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http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ Title Author(s) Editor(s
 Title
Author(s)
Welfare Pluralismと福祉ミックス論 : 英国と日本における社会福祉
改革「論」についての一考察
吉原, 雅昭
Editor(s)
Citation
Issue Date
URL
社會問題研究. 1991, 40(1・2), p.147-176
1991-03-31
http://hdl.handle.net/10466/6626
Rights
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/
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mと福祉ミックス論
一英国と日本における社会福祉改革「論」についての一考察吉原
雅昭(同志社大学大学院博士後期課程)
はじめに
我が国における「社会福祉改革」なるものは現在進行中であり、その全
貌が完全に明らかになっているわけではないが、いわゆるゴールドプラン
のローリングとリンクしている本年 6月の社会福祉関連 8法改正に見られ
るようにタイムテーブルはどうやら議論の段階から実行の段階へ移行しつ
つあるようである。すなわち、ある種の社会福祉改革「論」が政策形成に
影響を与え、
「我が国独自の選択」と呼ばれるものを基本的に方向づける
(あるいは正当化する)過程はすでに一応完了していると見ることができる。
筆者は以前よりそのような社会福祉改革「論」のなかで特に三浦文夫の見
解に着目してきた。三浦は、社会福祉サービスの供給主体を多元化するこ
とによって「普遍主義的」な社会福祉体制を構築することが社会福祉改革
の中心的な課題であると主張し、戦略的な社会福祉政策理論を提示してき
た枢要な論客である。このような三浦の見解は、本稿でとりあげる福祉ミッ
クス論の一種であると位置づけることができる。
ところで、オイルショック以降いわゆる「福祉国家の危機」への対応を
もとめられた先進工業諸国は福祉国家への「収数」を終えて「転換期」を
むかえ、今やいくつかのパターンに「分化」しつつあるという見解が有力
になっている ω O 筆者は、歴史的に見ればその際同時にソーシャルポリシー
の質的転換あるいはパラダイム転換があったのではないかと考えている。
そのようなパラダイムのゆらぎの時代にあってグランドセオリーをもとめ、
あるいはオルタナティヴをもとめる知的・実践的な営為がつづ、いてきたが、
それは結果的に福祉国家論やソーシャルポリシー論及び、 S
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n研究において多くのすぐれた国際比較研究の業績を生むこ
とになった。これらのいくつかに目を通すと
(
2
)
、福祉国家の危機以降の転
可
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凋
品Z
社会問題研究・第4
0
巻第 1
・
2
合併号 (
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91
.3
.
31
.
)
換期のトレンドとしてあるいは一部の論者にとってはオルタナティヴとし
て、プライパタイゼーションや分権化とならんで W
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mある
いは W
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、MixedEconomyo
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eといった概念が頻繁に
用いられていることに気づく。これら W
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n研究(国際比較を含む)における新たな分析枠組 (aframeo
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)なのか、転換期を説明する説明概念なのか、あるいはオルタナティ
ヴ戦略なのかは論者によって異なっており、 3概念も厳密には同じではな
い。ただ、これらの 3つの概念はいずれも市場、政府、インフォーマル・
セクター(中心的には家族)、ボランタリー・セクターの 4者の関係を問
うており、その意味で現代社会福祉に対する根源的(ラデイカル)な問題
提起を含むものといえよう。近年の社会福祉においてプライパタイゼーショ
ンや分権化をトレンドと見れば、当然いわゆる公私関係が実践的・理論的に
問われていることになるが、本稿はそれらとも密接な関係にある W
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m及びその関連概念のコンテキストに歴史的な検討を加える。
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mやプラ
さて、近年の英国コミュニティ・ケア政策は W
イパタイゼーション、分権化の問題と切り離しては論じられない現実があ
9
7
0年代半ばに We
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mという概念が
る。したがって本稿は、 1
実践のなかから生まれ、サッチャ一政権以降それがいわば政治力学によっ
て変化してゆく点にスポットを当てる O そのうえで、我が国における社会
福祉改革「論」の公私関係理論である福祉ミックス論との差異を検討し、
英国における議論から「社会福祉改革」時代にある我が国に若干の示唆を
得たい。
I 英国における WelfarePluralism及びその関連概念、に
ついての概観
1.サッチャリズムと W
elfarePluralism
1
9
8
8
年グリフィス報告 ω は、サッチャ一時代のコミュニティ・ケア政策
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mを象徴する政策文書といえよう O 報告の中心
における We
8吐
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mと福祉ミックス論(吉原)
的な課題はコミュニティ・ケア財政改革であるが、実際のコミュニティ・
ケア政策推進にあたっては役割分担を明確化し、特に地方自治体社会福祉
adagency:主導的機関)
部(以下 SSD) を主要な責任を負うべき機関Cle
として重視している。しかし、具体的には SSDに「計画者として、そし
て非保健ケア・サービスについておもに直接提供者ではなくオーガナイザー
あるいは購入者としてふるまい、利用者の選択の幅を広げイノベーション
を刺激し効率を高めるため、ボランタリー及び、営利企業 (
p
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) 部門の
最大限の活用をはかる」ことを期待しているのであって自治体が直接サー
ビスを提供する役割は軽減されている。また、報告は全般にインフォーマ
ル・ケアを重視し、営利企業部門の優位性を前提としながらその「コミュ
ニティ・ケア・サービス市場Jへの「参入」を期待しており、ボランタリ一
部門にはサービス提供者としての役割しか期待していないようである。し
たがって、政府の役割に関しては「公的サービスの第一義的な機能は人々
のニーズにあったケアとサポートを提供できるよう計画したり、手はずを
整えたりすることである。そのようなケアとサポートはさまざまな源から
提供されるであろう O 供給形態の多様性は、単に利用者の観点からのみな
らず選択の幅を広げ柔軟性を増し、イノベーションと競争を促進する観点
MixedEconomyo
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からも意義深い。すなわち本勧告は『ケアの混合経済 (
C
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)Jの一層の発展を促進することを狙っている」というのが基本的な
立場である。
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eと規定し、インフォーマル部門、
このように政府の役割を e
ボランタリ一部門、営利企業部門と並列して競争を想定しつつ政府部門以
外を重視する考え方はまさにサッチャリズムであろう。また、既に多くの
論者が指摘しているようにサッチャ一首相の家族観 ω はインフォーマル・
ケアを強調する政治的レトリックに直結する傾向があったし、例えば P
.ジェ
ンキン、 N
.ファウラ一、 K
.クラーク、 D
.メローといったサッチャ一時代
の DHSS (後に DH)担当大臣達はいずれも常にこのグリフィス報告と
9
8
1年の白
同様のスタンスで発言していた。このような考え方は、すでに 1
GrowingO
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" にも表われていた。白書は「公共支出がいかなる水
書"
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社会問題研究・第4
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巻第 1
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2合併号 (
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.3
.
31
.
