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《反》自伝としてのルイ=ルネ・デ・フォレ 『オスティナート』

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《反》自伝としてのルイ=ルネ・デ・フォレ 『オスティナート』
《反》自伝としてのルイ=ルネ・デ・フォレ
『オスティナート』
今 関 奏 子
はじめに
『オスティナート』(Ostinato)、私たちは、ルイ = ルネ・デ・フォレの晩年のこの作品をどのよ
うに位置づけることができるだろうか? 三人称で書かれた散文詩(prose-poétique)的自伝? 断章
による自伝? はたまた、自伝的小説(autofiction)? 私たちは、この作品を定義づけることにひど
く戸惑う。ここに書かれていることは、真実か、虚構なのか? 語り手はあの『おしゃべり』の
「おしゃべり男」のように、嘘つきなのだろうか?『オスティナート』は、出版当時、書店で「今
売れている作品」として店頭に並び、多くの新聞がデ・フォレの記事やインタヴューを組んだ。
確かにこの作品は、それまでのデ・フォレの作品とは異なり、子供時代のエピソードなどが描か
れた比較的親しみやすい作品ではある。もちろん、当時から続く自伝ジャンルそのものの流行が
一役買ったということもあるだろう。しかしながら、
『オスティナート』は私たちが一般に「自伝」
と呼ぶ作品とは明らかに趣を異にしている。本稿では、『オスティナート』執筆時(1975-1997 頃)
のデ・フォレを取り巻く、「自伝」的作品についてのディスクールを追いながら、デ・フォレが
『オスティナート』によって何を試みようとしていたのかを探りたい。
「短い伝記」の依頼
『オスティナート』は、1975 年頃、当時雑誌『グラニ』(Granit)の編集をしていたフランソ
ワ=グザヴィエ・ジョージャールが、デ・フォレ特集のための、自身に関する「短い伝記」(une
courte biographie)を書くようにデ・フォレ本人に依頼し、書き始められたものである。結局、そ
の雑誌は諸般の事情によって日の目を見ることはなかったが、デ・フォレはその依頼によって、
娘の事故死を経た 65 年から 75 年までの約 10 年間の作品を書かない/書くことのできなかった時
期、いわゆる「沈黙」の時代から抜け出すこととなった。
若干安易ではあるが、この作品で語られている要素をデ・フォレ自身のインタヴューで語られ
ているエピソードや全集の年表と照らし合わせてみると、この作品が扱っているのは、家族との
思い出や旅行、兵役や作家との出会いといったデ・フォレ自身の人生の実体験であるということ
が確認できる。この作品は、彼自身という主体(je)が経験したことを綴った、「デ・フォレ」と
— 19 —
いう作家に密接に結び付いた作品であると言える。この意味においては、『オスティナート』は
自
「自伝」的であると言って差し支えのない作品だろう。特に、この作品は、
「子供時代」という、社
会に入っていく前の自己形成にかかわる特権的で個人的な時代に多くのページを割いている。また、
身内や親しい友人の死、さらには死へと向かっていく自分自身との葛藤といった私的な出来事を扱
っている。『現代におけるフランス文学』において、自伝ジャンルの 2 つの地平は「子供時代への
回帰」と「死の接近」であると述べられている(1)ように、作品中に「子供時代」と「自らの死と
の対峙」を描くことは至極まっとうな「自伝的」身振りであると言えるだろう。
さらにこの作品は、このような伝記的な出来事の記述だけにはとどまらず、冒頭の一節に明示さ
れているように、「色、におい、ざわめき」« couleur, odeur, rumeur »(2)、すなわち「視覚、嗅覚、
聴覚」という感覚的で、極めて個人的な、他者に伝達不可能とも思える固有のものを描こうとして
おり、個人に緊密に結びついた作品であると言える。前言語的な「ざわめき」は言うまでもなく、
『オスティナート』はどのページをとって見ても、色やにおいに満ち溢れている。
『オスティナート』
を詳細に分析したエマニュエル・ルスロは、この「色、におい、ざわめき」に「味覚」と「触覚」
を付け加え、『オスティナート』がいかに主体の五感に対する刺激についての記述に満ち溢れてい
るかということを証明している(3)。
このようにして、『オスティナート』には、単なる出来事から極めて個人的な感覚まで作者の実
体験が描かれているように見受けられるため、デ・フォレの「自伝」作品であるといっても差支え
がなさそうではある。しかしこの作品は、一般的に言われているような「自伝」の域に留まる作品
であろうか。1971 年にフィリップ・ルジュンヌが定義し確立した「自伝」(autobiographie)という
ジャンルは、その定義にもかかわらず、いやむしろその定義ゆえに、未だにはっきりとした輪郭を
