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ム)ろ
 岡山大学経済学会雑誌13(2),1981,125∼167
《資料》
「九月騒乱」期における騎士領プルシェンシュタ
イン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完)
松 尾 展 成
第7図 クラウスニツ村請願書第1ページ(Bl.39)上部
ム)ろ
.、一
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一125一
426
(6) Petit±on aus dem Dorfe Clausnitz 一vom 30.IO.18SO ’
ノBユ. 39/ Ex七ract
AllenmterthUnigst gehorsarnster Vortrag an Eine Ken±gl. SUchiS. zur Auf−
rechthaltung der Uffentlichen Ruhe aUerhUchst veropdne七en Co㎜iBion in
’
Dresden
Clausnitz unter das Rittepguth Fupschenstein nit Sayda gehUrig, am 30.
Oc七bエ・.1830
L.S. Gottlob Yiriedrich Vli’rth Erbe pp.
Wir, wir mttBen es gestehen, wir sind leider eine der gesehlagendsten
Communen, die unter das Ritterguth }urschenstein mit Sa rda geheren, und
nur die KriegsUbel von 181S haben uns leider dahin gebracht, daid auch wir
fernerhin unter den jetz七 1eidenden Druck nicht Inehr be8tehen k6nnen.
Etw. pp. als uns allerhUchst
/Bl. 39b/ geliebter Monarch nebs七 delsen a1].erhUchst von uns so a11−
gemein geliebten Plitregenten des Hepzogs Friedrich August Prinz von
Sacht3en, ln13t auch uns hoffen, dalS wir in der Gerneinde Clausnitz die uns
der irn Jahr 1815 ausgebrochene Krieg, wo von den Einquartienmgen und
besonders 工)urchrnUrsche aユler feindユichen [rr・uppen zur Residenz Dresden wir
so viele hatten, weit mehr als andere benachbarte O?te erdulten muiBten,
wie auch noQriseh bekannt seyn wird, und wodurch unser sonst blUhenctpr
Ort des Landes sehr in Ve?fall kam, auch unsere ganz gmbdliche Beschwer−
den aUerunterthzanigst anzuflehen.
N域lnlich
工) 、
工n Be七raeh七 塑・ 些且
IBI. 40/ haben wir in tiefster Submission vorzutragen.
pp. pp. pp.
4) wie viele und mannigfaltige BrUcken und Steege hat unsere Cornmun zu
erhal七en?wir beko㎜en nich七den mindesten Herrschaftl。 Bey融g weder an
Httlzer noeh Arbeitslohn, und demmach zieht die Geriehtsherrschaft das Ge一
工eite,
dieses dUrfte doeh wohl unbillig seyn, wo wir un AbUndermR aller’unter−
th置nigst bit七en !
5) Ebenso wie andere Cornniunen des Ritteri.vaths Purschenstein mit Sayda,
8。11enwiran七heiligdieS㎜ev。n 544 Tlr 8Gr gPf aユsein
Gpenzwaehtgeld
bey der vorgewesenen Viehseuche in B6hrnen, wo wir die ersten Grenznach−
bann sind und uns solches arn ll. rvl’zarz 1850 aufgebttrdet worden, leisten und
einbringen.
Wamm wir Grenznaehbarn nur allein ?
/BZ.40b/ S七e七s is七der Gebirgslandmann ein geduユ七iges Schaaf und
’
一126 一
「九月騒乱」期に拙ナる騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 427
6.1830年10月30日付クラウスニツ村の請願書
抜粋。
ドレースデンのザクセン王国公安維持国王任命委員会宛……上申。
(1)
騎士領プルシェンシュタイン=ザイダに所属するクラウスニツにて1830年10月30日
印章の場所。ゴットロープ・フリードリヒ・ヴィルトの相続人など。
騎士領プルシェンシュタイン=ザイダに所属する我々〔当村〕は残念ながら,最も甚だ
(2) ’” ;
しく運命に打ちのめされた共同体の一つであり,18!3年の戦禍のために我々は,現在の苦
しい重荷の下では今後もはややって行けないようになったことを,認めねばならない。
(3} ・
…我々の最愛の君主たる国王陛下と……我々の最愛の摂政たるザクセン公フリー一一ドリ
ヒ・アウグストに我々は以下のことを要望する。すなわち,1813年に勃発した戦争〔にお
いて〕すべての敵軍の宿営ととくに首都ドレースデンへの通過行進のうちの非常に多くを
引き受けたので,〔当〕クラウスニツ村の我々は周知のように,近隣の他の諸集落よりは
(4)
るかに苦しまねばならず,そのために,かつて繁栄した当村は大いに衰退したから,甚だ
. (5}
しい苦情〔の聴許〕を……懇願する。
(1) 〔国王に関連する諸商題〕
国王側に関しては我々は〔次のように〕……上申する。
〔1−3〕 省略。
(6)
(4)当村はいかに多くの,そしてさまざまな橋と小橋を維持せねばならぬことか。 〔そ
の場合〕木材についても労賃についても領主の拠出金は我々に少しも与えられない。〔し
かも,これらの橋から〕領主は護送税を徴収するのである。これは不当であろう。そこ
(7)
で我々は変更を……請願する。
(5).騎士領プルシェンシュタイン=ザイダ〔所属〕の他の諸共同体と同様に,国境に最
も近い住民たる我々は,ボヘミアで家畜の疫病が発生’した時,1830年3月11日に課され
た金額344Tlr8GrgPfを国境警衛費の我々の分として給付,納入すべきである。
なぜ我々,国境住民だけが単独で〔それを負担すべきであるのか〕。山地の農民はつね
(1)この村の1834年の人口は950人(永代村長の土地を含めて129戸)であった。亜麻栽
培が盛んであった。筏用の堀があり,.フライベルク市からボヘミアのレッヘンベルク
(Rechenberg>に至る道路が通っていた。 Schumann, Bd.4, S.604;Schumann,
Bd.17, S.309−311;Schiffner 1840, S.599;Blaschke 1957, S.301.この村
の標高は590mである。
(2)原文をわたくしはgeschlagendstenとしか読むことができないが, geschlagensten
と解する。
一127 一
428
1eistet in aller Ar七was mδglich is七, aber we㎜man zu hart angreift, en七一
f!thr七 auch dem Schaaf ein Gaucks.
Diθse Viehseuche zu Bδhrnen konn七e nich七nur uns aUein als Grenznachbam
schaden, sondem den ganzen Sachf3. Landent auch Uber deren Grenzen.
Sind wir wohl verbunden die Schutzmauer eines ganzen Landes aユlein zu
hal七en? : die allerhechst weisen An−und Verordnungen verehren wir sehr,
㎜dwar ein Schim des ganzen Landes;
aber wie k。㎜θn wir dazus s。lches allein tragen zu s。11en?
Diese aUerhUchstweise verordnete Grenzwache war ja nicht a1].ein fUr uns,
sonderm die 8chU七zte das ganze Land fUr Verbrei七ung der Viehseuche !
Nur wir amen Grenznachbar’n leb七en Tag㎜d Nacht in Furcht und
/B=L. 41/ Z’ittern einer Ans七eckung und Verbreitung, ㎜d je七zt will
man uns auch n。ch, die wir Lasten mancher Ar七genug dabey gehab七, auf−
bUrden, diese Grenzwach七kosten, gemeinschaf七lieh blos in㎜sern Grenzorten
ZU tragen,
Die8es dUrfte uns doch wohユ allzuschwer fa],ユen und da diese allerh5chs七_
weise Absieh七z㎜Vortheil des ganzen Landes geschah, so dUrf七e auch wohl
eine allgemeine Landescafse vorhanden seyn, aus welcher solches o㎞e unss
].ediglich allein bes七rit七en werden kUnnte,
wir bi七合目n㎜allerh6chste Genehrnigung und unserer aユ1einigen Ver一
圏
コ
schonung。
PP● PP● PP・
Nun erlauben wir uns auch noch
工1)
die Las七en so un8 von Sei七en der
/B1. 41b/ Gerichtsherrschaf七 bedrUcken, alleruロ七er七h翫1igs七 vorzu_
tragens als :
1) Die Sch蟄ferey bθtreffend●
Es heif3七 zwar nur in dem confirmir七en Erbregi8ter de a宣0 1737 nur
KUchen口Schaafe ..
一 一
aber leider ist keine Zahl bes七i㎜t, doch dttrfte auch uns wohl aller一
一
hδchsten Orts anzufragen huユdrθichst erlaubt seyn. ,
Wie viel braucht woh1 もine Gerichtsherrsehaft KUchen−Schaafe zur Ver−
braucht S七amm und Fortzuch七 ? wir erlauben uns al].ersubmiBe8七 die An七wort
selbs七 einflie∫5en zu 工aBen。 .t
4 bis 500 s七Uck
sind deren in Ueberfluβ !
Aber we1.che Wolkθn von Schaafvieh Uberziehen unsere hochbes七euer七en
Fluren. Der Herrschaftliche S七atnrn ist gewiB 2000 bis 2500 StUck, denn wer
・・㎜・g・・1・he z・ztihlen・nach de「Lis七. we” abgefei「n七en Schaafknechtel!
Der Schaafmeis七er is七 auf
/B1. 4.2/ den zehnten Theiユ des Gewinnes und Verlustes gese七z七,
一128一
「九月騒乱」期に捌ナる騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 429
に忍耐強い羊であって,可能なものをあらゆる方法で負担している。しかしながら,攻
撃が厳しすぎると,羊からも喘ぎ声が洩れるのである。
ボヘミアのこの家畜疫病は国境住民としての我々のみでなく,ザクセン全国にも,さ
らにその国境を越えても害を与えたかもしれない。 〔その場合〕全国の防御壁を単独で
維持する義務が我々にはあるのか。お上の……命令と指令を我々は非常に尊重している。
そして,〔あの命令は〕全国を庇護したのである。
しかしながら,我々がそれ〔警衛費〕を単独で負担すべきであるのはどうしてか。お
上の指令によるこの国境警衛は我々だけのため〔のもの〕ではなく,家畜疫病の蔓延に
対して全国を保護したのである。 ’
我々貧乏な国境住民は昼も夜も感染と蔓延を恐れて,身震いしながら暮らしていた。
そして今では,さまざまな負担をその時十分に負担した我々が,この国境警衛費を我々
の国境地域だけで共同で負担することをも義務付けられる。
これは我々にとってあまりにも重すぎる。お上のこの計画は全国の利益のためになさ
れたのであるから,それ〔警衛費〕を我々でなく,単.独で支出する一般的な国家金庫が
あってよい。我々はお上の承認と我々だけの〔負担の〕免除を請願する。
〔以下〕 省略。
(ID 〔裁判領主に関連する諸問題〕
今度は我々は,裁判領主の側から我々を圧迫する諸負担を……上申しよう。
(1) 牧羊場について。
1737年に承認された世襲台帳には,台所用羊にっVてのみ言われている。しかし,一切
念ながら〔その〕数は規定されていない。しかしながら,裁判領主が消費と継続的飼養
のために必要とする台所用羊はどれほどであるか,をお上に問い合わせることは我々に
……許されるであろう。我々が敢えて……答を添えると,400−500頭でも多すぎる。
しかし,何と雲〔のような大群〕の羊が,重く課税される我々の耕圃を覆っているこ
とか。領主の保有数が2,000−2,500頭であることは確実である。なぜなら,羊牧者の狡
猜な策略のために誰もそれを数えることができないのである。
牧羊親方は利益と損失の養と定められている。したがって彼は少なくとも,彼に属す
(3)原文をわたくしはunsとしか読むことができないが, von Unsと解する。
(4)原文をわたくしはdie uns der……ausgebrochene Krieg……erdulten muBten
としか読むことができないが,die durch den……ausgebrochenen Krieg……erdul・
den muB tenと解する。
一129 一
430
folglich ha七 er wenigstens 200 bis 250 StUck dabey die ihm gqhUren, und
wir, da er kein baares Lohn erh墳1t, em駿hren, und vom)”rUhling bis z㎜
Todtherbst fU七teun rnUben.
Dies is七 noch nich七 genug, nun gieb七 es.
a)einen MeisterkneCh七, der die}lutiterschaafe hUte七.
b)einen Ha㎜e1㎞echt, welcher S七蟹hre und H㎜eUn seinen Haufen ha七.
c)einen Zei七vieh㎞ech七, dieser hat den Haufen Schaafes so in diesem
Jahre n。ch nicht zur Zuzucht ko㎜en sollen.
d) einen LUmmerknecht de f5 en Haufen doch gewiB 5QO StUck stark is七 und
e) bey a e七 b die erforderlichen 2 Zutreiber.
Keiner dieser Schaafknech七e erh肌t weder vom Gerichむsherm noch Oecono−
mie一.Pach七er einiges Geldユohn, sonderm man ha七 ihnen gestatte七, daB
/B1. 42b/ . jeder in seinem Haufen oder Schaafheerde eine Anzahl
Schaafθ oder Hammel mi七 einwerfen kann und naeh VerhUltniiS dabey hat.
Aber wer ernZahrt wohユ dieses Vieh, und auf welche Art;erhalt;en diese
Schaaf㎞ech七e ihren LQ㎞?
Lediglich von㎜sem h。chbesteuerten G伽em und die GerichtBherrschaft
tr蟹g七 wei七er nich七s bey, aユs aユ1enfalls das wenige Winterfu七ter.
Kurz die ungeheure Schaafmenge ist der Ruin unserer hochsteuerbaren
GUther,
derohalben wir allersubmii6est urn AbhUユfe bitもen㎜:φuns den Vortr質gen
der andem Communen anschlie13en.
