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インディゴ モーブ

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インディゴ モーブ
インディゴ
モーブ
ド イ ツ の 化 学 者 ア ド ル フ ・ フ ォ ン ・ バ イ ヤ ー は 1865 年 に イ ン デ ィ ゴ の 研 究 を 始 め 、1880
年 、 o- ニ ト ロ ベ ン ズ ア ル デ ヒ ド と ア セ ト ン に 水 酸 化 ナ ト リ ウ ム 、 水 酸 化 バ リ ウ ム 、 ま
たはアンモニアの希薄溶液を加える方法によってその合成に成功し、3 年後に構造を
報 告 し た 。 1897 年 に BASF に よ っ て 工 業 的 合 成 法 が 開 発 さ れ 、 1913 年 ま で に は 天 然 イ
ンディゴはほぼ合成インディゴにとって代わられた。
2002 年 の 全 世 界 に お け る イ ン デ ィ ゴ 生 産 量 は 1 万 7 千 ト ン で あ る 。
19 世 紀 に は イ ギ リ ス は イ ン ド か ら 大 量 の イ ン デ ィ ゴ を 輸 入 し て い た が 、 合 成 法 が 登 場
するとインディゴ農家は職を失った。
モ ー ブ ( Mauve ) は 1856 年 に ウ ィ リ ア ム ・ パ ー キ ン が 発 見 し た 世 界 初 の 合 成 染 料 で あ
る 。 モ ー ベ イ ン ( Mauveine ) 、 ア ニ リ ン パ ー プ ル と 呼 ば れ る こ と も あ る 。 紫 色 の 色 素 で
あり、アニリン染料に属する。モーブはフランス語のアオイを意味する語から名づけ
られた。
ウィリアム・パーキンは当時イギリスの王立化学大学に招聘されていたアウグスト・
ヴィルヘルム・フォン・ホフマンに師事していた。パーキンはイースターの休暇で自
宅に戻っていた際に、自宅の実験室でキニーネの合成法を研究していた。当時は分子
の構造についての概念が未熟であったため、パーキンは当時知られていたキニーネの
分 子 式 ( C20H24N2O2 ) を 元 に 、 ア リ ル ト ル イ ジ ン ( C10H14N ) を 酸 化 し て や れ ば 合 成
が可能ではないかと考えた。そこでクロム酸で酸化してみたが褐色のタール状混合物
が得られただけであった。
そこで今度はアニリンを同様の方法で処理してみた。同じように黒色のヤニが得られ
たが、これをエタノールに溶かしてみたところ紫色の溶液が得られた。当時のヨーロ
ッパでは紫色の染料は極めて高価な貝紫しか知られていなかったので、パーキンはこ
の溶液を染料として用いることを考えた。そしてこの溶液が絹を染める能力を持つこ
と、綿についても前処理することで染色が可能なことを発見した。染料として使える
程度の耐候性もあることが分かった。
そ し て パ ー キ ン は こ の 染 料 に つ い て の 特 許 を 取 得 し 、ホ フ マ ン の 反 対 を 押 し 切 っ て 1857
年 に こ の 染 料 を 製 造 す る 工 場 を 設 立 し た 。 1862 年 に は ロ ン ド ン 万 国 博 覧 会 に お い て ヴ
ィクトリア女王がモーブで染色した絹のガウンをまとった。しかし、モーブはイギリ
スでは保守的な染料業者が多かったためあまり評価が高くなかったこと、同じような
アニリン染料であるフクシンが直後に発見されたことから大きな成功を収めたとは言
いがたい。
イ ン デ ィ ゴ の 主 な 用 途 は 綿 製 の 服 や 青 い ジ ー ン ズ の 染 色 で あ る 。 世 界 中 で 10 億 着 以 上
のジーンズがインディゴで青く染められている。また、長年にわたりウール生地を深
いネイビーブルーにするため使われてきた。繊維に強く定着しないため、着古したり
洗濯を繰り返すうちに徐々に染料が落ちていく。
食品添加物、着色料としてはスルホン化したインジゴチンまたはインジゴカルミンの
形で用いられる。ジスルホナートは食品衛生法で青色 2 号、アメリカ連邦食品医薬品
化 粧 品 法 ( FD&C ) で Blue No. 2 の 名 で 指 定 さ れ て い る 。
インディゴは顔料であるから、顔料や絵具としても供給されている。ただし、絵具名
にインディゴないしインジゴを冠するだけの代替品も数多い。
天然には数種の植物に由来する。
インディゴ染色の最も古い中心地はインドであったとされている。グレコローマン期
のヨーロッパは主にインドからインディゴを輸入していた。インディゴを介したイン
ド と ギ リ シ ャ の 交 流 は 、 こ の 染 料 を 意 味 す る ギ リ シ ャ 語 indikon に 反 映 さ れ て い る 。 ロ
ー マ 人 は イ タ リ ア 語 で の 語 源 と な っ た indicum の 語 を 用 い 、 こ れ が 英 語 indigo と な っ
た。
紀元前 7 世紀のバビロニアの楔形文字で書かれた板には毛織物の染色法が記されてお
り 、 布 へ の 染 料 の 浸 透 ・ 乾 燥 を 繰 り 返 す こ と に よ っ て ラ ピ ス 色 の 毛 織 物 ( uqnatu ) が 作
られていた。インディゴは主にインドから輸入されていたと考えられている。
ローマ人はインディゴを顔料、医療用、化粧品として用いていた。アラブの商人によ
ってインドから地中海に輸入される高級品であった。
