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第3 市町村の地域の現況と今後の展望

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第3 市町村の地域の現況と今後の展望
第3
1
市町村の地域の現況と今後の展望
地理的条件
宮崎県は、北は大分県、西は熊本県、南西は鹿児島県に接し、東部・南部は日
向灘に面している。
面 積 は 、 7,734 k m 2 で 全 国 で 14位 、 九 州 で は 鹿 児 島 県 に 次 ぐ 。 し か し 、 森 林 面
積 が 、 全 体 の 4分 の 3を 占 め 、 可 住 地 面 積 (総 面 積 か ら 森 林 と 湖 沼 を 除 い た 面 積 )
は 約 23% し か な い 。
山地は、県北部から西部にかけての九州山地、南西部の霧島山地、南部の鰐塚
山地に大別される。海岸は北部は九州山地が沈水したリアス式海岸であり、南部
は鰐塚山地が海に接しているため湾入しているが、中部は砂浜海岸が展開して砂
丘が発達している。
主な河川は九州山地から東に流れ日向灘に注ぎ、県北部から南部にかけて、
五ヶ瀬川、耳川、小丸川、一ツ瀬川、大淀川、広渡川などがあり、県西部では川
内川の上流が県内唯一の西流河川をなしている。
平野は各河川の下流に沖積地が見られるものの、県北部と南部では地形の関係
から狭い平野しかない。まとまった平野は県中部に各河川に沿う個別の沖積低地
とその間に広く展開する洪積台地からなる宮崎平野のみである。県南西部の霧島
山地の北および東側には都城盆地・小林盆地・加久藤盆地が東西に並んでおり、各
盆地の周辺には火山灰台地が続いている。
7
図 表 3− 1
宮 崎 県 の 地 勢 (標 高 、 主 な 河 川 )
8
2
市町村の歴史的形成過程
(1)旧 国 域 と 郡 域
現 在 の 宮 崎 県 は 、 旧 国 名 で い う と ほ ぼ 日 向 国 に 一 致 す る 。 つ い 130 年 あ ま り
前まで公式に用いられていた日向国という名称は、律令制度が形成される過程
で 、 7世 紀 末 に 地 方 行 政 区 分 の ひ と つ と し て 設 定 さ れ た も の で 、 8世 紀 初 頭 に 薩
摩国と大隈国を分出して領域がほぼ定まり、明治維新までほぼ引き継がれるこ
と と な っ た 。 8 世 紀 の 「 律 令 残 篇 」 に よ る と 日 向 国 は 5 郡 で あ り 、 10 世 紀 成 立
の「延喜式」や「和名抄」では日向国の郡として臼杵、児湯、那珂、宮崎、諸
県 の 5郡 を 記 し て い る 。
「和 名 抄 」 に よ る 日 向 国 の 郡 名 、 郷 名 を 挙 げ る と 次 の と お り で あ る 。
臼杵郡
氷上・智保・英多・刈田
児湯郡
三納・穂北・大垣・三宅・覩唹・韓家・平群・都野
那珂郡
夜開・新居・田島・物部
宮崎郡
飫肥・田辺・島江・江田
諸県郡
財部・県田・瓜生・山鹿・穆佐・八代・大田・春野
旧郡域の範囲については、臼杵郡は東・西臼杵郡に延岡市、日向市を含む地
域 、 児 湯 郡 は 西 都 市 地 域 を 中 心 に 木 城 ・ 高 鍋 ・ 新 富 の 3町 に ま た が る 地 域 、 那
珂郡は佐土原町の上田島・下田島から宮崎市の新名爪に至る地域、宮崎郡は宮
崎市・清武町・南那珂郡・串間市・日南市を含む地域、諸県郡は宮崎市瓜生野・
高岡・国富両町から都城市・小林市・えびの市等に及び、鹿児島県曽於郡の一
部も含まれていた。
9
(2)江 戸 期 に お け る 藩 領
16世 紀 、 日 向 国 の 支 配 に つ い て 豊 臣 秀 吉 の 介 入 が あ り 、 筑 前 か ら 秋 月 氏 、 豊
前 か ら 高 橋 氏 が 入 封 し 、そ れ ま で の 領 有 図 が 書 き 替 え ら れ た 。 そ れ 以 来 、 日 向
国は北から、延岡藩、高鍋藩、佐土原藩、飫肥藩、鹿児島藩と、のち幕府の鷹
巣山として人吉藩の領地となった椎葉山と肥後国求摩郡に編入され、人吉藩の
属地とみられた米良山という藩領図が形づけられ、この領域図は、徳川幕府に
引 き 継 が れ た 。 そ し て 、 こ の 藩 領 図 の 中 で 、 正 保 元 年 (1644 年 ) 以 降 創 設 さ れ
ていく幕府領と延岡藩領の関連において変遷がみられるものの、おおむね変動
することなく幕末に至っている。
延岡藩は、現在の延岡市を中心とした臼杵郡全域に加え、宮崎郡、諸県郡に
飛び地を有していたが、高橋氏、有馬氏、三浦氏、牧野氏と藩主が変わり、幕
末は7万石で入封した内藤氏で迎えた。
高 鍋 藩 は 、 表 高 2 万 7 千 石 の 外 様 で あ り 、 藩 主 秋 月 氏 は 10 代 に 及 ん だ 。 領 域
は、現在の高鍋町を周辺とする児湯郡東部周辺と東諸県郡・宮崎郡の一部、そ
れに串間市が含まれる。
佐 土 原 藩 は 、 鹿 児 島 藩 の 親 族 藩 で 、 表 高 2万 7千 石 余 、 藩 主 は 島 津 氏 で あ っ
た 。 領 域 は 、現 在 の 佐 土 原 町 を 中 心 に 新 富 町 、 西 都 市 の 一 部 で あ っ た 。
飫 肥 藩 は 、 外 様 5万 1千 石 余 で 藩 主 は 伊 東 氏 で あ っ た 。 領 域 は 現 在 の 日 南 市
を 中 心 に 北 は 宮 崎 市 の 大 淀 川 南 岸 と 清 武 町 ・ 田 野 町 、北 郷 町 、 南 は 南 郷 町 に 及
ぶ。
鹿児島藩は薩摩藩とも称され、薩摩国、大隈国、日向国諸県郡の大部分を支
配したが、このうち、現在の宮崎県城となるのは日向国諸県郡である。椎葉山
は一貫して臼杵郡であったが、延岡藩預り、阿蘇宮預りを経て、幕府領で肥後
人 吉 藩 預 地 と な っ た 。 米 良 山 は 旗 本 交 代 寄 合 衆 の 米 良 氏 (後 に 菊 地 氏 と 改 名 )で
の所領であるが、人吉藩領に属した。
10
図 表 3− 2
1747年 の 領 域 図
11
(3)近 代 に お け る 市 町 村 再 編 成
明 治 4年 7月 の 廃 藩 置 県 に よ っ て 、 日 向 に お い て は 、 延 岡 、 高 鍋 、 佐 土 原 、 飫
肥 、 鹿 児 島 、 及 び 人 吉 の 6 藩 が 廃 さ れ 、 新 た に 6 県 が 設 置 さ れ た 。 同 年 11 月 、
も と の 区 域 に こ だ わ ら な い 県 の 廃 合 が 行 わ れ 、 日 向 に は 、 美 々 津 、 都 城 の 2県
が置かれた。
美々津県の管治するところは、旧延岡県、旧高鍋県、旧佐土原県、旧鹿児島
県 、 旧 人 吉 県 の 管 す る 170 村 で あ り 、 都 城 県 の 管 治 す る と こ ろ は 旧 鹿 児 島 県 の
