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アメリカ合衆国における国際課税制度の創設: Seligman と Adams

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アメリカ合衆国における国際課税制度の創設: Seligman と Adams
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
研究ノート
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設:
Seligman と Adams による論争 北川 博英
目 次
はじめに
第一章 合衆国の国際課税制度の創設
第 1 節 国際課税
第 2 節 合衆国における国際課税の創設
第 3 節 合衆国と GATT/WTO との 30 年論争
第 4 節 合衆国における国際課税改革論議
第二章 Seligman と Adams による対立軸
第 1 節 国際的二重課税の排除を目的とする租税条約の検討
第 2 節 事業課税の根拠
第 3 節 源泉地課税と居住地国課税
第 4 節 経済的所属
第 5 節 国際的二重課税の排除方式
第三章 モデル租税条約に合衆国の国際課税制度を埋め込む 第 1 節 1923 年経済学者委員会報告書
第 2 節 1925 年財政専門家委員会報告書
第 3 節 ‌1927 年拡大財政専門家委員会によるモデル租税条約予備草案を付
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横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
した報告書
第 4 節 1928 年拡大財政専門家委員会によるモデル租税条約草案
第四章 結論
おわりに
はじめに
筆者は、アメリカ合衆国(以下合衆国という。
)の国際課税制度を研究対象
としてきた。なかでも、内国国際販売会社(DISC)準則に端を発した合衆国
と GAT/WTO との 30 年論争に合衆国が負け続けたことがターニングポイン
トとなり、1990 年頃に始まり、オバマ政権の下でなお行われている国際課税
制度の改革論議の経過について研究してきた 1)。今後当該論議の行方を考察す
る上において、合衆国の現行国際課税制度の枠組みが創設された 1910-1920 年
代当時における、国際課税政策の元々の意図を理解しておくことが必要であ
ると考えていたところ、Graetz/O’ Hear による一つの論文に接する機会を得
た 2)。Graetz は本論文において、世界で初めて創設された合衆国国際課税制
度の形成に中心的役割を果たしたのは、我が国でも良く知られている Edwin
R.A. Seligman ではなく、我が国ではそれほど知られていないと考えられる
Thomas Sewall Adams による貢献であったという。それを確認すべく研究し
た結果を本稿で報告する。
Seligman と Adams との間で活発に行われた論争を考察しながら、1910-1920
年代に世界で初めて合衆国が立法した外国税額控除制度を伴う全世界所得制度
(worldwide system)へと導き、さらに現在の OECD モデル租税条約の処方箋
となった国際連盟によるモデル租税条約の草案作成に至る過程で、合衆国の国
際課税制度が、誰の主導の下でどのように形成されたかを明らかにする。
この研究を始めた当初は、1910-1920 年代という当時の資料がどこまで入
手できるかの懸念があったが、Yale 大学の図書館に ” T.S.Adams Papers ” と
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アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
い う 名前 で、出版 さ れ て い な い 手書 の 文書若 し く は 原稿(manuscript and
archive)までもが所蔵されていることを知り、数々の未発表の貴重な文献の
写しまでも入手することができた。
Seligman と Adams との間の理論上の対立は租税法全般に亘って行われてい
たと考えられるが、本稿では、特に断りの無い限り事業所得に対する国際課税
の文脈で述べる。また本稿においては、合衆国の「内国歳入法」及び「連邦財
務省規則」を引用するときに、それぞれ「歳入法」及び「財務省規則」によっ
て表記する。
第一章 合衆国の国際課税制度の創設
第 1 節 国際課税
国際的経済活動 3)に対する課税を国際課税(international taxation)4)といい、
国際課税 5)を規律する法を国際租税法 6)
(international tax law)という。しか
し、実際に国際租税法という制定法が存在するわけではなく、我が国をはじめ
各国が制定する国内租税法と我が国と他国との間で締結している二国間(とき
には多国間)の租税条約 7)をあわせて国際租税法という 8)。
第 2 節 合衆国における国際課税の創設
合衆国では、1913 年 2 月に合衆国憲法の第 16 修正 9)が承認されたことによ
り、合衆国連邦議会は、同年 10 月に合衆国の者(個人及び法人並びにパート
ナーシップ)が稼得する純所得に対して、その源泉に関わらず(income from
whatever source derived )課税する連邦所得税法を立法した 10)。当該 1913 年
の立法で用いられている「すべての源泉より発生した全部の純所得 11)」とい
う表現を国際課税の文脈で解釈すると、合衆国の者に対する全世界所得課税 12)
を意図する立法である。
1913 年における当該立法時から、合衆国はその全ての市民並びに居住者及
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び法人並びにパートナーシップに全世界所得課税を課しているが、1913 年当
時、適用される税率は 1% とまだ低く 13)その結果の二重課税の問題も比較的
小さかった。しかし第一次世界大戦中に世界中の税率が上昇し、国際的二重課
税の問題が、外国で事業を行う又は外国に投資を行うアメリカ人にとっても深
刻な問題となった 14)。
そこで、合衆国連邦議会は 1913 年歳入法の立法により個人及び法人の純
所得額をベースとする全世界所得に対する課税を承認してから、5 年後の
1918 年歳入法 15)に よ り、世界 で 初 め て 間接外国税額控除(indirect credit or
deemed paid credit)を 含 む 外国税額控除制度(foreign tax credit system、以
下 FTC 又は FTC 制度という。
)を導入した。次いで 1921 年歳入法 16)では、
これも世界で初めて FTC の控除限度額制度を確立した。
合衆国の全世界所得課税制度と FTC 制度による現行国際課税制度の枠組み
は、前述の 1910-20 年代における立法時の基本的枠組みが今でも踏襲されてい
る。
第 3 節 合衆国と GATT/WTO との 30 年論争
1972 年 2 月、 当 時 の 欧州共同体(European Communities: EC) は、 合
衆国 が 1971 年 に 立法 し た 内国国際販売会社(domestic international sales
corporations、以下 DISC という。
)準則 17)が、当時の GATT の下で違法な補
助金に該当するのではないかという疑義をもち、合衆国に対して協議を申し入
れた。しかし、EC および合衆国は当該協議によって合意に達することができ
ず DISC 準則の合法性について GATT に提訴したことをうけて、同年 7 月 30
日、GATT は小委員会(Panels)を設置した 18)。1976 年にこの GATT Panel は、
DISC 準則が GATT 規定の下で違法な補助金であると認定し、これが合衆国
と GATT/WTO との 30 年論争の出発点となった。
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アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
第 4 節 合衆国における国際課税改革論議
合衆国が前述の GATT/WTO との 30 年論争に敗北を続けた 19)ことが、こ
れまで全世界所得課税制度を堅持してきた合衆国にとってのターニングポイン
トとなり、数多くのヨーロッパ諸国が採用する国外所得免税法 20)
(exemption
system21)、以下 exemption 制度という。
)への移行を提唱する論者 22)とあくま
で も 全世界所得課税制度(worldwide taxation system、以下 worldwide 制度
という。
)の堅持を主張する論者とが、対立する国際課税改革論議が 1990 年代
に始まりオバマ政権下の現在においてもなお続いている 23)。
筆者は、合衆国におけるこのような国際課税改革論議について研究してきた
が、当該改革論議の行方を考察する上において、1910-1920 年代の合衆国にお
ける国際課税制度創設時における、国際課税政策の元々の意図をも理解して
おく必要があると考えていたところ、Graetz/O’ Hear による一つの論文 24)に
接する機会を得た。本論文に接して分かったことは、次章で考察するように、
世界で初めて創設された合衆国国際課税制度の形成に中心的役割を果たした
のは、我が国でも良く知られた Edwin R.A. Seligman25)ではなく、我が国では
それほど知られていないと考えられる Thomas Sewall Adams26)による貢献で
あったということである。
第二章 Seligman と Adams による対立軸
第 1 節 国際的二重課税の排除を目的とする租税条約の検討
国際的二重課税の排除を主な目的とする租税税条約の立案は、当初「国際
商業会議所(The International Chamber of Commerce、以下会議所という。
)
」
によって始められた 27)。会議所は、第一次世界大戦が 1918 年末に終了して間
もなく 1920 年に、合衆国を含む多くの諸国を結びつける包括的組織(umbrella
organization)として新しく組織された。重要な国際的外交議題を二重課税
問題と位置づけ、二重課税問題に対して大きな影響を与える初期的対応を形
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成した 28)。同会議所の二重課税問題委員会のアメリカ部門の責任者であった
Adams は、一貫して国際連盟との緊密な連携を維持しながら、1928 年に国際
連盟が発表するモデル租税条約への序章の過程となるべき同会議所の功績 29)
に重要な役割を果たした。しかし、その後会議所は、英国(時代によってその
呼称が British Empire、Great Britain 及び United Kingdom と変遷するが、本
稿では以下英国という。
)
、合衆国及びヨーロッパ大陸の各国間の意見相違を調
整できないという困難な状況が続いていた 30)。そこで、国際連盟は、指名し
た 4 名の経済学者に二重課税問題を研究させることとしたのが経済学者委員会
である 31)。1923 年に同委員会が国際連盟に提出した経済学者報告書 32)
(以下、
1923 年報告書という)は、後に国際連盟の財政専門家委員会 33)に引き継がれ
た。1925 年の財政専門家委員会報告書 34)
(以下、1925 年報告書という)にお
いて、同委員会の参加国を拡大すること及び同委員会によるモデル租税条約草
案の策定を勧告した 35)。モデル租税条約草案策定を求める勧告は国際連盟の
財政委員会及び理事会により承認され、13 ヶ国からの代表者によって構成さ
れる拡大財政専門家委員会を編成した 36)が、同委員会に派遣した合衆国代表
者が Adams であった 37)。拡大財政専門家委員会は、1928 年にモデル租税条約
草案 38)
(以下、1928 年草案という)をまとめ、それから 20 年の経過後の 1948
年に創設された CECD の下での 1963 年 OECD モデル租税条約草案として結
実し 39)、今日の国際課税原則の基礎を確立した。
これまで合衆国では、今日の国際課税原則の処方箋となったのは、経済学書
による 1923 年報告書であり、したがって今日合衆国の国際課税制度の枠組み
の形成は、当該報告書の主筆を務めた Seligman よるものであると考えられて
きた 40)。筆者が知り得た当時の我が国における文献や先行研究を見る限りで
は、
我が国でも概ねそのように理解されてきたと考える 41)。しかし、Graetz は、
このような評価は間違っており、今日の国際課税原則の処方箋となったのは、
財政専門家による 1925 年報告書であり、合衆国の現行国際課税制度の創設に
対する貢献の第一人者は Adams であったという。
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アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
Seligman と Adams に よ る 論争 を 考察 す る と、学究派 で 理論的 で あ る
Seligman と実務的であり既に定着している(又は定着しつつある)国際的
慣習を尊重することにより、長期にわたる安定性及び持続可能性を重視する
Adams とは、両極に対峙する存在のように観察される 42)。両者を対比させる
一つの事例を示すと、Seligman がニューヨーク州の所得税法の草案作成者で
ありながら、州際取引に関係する各州に事業所得を配分する困難さを理由に、
彼は州所得税の創設に賛成しなかった 43)。対して Adams は、そのような理由
で州税による課税を思い止まるべきではないと主張した。彼は、例え理論的に
不十分であっても、各州が合理的であり公正な所得配分の公式を使うことによ
り、実際に解決できるとした 44)。次節で見るように、両者の間には、特に事
業所得課税及び国際課税の分野で激しい意見の対立があったが、当時の合衆国
議会は、Adams の意見を採用し国際課税に関わる制定法を立法したと考えら
れる。
第 2 節 事業所得課税の根拠
Seligman と Adams との間の意見対立は、事業所得に対する課税根拠の違い
に端を発している。Seligman は個人所得課税だけではなく事業所得課税につ
いてもその課税根拠を担税力説に求め、他方 Adams は個人所得税についての
担税力説には肯定的であるが、事業所得課税の課税根拠を利益説に依拠してい
る。
1.Seligman の主張
1923 年報告書の主執筆者といわれる Seligman は、当時の多くの経済学者と
同様に、課税の根拠を担税力説に依拠し 45)、法人のような中間物に課税する
のではなく、株主の手元で課税すべきであるという考えの下で、事業所得課税
に対して激しい批判 46)を加えた。
Seligman を含む経済学を背景とする財政学者を中心とする論者による事業
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課税所得に対する批判は、当時の学説では利益説は既に担税力説(又は能力説)
によって取って代わられているという主張の他、次のようなものであった。
・‌事業体に対する所得税は、非論理的である。
・‌租税の基本的な帰着(incidence)及び負担は、株主に対するものである
べきである。
・‌力の弱い法人では株主の力は相対的に強く、力の強い法人では株主の力は
弱くなるものである。
・‌したがって、可能な限り法人等という中間物(中間者を)に対する課税を
避けて、担税力が見出せる個人の手元で課税すべきである 47)。
2.Adams の主張
(1)利益説
これに対する Adams の反論は、批判者の論旨は、納税者を単に洋服を着て
自らの肉体に食物を与えるものとして観察し、そのような消費者に対する租税
の影響によって租税の適用を評価しようとする担税力の原則の基準に依拠して
いるが、それは極めて担税力に対する偏狭な解釈である、と反論した 48)。担
税力の原則の正当な根拠には多様性があり、とりわけ、国家や社会がすべての
企業に対するサイレント・パートナーたる存在であることを真実であるとして
尊重し、納税者たる事業単位を現実のものとして認識し、利益の生産者として
の能力に注目するとする考え方であり、利益説と能力説とを調和させた Adam
Smith を引用した 49)。
Adams は、利益説を妥当根拠として事業所得課税の有効性と必要性につい
て曰く、
「政府のコストの大きな部分は、適切な事業環境を維持することが不
可欠であることに辿ることができる。歴史的にも、このような機能を満足させ
るために市が出現したという論者もある。事業は、裁判所、警察、消防署及
び陸海軍が専念する仕事の多くに対して(そこで生じる財政負担を分担する:
筆者加筆)責任がある。新しい企業は新たな役割を生じさせ更なる公的支出
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アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
を生じさせる。
・・・私的事業と政府のコストとはルーズな関係にあるとはい
え、
・・・それは現実の関係であり、長期的には企業が増えれば政府が支払う
一定の基本コストは増加するのである。
・・・市場を維持するためにはコスト
がかかるであり、そのコストは、何らかの方法で当該市場による受益者全員に
配分されるべきである 50)。
」
、とした。
(2)事業のパートナーとしての国家の位置づけ
事業所得に対する租税は、公的支出・投資によって維持される事業環境が私
的事業の利益の一部を作り出していることに対する国家の持分(share51))で
ある、という。また、国家の役割を資産税と事業所得税とを対比させて、資産
税の場合には国家は情け容赦のない「債権者」であるのに対して、事業の純所
得に対する課税の場合には物分かりの良い「パートナー」であり、事業環境を
整備し、研究開発を促進し、新規の事業を育成している 52)、という。
(3)事業に対する純所得課税の意義
次に、事業の純所得に課税する意義について、新しい産業を勇気づけ、不毛
の時代にはすべての産業に対する課税を大目に見ながら、産業が行う研究開発
を助成している 53)、という。
(4)効率性
租税の賦課・徴収の効率について、事業に対する課税それ自体が極めて大き
な財政上の価値を有している。事業所得課税は、比較的コストをかけないで徴
収でき、かつ、生産性が相対的に高い。事業単位に課せられる租税の所与の税
率は、通常、当該税率を事業の各々の個人所有者に課するよりも、はるかに多
額の税収を生みだすのである 54)。
主に財政学者らによる事業所得課税に対する批判に対して、Adams は、後
に当時の事業所得課税は、税率も低く連邦政府の歳入額に占める割合は低い 55)
が、長期的には事業所得課税は個人所得課税以上の税収をもたらす、と確信し
ていた。
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第 3 節 源泉地国課税と居住地国課税
1.Seligman の主張
1923 年報告書の主執筆者といわれる Seligman は、既に述べたように、課税
根拠を担税力説に依拠していることもあり、源泉地国課税よりも居住地ベース
課税を優先させた 56)。Seligman の居住地国課税を優先させ源泉地国は課税を
差し控えることによって二重課税を発生させないとする論理は、後に述べる当
時の英国の主張と一致している。事業所得については、課税根拠を利益説に依
拠すべきであり源泉地ベース国課税を優先させるべきであるとする Adams の
主張 57)に対して、Seligman は、
(事業所得を含む)所得課税は、担税力の原
則と累進課税の原則によるものでなければならないと主張し、
「課税における
古い利益説に取って代わった担税力説ほど確固として確立されたものなどな
