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日中文学文化研究学会通信 10 月号 戦後初の中国訪問 中山時子
日中文学文化研究学会通信 10 月号 〒178-0063 東京都練馬区東大泉 6-34-21 大泉公館 2014 年 10 月 8 日 日中文学文化研究学会 電話&fax 03-5387-9081 Mail [email protected] ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 戦後初の中国訪問 中山時子 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 昭和 21 年に中国を離れ,戦後初めて中国に行ったのは 1974 年(昭和 49 年)3 月でした。 羽田からまず香港に行き,一泊し今では様変わりした深圳を通って広州まで行き,列車で 北上しました。中国語にどのような変化が起こっているのか、私自身の中国語が現在の中 国でどの程度まで通用するのか、 こうした疑問と不安を胸に 30 年ぶりの中国に行きました。 中国に行く前に、日本の旅行社からは、戦前中国で暮らしたことなど口外してはいけない と厳重に注意されていたのです。中国国内に入ると国際旅行社の担当者が団に随行し,参 加者各自の希望を限られた日程のなかで可能な限り叶えてくれることは聞いていましたの で,私は希望を聞かれると、「“油条”と“餡児餅”を食べたい」と申しました。食いしん 坊ですね。中国語でヨウティアオ、シャァルピンと言ったものですから,中国人にすぐに バレテしまいました。 「中山先生の中国語は本場の北京語です。以前に中国にお住まいだっ たのでしょう?」と聞かれました。図星です。嘘はつきたくありませんから,事前の旅行 社の厳重注意も忘れて、正直に私の「歴史」を申しました。すると随行員の方とすぐ打ち 解けて、旅行中はいつも一緒でした。他の団員の方からは随行員を独占しているとお叱り を受けましたが、たいへん楽しい旅行でした。 蘇州では拙政園、留園などの大庭園を参観し、ちょうど『隨園食單』の翻訳に取り組ん でいたころなので、隨園という大邸宅のイメージを描くことができ、新しい中国の友人が でき、翻訳にも役立つ有意義な訪中でした。 帰国後その随行員の方からお手紙をいただき、文通も始めました。 『友情与橋梁』の中に はその方からのお手紙を使わせていただきました。もちろん水世嫦先生に推敲をしていた だきましたが、水先生も新しい中国語には興味をお持ちになったようです。 『友情与橋梁』 の中には民間俗字というのでしょうか、一般には広く使われていても認知されていない俗 字を目立たないように使ってみました。後になって 1977 年第二次簡化方案が出され、その 表にあったものもありましたが、その方案自体が結局は廃案になりました。 『友情与橋梁』が出版されるまで桜美林大学では試用本としてかなり長期間プリントで 授業を行い、そこでの経験を生かして 1976 年(昭和 51 年)3 月に開拓社から刊行しました。 当時は様々な中国語教科書が出ていましたが、中級教科書が少なかったため、多くの方に 使っていただきました。現在でも浪乗り会で使っています。 『生活与会話』同様、水先生の 教養あふれる中国文で構成され、録音も付いています。 1 『友情与橋梁』をめぐって―――――――――――――――――――――――――――― 水世嫦老師と中山時子先生のこと 藤田直子 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 水世嫦老師は、私の大学時代の恩師である。1975 年から桜美林大学文学部中国語中国文 学科に在籍し 4 年間に大変お世話になった。先生は私が初めて知った中国人であり、最初 の中国語の先生でもあった。しかし中山時子先生と初めてお会いしたのは 2 年前の 7 月で ある。当時高校 3 年生の娘が高校を卒業したら台湾に留学して中国語を学びたいと言って 来たからだ。