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IMFとアルゼンチン:1991年−2001年
−IMF独立政策評価室による評価レポートの概要
開発金融研究所主任研究員 山下 元
*
要 旨
IMFの独立政策評価室(IEO)は、1991年から2001年までのアルゼンチンにおいてIMFが果たした
役割に関する事後評価レポート(以下、
「本レポート」と言う。
)を2004年7月に発表した。本稿の
目的は本レポートの概要をご紹介することにある。
IEOは2001年7月、IMFマネジメントからは独立した立場でIMFの諸活動に対する客観的な事後評
価を行い、これによりIMF理事会の機能をサポートすることを主目的として設立された。
本レポートは特定国向けプログラムに関するIEOの事後評価レポートとしては、2003年7月に発表
されたインドネシア、韓国、ブラジルに関するレポートに続く2番目の成果であり、1番目のレポー
トと同じくIEO審議役・大阪大学経済学部教授の高木信二氏が率いるチームにより執筆された。
本レポートは2000年終盤から2002年初めにかけてのアルゼンチン危機におけるIMFの危機管理、特
に2001年中に行われた数回の重要な意思決定に焦点を当てつつ、それに先立つ10年間におけるサーベ
イランス(政策監視)及びプログラム・デザインについても合わせて評価を行い、その結果、いくつ
かの重要な点でIMFに問題があったと率直に指摘している。例えば、為替レート制度の持続可能性に
関する厳密な分析と率直な議論の不足、対外債務の持続可能性に関する厳密な分析の欠如、財政改
善・財政構造改革に対する政府の政治的コミットメントの弱体化に対し有効な措置を取れなかったこ
と、脆弱な/あるいは整合性に欠ける政策に強いオーナーシップを有する政府に対して政策変更を促
せなかったこと、対外債務及び通貨制度の持続可能性に関わる危機を流動性の危機と誤診した為にプ
ログラム・デザインが楽観的に過ぎたこと、戦略が失敗した場合の非常事態対応戦略(特に出口戦略)
が策定されていなかったこと、意思決定過程における理事会の役割が不充分であったこと等である。
本レポートは以上のような評価結果から10項目の教訓をまとめ、6項目の改善提言を行っている。
10項目の教訓は3種類のカテゴリーに大別されており、その要旨は以下のとおりである。
①サーベイランス(政策監視)及びプログラム・デザイン
・教訓1:為替レート制度の選択権は政府にあるが、IMFは為替レート制度が他の諸政策及び諸制
約との整合性を保つよう、サーベイランスを確実かつ率直に行う必要がある。
・教訓2:資本勘定を自由化した新興市場国にとって持続可能な債務のレベルは、従来考えられ
てきたよりも低い可能性がある。
・教訓3:政府がIMFアレンジメントを予備的なものとして取扱うと決定した場合、IMF支援を受
ける為の基準(standards)が弱められるリスクが生じる。
・教訓4:当該国のIMFプログラムに対するオーナーシップは不可欠であるが、誤った方向の政策
*
海外投融資情報財団上席主任研究員を経て現在、日本ウジミナス株式会社審議役。なお、本稿の内容のうち意見にわたる部分は筆
者の個人的見解であり、筆者が現在帰属している組織あるいは過去に帰属したいかなる組織の意見をも代表するものではない。
2006年2月 第28号
111
あるいは弱過ぎる政策に対するオーナーシップは、望ましくない結果を招きがちである。
・教訓5:マクロ経済の良好なパフォーマンスは、外部環境の悪化を受けて信認の回復を図る場
合に越え難い障害となるような、制度的な脆弱性を覆い隠している可能性がある。
②危機管理
・教訓6:特定の政策枠組を支援するか否かの意思決定は、蓋然性を踏まえた判断とならざるを
得ないが、重要なのは、判断を可能な限り厳密なものにすること、及び決定的に重要な前提
条件が実現しなかった場合の代替的戦略を最初から用意しておくことである。
・教訓7:資本収支危機の解決に対する触媒的(catalytic)アプローチは、非常に厳密な諸条件が
充たされた場合にのみ機能し得る。
・教訓8:自発的な市場ベースの債務再編という形でのfinancial engineeringは、コストが高くつく
のみならず、危機的状況の下で実施される場合には、信頼できる包括的な経済戦略を伴って
いなければ債務の持続可能性を改善することは難しい。
・教訓9:危機の解決に必要な行動を遅らせることは、危機の最終的なコストを大幅に引き上げ
てしまう。
③意思決定過程
・教訓10:IMFの意思決定過程において、リスク分析、アカウンタビリティー、予測可能性を改
善することが、誤りを最小限に留め有効性を高める為に必要である。
4つの分野にわたる6項目の改善提言の要旨は、以下のとおりである。
①危機管理及びプログラム・デザイン
・提言1:IMFは危機の発端から、
「ストップ・ロス・ルール (
“stop-loss rules”
)
」を含む予備的
戦略を用意しておくべきである。ストップ・ロス・ルールとは、当初の戦略がうまく機能し
ているか否か、アプローチの変更が必要か否かを判断する為の一連の基準である。
・提言2:債務あるいは為替レートの持続可能性に懸念が生じている場合、IMFは、当該国支援の
為の条件は政府が意味のある政策変更を行うことである旨、明確に示すと同時に、そのよう
な変更を促進すべく積極的な関与を続けるべきである。
②サーベイランス
・提言3:為替レートと債務の中期的な持続可能性に関する分析を、IMFのサーベイランスの核心
とするべきである。その為に、IMFはいくつかの諸措置(ここでは省略…本稿Ⅱ4
(3)
参照)
をシステム化すべきである。
③IMFプログラムをめぐる当該国との関係
・提言4:IMFは、国際収支上の緊要性がなく、必要な政策の調整や構造改革に対して重大な政治
的障害が存在する場合には、当該国とのプログラム上の関係を開始したり維持したりするべ
きではない。
・提言5:例外的アクセスの供与は、当該国政府とIMFとの密接な協力を前提とするべきである。
④意思決定過程
・提言6:理事会の役割を強化する為、イ.マネジメントの意思決定に対する理事会の有効な監
視、ロ.意思決定に関連する全情報の理事会への提供、ハ.全ての問題に関するマネジメン
ト・理事会間でのオープンな意見交換、を促進する手続きが必要である。
本レポートの評価結果には上述のとおりかなり率直なものも含まれているが、本レポートがIMFの
内部資料やIMF内外の多数の関係者へのインタビューに基づいてまとめられたこともあり、IMFのマ
112
開発金融研究所報
ネジメント、スタッフ、理事会も、本レポートの評価結果を大筋においては受け入れている。本レポ
ートの評価結果や改善提言が今後のIMFにどのようなインパクトを与えてゆくか、注目されるところ
である。
目 次
Ⅰ はじめに …………………………………113
Ⅱ IMF独立政策評価室による事後評価レポー
トの要旨 ……………………………………114
1.序章 ……………………………………114
(1)1991年−2001年の経済概況 …………118
(2)危機の諸要因 …………………………120
2 サーベイランス(政策監視)及びプログラ
ム・デザイン:1991年−2000年 ……121
(1)為替レート政策 ………………………122
(2)財政政策 ………………………………126
(3)マクロ経済的に肝要な分野における
構造改革 …………………………………129
(4)アルゼンチンに対する関与のしかた 133
3.危機管理:2000年−2001年 ……135
(1)第2回レビューと増額:2001年1月 135
(2)第3回レビューの完了:2001年5月 139
(3)第4回レビューと増額:2001年9月 141
(4)第5回レビューの未了:2001年12月 144
(5)意思決定過程 …………………………145
4.アルゼンチン危機からの教訓 ………148
(1)主な所見 ………………………………148
(2)IMFにとっての教訓 …………………150
(3)提言 ……………………………………153
Ⅲ 本レポートをめぐる議論とフォローアップ
1.本レポートに対するIMFスタッフの応答、
理事会での議論等 ………………………156
(1)IMF専務理事によるステートメント 156
(2)IMFスタッフの応答 …………………156
(3)スタッフの応答に対するIEOのコメント
……………………………………………160
(4)ラバーニャ経済大臣による
ステートメント …………………………161
(5)理事会での議論 ………………………162
2.提言のフォローアップ状況:IEO年次報
告書より …………………………………164
Ⅳ おわりに …………………………………164
いる。本レポートはこれらの評価、そこから導き
Ⅰ はじめに
出された教訓に基づき、具体的な改善策を提言し
IMFの独立政策評価室
(Independent Evaluation
*1
「IMFとアルゼンチ
Office:IEO) は2004年7月、
ている。本稿の目的は本レポートの概要をご紹介
することにある。
*2
2001年7月の発足以来、IEOは1年間に横断的
(以下、
「本レポート」または「原レポート」と言
テーマの評価を2∼3本程度、特定国向けプログ
う。)を発表した。本レポートは、1991年から
ラムの事後評価を1本程度のペースで発表してお
2001年までのアルゼンチンにおいてIMFが果たし
り、本レポートは後者の2番目の成果である。そ
た役割を評価するものであり、主な焦点は2000年
の最初の成果はインドネシア、韓国、ブラジルの
から2002年初までの危機の時期にあるが、IMFが
3ヶ国で1997年から1999年にかけて発生した資本
長期にわたりアルゼンチン経済に関与したにも拘
収支危機におけるIMFの役割に関する事後評価レ
らず何故深刻な危機が発生したかを解明する観点
ポート(IEO(2003a)
)であり、その概要は本所
から、それ以前の10年間についても分析を行って
報第21号の拙稿でご紹介している
(山下
(2004)
)
。
ン:1991−2001」と題する事後評価レポート
*1
*3
IEOの概要については、IEOのホームページに以下のような説明がある。「IEOは2001年7月、IMF理事会により設立された。IEO
はIMFのマネジメントからは独立して、またIMF理事会からは一定の距離を置いて(at arm’
s length)活動する。その使命はIMF
のマンデートに関わる諸問題について客観的で独立した評価を提供し、それによりIMFのガバナンスや監督にかかる理事会の機能
をサポートすること、IMFの学習文化(learning culture)の強化に貢献すること、及びIMFの業務に対する理解を促進すること
である。」
*2
Independent Evaluation Office(IEO)(2004a)。なお本稿はIMFからの承認を得て刊行するものであるが、文責は全て筆者にあ
り、IMF及び(独立の評価機関である)IEOは、翻訳の正確さについて責任を負わない。
2006年2月 第28号
113
図表1
アルゼンチンにおけるIMFアレンジメント:1991−2002年
(2003年3月31日現在)
理事会承認日
SBA 注①
EFF 注②
SBA 注①
EFF 注②
SBA 注①
(うちSRF)注③
1991.7.29
1992.3.31
1996.4.12
1998.2.4
2000.3.10
2001.1.12
実行期限または
キャンセル日
1992.3.30
1996.3.30
1998.1.11
2000.3.10
2003.1.23
2002.1.11
承認額
(百万SDR)
00780
4,020
00720
02,080
16,937
(6,087)
承認額/
引出し済み額
クオータ(%) (百万SDR)
070
0439
361
4,020
047
0613
135
0000
800
9,756
(288)
(5,875)
残高
(百万SDR)
0000
0683
0000
0000
9,015
(5,134)
注)
① SBA(Stand-By Arrangement)
:スタンドバイ取極
② EFF(Extended Fund Facility)
:拡大信用供与措置
③ SRF(Supplemental Reserve Facility)
:補完的準備融資制度
出所)Independent Evaluation Office(IEO)
(2004a)
本レポートの執筆にあたったのは、上記3ヶ国
原文にない文言を補足した箇所がいくつかあり、
の事後評価レポートと同じく、IEO審議役・大阪
それらは大括弧(
[ ]
)で示してある。また、で
大学経済学部教授の高木信二氏が率いるチームで
きるだけ原レポートの意図を正確に伝えるよう努
ある。アルゼンチン危機においてIMFが果たした
力はしたつもりであるが、要約にあたっての内容
役割の評価は、既に様々な形でIMFの内外におい
の取捨選択は当然のことながら筆者の判断による
て試みられてきたが、IMFの一組織でありながら
ものである。Ⅲの「本レポートをめぐる議論とフ
マネジメントからは独立した立場にあるIEOが作
ォローアップ」では、本レポートの添付資料及び
*4
成したという点に本レポートの特色がある。
その後のIMFの発表に基づき、本レポートに対す
本レポートは、今後のIMFのオペレーションに
るIMFスタッフの応答と理事会での議論等、及び
向けての教訓を引き出すことを主な目的としてお
本レポートの提言に関するその後のフォローアッ
り、本レポートの評価結果及び提言は、IMFのス
プ状況を概観する。Ⅲにおいても特に断りがない
タッフ、マネジメント、理事会(2004年7月開催)
限り筆者の見解は一切含まれていない点は、上述
による議論を経て、以後のIMFの活動に反映され、
のⅡと同じである。最後の「おわりに」は、本稿
提言の実施状況についてフォローアップが行われ
の筆者による総括である。
ることになっている。本レポートの評価結果と提
言が今後のIMFにどのようなインパクトを与えて
ゆくかが注目される。
次章「Ⅱ IMF独立政策評価室による事後評価
Ⅱ IMF独立政策評価室による事
後評価レポートの要旨
レポートの要旨」では、基本的に本レポートの構
成に沿ってその要旨を紹介する。なおⅡにおいて
1.序章
は、脚注及び図表(注を含む)の中で特に「筆者
注」あるいは「筆者による補足」と明示した部分
2000年から2002年にかけてのアルゼンチン危機
以外には筆者の見解は一切記さず、全て原レポー
は近年の通貨危機の中でも最も深刻なもののひと
トの内容により構成している。但し、Ⅱの本文に
つであった。1991年以来1ドル=1ペソの平価を
おいて、筆者の判断で文意を分りやすくする為に
保っていたカレンシー・ボード的な枠組は2002年
*3
第3の成果として2005年12月、
“Evaluation of IMF Support to Jordan, 1989−2004”が発表された。また現在、IEOのウェブサイトに
は次のプロジェクトとして“Evaluation of the IMF’
s Role in the Determination of the External Resource Envelope in Sub-Saharan African
Countries”にかかるイッシューペーパーのドラフトが掲載されている。
*4
IEOは本レポート作成にあたり、IMFの内部資料等を利用するとともに、IMF内外の現在及び当時の関係者254名以上からインタ
ビュー等により意見を聴取した。その内訳は、IMF関係者(スタッフ、マネジメント、理事)40名以上、アルゼンチン政府関係者
37名、他国政府関係者63名、国際機関(世銀、欧州中銀、EC、IDB、OECD、UN ECLAC)関係者20名、大学その他関係者94名
である(原レポートのAppendix Ⅹより筆者が集計した)
。
114
開発金融研究所報
1月に崩壊し、同年末にはペソは1ドル=3.4ペ
き出すには有益なものであるが、過去に対
ソまで下落した。3年間の景気後退に続いて勃発
して評価を下そうとする場合、特に責任の
した危機は壊滅的なインパクトをもたらし、2002
所在を明らかにしようとする場合には、現
年の経済成長率はマイナス11%、1998年からの累
在我々が知っていることの多くを当時意思
計ではマイナス20%に迫り、失業率は20%を超え
決定にあたった人々は知らなかったであろ
た。
うという点に、常に留意すべきである。
アルゼンチンにおいてIMFが果たした役割に対
②経済の動きは常に不確実性を伴い、危機に
しては、少なくとも次の三つの理由から、特別な
おいては不確実性が増大する。不確実性の
注意を注ぐに値する。
下で行われた意思決定について、単に[事
①インドネシア、韓国等のケースと異なり、
後的に(ex post)
]所期の目的を達成出来
アルゼンチンでは1991年以来殆ど継続的に
なかったという理由のみによって、事前
IMFがプログラムを通じて関与してきたこ
(ex ante)にも誤った決定であったと判定
と。
することはできない。必要なのは確率論的
②やはり他のケースと異なり、アルゼンチン
アプローチである。即ち、その戦略につい
の危機は突然爆発したものではなく、少な
て事前(ex ante)に予測された成功確率
くとも1999年までには兆候が現れており、
が、成功する場合に予測される便益と失敗
その為政府は2000年初めにはIMFに対し新
し危機が一層深刻化する場合に予測される
しいスタンドバイアレンジメント(SBA)
コストに鑑みて、充分に高かったか否かを
を要請していたこと。
問うべきである。
③IMFの資金がアルゼンチンの固定為替レー
③ある戦略に対して意味のある評価を行うに
ト制度を支持する為に供給されたこと。
は、より良い結果をもたらしたかも知れな
IMFは長期にわたり当該制度を、価格安定
い代替案との比較が必要であるが、そのよ
に不可欠であると同時に根本的に持続可能
うな所謂“counterfactual”を厳密に行う
なものであるとしてきた。
のは極度に難しい。
本レポートの評価対象は、1991年から2001年ま
④IMFは関係者のうちの一つに過ぎず、政策
でのアルゼンチンにおいてIMFが果たした役割で
決定に最終的な責任を持つのは当該国政府
ある。その主な焦点は2000年から2002年初の数日
である。このことはアルゼンチンのように
*5
間まで の危機の時期にあるが、IMFがその広範
当該国政府が政策の選択に強いオーナーシ
な関与にも関わらず何故、アルゼンチン政府が危
ップを持っていた場合、特に重要である。
機を予防あるいはより良く管理出来るよう支援す
今般の事後評価にあたりIEOは、内部資料も含
ることが出来なかったのかを解明するには、その
む広範なIMFの資料を利用している。但し、マネ
前の10年間の経験をレビューすることが必要であ
*6
ジメント 内部のみに限定された文書、及びマネ
る。
ジメントと各国政府とのやり取りに関する文書に
本レポートの主な目的はIMFの今後のオペレー
ついては、それらがスタッフに開示された場合を
ションの為の教訓を引き出すことにある。本レポ
除き、IEOに自動的なアクセスは与えられていな
ートに関して留意すべき点は、以下のとおりであ
い。マネジメントとIMFの主要出資国政府との間
る。
では頻繁に協議が行われており、IEOが入手可能
*5
①事後評価というものは常に後知恵の恩恵に
な記録類にはそうした協議に関するものが含まれ
浴しており、後知恵は未来の為の教訓を引
ていない為、一部の政策問題に関する我々の判断
この期間設定により、その後の経済再建・回復におけるIMFの役割に関する諸問題は本レポートの対象外となっている。IEOは規
定上、IMFが現在行っているオペレーションに直接関係する問題の評価は行えない。
*6
マネジメントとは、専務理事、第1副専務理事、及び2名の副専務理事の4名からなるグループを指す。
2006年2月 第28号
115
図表2
主な出来事:1991−2002年
(年月日)
1991年1月30日
1991年3月27日
1991年3月28日
1991年4月1日
1991年7月29日
1991年11月1日
1991年11月14日
1992年1月1日
1992年3月31日
1992年5月27日
1992年9月23日
1992年9月24日
1992年11月9日
1992年11月11日
1992年12月6日
1993年1月4日
1993年1月20日
1993年3月10日
1993年3月16日
1993年9月23日
1993年10月3日
1993年11月14日
1994年8月1日
1994年8月4日
1994年11月22日
1994年12月23日
1995年1月1日
1995年3月11日
1995年3月27日
1995年4月14日
1995年5月14日
1995年11月29日
1996年4月12日
1996年7月18日
1996年7月26日
1996年7月29日
1997年1月2日
1997年3月24日
1997年4月9日
1997年4月24日
1997年5月9日
1997年8月2日
1997年8月14日
1997年9月15日
1997年9月21日
1997年11月19日
1998年2月4日
1998年2月17日
1998年2月20日
1998年3月28日
1998年4月3日
1998年4月21日
1998年7月8日
1998年7月12日
1998年7月17日
1998年7月25日
116
開発金融研究所報
(出来事)
ドミンゴ・カバロ氏が経済相に就任。
下限を=10,000アウストラル/ドル、上限を8,000アウストラル/ドルとする為替変動バンドを設定。
アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイがMercosur設立協定に署名。
国会が通貨兌換法(Convertibility Law)を承認。
1ドル=10,000アウストラルの固定相場により通貨兌換法施行。
IMF理事会、アルゼンチン向けスタンドバイ・アレンジメント(SBA)を承認。
カルロス・メネム大統領、広範な経済規制緩和・貿易自由化プログラムを発表。
国会が雇用法(Employment Law)を承認、これにより一時契約を認め、退職金に上限を設定。
通貨をアウストラルからペソに変更、10,000アウストラルを1ペソとする。
IMF理事会、アルゼンチン向け拡大信用供与措置(EFF)を承認。
港湾サービス事業を政令により民営化。
国会が新中央銀行法を承認、中銀の独立性を確立すると同時に、物価安定を主目的として義務付ける。
国営石油公社(YPF)の売却を法により定める。
メネム大統領に反対する労組が最初のゼネストを組織する。
債権者である銀行と合意に達する。
アルゼンチンへのプレイディー・プラン適用で合意に達し、IMF専務理事はこれを祝福。
経常取引・資本取引におけるドルの使用が認められる。
アウストラルの新ペソへの交換の最終日。
ラジカル党、労組、退職者が年金改革に抗議してデモを実施。
ペロニスト党の知事達が、大統領再選を可能にする憲法改正案を支持。
上院が年金改革法を承認。
下院選挙。ペロニスト党が議席を増やす。
オリヴォス協定。ペロニスト党のカルロス・メネム、ラジカル党のラウル・アルフォンシンの両氏が、大統領
の2期目4年間の就任を認める憲法改正に関し合意。
憲法制定会議、新憲法を承認。
アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイによるMercosurが発足。
上院がEncotesa(連邦郵便電信公社)の民営化を承認。
メキシコが自国通貨を切下げ。
Mercosur発効。
付加価値税率を18%から21%に引上げ。
IMF理事会、アルゼンチン向けEFFの期限延長を承認。
流動性に問題が生じた銀行5行の営業を政府が停止。
大統領選挙。カルロス・メネム大統領が再選される。
下院、カバロ大臣に1年間、連邦予算均衡化のための特別権限を付与。
IMF理事会、アルゼンチン向けSBAを承認。
カバロ大臣、財政調整プログラムが承認されなければ辞職すると表明。
経済相、ドミンゴ・カバロ氏からロケ・フェルナンデス氏に交代。
フェルナンデス経済相、公式に就任。
ある判事が労働改革政令を憲法違反と認定。
郵便システム、政令により民営化。
メネム大統領とドゥアルデ知事との間の緊張が高まりつつあると報道される。
国営・州営空港が政令により民営化される。
労働改革に関し労組と合意。労働契約への柔軟性を導入するも、労働健保システムへの競争の導入は出来ず。
ラジカル党とFREPASO(祖国連帯戦線)が提携。この後、Alianza(同盟)と呼ばれる。
全国スト実施。
メネム大統領、年金受給額の増額を約束。
メネム大統領、教員の給与引上げを約束。
Alianzaが、コンバーティビリティ・レジームに対する支持を公に表明。
IMF理事会、アルゼンチン向EFFを承認。
エドゥアルド・ドゥアルデ氏、1999年の大統領選候補としての活動を再開。
ドゥアルデ知事とメネム大統領との間に合意が成立と報道される。
Alianzaが大統領三選反対運動を始動。
ラジカル党大会において、1999年大統領選候補はフェルナンド・デ・ラ・ルーア氏と宣言。
エドゥアルド・ドゥアルデ氏、1999年の大統領選への出馬を再確認。
Alianza、労働改革プランを拒絶。
メネム大統領、三選に関する国民投票実施への支持をペロニスト党に求める。Alianza、ペロニスト党の両者
とも国民投票のアイディアを退ける。
メネム大統領、三選に対する支持をペロニスト党に求める。同党内に亀裂がある旨、報道される。
エドゥアルド・ドゥアルデ氏、大統領選キャンペーンを始動、経済モデルの変更が必要と主張。
(年月日)
1998年9月2日
1998年10月1日
1998年10月5-7日
1998年10月9日
1998年11月29日
1998年12月2日
1998年12月5日
1999年1月11日
1999年1月13日
1999年1月15日
1999年2月8日
1999年2月27日
1999年4月16日
1999年5月12日
1999年7月14日
1999年10月24日
(出来事)
労働改革が国会により承認され、法律化される。
IMF専務理事、アルゼンチン経済を称賛。
メネム大統領、IMF・世銀年次総会に出席。
メネム大統領、三選希望を再度表明。
フェルナンド・デ・ラ・ルーア氏、Alianzaの大統領候補指名を獲得。
カルロス・アルバレス氏をAlianzaの副大統領候補に選出。
メネム大統領が憲法改正を模索するも強硬な反対に直面している旨、報道される。
裁判所、憲法に基づく大統領三選[被選挙権]の承認を求めるメネム大統領の訴えを却下①。
ブラジルが自国通貨を切下げ。
メネム大統領がペソ・ドル等価の維持へのコミットメントを再確認との報道あり。
メネム大統領がdollarization(ドル化)を提案との報道あり。
メネム大統領、次期大統領選への出馬を断念と報道される。
ドミンゴ・カバロ氏がコンバーティビリティ・レジームの修正の必要性を示唆した旨、報道あり。
フェルナンデス大臣が、財政健全化を保証するための国会との合意を要求。
ドゥアルデ知事が債務再編を検討中と報じられる。
大統領選及び下院選。Alianzaのフェルナンド・デ・ラ・ルーア氏とカルロス・アルバレス氏が得票率48.5%で
大統領選に勝利。Alianzaは下院の議席数を105から125に延ばし、
ペロニスト党は19議席減の101議席となる。
1999年12月10日
デ・ラ・ルーア大統領が就任。経済大臣にはホセ・ルイス・マチネア氏が就任。
2000年2月24日
集団労働契約の分権化を目指す労働市場改革案に反対し、ストライキが実施される。
2000年3月10日
IMF理事会、アルゼンチン向SBAを承認。
2000年4月26日
上院が若干の修正を加えた上で労働改革法案を可決。労組は全国ストを呼びかける。
2000年5月5日
労働改革に反対する全国ストが実施される。
2000年5月11日
下院の可決により労働改革法が成立。
2000年6月6日
全国ストが実施される。
2000年8月17日
デ・ラ・ルーア大統領、国民の非難に応え、労働改革法の上院での可決に関する贈収賄疑惑の調査のため、
アルバレス副大統領を議長とする特別委員会を設置。
2000年9月4日
デ・ラ・ルーア大統領、政府が労働改革法可決のために贈賄を行ったことはないと言明。
2000年10月6日
アルバレス副大統領が辞任。
2001年1月12日
IMF理事会、SBAの増額を承認、第2回レビューを完了。
2001年3月2日
マチネア大臣が辞任。
2001年3月4日
リカルド・ロペス・ムルフィー氏が新しい経済大臣に指名される。
2001年3月16日
財政引締めプログラム案に反対して、FREPASO党員の閣僚が辞任。FREPASOとラジカル党の同盟
[Alianza]が決裂。労組はストライキを実施。
2001年3月19日
ロペス・ムルフィー大臣が辞任。
2001年3月20日
ドミンゴ・カバロ氏が新しい経済大臣に任命される。
