Comments
Description
Transcript
西田幾多郎とデカルト、 そしてカント
西田幾多郎とデカルト、そしてカント 山田弘明・吉田健太郎他訳『哲学原理ルネ・デカルト』から「考える私」を読む一一 荒井正雄 I.デカルトと近代思想 一一その「光」と「影」 18世紀のヨーロッパには、宇宙の万物は、人間の利益のために意識的に創造されたとす る目的論的自然学説があった、と言う(l)。このことは、特殊な学説であったにせよルネッ サンス期以降に形成された人間中心主義が、近代市民社会の中核に位置づけられていること の証であるように思われる。イギリス経験論の創始者J・ロックは、「大地と……大地が自然 に生み出す果実や大地が養う動物」は神が人々に与えたもの一一私有財産である(2)とす るが、従って「市民社会の経済社会としての側面により重点」を置くロックの経済発展史的 論理構成は、「人間のエゴイズム(無制限な所有欲)をかなりオプティミスチックに肯定」し ているのである(3)。現在、人類史上にて問題視されている環境(生態系)破壊は、人間の欲 望に基づく自然支配の独善性が深く関わっているとした反省がなされているが、このような 近代的「進歩」(光∩こ伴う「負」(影)の側面に対する批判の、特に功利主義−一社会を文明化 し不幸にした「商業と金銭」への人間の飽くなき追求は、私的所有権の肥大化と貧富の階級的分化をもたらした、換言 すれば自然(大地)の人間への従属を意味する「進歩改良」は、(人間を堕落させたいJ・Jリレソー)一一に伴う 生態系破壊の現代病理学的な進歩主義に対する批判根拠が、ここにある。 ところで西洋近代哲学の歴史は、デカルト以降「自我」(私)の形成史であったが、市民社 会における自由な個人(多くの「私」)が重視されるようになった思想的発端は、精神と身体と を区別した自らの哲学一一F自然の光」(理性的認識)によって真理探究を開始したデカルトに 求められる。野日又夫(京都大学名誉教授西洋近世哲学史専攻)は、「デカルトの思想は現代にいた るまで、西洋近世の思想的状況の基礎条件を典型的に示している」と説明するが(4)、典型 的とは、木田元(中央大学)の言説を借用して言えば、デカルト哲学の「『思うわれ』は、世界 のうちに何か存在し何か存在しないかを決定するものであり、そのかぎりそれ自身は《世界 のうちに存在する》とはいえない、つまり《超越論的》transzendentalな主観なのであり、 他方、世界とはこの理性的主観によって認識されるかぎりで存在する」(5)とした心身二元 論のことである。「理性的主観」〈考える「私」〉を原理としたデカルト哲学は、理性論の端緒と なったが、それ故に啓蒙主義時代には、事実を尊重し、その原理を把握する「理性の活動」 を徹底することを特色とする自然学《自然哲学=科学》に基づく認識(明証的直観)こそが、「人類 の善への最も正しい手段」と考えられようになった。こうして近代哲学や科学は、理性的主 観と客観的世界を想定することになったが、認識を「思惟する主体」に従属させた哲学者と してデカルトは、「近代哲学の父」と呼称されるようになったことは、周知の通りである。 以上のことを踏まえて、デカルト哲学への、特に「形而上学」の主題である「考える私」 (精神、理性)とは、何か。「考える」論理形式はあるのか、などの「問い」について、カント の「認識主観」、西日哲学の「矛盾的自己同一的」に「考える私」(真の自己)の自覚と認識に 関連させながら、筆者なりの「解答」を試みたい。 43 Ⅱ。デカルト哲学の理論体系一一山田・吉田他訳『哲学原理ルネ・デカルト』を中心に 論題に入る前に、ちくま学芸文庫の1冊として刊行された(2009年)、山田弘明・古田健 太郎・久保田進一・岩佐宣明共訳の『哲学原理ルネ・デカルト』について、簡単な紹介をし ておきたい(以下「ちくま版」と略記)。 デカルトの哲学体系は、『哲学原理』に収録の「著者(引用者註:デカルト)から仏訳者にあて た手紙−一序にかえてー−」(以下「手紙」と略記)中で、「一本の樹」に擬えて説明されている が(6)、「手紙」によれば体系=樹の「根」は、「形而上学」であり、「幹」は、自然学(自然 哲学)、そして「枝」は、諸学問(医学、機械学(機械的技術)、道徳)からなる、と言う。 今回刊行された「ちくま版」『哲学原理』は、上述したデカルト哲学の体系的「根」にあた る第1部「形而上学」を翻訳したものであるが、各節(第1節∼76節)ごとに翻訳者の「解説」 (翻訳者にeる重要な用語と論点を記載)と「参照」(「関連する他の多くのテキストを挙げて『哲学原理』の形而上 学の独自性Jを指摘)、「注釈」があり、巻末には、「スコラ哲学との関係」を考慮して「ラテン語 索引」を載せている(「あとがき」)。デカルト哲学の専攻ではない筆者(荒井)であるが、管見し た範囲で言えば、翻訳者の独自性(特にスロラ哲学との関連)を打ち出した翻訳書である、といえ る。本翻訳書は、翻訳責任者山田弘明(名古屋大学名誉教授、現名古屋文理大学)によれば、「『原理』 の読み直しと資料整理を目的」として名古屋大学文学部・文化研究科で研究作業が進められ、 「二年間におeぶ困難な作業」の結果、出版された、という(「あとがき」)。 以上の経緯を経て完成した訳書であるが、「訳者解説」(翻訳責任者:山田弘明)は、『哲学原理』 第1部「形而上学」の構成を(「ある解釈によれば」と断った上で)以下のように説明している(括弧 内の補足説明は、引用者)。 (1)懐疑とコギト(1∼7節「解釈」:第7節「懐疑からコギトの発見まで」は、「デカルトの独自のス タイル」であると、強調する<「ちくま版」68頁>。) (2)心身(8∼12節) (3)神(13∼30節 「解説」:第17∼19節は、『省察』の第一証明に相当し、第20∼21節は、 第二証明である<「ちくま版」>113頁、124頁)。) (4)誤謬(31∼46節) (5)思惟の構成原理(47∼70節) (5)誤謬の原理(71∼74節) (7)哲学するための要件(75∼76節) 問題とするデカルト哲学の「精神」(考える「私」)は、『哲学原理』第1部「形而上学」の主 題であり、『省察』で言う「第一哲学」の重要な論題である。 Ⅲ。デカルト哲学の本質 1.哲学とは、「知恵の探求」である。 デカルト哲学の本質は、「真に確実なるもの」とは何か、と「問う」彼の哲学的探求の姿勢 に求められる。哲学することの基木一一「問い」の範型(paradigm)は、ソクラテスの問答法 に求められるが、方法的懐疑を哲学の出発点とするデカルト哲学も「問い」の重要さを教え ている。「哲学とは、何か」一一この「問い」に対する自らの立場をデカルトは、どの様に 言明していたか、「手紙」で確認してみたい。 「哲学」ということばは知恵の探求を意味し、知恵とは単に日常生活の分別のことだけ 44 ではなく、自分の生活を導<ためにも、健康の保持やあらゆる技術の発明のためにも、人 が知りうるあらゆることがらについての完全な知識を指す……(7)。 哲学は「知恵の研究」だ、とするデカルトの姿勢は、「真に確実なるものは何か」と問い、 自答を試みる「探求の過程」、即ち「知恵の探求」のスタイルである。この真理探究の過程か らデカルト哲学の第一原理「私は考える、ゆえに私はある」(明晰判明な真理)が導き出されたこ とは、周知の通りである。 J・H・プラムフィットは、哲学の第一原理の定立をデカルトの「科 学及び哲学の伝統的方法に対する最もラジカルな告発」であり、疑えいえない明晰判明な認 識は、「認識全分野において、伝統の権威を拒否」することであった、と説明している(8)。 ところで「私とはなんであるのか、考えるものである」(『省察』「第二省察」)の命題は、「私」 (『省察』:考えるもの=精神、知性、個性、理性)の「判断の内在的自己確実性」(森有正)を問題にし ているのではあるまいか。著者(荒井)の問題定立の理論的根拠は、こうである。「私は考え るもの」(res cogitans)としての「私」は、西洋近代思想の主体性(理性、悟性)の確立に深く関 わっているのであって、その文脈からすれば、デカルト哲学における「精神は、想像力を初 めとする感覚器官とは独立に機能し、自らの知性に与えられた観念を題材として、世界につ いての知識の体系を構成しうるとする見地を確立」したといってよい(9)。従って「知識の 体系」は、「内在的自己確実性」でなければならない。とすればデカルト哲学の「私」は、「理 性の光」による「判断の内在的自己確実性」によってカント哲学の「自我」(こ=・ギト)に影響 を与え、独我論を超えた近代的「自我」を確立する役割を果たした、と規定付けることが出 来る、ということである。 西田幾多郎は、「中世的世界は行き詰まって近世科学の時代に入った時」、西洋近代は「新 たなる哲学の出立点」を求めたとした上で、「デカルトの世界は近世科学の世界であった」が 「デカルト哲学には、デカルトからライプニッツに至るまでも、尚背後に中世的なものがあ った」と捉えている(1o)。中世哲学の問題は、デカルトが生きていた時代の神学のドグマ とスコラ哲学一一信仰と理性に関わるのだが、ともあれ神を明晰判明な認識の保証者としな い近代的「理性」の確立に影響を与えた、デカルト哲学の「私」とは何か、懐疑する過程で の「考える私」には、コギト定立に至る自己内確実性の論理形式があるのか、あるとすれば それは、如何に構造化されているのか、その解明が必要である。