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低迷する開業率の上昇を目指して1
ISFJ2015 政策フォーラム発表論文 低迷する開業率の上昇を目指して1 資金供給と事業機会の認知を通じて 明治大学 加藤久和研究会 綱嶋理志 渡駿 桜沢直希 藤井望美 2015 年 11 月 本稿は 2015 年 12 月 5 日、12 月 6 日に開催される、ISFJ 日本政策学生会議「政策フォ ーラム 2015」のために作成したものである。本稿の作成にあたっては、加藤久和教授(明 治大学)をはじめ、多くの方々から有益且つ熱心なコメントを頂戴した。ここに記して感 謝の意を表したい。しかしながら、本稿にあり得る誤り、主張の一切の責任は言うまでも なく筆者たち個人に帰するものである。 1 ISFJ2015 最終論文 要約 本稿では低迷する日本の開業率を改善するために政策を提言する。起業活動は雇用を創 出し、イノベーションや産業の新陳代謝を促すと考えられるため、経済発展への寄与が大き い活動だと考えられている。そのため、2013 年 6 月 14 日にはアベノミクスの三本目の矢で ある日本再興戦略が閣議決定され、その中で開業率を 10%に引き上げるという目標が設定 された。このように今現在においても国家的注目度の高い開業率というテーマであるが、実 際に政府が開業率に注目し始めたのは 20 年以上も前の 1990 年代からである。それから政 府は開業率の低迷に歯止めをかけるべく、様々な支援政策を行ったが、日本の現状を見るに その効果は芳しくないと言える。そのため既存の政策のような起業家に対する直接的な補 助だけではなく、日本という国家の起業環境それ自体を改善しなければならないと我々は 考える。そういった問題意識のもと、本研究では開業率に関する実証分析を行い、起業活動 が活発になる環境を作ることを目的とした政策提言を行った。 本稿の構成は以下の通りである。 第1章では日本の起業活動に関する現状分析を行う。日本の開業率は低下傾向であり、国 際比較でも低い数値となっていることをまず示し、その要因として「開業資金の問題」「低 い事業機会認知率及び自営業の選好度」「起業家評価の低迷」などを挙げている。一方で日 本は多種多様な起業支援政策が行われているが、エンジェル税制に代表されるようにその 効果は思わしくないということを述べる。 第2章では分析および政策提言の参考となる、先行研究を紹介する。第一に、開業率と経 済成長率の密接な相関関係を述べる先行研究を取り上げ、後に行う本稿独自の分析へとつ なげる。第二に、日本の開業率上昇を妨げている要因である、資金調達に関する先行研究を 取り上げる。そこでは個人投資家やベンチャーキャピタルから投資を受けることは、スター トアップ企業のその後の業績向上に繋がるということを述べる。また、投資活動は人々の 「事業機会認知」と「起業の実行」に正の影響を与えるという研究も示す。第三に、日本の 開業手続きに関する先行研究を取り上げる。開業に必要な日数と開業率の間には負の相関 があることを示し、既存制度について改善すべき問題を確認する。 第3章では前述の現状分析と先行研究を踏まえ、分析を行っていく。まず開業率を上昇さ せる意義を示すために、VEC モデルを使って開業率と経済成長率のグレンジャー因果を確認 する。また、開業率の変化が経済成長率に与える影響の大きさをインパルス応答関数で示し た。次に、開業率を上げる要因に関して、革新主導型経済と呼ばれる国々の 11 年分のパネ ルデータを用いて回帰分析を行う。その結果「個人投資家割合」と「事業機会認知率」の二 つが開業率向上に有意に正の影響を及ぼすことが分かった。 第4章では第3章の分析結果をもとに、以下の三つの政策提言を行う。 Ⅰ.個人投資家の活動の促進 「エンジェル税制」「NISA」「ジュニア NISA」といった制度を、より個人投資家の活動を 促進するよう改良することを提言する。特に NISA とジュニア NISA については、イギリス で行われている ISA やチャイルドトラストファンドと比較し、より日本の現状を改善する 案を提示する。個人投資家の活動が活発化は、分析により判明した開業率上昇効果だけでは なく、先行研究で言及された投資の事業機会認知を促す効果も期待できる。 Ⅱ.総合的な学習の時間の改善と e-ラーニングの導入 起業家に対する評価向上と、事業機会認知を始めとする起業家としての素養を育成する ため、現在行われている総合的な学習の時間の改善を提案する。その際に金融教育を軸とす ることで、教科間および学年間の連携を図る。加えて教師の負担軽減や情報教育としての効 果も考慮し、e-ラーニングの導入を提案する。 1 ISFJ2015 最終論文 Ⅲ.起業に必要な手続きの簡略化 現在複数の団体で行われている起業手続きを、中小企業庁が一括して行うことで、起業ま でにかかる日数を減らし、開業へのハードルを下げることを提案する。また、フランスの個 人事業主制度を参考に、インターネットを利用した手続き環境の充実も図る。 2 ISFJ2015 最終論文 目次 はじめに 第1章 現状分析及び問題提起 第 1 節(1.1)日本の開廃業率の現状 第 1 項 開廃業率の推移 第 2 項 開業率の国際比較 第 2 節(1.2)開業率低迷の原因 第 3 節(1.3)現在の起業支援政策 第 4 節(1.4)問題意識・目指す日本の将来像 第2章 先行研究及び本稿の位置づけ 第 1 節(1.1)先行研究 第 2 節(1.2)本稿の位置づけ 第3章 データ分析 第 1 節(1.1)経済成長率と開業率に関する分析 第 1 項 使用する変数 第 2 項 単位根検定 第 3 項 経済成長率と開業率の関係 第 2 節(1.2)開業率の上昇に向けたデータ分析 第 1 項 説明変数および被説明変数 第 2 項 考察 第 3 項 分析結果 第4章 政策提言 第 1 節(1.1)起業活動促進政策 第 1 項 個人投資家の活動の促進 第 2 項 起業家教育 第 3 項 起業に必要な手続きの簡略化 第 2 節(1.2)政策評価 3 ISFJ2015 最終論文 おわりに 先行論文・参考文献・データ出典 付属資料 4 ISFJ2015 最終論文 はじめに 現在、日本では開業率が低迷している。起業活動は雇用の創出、イノベーションを引き起 こし、産業の新陳代謝を促すと考えられる。起業活動の結果、もたらされるこれらの現象は、 経済成長に対して良い影響を与えると考えられる。安倍政権のもとでも、開業率の引き上げ は政策目標の一つとなっており、今日の日本にとって重要な課題であると考えられる。本稿 では、日本の開業率の現状を国内の時系列推移と国際比較を通して概観する。また、自営業 の選好度や起業家に対する社会的な評価などの、起業活動に影響を与えると考えられる要 因がどのような現状になっているかを示す。現在の安倍政権のもと、促進している起業支援 だが、日本の起業支援政策は最近始まったことではない。起業支援政策は 1995 年から始ま っており、現在に至るまで数多くの政策が実行されてきている。 政策提言を行うにあたって、本研究では統計的手法を用いて定量的な分析を行う。まず、 経済成長率と開業率の統計的な因果関係を示すために VEC モデルを推計し、VAR モデルでグ レンジャー因果を推定する。さらに、実際に開業率を上昇させるためにどのような要因が必 要なのかを分析するために、Global Entrepreneurship Monitor の調査結果から得たデータ を用いてパネル分析を行う。その結果、開業率の上昇には、個人投資家の活動が活発になる ことと事業機会の認知度を上げることが必要であることが確認された。 政策提言として、個人投資家の活動を活発化させることと事業機会を広く認知させるこ と、そして起業実行の際の障害を緩和することを挙げる。具体的には、エンジェル税制の改 善、NISA 口座の更なる利用、起業家教育の実施、手続きの簡略化・短期化である。これらの 政策を通して、日本の起業活動を促進していくことを検討する。 5 ISFJ2015 最終論文 第1章 現状分析及び問題提起 第 1 節 日本の開廃業率の現状 第 1 項 開廃業率の推移 日本の開業率と廃業率がどのように推移してきたかを確認する。ここでいう開廃業率と は国税庁「国税庁統計年報書」と法務省「民事・訟務・人権統計年報」により算出された値 であり、以下の式で定義される。 開業率=設立登記数/前年の会社数×100 廃業率=開業率-増加率 増加率=(前年の会社数+設立登記数-当該年の会社数)/前年の会社数×100 図1は 1956 年から 2012 年までの 57 年間における開廃業率の推移を示したものである。 この図から日本の開業率は低下傾向にあることがわかる。1956 年から 1970 年までは比較的 開業率は高水準であったが、これは戦後復興の時期で、開業の機会が平時と比べてより多く 存在していたためだと考えられる。その後、開業率は低下していくが、1980 年代後半バブ ル経済の時期に入ると一度上昇する。しかしバブル経済の崩壊とともに、1990 年代中盤以 降は急激に低下した。バブル経済崩壊以降、日本は「失われた 20 年」と言われるように経 済の低迷期が続き、そのため開業率も上昇することなく現在に至っている。一方で、廃業率 は上昇傾向にあり、近年では廃業率が開業率を上回る年度も存在する。