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43号2001.11.30発行 - KIFA・鎌ケ谷市国際交流協会

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43号2001.11.30発行 - KIFA・鎌ケ谷市国際交流協会
Kamagaya international F「 lendship AssociatiOn
第43号
(平 成 13年 )11月 30日
発行 :鎌 ケ谷市国際交流協会
〒273‐ 0195 鎌 ケ谷市初富928744
2001年
TE1 047 445 1141(内 550)
FA1
047-441-9400
http://www kifa grip
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マ
し
脅ジ年の参1日 が目立ったκiIF4 フ
、
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谷打tヽ 碑
饒
桑
青 空 に映 える色 と り ど りの 万 国旗 、 そ して よ しず で 囲
よ つ。
ったKIFA(鎌 ケ谷市 国際交流協会 )の ブ ース は周 りの 売
店 とは 呼 び 声 も雰 囲気 もち ょっ と変 わ ってい た。 「 クイ
質問 1
ズ に答 えて賞 品 をゲ ッ トしよ う」 、 この 呼 び声 に誘 われ、
質問 3
ワカタネはどこの国にあ るで しょう ?
ワカタネと鎌ケ谷 の関係 は ?
質問 2の 関係 はいつ か らですか ?
あ ち こ ち の パ ネ ルの 前 に答 え を求 めて、鉛 筆 とクイズ 用
質問 4
ワカタネの面積 は鎌ケ谷 の約何倍 ですか ?
紙 を手 に した人だか りが出来た。
質問 5
質問 6
鎌ケ谷 の人口は約 10万 人です。ワカタネの人口は?
ワカタネの主 な産
鎌 ケ谷は梨が特産品ですが、
KIFAの 主 な活動案 内 の イラス ト図、姉妹都市 ワカ タネ
質問 2
と鎌 ケ谷 の比 較 図、 そ して市 内在 住 の 外 国人 の 国旗 を貼
り付 けた世 界地 図 を PRの 主 目的 に して、展 示 した。 ブ
ー ス 内 に は 会 員 か らお借 りした 民族衣 装 も人 の 目を引 く
の に十分 だ った。 ブ ー ス を訪 れ て くれ た 外 国人 には、 ハ
ッ ピ を身 に付 け ての 写真撮 影 サ ー ビス も例年 どお り好 評
だった。
KIFAが 一 体何 を意味 し、 どん な活動 を して い るのか、
質問 7
業 は何 ですか ?
KIFAと は何 の略称 ですか ?
質問 8 KIFAの 事業 は何 です か ?
呆 た して何 問正解 で きますか ?6問 以上正解 な ら、あ
なたはKIFAの エ キスパー トです。5問 以下のかたは もっ
と、 どっぷ りKIFAに 浸か って くだ さい。あなた のまだ知
らないKIFA事 業へ の参加 をお待 ち して い ます。
(KIFA夏 まつり実行委員長
関 わ った こ との 無 い ひ とに はそ の 存在 を まず知 って も ら
い た い 、 KIFAと い う名称 を世 間一 般 に広 く認知 して もら
い た い 、姉 妹都 市 に関心 を もって も らい た い 、 との思 い
か らKIFA夏 まつ り実行委員 の アイデ ィア を結 集 した ブ ー
ス作 りだ った。
さ あ、 ここで 皆 さん に もクイ ズ に挑 戦 して い ただ きま し
答 ]ニ ュージー ラ ンド
2 姉妹都市
3 19971F
4
2221吉
3万 人
酪 農 (乳 製 品
鎌 ケ谷市 国際交流協 会
語 学 講座 、 会報 (KIFA Plaza)発 行、
市 内在住外 l■l人 との親善、 交流
)
)
9月 16日 の 日曜 日、前夜 の 雨 も上 が った清 々 しい市 民
の 森 で 今 年 も恒例 の バ ーベ キ ュー パ ー テ イが行 われ た。
小 雨 にぬれた木 々の緑 はひ ときわ美 しい 。 KIFAの 荻 交流
