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工学部建設工学科 建設工学コース 4年岩野 力くん

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工学部建設工学科 建設工学コース 4年岩野 力くん
「ひと」
VOL.7
この度は、現在も在学中で、再入学した学生について紹介します。
大学3年で退学そして3年のフリーターを経て再入学、現在彼は25才、大学4年生です。
彼は今までの経験を自分の中でどのように考え、現在彼はどのように過ごしているか質問し
てみました。
と今となれば思います。あのとき、自分の将来について
多くのことを考え、悩み、学びました。もっとも学んだこ
とと言えば、人生とは自分の努力次第で良くも悪くもな
るということです。私の好きな言葉にこういうものがあ
ります。
『考え、悩んで出した答えは、誰が採点しても満
点だ』。みなさんもたくさん考え、悩むという努力をして
ください。そうすると必ず、人生はプラスの方向に向か
っていくと思います。私はこれからもさまざまなことに
挑戦していきたいと思います。
自分の経験を通してみんなに勧めたいこと、
伝えたいことがありますか?
私が再入学してから参加した行事の中で、もっとも印
象に残り、みなさんに勧めたいものが海外語学研修です。
これからの時代、国際社会になるのは必至です。その中
で語学というのはもっとも重要な問題です。やはり、生
工学部建設工学科
建築工学コース 4年
いわ の つとむ
岩野 力
くん
きた英語を学習するには学校や英会話で勉強するより、
現地に行って多くの人と話す方が勉強になります。ぜひ、
みなさんも海外に目を向け、行動を起こしてみてはどう
でしょうか。きっとすばらしい体験ができると思います。
どうして、退学することになったのですか?
の多い仕事は他にはないと思います。人間は酔うと本
この経験については、広土会新聞に体験談として掲載し
私は1978年に四国に生まれ、特に裕福でも貧しくも
音で話します。私は毎日仕事をしてお客さんにほめられ
ています。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
ない普通の家庭に育ちました。私の父は建築関係の仕
たり、時にはしかられたりといったやりとりが楽しく思え
事をしていて、その背中を見て育ってきた私は、幼い頃
てきました。
から、将来、建築関係の仕事をするのが当たり前だと思
っていました。そして普通に生活してきた私は、1997
再入学のきっかけは何だったのでしょう?
年に広島工業大学工学部建設工学科に入学しました。
転機は突然訪れました。フリーターをして3年、今まで
しかし、大学生活から一人暮らしを始めた私は、学校
小中高と大学で3年間、合わせて15年間勉強し続けて
を休んでもしかってくれる人がおらず、情けないことに
きた生活から離れ3年も経つと、不思議と勉強したくな
自分の意志の弱さから学校に行かなくなりました。その
るものです。しかも、水商売での仕事は一生続けられる
ころは家でボーっとしていても誰も何も言うわけがなく、
仕事ではないとも思っていました。そこで、いろいろ悩
自分の世界に閉じこもっていました。
んだ末、両親に相談してみたところ、
『再入学してみれば』
これからの人生どのように過ごしていきたいですか?
また、一日学校を休むと課題がたまり、それが積み重
と言われ、再入学を決意しました。
私は今、就職活動の真っ只中です。人生の2度目の転
なり、学校へはまったく行かなくなってしまいました。そ
16
機を迎えています。しかし、もちろん就職というのは決
ういう生活を送っていくうちに、大学3年目に退学すると
再入学してからの自分はどうだったのでしょう? してゴールではありません。それは文字通り、会社に就
いう形をとってしまいました。
2002年4月から2回生として再入学しました。私の
くわけでなく、職に就くわけです。自分の手に職をつけ、
学生生活が再び始まりました。今度は今までの生活とは
常に上を見て生きていきたいと思います。就職してから
フリーター時代はどのようなものだったのでしょう?
全く違ったものでした。自分から積極的に物事に挑戦す
は自分の知識の向上のため、会社から給料をいただき
そのころの私は何をするにも妥協だらけの生活でした。
るということを覚えました。私は再入学して、広土会の
ながら勉強させていただくという気持ちで過ごしていき
唯一私が頑張っていたことと言えばアルバイトでした。
役員になり広土会新聞の記事を書いたり、ゼミ長になっ
たいと思います。
『恐れるならやるな、やるなら恐れるな』
と言うよりは、生活をするために、がんばらざるを得ない
たり、再入学して1年目には海外語学研修にも参加しま
この言葉を胸に妥協のない人生を歩んでいきたいと思
状況だったのかもしれません。毎日毎日働き、自分で稼
した。このように大学の行事には極力参加することを心
います。
いだお金でご飯を食べ、家賃を払い、生活をしていました。
がけました。なぜかというと、私は一度退学していたと
最後に、今こうして再び学生生活を送り、さまざまなこ
情けないことに、そこで初めて世の中の厳しさというも
いうみなさんよりマイナスな部分があったからです。そ
とを体験できるのは、すべて両親のおかげだと思ってい
のに直面しました。しかし、なぜか『生きている』という
れを克服するためにさまざまな行事に参加して多くの
ます。いつもは言えないので、この場をかりて言いたい
実感がありました。毎日が充実していたのだと思います。
情報や知識を得たかったのです。私はそうしているうち
と思います。本当にありがとうございます。みなさんも
ご家族は大切になさってください。
そのころしていたアルバイトとは、昼はガソリンスタ
にマイナスをプラスに変えようとしている自分が、すで
ンド、夜は飲食店でした。私が働いていた飲食店とは、ク
にプラスではないかと思えるようになりました。私はマ
ラブ、ラウンジといったいわゆる水商売でした。そこで
イナスをプラスに変えるコツを学びました。私は一度退
私はボーイとして働いていました。水商売に偏見をもっ
学したことでもう一度人生を1から考え直すことが出来
ている方も多くいらっしゃると思いますが、私はすばらし
たのです。大学を辞めていた3年間が皮肉なことに自分
い仕事だと思います。これほど、お客さんと接する機会
の人生の中でもっとも貴重な時間だったのではないか
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