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平成27年度 ロサンゼルス
●28.3.1(火)ロスに向けて:春はあけぼの ・ 今関西国際空港のJALラウン ジにて今日のブログを仕上げた。ア ップは離陸後1時間とした。飛行機 は17時30分離陸で順調に飛べば 翌朝現地時間3月1日10時30分 にはロサンゼルス国際空港に着陸す る。ロスはアメリカ合衆国カリフォ ルニア州にある都市で、同州最大の 都市かつ全米有数の世界都市であ る。国内ではニューヨークに次いで 人口が多い。ロサンゼルスはロサン ゼルス郡内にある中心地で、同郡には他にビバリーヒルズ、サンタモニカ、ロングビーチ などが世界でも有名な地域が含まれ ており、郡の面積は 12,308km²で、人 口は約 976 万人、市内には「ハリウ ッド」やザ・バレーなどがある。在 留日本人もニューヨークに次いで多 い。空気は乾燥し快適な街で随分昔 は偶に出張で行ったものだ。このロ スでパリ行きを諦めさせたお詫びの 意味を込めて生徒たちに楽しんで貰 おうと思っている。 ・ 今日は3月1日、年度の最終月である。我が国では旧暦 3 月を「弥生(やよい)」と 呼ぶが何とも言えない響きがこの字句にはある。「弥生、3月・・・」と書きだせば何か 素晴らしい文章になりそうである。弥生の由来は、草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や 生ひ月(きくさいやおひづき)」が詰まって「やよひ」となったという説が有力だといわ れているが、3月はこれ以外にでも花月(かげつ)、嘉月(かげつ)、花見月 (はなみ づき)、夢見月(ゆめみつき)、桜月(さくらづき)、暮春(ぼしゅん)等の別名もあ る。いずれにしても3月は特別に意味ある月である。会計年度や学年の年度替りの時期で あり、今でも3月は卒業式とか送別会等が行われ、「出会いと別れの時期」でもある。 また、多くの組織では3月末に人事異動が行なわれたり、多くの学校・会社・官公庁など が引越しや移行作業、新生活の始まりなどで忙しくなる。本校も3月はむっちゃ忙しい。 「むっちゃとめちゃ」とどちらが正しい大阪弁なのか。 ・ 弥生と言えばこの句を思い出 す。清少納言の「枕草子」の一節 であるが、「春はあけぼの。やう やう白くなりゆく山ぎは、すこし あかりて、紫だちたる 雲のほそ くたなびきたる。」今日も空気は 冷えていたが陽は間違いなく春に なりつつある。今日は「一斉参拝 の日」であったが学年末考査の為 に教室での一斉参拝とした。結局 天候にも恵まれず28年になって から一回もグランドで「伊勢神宮遥拝所」に向かう機会はなかった。残念ながら仕方が無 い。今月は24日に「ご遷座」、25日に「遷座奉祝祭」で新しい学院神社に神様がご鎮 座されるから恐らくこの校庭の遥拝所も「お役御免」となるのか。もう暫く様子を見て、 もし使うことが無いのなら、折角良い物だから他の神社で有効に使っていただけないか考 えているところである。理事長職務代理のお宮、道明寺天満宮に移設させて欲しいとお願 いしようか。 ・ 今日の一斉参拝で私はこの校長室からの放送も 最後だと説明した。既に何回も言っているので分 かっている生徒にはくどいのだが2400人の生 徒すべてが分かっておればこれほど校長や教員の 仕事が楽な事はない。何割かの人間は聞いていな いと思う。参拝の後の校長講話で試験前ではあっ たが「日常生活規範」について話した。改めて飲 酒、喫煙、ネット書き込み、いじめ、万引き、窃 盗、キセル乗車、公共乗り物でのマナー、夜の徘 徊、居酒屋等への立ち入り、服装、カンニング、 薬物等々「駄目なことは駄目」だと強調した。別 に本校の生徒がこれらの問題で引き起こしている というわけではない。問題が起きる前に何回も何 回も繰り返して口に出し指導することが教育であ る。 ・ 生徒はこれらの駄目な事は頭では 理解しているがいざその場の雰囲気に のまれ「乗り」でやってしまうと危険 である。誰がやるか特定出来ればやり 易いのだが「お前やりそうだから」と 言って指導する訳にも行かない。だか らこのような一斉参拝や朝礼で校長は 全員を対象に「くどくど」話すのであ る。少なくともこれが私のやり方であ る。無口では校長は務まらない。効率は悪いがこれしか校長の方法は無い。生徒の中には 「うざい」と感じている者も居るだろうが、それにめげてはいけない。生徒の失敗を極力 少なる手立てを考えて行く時代であ る。問題行動が有った時に「処分」 をすぐ持ち出すのではなくて問題行 動を起こさせない学校というのは今 後のポイントとなる。又徹底した説 明責任を果たす為にも生活規範に関 する学則・内規等を「ホームペー ジ」に常にアップしておくことも必 要な時代になって来た。 ・ 4月以降の一斉参拝は勿論神社前で行われる。好天の時は全員が中央館前広場に揃っ て参拝を行う。それにしても広い、広い土間を得た。私は9月の「浪速祭」の区割りが楽 しみである。この広場は12月9日の上棟祭でも2800人が椅子に据わっても余裕があ った。だから現在の2400人程度では楽々余裕であることは分かっている。問題は雨天 の場合だ。今迄通り代表による参拝を行い、一般の生徒は教室での映像とするかそれとも 回廊部分に集めるかである。回廊は広く長いので雨天時でも問題は無いと思うがあの回廊 部分に何人の生徒が集まられるか全く現段階では想像もつかない。一度確認する必要があ る。 ・ 工事は最後の追い込みであっ た。外付け階段に繋がる屋根が付 いていた。「クランク」し雨天で も外付け階段に濡れずに入れる形 となった。これはPTAが寄贈し てくれたもので「遊学の道」と名 付け遊学の広場を抜けて浪速武道 館に通じている。これで一切濡れ ることなくどこにも行ける格好と なった。3台のパーキングスペー スは白のブロックが敷設され「ラ インがくっきり」となった。これで良い。ブロックのピンサイズを長尺にした効果が出て 「設計図の実線の味」が出ている。此処をゼネコンさんの女性設計技術者にこの前申し上 げたのだ。彼女はこのアドバイスを喜んでくれた。 ・ ところで事務長さんにこの技術者から今後の検査の予定がメールで入っておりそれを たまたま見たのだがお名前が「美智子」となっていた。「へー、美智子皇后様と同じだ ね」と私が口に出すと、何を思ったのかこの事務長さんは「当時皇后陛下の美智子様にあ やかって赤ちゃんの名前に付けるのが流行したんですよね」と言った。そこまでで止めて おけばよいのに事務長さんは更に続けて「これで大体御年が分かりますよね」と言うでは ないか。天皇皇后両陛下のご成婚が○○年で有らせられたから、当時この女性の母上様の ご結婚の年齢を平均値で想定し、計算していくと大体年が想像できるというのである。私 は「お若く見えるよね」と反論したのである。何時も事務長さんと設備担当はこの素晴ら しい女性技術者の年齢に関心があるみたいだ。ご本人が「そっとしておいてください」と 言われているのだからそっとしておきなさいと私は申したのである。 ●米国西海岸28.3.1(火)ロス一日目ハリウッド ・ 飛行は順調で予定よりも30分程度早 くロス国際空港に着陸した。高度100 00メートルの飛行だから「偏西風」の影 響を強く受ける。時差がマイナス17時 間だから丸々1日長く生きられた計算だ が帰国は逆に寿命が一日進むから結局同 じことである。9時50分の現地の気温 は16度であったがハリウッド周辺では 26度にもなっていた。真夏日となった が汗をかかないのは空気が乾燥している からだ。今日は3月1日火曜日、米国では大統領を選ぶ大変重い「スーパーチューズデイ」 の日であった。部屋のテレビでは民主党はクリントン氏が圧勝し、共和党はトランプ氏が 強い結果を見せた。どちらも選挙公約を見ると日本には厳しい感じである。結局自分の国 は我々日本人がしっかりと守らねばならない時代になってきている。久しぶりに大好きな アメリカに来てつくづくとそのように思った。米国に頼ることが出来ねば北朝鮮、中国に 向かい合っている我が国は自分の力でこの国を守らねばならない。21世紀を生きる生徒 は元気一杯アメリカの地を踏んだ。 ・ 本校の生徒はしつけの出来た良い子ばかりで機内でも整然として飛行を楽しんでいた。 客室乗務員の管理職の人が挨拶に来てくれ「先生の学校の生徒さん、皆さん、ご立派で高校 生らしくて良いですね」とお褒めの言葉を頂いた。これほど嬉しいことはない。機内の最後 尾は本校生徒と教員で満杯、確かに日本航空からすれば有難い客だろうがまさかお世辞も 言うまい。フライトマップを見ているとサンフランシスコから一気にロスに下降して行っ た。工程的には少々きついが時間を無駄に出来ないから入国後早速観光地巡りである。バ スは2台に分乗、スーツケースは大型バスに預け小型のバックだけを持って先生の言う事 を良く聞いて整然と歩いている姿は確かに日本航空の人が言ったようにしつけが出来でお り、私は本当に嬉しかった。まず向かったのはロデオ・ドライブである。 ・ 日本からだけでなく、世界中からLAを訪れる人々に人気のビバリーヒルズ。 その中 でも、高級ブランドの店が立ち並ぶロデオ・ドライブと、ウィルシャー通りにあるトゥー・ ロデオ(Two Rodeo)はヨーロッパの街並みを再現した一画でとてもお洒落な雰囲気だった。 