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ジ・エンジニア(The Engineer)および 日本の建設コンサルタントの現状と
ジ・エンジニア(The Engineer)および 日本の建設コンサルタントの現状と方向について 鶴島 郁之輔 国際的な契約システムに基づく三者関係における、ジ・エンジニアの役割を解説し、 わが国の建設コンサルタントの現状とこれからの方向について論述する。 1. ジ・エンジニアの役割 発注者と工事施工監理契約を結んだ建設コンサルタントの一員として、私は 30 歳代に ジ・エンジニア(The Engineer)の立場で、赤道直下ボルネオ島の東マレーシアの港湾 建設プロジェクトに参加し、昭和 46 年から約 4 年間現地に駐在して経験した。 海外業務の経験としてこの他、請負者としても2∼3のプロジェクトを参加することが できた。 その過程で最も印象が強かったことは、エンジニアリング関係のシステムの相違であっ た。なかんずく、ジ・エンジニア(建設コンサルタント)の役割、立場が国内と海外では きわだった違いがあることであった。 マレーシアは英国から独立した国で、多民族の国家を横断的に統一する法制、行政、経 済、軍事、教育などはほとんど英国のシステムから成り立っているといっても過言ではな い。公用語はマレー語となっているが、公文書は英語が使用されており、異民族間のコミ ュニケーションも、もちろん英語である。建設事業も当然英国のシステムによって運営さ れている。 英国におけるジ・エンジニアは、発注者および請負者と共に三者関係の重要な一角を占 め、発注者との契約によってプロジェクトに関与する。日本の公共土木事業においては発 注者と請負者の二者関係(甲乙関係)のみで、ジ・エンジニアは過去、現在においては存 在しない。公共土木工事標準請負契約約款をみても甲乙関係のみで、丙となるべきジ・エ ンジニアはどこにも見あたらない。技師としての立場も監督職員、現場代理人、主任(監 理)技術者の名称で甲乙の従属的当事者として業務を担当しているに過ぎない。 この三者関係のシステムは、旧英領をはじめ米国などの英語圏のみならず、発展途上国 のプロジェクトでも広く用いられ、世界銀行、アジア開発銀行などの国際開発機関の融資 プロジェクトでも実施されている。これは三者関係を基本とした〈 (注1)=参考文献末尾 参照以下同じ〉 1 FIDIC 契約約款がこれらの国々の公共事業や国際機関に広範囲に採用されていることか らもそれがうかがえる。 ではなぜ私たち日本と違った、三者関係によるシステムが世界に拡がったのだろうか。 それは日の没するところなき大英帝国の歴史的背景もその理由のひとつであろうが、なん といってもこの方式こそが発注者と請負者の間に公正と公平をもたらすものだという、確 固たる理念からくるものと考えられる。 これは西欧における法の認識からくるものであろうか。具体的には契約という概念に達 するものといえるのではないだろうか。 このジ・エンジニアの萌芽は産業革命の爛熟期の19世紀中期といわれているから、約 150 年以上の歴史がある。 わが国の建設事業のシステムは前述のとおり、二者関係(甲と乙)からなる。この二者 関係が大勢を占めるようになったのは、戦後のことである。それまで公共事業は直営工事 で施工されていたのである。すなわち甲だけですべての事業を遂行していたのである。し たがって、三者関係におけるジ・エンジニアと唐突にいったところでなかなか理解が得ら れないかもしれない。 建設コンサルタントがジ・エンジニアとして行動するためには、発注者との全面的な信 頼関係に基づき、発注者の代理人たる人格が要求される。ここで誤解を受けやすいのは発 注者の代理人という立場を発注者の支配下で、そこから報酬を受けそれに従属していると いうという考え方である。 もちろん、発注者は自由にジ・エンジニアを選ぶことができるが、一旦契約を結べばそ の立場は対等で、「独立」と「専門職」という倫理で行動するものである。 それではジ・エンジニアはどのような社会的役割を求められているのだろうか。日本の コンサルティング・エンジニア(CE)を代表して FIDIC に加盟している、(社)日本コンサ ルティング・エンジニア協会ではその定義(注5)を「一般社会を対象として技術業務を 主業として営む民間の専門技術者で、中立的な立場を保持しつつ、その提供する業務によ って依頼主の利益に奉仕することを職分とする。 