以上のような開廃業 率の推移を見るに、日本の起業状況は芳しくないと結論づけられる。 図 1 日本の開廃業率の推移 出典:中小企業庁「2015 年版中小企業白書」より筆者作成 6 ISFJ2015 最終論文 第 2 項 開業率の国際比較 第 2 項では、国際比較2を通じて日本の開業率の特徴を考察する。図2は、日本、アメリ カ、イギリス、ドイツ、フランスの 5 ヵ国における 2001 年から 2012 年までの開業率の推移 である。 この図からわかるように日本の開業率は他の 4 ヵ国に比べてかなり低水準であり、 この中で最も近いドイツの開業率でさえ日本の約 2 倍となっている。なお、開業率の計測方 法は各国によって異なるため単純な比較はできないが、この国ごとの差は見逃すことので きないものだと考える。また、この 5 ヵ国は先進国であるため、経済水準そのもの以外の経 済環境に、起業活動が促進しない要因があるのではないかと推測できる。 図 2 開業率の国際比較 出典:中小企業庁「2013 年版中小企業白書」より筆者作成 図2に掲げた日本以外の4ヵ国は、2008 年から 2009 年に生じたリーマンショックによる 金融危機の中でも開業率は高い水準を保ったままである。つまり、金融危機という経済的に 過酷な状況であっても、リスクを取り起業を行う国があるということが考えられる。特にフ ランスは 2009 年から急激に開業率を上昇させている。この原因としては、フランスにおい て 2009 年 1 月に導入された「個人事業主制度」が挙げられる。この制度には、起業時の手 続きをインターネットで行えるようにすることや、売上額によって税・社会保障費の支払が 免除されることが含まれている。フランスの例を見る限り、金融危機の中でも、起業活動を 促進するための政策を実施すれば、開業率を上昇させることが出来ると言える。 2各国の開廃業率は以下のように算出されている。 日本:保険関係が成立している事業所の設立・消滅数をもとに算出 アメリカ:雇用主の発生・消滅数をもとに算出 イギリス:付加価値税及び源泉所得税登録企業数をもとに算出 ドイツ:開業・開業届けを提出した企業数をもとに算出 フランス:企業・事業所目録のデータベースに登録・抹消された企業数をもとに算出 7 ISFJ2015 最終論文 第 2 節 開業率低迷の原因 第 2 節では日本で開業率が低迷している原因を考察する。「2015 年度新規開業白書」で は、起業に興味はあるが、実際に起業に踏み切れない理由に関する調査を行っている。そ の結果「自己資金不足」という理由の割合が最も高く、47%を占めている。また「ビジネ スのアイデアが思いつかない」や「財務や税務の知識が不足している」と回答する者の割 合も高くなっている。さらに、事業機会の認知についての国際比較を見てみよう。図 3 は Global Entrepreneurship Monitor(以下 GEM)による調査で得られた結果をまとめたもの である3。なお、GEM とは、米国バブソン大学と英国ロンドン大学ビジネススクールの起業 研究者達が集い、「正確な起業活動の実態把握」「各国比較の追求」「起業の国家経済に 及ぼす影響を把握」を目指したプロジェクトチームが実施する調査のことである。図3か ら読み取れるように日本の事業機会認知率は革新主導型経済圏4の中で、最も低い水準とな っている。事業機会の認知は、起業活動の最初の段階にあたると推測されるため、この事 業機会認知率の低さは改善すべき日本の課題だと考える。 図 3 事業機会の認知に関する国際比較 出典:起業家精神に関する調査 P.22 図表 3.6「事業機会の認識」より筆者作成 また、そもそも日本では自営業の選好度が低いという問題もある。図 4 は OECD による自 営業の選好度についての調査結果である5。自営業者ではなく被雇用者として労働すること が好まれる国では、起業活動が活発になりにくいと考えられるため、この選好度も起業活動 が低迷している原因の一つだと推測される。 6 ヶ月以内に、自分の住む地域に有利なチャンスが訪れると思いますか」という質 問が行われた。グラフ上の数値は、この質問に「はい」と回答した者の割合を示してい る。 4革新主導型経済圏とは、一人当たり GDP が 17,000 ドル以上の経済圏を指す。これは Schwab, K. and Porter, M. E. “The Global Competitive Report2008-2009”, 2008 World Economic Forum で用いられた定義となっている。 5 「もし、自営業者と被雇用者を自由に選択できると仮定した場合、自営業を選択する」 と回答した者の割合。なお、自営業者は self-employee を訳出したものである。 3「今後 8 ISFJ2015 最終論文 図 4 自営業の選好度に関する国際比較 出典:OECD「Entrepreneurship at glance 2013」より筆者作成 次に、起業家に対する社会的な評価について言及する。図 5 は GEM による調査の結果を 示したものである6。起業活動そのものが社会的な評価を得ていない場合には、起業という 選択肢が避けられがちであると考えられる。この図にある革新主導型経済圏の国々の中で、 日本は職業選択としての起業家に対する評価が低いという結果となっている。この起業に 対する低い評価が、日本で起業活動が浸透しない要因の一つになっていると考えられる。 図 5 職業としての起業家の評価 出典:起業と経済成長 GEM 調査報告 P.54 図 3.6「職業としての起業家評価」より筆者作成 これについて、磯辺・矢作(2011)は「起業には高いリスクが伴うため、安定志向が強く、 伝統ある大企業や公的機関の所属することに高い価値を持つ国では、起業家という職業選 6調査は「あなたの国の多く人たちは、新しいビジネスを始めることが望ましい職業の選択 であると考えていますか」という質問が行われた。グラフ上の数値はこの質問に「はい」 と回答した者の割合を示している。 9 ISFJ2015 最終論文 択が高い評価を受けることは難しい」と指摘している。さらに、起業家が評価されにくい社 会的な風土として、上坂(2014)は「日本では集団との関係性が起業の足かせになることが多 い」という指摘をしている。集団との関係性を重視する日本では、集団の中で突出すること を好まない傾向にあり、これもまた起業活動低迷の原因の一つであると推測される。 第 3 節 現在の起業支援政策 起業支援政策の一つであるエンジェル税制について言及する。エンジェル税制とは、ベン チャー企業への投資を促進することを目的とし、ベンチャー企業へ投資を行った個人投資 家に対して税制上の優遇措置を行う制度である。また、ベンチャー企業に対して、個人投資 家が投資を行った場合、投資時点と売却時点のいずれの時点でも税制上の優遇措置を受け ることができる。しかし、エンジェル税制は通常所得との損益通算ができないという欠点が ある。そのため、この点が比較的ハイリスクであるベンチャー企業への投資を躊躇させる要 因となっていると考えられる。加えて野村総合研究所「個人投資家によるベンチャー企業等 への投資活動に関する実態調査」によれば、エンジェル税制の認知状況7は決して良いとは 言えない。 また、現在日本では産業競争力強化法に基づいた支援が行われている。「産業競争力強化 法」は、起業支援計画の認定を受けたい自治体が国に申請を行い、認定を受けた自治体はそ の地域における起業者あるいは起業支援事業者に対して支援を行うというものである。す なわち、この法律は起業支援を地域という枠組みの中で、国の認定のもとで行うというもの である。 具体的な支援政策についてその概要を示しておく。起業支援の認定を受けた事業者に対 する支援には、国からの補助金、起業支援のノウハウの供与、起業の専門家の紹介、信用保 証協会による無担保の信用保証などが行われる。 このように、国による補助金や創業関連保証などが行われているが、そのうち創業関連保 証とは、創業を行おうとする者に対し、創業 2 ヶ月前から創業後5年まで、信用保証の特例 として 1000 万円までは無担保、第三者保証なしの借入を認めるというものである。また、 特定創業支援を受けた起業者への支援としては、認定を受けた起業者が株式会社を設立す る際の登記にかかる登録免許税の軽減措置、起業関連保証の拡充が行われている。 起業活動に対して、政府は現在まで数多くの創業支援政策を行ってきた。1995 年の中小 企業創造活動促進法8や 1997 年のエンジェル税制などがその代表である。しかし、政府が起 業支援政策を本格化させた 1995 年以降も開業率はほぼ横ばいであり、政策の効果は疑わし い。特にエンジェル税制に関してはアメリカと比較すると税制の利用件数等は圧倒的に少 ない9。以上のことから、既存の創業支援政策を見直す必要性があり、新たな政策を打ち出 していかなければならないと考える。 なお、起業支援制度全般に関する認知状況10は、中小企業庁「2014 年版中小企業白書」に よると、十分に認知されているとは言えないと考えられる。 7 制度の内容まで知っていると回答した者が 35%、制度の内容までは知らないが名前を聞 いたことがあると回答した者が 32.2%、知らないと回答した者が 32.8%という割合になっ ている。 8 支援の対象を「事業を営んでいない個人(これから創業する人)に絞った法律であり、 松田(2000)は「この法律はその後のベンチャー支援立法の先駆けとしてまず意味があ る」と指摘している。