすぐに済んだ。
一度防壁内に入り、十五メートルほど進むと首都グレイフナーに
入れる。中は日の光を浴びないからか、少し湿った匂いがした。防
壁内にはたいまつが焚かれ、石畳の道は馬車が三台すれ違っても余
裕があるほど大きい。さすが大国の首都。規模が違う。
防壁の外からも見えていた、見慣れたシルエットが大きくなって
きて、勝手に笑みがこぼれてしまう。
﹁⋮⋮ぅだばぁ。⋮⋮ぅだばぁ﹂
というより、バリーのむせび泣く声が防壁内におもいっきり反響
してんだよね。
てかさ、出口付近の道のど真ん中で正座するのまじでやめて。馬
車に乗った商人っぽいひと達、すげー不審者を見る目になってるか
ら。
﹁⋮⋮ぅだばぁ。⋮⋮ぅだばぁ﹂
もはやホラーだよ。
早歩きをしていた足に力を入れて、走りだす。隣にいたアリアナ
もついてきてくれる。エイミー含め、他のメンバーはまだ入場手続
1758
き中だ。
俺たちはもどかしくなり、視線を合わせると、一気に身体強化で
出口までダッシュした。
出口を守る警備兵のところで足を止めて挨拶をし、外へと飛び出
した。
太陽の光が目に飛び込んできて騒々しい町並みが一気に現れると、
周囲の喧騒が耳に入ってくる。商売根性が据わっている街の人々が
出口付近の人が溜まりそうな場所に屋台を出し、その横をひっきり
なしに馬車や人が通り過ぎていくかと思うと、でかい犬に首輪をつ
けたご婦人が優雅に歩いて行く。
雑然としながらもどこか余裕があり、ユーモアを感じる人々と街
並みがずっと先まで続いていた。
これぞグレイフナー。好き勝手やっているくせに妙な団結力で結
束し、不思議な熱気がある。王国の統治がうまくいっているのだろ
う。やはり俺は、この雰囲気が最高に好きだ。
通りのど真ん中に正座しているバリー。その後ろにクラリスがい
る。
少し離れたところに、ジョーとミサがそわそわしながら出口を伺
っていた。
いかん。久々すぎてちょっと泣きそう。
﹁おどうだばぁ⋮⋮。おどうだばぁ⋮⋮﹂
バリーはコック帽を握りしめ、両膝に両手を置いて、顔中を涙で
ぐしゃぐしゃにしていた。頬の傷は嗚咽で歪み、ヒゲにまで涙が滴
1759
っている。ボスのお嬢様を討ち入りで死なせてしまった、どこぞの
マフィアにしか見えない。
﹁こらバリー。道路に座っていたら他の人の邪魔になるでしょ?﹂
通りのど真ん中で正座をしているバリーに優しく声をかけた。
﹁おどうだ⋮⋮⋮ばっ?﹂
急に声をかけられ、口を大きく開けるバリー。
驚いたのか肩をすくめ、ぴたりと動きが止まる。
そして俺の姿を上から下まで、じっくりと眺めて真っ赤になった
両目をしばたいた。
バリーに微笑むと、次にクラリスへと視線を移した。
﹁クラリス⋮⋮ごめんなさい。遅くなったわ﹂
あまりに懐かしくてこぼれそうになる涙を堪える。
バリーの斜め後ろに立っている優しげなオバハンメイドを見つめ、
彼女の両手を手にとった。長年のメイド生活でクラリスの手はごつ
ごつとしていたが、それが何だか懐かしく、力を込めれば温かさを
感じた。
﹁ただいま﹂
﹁⋮⋮?﹂
クラリスはハンカチで目元を何度も拭ったのか、目の周りが赤く
なっていた。
彼女は俺を見ると、はらりとハンカチを落とした。
1760
﹁お⋮⋮お⋮⋮﹂
深く刻まれた苦労皺が小刻み震え、まるで生まれてこの方はじめ
て見る生物でも見るかのように、両目を広げた。
続けて両手を組み、自分の胸に押し付けて、ああ、という声にな
らない声を上げ、クラリスはぼろぼろと涙をこぼした。
﹁おじょうざばぁっ!﹂
クラリスは正座しているバリーを押しのけて、抱きついてきた。
俺もしっかりと抱き返す。
両腕に抱いたクラリスは思いのほか細く、懐かしい温かさと、ほ
のかに土の匂いがした。今まで庭の掃除をしていたのかもしれない。
そう考えると、彼女がいつもと変わらずゴールデン家を守ってくれ
ていたんだと思え、涙腺からじわじわ涙が込み上げてくる。
﹁あ゛あ゛っ! なんとお美しくなられて! このクラリス、お嬢
様とお会いしたくて毎晩涙が流れるのを耐えておりました! おじ
ょうざば! 会いとうございましたおじょうざばぁっ!!﹂
﹁ごめんなさい⋮⋮ごめんなさい!﹂
我慢できず、大泣きしてクラリスの肩に顔をこすりつけた。
完全にいまの想いがエリィとシンクロしている気がし、感情が爆
発する。クラリスはこっちの世界に来て初めて会い、優しくしてく
れた女性だ。いつもエリィのことを見てくれていた。俺にとっては
こっちの世界の母親みたいなもんだ。
﹁お姿を見てまさかと思い、お声を聞いてお嬢様だと確信致しまし
1761
た⋮⋮﹂
俺の肩にそっと手を当て、ゆっくりと離れてじっと見つめてくる。
涙で濡れたクラリスの顔は、子どもをあやすような母親の表情に
なり、甘く優しい笑顔を作った。
﹁なんとお美しい⋮⋮﹂
﹁ダイエット、頑張ったの﹂
﹁こんなに変わってしまっては、気づくのはエイミーお嬢様とわた
くしぐらいでしょうね﹂
﹁ふふ、そうね﹂
﹁ああっ⋮⋮お若い頃の奥様にそっくりでございます。すっきりと
伸びたお鼻が大変似ていてお綺麗ですこと⋮⋮。目は旦那様に似た
のでしょうね。以前から美しかったですが、これ以上美しくなられ
ては、悪い虫を追い払う準備をいよいよしないといけませんね。お
屋敷に帰ってから対策を考えないとなりません﹂
﹁まあクラリスったら怖い顔になってるわよ﹂
彼女の心配性に思わず吹き出してしまい、上品に口元を右手で隠
した。
クラリスはそんな俺を見て、ポケットから新しいハンカチを取り
出して涙を優しく拭いてくれる。それを丁寧にたたんでポケットへ
しまうと、背筋をしゃんと伸ばして両手をお腹に当て、一流のメイ
ドらしく優雅に一礼した。柔らかくもどこか力強い、敬意と敬愛が
感じられる完璧なお辞儀だった。
﹁ご無事で何よりでした。おかえりなさいませ、エリィお嬢様﹂
彼女の一礼に対し、こちらもスカートの裾を持ち上げ、流麗な所
作でレディの礼を取る。
1762
﹁ただいま帰ったわ﹂
﹁ああ⋮⋮お嬢様⋮⋮エリィお嬢様⋮⋮﹂
﹁お、お、お、お、おどうだば?!﹂
クラリスがまた泣き出すと同時に、正気に戻ったらしいバリーが
正座のまま身体を反転させて近づき、俺を見上げてきた。
﹁おどうだばぁっ?!﹂
﹁バリー、心配かけてごめんなさい﹂
中腰になってバリーの顔を覗き込む。ツインテールが当たらない
よう、両手で押さえた。
バリーは今しがた記憶が全部抜け落ちました、といわんばかりの
魂の抜けた呆け顔になり、何度も瞬きをする。涙でぐちょぐちょに
なった顔をごしごしと白いコック服で拭い、意識を俺の顔へと集中
させた。しばらく食い入るように見つめると、ようやく何かに気づ
いたのか、ハッとした表情になって、両まぶたと鼻の穴と口を大き
く広げた。
﹁お、お、おどうだばぁ!!!!!!﹂
急発進する戦車みたいにバリーがこちらににじり寄り、顔を近づ
けてくる。
相変わらず顔が近い。こええよ。
﹁バリー近いわ。あとスカートの中に顔が入りそうだわ﹂
﹁おどうだば! ばだじがびゃんとじでばいばっばりにげずだびょ
うびょぶびざばばべでしばいぼうぼのバビィびびでびべばぜぶぅ!
1763
ぼのぼうびびゃっばのばずべてぼのバビィのべいでぼざいばずの
べばだぐじはごのばでべきびんぼぼびばいぼぼぼびばず!﹂
何言ってるか全然わからん。
﹁おどうだば! おどうだばあぁぁぁぁぁぁっ!﹂
バリーは興奮して顔を赤くし、懐から包丁を取り出して思い切り
振りかぶった。
﹁バリーーッ?!﹂
﹁おどうだばばいべんぼうじばけござびばぜぶぅぅぅっ!﹂
どうやら自分の腹を掻っ捌くつもりらしい!
あかぁぁぁぁん!
﹁やめなさいっ﹂
クラリスがすかさずバリーの右手へ手刀を落とした。
包丁が手から離れ、カラン、とレンガ造りの地面へ落ちる。
﹁ばなぜぇぇ! ぼのバビィ、おどうだばびびんべぼばびぶぶぅ!﹂
落ちた包丁に手を伸ばすバリーをクラリスが羽交い締めにした。
じたばたと暴れてバリーは何とか拘束から抜け出そうとする。
あまりに突然の流れでビビった。
﹁あなたはさっきから何度そうすれば気が済むの! お嬢様、大変
申し訳ございません。うちの旦那は今朝から、腹を掻っ捌いて死ん
1764
でお詫びするとわめいておりまして。誘拐はすべて自分の責任だと
言ってきかないのです⋮⋮﹂
﹁おどうだばぁ!﹂
半狂乱で泣き叫ぶバリーがだんだんと可哀そうに思えてきて、改
めて誘拐などされない、と胸に誓う。こうして見ると、エリィがど
れだけクラリスとバリーに愛されているのかが分かった。
﹁おだまりっ!﹂
バリーに切腹されたらたまらない。
思い切って一喝した。
優しいエリィが急に怒鳴ったので、バリーとクラリスは動きを止
めてこちらを見つめる。クラリスは羽交い締めにしていた両手を離
した。
一瞬、行き交っていた人々が、何事かと動きを止めてこちらを見
てくる。
それには構わず、エリィの美しいブルーの瞳でバリーを睨んだ。
バリーは普段なら絶対にされないであろうエリィの言動に身をす
くめ、背筋をぶるりと震わせた。
﹁あなたはゴールデン家の使用人なのだから、切腹の決定権は持っ
ていないわよ。どうしても切腹したいなら、私と、お姉様、お父様、
お母様、みんなにお伺いを立てなさい。いいと言われるまで、包丁
を自分に向けることは禁止するわ。いいわね﹂
﹁お、おどうだば⋮⋮﹂
﹁聞こえなかったの?﹂
﹁じがじ⋮⋮﹂
1765
バリーは垂れた鼻水をずびずば啜りながら、不服そうな顔を向け
てくる。
釘を刺す意味を込めて、思い切り魔力を循環させ、再度バリーを
見つめた。
﹁聞こえなかったの?﹂
どうやらエリィも相当に怒っているらしく、パチパチと電流が目
の前を流れ、静電気でツインテールがゆらゆらと持ち上がっていく。
﹁エリィが怒った⋮﹂
静かに事の成り行きを見ていたアリアナが、ぼそっと呟いた。
さすがのバリーもぎょっとした顔になり、後ずさりして上下に首
を動かした。
﹁か、か、かじごまりまじたっ⋮⋮!﹂
﹁申し訳ございません! 申し訳ございません!﹂
バリーが正座に戻り、クラリスが何度も頭を下げる。
それを見て、魔力を弱めた。ふっ、と電流が収まり、エリィの金
髪ツインテールが元の位置に戻る。
﹁よろしい﹂
人差し指でバリーを指さし、ウインクを送っておいた。
﹁おどうだば! 胸がギュンギュンしますですおどうだばぁ!﹂
﹁わかったらもう立ち上がってちょうだい﹂
1766
﹁がじごまりまじだぁ!﹂
機敏な動きで立ち上がり、バリーは乱れたコック服をさっと直し
た。やっと泣き止み、改めてこちらを見て、瞠目して感慨深げに背
筋を伸ばす。
﹁クノーレリルと見紛う美しさでございます。バミアン家は責任を
持って、末代までお嬢様の美しさと優しさを語り継ぎます﹂
﹁いつも大げさねぇ﹂
﹁何をおっしゃいます! 当たり前のことでございます!﹂
﹁ダメだと言ってもするんでしょうからこれ以上は何も言わないわ﹂
﹁ありがたき幸せ!﹂
﹁ええ。では改めて言わせてもらうわね。バリー、ただいま。お留
守番、ご苦労様ね﹂
﹁お、お、お⋮⋮﹂
笑顔を向けると、またしても感極まったのかバリーは喉を鳴らし
て顔をくしゃりと歪めた。
﹁おどうだば!﹂
﹁おじょうざばぁ!﹂
バリーが俺に飛びつき、いつの間にか泣いているクラリスも抱き
ついてくる。二人はこれでもかと、ぐいぐい上着を引っ張ってきた。
これはあれだ。シャツが破かれるパターンに違いない。ジョーに
下の下
をかけ、バリーとクラリスを強引に
もらったカーキのお洒落上着の命が危ない。
すぐさま身体強化
ひっぺがした。
あまりの怪力に二人は驚いて泣き止んだ。
1767
﹁おどうだば⋮⋮まさか、し、し、身体強化まで!?﹂
﹁お嬢様?!﹂
﹁頑張って訓練したのよ﹂
﹁おどうだばぁ!﹂
﹁おじょうざばぁ!﹂
またしても飛びつこうとしてくるので身体強化を一段階上げ、バ
リーの右肩とクラリスの左肩をつかんで、こっちに抱きつけないよ
うに押し留めた。これは無限ループの予感。
﹁う、う、動きばぜんおどうだば!﹂
﹁こ、こ、これが身体強化なのですねお嬢様ぁ!﹂
そう言いながらじたばたともがき、﹁くっ!﹂とか﹁ふん!﹂と
叫んで意地でも飛びつこうとする二人。
沈静化するまでこの状態でいようと思い、両手を伸ばしっぱなし
にする。
﹁二人とも変わってないね⋮﹂
﹁そうね﹂
アリアナがくすりと笑い、軽いため息まじりに言葉を返す。
そうこうしていると、後ろから声を掛けられた。
﹁ひょっとして⋮⋮エリィなのか?﹂
バリーとクラリスをつかんだまま首だけを後ろへ向けると、ハン
チング帽にくるくる天然パーマのジョーが、呆然とした顔をして突
1768
っ立っていた。どうやら一連のやりとりを見て、ようやく俺がエリ
ィだと思ったらしい。
その横には、何やら感動した様子で目を輝かすミサが、せわしな
くボブカットをかきあげていた。
ジョーは信じられないといった顔を隠そうともせず、回りこんで
きた。
﹁いや⋮⋮クラリスさんがお嬢様って言ってるから、最初はどこか
のご令嬢かと思ったんだけどさ、エリィお嬢様って聞こえて⋮⋮。
それにしたって、全然わからなかった。いまも目の前にいる女の子
がエリィだって信じられない﹂
﹁ジョー、久しぶりね﹂
﹁ああ⋮⋮うん﹂
熱に浮かされたようなぼーっとした目でジョーは俺を見つめ、だ
んだんと顔を赤くしていった。
﹁その服、着てくれたんだ﹂
﹁ええ。似合ってる?﹂
一瞬だけクラリスとバリーから手を離し、両手でスカートの端を
ちょんと持ち、軽くレディの礼を取る。そしてすぐさまクラリスと
バリーの肩をつかみ直した。
﹁ぅだばぁッ﹂
﹁ぅざばぁッ﹂
今日はジョー達との再会を見越して、薄黄色地に青色のタータン
チェックスカート。白ブラウスにカーキの上着を着ていた。髪型は
1769
ポニーテールがいいと思ったが、やはりアリアナが、ツインテール
がいいと言ったので変えないでいる。
﹁似合ってるよ。その⋮⋮すごく綺麗だ⋮⋮﹂
﹁え、あ⋮⋮その⋮⋮ありがとう﹂
ただ﹁ありがとう﹂と言おうとしただけなのに、声がどもり、一
気に顔が熱くなる。
んああ! またこれだよ。エリィの恋愛耐性のなさったら泣けて
くるレベル。ピュアすぎる。中にいる俺の身にもなってくれ。二十
代後半の男が赤面してもじもじするって悶絶するほど恥ずかしいぞ。
﹁ああっ! いや! 別にそういう意味で言ったんじゃない! エ
リィの、そう、ニキビがなくなったから! 顔の肌が綺麗になった
って意味で!﹂
ジョーは発言の意味に気づいたのか、あわてて自分の言葉を否定
した。
なんだこのラブコメの波動は。
﹁あ、あら⋮⋮そういうことね﹂
﹁そうだ! そうだぞ!﹂
﹁砂漠でできた友達にもらった化粧水が効いたのよ﹂
﹁へ、へえ∼﹂
﹁お嬢様、おかえりなさいませ。お帰りをお待ちしておりました!﹂
これ以上俺とジョーの話を聞いていることに我慢できなかったの
か、ミサが前に出て嬉しそうに一礼した。ラブコメ波動を断ち切っ
てもらい、内心でほっとする。
1770
ミサはミディ丈スカートのハイネックニットワンピースを着てお
り、細身なスタイルをより綺麗に見せている。色合いはダークグリ
ーンで落ち着いた雰囲気にし、右手には青のハンドバックを持って、
全体的に色が地味にならないよう配慮していた。足元は黒タイツに
黒いワニ柄のハイヒールでまとめている。
̶̶̶̶!!!!!!!!!???
黒タイツ!? 黒タイツだと!?
異世界に存在していない幻のグッズであるタイツがなぜ!??
まさか開発に成功したと?! そういうことか? そういうこと
なのか?
見て思ったけどやっぱタイツ必要だわ!
ふううううううううっ!
最高! 黒タイツ最高! イエスマイドリーーーム!
﹁ふふっ、気づかれましたか?﹂
自慢気な顔を抑えきれないミサが、右足を軽く上げてタイツをこ
ちらに見せる。
﹁一流の編み師に無理を言って作らせました。彼らはこちらで用意
タイツ
は私の履いているこれを含め、この世に三本しかご
した伸縮性のある細い素材に驚いておりましたね。現状、お嬢様考
案の
ざいません﹂
﹁まあ! 引っ張ってもいいかしら?﹂
﹁ええ、どうぞ﹂
1771
でおねんねしてもらった。あとで起こしてあげよう。
いまだにじたばたしているクラリスとバリーは、アリアナの
リープ
眠霧
ミサの足に手を伸ばし、黒タイツをつまんで引っ張った。
ス
睡
タイツは破れずに三センチほど伸び、指を離すと元に戻った。
おお! タイツだ!
﹁いまのところ量産は難しいです。なにせ一本作るのに一ヶ月かか
りますからね。販売の予定もございません﹂
﹁どうにかして量産までこぎつけたいわね﹂
﹁はい! お嬢様のおっしゃるとおり、足が細く見え、しかも防寒
と防御力の上昇にもなる素晴らしいアイデア商品です!﹂
﹁あとで素材と、縫製工程を見せてちょうだい﹂
﹁もちろんですわ!﹂
﹁では予定の一つとして組み込みます﹂
で寝ていたはずじゃ?﹂
いつの間にか目を覚ましたクラリスが、仕事モードで後ろに立っ
睡眠霧
スリープ
ており、口を開いた。
﹁クラリス、
﹁お嬢様のスケジュール管理をせよ、と天の声が聞こえたので気合
いで起きました﹂
﹁相変わらずめちゃくちゃね﹂
﹁お嬢様を愛するわたくしにとっては造作もないことでございます﹂
クラリスは、撃ちだされたピストルの弾丸ぐらい速いスピードで
顔を寄せてきた。
﹁近い。顔が近いわクラリス﹂
1772
﹁後ほど、スケジュールの確認を致しましょう。はっきり申し上げ
ますと、お嬢様に判断を仰ぐべき案件が山のようにございます﹂
﹁あらそれは大変。帰ったらまずは予定の組み立てからね﹂
﹁タイツの量産は同時並行でいいと思うんだよ。優先は新しい雑誌
の内容と、それに合わせた服のデザインだ﹂
ファッションデザインの話をしたくてしょうがなかったらしいジ
ョーが、真剣な表情で口を開いた。
﹁エリィがいなかったこの七ヶ月で何が起こったか、予定を立てる
前に確認して欲しい。まずはそこからだ﹂
﹁何か起きたの?﹂
﹁エリィの予想通り、他社が似たような商品を作り始めたんだ。雑
誌と特大ポスターのおかげで、新しい服が爆発的な人気になったか
らな。薄手の洋服は女性を中心にグレイフナーで流行になりつつあ
る。この流れでいくと、何年もしないうちに王国中にブームが広が
ると思う﹂
やはり後追いが現れたか。
想定していたことだ。あまり驚かない。
﹁それに関してはお嬢様のおっしゃっていたままだったので問題は
ありません。どちらかというと、問題はミラーズとエリィモデルの
商品を販売拒否しているサークレット家ですね﹂
ミサが思案顔で腕を組んだ。
﹁⋮⋮サークレット家ね﹂
﹁んん⋮﹂
1773
俺の横にいたアリアナがサークレット家と聞いて、少し嫌そうな
顔をする。
サークレット家といえば、もちろんエリィをいじめていた金髪縦
巻きロールのスカーレットの家だ。
スカーレットとその家の人間には商品を売るな、と厳命している。
どうやらそれで向こうが癇癪を起こしたらしい。自業自得だ。泣こ
うが喚こうが服を売る気は一切ないぞ。
とは言っても、スカーレットのサークレット家はかなりの金持ち
だ。領地から出る貴重な鉱物の﹃ミスリル﹄と、それから加工する
﹃ミスリル繊維﹄で一財産を築いた経緯がある。
販売や流通関係でちょっかいを出されると、母体が大きいぶん、
かなり面倒なことになりそうだ。
ちなみに﹃ミスリル﹄は防具に広く使われ、魔力伝導率が高いの
で杖の先端にも使われたりする。
﹃ミスリル繊維﹄は固くて加工が難しい。洋服などに使うと、意図
せずして直線的な形になってしまうらしい。なので、コートやジャ
ケットなどの上着類に使用されるケースが多い。実際見たことない
んだよな、ミスリル繊維の洋服。
数年前に流行したミスリル繊維を使った洋服は、当時飛ぶように
売れたそうだ。
﹁詳しくは後ほど、コバシガワ商会の事務所で全員を集めてお話致
します﹂
﹁ええ、分かったわ﹂
﹁お嬢様。それでしたら、本日ご帰還祝いとしてゴールデン家の中
庭で立食パーティーを行います。コバシガワ商会の方々もご招待し
ておりますので、そちらでお話になるのがよろしいかと﹂
1774
クラリスがすかさず最善の方法を提案してくれる。
俺はうなずいて答えた。
﹁ではそのように﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁エリィお嬢様、ひとつだけよろしいでしょうか?﹂
﹁どうしたのミサ﹂
﹁いえ⋮⋮あの⋮⋮﹂
そう言いつつ、ミサはアリアナをちらちらと横目で見て、ついに
耐え切れないといった様相で、勢いよく彼女を抱きしめた。急にハ
グされたアリアナは﹁ん⋮﹂と小さな声を漏らす。
﹁はああああぁぁぁぁぁっ! かわいいいいいいいいいっ!﹂
ミサが、もう辛抱たまらんぜぐっへっへと言い出しそうなだらし
ない表情で、アリアナの頭と狐耳を撫でまわす。
﹁こんなに可愛い生物がこの世にいるなんて、もうっ! もうっ!﹂
﹁ミサ⋮苦しい⋮﹂
﹁ごめんなさいアリアナちゃん、もう少しだけ!﹂
﹁んもぅ⋮ちょっと⋮だけだよ⋮?﹂
アリアナが小さく口を尖らせて、ちらりとミサを横目で見つめる。
どうやらアリアナは、気に入っている女子なら耳を触られても抵
抗しないらしい。
身悶えてミサが首を大げさに振り、視線を俺へと移して凝視した。
﹁ふわぁぁぁぁっ。エリィお嬢様! アリアナちゃんを一晩だけ︱
1775
︱﹂
﹁貸さないわよ﹂
にべもなく先回りして断る。
アリアナの可愛さは脳細胞を破壊して廃人にするレベルだ。仕方
ないといえば仕方ないが、彼女を貸し出すつもりはない。というよ
り本人が嫌がるだろう。
﹁そんなぁ⋮⋮﹂
﹁アリアナは自分の家に帰るんだから。ね?﹂
﹁ん⋮。あの子達、元気かな﹂
アリアナはミサにされるがまま頭を揺らし、ハッとした表情にな
ると、ミサの手から逃れてクラリスに飛びついた。
クラリスの胸にアリアナの顔がうずまり、細い腕がしっかりとメ
イド服の後ろへと回される。
﹁クラリス、ご飯⋮ありがとう⋮﹂
両目に涙を溜め、上目遣いでアリアナはクラリスを見つめた。ど
うやら俺達がいなくなった期間、弟妹の面倒を見てくれていたクラ
リスに感謝の気持ちでいっぱいになり、泣きそうになったようだ。
帰り道、ずっとお礼を言うんだと張り切っていたからなぁ。
今度はクラリスが顔を赤くさせた。
﹁アリアナお嬢様もこんなに美しくなられまして⋮⋮わたくし、喜
びで天まで飛んでいきそうです。それに、お二人がいなかった七ヶ
月、寂しい気持ちをアリアナお嬢様のご弟妹に埋めていただきまし
た。わたくしにも子どもができたような気分になり、心に小さな灯
1776
りがともったのですよ。とても良い経験をさせて頂き、感謝してお
ります。みんないい子でございますね﹂
﹁うん⋮﹂
﹁それに、感謝ならば、是非ともエリィお嬢様に。わたくしはお嬢
様のご指示に従ったにすぎません。コバシガワ商会の利益は第一に、
ゴールデン家とアリアナお嬢様のために使おう、という密約をわた
くしとお嬢様は交わしました。それは今後も変わらないでしょう。
すべては、行動原理はシンプルであれ、というエリィお嬢様の薫陶
にございます﹂
﹁エリィ⋮﹂
アリアナが尻尾を振りながら、俺のブラウスの胸元に顔をうずめ
てくる。すりすりと顔をシャツにこすりつけ、尻尾をぶるんぶるん
と風車のように回した。
もふもふもふもふ。
あー可愛い。
とりあえず狐耳を撫でてと。
﹁できたぁ! できたぁぞおおぅ!﹂
いい雰囲気をぶち壊す、間の抜けた叫び声が門の防壁内から響い
た。
何事かと思い振り返ると、やっと入場手続きを終えたメンバーが、
馬車四台とこちらにやってきた。
﹁聞きたまへっ諸ぅぅ君ん! このぶぉくはついに身体強化を開眼
させたのだっ!﹂
1777
亜麻クソがくるくると回転しながら、ふっ、ふっ、と前髪を息で
吹き上げ、ズビシ、ズバシ、ズビシィィッ、とポーズを決めながら
こちらへ近づいてくる。鬱陶しい。上機嫌で散歩していたら見えな
い蜘蛛の巣が顔に引っかかったときぐらい鬱陶しい。
﹁我が愛しのアリアナよ、見たまへ! これがぶぉくの身体強化だ
っ!﹂
亜麻クソが魔力を循環させ、体中へと張り巡らせる。おお、確か
にできてるっぽいな。
アリアナは俺の胸から顔をちらっと出し、無言で目を逸らした。
﹁ノーコメンッッ! そのクールさがグゥゥッド!﹂
親指を立て、アハッ、アハッ、と見てもいないのに笑顔で白い歯
を見せつける亜麻クソ。
日に日に亜麻クソがうざくなっているのは気のせいじゃないな。
少しすると、やっと馬車から降りられることが嬉しいのか、歓声
とともに三十人いる子どもたちがレンガ造りの道に飛び出した。そ
れを取り囲むようにして、エリィマザー、エイミー、サツキ、ガル
ガイン、テンメイ、スルメがやってくる。なぜかスルメとガルガイ
ンは腹を抱えて爆笑していた。
馬車の御者をしているジョン・ボーンも御者席からこちらを見て
いる。バーバラ、女戦士と女盗賊は、御者をしながらグレイフナー
の街並みをせわしなく眺めていた。ポカじいは、エイミーとサツキ
の尻を交互に見て、うむ、とうなずいている。
﹁クラリス、出迎えご苦労様。大事なかったかしら?﹂
1778
母アメリアがクラリスにねぎらいの言葉をかけた。子ども達は自
分のお気に入りの人物のもとに集まり、わいわいとはしゃいでいる。
俺は最年少のリオンに抱っこをせがまれ、抱き上げてやった。ど
うやら彼女はエリィの抱っこがお気に入りらしい。身体強化で空中
に投げ飛ばす高い高いをしてやると、リオンは大笑いする。高く飛
ばしてくれと注文をつけてくるので、肝っ玉が太い。将来この子は
大物になりそうな予感がする。
エイミー、サツキ、テンメイが一通りクラリスやジョー、ミサに
挨拶をすると、スルメとガルガインが笑いを噛み殺しながら俺のと
ころへやってきた。
﹁エリィ、笑うなよ﹂
﹁何よスルメ﹂
﹁まっじで笑うなよ﹂
﹁だから何よ﹂
スルメはもう我慢できんと、口元をニヤニヤさせている。ガルガ
インも横で笑いを噛み殺している。
﹁亜麻クソの身体強化だけどな⋮⋮﹂
﹁ええ﹂
﹁あれは全身強化じゃねえ。尻だけだ﹂
﹁えっ?﹂
思わず聞き返してしまう。
そして﹁はーっはっはっはっは!﹂と笑う亜麻クソを見た。
全力で鼻を高くし、有頂天の極みといった様子の亜麻クソが人差
1779
し指を天へと突き上げ、地面に向け、ぐるりと回してズビシ、ズバ
シ、ズビシィィッ、と渾身のポーズを三連発で取る。
着ているローブが翻り、時折見えるズボンは、なぜか尻の部分だ
け盛大に破れていた。
笑ってはいけないと思いつつも、じわじわと笑いがこみ上げてく
る。
﹁とりあえず教えない方向で﹂
﹁わかったわ﹂
スルメの提案に即座に乗った。
ここは様子見でステイ。さらに、スーパーひと⃝くん人形を場に
一体セット。亜麻クソの取り巻きの女子が現れたら最高に面白い現
場が見れるぞ。
﹁道中、尻を引きずってばっかだったからな。水面でも、地面でも、
倒れたときは尻が犠牲になっていた。そのせいで、無意識のうちに
尻へ魔力が集中しているみてえだ。ペッ﹂
ガルガインが、彫りの深い顔を引き締め、急に冷静な分析をし始
める。
その言葉が俺とスルメの笑いをより誘発させた。
﹁エリィおねえちゃん楽しいのぉ?﹂
腕に抱いているリオンが、生えそろっていない歯を出してニコニ
コと笑いかけてくる。彼女の柔らかい髪をなでると、子ども特有の
甘い匂いがした。
1780
﹁そうよ。亜麻クソお兄ちゃんがね、可笑しいの﹂
﹁へぇ∼。お兄ちゃんはお尻だけ硬くなったのぉ?﹂
﹁ぷっ。そ、そうよ。亜麻クソお兄ちゃんは、お尻だけ強くなった
の﹂
﹁すごいねぇ∼﹂
﹁そうだねぇ∼﹂
﹁ころんでも平気だね∼﹂
﹁そうだねぇ∼﹂
俺とリオンが﹁ねー﹂と言って同じ方向に首を倒した。それと同
時に、亜麻クソがドヤ顔でこちらに来て﹁しんたいきょうかぁッ﹂
と叫んで、右手を広げて額に当て、片足を踏み出して九十度曲げ、
左腕を空へ向けた。さながら、昭和のアイドル歌手が歌い終わった
ときにやる、カッコつけたポーズだ。
あまりにキザすぎてめっちゃダサい。しかもズボンが破れていて
尻が丸見えだ。
見せつけられたアリアナはたまらず目を逸らして、逃げるように
してエイミーとサツキのところへ駆けて行く。
ポーズのせいでアリアナが見えない亜麻クソは、ここぞ、と叫ん
だ。
﹁見たまへっ!﹂
スルメとガルガインが腹を抱えて笑い転げた。
﹁ぎゃーっはっはっはっはっは!﹂
﹁ぶわーっはっはっはっはっは!﹂
これはひでえ。ひどすぎる。
1781
笑いが堪えられない。亜麻クソの奴は、いったいどこまでネタ提
供をすれば気が済むんだろうか。
﹁お兄ちゃんお尻見えてるよぉ?﹂
﹁そうだねぇ∼。恥ずかしいねぇ∼﹂
笑いをごまかすために、リオンの柔らかい髪をゆっくりと撫でる。
前方を見ると、亜麻クソのカッコつけたポーズの背景みたいに、
歩き出している他のメンバーの背中がグレイフナーの雑踏へと吸い
込まれていった。
振り返ると、誇らしげに立っているクラリスと目が合う。
ああ⋮⋮やっぱりクラリスがいると安心するな。
帰ってきた実感がようやく湧いてきた。
いつの間にか目を覚ましたバリーが、道路に乗り付けてあるゴー
ルデン家の馬車で待機している。
うん、とうなずくと、クラリスもうなずき返した。
何も言わずとも、意思は疎通できる。
俺とクラリスは笑い転げるスルメとガルガインに声をかけ、仕方
なく亜麻クソも誘ってポーズをやめさせ、馬車の方向へと連れ立っ
て歩き出した。
1782
第2話 再会するエリィ
﹁おかえりなさいませ! エリィお嬢様!﹂
ゴールデン家に馬車が着くと、使用人が勢揃いしており、門前で
一斉にお辞儀をした。料理人四名、メイド七名、執事三名、庭師一
名、領地経営の代官五名、自宅警護兵四名。その向こうには、エリ
ィの父親ハワードと、次女エリザベス、長女エドウィーナもいる。
皆、瞳の端に涙をためていた。
が、クラリスが馬車の扉を開けて俺が出てくると、全員目が点に
なり、次に落胆して口々にしゃべり始める。
﹁お嬢様はどこに?﹂﹁クラリス様、お嬢様は?﹂﹁エリィお嬢様
がいないっ!﹂﹁お嬢様はこのあとに?﹂﹁どこだ! お嬢様は!﹂
﹁まさか⋮⋮!﹂﹁お戻りになられなかった⋮⋮?﹂﹁うそだ﹂﹁
やめてくれ!﹂﹁その美人は誰だろうか﹂﹁クラリス様! 他家の
ご令嬢をお連れするとは紛らわしいですわ!﹂﹁エリィお嬢様あぁ
ぁっ﹂﹁うおおおっ! あの愛らしい笑顔をこれほど待ちわびたと
いうのに!﹂
クラリスは手を取って俺を馬車から降ろすと、全員に向きなおっ
てピンと背筋を伸ばした。
﹁静かになさい﹂
元メイド長の威厳かくやといった様子で使用人達は静粛になった
が、訝しげな表情は収まらない。
1783
うん。やっぱり一発で分かってもらえない。
そんなに変わったかぁ?
ちょっとデブだったけど前から綺麗だっつうの。
まったく失礼しちゃうよな。エリィもそう思うだろ?
ここで自分がエリィだとネタばらしをしてもいいが、リアクショ
ンを見るのが面白いからもうちょっと黙っているか。
父親のハワードと、エリザベス、エドウィーナが険しい目つきを
してこちらにやってきた。
父は防御力の高そうな分厚いマント姿で、エリザベスとエドウィ
ーナはミラーズから買ったのか、エリザベスが華奢なベルトで腰を
締めるドレープワンピース。エドウィーナが白を基調にした、スケ
スケでセンシュアルなレースのセットアップを着ている。
ドレープっていうのはひだがついたゆるい生地のことで、優雅で
お上品な雰囲気だ。エドウィーナの着ているセットアップのスカー
トドレスは、細かいレースで生地同士を繋ぎあわせ、独特の世界観
を作っている。エロカワイイ、じゃなくて、普通にエロい。おそら
くすべて手作業で作っているはずなので、一着の値段は相当に高い
はずだ。
いったいジョーはどれくらい新作を作ったんだろう。あいつの才
能がやばい。
﹁クラリス、エリィはまだなのか?﹂
父親のハワードが急かすようにクラリスに尋ねた。横にいる俺と
目が合うと、一瞬驚いて目を見開き、貴族らしく胸に手を当てて一
礼してきた。
1784
俺もレディの礼を返す。
﹁あの子は本当にどこまで心配かければ気が済むの!?﹂
﹁エリィはいつ来るのかしら﹂
エリザベスが吊り目をぴくりと震わせて腕を組む。エドウィーナ
は長女らしく落ち着いた声でクラリスに聞いた。
﹁はい。もういらっしゃいます﹂
﹁そのような冗談は言わなくともいいんだぞ、誰にでもミスはある。
クラリスが時間の見立てを誤るとはめずらしいがな。まだ来ないな
らば仕方ない⋮⋮ハイジ、そちらの可憐なお嬢様を屋敷へお連れし
なさい。クラリスはもう一度エリィを迎えに行ってくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
クラリスの娘で現メイド長であるハイジが列の中から音もなく近
づき、こちらです、と案内をしてくる。
ちらり、とクラリスが視線を投げてきたので、ゆっくり首を縦に
振って、言ってもいいよと合図を送る。さすがにずっと黙っている
のも悪いだろう。みんな心配しているしな。
﹁恐れながら申し上げます旦那様。エリィお嬢様は目の前にいらっ
しゃいます﹂
﹁何を言って⋮⋮﹂
ハワードは目をすがめてクラリスを睨み、俺の顔を間違い探しす
るかのようにじっくり見つめてくる。そして三秒もしないうちに、
ハッとした表情になった。
﹁⋮⋮エリィ⋮⋮なのか?﹂
1785
父は両手を震わせ、一歩近づいてくる。
﹁その鼻、その口⋮⋮アメリアとよく似ているが⋮⋮﹂
﹁お父様、ただいま戻りました﹂
俺が笑顔を向けると、ハワードは唐突にびくりと肩を震わせて全
身を硬直させ、あまりの驚嘆に息を止めた。
父の後ろにいたエリザベスとエドウィーナも、﹁あっ﹂と口の中
で叫んで、声にならない声を上げる。
﹁その声、エリィだな。エリィなんだな?﹂
﹁はいっ!﹂
﹁お⋮⋮お、お、お⋮⋮っ!﹂
元気のいい返事を聞き、ハワードは感極まって俺をかき抱いた。
﹁̶̶̶ッ!﹂
﹁エリィ! うそ! あなたなのね!﹂
﹁ああっ、エリィ!﹂
そのあとにエリザベス、エドウィーナも驚きと喜びの混じった笑
顔で飛びついてくる。ダンディイケメンと、美女二人に抱きつかれ、
なんとも言えない気分になりつつも、どこか心の中がじんわりと喜
びで満たされていく。
良かったな、エリィ。みんなお前のことを心配していたんだぞ。
﹁なんて可愛らしい女の子になったんだ。いったい砂漠で何があっ
たんだい?﹂
1786
瞳に涙をためながら、父が頭を撫でて優しげな顔でこちらを見つ
めてくる。
俺がエリィになってよく思うのは、男の手が思っているより大き
く感じることだ。男だったときの自分の手も、女子からはこう見え
ていたんだろうな。
﹁後でゆっくりお話しますね。紹介したい人達もいるんです﹂
旅のメンバーとはいったん別れ、ゴールデン家で合流することに
なっている。帰って家族に帰還の報告と顔見せをするそうだ。近く
にアリアナがいないことに若干の違和感を感じるが、彼女も今頃、
弟妹達との再会を喜んでいるだろう。
孤児院の子ども達は、エリィマザーが知り合いの孤児院にお願い
して一時的に預かってもらう手筈になっており、エイミーとそちら
へ向かっている。マザーが俺に、早く帰ってみんなに顔を見せて来
なさい、と強く言ったので別行動している次第だ。
﹁おう、そうかそうか。この後の立食パーティーには呼んでいるん
だろう?﹂
﹁ええ﹂
﹁お礼を言わなければな。それにしても⋮⋮お前を見た瞬間、アメ
リアに一目惚れしたときのことを思い出したよ。まさかこの歳であ
んな甘酸っぱい気持ちになると思わなくて、さっきは少し動揺して
しまった。ああ、くれぐれも母さんには言わないでおくれよ﹂
そう言って爽やかなスマイルを向けてくるエリィファザーが、ま
じでイケメンだった。俺の次ぐらいに。
﹁すっかり美人になったじゃない。前のぷにぷにも好きだったけど、
1787
今のエリィも好きよ﹂
顔を赤らめてエリザベスが耳元で囁いてくる。相変わらずデキる
系女子で美人だ。
﹁いい子ね。みんな心配していたのよ。ちゃんとあとで、ありがと
うとごめんなさいを言いなさいね﹂
長女のエドウィーナが母親のように優しげに言い、妖艶な笑みを
浮かべた。
﹁お嬢様?!﹂﹁あ、あ、あのご令嬢がエリィお嬢様?!﹂﹁なん
とお美しい⋮⋮﹂﹁エイミーお嬢様にそっくりだ﹂﹁いや、エドウ
ィーナお嬢様のほうが似ている﹂﹁いやいやエリザベスお嬢様と鼻
が瓜二つだ﹂﹁若かりしアメリア様を彷彿とさせますな⋮⋮﹂﹁こ
れは警護を倍にする必要がある﹂﹁メイド隊、朝晩の戦闘訓練を一
時間追加しましょう﹂﹁ゴールデン家は大輪の花が四輪咲いた!﹂
﹁奥様も入れて五輪だ!﹂﹁グレイフナーの伝説になりましょうぞ
!﹂﹁おどうだば! おどうだば!﹂
使用人が好き勝手に号泣したり歓喜の声を上げたりし、興奮を抑
えきれずに列を崩して勢いよく俺を取り囲んだ。喜ぶと抱きつくの
はゴールデン家流。そこかしこでハグの嵐が起こる。ハワードも無
礼講なのか﹁俺の娘は世界一だ!﹂と叫びつつ誰かれ構わず抱きつ
いている。
俺を抱いているエリザベスとエドウィーナにはさすがの面々も飛
びついてこない。その代わりに温かい目を向けてくれた。
やっぱここがエリィの家なんだな。みんな本当に嬉しそうだ。
ああ、俺も異世界に来るんだったら、この前の正月、実家に帰っ
て家族に会っとけばよかったなー。
1788
﹁お嬢様はグレイフナーで一番の淑女でございます﹂
クラリスが自分のことのように鼻を高くして胸を張っていた。
バリーはさっきからずっと御者席で号泣している。
治癒
ヒール
して
さっきから散々言っている﹁おどうだば﹂が、泣きすぎで﹁ヴぉ
だんヴぁな﹂になっていた。もう原型がねえよ。
そんなに泣いたらリアルに涙腺が壊れるぞ。あとで
あげるか。
⃝
家の風呂に入ってさっぱりし、旅で汚れた服を着替えた。
ホームパーティーなので、ゆるい感じでいいだろう。
ジョーにもらったタータンチェックのスカートをくるくるっと腰
で巻いて膝上の丈にし、部屋にあった白ニットの長袖を着た。足下
は、白い靴下に黒い革靴を合わせる。髪型は何もせずにそのまま左
右に下ろした。
やべえ。めっちゃ可愛い。神の悪戯としか思えねえぞ、これ。
ニット長袖が前に着てた大きめサイズだから、ちょっと袖で手元
が隠れちゃったりして休日にお家にいるお嬢様感がほとばしる。ゆ
るいトップスを着てもでかい胸は自己主張をやめてくれない。いか
ん。これはいかん。
﹁お嬢様、ミサ様とジョー様がすでにお越しになっております。コ
バシガワ商会の方々もご一緒でございます﹂
1789
ドア越しにクラリスが言う。
入っていいわよ、と伝える。
﹁失礼致します⋮⋮まあ、なんと可愛らしい﹂
﹁スカート、短いかしらね?﹂
﹁殿方の目には毒でしょうが、その程度なら問題ございません。お
嬢様が以前からおっしゃっていた、ミニスカート、とやらを流行ら
せるためには必要でございましょう。色目を使う輩はわたくしが目
潰しをして回りますのでご安心を﹂
﹁そこまではいいわ。あと顔が近いわ﹂
﹁ご準備がよろしければ参りましょう﹂
﹁ええ﹂
クラリスと一緒に部屋から出て、エントランスを降り、庭へと向
かう。
庭ではメイドと料理人が、来客を案内したり、皿や飲み物を運ん
だりとせわしなく動き回っていた。
雷が落ちた一本杉は綺麗に取り除かれており、代わりに小さな花
壇がしつらえてある。池を取り囲むようにしてテーブルが設置され
ており、長テーブルには色とりどりの料理が準備され、バリーがす
でに来ている客達に給仕をしていた。
今日呼んでいるのはゴールデン家関連の人間と、砂漠までエリィ
を迎えに来た救出班の面々、コバシガワ商会の主要メンバー。あく
までも内々の帰還パーティーだ。パーティーというより食事会、み
たいな感じか。グレイフナーでは結構こういった立食パーティーは
あるらしい。
ちなみに子ども達は大人の話があるため呼んでいない。
1790
バーバラ達も遠慮して参加はしなかった。夜のグレイフナーで一
杯飲みたいそうだ。困ったら家に来てくれと伝えてあるので、何か
あったら来るだろう。
﹁あらみんな。もう楽しんでいるみたいね﹂
俺とクラリスが庭に現れると、コバシガワ商会の面々が動きを止
めた。
俺の姿を見て、食べていた物を喉につまらせる者、受け取ろうと
していたワイングラスを取り落とす者が多数出る。
懐かしのウサ耳のおっさん、ウサックスは料理の乗った皿を地面
に落として完全に身体を硬直させた。スルメの弟である黒ブライア
ン、スルメの家臣のおすぎ、コピーライターとして雇ったボインち
ゃん、記者のバイトを頼んでいるアリアナの弟フランクも、こちら
に見惚れている。
﹁エリィ、遅いじゃないの。みんなで待ってたんだから﹂
エイミーが可愛らしく頬を膨らませると、その言葉を聞いた全員
が拳銃を突きつけられたみたいに顔を引き攣らせ、戦慄いて一歩後
ずさりした。﹁うそ﹂とか、﹁そんなまさか﹂とか、﹁エリィお嬢
様⋮⋮?!﹂とか、口々に呟きだす。突然ありえない物を見せられ
ると、人間は驚きを通り越して恐怖を感じるのかもしれない。
☆
1791
私はエリィお嬢様がご帰還すると聞いて、今日の仕事をいつもの
倍のスピードで終わらせた。
時刻は午後六時。
時間通りに終わらせ、我々は連れ立ってゴールデン家へ向かい、
立食パーティーの席に参加した。
コバシガワ商会に来なさいとお嬢様に誘われてから、充実した毎
日を過ごしている。くだらない役所仕事とはやりがいが雲泥の差。
この歳になってウサックス、というあだ名を付けられたことも、お
嬢様の命名と思えば妙に心地が良い。
﹁ウサックス、びっくりするぞ﹂
﹁何がでございますか?﹂
このグレイフナーで今や一番忙しいデザイナーであろうジョー殿
が、意味ありげな顔でこちらを見てくる。私はゴールデン家の美人
なメイドからワインを受け取りつつ、ジョー殿に聞き返した。
﹁エリィだよ。とんでもなく痩せたんだ﹂
﹁なるほどですな。お嬢様はご自分に厳しい女性でございますから
なぁ﹂
﹁驚いてチビるなよ﹂
﹁そんなにですか? 毎日のようにエリィお嬢様と顔を合わせてい
た我々がそんなに驚くとは思えませんな﹂
﹁まあ見れば分かるさ﹂
ジョー殿が頬をにんまりと緩ませて自分のことのように、あちら
こちらでエリィお嬢様の容姿について風評している。ミサ殿も特に
否定していないので、痩せたことは事実のようだ。
1792
このウサックス、エリィお嬢様を見て驚くなんてことは万が一に
もない。これでも記憶力には一日の長を認めており、神経も図太く
できていると自負している。
﹁エリィさんが⋮⋮ねえ﹂
黒ブライアン殿が、信じられないと首をひねっていた。おすぎも
﹁高々痩せたぐらいで驚かない。それがワイルド家だろぅ?﹂と上
腕二頭筋に力を込めている。
察するに、ワイルド家のお二方は痩せている情報を疑っているよ
うだ。
﹁エリィちゃん痩せたの?! 私もダイエットしないと!﹂
ボインちゃんとあだ名を付けられた、パインちゃんが、大きな胸
を押さえつけて嘆いている。彼女は自分が痩せることのほうが重要
らしい。
﹁エリィさん、痩せた⋮⋮? 姉ちゃんは太くなってたけど⋮⋮﹂
アリアナお嬢様の弟であるフランクが、長い睫毛をしばたきつつ
魔法詠唱の問題集を解くみたいに難しい顔をしている。どうやらア
リアナお嬢様には我々より先に再会したようだ。
そうこうしているうちに、お屋敷からクラリス殿がやってきた。
その隣には、見目麗しいご令嬢が⋮⋮
﹁あらみんな。もう楽しんでいるみたいね﹂
1793
̶̶̶̶なッ!!!?
う、美しい⋮⋮。
ライト
の照明器具に照らされ燦然と輝き、
これほどのレディは見たことがない。
プラチナブロンドが
垂れ目で大きい双眸はまるで晴天の大空を封じ込めたかのように青
かいぎゃく
く、見る者を捉えて離さない。鼻梁は緩やかに伸びて女性らしい丸
みを帯びている。口元は諧謔味を湛えてくいっと上がっており、今
か今かと人を驚かす発言を待っているかのようだ。白いニットセー
ターは惜しげもなく乳房によって膨らんでおり、ジョー殿が作った
であろうタータンチェックのスカートからは、形のいいお御足が柔
らかな曲線を描いて伸びていた。あの足に踏みつけられたい、とい
う輩がごまんと出てくるであろう。そう思わせるほどの美脚であっ
た。しかも、驚くほど腰がくびれている。
声が、出ない。
このウサックス、生まれて初めて女性を見て言葉を失った。
なんということだ。なんということだ。
どう表現していいのか分からないとは、事務員失格。
エイミーお嬢様を初めて見たときも、ここまでの美女がいるのか
と驚いたものだが、このレディはある種の凶器だ。美しさと強さを
その身に内包しており、エイミーお嬢様よりも強烈な印象を人に与
える。まずい。こう考えていること自体がまずい気がする。考えて
いるあいだも、彼女から目が離せない。
﹁エリィ、遅いじゃないの。みんなで待ってたんだから﹂
1794
̶̶̶̶エリィお嬢様ッッ!!!!!??
﹁あ、あ、あ⋮⋮⋮﹂
自分の口から、驚きで勝手に声が漏れてしまう。
この何にも形容できない美女が、エリィお嬢様だと?
エイミー様が美女に近づいていくと、仲睦まじげにハグをして、
嬉しそうに笑い合う。
ああ⋮⋮似ている。そうか、間違いなく彼女がエリィお嬢様なの
だな。我々コバシガワ商会の社員らがお帰りを待ちわびた、あの、
エリィお嬢様なのだ。
ここまで驚いたことは今までに一度すらない。天地がひっくり返
って戦いの神パリオポテスが降参するぐらい驚愕した。
﹁ウサックス! 元気だった?﹂
突如、鈴を鳴らしたかのような可愛らしい声と、満面の笑みでエ
リィお嬢様が話しかけてきた。
﹁お、お嬢様⋮⋮このウサックス、驚きでウサ耳が取れそうですぞ﹂
気の利いた言葉が出てこず、こんなことを言ってしまう。
﹁まあ。ダイエット頑張ったのよ。痩せたでしょ﹂
1795
そういってお嬢様は嬉しそうに一回転して、えへん、と胸を張っ
た。
なんという破壊力だ。これは見た者が全員惚れてしまう。可愛さ
が超級魔法のごとき威力でその辺に撒き散らされている。まずいで
すぞ。これはまずいですぞ!
﹁なんともお美しく⋮⋮どう言っていいのか分かりませんな!﹂
﹁まあ、嬉しいこと言ってくれるわね﹂
﹁警備兵を増やしたほうがいいですぞ! お嬢様を狙って国が戦争
を起こしかねません!﹂
﹁そんな大げさよぉ﹂
﹁クラリス殿!﹂
﹁落ち着いてください、ウサックス様。そのあたりについてはわた
くしに考えがございますので﹂
﹁おお、それを聞いて一安心しました﹂
﹁別に平気よウサックス、私だって結構強いんだからね。それに砂
漠の賢者ポカホンタスも一緒なのよ。ほら、あそこでお酒を飲んで
メイドのお尻を見ているじいさんがいるでしょ。あの人よ﹂
お嬢様の指を差した酒のバーカウンター付近に、鼻の下を伸ばし
た白髭のじいさんがいる。視線が女性の尻の上を飛んでいた。
﹁ははは、またまたご冗談を﹂
お嬢様と話しているうちに、不思議と心が安らいでいる自分がい
た。
何というか、お嬢様の周囲には癒しのオーラみたいなものが漂っ
ている気がする。先ほどまでの動揺が嘘のようだ。
﹁ほんとなんだけどなぁ。ねえお姉様﹂
1796
﹁そうなの! ウサックスさん。あのおじいさん、砂漠の賢者様な
のよ﹂
﹁ほお⋮⋮﹂
﹁クラリスも信じてくれないのよ﹂
﹁いくらエリィお嬢様のお言葉でもわたくしは信じません。何度注
意しても、エリィお嬢様とエイミーお嬢様のお尻を食い入るように
見ているスケベなじいさんが、砂漠の賢者様のはずがございません。
砂漠の賢者様は、もっとこう、崇高で孤高で背筋がビシッと伸びて
いて、ローブが風でバサバサとなびいているお方なのです!﹂
﹁クラリスったら魔法関連のことになるとコレだから⋮⋮﹂
そうあきれ顔で言いつつも、どこか嬉しそうなエリィお嬢様。
やはり、中身は変わっておられない。まっすぐな性格でユーモア
があり、お優しいお嬢様のままだ。
﹁エリィお嬢様。遅ればせながら申し上げます﹂
私はお嬢様にしっかりと向き直って姿勢を正した。ついでにウサ
耳もピンと垂直に伸ばす。
﹁おかえりをお待ちしておりました。このウサックス、エリィお嬢
様と仕事がしたくてうずうずしておりましたぞ!﹂
そう言い切ると、胸のつかえが取れたような気がした。
充実しつつも何か物足りなかったのは、一にも二にも、エリィお
嬢様がグレイフナーにおられなかったからだ。
﹁私もよ、ウサックス。ウサ耳が取れちゃうぐらい働いてもらうか
ら覚悟しないさいね﹂
﹁望む所ですな!﹂
1797
うふふ、とお淑やかにブラックな発言をするお嬢様は何とも魅力
的で、私は自分の顔が笑顔になることを抑えきれなかった。
⃝
ウサックスに心底驚かれ、黒ブライアンとおすぎには中々信じて
もらえず、ボインちゃんには痩せる秘訣を散々聞かれた。アリアナ
の弟、フランクは不思議な顔をしていたので、とりあえず狐耳をも
ふもふしておいた。
しばらくコバシガワ商会のメンバーと談笑していると、スルメ、
ガルガイン、サツキ、テンメイ、亜麻クソがやってきて、少し遅れ
てアリアナが庭に入ってきた。
そこで、またコバシガワ商会の一同の動きが止まり、ゴールデン
家使用人達にも動揺が広がった。
アルティメット狐美少女のアリアナは、ミサにもらったのか、グ
レーのタータンチェックスカートを穿き、Vネックのセーター。ス
カートとペアのデザインらしいジャケットを着て、紺のベレー帽を
かぶっている。スカートの腰には大きめのリボンがあしらわれ、可
愛さが倍増していた。
あーもう、これ作った奴、天才だわ。グレーで統一しているのは
絶対に意図的だな。普通ならグレーばっかりだと色味がつまらなく
なるんだが、アリアナには狐耳と尻尾があるわけよ。ライトなグレ
1798
ーと、薄いきつね色の絶妙なコントラストね。
スカートとベレー帽から、お上品なお耳とお尻尾がひょっこり出
ているのが、たまらない。
﹁あ、エリィ﹂
嬉しそうに駆け寄ってくるアリアナさん。
ぴと、っと音がせんばかりに俺にくっついてくるので、たまらず、
よーしよしよしよし、もーふもふもふもふ、してしまう。
﹁はあああぁっ。クールプリティィィィッ!﹂
素早くこちらに来たミサが、両手で自分を抱いて身悶えている。
コーディネートの犯人はお前か。
さすがに俺のときと違い、アリアナだと気づいたらしいので、み
んながだらしなく頬を緩ませて挨拶を交わしていく。
﹁おめえら本気で誰だよ﹂
﹁ちげえねえ﹂
スルメが肩をすくめながらツッコミを入れ、ガルガインが横でう
なずいた。
﹁何言ってるの。あんまり前と変わってないわよ﹂
﹁変わりすぎだよ!﹂
﹁失礼しちゃうわね﹂
﹁ん⋮﹂
﹁に、兄さん! この狐人の方は⋮⋮!?﹂
1799
黒ブライアンが顔を真っ赤にして、アリアナとスルメを交互に見
てくる。
﹁あん? ダチのアリアナだよ﹂
﹁兄さんの、お友達の方、ですか⋮⋮﹂
﹁どうしたんだよ﹂
黒ブライアンの様子がおかしい。というよりこれは完全に素の状
態でアリアナにトキメイちゃったか。
﹁アリアナさん! 僕はスルメ兄さんの弟、スピード・ワイルドと
申します!﹂
﹁スルメ兄さんって何だよ?! てめえの兄貴は干物なのか?! 張り倒すぞボケェ!!﹂
﹁ん、よろしく⋮﹂
﹁は、はい! よろしくお願いします!!﹂
スルメを無視してアリアナと挨拶をする黒ブライアン。
﹁あの、不躾な質問なのですが、あなたにはお付き合いしている方
がいますか?﹂
﹁ん⋮?﹂
﹁恋人がいるのか、という質問なのですが⋮⋮﹂
困ったな、と口をすぼめてアリアナが俺を上目遣いに見てくる。
いや、そんな可愛い顔されても俺が困るんだけど。
﹁いない⋮よ?﹂
そう言いつつ、アリアナが躊躇いがちにこちらをチラチラと見て
1800
くる。
いやいや、俺はエリィで女だからそういうのはちょっと⋮⋮。と
いうか、俺が友人だから同意を求めているのか。
そんな一連の流れを見ていた干物の弟、黒ブライアンが大げさに
安堵した動作で両手を胸に当て、口を開いた。
﹁ああよかった! 僕はあなたに一目惚れしました。よろしければ
友人からお付き合いをお願いします!﹂
﹁んん⋮﹂
俺の後ろに隠れてアリアナは睫毛を伏せた。
どうやら本気で困っているらしい。相手が真面目な青年なだけに
あまり強く断っても可哀想だ、と考えているのかもしれないな。
軽い沈黙は、高らかな声によって遮られた。
﹁君ぃ! まちたまへっ!﹂
⃝
結論から言うと亜麻クソはこっぴどくアリアナにフラれ、庭の端
っこで真っ白な灰になっている。どうせすぐ復活するんだろうが。
黒ブライアンも脈なしだと気づいたのか、めちゃくちゃ肩を落と
していた。
とりあえず、仕事を頑張れば認めてもらえるよ、とキリキリ働い
1801
てくれるように誘導しておく。タダでは転ばないのが小橋川流だ。
エリィマザー、エリザベス、エドウィーナと色々話し、スルメ達
もゴールデン家の面々と交流を深めている。クラリスには俺の飲み
物に酒が紛れ込まないように見ておいてくれと頼んだ。酒、絶対に
飲みません。
コバシガワ商会のメンバーと話していると、自然と仕事の話にな
った。
クラリスもこの場で現状確認をするのがベストだと話していたし、
みんなも俺に情報を伝えたくて仕方がないようだ。
﹁ミラーズはこの数ヶ月で大躍進致しました﹂
再会の挨拶と歓談も頃合いとみて、クラリスがそれとなく会話の
水を向けてくる。
﹁あら、そうなの?﹂
﹁はい、お嬢様﹂
﹁そのお話は私から是非﹂
そう言ってボブカットをかき上げながら、ミサが一歩前に出てく
る。
﹁まず、店舗を増やしました。本店を入れて現在四つ店舗がござい
ます﹂
﹁まあ! 三つも増やしたの? ずいぶん思い切ったわね﹂
﹁それがそうでもないのです。現状でも店舗が足りずに四苦八苦し
ております﹂
﹁どこにお店を出したの?﹂
1802
﹁﹃一番街﹄﹃二番街﹄﹃ディアゴイス通り﹄に出店しました。コ
ンセプトとしては、﹃一番街﹄はエリィお嬢様考案のエリィモデル
を中心に販売しており、高級志向の店舗。﹃二番街﹄と﹃ディアゴ
イス通り﹄は一般向けで、特に﹃ディアゴイス通り﹄の店は低価格
で一般家庭でも買える金額の商品を出しております﹂
﹁なるほどね﹂
﹁ミラーズ﹃本店﹄は最新作と試作品を揃えております。お得意様
や、オーダーメイドもこちらで扱っており、連日入店待ちの列が途
切れません﹂
﹃一番街﹄はエリィモデル。
﹃二番街﹄﹃ディアゴイス通り﹄は通常モデル。
﹃本店﹄は最先端とオーダーメイド。
こういう配置と力関係か。
酒の力もあってか、ミサが興奮してこちらに顔を近づけてくる。
対抗するようにクラリスも顔を寄せ、話に加わりたいらしいバリー
も﹁オ・シュー・クリームはいかがですか﹂と言いながら菓子を片
手に接近する。やめなさい。
三人がアリアナの重力魔法によって引き剥がされ、周囲から驚き
の声と、軽い笑いが起きた。
﹁エリィにもらった指示書の通り、流行らせるためチェック柄に力
を入れてるよ。﹃Eimy﹄秋の増刊号に特集を組んだおかげで、
グレイフナーの女性にチェック柄が浸透してきている﹂
ジョーがワインで赤くなった顔で言う。
そういやジョーは見ない間に幾分か精悍な顔つきになったな。バ
リバリ働いて熟練度が上がっている証拠だ。いいことだ。
1803
﹁春はタータンチェックをメインに、夏物も絡めた内容を盛り込む
のがベストだと思う﹂
﹁それは私も思っていたわ。次の﹃Eimy﹄の発売予定日はいつ
かしら?﹂
﹁四月二十日を予定してる﹂
だいたいファッション誌は一∼二ヶ月先の情報を出してくる。季
節の変わり目だけ雑誌を買う人も多く、春は二、三月号、夏は六、
七月号、といった感じで、こうやって買っておけばトレンドを回収
できるためだ。俺の知り合いなんかはこの方法で購入していたな。
田中は好きな雑誌全部買って丸パクリしてたっけ。
新刊の﹃Eimy﹄は四月二十日。雑誌は現状、春夏秋冬の四シ
ーズンであるから、春物と夏物を入れよう、というジョーの考えに
は賛同できる。もちろん夏物はおまけで、春物がメインだ。
﹁エリザベスさんが着ているドレープ系の服と、エドウィーナさん
のレース系も販売は可能だ。ただ、自分で言うのもなんだけど、レ
ース系はかなり冒険しているデザインだから、まだグレイフナーの
人達がついてこれないかもしれない﹂
﹁どのぐらい攻めるかもポイントよね﹂
﹁俺はいいと思うんだけどなぁ。やっぱりスケスケだと防御力を心
配されるんだよな∼﹂
﹁そうよね∼﹂
﹁防御力よりオシャレ力、って最初のフレーズあっただろ? いま
グレイフナーでは﹃オシャレ力派﹄と﹃防御力派﹄で真っ二つに意
見が割れてるんだ。まあ、女性は圧倒的に﹃オシャレ力派﹄が多い
けどね﹂
1804
まだファッション革命は始まったばかりだ。オシャレ力よりも、
防御力を重視する従来のスタイルを貫く人もいるのは当たり前だろ
う。男達も、ミニスカートを見たら﹃オシャレ力派﹄に傾くに違い
ない。俺は、オシャレと、綺麗な女と、生足の力を信じている。
﹁そうね。どのへんまで攻めるかは大事よ。でも忘れちゃいけない
のは、自分が良いと思った物をとことんやる、ってことね﹂
﹁そうだな﹂
そう言ってジョーは自信ありげにうなずいた。
﹁あ、そういえばお嬢様。お会いした嬉しさで、お見せするのを忘
れておりました﹂
ミサが、鞄から雑誌を取り出してこちらに差し出した。
﹁まあ、﹃Eimy∼秋の増刊号∼﹄ね!﹂
﹁是非ご覧ください。今後の方向性の参考になるかと思います﹂
うおおっ! 手紙で指示を出しただけでまだ見てない﹃Eimy
∼秋の増刊号∼﹄!
これは気になる!
創刊号よりも分厚い﹃Eimy∼秋の増刊号∼﹄をパラパラとめ
くっていった。
1805
第3話 計画するエリィ
⃝
﹃Eimy∼秋の増刊号∼﹄
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
表紙
﹃チェック柄で新しい自分、発見﹄
秋っぽいからし色のロングコート、シックな花柄ブラウス、チェ
ック柄のひだが多い膝下プリーツスカートを着たエイミー。カメラ
目線ではにかんでいる。めっちゃ可愛い。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
1ページ
﹃口紅の広告﹄
トワイライトという店の広告。
口紅が三種類並び、表紙のエイミーが使っている口紅はこれです、
とさり気なくアピールしている。
2ページ
﹃化粧水の広告﹄
続いて化粧水が一本きらびやかに宣伝されている。
どうやらクラリスとウサックスがうまく化粧品店を取り込んだよ
1806
うだ。
と、よく見たら俺が前に化粧水を買った店﹃止まり木美人﹄の商
品だった。あそこの店主、元気だろうか。デートの約束もしている
し、今度時間があったら顔を出すか。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
3、4ページ
文字なしで、背景は茶色一色だ。
表紙と同じ服装のエイミーの全身直立写真。
その隣のページにはポケットに手を入れて前傾姿勢で朗らかに笑
うエイミー。
きゃわいい。癒される。おっぱい大きい。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
5ページ
﹃これがグレイフナーで流行するチェック柄! オシャレ力が上位
超級!﹄
白黒のギンガムチェックシャツの上からセーターを着たエイミー
と、紺と緑のタータンチェックスカート姿のエリザベスが背中合わ
せてカメラに視線を送っている。
おお、エリザベス! 垂れ目のエイミーと吊り目のエリザベスペ
ア、めっちゃいいな! つーか二人とも美人すぎるだろ。地球のモ
デルより美人だな。おかしいだろこれ。
6ページ
﹃チェック柄シャツあれこれ﹄
このページにはシャツが並べてピックアップされている。たぶん、
並べたのはエロ写真家ことテンメイだな。シャツが絨毯の上に配置
1807
され、袖口の先に杖が置かれたり、シャツのヘアブラシが頭の部分
にセットされたりと、あたかもシャツが生きているように見え、想
像力を掻き立てる。センスが光るな。
1,白黒ギンガムチェックシャツ。
2,濃紺と灰色のタータンチェックシャツ。
3,赤黒のブロックチェックシャツ。
4,紺、白、赤ラインの定番チェックシャツ。
5,白ドットでチェック柄を再現したシャツ。
商品の右下には販売場所と値段がさり気なく記載されている。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
7、8ページ
﹃私はチェックに恋シテル﹄
挑発的な視線を送るエリザベスが、1∼5すべてのシャツを着て
並んでいる。
複写
コピー
したわけか。
おーなるほど。写真を五回撮り、エリザベスだけを切り取って原
画に貼り付けて、それを
しかもすべて違うスカート、パンツを穿き、靴下なんかの小物類
の紹介も忘れていない。いいね!
