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ENDLESS MYTH

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ENDLESS MYTH
ENDLESS MYTH
米澤
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
ENDLESS MYTH
︻Nコード︼
N9971CL
︻作者名︼
米澤
︻あらすじ︼
神々はデヴィルと対峙した。あらゆる時間、あらゆる次元で。
神々は救世主の誕生を待ち望み、デヴィルもまた遊び相手の救世
主の覚醒を望んだ。
すべてを巻き込んだ神々とデヴィルの大戦は今、1人の青年の覚
醒で新たなる局面を迎えようとしていた。
星空文庫というサイトと重複投稿になります。
1
プロローグ︵前書き︶
壮大な物語を書きたくて、グインサーガやペリーローダンを意識し
て書いています。
ジャンルを問わず、なんでも入れて書きたい、一生の作品です。
いずれ複数人でリレーして広げて行きたい作品です。
2
プロローグ
1
物理空間から切り離されたそこは本来、三次元的認識ができない、
人間という生存体には理解できない世界であった。
仮に理解できたとしても、三次元で世界を理解する人類にはおそ
らく平面的にしかとらえられないか、あるいは三次元情報だけを脳
が呑み込み、他の情報は放棄されるであろう場所であった。
そこは宇宙の外側。周囲には泡同士が分裂したように、いくつも
の黒い球体が増殖していた。時間概念を当てはめるならば、その時
点ですら球体は膨張し、新しい仲間を複製していた。
また球体ばかりではない。複数の膜のようなものがカーテンかレ
ースのように、風が皆無の世界で泳いでいた。
これらを注視するものがあったならば、球体内部、膜内部に無限
の超銀河団が溢れている事実に気づき、それら泡の一粒、膜の一枚
が1つの世界、つまり宇宙空間という時空を形成していることに驚
愕することだろう。
が、それは現実にあり得ない。ごくまれにこの場所、﹃超次元宇
宙﹄つまりは時空の外側を認識するまでに到る生存体があるが、無
限の世界、無限の文明、無限に派生した生存体が超次元宇宙を認識
するのはまず、不可能なのである。
だがここに、1つの真実が横たわっている。生存体が文字通り生
存不可能なこの世界。そこにありながら生命組織の分解、あるいは
死滅に到らず平然と生存し続ける者たちが存在していたのだ。
それら2つの生存体は物理法則が絶無の世界にあって、2つの肉
体は対峙している。
1つの人影は絶望の苦さを舌先で味わい、全身を駆け巡る血液の
3
循環や胸の鼓動音などが嫌悪でしかたなく、指先から爪先にかけて、
痒みを伴う痺れをきたしては、全身をかきむしっていた。その肉体
は彫刻のようにバランスのとれた裸体である。
片やもう1つの人影は黒いコートをはおり、縮れた黒髪を無重力
にさらしている。その隙間から覗く右眼は一糸を置いたように閉じ
られ、左眼だけが倦怠感を宿した、味わいのない瞳を内部に納め、
開眼していた。
隻眼の男は手の平で宙を撫でるようにする。すると光の粒子が文
字を構築し、超次元宇宙に横文字が書き込まれていく。けれども文
字へ対する理解力を有する者は、生存体の中には存在しない。その
文字こそは︻ルーン文字︼。生存体はそう名付け、空想の中で認識
する文字である。
男はこのルーン文字の開発者であり構想者なのだ。
文字の構想に耽る様子を見る裸体の男は、嫌悪を露骨に舌先に乗
せ、辛いものを食べたように、眉間を狭く、頬を赤くして叫んだ。
﹁なぜだ、オーディンよ。わたしが何故にこのような劣悪なる生存
体へ転生しなければならぬのだ﹂
荘厳であり胸の奥にある憎悪、嫉妬、懊悩を呼び覚ますような、
耳をやすりで削る痛みの声は、超次元宇宙を走り抜け、オーディン
と呼ばれた男の耳さえも、粘液に包まれたのような、不愉快な思い
と口内の乾きを誘発した。
﹁ホモ・サピエンスを選択したのはお前さんの選択だ。俺に怒りを
ぶつけられても困る。まあ、そうした存在であるのだがね、﹃デヴ
ィル﹄というやつは。特にデヴィルの王であるベルゼバブ、お前さ
んはな﹂
指先の文字が妙に滑らかに動くのは、ベルゼバブを嘲笑するから
だ。
ベルゼバブは不愉快に瞳の奥の黒い塊を口から吐き出すかのよう
に、長い舌を一度、口外へ放り出す。そしてまたすぐに引っ込め、
蛇が取る警戒行動をとると、不意に瞼の片方を一瞬だけ下ろした。
4
刹那である。1つの宇宙空間、1つの時空である球体、膜が複数、
一瞬にしてその姿を消失した。
悠々と悠久の時に身をゆだね、自らの満足を追求する文字の羅列
の世界から、現実世界へと引き戻されたオーディンは、淡くオレン
ジ色に輝く文字を拭うような右腕の仕草で空間から文字を消すなり、
逆の左腕を波打たせた。その波が手首から指先へ移動した瞬間、指
先が素粒子を構築、結集させて1つの形となった。剣である。柄や
鍔、刀身にはルーン文字が描かれ、常人に解読はできないが、神の
聖なる言葉が刻まれていた。
左腕を掲げ、さっき文字を拭った右腕を風のように今度は振り払
うと、宇宙の誕生のビッグバンほどもあろうかという大爆発がベル
ゼバブを中心に複数発生した。もちろん、超次元宇宙であろうとこ
れほどの大爆発の連鎖が異常を皆無とするわけもなく、いくつもな
らぶ時空の輪郭が歪みを生じさせた。
この時、時空内部、つまり宇宙空間では重力の異常変動、惑星公
転軌道への悪影響、銀河の容姿変化など、多大なる影響が及んでい
た。
けれども爆発の中心であるベルゼバブ本人はというと、裸体を平
然と保ち、熱を多少感じたのだろう、胸の膨らむ筋肉を手の平で払
うそぶりを見せた。が、それだけのことである。
胃液のような酸味の敗北感を口で味わうオーディンは、先ほどま
での優美は皆無となり、口の酸味をはき出すようにまくしたてた。
﹁分別がないな。いったいどれだけの生存体が消滅したと思ってい
る。お前さんの悪戯でいくつの世界が死滅したと思ってる﹂
オーディンが訴えるのは今の行為だけの話ではない。
永久とも言える、生存体の概念でいう時で換算する時代を、2つ
の存在は対峙してきた。宇宙と時間の外側で。その生存体には計れ
ない多くの時間の中で、ベルゼバブは毛先を動かしただけで自在に
世界を破壊した。意図などはありはしない。ただ感情が赴くまま、
適当に世界を破壊したのである。
5
﹁今のは何度目の攻防なのだろうか、犬よ﹂
﹁俺たちは幾兆年、幾垓年の時を過ごし、無限の攻防を繰り広げた。
俺にもお前さん同様、定かじゃない﹂
血なまぐさい笑みをたたえるベルゼバブを嫌悪感の矛先でオーデ
ィンは睨み付けた。
するとベルゼバブは血なまぐさい微笑みをさらに強く頬に刻み、
腐敗臭のする口を黒い舌で舐めた。
﹁見つけたぞ﹂
と、唐突にベルゼバブは叫んだ。両腕を広げて胸を突き出し、一
気に興奮を絶頂とした。
﹁見つけた? まさか貴様らがあいつを見つけたというのかい﹂
言葉では動揺を隠蔽しようとしてはいるが、狼狽に顔をしかめる
オーディン。
道化師がおもしろがるようにベルゼバブは飛び跳ねながらケタケ
タと笑いと叫び続ける。
﹁ボス犬がどこの次元、どこの時空、どこの宇宙、どこの文明、ど
の生存体なのかを突き止めたのだよ。今度こそ我々の支配下に置き、
貴様ら犬どもを抹消してやろうぞ﹂
飛び跳ねるベルゼバブを見るオーディンはしかしその言葉を耳に
した瞬間、突如として胸に冷静の風が吹き抜け、顔は陽光をたたえ
るように変容し、真正面のベルゼバブを見据えた。
﹁お前さんもあいつのことは知っているはずだ。あいつのまじめさ
は何者にも屈しないし、けして諦めない。すべてをな﹂
﹁はたして、犬どもの思惑通りに事が運ぶであろうかな。実に楽し
みだ﹂
ベルゼバブは静かにほくそ笑む。
そして2つの存在の力は再び衝突した。世界の外側で永劫の戦い
は続いた。
だが、2つの存在すらも巻き込む大河の流れはすでに、濁流とな
って流れ始めていたのを、2人自身も気づいてはいない。
6
2
海原は荒れていた。砕ける白波は砂嵐のように黒い海に散らばっ
ていた。世界は闇に包まれていたのである。
海原の遙か上空、嵐の雲のその上。通常は蒼天が一面に広がるは
ずの世界はだが、黒く包まれていた。それは暗黒というどこまでも
続く孤独な道でもなければ、雨の匂いが鼻につく、自然の摂理とい
う空でもなかった。歯車。この言葉がもっともふさわしい形容詞だ
ろう。全天を覆う巨大な歯車が、惑星全域に震動が伝わるほどの音
を立て、定時に1つ、大きく動く。
惑星は機械に包まれていたのだ。
それどころか、地球型惑星も木星型惑星も星間物質はもちろん、
恒星までもが機械の一部として組み込まれている。ここは機械がす
べてを支配した世界であった。
宇宙の大きさが機械仕掛けの都市の大きさと比例する世界。
宇宙は絶え間なく膨張している。光の速度でその膨張は止まりを
知らず、永劫に寿命が尽きるまで。人類という生存体が存在する宇
宙空間がそうであるようにやはり、この世界もまた膨張を加速度的
に行っていた。
人類が創造する世界の技術力では、機械、つまり機械仕掛けの都
市を、光の速度と比例して増築するなど不可能であり、そのような
技術は存在すらしない。けれどもこの時空には存在する。光の速度
で宇宙誕生の瞬間がなされた特異点を中心として、恒星も星間物質
も空間も時間もすべてを機械の内側として、自らの部品としてしま
う、素粒子レベルでの増設システム。
特異点を中心とするそのシステムは、ある一人の男によって論理
が構築され、理論が実験へと派生し、やがて結実を見ることとなっ
た。
が、その男も己の死が遠い永遠の過去とされる時代に、不本意な
7
形でシステムを奪われるとは予想すらできなかったであろう。
システムの中枢、宇宙と同じ大きさの都市のすべてを操作する中
心部に、その存在は組み込まれていた。黒く鈍い放射物を周囲にま
き散らし、空間を内部から外部へと放射する間際、金属物質を同様
に放射して都市を増築する。それがこの世界の特異点、物理法則が
皆無の場所である。
もう億や兆のレベルでは計れない時間、特異点に生命体は接近で
きていない。接近しようとするとたちまち都市が金属の生存体のよ
うに接近する者を排除する。まるで自らの心臓を守る臓器のように。
だがこの時、1つの生命体が特異点の眼前に2つの脚を立たせ、
凜然と金属の素粒子が水のように渦巻く黒い球体を仰いでいた。男
は人類と同じ姿をしている。人類という生存体がいない世界のはず
なのに。
すると男の存在に反応したのか、特異点から放出される錆びの匂
いと供に液体金属のような素粒子金属が一点に集約されると、1つ
の形を形成した。
皮膚に触れたならばたちまちに切り裂いてしまうだろう高速で移
動する金属は、流動しながら顔の形を成したのだ。
太陽ほどの全長を持つ、見るからに口の中に鉄の味のする顔は、
自らすると点ほどにも満たない人間を金属の眼球で凝視するなり、
粘りのある微笑を片方の頬に浮かべた。
人間は笑みともつかぬ眼前の金属流動を前に、なにも口にするこ
とも、指先の微動すらもいっさいなかった。が、人間には金属流体
が形成する太陽の全長ほどもある巨大な顔面を理解する能力は備わ
り、それを駆使することで、巨大面を認識できていた。男の感覚は
流体の巨大面が赤ん坊のそれに似ていることも把握していた。
笑みから変貌した真顔で巨大顔面はさび付いた匂いのする口を開
いた。その大きさも星間物質を喰らうブラックホールのようだ。
﹁世界が本気で変革を望んでいると信じているのか、ゼウス﹂
金属の棒を叩いたような金属音の羅列が音階を成し、言語となっ
8
てゼウスと呼ばれる人間の鼓膜を振るわせた。
﹁変革は起こる。君たちがどうあっても世界は変わる。時の流れが
生存体の心を現実の悲惨さに定着させてしまった世界は、彼の覚醒
できっと変わる。アスモデウス。君が支配するこのメタルスペース
ですら、きっと変化する﹂
白髪で綿飴のように膨張する髪の毛を宇宙空間に漂わせ、ゼウス
は微笑む。屈託のない、まるまるとした笑みであった。
自信のあるゼウスの言動はしかし、巨大都市の喧噪に溶けてしま
った。
﹁不思議でははいか、ゼウスよ﹂
と言い終わると、アスモデウスの顔を形成する流体金属が再び波
を起こし、赤子の顔を変化させた。膨張と集約の末、今度産まれた
巨大面は、まるで能面のそれに似ている、背筋に氷でも入れられた
気分にさせる、無表情が極まった、不気味の一言に尽きる顔つきに
なった。表情の変化1つでも、宇宙変動の衝撃がともない、機械の
都市が震えた。
アスモデウスの変化した顔は呟くようにやはり金属音を口走る。
﹁平和と安定を求めるのが犬たる貴様らの宿命のはず。笑止なり、
神よ﹂
この挑発はだがゼウスの感情を瞬間ですら動かすことはなかった。
﹁そう。君の言うように世界の安定と和平こそが我らが望む世界。
だからこそ今の世界を受け入れることなどできないのです。革命は
けしてきれい事ではない。わたしもそれは理解している。そのうえ
で世界を革新しなければならない。今の世界を神として認めてはな
らないのだ﹂
﹁だが︱︱﹂
ゼウスの言葉が終わるか終わらないかの境をめがけ、金属の錆び
た匂いが投げられた。
﹁たかが一匹の犬の覚醒がすべての変革へ連鎖反応を起こすとは思
えないが﹂
9
嘲笑らしき笑みがようやく、能面の上に浮上した。アスモデウス
の感情なのだろう。
﹁彼は特別です。すべてが変わる。だから彼は救世主なのですよ﹂
ゼウスは確信めいた笑みを浮かべた。表情をゼウスが変えたのは
これが初めてである。
﹁実に楽しみだ。本当に犬どもの救世主たりえるか、見てみよう﹂
デヴィルはそう言うなり再び顔を溶かし、流体のように特異点の
周囲を金属が回転を始めた。そこに意思があるとは思えない様子で。
3
石畳の街道は角が突起した馬のような生命体が引く馬車と、毛が
羽毛のように充満する丸い巨体を左右に揺さぶって、移動する牛に
容姿が類した生き物が引く滑車つきの荷馬車が普段は行き交ってい
た。人に類似した生存体がその中を流れ、露天商が日銭を稼ぐため、
活気のある声を発していた。それがいつもの日常であった。
が、今は絶望のむせかえる鮮血の臭気で日常が払拭されていた。
独特の鋭角に尖った耳が無造作にちぎられ、美しい蘭の花のような
皮膚が爪や牙で裂かれた遺体が、木造建築が並ぶ街に山積していた。
遺体となっている種族が本来、街には溢れていた。
甲冑を頼りに槍や剣で武装し、悪臭の悪夢にも屈することなく、
街道へ蹄を進める一団もある。血しぶきの渦の中心めがけ、切っ先
を向けるその一団は、命を手放すまいと必死に抵抗を試みていた。
しかし、容赦も慈悲も手心もなく、自らへ向かうものをナメクジ
のような流れ出しそうな皮膚の奥に潜めた、象の牙ほどもある牙が
並んだ口で鎧ごと咀嚼し、葡萄が弾けるように、耳の尖った種族の
肉体を食い散らす。これが悪夢の根源の正体だった。
正体不明の化け物は、この町や街道に限定されたものではなく、
惨劇は街が所在する大陸より遙か西に進んだ岩の大地の狭間、裂け
目の底に存在する地下都市にも現出し、血なまぐさい臭気は霧とな
10
って漂い、魑魅魍魎が闊歩していた。
岩をくりぬき柱を築き、地下に大宮殿を建設した筋肉に覆われた
小さい種族は斧や木槌を手に、筋肉の繊維が剥き出しとなった黒い、
肉の塊のような蜘蛛のごとき悪鬼を相手に、ひるむことなく戦い続
けた。元来、粗暴な種族であるからして、戦いに明け暮れることす
らも、人生の喜びと感じ、引くことはなかった。けれどもそれが種
族の灯火を小さくしていた。
こうした惨劇は止まりを知らず、惑星全体へと拡散していた。
フェアリースペース。神々はこの世界をそう呼んでいた。
この世界の特徴の1つは、惨劇の惑星もそうであるように、大き
な1つの巨木が指を広げ球体を掴むように、惑星規模の巨木惑星自
体を内包し、巨木に惑星が寄生しているかのような光景が、宇宙全
域に広がっていることであった。つまり、宇宙は巨木に包まれた星
間物質で溢れていたのである。
惨劇の惑星の巨木は惑星の悲劇を栄養分として吸い上げている影
響なのか、普段は青々と茂る、この宇宙の生存体よりも二回りも大
きな葉が赤茶けてしまい、宇宙空間へ枯れ葉の海を形成しつつあっ
た。
その巨木の幹に1つの影が座っていた。影といっても暗くも黒く
もない。深紅に彩られた炎が人の形を形成し、生命体として辛うじ
て認識できる人影であった。
地上で黒い化け物どもが暴れ、原住民を喰らう様子をただ、憂う
顔で見下ろしていた。その顔も炎の陰影で辛うじて表情と理解でき
るだけだ。
世界を救うちからをこの神は有している。だがその行為が摂理を
乱し、宇宙や時空そのものを危機に瀕してしまいかねない。だから
神は手出しができず、逝く魂たちをだた、その視覚情報で見下ろす
ばかりしかできなかった。神とはその能力ゆえ、1つの行為がすべ
てを変化させてしまう。それは摂理を重視する神々にとって、不本
意な結果を招いてしまう。
11
デヴィルはそこが狡猾だ。世界を崩壊させない程度に介入し、少
しずつ生存体や世界、自然を絶望の沼へと沈めていく。まるで流砂
