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第1回 人類と刃物 ~考古学・文化史・身体科学の視点から~

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第1回 人類と刃物 ~考古学・文化史・身体科学の視点から~
第1回
人類と刃物
~考古学・文化史・身体科学の視点から~
講師/関根秀樹(和光大学非常勤講師)
司会/鹿熊勤(日本エコツーリズムセンター)
【せきね・ひでき】1960 年福島県生まれ。和光大学や桑沢デザイ
ン研究所などの非常勤講師を務める。古代発火技術や民族楽器の
実践研究で知られ、パプアやアフリカの狩猟採集民の火起こし名
人たちと競争して勝ったり、ネイティブアメリカンの長老たちに
火起こしをレクチャーしたこともある。刃物に関する造詣も深く、
古代の石器や日本の鍛冶技術を含む民俗刃物に通じる。各地の美術館や学校などで木や竹のも
のづくりワークショップを開催。主な著書に『縄文人になる!』(山と渓谷社)、『刃物大全』
(共著・ワールドフォトプレス)、『新版
民族楽器をつくる』(創和出版)など。
――教育と刃物という連続セミナーを開催するにあたって、最初のテーマにし
たかったのが、そもそも刃物とはどんな存在で、どんな歴史的背景を持ってい
る道具なのか、ということでした。調べてみるととてつもなく深いテーマで、
刃物の歴史とはつまり、人類史そのものである、ということがわかってきまし
た。そして刃物のルーツは石器です。ナイフは石から生まれたのです。そこで
お招きしたのが、原始技術史が専門で、刃物にも非常に造詣の深い関根秀樹さ
んです。刃物という道具は人間とどのような関わりを持ってきたのか。そもそ
もなぜ人だけが道具を使いこなせるのか。考古学や文明学、あるいは身体科学
の視点から解説をお願いします。
関根
「教育と刃物」というテーマを聞いて、非常に興味を持ってやってきま
した。私がずっと研究してきた学問は原始技術史というんですが、このなかの
二大テーマは石器と火なんですね。ともに人類を人類たらしめたツールで、ヒ
トとサルとの違いを決定的にした要素です。
いまスライドで示しているのは約 250 万年前の石器です。これまでに発見さ
れた石器で最も古いものは、260 万年前のア
ウストラロピテクス・ガルヒという古人類
(原人)が使ったものです。ヒトとサルの
違いは生活のなかに石器などの道具が介在
しているかどうかだといいましたけれど、
じつはサルに限らず、動物の中には石を道
具として使えるものがいます。チンパンジ
ーやオマキザルは、固い木の実を石で割ることがあります。ラッコも、ウニや
貝を食べるときに腹部に乗せた石に叩きつけて中身を取り出します。エジプト
ハゲワシはダチョウの卵に石をぶつけて割ります。ただ、それらは自然石の硬
さや重さを利用しているにすぎません。
人類も直立歩行をし、森を離れて暮らすようになった 700 万年前ぐらいから、
自然石を道具として使っていたと考えられています。初期の人類はまだ死肉を
あさる動物だったと見る人もいます。肉食動物が食べ残した肉を、ほかの動物
から奪い取るために石をぶつける。骨を叩き割って中の軟らかな髄を取り出し
て食べる。あるいは、自然石の角で骨から肉をこそげ取る。同じ原理で硬い木
の実も割っていたことでしょう。そういった作業のときに、何かの弾みで石が
割れ、鋭い破片で手を切ってしまうようなことがあった。そこから対象物を効
率よく切る刃物という存在に気付いたのだと考えられています。人類とが、石
を扱える他の動物と決定的に違いうのは、イメージし、意識的に石を割って鋭
利な刃をつくる技術を確立したことです。
――今回のテーマを掲げるにあたり、私もヒトとサルの違いについてちょっと
調べてみました。人間の手って、じつはすごく器用にできているんですね。例
えば、握る、つかむ、すくう、掻く、つまむ、はじく、なげる、ねじる、たた
くと、いろいろな動作ができる。数える、示す、測る、編む、結ぶ、あるいは
指で音を鳴らして合図する、筆記具で記録するという多元的な使い方ができま
す。そして手指の先は体の中でもっとも敏感なセンサーのひとつでもあります
ね。触覚器です。ナイフで木や竹を切るときの感覚とか、誤って指を切ってし
まったときの痛さだとか。熱い冷たいという温度も指は敏感に受け取り、学習
をします。これほど器用な使い方は類人猿にはできないそうですね。
関根
現代のヒトは木登りがすっかり下手になってしまいましたが、手や指そ
のものの動きは本来ものすごく器用です。類人猿もサルも、指どうしの先を自
在に触れ合せること(拇指対向)ができません。骨と関節の構造上できないの
です。手の内転外転もできません。だから、お遊戯のキラキラ星をチンパンジ
ーにやらせると、痛がって引っ掻かれます(笑)。それから、ゴリラもチンパン
ジーも、いわゆるオーバースローができない。アンダースローなら狙った方向
に石を投げつけこともできるし腕力も強い。チンパンジーの握力は人間の5倍
以上、100~200kg くらいもあるんですよ。ところが振りかぶって投げるという
動作ができないので、精密な投擲力はないんです。
人間はチンパンジーに比べれば非力だけれど、よく回る肩やひじ、手首の関
節、そして器用な指を連動させ、力学的に非常に効率のよい方法で作業力を高
めてきました。石や骨で石を叩いて石器をつくることができたのはそのためで
す。木を切る石斧もそうですね。柄が増幅する回転力で刃を幹に打ち込むわけ
ですが、関節がなめらかに回らないと難しい。狩猟もそうですね。鋭い石器を
棒に装着し、肩のストロークを生かして動物に向かって投げると、すさまじい
殺傷力が生じます。槍を使った猟の原理も、ヒトだから見つけ得たことです。
――手と道具の関係というのは、脳にも深くかかわっていると思うのですが。
関根
心理学などの本には、脳のどの場所が人類の感覚のどこと対応している