このロデオ・ドライブには、バーバリー、ブルガリ、カルティエ、シャネル、アルマーニ、 グッチ、エルメス、ルイ・ヴィトン、プラダ、ティファニーなどの高級ブランドがずらりと 並んでおり、また、日本でも最近人気のLAブランド、ジューシー・クチュールの旗艦店も あったが生徒がブランド品を買う訳はないから「車窓」からのショッピングだけとした。も う昼食時でありバスは昼食会場のあるユニバーサル・スタジオ方面に向かったのである。 ・ ユニバーサル・スタジオ・ハリウ ッド は、ロサンゼルス郡ユニバー サルシティコミュニティにある映 画スタジオ且つテーマパークであ る。現在も使われているハリウッド 映画スタジオとしては、最古で最も 有名なものの一つであるが、そこに は入らずすぐにハードロックカフ ェー」に入り、 「アメリカンハンバー ガー」での昼食とした。高校生はと にかくどういうわけかハンバーガ ーが好きだ。これだけ食べさせてお けば問題はない。しかし正直,ひどい味というよりも味が無かった。トマトケチャップとマ スタードの味だけで何とか食べれた代物だった。ただ最後に出てきたビスケット2枚は良 かったのではないか。コーク、スプライト、レモネードは飲み放題であった。ただグラスが 大きいから一杯で十分であった。食後短い自由時間を与え買い物タイムとした。生徒は臆 することなく三々五々散っていったのである。 ・ その後バスが向かったのが今日のハイライトである「ハリウッド&ハイランド」であっ た。奇しくも二日前にこの場所で「アカデミー賞」選考においてが主演男優賞がディカプリ オさんに与えられたがこのホットな場所を生徒は歩いたのである。劇場。ショップ、レスト ラン、ナイトクラブ、さらにホテルまで入った複合エンターテイメント•センターである。 観光客で人が一杯だった。 「ドルビーシアター(旧称コダックシアター)」の中には大階段が あり、レッドカーベットが敷かれた何時ものアカデミー賞の光景を思い出して写真を撮っ た。横には「チャイニーズシアター」があって、真ん前のハリウッド通りの歩道には「ハリ ウッド・ウォーク・オブ・フェイム(ハリウッド大通りに埋め込まれた星形の敷石) 」があ った。言ってみればこの界隈は買い物、食事と一緒にハリウッド観光も楽しめるぎゅぎゅ っと 1 カ所にまとめられたスポットとなっている。 ・ 「チャイニーズ・シアター」は有名な映画館でハ リウッド大通りに面し中国風寺院建築の世界的に 著名な劇場である。このスポットは南カリフォルニ アでも最も人々が訪れる観光名所であと言われて おり、ハリウッド映画の歴史に満ちた場所である。 今でも映画の初演が行われる中心地にもなってい るそうな。しかし私は特にチャイニーズ・シアター の前庭に横たわる、ハリウッドで崇敬される俳優や 女優のサインや足型などが刻まれたブロックタイ ルに関心がある。ガイドさんに伺うと今でも人気ナンバーワンは「マリリンモンロー」だと 言うことであった。ただ多くの観光客が手形に触れるから確かに最早原型をとどめない位 に凹んでいた。アメリカや世の男性にやはりマリリンモンローは永遠の憧れる女性だと言 うのが面白い。 ・ バスは今日のホテルに向かった。ホテルは市内中心部から30分程度の校外にある「シ シェラトン・セリトス」であった。巨大なホテルで言うことは無い。今晩は生徒の体調も考 えホテル内のレストランで夕食をとらせた配慮である。このような一流ホテルでの食事の 仕方も教育しなければならない。本校ではまだ男女混合の席とはしていない。男子席、女子 席を分けて席に付かせている。それで良い。勿論部屋も厳格に分け男子生徒が女生徒の部 屋に行かないように教員の立ち番がある。勿論その逆も有って女生徒が男子生徒の部屋に 行かせないように徹底して取り締まる。21時に最後の点呼とし、22時には就寝時間だ。 高校生を子ども扱いという人は学校教育の事が分かっていない。高校生はまだ半分子ども であり教員が問題とならないように配慮し目を光らせるのである。従って昔みたいにホテ ルの部屋で男子女子が集まって生徒が「どんちゃん騒ぎ」などは今の時代はあり得ないの である。 ●米国現地時間3月2日(水)ロス二日目「サイエンスセンター」 ・ ロス二日目である。朝はゆっくり して朝食は7時30分、生徒の好き なビュッフェであった。添乗員さん が言うのには男子は余り食べなく て女子の方が食欲旺盛だと:いう。 分かるような気がした。男は案外環 境変化に弱い。 「ええかっこ」付ける からだが女は違う。ダイエットはあ るものの用意された食事は自分の もの、食べなきゃ損損みたいなドラ イな面があるのではないか。女性の 強さはもう高校生自分から顕在化するのだ。男は弱いというよりもろい。つくづくとその ように思った。大体海外に来て男子は相対的に大人しくなる。乗り切れない部分があるが 女生徒は「ノリノリ」で明るく初めから終わりまで笑いっぱなしだ。図太いのだ。