管 す る 諸 県 郡 を 中 心 に 、 旧 延 岡 県 、 旧 高 鍋 県 、 旧 飫 肥 県 、 旧 日 田 県 の 管 す る 190
村 及 び 大 隈 国 6郡 で あ っ た 。 他 に 、 人 吉 県 に 属 し て い た 臼 杵 郡 椎 葉 山 諸 村 4村
を 美 々 津 県 の 所 管 と し 、 さ ら に 米 良 山 中 14村 を 球 磨 郡 よ り 分 割 し て 児 湯 郡 に 合
し、美々津県の管轄とした。
明 治 6年 太 政 官 布 告 に よ り 美 々 津 県 と 都 城 県 が 廃 止 さ れ 、 宮 崎 県 が 置 か れ た 。
これは、都城県の中、旧大隈国を除いたものと、美々津県とを合わせたもので、
現在の宮崎県の区域より広く、諸県郡志布志、松山、大崎郷を含むもので、日
向 国 を 包 括 す る も の で あ っ た 。 宮 崎 県 は そ の 後 、 明 治 9年 に 鹿 児 島 県 に 編 入 さ
れ る こ と と な っ た が 、 明 治 13年 頃 か ら 鹿 児 島 県 か ら の 分 県 運 動 が 起 こ り 、 明 治
16 年 諸 県 郡 を 南 北 に 分 け 、 そ の う ち 南 諸 県 郡 、 志 布 志 、 松 山 、 大 崎 郷 を 鹿 児 島
県に残し、宮崎県が再置された。ここに、初めて現在の県域が確定するのであ
る。
市町村においても、従来の庄屋、名主、年寄といった町や村の長に変わり、戸
籍法の規定に基づき、大区小区制がひかれ、大区には区長が、小区には戸長が
置かれ、県令−区長−戸長という地方行政の行政統治系統が確立された。これ
により幕藩時代からほとんど手をつけられることなく引き継がれてきた町村が、
はじめて地方行政機構の末端組織として組み込まれることとなった。
明 治 11年 に 、 郡 区 町 村 編 成 法 が 制 定 さ れ 、 従 来 の 大 区 、 小 区 制 を 廃 し 、 府 県
制の下、郡区町村とし、旧来の名称を復している。大区、小区制が合理的、機
械的な行政系統を目論んで、町村名を廃止するなど歴史的背景を軽視して行わ
れたのに対し、郡区町村編成法は、現実に地域共同体として活動している区域
を 行 政 区 域 と し て 尊 重 す る も の で あ り 、 以 来 、 明 治 22年 ま で 変 化 し て い な い 。
明 治 22年 か ら 「 市 制 町 村 制 」 が 施 行 さ れ る こ と と な り 、 宮 崎 県 下 で は 、 従 来
か ら あ っ た 393 町 村 を 宮 崎 、 油 津 、 都 城 、 延 岡 、 細 島 の 5 町 と 95 村 に 合 併 す る
こととなった。
12
明 治 22年 の 町 村 大 合 併 か ら 終 戦 ま で は 、 村 制 か ら 町 制 、 町 村 制 か ら 市 制 へ の
移行が図られている。その後も合併が進められ、宮崎市制に伴う合併を含め、終
戦 ま で に は 88市 町 村 (3市 22町 63村 )に 減 少 し て い る 。
戦後、町村合併促進法施行に至るまでは、野尻村から紙屋村の分村を例外に、
合 併 が 盛 ん に 行 わ れ て お り 、 町 村 合 併 促 進 法 が 施 行 さ れ る 昭 和 28 年 10 月 ま で
に 79市 町 村 (6市 26町 47村 )に 減 少 し て い る 。
昭 和 28 年 10 月 町 村 合 併 促 進 法 が 施 行 さ れ 、 本 県 に お い て も 町 村 合 併 の 推 進
に 積 極 的 に 取 り 組 む こ と と な り 、 町 村 合 併 促 進 法 が 失 効 す る 昭 和 31 年 9 月 30
日 ま で に 29町 村 が 合 併 を 行 い 、 数 に お い て 20の 町 村 が 減 少 し 59市 町 村 (7市
26 町 26 村 ) と な っ た 。 そ の 後 も 新 市 町 村 建 設 促 進 法 に よ る 未 合 併 町 村 の 合 併 の
促 進 や 、 自 主 的 な 合 併 に よ り 、 合 併 が 進 み 、 昭 和 44年 の 高 千 穂 町 、 上 野 村 の 合
併 を 最 後 に 宮 崎 県 の 「 昭 和 の 大 合 併 」 は 事 実 上 の 終 焉 を 迎 え た 。 そ れ か ら 、 5つ
の 町 村 で 市 制 、 町 制 へ の 移 行 が あ り 、 昭 和 48 年 か ら 現 在 の 9 市 28 町 7 村 と な っ
ている。
13
(4)県 内 の 市 町 村 の 沿 革
①宮崎・東諸県地域
宮 崎 市 は 、 明 治 22 年 町 村 制 の 施 行 に よ り 発 足 し た 宮 崎 町 が 核 と な っ て い
る 。 そ の 後 、大 正 13年 宮 崎 町 、 大 淀 町 、 大 宮 村 の 2町 1村 の 合 併 に よ る 市 制
施 行 、 昭 和 7年 に 檍 村 、 昭 和 18年 赤 江 町 と 漸 次 、 区 域 を 広 げ 、戦 後 昭 和 26
年 倉 岡 ・ 瓜 生 野 ・ 木 花 及 び 青 島 の 4村 を 編 入 し 、 昭 和 32年 住 吉 村 、 昭 和 38
年生目村を編入して県都としての発展を遂げている。
宮 崎 郡 で は 、 清 武 町 が 明 治 24年 に 北 清 武 村 と 南 清 武 村 が 合 併 し て 清 武 村 に
な り 、 そ の 後 昭 和 2 5 年 に 町 制 施 行 し て い る 。 佐 土 原 町 は 昭 和 30 年 に 那 珂 村
と 合 併 し 、 昭 和 33 年 広 瀬 町 と 合 併 し て お り 、 田 野 町 は 昭 和 25 年 に 町 制 を 施
行している。
東 諸 県 郡 で は 、 高 岡 町 が 昭 和 30年 に 穆 佐 村 と 合 併 し て お り 、 国 富 町 は 、 昭
和 31年 本 庄 町 と 八 代 村 と 合 併 し て 国 富 町 と な り 、昭 和 32年 木 脇 村 が 編 入 さ
れ 、 綾 町 は 昭 和 7年 町 制 を 施 行 し て 現 在 に 至 っ て い る 。
②日南・串間地域
日 南 市 は 、 飫 肥 町 、 吾 田 町 、 油 津 町 、 東 郷 村 の 3 町 1 村 が 昭 和 25 年 に 県 下
に お け る 戦 後 初 の 町 村 合 併 と し て 発 足 し て い る 。 そ の 後 、 昭 和 30 年 に 細 田 町 、
鵜 戸 村 と 、 昭 和 31 年 に 酒 谷 村 、 榎 原 村 の 一 部 ( 大 窪 地 区 の 一 部 ) を 編 入 し た 。
串 間 市 は 、 昭 和 29 年 に 福 島 町 、 大 束 村 、 本 城 村 、 市 木 村 、 都 井 村 の 1 町 4