私は、それまで中山先生とは一面識もなかったが「中山時子」という日本人 が水先生と長い間一緒に仕事をされてきたことをお二人のたくさんの共著により十分認識 していた。ネット検索で正しい北京語の発音を教えてくださる中国語の先生を捜していた ときに「中山時子」というお名前を発見したときには戦慄が走った。 「えっ、この先生、ま だ現役なんだ」と直ぐに連絡をとり、翌日には大泉公館へ娘と共に押し掛けた。 現在、浪乗り会で教科書として使用されている『友情与橋梁』を私が長い間大切にして 来たのにはわけがある。私費留学が解禁されて間もない 1984 年 9 月から 1 年間、私は北京 の中央民族学院(現中央民族大学)に留学した。民族学院は教育部の管轄ではなく、統一 戦線部の管轄であったため、長期の外国人留学生は受け入れていなかった。そのため取り 敢えず半年間の短期留学班に入り中国語を勉強することになった。大学卒業後働き、既に 5 年の月日が経っていたので、学生時代に一生懸命に学んだ中国語は少し錆び付いていた。 そんなところに、いきなりテストで数名の中級クラスに入れられ、午前中みっちり中国語 の授業を受けた。そこで初めて中国語にもちゃんとした文法があることを知った。今もそ の時のノートが残っているが、あれほど一生懸命に中国語を勉強したことはなかったし、 その時の基礎がその後の翻訳の仕事にも生きている。しかし最初の1ヶ月は、中国語で行 われる授業に圧倒され先生が何を説明しているのか分からない日々が続き、もがいていた。 そんなある日、水先生と同じ美しい北京語を話す汪小川老師が突然「藤田さん、貴女は 今までどのような教科書で中国語を勉強して来たのですか」と聞かれ、私は大学時代から その時まで使用していた教科書を全て北京に持参していたので、先生に見せた。すると先 生は、暫くこれらの教科書を貸していただけませんか、と言われたので、快く提供すると、 他のクラスの年配の先生がすかさず水先生の『友情与橋梁』を見つけ懐かしそうにその教 科書を手にとった。この教科書を 2,3 日貸してくれませんか、家に持って帰ってもいいで すかと言われたので、どうぞと言ってお貸しした。それから何日かして、汪小川先生が私 の提供した本の中から作文の本を選んで、授業外の時間に毎日私の作文を見てくださるこ とになった。もちろん先生は日本語がわからないが、その作文の本に書かれていることを 私に教え始めた。暫く勉強すると、その作文の本には、中国語としては絶対言わない言い 回しが沢山出てきて、先生は逆に日本語でなんと書いてあるかと私に詳細な説明を求める ようになった。そして最後に先生が私に言った言葉は衝撃的だった。 「藤田さんと言うより 2 日本人の中国語の欠点がこの教科書からきていることが分かりました。どうして貴女の中 国語の言い回しと発想がおかしいのか、原因が分かりました。今日から今まで学んだ中国 語は全て忘れて、これから学校で習う中国語に集中してください」 。私は強い衝撃を受けた。 裕福でもないサラリーマン家庭で大学4年間の学費を捻出してくれた両親にとてもすまな い気がして、その 4 年間をなんとか取り戻そうと決意した。その当時、日本で売っている 高い中国語の教科書がこんなにも内容が貧弱で、とても落胆した。そんなことはほぼ 30 年 間ずっと忘れていて誰にもこのことを話したことはなかったのだが、中山先生と初対面で お会いしたときに、突然脳裏をよぎり、思わずこの悔しさを話さずにはいられなかった。 そんな話を聞いてくれるのは、中山先生しかいないと、本能的に思ったのかもしれない。 『友情与橋梁』を家に持ち帰った年配の先生は、水先生のご親戚の方であった。当時は まだ外国人との交流もままならない時代だったので、水先生のご消息を知りたかったのだ ろう。だから、あんなにもあの教科書を手にとったときに懐かしそうにされたのだった。 その先生は、この教科書がとてもよくできていると誉めてくださった。でも、今の中国で は既に使わなくなった古い言い回しが使われているとも教えてくださった。と言うことは、 日本から私が持っていた教科書でまともなものは、 『友情与橋梁』しかなかったのだ。