)
準まで支出可能になろうとも、そしてそれがどのように分配されようとも
サポートとケアの主要な源泉はインフォーマル及びボランタリーなもので
ある。それらは親族、友人、近隣といった個人的な紐帯から涌き出てくる。
それらはなにものにもかえがたいのであって、公的機関の役割はそのよう
なサポートとケアを支持し、必要とあらば開発することであって決してそ
れらと置きかわることではない。コミュニティにおけるケア (
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community) は、ますますコミュニティによるケア (
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ecommun
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) を意味せねばならない」と述べていたのである。 1
9
8
2年パークレイ報
告が提案したコミュニティ・ソーシャルワークもこれらの見解と全く無縁
のものであるとみることは難しいであろう。 1
9
9
0年 1
1月サッチャ一首相の
辞任が決まったが、すでにグリフィスの提案は 1
9
8
9年コミュニティ・ケア
白書 "
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" に生かされ、 1
9
9
0
年 NHS及びコミュニティ・
ケア法に結実し、タイムテーブルはスタートしているのである O
以上見てきたように、サッチャ一首相のコミュニティ・ケア政策の背後
にある考え方はプライパタイゼーションと分かち難く結び付いており、そ
の線にそって政府、市場、インフォーマル、ボランタリーの関係を再定義
しようとするものであった。このような考え方を C
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mという概
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mと呼ぶこともできる O しかし実は We
念やその考え方自体は、歴史的には本来サッチャリズムと無関係の文脈か
ら生れてきたものであり、次節で検討する O
2
. WelfarePluralism概念、が生れた背景 (
1
9
6
0
7
0年 代 に お け る の 公
私関係論の発展)
N.ジョンソンは 1
9
8
7
年『転換期の福祉国家 We
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mの理論
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m とは何か」において、
と実践j(5) という著書の第 3章 iW
9
7
8
年ウォルフェンデン報告『民間福祉組織の将来 j0
め
この考え方の起源を 1
に求めている。この報告は「ボランタリー組織は、認知されたソーシャル・
ニーズを満たす 4つの手段のひとつに過ぎない」という前提から出発して
いる。報告は「ソーシャル・ニーズを満たす 4つのシステムないし部門」
-150-
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mと福祉ミックス論(吉原)
,を①インフォーマル部門、②営利企業(Commercia
l)部門、③政府 (
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)部門、④ボランタリ一部門とし、そのなかでボランタリ一部門に新
たに生じている変化の意味をも視野に入れながらその利点を積極的に評価
し、さらに主にボランタリ一部門と政府部門及びボランタリ一部門とイン
フォーマル部門の新たな(より建設的な)関係について模索している。具
体的には、この報告はある種の政治的多元主義の立場から市民参加のひと
つの手段あるいは媒体としてさまざまなボランタリー組織とその活動の重
要性を論じている。例えば、この報告は「ヘルス・ケア、住宅、社会福祉、
所得維持、環境保全を提供するうえで重要なソーシャル・ニーズを満たす
ためのコレクティヴな行動を強化、拡張することを促進する」ことに関心
があるのだが、
「これらの提供は多元的なシステムを維持することと矛盾
しないよう組織されることを確保すべきであり、そのような多元的なシス
テムにおいては権力はいくつかの政治的、社会的、経済的諸制度に分散さ
れ、数少ない一枚岩のような構造に集中しない」という意味での「英国に
おいて伝統的な多元的システムの維持、発展」を明確に指向しているので
ある。それは具体的には「この多元的な仕組みが生かし続けられるべきで
あれば、我々は中央から権力を委譲し、国家レベルにおいても地方レベル
においても個々の市民をそれぞれの社会制度及び政府の諸過程に一層よく
巻き込む必要があると信じている」という主張につながるが、その手段あ
るいは媒体として報告はボランタリー組織に期待しているわけである O し
たがって、ボランタリー組織は単にソーシャル・ニーズを満たすという側
面からだけでなく、むしろ高度化し複雑化する社会のなかで広範な市民参
加を得るための手段あるいは媒体としてますます重要性を増すというのが
ウォルフェンデン報告の見解だったのである。
以上から明らかなように、ウォルフェンデン報告はシーボーム報告 0
968
年)とシーボーム改革(19
7
1年)を受けたものであり、我々はシーボーム報
告の「コミュニティが福祉サービスの受給者であると同時に提供者でもあ
4
7
5節) Jという思想、や、 4
9
1節以下の「市民参加」についての記述、 4
9
5
る(
節以下の「ボランティアとボランタリー組織の役割」についての記述、そ
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社会問題研究・第4
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巻第 1
2合併号 (
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9
1
.
3
.
3
1
.
)
してきわめて印象的な 6
2
8
節の「社会福祉委員会への当事者参加」といった
主張を想起することができる。そこでは、単にボランティアやボランタリー
組織がサービス供給に参加することによって人々のニーズを満たすという
ことだけでなく、その過程でサービス供給システムを変革したり、行政に
おける官僚制や専門職の業務に対し民主的な統制を行なったり、参加型民
主主義によって代表制民主主義を補完するといったことが展望されていた
のである。
9
7
6
年に英国パーソナル・ソーシャ
さて、ウォルフェンデン報告と同じ頃 1
ルサービス協議会は『民間福祉サービスの人的資源I
Jη
C と題する報告書を出
版しているが、筆者が見た限りでは MixedEconomy o
f Welfa
r
eという
概念がはじめて登場したのは本書である。本書はいわゆる公私関係につい
て以下のように述べる。すなわち、戦後の「福祉国家」によってソーシャ
ルポリシーの主要な分野のうち所得保障、ヘルス・サービス、教育等にお
いては政府によるサービスがドミナントなものとなって制度化が完了しつ
つあるのに対し、
「福祉」サービスについてはシーボーム改革以後もボラ
ンタリ一組織に固有の位置、重要性が引き続き認められているというので
ある。したがって、本書における「福祉の混合経済」という表現は、
「福祉
サービス」における政府・公的機関とボランタリー組織の関係を示そうと
したのであって、ここには「インフォーマル・セクター」といった言葉は
登場しないし、営利企業が「福祉」サービスに参入するといったことは予
測されていなかった。むしろ、本書もウォルフェンデン報告と同様にボラ
ンタリー組織やそれらの活動において生じている新たな変化に着目し、こ
れに積極的な評価を与えている。例えば、アルコール依存症者等に対する
ボランタリー組織の先駆的な援助、新たなムーブメントとしてのセルフ・
ヘルプ、ボランタリー組織の運動体としての役割、ボランタリー組織の政
策過程への関与といったことが記されている。これらが、政府部門とボラ
ンタリ一部門のよりダイナミックで建設的かっ民主的な関係を指向するも
のであったことはいうまでもなかろう。
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1
ismという考え方は 1
9
7
0年代
このように、英国における W
-152-
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mと福祉ミックス論(吉原)
半ばにボランタリ一部門に再評価がなされ、それと政府システムとの新た
e
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な関係を模索するなかから生じたといえるであろう。この時期には W
P
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mという考え方は、ジョンソンがウォルフェンデン報告を評して