い。今 Adams 教授がいうようにすれば、担税力説と利益説の区別を曖昧にす
る結果、混乱というパラドックスの箱をもう一度開くことになる 58)。
」と激し
く反論した。特に事業所得に対する課税が担税力の原則に違反しているという。
2.Adams の主張
Seligman が主張する担税力説に依拠する居住地国優先説に対して、Adams
は、前述の利益説を根拠に反論した上で、居住地国の原則に対して源泉地国の
原則を優越させる考えをはっきり述べた 59)。しかし、Adams は、必ずしも居
住地ベース課税を否定したのではなく、源泉地ベース課税の補強(backstop)
として居住地ベース課税を位置付け、その結果生じる二重非課税を防止する方
法として、FTC 制度を提案した。この点について、Adams 曰く、
「脱税を防
止するために、控除又は税額控除(deduction or credit)を通じた FTC 制度に
よる救済が与えられるのである。居住地国は、最初にあたかもその所得が国内
源泉から生じたかのごとく自国の租税の額を計算することになるが、そこでは
少なくとも一回は外国税が課されていることを確認する。もし納税者が外国で
の課税を逃れているときは、当該納税者はその本国で捕捉される。さらにいえ
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アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
ば、FTC 制度では、外国税が納付された又は納付されることを示す確信でき
る書類の提出があって初めて認められるのである 60)。
」つまり、Adams は、二
重課税と同じ重要性をもつ脱税若しくは二重非課税(double no-taxation)に対
する懸念からも、源泉地ベース課税の補強としての居住ベース課税が必要であ
ると考えていた 61)。
3.合衆国と英国との間の論争
居住地国課税と源泉地国課税のいずれに優先的課税権を与えるべきかとい
う議論の対立は、Adams と Seligman との対立という面のほかに、財政専門家
委員会における合衆国と居住地国課税の優先を主張する当時の英国との対立
があった。当時の英国を代表する Hill は、当時の英国が採用している居住地国
課税だけに限るべきであり、これと源泉地国課税とを組み合わせれば、その結
果生じる二重課税の救済が必要となるが、そのようなことが国際的に成功す
るはずがないと主張し、外国人および外国法人に源泉地ベース課税を課して
もどの国家にも利益をもたらさないと主張した 62)。合衆国の Adams の代わり
に出席した Robinson は、英国の意見に真っ向から反対し、源泉地ベース課税
の原則を優先させながら合衆国流の救済方法が実施可能であると主張した 63)。
Adams は、特に事業所得に対する居住地原則だけに基づいた課税は、実務的
でもなく政策的現実性が無いという 64)。Adams は、Seligman を含む彼の同僚
らが累進税率構造を根拠に居住地ベース課税の必要性を主張しているが、彼ら
は累進税率の重要性を誇張しすぎていると考えていた 65)。Adams は所得課税
における累進税率構造を肯定しているが、社会的政策を実現するために過度の
累進税率を適用すれば、所得の分割の蔓延等から、所得課税制度そのものまで
駄目にしてしまうことを示唆していたと考える。
4.小括
第一次世界大戦後、合衆国は債権国の立場にあったが、それでも Adams の
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指導の結果、居住地国が所得課税に対する最初の優先権を有するべきであると
いう主張を合衆国は決して行わなかった。Seligman は、このような合衆国の
考え方に対して、
自身の主張する純粋居住地ベース課税とは「正反対(extreme
converse)66)」
、と表現した。
このように観察すると、Seligman と Adams との間の課税権の優先について
の論争は、事業所得に対する課税根拠の違いに端を発している、と理解できる。
第 4 節 経済的所属
1.Seligman の主張
経済的所属 67 という概念は、シャンツによる 1892 年に発表された「納税義
務の問題について」と題する論文が嚆矢とされている 68)。
(1)Seligman による経済的所属概念の適用
これまでの国際課税原則の創設にあたっての Seligman の功績を強調する一
つの概念として、ある意味では 1923 年報告書の中核となっている「経済的所
属の原則(economic allegiance)69)」がある 70)。1923 年報告書は、当時の学説
の出発点は「経済的所属の原則(doctrine of economic allegiance)
」でなけれ
ばならないと結論づけた。そこで、特定の類型の所得を源泉地国及び居住地国
にどの割合で配分するかを判定するための連結点 71)として、経済的所属とい
う客観的テストを提案した。
旧来の国家と国民との「政治的所属」に対して、当時すでに芽生えていた国
際経済社会の下で、国家と納税者の受益関係を経済的所属とする概念は、シャ
ンツの考えとも一致するものであったとはいえる。しかし、1923 年報告書で
は、経済的帰属の各要素のウエイト付けを行うことによりある種類の所得に対
して、場合によっては複数となる源泉地国と単一の居住地国それぞれに配分
しようとする当初の目的は事実上放棄された 72)、と筆者は考える 73)。その結
果、ある種類の所得の全額を源泉地国又は居住地国のいずれか一方に割り当て
た結果は、債権国にとって有利な結論に導くことになったとも考えられる 74)。
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アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
Graetz は、財政専門家委員会の会議議事録の上で中心となったのは課税権の
配分であったにも関わらず、
「経済的所属の原則」について討議された形跡は
全くないという 75)。
2.Adams の主張
(1)Adams は、国際的二重課税との奮闘の中で学説又は理論の適用を明確
に拒否し、Seligman が提唱した経済的所属の理論に対してきわめて否定的で
あった 76)。Adams は経済的所属について曰く、
「複雑な租税上の迷路を通り抜
けるための理論的な指針(guide)として、事業界及び学問の世界で名声を博
している経済学の権威者達が、経済的所属(economic allegiance)という理論
を提唱した。しかし遺憾ながら、不幸にも当該理論は、当該理論の考案者が一
定の者又は取引に課税するために役立つ場所に到達するための・・・一般化さ
れたラベルにすぎない 77)。
」
。
(2)国際運輸の文脈でも、Adams は、Seligman が提唱した経済的所属 78)の
適用を事実上否定している。まず国際運輸所得についての課税権の配分の困難
さ 79)について述べた上で、国際運輸所得の課税権の配分は , 世界の主導的租
税の専門家の大多数が妥当と認識する課税権配分の原則によるものであって、
決して基本的な理論による帰結ではないばかりでなく、むしろそれとは衝突
する考え方である 80)、とした。Adams は、後に自らの 1932 年の論文で、1928
年の国際連盟からの委託で自らもその一員であった財政専門家委員会が提案し
たモデル租税条約草案が、国際運輸所得をその他の事業会社に適用する一般
ルールの例外としたことが、極めて重要であったという 81)。
3.小括
Seligman が提唱した経済的所属概念については、その後の財政専門家委員
会では何ら参照されることはなかった。また、Seligman は、複数の国家に跨
る源泉地国を観察しながら、複数の源泉地国への課税権の配分を事実上放棄し
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たが、この点については、1925 年の財政専門家委員会報告書において、後に
恒久的施設に導く概念が提案された。
第 5 節 国際的二重課税の排除方式
1.Seligman の主張
Seligman は、1923 年報告書で四つの二重課税排除の方式を提案した。
①外国税額控除方式 82)
(method of deduction for income abroad)
②源泉地国免税方式 83)
(method of exemption for income going abroad)
③税額分割方式 84)
(method of division of the tax) ④‌源泉分類・割 り 当 て 方式 85)
(method of classification and assignment
of sources)
そして Seligman は、当時既に合衆国が採用していた FTC 制度に相当する、
①外国税額控除方式を次のような理由から否定した。
「この方式は、債務国に
おいて増加する課税額の負担を債権国に負担させる方式であり・・・外国に
利害関係を有する債権国である合衆国、及びオランダがその国庫を、まった
くあずかりしらない外国政府の課税額の増大のなすがままにしておくことを永
続的に同意するかは疑わしい 86)。
」
。また Seligman が主唱した経済的所属の原
則の下では、④源泉分類・割り当て方式が最も適切であり、最も健全である
(soundest)87)といいながらも、最終結果を導くための所得の量的(つまり金
額的:筆者加筆)割り当てについては、そのパイに手を付けることを主張する
全ての国家の当局の間に直接割り当てることは、経済学の理論ではほとんど不
可能であり、仮にそれをやろうとすれば恣意的にならざるを得ない、と結論付
けてしまった 88)。
当時合衆国は、1918 年に FTC 制度を創設し、追って 1921 年には既に FTC
の限度額を規定する立法もされていることを考えると、筆者は、①外国税額控
除方式について、上記のような理由以外ほとんど検討もされた形跡もなく選択
肢から除外されていることへの疑問を禁じ得ない。
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アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
2.Adams の主張
(1)不当な差別である二重課税
Adams は、二重課税の問題を納税者に対する「不当な差別」の問題として
として捉えている 89)。さらに Adams は、二重課税を引き起こす源は、居住地
国であって源泉地国ではないという 90)。
「国家が非人税への課税(いい換える
と源泉地国課税:筆者加筆)に固執しながら同時に人税に対する課税(いい換
えると居住地国課税)の結果生じる:筆者加筆)二重課税の排除を望むのであ
れば、何らかの方法で、自らの居住者が国外源泉から得る所得に対する外国税
を(FTC を通じて:筆者加筆)免税にすべきなのである。つまり、二重課税
の排除のためには、外国政府からの妥協を引き出すのではなく、国外に投資す
る納税者の母国による自己否定的処置(self denying ordinance)が必要なので
ある 91)。
」
。
(2)コロラリーとしての FTC 制度
結局 Adams は、源泉地国が私的企業に提供する便益により正当化される源泉
地ベース課税という考え方に加えて、経済的自己の利益(self interest)の力
と、実行可能で長期的に安定させ得る解決策に対する強い信念に対する配慮
から、居住地国課税に対する源泉地国課税の優越性を主張しながら、「あらゆ
る国家は、その国家の領域内の源泉から所得を得る非居住者である外国人に対
する課税を強く主張しており、それは正しいし少なくとも不可避である 92)。
」。
したがって、居住地国が片務的に二重課税を排除するための措置を講ずるべき
であるとした 93)。源泉地国課税に優越を与えながらその補強として居住地国
課税を採用すれば、国際的二重課税は不可避であり、そのコロラリーとして、
FTC 制度を置くべきである、という 94)。
3.小括
Adams が FTC 制度を提案した第一次世界大戦中の当時、当該 FTC 制度の
導入は戦費調達のための歳入を減少させる可能性があった。それにもかかわら
189
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
ず、合衆国議会ではほとんど反対意見が表明されることもなく 1919 年 95)に法
律が制定されたことは、Adams 自身にとっても驚きであったという 96)。かく
して、世界で初めて FTC 制度が創設されたが、当時 Adams の補佐役を務め
たとされる Carroll は、自国民が外国で事業を行うことを促進しようとしてい
る合衆国にとって、FTC 制度は理想的な制度であると評した 97)。Adams は、
追って 1921 年に FTC に対する控除限度額を創設するように議会に提案し承
認されたが、当該控除限度額制度は、国別限度額方式ではなく、現在では一括
限度額方式(overall limitation)と呼ばれる方式であった 98)。かくして、合衆
国連邦財務省のスポークスマンたる Adams の指導により、現在の合衆国の国
際課税制度の枠組みである全世界所得課税及び(控除限度額付きの)FTC 制
度は、創設された。
Adams のもう一つの役割は、当時各国家間でそれぞれの租税制度が大きく
異なっており、かつ、合衆国の国際課税制度は世界でも実施例がない中で、二
重課税を排除するためのモデル租税条約に合衆国の制度を埋め込むことであっ
た。次章で、国際連盟から委任された財政専門家により作成されたモデル租税
条約草案に合衆国の制度がどのように埋め込まれたかを観察する。
第三章 モデル租税条約に合衆国の国際課税制度を埋め込む
前述のように、国際的二重課税の排除を主目的とする租税条約の検討は、当
初、1920 年に包括的組織である会議所によって始められたが、当該会議所の
アメリカ部門の責任者は Adams であった。Adams は、一貫して国際連盟と
の連携を図りながら、拡大財政専門家委員会により策定された 1928 年モデル
租税条約草案に至るまで何らかの貢献をしながら、合衆国で既に立法されてい
る当時の世界では他国に例のない 99)合衆国の国際課税制度をモデル租税条約
に埋め込むよう尽力した、と筆者は考えている。
190
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
第1節 1923 年経済学者委員会報告書
1.担税力の原則
1923 年経済学者委員会報告書(以下、1923 年本報告書という)では、その
第Ⅰ部にて、経済学的観点から国際的二重課税による経済的影響を分析した上
で、その第Ⅱ部の始めに、当時における課税の正当根拠についての考え方を示
している。課税の正当根拠については、
コスト説(cost theory)と利益説(benefit
theory)からなる交換説により説明されてきたが、
当該交換説は、
当時すでに
「能
力説又は担税力説(faculty theory or theory of ability to pay)
」
(以下担税力説
という。
)によって取って代わられたという。
「担税力説」は「交換説(コスト
説及び利益説を包含する。
)
」よりもさらに包括的な概念である。なぜなら、富
の取得に関係する便益が個人の能力(faculty)を高める以上、便益は無視でき
ない要素を構成するからである。個人の消費能力についても同じことがいえ、
消費を可能にするか又は迷うことなく消費に同意できる適切な環境を提供する
国家の政府にとってのコストまでも配慮するからである(ここまで 1923 年本
報告書 18 頁)100)。Seligman は、事業所得についても株主の手元で担税力説に
依拠し累進税率が適用されるべきであるとして、事業所得課税を批判したこと
はすでに述べた。
2.課税の連結点と経済的所属
課税の連結点の分析を通じて、最終的には、
(1)最初に、どこで富の産出が
物理的に又は経済的に生み出だされたか
(源泉地(Acquisition or Origin)
)
、
(2)
どこで富の産出の完成工程が見出されるか
(財産の所在(situs)
、
(3)どこで
(1)
及び
(2)
の結果の権利が譲渡
(handing-over)
できるか
(執行可能地
(enforceability
or legal status)
(4)どこで富が費消、
消費又は処分されるか(居所(domicile)
、
と四つを挙げた上で、
「場所(situation)
」として最も重要な要素は、
(1)の富
の源泉地 101)及び(4)消費する富の所有者の居住地又は居所 102)である。
」
、と
し、
「その他の二つの要素は、ときには重要であることがあるが、多くの場合
191
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
に、源泉地又は居住地についての主張を補強するときだけ意味を有するだけで
ある。
」
、とした 103)。
Seligman は、所得の種類毎に、四つの連結点との関係を分析し、源泉地国
及び居住地国へのウエイト付けを行おうとした。しかし一つの種類の所得を源
泉地国及び居住地国への配分を事実上放棄した 104)ことは、既に述べた。その
結果、所得の種類毎に、源泉地国又は居住地国のいずれか一方にだけ配分した
105)
。この点が、後の財政専門家委員会が「経済的所属」の概念を全く参照も
しなかった一つの理由ではないかと考えられる。 第 2 節 1925 年財政専門家委員会報告書
1923 年の経済学者家委員会報告書が完成する前に、既に国際連盟の財政委
員会は、国際的二重課税の緩和策に対する実務的な観点からの助言を作成す
ることを目的とし、ヨーロッパ諸国中 7 カ国の代表者から構成される財政専
門家委員会に付託をしていた 106)。1925 年に、当該財政専門家委員会は、国際
的二重課税問題及び国際的脱税問題に関する決議を付した報告書(以下 1925
年報告書という。
)
、を提出した 107)。1925 年報告書は、前述の経済学者委員会
による理論的検討、国際法学会による助言、国際商業会議所による助言及び
既存の各国法令及び租税条約に基づいて議論された結果を報告書に纏めたも
のである 108)。1925 年報告書は、経済学者委員会報告書との役割の違いについ
て、次のように述べている 109)。経済学者委員会の報告書は、
「理論的及び科学
的観点」から調査されたのに対して、財政専門家委員会に求められているのは、
「執行面及び技術的」観点である。そこで 1925 年報告書は、経済学者委員会報
告書を基礎におきながらも、二重課税問題を解決するために行われている各国
の状況を過去二十年間に締結された租税条約 110)及び各国の制定法を調査した
結果をも考慮に入れた報告書である 111)。その後のモデル租税条約へと導いた
処方箋が、本報告書であったことは明らかである。
192
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
1.租税制度の違い
まず、財政専門家委員を悩ましたのは、各国の租税制度に違いがある点であ
る 112)。当時は、①人税(又は総合所得税)
、②物税(又は分類所得税)及び③
合衆国・ドイツがすでに採用している純所得税(pure income tax)という三
つの制度が併存していた。本委員会が出した結論は、すべての形態の課税制
度に適用可能な単一の制度を提案するのではなく、世界には異なる制度があ
り、純所得税であることの他に、源泉地の観点を最も重要とする「物税(又は
分類所得税)
」と居住地の観点を最も重要とする人税「
(又は総合所得税)
」の
うち、いずれかを採用する結果、国家間で生じる二重課税問題の解決を可能に
するモデル租税条約の草案を検討することとした 113)。そして、二重課税の問
題を解決する方法として、合衆国(及びオランダ)が採用する控除限度額付き
の外国税額控除方式と国外所得免税方式のいずれかを選択することとした 114)。
Adams が、国際連盟の財政専門家委員会という表舞台に登場する前に、当時
合衆国が採用していた控除限度額付きの FTC 制度が既に埋め込まれていたこ
とになる。
2.