持たず、曖昧なまま大量の作品を含みこんできた。『オスティナート』は、ルジュンヌの自伝の定
義づけの直後に書き始められた作品ではあるが、自伝というひとつの「ジャンル」の誕生とともに、
その自伝というジャンルにアンチテーゼを突きつけるようにして書かれたのではないだろうか。こ
の態度は特に、デ・フォレとテクスト外の「指向対象」(référence)との関係に現れてくる。デ・
フォレは、ここまで述べてきたような彼個人の実体験や思い出を、単純に「過去のもの」として、
言葉を使ってテクストの中にミメーシス的に写し取ろうとしているわけではない。
自伝と指向性
周知のとおり、1970 年から 80 年にかけては、ルジュンヌの功績もあってか、自伝的作品群が――
ルジュンヌの定義に反するものも含め――爆発的に豊かになった。1977 年にセルジュ・ドゥブロ
フスキーが「オートフィクション」という言葉を使い始め、80 年代前半には、ナタリー・サロー
トの『子供時代』をはじめとして、アラン・ロブ = グリエの自伝三部作、またクロード・シモン
やマルグリット・デュラスの作品など、いわゆる「ヌーヴェル・オートビオグラフィー」が登場し
てきた。ルジュンヌは、50、60 年代に、ヌーヴォー・ロマンの作品が作品中から作者を追放し、
— 20 —
作者の意図を介入させなかったことと比較して、これらの自伝作品は作者の単なる「自己への回帰」
« De retour à soi »(4)であるとした。しかし、ロブ = グリエはこのルジュンヌの見解を拒否し、他の
ヌーヴォー・ロマンの作家と共に新たな「自伝」をつくりあげようとしていたかに見える。
自自自自自自自自
ルジュンヌによる定義では、自伝は契約を通じて、自己についての現実世界における真実を描く
こと、もしくは自己についての真実を描こうとする意志が約束されたものである。
自自自自
どんな形式のフィクションとも違って、伝記と自伝は指向的なテクストである。つまり科学的あるい
は歴史学的な言説とまったく同様に、テクストにとって外在的な「現実」に関する情報をもたらし、
自自自自自自自
従って真偽を確かめるテストに同意すると自負するのである。伝記と自伝が目指す目標は、単なる本
当らしさではなく事実との類似であり、「現実のような印象」ではなくて現実の再現である。それ故指
向的なテクストはどれも、わたしが「指向契約」と呼ぶ、暗黙の、ないしは明文化された契約を伴っ
ており、この契約には、対象とする現実の範囲の限定と、テクストが追求する類似性の様態とその程
度の表明とが含まれる。
Par opposition à toutes les formes de fiction, la biographie et l’autobiographie sont des textes référentiels :
exactement comme le discours scientifique ou historique, ils prétendent apporter une information sur une
« réalité » extérieure au texte, et donc se soumettre à une épreuve de vérification. Leur but n’est pas la simple
vraisemblance, mais la ressemblance au vrai, Non « l’effet de réel », mais l’image du réel. Tous les textes
référentiels comportent donc ce que j’appellerai un « pacte référentiel », implicite ou explicite, dans lequel sont
inclus une définition du champ du réel visé et un énoncé des modalités et du degré de ressemblance auxquels le
texte prétend.(5)
ルジュンヌは自伝への「虚構」(fiction)の介入を基本的には忌避しており、自伝とは、参照先、
指向対象となるテクスト外の「現実」のある「範囲」を、真偽の尺度に従いながら忠実に再現する
ものであると考えていた。
しかしながら、ヌーヴェル・オートビオグラフィーの例としてサロートを挙げるならば、彼女の
自伝的な作品『子供時代』は、現実世界を参照することの不可能性を示しているように思われる。
サロートは、この自伝的作品において、書き手の対話者として「あなた」(tu)を設定し、自伝を
書き手と対話者の対話のように進行させる。次の一節は、書き手が子供の時に読んだ『マックスと
モーリッツ』という絵本が残した強烈なイメージの信憑性について、対話者(tu)が書き手に疑義
を差し挟む場面である。
――このイメージが『マックスとモーリッツ』のものだというのは確か?
確かめなくていいの?