この ことからも、中山先生が当時から如何に正しい中国語を広めて行こうとされていたかがよ くわかる。私が大学に入った頃は、正しい北京語を話せる中国人は、パンダのように珍し かった。北京に留学して、水先生のような玉のように美しい北京語を話す先生も汪小川先 生お一人だった。そんな貴重な先生に初めての中国語を学ぶことができたことは、何と光 栄なことなのか。中国語を学んでから既に 40 年近い月日が経つが、中国語圏で仕事をして いたときにどれほど中国人から北京語の発音を誉められたことかを思い出す。 浪乗り会で、中山先生と『友情与橋梁』の教科書で勉強するたびに、水先生からこの教 科書で直接授業を受けたときに、中国語で説明してくださったことが、その身振り手振り までもが懐かしく思い出される。 [水世嫦先生編著録音目録補遺]――――――――――――――――――――――――― ①わかる中国語基礎編 長谷川寛 三省堂 1966 年 水世嫦 ②新しい中国語会話 光生館 1967 年 卞民岩・水世嫦 ③漢詩朗吟集 漢詩大系完結記念 集英社 1968 年 ④中国語の話し方 輿水優 北京語朗読 水世嫦 大修館書店 1969 年 賈鳳池・水世嫦 ⑤中国語の学習:発音から読み物まで 鐘ヶ江信光 白水社 1969 年 陳東海・水世嫦 ⑥現代の中国語 輿水優 三修社 1971 年 輿水優・水世嫦 ⑦中国語実用会話 有馬健之助ほか 旺文社 1972 年 賈鳳池・烏鐸・果荃英・水世嫦 ⑧中国語きまり文句集 安念一郎 金星堂 1973 年 水世嫦 ⑨録音集・漢詩を読む NHK 学園 1985 年 水世嫦 [資料]語学のレコード・テープ 中国語編 上野恵司・尾崎実 『言語生活』 1973 年 5 月号 【この目録は編集部】 3 研究学会発表要旨―――――――――――――――――――――――――――――――― 戦前日本における中国料理の受容について 大塚秀明 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 大正から昭和前期の料理マニュアル本から中国料理の名称を拾い、日本語辞書に収録され て行く過程を追う。中国料理の受容を通して日本人の中国観の変遷を考える。「はるさめ」 「すぶた」 「ギョウザ」などを取り上げ、近年の「酸辣湯」についても考察を発表した。 1. 中国料理の名称の類型化 (1)音読み:漢字表記の中国語を日本漢字音で読む(唐代前後の中国語音) 。[例] 八宝菜 (2)訓読み:漢字表記の中国語の漢字を訓読みする。[例] 春巻 (3)原音読み:漢字表記の中国語の現代語を仮名表記で読む。 1)普通話の読み [例] 麻婆豆腐、東坡肉 2)南方方言の読み [例] 叉焼 3)北方方言の読み [例] 餃子 (4)混淆読み:漢字表記の中国語を中国語[原音読み]と日本漢字音[音読み]で読む。 1)新重箱読み:中国語+日本語 [例] 湯麺 2)新湯桶読み:日本語+中国語 [例] 酸辣湯(正しくは日本語+中国語+中国語) (5)翻訳意訳:中国語を字面に関係なく別の視点から日本語に訳す。[例] 春雨、酢豚 2.中国料理の名称の語誌 (1)『広辞苑』 (及び前身の『辞苑』1935)の収録状況から概略が分かる。 昭和前期から収録があるのは「叉焼」 ,50 年代から収録があるのは「餃子・春雨・酢豚」 , 60 年代から収録があるのは「湯麺」 ,80 年代から収録があるのは「八宝菜・春巻・麻婆豆 腐」 ,90 年代から収録があるのは「東坡肉」 ,いまだ収録がないのは「酸辣湯」である。 (2)『日本国語大辞典』 (精選版)の収録状況から詳細が分かるか。 『広辞苑』の情報をはるかに凌駕する記載は見られない。『日本国語大辞典』のこの方面 での編集努力が足らない。八宝菜:用例なし、春巻:用例なし、麻婆豆腐:食通入門 1961、 東坡肉→とうばにく:食道楽 1903[トンボーローが立項されていない]、叉焼:踊子 1946、 餃子:ロッパ食談 1955、湯麺:青い月曜日 1965-67、酸辣湯:項目なし、春雨:用例なし 酢豚:青春怪談 1954 以上から見ると「戦前日本における中国料理」に該当するのは「叉焼」だけに思えるが、 本発表では「餃子・春雨・酢豚・八宝菜・東坡肉・湯麺・春巻」は,今日と同じ語形が, あるいは多少違った語形が,大正から昭和前期までの 35 年間に出版された中国料理本に 使われていたことを示し、より早い用例を提示する。 