かという気持ち悪い図かあるのですが(笑)、その中に手が占めている割合って
すごく大きいんですね。指がどの程度使えるかというさきほどの話は精密把握
といわれていますが、指の器用さは神経回路の発達に連動していて、手を精密
に使えば使うほど神経回路も発達し、脳とのフィードバックが進みます。手を
使えば使うほど、その領域は鍛えられていく。この分野は専門ではないのであ
くまで一般論ですが、脳の発達を促す要素のひとつとして、手を積極的に使う
ということがあるという説に異論をはさむ人はいないと思います。
――私は以前ある雑誌の取材で、京大霊長類研究所の松沢哲郎さんからチンパ
ンジーの技術伝達についてお話を聞いたことがあります。松沢さんはアイちゃ
んという天才チンパンジーを育てた方としても知られます。アイちゃんはすご
く頭がよくて、こと記憶能力に関しては人間の大学生より優れている。でも松
沢さんが言うには、アイちゃんが特別なのではなく、そうした記憶能力の高さ
はチンパンジー全体の特質であり、あえて天才という言葉を使うなら、それは
チンパンジーが天才的な記憶能力を持っているんだとおっしゃっていました。
先ほど関根さんから、チンパンジーは石を使って木の実を割ることができる
という話が出ましたが、じつはアイちゃんは、木の実割りのような道具を使う
ことが苦手なんだそうです。なぜなら生まれてすぐにお母さんから離れ、人間
に育てられたからです。石を使った木の実割りは本能ではなく、学習の結果で
す。野生チンパンジーの世界ではすべての群れが石で木の実を割っているわけ
ではないそうです。石を使うと木の実を割るのに便利だと気付いた個体の行動
が、その群れ全体に広がり、文化的な技術として継承されていくのだというこ
とでした。
そして、その継承のかぎを握っているのはお母さんなんですね。お母さんが
持っている技術は子に伝わる。アイちゃんはその機会がなかった。松沢さんも
木の実の割り方を教えたそうですが、習得のタイミングが遅かったのでしょう
か、あまり上手にはできないまま大人になってしまったとのことです。つまり
技術の継承で大事なのは小さなうちの経験ではないか。これは人間の教育にも
通じることではないかと思いますが、関根さんはどう思いますか。たとえば、
石器を作ろうと思い立っても、ただ石と石をやみくもにぶつけただけでは、鋭
利な破片はつくれませんよね?
関根
ひとくちに石を割るといっても簡単ではありません。たとえば固い石で
力いっぱい叩くと、力の伝達が早すぎてくだけてしまいます。石の種類によっ
てそれぞれ独特の力加減というか、力を抜くというか、コツが必要です。どの
位置からどの角度で叩くかでも割れ方は変わります。たとえば黒曜石は非常に
鋭利に割れることで石器としてよく使われてきた鉱物です。硬さはあるのです
が粘りがないためもろく、薄い剥片を何枚もとるようなとき、あるいは細かく
加工していくときは、石ではなく、ソフトハンマーと呼ばれる鹿の角のような
柔らかい棒で叩きます。
――実際に黒曜石を持ってきていただきました。
関根
ちょっと切ってみましょう。これは檜(ヒノ
キ)です。削れますけれど、黒曜石の刃はもろいの
で、じつは木のような素材を切ると刃は長持ちしま
せん。その代わり肉や魚はびっくりするぐらいよく
切れます。黒曜石は火山ガラスとも呼ばれるぐらい
で、割れ口が鋭くなめらか。黒曜石が石器として利
用しやすい背景にあるのは非結晶質であることです。
組織に決まった方向性がないため、どの位置から叩
いても思ったように割れるという特徴があります。打撃の力は音と同じで波の
ように伝わっていくのですが、素直に力が伝わるのできれいに割れやすいので
す。そうした物理的なことも体で理解できないと石器はつくれません。個人の
努力センスで習得していくというより、コミュニティーで代々伝えられてきた
暮らしの知恵、すなわち伝承技術だったと思います。
――次の写真の石器は黒曜石ではありませんね。
関根
硬質頁岩という、粘土が硬く固まった石です。この石は結晶質なので、
加工技術は黒曜石よりも難しくなります。面白いのは、こういう石は炉の灰の
中に埋め、450−500℃くらいで2−3時間温めると、結晶構造が変わって薄く割
りやすくなるんですよ。しかも粘りが強くなります。鋼(金属)の刃物も同様
な熱処理をします。加熱によって材料の組成構造が変わることを、昔の鍛冶屋
さんは経験的に知っていたのですが、じつは石器時代の人たちも熱処理という
概念については知っていたわけです。
――関根さんが発見したわけではないんですね(笑)
関根
割りにくい石をどうやって加工していたのか調べてみ
たら、どうも熱を加えているのだということがわかったのです。
石器を作る際に石を熱することは、縄文よりもはるかに大昔で
ある 15 万年前からやっていいます。それってすごい知恵です
よ。科学そのもの。そのことがようやく分かってきたのは、こ
こ 10 数年の話なんですけど。
――科学というのは、そんな大昔からあるんですね。
関根
そもそも石器づくりは物理学だし、火の原理も科学その
ものですから。でも、この珪質頁岩の熱処理にはびっくりです。やってみると、
すごくうまく割れます。でもね、現代人の自分がやっても、できた石器はしょ
せんこのレベルなんですよ。頑張ってチャレンジしたことは伝わると思うので
すけど(笑)。
原始技術史を研究していると言っても、毎日石器をつくって暮らしているわ
けじゃありません。古代人から見たらお笑いぐさでしょう。石の物理特性や破
壊の原理がわかれば石器が上手にできるかというとそれはまた別な話で、やは
り経験値で決まります。私の恩師・岩城正夫先生がつくる石器は、古代人レベ
ルの完成度です。黒曜石が豊富にある北海道の十勝や置戸町にも神業レベルの
つくり手がいらっしゃいます。
下の黒曜石のやじりはうまくできけれど、たまたまこの形に割れただけで、