村が合併して、県下では町村合併促進法による最初の合併となった。
南 那 珂 郡 の 北 郷 町 は 、昭 和 34年 町 制 施 行 し て お り 、 南 郷 町 は 昭 和 15年 町
制 施 行 後 、 昭 和 31 年 榎 原 村 の 一 部 ( 橋 之 口 及 び 大 窪 地 区 の 一 部 ) を 編 入 し た 。
③都城・北諸県地域
都 城 市 は 、 大 正 13 年 宮 崎 市 と と も に 県 内 初 の 市 制 を 施 行 し 、 昭 和 11 年 に
沖 水 村 、 五 十 市 村 、 昭 和 32 年 に 志 和 池 村 、 昭 和 40 年 に 荘 内 町 、 昭 和 42 年 に
中郷村を編入している。
北 諸 県 郡 は 昭 和 9 年 に 高 城 町 、 昭 和 15 年 に 高 崎 町 、 昭 和 23 年 に 三 股 町 、 昭
和 27年 に 山 田 町 、 昭 和 39年 に 山 之 口 町 が そ れ ぞ れ 町 制 を 施 行 し て い る 。
14
④西諸地域
小 林 市 は 、 大 正 元 年 に 町 制 を 施 行 、 昭 和 25年 に 市 制 を 施 行 し た 。
え び の 市 は 、 昭 和 41年 に 飯 野 町 、 真 幸 町 、 加 久 藤 町 の 3町 が 合 併 し て え び
の 町 と な っ た が 、 こ れ ら 3町 の 合 併 は 関 係 町 の 自 主 的 な 合 併 志 向 か ら き た も
の で あ る 。 そ の 後 、 昭 和 45年 県 内 で 9番 目 の 市 制 を 施 行 し て い る が 、 こ れ は
地 方 自 治 法 が 一 部 改 正 さ れ 、 市 と な る 要 件 が 3万 人 以 上 と 緩 和 さ れ た 時 の 市
制施行である。
西 諸 県 郡 の 高 原 町 は 昭 和 9年 に 町 制 を 施 行 し て お り 、 野 尻 町 は 、 昭 和 23年
紙 屋 村 が 野 尻 村 か ら 分 村 す る も の の 、 昭 和 30年 に 野 尻 村 と 紙 屋 村 が 再 合 併 し
て野尻町となっている。
⑤西都・児湯地域
西 都 市 は 昭 和 30年 に 妻 町 と 上 穂 北 村 が 合 併 し て 発 足 し た 西 都 町 が 核 に な っ
て い る 。 そ の 後 、 昭 和 33年 都 於 郡 村 、 三 納 村 と 合 併 し て 、 同 年 市 制 を 施 行 し 、
昭 和 37年 三 財 村 、東 米 良 村 を 編 入 (中 之 又 地 区 は 分 村 し て 木 城 町 と 合 併 )し
て、現在の区域となる。
児 湯 郡 の 高 鍋 町 は 、 昭 和 13年 上 江 村 と 合 併 し て 、 現 在 の 区 域 と な っ た 。 新
富 町 は 昭 和 34 年 新 田 村 と 富 田 村 が 合 併 し て 新 富 町 と な り 、 木 城 町 は 昭 和 3 7
年 東 米 良 村 中 之 又 地 区 を 編 入 し て 昭 和 48年 町 制 を 施 行 し て い る 。
ま た 、 川 南 町 は 昭 和 28年 、 都 農 町 は 大 正 9年 に 町 制 を 施 行 し て い る 。
⑥日向・入郷地域
日 向 市 は 、 昭 和 12 年 細 島 及 び 富 高 両 町 が 合 併 し て 富 島 町 と な り 、 昭 和 26
年町村合併促進法に先だち、富島町及び岩脇村の合併により誕生した。その
後 、 昭 和 30年 に 美 々 津 町 を 編 入 し て 現 在 の 区 域 と な る 。
門 川 町 は 昭 和 10年 に 、 東 郷 町 は 昭 和 44年 に 町 制 を 施 行 し て い る 。
⑦延岡・三北地域
延 岡 市 は 、 昭 和 5年 に 延 岡 町 、 岡 富 村 及 び 恒 富 村 が 合 併 し て 昭 和 8年 県 内
で 3番 目 の 市 制 を 施 行 し 、 昭 和 11年 に 伊 形 村 と 東 海 村 を 編 入 、 昭 和 30年 に
南方村と南浦村を編入して現在の区域となった。
三 北 地 域 に つ い て は 、 昭 和 4 5 年 に 北 方 町 が 、 昭 和 47 年 に 北 川 町 と 北 浦 町
が町制を施行している。
15
⑧西臼杵地域
西 臼 杵 郡 の 高 千 穂 町 は 、 昭 和 31年 に 高 千 穂 町 が 岩 戸 村 、 田 原 村 と 合 併 し た 。
このとき岩戸村見立地区は日の影との合併の意向が強く、岩戸村の分村を認
め た 形 で 行 わ れ た 。 昭 和 44 年 上 野 村 が 高 千 穂 町 に 編 入 し て 現 在 の 区 域 と な
る。
日 之 影 町 は 、 七 折 村 と 岩 井 川 村 が 昭 和 26年 合 併 し て 日 の 影 町 と し て 発 足 し
て い る 。 そ の 後 、 昭 和 31年 岩 戸 村 か ら 分 村 し た 見 立 地 区 を 編 入 し て 現 在 の 区
域となり日の影町を日之影町とした。
五 ヶ 瀬 町 は 、 昭 和 31年 に 三 ヶ 所 村 と 鞍 岡 村 が 合 併 し て 五 ヶ 瀬 町 と な っ た 。
以 上 の よ う な 変 遷 を 経 て 、 現 在 の 市 郡 は 図 表 3− 3の と お り と な っ て い る 。
図 表 3− 3
現在の市郡
16
3
人口・面積
(1)人 口 ・ 面 積 の 現 況
本 県 の 市 町 村 数 は 44 で 、 全 国 で は 少 な い 方 か ら 7 番 目 で あ る 。 ま た 、 本 県 の
市 町 村 の 人 口 と 面 積 を 1市 町 村 当 た り の 平 均 で 全 国 と 比 較 し て み る と 、 1市 町 村
当 た り の 人 口 は 、 27,008 人 で 、 全 国 の 36,536 人 と 比 べ る と 約 1 万 人 ほ ど 少 な
く 、 全 国 順 位 も 21 位 と な っ て い る 。 1 市 町 村 当 た り 面 積 は 175.77 k m 2 で 、 全
国 の 114.92k m 2 に 比 べ 大 き く 、 全 国 順 位 も 4位 と な っ て い る 。
さ ら に 、 市 と 町 村 に 分 け て み る と 、 本 県 の 1 市 当 り の 人 口 は 88,947 人 で 、
全 国 の 134,825 人 に と 比 較 す る と 約 4 万 6 千 人 の 差 が あ り 、 全 国 順 位 は 31 位 と 下
位 に な っ て い る 。 1 町 村 当 た り の 人 口 は 本 県 は 11,081 人 で 、 全 国 の 10,754 人
とほぼ同程度となっている。