」とある。やや抽象的なので海外プロジェ クトを例として具体的な業務内容を簡単に整理してみよう。 1.投資前調査(事前調査、マスタープランを含む) 2.可能性調査(フィージビリティ・スタディである。現状分析から始まって、開発目 標の設定、需要予測、計画設計、管理運営、経済財務分析などを行う) 3.資金調達あるいは協力に関して発注者への助言、援助 4.実施設計(デフィニット・デザインである。自然条件、施工条件調査や施設の設計 から契約約款を始めとする契約図書の作成など、一切の業務を行う。もちろん積算 2 も重要な業務である) 5.入札招請および指名入札者の選定について発注者への助言、援助 6.入札書の審査および評価、上位入札者との交渉 7.請負者決定および工事契約について発注者への助言、援助 8.工事施工監理(工事期間中ほとんど一切の権限が発注者から委任される) 9.工事完成証明書の発給、工事完成報告書の作成 このように見るとジ・エンジニアはすべてに参画していることが分かる。詳細な責務、 たとえば工事施工監理については FIDIC 契約条件書(注5)に明記されているので、ご 一読いただきたい。 ジ・エンジニアは非常に重要な役割を担っていて、意見、指示、証明あるいは評価な ど、プロジェクトの全般にわたるいわば司令塔である。三者関係の一角を独立と専門職 という倫理で確固たる地位を占めている。 発注者と請負者の間で生じた紛争の一次裁定者となり、またあらゆる証明書の発給を 行う。したがって発注者は開発プロジェクトの発動、ジ・エンジニアの選定、資金調達 および請負者との工事契約の締結、契約金の支払いのみ行えばよく、その他すべての業 務はジ・エンジニアが行動するのである。個々の業務を記述すると長大な文章となるの でここでは省略する。日本の建設コンサルタントが海外で仕事を行うときは、概ね前述 のような広範囲の業務を行う能力が要求されることになる。 FIDIC の1990年版にはじめて紛争裁定委員会(DAB)の条文が設けられ、欧米で はよく活用されていると聞いている。この制度により紛争の早期解決が可能となってい る。日本でいう第三者委員会である。官民とも昨今やっと模索をはじめたようだ。 また土木技術の雑誌などで FIDIC がよく採り上げられるようになった。 3 発 注 者(甲) 委託契約、調査請負契約 建設関連三業種 工事請負契約 コンサルタント・測量・土質 請 負 者(乙) 図−1 二者関係 発 注 者 THE EMPLOYER ㋑予備調査契約 ㋺フィージビリティ調査契約 工事請負契約 ㋩実施設計契約 ㊁工事監理契約 エンジニア 請 負 者 THE ENGINEER THE CONTRACTOR 注)実線は契約関係 破線は監理関係 図―2 三者関係 4 2. わが国の建設コンサルタント わが国で建設コンサルタントが知識産業のひとつとして創設されたのは、昭和 30 年代 以降の高度経済成長期にあたって、発注者内部の技術者不足を補うため業務の一部であ る、調査、設計などを外部に発注したのが契機であった。この場合の発注者とは国の省 庁、地方公共団体、また鉄鋼、石油、造船などの民間会社等を意味する。 もちろんこれ以前にも、植民地から帰国した技術者諸氏により創設されたコンサルタ ントもあったが、政府省庁の技術者 OB から組織された建設コンサルタントはほとんど この 30 年代に生まれている。この経過を整理してみると、昭和 26 年に日本技術士会発 足、32 年技術士法制定、33 年第 1 回技術士試験、39 年建設コンサルタント登録規定制 定と、この時期に建設技術コンサルタントの制度が確立されている。 それからであるから、 たかだか 40 年∼50年という若い産業であることは間違いない。 土木関係コンサルタント(注 2、注7)の登録業者数は、平成 19 年度で 4,042 社、受 注額の総計は約 3800 億円、単純平均で 1 社当たり1億円に満たない。業界最大手の日本 工営の受注額は約 345 億年、パシフィック・コンサルタントで 332 億円程度である。 ちなみに 2010 年度(平成 22 年度)の建設投資の総額は約 40 兆 7000 億円と推定されて いる。 以上のように建設コンサルタント業は業歴が浅く、経営基盤の脆弱性、技術力の低迷 と偏在性、国際性の欠如などつとに指摘されその改善が繰り返し要望されて現在に至っ ている。