2001年3月26-28日 国際的格付機関、アルゼンチンの長期ソブリン格付を格下げ。
2001年3月29日
カバロ大臣、国会から「非常時特別権限」("emergency powers")を付与される。
2001年4月14日
カバロ大臣、兌換法を改正し、[ペソのペッグ対象を]ドルからドル:ユーロが同ウェイトのバスケットに
変更する旨、発表①。
2001年4月16日
カバロ大臣、大企業に対し10億ドルの「愛国債」購入を要請。
2001年4月26日
資金洗浄疑惑により中銀総裁が交代。
2001年5月8日
Standard & Poor’
s(S&P)社、アルゼンチンの長期ソブリン格付をB+からBに格下げ。
2001年5月21日
IMF理事会、アルゼンチン向けSBAの第3回レビューを完了。
2001年6月3日
政府、「メガ・スワップ」の完了を発表。
2001年6月15日
カバロ大臣、租税・貿易関連措置のパッケージを発表。非エネルギー財の輸出者・輸入者に対する貿易補償
メカニズムを含む。
2001年6月20日
上院が改正兌換法を可決。
2001年7月11日
赤字ゼロ計画(zero deficit plan)が発表される。財政均衡化のための強制的経費削減を含む。
2001年7月30日
赤字ゼロ計画が法律として成立。
2001年8月10日
市場筋の見方として、IMFパッケージはデフォールトの時期を遅らせるだけに過ぎないとの見方が報道される。
2001年8月21日
IMF、SBAの80億ドル増額を計画中と発表。
2001年9月5日
FREPASOがコンバーティビリティ・レジームの終結を提案しているとの報道あり。
2001年9月7日
IMF理事会、SBA増額を承認、第4回レビューを完了。
2001年10月14日
上・下院選挙。ペロニスト党が両院のコントロールを握る。
2001年10月30日
FREPASO、下院でのAlianza([ラジカル党との]連携)を解消。
2001年11月6日
S&P社、アルゼンチンの長期ソブリン格付をCCからSD(selective default)に格下げ。
2001年12月1日
政府、部分的預金封鎖(corralitoコラリート)及び資本取引規制を導入。
2001年12月6日
カバロ大臣、IMFマネジメントと協議のため訪米。
2001年12月8日
民間年金基金、国債購入を強制される。
2001年12月12日
全国ストライキが実施され、政府の経済政策に反対する一連のデモを誘発する。
2001年12月19日
カバロ大臣が辞任。
2001年12月20日
デ・ラ・ルーア大統領、デモ参加者死亡事件を受け辞任。ラモン・プエルタ上院議長が暫定大統領に就任。
2006年2月 第28号
117
(年月日)
2001年12月23日
2001年12月30日
2002年1月1日
2002年1月3日
2002年1月6日
2002年2月3日
2002年2月11日
2002年3月8日
2002年3月25日
(出来事)
アドルフォ・ロドリゲス・サー氏が議員総会により大統領に選出される。同氏は対外債務の部分的デフォー
ルトを発表。
ロドリゲス・サー大統領が辞職。エドゥアルド・カマーニョ下院議長が(ラモン・プエルタ上院議長の辞任
により)暫定大統領に就任。
エドゥアルド・ドゥアルデ氏が議員総会により、2003年12月までを任期として大統領に選出される。
ドゥアルデ大統領、コンバーティビリティ[・レジーム]の終結および二重為替レート制度の導入を発表①。
兌換法の効力を停止。外国貿易用の1ドル=1.40ペソの固定レート、および市場で自由に決定されるレート
の2種類による二重為替レート制度を開始。
政府、二重為替レートの一本化および銀行バランスシートの非対称的なペソ化(資産は1ドル=1ペソ、負
債は1ドル=1.4ペソ)を布告。
為替レート一本化後、初めて外為市場を開く。ペソは1ドル=1.8ペソまで下落。
政府、アルゼンチン法に基づく政府債務のペソ化を宣言。
ペソ安のピークである1ドル=4ペソまでペソが下落。
注)①[ ]は筆者による補足。
出所:Independent Evaluation Office(IEO)
(2004a)
は限られた情報に基づくものである。
は、1989年に始まったハイパー・インフレーショ
*7
本レポートの構成は以下のとおりである 。本
ンと事実上の経済崩壊への対応措置であり、充分
章の残りの部分では、1991年から2002年初までの
な信認を得られるような形でペソのドルへのハー
経済状況を概観した後、危機に導いた諸要因につ
ド・ペッグを構築することによる経済安定化を目
いて論じる。第2章では危機前の時期、即ち1991
的としたものである。新しいペソはドルに1:1
年から2000年におけるプログラム・デザインとサ
の平価で固定され、カレンシー・ボード的な枠組
ーベイランスについて、①為替レート政策、②財
により中央銀行の能動的な貨幣創出には、古典的
政政策、及び③マクロ経済的に肝要な分野におけ
カレンシー・ボードほど硬直的ではないものの、
る構造改革の三つの分野に焦点を当てて評価す
*9
厳しい制約が課された 。この為替レート制度は、
る。第3章では2000年後期から2001年末までの危
より広い市場指向の構造改革を含むコンバーティ
機の期間におけるIMFの重要決定、即ち、①第2
ビリティ・プランの一部であった。
回レビューの完了とSBA増額(2001年1月)
、②
コンバーティビリティ・プランの下で、特に最
第3回レビューの完了(2001年5月)
、③第4回
初の数年間は、アルゼンチンの経済実績は顕著な
レビューの完了と増額(2001年9月)
、④第5回
改善を示した。インフレ率は1991年初めの27%か
レビューの未了、即ち実質的なIMF支援打切り
ら1993年には一桁に下がり、その後も低い水準に
(2001年12月)
、にかかる問題点について論じる。
留まった。経済成長は1998年初めまで、メキシコ
第4章では主な所見、IMFにとっての教訓を述べ
危機の影響を受けた一時期を除き堅調で、1991
た後、6項目の提言を行う。巻末の添付資料集に
年−1998年の平均成長率は6%近くを記録した。
は、本文中のいくつかの論点に関するより詳細な
投資環境の好転に惹かれ、多額のポートフォリオ
情報、分析等が含まれている。
投資及び直接投資が流入した。
1995年のメキシコ危機に際し、アルゼンチンは
(1)1991年−2001年の経済概況
IMFの金融支援を得て強力な財政引締めと構造改
1991年4月に始まった「兌換法」
(Convertibility
革を含む調整プログラムを開始した。その後のV
*8
字型回復は広く、コンバーティビリティ・レジー
Law)によるアルゼンチン通貨のドル・ペッグ
*7
*8
*9
[筆者注]原レポートの第1章∼第4章が、本稿のⅡの1∼4にそれぞれ対応する。
当初は10,000アウストラルが1ドルに固定され、1992年1月の通貨変更により1ペソ=1ドルとなった。
兌換法は、中央銀行に原則としてマネタリー・ベースの全額を外貨準備によりカバーすることを要求し、また、自国通貨建て契約
のインデクセーション(物価スライド)を禁じている。「古典的」カレンシー・ボードとの違いは、中央銀行がベース・マネーの
一部のカバーとしてドル建ての国内債券の保有を認められていた点、及びドルの買い支え介入を義務付けられなかった(従って制
度的にはペソが1ドルより増価することが可能であった)点にある。
118
開発金融研究所報
図表3
主要経済指標
1991
実質GDP成長率(%)
10.5
実質民間部門消費成長率(%)
15.0
実質公的部門消費成長率(%)
−13.1
実質固定投資成長率(%)
31.5
インフレ率(CPI、12月/12月:%)
84.0
M1増加率(12月/12月:%、ペソ)
148.6
ブロード・マネー増加率(12月/12月:%、ペソ) 167.9
経常収支(十億ドル)
−0.4
経常収支(対GDP比:%)
−0.2
財・サービス輸出増加率(%、ドル)
−2.1
財・サービス輸入増加率(%、ドル)
68.3
公的部門債務(対GDP比:%)
34.8
対外債務(対GDP比:%)
34.5
デット・サービス・レーシオ(%)
33.6
外貨準備(金を除く、十億ドル)
6.2
ペソ/ドル為替レート(期末)
1.0
実質実効為替レート(期末、1990年平均=100) 140.5
交易条件変化率(財・サービス:%)
7.6
中央政府プライマリー・バランス(対GDP比:%)
…
一般政府部門プライマリー・バランス(対GDP比:%)
…
中央政府財政収支(対GDP比:%)
…
一般政府部門財政収支(対GDP比:%)
…
1992
10.3
12.1
22.7
33.5
17.5
49.0
63.0
−6.5
−2.9
3.4
58.8
28.3
27.7
27.5
10.2
1.0
165.4
6.1
1.3
1.3
−0.2
−0.4
1993
6.3
7.1
12.1
16.0
7.4
33.0
55.9
−8.0
−3.4
8.5
30.3
30.6
30.5
30.9
14.0
1.0
177.8
−7.7
2.1
1.5
0.9
0.1
1994
5.8
5.4
2.7
13.7
3.9
8.2
14.9
−11.1
−4.3
17.8
11.3
33.7
33.3
25.2
14.6
1.0
169.3
14.4
0.8
0.1
−0.5
−1.4
1995
−2.8
−4.0
−1.6
−13.0
1.6
1.6
−4.3
−5.2
−2.0
28.9
−4.6
36.7
38.4
30.2
14.5
1.0
162.9
−4.5
0.1
−1.3
−1.5
−3.2
1996
5.5
7.3
−0.9
8.8
0.1
14.6
20.0
−6.8
−2.5
13.6
15.8
39.1
40.6
39.4
18.3
1.0
163.3
9.9
−0.5
−0.7
−2.2
−2.9
1997
8.1
8.7
3.8
17.7
0.3
12.8
26.9
−12.2
−4.2
9.0
24.1
37.7
42.7
50.0
22.3
1.0
175.8
0.2
0.4
0.3
−1.6
−2.1
1998
3.8
2.5
7.1
6.5
0.7
0.0
10.3
−14.5
−4.9
0.7
3.4
40.9
47.5
57.6
24.8
1.0
170.6
−5.1
0.9
0.5
−1.3
−2.1
1999
−3.4
−4.0
5.6
−12.6
−1.8
1.6
2.3
−11.9
−4.2
−10.5
−15.3
47.6
51.2
75.4
26.3
1.0
177.6
−8.4
0.4
−0.8
−2.5
−4.2
2000
−0.8
0.3
−0.1
−6.8
−0.7
−9.1
4.4
−8.8
−3.1
11.6
0.5
50.9
51.6
70.8
25.1
1.0
184.8
7.2
1.0
0.5
−2.4
−3.6
2001
−4.4
−4.9
−1.9
−15.7
−1.5
−20.1
−19.7
−4.5
−1.7
−0.5
−16.6
62.2
52.2
66.3
14.6
3.4
71.6
−10.8
0.1
−1.4
−3.8
−6.2
2002
−10.9
−13.3
−13.5
−36.4
41.0
78.4
18.3
9.6
3.1
−7.4
−52.6
…
42.9
…
10.5
3.4
71.6
−10.8
0.7
0.3
−11.9
−12.8
出所)Independent Evaluation Office(IEO)
(2004a)
ム*10の強固さと高い信認の証であると解釈され
り、1996年から1997年にかけては僅かながら縮小
た。
さえ記録した。しかし1999年には、景気後退と選
1998年10月、当時のIMF専務理事はIMF年次総
挙に起因する公共支出の急増により財政状況が大
会において「アルゼンチンの近年の経験」を「模
きく悪化し、公的債務の対GDP比率は1997年末の
範的」と呼び、さらに「アルゼンチンは世界に語
37.7%から1999年末の47.6%と僅か2年間で約
れるストーリーを持っている。それは財政規律、
10%も上昇し、2001年末には62%にまで達した。
構造改革、及び厳格に維持された金融政策の重要
性に関するストーリーである。
」と述べた。
2000年には公的債務の累増に加え、引続くドル
の増価と新興市場国への資本流入の一層の枯渇
しかし実際には1998年後半以降、一連の外的シ
が、アルゼンチンのソルベンシー(長期的債務支
ョック(1988年8月のロシアのデフォールトに端
払能力)への懸念を増幅させた。こうした状況で
を発する新興市場国への資本流入の逆転、ブラジ
は通常、経常収支赤字の縮小と実質為替レートの
ル等主要貿易相手国における需要減少等)により、
減価による調整が必要となるが、アルゼンチンの
アルゼンチン[経済]のパフォーマンスは悪化し
場合はコンバーティビリティ・レジームによる制
た。同国の実質GDPは1998年後半には3%以上、
約の為に、一層の景気後退を招かずにこうした調
1999年には約3.5%収縮し、コンバーティビリテ
整を行うことは非常に困難であった。同国政府は
ィ・レジームの崩壊後まで経済が回復することは
IMFとSBAについて交渉することにより、市場の
なかった。
信認を回復しようとした。政府はこのSBAを予
統合公的部門債務の対GDP比率の増大は、経
済が成長を続けている間は緩やかなものに留ま
*11
備的プログラムとして扱う意向を表明した 。
市場の信認は回復されず、2000年の後半には市
*10 [筆者注]
「コンバーティビリティ・レジーム」は、コンバーティビリティ・プランの一部である上述の為替レート制度を意味する。
*11
IMFの用語では、当該国政府が資金を利用しないと表明すれば、そのアレンジメントは「予備的」と看做される。しかし予備的ア
レンジメントと通常のものの間に法的な差は全く無く、予備的アレンジメントであっても状況が変われば政府は当該資金を利用す
る権利を有する。
2006年2月 第28号
119
場へのアクセスは事実上失われた為、同国はIMF
図表4 資本の流れ(単位:10億ドル)
支援の増額を求めた。IMFは2000年12月から2001
年にかけて、同国に例外的金融支援を行う為の一
連の決定を行い、その総額は現時点での未引出額
40
30
を含めて170億SDRに達した。しかし市場の信認
を得ることは難しかった。2000年12月に発表され
金融収支バランス
20
た増額はよい効果をもたらしたが、それは長続き
10
せず、合意された諸措置への政治的支持の欠如及
0
びプログラム目標が達成されない見通しが明白に
なるにつれて、再び圧力が高まっていった。
−10
2001年の春以降、政府は事前にIMFに協議する
−20
ことなく、矢継ぎ早に様々な措置をとった。その
−30
全体像については下記3
(2)
の図表8を参照され
たいが、若干の例をあげれば、ペソのペッグ先を
その他(融資・預金を含む)
ポートフォリオ投資(ネット)
直接投資(ネット)
1991 92
93
94
95
96
97
98
99 2000 01
02
出所)Independent Evaluation Office(IEO)
(2004a)
ドルからドル・ユーロ各50%で構成されたバスケ
ットに変更する計画の発表(この計画はドルとユ
ーロが等価となった時に実施する予定であった)
、
は三つの要因のいずれかが決定的に重要であった
としている。その三つとは、①脆弱な財政政策
「競争力計画」
(
“competitiveness plan”
)と呼ばれ
(Mussa(2002))、②硬直的な為替レート制度
た一連の産業政策・保護政策、政府債300億ドル
(Gonzáles Fraga(2002)
)
、及び③不利な外的シ
の額面価格によるより長期の債券との交換(通称
ョック(Calvo and others(2002)
)である。これ
「メガ・スワップ」
)
、等である。これらの措置の
らが重なったことが決定的であったとする論者
多くは市場に自暴自棄的あるいは実施困難と受け
とめられ、市場の信認を損なった。
(Feldstein(2002)
, Krueger 2002)もいる。
より重要な要因を選り分けることは困難である
これらの措置及びIMFの金融支援によっても市
が、脆弱性を生み出す基礎となった要因と危機の
場へのアクセスは回復できず、アルゼンチン債券
引き金となったより短期的な要因とを区別するこ
のスプレッドは2001年第3四半期に急拡大した。
とは可能である。後者が存在していなかったとす
2001年12月、資本逃避と銀行取付け騒ぎが高まる
れば危機発生のタイミングはもっと後にずれてい
中で資本取引規制と預金の一部凍結が行われた。
たかも知れないが、前者が存在し続ける限りいず
IMFは財政目標未達の為、12月に予定されていた
れ何らかの出来事が引き金となって危機が発生し
貸出を実行できないと表明した。12月末のデ・
たであろうと考えられる。
ラ・ルーア大統領の辞任の後、アルゼンチンは対
アルゼンチンの脆弱性が、財政政策の弱さと
外債務の一部につきデフォールト(債務不履行)
[為替レート制度として]コンバーティビリテ
を惹き起こした。2002年1月初めに、アルゼンチ
ィ・レジームを選択したこととの間の不整合性に
ンは公式にコンバーティビリティ・レジームを放
起因していたことは明らかである。脆弱な財政政
棄し、二重為替レート制度へと移行した。
策が2000年の深刻な流動性制約、そして2001年初
めの全面的な資金調達危機を政府にもたらした。
(2)危機の諸要因
120
もし同国の公的部門が危機以前の時期に財政黒字
アルゼンチン危機の原因については広範に研究
を記録していれば、こうした事態を回避出来たで
が行われ、IMF自身も内部でレビューを行い、教
あろうし、負のショックが発生した際に財政政策
訓を引き出している(PDR(2003)
)
。国内と海外
で対処することも出来たであろう。
のいくつかの要因が複合されて危機を惹き起こし
このような貧弱な財政パフォーマンスを生み出
たことについては大方が同意している。どの要因
す基盤となったのはアルゼンチンの脆弱な政治制
を強調するかは研究者により異なるが、その殆ど
度であり、これが同国の政治システムを常に、自
開発金融研究所報
図表5
①
四半期別実質GDP成長率 (単位:%)
98年後半以降の一連の不利な外的ショックにより
必要となった経常収支の改善は、長期間にわたる
15
需要の収縮により実現されるほかはなかったので
10
ある。
さらに国内借入市場の未発達、及び政府の自国
5
通貨建長期債を発行する能力が限られていたこと
0
から、政府は外貨建の海外借入に大きく依存した。
−5
脆弱な財政政策、海外借入への大きな依存、コン
−10
バーティビリティ・レジームによる制約の三者の
−15
組み合わせは、同国が引続く負のショックに襲わ
−20
れた際、大惨事へのレシピーとなり、特に新興市
1991
90
92
94
96
98
2000
02
出所)Independent Evaluation Office(IEO)
(2004a)
注)① 年率
場国への資本流入の急減は、対外資金調達コスト
の一層の増大と財政状況のさらなる悪化をもたら
した。
政治的要素も主要な役割を果たした。1999年12
らの調達能力を超える財政的資源をコミットする
月、増大する経済困難の兆候の中で就任したデ・
方向にプッシュし続けてきた。公共支出はしばし
ラ・ルーア大統領の新政権は、経済政策上のプラ
ば政治的恩恵の手段として使われた為抑制出来
イオリティーについて異なる考え方を持った二つ
ず、税務管理の弱さから節税・脱税が蔓延した。
の政党、即ち中道のラジカル党と中道左派の
さらにアルゼンチンの連邦制の構造上の問題点
FREPASO党の連立政権であった。連立与党は下
が、財政管理を一層難しくした。即ち、選挙制度
院で多数を占めていたが、上院及び過半数の州
が州に強い権力を与える一方、州は税収を中央政
(最大の3州を含む)は野党第一党である正義党
府に頼っており、州の政治家達は徴税コストを殆
(ペロニスト党)のコントロール下にあった。政
ど負担することなく公共支出の政治的利益の大き
府内部の不一致と政府への広範な支持の欠如が政
な部分を享受出来たので、責任ある財政へのイン
府の諸措置への信認を低め、2000年10月のアルバ
センティブが生まれなかった。また中央政府は歳
レス副大統領の辞任、2001年3月の僅か20日間に
入分与制度により、特定税目について州への分与
起きた2名の経済大臣の連続辞任(マチネア氏、
が義務付けられており、これが租税政策に大きな
ロペス・ムルフィー氏)をもたらし、決定的な段
歪みをもたらした。このような状況下、中央でも
階で市場の信認に破滅的な影響を与えた。国会議
地方でも徴税のインセンティブは弱いままに留ま
員選挙での連立与党の敗北を含む2001年後半の政
った。
治状況も、政府は危機の解決に必要な、非常に困
コンバーティビリティ・レジームは当初、経済
安定化のツールとして極めて有効であったとは言
難な諸措置をとれないだろうという[市場の]認
識を助長した。
え、中期的にはアルゼンチンにとってリスクの高
い選択であった。当該制度は収入源としての貨幣
創出を殆ど排除することにより財政規律の要求水
2.サーベイランス(政策監視)及びプログ
ラム・デザイン:1991年−2000年
準を引上げたが、これはそれが達成出来なかった
本節では1991年のコンバーティビリティ・レジ
場合にもたらされ得る破壊的な影響をも、一層大
ーム導入から2000年末の危機発生までの時期を対
きなものとした。また、名目為替レートの減価と
象として、IMFの長期にわたるアルゼンチンへの
いう政策手段を排除することにより、負のショッ
関与について検討する。以下では、IMFにとって
クへの適応を難しくした。その場合でも賃金と物
決定的に重要な三つの分野、即ち①為替レート政
価が下方硬直的でなければデフレによる調整が可
策、②財政政策、③マクロ経済的に肝要な分野
能であるが、実際には下方硬直性が存在した為、
(財政システム、労働市場、社会保障システム、
2006年2月 第28号
121
金融システム)における構造改革、に焦点を絞る。
図表6
月別実質実効為替レート
それぞれの分野について、
(ア)各段階において
IMFが下した「今、何をするべきか」の診断は正
しかったか、また改善の余地はなかったか、及び、
(イ)
[政府が]実際に選んだ政策に対するIMFの
インパクトはどうであったか、またインパクトの
(1990= 100)
200
175
150
強さあるいは弱さを決定した要因は何か、の二つ
125
の問題を追究する。
100
(1)為替レート政策
アルゼンチンのコンバーティビリティ・レジー
ムのような「ハード・ペッグ」が持続可能である
為には、いくつかの厳密な条件が満たされる必要
があることがよく知られている。危機以前の時期
75
50
1991 92
93
94
95
96
97
98
99 2000 01
02
出所)Independent Evaluation Office(IEO)
(2004a)
のこの分野におけるサーベイランスとプログラ
ム・デザインを評価するに際して中心となる問題
高い水準に留まっていた為、ペソの実質実効為替
点は、IMFがコンバーティビリティ・レジームの
レートは増価し、経常収支の赤字が拡大した。こ
中期的持続可能性をその時々にどのように見てい
れを懸念したIMFは財政引締め及び銀行の準備預
たか、当該レジームを支える為に必要な政策を有
金比率の引上げを示唆し、政府はIMFの見方には
効に推奨出来ていたか、そして、そのような政策
賛成しなかったが、1992∼1993年には財政収支が
が不十分と判断した場合には出口戦略に関するア
改善し、1993年8月には準備預金比率が多少引上
ドバイスを適時に行えたか、という点である。
げられた。
インフレ率の引続く低下とアルゼンチンの主要
①コンバーティビリティ・レジームの初期の成功
貿易相手国通貨に対するドルの減価を受けてペソ
コンバーティビリティ・レジームは、その当初
の実質実効為替レートは減価し始め、1994年前半
の目的であった価格安定化に成功した。IMFは当
には経常収支赤字への懸念は収まった。IMFスタ
初、当該レジームが恒久的な物価安定をもたらせ
ッフがコンバーティビリティ・レジームの持続可
るかについて懸念を持っていた為、それを支持す
能性について強い懸念を表明することはなくなっ
ることに後ろ向きであった。
た。現在から見れば、この時期がペッグ制から離
コンバーティビリティは当初、安定化の為の手
脱するのに最適であったかも知れない。理事のう
段と見られていた為、長期的な経済成長の基礎と
ち何名かは実際にその問題を提起したが、スタッ
して適切か否かについては殆ど注意が払われず、
フはこれについて政府と殆ど議論せず、政府によ
中期的持続可能性についての分析(米国とアルゼ
る説明、即ち実質増価のうちのかなりの部分が規
ンチンが最適通貨圏を形成しているか否か、等)
制緩和と民営化による競争力改善により相殺され
は殆ど行われなかった。当時の関心は、ペッグ導
たとの説明を受け容れた模様である。
*12
入時点の[アウストラル の]為替レートが過大
評価であったか否か、近い将来に実質為替レート
の増価につながるか否か、という点に集中してい
た。
1994年∼1995年のメキシコ危機を境に、IMFス
タッフはコンバーティビリティ・レジームを明確
経済が安定化し成長を始めるとIMFの関心は経
に支持するようになり、スタッフ・レポートにも
済過熱のリスクに移った。インフレ率が米国より
プレス・リリース等の対外発表にも、これが反映
*12 [筆者注]脚注8参照。
122
②メキシコ危機とその後の回復
開発金融研究所報
図表7
貿易収支および経常収支
能性が高い。ペソとドルとの間の金利差はあった
としてもごく僅かであり、これはペソがペッグか
(対GDP比、単位:%)
4
2
貿易収支
1
への活発な資本流入とアルゼンチンの成長可能性
に関する楽観的見方の広がりが通貨の安定に寄与
0
したであろうし、メキシコ危機への政府の強力な
−1
対応により、アルゼンチンの政治システムは債務
−2
経常収支
−3
をコントロール下に置き、新たな一連の構造改革
−4
を実施することが出来るであろうとの多大な信認
−5
−6
ら離脱しても大幅な減価は起きないであろうと市
場が予測していることを示していた。新興市場国
3
が生まれ、これらの全てがコンバーティビリテ
1991 92
93
94
95
96
97
98
99 2000 01
出所)Independent Evaluation Office(IEO)
(2004a)
ィ・レジームからの離脱に好都合な環境を作り出
していた。
ただしペッグ制からの離脱は政治的にも経済的
された。スタッフはアルゼンチンがメキシコ危機
にも常に容易ならざるオプションであったという
により生じた圧力こ耐え得たこと、特に政府がペ
点には、留意が必要である。第一に、コンバーテ
ッグ制の維持の為に、大統領選挙の直前にも拘ら
ィビリティ・レジームは当初の信頼性を高める為
ず付加価値税率引き上げ等による大幅な財政引締
に、意図的に離脱のコストが高くなるようにデザ
めや、中小企業にかかる労働市場の柔軟性の改善
インされており、そのコストは時と共に、制度が
等を含む構造改革措置といった政治的な痛みを伴
様々な経済行動を決定するようになるにつれて、
う措置を断行したことに、特に強い印象を受けた。
一層増大した。第二に、メネム大統領の信望はコ
しかしIMF内部には認識の相違があった。マネ
ンバーティビリティ・レジームに密接に結び付い
ジメントと西半球局(Western Hemisphere
ており、同レジームは広く国民に支持されていた。
Department:WHD)がコンバーティビリティ・
第三に法的な影響も、ドル建ての契約が広範に結
レジームをより明確に支持するスタンスへと動い
ばれていたこと、離脱は国家と国民との間の社会
た一方、政策企画審査局(Policy Development
契約に対する違反であるとの解釈もあり得ること
and Review Department:PDR)等の他局及び一
に鑑みれば、多大であったと考えられる。とは言
部の理事達は当該レジームを再検討すべきではな
えIMFは政府に対し、ペッグ制離脱というオプシ
いかと考え始めた。とは言え、マネジメントは一
ョンの真剣な検討を、政策助言あるいは(政府が
貫してWHDのペッグ支持論を支持し、理事会で
関心を示した場合には)金融支援のオファーを通
この問題が提起される都度、理事の過半数がペッ
じて促すという貴重な役割を演じることが出来た
グ離脱を促すべき根拠はないとの結論を出した。
筈である。
ペッグ制の問題については1996年の半ばから
スタッフは明らかに、財政健全化と構造改革に
1998年末までの間、時々理事会で提起されたもの
基礎を置いた強力なプログラムが将来のフロート
の、スタッフの間でもスタッフと政府の間でも実
制への移行を容易にするであろうと考えていた。