に墜ちた人間のように、じわじわとだ。
炎は不機嫌の吐息を炎と供に放射した。
と、そこへ一粒の光が炎の前へ飛び迫ってきた。見るからに息も
絶え絶えというふうであった。光は炎の前に来るとその腕の中へ飛
び込んだ。
人型の炎は光を優しく手の平で包む。見下ろすとそれは小さな女
の子であった。
トンボのように透き通った背中の羽根は焼けてちぎれ、身体の発
光も炎の手の平に入ったことで安心したのか、弱くなっている。
﹁お、お願い。た、助けて﹂
小指の先すらも入らない小さな口が最期に血反吐を吐きながら呟
き、小さなフェアリーの命は消えた。
神は悲しげに遺体を自らの炎で瞬間的に火葬し、そして立ち上が
った。
﹁慈悲ですか。それとも償いですか﹂
炎が聴覚情報として言葉を理解した刹那、全宇宙に異変が起こっ
た。各地で黒い羽根が雨や雪のように降り注いだのだった。
宇宙すべての惑星や衛星に生息する生存体たちは、世界の異変に
震えた。天を黒い翼が覆うのだ、誰であろうと震え、すがるように
信仰する神々へと祈りを捧げていた。
この時、宇宙空間に突起した大樹の幹からは眼下を望むことしか
できないが、彼らの大敵が現出する際の、腐敗臭ばかりは消すこと
ができず、神は腐敗の臭気で近くに天敵が現れたことを認知した。
﹁実に美しい光景だと思いませんか﹂
細く優美で品格がありながらしかし、内部に粘度の高いどろりと
した粘着質を含む、笑みをたたえた声は、炎の上空から吹き降りて
きた。
炎は瞬間、自らの形を恒星のような球体へ変化させるなり、空間
12
が水面のように波打つと、その中へと呑み込まれてしまった。
次ぎの刹那、神の球体は波紋を広げた空間からはき出された。そ
こで再度、神は人の形を取り戻す。
﹁君はどう思います、ブラフマー。生存体が魂の限り悲鳴と悶絶の
末、肉体を引き裂かれて命を消失する。またそれを見て慟哭の沼に
身体が沈む肉親とは、まるで女の乳房に顔を埋めたかのように気持
ちよく、美しくはありませんか﹂
炎の形をしたブラフマーの深紅が濃さをさらに増した。炎の舌先
に嫌気の味がしたのである。
﹁貴様の悪趣味にはついていけない。あのおぞましき創造物を撤去
しなさい﹂
この宇宙の住民を苦しめるモンスターが眼前の、おそろしく巨大
な黒い翼を広げ、甘い笑みを浮かべるデヴィルの想像が作り出した
創造物だということは、ブラフマーには十分に理解でき、それがま
たブラフマーの心に鋭い痛みを走らせた。
﹁悪趣味とは失礼ですね。この世界で私の美学を体現させているだ
けですよ。柔らかな白い女体に歯を立てるようにね。わたしは思っ
たことを実行しなければ、溜まってしまうしまうのですよ、性欲の
ように欲求がね﹂
﹁破壊と殺戮が美学か。墜ちた者ベリアルにはふさわしいが、我に
は苦痛以外のなにものでもない﹂
ブラフマーはピシャリと黒い翼に言葉を叩きつけた。
ベリアルは甘く微笑んでいた笑みを不機嫌の味で顔を歪めるまで
にそれほど時間を費やすことはなかった。
﹁個性は尊重に値するものです。貴方には尊重が足りないようです
ね﹂
﹁貴様らに対する尊重を我は持っていない。ただちにあの汚らわし
い創造物を排除しなさい﹂
と言いつつ炎の腕が頭上へ振り上げられた時、世界中の陸地、海
中、上空を覆っていたモンスターの群れが一瞬にして、炎にまかれ
13
焼失した。文明の単位に換算すると創造物を焼却した炎の温度は、
数億度を超えていた。
﹁ぶ、無礼な。犬の分際で私の美を汚すつもりですか。芸術に糞尿
を投げつける行為は蛮行ですよ﹂
不意である。肉体を手の平のように包み込むほどもある巨大な翼
を宇宙空間へ、黒い風を起こして広がった。全星間物質、それらを
覆う大樹の上に降り注いだ羽根の元たる黒き翼。それはベリアルの
象徴でもあり最大の武器ともなるのだ。
翼を広げた時、眼前に立つブラフマーは身構えた。何が起こるの
か彼自身も把握できていない歯がゆさがあるための、防御行為であ
った。永劫の戦いの中にありながら、未だ互いを分析も理解もでき
ないでいる。これが神とデヴィルなのだ。
翼を広げたベリアルはしかし、ブラフマーが思いもよらぬ行動に
出た。翼に重ねるように両腕を開き、寛大なる笑みで炎の塊を見据
えたのである。
﹁戦いを始めるのは簡単なことです。が、争いを収め、事の次第を
見届けるのも重要でしょう﹂
寛大な笑みの向こう側に抜けた微風が粘りのある匂いをさせたの
にブラフマーは感づいた。
ベリアルはニヤリと糸を引くような微笑みを浮かべ、翼に悪意を
のせて閉じた。
﹁覚醒の時は近い。君たち犬の王を迎えようではないですか。これ
から始まる、女の尻で鼻をかむような優雅な出来事を見届けましょ
う﹂
またしても汚らわしい形容に、炎の胸に苛立ちがこみ上げた。し
かしその中でブラフマーの疑念は確信へと変化した。
奴らは救世主を狙っている。
﹁覚醒が行われた時、我々の勝利は決定するのです。貴方が美学と
主張する蛮行もこれまでです﹂
ブラフマーは敢えて挑発した。敵の狙いを探る必要性を認識して
14
いたからだ。
﹁はたしてそうだろうか。神が必ずしも神として覚醒すると確証が
あるわけではない。どちらに転ぶかは、本人しだいなのだよ﹂
と、ベリアルのカビに似た笑みは、再びフェアリースペースの彼
方へ光速で飛び去った。
ベリアルの黒い閃光を見送るブラフマーは、炎を少し青くした。
世界は未だ、どちらに転ぶか解らない。ブラフマーもそれは分かっ
ている。救世主が必ずしも自分たちの救世主である確実性など、恒
久的に存在するものではないのだ。
だからこの時、ブラフマーは炎の背筋に、氷のようなものが張り
付いた気がしてならなかった。
4
皆無。この言葉が宇宙空間を支配下に置いていた。
宇宙がこの世として世界という名の器になる時、宇宙空間を埋め
るのは物質と反物質だ。対称性の破れ。物質と反物質が対消滅を起
こすこの現象が宇宙空間の創世記には起こる。が、それらすべてが
消滅することはなく、物質が残ったからこそ、人類が生息する宇宙
は今も物質に満たされている。
だがすべての宇宙が例外なくそうなるわけではない。
対称性の破れが起こらない宇宙がここにある。触れられるものな
ど1つもなく、世界はただ闇がどこまで進んでも味気なくあり続け
た。
光さえもなく、気温さえもない漆黒の中にはしかし、生存という
にはあまりにもおぞましいながら、確かに生存体という概念に縁取
られた者たちが群れを形成していた。
片や純白を闇に溶かし、空間を埋め尽くす天使の軍団。その先頭
に立つのは黄金の甲冑に包まれた一人の若者であった。その頭髪は
半分が白く半分が黄金に光っていた。ラーは腕に備えた光で行く先
15
を照らし、すべての敵対者を光で燃やし尽くしていた。現に宇宙空
間に爆発の帯が現れ、魑魅魍魎が炎の中で阿鼻叫喚となっていた。
対する敵対者の中心、爆発の中でただ1つ、微動だにしないでヌ
ラヌラとした黒い細胞の沼を下半身として、筋肉質の人型の上半身
を硬くするアザゼルは、腕に巻き付いた忌まわしい鎖を振り上げ、
雄叫びと同時に腐敗の光を漆黒へ広げた。それはデヴィルの御旗で
あった。
するとラーの炎で焼き尽くされた残骸が大陸のように広がるアザ
ゼルの黒い細胞に吸引され、沼から這い出る両生類のように悪魔の
息子たち、デヴィルズサンが再び百億を超える単位で誕生し、天使
軍団へと突撃した。
﹁ワシの友よ。忌まわしき天使をつれ、何故にワシと対立せねばな
らぬのだ。お前たちの対立の理由がワシには理解できない。ワシら
は友であるはずなのに、なぜお前たちは消えてしまったのだ﹂
憂いを表面が岩を思わせる顔に浮かべてアザゼルは囁いた。
人類の距離概念で500キロが2つの存在の前に横たわっている
が、ラーの聴覚は古の友の言葉をハッキリと認知していた。
﹁わたしはけして君を見捨てたわけではない。何度もそう言ってい
るはずだ。我々は君の友であり続ける。それが答えだ﹂
﹁嘘だ﹂
軽蔑の眼差しと嫌気を絡めた舌先がアザゼルから放射される。
﹁ならばなぜ、天使などと一緒に居る。汚らわしい天使などと﹂
天使を限りなく嫌悪の指先でしか触ることのできないアザゼル。
﹁神というのは常に対等であらなければならない。神の自覚を有す
るならば、天使と行動を共にして当たり前ではないか。お前もデヴ
ィルならば神の立場を理解しているはずだ﹂
ラーの口調が変化した。
このラーという神格は他の神々と多少、性質がことなっている。
1つの肉体に神格が2つ入り込んでいるのだ。つまりラーとアトゥ
ムという神である。誠の姿を肉体の忌引きから開放されたならば、
16
2つの神が分離し絶大なる力を誇ることができるであろう。しかし
ながら神の開放、覚醒はつまり、宇宙そのものの消失を意味する。
神がこの世に降臨するというのは、衝撃がそれだけ壮絶ということ
なのだ。
アトゥムはラーよりも口調が辛かった。
﹁お前たちもワシが天使にどのようなめにあったか分かっているは
ずだ。これを見ろ。これが証だ﹂
と、アザゼルは両腕の鎖を1つの肉体と2つの神格に見せつけた。
ラーは口をつぐむ。正義とは時にある立場の者にとっては脅威で
しかないと理解しているからだ。けれどもアトゥムにその考えは絶
無である。
﹁天使は神である我らの意思を体現したまでにすぎない。恨むなら
ば我々を恨むことだな﹂
﹁ならばそうしよう、犬どもよ﹂
アザゼルは獣すらも逃げ出すほどの、生臭い叫びを宇宙空間全域
に轟かせた。
デヴィルズサンは己の父の咆哮に応え、天使の軍団へ牙をむきだ
し肉の濁流となって迫っていった。
さっきとは真逆に、憂いの波紋を広げるラーの顔が宇宙空間に刻
まれていた。するとアトゥムが心中で呟いた。
︵変えられない運命もある。我々はアザゼルと関わった。その運命
は変換することはできない。対立の定めは忘却できない︶
﹁いいや。きっと変わる。彼が覚醒すれば﹂
ラーもまた救世主の覚醒を望み、徒労の戦いに決着が来る日を願
ってやまなかった。
5
星の最期はそこに物理法則を凌駕する現象を作り出す。質量があ
る一定の重さを超えた時、星は超新星爆発の末、自らの重力に押し
17
つぶされ、ブラックホールとなる。シュバルツシルト半径に入った
ならば、光さえも内部からでることは永遠にできない。
この宇宙にはそうしたブラックホールが視界の限り、宇宙空間を
埋めていた。空間そのものがブラックホールという天体に付属して
いるのでは錯覚を起こすほどの数である。しかも大きさは人類の平
均成人女性の手の平に乗るような大きさから、超銀河団が幾つ呑み
込まれても埋め尽くせない巨大なものまで、あらゆる大きさが石を
ばらまいたように拡散していた。
天体という人類が理解する概念は1つとて存在せず、ブラックホ
ールが星々の代わりに、星間物質の代用品として宇宙空間にあるの
だ。
その中にあり、1つだけ無数の銀河を内包した星雲の塊が擦りつ
ぶすようなブラックホールの隙間を抜け、宇宙を海草のように流れ
ていた。
アメノミナカヌシ。この銀河を複数、内部に納めた星雲もまた、
神格の一柱であった。
﹁神はどうして僕の邪魔をするんです。僕はただ第二の天を創造し
たいだけだよいうのに﹂
星雲の前に1つの人影が現れる。ホモサピエンスの姿をした、青
年だ。青年の声音には甘い香りが混じり、白く透き通る肌は、触れ
ると弾力がありそうなほどに、濡れ光っていた。デヴィル、サタナ
エルが青年の名である。
﹁世界の創造は我々が行う。デヴィルが行うものではない﹂
アメノミナカヌシは銀河の内部から激しい声量を放出した。威厳
に隠れてしかし、恐れに近い感情がそこには含まれていた。
﹁ダークコアは、墜ちた神々は創造を許され、僕が許されない道理
はなんなんだい?﹂
﹁神々はダークコアの所業を許してはおらぬ。お主の創造も例外で
はない。神々以外の創造は邪であり、妨げねばならない。お主にも
理解できるはずだ﹂
18
と、今度は諭すようにアメノミナカヌシは言った。
サタナエルは下唇を噛む。まるで子供が我慢を言いつけられたよ
うに。
小僧のような眼差しを幾つもの銀河の渦に再度むけ、青年デヴィ
ルは叫ぶ。
﹁兄弟なら、きっと僕の兄弟たちなら僕が言いたいことを理解して
くれる。きっと救世主の彼なら﹂
﹁ほう﹂
感心したかのような声をアメノミナカヌシは発する。ブラックホ
ールに消えるその声は冷静としか判断できないものであったが、神
の心中はしかしこのとき、苦いものがこみ上げていた。
﹁デヴィルが救世主の覚醒を望むというのか﹂
サタナエルは頷いた。その頷きには力がこもっている。
﹁兄弟の覚醒は僕の望みをきっと叶えてくれる。だって兄弟なのだ
から﹂
否定のしようがない事実だが、アメノミナカヌシを含む複数の神
々が待ち望み、すべてを変革してくれる救世主が、デヴィルと兄弟
であるとは、やはり神としては認めなくない真実であった。だから
こその苦い思いが銀河の群れを漂っていたのである。
6
煙のようでもあり水に溶ける絵の具のようでもあるその形が定ま
らない生存体を、神々とデヴィルはアストラルソウルと呼ばれてい
た。
人類を含む数多の生存体は、人類がそうであるように複数の素粒
子が構築する組織体である。がその一方で精神のみの、つまり複合
霊体と呼ばれる状態の生存体も中には存在する。人類が思考できず、
認識を不可能とする生存体であった。
しかしこうしたあらゆる形でその生存を確実なものとする生存体
19
にはほんらい、なんら共通点が存在しない。源を1つとする生存体
ならば、あるいは複数の共通点を所有しえるが、数多の次元、宇宙
に無関係に生存圏を保持する生存体たちには、共通点がありはしな
いのだ。
が、共有点がたった1つだけある。すべての生存体は無限大とい
う果てしない数字に等しい数だけの精神体、つまりは魂と呼ぶべき
非物質が重なり合って構築されているということだ。簡略的にいう
なれば、生存体とは薄い紙のような魂が束となって1つの個人を形
成している。それが自然の摂理なのである。
そうした無限の精神体が1つとなって個人が形成されているが、
それらはすべて殻のようなものに納められている。人類でいうなれ
ば肉体が殻である。精神体は殻に納められている以上、その本来の
姿を披露することはできず、物理空間で制約が課せられているよう
に、不自由なのである。が、アストラルソウルという生存体の上位
存在へ進化した時、生存体は本来の意味での自由を謳歌できるので
あった。
ここはそうした究極の進化の先端に立った者たちが生存する世界、
アストラルワールドと呼称される世界である。
雲、あるいは霞のように物理的視覚の能力が認識するアストラル
ソウルは、けして眼に認識されるものではない。物理空間を含むあ
らゆる次元から独立し、離脱した場所なのだから。
けれども例外はある。そうしたすべてを超越した存在を認識でき
る存在、つまり神とデヴィルがその例外だ。
ヨセフは青と白の間を行き交う色の肩まで伸びる髪を搔き上げ、
下唇を噛み、疲弊した隈のある眼を上部へ向ける。すると複数のア
ストラルソウルが風に吹かれるように消滅した。神は何者による意
図ある消滅なのかを理解し、その消滅が兆を超える生存体の消滅で
ある事実もまた、疲弊した脳の上にスライムのように流し込まれた。
彼には1つの霞の集合体にしか認識できないそれは、人類概念の
数字では数えきれないほど、アストラルソウルが集結した、コミュ
20
ニティなのだ。だから風に吹かれるように霞が消えたように、穏や
かな光景に見えたとしても、それは凄まじい数の生存体を消滅させ
た残虐行為にほかならなかった。
ヨセフの瞳が正面をまた見据えた時、自らの虐殺行為が甘い味の
するものであることを噛みしめるアモンが、悪戯をした子供のよう
に微笑んで神を見据えていた。
﹁なにをそんなに憂うことがある。生存体を消滅させる。それがデ
ヴィルの摂理であって自然界の掟だ。それを悲しみで見るとは、つ
くづく貴様も変わった神だな﹂
黒く短い髪を撫でつけ、アモンはヨセフの感情が理解できない様
子で、首を人形のように傾けた。
﹁貴方へ言うのはきっと違うのでしょうけれど、わたしには分から
ないのです。生存体は産まれます。そして生きて必ず終着地点には
死が待ち受けているのですよ。それなのになぜ、生存体は生きるの
です。なぜ死ぬために産まれるのでしょう﹂
神とも思えぬ問いに、アモンは絶句した。ここまで神が甘いこと
を言い出すとは思っても居なかったからだ。
﹁馬鹿じゃねぇのか。貴様ら犬が構築したシステムだろうが。産ま
れて死ぬ。ルールがなんのために存在するかなんぞ、俺が知るわけ
ねぇだろ。それに、魂ってやつは生存体から離脱しても永劫にあり
続ける。つまり生死とは一時のことであって、すべての魂は生死を
1つのプロセスとして通過するだけのこと﹂
と言いつつアモンは呆れた笑みを口元に浮かべた。自分が神のよ
うに説いているのが馬鹿馬鹿しく思えたのだ。
だが、ヨセフはそれが疑問の種にしかならず、種を奥歯で噛み砕
く感覚をおぼえた。
神々の意見の総意として、世界はそうした構造となった。魂と呼
ばれる存在がつまりは生存体という器へ入り、あらゆる多次元にそ
の存在を置き、多次元生存体として生から死へと向かう。そして器
の崩壊により魂は霊界へ一時保管され、生存体であった期間の行い
21
が魂の位を上昇させる。
しかしそれが正しいのかヨセフには疑問であった。生から死とい