いたように「反国家主義的ではなく、ボランタリーな供給が政府の供給に
とってかわるべきであるとか、非政府部門の役割が大きくなれば国家によ
る供給は縮小されるであろうとは考えていなかった」のである O また、付
言すればサービスの「供給」のみに論点が偏向しておらず、もうすこし広
い社会的、政治的な背景を問題にしていたのである O こういった議論は、
政府とボランタリ一部門の「批判的協力関係」や「よりよいパートナーシッ
9
プ(対等の提携、協力関係) Jの模索と呼ばれるものであり、国際的にも 1
8
2年国際社会福祉会議(開催国は英国)のサブ・テーマ『政府とボランタ
リー組織の責務』や、周年社会福祉の訓練と研究に関する欧州協議会が行
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"、そして 1
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4年間協議会が
なった国際セミナー "
行なった専門家会議『制度的ソーシャルサービス対新たな社会的イニシア
ティヴ』等につながってゆくものと見てよいであろう O
3
.W
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m概念をめぐる議論と現実(19
8
0年代以降の変遷)
前節の終りに 1
9
8
0
年代前半の
We
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mをめぐる国際的な議論
の動向の一端にふれたが、オイルショックのあと新保守主義の時代が幕を
開け、すでにいくつかの国では
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hを経験していたのであ
り、前節で見たような健全で真撃な前向きの公私関係論とは別に危機管理
的な関心からも議論が行なわれ始めていたことも事実である。例えば、
1
9
8
0
年 OECDは『福祉国家の危機」に関する国際会議 ω を行なったが、そ
.ハルセーは脱産業化社会論
こで英国のソーシャルポリシー研究者である A
にまでふみこみながら国家、家庭、市場経済、インフォーマルの関係があ
らためて問われていることをアカデミックに整理している O ただ、この会
議を記念した出版物に当時 OECD社会労働教育局長だった
J
.R.ガスが
短い序文を寄せているが、彼の見解はハルセーのそれとはかなり異なった
ものになっていたのである O
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1
5
3-
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社会問題研究・第4
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巻第1
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合併号 (
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.3
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n論壇にも象徴的なできごと
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ω 年次大会
が起こる。すなわち 1
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のテーマはずばり『福祉の混合経済』であった。この企画は当時 J
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yの編集者でもあづた K.ジャッジによるものであり、彼は
次に、
大会によせたバックグラウンド・ノートにおいてティトマスの「福祉の社
会的分業」概念仰に対し、
1
9
8
0
年代にふさわしいパラダイムとして新たに
この「福祉の混合経済」概念、を提起していたのである。ジャッジは、福祉
の混合経済概念はサービス提供様式の多元性を認識するが、この多元性に
おける特定のバランスに関しては中立的であると述べていた ω が、この概
.デイビス
念がある種の「福祉の生産性」アプローチ(12) と結合した場合、 B
やM
.ナップに代表されるケント大学社会福祉サービス研究所の膨大な「実
証的」研究のように政府によるサービスの有効性を否定する結論になる傾
向があることも事実である。また、すでにサッチャ一政権の社会支出の削
減と地方財政の統制、圧迫によって「資源が増えない」状態を数年にわたっ
て余儀なくされてきた SSDに対し、
R
.ハドレイも 1
9
8
1年パッチ・システ
ムの実践をふまえて『社会福祉と国家の失敗:集権的なソーシャルサービ
スと参加指向の代案』を世に問い、翌年にはパークレイ報告にも自説を盛
る (1めなど 1
9
8
0
年代初頭には主な
We
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m論者とその見解がほ
ぼ出揃ったのである。
本稿はここまで
We
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s
mの定義を明らかにせずに論じてきた
が、この時期にいたってその定義を明らがにしたしたうえで論じるものも
.ハドレイのグループに属する
見られるようになった。上述した R
チと1.モクロフトは 1
9
8
3
年の著作において
S
.ハッ
iWe
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mはある意
味ではソ-:.(ャル・ケア及びヘルス・ケアは行政、ボランタリ一、営利企
業及びインフォーマルという 4つの異なる部門から得られるであろうとい
う事実を伝えるために用いられうる。さらに規範的には W
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s
m
は国家の役割をいままでよりも主要なものとは見ず、国家をさまざまな福
祉サービスのコレクティヴな提供のための唯一可能な手段とは見なさない
という意味を営んでいる J
(
1
4
) と述べる。これを見ると、前段はウォルフェン
FhU
A斗 A
W
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mと福祉ミックス論(吉原)
デン報告の記述とほぼ同じである(実はハッチはウォルフェンデン委員会
のメンバーであった)が、後段は微妙なニュアンスながらかなり重要なこ
とを指摘している。ハドレイやハッチの主張は、単純化すれば「政府部門」
における資源の制約という現実を直視し、ソーシャルワーカーがより有効
に仕事を進めるために地域に入り込んで対象者のインフォーマルなネット
ワークや地域のボランタリーな資源を発見、開発し、それによってよりしっ
かりと対象者の生活を支援して行こうとするものであるといえよう。その
具体的な実践手法が「分権的で柔軟であり、人々とともに歩む(あるいは
住民参加の) Jパッチ・システムである O ただ、これらの主張が単に現行
の政府によるソーシャルサービスを批判する論拠としてのみ利用されたり、
政府によるソーシャルサービスの削減を弁護し、ボランタリーなものやイ
ンフォーマルなものに多くを期待する論理にスリカエられる危険性は高い。
なぜなら、パークレイ報告が提案したコミュニティ・ソーシャルワークが
そうであるように、ハドレイらも方法論的には「どうすればボランタリー
な資源を開発できるか」、
「どうすればインフォーマルなネットワークを
より有効に活用できるか」といったことをも論じざるを得ない部分がある
からである。
9
8
9年の雑誌論文において
ジョンソンは 1
J
.ルグランと R.ロビンソンに
よるプライパタイゼーションについての理論的な整理を引用し、このハッ
チとモクロフトの定義は「サービスの供給」に焦点をあてたものであると
指摘する ω O また、ジョンソンは同じ年の短かいコメントにおいて「社会
福祉の計画と供給においてボランタリ一組織を利用することが増えたとし
てもこれが必ずしも政府支出の削減を意味するものでないということは注
e
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mは行政による供給の削減を弁護
意されるべきである o W
する O 政府が主要な財源提供者であることにかわりはないであろうし、ま
た、重要な規制や基準を設定する機能をはたすであろう」舗とも述べている
が、この見解の後段は、営利企業の参入について積極的に支持しない(言
9
8
8
年グリフィス報告の基本的なスタンス
及しない)点を除けば先述した 1
とほぼ同じである。実は、本節で見てきた We
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mの支持者達
社会問題研究・第4
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巻 第1
.
2合併号 (
'
91
.3
.
31
.