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
9、10、11、12ページ
﹃お金をかけずにオシャレする天才なワタシ﹄
チェックシャツとチェックスカートを着回すエイミー。
色んな服を着て、様々な表情を見せるエイミーを見るだけでも楽
しい。
チェック柄を一つ買えば、今までグレイフナーで流行っていた既
存の洋服と合わせてオシャレできまっせ、と紹介している。これは
1808
秀逸なページ。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
13、14ページ
﹃オシャレ力×防御力﹄
∼魔物退治も恋もするワタシ∼
防御力が高く、なおかつ可愛い服特集だ。
エイミーが杖を構え、エナメル質の紺色ロングコートに黒いガウ
チョパンツ、インナーはえんじ色のケーブルニットセーターを合わ
せている。
コーデはたった一種類。それでもインパクトは強い。
コートはミスリル繊維とゴブリン繊維を組み合わせている。縫製
に時間が掛かるけど、防御力はかなり高いぞ。とジョーの解説が耳
元で囁かれた。
コートのお値段はなんと八十万ロン。わぁお。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
17、18、19、20ページ
﹃グレイフナーの恋愛マスターに聞いた10の質問!﹄
モノクロページ。ボインちゃんとフランクが、グレイフナーで有
名な舞台作家の女性にインタビューしたようだ。
見出しもきちんとあるし、重要な単語は大文字で記載がある。
女性誌ならでは、結構突っ込んだエロい話も忘れていない。そう
そう、女性誌ってやっぱこうだよな。
こういった王国の著名人もどんどんこっちサイドに取り込んでい
きたい。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
1809
20∼28ページ
﹃靴下は白と黒だけじゃナイ﹄
﹃アクセサリで女子力アップ﹄
﹃ブーツとはおさらばなのデス﹄
﹃ストライプも着こなソウ﹄
靴、小物、アクセサリ、便利な日用品、ストライプ柄やシンプル
な服の紹介。
前半では、前ページで出てきたグッズを絡めた商品の紹介と値段
の記載。
後半は広告を兼ねた日用品の紹介だ。広告料がウハウハですな。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
29∼32ページ
前回でも登場した冒険者関連の情報だ。
どうやらテンメイがまた魔物撮影を敢行したらしい。このページ
は好評だったからな。シリーズ化されそうだ。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
33ページ
﹃ミラーズ新店舗オープン!﹄
ミラーズの宣伝が入っている。
34ページ
﹃至高の杖﹄
最後はなぜか杖の広告が入っている。一本六十万ロンする杖が、
黒光りしてどアップで写っている。これもおそらくはクラリスとウ
サックスが準備した広告だろう。
1810
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
俺は夢中で雑誌を読み、読み終わると最初のページに戻って読み
返した。
おもしろい。
デザインがどことなく異世界風になっているところに目を引かれ
る。使用する素材と、美的感覚の違いからだろう。俺がいなかった
にも関わらず、かゆいところまで手が届く親切設計の雑誌に仕上が
っていた。
﹁素晴らしいわね!﹂
思ったことを素直に口にすると、固唾を呑んで見守っていたミサ、
ジョー、ウサックス、クラリス、テンメイ、エイミーとエリザベス
が、﹁わっ!﹂と嬉しそうな顔になって手を叩き合った。
﹁エリザベスお姉様。すごーく綺麗に写っていたわ﹂
﹁恥ずかしかったけど⋮⋮ちょっとやってみたかったのよ﹂
﹁これからも是非お願いします。モデル料はきちんと払うからね﹂
﹁エリィが頼むなら⋮⋮やるわ﹂
﹁ええ!﹂
﹁私もエリザベス姉様と写真撮るの楽しかったよ!﹂
エイミーがエリザベスに飛びつき、天使みたいな笑みでこちらを
見つめてくる。
﹁んもう、エイミー姉様はずるいわよ﹂
﹁ええーなにが?﹂
﹁こんなに可愛いのはずるいって言ってるの﹂
1811
ついエイミーの二の腕を人差し指でぐりぐりとしてしまう。
﹁や、やだぁ。やめてよー。そう言ってくれるのはエリィとテンメ
イ君ぐらいだよ﹂
﹁ビュゥゥゥゥティ、フォゥ!!﹂
テンメイが雄叫びを上げてシャッターを切る。
毎度のことながら突然の絶叫に驚き、全員でカメラから出てくる
写真を覗き込む。仲よさげに笑っているエリィ、エイミー、エリザ
ベスが、絶妙な構図で写しだされていた。ファン垂涎モノの一枚だ
な、これは。
﹁それでエリィ、ここからが本題なんだけどいいか?﹂
クラリスが手早く全員分の飲み物を追加したところで、ジョーが
おもむろに口を開いた。
﹁例のサークレット家の問題ね?﹂
﹁ああ、そうだ。あいつらは﹃ミラーズ一番街店﹄に来て、エリィ
モデルを売ってくれと頼んでくる。販売拒否していたら癇に障った
らしく、ミスリルの販売レートを釣り上げてきてな。もちろんサー
クレット家に売るつもりは一切ないんだけど、対策はしないとまず
いと思う﹂
﹁ジョー、ひょっとして⋮⋮﹂
﹁ごめんエリィ。どうしても事情が知りたくて、クラリスさんから
エリィとサークレット家の間に何があったか聞いてしまった。その、
エリィが、魔法学校に入学してからつらい目にあっていたことも⋮
⋮﹂
﹁いいのよジョー。私怨でミラーズを困らせてしまってごめんなさ
1812
い。あなた達が嫌なら無理に︱︱﹂
﹁いや、俺も全面的に戦うことには賛成だ。というより怒りが収ま
らない﹂
﹁私もですお嬢様﹂
ジョーの言葉をつなぎ、ミサが断固とした様子でうなずく。
﹁ミラーズはお嬢様あっての店でございます。私達を救ってくれた
お嬢様を悲しませたスカーレット・サークレット、それに連なる家
の者は皆、敵とみなします。向こうが攻撃してくるのなら敵対する
ことに何の躊躇もありません﹂
﹁ごめんなさい。あと⋮⋮ありがとう。でも、やっぱり私怨はおま
けみたいなものでいいわ。良い物を作って、グレイフナーの新しい
ファッション時代を作ることが目標だもの﹂
相手を落とすことに重きを置き、成長できずに潰れてきた会社を
何社も見てきた。
敵を落とすのではなく、自分を高める奴のほうが、敵にとっては
脅威になるもんだ。だから、報復に重きを置かず、自分たちの信じ
る道を突き進めばいい。
結局のところ、俺達が頑張ってエリィモデルの人気が上げれば上
げるほど、商品を買えないスカーレット達は苦汁をなめるって寸法
だ。ふふっ、ジョー達が嫌がるなら引き下がるが、乗ってくれるな
ら報復はするぜ。俺はそういう性分だ。
ただ、報復がメインになって目の前が見えなくなることだけは避
ける。人の感情は正常な判断を鈍らすからな。
﹁お嬢様ならそう言うと思っておりましたわ。ですが、対策は必要
かと﹂
1813
﹁具体的にどういった現状になっているの?﹂
﹁簡単に申し上げますと、ミラーズが提携している縫製技師、染物
店、布屋などにも﹃ミスリル﹄と﹃ミスリル繊維﹄の単価釣り上げ
を行っております。ミラーズから手を引かなければお前の店にはミ
スリルを卸さない。そういう口上でしょう﹂
﹁どのくらいの被害が?﹂
﹁まだ一店舗も契約を打ち切ってはおりません。ですが各店に動揺
が広がっております。ミスリルを扱っていない店は問題がないので
すが、中堅どころや大店は、防具関連でミスリルを扱っております
からね。グレイフナー王国一のミスリル産出量を誇るサークレット
家です。卸値を三倍にされたら、いかに大店といえ苦しいでしょう﹂
﹁縫製技師のところをヤラれると厄介だ。ただでさえ生産が追いつ
いていない状態で、優秀な店に離れられると新商品の販売が間に合
わない﹂
ジョーがハンチングを取って渋面を作りながら頭を掻いた。
﹁わたくしからご提案がございます﹂
粛々とした動作で一歩近づき、ギュンと一気に顔面を寄せてくる
クラリス。
ひええっ! こええよ。
﹁顔が近いわ、クラリス。それで提案というのは?﹂
﹁サウザンド家を味方に引き入れるのがよろしいかと﹂
さすがクラリス。結論から話してくれる。
﹁我々は﹃サークレット家﹄とその配下である﹃バイマル商会﹄を
相手取る格好になります。この﹃バイマル商会﹄ですが、お嬢様の
1814
仰っていた通り、完全な
後追い
をしております。似たようなデ
ザインの﹃バイマル服飾﹄なる店を立ち上げ、四月には雑誌の創刊
をするようです﹂
﹁いいデザイナーがいるのかしら?﹂
﹁どうでしょうか。見たところ、ほとんどがミラーズと似たりよっ
たりのデザインでございます。お客様はモノマネだと気づいている
と思いますね﹂
﹁あらそう。あとで視察に行きましょう。いいデザイナーがいるな
ら、何としても引き込みたいわ。ジョーも一人だと手が回らないで
しょう?﹂
ジョーを見ると、返事の代わりにワインを飲み干し、ハンチング
をかぶり直した。
﹁一人でできる。と、言いたいところだけどこれ以上は厳しいな﹂
﹁ジョー殿はコートから靴下まですべてのデザインを引き受け、八
面六臂の活躍ですからな﹂
ウサックスがしたり顔で頬を右手でこすっている。
﹁ミサとも話し合ったんだけどね、いいデザイナーがいないんだよ﹂
﹁そうなのです。そちらに関してもお嬢様のアイデアをいただきた
く思っておりました﹂
今度はミサが難しい表情になったので、クラリスはハーブティー
を差し出し、ミサに手渡すとこちらに向き直った。
﹁お話を戻しますが、どのみち﹃バイマル商会﹄と﹃コバシガワ商
会﹄はぶつかっていたかと存じます。後追いの宿命かと。サークレ
ット家共々、まとめて叩き潰しましょう。粉々にしてやりましょう。
1815
路頭に迷わせてやりましょう。オホホホ⋮⋮﹂
﹁クラリス、顔が怖いわ﹂
﹁おっと⋮⋮これは失礼を致しました。申し訳ございません、一年
前のお嬢様のお顔を思い出してしまいまして⋮⋮。サウザンド家を
味方に引き入れれば、彼らの流通させている﹃綿﹄と﹃魔力結晶﹄
でスカーレット家に牽制できます。それから﹃白魔法師﹄は多くが
サウザンド家の傘下でございます。そちらからも突くことが可能で
ございましょう﹂
﹁さすがは六大貴族ね﹂
﹁領地数1006個は伊達ではございません﹂
﹁そこまで言うなら、引き入れる見立てがあるのでしょう?﹂
﹁もちろんでございます。サウザンド家の末っ子、パンジー・サウ
ザンド嬢がミラーズの洋服に心酔しております。現に、すべてのシ
リーズ、すべての洋服を卸すように契約しておいでです。また、末
っ子ということで、ご当主もパンジー・サウザンド嬢を可愛がって
おられるとのこと。そちらから繋がれば良いかと﹂
﹁そういうことね⋮⋮。その子って、美人なの?﹂
﹁噂では、大変に可愛らしいお嬢様だと聞き及んでおります﹂
﹁いっそ、モデルになってもらってもいいかもね。モデルも圧倒的
に足りてないでしょう? 現に﹃Eimy秋の増刊号﹄を見ても、
あと三人はモデルが欲しいところよ﹂
﹁それはいいアイデアです﹂
﹁どうせなら一般公募しようかしら﹂
そう自分で呟いて、ミラーズとコバシガワ商会の攻勢に出る作戦
が、頭の中に膨らんでいく。
思いついたアイデアを、必須事項と検討事項に分け、さらに現状
を簡単に整理した。
サークレット家はサウザンド家で牽制。
1816
バイマル商会はコバシガワ商会と雑誌対決。
バイマル服飾はミラーズと新デザイン対決。
他にも細かいやり取りや、小さな店同士の関係、他店舗や商会の
参入もあるだろうが、大っぴらに対立しているサークレット家との
対立図はこんな感じだ。もちろん大きな店や、服飾の老舗は他にも
あるので、そちらの出方も探る必要がある。
﹁今年の魔闘会は五月十日から十四日の五日間よね?﹂
﹁さようでございます、お嬢様﹂
のフレーズを聞いて幾分鼻息を荒くし、答
で個人技や魔道具品評会、新魔法認定などで、
魔闘会
中日
クラリスが
える。
﹁三日目が
いわゆる箸休めみたいな日程だったわね﹂
﹁はい。三日目で団体戦から選りすぐりの猛者が選ばれ、トーナメ
ントが発表になります。合わせて一騎打ちの組み合わせもこの日に
発表です。王国公認の賭け券もこの日に発売ですので、情報合戦が
一日中そこかしこで行われます﹂
﹁⋮⋮分かったわ。あと確認だけど、コバシガワ商会の資金は?﹂
資金があるのか、とか、資金繰りがうまくいってるのか、などの
言葉なしで、ウサックスがウサ耳を伸ばした。こちらの聞きたい情
出張
されていた期間の売上げは、三億七千万
報が瞬時に分かったようだ。
﹁お嬢様が砂漠へ
とんで六千二百ロンでございます。詳細もお聞きになりたいですか
な?﹂
﹁まあ! ずいぶん稼いだわね。是非、聞かせてちょうだい!﹂
1817
誘拐を
出張
と表現するウサックスへの好感度がうなぎ登りだ。
やはりこの兎人のおっさんは根っからの仕事人なのだろう。そうい
う気遣い、いいね。
﹁まず雑誌の売上げですが﹃Eimy∼秋の増刊号∼﹄が一部六千
ロン×一万部。﹃Eimy∼冬の特別号∼﹄が一部四千ロン×一万
部。一月に冒険者協会と共同で製作した﹃冒険者協会認定・武器防
具特集雑誌﹄が一部五千ロン×三千部﹂
雑誌の売上げだけで一億一千五百万ロン稼いでいるのか。
﹃Eimy∼秋の増刊号∼﹄で六千万ロン。
﹃Eimy∼冬の特別号∼﹄で四千万ロン。
﹃冒険者協会認定・武器防具特集雑誌﹄一千五百万ロン。
秋に続き、冬用の雑誌も出したが、生産と販売が追いつかなかっ
たことと、エイミーとテンメイが俺を探しに砂漠へ旅立ってしまう
ことがあり、﹃Eimy∼冬の特別号∼﹄はコートのみを限定八種
類特集したようだ。
試しに見せてもらったら、ページ数もわずか二十ページ。
まあこれは仕方がないだろう。限られた時間で先取りの撮影をし、
よく刊行したといえる。
﹁次に広告収入の売上げが、一億六千万ロンです﹂
﹁え! そんなに?!﹂
うそだろ?
まだ雑誌三冊しか出してねえよ?
﹁お嬢様のアイデアは誠に素晴らしいですな。利に聡い大店が宣伝
1818
費用に価値を見出しており、すでに次号の広告もページの取り合い
になっております。というのも、﹃Eimy∼秋の増刊号∼﹄で口
紅を広告した﹃トワイライト﹄という化粧品の老舗は売上げが三倍
になりました。口紅は未だに在庫切れ。予約待ち状態で、あそこの
若旦那は嬉し泣きの悲鳴を上げておりますぞ。エイミー嬢に自社の
商品を使って欲しいと言ってくる営業が連日、コバシガワ商会に押
し寄せております﹂
﹁そこまでの反響なのね⋮⋮﹂
広告収入はスローペースになるだろうと予想していたが、真逆だ
った。エイミーの人気がすごい。エイミー経済効果、とでも呼んだ
ほうがいいだろうか。ここまでの効果が見込めるなら、店側も広告
を載せてくれと必死になるな。誰だって勝ち馬に乗りたい。
﹁クラリス殿がその流れを予想し、﹃トワイライト﹄とは口紅の売
上げマージンを取る契約に致しました。売れれば売れるほど、こち
らのポケットに金貨が入ってきます。現在10%の契約になってお
りますぞ。そして四∼八千ロンの口紅が今やブーム到来でバカ売れ、
持っていない婦女子があわてて買いに出ているようです。正直言っ
てボロ儲けでございますな!﹂
﹁クラリス、さすがね﹂
﹁わたくしは当然のことをしたまでです﹂
特に誇る様子もなく丁寧にお辞儀をするハイスペックオバハンメ
イド。経営から秘書までこなす最高すぎるメイドだな、おい。日本
でもこんなにデキる奴はいねえよ。
﹁今後はより厳選して広告を出さないといけないわね。どんなに条
件が良くても﹃Eimy﹄のイメージに合わなければ却下。その判
断は、私かジョーに仰いでちょうだい﹂
1819
﹁かしこまりました﹂
﹁御意でございますぞ!﹂
﹁ちなみに化粧品の広告を出した店も?﹂
気になって﹃止まり木美人﹄の状況を聞いてみる。
﹁そちらは広告料一括払いでございます。大盛況のようですね﹂
﹁まあ、それは嬉しいわ! あそこの店主はいい人だからね﹂
﹁お嬢様、マッシュ店主とお知り合いで?﹂
﹁何度か買い物をしたの。ああ、デートの約束もしたわね﹂
﹁な⋮⋮なんと幸運な方でしょうか﹂
﹁そうよねえ。私とデートできるんだからねぇ﹂
うんうん、と腕を組んでうなずいてみせると、顔が少し熱くなっ
てくる。こういう調子のいいことを言うと、エリィが恥ずかしがる
んだよな。太ってるときは平気だったんだけど、なんでだ?
﹁エリィ、その、デートってのは⋮⋮?﹂
ジョーが何を思ったのか仏頂面で尋ねてくる。
﹁大した約束じゃないわ。私が可愛くなったらデートしてあげる。
その代わり商品を安くしてね、ってやりとりをしたのよ﹂
﹁へ、へぇ∼﹂
﹁きっとびっくりするわね﹂
﹁エリィはその⋮⋮店主のこと、あれか? 気に入ってる、とか?﹂
﹁いやぁね! そんなんじゃないわよ!﹂
﹁そ、そっか! そうだよなぁ!﹂
﹁でも約束だから守らないとね﹂
﹁そう、だな。うん。いや、別に守らなくてもいいんじゃないか?﹂
1820
﹁ダメよ。もう割引して化粧品買っちゃったもの﹂
﹁そうだな! うん! そりゃあダメだな!﹂
ジョーが若干顔を赤くしながら、取り繕うように大きな声で否定
した。
まずい。ラブ&コメディーの波動を強く感じる。誰か真面目モー
ドに戻してくれ。頼むっ。
﹁ではそちらもスケジュールに組み込んでおきます﹂
クラリスが淡々と告げる。
ナイスクラリス! ナイスメイド!
﹁まちたまへっ! いまデートというフレーズが聞こえたんだが、
まさかアリアナとそこの帽子くるくるパーマがデェトするんじゃあ
ないだろうね?!﹂
ふっ、ふっ、と前髪を吹き上げながらポーズを取りつつ亜麻クソ
が近づいてくる。
デート、のフレーズは庭の隅っこで気を失っていた亜麻クソを復
活させるキーワードだったらしい。
くそっ。せっかく流れそうだったのに蒸し返すなよ。
﹁しない⋮﹂
﹁しないぞ!﹂
アリアナが、バリーからもらったオ・シュー・クリームというス
ポンジの上にクリームが乗ったお菓子をパクパク食べながら小首を
振った。ジョーもあわてて否定する。
1821
﹁キミィ! このぶぉくを驚かせるんじゃあないよっ! アリアナ
とデェトするのは水の精霊と呼ばれしこのドビュッシー・アシルな
んだからねぇ!﹂
﹁えっ⋮?﹂
本気の疑問を顔に浮かべ、アリアナが首をひねった。
それを見て亜麻クソは、顔面に冷水をぶち撒けられたかのような
悲壮な表情になり、顔中に皺を寄せた。
﹁ま、まちたまへ。僕らはデェトするだろう? 未来的にさっ﹂
﹁しない﹂
﹁君はいつかうんとうなずくんだ﹂
﹁うなずかない﹂
﹁はっはっは! なんたってぶぉくと君は運命の赤い糸で︱︱﹂
﹁結ばれてない﹂
﹁愛しのアリアナよ! この僕にチャンスをくれたまへっ!﹂
﹁そんなものはない﹂
アリアナは眉一つ動かさず全否定した。
﹁なんということだぁはぁん!﹂
涙を真横に流しながら、亜麻クソが大仰な仕草で両手を広げて卒
倒した。
池の向こうにある庭の東屋へ移動したらしいスルメとガルガイン
の爆笑が聞こえる。二人と話していた、父ハワードとエリィマザー、
サツキも楽しげに笑っていた。遠目から亜麻クソの勇姿を見たよう
だ。
にしても、打たれても打たれても立ち上がる亜麻クソのハートが
まじで鋼鉄並。
1822
﹁残りの売上げ金額は、細かい広告料とミラーズからのマージンで
すな﹂
そして完全スルーして話を戻すウサックスがリアル事務員。
俺と目が合うと、おっさん顔を真面目に引き締めて、うむ、とう
なずいてくる。
にこりと笑ってうなずき返すと、ウサックスが﹁ですぞ!﹂と気
合いを入れた。
だいたい現状が把握できた。
ミラーズとコバシガワ商会で合わせて動かせる金の額はあとで聞
けばいいだろう。
ここからの動きはいかに先回りするかがポイントだ。
何もせずにいれば、ミラーズとコバシガワ商会は後追いの大きな
波に飲み込まれるだろう。そして会社はなくなり、誰からも忘れら
れてしまう。
サークレット家の﹃ミスリル﹄による圧迫。
サークレット家と繋がっているバイマル商会と、バイマル服飾。
後追い
をしてくる新興勢力の確
キーパーソンになりそうなサウザンド家のご令嬢、パンジー・サ
ウザンド。
すべて把握しつつ、その他の
認もしないとな。
今日が三月五日。
学校の始業式が四月三日。
中日
が五月十二日。
﹃Eimy﹄発売予定日が四月二十日。
魔闘会の
1823
逆算していって、絶対にやらなきゃいけないリストを頭で組み立
ててと。
よし、だいたい考えはまとまった。
想像するだけで⋮⋮武者震いがする。かなり面白いことになるぜ。
最近じゃ魔法のドンパチばっかりしてたからな。企画営業めっち
ゃ楽しい。うきうきしてくる。
俺の言葉を待っているクラリス、ウサックス、ジョー、ミサ、そ
の他のメンバーに視線を向け、今後の行動を伝えるべく口を開いた。
﹁オッケーみんな。じゃあ明日、私は国王様に会いに行くわね﹂
爽やかなエリィスマイルで告げると、突然張り手をされたような
仰天した表情を作り、全員が疑問と驚愕でワインを取りこぼし、一
歩後ずさりした。
﹁え⋮⋮ええっ!?﹂
﹁ど、どうしてそうなるんだ?!﹂
﹁お嬢様、話に何の脈絡もないですぞ!﹂
﹁またこの子ったら変なこと言い出して⋮⋮﹂
﹁エリィはすごいね! 国王様に会えるんだね!﹂
﹁チャンポォォォンン﹂
﹁おどうだば! おどうだば!﹂
唯一、冷静だったのはクラリスだった。
1824
﹁何時に登城いたしますか?﹂
さも当然です、といった様子で聞いてくる。
﹁そうね、朝一番で早馬を出してアポを取っておきましょう。午前
中には終わらせたいわね﹂
﹁かしこまりました。ではそのように﹂
﹁な、なんか絶対会える的な空気で話を進めてるけど⋮⋮?!﹂
ジョーがホントか嘘か判断できずに、訝しげな表情と驚いた顔を
混ぜこぜにして言ってくる。確かに日本だったら、ちょっくら総理
大臣に会ってくるわ、と言っているようなものだ。信じられないの
も無理はない。
﹁大丈夫よ。私、可愛いから﹂
絶対にエリィが言わない言葉を言ってみる。
やはり、顔面がオーバーヒート。思わず両手で頬を押さえてしま
った。
﹁ああ、顔が熱いわぁ﹂
ちょっと!
なんか勝手に声が漏れてまっせーエリィさん。
やめてー。
﹁自分で言って自分で赤くなっていますわ!﹂
﹁ど、どうしてそうなるんだ?!﹂
﹁お嬢様、可愛いですぞ!﹂
﹁変な子ねえエリィったら⋮⋮﹂
1825
﹁私もそう思う! エリィ可愛いから国王様に会えるよ!﹂
﹁エェェェクセレンッ﹂
﹁おどうだば! 胸がギュンギュンしますおどうだば!﹂
﹁エリィが可愛い⋮﹂
アリアナが抱きついてくるので、狐耳をもふもふして精神統一を
図る。
ああー浄化作用あるわこれぇ。
﹁クラリス﹂
﹁なんでございましょう﹂
﹁千人から二千人ぐらい収容できるホールの目星を付けておいてね。
一番街の王国劇場がいいんだけど、どうかしら﹂
アリアナのかぶっている獣人専用ベレー帽ごと狐耳をもっふもっ
ふしつつ、クラリスに聞いてみる。何となくピンときたのか、彼女
は恭しく一礼した。
﹁かしこまりましてございます。登城前に場所の確認をしながら参
りましょう﹂
﹁それがいいわね﹂
⃝
翌日の早朝、クラリスに頼んで王宮に手紙を出そうとしたところ、
父ハワードが登城するとのことだったので、家を出る彼にそのまま
お願いした。そちらのほうが上の人間の手に渡り、国王の目に触れ
やすいためだ。ハワードはやけに嬉しそうだったな。やはり、父親
1826
ってもんは娘に頼みごとをされると気分が浮き立つものなんだろう。
父が家を出て、一時間足らずで早馬がゴールデン家にやってきた。
手紙にはグレイフナー国王が使用する花押が押されており、それ
が間違いなく国王からの返答だと分かった。
そんなわけで、王宮に行くなら私も行く、と家にやってきたアリ
アナと二人で馬車に乗り、グレイフナー大通りを進んで王宮に向か
った。御者はもちろんバリーで、クラリスとポカじいが同席してい
る。
今日は試作品の薄ピンクのツイードワンピースを着てみた。
エリィの金髪と薄ピンクの組み合わせが女の子感を全開にさせ、
垂れ目で優しそうな表情とあいまって可愛さが天井知らずだ。しか
も、ジョーに頼んだら一晩でスカートの右横にボタンを付けてくれ
た。ボタンを外せば即席スリットになり、ムカつく貴族に上段蹴り
を入れてもスカートが破れない。まあ、そんな物騒な事態にならな
いことを祈る。
アリアナは、白の割合が八割の白黒タータンチェック柄のツイー
ドワンピースで、形がノースリーブになっており、インナーに黒の
シースルーシャツを着ている。胸元にはシルク生地のボウタイ付き。
細腕が上品に見えてまじ可愛い。睫毛ながっ。つーか異世界にもシ
ルクあるんだよね。希少だから日本の四倍ぐらい高いけど。
これで上品なお嬢様二人の完成だ。
クラリスは馬車内でポカじいを横目で見つつ、悔しがって歯噛み
している。
昨日、寝る前の日課になっている十二元素拳の稽古風景を見て、
1827
クラリスはポカじいの強さを知り、複雑な胸中になったらしい。魔
法バカのクラリスとしては色々聞きたいけど、こんなスケベじじい
には質問できない、といったところか。
﹁バレてると思うんだけど、どう思う?﹂
俺はポカじいに聞いた。
﹁うむ。九割九分九厘、といったところじゃろうな﹂
﹁そうよね﹂
﹁グレイフナー国王が直接面会する時点でほぼ確定じゃ﹂
﹁その確認も含めたアポ取りだったんだけど﹂
﹁やはり魔改造施設攻略の際、あれだけの冒険者の前で落雷魔法を
使ったからのう。情報が漏れたんじゃろう。さすがグレイフナー王
国の情報網、といったところか﹂
﹁あれだけ派手だと⋮他の人に言いたくなる﹂
アリアナが、深めのカップに入ったハーブティーをごくごく飲み
ながら言う。
まあそうだよなぁ。
魔改造施設の攻略には百人ほどの冒険者と兵士が参加していた。
口の軽い輩がいてもおかしくはないし、人間は時間が経つと秘密事
も思い出話として語りたくなる。
﹁それにしても呆れるほどに素早い返答だったわね﹂
﹁さようでございますね。国王様らしいご返答かと﹂
クラリスが保温機能付きポットを持ち、馬車内であるのに一滴も
こぼさずアリアナのティーカップにおかわりを注いで、顔をこちら
に向けた。
1828
エリィ・ゴールデンが会いたいと言っている。
そう国王に告げてもらい、面会の許可が出た場合、俺が落雷魔法
を使用できる情報が漏れている可能性が大、と考えた。それ以外の
理由で、ただの学生に国王がその日のアポを許可するはずがない。
エリィが可愛くても、お国のトップにそうそう会えるもんじゃない
からな。
早朝に早馬を出した結果は︱︱﹃面会許可﹄。
なので、グレイフナー王国上層部にはエリィ・ゴールデンは落雷
魔法使用者だ、と露見しているだろう。国王と会うなら、自分が落
雷魔法使用者であることを利用してやれと思ったまでだ。バレてな
いならないで、別の方法で会おうと思っていたが、結果は予想どお
りだった。
﹁王国側がどうこうするとは思えんが、間違いなくこの先、注目さ
れるじゃろう﹂
﹁そうよね∼﹂
﹁しかも朝一番で来いと言われたんじゃ。おぬしもそのつもりで会
うしかないじゃろうて﹂
﹁いずれ呼び出されていたでしょうね﹂
﹁早いか遅いかの違いだけじゃ、そう腐るでない。尻でも揉んでや
ろうかい?﹂
﹁いらないわよ!﹂
﹁お嬢様、何かございましたか?﹂
̶̶ビタンッ
﹁ひっ!﹂
1829
ガラス窓に、御者席から身を乗り出して顔面を張り付けているバ
リーがいた。
まじやめて。ホラーだから。強面のおっさんがめり込むぐらいガ
ラスに張り付いてるのとか不気味以外の何物でもないから。
﹁バリー、怖いからやめてちょうだいと何度言ったら分かるの﹂
﹁何やら大きな声が聞こえたもので﹂
﹁大丈夫だから前を見て運転してちょうだい﹂
﹁かしこまりました﹂
まだ時間に余裕があったため、千人から二千人ほどを収容できる
ホールの場所を三つ確認しておいた。今後の計画に必要だ。
王宮に着き、指定の場所へ馬車を停める。
こうして俺とアリアナ、ポカじい、クラリスは王宮の門をくぐり、
シールドの団員らしき屈強な戦士に連れられ、王の間へと続く長い
回廊へと足を踏み入れた。
﹁私だけ待機とは!? おどうだばっ!﹂
バリーの叫びが背後からうっすらと聞こえ、そして消えた。
1830
第4話 営業するエリィ
ヒールのかかとが沈むぐらい柔らかな絨毯の廊下を進んでいく。
王宮は広い。それこそまさに洋画のファンタジー世界に迷い込ん
だような荘厳な作りになっており、堅牢に作ってあると予想される。
いや、建築のことはさっぱり分からないが、今通りすぎた石柱なん
て、エリィの両手を広げた三つ分ぐらいの太さだし、壁や窓にはエ
メラルドやブルーに光る魔法陣がブゥゥンと音を立ててゆっくりと
回転している。どんだけ太い石柱だよ。魔法陣は防御関連の魔法効
果があるんだろうな。
しかしクラリスは上手くやったもんだ。
俺のメイドとして登城許可をもらい、アリアナとポカじいの存在
もあらかじめ手紙に記していた。
なぜ四人なのかというと、アリアナは必ず付いてくると予想し、
ポカじいは最強の護衛になると考えたからだろう。クラリスが同伴
したのは、俺の補佐と、近くでシールドを見たいからに違いない。
﹁シールドを見たいんでしょ﹂と何度聞いても、﹁いいえ違います﹂
と言っているが、さっきから目が血走っている。
案内してくれているシールド団員は、最初に俺とアリアナを見て
頬を赤らめたが、すぐ真顔に戻って簡単な自己紹介をし、無言で俺
達の前を歩いている。魔力の流れからして相当の使い手だ。ショー
トソードを腰にぶら下げているので、戦い方は人気の片手剣スタイ
ルだろう。
﹁定期試験でいうと、800点ぐらいの実力じゃな﹂
1831
ポカじいが俺の視線に気づいたのか、持参した酒瓶を煽り、小声
でつぶやいた。
﹁落ち着いて戦えば落雷魔法なしでも勝てるぞぃ﹂
その言葉にぴくりと反応した団員は、音を大きく立てて王の間の
前で直立した。彼が、落雷魔法に反応したのか、勝てるぞ、という
言葉に反応したのかは分からない。
﹁お入りください﹂
照明器具の光が目に飛び込ん
王の間の前には王警護兵が二人、左右に立っている。彼らが素早
ライト
い動きで巨大な扉を開けた。
高い天井に、燦然と輝く
でくる。
王の間は赤い絨毯が敷き詰められていた。
左右に文官らしき人々が十数名おり、こちらを刺すように観察し
てくる。国王は茶髪のオールバックに王冠を載せ、顔には柔和な笑
みを浮かべており、相変わらず配色がちぐはぐな鎧を着込んでいて
防御力が高そうだった。王座の後ろには、誰が使うんだよとツッコ
ミを入れたくなる、高さ五メートルの杖が侍女二人がかりで支えら
れている。あの大きさの杖で魔法の使用が可能なら、確実に千年前
のアーティファクトだろう。
王座の横にいる、筋骨隆々なゴリマッチョ筆頭魔法使い、リンゴ・
ジャララバードと目が合った。
彼は俺を見て、職業軍人のような冷徹な目を細めたあと、ぐわっ
と見開いた。魔力でエリィ本人だと分かったが、魔力の流れに驚い
1832
たのかもしれない。以前会った太い俺と、今の俺では、魔力循環に
だいぶ差があるからな。
リンゴ・ジャララバードは賞賛を込めたニヒルな笑みを浮かべた。
そのあとアリアナを見て、感心したようにうなずき、後ろにいるポ
カじいへ視線を向けて、その実力を感じ取ったのか、片眉を上げた。
とりあえず、リンゴ・ジャララバードへエリィスマイルを軽く返
しておく。
中央までゆっくり進んで、王座に座る国王に向かって優雅なレデ
ィの礼を取った。
﹁ゴールデン家四女、エリィ・ゴールデンでございます﹂
国王は素早い動きで立ち上がった。
﹁朕が第五十二代グレイフナー王国国王バジル・グレイフナーだ!
おぬしがエリィ・ゴールデンか?!﹂
﹁はい﹂
﹁別人ではないか!﹂
早くも国王は額に青筋を浮かべ、リンゴを睨んだ。どうやら大狼
勲章を渡したときのエリィと、いまのエリィが違いすぎるため別人
と思ったらしい。そりゃそうだ。
﹁いえ、本人でございます。魔力の質は変わっておりません﹂
﹁ダイエットしたんです、国王様﹂
﹁ほう、そうなのか﹂
面白いものを見つけた、と国王はマントをばさっと振り、玉座の
1833
段差から降りてこちらにやってきた。周囲の文官やリンゴ・ジャラ
ラバードはいつものことなのか、国王の振る舞いに対して何も言わ
ない。
近づいた国王は、さすが一国の主だけあってオーラがある。背は
そんなに高くないくせに、やけに存在を大きく感じた。
﹁女とはここまで変わるものなのだな﹂
﹁そうみたいですね﹂
国王の言い方が生物学者のようだったので俺は可笑しくなり、く
すりと笑った。
﹁堂々とした態度は変わっておらんな。好ましいぞ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁して、おぬしが落雷魔法を使えるのだな﹂
何の前振りもなく国王が核心に触れたため、場の空気が一気に膨
張した。文官達は驚きで息を飲み、リンゴ・ジャララバードが全身
の筋肉を蠢かせ、近くにいたクラリス、アリアナが身をこわばらせ
た。ポカじいは、白髭を黙って梳いている。
﹁ええ、そうですわ﹂
どうせ否定しても仕方ない。
国王の目を見据え、堂々と言い放った。
﹁なっ⋮⋮!﹂﹁落雷⋮⋮魔法﹂﹁あの少女が?﹂﹁何かの間違い
では﹂﹁あの伝説の⋮⋮!﹂﹁ユキムラ・セキノと同じっ﹂﹁あん
な可愛い子が⋮⋮?﹂﹁くっ⋮⋮嫁に欲しいッ﹂﹁信じられぬ﹂﹁
1834
本当に使えるのか?!﹂
さすがはグレイフナー王国。官僚といえども国民と変わらず、い
いリアクションを取りながら、一斉に騒ぎ始める。
国王は両目をすがめ、俺の身体をつま先から頭のてっぺんまで眺
めると、身を翻して玉座に戻った。
﹁静まれ!﹂
国王が叫ぶと、ピタリと喧騒が収まる。
インパルス
電衝撃
だと危ないから
エレキ
電
静観してたリンゴ・ジャララバードが一歩前へ出て、口を開いた。
や
サンダーボルト
落雷
﹁エリィ・ゴールデン。論より証拠。この場で実演しろ﹂
やはりそうくるか。
この場で使うとなると
一択だな。でも⋮⋮。
トリック
打
﹁そうですわね⋮⋮構いませんが⋮⋮﹂
﹁なんだ? できんのか?﹂
﹁レディに物を頼む言い方ではございませんね﹂
エリィは高潔で心優しきレディだ。どうもリンゴ・ジャララバー
ドは何かにつけて軍人のように命令してくる。しかも、言い方に優
しさがない。
きっちりレディとして扱ってもらおうか。ここだけは譲れねえ。
俺の発言に、文官達、侍女、小姓、記録員、扉を守る騎士ら全員
が息を飲んで、冷や汗を流し始めた。
1835
口々に﹁あのジャララバード様になんてことを!﹂とか﹁おかし
いぐらいに肝が据わっているっ﹂とか﹁首が飛ぶぞ﹂など囁き合っ
ている。魔法が放たれると思ったのか、気の小さい者は机の下に隠
れ、逃げ場がない者はできるだけリンゴに向けている身体の面積が
少なくなるよう身を縮こまらせた。
胸を張り、どうなのよ、とリンゴ・ジャララバードに視線を投げ
る。
彼は大きく息を吸い込み、大胸筋を数回跳ねさせる。ギロリと射
殺するかのごとき眼力で俺を睨んできた。それを見た周りの者は、
さらに顔面を蒼白にさせ、いよいよまずい、と杖を取り出して構え
出す。国王の背後で五メートルの杖を持っている侍女二人は、ガタ
ガタと身を震わせ、地震でもおきたかのように杖を揺らした。
リンゴ・ジャララバードは眉をしかめ、腕を組み、全身を充血さ
せて筋肉を盛り上げた。ボディビルダーのような身体は、彼の身に
まとっているローブを押し上げ、胸元のボタンが、ビンッと音を立
ててはじけ飛んだ。それを見て机の下に隠れていた者が﹁ひぃっ﹂
と悲鳴を上げる。
リンゴがもう一度こちらを睨んできたので、分かってるわよね、
という言葉を込めてにっこりと笑い返してやった。
﹁ふっ⋮⋮﹂
彼は観念したのか、全身の筋肉を弛緩させ、弾けるように笑い始
めた。
﹁ハッハッハッハッ! いいようにヤラれたな、リンゴ! 美人に
1836
は勝てぬ!﹂
国王の琴線にも触れたのか、俺とリンゴを交互に見て腹を抱えて
大爆笑している。バシバシと王座を叩いて身を捩らせていた。
大笑いするリンゴ・ジャララバードと国王をぽかんと見ていた文
官達、侍女、小姓、記録員、扉を守る騎士らだったが、恐怖が杞憂
に終わったため、肺に溜まっていた空気を一気に吐き出した。横と
後ろを見ると、アリアナとクラリスが当然の対応だ、という顔で立
っている。ポカじいは杖を持つ侍女の尻をひたすら見ていた。ブレ
ねえなじいさん。
﹁では改めてお願いしよう。落雷魔法を実演して頂けませんかな、
お嬢様﹂
リンゴ・ジャララバードが分厚い胸板に右手を置き、足を引いて
騎士の礼を取った。
俺は薄ピンクのツイードワンピースの裾をつまみ、手慣れたレデ
ィの礼を返す。
﹁はい、喜んで﹂
その光景に、周囲から感嘆のため息が漏れた。
端から見ると、王国筆頭魔法使いが可愛いご令嬢をダンスに誘っ
ているように見えただろう。
⃝
1837
さすがに王の間での実演はまずいということになり、俺達は練兵
場へ移動した。実演に参加しているのはグレイフナー王国の重鎮ら
ばかりだ。
まず国王。次にシールド団長であり筆頭魔法使いであるリンゴ・
ジャララバード。王の間にいた文官達十数名、十七歳のイケメン皇
太子、シールド第一師団一番隊隊長ササラ・ササイランサ。その他、
シールド団員の幹部が五名。
そうそうたるメンバーに、クラリスは小声でずっと﹁あれはどこ
そこの誰でございます!﹂﹁こんな近くで見れるとは!﹂﹁お嬢様
ッ!﹂と興奮しっぱなしだ。アリアナも興味津々なのか狐耳をぴく
ぴくさせている。ポカじいは一番隊隊長のササラ・ササイランサの
尻が気に入ったのか、ほぅ、と言いつつ検分している。
﹁ではいくわね﹂
食い入るように見ている見物者を背後に、魔力を練る。
落雷
!﹂
サンダーボルト
そして指を振り下ろした。
﹁
ピカッ、と稲妻が走り、練兵場に置いた標的のカカシが黒焦げに
なりながら爆散し、地面がえぐれた。
落雷
﹂
サンダーボルト
﹁おおおおおおおおおおお!﹂
﹁すごい⋮⋮これが
﹁すさまじい初速﹂
﹁発動の時間が短いな﹂
﹁威力は上位下級ほどでしょうか﹂
1838
文官らは興奮し、団員は職業柄、冷静な分析をする。
﹁もっと魔力を込めれば上位中級ほどの威力が出せますわ﹂
﹁ほう。報告では上位上級クラスまで見たとあるが、どうなのだ﹂
国王が初めて見る落雷魔法に声を弾ませる。
﹁この他に、オリジナル魔法がございます﹂
﹁やはりそうか。おいリンゴ、実演はもうこれでよいぞ。皆の者、
エリィ・ゴールデンが落雷魔法使用者という事実は秘匿する。今見
たことは誰にも漏らすでないぞ、よいな﹂
全員が敬礼して答えた。不満を言う者は誰もいない。
前から思っていたが、国王は時間の使い方がはっきりしている。
限られた時間で多くをこなしてきたからだな。通常ならもっと魔法
を使ってみせろと言ってくるはずだ。おそらく俺があまり手の内を
見せたくないことを分かっており、なおかつ味方にもこれ以上情報
を与えないようにしていると予想される。この国王は相当頭が切れ
ると見た。
⃝
王の間に戻ってきた。
今度は人払いがされ、国王、リンゴ・ジャララバード、イケメン
皇太子、先ほど実演を見ていたシールド団員ササラ・ササイランサ
の四人のみだ。
1839
国王は玉座に座り直し、手早く本題を切り出す。
﹁我がグレイフナー王国は千年前に勃興し、四百年前、滅亡の危機
についても幾分かの資料を有しておる。リンゴ﹂
をユキムラ・セキノによって救われた。また、四百年前に起きた
変事
﹁はっ﹂
国王の声で、リンゴ・ジャララバードがローブの胸ポケットから
オルゴールほどの大きさの箱を取り出し、こちらに渡してくる。
﹁ユキムラ・セキノが次の落雷魔法使用者へ残した書き置きだ﹂
﹁これが⋮⋮?﹂
受け取って箱を眺める。
綺麗な装飾がしてあるものの、特別な造りではなく、雑貨屋で購
入できそうな代物だ。箱には何の仕掛けもないらしい。
﹁開けてみよ﹂
﹁はい﹂
俺がこの世界に転生した手がかりになるのではと思い、箱の蓋を
開ける手が震えた。
まずユキムラ・セキノという名前がモロ日本人っぽい。俺と同じ
落雷魔法が使え、彼の容姿については黒髪だった、とクラリスが言
っていた。俺の中で、ユキムラ・セキノ日本人説が有力だ。
蓋に添えた手に力を入れ、ゆっくりと開けた。
中には一枚の古ぼけた羊皮紙が入っており、手のひらサイズで丸
1840
めてある。手紙というよりは密書みたいだ。中には何が書いてある
んだろう。新しい魔法の呪文か? それともこの世界の秘密につい
て? 胸の鼓動がおさまらない。
箱をクラリスに持ってもらい、深呼吸をし、はやる気持ちを抑え
てゆっくりと羊皮紙を広げた。
﹁な︱︱︱ッ!!?﹂
そのあまりの内容に驚き、羊皮紙を手に持ったまま思考が停止し
た。
クラリスとアリアナが興味深げに中身を覗き込んでくる。彼女ら
はよく分からないのか、説明を求めてきた。
手紙にはこう書いてあった。
﹃がんばれ∼﹄
俺は羊皮紙をそっと丸めた。
⃝
1841
いや頑張ってるよ!?
めっちゃ頑張ってるよ俺!
突然異世界に来て女になってダイエットしたり魔法練習したり生
死をかけた戦いをしたりさぁ!
もっとこうほら! 情報プリーズ! ユキムラ・セキノさん! 情報っ! 欲しいのは世界の根幹に関わるようなすごい情報なのよ
! いやピンポイントで転移の情報とかでも良かったわけよ! わ
ざわざグレイフナー王国に手紙残して四百年越しに﹃がんばれ∼﹄
て。アホかッ!
﹁ねえエリィ。何て書いてあるか分かるの⋮?﹂
﹁⋮⋮え? それはどういう意味?﹂
﹁このミミーズみたいな文字、見たことない⋮﹂
アリアナが細い指で文字をつついてくる。
まてまて。アリアナが読めないってことは、これ、マジモンの日
本語じゃ?
こっちの世界に来てから、文字は脳内で自動変換されて全部日本
語に見える。俺が読めてアリアナが読めないってことは、このユキ
ムラ・セキノの手紙﹃がんばれ∼﹄は日本語で書かれていることに
なるぞ。
﹁ごめんなさい。すごいことが書いてあると思っていたから驚いた
の。私にも、よく分からないわ﹂
﹁そう⋮﹂
﹁これは文字でしょうかね? ユキムラ・セキノ様は異国の方だっ
たのでしょうか﹂
1842
アリアナが残念そうにうつむき、クラリスがしきりに疑問を浮か
べながらも感心している。
ここで日本語が読めると話したら、なぜ読めるんだということに
なり、俺が転生したことを説明しなければならない。二人には悪い
が黙っておこう。
﹁どうだ。何か分かるか?﹂
リンゴ・ジャララバードが期待を込めた声を上げる。
﹁いえ、何も﹂
﹁そうか﹂
﹁まあよい!﹂
国王が手を上げて制した。
﹁おぬしにそれを持っていてもらおう。何か分かったらすぐ報告す
るのだぞ﹂
が起こる際、古代六芒星魔法が一
について説明をしよう。朕も分かって
有事
有事
﹁かしこまりました﹂
﹁して、四百年前の
いる事柄は一つだけだ。
つに集まる、とな﹂
﹁それはどういう⋮⋮﹂
﹁分からぬ。いつ、何が起きるのか、記された文献が消滅している
のだ。そもそもそのような文献が存在していたのかも分からず、四
とは、この世界の成立ちに
である、という口伝のみだ﹂
有事
百年前から三百五十年前のあいだの文献がごっそり抜け落ちておる。
事
ただ分かっていることは、その
関する重大な
1843
とやらが原因なの
のせいで召喚されたと考える
有事
ユキムラ・セキノが日本人だと分かった今、彼が日本から異世界
へ転生、もしくは転移したのは確定だ。
有事
彼がこっちに来た理由は、やはりその
だろう。てことは、俺もその
のが妥当か。
うわー、何か面倒くさくなる予感しかしないんだけど。
﹁それで、国王様は私に何をさせたいのでしょうか?﹂
﹁特にない。何かあれば朕はおぬしの後ろ盾となろう﹂
﹁⋮⋮本当ですか? どこかに連れだして魔法の実験をさせたり、
そこのシュワちゃ︱︱リンゴ・ジャララバード様と戦わせたりしな
いのですね?﹂
﹁当たり前だ。あの伝説のユキムラ・セキノと同じ落雷魔法使用者
を家臣のごとく扱うなど、おこがましいにも程がある。朕はグレイ
フナー王国国王。ユキムラ・セキノの精神を受継ぐ誓いを立てたの
だぞ﹂
﹁よかったぁ⋮⋮﹂
思わず声が漏れてしまった。
今の言葉は俺の意思が三割、エリィの意思が七割、といったとこ
ろだ。
グレイフナー王国が落雷魔法使用者を利用しないことが分かった
だけでも、ここに来た甲斐があった。
それにしても、最近ちょいちょいエリィの意識が顔を覗かせるな。
﹁はははっ! その言葉を聞いて、ようやくおぬしが歳相応のおな
ごだと思えたぞ!﹂
国王はバシン、と玉座を叩いた。
1844
﹁我がグレイフナー王国は、王国民のおぬしが落雷魔法使用者であ
ることを誇りに思う。決して無碍にせぬとここに宣言しよう。して、
エリィ・ゴールデン。おぬしのほうからこちらに会いに来たのだ、
何か理由があるのだろう。聞いてやろうではないか﹂
﹁ありがたきお言葉でございます、国王様﹂
﹁おう、おう、申してみよ﹂
﹁二つございます。まず一つ目は、グレイフナー大通りのメインス
トリート﹃冒険者協会兼魔導研究所﹄への特大広告を出す権利の延
長をお願い致します﹂
﹁ふむ。あれ以来、使用許可を求める嘆願書が殺到している。有料
賃貸を検討しているが⋮⋮よかろう。おぬしの広告をそのモデルケ
ースにしてやる。おぬしのやっている洋服にも興味があるからな。
おいっ!﹂
国王が一声呼ばわると、隣の部屋からごろごろと高速前転をして、
犬獣人の男が現れた。国王が二、三言話せば、たちまち内容を理解
し、高速後転で退出する。この間わずか十五秒。素早いっ。
﹁ありがたき幸せにございます﹂
すんなり許可が下り、嬉しくなって頬を上げて破顔してしまう。
それを見た国王は何か思う所があるのか、また、バシンと玉座を
叩いた。どうやら人払いしているので、国王の素が出ているようだ。
﹁それでは男全員が惚れてしまうな! ハッハッハ!﹂
﹁⋮⋮?﹂
中日
に王国劇場をお借りしとうございます﹂
﹁まあよい。して、もう一つは﹂
﹁はい。魔闘会の
﹁何をするのだ﹂
1845
﹁ファッションショーです﹂
﹁なんだそれは?﹂
﹁新しい洋服の品評会のようなものですわ。最新の服とデザインが
集まるショーで、流行の火付けになるかと存じます﹂
これが俺の考えた秘策。
題して﹃グレイフナー王国初のファッションショーで他社に差を
つけちゃうぞ作戦﹄だ。安直なネーミング∼。
最先端のオシャレ服を一挙に集め、さらには賞金を出して新しい
モデルとデザイナーをコンテスト方式で募集する。毎年開催されれ
ば、首都グレイフナーがオシャレの聖地となり、デザイナーを目指
す人間が増えてデザイン力の底上げになる。その胴元にミラーズと
コバシガワ商会が収まれば、雑誌で情報を操作して最大の成果を得
ることができ、ゆくゆくはこの世界のファッションを牛耳る裏と表
のボスになれる。その壮大な計画の第一歩だ。
﹁国王様、これは王国の防具発展にも一役買いますわ﹂
﹁ほう﹂
﹁クラリス﹂
クラリスが予め用意していた布を取り出し、俺に手渡した。
何の変哲もないクリーム色の布を広げて見せる。
﹁この布はミラーズで開発中の新素材を使った商品です。御覧くだ
さい﹂
俺が横に移動すると、アリアナが十メートルほど距離を取って布
に指を向ける。打ち合わせどおりだ。クラリスとポカじいは、楽し
げに口元を緩ませている。
1846
ファイアボール
﹁ではまいります﹂
﹁
⋮﹂
アリアナの指からバスケットボール大の火球が飛び出し、布に着
弾した。炎は布を燃やし尽くし、空中へ消えるかと思われたが、何
事もなかったかのように俺の手にぶら下がっていた。焦げ跡もない。
﹁おお! 燃えておらぬ!﹂
国王が身を乗り出し、リンゴ・ジャララバードが目を細め、皇太
子とササラ・ササイランサが驚きの声を上げる。
ただの布が下位中級の攻撃魔法を防御したのだ。これは驚くよな。
﹁エリィ・ゴールデン、その布はなんだ﹂
リンゴ・ジャララバードがずいと一歩近づいてくる。
﹁新素材を使った布ですわ。通常、下位中級の魔法を防御する場合、
強力な素材や特殊な縫製技術を使用する必要があります。例えばミ
スリル。ミスリルをふんだんに使った鎧であれば下位上級の攻撃な
らものともしない、と言われております。ですが、あまりにも重い。
それこそ、リンゴ・ジャララバード様のように屈強な方にしか装備
できませんわ﹂
﹁そうだ。あれは全身鎧ともなれば五十キロはくだらん﹂
﹁ミスリル繊維を使ったコートやローブも同様です。重くて、繊維
が直線的なため形が変わりにくく、動きづらい。シールド騎士団で
採用されていないのはそのせいでしょう?﹂
﹁ああ、そのとおりだ﹂
﹁それに高価すぎます。一着五十万ロンから百万ロンでは、一般兵
1847
士や一般人には手が届かない代物ですわ﹂
これはミスリル防具の弱点だった。
鎧にするには重く、服にするには素材が硬すぎる。そして値段が
高い。
それでも根強い人気があるのは、これに変わる防具がないことだ。
鉄より硬く、魔法防御力が高い。未だにミスリルハーフプレートや、
ミスリルコートは需要がある。どちらかといえば、ミスリルは武器
で利用するべき素材だ。これに取って代わる商品が現れれば、瞬く
間にミスリル防具は廃れるだろう。
対するこの新素材は安価であり、軽い。
ゴールデン家の所有する鉱山から﹃魔石炭﹄という燃料鉱石が出
土する。この﹃魔石炭﹄は燃料になるんだが、灰と煤が尋常でなく
出るので、貧乏人の暖房器具の燃料という位置づけになっていた。
火を扱う大きな工場では、安価なため大量に使用される場合もある
が、その需要はいまいち、と言わざるを得ない。
この何の取り柄もなくただ安い﹃魔石炭﹄。とある酔狂な魔法使
いが、燃えが悪いからと上位炎魔法で﹃魔石炭﹄を加熱した。普通
はそんな勿体ないことはやらない。上位魔法といったら魔力をかな
り使用するので、他に使うシーンがいくらでもあるのだ。
結果、不純物が綺麗に燃えて新しい素材になった。
どうやら﹃魔石炭﹄には、優れた魔法素材が混入していたらしい。
上位炎魔法の力が加わって、うまく不純物が取り除かれたようだ。
ゴールデン家の領地で起こった出来事だったためクラリスの耳に
入り、この素材には何かあると睨んだ彼女は、コバシガワ商会での
実験を始め、魔法防御に優れた優秀な素材だと突き止めた。
1848
そこからは早かった。すぐさまミラーズで新しい生地にならない
かと試行錯誤され、﹃魔石炭﹄は瞬く間に夢の素材へと変貌した。
なんといっても原価が爆裂に安い。ミスリルに対抗できる素材とあ
れば、予想される利益は莫大なものになる。
現在も、ミラーズとコバシガワ商会で開発部が発足され、目下実
験中だ。
昨日、新素材の発見経緯を聞いて心が踊ったぜ。こういう偶然か
ら新しい物ができるのって、何かいいよな。地球じゃなかなか味わ
えない。
﹁この商品はまだ完成には至っておりませんが、グレイフナー国民
が洋服に注目したおかげで、こういった新しい素材の芽が出てまい
りました。わたくしはミラーズを通じて、最終的には防御力が高く、
オシャレで親しみやすい洋服を作りたいと思っております﹂
そう言って、四人の観客へレディの礼を取った。アリアナも、ち
ょこんとスカートの裾をつまんでいる。きゃわいい。
﹃オシャレ力×防御力﹄
これこそがこの異世界における洋服の最終形態だ。
いまはその技術がないため、先にオシャレ力を浸透させるべく防
御力が低い商品で商品を売り出している。しかし、いずれはこの形
に持っていきたい。社会貢献と金稼ぎ。これぞビジネス!
﹁その第一歩として、王国劇場をお借りしとうございます﹂
﹁おもしろい! 許可する!﹂
1849
国王がおもちゃを見つけた子どものように手を叩いた。気持ちい
いぐらい決断が早い。新しい物好きの人でほんとよかったぜ。
﹁但し条件がある!﹂
﹁なんなりと﹂
﹁新素材完成のあかつきには、朕の防具を真っ先に作れ。よいな!﹂
﹁お安いご用ですわ﹂
﹁さらに王国側も一枚噛ませてもらうぞ﹂
やっぱそうなるよなー。開発費を出資してもらう口実ができたか
ら良しとしよう。最終的には新製品のマージンを王国側に支払うこ
とになるだろうが、問題ない。というより、敵がいる今、後ろ盾に
王国が付いてくれる意味は非常に大きい。
﹁して、どういった素材を使っているのだ﹂
﹁それは企業秘密、ですわ﹂
﹁ほう﹂
﹁おいエリィ・ゴールデン。国王様がお聞きになっておられるのだ、
答えろ﹂
リンゴ・ジャララバードが大胸筋をビクビク震わせながら一歩前
に出てきた。視線だけで木っ端役人が逃げていきそうな、恐ろしい
顔つきをしている。
それを受けて、俺はぶりっ子が困ったときにやる、ぷく∼っと頬
を膨らませるわざとらしい怒った表情を作った。他の女がやると頭
を引っぱたいてやりたくなるが、やらなそうなエリィがやると、破
壊力が凄まじい。
﹁ぐっ⋮⋮!﹂
1850
リンゴ・ジャララバードがうろたえて一歩後退した。
見たか、ぶりっ子エリィちゃんの威力を!
﹁ハッハッハッ! あきらめいリンゴよ。おぬしはこのおなごに勝
てぬ﹂
﹁しかし!﹂
﹁よい! このおなごは大した商売人だ。こちらとしても懐は痛ま
ぬ﹂
﹁⋮⋮御意に﹂
﹁おい!﹂
国王が一声叫ぶと、またしても高速前転で犬獣人の事務員が現れ
た。言付けを得ると、彼は高速後転で消えていった。この間なんと
十三秒。素早いっ。
﹁あとで契約書を送る。確認せよ!﹂
﹁国王様の寛大なお心に感謝いたしますわ﹂
﹁それとだ、まったくの別件で提案がある!﹂
﹁なんでございましょう﹂
先ほどから静かに成り行きを見ていた国王の息子、皇太子が一歩
前に出た。
茶髪を短めに揃え、眉はきりっと一直線に伸び、目鼻立ちもしっ
かり整っている。将来が有望そうな若者だ。
彼は右手を胸に当て、足を引いて頭を下げた。
﹁お初にお目にかかりますエリィ嬢。私は皇太子ディル・グレイフ
ナーと申します﹂
﹁エリィ・ゴールデンでございます﹂
1851
こちらもスカートの裾をつまんでレディの礼を取った。
﹁単刀直入に申し上げます。ひと目あなたを見て、この世に女神が
いることを初めて知りました。私と結婚していただけませんか﹂
ディル皇太子は恭しく右手をこちらに差し出した。
﹁なっ⋮?!﹂
﹁ええっ!!﹂
﹁ほっほっほ﹂
﹁殿下!﹂
﹁まあっ!﹂
唐突なプロポーズに、アリアナとクラリスが驚きで口を半開きに
し、ポカじいが笑い、リンゴ・ジャララバードが驚愕で顔を歪め、
ササラ・ササイランサがこのときばかりは女性らしく頬を染めた。
突然の告白を受け、みるみるうちに顔が熱くなっていく。
あわてて深呼吸を繰り返した。大丈夫、動揺するな、とエリィに
言い聞かせ、返事の言葉を脳内で反芻させる。何となく、頭の中で
エリィが﹁恥ずかしいっ﹂と身悶えている気がするが、たぶん気の
せいだと思う。
そんなことを脳内で繰り広げていると、全員がどう返事をするか
俺のことを見つめてくる。
ディル皇太子は右手を差し出したまま、身動きをせずに微笑みを
浮かべている。背景に薔薇でも散らしたら、さぞ絵になることだろ
1852
う。この皇太子なら剣でもいいな。文武両道のエリートって雰囲気
だ。
冷静に分析していたら顔の火照りが収まってきた。エリィの身体
が落ち着いた瞬間を見計らい、俺は満面の笑みを浮かべて皇太子に
こう言った。
﹁イヤですわ﹂
思わぬ俺の断定的な口調に、周囲は氷魔法を食らったかのように
動きを止め、信じられない、とばかりに口を広げて首を前方へと突
き出した。
1853
第5話 お断りするエリィ
﹁イヤですわ﹂
心の底からそう言った。
﹁ななっ⋮?!﹂
﹁えええっ!﹂
﹁ほっほっほ﹂
﹁で、殿下⋮⋮!﹂
﹁あらら⋮⋮﹂
アリアナとクラリスが驚きでなぜか身構え、ポカじいは笑い、リ
ンゴ・ジャララバードは上腕二頭筋と上腕三頭筋を緊張させ、ササ
ラ・ササイランサは残念そうに首を振った。
まさか皇太子も、こうもはっきりと断れると思っていなかったの
か、顔を引き攣らせ、出した右手を引っ込めるタイミングを失って
いる。
ディル皇太子は次期グレイフナー国王。将来は安泰だと思うが、
これがエリィの幸福に繋がるとは思えない。エリィにはもっとこう、
自由恋愛で相手をゲットして欲しいんだよな。
それに、落雷魔法使用者を身内に取り込もうという国王の意図が
透けて見える。息子の感情も計算に入れて、エリィを王国サイドに
取り込もうって腹だろう。王国の求心力を高めたり、都市防衛のマ
スコットにしたりと、伝説の魔法を使える女の子が皇太子の嫁にな
るとなれば色々と利用価値も高い。さすがに抜け目がないな。
1854
まあ何だかんだと告白したところで今は俺がエリィなわけだから、
脈があるもクソもねえ。だって俺、男だからな。ムリなものはムリ
っ。
﹁朕は賛成だ! ダメか?﹂
﹁はい。ダメですわ、国王様﹂
﹁ディルよ、失恋したな﹂
﹁父上!﹂
茶化すように肩を叩く国王に、ディル皇太子は批難の目を向け、
すぐさまこちらに振り返った。
これはラブコメパターンの波動?!
﹁エリィ嬢⋮⋮では友人の間柄から始めませんか?﹂
﹁ううーん﹂
﹁私は誰よりもあなたを大切にします﹂
﹁ほんとかしら﹂
﹁本当ですとも! あなたのためなら幾千の魔物を打ち砕き、幾万
の魔法を創造しましょう!﹂
﹁あら、それはすごいわ。でも⋮⋮できるかしら⋮⋮?﹂
﹁何か心配事がおありですか、エリィ嬢?﹂
結構な必死具合で皇太子が詰め寄ってくる。勝手に手を握ってく
るので、やんわりと離し、人差し指を唇に当てて思案顔を作る。
あぶないあぶない。男に触れられるとエリィの顔面がすぐトマト
色になって、ラブコメ一直線だ。ラブコメするなら男に戻って可愛
い女の子としたい。本気で。
1855
ともあれ、これは有力者が懸想する相手に愛を育むという名目の
下、お願いを聞いてくれる流れじゃないか? タダでは転ばない小
橋川流。ラブコメパターンを逆手に取って、こちらの目的に話題を
寄せていく作戦でいくぜ。
﹁とある魔法の研究を始めようと思っていますの﹂
﹁おお! それはどんな魔法でしょうか。友人として、私にできる
ことがあれば言ってください。幾らでもお手伝い致しましょう! 友人として!﹂
やけに友人を強調してくる皇太子。
食いつきがすごい。これならいける。
﹁私が研究したいのは転移魔法ですわ!﹂
﹁て、転移魔法⋮⋮?﹂
﹁ええ、そうです。手がかりはあるのですが︱︱﹂
﹁それは本当か!?﹂
今度はリンゴ・ジャララバードが食いついてくる。
いいぞ。このまま転移魔法のことを調べてもらう流れでいける。
王国主体なら相当金のかかる実験もできるはずだ。なにより、転移
魔法が完成すれば未曾有の移動革命が起きるし、新しい文明の発展
に繋がるかもしれない。王国にとっても悪くない投資だろう。
﹁ええもちろん。こちらにいる砂漠の賢者様に教えてもらった、召
喚魔法の補助魔法陣を持っております﹂
﹁ほう! 召喚魔法の補助⋮⋮ちょっと待て。砂漠の賢者だとっ?﹂
さらりとポカじいを紹介した。
国王が本当にいいリアクションをしてくれる。合わせてリンゴが
1856
訝しげにポカじいを睨みつけ、皇太子が二人の視線に合わせて首を
向けた。
じいさんは小難しい顔付きで、ササラ・ササイランサの騎士服の
ぴっちりしたズボンを押し上げている尻を見つめ続けている。いや、
暇なのは分かるがもう少し自重してくれ。
﹁うむ、暴れん坊でやんちゃな尻じゃ﹂
﹁うそっ!?﹂
ササラ・ササイランサが回りこまれたことに気づいて、両手で尻
を隠しながら飛び退いた。銀の鎧がガチャリと音を立て、右手に持
っていた兜が赤絨毯に落ちた。
﹁ササラが後ろを取られた、だと?﹂
一番驚いていたのは、リンゴ・ジャララバードだった。
⃝
その後、ポカじいが砂漠の賢者だという説明をした。
国王達がわりとあっさり認めたのは、落雷魔法を使う俺が弟子入
りしていることと、その実力をリンゴ・ジャララバードが認めたこ
とだ。勘の鋭いササラ・ササイランサが背後を取られた事実も大き
い。
リンゴ・ジャララバードはポカじいを見た瞬間から、その強さに
気づいていたようだ。さすがに砂漠の賢者だとは思わなかったらし
く、それが分かってから是非とも手合わせしたい、と願い出たがあ
1857
っさり断られた。ササラ・ササイランサも同じ進言をし、ポカじい
が条件として尻を触らせてくれと、さも当たり前のごとく提案した
ので、彼女は無言になった。
﹁わしも無理にとは言わん。ただ、どうしてもというならば、尻を
対価として手合わせしてやってもよい。古来よりこのような言葉が
あるのじゃ﹂
̶̶尻を触れば桶屋が儲かる
﹁この世は何気ないことにも関連があるということわざじゃ。すべ
ての事象には連続性がある。体術然り、魔法然り、尻然り。いまわ
しがここでおぬしの尻を触ることに、おぬしは納得できぬじゃろう
が、いつの日かその意味を見出だせるときがくるじゃろう。だから
電打
エレキトリック
のぅ。尻をわしに触らせ、認めるべきなのじゃ、己の若さ︱︱﹂
̶̶
﹁若さサササササササササササササィランシリリリィィッッ!!﹂
スケベじじいは矢を放たれたあとの弓の弦のように震えながら痙
攣し、キリキリと回転して、うつ伏せで赤絨毯へ倒れた。当然、黒
焦げでアフロヘアーだ。両手両足が見事に九十度曲がり、ブロック
のおもちゃみたいになっている。
1858
﹁⋮⋮﹂
国王、リンゴ、ササラ、ディル皇太子、アリアナ、クラリスが非
常に残念なものを見る眼差しでポカじいを見下ろした。
﹁スケベは⋮めっ﹂
アリアナが冷酷な視線を向けながら、ササラ・ササイランサをか
ばうように立った。ササラはアリアナを可愛いと思ったのか、顔を
赤らめて頬の筋肉を緩めた。
﹁因果応報でございます﹂
クラリスが静かにつぶやき、メイドとして完璧な一礼をする。
うん。尻を触る触らないの問答で話が逸れるパターンにも慣れた
な。
ということで、何事もなかったかのように絨毯のオブジェとなっ
たポカじいをよそに話を進めた。
転移魔法の研究は、エリィとの距離を縮めたいディル皇太子が俄
然乗り気だ。魔導研究所へ解析を依頼してくれる運びになり、皇太
子が公務のかたわら、顧問として進捗具合を見てくれる。エリィマ
ザーも魔導研究所にお願いする、と言っていたので、トップダウン
がより強烈になったわけだな。
マザーにはあとで皇太子のお墨付きをもらった旨を伝えておくか。
話を聞く限りだと、転移魔法陣の研究は昔から行っていたようで、
手がかりがなく研究が頭打ちになっていたらしい。俺が持ち込んだ
情報で、新たな資金が投入される運びとなった。魔導研究所の職員
1859
が歓喜して研究に打ち込んでくれそうだな。
﹁国王様。複合魔法については情報共有をお願いしたいですわ﹂
﹁して?﹂
二文字だけを発して国王は片眉を上げた。
して、それはどういう意味だ、と言っているらしい。さすがせっ
有事
が起きると、複合魔法の使用者が集まる、と先ほど仰っ
かちな国王。
﹁
ておりました。王国側で使用者を見つけた場合、私に教えていただ
けないでしょうか。何かが起きるのであれば、他の複合魔法使いと
協力体制を取らねばなりません﹂
﹁それは朕も思っていたところだ﹂
﹁ポカじい、少し話してもいいかしら?﹂
電打
から復活したポカじいは、逡巡した後うな
エレキトリック
﹁ふむ。魔法名の開示ぐらいならええじゃろ﹂
いつの間にか
ずいた。わかっちゃいるけど回復がはええよ。
ポカじいに礼を言い、国王に向き直る。
周囲の反応を見る限り、他の複合魔法を知らないようだ。
﹁いま分かっている複合魔法は、﹃生樹魔法﹄﹃天視魔法﹄﹃無喚
魔法﹄﹃時刻魔法﹄と私が使える﹃落雷魔法﹄ですわ。他の効果や
効力は不明ですが、名前が名前なので、すべて強力無比だと考えら
れます﹂
﹁な、なんと! それは重大な情報だ!﹂
国王が叫び、ディル皇太子、リンゴ・ジャララバード、ササラ・
1860
ササイランサが驚愕して顔を引き攣らせる。
﹁エリィ・ゴールデンよ、他の人間に話してはおらんな?﹂
﹁数人が知っております。信用できる友人達なので問題ございませ
ん﹂
﹁ならよい。ふむ⋮⋮そうか⋮⋮他の魔法はそのような名前なのだ
な﹂
国王はいかめしい表情を作ると、マントをひるがえした。重厚な
マントが目の前で通り過ぎ、軽い風が巻き起こる。
﹁いいぞ! 朕の代で謎が解き明かされていくとはな! 愉快だ!