女性がし っかりしているから国も家庭も学校も安定する。28年度入試では女生徒の数が増えたか らその分良い傾向にあり、ますます良い学校になっていくだろう。 ・ 今日から三日間「自由服」だから生徒は思い思いのスタイルで来ていた。やはり好きな 服を着たいのであろう。生徒は輝いていた。私はある女生徒に聞いた。 「自由服は嬉しいか」 。 答えは直ぐに「めっちゃ嬉しい」であった。女生徒も男子生徒も本当に千差万別であった。 それぞれが自己主張を無意識にしているのである。女生徒の違いに比べ男子生徒には一つ のパターンがあって背の高さの違いを除けばそれほど大きな違いはない。とにかく着てい る服を見ることで生徒の置かれている環境と個性を窺い知れる。その昔は余りに酷い恰好 で「それはないだろう」と指導を入れたこともあったが今回に限ってはそれもなかった。相 対的に高校生が大人しく、美しくなっているとしたらそれはそれで気になるのであるが。 ・ 9時にホテルを出発しまず向かったの が、通称「サイエンセンター 」の名前で 親しまれている体験型科学館である。入場 料が無料というのが嬉しい。入り口で館内 の地図をもらうが日本語のパンフレット も用意されているので分かり易かった。展 示物は 4 つの常設展があるが目的は「スペ ースシャトル エンデバー展」を見ること であった。これはアメリカでなければ本物 を見ることが出来ない。早い訪問だったか ら人ごみはそうでもなかった。何時もは大変に込み合うらしい。「World of Life」]は生命 を科学し、生命の仕組みを分かりやすい展示で教えてくれる構成となっていた。怖い人体 の解剖模型もあった。 「Creative World」は人類の発明品の数々が展示されていた。科学技 術が如何に生活に生かされているかが分かる。地震についての展示は極めて興味深い。 「Air and Space」は NASA という宇宙開発の最前線を分かりやすく解説している。生徒には普段 意識することのない宇宙に思いをはせるのに効果があったと思う。 「Eco Systems」はトン ネル型水槽が見所で、水槽の中にカリフォルニア周辺に生息する魚を見ることができた。 ・ 「スペースシャトル エンデバー展」は大人気で、スペースシャトル エンデバーの展示 は必見である。この部屋に入るだけで宇宙開発の歴史をまとめてみることが出来た。向井 千秋さんなど日本人の宇宙飛行士もふんだんに写真が用意されていた。悲しかったのはチ ャレンジャーで亡くなった鬼塚さんの写真であった。テレビの画面で爆発の瞬間の観てい ただけに当時を思い出し、多くの犠牲の上に今日の宇宙開発があることを改めて考えさせ られた。エンデバーは想像以上に大きかった。 ・ 11時にセンターを出発し「サンタモニカ」に向かった。サンタモニカ(Santa Monica) は、ロサンゼルス郡の西部に位置する市で人口は現在の人口は9万人弱という。過ごしや すい気候から、20 世紀初頭には有名なリゾート都市となっている。サンタモニカに住んで いると言うだけでセレブの証明だ。サンタモニカでは「自主研修」として「各自昼食」とし 解放した。ただし場所の規制はかけている。サンタモニカは16時50分までとしバスは 市内のバイキングレストラン「ベガレストラン」に向かった。今晩の夕食は市内のレストラ ンとしたのである。道路が混んでホテル到着は遅れ20時30過ぎであった。生徒には2 2時就寝まで比較的余裕があったのではないか。 ・ 遠く学校を離れていても時々思い出す。案外ドライな面もあるのだが「気にしいの性 格」だから工事の事が頭に浮かんでくるのだ。それに少し「時差」にかかっている感じで 昼間、車に中ではすぐに眠ってしまう。昨夜は一晩中良く眠れなかった。色々と思い悩む のだ。 *玉垣内に植える松は立派に植わったか?その見栄えはどうか。植える場所に失敗はない か。 *紅梅の樹はあったのか。植わったのか。恥ずかしいようなものなら撤去せよ。 *神社の金飾りは付いたのか、千木は付いたのか。 *人工芝の広場の追加の照明は付いたのか。夜の照明テストはやったのか。 *中央館と西館の繋ぎデッキ下のブロックの中央線表示は色が薄くて分からないからもっ と思い切った白灰系のブロックの方が分かり易いのではないか。 *それと同じもので西館の新しい生徒用出入り口まで中心を合わせ、同じ線としたらどう か。 *上記の開口部の撤去は出来たのか。 *ボクシング練習場の工事は終わったのか。 *プロムナード部分でクランクしないでそのまままっすぐ突き進む土間には白系のボーダ ーで両側に幅を明示ししたらどうか。まっすぐ行けるし左に曲がれば外付け階段と言うわ けだ。天気の良い時にはクランクしたところは誰も通るまい。 *神社手水舎の竜の口は常時流しっぱなしではなくて感光装置を付け人が前に立ったら水 が自動的に流れ出てくると言う風にならないのか。 *東館と中央館の汚れ破損した部分の手直しは確認されているのか。 *正門に設置する「サイネージ盤」は案が固まったのか。 *ご遷座と翌日の奉祝祭の準備は着々と進んでいるのか。工事関係者への案内は済んだの か。忘れてはならない。本社は良いが工事関係者はお呼びすべきである。 *天の岩屋戸門と東征門の案内表示が必要。案は固まったのか。 *神社裏の駐車場とのブロック塀の上に木調の塀を追加せよ。発注は終わったのか。 *その他色々・・・ ●米国時間3月3日(木)ロス3日目「ドジャース・スタジアム」 ・ 今日は少し早くて朝食は7 時から。バスは8時にはホテル を出た。午前中は生徒の希望を あらかじめ聞いて「ワーナーブ ラザー映画バックヤードツアー」 と野球の「ドジャーススタジア ム見学ツアー」である。圧倒的 にワーナーの方が多かった。私 は少ないスタジアム見学の方に 参加した。ただバスはまずワー ナー・ブラザースに行き、そこ で生徒を降ろし、スタジアム組 はそのままバスに乗って現地に向かうと言う具合だ。バス代の倹約である。今回の団長で ある社会科のI教諭が年末に下見に行った通り順調に進んでいる。しかしI先生、声が枯 れて可哀そうな位だった。責任感で余計に身体に堪えているのか。やんちゃな生徒は居な いのだからもう少し気楽にやれば良いのに。生徒は誰一人体調を崩すことなくようやく旅 慣れた感じが朝食風景にも表れていた。段々と国際人になっていっている。 ・ ワーナー・エンターテイメント・インクは、エンターテインメント企業であり、映画製 作・配給部門のワーナー・ブラザース・ピクチャーズ、テレビ番組製作部門のワーナー・ブ ラザース・テレビジョン、アニメ製作部門のワーナー・ブラザース・アニメーション)、家 庭用映像ソフト部門のワーナー・ホーム・ビデオ、アメリカン・コミックス出版社の DC コ ミックス、2006 年に CBS とともに立ち上げたテレビの全国ネットワーク・CW テレビジョン ネットワークを所有する超巨大企業である。特に映画が有名である。ワーナー・ブラザーズ というようにその「兄弟の歴史」は極めて興味深い物語がある。 ・ ハリー、アルバート、サム、ジャックのワーナー4 兄弟はポーランドからの東欧系ユダ ヤ人移民労働者であった。19 世紀末に両親とともにドイツ・ハンブルクを経て、アメリカ 大陸に渡りカナダのオンタリオ州ロンドンに移住し、全部で 8 人の兄弟姉妹が貧困の中で 父の経営する靴修理屋を手伝いながら生活していたという。兄弟はそれぞれの趣味と才能 を伸ばし、長兄ハリーは店を拡大、ジャックは歌手として修行に励み、サムは職業を転々と するが、20 世紀初頭の映画の創生時、ハリーはその魅力に取り憑かれて映写技師となった。 彼は 1903 年に兄弟と興行会社を組み、ジャックのパフォーマンス付きで映画興行業を開始、 オハイオ州やペンシルベニア州の鉱山町を巡業した。同 1903 年にはペンシルベニア州ニュ ーキャッスルに劇場をオープン、その後 1904 年、ピッツバーグで配給会社を設立しエクス チェンジ業(→スタジオ・システム)に進出して収益を上げた。その後激しい栄枯盛衰があ って今日に至る。 ・ 「ドジャース・スタジアム」は大リーグ、ロサンゼルス・ドジャースのホーム球場であ る。このチームで大活躍した最初の日本人移籍投手の野茂英雄さんは日本人が誇りにする 野球人であるが球場のあらゆるところに写真が貼られ案内してくれた球団職員の方も「ト ルネード」投法と何回も投球フォームを真似していた。最近では広島の前田健太投手が移 籍したチームである。前田選手はアリゾナでキャンプ中だからまだスタジアムにはいなか ったが日頃見せてくれない選手のロッカールームには前田の漢字でロッカーが用意されて おり期待度を伺わせるものだった。かつてオーナーのピーター・オマリーが「ボールパーク にファンを呼ぶには、球場を楽しく美しいところ、つまり男がガールフレンドを連れて行 きたくなるような場所にすることだ」という名言を残しているが、その言葉通りの美しい 球場で球場全体に清掃が行き届いていた。 ・ 私も初めて大リーグの名門チームの球場内の全てを見学する機会を得たがこのグループ に参加した15名の生徒は「野球部の選手」や野球好きと思えて最初から最後まで些か興 奮気味であった。それくらい球団はファンを大切にしているということだろう。とにかく 「隅から隅まで」見せてくれた。インタビュールームでは生徒が席を取ってインタビュー を受けている真似事などをして笑いを取っていた。 帰りにはドジャースの青色の字で焼き付けた焼き物のコースターをお土産に頂いたのであ る。ワーナー・ブラザーズからのバスを待ってそれに乗り込み次の目的地「ファーマーズマ ーケット」に向かった。