)
の多くは営利企業化という狭い意味でのプライパタイゼーションについて
はあまり積極的でないかほとんど言及しない場合が多し」しかし、ジョン
9
8
9年の雑誌論文ではついに「近年 We
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mが実際にも
ソンは 1
たらしたことは狭義のプライパタイゼーションすなわち営利企業部門の急
激な成長であり、このことはボランタリ一部門に深刻な影響を与えている」
e
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m という考え方
と結論さざるをえなかった。すなわち、 W
9
7
0年代半ばにボランタリー組織の再評価から公私関
は前節で見たように 1
係の見直しを模索するなかで生まれ、実践を通じて「分権化と市民参加」
というオルタナティヴを提起したが、現実のコミュニティ・ケア政策はむし
ろ第 1節でみたサッチャリズムによって強力に p
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o
m
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されてしまったのである(17)0 W
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mの実践とそれらが内包し
9
8
0年代を通じて英国地
ていた諸価値(ことに「分権化と市民参加J)は、 1
方自治体社会福祉の最大の課題に深く関わるものであった舗が、この興味
深いテーマについては別稿の課題とし
(
1
9
)
本稿ではこれ以上詳しく検討する
ことは禁欲したい。
I
I
. Welfare Pluralism概念の批判的検討
をふまえて
英国における議論
1
. WelfarePluralism概念をめぐる基本的な問題
さて、 We
l
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s
mをオルタナティヴとして支持するジョンンソ
9
8
7
年の著作をまとめた目的のひとつは「福祉サービスについての責
ンが 1
任を政府からほかの 3つの部門(インフォーマル、ボランタリ一、営利企
業・・・・・・筆者注)に移してゆくということにともなう諸問題のうちのいく
9
8
9年
つかを確認し検討する」ことであった。そのジョンソンは 2年後、 1
の雑誌論文において W
e
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s
m概念に関して最も基本的な問いを
投げかけている。すなわち、
「サービス供給において政府のかわりにイン
フォーマル及びボランタリ一部門がより多くを担うという主張に対し、
『それは可能か』及び『それは望ましいことか』という疑問がある」と O こ
れはかなり根源的な問いであるといえようが、
「可能か」が「望ましいか」
。
円
W
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mと福祉ミックス論(吉原)
よりもさきに言及されている O また、先述したようにジョンソンは W
elfar
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s
mを「サービス供給」に焦点を当てた議論であると評しているが、
社会福祉にかかわる「ある種のソーシャルニーズ」を「満たす」行為のす
べてを無条件に「福祉サービス供給」ととらえることははたして妥当なの
であろうか。
l
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s
mは政府の「財政責任」を重く
ジョンソンの主張する We
見るものであるから、このような議論は単純化しすぎかもしれなし、。ただ、
高度化し複雑化した現代資本主義社会において社会福祉にかかわる「ある
種のソーシャルニーズ」にインフォーマル、ボランタリ一、政府、営利企
業といった「部門」が対応するという認識は、その背後にある歴史的、政
治的、社会的、経済的な背景を捨象した場合およそ科学的であるとは言い
がたいであろう o
I
社会」にこれらの 4つの「部門」が超歴史的、物理的に
「併存」し、静的に機能しているわけではないからである。むしろ、我々は
社会変動の結果として社会福祉にかかわる「ある種のソーシャルニーズ」
が、インフォーマル・セクターや政府や営利企業やボランタリー組織との
「関係」において生じざるをえないダイナミクスを直視すべきであろう側 o
その意味では、英国においてボランタリ一組織への再評価に続いて 1
9
7
0
年代後半以降「インフォーマル・ケアの再発見」が明確な問題意識に基づ
く実証的な研究の積み重ねによってなされていったことを無視することは
できない。
I
インフォーマル・ケアの再発見」のすべてがフェミニズムの
視角からのものであったわけではないし、それらのすべてが政府のコミュ
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s
m批判につながっていったわけ
ニティ・ケア政策批判や W
もないが、それらは上述したジョンソンの「可能か」、
「望ましいか」とい
う問いに深くかかわるものであることは容易に理解できょう。したがって
次節では主にこの点に関する英国の議論を簡単に紹介する。
また、
「サービス供給」を狭くとらえると先述した「福祉の生産性」ア
プローチのようにだれがどのように社会的な援助の仕組みを築くいてゆく
のかというよりも、
「どのようにサービスを生産し、供給するか」という
サービス供給あるいはサービス・マネージンメント(あるいはアレンジメ
円,f
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合併号 (
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.3
.
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.
)
ント、コーディネート)側に偏った論理から「市民参加によるサービス供
給」が追求されることもありうる ω O この場合、個々のケースに地域の住
民や家族、親類、友人等すべてがソーシャルワーカによって「地域の資源」
として「動員」されることにはなっても、市民参加による共同的な営みと
しての自己決定すなわち「意志決定過程や政策過程全般にわたる住民参加」
はネグレクトされることになりかねない。すなわち、
「分権化と市民参加」
戦略における政治的な側面あるいは民主主義的な諸価値の追求という側面
は脱落する可能性があるということである。したがって、
「分権化と市民
参加」がさまざまな政治的、経済的、社会的背景のもとでさまざまな意味
で主張されるとすればそれが誰のために、何のために指向されるのか、そ
の追求する価値は何かといった原点が問われねばならないであろう。この
点については第 3節で簡単にふれる。
2
. フェミニズムの視角からの批判と代案の模索
機会均等委員会 C
E
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s Commission)の代表的な研究者
である
J
.フインチと D.グローブス
(
2
2
)
は、実証的な研究に基づいて「コミュ
ニティ」ケアの現実は「家族による」ケアを意味すると同時に「女性によ
る」ケアを意味するのではないかと主張している O すなわち、依存状態に
ある人々の家庭におけるケアは「家族による 1ケアであり、それは通常妻、
母親、娘、姉妹などによって担われているうえ、
「コミュニティ」による
インフォーマル及びボランタリーな援助というのも多くは女性のボランティ
アであったり、近隣の女性である O しかも、圧倒的に重要なのは「家族にー
よる」ケアであるが、これは現代においては「ひとりの女性 Jを意味する
ことが少なくない。この場合、その女性にかかる身体的、心理的、経済的
s
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i
n
)は大変なものでありその女性の「人生を支配してしまう」性
な重荷 C
質のものである、と。
パークレイ報告もこの機会均等委員会の調査報告を引用してきわめて重
要な指摘を行なっている ω 。現行の社会福祉サービスは「家族ケア」を大
前提とした利用要件を採用しており、多くのインフォーマル介護者は例え
O
口
Fhu
W
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s
mと福祉ミックス論(吉原)
ば「家族ケアが期待できる」ためにサービスを受けられないという不利な
立場に置かれている。すなわち、
「国家は家族やインフォーマル・ケア・
ネットワークを支えるようなコミュニティ・ケア政策を行なっていない」
というのである O
また、 M
.へンウッド側はケアの「コスト Jを金銭換算しようとするいく
つかの研究を概観した後、
DHSSのものを含むいくつかの政策文書がこ
の問題に関して無意識的あるいは窓意的に偏った見方を採用して低く見積
もる傾向があり、さらに、
「追加的な財源の投入なしに」ケアを得る方策
としてコミュニティ・ケアすなわち家族ケアを見込んでいることを批判し
ている。日本とは違い一応英国には普遍的な介護手当が所得保障制度のな
かにビルト・インされているが、それ自体の限界及び問題仰に加え、一般
に家族によるケアの大部分は「無償(対価なき)労働 Jとなっている「現
実」があり、フェミニストはこの点を厳しく批判するのである。
さらに、現在の社会変動からみて出生率の低下、家族人員の減少、女性
の社会進出、離婚の増加、離婚一再婚のサイクル頻繁化にともなう家族の
複雑化等は今後も続くと推測できるので、家族においてケアを担いうる人
は減少することが予想できる。したがって、例えば
リーパーが指摘しているように、
J
.ヨダーと R.A.B.