これは愉快だぞ!﹂
﹁それは何よりですわ﹂
笑顔で返事をしておく。
もちろんとびきりの営業スマイルで。
とやらには興味がない。むしろ、危険なにおいがぷんぷん
俺の目的は、ずばり、転生するための魔法をゲットすることだ。
有事
するのでどうにかして避けたいところだ。
複合魔法でも特に、﹃生樹魔法﹄﹃天視魔法﹄の使用者に会いた
い。名前がそれっぽいから、人間の中身を入れ換える的なぶっとび
の情報開
魔法があってもいいはずだ。というより、そんな魔法であることを
複合魔法の種類と名前
切に願う。頼む。まじで頼むっ。
こちらの手持ちカードである
示をしたので、王国側への要求は通りやすくなった。
﹁相わかった! どのような情報でもおぬしに与えよう!﹂
1861
﹁こちらも何か発見次第、すぐにご報告いたしますわ﹂
﹁おう! おう! これは愉快だ! なあリンゴよ!﹂
﹁で、ありますな﹂
リンゴ・ジャララバードは複合魔法の名前を吟味しているのか、
丁寧に礼をしつつも眼光が鋭い。
国王の言質が取れたので、グレイフナー王国は複合魔法使用者の
情報を共有してくれることになった。ユキムラ・セキノに憧れや崇
拝の念を抱いているグレイフナー王国にとって、複合魔法の使い手
は神聖な魔法使いという位置付けだ。俺に偽の情報をつかませたり
はしない。これだけでもかなり安心だ。
自分で調査をしつつも、王国側に情報が入ればこちらに流してく
れる。
最高の形だな。
それから国王は、俺が落雷魔法使用者だという情報の入ったルー
トを教えてくれた。情報源はパンタ国だ。確か、山脈を挟んで隣に
ある国で、グレイフナー王国とは友好国だったはず。パンタ国の国
王は大熊猫族で、身体強化の使い手だそうだ。パンタ国の王パンダ。
なんか海外のB級映画の題名っぽい。
しかも驚いたのが、パンタ国は﹃無喚魔法﹄と縁のある国だって
ことだ。ユキムラ・セキノの仲間、アン・グッドマンという人物が
使い手で、無喚魔法使用者に託している置き手紙もあるらしい。な
んだか、ちょっとずつ事の真相に近づいている気がして気分がいい
ぜ。
にしてもやはり王国の情報網は侮れない。
1862
敵に回すのは絶対にないな。このまま友好関係を保つ方向でいこ
う。
それから、パンタ国王に会うタイミングがあったら、是非とも無
喚魔法について聞きたいところだ。
そんなこんなで話し込んでいると、犬の事務員が高速前転でやっ
てきて謁見の時間が押していると伝えた。国王は不満そうであった
が、話もそこそこに俺とクラリス、ポカじい、アリアナは王宮を後
にし、バリーが御者をする馬車に乗り込んだ。
⃝
巨大宣伝ポスターの許可、ファッションショー会場の確保。さら
には転移魔法にまで話がおよび、こちらに利する方向へと内容が傾
いてきている。これはいい兆候だ。
﹁こちらの目的は果たしたわね﹂
﹁はい。王国劇場が借りれるとは思っておりませんでした﹂
﹁犬の事務員さんに聞いたら、スケジュールがカツカツだったけど
ね﹂
﹁準備をすればどうとでもなりましょう﹂
クラリスが頼もしく答えてくれる。
王国劇場は首都グレイフナーで由緒ある多目的ホールだ。収容人
数があまり多くないものの、一番街のグレイフナー通りにあって立
地がよく、知名度が高い。ここでファッションショーをやれば、さ
ぞ人が集まるだろう。しかも、通りを歩くのが困難になるほど観光
1863
客が押し寄せる魔闘会開催期間中だ。この場所を、朝から昼の三時
まで借りれた意味は大きい。
﹁何も言っていなかったけど、クラリスは私がやることを予想して
いたの?﹂
﹁モデルを一般公募、というフレーズを呟かれていたので、コンテ
ストのような催し物をやるのでは、と考えておりました。それが、
洋服の宣伝ショーだとは思いもしませんでした。さすがお嬢様でご
ざいます﹂
﹁ふふ、でしょう?﹂
﹁はい、お嬢様﹂
﹁じゃあ準備は整ったから、四月二十日発売の﹃Eimy﹄の一ペ
ージを使って、モデルとデザイナーを募集する要項を載せましょう。
巨大ポスターは﹃Eimy﹄の発売が終わったら﹃Mirrors
ファッションショー・五月十二日︵魔闘会中日︶に開催!﹄に切り
替えて魔闘会当日まで飾っておくわ﹂
﹁かしこまりました。ですが、読み手の準備期間が三週間になって
しまいます。短い期間で、新規デザイナー達のデザインと縫製が間
に合うでしょうか?﹂
﹁それとなく噂を流しておきましょう。ジョーとミサの話しによれ
ば、就職希望の売り込みがひっきりなしに来ているみたいだし﹂
﹁話題作りになりますね﹂
﹁そうね。今後、こういった情報はある程度こちらで調整していく
べきだと思うわ。流行に感化されている人達へ、﹃ホントかウソか
は分からない。あのミラーズが新しいモデルとデザイナーを募集す
るとかしないとか⋮⋮﹄みたいな噂を流しておいて、雑誌で発表す
れば、ただ公表するより盛り上がるでしょうね﹂
﹁次から次へとよく思いつかれますねぇ。もともとお嬢様は賢いお
方でしたが、このクラリス、心の底から驚いております﹂
﹁そうね。雷に打たれてから頭が冴えるのよ﹂
1864
嘘ではない。ほんとでもないけど。
大丈夫だよね、と心配そうにアリアナが見つめてくる。
アリアナは優しいよなぁ。両手を彼女の頭に置き、狐耳をもふも
ふしておく。
﹁お嬢様がお元気であれば、わたくしは何も申し上げることはござ
いません﹂
﹁私もです、お嬢様﹂
御者席の小窓を開けて、バリーが会話に割り込んでくる。やっと
窓を開けることを覚えたか。いい加減、顔面をガラスに張りつける
アレは心臓が止まるからな。
﹁ありがとう二人とも。バリーは前を向いて運転してね﹂
﹁かしこまりました﹂
一先ず、広告の許可と、王国劇場の借用はクリアした。これでス
ケジュールが組めるな。
﹁これからの流れを説明しておくと、雑誌に掲載する洋服の選定、
新コーナーの打ち合わせ、巨大ポスターの作製の三つを同時進行。
パンジー・サウザンド嬢に面会してこちらに引き込み、サークレッ
ト家の牽制を依頼する。頓挫した場合の代替案として、契約打ち切
りになるとまずい縫製技師に先んじて会っておきましょう。ミスリ
ル繊維の仕入れ値が上がって取引を打ち切るより、こちらとの取引
継続を優先するほうが、利益が見込める、とプレゼンテーションす
れば契約の時間稼ぎができるわ﹂
﹁ぷれぜん⋮⋮?﹂
﹁ああ、要はお店向けの宣伝みたいなものね﹂
1865
﹁なるほど。スケジュールに組み込みます。店の選定はこちらで行
出張
が長かったからこちらの事情が詳しく分からないわ。ク
いますか?﹂
﹁
ラリスにお願いするわね﹂
﹁ではそのように﹂
﹁その後は、雑誌の撮影をし、終わったらファッションショーの衣
裳作りと、ショーの計画。会場で売り出す服も頼んでおかないと。
それから私とアリアナは魔闘会に出場するから、訓練もしなくちゃ
ね﹂
﹁そうだね⋮﹂
﹁おもしろいのぅ﹂
俺とアリアナは顔を見合わせて笑い合い、ポカじいが目を細めて
話に聞き入っている。
﹁お、お嬢様が⋮⋮魔闘会に出場? それは本当でございますか?﹂
クラリスがわなわなと震え、すがるような視線を向けてくる。
﹁ええ。お父様とお母様にはまだお話していないけど⋮⋮﹂
﹁それはよろしゅうございます! たいっへんよろしゅうございま
す!﹂
拳を握りしめ、馬車のガラスが割れんばかりにクラリスが絶叫し
た。
あまりの大音声に俺とアリアナは席からずり落ちそうになり、ポ
カじいが手を取って咄嗟に支えてくれた。アリアナは狐耳をぺたん
と倒して、目をびっくりさせている。
﹁お嬢様! 我がゴールデン家は魔闘会五連敗中でございます! 1866
お家がはじまって以来の屈辱的連敗ッ! どうにかしてエリィお嬢
様に出場願えないかと気を揉んでいたところでございました!﹂
﹁まあ⋮⋮﹂
﹁ぐおぅっ⋮⋮ぐおぅ⋮⋮っ!﹂
御者席からバリーの嗚咽が聞こえる。余程悔しいのか、得意の﹁
おどうだば﹂も言えず、席の手すりを拳で叩いている。二頭の馬が
驚いていななき、すれ違う馬車の御者がぎょっとした顔を向けてい
た。とりあえず、泣くのはあとにして前を見て運転してほしい。
﹁旦那様にはわたくしから進言いたします! ご出場を決心してい
ただき、全領民を代表して御礼申し上げます!﹂
馬車内で深々と頭を下げるクラリス。
改めて魔闘会の重要性を認識させるな。グレイフナー王国の貴族
にとって魔闘会の勝敗は死活問題だ。しかもゴールデン家の領地は
ちょうど100個。今回負ければ領地数が二桁になってしまう。
﹁ご存知かとは思いますが、旦那様は定期試験761点の実力。で
すがお身体がすぐれず、現在の実力は600点後半でございましょ
う。領地にいる私兵の中で、一番の猛者が688点。エドウィーナ
お嬢様、エリザベスお嬢様は戦いの訓練を受けておりませんし、エ
イミーお嬢様は戦いに不向きな補助魔法が得意でございます﹂
﹁領地経営している親戚で強い人はいないの?﹂
﹁おりません。実力は今の旦那様とどっこいどっこいでございます。
奥様が出場できれば万々歳なのでございますが、諸々のご事情で魔
闘会には常に不参加と相成っております。以上のことから、エリィ
お嬢様がご出場されなければ、負けは必至でございます。お嬢様こ
そゴールデン家の救世主ぅっ!﹂
﹁とはいっても、私だって絶対に勝てるか分からないわよ﹂
1867
﹁昨夜、ポカ老師との訓練を見て、わたくしは確信いたしました。
今のお嬢様ならば850点は取れるでしょう! わたくしの目に狂
いはございません! 勝てます!﹂
﹁クラリスがそこまで言うのなら申し込み等の手続きは任せるわ。
魔闘会の対策もあとでじっくりやりましょう。やるからには絶対勝
つわよ。あと、とてつもなく顔が近いわ、クラリス﹂
﹁お任せください!﹂
﹁がんばろう⋮!﹂
クラリスが喜色満面で頭を下げ、アリアナが小さい手で拳を作っ
て、むんと気合いを入れた。
俺が闘っているときの応援が恐ろしいな。バリーと使用人達が、
応援しながら相手方に野次を飛ばしまくるのが想像に難くない。物
騒なことになりそうだ。
﹁たまには魔闘会の見物もええじゃろう﹂
ポカじいが飄々とした声色で言う。
﹁しばらくは落雷魔法なしの対人戦闘の訓練をしたほうがよさそう
じゃの﹂
﹁お願いします﹂
﹁うむ。十二元素拳も次の段階に進むべきじゃろうな。よかろう﹂
﹁奥義を教えてくれるの?﹂
﹁ほっほ。まだまだ無理じゃの﹂
﹁あら残念﹂
﹁スケジュールを上手く調整しないとお嬢様がくたくたになってし
まいますね。わたくしにお任せください﹂
﹁クラリスがいてくれてよかったわ﹂
1868
魔闘会まで、売れっ子アイドルばりの過密スケジュールになる。
正直、自分一人でこれほどの時間管理は難しい。できなくはないが
スケジュール管理だけで消耗しそうだ。
クラリスにペンと手帳を借り、簡単にやることリストを作ってお
く。
馬車が揺れるので、アリアナが横から手帳を支えてくれた。
まずは最初に作ったリストを思い出し、書きだした。
たしかこんなんだったはずだ。
最優先、ダイエットする。
その1、ボブに復讐する。
その2、孤児院の子どもを捜す。
その3、クリフを捜す。
その4、怪しげなじじいを捜す。
その5、日本に帰る方法を探す。︵元の姿で︶
ダイエット、孤児院の子どもを捜す、怪しげなじじいを捜す、の
三つはクリアだ。
残りの三つに、新しい予定を追加するか。
考えると、かなりやることが多いな⋮⋮。
重要度で﹃緊急﹄と﹃魔闘会まで﹄と﹃継続﹄に分け、﹃緊急﹄
にだけ優先順位を付けておく。
﹃緊急﹄
1、パンジー・サウザンド嬢を取り込む
2、大口の縫製技師に会う
3、雑誌の方向性を決める
1869
4、巨大ポスター作製
三月前半にこの四つは終わらせておきたい。
あとは、魔闘会までにやるべきことと、継続してやるべきことだ。
﹃魔闘会まで﹄
・魔闘会に向けての訓練
・ファッションショー用新商品の開発
・孤児院の子ども達の今後について
﹃継続﹄
・ボブに復讐する
・クリフを捜す
・新素材開発
・タイツの開発
・転移魔法の開発手伝い
・セラー神国の調査
・日本に帰る方法を探す。︵元の姿で︶
ざっとこんなもんかな。進捗具合を見て﹃緊急﹄﹃魔闘会まで﹄
﹃継続﹄変更が必要になりそうだ。細々した予定はクラリスと相談
するか。
忘れちゃいけないのが、子ども達の進路と住む場所だ。頭の良さ
そうな子は訓練して会計士や事務員として雇ってもいい。全員、魔
法の適性はあるから、十二歳になったら魔法学校に通ってもらって、
コバシガワ商会に就職してもらってもいいな。
商会の資金がもっと集まったら、孤児院を経営しようと思う。こ
こまでくると孤児院の存在が他人事とは思えない。どんなにグレイ
フナーが栄えているとしても、孤児は出てしまうものだ。まさか異
1870
世界で孤児院の経営をしようと考えるなんてな。人間、何があるか
分からないもんだ。
あとは、セラー神国の動向だ。
あいつらが何を企んでいるのか目的をはっきりさせ、対策を打ち
たい。念のため、国王にはセラー神国の行いは話しておいた。あの
感じからすると、だいたいの事柄は把握していたようだ。やはり、
魔改造施設の襲撃から情報が漏れているらしい。
﹁前に話していた、諜報部の設立ってどうなっている?﹂
﹁わたくしの親戚に役者がおりまして、掛け持ちでやらせておりま
す﹂
﹁役者? それはいいかもしれないわ﹂
﹁ちょうどセラー神国で公演があると言っていたので、向こうの状
況を見るよう言ってあります﹂
﹁最新の情報や雰囲気だけでも分かると助かるわ﹂
諜報部は前から設立したいと思っていた。地球と比べて、ネット
や通信機器がない異世界は情報収集が難しい。人づてにしか入って
こないため、他店情報や、他国情報を仕入れる部門は必須だろう。
﹁追加で新入社員を諜報部に数人割り振る予定です﹂
﹁あら! どれぐらい新入社員を確保したの?﹂
複写
コピー
﹁二十五人です。追加の短期雇用で火魔法ができる魔法使いを十名
ほど。今後、雑誌の発行部数が跳ね上がりますので、先に
ができる人材を囲っておきました﹂
﹁素晴らしいわね。さすがはクラリス﹂
﹁お褒めに預かり光栄です﹂
嬉しそうな顔でクラリスが一礼する。優秀すぎて助かりまくるぜ。
1871
﹁あ、そうそう。アリアナにもお願いしたいことがあるのよ﹂
﹁なに⋮?﹂
﹁コバシガワ商会でアルバイトしない? 確かアリアナは、近所の
酒場でウエイトレスをしてたわよね。また学校に通いながら続ける
予定?﹂
﹁そうだけど⋮﹂
﹁モデルになってほしいのよ﹂
﹁ん⋮?﹂
彼女は首をかしげて、パチパチと瞬きをする。
がたん、と馬車が揺れ、アリアナがこちらにもたれかかってきた。
手帳を椅子に置き、それとなく狐耳をもふもふしておく。
﹁今のアルバイトよりお給料は弾むわよ。私の構想では、次の雑誌
には獣人のモデルが絶対必要なのよ。お願いできないかしら﹂
﹁私にできるかな⋮?﹂
﹁できるわ! むしろあなたができないなら誰がやるの、って言う
感じね! そう思うでしょう?﹂
クラリスとポカじいに会話を振ってみる。
﹁さようでございますね。アリアナお嬢様は首都グレイフナーでも、
一二を争うお美しい女性かと﹂
﹁ほっほ。アリアナはめんこいのぅ。尻もいい尻じゃ﹂
﹁そう思うでしょう! ポカじいはさらっとセクハラ発言しないで
ちょうだい﹂
﹁エリィのお願いなら⋮いいよ﹂
﹁まあ! ありがとう!﹂
1872
恥ずかしいから無理、って断られると思ってた。めっちゃ嬉しい。
﹁エリィも一緒にやるんでしょ⋮?﹂
﹁私も?﹂
﹁あれ、違うの?﹂
きょとんとした顔でアリアナが見つめてくる。
そうか。全然考えてなかったが、エリィがモデルになってもいい
のか。他のモデルを集めることばかり考えていたから気が回らなか
った。よく考えれば、可愛いしスタイルいいし、エイミーの妹だし、
出ない手がないな。ちょっとばかし小っ恥ずかしいが、やるか。数
ページの撮影ならエリィも赤面しないだろう。考えてなかった俺、
アホすぎる。そんでもって、女になって異世界来てモデルやるとか
どんなファンタジーだよちくしょう。
本当なら、エリィがモデルをやっている姿をこの目で見たいとこ
ろだ。
﹁ええ、一緒にやりましょう!﹂
﹁ん⋮﹂
﹁わたくし、五冊買います!﹂
﹁俺は十冊買うぞ!﹂
アリアナがうなずいて、クラリスとバリーが早くも買い占めを企
んでいる。いや、あんたらいつも近くにいるじゃん⋮⋮まあ身内が
雑誌に出るって言ったら買いたくなるのが心情ってもんか。バリー
は本気で十冊買いかねない。あとで釘を刺しておこう。
﹁じゃあよろしくね、アリアナ﹂
﹁うん﹂
﹁獣人の服装にも革命が起きるかもしれないわよ﹂
1873
﹁ほんと⋮?﹂
﹁ええ!﹂
﹁それはやりがいがある⋮﹂
アリアナと手を取り合って、上下に振った。
彼女のスカートから出た尻尾が、ふりふりと揺れている。
﹁お嬢様、このあとはどうされますか?﹂
クラリスが興奮冷めやらぬといった様子で尋ねてくる。
﹁ミラーズへ行くわ。店がどれくらい変わっているか見たいの。あ
と、サウザンド家には手紙を出してくれたかしら?﹂
﹁はい、お嬢様。パンジー・サウザンド嬢宛に、すでに手紙を出し
てございます。差出人はミラーズとし、デザイナーのエリィお嬢様
とジョー様の訪問許可を求める内容になっております﹂
﹁ありがとう。仕事が早くて助かるわ﹂
﹁おそらく、本日ないし明日には何らかの反応があるかと﹂
﹁それなら一度、家に帰って連絡が入っているか確認しましょう﹂
﹁その必要ございません。こうなるかと思い、ミラーズに飛脚を一
名待機させております。店に着き次第、ゴールデン家へ確認に行か
せます﹂
﹁手回しが良すぎて、クラリスなしでは生きていけなくなるわね﹂
﹁それは願ってもないことです﹂
満足気にクラリスが笑うと、馬車が大きく旋回しながら大通りを
曲がり、ミラーズがある路地へと入っていった。
1874
☆
首都グレイフナー、王宮から徒歩十分の場所にあるサウザンド家
の邸宅。
六大貴族であり、王国内の領地数順位二位の邸宅は、古めかしく
も気品と風格に満ちている。門前を通過する街人が、敬意を払って
一礼をしていく姿は数百年前から変わらぬ光景であった。
歴代の白魔法師を輩出してきたこの家は、血筋からか、過去から
現在に至るまで一人を除いて血縁者のすべてが﹁光﹂であった。レ
ア適性であり、白魔法を使える魔法使いが貴重なこの世界で、サウ
ザンド家が残した功績は煌めく星々のごとく輝いている。
万能の光
まで極め、冒険者協会の﹃奈落﹄攻略
飾り気のない執務室にいる痩身の男も、もれなく光魔法適性であ
り、白魔法上級
にも参加した強者であった。
彼は、孫のパンジー・サウザンド宛に届いた書状を見て、過去に
思いを馳せ、幾人もの怪我人を看てきた灰色の瞳を虚空へとさまよ
わせていた。
﹁まさかこのような形で関わりができるとはな﹂
﹁これも、契りの神ディアゴイスの囁きかと﹂
﹁⋮⋮導きではないのだな﹂
﹁ディアゴイスは導きません。慈しみと厳しさを与えてくれ、愛の
子ら、みずからの判断を促すだけなのです﹂
﹁放任主義のようなものか﹂
1875
﹁ある意味では﹂
神話に詳しい執事が丁寧にお辞儀をし、もったいぶるような遅々
とした動作でレターカッターを差し出した。
男は動作の遅さを気にしたふうもなく受け取ると、丁寧に手紙の
封を開け、中から便箋を取り出した。美しい筆記体で文字が並んで
いる。内容は思った通り、孫が熱を上げている件の洋服屋からであ
り、ゴールデン家の四女と、ミラーズのデザイナーがここに来る旨
が書かれている。丁寧な文章で面会の許可を求めていた。
何を思ったのか、男は唸り声とも咳とも取れる、くぐもった音を
喉で鳴らし、深いため息をついた。
﹁ゴールデン家の四女⋮⋮確か、光魔法適性者であったな。あやつ
に似ているのか?﹂
あやつ、と呼んだ男の声が、わずかではあるが強張ったのを執事
は聞き逃さなかった。彼はそれを踏まえたうえで回答をするべく思
考を巡らせた。
﹁まったく似ておりません。垂れ目で、かなり太っているとのこと
です。行方不明になっておりましたが、どうやら無事に帰ってこれ
たようでございます﹂
﹁垂れ目か。ゴールデン家の血筋であるな﹂
﹁次女のエリザベス嬢は、あの方の特徴を色濃く受け継いでおりま
す﹂
﹁そうか。いずれ、会ってみたいものだ﹂
﹁さようでございますか⋮⋮﹂
﹁そのような顔をするな。アメリアに未練はない﹂
1876
その発言事態に未練があると、いつもの彼なら気付くはずだった
が、認知できない娘であるアメリアとの繋がりが突如として現れ、
しかもその子どもが家に来ることに狼狽を隠せなかった。
若かりし頃、夢中になった女の顔が脳裏に蘇る。吊り目でキツイ
性格をしていた彼女は、愛情に深く、芯の強い美しい女だった。た
だの村娘であった彼女がアメリアを身籠った時点で、二人の恋は終
わり、彼はサウザンド家を捨てるか、彼女と人生を歩むかの選択を
迫られ、結果として家を取った。
その選択に後悔はない。どんな状況であろうと、サウザンド家を
捨てる選択など彼にはできなかっただろう。
ただ、六十をこえた年齢になった今でも、彼女との時間を思い出
すたび己の弱さを痛烈に感じ、虚無感が押し寄せてくる。
アメリアが十二歳になりグレイフナー魔法学校に入学すると同時
に、愛した女は死んだ。そのときも、彼はアメリアが無事卒業でき
るよう便宜を図るだけで、決して会おうとしなかった。どんな魔物
と対峙するよりも、あの女に似ているアメリアに会うことが恐ろし
かった。そして、女の死に顔を見て取り乱す自分を見られたくなか
った。
﹁いかがされますか?﹂
執事は、主であり、サウザンド家当主であるグレンフィディック・
サウザンドへ一礼した。このまま彼を放っておくと、いつまでも懐
古の念にとらわれ、追憶を止めぬだろう。
その言葉に思考を戻され、グレンフィディック・サウザンドは灰
色の瞳を執事へと向けた。彼の目に映る執事は、サウザンド家伝統
の防御力の高い厚手の黒上着と黒ズボンを身に纏い、一分の隙もな
1877
く姿勢を正して佇んでいる。かれこれ四十年の付き合いになるが、
執事の頭に白髪が交じっている様子を見つけ、自分も歳をとったな、
と漠然と感じた。
﹁許可しろ。だが、まず俺のところへ呼べ﹂
﹁かしこまりました。スケジュール的に、本日の夕刻がよろしいか
と﹂
﹁すぐに飛脚を送れ。パンジーにはそれとなく伝えておいてくれ﹂
執事は一礼すると、素早く部屋を退出した。
グレンフィディック・サウザンドは、いかんともしがたい喉の渇
きを覚え、手元にあったグラスに手酌でワインを注ぎ、ぐいと一気
に煽った。
執務室の大きな窓へ目をやると、孫のパンジーが育てた色とりど
りの花が見え、庭いじりをしている彼女の姿も見えた。愛らしく、
珍しい桃色の髪をした孫は、どうやら懸命に雑草を抜いているよう
だ。
﹁アメリアが光適性であれば⋮⋮﹂
間違いなく自分の娘であるアメリアが、なぜ光適性でなく火適性
なのかは分からない。過去にも未来にも、サウザンド家の男が女を
孕ませ、光適性以外の子どもが産まれるなどあった試しがなかった。
彼女を認知できない最大の理由はそこにあり、手をこまねいている
うちにアメリアはシールドに入団し、爆炎のアメリアなる物騒な二
つ名を手にして、気づかぬうちにゴールデン家のお坊ちゃんと結婚
してしまった。
花壇のわきで、孫のパンジーが桃髪を揺らしながら作業に没頭し
1878
ている。
﹁エリィ・ゴールデン⋮⋮﹂
グレンフィディックは、アメリアの子どもであり、四姉妹の中で
唯一の光適性者である孫が、どんな少女なのか思いをめぐらせる。
この出逢いにどのような意味があるのか考え、無駄な憶測をしてい
る自分に気づいて、やはり老いたか、と首を横に振り、ただ感傷に
浸っているだけだと思い直す。
窓の外にいた愛する孫がこちらに気づき、スコップを持ったまま
手を振ってきた。
グレンフィディックはすぐに破顔して手を振り返す。花壇の前に
いる孫のパンジーは手を振ってもらったことが嬉しかったのか、さ
らに大きく手を振った。後ろにいるメイドが転びやしないかとおろ
おろしている。グレンフィディックは苦笑して最後に一度手を振り、
窓に背を向けた。
彼の脳裏には、かつて愛した女の顔と、感情が高ぶると大きくな
る愛らしい吊り目が浮かんだ。そして、月夜に浮かぶ女の裸体と甘
い日常を思い出し、別れ際の、共に暮らす生活をあきらめた女の泣
き顔が目の前を占拠した。何度瞬きをしても、女の顔は消えてくれ
なかった。
1879
第6話 視察するエリィ
到着したミラーズには客の列ができていた。
ざっと数えて五十人ほどだろうか。若い女性が多く並んでいて、
雑誌﹃Eimy﹄を片手にお互いの服装を見せ合ったり意見を交換
したり、おしゃべりに興じている。その他には、洋服通っぽいご婦
人や、流行に敏い若い男性、中には上京してすぐの田舎娘っぽい子
もいて、所在なさ気にきょろきょろと首を動かしていた。
馬車がミラーズの前で停まり、窓ガラスから顔を離した。クラリ
スが素早くドアを開けてくれる。
﹁混んでる⋮﹂
﹁素晴らしいわ! 儲かってるわね!﹂
アリアナが楽しげにミラーズを見た。俺が勢いよく返事をすると、
にこりと笑って顔を上げる。
﹁エリィは儲け話が好きだね⋮﹂
﹁そうね。世の中儲けてなんぼよ﹂
﹁ふふっ、そうかもね⋮﹂
馬車から下りつつ、そんな会話をする。
アリアナはずいぶんと笑うようになった。出会ったときはほんと
暗かったもんな。
﹁お足元にお気をつけください﹂
﹁ありがとうクラリス﹂
1880
﹁ん⋮﹂
俺とアリアナは馬車から下りて道路を渡り、店の前で立ち止まっ
た。
懐かしい店構えが目に飛び込んでくる。
控えめな字体で刻印された﹃Mirrors﹄の看板。白亜の木
製ドアに大きな鉄製ドアノブ。店の壁にかけられたイチオシの新作。
その周りをふよふよと光が浮かんでいる。
﹁懐かしいわ﹂
﹁うん⋮﹂
舞い戻ったミラーズの前で、試作品の服を着て立っていることが
何だか感慨深い。
俺が薄ピンクのツイードワンピース。アリアナは白の割合が八割
の白黒タータンチェック柄のツイードワンピースを着ている。形が
恋
されたら、ガチで心臓
トキメキ
ノースリーブで、インナーが黒のシースルーシャツだ。胸元にはシ
ルク生地のボウタイ付き。この状態で
が停止するかもしれない。
俺達が店を眺めていると、列に並んでいた客が一斉にこちらを見
た。
全員ぽかんと口を開け、動きが停止する。
一人で列に並んでいた青年が飲もうとしていた水筒を取り落とし
てころころと転がし、田舎娘っぽい少女は分厚いスカートを握りし
めて顔が赤くなり、きゃぴきゃぴとはしゃいでいた女子グループが
手に持っていた雑誌を地面へ落とした。
1881
十秒ほど店の前が静かになった。
アリアナが、なんで静かになってるんだろう、と首をかしげる。
そして今度は全員が正気に戻ったかと思うと、ざわざわと騒ぎは
じめた。
青年は恥ずかしげに地面と俺達を交互に見て頬を上気させ、田舎
娘少女は自分の服と俺達の服を観察して愕然とし、女子グループは
落とした雑誌をものすごい勢いで拾って、どのページにある商品な
のか声高に喋り出した。他の客も俺とアリアナを見て、﹁あの服が
欲しいよぉ﹂とか﹁綺麗すぎる﹂とか﹁狐の子がパネェですわ﹂な
ど口々につぶやいている。
青年が落とした水筒が足下に転がってきた。
お淑やかに拾い、彼に近づいた。
列に近づいていくと、喧騒が収束し、全員の視線がこちらに向く。
アリアナが横に並び、クラリスがメイドらしく一歩下がって後に続
く。
水筒を差し出すと、青年は顔面を硬直させた。限界まで両目をか
っ広げて、エリィの顔を食い入るように見つめてくる。
﹁落としましたわ﹂
美しく、優しげなエリィの声がミラーズの店前で響いた。
自分でしゃべったにも関わらず、話し方の優雅さと、声に込めら
れた優しさに、心が満たされる感覚が胸に広がっていく。
﹁あ、ああああ、ああ、ああの、ありありありありがとうございま
1882
すです!﹂
青年が尋常でないどもり方をしつつ礼を言って水筒を受け取る。
右手が震え、彼は水筒をまた取り落とした。いや、エリィが美人で
可愛いのは分かってるけど、そんなに緊張しないでもいいと思うん
だが。
また水筒を拾い、ちょっとした茶目っ気で、﹁もう、ダメじゃな
いの﹂と笑いながら青年を叱った。
﹁ひゃっ⋮⋮﹂
彼は赤い絵の具をぶちまけたみたいに顔を真っ赤にし、ロボット
のようなカクカクした手つきで水筒を受け取った。アリアナが、弟
と妹に向けるような優しげな眼差しで、くすくすと楽しげに笑う。
きゃわいい。
周囲からため息とも深呼吸とも取れない、何ともいえない吐息が
漏れる。話しかけたい気持ちもあるが、近寄りがたい、ってところ
だろうな。まあ確かに今の格好はよそ行きの服装だから、一般人っ
ぽさはあまりない。
ちょうど後ろにいた田舎っぽい娘に目を向けると、彼女は何がシ
ョックだったのか、初恋の相手が別の女とキスしている現場を目撃
したような顔で呆然としていた。
ああ。たぶん都会に出てきて、未知の服装や女性に衝撃を受けて
いるんだろう。都会への憧れもあるかもしれない。
いち早く気づいたアリアナが、ちらりと視線をこちらに送ってき
た。相変わらず睫毛が長い。
1883
田舎っぽい娘の彼女にはミラーズに来たことをいい思い出にして
もらいたい。フォローしておくか。
﹁今日は何を買いにきたのかしら?﹂
話しかけられると思っていなかった田舎娘は、弾かれたように顔
を上げた。
﹁い、あ、あ、あ、あの⋮⋮あ、あ、あの⋮⋮﹂
﹁うん?﹂
田舎娘のテンパリ方がやばい。防御力のみに重点を置いた、春先
なのに分厚いスカートを握りしめ、うつむいてしまう。
だがそれもつかの間。エリィの優しげでほんわかした空気に馴染
んできたのか、田舎娘が照れた顔で何度もおさげを直しながらこち
らを上目遣いで見てくる。この辺はさすがエリィと言わざるをえな
い。
﹁ワ、ワンピースでしゅ⋮⋮﹂
﹁まあ。ひょっとしてストライプの?﹂
﹁そ、そうです。前に見た大通りのポスターが忘れられなくて⋮⋮﹂
あの﹃Eimy特別創刊号﹄の巨大ポスターのワンピースか。あ
れは強烈だよな。エイミー可愛いし。少なくない国民があのポスタ
ーに影響を受けた、とクラリスからは聞いている。
﹁うーん。でもあなた、あのストライプワンピースより似合う服が
あると思うけど?﹂
素朴な雰囲気の彼女に、あの都会テイストのワンピースは似合わ
1884
ない。もう少し大人になってから買うべきだ。それよりも、今の自
分の魅力を最大限に活かしてほしい。
﹁ちょっと背伸びしました、っていうギリギリのラインを攻めてほ
しいわね。身長も私ぐらいあるし、動きやすくてあなたの魅力が存
分に出る、キルトスカートなんていいと思うわ。こうやって布をス
カートに巻いて、腰の横でベルトとかピンで止めるはき方ね﹂
話しているうちにだんだんと熱くなってきてしまう。
田舎っぽい娘は何がなんだか分からない、と顔中にはてなマーク
を浮かべた。
﹁牧歌的な雰囲気を出しつつ、大人の魅力を匂わせるパターンね。
民族衣装みたいにならないようトップスが重要だわ。スカートを短
めにすれば夏前まではいけそうね。やっぱり上は、紺色のセーター
か⋮⋮いや、白い薄手のセーターがいいわね。形は丸襟とVネック、
どっちでもいいか。髪の色が茶色で短めだから、服に乗せるって演
出はできないし、トップスは無地じゃないほうが面白いかしらね⋮
⋮﹂
となると装飾品は細いネックレスだな。そんでもってVネックセ
ーターなら、襟元に紺と赤のラインを入れたい。学生っぽい雰囲気
はこの子に似合うし、チェック柄のキルトスカートとのセットなら
完全にハマるだろう。
と考えると、靴はくるぶしまであるブーツで、ニット帽があると
尚良しだな。そうするとちょっと子どもっぽくなるから、髪型を変
えてもらうか。
あ、それならネックレスはなしにして、ピアスをしてもらって大
1885
人力アップを狙うって手もある。背伸びしてる感じが出ていいだろ
う。よく見ればけっこう胸もあるし、ちょっとぐらいサービスで胸
元が大きめに開いたVネックでもいいよな。いやぁ、それはあまり
にもあざとい⋮⋮だが男ってもんは単純だからな。問題はこの子の
周りが何て言うかだ。まあ、俺がそこまで考える必要はないとは思
う︱︱
﹁あ⋮⋮あのぅ⋮⋮﹂
田舎娘から恥じらいの声が上がった。
気づいたら、彼女をじろじろと眺めながら考えごとをしてしまっ
ていた。
﹁あら、ごめんなさい。私ってどうも考えだすと止まらないの﹂
﹁あ、あの! いま言っていたキルトスカートという服は売ってい
ますか?!﹂
﹁どうかしら? ジョーが作っていればあるけど⋮⋮たぶんないと
思うわね﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
彼女は残念そうに顔を伏せた。
﹁それならお店にお願いして作っておくわ。次、お店に来たときに
あなたにプレゼントするわね。じろじろ見てしまったお詫びよ﹂
﹁えぇっ! そ、そんな恐れ多い⋮⋮﹂
﹁いいのよ。女の子は可愛くなくっちゃね﹂
女はいくつになっても可愛くあれ。by小橋川。
﹁あ、あなたはいったい⋮⋮﹂
1886
田舎娘が、俺が誰なのか聞こうとしたところで、店の入口から悲
鳴のような叫び声が響いた。驚いてそちらを見る。
﹁あああああっ! 来た! 本当に来た! マグリットちゃんたい
へんですぅ!﹂
ミラーズの店員らしき活発そうな女の子が入り口から外へ飛び出
し、俺を見て店内に向かって大声を上げた。なんだなんだと列の客
がざわめきだす。いつもいるドアマンの男が、警戒して背負ってい
る剣に右手を添えた。
その声を聞いて、店中からキュロットスカートをはいた落ち着い
た雰囲気の女の子が出てきた。胸まで伸びたライトグリーンの髪が
きれいに内側へウェーブしている。
彼女は先頭で入店を待っていた客に﹁申し訳ございません﹂と謝
罪しつつ、活発な女の子の首根っこをつかんだ。
﹁ポピーちゃんうるさいんですのよ! お客様がいるから静かにし
なさいとミサさんから散々言われているでしょう?!﹂
﹁マグリットちゃん! ミサさんが言っていた、金髪で、垂れ目で、
ツインテールで、物凄くスタイルがよくて、足が長くて、顔が小さ
くて、優雅で可憐でお淑やかなのにどことなく行動力がありそうな、
女神みたいな女の子が本当に来ましたぁぁっ!﹂
﹁そんな神話に出てくるクノーレリルみたいな人いるわけないでし
ょう!﹂
﹁いるんですぅ! そこに! ミサさんはやっぱり嘘ついてなかっ
た!﹂
﹁ポピーちゃん⋮⋮あなたそんなことだから低俗な詐欺師に騙され
るんですのよ。ミサさんも冗談きついですわ。現実にいもしない私
1887
より年下の女の子がミラーズの総合デザイナーだなん⋮⋮てっ?﹂
マグリットと呼ばれたキュロットスカートの女の子は、俺と目が
合って次に言おうとしていた言葉を飲み込み、ポピーという子の襟
首を力なく離した。
よく分からんが、とりあえず笑顔で会釈をしておく。向こうも、
顔を引き攣らせたまま会釈を返す。
﹁う、うそ⋮⋮﹂
﹁ね! ね! だから言ったでしょう?!﹂
﹁ほ、ほ、ほ、ほんとに来たぁーーーーーっ!!!﹂
マグリットの姿からは想像できないような絶叫が、ミラーズとそ
の路地に反響する。列に並んでいる客達から、好奇心があふれ出て
目が輝きだした。通行人も足を止めて店を眺めている。
﹁だから言ったじゃないですかぁ、ミサさんが嘘つくわけないって﹂
﹁ポピーちゃん、私のほっぺたをつねってちょうだい﹂
﹁ええーなんでです?﹂
﹁あの子が消えていなくなってしまうような気がするのよ﹂
﹁精霊とか幽霊じゃないですよ∼﹂
﹁いいから早くっ!﹂
﹁もう、しょうがないですね﹂
ポピーはマグリットの白い頬を思い切りつねろうと手を伸ばす。
二つの指がほっぺたをつまもうとした瞬間、ごつんごつん、と豪快
なげんこつが二人の女子を襲った。
﹁はぁぅ!﹂
1888
﹁ったぁい!﹂
﹁店の入口で何をはしゃいでいるの! 早くレジに戻りなさい! 申し訳ございませんお客様、いま順番が来ましたので、わたくしが
ご案内させていただきます﹂
店内から出てきたミサが般若のように怒り、そして最前列の客に
謝罪する。客である若い女子二人は、怒るより、むしろ楽しんでい
た。好奇心をむき出しにして、﹁あちらのお嬢様は誰なんですか?﹂
とミサに尋ねた。
その言葉を受け、ミサは俺を見ると、ぱぁっと笑顔になってボブ
カットを揺らしながらこちらに駆け寄ってきた。
﹁エリィお嬢様! お待ちしておりました! きっと本日視察に来
るだろうと思い待機していたのですが、新人がとんだ粗相をいたし
まして⋮⋮﹂
﹁いいのよミサ。それより元気な子達ね﹂
﹁ええそうなんです。ああ見えて選ぶ服が昔の感覚にとらわれてお
らず、お客様へのアドバイスも的確ですわ﹂
﹁ジョーはいるの?﹂
﹁ええ、工房で指示出しをしております﹂
﹁いい服ね。これはすでに販売されているモデルかしら﹂
﹁試作品ですわ﹂
ミサは紺色チェックのアンブレラスカート、白シャツ、灰色のジ
ャケットを、袖を通さず羽織っている。
﹁エリィお嬢様もアリアナお嬢様も、ツイードワンピースがお似合
いですわ。洋服も喜んでいるように見えます﹂
﹁まあ、ありがとう﹂
﹁ん⋮﹂
1889
﹁ミサ、お願いがあるんだけどいいかしら﹂
﹁はい、なんなりと﹂
﹁こちらの子に、キルトスカートの新作ができたら無料で進呈して
ちょうだい﹂
急に俺とミサに目を向けられ、田舎っ娘は顔を真っ赤にした。
﹁キルトスカート?﹂
﹁あとで説明するわ。それではお買い物を楽しんでね。ごきげんよ
う﹂
﹁あ、あの⋮⋮!﹂
意を決したのか、田舎っ娘が大声で尋ねてくる。
﹁ありがとうございます!﹂
﹁気にしないで。それから、ごめんなさい。洋服は好きなものを買
ってこそよね。厚かましいアドバイスをしてしまったわ﹂
﹁い、い、いえ! しょんなことは!﹂
﹁それならよかったわ﹂
ミサに促され、店内へと足を向ける。
いやーこういうのやってみたかったんだよな。デザイナーが普通
の女の子にアドバイスして、新作を無料であげちゃう的なね。そし
て女の子はこの日からデザインに目覚めて人生が変わった⋮⋮とか
すごい映画っぽいじゃん。
ミサは最前列にいる女子二人の前まで来ると立ち止まり、丁寧に
お辞儀をした。
﹁先ほど、こちらのお嬢様がどなたか、というご質問にお答えいた
1890
します。こちらのお方は、代々美男美女を輩出しているゴールデン
家の四女、エリィ・ゴールデン嬢でございます。そしてこのお方こ
そが、ミラーズの総合デザイナーであり、エリィモデルの創案者で
もあります﹂
誇らしげな表情でミサは俺を持ち上げまくった。
﹁この女の子が⋮⋮﹂
﹁すごい⋮⋮﹂
最前列の女子二人は呆けた顔でこちらを見てくる。憧れと驚きの
感情が、女の子達から発せられていた。
⃝
賑わう店内を通り抜けてジョーのいる工房へと入った。
工房内は以前より雑然としており、壁には隙間なく洋服のデッサ
ンが貼られ、作りかけの服が室内のハンガーに百着ほどぶら下がっ
て布切れや糸くずが落ちている。奥の大きなテーブルで、ジョーと、
四人の男が広げた幾つもの服を睨んで話し込んでいた。
﹁色がイメージと違う。縫製はすごくいい。これなら多少動いても
ちぎれないだろう。ああ、こっちは裾に折り返しをつけてほしいん
だ。あとは藍色のストライプをつけて。このチェック柄は黒が多す
ぎるから却下。この靴下は発注より十センチも短くなっているけど
なんで? ああ、コストがね⋮⋮。まあとりあえず作ってよ。需要
が出ればコスト回収なんてできるから。これはやっぱり強度がダメ
か⋮⋮。レースを組み合わせて作るのはどうかな。縫製もちがうや
1891
り方でやればいけるんじゃないか?﹂
どうやら発注していた服や生地の確認をしているようだ。それに
してもすごい速さで処理しているな。テーブルには百点近い洋服が
並んでいるから、あれぐらいのスピードでやらないと一日で終わら
ないか。
邪魔しちゃ悪いと思い、工房内に貼られた壁のラフ画を見て時間
をつぶす。
クラリスは待たせていた飛脚をゴールデン家に走らせ、アリアナ
は興味深げに獣人用の帽子を見つめている。ポカじいは店に入る前
に、酒でも飲んでくるわぃ、と言ってどこかにいった。バリーは馬
車で待機している。
そうこうしているうちにジョーは俺達の存在に気づいた。しかし、
ひっきりなしに来訪者が現れて、こちらに来れない。かなりエリィ
を気にしているようだったが、仕事を優先させるその対応に男らし
さを感じた。やはり男が専門的な仕事に打ち込む姿は見ていて気持
ちいい。
アリアナに帽子をかぶせて色んなポーズを取ってもらい遊んでい
ると、一時間ほどで飛脚が戻ってきて、先ほどの返信を持ってきた。
クラリスが賃金を支払い、手紙を受け取って封を開けてくれる。
差出人は当主グレンフィディック・サウザンド。内容は﹃本日の
夕刻以降、いつでも歓迎する﹄という色よいものだった。今日いき
なりとはずいぶん急だな。しかも当主自ら会ってくれるとはなんと
好都合。
﹁お嬢様、どうされますか?﹂
1892
﹁最優先事項だからね、ジョーには書き置きを残してこのまま行く
わ。飛脚に頼んでサウザンド様に返信をしてちょうだい。それから
ミサに頼んで試作品をいくつかもらっていきましょう。パンジー・
サウザンド嬢が喜ぶでしょう﹂
終わりそうもない確認と打ち合わせをしているジョーの耳元で﹁
また来るわ﹂と伝える。ジョーが残念そうな顔を見せると、取引先
の男たちが笑いながら、お熱いですな、と茶化してきた。
顔面がホットになりそうだったので、すぐにジョーから離れ、書
き置きを残しておく。
内容は﹃王国の広告の許可がおりたこと。ファッションショーを
開催すること。新素材の開発に王国が関わること。サウザンド家に
は俺達だけで行く﹄の四点だ。要点だけをまとめて書いておく。つ
いでに別枠で、キルトスカートのことも簡単に記述しておいた。
こういうとき、電話とメールがあればと思ってしまう。あれは便
利すぎだ。こっちにきて一年近く経つのに、いまだにポケットにス
マホが入っていないか確認してしまう自分がいる。ちなみに通信で
きる魔道具は存在しない。残念すぎる。
⃝
工房を出て、ミラーズ店内に入ったところで、周囲が騒がしくな
った。
入り口の向こうで怒鳴り合う声と魔法がぶつかり合う物騒な音が
響き、足を踏み鳴らして男三人が店に入ってきた。全員、薄汚れた
1893
革鎧を着こみ、風呂に入っていないのか顔中が茶色く汚れている。
綺麗に清掃され、商品が美しく並び、女性の甘い香りが漂う店内
に入ってきた男達は、場違いもいいところだった。
﹁おお、いい女ばかりいるじゃねえか﹂
三人の真ん中にいる顎が割れた男が、下卑た笑いを浮かべた。客
と店員、ミサ、ポピー、マグリットを舐め回すように見ている。そ
して、俺とアリアナに目を止めると、一瞬動きを止め、ほぅ、と舌
なめずりした。なにが﹁ほぅ﹂だよ。
﹁奥様への贈り物でしょうか? よろしければご相談させていただ
きますわ﹂
ミサが営業スマイルで三人に近づいていく。客と店員はほっとし
た顔をした。
﹁お頭。あっしはこの女がいいです﹂
﹁俺はあの奥にいる超上玉の狐の娘で﹂
﹁俺様は奥の金髪で垂れ目の女だ﹂
﹁あ、あのお客様⋮⋮!?﹂
ミサが言い終わるか終わらないかのタイミングで、右端にいた背
の低い男がミサの腕をつかんだ。
﹁お、おやめください! このようなことを天下の首都グレイフナ
ーでしていいとお思いですか?!﹂
ミサが気丈にも大声で叫んだ。
1894
﹁聞け! こちらにいるお頭は冒険者協会定期試験、なんと650
点! 身体強化もできるツワモノだぁ! 逆らうとどうなるか分か
っているだろうなぁ!﹂
﹁門番は店の前でノビているぞぉ!﹂
右の背の低い男と、左にいる長髪の男が、ツバを飛ばしながらゲ
ヒゲヒと笑い、脅してくる。確かに、開けっ放しになった店のドア
の向こうで、ドアマンの男が大の字で地面とお友達になっていた。
﹁なぁに、警邏隊が来るまでにお前らをいただいていくだけだ。逆
らうようなら、こうだ﹂
お頭と呼ばれた男が鉄製のハンガー掛けに手を伸ばし、おもむろ
につかむと、握りつぶした。鉄のひしゃげる不快な音が店内に響き、
店員と客の女子達が、声にならない悲鳴を上げる。全員が壁際に逃
げ、店員はレジカウンターの裏に隠れて顔だけ出して店内をのぞく。
器物破損と婦女暴行で有罪確定だな。
﹁離してください! なぜこのようなことを!﹂
﹁最近、ずいぶんと羽振りがいいみてぇじゃあねえか。ちょいと仕
事をサボって俺らと遊ぶぐらいいいだろう﹂
もう少し様子を見てもよかったが、エリィが怒っているらしくツ
インテールがパチパチいいながら浮かんでいる。アリアナが、もう
やっちゃっていい? と目線だけで聞いてくるので、首を横に振っ
た。ここは俺にまかせてもらおうか。
アリアナが不満そうに睫毛を伏せ、クラリスが冷ややかな顔で男
達を見つめた。
1895
﹁その汚い手を彼女から離してちょうだい﹂
そう言いながら、一歩前へ出る。
三人組が少し驚いた顔をするも、前に出た人物が俺だと分かり、
見下した顔つきに戻ってへらへらと笑った。三人組には、可愛いお
嬢様が健気にも店の人間をかばっているように見えるのだろう。
﹁お嬢様! おやめください!﹂
ミサが叫ぶも、つかまれた手は離れない。背の低い男はついにミ
サを引き寄せ、無理矢理抱きすくめた。
﹁やめ⋮⋮離して!﹂
﹁てめぇみたないい女、離すわけねえだろうが﹂
﹁あらあら⋮⋮離してくれたら、私がお相手をして差し上げますわ
よ﹂
そう言って右足を前へ出し、俺はスカートの右側についているボ
タンを、ゆっくりとはずしていく。タイトに作られたツイードワン
ピースでそのまま戦闘なんかしたら破れてしまう。ジョーとミサが
作った仕立てのいい服だ。こんな奴らのために破くのはもったいな
い。
にしてもあれだ。自分としては﹁俺が相手してやるよ﹂と凄んだ
つもりだったんだが、エリィに変換された言葉は妙に艶めかしい言
い回しになっている。周囲の視線が痛い。もういっそ、計算高い女
子力をチラ見せさせて相手の油断を誘う、小悪魔系女子のポジショ
ン狙ったほうがいいんじゃねえかな。まあ、やったらやったで顔面
がオーバーヒートする問題があるし、難しいところだけど。
1896
ジョーお手製の、即席スリットボタンを外す音だけが店内に響く。
全員が食い入るように俺の行動を見つめていた。
﹁お、お、おお、お、おおぅ。せっせっせ、せっせ、せせせ積極的
なのはいいじゃあねえか。きき、気に気に気に気に入ったぞぉう。
お前は今日から俺の女にしてやる﹂
お頭が、徐々にあらわになっていくエリィの太ももに釘付けにな
りながら、鼻息あらく息巻いて拳を握る。いや、動揺しすぎだろ。
気づけば周囲から変な声が聞こえていた。
﹁美しいですわ⋮⋮﹂﹁同姓なのにたまりませんっ﹂﹁しゅ、しゅ
ごいいっ﹂﹁ポピーちゃん鼻血ッ﹂﹁お嬢様⋮⋮﹂﹁あの子が総合
デザイナーですって!﹂﹁なんて美人。いえ、可愛い人っ﹂﹁ハァ
ハァハァ﹂﹁素敵ぃ﹂﹁あんな子が身代わりにっ﹂
﹁手を離してくれるわね?﹂
﹁お、おおぅ﹂
ミサを抱きすくめていた男が、熱に当てられたような緩慢な動き
で彼女を開放した。
下の上
で高速移動したため、ハンガーにかかっている洋服が
それと同時に俺は身体強化を全身にかけ、一歩で男に近づく。
強風を浴びたように揺れた。
男のみぞおちめがけ、軽く掌打を当てた。
﹁ぐえぃ﹂
1897
当然、避けられるわけもなく、変な声を上げて男は腹を両手で押
さえて倒れた。
何が起きているのか分からないうちに、左側にいる長髪の男の前
に回り込み、相手の膝の内側を左右に蹴り込んだ。
くぐもった悲鳴を上げた男が膝を折って崩れ落ちた。目線が下が
ったので人差し指と中指で目潰しして、軽く握った拳を下顎めがけ
て真横に振りぬく。
﹁︱︱︱ッ!﹂
長髪の男が脳震盪を起こし、ガニ股で後ろ向き倒れた。
店内にいる、客、店員、ポピー、マグリットが呆然として倒れた
男二人を見つめ、ミサがあわてて男たちと距離を取る。
﹁な、何をした!!﹂
お頭がズボンから杖を引き抜いたので、素早い蹴りで杖を弾き飛
ばした。店内で魔法なんか使われたら商品が駄目になっちまう。
飛んだ杖は天井に当たり、反射して長髪の男の腹にぶつかり、う
まい具合に回転して男の鼻の穴にすっぽりと入った。⋮⋮奇跡って
あるんだな。
﹁誰に頼まれてここに来たのかしら? 教えてくれたら痛い目を見
なくても済むわよ﹂
﹁な、なんのことだ﹂
﹁バイマル商会でしょう?﹂
﹁ち、ちがう!﹂
1898
﹁じゃあサークレット家かしら﹂
﹁そんなもんは知らん!﹂
﹁じゃあどこなのよ! 答えなさい!﹂
怒髪天を衝く、とはこのことかもしれない。エリィが怒っていて
俺も腹が立っている。足を踏み鳴らすと、バリバリバリッ、と静電
気でツインテールが一瞬だけ垂直になった。
﹁ぐぅっ⋮⋮。お、俺様は羽振りが良さそうなこの店にたまたま来
ただけだ﹂
﹁嘘おっしゃい。報酬の金貨がポケットからこぼれているわよ﹂
﹁なっ!﹂
咄嗟にお頭がポケットをまさぐる。じゃらじゃらと金貨の音が鳴
り、ほっと安堵すると、カマをかけられたことに気づいて顔を赤く
した。
﹁て、てめえ!﹂
﹁バカな男﹂
﹁ぶっ殺す!﹂
お頭は背中に隠し持っていたらしいショートソードを引き抜き、
大上段から強引に振り下ろした。
きゃあああっ、という女たちの悲鳴が上がる。
身体強化をかけて剣の軌道を読み、ショートソードの腹を右手の
指でつかんだ。
ぴたり、と剣撃が止まった。
1899
̶̶̶̶ッ!!?
﹁はっ?﹂﹁えっ?﹂﹁ええっ?﹂﹁ひいいっ、ひ?﹂﹁おじょ⋮
⋮うさま?﹂﹁つかんでる?﹂﹁身体強化の剣撃を?﹂﹁しゅごい
っ﹂﹁ポピーちゃんヨダレがッ﹂
これぐらいなら目をつぶっていても対処できる。ポカじいとの、
対ショートソード訓練に比べればあくびが出るぜ。
周囲の驚愕とともに男が混乱し、ショートソードを引き戻そうと
する。しかし、剣はエリィの指に吸い付いたように離れず、男が右
にいったり左にいったり身体を仰け反らせたりするだけで、びくと
下の下
だ。鉄製のハンガー掛けは中
もしない。男が動かないショートソードと滑稽なダンスを踊る。
男の身体強化はおそらく
が空洞になっており、その程度のパワーでもひしゃげさせることは
できる。下っ端の言っていた650点という点数は相手をビビらす
ためのブラフだろう。こいつがそこまでの点数を取れるはずがない。
﹁離せ⋮⋮この⋮⋮アマ﹂
﹁ダメよ。お店に傷がついたら大変だもの﹂
先ほど傷つけられた、鉄製のハンガー掛けをちらりと見た。細身
の棒は、真ん中の当たりでひしゃげ、折れ曲がっており、もう使い
物にならないことがよく分かる。それは、俺が最初にこの店に来た
ときから使われてる、ミラーズの大切な道具だった。
目の前で、汚い男がぎゃんぎゃん喚いている姿を見ていたら、だ
1900
んだんとむかっ腹が立ってきた。
﹁ミサがどんな思いでこの店を守ってきたか、あなたには分からな
いでしょう。苦しい経営を女手一つでこなして、この店を潰さなか
ったから今の成功があるのよ。それをあなたはズカズカと入ってき
て、いい女がいるじゃねえかって? バカも休み休み言いなさいよ
⋮⋮﹂
﹁っるせえ! ちょっとばかし可愛いからって調子乗ってんじゃあ
ねえぞ!﹂
男は両手を離してショートソードを放棄し、右拳を真っ直ぐこち
らに突き出してきた。普段ならもう少し洗練されたパンチなのだろ
うが、興奮のせいか振りが大きすぎる。
﹁らぁぁっ!﹂
﹁あら⋮⋮﹂
俺は瞬間、ショートソードが天井に突き刺さらないよう力加減を
して放り投げた。
女に手を上げた。もう容赦はいらねえ。
十二元素拳﹁風の型﹂で男の拳をかわし、右拳で顎を打ち抜いて、
左拳打を三連打。胸の中間、みぞおち、へそ下へお見舞いしたあと、
左足を踏み出して体重を乗せた右掌打を男の土手っ腹にめり込ませ
た。
﹁ひゃぐっ︱︱︱!!?﹂
ボキャッ、という嫌な音を立て、男が後方へとすっ飛んだ。
狙い通り、ミラーズのドアを一切傷つけず、男の身体は糸を引い
1901
たように店外へ飛び出し、路上の馬よけにぶつかってひっくり返っ
て、店に頭を向けてうつ伏せに倒れた。急に飛んできた男に驚いた
通行人が、軽い悲鳴を上げた。
刹那の出来事だったため、投げたショートソードはまだ床に触れ
ておらず、空中で回転しながら眼前を落下していく。
﹁忘れ物よ﹂
ぽかんと口を開けて見ている店内の女性陣を尻目に、スカートを
ひらめかせ、一回転してショートソードの柄をヒールのつま先で蹴
り込んだ。
エリィの美脚に蹴られたショートソードは、さも嬉しそうに一直
線に飛んでいき、倒れている男の背中にある鞘へ、カシャン、と見
事に収まった。倒れた男を見ていた通行人が、いきなり鞘に収まっ
たショートソードを見て、おおっ、と驚きの声を上げる。
﹁へっ⋮⋮?﹂﹁はれ?﹂﹁⋮⋮?!﹂﹁あぶ⋮⋮なっ?﹂﹁何が
⋮⋮⋮?﹂﹁すごい⋮⋮﹂﹁しゅごしゅぎぃぃ﹂﹁ポピーちゃん白
目にッ﹂﹁エリィかっこいい⋮﹂﹁お嬢様⋮⋮﹂﹁男が⋮⋮飛んだ
??﹂﹁剣が⋮⋮﹂
下の下
まで落としたので、男は魔法で治癒しない
ポカじいとの訓練どおり、人間の弱点である正中線に拳を叩き込
んだ。
身体強化は
限り数週間立ち上がれないダメージを負った。まあめっちゃ弱かっ
たが、自分より身長の高い相手とのいい訓練になったな。
そんなことを考えつつ、静かに、厳かに、ツイードワンピースの
1902
開いたボタンをしめていく。スリットのようにばっくりと開いてい
たタイトなワンピースが閉じられていくと、エリィの生足が徐々に
隠されていった。
店内からは悩ましげなため息が漏れ、全員がこの一幕に引きこま
れ、現実に帰ってこれなくなっているようだ。まあ、端から見れば
映画のワンシーンみたいだ。つーか俺、めっちゃカッコいいな。香
港映画の主役いけるな、これ。
気にせずにワンピースの皺を伸ばして、ゆっくりと店内にいる女
性たちを見回すと、腰が抜けたらしいミサの手を取って立たせてや
った。
﹁もう大丈夫ね﹂
そう言うと、むしゃくしゃしていた気持ちが晴れ、自然と笑みが
こぼれた。
渾身のエリィスマイルを見たミサは、ハッと我に返って目を見開
くと、店内を見回し、床にノビている男二人を見て、店外の路地で
痙攣している男に目をやり、そして俺を足先から頭のてっぺんまで
眺めると、感極まったのか、飛びついて俺をきつく抱きしめた。
﹁エリィお嬢様ぁーーっ! カッコよすぎですわぁぁぁっ! わた
くしと結婚してくださぁぁぁい!!!﹂
﹁こ、こらミサ! 大げさよ!﹂
ミサが嬉し泣きしつつ、顔をこすりつけてくる。
﹁怖かったぁ! でも嬉しかったです! お嬢様がこんなにもミラ
1903
ーズを大切に思っていてくれて、私⋮⋮もう感激で涙が止まりませ
ん!﹂
﹁当たり前じゃないの。私達でここまでお店を大きくしたのよ。そ
れをあんな下衆な連中に汚されてたまるもんですか﹂
﹁ええ! ええ! そのとおりですわ!﹂
﹁さ、泣き止んだら顔を拭いてちょうだい。まだまだ私達の服を買
いに来ているお客様がたくさんいるのよ﹂
﹁はい、お嬢様!﹂
ミサはハンカチを取り出して丁寧に涙を拭き、よし、と気合いを
入れると店内をぐるりと見回した。
﹁皆さま! 悪漢どもは、こちらにいらっしゃるミラーズ総合デザ
イナーであり、ゴールデン家の由緒正しきご令嬢であらせられます
エリィお嬢様が退治してくださりました! ご安心下さい!﹂
ミサが両手を広げ、最高の笑顔を作って司会者のように叫んだ。
しばらくすると、怯えていた客もミサの宣言により思考が復活し、
わぁっ、と一斉に歓声が上がる。
﹁すごいですわすごいですわ!﹂﹁まるで王国劇場の舞台のよう!﹂
﹁いえ、それよりも素敵でした!﹂﹁パンチが見えなかったわ!﹂
﹁シュッとなってシュシュッとパンチですわよ!﹂﹁あのスカート
が欲しい!﹂﹁強くて可愛いなんて反則よっ﹂﹁私ファンになりま
したぁ﹂﹁ポピーちゃん、私もですわ!﹂﹁エリィモデルはあのお
嬢様が?!﹂﹁素敵すぎいぃぃぃっ!﹂
さすがは武の王国グレイフナー。みんな、強い者へのあこがれが
半端じゃないらしい。気づけば拍手が巻き起こり、黄色い悲鳴がそ
こかしこから上がった。奥の工房からジョーと取引先の男数人が出
1904
てきて、よく分からないけど楽しそうだからまあいいか、と首をか
しげて引っ込んだ。クラリスが鼻をふくらませ、どうだ見たか、と
腰に手を当てて思い切り仰け反っている。アリアナは倒れている男
治癒
ヒール
電打
をさみだれうちして、
エレキトリック
をかけてやり、馬車内でバリー
をナチュラルに踏んづけながら、尻尾をふりふりして拍手をしてい
た。
⃝
倒れている男に下位中級
とともに尋問をした。
反省の色がまったくなかったので、
よい子ちゃんになってもらう。
男がすっかり毒気の抜けた言葉でしゃべりだすと、胡散臭い話が
出るわ出るわで驚いた。
男達の雇い主は、バイマル商会でもサークレット家でもなく、意
外にもリッキー家だった。リッキー家といえばボブだな。
よい子ちゃんの話では、リッキー家は傭兵業が盛んでこういった
裏稼業にも精通しており、誰かがリッキー家を通じて自分たちを雇
ったのでは、ということだった。当然、こういった裏稼業が大っぴ
らになることはなく、首都グレイフナーでの仕事は相当めずらしい
ようだ。その分報酬も多かったらしい。
シールドや警邏隊の手が届かない郊外の土地や、統治がうまくさ
れていない場所で、リッキー家の裏稼業は必要悪として存在してお
り、いざこざがあれば仲介役をしたりしてみかじめ料を貰っている
そうだ。最近では、旧ゴールデン家領のマースレインが傭兵たちの
1905
本拠地になっており、治安が悪くなっているとのこと。表向きは傭
兵で、本業は、裏稼業請負人と悪行連絡所ってところだな。
リッキー家は犯罪者の案内所のような役割を果たしていると見て
いい。
俺を誘拐したペスカトーレ盗賊団を雇ったのもリッキー家が関係
していたようだし、今回ミラーズを襲撃した無法者の手配もリッキ
ー家だ。ボブが学校ででかい面しているのも、性格がひねくれてい
るのも、おそらくこういった裏稼業の影響だろう。
すべてが暴かれたら国王に速攻で潰されるな。それをされてない
ってことは、うまく隠蔽しているってことか。後ろ盾にガブリエル・
ガブルがいるし、多少強引な手を使っても揉み消せるんじゃねえか
? こいつらを警邏隊に突き出したところで、リッキー家は知らぬ
存ぜぬで素知らぬ顔をするに決まっている。
まあ何にせよ、これ以上ミラーズの邪魔をされては困るな。
﹁クラリス、あれを見せてあげなさい﹂
馬車の外で待機していたクラリスを呼ぶと、彼女は車内に入って
きて﹃冒険者協会兼魔導研究所壁面貸出許可証﹄と﹃魔闘会中日・
王国劇場貸出許可証﹄を男に見せた。
﹁見えるわね? これは国王様に私が直々にお願いしていただいた
ものなの。これ以上ミラーズとコバシガワ商会に手を出すと、いい
治癒
ヒール
してあげるわね﹂
ことがないわよ。それをあなたの雇い主に伝えてちょうだい。いい
わね?﹂
﹁わかったよエリィちゃん﹂
﹁よろしい。じゃあご褒美に
1906
﹁ぼ、ぼくなんかにいいのかな?﹂
﹁いいのよ。よい子は褒めてあげるのが私の教育方針なの﹂
﹁わーい﹂
汚れた顔を破顔させて、よい子の男が諸手を挙げて喜んだ。
これはあれだな。意図せずして敵のあぶり出しに成功したパター
ンだな。
ミラーズの売上げが好調で、ミスリルによる牽制も現状効き目が
薄い。だから直接的な手段を打ってきた、と考えるのが妥当だろう。
そう考えると、やはりリッキー家に依頼をかけたのはバイマル商会
かサークレット家だな。間違いない。
⃝
目を覚ました下っ端の二人はまた俺につっかかってきたが、隠し
持っていたショートソードを身体強化で真っ二つに割る姿を見せて
やると、顔を青くして逃げていった。ひとまずはこれでいい。あと
は向こうの出方を見るとするか。
﹁では他の店舗にも行きましょうか﹂
夕刻まで少し時間があったので、ミラーズの支店に顔を出した。
高級志向の﹃一番街店﹄は接客も洗練されており、商品も高品質
で高額なものばかりだった。客の目を引くアイキャッチがないもの
の、自由に見て回れるゆったりした時間が流れており、金持ち貴族
には非常にウケが良さそうだ。一般収入の客も入店できる雰囲気な
1907
ので、そこもいい。
ただ欲を言うならば、モダンなイメージの内装にしてほしかった。
中世ヨーロッパ的な格調高い内装になっていてこれはこれで深みが
あっていいが、俺達が目指すは新しいブームと流行のため、もうち
ょっと違う方向性でいきたい。
次の﹃二番街店﹄は﹃本店﹄と同じく列ができていた。並んでい
る客は小金持ち風の身なりをしていて、中には普通の村娘っぽい客
もおり、わいわいと楽しげだった。店内がかなり混んでいたので、
中には入らないでおいた。
最後の﹃ディアゴイス通り店﹄はひとことで言うとカオスだ。こ
のディアゴイス通りは、通り自体が雑然としており異様な活気に満
ち溢れている。そこかしこで値引き交渉が行われ、空中には魔法使
いが飛び、人混みのせいでたまに立ち止まる必要があった。
店内も騒々しく、列整理などまったくしていない。店内にはごち
ゃごちゃと客がいて、人の隙間を縫いながら洋服を確保しなければ
買えず、もうあんたたち勝手にしやがれ、とちゃぶ台をひっくり返
した状態だ。服の取り合いになるとお立ち台にいる店員が仲裁に入
り、コインを投げて勝敗を決める、というこれぞ異世界って感じの
ギャンブル方式になっている。
服の種類も多く、防御力度外視の物ばかりだが、オシャレで地球
と違った趣の服が数多く陳列されている。どれどれ、値段は⋮⋮﹃
ノースリーブワンピース・5500ロン﹄か。そこまで高くない。
防御力の高い服を量産し、この金額で販売できるようになったら
市場のほとんどをかっさらえるな。なんたって防御力ゼロの服でこ
の入れ食い状態なんだ。新素材開発のやる気がみなぎってくるぜ。
1908
ざっと支店を回り、時間もちょいどいい頃合いになったので、俺
達はミラーズの試作品を手にサウザンド家を目指した。
1909
第7話 オシャレ戦争・その1
馬車がガタゴトと揺れながら王宮方面へ走る。
クラリスにお願いして、グレイフナー王国の領地数と現状の力関
係を確認し、メモにまとめた。俺が乗り移る前のエリィは貴族の情
報を持っていたはずなので、あくまでも再確認だよ、というスタン
スで話を進める。サークレット家とそれを取り巻く貴族の関係に詳
しいアリアナの補足も入りつつ、内情の再確認ができた。
誘拐前に仕入れた情報とそこまで大きな変わりはないらしい。
基本、グレイフナー王国で派閥を組むことは禁止されている。反
乱を防ぐためと、王国と国民の利益を最大限にするためだ。
各領地の内政に手を出したり他家への協力を理由なしで拒否した
り、理由もなく他家への攻撃をすると、すぐさま監査が入り、評価
が最低になると領地没収となってしまう。王国の監査は、王国の不
利益になる事柄に対しては容赦がない。
ただ、やはり人間なので、仲が良い悪いはもちろんあり、貴族間
ではあからさまではないにしろ、水面下で勢力の削り合いが行われ
ている。その逆もしかり。協力体制で利益を上げる貴族も多い。
今回バイマル商会が行っているミスリルの料金釣り上げは王国の
監査をすり抜ける巧みな工作のようで、事を起こす数カ月前にわざ
と安値でミスリルを卸しており、取引量と金額を調整するため、と
いう言い訳をバイマル商会が王国側へ上げていると予想される。現
状そこまでの実害や弊害が起きていないので王国側からすれば、問
題ない、という評価なのだろう。
1910
料金を釣り上げるために、対象の店にわざわざ安値で売っておく
とは、敵さんには知恵者がいるな。しかもクラリスの調べでは、バ
イマル商会の調整する取引量が絶妙で、安値で普段より多く仕入れ
たけどやっぱり足りない、という量を各店に卸したようだ。
そうこうしているうちにサウザンド家の邸宅に到着した。
一番街の賑やかさとは打って変わって、この一帯は閑静な雰囲気
に包まれていた。重厚な石造りの門前は掃き清められており、どこ
となく静謐さを感じる。静けさの中、ヒーホー鳥が穏やかな調子で、
ヒィーホォーゥ、ヒィーホォーゥ、と鳴いていた。あの臆病者の鳥
も、この辺りでは静かに暮らせるのだろう。
ちなみに、領地数や王国への貢献度で、首都グレイフナーに持て
る邸宅の場所と大きさが決まる。いわば首都グレイフナーにでかい
家を持っているのは、貴族にとってのステータスってわけだ。王宮
引っ越し
引っ越し
はないみたいだが、
という言葉は、いい意味と悪い意味、
から徒歩十分圏内は、軒並み六大貴族が土地を貰っている。
貴族のあいだで
両方含んでいる。最近じゃ大きな
小さい家は魔闘会の結果次第ですぐにお家取り潰しになるため、郊
外に邸宅を与えられるようだ。
﹁私の家はもっとエリィの家に近かったんだよ⋮﹂
サウザンド邸宅を見上げながら、アリアナが寂しげな顔でぽつり
と呟いた。
父親がガブリエル・ガブルに殺されてから、領地数が減り、どん
どん郊外へ追いやられたそうだ。今の家は王宮から歩いて一時間か
かるからな。
1911
なんて可哀そうなんだろう。もふもふしておこう。
﹁ん⋮﹂
﹁さ、前進あるのみよ、アリアナ!﹂
﹁そうだね﹂
クラリスが門番に取りつぎをお願いすると、事前に話が伝わって
いたためすぐに邸宅内へと案内された。
⃝
白髪交じりの執事に案内され、俺、アリアナ、クラリスは執務室
へ通された。
室内は独特の落ち着いた雰囲気に満ちていた。家具の一つ一つが
どれも年代を感じさせる一品で、木製家具の味が存分に出ている。
正面に執務机があり、その横に応接用の黒革ソファが設置してあ
った。
﹁旦那様。エリィ・ゴールデン嬢とそのご友人、アリアナ・グラン
ティーノ嬢がいらっしゃいました﹂
執事がバリトンボイスで、夕日に背を向けワインを片手に立って
いる痩身の男に声をかけた。
﹁そうか⋮⋮﹂
憂いを帯びた声色で男が振り返る。
1912
いくぶん疲れた表情で、痩身の男がこちらを見た。くすんだ金髪
には白髪が混じり、額が広い。灰色の瞳は怜悧に伸び、頬と額には
深い皺が刻まれていた。六大貴族の当主だけあり、人物の後ろにど
っしりとした重厚感が見え隠れする。営業時代に会った大企業の社
長も、こんな雰囲気だったな。
﹁初めまして。ゴールデン家四女、エリィ・ゴールデンですわ﹂
優雅なレディの礼をする。
男の灰色の瞳が俺を捉えると、不自然に揺れて、不意に視線が外
れた。なんだろう。エリィが可愛いから直視できないのか?
