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周波数変調半導体レーザーを用いたセシウム原子の

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周波数変調半導体レーザーを用いたセシウム原子の
日本金属学会誌 第65巻 第 6 号(2001)534–538
周波数変調半導体レーザーを用いたセシウム原子の
速度分布制御
深 谷 勇 次
佐藤俊一
東北大学多元物質科学研究所
J. Japan Inst. Metals, Vol. 65, No. 6 (2001), pp. 534–538
 2001 The Japan Institute of Metals
Velocity Distribution Control of Cesium Atoms by Frequency Modulated Diode Laser
Yuji Fukayaand Shunichi Sato
Institute of Multidisciplinary Research for Advanced Materials, Tohoku University, Sendai 980–8577
A simple control method for the velocity distribution of cesium atoms is demonstrated using a frequency modulated diode
laser with a wider spectrum. Current to the diode laser was modulated and the laser spectrum was broadened to overlap the Doppler broadening of the atomic beam. The reduction of the atom velocity was achieved on the basis of the laser cooling technique
and a single narrow peak at approximately 45 m/s was observed. From a view point of a novel purification process, the possibility
to deflect this cooled cesium atomic beam was discussed to spatially separate the beam from impurities.
(Received March 7, 2001; Accepted May 2, 2001)
Keywords: laser cooling, cesium, atomic beam, frequency modulation, deflection, purification
ことから,同位体や中性原子の精製法として有望な高選択性
1.
緒
言
精製法であると言える.
提案する高純度精製法を実現するには,偏向する前の原子
近年,半導体や情報記録素子に代表される材料の高機能化
ビームには,できるだけ速度分布幅が狭く,かつ低速度であ
への動きがいっそう加速され,原子・分子レベルでの微視的
ることが望まれる.これは,不純物との分離に必要な空間領
構造を制御し,新機能を有する人工物質を創成する試みが盛
域を狭くし,また同時に偏向角度を大きくして分離効率を向
んになりつつある.そのための基盤技術として,物質の高純
上させるためである.
度化への要望もますます強まっている.我々はこのような動
向を踏まえ,超高純度精製の新しいプロセス開発の試みとし
て,レーザー光と原子の相互作用を利用して原子を冷却する
温 度 T の 原 子 ビ ー ム は 以 下 に 示 す よ う な , Maxwell–
Boltzmann 速度分布則に従って広がっている1).
f(vz )=(v 3z/2 ãv 4 ) exp (-v 2z/2 ãv 2 )
レーザークーリング1)と呼ばれる技術を用いた新しい手法を
ここで,f ( vz )は確率分布関数, vz は原子の運動速度, m は
提案し,その実現に向けて基礎研究を行っている.
原子質量,kB はボルツマン定数である.また, ãv は kBT/m
レーザークーリングは,原子に固有の共鳴周波数のレー
で定義され,原子速度の 2 乗平均の平方根である.この速
ザー光を照射して吸収と放出過程を繰り返すことにより,原
度分布はドップラー効果を生じるため,原子の吸収スペクト
子に力学的な力を及ぼし,運動すなわち速度を制御する技術
ルも同様に広がっている.一般の原子では,この広がりは数
である.一般に原子の共鳴周波数は,原子の種類や状態によ
MHz 以上となり,周波数を制御された一般のレーザー光源
って大きく異なっており,ほぼ単色光であるレーザー光を利
のスペクトル幅よりも十分に広い.このような速度分布を持
用すれば,特定の原子のみに選択的に力を作用させることが
つ原子ビームに対して周波数を固定したままのレーザー光で
可能となる.したがって以上のような要領で,超高真空中で
クーリングを行うと,レーザースペクトル幅内の原子は減速
レーザークーリングを行い,目的原子のみの運動を制御すれ
されるものの,それ以外の速度を持つ原子は全く影響を受け
ば不純物を空間的に分離することによって,物質の超高純度
ないことになり,結局速度分布全体に対して一部分の原子し
精製が可能になると考えられる.例えば,まず一方向に運動
かクーリングされない.したがって,より低速度側で狭い幅
する原子ビームに対向するように,レーザー光を照射すると
を持った速度分布にするには,なんらかの方法で原子の速度
仮定する.目的原子のみを十分減速させた後,別の方向から
変化に伴うドップラーシフトの変化分を補償する必要があ
レーザー光を照射し,偏向することによって目的原子のみを
る.すなわち,原子速度分布全体に渡って対応する周波数の
空間的に分離,回収する方法である.この方法は光のみを使
レーザー光が存在するようにしなければならないが,一般的
うため,非接触で目的原子だけに力を作用することが出来る
には次に示す二つの方法が知られている.