質的な議論は行われなかった。これは主に、この
1997年4月に作成されたブリーフィング・ペーパ
期間の殆どを通じ実質実効為替レートの増価が、
ーには、プログラムを成功裡に実施することが、
あったとしてもごく穏やかなものに留まり、輸出
もし必要となった場合にペッグ制からの秩序ある
も順調に伸びていた為、特に喫緊の課題とは考え
離脱を行える為の諸条件を整えるであろう、と記
られなかったことによる。
されているが、その後「秩序ある離脱の為の諸条
しかし今から考えれば1996∼1997年の2年間が
件」とは何かを決定する為の努力は行われず、ス
アルゼンチンにとって、非常に高いコストを伴わ
タッフは1995年から1999年までの間、この問題の
ずにペッグ制から離脱する最後の機会であった可
分析に資源を投入することは殆どなく、政府にこ
2006年2月 第28号
123
の問題を提起することも殆どなかった。
対応した。ブラジルの通貨切下げ直後に書かれた
1999年の4条協議にかかるレポートには、次のよ
③負のショックへの反応
1998年から2000年にかけてアルゼンチンは以下
うに書かれている。
「政府とIMFスタッフは、最近ブラジルで
のような一連の「負のショック」及びその結果と
発生した事態に対する最も適切な対応は、
しての好ましくない経済状況に直面した。
従来アルゼンチンの為によく機能してきた
ア.1997∼1998年の東アジアとロシアの危機
政策枠組に対する強固なコミットメントを
の後の、新興市場国向け資金流入の急速
再確認、と言うよりむしろ強化することで
な減少
ある旨、合意した。その政策枠組とは、カ
イ.それに対応する、国際投資家のリスク回
避傾向の増大
ウ.アルゼンチンの輸出商品の相対価格下落
による交易条件ショックの発生
エ.1999年初めのブラジルの通貨切下げと、
その結果もたらされたブラジル市場にお
けるアルゼンチンのシェアの減少
レンシー・ボードに含まれる自動調整メカ
ニズム、中期的枠組に基づいた慎重な財政
政策及び債務政策、銀行の健全性と経済の
柔軟性を向上させる為の構造改革等を含む
ものである。
」
*13
上記のような「自動調整メカニズム」 に対す
る肯定的評価は、IMFにとって新しいものであっ
オ.ドルのユーロに対する増価がもたらし
た。この議論は1997年後期に政府が、経常収支赤
た、その他の市場におけるアルゼンチン
字に対する強力な措置は不要であるとの立場を正
の競争力の侵食
当化する為に提示したものであり、IMFスタッフ
カ.1999年央から2000年央にかけての米国フ
はこの議論を明確に否定はしなかったが、自らこ
ェデラル・ファンド金利の急激な(175
の議論を取り入れることは避け、財政引締めと構
ベーシス・ポイント(1.75%)に及ぶ)
造改革を通じた経常収支ギャップの縮小を促し
上昇
た。しかし1999年初めには上記のとおり、慎重な
キ.アルゼンチンにおける長期間にわたる景
気後退
ク.構造的要因に起因し、悪化を続ける経常
収支赤字
Calvo and others(2002)が指摘するとおり、
財政政策と構造改革の必要性は主張し続けながら
も、自動調整メカニズムの議論を容認する立場に
変わった。しかし1999年8月までにはIMFスタッ
フは再び、自動調整メカニズムに言及せずに積極
的な措置の必要性を強調するようになり、当該メ
アルゼンチンの貿易財部門の相対的な小ささによ
カニズムに対して懐疑的な立場に戻ったことが窺
り、対外バランスの回復には実質為替レートの大
われる。
幅な調整が必要となっていた。
1998年末にかけてのブラジル危機の進行は、
ブラジルの通貨切下げに対するアルゼンチン政
府の最初の反応は、経済の完全なドル化、即ち一
IMFスタッフの間でコンバーティビリティ・レジ
層ハードなペッグへの移行を追求する意図を表明
ームに関する議論を再開する好機になり得るもの
することであった。ドル化に関する議論は1999年
であったが、実際にはそのような議論は行われな
10月の選挙を前に停滞し、1999年12月に成立した
かった。1999年1月、ブラジルのクローリング・
デ・ラ・ルーア新政権はそれ以上ドル化を追求し
ペッグ制放棄によりペソの実質実効為替レートが
なかったが、1999年初めに行われた上記の意図表
大幅に増価した際、スタッフはコンバーティビリ
明自体が、投資家に政府はペッグの中断を考えて
ティ・レジームへの支持を再確認することにより
いないと確信させる効果を持った。
*13
この見方によれば、カレンシー・ボードの枠組の下で国際収支上の困難が発生すると必ずベース・マネーが収縮し、その結果、国
内金利の上昇と国内物価の下落が生じ、これらが国内需要の減退、実質為替レートの減価、資本流入の増大を通じて、必要な国際
収支の調整を達成することとなる。
124
開発金融研究所報
WHDは政府が完全なドル化に関心を持ち米国
来る。しかしそのような判断は、ペッグ制を守る
と交渉していたことを知りながら、また、マネジ
為に適切な是正措置がとられるという仮定が満た
メント及び他局からの要請にも拘らず、ドル化問
される場合にのみ通用するものであった。
題に関し明確な見解を打ち出さなかった。スタッ
2000年以後の政治的環境は、ペッグ制からの離
フの間でも、政策策定者達の間でも、貿易相手地
脱を政策オプションとして考慮するには特に不適
域が比較的多様化しているアルゼンチンのような
切なものであった。デ・ラ・ルーア政権はコンバ
経済における完全ドル化の効用については、当然
ーティビリティ・レジームを維持するとの公約に
のことながら見解が分かれていた。
基づいて選ばれており、離脱について議論するこ
1999年中に景気後退が悪化し、2000年中の迅速
とにすら、そのような議論が行われているという
な回復の見込みがなくなると、WHDのスタッフ
報道あるいは噂が市場にパニックを惹き起こしか
は、あり得べき出口戦略を取り巻く諸問題の包括
ねないとして、非常に消極的であった。一方、彼
的分析に着手した。1999年8月にマネジメント用
等は同レジームを維持する為の政策措置に関する
に用意されたメモでは、2000年について二つのシ
IMFスタッフのアドバイスは受け容れる姿勢を持
ナリオを提示した。第1シナリオは当時の政策が
っていた。そうした諸措置が2000年3月に承認さ
継続されるケースであり、その場合にはコンバー
れたSBAに組み込まれたが、それらは結局、概
ティビリティ・レジームの持続可能性が疑問視さ
ね有効でなかった。
れるとした。第2シナリオは強力な財政引締めと
構造改革により信認を回復しコンバーティビリテ
④評価
ィ・レジームの持続可能性を保証しようとするも
為替レート制度の選択権は当該国政府にある
のであり、ドル化はそのような強力な政策の実施
が、IMFには選択された為替レート制度が所与の
と共に行われる場合にのみ、さらに信認を強化し
制度的制約の下で他の諸政策と整合的であるか否
得るであろうとされた。同メモはさらに、第2シ
かに関して、サーベイランスを確実に行う必要が
ナリオの諸政策の実施が不可能な場合には出口戦
ある。しかしIMFスタッフは、そのような整合性
略、即ちフロート制への移行を考慮する必要が生
の判断に限られた資源をしか割かなかったし、マ
じるであろうとしつつも、1991年以前のハイパ
ネジメント及びスタッフは殆ど最後の瞬間まで、
ー・インフレーションへの逆行のリスク、資本逃
代替的な為替レート政策について理事会で論じる
避の恐れ、及び銀行システムへのインパクトから、
ことはなかった。
ペッグ制からの離脱は極めて困難なものとなるで
[IMFマネジメント及びスタッフが]コンバー
あろうと述べている。スタッフは結論として、そ
ティビリティ・レジームの根本的諸問題の分析・
のようなリスク及び移行に伴うコストがあまりに
議論に消極的であった理由としては、以下の4点
高いことから、フロート制への移行ではなく上記
が考えられる。
の第2シナリオの実施を推薦している。
ア.特に市場が動揺している場合、コンバー
上記のメモは、その後長期間にわたり繰り返さ
ティビリティ・レジームについて議論す
れたペッグ制離脱のコスト、ベネフィット、そし
ること自体が自己実現的に当該レジーム
て方法論をめぐるIMFスタッフの分析の最初のも
の持続可能性を損なう懸念があったこ
のとなった。いずれの分析も同じ結論、即ちペッ
と。しかし、仮にこの懸念が理事会での
グ制からの離脱はきわめて高いコストと、ハイパ
議論を避ける理由として正当であったと
ー・インフレーション、銀行部門に対する深刻な
しても、政府との間で議論しなかったこ
ショック、そしてソブリン債務のデフォールトに
との説明にはならない。
至るリスクを伴うという結論に達した。その後の
イ.IMFは為替レート制度の適切性・持続可
IMFの諸決定は、初期コストのあまりの大きさに
能性を評価する客観的なツールを持って
鑑み、ペッグ制からの離脱を政府に強要すること
いなかったこと。これはかなりの部分ま
は不適切であるという判断に基づくものと理解出
で、経済学界におけるコンセンサスの欠
2006年2月 第28号
125
如の反映であるが、利用可能であったツ
アルゼンチン政府が為替レート制度としてコンバ
ールも充分に利用されなかった。為替レ
ーティビリティ・レジームを選択したことによ
ートは主に実質実効為替レートの過去の
り、財政政策は特別に重要なものとなった。即ち
推移を中心に分析されたが、それらは持
財政規律を強化し、公的債務を低水準に抑え、政
続可能性という未来を見通す概念に基づ
府の充分な借入能力・債務返済能力を維持するこ
く分析ではなかった。
とは、イ.金融政策への制約によりマクロ経済管
ウ.IMFの組織文化として、そのような問題
理の為の事実上唯一のツールとなった財政政策の
をオープンに議論することを避ける風潮
有効性を維持する為、ロ.やはり金融政策への制
があったこと。これはIMF憲章に対する、
約から「最後の貸し手」機能を発揮し得ない中央
ある特定の(我々の意見によれば誤った)
銀行に代わり、政府が危機の際に銀行部門を充分
解釈から発生したものである。アルゼン
に支え得る能力を維持する為 、及び、ハ.コン
チン政府に代替的政策を議論する意向が
バーティビリティ・レジームの長期的持続可能性
全く無かったことは事実であるが、政府
の決定要因である、政府によるペソとドルの等価
が自国の為替レート制度を自由に選択す
交換の保証への信認を維持する為、の三つの目的
る権利を持っているということは、IMF
の為に決定的に重要であった。
*14
がメンバー国の為替レート政策について
この期間のうち最初の2∼3年間は財政赤字が
確実なサーベイランスを行う義務を免れ
大幅に縮小され、1993年には僅かながら黒字を記
る理由にはならない。
録するに至った。IMFは(他の人々と同様に)こ
エ.IMFがコンバーティビリティ・レジーム
れを、コンバーティビリティ・レジームが財政赤
を支持する公的発言を繰り返した為、後
字ファイナンス源としての貨幣創出を排除するこ
になって理事会やアルゼンチン政府に対
とにより財政規律を改善する効果を持っている証
し信頼性を損なうことなく代替案を提案
左と解釈した。しかしこの期間の財政収支は1993
するのが困難になったこと。
年を除いて赤字に留まり、
(経済成長が予測を上
いずれにせよ、IMFが早期に為替レート制度の
回った数年間も含め)1994年から2001年まで全て
持続可能性の問題に取り組まなかったことは、
の年においてIMFプログラムの目標を達成できな
IMF憲章、その後の理事会のステートメント、及
かった。それにも拘らずIMFは目標を緩和したり
び政策ガイドラインによりIMFに義務付けられて
新しいアレンジメントに換えたりしてファイナン
いる為替レート制度に対するサーベイランスに弱
スの枠組を維持した。
点があったと見做さざるを得ない。スタッフ及び
マネジメントがコンバーティビリティ・レジーム
① IMFによる財政政策の分析
に関する本質的問題点を検討し始めた時には、既
IMFによる財政政策の分析、特に1990年代後半
に(如何なる形であれ)同レジームから離脱する
のそれには、三つの欠点がある。即ち、毎年の財
ことに伴うコストは非常に大きく膨らんでいた
政赤字に反映されるフローの面に焦点を絞りす
為、強力な政治的リーダーシップ無しには実施不
ぎ、市場の信認の為に重要な、公的債務のサイズ
可能であったが、結局そのようなリーダーシップ
に反映されるストック面に充分に注意を払わなか
は存在していなかった。
ったこと、財政的脆弱性の重要な源であった州財
政の役割を軽視したこと、及び、アルゼンチンの
(2)財政政策
財政政策は実質上この期間の全てにわたって、
ような経済的特徴を持つ国にとって持続可能な公
的債務のレベルを過大評価したこと、である。
IMFと政府の間の議論の最重要議題であったと言
える。過去の財政問題の歴史もさることながら、
*14
126
但しドル化が進んだ経済では、為替レート制度の如何に拘らず、公的部門がこの機能を果たす能力には限りがある。
開発金融研究所報
イ.フロー変数への集中
構造改革の一分野として含めてきた。しかしなが
財政政策にかかるスタッフの分析及び政府との
らプログラムのコンディショナリティーにおける
協議が主にフロー変数に焦点を置いていたこと
財政目標は長く中央政府のみに限られ、1998年に
は、二つの結果をもたらした。第一に過去の財政
なって漸く中央・州政府合計の財政赤字が、指示
目標未達の結果、債務ストックの変化が望ましい
的目標(indicative target)として明示的にEFF
経路から乖離していたにも拘らず、それを考慮し
に含められた。
た財政目標の調整が行われなかったことである。
中央政府はメキシコ危機への対応として州政府
前年の目標未達分を当該年に全て取り戻すのが適
による借入を制限しようとしたが、その能力と意
切であったとは言えないかも知れないが、財政赤
欲は限られたものであり、いくつかの州は巨額の
字目標は債務比率を最終的に削減するという目的
外債発行に成功した。IMFスタッフの努力により
と明確に関連付けるべきである。第二に、経済成
後に改善が見られたとは言え、データ不足により
長が予測を下回った時には財政赤字目標を緩和し
中央政府による州財政のモニタリング能力も制約
た一方、上回った時には引締めなかったという非
を受けた。中央政府は度々州政府の救済の為にそ
対称性により、長期的に財政ポジションを悪化さ
の債務を引受けた。また、90年代を通じて行われ
せた。
た一部の公共支出プログラムの中央から州への移
アルゼンチンにおける財政引締めの必要性は、
譲も、州政府赤字の一因となった。
この期間の多くを通じてIMF内部でも充分に理解
されておらず、WHDは不況時に財政目標を緩和
ハ.持続可能な債務レベルの過大評価
する傾向があったにも拘らず、他局や一部の理事
アルゼンチンの債務に対して充分な注意が払わ
から財政スタンスが緊縮的過ぎると批判された。
れなかった一因は、公的債務のGDP比率が1990年
フロー変数としての財政赤字の強調によって、
代の大半を通じて30%前後と、過大とは思えない
同国の財政ポジションの深刻さは覆い隠されてい
水準に留まっていたこと、及び同国が財政赤字を
た。何故なら政府債務は、旧債務の認知(しばし
容易に海外借入によってファイナンス出来たこと
ば法廷の命令による)
、あるいは利息の元加等を
にある。後から見れば、IMFスタッフの分析は、
通じた予算外の債務発生といった財政赤字に現わ
状況を特に脆弱なものにしていたアルゼンチンの
れない要因により、急速に増大しつつあったから
重要な経済的特徴を見落としていた。第一に、コ
である。
ンバーティビリティ・レジームにドル建借入を促
上述のようなフローの強調は、IMFのフィナン
進する傾向があることから公的債務の殆どが外貨
シャル・プログラミングがフローの諸関係に基づ
建であった為、万一ペソが減価すれば(同レジー
いていることを反映している部分もある。政府に
ムの安定性が信じられていた為、ペソ減価の可能
よる「財政責任法」
(1999年9月制定)を通じた
性は無視されていたが)即時に債務の対GDP比
財政規律の立法化の試みも、同様のアプローチに
率がはね上がることになり、従って見かけ上の左
基づいていた。この法律は財政赤字の削減・消滅
記比率は問題の大きさを充分に表していなかった
(2003年まで)を目指していたが、債務の減少自
と言い得る。第二に、債務の多くが対外債務であ
体は主目的としていなかった。スタッフは同法に
る一方、輸出の対GDP比率が比較的小さかった
おける財政引締めのペースが遅過ぎると見ていた
為、デット・サービス・レーシオが大きくなり、
が、その比較的緩い目標でさえ2000年の景気後退
これがペソに対する取り付け(run)を誘発する
の中では達成出来なかった。
おそれがあった。第三に、同国の税務管理は弱く、
経済成長に見合った徴税率の改善も見られなかっ
ロ.州財政への注意不足
た(下記
(3)
①「財政構造改革」参照)
。第四に、
IMFは当初から、州財政が公的部門全体の財政
アルゼンチンの対外借入れにかかるスプレッドは
規律にとって大きな問題であることをよく認識
元々大きく、これが市場心理の変化によりさらに
し、州財政改革を一連のIMFプログラムにおける
非常な高金利となり、それが債務返済負担を一層
2006年2月 第28号
127
増大させるデット・ダイナミクスに陥る恐れがあ
みて弱過ぎた、と我々は評価する。IMFは財政の
った。
諸弱点を常に認識し是正措置の実施を提言してき
これらの問題点は経済成長が堅調で資本市場の
たが、これらの諸弱点から生じ得る極端な脆弱性
状況が比較的良好であった時期には表面化しなか
は予期していなかった。1990年代にアルゼンチン
ったが、1997年以後、債務の成長率は常に経済成
の財政規律はそれ以前よりは改善したが、財政収
長率を上回り、1999年には選挙関連支出の増大に
支はまだ必要な水準まで改善していなかった。さ
より債務残高はさらに急増した。最近のスタッフ
らに中央政府の財政収支以外の部分で、州債務の
の分析(PDR(2003)
)によれば、当時のスタッ
救済、予算外の債務の認知、社会保障改革の副作
フの楽観的な経済成長見通しが、アルゼンチンが
用等により、この期間を通じて債務は増え続けた。
耐え得る累積債務の水準の過大評価につながって
IMFの分析の欠陥は、当時の専門知識と分析ツー
いた。当時のスタッフはまた、アルゼンチンが直
ル及びデータの限界に鑑みれば止むを得ないが、
面する種々のリスク、特に市場の信認の崩壊に伴
IMFにとってのアルゼンチンの重要性に鑑みれ
うリスクに常に言及していながら、そのリスクの
ば、スタッフは経済情勢が大幅に悪化した場合に
財政的ソルベンシー(中長期的債務支払能力)へ
生じ得るリスクについてより深く検討すべきであ
の影響を厳密に分析することは殆ど無く、主とし
った。
て比較的穏やかなショックを仮定した分析に留ま
っていた。
財政政策の脆弱性が継続したのみならず、財政
収支改善に対する構造的障害(中央と州の歳入分
我々は、アルゼンチン危機以後にIMFで開発さ
与システム等)も除去されなかった。その結果、
れた診断ツールである債務持続可能性分析
政府は1999年∼2001年の景気後退に財政出動によ
(Debt Sustainability Analysis:DSA)を当時行っ
り対応するどころか、政府のソルベンシー(長期
ていれば、より強い警戒シグナルを発することが
的債務支払能力)の悪化と借入需要の増大により、
*15
出来たかを検証した 。その結果、対外債務の対
市場の信認を回復する為には財政引締めが必要と
GDP比率については、ベースライン・シナリオ
考えられた。これは負のデット・ダイナミクス、
においてすら、1998年から2000年までの間、一般
即ち過剰な財政引締めが景気後退を悪化させ、ソ
にベンチマークとされている40%を常に超過する
ブリン借入にかかるスプレッドを拡大させ、債務
という見通しが得られた。従って対外債務につい
返済負担を一層増大させる[悪循環の]過程を生
ては、
[もしDSAを当時行っていれば]1998年ま
み出した。しかしコンバーティビリティ・レジー
でには明らかに持続可能性が疑問視されたであろ
ムの下では、
[資金調達の為の]市場が閉じてし
う。しかし公的債務の対GDP比率については、
まえば拡張的財政政策の実施は不可能であった。
最も極端なシナリオにおいてさえ、2001年によう
IMFは債務の継続的増大を認識していたにも拘
やく50%を超える見通しとなった。これをスタッ
らず、デット・ダイナミクスを充分にコンディシ
フが充分に警戒すべきシグナルと受け止めたであ
ョナリティーに組み込むことはしなかった。IMF
ろうか否かについては、
何とも言えない。
Krueger
のアプローチは、もし財政収支が小幅でかつ減少
(2002)が指摘したように、DSAは「根本的に判
しつつあれば、市場は財政赤字と経済成長に必要
断の問題」である。実際に起きた事態を再現する
な投資との両方をファイナンスし続けるであろう
には、為替レートに関して異常にネガティブな仮
という信念に基づいていた。しかしこのアプロー
定を置く必要があった。
チは、諸条件がいずれ悪化するかも知れないとい
う、非常に現実味のある可能性を無視していた。
② 評価
2000年∼2001年の危機においては、巨額の利息支
アルゼンチンの財政政策は、コンバーティビリ
払、低成長、及び信用のクオリティーの低下の組
ティ・レジームが要求する例外的に高い水準に鑑
み合わせが「デット・ダイナミクス」を生み、債
*15 [筆者注]原レポートのAppendixⅥに詳しい説明があるが、本稿では省略する。
128
開発金融研究所報
務比率をコントロール不可能な水準へと急降下さ
政改革を目指し、世銀及びIDBは州行政及び州立
せた。
銀行の民営化の支援の為金融支援及び技術支援を
要するにIMFの財政分析は、アルゼンチンのケ
行い、いくつかの分野で進捗が見られたが、歳入
ースにおいて特定の経済政策の組み合わせが生み
分与制度の恒久的な改革は広範に議論されたもの
出した脆弱性を、次の三つの分野で過小評価して
の、連邦と州との利害対立により実現出来なかっ
いたと言えよう。第一に、賃金の柔軟性が限られ
た。その後、中央政府の財政難により1998年の税
ている状況下でのコンバーティビリティ・レジー
制改革及び2000年の財政協定による一時的な制度
ムの実施により、負のショックへの対応としての
変更を余儀なくされ、2002年初めの危機の際にも
実質為替レートの調整が長期間にわたる景気後退
追加的変更が行われたが、恒久的制度改革は行わ
を伴うものとなり、それにより財政規律の達成が
れなかった。
困難になる可能性が高かった。第二に、外貨建て
の対外借入への重度の依存は、市場心理の変動へ
ロ.税制改革
のエクスポージャーを増し、国際収支及び実質為
1990年代の税制改革の目的は、雇用及び投資に
替レートへの圧力を高めた。第三に、為替レート
おいて歪みを生じさせる効果の削減、財政政策の
制度と対外借入への依存に鑑みれば財政政策は弱
ツールとしての柔軟性と有効性の向上、そして徴
く、必要な財政規律を達成する為の政治的能力は
税状況の改善(次項参照)にあった。
1990年代終盤に、選挙を背景としてさらに弱まっ
1990年代初めの税制改革では、歪み効果を持つ
た。その結果、経済は負のデット・ダイナミクス
21の連邦税が廃止され、付加価値税、法人所得税、
に対して脆弱な状態になり、景気対策としての財
個人所得税の税源が拡大され、特定の州・部門に
政出動の余地は限定された。これらの三つの要素
おいて雇用者が負担する社会保障給与税が減税さ
が大いに危険であったことは、アルゼンチンが一
れた。1992年に制定された税制改革は同年のEFF
連の負の外的ショックに直面した際に判明した。
における構造的パフォーマンス基準を充足した。
これは危機以前における全IMFプログラムを通じ
(3)マクロ経済的に肝要な分野における構造改
革
てただ二つだけ存在した構造的パフォーマンス基
準の一つであった。
アルゼンチン政府は1990年に包括的な市場志向
1998年のEFFには、多数の税制改革措置が構造
の改革に着手した。本項ではそのうちIMFに特に
的ベンチマークとして含まれていた。IMFは1997
関連の深い、マクロ経済的に肝要な4分野につい
年、政府の要請により税制改革の青写真を作成し、
て検討する。これらの分野の改革の実施はコンバ
その多くが1998年の改革に結実した。社会保障給
ーティビリティ・レジームの成功に不可欠と見ら
与税は他の税の増税及び新税の導入と引換えに、
れた。
更に減税された。付加価値税と所得税の税源はさ
らに拡大され、小企業と自営業者の事業税をカバ
① 財政構造改革
ーする「単一の推定税」
(simple presumption tax)
イ.連邦政府と州政府との財政的関係
が導入された。この時期のIMFの最大の関心は、
IMFスタッフは当初から、連邦政府と州政府と
税制改革が少なくとも歳入に対して中立的である
の間の歳入分与制度の改革を含む州財政の改革の
こと、出来れば歳入を強化することが望ましいと
重要性をよく認識していた。アルゼンチンの複雑
いう点にあった。
な歳入分与制度は「ねじれた」インセンティブ
(perverse incentives)を発生させ、例えば州政府
ハ.徴税状況の改善
に自らの歳入の創出や支出配分の見直しよりも連
IMFはアルゼンチンの慢性的な財政難の根本
邦政府からの地方交付税の増額を求めるインセン
に、広範な脱税・不払いの横行という問題がある
ティブを与えていた。
ことを充分に認識し、1990年代を通じ税務管理の
メキシコ危機後の一連のIMFプログラムは州財
改善に注力した。他の国際金融機関とも協調し、
2006年2月 第28号
129
財政局(Fiscal Affairs Department:FAD)を中
② 労働市場改革
心として多くの分野で強力な技術支援を行った。
イ.経緯
但し、それらの措置を支えるべき法制度の改善に
は、充分な注意が注がれなかった。
1990年代初めには、IMF、政府、そして外部の
観察者の殆どが、コンバーティビリティ・レジー
それらの努力にも拘らず、同国の徴税状況は目
ムの持続可能性を維持する為には労働市場改革が
に見える改善を見せなかった。FADの一連のミ
不可欠であると概ね同意していた。名目為替レー
ッションは税務管理の弱さが、税法の頻繁な変更、
トの硬直性により、大きなショックに対応する為
税務当局のシニア・マネジメントの頻繁な異動、
の実質実効為替レートの迅速な調整を実現するに
税務行政の政治化、納税者毎の納税・延納状況を
は、賃金を含む名目価格が充分に柔軟である必要
一括管理するコンピューター・システムの欠如、
があった。またアルゼンチン経済の急速な構造変
監査の不充分なカバレッジ、多数の納税促進措置、
化の中で、労働市場の柔軟性の増大により生産性
頻繁な租税恩赦(tax amnesty)
、長時間を要し非
の上昇と失業の減少がもたらされることが期待さ
効率的な不服審判手続等と結び付いていると指摘
れた。
した。こうした弱点の端的な表れとして、1993年
1998年初めのスタッフ・レポートにも以上のよ
∼1996年の期間における税収の対GDP比率と1997
うな趣旨の記述が見られるが、この決定的に重要
年∼2000年の期間におけるそれとを比較すると、
な分野において改善は殆ど見られなかった。1990
どちらも21%で全く変化していない。特に付加価
年代の急速な経済成長が失業率低下に結び付かな
値税(ネット)が占める同比率は、1995年に税率
かったことは、労働市場の非効率性が残存してい
を18%から21%に上げたにも拘らず、6.8%と全
たことを示している。
く変化していない。
政府が繰り返し労働市場改革へのコミットメン
トを表明したにも拘らず限られた進捗しか見られ
ニ.IMFの役割
130
なかった主因は、政治的な支持の欠如にある(ペ
IMFは財政構造改革が財政規律の確保、及びそ
ロニスト党の基盤は労働組合にあった)
。労働改
れを通じたコンバーティビリティ・レジームの中
革は1992年のEFFの中心的要素と考えられていた
期的持続可能性の確保の為に決定的に重要である
が、同年中には何の行動もとられず、1993年11月
ことを当初から理解し、この問題をしばしば当局
に国会に提出された労働市場改革法案は強硬な反
に対して提起し、具体的措置を一連のプログラム
対に遭った。メキシコ危機の圧力の下で1995年初
に含め、技術支援を繰り返してきたが、その結果
め、中小企業への適用除外等、比較的限られた内
は全体として不満足なものであった。これは、政
容の労働改革法が国会で可決された。限られた内
治的現実、根深い租税回避のカルチャー等に鑑み
容ながら同法の成立は市場の信認を強化したが、
れば止むを得ない面もあるものの、IMFが改革実
これに続く数年間、労働市場改革への取組みは、
現の為に持てるツールの全てを使っていたとは言
もたつきを見せた。
えない。財政構造改革の重要性のレトリックにも