プロジェクトの発掘からそれの完成まで一貫したサービスを提供できる建設コ ンサルタントは 4000 社の中でどの程度であろうか。 山木(注3)は建設コンサルタントを技術業務の程度によって次のように分類してい る。 (イ) 一貫したコンサルティング・サービスを提供できる総合建設コンサルタント (ロ) 特殊技術やきわめて専門的な分野でのサービスを提供し得る、特殊技術コンサ ルタント。例えば航空写真測量、地質・土質、あるいは交通量調査など。 (ハ) 発注者内部の技術者不足あるいは繁忙期の業務の一部を補うための、調査、設 計サービス会社。例えば構造物の設計だけを行うもので、これらは厳密な意味で コンサルタントとはいえない、としている。 (イ)に値する総合建設コンサルタントは何社あるであろうか、心許ない限りであ る。ほとんど大半は(ハ)の区分ではないだろうか。 これまでも発注者サイドやその他各方面から建設コンサルタントの育成が繰り返しい われてきたが、依然として体質改善の兆しがないのはなぜであろうか。 (ハ)のサービス 会社が多いのはどうしてか。 日本の公共事業は武田堤で有名な群雄割拠の時代より計画から施工まで、概ね直営工事 5 で施工されてきた。請負という形態が導入されたのは、たかだか明治維新以後の現代にお いてと考えられる。港湾工事は昭和 30 年頃までは直営施工であったし、関門航路の特殊 浚渫船は直営船舶であることはご存じのとおりである。このように長い間、公共工事は発 注者自体が技術陣や建設資機材をかかえ、調査・設計から施工まですべての業務を行って いたわけで、発注者自体が請負者とジ・エンジニアを兼ねていたわけである。 工事請負は昭和 25 年に公共工事標準請負契約約款が制定され、一足早く分離独立し、 現在では工事施工は大半が請負契約によって行われている。 建設コンサルタントについては前述のとおり、高度経済成長期に発注者のマンパワーの ピークを補助する役割で生まれたもので、いわば発注者の下請的な存在でしたなかった。 したがって発注者から要求されるコンサルティング・サービスも部分的な調査とか設計の 分野に限定される。その結果として(ハ)のマンパワー・サービス会社が続々と生産され るのは当然のことである。 国内での建設コンサルタントの仕事はきわめて局部的に限定されたものでしかない。 ジ・エンジニアの業務である前述の1.投資前調査 2.可能性調査(現状分析、開発目 標の設定、需要予測、計画設計、管理運営、経済財務分析など)3.資金調達等に関する 企画、計画それに係わる分析と評価はほとんど発注機関で行われている。契約に係わる事 務的業務は会計法や予決令に定められた法令により、民間のコンサルタントへの発注は困 難と考えられる。また工事施工監理などは一部の省庁で発注されているが、その立場は発 注者の監督職員の補助者という位置づけである。その他の業務はすべて発注者によって行 われているのは周知の通りである。 建設コンサルタントで現場経験を有する中堅技術者の不足がいわれて久しいが、前述の ように現場体験の場がほとんどないのであるから、人材が育つわけがない。 また積算基準は各省庁から公表されているが、既述の理由等で本質的な業務とはなり得な いのである。ただひたすら発注される部分的な業務の技術的側面のみを追求することにな るわけで、一方の重要な社会、経済的側面、すなわちエンジニアリング関係は国内ではそ の場が全くないのである。 これらは、ジ・エンジニアの概念とは全くかけ離れたものといえる。いいかえればジ・ エンジニアが生まれ、成長していく基盤がここにはほとんどなかったと思われる。この現 実からは欧米と日本の社会構造の違い、異文化という問題まで遡って考える必要がある。 一部の先進的な建設コンサルタントは昭和 30 年代から東南アジアやその他の発展途上 国に進出し、多くの海外経験を蓄積している。政府の開発援助(ODA)の拡充によりそ の役割は増大した。これらの建設コンサルタントは海外においてはジ・エンジニアとして 行動しているが、ひとたび国内に戻れば国内のシステムに依存してしまうのが現状である。 これまでの建設コンサルタント育成論のひとつには、建設業の海外進出への先兵的役割 があった。 (その役割はいまでも変わりはないと思われる)海外建設業の国内工事参入に 6 対応するため、新たな視点での議論が必要と考えられる。