2)Nit den Hofzwangdiens七gesinde mUilen wir unsere Kinder von 14. bis mi七
18.Jahr al].ezei七 den 2。 November zur Au8wahl s七回目len, wo sie d.enn zu Licht−
meB anziehen
/B1.43/ ㎜d w甑rend dieser 4 Jahre der Herrschaft ein Jahr fas七
ganz umsons七 bey ganz schlechter Kos七 dienen mttf3en. Ob wir gleich bey der
Gericht;sherrschaft vor 6 bis 8 1・lonaten un七er七h蟄nigst supPlicir七 ㎜d ange−
に
such七 haben, es vor8 ers七e wieder in den S七and zu se七zen, wie es vor unge輌
fZahr ].812 bes七anden, wo dieses Gesinde doch f銭r ihre sauere Arbei七 eine
k].eine Erg6七zlichkei七 beym Brauwesen erhiel七en und die dargereich七e Kost
㎜dBrod auch beβer wart der nun zwar verstorbene Oeconomie−P蟹ch七er艦1er,
aber ihnen seit sθinen Pachtjahren a].les en七zogen hat und zwey七ens gebe七en
und vorge七ragen haben, al].e Ilofzwang und Frohndienste, troc}(ne Zinnsen,
Diens七gelder, Schaafhutung und Triften, gegen ein billiges Geldquan七urns
nach und・nach zu bezahlen auszukaufen, aber bis jetzt ha七 nlan uns noch
keiner An七wor七 gewUrdig七●
/B工. 43b/ Auch sogar in das Lehngerich七 zu Heydersdorf, welches be−
schock七 und behuft folglich kein Ri七七erguths G㎜d und Boden is七, die Ge−
richtsherrschaf七 aber vielユeich七 durch Kauf oder sons七 in Sesitz erhal七en
und ein Vorwθrk daraus for’mir七 hat, und einen Pacht;er dorも eingese七z七,
mUBen wir eine Anzahl Knech七e㎜d 1’1且gde als Hofzwanggesinde alljtihrlich
一130 一
「九月騒乱」期に捌ナる騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 431
る200−250頭をそこに持っている。彼は現金では賃金を受けないので,それ〔羊〕を我
々は養い,春から荒涼たる秋まで飼育せねばならないのである。
それだけではなく,』(a)母羊を番する親方牧者, (b)雄羊と去勢羊の大軍を〔番
する〕去勢羊牧者, (c)今年は種畜にされない羊の大軍を〔番する〕成羊〔?〕牧者,
(d)その大軍が確実に500頭に達する子羊牧者,(e)上の(a)と(b)の下で必要
な追口2人,もいる。
これらの羊牧者は裁判領主からも農場借地人か.らも現金の賃金を受けない。彼らは各
人が,その大軍あるいは羊群の中に一定数の羊あるいは去勢羊を入れ,比例的に持つこ
とを許されているのである。
しかしながら,これらの家畜を養うのは誰か。そして,これらの羊牧者はどのように
して賃金を得るか。〔彼らは,〕重く課税される我々の保有地だけから〔賃金を得,農民
地が羊を養う〕のであって,裁判領主は僅かの冬期飼料以外には一切寄与しない。
簡単に言えば,彪大な数の羊は,重く課税される我々の保有地の衰退〔の原因〕であ
る。そのために我々は救済を……請願し,他の諸共同体の上申に賛同する。
(2)御館奉公人について我々は,14才から18才までの子供たちをいつも11月2日に選抜
のために提供せねばならない。次いで彼らは聖燭節に奉公を始め,ヒの4年の中の1年
を領主のためにほとんど全くタダで,そして非常に悪い食事を与えられて奉公せねばな
らない。
我々は6−8ヶ月前に裁判領主に対して,まず第1に事情を,1812年頃より以前にあ
つた状態に再び戻すように……懇願し請願した。当時は奉公人は辛い労働に対するささ
やかな楽しみとして酒を得ており,提供される食事とパンも一層良いものであったが,
今度死去した農場借地人ベスラーは,彼の借地期間が始まると,彼らからこれらすべて
を奪ってしまったのである。 〔我々は〕第2に,すべての御館強制〔奉公〕と賦役,乾
燥した賃租,賦役代納金,羊放牧と牧道〔の権利〕を,妥当な貨幣額を徐々に支払っ
て買い戻すことを請願し上申した。しかしながら,今日まで我々は回答をなお与えられ
ていない。
ハイダースドルフの永代村長の土地は,ショック数とフーフェ数に査定されている。
したがって, 〔これは本来の〕騎士農場の土地ではなく,裁判領主が恐らく購入その他
によって入手し,それから分農場を作り,ここに借地人を配置したのであろう。ここ〔こ
の土地〕に対しても我々は一定数の下男下女を御館強制奉公人として毎年提供せねばな
(5)原文をわたくしはunsere……grUndliche Beschwerden……anzuflehenとしか
読むことができないが,圭hn um Erh6rung unserer……grUndlichen Beschwerden
一131 一
432
stellen,
welchθs wir uns zu entnehmen a工1e㎜七er七h勘igs七 ㎜ ErlaB bi七七en !
un nicht zu errnUden, schXiet]en wip uns den VortrUgen von den Cornrnunen
Friedebaeh und K獣mmerswalde, we工che ein mehreres da撤ber gesag七haben, in
allen Puncten und Clauseln an und beziehen uns darauf.
Jedoch erZauben wir uns noeh in aller VntepthUnigkeit nachzutragen, wie
die Brodausgabe und in welcher Quali七!鼠七 und Qua」nti七日七 bescha書fen is七.
IBI. 44/ Der Herr oder Oeconornie−Pachter giebt fUr jedes Gesinde
wechentlich
Psgs Niletze Korn und
1%Me七ze Hafer,
daraus muld der ILittller fUnS Brode jedes 5% lb schwer baeken, der Mttller
muB aber auch zuvor von dieser Quanti七笈七 Ge七reide ers七 noch das erforder_
liche Suppenrnehl fUr jedes Gesinde davon nehJTien ! wie kann wohl hier die
QualitUt seyn ? besonders da mei3t Suppe, zu welcher aueh noch von diesen
Brod eingeschnitten wird, und jedes seinen Antheil abgeben mui3, Mehl und
Wafr’erbrey, Molken und nur wenige rviilch, ihre Nahmng ist.
wir bit七en alle㎜七er七httnigs七dar・Uber Allerhδch8もweiser selbst zu ur・・
theiZen und uns Gnadenvoll rnit Abzandenmg zu beglttcken.
5) lviit den Hof−Frohn一 und Zwangdiensten aller Art, rnttBen auser den abver−
1ang七en baaren Dien8七geldern, jeder Angese13ene oder Angebaute, ange一
/Bl. 44b/ ’sei−Jen oder nieht, ist einerley 一
Zwey Hofetage, anf!:ngZich− je七z七mi七盗thun−
Ebenso auch rnuB jeder Begtttherte per Hufe Sechs Tage zum mzahen jeder Art
Fr.ttchte zum Zwangdienste verrichten
welches wir alle?submiBes七bi七七ent㎜8 fUr die Zu㎞unf七zu befreyen.
4)Zirmsge七reide mUBen wir auser allen andem zu tragenden Lasten der Ge−
richtsherrschaft oder deren Pachter auch noch schUtten, wir haben 29 Hufen,
dazu sind
44 Begtttherte
jede Hufe mui5 1 Schf. Korn und・
2 Schf. Hafer 8chUtten, aber was 8e七z七 man uns fUr ein Maas vor ? Zu
einem Herrschaftl. Scheftel rnuli 1 Schf. 2 Ntz. Dresdner Maas seyn.
wir bitten dahero aZlersubrniBest, auch fUr die EinfUhnmg des Dresdner
Maases allerhuldreichst anzubefehlen.
IBI. 45/ 5) Dreseh一 Spann一 und VJachtgeld mUI3en wir ebenfalls wie
andere Communen zu Renteinnahme oder den Oeconomie−Pachter entrichten,
auch schon vorgetragen haben, worauf wir uns beziehen und
um Erlal] allerSubmii’5es七 bi七七en.
6) In Be七reff des allerj肱rユich an die Gerichts− oder Ren七einnahme zu
zahlenden Erbzinnses
bitten wir gleieh andern Cornrnunen urn allerhUehsten ErlaB
一132 一
「九月騒乱」期に捌ナる騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 433
らない。我々はこれを取り除くこと,免除を……請願する。
煩わしくならないように我々は,これについてすでに述べたフリーデバハとケマース
ヴァルデ村の上申に,すべての条項において賛同し,それを引き合いに出そう。しかし,
我々は,パンのための支出がどれほど〔であるか〕,また,〔パンの〕品質と量はどれほ
どであるか,を敢えて……追加する。
領主あるいは農場借地人は奉公人1人について一i}Mtzのライ麦と1号Mtzの燕麦を
毎週与える。これから粉屋はおのおの3告ポンドの重さのパン5個を焼かねばならない。
粉屋はまた,これだけの量の穀物から,各奉公人に必要なスープ用穀粉を予め取って置
かねばならない。そこで品質はどうなるか。 /奉公人〕各人から自分の分として差し出
されたパンを切り込んだスープ,穀粉,パン粥,乳漿と少量の牛乳が大抵は彼らの食料
となるのである。
我々はそれについてお上が……判断して,我々に……変更を恵むよう……請願する。
(3) 各種の御館賦役,賦役,強制賦役について.我々,土地保有者あるいは〔小屋を〕建
てた者は,土地を保有するか否かに関係なく,要求される現金の賦役代納金の他に2日
の御館賦役を,最初は自由意志で,今では強制によって果たさねばならない。同様に各
農民地保有者もフーフェ当り6日の各種穀物の刈取りを強制賦役として果たさねばなら
ない。我々は将来における免除を……請願する。
(4)我々は,負担すべき他のすべての負担の他に,穀物賃租をも裁判領主あるいはその
借地人に納めねばならない。我々〔当日〕は29フーフェを含み,そこに44人の土地保有
者がいる。各フーZエは1Schfのライ麦と2Schfの燕麦を納めねばならないのであ
る。しかし,我々に対してどのような桝が出されるか。領主の〔桝の〕!Schfはドレ
ースデン桝で〔量れば〕1Schf 2 Mtzになるにちがいない。そのために我々はドレー
スデン桝の導入の……命令をも……請願する。
(5) 我々は打穀金,畜〔賦役〕代納金,警衛金を他の諸共同体と同様に〔プルシェンシ
ュタインの〕地代徴収所あるいは農場借地人に支払わねばならない。すでに〔他の共同
体がこれについて〕上申したが, 〔この上申を〕我々は引き合いに出し,免除を……請
願する。
(6) 裁判所の徴収所あるいは地代徴収所に毎年支払うべき世襲賃租について,我々は他
の諸共同体と同じくお上による免除を請願する。
anflehen dUrfenと解する。
(6)この文章の句読点をわたくしは疑問符ではなく,感嘆符と考える。
(7)これは(ll)で請願されるべき事項であろう。
(8)原文をわたくしはAbgedUngegeldとしか読むことができないが, Abdungegeld(=
一133 一
434
7) Weishellerzinns, und
AbdUngegeld, o
woher erstepes seine Ehtstehung hat, wiBen wir uns leider n±cht zu be−
seheiden, das AbgedUngegeld aber ist uns bekannt.
Ehedem, we㎜ein Landrnann ein S七Uck Vieh jeder枇verkaufen wollte oder
rnUBte, war er genUththge.t es der Gerichtsherrsohaft erst anzubieten, ob
selbige solches selbst kaufen
/Bl. 45b/ wo]ユe, wo kein Fremder KZauf.er werden (1ttrfte.
Diese「・「nan・・d・eu・t・t・i・h es.Pユ・ck・u…n・・,9・wehnli・h・G・b・au・h, w6
viel Verszaumnifi durch Wege dahin, oder sonst war, ist zwar einstweilen auf−
gehoben, aber wir mUssen dieses AbdUngegeld jzahrlich rnit
Drey [[[haler 一 一
bezahlen !
wir halten beydes fttr unbillig und bitten allenmterthzanigst um Ab−
stellung.
8) alle Quellen, s’o in unsern Dorf zusarrmenflieBen, welche dann einen
Bach oder kleinen FluB bilden, sich anderwUrts mit DorfbUchen zu mehrerer
GrUBe vereinigen, θntspringen, jedoch alle auf unsern star}【bes七euerten
GU七hem.
Die WZaf5er und B蟹che dUrfen aber wir nich七 benutzen oder verpach七en !
Nein die Geriehtsherrschaft hat solches allein an sich gezogen, ver−
pachtet die Mtt8e, welehe Tag und Nacht auf ’
/Bl. 46/ unsern Cornrnungzarten im hechsten Graio’e hin und her rnit
der verfUhrerischen Angel laufent urn ein Satz Forellen zu ercapern.
aber wir ! 一 wir mttBen theils unsere steuerbaren theils mit Commun“
zinns beleg七e Grasg蟄rten ode?WiesenstUcke durch Fisehers七eige und Wege,
of七 dreyfach neben einander ver七re七en laf3en.
Diese WUsser igehUren also wohl uns zu und wir sind gerneinet, das da−
dureh zu erzie;ende Pachtgeld unserer schwachen Armen−CaBe zu ttberlaFJen und
bi七七en dahero allersubmibes七 ㎜ a11erhUchs七e Genehmigung.
9) lvlisiek so bey Uffentlichen Landeseesten,
/Bl. 46b/ Hochzeiten oder s6nst dann und wann zu ha工七en, a].ler印
.
h6chsten Orts erlaubt seyn, mUBen diese ar’rnen Bierfiedler auch noch der Ge−
rich七sherrschaf七einen j!ihrlichen Pacht abgeben,
dieses bitten w±r allemmterthtuiigst ±n Zukunft abstellen zu laBen,
allerhUchstens zu gemhen.
10)Zur Haup七一㎜d Co㎜erzia1−Strase Uber Einsiedel nach B5㎞en, die so
viel Kδnigl. Grenzgebiete, von jedem Pferd 願 ユ Gr 6 Pf ein Ochsen 一 一 9 Pf
einbringt, welches zur Kenigl. Einnahme des Grenzgebietes berechnet wird,
rnUBen auch wir noch das Herrschaf七1. Gelei七e en七richten.
Fast drey : der niedere lheil un’sers Dorfes : bis vier Stunden liegen
wir davon entfernt, und mttBen diese Commerzial−StraBe welche sonst aus
一134 一
「九月騒乱」期に拙する騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン〉からの請願書(V・完) 435
(7) 白ヘラー貨賃租と値付け貢租〔について〕。前者がどこから発生したのか,を我々は
(8)
残念ながら返答できないが,値付け貢租〔の起源〕については知っている。
かつては,農村住民が各種の家畜1頭を売却しようと思った場合,あるいは,売却せ
ねばならぬ場合,彼はそれをまず裁判領主に提供すべきであり,後者がそれを自ら買う
(9)
場合には,余所者は誰も買い手となってはならなかった。搾取と呼んでよい,この慣例
は,そこ〔裁判領主〕その他に対して不履行が全くしばしば生じたので,かつて廃止さ
れた。しかし,我々は〔その代りに〕値付け貢租として3Tlr一一を毎年支払わねば
ならないのである。
我々は両者を不当と考え,除去を……請願する。
(8)川村のすべての泉〔の水〕は合流して小川となり,余所でいくつかの村の小川と合
流して一層大きなものとなるが,すべて.〔のこれらの川〕は,重く課税される我々の保
有地から発している。しかしながら,我々はこの水と小川を利用あるいは賃貸してはな
らないのである。
そうではなくて,裁判領主だけがそれを我がものとし,川を〔漁師に〕賃貸してきた。
後者は昼も夜も,我々の村有の園地の丈の高い草の中を,魅惑的な釣針を手にあちこち
走り回って,小さな鱒の一腹子を捕えている。しかしながら,課税される我々の〔園地〕
および,村への賃租を課された草用園地あるいは採草地は,漁師の小道と道〔としての
利用〕によってしばしば3度も踏み潰されるのである。
これらの水は我々に属するのであり,我々は,これによって得られる賃貸料を我々〔当
(1 O)
村〕の弱体な貧民金庫に引き渡すことを考えている。そして,そのために〔我々は〕お
上の承認を……請願する。
(9) 国の正式の祝祭,婚礼あるい’はその他の時に時々演奏すること’がお上によって許可
されている音楽〔について〕,こ.れらの貧乏な居酒屋のバイオリン弾きも裁判領主に年々
の賃借料を納めねばならない。我々は将来これを除去するとお上で思し召されるよう…
…請願する。
(10) 〔ドイッチュ・〕アインジーデル経由ボヘミアに通じる国道・通商路のために〔当〕
王国の国境地域は馬1頭あたり一1Gr 6 Pf,牡牛1頭あたり一一9Pfを納付する。
これ〔納付金〕は国境地域における国王の収入として計算されているが,我々はその上
ll領主への護送税をも支払わねばならない。
それ〔国道〕から我々〔当村〕は当村の下の部分で約3時間, 〔上の部分では〕4時
間離れている。 〔そればかりでなく,我々は,〕かつては木材が豊富にあったので,橋あ
Abdingegeld)と解する。
一135 一
436
BrUcken oder NMzern bes七and, weiユ Holz im Ueber£lufi war, mi七 Steinen
bauen。
Die vorigen Br順cken und Wegehちlzer sind weg, _ man raunt
/Bユ. 47/ sich ins Ohr, die S七rasenaufseher haben solche seユbst
bey har七en Winter verbrann七,
dav。n bit七en wir allenmtθr七h且nigst uns ganz zu befreyen,
Ubrigens haben wir ja auch noch die Poststrase von Sayda nach Frauen−
stein zu unterhal七en,㎜d wie viele Co㎜unial−Wege, auch die Freyberger,
nebs七den hiesigen steinernen Bx’Ucken Uber FIUBgraben und Dorfbaeh, weユche
beyδf七ern GuB und Gewit七ers七U㎜en, in㎜sem Gebirge sehr zerriBen wordena
mUBen wir ㎜七erhal七en●
N.。chnals bi七七en wir allemmter七h蟄nigst, urn WegfaU.