部会長 の挨拶 もそ こそ こに、 既 に煙 が立 ち上が りは じめた。
ビー ルや ワイ ン な どで乾杯 した後 はせ っせ と炭 火 で 焼
き始 め る。初 めて 参加 す る方 々 は ウ ロ ウ ロす る こ と もあ
るけ ど、 そ こは手 Illlれ た人 た ちが お世話 をす るか ら`心 配
す る こ とは何 もな い 。 同 じ料理 で も、家 で 食 べ るの と野
外 で食 べ るの とで は全 く違 うか ら不 思議 な もの で あ る。
誰 もが幼 い 頃か ら経験 して い る「お に ぎ り」 が そ の 代 表
的 な ものか も しれ な い 。 ま して森林 の 中 で 多 くの 人 た ち
との バ ーベ キ ユー パ ー テ イは、独特 の 雰 囲気 と楽 しさが
あ り、食 も進 む。 そ して、 あち こちで会話 もはず む。
適度 にア ル コー ル が入 る と更 に気 分 は爽快 に な る。 鎌
ケ谷 ニ ューボーイズの演奏 もまた雰囲気 を盛 り上げる。我 々
か ら見 て も、 隣国 の 中 国人 と韓 国人 とを見分 け るの は 難
と話
しい もので あ る。 中国人 と思 しき人 に「 ニーハ オ
│」
しか け てみ る。返事 が 同 じで あれ ばホ ッと安 心 し、 グ ン
と親近 感 が増 す。韓 国 の 人 には何 て 言 お うか な、 と酔 っ
た頭 をフル回転 させてみる。そ うだ!「 ア ンニ ョン・ハ セ ヨ」
だったなあ、 と、 や っ と思 い 出す こ とになる。 あち こちで、
そ ん な こ とを皆 さんが や ってい る。 習 った ばか りのス ペ
イ ン語 や英語 も飛 び交 う。 国際交流 とは、 この よ うな些
細 な会 話 か ら始 まるのか も しれ な い 。常 々 思 う こ とは、
日本 に来 て 間 もな いの に流 暢 な 日本語 を話 す外 国人 が多
い こ とだ。 生活 に密 着す る こ ととは い え、 そ の上達 の 速
さは素晴 らしい 。
この 日、 母子 で来 て い た 中 国人 の 方 が お られ た。 お母
さんは、 まだ 日本語 がそれほ ど上手 とは言 えなかったけ ど、
娘 さん は中文 も 日文 も達 者 な もの だ。 こ ち らの 間違 い も、
しっか り と通 訳 して くれ る。 パ ー テ イが進 む につ れ て ア
トラクシ ヨンが 始 まった。最 初 は ビ ンゴ ゲ ー ムだ 。 上手
く出来 た もので、 これが なか なか 当 た らな い 。 で も、 参
加 者全 員 の 皆 さん に景 品が差 し上 げ られ て 良 か った。輪
投 げ遊 び もあ った。 ご くご く単純 な遊 び な の に上 手 くい
か な い ところが面 白 い 。 ア メ リカ、 カ ナ ダ、 ニ ュー ジ ー
ラ ン ド、 イラ ンの 方 々 や 中国、 韓 国そ の 他 い ろ い ろな人
た ち もそ れ ぞれが挑 戦 して楽 しん だ。遊 び は どこの国 も
み な同 じだ。
そ して ニ ュー ボ ー イズ(オ ール ドボ ー イ ズ か な)の 軽快 な
バ ン ドが奏 で られ る中、愉快 な ダ ンス ら しき ものが 始 ま
った。 皆 さんお年 ?の わ りには、 身体 が結構 しなやか に動
くもの だ。 日頃 どこか で練 習 して い るのか も しれ な い 。
この よ うに して、 ア ッとい う間 に市 民 レベ ルの 人 た ち に
よる 国際 交流 の一 日は終 わ った。 帰路 につ く各 国 の 皆 さ
んの 満 ち足 りた笑顔 に、来年 もまたお会 い した い もの で
あ る。
K口 ]雪
外国語に組 しむ会 ヽm― ヽ⑪―、⑪冊、⑪冊゛
に よる各 国教 育 関連 のお 話 が テ ー マ .パ ネ ラ ー は ドイ ツ、
中国、 スペ イ ン、 アメ リカな ど4カ 国 の方 々で ある[通 訳 は、
遊 びが あ るそ う で 、 講 師 の ク リ
ス テ イ ー ナ 。ロペ ス さん は 聴 衆
●i 一
三.