男は、俺が読み取れない複雑な感情を瞳に渦巻かせ、何かを決断
したのか柔和な笑みを作ってうなずいた。
﹁サウザンド家当主、グレンフィディック・サウザンドだ。立ち話
もなんだ。座りなさい﹂
グレンフィディックが今度はしっかりとこちらを見つめてくる。
疑問に思いつつも執事の案内で黒革のソファに腰をかけ、アリア
ナが簡単に自己紹介をした。
大モミジ狩り
で
﹁漆黒のグランティーノの娘か⋮⋮。あやつを亡くしたのは王国に
とっての損失だった。わしもあやつとは何度か
一緒になったことがある。黒魔法の発動が速くて機転の利く、優秀
な男だった﹂
﹁そう⋮﹂
アリアナは父親の活躍を思い描いているのか、長い睫毛を伏せて
狐耳をぴくぴくさせる。
1913
﹁パリオポテスの決闘で領地を賭けてガブリエル・ガブルと闘った、
と記憶している﹂
﹁はい、間違いございません﹂
後ろにいた執事の男が素早く答えた。
漆黒
がガブリエル・ガ
アリアナに答えさせないように、という配慮からだろう。
﹁あの決闘を見ていたわけではないが、
ブルにやられるとは思えない。当時、結果を聞いて貴族たちが衝撃
を受けた。わしもその一人だ﹂
﹁ん⋮﹂
﹁何か裏があるのか、と考えた輩も多い。なんにせよ⋮⋮﹂
グレンフィディック・サウザンドは言い詰まると、軽いため息を
ついて首を左右に振った。
﹁⋮⋮これ以上は無粋だな﹂
﹁父は闘って死んだ⋮それだけ﹂
﹁そうだな﹂
会話の流れから、場の空気が湿っぽくなってしまった。
それからグレンフィディック・サウザンドは、空気を吹き飛ばす
ようにやたらと俺に話しかけてきて、色々聞いてきた。家は過ごし
やすいかとか、学校はどうだとか、友達はいるのか、とか。いやい
や、あんた久々に帰省した孫に会う感じになってるよ、とはさすが
にツッコめない。
どうやらこのじいさんに気に入られたみたいだ。
1914
さっき満面の笑みで﹁そうですわ﹂と返事をしたら、戸惑った表
情を作り、口元を緩ませていた。
当たり触りない返答をしつつ、本題への切り口を探っていく。
グレンフィディックの昔話が続き、当時最強の冒険者が集まって
﹃奈落﹄攻略をしたという冒険譚を話し出す。話は面白かった。が、
いかんせん長すぎる。会話がようやく終わったところで洋服の話に
持っていった。
﹁あの服はエリィが作ったのだな﹂
なんかすでに呼び捨てになってる。
﹁考案は私で、作ったのはミラーズのジョーとミサよ。実を言うと
前々から王国の流行には疑問を持っていたの﹂
こっちもだんだん面倒くさくなってきて試しに敬語をやめた。不
興を買うかな、と思いきや、グレンフィディックは灰色の目を細め、
嬉しそうに両手で膝を擦りながら、うんうんと大げさにうなずいて
くる。こりゃ本格的に好かれたらしい。六大貴族の当主という威厳
はなく、孫の友人と話す金持ちの好々爺って感じになってんぞ。い
いのかサウザンドのじいさん。
﹁だからね、防御力を無視したオシャレな服を作ったのよ。今まで
の流行じゃ女の子の魅力を引き出せないもの﹂
﹁それでパンジーがあんなに熱を上げているのか﹂
﹁ええ。そう聞き及んで手紙を出したわけね﹂
﹁新作のすべてを購入していると分かれば店側で噂にもなろう﹂
﹁そうですわね﹂
﹁パンジーが毎日洋服を見せにくるからな、わしも多少詳しくなっ
1915
たぞ﹂
﹁あら、そうなのね。嬉しいわ﹂
﹁エリィに喜んでもらえるなら、パンジーが洋服を見せにきたこと
は無駄ではなかったな﹂
﹁まあ﹂
﹁おお、そういえばすっかり話が長くなってしまったな。どうだ、
お腹がすいただろう。ディナーを食べて行きなさい﹂
﹁あら? もうそんな時間?﹂
いや、あんたの話が長いからだよじいさん。と、言いたい。
﹁ごめんなさい。食事は全員で取るのが我が家のしきたりなの﹂
﹁そうか⋮⋮それは⋮⋮仕方ないな﹂
なぜ孫を失ったみたいな悲しそうな顔するんだよ。どうもおかし
いな。どこでそんな好感度が上がった?
﹁それで、パンジー嬢はどちらに? 一度会ってお話しがしたいん
だけど﹂
﹁おお、そうか。そうだったな! すっかりエリィと話をしていて
忘れていた﹂
今思い出した、みたいな顔をしてグレンフィディックが執事に目
をやると、執事は素早く部屋を出て行った。ったく、食えないじい
さんだなこいつ。
取り繕うようにグレンフィディックがサウザンド家の逸話につい
て話し始める。
過去四百年の間で、白魔法の超級使いを二人輩出した経緯があり、
その人物らは今でも後世に名前が残っているそうだ。
1916
やがてドアの向こうの廊下から、バタバタという音が聞こえると、
バァンとかなりの勢いで執務室のドアが開かれた。桃色の影が部屋
に踊りこんだかと思うと、グレンフィディックの腕に飛びついた。
﹁おじい様! ひどい! どうして早く呼んでくれなかったの?!﹂
今にも泣きそうな顔をした、桃色の髪をした女の子が頬をぷぅっ
と膨らませて怒っている。じいさんの腕をゆさゆさ高速で揺らし、
不満を隠そうともしない。
﹁ひどいひどいひどい! もうおじい様なんて知らないからね!﹂
﹁こらこらパンジー、客人の前だぞ﹂
﹁いつもそう! そうやってはぐらかして! お洋服を買いに行く
約束だってまだだもの!﹂
﹁だからそれは前にも話しただろう。当主が店に行くとなると、そ
れなりの繋がりを覚悟せねばならない。おまえの好きなミラーズに
行くのなら、他の家からはそういう目で見られるのだぞ﹂
﹁そんなの関係ない! そんなの関係ないっ!﹂
﹁あら、はじめましてパンジー嬢﹂
パンジーの発言が終わりそうもないので、思わず横槍を入れた。
パンジーは俺の声で我に返ったのか、ハッとしてじいさんから手
を離し、こちらを見ると顔を赤くして後ずさりした。うつむいてし
まうと、長い前髪のせいで目が見えなくなってしまう。引っ込み思
案なのかもしれないな、この子。
﹁ゴールデン家四女、エリィ・ゴールデンですわ﹂
﹁アリアナ・グランティーノ⋮﹂
二人で立ち上がり、レディの礼を取った。
1917
﹁ご、ごめんなさい⋮⋮ですわ。私はサウザンド家次期当主、グレ
イハウンド・サウザンドの娘、パンジー・サウザンド、です﹂
﹁突然の来訪、ごめんなさい。どうしてもあなたに会いたかったの﹂
﹁それは⋮⋮いったいどうして?﹂
パンジーは敬語が苦手なようだったので、こちらも砕けた言い回
しをしておく。クラリスの調べによると、彼女はエリィの一つ下で、
グレイフナー魔法学校の後輩だ。家柄は上でもこれくらいの話し方
なら問題ない。というより、グレイフナー王国の貴族は、権力を持
って逆らえないという対象ではなく、国のために働く尊敬の対象、
といった位置づけになっており、国民との距離は近い。貴族のスル
メと一般人のガルガインが、バカ、アホ、で呼び合うところからも
格差のなさが伺える。学生同士の敬語うんぬんで首が飛んだりはし
ないから大丈夫だ。
あと不思議なのは、貴族、といっても爵位が存在しないことだ。
地球の制度で当てはめるなら、国王が臣下に土地の支配を認める
封建制に近い。だが、いまいちそうとも言い切れない部分が多々あ
る。
貴族は存在するも爵位がなく、従軍の義務はあるようだがそこま
で強烈でもなく、領地経営には監査が入り住民の声が多く取り入れ
られ、犯罪は専用の司法機関が裁き、魔闘会なる戦いで領地が増え
たり減ったりする。
グレイフナー制度、と新しく名づけて片付けるのが一番いいだろ
う。
政治経済や歴史好きな奴なら何か別の事例と言い換えることがで
きるのだろうが、あいにく俺にそんな知識はないからなぁ。
1918
そんなことを考えていたら、パンジーが上目遣いで前髪の隙間か
らじいっと見つめてきた。
﹁ど、どうしてこちらにいらしたんです⋮⋮の?﹂
俺は言葉を繋ぐために口を開く。
﹁あなたがミラーズの洋服が好きだと聞いて、よ﹂
﹁ああっ! そうなの! 私あのお店のお洋服が好きなの!﹂
パンジーは桃色の髪を揺らしてこちらに近づき、ぐいと顔を寄せ
てきた。
きらきらと瞳が輝き、桃色の唇を上げる。
﹁ミラーズのお洋服は全部買っているの。それから雑誌も買って、
私なりに色々工夫してオシャレになろうとしているんだよ。はぁ∼、
ミラーズのお洋服は素敵だわぁ。それでさっきジャック⋮⋮執事か
らデザイナーが来ていると聞いたのだけど、これから来るのかしら
?﹂
彼女は長い前髪を切りそろえ、ゆるいウェーブのかかった髪を胸
元まで下ろしていた。瞳はグレンフィディックと同じ灰色でくりく
りと丸い形をしており、純真さが垣間見える。頬はピンク色に染ま
だ。パンジーを見
と対極に位置する。
り、唇も見事な桃色で、背中に羽をつけたら本物の妖精と見間違い
そうだった。
クールプリティ系
シュガープリティ系
彼女はアリアナの属する
そう、名付けるならば
ただけで砂糖を食べた甘い気分になる。
1919
ネーミングはともかく、この子は雑誌の小物やアクセサリーコー
ナーでカリスマ性を発揮するかもしれない。可愛いパンジーが、こ
れまた可愛い小物を紹介するビジョンが、いま、俺の脳裏にパッと
浮かんだ。
﹁私が総合デザイナーなのよ。いつもご利用ありがとうございます﹂
エリィスマイルでお茶目にレディの礼を取ると、パンジーが雷に
打たれたような驚愕の表情を作って固まった。あまりの驚きで丸い
瞳を見開き、あうあう言いながら鯉みたいに口を開閉させた。
﹁あ、あなたが?! でもデザイナーは男性だって雑誌に!? あ
あっ! エリィモデル⋮⋮エリィ・ゴールデン⋮⋮ああああああっ
!!!!!﹂
どこのリアクション芸人だ、とツッコミを入れたくなるほどパン
ジーは驚いて窓際まで後ずさりした。その姿が妙に可愛らしくて、
俺とアリアナは顔を見合わせて笑い合ってしまう。
﹁あなたに相談があって来たのだけれど、もう時間がないわ。また
改めて来るから、そのときはお話を聞いてもらってもいいかしら?﹂
﹁え? あ、あのぅ! 一緒にディナーをどうでしょうかデザイナ
ー様ッ!﹂
﹁いやぁね、デザイナー様なんて呼ばないでちょうだいよ﹂
﹁あ、あの、ごめんなさい⋮⋮﹂
﹁そちらのじ⋮⋮グレンフィディック様にもお誘いいただいたのだ
けれど、ゴールデン家は全員で夕食を取るしきたりがあるの﹂
あぶねー。エリィ補正が入らなかったらグレンフィディックのこ
とじいさんって呼んでたぜ。あまりの威厳のなさに。
1920
﹁私も帰りたい⋮弟妹が心配する﹂
アリアナがそわそわし始めた。すでに六時半になっている。帰り
は時間短縮で馬車を貸してあげよう。
﹁それは⋮⋮残念ですわ﹂
そうつぶやき、パンジーは自分を呼ばなかったグレンフィディッ
クに批難の目を向ける。じいさんは孫にそんな目を向けられて、眉
を下げて所在なさ気に乾いた笑いを響かせた。出会ったときの重厚
感はどこへいった。
﹁では明日、お越しください! お願いします!﹂
﹁ええ、もちろん。何時頃がいいかしら?﹂
﹁五時はいかがでしょう?﹂
﹁ええ、いいわよ。今日と同じぐらいの時間ね﹂
﹁いえいえ、午前五時ですっ﹂
﹁早くないかしら?﹂
はええよ。修学旅行の当日に会う同級生かよ。
﹁そんなことはありません。お聞きしたいお話がたくさんあるの!﹂
また敬語が崩れている。パンジーはよほどミラーズの服が好きな
んだな。いま着ている服も、エリィモデルのフレアスカートに花柄
のブラウスだ。
﹁さすがに私にも予定があるわ。クラリス﹂
﹁はい、お嬢様。お昼の十二時にお伺いするのがよろしいかと﹂
1921
﹁その時間でいいかしら?﹂
﹁はい! わかりました!﹂
パンジーが伏せがちな目線を上げて返事をすると、グレンフィデ
ィックがソファから立ち上がり、頬をゆるませて口を開いた。
﹁その時間なら一緒にランチを食べようじゃあないか。な、パンジ
ーそれがいいだろう﹂
﹁ええ、おじい様! そうしましょう!﹂
﹁それでエリィ。相談したいこととは、どういった内容なのだ? パンジーに相談とは、私には想像のつかない事柄だな﹂
グレンフィディックは怜悧な灰色の目をすがめ、こちらを見つめ
てくる。やっと当主らしい顔をしてきたな。
﹁はい。このままではミラーズの洋服が欠品で溢れてしまいます。
ですのでパンジー嬢にご相談をと思いまして﹂
﹁ええっ?!﹂
﹁それは⋮⋮どうしてだ?﹂
﹁あら、グレンフィディック様もおわかりじゃなくって?﹂
﹁⋮⋮可愛い顔をして、なかなか賢い娘だ﹂
六大貴族ほどの大物の耳に、ミスリル値上げの話が入っていない
はずがない。ある程度の事情は把握しているはずだ。調べれば、な
ぜバイマル商会がミスリルの値段を特定の店にだけ高値にしている
のかが分かる。
さて、こちらの欲しい物は伝わってしまった。
だが、向こうが欲しい物を俺は知っている。
立場はイーブン。あとは交渉あるのみ。
1922
﹁おじい様! それは大変よ! ミラーズの服がなくなったら、私
もう生きていけない!﹂
予想通りの展開にほくそ笑む。
相手のニーズを引き出して提案する。これが営業の基本だ。逆を
いうと、こちらの欲しい物を、どれだけうまい具合で見せるかがポ
イントになる。あまり必死に食いつくと足下を見られ、そこまで欲
しそうな様子を見せなければ冷やかしと思われる。
向こうの欲しいモノは、パンジーが着るミラーズの服。
こちらが欲しいモノは、ミスリルの値段を下げること。
グレンフィディックが孫を愛する気持ちが大きいならば、利害は
一致する。
﹁よく分かった。算段をつけた後、返事をしよう﹂
﹁ええ﹂
エリィの瞳に、絶対協力してくれよ、という意思を込めてグレン
フィディックを見つめる。彼はまるで懐かしいものでも見るかのよ
うな表情で、瞬きをした。その目はエリィの後ろにある、遠くのも
のを見ているようだった。
﹁おじい様、絶対にお願いね! エリィさんのこと放っておいたら
一生口を聞かないからねっ!﹂
﹁こらこら﹂
グレンフィディックは俺から視線を外し、孫に愛のこもった苦笑
を向けた。
1923
﹁エリィ⋮﹂
遠慮がちにアリアナが袖を引っ張ってきた。そろそろおいとます
るとしようか。
挨拶もそこそこに、俺達はサウザンド家を後にした。
☆
グレンフィディック・サウザンドはエリィ達が帰ったあと、パン
ジーをなだめるのに三十分ほど使い、夕食を済ませて執務室へ戻っ
てきた。執事がいれた熱い紅茶をゆっくりと啜る。目を閉じればエ
リィ・ゴールデンの優しげな瞳と、よく笑う口元が思い起こされ、
無意識に唇が開いた。
﹁あの娘は、美しいな﹂
﹁⋮⋮さようでございますね﹂
パンジーにジャックと呼ばれていた執事も、グレンフィディック
の意見に同意する。太っているという事前情報は完全に吹き飛び、
屋敷へ案内する際に彼女を見てあまりの衝撃に全身が数秒凍りつい
た。ここまで驚いたのは何年ぶりか彼にも思い出せない。あの子は
美しいだけでなく、力強さがあり、人を惹きつけてやまない魅力が
あった。
﹁あの女に鼻筋と口元が似ている﹂
1924
思い出のアルバムをなぞるように、グレンフィディックは息を吐
き出した。
彼の言い方が妙にはっきりしたものだったので、執事のジャック
はほんの僅かだけ目を細めると、肯定する代わりにティーカップへ
新しい紅茶を注いだ。
﹁いかがされるおつもりで?﹂
普段はこういった突っ込んだ質問はしないが、ジャックは気にな
り、それとなく尋ねる。
グレンフィディックはめずらしい執事の質問をおかしいと思うこ
ともなく、部下たちに集めさせた資料へ目を落とした。
﹁情報を精査すると、ミラーズはバイマル商会と敵対しているよう
だな。バイマル商会がミスリルの値上げを行っている店は、軒並み
ミラーズと取引をしている。大方、ミスリルを餌に自陣へ各店を引
きこもうという腹だろう。ミラーズの生産力を削ぎ、自陣の生産力
を上げる方針だ﹂
﹁気品が欠如したやり方ですが、効果は相当なものでしょう﹂
﹁このまま放置して、あの娘がどのように立ち回るか見てみたくも
ある﹂
﹁見ものではございますが⋮⋮﹂
﹁ああそうだ。それではパンジーが何を言うか分からん。ミラーズ
が潰れでもしたら、わしが一生あやつに恨まれるだろう﹂
﹁あの熱の入れようです。一生恨む、というお言葉は本気でしょう﹂
﹁誰に似たのか頑固なところがあるからな﹂
凝
サウザンド家の人間は古くから頑固者の気質を有していた。それ
は時を経て変貌し、今のグレイフナーでサウザンドといえば、
1925
り性
という代名詞に変わっている。その中でもグレンフィディッ
クの馬好きは特に有名で、彼は各国から全種の馬を集めて飼ってお
頑固
は、サウザンドの先代を指す軽いブラック
り、拡張工事は一度や二度では済まず、どの家よりも馬小屋が大き
かった。
この場でいう
ユーモアだ。
ジャックはわずかに口角を上げると、ティーカップをトレーに乗
せ、代わりにブルーベリーに似た果実の皿をグレンフィディックの
前へ置いた。
﹁が、一時的に嫌われるのも仕方がない﹂
﹁旦那様⋮⋮?﹂
グレンフィディックが灰色の目を光らせ、不敵な笑みを浮かべた。
﹁わしは、エリィが欲しい。サウザンド家に招き入れたい﹂
﹁それは⋮⋮﹂
さすがのジャックも、長年連れ添ってきた彼がここまではっきり
と己の欲を宣言すると思わなかったため、驚きが表情に出てしまっ
た。
﹁おぬしでも驚くか⋮⋮。だがな、今日エリィに会ってわしははっ
きりと分かった。どう記憶を閉じ込めようが、あの女の思い出は消
えぬ。エリィに会ってまざまざとあの若かりし頃の青春が浮かんで
きた。なに、年寄りのたわごとだと笑ってくれていい﹂
﹁笑うなど⋮⋮﹂
﹁ジャック。エリィを養子としてサウザンド家で引き取るぞ﹂
﹁なっ! 本気でございますか!?﹂
1926
ジャックは主人の言葉に、思わず声を荒げてしまう。
グレンフィディックの孫にあたり、今年で十七になるホォンシュ
ーと結婚させてサウザンドに嫁入りさせるのかと予想していたのだ。
それが、まさかの養子宣言。確かに古来より子宝に恵まれない貴族
同士で養子のやりとりはなされていたものの、互いに十分跡取りが
いる場合、よほどのことがない限りは出てこない話題だ。
ましてやサウザンド家もゴールデン家も、子どもがいる。ゴール
デン家は女しかいないが、婿養子を取ればそれで済む話だ。女当主
として代替わりをしてもいい。
何よりエリィが承諾するとはジャックには到底思えなかった。今
日話した感触では、彼女も相当に芯が強い。養子にしてやる、はい
そうしましょう、とはならない。絶対に揉める。
﹁養子にすれば正式にわしの子どもだ﹂
﹁それは⋮⋮そうでございますが。アメリア様とのことはどうされ
るのです﹂
﹁どうされるのです、とは?﹂
﹁会わぬわけにもいかないでしょう。自分の子どもを養子に出すの
でございますから﹂
そうは言ったものの、ジャックはグレンフィディックの瞳に自責
と懐古の光が宿る様子を見つけ、言葉尻が小さくなった。
﹁あやつはわしに会おうとはしないだろう。自分の母親を捨てた相
手だぞ?﹂
﹁それを旦那様が言われるのですか?﹂
1927
主人のあまりの倒錯ぶりに、ジャックは諫言を投げる。
捨てた女の孫を、養子として引き取るなど向こうが承諾するはず
がない。
﹁エリィは四姉妹の中で唯一の光適性者だ。これに運命を感じずに
いられるか?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁無理を通すのがサウザンドだ。わしの最後のわがままだと思って
くれ﹂
﹁さようで⋮⋮ございますか⋮⋮﹂
ジャックはあきらめた口調でつぶやき、恭しく一礼した。
グレンフィディックは過去の女に捕らわれ、妄執を己の心でこじ
らせている。普段ならばこのような意味不明な行動を彼は取らず、
理知的であり、六大貴族の当主らしい人物であった。
それを壊すほど、あのエリィという少女は強い光を放っていた。
眩しく輝き、美しく、まるで婉美の神クノーレリルのような慈愛に
満ち、周囲を明るく照らす光魔法と同じ温かさを有していた。その
すべてが、グレンフィディックにとっては猛毒だったのかもしれな
い。
ジャックはこの先の展開が読めず、異物を大量に飲み込んだよう
な胃のむかつきを覚え、頭の奥がじんわりと硬化していく思考の不
明瞭さを感じ、いいようのない暗い感覚を味わった。とにかく自分
の仕事をやるだけ、と言い聞かせ、当主が正気に戻るまで見守る決
意を固めた。
窓の外では暗闇に紛れたヒーホー鳥が、ゆったりと長い声で鳴い
ている。
1928
このときばかりはのんきに鳴いている臆病者の鳥を、ジャックは
羨ましく感じた。
1929
第7話 オシャレ戦争・その1︵後書き︶
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
敬愛する読者皆さま。お盆、いかがお過ごしでしょうか。
作者でございます。
いよいよ書籍が8月18日に発売となります。
それに合わせてwebでもなにかやりたいッ
という作者のおまつり魂が鎌首をもたげて参りましたので、前々か
ら考えていた本編とは別のショートストーリーを18日にアップし
ようかと思っております。小橋川&エリィではない誰かの話を二つ
ほど・・・ざわ・・・・ざわ・・・
ということで、次回更新は8月18日です。
お時間あれば是非ご覧ください。
また、書籍の表紙がとてつもなく綺麗で素敵です。
それこそステキングが玉座でツイスト踊るぐらい素敵です。
書店でお見かけしたら是非ともお手にとって吟味してください。私
はアリアナの狐耳の毛がふっさふさしてるのに感動しました。書籍
版の題名は﹃エリィ・ゴールデンと悪戯な転換∼ブスでデブでもイ
ケメンエリート∼﹄に変更になっておりますのでご注意ください。
1930
いつもご愛読ありがとうございます。
引き続きよろしくお願い致します。
1931
閑話 スルメの冒険・その7︵前書き︶
書籍発売記念!
ということで本日は時間をあけて2話連続投稿です。お気をつけ下
さい。
また、ほんのちょっぴりお下品でスルメ達らしい回になっておりま
す。笑
苦手な方は次のショートストーリーをお読み下さい。
1932
閑話 スルメの冒険・その7
家の中庭でバスタードソードを素振りしているとメイドがオレを
呼んだ。
魔力循環を切らさずに剣を地面に突き刺し、メイドからタオルを
受け取って顔を拭きながら話を聞く。
﹁ご友人のガルガイン様がいらしております﹂
﹁ガルガインのボケナスぅ? あいつ何しに来やがった﹂
あいつは今、親戚の家で鍛冶仕事の手伝いをしていたはずだ。忙
しくてキツイ、とかこの前ぼやいていた気がするが、オレん家にわ
ざわざツラを出すってのは何の用だ。
﹁渡したい物があるとのことでございます﹂
﹁ああん? まあいいや、ここに呼んでくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
汗を拭き終わり、タオルをメイドに放り投げる。
ガルガインのクソヒゲが何を持ってきたのかはしらねえが、考え
るのが面倒くせえ。会って見てみりゃすぐ分かんだろう。
あいつが来るまで、暇つぶしに部分身体強化の練習をしておく。
腕と足なら、素早く交互に強化することができる。毎日やっておけ
ば、身体強化がより上手くなる、とポカじいが言っていた。
あのじいさんああ見えてマジやべえからな。エリィが師と仰ぐの
もよく分かる。
1933
﹁よう﹂
メイドの案内で、ガルガインが中庭に顔を出した。百五十センチ
のごつい身体を揺らしてそのままこっちに向かってくる。手には布
に巻かれた一メートルぐらいの物体を持っていた。
﹁おう。おめえが家に来るなんてめずらしいじゃねえか﹂
﹁まあな。それよりこれを見ろよ﹂
ぶっきらぼうに言うと、ガルガインのタコナスは持っている物体
に巻きつけてある布を無造作に剥ぎとった。
中から出てきたのは剣だ。無骨な茶色の鞘に入った、両手持ち、
片手持ち、どちらも使える見慣れた風体のバスタードソードだった。
﹁俺が打った。おまえにやるよ﹂
﹁まじか﹂
﹁ああ。旧街道で言っていた、おまえ好みの柄で作った。あとで感
想頼む﹂
﹁おめえ憶えてたのかよ﹂
ゴールデン家の武器庫にあったアメリアさんのバスタードソード
は、剣柄が細い。もうちょい太いほうが握りやすいんだよ、とオレ
がなんとなしに言っていたフレーズをこいつは憶えていたらしい。
意外と人の話を聞いてんな、こいつ。
﹁抜いていいか?﹂
﹁いいぞ﹂
ガルガインが放ってきたバスタードソードを受け取り、鞘から引
き抜いた。金属音が軽く鳴り、銀色の刀身があらわになる。新品の
1934
刃は太陽の光を反射させ、若干オレンジ色に変色した。
オレは剣柄を両手で握り、大上段に構えて一気に振り下ろした。
バスタードソードが空を切り、素振りで聞き慣れたお馴染みの風
斬り音が耳を撫でる。その軽快な音を聞き、後押しされるみてえに
もう二三度バスタードソードを振り下ろした。
﹁いいな。振りやすい﹂
﹁だろ?﹂
へっ、と笑いながらガルガインは指で鼻をこする。
オレはバスタードソードを掲げて眺めながら、口を開いた。
﹁剣柄の太さがちょうどいいな。巻いてある布はなめし加工か?﹂
﹁違う素材を使ってる。おまえは知らねえと思うが、女性物の下着
に使われてる伸縮性のある素材があるんだよ。それだ﹂
﹁へえ、パンツの腰に使ってるアレか﹂
﹁ああ、そうだ。持ちやすいだろ?﹂
﹁女の下着もバカにできねえ﹂
﹁だな。女の洋服に対する根性はすげえ﹂
ガルガインが腕を組んで真面目な顔して言った。おそらくエリィ
が流行らせた、洋服のことを言っているみてえだ。あいつがデザイ
ンした服を売っているミラーズとかいう店は、連日長蛇の列ができ
ている。服のために並ぶとか、まじでありえねえ。
オレはガルガインに軽くうなずいてから、アレを思い出した。
﹁サツキは紐パンだったけどな﹂
﹁らしいな﹂
1935
﹁アレはエロかったぜ﹂
サツキはスリムに見えて、けっこういい腰とケツをしていた。ま
あ、もう一度見てみたくもあるが、あんときに食らったビンタは最
っ高に痛かった。殴られた直後、星が百個ぐらい飛んで目の前がチ
カチカしたからな。
ラッキースケベはあれっきりで充分、というのはオレが出した一
つの答えだ。
﹁ドワーフの間で最近よく使われるようになってるんだよな。樹液
が素材らしい﹂
﹁はあー、木の汁からねえ﹂
この剣柄に巻いてある物が木からできてるとは思えねえ。ついま
じまじと観察してしまう。
﹁樹液とマンドラゴラを混ぜると、固形化すんだよ﹂
﹁おい。むずい話はいらねえぞ﹂
﹁おまえなぁ、ちょっとは武器の素材について詳しくなっとけよ。
あとで役に立つぞ﹂
﹁分かっちゃいんだけどよ、なーんかごちゃごちゃと覚えんの面倒
くせえんだわ。オレはバスタードソードをぶん回してるほうが性に
合ってる﹂
﹁ったく⋮⋮﹂
ガルガインのタコチンが呆れ顔で自分の髭を撫でると、まあいい、
と呟いて新学期の話題を振ってきた。
バスタードソードを素振りしながら、ガルガインとやれ新学期は
どうだとか、必修科目の先生がどいつになるかとか、今年の魔闘会
は誰が有力だ、なんて他愛もない話を脈絡なく話す。
1936
ある程度時間が経ったところで、ガルガインが突然、ニヤリと笑
った。
どうも含みのある笑い方で明らかな悪巧みの空気を感じ取り、オ
レはつい眉を寄せた。
﹁⋮⋮なんだよ﹂
﹁そういやおまえ覚えてるよな﹂
﹁何をだ?﹂
﹁アレだよ、アレ。罰ゲームだよ﹂
﹁ああん? 罰ゲームだぁ?﹂
﹁おまえ言ったよな。エリィが白魔法唱えられたらフルチンで一番
街を疾走するってよ﹂
フルチ︱︱︱︱ッ!!!!?
しまったああああああああああっ!
やべえ、確かに旅の途中でそんなこと言った記憶あるわ。
こいつ⋮⋮この顔はまじでやらせるつもりだぞ。
﹁そのしゃくれ顔は⋮⋮覚えてたな﹂
﹁しゃくれは生まれつきだっつーの﹂
ふざけたことを言うクソドワーフに、思い切り肩パンをお見舞い
する。大して効いた様子もなく、ガルガインが笑い出した。
﹁ぶわっはっはっは! 男に二言はねえよな?!﹂
﹁ぐっ⋮⋮⋮﹂
1937
﹁ねえよなあっ?!﹂
このボケナス、ここ最近で一番の笑顔じゃねえか!
﹁兄さん、まだ稽古ですか?﹂
どんなタイミングなのかしらねえが、黒ブライアンとあだ名をつ
けられた弟のスピードが中庭にやってきた。疲れた顔をしているの
は、エリィの立ち上げたコバシガワ商会とかいう変な名前の商会で
働いていたからだろう。
﹁お、ちょうどいいとこに来たな﹂
﹁ガルガインさん、どうもです﹂
つい先日、エリィの家でガルガインと仲良くなったスピードが、
軽く頭を下げた。
ガルガインは嬉しそうに近づくと、背が低いくせにスピードと強
引に肩を組み、髭面を寄せた。
﹁これからおまえの兄貴はフルチンで一番街を疾走する﹂
﹁な、なんですって?! いったいなぜ?!﹂
﹁罰ゲームだ。男に二言はないってよ﹂
﹁それは⋮⋮なんの罰ゲームなんですか?﹂
﹁光魔法しか使えないエリィ・ゴールデンが、もし白魔法を使える
ようになってたらフルチンで一番街を疾走するって豪語してな。ま
さかとは思ったが、エリィが本当に使えるようになってたってわけ
だ。しかもあいつ、白魔法の中級まで使えるからな。罰ゲーム確定
だろ。むしろフルチン逆立ちの刑だろ﹂
﹁そ、そうなんですか⋮⋮。やっぱりあの人は常人の常識が通用し
ないですね⋮⋮﹂
1938
﹁つーわけで、スルメは今から一番街を疾走する﹂
ガルガインがやたらといい笑顔で人差し指を立て、スピードの前
に高々と掲げた。それを見たスピードは、唸り声を上げてこちらを
見て、オレの考えていることが分かったらしく険しい表情を作った。
そうだ、我が弟よ。オレはフルチンなんてごめんだぜ。
﹁兄さん! あなたはワイルド家の長男なんですよ?! 絶対に︱
︱﹂
いいぞスピード!
その勢いで断れ!
誰かに見つかったら末代までの恥だ。
﹁フルチンで走ってくださいッ!﹂
バッカ野郎! 止めよろまじで!?
﹁おめえ止めろよ! 兄貴がアソコ振り回して一番街を走るんだぞ
?!﹂
﹁男と男の約束でしょう? 反故にしたらもう兄さんは男じゃあな
いです。ワイルド家の男たるもの、結んだ約束は守らねばなりませ
ん﹂
﹁力説すんなよ!? まじ面倒くせえな!﹂
﹁この期に及んでみっともないですよ兄さん﹂
﹁おぅし分かった。じゃあてめえも連帯責任だ﹂
﹁どこをどうしたら連帯になるんです?! 保証人になった憶えは
ないですよ!?﹂
﹁弟だろ?﹂
﹁嫌ですよ本気で!﹂
1939
﹁おいおいワイルド家の長男さんよ。いいのかぁ、このままじゃ男
がすたるぜぇ﹂
ガルガインがオレとスピードの間に割って入り、不敵な笑みをこ
ちらに寄越してくる。
どうやら逃げ道はないらしい。
ったくしょうがねえ。ここまで言われたらワイルド家の名折れだ。
﹁わあったよ! 男に二言はねえっ!!!!﹂
﹁ぶわーっはっはっは! そうこなくっちゃな!﹂
﹁四年生にあがる前に警邏隊のお世話になるんですね⋮⋮残念です﹂
﹁笑いながら言ってんじゃねえぞまじで﹂
スピードは堪え切れない、と笑いを噛み殺してやがる。
﹁スルメお坊ちゃま、お客人です﹂
ワイルド家で一番古株のメイドの婆さんが、オレ達の会話の隙間
を縫って邸宅から声をかけてきた。
﹁誰がスルメだよ誰がッ﹂
﹁申し訳ございません。あまりに呼びやすいもので﹂
﹁オレいちおう次期当主なんだけどなぁ!?﹂
﹁申し訳ございません。呼びやすさには勝てません﹂
﹁もっと敬えよ、まじで﹂
﹁それよりよろしいのですか? 黒髪の美しいご婦人がいらしてい
るのですが。サツキ様、と仰っておりました﹂
﹁おうしわかった呼べ。すぐ呼べ。てめえは光の速さで玄関に戻っ
て案内してこい﹂
﹁かしこまりました﹂
1940
メイドが素早い動きで戻っていった。親父がせっかちなだけに、
動きの良さだけはしっかりしている。
サツキがオレん家に来るとはいったい何用だ?
まあ嬉しいことには変わりねえからいいけどよ。
﹁スルメ、相変わらず暑苦しい顔ね﹂
﹁うっさいわ﹂
旅の途中で聞き慣れた軽口を叩きながら、サツキが颯爽と中庭に
現れた。笑顔で手を振っているところを見ると、かなり機嫌がいい
らしい。ガルガインとスピードを見つけて、軽快に挨拶を交わして
いく。
サツキを誘導したメイドの婆さんが、やけに素早い動きで駆け寄
ると、オレに耳打ちしてきた。
﹁こんな美人逃しちゃなりません。頑張れ∼、お坊ちゃまッ。いけ
いけドンドンファイアボールッ﹂
﹁耳元でごちょごちょと︱︱﹂
﹁打ちも打ったりファイアボールッ。朝でも夜でもファイアボール
ッ﹂
﹁朝でも夜でもってなんだよ?!﹂
﹁では、失礼致します﹂
言いたいことだけ言って、メイドの婆さんはオレにだけ分かるよ
うに口を開けたままわざとらしいウインクを何度も寄越し、ステッ
プを踏みながら去っていった。うちの使用人はどいつもこいつも個
性が強すぎる。つーかババアのウインクほど需要がないもんはねえ
1941
よ。
﹁スルメ、あなた暇でしょう? ちょっと付き合ってよ﹂
サツキはオレとメイドのやりとりを気にしたふうもなく、腰に手
を当てた。
サツキの長い黒髪は結ばずに胸元に下ろされている。白シャツの
上からチェック柄とかいう薄手のロングコートを着て、やたらと足
にぴっちり貼り付いている黒ズボンをはき、紐がないめずらしいブ
ーツを履いていた。ベルトには杖が一本さしてある。
﹁お、なんか今日の服装カッケェじゃねえか﹂
﹁そ、そう?﹂
﹁動きやすそうだしよ﹂
﹁⋮⋮ありがと﹂
なんかサツキのやつ、やけに嬉しそうだがなんでだ? まあいい
か。
﹁で、付き合うってどこ行くんだ﹂
﹁エリィちゃんのやってる店が見たいって言ってたじゃない。行き
ましょうよ﹂
﹁ああ、別にいいけどよ⋮⋮﹂
さっきからガルガインとスピードがとてつもなくニヤニヤした顔
で見てやがるんだよな。クソ鬱陶しい。
﹁サツキ、申し訳ないけどな、スルメはこれから罰ゲームをやらな
きゃなんねえ﹂
﹁罰ゲームぅ? あんた達、また変な賭けしたの?﹂
1942
﹁まあな﹂
ガルガインのクソボケ。ぜってえ楽しんでやがるな。
﹁どんな罰ゲームなのよ﹂
﹁ガルガインさん、さすがに女性に言っていい罰ゲームじゃないと
思うんですが。というより、本当にこんな破廉恥な罰ゲームをして
いいのか、僕も不安になってきました﹂
心配性のスピードが、ガルガインに小声でこそこそと話す。
﹁バカ野郎。為せば成るんだよ。男ってもんはやってから後悔すれ
ばいいってのがドワーフの至言だ。とりあえずやった後に考えりゃ
いい﹂
﹁ああ⋮⋮。今の発言で、ドワーフが酒場に行くと財布が空になる
理由が解明できた気がします﹂
﹁何をコソコソと話しているの?﹂
サツキが会話に首を突っ込んでくる。
﹁教えなさいよ﹂
﹁後悔してもしらねえぞ﹂
﹁変な罰ゲームだったらタダじゃおかないわよ。私はもう卒業する
けど、三月三十一日までは私がグレイフナー魔法学校の主席なんだ
からね。私にも責任というものがあるわ﹂
﹁⋮⋮⋮ペッ﹂
﹁こら、またツバ吐いて。旅の後半では少なくなってたのに、あな
たしょうがないわねホント﹂
﹁癖だ、気にするな﹂
﹁と、に、か、く。どんな罰ゲームなのか聞くまでは私はここにい
1943
るからね。いいこと?﹂
サツキが整った顔をおっかなくさせ、オレ達三人を睨みつけた。
独自の嗅覚で、オレ達の話がうさんくせえと感じたらしい。こいつ
は気が強いから、ごちゃごちゃと言い訳するともっと怒る。ガルガ
インもそれを分かっているから、苦い顔をして反論しない。
⃝
﹁あ、あ、あ、あなた達バカじゃないの!?﹂
ああじゃねえこうじゃねえと尋問され、ついにスピードがオレの
罰ゲーム内容をゲロってしまった。
時間はかなり経っており、日が傾きかけている。
サツキは両目を釣り上げて顔を真っ赤にし、大声を張り上げた。
﹁そんな卑猥なこと、この私が絶対に許しません!﹂
﹁おう、そりゃ助かるわ﹂
﹁助かるわじゃないわよ! スルメは適当に約束しすぎよ。これか
らはもっと気をつけてちょうだい!﹂
﹁わあってるよ﹂
﹁全然分かってないわよね?! もう、今日はここに泊まっていく
からね! ガルガインのことだから、夜中の一番街を走らせるつも
りだったんでしょう?!﹂
ビシッ、とサツキがガルガインを指差した。それを受けたクソド
ワーフは顔を引き攣らせて一歩下がった。
1944
﹁て、てめえなんで分かった!﹂
﹁これだけ一緒にいれば分かるわよ。あなたは常識人だけど、オモ
シロ話に目がないわ。ということは、この罰ゲームを見つからずに
させるにはどうすればいいか考えたら、深夜の一番街で走らせる、
って答えになるじゃない。夜中なら、お酒を飲んでましたって言い
訳すればある程度許されるし、似たような酔っぱらいもいるからス
ルメが⋮⋮わ、わいせつブツ陳列罪で警邏隊に捕まる確率は低いわ﹂
﹁おまえ⋮⋮頭いいな︱︱﹂
思わず癖でツバを吐こうと動いたガルガインにサツキが杖を向け
る。鋭い動きから、身体強化していることが分かった。こりゃあ相
当に怒ってるな。
﹁ツバを吐こうとしない。次吐いたらあなたの大事な髭を剃るわよ、
空魔法で﹂
﹁段々と容赦がなくなってきたぞ﹂
﹁しばらくは監視しますからね、いいことスルメ﹂
じろりと睨まれ、オレは頭をぼりぼりかくしかなかった。
﹁お、おう⋮⋮つーかおめえ今日泊まんの?﹂
﹁だってそうでもしないとあなた達やるでしょ、罰ゲーム﹂
﹁まあいいけどよ﹂
﹁へ、変なことしたら許さないからね!﹂
﹁しねえよ! てかおめえが言い出したんだろう!?﹂
﹁悪かったわね! じゃあ準備してまた来るから、その間あなた達
は絶対ここにいなさいよ。いいわね!﹂
頬を上気させ、サツキはオレ、ガルガイン、スピードへ杖を向け
ると、来たときと同じように颯爽と中庭から出て行った。
1945
⃝
ヤナギハラ家のサツキが泊まりに来ると知ったメイドとうちの母
親は、狂喜乱舞して夕食の準備を開始した。
サツキが来てからはもうめちゃくちゃだった。
誰の誕生祭だよといいたくなるほど豪華な晩餐が用意され、バス
タードソードをくれたガルガインも出席し、メイドと使用人がはし
ゃぎ回る。
ファイアボ
にどれだけ近づけるかというワイルド家伝統の我慢比べを行
全員酒を飲んで、余興だ、と叫んで空中に浮かべた
ール
い、バカな使用人が三人ほどやけどをして光魔法の世話になり、続
炎魔法フレアの舞い
とか
いて勝手にサツキと決闘をはじめて全員コテンパンにのされ、おま
けにオヤジがテンション上がりすぎて
いうバカな踊りで黒焦げになった。
母親は延々と孫が欲しいと言って酒をガブガブ飲んで早々にひっ
くり返るし、しまいにゃメイドの婆さんが夜の睦言についての秘術
を伝授いたします、とかでけえ声で自分のあられもない過去をしゃ
べりはじめて他のメイドに猿ぐつわかまされてっし、ひでえ有様だ。
ガルガインなんか笑いすぎて腹筋がつって地べた這いまわってる
しよ。
スピードは酔った勢いで、アリアナに告る、と息巻いている。ま
じで脈ねえよ。オレでも分かるわありゃ。
まあ何だかんだサツキが楽しそうに笑ってっからいいか。
1946
﹁あなたの家、面白いわね﹂
﹁いつもこんな感じだぞ﹂
﹁へえ∼﹂
笑い泣きで出た涙を指ですくい取りながら、サツキが感心した様
子でうなずいた。
⃝
その後、サツキはワイルド家にしょっちゅう遊びに来るようにな
った。六大貴族のヤナギハラ家の娘がこんなフットワーク軽くてい
いのかとも思うが、向こうの家も自由な家風らしい。
罰ゲームを振ってきたガルガインには、感謝の気持ちとバスター
ドソードを貰った礼として、火魔法が付与された鍛冶用のハンマー
をプレゼントしてやった。
ガルガインのボケナスにしては、いい仕事をした、と言わざるを
得ない。
罰ゲームは⋮⋮このままなかったことになるといいんだが、男が
交わした約束だ。いつかサツキの隙を突いてやるってことになるだ
ろう。ガルガインが言い出すまでは保留だな、保留。
﹁何ぼぉっとしてるのよ﹂
﹁なんでもねえ﹂
﹁今日は時間があるから行くわよ﹂
1947
﹁どこに﹂
﹁エリィちゃんのお店よ﹂
﹁ああ、いいぞ。オレも興味あっからな。行くか﹂
うきうきとテンポよく歩き出したサツキを追いかける。どうやら
新しい服がよっぽど見たいらしい。
洋服についてはイマイチ分からねえが、女が嬉しそうに笑ってい
る姿を見るのは悪くねえ。女ってのは、まじで洋服が好きなんだな。
サツキと一番街へ向かいながらオレはそんなどうでもいいことを
考え、太陽の光を反射させて美しく揺れる黒髪を横目で見つめた。
サツキの横顔は美しく、凛々しく引き締まって、さながら戦いの神
パリオポテスの嫁みたいだった。やべえ綺麗じゃねえかよ、サツキ
のくせに。
﹁なぁに。私に見惚れてるの?﹂
オレが見ていることに気づいたのか、いたずらっ子みてえな顔で
サツキが茶化してくる。
﹁バーカ、んなわけねえだろ﹂
﹁バカって何よバカって。ちょっとは思いなさいよ﹂
﹁世界の果てに行ったら考えてやらぁ﹂
自分の顔を見られないようにそっぽを向いて頭をかく。
﹁何よまったく。スルメのくせに生意気なのよ﹂
﹁誰がスルメだよ誰が﹂
﹁あなたに決まってるでしょう﹂
﹁そうか、オレか。ってオレは認めた覚えはねえからな!﹂
1948
﹁あーはいはい﹂
﹁はいはいじゃねえよ。あだ名つけたエリィ・ゴールデンに今度こ
そ文句言ってやろ﹂
あはは、とサツキが笑う。サツキは何をしても綺麗だった。
クッソ、これ完全にヤラれちまってんじゃねえかよ。テンメイが
ピーチクパーチク言ってやがる恋に堕ちるフォーリンラヴァーズっ
てやつじゃねえか。つーかあいつの話はいちいち名前がうさんくせ
えし小っ恥ずかしんだよ。
あーもうやめやめ、余計なこと考えるのはやめよ。細けえことは
苦手だ。
オレ達はぶらぶら歩きながら王宮の脇道を通り、コロシアムを横
目に一番街へと足を進めた。
なんか適当に出掛けたが、いい休日になりそうだ。
サツキの黒髪は、相変わらず艶めいた光を発しながら、風に流さ
れ楽しげに揺れていた。
1949
閑話 エリザベス・恋の愛し方について︵前書き︶
書籍発売記念!
ということで本日は時間をあけての連続投稿です。お気をつけ下さ
い。
1950
閑話 エリザベス・恋の愛し方について
ゴールデン家次女、エリザベス・ゴールデンは、朝の日課である
魔力循環を終えて湯浴みをし、メイド達に手伝ってもらいながら豊
かな金髪を乾かしていた。彼女の着ているゆったりとしたバスロー
ブは豊満な胸に押し上げられ、大きい曲線を描いている。その艶め
かしい姿を見たら、血気盛んな若者は鼻息を荒くするだろう。
彼女はそんな簡単な事実に気付くことなく、鏡を見て軽いため息
をついた。
鏡の向こうには、母親ゆずりの吊り目にまっすぐに伸びた眉毛、
全体的に勝ち気に見える女が立っていた。
﹁エリザベスお嬢様、何かお悩みですか?﹂
クラリスの娘でメイド長のハイジが、ため息を聞き逃さず訪ねて
くる。質問しながらも手際のいい彼女の手は止まらず、タオルでエ
ウインド
を唱えて髪に風を送っていた。
リザベスの黄金の髪をぱたぱたと拭いている。その後ろでは、別の
メイド二人が
﹁いいえ。何でもないわ﹂
人に頼るのが苦手なエリザベスは、ハイジの問いに、微笑で答え
る。
﹁それならばいいのですが、あまりため息はつかないほうがよろし
いかと﹂
1951
﹁そうね﹂
﹁はい。不安があればなんなりと仰ってください﹂
﹁ありがとうハイジ﹂
気が利くメイドの優しさで少し気持ちが軽くなったものの、鏡に
映る自分を見てすぐに気分が沈む。
エリザベスは、末っ子のエリィが驚くほど美しくなっている現実
にいいようのない不安を覚えていた。理由は、自分だけが三人と違
うからだ。
長女のエドウィーナ、三女エイミー、四女エリィ、全員がゴール
デン家の特徴である垂れ目だった。エリィが痩せたことでその特徴
がよりはっきりとし、自分だけが吊り目で、何となく疎外感のよう
なものを感じてしまう。もちろん長女のエドウィーナはちょっとば
かり変わり者ではあるがいい姉だし、妹二人は目にいれても痛くな
いほどに可愛い。特にエリィはいつも自分に気を使ってアドバイス
をくれ、はっきりと物を言ってくれるので、以前とは別種の心の繋
がりを感じていた。
でも、自分だけが吊り目だ。それがどうしても嫌だった。
そう感じてしまう自分の性格にもちょっと辟易していたし、尊敬
する母にも申し訳無さを覚えてしまう。ああ私ってどうして、とま
たため息をつきたくなって、寸でのところで何とか堪えた。
つまるところ、エリザベスはゴールデン家四姉妹の中で、一番女
の子らしい心の持ち主だった。好きな洋服も以前はふりふりのフリ
ルがついた可愛らしいものだったし、姉妹の誰かが自分に内緒でど
こかに出かけるとひどく寂しい気持ちになる。帰ってきたエリィが
自分にあまり構ってくれないので、ちょっと拗ねてもいた。もちろ
ん、そんな顔は絶対表に出さないが。
1952
エリザベスの悩みはまだある。
日常生活で男性に強くあたってしまう癖が未だに直っていないこ
とだ。エリィに指摘されてから多少マシにはなったものの、男性に
頼み事をする際、未だに恥ずかしさが消えなかった。そういった行
動が彼女自身の性格なので、仕方がないといえば仕方がないのだが、
そこまで理解してくれる男は今のところ現れていない。
日常的に行われるエリザベスの照れ隠しは、目を見張るほどの美
しさと、パッと見でキツイ性格に思われてしまう顔の造形のせいで、
男性陣には効果てきめんだった。
誰からも口説かれない。
デートのお誘いもない。
おっかなびっくり話しかけてくる。
舞踏会でいい雰囲気になったイケメンのハミルは、最初のデート
でやたらとボディタッチが多かったので、もう会っていない。あと
で女友達の情報網から仕入れたところ、彼は相当な遊び人だという
話だった。あのときは格好良かったんだけどな、と思い出してがっ
かりし、同時にビンタしてやりたい気分になる。
ウインド
の詠唱を
舞踏会から一年が経ったなぁ、とエリザベスは再度ため息をつき
たくなった。
﹁乾きました、お嬢様﹂
﹁ありがとう﹂
ハイジがそう告げると、別のメイド二人が
止め、杖をポケットにしまった。
1953
バスローブを脱ぎ、下着を付け、外出用の服を着る。最近ではミ
ラーズの新しい流行の服ばかりを着ている。オシャレの楽しさが最
近になってやっと分かってきたエリザベスは、素直にエリィはすご
いと感心していた。
今日はブルーのシンプルなワンピースに白いカーディガン。明ら
かに防御力は最低ランクだが、エリザベスとメイド達は気にした様
子はない。防御力ゼロの服は首都グレイフナーで確実に認知され、
じわじわと浸透していた。
﹁ねえハイジ﹂
﹁なんでございましょう﹂
﹁エリィは⋮⋮また私を誘ってくれるかしらね﹂
﹁雑誌の撮影、でございますか?﹂
持ち前の洞察力で、ハイジは主語のないエリザベスの言葉を補う。
﹁ええ。あれは、恥ずかしかったけど⋮⋮楽しかったわ﹂
﹁後ほどエリィお嬢様にお聞きしましょうか?﹂
﹁いいのよ。あの子も忙しいでしょう﹂
﹁さようでございますか﹂
ハイジはエリザベスの様子から、これは後で聞く必要があるな、
と察する。
エリザベスはまたモデルをやりたいけど、自分で聞くのは恥ずか
しいし、ハイジに聞いてもらうのも、なんだか催促しているみたい
でイヤだな、と考えて発言していた。
ハイジはそこまで気づき、可愛らしい性格をした美しいお嬢様に
1954
微笑みを送る。あとで丸ごとエリィに伝えれば、うまくエリザベス
を誘導してくれるだろうと考え、あのお方は頼りになる、と勝手に
心の中で独りごちた。
﹁さあ、行きましょう﹂
エリザベスは気持ちを仕事モードに切り替え、メイド達に宣言し
た。
その声を受けたハイジは静かにドアを開け、歩き出したエリザベ
スのあとに続いた。
⃝
魔導研究所がエリザベスの職場だ。
研究所は最先端の魔道具開発、オリジナル魔法開発、魔法陣の解
明と魔法付与が主な役割だった。一流の魔法使いしか就職できず、
非戦闘職を目指す魔法使いにとって憧れの職場でもある。長女のエ
ドウィーナもこの研究所の職員であった。
﹁ごきげんよう。今日もいい天気ですわね﹂
エリザベスは研究所内でも配属最難関と言われている﹃魔法陣解
析﹄の部署の扉を開け、同僚や先輩に挨拶をしていく。
室内は広い。魔法を唱える際に発現する魔法陣を解析するため、
必然的に面積が必要になる。かなりの面積を有する冒険者協会兼魔
導研究所の最上階である七階を丸ごとワンフロア使用しており、壁
を取り払ってぶち抜いてあるため、部屋の奥が肉眼だと見えない。
1955
端から最奥を視認するためには、木魔法中級
身体強化で視力を強化するしかない。
ホークアイ
鷹の眼
を使うか、
エリザベスはミラーズから取り寄せたおニューのパンプスを軽や
かに鳴らしつつ、奥へと進んでいく。彼女が通ったあとには、ほん
のりと香る花の匂いが残る。
﹁おはようエリザベス﹂
﹁ごきげんようですわエリザベス嬢﹂
﹁おお、ゴールデン様。ご機嫌麗しゅう﹂
﹁エリザベスちゃんおっはー﹂
﹁お、お、おお、おはようでございますエリザベス嬢っ!﹂
以前は真面目な顔で﹁ごきげんよう﹂しか言わなかったので、他
の職員はエリザベスを取っつきにくいお嬢様、と思っていた。最近
は練習の効果か、多少なりとも態度が柔らかくなっており、挨拶さ
れた職員らはにんまりと笑って挨拶を返してくる。
そんな周囲の変化に、残念ながらエリザベスは気付いていない。
自分のデスクに着くと、早速やりかけの解析を開始する。
地面探索
アースソナー
を利用し
就職して四月で二年目になる彼女は、比較的難易度の低い土魔法
に関する魔法陣解析の班に配属されており、
た別の魔法陣開発までを目的にしていた。
﹁エリザベスちゃん、ソナーお願い﹂
﹁はいですわ﹂
軽い口調で頼んできたのは班長の三十五歳独身女性、ラブ・エヴ
ァンスだ。彼女は名門貴族の出であったが、運悪く婚約破棄や婚約
者の殉職で婚期を逃している。ボリュームのある薄紫色の髪と上品
1956
地面探索
アースソナー
解析班、独身男性の希望が殺到し、所長が
なかぎ鼻が特徴的な女性だった。
実はこの
苦肉の策で班員を全員女性にするという処置を取らざるを得なかっ
た。どれもこれもエリザベス効果であったが、この被害を一番被っ
たのは、班長のラブ・エヴァンスだった。彼女はこの悲劇に、男い
ねー、うちの班男いねー、といつも酒場で管を巻いている。
地面探索
アースソナー
を唱える。床に手をついて魔法陣が
そんな事情は露知らず、エリザベスは杖を取り出し、無詠唱で軽
やかに土魔法上級
読み手
って
しっかり浮かび上がるよう意識して魔法を使用すると、黄色の魔法
陣がくっきりと床に現れた。
﹁エリザベスちゃんがいてくれて助かるわぁ。いい
なかなかいないのよね﹂
ラブ・エヴァンスがエリザベスを褒めながら、精緻な魔法陣をス
読み手
書き
と、書き
の詠唱が上手いと
読み手
ケッチブックほどある大きなノートへ、かなりの勢いで書き込んで
いく。
に別れており、
魔法陣解析は、魔法を使用して魔法陣を出す
書き手
が楽をできる。
写す
手
﹁やっぱり3版に違いが出るわね。次は広範囲索敵のイメージでや
ってちょうだい﹂
﹁分かりましたわ﹂
エリザベスは疲れた様子もなく、カーディガンから金細工のバレ
ッタを出して頭の後ろで留め、杖を握り直した。
1957
﹁いきますわ﹂
﹁いいわよ﹂
再度、エリザベスは
アースソナー
地面探索
を詠唱する。
今度は先ほどより半径一メートルほど大きな魔法陣が出現した。
魔法の効果で床に添えられた右手から、数百メートルの広範囲に渡
って人の歩く気配がエリザベスの意識下へ送られてくる。
﹁3版と⋮⋮外円にも多少の違いね﹂
ラブ・エヴァンスがつぶやきながら、さらさらと手際よくノート
へ図形を模写していく。
魔法陣の厄介なところは、魔力の出力や個人のイメージで図形が
変わることにある。ここに法則性を見出し、別媒体へ転写可能な魔
法陣の図形を割り出す作業が魔法陣解析の主な役割だ。図形の法則
を解明できれば、他の魔法と共有し、独自の魔法陣を作り上げるオ
リジナル魔法の開発にも一役買うことができる。グレイフナー王国
でいうところの﹃オリジナル魔法陣﹄だ。
オリジナル魔法がネーミングと感覚で作ったものとすると、オリ
ジナル魔法陣を生み出すには図形のパターンで編み出される理知的
な作業が必要だった。小橋川が作った落雷魔法のオリジナル魔法は、
完全にネーミングと魔法センスに依る。一方でオリジナル魔法陣は、
地面探索
アースソナー
を使いながら、近くにエリィかエイミ
データを集約させてパーツを組み合わせるパズルのようなものだ。
エリザベスは
ーがいないか感覚で探っていく。何も考えずにこの魔法を使うと、
半径百メートルの範囲で地面の上を歩く物体の情報が彼女の頭に入
ってくるため、雑音がひどい。他のことを考えて気を紛らわすのが
一番よかった。姉のエドウィーナを入れていないのは、彼女が地下
1958
二階の実験室にいると分かっているからだ。
当然、足音の感覚のみで姉妹を判別できるわけはなかった。まし
てやこの時間にあの二人が、冒険者協会兼魔導研究所の近くを通る
とは思えない。見つかるわけないよね、とエリザベスは考えて、何
となく寂しい気持ちになった。
﹁もういいわよ﹂
﹁はいですわ﹂
エリザベスは杖に込める魔力を切った。さすがに使用時間が長か
ったため、軽く息が乱れる。当然、二人の気配を見つけることはで
きなかった。
﹁3版がミソね⋮⋮﹂
ラブ・エヴァンスが自分の頬にペンをぴたぴたと当てながら思案
顔でノートを睨む。
魔法陣は便宜上、八つに分けられて解析される。六芒星の頂点を
﹃1版﹄と呼び、時計回りに、﹃2版﹄﹃3版﹄と続き、中心部が
地面探索
アースソナー
は三番目の区分に顕著な変化が現れるよ
﹃心臓版﹄、魔法陣を覆う円が﹃外円﹄と呼称される。
土魔法上級
うだ。
﹁班長、どうでしょうか﹂
エリザベスが深く息を吸いながらラブ・エヴァンスのノートを覗
き込んだ。
1959
﹁風魔法の数倍複雑ね。ここだけでも第二菱型陣形の上に古代文字
が刻まれているわ﹂
﹁木魔法に多く見られる形ですわね﹂
﹁ええそうよ。全員集まったら古代文字を抜き出して、翻訳すると
ころからはじめましょう﹂
エリザベスはラブ・エヴァンスの言葉を聞いて優雅にうなずき、
デスクから古代文字の辞典を取り出した。彼女の眉は引き締まり、
完全にデキる系女子のオーラが全開になっている。
ラブ・エヴァンスは、これでもうちょっと可愛げがあればモテる
のにね、と心の中で思いつつも、そんな不器用なところがこの子の
いいところよねぇ、と考えなおし、いつも変わらぬ真面目さで仕事
に打ち込むエリザベスを微笑ましく見守った。
そして最後に、うちの班男いねー、男成分が足りねー、と胸中で
拳を振り上げて大海原に絶叫するがごとく嘆くのだった。
⃝
仕事を終え、家族で夕食を囲み、エリザベスは自室でのんびりし
ていた。最近の趣味は雑誌を読むことだ。とはいっても﹃Eimy﹄
は全部で三冊しか刊行されておらず、すぐに見終わってしまう。
すべてを読み返すと、自分がモデルをやっているページを何気な
く眺めることが日課になっていた。
風呂あがりでベッドに寝転がり、バスタオルで頭を巻いている姿
は、何とも美しく可愛らしい。うつ伏せに寝転がると張りのあるヒ
ップがパジャマからぽよんと突き出される。スケベじじいが見たら
1960
﹁たまらんっ﹂と叫ぶことだろう。
エリザベスが写っているのは﹃Eimy∼秋の増刊号∼﹄の5ペ
ージと7,8ページ。特に気に入っているのは、7,8ページのチ
ェックシャツの着回し特集だ。﹃私はチェックに恋シテル﹄のキャ
ッチコピーが右上にあり、五つの着回しをしている自分が様々なポ
ーズを取っている。
エリザベスは写真撮影の場で、あまり緊張しなかった。写真家の
テンメイがやけに褒めてくれるので気分が良かったし、出来上がっ
た雑誌に写っていた自分の姿は嫌いではなかった。それに、妙な高
揚感もあった。
写真で撮られ、その姿を他人に見られるにも関わらず、どうして
自分が興奮しているのかエリザベスには分からなかった。目立つの
はそんなに好きじゃなかったんだけどな、と思いつつも、楽しかっ
た撮影会の時間が胸に焼き付いて頭から離れない。
エリザベスは足をぱたぱたと動かしながら雑誌に再度目を落とす。
挑むような目線をこっちに投げ、流行りのチェック柄を着ている
自分は、強くて何でも一人で解決できそうな、自分自身の理想の姿
に見えた。
実際は違うんだけどね、と心の中で呟いてページをひとつ前に戻
す。
雑誌がぱらりとめくられると、ノックの音がした。
﹁エリザベス姉様、いる?﹂
﹁いるわよ﹂
1961
﹁ちょっといいかな?﹂
﹁お入りなさい﹂
身を起こしてベッドに腰をかけると同時に扉が開いて、可愛い妹
のエイミーが顔を出した。
エイミーは輝く金髪を揺らして部屋に入ってくると、エリザベス
が手に持っていた雑誌を見て目を輝かせ、次に開かれているページ
が自分とエリザベスがコラボして写っているところだと知り、笑顔
になった。
エリザベスの隣に座ると、雑誌に顔を寄せた。
﹁私このページすごく好きなの! よく撮れてるよね。さすがテン
メイ君﹂
﹁私も好きなのよ、このページ﹂
エイミーになら自分の気持ちを正直に伝えることができた。この
子は本当に裏表がなく、誰にでもいい意味であけすけだ、とエリザ
ベスは思う。
﹁エリザベス姉様って素敵よね。私、足太く見えちゃう﹂
﹁何言ってるのよ、そんなに変わらないでしょう﹂
﹁そんなことないよ∼﹂
﹁私よりエドウィーナ姉様よ。姉様がいたら絶対に負けるわ﹂
﹁たしかに。エドウィーナ姉様のスタイルの良さは反則! あっ。
そういえば、エリィがいずれエドウィーナ姉様もモデルに誘うって
言ってたよ﹂
﹁それは⋮⋮うまくいくかしらね?﹂
﹁どうかな? 全員でできたら嬉しいけど、エドウィーナ姉様は研
究で忙しいでしょう。姉様なにか聞いてないの?﹂
1962
﹁部署が違うからね﹂
﹁お家じゃあまりお仕事の話、してくれないもんね﹂
﹁配属部署があそこじゃ仕方ないことよ。⋮⋮それにしても、そん
なに変わらないと思うんだけど?﹂
﹁だからそんなことないって∼。エリザベス姉様の足、綺麗すぎだ
よ﹂
エリザベスは雑誌を注視した。
5ページのキャッチコピーは﹃これがグレイフナーで流行するチ
ェック柄! オシャレ力が上位超級!﹄となっており、白黒のギン
ガムチェックシャツの上からセーターを着たエイミーと、紺と緑の
タータンチェックスカート姿のエリザベスが背中合わせてカメラに
視線を送っている。
どれだけ見ても、足の太さはほとんど変わりない。強いていうな
らば、エイミーの太ももの肉付きがエリザベスに比べて若干いいか
も、と見える程度だ。だが本人に取ってはわりと重大なことらしい。
これを他のグレイフナー国民の女子に言ったら、ただの自慢にしか
ならないだろう。
﹁また一緒に撮影するの楽しみだね!﹂
エイミーが急に満面の笑みで言ってくるので、エリザベスはドキ
ッとして思わず雑誌を落としそうになった。そして冷静を装い、目
をすがめつつエイミーを見る。
﹁また私もモデルになるのかしら?﹂
﹁ええ! スケジュールはクラリスとハイジで調整してくれるよ。
姉様さえよければ、どうかな? エリィがこの雑誌を見てすごく喜
んでいたんだよ。特にこの二人のページ!﹂
1963
﹁まあ﹂
誘拐事件から戻ってきて美しくなり、一皮剥けたエリィにそう言
われると、やけに嬉しく感じる。エリザベスは表情を隠しきれずに
微笑んだ。
﹁私の垂れ目と、エリザベス姉様の吊り目って、なんだか相性ぴっ
たりだと思わない? 本当は私、姉様みたいな吊り目がよかったん
だけど、こうやって一緒に写っているのを見るとやっぱりこの目で
よかったかもって思うんだよね﹂
﹁あら、それは⋮⋮どうして?﹂
エリザベスはまさか妹がそんなことを考えているとは夢にも思わ
ず、つい真顔で聞き返してしまう。
﹁だって私が吊り目だなんて似合わないよ∼﹂
あっけらかんとして顔の前で右手をちょいちょいと振るエイミー
は、相変わらず邪気がなくて、見る者の毒気を抜いた。エリザベス
はエイミーのそんな所作を見て、自分が悩んでいたことがバカバカ
しく思えてきて可笑しくなってしまい、クスクスとお上品に笑いは
じめた。
段々と笑いが込み上げてきて、エリザベスは右手で口を隠し、左
手でお腹を押さえて上半身を前に倒した。声を上げて笑わないよう
堪えているので、苦しいらしい。頭にかぶったバスタオルがズレる
のも構わず、エリザベスはクツクツと笑い続ける。
﹁あ∼、ちょっと姉様、笑わないでちょうだいよっ!﹂
エイミーが少女の頃のように、遠慮なくエリザベスの肩を揺する。
1964
まさか彼女も自分の発言で、普段笑わない姉がここまで笑うと思わ
なかった。
﹁ご、ごめんなさい⋮⋮どうしても我慢できなくって⋮⋮﹂
﹁もうひどい! ぷんぷん丸!﹂
エイミーは旅の途中でエリィに教えてもらった﹃ぷんぷん丸﹄と
いう怒ったときに使う効果音を実践した。単に小橋川が言っている
エイミーを見たかっただけのネタだ。エイミーは﹃えいえいおー!﹄
に続き、このフレーズが結構気に入っている。
しばらくしてようやく笑いが収まったエリザベスはエイミーに謝
り、雑誌のモデルを快く引き受けた。
﹁私が垂れ目でも変よね﹂
そうつぶやきながら、エリザベスは雑誌に写る自分と妹を見比べ
る。
エイミーの言う通り、吊り目の自分と垂れ目のエイミーが背中合
わせに写っている写真には何ともいえない一体感があり、二人の顔
のパーツが似ていることで姉妹だと見る者に思わせるも、相反する
瞳の違いが二人の個性を強烈に際立たせていた。 似ているけど全然似ていない、そんな言い回しがまかり通るのが
このページだ。事実、この二人のページは女性のあいだで非常に人
気があった。
﹁まずは自分を好きにならないとね﹂
エイミーが彼女らしからぬことを言う。
1965
﹁エリィが前に言ってたの。自分を認められないなら、まだ他人を
愛する資格がないのよ、って﹂
﹁あの子そんなこと⋮⋮﹂
エリザベスはその言葉に、張り手を食らったような大きな衝撃を
受けた。
自分は父のようないい男と結婚したい、恋したい、とずっと思っ
ていた。それは他人から与えられるものだと信じて疑わなかった。
見た目だってそれなりにいいし、家柄も悪くない。いずれ運命が自
分にいい人を連れて来てくれるだろうと、楽観視していた。そのく
せ、姉妹でひとりだけ吊り目だということをずっと気にしていた。
﹁砂漠の国でジャンさんとコゼットさんの話を聞いたときに、そう
いう話題になったんだよね。エリィは色々考えてるなぁって感心し
ちゃった。私も、もっと自分のことを好きになろうって思ったんだ。
だから姉様、雑誌のモデルを一緒にやってくれてすごく心強いよ。
ありがとう﹂
﹁私こそ⋮⋮あなた達が妹でよかったわ﹂
エリザベスの嘘偽りのない言葉だった。
こんなにも前向きで眩しい妹がいてくれてよかったと心から思う。
﹁雑誌の撮影、頑張ろうね!﹂
﹁そうね﹂
﹁んふふ∼﹂
猫のように笑って肩をすぼめるエイミーは可愛らしかった。彼女
は小さい頃から自分に構ってくれたエリザベスにいつも甘えている。
エイミーは、姉妹全員が好きで好きでしょうがなかった。
1966
エリザベスはエイミーの姿を見て微笑み、恋の前にまずは自分を
好きになることからはじめよう、と決意したのだった。
エリザベスはこの日から、日に日に美しくなっていく。
彼女特有の刺々しさがなくなれば、デキる系女子でありつつ、包
容力があるモデルとして爆発的な人気が出ることは容易に想像でき
た。
そのあと吊り目と垂れ目の姉妹は、ジャンとコゼット、二人の砂
漠での恋愛譚で盛り上がった。エイミーはエリィに聞いただけであ
ったが、コゼットの家で一泊しており、仲睦まじい二人を自分の目
で見ていたため話に熱が入る。エイミーの熱弁のおかげか、エリザ
ベスの脳裏にも愛し合う二人の姿が広がった。
エリザベスは、いずれ自分もジャンとコゼットのような甘く熱い
恋がしたいと思う。
それがいつになるかは誰にも分からない。
グレイフナーでは婉美の神クノーレリルが微笑み、恋慕の神ベビ
ールビルが手に持った真紅の鐘を気まぐれに鳴らすとき、男女の奇
跡が起こると言われている。この二神が本当に存在するのであれば、
前向きに努力する娘に力を貸したいと思うことだろう。
この日、ゴールデン家の屋敷からは、夜更けまで美しい姉妹の話
し声と笑い声が消えることはなかった。
1967
第8話 オシャレ戦争・その2
サウザンド家を訪問した次の日、バイマル商会の店舗を視察して
から再度サウザンド家へ向かった。メンバーは昨日と変わらず、俺、
アリアナ、クラリス、御者にバリーだ。デザイナーとしてジョーを
連れてくる案もあったが、グレンフィディックのじいさんのあの感
じから察するに、この交渉にメンズは不要とみた。
馬車内で俺とアリアナ、クラリスは微妙な顔を作り、ため息に近
い吐息を漏らした。
﹁それにしても⋮⋮ねえ?﹂
﹁あれはひどい⋮﹂
﹁さようでございますね⋮⋮﹂
先ほど見てきたバイマル商会がオープンさせた﹃バイマル服飾﹄
は、ほとんどがミラーズの模倣品であり、柄や形にはなんのひねり
も加えていなかった。丸パクリだ、丸パクリ。
﹁でも、あれはあれで良い手法、と言わざるをえないのでしょうね﹂
﹁そうでございますね。服の系統としては、防御力ゼロで安価な商
品を扱う﹃ミラーズ・ディアゴイス通り店﹄と酷似しております﹂
﹁高級志向のエリィモデルには対抗できないと思ったからでしょう﹂
﹁お嬢様がブランドにこだわる理由がようやく深く理解できました。
エリィモデルは専用のタグがなければ偽物でございますから、顧客
が模倣品に流れません。さらには縫製技師の腕が良くなければ模倣
後追い
を諦め、それに取って代わる高級志向の﹃ミス
品すら作れないでしょう。バイマル商会とサークレット家はエリィ
モデルの
1968
リル服飾店・サークレット﹄なるものを一番街へ出店しております﹂
﹁ミスリルの服を流行らせたいんでしょうね﹂
﹁時代遅れ感が否めません。ミスリル製の服は数年前にブームが過
ぎ去りました﹂
﹁ミスリルは形が古いし値段も高いから、エリィモデルの脅威にな
らないわ。アイテムの一つとしては悪くないけどね。それより問題
は丸パクリしている﹃バイマル服飾﹄よ。けっこうお客さんが集ま
っていたわ﹂
後追
は生み出す苦しみを味わずに
と、二番目の
後追
﹁国民としては最先端の服が安く買えればいいと思っておりますか
後追い
先駆者
がここまで有効だとは思っておりませんでした﹂
ら、仕方なのないことだとは思います。お嬢様が仰っていた
い
だと言われているわ。
﹁大きな儲けが出せるのは一番目の
い
商品を作ることができるけど、必然的に内容が薄っぺらいものにな
りやすい傾向があるわ﹂
﹁確かに言われてみればそうかもしれません﹂
しっかしこれはまずいかもしれないな。
サウザンドの懐柔が頓挫したら、一気にやられるかもしれん。
バイマル商会が圧力をかけている縫製技師が取引を拒否したら、
ミラーズの生産力が落ちて在庫不足になり、たちまち客が﹃バイマ
ル服飾﹄へ流れる可能性が高い。
サウザンド家を完全に懐柔できなくとも、一時的でいいので、バ
イマル商会への牽制をしてもらいたい。どうにかして味方に引き込
まないといかんな。
サウザンドはグレイフナー王国一の綿の生産地を有しており、合
わせてグレイフナー国内に存在する商会とのパイプが太い。万が一、
敵対されて商会との繋がりを分断され、綿の卸値を上げられたら完
1969
全にアウトだ。
﹁エリィ。あのじいさんはちょっと変だった⋮﹂
アリアナが無表情に言った。
彼女の危険察知能力はかなりのものだ。たしかに昨日初めて会っ
たにしては、やけに好感度が高くてどうにも様子がおかしかった。
そしてアリアナの中で、グレンフィディックはすでにあのじいさ
ん呼ばわりになっている。クールプリティッ。
﹁クラリス。グレンフィディック・サウザンドの経歴から何か分か
らない?﹂
﹁魔闘会二十連勝、白魔法師協会名誉会長、奈落攻略隊参加⋮⋮数
えればキリがない武功と経歴の数々でございます。ですが生の情報
が少なく、わたくしにはあの方がどういった人物であるか分かりか
ねます。単にお嬢様の美しさに胸打たれてご興味を持たれたのでは
?﹂
﹁それはそれで困るんだけど⋮⋮ね﹂
﹁このまま気に入ってもらえれば万々歳ではありませんか﹂
﹁そうねぇ﹂
第六感が警告を発しているんだよな。
好感度が高いぞよっしゃあ、と諸手を上げて喜ぶにはいささか疑
問が残る。もう少し様子を見たい。ただ、あまり懐柔に時間をかけ
ると、ミラーズと契約している縫製技師がミスリル値上げの圧迫に
負けて契約を打ち切ってしまう可能性があるからなぁ。現に不穏な
動きや発言をしている店がちらほらと出ているらしいし。
現状、圧迫を受けている店は全部で六十八店舗。そのうち商会が
一つ。
1970
商会は個人経営の小さな縫製店をまとめてくれているため、離反
されると生産力が二割減る。ちなみにその商会は﹃ウォーカー商会﹄
という名前で、ウォーカー家という領地数340個の名門貴族の流
れを組んでいる。
小規模な店との強いネットワークを持つこの家は、サウザンドと
も繋がりが強い。サウザンドを引き込めば、自然と味方についてく
れる存在だ。
サウザンドに会う前に現状を簡単に整理しておくか。
六十八店舗中、重要な取引先は六つある。
商会
・﹃ウォーカー商会﹄
縫製店
・﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄︵大量生産向き︶
・﹃バグロック縫製﹄︵職人気質。主にエリィモデルを製作︶
・﹃チュピーンフォーチュン﹄︵新作開発。タイツなど︶
布店
・﹃グレン・マイスター﹄︵中型老舗。横の繋がりが強い︶
・﹃サナガーラ﹄︵大型店。開発と大量生産が強み︶
商会を除く、上記五つの縫製店、布店が離反した場合、ミラーズ
への入荷が40%失われる。
﹃ウォーカー商会﹄の取引が全体の20%と考えると、一商会、
1971
五店舗で60%をまかなっているわけだ。
ミサが営業したおかげで布店は特殊柄の商品を他社へ卸すことは
禁止されている。だが、契約書には取引を中止してはならない、と
いう項目はない。そのため、他社への流出は防げるが取引中止の歯
止めにはならず、店側が﹁ミラーズとの取引は一旦中止でお願いし
ます!﹂と言ったら、注文済みの商品の入荷が終わった時点で何も
作ってくれなくなる。
一方、縫製店は布店と違い、契約内容が曖昧になるため難しい。
スカートは他社で作らないでね、と提案しても、スカートの種類ど
んだけあるんだよって話になるし、スカート全種類の取引を独占に
したら、スカート生産はミラーズのみが収入源になってしまう。大
きい店舗だと、あまりよろしくない契約だといえる。
逆をいうと、小型店は全面的にミラーズ商品のみを扱う独占状態
になっており、バイマル商会の圧迫を受けても全く問題ない。従業
員五人で頑張ってます、という店だと規模が小さくてミラーズの縫
製にしか手が回らないためだ。小さな店と多く契約していたのは僥
倖といえる。
しっかしねぇ、﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄なんかの大型店は多
種多様の縫製商品を取り扱っているため、敵さんの介入の余地があ
るんだよな。例えば色んな店からスカートを受注しているとして、
ミラーズとだけ独占契約するわけにもいかないだろうよ。他の店か
らも儲けられるなら、他社とも取引するべきだ。
利益が見込めるミスリルの代金が高くなる↓他社より受注料が高
くなる↓ミスリル関連の仕事が来なくなる↓他社に遅れを取り店の
名声が落ちる↓利益が減るし店の信用度も落ちるし困る↓バイマル
商会が敵対しているミラーズとの取引をやめてミスリルの値段を戻
してもらおう。こんな一連の流れになる可能性が高く、これこそが
1972
サークレット家の狙いだ。
やはり考えれば考えるほど、バイマル商会のミスリル値上げは厄
介だな。
なんとか雑誌の創刊までに問題をクリアして、今後は新素材開発
に力を入れよう。そんでもってミスリルを廃れさせる。そうすれば
今後、こういったことは起きなくなるし、サークレット家の経済に
も打撃を与えられる。一石二鳥だ。
⃝
サウザンド家に着くと、執事に中庭へと通された。よく手入れさ
れている中庭に移動式のパラソルと大きな丸テーブルが準備してあ
り、その上に食器類が綺麗に並んでいた。
パンジーとグレンフィディックはすでにテーブルについていたよ
うで、仲良さそうに話している。こちらに気づくと、二人とも嬉し
そうな顔で立ち上がり、歓待してくれた。
﹁ごきげんようエリィさん。私、昨日頂いたエリィモデルを着てい
るのっ﹂
パンジーが頬を赤らめながら顔を伏せ、長い前髪のあいだから上
目遣いにこちらを見つめてくる。
そんな孫を見て、グレンフィディックが鷹揚に手招きをして俺達
を席へ導いた。じいさんはち切れんばかりの笑顔じゃねえか。完全
に親戚っぽい扱いになっとる。
1973
﹁パンジーごきげんよう。まあ、よく似合うわね。妖精のお姫様み
たいよ﹂
﹁まあ! お世辞でもうれしい!﹂
ひとまず気を取り直してパンジーに挨拶をする。
彼女は柔らかい生地でできたピンクベージュのシフォンプリーツ
スカートをはいていた。インナーに白いレースのシャツ。アウター
が極薄のブラウスだ。パンジーの桃色頭髪がいいアクセントになっ
ており、配色のバランスが良く、お昼のお庭でこれからお食事会な
のですウフフ、というお金持ちのお嬢様感がほとばしる。
ちなみにこの新作、端的にいうとめちゃめちゃ高い。生地を多め
に使い、均等にプリーツを作る技術をもった職人が製作するためコ
ストがどうしても掛かる。
それでも、コストに見合ったオシャレさがあるな。このスカート
は一見、他の服と合わないように見えるが、わりとなんでも合わせ
られるという不思議デザインだ。雑誌にしっかりとコーディネート
例を掲載すれば売れるだろう。
個人的にはデニムシャツにシフォンプリーツスカート、麦わら帽
をかぶった爽やか美人なエリザベスが見たい。
﹁お二人は今日も素敵だわ∼﹂
﹁ありがとう﹂
﹁ん⋮﹂
俺とアリアナは白と黒のお揃いのシンプルなワンピースを着てい
る。何の飾りっけもない服で綺麗に見えちゃうエリィとアリアナの
スタイルの良さね。
﹁おお、よく来たね。さあ座りなさい﹂
1974
グレンフィディックのじいさんが破顔して椅子を勧めてくるので、
クラリスが引いてくれた椅子に腰をかける。アリアナも礼を言って
ちょこんと座り、位置が気に入らなかったのか、むむっと口をすぼ
めて俺のほうへ少し椅子を寄せた。
軽い世間話をしながらランチタイムは進んでいく。
フランス料理に似たラインナップは美味しく、つい顔がほころん
でしまった。テーブルの後ろには執事と給仕が控え、さらにその後
ろには様々な花で色彩豊かに彩られた庭が広がり、離れた場所から
吟遊詩人の歌う声とハープの音色が軽やかに耳を撫でる。花の香り
が鼻孔を優しく触り、適温のハーブティーが音もなくカップへ注が
れる。異世界の蝶がひらひらと蜜の香りに引き寄せられ空中で不規
則に揺れる姿は、音楽に合わせてリズムを取る踊り子のようだった。
リゾート地でバカンスをしているようなゆったりとした時間が流れ
ていく。
どうしよう、ものすごく優雅なんだけど。贅沢って最高だなおい。
食事が終わると、ハーブティー片手にパンジーが庭のどの部分を
自分で手入れしているかを熱心に教えてくれた。引っ込み思案らし
い彼女が一生懸命説明する姿は心が温まる。時々、俺やアリアナと
目が合うと、きゃっ、と恥ずかしそうに俯くところがなんともいじ
らしい。アリアナの目はすでに年下を見るお姉ちゃんモードになっ
ていた。
さらに話は弾み、洋服の話題へと移った。
﹁ミラーズの新作はいま作っている最中なの?﹂
パンジーが瞳を輝かせて尋ねてくる。エリィの姿に慣れたのか、
1975
敬語がだいぶなくなってきていた。
﹁ええそうよ。今回はチェック柄と新作をいくつか考えているわ﹂
﹁まあ! それはすごい!﹂
﹁ただ、昨日もお話したけど、ちょっと問題があってね⋮⋮﹂
﹁ああっ。ミラーズの洋服がなくなってしまうかも、というお話ね。
おじいさま、どうにかならないの?﹂
パンジーがグレンフィディックへ視線を向けた。楽しげに孫と俺
達が話す姿を見ていた彼は、優しげな表情のまま口を開いた。
﹁わしのほうでも色々調べたのだがな、協力することに問題はない。
だがな、こちらに利がないのだよパンジー。エリィはどう考えてい
るんだ?﹂
そうきたか。
孫の愛にほだされるほど軽くないってことだな。仕方ない。ある
程度の取引はすべきか。
﹁まず、グレンフィディック様の利益は、パンジーの愛と、洋服が
好きな女性達の愛を得られることだわ﹂
﹁ほう。エリィは相変わらず面白い言い回しをする﹂
﹁このままミラーズが事業縮小をすれば、安価に売られている今の
シリーズの値段が高騰し、新作デザインも少なくなる。そうなると
グレンフィディック様は困らなくとも、パンジーが悲しむでしょう﹂
﹁そうよおじいさま! いっつも私との約束を破っているのだから
ね! エリィさんを助けてくれたら今までのことは帳消しにしてあ
げる!﹂
﹁はっはっはっは、パンジーも言うようになったじゃないか﹂
﹁おじいさま! またそうやって私のことバカにしてっ﹂
1976
いつもこんなやりとりをしているのか、パンジーが片頬をふくら
ましてむくれている。こんな顔をするパンジーが可愛いから、ああ
やってからかってしまうじいさんの気持ちは分からないでもない。
﹁その利益は実に魅力的だがな、私もサウザンド家を統べる長とし
て家の不利益になることはしたくない。もちろん、経済的な意味で
だ。バイマル商会と対立する行動は、ミスリルを取引しているわし
からするとあまりいい案とはいえんな﹂
これはじいさんが俺の申し出を婉曲的に断る逃げ口上だ。サウザ
ンド家は領地内の自警団にミスリル製の防具を採用していない。昔
から白いイメージを重視しているため、彼らが好んで使う防具は銀
と白銀だ。
﹁グレンフィディック様は、ミラーズに協力するのは得策ではない
とお考えかしら﹂
﹁利益の面で見れば。だがエリィとの縁を大切にできる一面もある﹂
﹁ふふっ。私と仲良くなっておいて損はないわよ。今ね、ミラーズ
でミスリルに代わる新素材を作っているの。これが上手くいけば莫
大な利益が手に入るわよ﹂
﹁なるほどな。完成品を優先的にサウザンド家にまわしてくれると
?﹂
﹁そうね。開発費を出してくれればマージンを差し上げるわ。これ
には王国も噛んでいるのよ。国王様はたいへん興味を示されていた
わね﹂
﹁国王が? エリィは国王に謁見したのか?﹂
﹁ええ。つい昨日の話よ﹂
﹁⋮⋮おぬしは人の想像を超えるな﹂
1977
やけに嬉しそうな顔でグレンフィディックがテーブルに両肘をつ
き、手を組んでうなずいている。後ろにいる執事も国王と会ったこ
とに若干の驚きを見せていた。そりゃ、一学生が国王に会って営業
してんだもんな。びっくりするわ。
グレンフィディックはひとしきり感心し、テーブルから肘を離し
て背を伸ばすと、紅茶を飲んで息を吐いた。
﹁エリィ、話は分かった。協力しよう﹂
﹁まあ、本当に?!﹂
きたきたぁ! 嬉しさは抑え気味のほうがいいんだが、ついつい
声が大きくなってしまう。あと、エリィも喜んでるっぽいな。感覚
で分かるぜ。
﹁ただし、条件がある﹂
﹁なにかしら?﹂
﹁エリィ⋮⋮わしの養子にならないか?﹂
⋮⋮え? 養子?