IMFは1996年7月に就任した経済チームに対
拘らず、この分野に関する構造的パフォーマンス
し、集団交渉協定の改革法案の提出を改定SBA
基準は一連の全プログラムの中でただ一度、税制
の承認の為の事前行動(prior action)として義務
改革に関するものが1項目あったのみである。コ
付けた。これはIMFスタッフによれば「国民的議
ンディショナリティーの拘束力を高めれば望む結
論」を惹起した。
果が得られたとは限らないが、それにより少なく
1997年5月、政府は労働組合と法案に関する合
とも、より本質的な議論の必要に迫られた筈であ
意に達したが、これはIMFスタッフにとっては、
り、さらに、意味のある改革が行われそうにない
当時の現行法に対する改善が不充分であったのみ
場合にIMFが撤退し易くなったであろうと考えら
ならず、以前の改革の逆戻りさえ含むものであっ
れる。撤退の恐れは、IMFが持ち得る最も効果的
た。その直後に訪れた[WHDの]スタッフによ
なレバレッジになり得たであろう。
るミッションは政府に対し、政府が提案した法案
開発金融研究所報
は不充分でありSBAによる支援に値しないと思
とを提案したが、この提案はマネジメントに覆さ
われる、と伝えた。他の局もWHDの立場を強く
れ、スタッフは理事会に対するレポートにおいて
支持した。
「遺憾」の意を表明するに留まった。同年9月の
しかし同年9月、
[WHDの]スタッフは、5月
の組合との合意内容と少なくとも同程度の労働改
理事会において殆どの理事がスタッフの懸念を共
有していなかったことは注目に値する。
革措置を、1998年中頃に予定されるEFFの第2回
マネジメント及び理事達は明らかに、1997年か
レビューの為の構造的ベンチマークとすることで
ら1998年にかけての世界の金融市場の動揺に大い
政府と合意した。しかし、この弱いパッケージで
に配慮し、新興市場経済の中で殆ど傷を受けてい
さえ、国会の可決を得られなかった。
ないように見えたごく少数の国の一つであるアル
1998年2月、政府は新たな労働改革パッケージ
ゼンチンの、IMFとの関係中断を避けようとした
を提案したが、これは前年5月のものよりさらに
と思われる。IMFは懸念を公にすることは一切無
弱いものであった。同年7月、IMFスタッフは
かった。しかし最終的にはコンバーティビリテ
EFFの第1回レビューの前提条件として、同法案
ィ・レジームの持続可能性の核心となったこの問
に3点の修正を加えるよう政府に要請し、政府は
題に関する、IMFによるこうした自制は、コスト
修正した法案を国会に提出したが、国会の同意を
を伴った。即ち、2∼3ヶ月前まではIMFプログ
得ることは出来なかった。
ラムの中心となる筈であった諸政策の実施を、
スタッフは1999年中も労働改革問題を提起し続
1999年∼2000年のショックへのアルゼンチン経済
けたが、政府は選挙までは行動をとらなかった。
の対応能力にもはや殆ど影響を及ぼし得ない時点
2000年初め、新しい連立政権(Alianza)との交
まで遅らせることになったのである。
渉の結果、労働改革法の制定は新たなSBAの第
1回レビューの為の構造的ベンチマークとなり、
③ 社会保障改革
同政権は同年5月、労働改革法の国会通過に成功
イ.経緯
した。この法律によって漸く、IMFが1990年代半
アルゼンチンのpay-as-you-go(PAYG)システ
ばから要請してきた、試験採用期間の延長、団体
ムによる社会保障システムに対しては、1994年に
交渉協定の自動延長の制限、団体交渉プロセスの
部分的「民営化」による改革が行われた。新制度
分権化等の改革が立法化された。しかしこの法律
の下では、労働者が国営の年金と認可を受けた民
を取り巻く論争は、連立与党内の亀裂を明らかに
間の年金基金とのどちらかを選択することになっ
し、法律の内容が本当に実行されるのかという疑
た。IMFは早くからPAYGシステムの将来的破綻
*16
問を喚起するものであった。
を避けるべく抜本的見直しが必要であることを認
識し、社会保障改革は1992年のEFFにおける構造
ロ.IMFの役割
的パフォーマンス基準となった。1992年末までの
IMFは、特にコンバーティビリティ・レジーム
実施を目指したが政治的論争が長引いた為延期さ
の初期には労働市場改革の重要性を適切に強調し
れ、その結果、民営年金への加入を義務付けるの
ていたが、政治的障害が表面化するにつれ、この
ではなく選択制とすることで妥協が行われた。
問題によってアルゼンチン政府との関係を悪化さ
当該改革の長期的便益が実現される為には、制
せることを避けようとしたと見られる。IMF内部
度移行に伴うコストは公的借入ではなく税金によ
のメモは、1997年5月と9月の間にWHDが姿勢
り賄うべきであった。しかしアルゼンチンは、移
を軟化させたのはマネジメントの意向の反映であ
行に伴う全てのコストを借入によりファイナンス
ったことを示唆している。1998年秋に国会が労働
した。政治的妥協の結果、公的制度と民営のシス
改革法を否決した際、スタッフは政府が適切な措
テムが併存することになり、民営システムへと移
置をとるまで理事会によるレビューを延期するこ
動した労働者の拠出金が公的システムから流出し
*16
後に、政府が本法案を通す為に野党政治家達に贈賄したとの疑惑が浮上した。
2006年2月 第28号
131
たのみならず、雇用主負担による年金システムへ
力な銀行部門を必要とする。アルゼンチン政府は
の拠出金である社会保障給与税も、労働コスト削
この必要性を理解し、特にメキシコ危機以後にい
減による競争力強化の為に段階的に削減された。
くつかの措置を実施した結果、1990年代末までに
さらに中央政府が一部の破綻した州営年金の債務
同国は、銀行監督と健全経営規制政策において新
を継承した為、中央政府の債務はさらに増加した。
興市場経済のモデルと見做されていた。
これらによる財政赤字の増加は大幅なものであ
銀行システムは2000年∼2001年の危機の影響に
った。ある試算(Rofman(2002)
)によれば社会
対しても長く持ちこたえるだけの強靭さを持って
保障改革とこれに伴う諸政策の変更のコストは、
いたが、危機はそれまで全面的には認識されてい
2001年の連邦政府の財政収支をGDPの少なくとも
なかった銀行システムの脆弱性を露見させた。第
2.7%分、悪化させたことになる。
一に政府債券の保有は、政府のソルベンシー(長
期的支払能力)が疑問視されるにつれ深刻なリス
ロ.IMFの役割
ク・ファクターとなり、2001年の資本逃避と銀行
社会保障改革は、世銀からいくらかの技術支援
取り付け騒ぎにつながった。第二に、銀行はペソ
を受けつつ、アルゼンチン政府がイニシアティブ
の対ドル減価に対して大きなリスクを抱えてい
をとり、その大部分をデザインした。IMF、世銀
た。銀行自身の債務と資産の建値はほぼマッチし
を含む殆どの観察者達は当時、新制度のメリット
ていたが、アルゼンチンの銀行のドル建て融資の
を過大評価する一方、財政に及ぼす深刻な影響を
多くは外貨収入を持たない企業や家計に向けられ
完全には把握出来ていなかった。政府の厳しい財
ていた。しかし政府は、ペソ切り下げはあり得な
政状況に鑑みれば、新制度への移行のファイナン
いという観念を徹底させる政策から、そのような
スは資本市場ではなく、税金か支出削減かによっ
リスクの測定さえも避けていた。
て行うべきであった。
IMFスタッフは初期にはそのように主張してい
公的部門における大手銀行、即ちアルゼンチン
国立銀行(Banco de la Nación Argentina:BNA)
た。1993年5月、新制度への加入を選択制にする
や、いくつかの州立銀行は、政府の信認危機に対
という妥協により国会で改革法が成立した際、ス
して特に脆弱性を持っていた。2001年には、これ
タッフは政府から、公的制度への残留を選択した
らの銀行のバランスシートが脆弱であるという観
労働者による拠出金を、財政収支にかかるパフォ
念が銀行システム全体への人々の信認を揺るが
ーマンス基準上、民営年金への拠出金と同様に扱
し、銀行危機の引き金を引くことになった。
い財政収入から除外するとのコミットメントを確
保した。しかしこのコミットメントは急速に弱体
ロ.IMFの役割
化し、消滅した。1994年以後、プログラム関連文
金融部門改革はアルゼンチン政府自身のイニシ
書はプライマリー黒字に占める公的年金への拠出
アティブにより、世銀及びIDBからのいくらかの
金の割合を明示しなかった。新制度移行のファイ
金融支援及び技術支援も得て行われた。金融部門
ナンスの為には全体的な財政収支を強化する必要
改革におけるIMFの役割は金融為替局
(Monetary
があったが、その為の取組みは行われなかった。
and Exchange Affairs Department:MAE)が2
IMFは(他の観察者達と同様)
、深刻な長期的悪
∼3の分野で技術支援を行った程度で、限られた
影響を及ぼすことになる改革案のファイナンス面
ものであった。IMFは2001年3月になって漸く、
における欠陥を、早期に完全に把握することは出
世銀との合同ミッションの形で同国の金融部門の
来なかった。
審査に本格的に関わった。その時点でのミッショ
ンの所見は、最も深刻な短期的リスクは組織・制
132
④ 金融システムの健全性
度面あるいは規制面での弱点ではなくマクロ経済
イ.経緯
的な環境に起因しているというものであった。
コンバーティビリティ・レジームは中央銀行の
IMFスタッフは金融部門債務の広範なドル化
「最後の貸し手」機能の発揮を妨げる為、特に強
と、それに起因するペソ切下げに対する脆弱性を
開発金融研究所報
充分に認識していたが、1999年末にかけて経済状
おそらくは、政府が実効ある行動をとることを妨
況が悪化するまでは、切下げは全く考慮に値しな
げる障害の大きさをIMFが暗黙裡に認めた結果で
いとする政府の主張を容れて、そのような脆弱性
あろう。
の詳細な分析を行っていなかった。分析を開始し
Allen(2003)が指摘したように、アルゼンチ
た時点までには、切下げが金融部門に多大な損害
ンのプログラムにおける際立った特徴は構造改革
を及ぼすであろうことは明確になっていたが、そ
にかかわる正式なコンディショナリティー(特に
の損害を回避あるいは極小化し得る手立ては殆ど
パフォーマンス基準)の少なさ・欠如にある。内
皆無になっていた。
部文書によれば、レビュー担当のIMFスタッフは
金融システムの内の国営部門の脆弱性が、IMF
特にEFFについて構造改革面の弱さを度々指摘し
において重要な論点となることは無かった。スタ
たが、マネジメントが常にそのような反対論を却
ッフは政治的制約を意識して、政府に対しこの問
下したとのことである。これは、特に1998年以降
題を強力に提起することを避けた。BNAの政府
においては、アジア危機の際にIMFが各国に過剰
機関から国営企業への転換(将来の民営化を容易
な構造的コンディショナリティーを課したとの批
にする為の措置)は、1998年∼1999年のEFF及び
判に対するIMFの反応の現れかも知れない。
(これが未達成に終わった後)2000年のSBAにお
プログラムに含まれていた僅かなコンディショ
いて構造的ベンチマークとなったが、2000年に国
ナリティーも、厳格に守られることはなく、パフ
会が転換を退け、その代わりにBNAの自主性と
ォーマンス基準達成の遅れは容認され、ベンチマ
透明性を高める措置を承認した際、スタッフはそ
ークは未達を繰り返すのが普通だった。IMFが直
れらの措置を「当初提案の意図」に沿うものと見
接かつ長期にわたり関与した労働改革においてす
做した。
ら、政府が最終的にとった措置は不充分であった
り、過去の改革への逆行であったり、実施が遅過
⑤ 評価
ぎたりした為に、1998−2001年の景気後退が失業
1998年までIMFは、構造問題に関しては、非常
に与えたインパクトの緩和に役立つことは出来な
に狭い範囲に焦点を絞っていた(そのこと自体は
かった。勿論、必要な諸改革が巨大な政治的障害
適切であった)
。パフォーマンス基準は1992年の
(あるいは徴税強化の場合、根深い脱税文化によ
EFFに含まれたのみ(税改革及び社会保障改革に
る障害)に直面していたことは明らかであり、コ
関するもの)であった。IMFは政府に労働市場改
ンディショナリティーをもっと強く設定しても当
革及び地方財政改革を促したが、これはコンディ
該国のオーナーシップが無ければ結果は大差無か
ショナリティーを伴っておらず、金融部門改革に
ったであろうが、IMFはより長期にわたる成功の
かかる重要な意思決定は政府自身が、IMFから要
鍵となる構造改革措置を充分に把握せず、それら
請を殆ど(あるいは全く)受けることなく下した
の分野において充分な進捗が見られることを同国
ものである。
におけるIMFプログラム維持の前提条件とするこ
このアプローチは1998年にいくらか変わり、労
とも行わなかった。
働改革、税制改革、税務改革、社会保障・健康保
険の改革、BNAの政府機関から国営企業への転
(4)アルゼンチンに対する関与のしかた
換、空港及び通信用周波数のリース等にかかるベ
IMFは1990年代初めにはアルゼンチンの幅広い
ンチマークが設定され始めたが、これらは貸出の
安定化及び構造調整プログラムを適切に支援して
要件とならない構造的ベンチマークのみであり、
いた。しかし1993年末頃までには財政政策、進捗
パフォーマンス基準は設定されなかった。スタッ
の遅い構造調整等の分野で、政府との政策をめぐ
フの政府との議論及び理事会の議論は依然として
る意見の相違が現れ、1994末までに同国はEFF資
労働市場改革を中心とする少数の分野に集中して
金の引出しを停止し、同EFFは更新されないであ
いた。他の分野にかかる多くの改革は繰り返し延
ろうと見られていた。しかし1995年のメキシコ危
期されたり、そっと中止されたりしたが、これは
機により、政府はオフ・トラックとなっていた
2006年2月 第28号
133
EFFの1年延長を求めた。これにより、ある特別
1998年2月に承認されたEFFをめぐり、アルゼン
な特徴を持った、IMFの同国への長期にわたる関
チン向け政策に関する考え方の相違があった。
与が始まった。とりわけ以下の二つの点が、特記
1996年の秋にはスタッフは、SBAに続きEFFを供
に値する。
与してほしいとのアルゼンチン政府の要請をマネ
① IMFは公式発表、内部のレポートの双方にお
ジメントが「黙認」したことに驚いた。1997年の
いて、政府が選択した為替レート制度[コン
中頃から年末にかけて、スタッフによるIMF内部
バーティビリティ・レジーム]を所与として
のメモの殆ど全てが、少なくとも提案されていた
諸政策を評価するスタンスから、その為替レ
条件によるアルゼンチン向けEFFに反対してい
ート制度を支持する立場に変わった。スタッ
た。反対の理由は、政府の構造改革を実施する能
フとのインタビューによれば、IMFはかかる
力に対する懸念、プログラムの内容が不充分で
支持を表明するよう政府から要請を受け、
EFFによる支援に値しないと考えられること等で
IMF主要出資国もこれを支持していたと言
あった。しかしこれらの懸念は、1998年のEFFに
う。これにより少なくとも国際世論において
かかる理事会に提出されたスタッフ・レポートに
は、IMFの信頼性はこの為替レート制度の存
は、控え目に記されるか、あるいは記されていな
続と密接に結び付けられることになった。
かった。
② IMFは国際収支上の緊要性が消えた後も、さ
スタッフ・レポートが充分に率直に書かれてい
らに当該為替レート制度の維持に必要な政策
なかったことも一因かも知れないが、理事の大半
を実施する政治的能力が崩壊しつつあること
もスタッフ[・レポート]の基本的に楽観的な評
が明白になった後ですらも、IMF資金へのア
価を共有していた。例えば理事会は状況の推移に
クセスを提供し続けた。IMFは1996年半ば以
概ね満足して、1996年10月から1998年2月までの
降、政府の信頼性を高める為に、あるいは政
間、アルゼンチンについて公式な議論を行わない
治的制約に直面しつつも努力していることに
と決定した。また理事の殆どが、同国政府には適
鑑みて、アルゼンチンの財政パフォーマンス
切な政策を実行する能力も意思もあるとの見方を
基準の未達成を繰り返し容認している。
表明した。IMFあるいは政府の行動の全体的なロ
結局アルゼンチンは、メキシコ危機後の時期に
ジックに関して重大な疑問が提起されることは、
は国際資本市場から比較的低コストで資金を調達
90年代が後半から終盤へと進むにつれて殆どなく
出来た。このことはIMFの政策への影響力に対し
なっていった。
て二つの効果をもたらした。一つは民間部門の資
今振り返れば、プログラムを通じたアルゼンチ
金の入手可能性が、IMFのアルゼンチン政府に対
ンとの関係を維持する根拠は薄弱であったように
するレバレッジを弱めた(プログラムが予備的ア
思われる。少なくとも1994年から2000年初めまで、
レンジメントとして扱われていた時期には、一層
メキシコ危機の直後を除けば、アルゼンチンは多
*17
その傾向が強かった)と認識されたことである 。
額の資金を比較的低いコストで調達出来た。その
第2に、市場への容易なアクセスにより必要な政
間に(特に1999年以降)財政引締めと構造改革を
策調整の実施に関する切迫感が失われてしまった
支持する政治的コンセンサスは大幅に弱まり、政
が、これは1990年代中頃の新興市場国への活発な
府はIMFプログラムにおけるコミットメントを実
ポートフォリオ投資の流入が長く続くという誤っ
行出来なかった。当時入手可能であった情報(ア
た判断に基づくものであった。
ルゼンチン政府の過去のプログラム遵守状況が芳
IMFのマネジメントとスタッフの間には、特に
*17
しくないこと、政治的コンセンサスの崩壊、国際
しかし、より深い分析はこれとは反対の見方を示唆するであろう。第1に、この時期に世銀のアルゼンチン向けエクスポージャー
は急激に拡大しており、従ってIMFのエクスポージャーの減少は単に2機関の間の分担のシフトを反映したものに過ぎず、アルゼ
ンチンの借入需要の削減に成功したためではない。第2に、アルゼンチンが世銀融資を受けたり、国際資本市場から大規模な資金
調達を行ったりするためには、IMFのお墨付き(seal of approval)を得ることが必須であり、従ってIMFは実は、その気にさえ
なれば使える相当なレバレッジを保ち続けていたのである。
134
開発金融研究所報
収支上の必要性の欠如)だけで、プログラム打ち
れた為、政府はこのEFFを予備的プログラムとし
切りの為の充分な理由になった筈である。1998年
て扱うと表明した。
のEFF供与の決定は、アルゼンチンの経済政策に
実際には景気は回復せず、プログラムは着実に
対する市場による規律付けを弱めるという結果を
は実施されず、10月のアルバレス副大統領の辞職
もたらした。但し、市場は当初アルゼンチンの経
は連立政権を弱体化させた。アルゼンチンは国際
済政策の持続可能性を好意的に見ており、その見
資本市場へのアクセスを実質的に失い、IMFの例
方が事態の展開に応じて変わっていくのには時間
外的支援を求めた。
がかかったので、この時点においてすら、アルゼ
この要請にどう対応すべきかの判断は、当時の
ンチンに政策修正を求める市場の圧力はあまり強
危機をどう診断するかにかかっていた。もし当時
くなかったと思われる。仮にIMFがEFFの承認を
の状況が一時的なショックに起因する流動性危機
拒否することによって、より強いシグナルを送っ
であり、近い将来に市場へのアクセスを回復する
たとしても、それにより根本的な違いが生じたか
見込みが充分にあったなら、若干の調整を伴う巨
否かは、何とも言えない。
額のIMF支援が触媒的(catalytic)役割を果たし
得たであろう。一方、実質為替レートの大幅な不
3.危機管理:2000年−2001年
整合が存在したり、債務が持続可能性を失ってい
本節では、2000年末頃から2002年初の数日間に
たりした場合には、IMFは為替切下げ、債務再編
おけるコンバーティビリティ・レジーム崩壊まで
等を含む抜本的な政策枠組の変更を要求すること
の期間におけるIMFの危機管理戦略について、重
なく巨額の資金へのアクセスを与えるべきではな
要な意思決定、即ち①第2回レビューの完了と
かった。
SBA増額(2001年1月)
、②第3回レビューの完
IMFは流動性危機という見方を採り、イ.経済
了(2001年5月)
、③第4回レビューの完了と増
成長、競争力、中期的財政規律に焦点を置いた、
額(2001年9月)
、④第5回レビューの未了、即
強化されたプログラムについてアルゼンチン政府
ち実質的なIMF支援打切り(2001年12月)
、にお
と合意し、ロ.既存SBAにおける未引出額の即
ける問題点と経緯に焦点を置いて評価する。その
時引出しを認め、ハ.既存SBAの下での資金ア
後、IMFの意志決定過程について、非常事態対応
クセス可能額を2倍以上の106億SDR(クオータ
*18
計画 への取り組みという点も含めて検討する。
の500%、約137億ドル)に増額することとした。
これは他の国際機関及びスペイン政府のコミット
(1)第2回レビューと増額:2001年1月
①背景
メント、民間部門による確約と合わせて、400億
*19
ドル近くに及ぶ“blindaje” として宣伝された。
2000年初め、アルゼンチンの新政府はオフ・ト
上記イ.∼ハ.の措置については2000年9月か
ラックとなったEFFに代わる3年間のSBAに関
ら12月前半までの間、時々IMF理事会の関与も得
する交渉を[IMFと]行った。同年3月に承認さ
つつ、IMFスタッフとアルゼンチン政府との間で
れたプログラムは投資家の信認の強化と経済の持
交渉が行われた。このパッケージは2000年12月18
続的回復を目指していた。プログラム・デザイン
日に詳細にわたり発表され、その直後にIMFプロ
は、財政収支の一層の悪化を食い止める為の租税
グラムの最初の9ヶ月間に蓄積された未引出額20
と財政支出に関する諸措置、及び構造改革への新
億ドルが供給された。この結果、2001年1月12日
たな取組みを強調していた。景気後退は底を打っ
にSBAの増額がIMF理事会により正式に承認され
たと考えられ、対外調達所要額はプログラムを完
る時までには、市場の状況は著しく緩和されてい
全に実施する限り管理可能な範囲に留まると見ら
た。
*18 [筆者注]原文ではcontingency planであり、ここでは諸状況が基本戦略の想定より大幅に悪化して基本戦略が実施不可能となっ
た場合のための計画を指している。
*19 [筆者注]装甲、遮蔽物を意味するスペイン語。本レポートも含め、英語では“shield”と訳している。
2006年2月 第28号
135
②プログラム・デザイン及び戦略
プログラムは、現行の枠組の下での充分な調整
た。このことから、スタッフは実際のリスクはそ
れ程高くないと見ていたことが推察される。
により公的債務と経常収支の持続可能性が達成出
③追加的考慮点
来るとの診断に基づいていた。
プログラム・デザインの主な特徴は、財政赤字
2000年10月にスタッフが行った代替的シナリオ
と債務にかかるターゲットの小幅な緩和、及び財
の分析は、イ.経済のドル化が進んでいる為、フ
政・社会保障・医療制度等における構造改革の加
ロート制への移行は、当初の為替のオーバーシュ
速にあった。
ーティングを抑え込めない限り、
(少なくとも最
公的資金のみでは2001年の所要資金をカバーし
初の段階において)大きな混乱を及ぼす可能性が
きれなかった為、信認の回復により民間資金流入
高く、ロ.1対1でのドル化は、小幅な
(modest)
を再開させることが肝要であり、市場資金へのア
便益、及び比較的小幅な(relatively modest)コ
クセスが速やかに(実際上、第1四半期末迄に)
ストを伴う可能性が高く、ハ.
[ペソが]より安
回復されなければ、それはプログラムがうまく機
い為替レートでのドル化は、競争力の改善及び切
*20
能していない証拠であると言えた 。融資計画は
下げ当初のインパクト緩和に役立ち得るが、信認
前倒しになっており、クオータの106%を直ちに
を得て持続出来るかについては不確実であること
融資し、残る46%を3回に分けて2001年中の残り
を示した。しかしスタッフはこれらの分析のプレ
の各四半期に融資することとなっていた。当該案
ゼンテーションに当たり、為替レートの過大評価
で議論を呼びそうな点は、アクセス可能総額の僅
も債務の持続可能性も根本的問題として挙げなか
か5分の1を補完的準備ファシリティー
った。
(Supplemental Reserve Facility:SRF、金利が高
レビュー担当の他部局のスタッフは11月中旬の
く返済期間が短い)から供給するとした点であっ
交渉ミッションの為のブリーフィング・ペーパー
*21
に対し、イ.財政再建への政府のコミットメント
プログラムの政策上の重点は財政引締めに置か
の信頼性、ロ.民間投資のクラウディング・アウ
れ、6個のパフォーマンス基準のうち5個が財政
ト、ハ.
[資金]市場へのアクセス回復が遅れる
に関するものであった。二つの事前行動は政府に、
可能性、に関する懸念を表明した。中には包括的
国会による行動(2001年予算への望ましくない項
債務再編の準備に着手すべきであるという意見す
目の追加、及び年金改革・医療制度改革の為の法
らあった。プログラム・デザインが仕上げられた
案成立への抵抗)を政令により無効にすることを
際にもレビュー担当部局は、ほぼ同じようなレベ
求めた。構造改革はプログラムの成功に必須とさ
ルの懸念を表明した。
た 。
れながらも、それに関してはベンチマークが設定
されたのみであった。
④理事会の決定
スタッフ・レポートは外的環境と国内政治の問
12月後半の専務理事と理事会との非公式会合
題を挙げて、プログラムが直面するリスクは「か
で、何人かの理事は為替レート制度の修正と債務
なり高い」
(significant)と述べている。しかし理
再編を含む代替的解決策の検討を促した。理事達
事会直前にスタッフが提示した代替的シナリオ
はSRFの部分をより大きくする方が望ましかった
(World Economic Outlook[IMFの世界経済見通
と示唆し、2∼3名の理事はIMFが出口戦略を持
し]の改訂を反映したもの)は、スタッフ・レポ
つ必要性を指摘した。専務理事はこれに対し、イ.
ートのベースライン・シナリオより楽観的であっ
スタッフには「カレンシー・ボード」有りと無し
*20
プログラムは、第1四半期中に5億ドル、第2四半期中に20億ドルを国際資本市場から新たに調達することを前提としていた。
*21
通常、SBAの下でのアクセスはクオータの300%迄となっている。アルゼンチンは短期的な国際収支上の資金不足(SRFにより対
処すべきもの)と同時に中期的なそれも抱えており、SRFの金額を多くすれば2002・2003年に債務返済の大きなコブが出来てしま
う、と[プログラム案では]論じられていた。
136
開発金融研究所報
の二つのシナリオの検討を依頼したがその結果、
けたコミットメントの性格は、明確ではなか
為替レート制度の変更に伴うコストは圧倒的に高
ったが。
いとの結論に達した、ロ.自分はIMFにとっての
何人かの理事はスタッフに、非常時用の措置と
出口戦略について考えているが、ここでそれを論
代替的解決策(為替レート制度の変更と債務再編
じることは避けたい、と応答した。
を含む)を策定するよう要請した。しかし大多数
2001年1月12日、理事会は全会一致でマネジメ
の理事は密接なモニタリングの必要性を示すに留
ントの提案を支持したが、理事達の意見は明確に
まった。多くの理事が、実現に移された際のPSI
次の三つのグループに分かれていた。
の性格及びそれに要する対価が、このプログラム
・一つの小さなグループは、プログラムは成功
の成功のリトマス試験紙になるだろうと考えた。
し間もなくアルゼンチンを困難から救うであ
全ての理事が、成功への鍵は信認の回復であり、
ろうと見ていた。
プログラムの厳格な遵守だけがそれをもたらせる
・もう一方の極では、工業国の理事達の中の少
と強調した。それにはアルゼンチン社会の全ての
数派(G7のうち2国の代表を含む)が、債
層からの完全な支持が必要であった。2000年末頃
務は持続不可能であり、従ってプログラムが
の政治的状況はこの点でよい前兆を示していなか
成功する見込は非常に低いと明言した。しか
ったが、理事達は事前行動(上記②参照)の実行
しながら彼等は以下の諸点への考慮から、プ
等に示された政府の決意の強さに強い印象を受
ログラムに対して「疑いの利益」を与えるこ
け、またメキシコ危機への対応の際に同国が示し
とに賛成した。即ち、イ.プログラムの断固
た団結と決断力をも念頭に置いていた。
たる実施により信認が回復されベースライ
ン・シナリオが実現する理論的な可能性、ロ.
