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世界宗教の現在:西ヨーロッパの宗教:ドイツの宗教
世界宗教の現在:西ヨーロッパの宗教:ドイツの宗教 保呂篤彦 宗教改革の起こった地であるドイツでは,1555 年のアウグスブルク宗教和議によって,ローマ・ カトリック教会の領域とルター派の領域との共存がまず取り決められた。キリスト教の他の教派も 30 年戦争の終結時,1648 年には承認され,19 世紀にはユダヤ教にも同様の権利が認められた(ナチス の支配下で再び取り消されたが)。現代のドイツにおいて宗教団体は,ドイツ基本法によって規定さ れた「公法上の団体」と,「民法上の団体」の 2 種類に分けられ,公法上の宗教団体には教会税の課 税権とともに,各教派の宗教教育を公立学校における正規の授業科目として実施することが認められ る。ドイツ基本法は,上述の伝統的諸教派をそのまま公法上の団体として承認するとともに,他の団 体にもその地位を取得する道を開いた。2000 年現在ドイツの宗教人口は,主要プロテスタント諸教 会在籍者が約 37 %,ローマ・カトリック教会在籍者が約 35 %,残りの約 28 %がその他であり,ギ リシャ正教などの東方教会や聖公会など少数派のキリスト教,ユダヤ教,イスラーム,仏教,ヒンド ゥー教,シーク教,バハーイー教,諸々の新宗教などの他,共産主義者などの無神論者(2.2 %)や宗 教に無関心な人々(17.2 %)がそこに含まれている。 このように数字の上ではキリスト教の伝統的主要教派の信徒が相変わらず極めて多いが,プロテス タントにおいてもカトリックにおいても,読書や個人的な出会い,テレビ,インターネットなどを通 して(特にアメリカ合衆国経由で)流入してくる様々な宗教的な刺激が,信徒を改宗させるまでに至 らないまでも,その信仰に大きな影響を与え,その結果,独特のシンクレティズムを引き起こしてい ると言われる。また教会員,特に都市圏に居住する若者の礼拝やミサへの出席率が大幅に低下してい る他,教会からの離脱者もますます増える傾向にある。カトリック教会もプロテスタント諸教会も, ドイツ国民自体が宣教対象になるという新しい事態を迎えているのである。 ユダヤ教について言えば,第二次世界大戦直後のドイツにはホロコーストの生存者など,約 20 万 のユダヤ人がいたが,その大半が建国直後のイスラエルやアメリカ合衆国に移住し,ドイツに残った のは僅か 1 万 2 千人ほどで,その数は異教徒間結婚などによってその後も減少を続けた。ところが 1990 年代に入ると,ソビエト連邦と東欧諸国の共産主義政権の崩壊に伴い,多くのユダヤ人がドイ ツに流れ込み,現在は 10 万人を越えると推測される。しかし,同じく共産主義政権の崩壊によって 成った東西ドイツ再統一によって生じたナショナリズムによって新たに力を得たネオナチなどの反ユ ダヤ主義者によってユダヤ人やシナゴーグが相次いで襲撃され,宗教をめぐるドイツの大きな社会問 題となっている。 ドイツ社会におけるイスラームの拡大傾向は明確である。第二次世界大戦後の復興期に労働者不足 を補うため,出稼ぎ労働者を募集したことにより,トルコを中心とする近隣諸国から多数のムスリム がドイツ国内に移住し,1973 年の外国人労働者募集停止後も家族の移住などによってその数は大幅 に増加していった。1995 年の時点で,全人口の 4 %にあたる 320 万人あまりのムスリムがドイツに 居住していたが,そのうちの 210 万人がクルド人を含むトルコ系移民であった。当初,彼らは世代が 変わるにつれてドイツ社会に同化していくと予想されていた。しかし,東西ドイツ再統一を契機に高 まったナショナリズムの影響などで異なる民族グループに対する差別が強化され,「地位上のドイツ 人」が相次いで帰還し,ギリシャやイタリアなどから同じく労働者としてドイツに移住してきた人々 がEU市民としての諸権利を行使するようになるなか,トルコ系移民の若者たちはいっそう疎外感を 深め,その結果モスクに向かい,そこに居場所を見出すこととなった。彼らは第 1 世代とは異なり, ドイツ語を自由に操り,ドイツ社会も熟知しているため,自分たちが第 1 世代に対して助言や支援を なしうる立場にあることを自覚し,そこに生き甲斐を見出していった。また麻薬汚染や性犯罪,家族 の崩壊などの先進国社会の病理から自らを防衛するためにも,自身のルーツである宗教伝統に依拠す ることが有効であると考えられた。このように,ムスリムの移民たちの間では,キリスト教の諸教会 の場合とは反対に,若者こそがイスラーム復興と呼ぶべき動きの担い手であり,共同体発展の原動力 となっている。