一
引 き続 き 「 外 国語 に親 しむ会 」 が 開催 され た。 来年 度か
らの小 中学校 の 週休 2日 市J導 入 を前 に、 在 日外 国人 の 方 々
義務 教 育 。 小 学校 低 学 年 で は授
業 中 に先 生 に対 して の イ タ ズ ラ
ざEこ■一瑾
10月 21日 の 日曜 日、南 部公民館 にお い て 講 師交流 会 に
の 方 々 を生 徒 に見 立 て て実 演 さ
昨年 ドイ ツ語 講座 に参加 した星野 さん と英語 は通訳 ボ ラ
ンテ ィア の添野 さんにお願 い した。
ドイツの お話 は、 ア ネ ッテ ・植松 さんが流 暢 な 日本語
せ た。 皆 さん は、 生徒 の 立場 で
を織 り交 ぜ て ドイ ツの教 育 につ い て語 る。幼稚 園発 祥 の
地 は ドイ ツc3歳 か ら6歳 まで の 子 どもの 約 70パ ーセ ン ト
最 後 は ア メ リ カの ヘ ザ ー ・ フ
ァー マ ン さん で 、 日本 に来 て ま
が通 うが、 大 半 の 子 ど もた ち は バ ス を使 わ ず に徒 歩 で 行
だ2週 間。 21歳 の 若 さ。 この た び
くとい う。義務教 育 は6歳 か ら18歳 まで だが、勤勉 で 知 ら
れ、 か つ 教 育 環境 の 整 った ドイ ツで は、家庭 を持 ってか
KIFAの 英語 中級 クラ スの 講 師 を
ら大 学 で学 ぶ 女性 も多 い とのお話 だった。
らの ご 自分 の 教 育 過 程 を話 され
中国 の 教育事情 は、 7年 前 に来 日 して 日本商社 に勤 め る
占志 強 さん Gお 国 で の 勉学 は幼 い 頃か ら激 烈 を極 め る と
たが 、 最 終 学 歴 は空 軍 士 官 学 校
卒 とい う米 国 で も数 少 な い 異 色
い われ る3個 人 の 意欲 が最 も重 要 視 され てお り、 運動 会
の女性 パ イ ロ ッ トで もある。 ここで一服、休憩時 間を利
用 しての肩 ほ ぐし体操 は、鎌 ケ谷 ボ ー イスカウ ト連盟か
も陸上競技 の大会 と同 じで成績 に反映 され る とい う厳 しさ3
^人 っ子 政 策 が始 まった 1978年 か らは子 どもは一 人 しか
い な い 。 一 人 っ子 た ち は「小 皇帝 」 と呼 ばれ、大 切 に育
て られ て い る。 た くま しさが 失 われ、 幼 い 頃か ら甘 や か
され ることで 問題化 して い る との こ とであ った。
スペ イ ンの 小学校 は9時 か ら3時 迄 で、7歳 か ら8年 間が
アネ ッテさんを□んで
占さん
振 舞 をせ ね ば な らず 爆 笑 の 渦 と
なった。
担 当 され る こ とになったこ5歳 か
クリステイーナさん
ら参加 した女性 の指導 による 「線路 は続 くよ」 を唱和 し
なが らリラックス タイム を楽 しんだ。 この あ と、 各国 の
講師 を囲んで の懇談会 では時 のたつ の を忘 れて しまう程、
皆 さんそれぞれに熱 の入った交歓 となった。
ヘザーさんと一緒に
日本語ボランティア研修曇
8、 22日 の 3回 にわた り、川端芳子 さんに よ
る「みんなの 日本語」 の文型ポイ ン トを研修 しました。
まなびぃプラザ に現役 ボラ ンテ ィアの方や、 これ か ら
9月
1、
始 め よ う とす る方、 また近隣の松 戸、船橋市か らの参加
もいただ き、32名 の活気 ある勉強会 とな りました。川端
さんのアクテ イブな講義 につ い ひ きこ まれ、 日頃なにげ
な く話 して い る 日本語 の文法的 な用法 を外 国語 として と
らえた時の理解 の仕方、納得 のい く用夕1な ど数多 くの こ
とを学習 し、 今後 の 日本語講座 に活 か される ことを実感
しました=
軽やかな動 きが素敵な川端さん
今後の交流の広
《
今年がKIFA(鎌 ケ谷 市 国際交流協会 )結 成 15年 、 及 び
ヮカ タネ市 との 友好都 市提携 締結 5年 の 節 目 とな る こ と
か ら、昨年 に続 い て 親善 訪 問 団 を派遣 す るこ とに した。
特 に今 回 は 中学 生 の 派遣 や (仮 称 )鎌 ケ谷 ガー デ ンの 調査
に時期 を合 わせ た。
〈そば打ち体験 に挑戦するワカタネ市民〉