養子って、あれだよな。血の繋がらない子どもを自分の子どもと
して養うっていう、あれだよな?
⋮⋮ええっ?!
ちょ、ちょっと待てじいさん!
何がどうなって養子にしたがるんだよ。想像を超えてくるのはあ
んただわ!
いやいやいやいやまじで意味わかんねえよ!?
﹁養子? 養子って⋮⋮あの?﹂
﹁そうだ﹂
1978
グレンフィディックは真顔でまっすぐこちらを見つめてくる。怜
悧に伸びる灰色の瞳がこちらを見据えていた。じいさんの瞳には揺
らがない決意のようなものが見て取れる。どうやら本気らしい。
落ち着け。クールにいこう。クールエリィアンド小橋川オーケー
アハン?
アリアナがめっちゃ驚いているらしく、ぐわっと目を開けてじい
さんを見て、耳をせわしなく動かしている。
ちらっと後ろを見ると、クラリスは驚きを通り越したのか、無機
質な顔でグレンフィディックを睨みつけていた。視線からは周囲を
凍らすかのような冷気を発している。こわい。久々にこのオバハン
メイドこわい。
﹁おぬしを見た瞬間、運命を感じた。光魔法適性で、奥手のパンジ
ーとすぐに打ち解け、芯が強くて商売人の才能がある。サウザンド
家に欲しい人材だ﹂
﹁差し出がましいとは存じますが発言をお許しください﹂
クラリスがグレンフィディックの声にかぶせるようにして一歩前
に出た。
ここで止めても彼女は絶対に引かないだろう。
﹁はっきり申し上げますと、そのご提案は承諾できかねます。エリ
ィお嬢様はゴールデン家のご家族様と使用人達が誰よりも愛するお
方であり、あふれんばかりの才能をお持ちでございます。お家の行
く末を担っていると言っても過言ではございません。養子などとい
う世迷い事は撤回いただけるよう、ご一考いただければ幸いです﹂
反論は許さない、という強い口調でクラリスが一礼して一歩下が
1979
った。
﹁まあまあクラリス殿、そう短絡的にならずに話を最後まで聞いて
ほしい。これはエリィにとって悪い話ではないぞ。まずサウザンド
家の養子になればミラーズとコバシガワ商会に便宜を図れることは
間違いない。洋服に必須な綿の入荷も今まで以上に安価に仕入れが
でき、新素材の開発費用なども六大貴族のサウザンド家であれば簡
単に捻出できる。さらには白魔法師協会への加入も容易だ。習得の
難しい白魔法の教えを優先的に受けることが可能で、恒久的に親族
となったゴールデン家の方々もその援助を受けられる。損な話など
一つもない﹂
﹁なぜエリィお嬢様なのです? 条件に合う方は他にいると思いま
すが﹂
﹁確かに探せばいるだろう。しかし、サウザンド家に見合う風格と
才能の持ち主は簡単には見つからんな﹂
﹁サウザンド家は一家の大切なご令嬢をわざわざ養子に取るほど人
材不足なのでございますか? わたくしはそのような家にエリィお
嬢様を養子になどとても考えられません﹂
﹁いや、人材は豊富にいるぞ﹂
﹁ではなぜでしょうか?﹂
﹁一言で言うならば、エリィのことが気に入ったのだ。エリィのよ
うな才気溢れる美しい乙女には最高の環境と最高の教育を与えるべ
きだと考えた。いわばこれは義務だ。才能あふれる若者が己の生ま
れた環境のせいで芽が出ず、群集に埋没していく姿はこのグレイフ
ナー王国においても存在する悲しい出来事であり、王国にとって大
いなる損失でもある。六神もわしの行動を賞賛するだろう﹂
﹁ゴールデン家ではお嬢様はダメになる。群衆に埋没してしまう。
だからサウザンド家で引き取る。そう仰るのですね﹂
﹁ゴールデン家を否定しているわけではない。今よりも、より良い
環境になる。そう言っているのだ﹂
1980
﹁⋮⋮さようでございますか﹂
クラリスは無表情のまま眉毛をぴくぴくさせて絞りだすように答
えた。
やべえ。これは相当怒ってる。
口を全く動かさずに小声で﹁じじい殺すぞコラ⋮⋮﹂とか言って
るしまじでやめてください。
にしてもどうするよ。絶対養子にはなりたくないぞ。
エリィ・サウザンド⋮⋮意外と語呂がいいな。ってそんなこと考
えてる場合じゃねえ。
しかし要求が無茶すぎるだろ。いきなり養子になれってありえな
いわ。
﹁あのぉ⋮⋮おじいさま? エリィさんを養子として迎えることが
協力する条件になるのはなんでなの?﹂
﹁パンジーは嬉しくないのか? エリィがサウザンド家に来ればお
前の親族になるんだぞ﹂
﹁エリィさんが親族⋮⋮﹂
パンジーは長い前髪の隙間からちょろちょろとこちらを見て顔を
赤くしている。
﹁嬉しいけど⋮⋮そんな重大なことを急に言われたらエリィさんが
困るでしょう? おじいさまは昔からなんでもそうやって無理を通
してきたってジャックから聞いているんだけど、今回もそうなの?﹂
パンジーがじいっとグレンフィディックを見つめ、じいさんは根
負けしたのか目を逸らして執事を見た。ジャックと呼ばれた執事が
1981
恭しく一礼する。
﹁ミスリルの取引は便宜上だっておじいさま前に言ってたじゃない。
それにミラーズはこれからもっともっと売れるよ。そんな条件付き
でエリィさんを困らせて、味方するなんておかしいと思う﹂
パンジーがはっきりした口調で言い、テーブルから身を乗り出し
てグレンフィディックに詰め寄る。
やべえパンジーめっちゃいい子。人の気持ちを考えられるいい子
や。それに、引っ込み思案で世間に疎いのかな、と思っていたら全
然違った。この子、頭いいぞ。家の事情をちゃんと理解しているし、
ある程度サウザンド家の物資流通を理解している。
アリアナがパンジーの頭を撫でたそうに尻尾を動かしていた。ぱ
っと見るとアリアナは無表情だけど、俺には分かる。この緊迫した
空気の中で、プリティ狐耳美少女という和みを発見。
﹁私、エリィさんと家族になるのはすごく嬉しい。でも、それで誰
かが怒ったり悲しんだりするのは良くないと思う。クラリスさんが
あんなに怒っているんだよ。おじいさま、考えなおして?﹂
グレンフィディックは孫にここまで言われて動揺するかと思いき
や、特に気にしたふうもなくゆっくりと口を開いた。
﹁パンジー。おまえに家のことはまだ早い。何度も言うが、これは
才能ある若者を憂いた行動だ。この条件を撤回するつもりはない﹂
六大貴族の威厳ある態度でグレンフィディックが背もたれに体重
をかけた。
1982
﹁どうするエリィ。養子になるならサウザンド家は全面的にミラー
ズとコバシガワ商会に協力しよう。断るようであれば、それなりの
行動をさせてもらう﹂
﹁それなりの⋮⋮?﹂
﹁ああ、おぬしならだいたい予想できるのではないか?﹂
サウザンド家がサークレット家と同様、ミラーズの契約している
店を締め上げる、と言っているのか?
そんなことされたら、まずいなんてもんじゃねえぞ。取引先の半
分はやられるんじゃねえか?
﹁⋮⋮ひどいわ﹂
ぽつり、とエリィがつぶやく。
勝手に口が動いた。
グレンフィディックを見つめると、彼はほんの僅かではあるがう
ろたえ、そして自分の中にわだかまっているものをかき消すように
笑った。
﹁期限はいつまでがいいかな?﹂
﹁少し⋮⋮考えさせてちょうだい⋮⋮﹂
﹁分かった。ではゆっくりと返事を待つとしよう﹂
﹁お嬢様、考える必要はございません。グレンフィディック様、パ
ンジーお嬢様、わたくし達はこれにて失礼致します。お話の途中で
中座するご無礼お許しください﹂
問答無用でクラリスが言い放ち、深々と一礼すると、優しくも有
無を言わさぬ力強さで俺の手を取った。
1983
﹁では、参りましょう﹂
﹁そうね﹂
ひとまずこの場を離れたほうがよさそうだ。俺が冷静でも、クラ
リスの怒りボルテージが臨界点まできている。アリアナは怒ってい
ないが、完全な無表情になっていた。
俺とアリアナは席から立ち上がり、レディの礼を取った。
﹁それではグレンフィディック様、ごきげんよう。パンジー、また
学校でね﹂
﹁返事を楽しみにしているぞ﹂
﹁エリィさん!﹂
パンジーが弾けるようにして椅子から離れて俺の手を取ってくる。
﹁また⋮⋮また来てほしいの⋮⋮。学校で、なんて寂しいことを言
わないで﹂
﹁あらあら﹂
パンジーは遠回しにもうここには来ないよ、と言った意味を理解
したみたいだ。
﹁アリアナさんも、また⋮⋮絶対に来てね﹂
﹁ん⋮﹂
そう言うと、アリアナはパンジーの頭を一度だけ撫で、ほんの少
しだけ微笑んだ。弟妹に見せるような愛しさが混じったアリアナら
しい笑みだった。
パンジーはそれを見て何を感じたのか、じんわりと瞳に涙をため
1984
てシフォンプリーツスカートを両手で握りしめ、自分の顔を前髪で
隠すようにしてうつむいた。
﹁ごきげんよう﹂
再度、グレンフィディックへと挨拶をする。
じいさんは椅子に座ったまま、目を細めて俺のことを見つめてい
た。何を考えているのか表情からは読み取れない。ただ、彼の中に
何かが渦巻いているように感じたのは、気のせいではないだろう。
背後に控えていた執事へと視線をズラすと、哀れみとも悲しみと
も取れる視線をこちらへ向けて深々と一礼し、そのあとは何の感情
も読み取れない顔に戻った。
俺達は音もなく現れたメイドに案内され、一度も振り返らずにサ
ウザンド邸宅を後にした。
1985
第9話 オシャレ戦争・その3
クラリスは恭しくサウザンド家のメイドに一礼し、邸宅から出て
馬車に乗り込むなり、顔面のパーツ全部を般若みたいに釣り上げて
絶叫した。
﹁あのクソジジイィィィぃぃぃッッ!!!!﹂
家に帰るまで堪え切れなかったらしい。
﹁エリィおじょうすぁむぁを! 養子にぃぃ?! 愛するエリィお
じょうすぁわまをおおおおおおっ、養子にするですってえええ!!
? 偽りの神ワシャシールに舌ぁ引っこ抜かれて死んでおしまいッ
ッ!!!﹂
﹁クラリース。どうどう、どうどう﹂
﹁お嬢様! なぜそんな冷静でいられるのです?!﹂
﹁なんだ?! どうしたっ!﹂
バリーがたまらず御者席から馬車内へ首を突っ込んでくる。
﹁サウザンド家のじいさんがミラーズの援助をする条件として、エ
リィお嬢様を養子にしたいと言っているのよ﹂
﹁よう⋮⋮し?﹂
ようし
が
養子
だと理解したらしく、大きく息
バリーは単語の意味が分からなかったのか強面の眉間にしわを寄
せ、三秒後に
を飲んだかと思うと顔中を赤くし、怒りで奥歯を噛み締めた。
1986
﹁養子だとおぉぉぉっ!? 舐めとんかサウザンドォッ!!﹂
̶̶̶パァン!!!
あまりの怒りにバリーは握っていた手綱を振り下ろした。
急に鞭打たれた馬が驚いていななき、馬車が急発進する。俺とア
リアナは、座席から落ちそうになってお互いを支えあった。クラリ
スは低い天井の馬車内で仁王立ちをし、どういう原理なのか微動だ
にしない。
﹁おい。サウザンドは本気なのか? なぜ養子などという戯れ言を
?﹂
馬車を御すため、いくぶん冷静になったバリーがクラリスにぶっ
きらぼうな言葉を投げる。まずは怒りより事情を把握だ、と自分に
言い聞かせているらしい。
今にも殴りこみに行きそうな顔をしているバリーに、クラリスは
サウザンド邸宅で起きた一連の流れを簡単に説明し、俺達が置かれ
ている状況と背景を話した。
﹁あの男の言い方、脅しよ。エリィお嬢様の美しさに抗えなかった
のでしょうよ。ふんっ﹂
﹁お嬢様を脅すなど不届き千万。打ち首にしてくれるッ!﹂
﹁賛成っ!﹂
ゴールデン家のメイドとコックの夫婦が即座に出した結論はこれ
だった。
1987
﹁どうやってヤる?﹂
﹁相手は天下の六大貴族サウザンド家当主。私達のような木っ端な
使用人が束になっても敵わないわ。ここは奥様にご相談するのが吉
でしょう﹂
﹁おお、そうだな!﹂
﹁領地から腕に覚えのある若者を呼びましょう。⋮⋮ふふふっ、メ
イドが本気出したらどうなるか見せてやろうじゃあないの。覚悟し
なさいサウザンドォ!﹂
﹁討ち入りだ! 不肖バリー、お嬢様のために身命を賭す!﹂
なぜ討ち入りする方向で話がまとまってるんだよ。
それ一番やっちゃいかんことだからな。
﹁おだまりっ!﹂
俺が一喝すると、エリィの可愛らしい声がビリビリと馬車の窓を
揺らした。
軽く黙ってもらうつもりが、自分でも思ったより声が出てびっく
りしたわ。エリィは怒ると声色と言い方がエリィマザーに似るな。
結構な迫力だ。
﹁イエスマム!﹂
﹁イエスマム!﹂
クラリス、バリーはすぐに真顔で敬礼した。
息ぴったりすぎだろ。
あとバリーは前を見なさい。
場の空気を戻すために一つ咳払いをして、話を進める。
1988
﹁討ち入りはダメ。一騎打ちもダメ。とにかく冷静に対策を考えま
しょう。どんな事柄にも突破口は存在するわ。ひとまず、お母様と
お父様に相談は必要ね。というより、ゴールデン家、ミラーズ、コ
バシガワ商会、全員に事の経緯を話す必要がありそうだわ﹂
﹁⋮⋮お嬢様はどこまでも前向きでございますねぇ﹂
﹁私は起こったことをどうこう言うより、これからどうするかを考
えるほうが得意なのよ。まあ、あのじいさんに怒りを感じないか、
と質問されたら、もちろん答えはノーだけどね﹂
﹁じいさん嫌い⋮。パンジー可愛い⋮﹂
アリアナが長い睫毛をぱちぱちと瞬かせる。
﹁出会って二日目の私を養子にしようとする理由が知りたいのよね。
私は怒るよりも不可解でもやもやした気分になったわ。ちょっと変
だと思わない?﹂
﹁そうだね⋮﹂
﹁その辺の調査をしながら、サウザンド家の後方支援がないやり方
で﹃Eimy﹄の創刊を目指しましょう。まだ負けが決まったわけ
じゃないわよ﹂
﹁かしこまりました。サウザンドのクソジジイに新しい雑誌を見せ
つけて洋服の在庫をたんまり用意し、ぎゃふんと言わせたあとに打
ち首でございますね!﹂
クラリスが晴々しい笑顔で言う。
﹁さっきから何度も怖いこと言わないでちょうだい! ここは江戸
?! 江戸なの?!﹂
思わず叫んだ。
1989
クラリスが赤い旗を振られた猛牛のごとく急接近してくる。
﹁お嬢様、えど、とは?!﹂
﹁こっちの話よ! あと顔が近いわ! それより打ち首なんて二度
と提案しないでちょうだい!﹂
﹁ええ∼っ?! 打ち首はなしでございますか?!﹂
ウインドソード
﹁なんでさも私が了承したかのごとく打ち首で話が進んでるのよ﹂
﹁そのような不貞な輩は打ち首か爆死、もしくは
で細切れがスジかと⋮⋮﹂
バリーが御者席から車内に首を突っ込んで神妙な面持ちで言う。
いやいや、あんたらいつも物騒だからほんと。どんなスジだよ。
そんなスジやだよ。
﹁とにかく! 筋肉と魔法でどうこうする話はナシ! いいわね?
!﹂
﹁そんなぁ⋮⋮﹂
バリーが力なく手綱を引っ張る。
﹁ぶーぶー、でございます﹂
俺がこっそりエイミーに教えていたブーイングのやり方を真似る
クラリス。いつの間に習得したんだよ。
﹁ダメよ。とにかくダメ。サウザンド家って強いんでしょう? 討
ち入りしたら返り討ちに合うだけよ﹂
﹁言われてみれば⋮⋮グレンフィディック・サウザンドは定期試験
922点のツワモノでございます。次期当主のグレイハウンド・サ
ウザンドが893点。その長男のエリクス・サウザンドが876点。
1990
サウザンド家の血縁者ほとんどが光魔法適性を持ちますので、手傷
電打
をま
エレキトリック
を負わせても回復されてしまいます。かなり厄介と見て間違いござ
いません﹂
﹁でしょう? 討ち入りは現実的じゃないわ﹂
﹁戦力の拡充を図れば無理ではございませんが︱︱﹂
﹁図らないでちょうだい﹂
たしなめるように睨みを入れ、ついでに人差し指に
とわせる。電流の鳴る音が響くと、クラリスは背筋を伸ばした。
﹁かしこまりましてございます!﹂
﹁よろしい。クラリスはコバシガワ商会のメンバーとミラーズの従
業員をゴールデン家に招集してちょうだい。営業終了後に集合する
形でいいわね﹂
﹁承知いたしました﹂
﹁その間に、私はアリアナとミラーズに行って各店舗用のプレゼン
資料を作るわ﹂
﹁プレゼン、でございますね﹂
プレゼンの意味はクラリスに伝えてある。ピンときたようだ。
﹁どのみち有力な店の離反を防ぐためにプレゼンはするつもりだっ
たからね。準備は早いほうがいいわ﹂
﹁さすがお嬢様﹂
﹁バリー、先にミラーズに行ってちょうだい。本店のほうよ﹂
﹁かしこまりました。オラァ、もっと脇ぃ寄せろやボケェ!﹂
会話に加わりたくてうずうずしていたバリーは急に話を振られて
嬉しかったらしく、やけに張り切って返事をした。うん。バリーは
もっと対向車に優しくなろうね。
1991
﹁アリアナ、時間は大丈夫?﹂
﹁大丈夫。途中でアルバイトがあるから抜けるけど⋮﹂
﹁たしか﹃狐嬉亭﹄っていう酒場よね?﹂
﹁ん⋮﹂
﹁ごめんなさいね。モデルの仕事が始まったらしっかりお給金を出
すわ﹂
﹁気にしないで。弟妹を見てもらっていた恩があるから⋮﹂
﹁ありがとう。落ち着いたらアリアナがバイトしてる姿を見に行き
ましょうかね﹂
﹁それはダメ﹂
﹁あら、なんでかしら?﹂
﹁恥ずかしい⋮﹂
アリアナは窓の外へとそっぽを向いた。狐耳がぺたりと下がって
いる。きゃわいい。
狐耳を両手でつまんで立ち上がらせ、優しくもふもふしておく。
﹁コバシガワ商会、ミラーズ、ゴールデン家、すべての今後の進退
に関わってくるわ。間違いなく全従業員を呼んでちょうだい、いい
わねクラリス﹂
﹁おまかせください﹂
﹁まずは対策。それからグレンフィディックがなぜそんな行動に出
たのかを調査ね﹂
﹁徹底的にやりましょう。格下貴族だと思ってやがるあのジジイに
メイドの鉄槌を﹂
﹁クラリス、言葉が少々キツくなっているわよ。ゴールデン家のメ
イドとしての優雅さも忘れないようにね﹂
﹁これは大変失礼いたしました。お嬢様のこととなると、つい﹂
﹁クラリスとバリーの気持ちは嬉しいけどね﹂
1992
エリィはみんなに愛されてるからなぁ。
てかちょっと待てよ⋮⋮。
この話、家族に話したら怒り狂うかもしれん。というより絶対に
激昂するだろ。前に俺がスカーレットに襲われたときだって、父母、
使用人達が完全武装したからな。今回の話はアレよりレベルが断然
上だ。
ふっ。このポジ男の俺ですら、ちょっとばかし不安になってきた
ぜ⋮⋮。特にエリィマザー。あの人が本気で怒ったらまじでやばい。
上位上級の爆裂魔法をサウザンド家にぶちこむ可能性がある。
もうこればっかりは、家族と使用人達が怒らずに話を聞いてくれ
ることを祈るしかないな。
眠れる獅子よ、起きるなかれ。
⃝
ミラーズへ着いた俺とアリアナは、クラリス、バリーと別れ、店
内へと入った。
俺を見つけた店員が黄色い声を上げ、客がその様子を見て色めき
立った。前回の騒ぎで人気者になっちまったぜ。まあ、エリィと俺
のカリスマ性を考えたら当然のことだ。
適度に愛想を振りまきつつ、工房へ入り仕事をしていたジョーに
事情を説明して、遅れてやってきたミサにも状況を説明する。
1993
二人はサウザンドの婉曲的な脅しに憤慨し、打倒バイマル商会の
闘志を胸に燃え上がらせた。
﹁で、どうするつもりなんだ?﹂
ジョーがハンチングをかぶり直し、天然パーマで丸まっている前
髪を無造作に帽子の中へしまい込んだ。
彼は実際的な精神の持ち主だ。自分の能力が営業や経営に向いて
いないと分かっているため、変にそっちの話に首を突っ込まず、素
直に今後の流れを確認してくる。
﹁お父様とお母様に事情を説明するわ。貴族の情報は二人のほうが
持っているでしょう﹂
﹁サウザンド家の意図を探るってことだな﹂
﹁ええ。私だけで済む話ではないからね﹂
一人でどうこうできるとは、さすがの俺も思わない。むしろここ
は王国の貴族事情に詳しいであろう父と母に助言を求めるべき場面
だ。
﹁一先ず、計画通りに動きましょう﹂
﹁取引先の店舗に営業をかけるんだっけ?﹂
﹁そうよ。私達にできることをやりましょう﹂
﹁そうですね。離反を引き止めるのが命題です。縫製技師、布屋、
卸問屋が向こうになびかずミラーズ側につけば我々の勝ち。離反す
れば負けです﹂
ミサがキリッとした表情でうなずく。
俺が砂漠に行っているうちに、彼女は四店舗の店を持つ経営者だ。
随分と頼もしくなったな。
1994
﹁分かりやすくていいわ。ということで、プレゼンの準備をこれか
らしましょう﹂
⃝
その後、四時間をかけてプレゼンの準備を行い、途中でアリアナ
がバイトで抜け、入れ替わりでクラリスがやってきた。彼女はサウ
ザンド家が取引している店の一覧を調べてきており、資料を見せて
くる。プレゼン準備は止め、サウザンドの動き予想と対策案を考え
相関図にしてまとめると、あっという間に一時間が経過した。
時計を見ると午後七時になっている。
計数
カウント
が付与されたレジスターを、店員の二人が工房へ
閉店する呼び声と準備の音が店から聞こえてきて、しばらくする
と風魔法
運んできた。
へえ、わざわざレジごと裏に運んで保管するんだな。
レジの形が地球と同じ形状で笑える。やっぱ便利を追求すると同
じような形になるらしい。
先日、俺が来店した時に叫んでいたポピーとマグリットが手早く
売上げの計算を終わらせる。手際の良さに感心していると、ミラー
ズ各店舗の店員が売上げを次々に持ってきて、それをミサが確認し
ていった。
気付けば部屋には十数人が集まっていた。
話し声が別の場所から聞こえるので、どうやら部屋の外にも人が
1995
集まっているようだ。ゴールデン家に招集されたため、まずは店に
集まってきたのだろう。
﹁お嬢様、お待たせ致しました﹂
作業を終わらせたミサが、申し訳無さそうな顔で一礼した。
﹁もう大丈夫なの?﹂
﹁はい、本日の業務は終了です。あなた達、こっちにいらっしゃい
!﹂
工房のドアを開けて、店内にいる従業員をミサが招き入れた。
ぞろぞろと入ってきた従業員達は全員若々しい女性で、精一杯の
オシャレをしている。ざっと獣人が三割、人族が七割といった割合
だ。皆、恐縮しているのか壁際に並び、好奇心の強い視線を室内へ
滑らせている。これで工房内は三十人ほどの人で埋まった。
﹁みんないいかしら! こちらのお嬢様が、ミラーズ総合デザイナ
ーのエリィお嬢様よ! 粗相のないようにね!﹂
ミサが誇らしげに胸を張って宣言する。
いやまあ、さっきから椅子に座ってる俺をみんなチラチラと見て
たんだけどな。
周囲から﹁まあ!﹂とか﹁お美しい!﹂とか﹁先日、賊を退治し
たのよ﹂など、女子特有の黄色い声が上がる。女が部屋に集まると、
甘い匂いと、明るくてちょっと騒がしい独特の空気になるよな。も
う慣れちまったよ。喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、とりあえず
男だったらウハウハの状況だ。みんな見た目を意識しているから可
愛いしな。
1996
神にチェンジを要請する!
女から男へのチェンジィッ!
神様信じてねえけどっ!
うん⋮⋮知ってる。心でどれだけ叫ぼうが現実は変わらないって
ことぐらいな。このやり場のない気持ち。せめて叫ばせてくれ。
﹁お嬢様、両手を広げてどうされました?﹂
﹁いえ、なんでもないわ﹂
ミサが不思議そうな顔でこちらを見てきたので、華麗なる一回転
で神への懇願ポーズを解いた。
﹁皆さんごきげんよう。私がゴールデン家四女、ミラーズ総合デザ
イナー、コバシガワ商会会長、エリィ・ゴールデンですわ﹂
レディの礼を取って簡単に挨拶をすると、なぜか﹁わっ!﹂と拍
手が巻き起こった。
ポピーとマグリットが嬉しそうに﹁ね、ね、だから本当だって言
ったでしょう?! 金髪で、垂れ目で、ツインテールで、物凄くス
タイルがよくて、足が長くて、顔が小さくて、優雅で可憐でお淑や
かなのにどことなく行動力がありそうな、女神みたいな女の子が総
合デザイナー様だって!﹂と早口にまくし立てて自分の手柄のよう
にはしゃいでいる。
ミサが二度手を叩くと、従業員はぴたりと静かになった。おっ、
1997
教育が行き届いてるね。いいぞ。
﹁本来ならばエリィお嬢様のお話をたまわるところだけど時間がな
いわ。これから全員でゴールデン家へ向かいます。話は聞いている
わね﹂
皆、神妙な面持ちでうなずく。
﹁貴族様の家におじゃまできるチャンスだからといってはしゃぎす
ぎないように。いいわね!﹂
﹁はいっ!﹂という景気のいい返事とともに、従業員は一糸乱れぬ
一礼をした。両手を腹の上に乗せ、優雅に一礼する三十人はなかな
かに爽快な眺めだ。
⃝
クラリスの手配よろしく、馬車が六台やってきて全員が乗り込み、
ゴールデン家へ到着した。
門前で待ち構えていたメイド達が中へと案内していく。
俺を先頭にしてミサ、ジョー、ミラーズ従業員がゴールデン家の
だだっ広いダイニングルームへと入室した。
室内は人数を考えて立食形式になっており、女性に気を使った一
口サイズの美味そうな料理が並んでいる。
部屋の奥にある椅子に、エリィマザーと父ハワードが座っており、
二人の前にはテーブルが置かれている。当主らしく、夫婦は立食に
は参加しないようだ。
1998
すでに食事は始まっており、エイミー、エリザベス、エドウィー
ナが三人並んで会話に花を咲かせ、ゴールデン家使用人がてきぱき
と働き、コバシガワ商会の従業員が和やかに談笑している。
ウサ耳のウサックス、スルメの弟の黒ブライアン、スルメの家臣
のおすぎ、アリアナの弟フランク、写真家のテンメイ、コピーライ
ターのボインちゃん、新入社員など、商会のメンバーが勢揃いだ。
まずは奥まで行き、父と母に声をかけた。
﹁ただいま戻りました﹂
﹁おかえりなさいエリィ﹂
﹁おかえり。皆さんも、今日はエリィのためにわざわざ足を運んで
くれてありがとう﹂
エリィマザーがにこりと笑い、イケメンな父が、ミサ、ジョー、
若い女性人に微笑を向ける。
二人ともワインを飲んで上機嫌だ。
美人なエリィマザーとイケメンのハワード・ゴールデンを見て、
従業員の女子達が甘いため息を漏らしている。
今日はどうやら入室した人から好きに食べていい自由な夕食のよ
うだ。普段は必ず全員で同じ時間に夕食をするゴールデン家にとっ
て、これはめずらしい。
﹁エリィおかえり∼。あら皆さん、ごきげんよう﹂
エイミーが嬉しそうな笑顔で近づいてきて俺の腕を取り、洗練さ
れた優雅な所作で全員にレディの礼を取る。これまた、みんなから
ため息が漏れた。しかも、﹁ホンモノッ! 雑誌の表紙の!﹂なん
1999
て小さな叫び声が聞こえてくる。エイミーも気づいたら有名人だな。
﹁エリィ、遅かったじゃない。先に食べているわよ﹂
エリザベスが笑顔で言う。こっちに戻ってきてからあまり話せて
いないから、今度エリザベスとはゆっくり話したいもんだ。彼女を
見た従業員の数名が﹁あの方のファンなの!﹂とひそひそ話を繰り
広げた。なるほど、エリザベスも人気があるらしいな。
﹁新しい洋服、いいわね﹂
エドウィーナが妖艶な笑みを浮かべてワイングラスを口元へ運ぶ。
どうやらエドウィーナはレース系のワンピースがお好みのようだ。
スタイルの良さを存分に活かした着こなしをしている。てか全体的
にスケスケでエロい。これはまだグレイフナー国民には早いデザイ
ンだろう。
挨拶もそこそこに、メイドと執事らが手早く全員分の飲み物を配
っていく。
すべての参加者にグラスが行き渡ると、父ハワードがワイングラ
ス片手にゆっくりと立ち上がった。
参加者がそちらに注目する。
﹁私がゴールデン家当主、ハワード・ゴールデンだ。今日はエリィ
のために集まってくれ、感謝する。ミラーズとコバシガワ商会に関
わる重要な話があるとのことだが、まずは腹ごしらえといこう。料
理はたっぷりと用意してあるので気兼ねなく食べてくれ。腹が減っ
ては魔物は倒せぬ、と言うしな﹂
ハッハッハ、とハワードが垂れ目を下げて軽快に笑うと、周囲か
2000
らも笑い声が漏れる。
﹁それでは、素晴らしき出逢いに、乾杯!﹂
ハワードの音頭とともに、そこかしこでグラスを合わせる音が響
き、場が和やかな空気になった。
皆、大いに食べ、闊達にしゃべる。
グレイフナーという国は、国民がエネルギッシュだ。
最近思うんだけど、俺ってこの国と相性いいんじゃないか?
考え方がシンプルで生き方が力強く、明るくて情に厚い。
日本に帰りたいって気持ちはある。でも、ここで知り合った人達
との関係が終わりになるのは辛いものがあるよなぁ。まあ⋮⋮その
辺も含めて考えていかないとな。つーかまだ俺、エリィだし。俺と
いう存在は全員と関わりがないわけで、それはそれで俺が元の姿に
戻ったらどうなんの、って話もある。
いや、元に戻れるの前提になってるが、手がかりは六芒星魔法ぐ
らいしかないんだよな。って色々考えていても仕方ない。心構えだ
けはしておくか、色々と。
物事はどうにかなるし、自分でどうにかするって気持ちが大事だ。
前向きにいこうぜ。
料理を食べつつウサックス、クラリス、ジョー、ミサ、エイミー、
エリザベスと話していると、バイトを終わらせたアリアナがやって
きた。食事は弟妹と済ませてきたらしい。
ある程度時間が経ったところで食後のデザートとお茶が配られ、
2001
ハワードが立ち上がった。
﹁では、落ち着いたところでそろそろ本題に入ろう。エリィ、前に
来て皆さんに何があったのか話しなさい﹂
﹁はい、お父様﹂
前に出て、スカートの裾をつまんで礼をし、並んでいる全員の顔
を見た。
美人な姉三人にゴールデン家使用人、ミラーズの面々、コバシガ
ワ商会のメンバー。全員、真剣な表情になっている。改めて、これ
だけのメンツを巻き込んでビジネスをしていることに興奮を覚えた。
いいね。たまらなく楽しいぜ。
﹁まず、なぜ私が皆さんに集まってもらったかを伝えたいと思うわ。
結論から言うと、ミラーズが敵対しているバイマル商会の牽制をお
願いにサウザンド家に出向いたところ、サウザンド家当主、グレン
フィディック・サウザンドがこちらに敵対する動きを見せたわ。そ
の報告と今後の動きについて、私の考えを話したいと思うの﹂
ガタン、とかなりの勢いで椅子の倒れる音が背後から響いた。
振り返ると、ずっと機嫌が良さそうにワインを飲んでいたエリィ
マザーが立ち上がっていた。母の顔は、天地がひっくり返って地面
が空にめり込んだ、といわんばかりの驚きに満ちていた。秀麗な吊
り目は見開かれ、テーブルに両手をついて前のめりに俺を見つめて
いる。
﹁⋮⋮エリィ、今なんて言ったの?﹂
﹁お、お母様?﹂
2002
あまりの鬼気迫る様子に、エリィの声がうわずる。
﹁サウザンド? グレンフィディック・サウザンドと言ったわね?﹂
﹁はい。六大貴族のサウザンド、ですわ⋮⋮﹂
﹁しかも何ですって? サウザンドはエリィに会っておきながら、
妨害するですって?﹂
﹁はいお母様⋮⋮あの⋮⋮落ち着いて聞いて下さい⋮⋮。お怒りに
なるのは分かりますが、最後まで話を聞いてほしいです﹂
誰が見てもエリィマザーは怒っていた。両手でテーブルクロスを
握りしめ、呼吸は荒くなり、あまりの怒りで吊り目が限界までつり
上がっている。気の弱いメイドが﹁ほわぁ﹂と情けない声を上げて
卒倒し、白目を向いて先輩メイドに抱きかかえられていた。ゴール
デン家の使用人達はサウザンドに怒りを覚えるより、エリィマザー
に恐怖を感じているのか、全員冷や汗を流している。
﹁⋮⋮いいでしょう﹂
しばらくの沈黙のあと、メイドがあわてて椅子を定位置に戻すと、
エリィマザーは言葉を絞り出して椅子に座った。
いいでしょうって言いつつマザーめっちゃ怒ってるし! 寿命縮
むわーこれ。
その憤怒が伝播したらしく、ミラーズ、コバシガワ商会の面々も
怒りの表情になっていた。彼らはエリィマザーにビビるよりも、サ
ウザンドの妨害が入ることに憤りを感じたみたいだ。これなら話し
やすいぞ。
﹁オホン。ということで、サウザンドの動向を予想したわ。クラリ
ス﹂
2003
﹁かしこまりました﹂
あらかじめ用意しておいた相関図をクラリスが全員に掲げて見せ
る。横二メートルある厚紙に、ミラーズを取り巻く六十八店舗の取
引先とバイマル商会、サウザンド家の関係が図式で書いてあった。
﹁サウザンド家の流れを組むウォーカー家の﹃ウォーカー商会﹄は
離反すると考えていいわ﹂
クラリスからペンを受け取り、図式の一番上にある丸印でくくら
れた﹃ウォーカー商会﹄へバツ印をつけた。
周囲が一気にざわついた。
この商会は小さな縫製技師を束ねており、離反するだけで二割の
生産力が失われ、現在大量発注している春夏物のタータンチェック
スカート数種類の入荷があやしくなる。
﹁この商会をこちらに引き込み返すのは難しいわね。発注している
新作はないものとして考えるべきだわ。組もうとしていた特集は、
別の題材に切り替えましょう﹂
その言葉に、コバシガワ商会﹃Eimy﹄担当の面々が声をひそ
めて相談を始める。
﹁次に、サウザンドは昔から取引をしている﹃ヒーホーぬいもの専
門店﹄と﹃バグロック縫製﹄に圧力を掛けるでしょう。ここは私達
コバシガワ商会がどうにか説得して離反を食い止めるわ。布店の﹃
グレン・マイスター﹄はミサが懇意になっているからミサに任せる
わよ﹂
﹁かしこまりました!﹂
2004
﹁布製品の大量発注元﹃サナガーラ﹄も離反する可能性が高いわ。
あの店は顧客との繋がりよりも、長いものには巻かれろの精神でこ
こまで大きくなった店だからね。バイマル商会のミスリル圧力でぐ
スミレ柄
、
、
、
、など
ヒマワリ柄
シンプルボーダー
妖精柄
らぐらきていたところにサウザンド家まで加わったら、ぽっきりい
、
ってしまうでしょう。注文していた
青地ストライプ
の特殊柄は期間内に入荷できないと予想するわ﹂
﹁それはまずいぞエリィ。次の目玉商品じゃないか!﹂
ジョーが数時間前に店で説明していたにも関わらず、素っ頓狂な
声を上げる。断定的口調で俺が話しているので事の重大さが分かっ
てきたようだ。
﹁数時間前、パンタ国とサンディが和睦交渉をしているとの情報が
入ったわ。これを踏まえ、対策として他国に商材を発注することを
考えたの。戦争が終われば、赤い街道の流通も活発になるでしょう。
似た商品があればそれを輸入して、なければ少々高くても作っても
らうわ。関税を入れても利益は充分に出るわね﹂
﹁それならば隣国である﹃メソッド﹄がいいだろう﹂
静かに話を聞いていた父のハワードが低い声で発言した。
﹁ちょうど明日、国境の湖に面しているヤナギハラ家の宰相と会う
予定だ。エリィとエイミーはサツキ嬢と仲がいいそうじゃないか。
向こうの商会に渡りがつけられないか、私が聞いてみよう﹂
﹁まあお父様、本当ですか?﹂
﹁ああ。ミラーズとコバシガワ商会はゴールデン家にとって重要だ。
新開発の素材にこちらでも投資をしている。今、ミラーズが潰れて
しまっては損失が大きい﹂
﹁お父様ありがとう!﹂
2005
勝手にエリィスマイルが飛び出した。エリィも喜んでいるな。
父ハワードはエリィの笑顔を見て顔を綻ばせた。
エリィファザー、いい働きをしてくれる。
しかも隣国のメソッドとヤナギハラ家に繋がりがあるとはな。こ
れはいい情報だ。
メソッドには旅の帰り道で目をつけていたんだ。
着物みたいな服装に、不可思議な商売の文化。服のデザインや生
地はきらびやかな物が多く存在していた。探せばストライプや花柄
に似た服の生地があるかもしれない。もしくはそれ以上の物も見つ
かるかもな。向こうの文化がグレイフナーに流入してこなかったの
が不思議なぐらいだ。
﹁その他、中型店が、サウザンド家のせいで十店舗ほど離反する可
能性が出てくるわ。そこを食い止めるのも今後の課題ね﹂
相関図の中央より下、名前の書いてある店十個をペンで丸印をつ
けた。
﹁離反が確実な﹃ウォーカー商会﹄と布店﹃サナガーラ﹄の損失分
は、輸入によってまかないましょう。重要店舗の﹃ヒーホーぬいも
の専門店﹄と﹃バグロック縫製﹄には私が中心になってプレゼンを
行うわ。その他の店舗については、コバシガワ商会で特別営業隊を
組むからそのつもりでいてちょうだい。クラリス﹂
﹁はい、お嬢様﹂
クラリスは厚紙をひっくり返し、相関図の結果箇条書きを見せた。
2006
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︵
︶﹃サナガーラ﹄
︶﹃ウォーカー商会﹄
⃝離反確実
︵
︵30%の商品が損失︶
⃝離反あやふや重要大型店
︵ ︶﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄
︵ ︶﹃バグロック縫製﹄
︵ ︶﹃グレン・マイスター﹄
⃝サウザンド家によって離反の可能性
中型縫製・十店舗
︵ ︶﹃シャーリー縫製﹄
︵ ︶﹃六芒星縫製﹄
︵ ︶﹃エブリデイホリデイ﹄
︵ ︶﹃ビッグダンディ﹄
︵ ︶﹃愛妻縫製﹄
︵ ︶﹃シューベーン﹄
︵ ︶﹃靴下工房﹄
︵ ︶﹃アイズワイズ﹄
︵ ︶﹃テラパラダイス﹄
︵ ︶﹃魔物び∼とる﹄
⃝サークレット家によって離反の可能性
その他・七店舗
︵ジュエリー︶﹄
︵ ︶﹃ビビアンプライス︵鞄︶﹄
︵ ︶﹃天使の息吹
︵ ︶﹃ソネェット︵ジュエリー︶
︵ ︶﹃KITSUNENE︵帽子︶﹄
2007
︵ ︶﹃麦ワラ編み物︵帽子︶﹄
︵ ︶﹃レッグノーズ︵靴︶﹄
︶ 契約継続↓︵☆︶
︵ ︶﹃オフトジェリコ︵靴︶﹄
離反↓︵
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
こう見ると、サウザンドのじいさんはまじで余計なことをしてく
れたな。向こうが動くなら、こっちは先読みして動くまでだ。やら
れてたまるかよ。
サウザンド家もお国の目があるから大っぴらな攻撃はできない。
せいぜい、自分が取引している店舗での購入をやめることや、各店
舗の綿の値段を上げたりとか、国の法律に抵触するギリギリのとこ
ろを攻めてくるはず。
綿の取引を中止するとか、金輪際取引しないなどの強行手段に出
れないところが唯一の救いだな。
まとめると、30%の商品は失われるわけだから、輸入なりで補
填する。
離反しそうな店は食い止める。
食い止めたらどんどん服を作って雑誌に使う商品を選別する。
やることはこれだけだ。
﹁いい? これは戦争よ! 服を介したオシャレ戦争なのよ!﹂
俺は食い入るように箇条書き一覧を見ている面々に向かって、声
を張り上げた。
2008
﹁私達がどう動くかですべてが決まるわ! 頭と、お金と、コネと、
使えるものを全部使って勝つのよ! 店に知り合いがいるとか、い
い縫製技師を知っているなどの情報はどんどんちょうだい! グレ
イフナー国民の女性のオシャレは私達の双肩にかかっているわ!﹂
そこまで言い切ると、部屋が歓声で湧いた。
エイミーが前に出てきて珍しく大きな声を出す。
﹁みんな、がんばろう! えい、えい、おー!﹂
約五十名がエイミーに続けと、えいえいおーを大合唱する。
エイミー、使い方あってるぜ!
コバシガワ商会の頭脳であるクラリスとウサックスは、早くも手
帳を出して何やら全員のスケジュールを組み始めていた。ミラーズ
の従業員達も事態が飲み込めたのか、一同目を輝かせてお互いにで
きることについて話し合いを始める。
エリザベスとエドウィーナ、父ハワードとエリィマザーも一覧表
を見ながらツテがないか情報交換をしていた。よかった、エリィマ
ザーの怒りが沈静化してくれたぞ。
そういやポカじいがいないな。まあどっかで酒でも飲んでるんだ
ろう。
弟の近くにいたアリアナは俺の隣に来ると、狐耳をしょぼーんと
下げて悲しげに謝ってきた。
﹁エリィ⋮知り合いがいなくてごめん﹂
﹁何言ってるの。アリアナはそばにいてくれるだけでいいのよ。い
つもありがとうね﹂
2009
﹁プレゼンは私も手伝うから⋮﹂
﹁そうしてくれると嬉しいわ。獣人の経営しているお店もあるし、
美人なアリアナがいるとそれだけで空気が良くなるもの﹂
﹁もう⋮﹂
よーしよしよし。もーふもふもふもふ。
近くにアリアナがいないと駄目な身体になってるわ。
あー癒される∼。
この精神安定狐耳の威力!
あ、そうだ。最後に伝えなきゃいけないことがあった。
名残惜しいがアリアナの狐耳から手を放した。
﹁みんな、聞いて欲しいことがあるの。あまり怒らないでほしいん
だけど、サウザンド家当主のグレンフィディック・サウザンドは私
が養子になるなら味方になってやる、って言ってきたのよ。私は絶
対に養子になるつもりはないし、この戦いに負けるつもりもないわ。
だからみんなの力を貸してちょうだいね!﹂
最後に、煽りを入れて士気を高めておく作戦を発動した。
﹁お父様、お母様。意見をあとでもらえないでしょうか? なぜサ
ウザンドが私を養子にしたいと思っているのか、その意図が分から
ないんです﹂
周囲から様々な反応がかえってくる。
﹁お嬢様を養子?!﹂﹁うそでしょ!﹂﹁エリィちゃんが可愛いか
らって!﹂﹁な、なんて常識知らずな﹂﹁冗談ではなくって?﹂﹁
サウザンドォ⋮⋮﹂﹁私が養子に欲しいぐらいなのに﹂﹁エリィち
2010
ゃん妹になってほしい﹂﹁エリィは私の妹ですっ。ぷんぷん丸!﹂
﹁あのじじぃいつかコロス⋮⋮﹂﹁ゆ、許せんッ!﹂﹁なんという
卑劣漢﹂﹁美しさは時に罪ですわね⋮⋮﹂﹁NOエェェクセレン﹂
︱︱︱ビリビリビリビリィィィッ
突然、何かが破れる音がダイニングルームに響き渡り、その音が
あまりにも大きかったので全員の視線が一斉に音の方向へと集まっ
た。視線の先にはテーブルクロスを豪快に引きちぎり、うつむいた
まま震えているエリィマザーがいた。その背後からは何やらドス黒
いオーラが靄のごとく立ち上っているように見える。
エリィマザーは引きちぎったテーブルクロスを両手から落とした。
柔らかなテーブルクロスが地面に落ちるわずかな音が室内にこぼ
れる。
ゆっくりと、巨大な重機が何百トンもある物体を持ち上げるよう
に、重々しくマザーが顔を上げた。
母の顔には表情がなかった。
顔面は蒼白になっており、額には大きな青筋が三本ほど浮かんで
いる。奥歯を限界までかみしめているのか、別の生き物のように顎
の筋肉がひくつき、首筋の筋肉が硬直と弛緩を繰り返していた。
一秒とも一分とも取れる痛いほどの沈黙が過ぎると、爆炎のアメ
リアと呼ばれたエリィマザーは猛禽類のごとく目玉が飛び出でんば
かりに両目を見開き、口裂け女も逃げ出すほどに両頬を引き攣らせ
2011
て大口を開けた。
あまりの恐怖に全員が凍りついた。
背筋に大量の氷を流し込まれ、心臓を鷲掴みにされたかのような
戦慄が全身を襲う。
気の弱いメイド数名が﹁ぴゃあ﹂と言って失神し、ダイニングル
ームの床に倒れた。他の使用人やメイドも他人を助ける余裕がなく、
恐れで内股になって足を生まれたの子鹿みたいにぶるぶる震わせて
いる。隣にいる旦那、ハワードの顔からは大量の汗が噴き出してい
た。
母アメリアは恐ろしげな顔のまま大きく息を吸い込み、叫び声を
上げた。
﹁きえええええええええええええええええっ!﹂
ダイニングルームに耳をつんざく怒りの雄叫びがこだまする。
ゴールデン家の使用人数名が腰砕けになってその場にへたりこみ、
ミラーズとコバシガワ商会の女性スタッフ数名があまりの恐怖に﹁
ママはどこぉ﹂と幼児がえりを始めた。
爆発
で木っ端微塵に吹き飛ばした。
エクスプロージョン
母アメリアは目にも止まらぬ速さで腰に差していた杖を引き抜き、
ダイニングルームのドアを
ドグワッ!!
2012
ボギャバガァァッ!!!
ごろごろごろごろ
ぱらぱらぱら⋮⋮
ひぃぃぃいぃっっ!
ヒヒーン
ヒーホーヒーホー
うえーーん
ウインドブレイク
で咄嗟にドア付近の被害を食い
爆散した破片と爆風で周囲は阿鼻叫喚の絵図と化す。
アリアナが
癒大発光
キュアハイライト
を発動させた。
止めたおかげで全員尻もちをつく程度で済んでいる。念のため、す
ぐさま白魔法下級、エリア回復魔法
﹁あのじじいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! ブチ殺す
! 粉々に弾き飛ばすっ! 女の敵ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!
!!!﹂
自分の目の前にあったテーブルを拳で叩き割り、母はずんずんと
ダイニングルームから出ようとする。
アメリア母ちゃん怒りすぎいいいいいいいいいっ!!!
まじこええ! まじこわすぎるって!
﹁ま、まずい! アメリアを止めてくれ!﹂
上の下
をかけて一気
父ハワードが焦ってまだ意識を保っている連中に向かって声を張
り上げ、自身も前方へ飛び出す。
俺とアリアナは顔を見合わせ、身体強化
に母アメリアへ飛びかかった。すると、クラリス、バリー、ハイジ、
2013
メイド二名も彼女へと飛びついた。
俺とアリアナが母の右腕と左腕、ハワードは腰に、クラリスとハ
イジが両足に、バリーとメイド二名は間に合わずハワードに飛びつ
いた。
﹁こーろーすぅぅぅぅうううううううう! あのじじいをぉぉおお
おおおおおおおおおおおっ!﹂
そう言いながら、アメリアは身体強化したのか全員をずるずる引
きずりながら前へ進んでいく。
﹁お母様を捨ててえぇっ! エリィまで! 許せないッ! もう耐
えられない! ブチ殺すッ!﹂
﹁何してる! 誰でもいい! 早くとびつけ!﹂
ハワードが必死の形相でアメリアの腰にしがみつき、絶叫する。
振り返ると動けるようになったらしいエイミー、エリザベス、エド
ウィーナが走ってきて俺とアリアナにしがみついた。
﹁お母様おちついて!﹂
﹁今行ってもサウザンドは倒せません!﹂
﹁サウザンド家に喧嘩を売るのはまずいですわ!﹂
﹁コバシガワ商会! ミラーズ! 立ち上がって! 急いで!﹂
最後に俺が叫ぶと、弾けるようにしてテンメイ、ウサックス、フ
ランク、ボインちゃん、従業員十名が雄叫びとともに突進してきて
バリーの足にしがみついて数珠つなぎになり、続いてジョーとミサ、
ミラーズ店員の女子八名がクラリスとハイジにしがみつく。
2014
それでも母は止まらない。
上の中
まで行使しているらしい。魔力の波動がやば
二十人以上を引きずりながらダイニングルームを出てエントラン
スへ進む。
身体強化
い。
訳の分からない叫びや絶叫、わめき声、泣き声がゴールデン家の
エントランスに響き渡る。ロボット兵のごとく母アメリアはじわり
じわりと玄関まで進むと、しがみついているアリアナとエリザベス
ごと、左腕を振り上げた。重厚な扉を拳で破壊するつもりだ。
左腕にしがみついていた二人は、神に祈りを捧げて目を閉じた。
いやいや、死ぬわけじゃないからやめて?!