中 世 ヨ ー ロ ッ パ で は イ ン デ ィ ゴ は 貴 重 品 で あ り 、 ウ ォ ー ド ( woad ) と い う 、 同 名 の 植
物から採取される染料が代用品として用いられた。
15 世 紀 後 期 、 ポ ル ト ガ ル の 探 検 家 ヴ ァ ス コ ・ ダ ・ ガ マ に よ っ て イ ン ド 洋 航 路 が 発 見 さ
れ、インドや香料諸島、中国、日本と直接貿易することが可能になった。これにより
ペルシア、レバント、ギリシャの中間商人に関税を支払わずに済むようになり、また
それまでの危険な陸路は不要になった。その結果、ヨーロッパでのインディゴの輸入
量・使用量は激増した。大量のインディゴがポルトガル、オランダ、イギリスの港を
通してアジアからもたらされた。スペインは南アメリカの植民地から輸入した。ヨー
ロ ッ パ の 列 強 国 に よ っ て 、熱 帯 地 方 に 多 く の イ ン デ ィ ゴ の プ ラ ン テ ー シ ョ ン が 作 ら れ 、
ジャマイカやサウスカロライナは有数の生産地となった。インディゴプランテーショ
ンはヴァージン諸島でも成功を収めた。一方、フランスやドイツはウォードの染料工
業 を 保 護 す る た め 1500 年 代 に イ ン デ ィ ゴ の 輸 入 を 禁 止 し た 。
西アフリカにおいてインディゴは数世紀の歴史を持つ伝統的織物の基礎であった。こ
こではインディゴの利用は前時代から一般的なものである。サハラ砂漠からカメルー
ンの遊牧民族であるトゥアレグにとって、インディゴで染められた衣服は裕福さの印
であった。ほとんどの地方で女性はこの染料で服を染め、特にナイジェリアのヨルバ
やマリのマンディングはその技術の高さで良く知られる。ハウサ族の男の間では、ピ
ットと呼ばれる作業所で染め物屋として働くことが古都カノで富を作る基本的な稼ぎ
口であり、今日でも同じピットで作業を行う姿が見られる。
古くはエジプト古王朝時代の亜麻布にも見られる。
日本ではかつてタデ科の蓼藍が使われていたが、琉球では在来の琉球藍(キツネノマ
ゴ科)より色鮮やかなマメ科の印度藍が栽培されるようになった。日本では、絹を使
うことが禁止され、綿の輸入と栽培を行うようになった江戸時代にアイが特に重要に
なった。綿の繊維をアイ以外で染めるのは難しかった。
青い海や自然が想起されることから、浴衣の色としてのアイの使用は高く評価される
ようになった。
フクシン
フ ク シ ン ( Fuchsine )ま た は ロ ー ズ ア ニ リ ン 塩 酸 塩 は 紅 紫 色 染 料 で あ る 。
実際には類似する化合物の混合物であり、その構成物質は様々な名で呼ばれる。
固体では暗緑色結晶だが、水に溶けて紅紫色になる。織物を染める他、細菌の染色、
消毒に用いられる。
フ ク シ ン は 1858 年 、 ア ウ グ ス ト ・ ヴ ィ ル ヘ ル ム ・ フ ォ ン ・ ホ フ マ ン に よ っ て ア ニ リ ン
と 四 塩 化 炭 素 か ら 合 成 さ れ た 。 François-Emmanuel Verguin は ホ フ マ ン と 同 年 、 独 立 に こ の
物 質 を 発 見 し 特 許 を 取 っ た 。 " フ ク シ ン " と い う 名 は そ の 製 造 業 者 Renard frères et Franc に
よって付けられた。由来は諸説あるが、植物学者レオンハルト・フックスに献名され
た 植 物 フ ク シ ア ( 花 の 色 が 似 る ) に 因 む と い う 説 、 自 身 の 名 Renard ( キ ツ ネ ) を ド イ ツ 語
に し た Fuchs に 由 来 す る と い う 説 が あ る 。 1861 年 の Répertoire de Pharmacie に よ る と 、 双
方の理由で命名したようである。
媒染
媒 染 ( ば い せ ん 、 英 : mordanting ) は 、 染 色 の 過 程 に お い て 、 染 料 を 繊 維 に 定 着 さ せ る
工程のこと。染料に漬ける前に繊維を処理する先媒染と、染料に漬けてから処理する
後媒染、染色と同時に媒染処理する同時媒染の方法がある。媒染を要する染料を媒染
染料、媒染に使う薬品を媒染剤という。ウコンやキハダなど媒染を要しない例外もあ
るが、天然染料の多くは媒染を必要とする。
媒染剤
有機媒染剤としては、タンニンや硫化フェノールなどが用いられる。無機媒染剤とし
ては 4 配位または 6 配位の金属イオン、なかでもアルミニウムイオン、鉄イオン、ク
ロムイオン、銅イオン、錫イオン、ニッケルイオンなどが主に用いられる。具体的に
は、二クロム酸カリウム、塩化鉄、塩化錫、ミョウバン、硫酸銅、酢酸銅、酢酸アル
ミニウムなどが使われている。中には劇物に該当するものもあるため、趣味の染織工
芸などでは天然材料である鉄漿や灰汁なども使用されている。大島紬などでは泥に含
まれる鉄分で媒染を行っている。
インディゴ
モーブ
モーブを構成する色素モーベインは主に 2 種類の色素モーベイン A とモーベイン B の
混 合 物 で あ る 。 こ れ ら の モ ー ベ イ ン の 構 造 は 1994 年 に 確 定 し た 。
モ ー ベ イ ン A( 左 ) と モ ー ベ イ ン B( 右 ) の 構 造 式
フクシン
マ ゼ ン タ と も い う 。「 あ ざ や か な 赤 紫 」。 紫 み を 帯 び た 赤 の こ と 。
イタリアの古戦場マゼンタの地名に由来する。
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