それほど意図的に割ったわけではありません。遺跡からの出土品を見ると、デ
ザインとしても非常に完成されているなと感じます。それに比べると、現代人
の手は昔よりも退化してしまっているように思います。
――黒曜石は、非常に重視されてきた素材だと聞いています。
関根
金属が登場するまでは、最も加工しやすく、かつ鋭利な刃物をつくれる
素材でした。21 世紀に入っても、たとえばアメリカでは、白内障手術や心臓外
科の手術を黒曜石で作ったメスで行なったお医者さんもいるそうです。電子顕
微鏡の資料作りにガラスの鋭利な破片を使う研究者もまだいます。
ただ、良質な黒曜石が採れる場所は日本列島では限られていています。北海
道では十勝地方。本州だと長野県の霧ヶ峰や和田峠、伊豆の神津島などです。
出土した黒曜石の石器や破片を化学分析すると、含有成分の違いで産地を特定
できるのですが、何百㎞も離れた遠いところまで運ばれていることから、ある
種の流通システムのようなものもあったのではないかと言われています。それ
だけ貴重な素材であり、それで作った刃物は生活の場で欠かせないものだった
という感じがしますね。
――割りっぱなしの打製石器に対し、磨製石器がありますね。みなさんも歴史
の教科書で学んで来たことですよね。両者はどう違うのですか。年代による製
作方法の差なのですか。
関根
打製石器はすごく鋭い刃がつきます。刃が鋭角な半面、厚みがないため
脆いのですね。なので、不得手な仕事もあります。たとえば木を切り倒す斧を
打製でつくると、使ったときに刃こぼれします。とくに黒曜石は衝撃にもろい
ので。磨製石器はそこまでは刃が鋭くないのですけれど、研いで刃先を蛤のよ
うにカーブさせ厚みを持たせてあるので、木に打ち込んでも欠けにくい。磨製
の場合は粘りがあって重い石を使います。作る
時間も桁外れに違って、打製だと僕らでもだい
たい5分くらいでナイフを作れるのですが、磨
製石器の斧の場合は最低数日。パプアニューギ
ニアの民族例でいうと、大型の石斧を3か月く
らいかけてつくっています。最初に大まかに割
って形を作り、それをこつこつと叩いて減らし
て行くのですね。今の石屋さんが言う「ビシャン仕上げ」と同じ要領で、割っ
てからコツコツ叩いて角を落とし、表面の形を整えてから、水をかけてひたす
ら砥石で研いで行きます。
――ちなみに、磨製石器の斧と鉄の斧とでは、どれくらい性能差がありますか。
関根
どれくらいだと思います?
だいたい 4 倍と言われています。面白いの
がパプアニューギニアで、あそこは1世紀前までは石器時代でした。一部では
いまだに石器を使っている人がいます。パプアニューギニアに鉄器に象徴され
る現代文明をもたらしたのは白人の宣教師たちでした。彼らは、鉄の斧を使え
ば石斧の4倍便利になる。4 日かかっていた仕事が 1 日で住むので生産性が上が
るといって、鉄の斧をばらまきました。便利なものを与えれば布教も進むと思
ったのです。たしかに鉄の斧は4倍の速度で木を切りました。しかし、パプア
ニューギニアの人たちは、まったく別な発想で浮いた時間を使うようになった
んです。1日だけ働いて、あとの3日は遊ぶようになった。ですから、鉄器の
登場以降はお祭りが増えたそうです。人間らしい考え方ですね(笑)。
――その意味では、金属…とりわけ鉄の発見は、道具としての刃物位置づけを
大きく変えたように思います。そもそも金属の発見ってどれくらい前になるん
でしたっけ。
関根
少なくとも 4000 年以上前ですね。自然銅という銅の純粋な鉱石が、あち
こちに落ちていたんですね。はじめはそれを叩いて形にした。あるいは銅は叩
いて行くとだんだんもろくなって行くのですが、火を通せば柔らかくなること
を知り、加熱しながら成形していった。次の段階で青銅器ができた。叩いて成
形するのではなく、溶かして型に流し込む作り方です。銅に錫を加えると純粋
な銅よりも低い温度で溶融がはじまるんです。これとは別に、4000 年前には隕
鉄といって宇宙から落ちて来た鉄も使われてきました。鉱脈の中には、まれに
純鉄というものも存在しました。しかし、銅も、青銅も、隕鉄も、純鉄も、刃
物の材料としてはいささか軟らかくて、それほど優れているとは言えません。
たとえば宝剣のような祭祀の道具は銅で、実用刃物は石器という時代もありま
した。
銅などを精錬する技術の流れから、鉄に炭素が化合した鋼を発見します。鉄
が溶ける温度帯は非常に高いので、炉の昇温技術の向上が必要でした。炭を燃
やした炉の中に砂鉄や鉄鉱石のような酸化鉄を入れると、炭に含まれる炭素と
酸化鉄の酸素とが結びついて二酸化炭素、あるいは一酸化炭素となって外へ抜
けていきます。酸素を奪われた鉄は還元作用によって金属鉄になりますが、そ
の際に炭素と結びついて、純鉄よりもはるかに硬い炭素鋼になります。
――新たな科学の時代に入り、刃物の素材は石から金属に替わってより強靭に
使いやすくなり、文明を進化させた。その延長に今の私たちの便利で快適な暮
らしがあるわけですね。ただ、鉄の刃物は悪用もされてきました。殺人、つま
り戦争の道具として。武器としての刃物というのは不幸な存在だと思うのです
が、ナイフの基本的な役割というのは、私たちの暮らしをサポートする利器で
す。これは石器時代も 21 世紀の今もそう変わっていなくて、たとえばこれはビ
クトリノックスさんのマルチツールなんですけれど、なんとUSBメモリーが
ついている(笑)。でも、基本的な機能はモノを切る刃物なんですよね。
私たちが、教育と刃物というこのセミナーを
始めようと思った理由は、人類のマスターツー
ルともいえる刃物の存在感が薄れていること
への危機感です。火と刃物を発見し、器用な手
でそれを使いこなすことで、特異ではあるにせ
よ、驚異的な進化を遂げたのが人間です。人間
が手を使わなくなったら、火や刃物を使う能力を失ったらどうなるのか。人類
というとあまりに大きな話なので、日本人の将来に絞ってもけっこうなんです
が、関根さんはどう思います?