次節は、この問題に対する 筆者の拙い探索である。 2.「疑いの過程」における「私」の解釈 明晰判明な観念(12)は、「私にeつて構成されたもの」とした命題を手掛かりとして、「考 える私」の認識には、自己内確実性を形成する論理形式があるのか、検討を試みたい。テー ゼからは、観念を構成する「『私』とは、何か」、という問いが、導き出される。そしてデカ ルト哲学の目的は、「疑いえざる明証性を持つ知識」を「私」が如何にして獲得するか、にあ ることから、確実な認識を定立するための「疑いの過程」が、定式化できる、と考えられる。 「考える私」の疑いの過程は、(1)精神作用の観点からすれば、認識過程---「①感覚器官・ 想像による認識→②感覚・想像認識への懐疑→③純粋な知性的認識=明晰判明な認知」 とする知的直観の、「真」確立のためのプロセスであり、(2)意志作用からすれば、「意志が、 感覚に縛られて惑わされている段階を超えて自己を浄化する過程」である(13)。『省察』で は、「第四省察」にて(1)「認識能力」と、(2)「意志の自由」(選択の自由)の問題を探り上げ 45 ているが(意志の決定にはっねに悟性の把握が先行しなくてはならない)、「認識能力」とは、主体として の精神が、対象の構成に関して「主体の側……の一種の自由もしくは自発性を有」すること、 即ち「主体の判断もしくはその下し方そのもの」のことである(14)。「意志の自由」とは、 自己が自己の判断によって対象を認識することであって、神の判断に従うことではない。デ カルト哲学の「要」(an essentialp oint)である「疑いの過程」は、『哲学原理』では、第一部「形 而上学」第32節で次のように説明されている。 われわれにおける思惟の様態は、知性の認識と意志の作用の二つだけである。 すなわち、われわれにおいて経験されるあらゆる思惟の様態は、……一つは認識すなわ ち知性の作用であり、他は意欲すなわち意志の作用である。というのは、感覚する、想像 する、純粋に認識することは、単に認識のさまざまな様態にすぎないし、また欲する、避 ける、肯定する、否定する、疑うことは意欲のさまざまな様態であるからである(15)。 「ちくま版」が、「デカルト独自のスタイル」と「解釈」する(16)真理確立の過程、す なわち「疑いの過程」(懐疑からコギト発見まで)は、①認識の「明証性」(精神作用)と、②確実性(意 志作用)に基づく「認識の確実なる形式的体系」のことである。明証(認識)と確実(自覚)は、 「理性」(精神)の別名のことであるが、数学的認識の有する確実性と自明性に着目したデカ ルトは、「真理を確立する基礎が、権威ではなく、それ自体の確実性と明証性にもとづいてい る」と捉えたのである(17)。これが、デカルト形而上学の本質的態度であって、従って『哲 学原理』「第一部人間的認識の原理について」の主題は、認識一一「理性の自発性」を理論 的に探索する試みであった、といえる。以上の論点を踏まえて簡単な図式化をしておきたい。 第1図 懐疑からコギト定立に至る過程 ①懐疑 → ②理性的直観 + ③真偽を判定する意志 = コギトの成立 (認識作用) (意志作用) II II ②受動的(哲学第一原理の発見) + ③能動的(第一原理の確信) コギトの確立は、明晰判明という数学の確実さを範とした準則をついに認識の原理にまで高め、吾々 が本当に「明晰かつ判明に把握するものはすべて真である」、つまり対象の存在を含むということを一 般規則(引用者補足:認識の原理)として立てることを可能にした……(18)。 図示した「懐疑からコギト(私)定立に至る過程」は、小林道夫(大阪市立大学)の言葉を借 用して言えば、「コギトは表現上、主体的・主語的概念形式をとっている」が、「デカルト自 身は、懐疑からコギトの帰結は何等かの論理形式に従ったものではなく………『懐疑』とい う行為(手続き)からの直接の帰結であり、精神の端的な直観による」と、言うことである (19)。この論説に従うかぎり、「ちくま版」の訳者の1人古田健太郎(愛知教育大学、デカノレト哲 学専攻)が言うように、デカルトの「私」は、「思惟する実体」(res cogitans)であってカント哲 学における認識主観ではなく、「懐疑からコギト定立に至る過程」は、思惟の論理形式ではな いといえeう(2o)。しかし神の存在に「私」を従属させたにせe、神を論証根拠として「思 惟する主体jを確立し、意志によって理性を規律して確実な認識に到達する方法をデカルト が試みたことは、吉田の論説に従えば、そこに神の観念の完全性をア・ポステリオリな方法 によって試みたデカルトの「証明の独自性」を見ることができるのだが(21)、論証のあり 方としては、「私」(コギト)による確実な自己内認識のー−「私」の認識作用の確認である、 と思う。即ち思惟作用に「内在する統一的なる根源的作用としての自己意識」(22)が存在 46 しているのである。従ってデカルト哲学は、完全な知恵の獲得を目指す「考える私」(精神、理 性)の確立を目標としたことで、認識論(知的認識作用としての実体形成)としては、カント哲学の 純粋統覚による実在世界の構成作用と同一地平に立ち(2 3)、哲学史の文脈で言えば彼は、 17世紀の「偉大なる合理主義」の形成に深く関わった、といえる。デカルトが、合理主義 の父といわれる所以である。 あらゆる学問が原典や時代の歴史的特性に基づいた、所謂「同時代的視点」で研究されな ければならないことは、論を待たない。田中仁彦は、「中世的あるいはルネッサンス的コスモ スの崩壊の後のカオス(混沌)と化した世界の中で、何とか新しい秩序を再建しようとする 試み」が、デカルトのコギトの哲学であったが、それは、懐疑主義=無神論者(田中:『懐疑主 義哲学にっいて』を執筆した懐疑主義者ラ・モット・ヴァイエに対する強い危機感がデカルトにあった)との対決か ら生まれた「思惟するワレの存在というような、・……カヽなり頼りない『真理』」であった、と 論説している。その上で田中は、後世の近代人が近代的哲学への道を開いた創始者としてデ カルトを評価することは、近代の色眼鏡で視ることであって正当でないと言う。なぜなら結 果的にはそうであっても「デカルト自身はそのようなことを予想していたわけでな」く、デ カルトの「生きた時代のこの懐疑主義的状況の深刻さを忘れて」いるからである(2 4)。 筆者(荒井)も「同時代的視点」からの考察が、如何に重要であるかを認識していることか ら傾聴すべき提言と捉えている。が、その上で批判を恐れずに言えば、デカルトが意識して いないにも関わらず、理論上デカルト哲学の「コギトは表現上主体的・主語的概念形式をと っている」(小林道夫)と理解され、その意味で「疑いの過程」は、カント的な認識論の「未発 展」型と捉えられること(25)、更に「考える私」が、(1)明晰判明に認識する主体であり、 (2)コギトを最高善とする「行為の能動的主体」であると言説されていることから、「疑いの過 程」は、自覚(意志作用)に基づいた認識主体(精神、理性)の認識過程(ニJギト形成)であると解釈 することは不当ではあるまい(26)(「思惟する実体J res cogitans の定立は、懐疑する主体〔精神〕である デカルトの精神作用と意志作用によるのである)。デカルトが、形而上学的懐疑によって基礎付けた精 神と身体の実在的区別(「第6省察物質的事物の存在、および精神と身体との実在的な区分にっいて」)は、哲 学史上二元論として、特に精神にeる観念の明証性は、神に真理性を置く中世スコラ学の「神 学の奴婢」の段階から近代的自我の自律的確立への移行を示しているのである。フランス啓 蒙期の思想家で、人間を精神と身体の二元的存在として捉えるJ・J・ルソーは、デカルトの 著書を読みふけったと言われている(27)が、そこには、近代的自我確立期の思想家の「同 時代的」姿が見える。 3.神の存在論的証明一一デカルト哲学で果たした役割 デカルトについて野田又夫は、「世界を全体として科学的に見ること」を試みており、その 上に立って、「世界を客観的に見る」(認識する)主体としての「私」(こ=lギト)を構築した思想家 である、と捉えている(2 8)。「デカルトは、ニュートンと並んで、近代科学の創始者」であ ると位置づける佐藤文隆(京都大学、宇宙物理学専攻)は、科学者の立場から「彼は個人を重視す る近代の開幕にふさわしく」「真理の基礎を探るため」、自らの経験や体験に基づいて「疑い うることをすべて疑った」が、その「デカルト的懐疑」(人間の判断による真に確実で具体的な認識の 確立)は、高く評価出来ると言う(2 9)。即ち佐藤文隆は、世界を客観化する精神(「考える私」) の働き一一「自由な精神」を高く評価する。それは、「私」の本性のうちに刻印された神の 47 完全性によって疑うわれの「欠陥」を克服しようとする「私」ではない。 若き日にデカルトは、小論『智慧の探求』を執筆しているが、バイエ(デカルトの伝記研究家、 『デカルトの生涯』がある)によれば、小論は、「意志の機能と悟性の働きとを合わせ含む徳と学 との結合についての考察」であった、と言う。