3. 『中国料理関係書目(大正昭和前期)』について(省略) ・書名に「支那」と「料理」含む単行本を収録する。「和洋支」「日支洋」なども含む。 ・北京、上海、大連、瀋陽などの「外地」で刊行された日本語で書かれた書籍も収録する。 ・大正元年から昭和 20 年までの 35 年間の刊行物 76 点を収録する。 4 『中国料理関係書目(大正昭和前期)』の発行点数表 年代 大正 2-5 6-10 11-15 昭和 2-5 6-10 11-15 16-20 計 点数 2 1 19 22 13 17 2 76 読み取れること: ・大正 11 年以降は大正前 10 年間より多い。 (大正 15 年には 7 点) ・昭和初年の 5 年間が最も多い。 (昭和 2 年には 8 点、4 年には 6 点:以上ベスト3) ・昭和 15 年以降は極めて少ない。 4.料理本に見られる中国料理名: 4-1 今日の語形が記載されている資料 (1)東坡肉:山田政平『素人に出来る支那料理』婦人ノ友社 大正 15 年 (2)春雨:服部茂一『食通の喜ぶ日本支那西洋珍料理』坂本書店 大正 15 年 (3)八宝菜:井田清孝『和洋支那料理の仕方』日本家庭割烹講習会代理部 昭和 2 年 (4)叉焼:主婦之友社編集局『支那料理の拵え方』主婦之友社 昭和 4 年 (5)酢豚:山田政平『四季の支那料理』味の素本舗鈴木商店出版部 昭和 4 年 (6)餃子:渡會貞輔『支那語漫談』大阪屋書店 昭和 7 年 4-2 今日の語形がまだ見られない資料 山田政平・渡部玉善ほか『洋食と支那料理』主婦之友社 昭和 14 年 (7)湯麺タンミエヌ (スープそば) [303 頁] (8)炸春捲チア チウヌ チュアヌ (肉入り揚饅頭) [288 頁] 按:「ミエヌ」であり「メン」となっていない。“春捲”に「はるまき」と振っていない。 また“炸”という料理法が付加されている。 「揚げ春巻き」である。 今日の「タンメン」 「はるまき」は昭和後期(1945 年以降)であろう。今後の課題としたい。 5.戦後の日本語に入った中国料理 (9)麻婆豆腐:1952 年に来日した陳建民氏が紹介。先行研究に『食通入門』1961 の用例。 (10)酸辣湯: 陳建民『さすらいの麻婆豆腐』平凡社 1988 四川料理の代表として…酸辣湯[ツアンラータン] (すっぱくて辛いスープ)[178 頁] 6.まとめ 料理の名称をたどることで日本の中国料理の受容の流れがわかる。 明治までは広東系の料理人が主導し、大正になると翻訳料理名が生れ、昭和以降は普通 話の中国読みが、日本語に合う加工はされるがカタカナ表記で日本語に受容されている。 関東大震災(大正 12 年)以降、支那料理が広まったと言われている。 7.話題提供: “酸辣湯”suanlatang スワンラータンが日本語でどのように定着するのか, 「サンラータン」 (丸大食品など)と「スーラータン」(東洋水産など)のゆれ 中国語とは無関係の漢字表記である「酢豚」の例もあるが,中国語の文字列のまま「サ ンラータン」 ,できれば「スワン」はそれほど難しい音ではないし,中国語学習者も少な くないこともあり,中国の食文化を尊重し「スワンラータン」とすべきではなかろうか。 5 講演会(10 月 18 日)参考資料――――――――――――――――――――――――――― 演題:詩の行方 演者:楊逸 氏 場所:二松学舎大学九段キャンパス 時間:13 時半開場、14 時開始~16 時終了(予定) 1 三島由紀夫『詩を書く少年』には詩が生まれるときの「幸福」が書かれているが、この 「幸福」に冷水を浴びせるのは、 「 “現実”すなわち“ぼくも生きてゐるのかもしれない” という予感」であると述べ、三島が自作解説で語っている“奇蹟”のことを「現実が許容 しない詩の幸福」と名付けている。