しかし、「その一方で、実情は創業支援というより既存の中小企業 に対する支援が中心になっていた」と述べている。 9 アメリカ合衆国は 2012 年度において投資額が約 2.3 兆円、投資件数が 67,000 件、投資 家数が 26 万 8 千人となっている。一方、日本は 2011 年度において投資額が約 9.9 億円、 投資件数が 45 件、投資家数は 2010 年度の段階で 834 人である。 10 国・都道府県・市区町村の支援政策に関する情報が明確であるか否かという質問に対し ていずれも、どちらとも言えない・あまり明確ではない・明確ではないとの回答が約 80% を占める。 10 ISFJ2015 最終論文 第 4 節 問題意識・目指す日本の将来像 起業活動が活発化しない現状は、長期的に経済に対して負の影響をもたらすと考えられる。 なぜなら、活発な起業活動は技術革新を市場にもたらし、また硬直した市場にショックを与 えることができると考えているからである。シュンペーターは「創造的破壊」によって経済 が発展していくと主張した。資本主義経済の原動力は資本主義企業によって「新消費財、新 生産方法ないし、新輸送方法、新市場、新産業組織からもたらされるもの11」であり、この 原動力を生み出す役割を担うのがイノベーションを市場にもたらす可能性のある起業家な いし、起業活動であると考えられる。 ここまでみてきたように、日本の開業率は低迷を続けている。低迷する開業率を引き上げ るために、政府は多くの起業支援政策を実施してきた。しかし、開業率は上昇することなく、 横ばいとなっている。 さらに、起業活動が活発化しない原因として、日本の事業機会認知率・社会的評価率の低 さが現状分析から挙げられる。また、日本は自営業の選好度が比較的低く、そもそも起業を 目指すマインドを持つ者が少ないと考えられる。 また、開業率の引き上げは政府が目指していることの一つである。現在の安倍政権による 経済政策であるアベノミクスに含まれる成長戦略の柱の一つに「産業の新陳代謝とベンチ ャーの加速」がある。この目標として、政府は新規企業の開業率を現在の 5%から欧米並み の 10%台に倍増することを掲げている。また、2014 年 6 月 24 日に閣議決定された「日本再 興戦略 改訂版 2014」においては、ベンチャー創造協議会の創設、政府調達の増加や創業者 向け雇用保険等の制度改革、起業家教育の強化やベンチャー表彰の創設などが盛り込まれ ている。このように、開業率を上昇させることは日本の重要な課題であると考えられる。 そして、促進すべき起業活動は新規起業であると考える。中小企業庁「中小企業支援計画」 (2005)では、第二創業のような新事業を計画している既存中小企業への支援政策も起業支 援政策の柱の一つに据えている。この第二創業は、新規創業に比べて事業が失敗したときの リスクが低い。既存の事務所や従業員、取引先、社会的信頼を活用できることや、既存事業 で生み出した資金を使用することで、容易に新事業に取り組むことができる。中小企業庁 「中小企業白書」(2005)によると、既存の中小企業のうち「新分野進出、多角化」を行って いる企業は 47.8%12である。現状、新事業を行っている中小企業が多くいる。対して、新規 の会社の設立登記数をもとに算出した開業率は低迷している。つまり、新規に事務所を設立 し事業を行う起業活動が減少していると言える。このことから、新たに政策を打ち出すべき なのは新規創業と考えている。 こういった問題意識のもと、我々は開業率が低迷している現状を打開し、効率的な資源配 分のもと持続的な経済成長を遂げることのできる日本社会を目指す。 11 この流れの中には、新たなものの出現によって淘汰されるものも存在すると考えられ る。しかし、この自然淘汰的なプロセスが不必要になったものを市場から排除することで 経済の新陳代謝を高めることができると考えられる。 12 中小企業金融公庫が 2004 年に行ったアンケート調査「経営環境実態調査」によるも の。回答数は 6891 社、調査対象は第 1 次産業及び公務を除く全産業である。設問では、 1999 年以降の経営革新の有無について尋ねている。他の回答は、「新しい商品の仕入、ま たは生産」64.7%、「新しい技術・ノウハウの開発」60.7%、「新しい販売方式の導入」 42.9%、「事業転換」11.1%、「その他」9.4%、「経営革新を行っていない」9.4%であ る。なお、複数回答のため合計は 100 を超える。 11 ISFJ2015 最終論文 第2章 先行研究及び本稿の位置づけ 第 1 節 先行研究 本節では、まず開業率と経済成長率に関する先行研究を示し、日本において開業率を上昇 させることは重要であり、開業率と経済成長率に密接な関係があることを確認する。次に、 日本の開業率上昇の障壁にもなっている、資金調達に関する先行研究及び起業の手続きに 関する先行研究を取り上げる。前者で個人投資家の必要性、後者で起業手続きの簡略化の必 要性について確認する。 (1) 開業率と経済成長率の関係 開業率と経済成長率の関係について、松田・松尾(2013)及び長田・渡辺(2003)といっ た研究がある。 日本で開業率を上昇させることについて、松田・松尾(2013)は「起業はマクロとミクロ 両方の観点から経済的に重要な営みである」と指摘している。松田・松尾(2013)によると、 マクロ経済学の観点からは、起業が促進されることで失業率が改善し、持続的な経済成長が 実現されること、ミクロ経済学の観点からは、起業することによって技術的なイノベーショ ンが引き起こされることで、起業は社会に対し利益を提供する役割を担っているとされる。 このように、開業と経済成長には密接な関係があると指摘している先行研究は多くある。そ の中でも、長田・渡辺(2003)は相関係数を用いてこのことを分析している。長田・渡辺(2003) は開業率と経済成長率には密接な相関関係が見られ、これら 2 つは相互に影響しあってい ると指摘している。このことを確認するために、長田・渡辺(2003)は開業率、産業構造変 化係数13、実質 GDP という 3 つの変数を用いて、これらの相関係数を求めている。その分析 結果が表1である。表 1 は、開業率が変化すると 5 年程度のタイムラグを経て経済成長率 が変化する一方、経済成長率が変化すると 4 年程度のタイムラグを経て開業率が変化する ことを示している。 13 開業率は事業所・企業統計調査報告のデータを用いる。産業構造変化係数とは、吉川・松 本(2000)が用いた概念を彼らが独自に修正したものであるとしている。産業構造変化係数 の定義は「経済全体の産出量(名目)を 22 産業に分割し、その産業ごとのシェアの変化の 二乗を 5 年分和して 5 で割り平方根を採る、これを 22 産業分合算したものを毎年の変化係 数としている。」となっている。 12 ISFJ2015 最終論文 ラグ年数 弾性値 t値 修正済重相関係数 0 1.725 2.054 0.476 判定 1 1.561 2.625 0.609 *:5%有意 2 1.668 3.213 0.695 *:5%有意 3 1.481 2.531 0.613 *:5%有意 4 1.462 3.849 0.778 **:1%有意 5 1.217 4.816 0.843 **:1%有意 6 1,231 2.662 0.657 *:5%有意 7 1.579 2.849 0.686 *:5%有意 8 1.671 2.994 0.730 *:5%有意 9 1.736 3.488 0.784 *:5%有意 10 1.523 3.221 0.757 *:5%有意 表 1 ラグ年数による開業率と経済成長率との相関 出典:長田・渡辺(2003)表1より筆者作成 (2)起業時に直面する資金調達に関する先行研究 起業を行う際の資金調達に関する先行研究には Kutsuna and Honjo(2005)がある。まず Kutsuna and Honjo(2005)は、起業家が資金調達を行う際に民間金融機関からの融資を受 けるのは困難であると指摘している。その理由として民間金融機関はリスクを回避するた めに創業期14の企業への融資を渋ることが挙げられる。 以上のことを前提に、Kutsuna and Honjo(2005)はスタートアップ期の企業がどのよう な資金調達の手段を使い、それが起業後の業績にどの程度の影響を与えるかを分析してい る。初めに、スタートアップ期の企業がどのような資金調達の手段を用いているかを示す。 この研究で用いられたサンプルの約 80%がスタートアップステージに自己資金を用いてい る。その一方で、民間金融機関からの融資を利用しているのは約 10%、また約 6%がビジネ スエンジェルからの投資を受けていたことを指摘している。続いて、資金調達の手段による 起業後の業績に関する分析を示す。その分析によると、ビジネスエンジェルあるいはベンチ ャーキャピタルから投資を受けた企業は、起業後に業績を上昇させる一方で、民間金融機関 や政府系金融機関から融資を受けることは起業後の業績に影響を与えないとしている。こ のことから、Kutsuna and Honjo(2005)は、個人投資家やベンチャーキャピタルは民間金 融機関や政府系金融機関よりも企業の成長に高い関心を持っていると指摘している。