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第 41 回 (平成 15 年度) 海事資料館海事調査報告

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第 41 回 (平成 15 年度) 海事資料館海事調査報告
Kobe University Repository : Kernel
Title
第41回(平成15年度)海事資料館海事調査報告(Maritime
Museum Reports)
Author(s)
杉田, 英昭
Citation
海事資料館研究年報,31:14-19
Issue date
2003
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81005781
Create Date: 2017-03-29
第4
1回(平成 1
5年度)海事資料館海事調査報告
杉田英昭
はじめに
本造漁船の収集を始めた 。 1
1
1隻を集めた時 点
平成 1
5年度の海事調査は、平成 1
6
年 1月 7日
-8日の 2日間 、青森市内の「船の博物館」を
7隻が1
9
9
7年(平 9)に 「津軽海
で、その内の 6
峡及び周辺地域のムダマハギ型漁船 コレ クショ
中心に、 青函連絡船メモリアルシップ「八甲田
ン」として文部省(現文部科学省)から国の重
丸」および「三内(さんなしけ丸山遺跡 ・縄文
要有形民俗文化財の指定を受けた 。 この指定を
時遊館Jにおいて行われた 。
特に今回は、「船の博物館」の創設者で、博
物館を実質的に支えている「みちのく銀行」代
表取締役会長・大道寺小三郎氏にお会いして 、
受けたの を機会に、大道寺会長は木造漁船を展
示し て後世に残すという博物館建設を思い立ち、
短期 間の内にそれを実現させたのである 。
指定を受けた「ムダマハギ」とは、船の構造
博物館を造るほどの海・船に対する想い入れや、
を示す名称で、東北地方北部から 北海道にかけ
博物館の将来構想などについてお話をうかがえ
て分布する独特のものである 。ムダマハギは 、
ることを期待していた 。
船の名前や形、大きさは地域によってさまざま
大道寺会長は、本職の銀行業務において「み
だが、いずれも船底部分にムダマという部材を
ちのく銀行」 を銀行経営の健全性を示す自己資
使うのでこの名がある O ハグとは、材を接ぎ合
本比率を邦銀の中で第 4位にした実力経営者で
人んざい〈り同
マルキブネ(
単材引船)
木造船の原形。山から切
りだされた 1
:
本の木をく
り抜いて造られました。
あり、 1
9
9
9年(平 1
1)に邦銀初の現地法人をモ
スクワに設立して、ロシア国民をお客にするユ
ニークな経営方針を出している 。その辺の考え
を昨年 1
0
月の朝日新聞のインタピュー記事 IIで
述べておられる。また、そのインタピュ ーの中
でも 「船の博物館」について少し触れられた 。
船の博物館(みちのく北方漁船博物館)
9
9
9
年(平
今回訪問した 「
船の博物館」 は
、 1
1
1)に設立さ れたまだ新しい博物館である 。設
立の経緯等については、「船の博物館」館長で
あり、
r
(
財)みちのく 北方漁船博物館財団」会
h
i
p&O
c
e
a
nN
e
w
s
長でもある大道寺会長が、 S
l
e
t
t
e
r2)、「船の博物館」のホームペ ージ、雑誌3)
などで紹介している 。それによると、大道寺会
長が銀行に就職した 1
95
8年 (昭 3
3)頃から FRP
のボートの製作が一挙に盛んになり、わずか数
ムダマハギ(
準備造船)
マJ
レヰブネから進化した
構造の船です。
ムタマ(
船
底)に波よけの板を嬢合
して造られました
。
.
.
.
.
巳
:
:
J.
.
.
.