⑤評価
アルゼンチンは90年代を通じ素晴しいトラッ
2000年末から2001年初においては、以下のよう
ク・レコードを残したのでチャンスを与えら
にアルゼンチンを支援すべき強力な理由がいくつ
れるに値するという認識(スタッフがサーベ
かあったと論じることも可能である。
イランスにおいて基本的に肯定的な評価を与
・アルゼンチンは、その直前の3年間にわたり
えてきたことにも影響されていた)、及び、
IMF資金を引き出しておらず、IMFの同国向
ハ.この段階でアルゼンチンへの支援を止め
けエクスポージャーは比較的低かった。
ることに伴う大きなコスト、といった諸点で
・メキシコ危機の際の同国政府の決然たる対応
ある。
ぶりから、今回も同様に強力な対応をとれる
*22
・両者の間の多数派は、プログラムが永続的な
*22
であろうと期待された。
解決をもたらすとの確信を持てなかった。彼
・当時のブラジル、トルコ等の状況から、アル
等はプログラムが前提としているGDPと輸
ゼンチンが全面的な危機に陥った場合の国際
出の伸び率の見通しは楽観的に過ぎると考
的な波及(カレンシー・ボード制を採ってい
え、さらにプログラムの二つの目的(経済成
る他の諸国を含む)が懸念された。
長の再開と対外的な持続可能性の確保)は相
・このレビューで検討されたIMFのアルゼンチ
互に矛盾する可能性があると考えていた。そ
ン向けエクスポージャーの増加額(約28億ド
れにも拘らず、アルゼンチンの政治システム
ル)は巨額であったとは言え、必要が生じた
が必要な財政引締めと構造改革に取り組む為
場合のさらなる支援の余地も充分に残してい
には当該プログラムがベストな選択と考えら
た。
れた。彼等はまた、PSIの金額[の大きさ]
・これ以外の措置(例えば、ペッグ制の放棄)
にも強い印象を受けた―但し、政府が取り付
は、いずれも大きなコストを伴うことが明ら
本評価チームは広範な政治専門家との対話に基づき、2000年末の政治状況は1995年のそれより遥かに分裂したものであったことか
ら、このような期待は政治への理解不足によるものであったと考える。
2006年2月 第28号
137
図表8
2001年中にIMFとの事前協議を経ずに発表または実施された諸措置
3月28日
4月9日
4月16日
5月2日
6月15日
カバロ大臣、金融取引への[新規]課税、
その他税金等の変更から成る経済プログラ
ムを発表。
銀行の流動性準備に政府証券を20億ペソ
まで含める事を許可。
カバロ大臣、兌換法におけるアンカー[ペ
ソのペッグ先]を、ユーロとドルを同ウェ
イトとするバスケットに変更する旨の修正
法案を国会に送る。
カバロ大臣、「メガ・スワップ」を提案。
投資家が満期を迎える債権をより長期の債
権と交換するもの。
カバロ大臣、租税・貿易にかかる措置のパ
ッケージを発表。非エネルギー財の輸出
者・輸入者への貿易補償メカニズムを含む
が、これは実際上、財政的手段を通じたペ
ソ切下げに等しい。
7月11日
カバロ大臣、2001年8月以降中央政府赤字
の解消を目指す「赤字ゼロ計画」を発表。
11月1日
政府、新しいパッケージを発表。債務交換、
新たな競争力計画、デビット・カード取引
にかかる付加価値税の還付、被雇用者社会
保障供出金の一時的減額を含む。
11月23日
中央銀行、預金金利に実質的な上限を導入。
預金金利が全国内銀行平均を1%超上回る
預金に対し、100%の流動性準備を課すこ
とによる。
政府、銀行取引・外為取引に広範な規制を
導入。個人銀行口座からの引出しに毎週
250ドルの上限設定、銀行のペソ建融資禁
止、海外旅行・海外送金にかかる外国為替
規制の導入を含む。
12月1日
出所)Independent Evaluation Office(IEO)
(2004a)
かであった。
和するに等しいものであった。これは従来の
政府の政策の延長であり、短期的な財政緩和
プログラム・デザインは、かなり楽観的であっ
は景気対策上やむを得なかったとしても、中
た。プログラムにおける主な前提条件は、当時
期的コミットメントは信頼性を欠き、信認の
IMFのスタッフあるいは理事会が知っていた事実
回復に失敗した。
から見ても、市場のコンセンサスから見ても、楽
・SRFの利用を限られた金額に留める理由とし
観的に過ぎた。さらに、当該プログラムには以下
て、2002年と2003年への債務返済の集中を避
のような欠点があった。
けることを挙げているが、これは市場への正
・外的条件の大幅な悪化及び政策の不履行が債
務の持続可能性に与える影響を検討しておら
ず、為替レートの持続可能性に関する本格的
な分析を行なっていなかった。
常なアクセスが近い将来に回復されるという
前提と矛盾していた。
・政府が同意した事前行動(プログラムと矛盾
する国会の法的行為を無効にする政令の発布
・理事会でも指摘されたとおり、プログラムは
等)は、財政の健全性を回復する為に不可欠
整合性に欠けていた。現行の標準的な債務持
な、広範な政治的コンセンサスが存在してい
続可能性分析の枠組を用いて分析すれば、か
ないことの証左であった。
なり楽観的な前提条件の下でも、対外債務を
当時、市場へのアクセスに関して懸念すべき兆
GDPの50%余りの水準で安定化させるには
候があった。例えば当面のファイナンス所要額は
2001年に利払いを除く経常収支をGDPの
毎年300億ドルを超えると見積もられ、2001年の
0.5%相当の黒字とする必要があるという結
対外債務返済額は輸出収入の100%に及ぶと予測
果が導かれるが、当時経常収支は巨額の赤字
され、粗国際準備は短期対外債務の80%をしかカ
*23
が見込まれていた 。
バーしておらず、実質実効為替レートは大幅に過
・財政の安定性の回復はプログラムの主要目的
大評価されている可能性があった。国会が非協力
の一つであったにも拘らず、プログラム・デ
的であったことも、政府のプログラム履行能力に
ザインは実際上、中期的な財政規律へのコミ
疑問を生じさせた。
ットメントを確認しつつ短期的には財政を緩
2001年1月の決定を評価するにあたっては、単
*23 [筆者注]この点に関するより詳しい説明が原レポートのAppendix Ⅵにあるが、本稿では省略する。
138
開発金融研究所報
にそれが意図した結果をもたらさなかったからと
取引税の導入に賛成した。こうした展開は強力な
いう理由で誤りであったと判断してはならず、他
財政引締めの速やかな実施への期待を抱かせた。
の全ての代替策が高いコストを伴ったであろうこ
実際には、カバロ蔵相はその後間もなく(コン
とも勘案しつつ、決定の時点で充分な成功確率が
バーティビリティー・レジームとプログラムの財
見込まれていたかを考慮すべきである。それら全
政目標へのコミットメントを再確認しつつも)、
てを勘案した上で、本評価レポートは、もし全て
IMFと殆どあるいは全く事前協議を行うことな
のリスク要素を充分に考慮に入れて当時のアルゼ
く、それ迄の政策を劇的に変更する一連の措置を
ンチンの困難な政治経済状況を客観的に分析して
発表し始め、それらの多くは市場の信認回復の妨
いれば、触媒的(catalytic)アプローチが成功す
げとなるものであった(具体的な措置については
る確率は実際に低かったことを明らかに出来た筈
図表8を参照されたい)
。
であると評価する。
しかし全ての不利な要素を考慮してもなおか
第1四半期の財政目標は全て大幅な未達とな
り、特に重要な地方財政、年金・医療制度改革、
つ、それまではリーズナブルな記録を持っていた
租税恩赦(tax amnesty)に関する構造改革ベン
アルゼンチンに疑いの利益を与えることにも一片
チマークも遵守されなかった。それにも拘らず5
の道理があるとは言えたであろう。致命的な過ち
月21日の理事会は満場一致で、3月末のパフォー
はこの決定自体よりもむしろ、この戦略が高いリ
マンス基準未達に対しウェーバー[猶予]を与え
スクを伴うことが知られていたにも拘らず、好ま
SBAの第3回レビューを完了、これにより12億ド
しくない結果を充分に予想せず、戦略が失敗した
ルのトランシュの貸出を認めた。
場合の出口戦略への充分な検討が欠けていたこと
にある。戦略が成功したか失敗したかを判断する
基準も明確にされておらず、失敗した場合に次に
とるべき措置に関する議論もなかった。
②プログラム・デザイン及び戦略
経済プログラムは第1四半期の財政目標の未達
に対応する為、また経済成長の回復の為の代替的
政策を見出す為に、変更する必要があった。変更
(2)第3回レビューの完了:2001年5月
①背景
後のプログラムの柱は、イ.金融取引税の導入等
により財政引締めを当初の軌道に引き戻すこと、
2001年1月の増額はアルゼンチンの市場へのア
ロ.競争力の強化(カバロ蔵相が発表した競争力
クセスを一時的に回復した。しかし同年2月後半
計画による)
、ハ.国債の「メガ・スワップ」の
には、政策変更を行わなければ同年の財政赤字は
実施(但しこれに関する情報は非常に乏しかっ
目標の65億ドルを大幅に上回る100億ドルとなる
た)
、の3点であった。
見通しが明らかになった。1月の増額の為の事前
IMFスタッフはレビュー完了を支持する主な理
行動であった年金改革・医療制度改革の為の政令
由として、イ.カバロ大臣が発表した新政策の強
は、法廷によって差し止められた。
力さ(但し同スタッフは競争力計画、為替制度変
マチネア経済大臣は辞職を余儀なくされ、後任
更の実施予定時期等、いくつかの政策には批判的
のムルフィー氏は主に支出削減によるGDP比
だった)
、ロ.プログラムへの政府のコミットメ
1%分の財政引締めを提案した。同提案は激しい
ント(国会も支持の姿勢を見せていた)
、ハ.ア
抵抗を受け、大統領は任命後僅か2週間で彼を辞
ルゼンチンの安定がラテンアメリカ地域及び新興
職させざるを得なかった。これは市場の信認に相
市場経済全体に対して持つ重要性、の3点を挙げ
当な打撃を与え、銀行預金の引出しを加速させた。
た。彼等はさらに、新しい経済大臣に「疑いの利
3月後半のドミンゴ・カバロ氏の経済大臣への
益」を与える必要性、及びコンバーティビリティ
任命は、彼に対する国民の支持と国際的な信認を
ー・レジームの突然の崩壊が経済に甚大な悪影響
背景に、当初は預金者や市場参加者を安心させる
を与える懸念を強く感じていた。
ことに成功した。国会は「経済非常時法」により
IMFスタッフは、アルゼンチンの対外債務は持
行政部門に特別な準立法的権限を与え、また金融
続可能であると見ており、プログラムがかなりの
2006年2月 第28号
139
(significant)リスクを伴っていると述べながらも、
守及び構造改革に対する政府のコミットメントく
それらは[プログラムの]堅実な実施により処理
らいであったが、数名の理事は同国の過去の例か
出来ると示唆していた。
ら、政府が国内の政治的支持を得られるかについ
て懐疑的であった。
③追加的考慮点
予定されていたデット・スワップに対する理事
IMF内部のメモによればスタッフはプログラム
達の評価も、慎重なものであった。彼等はデッ
の成功可能性について、スタッフ・レポートに示
ト・スワップを原則論として歓迎しつつも、その
したよりもかなり懸念していた。例えば2001年3
成否はスワップの具体的条件の如何にかかってい
月のマネジメント宛メモはアルゼンチン社会の
るとして、それに関する情報が無いのは遺憾であ
「調整疲れ」とコンバーティビリティー・レジー
るとした。数名の理事は財政引締め目標について、
ムへの支持の揺らぎに言及しているし、
「アルゼ
前提となっている経済成長見通しが楽観的である
*24
ンチン・タスクフォース」 の同年4月後半のメ
こと、第1四半期に目標達成を妨げた構造的問題
モはより明示的に、アルゼンチンにおける全面的
点がそのままであることから、その実現可能性を
危機の勃発の回避は「不可能ではないが、難しい
疑問視した。
と見られる」(“seems unlikely, though not
impossible”
)という見方を伝えていた。
それでは何故、理事会はレビュー完了に賛成し
たのか? 理事会の議長総括メモは、
「総括すれ
スタッフによる代替的シナリオの分析は継続さ
ば、理事達は政府が迅速かつ有効に対応したと感
れ、結論として二つのメッセージが浮上していた。
じ、また新しい諸措置は国際コミュニティーが強
一つは、全面的危機に至った場合にあり得るシナ
力に支持するに値すると感じた。
」と述べている。
リオは、イ.最後まで現行戦略を維持する受動的
多くの理事達は、この時点で支持を撤回すること
アプローチ、ロ.債務及び銀行預金に関し抜本
はIMFの使命から逃げ出すことであり、市場の行
的・先制攻撃的な措置を講ずる能動的アプロー
動を動かしている景気循環的な影響にIMFも屈服
チ、の2種類であり、スタッフの期待に反して現
するに等しいことであると感じていた。何人かの
実には前者が採られる可能性が高く、その場合に
理事は、アルゼンチンの安定がラテンアメリカ地
はアルゼンチン経済に破滅的な影響が及ぼされる
域及び新興市場経済全体に対して持つ重要性を、
であろうということであった。もう一つのメッセ
支持の根拠とした。ある大口出資国の理事は、理
ージは、債務再編・通貨切下げのシナリオが現実
事達が深刻な欠陥があると見ていたプログラムを
化した場合、銀行部門が最大の問題となるであろ
理事会が支持した理由を、
「リスクも勘案した上
うということであった。
で、よりコストが低いと期待出来る代替的戦略を
誰も提案しなかったからだ。
」と述べている。
④理事会の決定
理事会はレビューの完了に同意したが、理事達
はプログラム及びアルゼンチン経済の見通しは暗
5月の第3回レビュー完了の決定は、1月の決
いと見ていた。彼等は、最近の危機は政府の財政
定よりはるかに正当化が難しい。市場へのアクセ
緩和によってもたらされたものであり、政府が最
ス回復の見込みについて、政府のコミットメント
近とった措置のいくつかは、その内容またはタイ
以外にポジティブな指標は何も無かった。改訂さ
ミング、さらにIMFのアドバイスに反してとられ
れたプログラム・デザインにもアルゼンチンの状
たという点において、大いに問題があるとしてい
況を持続可能なものとする充分な見込みは無く、
た。
前提となった経済見通しは同時期のコンセンサス
肯定的に評価出来るのは、当年末の財政目標遵
*24
に比べ大幅に楽観的であった。政府が発表したメ
1999年中頃に結成された多局間チームで、WHD[西半球局]が主導するプログラムに関する交渉・レビューに併行してアルゼン
チンに関する分析を行うことを目的とした。
140
⑤評価
開発金融研究所報
ガ・スワップは「救済への賭け」の性格が強かっ
たし、政府の新施策は多くの点で方向が誤ってお
り、また不十分であった。
(3)第4回レビューと増額:2001年9月
①背景
第3回レビューの完了後、経済状況はさらに悪
前述のとおり、結果が失敗に終わったことをも
化し、6月前半に実施されたメガ・スワップは
って意思決定が誤りであったと結論付けてはなら
1,000ベーシス・ポイント[10%]近いスプレッ
ないが、本レポートは、当時知られていた事実に
ド(第3回レビュー時の想定は800ベーシス・ポ
基づき判断しても、プログラムの成功の可能性は
イントであった)により、大きなコストを伴った。
殆ど無かったと考える。
メガ・スワップの市場参加者からの評価は好評・
・プログラムは実質的にオフ・トラックであ
不評が混じっていたが、これが仮にスプレッドに
り、政府の対応策のいくつか(特に競争力計
何らかの好影響を及ぼしたとしても、それは6月
画)はIMFのアドバイスに反していた。
中旬にカバロ経済相がIMFとの事前協議無しに発
・楽観的な諸前提の下でさえも、持続可能性の
回復は疑わしく見えた。
・市場でのスプレッドは禁止的高水準に留まり
表した一連の措置によって帳消しになってしまっ
た。中でも「コンバージェンス・ファクター」
(convergence factor)は、
「非エネルギー貿易部
続けた。1月の増額の背後にあった触媒的ア
門での通貨切下げ」に等しいとも言えるもので、
プローチの論理からすれば、この事実のみで
その前に発表されたバスケット・ペッグ案と同じ
もレビュー完了を拒む充分な理由となった筈
効果を財政的手段により達成しようとするもので
である。
*25
あった。 これは競争力強化の意図とは裏腹に、
・最も重要な考慮点は、提案されている戦略が
持続可能であるか否か、そしてもし「否」で
市場に対して為替レート制度が既に持続可能で無
くなっているとのシグナルを送るものだった。
あれば、代替的解決策によって当該国(及び
7月前半、経済相は「赤字ゼロ政策」を発表し
国際コミュニティー)の利益がより良く守ら
た。これは同月中に国会を通過して法律となった
れるか否か、である。しかしこのケースでは、
が、同法が求める給与・年金のカットが政治的に
単に12億ドルで時間を稼ぐことが最善の戦略
維持可能であるかは大いに疑問視されたし、何よ
であるとされた。
りも同法は政府の厳しい流動性不足の状況を浮き
この段階で少なくとも二つの別のオプションが
彫りにした。銀行預金の取り付けは激化し、外貨
検討されるべきであった。即ち、イ.アルゼンチ
準備は急速に減少し、スプレッドは上昇し続け7
ンのマクロ経済政策枠組の即時かつ抜本的な転換
月下旬には1,600ベーシス・ポイントに達した。
を支援する、あるいは、ロ.増額によって出来た
7月下旬、銀行危機の勃発を恐れた政府はIMF
時間的余裕を明示的に新たな枠組への移行の為に
に対し、巨額の支援を即時に実行するよう求めた。
使い、同時に、信頼され得る政策パッケージと債
これを受けてIMFでは非公式理事会、スタッフ・
務再編を通じ触媒的アプローチに最後のチャンス
マネジメント間の協議、主要出資国政府との協議
を与える、の二つである。しかしIMFは代替的提
等が重ねられた。
案を持たず、アルゼンチン政府はそのような代替
案を議論することを拒否し、これが成功確率の低
い戦略を支持し続ける理由となった。
8月20日時点でマネジメントが理事達に提示し
ていたオプションは、次の三つであった。
・オプション1:現行戦略の強化版の支援の
為、現行SBAを80億ドル増額する。
・オプション2:巨額の公的資金(300∼400億
ドル)による新しいプログラム(具体的デザ
*25
実際に用いられている為替レートとバスケットにより計算されたレートの差に応じて輸出者に補助金を支払い輸入者に関税を課す
もの。これは実質的に二重為替レート制度であるが、IMFスタッフはこのシステムが為替市場ではなく予算制度を通じて運営され
る為、IMF協定により制限を受ける複数通貨制度には該当しないと判断した。
2006年2月 第28号
141
インは明らかにされていなかった)を急遽組
み立てる。
た。アルゼンチン・タスクフォースのメモは、
「もしプログラムが回復不可能な程度までオフ・
・オプション3:戦略の全体を再考する(即ち、
トラックとなった場合、現行の政策枠組は速やか
為替レート制度の変更、債務再編のいずれか
に崩壊するであろう。
」とした上で、驚くべき正
一方あるいは両方)
。
確さで危機がどのように進行するかを予測してい
8月21日に専務理事は上記オプション1の変
た。
形、即ち「創造的要素」として民間ベースの自発
これらの懸念にも拘らず8月中頃迄には、スタ
的債務再編の支援の為に30億ドルを使用する可能
ッフは市場の期待という観点から、増額無しにレ
*26
性を含む案を理事会に提案した 。理事会の反応
ビューを完了することは実際上不可能であるとの
は概ね肯定的であったが、数名の理事(G7の一
見方に至っていた。それ迄に政府は90億ドルの追
部を含む)は態度を保留したいとした。同日の記
加的支援のコミットメントを取り付けたと発表し
者発表で専務理事は、既存のSBAの80億ドル増額
ており、スタッフは市場の期待を裏切れば通貨ア
を理事会に提案する意向であり、プログラムにつ
タックを誘発し、外貨準備の枯渇、債務支払停止
いては基本的な変更は無いが債務再編のオプショ
に至るであろうと危惧していた。一方マネジメン
ンを付け加えたい、と表明した。
トは政府から、外貨準備が一定の閾値(実際上、
IMF融資残高より僅かに多い金額にセットされ
②プログラム・デザイン及び戦略
改訂後プログラムの主な柱は赤字ゼロ政策であ
り、財政収支の改善が預金流出を止めることが期
待された。これが投資受け入れ促進策、競争力計
た)を割り込んだら代替的な政策枠組について
IMFと協議を行うとのコミットメントを取り付け
た。
最終的意思決定の約1週間前に専務理事が召集
画、コンバージェンス・ファクターと相俟って、
した一部の上級スタッフの会議では、プログラム
需要と生産の回復の為の条件を整備することが期
の成功確率は多くとも20∼30%と見積られた。支
待された。
援を停止することの莫大なコストに鑑み、それで
スタッフ・レポートはプログラムのリスクの大
もレビューを完了すべきかについて、スタッフの
きさについて常になく率直に警告していた。また
意見は分かれた。賛成派は増額により最大4∼5
スタッフ・レポートには、通常は記載される「ス
ヶ月の時間を稼げるし、決定的に重要な決断(為
タッフは政府の償還能力に信認を持っている」旨
替レート制度の変更及び債務再編)はIMFではな
の記載が無く、スタッフがプログラムへの支持を
く政府が下すことを確保出来ると論じた。また政
求める理由は一言で言えば政府当局の決意であ
府に彼等の戦略の存続可能性を証明する最後のチ
り、持続可能性を回復出来る見込みの有無とは殆
ャンスを与えた方が、アルゼンチンの国民、近隣
ど関係が無かった。スタッフ・レポートのこのよ
諸国、そしてIMF自身にとってのコストが少なく
うな慎重な言い回しをいくらか緩和するものとし
なろうとも論じた。しかし出席者のうち明らかな
て、理事会におけるコメントの中でスタッフは代
多数派はこれに反対し、IMFはいずれにせよ非難
替策、即ち債務返済停止と通貨切下げの一方ある
を免れ得ず、また何十億ドルかの追加支援は結果
いは両方に伴うリスクとコストを強調した。
を左右するほど時間を稼ぐことは出来ず、資本逃
避により消滅しアルゼンチンのIMFに対する債務
③追加的考慮点
によれば、マネジメントの最終決定において鍵と
て、如何なるシナリオの下でも債務の割引現在価
なったのは、過去10年間にわたりIMFプログラム
値の削減が不可避となりそうであると伝えてい
の下にあり当時も表面上はプログラムの実施にコ
*26
この案は殆どの理事にとって寝耳に水であったが、その直前に米国財務省高官が専務理事との直接の対話の中で提案したと見られ
る。
142
を増やすだけであろうと論じた。何名かの出席者
7月末迄には、スタッフはマネジメントに対し
開発金融研究所報
ミットしていた国に対する支援を中止すれば、
はプログラムが完全に実行されIMFの熱心な支援
IMFの政策助言というものに対して(特にラテン
を受ければ成功する見込みが充分にあるとさえ考
アメリカにおいて)政治的な反発が生じるのでは
えていた。
ないかという懸念であった。
⑤評価
④理事会の決定
2001年9月7日、理事会はマネジメントの提案
2001年9月の増額時のプログラム・デザインに
は、当時から明らかないくつかの欠陥があった。
を承認し、SBAの第4回レビューを完了し、併
IMFスタッフは既に債務が持続不可能であると認
せてアレンジメントを63億SDR(80億ドル)増額
識しつつ、解決策を何ら提示しなかった。債務再
した。そのうち39.7億SDR(50億ドル)は即時に
編を目的とする資金を組み込むことによって債務
貸出されることとなっており、残り30億ドルは債
再編の必要性を暗黙裡に認めつつ、その性質や規
務再編が実施された場合の支援用資金とされた。
模についてプログラムは何の情報も提供しなかっ
全会一致を基本とするIMFにおいては珍しく、2
た。いずれにせよ[自発的]債務再編措置のみで
名の理事が支持を差し控えた。この決定により当
は、もっとはるかに巨額な資金を動員しない限り、
該アレンジメントの下での総コミット額は175億
債務の持続可能性の達成に関し多くを望むことは
SDR(220億ドル)となった。IMFのアルゼンチ
出来なかった。
ン支援決定の事前発表は、2000年末に“blindaje”
また当該プログラムは、非生産的であると分っ
を発表した際と異なり、市場の状況をごく短期間
ている政策(例えばコンバージェンス・ファクタ
しか緩和出来ず、理事会で正式に決定された時迄
ー)
、あるいは有効性と持続可能性に欠けると他
にはスプレッドは速やかに1,400ベーシス・ポイ
国で繰り返し証明されて来た政策(赤字ゼロ政策
ントの水準に戻っていた。
のような)に基づいていた。既に明らかであった
8月20日の非公式理事会において理事達は、
「既存の政策枠組の中での政策強化を支援する為
のアレンジメント増額」というオプションの成功
為替レートの過大評価の問題にも対処しておら
ず、財政に関する部分は依然として力不足あるい
は信頼性に欠けた。
確率は低いと告げられた。上述のとおりその翌日
IMFが供給した資金はアルゼンチンを長くとも
には、同じオプションに民間ベースの債務再編の
年末まで持ち堪えさせるに過ぎないと見られた
支援の可能性を付け加えたものが、当時の状況の
が、それ迄に市場へのアクセスを回復出来る見込
下では最もコストとリスクが低い選択肢として提
みは無かった。従って同じ戦略を継続すれば、デ
示された。同時にマネジメントは理事達に調査局
フォールト回避の為には巨額の追加資金が必要と
(Research Department)及び国際資本市場局
なり、これは増額分の半分以上を占めていたSRF
(International Capital Market Department)によ
の条件に違反するのみならず、かなりの額のIMF
るメモを回付したが、これらは民間ベースの自発
的債務再編オペレーションの支援にIMF資金を使
うことに対して疑問を呈していた。
資金をリスクに曝すことを意味した。
スタッフ及びマネジメントはレポート及びその
他の意思疎通において、概ね正直にプログラム及
9月7日の理事会では、何人かの理事が状況は
びIMF自体にまつわるリスクを示していたが、ス
持続不可能でありプログラムは充分な救済策を提
タッフ・レポートは以下の点を論じていなかっ
示していないと感じていたが、上述の2名の理事
た。
以外は、表向きは政府(及び国際コミュニティー)
・当該戦略の継続が、その後のIMF融資に与え
に解決策を策定する時間を与える為という理由に
る影響。これはアルゼンチンが成長を回復す
より、プログラムを支持した。多くの理事達はア
るまで国際コミュニティーが支援し続ける場
ルゼンチンのデフォールトが世界経済に及ぼす影
合に、公的資金によるブリッジ・ファイナン
響を懸念した。全ての理事が政府の決意の固さに
スの所要額はどの程度かという問題を含む。
は強い印象を受けた模様であり、4∼5名の理事
・他の選択肢に伴うリスクとコスト。これが示
2006年2月 第28号
143
されなかった為、理事会は提案されている戦
いた。債務交換の第1段階は主に国内債権者を対
略が実際に最もリスクとコストの低いものか
象とし、旧債務をより低利かつ長期の中央政府向
評価出来ず、成功確率の低いプログラムを支
け融資と交換するもので、当該融資は金融取引税
援するか、支援を完全に引き上げて即時崩壊
収入を担保として保証されていた。第2段階は国
の引き金を引くか、という二つの間の選択を
際債権者を対象とし、国際的に確立された方法で
迫られた。
行うとのことであった。
・理事会直前に実施された、スタッフによる現
11月2日、IMFスタッフは理事会に対して、前
地ミッションの所見。これは提案されていた
日に発表された政策パッケージは「財政の現実と
戦略が既に失敗への道を歩みつつあったこと
整合的で無い」と伝えた。スタッフは債務交換が
を確認するものであった。
市場に受容れられず銀行取付けを惹き起こすリス
理事会はまた、IMF資金を護る為の監視機能を
クがあると考えた。スタッフはさらに、中央政府
積極的に果たそうとしなかった。スタッフ・レポ
と州政府が新しい収入分与メカニズムに合意しな
ートは50億ドルの融資はIMFの歴史の中でも最も
い限り持続可能性は保証されないが、憲法にもプ
リスクの高いものの一つであることを明示してい
ログラムのコンディショナリティーにも反して、
たし、通常は含まれる政府の償還能力へのスタッ
そのような合意には未だ至っていないと指摘し
フの信認の記載もなかった。それにも拘わらず、
た。マネジメントは政府に対し、IMFの次の融資
さらに理事達はマネジメントとカバロ大臣との間
は第5回レビューの完了と2002年のプログラム及
の了解事項(外貨準備がIMFのエクスポージャー
び予算について双方が完全に合意することが条件
を割り込んだら、代替的戦略について検討しIMF
となると伝え、理事会もこのスタンスを暗黙裡に
と協議すること)について知らなかったにも拘わ
支持した。
らず、IMF資金の保護について懸念を表明した理
11月下旬に新たな銀行取付けが発生して3日間
事は2∼3名に留まった。提案を支持しなかった
で36億ドルを超える預金が失われ、年初からの預
2名の理事のうち1名がこの点について具体的に
金減少額の合計は150億ドル(総預金の20%)に
質問したが回答は無く、理事達によって議論され
達した。12月1日、政府は銀行取引・外国為替取
ることも無かった。
引に広範な規制を導入し、預金の引出し、及び旅
行・対外送金の為の外貨購入に制限を設けた。一
(4)第5回レビューの未了:2001年12月
①背景
方、第5回レビューに関する交渉の為、11月末に
かけてIMFスタッフ・ミッションがブエノスアイ
2001年10月後半迄には、SBAの増額と赤字ゼロ