1].) Das Herrschaf七1. Geleite bey a].len bδsen Wegen i8七 dennoch ver−
pachtet, wir ko㎜en, wohin wir wo1ユen, wir mUBen es gθben, den Pachter
kUnnen wir es nich七verargen, er muP, sein hohes Pacht−Locari㎜
/Bl. 4.7b/ herausbringen, wi工l auch eines Thei〕.s davon].eben;und
auch sogart wenn wir Stroh au8 B8hmen zu unserer、寸ir七hschaf七 erholen das
Herrschaftl。 Geユei七e noch entrich七en rnUf3en, aber wer ユeide七 darunter ?
nur wir ! 一 und bitten dem賎thig ㎜ Abs七ellung ! 層
PP・ PP・ PP・
ユ3)Gebur七sbriefe, we㎜eins unserer Kinder, das zur Landwir七schaf七zu
schwach ist und sich nich七 dazu eigneち ein Handwerk erlernen will, so
mUβen wir ers七 von der HerrsChaft einen Geburtsbrief mi七
FUIlf Thaler 一 欄
1∼Ssens u珈d erhalt;en solchen nich七 eher, als bis der JUngling wegen des
Hofdiens七zugs das 18. Jahr zurUekgelegt ha七。
Khe nun dieser Geburtsbrief ausgefer七ig七 werden kannJ mUssen wir zuvor
コ ヒ
ein Taufzeugnif6 sub fide pastora].i einreichen, we1一
/Bl. 48/ ches ebenfalユs 脚 8 Gr・・koste七.
Der of七ame Vater hat alle 1・[tihe und No七h, da15 er das AufdUngegeユd und
einen 工heiユ des erforderliehen Lehrgeldes zusarnrnenbring七, ㎜d soll auch
hiev noCh 塾伽f ■haler bezahlen●
wir unterfangen uns aコ.lerdemUthigst zu bitten, daB das Taufzeugni13,
we].che8 ja alles, was der Gebur七sbrief besagt, bereits auch en七h蟹1七, hin鱒
lUnglich zur Legi七ima七ion sey und diese FUnf 血a工er ganz wegfallen,
14) jeder Brandweinbrenner mui3 an d士e Gerich七sherrschaf七 1 Tlr一 一 a11−
」翫rlich als Blasenzi㎜s entrich七en. Alle Brennereyen haben jedoch je七zt
KUnig1. allerhechs七e Concebionen und die Herrschaf七1iche ErlaubniBscheine
8ind nich七mehr hinlUng].ich,
dahero bi七七en wir㎜Wegfall dieses B].asenzinnses alユersubmi島es七.
15) Bey en七s七ehenden Concursen werden nich七 a1〕,e Gegenstllnde an、Vieh,
Schiffe und Geschirr, Feldfエ戯ch七e und
一136 一
「九月騒乱」期に拙ナる騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 437
(11)
るいは〔道路建設用〕木材からできていたこの通商路を〔今では〕石材で建設せねばな
らない。以前の橋および道路〔建設用〕木材はなくなってしまった。道路監督官が厳し
い冬にそれを燃やした,と囁かれているのである。それからの完全な免除を我々は・・…・
請願する。
さらに我々はザイダからフラウエンシュタインに至る郵便馬車道を.も維持せねばなら
(12)
ない。我々は非常に多くの村道とフライベルク〔への国道〕,ならびに,筏用の堀と村の
小川にかかっている当地の石橋とを維持せねばならない。この橋は,我々の山地ではし
ばしばある豪雨と雷雨の際に破壊されてしまうのである。
(13)
今一度我々は廃止を……請願する。
(11) 道路は悪いにもかかわらず,領主の護送税は賃貸されていて,我々は,どこへ行く
としても,それを支払わねばならない。我々は徴税請負入を悪く言うことはできない。
彼は高額の徴税請負〔料〕を取り戻さねばならず,その一部で生活しようとも考えてい
る。我々が,我々の経営のためにボヘミアから藁を手に入れる時でさえも,領主への護
送税を支払わねばならないとすれば,これに苦しむのは誰か。我々だけである。 〔その
ために我々は〕一除去を……請願する。
〔ユ2〕 省略。
(13)出生証書〔について〕。農業のためには虚弱すぎて適さない我々の子供が,手工業を
修業しようとする場合,我々はまず領主から出生証書を5TIr一一で買わねばならな
いが,その若者は,御館奉公に行く〔べきである〕ために,18才を超えるまではそれ〔出
生証書〕を受け取る〔ことができ〕ない。
ところで,この出生証書が作成されうる前に,我々は牧師の確認による洗礼証書を予
め提出せねばならない。後者はまた一8Gr一かかる。
しばしば貧乏である父親は,御目見得金と修業金の一部とを調達するのに,大変苦労
し,手子摺るが,その場合でもなお5Tlr一一を支払わねばならないのである。
出生証書が述べているすべてのことをすでに含んでいる洗礼証書が,確認のためには
十分である〔と認める〕こと,この5Tlr一一〔の出生証書〕は全く廃止されること,
を我々は……請願する。
(14) 火酒醸造者は蒸留器賃租として裁判領主におのおの1Tlr一一を毎年支払わねば
ならない。しかしながら,すべての醸造所は今日,国王の……認可を持っており,領主
の許可証はもはや十分ではないのである。そのために我々はこの蒸留器賃租の廃止を…
…請願する。
(14)
(15)破産が発生すると,家畜,道具,耕圃の穀物といったすべてのもの,および,その
一137 一
438
/Bl。 48b/ aユユe sons七ige Vorr買the ohne daf}ein 工nven七ariurn bey dem
Gu七he bleibt, separat meist bietend verkauft.
Wer nun nich七ein benachbap七es Gu七h selbst besi七zt, das Ausgeleer七e so−
fort wieder mit allen Erforder].ichen auszusta七ten oder eine vo1],e Geld一
b6rse, kann hierauf gar nich七mi七 biethen, muf5 zu Hauf3e bleiben und es man・一
ド ミ
gelt an Licitantθn, und der Gl黙ubiger verlier七 dabey.
wir wagen es um Abs七ellung diese§ Ausr蟹umens aller,?Lm七er七h盤nigs七 zu
bi七七en.
,16) So jemand ein Gapita]. auf Gonsens aufzunehmen gene3thigt ist, so rnuB
er der Gerich七sherrschaf七, ohne den starken Gerichtskosten auch noch von
jeden erborg七en Hundert l血aler囎 一
Zwey[ihaier一庸
als ein GenuB− oder ErlaubniBgeld bezahlen.
Wer ein Gapital a 1000 Tlr 一 一 ㎜ kleinere Schu〕,den zu ti].gen, borgen
rTruB, ist schon gen∼3thigも 1100 Tlr僧 一 anzuleihen, damit er diese
/Bl. 49/ Kos七en alle decken kann und ha七 darm wei七ep nich七s mehr
in H勘den, aユs eine grδBere Zinnseni jmaBe aufzubringen。
Da die Gericht8herrschaft dem Credi七〇r bey eもwanigen Verlust nicht bUrg七,
ob es gleich wohl eine Art Assecuranz ist,
s。bitten wir allersUbrniBest urn Wegfall desselben.
17) Auch unsere Bauern−Leineweber, welche den FrUhZing, Sommer und
Herbs七, Landarbeiむ be七reiben und nur fUr sich ins Hau8 Ein oder etユiche
Schock Leinewand weben, auch wohl einen benachbarten Bauer einige Schock
aus Gef蟹11igkeit wUrkenp mU13en der 〔}erichtsherrschaf七 jeder 6inen StUhl−
zirms zahlene Da nun solches keine ge].em七en Weber 8ind, die es als Pro−
fe13i6n betreiben, sondem eigentlich nur(}ef誤1ユigkei七sweber sind,
so bi七ten wir aユユe㎜七er七hUnigs七 ㎜ Freysprn2ch●
/B1. 49b/ ].8) Die allj甑r].ichθn hohen工nquisitions−Kosten, wo
jeder Begttther七e l Tlr 一 需 der H蟄u131er 口 12 Gr − der angebauet;e HauBgenoBe
−6Gr−und der blanke HauBgen。Be一うGr−geben tnuB, fallen uns sehr ge−
dranges ja sogar haben wir solches in eineln Jahre dopPelt zahlen mUI3en●
Wir }(eSnn七en weitユ駿uf七iger wβrden und hUt七en noch vieユes zu sagen, da
aber die C。㎜en Sayda㎜d Friedebach㎜d Heydersd。rf sich sch。n berei七s
da澱ber deutlicher ausgesprochen, so wollen wir㎜s blos an ihre aユ1er−
unter七h蟄nigs七en Vort沌ge allenthalben anschlieBen㎜d bi七七θn, sei七dem
Jahre 1813 die Rechnung bey der Landesregienmg zu Defec七ur allerunter−
thZanigst einreichen zuユa!’3en, wo wir
um工vrildemmg gemeinschaftlich allersubmiBes七 bit七en und ho£fen.
19) Auch fodert uns der Gerich七sfrohn noch ein Inquisiten Wach七geld
/B1。 50/ wach七geld von jedem Begtt七herten − 4 Gr 引, HUusler − 2 Gr
− angebauter Haufigenollθ 一 ]. Gr r und HauBgenoBe 口 騨 6 Pf ab, welches er
8elbs七 anbefieh1七 und einni㎜七●
一138 一
「九月騒乱」期における騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの講願書(V・完) 439
他すべての貯蔵品は,競売によって個別に売り払われ,その保有地には何の農場用具も
残らない。
近くの保有地を自ら保有していて,空になったもの〔保有地〕にすべての必要なもの
〔農場用田〕を即座にふたたび備える〔ことができ〕ない,すなわち,一杯に脹らんだ
財布を〔持って〕いない者は,それ〔競売保有地〕に対して〔他の人と〕ともに値を付
けることが全然できず,在宅せねばならない。 〔そのために〕競売参加者が足りなくな
り,債権者が損をする。
〔そのために〕我々はこの〔農場用具の〕売却の是正を……敢えて請願する。
(16) ある者が余儀なく認可を得て資本を借用すると,彼は裁判領主に対して,高い裁判
所費用の他に,借り入れられる100 Tlr一一について2Tlr一一を利用金あるいは許
(15)
山金として支払わねばならない。
一層少額の負債を償還するために1,000Tlr一一の資本を借りねばならぬ者は,こ
れらの費用全部を支弁しうるためには,すでに1,100Tlr一一を借り入れざるをえな
い。その時〔彼は〕一層大きな利子を支払うだけで,手もとには何も残っていない。
それ〔許可金〕は一種の保険である〔ように見える〕としても,裁判領主は万一の損
失の際に債権者を保証しないので,我々はそれの廃止を……請願する。
(17) 我々〔当村〕の農民麻織物工は春,夏,秋には野良仕事を行ない, 〔冬には〕自分
のためにのみ家の中で1あるいは数ショックの麻織物を織り,また,近隣の農民のため
にも数ショックを親切心で織るが,彼らも裁判領主に織機賃租を支払わねばならない。
彼らはそれ〔織布〕を職業として営む,修業した織布工ではなく,本来,親切心〔で働
く〕織布工であるから,我々は赦免を……請願する。
(18)農民地保有者がおのおの1Tlr一一,小屋住農が一!2 Gr一,〔小屋を〕建てた
借家人が一6Gr一,純然たる借家人が一3Gr一を毎年支払うべき,高い糺問の費
(16)
用は,我々にとって非常に重苦しい。しかも,我々はそれを1年に2度も支払わねばな
らない。
我々は詳細に述べることができるし,言うべき多くのことをなお持っている。しかし,
それについてはザイダ,フリーデバハ,ハイダースドルフの諸共同体がすでに明確に発
言したので,我々は彼らの……上申にあらゆる点において賛同し,補充のために1813年
以来の勘定書を本領統治局に……提出させるよう請願する。我々は軽減を共同で……請
願し,要望する。
(1の
(19)廷吏も我々から被告人警衛費を,土地保有者からおのおの一4Gr一,小屋住農
から一2Gr一,〔小屋を〕建てた借家人から一1Gr一,借家人から一一6Pfを
一139 一
440
BesonderθW’Uehter fUr 工nquisi七en gieb七 es de㎜alen in der Frohnves七e
コ
keine, weil a】.Ze schwere Arrθstan七en jeder einze;Lne im gewUlb七en und gu七一
verschloBenen GefUngnit3 an Ketten geschlo13en si七z七.
Dahero bit七en .
wir allerun七er七htlnigs七㎜s auch dieser Ausgabe h血ldreichs七zu entheben.
20)Ueber den Gerieh七sfrohn selbs七㎜d sein barsches Betragen gegθn
jedem Un七er七han haben wir而i七 allen Or七schaften gemeinschaf七1ich die bi七”
ters七en Klagen, und wir wiederholen alles dieses, was die sub 18 bena㎜七en
C。mmunen schon in ihren submiBesten V。rtr蟹gen gesagt haben,
und bi七ten gemθin8chaf七1ich allemn七er七h蟄nigs七 um AbhU].fe und aZler−
hUchs七en
/B].. 50b/ Beys七and・
21)Von leden Scheffel Salz㎜B der Salzfuhrmann nach ausgestellten Salz.
paB − 2 Gr− an die Gerich七sherrschaf七 a].s Provision bezahlen.
Obgleich der Fuhrrnann㎜d nich七der ame H質uBler oder Tagelδ㎞er soユChes
zu en七rich七θn hat, so mach七 es doch diesen Ar七ickel, den der Zarmste nich七
en七behren ka㎜,七heurer, wo wir alle㎜七erth蟹nigs七
urn ErlaB dieser PrOvision, sO wie㎜einen eigenen C。㎜unal−SalzsChank
fUr hiesigen Or七submiβest bi七七en.
22)㎜βere im D。rfe wohnenden mi七KUnig1, aエユerhUchs七er ConceBion be−
g1Uck七en Handwerker, a工8 Sc㎞iedθ, Schneider etc. rrrtlBen der Geriehtsherr−
schaf七 auch noch ein Schu七zgeld zah工en, wir wiβen nicht 瓢r was, da soエche
allerhechs七e Goncef3ionen erlang七haben, durch welche sie in ihren Be七rieb
hinlZanglich geschUtz七 sind,
in a11er SuLbr臣iβioエユ bitten
/B1. 51/ wir urn hu].dreichste Abs七e1].ung def5elben.
2う) Sogar eine Gesinde−Ca丘Se fUr unsere zu Hofe urLd deren Vorwerken die−
nenden Kinder haben wir errichten, und wir 5 Gesindediens七pfユichtigen Ort−
schaf七en zusa㎜en geben mU/ien. Diese Calむe is七dazu bes七i㎜七, wenn eins
dieser Gesinde entweder erkrankt, bey Arm− und Beinbr・Uchen㎜d sonst im
Diens七der Herrschaf七 oder des Pachters verrunglUckt, so mUC]en solche aus
dieser CaP」θ eurir七und hergestθ]ユt werdens und Herrschaf七und Faehter
trUgt nicht das mindeste dazu bey・
Dies schein七 und is七 auch doch woh]. zu viel verlang七 von uns.