森有正(東京大学、デカルト哲学専攻)は、「徳がル ネッサンス的な人間完成の思想」であり、「学が確実な知識を与える科学」のことだ、と論説 し(2 9)、そのことは、メルセヌヘの手紙に書いた『方法序説』の草案の標題「われわれの 本性をその最高度の完成にまで高めうるような普遍的学問の企図」からも窺えると言及する。 その上で森有正は、「この本性の完成こそ智慧に外ならない」と捉え、「智慧はルネッサンス 的な個我の完成としてのユマニスムスの中核をなすもので……人間中心の思想である」と、 解釈している(3 0)。デカルトは、直接的に人間中心思想を提言していないが、西洋近代の 自我の確立と、その後の西洋思想の発展を考える上で、重要な指摘である、といえよう。 ドイツ文化哲学者のトレルチは、「ルネサンスとは……個人の発見であり、ルネサンスによ って近代の個人主義は主として……哲学方面に発展した」(31)とした上で、ルネサンス精 神の「あらゆる前提を拒否する懐疑」をデカルトは「自律哲学の基礎原理として完成した」 と言明している(32)。彼は、更に論文「啓蒙主義」のなかで「新たなる哲学の創造は十七 世紀の偉大なる哲学者たちの業績」であると言及した後に、自律的思惟方法を採る「新しい 哲学の神学に対する関係はもはや女中の主婦に対する関係ではなく、むしろおたがいに独立 を保った認識領域の出会いや補足の関係である」と論説している(3 3)。とすれば、「コギト の定立から帰結される主観(引用者補足:有限な人間)の側からの観念論的構成の見地は、神の存 在と制作能力によって乗り越えられる」(34)とは、「理性が十全に確証しなかったものを信 仰が補う」(第2答弁)(35)ことであって、自由な精神による認識能力を否定しているので はなく、むしろ「私」の認識−一我の存在とコギトの世界が、独我論として批判されること への対策、即ち「補足の関係」を言っているように考えられる。このことは、デカルトが数 学的合理性を自らの哲学の根拠としていることから、新しい神学的形而上学の形成といって よいのかもしれない。 コギトは、判断の自己内確実性を確立することであるが、従って「よく判断し、真なるも のを偽なるものから分かつところの能力」のことである。この能力は、良識とか理性とも呼 ばれており、しかも「良識はこの世で最も公平に配分されている」とデカルトは、言明して いる(36)ことから、良識(bon sens)の「公平分配論」は、神と「私」の関係を理解する上 で重要である。カントは、理性が万人に備わっていることを前提に認識の確実性と普遍性を 論じたが、デカルトも同様な確信の上に立っており、従って吉田健太郎が指摘するように「私」 の認識 一一「コギト・エルゴ・スム」それ自体は、「明晰判明」を真理の基準として「私」 のうちで認識する独我論であるが、しかし良識の平等配分論は、それを否定し克服する形に なっている、と理解できる。だからこそ神から与えられた、万人に平等な「理性の光」=良 識を「自覚的に自由に開発するところにこそ人間の人間としての品位がある」のであって、 「この良識に対する根本的信頼と尊敬の上にデカルトの全体系全生活は成立する」と、彼自 身は、自覚していたと考えられる(3 7)。 「17世紀のヨーロッパでは、権威というのは、否応なしに、知的研究の全面に及ぶ教会 の権威のこと」だとするJ・H・プラムフィットは、「デカルトは、自分の原理と正統的キリ スト教のドグマとの衝突を回避するために全力を傾け」たと強調している(3 48 8)。「自分の原 理」とは、『省察』「第二省察」で論じている、明晰判明に認知する精神の「同見」と、「判断 の能力」(自由意志)のことで、デカルト哲学の根本原理一一「私はある、私は存在する」を 言っているものと考えられる。認識(理性、悟性)論は、受動的であり、自由な意志論は、能動 的と考えられるが、「真理探究を最善なるものとして、それを自発的に追及するeうに決心・ 決意することは、まさにわれわれの自由意志に掛かって」おり、「決意を固めることができる」 ことが「精神の偉大さ」を示していると、吉田健太郎は、言及する。人間の尊厳を象徴する 「意思決定の自由」のことである(3 9)。ジュヌヴィーヴ・ロディスールイスは、「自由意志 は、決定されるものではなく、決定するものである」と言うが(40)、デカルトによれば「自 由意志は『われわれをわれわれ自身の主人たらしめることによって、われわれをいわば神に 等しいものにして(引用者補足:神に似たものにする)』(『情念論』15 2)……、ついには『われ われをして神に従属するのをまぬかれさせる』」(クリスチナ宛、16 4 7年11月20日付) ことになる、と言う。「『自己の意志のこの自由な統御』が人間の尊厳をなすのである」(41)。 とすれば、アンドレ・ロビネが「デカルトは信仰と理性のあいだに、……分離を導入」し、 そのことによって「信仰の真理は合理的な形而上学を構成するには何の役にも立たず」、「第 一原理『引用者補足:r方法序説』「第四部」で論説する「私は考える、ゆえに私はある Je pense、done」e suis」)の 確立には何の役にも立たな」くなったと言及している(42)ことは、注目すべきことである。 人間に付いての学問、形而上学の起源の確立は、「思考の行使」のうちに有るとしたテーゼは、 おそらく神と理性の合一を確信していた同時代人の驚きであったと思うが、その意味で神と 理性との衝突を回避する学問的な試みは、中世から近代への移行期に観られる、必然的で妥 協的な思想現象であったと考えられる。 4.カント哲学の先験的認識の論理構造一一デカルト哲学との関連でー一一 『省察』「第六章察」(純粋な悟性作用と想像力の差異の検討)においてデカルトは、「精神」の作用 に付いて、こう説明している。 理解するときには、精神が、いわば自己を自己自身に向けて、精神そのものに内在して いる観念のあるものを考察するのである……。 シャン・ラクロワは、カントの「『われ思う』は統一の形式」であって、現象の認識を意味 するが、デカルトのそれは、「すべての思考対象を疑い」、その結論として疑うことの出来な い「自己を実体として肯定する」、この点でカントと根本的に異なる、と言う(4 3)。西田幾 多郎も「カントの自覚的自己は、デカルトのそれの如く、それ自身によって有る実体ではな い」と説明している(44)。従ってデカルトの、「疑いの過程」における「考える私」(cogito) は、カントの認識する悟性(Ich denkeバ私))とは、異なるというのが定説である。 しかしながらデカルトの「考える私」は、近代西洋世界において自律した「自我」として 発展してきたことを哲学史が物語っている。つまり小林道夫が言うように「カントの主観」 における「対象構成の観念的手法は、思想史的に……デカルトの論議を洗練して発展させた もの」として解釈できる(45)、ということである。その意味で朝永三十郎(京都帝国大学)が、 デカルト哲学にはカント的な認識論が胚珠として存在する、と解釈したことは、肯定できる (46)。 ところでデカルトは、「第四省察」で明晰判明に捉えられた観念は「真」とした上で、「こ れは、何か外的な力に強いられてそう判断したのではなく、かえって、悟性における大きな 49 光にともなって、意志における大きな傾向性が生じたからである」と説明し、「第二省察」で は、自然界の観念は、「精神のうちにある判断の能力のみによって理解している」と言及して いる。デカルトが言う「悟性における大きな光」とは、理性の認識能力のことであり、F意志 におけるおおきな傾向性」とは、意志の自発性を言っている。従って認識の明証性と意志の 自発性は、「疑いの過程」での「私」の「哲学の探求」のあり方(思惟の様態)を言っているの であって、特に「第六省察」で論説する「精神が、いねば自己を自己自身に向け、精神その ものに内在している観念のあるものを考察する」あり方(純粋な悟性作用)(48)は、カント哲 学の「統覚」による現象界構成の働き(思惟の自発性)、即ち先験的認識形式によって表象を構 成するあり方(多様な現象のア・プリオリの総合的統一=構想力)にかなり類似(analogy)しているので はないか、と筆者は、捉えている。朝永が言うようにカント的「認識主観」は「未発展」で あるにせよ、カントの純粋統覚(自己内認識の確実性)に繋がっていく論理的可能性を含んでい る、と観ることも不可能ではない、と言うことである。問題とする「思惟する私(Ich denke)」 は、諸表象を一つの対象(客観的実在)として統合する純粋統覚のことであって、「現実に存在 する私」ではなく、同時に「デカルト的な思惟する実体(res cogitans)ではない」(4 9)とする 中村義道(電気通信大学カント哲学専攻)の、シャン・ラクロワと同様な指摘が、あることから、 「コギト」の類似を単純に想定することは、批判されるであろうが、以上の論点を踏まえて カントの認識主観(理論理性)の論理構造について簡単な図式化をしておきたい。 第2図 カントの先験的認識主観の論理形式 表象→感性(直観形式=時間・空間)+ 悟性(カテゴリー)=統覚(Ich denke)→自然科学的 人間の認識には二つの根幹がある。