――いや、そんなことをして何になるの? 確かなのは、このイメージがこの本に結び付いたまま、こ
のイメージが引き起こした不安と恐怖の気持ちが無傷で保たれているということ。ただし、その恐怖
というのは、本当の恐怖ではなくて、おどけた恐怖にすぎなかったから楽しかったの。
— 21 —
― Est-il certain que cette image se trouve dans Max et Moritz?
Ne vaudrait-il pas mieux le vérifier?
― Non, à quoi bon? Ce qui est certain, c’est que cette image est restée liée à ce livre et qu’est resté intact le
sentiment qu’elle me donnait d’une appréhension, d’une peur qui n’était pas de la peur pour de bon mais juste
une peur drôle, pour s’amuser.(6)
子供のころに読んだ『マックスとモーリッツ』に帰されるだろうイメージは、参照先にあたって確
かめる(vérifier の語源が真実 vrai であるということを思い起こそう)ことのできない、もしくは
その必要のないものである。しかも、『マックスとモーリッツ』は実際に有名な絵本であり、簡単
に参照できるにもかかわらず、書き手は真偽を確かめることの無意味さを訴える。そのイメージは、
真実か虚構かということにかかわらず、確かに強烈な印象を残したのだ。サロートの「自伝」的作
品において語られるものは、ルジュンヌのいう「真偽を確かめるテスト」を通して、参照先との関
係において真実であるか虚構であるかという 2 項対立の天秤にかけられることはないのである。50、
60 年代の作品において「作者の死」を体現してきたヌーヴォー・ロマンの作家たちは、むろん単
純に「主体へと回帰」していくことも、参照先となる現実の世界に回帰していくことも不可能とな
っている。
デ・フォレはヌーヴォー・ロマンとほぼ同じ世代でありながら、ヌーヴォー・ロマンの作家に数
えられることはほとんどなく、彼らとの交流もあまり見受けられなかったが(7)、同時代において、
『おしゃべり』から『オスティナート』へと、つまり一見すると「作者の死」から「自己への回帰」
へと、彼らと同じ道程をたどり、問題意識を共有し、むしろ彼らに先んずるようにして自伝の領域
へと踏み込んでいく。
レリスとデ・フォレ
ところで、デ・フォレが常に念頭に置いていたのは、同世代のヌーヴォー・ロマンよりもむしろ、
彼より 14 歳年長のミッシェル・レリスであったように思われる。『オスティナート』執筆中の
1984 年のインタヴューでは、デ・フォレは私生活においても親しい間柄にあったこの年長の友人
の自伝的作品群を引き合いに出しながら、まさしく彼とは異なる試みをしようとしているのだと述
べている。
「自伝」という言葉は、かぎ括弧に入れられるべきだろう。なぜならわたしが思うに、自伝には、はっ
きりということはできないが、虚構の部分があるからである。ミッシェル・レリスが『ゲームの規則』
自自
で探し求めていたのは、真実である。わたしの場合は違う。人がわたしのことを非難するとしたら、
物事を美化する傾向があるということだろう。しかし、この虚構の部分がなかったら、このテクスト
[
『オスティナート』]を書くことはできない。
« Autobiographie » est à entre guillemets, parce qu’il y a, je pense, une part de fiction, difficile à préciser. Ce que
— 22 —
Michel Leiris a recherché dans « La Règle du jeu » c’est la vérité. Moi, non. L’un des reproches que l’on pourrait
me faire, c’est une tendance à magnifier mais, sans cette part de fiction, je ne pourrais pas écrire ce texte.