個人 投資家が投資をする際に求めるものは起業家からのリターンであり、それを大きくするに は企業の成長が不可欠である。そのため、個人投資家は民間金融機関や公的金融機関よりも 企業の成長を厳しく監視する傾向が強く、それが企業にとってプレッシャーとなり業績の 向上に繋がるという15。 松田・松尾(2013)は起業活動に関する分析を行っている。松田・松尾(2013)はアンケ ート調査16によって得られたデータを使用し、ロジステッィク回帰分析を行い以下の結果を 得た(表2参照)。表 2 から、投資経験を積むことは「事業機会発見」と「起業の実行」に 正の影響を与えるということがわかる。つまり、投資に伴い行うマーケット情報を得るとい 14 創業期とは、スタートアップ期とも称され起業後約 2 年間の起業を指す。 金融機関は融資した元本とその利子が返済されることを望んでいるため、個人投資家と 比べると企業の成長には高い関心を寄せていないと指摘している。 16 このアンケートは 経済産業研究所(RIETI)が東京大学工学系研究科元橋一之教授と共 同して、2012 年 9 月に web 上で行った「ベンチャーの起業調査に関するインターネット調 査」である。 investoreexp:投資経験はありますか。 15 13 ISFJ2015 最終論文 う活動は、事業機会の認知を促す。そして事業機会の認知が人々を起業実行へと向かわせる と考えられる。以上のことから、投資経験者の増加は起業活動の活性化に繋がると推測され る。 事業機会発見 起業実行 利益を上げる investorexp 2.08 *** 0.68 *** -0.46 *** 表 2 事業機会の発見と起業の実行に関する分析結果 **:5%水準で有意、***:1%水準で有意 出典:松田・松尾(2013)表 3 二項ロジスティック回帰より筆者作成 (3)起業の手続きに関する先行研究 岡田(2013)は、起業を行う際の手続きについて分析している。表 3 によると、日本の開 業に要する日数は 23 日、事務手続数は 8 つ、コスト17は 7.5%とされ、起業のしやすさは世 界 185 ヶ国中で 114 位という評価となっている。次いで、日本における起業手続きについ て、岡田(2013)は 8 つ挙げている(表 4 参照)。 この手続き数の多さ、そして届出先が様々であることから、岡田(2013)は「日本の規制 面による起業のしやすさは、依然として諸外国に劣っている」と評価している。 日 本 順位 手続数 日数 コスト 最低資本金 ア メ リ カ イ ギ リ ス ド イ ツ フ ラ ン ス カ ナ ダ 114位 13位 19位 106位 27位 3位 8 6 6 9 5 1 23日 6日 13日 15日 7日 5日 7.5% 1.4% 0.7% 4.9% 0.9% 0.4% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% イ タ リ ア ス ペ イ ン ス ウ ェ ー デ ン フ ィ ン ラ ン ド 韓 国 オ ー ス ト ラ リ ア 84位 136位 54位 49位 24位 2位 6 10 3 3 5 2 6日 28日 16日 14日 7日 2日 16.5% 4.7% 0.5% 1.0% 14.6% 0.7% 9.7% 13.2% 13.2% 7.0% 0.0% 0.0% 表 3 起業に関わる規制要因の国際比較 出典:岡田悟(2013)『我が国における起業活動の現状と政策対応‐国際比較の観点から‐』 表5開業規制における起業のしやすさの国際比較より筆者作成 表 4 起業時の手続きと必要日数 出典:岡田悟(2013)『我が国における起業活動の現状と政策対応‐国際比較の観点から‐』 17 コストは、一人当たり所得に対する比率で示されている。 14 ISFJ2015 最終論文 また、内閣府「平成 23 年度経済財政白書報告」では、起業活動の活発さを左右する要因 は、開業手続きや労働市場の構造などの制度的な条件と起業に関する知識やリスクテイク 能力など個人の意識の面に分けることができると指摘している。特に制度的要因の中で、そ の影響が明確かつ対応も比較的容易だとするのが開業規制であると述べている。また、開業 に要する日数と起業活動率の間には負の相関があるということわかっている。このことか ら、開業に要する事務手続数の提言、開業に要するコストの軽減などを主眼とした規制緩和 が、起業活動を活性化させる効果があると述べている。さらに、パネルデータを用いた回帰 分析を行っており、その結果が表 5 である。表 5 から開業に必要な日数は 1%水準で有意と いう結果となっており、その係数は負となっているので、開業に必要な日数が少ないほど起 業活動者割合18が増加するということが分かる。 開業に必要な日数 推計期間 係数 2003-2010 -0.03 t値 有意性 -3.74 *** 表 5 起業活動シェアに関する回帰分析 ***:1%水準で有意 出典:内閣府「平成 23 年度経済財政白書」より筆者作成 第 2 節 本稿の位置づけ 先行研究では、経済成長率と開業率には密接な関係があることが指摘されている。しかし、 先行研究における両者の関係は相関関係であって、因果関係にまで踏み込んだ研究はほと んどない。本研究では時系列データを用いて経済成長率と開業率に長期的な均衡関係があ り、統計的な因果関係があることを確認する。また、起業活動を活性化させることにより、 それがどのような影響を経済成長率に与えるかを示すため、インパルス応答関数などを用 いて検証する。 次いで、政策提言の参考にするため、起業活動率を被説明変数に採ったパネル分析で開業 率の決定要因を推定する。 さらに、先に挙げた先行研究でも述べられているような起業後のパフォーマンスではな く、本研究では起業そのものをどのように促進していくかを考えていく。起業してから間も ない企業が業績を向上させて成長していくか、あるいは廃業という結果を迎えるかという 問題は重要である。しかし、起業活動自体が活発ではない日本においては、まず起業活動そ のものを社会に浸透させ、促進していく必要がある。本研究ではデータ分析の結果と先行研 究の結果を併せ、個人投資家の活動を活発化させ、起業家への資金供給源を増やすと同時に、 事業機会を広く認知させ、起業活動を行うものを増加させることを考える。加えて、実際に 起業を実行する際に手続きの煩雑さや、手続きにかかる日数が起業活動を阻害していると 考えられることから、手続きの簡略化および手続き日数の短期化を検討する。 18 起業活動者割合とは、18~64 歳人口に占める起業活動を行った者の割合(事業開始 前、または開始後 3 年半以内に限る)。ただし、他の選択肢があるにもかかわらずチャン スをつかもうとして起業した者の割合。 15 ISFJ2015 最終論文 第3章 データ分析 第 1 節 経済成長率と開業率の関係 ここでは経済成長率と開業率の関係を分析する。両者の関係を分析した先行研究はあるも のの、分析は相関関係の計測にとどまっているものが多い。そこで、本研究では経済成長率 と開業率の統計的な因果関係を分析する19。 第1項 使用する変数 用いる変数は、経済成長率と開業率のデータである。経済成長率は 1956 年から 2012 年 までの 57 年分の時系列データを用いる。経済成長率に関して、1956 年から 1980 年までは 1998 年国民経済計算確報、1981 年から 1994 年までは 2009 年度国民経済計算実質値(固定 基準)、1995 年から 2012 においては 2012 年度国民経済計算実質値(連鎖方式)のデータ となっている。開業率は、中小企業庁「2015 年版中小企業白書」より得たものである。 第2項 単位根検定 ここの分析で用いるデータはいずれも時系列データであるため、分析を行う前に単位根 検定を行う。単位根検定は,変数が非定常であるか否かを確認するものであり、非定常な変 数を用いた回帰分析は見せかけの相関をもたらす可能性が高いため、こうした手続きを行 う。表6にデータのサンプル数、ラグ次数および単位根検定の結果を示す。単位根検定では ADF 検定を採用し、帰無仮説は「変数は単位根を持つ」というものである。 経済成長率と開業率をみると、ともに P-値が5%水準を上回るため、帰無仮説を棄却でき なかった。したがって、二つの変数は単位根を持つ、つまり非定常であるということになる。 表 6 単位根検定 推定結果 第3項 経済成長率と開業率の関係 経済成長率と開業率のデータはともに非定常であるということから、次に両者の間に長 期均衡関係を示す共和分があるかないかを確認する。共和分が確認できれば、定数が非定常 であっても有意な計測が可能になる。そこで二つの変数を対象に、ヨハンセンの共和分検定 を行った。共和分検定の結果が表7である。表7から、「二つの変数は共和分を持たない」 という帰無仮説が棄却され、「二つの変数は少なくとも一つの共和分を持つ」ということが 言える。すなわち、経済成長率と開業率には長期的な均衡関係が存在するということである。 19 本研究での分析はすべて Gretl により行う。 16 ISFJ2015 最終論文 ヨハンセン検定 T=55 共和分ランク トレース検定 P-値 最大固有値検定 0 36.436 0.000 34.038 1 2.397 0.122 2.397 表 7 共和分検定 P-値 0.000 0.122 結果 経済成長率と開業率は共和分関係にあることが確認できたので、ベクトル誤差修正モデ ル(VEC モデル)を推計し、その結果から予期せぬ開業率へのショックが経済成長率にどの ような影響を与えるかについて、インパルス応答関数により示したものが図6である。