「恒久的施設(permanent establishment)
」に繋がる概念の確立
企業が、ある国家に本店(head office)を有し、別の国家に支店(branch)
、
代理店(agency)
、 事業所(establishment)
、 常設 の 商・ 工業組織(stable
commercial or industrial organization ) 又 は 恒 久 的 外 交 員( permanent
representative)を有する場合には、各締約国はそれぞれの純所得のうち自国
内で生じた部分に対して課税することとした 115)。1925 年の財政専門家委員会
報告書で「恒久的施設(permanent establishment)
」という用語が初めて使わ
れた。
3.国際運輸所得の取扱
経済学者による 1923 年報告書では、Seligman は、国際運輸所得の課税上の
193
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
源泉地国を、船舶の登録地国とするか、海運会社が所有する専用ドックの所在
国とするか、それとも船舶の運用管理を行う事務所の所在国とするかを決めか
ねていた 116)。
1925 年報告書では、国際運輸等所得であっても、原則として関係する国家
間に所得を配分すべきであるが、海運業については、その活動の著しい特殊性
及び特に多数の国で事業を行う場合の利得配分の困難さに鑑みて、前記原則の
例外として、相互主義に基づき管理・支配の真の中心が所在する国家だけが課
税することを認めた 117)。追って、1928 年の国際連盟モデル条約草案では、
「真
の管理の中心(real centre of management )
」が所在する国家だけが課税する
ことを認めた。この取り扱いは正に Adams の考え方と一致している 118)。
4.小括
財政専門家委員会は、1925 年報告書において、同委員会の参加国を拡大す
ること及び同委員会がモデル租税条約草案を策定すべきであると勧告した 119)。
本モデル租税条約草案策定を求める勧告は、国際連盟の財政委員会及び理事
会により承認され、我が国を含む 13 ヶ国からの代表者によって構成される拡
大財政専門家委員会を編成した 120)。合衆国は、これまで財政専門家委員会に
代表者を派遣していなかったが、委員会を拡大する結果、債務国からの代表者
が圧倒的多数となる委員会でモデル租税条約草案が策定されることに懸念を持
ち、初めて合衆国の代表者を派遣することを決定した。そのときに派遣された
のが、Thomas S. Adams であった。Graetz は、国際連盟における 1927 年及び
1928 年の一連の活動で、合衆国が派遣する Adams が、極めて重要な主導的役
割を果たした、という 121)。
第 3 節 ‌1927 年拡大財政専門家委員会によるモデル租税条約予備草
案を付した報告書
拡 大 財 政 専 門 家 委員会(Enlarged Committee of Technical Experts) は、
194
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
1927 年にはモデル条約予備草案を付した報告書 122)を提出した。1925 年の財
政専門家委員会による決議を基本的枠組みとしながら、物税と人税の区別を残
し、事業所得に対する物税の賦課に関連して「恒久的施設」という用語を初め
て使用し、二重課税の排除方式を控除限度額を伴う FTC 方式とし 123)、さらに
いくつかの修正を加えた。
しかし、財政専門家の頭を悩ませ続けたのは、当時の世界に異なる租税制度
が存在する中で、物税と人税との区別の曖昧さであった 124)。
第 4 節 ‌1928 年拡大財政専門家委員会 に よ る 1928 年 モ デ ル 租税
条約草案
1.物税・人税の区別の廃止
Adams が拡大財政専門家委員会に登場したときに彼が最も重要な目標とし
たのは、物税・人税の区別を取り巻くあいまいさを強調しながら、物税・人税
の区分を無くすことであった。そして次の目標は、合衆国の国際課税制度を埋
め込み、合衆国の非居住者(外国人及び外国企業)が稼得する合衆国国内源泉
所得に課税できることを確かなものにすることであったと考えられる。Adams
は、
「最近の拡大財政専門家委員会の議論では、
『物税』を適用する所得及び
『人
税』を適用する所得の区別が不明確であることが明らかである 125)。
」
、という。
そして、Adams は、人税・物税の区別を取り払い、その代わりとして、
「源泉
地国課税(origin taxes)
」と「居住地国課税(residence taxes)
」に分類するこ
とを提案した 126)。ここで、租税条約の上で、源泉地国課税を優先させながら
片務的に居住地国課税を位置付ける形が確立された。
2.三つのモデル租税条約草案
拡大財政専門家委員会による 1928 年モデル租税条約草案は、基本的な枠組
は 1927 年モデル予備草案を踏襲しながらも、当時の世界における租税制度の
違いを考慮して、次の三つの草案を一括して報告した。
195
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
(Ia)草案は、物税と人税の区別をまだ残した案で、物税については源泉地
国に、人税については居住地国に課税権を配分した。二重課税排除方式は、不
動産所得と事業所得についてのみ FTC を認めるものであったため、債務者主
義が採用されている利子や配当について生じる二重課税は救済されないことに
なる。本草案は当時の国内法で物税と人税に区分しているフランスやドイツ等
による提案であると考えられる。
(Ib)草案は、物税と人税の区別の代わりに源泉地国課税と居住地国課税に
区別しながら、二重課税排除方式については、居住地国がその納税者に対して
源泉地国で納付した租税について FTC を認めるものである。なおその控除限
度額は、源泉地国で課された租税の額とその対象となる所得に居住地国の税率
を適用した場合の税額とのうち、いずれか少ない額に限ることとした。つまり
合衆国の制度が確実に本草案に埋め込まれた。本草案は債権国である合衆国や
英国による提案であると考えられている 127)。
(Ic)草案は、異なる租税制度を有する国家間での適用を想定したもので、
二重課税排除方式については国外所得免税方式を認めるものである 128。
1928 年租税条約の三つの草案では、次の原則が共通して確認された。
(1)
外国で稼得する事業所得については、恒久的施設(permanent establishment)
を通じて稼得される所得に限り、当該恒久的施設を有する国家が当該事業所得
の源泉地ベースの課税権を有することとした。
(2)独立した地位を有する真正
の代理人(broker, commission agent 等)は恒久的施設を構成しないとした。
(3)1925 年租税条約予備草案では恒久的施設に関連会社・子会社を含めてい
たが、1928 年租税条約草案では恒久的施設には含めず、別個の実体として取
扱うこととした。
(4)法人の所在地を、真の事業管理の中心(real centre of
management)により決定することとした。
3.小括
1939 年に始まった第二次世界大戦中にも続けられていた国際連盟財政委員
196
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
会の研究成果は、1943 年メキシコ・モデル租税条約 129 及び 1946 年ロンドン・
モデル租税条約として結実した。さらにこれらの問題は、その後 1948 年に創
設された OEEC(Organization for European Economic Corporation)及び 1961
年に OEEC から改組された OECD( Organization for Economic Co-operation
and Development)に引き継がれた。1963 年には最初の OECD モデル条約草
案が採択され、今日の国際課税原則の基礎が確立した。
二重課税を防止するためのモデル条約の策定における、1923 年の経済学者
委員会による功績とその後の財政専門家委員会による功績を評価すると、将来
の検討のための処方箋となりえたのは、Adams の参加を得て策定された拡大
財政専門家委員会策定による 1928 年のモデル条約草案であり、そこに至る過
程のいくつかで Adams の足跡が確認され、合衆国の国際課税制度をモデル条
約の草案に埋め込んでいたことが明らかになった 130)。
第四章 結論
本稿で注目した Adams は、ウイスコンシン大学の教授の任にあった 19111915 年には、当該州の租税長官(tax commissioner)の任にもあって、合衆国
で最初にウイスコンシン州所得税の制度を創設し 131)、以降当該州の所得税制
度が合衆国各州の所得税制度のモデルとなった。1916 年から他界する 1933 年
までは、イエール大学教授の任にあって、連邦財務省のアドバイザーとして租
税政策立案と執行の両面で指導的立場にあった。連邦租税法令の立法時には、
連邦議会下院歳入委員会(House Ways and Means Committee)及び同議会上
院財政委員会(Senate Finance Committee)を前にして、連邦財務省のスポー
クスマンの役割をはたした。さらに Adams は、アメリカ租税協会(National
Tax Association)及びアメリカ経済学協会(American Economic Association)
の会長を務めたこともある。 1.Seligman と Adams との間の対立軸は、事業所得に対する課税根拠に始ま
197
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
る。当時、ヨーロッパと同様に、合衆国の租税制度は、物税を中心とする制度
の下で納税者の人的能力に着目した人税をもって補完するために、課税根拠と
しての担税力説が普及しつつあったと考えられる。そこで、Seligman を含む
当時の財政学者らは、所得課税の根拠を担税力説に求めていた。Seligman が
主筆を務めた 1923 年経済学者委員会報告書において、当時は既に(旧来のコ
スト説と利益説を包含する)交換説は、さらに包括的概念としての「能力説又
は 担税力説(faculty theory or theory of ability to pay)
」に よって 取って 代 わ
られていたという。個人納税者に対して担税力説の下に累進税率構造を適用す
る点についても、普及しつつあったと考えられる。そこで Seligman を含む当
時の財政学者らは、
事業所得に対する課税は、
個人納税者である株主が負担(又
は株主に帰着)すべきであり、法人のような中間物に対して課税すれば、パン
ドラの箱を開けて所得課税制度は大混乱に陥れることになる、と非難していた。
Adams は、担税力説の下での個人納税者に対する課税を否定してはいない。
しかし、事業については、課税の根拠を利益説に求め、国家を当該事業のパー
トナーとして位置づけ、国家は公的支出や公的投資を行い、その事業が安全・
効率的で且つ他国の事業に対する競争力を発揮できるように、インフラや法体
系を整備している。事業に携わる実体を単なる消費者ではなく所得の生産者と
して捉え、その所得を生みだす能力に着目した。そして、企業は、国家が行っ
た公的支出や公的投資を応分に負担する財政上の義務がある、という。さらに
Adams は事業の総所得に対する課税ではなく純所得に対する課税を提案し、
それによって新しい産業や起業を勇気づけ、ある産業にとっての不毛の時代で
利益を計上できなければ、当該産業は法人税を納付する義務はなく、産業が行
う研究開発投資を助成しているという。
また Adams は、事業の株主の手元で課税すべきであるとする Seligman ら
による主張に対して、個人所得課税との比較で、事業所得課税のもつ効率性を
強調し、長期的には事業所得課税が個人所得課税以上の税収を連邦政府にもた
らす可能性に言及していた。
198
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
2.Seligman は、担税力説に依拠することから、居住地国課税を優先させた。
しかし、居住地国課税を優先させ、二重課税を防止するためには源泉地国は課
税を放棄すべきであるとの主張は、同時の英国の主張でもあった。
Adams は、フランスに居住する者が、そのすべての所得を配当のような形
で合衆国から受取っているという例を挙げて、利益説を事業所得課税の妥当根
拠として観察すれば、合衆国である源泉地国が課税権を放棄するなどというこ
とは考えられない。したがって、源泉地国課税が優先されるべきであり不可避
であると主張した。また、脱税及び二重非課税を防止するための源泉地国課税
への補強(backstop)として居住地国課税を位置づけた。
3.Seligman は、合衆国が採用した FTC 制度に対して、債権国である合衆国
の国庫を債務国(敗戦国及び発展途上国)による増税のなすがままになると批
判した。この批判は、FTC の限度額を立法した後でも変わってはいない。
Adams は、源泉地国課税を優先させた上で、居住地国が片務的に自国の居
住者に対して居住地国課税を課せば国際的二重課税は不可避であり、そのコロ
ラリーとして自国の居住者を FTC 制度によって救済すべきであるという。
4.1917 年に創設された超過利潤税についても Seligman と Adams との間で意
見の対立があった。第一次世界大戦中の 1917 年 3 月に戦費増大による歳入不
足額を補うために、合衆国が戦争中に立法した戦時利得税に加えて、超過利潤
税を新設した 132)。超過利潤税を提案した Adams の意図は、戦時利得税は戦争
が終結するまでの課税であり「一時的」なものでしかないが、通常の収益率を
定義できそれを超える超常的収益率に課税することができれば、
「恒久的」な
歳入減となり得る 133)。Seligman は超過利潤税が事業所得を対象としているこ
とから、超過利潤税を提案する Adams を激しく非難した 134)。しかし合衆国
連邦議会は、超過利潤税の立法を承認した 135)。
これまでの考察により、1910-1920 年代に世界で初めて創設された合衆国
の国際課税制度の形成に中心的役割をはたしたのは、我が国で良く知られた
Seligman ではなく、合衆国同様に我が国でもほとんどといっていいほど知ら
199
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
れていなかった Adams であったというべきである。Seligman と Adams との
間には激しい理論の闘争があったと考えられるが、合衆国の国際課税制度に係
る立法過程を観察すると、合衆国議会は Adams(及び当時の連邦財務省)に
よる主張を採用したことがはっきりした。
国際連盟による二重課税排除のための財政委員会という表舞台に Adams が
初めて登場したのは、財政専門家委員会の提言によって組織された拡大財政専
門化委員会に合衆国の代表として派遣された 1927 年であったことが、合衆国
の論者の間でも Adams の存在及び貢献が過小評価されてきたと考えられる。
しかし実際には Adams は Carroll による補助を受けながら、一貫して国際商
業会議所のアメリカ本部(American Section)の代表者として、国際連盟の二
重課税排除及びモデル条約策定のための財政委員会に関与し、Adams の没後
は、その役割が Carroll によって引き継がれたものと考えている 136)。
Avi-Yonah が、その 2005 年の論文において、合衆国の国際課税制度の進化
を四つの期に分け、それぞれの期における合衆国政策の根底にある課税原則、
中心人物及び当該原則の解釈・適用について分析しているが、その第一期つま
り創世記の中心人物たる Seligman だけではなく Adams が果たした役割につ
いて言及したことは興味深い 137)。
おわりに
合衆国が前述の GATT/WTO との 30 年論争に敗北を続けたことが、これ
まで全世界所得課税制度を堅持してきた合衆国にとってのターニングポイン
トとなり、数多くのヨーロッパ諸国が採用する exemption 制度への移行を提
唱する論者とあくまでも worldwide 制度の堅持を主張する論者とが、相対立
する国際課税改革論議が 1990 年代に始まりオバマ政権下の現在においてもな
お続いている。worldwide 制度を堅持する論者等が一番懸念する論点は、納税
者の所在地国から低(又はゼロ)税率国又は地域への所得移転(income shift)
200
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
による合衆国の課税ベース浸食(base erosion)とその結果生じる無国籍所得
(double non-taxation or stateless income)の存在である。
Adams は常々二重課税の防止と同時に二重非課税(double non-taxation)の防
止を念頭においていたが、当時、合衆国貿易商人(foreign trader)が稼得す
る国外所得を免税にする法案を提案するときに、三つの要件を提起した。それ
は、免税にする所得は、
(1)能動的所得だけに限定すること。
(2)免税とする
国外所得が、
「合衆国に匹敵する(comparative)外国課税」の対象となってい
るものに限ること。
(3)統一的なソース・ルールが確立していること。Graetz
は、ここでの Adams による洞察力が、合衆国で現在行われている国際課税改
革論議を分析する研究者にとって、現在でもなお貴重な情報であるという 138)。
近年各国の主要メディアが一斉に多国籍企業の実名を挙げて、
「強引なタッ
クス・プラニング(aggressive tax planning)
」により各国の課税ベースが危機
に瀕していると報じた 139)。2013 年 2 月 16 日には、G20 に出席する英国・フ
ランス・ドイツの財務省が、多国籍企業による課税逃れの防止にむけて協調
して取り組むことを表明し、そのための計画立案を OECD 租税委員会に命じ
た。同年 2 月に OECD は、「課税ベースの浸食および所得の移転(Addressing
Base Erosion and Profit Shifting)
」 という報告書を公開し 140)、各国及び関係す
る利害関係者の協力の下で統一的準則を立案すべく、同年 7 月には、
「課税ベー
スの浸食および所得の移転に対応するための行動計画」を公表した 141。ここ
で合法的とされる多国籍企業による強引なタックス・プラニングを可能にする
国際租税法上(国内法例及び租税条約)の弱点とされている論点の多くは、前
述の三つの要件のいずれかを満たしていない。
グローバル経済はますます進化し、電子商取引の拡大といったグローバルな
事業活動が活発になり、多国籍企業の超過収益力の源である価値ある無形資産
の取扱いが問題にされる中で、かつての国際連盟が二重課税と脱税を排除する
ことを目標に掲げた活動から大きな業績を残したように、OECD が中心となっ
て国際課税における各国準則の調和化に向かって推進されることに対して注目
201
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
していきたい。
1)‌合衆国における最近の国際課税改革に係る論議については、北川博英「米国経済再生大
統領諮問会議による国際課税改革報告書を読む」横浜国際経済法学第 20 巻第 1 号 59 頁
(2011 年 9 月)
。国際課税改革の選択肢において、懸念される低(又はゼロ)税率の課税
管轄への所得移転については、北川博英「アメリカ合衆国の多国籍企業による国外への
所得移転に係る事例研究と国際課税改革の方向」横浜国際経済法学第 21 巻第 1 号 59 頁
(2012 年 9 月)
。
2)‌Michael J. Graetz and Michael M. O’Hear, The Original Intent of U.S. International Taxation, 46
Duke Law Journal 1021(1997)[hereinafter cited as Graetz 1997].