[OSTINATO] (8)
レリス自身も、しばしば『おしゃべり』と比較され、デ・フォレ自身にも感銘を与えた(9)『成熟の
年齢』の序文である「闘牛として考察された文学」において、自伝の「[……]題材として、真の
事実以外は認めない(これは、古典的小説におけるような本当らしい事実でも全くない)
、つまり、
こうした事実以外には何もないし、すべてがこうした事実なのだ」« [……] n’admettre pour
matériaux que des faits véridiques (non pas seulement des faits vraisemblables, comme dans le roman
classique), rien que ces faits et tous ces faits »(10)と、そして「[……]その結果として、[……]言葉が
自自
常に真実であるようにしなければならない」« [……] faire par conséquent en sorte que la parole, [……]
soit toujours vérité »(11)のだと、自伝作品における現実世界における「事実」や「真実」の重要性に
ついて述べていた。レリスが自伝作品において、テクスト外の真実を探し求めているのに対し、
デ・フォレは彼の自伝作品において、いわゆるテクスト外の真実を求めることはない。彼は、虚構
を自ら進んで利用するだけではなく、虚構がなければ彼の自伝が成り立ちえないとまで言い切って
いる。しかし、ここで言われている虚構は、オートフィクションに見られるような、単なるフィクシ
ョン化、言い換えるならば物語化(romancer)という意味における虚構とは異なっているように思わ
れる。というのも、断章で構成された断続的なテクストである『オスティナート』には、一貫性のあ
る物語という意味における小説(roman)の要素はあまり見受けられないからである。ドミニク・ラ
バテが述べるように、
『オスティナート』は「オートフィクションの安易さとはかけ離れている」« si
loin des facilités de l’autofiction »(12)のである。
ところで、サロートはインタヴューにおいて、自らの自伝の試みは、レリスが彼の自伝で行って
いる「すべて言う」« tout dire » という試みとは異なるものだと述べている(13)。「すべて言う」とい
うことは、ルジュンヌが「現実の範囲の限定」と先の引用で述べていたように、あらかじめこれま
で生きてきた「人生」という領域を設定して、包み隠さず、余すことなく語ることである。むろん、
『トロピスム』において目に見えず言語化できない意識の流れを言葉によって描き出そうとしたサ
ロートにとって、人生のすべてを汲みつくすことは到底できないし、それを現実世界に参照先をも
った真実として描き出すことは不可能であっただろう。同じようにしてロブ=グリエも、ルジュン
ヌが、自伝を書くという試みよりも以前にあらかじめ人生の意味を想定し、自伝はそれを写し取る
« traduire »(14)ものであると考えていたことに反発している(15)。このような見方が、現実に参照先
を持った単なる真実の探求にとどまらず、夢の記述や、言葉そのものに対するアプローチなどに満
ちたレリスの自伝作品に当てはまるかどうかということは別にしたとしても、当時サロートやデ・
フォレは、レリスの作品が、ルジュンヌの自伝の定義に多かれ少なかれ当てはまったものであり、
現実という指向対象に限りなく忠実であろうとする自伝であると捉えていたように思われる。
— 23 —
レリスの試みとは異なり、自伝を真実の探求とみなすことのないデ・フォレは、『子供時代』の
サロートと同様に、この章の冒頭で確認したように、作者の実体験、現実の出来事を描いているよ
うに見えるにもかかわらず、ルジュンヌの自伝の条件である「真偽を確かめるテスト」を受けるこ
とを放棄しているように思われるのだ。
固有の真実
レリスの自伝と比較して明確になったように、デ・フォレの『オスティナート』は、先行して存
在する真実を「真実」として描き出そうとする試みではない。レリスは、告白の形式によって現実
世界の真実を描き出そうとしていた。他方で、デ・フォレには、現実世界における恥じらうべきこ
との告白や、現実世界をありのままに嘘偽りなく語ろうという、いわばルソー的といってもいい意
思は見受けられないし、そのような「自伝契約」も全くなされていない。これまで、多くの自伝作
品が真実を伝えることに拘泥してきたように、初めは作家の現実体験に基づいて語られていると思
われた『オスティナート』の数々のエピソードは、現実世界との関係において真であるべきだとい
うことに必ずしも執着していないということが見えてきた。
証拠書類はほとんどない。彼はそのようなものに、何らかの保証やよりどころを見出さず、それらほ
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ぼすべてを困惑の種や足かせになるものとして遠ざける。それらは、意味のない記号や、証明不可能
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な証拠にしかならない。現実と虚構が、言語という共通の場所に書き込まれて、それぞれの本性を隠
し、事実証明を免れ、さらに永遠の現在の光のもとで、懐古の情とそれを大切に蓄えておきたいとい
う配慮との間で、不意打ちの到来においてしか再び生きられないものの創造的な戯れを記憶の束縛に
対置する、そのような運動を豊かにするものを、それら証拠書類は何ら与えないのである。
Très peu de pièces à conviction : il n’en attend ni garantie ni soutien, les écartant presque toutes comme des
objets de trouble et d’entrave qui n’offrent que des signes insignifiants, des preuves improbables, rien qui soit