更 に、 事 前 に こ ち らの希 望 す る交流 内容 を ワ カ タネ側
に連絡 してお き、対応 で きる もの を準 備 して も らう等 の
作業 を行 っておいた。
出発 の 8月 22日 は台風 が房総半島 に接近す る と言 うので、
飛行 機 が キ ャ ンセ ル され るの で は な い か と懸念 され たが、
我 々の 願 い が通 じたのか 午後 には 台風 の進路 は、 大 き く
そ れ て、総 勢 26名 は 関係者 に見送 られて、市役 所 よ り成
田に向った。
10時 間 の夜 間飛 行 と 5時 間 の バ ス 旅行 は楽 で は なか っ
たが 、予 定通 り翌 日夕方 には ワカ タネ市 役所 に到 着 し、
そ こで 簡単 な歓 迎 会が 行 われ、 そ れぞれ の ホ ー ム ス テ イ
先や ホテ ルの宿泊先 にわかれて行 った。
十分 に英語 も解 らな い ままにホ ー ムス テ イに飛 び 込み、
苦 労 を しなが らも意志疎 通 を図 った り、 野生 の 孔 雀 一 家
が朝 の 散歩 に 来 る よ うな牧場 の 中 の一 軒 家 に宿 泊 し、 ホ
ー ムス テ イ先 を相 互訪 問 した り と、 日本 に居 て は決 して
体験 出来 な い 4日 間を過 ごす ことが 出来 た。
昼 間 には、 近 くの 小 学校 を借 りてそ ば を打 ち `そ ばサ
ラ ダ 'に して味 わ って も らい 、相 手倶1か らは特 産 の ムー
〈ワカタネ市役所前で関係者全員〉
〈コヒポイン トから
K・ ]ロ
がりを期待 して》
ル貝 の ワイ ン蒸 しを作 って くれ て食 文化 の交流会 を行 った。
市民 劇場 での生 け花 や音 楽 の 合 同演奏 で交流 を深 め、 ダ
ンス や伝 統 芸能 を通 じて相 互 に文化 の 相 違 を確 認 す る時
間 も十分 に持 てた。
そ の 他 に も、幼稚 園 を訪 問 し、各 園児 の誕 生 日が卒 園
式 とな り、翌 日一 人で小 学校 の 入学 式 にな る制 度 に は驚
い た。組織培 養 で ニ ュー ジ ー ラ ン ドの 森林事 業 を支 えて
い る育苗 工 場 を見 学 し、有 意義 か つ 楽 しい 親善訪 問 とな
〈中学生 から記念品を受ける八モン ド市長〉
った。 ヮ カ タネ市 と鎌 ケ谷 の 規模 の 相 違 か ら、 今す ぐ実
行 とは な らな い 点 もあ ろ うが 、何 時 の 日か ボ ー イ ス カ ウ
トや ガー ルス カ ウ トを始 め、 スポ ー ツ、文 化、 産業 な ど
の 団体 との個 々の 交流 会 が生 まれ て くる の も遠 くな い と
確信 出来 た親善旅行 だ った。
今 回 の 親善訪 間 が短 い 準備 期 間 に もか か わ らず 。 手 際
よ く大 きな成果があげ られた のは、 行政 当局 の適切 な指導、
支援 が あ り、先 輩 方 々の 交流 の積 み重 ねが あ った こ とを
忘 れて はな らな い と思 う。
そ れ に も増 して我 々の 受 け入 れ 準備 を して くれ、4日
間 も我 々 に付 き合 って くれ た ワカ タネの 人 々の 協 力 な し
には、到底達成 され なか った こ とで あ り、 関係 者 の 皆 さ
ん に この 紙面 を借 りて 厚 くお礼 を申 し上 げ る と同時 に、
この 感激 を忘 れ ず ワ カ タネ との 友好 親 善 の 為 に、 出来 る
限 りの協力 を して行 こ う との意 を強 くした。
くホームステイ先を相互訪問 しての楽 しい交流〉
〈
市民ホールに集まつた人 々〉
K雪 ]甲
6
角■
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用
語
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613 サヮ
、
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柿倉♂岡
)
ィクラップ (男 性用語 )
=(こ ん にちは)
こん にち は。 私 は タイの バ ンコ クか ら来 ま した関野 チ
ヤナ ンヤ で す 。 日本 に来 て 約 2年 に な る ところで す。 1