Denn ers七rTrtlBθn wir unsere Kinder jedes l Jahr dahin geben, zwey七ens in
Kleider und W蟄sche und Stiefel diese Zei七 Uber frey hal七en, an beBer,n
Brod七, dami七 sie bey Kr蟄f七en bleiben, auch noch Zusehui3 geben, ㎜d sollen
auch bey be七roffθnen UnfUUen in Herrschaf七ユ. Dienstleis七ungen
/B1. 51b/ noch die Cur und Arz七1{osten 七ragen und aufbringen, とa
sie ohnedies ㎜ .ein sehr geringes Lohn dienen mU島en.
wir bittθn al工ersubmillest冊封rユeich七emmg zu verschaffen.
24) Durch das Verpach七en unserer a1七en abge七ragenen L㎜pen und Kleider
一140 一
「九月騒乱」期における騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 441
要求する。彼はそれを自ら命じ,徴収する。現在,監獄に・は被告人のための痔別の番人
ヒ
は存在しない。なぜなら,すべての重罪の被拘禁者は1人ずつ丸天井の全く閉ざされた
監獄の中で鎖に繋がれているからである。
そのために我.々は,我々からこの支出をも……免除するよう……請願する。
(20)廷吏自身および領民に対する彼の粗野な振舞いについて我々は全集落と共同で,苦
苦しい苦情を訴え,〔ll 一〕(18)で名を挙げた諸共同体が彼らの……上申においてすで
に述べたことすべてを繰り返し,救済とお上の援助を共同で……請願する。
(21)塩運送人は塩lSchfから一2Gr一を,作成された塩〔運送人〕身分証明書に
従って裁判領主に手数料として支払わねばならない。これを納付すべきであるのは〔塩〕
運送人であって,貧乏な小屋住農あるいは日雇ではないけれども,これ〔塩手数料〕は,
最も貧乏な者でも欠きえないこの商品を〔その分だけ〕高価にする。そこで我々はこの
手数料の免除および,当村に所晒する村有の塩小売所〔の設置〕を……請願する。
(22) 自村に居住して,国王の……認可に恵まれた手工業者,鍛冶屋,仕立屋などは,そ
の上に裁判領主にも保護金を払わねばならない。我々は,何のために〔それが支払われ
るべきであるか〕,を知らない。なぜなら,彼らはお上の認可を得たのであり,それ〔認
可〕によってその営業を十分に保護されているからである。 〔そのために〕我々はそれ
の……除去を……請願する。
(23)我々はダ御館とその分農場で奉公する我々の子供たちのために奉公人金庫を設立し,
〔強制〕奉公の義務のある5集落は共同で〔分担金を〕払わねばな6.ない。この金庫は,
奉公人が病気になった場合, 〔あるいは,〕領主か〔農場〕借地八かに奉公している時,
腕・下肢の骨折その他の事故に遭った〔場合〕,彼らをこの金庫〔の資金〕によって治療
し回復させること,に定められている。〔しかしながら,〕領主と借地人はそれに全然寄
与しないのである。
このことは我々に対する,あまりにも大きな要求であるように見えるし,たしかにそ
うであろう。なぜなら,我々は第1に,我々の子供たちを1年ずつそこ〔騎士農場〕に
送り,第2に,その期間を通じて〔彼らの〕衣服,下着,長靴を支給し,彼らが元気で
いるように,品質の一層良いパンを,さらには手当をさえ与えねばならず, 〔第3に,〕
領主の所で奉公中に事故に遭った時には治療費と医師の費用をも負担し調達せねばなら
ないからである。その理由は,彼ら〔奉公人〕がいずれにせよ,非常に安い賃金で奉公
せねばならないことにある。
〔そのために〕我々は,我々に軽減を与るよう……請願する。
(24)古くなり著潰した我々のポロと衣服〔の収集〕がいわゆる屑屋に賃貸されることに
一141 一
442
an einen sogenann七en Hadersarn!n].ere sind ja auch hier unsere i{mmen nich七
Herr dar・Ubθr, daf5 sie solche kδnnten in eine rappiermUhle selbst 七ragen
und dor七verhandeln, nein!der Haderpachter muB solche beko㎜en oder er
zeig七 es an Gerichtsst;elユe an und dev Ar’rne ha七noch Kost;en und Str?fe.
へ
25) Auch bey Abzugsbriefen, wenn wir solche zu 1δsen haben und 16sen
mttssens m側3en wir der Gerieh七sherrschaft Ein Abzugsgeld von jedem Hundert
Wer七h abgebene
welches wir alle㎜七er七h質nigs七b批en in Ab勘de㎜g zu bringen.
Uebrigens schlieSen wir uns allen
/B1. 52/ denen a].lenm七.er七h笈nigst eingereichten Bit七en der Fur−
schensteiner ttbrigen Or七schaf七en in allen an und
bi七七en aUe㎜七er曲igs七㎜alle血uldrθichs七e ErhUmmg.
(9)原文をわたくしはerdreustetとしか読むことができないが, erdreistetと解する。
(10)原本では,この後に,直前の文章がDiese WaBer geh6renカ・らdadurch zu
erzielまで再度記され,その部分が実線で抹消されている。
(11)原文をわたくしはoder H61zernとしか読むことができないが, oder Wege−t
H61zernと解する。
(12)原文をわたくしは Communial−Wegeとしか読むことができないが, Communal−
Wegeと解する。
(13)これは(1)で請願されるべき事項であろう。
(14)原文をわたくしはnicht alle Gegenstandeとしか読むことができないが, alle
Gegenstandeと解する。
(15)この貢租は,他の請願書では認可料(Gunstgeld)と呼ばれていた。
(16)原文をわたくしはgedrangeとしか読むことが.できないが, bedrangtと解する。
(17)原文をわたくしはInquisiten Wachtgeld Wachtgeldとしか読むことができない
が,Inquisiten Wachtgeldと解する。
(18)ザクセンにおいて移住貢租は大抵5%であり,時には2−3%,あるいは10−25%
であったが,定額である場合もあった。Haun、, S.175;LUtge, S.191.邦内での移住
に係わる移住貢租は,1814年5月24日の命令によって廃止された,と言われている。
LUtge, S.191.そうだとすれば,この貢租がなぜ当請願書で問題にされるのか,不明
である。
一142 一
「九月騒乱」期における騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 443
よって,我々〔当村〕の貧民はここにおいてもそれ⑳主人となって,それを自分で製紙
所に運び,売ることができない。そうではなくて,それを手に入れるのはポロ賃借人で
なければならない。さもなければ,彼〔ポロ賃借人〕はそれを裁判所に通告し,その〔違
反した〕貧民は費用を〔支払わねばならず〕,鵠も受ける。
(25) 我々が購うべき移住証書に関しても,我々は100の価値〔物〕から〔一定の〕移住貢
(18)
租を裁判領主に納入せねばならない。我々はこれの変更を……請願する。
その他の点では我々は, 〔騎士領〕プルシェンシュタイン〔所属〕の他の諸集落が……
提出したすべての請願に全く賛同し,……聴許を……請願する。
第8図 1832年共同請願書第1ページ(B1.243)上部
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一143 一
444
(7) Pet±tion aus den ”Beschwerdeftlhrenden Gemeinden des
PursGhens七einer Gerichtsbezirks” vom 24.ll.1852
IBI. 245/ (prs. d. 5.Decbr.1832)
Abschr±ft
An die Wohllesbl. Ger’ichte zu E・urschenstein
Auf die utns zur ErklUrung zugefertigte herrschaftliche AuslafSung vom 24.
Ml:rz d. 」. und auf die angehzangten Bemerkungen des Herrn Geriehtsdirektor
Behr stellen wir folgendes vor.
ad A), ad I工。1) (Schaafhuthung betr.)
Aus dem 55S des Erbregisters, welchen Herr von Sehenberg selbst anzieht,
geh七 hervor =
1) daB das Rittergut I・ur8chens七ein blbs dann mi七 den Schaafeh unsere
G皿mds七Ucke behUthen darf, wenn wir zuvor darauf hU七hen。 E8 findet daher
th
.嗣
hier bユos Nachhu七hung sta七七.
Hieraus ergeben sich folgende rechtliche Resultate :
a) setzt die Furschens七einer Schaafhu七hung voraus, da自 wir kQ璽unlich
unsere Grunds七Ucken behUもhen。
IBI. 245b/ Denn es steht in dem allegirten S ausdrUcklich, dais
die Rittergutsschaafe nur da aufgetrieben werden dUrfen :
wo das Hornvieh von den Bauern gehttthet wird.
Nun laBen aber die Bauergemeinden nieht mehr austreiben, deshalb darf
aueh das Ritterguth die Schaafe nicht mehr aut der Bauern GnmdstUcke
htt七hen. Unsere Beschwerde wird hierdurch 8attsam gerech七fert;igt;.
b) folgt noeh hieraus, dai}, wenn auch hin und wieder ein Bauer noch
nicht die Stallwirthschaft so eingei’tlhrt haben sol]’te, dat} sein iv’ieh das
ganze Jahr orber irn Stall bleibe, dab, sagen wir, den}ohngeachtet die Schaaf一一
heerde nicht ±n die Bauergmmdscucksflur darf, einrnal aus dem unter a aus−
gehobenen Grunde nicht, und so dann deshalb nicht, weil hierdurch diese
solchergestalt behUtheten Bauergr’unds七Ucke ungemein besehwert werden
wUrden. Denn auf ihnen wUrde als一一
IBI. 244/ dann die ganze Last der Trift vorzugsweise liegen,
2) Es versteht sich Ubrigens von selbst, dai) in Fursehenstein ursprtUng一・
1ich nur Ktichenschaafe gehaユ七en worden 8ind, da in der Gegend wo dieses
Guth lieg七, die Oekonomie wie sie jetz七 be七rieben wird und riamentli.ch die
gleichsam fabrickmUBige Sehaafhaltung erst aus neuerer Zeit herr,t1h’rt. Legt
(1)カッコ内に示される標題は,原文では左の余白部分にカッコなしで書き記されてい
る。
(2)これはエルツゲビルゲ県アウグストゥスブルク管区の村で,1834年の人口が578人
(57戸)であった。当村所在の大規模な領邦君主直属騎士領(住民5,700ないし6,700
人)は当時フィットゥーム・フォン・エックシュテト(Vitzthum von Eckstadt)伯
に所属したが,15世紀から1561年まではバラス家の所有であった。Schumann, Bd.
一144 一
「九月騒乱」期に捌する騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 445
7 1832年11月24日付「プルシェンシュタイン裁判区の,苦情を提出している諸共同
体」の請願書
(至唖着1832年12月5日)
写し。
プルシェンシュタインの……裁判所宛。
説明のために我々に送付された,本年3月24日付領主の見解および,それに添付された
領主裁判所長ベーア氏の覚え書に対して我々は次のように請願する。
(A)
(1)
(ll−1) (羊放牧に関して)
シェーンベルクの殿様自身が引用している世襲台帳第33条から次のことが導かれる。
すなわち,
(1)騎士領プルシェンシュタインは,我々がそこで前以て放牧した時にのみ,羊を我々
の土地に放牧させてよいこと。そのために, 〔領主の羊について〕ここでは二番放牧の
みが行なわれるのである。
これから以下の正当な掃結が生じる。
(a) プルシェンシュタインの羊放牧は,我々が共同で我々の土地に放牧することを前提
する。
なぜなら,引用された条文に,騎士領の羊は,凹角家畜が農民によって放牧された時
にのみ,放牧されてよい,と明示されているからである。
しかし,農民共同体はもはや放牧していない。そのために,騎士領も羊をもはや農民
の土地で放牧してはならないのである。我々の訴願はこれによって十分に弁護されてい
る。
(b) そのことからなお次のことが帰結する。あちこちで農民は,1年を通じて,その家
畜を厩舎に留めるほどには,厩舎飼養をなお導入していないとしても,にもかかわらず
敢えて言えば一〔領主の〕羊群は農民の土地に〔放牧されては〕ならないこと,
がそれである。それは第!に, (a)で選ばれた理由からであり,次に,このように放
牧される農民の土地が,それによって異常に苦しめられるからである。なぜなら,放牧
の全負担は主としてそれ〔農民地〕にのしかかるからである。
(2) その上に,プルシェンシュタインでは元来,台所用羊のみが飼養されていたことは
自明である。なぜなら,この所領が所在する地方では,現在営まれているような農業,
とりわけ,あたかも工場のような羊飼養はようやく最近になって生じたからである。し
・一
@145 一
446
man sonach an dieses Befugnis den Maasstab der Geschichte, so muB der
Schaafviehbes七and auS soviel StUek reduzirt werden, als zur Hauswirth一一
schaft nethig sind.
Dief6 ±st de? hUchst schttdlichen W,iesenhuthung wegen wiehtig.
Bei diesern Punkte stellen wir daher das rechtliche Gesuch :
man wolle Herrn von Schesnberg
IBI. 244b! bedeuten, sich aller Feldhuthung mit den Schaafen in
unsem Fluren g勘zlich so ユange zu ent;ha1七en, als wir nich七mi七㎜8em
Rindvieh daselbst hUthen und zweitens alles Sehaafvieh, welches nicht zur
Wirthschaft an sich gebraucht wird, von der Wiesenhuthung zu entfer’nen,
alles bei 20 Tlr Strafe auf jeden KontravenzionsfaU. ’
ad工工.2) (Diens七geld und Frohndiens七e)
Allerdings haben wir wohl ein grotses Recht, ja sogar eine heilige
S七aa七sbUrgerpflich七 ein ].autes Wort{!ber diese Las七en zu sprechen
Jeder Gnmdherr (Lehnsherr, Vasall, Erblehngerichtsherr) ging .一 so be−
weisen es alle sogenann七e Erbregist;er und Rezehe und sons七ige hierauf be一一
zUgliche iJrkunden der Vorzeit . von dem Gr’undsatze aus, daf) er zufUr−
derst Herr (dynast) der von ihrn Beliehenen sei.
/Bl. 245/ Das Harrasische E’rbregister zu Lichtenwalde beginnt mit
dem souvrainen Eingang : lm 4. Jahre meiner Regienmg pp. Kraft dieser
Gnm(theエirlichkeit hielten sich diese Herrn berechtigt, Ordinungen und Ein−
richtungen zu breffen, die zwar hin und wieder durch einen Notar eine ver一
七rags質hnliche Fo㎜ erhie⊥ten und seユbst vom Oberlehnsherpn best;団七ig七
wurden, aber niehts ais nit lehnsherrlicher IJIaeht eingefUhrte Ordnungen
waren. Diese Herren legten ferner mit }1ttlfe pfiffiger Verwalter und dienst−
befliBener Gerielritshalter, Dienste auf ’aiid for・der“uen A’rbeiten je nach
V“unseh und bedttrfnis. Weun die ”gefo.rderten” ”angeheifienen” (Ujorte die die
imperatorische S七ellung des Lehnsherrn sa七七sam bθurkunden) Diens七e Uber_
hUupt waren was mit der Zunahrne der Beveslkemmg von Zeit zu Zeit noth−
wendig eintreten und namentlich seit h’infUhnmg der Kuhpockenirnpfung, E.in−
fUhnmg der Kartoffeln, pp, Uberhaupt in sehnel−
IBI. 245b/ lener 1,iaai3e statt fand, so 1ief3 man sich alsdann den
1]heil von Diensten welehen man entbehren konnte, bezahlen, und reservipte
sich sovie1 Naturaldienste als man noeh brauchte. lulit der Zunahne der Be−
VUユke㎜g vettnehr七e sich namentli.ch das Diensむgeユd von H護uおユern und Hau島一
genossenp vermehrten sich aber auch die Handdiens七e.
Ferner folg七e aus diesem G㎜曲ermwesen, dall dieselben alles聖ver.
langten, was ihre Gnmdholden Andern fUr Geld thun wollten oder konnten.