本 県 の 1市 当 た り 面 積 は 、 281.74k m 2 で 全 国 の 156.94k m 2 に 比 べ て 、 約 120
k m 2 大 き く な っ て お り 、 全 国 順 位 も 5位 で あ る 。 1町 村 当 た り 面 積 に つ い て も 、
本 県 148.52 k m 2 に 対 し て 、 全 国 103.90 k m 2 で 、 全 国 順 位 も 5 位 と な っ て い る 。
図 表 3− 4
宮崎県
1市 町 村 当 た り 人 口 ・ 面 積
全国
全国順位
市町村数
1都道府県あたり
人 口 (人 )
1市町村当たり
2
面 積(k m )
1市町村当たり
44
7
3,229
−
−
69
1,188,341
36
117,975,184
27,008
21
36,536
7,733.95
13
371,073.02
175.77
4
宮崎県
114.92
全国
宮崎県
全国順位
全国順位
市数
全国
9
13
671
800,519
35
90,467,411
88,947
31
134,825
市部人口比率(%)
67.4
23
76.7
町村部人口比率(%)
32.6
25
21.9
市部面積(k m 2 )
2,535.63
12
105,309.04
町村部面積(k m 2 )
5,198.32
16
265,763.98
1市当たり
281.74
148.52
5
103.90
市部人口(人)
1市当たり
5
町村数
町村部人口(人)
1町村当たり
156.94
1町村当たり
35
9
2,558
387,822
34
27,507,773
11,081
19
10,754
資料)「市町村決算状況調(平成10年度)」(財)地方財務協会
注1:東京都の特別区は除く。
注2:人口は平成11年3月31日現在の住民基本台帳人口。
注3:面積は平成10年10月1日現在。
注4:市町村数は平成12年4月1日現在。
注5:平成11年4月1日に合併した篠山市に関連して、旧4町を合算するなど調整している。
注6:市町村数の全国順位は少ない方から、その他は大きい方からの順位。
17
(2)人 口 ・ 面 積 段 階 別 市 町 村 数
人 口 段 階 別 に 市 町 村 数 を み る と 、 本 県 に は 2万 人 未 満 の 市 、 1千 人 未 満 の 町 村
はないが、市、町村ともに全国とほぼ同様の分布となっている。
ま た 、 面 積 段 階 別 に 市 町 村 数 を み る と 、 全 国 で は 市 の 46.3% が 100k m 2 未 満
で あ る の に 対 し て 、 本 県 で は 市 は す べ て 100k m 2 以 上 と な っ て い る 。 町 村 で も 、
100k m 2 未 満 が 全 国 で は 67.9% で あ る の に 対 し て 、 本 県 は 37.1% と な っ て お り 、
段階別にみても面積規模が大きいといえる。
図 表 3− 5
人 口 段階別 市 町 村 数
①市
区分
団体数(宮崎県)
団体数(全国)
3万人未満
(22.2)
2
(10.7)
72
3万人以上
5万人未満
(33.3)
3
(22.5)
151
5万人以上
10万人未満
(11.1)
1
(33.5)
225
10万人以上
20万人未満
(22.2)
2
(17.9)
120
20万人以上
30万人未満
(0.0)
0
(5.8)
39
30万人以上
50万人未満
(11.1)
1
(6.6)
44
1千人以上
5千人未満
(20.0)
7
(24.9)
637
5千人以上
1万人未満
(34.3)
12
(33.1)
846
1万人以上
2万人未満
(31.4)
11
(27.3)
698
2万人以上
3万人未満
(11.4)
4
(8.3)
213
3万人以上
4万人未満
(2.9)
1
(3.4)
86
50万人以上
100万人未満
(0.0)
0
(1.5)
10
100万人以上
(0.0)
0
(1.5)
10
合計
(100.0)
9
(100.0)
671
②町村
区分
団体数(宮崎県)
団体数(全国)
1千人未満
(0.0)
0
(1.8)
47
4万人以上
(0.0)
0
(1.2)
31
合計
(100.0)
35
(100.0)
2,558
注 1: 平 成 11年 4月 1日 現 在 の 市 町 村 数 を 平 成 11年 3月 31日 現 在 の 住 民 基 本 台 帳 人 口 に よ り 集 計 し た 。
注2:各欄の(
)書は構成比(各区分毎に計算<単位未満四捨五入>しているため、合計に一致しない場合がある。)
図表3−6
面積段階別市町村数
①市
区分
団体数(宮崎県)
団体数(全国)
50km2未満
(0.0)
0
(23.2)
156
50km2以上
100km2未満
(0.0)
0
(23.1)
155
100km2以上
150km2未満
(11.1)
1
(16.2)
109
150km2以上
200km2未満
(0.0)
0
(10.4)
70
200km2以上
300km2未満
(66.7)
6
(15.1)
101
300km2以上
500km2未満
(22.2)
2
(7.9)
53
500km2以上
1000km2未満
(0.0)
0
(3.6)
24
1000km2以上
50km2以上
100km2未満
(31.4)
11
(26.7)
683
100km2以上
150km2未満
(28.6)
10
(12.8)
327
150km2以上
200km2未満
(11.4)
4
(6.9)
170
200km2以上
300km2未満
(20.0)
7
(6.5)
166
300km2以上
500km2未満
(0.0)
0
(3.8)
96
500km2以上
1000km2未満
(2.9)
1
(2.2)
57
1000km2以上
(0.0)
0
(0.4)
3
合計
(100.0)
9
(100.0)
671
②町村
区分
団体数(宮崎県)
団体数(全国)
50km2未満
(5.7)
2
(41.2)
1,054
(0.0)
0
(0.2)
5
合計
(100.0)
35
(100.0)
2,558
注1:面積は、建設省国土地理院が公表した平成8年10月1日の「全国都道府県市区町村別面積」によるが、
そ の 後 の 平 成 11年4月1日 ま で に合 併 が あ っ た 場 合 に つ い て は 、 旧 市 町 村 の 面 積 を 合 算 し た 。
注2:各欄の(
)書は構成比(各区分毎に計算<単位未満四捨五入>しているため、合計に一致しない場合がある。)
18
(3)人 口 密 度
可住地面積当たりの人口密度をみると、延岡市、日向市、宮崎市、清武町で
1,000人 / k m 2 以 上 と 高 く な っ て い る 。