年 に 1度 、父母兄弟や親戚 に会 う為 に帰 ります。
タイは ア ジ ア大 陸 の一 部 で 斧 の 形 を して い ます 。近 隣
には西 側 に ミャ ンマ ー 、東 傾1の 北 部 に は ラオ ス と南 部 に
は カ ン ボ ジ アで、 ゴー ル デ ン トライア ン グル と呼 ばれ る
地帯が あ ります。 国境 をメ コン川が流 れて い ます。
タイは北 部 、東北 部 (通 称 イサ ー ン)、 中央 部、南 部 に分
け られ、首都 バ ンコクは中央部 で 国王が い らっ しゃい ます。
現在 の 国王 は プ ミポ ン国王 (ラ マ 9世 )で す。 今年 で 在任
55年 にな り、 国民 に “ナ イ ル ア ン"と 呼 ばれて “父 "と 親 し
まれ て い ます 。 国民 の ほ とん どは仏 教徒 で す が、 その他
に イ ス ラ ム 、 キ リス ト、 ヒ ンズー 、 バ ラ モ ン教等 を信 じ
て い る人 もい ます 。 タイの季 節 は 3つ に分 け られ ます。
7月 ∼ 10月 迄 が雨期。 11月 ∼ 2月 迄が寒期 で気温が低 く、
乾燥 した気 候 です 。 3月 ∼ 6月 迄 は暑 期 で 非常 に暑 く、
特 に 4月 中旬 は40度 位 まで気 温 が上 が ります。 タイ には
沢 山 の しきた りや習慣 が あ ります。例 えば ソ ンラ ンです。
これ は新 年 を祝 う昔 か らの タイ正 月 で、 人 々 は功 徳 を施
した り、僧侶 が托鉢する時に食べ 物 をあげ説教 を聞 きます。
又 自分 が 尊敬 す る僧侶 や大 人 か ら体 に水 を掛 けて も らい
ます。 若 い 人達 は互 い に水 を掛 け合 い 、遊 び と して楽 し
んでい ます 。 それ か らタイ文化 の ひ とつ に “ワイ"の 習
慣 が あ ります 。 こ れ は 手 を合 わせ 、指 先 を顔 に付 け るの
ですが 、相 手 が僧 侶 や大切 に して い る もの (寺 院等 )に は
指 先 をお で この 上 に付 け ます 。 自分 よ り目上 の人 に対 し
く ぐった り、足 を使 った遊 び は しませ ん。 それ は行儀 が
て は指 先 を眉 の 間 に、又 同年 配 の 人 には 鼻 の 頭 に指先 を
悪 い とい う意味 の 他 に、男 の 子 は大 き くなってか ら出家
付 けます。男女共 に行 っているタイ文化 の象徴 と言えます。
す る 時 に良 くな い と考 え るか らです。 出家 をす る と言 う
目上 の 人 か ら先 にす る事 はあ りませ ん。 タイ人 は頭 には
の は 法律 で決 め られ て い る訳 で はな い の で す が 、 タイの
男性 は若 い 内 に僧 に なる為 の 勉 強 (読 み 。書 き ,知 識 )が
神 様 が い らっ しゃる高貴 な部 分、足 は低 級 な部分 と信 じ
て い ます 。 普段 子 供 達 が遊 ぶ 時 も男 の 子 は女 の 子 の 股 を
出来 る様 にな る とサ ー ムマ ネ ー ン とい う地位 の 若 い 僧 と
して 出家 します 。 又20才 を過 ぎて しま う とプ ラ ピ クス ソ
ン とい う地位 で出家 します。 出家 の期 間は 1週 間 ∼ 10日 、
又 は 3ケ 月、 中 に は一生 と様 々 です 。 僧 と して大 切 な事
は 絶対 女性 と接 触 して は い け な い とい う事 で す 。物 を女
性 か らも らった りす る 時 で さえ も、直接 手渡 しで はな く
布 を一 枚敷 か なけれ ばな りませ ん。 タイの 男性 は 法律 で
17才 になる前 に徴兵 され、20才 迄兵隊 として過 ご します。
タイの 兵士 は 自 らを犠牲 にす るの は 当然 と教 え られて い
ます 。 そ の 為 どん な小 さな事 で も家族 と家事 を分 け合 う
事 は嫌 が らず喜 んで い ます 。 こ れ は タ イの社 会 は慈 愛 と
美徳 は基 本 と考 え られて い るか らです 。 タイの人 々 は 良
く微 笑 むので “微 笑 の 国 "と 言 うニ ック ネ ー ム を付 け ら
れ て い ます .皆 様 タ イの 国 につ い て少 しはお分 か り頂 け
たで しょうか
バンコクの寺 院
?