関根
話の参考になればと思って、今日は『日本の手道具』
(1977 年、青土社)
という本を持ってきたんですよ。僕が 18 歳のとき(1978 年)に池袋の本屋で
見つけ夢中になった本で、書いたのは工業デザイナーの秋岡芳夫さん(1920~
1990)です。工業化社会の現場に身を置きながら、大量生産大量消費の行き過
ぎた現代文明を批判し続け、手仕事を残すこと、刃物に象徴される手道具を使
い続けることの大切さを説き続けた人です。
「消費者」から「愛用者」に変わら
なければ日本の文化はだめになるというような発言もされていました。
僕は『日本の手仕事』を読んで感動して秋岡さんに会いに行き、以来亡くな
られるまでずいぶんお世話になったんですけど、秋岡さんはこのときすでに、
刃物を使う豊かな文化を「失われゆく文化」としてとらえていました。ひとつ
の抵抗運動というか、ものづくりの楽しさを伝えるために、木工の私塾を開い
たり、スーパー竹とんぼづくりの輪を広げておられました。しかし、秋岡さん
の当時の心配は、残念ながら現実となりつつあります。
――包丁や砥石がない世帯が増えているという話もあります。魚も今は 1 尾売
りしている店は減っていて、スーパーでは切り身が中心です。つまり家で魚を
さばかない。魚をさばくと臭い生ごみが出るとか、魚を焼くと部屋に匂いがし
みるので資産価値が下がると考えている人がいるとか(笑)いろんな声を利く
のですが、これは魚だけの問題ではなさそうです。野菜や果物でも同じことが
おきていて、カット品の扱い比率が増えています。コンビニの数も年々増えて
います。関根さんはこうした社会状況をどう考えますか。
関根
社会がそういう状況だからこそ、教育の役割は増していると思います。
かといって、そういう要望が社会から出ているわけではないんですけど(笑)。
公教育の現場は、刃物を子どもに使わせるということについて受け身ですけれ
ど、私立の中には早くから問題意識を持って取り組み
を続けている先生もいます。例えば私もかかわりのあ
る和光学園は、日本生活教育連盟という民間教育団体
の連合会の事務局になっていまして、1980 年に、森
下一期さんという和光高校の先生が刃物鍛冶の左市
弘さんなどの協力で『ぼくとナイフ』という絵本を出
しています。算数と理科の本という岩波書店から出て
いるシリーズの1冊で、鉛筆の削り方、太い木の削り
方、リンゴの皮のむき方、刃物のいろいろとその仕組み、研ぎ方、さらにはナ
イフの作り方まで原理にさかのぼってわかりやすく書いてあります。技術教育
的な話ではあるけれど、刃物や鉄の原理は、算数や理科とも密接にかかわって
いるので、こういうシリーズの中から出されたんだと思います。
和光学園では伝統的に技術教育を大切にしていまして、和光幼稚園では入園
するとひとりひとりに切り出し小刀を持たせて鉛筆などを削っています。今も
続いています。その小刀も、左市弘さんという名人道具鍛冶の鍛えたものです。
市弘さんが亡くなられてからのことはわかりませんが、子どもにもちゃんとし
た道具を持たせるというのがその方針です。こんなに早くから刃物教育に力を
入れているのは、やはり人間の発達には手を使うことが深くかかわっていると
いう確信からだと思います。
――教育界全体を見回すと、刃物の使用状況はどうでしょうか。
関根
壊滅的ですね。図工では5年生で彫刻刀が出てくるんですけども、校長
や教員によってはケガが怖いから使わせないという学校もありますね。鉛筆を
削る刃物も、小刀だと今はたいてい持って来てはいけないんじゃないですか。
カッターナイフはグレーゾーンの扱いといったところかな。今は美大の学生で
すら、カッターナイフ以外の刃物は使えないという人がいますね。
――今日来ていただいた方の半分ぐらいは、子どものころにポケットの中に肥
後守を入れて野山を駆け巡ったり、鉛筆を削ったりした世代だと思うのですけ
れども、今は簡単に携行できない法律もありますし、子どもが自由に刃物に触
れられるような環境がないですね。教育現場が使わせない理由は、やはり責任
問題でしょうか。
関根
今日はもう1冊面白い教科書を持って来ています。美術の教科書です。
中学校版は『少年の美術』で、小学校版は『子どもの美術』。ともに現代美術社
という教科書会社が 1980 年ごろに作ったものです。現場の先生の間ですごく評
判になって、これはよい本だとなった。私が持ってきたのは中学2年生版です
が、金槌の柄の話や大工が使う墨壷の話、刃物についてもいろいろと書いてい
ます。また読み物として高村光太郎の「刃物を研ぐ人」という詩も入っていた
のです。このシリーズは評判がよかったのにも関わらず、採択は0でした。
なぜでしょう。要するに、この教科書を使って美術教育ができたら理想なん
ですけれども、現場が追いつかないというわけです。教育委員会が、今の時代
には無理な内容だと判断したため、全国のどこでも採用されませんでした。す
ごくもったいないです。教育の現状にそぐわかったということですね。