この 図6より開業率へのショックは経済成長率にプラスの影響を与えていることが分かる。ま た表8より、誤差修正項は 1%水準で有意となっているため、長期的均衡からの誤差が大き いときに均衡に押し戻す働きがあることが分かる。 さらに、統計的な因果関係を推定するために VAR モデルを推定し、グレンジャー因果を確 認する。なお、変数 Y の過去の変動が変数 X の現在の変動に影響があるとき、変数 Y から変 数 X へグレンジャー因果があるという。表8より、開業率から経済成長率へのグレンジャー 因果があることが分かる。 response of kaigyou to a shock in keizai 0.0055 0.005 0.0045 0.004 0.0035 0.003 0.0025 0.002 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 periods 図 6 開業率から経済成長率へのインパルス応答関数 被説明変数:経済成長率 定数項 d_経済成長率_1 d_開業率_1 誤差修正項 修正済み決定係数 N=55 係数 標準誤差 -0.027 0.006 0.401 0.144 -0.010 0.448 -0.996 0.179 0.60 t値 -4.894 2.782 -0.022 -5.561 P-値 有意水準 1.21E-05 *** 0.008 *** 0.982 9.91E-07 *** ***:1%水準で有意 All lags of keizai All lags of kaigyou All var, lag2 F(2,26)=6.662[0.002] F(2,26)=10.012[0.000] F(2,26)=3.855[0028] 表 8 開業率から経済成長率へのグレンジャー因果 17 ISFJ2015 最終論文 第 2 節 開業率の上昇へ向けたデータ分析 前の節では、経済成長率と開業率には長期的な均衡関係があり、開業率は経済成長率に対 して正の影響を与えることが確認された。第 2 節では、実際に開業率を上昇させるためにど のような要因が必要なのかを分析する。分析に用いるデータは 2003 年から 2013 年の 11 年 間の革新主導型経済圏20の国々のものである。これらのデータは全て、GEM の調査結果をも とに作成されたものである。 第1項 説明変数および被説明変数 被説明変数には起業活動率を用いる。起業活動率は「起業の準備を始めている者と創業後 3.5 年未満の企業を経営している者が 18 歳から 64 歳人口 100 人当たり何人いるか」を示し たものである。なお、開業率ではなく起業活動率を被説明変数に用いたのは、革新主導型経 済圏すべての開業率のデータを収集することが困難であったためである。また、起業活動率 には起業の準備をしている者が含まれており、起業の準備を行うことは、将来の起業の状況 に大きな影響を与えると考えられることから説明変数に用いた。なお、分析では、起業活動 率を katsudou とした。 説明変数には個人投資家活動割合、事業機会認知率、リスクに対する恐れ、社会評価率の 4 つを用いる。これらの変数値はそれぞれ以下の質問に対し「はい」と回答した者の割合を 示したものである。 ・個人投資家活動率:「過去 3 年以内に、他の人が始めた新しいビジネスに資金提供し ましたか」 ・事業機会認知率:「今後6ヶ月以内に、自分が住む地域に起業に有利なチャンスが訪 れると思いますか」 ・リスクに対する恐れ: 「失敗することに対する恐れがあり、起業を躊躇していますか」 ・社会的評価率:「あなたの国の多くの人たちは新しいビジネスを始めることが望まし い職業選択であると考えていますか」 これらの変数を説明変数として採用するのは、どれも起業を行う際に、重要な要素と考え られるからである。この分析における説明変数は個人投資家活動割合を tousika、事業機会 認知率を ninnti、リスクに対する恐れを risuku、社会評価率を hyouka とした。なお、これ らのデータはパネルデータとなっている。すなわち国の数が 33 ヵ国、また時系列が 11 年 間のデータである。 第2項 考察 前述したように、資金供給の主体の1つである個人投資家の活動が活発になることや、事 業機会を認知していること、リスクに対してどう考えているか、社会で起業活動が評価され ているかということは起業をするにあたって必要となる要素であると考えている。このこ とを前提して、以下4つの仮説を設定する。 1.個人投資家の活動が活発になると起業活動率が上昇する 2.事業機会認知率が上昇すると起業活動率が上昇する 3.a)リスクに対する恐れが上昇すると起業活動率が低下する b)リスクに対する恐れが上昇すると起業活動率が上昇する 4.社会評価率が上昇すると起業活動率が上昇する ここで、リスクに対する恐れに関して仮説を2つ立てたのは、分析に用いるデータが日本 だけでなく、革新主導型経済圏の国々のものであるためだ。つまり、開業率の国際比較をし 20 前掲:脚注4参照 18 ISFJ2015 最終論文 た際にも触れたように、日本以外の国においては、リスクを負ってでも起業を行おうとする 者が多い国もあると考えられるからである。 第3項 分析結果 分析にはパネル分析を用いた。以下の表にある推定結果は、固定効果モデルによる結果で ある。なお、F 検定およびハウスマン検定より、固定効果モデルが採用された。なお、推定 結果の修正済み決定係数の値は 0.79 と高い数値となっており、このモデルは説明力を十分 に持っているものと考える。 有意な結果が得られたのは個人投資家活動割合と事業機会認知率の2つであり、ここか ら仮説1および仮説 2 が検証された。個人投資家活動割合と事業機会認知率が起業活動率 に対して正の影響を与えることに関しては、先行研究などと整合的である。個人投資家の活 動が活発になるということは、起業家が資金調達を行う際の選択肢が広がるということを 意味する。したがって、自己資金や金融機関からの借入に代わる手段が普及するということ で、実際に起業に踏み切る者が増加するのではないかと考える。また、事業機会を認知する ということは起業を行う上での最初のステップであると考えられるため、起業活動率に正 の影響を与えると考えられる 一方で、有意とならなかった変数として社会的評価率があるが、これは先行研究などの結 果とは異なり、起業活動率に対して負の影響を与えるという結果となった。また、リスクに 対する恐れについても有意な結果が得られなかったが、正の係数が得られている21。 固定効果モデル N=235 係数 標準誤差 定数項 0.0324 0.0104 個人投資家活動割合 0.6686 0.0913 事業機会認知率 0.0396 0.0117 リスクに対する恐れ 0.0170 0.0168 社会評価率 -0.0152 0.0160 修正済み決定係数 0.81 P-値 4.62E-60 t値 P-値 有意水準 3.1010 2.20E-03 *** 7.3260 5.87E-12 *** 3.3760 9.00E-04 *** 1.0140 0.3117 -0.9474 0.3446 ***:1%水準で有意 表 9 パネル分析 分析結果 21 日本においては、リスクを取ることを回避し、起業活動を遠ざけると考えられる。しか し、第 2 項でも言及したように、今回の分析は日本のデータのみを用いているわけではない ため、このような結果になったと考えられる。 19 ISFJ2015 最終論文 第4章 政策提言 第 1 節 起業活動促進政策 第1項 個人投資家の活動の促進 第 3 章の分析の結果および先行研究から、起業活動を促進させる要因として個人投資家 の活動が重要であることを確認した。そこで、我々は起業活動促進のために、個人投資家の 活動を支援する政策を提言する。具体的には、 (1)エンジェル税制の見直しと、 (2)NISA 口座の利用促進である。以下ではそれぞれについて説明する。 (1)エンジェル税制の見直し ベンチャー投資に関する日本の税制をアメリカ及びイギリスの税制と比較する(表8参 照)。表 10 から、日本においても、ベンチャー投資に対する所得控除、税額控除やキャピタ ル・ゲインに対する課税の減免は行われている。しかし、キャピタル・ロスに関して、アメ リカとイギリスでは通常所得との損益通算が可能だが、日本では通常所得と通算できない。 そこで、日本においても通常所得との通算を可能にすることを提案したい。また、相殺しき れなかった損失はアメリカと同様、無期限に繰り越しを可能にすることで、投資家の税負担 を軽減できる。 加えて、起業前に起業家が資金を調達できるようにするために、エンジェル税制の適用範 囲を起業前の投資にも拡大する。各種税負担を軽減する制度の適用範囲が広がることで、投 資家による投資も拡大することが期待される。これは、起業家が資金を調達する手段を広げ るということである。なお、架空の事業計画や投資を受けたまま起業しないなどという、詐 欺行為が行われる可能性があるため、起業家には事業計画書の提出に加えて、投資家に対す る事業計画の進行状況の報告を義務づけることも必要であろう。