Sie verlangten von den jungen Leuten, welehe andern ums Lohn dienen
5, S. 684−689; Schumann, Bd. 17, S. 878−885; Schiffner 1839, S, 86−88;
Blaschke 1957, S. 297; B]aschke 1965 b, S. 202.
(3)原文をわたくしはuberhauptとしか読むことができないが, uberhauptと解する。
一146 一
「九月騒乱」期における騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン〉からの請願書(V・完) 447
たがって,この権利〔放牧権〕に歴史の物差しを当ててみると,羊の総数は家計に必要
なだけの頭数に減らされねばならない。
これは,採草地でめ放牧が最高に有害であるから,重要である。
そのためにこの点で我々は次の正当な請願を提出する。すなわち,〔第1に,〕我々が
我々の牛をそこで放牧しないかぎり,我々の農用地での羊放牧をすべて抑制するように,
第2に,〔家〕計のために用いられないすべての羊を,採草地での放牧から遠ざけるよ
うに,シェーンベルクCl’殿様に命令すること。〔そして,〕違反の場合にはユ回について
20Tlr一一の罰金〔を科すこと〕。
(U−2> (賦役代納金と賦役)
もちろん我々は,これらの負担について強く発言する大きな権利を持っている。それ
どころか,それは国民の神聖な義務でさえある。
あらゆる土地領主(レーエン領主,封臣,世襲レーエン裁判領主)は,いわゆる世襲
台帳,協定,その他の,これに関連するすべての過去の証書が証明するように,何より
もまず,自分が,自分によって封を授けられた者〔領民〕の領主,主君である,との原
則から出発した。
(2)
リヒテンヴァルデのバラス家の世襲台帳は「我が統治の4年目に云云」という至高の
序文で始まっている。この土地領主権によってこれらの領主は,命令を下し処置を施す
権利をもつと考えたのである。これら〔の命令〕はあちこちでは公証人によって,契約
に類似した形態を受け取り,上級レーエン領主によってさえ承認されたが,レーエン領
主の権力でもって制定された命令以外の何ものでもなかった。
これらの領主は,狡猜な管理人と精勤な領主裁判所長の助力を得て〔領民に〕賦役を
負わせ,望み通りに,また必要に応じて〔領民から〕労働を要求した。この, 「要求さ
れ」,「命令された」賦役は,一この言葉が皇帝のようなレーエン領主の地位を十分に
(3)
証明している。一一般に人口の増加とともに時折り必要となったものであり,とくに
(4)
種痘,馬鈴薯などの導入以後急速に生じたものであるが,賦役の中の,なくてもすむ部
分については〔貨幣の〕支払が命じられ,なお必要とされるだけの生の賦役が残された。
人口の増加とともに,とくに小屋住農と借家人からの賦役代納金が増加した。しかし,
手賦役も増加したのである。
さらに,荘園領民が貨幣を手に入れるために他の者に売ろうとするもの,あるいは売
ることのできるものすべてを,前以て彼ら〔領主〕が要求する,ということがこの土地
領主の制度から生じた。
彼ら〔領主〕は,他の人に奉公して賃金を得ようとする若者に,萸以.て騎士農場で奉
一147 一
448
woll七ens 鯉Ge8indediens七 zum Ri七tergu七h. Hieraus en七sprang der nach−
ma].s (Lohns) gesetzユiche Diens七zwang.
Sie verXangten von denen, welehe den Ba駄em ums Lohn Maehs spannen, daB
・ie zuv・r die Leinewand zur H。fstU七七・rp・nnen・fUhr七・n desh・ユb R・ihe ein・
㎜d forder七en nac㎞als dafUr Geld, weil die Reihe schwer in Ordnung zu
halten war.
/Bl. 246/ Hieraus eptsprang das Spinngeld。
Sie prU七endirten vom Bauer der sein Vieh aufs Weideland gehenユie{5, dai)
er des G㎜伽errn Vieh mi七aufna㎞lUrspnmg der je七zt s。 en七seむz)ich
nach七hθiligen Hu七hung, ohne daB 8ie den Ri七tergU七em wesen七lich nUtzt.
Sie forderten vom Lehnsmarm der sich Feld anleg七e und bearbeitete, dafJ
er auch das Weideland des G㎜dherrn beurbarte, wogegen der Lehnsmann
Weide fUr sein Vieh erhiel七, eben weil sein Weideland − urspr{lnglich
neben freier HolznuCzung Jagd und Fischerey die einzige 脳ah㎜gsquelle der
Gebirgsbewohner − urbar gemach七 worden war und ihm fehlte =hieraus en七_
ヤ
s七and die Frohnet die Weide 磁urde auch en七zogens weil sie der Bauer am
Ende selbst nich七mehr fttr sein Vieh b?auchen konnte。 Dieser Urspru・ng der
Frohnen l買ユ」七sich narnentlich in l.urschenstein aus einer Vrkunde v。n l556
nachweisen, welche wir ㎜七er A abschrifもlich beifUgen.
ら
/B1。 246b/ § .5 ist diese Weide erwtllmt.
Weiterhin matibten sich die Erbherrn die ausschUユBliche Jagd und Pische−
rei ans verdr蟄ngten die Leute aus dem Hoユze und saugten sie so pユanm蟄6ig
aus, als es nur il㎜er von Grundherrschaf七s wegen ging,
Lachdem nun aber die S七aats− Kirchen− Schu].卿 und andern Gemeindeユas七en
so hoch ges七iegen sind, nachdem endlich durch .F.inft!hmmg einer Staa七sver_
faoung samt StaatsbUrgerthum die Lehnsverfaよjung mit ihren Lehnsstaa七sab−
gaben beseitig七 worden ist, oder no七hwendig beseitig七 werden muB, wenn die
K・nS七itU・i。P nur・inigen l’[u七Zen gew!ihren Und niCh七ZU alt・n unerSehWing一一
liehen Las七en noch neue hinzufUgen soll, so mUf3en wir schlech七erdings da−
rauf rechnen k6nnen, da、J die Lehnssむaatsユasten so bald aユs mUglich auf−
hδren.
Wir glauben nicht;, da、・zms Jemand zumu七hen werdes die baaren Lehnsstaats−
las七en zu kapi七alisiren und abzus七〇benJ oder die noch geforder七en Arbeiten
mi七
/己1。 247/ 〔}eユd auszug].eichen, denn da rnu∫5 uns ers七 Jemand das
Geエd dazu geben。 Lein, nach richtigen Staatsrech七sg㎜ds蟹tzen und nach dem
Urtheiユe bew蟄hrter Landwir七he dUrfen wir wohl folgende Anforder’ung an
unsere die groわe I・joth des Land.es gut kennende Staa七sregie㎜g unbedenklich
machen =
1) tragen wir darauf an, s蟄㎜tliche Frohnarbeiten ohne alle En七schUdi−
9㎜g aufzuheben・
Jeder Oekonom wird bezeugen, da、J die I・1rohne beiden Theilen nichts nUtzt,
一148 一
「九月騒乱」期に捌ナる騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 449
C5)
公人として奉公することを要求した。後の(その賃金が)法律に基づく奉公強制はそれ
から発生したのである。
彼らは,農民のために賃仕事として亜麻を紡ぐ者に,御館で前以て麻織物〔?〕を紡
ぐことを要求し,そのために順番を定めた。そして,後には,順番を正確に守ることが
困難であったので,その代りに貨幣を要求した。これから紡糸金が生じたのである。
彼らは,家畜を放牧地に行かせる農民に対して,土地領主の家畜をも一緒に加えるよ
うに要求した。〔これが,〕騎士農場には大して役立たないのに,現在〔農民には〕恐る
べく有害な放牧〔権〕の起源である。
(6)
彼らは,自分のために耕圃を設け,耕転ずる家来に対して,土地領主の放牧地をも開
拓するよう要求した。反対に,家来は彼〔領主〕の家畜のために放牧地を保持する〔べ
きであっ〕た。なぜなら,本来は自由な木材用益権,狩猟権,漁業権とならんで〔そこ
での放牧が〕山地住民の唯一の生計の資であった彼〔領主〕の放牧地は,開拓されてし
まい,なくなったからである。これから賦役が発生した。放牧地〔利用権〕も奪われた。
なぜなら,農民は結局それを自分の家畜のためにはもはや利用できなかったからである。
賦役のこの起源はとくにプルシェンシュタインでは,我々がAとして写しを添付して
いる1556年の証書から証明される。この放牧地は第5条で言及されている。
{7)
さらに世襲領主は排他的な狩猟権と漁業権を我がものとし,人々を森林から駆逐し,
つねに土地領主のために可能であるかぎり,きわめて計画的に彼らから搾り取った。
しかし,国家,教会,学校への,またその他の共同体への諸負担が非常に重くなった
のち,最後に,憲法と国家市民制の制定によって,レーエン制国家の諸貢租を伴うレー
エン制が廃止されたのちには,一憲法が〔我々に〕若干の便益を与えるべきであり,
古くからの法外な諸負担にさらに新たな〔諸負担〕を付け加えるべきでないとすれば,
〔レー・一エン制は〕必然的に廃止されねばならないが,一我々は,レーエン制国家の諸
負担ができるかぎり速やかに廃止されることを全く当てにできるはずである。
我々は,明白なレーエン制国家の諸負担を資本化して支払うこと,あるいは,なお要
求される労働を貨幣で補償すること,を誰かが我々に要求するであろうとは考えない。
なぜなら,その時はまず誰かが我々にそのための貨幣を提供せねばならないからである。
そうではない。国法上の正当な原則と信頼できる農業者の判断に従って我々は,我が国
の非常な困窮をよく知っている我が国の政府に対して,ためらうことなく次のことを要
求してよい。
(1)我々は,すべての賦役労働を全く無償で廃止するよう提案する。
すべての農業者が証言するように,賦役は両当事者にとって全く利益にならない。騎
一149 一
450
dem Ritterguthe nichts, weiユohne Lohn oder zur♪’rohne ste七s schlecht ge−
arbei七e七 wird, weil durchs Enもbehren der Geschirre dem Rit七erguth der
D伽ger entgehet, und weil bei und mit Frohnen es u㎜∼3glich is七 die Land−
wir七hschaf七zu beilern㎜d zu vew。Uk。㎜en. Dem F.rδ㎞er schadet sie, weiユ
er ohne 1’tutzen fttr einem fmdern die Zeit einbUl]’t, fttr sich und fUr Gemein−
de und Staa七 zu, sQrgen。 Die Rittergttter mUfSen siGh in den (}edanken fU.gen
/Bユ. 24.7b/ nich七 ihrer selbst und auf U.nkosten Anderer sondenn der
naeh Gottes Ordnung ewig fortschreitenden Orts・一 und Staatsgerneindezwecke
wegens da zu sein. Dieses For七schreiten in eirlen na七慣血1ich verntinf七ig ge_
f。rmten Gang zu bringen, dazu is七die l〈.。nsti七uzi。n sa㎜t Gemeinde。r(泌ungen
vorhanden und nUthig, Diesern C十ange abe? treten die Ritte’?gUter zur Zeit
nur hindernd en七gegen。
2) stellen wir das eesuch : alle ttbrigen baaren und zulUfiigen Lehns−
staatsabgaben durch die S七aa七sgemeinde, wozu na七ttiblich die RittergUt;er,
mit;七eユs七 dey Or七sgemeinde, weユcher sie angeh6ren werden und m慣1.)en, auch ge−
heren, nach EinfUhrung eines neuen gleichheitlichen Steuersystems aupzu−
gleichen.
Hierbei wird aber
5) nδもhig we?den auszumitte].n, wer sei七 Errich七㎜g des resp. 1etzten
die13fal].s als Richtschnur dienenden Ver七rags oder Erbregis七ers sich ange−
bau七hat, oder sons鳳inwo㎞er gewopden ist, dem die
fBl. 248/ Lehnsstaatslasten, welche etwa diesen angesonnen worden
sein solX七en, k∼Snnen nicht fUr begr’ttndet betrach七et werden, da sie diesel一一
ben nich七in Folge eines Vertrags Uberno㎜en oder Kraf七hUchs七er Bes七時ti−
g㎜gauferlegt erhielten. Diesen Grundsatz befolg七e bereits die h6chste Be−
hUrde in mehrern F蟄11en z.B. in Itteusorge bei Iiandwerkerzinnsen, wo en七一
schieden wurde diejenigen in Wegfall zu bringen, deren Zahlen irn Erbre一一
gister nicht aufgefUhrt waren.
Nur auf die3e Weise kUnnen alte rni七einer。hne unser Zu七hun eingefUhr一
七en S七aa七sform ehts七ahdene Abgaben beseitigt werden, wenn wir, wie of七 er輌
w蟄hn七nicht zu Grunde gehen, wem nicht der Ki七telstand aufhUren und an
dessen Stelle Reiche und Bettler 七re七en sollen.
ad 工工,3) (Vormiethegesinde)
Ganz mi七Unrecht behauptet der Ri七七ergutsbesitzer zu rurschens七ein, den
/Bl. 248b/ Dienstzwang im engen Sinne.
}“iach S 7 der Beildrge unter iL, wo steht :
WUrde der Erbherr Gesinde bedUrfen, 鯉皇エ皇堕細評」vermie七hen
幽, so so1]一en sie 工hnen ihre Kinder (wie des Orts von Alters herbracht)
一150 一
「九月騒乱」期に捌する騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 451
士農場にとって全く〔利益になら〕ないのは,賃金なしでは,あるいは賦役としては,
果たされる労働がつねに劣悪であるからであり,馬車と馬を欠くために騎士農場には肥
料がないからであり,賦役でもって農業を改良し,完成することは不可能であるからで
ある。賦役義務者にとってそれ〔賦役〕が有害であるのは,彼が,自分自身,共同体,
国家のために配慮すべき時聞を,他の者のために無益に犠牲にする〔ことになる〕から
である。
{8)
騎士農場〔所有者〕は,それ自身〔のために〕,そして,他の者の出費に基づいて〔存
在するの〕ではなく,神の秩序に従って永遠に進展する地域共同体と国家共同体の目的
のために存在する,との観念に適応せねばならない。この進展を,自然的・理性的に形
(9)
成された軌道に乗せるために,憲法と自治体条令が存在するし,必要なのである。しか
しながら,騎士農場〔所有者〕は現在,この進行に対して阻止的に対抗している。
(2)その他の明白で,認められているレーエン制国家の諸貢租すべてを,新しい均等な
(10)
租税制度の導入の後に,国家共同体によって補償するよう我々は請願する。もちろん,
それ〔国家共同体〕には騎士領も,それ〔騎士領〕が所属するし, 〔所属〕すべき地域
共同体を介して所属するのである。
(3) しかし,その場合,これに関して基準となる……最後のt「N’J・約あるいは世襲台帳の作
成後に誰が〔家を〕建て,あるいは住民となったか,を調べることが必要となるであろ
う。なぜなら,彼らに対して要求されたレーエン制国家の諸負担は,根拠があるとは見
なされえないからである。というのは,彼ら〔新住民〕はそれら〔諸負担〕を契約の結
果として引き受けた,あるいは,お上の確認によって課された,のではないからである。
(11)
最高官庁はすでに多くの場合にこの原則に従った。例えば,ノイゾルゲの手工業者の賃
租について,その数が世襲台帷に挙げられていない者〔の賃租〕を,廃止すると判決さ
れたのである。
我々が,しばしば述べられたようにt破滅〔すべきで〕ないとすれば, 〔すなわち,〕
中流階級がいなくなり,その代りに富者と乞食〔だけ〕が現われるべきでないとすれば,
我々が関与することなく制定された国家形態とともに発生した古い貢租は,このように
してのみ廃止されうる。
(ll−3) (優先雇用権に基づく奉公人)
(12)
プルシェンシュタインの騎士領所有者は全く不当にも狭義の奉公強制を主張してい
る。〔しかし,〕別添Aの第7条では次のようになっている。
世襲領主が奉公人を必要とし,かつ,人々〔領民〕が子供を奉公〔させ〕ねばならな
上線合には,彼らは彼ら〔領主〕に対して,(当地で普から慣習であるように)子供を
一151 一
452
璽、£鯉川urn gebUhrlichen Lohn und Un七erhalt zu dienen vermiethen,
doch soll der Erbherr solche seine bnterthanen1くinder, ohne derselben gu七en
Vlillen andern und fremden Herren zu vermiethen nich七 befUgt seyn.
findet in }’urschenstein so wenig wie gewif5 au£ den meisten Ri七tergUtern
in Sachsen et;was anderes sta七七 als
der gesetzliche Dienstzwang
oder
die sogenannte Vormie七he
Denn.es hei海t daselbst ausdrtlck].ich =
da畠 die Unterthanen denn, wenn der Erbherr Gesinde bedttrfen wUrde
/Bl・249/ 鯉鎚Leute迦皿vermiethen魎,
ihre Kinder
vor andern fremden Herrn um gebUhrlichen Lohn und Unterhalt
一 一
zu dienen vermie七hen●
Genauer ka㎜ka㎜eine Bes七i㎜lmg einer Urkunde jener Zei七das bezeich−
nen, was das Frohnmanda七 von 1830 ㎜七er Vormie七he versもeh七.