ま た 、 300人 / k m 2 未 満 の 人 口 密 度 が 最 も 低 い 市 町 村 は 中 山 間 地 域 に 多 く 、 こ
れらの市町村では、可住地面積でみても都市部に比べて人口密度が低くなって
いる。
図 表 3− 7
可 住 地 面 積 当 た り 人 口 密 度 (平 成 10年 度 )
1,000人/km2以上
500∼1,000人/km2
300∼500人/km2
300人/km2
可住地面積=
総面積−林野面積−主要湖沼面積
資 料)統 計 か ら み た 宮 崎 県 の す が た
19
(4)人 口 の 推 移 と 今 後 の 見 通 し
県 人 口 の 推 移 を み る と 、 昭 和 45 年 (1970 年 ) か ら 昭 和 60 年 (1985 年 ) に か け て
増 加 傾 向 に あ っ た が 、 昭 和 60年 頃 か ら ほ ぼ 横 ば い と な っ て お り 、 平 成 17年 (2005
年 )以 降 は 減 少 に 転 じ る こ と が 予 想 さ れ る 。
市 町 村 の 人 口 推 移 を 昭 和 45 年 か ら 平 成 12 年 (2000 年 ) で み る と 、 宮 崎 市 と そ
の 周 辺 、 都 城 市 と 三 股 町 、 日 向 市 と 門 川 町 、 高 鍋 町 な ど 15市 町 村 で 人 口 が 増 加
し て い る 。 (図 表 3− 12)
残 り の 29市 町 村 は 人 口 が 減 少 し て い る が 、 特 に 東 臼 杵 郡 、 西 臼 杵 郡 な ど で 減
少率が大きくなっている。
ま た 、 平 成 17 年 (2005 年 ) 以 降 、 人 口 減 少 を 反 映 し て 5 千 人 未 満 の 町 村 の 数
が 大 き く 増 え る こ と が 予 想 さ れ る 。 (図 表 3− 9)
図表 3−8
宮崎県人口の推移
(千人)
1,250
1,200
1,152
1,176 1,169 1,176 1,170
1,162
1,152
1,150
1,138
1,117
1,085
1,100
1,051
1,050
1,000
950
昭和45
50
55
60
平成2
7
12
17
22
27
32
(年)
資 料 )「国 勢 調 査 」(平 成 12年 は 速 報 値 ) 、 平 成 17年 以 降 は シ ン ク タ
ン ク 宮 崎 に よ る 市町 村 別 推 計 の合 計 に よ る 。
図 表 3− 9
10万人以上
5万∼10万人
3万∼5万人
1万∼3万人
5千∼1万人
3千∼5千人
3千人未満
10万人以上
55年
(1980年)
3
2
2
18
13
4
2
平成2年
(1990年)
3
1
4
17
12
3
4
12年
(2000年)
3
1
4
17
9
4
6
22年
(2010年)
3
1
5
16
5
8
6
32年
(2020年)
3
1
5
13
8
7
7
宮崎市、
都城市、
延岡市
宮崎市、
都城市、
延岡市
日南市、
日向市
宮崎市、
都城市、
延岡市
宮崎市、
都城市、
延岡市
宮崎市、
都城市、
延岡市
宮崎市、
都城市、
延岡市
日向市
日向市
日向市
日向市
日南市、
小林市、
西都市、
佐土原町
日南市、
小林市、
西都市、
佐土原町
日南市、
小林市、
西都市、
清武町、
佐土原町
日南市、
小林市、
清武町、
佐土原町、
三股町
5万∼10万人 日南市
3万∼5万人
人口規模別市町村数
昭和45年
(1970年)
3
1
4
17
13
6
0
小林市、
日向市、
串間市、
西都市
小林市、
西都市
資料)「国勢調査」(平成12年は速報値)
シンクタンク宮崎による推計(平成22年以降)
20
図表3−10 平成12年(2000年)人口分布
図表3−11 平成22年(2010年)人口分布
30万人以上
30万人以上
北浦町
高千穂町
北浦町
高千穂町
北川町
日之影町 北方町
五ヶ瀬町
10∼30万人
北川町
五ヶ瀬町
10∼30万人
延岡市
諸塚村
北郷村
5∼10万人
椎葉村
門川町
西郷村
3∼5万人
南郷村
日向市
3∼5万人
新富町
綾町 国富町
小林市
野尻町
山田町
高岡町
高鍋町
新富町
えびの市
佐土原町
綾町 国富町
小林市
宮崎市
佐土原町
高岡町 宮崎市
高原町
高崎町 高城町
清武町
田野町
山之口町
三股町
山田町
清武町
田野町
山之口町
都城市
北郷町
三股町
北郷町
日南市
日南市
図表3−12
川南町
西都市
須木村
高城町
都城市
資料)「国勢調査」速報値
(平成12年10月1日現在)
木城町
野尻町
高原町
高崎町
西米良村
高鍋町
須木村
えびの市
日向市
東郷町
都農町
5千∼1万人
3千∼5千人未満
3千人未満
川南町
西都市
南郷村
1∼3万人
木城町
西米良村
門川町
椎葉村
西郷村
都農町
3千∼5千人未満
3千人未満
北郷村
5∼10万人
東郷町
1∼3万人
5千∼1万人
日之影町 北方町
延岡市
諸塚村
資料)シンクタンク宮崎
による推計。
南郷町
串間市
0
10
20 km
昭和45年(1970年)∼
平成12年(2000年)人口増加率
図表3−13
南郷町
串間市
0
30%∼
30%∼
10∼30%
0∼10%
0∼10%
-10∼0%
-10∼0%
-30∼-10%
-30∼-10%
∼-30%
∼-30%
資料)「国勢調査」
(平成12年は速報値)
10
20 km
平成12年(2000年)∼
平成22年(2010年)人口増加率
10∼30%
0
10
資料)「国勢調査」及びシ
ンクタンク宮崎による推
計。
20 km
21
0
10
20 km
(5)少 子 ・ 高 齢 化 の 状 況 と 今 後 の 見 通 し
平 成 7 年 の 国 勢 調 査 に よ る と 、 本 県 の 14 歳 以 下 の 年 少 人 口 の 割 合 は 、 17.9 %
( 同 全 国 16.0% ) 、 65歳 以 上 の 老 年 人 口 の 割 合 は 、 17.4% (同 全 国 14.6% )で あ
る。
国 立 社 会 保 障 ・ 人 口 問 題 研 究 所 の 「 日 本 の 将 来 推 計 人 口 (平 成 9年 1月 推 計 )」
等 に よ る と 、 図 表 3 − 14 の 少 子 ・ 高 齢 化 の 将 来 動 向 の と お り 、 本 県 の 年 少 人 口
の割合は、緩やかに減少していくものの、今後も老年人口の割合は、全国平均
を上回り増加し続けていくと予想されている。
図 表 3− 14
(% )
少子・高齢化の将来動向
全国(65歳以上)
宮崎県(65歳以上)
全国(0∼14歳)
宮崎県(0∼14歳)
35.0
30.0
30.3
29.1
26.8
25.2
22.5
20.5
20.0
15.0
17.9
17.4
16.0
14.6
27.4
26.9
24.0
25.0
22.0
19.6
17.2