また,彼らは,後者の問題をめぐって同じ病理に直面するキリスト教会との対話を進 め,友好的な関係を構築することにも成功し,そうしたなか,ムスリムの生徒に対して公立学校にお -1- いて(キリスト教やユダヤ教の場合とは異なり,正課としてではなく課外の時間にではあるが)イス ラームの授業を提供することを認めさせるに至った。 新宗教としては,ラジーニーシ運動,ハレ・クリシュナ運動,TM(超越瞑想),精神療法と宗教 との融合を説くサイエントロジー,韓国出身の文鮮明を教祖とする「統一教会」,アメリカで生まれ た「エホバの証人」などが,新しい生活様式や人生の新しい意味づけなどを提唱して,1980 年代前 半からドイツでも若者を中心に信奉者を獲得し始めた。ところが,ユダヤ・キリスト教の伝統と大き く異なる教説や儀式,勧誘方法などをめぐって社会的な摩擦や対立,人権侵害などの問題を引き起こ す集団も現れ,訴訟事件も相次いで起こり,これらの集団は否定的な意味を込めて「セクト」と総称 されるようになった。 このような問題に対応するため,ドイツでは 1996 年 5 月に連邦議会が「いわゆるセクトおよびサ イコグループに関する調査委員会」を設置し,同委員会が 1998 年 6 月に最終報告書「ドイツ連邦共 和国における新しい宗教共同体,イデオロギー(世界観)共同体およびサイコグループ」を公刊した。 この報告書は,これらの新宗教集団に対してドイツ政府が中立と寛容の立場で対処すべきであり,こ れらが引き起こす対立やトラブルの解決も市民や民間団体の活動に委ね,基本的に干渉すべきでない .... と強調している。委員会名にも「いわゆるセクト」という表現が用いられ,否定的なニュアンスのあ る「セクト」という語の使用に対する慎重な態度が見られ,報告書においても検討の対象となった多 様な集団の特徴を客観的に表現するための独特の用語が工夫され,「セクト」の語の使用が避けられ ているが,これも上述の基本的精神に符合している。しかし同時にこの報告書は,市民に対する違法 な搾取や危害が生じた場合,政府が国家としての義務を遂行し,断固として彼らを保護すべきである とも主張し,こうした観点から,サイエントロジーに対しては一貫して厳しい姿勢を取り,これを民 法上の宗教団体としてすら承認せず,極めて特殊な営利活動団体であると規定して継続的な監視を求 めている。 .... ところで,全体として見れば,現在のドイツ国民の多くは,この報告書があまりにも「いわゆるセ クト」寄りの立場を取っていると考えている。また,現在ドイツにおいて上述の公法上の団体として 認められているのは,当初から承認されていた伝統宗教の他は,「モルモン教」,セブンスデイ・ア ドヴェンティスト教会,クリスチャン・サイエンスなど何れも比較的新しいキリスト教系の団体に限 られており,イスラーム関係の団体は未だにその資格を認められていないし,17 万人の信徒を有す るとされる「エホバの証人」もまた,多様な議論があったものの,結局その申請を却下された。認可 されるための要件は,規則に基づく教団運営,一定数以上のメンバー,ドイツにおいて一定期間以上 存続してきた実績という形式的なものとされているが,認可の実態からは,国家とキリスト教会との 特殊な協力関係がドイツ社会において今なお肯定的に捉えられていることを見て取ることができる。 しかしまた,上記の報告書や,国家と教会や宗教との関係をめぐるって争われた近年の訴訟(例えば, いわゆる「教室十字架事件」判決)などからは,このような傾向に反対する動きが強まっていること も見て取れる。ただし,ドイツにおいては,このような動きも国家と教会や宗教との分離という世俗 主義へと導くものではなく,むしろ国家と教会や宗教との協力関係の維持および国家による諸宗教に 対する平等な処遇へと導くものであると言えよう。ローマ・カトリック教会やプロテスタント諸教会 の宗教教育の授業と並んで,イスラームの宗教教育が,課外授業としてではあれ,公立学校で提供さ れているという事態は,ドイツにおける国家と教会や宗教との関係が,日本やフランスにおけるそれ とは今後も異なるであろうことを示唆している。 [参照文献] David B. Barrett, et al. (ed.), World Christian Encyclopedia: A comparative survey of churches and religions in the modern world, second edition, Oxford University Press, 2001. 中野毅『宗教の復権――グローバリゼーション・カルト論争・ナショナリズム――』東京堂出版,2002. 内藤正典「ヨーロッパのイスラーム復興運動――トルコ系移民は,なぜドイツで覚醒したのか?」総 合研究開発機構(NIRA)・中牧弘允編『現代世界と宗教』国際書院,2000. 塩津徹「ドイツにおける公法上の宗教団体――「エホバの証人」の事例を中心として」『宗教法』21,2002. -2-