恐らくこれらの根幹は、共通ではあるがしかし我々には知られ ない唯一の根から生じたものであろう、この二つの根幹というのは、即ち感性と悟性とである。そし て感性によって我々に対象が与えられ、また悟性によってこの対象が考えられる(思惟される)(50)。 図示したように理論理性による対象(素材)の認識は、二つの源泉一一直観の形式即ち空 間・時間(表象の受容性)と悟性の形式即ち純粋統覚ないし自己意識の先験的統一(悟性の自発性) を前提とする(5 1)、「自発的なる人間精神の働き方」(52) (Ich denke : 悟性による思惟能力)に基 づくのであるが、とすれば表象の多様を一つの認識に統括する「構想力の作用」(Wirkung Einbildungskraft)と総合を概念化して認識する悟性(概念の自発性バ53)は、デカルトが言う「悟 性における大きな光」の働きによって自己内の観念を明晰判明に捉えるあり方(コギト)とか なり類似しいるのではあるまいか。従って私の「うち」(自己内)において表象を統一し捉える 認識のあり方は、西洋近代哲学における[自我](ego)の形成史を考えるとき、その理論的な 原型をデカルト哲学に求めることが出来る、ということである。西田が、「デカルトといへば、 合理主義哲学の元祖である」(5 4)と表現したのも、このような哲学史の流れを念頭におい ていたものと考えられる。 所雄章(中央大学)は、「コギト・エルゴ・スム」の命題は、コギトに「内在する統一的なる 根源的意識作用としての自己意識の存在を確認しようと志したもの」である、と言う。そし てカント哲学の「『先験的統覚』がこのわれわれの意識(引用者補足=自己意識=思惟形式)のうち に根ざしている」とする理解に立って、デカルトとカントには、「私」(●ギト)についての同 50 der 一的把握があった、と捉えている(5 4)。ただ18世紀のヨーロッパ世界では、「人間の至高 の力」(des Menschen allerhochste K raft)と科学に対する信仰の時代であった(55)ことから、筆 者(荒井)としては、デカルトが「自己の原理」とキリスト教のドグマとの調和を図ったのに 対し、ドイツ啓蒙期の代表者カントの『純粋理性批判』においては、「みずからの内在的論理 を確信」しており、悟性による直観の多様性の総合は、「神の仕事」とは関りなかった(56)、 と理解している。高坂正顕(京都帝国大学カント哲学専攻)は、カント哲学を神的認識ではな<、 人間悟性の認識を問題とした人間学であった、と言う(57)。筆者も同感である。 以上感性と悟性の「二つの根幹」(、ei Stamme)に従って、人間主体の、ア・プリオリな原 理による認識能力(純粋理性)について確認してきたが、実在的世界を構成する統覚の論理形 式に従うかぎり、人間主体(●ギト)は、「自然の因果法則に従う現象」であるといえる(58)。 が、カントによれば、「私」(自我)は、同時に自然法則に従属しない「行為的主観」(カント:道 徳的決断の担い手)として自由である、と言う。行為的主観とは、利益・欲求などに限定されな い道徳法則に従って決断する自由のことである(59)。従って現実的世界での人間(主観の能力) は、一方において「自然の因果法則に従い、その限り人間の行為はすべて自然法則にeつて 説明」されるが、他方では、「自然の必然性から独立し自由」な存在である。こうして「自然 と自由」は、矛盾なく成立することになる(60)。近代的自我の成立である。 IV.西田幾多郎とデカルトそしてカント 1.真実在の探求一一デカルト哲学と同一の「出立点」 哲学の問題は、F]真実在の問題」であり、真実在を求める方法は、「徹底せる懐疑的自覚」 であると西田幾多郎は、論じ、「私はかゝる意味において、デカルトの問題と方法とに同意す る」と言明している(61)。「背後に中世哲学的なものがあ」り、「神と自己との関係に於い て、……不徹底で」あったが、「新たなる実在の把握を求めた」のが、「デカルトの課題であ った」とした認識に西田は、立っていたのである(6 2)。 西田が「真実在とは何か」と問い、自答しているのは、『善の研究』の「第二編実在」に おいてである。先にデカルト哲学の「懐疑的自覚」に共感した西田の言説を述べたが、「第一 章考究の出立点」において、「デカルト哲学」観に触れながら自らの哲学を西田は、次のよ うに説明している。 デカート(デカルト)の「余は考ふ故に余在り」は推理ではなく、実在と思惟との合一せ る直覚的確立をいひ現はしたものとすれば、余の出立点と同一になる(6 3)。 西田哲学は、「実在と思惟との合一せる直覚的確立」を探索した哲学であるが、デカルトが 「『われ思惟す、ゆえにわれありJ ego cogito、ergo sum というこの認識は、すべての認識の うえで、……最初の最も確実な認識である」(64)と論じた「懐疑的自覚」と同一の地平に 立つことを西田は、認め、「余の出立点と同一」と捉えた。では西田の考えた実在の論理とは、 どのような思惟形式であろうか。ごく簡単な考察を次節にて試みたい。 2.西田哲学の根本構造一一矛盾的自己同一の論理形式 デカルト哲学の「懐疑からコギト定立の過程」が「余の出立点と同一」(実在と思惟との合−) と認める、西田の「実在と思惟」の問題は、『善の研究』「第二編実在」の「第四章真実在 は常に同一の形式を有つて居る」で論説する「純粋経験」の自発自展(論理形式)のことであ 51 る。西田は、こう説明している。 独立自前なる真実在の成立する方式をみると、みな同一の形式に由つて成立するのであ る。……(1)先ず全体が含蓄的implicitに現れる、(2)それより其内容が分化発展する、(3)而 して此の分化発展が終わつだ時実在の全体が実現せられ完成するのである(文節に付した番号 は、引用者による)(65)。 実在の分化発展(純粋経験の自発自展)は、後期西田哲学の矛盾的自己同一と同一の論理構造 である、従って純粋経験(=場所的論理)は、「真の自己」の自覚に基づいた「一種の認識論で ある」(6 6)。「自覚といふのは自己が自己に於てみる」こと、換言すれば、「一般者が一般者 自身を見る」ことである、と西田は、論説する(6 7)ことから、自覚に基づいた純粋経験の 認識は、①一般者(分化発展以前的主客未分)が、一般者の内に、②自己(①の一般者)を区分(主客 に分化)し、③再び包摂(分化発展以後的主格未分)する、論理形式として表現することができる。 このことについて、論文「永遠の今の自己限定」で西田は、次のように論説している。 私はデカルトとともに知識の根抵をコギト・エルゴ・スムに求め、知識はそこから始ま ると考へたいと思ふものである。力八る意味に於てのわたしが考へる内容が真であらうが 偽であらうが、私が考へるといふことは真であり、内的事実も此に於て考へられるのであ る。そこには未だ主客の分裂はない、否主客の対立も此に於て考へられるのである(68)。 「コギト・エルゴ・スム」は、検討したように「疑いからコギト成立への過程」に於ける 「私」(ニJギト)の認識作用を命題としたもので、従って「私」が認識し、自発的な意志にeつ て実在(思惟する「私」re8 cogitans)を確信する哲学的態度のことであった。西田は、私が考え(自 己が自己自身において自己を見る)、私が捉えた内的事実が真であり、真実在は、主客未分であると 同時に主客対立であると言及しているが、それは、すでに確認したように純粋経験の自発的 展開のことであり、自覚に基づいた認識の、主客合一の状態のことである。この純粋経験の 「私が考えることが真である」が、「実在と思惟との合一する直覚的確立」という論点(知識 は、そこから始まる)から、デカルトの「コギト・エルゴ・スム」に近似していると西田は捉え、 そこにー−デカルトの「コギト確立の過程」と西田自身の「実在形成の過程」に共通な同一 性、疑い得ざる「考える私」(確実な認識)がある、と解釈したのである。 3.「矛盾的自己同一」とカント哲学の「先験的統覚」 末木剛博(東京大学名誉教授記号論理学専攻)は、西田幾多郎の「考えるわたし」(自己が自己自身の 中に自己を見る)はカントの先験的統覚に該当する、と言う(6 9)。西田は、「デカルトのコギト はカントに於て我々の表象に伴う総合統一の認識主体となつた」(7o)とする解釈をしてい るが、その論拠は、「絶対矛盾の自己同一といふことは形成することであり、創造することで ある」(71)という西田哲学の根本原理にあると、考えられる。そのことは、自らの哲学的 立場を論文「左右田博士に答ふ」のなかで「判断的知識の背後に見られればならない述語面 といふ如きものが、私の所謂場所であって、それはカント学者の認識主観に相当する」と説 明していることが裏付けている(7 2)。西田哲学は、「実在の分化発展の構造を、自然と精神 と神という三相においてとらえた『善の研究』の見方を、論理的に再構成した」一般者を① 判断的一般者(有の場所)、②自覚的一般者(対立的無の場所)、③叡知的一般者(絶対無の場所)の三 穐の段階に区分する、そして判断的一般者の述語面に超越するものを意識的自己、意識的自 己の底に超越するものを包む叡知的一般者に「於いてあるもの」を叡知的自己とする。