シマィハギ(
構造船)
ムタマハギよりさらに進
化した船です。シヰ (
底
板)に板を 4
枚接合して
造られました。
年で日本中の漁船が木造船からプラスチ ック船
に代わ ってし まって本造船は海岸線に投げ捨て
られている状態であった 。今のうちに集めて格
納しておかないと臼本中に 一隻の木造船も見ら
図 1 北日本の木造漁船の発達過程
れなくなると考え 、1
0
年位前から地元を中心に
(
船の↑噂物館のパンフレ ットより )
1
4-
わせること、つまり造船することである O ムダ
マはブナやカツラ、トチ、スギなどを割り抜い
たもので、丸木船を浅くしたような形をしてい
る九ムダマハギはこの平底の船底にタナイタ
をつけ、アパラと呼ぶ補強材を付けた構造で、
丸木船から進化したものとなっている 。図 lに
北日本の木造漁船の発達過程を示す。
この博物館は正式には「みちのく北方漁船博
物館」と呼ぶべきであろうが、実際には図 2の
ように博物館の建物に大きな字で「船の博物館」
と書かれており、またパンフレツトの表紙も
図 2 海の博物館、ジヤンク船「みちのくマカオ」
「
船の博物館」である 。そこには、当初は漁船
が係留されている。
(船の博物館のパンフレットより)
の収集から始まったものの、さらに一般の船を
対象として大きく展開していこうとする博物館
側の強い意向が感じられる 。
当博物館は冬季の 12 月 16 日 ~3 月 14 日は休館
期間であるが、我々のために特に聞けていただ
き、さらに、当館学芸員の西村美香氏に展示資
料の詳細な説明をしていただいた。また見学後、
西村学芸員と懇談の場を持つことができ、いろ
いろ有意義な意見交換を行うことができた。
博物館の建物は l階
、 2階と鉄骨造りで、最
高高さが30mもある広々とした空間にまず日を
7隻を含む約
奪われ、重要有形民俗文化財の 6
図 3 木造漁船群
2
0
0隻の木造漁船がその解題とともにずらりと
並んでいる(図 3
。
) 船大工道具や漁労用具・船
具、各種小型エンジンなどもそれぞれまとめて
展示してあり、それらに対しでもイラスト入り
の解題がきちんと整っている 。船大工道具など
金属の小物の展示品は錆びないように注意して
保存されており、解題については、大道寺会長
から絶えず指摘を受け修正しているとのことで
ある。図 4は会長が実物を造りたいと願ってい
/
4縮小模型船「みちのく丸」で、
る北前船の 1
模型としては日本一の大きさである O
北前船は明治の末期まで実際に航海しており、
その当時大道寺会長のような思考をされる方が
おられたら、北前船は保存され、その現物を現
在我々がどこかの博物館で目にすることができ
たであろう。
史料的な価値が高くても漁船ばかりでは一般
の来館者、特に子供には興味をもたれないため、
海と船に夢を持ってもらいたいとの想いから、
ロシア、タイ、ヴェトナム、韓国などの船を集
図 4 北前船の 1
/
4縮小模型船「みちのく丸J
-1
5-
め、和船との構造の違いを知り、異文化に触れ
ンド洋で大活躍している木造貨物船である 。現
ることができるようにしている。特に圧巻なの
役のダウ船は 1
0人ほどの乗組員で普段はデイー
は、現役で世界の海を走っている 3種類の大型
ゼルエンジンを使っているが、風がよければ帆
木造帆船である 。普段は博物館の岸壁に係留し
9
9
9年
を揚げ、速度は 9ノット出る 。 本 船 は 1
て船内を自由に見学できるようにしているが、
1)1
0月にイン ドのジャム ・
サ ラヤを出港し
(
平1
冬の聞は陸揚げしている 。それら大型木造帆船
3日かかつてシンガポールに寄港した 。そ
て
、 2
を以下に紹介する。
の聞はどこにも寄っていない 。それからヴェト
0
0
0
年(平 1
2)
ナム、台湾、沖縄などに寄港し、 2
ジヤンク船「みちのくマカオ │
9世 紀
2月に青森に到着している 。 この小さな木造貨
頃から交易船として閑磁器や布などを運んだ。
物船が、インド洋、ベンガル湾、南シナ海、太
活動範囲は日本からインドまでのアジア全海域
平洋と大航海をしてきたのである 。図 5に陸揚
である 。本船は中国南方で使用されたジヤンク
4
0
3
m、 全 幅 :
げ さ れ た 状 態 を 示 す 。 全 長 :2
船の典型的なものの一つであるが、平底は多少
改良され、キールが入っているが大体の構造は
502m、深さ:300m、総トン数:6
3トン、建造
9
8
1年、建造地:インドのクジャラ ート 州・
年 :1
昔ながらのものである。図 2に係留状態を示し