(翻 訳
:通 訳 ボ ラ ンテ ィアの桑 野 さん
)
ホー ムステ イを受 けい れて 10年
小川
す み子
平成元年、 KIFAが 誕生 した次 の年 の 夏休 み にアメ リカ
か ら18名 の 少年 少 女 が ホ ー ムス テ イで来 日 しま した。 そ
の一人で、 」ody o Wagnerと い う無 口なオ レ ゴ ンの少女 を
受 け入 れ ま した。私 の 好 奇心 と我 が家 に も同世 代 の 娘 が
居 たので、少 しで も英 語 に興 味 を持 つ か な ?と い う気 持
中井貴 一が 結 婚式 を挙 げ た教 会 で、 映画 の ワ ンシー ンの
よ うな式 で した。 パ ー テ イで は生 バ ン ドの演 奏 で 新郎 も
新婦 も深夜 まで踊 り、 中程 で私 達 の プ レゼ ン トの箱 を私
に 開 け させ 、 16才 で 日本 に行 って人生 が変 わ りま した と
い う彼 女 のス ピーチ に感激 しま した。 また 4ケ 月間受 け
入 れて上智 大学 に留学 した ワ シ ン トン出身 の デ イア ラに
は (今 、法務 省 で 働 い て い て細 川元 総理 大 臣 の 通訳 もし
たそ うです )人 種
ちで した。挨拶 も出来 な い 家 族 で だ い じ ようぶ か な とい
う不安 な気 持 ち の なか 3泊 4日 の ホ ー ムステ イは無事 お
差別 の意味 を教 わ
りました。 「人を
わ り、彼女 をきっかけにその後 10名 くらい受け入れました。
理解す るのはそ の
人 の気持 ちにな ら
」odyと は文通 を続 けて13年 にな ります。彼 女 は同志社
大学 に 1年 、 ALTで 札 幌 に 1年 滞 在 しま したが、我 が
家 にはか な らず 泊 ま りに来 ま した。 ご両 親 も来 日され案
内 した房総 の村 を大 変喜 んで くれ ま した。 Jodyが 札 幌 に
居 る時、 私 の 長女 が結 婚 した の で式 に も出席 して も らい
ま した。 また私 も彼女 を受 け入 れ た 次 の 年 に訪 問、 そ の
4年 後 次女 を連 れ て オ レ ゴ ンに 15日 間滞在 しま した。 中
5日 間は これ もホ ームス テ イで受 け入れ た ジェニ イの家、
な けれ ばい け な
い」彼女 の言葉 は
印象 的 に心 に残っ
ています。私 は英語
がまったくしゃべ れ
なかった のに夢 の
よ うな経験 をさせ
て くれ たKIFAに
カナ ダの バ ンクー バー 島 に行 きま した。
昨年 12月 28日 、 」odyは 結婚 式 に招 待 して くれ ま した。
オ ー ラ エ ス パ ーニ ャ !!