propre à nourrir un mouvement où le réel et le fictif, en s’inscrivant dans l’espace commun de la langue,
dissimulent leur nature, se soustraient aux vérifications, opposent aux servitudes de la mémoire le jeu inventif de
ce qui ne se revit que dans la surprise de sa venue, sous le jour d’un éternel présent, à égale distance de la
nostalgie et d’un souci de thésaurisation.(16)
語られていることが、現実に起こったことであるのか否かを証明するものはなにもないし、たとえ
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「証明不可能な証拠」といった撞着語法と
証明するものがあったとしても、
「意味のない記号」や、
なってしまい、それらが効力を持つことはない。むしろ、真実を証明するものは、唯一の真実の探
求の中にデ・フォレを閉じ込め、自由を奪って「束縛」してしまうために、デ・フォレの試みの障
自自自自自自自
壁となってしまうだろう。「現実」と「虚構」は、言葉のレベルで、つまりエクリチュールにおい
て、ないまぜになりながらお互いの境界を失い、「現在」時において現れてくる。それは単に、現
実や過去や思い出を正しく書き写すということではなく、そのような拘束から自由になったより
— 24 —
「創造的」な行為となるのである。
ただし注意したいのは、デ・フォレの「自伝」作品が、虚構を含んでおり、真実を語っていない
からと言って、それは必ずしも作品の不実さを表すものではないということである。デ・フォレは、
ジャン=ブノワ・ピュエシュとの対談において、むしろ伝統的な自伝こそが「偽り」« fallacieux »
であると非難している。
彼(フランソワ=グザビエ・ジョージャール)はわたしに短い伝記を書くように言ったんだ。わたし
は、伝記に嫌悪感を覚えていた。伝記を書くことに意味があるとは思えなかったからね。年代順で、
多かれ少なかれ偽りの言説から何を引き出せというんだろうか。
Il[François-Xavier Jaujard] m’avait demandé une courte biographie, à quoi je répugnais, car cela me semblait
dépourvu de sens : que tirer d’un énoncé chronologique qui ne soit plus ou moins fallacieux ?(17)
デ・フォレにとって、年代順で語られた自伝は「偽り」« fallacieux » であり、人を欺くものであり、
自自
嫌悪すべきものである。このことから、デ・フォレの『オスティナート』は、レリスのようにテク
自自自自自自自
ス ト 外 に お け る 真実性を問題にすることなく、「虚構」でありながらも、しかしなお「偽り
« fallacieux » ではない」作品となっているはずであると仮定することができるであろう。
ここで、レリスが求めたようなテクスト外の真実を仮に「指向的真実」(vérité référentielle)と呼
ぶとするならば、
『オスティナート』では、それとは別の真実、つまりデ・フォレが「固有の真実」
« vérité propre » と呼ぶものが探し求められることになる。
自自自自自自
欠陥のある視覚から引き出した彼固有の真実は、彼と世界の関係性の真実であり、まさにこの真実が、
正確さへのむなしい配慮、証明、釈明、そして不誠実さを装うことを彼にさせずに済ませているのだ。
これらの配慮等は、視覚に矯正不能な欠陥を持つ男にはもはや必要のないものである。
D’une vision en défaut il tire sa vérité propre comme celle de sa relation avec le monde, et c’est elle qui le
garantit contre le vain souci d’exactitude, les attestations, les mises au point, les travestissements de la mauvaise
foi dont n’a que faire un homme affecté d’une incorrigible déficience de la vue.(18)
書き手は、現実世界の出来事を正確に描き出そうという「配慮」もなく、テクスト外の現実に存在
するあらゆる事実の「証明」などを引き合いに出さずに、自らの記述の不正確さに対する「釈明」
もすることなく、その行為が「不誠実」なのだとあえて宣言することもない。たとえそれが、彼の
歪んだ現実の見方、彼固有のパースペクティブによってもたらされた「間違った」 光景であれ、
そこから彼自身に「固有の真実」を引き出すのだと述べる。この「固有の真実」は、「彼と世界の
関係性の真実」であり、つまり『オスティナート』というエクリチュールを媒介とした、世界との
関わり方なのだ。これは、現実世界の真実をただ単に写し取ることとは異なり、エクリチュールが
介在することによって、ある種「虚構」で「創造的な」ものになっているのかもしれない。しかし
— 25 —
この関係性こそが、彼自身にとっては紛れもない真実として現れる。また、この「固有の真実」は、
「人生の真実」« vérité d’une vie »(19)とも言い換えられているし、『オスティナート』冒頭部のもっ
とも引用されやすい一節では、「作り話の真実」« la vérité d’une fable »(20)という撞着語法によって
も呼ばれている。
なるほど、このような「固有の真実」は、一見すると自分自身の「虚構」世界に閉じこもった、