東北大学大学院(Graduate Student, Tohoku University)
第一の方法は,レーザー光の周波数を時間的に掃引する方
第
6
号
周波数変調半導体レーザーを用いたセシウム原子の速度分布制御
535
法であり,原子ビームはパルス状になる2).第二の方法は,
レーザー光の周波数は固定しておき,原子を磁場中に通して
ドップラーシフトをゼーマンシフトで補償する方法であ
る3).我々の目的である物質の精製という観点から,上記の
レーザークーリング法を考えると,第一の方法では定常的な
冷却原子ビーム状態を作り出すことができないため,分離プ
ロセスがより複雑になるという欠点がある.また第二の方法
では定常的な冷却原子ビーム状態を作り出すことが可能であ
るが,サブ T 程度の大きな磁場を必要とすることや,磁場
を発生させるソレノイド部分でしかクーリングを行うことが
できず装置が大規模になってしまうという問題がある.
このような理由から,簡便で安価な方法として,我々は原
Fig. 1 Block diagram of experimental setup for velocity distribution control of cesium atoms by frequency modulated diode
laser.
子ビームのドップラー広がりよりは狭いものの,スペクトル
的にブロードなレーザー光を用いる方法を提案する.
レーザー光の電場 E は,周波数 fM で変調すると次式のよ
うに表される.
∞
E/E0=J0( b ) sin (2pf0t )+∑Jn( b )[sin 2p( f0+nfM )t
管で検出して,その強度を Lock–in アンプで測定した.
n= 1
3.
+(-1)n sin 2p( f0-nfM )t]
実験結果および考察
ここで, E0 は光の振幅, f0 はレーザー中心周波数, b は変
調指数, Jn は n 次のベッセル関数である.これより,複数
Fig. 2 (a )はメインレーザー光の FM 変調前のスペクトル
の側帯波が中心周波数の両側に変調周波数 fm の間隔で立つ
である. Fig. 2 ( b )は( a )のレーザーに対して電流を周波数
ことが解る.このように,レーザーに周波数変調を行うと,
10 MHz で変調した場合のスペクトルであり,半値幅が約
単一周波数のレーザー光が,スペクトル的にブロードなレー
300 MHz であることが解る.本論文ではこの半値幅を,
ザー光になる4,5) .このようなレーザー光は,原子の速度変
レーザー光のスペクトル幅と呼ぶことにする.変調電流を変
化に伴うドップラーシフトの変化分を補償し,定常的な冷却
えることにより,レーザー光スペクトルを約 500 MHz まで
原子ビームを作り出すことを可能にする.
変化させることができることを確認した.本実験条件下で
本論文では,新しい超高純度精製法のプロセスを確立する
は,セシウム原子速度分布の半値幅は約 260 MHz であるた
ために必要なレーザー光源を開発し,その基本的特性を明ら
め,周波数変調によって十分な幅のレーザースペクトルが得
かにするために,セシウム原子のレーザークーリングを行っ
られたと考えられる.
た.その実験結果をまとめ,物質精製という観点を中心に考
Fig. 3 に,周波数変調を行っていない状態のレーザー光に
よる,クーリング前後のセシウム原子ビームの速度分布変化
察する.
を示す.レーザー光の中心周波数はドップラーシフト約
2.
実
験
方
法
- 270 MHz に 合 わ せ た . 図 中 Before Cooling と は , レ ー
ザー光周波数をセシウム原子ビームの吸収スペクトルよりも
Fig. 1 に実験装置の概要を示す.オーブン内で加熱された
はるかに高周波数側にした場合であり,レーザーの影響が全
セシウム原子は,二つのアパーチャーにより十分細い定常的
く無視できて,クーリングが起こっていないと考えられる場
な原子ビームとなる.それに対向するように,スペクトル幅
合である.図から解るように,レーザー光の中心周波数を
の広い 2 つのレーザー光を入射し,クーリングを行う.セ
- 270 MHz に設定した場合,その速度に対応する原子の分
シウム原子の基底状態には 9193 MHz という大きな超微細
布が減少し,それに対応して低速度側の原子分布が増加し,
分裂( F = 3, 4 )がある.よって基底状態の F = 4 から励起状
約- 220 MHz にピークが現れている.このような結果は,
態への遷移をクーリングのサイクルに用いた場合(メイン
異なる周波数に対しても観測されており,そのレーザー光の
レーザーの周波数に対応),自然放出で基底状態の F = 3 へ
周波数に対応したドップラーシフトを持つセシウム原子のみ
遷移してしまう一部の原子はメインレーザー光では励起でき
が力を受けて減速され,低速度側にセシウム原子ビームの
ないことになる.そこで基底状態の F=3 から励起状態の F
ピークが生じることが解る.しかしながら,レーザー周波数
=4 に励起して原子をクーリングサイクルに戻すため,別の
が固定された場合は,その周波数に対応した原子は減速され
レーザー光源(ポンピングレーザー)が必要となる.チャン
るものの,大部分の原子の速度は全く変化していない.そこ
バー 内は , 4 種類 の真 空ポン プを 使用 し,左 側で は
10-5
で,レーザー光のスペクトルを何らかの方法で広げることに
Pa ,右側では 10-8 Pa 程度の高真空を保っている.セシウ
より,原子分布をより低速度側に掃き寄せることが可能にな
ム原子の速度分布は,リットマン型外部鏡半導体レーザーを
ると考えられる.