鈴木
浩子
感謝 します。
13年 前 の 寒 い 1月 の 旅 に比 べ て、今 度 は ゴー ル デ ンウ
ィー クでの夫 との旅 です。 バ ルセ ロナか らア ルハ ンブ ラ、
コ ス タ ・ デ ル ・ ソル、 セ ビ リヤか らは新 幹線 で マ ドリ ッ
伊勢志 摩 のス ペ イ ン村 で見 た フ ラメ ンコ に魅 せ られ、
早 速 習 い 始 めて 早 4年 。 ぴ ちぴ ちギ ヤ ル に混 じって の 銀
ドヘ の 8日 間 の コース 。 一 番 のお 気 に入 りは南 海岸 近 く
の丘 にあ る小 さな町 ミハ ス 。 ロバ の 馬車 が通 ります c真
座 ス タジオ通 い 、還暦 す ぎには過酷 な まで の レ ッス ンで
した。その 間 ス ペ イ ンヘ の憧 れ は 日増 しにつ の り、 KIFA
白 い小 さな家 が た ち並 び、 窓辺 に赤 や緑 の 鉢 植 えが可愛
い 素敵 な街 。思 わず赤 い コー トをなびか せ くる り くる り
のスペ イ ン語講座 を10ヶ 月間受講 しました。劣等生 の私 も、
チ ャ ー ミングで優 しい ク リス テ イー ナ先 生 のお か げ で 簡
とフラメ ンコ。 まるでお伽 の 国 の ヒロ イ ンの気分 で した。
セ ビ リヤ の 町 はお 祭 りの 真 っ最 中、 山高帽 の ハ ンサ ム な
単 な挨拶 と数字 だ け は覚 え ま した。 これ で 買 い物 はば っ
御 者 が 着 飾 った女性 た ち を得 意 げ に馬車 に乗せ 、子 供 た
ち までが フ ラメ ンコ衣装 で広 場 に急 ぎます。 私 も仲 間 に
入 って、 現 地 の人 た ち と踊 るのが 夢 だ ったの に、 ここが
ツア ー 旅行 の悲 しさ。 よ し今 度 は個 人旅行 にす るぞ。 マ
ドリ ッ ドで は待望 の フ ラ メ ンコ衣装 店 で大 好 きな紫 の ド
レス を買 い 、裾 上 げ を頼 み、 仕 上 が り約 束 の 時 間 を過 ぎ
る こ と 1時 間。 飛行 機 の 時 間が迫 って い る事情 の 説 明 は
私 の ス ペ イ ン語 で はお手上 げ、英語 が 片言 の 店 員 をや っ
せ き切 って 間 一 髪 セー フ。 日本 の
と探 して四苦八 苦 。 息、
常識 が通 じな い一 幕 であ りま した。
今、体 力低 下 で フ ラ メ ンコは休 止 中。紫 の ドレス も寂
しそ う。 で も私 の心 ははや太 陽 の 国 イタリアヘ 。
ビバ (万 歳 )カ ンツ ォー ネ ││ワ イ ン片手 に トス カーナ
で歌 うのだ
国際 交流 に関 する
あ なた の体験 、 ご意 見 を
お寄 せ くだ さし1。
││
投稿 規 定 :25文 字 ×30行 以 内。題 名、住 所 、年令 (学 年 )を 明記 の上、
事 務 局 (市 役所 5階 )ま で。
掲 載された方には、記 念品をお送 り致します 。
lnformaJon
K:]里
鎌 ヶ谷市国際交流協会 に
特別感謝状が贈 られました
去る 10月 6日 、 「鎌ケ谷市市制 30周 年記念式典」において市の発展に貢献 し
たと して、KIFAに 特別感謝状が贈られま した。
1988年 4月 設立以来、 「人と人、心と,い のふれあいにより国際交流を推進 して
いこう」というボランテ ィアの方々に支えられ、鎌ケ谷市にお ける民間 レベルで
の国際交流団体と して活動 し、今日に至っています。この受賞の喜 びを皆さんで
わかちあいたいと思います。
タイDAY
請演会 のお知 らせ
劾
ご
国別交流会
平成 13年 12月 2日
(日
)
午後 2時 ∼ 4時
:ま なびぃプラザ
講演とタイのお茶と
お菓子を0未 わいなが
らタイの魅力にふれ
るひとときを
日時
場所
講師
日時 :平 成 14年 1月 27日
平成 13年 12月 9日 (日 )
午後 1時 30分 ∼ 3時
鎌 ケ谷市総合福祉
保健 セ ン ター 6F