上山 52 春平(京都大学名誉教授独自の歴史哲学と国家論『埋もれた巨像』を展開)は、この叡知的自己を「『善の 研究』の純粋経験に当たる」(74)と説明し、西田は、「カントの認識主観の如きも一種の叡 知的自己と考へ得る」と言明している(75)。従って純粋経験=叡知的自己の論理(自己が自己 自身において自己を見る=「絶対無の場所」の論理)が、カント哲学の実在的世界を認識する仕方(構想 力の作用=悟性の認識)にロジックの面でかなり近似していると理解できる。以上の論点を踏ま えて、西田哲学の根本原理である「純粋経験」の論理構造一一「自己が自己自身において自 己を見る」「真の自己」の認識構造(dialektischなlchそのもの)を図式化しておきたい。 第3図 純粋経験(自己が自己自身において自己を見る=真の自己)の論理構造 「場所」の考は「弁証法的一般者」として具体化せられ、「弁証法的一般者」の立場は「行為的直観」 の立場として直接化せられた。此書(引用者補足:『善の研究』)に於て直接経験の世界とか云つだもの は今は歴史的実在の世界と考へる様になった。行為的直観の世界、ポイエシスの世界こそ真に純粋経験 の世界である……(7 6)。 「純粋経験」の展開過程で留意すべきことは、第1段階の「含蓄的全体」は、一般者の自 己展開のF始めjであるが、同時に第3段階の「実在全体=大いなる統一」としてのF終わ り」を含む一般者である、ということである(同様に第3段階は、第1段階を包摂する)。このように 認識された純粋経験の世界を西田は、「絶対現在(西田:(多とーとの絶対矛盾的自己同一的形式バ7 ……の自己限定として有るものは、……事即理、理即事である」(「絶対現在の自己限定の世界」)、 と規定する。比較思想の観点から言えば、華厳思想が説く「事の世界」(事法界=現実世界)と「理 の世界」(理法界=理想世界)を包含する世界、即ち「理事法界」=「事事無磯法界」(具体的現実の 世界)は、純粋経験の論理構造と(第1段階に第3段階が、逆に第3段階に第1段階が含まれることで)木質 的に同一であって、華厳思想と西田哲学は、ともに人間が生まれ、生き、そして死んでいく 具体的な現実的世界を捉える論理である(78)。この行為的直観に基づく認識論は、西田の デカルト哲学批判を観る上で、重要である。次節で、その検討を試みたい。 4.西田のデカルト批判 一一「矛盾的自己同一的」論理の視点から 西田幾多郎は、論文「デカルト哲学について」の中で、自らの論理一一矛盾的自己同一の ロジックに立脚して、デカルト哲学を批判している。中川久定によれば、「「批判的考察の焦 点となるのは、『第三省察』と『第五省察』におけるコギト(『主語』的論理の具体的表現) と神の存在との関係である」(7 9)と言う。以下西田のデカルト批判を、ごく簡単に論考し てみたい。 (1)命題「コギト・エルゴ・スム」批判−一主語的論理への批判 真実在とは、「それ自身に於て有るもの、自己の存在に他の何者をも要せないものでなけれ ばならない(デカルト哲学のsubstance)J (8 0)と捉える西田は、真実在を求める哲学的方法 としては、「デカルトが『省察録』に於て用ゐだ如く、懐疑による自覚である、meditariで ある」(81)と論説している。西田が、デカルトに共感していたことはすでに見た。ところ が、西田は、デカルトが「コギト・エルゴ・スム」から出立したところに「デカルトの不徹 底さがあった」と批判し、その論拠をこう説明する。 53 7)) 疑うといふ事実そのものが、自己の存在を証明して居る。かゝる直証の事実から把握せ られる実在の原理は、主語的実在の形式ではなくて、矛盾的自己同一の形式でなければな らない。スム・コギタンスの自己は、矛盾的存在として把握せられるのである(8 2)。 「自己自身の実在を考へる論理は、われわれの自己を外延として含む一般者の論理でなけ ればならない(私の所謂場所的論理)」と西田は、言明しているが、この場所的論理に立脚し てデカルト哲学を観る限り、デカルトは、「考へるものが考へられるものであるといふ主語的 実体の矛盾的自己同一的真理を把握した」ことになり、哲学的方法論としては誤った、ので ある(83)。なぜなら「コギト」が「自己を自己自身に向け、精神そのものに内在している 観念のあるものを考察する」(第六省察)あり方は、主語的論理の形式で一面的であるからであ る。西田によれば、実在の原理は、「考えるもの(見るもの)と考えられるもの(見られたもの)は、 同一(主観即客観、客観即主観)であるとした矛盾的自己同一の形式でなければならない(8 4)。 後期西田哲学の思想は、「人間を単なる認識主観と捉え、世界をそれに対立して捉えてきた『主 知主義』に対する批判」を持っていたが(85)、デカルトの主語的論理−−ノエマ的思考作 用が「絶対無の自覚」(ノエマ=映されるもの即ノエシス=映すもの)から批判されたのである。 (2)神と自己との関係 デカルトによる神の存在証明は、『省察』の「第三省察」と「第五省察」において論じられ ているが、これについての西田の言説は、次の通りである。 「第五省察」において、神の観念が自己存在を含むとなし、神は欺かないと云ふことか ら、逆にわれわれの知識の客観性を基礎付けて居るが、……超越なる神の媒介を要すると 考へるのは、主語的論理の形式に囚れて居るが故である(8 6)。 デカルトが知識の客観化を基礎付けるために「神の媒介」を必要としたことは、「主語的論 理の形成に囚われ」ているからである、とする西田の、この批判は、中川によれば、「『絶対 矛盾的自己同一』に基づく西田自身の哲学を主張し、正当化することにある」(87)、と言う が、考える側(見る側)からの「主体的論理」だけでは、真理探究として一面的(独我論)であ り、不徹底である、と同時に一一このことが最も重要な指摘とおもうのだが一一「独我論を 逃れるためにJ試みられた神の存在証明が、神を媒介することによって逆に「我々の自己の 独立性は失われ、我々は実体の様相とな」り、「神の様相としてコーギトーする」だけの存在 となった(88)、一一西田のデカルト批判の核心は、ここにあったと読み取ることが出来る。 つまり主語的論理としての「コギトは独自性をもった存在の自覚ではなく、神の観念と不可 分」であって(89)、「考える私」(==lギト)としての主体性がないのである。 ではデカルトの説く 「神と自己との関係」は、どのように解釈しなければならないのか。 西田の、自らの問いに対する自答は、以下の文節文の通りである。 (デカルトが)「第三省察」に於て云つだ如き神と自己との関係は、個が全を表現すること が全の自己となることであり、全一と個多との矛盾的に事が事自身を限定することから世 界が成立する、自己の始まりが世界の始まりであり、世界の始まりが自己の始まりである といふ矛盾的自己同一の論理から、真に理解せられるであらう。両者の対立、相互関係は、 ……有限と無限と矛盾的自己同一の両端として、自己と神があるのである(90)。 文節で言う神(無限)と自己(有限)が「矛盾的自己同一的の両端」としてFある」とは、純 粋経験の論理形式(①主客分化以前的未分→②主客に分化発展→③分化発展以後的主客未分)に則して言 えば②の統一を失った相対的形式の段階と考えられるが、純粋経験の①と③は、「全一と個多 54 との矛盾的自己同一的に事が事自身を限定する」こと、即ち「神と自己との関係」のことで ある。従って②の神と自己との「対立、相互関係」は、「絶対者の自己表現」一一「すべて を含む場所バ91」でのあり方であって、決して①及び③の宗教的形態と異なることはない。 このロジックに限定して言えば、華厳経で言う「一切即一」や中国曹洞宗の禅僧銅山良イ介が。 『語録』113節で言及している具体的世界の教説「正中偏、偏中正」(正=真如、偏=現象)は、 西田哲学の「場所」と同一の論理である(92)。鈴木大拙は、即非の論理である「色即是空空 即是色」を「西田哲学の『絶対矛盾の自己同一』である」と言及している(93)が、このよ うに宗教論として展開される矛盾的自己同一的哲学(絶対無の場所)は、「全体の中に個があり 個の中に全体がある」相即相人の哲学のことである。中川久定〈京都大学教授フランス文学専攻〉 が言うように、「西田は、認識の根拠と自己の存在の根拠とを、自己に外的な神に求めるのを 避け、全あるいは神と(個あるいは)自己との関係を、自己が神を表現し神が自己を通して自ら を表現すると解」したのである(括弧内、引用者) (94)。これが、超越する神の媒介を要するデ カルトの「主語的論理の形式」を批判する西日の哲学的根拠であった。 5.カント批判 「Ⅲ−4」で確認したように、カント哲学の認識論は、「現象だけに関係するものであり、 神の仕事に関係するものではな」かったー−デカルト哲学との違いである。そして理論理性 (認識主観)が空間(場所)と時間(運動と変化)によって主観的に(「考える私」において)現象界を構 成する、所謂認識主観の総合的統一の哲学的方法が、西田の自説「場所的論理」に近似する と理解していることも確認した。西田の言説をもう一度引用しておきたい。 カントの自覚的自己は、デカルトのそれの如く、それ自身によって有る実体ではないが、 私が考へると云ふことは、私のすべての表象に伴ふと云ふ。