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「恋愛ゲーム」の中の「恋愛」観について

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「恋愛ゲーム」の中の「恋愛」観について
【特集 美少女ゲーム】
「恋愛ゲーム」の中の「恋愛」観について
――『Fate/stay night』と『Vermilion』の別れと恋――
良野 通
一、「恋愛ゲーム」に描かれる「恋愛」
十数年前、コンピューターゲームの一ジャンル
としての「恋愛ゲーム」というのは、それほどメ
ジャーではなく、個人的には、プレイしているど
ころか知っていると公言することすら憚られるシ
ロモノだった(たとえば、『卒業』や『プリンセ
スメーカー』)。けれど、PS 版『ときめきメモリア
ル』
(1995 年)や『センチメンタルグラフィティ』
(1998 年)といった恋愛シミュレーションゲーム
の流行――僕はちょうど、高校生くらいだったの
だが――を皮切りに、こうしたゲームは「ギャル
ゲー」として急速に市民権を獲得していった。
今や押しも押されぬ一大ジャンルとして定着し
た「恋愛ゲーム」であるが、それがなぜ多くのプ
レイヤーを獲得しているのか、ということに関す
る考察は、十分になされているとは言い難い状況
にあると思う。もちろん、この「なぜ」には色々
な捉え方がある。ゲームのキャラクターとの疑似
恋愛を楽しんでいるのかもしれないし、オタク達
が自らの嗜好をデータベース的に消費する最も
効率的な手段だからかもしれない。多くのファッ
ションと同様、あるコミュニティにおける円滑な
コミュニケーションツールとしての価値が高まっ
たからだと言われれば、それもそうだろう。
「なぜ」
に対して僕らは、視点の置き所によっていくつも
の返答を考えることができる。
そこで、本稿では「恋愛ゲーム」の中身に踏み
込んで考えることで、この「なぜ」にアプローチ
することを目指したい。「恋愛ゲーム」の中身を
考えるというのは、別の言い方をすれば、「恋愛
ゲーム」に描かれているものは何であるかを考え
る、ということである。そんなもの、「恋愛」に
決まっていると言われればその通りなのだが、で
は、その「恋愛」はどんな内容なのだろうか。何
せ、「恋愛」とひとくちに言っても幅広い。『世界
の中心で愛を叫ぶ』と、『ノルウェイの森』で描
かれているものはどちらも「恋愛」かもしれない
が、それが同じ内容、同じ質のものであると考え
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FLOWORDS vol.3
る人は少ないだろう。しばしば僕らは、ある関係
を「恋愛」ということばで乱暴にまとめてしまう。
けれど、それは人間関係の形式の呼び名であって、
内実をあらわすものではない。
「恋愛ゲーム」の「恋
愛」が、主に男女関係(「主に」とことわったように、
時としてそうでない場合もあるが)を言いあらわ
すことばだとすれば、その中味はどのようなもの
か。本稿の狙いはそれを検討することにある。
ただし、本稿では大づかみに「恋愛ゲーム」一
般を捉えることを、ひとまずは目指さない。むろ
ん、そうやって大きな枠組みを作っていくことは
重要だし、最終的な目標とはしたい。実際本稿で
は、途中で「恋愛ゲーム」に話を拡げて一般化す
るつもりである。けれど、先ほどの「恋愛」とい
うことばがそうであったように、大きな枠組みで
捉えるということは、細部を切り落としていくと
いうことである。だから、最初からあまり枠組み
にこだわると、細部を見落としてしまう可能性が
高い。そしてもし「恋愛ゲーム」が、ゲームキャ
ラクターとゲームプレイヤーとの関係を、少なく
ともプレイヤーにとってはある意味での出会いを
演出するものであるとすれば、「恋愛ゲーム」に
おける「恋愛」の意味は、あるキャラクターとの
出会いという細部の中にこそある、という見方も
できるのではないだろうか。だとすれば、大きな
枠組みに初めから挑むのではなく、まずは一つ一
つの「恋愛」を検討し、そこから大枠の「恋愛」
について考えることが重要になる。そのために、
一つの作品は言うに及ばず、その中に出てくる一
人のキャラクターとの出会い(ルート)に限定し
て議論を積み重ねていくことが求められる。その
うえで「恋愛」とは何か、あるいは「恋愛ゲーム」
とは何かという話ができるのだ。本稿はだから、
大きな建物を建てるための土台作りからまずはじ
めて、その先を模索しようと思う。論考とは言い
づらい手探りな試みになることは認めつつ、論者
自身「恋愛ゲーム」について考える立場を見定め
る手掛かりとするつもりであることを、あらかじ
めことわっておきたい。
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