うその期間、神々にとっては一瞬でしかないその僅かな時間に、生
存体は大なり小なり波を経験する。心という不確定なところに癒え
ない傷を負うこともある。それが位を高めるための鍛錬だというの
が神々の考えであるが、それほどのことをしてまで、魂の位を上昇
させて、いったいその先になにが待ち受けているというのだろうか。
魂は魂、生存体は生存体、個人を差別するだけなのではないだろう
か。
ヨセフの心理にはそうした疑問が浮いては沈みを繰り返していた。
けれどもこの疑問を口走ることは、つまり神々への離反と見なされ、
堕天する可能性もあった。だからこの場でしか口にできなかった。
皮肉にも最大の天敵たるデヴィルの前でしか思想の主張は許されな
いのだ。
﹁答えをここで出すのは時期尚早。わたしが結論づけることではな
いし、君と議論する問題でもない。忘れてくれ﹂
ヨセフはそう言うなり右腕を掲げた。すると腕全体が青く燃える。
まるで丸太が青い炎に包まれるように。
﹁次ぎは戦いというわけか、ヨセフ。いいだろう。世迷い言をぬか
すより、そっちのほうが分かりやすくていい﹂
アモンも戦いに賛同し、ニヤリと好物を前にしたように微笑する。
と、彼の身体から黒く、粘度の高い液体が放射された。刹那、それ
は一匹の獣へと変化した。豹や獅子の類いに容姿が類似したそれは、
アモンの下部として、ヨセフの前へ躍り出て対峙した。
この時、ヨセフは戦いの間際でも思うことがあった。
彼がきっとすべての答えを導き出してくれるだろう。彼の考えこ
そが、世界のすべてを変え、きっと良き未来を導いてくれるのだか
ら。
例え、神々の考えと相違があったとしても、良い未来なれば。ヨ
セフは深く心に呼吸のように刻み、炎に包まれた腕を振り下ろした。
22
7
残暑と言うにはあまりに日差しの厳しさが身体のしみこむ日々が
続く季節、街の建造は着実に行われていた。
環状線の黒い焼けるようなアスファルトの上に立つだけで、重機
の音、風で流れる排気ガスの匂い、眼にしみる砂埃は、そこに新し
い街、希望の都が誕生するのを示唆していた。
ビル群が建造中の市街地から数キロ離れた場所では、住宅街の建
造が急がれていた。宇宙開発関連企業が大半を占めるであろうオフ
ィスビル街ばかりがなにも街という巨大な生命体のすべてではない。
都市の構築にあたり、中枢となるのはやはり、生活空間である。
建設中の建物は一戸建てが多く、そこが建設後、上流階級の人間
たちが生活の拠点にする地域になる予定であった。
コンクリートと鉄筋ばかりの市街地に比べ、そこは閑静な住宅街
になる予定だけのことはあり、残暑も多少は並木のおかげで丸みを
おび、中心街の重機の喧噪が遠くに響くばかりで、蝉の残り僅かな
体力で振り絞る、けたたましい鳴き声の方が耳障りなほど、市街地
とは頬に感じる感触がまるっきり異なっていた。
環状線の完成より多少遅れている道路建設は、住宅地でも例外で
はない。半分を黒いアスファルトで覆われた二車線通りも、途中か
らは砂利がまだ露骨に剥き出しにされ、重機が通る度に、砂塵が空
気をにごらせた。
黒い革靴が砂利と砂で傷つくのを怪訝に思いながら、自らの拠点
となる教会の建設を見つめる2つの瞳は、しかし希望とは少し離れ
た場所に位置しているふうに他者がこの場に居たならば、そう見え
ただろう。
男の眼前では鉄筋の足場をブルーシートが覆い、内部で教会の建
造が急がれていた。このとき、着工から二ヶ月が過ぎていた。
黒いイタリア製の黒いベストをワイシャツの上に着るマックス・
23
ディンガーは、さすがに暑さがこたえるらしく、尖った顎先から汗
の滴が焼ける砂利へと落ちていた。
猛暑日が続くという予報は例年通り、ラジオの天気予報から、軽
快な音楽と同席しながら流れてくる。マックス・ディンガーはそれ
が腹立たしくてしかたがなかった。そうした苛立ちは、こうして炎
天下に身体を置く今も、自然と顔の輪郭を歪めるほどである。
﹁いつまで暑さが続くのでしょうね﹂
不意に声をかけられ、建設現場から背後の気配に視線を移した時
には、神父はすでに声の主が誰であるかを理解した上で、不機嫌な
顔を声の主に向けていた。
﹁君が思うところを理解しているつもりだよ、ディンガー君。なぜ
このような時代に自分を送り込んだのか、それが不服なのだろう?﹂
尖った顎先の汗の滴を指先で拭い、マックス・ディンガーは微笑
をたたえた。もちろん皮肉の意図しかない笑みである。
﹁仕事ですからしかたがありません。例え文明が発展途上の時代で
あっても、暑さに弱い俺が夏の時期にここに来なければならなくて
もね﹂
神父という職業を一応は表向き名乗らなければならない立場にあ
りながら、口調とそぶりは粗暴なマックス神父。
そんな彼の姿が滑稽に思え、笑ってしまった丸めがねの小男は、
マックス・ディンガーよりも低い頭をさらに低く、開花季節が過ぎ
たひまわりのように下げ、
﹁少しお相手願いますよ﹂
と、恭しく彼を砂利道の先へと、腕をホテルのボーイのように伸
ばして促した。
自分の上司であるジョセフ・クライストという男がどうにも苦手
なマックス・ディンガーは眉間を狭くした。
人当たりがよく、部下からも慕われ、ミスをした時もその場では
注意するが、後を引かずその場だけで事を納め、さらにはフォロー
までしてくれる部下にとってはこれほどよい上司はいない、と思え
24
る人物が彼である。
しかしながらマックスにはいまひとつ、彼の底が見えず、信用が
おけなかった。
マックス・ディンガーの本業は工作員である。工作員としてこの
時代へ配備される前は、組織の第三工作機関の一員として元の時代
で仕事をしていた。が、この時代へ派遣される辞令が出た矢先、ジ
ョセフ・クライストの下に配備され、彼が上司となった。確かに評
判通りの人物で、誰に対しても、どんな身分の者であっても、隔た
りなく接する好人物という言葉がふさわしい人。
が、だからこそ、人の裏ばかり見てきた彼にとって、これほどの
好人物が逆に虚像に見えてしかたがなかった。まるで濁った湖面か
ら底を見るように、透明度が限りなく悪い人物、それが工作員とし
ての彼の印象であり、現在まで変化が生じることは断じてなかった。
マックス・ディンガー神父は促されるまま、この惑星をガスコン
ロのように熱する陽光を浴びながら、砂利道を街の外れまで歩いた。
住宅街の外れには小さな丘があり、公園として開発途中であった。
そこの天辺に設置されたベンチからは街が一望できる。2人はその
ベンチの前に立った。
高いところだけあって、海からの潮風が多少なりとも暑さを緩和
した。
始まりの街
になる。すべてはここから始まる﹂
建設中の街を見下ろす神父とその上司。
﹁ここが
﹁俺にとっては終着の街だがな﹂
ジョセフ・クライストの風が抜けたような穏やかに発せられる言
葉に対し、不機嫌の度合いを増すマックス神父。
﹁ソロモンの計画は君も把握していると思う。再度、確認する﹂
丸めがねの縁を人差し指で押し上げた小男上司は、咳をしてから
言葉を続けた。
﹁我らが組織のそもそもの理念として、科学技術こそが世界の安定
と秩序、未来を形成するとしていることからも、君がこれから行う
25
べき行動は、ソロモンのみならず、すべての運命に絡んでくる。そ
れほどまでに君が育てる﹃コア﹄は最重要なのだよ﹂
神父が本来、この時代へ派遣された目的は、孤児院の設立により、
孤児を集め組織の優秀なる兵士へ育成することに重きを置いていた。
が、この時代へのタイムワープ直後、舌触りの苦い辞令が彼の頭上
へと落ちてきたのは、一ヶ月にも満たない前のことである。
上司はそうした彼の不満を十分咀嚼できているからこそ、敢えて
自ら脚をこの時代へ運び、彼へ目的意識を認識させようとしていた。
﹁もう一度言う。君は﹃コア﹄を育成する重要な任務に選ばれた。
これは︽運命図︾にも記されていることであり、けして君の不満で
変更が可能となる事柄ではない。それを理解してほしい﹂
ジョセフ・クライストは口調を珍しく厳しい方向へ向けた。
それだけでマックス・ディンガーはこれから自分が成すべき任務
の重さを背中に感じた。
﹁だが、あんたにも関係あるんじゃないのかい﹂
自分ばかりに荷物を背負わせるソロモンへの、神父ならでわの皮
肉で行う、僅かながらの抵抗であった。
﹁﹃コア﹄はソロモンにとっても、これからの時代や時空にとって
も重要になってくる。だが、さらに重要になるのは、あんたの息子
だ﹂
皮肉の笑みを目尻に刻む神父。
﹁あんたの息子と﹃コア﹄は激しく絡み合っている。︽運命図︾に
はそうあるが?﹂
しばしの沈黙が蝉の声を浮き立たせる。2人の額には汗の粒が光
り、互いに言葉をなくした。
5分という実に長い時が過ぎた。汗は額から頬をつたって、顎に
流れている。
胸を膨らませ、大きく息を吐き、沈黙のカーテンを開けたのは、
ジョセフ・クライストであった。
﹁彼はわたしの息子などではない。妻が命をかけている、ただの男
26
にすぎない﹂
と、この時ばかりはジョセフ・クライストの顔に好人物の影は微
塵もなく、嫌悪感と憎悪の皺が眉間に山を作っていた。
27
第1話︱1︵前書き︶
今、全次元、全時間を巻き込んだ︽神話戦争︾が始まる。
28
第1話︱1
1
昨晩のアルコールがまだ残っていた。安いウィスキーを飲んだの
がまずかったのか、BARを出てから5時間、何をしていたのかま
ったく覚えていないメシア・クライストは、朝日がビルの隙間から
梯子のように伸びる先の5メートルほどしかない短い橋の上に立ち、
眼球の奥にしみる朝日を眺めていた。首の後ろから後頭部にかけて
上がる気分の悪さと、重心の傾きを抑えられない倦怠感が肉体を支
配しているのが分かった。
湖面に顔を出したように視界がはっきりして意識が戻り始めて、
そこが知っている場所なのに気づいた。携帯電話で時間を確認する
と、6時を過ぎたばかりだった。
とりあえず知っている場所で休みたいと考えたメシアは、アスフ
ァルトの少しのくぼみにすらもブーツを引っかけてしまう足取りで、
身体を休める場所を目指した。
街の朝は人の気配に満ちていた。彼が立っていた橋は少し路地に
入ったところにあるためか、人の気配がまばらだったがそこより、
少し通りの大きいところへ歩を進めるだけで、ラッシュアワーの大
河へとぶつかった。この日は平日ともあって朝の人混みは喧噪を極
めていた。路地から顔を出す彼の表情は明白な二日酔いが目の下に
現れ、通り過ぎる人々の瞳には、怪訝のもやがかかっている。
腹部から刺激の強いものが上がるのを喉に刺さるトゲで把握しつ
つも、吐くまではいかず、ひたすらに人の波の中をめまいを伴いな
がら歩く。
人混みから逃げるように離れた先に、角が欠けたコンクリートの
階段が現れ、彼は這うようにその三段を駆け上がると、いつも以上
に重く、渋い木のドアにもたれかかるようにして開き、釣り上げら
29
れた魚のごとくすぐ目の前の長いすに座った。
朝とあって人の姿はないが、古い教会の天井付近にあるステンド
グラスから朝日が中央付近へ降り、神々しい朝の空気が張り詰めて
いる。
メシアは自分が場違いなのを理解しながらも、そこで時間にして
20分、全身の力を抜き、ぐったりと横になっていた。
奥の色あせた木製の分厚い扉が開き、1人の男が礼拝堂に入って
きた。中年の男である。
丸い眼鏡をかけた男の姿は誰が見たとしても、神父とすぐに分か
る黒い衣服を着用して、手には分厚く、古びた聖書を持参していた。
マックス・ディンガー神父は丸めがねの奥から礼拝堂の一番奥の
椅子に立ち膝をしている男の姿をすぐに見て取り、軽く微笑した。
﹁また朝まで呑んでいたのですか?﹂
神父の声は溜息のそれと同じである。これで何度目か、という溜
息である。
﹁とりあえず水を﹂
力のない腕が椅子の奥から天井に上げられ、神父に助けを求めて
いた。
やれやれと首を振る神父は、聖書を横の台に置き、一度おくへと
引き返し、3分ほどで戻ると、打ち上げられたわかめのようなメシ
アへ水の入ったグラスを差し出す。
身体のバランスがとれない彼がようやく身体を起こし、ステンド
グラスの光が乱反射するグラスを握りしめ、一気に水を喉の奥に流
し込み、顔の中心に皺を寄せ、自分のふがいなさと多少はスッキリ
した気分を、大きな呼吸で表した。
神父は人差し指の第一関節の甲をくるりと丸めて眼鏡の縁を押し
上げる。大きさが合わないのか、定期的に眼鏡を押し上げなければ、
鼻の下まですぐにさがってきてしまっていた。
﹁気分が良くなるまでここで休むといい。まあ、君のことだ、そう
するだろうがね﹂
30
嫌味のない笑みを浮かべ、メシアの肩に手を置いてから、革靴を
古いコンクリートの床で鳴らしながら、奥へと戻って行った。
﹁ありがとうございます﹂
一応の挨拶はするものの、毎回のことだけに悪びれる様子のない
メシア・クライストである。
奥の木戸が閉じるのを見届けてからふと壁際の置き時計へ眼をや
る。赤ちゃんの様相をした2人の天使が時計を掲げているデザイン
の時計。その針は6時半を過ぎたことを彼に提示している。
仕事に行く準備をしないよ。いったん、家に帰るか。心中で呟き、
さっきよりは姿勢を保てる身体を起こす。と、手にコップを掴んで
いることに気づいた。
家の次ぎに親しみのある建物だから、見取り図は完璧であり、自
然と神父が戻った木戸を開け、小さい中庭を抜ける廊下を通り、神
父の母屋へと脚を踏み入れた。
﹁コップ返しにきたよ﹂
水分を摂取したそばから乾く、どくどくの二日酔い症状がある舌
先で神父を呼ぶ。
が、奥から聞こえてきたのは、言い争いをする声であった。
﹁どうして分かってくれないの﹂
若い、少女の幼さが残る声色が激しく拒否する声だ。
﹁君こそ何故わからない、マリア。もうここは君の居る場所ではな
い。独り立ちの時だ﹂
﹁分からない。お父さんはわたしをどうして追い出したいのよ﹂
丸い眼から滴が今にもこぼれおちそうになりながら、彼女は神父
を睨むように見つめていた。
﹁マリア・・・・・・﹂
神父の分厚く、太い指が彼女の小さい頭に触れた。
が、彼女は神父の腕を振り払い駆けて部屋を出て行った。
部屋の出入り口でコップを手にしていた彼の横を、細身の彼女が
通る。その顔には気まずさがにじんでいた。
31
突然の事にコップを持った手を上げたまま呆然とするメシアを神
父はみやった。丸い眼鏡の奥の眼はペンで書いたように細くなって
はいるが、目尻の皺には苦いものが浮かんでいる。
﹁追いかけてくれますか﹂
まだこめかみの辺りに締め付けるものがあるメシアは、コップを
入り口付近に置かれた棚に置き、足早に踵を返した。
丸めがねを人差し指で押し上げ、後ろで腕を組むと1つ溜息を吐
いた神父は、数歩先の淡い赤色のクロスがかかったテーブルの上に、
テレビのリモコンと無造作に置かれた携帯電話を見つめた。
第1話︱2へ続く
32
第1話︱2︵前書き︶
空から降る炎は、人類の歴史を破壊した・・・・・・。
33
第1話︱2
2
開発段階の都市は、鉄筋に覆われている。工事の音があちこちか
ら海へ流れてきていた。
堤防に腰掛けるマリア・プリースは潮風にたなびく前髪の下で涙
を拭いていた。
﹁泣き虫は相変わらずだな﹂
しわくちゃのポケットティッシュが彼女の前に現れた。町中で配
られている消費者金融のティッシュだが、だいぶ前のものらしく、
このタイミングでこれを渡すメシアの不器用さがおかしくて、涙目
に笑みがこぼれた。
ティッシュを受け取り、鼻に当てすするマリア。
その横にメシアも腰掛けた。潮風にまだアルコールの匂いが混じ
っているのを自身でも理解できた。
﹁珍しいじゃないか、神父と喧嘩するなんて﹂
﹁・・・・・・﹂
涙を拭う仕草を繰り返す彼女は、口を開こうとしない。
彼はそれ以上、質問はしなかった。ただ彼女のほしく白い手を握
り、静かに白く砕ける波を見下ろした。
マリア・プリースと神父の関係は親子という形にはなっているも
のの、実際は親子ではない。彼女は教会の前に捨てられていたので
ある。神父がその娘を自らの子として育てた。それがマリアなのだ。
そのせいだろうか、彼女は小さい頃からわがままを言わない娘で
あった。例えほしいものがあったとしても、悩み事にさいなまれた
としても、けして神父に相談をすることも、愚痴をいうことも、ま
してや喧嘩などすることもなくこれまで育てられてきた。
34
﹁お父さんがね︱︱﹂
涙を拭い、マリアが震える声を絞るように出した。
﹁︱︱教会を出ろっていうの、突然﹂
また涙で視界がにじんだ。
﹁わたしのこと、要らなくなったのかな・・・・・・﹂
彼女は来年には大学を卒業する。生物学を専修し成績も悪くなく
隣町に設立されたばかりの博物館への就職が無難ではないかと神父
と彼女の間ではすでに決定事項としてあった。
メシアもその話は聞いていた。
﹁必要とか要らないとかの話じゃないと思うよ。神父はマリアに自
立してもらいたいんだろ﹂
﹁だったら今まで通りでもいいじゃない! 家から博物館までなん
てたいした時間じゃない﹂
興奮する彼女の、線の細い方を抱き、身体にメシアは寄せた。夏
場の日差しは2人の額に汗の粒をすでに作っていたが、気にしなか
った。
﹁マリアも本当は分かってるんだろ? この場所に来たってことは、
悩みを海に捨てるってことだ﹂
小さい頃から彼女は悩み事があるとここに来ていた。