サラヤ 、船材:インドチーク材
ジヤンク船は中国固有の木造帆船で、
2
1
.9m、全 幅 :500m、 深 さ :
ている 。 全 長 :
1
.9m、総トン数 :1
9トン 、 建 造 年 : 1
9
9
8年、
建造地:マカオ
ピニシ船「みちのくインドネシァ」
ピニシ船はインドネシアの海洋民族ブギス・
マカ ッサル族が今も使っている木造の貨物船で
ダウ船「アル・アジズj
ある 。現在のピニシ船はほとんどが l本マスト
ダウ船は 7世紀から現在までペルシャ湾、イ
であるが、本船は帆船時代のピ ニシ船のように
2本マストである 。エンジンルームは日本の規
格に合わせてあるが、その他は古いピニシ船の
形で、インドネシアの伝統的な手法により 1年
6に陸揚げした
状態を示す。 全 長 :4
208m、 全 幅 :805m、 喫
水:2
0
6m、総 ト ン 数 :1
1
4トン、建造年: 1
9
9
9
以上 かけて造られた 。 これも図
年、建造地:インドネシアの南スラウエシ州タ
ナ ベ ル 、 帆 柱 の 高 さ :2
7
0
6
m、 航 海 速 力 :9
0
6
ノット 、帆走
図 5 陸揚げされたダウ船「アル・アジズJ
2-5ノット
青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸J
青函連絡船は 、1
9
0
8年 (明 41)から 8
0年間に
わたって約 1億 6千万人もの乗客を運んだが、
青函トンネルの開通に伴って 1
9
8
8年(昭 6
3)に
、 1
9
6
4年 ( 昭 3
9)
廃止された 。「八甲田丸Jは
に新造船「津軽丸型」第 2船として就航し、
1
9
8
8年 3月 1
3日に青森を最後に出航した船であ
3年と 7カ月もの長い問、 青森一画館問の
る。 2
航海に従事してきたのである 。 廃 船 後 、 青 森
県などが出資する第三 セクターの「青森ウォー
9
9
0
年(平 2)
ターフロント開発」が買い取り、 1
7月から青函連絡船メモリアルシ ップ「八甲田
図 6 陸場げされたピ二シ船「みちのくイン
ドネシア j
-16-
丸」として第 2の人生を送っている 。
展示施設は次の ようにな っている 。
4F 航海甲板……育 園 鉄 道 連 絡 船 記 念 館
ジン高さ を抑えている 。それにしてもこれだけ
展望台
多くのシリンダーをメインテするエンジニアの
3F 遊歩甲板……青函鉄道連絡船記念館、
津軽海峡文化コーナ、 3D立体シアタ-
2F
らないので、このようにマルチプルにしてエン
(ブリッ ジ)、展望プロムナード、煙突
船楼甲板…… ヴ、エネツイア硝子シヨツ
プ、常設写真展、レストラン
1F 車両甲板 …… 青函鉄道連絡船記念館
(実物車両展示)、青森ねぶた展示
BIF 第 2甲板…… 青 函 鉄 道 連 絡 船 記 念 館
(エンジ ンルーム )
3
2
.
0
m、全幅 1
7.9m、総トン数 5,
3
8
2ト
全長 1
8
.2ノットで動かす主機関は、 1
,
6
0
0
ンの船体を 1
馬力の中速 4サイクルデイーゼルエンジン 8基
苦労がしのばれる 。 これらエンジンのシリンダ
カバーの整列が図 7に見られる 。
車両甲板には、貨車や郵便車や車掌車など本
物の車両 9両が当時のままで展示されている 。
この車両甲板は、海面以下に位置するエンジン
j
レームよりも底冷えのする寒さであった 。 「八
甲田丸」は、全国 4カ所に係留されている青函
連絡船の中で最も当時の姿を残しているといわ
れている 。
メモリアルとしての「八甲田丸」の経営環境
は厳しいようで、少しでも多くのお客さんに来
である 。 4基 l組として両舷に配置し、左右 1
館してもらうために、図 8に示すように車両甲
本ずつのプロペラシャフトを駆動していた 。総
板の壁一面に大きな「青森ねぶた」を掲げてい
出力 1
2,
8
0
0馬力であり、このエンジン出力がフ
る。 また、ここの入場券を提示することで「船
ルカンギヤを介してプロペラシャフトに伝達さ
の博物館 j も見学できるようにしており 、経営
れる。青函連絡船は車両を格納するために大き
努力がうかがえられる。
な空間が必要であり、重心も低くしなければな
三内丸山遺跡・縄文時遊館
「三 内丸山遺跡」は、 BC3
5
0
0年 か ら BC
,
5
0
0年以上継続して営まれた日本
2
0
0
0年の約 1
最大の縄文集落跡として全国的に例のないきわ
9
9
4年 (
平 6)7月に
めて貴重な遺跡である 。 1
野球場を建設中に大型掘立柱建物跡が発見され、