レスに到着したが、財政目標達成の見込みについ
政策が目的達成に失敗したことは明らかであっ
てスタッフと政府の見解が大きく異なっているこ
た。2001年のGDP成長率は−4.5%と予測され、
とが交渉の過程で明らかになった。
9月末の財政赤字はプログラムの目標をGDP比
3%も超過し、10月末のスプレッドは2,000ベー
144
②決定とその波紋
シス・ポイントに達した。しかしこの段階に至っ
12月5日、IMFは記者発表により、同日本部に
ても、スタッフは代替的政策枠組についてオープ
戻ったミッションがSBAの第5次レビューをそ
ンに議論したくないという政府の意向を尊重し続
の時点では完了出来ないとの結論に達し、従って
けていた。
予定されていた13億ドルのトランシェの貸出は行
2001年11月1日、アルゼンチン政府は再びIMF
われないと発表した。同日、マネジメントは理事
との事前協議無しに新しい政策パッケージを発表
会に対し第5回レビューの完了を提案出来ないこ
した。その中には税制上のインセンティブによる
とを伝え、その理由として2001年の財政赤字が目
新たな競争力強化策、及び2段階から成る債務交
標の65億ドルを26億ドル超過する見込みであるこ
換措置(これは「自発的」ではなく「秩序だった
と、債務交換の第1段階の成功にも拘らず2002年
(orderly)
」と特徴付けられていた)が含まれて
には巨額のフィナンシャル・ギャップが見込まれ
開発金融研究所報
ることを挙げた。当該会議の非公式記録によれば、
返しのつかないダメージを与え、事実上、考え得
IMFはアルゼンチンを見捨てるべきではない、と
る最悪のシナリオを現実化させ、新しいプログラ
理事達は強調した。次のステップについて問われ
ムに関する合意をその1年後まで遅らせることと
たマネジメントは、IMFは現行政策枠組の範囲内
なった。
で持続可能なプログラムを政府と共に検討し続け
るつもりであると答えた。
アルゼンチンでは銀行システム内での「質への
③評価
2001年12月迄には、殆どの観察者の眼にはペソ
逃避」が激化し、政府の経済政策、特に預金凍結
の切下げと包括的な(割引現在価値を削減する)
に反対する大規模なデモが始まり、これが12月19
債務再編が不可避であり、アルゼンチン政府がこ
日の非常事態宣言、その後のカバロ大臣、そして
れらのオプションの検討に後ろ向きでいる限り如
デ・ラ・ルーア大統領の辞任、そして約10日間の
何なるプログラムも持続可能でないことが明らか
間に4人の大統領交代につながった(図表2参
であった。こうした状況の下で、レビューを完了
照)。IMFマネジメントはG10諸国の理事と協議
しないとの決定には充分な根拠があった。しかし
し、包括的な中期的解決策について協議出来るよ
ながら、危機の究極的なインパクトを緩和するよ
うな新政府の登場を待たざるを得ないであろうと
うに支援打ち切りのやり方を工夫出来なかったの
いうコンセンサスが浮上した。
かは、検討に値する。
12月23日、デ・ラ・ルーア氏の後の二人目の大
上述のとおり、2001年7月のアルゼンチン・タ
統領であるロドリゲス・サー大統領がアルゼンチ
スクフォースのレポートは危機の展開について正
ンの対外債務の部分的デフォールトを宣言した。
確に予測していた。スタッフは政府が先制攻撃的
2002年1月初め、同じく四人目の大統領であるエ
措置をとらなければ全面的危機が勃発するであろ
ドゥアルド・ドゥアルデ大統領がコンバーティビ
うことを充分に知っていた。それにも拘らずIMF
リティー・レジームを停止し、外国貿易用の1.40
は代替的アプローチを自ら策定したり、政府に対
ペソの固定レートと自由市場レートから成る二重
してそうしたオプションに関する協議を促したり
為替レート制度を導入した。IMFはその直後、上
することは無かった。
級スタッフをブエノスアイレスに派遣して、新た
マネジメント及びスタッフは10月末迄には第5
なプログラムに関する協議を開始する為には次の
回レビューの完了の可能性がかなり低いことを確
4点をより明らかにする必要があると伝えた。即
信していたが、こうした見方を政府に明確に伝え
ち、新たな為替レート制度(IMFは二重為替レー
なかった。その結果、政府は現実を直視してダメ
ト制度を支持出来ないことを強調した)、予算、
ージの最小化を目指しIMFと共に働く代わりに、
銀行再編のコスト、債務交換の第2段階の方法と
既に明らかに持続可能性を失っていたものを救お
現状、の4点である。
うと絶望的な試みを行った。レビューを完了しな
こうした展開は2002年1月11日の非公式理事会
いとの決定後、IMFはコンバーティビリティー・
で議論され、理事達はマネジメントがとったイニ
レジーム放棄の直後になされた決定的に重要な選
シアティブを(事後的に)支持すると共に、アル
択に対して、意味のあるインパクトを持たなかっ
ゼンチンを支援する強い意向を表明した。数名の
た。実行可能な非常事態対応計画があれば被害は
理事はスタッフに、状況の更なる悪化による悪循
より少なくなったであろうし、早期に様々な出口
環を避ける為、直ちに交渉モードに入るよう促し
に関する選択肢について協議していれば、悪い状
た。スタッフも同様の懸念を持っていたが、政治
況をより悪化させた政策選択のリスクを減少させ
的現実からは、政府が自分で決断を下すのを待つ
得たであろう。
以外のオプションは殆ど無かった。その後の2週
間に政府がIMFとの協議無しに行った政策決定、
(5)意思決定過程
とりわけ銀行部門のドル建て債権と債務を異なる
2001年中のIMFのアルゼンチンに関する意思決
レートでペソ化した措置は、銀行セクターに取り
定は、不確実性の下でのIMFの意思決定過程にと
2006年2月 第28号
145
っての教訓を、以下の五つの分野において提示し
接に協調しつつ経済政策を策定したが、2001年5
得る。
月以降、関係は非協力的なものとなっていった。
第1に、経済大臣が事前協議無しにIMFプログラ
①IMF内部の危機管理体制
ムの精神に反するような政策措置をとることを繰
1999年の後半、IMFは関係各局の上級スタッフ
り返した。第2に、スタッフが非常時対応計画に
により「アルゼンチン・タスクフォース」を結成
関して政府と実質的なやり取りを行うことは2001
し、これにアルゼンチンに関する分析作業全ての
年の晩夏か秋まで殆ど不可能だった。
監督を担当させた。2000年後期には経済・金融指
標に関する日時報告が開始され、関係各局の上級
IMFがこのように当該国政府との実効性を欠い
た関係を受け容れた理由は、三つ考えられる。
スタッフにデータが伝達された。さらに第1副専
・IMFは東アジア危機においてメンバー国に自
務理事がアルゼンチンに関する全ての作業に密接
らの意志を押し付けたと批判された後、プロ
に関わった。これらは各局からのエクスパーティ
グラムに対する国のオーナーシップを出来る
ーズの集約、及び多局間の活発な議論とマネジメ
限り促進しようと努めた。アルゼンチンのプ
ントへの様々な意見の伝達を保証し、枠組自体は
ログラムは政府が完全にオーナーシップを持
完全に適切なものであったが、次の二つの重要な
っており、これを批判することは自らのオー
点で充分に機能しなかった。第一に、いくつかの
ナーシップ尊重のメッセージの手前、出来な
決定的に重要な問題点(例えば、当国が直面して
かった。
いたのは流動性の危機か長期的支払能力の危機
・マネジメント、理事会とも、政府が発表した
か、為替レートの持続可能性、そして(とりわけ
措置を支持しなければ信認の危機を惹き起こ
重要な)現行戦略が失敗した時に現実的にとり得
すのではないかと恐れていた。これは彼等が、
る措置)に対して限られた注意しか向けられなか
市場はIMFが是認していると見られる措置に
ったことである。第二点は、内部で激しい議論が
対してはより肯定的に評価するであろうと信
行われた問題点(例えばメガ・スワップのメリッ
じていたことを示唆する。しかし本評価チー
トの評価、あるいは(決定的に重要な)準カレン
ムが市場参加者にインタビューを行ったとこ
シー・ボードに替わるべき為替レート制度)につ
ろ、そのような証拠は見られず、逆に市場参
いて、いずれも結論が出せなかったことである。
加者はIMFの反応に対して首をひねっていた
ことが分かった。
②非常時対応計画
・マネジメント及び理事達は、理事会、あるい
非常時対応計画は本来、危機管理において決定
は時折行われる政府との直接のやり取りにお
的に重要な要素の筈である。それは四つの要素か
いて強い言葉を表明することにより、政府の
ら成る。即ち、イ.現行戦略が失敗した場合に採
方向を転換させ得るのではないかと期待して
るべき代替的政策枠組を決定すること、ロ.その
いた節がある。これは理事会で普通にとられ
戦略を支援する為にIMF及び国際コミュニティー
る手段であるが、このケースでは明らかに現
が採るべき実際的措置を決定すること、ハ.現行
実性を欠いていた。
戦略が失敗したと判断する基準を決定すること、
ニ.これらを当該政府に有効に伝えること、であ
④金融リスクの管理
る。IMFはかなりの資源を上記の第1点を中心と
2001年1月迄にIMFのアルゼンチン向けエクス
する分析に投入したが、より実際的な要素である
ポージャーは、明らかに同国の償還能力が問題に
第2点から第4点については、かなり遅い段階ま
なるような水準に至っていた。それにも拘らず、
で本格的に取り組むことは無かった。
その後もIMFは同国向けコミットメントを増額さ
せ続けた。信用リスクの集中はIMFのような「危
③政府との関係
SBAの最初の年には、政府はIMFスタッフと密
146
開発金融研究所報
機の際の貸し手(crisis lender)
」にはある程度ま
で不可避であり、またそのリスクは部分的には
IMF融資のシニオリティー(返済における優先順
た。理事達はそのようなプロセスに疑問を表明し
位の高さ)によって保護されている。とは言え、
つつも、それに乗った。第5回レビューを完了し
一般的にIMF内部では金融リスクに充分注目して
ないとの最も重要な決定は、11月を通じて徐々に
おらず、それに関するエクスパーティーズを重要
形成されていったにも拘らず、理事会が知らされ
な意思決定に際して利用することも無かった。例
たのは一般の人々と同じ12月5日であった。
えばアルゼンチン・タスクフォースには、財務局
第2に、理事の過半数は「オール・オア・ナッ
(当時のTreasurer’
s Department、現Finance
*27
シング」的な決定過程 を受け容れていたように
Department)の代表が入れられていなかった。
2001年1月の増額に先立ってリスク分析が行わ
れていれば、IMFの流動性ポジションは長期にわ
見える。そこでは、理事会の提案を支持するか、
金融危機の引き金を引く責任をとるか、の選択し
かなかった。
たりアルゼンチンのリスクに大きく曝されるであ
第3に、理事の過半数は重要な疑問を未回答の
ろうこと、万一同国の元本返済が止まればIMFの
まま残すことに満足していたように見える。例え
準備金では発生し得る延滞金額の全額はカバーし
ば、IMFにとっての出口戦略、非常時対応戦略の
きれないことが明らかになったであろう。
有無といった重要な問題について質問することは
スタッフがリスク分析を行わなかったことは、
殆ど無かった。非常時対応戦略について質問が出
多くの理事の金融リスクへの真剣な懸念の欠如の
た場合にもマネジメントはその都度、
「スタッフ
一因となったであろうが、それにしてもこの問題
は作業を進行中であるが、問題の微妙さに鑑み理
を理事会において如何に少数の理事しか提起しな
事会では議論しない方がよいであろう。
」と答え
かったかという点には驚かされる。
ていた。結局、
「進行中の作業」は問題の一部に
しか対応していなかったが、理事会が当該作業に
⑤理事会の関与
ついて知った時には、もう遅きに失していた。
理事会はアルゼンチンの状況への[IMFの]対
第4に、スタッフ・レポートが見通しとリスク
処に関して、広範に関与した。しかし理事会全体
について完全に正直とは言えない場合は(2001年
としては、アルゼンチン向け戦略に対してインプ
中の殆どの決定の場合のように)
、理事達は重要
ットを供給することは限られていた。この評価は
な質問への回答を求める際に当然、確固たる基盤
特定の国あるいは特定グループの理事には当ては
を持ち得なかった。
まらないが、以下ではIMFの確立された意志決定
最後に、意思決定過程に内在する非対称性が、
過程の中における理事会の公式な役割に焦点を置
2001年12月の決定に対して理事会がその監督権限
く。
を厳格に行使する能力を必然的に制約した。即ち
理事会が代替的戦略の検討において限られた役
専務理事がプログラムのレビューを完了しないと
割をしか果たさなかった理由はいくつか考えられ
決めるにあたっては、理事会の支持を必要としな
る。
いことになっている。上述のとおりアルゼンチン
第1に通常、理事会は決定事項の検討の為に、
ごく僅かの時間しか与えられない。その一因は状
のケースでは、マネジメントはかかる決定に至る
プロセスに理事会を含めなかった。
況が流動的なことにもあるが、大抵の場合、マネ
このような理事会によるマネジメントの意思決
ジメントは意志決定過程の中の遅い段階になる迄
定に対する監視の弱さは、殆どの理事に関わる利
理事会を招集せず、また理事会の直後に決定の概
益相反を反映したものだとする意見もある。借入
要を発表したいと主張することも多く(2000年12
国の理事は他の借入国に団結を示そうとするし、
月と2001年8月の増額決定)
、2001年の春と夏の
必要が生じた際に自国も支援が受けられるように
何回かのケースでは政府が発表した政策措置に対
配慮して、マネジメントとの衝突を避けようとす
してあるスタンスを直ちに示す必要に迫られてい
る。主要工業国の理事は、当該国政府が理事会の
*27 [筆者注]原文の表現は“take it or leave it”decision processである。
2006年2月 第28号
147
外でマネジメントと直接やり取りをする際にとっ
ったという過ちを犯した。コンバーティビリティ
た立場の範囲内で働かざるを得ない。高度に微妙
ー・レジームは1990年代前期の経済的現実に対し
な問題をリークの恐れがある理事会で議論したく
ては有効な対応であったが、1998∼1999年にアル
ないという気持ちは理解出来なくはないが、理事
ゼンチンを襲った一連の負のショック、即ちブラ
会を回避することはそのガバナンス機能を弱体化
ジルの通貨レアルの切下げ、新興市場国への資本
し、IMFの意思決定過程の透明性とアカウンタビ
流入の減少、ドルの増価、国際的な金利上昇がア
リティーを脆弱化する。
ルゼンチンの均衡実質為替レートを恒久的に引下
プログラムにかかる重要な決定がどの程度ま
げたことにより、状況は一変した。
で、理事会の中だけで、全面的な情報提供に基づ
一連のショックは、固定為替レートの硬直性と
き、全理事の参加により行われたか、ということ
国内賃金・物価の下方硬直性から、いつ起きても
はIMFのガバナンス問題の鍵の一つである。IMF
扱いが難しいものであったが、実際にこれらが発
の出資者は各国政府であり、彼等がマネジメント
生したのは、財政収支が一層悪化し、公的債務が
に意見を伝えるのは不可避であり、また適切なこ
継続的に増加しつつある時期であった。更に債務
とである。
[しかし]その出資者達が過半数を構
の殆ど90%が外貨建であったことがアルゼンチン
成している/あるいは動員出来る場合には、マネ
の償還能力に対する疑問を増大させ、均衡実質為
ジメントの決断はその影響を受けることになる。
替レートの変化に対する脆弱性を増大させた。そ
アルゼンチンの場合、IEOが入手出来た文書には、
の結果もたらされたソブリン・スプレッドの増大
これがどの程度まで起きたかを示すものは無い。
は、低成長の下で非常に好ましくないdebt
しかし、インタビューを受けた広範なスタッフそ
dynamics[債務負担増大の悪循環]を生み出し
の他の人々が、アルゼンチンに関する意思決定は
た。国内政治状況も、1998∼1999年における選挙
外部の圧力に影響されたと信じていた。しかし、
絡みの支出増大、1999年終盤に成立した連立政権
何がそのような圧力となるのか、そしてそれが不
の団結の欠如を通じて危機の進展に影響した。
適切なものか否かを決めるのは容易では無い。上
2000年終盤迄にアルゼンチンは、継続的な景気
述のように、市場参加者の間で形成された期待は
後退と国内の政治的不一致から実質的に国際資本
IMFの意思決定を制約した。政治的圧力について
市場へのアクセスを失うに至り、為替レートと債
は、それを定義することは難しい。出資国政府が
務の持続可能性の双方の問題を抱えていた。IMF
その希望を表明しただけでは政治的圧力とは呼べ
は、危機は基本的に流動性の危機であるとの判断
ず、鍵となるのはマネジメントが自らの責任の下
に基づき、2001年1月のSBA増額により、その触
に決断したか否かである。当時マネジメントに属
媒的機能を通じてアルゼンチンを支援しようとし
した人々はIEOに対して、彼等の管轄化でなされ
た。
た全ての重要な決定は、大口出資国の希望如何に
従って2001年1月のプログラムは元々楽観的な
拘らず全面的に彼等自身の責任において行われた
ものであった上に、プログラムの下でのコミット
と述べている。
メントは完全には実行されず、特に財政目標が達
成出来ないであろうことは間もなく明白になっ
4.アルゼンチン危機からの教訓
た。それにも拘らずIMFは2001年5月のレビュー
を完了し、政府に一連の「いちかばちか」の非正
148
(1)主な所見
統的措置をとることを許した。これらの措置に
①危機の概観
IMF内部では多くが反対の意を表明したが、危機
2001年∼2002年のアルゼンチン経済の破滅的な
を即時に暴発させることを恐れたIMFは表向きア
崩壊は同国の政策決定者達が充分に早い段階で必
ルゼンチンを支持した。2001年9月にはSBAの更
要な改善措置をとらなかったことを表している。
なる増額が承認されると共に、持続可能な政策枠
同時にIMFも、主要出資国の支持の下に、持続可
組が提示されないまま、実効性に欠け概念的にも
能でない戦略への支援をもっと早く止められなか
問題のある自発的債務再編の努力が行われたが、
開発金融研究所報
これは危機を長引かせただけであった。
振り返ればIMFの危機管理は深刻な弱点を持っ
ィビリティー・レジームに内在する脆弱性と、そ
の維持の為には財政規律と労働市場の柔軟性が不
ていた。2000∼2001年におけるそれぞれの意思決
可欠であることを正しく認識していた。IMFは、
定時点においてIMFのマネジメントと理事会は、
サーベイランスとプログラム・デザインの双方に
持続可能性がより低い政策環境から長期的には持
おいて改善措置を求めたが、それらは成功・失敗
続可能性がより高いが短期的には大規模な混乱を
がとり混ざり、それらのインパクトは、必要な調
伴うであろう政策環境への変更のコストを勘案
整への政治的コミットメントが弱まるにつれて減
し、後者のコストが高過ぎると判断し、状況が改
少していった。IMFは財政構造改革の為の技術支
善するまで時間を稼ぐことを選んだ。実際に変更
援も行ったが、これらは政治システムが財政パフ
のコストはいつそれを行ったとしても非常に高か
ォーマンスの大幅な改善を実現出来た90年代前期
ったであろうが、おそらく最終的なコストは、ア
には、意義のあるものであった。
ルゼンチンが信認を失い、外貨準備の減少が一層
しかしこの時期のIMFによる財政分析には、オ
進み、より多くの公的債務が銀行部門に押し付け
フ・バランス支出及び社会保障改革の財政への悪
られ、より多くの預金が引き出され、アルゼンチ
影響が充分に把握されていなかったこと、データ
ンの生産が減少する中でIMFに対する債務が膨ら
の制約と法的制約から地方財政の改善・構造改革
むにつれて、一層増大していったと言えよう。
を促せなかったこと、といった弱点があった。こ
2001年にとられた戦略の目的はアルゼンチン、
れらには止むを得ない面もあるとは言え、経済状
国際コミュニティー、そしてIMFにとっての危機
況が大幅に悪化した場合に[財政が]債務の持続
のコストを最小化することであった。実際、危機
可能性に与える影響をより深く検討しておくべき
の国際的波及は限られたものであったが、それが
であったと考える。
IMFによるアルゼンチン危機への対応の直接の結
メキシコ危機以後、IMFのアプローチは変わっ
果であったか否かを明確に断言することは難し
たように見える。財政調整・財政構造改革の重要
い。しかし危機の波及がそれほど拡がらなかった
性を引き続き強調しつつも、IMFはこれらの分野
主因は、アルゼンチンの危機への展開が長期に及
における問題点を、未達成の財政目標のウェーバ
んだ為、最後には市場が広く危機を予測していた
ーあるいは新しいプログラムへの移行により、繰
ことであった可能性が高いように思われる。一方
り返し大目に見るようになった。
IMFにとってのコストは、かなり大きかった。金
アルゼンチンでの経験は、国が強力なオーナー
融支援の結果、人々は政府がとった非正統的な諸
シップを、脆弱なあるいは一貫性に欠ける政策に
措置とIMFとを結び付けて見た。IMFが通常のア
対して持っている場合の問題点を浮き彫りにす
クセス・リミット[資金利用可能枠]を超えて、
る。コンバーティビリティ時代の主要な経済政策
そのような政策を繰り返し支援したことは、メン
決定は全てアルゼンチン政府のイニシアティブに
バー国の扱いに公平性を欠いているとの見方を生
よるものであるが、問題は、固定為替レート政策
じさせた。また、IMFのような危機の際の貸し手
を支える為に必要な財政政策及び構造改革政策の
(a crisis lender)にはある程度止むを得ないこと
為の政治的コンセンサスが時と共に弱まっていっ
とは言え、IMF自身の信用リスクの集中度も増加
たことである。
した。そして、大規模なIMF支援がもはや政策の
後から考えればIMFは90年代のもっと早い時期
持続可能性のシグナルではなくなると共に、過去
に為替制度の変更を主張すべきであった。変更が
にIMF融資が果たしてきたと考えられてきた触媒
必要であると明確に主張していれば、
[政府がそ
的役割が疑問視されるに至った。
れに同意しなくとも]その後の政府との会話を形
作っていくことが出来たであろう。2000年に危機
②危機以前の時期のサーベイランス及びプログラ
が発生した後でさえ、IMFの戦略は基本的に変わ
ム・デザイン
らず、それは次の二つの要素を反映したものであ
IMFはアルゼンチンのような国でのコンバーテ
った。
2006年2月 第28号
149
・IMFの文化として、相手国の為替レート制度
IMFが為替レート制度変更を促すことに消極的
の選択に疑問を投げることを避けようとする
だった理由は、ペッグに対する政府の強力なオー
傾向があった。
ナーシップとアルゼンチン民衆の広範な支持にあ
・IMFは将来見通しによる為替レートの持続可
った。IMFは、東アジア危機の際にコンディショ
能性の検討という概念を持っておらず、最良
ナリティーを押し付けたと外部から批判されたこ
の分析用具を使用していなかった為、1990年
とから、方向違いで非生産的と分っている政策に
代末にかけての為替レートの過大評価は、仮
ついても相手国のオーナーシップを過度に尊重す
にあったとしても穏やかなものだという結論
るようになっていた。一方でIMFは、東アジア、
に達していた。より深くシステマティックな
ロシア、ブラジルでの危機から、このようなケー
分析を行えば、2000年において固定為替レー
スでは触媒的アプローチは固定為替レート制度が
トは長く持続し得ないとの結論に達した筈で
放棄された後にしか機能しなかったという教訓を
ある。
未だ学んでいなかった。
この期間を通じて、IMF内部では、例えば同国
利用可能な分析用具も、充分に利用されていな
の財政規律や構造改革に関する懸念等、様々な反
かった。上記の為替レートの問題に加え、債務持
対意見が様々な時点において表明されていた。し
続可能性分析も厳密に実施されなかった。
かしこれらの反対意見は殆ど常に、国に対する影
響力の保持の必要性、あるいはIMFの「お墨付き」
(seal of approval)の触媒的効果を維持したい願
また非常時計画も不十分であった。その理由の
一部は、政府が代替的措置を議論することに後ろ
向きであったことにある。
望、といった考慮によって否定されてきた。影響
理事会は、情報の制約もあったとは言え、IMF
力を保持しつつ脆弱なプログラムを支援する方
の資源が持続不可能な政策を支持する為に使用さ
が、実施が見込まれない強力なプログラムに固執
れることを止めるという形でその監視を全うする
して支援打ち切り、そして最終的に影響力の喪失
ことが出来なかった。これは部分的には、マネジ
につながるよりは良いと考えられたのである。
メントによる決定に対する理事会の戦略的関与を
限られたものにすることを(時には渋々ながら)
③危機管理
理事会が受け入れていること、及び決定的に重要
2001年1月のSBA増額決定は、いくつかの弱点
な情報の一部を受け取っていなかったことを反映
を持っていた。アルゼンチンの債務と為替レート
するものである。これは、重要な決定が理事会の
が持続可能である可能性が充分に高いという当時
外で大口出資国達により行われるという、IMFの
の判断は、厳密な分析や諸指標の慎重な検討に基
ガバナンスにかかるより大きな問題の反映であ
づいたものではなかった。成功の確率が無視出来
る。
ない程度にあればその決定は正当化し得るとすれ
ば、この決定が明らかに誤っていたと断定するこ
(2)IMFにとっての教訓
とは難しいが、少なくともその戦略が失敗した場
アルゼンチン危機はIMFに対していくつかの教
合の出口戦略を含めて決定すべきであったとは言
訓をもたらすが、その一部は既に学ばれて、IMF
えよう。
の政策や手続の改定に反映されている。本レポー
2001年5月の第3回レビュー完了の決定と同年
トは、サーベイランス及びプログラム・デザイン、
9月の増額決定は、危機の際の金融支援にかかる
危機管理、意思決定過程の三つの分野における10
IMFの政策の(少なくとも)精神に鑑みて、疑問
項目の教訓を提示する。
の余地があるものであった。特に、持続可能性に
かかる基本的な診断に基づいた支援ではなかった
①サーベイランス及びプログラム・デザイン
という点で、PSIとSRFに関する政策に反してい
150
る。プログラム・デザインも危機の解決に充分な
・教訓1:
ものではなかった。
為替レート制度の選択権は当該国政府にある
開発金融研究所報
が、IMFは選択された為替レート制度が他の
1997∼1999年の間、アレンジメントが予備的な
諸政策及び諸制約との整合性を確実に保つよ
ものとして扱われていたことは、IMFの政府に対
う、サーベイランスを確実かつ率直に行う必
するレバレッジを弱めていると双方において認識
要がある。
されていた。国際収支上の差し迫った理由が無い
時には、特に当該国の改革実施能力に疑問がある
このことは少なくとも1997年以来、理事会で繰
場合は、IMFアレンジメントよりも市場による規
り返し承認されてきたが、アルゼンチンのケース
律に任せた方がよいかも知れない。少なくとも予
では実行されなかった。アルゼンチンの事例は、
備的プログラムであることを、プログラム・デザ
オープンな資本勘定の下で「ハード」・ペッグを
インの弱さや目標未達成を正当化する口実にする
維持することは、特に必要な調整政策への政治的
べきではない。
支持が欠けている場合難しいことを示した。また
固定為替レート制度からの退出は、国内政治状況
・教訓4:
への配慮から好況時も不況時も難しく、従って最
当該国のIMFプログラムに対するオーナーシ
後に必要に迫られて大きなコストを伴いつつ行わ
ップは不可欠であるが、それだけでは充分で
ざるを得なくなりがちであるという教訓も得られ
はない。何故なら、誤った方向の政策あるい
た。従ってIMFは、市場に警戒心を抱かせないよ
は弱過ぎる政策に対するオーナーシップは、
うに、日頃からサーベイランスの一環として為替
望ましくない結果を招きがちだからである。
レート制度に関して政府と協議するべきである。
国によるオーナーシップは重要であるが、オー
・教訓2:
ナーシップの程度とIMFプログラムに含まれた政
資本勘定を自由化した新興市場国にとって持
策の強度との間にはしばしばトレード・オフがあ
続可能な債務のレベルは、その国の経済的特
り、それについてIMFは政府とオープンに議論す
徴によっては、従来考えられてきたよりも低
べきである。アルゼンチンでの経験の重要な教訓
い可能性がある。
は、強力なオーナーシップが存在するからと言っ
て、IMFが自らの見方を確固として政府に伝える
多くの新興市場国の「債務不耐性」(debt
ことを遠慮してはならないということである。
intolerance)について注視を要するという点は現
IMFは強力なオーナーシップに支えられた政策で
在ではIMFにおいて充分に認識されている。IMF
あっても、それが望ましい結果を生み出すのに不
スタッフが指摘したように(Reinhart他(2003)
,
充分なものであれば支援しない覚悟を持つべきで
IMF(2003)
, PDR(2003)
)
、他の諸国にとっては
ある。
妥当と見える債務水準であっても、債務の建値、
貿易自由化の程度、歳入ベース、財政の柔軟性、
・教訓5:
過去のデフォールト及びインフレに関する記録、
マクロ経済の良好なパフォーマンスは、たと