その時、隣にはいつも彼が寄り添っていた。悩みも苦しみも彼女
の生きてきた道を、彼は常に見ていたのである。
握った手をメシアは強くした。
潮風が2人の頬を撫でる。朝の匂いは次第に消えていき、都市は
喧噪へと溺れていく。
と、その時である。メシア・クライストは視線の端に飛び込む黒
い物体に気づいた。ふと横に視線の矢を向ける。すると蒼天をひっ
かいたような白い跡が空にくっきりと浮かんでいるではないか。
﹁なんだろう﹂
抱いたマリアの肩に入れる力を緩めて、彼女へも認識させようと
した。
35
涙と汗をテッシュで拭い、彼女も小首を上げた。確かに彼女の水
晶玉のように丸い眼にも一筋の白いラインが見えた。
﹁飛行機雲かな﹂
まだ泣いたばかりだからか、声が少し枯れてくぐもっている。
晴天に一筋の雲が北側から西側の空へと続いているように見える。
が、飛行機雲の定規で引いたような雲とは明白な異なりがあった。
一筋の雲というよりは、煙を横にしたような大きな膨らみが幾つ
もある。
1万から1万5千メートルが飛行高度なのに対し、明らかに雲は
高度が低い。
﹁飛行機じゃないぞ、あれ﹂
すぐさま彼の脳裡に、チェリャビンスクの隕石騒動を思い浮かべ
た。
現にを引くその何かは西の空で閃光をひらめかせた。
堤防の上に立ち上がる彼は、涙がまだ頬で乾かないマリアの腕を
引き上げ、多少強引に立たせた。
﹁逃げよう。ここは危険だ。もし隕石だったら衝撃波がくるぞ﹂
報道、放送、ネットで何度と繰り返されてきた衝撃の光景がメシ
アの脳裡に強く粘り着き、この状況で彼女を守る方法は逃げること
だ、と結論づけた。
堤防から乾いたアスファルトへ着地した2人は、町の方へとかけ
だしていく。
海辺から町へは幾つかの道が通っているが、彼らはその中でも歩
道に近い、車一台がやっと通る幅の、海岸への一方通行の道を選択
して駆けた。
自然の2人は手を繋いでいるが、お互いに汗が噴き出ていた。
メシアは彼女の小さく柔らかで、今にも消えてしまいそうな手を、
多少強引に引いて駆けながら、後ろを振り返った。自分の焦る姿に
不安を抱く彼女の表情を和ませるべく、笑顔を見せるが、自分でも
顔の筋肉が硬直しているのは把握できた。
36
ぎこちない笑顔を不安の影に包まれた顔に戻し、空を見上げる。
海岸線には高い建物がないせいもあり晴天を見上げるのは容易だっ
た。が、見上げて彼はその愕然たる光景に脚を止めてしまった。
意思疎通ができるほど個人が他者と交わる時代ではない。彼が停
止すれば彼女は予想通り彼の身体に細身をぶつける。
小さく悲鳴を上げ立ち止まるマリア。どうしたのよ、と彼を見上
げるとその瞳は天空に引き寄せられているのが分かった。
それをみた彼女もまた空を見上げる。そして息を引いた。
青い空に無数の雲が煙りのように八方へ筋を引いている。まるで
巨大な柱を空に組み立てたようだ。
﹁・・・・・・これは、ただごとじゃないぞ﹂
呆然の中にも驚愕をはき出すメシアは、さらにマリアの手を強く
握り、さっきよりも駆け出す速度を加速させる。
﹁とにかく頑丈な建物の中に逃げるんだ。地下でもなんでもいい﹂
興奮の口調は半分ききとれない奇声にも似ていた。
握られた手に痛みをマリアは感じた。と、痛みを感じたのと同
時に、メシアが凄い力で引かれ、自然と走り出した。
逃げることに必死で、彼女を気遣う余裕もなく、メシアは逃げ込
む場所を探す。と、渇いたアスファルトを蹴りあげ、首を振ってい
る眼に、ぽっかりと口を開けた地下鉄の入り口が飛び込んできた。
あれだ。と、口の中で叫びメシアは彼女を半ば放り込むように
して地下鉄の入り口を降りていった。
階段を駆け下り、ホームまでの長い距離を進もうと2人が脚を踏
み出そうと瞬間、地面から突き上げる衝撃で、2人は思わず鉄板を
貼った壁へてをついた。その手のひらからも、振動が微弱ではある
が伝わってきた。
同時に、今降りてきた階段から砂塵が吹き降りた。
﹁隕石が落ちた﹂
愕然と落とすようにメシアは呟く。そこには恐怖に震える感情
しかなかった。
37
マリアは力の限り彼の上着を掴んだ。
その手をメシアも包むように掴むと、地面を跳ねるようにマリ
アを引いて通路を進んだ。できるだけ地下へ、できるだけ安全な場
所へ。口の中にはそうした意図の言葉はかいむだったが、心中には
思いが大きく、マリアを助けたい、救いたいというのが、自然と速
度を加速させた。
脚が絡まりつんのめりそうになりつつも、彼の手にしがみつき、
彼女もその言葉の通り、必ず生き残るために必死だった。
開けたホームの入り口に、吹き出される水のごとく飛び出した2
つの影は、矢継ぎ早に改札機械を乗り越え、高さのない薄く、数段
の階段を飛ぶと、複数のホームへ伸びる、いく本の通路から、一番
右側を選択すると、胸の苦しさなど放置し、脚が持つ限り、全速力
で走った。
そして気づいたとき、これまでになく呼吸の粗い2人の疲労した
身体の前に、複数の人影があった。
そこは地下鉄のホームであり、電車がホームヘ滑り込んだまま、
機能している様子は感じられなかった。
それどころか、ホームへの電気供給も絶たれたらしく、非常灯が
非力な光を放つばかりである。
2人の他にも幾人もの人がまた、彼らと同じ考えで地下へと避難
していた。
自分たちだけじゃなかった、と安心の吐息をメシアが漏らした時、
またしても地響きと、這うような地鳴りが地下空間を揺さぶった。
しかも複数回。誰が感じたとしても、腹のそこから響くそれは、い
くつもの隕石が落下した衝撃なのは日を見るよりも明らかだった。
誰からともなく、耳をつんざいた、異変へ対する悲鳴は、ひび割
れた鉄筋コンクリートへ反響した。
稲妻と肩を並べる地響きは、天井付近の柱に蓄積したほこりと
砂塵と虫の死骸が、雪のように、降ってくる。その中にあって、美
しい花のような、唯一の支えであるマリアを、メシアは抱き締めた。
38
そこへ聞きなれた声が2人の肩を叩いた。
﹁無事だったか﹂
顔を上げた2人の前に黒いシルエットが、ぼんやりと湖面へ落ち
葉が浮き上がって来るように、揺らめきながら現れた。非常灯のせ
いもあるのだろうがどこか、蜃気楼にも見えた。
﹁俺だよ、ファンだ﹂
と、咳き込んでいう男の顔が2人の視野を支配した。
メシアが喜びで高揚した顔で立った。
つられてマリアも立ち上がったが、メシアの顔にあるような高揚
は皆無だ。
﹁生きていたんだな﹂
ファンと名乗る長身の男の肩を力強くメシアは掴み、生ある現状
を喜んだ。
と、メシアは服の裾を外側に引っ張られる感覚に気づいた。そこ
でマリアが自らの友であるファン・ロッペンと初対面である事実を
呑み込んだ。
﹁そっか、初めてか﹂
改めてメシアは彼女へ友を紹介した。
﹁ファン・ロッペン。大学に入学した日だったかな︱︱﹂
ファンの顔を見上げ、出会いの日を頭の中で追憶した。
が、状況は自己紹介すらも許してはくれなかった。雷鳴のような
割れる轟音が地下鉄構内を駆け抜けた。
﹁何やってんだ。死んじまうぜ、ここにいたら﹂
少年を連想させる、悪戯っぽさのあるころころとした声は、3人
の張りつめた緊張の糸を緩くした。
メシアとマリアは声色に聞き覚えがあった。
振り向くとやはり、身長が低い、少年というよりも小僧の風貌を
した、タンクトップにハーフパンツの男が、けだるげに3人を見て
いた。
﹁お前はやっぱりしぶといよな﹂
39
自然とメシアの口が緩み、心が和んだ。
イラート・ガハノフ。高校がメシアと一緒であり、メシアは同じ
年齢でありながら、弟のように扱っていることもあって、幾度かマ
リアとも会ったことがある。
が、2人が懐かしむ余裕も事態は与えてはくれない。再び落雷が
噛め際を走り抜け、地響きが地面から人間たちを突き上げた。構内
のタイルを悲鳴が撫でてパニックが花びらを開いた。
﹁外に出た方が生き残れるかもしれない﹂
話はすでに生死の分かれ道まで進んでいることを、淡々とファン
は口にした。
﹁駄目だ。階段は瓦礫で塞がれた。外には出られない﹂
状況をファンに説明するメシアの肩を、ファンは叩いた。そして
構内の全員を誘導するように発声した。
﹁トンネルだ。もうトンネルを通って次ぎの駅から外にでるしかな
い﹂
これを聞いたイラートは、先頭に立ちたがる園児のように真っ先
に、トンネルへと駆け下り、掛けだそうと砂埃が蓄積したコンクリ
ートを蹴り、煙を上げた。
﹁明かりもないのに1人で行く気? ほっと馬鹿なんだから﹂
と、スマートフォンをシーンズのポケットから取り出し、ライト
を点灯させ、ピチャリとイラートを叱る声を出す女性が、ファンと
横に歩みよった。
﹁スマホを所持してるなら、全員にライトを点灯させるべきね﹂
エリザベス・ガハノフ。イラートの姉で、メシアたち同年齢の男
たちよりも2つ年は上である。
イラートと仲の良いメシアは、昔からの顔なじみである。
またファン・ロッペンとも同大学でメシアとの親交があったこと
から、エリザベスとファンも知り合いである。
﹁いいや、駄目だ。全員がスマホを使用したら、すぐに電池が切れ
て電源がなくなる。半分の人間が点灯して、もう半分は電池を温存
40
すべきだろう﹂
小声でファンとエリザベスは会話した。
この時、初めてエリザベスと顔を会わせたマリアは、なんて美し
い顔をしているのかと思った。鼻筋は通り、眼は大きく、黒く長い
髪は薄暗い構内ですら濡れたように光っていた。
話を終えたエリザベスがマリアの視線に気づき視線を合わせてた。
マリアは思わず視線を下に落とし、顔を背けてしまった。
﹁皆さん、聞いてください。ここから出るために、皆さんで協力し
ましょう﹂
長身の男が話し出したことは、構内の注目を吸い取るには丁度と
良かった。
ENDLESS MYTH第1話︱3へ続く
41
第1話︱3︵前書き︶
戦場に放り投げられた運命を背負いし者たち。
それを守護する者たちもまた、動き始める。
42
第1話︱3
3
常に平静と信仰の場所たる教会。このときばかりは世界の動転に
揺さぶられ、地盤から突き上げてくる振動に、煉瓦と石壁の基盤が
悲鳴を上げ、天井から木片がこぼれ落ちていた。
炎天下の中、クーラーを設置する費用もない教会の中には、熱を
帯びた外気が隙間から吹き込み、汗で衣服が張り付いた男たちの不
機嫌さをさらに増大させる。
そればかりではない。事態が始まった現状に対してのおののきと、
焦燥感が彼らの心中の真ん中に根をはやしていた。
﹁第三工作機関としての仕事も今日で終わりですね﹂
緊張のせいなのか、鉛色に変色した顔の若者がマックス・ディン
ガーへ震えた言葉をかける。
﹁新入り。口じゃなく手を動かせ。これはシュミレーションでも訓
XM8を組み立て、マガジンをは
練でもない。実践だ。気を引き締めろ﹂
若者は慌てて手に持つH&K
め込んだ。
いつも娘であるマリア・プリース食事をし、勉強を教え、時には
喧嘩をした家族の居場所に、今は銃器が複数、無造作に置かれ、油
の匂いが立ちこめている。
防弾ベストで武装した複数人の男たち。まるで今までの人生が嘘
だったかのように、夢から強引に現実へ引き戻された気分で神父は
自らの住処を見渡した。
﹁情がわいたか。無理もないさ。1人の人間を成人するまで育てた
んだからな。親の気持ちになったってしかたねぇさ﹂
と、黒人で肩幅が広い男が、若者に向けた険しさが皆無の言葉を
43
神父に投げた。
その腕は薄い笑いを浮かべながらも、H&K
のスライドを引き、弾丸を送り込んでいた。
USPハンドガン
﹁この時代に来る前のあんたとは大違いだな。毎晩、寝る女が違っ
たお前が、今じゃ娘を心配する温厚な親父であり、近所の連中から
慕われる神父だとはな。人間も変われば変わるものだ﹂
昔なじみをからかうようにして、ハンドガンをホルスターへ納め
る男。
USPハンドガンに視線を落とした神父の顔には、
﹁まさかわたしも思いもしなかった。自分がコアに愛情を抱くだな
んて﹂
手荷物H&K
XM8を持
娘を思う父の視線しかなく、ソロモン第三工作機関の一員の意識は
皆無であった。
﹁仕事を忘れるんじゃねぇぜ﹂
父親の気持ちを断ち切るように、黒人の男はH&K
ち上げ、スコープをのぞき込んだ。
﹁運命図にはあんたが保護者になることで、コアが良い方向に向か
うとあった。だから選抜されたんだ。仕事なんだぜ、これは。情な
んて捨てろ。お前が育てたのはコアだ。デヴィルを掃滅するための
兵器にすぎないんだ﹂
視線を上げ、丸い眼鏡を指で押さえた神父は、
﹁ああ、分かっているさ。戦争なんだからな﹂
と小さく口の中で囁いた。けれども胸の奥で逆毛を立てる感情が
ある。娘を失いたくない。それを打ち消すことは、神父にはできな
かった。
ENDLESS MYTH第1話︱4へ続く
44
第1話︱4︵前書き︶
逃げるメシアの前に、次々と世界は変化して姿を現す。
45
第1話︱4
4
線路の下に敷かれた丸石は、避難者の歩みを鈍足なものにした。
建設開始から年数が浅い都市のコンクリート、アスファルトは滑ら
かに整備され、足下を汚す泥などは、工事現場を別にすれば眼にす
ることもない。
そうした現代人が足場の悪い砂利道を避難するのだ、足取りに重
りを課しているようなものである。
避難する際、ファン・ロッペンが自然と会話の中心となり、ホー
ムに避難した20名近い老若男女、国籍、肌の色、顔立ちの違う人
々を避難へと誘導した。
が、十人十色とは人間を的確に形容しているもので、避難を主張
する人々は素直に長身の男が促す通り、スマートフォンを取り出し
て、ライトを確認するものもいれば、トンネルの先の闇を、ホーム
端から覗き、唇を青ざめる者もいた。
だがこうして人々はまだ思考のベクトルが一緒であるから、問題
とはならなかった。ホームで避難の際、もめたのはホームで救助を
待つことを選択した人々との対立である。
状況が分からないのに無闇に動くことはリスクが大きい、と訴え
る人々はファンを見上げ、首を横に振った。
しかしながら事態を把握している者、メシア・クライストを中心
とする人々の言葉、そうした人々の考えを根元から引き抜いた。
﹁隕石が街に落ちている。救助はいつになるか分からない。ここは
生き延びる努力をすべきだ﹂
メシアの言葉に避難を指示する人々は賛同し、現状が人類の範疇
を超えた災害に発展していることを力説した。
46
しかし、ここまで説明しても自らの意思を曲げない者はいるもの
で、最終的にはホームに残ることを選択した。
そうした数名の人間たちを残し、後味の悪い脱出を彼らは試みて
いるのである。
メシア・クライストはホームに残った人間たいが妙に気になって
いた。中には脚の悪い老人の、老衰した姿も見られ、彼の気持ちを
後ろに引き戻そうとしていた。
けれども彼には守る者がいる。右手に握ったその震える小さい手
を、離すことも、この場からマリア・プリースを置いて離れること
もできはしない。
だから自分に言い聞かせていた。守るべきものは、彼女であって、
見知らぬ他人ではない、と。
何度からメシアは後ろを振り返った。やはり心中の濁りを清水に
することなど彼にできはしない。
﹁急げ、メシア。もうすぐのはずだ﹂
ファンの声が聞こえ、前方へ視線を羅針盤のように戻した時、友
が当てるスマホのライトで眼が焼かれ、一瞬目の前が真っ白の闇と
化した。
瞼を上げた時、メシアは自分の眼前で繰り広げられる光景に、唖
然とするしかなかった。
荘厳と厳粛の支配下にあるその場所をメシアは経験した覚えはな
い。が、一目でそこの場所が意味する状況を察知した。
﹁静粛に。被告人、なにか言い残すことはあるかね﹂
高い位置から裁判長が正面の被告人を睨み付けるように、地を這
う声色で語りかけている。
裁判所の法廷。
メシアは迫力のある顔の丸い裁判長の視線の先に、弁護士と共の
立つ少女に視線を吸われた。
髪の長い少女は白人である。国籍は彼の眼からは容易にするすべ
47
は皆無だ。
﹁裁判長、少し結論が性急過ぎるのでは。陪審員の皆さんも冷静に
判断していただきたい﹂
少女の横には、顔が小さく、手足の長い弁護士が、部屋の壁を埋
め尽くす陪審員たいへ、身振り手振りで訴えていた。依頼人を保守
するための戦いは彼を雄弁にしているのだ。
﹁現実を見てください。この事件はアンネリーゼ・ミシェル事件と
は違うのです。悪魔つきも悪魔払いも現実を逸脱しています。わた
しの依頼人は正当防衛で殺人を犯した事実は認めているのですから、
酌量の余地はあるはずです。彼女は自らの生存本能に従った。そう
でなければ、皆さんの前にこうして今も居られるはずがないのです、
あのままでは被害者に殺害されていたのですから﹂
対立する検察側は弁護士が言い終わるか終わらないかの瀬戸際に
凜然と立つなり、木製テーブルの前に進み出ると、陪審員にアピー
ルする腕を、嫌味なほどに広げ、この裁判の異常性を訴えかけた。
﹁被告人は自ら悪魔が憑依したと訴え、心神喪失による情状酌量を
訴えているのです。恋人を殺害した凶悪犯が、精神の異常だと判明
した途端に、無罪となる。それが果たして正義だと言えるでしょう
か。
殺人犯が自らの精神状態を偽り、現実社会へ復帰しようとしてい
るのです。想像してみてください。貴方の隣人がもし、彼女のよう
な殺人犯であったとしたら﹂
即座に弁護しはテーブルを平手で1つ叩き、跳ね上がるように立
った。
﹁異議あり!