せっかくですので、高村光太郎の「刃物を研ぐ人」を読んでみましょう。
黙って刃物を研いでいる。
もう日が傾くのにまだ研いでいる。
裏刃とおもてをぴったり押して
研水をかへては又研いでいる。
何をいったい作るつもりか、
そんなことさへ知らないように、
一瞬の気を眉間にあつめて
青葉のかげで刃物を研ぐ人。
この人の袖は次第にやぶれ、
この人の口ひげは白くなる。
憤りか必至か無心か、
この人はただ途方もなく
無限級数を追っているのか。
――深いですね。職人さんが身近にいた時代の中学生なら納得できたんじゃな
いかと思います。1980 年ごろというのは、微妙な時代だった。だからこそ、こ
ういう試みもできたのでしょうが、結局ひとつも採択されなかったというのは
悲しいですね。
関根
著者陣もそうそうたるメンバーなんですよ。僕の師の秋岡芳夫さんとか、
画家の安野光雅さんなんかも加わっています。
――子どもと刃物の関係について、今度は私の持ってきたデータを見ていただ
きたいんですが。これは立教大学で私が担当しているアウトドアの授業の受講
生に聞いた、刃物の使用状況に関するアンケート結果です。アウトドアが好き
だ、あるいは関心があるという学生の比率は多いんですが。
「日常的に刃物を使
っているか」と聞くと、やはりあまり使っていませんね。
「使う場合はどんなと
きか」って聞くと自炊が多い。経済状況の反映か、今は男子でも自炊をする人
が多いんですよ。実家から通っている人は手伝いで草刈りをしたことがあると
か、大工道具で犬小屋作ったとか、過去形も多い。小中高時代の工作や技術の
時間の記憶も含めて。そういう事例が出てくるということは、今は使っていな
いということですね。現在進行形で多いのはアルバイト先での調理。飲食店で
アルバイトしている人は結構包丁を使っている。だから自炊とアルバイト。そ
れ以外は使うシーンがもう世の中にないってことなんですね。しかも「砥石っ
て知ってる?」ってきくと、名前は聞いたことあるとか、研いだことがないっ
ていう人が圧倒的多数。これは大学生だけでなくて社会人に聞いても同じ傾向
だと思います。このことについてどう感じますか。
関根
僕は 1960 年生まれですけど、僕自身が子どもの頃は不器用で、鉛筆もろ
くに削れなかったんですね。今でこそ刃物の使い方を子どもや学生たちに教え
ていますけど、リンゴの皮も剥けなかったんです。いとこたちは農家の子でな
んでも出来るし、友人にも職人の息子とか農家の息子が多くて、彼らが刃物を
使う様子を見て憧れていました。お手本があったので見よう見まねで追いかけ、
なんとか基本的な使い方は覚えてきたわけですが、今はお手本がないんですよ。
見て覚えることを昔は見取り稽古なんていいましたが、よい技を見る機会がな
い。だからやってみようという気も起きないんでしょう。
「子どもの身体感覚がおかしい」、「手が虫歯になった」という指摘が教育の
現場で出はじめたのは 1970 年代の終わりから 80 年代にかけてです。日教組の
教研集会とか民間教育団体の教育研究集会とかでも盛んにテーマになっていま
した。鉛筆が削れない、りんごが剥けない、マッチが擦れない、靴の紐が結べ
ないとかね。様々なレベルで子どもの手がだんだんだんだん不器用になってき
たと言われて。それがずっと是正されないまま今に来て、現在ではお手本を見
る経験すらできなくなってしまいました。さっきのチンパンジーの話じゃない
けれど、習得の機会が断絶してしまっているわけです。
――同類の質問を、火でもしたんですよ。最近火を使ったことはありますかと。
1番はなんだと思います?
誕生ケーキのろうそくに火をつける、です。2 番目
がバーベキュー。刃物と一緒で、きわめてライトな存在になっているわけです
ね。その意味では、バーベキューはばかにできない。火という存在をリアルに
感じることができる、今や数少ない経験の場なんですよ(笑)。
関根
導く側の大人がもう刃物を扱えなくなっています。今、小学校中学校の
図工室の刃物ってボロボロなんですよ。誰も研がない。というよりもメンテナ
ンスできる人がいないんですね。刃物って切れないと面白くないんです。面白
くないから好きになれない。だから道具も雑に扱う。悪循環です。子どもを図
工好きにさせたかったら、まず備品の道具をちゃんと手入れしないと。
――先ほどの、手が虫歯になったというたとえですが、関根さん自身はそのこ
とを強く感じた例はありますか?
関根
大学生の例」ですけど、キャンパスの裏山に枝を切りに行ったとき、ノ
コギリ2丁をシャキーンと擦り合わせて、刃を全部ダメにしっちゃったとか
(笑)
。ふざけてヒーローごっこをしたんですけど、昔の子どもだったら絶対や
らない。大事な道具でそんなことをしたら壊れるし、大目玉を食うのを知って
いるからです。刃物のことではないけれど、新婚で初めてご飯を炊くときにコ
メを洗剤で洗ったっていう人は 10 人くらい知っていますし、やられたっていう
旦那さんも 10 人くらい知っています。米を洗剤で洗ってしまう人の共通点って
なんだと思いますか?