Diese einfache. Besti㎜脇g des gesetzlichen Dienstzwanges is七zwar spUもer−
hin in eine andre Foエrm gebraeh七 worden, allein selbs七 aus diesen in folge
von Beschwerden Uber nmnaalsungen ”derer Junkerl「(die13 wird oft in neuem
Urkunden erutihnt) hervorgegangenen ReceBen, Vergleichen pp. schein七noch
die Natur der Vormieth6 unzweideutig hervor.
Da nun (lurchs Ablδs㎜gsgesetz diese Vormiethe aufgehoben is七, so tragen
wir h’ 奄?窒高奄奄煤Gehrerbietigs七 darauf an :
/B1. 24gb/ E. hohes Justizkoユlegi㎜wo]ユe den Wegfall de8 Zwangs−
gesindes in Furschenstein auszusprechen und den Rittergutsbesitzer da儘
selbst zum Schadenersatzs sowie zur Nachzahlung des vollen Lohns vom Er−
scheinen des Frohnmandats von 1850 an anzuhalten geエnhen。
し
Die Gallerie von dem was das Gesinde bis auf da8 Christzδpfchen per _ ].
Gr一, den Hering per一一6P£,. zu Weihnachten beko㎜t hUtte, man sich er.
sparen kδ㎜en, da 8ie ei㎜aユhich七rich七ig i8七, und da man nur daraus er−
ft:hr七 was man von a〕.len Ri七tergU七hem 1質ngs七we.iB。 Unsere Beschwerden ttber
schlechtes Brod ttber Mangel an Verdienst ㎜ sich Kユeider zu kaufen bleib七
dieselbe・ Es liegt im Wesen jedes Ge8indedien日尾kon七rac七se daB das Gesinde
Lohn und Kost (das al七e Dokument un七er A sagt sehr rich七ig Un七erha1七)be−
ko㎜t.のieO ist demselben von den
/B1.250/ 「IJunkern,i so knapp und fabrikl。hnrnZaPJig zugerneBen wordens
daβ in Purschens七ein Zau七 allen vorhandenen Ur㎞den Uber Beschwerden der
Unter七hanen gegen jene jedesmal miも wegen dθs Diens七zwangs ausUbens Be剛
schwerden angebraeh七 worden sind, und dab man den En七schユu13 des Gese七z幽
geber8 nicht dankbar genpg verehren karm, welcher diesθr Schinderey des
Urmsten Theils der I・lenschen ein Ende machte. A].1ein wie wenig ach七en die
Ri七七ergu七sbesi七zer diesen Er1七sch].uii d白s Gesetzgebers !
一152 一
「九月騒乱」期に拙うる騎士領プ♪レシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 453
無関係な雇主より先に,しかるべき賃金と扶養でもって奉公〔させる〕べきである。し
かし,世襲領主はこのような領民の子供を後者〔領民〕の同意なしに,無関係な他の雇
主に奉公〔させる〕権限をもたない。
これによれば, 〔騎士領〕プルシェンシュタインには,ザクセンの大抵の騎士領にお
けると同じく,法律に基づく奉公強制あるいはいわゆる優先雇用権以外のものは見られ
ないのである。なぜなら,そこには,領民は,世襲領主が奉公人を必要とし,かつ,人
入〔領民〕が子供を奉公〔させ〕ねばならない場合には,子供を無関係な他の雇主より
先にしかるべき賃金と扶養でもって奉公〔させる〕,と明確に述べられているからである。
『 一㈹
当時の証書の規定が,1830年の賦役訓令が優先雇用権と理解しているものを, 〔これ
よりも〕一層正確に表現することはできない。
法律に基づく奉公強制についてのこの単純な規定は,後には別の形態に換えられた。
しかしながら,新しい証書にしばしば言及される『ユンカー』の墓奪に関する苦情の結
果として生じた,これらの協定,契約などからさえ,優先雇用権の性質は明確である。
ところで,この優先雇用権は〔1832年の〕償却法によって廃止されたので,……〔本
Q4)
領〕司法委員会が〔騎士領〕プルシェンシュタイン.における強制奉公人の廃止を言い渡
し,同地の騎士領所有者に1830年の賦役訓令の発布以後の損害を償わせ,賃金を丸々後
払いさせるように,我々はここに……提案する。
(15)
奉公人がクリスマスに〔贈り物として〕受け取るもの,キリストの祭のための弁髪に
似たパン1個一1Gr一と緋1匹一一6Pfなどの陳列室〔一覧表〕は省略しうるで
あろう。なぜなら,それ〔一覧表〕は第!に正確でないからであり,〔第2t:,〕すべて
の騎士農場についてすでに知られていることから聞き知る〔ことができる〕からである。
パンの品質が良くないこと,〔および,〕衣服を買うには賃金が足りないこと,につい
ての我々の苦情は〔かつてと〕同一一である。奉公人が賃金と, 〔別添〕Aの古い記録が
正当1こも扶養と呼んでいる食事とを得るということは,あらゆる奉公人の奉公契約の本
質である。 『ユンカー』から後者〔奉公人〕に対して割り当てられるこれ〔賃金と食事〕’
はあまりに少なく,工場の賃金のようであるので,プルシェンシュタインでは,前者〔領
主〕に対する領民の苦情に関して存在するすべての証書によれば,奉公強制〔の権利〕
の行使について毎度,苦情が提出されてきたのである。そのためにまた,入間の最も貧
乏な部分のこの虐待を終らせた立法者の決意は,どれほど感謝して崇敬しても十分頃な
いほどである。しかしながら,騎士領所有者たちは立法者のこの決意を何と尊重しない
ことか。
一153 一
454
Dal]auf Beibehaltung des aユ七en Lohns angeblich angetvagen worden seyn
so11, kann seynt die廊 ist aber nich七 von den Gemeinden, sondem von eini帽
gen Gerich七spersonen geschehen, welehe garlz im 工n七ere f’i e des Pachters han−
de工ten.
H蟄七七e 鯉≦≧喧 der Ri七tergu七sbesitzep gefunden, dai3 er sich bei
freiem Lohne und Ublicher Kos七 幽ges七anden h蟄七七e als vorhers wie
sehnell wUrde dann das Al七e dem Gesetze gewichen
/B1. 250b/ seyn !!
DaB man das Vomie七hegesinde in der Brauerei und Brennerei geき)raucht hat,
wird hierzu ges七anden und beur}㎜det von neuem den Nli sbrauch, der mit dem
Gesinde dieser Aと・七 getpieben worden ist.
Die Gesindeka15e be七reffend, so ist deren ErriGhtung der sicherste BeweiB
davon wie arm und mi七七e].los das Zwangsgesinde war, und wie ungeheuer hart
es gehaユten worden is七6 1n jeder HaUshaユ七ung vers七eht es sich von se■bs七t
daf5 wenn dem Gesinde hin und wieder etwas fehlt, der Hausarzt mit ersuch七
wird zu helfen, was der Diens七herr bezahl七. 工n Purschenstein ist dem aエrmen
Zwanggesinde nie so wohl geworden。
Die Errich七㎜g dieseP KaBe ist ein Werk fr’tiherer herrschaf七1icher Diener,
und bezweckt b],os den Vor七heiユ der Rit七ergu七hs6konomie, weshalb sie von
nun an aufgehoben werden soll und mUi5.
/Bl。 251/ ad I工。5) (Zinnsmaafs)
Al七e ErfahrUngen best蟹tigen, daB von Sei七en der Ritterg賃teP die AnfOrde鴨
nmgen an die Unber七hanen von Zei七 zu Zeit ttber die MaaBe erweiter七 und
vemehr七worden sind, alle RezeBe, Erbregister, ProzeBe und VertrUge beur“
k−tmiden, dattb die Unter七hanen hierUber von Generazion zu Generazion Be−
schwe?den gefUhrt und daB hierin die Baueraufs七恥de ihyen Gmmd haben. In
diesern P㎜kte bezieht sich Ubpigens G.egentheil auf die von uns oben als
gUltig aneezogenen Ur㎞nde v。n 1556 was wir akzeptiren und weshalb sie㎜
so δewil:jer −als En七scheid㎜8squelle dien七. ’ ,
Unrech七 ist es zu gestatten, daB gr5f3eres 工{aas als das Landesrnaas bei
solchen Lehnss七aatsabgaben beibehaiten werden darf. Dem fUr deBen
幽Beibehal七ung bUrgt nieh七s. L’iie schlech七 ㎜d gering mag dieser
ZinnS im Umfange gewesen sein, wie be一
/B1♂ 251b/ deutend in 〔4uali七a七 und Quantit蟄七 jetzt;?←
Wir vemeinen daher die Verbindlichkei七nach einem absole七en I’:、aa島zu
コ
Z■nnsen♂
ad工工。6) (Zihmsen)
Wir ber・tthr七en oben ad 工工.2 schon wie unrecht es sey, die Erbzinnsen bei
IIUuslerm und Hausgenof3en mi七 der Vermehエung der Kenschen sich auch ver−
mehren zu laf3en. Durf七e dielj nicht einmal bei den Schocken und l.一)uatemberm
s七a七七 finden, wesha].b die ExkurrenzkaBen begrUhde七 wurdent Ob aber gleich
hier das Zinnsquan七㎜blos g dVlrユ4 Gr 2 r’f be七Pagen soユ1, so wtteh3t dieβ
一154 一
「九月騒乱」期における騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 455
古い賃金の持続が表向き提議されえた。しかし,これは諸共同体によってではなく,
全く〔農場〕、借地人の利益のために行動する若干の裁判所役人によって行なわれたので
ある。後者〔農場借地人〕旧いは騎士領所有者が,自由賃金と通常の食事を与えれば,
以前より儲けると知ったならば,古いものは速やかに法律に道を譲ったであろうに。
優先雇用権に基づく奉公人が, 〔領主の〕ビール醸造所と火酒醸造所において使用さ
れたことも告白されており,〔これは,〕この種の奉公人についてなされた悪用を新たに
証明している。
奉公人金庫について言えば,その設立は,強制奉公人がいかに貧乏で貧窮していたか,
彼がいかに異常に厳しく取り扱われたか,を最も確実に証明するものである。奉公人が
時にどこか悪くなると,掛り付けの医者の援助が請われ,雇主がその支払をすることが,
あらゆる家計において自明のことである。〔しかし,〕プルシェンシュタインでは貧乏な
強制奉公人について〔事情は〕そうなっていなかった。
この金庫の設立は,かつての領主の使用人の行為であり,騎士農場経営の利益のみを
目指している。そのためにそれは今後廃止されるべきである。
1il−5) (賃租の枡)
古くからの経験が証明するところでは,騎士領から領民への要求は時々法外に拡大さ
れ,増大した。各世代の領民がこれについて苦情を述べたこと,農民一揆はここにその
根拠をもつことは,すべての協定,世襲台帳,訴訟,契約によって証明されている。こ
の点について,我々が上に適法として引用した1556年の証書は,いずれにせよ,逆を指
示している。そのことを我々は承認するから,それ〔証書〕は決定の典拠としてますま
す確実に役立つのである。
我が国の〔通常の〕枡より大きな枡が,このようなレーエン制国家の諸:貢租について
持続することを容認するのは,不法である。なぜなら,それの正当な維持を保証するも
のは何もないからである。この賃租は〔かつては質が〕悪く,量も小さかったとしても,
今では〔それは〕質と量において何と重大なものになっていることか。
(16)
そのために我々は,時代遅れの枡で賃租を納入する義務を否認する。
(ll−6) (賃租)
我々はすでに(H−2)において,人口増加とともに小屋住農と借家人についても世
襲賃租を増大させることがいかに不当であるか,を言及した。そのためにエクスクルレ
ンツ金庫〔?〕が創立されたところのショック〔税〕と四季〔税〕については,これ〔増
大〕は全く生じなかった。しかし,当地では賃租額が9Tlr 14 Gr 2 Pfにすぎないと
一155 一
456
doch, dureh die sich immer mehr mehrenden Hzausler und 1−lausgenossen, tzag−
lich. Ist diese Klasse von Gerneindebewohnern durch zuviel i・.bgaben und
Zinnsen oder sonstiges Unglttck verarmt, so fzallt sie der ArmenkafJe zur
Last. Hierzu giebt so ].eich七 kein Hi七tergu七 e七was. Deck七 Inan solche Sachen
IEI. 252/ in deutseher Sprache auf, so wird mit dem riiunultmandat
gedrohet, und, ehe man siehs versiehet, verfahren, wobei denn die’ alte
gar8tige Wirthschaf七i㎜er fort gehちbis der I!.mig den Henkel verlier七.
Lv’ir bitten daher noehmals ehrerbietigst, alle Zinnsen, welche nicht im
Erbregister ausdrtlcklich persenlich zu geben verwjlligt worden sind, in
1;regfall zu bringen.
ad 工工。7) (Fische「ei)
Es ist ein har七es den Regalien nachgebildetes Vorrecht, weユches sich
nUchst der Jagd die Gmndherr’n angemaa£t haben, ritimlich : die Benutzung
des )”ischwafi’hers. r“ach viel zalterm Rechte als diel) Vorrecht ist, gehert die
Benu七zung dθs flie∫=」enden Wassers der Luf七 und des Leeres ∠幽幽儒
schaft].ich. Das Ansichziehen aUer Gerneinderechte und BefugnifLe (danm七er
auch die Gerichts’barkeit) von Seite der 1{ittergttter hat die Gemeinden auch
um das Hecht der ptscherei in ihren Dortbachen gebracht.
/Bl. 252b/ Von was erntnirten sich zuerst die 1・:,ensehen ? von Jagd,
b’ischere± und Weideland.