「インフォーマル・ケアの提供はもはや
限界近くに達しており、活用されていない資源が残っている可能性はほと
んどない。インフォーマル・ケアによってフォーマル・ケアを代替したり、
フォーマル・ケア削減を正当化することは決してできなし、。インフォーマ
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gS
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yを作り出すこと
ル・ケアを促進することによってよりよい C
は可能かもしれないが、家族や近隣の人々や友人といったものだけで長期
にわたるインテンシブなケアの責任を負えると期待することは決してでき
.ウォーカーは「インフォーマル・サポート・
ない」側 O 同じ著書において A
ネットワークを社会福祉サービスの直面する経済的、組織的、運営的問題
に対する万能薬と見ることは危険である O 近年の英国におけるプライパタ
イゼーション推進とインフォーマル介護者の一層の活用という政策は、責
任あるニーズと諸資源の査定に基づいているのではなく、財政的負担を削
υ
戸
円可
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)
減し、社会福祉サービスの範囲を限定しようとするふたつの関心に基づ、い
ている点において危険である。それはしばしば政府がさまざまな社会問題
に対し、公財源ではなくボランティアを投入しようと試みているかのよう
(27)と政府を批判しているほどである。すなわち、人口の高齢化が
に見える J
進み後期高齢人口の圧力がかつてないものとなりつつある現在、普通有給
労働市場において「機会均等」がめざされ、推進されたとしても、家庭内
の性的分業体制が現状のままでは実質的な「機会均等」は望めそうもない
のである o
さて、ではフェミニストの視角から、どのような代案が示されつつある
のだろうか。フインチは結局のところ、根本的な社会的、経済的、文化的
大転換がなければジェンダーの観点からみて平等なコミュニティ・ケアの
.ダリーは
形式は考えにくいという結論に達したようである働 O また、 G
1
9
8
8
年の著書『ケア行為のイデオロギー』舗の副題を「コミュニティとコレ
クティヴイズムについての再検討」としている O 彼女はコレクティヴイズ
ムをより広い歴史的、文化的、社会的文脈から定義し直そうとし、それを
批判されるべき「今日のコミュニティ・ケア政策」におけるコミュニティ
概念と対崎する「真のコレクティヴ・ケア」として提示しようとしている O
ダリーは、ケアという行為をめぐるイデオロギーを探究することによって
通俗的なフェミニズムを越え、これからの「コミュニティ」と「コレクティ
ヴイズム」を再定義しようしているのである O
3
. オルタナティヴとしての「分権化と市民参加」の意味
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s
mは地方分
ジョンソンが指摘しているように基本的に We
権、地方自治尊重としての分権化(中央一地方関係における分権化)と
SSDにおける分権的なソーシャルサービスのあり方(自治体内分権化)
の両方を視野に入れており、市民参加についても住民の意志決定あるいは
政策過程への参加とサービス提供への市民参加の両方を視野に入れてい
l
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mと政治的多元主義の関係についてもふれた
た側 O 既に We
が、ハッチとモクロフトはそれを「さまざまな関心をもった人々が政治過
1
6
0
W
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mと福祉ミックス論(吉原)
程においてそれぞれ発言の機会を与えられる J
(
3
1
) と説明したりしている O こ
こで政治的多元主義一般に立ち入ることはさけるが、ジョンソンはそれを
「より広範な参加は、より大きい権力の分散をもたらす」と言 L、かえたりし
ている。
当初、分権化と市民参加の主張のターゲットは官僚制と専門職に対する
(住民からの)民主的統制の強化であった。しかしその後、ハドレイとハッ
l
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lura1
ism論者は、むしろ近隣住
チに代表されるリベラル左派の We
民参加型サービスの有効性を強調することになる O それは、ある意味では
資源制約下におけるソーシャルワーカーのより有効な仕事の進め方の論理
ともいえた。したがってパッチ・システム実践の「現実」に対し、権限が
委譲されたのはソーシャルワーカーであって住民ではないという根源的な
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m概念がより狭
批判舗がなされたのは当然、ともいえた。 W
い意味でのサービス供給に棲小化してゆくにつれ、市民参加の射程もより
政治的な側面を薄め、サービス供給との関連で論じられることが多くなっ
l
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mという考え方は、
ていったのである。既に述べたように We
ボランタリー組織が市民が政策形成過程に参加するうえで手段のひとつに
なりうるという評価から生まれた。ジョンソンはそのような機能をはたす
ボランタリ一組織を「個人と国家の聞に立ち『人々に権力を与える(力づ
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)j 中問機構 C
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gs
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) J と呼んで
ける:empowerp
おり側、これは「政治的多元主義の英国」についての肯定的評価につながっ
e
o
p
l
eという言葉は我々にコミュニティ・
ているのである。この empowerp
ワークやコミュニティ・ディベロプメントを想起させるが、ここで重要な
のはあくまで「人々(市民、住民)を力づける」のであって「国家(権力)
を力づける」ことではないということである O
ところで、政治学・行政学の地方自治研究者達制も指摘しているように、
サッチャーの長期政権は地方自治に深刻な打撃を与えたため、左派(労働
党を含む社会主義者)にとって「分権化と市民参加」はしだいに戦略とし
て政治的な色合いを強めることになった。また、地方労働党のイニシアティ
ヴによる自治体分権化の流れに加え、社会福祉行政の側にもコミュニティ・
ρhu
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.
)
ディベロップメント、自治体コミュニティ・ワーク、当事者組織援助、コ
ミュニティ・アクションといった経験が蓄積されつつあった。そしてつい
にはウォーカ一冊のように行政計画への参加だけではなく、当事者のニー
ドを中心にすえ、住民の主体的な取り組みによって計画づくりを指向する
戦略さえ構想されるに至ったのである。また、実際イズリントンのように
自治体機構の分権化とソーシャルサービス分権化(コミュニティ・ワーク
を含む)を統合的に実施し、そこにさらに市民参加の機構まで保障しよう
と実験する働ケースさえ現われたのである O これらは民主的な計画づくり
の過程をつうじて具体的な資源の再分配を実現しようとするだけでなく、
「権力の民主的再分配」あるいはプロセスを重視しつつも「権力構造の改変j
を指向するものであるといえよう。さらに抽象的に言えば連帯・協働(集
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y、
団的自己決定)をつうじて共存・共生社会という意味の C
C
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gCommunityを築く営みともいえよう。これも前節で論じたことと
同様に「コミュニティ」と「コレクティヴイズム」を再定義する試みであ
ると意義づけることができるのではないだろうか。
E 我が国への示唆
1
. 社会福祉改革「論」としての福祉ミックス論
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mとその関連概念は市場、政府、ボラ
本稿のはじめに We
ンタリ一、インフォーマルの関係を問い直そうとしているという意味で現
代社会福祉に対する根源的な問題提起を含むものであると述べたが、我が
国に目を転ずるとき我々はなによりもはじめに現在の社会福祉改革にも深
く影をおとしている日本型福祉社会論を想起せざるをえない。というのは、
日本型福祉社会論も明らかに資本主義的自助(市場機構を通じた福祉)、
家族・親族扶養、地域の相互扶助、企業福祉、社会保障制度(政府)の関
係を再定義していたからである問。この我が国における保守派の福祉観は、
ほぼストレートに小さな政府を指向する臨調型行政改革及び日本型プライ
パタイゼーション(民間活力の活用)の論理につながり、つねに政策の背
後に存在し続けることになった。その例証には事欠かないが、例えば社会
円Ju
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mと福祉ミックス論(吉原)
保障制度審議会の『老人福祉のあり方について(19
8
5年) Jは「公私分担の
基本的な考え方」を示す際まず市場機構を通じた社会福祉サービスの購入
を含めて「本人及び家族」の自助努力(本人と家族が自助の一体物とされ
ている点に注意)を前提とし、
「社会的な対応」としては近隣、地域社会、
ボランティア、非営利団体をインフォーマル部門としてこれを重視し、営
利企業部門とこのインフォーマル部門の活性化を指向しながらそれらとの
関連で公的部門の役割をとらえようとしているのである。このような公私
関係論はカテゴライズ及び優先順位づけにおいてきわめて日本的といえよ
9
8
8年 OECD社会保障担当大臣会議にお
うが、藤本厚生大臣(当時)は 1
いてこの見解を自信を持って披露し、それが国際的に支持されたと感じた
ようである倒。すなわち、我が国はすでに 1
9
7
0年代の半ばに本稿で論じた
o
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mよりもラデイ
英国サッチャ一政権下の C
カルな考え方を「日本的なるもの」として政策の中心に据えていたとさえ
見ることができるのである O
ジョンソンは We
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mは近年英国で流行しており、それはこ
とにコミュニティ・ケアをめぐる理論と実践(現実)によくあてはまると
述べていたが、我が国においてもそれは同様であろう。ただ我が国の場合、
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mという考え方やその実践に対す
英国でみられるような We
る健全な批判や We
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mに対抗するオルタナティヴ・パラダイ
ムの提示は少ないように見受けられるが。以下は限られた紙幅で我が国に
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s
mに類した理論として三浦文夫と丸尾直美の福祉
おける We
ミックス論を、これまで見てきた英国における議論と関連させながら検討
する。このふたりを我が国における福祉ミックス論の代表的論者とする見
解に対しては異論もあろうが、前者については現在の「社会福祉改革」を
含む政策への影響力からみて取り上げないわけにはゆかないであろうし、
後者についてもその理論の影響力に加え我が国における福祉ミックス論の
ある種の典型例として取り上げる価値があると考えられる。
三浦は福祉ミックスという言葉を全面に展開して論じているわけではな
いが側、よく知られている「福祉供給組織の理念型」の 4分類(図 1)と
163-
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.3
.