会場
台所に立ったことがない。(別な声)お母さんが全部やっていた。
関根
正解を言っちゃいます。音大のピアノ科卒なんです。これが 100%です。
――手が大切だから、ですか。
関根
そう。でもね、将来ピアノで身を立てるのだから、ご飯の炊き方を知ら
なくてもいいっていう話にはならないと思う。人間教育としては大いに問題が
ありますよ。あと、特に最近多いのは、竹を切ろうというと、ナイフを使って
ギコギコやるんです。ニンジンじゃないんだぞって言ってもわかんないですね。
素材の個性に対する想像力がない。それは経験がないからです。それではうま
く切れないとわかると、今度はナイフの刃を叩きつける。昔だったら小学生の
早いうちに通過してきたことに、大学生になってから挑戦しているわけです。
医学部で現実に起こっているのは、外科手術について解説するにしても、刃物
を使った経験がないので教え方が難しいと。理工学の学生の場合は、物質感の
センスがない。要するにモノの硬さや重さが分からないので、授業がやりにく
いし伝わらないと、理工系の先生から聞きますね。
――やっぱり、刃物がろくに使えないお医者さんの手術は受けたくないですよ
ね(笑)
。日本は技術大国だなんて威張ってきましたが、じつは多くの現場で同
様の問題が起きているような気がします。
関根
プロダクトデザインの世界でも、イタリアはまず粘土など立体造形から
入るんですね。だから絵を描ける連中は立体もできる。立体でものをとらえ、
考える癖がついている。日本も昔の工業デザイナーはデザインの時に木型を作
ったんですね。モックっていいますけど。宮大工もまず模型を作って建て方を
検討しましたよ。ところが、今の日本のデザイナーや設計技術者は、みんなキ
ャドのようなコンピューターでやっちゃう。机上の空論ならぬ机上のデザイン
だから、実際につくってみると問題が出てくる。モノづくりの考え方そのもの
がだいぶ変わってきていると思いますね。
現実に、美大ではすごく優秀な学生でも就職では外国人に負けちゃうんです
ね。東南アジアも含め今は大学生のレベルが世界的に上がっていて、日本の学
生は就職で太刀打ちができないんですよ。その原因は何か。単に学力だけの問
題ではないように思います。
――今日は東京都の職業能力開発センターで木工を教えておられる小山真子さ
んが来ていらっしゃいます。先日教室におじゃましたとき、今の関根さんのお
話に関係がありそうな面白いエピソードを伺いました。ある年の技能オリンピ
ックで、中国の参加選手が競技に必要なドライバーを忘れてきちゃったんだそ
うです。日本人だと、ドライバーを忘れちゃったという時点で、どうしようと
お手上げになっちゃうと思うんですけど、その中国の選手は、その場にある道
具と材料で、ドライバーをつくっちゃったそうです。まさに臨機応変。日本人
にも、もともとはそういうセンスがあったよねという話だったんですが。
関根
アジアの人たちがまだ持ち合わせている暮らしの基本的な才覚が、日本
ではもう失われてしまっているんですね。
――ところで、関根さん自身が考える理想の道具教育とは。
関根
いま大学生が夢中になっているのがゲームなんですね。ネットやスマホ
を介した。僕はやらないけれど、面白さは想像できる。でなければあんなに夢
中にならないし、ゲーム会社がプロ野球球団を持ったりできません。答えはひ
とつで、バーチャルなゲームに太刀打ちできる、リアルで面白い遊びを子ども
たちに提示してあげるということです。それしかない。たとえば、刃物を使っ
た手作り体験というと竹とんぼが有名ですが、伝統的な玩具としての竹とんぼ
は、大きくて重くて、あんまり飛ばないんです。とくに子どもの力は弱いので。
でも、子どもに合う形と大きさ、デザインにしてあげれば、すごくよく飛ぶん
ですよ。(実際に実演し、会場からおおっという歓声が漏れる)
流体力学、航空力学を使って伝統的なおもちゃを現代流にアレンジしてあげ
れば夢中になるんですよ。削るだけではできないシルエットは熱を使う。電子
レンジやガスで炙って熱で曲げればいいんです。竹の素材特性がわかれば、そ
ういうこともできるんです。工程やデザインを工夫し、視点を少し変えれば、
昔の遊びを現代流に何倍も面白くできるんです。
――リアルなものがバーチャルに負けている。これをさらに超えるようなリア
ルなものをもう一回工夫していく。
関根
竹細工なんかでも、普通ペーパーナイフやバターナイフくらいしか作り
ませんよね。でも 160 度くらいに加熱すると、木が削れるくらい硬くなるんで
すよ。竹槍の熱処理法と同じ。先の戦争末期には竹槍で B-29 に立ち向かえると
信じていた人もいたくらいですから(笑)
――檜皮(ひわだ)ぶきの屋根、つまり檜の樹皮で屋根をふくときは、鉄の釘
ではなく竹の釘を使います。なぜかというと、檜皮は水分を含むので鉄釘だと
早く朽ちてしまうんですね。竹だと檜皮と同じぐらい長持ちする。でも、その
ままだと屋根の下地の板に刺さらない。鍋で焦げ茶色になるまで煎ると硬化し
て、木の中まで入っていくようになります。釣り竿も昔は竹でつくったんです
けど、必ず火であぶるんですね。熱でまっすぐにする。火を通した竹は冷める
と非常に硬くなって反発力が全然違う。刃物を使いこなすということは、同時
に対象物の物性を理解することでもあり、そこにも大きな学びがあります。
関根
決定的な問題は、学校にも、家庭にも、社会にも、見取り稽古をつけら
れるような指導者、あるいは場が非常にないことです。ないといってもいい。