青森県は同年 8月に工事を中止してこの遺跡、を
保存することを決定した。その後、周辺の発掘
調査を行い、 一体の集落を形成していたと考え
9ヘクタールの面積を保存・活用区域と
られる 3
図7
図8
r
八甲田丸Jの主機ディ ーゼルエン ジン
r
八甲田丸jの車両甲板に掲げられた
して、現在も遺跡の調査を行っている O この
図 9 三内丸山遺跡の「大掘立柱建物j
青森ねぷた
-1
7-
「三内丸山遺跡」は縄文時代の人々の生活を具
体的に知ることができる貴重な遺跡ということ
で
、 2
0
0
0年 (平 1
2)に国の特別史跡に指定され
ている 。
この遺跡エリアのはずれに「縄文時遊館」が
建てられており、縄文シアターで三内丸山縄文
集落などの映画を鑑賞し、縄文ギャラリーで 7
種類の体験工房メニューを通して縄文時代の暮
らしを体験することができる 。
本遺跡の出土品から、他地域との交易があっ
たことが証明されたが、 当時は海岸がも っと近
くにあ ったことから陸路だけでなく海路の交易
図1
0 青森市内の鉄工所で見違えるようになった
舶用 2連成蒸気レシプロエンジン
も盛んに行われていたことが容易に推測される 。
また、丸木船が展示されており、「船の博物館J
の丸木船の漁船に縄文の技術が引き継がれてい
ることを実感した 。
我々が訪れたこの日は、前日の快晴とは打っ
いた (
図10)。
猛吹雪にな った 2日目には、“あおもりの 生
んだ「世界のムナカタ J
"棟方志功記念館を 訪
れ、しばしムナカタ版画の世界 に浸ることがで
て変わって、 一冬に 4回ほどしかないという猛
きた 。最後には弘前まで足を延ばし、寺町界隈
吹雪の荒れようであった 。時遊館で長靴を借り、
までたどり着いたが、雪のために時間がかかり
雪を掻き分けてあちこちに散在する竪穴住居等
すぎて、特別史跡・津軽宗廟長勝寺の境内にて
を回って縄文時代の息吹を味わった 。 どの遺跡
礼拝し、直ちに青森市内へとユーターンした 。
も興味深いものばかりであるが、やはり大型掘
立柱建物は圧巻である 。これは地面に穴を掘り、
柱を立てて作った建物跡から復元したもので、
この構築物の用途については諸説があり、建物
おわりに
今回の海事資料の調査研究で、海事資料の収
集など有形の成果はある程度得られたが、それ
であるかどうかもよくわか っていない 。ここで
以上に「みちのく銀行 J本庖の応接室での大道
は図 9に示すように建物説に立った復元をして
寺会長との懇談および「船の博物館 j事務室で
いる 。 6カ所の柱穴はすべて直径約 2 m、深さ
の商村学芸員との懇談などを通して、海 ・船に
約 2 mで、穴の中心間隔もすべて約 4.2mであ
対する想、
い入れ・実行力、博物館展示資料に対
ることから、すでに長さの単位の基準があった
する愛情・向学心の大切さ、などについて考え
ものと推測される 。遺跡の iカ所の穴の中に直
させられるという無形の成果が得られたと思い
径約 1 mのクリ柱が入っていたが、それはレプ
ます 。今後、我々の海事資料館を博物館にする
リカで本物は時遊館に展示されていた 。
など、大学統合後の海事資料館の在り方を考え
てい く上でおおい に参考にしていきたい 。
その他
調査初日に青森市内の「遠藤鉄工所」を訪問
大道寺会長は、我々との懇談の中で、もうす
でにスウェーデン政府の援助を得て、完全なス
した 。そこでは、昭和 3
0年代の神戸商船大学実
タイルの 3
6人漕ぎのバイキング船を完成させて
習船「たちばな丸」の主機関であった 2連成蒸
いることを披露された 。我々は写真を見せてい
気レシプロエンジンの解体・経立てを行ってお
ただいたが、本当に立派な船で皆思わず声を上
り、すでにエアランができる状態にな っていた。
げました 。会長は、「船の博物館」ではこの船
本年 5月頃には蒸気運転が予定されているよう
に子供たちを乗せて楽しんでもらい、日本人が
である 。本学動力管理工学研究室の実験室に保
海の国民であることを忘れないように願ってお
管されていた状態から比べると、きれいに ペイ
られた 。 また、蒸気レシプロエンジンを搭載し
ンテイングされてまるで見違えるようにな って
た船を造って多くの人を乗せて津軽海峡を渡り
ー
18-
た い 、 さ ら に 、 大 阪 市 が 1999年 ( 平 1
1
) に建造
調査概要
した弁才船「浪華丸」に次いで第 2番 目 の 実 物
6年 1月 7日(水) -8日(木)
調査日:平成 1
の北前船を造りたい、と将来の夢を日を輝かせ
調査先.