依頼人を殺人者と断定し、陪審員を誘導しています﹂
﹁意義を認めます。弁護人は誘導するような言動を慎んでください﹂
裁判長は凜然と弁護士をたしなめた。
明白な苦渋の色が弁護士の顔色を泥のような色に染めた。事実、
見た目からもこの弁護士はプライドが天井を知らず、以前の裁判に
48
敗訴した時などは、知人たちが連絡がとれないほどの落ち込みをみ
せ、数日間、行方をくらましたほどである。
そうした弁護士だからこそ、この敗色濃厚な法廷を認めるわけに
はいかなかった。
饒舌な唇はしかし、敗訴を許すまじと走る。
﹁見てください。このように身体が小さく痩せた依頼人が、大男で
ある彼を果たして殺害できるでしょうか? できたとしてもそれは
錯乱状態からなる驚くべき行動であり、彼女は精神の病気なのです。
陪審員の皆様、これだけはご理解いただきたい﹂
弁護人が舞台俳優のように熱弁するのを、呆然ただ見つめる彼。
と、そこでようやく自らが身を置いているのが傍聴席だと気づいた。
木製の固定された傍聴席には、多くの傍聴人がいる。その半分が興
味本位の野次馬、もう半分がメディアの取材だ。
メシアの眼にも、殺害されたという男性の家族らしき人たちが検
察が並ぶ席の後ろ、木製柵のすぐ手前に座っているのが分かった。
事態の把握が難解なメシアは、眉間の皺が深々と切り込みのよう
に刻まれた。
と、メシアの眼前で弁護人の雄弁を遮るように、鏡を釘で引っ掻
くような悲鳴が法廷のみならず、裁判所全体を貫いた。
傍聴席では耳をふさぐ者、あまりの騒音に廊下へ逃げ出る者、悲
鳴の元凶を凝視して堪えることができず、無意識への境目を越えて
気絶するものなど、法廷は混乱の極みに陥った。
逃げる人々に押し倒されるように、大理石風の石床に手をついた
メシア・クライストは、地面の白と灰色のコントラストを目の当た
りにしつつ、自らの矢の視線で射る感覚で、背筋に凍りが通った。
顔をあげ、身体を反らせるように飛び上がると、殺人事件の被告
人たる少女が、茫乎とメシアの方を向いていた。が、その不自然さ
に誰もが眼を剥き、戦慄で顔は引きつった。
少女の首は180度ねじれ、後頭部が本来はある部分に鼻がきて
いた。そればかりか、腕、脚もねじれてまるで雑巾のようになり、
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この世の光景、人間の姿とは思えない、異常さがそこにはあった。
ねじれた顔のその表情はまた、地獄から這い上がった死者の如き
青白さと、顎が外れ、口が常人には考えられないほど広がり、そこ
から悲鳴が反響していた。
しかしメシアが少女の顔でもっとも視線を奪われたのは、眼であ
る。彼女の眼は人間ではなくなっていた。強いて形容するならば、
黒いドロドロとした液体が流れ出るような、黒く淀んだもので覆わ
れ、穴のようになっている。
依頼人の現状にいち早く逃げる弁護士と、テーブルの下に避難す
る検察陣。裁判官、陪審員も警備員に誘導されて避難する。
その警備員たちは拳銃をホルスターから抜いて両手で構えてはい
るが、あまりの現実にそこから行動へは移せない。
少女はメシアを見つめ、そしてねじれて人間の腕とは思えない形
状となったそれを持ち上げるなり、彼を指さした。
﹁・・・・・・待って・・・・・・ま、待って、い、い、いる・・・
・・・﹂
悲鳴の中から辛うじてメシアの耳が拾い上げたその言葉は、どう
いう意味合いを所持するかも皆無のメシアは、ただおののきに脂汗
を額に浮かべるばかりだった。
﹁メシア、メシア。どうしたの?﹂
マリアの心地よい声色が現実に彼を引き戻した。
﹁少しぼーっとしてたけど、どうかしたの﹂
下から見上げる潤った視線がスマホのライトに濡れ光る。
頬を濡れた目線で撫でられたメシアは、自分が白昼夢を見ていた
事実を悟った。
﹁僕は・・・・・・、ここに本当にいるのか・・・・・・﹂
握ったマリア・プリースの小さく細い手に力が入った。
彼氏のその異変に敏感に反応したマリアもまた、メシア・クライ
ストの手を握り返した。
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﹁少し休まない﹂
先を急ぐ避難者たちの袖口をマリアの小さめの声がしかし、トン
ネルに反響して引っ張った。
﹁駅はすぐよ、急がないと﹂
と、多少強く、棘のある口ぶりでエリザベス・ガハノフが振り向
き、マリアの小さい顔へスマホのライトを当てた。が、その丸い、
濡れた眼が不安の霞で歪んでいるのを見て取るなり、横のメシアへ
ライトを向けた。
再び白いライトに視野を奪われたメシアは、瞼を閉じた。
メシア・クライストの瞼が次ぎに開いた時、そこに広がるのは廃
墟と荒廃に満ちた、見慣れた都市の腐敗した姿であった。
彼が立っていたのは街の中心部、オフィス街にその巨体を直立さ
せたオフィスビルの屋上である。ヘリポートとなっているそこもし
かし、雑草がポートを形成する鉄板の隙間から頭を出し、うっそう
と草原を構築しようとしている様子である。
冗談じゃない、と錆びた鉄板を鳴らしてビルのフェンスへ近づき、
見慣れた生まれ故郷を眼下に望んだ。が、そこが本当に自分の住処、
居住していた街なのかすらうたがいたくなる姿しか彼の前には表さ
ない。
通りにはコンクリートと鉄柱の瓦礫が散乱し、アスファルトには
穴が空き、道路の役目を果たしていない。建物の窓ガラスは砕け、
砂埃が風に運ばれ椅子やテーブルに蓄積している。
瓦解したビルの隙間から望む河の色は泥水の黄ばみを帯び、掛け
られた吊り橋構造の橋は途中から崩れてなくなり、ワイヤーだけが
宙ぶらりんと風にあおられている。
そうした崩壊した街を包み込むように、苔、つた、雑草、木々類
が人間の文明などなかったかのように、なにもそこには存在してい
なかったかのように、自然が何もかもを呑み込んでいくが如く、都
市に根を下ろしていた。
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とにかく入り口を探そう。ここにいても意味が分からない。まる
でこの世界の出口を探すように、メシアはフェンスから離れ、入り
口を探す。
ペリポートの端に階段を見つけ、急ぎ足で駆け下りた。さび付い
て、ネジが外れているのが見えてもかまわず、危険におののく心な
どは微塵もなく、白昼夢から逃げたい。ただその一心で脚を前へ押
し出していた。
階段を降りた先にはエレベーターのドアが見えた。これでなんと
か、とエレベーターへ近づく間に、自分が屋上に閉じ込められたこ
とを悟った。見るからに銀色のエレベータードアは錆び、開閉した
形跡がなかった。案の定、エレベーターへぶつかる勢いで駆け寄っ
た時、エレベータースイッチは破損すて押すことすら困難になって
おり、何とか指で押し込んではみたが、電気の鼓動は感じられない。
ドアを拳で叩き、苦いものを奥歯で噛んだ顔をするメシア。と、
足下に風で運ばれてきた影を認識して、視線を落とした。新聞であ
る。街で一番大きな新聞社が毎日発行している。その歴史は街と一
緒に始まったと学生時代に授業で耳にした覚えメシアにはある。
茶色く変色し、砂が皺に入っているそれを手に取った。
が、1面のトップ記事を眼にした瞬間、彼の心臓は一瞬停止した。
﹃世界規模のパンデミック﹄
物騒なタイトルにつられ、記事を読み進めると、この世界の現状
が見えてきた。
﹃中東でウィルス感染拡大﹄
﹃死者数が5000を突破﹄
﹃WHOが対策を急ぐ﹄
﹃ウィルスが全大陸で感染確認﹄
﹃死者が蘇る﹄
﹃噛まれたら感染﹄
﹃国連が全世界へ非常事態宣言﹄
﹃常任理事国、戦術核兵器の使用を容認﹄
52
﹃感染者との戦争か?﹄
﹃核戦争の時代到来﹄
新聞を握りしめたメシアの顔は土色に変色していた。降りたばか
りの階段を駆け足で上り、再びヘリポートの中心にたった。壊れた
世界をもう一度、肉眼で再認識したかったのだ。
と、そこであることに彼は気づいた。植物が生した瓦礫の街。そ
こにあるものが一切ない。生命体の姿が皆無なのである。人間の姿
はもちろんのこと、鳥が羽ばたくことも、犬や猫、ネズミが掛ける
こともない。虫の姿すらも見られず、まるで生命が絶滅してしまっ
たかのような、静寂の世界なのだ。
世界になにが起こった。胸の奥が鳥肌たつのを、平静で蓋をしよ
うと、肩で息をして、胸の鼓動を平常にしようとした。
が、白紙を破るように静寂は、1つの反響音で失われた。
フェンスへ駆けていき、外界を覗いた。するとオフィス街の、日
常はスーツ姿の人間たちが行き交う、今はしだ植物が配線のように
這う通り。そこを黒い影が走っていた。
高層ビルの屋上からだと、粒のようにしか見えないが、茶色い布
で体を覆っているようにメシアには見えた。
HK21が装備されていた。身体が小柄だがその機
現に地上を死に物狂いで走る人物は、洗い布で身体を覆い、その
手にはH&K
関銃をしっかりと構えて走っている。
男は立ち止まると腰を落とし、背後から迫る者へ銃口を向け、火
花の花を咲かせ、そしてまた走り出す。
上から見下ろすメシアは次ぎの刹那、男が何に向けて、何を思い、
どんな状況下で機関銃を乱射するのかを咀嚼した。豆粒のような男
が逃げる背後から一粒の影がメシアには迫って見えていた。が、そ
の速度がおそろしく俊敏であり、形は人のはずなのに、獣の如き動
きで逃げる者を追跡していた。しかしメシアはその動きに眼を剥く
よりも、後から現出した者たちへ驚愕した。まるで蟻が角砂糖に群
がるように、蟻塚を破壊したかの如く、瓦解したビルから、崩れた
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道路の下から、窓ガラスが砕けた建物の上から、それらはマグマが
溢れるように噴き出すと、瞬く間に通りを埋め尽くし、濁流と化し
て逃亡者を襲撃したのだ。
駄目だ、喰われる。と、口の中で呟いた時、逃げる人影は溢れ出
た人影の濁流に呑まれた。
何なんだ、何が起こってる。僕は何処に来てしまったんだ。混乱
の極みに達したメシアが頭を両手で抱え込む。視覚、聴覚を遮断す
ることで、冷静を蘇らせようとした。
自らの鼓動が鼓膜を振るわせる。と、その時、メシアは腕を捕ま
れる感覚に襲われ、思わずその腕をふりほどいた。
﹁大丈夫なの? 気分でも悪いの﹂
蒼白に塗られたメシアの顔をのぞきこむエリザベス・ガハノフは
驚いた表情で眼を見開いていた。
﹁もうすぐだ、次ぎのホームに到着すれば、休める。電気は来てる
みたいだから﹂
ファン・ロッペンが弓矢のように柔らかく長い腕を上げ、指し示
した先には地下鉄ホームの明かりが、安心感を避難者全員へ提供し
ていた。
﹁出口だぁ﹂誰からともなく喜びの声が渦巻き、砂利と砂埃の中を
皆が走り出す。救われた、誰もがそう信じた瞬間だ。
﹁メシア、行きましょう﹂
手を引いてマリアが促す。
今、自分に何が起こり、何を見ているのか。そもそも本当に自分
はこの現実に存在しているのか。もしかするとこれは現実でなく、
夢なのではないか。夢の中を永遠にさまよっているだけなのではな
いだろうか。そんな不安感を抱え、マリアに腕を引かれてホームへ
の階段を一段上がった。
金属音が反響して、メシアの耳を抜けた。
54
また彼は違う場所に立っていた。
そこは立方体の、味気のない白で色が統一された、鼻に絡み付く
独特の臭気が漂う場所である。病室だ。メシアは直感的に感じた。
消毒液の独特の匂い。彼はそれを苦手としていた。
正方形の室内にはベッドが複数並び、カーテンで仕切られていた。
角の取れた窓らしき
口がぽっかりと空いているが、そこにはめ込まれた分厚い辞書ほど
もあるガラスの向こう側は、漆黒で視界が効かった。
今度は蛇が出るか魔が出るかなどと、メシアは身体の筋肉に力が
入り、身体が固くなっていた。
﹁新米か、あんた﹂
ベッドを囲んだビニールカーテンの向こうから、しゃがれた声が
耳を掴んだ。
全身を泡立たせ、メシアはカーテンの方を振り向く。
と、それまでベッドを囲んでいたカーテンが手品のように消失し
たかと思うと、ベッドに横たわって葉巻をふかす、大柄の、筋肉が
鎧のごとき無精髭の男が、ぶぜんとした顔でメシアを見ていた。
﹁ずいぶんとラフな格好だな。そんなんじゃ、上官にガミガミ言わ
れちまうぜ。早くきがえな﹂
着替えろと言われても、服などをもってはいないし、状況が喉を
通っていかない。
その時だ、真四角の病室が上下左右に、まるで湖面に浮かんだ灯
籠のように不安定に揺れ、分厚い窓の外からサーチライトの如き、
険しい表情が顔にへばりつく明かりが入射した。
思わず眼を背けようとしたメシアだったが、窓が瞬間的に黒く濁
った。光を遮断するシステムが自動で入射を調節した。それでメシ
アはそいつを肉眼で把握することができた。マンタのようでもあり
クラゲのような形でもある、半透明の物体が暗闇を、海中のように
進んでは、浮力で揺らめき、また先に進むを繰り返した。
﹁すげぇよな。あれで生命体だっていうんだからな﹂
55
無精髭から流れるしゃがれ声を上の空で聞くメシアの前をさらに、
複数の同種族が抜けていく。縦横1メートルたらずの窓だから小さ
く見えたが、彼自身、実物の大きさを把握できないほどに、漆黒に
七色の光を放つそれらの生命体は、巨大なのだ。まるで山が動いて
いるようなのだ。
﹁まだまだくるぜ﹂
と、男の声が合図にしたように、漆黒に無数の光の粒が一気に沸騰
するように沸きだした。そこは瞬間的に星空とかしたのである。
﹁小物連中が集まってきたみてぇだな。だったらそろそろデカイの
が登場ってわけだな﹂
予言する男の木枯らしにまる枯れ葉の如き声色が音をすぼめると
同時に、また室内が湖面の波に揺らされた。
そしてこれまでになく大きな光が外界から窓へ光を入射される。
窓の遮蔽装置もこれほどの光源を遮断するのは、流石に無理であっ
た。
顔を思わず背けたメシア。
そこへ﹁俺も騙されたくちよぉ。恒星系の辺境で起こったクーデ
ターの鎮圧だっていうから志願してみれば、この有様だ。新米、よ
く見とけ。あれが異次元からきた敵だ。といってもこの規模だと分
隊クラスでもねぇがな﹂
男の声だけが七色に光る世界での道しるべだった。分隊クラスと
男はいうが、メシアには無限に広がる星々にしか見えない。あれで
も小さい規模だというのだろうか?