後で確認するとワーナーの方も「チョー、良かった」と言っていた からこの二つの企画は大成功であったと言える。 ・ 「ファーマーズマーケット」は安さと新鮮さが評判で、”常設”のファーマーズマーケ ット時代の最先端やセンスの良さを売り物にしているロスの観光地のなかで、いちばん素 朴で気取りのないところと言ってよい。もともとは、1934 年の大恐慌に来る締められた農 民達が、新鮮な野菜や果物を持ち寄って始めた市場だったのですが、安さと新鮮さが評判 を呼んで地元の人や観光客までが集うマーケットになったという。現在では、八百屋、果物 屋などの生鮮食料品店、ハンバーガーから寿司、メキシカンフード、アイスクリームなどの 屋台、アクセサリーショップ、革製品、お土産屋さんなど、200 店舗近くのショップが軒を 並べる大きなマーケットとなった。 アメリカの市場の雰囲気を見て回るだけでも十分楽しめ、お隣は、おしゃれなショッピン グモールもあって自由時間の生徒にとっては格好の勉強の場所になったと言える。生徒は 自ら探して好きな食べ物で昼食をとっていた。慣れた感じであった。かなり成長した。 ・ 次に我々が向かったのは「グリフィス 天文台」である、ここも大変に良かった。 この天文台はメキシコの銀鉱で財産を作 った資産家のグリフィス・ジェンキンス・ グリフィスが 1896 年にクリスマス・プレ ゼントとしてロサンゼルス市に寄付した ものである。 「アメリカのお金持ち」はや ることがすごい。詳細な歴史は省くが天 文台の中身とこの高台から眺めるロスの 街並みは一見に値する。グリフイス天文 台を後にして生徒たちは中華街にある 「オーシャン・シーフードチャイニーズ・レストランにて夕食をとるべくダウンタウンに 向かった。今日は中華である。大体身体が疲れてくる頃中華を食べさせるのである。和食は 値段が高いから中華にしているのだろう。それに中華はサービスが早い。彼らは焼きそば や焼き飯を殊の外好む。今日はなかなか充実した一日となった。 ●米国時間28.3.4(金)ロス4日目「アドベンチャーワールド」 ・ 今日は4日目、ロス滞在も最終 日となった。生徒には思いっきり 遊ばせてやろうと言う配慮で今日 は終日「ディズニー・カリフォルニ ア・アドベンチャー」での自由行動 とした。ディズニー・カリフォルニ ア・アドベンチャーは、カリフォル ニ ア州アナ ハイム にあるウ ォル ト・ディズニー・カンパニーが運営 するディズニーパークだ。カリフ ォルニアの大自然を満喫できるア トラクションやエンターテイメント、ダイニングを楽しむことの出来る場所である。日本 にはまだないと思う。一方ディズニーランドは日本でも良く知られた遊興地で同じアナハ イム市の南西部に位置し、1955 年にオープンしている。広場を挟んで右と左に入り口があ る。ここは日本の東京を含めなお、現在世界中でウォルト・ディズニー社が運営する遊園 地、リゾートのうち最初に建設されたテーマパークである。いわば「老舗」なのである。 ・ とにかくウオルト・ディズニーと言う会社はディズニーランドを含む複数のテーマパー クやホテル、ショッピングモールなどを含むディズニーランド・リゾートの一部をなし、ア メリカ国内をはじめ、日本やフランス、香港など世界各国に展開しているディズニーラン ド・リゾートの中心的存在である。オープン以降現在に至るまで、アメリカ国内のみなら ず、世界で最も有名でかつ利用客の多いテーマパークであり、1975 年には、アメリカを国 賓として訪問した「昭和天皇と美智子皇后」もご訪問された。ロサンゼルスを訪れた各国の 王族や首脳が数多く訪れることでも有名である。それくらいアメリカを代表する文化圏な のである。私はディズニーこそアメリカ文化そのものだと思っている。明るくて豪華で、規 模が大きくて楽しいのである。 ・ 修学旅行パリ班の代替え措置の場 所であるから、今回に限り、生徒の要 望をしっかりと聞き入れるように頼 んでいたが、内心私はこのディズニー ランドが目玉だと思っていたら何と わずか希望者が6名だったと聞いた。 ユニバーサルスタジオなど希望者は ゼロだった。圧倒的に多くの生徒は 「カリフォルニアアドベンチャーワ ールド」を希望した。生徒も賢くて日 本ではディズニーやユニバーサルは 体験しているから「本場だよ」と言っ ても興味を示さず日本にないアドベ ンチャーの方が良いと判断したので はないかと旅行会社の人は言ってい た。私は「なるほど」とうなずいたの である。 ・ 朝の食事時に団長と旅行会社の人からしつこく「今日の注意事項」を生徒たちは聞かさ れていた。これが大事だ。今日は大変混雑するし夕刻まで自由時間だから万が一パスポー トを失うと金曜日ということもあり明日の帰国便に乗れないから先生方も必死で注意を促 していたのだ。