すなわち、建設事業の進め方の システムを再検討すべきで、その重要な柱のひとつとして三者関係の育成、すなわちジ・ エンジニアは重要なポイントとなるであろう。 山木(注3)は、国内で仕事をしている限り総合建設コンサルタントは育たない、と高 度経済成長期の昭和 40 年代に喝破している。また、佐藤(注6)は日本の土木技術者の 大部分は、発注者側やコンサルタントの職場、請負者のいずれの立場にいようと、国内工 事に従事している限り、純技術面と甲、乙の二者関係の経験はあっても、国際的に通用す る三者関係、すなわちエンジニアリング関係については経験皆無であって無知であるとい ってよいとまで述べている。 3. わが国の建設コンサルタントのこれからの方向 日本の公共事業のシステムの現状に対し、一方で「日本にはその風土にあった独自の システムがあって十分機能している。青函トンネルや本四連絡架橋など世界に誇る超一 流の土木技術は、このシステムによって完成したものである。外国企業が国内で仕事を 行う場合は日本のシステムに従うべきである」という考えもある。郷に入れば郷に従え で、もっともな議論のように思われる。しかし国内市場が今後縮小し海外に進出してい くしか、組織が生き残れないならば、世界の建設市場の共通基盤である、可能な限り公 正と公平な競争によるマネジメントの理念が必要となる。 その具体策のひとつとして日本ではいまだ事例の少ないジ・エンジニアの育成を図る ことによって、日本のシステムの改革を進めることが重要と思われる。異文化が接触し た場合のルールは、世界で広く採用され、多くの実績によってその合理性が実証された 三者関係を導入すべきではないかと考える。 建設コンサルタントの改善の方向はどうしたらよいであろうか。まず零細な体質を資 本力、企業規模の拡大を図って強化することである。そのため同業者間の統合、JV など による再編成を行うことである。知識集約産業といわれる割には人材の集積がないのも 零細弱小企業であるからである。広範な業務を展開するにはとても個人プレーのみでは どうしょうもなく、確固とした組織が必要となる。 企業は人といわれるが、建設コンサルタントの場合は特にその感が強いように思われ る。人材は何といっても経験豊かな見識あるゼネラルマネージャーの養成である。通常 大きなプロジェクトは専門的な土木建設技術のみならず、建築、設備、電気、機械など 技術系の他、法律、経済、言語などを含めた異業種の集合体からなるわけであるから、 それらを総括する幅広い視野が要求される。また最近の先端科学技術の理解、契約法を 中心とする法体系、社会経済などきわめて多様な知識を必要とする。これらのためには 異業種を含めた組織づくりと共に、一貫した業務遂行のための能力開発が必要である。 技術水準の向上、研究・開発の推進、情報収集能力の充実など解決すべき問題は山積 7 みされている。 発注者側への要望はいろいろあるが、これらはすべて日本の社会構造に起因すると考 えられる問題が少なくない。これらの多くは建設コンサルタントと表裏一体をなすのは 当然である。 次に建設コンサルタントの中立性、独立性の確立である。ジ・エンジニアの基本的性 格、三者関係の基本をなすものである。いずれも発注者側の体質や組織の改革を伴うも のである。 その他建設コンサルタントの責務の明確化、責任保険制度、海外業務への支援など要 望することは枚挙にいとまはない。 大切なことは、閉鎖的なイメージを変えて建設産業全体の体質をどのように改善して いくか、という問題であろう。建設産業は国民総生産の 1 割超を担ってきた産業であり ながら、いまだに産業界では二流扱いを受けているのも。前近代的な体質からではない であろうか。 参考文献 注 1 土木建設工事の契約条件書 第 4 版 (社) 日本コンサルティング・エンジニア協会 注 2 建設コンサルタント要覧 平成 20 年版 建設総合資料社 注3 海外工事契約の手引き 山木崇史 編著 日刊工業新聞社 注4 欧米主要国における公共工事契約制度関係資料 (社)日本建設業団体連合会 注5 FIDIC 編 「中立的コンサルティング・エンジニアの役割並びにコンサルティン グ・エンジニアの使用の基準」(社) 日本コンサルティング・エンジニア協会 注6 「建設プロジェクトの進め方」 「海外建設工事の契約・仕様」(社)土木学会編 注7 建設統計要覧2010年版 以上 8