独りよがりなものと思われかねない。しかし、デ・フォレはそのような現実世界を無視した自己完
結的な「固有の(そして唯一の)真実」に安住するのではなく、常に子供時代をはじめとするさま
ざまな思い出が正確に明瞭に思い出せないことに向き合い続けながら(死後刊行の作品の題名はま
さに『思い出せないものに向き合って』[Face à l’immémorable]である)、この「固有の真実」を
探し続けているように思われるのだ。
忘却の砂漠
デ・フォレの「自伝」の試みが「指向的真実」(vérité référentielle)の探求になり得ないのには、
もちろんこのように現実との関係性にエクリチュールが介在しているからだが、それはそもそもに
おいて現実の体験や思い出が、曖昧さや不確かさに満ちていて「思い出せないもの」であり、自伝
を書く際に信頼のおけるものではないからである。『オスティナート』においては、ルジュンヌが
自伝を書くうえでの必要条件であると述べていた、自らについての真実を語ることができるという
『オ
信頼(21)はほとんど見受けられないといっていいだろう。思い出は常に忘却にさらされている。
スティナート』において、記憶の穴は明確な境界を持たず広がり続ける「砂漠」に喩えられる。
それはあたかもアフリカ大陸の地図を見て、わたしたちがそこに大陸を二つに分断する濃褐色の巨大
な地域を見いだすようなものである。このサハラ砂漠は、地形的境界を持っているのだが、この砂漠
が絶えず領土を広げていくために、境界はますます信頼できないものとなり、南部の緑地を潰瘍のよ
うに蝕んでいく。長い間ずっとこのようなのだ。乾燥地帯が増殖すればするほど、その領域の境界を
定めることは難しくなり、標杭は打つとたちまちに超えられてしまうので、それを使って大きさを測
るのもますます無謀なこととなる。その大きさを最終的に見積もることは、砂漠の拡大を本気で止め
ようとするのと同じぐらい無駄なことだろう。
Comme à consulter un atlas du continent africain, on y voit figurer en couleur bistre l’immense poche qui le
partage par le milieu, ce Sahara aux limites topographiques d’autant moins fiables qu’il gagne sans cesse du
terrain, rongeant à la manière d’un chancre les vertes régions du Sud, ainsi d’une longue existence où plus les
zones arides prolifèrent, plus il devient malaisé de les circonscrire, hasardeux d’en calculer la dimension au
moyen de jalons à peine posé que déjà dépassés. Procéder à une évaluation définitive serait aussi vain que de
vouloir stopper net la progression du désert.(22)
記憶の忘却地帯は砂漠のようにとどまることなく広がり続け、ますます多くの思い出を忘却の淵へ
と投げ込んでいく。記憶は思い出すと同時にすでに忘却に投じられ、「思い出せないもの」と「思
— 26 —
い出せるもの」の境界地点は定めたと思うとすぐに乗り越えられてしまう。それが真実であるのか
を確認することはもはや出来ない。このような忘却の地帯は広がり続けるため、サロートがレリス
の試みについて述べた、現実の人生に境界を設定し「すべていう(tout dire)」ことや、真実を述べ
るという伝統的な自伝の試みは、まったくもって不可能になってしまったかのように思われる。
デ・フォレの自伝には、たしかにある種の「参照先」(référence)としての思い出が存在している
のだが、思い出やテクスト外の現実の参照先は常に忘却にさらされ、不確定で、真偽の判断のでき
ないものである。しかしながら、真実が不明瞭で到達することが不可能であったとしても、デ・フ
ォレは決してこのような忘却から目を背けることはない。
不明瞭な輪郭を持ったこれらの不毛な場所は、記憶の地図の上で、あまりにも広い場所を占めている
ので、不誠実でない限り、その場所に重要性を認めないということは不可能だし、さらに言えば、そ
れを、まったくの沈黙のうちに言わずにおき、打ち明けることができないものとして考慮に入れない
ということは不可能なのだ。
Ces espaces stériles aux contours imprécis occupent sur la carte de mémoire une place si envahissante qu’à
moins de mauvaise foi il est impossible de ne leur accorder qu’une importance mineure, plus encore de n’en tenir
aucun compte comme d’une chose inavouable qu’on passerait tout bonnement sous silence.(23)
記憶の中で広がり続ける忘却の領域は、それが語りえないからといって見過ごしたり、語らずに済
ませたりすることもできず、『オスティナート』において書き手が対峙し続けるものである。ただ
し、忘却から目をそらさないということは、かならずしも真実に忠実に、正確に描き出そうという
配慮とは一致しない。自伝作家たちがこれまで多かれ少なかれしてきたように、あたかも忘却など
存在しえないかのごとく、年代順で一貫性のある正確な自伝を書くことが、ここで言われているよ
うな「不誠実な」« de mauvaise foi »、もしくは上述したように「偽りの」« fallacieux » 試みだとす