そして三島が『小説家の休暇』では、生きながらなお 小説を書くことが問題として設定され、 「生きることと小説との間に一種の齟齬」が見出さ れていたと考察しつつ、しかし“小説”は、“詩”のように、「生きること」とは対立しな いとし、三島の言う小説とは、 「人生(現実)と詩(現実が許容しない”詩”)との対立を 含み、それを描いたもの」なのだ。 ――佐藤秀明 2 恋多き歌人和泉式部 恋愛へと発展させる歌 ・ 「かをる香によそふるよりはほととぎす聞かばや同じ声やしたると」 帥宮の返歌「同じ枝になきつつをりしほととぎす声は変わらぬものと知らずや」 ・失恋時蛍を見たら「もの思えば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる」 ・これに山の声で応える「おく山にたぎりて落つる滝の瀬の玉散るばかりものは思ひぞ」 3 中国宋の詩人陸游と唐琬の物語 ・陸游: 紅蘇手/黄騰酒/満城春色宮墻柳/東風悪/歓情薄/一杯愁緒/幾年離索/錯、錯、錯 春如旧/人空痩/泪痕紅悒鮫綃透/桃花落/閑池閣/山盟雖在/錦書難托/莫、莫、莫 ・唐琬: 世情薄/人情悪/雨送黄昏花易落/暁風乾/涙痕残/欲箋心事/独語斜欄/難、難、難 人成各/今非昨/病魂常似鞦韆索/角声寒/夜闌珊/怕人尋問/咽涙装歓/瞞、瞞、瞞 楊逸(ヤン・イー)氏略歴 1964 年中国ハルビン市生まれ。1987 年留学生として来日し、お茶の水女子大学文教育学 部地理学科を卒業。現在関東学院大学客員教授。2007 年、 「ワンちゃん」で第 105 回文学界 新人賞を受賞。2008 年、 「時が滲む朝」で第 139 回芥川賞を受賞。作品に「金魚生活」「す き・やき」 「おいしい中国」「陽だまり幻想曲」「獅子頭」「孔子様への進言」「流転の魔女」 「あなたへの歌」 「中国ことわざばなし」などがある。 以上は楊逸氏から送られた資料をもとに講演会事務局が作成したものです。 参加費は 1,000 円、学生は 500 円です。お誘いあわせの上ご参加ください。 連絡先は、電話&fax 03-5387-9081、Mail は [email protected] です。 6 事務局から――――――――――――――――――――――――――――――――――― 紅楼夢研究会の会場が新しくなりました。 これまで長年使用していた日本大学通信教育部の移転のため市ヶ谷を会場に変更します。 場所は、千代田区九段南 4-8-28 地下鉄市ヶ谷駅 A2 出口右方向徒歩 1 分です。 ホームページの通信月報に既刊号をアップしました。 8 月 21 日に新しい画面に変更したときに公開した学会通信は 7 月号だけでした。5 月号・ 6 月号・8 月号は執筆者との連絡が間に合わず公開を控えました。9 月末には各月の執筆者 の先生方から掲載許諾の連絡をいただきましたので学会通信を公開いたします。公開にあ たり誤植の訂正や表記の統一をしました。 楊逸著『中国ことわざばなし:古為今用』紹介――――――――――――――――――― 中国語ではことわざが多く使われ、その使われ方の巧みさはよく知られている。中国語 を学び始めて、かなりの程度まで学習が進むとことわざが多用される文章を学び、中検や HSKなどの資格試験では上級のレベルでことわざの理解力を問う問題が頻出する。中国 語の学力測定にことわざが使われるのは、言語文化の精華としてことわざが捉えられてい るからであろう。知っているか知らないか、ことわざは勉強して修得するものである。 本書では「ことわざ」についての定義(これが思いのほか難しい)は為されていないが、 引かれている中国語からおおよその見当はつく。漢字 4 字からなり、書面語である文言で 構成され、出典を持ち物語性があるいわゆる故事成語が本書 58 項の大部分を占める。 冒頭には「やみくもに人を真似ることの愚かしさ」として“邯鄲学歩”と“東施効顰” が挙げられ、中国語の発音がカタカナで書かれ(誤植と思われる箇所が少なくない) 、訓読 が示され(これで漢字 4 字の構造がわかる) 、何よりも「真似ること」から連想される成語 がペアーで示されているのが興味深い。著者を含めた中国人の発想が見て取れる。同じよ うに「心配事」から“驚弓之鳥”と“杞人憂天”が連想される思考法は中国語学習にも役 立つのではないだろうか。