プローブレーザーとして用いて測定した.この時,光チョッ
Fig. 4 はレーザー光の中心周波数をセシウム原子のドップ
パーでプローブレーザー光を強度変調し,発光を光電子増倍
ラーシフト約- 280 MHz に固定し,徐々にスペクトル幅を
536
日 本 金 属 学 会 誌(2001)
Fig. 2
第
65
Spectral broadening of diode laser by frequency modulation. (a) before modulation, (b) after modulation.
Fig. 3 Variation of velocity distribution of cesium atoms
without frequency modulation.
Fig. 4 Variation of velocity distribution of cesium atoms for
different spectral widths of frequency modulated diode laser.
広げていった場合のセシウム原子ビームの速度分布変化の例
を示している.レーザー光スペクトル幅が広がるにしたがっ
て,速度分布のピーク速度が減少しており,わずかながらも
その半値幅が狭くなっていることが解る.また,クーリング
される原子速度の幅はレーザースペクトル幅よりもやや大き
い.これは,レーザースペクトルのすその部分でもクーリン
グが行われるためである.
熱力学的な原子ビームの到達温度は,原子速度分布の半値
幅から求めることができる.熱平衡状態にある一方向に運動
する原子ビームの場合,その到達温度は, Dv を原子速度分
布の半値幅,l を共鳴波長とすると,
T=Dv2l2m/(8kB ln 2)
と表される. Fig. 4 より,レーザー光スペクトル幅が 280
MHz の場合,セシウム原子ビーム速度分布の半値幅は 54
MHz であるので,この式よりその温度は 6.1 K であると計
算される.
Fig. 5 は,Fig. 4 で得られた結果を基にして,レーザー光
のスペクトル幅に対するセシウム原子ビームピーク強度比を
表したグラフである.ここで,クーリングをしない場合の
Fig. 5 Variation of peak intensity ratio of velocity distribution
as a function of laser spectral width.
巻
第
6
号
周波数変調半導体レーザーを用いたセシウム原子の速度分布制御
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ピーク値を 1 としてある.図より約 200 MHz までは,スペ
横方向からの光子を吸収すればするほど横方向に速度成分を
クトル幅を広げることによって冷却される原子が増加しピー
持つため,レーザー光はある強度のスペクトル幅を有する必
ク強度比も増加していることが解る.しかし,スペクトル幅
要があり,その速度変化分を考慮した値である.一般的な半
が 240 MHz 以上では逆に減少している.ピーク強度が減少
導体レーザーはこの程度のスペクトル幅を有している.
する要因のひとつは,光子のランダムな自然放出によって起
速度 v のセシウム原子がレーザー光幅 l を通過する時間 t
こる横方向ヒーティングであると考えられる.原子は対向す
は, t=l/v=2.2 ×10-4(s )である.セシウム原子が光子を吸
るレーザー光の吸収と放出過程を多数回繰り返すことによっ
収する回数 N は,セシウム原子の光の吸収放出サイクル時
て減速するわけであるが,放出過程においては方向がランダ
間を ts (= 62 ns )とすると, N = t / ts = 3.6 × 103(回)となる.
ムなために,全体としての向きは保たれるものの徐々に横方
セシウム原子が光子を 1 つ吸収することにより変化する速
向の運動量が増加してビーム径が広がってしまい,原子密度
度 Dv は,セシウムの原子質量を m,プランク定数を h,セ
が減少する.このような原子密度の減少により,原子ビーム
シウ ム原子の共 鳴波長を l とすると , Dv = h / ml = 3.5 ×
全体の発光が減少し,これに伴ってピーク部の強度も減少し
10-3 ( m / s )となる.したがって,セシウム原子が光子を N
ていると思われる.同様の結果は他のクーリング実験でも報
個吸収した後の,進行方向と垂直の偏向方向速度 vy は vy =
告されている6).