るならば、これに対し「忘却」から決して目をそらさないデ・フォレの自伝の試みこそが、「偽り
の」« fallacieux »の対義語としての「誠実な」« sincère »ものであるといえるだろう。たとえ「指向
的真実」(vérité référentielle)が見失われてしまっており、思い起こすことも、正確に描くこともで
きず、虚構が介在していたとしても、それに向き合い続けるということが「誠実な」態度なのであ
る。
むろん、上述したような「固有の真実」が、彼自身の虚構世界の中の唯一の確定した真実であり
自自自
続けるということはない。上述したように、自伝は「彼と世界の関係性の真実」なのであり、この
忘却に向き合い続けながら書くという行為、エクリチュールを通して、テクスト外の現実との関係
性が何度となく生きられるのである。
結びに代えて
以上にみてきたように、デ・フォレの書く自伝は、既に存在し完成したテクスト外の過去を写し
— 27 —
取ったものではない。このようなテクスト外の真実であるはずの過去がもはや思い出すことが出来
ず、「砂漠」のように不毛になってしまった後でも、この忘却に向き合い続けながら書くことが
「誠実な自伝」の試みである。したがって、この自伝作品で問題にされているのは、自伝の内容と
いうよりも、エクリチュールそのものであり、エクリチュールを通した現実世界との関係性である。
現実世界の真実性に縛られることのないエクリチュールはいかにして、「現実」と「虚構」をない
まぜにしながら「創造的な」行為となるのだろうか。
また、真実の生真面目な探究、すべてを言おうというばかげた意図、これらの願いに従うということ
は結局、ある意図の限界の中に閉じこもってしまうことになり、同時に、正直であろうと心配するが
あまりに、あるものを逃してしまうことになる。そのあるものとは、言語によって絶えず賭けに投じ
られ、そして言語によって条件づけられている偶然の力だけが、最も遠い地点において、活動の中心
地、すなわち存在が糧を得る地下の滋養分として指し示すものである。表現が近似的になることによ
ってもたらされた強度の喪失がどのようなものであろうと、その表現は、変化の多い人生の持続に結
び付いており、あらかじめ決まった秩序に隷属せず、出来事の真実性に従順に従うこともなく、様々
な形で繰り返されるべきであり、その繰り返しのたびに運に任されるべきである。出来事の真実性の
後ろに、灰の中の熾火のように隠れているものを、言葉は再び燃え上がらせる使命を持っているのだ。
C’est aussi que la recherche scrupuleuse de la vérité, l’absurde prétention à tout dire sont des instances
auxquelles se soumettre reviendrait à s’enfermer dans les limites d’un dessein et manquer du même coup par
souci de probité ce que les seules forces du hasard sans cesse remises en jeu à la faveur du langage et
conditionnées par lui désignent au point le plus reculé comme le centre actif, la substance souterraine dont l’être
se nourrit, quelle que soit la perte d’intensité qu’entraîne une représentation approximative qui, liée à la durée
changeante d’une vie, doit varier ses reprises et s’en remettre pour chacune d’elles aux occasions de la chance,
hors de toute sujétion à un ordre préétabli ou de conformité respectueuse à la réalité des faits derrière laquelle se
dissimule comme la braise sous la cendre ce que les mots ont pour mission de ranimer.(24)
真実を求めることや、「すべてを言う」« tout dire »(先に確認したように、サロートはレリスの自
伝の試みを評して同じ表現を使っていた)という自伝的な行為は、デ・フォレの目指すところでは
ない。そのような伝統的な自伝の試みは、現実の事実にこだわるあまりに、エクリチュールの「偶
然の力」« forces du hasard »を奪い取ってしまうからだ。「運」« chance »に任せた言葉によって、偶
然に生み出された表現がたとえ記憶と異なり、正確なものではなくても、その表現自体、そしてそ
の表現の繰り返しが、「変化の多い人生の持続」« la durée changeante d’une vie »、つまり人生の変化
に富んだ動きそのものを表すことを可能にし、それ自体が「自伝」的な営みとなるのである。その
ためデ・フォレは、テクスト外の真実を描こうという意図に従ったエクリチュールを紡ぐのではな
(25)
、行き先のわからないエクリチュールを実践していくこととなる。デ・フォ
く、
「言葉に任せた」
レがいかにして、言葉に導かれることによって「固有の真実」に近づいていったのか、そもそも言葉
に導かれるというのはいかなることなのか、デ・フォレの実践を見ていくことは次稿に譲りたい。
— 28 —
注
(1) Bruno Vercier, Dominique Viart, La littérature française au présent, 2e édition revue et augmentée, Bordas,
2008, p. 51.