16.0
15.1
15.0
15.0
14.7
14.3
14.3
14.2
14.8
14.2
13.7
13.1
10.0
5.0
0.0
平成7年
平成12年
平成17年
平成22年
平成27年
平成32年
平成37年
(1995 年)
(2000 年)
(2005 年)
(2010 年)
(2015 年)
(2020 年)
(2025 年)
資料)「日本の将来推計人口(平成9年1月推計)」国立社会保障・人口問題研究所編集
「都 道 府 県 別 将 来 推 計 人 口 (平 成 9年 5月 推 計 )」国 立 社 会 保 障 ・ 人 口 問 題 研 究 所 編 集
22
高 齢 化 の 状 況 を 地 域 的 に み る と 、 平 成 11年 (1999年 )の 段 階 で は 、 老 年 人 口
割 合 が 30% 以 上 の 地 域 は 、 東 臼 杵 郡 、 西 臼 杵 郡 、 西 米 良 村 に み ら れ る 。 逆 に 、
延岡市・日向市、宮崎市、都城市を中心とする都市及びその周辺では老年人口
比率が低くなっている。
平 成 22年 (2010年 )に は 老 年 人 口 割 合 が 30% 以 上 の 地 域 は 、 さ ら に 、 串 間 市 、
えびの市、西諸県郡などにもみられるようになり、半数近くの市町村が該当す
るものと予想される。
図表3-15
平成11年(1999年)
65歳以上人口割合
図表3-16
平成22年(2010年)
65歳以上人口割合
∼ 20%
∼ 20%
20∼25%
20∼25%
25∼30%
25∼30%
30% 以 上
30% 以 上
資料)「宮崎県の人口」
資料)シンクタンク宮崎
による推計。
0
10
20km
23
0
10
20km
4
産業
(1)農 林 水 産 業
本 県 の 総 面 積 7,734k m 2 の う ち 、 森 林 が 76.3% 、 農 地 が 9.5% を 占 め て い る 。
本県の農林水産業は、温暖な気候や黒潮踊る太平洋、全国でもトップクラス
の快晴日数・日照時間など、恵まれた自然条件を生かして、我が国の食料・木
材基地として重要な役割を担っている。
農 業 粗 生 産 額 で は 、 畜 産 が 全 体 の 約 52 % を 占 め 、 以 下 、 野 菜 ( 約 22 % ) 、 米
(約 9 % ) と 続 い て い る 。 こ れ ら を 地 域 別 に み る と 、 北 諸 県 ・ 東 臼 杵 ・ 西 諸 県 の
畜 産 の 割 合 は 60% を 越 え て お り 、 以 下 、 児 湯 (48.3% )、 南 那 珂 (37.8% )が 高 い
割 合 を 示 し て い る 。 ま た 、 中 部 (宮 崎 東 諸 県 )及 び 児 湯 で は 、 野 菜 の 割 合 が 高 く
(そ れ ぞ れ 約 42% ・ 29% )、 米 は 、 全 地 域 に お い て ほ ぼ 均 等 に 生 産 が 行 わ れ て い
る 。 本 県 の 農 業 粗 生 産 額 は 全 国 第 8位 で あ る 。
また、本県は県北地域を中心に人工林等の森林資源が充実してきており、ス
ギ の 素 材 生 産 量 が 8年 連 続 日 本 一 に な る な ど 、 我 が 国 の 主 要 な 木 材 供 給 基 地 と
なっている。特に耳川流域では大断面集成材工場が操業を開始するなど木材加
工流通拠点の体制が整いつつある。
また、恵まれた森林資源や山村固有の生活文化を総合的に活用し、人と森林
の共生するフォレストピアづくりの取組が、高千穂町・日之影町・五ヶ瀬町・
諸 塚 村 ・ 椎 葉 村 の 西 臼 杵 3町 及 び 東 臼 杵 2村 で 進 め ら れ て い る 。
水産業においては、県北部沿岸域を中心とした網漁業、養殖業や県南部を中
心とした沖合・遠洋域のかつお・まぐろ漁業等の海面漁業、ウナギ・アユ等の
内水面養殖業等が盛んに行われている。本県の沿岸まぐろ、近海かつおの水揚
げ 量 は 、 全 国 1位 で あ る 。
本 県 に お い て は 、 J A (農 協 )の 広 域 合 併 は 昭 和 40年 代 後 半 よ り 進 め ら れ て お
り 、 最 近 で は 平 成 12 年 2 月 の 日 南 ・ 串 間 ( 串 間 市 大 束 除 く ) の 合 併 ( J A は ま ゆ
う )が 行 わ れ て い る 。 こ の 結 果 、 現 在 県 内 13の J A が 組 織 さ れ て い る 。
また、林業においても、森林組合の経営体質強化などを目的とした県の広域
合 併 基 本 方 針 書 ( 平 成 3 年 策 定 )に 基 づ き 、 広 域 合 併 が 進 め ら れ て い る 。 平 成 10
年 に 西 臼 杵 、 平 成 11 年 に 宮 崎 中 央 、 平 成 12 年 に 8 月 に 耳 川 流 域 の 8 つ の 森 林 組
合 が 広 域 合 併 し た 。 こ の 結 果 、 現 在 、 県 内 15の 森 林 組 合 が 組 織 さ れ て い る 。 さ
ら に 平 成 14 年 に は 児 湯 、 西 米 良 村 及 び 西 都 市 の 3 森 林 組 合 が 広 域 合 併 を 目 標 に
具体的な準備作業に入ることを取り決めている。
24
図表3−17
JAの状況
※( )内は広域合併年月
図表3−18
0
10
20km
10
20km
森林組合の状況
※( )内は広域合併年月
0
25
(2)工 業
本県工業は、宮崎SUNテクノポリスにおける基盤整備の進展や企業誘致の
推進等により、電気機械を中心とする加工組立型の集積が進んでおり、工業出
荷額の類型別の構成比も基礎素材型が減少する一方で、加工組立型が増加して
いる。また、食料品に代表される生活関連型については、全国と比較しても高
い構成比を維持している。
本 県 の 工 業 の 状 況 を 圏 域 別 に 見 る と 、 平 成 10年 現 在 、 事 業 所 数 、 従 業 員 数 及
び製造品出荷額で、いずれも延岡市を中心とする北部が最も大きく、それぞれ
県 全 体 の 29.3% 、 30.0% 、 31.3% を 占 め て い る 。
以下、同様に宮崎・東諸県、都城・北諸県、西都・児湯、日南・串間、西諸
の順となっている。
こ れ ら を 市 郡 別 に み る と 、 事 業 所 数 は 、 宮 崎 市 が 最 も 多 く (14.7% )、 以 下 延
岡 市 (13.4% )、 都 城 市 (12.6% )と な っ て い る 。 従 業 員 数 は 、 延 岡 市 が 最 も 多 く
(16.0 % ) 、 以 下 都 城 市 (13.7 % ) 、 宮 崎 郡 (13.5 % ) の 順 で あ る 。 製 造 品 出 荷 額