3)‌金子宏は『租税法(第 18 版)
』454 頁(弘文堂、2013 年)において、国際的経済活動(国
際取引)について二つの側面があり、その一つは、わが国の国民が国外に進出してきて、
投資その他各種の経済活動を行う場合である。他の一つは、外国の国民や企業が、我が
国に進出してきて、投資その他各種の経済活動を行う場合である。
」
、とした。
4)‌国際経済秩序と税制の関係については、神戸正雄『租税研究 第七巻』で、国際課税に
ついての諸論をのべているのは 第四編 重複課税の本質、第五編 国際課税の主義論争、
第六編 国際営業 ノ 課税、第七編 国際課税 ニ 於 ケ ル 人及證券 の 所在(弘文堂書房、1926
年)
、田中勝次郎『所得税法精義』
(巌松堂書店、1930 年)
、田中勝次郎『改正法人税法 の
研究』
(白亜書房、1951 年)
、小松芳明「法人税法における国際課税の側面についてー問
題点の究明と若干の提言」西野嘉一朗・宇田川璋仁編『現代企業課税論―その機能と課題』
(東洋経済新報社、1977 年)
、小松芳明『租税条約の研究(新版)
』
(有斐閣、1982 年)
、小
松芳明「国際租税法の発展と動向」
(租税法研究第 10 号、1982 年)
、水野忠恒『国際課税
の 制度 と 理論―国際租税法 の 基礎的考察―』
(有斐閣、2000 年)
、黒田東彦「世界経済秩
序 と 国際課税 ルール」水野忠恒編『国際課税 の 理論 と 課題(2 訂版)
』367 頁(税務経理
協会、2005)
、赤松晃「国際課税 の 基本的 な 仕組 み」金子宏編『租税法 の 基本問題』593
頁(有斐閣、2007)
)
。国際課税については、村井正編『教材国際租税法Ⅰ・Ⅱ』
(信山社、
2001)
、中里実『国際取引と課税―課税権の配分と国際的租税回避』
(有斐閣、1994)
、赤
松晃『国際租税原則と日本の国際租税法―国際的事業活動と独立企業原則を中心に』
(有
斐閣、2001 年)
、
増井良啓・宮崎裕子『国際租税法(第 2 版)
』
(東京大学出版会、2011 年)
。
また、合衆国の法人税の構造についての先行研究として、水野忠恒『アメリカ法人税の
法的構造―法人取引の課税理論―』
(有斐閣、1998 年)
。See also, Graetz 2003, supra note 1
and Michael J. Graetz, Foundations of International Taxation,(Foundation Press, 2003).
5)国際的経済活動に対する課税をいう。金子宏、前掲 3)454 頁。
202
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
6)‌国際課税に関する法を国際租税法(international tax law)という。金子宏、
前掲 3)454 頁。
水野忠恒『租税法(第 4 版)
』553 頁(有斐閣、2009 年)
。
7)‌国際的二重課税(international double taxation)をどのように排除するか、外国の国民
及び企業に対してどのように課税するか、それと関連して、各主権国家の課税権をど
のように調整し制限するかの問題がある。さらに国際的経済活動は、主権国家の領域を
こえて行われ、その調査権が及びにくいため、そこから生ずる所得につては、脱税(国
際的脱税)若しくは脱税のための国際取引が仮装されることも少なくない。また、国際
的経済活動においては、複数の国家の税制の相違を利用した租税回避(租税裁定、tax
arbitrage)が行われることが多い。これらの問題を適切に対処するためには、国家間の
協力が不可欠である。そこで、各国は他の国々との間で、二国間の租税条約を締結して、
これらの問題の解決を図っている。この点については、金子宏、前掲 3)460-462 頁 ; 川端
康之「外国税額控除制度」水野忠恒編『国際課税 の 理論 と 課題(2 訂版)
』135 頁(税務
経理協会、1999 年)
。
8)金子宏、前掲 3)454 頁。
9)‌合衆国憲法の規定のうち、租税に関するものは次のとおりである。なお、合衆国憲法各
規定及び第 16 修正の邦訳については、
田中英夫『BASIC 英米法辞典』付録Ⅰ合衆国憲法:
対訳(2007 年)に従った。
第 1 篇第 8 節 1 項:
「連邦議会は、次の権限を有する。合衆国の債務の弁済、共同の防衛
および一般の福祉の目的のために、租税、関税、輸入税及び消費税を賦課徴収すること;
ただし、すべての関税、輸入税および消費税は、合衆国を通じ均一でなければならない。
」
第 1 編第 9 節 4 項:
「人頭税その他の直接税は、上(第 1 篇 2 節 3 項)に規定した人口調
査又は算定に比例するものでなければ、賦課してはならない。
」
;直接税の人口比例に関
しては、第 1 篇第 2 節 3 項:「下院議員及び直接税は、連邦に加入する各州の人口に比例
して各州の間に配分される(以下省略)
。また、歳入の賦課に関する法案の連邦議会に対
する提出手続きについては、第 1 篇第 7 節 1 項:
「歳入の賦課に関するすべての法案は、
先に下院に提出されなければならない;ただし上院は、他の法律案におけると同様、こ
れに対し修正案を発議し、または、修正を付して同意することができる。
」
;第 16 条修
正、
「連邦議会は、いかなる原因に基づく所得に対しても、各州に比例的にではなく、ま
た人口調査もしくは算定に関係なく、所得税を賦課徴収する権限を有する。
」
; See, Boris I.
Bittker, Federal Income Taxation of Corporations and Shareholders Seventh Edition, Preface at 1-3
(2000)
;合衆国憲法第 16 条修正前後の法人税導入の経過については、畠山武道「アメリ
カに於ける法人税の発達(一)-<法人ー株主>を中心にー」246 頁(北大法学論集、24
(2)
:1-1-3、1973 年)
。
10)‌Revenue Act of 1913, H.R. 3321, Public No. 16, 63d Congress, 1st Session, ch. 16, 38 Stat.
114. ここで、所得課税には個人に対する所得課税及び法人所得に対する所得課税を含
203
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
む。法人に対しては、合衆国憲法第 16 条修正に先立つ 4 年、1909 年の Payne-Aldrich
関税法(Payne-Aldrich Tariff Act of 1909)の立法の中で、法人税法を制定し連邦政府に
よる課税が行われていたが、その根拠は法人という能力をもって事業を行うという特典
(privilege)の行使に対する憲法上規定されている消費税又は間接税であり、合衆国憲法
第 16 修正が連邦政府に課税を認めた所得課税とは性質を異にするものであった。1913
年の恒久的所得税法については、畠山武道、前掲 9)261 頁。
11)‌畠山武道、前掲 9)261 ページにおける邦訳によれば、
「合衆国のあらゆる市民に対し前
暦年度内に凡ての源泉より発生した(arising or accruing)全部の純所得に対して、これ
らの所得に対する年間 1%の税が毎年賦課され、査定され、徴収され及び支払われるも
のとする。
」
、とされていた。
12)‌全世界所得課税に係る国際法上の根拠とされているのは、Lotus Case France v. Turkey
(1927)
, P.C.I.J. Ser. A. No. 10。奥脇直也「国家管轄権の適用基準―ローチュス号事件」山
本草二ほか編『国際法判例百選』別冊ジュリスト(2001)42 ページ。この事件名の「ロー
タス」は、この事件のもととなった商業船の名前「LOTUS 号」からつけられたもので
あるが、当該船舶がフランス船籍であったことから、国際法の分野の文献では、フラン
ス語の発音に基づいて「ローチュス号事件」とも翻訳されているが同一の事件である。
‌田畑茂二郎他『判例国際法』
(東信堂, 2002)
, 7 頁; 田畑茂二郎=太寿堂鼎『ケースブッ
ク 国際法(新版)
』
(有信堂高文社,1987)164 頁; 杉原高嶺他『現代国際法講義』
(有
斐閣、2009)82-85 頁
‌次に、合衆国最高裁判所による裁判例としては、Cook v. Tait, 265 U.S. 47, 56(1924)で
ある。本事件は、原告である納税者が、生まれつき合衆国の市民であるが、メキシコ共
和国に住所を移した。被告である課税庁は、合衆国の所得税法に基づいて納税者の所得
に係る申告書の提出を命じた。しかし納税者は、その所得がメキシコ共和国に所在する
財産から生じたものであることを理由に出訴した。当事件に対して裁判所の判断は課税
権の根拠に係るものである。課税権の根拠を、政府が市民及びその所有する財産に対し
て与えている利益に置き(いわゆる後に述べる利益説)
、市民と国家との結びつきが認
められ、政府から利益を得ているということが課税権つまり課税管轄権の基礎となるべ
き市民としての地位を有することから、国外財産から生じる所得に対しても課税が正当
化される根拠を示した。
‌
「合衆国外にある合衆国市民(citizen)の財産は、合衆国からなんらの利益(benefit)も
得ていないという主張は却下する。そこで述べられた主張は、一国家としての合衆国の
主権(sovereign power の範囲と限界の問題と、合衆国の合衆国市民に対する関係及び
合衆国市民の合衆国に対する関係の問題について誤った考えによる混乱である。裁判所
の決定は、当該国家の権能(power)の範囲と限界については、合衆国政府がその政府
たる性質により、合衆国市民および合衆国市民の財産に対して、それらがどこに所在し
204
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
ようとそれらに利益を与えているという前提に基づいたものであり、それに対する反対
意見は、そこから得られる合衆国市民の得られる有利さ(advantages)を縮小し損ねて
しまうものであるが、合衆国市民に完全な便益を与えるために必要とされる実質的な権
能を政府が所有することをいくら拒否してみても、結局は自らの身のためになるもので
ある。別の言い方をすれば、
政府はその性質により、
合衆国市民およびその財産に対して、
それがどこに存在しようと、利益を与えるのであり、したがって、当該利益を完全なも
のにするための権能を有するという原則が宣言されたのである。ここで別の表現を使え
ば、全ての場合において課税権の基礎は、これまでもそうであったし現在もそうである
ように、財産の位置(situs)が合衆国の中にあるのか或いは外にあるかのに依存するの
ではなく、また、市民の出自(domicile)が合衆国の中にあったのか或いは外にあるの
かに依存するのではなく、むしろ、合衆国市民としての合衆国との関係及び合衆国の合
衆国市民との関係に依存するものなのである。これらの関係から得られる帰結は、課税
された生れつき合衆国市民 native citizen)は、合衆国外に出自(domicile)を有してい
る場合もあるであろうし、また、当該課税対象所得を生み出した財産の位置(situs)は
合衆国外にある場合もあろうが、当該課税は適法であり、政府は課税する権能を有して
いるのである。
」
13)‌1913 年に連邦所得税が立法されたときの法人税率は 1%であり、主として保護関税を
徐々に減少させる過程での関税引き下げの代替財源でしかなかった。しかし、1,919 年に
第一次世界大戦が勃発したことにより、一挙に重税方針へと転換された。渋谷博史は、
『現代アメリカ連邦税制史-審議過程と議会資料(U.S. Tax History, 1913-1986)
』5 頁に
おいて、1913 年当時の時代背景について次のように述べている。
「アメリカで個人所得
税と法人所得税が導入された 1913 年は、第 1 次世界大戦前のいわゆる帝国主義の時代
であり、ヨーロッパの先進資本主義国は軍事費や植民地経営費や国債費という帝国主義
的な財政支出の膨張によって新たな財源の必要性が生じ、個人あるいは法人の課税標準
とする現代的な所得税への依存度を高める必然性があったといわれる。しかしアメリカ
の場合は、イギリスを中心とするパクス・ブリタニカ(大英帝国の平和のために:三省
堂大辞林から)という国際体制の枠内で、工業の競争力の向上によって保護関税の必要
性を減少させながら、他方で農産物輸出国として自由貿易的な傾向を次第に強めるとい
うような位置を占めており、しかも地理的に大西洋と太平洋の二つの大洋によって隔離
されていたので、軍事費はさほど増大しなかった。
」また、
「この点は、
・・・第 2 次政
界大戦後のパクス・アメリカーナ(アメリカの平和のために:三省堂大辞林から)とい
う国際体制でアメリカが基軸国として巨大な軍事支出を維持し、それを賄うために戦時
に拡充された所得税の重課税水準を平時にも定着させるようになったこととは、歴史的
コントラストをなしている。
」
。
14)‌Graetz 1997, supra note 2, at 1045 では、合衆国の個人に対する最高税率は 77%にまでお
205
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
よび、法人に適用する基本税率は 10%であったが大規模会社に適用される超過利潤税
(excess profit tax)は 60%であった。この当時は単なる二重課税の問題というより、二
重課税の負担による倒産の続出が深刻な問題とされていた。
15)‌Revenue Act of 1918, H.R. 12863, Public No. 254, 65th Congress, 3d Session, ch. 18, 40 Stat.
1057, 1073, 1080 - 1082(1919)
. 1918 年歳入法の立法前は、外国税額の費用控除だけが認
められていた。本立法により税額控除を認めたが、この時点では、FTC 限度額を設けず、
全額控除制度(full credit, 外国で納付された外国税額全額を合衆国租税債務から控除す
ることを意味する。
)であった。See Graetz 1997, supra note 2, at 1041.
16)‌Revenue Act of 1921, H.R. 8245, Public No. 98, 67th Congress, 1st Session, ch. 136, 42 Stat.
227,249,258. FTC 制度を創設した 1921 年の歳入法は、合衆国租税政策を「全世界の効率
(worldwide efficiency)
」の 促進 な い し は「資本輸出中立性(capital export neutrality)
」
に移行する、というような政策的意思決定なしに行われている。連邦所得税を承認し
た合衆国憲法第 16 修正がアメリカ人に受け入れられたのは「公正さを正当根拠とする」
ものであり、1918 年当時の議論は、投資に対する経済的効率の促進という観念よりも公
正な課税の方が政策的にもより説得的であった。See, Graetz 1997, supra note 2, at 10431044.
17)‌歳入法 991-996 条の下、簡略に言うと合衆国の輸出を促進するために、合衆国親会社と
その外国子会社である DISC との合計課税所得金額の 25%が合衆国課税から免除され
た。より具体的には水野忠恒、前掲 7)248 頁脚注 23。
18)‌GATT, Report of the Panel Presented to the Council of Representatives on 12 November 1976(L /
4422 BISD 23S/98)
, para. 1[hereinafter cited as GATT Panel].
19)‌合衆国連邦議会は、DISC 準則に対する GATT/WTO による違法な補助金認定を回避す
べ く、外国販売会社(foreign sales corporations: FSC)条項 を、次 い で そ の 代替条項及
び域外所得(extraterritorial: ETI)条項を立法したが、合衆国は WTO との論争にこと
ごとく敗北し、ついに 2002 年には WTO 裁定委員会から課徴金を命じられるまでに至っ
た。そこで合衆国は ETI 条項を段階的に廃止し、その代わりに歳入法 199 条を立法し、
国内生産に対する租税軽減措置を行い現在に至っている。
20)
「国外所得免除法」という邦訳については金子宏、前掲 3)461 頁に従った。
21)‌国外所得免税法若しくは属地主義課税法を表わす territorial と本稿における外国で稼得
される能動的所得を免税にする exemption との区別については、Lawrence Lokken の区
別 に し た がった。See, Lawrence Lokken, Territorial Taxation: Why Some U.S. Multinationals
may be less than enthusiastic about the Idea and some Ideas they really dislike, 59 SMU Law
Review 751, at 4(2006)[hereinafter cited as Lokken 2006].
206
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
22)‌Michael Graetz は、Michael Graetz and Paul W. Oosterhuis, Structuring an Exemption
System For Foreign Income of U.S. Corporations, 54 National Tax Journal 771, at 772(2001)
において、次のように述べている。
「1918 年に外国税額控除制度が立法されてから、合
衆国は worldwide 制度から exemption 制度に移行することを真剣に検討したことはな
かった。しかし、2000 年に合衆国連邦議会は、FSC に対する租税特別措置を WTO が承
認しないことを阻止することが不成功に終わったことがはっきりしたときに、外国事業
所得に対する合衆国租税の免除を、
(租税特別措置ではなく)通常の制度として性格づ
け、国際課税の改革論議における有力な選択肢となった。つまり外国通商条約の下、で、
(輸出補助金に係る、筆者注)GATT/WTO との論争に負け続けたことがターニングポ
イントになり、合衆国は、worldwide 制度の下での FTC 制度から exemption 制度への
移行の検討を余儀なくされた。
」
。
23)‌両方の論者支持者の間で合意に至っていない論点とは、
(1)競争力の定義とその評価方
法、
(2)外国直接投資(foreign direct investment、以下 FDI と い う)は、国内投資 に
代替するのか、それとも国内投資を補足するのか、
(3)exemption 制度への移行は投資
地選択の歪みを従来以上の助長させるのか、
(4)国際課税制度の国際的調和の必要性は
あるのか、の四点である。これらの論点については、北川博英「米国経済再生大統領諮
問会議による国際課税改革報告書を読む」前掲 1)59 頁、78 - 81 頁(2011 年 9 月)
。ま
た、最近の議論については、同、
「アメリカ合衆国の多国籍企業による国外への所得移
転に係る事例研究と国際課税改革の方向」22-29 頁。
24)Graetz 1997, supra note 2.