(2) Louis-René des Forêts, Ostinato, Gallimard, col. l’imaginaire, 2000, p. 15. 以下略号 O で表す。
(3) Emmanuelle Rousselot, OSTINATO de Louis-René des Forêts, L’écriture comme lutte, L’Harmattan, 2010, pp.
150-204.
(4) Philippe Lejeune, « Nouveau Roman et retour à l’autobiographie », L’Auteur et le manuscrit, textes rassemblés
et présentés par Michel Contat, Paris, Presses Universitaires de France, 1991, pp. 51-70.
(5) Id., Le Pacte autobiographique, Seuil, col. “Poétique”, 1975, p. 36 ; フィリップ・ルジュンヌ、『自伝契約』、
花輪光監訳、水声社、1993 年、43-44 頁。訳は翻訳を参照し、訳語を一部改めた。
(6) Nathalie Sarraute, Enfance, Gallimard, col. Blanche, 1983, pp. 47-48.
(7) 佐藤典子、『ルイ=ルネ・デ・フォレ「読むこと」という虚焦点』
、水声社、2010 年、222-227 頁。
(8) Marianne Alphant, « Livres en chantier : Louis-René des Forêts : silences rompus », Libération, 22-23 sep.
1984, pp. 30-31. 強調筆者。
(9) Raymond Queneau, « Pour une bibliothèque idéale », Louis-René des Forêts, Œuvres complètes, présentation de
Dominique Rabaté, col. Quatro Gallimard, 2015, pp. 106-107.
(10) Michel Leiris, L’Âge d’homme, Gallimard, col. « Folio », 1973 (1939), p. 15.
(11) Ibid., p. 22.
(12) Le Matricule des Anges, n ° 164, juin 2015, p. 24.
(13) Monique Gosselin-Noat, Enfance de Nathalie Sarraute (Essai et dossier), Gallimard, col. Foliothèque, 1996,
p. 24.
(14) Alain Robbe-Grillet, « Je n’ai jamais parlé d’autre chose que de moi », L’Auteur et le manuscrit, op. cit., p. 50.
(15) Id., « Du Nouveau Roman à la Nouvelle Autobiographie », Texte(s) et Intertexte(s), édité par Éric Le Calvez,
Brill, 1997, pp. 243-273.
(16) O, p. 51.
(17) Louis-René des Forêts / Le temps qu’il fait, cahier six-sept, (sous la direction de Jean-Benoît Puech et
Dominique Rabaté), Le Temps qu’il fait, 1991, p. 28.
(18) O, p. 135. 強調筆者。
(19) O, p. 30.
(20) O, p. 15.
(21) P. Lejeune, L’Autobiographie en France, A. Colin, col. “ U2 ”, 1971 : フィリップ・ルジュンヌ、『フラン
スの自伝 -自伝文学の主題と構造』、小倉孝誠訳、法政大学出版局、1995 年。
(22) O, p. 169.
(23) O, p. 169.
(24) O, p. 136.
(25) デ・フォレはインタヴューのたびに、彼が言葉に任せて書いているのだと述べている。M. Alphant,
« Livres en chantier : Louis-René des Forêts : silences rompus », Libération, op. cit., p. 31 :「それは、言葉か
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らやってきます。まさに言葉がわたしを運び去り、支配し、記憶を運んできます」« Cela vient de la
langue. C’est elle qui me porte, qui prévaut, qui entraîne le souvenir » ; Antoine De Gaudemar, Libération, le
jeudi 13 février 1997 :「常に言語によって導かれているのだ」« toujours laissé guider par le langage » ;
Louis-René des Forêts Le temps qu’il fait, cahier six-sept, op. cit., p. 21 :「わたしが言語によって導かれるこ
とがなかったら、わたしはよいものや、言われるに値すると思われることや、わたしの固有の真実に
もっとも近いことは何も書けないでしょう」« Si je ne suis pas conduit par le langage, je ne fais rien de bon,
rien qui me paraisse valoir d’être dit ou qui soit au plus près de ma vérité propre ».
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