我々の判断的知識は、その(引 用者補足:自覚的自己の)総合統一によって成立するのである。主語となって述語とならない基 体が、逆に述語的に主語的なるものを包み、全ての判断を自己限定として成立せしめる述 語的主体となつたと云ふことができる(95)。 ところが西田は、カントの客観的実在を構成する認識主観(考えるr私j)の認識形式につい て、次のような批判を行っている。 カント哲学に於ては、先験的感覚論の始めに言つて居る如く、我々の自己が外から動か されると云ふ如き主客の対立、相互限定と云ふことが根抵にあり、そこに主体的論理の考 えを脱していない(96)。 文節文で言及している「先験的感覚論の始め」の「我々の自己が外からうごかされる」と は、『純粋理性批判』「第一部門先験的感性論」の「緒言」で論説されている「我々が対象か ら触発される仕方によって表象を受け取」り、「対象は、感性を介して我々に与えられる」と した心意識の受容性のこと(97)と想定するが、この様なカント哲学の「主体的論理」によ る認識(コギト、Ich denke)は、西田哲学から観れば、独我論を脱しておらず主客を包む場所的 論理ではない。西田によれば、純粋経験の世界(具体的現実の世界)での認識形式は、「自己に於 て他を見る(引用者補足:主観的・ノエシス的限定)と、他に於て自己を見る(引用者補足:客観的、ノエ マ的限定)との矛盾的統一」(主観即客観客観即主観)であった(98)、従って認識作用は、「自己が そとからうごかされる」のではな<、場所的論理に基づくものでなければならない一一これ が、西田幾多郎のカント批判の理論的根拠である。絶対精神を「外」に見るヘーゲル弁証法 55 の批判も、同一の論点に立脚している(9 8) V.結 語 西田とデカルト、そしてカントは、時代と国家を異にする思想家であるが、日本と西洋の 近代化のために重要な思想的役割を果たしたことで、同一の地平に立つ、といえる。哲学史 としてみれば、デカルトとカントが論考した理性的認識による真実在の世界は、ニュートン 物理学が描き出した世界において認められ、他方歴史や社会を合理的・理性的に形成してい くヘーゲル哲学の絶対精神(abs。luter Geist)にまで高められたのである。ただ神の存在証明(「第 三省察」)を援用して「コギト」を論じたデカルト、そして「主観の純粋な自己意識」(純粋悟性) による表象の総合的統一を論考したカントと、西洋哲学の影響を強く受けながらも仏教、特 に禅体験から産出された「真の自己」(行為的直観)を哲学体系の中核にすえる西田哲学とは、 文明の「系」(system)において同質ではない。西田が、デカルト哲学を真実在探求の学とし て高く評価するにもかかわらず、「主語的実在の形式」に留まったデカルト哲学を矛盾的自己 同一の論点から、「不徹底」と批判したことが、そのことを物語っている。 西田の言及する「真の自己」とは、「自己が自己自身に於いて自己を見る」(見るは、作ること で、行為的直観)ことであるが、デカルトが、明晰判明な認識と確信する「私は考える、故に私 はある」の「私」は、中川久定が言うように「(考える主体)に先立っている『考える』とい う行為的直観に関していえば、二次的なものである」(99)。即ち「純粋経験の論理形式」の 「主客の区分」(展開過程第2段階)での「自己」は、デカルトが「主語的実在の形式」によって 真実在を対象化して把握する「私」であって、ここに留まる限り「矛盾的自己同一」の論理 形式による「真の自己」ではなかった、のである。カント哲学の認識主観による現象界の把 握も、また同一であった。西田批判の理論的根拠は、すでに指摘した東西文明系の異質性に 求められる、と思う。オギュスタン・ベルクは、西田哲学を「アリストテレスの述語的論理 と対敵的な場の論理」であった(100)と捉え、その差異性を指摘するが、西田哲学の言語 体系が、「系」の違いを物語っているのである。東西文明の「系」の異質性は、筆者にとって も一つの哲学的課題一一日本思想の「玄牝性」(101)に関わる問題であるが、文明史的視 点からの3者の比較検討は、今後の大きな課題としておきたい。 とは言え、筆者の誤謬判断との批判を恐れずに言えば、朝永三十郎が指摘したようにデカ ルト哲学の「考える私」が、カント哲学の認識論の「未発展」型であったにせよ、「コギト」 の論理構造に同一性を保持していると理解できること、また西田は、カントの認識主観によ る認識作用が主観的であるとして批判的ではあったが、統覚の構想力が場所的論理のロジッ クに近似しているとも捉えており、思想文脈の上で3者の「考える私」は、「観念が自己内で 構築される」とする論理(自己内確実性)において、同一であった、と纏めることが出来る。 筆者の乏しい理解によれば、デカルト哲学の「疑いからコギト成立」の過程は、真実在の 探求であったが、哲学史としては、疑う「私」が近代市民的「自我」(認識主観)の確立を基礎 付ける、合理主義への出立点であり、カント哲学も理性構築〈認識主観=自我の確立〉のための思 想的役目を背負っていた、といえる。他方明治期日本が「文明の衝突」によって世界史に組 み込まれ、近代化の道へ踏み出したとき、西田哲学が、哲学の立場から近代的自我の確立に 大きな役割を果たしたのであった。先に同一の思想的地平に立つと言うだのは、このことで ある。 56 以上三者の「思惟する私」の概念についてごく簡単に考察してきた一一それは、筆者の独断 的な論考であった一一が、冒頭で指摘したように現実世界は、あまりにも「私」の自由と権利 が肥大化し他者のそれ〈多〈の「私」〉を尊重しなくなった病理的現象に支配された、所謂経済 優先の利己主義的社会であり、文明史的「光」として形成された人間中心主義が、生態系の 破壊に深く関わり、近代的「影」になりつつあることを考えるとき、西田がすでに近代主観 主義の克服を思考して、人間中心主義を批判していたことは、興味深い。克服の役割を果た すのが、行為的直観による宗教心であるのだが、稿を閉じるに当たって、西田が、人間中心 主義への批判と神・仏を見失った人間の超えるべきテーゼ(神・仏と人間。関係)を、どう論じ ていたか、参考までに挙げておきたい。 近世の初めに於て、教権を離れて人間が人間に還つた人間中心の人間主義は、新たなる 歴史的使命の展開として偉大なる近世文化を形成した。併し人間中心主義の発展は自ら主 観主義、個人主義の方向に進まなければならない。理性は理性の方向に理性を踏み越える のである。そこでは却つて人間が人間自身を失うのである。人間は人間自身によつて生き るのではない。又それが人間の本質でもない。人間は何処までも客観的なものに依存せね ばならない。自己自身を越えたものに於て自己の生命を有つ所に、人間といふものがある (西田が、「善の研究」「第4編宗教」で「主観は自力である、客観は他力である」〔『西田幾多郎全集』第1巻、1 99頁〕と論説することから、「客観的なものに依存する」、「自己自身を超えたもの」に依って生きるとは、自力の 信仰心を捨てた絶対他力の信仰、即ち仏(神)の慈悲(愛)と絶対的に結合した信仰形態のことである。) (1 0 2)。 近世の内在的人間中心主義から歴史的人間の客観主義に移ると云ふことは、中世の宗教 的神秘主義に戻ると云ふことではない。何処までも働くことによつて見、見ることによつ て働くと云ふ行為的直観の立場に立つことである(西田は、宗教心を「神又は仏の呼び声」のことだ とするが、親鸞の「教行信証」「三願転入」が説く第18願の絶対他力の信仰=横超は、これに当たる。なお、臨済 宗の大灯国師が言う「億劫(極めて永い時間)相別レテ須禎(少しの間)モ離レズ尽日(1日中)相対シテ刹那モ 対セズ」は、人と神・仏の矛盾的自己同一的関係を言う〔『西田幾多郎全集』第11巻、409頁。〕)(103)。 【註記】 (1)J・H・プラムフィット『フランス啓蒙思想入門』白水社、118頁、19 (2) 8 5年。 r統治論』「世界の名著ロック・ヒューム」所収、中央公論社、208頁、昭和43年。 (3)成瀬治『近代市民社会の成立』東京大学出版会、126∼127頁、19 8 4年。 (4)野田又夫「デカルトの生涯と思想」『世界の名著デカルト』所収、中央公論社、66頁、昭和42年。 (5)木田元『現代哲学一一人間存在の探求−−JNHK市民大学叢書、10頁、昭和44年。 (6)桂寿一によれば、r手紙jはラテン語の原典にはなく、『哲学原理』全体への序文ないし序論として書かれたもの で「著者の考える哲学、即ち学問の性格や構想、その社会的意義や使命が究めて率直に説かれている」という(『哲 学原理』「解説」岩波文庫、昭和39年)。 (7)山田・吉田他訳「哲学原理」ちくま学芸文庫、12頁、2 0 0 9年。 (8)J・H・ブラムフィット『フランス啓蒙思想入門』白水社、15頁、19 8 5年。 (9)小林道夫「デカルト形而上学の基礎構造一一観念論から実在論ヘー−−」『思想』、19 9 6年11月号、13頁。 (10)「デカルト哲学について」「西田幾多郎全集」第11巻、岩波書店、157頁。 西田は、rカント哲学に至って、純粋な科学の哲学に入ったjと捉えている(前掲書)。 (12)「ちくま版」は、『哲学原理』第45節の「解釈」において「明晰判明の観念が……このeうに立ち入って説明 されるのは『原理』においてのみ」である、と説明している(190頁)。 57 (13)野田又夫『デカルト』岩波新書、105頁、19 6 6年。 (14)森有正『デカルトとパスカル』東京大学協同組合出版部、22∼23頁、19 (1 5 0年。 5)「ちくま版」 160頁、 朝永三十郎は、「哲学原理」「第32節」について「茲に肯定、否定、疑い等を意識作用の一形態と見る点にデ カルトと普通の考え方との重要な相違があ」る、と指摘する(『デカルト省察録』岩波書店、111∼112頁、 昭和25年版)。 精神作用については、『省察』「第二省察」でも論ぜられているが、吉田健太郎は、「デカルトは思考作用を『理 性』に限定しているわけではない」と強調する(愛知教育大学哲学会での研究発表)。朝永が指摘した「相違」 に重なる見解である。 (1 6)「ちくま版」第53節「解説」 214頁。 (17)森有正『デカルト研究』、東大協同組合出版部、49頁、19 (18)田中仁彦『デカルトの旅/デカルトの夢』岩波書店、328頁、19 5 0年。 8 5年。 ハイデッガーは、「「われ思う、われ在り」をもってデカルトは、哲学にひとつの新しいしっかりした地盤を提 供することを要求」するにも関わらず、「この『根本的な』端緒において」「思考するもののあり方、もっと正確 には『われ在り』の在るの意味」を「無規定のままにしておいた」と、人間的実存の見地から、即ち「人間の実 体は、実存である」とした論点から批判している(『存在と時間』岩波文庫上55頁、129頁、昭和35年)。 特にハイデッガーは、第19節、20節、21節でデカルトの「精神と自然」の存在論的区分論を批判している が、1、2例挙げれば、以下のようである。 デカルトが「思考するもの」と「延長するもの」とをもって「自我と世界」の問題をたんに提起しようと欲 したのみならず、この問題に対するひとつの根本的な解決を要求したことは、かれの『省察』(とくに第1と 第6、参照)から、明らかになります。およそ積極的批判を欠き(引用者補足:実在性という理念の中に含ま れている存在の意味と存在の意義の「一般性」という性格とを解明しないで放っていること)伝統にeる(引 用者註:中世存在論?「第8節研究の構図」岩波文庫上、81頁)かかるこの存在論的な根本方向が、デカ ルトに、現存在の根源的な存在論的問題提起の展示を不可能にし、世界という現象に対する彼の視野を歪めね ばならなかった……(「第21節デカルトの『世界』存在論についての解釈学的討論」岩波文庫上189頁)。 デカルトは、この(引用者補足:存在)問題の存在論的な徹底的研究については、スコラ学にはるかに及ば ず、それどころかかれはこの問題を避けてさえいるのです(「第20節『世界』の存在論的規定の諸基礎」岩 波文庫、180頁)。 (19)小林道夫「中川先生『デカルトと西田一一二つの哲学の言語的前提一一に寄せて』」『日本の哲学』第1 号、昭和堂、96頁、2000年。 (2 0)愛知教育大学鉄学会研究発表「ラ゛カルト『コギト・エルゴ・スムcogito ergo 8um』再考」(以下「再考」と略 記)、2 0 10年。 なお、吉田は、デカルトの「コギト・エルゴ・スム」は、「近代的自我」の確立を象徴するテーゼとして解す ることは出来ないし、神から解放された「人間」の存在を問題にしているのではない、と論説する。その意味で 『省察』に人間中心主義を読み取ることは出来ないのである(「再考」)。 (21)吉田健太郎「『私』の存在の根拠−−デカルト『第三省察』における神の第二存在証明の考察−−」愛知教育 大学『研究報告』第59輯(人文・社会科学編)58∼59頁、2010年。 古田は、第一存在証明と第二存在証明の共通する論証のF根拠jについて、以下のように説明する。 第一存在証明でも第二存在証明でも、トマスの論証では現われなかった「私」の因果論的能力の検証が論証 の要を成すことが分かる。その結果、両証明いずれにおいても確認されたことは、「私」の力能の不完全性・ 58 有限性である。このことは「私」が「この上もなく完全な存在の観念」に気づくことと相即的である。……「神 の観念」がア・ポステリオリな道における論証根拠として重要な役割を果たすというのも、デカルトの証明の 独自性であろう(前掲論文59頁)。 「私」の因果論的能力の検証は、それだけ「私」の独立性を強調することになり、結果として神と私の関係は、 「補完の関係」であるeうに、思う。従って「認識主観」としての「萌芽」を読み取ることも不可能ではなく、 カント哲学の認識論に繋がって行くeうに筆者(荒井)は、思うが、如何であろうか。 (22)所雄章『デカルトJH勁草書房、125頁、19 7 1年。 (23)カントが「統覚は実在する」と論説することを踏まえ、中島義道は、「この表現の背後にデカルトヘの道、す なわちコギトヘの道が開かれている」と論説している(『カントの自我論』岩波現代文庫、23頁、2 (2 0 0 7年)。 4)田中仁彦『デカルトの旅/デカルトの夢』、331∼332頁。 (25)朝永三十郎『デカルト省察録』岩波書店、28頁、昭和25年版。 (2 6)デカルトは、『精神指導の規則』「規則8」において、「人間理性の認識し得るすべての真理を吟味しeうとす るならば(これは、良識に達せんと真面目に努力する者なら、誰でも一生に一度は為さねばならぬと私は思う)、 ……何ものも悟性(intellectus)に先立って認識され得ないこと……を、見出すであろう」と論説し、「省察」「第 二省察」では、「私はただ、考えるもの以外の何ものでもない……。いいかえれば、精神、すなわち知性、すな わち悟性、すなわち理性、にほかならない……」と言及しているが、「考える」ことは、構成すること、認識す ることであるから、それ故にコギトを認識主観に近い概念として捉えることが出来るのではあるまいか、と筆者 は、考えている。 (27)桑原武夫編『ルソー』岩波新書、73頁、147頁、19 6 2年。 (28)野田又夫『デカルト』、4頁。 (29)佐藤文隆『宇宙論への招待一一プリンキピアとビックバン一一』岩波新書、50頁、19 8 8年。 山崎正一は、ニュートンの自然哲学が果たした役割について、以下のeうな説明をしている。 ニュートンの自然哲学は、十八世紀ヨーロッパの思想界に支配的な権威をもつものであったが、それは、自然 の合理的組織の把握が、神学的形而上学の合理化、さらにはその人間学化を保証するものと考えられたためであ る。それは当代ヨーロッパの理神論(自然宗教)や無神論に、有力な足場と武器を提供したのである(山崎正一 『カントの哲学一一後進国の優位一一』東京大学出版会、54頁、19 5 7年)。 (30)森有正『デカルト研究』、21頁。 (31)前掲書、13頁。 (3 2)トレルチ『ルネサンスと宗教改革』岩波文庫、13頁、昭和34年。 (3 3)前掲書、32頁。 (3 4)前掲書、117頁。 (3 5)小林道夫「デカルト形而上学の基礎構造一一観念論から実在論ヘー−」『思想』19 (3 6)ジュヌヴィエーヴ・ロディスール『デカルトと合理主義』クセジュ文庫、白水社、19 9 6年11月号、19頁。 6 7年、73頁より再 引用。 (3 7)『方法序説』第1部、『世界の名著』所収、中央公論社、163頁 (38)森有正『デカルトとパスカル』筑摩書房、49頁、昭和46年。 (39)ブラムフイット『フランス啓蒙思想入門』白水社、15頁、37頁。 (40)吉田健太郎rデカルトの『意志決定の自由(arbitrii 文社会科学編)、2 libertas)』論丿愛知教育大学『研究紀要』第54輯(人 0 0 5年。 吉田は、論文の中でデカルト哲学の自由意志が「神に比肩するほどの完全性を有する能力である」と言明した 59 上で、次のeうな論説をする(筆者〈荒井〉は、「意志の自由性」に近代哲学で重要な「認識主観」の萌芽を読 み取るカギあるように、捉えている)。 デカルトの「自由意志論」のポイントは二つある。一つ目は、意志が「いかなる限界内にも閉じ込められて おらず」、その意味で人間に与えられた最も完全な能力であること。二つ目は、とりわけ真理探究の場面にお いて、「知性における大きな光」に伴って生じる意志の「大きな傾向性」にしたがうことによって、より一層 大きな「自由」を感じ取ることが出来るということ(即ち「自発性の自由」)。 (41)シュヌヴィエーヴ・ロディスールイス『デカルトと合理主義』66頁。 (4 2)前掲書66∼67頁。 (43)アンドレ・ロビネ『フランス哲学史』クセジュ文庫、白水社、74∼75頁、19 6 8年。 (44)シャン・ラクロワ『カント哲学』クセジュ文庫、白水社、62∼63頁、19 7 1年。 (4 5)『西田幾多郎全集』第11巻、163頁、岩波書店。 (4 6)小林道夫「デカルト形而上学の基本構造一一観念論から実在論ヘー−」『思想』、17頁。 (47)朝永三十郎『デカルト省察録』、28頁。 (4 8)「省察」岩波文庫、107頁。「世界の名著デカルト」所収(中央公論社)、292頁。 (49)中島義道『カントの自我論』岩波現代文庫、77頁、2 0 0 7年。