これでこそ「付き添い教員」である。傍目で観ていたがロス班の団長は立派 であった。とにかくスタイルに隙がない。彼の為にも何とか明日まで無事に時が進んで欲 しいと願うばかりである。又13時から14時の間「本部点呼」と言うのを設定しており生 徒はどこにいても本部に帰って来るようにしているのも大変評価出来た。生徒の体調や異 変を知るのに良い方法であった。 ・ 私は驚くほど高い(団体 割引で一日チケット70ド ル)入場券を貰ったので生 涯の記念に二つの乗り物に 乗った。まず最初に生徒が 殺到した「CARS LA ND」という、 「まあ車に乗 ったジェットコースター」 で、本当に面白かった。また 「ミッキーFUN WHE EL」に乗った。これはホイ ールを回転しながら大きく 揺れる観覧車みたいなもので降りた後少し気持ちが悪くなった。あれは趣味が悪い。 ・ 生徒には17時30分まで としており私までがこの世界 に浸る訳にも行かずガイドさ んに頼んでロスのダウンタウ ンにある「リトル東京」という 日本人街を訪ねた。随分と昔行 ったことがあるが全く様相は 変わっていた。少し綺麗になり 整備が進んだと感じた。丁度昼 過ぎだったからビレッジの中 にある「蔵ずし」という回転ず し屋さんに入った。正直言って 寿司と言っても全く別の食べ物のような気がした。わずか4皿で終えたくらいであるから 想像できよう。お寿司屋さんを出て10分も歩くと「全米日系人博物館」というのがある。 「JAPANESE AMERICAN NATIONAL MUSEUM」が英語であ り直訳すれば「日本人アメリカ人国立博物館」であり複雑な思いがする。ここを是非見たか ったのである。 ・ 1868年というから明治元年である。この時か ら米国への移民は始まった。中でも当初はハワイと ロスが主体であった。くしくも今回の代替え修学旅 行先であった。この博物館の展示は明治時代の一世 の渡米から現在に至るまでの百年を超す日系社会 の歴史を展示しており一つ一つの写真に全てが表 現されていた。 「写真は貴重」である。2階の展示場 に最初に入ると目に飛び込んでくるのは「うず高く」 積み上げられた昔の型のスーツケースであった。又 1920年から40年にかけた苦難の時代の西海 岸からの強制退去に関する写真と当時の建物の実 物大展示は困苦に見舞われた方々への思いが湧き あがり何とも言えない気持ちになった。当時の音源 が残っており「ゴンドラの唄」を悲しく口ずさむ日 本人一世が遠く故郷の山川を忍んで歌ったものであろうか。その故郷は一体日本の何処だ ったのであろうか。 ・ 私は夕方又アドベンチャーワールドに戻って生徒の無事を確認し総勢の記念写真を撮 ってレストランに同行した。今日は最後のロスでの食事と言うことでイタリアンであっ た。アメリカにおける代表的料理は世界のすべてが該当するが中でもイタリアンは根源的 なところにある。イタリア系移民は全米でも大きな勢力でイタリア料理は本当にアメリカ らしいのである。生徒にそれを味わって欲しかったのである。これですべての企画は完了 した。明日飛行機が飛び立ち関空に降り立つまでは油断できないが一応順調にここまで来 た事を喜んでいる。 ●米国現地時間3月5日(土)ロス5日目「関空に向かって」 ・ 今朝ホテル内のインターネ ット回線が調子が悪く学校か らのメールを確認できなかっ た。午後には直ったがこの原 因としてネットの達人はホテ ル内ロビーでの「フリーWI FI」の影響ではないかと言 う。生徒が夕食後と朝食後ロ ビーにたむろして日本の家族 とメールをしているから回線 が大混雑して繋がりにくくな っているのではないかと言う 訳だ。確かに生徒はスマートフォンを睨んで目を離さない。 「ライン」という誠に持って便 利な国際的ソフトで無料で通信が可能と言うから便利な時代になったものだ。生徒は10 0%スマホである。何だか私の「ガラ携」と言われる携帯電話は少し恥ずかしかった。今回 付き添ってくれた旅行エージェントの管理職も最近スマホに切り替えたと言ってアイフォ ンという最新鋭のモノを自慢そうに見せてくれた。 ・ 今回2台のコンパクトカメラ を持参したのだが簡便な方が調 子が悪くなってもう一つの方を 使い始めた時に有る生徒から「私 のカメラと同じ!」と言って目ざ とく見つけられた。この時この女 生徒は「このカメラ、ワイハイで スマホに送信できます」と言って くれたがそのような仕様の事は 知らなかった。解像度の良い写真 はこのカメラで撮り保存はスマ ホに送信し簡単に出来ることを知った。このように持ち物の仕様さえ知らずに基本機能だ けしか使っていないのである。私は「年を取ったな」と嘆息した。昔は新しいものを率先し て手にし色々と使って楽しんでいたのだが最早そのような気力にかける年齢になったのか と思ったのだ。