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【氏名】國府 久郎 【所属大学院】(助成決定時) プロヴァンス大学 (地中海

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【氏名】國府 久郎 【所属大学院】(助成決定時) プロヴァンス大学 (地中海
【氏名】國府 久郎
【所属大学院】(助成決定時)
プロヴァンス大学
(地中海ヨーロッパの歴史・文化研究科)
【研究題目】
マルセイユ郊外における路面電車建設の社会的影響(1872-1931年)
― 路面電車時代の「通勤圏の誕生」―
【研究の目的】
19 世紀末から 1930 年代初頭までのフランスの都市化とは、都市に路面電車の路線網が整
備され、郊外がとくに発展した過程であった。それにもかかわらず、都市間の幹線鉄道の
歴史に比べて、都市内の路面電車の社会的影響に関する本格的な歴史研究はきわめて少な
い。そこで本研究では、主に 2 種類の史料、国勢調査の原簿と路面電車の経営に関する史
料を活用して、フランス第 2 の都市マルセイユ郊外における路面電車建設の社会的影響を、
家族や個人の次元にまで焦点をあてながら考察することが目的である。
【研究の内容・方法】
本助成がなされる以前に、都市東部の最も端に位置し、マルセイユで唯一、温泉施設(湯
治場)が存在する街区、カルティエ・カモワンを分析対象として、路面電車の建設(1907
年)前後における住民と村の生活の変化を検討した。その結果、まずは保養地としての役
割が増大し、徐々に宅地化の広がりもみせていた。目立った産業のないこの街区では、農
民や手工業者の息子や娘たちが、とくに 1931 年には街の中心に路面電車で働きに出ていた。
しかし、本助成期間中に東部の他街区との比較を行った結果、路面電車の社会的影響は、
街区の社会的・経済的条件によって違いがあることが明らかになった。カモワンの隣の街
区、ヴァランティーヌでは、ビール醸造工場フェニックスが 1886 年に建てられ、そこで雇
われる労働者がこの街区に多く住み着いた。路面電車の建設後も、カモワンほどは街の中
心に通勤する住民を見つけられなかった。けれども、ビール醸造工場が他街区から労働者
を雇い入れ、その労働者が路面電車を使って通勤していたことは考えられる。この工場の
従業員名簿は現存しないが、同じく工業が発達した隣の街区、サン・マルセルにある機械
工場コデールに関しては、従業員名簿が残されているので、労働者の雇用の範囲を今後分
析していきたい。
また、街の中心部から東部の郊外にいたるブールヴァール・シャーブの住民分析も行っ
た。2004 年までマルセイユで唯一、路面電車が走っていたこの通りでは、1893 年に路面電
車が建設されたが、1891 年から 1911 年の間に人口が大幅に増加していたことが確かめられ
た。街の中心から離れた場所でも、路面電車が到着する駅の近くにあるホテルや百貨店で
働く住民を確認できたので、この通りにおいても路面電車建設の影響が少なからずあった
と考えられる。
【結論・考察】
フランスや他のヨーロッパ諸国の多くの大都市においても、19 世紀末から 1930 年代初頭
までの間は、路面電車の路線網が整備され、郊外がとくに発展する過程により都市化を経
験していた。ただし、様々な社会的・経済的条件、具体的には工場や保養施設の立地、都
市中心部からの距離、あるいは時代などにより、路面電車建設の影響に相違があったと考
えられるので、まずはマルセイユの都市東部の他街区を分析対象としながらさらに検討を
進める必要がある。その上で、フランスの他都市との比較も視野に入れつつ、公共交通の
視点からマルセイユの都市化の問題を見直していくことが今後の課題である。パリと同様
に、非常に多様な住民を抱えていたマルセイユが、都市化の過程において、近代的な公共
交通でいかにして多数の住民を統合していったのかが明らかになるはずである。
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