バギャアッ、という分厚い木が折れるような音が鳴って扉が弾け
飛び、アリアナとエリザベスが空中へ放り出される。アリアナはう
まく空中で体勢を直すと、着地してエリザベスを受け止めた。
﹁きゃああああああっ!﹂
同時に、玄関の前にいたらしい人物から叫び声が上がった。
怒れる鬼神と化した母アメリアはその人物に目を向けると、怪訝
な横顔になって動きを止めた。
﹁ど、どどど、ドアが急に壊れてっ⋮⋮エリィさんとアリアナさん
?! あとエリィさんのお母様、ですかっ?!﹂
なぜか桃色の髪を揺らすパンジーが半泣きで玄関前にへたり込ん
でいた。
よくわからんがチャンスは今しかない!
2015
﹁黒き道を白き道標に変え、汝ついにかの安住の地を見つけたり。
!!﹂
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
を発動させる。どでかい魔
愛しき我が子に聖なる祝福と脈尽く命の熱き鼓動を与えたまえ⋮⋮
ピュアリーホーリー
純潔なる聖光
身体強化を切って、
法陣が地面に広がり、銀色の星屑が俺の身体から湧き出て母アメリ
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
のおかげで、ようやく母アメ
アと、引きずられている面々の上へと降り注ぐ。
沈静の効果がある
リアの怒りが話せるレベルまで戻った。しがみついていたメンツが
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
の星屑に全員が目を奪われた。エイミー、
どっと力を抜いてその場にへたり込んだ。
輝く
エドウィーナ、近寄ったエリザベスが母の手を握り、その様子をジ
ョーとミサが見つめ、クラリス、バリー、ゴールデン家使用人があ
りがたやと拝む。ミラーズとコバシガワ商会の面々は、静かに事の
成り行きを見守る。
さらに魔法をアメリアへと唱え続けると、願いが通じたのか鬼神
の怒りは鎮まり、いつもの母親の顔に戻った。
﹁エリィ、本当に浄化魔法を使えるようになったのね。すごいわ。
母として⋮⋮魔法使いとして私はあなたを尊敬します﹂
﹁お母様⋮⋮﹂
エリィが安心したのか、ぽつりと呟いた。
いやーよかった。まじでビビったわ。こんなに焦ったの日本でも
ないかもしれねえよ。
2016
﹁アメリア﹂
ハワードが心配した顔で、自分の最愛の妻アメリアを抱きしめた。
こわばっていたアメリアの身体が弛緩し、ハワードの肩へ頭を乗
せた。
﹁怒る気持ちは分かる。だが、娘と客人の前であんなに怒ったら駄
目じゃないか﹂
﹁あなた⋮⋮ごめんなさい。私、あの男の名前を聞いたら胸の中が
ごちゃごちゃになって⋮⋮。エリィを養子にすると聞いてどうして
も許せなくなって⋮⋮﹂
﹁みんなに事情を話そう。もうエリィも十五歳だ。話すべき時がき
たんだ﹂
﹁ええ、そうね⋮⋮。エリィ、エイミー、エリザベス、エドウィー
ナ、あなた達に話があります。それから皆さん、驚かせてごめんな
さいね﹂
エリィを含めた四姉妹が母の手を握る。
またエリィの手が自動で動いたな。
にしても、ここまでエリィマザーが怒るって、グレンフィディッ
ク・サウザンドといったい何があったんだ?
﹁あ、あのエリィさん⋮⋮﹂
おずおずとパンジーがうつむき加減でこちらに声をかけてきた。
ああ、そうだった。パンジーがなんでゴールデン家に来てるんだ。
しかもこんな夜にお供も連れずに。
﹁私、おじい様が許せなくって家出してきました。しばらくお家に
2017
置いてもらえませんでしょうか。お手伝いでも何でもしますから!﹂
﹁家出ですって?!﹂
﹁あなた、たしかサウザンド家の⋮⋮﹂
アメリアはパンジーの顔に覚えがあったらしく、訝しげな表情で
彼女を見つめた。
2018
第10話 オシャレ戦争・その4
﹁あ、あの、ごきげんよう。グレイハウンド・サウザンドの娘、パ
ンジー・サウザンドでございます﹂
エリィマザーの視線を浴び、あわてて立ち上がってレディの礼を
取るパンジー。
﹁エリィさんと、本日お食事をさせていただきました。そこで私の
おじい様⋮⋮祖父のグレンフィディック・サウザンドがエリィさん
を養子にすると言って。それで、あの、エリィさん達が帰ったあと、
おじい様にミラーズへ協力するようお願いしたのですが全く聞く耳
を持ってもらえず⋮⋮﹂
﹁それで家を飛び出してきたのね?﹂
俺がそう尋ねると、パンジーは破壊されたドアと抱きしめ合うゴ
ールデン夫婦を見て目を白黒させながら、こくりとうなずいた。
﹁エリィさんごめんなさい⋮⋮あのあと何度もお願いしたんだけど、
おじい様の考えは変わらなかったの⋮⋮﹂
﹁いいのよパンジー、ありがとう。それより家出なんてして大丈夫
なの?﹂
﹁⋮⋮だめ⋮⋮かも。でも、しばらくおじい様の顔を見たくない﹂
﹁まあ、そんなに困った顔して。こっちに来なさい﹂
俺がパンジーの手でも握ってやるかと思っていたら、それより先
にエリィが勝手に動いて彼女を抱きしめた。エリィより少し背の低
いパンジーは俺の肩に顔をうずめる。左手がパンジーの細い腰を優
2019
しく抱き、右手がゆったりとした動作でパンジーの後頭部を往復し
た。そのあと、後ろから来たアリアナがパンジーの背中を撫でた。
﹁あなた達、随分と仲がいいみたいね?﹂
ハワードに助けられながら立ち上がり、エリィマザーが俺とパン
ジーを見てくる。
﹁そうなの﹂
﹁そう見えるならすごく嬉しいです﹂
俺とパンジーが同時に言った。
今の言葉﹁そうなの﹂は八割方エリィが言ったな。おそらく、エ
リィはパンジーのことを気に入っているのだろう。恥ずかしがりな
ところとか、意外と芯が強そうなところとか、この二人、結構似て
るよな。
母アメリアは困惑とも感心とも取れるため息をついて、少し肩を
すくめてみせた。
﹁⋮⋮いいでしょう。パンジー嬢、中にお入りなさい。ハイジ、玄
関とダイニングルームのドアを修繕してちょうだい﹂
﹁かしこまりました﹂
クラリスの娘ハイジが恭しく一礼すると、もうすでに準備を始め
ていたのか使用人が工具を持って集まってきた。
アメリアは全員を談話室へ誘導し、眉毛をハの字にして流麗な所
作で一礼すると、謝罪した。
2020
﹁お集まりの皆さま。取り乱してしまい、申し訳ございません。わ
たくしのことは気にせず、どうかエリィにお力をお貸し下さい﹂
彼女の悲しげで憂いを帯びた微笑は、見た者の心に何か特別な憐
憫を感じさせた。あれほど人間が怒る姿はこの世界といえど、滅多
に見るものではないようだ。ミラーズ、コバシガワ商会の面々は、
気にしていない、という気持ちを言葉にしてはっきりとアメリアに
伝える。
その後、一気に場が慌ただしくなった。
ミラーズとコバシガワ商会から目利きができるセンスのいい従業
員を選抜して隣国のメソッドへ買い付けの先行をさせ、ウサックス
と商会のメンバーは今後の対策を立てるべく商会へ戻った。
説得対象の店と知り合いがいる従業員が急いで話をしにゴールデ
ン家を飛び出し、ミサとジョーは﹃ウォーカー商会﹄﹃サナガーラ﹄
の離反を引き延ばせないかの検討と、30%の入荷漏れへの対策と
商材の方向性を決めるべく、一度ミラーズへ戻った。
母の怒りについては気を使って誰も触れてこない。特殊な事情が
あると察したのだろう。あれだけの怒りを見せられ、従業員達は各
々感じるところがあったのか、なにくそサウザンド家、という顔つ
きになっていた。
クラリスの先導で大きなソファが置かれた談話室へと足を運んだ。
メンバーは、父、母、ゴールデン家四姉妹、クラリス、バリー、ハ
イジ、ゴールデン家の主要な使用人、アリアナとパンジーだ。アリ
アナは遠慮していたが、もはや彼女とは一心同体だということを伝
えたら、嬉しそうにしてついてきてくれた。どうやらパンジーにも
関係した話のようで、アメリアが彼女の同席を求めた。
2021
俺達はソファに座り、使用人がドアの前に並んだ。どこからとも
なくクラリスとハイジがハーブティーを持ってきて、一息ついたと
ころでアメリアが口を開いた。
﹁これから話すことは私の出生についてです。エドウィーナ、エリ
ザベス、エイミー、エリィには、私の両親はすでに他界していると
話しましたね?﹂
なるべく感情を込めないようにしているのか、母が微笑をこちら
に向けてくる。四人がけソファに一列に座った俺達はお互いに顔を
見合わせて、うなずいた。
エドウィーナは長女らしく落ち着いた表情、エリザベスはいくぶ
んか顔をこわばらせ、エイミーは真面目な顔で、そしてエリィは母
アメリアに微笑を返す。
娘達の反応に満足したのか、母は一度深く瞬きをした。
﹁私の母は、良くも悪くも、女でした。一人の男に恋をして、そし
てその男に捨てられたにも関わらず、いつまでもその男のことを愛
していました⋮⋮﹂
アメリアは悲しさが込み上げてくるのか、ごまかすようにハーブ
ティーを左手に取って口元へ運ぶと、飲まずに香りだけ嗅いだ。ハ
ワードが優しくアメリアの右手を自分の手で包み込むと、彼女は安
心したのか、ゆっくりとカップをソーサーへ戻した。
﹁私の母親は、マースレイン出身のごく普通の農家の生まれです。
名前は⋮⋮あなたと同じ、エリザベス、と言います﹂
2022
母アメリアはエリザベスを見つめた。
﹁あなたが生まれたとき、私とお母様に似た目をしていたので、同
じ名前にしました。随分悩んだのだけどね、ハワードがそうしなさ
いって言ってくれたんですよ﹂
﹁まあ⋮⋮﹂
エリザベスが驚いて母を見つめ、優しげな眼差しを向ける父ハワ
ードへ顔を向けた。
﹁私は、お母様が大好きで、大嫌いでした。忘れようとも思ったけ
ど、ハワードがそれは駄目だと諭してくれてね⋮⋮だからあなたを
見ると、いつも母を思い出していたのよ。もちろんあなたのことは
大好きです、エリザベス﹂
﹁私もですわ、お母様﹂
﹁ありがとう。嬉しいわ﹂
似た瞳を持つアメリアとエリザベスはお互いに微笑みを交わした。
﹁⋮⋮私のお母様、つまりあなた達のお祖母様であるエリザベスは、
私を産むと同時に、独り身になったわ。母は恋をしてはいけない人
物と恋に落ちてしまったのよ。その男が⋮⋮サウザンド。グレンフ
ィディック・サウザンドよ﹂
息を飲む音が談話室に響いた。
全員、驚きで声が出ない。
つまり、母アメリアの父親はグレンフィディック・サウザンドで、
エリィの祖父にあたるってことだよな。
2023
ちょっと待てよ⋮⋮じゃあパンジーとエリィは、従姉妹になるの
か?
おいおいまじかよ⋮⋮。
てかさ、サウザンドのじじいはそれを知っていてエリィを養子に
取ろうとしているんだよな。どんな神経してるんだよ。意味分から
んし、根性を疑うわ。ないな。まじでないぞあのじじい。
パンジーの座るソファへ視線を滑らすと、彼女とばっちり目が合
った。パンジーは信じられないという顔をし、隣に座っているアリ
アナは驚きで俺達を交互に見ながら狐耳をぴくぴくさせている。
パンジーはエドウィーナ、エリザベス、エイミーとも視線が合い、
どう反応していいか分からず、目を伏せて長い前髪で顔を隠した。
ドア付近にいるクラリス、バリー、ハイジ、使用人達は驚きとと
もに、強烈な怒りをグレンフィディック・サウザンドに感じたのか、
姿勢を正したまま無表情を取り繕って顔面をひくつかせている。
﹁私の父親は、グレンフィディック・サウザンドです。つまり、あ
なた達はあの男の血縁者、ということになるわね。ただこれは公表
していない事実であり、サウザンド家としても認められないでしょ
う。それは、私が火魔法の適性者だからです﹂
﹁あっ⋮⋮おじいさまの子どもだったら、必ず光魔法適性になるは
ず⋮⋮﹂
パンジーが理由を思い付いてつぶやいた。自分でもその発言をす
るつもりはなかったのか、すぐに彼女は顔を伏せた。
﹁そうよ。サウザンド家は男が女を孕ませた場合、その子どもは必
2024
ず光魔法適性になる特別な家系だわ。でも、私は適性を持たなかっ
た。あの男は、農家の娘と子どもを作ったことを公表せず、認知す
る勇気もなく、母にお金だけを渡して、二度と母の前に姿を見せな
かったわ﹂
アメリアは眉を寄せ、つらそうに唇を噛んだ。
﹁お母様はあの男が来てくれると信じて、いつも身綺麗にしていた
わ。戦場へ行った夫の帰りを待つみたいに⋮⋮初めて恋をした生娘
みたいに⋮⋮いつもいつも、夜になると窓の外を見ていたの。私は
毎晩聞いたのよ。お母様はどうして外を見ているの、って。そした
らお母様は笑ってこういうのよ。﹃いつかお父さんがアメリアに会
いに来るのよ﹄って。私は、信じていた⋮⋮ずっとあの男が来てく
れることを信じていた⋮⋮﹂
アメリアが込み上げてくる悲しい思い出に耐え切れなくなると、
瞳に溢れていた涙がはらりと崩れ、糸を引くように二筋の光が頬を
伝った。落ちた涙は、彼女のスカートに吸い込まれ、鈍いしみを作
った。
﹁私は小さい頃、自分の父親がどんな人なのか想像して楽しんでい
たわ。でも時が経つにつれ、もう父親は自分に会いに来ないんじゃ
ないかと疑うようになって⋮⋮その不安をお母様に質問することで
ごまかしたわ。お母様は、私がいい子にしていれば、きっと父が会
いに来てくれると何度も言ってくれた。でも、今になって思えば、
あの言葉はお母様が自分自身に言い聞かせていたことだったのよ。
私は毎晩窓の外を見るお母様を喜ばせるために、頑張って勉強をし
て、グレイフナー魔法学校の試験に合格したわ⋮⋮﹂
アメリアはポケットからハンカチを出して、涙を拭いた。
2025
グレイフナー魔法学校の入学試験は、筆記テストと複雑な魔法適
性検査だ。魔法適性が低くとも筆記テストで上位に食い込めば入学
ができる。グレイフナー王国は数多くの研究職を抱えているため、
魔法の才能がある生徒の他に、勉強のできる生徒も確保したいんだ
ろう。
アメリアは懸命に勉学に励んだ幼少期を思い出したのか、涙が次
から次へと溢れ出ていた。ハンカチで拭いても嗚咽が止まらず、し
ばらく談話室に母の泣き声が響いた。
なんとか悲しみを押しとどめ、アメリアは再び声を発した。
その声は震えていた。
﹁私が十二歳のとき⋮⋮お母様は死んだの。入学式のすぐあとね⋮
⋮。お母様は、ずっと病気のことを私に隠していたのよ。私はそれ
に気づかなかった⋮⋮そして、あの男が⋮⋮白魔法師のあの男が来
ていれば⋮⋮お母様は死ななかった。死ななかった⋮⋮﹂
﹁アメリア⋮⋮﹂
ハワードがアメリアの手を強く握り、彼女はそれを握り返す。
﹁お母様は死ぬ間際にこう言ったわ⋮⋮あなたの父親はサウザンド
家当主、グレンフィディック・サウザンドよ。ああ、最期に会いた
かったな、って⋮⋮。お母様は、最期まであの男のことを悪く言わ
なかったわ。⋮⋮私は、許せなかった。たった一度でも会いに来て
くれれば、どんなにお母様が喜んだか、あの男はちっとも理解して
いかなった。ああっ⋮⋮今こうしているうちも、窓の外を眺めてい
たお母様の横顔ばかりが浮かぶのよ⋮⋮﹂
2026
アメリアはそこまで言い、ハワードの肩に顔をうずめて声を上げ
て泣いた。何年も溜め込んでいた涙は止めどなく溢れてくるのか、
泣き声が談話室に響く。
ハワードは優しくアメリアの頭を撫でてやり、自身も涙を流して
いた。
気づいたら、俺は隣にいるエイミーと手を取り合っていた。目の
前がぼんやりすると思ったら、視界が水浸しになっていた。ハンカ
チを出して目元を拭うと、エイミーがおんおんと泣きじゃくってい
る。エドウィーナとエリザベスも目を真っ赤にして抱き合っていた。
パンジーは洟をすすりながら泣き、アリアナに頭を撫でてもらっ
ている。そのアリアナもぽろぽろと涙を流していた。
ドア付近にいる使用人達はひどい有様だった。
クラリスは顔面をしわくちゃにさせて﹁おぐざま⋮⋮﹂と言いな
がら号泣し、バリーは立っていられないのか中腰になって顔中から
水分をほとばしらせており、ハイジは美人の面影などなく、声を抑
えつつうわんうわんと大口を開けて泣いている。
﹁私は⋮⋮とてもじゃないけど、あの男を許すことなんてできない。
エリィがあの男と会うことすら不快に思うわ。でもね⋮⋮エリィと
パンジー嬢を見て、少しだけ胸のつかえが取れたような気がしたの
よ。あなた達が惹かれ合っている姿を見て、二人が従姉妹としてお
付き合いをすることには、何も問題はない。血の繋がりは捨てられ
ないと⋮⋮﹂
﹁お母様⋮⋮﹂
﹁パンジー嬢がゴールデン家にしばらくいたいなら、是非そうして
ちょうだい。あなた達が仲良さそうにしている姿は、見ていて何だ
か心が温まるわ﹂
2027
母アメリアが寂しげな笑顔でパンジーに笑いかける。それを受け
たパンジーはレディの仕草も忘れてごしごしと涙を袖で拭うと、し
っかりと正面を見据えた。家に来てから、うつむきがちだったパン
ジーが、ゴールデン家に来て初めてしっかりと顔を上げた瞬間だっ
た。
﹁私、おじい様が嫌いになりました⋮⋮﹂
やるせなさと申し訳なさをない混ぜにしてソファから立ち上がる
と、パンジーが深々と頭を下げた。
﹁アメリア様、祖父が⋮⋮申し訳ございませんでした⋮⋮。どんな
理由があったとしても、自分の子どもに会いに行かず、深い悲しみ
を女性に与えた祖父が⋮⋮孫として⋮⋮サウザンド家の一族として
恥ずかしいです⋮⋮ご⋮⋮ごめんなさい⋮⋮﹂
頭を下げながらパンジーがしゃくり上げ、桃髪が揺れると涙が談
話室の絨毯へ吸い込まれていく。ひっくひっくと喉を鳴らすパンジ
ーを見ていたら、またしても涙が込み上げてきた。
落雷
したくな
サンダーボルト
でも五秒ぐらいしたら、孫に謝罪をさせるグレンフィディック・
サウザンドのじじいの顔が浮かんできて、本気で
ってきたよね。あのじいさん、どんな神経してんだよ。ただの無責
任な最低男か、娘に会いに行けなかった究極のヘタレかのどっちか
だな。パンジーのほうがよっぽど男らしいぞ。
アメリアは頭を垂れるパンジーに駆け寄ると、絨毯に両膝をつい
て彼女の頬を手で優しく覆って持ち上げた。
2028
﹁あなたが謝る必要はないわ。他人のために泣いて謝って⋮⋮いい
子ね﹂
そう言って母アメリアが子どもをあやすようにパンジーを抱きし
め、肩を叩いた。
﹁もう泣くのはおよしなさい。可愛い目が真っ赤じゃない﹂
﹁わだじ⋮⋮ごめんなざい⋮⋮﹂
﹁まあ。仕方ない子ね⋮⋮﹂
﹁ごめんなざい⋮⋮悔しくって⋮⋮悲しくって⋮⋮涙が⋮⋮止まり
ばぜん⋮⋮﹂
﹁あらあら﹂
アメリアはハンカチを出してパンジーの瞳に当て、洟水を綺麗に
拭き取った。少し落ち着いたパンジーは恥ずかしそうにしながらも
何とか涙を堪えた。
﹁もう泣かないでちょうだい﹂
アメリアが談話室を見回す。
﹁全員よ。特にクラリスとバリー、私のためにそんな顔をしないで
ちょうだい。いいわね!﹂
パンジーを抱いたまま、母アメリアが気丈に言い放った。
使用人達はすぐさま背筋を伸ばし、顔面に涙を残したまま仕事モ
ードへと切り替える。クラリスとバリーはハンカチで顔を拭い、キ
リリとした表情へ変えた。この辺はさすが長年使用人をやっている
だけあるな、と思わせるが、すぐに﹁おぐざま⋮⋮﹂﹁おぐざばぁ
!﹂と言って泣き出したので、やっぱいつものクラリスとバリーだ
2029
なと思った。
⃝
クラリスとハイジが淹れたハーブティーでお茶をし、バリーがさ
っぱりする柑橘系の果物を持ってきて、ようやく全員が落ち着いた。
その後、全員談話室に残り、父ハワードがアメリアとの出逢いを語
り、大いに場が盛り上がった。ハワードの話は面白く、ちょいちょ
いアメリアがツッコミを入れるため聞き手の笑いを誘う。
﹁母さんはな、俺が出逢った頃はそりゃあもう荒れていたんだ。人
と目が合うと誰かれ構わず睨みつけて、誰も寄せ付けなかったんだ
ぞ。怒ったパリオポテスみたいでみんな怖がっていたなぁ﹂
﹁ハワード、私はそこまでひどくなかったわよ﹂
アメリアが睨むと、﹁お父様ったら!﹂と言いつつエドウィーナ、
エリザベス、エイミーがころころと笑い、パンジーとアリアナが笑
顔になり、エリィも口元を隠してお上品に笑う。今日のエリィはよ
く動くな。
﹁でもな、母さんは本当に美人だったよ。男達は誰も話しかけるこ
とができず、横目で母さんの顔を見てため息を漏らしていた。俺は
友人と誰が声を掛けるかで勝負していたんだ。⋮⋮もちろん、今も
綺麗だよアメリア﹂
﹁またそうやって⋮⋮﹂
そう言ってハワードは悪気なく最愛の妻に笑いかけ、抱き寄せる。
するとアメリアはすぐにご機嫌な顔になった。さすがアメリアを嫁
2030
にするだけあり、女性の扱いがうまい。あと四人子どもがいるのに
大モミジ狩り
という
この熱々ぶりね。羨ましいが、わりとごちそうさまって気分だ。ま
あ、エリィの両親が幸せなのは嬉しいね。
二人の出逢いは、四年に一度開催される
魔物狩りらしい。当時ひよっこだったハワードと、グレイフナー魔
法学校を卒業してシールドに入団したアメリアは、偶然同じグルー
プになって行動したそうだ。グループは、貴族、冒険者、シールド、
近衛兵などの混合チームで、意見の食い違いで喧嘩になり、事の成
り行きでハワードとアメリアが決闘することになって、ハワードは
コテンパンにのされた、とのこと。うん⋮⋮その光景が目に浮かぶ
な。
﹁ゴホッゴホッ⋮⋮。すまない、少ししゃべりすぎたみたいだ。と
いうことで、話はここまでとしておこうか。明日からミラーズ関係
で皆忙しくなるだろう? ハイジ、パンジー嬢を浴室へ案内してく
れ﹂
ハワードは少しばかり苦しそうに胸をおさえ、呼吸を整える。
アメリアが心配そうに背中をさすり、ハイジが笑顔で一礼してパ
ンジーを風呂へ連れて行った。パンジーは家出なんて慣れないこと
をして疲れたらしく、後半はかなり眠そうだった。
あ、そういや今日、十二元素拳の稽古をしてない。ポカじい、お
そらく気を利かせてくれているんだろうな。あのじいさんは肝心な
加護の光
を唱えた。
ところで師匠っぽいことしてくれるから尊敬できる。スケベだけど。
﹁お父様、失礼します﹂
俺は立ち上がり、白魔法中級
2031
美しい魔法陣が足下に広がり、エリィの身体とハワードの身体か
ら輝く円柱の光が天井まで立ち上る。弾けるような光の粒子がハワ
ードの中へと染みこんでいき、呼吸が安定した。
加護の光
よりも気持ちがいいよ。
﹁エリィ⋮⋮。実の娘に白魔法を唱えてもらうのがこんなに気持ち
いいとはな﹂
﹁うふふ、よかったですわ﹂
﹁行っている白魔法師協会の
最近、身体の調子がいいんだ﹂
﹁娘の愛よ、お父様﹂
万
俺としては﹁気持ちがこもっているからな﹂と言ったつもりが、
出てきた言葉はこれだ。
﹁世界一幸せな父だな、私は﹂
空診の名医師
ラ・グランデ・シダクション
で診察してもらう予定
や木魔法上級の自己治癒力を高める魔法でも治っていない。
エリィの父ハワードは子どもの頃から肺が悪く、白魔法上級
能の光
今度ポカじいに空魔法上級
だが、グレイフナー白魔法師協会は口を揃えて﹃白魔法超級でなけ
加護の光
を唱えることに
れば完治できない先天的なもの﹄と診断を下しているため、診察結
果にはあまり期待していない。
何はともあれ、こうして白魔法中級
よって、体調を整えられる。そのためハワードは週一回、必ず白魔
法師協会へと足を運んでいた。
砂漠からグレイフナーに帰ってきてからは、俺が毎日白魔法をハ
ワードに行使している。
ハワードの病気を治すために白魔法を極めてみるのも悪くない。
2032
父親のためならエリィも頑張るだろうし、俺も気合いが入るっても
んだ。問題なのは、仮に超級魔法を習得したとしても、確実に治癒
できるわけではないってところだ。試したことがないから結果が分
かるはずないよな。
ポカじいですら使えない白魔法超級か。
確かサウザンドのクソジジイが、過去にサウザンド家から使用者
が二人出たとか言ってたな。あのじいさんに物を尋ねるのは癪だか
ら、ポカじいに習得の方法と期間を聞いてみるか。パンジーに尋ね
てみるのも悪くないかもな。
ま、とりあえず優先順位としては高いが、長期的な計画の一つだ。
普段通り訓練するのが近道なんだろうよ。
⃝
翌日、いつも通りの朝食風景にパンジーとアリアナが加わった。
パンジーは本気でサウザンド家に帰らないつもりだ。
アリアナはパンジーが心配なのでゴールデン家にお泊りしていっ
た。弟妹はフランクが見てくれるから一日ぐらいは問題ないとのこ
と。
朝食が済んでから、エドウィーナとエリザベスが出勤し、父もグ
レイフナー城へと向かった。
エリィマザーはすっきりした表情で家族を送り出し、領地経営の
書類を片付けるべくハイジと書斎へ向かう。残った俺とアリアナ、
パンジー、エイミーの四人で首都グレイフナーの二番街にあるコバ
シガワ商会へ向かった。
2033
朝の活気の中、すれ違う人々の喧騒を横目に、レンガ造りの建物
へ入った。
﹁速報! ウォーカー商会がエリィお嬢様の予想通り離反! サウ
ザンド家の動きが早い模様!﹂
﹁やはり離反か!﹂
﹁レッグノーズとの再契約に成功しました!﹂
﹁おお! よくやった!﹂
﹁ウォーカー商会と提携している店舗の資料できました!﹂
﹁うむ! 一店舗でも多く切り崩す! 第二会議室へ持っていけ!﹂
﹁エリィちゃんハロー! 美容室へのインタビューと撮影行ってき
ます!﹂
﹁エリィ嬢、エイミー嬢、今日も妖精のように美しい! アリアナ
嬢、いつにもまして可愛らしい! おお、こちらのお嬢様も甘い香
りが匂い立つような桃色の素敵な髪だっ! エェェクセレン! ま
たのちほど!﹂
﹁おい、バグロック縫製の経営記録どこにやった!﹂
﹁ウサックスさん、化粧品の売り込みと広告依頼が来てます!﹂
﹁クラリスさん! 広告料の設定が終わりましたので確認を!﹂
﹁下手くそ! お前それでもグレイフナー魔法学校卒業生か?! 俺か? 俺はワイルド家だろぅ?﹂
﹁アリアナさんのために⋮⋮!﹂
﹁筆記職人が来ているので作業場使いますっ!﹂
商会内は外より騒がしかった。
午前九時だというのに全員エネルギッシュに立ち回っている。資
料を運んだり、カメラを抱えたテンメイとコピーライターのボイン
ちゃんが入れ違いで出て行ったり、初期メンバーで優秀な男が怒声
を飛ばす。さらにはウサックスが執務机に山積みされた資料を恐ろ
2034
しい速さで処理しつつ全員にスケジュールを伝え、いつの間にか出
勤しているクラリスが細かい指示を従業員に出したりしている。
﹁エリィ、みんな頑張ってるね﹂
﹁そうね!﹂
エイミーが楽しげな様子で話しかけてきたので、笑顔で答えた。
﹁皆さん、忙しそう﹂
﹁ん⋮﹂
パンジーがこの状況に驚き、オアシス・ジェラでこういった状況
に慣れているアリアナは特に表情を変えず長いまつげを瞬かせた。
﹁ああっ! エリィお嬢様!﹂
俺がいることに気づいた新人らしき若い男が叫ぶと、皆が一斉に
作業の手を止めて入り口付近に視線を投げ、背筋を伸ばした。
﹃お待ちしておりましたエリィお嬢様!﹄
見事なまでにそろった唱和に背筋がくすぐったくなる。
﹁ハロー。私に気にせず作業を続けてちょうだい﹂
茶化すつもりで軽く挨拶を返すと、やけに嬉しそうな顔で全員が
作業に戻っていく。大げさすぎるほどにやる気をみなぎらせ、中に
は本当に叫んでいる輩もいた。ご近所迷惑じゃないか不安になる雄
叫びだ。
2035
こんもりと資料と書類が山積みになったウサックスの執務机へ向
かうと、ウサックスが不敵な笑みで顔を上げた。
﹁営業部隊メンバーは選抜しておりますぞ﹂
﹁まあ、さすがウサックスね。仕事が早いわ﹂
﹁お嬢様のためとあらば﹂
﹁プレゼンの資料は見たわね?﹂
昨日、ミラーズで作っていたプレゼン資料はクラリス経由でウサ
ックスに渡してある。彼はうなずき、ウサ耳を左右同時に曲げた。
﹁第一会議室に参りましょう!﹂
﹁オーケー。行くわよ!﹂
2036
第10話 オシャレ戦争・その4︵後書き︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︵
︶﹃サナガーラ﹄
︶﹃ウォーカー商会﹄
⃝離反確実
︵
︵30%の商品が損失︶
⃝離反あやふや重要大型店
︵ ︶﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄
︵ ︶﹃バグロック縫製﹄
︵ ︶﹃グレン・マイスター﹄
⃝サウザンド家によって離反の可能性
中型縫製・十店舗
︵ ︶﹃シャーリー縫製﹄
︵ ︶﹃六芒星縫製﹄
︵ ︶﹃エブリデイホリデイ﹄
︵ ︶﹃ビッグダンディ﹄
︵ ︶﹃愛妻縫製﹄
︵ ︶﹃シューベーン﹄
︵ ︶﹃靴下工房﹄
︵ ︶﹃アイズワイズ﹄
︵ ︶﹃テラパラダイス﹄
︵ ︶﹃魔物び∼とる﹄
⃝サークレット家によって離反の可能性
その他・七店舗
2037
ジュエリー
︵ ︶﹃ビビアンプライス︵鞄︶﹄
︵ ︶﹃天使の息吹﹄
︵ ︶﹃ソネェット︵ジュエリー︶
︵ ︶﹃KITSUNENE︵帽子︶﹄
︵ ︶﹃麦ワラ編み物︵帽子︶﹄
︵☆︶﹃レッグノーズ︵靴︶﹄
︶ 契約継続↓︵☆︶
︵ ︶﹃オフトジェリコ︵靴︶﹄
離反↓︵
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
読者様にまたまた挿絵をいただきました!
制服姿の完全体エリィちゃんです。
作者ページの活動報告にURLを張り付けておきましたので、よけ
れば見てください∼♪
2038
第11話 オシャレ戦争・その5
⃝
会議室に集合した営業選抜メンバー十名と、俺、アリアナ、エイ
ミー、パンジー、クラリス、そしておっさんの顔にウサ耳がついて
いるウサックスは、あらかじめ用意してあった席へついた。
円形の木製テーブルには資料が置かれ、試作品である布生地が五
枚並べてある。その横には魔石炭を加工したこぶし大の金色の新素
材と、同じく金色の繊維が一巻き置いてあった。
国王に営業をかけたとき同様、今回のプレゼンもこの新素材を中
心とした展開にする。王宮での実演は時間が限られていたため簡易
的なものだったが、各店舗に見せるものは本格的な実演にするつも
りだ。
﹁まず、私からお話をばさせていただきます﹂
ウサックスがごほん、と喉を鳴らして立ち上がった。
﹁新素材はシンプルな名前を、というアメリア奥様の強い要望で﹃
ゴールデン鉱石﹄と名付けられました。それを改良し、繊維状にし
たものを﹃ゴールディッシュ・ヘア﹄と呼ぶこととします。これは
ゴールデン家の美しい髪の色からなぞらえておりますぞ。命名に問
題はございますかな?﹂
﹁分かりやすくていいと思うわ﹂
﹁ありがたきお言葉でございますな! こちらの素材でございます
2039
が縫製が非常に難しく、繊維の完成度もまだまだ低いです。しかし、
いずれは魔法の付与も可能になると思われる力を秘めておりますぞ。
お嬢様、こちらの布をお取り下さい﹂
そう言ってウサックスがハンカチサイズの水色の布を渡してくる。
受け取ると、しっとりした手触りが伝わってきた。
﹁そちらに魔力を込めてくだされ﹂
﹁オッケー﹂
右手に乗せた布に軽く魔力を流すと、水色の布がさわさわと揺れ
た。
これはあれだ。布から風が出てるな。間違いない。
ウイ
の付与に成功致しました! 原理の解析をコバシガワ商会、
﹁お気づきになられましたかな? その一枚だけ風魔法下級
ンド
ミラーズ、ゴールデン家共同で進行中ですぞ!﹂
﹁こ⋮⋮これはすごいわね!﹂
が使える
を付与すれば魔法を習得していない人でも治癒魔法が
ライト
ただの布に魔法が付与できるとするなら、有用性が半端じゃない。
便利過ぎる。
治癒
ヒール
光魔法が付与できれば魔力を通すだけで下級
し、
行使できる。今現在、グレイフナー王国で魔力付与がされた魔道具
治癒
ヒール
が使える物は一つ三億五千万ロンだ。
は値段がめちゃめちゃ高い。治癒魔法付与の魔道具などは一部の貴
族しか持っておらず、
三億五千万円だよ? たけえよ。誰が買うんだよ。
しかも、魔法付与がされた魔道具は魔力結晶と魔法陣を連動させ
るため仕掛けが大きくなり、面積や体積が大きい物に採用されてい
2040
る場合が多い。
それがこのゴールディッシュ・ヘアはどうだ。
安い、軽い、防御力が高いの三点セット。
さらに魔力付与できたら⋮⋮絶対に売れるな。これはプレゼンの
奥の手として用意しておこう。有用すぎるため、見せすぎるのもよ
くない。
開発に成功した場合は現行で販売されている魔道具への価格破壊
が起こるため、倒産する店も出てくるだろう。技術進歩により商品
が淘汰されるのは世の常だが、それによって職を失う人間がどうい
う手段に出るか分からない。ましてやここは異世界で、魔法なんて
物騒なものが横行する世界観だ。殺傷沙汰になる可能性がある。エ
リィが危険になるリスクはなるべく回避したいところだ。
﹁私はこれを重要店舗の﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄﹃バグロック
縫製﹄﹃グレン・マイスター﹄、三店舗のプレゼン資料として提示
することを考えております。いかがですかな?﹂
ウサックスが片眉を上げ、したり顔で尋ねてくる。
重要な店舗には本気の交渉が必要だ。扱う商品も、﹃ヒーホーぬ
いもの専門店﹄が縫製、﹃バグロック縫製﹄が縫製、﹃グレン・マ
イスター﹄が布、と魔道具と被らないため、試作品の強盗や、危機
感を抱いて自爆テロのような物騒な行動は起きないと予想できる。
むしろ、この三店舗に魔力付与されたゴールディッシュ・ヘア製品
を見せない手はない。
﹁そうね⋮⋮そうしましょう﹂
いい判断だと思い、ウサックスへうなずいてみせた。
2041
﹁では、重要店舗三つを担当する私はこの布を中心にしたプレゼン
を展開するわ。ミサが懇意にしている布屋﹃グレン・マイスター﹄
は彼女が中心になってプレゼンをすればいいわね。他の営業組は﹃
ゴールディッシュ・ヘア﹄の魔法強度を中心としたプレゼン内容に
しましょう﹂
﹁御意ですぞ!﹂
﹁あまり時間がないわよ。サウザンド家の動きが思ったより早いわ。
ある程度流れをまとめて練習したら、順次、営業に出てもらうから
ね﹂
﹁交渉下手な店と、ゴールデン家との繋がりがある五店舗をピック
アップしております。練習後、営業部隊を昼前に出発させるのがよ
ろしいかと﹂
今度はクラリスが一礼し、こちらへ手帳を開く。おお、どれどれ。
﹃エブリデイホリデイ﹄﹃愛妻縫製﹄﹃テラパラダイス﹄﹃魔物び
∼とる﹄﹃麦ワラ編み物﹄の五店舗か。
集めた営業部隊は十名なので、二人一組でちょうど五店舗を担当
できる。さすがクラリスだな。
﹁分かったわ。その作戦でいきましょう﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁みんなもいいわね!﹂
﹃はいっ!!!﹄
選抜された営業部隊の十名が元気よく返事を返す。
﹁この数週間でコバシガワ商会の行く末が決まるわよ。気合入れな
さい!﹂
2042
両手を腰に当て、前かがみになって営業部隊を睨みつける。
彼らは頬を赤く染めたりどきまぎしたりといいリアクションを見
せたあと、﹁はい!﹂﹁応ッ!﹂﹁よっしゃ!﹂﹁えいえいおー!﹂
など各自で好き勝手に気合いを入れた。
まあね、可愛いエリィが軽く睨んだってご褒美にしかならないん
だよな。それも計算に入れての行動だ。最近、ようやく自分の見た
目と、相手からの評価がどれほどなのか分かってきた気がする。
しかし前かがみになると胸が重いな。巨乳つれぇ∼。
要点のみを押さえたプレゼンと営業トークをあっという間に作り、
十名が次々に覚えていく。俺とクラリスで指導をし、ウサックスが
洋服の数字やアイテムに関して間違いがないか監修し、アリアナ、
エイミー、パンジーが見守っている。
時間はあっという間に過ぎ、営業部隊が気合いを入れて商会から
出て行った。別のメンバーがエールを送るところが、グレイフナー
っぽくてテンションが高く、見ていて飽きない。
⃝
うーん。どう頑張っても重要店舗用のプレゼン準備は今日一日で
終わらないな。あまり根を詰めるのも良くない。
気持ちを切り替えるため、ここはしっかり昼休憩を取っておくか。
営業部隊を見送り、一番街まで歩いて首都グレイフナーのオシャ
レなカフェ﹃イタレリア﹄で昼食を食べることにした。この店は雑
誌の撮影でも使われていることから、女性と若者に絶大な人気を誇
2043
っている。
俺とアリアナ、エイミー、パンジー、クラリスは列に並んで順番
待ちをしていた。ここのランチがうまい、という情報をコバシガワ
商会の新入社員から聞いたのだ。美食大魔王の俺としては、うまい
と言われて試さずにはいられない。
﹁なんかこういうの、いいね⋮﹂
薄手の白いロングスカートに、白黒ギンガムチェックのシャツ。
手に可愛らしい茶色のハンドバッグを持ったアリアナが、口角をち
ょっぴり上げるいつも通りの微笑みを見せた。アリアナはシンプル
な色合いのコーディネートでも、狐耳と狐尻尾のおかげで全体の色
のバランスが良くなる。あー可愛いなちくしょう。
ちなみにアリアナが持っているハンドバッグにはおにぎりしか入
っていない。
﹁私も思ってたの∼!﹂
爽やかなブルーのワンピース姿のエイミーが、アリアナを後ろか
らハグして彼女の顔を覗き込む。
﹁こうやってみんなで並ぶのって初めて?﹂
﹁うん⋮﹂
アリアナがちらりとエイミーを見て顔を伏せた。どうやら恥ずか
しいらしい。
身長が二十センチほど高いエイミーがアリアナをハグしているの
で、アリアナの頭がエイミーの胸に埋まっている。
2044
﹁姉様、顔が近くてアリアナが恥ずかしがってるわよ﹂
﹁えーいいじゃない。そんなことないよね?﹂
﹁ちょっと恥ずかしい⋮﹂
﹁あわわわ⋮⋮総合デザイナーのエリィさんと、モデルのエイミー
さんと昼食にこれるなんて夢みたいです! しかも﹃Eimy特別
創刊号﹄に載っていたカフェイタレリアなんてっ!﹂
パンジーが興奮でふんふんと鼻息を荒くしている。長い前髪から、
遠慮がちに俺達を見つめてくる。だいぶ打ち解けてきたよな。会っ
たときはもっと固かったぞ。
﹁わたくしはお嬢様方を並ばせるなど⋮⋮﹂
クラリスが一番後ろから不服そうに声をかけてくる。
﹁まあまあクラリス。これも食事の醍醐味よ。待ったほうが美味し
く感じるでしょう?﹂
﹁エリィお嬢様がそう仰るなら、よろしいのですが﹂
クラリスは隙のないメイド姿で姿勢を正し、了解の意味を込めた
一礼をした。
﹁順番まだかなっ﹂
﹁あと四組ぐらいね﹂
﹁エリィは何のパスタにする?﹂
﹁トマトマ味かな﹂
﹁トマトマかぁ∼。じゃあ私もそうしよっかな﹂
エイミーが嬉しそうにアリアナを抱きしめながら言う。
このやり取り、めっちゃ女子っぽいな。
2045
昼食時ということもあり、休憩中らしい人々が食事処を求めてさ
まよっている。
グレイフナー通りは馬車がひっきりなしに行き交い、警邏隊が笛
を吹いて交通整理をしていた。丁稚らしき小僧がその脇を走りぬけ
たり、移動販売をしている弁当屋が歌いながら手押し車を押して練
り歩いたり、どこかの店の若い男女が簡単に食べれるクレープのよ
うなものを店頭で売り出したり、空席の呼びこみをする店があった
りと、かなり騒がしい。
その中で行列ができる﹃イタレリア﹄はひと目につきやすく、時
間がある者は最後尾へ並ぶ。
オープンテラスで食事をする見目麗しい女子達も、この店の宣伝
に一役買っていた。客は皆オシャレで、華やかだ。しかもほとんど
がミラーズの服を着ており、その社会現象っぷりがはっきり見て取
れる。防御力ゼロの服が浸透しているな。いいねぇ。
⃝
エイミーがファンに囲まれてひと騒ぎあったものの、無事に席に
付き、ランチを食べた。メニューはシンプルなスープとパスタで、
味が濃厚で麺に独特の歯ごたえがあり、美味かった。オープンテラ
スからは外の風景が見え、店員の愛想も良く、木製の床がぴかぴか
に磨かれている。何とも居心地のいい店だ。
クラリスが頑なに同席しようとしなかったことだけが残念だった。
﹁メイド魂、天を突き、地をかける﹂という謎のフレーズを言った
きり、彼女は俺の後ろでじっと待機した。
2046
紅茶を飲みながら和やかにプレゼン内容について話し合っている
と、入り口付近が騒がしくなり、走り回っていたらしい汗だくの執
事服の男が俺達のテーブルまでやってきた。
﹁お客様、こちらのお嬢様方とご同席でございますか?﹂
イタレリアの男性店員が執事の男に向かって問いかける。
エイミーがちょっとした有名人なので、気を使ってくれているよ
うだ。席も観葉植物で他から見えづらくなっている場所だ。
﹁いえ、私はこちらのお嬢様の執事でございます﹂
男はそう店員へ伝えると、パンジーに向かって深々と一礼した。
店員は俺達が否定しないので問題ないと思い、優雅な動作で持ち
場へ戻っていった。
﹁パンジーお嬢様、ようやく見つけました⋮⋮。ご家族の皆さまが
心配されております、お家へ帰りましょう﹂
﹁ジャック、どうしたのこんなところで﹂
パンジーは家の人間が迎えに来るだろうと予想していたのか、大
して驚きもせずに紅茶を飲んでいる。
﹁どうしたのではございません! お嬢様が書いた家出をするとい
う置き手紙のせいで、お家は大騒動になっております! ベッドに
おやすみになった痕跡がなかったことから昨晩お嬢様がいなくなっ
たことに気づいて、心臓が止まりそうになりました!﹂
﹁ジャック、そんなに大きな声を出さないで。まずは汗を拭かない
と﹂
2047
パンジーはポケットからハンカチを取り出して、ジャックの額を
拭いた。
彼女の余裕のある行動にジャックは気が抜けたのか、一瞬だけが
くっと肩を落とし、すぐさま執事の顔に戻った。
彼はグレンフィディックの部屋にいた執事だ。あのじいさんと同
い年かそれに近い年齢らしく、オールバックにした茶髪にはいくぶ
んか白髪が混じっている。頬骨が張った冷静そうな顔をしており、
目尻には皺が刻まれ、情に厚そうな雰囲気を発していた。
﹁お嬢様⋮⋮まさか家出をするとは⋮⋮﹂
﹁家に戻るつもりはありません。おじい様にそう言っておいてね﹂
﹁やはり、エリィお嬢様にお味方しないことが原因ですか?﹂
ジャックは悲しげな表情で疑問を漏らした。
彼には、パンジーがそんな大胆な行動をするとは思えなかったの
ではないだろうか。見たところ彼女は引っ込み思案な部分があるし、
あまり人付き合いも得意ではなさそうだ。
﹁私の大好きな服を作っているお店の方に協力をせず、お家の事情
があるならまだしもそれもなく、しかも、その方の気持ちも考えず
に養子にしようとしている。これで怒らない孫がいるの?﹂
﹁⋮⋮旦那様にもお考えがあるのです﹂
﹁ジャック。あなたは事情を知って、それでもおじい様を止めなか
った。どうしてなの?﹂
﹁事情? 事情とは⋮⋮﹂
そこまで言い、ジャックは俺達ゴールデン姉妹の顔を見てハッと
した表情になった。
2048
﹁エリィさんとエイミーさんは、私の従姉妹なのでしょう?﹂
﹁⋮⋮⋮仰るとおりでございます﹂
﹁私にはおじい様の考えていることが分からない。あんなに優しい
おじい様が昔にアメリアさんのお母様を捨てて、アメリアさんに一
度も会わずにいるなんて⋮⋮信じたくないよ﹂
﹁お嬢様⋮⋮そこまでご存知なのですね﹂
﹁昨日の夜聞いたの。それで私は、おじい様が直接エリィさんと私
に謝りに来るまでは家に帰らないと決めたの。だから帰らない。も
うこのままゴールデン家の養子になってもいいかもね﹂
﹁お、お嬢様っ!﹂
﹁ジャックとおじい様の絆は分かっているつもり。でも、今回ばか
りはなぜジャックがおじい様に協力するのか分からない。おじい様
は⋮⋮何を考えているの? ねえ、教えてよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮パンジーお嬢様﹂
ジャックは苦しげに頬を上げ、口をへの字に曲げた。葛藤してい
るときの彼の癖なのかもしれない。六十手前の男が苦悶の表情をす
る姿は、見ていて痛々しい気分になる。
﹁私は⋮⋮旦那様が若い頃どのようにして、かの女性と恋をしたの
か近くで見ておりました。おそらく、あの方はエリィお嬢様の美し
い姿を見て昔を思い出し、自責の念にかられたのでしょう。それが
素直になれない気持ちと相まって、今回のような行動に出てしまっ
たのではないかと⋮⋮﹂
ジャックの言葉にパンジーをはじめ、俺、アリアナ、エイミー、
クラリスは微妙な表情を作った。素直になれないって、じいさん思
春期の中学生かよ。
2049
﹁ジャック。私が言うことじゃないけどね、アメリア様は深く傷つ
いたの。おじい様がいつかお家に来てくれると信じていたのに、来
なかったのよ。おじい様にはサウザンド家の当主としての責任はあ
っただろうけど、一人の女性を傷つけたことは事実なの。どんな言
い訳をしても、その過去は消えないんだからね﹂
﹁⋮⋮返す言葉もございません﹂
﹁おじい様に伝えてちょうだい。直接謝りに来るまでは帰らないっ
て﹂
パンジーの決意は固いのか、椅子に座ったまま、立っているジャ
ックを見上げて強い視線を送った。サウザンド家特有の灰色の瞳が
ジャックを貫く。パンジーのものとは思えない眼力だ。
ジャックはパンジーの決意が分かったのか、命令を徹底する冷徹
な執事の顔に豹変した。
﹁お嬢様をこのままにしておくわけには参りません。帰りましょう﹂
そして、パンジーの腕に手を伸ばした。ジャックの腕には軽い身
体強化が施されている。
﹁やめ⋮⋮﹂
強引な手段に出ると思っていなかったパンジーは、抗えないと思
ったのか身を硬くした。
すぐさま俺はジャックの腕を掴んだ。
エリィの美しい指が、防御力の高そうなごわごわした執事服に食
い込んだ。
2050
気付けばアリアナが指先をジャックへ向けていつでも重力魔法を
唱えられる状態にしており、エイミーが頬を膨らませて杖を向けて
いる。クラリスはどこから出したのか、青龍刀に似た剣を大上段に
振りかぶって顔面を引き攣らせていた。うん、こええよ。
腕を取ったことに驚き、俺とジャックの視線が交わった。
﹁おやめなさい。可愛い女性を無理矢理連れて行くなんて紳士の風
上にも置けないわ。少しは男らしく口説いたらどうなの?﹂
。こちらは
上の下
の身体強化だ。
俺の言葉にジャックはさらに身体強化をかけるが、それよりも一
下の上
段階上の強化を俺が右手にかける。
ジャックは
全力の魔力循環をさせて勝てないと悟ったのか、ジャックが眉を
寄せて俺を見つめた。
﹁エリィ⋮⋮お嬢様﹂
電打
でジャックの腕へ電流を
エレキトリック
あまりの困惑にジャックは右腕を突き出したまま、冷や汗を流す。
おしおきの意味を込めて、軽く
流した。
﹁アグゥッ!﹂
バチッ、という音とともにジャックがたまらず腕を引っ込めた。
未知の痛みに目を白黒させる。
その姿を見て、アリアナ、エイミー、クラリスが臨戦態勢を解い
た。クラリスの青龍刀は⋮⋮背中に入れてたのね。全然気づかなか
2051
ったよ。パンジーは何が起きたのか分からないのか、下唇を付き出
して眉をひそめ、きょろきょろと成り行きを見ている。
驚きと困惑を隠せないジャックを見つめ、エリィの可愛らしい声
で高らかに宣言する。
﹁グレンフィディック・サウザンドに伝えなさい。謝罪にくるなら
あなたの言い訳を聞いてあげるわ。誠心誠意謝って、その想いが私
たち四姉妹とパンジーに伝わったなら、お母様にその言葉を伝えて
あげなくもないわよ。もちろん、お母様は許さないと思うけど﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁あと、私達は負けないわ。必ずいい服を作って新しい雑誌を刊行
するからね。女の子のオシャレに対するパワーを甘く見ないことよ
!﹂
﹁っ⋮⋮⋮か、かしこまりました﹂
ジャックは電流の通った右手を何度か握り、驚いた表情のままゆ
っくりと一礼した。
﹁上司が道を踏み外しそうになったら、それを止めるのは部下の役
目よ。逆も同じ。どんな人間でも間違いはあるんだから﹂
﹁⋮⋮仰るとおりでございます﹂
﹁あなたも損な役回りを引き受けざるを得なくて、気の毒ね﹂
孫ほど歳の離れた美しいエリィに説教され思う所があったのか、
ジャックは返事の代わりに深々と一礼した。
顔を上げると、最初に出会ったときにサウザンド邸宅で見た、主
人思いの執事の表情に戻っていた。
2052
﹁お食事中、大変失礼致しました。それではこれで﹂
それだけ言って、ジャックは踵を返し、店員に簡単な謝罪とチッ
プの銀貨を渡して店から出て行った。
俺達はジャックの背中を目で追い、その姿が見えなくなると、ぬ
るくなった紅茶を啜った。
パンジーは寂しげな顔で執事の名前をつぶやいた。
あとは彼が心動かされ、こちらに有利な動きをしてくれることを
祈るのみだ。
何か
をこじらせていることに軽いため息が漏れる。六
それにしてもさ、グレンフィディックのじいさんが執事を困らせ
るほど、
大貴族の当主なら当主らしい行動をしてくれよ、と内心で毒づいて
も、エリィマザーの過去は消えない。
消えないならどうするか。
答えは一つ。
最善である未来を目指すことだ。
自分に関わる全員がハッピーな未来を想像し、それが気に入った
ら、実現するように行動するのみ。今日の自分は良かったか悪かっ
たか。明日の自分はどうなのか。一ヶ月後は、一年後は、想像して、
目標を設定し、できることからやっていく。
スタンスは人それぞれ、自分の特性に合ったやり方がいい。
自分はとにかく前向きに、事案の対策を模索していくことが得意
だ。多少のマイナスなら、どうにかすれば挽回できる。できないと
思っていたら、何をやってもできないのは当たり前のことだ。
2053
﹁エリィがやる気になってる⋮﹂
アリアナが店員に紅茶のおかわりを頼んで、楽しげに言った。
﹁さすがアリアナ、よく分かったわね! さらなるやる気が漲って
きたわ!﹂
﹁エリィさんのやる気ポイントがどこなのか分かりません! 尊敬
しますっ!﹂
﹁パンジー決めたわ! あなたモデルになりなさい! 次の雑誌の
小物コーナーの支配人役よ! いいわね!﹂
﹁え⋮⋮⋮⋮⋮ふえええええええええええっ?!﹂
パンジーがどこからそんな声出した、とツッコミたくなる変な叫
びを上げた。
﹁どこをどうすればそういうお話になるのぉ?!﹂
﹁あれをああすればそういうお話になるのよ!﹂
﹁無理です無理です! モデルなんて無理です∼!﹂
首が取れんばかりにパンジーがぶんぶんと否定する。
﹁私はいいと思うなぁ﹂
エイミーが嬉しそうに微笑んだ。
﹁私も⋮﹂
アリアナが隣にいるパンジーの手を握る。
2054
﹁エリィお嬢様のご指名です。断るなど笑止千万﹂
クラリスは肯定の方向性が違う。
﹁皆さんまでそんなぁ!﹂
﹁可愛いパンジーの姿を見せつけて、サウザンド家の度肝を抜いて
やりましょう!﹂
﹁ちょっと考えさせてくださいっ﹂
﹁ええもちろん。とりあえずみんなと一緒に、試しに撮影してみま
しょうよ。ねっ﹂
﹁結局それって撮影するんだよね!?﹂
﹁そうよ。よく気づいたわね﹂
﹁気付くよぉ!﹂
﹁いいじゃない、ね? ちょっとだけ! 一枚だけ!﹂
秘技、一枚だけ作戦。
﹁ええ∼っ。い、一枚だけ? 本当に一枚だけ?﹂
﹁ええ、本当よ﹂
満面の笑みでパンジーにうなずく。
とりあえず一日、一枚だけ撮影する。あとは翌日から許可をもら
って二枚、三枚と増やしていけばいい。一枚だけってのは嘘じゃな
い。嘘は言ってないぞ。
﹁う、うーん⋮⋮。それなら、ちょっと、やってみようかな﹂
﹁まあ本当に?! 嬉しいわ!﹂
大げさな身振りで礼をいい、パンジーの手を取って上下に振った。
ここで逃してはならない。相手からイエスが出たならすぐに捕獲
2055
するのは営業マンの常識だ。
パンジーが前髪を切ってちゃんとした髪型にすればかなり可愛く
なると思う。サウザンド家のネームバリューもあるし、モデルとし
て人気が出るとみた。あとは彼女のやる気次第だ。ふふっ、うまく
やる気にさせるのもこちらの役目だ。抜かりはない。
﹁がんばろうねっ!﹂
﹁お、お、恐れ多いですぅっ﹂
エイミーの言葉にパンジーは恐縮して肩をすぼめる。
﹁私も初心者だから⋮﹂
﹁アリアナさんも?! うわぁ! それはすごくいいと思うなぁ!
私、次の雑誌も三冊買いますよっ﹂
﹁三冊も買ったらお金もったいないよ⋮﹂
﹁確かにそうだ⋮⋮これからはおじい様に頼らず生きていかないと﹂
﹁それならモデルでバイト料が出るよ⋮﹂
﹁ええっ。本当ですか?!﹂
おお、アリアナのおかげでパンジーがやる気になってる。これは
楽ちんだ。
あと完全にサウザンドのじいさんの地位がパンジーの中で最低レ
ベルになってるな。
﹁もちろんタダなんて言わないわよ! モデルは才能がないとでき
ない職業だからね。今後、雑誌が増えればモデル業も盛んになると
思うわ。それこそエイミー姉様はモデル業だけで手一杯になるかも
しれないわね﹂
﹁あ、そうなんだ。それいいかも∼﹂
2056
エイミーが俺の言葉を聞いて目を輝かせた。
﹁どうパンジー。気になってきたでしょう?﹂
﹁は、はいっ! 私なんかにできるか分からないけど⋮⋮!﹂
パンジーは不安そうにしつつも、元気よくうなずいてみせた。
⃝
昼食後はコバシガワ商会へ戻り、プレゼンの完成を目指す。
休憩したおかげで集中でき、テーブルに資料を広げてストーリー
の構成を組んでいく。ある程度、納得のいく骨組みができると、す
でに夕日は沈んでおり、六時を過ぎていた。
何度か模擬プレゼンをしてクラリスの指摘を盛り込み、流れの悪
いところをカットして足りない資料を追加し、完成度を上げていく。
七時になったところでエイミーが時計を気にし始めたので夕食の
時間だと気付き、作業を切り上げることにした。ゴールデン家は夕
食を全員でするのがしきたりだ。
第一会議室から出ると、コバシガワ商会の従業員達はまだまだパ
ワフルに活動をしている。
ウサックスが、俺達が部屋から出てきたことに気づくと、ウサ耳
をひょこひょこ動かしながら走ってきた。
﹁お嬢様! ﹃エブリデイホリデイ﹄﹃愛妻縫製﹄﹃魔物び∼とる﹄
2057
﹃麦ワラ編み物﹄の四店舗の再契約に成功しましたぞ! ﹃テラパ
ラダイス﹄は交渉中ということですが、押せ押せでやっております
ので陥落は近いと。クラリス殿の読み通りですな!﹂
﹁まあ! それはすごいわね!﹂
うおおっ!
一気に四店舗の取り込みはでかい。
幸先のいいスタートだ。
﹁サウザンド家の動向はどうかしら?﹂
﹁ええ。きゃつらはミラーズに関わりのありそうな店との取引を、
片っ端から断っているようですな﹂
﹁やっぱりね﹂
﹁大手﹃サナガーラ﹄もあっけなくサウザンド家になびきましたぞ。
﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄と﹃バグロック縫製﹄にもサウザンド
家の使用人が出入りしたと、諜報部から連絡がございました。プレ
ゼン準備の進捗具合はいかがですかな? 早期に決着をつけないと
まずいことになりますぞ﹂
﹁もう少し時間をちょうだい。時間稼ぎのために、その二店舗に行
ってアポイントを取ってほしいのよ﹂
﹁かしこまりました。ミサさんが直接行くのが最善かと思いますの
で、その旨を伝えておきます。会合の予定日はいつにされますかな
?﹂
﹁準備を考えると三日後が理想ね。﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄が
午前中、﹃バグロック縫製﹄が午後三時頃、という流れがいいわ﹂
﹁なるほど⋮⋮ではそのように打診致します﹂
﹁向こうには総合デザイナーが行くと伝えてちょうだいね。どんな
人物なのか、興味があるでしょう?﹂
﹁ですな。ジョー殿の他にデザイナーがいる、というのは取引先で
は有名な話です。ミサさんが、心美しき少女です、と説明しても誰
2058
も信じておりませなんだ。どんな人物なのか憶測が飛び交っており
ます﹂
ミサはデブだった俺をそうやって取引先に紹介していたのか。
デブでも美人でも、エリィの心はずっと綺麗だからな。
﹁それはいいわね。ちょっと過激な服で挑発しようかしら﹂
﹁お嬢様、それはどうかと思います﹂
クラリスがとんでもないという表情を作り、スリングショットか
ら発射されたパチンコ玉みたいな勢いで顔を寄せてきた。
﹁近いっ。顔が近いわクラリス﹂
﹁変な虫がお嬢様についたら駆除が大変でございます﹂
﹁駆除って﹂
﹁先日ご自宅で着られていたミニスカートも、あまりに刺激が強す
ぎます。わたくしですら頭がくらくらいたしました。あれを着て街
中を歩いたら、男どもが鼻血を吹き出して白魔法師協会が貧血患者
で溢れてしまいます﹂
それ、オアシス・ジェラでやってるんだよな⋮⋮。
治療院が血まみれの大惨事になったのは記憶に新しい。
﹁冗談よ。当日はそれに見合った服でいくわ﹂
﹁それならいいのです。安心いたしました﹂
ミニスカートが流行るまでの道のりは長く険しい。
﹁では、今日のところはこれでよろしいですかな?﹂
﹁そうね。みんなもキリのいいところで切り上げてちょうだい﹂
2059
﹁かしこまりましたぞ!﹂
ウサックスが一度飛び跳ねて了承の意を表明すると、デスクへと
小走りに戻っていった。
⃝
三日後、プレゼン準備を万端にした俺達は﹃ヒーホーぬいもの専
門店﹄の門前で佇んでいた。
︵ジュエリー︶﹄との再契約も
あれから﹃テラパラダイス﹄との再契約に営業部隊が成功し、さ
らに﹃六芒星縫製﹄﹃天使の息吹
交わした。
だがサウザンド家の動きも素早く﹃アイズワイズ﹄﹃ビッグダン
ディ﹄の二店舗がミラーズとの離別を表明し、納品を四月中行わな
い意思表示をしてきた。ミラーズと店側の契約書は、納期が明記さ
れておらず、期限が遅れたところで契約違反にはならない。
信用と信頼で成り立っているグレイフナー流の痛いところが露呈
した瞬間だ。
過ぎたことを言っていても仕方がない。
契約の穴を突くのは常套手段だ。
向こうが悪いのではなく、ミラーズの詰めが甘かったと己を律し、
次への糧にしよう。うん、この思考こそ小橋川流だな。
ま、一番悪いのはサウザンドのじじいだけどな。一発殴らせろ。
﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄に集合したメンバーは、俺、アリア
2060
ナ、エイミー、クラリスの四名。
クラリス以外はミラーズの最新商品で身を包んでいる。
ミサとジョー、パンジー、ウサックスの四名はグレイフナーでも
老舗の布屋﹃グレン・マイスター﹄に向かった。今頃、みっちり練
習したプレゼンテーションをミサが繰り広げているだろう。
立会人として、ゴールデン家当主であるハワードが同席している
ので、威圧感と重厚感はしっかり演出できているはずだ。おまけに
サウザンド家のパンジーもいるため説得力は増す。
﹁お嬢様、お時間でございます﹂
﹁ありがとうクラリス。では、行きましょう﹂
そう言って﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄に足を踏み出そうとする
と、後ろから声を掛けられた。その声が聞き慣れた声であるととも
に、この場にいるはずのない人物の声色だったため、全員が足を止
めて振り返った。
﹁お待ちなさい。私も同席します﹂
エリィマザーこと母アメリアが、異形の仮面を付けてこちらを見
ていた。
﹁お、お⋮⋮お母様っ?!﹂
エイミーが驚いてお上品に口元に手を当てて驚く。
その驚きは当然だ。
エリィマザーは目だけが出る仮面を付けており、鳥の嘴を模して
いるのか鼻の辺りが前へ突き出ていた。口元には呼吸穴が付いてい
2061
るが、仮面が顔すべてを覆ってしまっているためマザーがどんな表
情をしているのか伺えない。
服装はえんじ色のマント、黒い膝下ブーツ、灰色のパンツ、黒シ
ャツに黒革のチョッキ。さらに肩から斜めがけで革ベルトを装着し、
ベルトに付けられた収納具に投げナイフが十本差してある。闘杖術
に使えるがっしりした鋼鉄製の杖が腰のベルトで黒光りしていた。
両手は黒い革手袋がはめられ、しきりに閉じたり開いたりしている
ので見る者の不安を煽る。
はっきり言おう。まじでチビるわこれ。
ガチで戦争する気だ。
﹁エリィ、そんな怖がらなくても大丈夫よ。この服装は爆炎と呼ば
れていた頃の戦闘服よ﹂
それ怖がらない理由になってないよ?!
﹁ここの店主とは顔見知りなのよ。私が後ろにいたほうが、交渉が
スムーズにいくでしょう﹂
﹁お言葉ですけどお母様。相手が怖がったりしませんか? これは
大事な交渉ですから下手に相手を刺激しないほうがいいと思うので
すが⋮⋮﹂
﹁そうねぇ⋮⋮恐怖を感じるかどうかは⋮⋮まあ、行けば分かるで
しょう﹂
ふっふっふ、と仮面の中でエリィマザーが不気味に笑った。
いや怖いよ?! 絶対相手怖がるだろ!
エリィ勝手に後ずさりしてるし!
エイミーとクラリスは必死に笑顔を作ろうと顔の筋肉を痙攣させ
2062
ている。
﹁かっこいい⋮﹂とつぶやいて尻尾を振っているアリアナは感性が
違う。
﹁大丈夫よエリィ。私がゴールデン家の不利益になるようなことを
すると思うの?﹂
﹁いいえ、お母様﹂
﹁少しはお母さんにも手伝わせてちょうだい﹂
エリィマザーは仮面からのぞく瞳をこちらに向ける。
爆炎のアメリアと呼ばれていたエリィマザーのことだから、顔が
広いのだろう。完全武装で交渉相手の店に行くのは疑問だが、領地
経営で以前よりも収益を上げるデキる系の母が失策をするとは思え
ない。ここは全面的に信頼するのが吉か。
﹁分かりましたわ﹂
そう言ってエリィマザーに向かってレディの礼を取った。
﹁ありがとう。突然押しかけてごめんなさいね。エリィ達だけで説
得できると信じているけど、少しでも確率を上げたほうがいいと思
ったのよ。ハイジに無理を言って仕事を終わらせてきたわ﹂
﹁まあ﹂
﹁あとはね、お母さんも格好をつけたかったの。この前は取り乱し
てしまったからね﹂
そう言うと、エリィマザーは仮面越しにくすりと笑った。
自分の気持ちをあけすけに伝えるところはエイミーそっくりだ。
こういった正直で真っ直ぐなアメリアに、ハワードは惚れたんじゃ
2063
ないかな。
﹁では、参りましょう﹂
エリィマザーが宣言すると場の空気が引き締まった。
準備は万端。何も臆するものはない。
俺達は視線を交わし、敵地へと足を踏み出した。
2064
第11話 オシャレ戦争・その5︵後書き︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︵
︶﹃サナガーラ﹄
︶﹃ウォーカー商会﹄
⃝離反確実
︵
︵30%の商品が損失︶
⃝離反あやふや重要大型店
︵ ︶﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄
︵ ︶﹃バグロック縫製﹄
︵ ︶﹃グレン・マイスター﹄
⃝サウザンド家によって離反の可能性
中型縫製・十店舗
︵ ︶﹃シャーリー縫製﹄
︵☆︶﹃六芒星縫製﹄
︶﹃ビッグダンディ﹄
︵☆︶﹃エブリデイホリデイ﹄
︵
︵☆︶﹃愛妻縫製﹄
︵ ︶﹃シューベーン﹄
︶﹃アイズワイズ﹄
︵ ︶﹃靴下工房﹄
︵
︵☆︶﹃テラパラダイス﹄
︵☆︶﹃魔物び∼とる﹄
⃝サークレット家によって離反の可能性
その他・七店舗
2065
︵ジュエリー︶﹄
︵ ︶﹃ビビアンプライス︵鞄︶﹄
︵☆︶﹃天使の息吹
︵ ︶﹃ソネェット︵ジュエリー︶
︵ ︶﹃KITSUNENE︵帽子︶﹄
︵☆︶﹃麦ワラ編み物︵帽子︶﹄
︵☆︶﹃レッグノーズ︵靴︶﹄
︶ 契約継続↓︵☆︶
︵ ︶﹃オフトジェリコ︵靴︶﹄
離反↓︵
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
2066
第12話 オシャレ戦争・その6︵前書き︶
︳︶m
大変⋮⋮大変お待たせ致しました。
本当にごめんなさいm︵︳
最新話です!