Mthin waren die15 die ersten BeschUttigungen der Dortansiedler. Wx’r
hoffen der Zeit nahe zu sein, wo A㎜aassungen der Ar七 von Sei七e der Rit七er_
gU七er der ewigen Bedr’Uckungen und Zerst6rungen des Begrifs der Eigen七hurns−
freiheit wegen aufh5ren werdens wo d・ie, welche zurn Nutzen des Ritterguths−
besitzers fischen, nich七mehr mit Stangen unsere Gnmds七ttcke an den Bttchen
i
浮獅п@.k“IUBen hin zersbo−Ben tLnd uLnterzmin±ren werden, damit sie bei ersten Gele−
’L’
genhe±ten weggeriJP/6en werden.
ad工工.10) (1・lusik)
.Auch die lviusik die edelste 1“unst geselliger rt:enschen mufJte dem Gnmd−
herm zinnsbar werden, so gu七wie das Brau七be七七e. Verschwand das jus pri零
mae noctis so wird hoffentlich auch das kZzagliche Vertpachten dieser frei−
esten aller Kdロste verschwinden。 Vielleich七 heb七
IBI. 25S/ sich dann bei uns die AusUbung der Musik so gut wie in
Behrnen一 wo rnan nur einen solchen Pachtunfug einfUhren darf urn gleiche Wir.
kung zu erzeugen, ,welehe bei uns das Verbietungsrecht hervorbringt.
ad I工.Z2) .(WeiBhellerzi㎜s)
WeifShellerzinns ist sinnlos und daher absolet und deshalb aufzuheben.
・dlエ・1う) (Vi・h・bdting・n)
一156 一
「九月騒乱」期における騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン〉からの請願書(V・完) 457
しても,これ〔賃租額〕は,ますます増加する小屋住農と借家人のために,日々に増大
する。この階級の共同体住民は,あまりに多くの貢租と賃租あるいはその他の不幸のた
めに貧困化すると,貧民金庫の重荷となる。それ〔貧民金庫〕に対して騎士領はほとん
ど支払いをしないのである。人がそれをドイツ語で〔明白に〕暴露すると, 〔彼は〕暴
(1の
動訓令で威され,あっという間に,窮地に陥る。そして,古くからの悪い状態は,壺か
ら取手が掻き取られるまで,続くのである。
そのために我々は,本人による支払いが世襲台帳に明確に同意されていないすべての
賃租を廃止するよう今一度……請願する。
(ll−7) (漁業権)
これは漁業用水の利用〔権〕であり,狩猟権の次に土地領主が,君主特権から模造し
て我がものとした,厳しい特権である。この特権よりはるかに古い法によれば,流水,
空気および海の利用〔権〕はすべての者に共同に属する。裁判権を含む,共同体のすべ
ての権利・権限の,騎士領による吸収が,村の小川における漁業権をも諸共同体から奪
つたのである。
人間は最初は何によって暮らしていたか。狩猟,酒田,放牧地〔における放牧〕によ
ってである。したがって,これは村落定住者の最初の仕事であった。
我々は,騎士領によるこの種の纂奪が,所有の自由の概念の果てしのない抑圧と破壊
を理由として廃止される時期,騎士領所有者の利益のために魚を獲る者が,小川と流れに
沿った我々の土地を棒で突き,掘っていくために, 〔洪水の時には〕まず第1にそれ〔土
地〕が押し流されることのもはやない時期,が近いことを希望する。
(U−10) (音楽〔強制〕)
社会的な人間の最も高貴な芸能たる音楽も,新床と同じように,土地領主に賃租を支
払わねばならなかった。初夜権が消滅したとすれば,すべての芸能の中で最も自由なこ
れ〔音楽〕の哀れむべき賃貸も,消滅することが望ましい。そうすれば,音楽の営みは
ボヘミアにおけると同じように,恐らく我々の所でも盛んとなる。そこ〔ボヘミア〕で
は,我々の所で禁止権が作り出すと同一の作用を惹き起こすためにのみ,このような不
当な賃貸が導入されてよいのである。
(H−12) (臼ヘラー貨賃租)
(18)
臼ヘラー貨賃租は無意味であり,そのために,時代遅れであり,したがって,廃止さ
れるべきである。
(ll 一13) (家畜の値付け)
一157 一
458
Beim sogenann七en Viehabdtlngen. is七 zu wiederholen was oben von den Vor−
rechten der Gmmdherrn gesag七 wurde. Auch das Vieh was der Lehnsrnann ver−
kaufte, ver=Langte Jener zuvor angeboten zu erhal七en。 Da dieβ nich七 geschah
und man sich ver’rnu七hユich schdm七e oder es unbequem fand dθshalb zu streiten,
s。nahrn man dafUr d.h.£Ur eine kornple七七e miBbr敦uchliche g㎜伽err1.伽
maa13ung θin StUck Geld. Wir ver・neinen die rechtliche Verbindlichkei七 dieB
fortzuzahユen und bi七ten㎜ Verschon㎜g dami七・ 層
ノB1. 255b/ ad 工工。15) (Holzbedarf)
Sehr gn蟹dig ! Wurde frUher auf die von uns ange£Uhr七e Anfrage von
Seite des hier alles Holz be8i七zenden Besi七zers des Ri七七ergu七hs Purschen−
stein erklUrt, daB die Ri七七erguthsbesitzer den Holznachfragen ihrer Lehns一
㎜ter七hanen en七sprechen k5nn七en und wurde uns in dessen Folge das Beziehen
des Hoユzes aus Staatsforsten abgesc㎞i七ten, s。 is七die Auslai3ung welche
wir vor uns haben, sθhr hart。 Wir wiederholen daher die ausgesprochene
Bi七te.
ad 工工。16) (Geburtsbriefe)
Diese fallen al:Lerdings je七z七1・Jeg und somi七 aueh die ungeeigne七e Abgabe。
Diese sowie mehrere andere !ihnliche Geg蟄11e z.B. bei Konsensen ver七raten
の
fr伽r die Stelle der Sporteln. Es wurde daher hier der Le㎞sma㎜1ang ge−
nug rnit doppel七en Ruthen gepeitzscht。
ad 工工●工7) (Blasenzinns)
Der Blasenzinns ans Rittergu七
/Bl. 254/ setz七 vorauss daB von diesem die ErlaubniB ausgeh七,
Bran七wein zu brennen. Da Gegentheil selbs七 sag七, dafj hier hUchste KonzeBio−
nis七en in Frage sind, so erschein七 auch dieser Zinns unzulUssig.
ad 工〕二●19) (Guns七geld)
Von diesem gi1七 das was ad 工工●16 vom Gebur七sbriefgeld erw㎞七 wurde. Es
werden nebθnbei noch Sporteln bezah1七. Dieses Geld ist daher als eine unzu−
1蟹ssige Aben七rich七ung zu be七rach七en, die umso gewiBer der Zei.七 vθrfallen
ist, seitdem dem Rit七ergu七sbesi七zer durch die neue auf Oeffentlichkeit und
Specialit蟄t der Hypo七heken begr・tinde七e Gese七zgebung alle K:on㎞rrenz und dem
Rit七ergute aZle Veran七wor七1ichkeit fUr Hypo七heken entno㎜en is七.
Der Gese七zgeber wttrde daher ungerech七handeln, wenn θr un七er so].chen Um−
st!inden noch so eirle Abgabe du].de七e.
ad II.21) (S七uhlzi㎜s)
Dieser Zinns grUndet sich auf nich七s
/Bl. 254b/ weiter, als auf die schon of七 erw駐hnte gmndiherrlighe
AnmaaBung von der Person des Lehnsmanns sowohl als seiner Arbeit und
seinem Vieh und Gmmd und Boden en七weder a11θs 竺四〇der doch幽zu
verlangen● Heira七hete der Lehnsma㎜ so verlang七e der G㎜dherr die ers七e
Nacht bei der Brau七 vor dem Lehnsmarm zu schlafen (jus primae nocti畠) fer一
一158 一
「九月騒乱」期に捌ナる騎士領フe」Ltシェンシュタイン所属集落(南ザクセン〉からの請願書(V・完) 459
いわゆる家畜の値付けについては,土地領主の特権に関してすでに述べたことを,〔我
我は〕繰り返す。家来が販売する家畜をも,前者〔領主〕は前以て提供するよう要求し
た。これが行なわれず,それについて争うことが恐らく恥ずかしい,あるいは不適当と
考えられた時,その代りに,すなわち,全く不法な土地領主の募奪のために,一枚の貨
幣が取り立てられた。我々はこれを支払い続ける法的義務を否認し,それの免除を請願
する。
(ll−15) (木材の需要)
何と好意的な! 我々の引用した問合せに対して,当地のすべての森林を所有する騎
士領プルシェンシュタインの所有者が,騎士領所有者たちはレーエン領民の木材需要に
応じうる,とかつて明言し,その結果として国有林からの我々の木材買入れが中止され
たとすれば,我々の面前にある〔領主の〕口回は厳しすぎる。そあために我々は, 〔か
つて〕表明された請願を繰り返す。
(II−16) (出生証書)
(lq.}
これは今ではもちろん廃止されており,したがってまた,適当でない貢租〔であった〕。
これおよび,同種の他のいくつかの,例えば認可の際の,貢租は,かつては手数料の代
りをしていた。そのために当地では家来は長い間,二重の鞭で鞭打たれたのである。
(u−17) (蒸留器賃租)
騎士領への蒸留器賃租は,火酒を醸造する許可がそれ〔騎士領〕から出ていることを
前提する。当地では,お上から許可を得た者が問題となっていること自体が, 〔この前
提と〕逆のことを示しているから,この賃租も許されない。
(H−19) . (認可料)
これについては, (fi 一16)で出生証書料について述べられたことが,当てはまる。
そのほかに手数料も支払われる。そのためにこの〔認可〕料は,許されぬ支払と見なさ
(20)
れるべきである。それは,抵当の公開性と特殊性を基礎とした新立法によって,騎士領
所有者からはあらゆる協力〔の義務〕が,そして騎士領からは抵当に関する.すべての責
任が取り去られて以来,ますます確定的にII寺口遅れとなった。
したがって,立法者はかかる事情の下で,あのような貢租をなお許容するとすれば,
不正に振る舞っていることになるであろう。
(H−21) (織機賃租)
この賃租は,家来の人身および彼の労働家畜,土地からすべてを前以て,あるいは
同時に要求するという,しばしば言及された,土地領主による寡奪以外の何物にも基づ
いてはいない。家来が結婚すると,N’土地領主は家来より前に花嫁と初夜を過ごすことを
一159 一
460
tigte er StrUmpfe, Leinewand, spann er FlachS zum Lohn, mu6te er ZuVor dem
Gmmdherrn, Str’timpfe, Leinewand machen,肛achs spi㎜en, daher rUhren n㎜
die beエ噸ch七ig七en Eriaubnii6seheine zurn Heyra七hen und so viθlerlei Zinnsen.
Das Fr。t㎜andat und AbleSsungsgese七名ha七麟rere s。1che∫㎜aa三lungen z.B.
das Vordreschen, Vomiethen abgeschaf七, analog kann man man ni¢h七 anders
als annehmen, dalj nach dθm Geis七e dieser Gesetze und nach den An8ich七en
von dem Wer七he der Arbei七 und der Freiheit der Ferson und des Eigen七h㎜s
in einem nich七 mehr leh㎜蟄f3igen
/B1.255/ s。ndern konsti七uzi。nellen Staa七e nun auch die andern
Vorarbeiten als abgeschaft .zu be七rachten sind。 Hiervon is七 Folge, da鳥 auch
daraus hervorgegangene Zinnsen aufhδren mU⊥jen.
Wir vemeinen daher die rech七].iche Verbindlichkei七 solche Vorrecht−
zinnsen femer zu zahlen und bitten如deren Auf耳eb㎜g.
ad ll.24) . (Saユzpr。vision)
Vemeinen wir etwas vom Salze an das Rit七erguth abzugeben. Uns fragt I1ie曽
mand, we㎜Holz und Salzpreise erhδhe七und neue Aibgaben auferleg七werden,
ob wir damit zufrieden sind.oder nichセ, ein Ri七七erguもsbesitzer giebt aber
eine Salzprovosion die sich auf l哲ingsも erloschene imsprUche grUnde七nich七
auf, wenn die S七aatsbehδrde andere und bei3ere Einrich七ungen 七riff七 als die
waren wo diθ Salzprovisionen abfielen.
Als StaatsbUrger, diθ bei wei七en mehr fUr Orts− und S七aaむsgemeindezwe_
/Bl。255b/ ke thun, als Abgaben−Zi㎜s−und Fr。hn−und Dienstfreie
Ri七tergu七sbesitzer die nich七s zur Erhal七ung der Recht;spf!ege der Ili rchen
und Schulen und ArmenkaSen bei七ragens hoffen wir daher von Saユzprovisionen
der Ort befrei七 zu bユ.eiben●
ad 工工.う0) (Wildpエ・etsfuhren)
1{it diesen Fuhren hoffen wir fernerhin verschont zu bleiben.
adB)
ad 工工・2) (工nquisizionskos七en)
コ ゆ
Wiでhoffen de.r nUchs七en ZukUnf七 eine I]rleich七enmg dieser BUrde zu er−
langen, indem entweder
a) die Las七en der Lehnsjurisdi1{zion dem, der die Nu七zungen zieht, anheim_
fallen, dax’un七er geh芝3rten denn auch die Un七ersuchungskosten, oder
b) daB diese Kosten gユeichm買∫}ig und nichも ungleich wie zei七hers wie die
woh■leSbl. Geriehten seXbst bes七Za七igen, aufgebraCht oder
c)von der Staa七sgemeinde Uber一
/Bl。 256/ 七ragen werden.
Wir vemeinen die Verbindlichlceit sie in der zeitherigen MaaBe for七zube.
zah].en, und vertrauen den wohllUblichen Gerich七en, da13 uns keine Kosten in
Saohen zugemλ七he七 werden zu bezahlen in derlen nich七 auf VerbUJ3ung einer 4一
ロ
jUhrigen Zuch七hausstrafe erkann七worden is七。
一160 一
「九月騒乱」期に拙する騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完> 461
要求した(初夜権)。彼〔領民〕は,靴下,麻織物を製造し,亜麻を賃仕事で紡ぐ時,前
以て土地領主のために靴下,麻織物を作り,亜麻を紡がねばならなかった。.偲評ある結
婚許可証とさまざまな賃租はそれ〔募奪〕に由来するのである。
賦役訓令と償却法はいくつかのこのような纂奪,例えば,優先〔して〕打穀〔させる
(21) (22)
権利〕,優先雇用権を廃止した。類推すれば次のようにしか考えられない。すなわち,こ
れらの法律の精神に従って,また,もはやレーエン制国家でない立憲国家においては労
働は価値を有し,人身と所有とは自由である,との見解に従って,その他の,優先〔し
て〕労働〔させる権利〕もまた廃止されたと見なされるべきである,と。その結果とし
て,それから発生した諸賃租も廃止されねばならない。
そのために我々は,このような特権〔に基づく〕諸賃租をなお支払う法的義務を否認
し,それの廃止を請願する。
(H−24) (塩手数料)
我々は塩についていくらか〔の塩手数料〕を騎士領に納付する〔義務〕を否認する。木
材と塩の価格が上昇し,新しい貢租が課される時,我々がそれに満足しているかどうか,
を誰も我々に問い合わせていない。しかし,存在していたものより良い他の制度を国家
官庁が定め,塩手数料がなくなった場合,騎士領所有者は,すでに消滅した請求権に基
づく塩手数料を放棄しない〔であろう〕。
貢租・賃租・賦役・奉公を免除されており,裁判・教会・学校・貧民金庫の維持に何
の寄与もしない騎士領所有者よりは,地域共同体と国家共同体の諸目的のためにはるか
に多くを果たす国民として,我々は,当地が塩手数料から免除されることを要望する。
(ll−30) (高訓の運;搬)
さらに我々はこの運搬の免除を要望する。
(B)
(H−2) (糺問の費用)
我々は近い将来にこの重荷の軽減が達成されるよう要望する。それは,
(a)レーエン制的裁判の諸負担は,それには取調べ費用も入るのであるが,〔裁判から〕
利益を得る者〔領主〕に帰属するからである。あるいは,
(b) この費用が均等に, 〔すなわち〕……裁判所自身が認めているように,従来ほど不
均衡にではなく,課されること,あるいは,
(c) 〔この費用が〕国家共同体から引き渡される〔ことを,我々は要望する〕。
我々はそれを従前の仕方で支払い続ける義務を否認し,4年の懲役刑が宣告されない
事件においては,費用の支払を我々に要求しないよう……裁判所に期待する。
一161 一
462
ad 工工。工う) (Wasserzinns)
Wer mi七,der Fischerθy be:Liehen i8七hat deshalb kein Eigen七hurn a】m WaBer.