このプロセスを証券会社 の仲介によって進めることで、起業家のコストを低減することができると考えられる。なお、 起業前の起業家に対する投資はハイリスクであると考えられる。しかし、キャピタル・ロス の損益通算を通常値所得ともできるようにすることで、ハイリスクな投資へ投資家を後押 しすると考えられる。 表 10 ベンチャー投資に関する税制 日英米比較 出典:ベンチャー税制の改革の方向性 P.3 図表1より筆者作成 20 ISFJ2015 最終論文 (2)NISA(少額投資非課税制度)の活用 以下では NISA の見直しと新ジュニア NISA を提言する。 a)NISA の見直し 表 11 は NISA と英国の ISA の概要を比較したものである。ISA は NISA を導入する際に参 考としたイギリスの制度である。NISA の更なる活用を目指すために NISA の制度変更を提言 する。なお、NISA では平成 28 年度に年間の非課税枠を 120 万円にまで拡大することが決ま っている。 英国(ISA) 株式型 預金型 1999年~(当初2009年までの10年間の予定で導入。2007 年改正で恒久化) 日本(NISA) 投資可能期間 2014~2023年 利用者の資格 20歳以上 投資対象 非課税対象 年間購入・拠出限度額 (非課税枠) 従業員持株会からの移管 18歳以上 16歳以上 預貯金、低リスクの公社債、 上場株式、公募株式投資信 株式、公社債、投資信託、 投資信託(MMF等)、低リス 託、ETE、REIT等 保険契約、預貯金等 クの保険契約 配当・分配金、譲渡益、利子 配当・分配金、譲渡益 利子 (預貯金の利子は課税) 合計で11,520£(約190万円) 11,520£ 5,760£ 100万 不可 可能 ― 収益分配金等の再投資 年間購入額に算入 (非課税枠を消費) 年間拠出額に不算入(非課税枠を消費せず) 売却額の再投資 売却した分の元本も再投資 額も年間購入額に算入 (非課税枠を消費) 年間拠出額に不算入(非課税枠を消費せず) 制限なし 制限なし。年間拠出限度額が引き出した分だけ増えること はない。 4年ごと(2014年度税制改正 で毎年可能に) 毎年及び年途中でも可能 引出し 金融機関の変更 4,428億£(約73兆円)(2013年)、2,436万人(2011年4月) 投資残高及び開設口座数 2,206億£(約36兆円)(2013 921万2,167口座(2015年6月) 2,222億£(約37兆円)(2013 年)、 年) 1,658万人(預金型のみ2011 年4月) 表 11 NISA 制度と ISA 制度の比較 1£=165 円で計算 出典:大和総研金融調査部制度調査課資料を参考に筆者作成 ①投資可能期間の恒久化 長期的な投資活動を促進するために、投資可能期間を恒久化する。分析の結果から、個 人投資家の活動が起業活動率へ与える影響は大きいことが分かっているため、投資活動 を長期にわたって促進する必要があると考える。 ②利用者可能年齢の引き下げ 後述する新ジュニア NISA 制度との連携のため、利用可能年齢を 18 歳に引き下げる。 ③投資対象の拡大 現行の NISA では、投資家は上場株式や公募株式投資信託などにしか投資ができない。非 上場企業や起業初期への資金供給を増加させるために、投資対象を非上場株式にも拡大 する。なお、NISA 口座を通じた株式等の譲渡損は、現行の NISA では、損益通算ができな 21 ISFJ2015 最終論文 い22。したがって、投資対象を非上場株式まで拡大したことと併せて、非上場株式の譲渡 損に関しては、上場株式・公募株式投資信託などの配当や譲渡益との通算を可能にする。 これにより、投資家が損失を出した際の税負担を軽減することができる。 ④収益分配金・譲渡益等の再投資を促進 ISA では、収益分配金・譲渡益等で行う再投資は、非課税枠を消費することなく、ISA の 適用を受けることができる。一方、NISA では再投資を行う場合、投資家は非課税枠を消 費して行うことになる。投資家の活動が活発化するためには再投資の促進も欠かせない 要因であると考えるため、収益分配金・譲渡益等の再投資を、非課税枠を消費することな く行えるようにする。ただし、非課税対象となる再投資は 100 万円を限度とする。 b)新ジュニア NISA 平成 28 年 4 月から導入が予定されているジュニア NISA に、イギリスのチャイルド・ト ラスト・ファンド(CTF)23を参考に変更を加える。ジュニア NISA 制度に変更を加えること で、子供が将来投資をするための基盤を親がつくれるようにすることが目的である。表 12 は新ジュニア NISA の概略図である。 導入が予定されているジュニア NISA は、希望者のみが開設する。しかし、新ジュニア NISA では子どもが生まれた段階で、その家庭すべてに新ジュニア NISA 口座の開設を求める。そ して、15 歳まで給付される児童手当は原則としてこの口座へ振り込む。なお、新ジュニア NISA 実施以前の児童手当対象の子については、従来の児童手当の方式か新ジュニア NISA 口 座への給付のいずれかを選べるようにする。 新ジュニア NISA 口座の運用・管理は、子どもが 15 歳になるまでは親権者等が行う。その 間、口座内の資金は、運用だけでなく消費にも使えるようにする。ただし、消費のための年 引き出し可能額には 1 年当たりの限度をもうけ、その額は児童手当の年間給付額とする。な お、新ジュニア NISA 口座には、親権者等が資金を拠出することもでき、その結果、高齢者 の資金移転が非課税で可能になる。その資金で、教育資金増加のために、投資活動が行われ ることが期待できる。 子どもが 16 歳になった後は、運用・管理者を子ども本人ができるようにする。子どもが 自ら運用・管理を行うことで投資教育を家庭で実地に経験するができる。現在、導入が予定 されているジュニア NISA は 18 歳まで引き出しができないため、運用・管理者が子ども本 人へ移行した後は同じく 18 歳まで引き出しはできないものとする。 新ジュニア NISA の投資額の非課税枠は、ジュニア NISA に合わせた 80 万円までとする。 本来のジュニア NISA では子の将来のための資金形成や投資教育が目的であるので、安定的 な資金運用が望まれる。したがって、株の長期運用を目的とし、収益分配金・譲渡益による 再投資は非課税枠に含む。 子が 18 歳になると、新ジュニア NISA 口座は自動的に NISA 口座へと移行し、その後は、 改善後の NISA に従うものとする。 22 譲渡益に対する非課税だけでなく、譲渡損の損益通算を可能にすることは、政府が税制 相当額の補助金を与えることと同義である。したがって、財政上の理由から損益通算は認 められていない。 23 CTF(チャイルド・トラスト・ファンド)とは、2002 年 9 月に導入された制度である。こ の制度は子の誕生時に口座を開設し資金給付するものである。口座開設時に 500 ポンド、7 歳時に 500 ポンド給付された。その目的は子の将来へ向けた資金形成である。口座の管理者 は 16 歳までは両親・祖父母等が管理し、以降は子本人が運用・管理を行う。CTF は政府の 資金不足により 2011 年 1 月に停止されジュニア ISA が導入された。 22 ISFJ2015 最終論文 年齢 0歳 15歳 新ジュニアNISA 種類 16歳 17歳 18歳 自動移行 運 用 親権者等 引き出し可能(政府からの給付額までに制限) ・ 管 子本人 理 引き出し不可 19歳 NISA 引き出し可能 100万円 100万円 100万円 100万円 年80万 非課税枠 100万円 100万円 100万円 再投資分 表 12 新ジュニア NISA の概略図 第2項 起業家教育 ティーンエージャーの起業家評価向上および起業態度改善を目的としたプログラムの導 入を提言する。まずティーンエージャーを対象とする理由を説明する。社会に対する捉え方 や個人の性格、リスク選好度など起業態度に関わる要素は、心身に大きな変化が現れる思春 期を経て形成される。そのため、低い起業家への評価や自営業の選好度のような個人のマイ ンド面における問題を改善していくためには、小中高といった若年層に対するアプローチ が最も効果的だと考えられるからだ。実際に、磯辺・矢作(2011)「起業と経済成長 GEM 調 査報告」によると、起業活動率に有意な影響を及ぼすのは高校以下の教育システムだと述べ られている。 ここで注意すべきなのは、起業家教育を導入する目的は、起業家への評価向上や、問題認 識および解決能力・創造性・実行力など起業家に必要な能力の全体的な底上げであることだ。 つまり、起業家を実際に作りだすことを目的としていない。ここでいう起業家に必要な能力 とは、人生において起業家という選択肢を取らなくとも有用な能力であり、それは義務教育 へのプログラム導入を推奨する論拠となる。高橋(2014)では、起業態度を持つ学生を起業家 にする教育ではなく、学生が起業態度を形成するような教育が日本では求められると指摘 している。図7は、属性ごとにアプローチの異なる2つの起業家教育について示している。 A地点は起業家、B地点は起業態度を有しているが実行に着手していない起業家予備軍、C 地点は起業態度を有していない一般成人をそれぞれ表している。