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.
)
それに連なる公私機能分担の考え方から導き出される社会福祉改革「論 J(紛
はある種の福祉ミックス論であるといえよう O 三浦は独自のニーズ論の枠
組をふまえ、社会変動によって社会福祉ニーズが多様化、高度化したため
「行政になじまない」ニーズが増え、その結果としていわば非行政部門が拡
大しつつあると認識する。そのうえで「供給システム」に関し行政の限界
を指摘したり批判する一方、会員制を含む非営利民間有償福祉組織等の
「新たなインフォーマル型組織」を市民参加型として積極的に評価し、市場
型供給組織の優位性を指摘してその参入を示唆したりしている O また、三
浦は基本的に在宅福祉をめぐる「非貨幣的ニーズ」への対応に関し家族、
地域住民、ボランティアなどに多くを期待しているが、それに加え市場型
や市民参加型供給組織を積極的に包摂した形で「社会福祉サービス供給主
体の多元化」をすすめることを「社会福祉改革」の課題としている O 三 浦
にとって「普遍主義的な社会福祉体制」や「社会福祉ミニマム」とはその
図1 福祉供給組織の理念型
織織
糊糊
ム
ス
附
HY
山一
r<増補〉社会福祉政策研究』全国社会福祉協議会、 1987年
職
蹴掛
ω回 向 同
時劉
蹴
湘
如刑
繍
三浦文夫
税同
一
一
ような将来像を意味しているのである O
1
1
7ページより引用
近年の社会福祉制度改革をすべて三浦「社会福祉改革論」の展開として
説明することは不可能であろうが、例えば社会福祉士・介護福祉士法の制
定 (
1
9
8
7
年)、同年の『今後のシルパーサービスのあり方について(意見具
申) J、8
9年の『今後の社会福祉のあり方について』、同年末の高齢者保健
福祉推進 1
0ヶ年戦略の発表、そして最終的に本年の社会福祉関連 8法 改 正
に結実する一連の流れは、営利企業を含めて社会福祉サービスの供給主体
-164-
W
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mと 福 祉 ミ ッ ク ス 論 ( 吉 原 )
を多元化する方向性を明確に示している。そこで提起されている公私関係
の見直しは、例えば最もラデイカルな『今後のシルパーサービスのあり方
について』においては、
「政府は市場機構を通じた福祉サービスの供給に
対して補足的な役割を担うべきである」とさえ読みうるような方向性をも
示唆するにいたっているのである O
もうひとりの福祉ミックス論者である丸尾直美は経済学者であるが、い
わば「日本的福祉ミックスのあり方」とでも呼びうる提案を行なってい
る則。丸尾は、高齢化社会にともなって増大する「総福祉ニーズ」に福祉
供給システムとして政府、市場、インフォーマルの 3部門を対置し、その
「最適組み合わせ」によって効果的にニーズを充足してゆくべきであると主
張しており、これが彼の福祉ミックス論である。同時に彼は「ミックス」
が必要とされる根拠として 3点指摘する。すなわち、①過度に行政システ
ムに依存すること(スウェーデンを想定している)は国民経済上望ましく
ない、②各部門は特徴(長所と欠陥)を持っており(表 1)その効用を極
表 1 公的福祉供給システム,市場システム,
インフォーマル・システムの長短
長
公的システム
欠
所
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丸尾・関谷共編『明日の福祉④福祉サービスと財政』中央法規出版、
1
9
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6ページより引用
-165-
,
社会問題研究・第4
0
巻 第1
・
2
合併号 (
'
91
.3
.
31
.
)
大化するよう資源の最適配分がなされるべきである、③ニーズ、が多様かっ
大量であるため基礎的なものは行政が担うにしろそれ以上のものや附加的
なものは他が担うべきである、と。この 3点をふまえ、丸尾が提案する日
本における福祉ミックスの青写真はアメリ力、スウェーデンといったモデ
ルの双方に対し拒否的であるという意味でも「日本的」といえよう。
2
. オルタナティヴを探る 結びにかえて
前節で概観した我が国における議論を英国におけるそれと比較すれば、
我が国において何が欠落してきたのかがある程度明らかになるであろう O
例えば、我が国の福祉ミックス論ににおいては政治的多元主義と結び付い
たボランタリズムの再評価が公私関係の建設的な問い直し(民主化)に発
展するといったことはほとんどなかった。また、
「インフォーマル・ケア
の再発見」が現在のところ残念ながらあまり社会福祉理論に大きなインパ
クトを与えてこなかった点も我が国の特徴であろう。
詳しく述べる紙幅はないが、もちろん、我が国でも三浦や丸尾らの理論
は一部の論者によって批判されている O まず、ふたりに代表される福祉ミッ
クス論はニーズの社会性を捨象する傾向がある。すなわち、社会福祉にか
かわる「ある種のソーシャル・ニーズ」あるいは「社会福祉実践及び政策
のまえに現われてくる生活問題」をその形態だけに着目していたのでは
「個別的で多様で高度化した」ニーズとしか認識できず、そのようなニーズ
に対しては市場を含めた多様なサービス供給主体を対置することが有効で
あるといったレトリックに対抗できないのである O むしろ我々は岩田正美
が述べているように、社会・経済の構造変化が「生活」を変え「生活問題
の出現形態を変化させた」という基本的な認識に戻り、生活問題をその出
現構造とあわせて構造的に理解する
(
4
2
)
ことが必要なのである O そのような
視点に立っときはじめて我々は、資本主義社会が必然、的に要請する生活自
己責任原則が現代にあっては非現実的であることと、そのために実際に我々
は生活手段を社会的・共同的に確保するに至っていることを認識できるで
あろう O また、個々のニーズの社会性が捨象されるということは丸尾に見
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られるように福祉を狭い意味での「公共の負担」であるととらえることに
つながりかねない制。この種の「コスト」論は、インフォーマル・ケアの
現実がもたらす重い負担(あるいは不公正)を無視する傾向がある O この
場合、
「コスト」もまた社会性を捨象されているのである側 O
英国の We
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mも後にサービス供給に焦点が媛小化してゆく
傾向にあったが、我が国の福祉ミックス論においてははじめから市民参加、
住民参加は政治的な色合いを脱落させ「サービス供給」をめぐるものに偏
る傾向があった。牧里毎治は三浦や永田幹夫の地域福祉論を「資源論的在
宅福祉論」と評しているが湖、それらは実際に全国社会福祉協議会の『在
宅福祉サービスの戦略 (
1
9
7
9
年)
Jとして結実し以後政策化されてきたよ
うにみえる。したがって、今後我が国においては市民参加の政治的側面、
すなわち地域民主主義の追求(実態化)や「権力の民主的再分配(あるい
は権力構造の改変) Jがさらに理論的及び実践的に指向されるべきであろ
うO なぜなら、現在我が国では「政府によるサービス供給の独占」そのも
のよりもむしろそれを規定している「政府の政策過程、意志決定過程にお
ける独占的状態(紛」の方がより多くの問題を引き起こしていると考えられ
るからである O すなわち、我が国においては政府の責任をプランニングや
コミュニティ・ワークを視野に入れて「多次元化」する発想、が必要であろ
つ
。
本稿は我が国について福祉ミックス論のみを取り上げたが、実は我が国
にもすでにオルタナティヴ・パラダイムは存在しているように思われる O
岡村重夫の示した「地域福祉論」というパラダイムは現在なおその母体と
なりうるものであろうし問、それを発展させ現代地方自治の課題として提
示した右田紀久恵の研究(紛はひとつの指針となりうるものであろう
。
(
4
9
)
日本型福祉社会の戦略は、その形成に関わったブレイン達の言葉によれ
ば「日本社会の特性である『擬似イエ』型組織としての家族、職場、近隣
といった中問機構」をソーシャルポリシーに活用する発想であった。ジョ
ンソンは、ある種の政治的多元主義の立場をふまえ個人と国家の聞に立ち
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社会問題研究・第4
0
巻第 1
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2
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.