マクロ経済安定化における財政政策の役割、とい
えそれがある程度持続している場合であって
った点を考慮に入れれば、高過ぎるかも知れない。
も、外部環境の悪化により経済成長が中断さ
れた場合に信認の回復を図るに際して越え難
・教訓3:
い障害となるような、制度的な脆弱性を覆い
当該国政府がIMFアレンジメントを予備的ア
隠している可能性がある。
レンジメントとして取扱うと決定することは
実際上、IMF支援を受ける為の基準
アルゼンチンの場合、IMFはそのような脆弱性
(standards)が弱められるリスクを発生させ
を認識し、構造的コンディショナリティーと技術
る。
支援により対処しようとしてきたが、財政の根本
的脆弱性は結局そのまま残り、これが再び致命傷
2006年2月 第28号
151
となった。政治システムに深く根ざした制度的脆
ということである。第1に経済ファンダメンタル
弱性を変えるのは非常に難しい。そのような変化
ズが健全であること、第2に政府が市場の充分な
の兆しが見られない場合には、仮にマクロ経済的
信認を得られること、第3に、本格的な債務持続
パフォーマンスが良好であっても、IMFが当該国
可能性分析の結果、当該国が長期的支払可能性を
と長期的なプログラムを通じた関係を持つこと
持っている可能性が高いと判断されること、第4
は、おそらく非建設的であろう。
に債務と為替レートが概ね持続可能であると評価
出来ることである。債務と為替レートの持続可能
②危機管理
性について充分に根拠のある懸念が存在する時
に、自発的な資本の流れの[流出から流入への]
・教訓6:
逆転を期待しても無理である。
特定の政策枠組を支援するか否かに関する意
思決定は必然的に、蓋然性を踏まえた判断と
・教訓8:
ならざるを得ないが、重要なのは、この判断
自発的な市場ベースの債務再編という形での
を可能な限り厳密なものにすること、及びい
financial engineeringは、コストが高くつくの
くつかの決定的に重要な前提条件が実現しな
みならず、危機的状況の下で実施される場合
かった場合の代替的戦略を最初から用意して
には、信頼できる包括的な経済戦略を伴って
おくことである。
いなければ債務の持続可能性を改善すること
は難しい。
よく考えられた代替的戦略が存在せず、充分明
確でない出口戦略しか無かった為に、IMFはプロ
2001年6月のメガ・スワップから得られる重要
グラムの明らかな失敗に直面しつつ、ギアを変更
な教訓は、リスク・プレミアムがデフォールト確
するのに長い時間を要した。資本収支危機に対処
率の高さを警告しているような危機の最中にあっ
する為のプログラムにおける非常時対応計画策定
ては、市場ベースの、割引現在価値の変化を伴わ
*28
の必要性について、IEOは以前にも指摘した 。
ないfinancial engineeringは機能しないということ
アルゼンチンのケースにおける追加的な教訓は、
である。何故ならそのような状況でのオペレーシ
かかる計画には当初の戦略が機能しているか否
ョンはかなり高い金利により行われる為、短期的
か、アプローチの変更が必要か否かを判断する基
なキャッシュフローの改善は、より高い債務返済
準となるstop-loss rulesを含める必要があるという
負担のコストを伴わざるを得ないからである。割
点である。
引現在価値の削減を伴う債務再編か、
(債務が持
続可能であると判断される場合には)公的部門に
・教訓7:
よる大規模な金融支援パッケージのみが、債務の
資本収支危機の解決に対する触媒的アプロー
悪循環(unfavorable debt dynamics)を逆転し得
チは、非常に厳密な諸条件が充たされた場合
る。これらの二つのアプローチが2002年にそれぞ
にのみ機能し得る。
れウルグアイとブラジルで成功裡に実施された事
は、この教訓が既に学ばれた事を示唆している。
アルゼンチンのケースは、過去10年の他の資本
収支危機から得られ、IMFでの最近の二つの研究
・教訓9:
(Cottarelli and Giannini(2002)
, Mody and Saravia
危機の解決に必要な行動を遅らせることは、
(2003)
)にまとめられた教訓を確認するものであ
危機の最終的なコストを大幅に引き上げてし
った。その教訓とは、触媒的アプローチが成功す
まう。
るには以下の諸条件が充たされている必要がある
*28
152
IEO(2003a)のRecommendation 3を参照されたい。[筆者注:山下(2004)のⅡ6
(3)
「提言3」も参照されたい。]
開発金融研究所報
必要な政策変更が大きな初期コストを伴う場
報が非常に機微に触れるものでありリークが懸念
合、政府は変更に抵抗し、IMFも(当然ながら)
されたという事情もあった。時として決定的に重
政府の意思に反してそのような政策を強制しよう
要な意思決定が理事会の外で、IMFのマネジメン
とはしない。しかし危機の根本的原因に対処する
トと主要出資諸国との直接のやり取りの中で行わ
ことなく危機を長引かせれば、生産の減少、資本
れた。意思決定は理事会において、スタッフの率
逃避、銀行部門の資産の質の悪化が一層進み、経
直な分析に基づいて行わなければ、アカウンタビ
済にとってのコストは一層増大する。危機のコス
リティーが低下し、最適でない意思決定が行われ
トを最小限に留めるにはIMFは、第1に政策変更
る可能性が高まるであろう。
の必要性を現実的に評価し、それが必要な場合、
当該国の政策変更へのコミットメントが信頼出来
(3)提言
る場合にのみ金融支援を行うべきであり、第2に
本レポートは以上の教訓に基づいて、IMFの政
移行に伴うコストを最小化する為の政策パッケー
策及び手続の実効性を向上させる為に、危機管理
ジと金融を通じて政府を支援すべきである。
及びプログラム・デザイン、サーベイランス、
IMFプログラムをめぐる当該国との関係、意思決
③意思決定過程
定過程の四つの分野における6項目の提言を提出
する。
・教訓10:
IMFの意思決定過程において、リスク分析、
①危機管理及びプログラム・デザイン
アカウンタビリティー、予測可能性を改善す
ることが、誤りを最小限に留め有効性を高め
・提言1:
る為に必要である。
IMFは危機の発端から、「ストップ・ロス・
ルール(
“stop-loss rules”
)
」を含む非常事態
アルゼンチンのケースでは、IMFにとっての金
*29
「ス
対応戦略 を用意しておくべきである。
融リスクについても国の償還能力についても、充
トップ・ロス・ルール」とは、当初の戦略が
分に議論が行われることはなかった。意思決定に
うまく機能しているか否かを判断し、アプロ
おいて金融リスクにもっと注意を払っていれば、
ーチの変更が必要であるか否かについてのシ
大口借入国による問題含みの戦略を支援し続ける
グナルを示す為の一連の基準である。
にあたって、より高い水準の成功確率を要求して
いたであろう。
危機対応は、最初から明確な目標、目標達成度
アルゼンチン危機により明らかになった意志決
を測る指標、代替的計画(出口戦略を含む)を備
定過程の弱点は、検討された情報の質、及び各決
えた整合的な戦略の一部であるべきである。最も
定を誰が責任を持って下したかに関する透明性の
重要なのは出口戦略を発動する基準(トリガー)
欠如に関するものであった。理事会は融資の意思
を特定しておくことである。アルゼンチンの経験
決定に責任を持っていることになっているが、ス
は、ストップ・ロス・ルールは早い段階で明確化
タッフとマネジメントが検討した全ての要素を完
しておき、全面的危機が不可避になる前に発動出
全には知らされていなかった。これには一部の情
来るようにデザインしておく必要があることを示
*29
原文ではcontingency strategyであり、ここではcontingency plan(脚注18参照)と同義と考えて差し支えないと思われる。
*30 [筆者注]IMF資金への「例外的アクセス」とは、加盟国が通常の上限枠を超えた金額のIMF融資を受けることを意味する。IMF
の発表(2004年5月13日付Public Information Notice)によれば、IMF理事会は2004年4月14日、例外的アクセスに関する政策の
レビューを完了した。当該レビューでは、2003年2月に定めた例外的アクセスを認める基準・利用手続の維持を決定するとともに、
その適用は最小限に留めるべきこと等が議論された。また、最近例外的アクセスを認めたケースにおいて、公的支援パッケージに
占めるIMF資金の割合が非常に高くなっていることから、一部の理事からは、他の多国間あるいは二国間公的ドナーにより多く分
担を求めるべきだとの意見も出たとのことである。
2006年2月 第28号
153
唆する。
要以上に時間がかかったことを念頭に置いて、
戦略に関するこれらの要素は、
理事会、
政府の双
IMFが国際コミュニティーにおいて果たすことを
*30
方と議論する必要がある。特に例外的アクセス
期待される役割をより明確に定義する努力が必要
が求められている場合には、理事会に必ず複数の
である。
選択肢を、その短期的・長期的コストと共に明示
的に提示するべきである(下記提言6参照)
。政
②サーベイランス
府は彼等の現行戦略へのコミットメントの信認を
弱めることへの懸念から、代替的計画のオープン
・提言3:
な議論を嫌うであろうが、IMFは政府に対し、
為替レートと債務の中期的な持続可能性に関
[議論が出来なくとも]そのような代替的計画を
裏付ける分析結果を提供すべきである。
各選択肢に伴うIMFにとっての金融リスクには
する分析を、IMFのサーベイランスの核心と
するべきである。この目的(それは既に現在
のIMFの政策となっている)の達成の為に、
特に注意をはらうべきであり、エクスポージャー
IMFは以下の諸措置をシステム化すべきであ
の絶対額あるいはリスク集中度が一定の閾値を超
る。
えたら、各選択肢に伴うリスクとコストを特に強
力に精査することとするべきである。
・固定為替レート制度が採られている場合、
IMFは均衡実質為替レートの分析用具をより
・提言2:
洗練させ、それを為替レートの持続可能性分
債務あるいは為替レートの持続可能性に懸念
析に用いるべきである。こうした分析に基づ
が生じている場合、IMFは、当該国を[IMF
きIMFは、4条協議の一環として政府と政策
プログラムにより]支援する為の条件は当該
対話を行うべきである。
国が意味のある政策変更を行うことである
・サーベイランスでは「債務不耐性」の観点か
旨、明確に示すと同時に、そのような変更を
ら債務のプロファイルを検討すべきである。
促進すべく積極的な関与を続けるべきであ
IMFはプログラム・デザインにおいて、債務
る。
ストックの適切な減少を達成出来るように財
政赤字[目標]を調整すべきである。財政に
既に確立されたガイドラインによって、IMFは
関するコンディショナリティーの一部は中期
持続可能でない可能性が高いか、あるいは実施さ
的改善に焦点を置くべきであり、また財政赤
れる可能性が低い政策枠組に対して金融支援を行
字目標の調整は、公共時の目標強化・不況時
うことは拒否するよう求められている。そのよう
の目標緩和を(後者のみでなく)対称的に行
な場合、IMFは当該国の新しい政策枠組への移行
うべきである。
を、移行の枠組に関する助言及び中断と生産のロ
・サーベイランスにおいてIMFは当面の脆弱性
スを最小化する為の融資を通じて、先頭に立って
のみでなく、中期的に浮上し得る脆弱性も検
支援すべきである。
討すべきである。
この関連で、例外的アクセスを求めている国が
短期的流動性よりも長期的支払能力の問題を抱え
③IMFプログラムをめぐる当該国との関係
ている場合、特にそれが公的部門の債務に関連し
154
ている場合のIMFの役割を定義することが急務で
・提言4:
ある。ソブリン債券への集団行動条項の追加、及
IMFは、国際収支上の緊要性がなく、必要な
びソブリン債務にかかる債務者・債権者の行動綱
政策調整や構造改革に対して重大な政治的障
領の制定に関する進捗は歓迎すべきであるが、ア
害が存在する場合には、当該国とのプログラ
ルゼンチンにおいて当初IMFのマンデートが不明
ム上の関係を開始したり維持したりするべき
確であった為に協調的解決策が見出される迄に必
ではない。
開発金融研究所報
脆弱な予備的プログラムよりも市場の方が、政
を求める権利を行使すること、あるいは、
策に規律をもたらすという仕事をよりよく行う可
(特に例外的アクセスの場合は多くの問題に
能性が高い。必要な政策調整や構造改革に対する
関する難しい判断が必要なので)理事会前に
充分な政治的コミットメントと国内のオーナーシ
追加的分析の提示をマネジメント経由でスタ
ップが存在するか否かを見分ける為には、プログ
ッフに求めること等により、監視義務をより
ラム目的の達成に不可欠なマクロ経済あるいは構
積極的に果たすことが出来よう。
造改革にかかるコンディショナリティーは、プロ
・マネジメントあるいは担当局長が、問題が理
グラム・デザインにおいても実施上も、binding
事会で議論するにはあまりに機微に触れると
な[レビュー完了・融資実行等に影響する]もの
判断した場合、理事会は意思決定を実質的に、
とするべきである。
マネジメントあるいは一部大口出資国理事に
委ねてしまっている。この問題を解決する為
・提言5:
に理事会とマネジメントは、イ.機密性の要
例外的アクセスの供与は、当該国政府とIMF
請と、理事会の決定が完全かつ正直な情報に
との密接な協力を前提とするべきである。
基づいて下される必要性とを両立させる為の
手続き(例えば、サイドレターに関する現行
大事なのは、
(機微に触れる問題も含め)如何
手続きのようなもの)
、及び、ロ.実際的な
なる問題もIMFと政府との協議の対象外としては
判断から全ての情報を理事会に提供出来ない
ならず、また、如何なる政策措置、あるいはIMF
場合でもマネジメントとスタッフが慎重な危
による支援の約束も、IMFとの事前協議を経ずに
機管理を行う為の精査を行うことを保証する
政府が発表してはならない、という点である。こ
手続き、を制定するべきである。例えば以下
れを確保する為のインセンティブとしては、以下
のようなことが考えられよう。
のようなことが考えられる。
・理事会がマネジメントに対して一部の問題の
・決定的に重要な事項について、政府がスタッ
理事会での議論を差し控えることを明示的に
フあるいはマネジメントとの協議や情報提供
承認する為のガイドラインを制定する。理事
を拒んでいる場合、必ず理事会に報告する。
会での議論が可能な状況になり次第、事後的
・IMFプログラムに直接的関係がある政策措置
に理事会でマネジメントの決定について精査
あるいは発表を、政府がIMFとの事前協議無
しに行った場合、IMFはこれを支持しない。
することを前提とする。
・サイドレター等を理事会で議論する場合の現
行手続きを拡張し、例えば出口戦略、ストッ
④意思決定過程
プ・ロス・ルール、その他の非常事態対応に
関する事項にも適用する。
・提言6:
・少数の理事によるグループが交代で危機管理
理事会の役割を強化する必要がある。その為
の監視を担当する。これらの理事達は個人と
には、以下のことを促進する手続きが必要で
して行動し意思決定権限は持たないが、
「被
ある。イ.マネジメントの管轄下の意思決定
信託者」として、マネジメントとスタッフが
を理事会が有効に監視する、ロ.意思決定に
全ての関連情報を検討し精査の手続きを踏ん
関連する全ての情報を理事会に提供する、ハ.
でいることを確認する機能を担う。
マネジメントと理事会の間で、最も機微に触
・透明性とアカウンタビリティーの強化は例外
れる問題も含む全ての問題についてオープン
的アクセスに関する政策の実施状況の改善に
な意見交換を行う。
おける鍵を握るものである。従って例外的ア
クセスに関するスタッフ・レポートは速やか
上記の為の手続きとしては、以下が考えられる。
に公表され、全ての例外的アクセスのケース
・理事達は、理事会の開催あるいは議題の追加
について独立の事後評価を実施すると定める
2006年2月 第28号
155
べきである。
言うまでもないことであるが、これらの努力は
IMFの出資国(特に最大の出資を行っている国々)
るものであり、実際、そのいくつかについて
は既に実行している。
② 我々は、アルゼンチン危機の原因に関する本
がIMFの意思決定主体としての理事会の役割を共
レポートの基本的な診断を共有するものであ
同で支え、指導原理としての透明性とアカウンタ
る。実際、その診断は2003年10月のスタッフ
ビリティーへの支持を確認しなければ成功し得な
ペーパー「アルゼンチン危機からの教訓」
いであろう。
(PDR(2003)
)における我々の診断と非常に
よく似ている。即ち本レポートは、危機はア
Ⅲ 本レポートをめぐる議論と
フォローアップ
ルゼンチン政府が必要な是正措置、特に財政
政策を為替レート制度と整合的なものとする
為の措置を充分早期にとらなかった結果、発
生したと診断している。危機回避の為には
1.本レポートに対するIMFスタッフの
応答、理事会での議論等
1990年代の好況時に財政引締めを行うべきで
あり、また、労働市場と財政システムの弱点
の是正、輸出の振興と多様化、といった構造
(1)IMF専務理事によるステートメント
改革を強力かつ持続的に進めるべきであっ
本レポートに添付されているロドリゴ・デ・ラ
た。さらに、他の諸問題が解決不可能となる
トIMF専務理事のステートメントの概要は、以下
より前にコンバーティビリティ・レジームか
のとおりである。
ら脱出するべきであった。本レポートが上記
① 本レポートは徹底的な調査に基づく、洞察に
スタッフペーパーに比べ重要な一歩を進めた
富んだものであり、IEOがIMFの学習文化の
のは、IMFの意思決定プロセスがこれらの事
強化に果たしている貴重な役割を再び確認す
態の展開にどのような影響を与えたかを詳細
るものである。
に検討し、それによりIMFのガバナンスに対
② 私は本レポートの分析の大部分は説得力があ
ると考え、その提言を一般的に歓迎する。私
する新しい視点を提供した点である。
③ 本レポートは、やはり我々の分析と同様に、
はスタッフに、レポート及び提言に対するよ
IMFの誤りは危機回避に必要な改革や政策調
り詳細な応答を準備するよう要請した。私は
整を充分強力に推すことなく、政策がますま
理事会で、これらの提言のIMFにとっての含
す強度と一貫性を欠いたものになりつつある
意を検討して頂くことを楽しみにしている。
中でも金融支援を続けたことにあり、特に準
カレンシー・ボードが崩壊する何年も前に代
(2)IMFスタッフの応答
本レポートのIMF理事会における検討に先立っ
きだったと結論している。明らかに、当該国
てスタッフが理事会に提出したコメントが、やは
政府が政策に対していくら強いオーナーシッ
り本レポートに添付されているので、以下にその
プを持っていても、その政策自体が強度と一
要点を紹介する。
貫性に欠けているならば、オーナーシップは
① 我々スタッフは、この示唆に富み、IMFの学
IMFプログラムの充分な基盤とはなり得な
習文化への貴重な貢献となるレポートを執筆
156
替的制度を検討するよう政府に強く求めるべ
い。
したIEOを称賛したい。本レポートはまた多
④ 同時に我々は、本レポートにいくつかの欠点
くの点で、我々自身がアルゼンチン危機から
を見出した。まず、その結論のいくつかは大
学ぼうとしてきた教訓を、独立した立場から
いに後知恵に依存している。例えば2002年の
再確認している―但し、いくつかの解釈及び
ウルグアイの債務再編を(アルゼンチンより
結論においては我々の意見と異なっている
後だったにも拘らず)アルゼンチンにとって
が。我々は本レポートの提言の多くに同意す
の手本としてあげているが、ウルグアイにお
開発金融研究所報
ける成功の一部は、アルゼンチンの深刻な経
とすることで実際より数ヶ月早くIMFが一線
験からの教訓によるものであることを明記し
を引いていたとしても、危機の基本的な性質
ていない。またレポートが自ら認めるように
は変わらなかったであろう。その場合の主な
IMFの意思決定に対する外部からの影響は検
違いは、IMFがアルゼンチン向エクスポージ
討しておらず、また、理事会が非公式ルート
ャーを約90億ドル積み増さずにすんだであろ
によりIMFのスタッフやマネジメントから情
うことである(当該金額は実際には、概ね資
報を得ていた可能性も検討していない為、理
本逃避のファイナンスに使われることになっ
事会が決定の拠り所としていた情報を過小評
た)
。アルゼンチンにとって質的に異なる結
価している可能性がある。
果をもたらず為には、IMFはそれより少なく
⑤ さらに本レポートは、2000年後半から2001年
とも1年か2年早く支援を保留する必要があ
前半にかけてのIMFの意思決定に関して、相
ったが、その時点では、当時の戦略が失敗す
矛盾する二つの見方を示している。即ち、本
るだろうという見通しは、それほど明らかな
文中では、この時期には触媒的アプローチが
ものではなかった。
成功する可能性が多少はあった(その後、政
⑥ 本レポートの重要なテーマのひとつは、IMF
府の政策実施の弱さによって可能性が損なわ
はアルゼンチンとのプログラムを介した関係
れた)としている一方、「教訓」の部分は、
から一歩身を退いて、同国の経済政策戦略が
事態は既に取り返しが付かぬ持続不可能な状
プログラムの目的に適合しているかを見極め
況に陥っており、IMFスタッフはそのことを
るべきであったというものである。これはプ
もっと早く把握すべきだった、との診断に基
ログラム実施国におけるサーベイランス強化
づいているように見える。この矛盾は、プロ
の必要性という、2002年に行われたサーベイ
グラムの持続可能性について判断を下すこと
ランスに関する隔年レビュー(Biennial
の難しさを示している。もし本レポートが示
Surveillance Review:BSR)
[PDR, ICM, and
唆するように2001年5月のレビューを未完了
RD(2002)参照]で強調された問題につな
*31 [筆者注]2004年度のBSRは2004年7月23日、理事会により完了された。IMFウェブサイト(PDR, ICM, and RD(2004))から、
本レポートの提言に関連する主な結論を抽出すれば、以下のとおり。
①サーベイランスの焦点を、国際収支危機・通貨危機に対する脆弱性(ほか3項目)に置くべきであり、特にバランスシート分析
手法の一層の精緻化が望まれる。
②金融部門の問題の分析に、IMF内部のエクスパーティーズをさらに動員してあたるべきである。
③複数の代替的なシナリオの導入により、短・中期の経済見通しにかかる協議を改善し得る余地がある。
④数名の理事は、スタッフの配属の長期化による政策対話の継続性・一貫性の維持と当該国にかかる知識の蓄積を提案した。
⑤理事達は文書類の公表について、透明性の観点から決定的に重要ではあるが、それがスタッフの相手国政府及び理事会に対する
率直さを減少させ「内密のアドバイザー」としての役割を損なうことがあってはならないと強調した。一方、既に公表は広く行
われているが、殆どの理事達は、懸念されていた市場に対する悪影響は発生していないという見方で一致した。
⑥一部のメンバー国からIMFに対し、政策“ニタリングの頻度を高め、経済政策の質に対するシグナルを発するメカニズム
(signaling mechanism)を創設してほしいとの要請があったが、理事達は適切なメカニズムを設計することの困難さを認識し、
考え得る方式や問題点について検討したが結論は出なかった。理事達はいずれにせよ、サーベイランスにおいて相手国の政策に
対しより明確なメッセージを伝える必要性があることに同意した。
⑦多くの理事達は今回のレビューが個別のサーベイランスにおける政策助言の質を評価しなかったことを遺憾とし、次回に期待し
た。
⑧理事達はサーベイランスの有効性の評価の改善のため、サーベイランスのレビューのためのモニター可能な戦略目標の設定を強
く支持した。理事達はまた、4条協議の際にサーベイランスの有効性について相手国政府とより多く協議すること、その際、必
要に応じ過去のIMFの政策アドバイスの妥当性と有効性及び相手国政府のそれに対する対応についても協議することを勧めた。
4条協議のレポートにおいては、過去の協議で明らかになった重要な政策課題に対する相手国政府の対応を評価することが義務
付けられているが、理事達はこれを今後も維持する旨、合意した。また理事達はスタッフに、サーベイランスの有効性評価手法
の検討を継続するよう促した。
⑨4条協議の焦点を絞り込み、次回のBSRにおけるモニター可能な戦略目標(上記⑧参照)を、為替レート問題の取扱いの高度化、
金融部門のサーベイランス強化、域内及び全世界への波及効果の分析の取扱いの高度化の3項目とする。加えて、債務負担持続
可能性の改善、バランスシートの脆弱性の削減、低所得国のサーベイランスの検討についても次回のレビューでモニターする。
2006年2月 第28号
157
がっている。当該レビューを踏まえてIMFは、
あるとは言え、たとえ最も理想的な条件の下
プログラム実施国での4条協議においては中
であっても、そのような離脱のコストの高さ、
期的観点から見て最も重要な諸問題に充分な
及び政府当局を他のオプションに関わらせる
注意を払うことを徹底すべく、措置をとった。
ことの困難さは、過小評価すべきではない。
つい先日理事会に回付されたばかりの2004年
*31
のBSR のスタッフ・ペーパーはこれらのイ
いくつかの提言を行っている。これらは全体
ニシアティブの実施状況のレビューの結論と
として見て妥当なものである。実際、本レポ
して、プログラム実施国におけるサーベイラ
ートも述べているとおり、多くの提言は、既
ンスの質は向上し、特に経済政策戦略の点検
にIMFが開始した政策変更と同じ方向のもの
の面で改善したが、一方、短期・中期の見通
である。但し、それらの諸措置が充分なもの
しの率直な提示、及び政策対話の内容の率直
か否か、そしてその実施状況については、今
な説明の面では、前進はより限られていたと
後の評価が必要である。
述べている。
・提言1:
⑦ 特にアルゼンチンの場合、経済政策戦略のよ
イ.提言の基本的な点、即ち、IMFは、プログラ
り率直な評価が決定的に重要な分野は、為替
ムが目的達成への軌道を外れてしまったら躊躇
レート制度、及び同制度の他の諸政策との整
なく資金供給をストップすべきであるという点
合性である。サーベイランスの際に、為替レ
は、適切(sound)なものであり、特に例外的
ートにかかる諸問題について、スタッフ・レ
アクセスの場合にはプログラムの厳重かつ率直
ポートにおいても、IMFスタッフと当該国政
な精査が肝要である。
府の間においても、理事会においても、より
ロ.予想外の事態へのIMFの対応計画を事前に策
的を絞った議論を行う必要がある。この問題
定すべきであるという提言にも一定のメリット
は2002年のBSRで議論され、2004年のBSRの
はあるが、過去の経験から見て、そのような計
スタッフ・ペーパーによれば依然、大きなチ
画に当該国政府を関与させることは、特に危機
ャレンジとして残っているとのことなので、
の初期においては非常に難しいかも知れない
理事会で引続き議論が行われることになろ
(実際、本レポートも、アルゼンチンのケース
う。
158
⑨ 本レポートは、アルゼンチンの経験に鑑みて
においては「IMFがどのような行動をとったと
⑧ 為替レート制度、特にペッグ制の評価は必然
しても、政府に意味のある『プラン・B』を採
的に、政府当局、IMFスタッフ、及び理事会
らせることは出来なかった可能性が高い」と言
にとって困難な選択を含んでいる。本レポー
っている)
。
トも指摘しているとおり、アルゼンチンにお
ハ.提言の言うとおり、IMFがどういう場合にそ
いてペッグ制を放棄することのコストの高さ
れ以上の資金供給をストップするかを明確化す
は、それが信認を得る為の鍵であったが故に、
るのは望ましいことである。ある意味では、そ
かなりの程度まで意図的なものであった。政
のようなストップ・ロス・ルールを提供するこ
府は少しでも制度を変えることは望ましくな
とこそがコンディショナリティー、特に貸出実
い(undesirable)のみならず、思いも寄らな
行の条件となるパフォーマンス基準の目的であ
い(unthinkable)こととして扱うことで、
るとも言える。これらが危機の状況においてよ
コンバーティビリティ・レジームをより深く
り良く役割を果たすようにデザインを改善出来
定着させようとしたが、ペッグ制を持続可能
ないか(例えば、より頻繁な目標日の設定、マ
なものとする為に必要であった、強力な財政
クロ経済政策をモニターする為の指標の変更、
引締めと構造改革への充分な国内の支持を獲
プログラムのレビューのより有効な活用等)、
得することは出来なかった。従って、出来れ
という問題はもちろん存在する。一方、提言さ
ば1990年代中頃のより穏やかな時期にペッグ
れているストップ・ロス・ルールは既存のコン
制を離脱するのが望ましかったことは確かで
ディショナリティーの枠組よりも一歩踏み込ん
開発金融研究所報
で、全体的な戦略が機能しているか否かをIMF
ィックに行うべきであるというものである。
が判断する為の新しい、おそらくはより定量化
イ.為替レートはIMFスタッフの調査分析業務の
し難い基準を導入するということのようであ
大きな焦点になっている。スタッフは為替レー
る。しかしコンバーティビリティの場合は裁量
ト評価の為のマクロ経済バランス・アプローチ
的な要素もあり、パフォーマンス基準が未達で