Denn jene umSa13t blos den Fisehfang irn WaBer. Abgesehen ob hier eine
solche Beleihung statt findet, die wir zur Zeit ganz in Abrede stellen, so
ist es wiedey nichts als eine tmaai“」ung, den Dorfbewohner’n von den bu’U.FJe−
mmgsgrUben 飢lf ihren Wie8en pp. einen Zinns abzufordern. Wir vθr’neinen
die rech七1icl e Schuldigkei七 dergleichen zu bezahlen und bitten dringend
diesern 1“i’isbrauche zu steuern.
VJir finden nich七s v。n Wa1Serzirmsen in der Ur㎞nde vonユ556 pp. er一
/B1.256b/ wUhn七㎜d sehen d蝕er der Ge噛㎜g㎜serer Bitte㎜s。
zuversich七licher en七gegen, wei〕. wir sons七 befUrch七en rnUβen auch noch mi七
Jauchen, Luf七一So㎜en−und 1伽dscheinzinnsen belegt zu werden. Unsere
Feharcht ist g?os.
Was die einzelnen BeSChwerden anbe].ang七, wOX・Uber Herr GeriChtSdirek七6r
Behr se].bs七 eine Auslaliung zu den Ak七en gegeben ha七, so mUgen diese auf
sich bemhen. Es wUrde zu urnstzandZich sein die einsehlagenden Akten alle
rLTu pr1Ufen.
Wir haben uns sa七七8am zu Uberzeugen Ge].egenheit gehab七, daB wir neuer−
dings glimpflicher wie fyUher behandelt und geneigter gehert werden, und
hoffen, daf)’ dieses Verhttltnis fortbestehen werde.
’ul±r hoffens dafS nit gzanzlicher Aufhebung des Lehnswesens, mit der Selbst−
stUndigkeit der Landgemeinden, mit einern gleiehhe±tlichen Abgabenwesen
馳
sich die Geft!hle der Vnzufrieden−
IBI. 257/ heit die der zeitherige dr’Uclcende Zustand der Dinge in
Or七s一㎜d Staatsgemeinde erzeug七e, in GefUhle der Zufriedenhei七 verwandeユn
werden und so hoffen wir denn auch mit unserer Aussprache, so wie uns uns
Herz ist, nicht ungern gehert zu werden. PUr gUtige Gewzahmmg einer
1!1pger.n Ttsirist zur Einreichung die$es Ergebensten unsern verbindlichsten
Dank.
Die BeschwerdefUhrenden Gemeinden des Pursohens七einer Gerich七sbezirks
den 24. Novbr. 1852
August Friedrich Fri七zsche
V.Richter
Go七七hold Friedrich Rauer
Gottiob )“riedrieh Bettger
GerichtssehUppen
l眺;器。盆畿e「}・…i。・・v・・…h・・
(4)原文をわたくしは in schnellener MaaBeとしか読むことができないが, in
schnellerer MaaBeと解する。
(5)1651年の法律がはじめてザクセン全体に奉公強制を導入した。奉公しようとする領
一162 一
「九月騒乱」期に捌ナる騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 463
(23)
(1【一13) (7]く賃租)
漁業権を賦与〔賃貸〕された者は,水の所有権を持ってはいないgなぜなら,前者〔漁
業権〕は水中での漁携のみを含むからである。我々が現在まったく否定している,この
ような賦与が当地で行なわれていることを度外視しても,これ〔水賃租〕はまた,村落
住民の採草地などにおける灌概略の溝から賃租を要求するという,纂奪以外の何物でも
ない。我々は,それを支払う法的義務を否認し,この悪慣の制止を切に請願する。
我々は,1556年の証書などが水賃租について全く言及していないと考え,そのために,
我々の請願の承諾を信頼して期待している。なぜなら,さもなければ,我々は,水肥,
空気,太陽光,月光にさえも賃租を課される,と恐れねばならないからである。我々の
憂慮は甚だしいのである。
領主裁判所長べ一ア氏がそれに関する文書に対して見解を示した個々の苦情については,
そのままにしておいてよかろう。関係する文書すべてを吟味するのは,あまりに煩雑であ
る。我々は,今では我々がかってより寛大に取り扱われ,一層好意的に聴取されている,
と十分に確認しうる機会をもった。 〔そのために我々は〕この事情が存続することを要望
する。
我々は,レーエン制の完全な廃止,農村共同体の自立, 〔および〕均等な公課制度〔の
制定〕とともに,地域共同体と国家共同体における従来の重圧的な状態が作り出していた
不満の感情が,満足の感情に変わることを希望している。我々はまた,我々の腹蔵のない
発言についても,いやいやながら聴取されることのないよう要望する。この……〔文書の〕
提出のために寛大にも長い期間が与えられたことに対して,我々は……感謝している。
プルシエンシュタイン裁判区の,苦情を提出している諸共同体にて1832年11月24日。
アウグスト・フリードリヒ・ブリッチェ 副村長
ゴットホルト・フリードリヒ・ラウアー(他1名)村長補佐
(24)
カルル・フリードリヒ・ミュラー(他1名) 村代表
民の子供は,まずはじめに世襲裁判領主の下で2年間奉公すべきであ.り,この規定は
1661年に繰り返された。さらに1735年(および1769年)の法律は奉公強制の対象を,
領民が自己の家計のために必要としない子供に拡大した。Wuttke, S.84−85,126,
150−151,165;LUtge, S.226−230.このような強制奉公人に対する1651,1661,
1735,1769年の法定賃金(地域別・職種別)は,松尾1965,116−125ページ,に整理・
表示されている。
(6)ここでLehnsmannは,騎士領所有者をレーエン領主とする封臣,すなわち農民を
意味するが,領邦君主の封臣(Vasall)と区別するために家来と訳されている。
(7)原文をわたくしはausschlUBIicheとしか読むことができないが, ausschlieBliche
と解する。
一163 一
464
Johann Gotthelf lvleyer
( und andere 2 Unterschriften )
IBI. 257b/ Gotthold Friedrich Hampel
( und andere 23 Vnterschriften )
IBI. 258/ ’ August lr”riedrich rtlUIIer
( und andere 22 Unterschriften )
IBI. 258b/ Gotthold Friedrich Kaltofen
( und andere 2S Untersehriften )
IBI. 259/ Gotthelf Friedrich Butter
( und andere 22 Unterschriften )
(8)原文をわたくしはnicht ihrer selbstとしか読むことができないが, nicht um
ihrer selbst willenと解する。
(9)農村自治体条令は憲法(1831年),都市自治体条令(1832年)より遅れて1838年に公
布された。Blaschke l962, S.35,37−39;Blaschke 1965 a, S. 277;Schmidt,
S. 146−147; GroB, S, 123−124.
(10)騎士領免税特権の廃止と全国検地に基づく地租制度の改革は!843年に実施された。
K6tzschke, S. 144; Schmidt, S. 154−155; GroB, S. 123.
(11)ザクセンにはこの名称の集落が相当数あるが,問題のノイゾルゲは,世襲台帳をも
つから管区村落ではない。オーバーラウジツの村を除き,都市の城外部,村落の異名
あるいは単なる一部分としてのそれをも除くと,残るのはアウグストゥスブルク管区,
チョーパウ川畔のノイゾルゲである。これは集落としてはツェピヒェン(Zsch6ppichen>
村の一部分にすぎないが,1,500−1,600人の住民をもつ領邦君主直貼騎士領の所在地
であった。この騎士領は当時ビュナウ・ダーレン(von BUnau−Dahlen)伯に所属し
たが,15世紀から1610年までシェーンベルク家の所有であった。Schumann, Bd.7,
S. 123−127; Schumann, Bd. 18, S. 302−303; Schiffner 1839, S. 63−64; Bla−
schke 1957, S. 255; Blaschke 1965 b, S.247.
(12)原文をわたくしはim engen Sinneとしか読むことができないが, im engeren
Sinneと解する。
(ユ3)これは1830年8月13日付「賦役・奉公に関する一一般弓手原則の公布に関する訓令」
のことである。Bar, S.8;Wuttke, S.2!5−216;LUtge, S.264;GroB, S.75−
76,88−89;松尾1973,131−132ページ。 この訓令は奉公強制を次のように定義
している。 「領民の子供に対する奉公強制には2種類ある。優先雇用権と狭義の奉公
強制である。前者によって領民の子供は,他の者の下で奉公しようとする場合,すべ
ての他の者より先に世襲裁判領主に,自由奉公人に与えられると同じ賃金で,2年間
奉公する義務をおう。子供に対する,このように隈定された奉公強制は国法によって
基礎付けられている。」「子供に対する狭義の奉公強制は,領民の子供に対して,彼ら
が他の者に奉公しようとしていると否とに関わりなく,奉公人として奉公することを
要求する,裁判領主の権利であり,これが行なわれるのは,この権利が契約,合法的
な慣例,適法な判決によって特別に獲得された場合においてのみである。」Gesetz・
sammlung 1830, S. 140.
一164 一
「九月騒乱」期に捌ナる騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完) 465
(25)
ヨハン・ゴットヘルフ・マイヤー(他96名)
(14)本領司法委員会については本稿(1)註(30)参照。
(15)原文をわたくしはbekommtとしか読むことができないが, bekommenと解する。
(16)原文をわたくしはabsoletenとしか読むことができないが, obs。letenと解する。
(17)これは,ザクセンー揆の直後に公布された1791年1月18日付「暴動と一揆に関する
訓令」のことである。Stulz, S.98T99.一この訓令は1838年5月30日付「ザクセ
ン王国刑法J第2部第3章「公的官庁への反抗と治安撹乱」(Gesetzsammlung 1838,
S,139−143)によって廃止されたと考えられる。
(18)原文をわたくしはabsoletとしか読むことができないが, obsoletと解する。
(19)出生証書料がいかにして廃止されたか,は不明である。
(20)これが何を指すか,不明である。
(21)優先して打穀させる権利は,1830年の賦役訓令によっても1832年の償却法によって
も無償では廃止されなかったと考えられる。
に
(22)原文をわたくしはkann man man nichtとしか読むことができないが, kann man
nichtと解する。
(23)この貢租は他の請願書では水流賃租と呼ばれていた。
(24)村長はBauermeister, Burgemeister, Dorfrichter, Gemeindemann, Gemein−
meister, der Geschworene, HeimbUrge, Richter, RUgemeister, SchultheiB,
Schulzeと呼ばれていた。 Haun, S.14;Kuntze, S.67;Quirin, S,66;Lutge, S.
81;Blaschke 1965a, S.272.したがって,この村代表は村長ではないと考えられ
る。
(25)これら102名の署名者については,ここだけでは理解しがたい点がいくつかある。ま
ず,同姓同名が4−5組あることである。筆頭署名者とBl. 257 bの7行目の署名者
とはいずれもAugust Friedrich Fritzsche, BI.257 bの8行目と12行目とはいず
れも Karl Gottlob MattheB, Bl.257 bの22日目と Bl.258 bの2行目とはいずれも
Gottlieb Friedrich Kaltofen, BL 259の13行目と22行目とはいずれも Gotthelf
Friedrich Stiehlである。 Bl.258 bの3行目Carl Gottlob MUIlerと13行目KarI
Gottlob MUIlerも同姓同名と見なされうるであろう。これら4−5組のうちA. F.
Fritzscheについでは,村長代理の肩書のある者とない者とがいるから,別人である
かもしれない。他の3−4組が同一人であるかどうかは,明らかでない。次に,Bl.
258bの5行目にAnton von Rabenauの署名があることである。どうして貴族が領
民として請願書に署名しているのか,も不明である。 1832年請願書の署名者と
!830年の6通の請願書の暑二者との関連を見ると,ザイダ市(名前を記されている請
願者は合計17名),ハイダースドルフ(同5名)とクラウスニツ(同1名)には1832年
の該当者がいない。フリーデバハ(同6名)の3名とケマースヴァルデ(同1名)の
r名とは1832年にも見出される。フリーデバハの2名Carl Friedrich MUIIerおよび
Carl Gottlob MattheBは1832年のKarl Fri6drich MUIlerおよびKarl Gottlob
MattheB(上述のように同姓同名の署名がある)であろう。ディッタースバハ(同19
名)の1名Christian Friedrich Mayerは1832年のChristian Friedrich Meyer
一165 一
466
あるいはChristian Friedrich Meyer, sen.のどちらかと,フリーデバハの今1
人の署名者Carl Gottlob B6ttcherも1832年のKarl G.。ttlob B6ttgerと同一入物
ではなかろうか。
〔追 記〕
(1)本稿(1)(fi)(III)において,修正を要するとわたくしが考えるようになった個
所は相当数に上り,特記することなく訳語を後で変更した場合もかなりあるが,ここでは
(1)の3ヶ所のみを記しておきた駐。198ページの上から19行目と20行目の間にEw. pp.
und Ew. pp.(〔国王〕陛下および〔摂政〕殿下)を,21行目と22行目の問にL. S.(印章
の場所)を,読み落としていたので挿入する。後者の挿入に関連して,162ページの最後の
行の「末尾の署名が同一筆跡と考えられる」を, 「最終ページ署名年月日の後にL.S.と
記されている」に訂正する。
(2)きわめて困難であった本稿の作成にあたって,Karlheinz Blaschke氏(Friede・
wald), Johannes Jandt氏(S’achsische Landesbibliothek>, Manfred Kobuch氏
(Staatsarchiv Dresden), Gerhard Schmidt氏(Dresden),岸美光氏(岡山)など多
くの方々から教示を得ることができた。深謝したい。とりわけSchmidt氏は昨年3月以
来十数回にわたって,わたくしの質問に懇切に回答してくださった。厚く謝意を表すると
ともに,今春から入院加療中と聞く同氏の一日も早い快復を祈念する。
引 用 文 献
Bljr, E, Felix, Die Ablb’sungsgesetzgebung im Kb’nig. reich Sachsen bis 1889.
Zwickau 1892. ’
BlaSchke 1957 == Karlheinz Blaschke (Hrsg.), Historisches Ortsverzeichnis von
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Blaschke 1962 == Karlheinz Blaschke, Verwaltungsgeschichte fur Stadt一 und Kreis−
archivare im Gebiet des ehe7naligen Landes Sachsen. Dresden 1962.
Blaschke 1965a=Karlheinz Blaschke, “GrundzUge und Probleme einer sach−
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Blaschke 1965b=Karlheinz Blaschke, “Lichtenwalde” und “Neusorge”, ln:
Walter Schlesinger(Hrsg,), Sαc/zsen, Stuttgart 1965.(Handbuch der his−
torischen Sta’tten Deutschlands. Bd, 8)
一166 一
「九月騒乱」期に拙ナる騎士領プルシェンシュタイン所属集落(南ザクセン)からの請願書(V・完)
467
Gesetzsammlung=Gesetzsαmmlung 海γ das v Kb’nigreich Sαchsen. 1818−1831;
Sαmmlung (ie7噛 Geset2e un(i Verordnungen 毎γ dαs Kb’ n ig re ich Sαchsen,
1832−1834; Gesetz−un(l Verordnungsbtatt海γdas K’o“ n ig re ich Sαchsen.1835
−1918.
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Haun, Friedrich Joharlnes, Bαuer un(i Gutsher?・in Kursachsen. StraBburg 1892.
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.
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Jαhre 1835. Leipzig 1893.
一167 一
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