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「清明上河図」に迫る

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「清明上河図」に迫る
世
界
史
芸
術
鑑
定
団 〜マイスターが見た日常生活〜
世界史のしおり 2014年度1学期号付録
「清明上河図」に迫る
解 説
*本資料は,縦24.8cm,横528cmの作品の部分を縮小して掲載しています。なお,色合いは実物と異なります。
「清明上河図巻」北京故宮博物院蔵
張択端筆,絹本墨画淡彩,北宋時代・十二世紀
宮廷画家の目を通して見る
北宋の光と影
もとから中央部にかけては露天商が立ち並んでい
ヒトが,モノが,船が,役畜と荷車が,…
授業
活用例
福岡県立東筑高等学校
─「清明上河図」が示す北宋末都市社会の断面─
今林常美
る。画面手前左下に見える大きな唐笠を二本さし
以前よく通っていた中華料理店の天井に見覚え
「貨郎」
(雑貨売りの行商人)
(⑧)の姿も確認で
た露店では,「飲子」(液体の飲み薬)を売ってい
のある図巻がはりつけてあることに気づき,感激
きる。生徒には所在を指示し,読み解きに挑戦さ
るようである(③)。さらに橋上には,のこぎり
した。授業で必ず取りあげる張択端のあの「清明
せたい。
とくに前者は北宋後半にめだってきた
「侵
やはさみなどの荒物を売る店,くつを売る店や饅
上河図」の複製だった。…そんなエピソードを生
街」防止の基準線とされた可能性を指摘しておく。
頭などの食べ物を売る店など売り物はさまざまで
徒 に 語 り な が ら, 教 室 で は 長 さ 約 5 m, 幅 約
道を横切って右にはいると,一休み中の行商人た
ある(④)。
25cmの複製図巻を広げて生徒にながめてもらう。
ちが「飲子」とよばれる漢方系の栄養ドリンクを
生徒の机を端から端まで横一列に並べ,そこに図
注文している場面に出くわす(③)。なんとも生
河沿いに軒を連ねるこれらの店は夜12時ころまで
巻を広げ,右から左へと生徒を動かせば,生徒も
活感にあふれている。
に祖先の墓参を行う)の時期の北宋の都・開封(現
営業し,街のにぎわいに花を添えていた。もちろ
歴史のフラヌールになれる。このときに,並行し
そろそろ美しいアーチ橋を渡ってみよう。木造
在の河南省)郊外および近郊の市街地の殷賑が丹
ん,これらの店での商業的な取り引きは,貨幣に
交差する汴河と道の流れにも注目させておく。そ
のこの橋は,当時の最新橋梁技術で建造された無
念に描かれている。
よって行われた。
「十千脚店」と書かれた看板が
して,徽宗皇帝に献上されたあと北京故宮博物院
橋脚の連接アーチ橋で,沿岸各地にかけられてお
「清明上河図」(以下「本図」
)は12世紀に描か
れた,中国史上最も愛される都市風俗図巻である。
画中には,清明節(新暦4月5日ごろ。この時期
いんしん
かんりん と
が いん
いん し
また,飲食店や酒楼も多い。規制緩和の影響で,
べん が
画の筆者は,北宋の翰林図画院に属する宮廷画
掲げられた大きな酒楼の前には,担銭人が店員ら
に収蔵されるまで数奇な運命をたどった当図巻の
り,その姿から「虹橋」というロマンチックな呼
家であった張択端(生没年不詳)とされている。
しき男性とともに,酒楼の売上金を台車に積み込
物語を話しながら,本資料を生徒に読み取らせる。
称がつけられたものである。橋の両側には,露天
本図に描かれる舟の描写に注目すると,船員が使
んでいるような姿が見える(⑤)
。この担銭人の
図巻全体の中央にこの図版が位置すること,北宋
商がさまざまな日用品や食品を扱っており,その
用するボート・フックや棹などの道具類,帆柱に
姿は,貨幣経済化した北宋時代にあって日常的に
代,都の開封にとって生命線ともなる,江南から
横を棒手振り,轎とよばれるおもに上流婦人が利
からむ縄目,そして船腹に打たれた釘の頭の描写
見られるものであったろう。
ちょう たく たん
きょう
の物資補給の大動脈がまさにここに示されている
用した乗物の駕籠かき,ロバかラバに乗った人な
このように虹橋周辺の景観を見ていくと,12世
ことなどを確認しながら,おもしろい場面,気に
どが,橋の向こうからは串車とよばれる役畜に引
わかる(表面C清明上河図(部分)①,以下同)
。
紀の開封がいかにも物質的・経済的に繁栄し,豊
なる場面や不明の場面などを班ごとに議論し,班
かせた一輪車や馬に乗った役人らしき人などが往
舟や車,市街のようすを描くことを得意としたと
かな時代であったように思われる。ただ,よくよ
長に発表してもらうことにする。発表で出た多数
来している(②)。生徒には露天に並べられた商