を開発し、これは主として工業国用にデザイン
あっても理事会の権限により(通常はIMFマネ
されたものではあるが、開発途上国にも拡張さ
ジメントの推薦に基づき)ウェーバーを与えレ
れている。一方、2004年のBSRでは、対外競争
ビューを完了させることが可能である。こうし
力の評価が実際上、実質為替レートの推移の分
た裁量的要素は、政策パフォーマンスを特定の
析のみに限られてしまっていること、為替レー
指標により完全に客観的に評価することは不可
トのレベルに関する評価は大体、「概ね良好」
能であることから、さらに、全体的なプログラ
つまりファンダメンタルズに沿ったものである
ムの目的と戦略の見地から政策を再評価する機
という結論になってしまうことを指摘してい
会を与える為に、必要である。提言されている
る。これはIEOの提言が、為替レートの分析を
ストップ・ロス・ルールについても、そのよう
よりシステマティックに行い、より率直な結論
な裁量的要素を残すこと、あるいは事前に理事
を引き出すべきであるとしているのと軌を一に
会がウェーバーを与える権力を自ら制限するこ
する。
とが必要になろう。しかし後者は適切ではない
ロ.本レポートも述べているとおり、債務持続可
と考える。何故なら、プログラムの持続可能性
能性分析の枠組は2002年に、かなりの部分まで
を一元的に判定できる定量的指標は存在し得な
アルゼンチン危機への対応として開発されたも
いであろうし、メンバー国が受け入れるとも思
のであるが、さらなる精緻化の余地も残ってい
えないからである。前者の場合、それは単にガ
る。鍵となるのは、債務のレベルがどの程度に
イドとして機能するに留まり、予想外の事態に
達すれば当該国の経済に困難が発生するかであ
おいてIMFが融資を継続するのを防止すること
り、この点については過去のデフォールト事例
は出来ないであろう。しかしながら、
「戦略に
に基づいたスタッフの分析結果が参考になる。
大きな変更がない状況で、どのような場合に
さらに、危機の最中あるいは危機に近い状況の
IMFが支援を中止するべきか」を示す明確なガ
場合には通常の債務持続可能性分析より一歩進
イドラインを策定することは検討に値しよう。
めて、例えば、起こり得るショックの性質と大
・提言2:提言2は、もちろん正当な(valid)
きさをより特定したシナリオの作成、マーケッ
ものである。IMFはこのようなケースの経験を
トの指標をより一層利用すること、ロールオー
踏まえて例外的アクセスに関する新しいガイド
バー・リスク評価の為のより包括的なキャッシ
ラインを導入し、当該国の政策プログラムの成
ュフロー分析等が必要であるかも知れない。
功確率が充分に高いか否かの評価(調整計画の
・提言4:提言4は、
「IMFは、国際収支上の緊
みでなく、必要な調整を実行する為の制度的・
要性がなく、必要な政策調整や構造改革に対し
政治的能力も含めて)
、市場へのアクセスも含
て重大な政治的障害が存在する場合には、当該
め充分なファイナンスが確保できるかの精査、
国とのプログラム上の関係を開始したり維持し
及び債務持続可能性のシステマティックな分析
たりするべきではない。」というものである。
を求めた。最近IMF理事会ではこの枠組にかか
スタッフは、この提言の基本的な点、即ち、
るレビューを実施し、特に変更の必要はないと
「政策に規律をもたらすには、市場の方が、予
の結論を出したが、本レポートが危機における
備的プログラムとして扱われる弱いプログラム
IMFの意思決定プロセスに光を当てたことを踏
よりも、よい仕事をする可能性が高い。
」とい
まえ、一層の検討を行うことが望ましい。
う点に同意する。と同時に、アルゼンチンが金
・提言3:提言3は、IMFが為替レート及び債務
融市場へのアクセスを維持していた以上、この
の中期的持続可能性の評価を、よりシステマテ
提言に従ったとしても事態の進展に大した違い
2006年2月 第28号
159
が生じたかどうかは疑問である−但し、
[IMF
行うべきではない。
プログラムが存在した為に]市場が自ら充分な
・提言6:提言6は、理事会の役割の強化に関す
精査を行う代わりに過度にIMFプログラムに依
るものである。アルゼンチン危機後に導入され
存してしまった可能性はあるが。この問題に関
本年にレビューが行われた、例外的アクセスに
する一つの重要な点として、予備的アレンジメ
かかる手続においては、例外的アクセスの場合
ントであっても、他のアレンジメントと同じ
に理事会がより一層の精査を行うこととしてお
IMF資金へのアクセス権を当該国に与えるもの
*32
り、その対象には上述のとおり 、政策評価、
である以上、同じ基準を適用すべきである。予
債務の持続可能性、及びファイナンスの確保が
備的アレンジメントのデザイン及びマクロ経済
含まれている。
へのインパクトについては、近く発表するプロ
⑩ スタッフは、本レポートに関する理事会での
グラム・デザインに関するペーパーの中で検討
討議と、その提言のフォローアップにおいて
する予定である。
理事会と共に働くことを、楽しみにしている。
・提言5:スタッフは、この提言の基本的な原則、
即ち「例外的アクセスの供与は、当該国政府と
(3)スタッフの応答に対するIEOのコメント
IMFとの密接な協力を前提とするべきである。
」
上記(2)のスタッフの応答に対するIEOのコ
という原則に強く同意するが、提案されている
メントが、やはり本レポートに添付されているの
具体的措置のいくつかの有効性については、以
で、その概略を以下に紹介する。
下の例のように、いくらかの疑問を持っている。
① IEOのレポートに対するスタッフの応答に対
イ.本レポートは、当該国政府が議論や情報公開
を拒否した事項については全て理事会に報告す
し、最も重要な点のみに絞って、以下にクラ
リファイしておきたい。
ることを義務付けるよう、提案している。我々
② スタッフは、
[上記
(2)
⑤において]本レポー
は一般論としてこれに同意する。スタッフは
トの2000年後半から2001年前半にかけての
(例外的アクセスに限らず、全てのケースで)
IMFの意思決定に対する評価と、そこから導
政策協議の内容を理事会に正確に報告する義務
き出した教訓との間に矛盾があると示唆して
を負っており、従って上記のような場合にはス
いる。そのような矛盾は、経済ファンダメン
タッフは当然、理事会に報告すべきである。し
タルズのみが結果の全てを左右したと考える
かし、そのような原則を満たすこと以上に、上
場合にのみ存在し得るが、我々はそのように
記のような報告を義務付けることがどのような
は考えない。我々は、ファンダメンタルズ即
目的の為に役立つのかは、よく分らない。
ち為替レートと債務の持続可能性にかかる深
ロ.IMFは事前に協議を受けなかった政策を是認
刻な問題に加え、投資家の期待が決定的な役
すべきではないとの提言に関して:確かに事前
割を果たした自己実現的な危機という側面が
の協議の欠如は、その政策変更がプログラムと
*33
あったと考える。仮に複数均衡 が実際に存
整合的でない証左である場合が多く、また政府
在していたとすれば、強力な政策措置により
のプログラム実行に対するコミットメントを疑
サポートされた触媒的アプローチが、投資家
わせるに足るものでもあるが、スタッフの政策
の信認を大幅に改善させて資本流出を逆転さ
評価はあくまでも政策のメリットに基づいて行
せることは理論的に可能である。我々は以上
うべきであり、事前協議の有無のみに基づいて
の論理に基づき、IMFの当初のアプローチを、
*32 [筆者注]
提言2にかかるスタッフのコメントを参照されたい。
*33 [筆者注]
複数均衡の考え方については、例えば高木信二・他(2002)第1章を参照されたい。同論文には発展途上国、特に新
興経済国において、自由な国際資本移動の下で多数の国際投資家の間に生ずる戦略的相互補完関係が高資本均衡・低資本均衡とい
う二つの安定均衡の存在を可能にし、収益要因(期待生産性、期待為替レート、世界金利)やリスク要因(生産性リスク、為替リ
スク、投資家のリスク回避度)の変化により急激な資本流出(高資本均衡から低資本均衡への移動)または資本流入(後者から前
者への移動)を引き起こすメカニズムが示されている。
160
開発金融研究所報
それに代わるアプローチのコストが非常に高
したことを強調しておきたい。IEOは、マネ
くつくことに鑑みれば、試みる価値はあった
ジメントと個別の、あるいは一部の理事との
ものと評価している。結果的にはこの戦略は、
間で交わされたかも知れない非公式なやり取
合意された政策修正が実行されなかったこと
りについてはアクセス出来なかったが、その
により失敗した。そこから我々は、持続可能
ようなやり取りを理事会への情報提供と見做
性にかかる基本的な問題が存在し、必要な政
すことには無理がある。
策修正を実現する為の政府の政治的能力が低
い場合には、投資家の期待を変えようとする
(4)ラバーニャ経済大臣によるステートメント
触媒的アプローチが成功する確率は非常に低
本レポートの検討の為の理事会に対し、アルゼ
いという教訓を引き出したのである。我々の
ンチンのロベルト・ラバーニャ経済大臣が詳細な
「評価」は確率論的な(決定がなされた段階
ステートメントを寄せており、本レポートに添付
で入手可能であった情報に基づく)ものであ
されている。その内容については本所報本号所載
るが、
「教訓」は常に後知恵の恩恵に浴して
の「IMFレポートへのアルゼンチンのコメントに
いる。
ついて」
(瀬藤(2006)
)を御参照頂きたいが、筆
③ 提言1についてスタッフは、ストップ・ロ
者の主観により主な論点を選んで挙げれば以下の
ス・ルールをオペレーションに取り入れるこ
とおりである。
とに対するいくつかの障害を述べている。
① 本レポートにおいては、社会保障改革の失敗
我々はその論点の多くに同意するが、三つの
(この問題の多い改革をIMFは賞賛し続け
点を強調しておきたい。
た。
)の分析が不充分である。民営化等の構
イ.ストップ・ロス・ルールは、個々のケー
造改革にも失敗が多かった。政治的意志を伴
スに合わせて策定された包括的な危機管
わない構造改革は、経済成長を保証するもの
理戦略の一部分としてのみ、意味を持ち
ではない。
得る。
ロ.ルールに裁量の余地を持たせると、例え
② IMFはコンバーティビリティー・レジーム破
綻の主因を労働市場の硬直性に求めるが、
ば、回復不可能な状況においてもIMFが
IMFの主張する労働市場改革を進めても、あ
メンバー国からの例外的サポートの要請
るいは経済が成長しても、失業率は増加し続
を断り難くなったり、あるいは逆に当該
国が必要な調整を先延ばしにし続ける誘
因になったりするおそれがある。
けた。
③ コンバーティビリティー・レジーム破綻の原
因は財政問題であり、この点へのIMFの監視
ハ.ストップ・ロス・ルールは、政策効果や
に大きな失敗があった。また、IMFは債務問
政策努力を超えた維持可能性の問題に注
題に気付きながら、不適切な対応により却っ
意を集中する助けになる。アルゼンチン
て問題を大きくした。
の場合、2001年の春と夏をとおしてIMF
④ アルゼンチンのケースでは、例外的アクセ
は政府の決意が固いとの認識に基づいて
ス・ポリシーを正当化する為のモcatalytic
支援を続けたが、既にその時までに、戦
approachモ、及び[通常の意味での]PSIの
略変更以外にアルゼンチンの経済問題を
限界が示された。問題が流動性(liquidity)
根本的に解決する方法はなくなってい
ではなく支払能力(solvency)にある場合、
た。
追加的ファイナンス以外の形で民間部門をど
④ スタッフは[上記
(2)
④において]
、本レポー
のように巻き込んでいくかが重要である。
トが非公式な経路による理事会への情報伝達
⑤ アルゼンチンへの対応に関するIMFの意思決
を軽視していると示唆しているが、IEOは
定に関し、ガバナンスと透明性に不足があっ
様々な情報源から、関連する全ての非公式理
たとの本レポートの指摘に同感である。
事会に関わる大量のメモ及びレポートを取得
2006年2月 第28号
161
(5)理事会での議論
本レポートを検討する為の理事会は、2004年7
④ 提言1に関しては、殆どの理事達が非常事態
*34
対応計画の準備 は有用であると考え、二、
月26日に開催された。本レポートに理事会での議
三の理事はプログラムが持続不可能になりつ
論を議長が総括したペーパーが添付されているの
つある兆候が見えた場合に出口戦略を策定す
で、以下ではその要旨を紹介する。
ることにメリットを見出した。しかしながら
① 理事達は、IEOがバランスの取れた包括的な
多くの理事は、危機や危機直前の状況におい
レポートを作成したことを称賛した。理事達
て、起こり得る多くの非常事態を見極めるこ
は、適切な教訓と提言をIMFの業務遂行及び
とは難しく、事態の急速な進展への即座な適
政策策定に取り入れてゆく為のプロセスを作
応という面が不可欠であることを指摘した。
り上げることが重要であると合意した。
さらに、IMFが非常事態対応戦略を策定して
② 理事達は、アルゼンチン危機の主因は財政政
いるという兆候が少しでも現れただけでプロ
策とコンバーティビリティ・レジームとの非
グラムへの信認が揺らぎかねないという懸念
整合性が長期にわたり継続したことにあると
も表明された。この点については明らかに、
いう点[本レポートによる診断]につき、基
信認を強化するようなやり方でどのような建
本的に同意した。諸政策の選択とその経済的
設的措置をとり得るか、さらなる検討が必要
結果に対する第一義的な責任は、非整合性の
であろう。
解消に必要な措置を充分早期に講じなかった
⑤ 提言1のうち「ストップ・ロス・ルール」に
政府にあり、一方IMFは強さと一貫性に欠け
ついては、何人かの理事は検討することに賛
た政策を長く支援し過ぎたという誤りを起こ
成したが、殆どの理事はそのようなルールの
した[という本レポートの評価についても同
策定と実施は困難である、または実際的でな
意した]。理事達は後者の点に関連して、
いと感じた。これらの理事は、危機解決戦略
IMFの意思決定過程についていくつかの疑問
が機能しているか否かの決定は常に、その時
を提起したが、何人かの理事は急速に展開す
点で入手可能な情報に基づいた判断と裁量に
る危機の渦中でプレッシャーに直面しつつ難
依存せざるを得ないと考えた。他の理事達は、
しい意思決定を行うことの困難さを指摘し
た。
「IMFの金融支援は、諸政策が予定どおり実
施され目的達成への軌道から外れていない場
③ 理事達は、本レポートが提示した教訓と提言
合に限り続行される」ということを保証する
の主な部分に概ね同意した。それらはIEOが
為のメカニズムは、IMFのコンディショナリ
明らかにしたサーベイランスと危機管理にお
ティーとプログラム・レビューによって供給
ける重要な弱点に対処するものとなろう。但
されている[従って、ストップ・ロス・ルー
し彼等は、アルゼンチン危機が多くの面でユ
ルは不要である]と主張した。
ニークなものであった為に、教訓のいくつか
⑥ 提言2に対し、理事達は同意した。同時に彼
は他の危機への応用の可能性が限られている
等は、特に危機の状況において債務と為替レ
かもしれないと警告した。理事達はまた、提
ートという複雑な部門の持続可能性に判断を
言のいくつかはアルゼンチンや他の新興市場
下す為には、最新の、かつ包括的な情報と分
国における危機の後IMFが採った政策や改革
析を理事会に供給してもらうことが欠かせな
の方向と一致していると指摘したが、同時に
いと指摘した。理事達はアルゼンチン危機以
彼等は、それらについても、新しい政策が実
降、特に例外的アクセス及び債務持続可能性
際に実行されるよう担保することを含め、一
分析に関する手続において、そのような判断
層の取り組みが必要であるとの認識を示し
の基盤を強化する為の措置がとられてきたこ
た。
とを認めた。同時に理事達は今後、IMFの手
*34 [筆者注]原文はcontingency planningであり、contingency planについては脚注18参照。
162
開発金融研究所報
続あるいは政策面で一層の改善が必要か否か
や改革に対する深刻な政治的障害が存在する
を検討する機会を楽しみにしていると述べ
場合に、予備的アレンジメントに伴って発生
た。
し得るリスクに留意した。特にアルゼンチン
⑦ 提言3に理事達は同意し、そのうち為替レー
のケースのように良好なマクロ経済指標に構
トについては、為替レート制度の選択権は当
造的・制度的な脆弱性が覆い隠されている場
該国政府にあるが、IMFは他の諸政策・諸制
合、油断を避けることが重要である。殆どの
約が為替レート制度と整合性を保つよう、確
理事達は、予備的アレンジメントが一般のア
実にサーベイランスを行う義務があると強調
レンジメントより弱いものになる傾向がある
した。これに関連して理事達は、最近のBSR
とは考えておらず、むしろ予備的アレンジメ
に関する理事会でも再び強調されたとおり、
ントはより優れたパフォーマンスの証しであ
4条協議において為替レート政策をより率直
る場合もあると考えている。理事達は、予備
に取扱う必要性を引続き指摘した。しかしな
的アレンジメントにかかるプログラム上の基
がら殆どの理事達は、為替レートに関するレ
準・義務が他の全てのアレンジメントと同じ
ポート及び議論において、市場の(不安定化
であることを徹底する必要がある旨、合意し
をもたらすような)反応を惹き起こさないよ
た。
うに、率直さと機密保持との間で適切なバラ
⑩ 提言4の含意である「国際収支上の緊要性が
ンスをとる必要性を強調した。その関連で、
ない場合には、当該国とプログラム上の関係
スタッフはサーベイランスにおける微妙な問
*35
を開始するべきではない」 という点につい
題の取扱手続の制定について、可能性を検討
ては、理事達は、アルゼンチンの経験はこの
すべきであるとの提案があった。為替レート
ような結論の根拠にはならないと考え、支持
の持続可能性については、理事達は適切で使
しなかった。彼等は、予備的アレンジメント
いやすい指標を見出すことは困難であろうと
はより一般的に、健全な政策を支持し危機予
警告したが、二、三の理事はそのような指標
防を促進する為の重要なツールとして価値が
の開発にプライオリティーを置くべきである
あることを再度表明した。
と示唆した。
⑪ 提言5に関連して理事達は、特に危機前の時
⑧ 提言3のうち債務の中期的持続可能性につい
期におけるアルゼンチン政府とIMFの協力関
て、理事達はIMFがこの分野の研究を強化し
係の質に関して懸念を示した。特に2001年に
ていることを認めた。近年、IMFのみならず
おける政府の行動、とりわけいくつかの重要
経済学界全体において、
「債務不耐性」
(debt
な措置をIMFスタッフに協議せずに実施した
intolerance)の概念を中心として、新興途上
こと、為替レート制度等の重要な政策分野へ
国にとって持続可能な債務レベルに関する再
のIMFスタッフの関与を拒んだことは、プロ
評価が行われており、債務持続可能性分析枠
グラムをめぐる両者間の正常な関係をもたら
組の導入に伴って、そのような再評価がIMF
さないものであると認識した。また多くの理
の業務に既に反映されている。理事達はスタ
事達は、そのような協力関係の崩壊が理事会
ッフに、引続きこの分野における分析ツール
に充分に伝えられていなかったことに懸念を
の精緻化を要請し、二、三の理事は債務持続
表明した。これに鑑み理事達は、例外的アク
可能性分析にかかる組織及び独立性の強化策
セスをはじめ全てのIMF資金の利用は[IMF
を模索するよう要請した。
との]密接な協力を前提とするべきであると
⑨ 提言4に関連して理事達は、特に必要な政策
強調した。さらに何人かの理事は、IMFと相
*35 [筆者注]「提言4」自体には、もう一つ「必要な政策調整や構造改革に対して重大な政治的障害が存在する場合には」という条
件が付いており、ここではその条件を落としているという意味で「含意」としたものと思われる。なお原文では提言4に言及せず、
“the implication in the IEO report”となっているが、提言4を指していることは明らかである。
2006年2月 第28号
163
手国政府の双方によるプログラム上の問題に
現在では、4条協議及びIMF資金の使用に関す
関する全てのコミュニケーションについて規
るスタッフ・レポートには常に債務持続可能性分
定する、明確なガイドラインを設けるべきで
析を含めることとなっている。当該分析は、例外
あると提案した。理事達は政策対話の状況を、
的アプローチの検討及びパリクラブ債権者による
当該国政府が何らかの重要事項につき協議や
エビアン・アプローチにおいても、中心的な役割
情報開示を拒んでいるという事実も含め、全
を果たしている。
て理事会に伝えるよう要請した。多くの理事
理事会では、当該国のソルベンシー(長期的債
達は、当該国政府が重要事項につき協議を拒
務支払能力)に問題があるケースにおけるIMFの
んでいる場合、その事実を理事会に伝えるこ
役割の検討において、集団行動条項の利用を中心
とを[IMFスタッフ及びマネジメントに]義
として、一定の進捗を示しつつある。
務付けるべきであるというIEOの提案を支持
・提言3:理事会は2004年8月 に行われたBSR
した。
*37
において、4条協議の焦点をより絞ることを要
⑫ 提言6に関し理事達は、危機におけるIMFの
請したが、為替レートに関する諸問題に関する
意思決定手続、特に理事会の役割に関する本
議論をより深めることも、その中に含まれてい
レポートの評価に対して、懸念を表明した。
た。特に理事会は、事実上(de facto)の為替
何人かの理事は、理事会の役割を強化する為
レート制度をより明確に把握すること、広範な
のアプローチに関する議論を継続する必要が
指標と分析ツールを用いて対外競争力を評価す
あると表明した。理事達は、アルゼンチン危
ることを求めた。
機後に導入された例外的アクセスにかかる手
・提言4:本提言は理事会の支持を得なかった
続きにおいては理事会の関与が強化され、例
為、明確なフォローアップが行われることは期
外的アクセスの継続にかかる理事会の意思決
待できない。しかしながらContingent Credit
定は、充分な情報に基づいていると確認した。
Line(予防的クレジットライン)制度の終了を
それと同時に彼等は、意思決定にかかわる全
踏まえて、予備的アレンジメントの下での例外
ての情報の提供、理事会とマネジメントの間
的アクセスの利用について新しいポリシーを定
で最も微妙な問題も含む全ての問題を率直に
める必要性があるか否かについて、議論が続け
議論すること等、理事会による意思決定を強
られている。多くの理事はIMFの現在のポリシ
化する為のさらなる努力を要請した。
ーで充分であると考えている。
・提言5:(本提言のフォローアップ状況に関す
2.提言のフォローアップ状況:IEO年次
報告書より
本レポートの各提言に関するその後のフォロー
る記載は無い。
)
・提言6:(本提言のフォローアップ状況に関す
る記載は無い。
)
アップの状況については、2004年12月に発表され
*36
たIEOの2004年版年次報告書 に、概要以下のと
おり記されている。
・提言1:本提言については、理事会でコンセン
サスが得られなかった。
本レポートの冒頭にも記されている疑問、即ち、
アルゼンチンがIMFから長年にわたり支援を受け
・提言2:理事会は2002年6月、より客観的で標
続けたにも拘わらず、何故2000年から2002年にか
準化された債務持続可能性分析の枠組を採択
けての激しい危機の発生を避けられなかったの
し、当該枠組の一層の精緻化案を2003年7月に
か、という疑問は、開発途上国経済、IMF、ある
承認した。
いは広く国際金融・国際経済に関わられる方々に
*36 [筆者注]Independent Evaluation Office(IEO)
(2004b)
*37 [筆者注]実際に行われたのは7月である。脚注31参照。
164
Ⅳ おわりに
開発金融研究所報
とって、大きな疑問の一つであろう。
かと思われる。
」
本レポートはこの点の事後評価を目指して、危
但し、所謂“counterfactual”の検討とは異な
機の時期を中心としつつ、それに先立つ約10年間
るが、当時のIMFスタッフの判断の妥当性にかか
におけるサーベイランスやプログラム・デザイン
る数量的検証という意味で、今回のレポートでは
も詳細に検討した結果、いくつかの重要な点で
Appendix Ⅵにおいて、当時入手可能であったデ
IMFに問題があったと率直に指摘している。その
ータを用いてIMFで現在行っている標準的な対外
一部を挙げれば、為替レート制度の持続可能性
債務の持続可能性分析を行えばどのような結論が
(財政状況が与える影響を含む)に関する厳密な
得られるかという検証を行い、その結果、当時の
分析と率直な議論が不足していたこと、対外債務
対外債務は持続可能でなかったという結論を出し
の持続可能性に関する充分厳密な分析がなかった
ている。これは数量的裏付けによる検証への一つ
こと、財政改善・財政構造改革に対する政府の政
の試みと言えよう。
治的コミットメントが次第に弱体化したが有効な
本レポートは今後のIMFのオペレーションにか
措置をとれなかったこと、脆弱な/あるいは整合
かる具体的な改善策を種々提言している。提言の
性に欠ける政策に強いオーナーシップを有する政
その後の検討・実施状況については上記Ⅲ2で見
府に対して政策変更を促せなかったこと、対外債
たとおり、具体的成果が多数現れているとは言い
務及び通貨制度の持続可能性に関わる危機を流動
難い状況であり、また実施状況のフォローアップ
性の危機と誤診した為にプログラム・デザインが
も必ずしも組織的には行われていないようである
楽観的に過ぎたこと、戦略が失敗した場合の非常
が、IEOも提言のフォローアップ方法の改善を検
事態対応戦略(特に出口戦略)が策定されていな
討するとしており、今後の改善に期待したい。
かったこと、意思決定過程における理事会の役割
が充分でなかったこと、等である。
既に見たようにIMFスタッフは、これらの指摘
また本レポートにも述べられているとおり、
IMFは本レポート執筆時点以前から、アルゼンチ
ン危機やそれ以前の危機の教訓を踏まえた改善措
に対し若干の反論も行っているが、本レポートが
置を、機構、政策、手続等において実施している。
IMFの内部資料やIMF内外の多数の関係者へのイ
2001年7月のIEOの新設自体が、重要な改善措置
ンタビューに基づいてまとめられていることもあ
のひとつであったと言えよう。IMFは近年、アジ
り、IMFのマネジメント、スタッフ、及び理事会
ア危機、ブラジル危機、アルゼンチン危機等への
も、本レポートの評価結果を大筋においては受け
対応に対する種々の批判を踏まえ、新しい方向を
入れている 。
模索しているように見受けられる。その意味から
本レポートの序章(上記Ⅱ1)にもあるとおり、
事後評価という作業に本質的に付きまとう困難さ
も、本レポートのみならず今後のIEOの活動は注
目に値しよう。
の一つは、
「もしIMFが、実際にとったのとは違
なお、本レポートの対象期間はアルゼンチン危
う行動をとっていたら、結果はどう変わっていた
機の最中、2002年1月初めにコンバーティビリテ
か」という、所謂“counterfactual”の検証が難
ィー・レジームが放棄された時点で終わってい
しい点にある。この点については、IEOが本レポ
る。これはIEOの使命が事後評価に限定されてい
ートの前年に発表したインドネシア・韓国・ブラ
ることから、レポート執筆時点において実施中の
ジルにかかる評価レポート(IEO(2003a)
)に関
オペレーションに直接関係する問題の評価は行え
し、上述の拙稿(山下(2004)
)で次のような感
ないことによる。しかしアルゼンチンはその後危
想を述べたが、これは本レポートにも当てはまる。
機から脱出し2006年1月3日にIMF融資残高全額
「本レポートの冒頭で“counterfactual”の検証の
の期限前返済を実行したので、現時点ではIEOは
困難さに触れているが、この点に限らず、困難さ
2002年1月以降現在迄の時期も事後評価の対象と
を少しでも補うべく、定性的な議論のみでなく数
し得る。IEOは一定の人的資源・予算等の制約の
量的な裏付けを持った代替的シナリオの検討が試
下、IMFの様々なオペレーションを評価すること
みられていれば、より説得力が増したのではない
をIMF理事会等から期待されていると思われるの
2006年2月 第28号
165
で、近い将来アルゼンチンを再び事後評価対象と
Ernesto Talvi(2002)“Sudden Stops, the
して取り上げることは難しいかも知れないが、同
Real Exchange Rate and Fiscal Sustainability:
国の危機の克服から成長の回復に至る過程でIMF
Argentina’
s Lessons”(Inter-American
が如何なる役割を果たしたのか(あるいは果たさ
Development Bank)
なかったのか)を客観的に評価することにより、
Cottarelli, Carlo, and Curzio Giannini(2002)
今後のIMFの政策やオペレーションを考える為の
“Bedfellows, Hostages, or Perfect Strangers?
有益なヒントが得られるのではないかと考える。
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