ここでいう起業態度とは、 起業に関する知識・能力・経験指数、ロールモデル指数、事業機会認識指数、失敗教育指数 で測られる。高橋の研究では、起業態度を有していない者を起業家予備軍にするための教育 をC→Bで示し、起業家予備軍を起業家にするための教育をB→Aで示している。高橋は日 本において前者の教育が重要だと指摘しており、その理由として、 「他の先進国の水準まで、 起業態度を有する人の割合を高めることができるならば、わが国の起業活動は米国並みか それを上回るものになるということであり、起業態度に働きかける教育が最も効果を発揮 する可能性を秘めた国が日本である」と述べている。起業態度の形成は我々が求める起業家 に対する評価と、起業家に必要な能力の育成とほぼ同義であるため、以下では起業態度とい う概念を使用し論じていく。 23 ISFJ2015 最終論文 図 7 2つの起業家教育 出典:高橋(2014)『起業家教育のスペクトラム―「活動」の支援か 「態度」の形成か―』図表2「2 つの起業教育」より筆者作成 若年者の起業態度に対するアプローチに注目する理由は他にもいくつか挙げられる。1 つは、起業家を実際に作りだすプログラムは内容が専門的になるため、高校生以下に対して 行うには難度が高すぎることだ。同時にそのような専門的な講義を行える教員の確保が難 しいことも挙げられる。そして何より、起業家教育によって求められることは、現在行われ ている総合的な学習の時間における目的と合致する部分が多いという点が肝要である。つ まり、新しいプログラムを一から作りだすのではなく、総合的な学習の時間という既存の枠 組みを改良するという方法で、日本の起業に対するマインドの問題を改善できると我々は 考える。 次に実際のプログラム内容について提言を行う。我々は起業家育成の教育政策として、金 融教育を橋渡しとして扱い、縦横の繋がりを持った起業態度改善プログラムを提言する。そ の際に e ラーニングの積極的な利用を推奨する。我々が注目する総合的な学習の時間にお ける現状の課題として、小中高における縦の繋がりが全く意識されていないこと、社会科や 家庭科などの科目間での繋がりは求められているものの不十分であるということ、教師の 負担が重く学校間のプログラム内容の差異が大きいこと、などが挙げられる。総合的な学習 の時間は自由度が高く、生徒の自主性を尊重する以上、縦の繋がりや学校間の差異は当然問 題にならざるを得ないが、総合学習の指導要領に段階的な学習項目を入れることで、ある程 度それらの問題を解消できると考える。その段階的な学習項目としてテーマとされるのが 金融である。 金融教育は将来的な投資家を増やすという目的に直結しているだけではなく、経済社会 についての学習を促すため、事業機会認知度や起業家に対する偏見を改善する効果がある と考えられる。日本では金銭への執着に対する忌避感が強く、金銭に拘らない性質が美徳と される風潮がある。しかしながら資本主義社会に生きる上では金融に対する知識は必要不 可欠であり、特に終身雇用制度の不安定化や年金制度の揺らぎなどから自己資産形成が叫 ばれる昨今、若年層への金融教育制度の整備は急務であると言える。 金融教育を段階的に行うことで総合的な学習に学年を跨ぐ連続性、つまり縦の繋がりが 生まれる。さらに、社会科や家庭科でも実際の金融市場を扱う経済学習や、自己資産形成に ついてのワークショップなどを行うことで、総合的な学習、ひいては起業家教育で求められ る能力の向上が複数の教科で実現される横の繋がりも見込まれる。また、総合的な学習の内 容は学校ごとに多岐にわたるが、プログラムを十分に準備することのできない学校に対し、 24 ISFJ2015 最終論文 教師の負担が少ないサンプルモデルとして、株式投資シミュレーターを使った投資教育を 提案する。起業家は現実経済に対する知識の活用が求められるため、そういった能力を向上 させるためにこのサンプルモデルは有用である。 そして、このモデルを推進していくために、株式シミュレーターを含めた e ラーニングを 活用していくべきだと考える。一例として挙げるならば、情報教材をネット上で共有すると いう案がある。起業家評価や起業態度を改善する上で、現実経済に詳しい外部の講師や実際 の起業家は有用だが、学校ごとに招聘するには手間も費用もかかる。そこでビデオ教材が適 している。インターネット上で閲覧できるようにすることで、各学校に配布する費用も抑え られる。もちろん e ラーニングはそういった受動的な知識の獲得に役立つだけではない。計 画書を作ることや計算をする、広報活動を行うなど、創意工夫をして何かを作り出すという 起業家教育の一般的なモデル行ううえで、PC が有用であることは言うまでもない。また、 現在ベンチャーが活発な業界は IT であるように、情報技術は今後生み出されるイノベーシ ョンにおいて非常に重要な役割を担っていくことが予想される。多忙を極めると言われて いる教師の負担を減らすだけではなく、国民の基礎的な情報リテラシーを底上げすること を考慮して、e ラーニングは行われるべきだと考える。 第3項 起業に必要な手続きの簡略化 資金供給源を増やし、起業家教育により起業志望者が増加したとしても、実際に起業を実 行する際に障害があれば起業活動は活発にならないと考えられる。先行研究で挙げたよう に、企業の手続きにかかる日数と起業活動には負の相関がある。したがって、起業の手続き にかかる日数の短期化と簡略化を検討する。日本は起業に必要な手続きの数が 8 つ、かかる 日数が 23 日となっており、他国と比べて、手続きにかかる日数が長い。その理由として考 えられることは、各手続きを行う場所が違うことが挙げられる。そこで、手続きを中小企業 庁が一括で行うことで、手続きにかかる日数を減少させることができると考えられる。 さらに、フランスでは「個人事業主制度」の導入により、自宅のインターネットを利用し た起業手続きが可能になった。インターネットの利用により、短時間(10 分程度)で手続 きを終わらせることができるようになった。その結果、起業者の約 4 分の 3 程度がインタ ーネットによる申請手続きを行っている。そこで、起業の手続きのインターネット化を日本 でも導入する。 25 ISFJ2015 最終論文 第 2 節 政策評価 前の節で提言した政策を行うことで、開業率を 10%まで引き上げることを考える。開業率 を 10%まで上昇させることは、現在の政府の目標であり、本研究でもこの値を政策目標と する。なお、本研究では説明変数は開業率の代わりに起業活動率を用いているため、起業活 動率を 10%まで上昇させることとする。 まず、2013 年度の革新主導型経済圏の起業活動率、個人投資家活動割合、事業機会認知 率を示す。 アメリカ ギリシャ オランダ ベルギー フランス スペイン イタリア スイス オーストリア イギリス デンマーク スウェーデン ノルウェー ドイツ オーストラリア ニュージーランド シンガポール 日本 韓国 カナダ ポルトガル ルクセンブルク アイルランド アイスランド フィンランド スロヴェニア チェコ プエルトリコ 香港 トリニダード・トバコ 台湾 アラブ首長国連邦 イスラエル 起業活動率 個人投資家活動率 事業機会認知率 13% 5% 47% 6% 3% 14% 9% 4% 33% 5% 3% 32% 5% 3% 23% 5% 3% 16% 3% 2% 17% 8% 6% 42% 7% 2% 36% 8% 6% 5% 6% 3% 3% 64% 64% 31% 4% 7% 12% 8% 9% 9% 4% 1% 3% 6% 2% 6% 3% 22% 8% 13% 57% 20% 46% 28% 5% 7% 7% 8% 3% 4% 8% 1% 44% 16% 23% 28% 20% 8% 7% 6% 58% 42% 10% 5% 47% 表 13 革新主導型経済圏の現状 出典:平成25 年度創業・起業支援事業(起業家精神と成長ベンチャーに 関する国際調査)「起業家精神に関する調査」より筆者作成 26 ISFJ2015 最終論文 表 13 から、日本の起業活動率は 2013 年で 4%である。したがって、起業活動率を 10%まで 引き上げるためには、起業活動率を 6%上昇させる必要がある。 第 3 章の分析結果から推定式は kigyou 0.032 0.669tousika 0.04ninnti であった。また、政策を実施したことによる追加的効果は上の式を全微分することで dkigyou 0.669dtousika 0.04dninnti と表せる。提言した政策を実施することで、革新主導型経済圏の最高水準まで個人投資家活 動割合と事業機会認知率が上昇すると仮定する。2013 年における日本の個人投資家活動割 合は 1%、事業機会認知率は 8%である。したがって、それぞれの増加分は個人投資家活動 割合が 7%、事業機会認知率は 56%となる。この値を全微分した式に代入すると、 dkigyou 0.669 0.07 0.04 0.56 0.07 となる。起業活動率の増加分が 7%になるため、この政策が実施されることにより、日本の 起業活動率は現在の 4%から 11%まで上昇するということになる。したがって、この仮定の 下では、起業活動率を 10%まで引き上げるという目的を達成できる。 27 ISFJ2015 最終論文 おわりに 本稿では、起業活動により日本経済を活性化させることを目的とし、開業率の上昇を目指し た。