まずは教員養成の中で、しっかりとモノの使い方を教えてほしいです。刃物や
工作だけのことではないんです。理科の先生を養成する教育大学の教授たちが、
ルーペのちゃんとした使い方を知らない。鉱物学者が岩石ハンマーを使えない。
電子顕微鏡や分析装置の扱いは得意なんだけれど、野外で石を割ったりしない
ので、ハンマーを使うとケガをしたりする。あらゆる身体感覚が虫歯になりか
かっています。
――今の教育カリキュラムはほとんどが視覚と聴覚で成り立っているような気
がします。このふたつの感覚はフルに使っているけれど、触覚、嗅覚、味覚と
いった感覚の教育がどうも疎かになっているなって感じがします
関根
そうですね。同じ針葉樹でも、杉と檜と松を削って比べると香りが違う。
竹なんかはね、切った時に甘い香りがするんですよ。樹液の中にかなり糖分が
ありますから。木を削ったときの肌触りも、よく研いだ刃物で削ったか、そう
でないかでは歴然と違います。切れのいい刃物で削った木肌の心地よさは、削
って触ってみないとわからない。いずれ第1部のクラフトでやろうと思ってい
ますけど、木を削ってアイスクリームスプーンをつくったとき、最後にきれい
に磨き上げると、塗装しなくても口触りがすごくいいんです。
――植物という存在がリアルにわかってくるわけですね。
関根
そのことに関連して皆さんにまた質問です。都会の人がいちばん好きな
樹木ってなんだと思いますか?
(会場から、サクラ、ヒノキといった声)
関根
いや、もっと山奥にしかない木です。
会場
ブナ?
関根
そう、ブナなんですよ。でも、おかしいと思いませんか。ブナは都会の
人にとって最も縁遠い木です。そのブナがいちばん好きってどういうことです
か。要するにイメージです。白神山地の映像とか、そういうものから想起され
ている。本物のブナを見たこともさわったこともないのに、ブナがいちばん好
きだと答える。これ、さっきのゲーム人気にも共通することだと思います。リ
アルがバーチャルに負けているんですね。
――さまざまな観点からの共有点や課題が見えてきた感じがします。ここから
は皆さんから質問を受けたいと思います。
会場
竹が 160℃で硬化するっていうところが気になって。具体的にはどうす
るんですか。
関根
揚げ物の要領で油を 160℃にし、そこに竹を 10 分くらい浸します。油は
なんでもいいですよ。温度はいろいろ試しましたが、200℃を超えると焦げてし
まいます。焦げると竹の成分のリグニンやセルロースがもろくなります。
会場
私立小学校で教員をしています。うちではかなり刃物を使わせてきたほ
うだと思いますが、近年の傾向として、子どもが刃物で遊びだすんですね。床
に刺してみたり。服やランドセルを切ってしまうようなこともあって、かなり
責められて、刃物の個人持ちは禁止になりました。刃物を使わせることは子ど
もの発達にとってとても大事なことだと思いますが、同時に難しさや危機感も
感じています。
――ご自身では、刃物を使って遊びだす、いたずらをするといった理由、ある
いは背景はなんだと思われますか。
会場
たとえば、作品庫は自由に出入りできるんですが、たとえば友達といさ
かいを起こしたりすると感情が抑えきれなくなり、相手の作品を壊したりして
しまったりするんですね。気持ちのコントロールができないっていいますか。
それよりも問題は保護者なんです。いわゆる子どもの喧嘩に親が出てくるよう
な状況になって、だんだんことが大げさになっていく。
関根
保護者もこらえ性がなくなっているんですね。同じパターンの日本人が
世代をまたいで複製されはじめたということで、僕はやっぱり教育の基本的な
問題だと思います。
会場
世界的に見て日本の刃物はどういう位置ですか。海外のものは重さでぶ
った切るというイメージがありますが。
関根
じつはですね、室町時代とか江戸時代には、日本刀が中国に大量に輸出
されているんですよ。反りを生かして引いて切るしくみの日本の刀の発想は海
外でも相当評価されていたみたいです。
会場
違う硬さの鉄を合わせるのも日本固有の技術ですか。
関根
軟らかい鉄と硬い鉄を合わせる技術はもともと大陸にもあり、日本のオ
リジナルではありません。でも、日本の鍛冶屋はこの古い技術をかなり大事に
していますね。世界的には、刃物はもう硬い鋼をそのまま 1 枚使ったものがほ
とんどです。鋼材が安くなったおかげもあります。フィリピンの一部にも合わ
せ鍛えの技術は最近まで残っていたんですが、今は車の板ばねを使っています。
会場
ヨーロッパではもうなくなってしまった道具のいい技術が日本に残って
いるという話を聞いたことがありますが、どうなんでしょうか。
関根
ノコギリは日本だけが引き切りで、他の国々は押し切りと言われていま
した。でも、ネパール、インド、中近東、パキスタン、フィリピン北部山岳地
帯では引き切りの鋸が主流です。握りバサミについては、古代ローマなどは握
りバサミですね。フランスでも 20 世紀まで使っている人たちいましたし、イギ
リスも羊の毛刈りは握りバサミ。あと、タイも握り
鋏。でも、日本みたいな精密な握りバサミは見たこ
とがありません。理美容鋏もそうですが、日本にい
い技術が残っているというより、日本に到来してか
ら、日本人の感覚に合わせてマイナーチェンジして
いった結果、高性能化したのかもしれませんね。
会場
教育関係者です。刃物を使う授業を取り入れ
たいんですが、段階に応じたカリキュラム教本はあ
りませんか。プログラム集は見るんですが。
関根
先ほどお話ししましたように、70~80 年代は、そういうものをつくろう