は 、 延 岡 市 が 最 も 大 き く (19.1% )、 以 下 宮 崎 郡 (18.0% )、 都 城 市 (16.7% )の 順
となっている。
平 成 11年 現 在 の 本 県 に お け る 工 業 団 地 は 、 66ヶ 所 が 整 備 済 み 、 あ る い は 造 成
中となっている。大きい開発面積を持つ工業団地は、川南町の塩付工業団地
(75.9ha) 、 日 向 市 の 細 島 4 区 工 業 団 地 (72.3ha) 、 宮 崎 フ リ ー ウ ェ イ 工 業 団 地
(51.6ha)等 が あ る 。
工業振興のための地域指定として、県北の延岡市・日向市を中心とする地域
で新産業都市、宮崎市及びその周辺の地域でテクノポリス地域の指定を受けて
いる。
(3)商 業
本県の商業は長引く景気低迷の中、所得水準の向上や余暇時間の増大等に伴
う消費者ニーズの高度化・多様化、販売競争の激化、さらには急速な流通構造
の変化等により著しい環境変化に直面している。
同時に、モータリゼーションの進展に伴う大型店の郊外進出等により中心市
街地の魅力が相対的に薄れ、空き地・空き店舗が増加するなど空洞化が深刻化
している。
このような中、地域商業サービス業の活性化及び経営基盤の強化を図るため、
中小小売商業の育成、魅力ある商店街づくり、卸売業機能の強化、商工団体等
26
の育成強化、さらにはサービス産業の育成などの幅広い施策が展開されている。
本 県 の 商 業 の 特 色 を 圏 域 別 に み る と 、 平 成 9年 度 現 在 、 商 店 数 、 従 業 者 数 、 年
間商品販売額のいずれも、宮崎市を中心とする宮崎・東諸県が最も大きくなっ
て お り 、 特 に 年 間 商 品 販 売 額 で は 県 全 体 の 約 56% を 占 め て い る 。
さらに、これらを市郡別にみると、商店数、従業者数、年間販売額のいずれ
も 、 宮 崎 市 、 都 城 市 、 延 岡 市 の 順 に な っ て お り 、 こ の 3 市 で 商 店 数 の 52 % 、 従
業 者 数 の 60% 、 年 間 商 品 販 売 額 の 74% を 占 め て い る 。
また、近年、特に増加が著しいコンビニエンス・ストアの店舗数を市郡別に
み る と 、 宮 崎 市 が 77店 で 最 も 多 く 、 以 下 、 都 城 市 、 宮 崎 郡 、 児 湯 郡 の 順 と な っ
て い る 。 増 減 数 を 平 成 6 年 度 と の 比 較 で み る と 、 宮 崎 市 (24 店 増 ) 、 都 城 市 (21
店 増 ) 、 延 岡 市 (17 店 増 ) な ど 都 市 部 で の 増 加 が 著 し い ほ か 、 宮 崎 郡 や 児 湯 郡 な
ど で 店 舗 数 が 伸 び て い る 。 (資 料 : 「 宮 崎 県 の 商 業 」 平 成 9年 等 )
(4)観 光 ・ リ ゾ ー ト
本県では、シーガイアをはじめとした観光・リゾート地の整備に加え、九州
縦貫自動車道の全線開通、航空路線の充実などの総合交通網の整備の進展によ
り、観光を取り巻く基盤が着実に充実強化されてきている。
また、サミットをはじめとする大型コンベンション、スポーツ大会・キャン
プ等の積極的な誘致、海外でのPR活動や国際チャーター便の運航拡大等、観
光リゾート宮崎への誘致を図る様々な施策が積極的に展開されてきた。
この結果、全国的に国内観光が厳しい状況にある中、県内客の堅調な伸びや
外 国 人 観 光 客 の 増 加 な ど に 支 え ら れ 、 観 光 客 総 数 は 1,200万 人 台 に 達 し て い る 。
しかしながら、長引く景気の低迷や国内観光地間の競争激化もあって、県外
客 数 や 観 光 消 費 額 が と も に 2年 連 続 で 減 少 す る な ど 厳 し い 状 況 も あ る 。
本 県 の 平 成 10年 の 観 光 客 数 は 1,231万 人 で 、 県 外 客 が 554万 人 、 県 内 客 が
677万 人 と な っ て い る 。
観光客数を広域市町村圏別にみると、宮崎東諸県広域市町村圏が最も多く
な っ て お り 、 県 外 客 で は 県 全 体 の 41% を 占 め て い る 。
ま た 、 年 間 の 入 り 込 み 客 が 100 万 人 以 上 の 観 光 地 ( 観 光 施 設 ) は 県 内 に 4 か 所
(宮 崎 市 、 高 千 穂 町 、 西 都 市 、 綾 町 )あ り 、 そ の う ち 3つ は 宮 崎 市 か ら 1時 間 圏
内となっている。
27
5
日常生活圏
(1)通 勤 圏
国 勢 調 査 (平 成 7年 )を も と に 通 勤 圏 の 状 況 を み る と 、 宮 崎 市 、 都 城 市 、 延 岡
市、日向市、日南市、小林市、高鍋町、高千穂町を中心とした圏域が認められ
る。
図 表 3− 19
通勤圏
北浦町
高千穂町
北川町
蘇陽町
日之影町
北方町
五ヶ瀬町
延岡市
諸塚村
北郷村
門川町
椎葉村
西郷村
日向市
南郷村
東郷町
木城町
都農町
西米 良村
川南町
西都市
高鍋町
須木村
新富町
えびの市
綾町
小林市
国富町
佐土原町
野尻町
宮崎市
高岡町
高原町
高崎町
高城町
清武町
山田町
山之 口町
都城市
三股町
田 野町
北郷町
凡
例
財部町
30% 以 上
末吉町
日南市
20% 以 上 30% 未 満
南郷町
10% 以 上 20% 未 満
串間市
5% 以 上 10% 未 満
通勤圏の矢印は以下の算式により、他の市町村へ通勤している者の割合を図示したものである。
A町からB市へ通勤している者の割合
=A町に常住する就業者のうちB市へ通勤している就業者数÷A町に常住する就業者数
※就業者は15歳以上。資料は「平成7年国勢調査」による。
28
(2)通 学 圏
国勢調査をもとに高等学校等の通学圏の状況をみると、通勤圏とほぼ同じ圏
域が認められるが、通学圏は学校施設の立地によるところが大きいので、通勤
圏の場合よりも学校が所在する市町村を中心とした強い圏域の形成が見られる。
また、通勤圏では流入がみられない西都市も高鍋町とともに通学圏としては
児湯郡の中心地となっている。
図 表 3− 20
通学圏
北浦町
高千穂町
蘇陽町
北川町
日之影町
北方町
五ヶ瀬 町
延岡市
諸塚村
北郷村
門川町
椎葉村
西郷村
県外
日向市
南郷村
東郷町
都農町
木城町
西米良村
県外
川南町
西都市
高鍋町
須木村
新富町
えびの市
綾町
小林市
国富町
佐土原町
野尻町
宮崎市
高岡町
高原町
高崎町
高城町
清武町
山田町
田野町
山之口町
都城市
北郷町
三股町
財部町
凡
例
30% 以 上
末吉町
日南市
20% 以 上 30% 未 満
南郷町
串間市
10% 以 上 20% 未 満
5% 以 上 10% 未 満
通学圏の矢印は以下の算式により、他の市町村へ通学している者の割合を図示したものである。