て語っておられたが、私はこの大道寺会長なら
ば本当にこれらの夢を実現させるのではないか
と思っています。
最後に、本海事調査は神戸大学海事科学部後
援会(現在、神戸商船大学後援会の名称変更等
寄附行為の改正手続中)のご援助のもとで、行わ
船の博物館(みちのく北方漁船博物館)
<青森市沖館 2丁目 2- 1> Te1
.0
1
7
7
6
1
2
3
1
1
URLhttp://www.mtwbm.com
青函連絡船メモリアルシツプ「八甲田丸」
1
.0
1
77
3
5
8
1
5
0
<青森市柳川 1丁目 112-15> T巴
URLh
t
t
p
:
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/
w
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w
7
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j
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h
a
k
k
o
u
d
a
三内丸山遺跡・縄文時遊館
れました。毎年海事調査にご理解とご協力をい
.0
1
7
7
6
6
8
2
8
2
<青森市大字三内丸山 305> Te1
ただき感謝申し上げます。
URLh
t
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:
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s
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m
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r
i
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j
p
/
また、今回の海事調査の実施にあたっては、
大道寺小三郎会長様はじめ「みちのく銀行」お
よび
i
(財 ) み ち の く 北 方 漁 船 博 物 館 財 団 」 の
皆様に大変お世話になりました。特に、高嶋賢
治様および木村透様には、貴重なお時間を我々
のために費やしていただきました。皆様に感謝
申し上げます。
調査員:
久保雅義(海事資料館長・専門員)、定兼康行(専
門員)、坂本研也(専門員)、野村昌孝(専門員)、
杉田英昭(専門員)
資料・
・ムダマハギ(津軽海峡沿岸のムダマハギ型漁船
をつくる) (附:CD-ROM版)
・ムダマハギ(i章軽海峡沿岸のムダマハギ型漁船
なお、本報告書を記載するにあたり、「船の
とその建造記録)
博物館」、「八甲田丸」、「三内丸山遺跡」および
-灯台 i
毎の道しるべ-(特別展)
「縄文時遊館」それぞれのパンフレツトや、参
・海と船と漁労の記録
考文献などを参考にさせていただきました。関
係各位に深く謝意を表します。
・青森県の船絵馬(特別展)
・ムダマハギ
参考文献
1)朝日新聞 beon Saturday みちのく銀行会長
大道寺小三郎さん端っこのパンカ一、ロシアで
0
0
3年(平 1
5
)1
0月1
8日土曜日.
「世界」と競う、 2
2)大道寺小三郎和船収蔵数日本ーを誇る「みちの
く北方漁船博物館」、 S
hip& OceanN
e
w
s
l
e
t
t
e
r,
No.79,2
0
0
3
.
3)大道寺小三郎、失われていく先祖たちの木造船
を集めたことから博物館建設に、隔月刊「あおも
六ケ所村柏地区-(特別
展)
律軽海峡の磯船-(ビデオテープ
講習編 3
0分)
以上「みちのく北方漁船博物館」発行同館
寄贈
-図説「ふるさと青森の歴史」
一大地から延った祖先の足跡、総括編ー
・縄文文化の扉を開く
一三内丸山遺跡から縄文列島へー
.海と考古学とロマン
ー市 )
1
1金丸先生古稀記念贈呈論文集ー
り草子 Ji
消えゆく北の木造舟ムダマハギ」、企画
「わが青春の青函連絡船」
集団ぷりずむ、通巻 1
1
2号
、 1
9
9
8
.
「鉄道連絡船のその後」
4)見政明、丸木船の夢……遡れば縄文、同上.
以上購入図書
-19
Fly UP