伝えられる張択端の本領が存分に発揮されている
く目をこらしてみると,歓楽街のにぎわいに花を
の意見や感想を取りあげながら,図版の細部を歴
品のうち,確実に品名が確認できるもの(布ぐつ,
といえよう。
添える飲食店の建物─例えば画面手前中ほどの店
史的に考察していきたい。まずは,左端に見える
はさみ,縄など)を探すように指示し,発見の喜
本図が描かれた北宋の徽宗皇帝の治世は,社会
─は,よく見ると屋根が著しくゆがんでおり,ど
「十千脚店」という,はでな“綵 楼 歓門”のある酒
びを味わわせたい。橋の右側とその下では橋をな
情勢に大転換が起こった時代であった。士大夫を
こかうらぶれた空気を感じさせる(⑥)
。実は都
楼の前で担銭人が行っている作業を考えさせたい
はじめとする上層階級中心の社会から庶民の商業
市部の繁栄とは裏腹に,宋代には公立・私立病院
(表面C清明上河図(部分)⑤,以下同)
。この仕
活動によって支えられる社会となり,貨幣経済が
の増加や孤児院,身寄りのない老人を収容する施
事は重い銅銭ならではの「すきま産業」なのだ。
スリリングな場面が展開されている(①)
。一方,
発達,日本を含めた近隣諸国でも「宋銭」が流通
設や「漏沢園」とよばれる共同墓地建設など,社
また,銅銭(1枚=1文)の穴にひもを通して束
橋の両岸筋には宿泊所と飲食店を兼ねていると思
するようになった。都市部の人口が増加し,商業
会的弱者の救済事業も拡大していた。当時の記録
ね,1緡で100文として使用していることを別の
われる建物が連なっており,開封近郊の鎮・市な
組合の勢力が拡大したため,それまではきびしく
からは,行き倒れの人々に対する埋葬費用や,貧
図像で確認しながら,実際にはそれが公定ルート
どとよばれる小都市のようすを伺うことができる
取り締まられていた路上販売,そして非合法な商
民救済のために米蔵から米を放出した公的記録が
77枚で100文とみなされた「短 陌 慣行」であるこ
(⑨)
。これらの建物やほかの飲食店にも描かれて
業活動による店舗などによってできた「侵街」の
数多く見いだされている。しかし,こうした暗部
とを紹介したい。研究者の間でも関心を集めてい
いるテーブルや長椅子は北方遊牧民の影響を受け
存在に対しても,徐々に規制が緩和されていった。
が本図に直接描き込まれることはなかった。本図
るこの慣行は,いまだにその理由が解明されてお
て中国で徐々に定着していった,床座に対する椅
本図巻中央部分に描かれる虹橋の場面には,そう
をはじめとする都市風俗図は,皇帝をはじめとす
らず,興味深い慣習だと紹介する。ここからは宋
子座の優越を示すものとされ,アジアで唯一の椅
した北宋時代の社会状況が如実に現れている。
る貴族以上の階級の人々に献上される目的で描か
代の貨幣経済の実態や紙幣出現の背景が説明でき
子座定着国に中国がなるにいたったことの証左の
にいたるまで,実に的確に描写されていることが
ろうたくえん
さい ろう
さし
たん ぱく
えきちく
んとか無事にくぐろうとしている客船をめぐって,
怒号と歓声が飛びかい,図巻のなかで最も劇的で
虹橋は橋脚を使わず,アーチ状に木材を組んで
れたことが関係しているのであろう。ゆがんだ屋
るだろう。一方,宋銭を大量に輸入して流通させ
一つとされている。生徒には「モノ」をたどると
つくられた橋の総称である。虹の形に見えるとこ
根の店の姿に,
「社会の暗部に目を向けよ」とい
た日本でも,97枚を100文とみなす慣行が確認さ
きの「歴史的視点」の重要性を強調する。今回の
ろからこの名称でよばれた。この巨大な橋の上に
う画家からの極限的メッセージが込められている
れている。広島県福山市の草戸千軒遺跡からはつ
授業では宋代の貨幣経済の進展に伴う商業や都市
は,てんびん棒をかついだ行商人やラバ,ロバを
のか否か,それは明らかではない。いずれにせよ,
ぼにはいった大量の緡銭が発見されたことにも触
社会の発展を学ばせるとともに,軍人・女性など
使って荷物を運搬する人,馬に乗って市街を見回
開封と徽宗皇帝のたどった末路をかんがみるに,
れたい。楼門の周辺には木橋の四すみに建てられ
描かれてないものに対する歴史的洞察力や
「モノ」
る役人らしき人物なども見え,さながら諸職の見
皇帝や貴族たちが当時の社会の暗部を見直す機会
た,木彫の鶴を柱頭とする「華表」とよばれる標
に対する歴史的思考力も高めていきたい。
本一覧といった様相を呈している(②)
。橋のた
は,残念ながら訪れなかったようである。
柱(⑦)や子どもにおもちゃを売ろうとしている
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