資金供給、マインド面、制度状況に注目して現状分析および先行研究の提示を行い、経済発 展が十分に進んだ国々のパネルデータを用いて分析を行った。それらを踏まえて開業率上昇の ための政策提言を行い、簡単なものではあるが政策評価も行った。 しかし、本稿の分析で用いたデータはアンケートの集計結果であるため、実際の個票を使って 行う分析に比べ精度が落ちる。また、日本の起業環境におけるマインド面の影響は大きいと考え るが、その大きさを詳細に測定することは難しく、データの収集も十分に出来たとは言えない。 教育へのアプローチも有効であることは推測されるが、その政策効果を事前に明確にすること もまた困難であり、教育について政策提言の有用性の証明が出来なかった。 さらに、本稿で扱わなかった研究分野についても言及する。本稿は前提としてスタートアップ を活発にすることのみを考えている。そのため、起業後にその企業が成長していくのか、あるい は失敗し廃業するのかという問題についての議論は行っていない。スタートアップ企業が順調 に成長し、世界に名だたる大企業になることが出来る環境を構築することもまた、日本の経済発 展のためには必要だろう。したがって、スタートアップ企業の成功要因や廃業後の再起業への研 究も必要だと考える。 以上のことは今後の研究課題としたい。本稿が日本の起業環境の改善に繋がり、活発な起業活 動が行われる新たな文化風土を生み出す一助となることを願い、本稿の締めくくりとしたい。 28 ISFJ2015 最終論文 先行研究・参考文献・データ出典 【日本語文献】 ・磯辺剛彦、矢作恒雄(2011)『起業と経済成長 Global Entrepreneurship Monitor 調査報告』慶應義塾大学出版会 ・上坂卓郎(2014)『日本起業家精神‐日本的「世間」の倫理と資本主義の精神‐』 文眞堂 ・岡田悟(2013)『我が国における起業活動の現状と政策対応‐国際比較の観点から‐』 国立国会図書館調査及び立法考査局 ・岡室博之、小林伸生(2005)『地域データによる開業率の決定要因分析』独立行政法人 経済専業研究所 ・岡室博之(2014)『開業率の低下と政策措置の有効性』日本労総研究雑誌 56(8),3038,2014-08 ・小林恵照(2002)『低迷する開業率の経済定期影響とその改善策』 ニッセイ研究所 REPORT ・橘木俊詔、安田武彦編(2006)『企業の一生の経済学 中小企業のライフサイクルと日本経 済の活性化』ナカニシヤ出版 ・鈴木正明(2012)『新規開業企業の軌跡 パネルデータに見る業績,資源,意識の変 化』勁草書房 ・高田亮爾(2009)“中小企業政策の歴史と課題(1)”流通科学大学論集‐流通・経営編 ‐,第 22 巻第 1 号,41-60 ・高橋徳行(2014)『起業家教育のスペクトラム-「活動」の支援か「態度」の形成か -』ビジネスクリエイター研究 5,97-112.20114-02 ・寺岡寛(2001)『中小企業と政策思想』信山出版 ・寺岡寛(2003)『中小期政策論‐政策・対象・制度‐』信山出版 ・長田直俊、渡辺千仭(2003)“起業と経済成長に関する分析”年次学術大会講演要旨集 18,586-589,2003-11-07 ・根本忠宣、深沼光(2006)『創業期における政府系金融機関の役割』独立行政法人経済 産業研究所 ・松田修一(2000)『ベンチャー企業の経営と支援』日本経済新聞社 ・松田尚子、松尾豊(2013)『起業家の成功要因に官すぅる実証分析』独立行政法人経済 産業研究所 ・三井逸友(2001)『現代中小企業の創業と革新‐開業・開発・発展と支援政策‐』 同友館 ・宮本佐知子(2011)『英国で導入されるジュニア ISA-チャイルド・トラスト・ファン ドに替わる子ども向け資産形成スキーム-』2015 年 10 月 26 日データ取得 http://www.nicmr.com/nicmr/report/repo/2011/2011spr09web.pdf 【英文和訳文献】 ・OECD 編、高橋しのぶ訳(2012)『図表で見る起業活動 OECD インディケーター』 明石書店 ・エリック・リース、井口耕二訳(2012)『リーンスタート 無駄のない起業プロセスで イノベーションを生み出す』日経 BP 社 ・ノーム・ワッサー万、小川育男訳(2012)『起業家はどこで選択を誤るのか スタート アップが必ず陥る 9 つのジレンマ』英治出版 29 ISFJ2015 最終論文 【英語文献】 ・Kenji Kutsuna,Yuji Honnjo(2005)『External Equity at Start-up and Post-entry Performance: Evidence from Japan』KOBE UNIVERSITY Discussion Paper Series 【引用文献】 ・磯辺剛彦、矢作恒雄(2011)『起業と経済成長 Global Entrepreneurship Monitor 調査報告』、53 ・岡田悟(2013)『我が国における起業活動の現状と政策対応‐国際比較の観点から‐』 国立国会図書館調査及び立法考査局、47 ・松田尚子、松尾豊(2013)「起業家の成功要因関する実証分析」『RIETI Discussion paper series』13-J-064、2 ・上坂卓郎(2014)『日本の起業家精神-日本的「世間」の倫理と資本主義の精神-』、13 【データ出典】 ・石井芳明(2014)「なぜ国がスタートアップを支援するのか」東洋経済 ONLINE 2015 年 8 月 29 日データ取得 http://toyokeizai.net/articles/-/40792 ・一般財団法人 ベンチャーエンタープライズセンター「起業家精神に関する調査」 2015 年 8 月 21 日データ取得 http://www.vec.or.jp/wordpress/wp-content/files/25GEM.pdf ・経済産業省「エンジェル税制のご案内」2015 年 8 月 28 日データ取得 http://www.kanto.meti.go.jp/seisaku/sogyo/index_angel_1main.html ・経済産業省「起業家教育のススメ(指導事例集)」2015 年 11 月 1 日データ取得 http://www.meti.go.jp/policy/newbusiness/downloadfiles/jireisyu.pdf ・厚生労働省「雇用保険事業所年報 平成 26 年度速報」2015 年 8 月 24 日データ取得 https://www.estat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_toGL08020103_&listID=000001137330&disp =Other&requestSender=search ・ジェトロサンフランシスコセンター「米国における資金調達方法ガイドブック」 2015 年 8 月 29 日データ取得 https://www.jetro.go.jp/jfile/report/07000213/shikin_choutatsu.pdf ・税理士法人プライスウォーターハウスクーパース「諸外国のベンチャー投資支援税制に 関する調査研究」2015 年 10 月 21 日データ取得 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Survey)」の 2 種類が行われている。一般成人調査は、各国の 18 歳から 64 歳までの成人を 対象とする。一般成人調査では、各国平均約 2000 人に対して、電話や訪問による聞き取り が行われている。日本調査は、固定電話の番号を用いて無作為抽出を採用している。専門家 調査では、ベンチャー・キャピタリストや起業支援プログラムの政策担当者、起業家本人、 経営学や社会学の研究者など、各国の起業活動の専門家に対する質問票調査や聞き取り調 査を実施している。通常、これらの調査は、毎年 5 月から 7 月にかけて実施している。 2.分析の際に用いたデータの基本統計量 平均 中央値 最小値 最大値 標準偏差 変動係数 歪度 尖度 keizai kaigyou 経済成長率 開業率 0.039 0.069 0.029 0.063 -0.037 0.030 0.124 0.125 0.038 0.032 0.960 0.469 0.586 0.357 -0.275 -1.330 資料 1 第 3 章、第 1 節で用いたデータの基本統計量 被説明変数 説明変数 katsudou tousika 起業活動率 個人投資家活動割合 平均 0.067 0.035 中央値 0.061 0.032 最小値 0.015 0.003 最大値 0.227 0.088 標準偏差 0.030 0.017 変動係数 0.451 0.485 歪度 1.536 0.915 尖度 4.065 0.645 説明変数 説明変数 説明変数 ninnti risuku hyouka 事業機会認知率 リスクに対する恐れ 社会評価率 0.344 0.384 0.578 0.341 0.382 0.578 0.059 0.131 0.179 0.813 0.723 0.854 0.154 0.096 0.126 0.448 0.250 0.218 0.330 0.315 -0.344 -0.400 0.539 0.355 資料 2 第 3 章、第 2 節の分析で用いたデータの基本統計量 32