2067
第12話 オシャレ戦争・その6
ヒーホーぬいもの専門店は首都グレイフナーの八番街に居を構え
ている。
名前のまぬけさからは想像できない、大きな敷地を所有しており、
身長ほどの高さがある石垣が道の奥まで続いていた。工房は相当広
いようだ。
俺、アリアナ、クラリス、エイミー、完全武装のアメリアは、開
けっ放しになっている門をくぐり、敷地内へと足を運ぶ。
工房の建物と石垣の間に伸びている樹木から、ヒーホー鳥が有閑
を楽しむ声が響いていた。
整備された石畳を歩き、受付はこちらです、という看板の文字に
従い建物内に入ると、エプロン姿のきゃわいい姉ちゃんがテーブル
の前に座り、何やら忙しそうに書類とにらめっこしていた。
﹁お仕事中ごめんなさい。こちらを﹂
持っていた割符を渡すと姉ちゃんが驚いた顔になり、しげしげと
俺達を見つめ、エイミーを見て﹁雑誌のモデルさん?!﹂と小声で
つぶやき、次に完全武装している母アメリアを見てすぐに営業スマ
イルに変わった。
﹁ミラーズの総合デザイナー様とそのお連れの方ですね﹂
﹁ええ。案内してもらえるかしら﹂
﹁⋮⋮あなた様が、ミラーズ総合デザイナーのエリィ・ゴールデン
様でございますか?﹂
2068
﹁そうよ﹂
仮面をつけるアメリアがデザイナーだと勘違いしたのか、姉ちゃ
んが目を見開いた。まあ、普通はこんなに若くて可愛い女の子が総
合デザイナーだって思わないよな。
﹁失礼をいたしました。こちらで大旦那様がお待ちです﹂
姉ちゃんは営業スマイルを崩さず、礼儀正しく一礼し、踵を返し
た。
俺達は彼女のあとへついていく。
途中、工房の中が見えた。
体育館ほどある広さの室内で、数百人が布を各テーブルで縫って
ウインドカッター
で断裁し、
ウインド
で所定の
いる。その奥では、大きな布を天井から吊るして、魔法で裁断して
いた。
どうやら
位置へ布を移動させ、さらにそれを必要なサイズにカットしている
ようだ。あっちこっちから大きな声が上がっていて活気がある。ひ
と目見て、いい会社だと思わせた。
そんな工房を横目に通り過ぎ、大きな扉を姉ちゃんが開けた。
﹁ミラーズ総合デザイナー、エリィ・ゴールデン様がお見えです﹂
室内は大きなソファが四つとテーブルの置かれた簡素な作りだっ
た。
ソファに、豚の耳と鼻をつけた大柄な男が座っており、俺達が入
ってくると笑みとも無表情ともとれない表情を作った。
2069
アリアナのように人間の身体に耳と尻尾が生えているのが獣人、
鼻や身体の一部が獣化している場合は半獣人と呼ぶらしい。若干の
豚人族
と呼ぶのが妥当だろう。
差別的な意味を含むので、部族名で差すことが礼儀だ。
彼の場合は
クラリスの情報通り、豚人の店主は一重まぶたでパッと見は凡人
に見えるが、実際よく観察すると抜け目がなさそうな顔つきをして
いる。年齢は四十代後半、といったところだ。
彼は、俺が室内の奥まで入る姿を見ると、失礼のないようのっそ
りと立ち上がって紳士の礼を取った。
﹁お初にお目にかかります。私がヒーホーぬいもの専門店の店主、
ジョッパー・ブタペコンドです。まさかミラーズの総合デザイナー
があなたのような見目麗しいお嬢様だとは⋮⋮!!?﹂
見た目に似合わず丁寧な物腰のジョッパー・ブタペコンドはエリ
ィの美しさに目を見張り、そして最後に入ってきたエリィマザーを
見て完全に動きを止めた。
右手を胸に当て、エリィマザーを凝視し、石像のように固まるジ
ョッパー・ブタペコンド。
彼は一気に顔色を悪くさせ、鼻の穴を大きく三回、開いて閉じた。
それから右手を胸元から離すと、自分の動揺をかき消すためか、ブ
ヒンブヒンと咳払いをした。
﹁⋮⋮まさかとは思いますが﹂
﹁そのまさかよ。ジョッパー﹂
2070
仮面ごしの、くぐもった母アメリアの声が室内に響く。
ジョッパー・ブタペコンドはびくりと身体を震わせた。
﹁爆炎のアメリア様、誠にお久しぶりでございます。⋮⋮今日は⋮
⋮どのようなご用件で?﹂
﹁そちらのお嬢様の護衛よ﹂
﹁あなた様ほどのお方が護衛ですと?﹂
信じられない、と店主は豚鼻を鳴らした。
どうやら爆炎のアメリア、という名前は有名らしいが、ゴールデ
ン家に嫁入りしたことはあまり知られていないらしい。もし知って
いたら、店主はエリィ・ゴールデンの名前でアメリアが来ると予想
したはずだ。
﹁ええ。ちなみにその子、わたくしの大事な娘ですからね。手を出
したらタダじゃおかないわよ﹂
仮面ごしにも関わらず、威圧感のある声色で母が言う。
ジョッパー・ブタペコンドは紳士の礼で曲げていた腰をようやく
戻し、視線を俺とアメリアの間で何度も往復させた。
﹁手を出すなんて滅相もない﹂
﹁どの口が言うのかしら﹂
﹁さすがに取引先の方にそのような⋮⋮﹂
﹁あなたが女好きなのは知っております﹂
﹁ブゴッ﹂
アメリアにぴしゃりと否定され、店主は悲痛げに豚鼻を鳴らした。
﹁今日はただの護衛です。余計なことは言わないから安心してちょ
2071
うだい﹂
アメリアがそう言ったものの、ジョッパーは大きな身体を内側へ
折り曲げ、所在なさげにソファへ腰を下ろした。思い当たる節があ
るのか、お茶を入れてテーブルに置いた受付の姉ちゃんが、何か言
いたげに店主を一瞥する。
﹁エリィ、大事な商談なのでしょう? お話をはじめなさい﹂
﹁分かりましたわ﹂
相手が萎縮したナイスタイミングだったので、受付の姉ちゃんが
勧める通りにソファへ腰を掛けた。
俺の左にエイミー、右にアリアナが座る。
背後にはクラリスとエリィマザーだ。
﹁ジョッパー・ブタペコンド様、ごきげんよう。わたくし、ゴール
デン家四女、コバシガワ商会会長、ミラーズ総合デザイナーのエリ
ィ・ゴールデンと申します。本日は貴重なお時間をいただき誠にあ
りがとうございます﹂
そう言ってエリィスマイルを店主に向け、立ち上がってレディの
礼をし、すぐに席に座った。
ジョッパーは俺の顔を驚いたように見つめ﹁こちらこそ貴重なお
時間を﹂と言いながら挨拶を返す。エリィマザーの出現で混乱して
いるのか、あまり焦点が合っておらず口が半開きだ。
﹁ジョッパー様、まずはこちらを御覧ください﹂
相手に構えを取らせず、早速話をし始める。
クラリスが背後から出した資料をテーブルへ広げた。
2072
﹁こちらがミラーズの売上げグラフになっております﹂
グラフを差すと、エリィの美しい指先に誘われるように店主が資
料へ目を落とした。
﹁去年の四月から今現在の売上げを月ごとに表記いたしました。こ
の並んでいる縦棒が売上げの推移で、下の数字が売上げ高ですわ﹂
﹁おお﹂
﹁見て分かる通り、六月から急激に売上げが伸びております。ご存
知とは思いますが、六月に﹃Eimy﹄が初めて発売されました。
そこからミラーズの新デザインは爆発的なヒットをしましたわ﹂
四月の売上げが、90万ロン。
五月の売上げが、86万ロン。
六月の売上げが、1103万ロン。
売上げ12倍。見ると笑みがこぼれる成長率だ。
﹁新デザインのおかげで、ミラーズはわずか一ヶ月というスパンで
12倍の売上げを叩き出しました。雑誌が発売されてからミラーズ
には連日長蛇の列ができ、途切れることはございませんでしたわ。
縫製技師が足りず、在庫切れで少くない売り逃しも発生したほどで
す﹂
﹁12倍⋮⋮﹂
﹁翌月の七月が3500万ロン。八月は二号店をオープンさせたの
で、売上げが伸び、さらに十月は﹃Eimy∼秋の増刊号∼﹄でチ
ェック柄を戦術的視点から展開しました。その結果、チェック柄が
グレイフナーでは類を見ない流行を生み、売上げ高は十月が1億2
300万ロン、十一月が2億5000万ロンです﹂
2073
チェック柄と雑誌第二弾は爆発的な人気になった。
十一月に三号店をオープンさせ、さらなる火付けになっている。
﹁御社⋮⋮ヒーホーぬいもの専門店様で縫製いただいた服も、街中
でかなり見かけることができますわ﹂
そこまで言うと、アリアナが無言で立ち上がり、ジョッパー・ブ
タペコンドから全身が見えるようにテーブルから少し離れた場所へ
移動し、薄手のローブを脱いだ。
﹁ん⋮﹂
長い睫毛を伏せつつローブを脱ぐアリアナがちょっとエロい⋮⋮
じゃなくって、彼女にはこの説明のために、チェック柄のコクーン
スカートを着てもらっている。ローブを着ていたのは相手に服装を
見せないためだ。
ちなみにコクーンスカートってのは、腰のあたりに折り目を入れ、
膨らみをもたせ、ウエストラインを綺麗に見せてくれる女性らしい
服だ。タイトなので戦闘には不向きだな。
トップスは灰色のセーター。インナーに白ブラウス。頭には最近、
アリアナが気に入っている獣人用の穴が開いたベレー帽。靴はくる
ぶし上まである編み込みの黒ブーツ。
はっきり言おう。
ゲロ可愛い。
アリアナは上着をクラリスに渡して、片手を腰に当て、ジョッパ
ー・ブタペコンドを穴が開くほど見つめた。
2074
﹁今までの常識をくつがえすデザインになっております。どうです
? 防御力あるなしより、女性の魅力が引き立つと思いませんか?﹂
店主はポーズを取るアリアナに見つめられて頬を赤くし、思わず
目を逸らした。しかし、引力に引かれるようにアリアナへと視線を
戻した。
受付の姉ちゃんも目を輝かせてアリアナの服を見ている。
﹁おお⋮⋮これはまた何というか⋮⋮可愛らしいお嬢さんに見える。
できあがったときはこんなタイトなスカートでは動きづらいとばか
り思っていたが⋮⋮﹂
﹁新しいデザインは人々を魅了しております﹂
﹁それには同意しよう。うちの若い連中もね、いつも楽しそうに服
を作っている﹂
﹁いいことですわ﹂
﹁ミラーズから依頼がきたときは半信半疑だった。おかしな生地、
変わった縫製、完成品は防御力がゼロ。従業員達も疑問に思ったの
か、これで大丈夫なのかと何度も私に確認をしにきたぞ﹂
﹁人間は未知の物に興味を示します。誰しもが見たことのない物、
行ったことのない場所へと思いを馳せるものです。たまたま見つけ
た未知なる物が間違いなく本物で、宣伝もしっかり打ち出しており、
いい商材であれば、売れるのは当たり前だと思いますわ﹂
﹁⋮⋮なるほどな。君が総合デザイナーというのはどうやら本当ら
しい﹂
﹁あら、疑っていたのかしら﹂
﹁これでも大店を預かる身だ。簡単に人を信用したりはしない﹂
そう言いつつ、ジョッパー・ブタペコンドはアリアナの服装を見
つめ、彼女の可愛い顔へと視線が吸い寄せられる。
2075
﹁改めて思うが、服とはすごいものだ。目が離せない﹂
﹁女好きの方には特にそうでしょう﹂
﹁フゴッ! エリィ嬢、あなたまで手厳しいことを﹂
﹁うふふ、まあいいではありませんか。彼女の服はいかがです? 可愛くて心臓が止まりそうではございません?﹂
﹁ああ、まったくその通りだ﹂
熱に浮かされたように店主はアリアナを見つめる。
見られているアリアナは何を思ったのか、ゆっくりと両手を顎の
恋
﹂
トキメキ
下に持ってくると、小さい手で拳を作り、ぷくっと頬を膨らませた。
﹁
︱︱︱︱なっ!!!!??
恋
が炸裂。
トキメキ
﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂﹁う゛っ!﹂
﹁う゛っ!﹂
ぎゃああああああっ!
心臓痛ああああいっ!
打ち合わせにない不意打ちオリジナル魔法
可愛らしいポーズに、卑怯な上目遣い。ベレー帽から出ている狐
耳が昆虫を誘う食虫花のようにぴくぴくと動いて見る者を釘付けに
する。
2076
瞬間最大トキメキ風速四億三千万トキメートル︵社外秘︶を記録
っ。
瞬間的な恋に落ちた心は心臓の鼓動を止めた。
アリアナの周囲に、小さなピンク色のハートがふよふよと浮かん
でいる錯覚が眼前でチラつく。
俺とエイミーはテーブルに手をついて心臓をもう片方の手で押さ
え、クラリスは片膝をつき、母アメリアは両手で胸を押さえてのけ
ぞり、受付の姉ちゃんは﹁ひぅ!﹂と両目と口を広げ、一番近くに
いたジョッパー・ブタペコンドは﹁ぶびぃ﹂と情けない声を上げて
ソファから転げ落ちた。
アリアナさん急にトキメいちゃうのやめてくれます?!
﹁んん⋮﹂
しまった、みたいな顔をして無表情に戻るアリアナが可愛い。
後で少しばかり怒ろうかと思ったが⋮⋮お咎めナッシング!
お兄さんすぐ許しちゃうぜよ。
﹁あ⋮⋮あらあら、皆さんそんなにチェック柄が素敵でしたか?﹂
どうにか復活して、余裕ぶった言葉を吐いておく。
こうしたアクシデントもプレゼンの醍醐味だ。
エイミーが﹁びっくりしたぁ﹂と小声で言い、クラリス、アメリ
アも何とか気をつけの姿勢に戻り、受付の姉ちゃんがおっかなびっ
くり心臓から手を離して安堵のため息をついた。
2077
店主のジョッパー・ブタペコンドは心臓の痛みが引いたのか、顔
をがばと上げて回りを見回すと、自分だけがソファから落ちたのが
恥ずかしいのか、いそいそと立ち上がってソファに戻った。
アリアナがちょこんとスカートの裾をつまんでお辞儀をし、何食
わぬ顔をしてソファへ座る。
こちらも平静を装い、お淑やかに両手をテーブルへついた。
﹁このように、新しいデザインは女性の可能性を広げてくれますわ﹂
どのようにだよ、と心の中でツッコミを入れつつ話す。
大事なのはそれっぽく言うこと。堂々と腹から声を出して話すこ
とだ。
﹁ミラーズの売上げが爆発的に伸びたのも、こうした画期的で可愛
らしデザインがひと目を引いたからです。また、グレイフナー国民
が柄物にまだ免疫がない、慣れていない、という理由から、手始め
にこのチェック柄を流行らせようと試みております﹂
﹁それで、﹃Eimy∼秋の増刊号∼﹄はチェック柄が多かったの
か﹂
正気になった店主が、丸い顎をさする。
﹁そうです。先ほどお伝えした、戦術的視点から、チェック柄を意
図的にピックアップしました。柄の入った商品を流行らせれば、他
の柄への抵抗感がなくなります。我々は服を売る他に、グレイフナ
ー国民の洋服に対する知識教育をしているのです﹂
﹁そんな意味があったとはな⋮⋮﹂
﹁新しい服。新しい生地。新しいデザイン。ミラーズの成長は止ま
りません。この新しい波は、グレイフナーにとどまらず、他国にも
2078
受け入れられるでしょう。これは世界規模のビジネスなのですよ?﹂
﹁ずいぶんと話が大きくなる﹂
﹁考えてみてください。ミラーズが更なる成長を遂げた場合、ヒー
ホーぬいもの専門店様では捌ききれない量の洋服が注文されます。
当然、我々は別の店へと発注します。それをヒーホーぬいもの専門
店様が事業拡大して引き受けてくだされば、両社ともさらなる躍進
が可能ですわ。今までにない手法の縫製技術の開発や、新しい素材
への挑戦など、夢は広がりますわよ﹂
店主へ事業拡大のチャンスをほのめかす。
ジョッパー・ブタペコンドは周囲の従業員に、もっと店をでかく
したいな、と言って回っていると情報が入っている。野心家なのだ
ろう。
﹁ほう⋮⋮﹂
案の定、話に乗ってきた。
今までは母アメリアの威光でビビっていたので話がスムーズだっ
たが、ここからは違う。彼の顔つきが先ほどと違い、真剣味を帯び
ていた。
おそらく彼の脳内では、猛烈な金勘定と、ミラーズの先見性と成
長率、それに伴って起こる自社拡大の予想図が計算されているはず
だ。
ここから、さらなるデータを出して話を展開していく。
短期的戦略から、中期、長期的未来展望を話し、最終的にミラー
ズがどうなるかの絵図を彼の前で広げる。今回のプレゼンは結末を
先行させる直球な言い方よりも、ストーリー仕立ての構成で話を展
開した。結末が最後にくるパターンだ。
2079
場の空気で流れを変えれる柔軟性が、俺の持ち味だ。
やべ、超楽しい。日本を思い出すこれーっ。
言葉に熱がこもり、エリィの美しい声が部屋を侵食して焼けるよ
うな熱気を帯びる。洋服による未来のパノラマが描かれ、花火のよ
うに消えてはまた現れる。
プレゼンの途中で現れた﹃ゴールデン鉱石﹄と﹃ゴールディッシ
ュ・ヘア﹄には、部屋にいた全員が息を飲んだ。アリアナとエイミ
ー、クラリスは聞き慣れているはずなのに、話の展開があまりに面
白いものだったのか、演技なしの感嘆を上げる。
エイミーは打ち合わせをすっかり忘れて俺の話に聞き入っていた。
﹁エリィはすごいね!﹂
﹁姉様、出番出番﹂
﹁あ、そうだった∼。では、失礼しますね﹂
エイミーがソファから立ち上がり、全身を隠していたローブを脱
いだ。
彼女が着ているのは、ゴールディッシュ・ヘアで編まれた七分丈
のブラウス。金色の繊維を脱色して甘い雰囲気のホワイトカラーに
し、花柄の刺繍を入れてガーリーな仕上がりにしている。エイミー
の胸に押し上げられて花柄の形が変わっているのが何とも言えず、
ついそこに目がいってしまう。
アンダーはデニムスカートだ。
クチビールにもらった少ない生地で縫製し、前ボタン付きにした。
靴は黒のヒールに黒い靴下。
2080
ちなみにスカートの丈は、エイミーに﹁もうちょっと! もうち
ょっとだけ!﹂とお願いしていつもの膝上よりも気持ち丈が短い。
彼女はかなり恥ずかしがっていたが、破壊力は抜群だ。
少しだけ見える太ももが、白くてもちっとしててやばい。
エイミーのためにミニスカート計画を進行していると言っても過
言ではないぞ。
﹁Eimy専属モデル、ゴールデン家三女、エイミー・ゴールデン
でございます﹂
エイミーがよそゆきの挨拶をすると、真剣だった場の空気が、甘
くて爽やかなものに入れ替わった。彼女のカリスマ性と場を飲み込
むほわっとしたオーラは、場所を選ばず遺憾なく発揮される。
受付の姉ちゃんなんかは破顔して両手を一生懸命叩き、﹁わぁっ﹂
と言って拍手を送っていた。完全に仕事中だって忘れてるな。
デニム
という生地を加工しており
﹁エイミー姉様が着ている服こそが、ミラーズのまごうことなき最
新作ですわ。まずスカートは
ます。これはとある場所に生息する魔獣の革でできており、耐久性
に優れ、様々な服と合わせることができるオールマイティーな素材
です﹂
デニム生地の切れ端をテーブルに置くと、ジョッパー・ブタペコ
ンドが興味津々で手に取り、引っ張ったり丸めたり、匂いを嗅いだ
りして素材の確認をする。
﹁デニム生地はスカート、ズボン、アウター、ほぼすべてに使用で
きます。この着やすさと、コーディネートの自由度によって、いず
れ世界中に親しまれるアイテムになるでしょう﹂
2081
﹁不思議な色合いだな。硬さがあり、手触りが独特だ﹂
﹁素材の入手はコバシガワ商会で一手に引き受けるつもりです。縫
製が簡単ではないので、腕利きのお店にお願いする予定ですわ﹂
﹁ほう、そうか﹂
ジョッパー・ブタペコンドが反応を示す。
デザイン性を認めていることは、エイミーに向ける目を見れば明
らかだ。だが、初めて見る生地だけあって、別商品のイメージが想
像できず、この素材が流行るビジョンがうまく浮かんでいないよう
だ。
﹁驚くのはまだ早いですわよ﹂
そう言ってジョッパーの思考を断ち切り、不敵な笑みを彼に向け
た。
まだ何かあるのか、とジョッパーは探るような視線を、俺とエイ
ミーの洋服に投げる。
﹁今回、ご紹介したい素材はこちらです。全世界の価値観を破壊す
るものになるでしょう﹂
なんの変哲もない、明るい黄土色をした﹃ゴールディッシュ・ヘ
ア﹄の繊維をジョッパーに差し出した。一本だけ繊維を受け取った
店主は疑問を顔に浮かべ、また引っ張ったり豚鼻で嗅いで匂いをチ
ェックする。
﹁エリィ嬢、これは?﹂
﹁エイミー姉様が着ているシャツの素材ですわ。こちらはゴールデ
ン家で発見された新素材を加工して繊維にしたもので、全世界でも
ここにしかない、新素材をです。驚くべきはこの繊維の性能ですの
2082
よ﹂
﹁性能?﹂
おもむろにソファから立ち上がり、エイミーにテーブルから離れ
てもらって、人差し指を彼女へ向けた。
﹁姉様、いくね﹂
﹁いいよ。いつでもきて﹂
﹁エリィ嬢いったい何を⋮⋮﹂
ジョッパー・ブタペコンドが不穏な空気を察したのか、焦りの入
った声を上げる。
ウインドカッター
!﹂
それを無視し、軽く魔力を練って魔法を唱えた。
﹁
﹁エリィ嬢!﹂
﹁きゃあ!﹂
ジョッパー・ブタペコンドと受付の姉ちゃんが悲鳴を上げた。
不可視の風の刃は魔力をまとい、エイミーの腹部から太ももにか
は下位中級といえど、当
けて鋭利な傷跡を残そうとする。風が舞い、エイミーの美しい黄金
ウインドカッター
の髪がふわりと後方へなびいた。
﹁なんてことを! たりどころが悪ければ︱︱﹂
ジョッパー・ブタペコンドが部下を叱るように俺に向かってまく
し立て、次にエイミーを見ると、言葉を飲み込んだ。
喉の奥に指を突っ込まれたような衝撃を受けたらしく、あんぐり
2083
口を開け、彼はたまらずソファから立ち上がった。
﹁破れて⋮⋮いないだと?﹂
を弾き
夢遊病にかかった患者みたいに、ふらふらとエイミーに近づき、
ウインドカッター
白ブラウスを食い入るようにのぞきこむ。
﹁こんな薄い生地の⋮⋮シャツが⋮⋮
返したと? そ⋮⋮そういうことなのか⋮⋮?﹂
エイミーは中腰になって自分のシャツを見る店主に、すごいでし
ょう、という視線を向けた。
﹁その耐久性こそが、新素材ゴールディッシュ・ヘアの効果です!﹂
﹁おお⋮⋮おお、おお! これはすごい! どういう製法なんだろ
うか!?﹂
﹁企業秘密ですわ﹂
﹁シャツに繊維を織り込んでいるようだ。すべてがゴールディッシ
ュ・ヘアで作られているわけではないらしい﹂
﹁企業秘密ですわ﹂
﹁流通すれば世界が震撼するぞ! 今まで使っていた分厚い魔獣革
や、燻されてにおいのきつい硬化塗料を塗ったりする必要がなくな
る! 従来の防具に縫い付けるだけでも相当の防御力増加が見込め
る!﹂
ウインドカッター
で破壊できないということは、少なくとも
﹁そのとおりですわ!﹂
﹁
ファイアボール
にも数発耐えれますわ!﹂
下位中級魔法に耐えうる性能があるということだ!﹂
﹁
﹁なんと! 布製品の弱点もないのか!﹂
﹁しかもローコストですのよ!﹂
2084
すかさずデータの記載された用紙をクラリスがテーブルへと差し
出した。
﹁なあああああっ?! ミスリルの一万分の一だと?!﹂
﹁ええ、そうなのです。すごいでしょう?﹂
﹁すごいも何も大発見じゃないか!﹂
魔石炭は一キロ百ロン。
ミスリルは一キロ百万ロン。
加工に上位魔法である炎魔法使いを雇っても、ミスリルとのコス
ト差は一万分の一になる。コストの差は歴然。ミスリルはゴールデ
ィッシュ・ヘアが流通した時点で、価値競争に巻き込まれる。
ファイアボール
に
その後、エイミーに着席してもらい、ゴールディッシュ・ヘアの
性能を簡単にプレゼンして、国王にも見せた
耐える実演を行った。
この新素材の開発にはグレイフナー王国が一枚噛んでいると話し
たら、ジョッパー・ブタペコンドはかなり驚いていた。
予想よりも話が盛り上がり、約束していた会合終了の時間を三十
分ほどオーバーしてしまった。
熱気のあるうちにと、こちらからの最終通告をすることにした。
﹁ミラーズと再契約を結んでいただけませんか。内容は、﹃発注し
た商品はいかなる理由があろうとも納期に間に合わせる﹄﹃三年間、
ミラーズの発注する商品を最低でも百アイテム受注する﹄この二点
です﹂
﹁ふしゅぅ⋮⋮﹂
2085
ジョッパー・ブタペコンドは鼻から熱い吐息を漏らし、こちらを
射るような目で見つめてくる。
この契約をすれば、ヒーホーぬいもの専門店は、サウザンド家か
らの申し出をキャンセルすることになる。
諜報部によれば、店はサウザンド家へ大量の寝間着や大衆向けの
服を縫製する仕事を受注しているそうで、ミラーズと縁を切らなけ
れば、それをすべてなくす、と言われている。
分かりやすく言うと、お得意様が、もうあんたんとこの商品買わ
ないよ、って言い出したのと同じだ。しかも、サウザンド家ともな
れば他より発注数が桁違いのため、損失はかなり大きい。
サウザンド家との安定した利益を選ぶか。
ミラーズとともに未来への投資を選ぶか。
こちらの言い方から、断れば二度とこの話に関わることができな
いとジョッパー・ブタペコンドは察しただろう。現に、ここでサウ
ザンド家に加担したら、ミラーズは二度とヒーホーぬいもの専門店
と取引をしない覚悟だ。
彼の頭の中で、最終的な計算がなされている。
受付の姉ちゃんが不安げに息をのみ、目だけを光らせて部屋の気
配をうかがう。
視線を逸らさずに穏やかな気持ちで彼の言葉を待った。
エリィの優しげな瞳が、ジョッパー・ブタペコンドをとらえてい
る。
たまに鏡で見て、吸い込まれそうになるサファイア色の瞳に、ど
2086
れほど抗えるというのか。もし自分がエリィに見つめられたら⋮⋮
きっと何でも許してしまうんだろうな。
ジョッパー・ブタペコンドはぶごっ、と一度鼻を鳴らして大きく
うなずくと、手をパシンと叩き、両手をテーブルへついて深々と頭
を下げた。
﹁ミラーズとの再契約を、お願い申し上げます﹂
ヒーホーぬいもの専門店、大旦那であるジョッパー・ブタペコン
ドの声が大きく室内に響き渡った。
俺とエリィ率いるプレゼンチームが勝利した瞬間だった。
⃝
ヒーホーぬいもの専門店と再契約を交わした俺達は、店を出てコ
バシガワ商会へ戻り、商会にいた従業員から盛大な拍手をもらった。
勝利宣言に商会内は沸き立つと、好き勝手に叫んだり号泣したりと
感情表現が忙しい。
今日はもう一戦ある。あまり喜んでもいられないぞ。
バリーが作ってくれた昼食が商会に運び込まれていた。手軽に食
べれるようにとサンドイッチだったが、具に相当凝っているらしく、
めっちゃ美味い。さすがバリーだな。
空腹を満たしてようやく肩の力が抜けた。
2087
第一会議室に集まり、俺とアリアナ、エイミー、クラリス、エリ
ィマザーは食後のお茶を楽しむ。
﹁私がいなくても大丈夫だったみたいね﹂
エリィマザーが武装を解いて、ミラーズのゆったりしたスカート
をはいた格好で紅茶を飲みつつ満足気に言った。
﹁いえ、お母様が相手の気勢を削いでくださったので、話が簡単に
進みましたわ。ありがとうございます﹂
﹁まあ。エリィは前から相手を褒めるのがうまいわね﹂
﹁そうでしょうか﹂
﹁そうよ。誰に似たのかしらね﹂
﹁お父様だと思いますわ﹂
﹁あの人も褒めるのがうまいからね﹂
エリィはどうやら俺が乗り移る前でも人を褒めていたらしい。根
が優しいからな。人のいいところを見つけるのが上手かったのだろ
う。
﹁あの、お母様。先ほどから気になっていたのですが、ジョッパー・
ブタペコンド様とはどういったご関係なのです?﹂
﹁そのことね。若い頃にちょっと色々あったのよ﹂
アメリアがシールドに在籍していた頃、店を継ぐ気のないドラ息
子だったジョッパーが、村娘を手練手管を使って籠絡しようとして
いたところを見つけ、男なら正々堂々やりなさい、と喝を入れたそ
うだ。
その後、何度か縁あって助けてやったこともあり、ジョッパーは
2088
完全にアメリアに頭が上がらないとのこと。母アメリアは﹁私があ
のダメ男を更生したのよ﹂と笑いながら言った。母、強し。
ハワードの話じゃ、若い頃のアメリアは相当荒れていたらしいか
ら、ジョッパーはこっぴどくやられたんだろうなぁ。マザー怒ると
まじ怖いからなぁ。
﹁アリアナとエイミー姉様もありがとう﹂
﹁ん⋮﹂
﹁楽しかったね! エリィのお話が上手くって聞き入っちゃった!﹂
アリアナが褒めてくれと尻尾をふりふりしてきたので狐耳を撫で、
エイミーには親指を立てるポーズを送った。
﹁びしっ!﹂
効果音付きでポーズを返すエイミー。
教えるとすぐ憶えてくれるから、つい色々と彼女に仕込んでしま
う。
ファッション計画はエイミーがいたからこそ思いついた作戦だ。
そして、計画はサウザンド家との戦いが終われば半分は達成され
たことになる。
そもそも計画の根幹は、ファッションの流行を作り、エリィをい
じめて自殺にまで追い込んだスカーレットをぎゃふんと言わせ、彼
女には絶対服を買わせない。ダイエットして美人になり、服で儲け
た金で大金持ちになり、経済的観点からもスカーレットに勝つ。
散々、エリィをバカにしてきたボブも見返してコテンパンにし、
仕返しを完了したら、日本へ帰る方法と、男に戻る方法を探す。
2089
ダイエット、復讐、金儲け。帰還方法の探索。
長期計画なので、ハートの粘り強さと、超ポジティブ思考、現実
的な考えがないとできない。いや、そもそも異世界飛ばされて女の
子になって、割りと平気な俺ってアイアンハートの持ち主だと思う
わ。
ポジ男にしかできないやつ∼。ポジ男って誰よ? おれぇ∼。
いい。いいぞ。
自分の思い描いた通りのシナリオになってきたぜ。
このまま突っ走ってやるよ。
⃝
しばらく休憩した俺達は、本日の二店舗目になる﹃バグロック縫
製﹄へと向かい、三時間のプレゼンと交渉の末、再契約をもぎ取っ
た。
従業員の万歳三唱ならぬ万歳百唱を受け、あとはジョー、ミサ、
ウサックス、パンジー、父ハワードが向かった﹃グレン・マイスタ
ー﹄攻略班の帰りを待つだけだが⋮⋮ずいぶんと遅い。
俺達がヒーホーぬいもの専門店に行った同時刻に彼らも出発して
いる。
かれこれ九時間は帰ってきていない計算になるな。
雑誌の打ち合わせをしながら待つこともう一時間、あわただしく
商会のドアが開き、メインフロアから従業員の歓声が爆発したよう
2090
な音が聞こえ、俺とアリアナはすぐに第一会議室の席を立った。
2091
第12話 オシャレ戦争・その6︵後書き︶
ちょっとみづらいよ∼とのご指摘があったので記号を変えてみまし
た!
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︵
︶﹃サナガーラ﹄
︶﹃ウォーカー商会﹄
⃝離反確実
︵
︵30%の商品が損失︶
⃝離反あやふや重要大型店
︵◎︶﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄
︵◎︶﹃バグロック縫製﹄
︵−︶﹃グレン・マイスター﹄
⃝サウザンド家によって離反の可能性
中型縫製・十店舗
︵−︶﹃シャーリー縫製﹄
︵◎︶﹃六芒星縫製﹄
︶﹃ビッグダンディ﹄
︵◎︶﹃エブリデイホリデイ﹄
︵
︵◎︶﹃愛妻縫製﹄
︵−︶﹃シューベーン﹄
︶﹃アイズワイズ﹄
︵−︶﹃靴下工房﹄
︵
︵◎︶﹃テラパラダイス﹄
︵◎︶﹃魔物び∼とる﹄
2092
⃝サークレット家によって離反の可能性
その他・七店舗
ジュエリー
︵−︶﹃ビビアンプライス︵鞄︶﹄
︵◎︶﹃天使の息吹﹄
︵−︶﹃ソネェット︵ジュエリー︶
︵−︶﹃KITSUNENE︵帽子︶﹄
︵◎︶﹃麦ワラ編み物︵帽子︶﹄
︵◎︶﹃レッグノーズ︵靴︶﹄
︶ 未確定↓︵−︶
︵−︶﹃オフトジェリコ︵靴︶﹄
契約継続↓︵◎︶ 離反↓︵
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
2093
第13話 オシャレ戦争・その7
メインフロアに入ると、事務仕事をしていた従業員二十名ほどが
﹁うおおおおっ!﹂と叫び、入り口付近で抱き合ったり、ハイタッ
チをしている。
俺とアリアナが駆け寄ると、彼らが笑顔で脇によけてくれた。
ドアの前には、ジョー、ミサ、ウサックス、パンジー、父ハワー
ドがおり、エリィの姿を発見すると、とてつもないハイテンション
で詰め寄ってきた。
﹁エリィ! やったぞ! 俺はやった! 再契約だ!﹂
﹁お嬢様ラブですぅ。私と結婚してくださぁい。むちゅっ﹂
﹁ですぞ! 任務完了ですぞ!﹂
﹁エリィさぁん⋮⋮わたしへろへろなのぉ⋮⋮﹂
﹁アッハハハハ! エリィが美人になって将来が心配だ! 今から
寄ってくる男をぶん殴る練習をしておかないとなぁ!﹂
結論から言うと、全員酔っ払っていた。
五人は顔を真っ赤にし、酒気を撒き散らしてダハダハと笑い、千
鳥足でふらついて周りの従業員によろめいてぶつかったり、壁にも
たれかかったりしている。ミサがほっぺたにキスしてくるのがうる
さい。てか酒くっさ!
あとパンジー、酒飲んだことあるのか? 今にも天にのぼって天
使ちゃんになりそうな、ポワァンとした顔しているが⋮⋮。
﹁せかいがぐるぐるまわってウインドブレイク∼﹂
2094
﹂
ダメだなこれは。
癒大発光
を発動させた。半球型の光が俺
キュアハイライト
﹁しょうがないわね。
癒大発光
キュアハイライト
無詠唱で白魔法下級
を中心に発生し、その中で小さな光がイルミネーションのように儚
げに明滅する。
治癒魔法は、多少なりとも酔いに効果があった。とはいっても、
癒大発光
キュアハイライト
が発生したことに従業員が驚き、すぐに感嘆
水を飲んでちょっと休む、程度の効果だけどな。
突然、
の声を上げる。酔っぱらいの五人は、初めてプラネタリウムを見た
学生のように、うわぁ、と光のドームを見上げた。
﹁エリィはすごいな! 白魔法を本当に使えるんだな! 洋服じゃ
負けないけどな!﹂
﹁お嬢様愛してますぅ。もうお嬢様抜きでは生きていけませぇん﹂
﹁ですぞ! 無詠唱で白魔法とはこのウサックス感激しましたぞ!
ですぞ!﹂
﹁おとうさまのまほうよりきもちいい∼﹂
﹁ハッハハハハ、どうだ見てみろ! 俺の娘はすごいだろう! こ
んな可愛い娘に毎日白魔法を唱えてもらってるんだぞ! 羨ましい
だろ!﹂
結論から言うと、テンションをアップさせただけで大した効果は
なかった。
その後、ゴールデン家に使いを出し、帰宅していた母アメリアと
エイミーがコバシガワ商会にやってきた。
2095
クリ
酒嫌
を使う。アメリアはハワードが酒を飲んだことに腹
エイミーが酔っぱらい五人に驚いて、その場で木魔法中級
アウォーター
いの清脈妖精
を立てているのか、魔法詠唱中も終始無言だ。こわい。
酒嫌いの清脈妖精
クリアウォーター
を見て、黄色い歓声を上げた。近
従業員達は、王国でも有名貴族か金持ち商人が大枚をはたいてか
けてもらう
くにいた新入社員に聞いたら、相当に珍しい魔法なんだと。
にしても、木魔法中級を五連発するエイミーは、かなりの魔力を
保有しているよな。
そんなこんなで五人は素面に戻った。
パンジーは酒気が抜けてもまだぼーっとしている。
ウサックスは自分の執務机に戻り、事務作業をやりはじめた。ど
うやら仕事をしながら話に参加するらしい。雑務死ぬほど好きだな、
おい。
父ハワードは素面に戻ると、耳をアメリアにつかまれ、第一会議
室に連れて行かれた。ハワード、夫婦協定で酒は禁止なんだって。
全員が顔を引き攣らせ、笑顔で見送った。さよならエリィのおやじ。
お元気で。
ミサとジョーは酔っ払っていたことに顔を赤くしつつも、プレゼ
ンの内容を話してくれた。
首都グレイフナーの老舗、布屋グレン・マイスターの店主はミサ
が貴族侍女時代に知り合った、旧知の仲だ。
練習したプレゼンを完璧にこなすと、すんなり再契約を交わして
くれたそうで、店主は急に取引をやめようとするサウザンドのやり
方が気に食わなかったのか、ミサの条件が多少悪くても譲歩する心
2096
づもりだったらしい。
それがプレゼンの蓋を開ければ、
データによる情報提供。
戦術的な柄物の販売。
ゴールディッシュ・ヘアという新素材。
一も二もなく店主は再契約を決意したとのこと。
ミサは社運を賭けてプレゼン練習していたからな。それも良かっ
たに違いない。あとは準備がばっちり間に合ったことも成功の鍵だ
った。
プレゼンは準備資料の濃密さと練度で、出来が左右する。
再契約を交わしたあと、店主は五人をパーティーへ招待した。
実はこのパーティーが、グレン・マイスター百周年記念祝賀会で、
そこに集まった三百名近い関係者にミサ達は紹介され、散々飲まさ
れた。店主はミラーズを参加させることまで想定して、予定を組ん
だに違いない。タイミングが良すぎる。仕事ができる店主とみた。
ガンガン酒をすすめられ、ミサとジョーは序盤で泥酔。
最初は酒を断っていたハワードも、だんだんと楽しくなってきて
飲みまくり、最後は自分の武勇伝を語って場を大いに盛り上げてい
た、とジョーが苦笑いして説明してくれる。
おやじ、一度酔うと話が止まらなくなるんだって。パーティー終
加護
盤は知らないおっさん五人と肩を組んで延々国歌を歌ってたらしい。
唱えてあげないとな。
⋮⋮マザーが酒飲むの止めるわけだ。持病もあるし、あとで
の光
2097
パンジーは何とか俺達の役に立とうと、有力な商人や店の店主と
話をし、自分の知っているサウザンドと繋がりのありそうな人間に
顔を繋いでくれた。人見知りのくせに頑張って話しかける姿をミサ
は見て、パンジーに親近感が湧いたらしい。
パンジー、最初のおどおどした感じからだいぶ成長したな。自発
的に動くのは社会人への第一歩だ。
﹁エリィさん。私、すごく緊張したよ。でも、皆さんいい方で、お
話をたくさんしてくれたの﹂
パンジーが長い前髪のあいだから、こちらを覗いてくる。
﹁面白い靴職人の方が、私と、私が着ていたミラーズの服に合う靴
を作ってくれるそうなの。その方はちょっぴり変わった殿方で、靴
の上でないと眠れないぐらい靴がお好きなんだって。ミラーズの靴
にはとても興味があって、雑誌の発売から販売されているミラーズ
の靴を研究してるんだよ! 興奮して、たくさんおしゃべりしちゃ
った!﹂
﹁まあ! それじゃあ考えている新作の製作依頼をしようかしら。
変わってる人じゃないと作ってくれなそうだし﹂
﹁エリィさんはどこからそんなにアイデアが出てくるの?﹂
﹁乙女の秘密よ﹂
﹁すごいなぁ﹂
前々から考えていた靴のデザインにも一歩足を踏み入れてみるか。
﹁エリィお嬢様、パーティー会場で知り合った者達のデータを今ま
とめておりますぞ。お嬢様がお話していたファッションショーの宣
伝と、そこから新しいモデル、デザイナーを選出する旨も流布して
おきました﹂
2098
したり顔で執務机から顔を出し、ウサ耳を左右に曲げるウサック
ス。
相変わらずこのウサ耳のおっさん、有用すぎる。もうただの事務
員じゃねえな。給料上げてやるか。
それにしてもね、めちゃ眠い⋮⋮。
今日は朝から張り切って行動しているから、身体が疲れている。
眠いときに寝ておかないと美容に悪そうだ。
﹁よし! 今日は夜も遅いし、みんな帰ってお家で英気を養いまし
ょう! 重要大型店の三店舗はこちらに取り込んだわ! 勝利まで
あと一歩よ!﹂
話しながら、商会のメインフロアの壁に貼り付けてある店舗一覧
表に魔法ペンで印をつけた。
⃝離反あやふや重要大型店
︵◎︶﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄
︵◎︶﹃バグロック縫製﹄
︵◎︶﹃グレン・マイスター﹄
大型店、全店攻略だぜ!
ペンを走らすと、キラキラと筆跡が光る。
俺が丸印を付け終わると、従業員とミサ達が、喜びで感情を爆発
させ、近くにいる者とハイタッチをし、ハグをした。いつものこと
だが、グレイフナー国民は感情表現が豊かだ。
パンジーはアリアナに褒められているのか、両手を繋いでうなず
き合っている。狐耳の美少女と桃色のゆるふわパーマの美少女の絵
2099
図。別にそういう趣味はないけど、いいな。なんか絵になる。
﹁エリィ!﹂
走ってきたエイミーにがばっと横から抱きつかれた。腕に胸がぎ
ゅうぎゅうと当たった。
﹁あとちょっとだね。私もモデル頑張るからね!﹂
﹁うん! 姉様ありがとう!﹂
﹁どういたしまして。あれ⋮⋮エリィ身長伸びてない?﹂
エイミーが自分の身体をぴたりとくっつけ、横目で俺の身長を測
ろうとする。
確かに最近、成長痛がひどい。特に足がぎしぎしする。
まあ、生活と十二元素拳の稽古に支障があるわけじゃないからい
いんだけどね。エリィ、身長が結構伸びそうな気がしてならない。
﹁身長追いつかれちゃうかな? そしたら洋服の交換できるね。そ
れ、楽しいかも∼。えいえいおーっ!﹂
心底嬉しそうに片手を上げて、笑顔で叫ぶエイミー。
えいえいおーの使い方、間違ってるで。
耳ざとくエイミーの掛け声を聞いていた従業員達が、えいえいお
ーをやまびこし、他の連中も言い始め、えいえいおーの合唱になっ
た。これは使い方、合ってるで。
俺も混ざって拳を上げ、数回やりきると、笑顔で全員が拍手して
お互いの健闘を讃え、明日からまた頑張ろうぜと気合いを入れる。
ふっふっふっふ、はーっはっはっはっは! サウザンド家! サー
2100
クレット家! この団結力を見よ!
ひとしきり励まし合うと、俺の解散の指示通り、三々五々輪の中
から従業員が散っていく。自分の荷物を取り帰る者、帰宅前に少し
だけ資料をまとめる者、全員の顔は明るい。
﹁あああああああっ、ああ∼∼∼∼∼∼∼っ﹂
俺達も帰ろうか、とエイミー、パンジー、アリアナと話していた
ら、第一会議室から情けない叫び声が聞こえた。
﹁エリィは聞いちゃダメだからね﹂
エイミーが両手で耳を押さえ、蓋をしてきた。
夫婦協定を破った罰を受ける、父ハワードの悲痛な叫びがこだま
する。
彼の無事を契りの神ディアゴイスに祈り、俺達は商会から出て家
に帰った。
☆
大型店がミラーズによってすべて再契約された、三日後。
サウザンド家の執事ジャックは、パンジーの様子を報告するため
に、執務室のドアをノックした。
グレンフィディック・サウザンドの入室許可の声が響き、音を立
2101
てずにドアを開けてゆっくりと部屋に入る。
仕事に追われるグレンフィディック・サウザンドが、書類から目
だけを上げてジャックを一瞥する。その仕草のせいで、額に刻まれ
た皺がより深くなった。
﹁なんだ?﹂
不機嫌な調子でグレンフィディック・サウザンドが尋ねる。
くすんだ白髪が混じりの金髪は、彼の疲労を現すように前に力な
く垂れていた。
﹁パンジーお嬢様とエリィお嬢様についてのご報告です﹂
﹁そうか﹂
何の感慨もなくペンを机に置き、緩慢とした動きで姿勢を起こす
と、彼はそのまま椅子の背もたれへ身を預けた。
﹁話せ﹂
﹁かしこまりました﹂
ジャックは自分の主人がどう感じ、何を思うか予想しつつ、執事
の礼を取って頭を上げた。
﹁パンジーお嬢様はこちらに戻ってくるおつもりはないようです。
塞ぎがちだったお嬢様の性格も、エリィお嬢様やご友人のアリアナ
お嬢様と時を過ごすことで、本来の明るさを取り戻しているように
思えます﹂
ジャックがそこで一旦言葉を切ると、グレンフィディックは目を
2102
細め、両眉を山なりにさせた。灰色の瞳を、何の遠慮もなく不躾に
執事へ向ける。
ジャックは頭を上げて主人と目が合うと、不快にさせたと思い、
また深々と腰を折った。
だが、不興を買ったとしても、パンジーが家出をして明るくなっ
た事実は伝えなければいけないことだった。上司が間違っていたら
部下が諌めるものだ、というエリィの言葉が執事の頭で反響してい
た。
このような報告の義務が発生したのは、彼女がグレイフナー魔法
学校に通い始めてから極度に暗くなったことが理由であった。
パンジーは魔法学校の入学式当日に重度の高熱を出して学校を休
んだ。
サウザンド家の抱える治療師達の魔法で彼女は全快したが、入学
式から一週間が経過してしまった。友人を作る流れに乗り遅れ、彼
女の引っ込み思案な性格が災いし、仲のいいクラスメイトができず
に気持ちだけが焦って、ゆるやかに時間が過ぎていく。
パンジーがサウザンド家の嫡女だったことも良くなかった。
光適性クラスであるライトレイズの生徒達は、白魔法超級魔法使
いを輩出したサウザンド家に一目置いており、誰もがパンジーに話
しかけづらく、気軽に友人になっていいものかと遠巻きに見ていた。
その年のライトレイズは珍しく貴族出身の光適性者が少なく平民
が多かった。そのため、生活水準が同じで話の合う者同士でグルー
プを作ってしまい、ますますパンジーは孤立した。
少しのきっかけがあれば仲良くなれていただろう。
2103
自ら輪の中に入っていく勇気があれば状況は変わっていたかもし
れない。
友人ができるきっかけは全くなく、勇気を出すにはパンジーは臆
病すぎた。
いじめを受けていたエリィのように、邪険にされたり、実習授業
で二人組になるのを嫌がられたりはしなかった。しかし、クラスメ
イトは誰しもが彼女への距離感を測りかねていた。
そんな状態のまま、ずるずると一年生が終わり、二年生になり、
十一ヶ月が経って春休みを迎えてしまった。
パンジーは月日を重ねるごとに、クラスメイトと目を合わせなく
なっていった。前髪を伸ばし、あくまでも髪型のせいで目が合わな
い理由付けにして、自身の勇気のなさから逃げた。家の庭いじりと、
光魔法の練習をしているときだけ、心が安らいだ。
パンジーが赤ん坊の頃から面倒を見ていたジャックは、学校に馴
染めない彼女の様子に心を痛めた。
幼い頃、草の冠を作って自分にプレゼントしてくれた、あの天真
爛漫なパンジーの笑顔を思い出すと、涙が込み上げてくる。
何度となくサウザンド家の権力を使ってパンジーに友人を作らせ
ようと思ったが、パンジーの父親であり次期当主のグレイハウンド・
サウザンドが子どもの人間関係に大人が介入することを嫌がる性格
だったため、ただ見守ることしかできなかった。
そんなパンジーが、エリィのおかげで明るくなっている。
2104
ジャックは心の中で歓喜し、グレンフィディックを一刻も早く正
常な状態に戻したかった。サウザンド家のせいでエリィとパンジー
の仲がこじれない、という保証はどこにもない。
この場に次期当主でありパンジーの父親である彼がいれば、ジャ
ックの心強い味方になってくれ、過去に捕らわれたグレンフィディ
ックを引っ張り上げてくれる可能性があった。しかし、彼はいま領
地内に出た魔獣の駆除に出ており、当分戻ってこない。残念なこと
に、母親もグレイハウンドの遠征に同行している。
これは試練なのかもしれない、とジャックは勝手に考えた。
契りの神ディアゴイスが与えた、パンジーとグレンフィディック、
そして自分への試練だ。
深々と頭を下げたまま、ジャックは瞠目する。
様々な情景が、無作為に選んだ写真のように脳裏に焼き付いては
霧散する。
パンジーが悲しげにうつむきながら登校する姿。
突然現れたエリィ・ゴールデンという少女の優しげな笑顔。
目の前にいるグレンフィディックと彼が愛した女性が仲睦まじく
笑い合う過去の思い出。
ジャックは感情が抑えきれず、執事の表情を崩して顔中をしわく
ちゃにした。
﹁パンジーお嬢様は、ミラーズの女オーナーであるミサ、デザイナ
ーのジョー、付き人の兎人族の男、ゴールデン家当主のハワード・
ゴールデンとともに、布屋グレン・マイスターへと赴き、契約を取
り交わしてパーティーにご出席されました。そこで、自ら知らぬ商
人に話しかけている姿をお見かけ致しました﹂
2105
グレンフィディックからパンジーの護衛を任されているジャック
は、尾行した祝賀パーティー先で見た彼女の姿を話した。
﹁少なくともここ数年、パンジーお嬢様が自発的に行動をしたのは、
ミラーズの洋服についてだけです。それに関しても、買い付けをメ
イドに頼むのみ。それが、知らぬ商人に話しかけるなど⋮⋮お嬢様
は自分の持つ勇気すべてを振り絞ったはずでございます﹂
グレンフィディックは深く頭を垂れながら状況報告をする長年連
れ添った執事の頭部を見つめ、苦り切った顔を作った。
彼にしてみれば、パンジーが家出をするなど、想像の埒外だった。
引っ込み思案で、人見知りな可愛い孫を、どうにか一人前にして
やろうと四苦八苦していたのは自分だ。そういった強い自負があっ
たため、グレンフィディックは臆病なパンジーが家出するぐらい怒
りを感じている事実に、身体強化でぶん殴られたような激しい衝撃
を受け、六十年生きてきた人生の中でも指折りに入るほど困惑して
いた。
もはや、グレンフィディックは自分の気持ちを整理する余裕がな
くなっていた。
アメリアへの自責の念が膨らんで抑制が効かなくなり、現実逃避
のため毎晩ワインを飲み、亡くなった恋人との甘い記憶の海に埋没
している。酒でどうにか己の均衡を保っていた。
いま作業している書類の処理も、自らがミラーズの邪魔をし、エ
リィを養子にするために行った強引な手段のツケの回収をしている
にすぎない。
2106
ジャックは頭を上げ、痛ましく思いながらもグレンフィディック
を見つめた。
﹁旦那様、エリィ嬢のお言葉は先日お伝えした通りでございます﹂
﹁謝罪すれば許してやらなくもない、というあれか﹂
﹁さようでございます。エリィ・ゴールデンという少女は、並の常
人では持ち得ぬ何かを内に秘めております。おそらくは彼女なりの
心慮があっての提案かと存じます故、謝る謝らないに関わらず、一
度お会いして話し合うことを具申致します。彼女を養子にとお考え
であれば、なおさら会って距離を縮めるべきかと﹂
﹁そうか﹂
ジャックの言葉に、グレンフィディックは心を動かされた。
ジャックとしては、もう一度二人が会えば、何かが起きるのでは
という希望的観測があった。エリィならば、会ってグレンフィディ
ックを謝罪させることができるかもしれない。
今回の騒動はグレンフィディックが謝れば丸く収まる。
ちょっかいを出した店や、長年取引をしていた商品の再購入は、
金でどうにかなるので問題ない。エリィが総合デザイナーであるミ
ラーズとは完全に敵対してしまうが、グレンフィディックが謝罪し、
まだ発展途上にあるミラーズを利益度外視で援助してやれば、関係
値の回復は見込めるはずだ。
究極のところ、パンジーが家に戻ってきてくれるなら、出費など
どうでもよかった。なんなら自分が破産するまで身銭を切ってもい
い。
この騒動は、長引けばパンジーとグレンフィディックの溝は深ま
り、修復が不可能になってしまう。エリィやゴールデン家も二度と
2107
交流を持ってくれなくなるだろう。現状、この数週間が関係修復の
タイムリミットではないか、とジャックは考えた。
それに、パンジーが自分の殻を破って成長し、グレンフィディッ
クが過去と決別できるチャンスが同時にやってくるなど、二度とな
いはずだ。仕組まれた運命に翻弄される旅人と同様、数多の出逢い
がある中、この二名は時の導きに吸い寄せられ、契りの神ディアゴ
イスに課せられた試練の渦に飲み込まれている。ジャックにはそう
思えてならなかった。
今回の出逢いが神の導きであると断定すると、奇妙な縁の歯車に
自分が巻き込まれた気がして、ジャックは背筋を震わせた。
とにかく、どうにかしてグレンフィディックをエリィに会わせな
ければならない。話はそこからだ。
﹁いかがでございましょう旦那様。エリィ嬢とお会いされては?﹂
﹁あれはそう簡単にこちらへ来ないだろう。わしがゴールデン家に
出向けと? お前はそう言っているのか?﹂
﹁できることならば、それが最善かと﹂
飾り気なく、ストレートに本心を伝えた。
﹁ふん⋮⋮﹂
グレンフィディックは鼻で笑い、提案を一蹴する。
手元にあった資料を引き抜き、ジャックに見えるよう前に出し、
大声で言った。
﹁見ろ。大型店三店舗はすべてやられた。中型店もすでに半分が向
2108
こうの手に落ちている。あの娘、かなりの手腕だぞ。年端もいかぬ
小娘が、どう成長すればこのように効率よく動けるのか不思議だ。
ゴールデン家では特殊な教育訓練を施しているのかもしれんな﹂
﹁ゴールデン家の四姉妹は貴族の間で有名でございます。長女、次
女が国家最高研究機関、魔導研究所に所属し、三女も同研究所への
内定が決まっております。四女のエリィ嬢に至っては、わたくしの
身体強化を上回る強化が可能。あの存在感でまだ魔法学校の四年生
とは信じられません﹂
﹁エリィが身体強化できるなど、わしには想像できん﹂
﹁世の中には天才がいるものです。彼女ももれなくその一人なのか
と﹂
﹁天才か⋮⋮﹂
嬉しそうな表情をグレンフィディックが一瞬だけ見せ、ジャック
は不可解な気持ちになった。
﹁何か思うところがおありでございますか?﹂
﹁自分の孫が天才と言われて喜ばんじじいはおらん﹂
﹁⋮⋮さようでございますか﹂
﹁お前にも孫ができたら分かるだろう﹂
孫だと思っているなら味方をしてあげればいいじゃないか、とい
う言葉を、ジャックは言いたくて仕方なかった。
﹁ここまできたら、エリィがどこまでやってくれるか見てみたい﹂
言い訳がましく、グレンフィディックが額に皺を寄せて薄っすら
と笑った。
灰色の目には、特別な感情が見え隠れする。ジャックは気づかな
い振りをし、口を開いた。
2109
﹁そのことについても報告がございます﹂
﹁なんだ﹂
﹁先ほど、営業陣から﹃シャーリー縫製﹄﹃シューベーン﹄の取引
に失敗したとの報告がございました。サウザンドとは今後の取引を
せず、ミラーズと専属契約を結ぶそうです﹂
﹁なんだと? いいようにやられているではないか﹂
﹁ご指示に従い、こちらも腕利きの営業を店に派遣したのですが⋮
⋮面目次第もございません﹂
﹁大型店をやられた三日後に、優勢であった二店舗の交渉も失敗す
るとはな﹂
﹁相手方の提案能力が相当に高い模様です。サウザンドの提案を蹴
った店舗は、軒並みミラーズの未来性に賭けているようでした。し
かも、エリィ嬢が自ら出向いた瞬間、契約を結んだとのことです﹂
﹁⋮⋮あの娘、営業の女神か何かなのか?﹂
﹁そうでないと否定できぬところが末恐ろしい次第でございます﹂
﹁何としても養子に欲しい﹂
グレンフィディックは自身を納得させるように首肯し、片眉を上
げた。
﹁綿で攻めるか﹂
﹁綿⋮⋮それはいささかやりすぎでは?﹂
﹁長期的にミラーズを相手取るなら必要だ﹂
﹁旦那様はそこまで彼女と敵対するおつもりでございますか?﹂
﹁わしはエリィを養子にほしいだけだ﹂
﹁それでしたら、もっと他の方法があるかと存じます。相手方と融
和し、迎合することが良策でしょう﹂
﹁すでに賽は投げられた。いまさら迎合などできぬ﹂
﹁せめて綿の流通に手を出される前に、エリィ嬢と一度お話しをな
2110
さってください。それこそ取り返しのつかない事態になります﹂
サウザンド家は領地内で綿を生産し、グレイフナー王国全体に満
遍なく卸している。その流通をいじり、ミラーズの関連する店が購
入する際、高単価になるよう細工をする。グレンフィディックはそ
う提案した。
もしそんなことをしてミラーズを窮地に立たせた場合、エリィが
グレンフィディックと金輪際関わりを持とうとしなくなるのは、火
を見るより明らかだった。エリィの洋服に対する愛着は相当なもの
だ。ジャックは陰ながらエリィとパンジーの姿を見てきて、それを
肌で感じている。
そして何より、彼女を怒らせたくなかった。
つい先日、サークレット家と深く取引をしている鞄専門店﹃ビビ
アンプライス﹄にエリィが出向いたとき、そこの女店主が同伴して
いたパンジーを揶揄した。
パンジーの桃色の髪を甘ったるくて不愉快だと言い、ミスリルが
お前達のせいで高くなっていると批難がましく叫んだ。パンジーの
髪をすべて剃ってよこすなら再契約してやってもいいと、相手を不
快にさせることが目的の交渉をしてきた。
両目を身体強化し、窓の外から様子を見ていたジャックは怒りを
感じた。
パンジーに暴言を吐いた女主人に、拳を一発食らわせてやろうか
と身構える。
だが、すぐに怒りの熱は、驚愕に変換された。
2111
何があっても怒らなそうなエリィが、恐ろしげな微笑を浮かべ、
髪の毛を逆立たせていた。
金髪のツインテールが重力に逆らって天井を向き、ゆらゆらと揺
れているのは、正直恐ろしかった。それを見た女店主は冷や汗を流
し、後ろにいた専属メイドは顔を真っ青にしてどうにかエリィの怒
りを鎮めようとした。
エリィはその場で﹃ビビアンプライス﹄との契約を自ら破棄し、
女店主に﹁後悔するわよ﹂と言い残して去っていった。
髪がゆらゆらする原理は不明であったが、あれは絶対に怒らせて
はいけない相手だと、長年の勘でジャックは悟った。ワイルド家に
勤める友人の言い方を借りるならば、金の玉がヒュンとなる状態だ。
あの店はサウザンド家が手を出さずとも、時を待たずして潰れる気
がしてならない。
﹁旦那様。何卒、エリィ嬢とお話を﹂
﹁くどい。わしが向こうへ出向くなどあり得ぬ﹂
﹁そこを押して申し上げます。エリィ嬢と一度お会いしてお話をさ
れてください。私が会合の日取りを決めて参ります。場所は旦那様
がお決めくださって結構でございます故、どうか﹂
﹁ではサウザンド邸宅で会合だ﹂
﹁それは⋮⋮﹂
無理があるでしょうが、という言葉をどうにか飲み込んだ。謝罪
しに来いと言っているエリィが、いまさらサウザンド邸に来るわけ
がない。
﹁それならば、サウザンド家邸宅とゴールデン家邸宅の間を取って、
2112
彼女らが拠点にしているコバシガワ商会を会合場所に指定しましょ
う。向こう側に出迎えの準備をさせ、業務の実状を探ればいいかと
存じます﹂
﹁ふむ⋮⋮﹂
グレンフィディックは思案顔になり、眉間に深い皺を寄せた。
普段の正常な彼であれば、即座に否定する提案だろう。だが、今
の彼にもそこまでの余裕がなかった。連日飲んでいるワインで頭は
鈍り、孫であるエリィの美しい姿ばかりがスライドショーのように
浮かんでくる。
グレンフィディックはエリィに会って話がしたいという欲求と、
自らがそこまで足を運ぶ行動によって相手方にどう思われるかを天
秤に掛け、判断のつかないまま空中を見上げた。
﹁それについては、保留する﹂
﹁是非とも前向きにご検討ください。長期的に事を構えるのであれ
ば、相手の本拠地を視察しておく必要がございます。この提案には
そういった意味も含んでおります﹂
ジャックはここぞと提案の利便性の高さを説く。
彼の熱意にグレンフィディックは少しばかり揺らぎ、話を打ち切
るためにワイングラスを取った。
ジャックは空になっているグラスを見て、執務机へ歩み寄り、コ
ルクの開いた瓶からワインを注いだ。赤い液体がグラスへと落ちて
いく。
無音の室内に、ワインの滑べる音だけがわずかに響いた。
2113
ジャックはワインを注ぎ終わると、瓶を上げ、丁寧に白ナプキン
で注ぎ口を拭き、コルク栓で蓋をしめた。
﹁⋮⋮パンジーは、そこまで明るくなったのか?﹂
グレンフィディックはかすれた声でジャックに尋ねた。
彼の視線はじっとワイングラスに向けられている。
﹁はい。見違えるほどでございます﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
どうにか無表情を取り繕うグレンフィディックはグラスを上げ、
八割ほど注がれたワインを一気に飲み干した。
ジャックは主人の感情を読み取ろうと注意深く見つめていたが、
喜んでいるのか困惑しているのか、長年仕えている執事の目を持っ
てしても、うまく把握できなかった。
⃝
あと少しで怒涛の営業回りも終了だ。
残りの二店舗が頑固者の店主で、なかなか首を縦に振ってくれな
いため、営業陣には任せず俺が直接行こうと思う。
それにしてもさ、﹃ビビアンプライス﹄って店の女店主には頭き
た。
2114
ガチで
するところだったぜ。
サンダーボルト
落雷
どうも身内がバカにされるとエリィが怒って抑えがきかなくなる。
俺も怒ってエリィも怒って、感情が二倍になるんだよな。
それに、あの店はもとからこちらの話を聞くつもりがなかった。
別にわざと怒らせてこっちの出方を伺う方針でもなかったし、パン
ジーを泣かせた女店主がいる店など興味はない。一度会って分かっ
たため、無駄な時間を使わずに済んだので良しとしよう。
﹁はぁ∼、雷雨こないかしらね﹂
﹁なぜでございます?﹂
クラリスが次の洋服を差し出しながら聞いてきた。
最近のたまり場になっているコバシガワ商会第一会議室には、俺
とアリアナ、エイミー、クラリス、パンジーがおり、新作の商品を
代わる代わる試着していた。
男子入室厳禁と散々言ったのに、何かの手違いで入ってきたウサ
ックスとジョーは、俺とアリアナの強烈なビンタを食らってドアの
治癒
ヒール
してくれない悲しさね。
前で鼻血を垂らしてノビている。うらやまけしからん、ってことで
誰も
ちらりとドアの方向を見て、クラリスからシャギーチェックのス
落雷
できるでしょ? 雷雨なら落雷事故だっ
サンダーボルト
カートを受け取った。
﹁ほら、あの店に
て言えばバレないじゃない﹂
﹁お嬢様、それは素晴らしい考えでございます。嫉妬の神ティラン
2115
シル・雨乞い音頭隊を呼びましょう!﹂
﹁なぁに、それ?﹂
﹁ずんどこずんどこ踊って雨乞いするのです。効果はいまいちです
が、やらぬよりやったほうがいいでしょう﹂
﹁すごく嫌な予感がするからやめておくわ﹂
﹁さようでございますか? 上半身裸の男衆五十人が腰を縦横斜め
に三時間振り続けるだけなのですが⋮⋮﹂
﹁絶対に呼ばないでちょうだい。お願いッ!﹂
エリィが心から叫んだ。
﹁ぶーぶー、でございます﹂
﹁その人達は私もやだなぁ﹂
エイミーがぷちぷちとブラウスのボタンを留めつつ苦笑いをした。
アリアナは獣人用の麦わらストローハットをかぶり、鏡を見てご
機嫌に尻尾をふりふりしている。その横にいるパンジーが、目を輝
かせて帽子の位置を調整していた。きゃわいい。
俺とエイミーとクラリスは二人の後ろ姿を見て目を合わせ、含み
笑いを交換した。
﹁あの店はおしおきするとして、問題は﹃ウォーカー商会﹄﹃サナ
ガーラ﹄によって損失した30%の商品よねぇ。湖の国メソッドに
行った買い付け部隊から連絡はあった?﹂
﹁色よい返事はございませんね。旦那様がヤナギハラ家の宰相様に
お話を通してくれたので、生地選びには苦労していない様子でござ
いますが、そこから先が難しいのでしょう﹂
﹁どういうこと?﹂
2116
﹁あの国は根っからの商売人気質で、繋がりを求めます。大店との
契約ともなれば、それなりの人物を呼んでほしいと向こうは言って
くるでしょう﹂
﹁くるっと回って、まいど、って言うだけじゃダメなのね﹂
﹁ダメでございます﹂
﹁それなら、然るべき人物に役職を付けて派遣しましょう。さすが
に私やミサが隣国へ行く時間はないわよ﹂
﹁念のため、代替案を準備しておくべきかと﹂
﹁他の生地を今から作るの? 今すぐ発注している店舗でギリギリ
のラインなのよ? 厳しいわね﹂
﹁わたくしには妙案が思いつきません。お嬢様のアイデア待ちです﹂
特にまずいのは生地だ。
縫製は再契約した店に死ぬ気でやってもらえばどうにかなる。し
かし、生地がなければ服は作れない。
どうしようもなくごわごわした生地とか、防御力重視の分厚い生
地ならそこら中に転がっているんだけどな。それをうまく加工して
みるか?
どうも碌な服になる気がしないぞ⋮⋮。
考えているところに、ノックが響いた。
﹁エリィお嬢様、お手紙が届いております!﹂
興奮した声で、女性スタッフが伝えてくる。
﹁いま着替えているから少し待ってちょうだい。誰からなの?﹂
﹁はい! コバシガワ商会ジェラ支部支部長、クチビール様よりお
手紙です!﹂
﹁まあ!﹂
2117
うおおおおっ、クチビール久々すぎる。
まだオアシス・ジェラを出てから一ヶ月ぐらいしか経ってないの
にやけに懐かしく感じるぜ。
はやる気持ちを抑え、しっかりと洋服を着て、皺がないかクラリ
スに確認してもらい、第一会議室のドアを開けた。
2118
第13話 オシャレ戦争・その7︵後書き︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︵
︶﹃サナガーラ﹄
︶﹃ウォーカー商会﹄
⃝離反確実
︵
︵30%の商品が損失︶
⃝離反あやふや重要大型店
︵◎︶﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄
︵◎︶﹃バグロック縫製﹄
︵◎︶﹃グレン・マイスター﹄
⃝サウザンド家によって離反の可能性
中型縫製・十店舗
︵◎︶﹃シャーリー縫製﹄
︵◎︶﹃六芒星縫製﹄
︶﹃ビッグダンディ﹄
︵◎︶﹃エブリデイホリデイ﹄
︵
︵◎︶﹃愛妻縫製﹄
︵◎︶﹃シューベーン﹄
︶﹃アイズワイズ﹄
︵ー︶﹃靴下工房﹄
︵
︵◎︶﹃テラパラダイス﹄
︵◎︶﹃魔物び∼とる﹄
⃝サークレット家によって離反の可能性
その他・七店舗
2119
︵
︵ジュエリー︶﹄
︶﹃ビビアンプライス︵鞄︶﹄
︵◎︶﹃天使の息吹
︵ー︶﹃ソネェット︵ジュエリー︶
︵◎︶﹃KITSUNENE︵帽子︶﹄
︵◎︶﹃麦ワラ編み物︵帽子︶﹄
︵◎︶﹃レッグノーズ︵靴︶﹄
︶未確定↓︵−︶おしおき確定↓︵
︵◎︶﹃オフトジェリコ︵靴︶﹄
契約継続↓︵◎︶離反↓︵
︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
ついった∼をはじめました。
初めてやるのでやり方分かりません。笑
まったりとつぶやく予定です。
更新情報などもつぶやくつもりなので、よければぶぉくとお友達に
なってください。
https://twitter.com/Yutoyotsub
a?lang=ja︵↑間違っていたので直しました︶
活動報告も合わせて簡単に更新致しました。
またイラストをいただいたので、URLを貼り付けてありますYO。
オシャレ戦争も終盤です。
一気に書き切りたい!