この時、光に遮られメシアは状況把握を困難としていたが、実際
は彼の想像を絶する光景が窓の外には壮絶に繰り広げられていた。
葉巻をふかす男の言葉端にあった通り、ここは宇宙である。兵士
は恒星系の辺境惑星で発生したクーデターの鎮圧、と聞かされる。
これは後に判明した事実だが志願兵を募る際、軍は兵士に偽りをの
べ、現に戦後処理でこうした行為が犯罪として法廷で裁かれている。
現時点でメシアが次元を越えて現出した病室が設置された宇宙軍
56
艦は、人類が未だ知識の本に記載していない銀河の中心部、巨大ブ
ラックホールがジェットを噴射する光景が彼方に望める場所に停泊
していた。戦場での被弾状況を確認し、被害を把握と負傷者処置、
破損箇所修理に時間を費やす停泊だった。
が、そこに敵の小規模隊が攻め込んできた。超空間を数秒で越え、
数億、数百億光年離れた宙域から、まるで隣人のお宅へ訪問するよ
うに。
メシアが目撃した事実は正確なものであって、分隊構成にも到ら
ないと言いながらも、その数量は人間の数字概念を壊滅させる、銀
河の恒星を中心とする星間物質の数をも小さくしてしまう、銀河の
上に巨大な銀河が重なったような風景を宇宙空間に描いたのだ。
事態が把握できないまま、腕で視線をふさぐ。
身体を揺さぶられて意識を回復したメシアは、ホームのベンチに
横にされていた。
タイル張りの天井から埃が降ってきているのが目覚めたばかりの
彼にも理解できた。
﹁急に倒れるから・・・・・・﹂
不安げに丸い眼に涙をためたマリア・プリースが不安げにメシア
の上着の裾を握っていた。
﹁倒れたのか﹂
呆然と横になったまま、言葉を落とすメシア。
起き上がろうとベンチの背もたれへ手を掛けた。
﹁まだ起きちゃ︱︱﹂
彼の肩に細く小さい手を置き、マリアはメシアへ心配の声を掛け
る。
けれども、事態は横になることすら許さなかった。ベンチの後ろ、
階段とエスカレーターの先で女性の悲鳴が複数、駆け下りてきたの
だ。
メシアは首から後頭部に掛けての気分の悪さをも捨て、彼は身体
57
を起こすと、ファン・ロッペンとエリザベス・ガハノフと階段を駆
け抜けていった。
その背中を眺め、マリアは自らの肩を力強く抱いた。自らの無力、
最愛の人間を食い止める力すらない自分を、ふがいなく、無力が悔
しかった。
階段を抜けた時すでに、異常事態を3人は嗅覚で理解した。焦げ
た臭いが鼻腔を突いていた。
階段を蹴って地上へ出た時、そこに居るはずの避難者たち、さっ
きまでトンネルを進んでいた人々の姿が霞と消えてしまい、ただそ
の場には生臭い臭気が漂っていた。魚、あるいは肉へ包丁を入れた
時のような、動物的な独特の臭いがあった。
が、彼らが臭気に意識を奪われたのは1秒もなく、すぐさま意識
は足下のアスファルトに染みついた赤い液体の水たまりと、そこか
ら伸びていく赤い帯につられて視線を上げた先の凄惨なる光景に意
識が吸引された。人間がマネキンのように、あるいはソーセージが
引きちぎれたように、人間の四肢が道端に散乱していた。
これを目撃したエリザベスは口を押さえ顔を現実から背け、弟の
イラートは遠慮なくその場で嘔吐をし、ファンは眉間に嫌悪感を浮
上させた。
メシアもこれが現実なのか、もしかすると夢ではないのか、むし
ろ夢であってほしいと心中で願いながら、瞳が潤んでいた。
と、そこへマリアが遅れて上がってきたが、メシアがその小さい
身体を抱きしめて、
﹁見るな﹂
そう叫んだ。けれども現実の波を止めることは誰にもできない。
マリアはメシアの腕の隙間から現実に呑み込まれた。
その時、血なまぐさい臭気と街から上がる炎で焼けた臭いの間を
押しのけ、腹の底に響く唸り声が一行の前に立ちふさがった。そし
て瓦解したばかりのオフィスビルの裏から、真っ黒い塊が、巨体に
相応しくもない俊敏さで血だまりの中に現れた。
58
形容しがたい醜い獣だった。肥大した紫がかった肉のヒダが全身
に生え、内蔵を裏返したような表皮が黒煙の間から指す陽光に濡れ
て、腐敗した光を放っていた。肉の塊の中に辛うじて分かる口らし
き割れ目が左右に開くと、緑色の粘液が糸を引き、周辺は瞬間的に
ヘドロ臭で充満した。
全員が顔をそむけ、口臭を嫌がった。
﹁なにを食ったらそこまで臭くなるんだよ﹂
イラートは地面に転がっている、ソフトボールほどのアスファ
ルトの塊を拾い上げると、姉が止めなさいと、言うまもなく化け物
へ投げつけていた。
弧を描き肥大したヌラヌラの肉のかかたまりに見事命中した。
化け物は肉ヒダをプルプルと震わせ、立てに裂けた口を左右へ開
くと、粘度の高い液体をほとばしらせながら、耳をつんざく低温の
雄叫びを上げ、彼らの行動へ憤怒した様相でヌラヌラと迫ってきた。
﹁あんた、行動の意味をもっと考えなさいよ!﹂
姉が弟の頬をひっぱたき、ロープの上を歩くような性格の弟に憤
慨した。
﹁姉弟喧嘩は後回しだ﹂
もめる2人を横目に、マリアの手を再び握るメシアは、いち早く
その場から、街の中央方面へつながる細い道路へ脚を伸ばしていた。
もはや焦げた瓦礫のせいで、何処が道路なのかも分別はつかない。
﹁俺もメシアに賛成だ﹂
と、言い終わる前にファン・ロッペンは走り出していた。
イラートもじんじんと痛む頬を抑えていたが、その手を姉の腕へ
やると、憤慨の納めるところがない姉を引っ張った。
エリザベス・ガハノフは不安だった。もし自分が居なくなった時、
この子供の部分で構築された弟が1人で生き、目の前に立ちはだか
る壁を越えてきえるのか、と。
そんな気分を引きづったまま、彼女を含む一行は、道を閉ざした
瓦礫の山に道をふさがれた。這い上がるにも女性を連れては危険す
59
ぎるし、メシアが周囲を見回しても、潜り込める入り口はない。さ
らに背後からはヌラヌラと不気味な獣が這い寄ってくる。
﹁登るしかねぇだろ﹂
と、姉の腕をほどき、瓦礫へ押し上げるイラート・ガハノフが叫
んだ。
同じくメシアもマリアを瓦礫の上へのせ、小さなお尻に手を当て
て、必死に上へと押した。
単身、瓦礫を跳ねるように登り、先の見通しをつけようとするフ
ァン・ロッペンだったが、瓦礫の頂上に立ったとき、その口からは
沈黙が溢れた。
自らが先に登り、マリアを上から引き上げようと試みたメシアも、
眼前の光景に口をつぐんだ。
そこにはビル群があるはずだった。オフィスビルが街の開発を担
い、物流と金の流れが集約された街の中心部であった。人が溢れ、
仕事が溢れていた。そのはずなのに、現実には皆無であった。隕石
が落下したまさに中心部のそこには、巨大クレーターが土を巻き、
ビル群は跡形もなく埃となり、人の痕跡は、クレーターにゴキブリ
のように群がる化け物の群れが喰い散らかす、人肉の破片と鮮血の
海、鼻を突く異臭だけだ。
直径3キロ、街の中心部を丁度破壊したクレーターの中にひしめ
く怪物の数はこの時、20万をこえていた。まさしく雲霞の数であ
る。しかもクレーターの中で平静にしているわけではなく、次々と
水がコップからあふれ出すように瓦解した都市へ流入し続けていた。
後から瓦礫に登ったマリア、エリザベス、イラートたちも、声に
ならないものを口の中で呑み、現実離れした形容しがたい様子をた
だ、視線を奪われるがままに呆然とするばかりだった。
一行は瞬間的にだが、ここに集約された化け物たちが、自分たち
の後ろから這い寄る化け物と外見が異なり、1つとして同種が存在
しない事実を否応なしに認識させられた。
﹁なんなんだ、どこから来たんだ・・・・・・﹂
60
メシアが茫乎と落す。
それをイラートが悪戯っぽくすくい上げた。
﹁宇宙生物だろ。地球は完全い侵略を受けてるのさ﹂
と、姉がふざけるな、と言いたげに弟の肩を強く叩いた。
だがこの発言を如実に飲み込んだ顔をしたのは、ファンであっ
た。
﹁あながちいい加減でもないだろう。隕石郡が落下したのを俺は目
撃した。そしてこの理解を越えた生物郡。整合性のある説明は、い
ささか認めるのはしゃくにさわるが、イラートの言い分だ﹂
その妙に説得力のあるファンの声色は、反論を口にすら出させ
なかった。
メシアたちの大学には設立当初、学生たちがくだらないことをテ
ーマに弁論大会を行ったことから、毎年の恒例行事となった弁論大
会がある。ファン・ロッペンがそれへ出場した時、メシアはもちろ
ん彼を知っているものは、彼が優勝する確信めいたものを抱いてい
た。それは彼が生まれついての説得力の持ち主だからである。案の
定、弁論大会は︽コミックの主人公が現実世界で活躍するための、
生活方法︾という荒唐無稽な大学生が論ずることではないテーマを
選択したにも拘わらず、見事、現実味のある弁論を繰り広げ、優勝
した。
ファン・ロッペン。彼の印象は誰もそろえて、説得力のある人物
ということだろう。
隕石の来襲と宇宙生物の襲撃。
この時、メシアは反論こそ口に出すことはなかったが、心中の、
奥の方でこれは感覚としか言いようのないものが、眼前の血しぶき
をすする獣どもがファンの言うような存在ではけしてなく、もっと
禍々しいものだと思っていた。
だからメシアはそれを呑み、気のせいだと自分へ言い聞かせた。
眼前の肉ヒダの塊のような波に意識を奪われていた一行を、背後
からの唸りが四面楚歌なのを呼び起こし、一行をパニック状態にし
61
た。
﹁これじゃあ、喰われるのを待つばかりじゃねぇか。何か打開策は
ないのかよ﹂
騒ぐだけで意見を誰ともなく求めるイラート。
﹁壁をよじ登るのは?﹂
道の左右はコンクリートの壁面である。エリザベスは自らが踏む
瓦礫が元あった壁を登ることを提案したが、崖すらも登ったことの
ない一行が登るには直角過ぎた。
まさに心身とも四面楚歌であった。
ENDLESS MYTH 第1話︱5へ続く
62
第1話︱5︵前書き︶
歴史は決定していた。
未来人たちはそれへ抗えるのか!
63
第1話︱5
5
真っ赤な体液の中に身体を沈めると、沼の底に居るような、めい
った気分になるので、ブレグド・フォークはこの感覚にいつまで時
間が経過しても馴染めないでいた。けれどもこの︽HM︾は特定の
人物しか︽マスター︾として認めない現実も理解していた。
全神経接続、意識融合が行われた知らせがその時、彼が浮かぶ液
体の世界へ反響した。
﹁スタンバイはいい?﹂
女性の、少しくぐもった声が液体内で彼へ問いかける。
﹁準備はできています。ただ我々第七機動歩兵団が第三工作機関の
陽動というのは、どうにも納得がいきせん﹂
ブレグドはこの時、一糸すら身体に這わせない、裸体で液体内に
止まっていたが、肉体を構成する素粒子がHMとの融合によって半
分解を起こしたことによる、浸透化が起こり、彼の身体は半分、透
き通っていた。
﹁さっきも説明したはずよ﹂
やれやれといった口ぶりで女性上官は再び、何度目かの説明を口
にした。
﹁ソロモンとしての主目的はコアの確保です。テラが創世される以
前、いいえ、それよりも遙かなる太古、宇宙創造以前から、今日の
襲撃は決定されていたことなのです。その中で我々のコアを保護す
る役割を第三工作機関が担い、我々はコアの生存率を上昇されるた
め、行動しているのです。コアが万が一にでも敵の牙に貫かれた時、
ソロモンは大いなる手段を永久に喪失していしまうのです。
貴方は大事なプロセスに組み込まれているのですよ﹂
64
語気が自然と強くなる上官の、いつもの口うるささを、片耳で聞
き流したブレグドは、右腕を軽く動かした。すると液体内に轟音が
響き渡り、液体が震えるた。
﹁適合具合はいいようです﹂
話をそらすように現状のHMとの適合率を報告した。
﹁何度もいうようですが、その時代、まだHMは発見されていませ
ん。オーバーテクノロジーだということを、頭の中に入れておいて
ください﹂
歴史のデータを脳内で再現した時のことを彼は思いだし、自分
がこれからなそうとしていることが自然とおかしくなって、口の端
に笑顔がついた。
﹁現状は﹂
襲撃による世界の動きを彼は上官に尋ねた。不思議なもので、
自然と視線が上を向いていた。
﹁歴史の通り、アメリカはまっさきに軍を動かして交戦状態に入っ
たわ。ブランフェリ大統領は機上の人。太平洋艦隊は海上で敵と交
戦中。ロシアはシベリア方面へ一般人を避難させ、モスクワ付近で
主力軍を展開、交戦状態。中国は各地で交戦状態にあるわ。EU各
国はも同様に交戦の渦中よ。中東では核戦争が始まり、南米、アフ
リカでは疑心暗鬼になった市民たちが民族生存を計り、紛争状態に
あるわ。
歴史の通り、奴らは数時間でテラを混沌にしたようです﹂
現在の状況を形容すると、象の群れに蟻が一匹で挑むそれと、状
況は似ていた。
彼らのテクノロジーならば、あるいはその無尽蔵の劣勢を、互角
という同じ俎上にあげることが、あるいはできたかもしれない。が、
軍人はあくまで軍人であり時代と次元が変化してもそこは不変であ
る。
ブレグドは上司の命令を無視して独断で行動はできないし、でき
たとしてもそれは軍法会議にかけられることになり、犯罪であるの
65
だ。
赤い水中から世界の状況を脳内へ添付している彼にとって、人を
救うのがこの場合は犯罪行為である理不尽さを、奥歯で噛み砕き、
任務遂行へ両腕を動かし自らの器であるHMを機動させた。
第1話︱6へ続く
66
第1話︱6︵前書き︶
神話が彼らに牙を剥く。
67
第1話︱6
6
クレーターの盛り上がった瓦礫の頂上で、メシア・クライストは
恋人を抱き寄せた。死の崖が眼前に落ちくぼみ、今にも彼らに地獄
からの腕を伸ばそうとしている現状を、最愛の人と寄り添うことで、
彼は心理的に冷静さを止めようと努力していた。
が、現実は彼らへ唾を吐きかけた。街の中心部を瓦解させ、瓦礫
の山を築いたクレーターに集まる雲霞の化け物たちが、とうとう彼
らの生きた吐息をかぎつけ、池の鯉の如く餌へ集約し始めたのだ。
眼前を戦慄で凝視する一行の中から、短い悲鳴が鳴った。エリザ
ベス・ガハノフが珍しく平静を手元から落としてしまったのだ。
悲鳴に反応し、エリザベスの視線へ促され背後へ眼を移動させる
と、一匹の肉ヒダで構成された化け物しか存在しなかったはずの通
りを、無数の、異臭をただよわせた腐肉の塊たちが闊歩して、いつ
の間にか埋め尽くしていた。
前後に化け物の軍勢に囲まれた形となってしまったのである。
冷静に物事を判断などという心理は、パニックの鎌によって刈
り取られ、ただお互いの身体を密着させ、震えの渦に入っているこ
としか出来なかった。
と、刹那的なにそれは起こった。雷鳴が地の底から突き上げる
ように、地面を中空に跳ね上げるように、地響きが街を揺らした。
マリア、エリザベスは身体を支えられず、メシア、ファンの身体
にそれぞれしがみつき、身体を支えた。が、イラート・ガハノフは
身体を自らで支えようと踏ん張るも、足場の悪い瓦礫の上から転が
り落ち、後頭部がヌメヌメとした柔らかいものにぶつかり、それが
化け物の皮膚触感だと理解すると、慌てて身体を跳ね上げ、瓦礫の
68
中腹まで、猿のように駆け上った。まさに身体を死に神に撫でられ
た気分で、いつも活気のある顔色が鉛色に血の気を失っていた。
が、少年っぽい彼ですらも、化け物たちの変化に気づいたほど、
人肉をむさぼっていた数秒前までの化け物どもと、様子が違ってい
た。彼らを揺さぶる揺れが、何かしらの効果を彼らに与えている様
子だ。
と、その時である、街の至る所で爆発が起こった。その規模は高
層ビルが十数棟、まきこまれるほどの広範囲かつ、蒼天を突き上げ
る高さまで爆風は上昇した。
だがその爆風の中に蠢く影に、メシアたちは絶句した。
爆風を切り払うようにウネウネと糸を引きながら、頭をつかまれ
苦しむ蛇のように暴れる巨大なそれには、吸盤が無数についていた。
吸盤の大きさま5階建ての建物が1棟すっぽり入ってしまうほどで
あり、吸盤が不規則に乱立する、タコの脚のような触手自体の大き
さは、ドバイ国の世界一高いビル、ブルジュ・ハリファほどもあっ
た。
それが複数、街の地下から這い出ているのだ。しかもうねりなが
ら街を掃き清めるように、建物、瓦礫、化け物どもを一掃してしま
っている。
触手の現出は化け物の軍団を凍り付かせた。一行の眼にもそれは
明らかであった。
逃げるなら今しかない、とイラートが脚を一歩踏み出しかけるの
を、メシアが静止した。
﹁まだだ﹂
訝しく瓦礫の中腹からイラートは見上げ、臆病者に対する鋭い視
線でメシアを射った。
﹁震えてる場合じゃねぇだろ。ここしか逃げる時はねぇんだよ﹂
化け物の間を縫うように逃げるイメージを脳内で展開させ、イラ
ートが瓦礫を下り始めた。
﹁そうじゃない。もう少しでもっと安全に、救出も来るだろうし・・
69
・・・・﹂
夢遊病者のように、忽然とメシアは不可思議な言葉を口走った。
まるで先の出来事が見えているようであった。
﹁分かるの?﹂
振動に押し流されないようにしがみつくマリアが問う。
するとゆっくりと力の無い腕を呆然と上げ、弧を描く指先でメシ
アは街を薙ぐ触手を指さした。
刹那、触手は根元から断絶されると、街の中を数度にわたってゴ
ムボールのように跳ねると、建設中の市街地へ落下し、切断されて
もまだ動きを止めず、それ自体が単体の生命のように、轟音を響か
せながら暴れた。
そして耳を金属同士を擦り合わせたような音がつんざき、再び地
響きが地の底から突き上げてきた。
次ぎの瞬間、それは街の中心部に現れた。1本が高層ビルほども
ある牙が数多乱立し、溶けた蝋のような灰色と紫を混ぜた皮膚を陽
光にさらし、尖ったワニの如き嘴で瓦礫と化した街の半分を呑む。
触手の持ち主が本体を表したのであった。
街はすでに壊滅状態にあったが、この巨大獣が現出したことによ
って、完全なる崩壊が現実のものとなった。
地上に出ている嘴は広げると街を覆ってしまうほどに巨大で、そ
の悲鳴も地上をどこまでも駆けるようである。
耳を押さえたメシアたちはしかし、その嘴の先端に何かがぶら下
がっているのに気づいた。
﹁人・・・・・・?﹂
マリアが呟きを小さい口からこぼすも、人の形をしたなにかにし
ては、明白に大きさが異常だ。巨大獣の大きさは20キロを超えて
いるだろう。その先端にぶら下がっていながら、彼らにも大きさが
理解できるほどはあるのだから、推定でも2キロはある。それほど
の人型の物体など、地球上にありはしない。
だが彼らの眼前にはそれがハッキリとした形で提示されていた。
70
まさしく人の形をしている。しかも鎧、甲冑、アーマーの類いを身
につけた、動く人型物体、単調な表現をするならば、巨人である。
巨人は巨大獣の鼻先に突き刺した剣を脱ぎ、紫色の血しぶきを地
上に雨として降らすと、ブヨブヨとした獣の皮膚を蹴り飛ばし、中
空で1つ巨体を回転させると、地上へ着地した。全長2キロを超え
る巨体が着地したのだ、それだけでも大地震ほどの衝撃が街に波紋
のように広がった。
一行が足場とていた瓦礫の山はあえなく崩壊の末路となり、アス
ファルトへ身体を投げ出された。
死の淵から一気に死出の旅となった一行は、バッタが跳ねるよう
に、ひびが蜘蛛の巣の如く入ったビルの壁面へ身体を密着させ、眼
前に居座る化け物の群れから、可能な限りの距離をとった。
けれども化け物の群れにさっきまでの勢いはない。生物ならば、
なにかしらの恐怖がその本能に芽生えているはずである。が、巨人
の着地で陥没したアスファルトの隙間に挟まっても、地下鉄のトン
ネルへ落ち込んでも、化け物は微動だにしないのだ。まるで恐怖と
いう環状が、本能から喪失しているかのように、静けさを肉壁の中
に内包していた。
一行が、今が好機、とばかりに走り出した。
と、マリアが不意に背筋を舐めるような視線を感じて、嫌悪感の
反射行為で後ろを振り向いた。すると2キロの巨人の頭部とおぼし
き場所に入った、2つの切れ込みの奥から、ギョロリとした眼球が
彼女を見つめていた。
悲鳴をマリアはしかし呑み込んでしまった。ここで騒げば、逃げ
る足かせになってしまう。自分が足手まといになるのだけは避けた
かった。だから振り向いた顔を正面へ戻すなり、メシアが握る手を
必死に掴んで、足場の悪い退路を懸命に駆けた。
一方の巨人はというと、ひっさげた自分の半身、つまり1キロは
ある剣を片腕で振り上げ、未だ複数うねる触手に対してその切っ先
を向けた。それは挑発にも見えた。
71
巨人は剣をひるがえすなり、瓦礫の街を数度にわたって蹴ると、
俊足で触手へ接近、瞬間的に白刃を煌めかせた。
街が粘度数の高いネバネバ、ヌメヌメとした青紫の鮮血で染ま
り、2本目の触手が地に突っ伏し、苦痛に歪んだ悶絶を露にした。
と、巨人の剣が忽然と光の粒子の渦に包まれ、瞬きを数回する
間に、1キロの剣は形をロープのようにウネウネと変化させ、長さ
が3キロほどまで伸びた。そして先端が左右へ広がると、さらにそ
の先端が上下へ広がり、先端の大きさが顕著に目立った。
見るからにそれは巨大なアックスへと変化を遂げていた。けれど
も巨人の体格から見るに、明らかに重量が過剰であり、現に地面へ
刃を落とした時、街の瓦礫へ深く食い込み、地震が波となって広が
った。
巨人は腰を落としこむと、全身に力が入った。鎧の下で筋肉が
膨れるのが外部からの視線でも理解できるほど、足腰が膨れると、
アックスを、枯れ木を振るかのように、尖端が弧をえがき、化け物
の口先に突き刺さった。
化け物どもの、独特の腐った鈍い光をおびた鮮血が、街を洪水
として襲った。
瓦礫も遺体も小型の化け物も押し流した。
口を縦に割られた化け物は、人の耳にはあまりに聞き苦しい、
悶絶の叫びを空に立ち上げた。
耳を押さえ、少しでも巨人の戦場から離脱すべく、心臓の太鼓
の音も振り払い、メシアたちは走っていた。脳内に爪をたてる獣の
悲鳴に表情を苦悶で焼きながら。
けれども彼らの脚を鮮血の洪水が足止めした。静止した化け物の
群れを流すその、気味の悪い鮮血は、ひどい悪臭を中空へ振りまい
た。
胃袋からこみ上げるものを抑え、メシアはマリアの手をしっかり
と握り占めた。
﹁お父さん、大丈夫だよね﹂
72
か細い声がマリアの唇から辛うじて漏れた。
メシアは家族がいない。親しい知人や同僚、友はいるがこのとき
ばかりはそれらを気遣う心の余裕もなかった。しかしマリアには父
がいる。乳飲み子の彼女を教会の前で拾ってくれた神父が。
﹁神父は賢い人だよ。きっと先に逃げてるさ﹂
ここで初めてスマートフォンに眼を通すマリア。真夏の中、戦慄
に背中を引っ掻かれながら逃げてきた道中で、だいぶ熱を帯びてい
たがまだ使用できる。しかし父からのメールも電話も着信した履歴
はない。
俯きスマホをポケットへ押し込む。
と、鮮血の河を1台の車が突っ切って、彼らの眼前へタイヤを滑
らせながら停車した。
ENDLESS MYTH第1話︱7へ続く
73
第1話︱7︵前書き︶
未来は人類は救えるか!