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1
.
)
に期待したのであるが、我が国においては政策主体の意図にそうよう「包
括的にめんどうをみる(イエの論理) J装置として中問機構が構想されて
いたのである側 O したがって、筆者が本稿において英国について論じる際
度々キーワードとして用いてきたコレクティヴイズムも、我が国において
はイエの論理の文脈で「日本的集団主義J(51)として強調されるにすぎなかっ
f
こ
。
しかし、今や我が国の地域福祉実践も「下からの計画づくり」を追求し
つつある O コレクティヴイズムは、かつてティトマスが強調しつづけた矧
ように社会的に責任を引き受けることであろうが我々は今日、そのプロセ
スにも着目し一定の価値をおいている O かつてコレクティヴイズムという
言葉が生まれた時代と同様に、今我々に間われているのは連帯によって下
から共同性を築きそれを民主主義を通じて公共性へと再定義することであ
ろう。そのような実践の手法として地域福祉計画の実践を考えてゆきたい
のである側。
(
1
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.
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.
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.
)
注
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(1)例えば、武川正吾 I 福祉国家の危機』その後」社会保障研究所編「社
9
8
9年及び、東京大学社会科学研
会政策の社会学』東京大学出版会、 1
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8
8
年
。
究所編『転換期の福祉国家(上).]東京大学出版会、 1
(
2
)例えば、 R.Rose&R
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編著
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木島賢、川口洋子訳『世界の福祉国家<将来と課題>.]新評論、
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.小田兼三訳『コミュニティ・ケア:行動のための指針』
海声社、 1
9
8
9年。グリフィス報告と報告をめぐる諸論点については、
拙稿「英国における『グリフィス論争』が我々に問うもの」日本地域
福祉学会『日本の地域福祉』第 3巻
、 1
9
8
9
年を参照。
(
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. なお、 OECD
編、厚生省政策課調査室、経済企画庁国民生活政策課、労働省国際労
働課監訳『福祉国家の危機』ぎょうせい、 1
9
8
3年を参照。
(
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年英国において結成され、 Jo
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一169-
社会問題研究・第4
0
巻第 1
・
2
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31
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なお、 R.M.ティトマス著谷目恒訳『福祉国家の理想と現実』東京
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7
年第 2章を参照。
大学出版会、 1
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9
8
4
.参照。
)N.ジョンソン著
(
16
田端光美監訳『イギリスの民間福祉活動』全国社会
9
8
9年によせたジョンソンの「日本語版への序文」、 9
福祉協議会、 1
ペ ー ジO
(
17
)詳しくは、星野信也「イギリスの障害者福祉:コミュニティ・ケアの
限界J ~海外社会保障情報J N
O
.
8
4.
19
8
8
年を参照。
) 例えば、コベントリ市社会福祉部編、津崎哲雄訳『現代地方自治体社
(
18
会福祉の展開』海声社、 1986年及び津崎哲雄編訳著 ~90 年代地方自治
体社会福祉の戦略』海声社、 1
9
9
0
年を含む津崎氏の一連の業績及び浜
野一郎、大山博共編『パッチシステム:イギリスの地域福祉改革』全
9
8
8
年を参照。
国社会福祉協議会、 1
)筆者は本年日本社会福祉学会第3
8回大会(19
9
0年 1
0月2
0
2
1日:関西
(
19
学院大学)において
I~地域福祉』時代の社会福祉政策における分権
化の意味--~社会福祉改革』時代の日本が英国から学ぶこと」と題し
て研究発表を行なった。現在、研究発表をもとに別稿を準備中である。
当日、有益なコメントを頂いた多くの先生方に感謝する次第である。
(
2
0
)後に引用する A.ウォーカーや B.ジョーダンは、この点を重視するた
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ヴを提示している O とくに、 B
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9
8
7
. を参照。我が国においても、プライ
パタイゼーションを推進する論理に対し、ある「財」が「市場」にお
いて取り引きされるかどうかは一定の歴史的、経済的、政治的、社会
的諸条件に規定されるという点をふまえて反論する見解は少なくない。
(
21)例えば、ケント・コミュニティ・ケア・スキーム等英国において見ら
れるケース・マネージメント・プログラムにおいてもそのような{頃向
が見られるように思う。東京都福祉局『イギリスにおける在宅福祉供
9
8
7
年を参照。
給システム J1
社会問題研究・第4
0
巻 第1
・
2合併号 (
'
91
.3
.
31
.
)
(
2
2
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81.ただし後者は入手不可能につき、 N
.
9
8
9
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.
2
2
3
0等を参照。
Johnson,1
(
2
3
)同報告書、 1
3
章1
2項なと、。
(
2
4
)M.Henwood "CommunityCare P
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6
. なお、歴史あるこの『英国ソーシャルポリシ一年鑑』は 1
9
8
9年
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yReview"に誌名を変更したが、その現在の編者は
に" S
.Ungersonである。
代表的なフェミニスト研究者のひとりである C
(
2
5
)申請主義による補足率の低さ、給付決定の判定基準、給付額など。こ
9
8
6
年法までは夫を介護する妻に不利な規則があり、問題が指摘
とに 1
)文献を参照。
されていた。注(17
(
2
6
)J
.Yoder& R
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.Leaper "
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.
(
3
0
)例えば、 N.Johnson,1
)S
.
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.Mocroft,1
9
8
3
.p
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.
3
.なお、本書はここで、 D
.
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31
9
7
4
.を参照している O
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fPluralism" Macmillan,1
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mと福祉ミックス論(吉原)
D
.ニコルス著
日下喜一、鈴木光重、尾藤孝一訳『政治的多元主義の
9
8
1年を参照。
諸相』御茶の水書房、 1
(
3
2
)P.ペレスフォードの批判である。浜野一郎「パッチシステム研究の意
)
)1
5
6ページを参照。なお、前掲
義」、浜野・大山共編著(前掲注(18
1
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1
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mを総括
注(11)のペレスフォード&クロフト論文は We
的に批判している。
(
3
3
)前掲注(16
)文献、 9ぺ -:
;0 ここでは m
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mediate-bodyすなわち、いわゆる「中間団体」とほぼ同じ意味で用
いられていると考えてよいであろう O
(
3
4
)例えば、 J
.Gyford "TheP
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9
8
7
.などを参照。
(
3
5
)A
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4
.
(
3
6
)イズリントンについて、前掲注(14
)
S
.