25)‌Edwin R.A. Seligman は 1861 年生 ま れ で、1879 年 に Columbia College を 卒業後、ヨー
ロッパのベルリン、パリ、ジュネーブ及びハイデルベルグで学び、1882 年に Columbia
College に戻り、1885 年に博士号を取得、1888 年には非常勤教授、1891 年に政治経済学
教授に昇任され 1939 年に没するまでその任にあった。アメリカ経済学協会(American
Economic Association)及びアメリカ大学教授協会(American Association of University
Professor)の創設に尽力しそれぞれの創設時の会長(president)に就任したほか、ア
メリカ租税協会(National Tax Association)の会長を務めたこともある。その活動範囲
は広範で、教授として及び税制の専門家としての活動の他、政府、市民団体その他の社
会改革を促進しようとする団体との活動がある。国際連盟から国際的二重課税の問題に
ついての調査を委託された四人の経済学者の一人として合衆国から派遣され、後に述べ
る 1923 年の経済学者委員会報告書の主筆を務め、その後の国際課税制度及び国際連盟
によるモデル租税条約の基礎を築いたと、合衆国においても理解されてきた。しかし、
Graetz は、Seligman に対する評価は誇張されすぎており、Thomas Swell Adams が果た
した業績こそが評価されるべきであるという。See, Graetz 1997, supra note 1, at 1027. 事
実、我が国の文献のほとんどで、Seligman への言及は多々あるが、Adams への言及は
207
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
ほとんどされていない。この状況は、合衆国においても同様であるという。
26)‌Thomas Sewall Adams は 1873 年生まれで、1893 年に Baltimore 市立大学を卒業後 John
Hopkins 大学に入学し同大学で 1899 年に経済学博士号を取得した。著書としては第一
次世界大戦前に最も広く利用されたという経済学の教科書(Outlines of Economics)を
Richard T. Ely 教授らと共に 1908 年に発刊した他多数ある。彼が Wisconsin 大学の教授
であった 1911-1915 年にあっては、Wisconsin 州の租税長官(tax commissioner)の任に
あった。1916 年から 1933 年に他界するまで Yale 大学で経済学教授の任にあって、主に
財政学及び先進経済学について研究しながら、同年に New York 州の最初の所得税法の
草案を作成した。1922 年から 1923 年にはアメリカ租税協会(National Tax Association)
の会長を務め、1927 年にはアメリカ経済学協会(American Economic Association)の
会長を務めた。1917 年から 1933 年の没年まで、Yale 大学教授の任にありながら連邦政
府及び州政府及び民間団体の顧問を務めたが、1917 年にはウイルソン政権の下で、連邦
財務省のアドバイサーとして主に租税政策及び執行面での問題に携わった。さらに、租
税法令立法時 に は、連邦議会下院歳入委員会(House Ways and Means Committee)及
び同議会上院財政委員会(Senate Finance Committee)を前にして連邦財務省のスポー
クスマンの役割を果たした。後に述べるが Graetz は、この時期における Adams がはた
した役割に注目している、See, Graetz 1997, supra note 2, at 1028-1033。我が国の文献では、
Seligman についての言及は多々あっても、Adams についての言及は稀であるが、畠山
武道「アメリカに於ける法人税の発達(一)-<法人・株主>を中心にー」
(北大法学
論集 24 巻 2 号 233 頁(1973 年)
、
「アメリカに於ける法人税の発達(二)-<法人・株
主>課税を中心にー」
(北大法学論集 26 巻 2 号 139 頁(1975 年)
、
「アメリカに於ける法
人税の発達(三)-<法人・株主>課税を中心にー」
(北大法学論集 26 巻 4 号 591 頁(1976
年)
、
「アメリカに於ける法人税の発達(三)-<法人・株主>課税を中心にー」
(北大
法学論集 28 巻 2 号 279 頁(1977 年)では、Adams を引用している部分がある。
‌1920-30 年代当時の各国による租税条約に係る交渉の経過については、国税庁『国際租税
協定関係の参考資料集』
(1941 年 5 月 10 日)5 頁、当時大蔵省主税局長の黒田英雄によ
る「一.国際二重課税問題について」において、1924 年 2 月 19 日開催の国際商業会議
所での議論が報告されたが、
そこでは、
国家と納税者との関係について、
旧来の「ポリティ
カル・アレジャンス」に代わって「エコノミック、アレジャンス」なる観念が生じてい
ると報告している。又、同書「三.国際二重課税会議」48 頁、81-82 頁では、国際連盟
の招請により、
「エール大学教授にして財政学書として世界的令名のあるアダムス教授
を代表として任命せし」
、とある。
27)‌国際商業会議所が 1919 年に Atlantic City 創立総会を開催したが、第一次世界大戦後の
外国への事業及び投資の回復を促進するためには、
「二重課税の弊害(evils of double
taxation)
」を除去するための方法を、各国が講じるよう要請した。その後の経過につい
208
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
ては、赤松晃、前掲 4)5 - 6 頁。
28)‌この間における国際商業会議所が果たした功績については、赤松晃、前掲 4)22-23 頁、
谷口勢津夫「モデル租税条約の展開(一)-租税条約における
『国家間の公平』の考察―」
(甲南法学 25 巻(3・4 号、1985 年)253 頁。
29)‌Graetz 1997 supra note 2, at 1066。Adams は、国際商業会議所 に よ る 国際的二重課税 の
弊害の除去への取り組みに最初から参画していたので、Adams の国際的租税条約策定に
対する取組方法を知る上で、同会議所の資料は極めて有益である。他方、Adams が国際
連盟による国際的二重課税への取り組みに参画する前に、国際連盟はすでにモデル租税
条約草案策定に着手していた。したがって、この点だけからすると、Adams の国際連
盟での役割は、一見すると同会議所での役割と比べると限定的のように見えるが、実は
そうではなかった。
;イエール大学の図書館に所蔵されている“Thomas Sewall Adams
Papers” には、Adams の手書きの原稿を含めた文書が所蔵されているが、Adams がロ
ンドンとの往復旅行を示す旅程表(itinerary)が残されている。当初ジュネーブに置か
れていた国際連盟の本部は、ドイツによるフランスの占領により、ジュネーブが地理的
に孤立状態になり、事務など一部機関の移転を余儀なくされた結果、財務部がロンドン
に置かれていたことから、Adams が国際商業会議所及び国際連盟との連絡及び連携した
活動を行っていたと推察できる。
30)Graetz 1997, supra note 2, at 1073。
31)‌経済学者委員会のメンバー構成は、合衆国:Edwin R.A. Seligman、英国:Josiah Stamp
卿、オランダ:G.W.J. Bruins 教授及びイタリア:Luigi Einaudi の 4 名からなる、Ibid., at
1074。
32)‌League of Nations, Report on Double taxation, Submitted to the Financial Committee by Professor
Bruins, Finaudi, Seligman and Sir Josiah Stamp, League of Nations Document.E.F.S.73.F.19.
(1923)[ hereinafter cited as League of Nations 1923 ].
33)‌Michael J. Graetz and Michael M. O’ Hear, The Original Intent of U.S. International Taxation,
46 Duke Law Journal 1021, at 1080(1997)[hereinafter cited as Graetz 1997]. 指名された
各国代表者は、ベルギー : M. Clavier; チェッコスロヴァキア ; :Dr. Valnicek; フランス :M.
Baudouin-Bugnet; 英国 : Sir. Percy Thompson; イ タ リ ア : Prof. Pasquale D’Aroma; オ ラ
ンダ : Dr. Sinninghe Damste; スイス :Mr. Blau、7 名により構成されたが、その圧倒的過
半は債務国の代表者であった。なお、後に英国 : Sir. Percy Thompson は Mr. G.B. Canny
に、フランス : Mr. Baudoin-Bugne は、Mr. Borduge に引き継がれた。See also, League
of Nation 1925, infra note 35, at 3.
34)‌League of Nations, Double Taxation and Tax Evasion, Report and Resolution Submitted by
the Technical Experts to the Financial Committee of the League of Nations, Doc. F.212, 1925.
209
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
[hereinafter cited as League of Nations 1925 ].
35)League of Nations 1925, supra note 35, at 29-30.
36)‌拡大財政専門家委員会 の 構成 は:ア ル ゼ ン チ ン : Dr. Salvador Oria, replaced by Mr.
Julian Encico; ベ ル ギー : M. Ch. Clavier; チェッコ ス ロ ヴァキ ア : Dr. Vladimir Valnicek;
フランス : M. Boduge; ドイツ : Dr. Herbert Dorn; 英国 -Sir Percy Thompson; イタリア:
Professor Pasquale d’ Aroma; 日本 -Mr. Kengo Mori, replaced by Mr. Takashi Aoki; オ
ランダ : Dr. J. H.R. Sinninghe Damste; ポーランド : Professor Stefan Zaleski; スイス : Mr.
Hans Blau; 合衆国 : Professor Thomas S. Adams; ベネズエラ : Dr. Federico Alvarez Feo.
See, League of Nations 1927, infra note 38, Introduction.
37)‌合衆国はこれまで財政専門家委員会に代表者を出していなかったが、主として債務国か
らの代表者によってモデル租税条約草案が策定されることに懸念を持ち、代表者を派遣
することを決定したが、そこで Thomas S. Adams が派遣された。
38)‌League of Nations, Double Taxation and Report Presented by the Committee of Technical Experts
on Double Taxation and Tax Evasion, Doc.C216M.85.1927. Ⅱ.( 1927 )[hereinafter cited as
League of Nations 1927.]. 谷口勢津夫前掲 28)280-283 頁 に、資料Ⅱ二国間条約予備草案
の訳文が付されている。
39)‌これらの経過については、赤松晃『国際租税原則と日本の国際租税法―国際的事業活動
と独立企業原則を中心に』
(有斐閣、2001 年)
。
40)‌Edwin R.A. Seligman に よ る Double Taxation and International Fiscal Cooperation(1928)で
は、随所に 1923 年報告書の内容と一致する記述があることからも、Seligman が主筆を
務めたことが分かる。
41)‌当時における我が国の文献を筆者が見た限りはもっぱら Seligman の文献が引用されて
おり、Adams の文献の引用はほとんど見当たらない。
42)‌Seligman は、課税について Adams と同等の権威を有する当時では数少ないアメリカ人
学者の一人として知られているが、Adams とは知的スタイルの違いが大きい。Adams
が、生涯を通じて学究と政府の両方での地位を有し、政治的及び行政面での制約に対し
て実用的、かつ、直感的でありながら敏感であり、常に問題の技術的側面に対応しよう
とするタイプである。他方、生涯学究派である Seligman は、威厳を持って体系的に思
考するタイプであり、政治的、行政面での制約を無視することはないが、大局観を先行
させ理論が適切でないと思える問題からは避けようとする傾向がある。Graetz は、次
のような例を挙げて Seligman と Adams を対比させている:Seligman による二重課税
に関する著書では、13 世紀に始まる二重課税という課題に 26 頁を、抽象的な租税の分
類論に 30 頁を割きながら、事業所得の源泉地間への配分についてはほとんど言及して
210
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
い な い、Edwin R.A. Seligman, Double Taxation and International Fiscal Cooperation, at 32-57,
58-87(1928)
[hereinafter cited as Seligman 1928]
。対照的 に Adams は、事業所得 の 配
分を、
「この分野での最も重要な技術的問題」と呼び、
この問題に多くの頁を割いている。
See, Thomas S. Adams, Interstate and International Double Taxation, in Lectures on Taxation,
in Lesson on Taxation ed. By Roswell Magill, at 101(1932)
[hereinafter cited as Adams
1932]
。
43)‌See, Edwin R.A. Seligman, The Income Tax: A Study of the History, Theory,and Practice of Income
Txation at Home and Abroad, at 647-649(The Macmillan Company 1911).
44)‌See, Thomas S. Adams, Discussion-Annual Address of the President, 8 National Tax
Association Proceeding 199, at 200(1914)[hereinafter cited as Adams 1914]. 州際事業 に
係る各州への課税権の配分について、その後の定式配分を予告している。
45)‌League of Nations 1923, supra note 32, at 18-20 において、課税の根拠を歴史的変革につい
て振り返りながら、現代の学説による根拠を「担税力の原則(The Principle of Ability
to Pay)
」としている。
「これまでは、課税の根拠は『交換説(exchange theory)
』によっ
て説明され、課税の理由及び方法を、国家の政府と個人の間で行われる交換の原則に求
め、社会的契約における『社会』という哲学的基礎と直接関係しているとされていた。
当該交換説には二つの形式があり、その一つは『コスト説(cost theory)
』であり、政
府が個人に提供する役務のコストに基づいて租税が納付されなければならないとするも
のであり、もう一つは、
『利益説(benefit theory)
』であり、政府が個人に与える特定の
便益に基づいて租税が納付されなければならないとするものである。しかし、これら交
換説(コスト説及び利益説)は、当時はすでに『能力説又は担税力説(faculty theory or
theory of ability to pay)
』によって取って代わられたという。
『担税力説』は
『交換説(コ
スト説及び利益説を包含する。
)
』よりもさらに包括的な概念である。なぜなら、富の取
得に関係する便益が個人の能力(faculty)を高める以上、便益は無視できない要素を構
成するからである。個人の消費能力についても同じことがいえ、消費を可能にするか又
は迷うことなく消費に同意できる適切な環境を提供する国家の政府にとってのコストま
でをも配慮するからである。
」
46)‌Thomas Sewall Adams , Taxation of Business, 11 National Tax Association Proceeding 185
(1917)[hereinafter cited as Adams 1917], at 185 – 186(1917)で は、当時 の 経済学者 に
よる事業所得課税への批判について、
「今仮に、全く同額の資本、事業及び純所得を有
する二つの法人があるとする。そのうち一方の法人は、小規模の株式を有する多数の株
主(おそらく機械工矢労働者)によって所有されているとする。他方の法人は、少数の
富裕者だけによって所有されているとする。一方の法人に課される一定額の租税が一方
の法人の株主に与える影響は、他方の法人の株主に課される同額の租税が当該他方の法
211
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
人の当該株主に与える影響と、同じではない。大規模の法人はしばしば小規模の株主に
よって所有され、そして、小規模法人は、しばしば、少数の富裕株主によって所有され
ている。したがって、批判者によれば、課税、中でも特に所得課税については、媒体物
(intermediary)
、仲介者(go-between)又は業務の代行者(business agent)を排除し個
人である株主に直接負担させるべきである。そこで突き詰めるところ、担税力(ability
to pay)という偉大な原則との衝突を避けなければならない、とするものである。
」
、と
いう。法人が事業から得る所得をその株主の手元で課税すれば、累進税率構造を通じて
富裕株主と少数株主とが取扱われ、所得の再配分が行える、という主張である。
47)‌Thomas Sewall Adams, Federal Taxes upon Income and Excess Profits, 8 American Economic
Review 18(Mar. 1918)
, at 19 [hereinafter cited as Adams 1918]. 本文献 は 事業 に 課 す る
超過利潤税への批判に答えた論文であるが、担税力説に依拠する批判者の論旨及び利益
説に依拠する Adams による反論を知る上で参考になる。
48)Ibids., at 19-20
49)‌See, Adams 1917, supra note 46, at 189-190 では、
「全ての国家の臣下は、政府による支援
に対して、可能な限り、それぞれの臣下の能力の程度に応じ、国家の保護の下でそれぞ
れの臣下が享受し得た収入に応じて寄与しなければならない。偉大な国家の政府が個人
のために要した費用は、偉大な不動産の共同賃借人に対する管理費のようなものである。
各賃借人は、当該不動産から自らが得る利益の割合で寄与することが義務付けられてい
る。このような行動原則を観察するか又無視するかによって、それを課税の平等又は課
税の不平等というのである。
」という Adam Smith の言葉を利益説と能力説を融合させ
たものとして、引用している。また、Adams 1918, supra note 47, at 20 では、利益説に
依拠した論旨について述べているが、その他の多くの文献で一貫して述べていることは、
事業にとっての国家(政府)の役割を事業の成功のためのパートナーとしての役割とし
て観察している。事業所得に対する租税は、事業所得のうち国家(政府)が果たす役割
に対する持分(share)であるという。
50)Adams 1917, supra note 46, at 187.
51)‌Ibids. at 189-190(19179. And at 190 において、利益説に能力説を融合させている。See,
supra note 49.
52)‌Adams Sewall Adams, Effect of Income and Inheritance Taxes on the Distribution of Wealth, The
American Economic Review, Vol. 5, No.1, Supplement, Papers and Proceedings of The
Twenty-seventh Annual Meeting of American Economic Association, at 235-236 and 236237(Mar. 1915)[hereinafter cited as Adams 1915] で は、資産税 と 事業所得課税 の 比較
の上で、
「所得税は、新規で研究開発的事業或いは幸運に恵まれなかった事業から取り
上げるものはほとんど無いか或いはまったく無い。所得税は、小規模事業の経営者を助
212
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
けるばかりでなく、新規でリスクの大きい事業を行う大規模事業までも助ける。所得税
は、企業の業績が悪かった年度を助ける、いいかえれば課税を慎む。
」そして、
「所得税
制度は、個人経営を支援する働きをし、合衆国州を、優先的所有者でもなく、単一所有
者でもなく、私的産業の成熟した(full fledged)且つ思いやりのあるパートナーの地位
に置く。
」
、つまり、国家は事業の純利益に対してのみ持分を有するパートナーであると
いう。
53)Adams 1917, supra note 46, at 190.