74
第1話︱7
7
トヨタ製の高機動車を黒く塗った、四角いフォルムが一行の前に
横たわった。天井部もボディに合わせた黒い幌に覆われいる。
後部のビニール窓のドアが左側だけ開き、メシア、マリア両名に
とって、青天の霹靂とも言うべき人物の、意外すぎる登場であった。
﹁乗りなさい﹂
険しい剣幕で一行を手招きするが、それはマックス・ディンガー
神父であった。
ただただ茫然とするばかりのメシア、マリア。その横でファンた
ち3人の顔にも状況の把握はない。
神父は自分の出現が逃走の脚を止めてしまったことを、苦い汁
を飲んだ顔で後悔し、シートに隠れていた左腕をあげた。すると空
アンリミテッド
リボルバー
ABS
SV
気が糸のように張りつめた音で、メシアたちの顔が愕然と見開いた。
神父はMAXI8
を握り占め、銃口から一筋の煙が蜘蛛の糸のように、立ち上ってい
た。
シルバーの銃が陽光をメシアの顔へ反射させて、そこで無意識か
ら現実へ彼は呼び戻された。と、その時、背後から身体をまさぐる
ようなうめき声が這い寄ってきた。
これで他の面々も驚愕の断崖から己の意識を肉体へ戻すなり、背
中に視線を移した。
そこには、巨大獣の鮮血洪水を逃れた化け物がヌラヌラと、一行
を捕食せんとよってきていたのである。神父の銃声による一撃がな
ければ、一行は相違なく化け物の餌食となって、見た目以上にグロ
テスクな内蔵の中へ、牙で擦りつぶされた人肉となっておさまって
75
いたことであろう。
﹁ぐずぐずするな﹂
もう一つ、トリガーを引き、弾丸を放出しながら神父は全員を、
柏手のように怒鳴りつけ、荷台へと誘導した。
これと入れ替わりに、複数の黒い影が俊敏に荷台から飛び降りる
と、黒いミリタリーブーツを並べた。そして這い寄る群れへ、鉛の
塊をみさかいなく、化け物の肉片が瓦礫に飛び散るまでライフルを
乱射した。狙いなどはない。
訓練された部隊。それらが一行を守護した。
中央にむかって、両側に長椅子が設置された荷台に、混沌のま
まに放り込まれたメシアたちの目の前にいる、見知った面影が微塵
もないマックス神父が、リボルバーを手に、ハンドルを握る若若者
へ、布を裂くような声色で告げた。
﹁ここは危険だ、車を出せ。いつまでも停車していると、敵に包囲
される危険性がある﹂
それは仲間を破棄する行為だと瞬間的に理解した新人兵は、愕然
とマックス・ディンガー工作員を見上げた。
﹁どうした、なにをぐずぐずしている﹂
﹁で、ですが︱︱﹂
若者が震える唇を軽く開き、銃声が押しのけ、聞き取れない声量
で言う。
するとシートが開き、黒人兵士が化け物の鮮血に塗れた顔を車内
へ向けた。
﹁なにしをしている。速く出せ!﹂
黒人兵士は自分たちが犠牲になる覚悟はできている様子である。
むしろそれが目的のように、戦闘で興奮した怒鳴り声を発した。車
内はその声が反響して耳が痛いくらいであった。
若い兵士が上官を見つめる。眉はハの字に折れ曲がり、まるで親
を見る子供の目線だ。
﹁新米。実践は甘くない。行け﹂
76
と、再び怒鳴る黒人兵士。
声に背中を押されたように、若者はアクセルを踏みつけた。
分厚く重厚感あるタイヤは、化け物たちの血しぶきに周回、空回
りしたものの、すぐに高機動車の巨体を、鮮血の河とは逆の方向へ
向けて走り出した。
マリア・プリースは自分の父親がまるで別人のような口調と態度
なのに覚えた様子で、隣のメシアの腕にしがみついた。この数時間
で世界は一変したかのように彼女の前へ姿を現した。街は崩壊し、
化け物たちが人肉を求め沸きだ、巨大な触手と巨人が肉弾戦を繰り
広げ、最愛の父は手に銃を所持している。自分が今朝まで暮らして
いた場所は夢だったのか、それとも悪夢に自分は入り込み、抜け出
せなくなっているのではないか。憂鬱な顔で身に降りかかった現実
を受け入れられないマリアは、ただ必死にメシアへしがみつくこと
しかできず、そうした自分にもふがいなさを感じてしまい、再び心
の底へ、まるで湖面からほの暗い底まで沈んでいくようだった。
腕を掴む手が小刻みに震えているのを感じたメシアは、小さい彼
女の顔を見た。眼は涙で濡れ、涙を堪えるために下唇を噛み、必死
に今の感情を堪えているのが見えた。
﹁神父、これは? なにかの冗談なのか﹂
冗談ではないことぐらい、メシアにも容易に想像がつく。まぎれ
もなくこれは現実であり、世界は崩壊した。それをどのように表現
してよいのか、自分自身でも見当も付かないメシアの口からは、こ
んな形で現状認識を求める言葉したでなかった。
﹁事態は切迫している。とりあえず安全な場所へ到着するまで、待
ってくれ﹂
道路などはない。神父がこうしてメシアの問いを曖昧にさせる間
にも、高機動車は直進するが、その黒い車体が走る道すがらに整地
されたところなど、ただの1カ所もなく、ひたすらに瓦礫を踏みし
め、時折、肉感触の何かを大型タイヤが踏みつける、鈍く耳に障る
音が響く。それが化け物の肉片なのか、はたまた人肉なのかは定か
77
ではないし、敢えて厚手のビニール窓から幌の外を見やって確かめ
ABS
SVに陽光が反射して、車内を行き
アンリミ
る者もいなかった。車内はディーゼルエンジンの砂利を擦るような
リボルバー
音だけが反響して、時に神父が未だ手にするMAXI8
テッド
来した。
﹁あそこから上へ﹂
煙を上げ、高層ビルが倒壊する。あの同時多発テロ事件を思い起
こさせる、悪夢の光景が街の各地で目撃できた。メシアたちがこう
して十数分、車内で街を移動するだけでも、いったいどれほどのビ
ルが倒壊したことだろうか。それと街の地下を行き交うガスライン
が爆発している。その騒音と地響き。もっとも巨人が巨大触手と現
段階でも死闘を繰り広げているのは確かであり、その振動も地下か
ら金槌で叩かれているかのように、幾度と高機動車を突き上げた。
そんな中にありながら神父は冷静に状況を分析しながら、高速道
路へのインターを指さした。
無料化が進む高速道路へは、ゲートもなくスムーズに上がること
ができたが、車両は急速に減速すると、停車してしまった。
﹁また連中に足止めされてんのかい、兄さん﹂
街のチンピラという言葉がもっともしっくりと手に乗るイラート・
ガハノフが若い兵士の両肩へ手を乗せ、不愉快に顔をしかめる若者
には視線すらおかず、フロントガラスから外界をのぞき込んだ。彼
の少年的思考としては、高機動車の前を雲霞の如き化け物が群れを
成し、映画のように彼らを襲うべく、牙から獣の汁を滴らせている
ものと、勝手に考えていた。
が、停車の理由は至極当たり前の理由であった。渋滞である。
人は眼前に生命の危険を帯びた白刃がきらめいた時、全員が同様
の考えを、脳裡に巡らせるらしく、街からできる限り遠ざかろうと
する人の波が、高速道路全面に溢れていた。対向車線などは皆無と
なり、ただ一方向、街から遠ざかる方向に、車が並んでいた。その
間を荷物を抱えた人々が、車を捨てて避難していく。
78
その背景は破壊された街並みと、巨人と触手の戦闘であるから、
終末の光景そのものであった。
﹁どうします。車を放置している人々が多すぎて、撤去などできま
せんよ﹂
イラートの手を軽く振り払い、若い兵士が口走る。そこには自ら
の上官を見捨てた男へ対する憎悪の辛みが、言葉尻にくっついてい
た。
﹁物理シフトのようせいだ。本部へ確認しろ﹂
若者の顔が見る間に蒼白さを増した。この人物は自分が何を言
っているのか、分かっているのか、と口をポカンと開いた。この時、
虫が口腔内に入ったとしても、若者は気付かないだろう。
﹁ソロモン憲章に逸脱する行為です。そのような要請はできません﹂
興奮気味の若者と反比例して神父の声色は、恐ろしいまでに冷
静さをおびて、ヒタヒタと声が這っていた。
﹁我々が遂行する任務は、第一級優先任務です。何物にも変えられ
ない、高度な判断を要し、あらゆる行為が容認される。したがって
物理シフトの要請は正当なものとされる?。速やかに要請を行いな
さい﹂
直属の上官が任務の最中に、やむおえず離脱した場合、次の階
級の者が現場の指揮権を有する。軍隊としては当然のことであり、
現状における上官資格があるのはマックス神父であることは、確か
な事実なのだ。
﹁分かりました﹂
と、若者はギアをニュートラルに入れ、サイドブレーキを、理
不尽に対する不満なのそれを込めて引き上げた。
若者はしかし通信する様子も、誰かとの連絡する手段を見せるこ
ともなく、ただ呼吸を1つすると、瞼を閉じただけであった。
若者の様子を後ろから眺めるファン・ロッペンはエリザベス・ガ
ハノフとメシアを交互に見やって、状況を把握できない現状にやき
もきとしている焦燥感を視線に漂わせていた。
79
﹁申し訳ない。神父とおっしゃっていたが・・・・・・﹂
まずマックス・ディンガー神父の存在を理解していないため、そ
こから説明を、神父自身へ求めた。
神父は銃を構え続けていた腕をダラリと下げ、警戒心をようやく
解いたように、丸い眼鏡を押し上げ、マリアとメシアとここで初め
て視線を合わせた。
﹁わたしはマリアの、マリア・プリースの、義理の父です﹂
と、神父は静かに視線を落とした。
マリアを見やるファン。彼女もまた視線を落としているのが見え、
なんらかのわだかまりが2人の間に横たわっているのが理解できた。
けれどもそうしたものに興味を示さないファンは、神父を再びみや
った。
﹁物理シフトというのは?﹂
率直にものを尋ねる長身の若者に対して、神父は逆に質問で言葉
を返した。
﹁メシア君の友人ですか?﹂
そこにはいつもの神父の口調が蘇っていた。
﹁ええ。大学時代からの友人です。彼とは妙に気が合いまして。俺
は勝手に彼とは運命で結ばれた戦友だと思っているんですよ﹂
と、照れくさいことをまじめな顔をしていう長身の若者にはどこ
か、妙な説得力があった。
﹁そうかもしれないね・・・・・・﹂
含みを持たせた、木枯らしに吹かれるような、力が皆無の笑みで
囁いた神父であった。
﹁それで、物理シフトというのは、何なのですか?﹂
好奇心を赤子のようにむき出すファン・ロッペンは、話を流すこ
となく、的確に自らが取得したい情報を掴んだ。
少し考え、横で瞼を下ろしたままの若い兵士を一瞥してから、少
し自らに頷きをしたようなそぶりを見せてから、唇を開いた。
﹁我々人間は三次元の空間と一次元の時間の上に生活基盤を構築し
80
ている。生命体は世界を三次元としか認識できないが、現実には次
元は複数存在しえるものであり、この世界で生活する我々に認識で
きないだけの話だ。
しかし物体とはある種の条件下では三次元を離脱して違う次元へ
移行することができる。物理シフトとは、素粒子よりも遙かに極小
レベルで物体を異次元へ移動させる。だが、座標は三次元へ固定し
ているから、現実世界からの離脱ではない。三次元に物質として存
在しながら、別次元へ本質を移動させた物体は、現実の物体を素通
りできる。つまりは物質の破壊を行うことなく、貫通できるのだよ﹂
理解をしろと言うのが無理だ。現在の時代ではこうした技術力
も、科学が異次元を実証
することも、できていないのだ。その現代人に異次元移動を説明し
たところで、動物に言葉を教えるよう愚行と同様である。
突き上げる振動がよりいっそう強みを増した。高速道路を逃げ
る人の群れは、振動ではない、恐怖で震え、肉体を固くし、動きを
鈍く、人の大河が鈍足となった。
﹁HMをもっとも遠ざけろ。コアに危険が及ぶ﹂
神父は若者に怒鳴り付けた。いつもの父とは、明白な違いが再
びマリアの前へ露呈した。
が、この時、神父もコアと口にしながら、胸の奥が鋭い爪でひ
っかかれる思いになり、自らの言動を激しく後悔し、唇を結んだ。 数秒間、車内は無口を横たえた。外界は真夏の熱を帯ながら巨
人が化け物と争い、人々は逃げる脚を速くする。瓦礫の街には化け
物が闊歩し、逃げ遅れた人は、人肉と化して化け物の食欲の意のま
まになった。
高速道路へ化け物の波がたどり着くのは時間の問題であり、こ
の瞬間も中空を旋回する化け物群が飛来するかも知れないのだ。避
難する人々もそれを視界にとらえているからこそ、前の人を押し退
けて、自らの生存にしがみつこうとした。
若者は瞼を上げた。
81
﹁許可が下りました。物理シフトに移行します﹂
若い兵士はそういうなり、アクセルを踏み、車体を進めた。
ぶつかる!