波多野敬雄氏
(元 国連大使 )
:
:
:
(日
)
場所 :南 部公民館
詳細 は未定
語学講座
含同閉講式
日時 :平 成14年
2月 17日 (日 )
場所 :鎌 ケ谷市
総合福祉 保健
セ ン ター 6F
テ ーマ
「日本の常識・世界の非常識」
各講座 の 1年 間 の
の場
じワ
発表
。
衣 の
場で
す。
│
皆様の参カ
ロ
をお待ちしております。
外 国人講 師派 遣 (南 部小 ・ 中部小 )
日本語講 座校外 学 習会
10月 28日 (日 )総 勢 27名 で養老渓谷 へ 向け て出発 です。
今年 で 4年 目。毎年参加 す る人、 来 日 3週 間 目の人、 日
本語が話 せ る人、そ うで ない 人 と様 々です。 バ スの 中 で
も熱心 に 日本語 のテキス トを広 げ た り、文字 当てゲ ーム
や ビンゴの 数字、 し りと り等、何 で もが いい勉 強 にな り
ます。勿論 日本語 の達者 な人達 は、 このバ ス旅行 を大 い
に盛 り上 げて くれ ます。昼食前 は釣 り堀 で鱒釣 り。初め
ての人 もいて歓声 も上が ります。食後 はお 国 の歌や踊 り
で交流。大 多喜城見学 は予報通 りの 雨。で も雨 のお城 も
なかなか風2情 があってと思 うのは 日本人だか らで しょうか。
フ レ ン ドリー 英 会 話 講 座 の 開 講
10月 4日 か ら10回 コー ス60才 以上の方が対 象 の フ レン
ドリー 講座 です。 まなび ぃプラザ に増 田千佳 さん を講師
に22名 の受講生で ス ター トしました。
He‖ o,nice to meet you.
受講生 安田 典子
フ レン ドリー の 方 々 との 出会 い に、大 きな喜 び を感 じま
した。講 師 の 方 も皆 さん もとて も流暢 に話す ので、私 は
冷や汗 のか きっぱな しです。言葉 はお互 い を理解 し合 う
為 の便利 な道具 の 1つ であ り、英会話 を通 して よ り多 く
の方 々 との交流が広がれば楽 しい と思 い ます c
10月 31日 、南部小学校 3年 生の授業で「ぼ く・私 は地球
人」の講師 として ニ ュージー ラ ン ドとシ ンガポ ール のお二
人が担 当。教 えて コー ナ ー 、質問 コー ナ ー に続 きゲ ーム
では、 名刺交換 を英語 であい さつ しなが ら国際人 と して
の練習。 11月 1日 中部小
学校 6年 生の授業では、
「わ た した ち の ア ジア 」
の 講 師 と して 中 国 、 韓
国、フイリピン、タイ、ミャ
ンマ ー の 5人 の 方 が クラ
ス 別 に担 当 。 そ れ ぞ れ
の 国 の 文 字 や音 楽 、 ゲ
ー ム な どを教 え て も ら
い、 アジアが一段 と身近 に感 じた様です。
第 10回 あ び こ 国 際 交 流 ま つ り
10月 28日 (日 )あ び こシ ョッピングプ ラザ で、「 第 10回
あび こ国際交流 まつ り」が我 孫子市国際交流協会 と我 孫子
市 主 催 で 開催 され当協会か らも参加 しま した。和 室 では
茶席 や和 服 ・民族衣装 の着付 け、 ギ ャラ リー で は各 国お
国 自慢 (民 族衣装 、玩具、雑誌、新 聞、手品な ど)の 展示
等が あ り、多 目的ホ ール で は、 交流 パ ー テ ィが催 され多
彩 なア トラクシ ョン、全員 に よる盆 踊 り、サ ンバ 等 で参
加者が400名 をこす盛 況 で した。
編集後記
初 冬 の 候 とな りま した。新 しい ス タ ッフ も加 わ って
2号 日、
KIFA Plaza第 43号 をお届 けい た しますじ少 しず つ で も前進 して い
きた い と思 ってお ります ので、 皆 さ まの ご意見 ご感想 をお 待 ち し
てお りますこ
(CoW)
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