54)Adams 1917, supra note 46, at 187.
55)具体的税率については、前掲 13。
56)‌Seligman は、Edwin R.A. Seligman, Double Taxation and International Fiscal Cooperation,,at
150(1928)
[hereinafter cited as Seligman 1928]にて、彼に対する処遇に不満足ながら
も 1925 年報告書に対して積極的に働きかけようとしていた。曰く、
「租税制度を全体と
して捉えると、経済学者委員会と財政専門家委員会との間の違いはほとんどなかったよ
うに思う。経済学者委員会は、アングロ・サクソン各国の制度の租税制度に見られるよ
うな未完の人税(semi-personal taxes)にわずかな関心しか寄せず、他方財政専門家委
員会は、
国家財政における疑似人税(quasi-personal taxes)の存在を突き付けられていた。
両委員会が、
(国だけではなく地方政府も含めた)租税制度全体を完全に考察し、準人
税(demi-personal taxes)及び疑似人税(quasi-personal taxes)と同様に厳密な人税(strictly
personal)をその観点に含めておれば、両委員会の結論は実質的に同一であったと考え
られる。
」そして、
「経済学者及び財政専門家の両者は、純粋所得課税に適用すべき一般
的基準として居住地国課税を第一優先とし、および、所在場所国(situs)税及び源泉地
国税のような準人税(demi-personal taxes)の場合における源泉地国を尊重し、さらに、
源泉地国税のような疑似人税(quasi-personal taxes)を尊重することによる修正を認め
るという形で要約される結論で一致していたのではないか。
」
。ここでも、Seligman は最
後まで源泉地国課税に対して居住地国課税を優先させることを譲っていない。
57)‌Adams は、事業所得に対する課税管轄は、事業所得の性質から源泉地ベースであると考
えていたが、人的所得(personal income)に対する課税管轄権は居住地ベースもあり得
ると考えていたと考えられ。Adams は、事業に対する純所得に対する課税と人的所得税
とははっきりと区別されなければならないとしたうえで、曰く、
「人的所得税は、個人
の消費能力によって生み出され(laid upon)
、当該納税者が居住する場所で納付される。
一方事業所得税は人の生産的能力又は商業上の能力によって生み出され、当該所得を稼
得する場所で納付される。
」
。See, Adams 1917 supra note 46, at 192 - 193.
58)‌Edwin R.A. Seligman and others, Untitled Response to speech by T.S. Adams, Federal Tax upon
Income and Excess Profits-Discussion, 8 American Economic Review 36, at 42-43( 1918 )
213
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
[hereinafter cited as Seligman 1918].
59)‌See, Mitchell B. Carroll, Proposed and Allied Methods of Preventing Double Taxation, in
Department of Commerce Special Circular No. 122, at 27.( 1926 )[hereinafter cited
as Carroll 1926]. 本 文献 は 出版 さ れ た 文献 で は な い が、T.S. Adams Papers, Yale
University, Box 13 から入手した。ここで、Mitchell B. Carroll は、1930 年に国際租税協
会(International Fiscal Association: FA)の創始者として会長に就任し、1971 年には名
誉会長に指名されたことで知られているが、当時は Adams の補佐役を務めていたとさ
れ る。法律家(Lawyer)で あ り、か つ、国際課税 の 専門家 で、1930 年代 か ら 1940 年
代にかけて数多くの租税条約策定に参画した。Adams の補佐役的な役割をはたしてい
たとされているが、Adams が 1933 年に没する 3 年前に、後にロックフェラー財団 (Rockefeller Foundation)から Adams が助成金を与えられて各国の租税制度の概要を
調査していた仕事を Carroll が引き継ぐように国際連盟から指名を受けた。この点につ
い て は、Mitchell Benedict Carroll, International Tax Law: Benefits for American Investors and
Enterprises Abroad, 2 International Lawyer, 692, at 702 Note 18 [hereinafter cited as Carroll
1968]. なお , 国際連盟が、国際的二重課税及び脱税防止の問題に取り組んでから 20 年を
経過した 1939 年にその進捗状況を求めたが、本報告書の執筆者は Carroll である。See,
League of Nations, Prevention of International Double Taxation and Fiscal Evasion: Two Decades
of Progress under the League of Nations by Mitchell B. Carroll, 1939.
60)‌Adams は、居住地ベース課税が有効な補強策(backstop)としての役割を果たすと考え
ていたが、源泉地ベース課税を第一優先とすることに同意していた。これは Adams だ
けの考えではなく、Adams と連邦財務省を含む同時代の同朋も、Adams が最初に考え
出した FTC 制度は、居住地ベース課税の優越性を拒絶するものであると認識していた。
See, Graetz 1997, supra note 2, at 1040.
61)‌See, Thomas S. Adams, A Suggested Amendment to Sir Percy Thompson’s Proposal
Regarding a Deduction or credit(undated)
, at 2. 本文献は . 出版された文献ではないが、
T.S. Adams Papers, Yale University, Box 17, folder containing undated League of Nations
materials から入手した。
;See also, Adams 1932, supra note 42 at 125-126.
62)‌Committee on Double Taxation Meeting held on November 23rd and 24th, 1923, at 6 で は、
英国の代表者の主張として、
「二重課税を回避する方法は、居住地の原則だけを採用す
るか、源泉地の原則だけを採用するかのいずれかである。実際には、全ての国家は、源
泉に基づいた課税をするか否かに関わらず、自国の居住者にも課税しており、すべての
国家は可能な限り税収を確保しようとして、納税者が納付できる限り徹底的に課税して
いる。英国の委員会は、我が国の居住者が外国で稼得する利益に対する課税権を放棄す
ることを我が国政府に求めてたとしても、全く望みはないと考える。したがって、源泉
214
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
地の原則だけを採用することは実行不可能である。そこで両方の原則を組み合わせると、
そこに救済(一種の FTC 制度:筆者加筆)を組み合わせない限り二重課税が生じる。
英国における 1920 年財政法の立法以来、救済の制度を採用しているが全く役に立って
いないといわざるを得ない。ましてや国際的にそのような救済制度が運用できるはずが
ない。
」
。さらに、国際運輸所得にかかる還付の例をあげて、書類手続きの負担、還付に
対応する所得がない場合、税率の変化により還付額が減額させる場合などの、現在英国
が採用している救済措置の問題点を指摘し、それを国際的に実施すること等不可能であ
ると切り捨てていた。なお本文献は、出版された文献ではないが、T.S. Adams Papers,
Yale University, Box 12 から入手した。
63)‌See, Carroll 1926, supra note 59, at 9-10. Robinson は、いつも Adams が頻繁に使用した例
を使って、
「フランスに居住する者が、
(配当のような形で)そのすべての所得を合衆国
から受け取っている。
」場合に源泉地国が課税権を放棄することはあり得ないと述べた。
源泉地国は課税権を主張するのは論理的に妥当でありしかも不可避である、という。
64)‌Adams 1917, supra note 46, at 188-189 では、事業所得課税の文脈で「租税は、人が居住
しているところで納付されるのであり、事業の取引のあるところで納付されるのではな
いと考えられる。ここに法人があり、その所有者は課税管轄 A に住んでおり、その工場
は課税管轄 B にありその本社は課税管轄Cにあり、その主要な販売事務所は課税管轄 D
にあるとしよう。議論するまでもなく、これらの各々の課税管轄は課税権を要求するで
あろう。人的所得税はこれらの課税管轄の中で 2 か所だけで徴収されるのが通常であっ
ても、各課税管轄は時間をかけて何らかの租税を徴収するようになるであろう。そして
多くの所得課税の信奉者は、所有者が居住する課税管轄 A だけで徴収すべきと主張する
であろう。
」と、結局は A,B,C,D の全てが課税管轄を主張することになろうという。源泉
地国課税に優越性を与えるべきとする論拠を述べながら、財政専門家委員会がその 1925
年の報告書で提案した恒久的施設に言及した議論であると考える。
65)‌Adams は、
「社会の改革の役割を所得課税に果たさせようとすれば、所得課税をダメに
しがちである。累進税率は富の分配に対して有害な影響を及ぼす租税の代用品でしかな
い。
」See, Adams 1915, supra note 52, at 234-235.
66)Seligman 1928, supra note 56, at, 133-134, note 10.
67)‌
「economic allegiance」の邦訳については、
本稿では「経済的所属」という邦訳を用いた。
;
先行研究 で あ る、谷口勢津夫、前掲 28)260 頁)で は「経済的所属」と 邦訳 さ れ た。
;
さらなる先行研究である水野忠恒「国際租税法の基礎的考察」
『憲法と行政法』732 頁、
740-741 頁(1987 年)及び村井正「国際的租税回避に関する理論と政策」
(税法学 465 号、
1989 年)6 頁、12 - 13 頁では、
「経済的帰属」と邦訳されている。
68)‌谷口勢津夫前掲 28)
、254-259;水野忠恒「国際租税法 の 基礎的考察」
『憲法 と 行政法』
215
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
740 - 741 頁;村井正「国際的租税回避に関する理論と政策」
、12 - 13 頁(税法学 465 号、
1989 年)
。なお、谷口勢津夫は経済的所属の嚆矢とされているシャンツに関するその先
行研究である前掲 28)254-259 頁において、次のように述べている。シャンツは 1892 年
の上述の論文において、二重課税排除の前提となる課税権の範囲決定について論じ、シャ
ンツの経済的所属原則について述べている。シャンツは、
所得課税の根拠を応益原則(本
稿でいう利益説)に求めており、経済的所属という基準による課税権の範囲決定を主張
し、納税義務の程度の測定については給付能力の原則(本稿でいう担税力説)に求めて
いると考えられる。シャンツは、まず考えられ得る基準として法的所属、現在地所属、
居住地所属及び経済的所属の四つを挙げ、租税の内在的性質適合性及び実行可能性の観
点から検討を加えた。
「法的所属については、交通事情が発達した段階においては、国民、
住民等の法的所属者と事実上の所属者とが一致しない場合が多くなるが、そのような場
合には、非居住法的所属者(まま:筆者)に対する課税の執行が困難になること、及び
共同体が与える利益の享受者の範囲と法的所属者の範囲とが一致しなくなること、を指
摘している。
」次に現在地所属については、
「共同体に対する流動的で一時的な所属を、
課税制度全体の基礎とするのは目的適合的でなく、公正でもない、ことを指摘している。
」
居住地所属については、
「居住者が獲得する所得の源泉地がその領域内にあろうとその
領域外にあろうとその居住者の全所得を課税の対象とする制度を念頭に置いた上で、所
得の源泉地が共同体の領域外にある場合にはその所得に対する課税の執行が困難である
こと、及び共同体がその支出から利益を享受する非居住者には課税しないが、居住者が
別の共同体の支出から利益を受けて所得を獲得する場合にはその所得には課税するのは
租税の内在的性質に十分には適合しないこと」
、を指摘している。結局、シャンツは、
「経
済的所属に基礎をおくとき、特に共同体の活動とその活動から利益を受ける人の範囲が
最もよく一致する。
」ので、
「経済的所属が課税権の範囲決定の基準として最も目的適合
的である。
」と結論付けている。
‌谷口勢津夫は、シャンツが課税の根拠を利益説に求める場合の課税権の配分の基礎とな
る課税上の連結点として、旧来の法的所属に加えて、現在地所属、居住地所属及び経済
的所属の各々について適合性を考察した結果、共同体の活動から利益を受ける人の範囲
と最も一致するのが、経済的所属であるという結論を導き出したと考えている。なお、
シャンツは国家間の課税権の配分については、全ての所得に対して源泉地国 4 分の 3、
居住地国 4 分の 1 という考えであったという。この点が妥当であるか否かはさておき、
課税の根拠を利益説に求め、源泉地国に優越性を与えていたと考える。後に述べるよう
に、Seligman は経済学者委員会の活動において、経済的所属を原則として採用し、経
済的所属を構成する要素に分解し、それらの要素のウエイトにより所得分類ごとに源泉
地国課税と居住地国課税にあてはめようとした。ただし、課税権を複数の国家に配分す
るにあたって、シャンツの 4 分の 3,4 分の 1 ルールを採用せず、経済的所属を構成す
216
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
る要素のウエイトによって配分しようとしたが、このような配分を経済学の理論から導
くのは不可能であり、仮にやろうとすれば恣意的にならざるをえないとして放棄してし
まった。
69)
「economic allegiance」の邦訳については、前掲 67)
。
。
70)League of Nations 1923, supra note 32, at 20-22.
71)谷口勢津夫前掲 28)
、260 頁。
72)‌League of Nations 1923, supra note 32, at 23 では、
「ジャワ島にある不動産の管理者はジャ
ワ島に住みながら監督するブレーンであり、当該不動産に関連する法的権利のいくつか
はジャワ島で行使できるといえるが、他方、最終的な支配と支持はアムステルダムの役
員に委ねられており、最終的に利益のある部分を実際に受領するのはロンドンの株主で
ある。これまでの分析からは、富の産出又は源泉はジャワ島で完結しているのか、或い
は、アムステルダムのブレーンが、富の産出に関するすべての事業の本質的な部分であ
るのかは、決定できない。さらに、ロンドンの株主が富を実際に手にすることができる
前には、二組の法的権利が行使されなければならず、その一つは、アムステルダムにお
ける法人設立に係る法的権利の問題であり、いま一つは、ジャワ島の財産に対する財産
の所有権に係る法的権利の問題である。
」とし、結局 League of Nations 1923, supra note
32, at 27-39. では、各所得の種類毎の課税権を、正確にその経済的所得に基づき源泉地国
と居住地国の配分することはほとんど不可能であり、仮に配分しようとするとあまりに
も恣意的となる。したがって、租税条約で両締約国が一つの種類の所得に対する課税権
をお互いに配分したいときは、1923 年報告書における経済的分析をガイドにするのがよ
いと結論付けた。Carroll は、Carroll 1968, supra note 59, at 697 において、
「経済学者ら
は経済的所属の学説いついて議論したが、あまりにも曖昧で適用することが困難である
として、当該学説の採用を放棄した。
」という。
73)‌谷口勢津夫は、前掲 28)263 頁、その先行研究において、
「経済学者委員会は、源泉地国
又は居住地国に対する納税者の受益関係を相対的なものとして考えているということで
ある。すなわち、経済学者委員会は、簡素化のために、ある特定の種類の所得の全部を
源泉地国又は居住地国のいずれか一方に割り当てることを認めるが、少なくとも理論上
は、他方の国のその所得に対する持分を全面的に否定しているわけではないのである。
」
、
という。
74)‌その例として、課税権の根拠を Adams が主張する利益説に求めるとすれば、法人株式
の配当、債券や一般債権の利子のような人的能力の貢献が考慮されるべき所得を居住地
に配分したことは理解できるとしても、法人設立や金銭債権債務に係る私法上の規律等
を整備する源泉地政府に対する課税権の配分を全く配慮しない結果になっている点に
は、疑問がある。第一次世界大戦後の債権国と債務国との力関係の中で居住地国課税
217
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
を優先させたと考えると、債権国に有利な取り扱いとしたことになる。この点について
は Seligman 自身、彼が主に携わった 1923 年報告書の案文が、英国やオランダである債
権国からの主張からなり、当該報告書が債権国の利害を反映していたこと、を認めてい
る。曰く、
「
(経済学者委員会のメンバーによる:筆者加筆)審議の最初から(経済的所
属のどの要素を:筆者加筆)重視するかについての意見の違いは明らかであった。経済
学者委員会においては、メンバーの過半数が債権国の代表者であり、それら債権国の租
税制度は少なくとも基本的には人税からなり、しかも所得課税制度は、最も近代的な制
度とされていた。しかし経済学者委員会よりもはるかに規模の大きい財政専門家委員会
の場合はその反対で、債務国が過半を占めていたばかりでなく、それらの租税制度の圧
倒的多数はいわゆる未完の人税(semi-personal taxes)であった。
・・・したがって、
(経
済的帰属の:筆者加筆)ウエイト付けに対する意見の違いは不可避だったといえる。
」
。
See, Seligman 1928, supra note 56, at 141-142.
75)Graetz 1997, supra note 2, at 1079.