A町からB市へ通学している者の割合
=A町に常住する通学者のうちB市へ通学している通学者数÷A町に常住する通学者数
※通学者は15歳以上。資料は「平成7年国勢調査」による。
29
(3)商圏
平 成 11 年 度 に 行 っ た 宮 崎 県 広 域 行 政 意 識 調 査 に 基 づ き 、 商 圏 の 状 況 を み る
と、通勤・通学圏と同様に、宮崎市、都城市、延岡市、日向市、日南市、小林
市 、西 都 市 、 高鍋 町 、 高 千穂 町 が 中 心地 と な っ てい る 。
ま た、 県 境 の 市町 村 で は 、県 外 へ の 購買 行 動 も みら れ る 。
図表3−21
商圏
県外
北浦町
高千穂町
北川町
日之影町
県外
五ヶ瀬町
北方町
延岡市
諸塚村
北郷村
県外
椎葉村
門川町
西郷村
日向市
南郷村
東郷町
県外
木城町
都農町
西米良村
川南町
西都市
高鍋町
新富町
須木村
えびの市
綾町
小林市
佐土原町
国富町
野尻町
宮崎市
高岡町
高原町
高崎町
高城町
山田町
山之口町
都城市
清武町
田野町
三股町
北郷町
日南市
凡 例
70%以上
50%以上70%未満
南郷町
県外
串間市
30%以上50%未満
10%以上30%未満
商圏の矢印は「宮崎県広域行政意識調査」(平成11年度)における居住市町村以外で最も買い物に出かける市町村の回
答割合を図示したものである。
30
(4)医療圏
平 成 11 年 度 に 行 っ た 宮 崎 県 広 域 行 政 意 識 調 査 に 基 づ き 、 医 療 圏 の 状 況 を み る
と、通勤圏の場合とほぼ同じ圏域が認められる。
図表3−22
医療圏
県外
北浦町
高千穂町
北川町
県外
日之影町
五ヶ瀬町
北方町
延岡市
諸塚村
北郷村
県外
門川町
椎葉村
西郷村
日向市
南郷村
東郷町
県外
木城町
都農町
西米良村
川南町
西都市
高鍋町
新富町
須木村
えびの市
綾町
小林市
佐土原町
国富町
野尻町
宮崎市
高岡町
高原町
高崎町
高城町
清武町
山田町
山之口町
田野町
都城市
北郷町
三股町
凡 例
日南市
70%以上
50%以上70%未満
南郷町
串間市
30%以上50%未満
10%以上30%未満
医療圏の矢印は「宮崎県広域行政意識調査」(平成11年度)における居住市町村以外で最も診療に出かける市町村の回
答割合を図示したものである。
31
(5)交通基盤
昭 和 58 年 と 平 成 12 年 の 自 動 車 に よ る 所 要 時 間 を 比 較 し て み る と 、 道 路 交 通
網の整備進展により、特に県の北部において大きく所要時間が短縮されている。
このような所要時間の短縮は生活圏の拡大にも寄与しているものと考えられる。
図表3−23
昭和58年(1983年)における宮崎市からの自動車
による所要時間
五ヶ瀬町
4時間30分
高千穂町
4時間
椎葉村
4時間5分
図表3−24
平成12年(2000年)における宮崎市からの自動車
による所要時間
五ヶ瀬町
3時間45分 高千穂町
3時間20分 日之影町
3時間05分
椎葉村
3時間35分
北川町
2時間30分 北浦町
2時間40分
西郷村
2時間20分
延岡市
西米良村
2時間10分
1時間50分
日之影町
3時間30分
北川町
3時間
西郷村
2時間40分
北浦町
3時間30分
延岡市
2時間30分
西米良村
2時間10分
日向市
1時間45分
須木村
1時間45分
えびの市
2時間
えびの市
1時間45分
宮崎市
小林市
1時間20分
1時間
都城市
1時間30分
日向市
1時間40分
須木村
1時間35分
2時間
3時間
小林市
1時間10分
4時間
都城市
1時間15分
日南市
1時間30分
宮崎市
1時間
2時間
3時間
4時間
日南市
1時間20分
串間市
1時間50分
串間市
2時間
資料)「みやざきの市町村」
注)一般道利用による。
図表 3−25
昭和 58 年(1983 年)における都城市からの自動車
による所要時間
図表 3−26
平成 12 年(2000 年)における都城市からの自動車
による所要時間
延岡市
4時間
延岡市
3時間25分
えびの市
1時間25分
小林市
45分
えびの市 小林市
1時間20分 45分
宮崎市
1時間30分
都城市
都城市
1時間
2時間
3時間
宮崎市
1時間15分
1時間
4時間
日南市
1時間20分
2時間
日南市
1時間10分
串間市
1時間15分
串間市
1時間50分
資料)「みやざきの市町村」
注)一般道利用による。
32
3時間
4時間
図表3−27
昭和58年(1983年)における延岡市からの自動車
による所要時間
高千穂町
1時間30分
北川町
30分
五ヶ瀬町
2時間
図表3−28
平成12年(2000年)における延岡市からの自動車
による所要時間
北浦町
1時間
高千穂町
1時間10分
延岡市
1時間
2時間
3時間
五ヶ瀬町
1時間35分
4時間
北浦町
30分
延岡市
1時間
西郷村
1時間35分
西郷村
1時間40分
都城市
4時間
串間市
4時間30分
北川町
20分
宮崎市
2時間30分
日南市
4時間
都城市
3時間25分
資料)「みやざきの市町村」
注)一般道利用による。
33
串間市
4時間
宮崎市
2時間10分
日南市
3時間30分
2時間
3時間
4時間
(6)情 報 化 の 進 展
高度情報化の進展は、大都市との地理的距離の解消など諸課題を解決する手
段として大いに期待されており、また、本県産業や県民生活など社会のあらゆ
る分野で大きな影響を与えることが予想されている。
したがって本県では、「情報環境の整備」「県民生活向上のための情報化の推
進 」 「 地 域 産 業 振 興 の た め の 情 報 化 の 推 進 」 の 3つ を 柱 と し て 、 高 度 情 報 通 信 ネ ッ
トワーク社会の実現に向けた諸施策が総合的に推進されている。
特に、宮崎情報ネットワークの整備によるインターネット通信料金格差の是
正をはじめ、延岡、宮崎、都城のCATV局の整備、過疎・山村地域における
移動通信サービスエリアの拡大などが進められるとともに、県民が高速・大容
量の情報通信サービスを利用できる情報通信環境を整備するため、現在、「宮崎
情 報 ハ イ ウ ェ イ 21構 想 」 の 策 定 が 進 め ら れ て い る 。
図 表 3− 29
情報化の参考指標
平成9年度
ISDN(INS64)サ ー ビ ス 契 約
回線数
携帯電話等加入件数
ケーブルテレビ加入世帯数
11年度
14,600
25,971
45,960
213,190
302,704
382,957
43,479
46,847
55,327
資料)「九州における情報通信の現状」(郵政省電気通信監理局)
34
10年度
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