私は決めた。帰国後研究してガラ携からスマホに切り替え。ラインというも のに加入してみたいと思ったのである。 ・ 昨日のプログラムは一日自由行動でアドベンチャーワールドで「乗り放題」としたが男 子生徒の中にはすべて乗ったという兵もいた。当初5時30分集合であったが「パレード」 があると言うので6時まで時間を延長した。団長の「いきな計らい」であり私は誉めてあげ た。そして昨夜の「最後の晩餐」は大層盛り上がり料理も美味しかったと今朝報告を受け た。私は基本的に生徒や教員と同じ席になることはない。極力避けている。校長と一緒の食 事だと生徒も教員も気を使うからである。しかし必ず生徒がどのような食事をしているか はチェックする。旅に出唯一の楽しみは食事でありその土地、土地にあった食事を経験す ることがその国の文化を知ることだと知っているからである。特に昨夜のように典型的な アメリカの庶民が使うが結構有名で歴史のあるレストランは形が出来上がっており生徒に は勉強になる。昨夜は最後の夕食と言うことで団長先生が「最後の晩餐」と生徒に言葉をか け、1週間の慰労を口にしていたが素晴らしかった。大きな拍手が生徒から湧き、私は思わ ず「生徒の皆さん、I先生に感謝―!」と言うとレストランは割れんばかりの拍手で鳴り響 いた。良い雰囲気であった。 ・ 今回のロスアンジェルス班の付き添い教員は団長先生の男性教諭が2名、おそれに女性 教諭が1名の体制だった。ざっと教員一人に生徒20人の勘定になる。それに看護師、旅行 会社の添乗員が2名、同行カメラマンが1名と総勢8人で生徒の面倒を見たことになる。 加えて現地のHIS社の方が色々と面倒をみてくれるからすべてが上手く運んだのである。 修学旅行と言えどもこのように裏方の数がある程度必要で私の方針は「ここはケチるな」 と言っている。とにかく無事に連れて行って無事に連れて帰る為には人力で済むところは 人材を投入するのである。皆さん本当に良く頑張ってくれた。 ・ ただ敢えて厳しいことを言 えば付き添い教員の中には「生 徒と同じような格好」をしてい るような先生を見つけたがこ れはいけない。男性教員は少な くとも上着ジャケットは身に 付けておかないといざと言う 時に困るだろう。公的機関に折 衝に行ったり病院に走り込む ことだって有るかもしれない。 生徒の修学旅行であって教員 にとっては仕事であり教師の 仕事らしい服装はある。セータ ーやジャンパーや訳の分からないズボンや上着を来ていたら生徒からも遠くから認識され ない。最初の頃は上着を着ていたが何時の頃から日曜日近くのスーパーに買い物に行くよ うなスタイルになったのだろうか。これはいけない。本校は旅行会社からも付き添い教員 の服装と立ち振る舞について激賞を受けておりこの伝統を壊してはならない。 ・ ロスの評価であるが評価できる。 その理由は生徒が大変喜んでいる からである。体験型リゾートが多 く、ハリウッド、ドジャーススタジ アム、ワーナーブラザーズ、アドベ ンチャーワールドと日替わりメニ ューで刺激があった。当初ロスの治 安を心配したが今のアメリカのセ キュリティは極めて厳しく逆に安 全と言う見方も出来る。ヨーロッパ に比べて置き引きやスリなども見 かけなかったのはアメリカの国情が安定しているからだろう。ただ「遊興の地」としては大 変好都合であるが如何せん文化の底が浅い。高等学校の修学旅行先としては「ちょっと考 える」のである。従って私は万が一の時の代替え先としてロスも我々の旅行先バンクに登 録しておこうと思った。この秋の旅行はパリは止めて代わりにオーストリアのウイーンと チェコのプラハに決めているがその比較も必要だろうと思う。高校2年の学年主任が3月 末に下見に出かけることになっている。 ・ ハワイ班は帰国後報告を受 けるが無事に進んでいると報 告を受けている。明日3月6日 沖縄、ハワイ、ロスが大きな時 間差が無い状態で関空に着陸 するがロス班の生徒はロス空 港に向かうバスに乗り込む時 は幾分悲しそうに見えたが仕 方がない。楽しむ時は楽しみ勉 強する時は一生懸命頑張るの だ。帰国は高校3年生になり 「受験モード」に切り替えて貰 わないと親も先生も困る。「現 実に立ち返る」ことへの寂しさみたいなものが物悲しく見えるのだろうが毎年毎年私は同 じ顔を見てきた。三日もすれば現実に立ち戻れる。昨年11月のパリでの同時多発テロか ら4カ月で本校の修学旅行は無事にすべての生徒で終わったことになる。私は今ロスのワ ンワールドのラウンジでこのブログを書きながら「ホッ」と安堵している。さあ、私も現実 に戻って外構工事・神社普請に最後のエネルギーを投入し、全てを見事に完成させる。そし て神様に3月24日にはご遷座して頂くのだ。