類義成語ペアーと呼べるかもしれない。 文字数を判断基準にするのは適当でないかもしれないが、8 字ことわざが 2 項(静如処子, 動如脱兎:金玉其外,敗絮其内) 、同じく 7 字が 1 項(此地無銀三百両) 、5 字が 3 項(上医 治未病:桃李満天下:小巫見大巫) 、3 字が 1 項(捉刀人)などは字数では上記の漢字 4 字 と合わないが、文言であり物語性がある点から著者はことわざと見做したのであろう。 著者の認識と、例えば《現代漢語詞典》でのことわざとしての収録は必ずしも一致して いない。漢字 4 字でも“寡人無疾” “三紙無驢”“不識自家”などは収録がなく、物語性豊 かな“孔融讓梨” “孟母三遷”も物語の題名にはなっても、収録がない。 著者も“人定勝天”を「人は必ず自然に勝つ」と解釈したのは間違いであると述べてい るが『中国成語辞典』(東方書店)が訓読したような「ひとさだまればテンにかつ」という 読みも紹介すべきではないだろうか。成語の面白さを味わえる好著である。 【編集部】 7 11 月の開催案内――――――――――――――――――――――――――――――――― 道教文化研究会 11 月 8 日(土) 10 時~12 時 練馬区民・産業プラザ 研修室 5 読み合わせ: 『抱朴子』の輪読 連絡:石黒 080-6539-4564 紅楼夢研究会 11 月 8 日(土)13 時~15 時 日本大学通信教育部 8 階 学生ラウンジ 読み合わせ: 『紅楼夢』第 55 回 人と題:池間里代子氏: 『紅楼夢』にみえる異性装について 概要: 『紅楼夢』には女装は見当たらないが、男装は花芳官(子供芝居の正旦)と史湘雲(史 家のお姫様)の 2 件がみられる。この 2 件について身分・ジェンダーなどの視点から『紅 楼夢』の異性装=男装について考察する。 連絡:前日までは水野 03-3793-8703、 当日は栗原 090-8119-6944 日中食文化研究会 11 月 8 日(土)14 時半~16 時半 練馬区民・産業プラザ 研修室 3 人と題:大塚秀明氏:戦中戦後日本における中国料理の受容について 概要:戦時中の肉ナシデーという言葉のある銀座亜寿多の絵葉書等を通し戦時下の中国料 理の変容を考察し、戦後は「支那料理」に代わり使われた「中国料理」と「中華料理」の 拮抗を料理書のタイトルから探り、文革期を経て日中国交正常化までの料理書を概観する。 連絡:重森 090-6001-3874 参加費 1,000 円 日中文学文化を楽しむ会 11 月 16 日(日)13 時半~15 時半 練馬区民・産業プラザ多目的室 1 人と題:関登美子氏: “言為心声,書為心画”――父欧陽可亮の症例 概要:脳は「できる」と思っていることしかできない。脳を動かしているのは、自分の心 であり、意識である。上海東亜同文書院大学の『華日辞典』編纂員であった欧陽可亮は、 終戦で接取された辞典資料が 1954 年日本に渡された時点で招聘された。以降、倉石武四郎 著『岩波中国語辞典』 、熊野正平編『熊野中国語大辞典』 、愛知大学中日大辞典編纂処編『中 日大辞典』を編纂してきた中国の甲骨文研究五堂の一人である。1980 年に脳溢血により教 壇を去ったが、左手で見事にリハビリに直面した。そこで父の症例を紹介する。 連絡:大塚 080-1275-2404 老舎を読む会 参加費 1,000 円 11 月 9・16・23 日(日)10 時~12 時 講師と教材:賀蘭氏 《老舎幽黙詩文集》 中国語表現研究会 浪乗り会 参加費 2,000 円(学割あり) 11 月 9・23 日(日)13 時~15 時 講師:劉嘉蕙氏 練馬区民・産業プラザ 研修室 5 練馬区民・産業プラザ 研修室 5 参加費 2,000 円(学割あり) 11 月 9・16・23 日(日)18 時~21 時 大泉公館 講師と教材:中山時子氏 『友情与橋梁』 (『生活与会話』 ) 参加費 無料 連絡(上記 3 会とも) :中山 03-5387-9081 詳しくは、学会ホームページを参照されるか、事務局あるいは各会の世話人まで電話でお 問合わせください。 8