76)‌Adams 1932, supra note 42, at 120 で、
「我々が 議論 し て い る 租税 の 複雑 な 仕組 み(tax
maze)に対する理論的ガイドとして、事業界及び科学業界の両方から敬意を払われてい
る経済学の権威者達は、
『経済的所属』の理論を支持してきた。私からいわせれば遺憾
ながら、一定の者又は取引に課税するために当該理論の発案者がおおよそ便宜的に到達
した、数多くの個別の判断を全て包含するように普遍化させた標識(label)に過ぎない。
不運なことではあるが、世界の各国の事業上の慣習及びその発展段階とは異なる配慮に
基づいた結論である。
・・・そこでの正当根拠は、
『科学的』実行とはとてもいえない。
・・・
当該理論は、居住地の課税管轄権に係る誇張された主張を承認するよう多くの当該理論
の支持者を導く。これらの誇張された主張は、その一部は、当該理論の支持者が債権国
の市民であるという事実に基礎を置いており、又その主張の一部は、累進課税に向けた
民主的衝動である無意識の合理性を反映しているのである。つまり、人は、富者は貧者
よりも高い税率で租税を納付しなければならないと信じるようになった。彼らは野心的
課税理論又は課税管轄理論を構築したが、そこでの内部論理は、彼らが累進的課税に対
する意思を表示するという役割を果たしているだけなのである。
」と、Seligman に対し
て痛烈に批判している。
77)Ibid., at 126.
78)‌1923 年経済学者委員会報告書では、所得課税上の源泉地を船舶の登録地とするか、海運
会社が専用ドックを有する国とするか、それとも船舶の運用管理を行う事務所を有する
国とするかを決めかねていた。See League of Nations 1923, supra note 32, at 34.
79)‌Thomas S. Adams, International and Interstate Aspects of Double Taxation, 22 National Tax
Association Proceeding 193, at 194(1929)[hereinafter cited as Adams 1929] で は、国際
218
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
運輸所得の課税権の配分の困難さについて、
「国家の所得税法の下で、外国運輸会社に
対する課税の問題は特に難しい問題であるが、提起される問題についてちょっと立ち止
まって考えれば明らかになろう。不定期貨物船(tramp steamer)が外国からやってきて、
おそらく数日停泊し、ニューヨークから儲かる貨物を積んで出港するが、おそらく一年
半又はそれ以上の期間に亘って再度停泊することもない。運輸利得を特定の港に配分す
ることには固有の困難さがある。第一次世界大戦後、提起される問題は非常に大きなも
のになった。
」
、としている。
80)‌Adams 1932, supra note 42, at 106 で、
「過去 10 年間の間に国際運輸産業は、主要な海洋
国によって採用された相互免税措置の働きによって、その所得に対する国際的二重課税
から完全に救済されており、船舶の運用から得る所得は、当該船舶が登録された国家又
は真の管理運営の中心を有する国家に配分されてきた。
・・・二重課税に対するかくな
る動向を実質的に達成させたのは、
『経済的所属(economic allegiance)
』又は課税管轄
に係る自然法等いかなる基本的理論の適用又は帰結ではない。むしろ反対に、国際運輸
所得の課税権の配分を行うときに、世界の租税の主導的専門家の大多数によって認識さ
れている課税権配分の原則、つまり複数の国家で事業を行う会社の利益の分け前を妥当
な形で割り当てる方法は、会社が『恒久的施設(permanent establishment)
』
(有力な船
舶運輸会社は、通常各国に恒久的施設を有しており、そこから大量の貨物を得ているの
である。
)を有する国家にそれぞれ割り当てる原則とは完全に衝突する考え方なのであ
る。
」
、という。
81)Adams 1932, Ibid., at 107.
82)‌居住地国が、その居住者が源泉地国に納付した外国税額の全額を、居住地国に対して納
付すべき税額から控除する方法であるが、控除限度額を有さないいわゆる完全控除(full
credit)方式による外国税額控除方式である。しかし発展途上国が意図的に税率を引き
上げると、その税額に一部を居住地国の国庫が負担する結果となる。その点だけをいえ
ば、Seligman の指摘は正当ではあるが、この時点では、合衆国は既に控除限度額の制度
を採用していたので、Seligman の指摘は当たらない
83)‌租税条約に基づいて、源泉地国が、全ての非居住者に対してその国内で生じる所得に対
する課税を免除する方法である。本方式の効果として、外国からの資本の流入を促進し、
途上国の発展を促すという。第一次世界大戦後の債務国にとっては望ましい方式であっ
た。
84)‌租税条約に基づいて、特定の租税の一部を源泉地国が課税し、残余の部分を居住地国が
課税する方式である。居住地国と源泉地国の課税権を調整するのではなく、両国の税額
計算(税率)の段階で調整する方法である。なお、当時の状況からすると、特に発展途
上国が意図的に高い税率を設定することが考えられる。したがって当然ながら、両国税
219
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
額(税率)計算の調整段階で、源泉地国と居住地国が適用する税率の合計が、それらの
いずれか高い方の税率を超えないように、税率を設定する必要がある。
85)‌租税条約に基づいて、特定の種類の投資又は不動産に対する富の結実額(例えば、不動
産賃料及び抵当権付き債権に係る所得。
)の特定部分又は全部について源泉地国に課税
権を認める一方、事業債券(business security)から生じる所得については非居住者を
免税にする。居住地国は、源泉地国に課税権を割り当てられた所得についても課税権を
有する。二重課税排除の方法としては、その居住者が源泉地国に納付した外国税の全額
を当該居住者の納税額から控除することを認める。つまり、源泉地国に第一の課税権を
認めた上で、居住地国にも課税権を認める。ただし、居住地国の歳入確保の観点から源
泉地国の税率に対する制限を設けることが要求される。なお、将来、源泉地国が課税権
を与えられた所得に対して高率な課税を防止するための制限を行うことが望ましく、さ
もなければ、居住地国の国庫が不当な枯渇に直面する、という点も付記している。
86)‌1923 Report , supra note 32, at 41-42. また同報告書では、本方式の特徴として、当時外国
政府が例えば政府債を発行するときに、自国の国内法で非居住者を免税にしている場合
があるが、本方式の下であれば、政府債を発行する債務国は、非居住者を免税にする自
国の国内法の規定をわざわざ制定する必要がない点に言及している。
87)Ibid., at 45.
88)‌Ibid., at 26. 同書において、次のような例を挙げている。事業所得についての課税権の
配分は、経済学の論理では不可能である、としている。
「ある一定の段階までは生産的
運営がうまく行われ利益が計上されるが、この段階までの優れた結果の全てが販売の失
敗により葬り去られることがあり得る。この場合に、事業の利益段階に持分を有する国
家は、何らの税収を得られないのか ? かくのごとく富を産出する事業運営が複雑で、販
売される国家までの輸送が必要であり、かつ、これらの事業運営すべてに対する指図は
もう一つ別の国から行われており、さらに一連の事業運営上欠くことができないこれら
の国家の各々が所定の法的機関を有する場合に、特定の国家に配分されるべき正確な利
益の金額の算定は最後までできない。
」
。この問題は後に、1925 年財政専門家委員会によ
る報告書では、
「企業が、
ある国家に本店(head office)を有し、
別の国家に支店(branch)
、
代理店(agency)
、事業所(establishment)
、常設の商・工業組織(stable commercial or
industrial organization )又は恒久的外交員(permanent representative)を有する場合
には、各締約国はそれぞれの純所得のうち自国内で生じた部分に対して課税する。
」と
いう形で整理され、さらに 1928 年拡大財政専門家委員会による「恒久的施設」施設概
念に引き継がれ、2008 年 OECD モデル租税条約第 7 条 事業所等の第 2 文において、
「一
方の締約国の企業が他方の締約国内にある恒久的施設を通じて当該他方の締約国内にお
いて事業を行う場合には、その企業の利得のうち当該恒久的施設に帰せられる部分に対
220
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
してのみ、当該他方の締約国において租税を課することができる。
」となっている。し
たがって、財政専門家委員会での研究結果が、現在の 2010 年 OECD モデル租税の基礎
となったといえる。
89)‌Adams 1929, supra note 79, at 197 では、
「もし有る納税者が同じ租税を 2 回課税され、一
方では同じような状態にある大部分の納税者が一回だけ課税される状況にあるときは、
真に間違っているか又は公正ではないことが行われており、他の事実関係が同一であれ
ば、立法者は可能な限りそれを正すべきであるという気持ちが合衆国の立法府にあっ
た。
」
、という。
90)‌Ibid. では、
「納税者に課されている不当な二重課税の多くは、外国政府から課せられて
いるのではなく納税者自身の政府から課されているのである。
」
、したがって、納税者の
居住地の政府が二重課税排除の救済を与える義務があるという。
91)Adams 1932, supra note 42, at 120-121.
92)Adams 1929, supra note79, at 197.
93)Ibid., at 198.
94)‌Ibid., at 198. では、
「源泉地国課税の採用の必然的コロラリーとして、外国源泉の所得を
得る自国の市民又は居住者に対して。居住地国は何らかの形での免除を行う義務があ
る。
」
、とした。
95)‌FTC 制度が 1918 年歳入法の一部であったとされているが、誤解がある。何故なら実際
に法案が成立したのは 1919 年である。もともと法案は 1918 年夏の連邦議会に提出され、
同年 9 月には下院で可決されたが、同年 11 月の第一次世界大戦の休戦まで上院による
審議を完了させることができなかった。当該休戦後法案に一定の修正を加えた上 , 上院
で可決されたのは 1919 年 2 月となった。See, Graetz 1997, supra note 2, at 1047, Note 105.
96)‌二重課税の排除の方法として、Adams が FTC 制度を連邦議会に提案し承認された状況
について次のように述べている。
「第一次世界大戦中、合衆国の財政負担がをかつてな
いほどに多額となる状況の中で、筆者は、合衆国が、国外源泉から得た当該所得に対し
て外国で課税されたアメリカ人が、アメリカに納付すべき租税からドル対ドルで外国税
額を税額控除できるいわゆる FTC 制度を連邦租税法に加えることによって、先ほど述
べた公平の原則を実現すべきであることを、連邦議会に提案した。筆者は、その提案を
行ったときに、真剣に検討されるとは考えなかった。筆者は、それまで頻繁に立法のた
めの委員会で、
『そうだね、Adams 博士、それは大変に良い提案であるけど、今の財政
はその提案を許さないであろう。
』といわれていたので、その提案は却下されると思っ
ていた。しかし驚くことに、FTC 制度は承認されたが、その理由は、その提案が公平の
意味合いの響きに触れたこと及び戦時の高税率の下での二重課税が不正義とされただけ
221
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
ではなく、実際に納税者の倒産が生じていた事実もある。
」
。See, Ibid., at 198.
97)‌Mitchell B. Carroll, The Double Taxation Conference, at 28-29( Sept. 3,1927 )[hereinafter
cited as Carroll 1927] で、
「自国民の外国での営業を促進し、自国の市民又は居住者に対
する二重課税を救済したいと考える富裕国にとっては理想的制度である。
・・・合衆国
は、事実上、自国の市民に外国に行って営業を行うように勧めている。そしてもし合衆
国市民が外国で得る利益に対して租税を納付するのであれば、その租税の請求書を提
示すれば、合衆国はそこで生じる二重課税を救済する制度である。
」
、と合衆国の FTC
制度を評した。本文献は , 出版されていない文書であるが、T.S. Adams Papers, Yale
University, Box 13, Set. 1927 folder から入手した。
98)控除限度額の方式については、現在に至るまで数々の変遷を辿っている。
河原康之「国際的二重課税排除のための政策選択」国際税務 3 巻 1 号 10 頁(1983)
。
【合衆国における FTC 制度の改正の歴史】
1918 年 片務的救済方式により FTC 制度を創設した。
1921 年 完全税額控除から一括限度額方式へ変更する。
1932 年 ‌一括限度額方式から国別限度額方式を強制採用し、いずれか限度額の低い方を
強制した。
1954 年 一括限度額方式を廃止し、国別限度額方式だけとする。
1960 年 ‌一括限度方式と国別限度額方式の任意適用を認め、いずれか納税者に有利な方
を選択させる。
(1962 年 Subpart F 準則を創設)
1976 年 簡素化の趣旨から、一括限度額方式だけとした。
1986 年 一括限度額方式を原則とするが、特定の所得については別枠管理とした。
‌現在は一定の条件の下で一括限度額方式を採用しているが、すでに外国に投資している
投資者にとっては、彼我流用(cross crediting or averaging)を通じた投資行動に経済
的歪みを生じさせている。
‌Graetz は、Graetz 1997, supra note2, at 1056 に お い て、本来 FTC 控除限度額 の 基本的
目的は、合衆国源泉所得に対する合衆国税を徴収することにあるのであるが、当該控除
限度額は、合衆国居住者の投資決定に対して数々の影響を与える性質も有している。原
則論でいえば、FTC の制度の下では、外国の税率が合衆国の税率よりも高い場合でも、
合衆国の投資者は、当該外国投資と同一の税引前投資収益率を有する国内投資があれ
ば、当該外国への投資よりも、当然当該国内投資を優先させるはずであり、そこで CEN
が成立するはずである。しかし、高税率の外国税と低税率の外国税との間で彼我流用
(limitation’s averaging)が許されるのであれば、すでに外国投資を行っている投資者に
とっては、彼我流用を利用するために意図的に低税率国へ投資することでメリットが生
じ、高税率国への投資をなんとも思わなくなる、という。そこに彼我流用が投資地選択
222
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
に深刻な経済的歪みを生じさせる要因となり得る。そこで彼我流用を制限するために、
国別限度額方式が試みられたが、納税者のコンプライアンス・コスト負担が過重すぎる
という非難の下に、一括限度額方式に変更された歴史がある。現在は 1986 年に立法さ
れた、能動的所得と受動的所得と二つのバスケット毎の一括限度額方式が採用されてい
る。しかし能動的事業所得からの高税率の配当所得と、通常低税率の能動的事業所得で
ある利子・使用料所得との間での彼我流用が許されている。
99)‌1910-1920 年代当時、英国であっても、原則として、その納税者が外国で納付した租税
の費用控除を認めていただけである。See League of Nations 1923, supra note 32, at 8. ;英
国の納税者が英国及び当時の自治領(Dominion)の両方で課税されるときは、当該自治
領に納付された租税の税額控除を認めていたが、英国で課された税額の半額を当該税額
控除の限度額としていた。See League of Nations 1925, supra note 35, at 11.;オランダは
FTC に類似した制度であったが、外国税率が考慮されてはいなかった。See Ibid., at 11.
したがって、合衆国のような FTC 制度は、当時世界では例を見なかった。
100)‌課税の根拠については、金子宏は、
「租税法における所得概念の構成」
『所得概念の研究』
1-5 頁(有斐閣,1995 年)で、
「税負担を国民の間にどう配分すべきかは、租税制度の
最も基本的な問題の一つである。
」とし、それが公平に配分されなければならないこと
は、租税正義(tax justice)の名の下に、今日一般に承認されているところである。し
かし、
何が公平な税負担の配分であるかについては、
争いがある。
」とし、
利益説(benefit
theory)と能力説(ability-to-pay theory)という二つの見解の歴史的な対立について述
べている。; 赤松晃は、前掲 4)35 頁で、
「この時期(1920 年代:筆者加筆)は、所得
税の課税概念が利益説を基礎とする制限的所得概念から能力説を基礎とする包括所得
概念へと転換していく時期であったことが認められる。
」
、としている。
101)‌本報告書における富の源泉地については、最初の富の物理的出現、当該出現後の富に
対する物理的修正、富の輸送、富の管理及び富の売却等の段階に照らして考察される
ことになる、という、See League of nations 1923, supra note 32, at 24.
102)‌本報告書における居所(domicile)の意義につては、英語を使用する国での意義、フ
ランス法での意義、ドイツ法での意義、ヨーロッパ大陸の諸国での意義など、必ずし
も統一はされていないが、この点は国際連合の法務部門に検討を委ねるとして、本報
告書では、
「居所(domicile)
」を、一時的な居所ではなく、
「恒久的又は常習的居住地
(permanent of habitual residence)を意味するものとして、使用する。See League of
Nations 1923, supra note 32, at 25.
103)Ibid. at 20-23.
104)‌Ibid. at 39 では、
「特定の種類の所得を、経済的所属の正確な割合に応じて源泉地国及
び居住地国に配分することはほとんど不可能である。そのようなことをやろうとすれ
223
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
ばあまりにも恣意的になり過ぎる。
」とし、
「もし二国間条約の当事国がそのような配
分を望むのであれば、本報告書での分析をガイドとすることが、少なくとも理想的で
ある。
」という。筆者には矛盾を感じさせる。
105)Ibid. at 26-39. 具体的には、39 頁 Conclusion に付された表である。
106)‌Graetz 1997,supra note 2, at 1080. 指名 さ れ た 各国代表者 は、ベ ル ギー : M. Clavier;
チェッコスロヴァキア ; : Dr. Valnicek; フランス : M. Baudouin-Bugnet; 英国 : Sir. Percy
Thompson; イタリア : Prof. Pasquale D’Aroma; オランダ : Dr. Sinninghe Damste; スイス :
Mr. Blau、7 名により構成されたが、その圧倒的過半は債務国の代表者であった。なお、
後に英国 : Sir. Percy Thompson は Mr. G.B. Canny に、フランス : Mr. Baudoin-Bugne は、
Mr. Borduge に引き継がれた。See also, League of Nation 1925, infra note 117, at 3.
107)‌League of Nations, Double Taxation and Tax Evasion, Report and Resolution Submitted by
the Technical Experts to the Financial Committee of the League of Nations, Doc. F. 212, 1925.