それでは、次回更新もよろしくお願い致します!
2120
第14話 オシャレ戦争・その8
⃝
̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶
コバシガワ商会会長 エリィ・ゴールデン様
お久しぶりですエリィちゃん。
クチビールです。
白の女神がいなくなったオアシス・ジェラは灯台の光を失った港
のようでしたが、だんだんとエリィちゃんがいないことに慣れてき
たのか、最近では以前に増して活気づいています。
戦争も終わり、物資の流れが良くなってきました。
西の商店街は観光客がうまく来客してくれており、経営は順調で、
去年の閑古鳥状態とは雲泥の差です。たこ焼きの売上げも順調なの
で、南の商店街と協力し、二店舗目の出店を決定しました。現在、
場所探しに尽力しております。
西の商店街と話し合った結果、コバシガワ商会ジェラ支部でたこ
焼き販売の主導権を握ることになりました。経営の手綱を操ってお
りますので、いずれサンディ国全域に事業を拡大できるしょう。利
益の計上を楽しみにしていてください。
2121
ジャンとコゼットが手伝ってくれ、商会の人数も増えてきました。
エリィちゃんが砂漠にいたあいだ頑張ってくれたおかげで、資金集
めも非常にスムーズで、人材にも事欠かない素晴らしい状態です。
ルイス様が毎日コバシガワ商会に顔を出されるので、ジェラではコ
バシガワ商会は領主公認という認識になっております。
また、化粧品の原材料である﹃ニコスクワラン﹄の採取にルイス
様が力を入れているようで、いずれその件についての連絡がエリィ
ちゃんのもとへ行くでしょう。ルイス様が、エリィと一儲けするの
よ、と鼻息を荒くされておりました。
オアシス・ジェラは元気です。
みんなエリィちゃんに会いたがっています。
状況説明はここまでにして、速達で手紙をお送りした理由を書き
たいと思います。
つい先日、デニムの素材となる魔物﹃デニムートン﹄が大量発生
しました。
冒険者とジェラ兵士に協力を要請して概ね狩ることに成功し、大
量のデニムを手に入れました。グレイフナーで新しいファッション
旋風を巻き起こすエリィちゃんの助けになればと、早ウマラクダで
郵送します。
デニム生地を有効活用し、無駄なく縫製すれば、
ジーンズ300着
デニムサロペットスカート150着
デニムミドルスカート100着
デニムシャツ50着
2122
これぐらいは生産可能です。
すべてコゼットが徹夜で採寸して出してくれたデータで、彼女は
エリィちゃんが困っている気がすると言って頑張っていました。女
の勘、というやつでしょうか。僕ら男にはよく分からない感覚です。
デニム生地はこれですべてではありません。
まだ在庫はあるので、準備でき次第、発送します。そちらに余裕
があればなのですが、グレイフナーで縫製した商品のサンプルを送
ってもらえれば、こちらで加工、縫製し、すぐ売れる状態での発送
が可能です。ご検討ください。
手紙の内容は以上になります。
グレイフナー王国オシャレ化計画は順調でしょうか?
風邪は引いていないでしょうか?
十二元素拳の稽古は順調でしょうか?
寂しいですが、これ以上書くとラブレターになりそうなので書く
のをやめます。
P.Sその1
ジャンとコゼットはところかまわずイチャイチャしているので、
すぐ子どもができるでしょう。
P.Sその2
エリィちゃんに会いたいです。
君の優しい笑顔がたまに夢に出てきて、僕をなぐさめてくれます。
夢でならエリィちゃんに会えるのでもう少し頑張れそうです。
2123
それでは健康に気をつけて。
手紙のお返事を待っております。
コバシガワ商会ジェラ支部支部長 ビール・アレサンドロ
̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶
俺は手紙を最後まで呼んで、もう一度読み直した。
クチビールありがとう!
お前はイケてる支部長だよ!
最高のタイミングでデニムを送ってくれた!
あとエリィのこと好きすぎて夢に出てくるって?!
リアクションに困るからな!
ともあれ、これで損失していたアイテムをひとつ増やせるぞ。
値段を高設定にし、チェック柄特集をデニム特集へスライドさせ
るか。
﹁エリィはモテモテだねぇ∼﹂
﹁クチビール、元気そうだね⋮﹂
﹁砂漠の国からお手紙ですか?﹂
妙に暑いと思ったら、エイミー、アリアナ、パンジーがぴったり
くっついて後ろから手紙を覗き込んでいた。集中してて気づかなか
ったよ。女の子三人のフローラルな香りが鼻孔をくすぐる。
﹁エリィお嬢様! 見たことのない生地が大量に届いておりますが、
2124
どうされますか?!﹂
手紙を渡してくれた従業員のひとりが興奮した様子で聞いてくる。
﹁すべて﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄に送ってちょうだい。あとで
私とジョーが行くわ。このタイミングで生地が届くなんて運がいい
わね!﹂
﹁エリィお嬢様はいつでも運がいいです! 輝いています! 女神
です!﹂
﹁褒めても何も出ないわよ﹂
ちょっぴり頬が熱くなる。
﹁これで損失分の15%∼20%は埋められるわね。デニムは間違
いなく人気が出るわよ﹂
デニム商品は高級品扱いにして、すべてエリィモデルにしよう。
これでピックアップ商品が増えた。
ミラーズに並ぶ商品数も増えるので、離反の可能性がある残り二
店舗をこちらに引き込めば、﹃Eimy﹄の刊行は可能になる。
だが、やはりここは完璧主義の俺。
離反した﹃ウォーカー商会﹄﹃サナガーラ﹄へ依頼していた商品
を、別商品に置き換えて、構想通りのアイテム数まで増やしたい。
となると、やはり生地が足りない。
湖の国メソッドからどれだけ優良品が輸入できるかが鍵だ。
2125
時間があるなら俺が買い付けに行くんだが、そういうわけにもい
かない。
撮影があるし、今回の雑誌は相当気合いを入れて作っているため、
自分が抜けると指標がなくなって空中分解する恐れがある。
﹁メソッドへはわたくしが参りましょうか?﹂
こちらの考えが分かっているのか、背後にいたクラリスが口を開
いた。
﹁あなたが行ったら収集がつかなくなる。スケジュール管理と補佐
がいなくなったら、私、ダメになる自信があるわ﹂
﹁さようでございますか。わたくしもご提案してからお嬢様と離れ
るのは辛いと思ったので、このお話はなかったことにしてください﹂
﹁ええ、もちろんよ﹂
﹁それならサツキちゃんにお願いしてみる?﹂
エイミーが、そういえば、といった顔で小首をかしげた。
﹁サツキちゃん、メソッドにいる親戚に会いに行くんだって﹂
﹁それはいいわね。いつからいくの?﹂
﹁明日だよ﹂
六大貴族のヤナギハラ家の娘が行けば、説得力は大きくなるな。
彼女に交渉はできないと思うが、本人がいいと言うなら手伝って
もらうか。
ついでにヤナギハラ家も巻き込めたら最高だ。
﹁よし、頼みましょう。デメリットが見当たらないわ﹂
2126
﹁オッケ∼! じゃあ今からサツキちゃん家に行ってくるね﹂
プリーツスカートをひるがえし、気軽に商会から出ていこうとす
るエイミー。
﹁姉様、馬車は使わないの?﹂
﹁身体強化して行くから大丈夫。最近、魔法使ってないからなまっ
ちゃうよ﹂
﹁クラリス、身体強化についていける根性のある従業員を姉様の付
き人にしてちょうだい﹂
エイミーは唯一無二の看板モデルだ。一人で行かせるのは抵抗が
ある。
﹁かしこまりました﹂
クラリスが体育会系の女子をひとり選抜してエイミーに付け、二
人は颯爽と商会から出ていった。
﹁クラリス、スケジュールの確認をしましょう﹂
洋服の生産、撮影、雑誌制作が複雑に入り乱れているため、進行
状況を確かめておかないと理解が追いつかない。デニムが加わった
ことにより、リスケが必要だ。
メインフロアの奥にある応接用のソファへ移動する。
アリアナとパンジーが、左右にくっついたままソファに腰を下ろ
した。ちょっと暑い。
クラリスは恭しく一礼すると立ったまま手帳を取り出した。
2127
気づけばウサックスが正面のソファに座って、ノートを持って手
もみしている。複雑な話が大好物なウサ耳のおっさんはウキウキと
楽しげだ。
﹁まずは現状の進行状況です。雑誌の企画制作は100%でしたが、
デニム特集を組むのであれば、企画会議が必要でございます。モノ
クロページ特集は35%。取材・文書作成が40%。撮影は37%。
雑誌デザインは20%。印刷はできている部分から刷っており、5
%といった進行状況でございます﹂
クラリスが淡々とした口調で言う。
﹃Eimy﹄進行状況をまとめるとこんな感じか。
企画制作・100%︵ただし、デニム特集を追加︶
モノクロページ特集・35%。
取材、文書作成・40%。
撮影・37%。
雑誌デザイン・20%。
印刷・5%。
あと一ヶ月しかねえよ。これは徹夜しないと間に合わないレベル
だな。
特に印刷がやばい。
できているページからどんどん刷ってもらわないと販売延期だ。
ページ数を倍にする予定だから、どのみち印刷班が悲鳴を上げる
な。スルメに活きのいい火魔法使いを紹介してもらうか?
いや、その辺の手配は、ウサックスがすでにやっているかもしれ
ない。あとで確認しよう。
﹁ミラーズの報告をしますぞ。雑誌掲載分の商品発注は100%。
2128
デニムを入れるとなると、追加発注になります。輸入商品を除外し
た洋服別の進行状況は、トップスが32%。アウターが40%。ワ
ンピース22%。スカート7%。パンツ50%。靴70%。帽子8
0%。アクセサリは110%で予定分より超過しているので別注は
必要ありませんな﹂
ウサックスが興奮した様子でまとめたデータを伝える。
ミラーズの服はこんな按配か。
商品の発注・100%︵デニム、輸入生地の加工は除外︶
以下、縫製達成率
トップス・32%。
アウター・40%。
ワンピース・22%。
スカート・7%。
パンツ・50%。
靴・70%。
帽子・80%。
アクセサリ・110%。
スカートとワンピースの需要が高い分、生産数も多いから進行が
遅い。
それにしたって、スカート7%って全然足りないじゃん。これは
縫製専門店に死ぬ気でやってもらわないと雑誌刊行後に在庫切れで
アウトだ。
この後、ショッパー・ブタペコンドにデニムの加工を注文するか
ら、エリィスマイルで発破をかけてやろう。
2129
﹁エリィお嬢様のスケジュールは撮影に合わせて組み直します﹂
﹁アリアナ嬢とパンジー嬢の撮影日も変更が必要ですな﹂
その発言後にクラリスから、組み直したスケジュールが発表され、
ウサックスが二人の撮影日を三月二十六日に変更した。
⃝
ヒーホーぬいもの専門店へ行き、ジョーと合流してデニム生地を
使ったデザインを決め、その場で発注をかける。
ジョッパー・ブタペコンドはタイトなスケジュールに困惑してい
たが、デニムの魔法防御力を先日見ていたことが幸いし、何とか雑
誌発売までにデニム商品の目標数を揃えると明言してくれた。
そのあと商会へ取って返し、新しい企画を立て、予算と販売戦略
を決めつつモノクロページの構成を一部やり直したり、テンメイが
撮影してきた写真の確認をしたりとバタバタして一日が終わった。
次の日は未攻略の二店舗へ営業をかけた。
俺、アリアナ、エイミー、クラリスの四人で﹃靴下工房﹄﹃ソネ
ェット﹄へ出向き、手慣れたプレゼンを展開して見事に契約を勝ち
取った。
ふっ、どうだサウザンドのじじいよ。
十店舗中、八店舗がミラーズ陣営についたぞ。
そしてサークレット家とバイマル商会の営業陣に言いたい。
手ごたえがなさすぎる。
2130
殿様営業しかしてこなかった会社は、こういったしのぎを削る戦
いになるとめっぽう弱い。営業陣の経験が往々にして低いことが多
いんだよな。弱点が露出した結果になって、サークレット家、バイ
マル商会、残念でした!
そもそも現在のトレンドはミスリルなんかではなく、ミラーズの
防御力が低い洋服だ。
バイマル商会主導の雑誌が﹃Eimy﹄と同じ発売日に刊行され
るらしいが、中身を見るのが楽しみだぜ。
日本で培った知識力を活かした雑誌と、流行りの後追いをした付
け焼き刃の雑誌、果たしてどちらが勝つかね。いやー楽しみだ。楽
しみすぎちゃってバク宙しちゃうもんね。
﹁わぁ! エリィさんカッコいい!﹂
パンジーが急にバク宙した俺をみて歓声を上げる。
彼女は俺達と一緒にいるのが心底嬉しいのか、いつも楽しげだ。
初めて会ったときの暗さや迷いはかなり薄れてきている。いい兆候
だ。
﹁ん⋮﹂
アリアナも負けじとバク宙する。しかも身体強化して三回転。
﹁すごいすごーい!﹂
パンジーがのんきに手を叩いて、長い前髪のあいだからこちらを
交互に見つめてくる。
2131
俺はそのとき、以前から考えていた人類の七不思議の一つについ
て熟考していた。
̶̶なぜなんだろう
̶̶なぜアリアナのパンツは見えないんだろう
おかしい。バク宙で三回転もしてるのに、どうして見えないんだ。
スカートが膝上丈で結構短いのに見えないのが解せない。
砂漠でミニスカートはいているときも見えなかったし、魔改造施
設で戦っているときもかなりきわどかったのにノーパンチラだった。
いや別にね、パンチラが見たい変態ではないよ? 何度も言うけど
俺は脱がせたい派だからな。
でもそれにしたって、一回ぐらい見えたっていいんじゃないかと
思うわけよ。
こんだけ一緒にいて一度も見えないって、アリアナのスカートは
鉄壁だってことだな。そうか。それだけは分かった。
この人類の七不思議が解明されるのは、彼女がパンチィラをし、
それを俺が垣間見て、宇宙の真理に到達したときだけだ。
うん、久々の意味分からねえ思考。アホか。
なんか自らへのツッコミも久々な気がするな。
2132
⃝
縫製店はフル稼働だ。
コバシガワ商会とミラーズも精力的に活動し、時間は過ぎていく。
商会の上のフロアが偶然空いたので、そこもすべて賃貸して印刷
フロアにした。
一日の流れはこんな感じだ。
朝起きてランニングと稽古。
朝食後にコバシガワ商会へ行って指示出し。
エイミーの撮影を手伝い、ジョーのところへ顔を出して打ち合わ
せをし、取り込んだ縫製店へさらに営業をかけ、夕方頃に孤児院の
子どもと遊ぶ。それが終わったらゴールデン家に帰って夕食を取り、
腹ごなしに学校の勉強。稽古して風呂に入って就寝。
一日が早い。あっという間だ。
変わったことといえば、ミラーズの前でわざと露店を広げたり、
防御力の低さを中傷したりする胡散臭い一団がいた。しかも、お客
にまでちょっかいを出す始末。十中八九、サークレット家の嫌がら
せだ。
落雷
だとバレそうだから、かなり手加減した拳打と蹴りを急
サンダーボルト
もちろん、気兼ねなくおしおきした。
所に叩き込み、路上で川の字におねんねしてもらった。ちょうど稽
2133
古の復習をしたかったんだよね。練習台としてグッドだった。
全員失神させて、警邏隊に突き出しておいたので、今頃お国に裁
かれているだろう。
あと興奮したのは湖の国メソッドへ行ったサツキから、生地のサ
ンプルが大量に送られてきたことだ。これで、生地の在庫がマイナ
スからプラスへ一気に転換した。
さすが着物っぽい服を着る文化がある国だけあって、単一柄の生
地が非常にしっかりしており、こちらで加工しないでもすぐに新作
に組み込めそうなものが多数あった。そのため、生地を活かした新
作のデザインをしておいた。生地が店に届き次第、新しい洋服が生
産される予定だ。
期待していたメソッド産の柄物類は、凄まじく色味がバラバラで
ファンキーすぎたため、使えなかった。
ボーダーとかチェックとか、そういった定番の柄は一切なく、絵
の具を全部布にぶち撒けたような生地のみで、いや、どうなのよそ
れ、と思ったけど、どうやらそういった柄物の縁起がいいってのが
向こうの文化らしい。
柄物は基本的に冠婚葬祭で着るので、日常ではお目にかかれない
そうだ。旅の途中で見かけなかった理由が分かった。
メソッド産の柄物の布、期待していたのに残念だ。
しっかし、まだらのレインボー柄の洋服で冠婚葬祭とは、文化っ
てのは恐ろしい。
単一柄の生地が多く手に入っただけでもよしとしようぜ。
これで大手布屋﹃サナガーラ﹄から仕入れる予定だった量には達
2134
した。
メソッドの商人問題は、サツキに﹃コバシガワ商会・メソッド支
部支部長代理﹄という長ったらしくそれっぽい役職をつけて回避し
た。向こうの要望は、大きな家と関わりを持ちたい、というものだ
ったので、ヤナギハラ家の娘であるサツキと繋がりができて喜んで
いるはずだ。
サツキ本人も喜んでいた。
彼女は俺達の仲間に入りたくて、声がかかるのを今か今かと待っ
ていたらしい。自分から言ってこない感じが、彼女らしいところだ
な。
あとは、郵便配達員の代わりに、一度だけスルメを送り込んだ。
サツキとのやり取りはすべて手紙で行っている。
郵便配達員に手紙をお願いし、だいたい片道三日∼四日ほどで届
く。それを春休みで暇なスルメに押し付け、サツキと会える機会を
増やしてあげた。
﹁まぁまぁいいじゃないの! サツキに会いたいでしょ?﹂
﹁べ、別に、会いたくねえよ﹂
﹁贈り物はチョコがいいんじゃないかしら﹂
﹁行く方向で話進めんなよ?!﹂
スルメはしゃくれ顔を突き出してツッコミを入れてくる。
﹁甘いものはね、女子の気持ちを幸せにするのよ。大事なのは値段
よりも包装ね。可愛い包装をしている店を知っているから今から行
きましょう﹂
2135
﹁は? 値段より包装? ただの包んである紙になんの意味があん
だよ﹂
﹁はぁ∼。だからあなたはモテないのよ﹂
﹁うっせ! このふと⋮⋮ってないんだよな、おめえ﹂
﹁元おデブね﹂
﹁いやー、痩せてまじで調子狂うわー﹂
﹁話を戻すわよ。あのね、女子は素敵で華やかな物が大好きなの。
むき出しのチョコレートをもらうより、可愛い包装に包まれたプレ
ゼントのほうが誠意を感じるし、私のこと考えてくれてたんだなぁ
って気持ちになるわけよ﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁それが女性心理の一つよ﹂
﹁おお。そういうもんなんだな﹂
﹁そういうものよ﹂
スルメが腕を組み、感心してうなずく。
﹁ということで、今から買いに行くわよ。いくつかグレイフナーの
いい店を教えておくから、しっかり憶えて今後活用しなさいよね﹂
﹁おうよ!﹂
あっさりその気になったスルメは、意気揚々とグレイフナー大通
りへと足を向けた。
とまあ、こんなやり取りがあったわけだな。
ふっ、恋のキューピッドとはこの俺、スーパー営業小橋川のこと
だぜ。スルメよ、ありがたく思ってくれ。
2136
⃝
とまあ忙しい日々を過ごしていると三月も最終の週になり、そう
こうしているうちにアリアナとパンジーがモデルとしてデビューす
る撮影日になった。
撮影場所はグレイフナーの高級レストランだ。
このレストラン、とにかくオシャレでグレイフナーでは前衛的な
部類に入る。
天井からぶどうっぽい果実のついた植物が垂れており、室内の壁
が全面ガラス張りになっていて中庭のテラスがすべて見える。おま
けにテラス席には、背中から羽が生えているマルチーズに似た犬が
治癒
ヒール
を唱えるんだって。
その辺を散歩していて、めっちゃ癒される。
この犬、成長すると
日本に持って帰りたいわ∼。帰る方法まだないけど∼。
テラス席での撮影はパンジーがする予定なので、俺達はVIPが
使用する個室に集まっている。
俺、テンメイ、アリアナ、パンジー、エイミー、クラリス、アリ
アナの弟フランク。美容師一名、メイドが三名、商会の従業員が二
名、テンメイのアシスタントが一名。総勢で十四人だ。
エリザベスは魔導研究所の仕事が押しているらしく、参加できな
い。﹁全然気にしてないわ!﹂と言ってたけど、めちゃくちゃこっ
ちに来たそうだった。素直になれない彼女の性格がたまらなく可愛
らしい。
2137
﹁エリィ、どうすればいい?﹂
豪奢なソファにちょこんと座ったアリアナが上目遣いで見つめて
きた。
彼女は普段通りの無表情だったが、狐耳が小刻みに震えていた。
緊張している姿は初めて見るな。
﹁そうね。アリアナの場合は無理に笑わなくていいと思うわ。それ
より、睨みつける迫力がほしいわね﹂
﹁え? 睨んで⋮いいの?﹂
﹁そのほうがカッコ可愛くなるわ﹂
﹁こう⋮?﹂
無表情に、睨みをプラスするアリアナ。
長い睫毛が伏せられ、切れ長の瞳が鋭くこちらに飛び込んでくる。
ひかえめな鼻梁と薄いながらも女性的な唇が、全体の印象を柔ら
かいものへと融和させ、彼女をクールプリティガールへと変貌させ
た。
インナーは細身の白ブラウス。
アウターは薄色のデニムジャケット。
背を高く見せる効果がある膝上丈のスカートは、大きなプリーツ
が入った紺色。
靴は薄茶のチャッカブーツ。
そして頭には、今回の目玉である、獣人専用帽子の中折れ帽だ。
獣人の耳に合わせた穴をあけており、耳が痛くならないよう穴の
内側にファーが入っている。アリアナいわく﹁これ、すごくいい⋮﹂
とのことで、獣人の帽子に革命を起こす一品となっている。
2138
あけた穴の種類別に販売するのもポイントだ。これによって他種
族が同デザインの帽子を買うことができる。値段設定はちょっと高
めにする予定だ。
﹁クールビューティィィッ! 初めてとは思えないな! まったく
もって才能とは怖いものだっ﹂
脚立に乗ってカメラを構えるテンメイから賞賛の声が飛ぶ。
﹁ん⋮﹂
ライト
で室内を照らし
アリアナがどう反応していいのか分からず顔を伏せた。
﹁照明、もう少し右を照らして﹂
テンメイから指示が飛び、光魔法初歩
ていたメイドの二人が位置を調整する。
﹁そうそう、もうちょっと右。奥のメイドさん、魔力をもう少し下
げて⋮⋮オーケー。ではアリアナ嬢、椅子に深く座って背を付けて
もらえるかな?﹂
﹁ん⋮?﹂
﹁いい! 素晴らしい! 少しだけ顔を上げて⋮⋮そう! それだ
!﹂
パシャリ、と魔道具のシャッター音が鳴る。
﹁次は傲岸不遜なイメージで! ここは私の家だ、入ってくるな、
という気持ちでカメラを見て。そう! ここは私の場所だ! ここ
2139
に入ってくるな! アリアナ嬢のプライベートな空間だ! いい!
すごくいいぞ!﹂
﹁んん⋮﹂
再度、シャッター音が響き、カメラの横からA4サイズの写真が
滑り落ちる。
写真が地面につく前に、テンメイのアシスタントが素早く回収し、
背後に広げてある布へ並べた。
﹁では次はそのまま足を組んで。両手を肘掛けへのせて⋮⋮おお!
そのポーズ、いただきだ!﹂
﹁ん⋮﹂
ライト
が室内を明るく照らし、豪奢なソファに座って
室内にシャッター音とテンメイの声が響いた。
光魔法
いるおかげで小さなアリアナがよく目立つ。
アリアナは耳をぴくぴく動かし、何だかよく分からないままにポ
ーズを取って、テンメイのオーダー通りに身体を動かしていく。彼
女のすらりとした足がスカートから覗き、左右に入れ替わったり、
椅子に乗せられたりする光景は関係者でよかったなぁとつい思って
しまう。
三十分ほど撮影し、軽い休憩を挟んだ。
今日初めてモデルをするアリアナとパンジーのためにと、エイミ
ーが手本を見せてくれ、ソファに座ってポーズを取った。
これがまたね、だいぶ板についてるんだよね。
テンメイと写真の撮り方、写り方について相当研究したらしく、
彼女はモデルとして成長していた。エリィも本格的にモデルデビュ
2140
ーするなら、教わらないと取り残されるな。
エイミーの手本を見て緊張がほぐれてきたのか、アリアナが自分
からポーズを取り始めた。
﹁おおっ!﹂
﹁アリアナさん、ステキですっ﹂
テンメイが驚きの声を上げ、パンジーが両手を胸に当ててくねく
ね身体を動かした。
﹁姉ちゃん、やっと緊張が取れた⋮﹂
弟のフランクがぼそりと言って、周囲から笑いが起きる。
和やかなムードになって、パシャリ、パシャリとシャッター音が
鳴り、写真が次々にカメラの脇から出てくる。写真を落とさないア
シスタントの動きが機敏だ。
﹁鞭を持ったらどうかしら?﹂
﹁そう⋮?﹂
思いつきでアリアナに鞭を手渡した。
すると彼女はソファへ横向きに座り、両足を手すりに乗せ、右手
に鞭を持ったままだらりと地面に落とした。頭を逆側の手すりに乗
せて、こちらをキリリと睨む。
退廃的な雰囲気を出しつつも、そこはかとなくエロカッコいい。
ハイブランドの雑誌にありそうなポーズッ。
2141
アリアナがやると、正直なんでも可愛いな。ハットから出ている
狐耳が野生っぽさを出していて、ぱくりと食べられそうだ。アリア
ナに食べられるなら喜んで立候補するぞ。音速で挙手するわ。
﹁ワイルドタァキィィッ!﹂
̶̶パシャリ
挙手している俺の横で、ずんぐりした体型に似合わない素早い動
きでテンメイがシャッターを切った。写真がカメラから印刷されて
ゆっくりと出てくる。アシスタントが手に取り、背後に並べた写真
の横に置いた。
俺、エイミー、パンジー、フランクは顔を寄せて覗き込んだ。
ポラロイドカメラの写真用紙みたいに徐々に色味が付いてくる。
背景の黒色から浮かび上がり、ソファの赤、次にアリアナの姿が
現れた。
﹁あら!﹂
﹁カッコいいね∼﹂
﹁アリアナさん可愛い!﹂
つい声を上げてしまうほど、彼女の写真はイケていた。
実際目に見えている景色と、写真で見る景色で、どうしてこんな
にも印象が変わるのだろうか。どっちも同じものなのに、ほんと不
思議だ。写真が芸術として扱われるのは、見え方の違いが起きるか
らに違いない。日本じゃ写真にはあまり興味なかったけど、ちょっ
2142
と好奇心が湧いてきた。
⃝
アリアナの写真撮影が無事終わり、次にエリィの個人撮影を行っ
た。
のほうがいいん
テンメイの希望で白魔法を使っているシーンが選ばれ、撮影中に
を唱えた。
キュアハイライト
癒大発光
二十発ほど白魔法下級
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
星屑がビシバシ出る、ど派手な
じゃないかと思ったが、レア魔法なのでむやみやたらに見せないほ
うがいいとのこと。
光魔法は縁起がいいという文化が根づいており、グレイフナー王
国の冠婚葬祭には欠かせない魔法になっている。その中でも浄化魔
法は特別扱いで、金持ちしか使い手を呼べない。
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
をめぐる
なるほど。湖の国メソッドは奇抜な柄の服、グレイフナー王国は
浄化魔法で験を担ぐ、って文化か。
これ、大っぴらに見せたら、エリィが
争いに巻き込まれてしまうらしい。しかも、若くて可愛い女の白魔
法師は超人気なんだってよ。
を習得しており、彼女を結婚式に呼ぶと一日の手当が五百万
パンジーの従姉妹、ビオラ・サウザンドは白魔法下級浄化魔法
ホーリー
聖光
ロンだ。
ごひゃくまんえんですよ、奥さん。
2143
魔法一発で五百万。
リーマンの年収ですよ。
﹁ビオラ姉様は美人なの。でもエリィさんには負けちゃうな∼﹂
パンジーがほくほく顔でこんなことを言う。
純潔なる聖光
ピュアリーホーリー
は倍ぐらいになるん
ちょっくら俺も小遣い稼ぎに浄化魔法唱えてこようかな。
下級で五百万なら、中級の
じゃね?
商会の資金稼ぎになるなー。
⋮⋮と思ったが、こういう稼ぎ方はエリィが嫌がりそうだ。
エリィなら、きっと仲のいい人にだけ無償で唱えてあげるだろう
よ。うん、ダメだな。却下だ。
でも⋮⋮ねえ? 一回ぐらいはええんでない?
﹁さすがはエリィお嬢様! 我が心の妖精!﹂
そうこう考えているうちにテンメイから撮影終了の合図が送られ
た。
継続詠唱していた白魔法を切って、ほっと一息つく。
さすがに上位魔法の連続詠唱は疲れるし、魔力もかなり食う。
﹁エリィ、すごく綺麗だった⋮﹂
﹁ありがとう﹂
アリアナがトコトコとやってきて魔力ポーションを渡してくれる。
2144
彼女の狐耳を揉んでから、一気飲みした。
﹁わたくしは雑誌を百冊買います﹂
クラリスが陶然とした顔で言った。
他の人が買えなくなるから買い占めはやめてくれよ。バリーにも
言い聞かせておかないと、リアルに買い占めをしそうだ。
それにしてもね、エリィが撮影を恥ずかしがらなくて助かった。
顔面真っ赤のトマトちゃんで撮影できません、ってのを想定して
いたから嬉しい誤算だ。案外、エリィは俺と同じタイプで、人前に
出るのが大丈夫なのかもしれない。
ちなみに撮影に使用したエリィの服装は、レース袖の淡い水色ブ
ラウス。
台形のラップスカートはネイビーで、白のチェック柄。
ツインテールはほどいて、湖の国メソッドから仕入れた奇抜な布
をバンダナとして頭に巻いている。ヘアバンドと同じ役割になるよ
う、折ってから結ぶパターン。靴はタッセルローファーだ。
いやーあれよ。まじで可愛いよこれ。
鏡見てビビった。
こんな子が待ち合わせ場所にいたら、しばらく待っている姿を遠
くで眺めてから合流するわ。エリィはエイミーみたいに顔のパーツ
が完璧な配置ではないが、瞳が綺麗で少し両目が離れており、見て
いると優しい気持ちになる。
有り体に言えば美少女。よく見ると不思議顔。話せば他人に癒や
しを与える。
彼女みたいな顔の持ち主は世界に一人もいないだろう。
2145
少し休憩したあと、俺とアリアナは服を着替えた。
全員で別室に移動して、今度は二人でカメラの前に立った。
ポカじいと稽古をする前の準備運動風景がいいとテンメイが提案
してきたので、二人でストレッチするところを撮ってもらう。途中、
笑いも入ったりして、撮影はつつがなく終了した。
次にバーカウンターを使ってエイミーの撮影だ。
さすがエイミー、テンメイコンビ。あっという間に終わった。
ここまで撮影した写真をアシスタントにお願いして床一面に並べ、
吟味して雑誌に掲載する分を選抜していく。どれもこれもいい写真
なので、かなり迷うな。
アリアナの写真は、やはり鞭を手に持った退廃的エロカッコいい
一枚がベストで、後半に撮ったちょっとふてくされた顔をしている
写真も捨てがたい。
俺とエイミーの写真はどれもこれも見栄えがよくて五枚から絞り
きれず、テンメイがあとで、雑誌デザイナーとして入社した小人族
と相談して決めると言ってくれた。
ある程度話が落ち着いたので、昼食の時間となった。
撮影場所であるレストランの粋なはからいで、食事が豪華だ。
このレストランは貸し切りにする代わりにタイアップとして名前
を雑誌に入れることになっている。チョビ髭の店長が大の雑誌ファ
ンとのことで、その広告効果を知っていたため、すんなりと許可は
2146
取れた。給仕のスタッフがやたら張り切ってるのがちょっと可笑し
かったな。
まあ、モデルが美人ぞろいだから張り切る気持ちは分かる。
⃝
ランチを食べ終わると、ついにパンジーの撮影がスタートだ。
全員で中庭へ移動し、メイドとアシスタントが撮影準備を開始す
る。
﹁き⋮⋮きんちょうします﹂
食事中、ずっとぎこちなく笑っていたパンジーが不安げな表情で
こちらを見てきた。
﹁大丈夫。髪型、可愛いわよ﹂
﹁そっちのほうがいい⋮﹂
俺とアリアナはパンジーを褒める。
パンジーは一念発起して、撮影前日に前髪を切っていた。
思いきりいっちゃってくださいっ、と叫んだ彼女の願いに応えた
美容師は、本当に何の躊躇もなくバツンと切った。あのときパンジ
ーが漏らした﹁ふはわぁ﹂という何ともいえないため息は、万感の
思いが詰まっていたように思える。
一大決心をして作った前髪は眉毛のあたりで一直線になっており、
桃色のロングウエーブが彼女の本物の妖精みたいに見せていた。
2147
ここにぃ! 原石はいたぁッ!
俺がスカウトマンなら腰に両拳を添え、足を限界まで開き、肺の
中の空気がからっぽになるぐらい大声で叫んだだろう。それぐらい、
パンジーが化けた。
前髪ぐらいでそんな変わるかぁ? と思うが、彼女自身の心構え
が前向きな方向へと大きく前進したため、まとっているオーラまで
変質している。元々明るい性格だったのか、桃色の髪の毛と相まっ
て、彼女は見ている者を楽しい気分にさせた。
﹁はふぅん。はふぅん﹂
庭を散歩していたマルチーズっぽい犬が、テラス席に座るパンジ
ーに擦り寄ってきた。犬の背についた小さな羽がぱたぱたと嬉しげ
に揺れている。
﹁きゃー! かわいーっ!﹂
パンジーは犬の愛らしさに緊張が吹っ飛んで、頭を撫で始めた。
﹁はふぅん⋮⋮はふぅん⋮⋮﹂
犬の鳴き声がまぬけで、見ているこっちも顔がニヤけてくる。可
愛い系の動物は全然好きではないが、これは反則だと思うぞ。
﹁見て⋮﹂
アリアナがいつの間にか犬を捕獲して腕に抱き、もっふもっふし
2148
ている。
弟も隣で無表情に犬を抱き、姉と同じようにもふもふと撫でてい
た。
﹁エリィ∼。ワンちゃん柔らかいよ∼﹂
エイミーが犬に頬ずりして、羽の付け根付近に顔を埋めた。
﹁はふぅん⋮⋮はふぅん⋮⋮﹂
犬、さっきから﹁はふぅん﹂しか言ってねえな。
しかもニワトリと一緒で羽がついてるくせに飛べねえし。
癒やし系アホ犬だ。
﹁撮影準備、できました!﹂
﹁パンジー嬢、こちらへお越しください﹂
メイドの一人と、クラリスから声が掛かる。
パンジーは一瞬、不安げに両目を開いて眉を寄せたが、うなずく
俺の顔を見ると力強く首を縦に振り、用意された場所へと移動した。
2149
第14話 オシャレ戦争・その8︵後書き︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︵
︶﹃サナガーラ﹄
︶﹃ウォーカー商会﹄
⃝離反確実
︵
︵30%の商品が損失︶
⃝離反あやふや重要大型店
︵◎︶﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄
︵◎︶﹃バグロック縫製﹄
︵◎︶﹃グレン・マイスター﹄
⃝サウザンド家によって離反の可能性
中型縫製・十店舗
︵◎︶﹃シャーリー縫製﹄
︵◎︶﹃六芒星縫製﹄
︶﹃ビッグダンディ﹄
︵◎︶﹃エブリデイホリデイ﹄
︵
︵◎︶﹃愛妻縫製﹄
︵◎︶﹃シューベーン﹄
︶﹃アイズワイズ﹄
︵◎︶﹃靴下工房﹄
︵
︵◎︶﹃テラパラダイス﹄
︵◎︶﹃魔物び∼とる﹄
⃝サークレット家によって離反の可能性
2150
ジュエリー
︶﹃ビビアンプライス︵鞄︶﹄
その他・七店舗
︵
︵◎︶﹃天使の息吹﹄
︵◎︶﹃ソネェット︵ジュエリー︶
︵◎︶﹃KITSUNENE︵帽子︶﹄
︵◎︶﹃麦ワラ編み物︵帽子︶﹄
︵◎︶﹃レッグノーズ︵靴︶﹄
︶未確定↓︵−︶おしおき確定↓︵
︵◎︶﹃オフトジェリコ︵靴︶﹄
契約継続↓︵◎︶離反↓︵
︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
ついに全店舗決着がつきました!
どくろマークの店がどうなるかは乞うご期待!
ということで話は変わりますが、第二巻が11月30日に発売され
ます∼。
エリザベス姉様のイラストがまじで綺麗です・・・。
中のカラーページも美麗で最高ですね。うっはうはです。
まだ表紙はあがっていないのですが、受け取り次第、作者ページに
アップしますね。
かなり加筆したので、内容もたっぷり、お肉もたっぷりな一冊に仕
2151
上がっております。
ヅラを飛ばすシーンも削除せずしっかりと描かれておりますよ。笑
プライベートに余裕が出てきたので、感想の返信もちょこちょこさ
せていただいております。
不定期で申し訳ございません。
では、引き続きよろしくお願い致します!
2152
第15話 オシャレ戦争・その9
癒し系アホ犬のおかげで緊張がほぐれたパンジーは、準備された
指定の場所へ座った。
レストランの中庭には昼の太陽が降り注ぎ、テラス席や、観葉植
物を照らしている。ゆったりとした時間が流れ、犬が気ままに芝生
の上でごろごろ転がっている。
﹁ここでいいんですか?﹂
﹁ああそうだね。クラリスさんすみません。パンジー嬢のスカート
が、上から見て円形になるよう広げて下さい﹂
﹁かしこまりました﹂
テンメイの指示にクラリスが一礼し、パンジーに近づいた。
整えられた芝生の上にはストライプ柄の布製レジャーシートが敷
かれており、様々な小物類が中心部を空けて並べられている。小物
類の主のごとく真ん中に座ったパンジーは緊張がぶり返したのか、
身体を強ばらせた。
﹁失礼いたします﹂
クラリスが膝をつき、パンジーの着ているワンピースを広げてい
く。
総レースの膝丈ワンピースがレジャーシートに円を描いた。
ペチコートを穿いているのでもちろん下着は見えない。
2153
パンジーが可愛い系の顔立ちなので、ワンピースにフリルなどの
装飾はなく、大人の女性でも着れるデザインになっている。あまり
甘い雰囲気にすると、一気にロリータ系へ傾いてしまう。﹃Eim
y﹄のコンセプトにはそぐわないので、それは避けたい。
腰を細い黒リボンで結んでベルト代わりにし、全体に締まりを出
すアクセントにした。
首にかけた大きめのネックレスは、胸の下まで伸びている。
これらがパンジーの桃色の髪と融合すると⋮⋮エンジェルの誕生
ですわ。
甘くなりすぎず、可愛さを最大限まで引き立てており、髪の桃色
とワンピースの純白が合わさって彼女を別人へと変えていた。
﹁おお! 恋慕の神ベビールビルが中庭で遊んでいるようだ! 美
しいっ!﹂
まだクラリスがスカートを広げている最中だっていうのに、テン
メイが叫んでシャッターを切った。
カメラから写真用紙が出てきてひらひらと舞い、アシスタントが
キャッチする。
﹁ではメイドの皆さん、小物の位置を少々変えます﹂
テンメイは一刻も早く写真を撮りたいのか、大きな木製の脚立に
上がってキャリーバックほどある大きさのカメラを担いだ。高さは
三メートル。上から下へと見下ろす形でアングルを調整し、メイド
達へ指示を出していく。
2154
重いカメラを支えるため、テンメイは身体強化をしているようだ。
売れ筋のファッショングッズが、パンジーのスカートに合わせて
位置を変えていく。
ハンドバッグ、サンダル、化粧ポーチ、ポーチの中に入っている
化粧品、杖、杖ホルスター、帽子、ネックレス、ペンダント、リボ
ン。
色とりどりの小物が、テンメイの指示で見栄えがいいように調整
される。
パンジーは緊張で固まったまま、その光景をぼんやり見つめてい
た。
﹁バッグから中身が飛び出したような雰囲気にしましょうか。バッ
グをパンジー嬢の右側へ⋮⋮そうです。ポーチをその右上へ置いて、
蓋を開けてください﹂
テンメイがひどく集中した顔つきでカメラのレンズを覗きながら
指示を出した。ゴールデン家のメイド二人とクラリスは、的確に小
物類を配置し、作業が終わると揃って一礼して後方へと下がった。
﹁ではパンジー嬢、カメラを見て﹂
﹁は、はい!﹂
テンメイの言葉にパンジーは上ずった声を上げた。
出荷したてのロボットのように、角ばった動きでカメラを見上げ、
彼女は硬い笑みを浮かべる。
﹁これは想像以上にいい画が撮れそうだ!﹂
2155
さすがはテンメイ。どんなときでも否定しない。
﹁恋慕の神べビールビルが露天販売をしているみたいに見える! すごくいいぞ!﹂
﹁⋮⋮そうですか?﹂
﹁もちろんだとも! なんたって、モデルが可愛いからねぇ!﹂
﹁⋮⋮まぁ﹂
パンジーは満更でもないわと、はにかんで顔を伏せた。
上から見るとどんな絵面になるのか気になって、テンメイに軽く
断りを入れてから脚立をのぼった。邪魔にならないよう見下ろすと、
パンジーの膝丈スカートがレジャーシートの上で円形を描いていた。
布製レジャーシートの上に小さなお店を開くお嬢様、といった感
じだ。
スカートからのぞく細い足が可愛らしい。
﹁パンジー﹂
軽く手を振ってやる。
﹁エリィさぁん﹂
パンジーが嬉しそうに笑って手を振り返す。
﹁今ぞっ!!!﹂
テンメイがすかさずカメラのシャッターを切った。
写真が印刷され、ぺらりと用紙が落ちた。下で待ち構えていたア
2156
シスタントが素早く回収し、午前中と同じく背後に広げた布の上へ
並べる。
﹁エリィお嬢様。どうやらあなたがここにいたほうが、パンジー嬢
の緊張がほぐれそうだ﹂
﹁あらそう? ちょっとぐらぐらするけどここにいるわね﹂
﹁お嬢様。我々で押さえますので心置きなくご覧になってください﹂
クラリスとメイドが脚立をしっかりと支えてくれた。
﹁パンジー、いまどんな気持ちかしら?﹂
﹁気持ち? うーんとね⋮⋮﹂
パンジーが人差し指を顎に添えて小首をかしげた。
レジャーシートの上に女の子座りをし、レースのスカートをふわ
りと広げ、周囲に女子が喜びそうな小物を並べている彼女は、人間
界に下りてきた人間好きの妖精みたいだった。
彼女特有の桃色の頭髪が大きなアクセントになっている。
コーディネートさえ間違えなければ、この髪は彼女の武器になる
な。
﹁夢みたいな気持ち、かな? 好きな本に自分がモデルとして出る
なんて、考えられないよ。どんな英雄譚の登場人物になるより、私
は﹃Eimy﹄のモデルとして雑誌に載るほうが何倍も素敵だと感
じるの﹂
﹁あら⋮⋮そう言ってもらえると、この本を作ってよかったと思う
わ﹂
﹁はい! エリィさんはグレイフナーの女性に夢と希望を与える人
です!﹂
2157
﹁ふふふ、そうでしょうそうでしょう﹂
そうだろうそうだろう。
なんたって現代知識をフル活用しているからな。
﹁パンジー。その気持ちのままカメラを見てちょうだい。あなたの
夢が叶っている最中なのよ? 楽しまなくっちゃ損ってものよ!﹂
﹁分かりました!﹂
こちらに向かって親指を立てるパンジー。
﹁いただきだっ!﹂
テンメイが速攻でシャッターを切った。
﹁ではパンジー嬢。両足を揃えて右側に持ってきて、両手を太もも
の上へ⋮⋮。クラリスさん﹂
﹁かしこまりました﹂
パンジーが足をずらしたのでスカートの形が乱れる。手早くクラ
リスが直した。
それから三十分ほど、パンジーが座ったままポーズを取って撮影
が進んでいく。
どうにか緊張はほぐれているが、テンメイに言わせるとまだ硬さ
が残っているそうで、雑誌に掲載できるレベルの一枚が撮れないと
のことだ。このままでは納得できる一枚にするのは難しいため、一
度休憩を挟むことになった。
休憩の合図をしようとしたときだった。
2158
何かを相談していたエイミーとアリアナが、うんとうなずきあっ
て、羽つきアホ犬を抱えてパンジーの前に立った。
なんだ? 犬で和ませる作戦か?
﹁このブローチとワンちゃんを交換してくださいな﹂
思わずズッコケそうになった。
エイミーが両手で犬を差し出して、にこにこと笑っている。
﹁私はこっち⋮﹂
続いてアリアナがレジャーシートの上に置かれたヘアバンドを指
差し、犬の首をつまんで片手で突き出した。
いや、雑! アリアナさん、犬の扱いが雑ですよ?!
﹁はふぅん⋮⋮はふぅん⋮⋮﹂
芝生のお店
にご来店くださりありがとうございます! 当店
犬、首根っこつかまれてるのにめっちゃ嬉しそうだな、おい。
﹁
はワンちゃんと商品の物々交換は行っておりませんよ?﹂
灰色の大きな瞳を左右に動かし、楽しげにパンジーが二人を見つ
めた。
意外にもパンジーがノリノリだ。
そういや、一度でいいから雑貨屋の店番をやってみたいとか言っ
ていた気がするな。可愛いじゃねえか。
2159
﹁それは残念! でも試着だけならいいよね?﹂
﹁ええ、それはもう!﹂
エイミーが手に取ったブローチを胸元につけると、パンジーとア
リアナが褒めそやした。
アリアナも同様にヘアバンドを試着して喝采を浴びる。
気づいたら女子三人でわいわいと話し始めた。
パンジーはよほど嬉しいのか、頬を上気させ、店番らしく並べた
小物を商品に見立てて紹介していく。
やがてエイミーとアリアナの二人はお礼だと言って、パンジーの
膝の上に犬を置き、もう一匹を彼女の横へと寝そべらせ、カメラに
映らないよう後方へ下がった。犬は相変わらず﹁はふぅん﹂とまぬ
けに鳴いている。
これはチャンスだ!
﹁パンジー! 私にもお店を見せてちょうだい!﹂
彼女の目線をこちらへ向けさせるため、大きな声で呼んだ。
﹁はぁい! 芝生のお店、どうでしょうか?!﹂
彼女はひまわりのような明るい笑顔で両手を広げた。
頬を染め、口角をくいっと上げて、不安を一撃でふっとばすよう
な柔らかい笑顔だった。
2160
̶̶パシャリ
俺の横からシャッター音が響き、三メートルある脚立の上から落
ちる写真用紙がひらひらと空中を舞う。
アシスタントはそれを芝生につく前に跳んでキャッチし、何か確
信めいた表情でこちらへと掲げた。
☆
ジャックはパンジーがゴールデン家に入る姿を見届けると、踵を
返してサウザンド邸宅へ向かった。
エリィとその周囲に雇われている使用人達の働きには目を見張る
ものがあり、ジャックは護衛任務中、退屈を感じたことがない。何
より、パンジーが楽しげにしている姿には何度も目頭が熱くなった。
自分も歳を取ったな、と益体もなく考えつつ、路上を足早に進ん
でいく。
夕暮れの首都グレイフナーは光魔法の灯りがともり、夜の帳が落
ちようとしている。夕食の準備の音がそこかしこから聞こえ、路地
の一本向こうにある大通りからは賑やかな声が響いていた。
春先の温かい空気がジャックの執事服を撫で、そっと押しやるよ
うに後ろへと流れていく。
不意に、ジャックは足を止めた。
2161
何者かが右肩をつかんでいた。
思わぬ力に息が止まる。
自分がその者に気付けなかったことに驚いたが、ジャックは長年
の経験で即座に気持ちを切り替えた。
右肩をつかむ指は細い。
女か子ども?
魔力を一気に循環させ、左足を軸にして身体を半回転し、その手
を振り払う。
勢いを利用して裏拳を放った。
相手に直撃し、重症を負わせても治癒魔法で回復させれば問題な
い。
だが、放った裏拳は空を切った。
身体が大きく開くことを恐れ、ジャックは咄嗟にバックステップ
で後方へと退避する。
何者かはそれを見越していたのかバックステップに合わせて飛び
込んで、鋭く右手を突き出した。
﹁ッ⋮⋮!!?﹂
あまりの速さに対応できない。
ジャックはダメージ覚悟で上半身へと身体強化を巡らせた。
衝撃に備え、魔力循環に集中する。
殴られ、魔力が乱れれば身体強化が切れる。そこを魔法で攻撃さ
2162
れたら敗北は必至だ。
しかし、予想外にも出された右手は眼前でぴたりと止まった。
なぜか襲撃者はジャックの額に人差し指をあてがった。
﹁っ⋮⋮﹂
今度こそ本当に動けなくなったジャックは、襲撃者を見て目を見
開いた。
目の前には、優しげな垂れ目をサファイア色に輝かせる、エリィ・
ゴールデンが佇んでいた。
彼女は少し申し訳なさそうに眉をハの字にすると、艶のあるこぶ
りな唇をおもむろに開いた。
﹁ごめんなさい。悪戯が過ぎたようね﹂
そう言って彼女はジャックの額から指を離し、優雅なレディの礼
を取って微笑んだ。
何が何だか分からず、ジャックは自分の額を右手で擦った。
相手の呼吸を外したタイミングでの裏拳がいとも簡単に躱され、
不利な体勢を立て直そうとしたバックステップも見抜かれ、反応で
きないスピードで攻撃された。
彼女はかなり手加減をした様子だった。おまけに、彼女の左手に
は動きを阻害するトートバッグがぶら下がっている。
数撃のやり取りで、ジャックはこのお嬢様が相当の使い手だと察
した。
2163
予想するに、定期試験で850点以上は取れそうだ。
次期当主のグレイハウンド・サウザンドが893点。長男のエリ
クス・サウザンドが876点。
魔法学校四年生で900点近い点数に迫るなど前代未聞だ。末恐
ろしい。
今の攻防で、彼女は杖や武器を使っていない。
これで武器を手に取り、杖を持って本気になったらどうなるか?
ひょっとしたら900点台まで届くかもしれない。
ジャックは鼓動が速くなり、すぐに深呼吸をして新鮮な空気を肺
へ取り込んだ。
﹁今日もお勤めご苦労様﹂
﹁⋮⋮エリィお嬢様。それは皮肉でございますか﹂
﹁いいえ、本心からのねぎらいよ﹂
﹁いつから気づいておいでで?﹂
﹁初日からよ﹂
﹁⋮⋮さようでございますか﹂
﹁大丈夫。気づいていたのは私とアリアナだけだから﹂
﹁尾行と偵察には自信があったんですがね﹂
﹁尾行で遠くを見るため目を身体強化するでしょう? あなたは身
体強化を施す瞬間だけ、魔力が微弱に漏れるわ。そこを矯正すれば
私達でも気付けないでしょうね﹂
誰にも言われたことのない自分の癖を見抜かれ、ジャックは戦慄
した。
男のプライドを刺激され、慄きを隠そうと批難を込めた視線をエ
リィへ向ける。
2164
﹁練習しましょう?﹂
孫ほど年齢の離れた彼女は、まるで意に介していないのか、邪気
のない顔でジャックに笑いかけた。
エリィの笑顔は夕暮れに浮かぶクノーレリルのようだった。
彼女の美しい瞳に吸い寄せられ、大通りから聞こえる喧騒が遠の
いていき、全身の魔力が入れ替わる錯覚を感じて下腹部がずるりと
引っ張られる。ジャックは一気に毒気を抜かれてしまった。
﹁練習⋮⋮でございますか?﹂
﹁ええ、そうよ。これからもパンジーにはあなたが必要だもの。あ
の子を守ってほしいの﹂
﹁もちろんですお嬢様。我々サウザンド家使用人は、パンジーお嬢
様を愛しております。この命に代えてもパンジーお嬢様をお守りす
るつもりです﹂
﹁じゃあ約束ね。身体強化の癖を直してちょうだい﹂
エリィはジャックの目の前に、小指を出した。
それの意味が分からず、ジャックは首をかしげる。
エリィは、しまった、という顔をしたあと、取り繕うように笑っ
て﹁私が作ったおまじないなの。小指を出してちょうだい﹂と顔を
赤くした。
﹁かしこまりました﹂
ジャックは大人びたエリィが年相応の仕草をしたことに、つい顔
がほころんだ。
自分の武骨な小指を前に差し出すと、エリィのほっそりした小指
2165
が絡められ、上下に三回振られた。
彼女は小声で何かをつぶやいている。
そしてすぐに指を離した。
﹁これでいいのですか?﹂
﹁ええ。誓いは立てられたわ。破ると、あなたのお腹に針が千本入
ります﹂
﹁それは怖いですね﹂
﹁そうなのよ。怖いでしょう? だからしっかり練習して、癖を直
してちょうだいね﹂
﹁かしこまりました、お嬢様﹂
執事の礼をきっちりとし、ジャックは薄い笑みをこぼした。
仮にも敵方の執事である自分に練習を約束させるとは面白いお嬢
様だ。彼女がいつも前向きなことは偵察から知っていたが、いざ自
分が巻き込まれるとここまで心を揺さぶられるものなのか、とジャ
ックはエリィの与える影響を実感した。
﹁グレンフィディック様のお身体は大丈夫かしら? 邸宅でお酒ば
かり飲んでいると聞いたのだけれど﹂
﹁はて、何の話でございましょうか?﹂
﹁隠しても無駄よ。昨日はワインを三本飲んでいるわね﹂
﹁ふふっ、まったくどうして⋮⋮。あなたには敵いませんね﹂
﹁こちらにも諜報部隊がいるのよ。まあそれはいいとして、あなた
を呼び止めた理由を話さなくってはね﹂
﹁⋮⋮尾行と偵察をやめさせるのでは?﹂
﹁それは今まで通り続けてちょうだい。パンジーの様子をあのじじ
⋮⋮グレンフィディック様へ伝えてほしいわ﹂
﹁では、私を呼び止めた理由とは?﹂
﹁これを渡してほしいの﹂
2166
エリィは持っていたトートバッグから、額縁に入った絵画らしき
ものを取り出し、ジャックに手渡した。
﹁これは⋮⋮﹂
﹁うふふ。よく撮れているでしょう? 次の雑誌に掲載する予定な
の﹂
ジャックは渡された物を見た瞬間、喉がつまって目頭が熱くなり、
額縁を持つ手が勝手に震えた。
額縁の中には、満面の笑みを浮かべ、両手を広げているパンジー
の写真があった。
彼女は前髪をまっすぐに切り、母親譲りの桃色の頭髪をウェーブ
させて胸元まで垂らし、繊細なレースのワンピースを身にまとって
こちらを見上げている。周囲には女性が使う小物類が綺麗に並べら
れていた。
パンジーは憑き物が落ちたかのように、無邪気で、楽しげで、本
来の自分らしさを取り戻していた。
ジャックの瞳から、大量の涙がぶわりと湧き出した。
額縁に入ったガラスの上へぼたぼたと涙が流れ、水滴がガラスに
落ちていく。
﹁⋮⋮ぐっ⋮⋮ぐふぅっ⋮⋮﹂
とめどなく涙が出てくる。
自分でも止められず、どうしようもなかった。
2167
魔法学校に入学してからずっとふさぎ込んでいたパンジーが、こ
んなにも楽しそうにしている。
ジャックは、元気なく肩を落として登校していくパンジーの後ろ
姿を思い出し、帰宅時にメイド達に慰められるパンジーの作り笑い
が脳裏に浮かんだ。どうにかしなければと思い、どうすることもで
きず、ジャックはただパンジーの見守ることしかできなかった。
楽しげなパンジーを見た喜びと自分自身への不甲斐なさが胸中で
渦を巻き、ぼやけた痛みが頭の後ろを駆け抜ける。止まらぬ涙を止
めるため必死に歯を食いしばったが、喉の奥からは声が自然と漏れ、
火で沸かしたような熱い涙が次から次へと流れ出た。
﹁ぐぅっ⋮⋮うぐぅぅっ⋮⋮﹂
持っている写真はぶるぶると震え、目の前が水分でぼやけて何も
見えない。
年端もいかぬエリィの前で男泣きをするなどみっともなかったが、
ジャックの瞳から、涙は止まらなかった。
﹁ジャック⋮⋮﹂
額縁を握るジャックの手に、エリィの両手が添えられる。
彼女の声も震えている。どうやら泣いているらしい。
﹁パンジーが学校で孤独だという話は聞いたわ⋮⋮。でも、もう大
丈夫。学年は一年違うけど、これからは私とアリアナがいるから⋮
⋮だからもう心配しないでいいのよ﹂
﹁う⋮⋮ううっ⋮⋮エリィ⋮⋮⋮お嬢様⋮⋮﹂
2168
みっともないと思いながらも、彼女の手を握り返す衝動を抑えき
れなかった。
ほっそりした女性らしい手に包み込まれると、ジャックは少しだ
け気持ちが楽になり、顔を上げることができた。
﹁申し訳⋮⋮申し訳ございません⋮⋮このように⋮⋮取り乱しまし
て⋮⋮﹂
﹁いいのよ⋮⋮。ジャックがパンジーのことを想っている証拠よ。
パンジーは、いつもあなたのことを話すわ。あなたが小さな頃から
優しくしてくれたと言って自慢げに話すから、だいたいのエピソー
ドを憶えてしまったわ﹂
﹁さようで⋮⋮ございますか﹂
﹁それに、グレンフィディック様のことも話してくれるわ。今回の
ことで、パンジーは少なからず傷ついているわね﹂
エリィは優しげにジャックの手を撫でると、ゆっくりと離した。
﹁彼女の中にあるグレンフィディック様の人物像と、今回の行動が
あまりにかけ離れていて、未だに整理がつかないみたいなのよ。も
う一度、お互いに話をするべきだと思うわ﹂
﹁はい⋮⋮私もそう考えておりました。是非とも会合をお願いした
く存じます﹂
﹁私達がサウザンド邸宅へ出向くことはできないわよ﹂
﹁ええ、そちらも存じております。あいだを取って、コバシガワ商
会の一室をお借りできればと考えております⋮⋮。いかがでしょう
か?﹂
﹁そうね⋮⋮﹂
エリィ・ゴールデンは魅力的な垂れ目を閉じ、逡巡すると、目を
2169
開いた。
﹁いいでしょう。では、二日後の午後六時にコバシガワ商会で待っ
ているわ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁私とグレンフィディック様が会う⋮⋮。この件はゴールデン家に
も伝えなければいけないわ﹂
﹁はい⋮⋮。奥方様には反対されるかと思いますが、何卒よろしく
お願い申し上げます﹂
﹁お母様がどんな反応をするかは分からないけれど、これはビジネ
スの話でもあるのよ。会合を否定したりはしないわ。安心して﹂
﹁であればよろしいのですが⋮⋮﹂
﹁あまりいい感情は抱かないでしょうけどね﹂
﹁そうでございましょう⋮⋮。正直に申し上げて旦那様のなされた
行動は、男気に欠けるものでございました。﹃必ずまた会いに来る﹄
という約束を残し、一度も会いに行かなかったのですから⋮⋮﹂
﹁まあ、そんな約束まで? だからお祖母様は毎日窓の外を見て、
グレンフィディック様を待っていたのね﹂
﹁な、なんと? 毎日? ずっと窓の外をですか?﹂
エリィが悲しげにうなずくと、ジャックは寝耳に水といった表情
で涙に濡れた顔を驚愕させ、心底情けなさそうにうなだれた。
﹁そこまで旦那様のことを想われていたとは⋮⋮やはり、無理をし
てでもエリザベス様をお連れするべきだった﹂
﹁私もそう思うけれど、もう過ぎたことよ﹂
﹁ですが私はあのとき、強く諫言しませんでした。私も旦那様もま
だ若かった。あの頃の自分を思い切り殴ってやりたい気分です﹂
﹁ねえジャック。未来のことを考えましょう。これからの未来のた
めに、自分ができる最善の方法を模索して行動に移しましょう。私
2170
達にできることはそれしかないわ。過去に捕らわれ、前進を止めて
しまってはダメよ。悩んで、もがいて、それでも進まなければ立ち
止まったままになり、人間というものは腐っていくわ。失敗したっ
ていいじゃない。パンジーだって、モデルになることを怖がってい
たけど、自分で決めて、自分で立ち向かったわ。あなたにもできる
わ。大丈夫よ﹂
﹁お嬢様⋮⋮﹂
﹁パンジーを大切に想っている、あなたのことが私は好きよ﹂
いつの間にか夕暮れ時は終わっていた。
触れれば溶けてしまいそうな月が、下りたての夜の帳にぼんやり
と浮かんでいる。
儚げな月を背にしたエリィは、神がつかわせし月の女神のようで
あり、慈愛に満ちた目をジャックへ向けていた。
ジャックは止められない衝動に突き動かされ、自然と右手を胸に
当て、腰を深く折り、貴人へ送る執事の最敬礼をした。
目の前にいる少女の中には何が隠されているのだろうか。
慈愛に満ち、計算高く、お茶目で、優雅で、どことなく男らしさ
も感じる。
相反するものを内に秘めた少女がジャックの目には脆く壊れやす
い陶器のように見え、無性に愛おしい気持ちになった。
﹁わたくしもです、エリィお嬢様﹂
ジャックは恭しくうなずき、右手に手を当てたまま彼女を見つめ
た。
2171
二人が向かい合う路地の石畳に民家の
ライト
が淡く差し込む。
春の温かい夜風が通り過ぎ、街の喧騒が少しばかり大きくなった。
ジャックは、自分の左手にパンジーの写真がしっかりと握られて
いることを確認し、グレンフィディックを説得する決意を固めた。
2172
第15話 オシャレ戦争・その9︵後書き︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︵
︶﹃サナガーラ﹄
︶﹃ウォーカー商会﹄
⃝離反確実
︵
︵30%の商品が損失︶
⃝離反あやふや重要大型店
︵◎︶﹃ヒーホーぬいもの専門店﹄
︵◎︶﹃バグロック縫製﹄
︵◎︶﹃グレン・マイスター﹄
⃝サウザンド家によって離反の可能性
中型縫製・十店舗
︵◎︶﹃シャーリー縫製﹄
︵◎︶﹃六芒星縫製﹄
︶﹃ビッグダンディ﹄
︵◎︶﹃エブリデイホリデイ﹄
︵
︵◎︶﹃愛妻縫製﹄
︵◎︶﹃シューベーン﹄
︶﹃アイズワイズ﹄
︵◎︶﹃靴下工房﹄
︵
︵◎︶﹃テラパラダイス﹄
︵◎︶﹃魔物び∼とる﹄
⃝サークレット家によって離反の可能性
その他・七店舗
2173
︵
ジュエリー
︶﹃ビビアンプライス︵鞄︶﹄
︵◎︶﹃天使の息吹﹄
︵◎︶﹃ソネェット︵ジュエリー︶
︵◎︶﹃KITSUNENE︵帽子︶﹄
︵◎︶﹃麦ワラ編み物︵帽子︶﹄
︵◎︶﹃レッグノーズ︵靴︶﹄
︶未確定↓︵−︶おしおき確定↓︵
︵◎︶﹃オフトジェリコ︵靴︶﹄
契約継続↓︵◎︶離反↓︵
︶
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
ジャックとの会話中、エリィ本人が言ったセリフが二つあります。
小橋川っぽくない言葉ですね。探してみてください。
2174
第16話 オシャレ戦争・その10
⃝
グレンフィディックとの会合の日になった。
約束は午後六時なので、それまで首都グレイフナーの五番街にあ
る噴水広場で撮影ロケをし、コバシガワ商会に戻って各縫製店との
やり取りを確認する。デニム生地とメソッドの生地が大量に入荷さ
れたので、細かい指示を出しておかないと雑誌発売までに服が間に
合わない。
複写
コピー
で印刷を
ざっくりとした進行状況は、雑誌の進捗が50%、洋服の進捗が
40%といったところだ。
雑誌は四万部を目標にしているので、ガンガン
複写
コピー
が必要だ。火魔法使いは総勢で三十人雇った。一人頭
していく。四十二ページの雑誌が四万部だから、しめて百六十八万
回の
五万六千回の計算になるな。
だぁ!﹂と
!﹂など意味不明な掛け声が聞こ
複写
コピー
余剰資金で、魔力補充をするマンドラゴラ強壮剤を大量購入して
おいた。
複写
コピー
そのせいか、時折上の階から﹁はははは! か﹁我、印刷の化身! える。強壮剤のせいでテンションがおかしなことになっているらし
い。
2175
スルメの弟、黒ブライアンと、スルメの家臣、おすぎも大活躍だ。
経験者の彼らが積極的に印刷版の指揮を取っている。
本日の会合についてはすべての従業員が知っている。
もちろん母アメリアと父ハワードにも伝えてある。
ゴールデン家の面々が会合に参加するかは不明であるが、少なく
とも長女エドウィーナと次女エリザベスは仕事が終わり次第その足
でここに来るらしい。二番街にあるコバシガワ商会と、一番街にあ
る魔導研究所は歩いて十五分ほどの距離だ。
近場なので来やすいということもあるが、二人がここへ来る一番
の理由はグレンフィディックの謝罪する姿をその目で見たいからだ。
じじいが謝ると決まったわけではない。だが、俺の交渉がうまく
いけば謝罪を引き出せる可能性はある。
その場の流れ次第ってとこだな。
﹁向こうは何人で来るのかしら﹂
﹁ご当主グレンフィディック様と、執事のジャック様の二人のみ、
とのことでございます﹂
﹁あら、二人だけなのね﹂
﹁わたくしも大勢で押しかけてくると思っておりましたので、意外
でした﹂
﹁どちらでもいいんだけどね。では、メインフロアの応接スペース
を使いましょう﹂
﹁お嬢様のお心遣いに感謝いたします﹂
クラリスは完璧なメイドの礼をし、こちらに向き直った。
メインフロアにある応接スペースは、観葉植物で区切られている
2176
だけだ。そのため、フロアで仕事をしていると中の話し声が薄っす
らと聞こえる。
﹁我々もお二人の対談を聞きたいと思っております。従業員は全員、
激怒するアメリア奥様の姿を忘れておりません。その原因であるグ
レンフィディック・サウザンドという男をこの目で見て、何を話す
のか、知りたいのです。そしてお嬢様と、お嬢様のお母様であるア
メリア様に害があるのであれば全力で戦うつもりでございます﹂
﹁それは、魔法的に戦うって意味じゃないわよね﹂
﹁両方です。魔法でも、ビジネスでも﹂
﹁ここで決闘騒ぎはダメよ。⋮⋮といっても聞いてくれなそうね。
そうならないよう努力するわ﹂
﹁お嬢様はいつも努力しておいでです﹂
クラリスが一礼する。
﹁応接スペースを少しばかり拡張しておきます。ソファを二脚ほど
追加しておきましょう﹂
﹁そうね。お母様が来てもいいように﹂
﹁はい。奥様がいらしてもいいように﹂
とは言ったものの、母アメリアが会合に現れるとは思えない。
エイミーとエドウィーナはアメリアをグレンフィディックに会わ
せたくないのか、万が一鉢合わせる事態を考慮し、会合の日程を伝
えるべきではないと俺に主張した。
エリザベスは、分からない、とただ困惑していた。
俺としては、アメリアとグレンフィディックはどんな形であろう
と一度会うべきだと思う。親子が同じ街に住んでいるのに会話もし
2177
ないとは寂しいもんだ。そして何より、グレンフィディックは男と
して、父親として、アメリアに謝罪するべきだろう。許しを乞うの
ではなく、誠心誠意謝罪するのだ。
そうしないことには二人とも過去に引きずられたままだ。
エイミー、アリアナ、パンジーも会合には出席する。
向こうがどう出てくるのか牽制しつつ、まずはパンジーの成長ぶ
りをグレンフィディックへ見せつけてやろう。少しは己を省みてく
れればいいが。
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﹁お嬢様、グレンフィディック様が到着いたしました﹂
第一会議室で洋服のコーディネートについて話し合っていると、
ドアがノックされた。
俺とアリアナ、エイミー、パンジーは顔を見合わせる。パンジー
はかなり緊張しているのか、表情を硬くした。
﹁あらそう。行きましょ﹂
できるだけ気軽な調子で言い、四人で部屋を出る。
作業台や事務机が並べられたメインフロアにいる従業員達は立ち
上がり、じっと入り口を見ていたが、俺達が会議室から出てくると
一斉にこちらへ視線を向けた。
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従業員に笑いかけながら進み、入り口に立っているグレンフィデ
ィックとジャックの前まで歩いて、レディの礼を取る。
﹁本日はご足労いただき誠にありがとうございます﹂
﹁ああ、うちの執事がどうしてもと言うのでな。執務の時間が運良
く空いていたので寄らせてもらった﹂
少しやつれた表情のグレンフィディックが、言い訳がましく言葉
を並べる。俺の右後ろにいるパンジーを見つけると、双眸を開き、
わずかに瞳を揺らした。
﹁あまり時間がない。話とやらを聞こうか﹂
広い額には深い皺が刻まれ、彼は何かをごまかすように肩をすく
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