という熱気があったんですよ。だけど総合学習の中にさえ反映していないのが
現状です。その意味では教育関係者が使えるような現行本はありません。教育
関係の図書館で古いものを調べるしかない。和光大学にはたくさんありますよ。
段階に応じた授業と言えば、まずはハサミでしょうね。ハサミが使えない子に
ナイフは使えないですから。
会場
すごく深刻なことだなと思って聞いていました。とくに焚き火に関して
は私自身も感じるとことがあって。焚き火の仕方を教えたら、1時間後に火が
消えましたって言ってきたんです。なぜ消えてしまったのか。薪をくべ足さな
かったから。燃料を補給しなければ消えるということに思いが及ばないんです。
家のガスコンロはスイッチを押せばずっと燃え続けています。どうやらその感
覚なんですね。これは明らかに退化ですよね。人類の滅亡にもつながると思う
んですけど。産業革命で道具に対する暮らしの位置づけが変わっちゃったんじ
ゃないのかなって。要するに家で水や土や木を使って暮らしを手づくりしてい
たのだけれど、男も女も外に出て金をもらう仕事に変わって、家に道具がいら
なくなってしまった。ものすごく大きな課題だと思うんだけど、そういった流
れはどう戻せばいいんでしょうか。
関根
文明とは何かって考えたとき、これは人間がもともと持っていたいろん
な能力の部分を外側のシステムに肩代わりさせて進んできたものだと思うんで
すね。その結果、人間の基本的な能力自体は劣化してしまっている。そのかわ
り、スマホがいじれたりパソコンは巧みにできるようになっている。そうした
文明的な技術の習熟が評価されるのは、あくまで成人した人間の場合であって、
子どもレベルでは人類の基本的な進化の過程を繰り返させたほうよいと思いま
す。小さいうちはなるべく自然に近いところで、裸足で大地や砂、土、泥、草
の起伏を感じたり、木や竹や石ころ、葉っぱ、土、木の実や虫や魚、犬や猫、
ウサギなどの動物に触れ、手と道具を使いながら自然素材と道具の感覚を肌で
身につけていく環境が必要です。教育の中の発達段階において、何が本質的に
必要なのかってことを考え直さないと。もうコンピューター社会なのだからと、
小さい頃からコンピューターばかり一生懸命やらせようとすると、必ず弊害が
出ます。まず目が悪くなるし、うっかりすると人と生のコミュニケーションが
できなくなる。一日中画面見て、検索すればすべてのことがわかると思い込ん
じゃうというのは、とても怖いこと。僕はコンピュータを否定しているわけで
はないですよ。小さいうちの教育とその後の教育は、違ってしかるべきだと言
いたんです。
――この連続セミナーでは、今の教育のこと、刃物を取り巻く状況について今
後さまざまな方にお話をしていただく予定なのですが、私個人の感想としては、
やっぱり人間も動物なので、動物として必要なセンス、技術を鍛える時期が必
要だと思います。子育てをする動物は、どの動物を見ても子どものうちに生き
るための基本技術を教えている。猫の子でも、狩りごっこをやっていますよね。
人間でいえば、おそらく3歳ぐらいでしょうか、そういう段階って。
会場
幼稚園の年長さんでも、ちゃんとやらせればナイフは使えます。
――早い遅いはあるにしても、私は少なくとも 12 歳ぐらいまでには、猫の子で
いえば狩りごっこのようなことはさせておかないといけないのではないかと思
います。
会場
臨界期のようなものがありますよね。
関根
そう。とにかく、子供の手を動かそうと思ったら、楽しい現場を見せる
ことです。つまらないことは、子どもはやはり嫌なんです。大人が面白がって
いるところを見せることですね。
会場
幼児教育に関わっているんですけれど、使い方を覚えるのはもちろんな
んですが、社交的な振る舞いを覚えさせる、といいますか、包丁やナイフは使
い方を誤るとケガをする道具であるということを理解させることも大切で、そ
のためには小学校からスタートでは遅いようにも思います。
関根
保育園ではそのへんを考えてちゃんとやっているのに、小学校になると
やらなくなってしまう場合もあります。さっき臨界期があるという意見が出ま
したけれど、大人になってからやらせても、遅くはないんです。やらせれば、
本人にその意欲があればできるようになります。和光大学では毎週、天気がよ
ければ焚き火をするんですが5、6回とやるうちにどんどん上手くなります。
女の子でもナタを使います。僕自身が工作好きになったのも大人になってから
ですからね。ただ、大人になってから、そのやる気に火をつけるのはなかなか
難しい。今の大学生はリンゴとか梨を食べないんですよ。なぜかというと剥け
ないから。あるいは剥くのがめんどうくさいから。
――果物の流通の人も言っていました。皮をむいて食べるのが前提のフルーツ
はだんだん売れなくなっていて、そのかわりカットフルーツが伸びていると。
会場
いま温州ミカンでも、皮をむかなくていい「むかん」というのがあるそ
うです(会場爆笑)。
関根
果物の皮むきってすごくいい体験入門だし、刃物使いの訓練なんですよ
ね。競争とか競技化すると子どもたちは面白がりますから、工夫をすればいろ
んな現代的課題を逆手にとることができるかもしれません。
――それをどう導くかが、私たちをはじめ、今日ご参加いただいた皆さんの課
題になると思います。引き続き、この連続セミナーをよろしくご支援いただけ
ますようお願いいたします。
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