なお、宮本和吉も「我」は、「現実の我で はない」と論じている(『カント研究一一先験的統覚を中心として一一』岩波書店、87頁、昭和17年)。 (5 0)『純粋理性批判』(上)、岩波文庫、82頁。 RECLAM S. 7 8 (51)理論理性による現象界の認識に付いては、『純粋理性批判』、「先験的原理論」第二部門の「I論理学一般につ いて」において、以下のように論説されている。 我々の認識は心意識の二つの源泉から生じる。第一の源泉からは、表象を受けとる能力(印象に対する受容 性)であり、また第二の源泉は、これらの表象によって対象を認識する能力(「悟性」の自発性)である。第 一の能力にeつて我々に対象が与えられ、また第二の能力にeつて対象がこれらの表象(我々の心意識の単な る規定「意識内容としての」)との関係において思惟される(考えられる)。それだから直観と概念とが、我々 の一切の認識の要素であり、従ってまた或る仕方で自分に対応する直観をもたない概念も、或はまた概念をも たない直感も、それだけでは認識になり得ない(篠田英夫訳:岩波文庫土 123頁。 RECLAM S.119)。 山崎正一は、「カントの認識論の方法的前提は、……認識の形相(=形式)を、主観の側に求めようとする形 相的観念論の想定……lこあった」と論説する(山崎正一「カントの哲学」、91頁)。 (5 2)天野貞祐「「純粋理性批判」について』講談社学術文庫、48∼49頁、80頁。c£「純粋理性批判」(上)岩 波文庫、176頁、RECLAM S.I 7 5及び193頁、RECLAM S. (53)『純粋理性批判』(上)岩波文庫、150頁、RECLAM S. 1 9 2 1 4 8 総合は………構想力の作用にほかならない。……この構想力がないと、我々はまったく認識をもち得ない……、 ところでかかる総合を概念にするのは、悟性に属する機能であり、悟性はこうして我々に初めて本来の意味での 認識を与えるのである。 (54)『西田幾多郎全集』第12巻、126頁。 (5 5)所雄章『デカルトJH、125頁、126頁。 (56)カッシラー『十八世紀の精神ルソーとカントそしてゲーテ』思索社、45頁、19 8 9年。 (57)G・マルチン「カントー一存在論及び科学論一一一一」岩波書店、187頁、昭和37年。 (58)高坂正顕『カント』弘文堂、31頁、昭和22年。 (5 9)山崎正一『カントの哲学一一後進国の優位一一』東京大学出版会、120∼121頁、19 (60)G・マルチン『カントー一存在及び科学論一一』、249頁。 60 5 7年。 (61)山崎正一『カント哲学』、121頁。 (62)『西田幾多郎全集』第11巻、157∼158頁。 (6 3)西田は、「哲学に入るものに、彼(引用者補足:デカルト)の『省察録』の熟読を勧めたい」といっている(『西 田幾多郎先週』第11巻、158頁)。西田哲学は、ヘーゲル哲学との関わりが深いが、デカルトにも強い関心 を向けていたことが、この「ことば」によって解る。三木清が、アダンータヌリ版全集第7巻所収のラテン文『メ ディターティオーネース』(Meditationes)を原典として、『省察』(岩波文庫、昭和24年)を翻訳したのは(岩 波文庫「後記」)、師である西田の勧めがあったのかもしれない。 (6 4)『西田幾多郎全集』第1巻、49∼50頁。 (65)『哲学原理』第7節、「ちくま版」65頁。 (6 6)『西田幾多郎全集』第1巻、63頁。 (67)上山春平『日本の思想一一上着と欧化の系譜−−』同時代ライブラリー、岩波書店、166頁、19 (6 9 8年。 8)『西田幾多郎全集』第6巻、117頁、124頁。 (69)前掲書第6巻、172頁。 (70)末木剛博「西田理解の方法と矛盾概念の理解」『西田哲学への問い』所収、岩波書店、150頁、19 (7 9 0年。 1)『西田幾多郎全集』第6巻、174頁。 (72)『西田幾多郎全集』第8巻、543頁。 西田は、「自己が自己白身において自己を見る」ことの「見る」は「作る」ことだとする。所謂「行為的直観」 のことで、矛盾的自己同一を言う(「四行為的直観」)。カント哲学の理論理性による認識(Ich denke)は、純 粋統覚の構想力によることを論説していることから、同一の観点に立っているといえる。 (7 3)『西田幾多郎全集』第4巻、321∼322頁。 (74)上山春平『日本の思想』、168頁。なお、上山春平「絶対無の探求」『日本の名著西田幾多郎』(中央公論社) 所収、76頁及び『西田幾多郎全集』第5巻、123頁を参照されたい。 (75)『西田幾多郎全集』第5巻、162頁。 (76)『善の研究』「版を新たにするに当たって」『西田幾多郎全集』第1巻、5∼6頁。 (7 7)『西田幾多郎全集』第11巻、169頁。 (7 8)拙論「西田哲学と華厳思想一一純粋経験・場所の論理と四種法界・三界唯心の比較検討−−」『哲学と教育』 第55号所収、愛知教育大学哲学会、平成20年。 (79)中川久定「デカルトと西田一一二つの哲学の言語的前提−−」『思想』19 (80)『西田幾多郎全集』第11巻、151頁。 (81)前掲書151頁。 (82)前掲書161頁。 (83)前掲書163頁。 (84)藤田正勝『西田幾多郎』岩波新書、117頁、2 (8 5)『西田幾多郎全集』第11巻、165頁。 (8 6)前掲書、170頁。 0 0 7年。 (87)中川久定「デカルトと西田」、5頁、 (8 8)『西田幾多郎全集』第11巻、160頁。 (89)中川前掲論文、7頁。 (90)『西田幾多郎全集』第11巻、169頁。 (91)『西田幾多郎全集』第4巻、269頁。 61 9 9年8月号。 (92)遠島満宗訓注『曹洞二師録』山喜房佛書林、117∼118頁、平成19年。 113節の「五位君臣頌」は、「洞山の優れた禅文学作品のーつ」とされており(世界の名著『禅語録』続3、 中央公論社、347頁、昭和49年)、人生の無常を歌ったと言う。特に「正中偏偏中正」の教説は、偏=生滅 変化の世界の底に正=常住不変の真如の世界があることを示すことを目的とし、これが現実の世界であると説い ているのである(遠島:訓注)。 なお、鈴木大拙が「臨済の思想の背後には華厳の四(種)法界という考え方がある」(「『華厳経』の特徴」『仏 教の思想6無限の世界観<華厳>』角川書店、171頁より再録)と言及していることから、禅思想の「正中 篇偏中正」は、華厳思想で説く事事無磯法界(現実世界)と考えられる。(c£拙論「西田哲学と華厳思想」)。 (93)鈴木大拙『新編東洋的見方』岩波文庫、18頁、19 9 8年。 (94)中川前掲論文7頁。 西田哲学の純粋経験の自発展開は、「終わりが始めに含まれている過程」のことであるが、終わりと始めの主 客合一とは、主客が「何処までも相異なったものであって、唯無限に相接近」すること、重なり合っていること を意味する。西田が「一切即一の原理に徹するのが即心是佛の宗教である」と言及した命題は、この過程を宗教 論として述べたのである(cf.拙論「西田哲学と華厳思想」)。 (9 5)『西田幾多郎全集』第11巻、163頁。 (96)前掲書、163頁。 (9 7)『純粋理性批判』(上)岩波文庫、86頁。 RECLAM S.8 0. (98)『西田幾多郎全集』第14巻、173頁。 (99)このことに付いては、拙著『西田哲学読解一一ヘーゲル解釈と国家論一一』第一章「西田幾多郎とヘーゲ ル」(晃洋書房、2001年)において述べたことがある。 (100)中川前掲論文12頁。 (101)オギュスタン・ベルク『空間の日本文化』筑摩書房、37頁、19 9 9年。 ベルクは、自著の中で、西田哲学を「日本語の構造と完全に一致する」とした上で、以下のように評価してい る。 西田幾多郎氏(18 7 0∼19 4 5)のように西欧哲学に造詣の深い思想家が、西欧哲学に彼が見た自己中 心主義のもたらす危険に対するものとして自分の哲学を構築したのは、また逆に、「純粋経験」(禅的な経験か ら派生した概念)を賛美し、それを、自我をこのぬかるみから救い出し、現実の力の及ばぬ所へ持ち運ぶ唯一 の手段とみなしたのは、意味深いことである。西田氏は一一当然のことながら一一「場所」の観念を示す語 を絶えず使用するが、これは、位相的論理を、即ち、アリストテレスの述語的論理と対敵的な場の論理を、暗 示している。 (10 2) r玄牝性jとは、『老子』「第6章」から借用したタームであるが、次のように論ぜられている。 谷神、死せず。是を玄牝と謂う。玄牝の門、是れを天地の根と謂う。綿綿として存するが若く、之を用い て勤れず。(玄の又だ玄である「道」即ち天地造化の働きが、一切の万物を永延に生成しつづけていく不可 思議な営みを女性の生殖作用と、強靭な受身の精神に讐え手説明したのである(福永光司『老子』上中国 古典選10朝日文庫、75頁、昭和53年)。 筆者が提唱する「玄牝性」とは、日本思想を貫流する女性的・創造的再生産性のことで、受容した外来思想 をストレートに移植するのではなく、日本的に生み替え定着させる論理のことである(c£拙著『玄牝の哲学− 一日本思想覚書一一』中部日本教育文化会、平成3年)。このことよって偏狭な日本主義は、防止できる。 (103)『西田幾多郎全集』第9巻、61頁。 (104)前掲書63頁。 62