NDv=13(m/s)となる.進行方向からの角度 u は,u=A tan
Fig. 6 は,レーザー光のスペクトル幅に対するセシウム原
(v /vy )= 16( degrees )であることが解る.以上のように,偏
子ビームのピーク速度変化を示すグラフである.ただし,原
向用のレーザー光を使うことにより,今回のクーリング実験
子速度はドップラーシフトで表している.図より,レーザー
で得られたセシウム原子は初期のビーム進行方向から 16 度
光のスペクトル幅が広がるほど,ピーク速度は 0 に近づい
の角度で偏向される.こうして偏向されないセシウム原子以
ていることが解る.レーザー光スペクトル幅が 280 MHz の
外の不純物とは空間的に分離されることになる.
場合のピーク速度は,-53 MHz のドップラーシフトに対応
さらに偏向されない原子の進行方向距離を L とすると,
し,これは原子速度にして 45 m/s である.クーリング前が
の角度で偏向された原子がビーム垂直方向に離れる距離
16 °
-342 MHz (原子速度292 m/s )だったことから,1 /6 以下
Ly は,例えば L = 30 cm の場合 Ly= 8.6 cm, L = 50 cm の場
に減速されたことになる.
合 Ly = 14.3 cm となる.これらの値は不純物の分離に十分
ここで,以上で得られた原子ビームに対して,精製プロセ
な距離であると言える.
スの観点から偏向の可能性について検討する.セシウム原子
を偏向して不純物と分離するためには,原子ビームの進行方
4.
結
言
向に垂直な方向からレーザー光を照射するのが一番簡単な方
法であると考えられる.原子ビームでは,進行方向に対して
半導体レーザーの電流を変調して,スペクトル的にブロー
垂直な方向の速度成分はほぼゼロであるから,偏向用レー
ドなレーザー光を開発した.このレーザー光はセシウム原子
ザー光の周波数はセシウム原子の共鳴周波数で良い.
ビームをクーリングするのに,十分なスペクトル幅を持つと
今,原子ビームの進行方向に対して幅 l=10 mm ,スペク
考えられた.
トル幅 15 MHz のレーザー光を仮定し,Fig. 4 で得られた速
単一周波数のレーザー光でクーリングを行った場合には,
度 45 m/s(ドップラーシフト DvD=53 MHz)のセシウム原子
クーリングされる原子は一部に限られ,ドップラーシフトの
ビームの偏向を考える.ここで, 10 mm という幅は,実用
変化分を補償する方策が必要であることが認められた.これ
的な半導体レーザー光として妥当な値である.また, 15
に対して,FM 変調レーザーを用いてクーリングした場合に
MHz というスペクトル幅は,後述するように原子ビームは
は,広い速度分布でのクーリングが観測された.レーザーの
スペクトル幅が 280 MHz の場合には,セシウム原子ビーム
速度分布の半値幅は 54 MHz,対応する温度として 6.1 K が
得られた.この時,-53 MHz のドップラーシフトに相当す
る 45 m/s のピーク速度が得られた.もう一つのレーザー光
源を用いて,このようなクーリングされたセシウム原子ビー
ム を 偏向 する と仮 定 する と ,例 えば 偏向 後 30 cm に お い
て,原子ビーム進行方向と垂直な方向に 8.6 cm の空間的な
差が生じると見積もられた.これは不純物の分離に十分な距
離であると考えられた.
本研究の一部は文部科学省科学研究費補助金によって行わ
れた.
文
Fig. 6 Variation of Doppler shift peak frequency of velocity
distribution as a function of laser spectral width.
献
1) H. J. Metcalf and P. van der Stranten: Laser Cooling and Trap-
538
日 本 金 属 学 会 誌(2001)
ping, (Springer–Verlag, 1999)
2) W. Ertmer, R. Blatt, J. L. Hall and M. Zhu: Phys. Rev. Lett.
54(1985) 996–999.
3) W. D. Phillips and H. Metcalf: Phys. Rev. Lett., 48(1982)
596–599.
4) K. Soichi and K. Tatsuya, IEEE. J. Quantum Electron. QE–
18(1982) 575–581.
第
65
巻
5) S. Kobayashi, Y. Yamamoto, M. Ito and T. Kimura, IEEE. J.
Quantum Electron. QE–18(1982) 582–595.
6) D. Sesko, C. G. Fan, and C. E. Wieman: Opt. Lett. 5(1988)
1225–1229.
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