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.Mocroft,1
9
8
3
.とく
にAppendix B、武田文祥「現代イギリス地方行政における分権化」
0
号
、 1
9
8
7
年7
5・8ページ、
東京都立大学『経済と経済学』第6
ライス講演
J
.レイプ
岡田藤太郎、植田美佐恵編訳「英国地方自治体における
社会福祉サービスのネットワーク(上) J及び同
r(下) J r
海外社会
O
.
8
9、1
9
8
9
年および、N
O
.
9
0
、1
9
9
0年などを参照。
保障情報JN
(
3
7
)例えば、里見賢治
rr
日本型福祉社会』論の福祉政策 J r
社会問題研
1巻第2・
3・
4合併号、 1
9
8
2年など氏の一連の業績を参照。
究』第3
(
3
8
)厚生省大臣官房国際課監修『社会保障の将来 ---OECD厚生大臣会議
9
8
9年を参照。この会議の論調は、全般
記録』社会保険法規研究会、 1
9
8
0年会議よりも一層ある種の We
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mある
的に先述した 1
いは福祉ミックス論に傾斜している。ただし、藤本大臣に対し応答演
説を行なったノルウェーのゲッハッセン大臣は我が国とは異なった意
-173-
社会問題研究・第4
0
巻第1
・
2
合併号 (
'
91
.3
.
31
.
)
味で福祉ミックスを論じており、プライパタイゼーションに対し明ら
かに危慎を表明している。なおこの会議の企画、実施にあたっては日
本がイニシアティヴをとったとされており、実際に藤本厚生大臣は正
式日程初日官頭の「社会保障の将来像」というセッションの主要演説
の第 1論者であり、このセッションの副議長でもあった。
(
3
9
)ただし、用いていないわけではない。例えば、三浦文夫「高齢化社会
における社会福祉のパラダイム」福武直、小山路男共編『高齢化社会
への社会的対応』東京大学出版会、 1
9
8
4
年所収、
(
4
0
)例えば、三浦文夫
2
5
9ページを参照。
r
<
増補>社会福祉政策研究J全国社会福祉協議会、
1
9
8
7
年とくに第 1
1章、第 1
2章など氏の一連の論稿を参照。
(
41)例えば、丸尾直美「福祉供給方式と財源」丸尾直美・隅谷三喜男共編
9
8
7年など氏の一
『明日の福祉④福祉サービスと財政』中央法規出版、 1
連の業績を参照。なお、丸尾は前掲注 (
2
) のローズ&白鳥の研究に寄
稿しており、本書の福祉ミックス論の枠組はこれとほぼ同じである。
(
4
2
)岩田正美「生活の評価と生活問題」松村祥子、岩田正美、宮本みち子
共著『現代生活論』有斐閣、 1
9
8
8
年及び、同「何が社会福祉の『対象』
8
7号、 1
か 概念、と認識枠組について」東京都立大学『人文学報』第 1
9
8
6
年、同「社会福祉の対象 人の側面」同第 1
9
4
号
、 1
9
8
7年など氏の
一連の論稿を参照。
(
4
3
)例えば、全国社会福祉協議会・社会福祉研究情報センター編『介護費
用のあり方 その社会的負担を考える』中央法規出版、 1
9
8
9年もその
ような視角からの研究業績といえるであろう O なお、
財政危機」論に対する批判的検討として、里見賢治
論と福祉政策
「高齢化社会=
Ir
高齢化社会』
r
通説的『高齢化社会』論への疑問 J 社会問題研究』
2巻第 2号
、 1
9
8
3年など氏の一連の論稿を参照。
第3
(
4
4
)ちなみに、ティトマスが「ソーシャル・コスト」を論じる際は決して
このようなことはなかった。例えば、 R.M.ティトマス著
三友雅夫
監訳『社会福祉政策』恒星社厚生閣、 1
9
8
1年、第 5章「社会的費用と
社会変動J0
-174-
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mと福祉ミックス論(吉原)
(
4
5
)牧里毎治「地域福祉論の概念構成」、右田紀久恵・高田真治共編『地
9
8
6
年を参照。
域福祉講座①社会福祉の新しい道』中央法規出版、 1
(
4
6
)A
.ウエッブは、このような意味で politicalmonopolyという言葉を
用いている o A
.Webb
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9
.
(
4
7
)岡村重夫『地域福祉論』光生館、 1
9
7
4年。ことに「福祉組織化活動 J
(
8
6
1
0
1ページ)についての記述は、地域福祉実践の現段階と照応して
今なお新鮮である O
(
4
8
)例えば、右田紀久恵「社会福祉の改革と地域福祉」日本地域福祉学会
、 1
9
8
9
年など氏の一連の業績を参照。
「日本の地域福祉』第 1巻
(
4
9
)筆者は、岡村や右田の地域福祉論が社会福祉における公私関係論に与
えたインパクトについて右田の業績をふまえつつ試論めいた整理を試
みたことがある O 拙稿
Ir
地域福祉』時代の社会福祉における公私関
r
係について J 民間在宅福祉サービス・システムに関する研究報告書』
財団法人ニッセイ聖隷健康福祉財団、 1
9
9
0
年
。
(
5
0
)例えば、村上泰亮、公文俊平、佐藤誠三郎共著『文明としてのイエ社
9
7
9年
。
会』中央公論社、 1
(
51)例えば、演口恵俊、公文俊平共編『日本的集団主義』有斐閣、 1
9
8
2年。
(
5
2
)サッチャリズムの社会保障改革において「ベヴァリッジにかえれ Jが
さけばれるなかで、近年ティトマスの論文集が再び編まれた。編者は
K
.ティトマス(婦人)と彼の親友かっ同僚であった B
.エイベルスミ
スであり、アメリカの友人であった S.M. ミラーは冒頭のイントロダ
クションにおいて「なぜ、いま、ティトマスなのか」を論じている。
B
.
A
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9
8
7
.
(
5
3
)基礎自治体レベルで、民間組織である市町村区社会福祉協議会が市民
参加の地域福祉計画を策定しようとする試みが盛んになりつつある O
筆者も寝屋川市社会福祉協議会による「高齢者のための地域福祉推進
-175-
社会問題研究・第4
0
巻第 1
・
2
合併号 (
'
91
.3
.
31
.
)
計画J (策定委員長:井岡勉、副委員長:牧里毎治)の策定に全過程
(
19
8
8
年 8月 1
9
9
0
年 5月)を通じて作業委員として参加しながら学ぶ
機会を得た。策定終了後その成果について井岡勉、牧里毎治、水野端
吾、原田仁、吉原雅昭の
5名は日本地域福祉学会第 4回大会(19
9
0年
6月 1
6
7日:日本社会事業大学)において「地域福祉計画の理念と現
実 (1) - (V) Jと題して発表した。計画は、寝屋川市社会福祉協
議会により 1
9
9
0
年 6月『老後を生きいき健やかに暮らせる幸せのまち
づくりをめざして
高齢者のための地域福祉推進計画』として冊子に
まとめられた。
本稿は私の修士論文『英国における We
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m--日本との関連
において j (同志社大学大学院:指導主査小倉裏二教授、副査岡本民夫教
授、井岡勉教授
1
9
9
0年 1月2
6日提出)の一部を大幅に加筆修正して要約
したものである。ご指導を頂いた先生方に心から感謝いたします。また、
修士論文提出後、英国地方自治研究会(京都)、
VAWE研究会(大阪)な
どいくつかの研究会において論旨について発表する機会を得ましたが、そ
のたびに多くの先生方から有益なコメントをいただいたことにも重ねて感
謝いたします。
p
o
Fly UP