[hereinafter cited as League of Nations 1925 ].
108)League of Nations 1925 , supra note 35, at 12.
109)Ibid. at 9.
110)‌ここで検討の対象とされた条約の多くは、第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリー
帝国(Austro-Hungarian Empire)の崩壊の結果生じた新しい独立諸国の間の条約で最
近締結されたばかりの条約であった、See, John Avery Jones, Avoiding Double Taxation:
Credit versus Exemption-The Origin, Bulletin for International Taxation, Feb. 2012, at 68-69.
(2012)[herein after cited as Jones2012]. また、参考にされた具体的条約名については、
同文献の 69 頁脚注 14。
111)League of Nations 1925 , supra note 35, at 9-12.
112)‌経済学者委員会による検討でも、概ね三種類の課税制度が存在していることは認識して
いた。つまり、
(1)分類所得税の段階を未だ超えていない制度(戦前のフランス及び
ベルギー並びにドイツの各州が採用している)
、
(2)
(個々の種類の富に対して課税する
(分類所得税:筆者加筆)制度であるが、合計所得金額に対する累進税率を適用するこ
とにより補完している制度(フランスで採用及びイタリアで執行を延期中)
、
(3)
(市民
及び居住者の世界の全所得に対する:筆者加筆)純所得に課税(pure income tax)す
る制度であり非居住者に対しては国内源泉所得に対してのみ課税する制度:筆者加筆)
(合衆国、英国ドイツ及びオランダが採用している)
、である。二重課税の排除方式を
検討するにあたっては、当時の合衆国、英国及びドイツ及びオランダが採用している
「発展した形態として適切である所得課税」とする純所得税(pure income tax)の下で、
どの方法が適切であるかを検討している。See, League of Nations 1923 , supra note 32,
224
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
at 26.
113)League of Nations 1925, supra note 35, at 14-15.
114)Ibid, Text of the Resolutions-Double Taxation, at 32-33.; Johnes 2012, supra note 110 ,at 69.
115)‌League of Nations 1925, supra note 35, at 31, Ⅰ .C.2. このために、各締約国の財務当局は、
納税者に一般貸借対照表、特殊貸借対照表その他のすべての関係書類の提出を求める
ことができることとした。
116)League of Nations 1923, supra note 32, at 34.
117)‌League of Nations 1925, supra note 35, at 31, Ⅰ .C.2.(a)
. 国際運輸に係る船舶の他、鉄道、
ケーブル、航空及び電力がこの規定に含められた。
118)Adams 1932, supra note 42, at 106
119)League of Nations 1925, supra note 35, 29-30.
120)‌拡大財政専門家委員会 の 構成 は:ア ル ゼ ン チ ン : Dr. Salvador Oria, replaced by Mr.
Julian Encico ; ベルギー : M. Ch. Clavier; チェッコスロヴァキア : Dr. Vladimir Valnicek;
フランス : M. Boduge; ドイツ : Dr. Herbert Dorn; 英国 -Sir Percy Thompson; イタリア:
Professor Pasquale d’ Aroma ; 日本 -Mr. Kengo Mori, replaced by Mr. Takashi Aoki; オ
ランダ : Dr. J. H.R. Sinninghe Damste; ポーランド : Professor Stefan Zaleski; スイス : Mr.
Hans Blau ; 合衆国 : Professor Thomas S. Adams; ベ ネ ズ エ ラ : Dr. Federico Alvarez
Feo. See, League of Nations 1927, infra note 142, Introduction.
121)‌Graetz 1997, supra note 2, at 1081. Adams は一貫して、国際商工会議所のアメリカ本部
の責任者の立場にあり、国際商工会議所を通じて、合衆国の制度を提案していたと考
えられる。例えば、1922 年の日付の文書 “Suggestions for Report on Double Taxation buy the
American Section of the Committee on Double Taxation” では、二重課税問題を解決するため
には、観念的原則(abstract principle)の議論ではなく、実務の中で見出せる又は重要
な二重課税の事例を減少又は排除を前提とする比較的範囲を限定した少数の明確な提
案についての議論することが必要であると進言している。
又同 じ く 1922 年 の 日付 の 文書 “Report of the Committee on Double Taxation, American
Section, International Chamber of Commerce” で は、合衆国 の 全世界所得課税 と FTC 制
度のメリットを説明し、国際運輸所得の互恵主義による免税、財貨の製造国と販売
国が異なる場合の所得の配分方法について提案している。さらに、1927 年当時、国
際商業会議所のアメリカ本部はワシントンの商務省内に所在していると考えられる
が、Adams のセクレタリーであった Mitchell B. Carroll から Adams に承認を求める
The Double Taxation Conference の議事録が残されている。本文献は出版された文献
ではないが、T.S. Adams Papers, Yale University, Box 13 から入手した。ここで、当時
225
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
Adams を補佐したとされる Mitchell B. Carroll は、法律家(Lawyer)であり、かつ、
国際課税の専門家で、1930 年代から 1940 年代にかけて各国間の数多くの租税条約策定
に参画したとされている。1930 年に IFA(International Fiscal Association)の会長に
就任し 1971 年には IFA の生涯名誉会長に指名されている。
122)‌League of Nations 1927, supra note 38 では、二重課税防止のためのモデル租税条約の他
に、二重課税防止のための相続税に係る条約、行政共助の条約及び徴収共助の条約の
予備草案が提案された。谷口勢津夫、前掲 28)280-283 頁に、資料Ⅱ二国間条約予備草
案の訳文が付されている。
123)‌具体的には、居住地国がその国に居住する納税者に対して物税を課さないときは、当
該居住地国はその人税から次に掲げる金額のうち少額のほうを控除する。
(a)当該所
得のうち他方の締約国で課税される部分だけ居住地国の税率を適用して算定する税額。
(b)他方の締約国で納付した税額(ただし、特別の理由により源泉地国がその領域内に
所在する不動産又は工業、商業若しくは農業から生じる所得に対して人税を課すると
きはその人税を含む。
)
。前各控除額は、居住地国で課される人税の総額の x%を合計額
において超えないものとする。また、居住地国が物税を課するときは、前各控除額に
は他方の締約国で課税される所得に対する物税を含まないものとする。
124)League of Nations 1925, supra note 35, at 31-32.
125)Graetz 1997, supra note 2, at 1085.
126)Ibid., at 1085
127)‌谷口勢津夫、前掲 28)275 頁で、異なる租税制度には,
「属地主義を定める所得課税制
度を有する国も存在するとの認識に立って」
、いるという。
; Jones も、モデル条約草
案Ⅰ b は、
「英国と合衆国の代表者が主導して策定されたものである。
」
、という。See,
Jones 2012, supra note 110, at 70(Feb. 2012).
128)‌谷口勢津夫、前掲 28)274-275 頁及び 299 頁の脚注 115 を参照。
;,Jones は、
「これ(1928
年モデル租税条約草案Ⅰ c:筆者加筆)は、フランス及びドイツの代表者が主導して策
定された草案である」
、という。See, Ibid.
129)‌League of Nations, London and Mexico Model Tax Conventions. Commentary and Text, Doc.C.88.
M88, 1946. Ⅱ. A.(Nov. 1946)
130)‌イエール大学の図書館で所蔵されている ”Thomas Sewall Adams Papers” の Box 17 に
は、Adams の 8 頁にわたる手書きの資料があり、筆者は完全な判読が未だできていな
いが、所得の種類毎に国際連盟の案(League Plan)と合衆国の法令(US Law)とを
比較しており、合衆国の国際課税制度が国際連盟の案に埋め込まれているかを確認し
ようとしている資料に思える。
226
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
131)‌必ずしも事業所得課税に限らず所得課税の文脈ではあるが、とかく批判の対象となって
いた州所得税制度をウィスコンシン州で創設する時の成功体験として、重要なことは、
税負担の公平性を担保するためには課税当局の組織、政治的背景を持たない所得査定
官の任用及び納税者自身による所得の測定であった、という。Thomas Sewall Adams,
The Significance of the Wisconsin Income Tax, 28 Political Science Quarterly 569, at(1913)
.
132)‌戦時利得税の改正及び相続税率、物品税率、消費税率等が引き上げられ、法人税率は
2%から 6%に、個人所得税率は 2-15% から 5-67% へと(その後 13-77& に引き上げられ
る。
)引き上げられ、
さらに超過利潤税が新設された。超過利潤税及び法人税の徴収額は、
戦時の歳入額の 40% にも達した。この時代の背景については、畠山武道前掲 9)254 頁
(1973 年)
。
133)‌Adams 1917, supra note 46, at 191 では、
「租税は、純所得に対してだけ課税されるので
はないが、税率は累進構造であるべきである。しかし、事業単位(business unit)に課
される所得税の累進構造を適用すべきとする妥当な根拠を得ることは難しい。
」
、また、
「全ての企業の純所得に対して、おそらく軽課がなされるべきである。しかし、基準を
超えた業績を発揮した企業に対しては、高税率で且つ重税を課すべきである。合衆国
の超過利得税は、本質的には、企業の純所得に対して課される累進的付加税(graduated
surtax)である。
」
。事業所得に対する超常的所得には累進税率を適用すべきであり、そ
れを具現化したのが超過利潤税である、といい、すべての超常的利益に対しては、国家
はあらかじめその持分を請求できることを具現化したものである、という。
;See also,
Thomas Sewall Adams, Federal Taxes upon Income and Excess Profits, 8 American Economic
Review 18, Mar. 1918, at 19 では、利益説を妥当根拠とし、超常的利得に対しても政府
の持分を正当化できるという。曰く「 戦時利得税と超過利潤税の違いを説明する重要
な側面は、租税に求める成果の違いにある。今仮に課税すべき超過利得を戦争中の所
得と戦争直前の所得との差額で測定するとすれば、このような課税は本質的に一時的
課税でしかない。ところが、もし(資本の一定割合又はその他の何らかの方法により)
通常所得がいくばくかを決定することができ、当該通常の資本利益率を超える純所得
額に課税することができれば、恒久的に永続できる課税制度を手にすることになるの
である。いうなれば、当該課税は、すべての企業の超常的な成功に対する国家の持分
であり、社会が企業に提供する施設、事業機会及び事業環境の価値なのである。
」
。と
した。
134)‌Seligman 1918, supra note 58, at 42-45 で は、
「課税 の 根拠 と し て 古 い 利益説(benefit
theory)に取って代わった担税力説ほど強固に確立されたものはないのである。
」
、とし、
ここでも「Adams 教授が今やろうとし、はっきりしているはずの賦課金と租税の区別
を曖昧にしようとすることは、混乱というパラドックスの箱をもう一度開こうとする
ものである。
」と課税の根拠について反論し、さらに、Adams が通常所得水準の定義に
227
横浜法学第 22 巻第 2 号(2013 年 12 月)
資本利益率を用いようとしていることに対して、
「ここで基準となる資本には将来の見
込まれる利益をも含むことになるが、しばしば生じるように、期待される将来の所得
が現実のものとならないときに、資本に課される租税と所得に課される租税とでは重
要な違いが生じる。従って、新しく導入される超過利潤税は、課税能力に接近しよう
とする試みがぎこちないだけではなく、現実の事実関係において、超過利潤税は原則
との不均衡のみならず執行面でひどい不確実性を招くことになる。
」
。また、通常の所
得水準を測る基準に資本利益率を採用しようとする Adams に対して激しく反論した。
135)‌合衆国の超過利潤税(超過利得税ともいう。
)とは、
投下資本額と課税所得(資本利益率)
を基準に、通常所得額を定義し、それを超える超常的所得に累進税率を課したもので
ある。合衆国の超過利潤税については、伊藤公哉『アメリカ連邦税法―所得概念から
法人・パートナーシップ・信託まで(第 4 版)
』518、537 頁(中央経済社、2009 年)
。
136)‌例えば、国際商業会議所が 1922 年 12 月 20 日に開催した二重課税委員会の決議に対
するアメリカ本部(American Section)から提言した文書が残されているが、二重課
税排除という課題に対して、概念的原則を採用しようとする試みから現実の解決が図
れるかについて強い疑念を提起し、実務的且つ具体的な解決方法の採用を提言してい
る。See, Unknown writer, Suggestions for Report on Double Taxation by the American Section
of the Committee on Double Taxation(1922, Box No. 12). また、International Chamber of
Commerce-American Section, Report of the Committee on Double Taxation(1922 June, Box
No. 7)では、FTC 制度のメリットを説明している。See also, Mitchell B. Carroll, Double
Taxation Conference(1927. Sep. 3, Box No. 13)では、当時のワールストリート・ジャー
ナルから、1927 年拡大財政専門家委員会報告書のために行われた討議内容の説明を求
められた Carroll が説明書の原稿をまとめ、Adams の承認を求めた文書であり、モデル
条約租税条約予備草案及びそのコメンタリーの内容を説明、合衆国が提案する FTC 制
度を最も理想的な二重課税排除方式であるとしている。これらの文献は出版された文
献ではないが、T.S. Adams Papers, Yale University から入手した。
137)‌Reuven S. Avi-Yonah, All of Piece Throughout: The Four Ages of U.S. International Taxation,
Virginia Tax Review Vol. 25, at 313, 337-338. 本論文は、合衆国の国際課税制度の変遷を
四つに時代区分し、
各時代ごとに、
(1)課税政策の根底にある課税原則(principle)
、
(2)
課税政策を主導した主役(player)及び(3)
、当該課税原則の適用(application)につ
いて分析した。その第一期たる創設期の主役を、Seligman、Adams 及び Carroll とし
ながらも、第二期における主役である Stanley Surrey と並ぶべき、第一期における主
役は Adams であった、という。そして、居住地国課税と源泉地国課税のいずれに重点
をおくべきか、および、何をもって課税原則とすべきかについては、様々な変化があっ
たものの、1918 年から現在に至るまで、合衆国の国際課税は、実質的には極めて継続
的であったという。しかし新しい世紀を迎えて、これまで比較的安定的であった合衆
228
アメリカ合衆国における国際課税制度の創設
国の国際課税制度にも終焉が近づいているのかもしれないと、展望している。なお、
本論文については、本庄資「国際課税における重要な課税原則の再検討:
(第 3 回)居
住ベース課税原則と源泉ベース原則野再検討」201 頁(租税研究第 765 号、2013 年 7 月)
にて紹介されている。
138)‌Graetz 1997, supra note 23, at 1104 で は、確 か に、今日合衆国 が 事業所得 に つ い て
exemption の要素を導入することの潜在的長所を再検討するメリットはある。しかし、
Adams が、そのような移行についての主要な懸念を既に示していた。Adams が。外
国貿易業者に国外所得免税を適用する提案を行ったときに、上記の三つの要件を示
している。Adams の洞察力は、外国源泉所得のうち一定の類型の所得についてにつ
いて worldwide 制度を exemption 制度の置き換えることによって提起される論点に
ついての、現代の我々による分析にとっての貴重な情報である、という。Greatz も、
exemption 制度への移行については消極的であると考える。
139)‌The Guardian News, “Tax Gap”, Guardian News Series, OECD calls for crackdown on tax
avoidance by multinationals,( 2013.2.12 )
, retrieved from http://www.guardian.co.uk/
business/series/tax -gap; ロイター「英仏独、多国籍企業による課税逃れ防止に共同で
取り組む方針表明」
(2013.2.16)
, retrieved from
http://reuters.co./article/marketsNews/idJPTK829414220130216 ; The New York
Times, But Nobody Pays That(2013.3.14)
, retrieved from http://topics.nytimes.com/top/
features/timestopics/series、他。なお、最近の我が国における報道として、2013 年 6
月 39 日付け日本経済新聞朝刊第一面「Tax ウオーズ(上)
;国境をまたぐ節税拡大」
、
2013 年 7 月 1 日同新聞朝刊第一面「Tax ウオーズ(下)
:ネットが崩す税の常識」
、同
日同紙「企業の「税逃れ」問題って何:節税と税収巡り各国で紛糾」
;2013 年 7 月 14
日同新聞朝刊第 3 面「企業課税新興国と連携:抜け穴ふさぐねらい」がある。
140)‌さらに 2013 年 5 月 29 - 30 日に開催された閣僚レベルの会議のために作成された、
OECD, Addressing Base Erosion and Profit Shifting, February 2013; Meeting of the OECD
Council at Ministerial Level,(May 2013). が公表されている。なお、本報告書の邦訳につ
いては、井波邦泰「2013 年 2 月 12 日公表 OECD 報告書” Addressing Base Erosion and
Profit Shifting:税源浸食と利益移転への対応」196 頁(租税研究 763 号、2013 年 5 月)
に掲載されている。
141)‌OECD, Action Plan on Base Erosion and Profit Shifting, July, 2013. が 公 表 さ れ た。
OECD の加盟国に G20 参加国である中国、インド、ロシア等にも参加を呼びかけ、1
- 2 年半を目途に実効性のある国際準則を策定するとし、2013 年 7 月 19 日モスクワで
開催された G20 財務省・中央銀行総裁会議において、OECD の Angel Gurria 事務総長
(Secretary- General)が本行動計画について報告した。
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