全員が皮膚を泡だてる。が、身構えた若者たちの心配は徒労の
長物となった。高機動車の頭は、眼前に放置された赤のセダンへ接
触した。が、衝撃は皆無でそれどころかスムーズに直進する。
﹁どうなってんだぁ?﹂
イラートが小僧の心を引き付けられるのは当然であった。幌の
外に視線を移した彼の目の前で、放置された車をすり抜ける自分達
の高機動車の姿があった。
﹁素粒子よりも遥かにミクロな世界で、この車は別次元へ移行して
いる。我々3次元で世界を理解する人間には、それを解釈すること
はできないがな﹂
神父の説明は道理である。人間と動物の視点、あるいは昆虫と
動物の視点が異なると推測されるように、人間が3次元外を認識す
るというのは、自然の摂理に反することである。従って、人間が物
理シフトの際、受ける影響を認知することは不可能なのだ。もし、
認識すできる生生物学がいるとするならば、それは人間ではない。
この神父の説明を耳にするメシアは最中、激しい耳鳴りが聴覚を
つんざき、腕をつかむマリアの感覚が皆無となり、まるで中空を浮
遊しているような気分となった。
そして、メシアは無限の光の筋が自分を突き抜ける、光の雨の
なかに自分の存在があることを知った。
ENDLESS MYTH第1話︱7へ続く
82
第1話︱8
8
衣服は虚無の彼方に焼き飛ばされた。あるのはただ、一糸まとわ
ないメシア・クライストの肉体だけ。けれどもその肉体すらも、光
が貫通し、透き通っていた。輪郭は曖昧に空間と溶け合い、肉体と
いう器から意識が抜け出しているように、彼には感じられた。
視線を前方に向けると、飛び来る光の粒、それらが尾を引いて向
かってくる根源には、高光度の光源がきらびやかにたなびいていた。
すると無限に遙か遠くまで、果ての見えない空間に、春先のそよ
風のような声色が訪れた。
幾つの世界が興亡したでしょうか
男女の区別が着かない声は、メシアに問いかけるように語った。
えっ? と喉まで出かかった声音を引いたのはメシアである。不
気味な状態を今日という日に幾つも目の当たりにしてきただけに、
慎重に行動せざるおえなくなっていたのだ。
無限を凌駕した数多の世界は、発現と消滅を人間の単位グーゴル
を幾つ繰り返しても、計ることのできぬ永劫を繰り返してきました。
英雄、救世主は無数に生まれ、戦い、そして消えていったのです。
すべては伝説となり神話となりました。無限の戦いはしかし、ただ
ここへ通じるための戦いであり、前任者たちは、貴方が生存するた
めに存在していたのです。貴方が救世主であり、最後なのです
声がいう意味をメシアはつかめなかった。
﹁あなたは、誰﹂
そう問いかける透き通った唇を開くのがようやくである。
名は︽オルト︾。神々へ助言するもの
神々? メシアが疑問を訊こうとした次ぎの瞬間、光の雨は急激
83
に勢力を落とし、空間が回転するような感覚に陥ると、空間が漆黒
に覆われた。
けれどもただの漆黒ではないことを、メシアはすぐに理解した。
物体化した自らの肉体に、泥やスライムのようにへばりつく闇は、
激しく気分を落ち込ませ、吐き気がするほどに、彼の肉体を蝕むよ
うである。
足下は動物の内臓を敷き詰めたような粘りと悪臭を放ち、そこか
ら脚を這い上がってくる、虫のような小さな粒は、瞬く間に彼の感
覚を麻痺させ、心臓を冷たい指先で掴むようであった。
顔を引きつらせ、もがくメシアだったが、流砂の如くもがけばも
がくだけ、深みに肉体が呑まれていく。
粘つく闇を払いのけ、その場を脱しようとするメシアは、その時、
目の前の闇が急に視界を有した事実を認識した。霧が晴れるように、
豪雨がやむように、砂嵐がおさまるように、闇は遠くまで見据えら
れるようになった。
高速道路。彼の前には延々と伸びる、さっきまで高機動車が停車
していた、街を動脈のように突っ切る道路の上に立っていたのだ。
だが、風景は破壊され、食い尽くされ、叫喚に塗れた絶望ではな
かった。
彼らの次元に入りました。これは遠く、遙か彼方に存在する彼ら
の意識。けして呑み込まれてはなりません、けして︱︱
オルトと名乗る中性的な声が、ボリュームを絞るほうに、ことき
れた。
幻覚であることに変わりはない。と、ここ数時間の現象を体験し
たメシアは、今度もまた、現実へ境目をこえて戻る時を待つべく、
悠然と高速の白線の上を素足で歩き出す。未だ、彼の肉体は裸身で
あった。
幽霊の歩行といった様子で高速を歩く。その目の前には闇から
ぽつねんと1つの丸いものが漂ってきた。波間に浮かぶクラゲをメ
シアは脳裡に浮かべた。
84
眼を凝らして眼前まで、風に吹かれるようにきた物体を認識し
た刹那、ぎょっと後ずさりしてしまった。
目玉。言葉にすると、陳腐で冗談の響きに聴こえるが、実際、
現実に血走り、毛細血管が走る全長2メートルを越えるそれが現れ
ならば、悪い冗談にしか思えないだろうし、メシアも悪夢の中に溺
れ、沈んだ思いであった。
眼球はゆっくりと彼の前に進み出て、ピタリと停止すると、中
空に浮遊したまま彼を凝視する。
気づけば全身に冷たい汗が粒になっていた。脳をかきむしるよ
うな悪臭が鼻孔に突如として流れてくると、周囲の風景が再度、変
貌した。高速道路のアスファルトの硬度が急激に失われて、足の下
が泥のようにヌメヌメとし始め、視線を重力に負けたように落とし
た。
闇が再び這い上がってきたものとばかり考えていたメシアは、冷
たい汗を再び発憤させた。脚の下には、ヌメヌメとした皮膚がぴっ
しり敷き詰められ、血管が浮き上がり、さながら人間の体内といっ
た光景だ。
それが見渡す限り道路を埋めている。それかばりか樹木の根が這
うそれと類似したように、空間全域に広がっていくのだ。あたかも
見えない壁を這い上がるように。
驚愕と戦慄が全身を駆け下りるのを感じたメシアはだが、それで
戦慄の劇場が終幕とはいかないことを見せつけられた。空間を浸食
すると同時に、肉の壁面、地面には複数の光る物体が現出した。そ
れこそ肉の壁を覆い尽くす勢いで。しかしそれがなんであるのかを
理解した時、メシアの顔は引きつった。
眼だ。彼の前に浮遊する目玉と同じ、数多の眼が、瞼を広げ、一
斉にメシアを凝視した。
あまりの恐怖に逃げ出すメシア。が、背を見た時、背後にもまた
行き先の分からない内蔵の道が続くことで、自らが逃げ場を失って
いるのを咀嚼した。
85
と、メシアはこの地獄と化した世界に不可思議な物があることに
気づいた。暗闇の天に瞳の如く輝く青い月。それが腐敗する世界を
照らしている。
ふと、メシアは何かに背中を触れられた気がしてさっきまで見て
いた方向へ振り向くと、浮遊する不気味な目玉は消滅していた。代
わりに赤い月が今度は天に輝いていた。この世界に青と赤の月が現
出し、彼を照らすのである。
と、メシアは異常に肉体が熱をもっている事実に気づく。天から
視線を世界に戻した時、周囲が炎に包まれているのを見た。火の気
などもちろん皆無。突拍子もなく始まった燃焼は、世界を再び覆い
尽くした。まるで自らが消失を望んだ肉の世界を焼き尽くすように。
が、その炎が突如、渦を巻き始め、彼の前にトンネルを形成した。
炎は空間全域を覆い尽くしたのか、肉の壁も目玉も青と赤の月もそ
れぞれみることはできない。
その代わりに現れたトンネルの遙か遠くにまばゆい光を彼は目撃
する。色は常に変化を起こし、虹色という表現が最も相応しいだろ
う。
光は彼の眼前、数キロの位置で光を放っている。当然、彼の視力
が優れていても、ぼやけていた。しかし色合いはハッキリと分かる。
けれども、1度瞼を上下させた時、光源は彼の目の前、鼻先に姿
を現した。それは人の形をしていた。
挨拶をしておこう
オルトを思わせる口ぶりと声色で光は呟いた。
いずれ、時間も空間も次元も超越した場所でお会いします。私は
︽トゥルー︾。すべてを根源の使者です
声はそれだけを告げると、光の人型と共に消滅した。本当に挨拶
だけをするように。
ENDLESS MYTH 第1話︱9へ続く
86
第1話︱9
9
身体を揺さぶられてメシアはメシア・クライストは目覚めだ。
何度目だろう、マリアの心配する涙目を見るのは。
高機動車は停車していた。物理シフトの効果が消滅し、高機動車
が3次元へ復帰したことを示していた。
また片頭痛が首から後頭部にかけて脈動に合わせ、痛みがこだ
ましていた。
﹁今日はどうしちゃったのよ﹂
震える細い指先で彼の腕を掴んでいるマリアが不安を口にした。
ここまでの不安を漏らすのは、変事が起こり始めてから初である。
地下鉄のトンネルで意識をもうろうとさせたあげく、倒れてし
まった時から、メシアがどこか遠くにいるような気がした。今も透
明化した高機動車が車両をすり抜けていくのに、車内で驚きの声が
少年の口から弾ける中、メシアはマリアの横で、眠るように頭を彼
女の小さい肩に倒した。甘えてきているのかとも最初はマリアが思
ったが、どうみてもそれは気を失った様子だったので、彼女は動転
した。それと同時に車両は停車したので、車内には軽くパニックの
渦が巻いた。
3次元へ座標を移したら車両から降りる神父は、自分の前に広
がる溝を見下ろし、視線を十数キロ先で触手と戦闘を繰り返す巨人
の上へ下ろすと、嫌悪感に溢れた舌打ちをした。巨人が戦いのなか
ではね飛ばした瓦礫が、流れ弾のように高速道路へ被弾したのは明
白であった。
﹁下に降りて宇宙港へ向かうぞ﹂
メシアの現状をかえりみずに全員へ、命令を下した。
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﹁でも、メシアが﹂
興奮して、涙を丸い瞳に、溢れんばかりにためて訴えるマリア。
と、ここでメシアは覚醒したのだった。
﹁急げ、ここにいると喰われる﹂
人の感情はそこになかった。
メシアは自分がどこにいるのか、どういった状況なのか、悪夢
と現実の境目を抜けたことで、頭が混乱状態に陥り、脳が混乱状態
の渦を巻いていた。
神父に促され、慌ただしく足音を立たせるのはイラートである。
が、入り口前に座る姉と背の高い男は立ち上がろうとしない。
エリザベスはメシアの膝に手をのせて心配げに顔を除く。
﹁水分補給できるものはありませんか﹂
若い兵士は、運転席の足元に置いてある、黒いスキンシートの
ようなものに包まれた、タンブラーをエリザベスに渡した。
彼女はそれをメシアに差し出す。
﹁少し飲んだ方がいいわ﹂
力ない指先でそれを彼は握り、干からびて鉛色に変色した唇に、
水分を入れた。
マリアは彼氏を心配げに見上げると同時に、エリザベスを黒い
霧がかかった瞳で一瞥すた。
エリザベスの献身を横で冷静に見るとファンは、顔を神父の険
しい視線に重ね湖面の口調で訊ねた。
﹁避難に異論はありません。しかしその前に、状況の説明をお願い
したい﹂
冷静でありながら、嫌悪感が蜜のように絡まった言葉は、彼の
持ち合わせた独特の説得力と合わせ、神父の身体を助手席へ戻させ
た。
眼鏡を上げ、未だ手に所持する銃をひとつ撫で、神父は開口し
た。
﹁君たちはたいへん、危機的状況にいます﹂
88
と、ラジオのスイッチを入れて、つまみを調節した。耳に砂嵐
が吹き込み、チャンネルを合わせようとしているのが耳だけで理解
できた。
切れぎれに声が砂嵐に混じる。
﹁まだ、放送を試みる人たちもいるのか!﹂
ファンが驚きと愕然を声に乗せた。
﹁引き続きお伝えします。異常事態です。
今日、午前8時23分、複数の隕石が天文台で確認されました。N
ASAの発表では直径数メートルから十数メートルの大きさの隕石
が少なくとも70個確認されたとのことです。
それらは世界数十ヶ所に落下しました。被害は現在までに分かっ
ているところで、アメリカ合衆国で3000万人、ロシア2500
万人︱︱﹂
これまでに聞いたことのない死者数が読み上げられていく。
みるみる全員の顔が氷に閉じ込められ、意識が蜃気楼の中をさ
まよっていたメシアの顔も、能面のようになった。
しかし耳を塞いだところで、現実は不動の残酷を彼らの前に提示
し続けた。
﹁隕石の落下に伴い、世界各地では自然災害が相次いでいます。
日本ではマウントフジ、アメリカのベーカー山、ドミニカのトロワ・
ピトン、エチオピアのエルタ・アレ、カメルーンのカメルーン山、
トルコのアララト山などが噴火しました。また、地球各地のプレー
ト連動して地震が断続的に発生しています。沿岸部にお住まいの皆
様は、津波が発生していますので、高台に避難してください﹂
淡々と機械的にしゃべっているよだが、アナウンサーも現実感
がないのである。だから、目の前に提供された情報を読むしかなか
った。
﹁未確認生命体が各地で発生していますので、命を守る行動をとっ
てください。なお、未確認生命体の詳細は不明です。現在、各国で
戦闘が繰り広げています。この軍事行動による、国同士の戦闘も、
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未確定情報ですが、始まっているとのことです。
なお各は核兵器使用情報もありますので、なにが起こっても不思議
ではありません。繰り返しますが命を守る行動をとってください﹂
神父はラジオのスイッチを切った。
車内は空気が氷のように張りつめた。
﹁・・・・・・終末、ハルマゲドンが現実となったのですか﹂
やはり妙に落ち着いたファン・ロッペンが尋ねた。
けれども神父は答えようとはしない。
﹁世界規模でこことおんなじ状況が繰り返されてるってこと﹂
今度はエリザベス・ガハノフが長い髪を耳にかけながら、不安げ
に眉をひそめて尋ねる。
ここでようやくマックス・ディンガー神父は、2人の問いに同時
に答えるように、眼鏡をあげながら言った。
﹁単位が違います。全世界規模ではなく、全宇宙規模、全次元規模
で終末が到来している。つまり君たちが未だ知らぬ世界、生命体す
らも人類が遭遇する前に絶滅しようとしている。今の人類が直面し
ているようにね﹂
そこに誰1人、現実の味を感じることはできなかった。けれど車
外で来る返される光景、死者の数、巨人の戦闘は真実であり、まぎ
れもなく現実なのだ。そこが妙に神父の荒唐無稽な話に骨組みを与
えていた。
﹁冗談じゃねぇぜ﹂
憤慨した様子でイラート・ガハノフは脚を組んだ。
﹁だいたいどこから沸いたんだよ、あの化け物どもは﹂
それもまた疑問の1つである。面々は身勝手に隕石から沸いて出
たとばかり認識していたし、宇宙生命体だと思い込んでいた。
﹁全員外へ﹂
神父は1人、先に車外へ出る。
若者たちも重い石のような脚と引きづり、車外へ出た。
空は夏の夕暮れがおおい、空気は暑さを未だはらんでいるものの、
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身体に突き刺さる陽光が皆無なだけでも、夏の拷問のような暑さが
なく、和らぎを覚えた。
若い兵士はライフルをしっかりと抱き、周囲へ睨みを配る。い
つ化け物どもが襲ってきても、不思議ではないのだから。
ファン、イラートに続き、足取りが鈍いメシアを、身体の小さ
いマリアと背丈がメシアと同等のエリザベスが両脇から抱え、荷台
から下ろした。
マリアは彼氏を必死に支えてはいるが、ほぼほぼ支えているの
はエリザベスである。
見つつ、マリアも彼を支えようとするが脚がもつれ、逆に邪魔
になってしまう始末に、顔が赤く染まるのだった。
全員が高機動車にから降りてて、20キロは離れているにもか
かわらず、その巨体は間近に眼に写る巨人は、未だに戦闘を繰り広
げていた。
﹁あの触手を君たちはどう見る?﹂
唐突に問われても、返す言葉はない。生物であるのは確かな事
実なれど、あれほど巨大な生命体を、彼らは知らない。
﹁この世には科学では証明できない事柄が、確実に存在する。今、
人類は公にそれをみとめさせられているのだ﹂
神父は実感のこもった眼差しを戦いの渦へ落とすと、リボルバ
ーのグリップを握りしめた。そして確信を口にする。
﹁デヴィル。奴等はその汚らわしき子供たち、デヴィルズチルドレ
ンだ﹂
唐突にでもあり荒唐無稽の、大味の言葉でもあったせいもあっ
て、若者たちはあっけらかんと口を開いていた。
﹁荒唐無稽に聴こえるだろうが、真実は君たちの目の前に提示され
ている。それがすべてだ﹂
確かに眼前には暴れ狂う触手とこの数時間、死闘を繰り広げる巨
人の姿が見えていた。高速道路の眼下には肉の波が渦を巻き、人を
喰らい、血しぶきで街は濡れている。
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それでもデヴィルの存在を信じろ、という方が無理なのだ。
﹁おっさん、冗談はその辺にしといてくれよ。ばけもんがいるのは
承知してるけどよ、あれが、デヴィルず、ち、ちるどるん? なん
て悪魔の子供だっていうほうがどうかしてるぜ。それこそ映画か小
説かコミックの世界の話だ﹂
シーズンを止めた2つ穴の革ベルトに親指を掛け、髪の毛をなで
上げる少年っぽいイラート・ガハノフは、初めてに近いまっとうな
言葉を神父に投げかけた。
それを不本意そうに姉が、両肘を抱えて援護する。
﹁非科学的ですね。第一、この現代においてデヴィルなどという非
科学的な存在が現出するなどありえません。しかも何故、今なので
す? 古代からデヴィルと呼称される存在は書物に登場しています。
神の信仰と同時に対峙する存在として登場したデヴィルがもしも実
在するのでしたら、遠い昔に現実へ溢れ出ているはずではありませ
んか﹂
ハッキリ物を言う女性は、神父に疑問と否定を投げつけた。
﹁悪魔の最大の能力は、気づかれないことだ。昔ある人物が残した
言葉です。デヴィルは人間社会に確実に太古から存在していました。
古くは自然災害、病気を悪魔の仕業と定義していた。世界最古のゾ
ロアスター教にも、悪の存在はある。
神父らしいことを言わせてもらえば、エデンの園からアダムと
エバが追われたきっかけ、知恵の実を食べさせる誘惑をした蛇、イ
エスがゴルゴダの丘まで歩いた道すがら、顔を覗かせた悪魔。これ
ら最古の書物、聖書に描かれたのも、デヴィルの真実なのです﹂
メシアは頭が渦巻き、目の前が歪んで、まだ意識がはっきりし
ない中で、神父が無理を言っているのは承知していた。けれども、
神父が嘘を語る道理はなく、そうした人物でないことも理解してい
た。だからといって全てを咀嚼することはできないが、自分がこの
1日に経験したことを追憶すると、どちらとも言えぬ、曖昧な気持
ちになった。
92
それがマリアの方を抱く手の曖昧な力の加減となって現れたの
である。
﹁お父さんは、本当にわたしのお父さんなの?﹂
マリアはようやくの思いで、薄い唇から風に飛ぶほどの小声で、
囁くように訊いた。
神父は娘の顔を見る。が、すぐに顔を背け戦場の渦巻く死闘へ
眼を向け、喉を上下させた。
銃を神父の衣服をめくりあげ、腰のホルスターへ戻し、少し溜
め息をついてから、短く息を素早く鼻で吸い、真実を口にした。い
ずれ乳飲み子の、握れば砕けてしまいそうな娘を抱いたときから、
この時が来るのを恐れていた。だが、その時は到来してしまった。
この運命を呪いながら、神父は口を開くのだった。
﹁わたしも、ここにいるベアルド・ブルも現代の人間ではない。君
たちが考えもつかない遠未来からタイムリープしてきました。端的
に言えば未来人なのですよ﹂
またもや荒唐無稽な話題となった。
威厳のある神父の風貌からは想像できない言葉であり、メシア
たちは違和感を禁じ得なかった。
﹁なるほど。確かに整合性はとれる。物理シフト、そしてあのデヴ
ィルを殺傷しようとする巨人。現実ではないことが我々には提示さ
れているが、未来の科学力ならば、あるいは﹂
口を結び沈黙を保っていたファン・ロッペンが咀嚼したような
と言いたげにエリザベスが横目で見
顔つきで神父を視線で射ぬいたい。
本気でいってるのか!
た。弟も理解できぬとばかりに地団駄を踏んだ。
﹁そう。僕たちは君たちには理解できない技術を用いている。当然、
これからの出来事も分かっています﹂
若い兵士ベアルド・ブルは高みから見下ろすように嘲笑し、若
さゆえの人を蹴り下す態度を取った。
上官神父は、余計なことを、と言いたげにキリッと睨み付け、
93
吐き出した声を飲み込ませた。
これからなにが起こると言うんだ。メシアの胸に言い知れぬ不
安が疾風の如く吹き抜けた。
と、その時、数キロ先の巨人が倍の大きさもある触手のひと薙
ぎが銅を横殴りに入り、金属を肉で叩くような音が都市を振動させ
た。そしてあれだけの巨人の巨体が枯れ葉となって中空を跳ね、海
原へ波を起こして、海底へと沈んでいった。
﹁HMが退却とは、事態は深刻だな﹂
口の中で言った神父は眼で部下に合図する。
兵士はライフルのベルトを袈裟懸けに駆けて背負い、高機動車
の幌の中へ入った。ものの数秒後、幌から吐き出されるように、黒
いロープの束がアスファルトへ投げ出された。
若い兵士はロープの束を担ぐと、高速道路からむき出しになっ
てしまった鉄棒に手際よくロープを縛り付けると、奈落のような直
下へロープを投げ出した。
若者たちは気付く。魑魅魍魎が渦巻く下界へ、自分たちは降り
るのだと。
ENDLESS MYTH 第1話︱10へ続く
94
第1話︱10
10
この場にする人々がいたならば、あるいは殺到しただろう。け
れども、高速道路の先端に避難民は到達しない。手前のインターか
ら地上へ流れは降りていく。インターからも高速が途中で途切れて
いるのがみてとれ、誰もこようとはしないのだ。
他とは異なる方法でロープを芋虫のように縮こまりながらつた
るメシアたち現代人。
対する未来の兵士たちは、素早くロープを滑るように下り、地
上で武器を構え、周囲を警戒していた。
﹁未来人ってのは、安全に下りるってことを知らないのかねぇ。み
んなと一緒にインターでおりりゃあ、楽だったんじゃないのかねぇ﹂
皮肉な口調混じりにロープを一番先に降りてきたイラート・ガ
ハノフが怪訝に言う。
﹁結末は了承しているからこその行動と理解してもらいます﹂
と、神父は眼鏡を指で押し上げた。
すると真夏の熱風が耳に運んできた断末魔のおぞましきうめき
声を、イラートのみならず、団子虫となってロープに固まる若者た
ちは呑んだ。それは少年っぽい声色でイラートが主張したインター
の方角から飛び上がっていた。
爪で壁を引っ掻くような声色に、降りたばかりのマリア・プリ
ースの顔色が青白く濁った。
﹁お父さん﹂
言いたいことは小さい胸に山積していた。けれども、尋ねるの
が恐ろしく、答えを聞いてしまったら父親が本当に父ではなくなっ
てしまう気がしていた。
95
涙をためた眼を見つめ、神父は娘の頭をポンッ、ポンッと軽く
叩くと、銃のシリンダーを外し、弾込めを行った。
全員が地上に降りたときには、日が落ち、闇が瓦礫を包んだ。
﹁予定より行動が遅れています。急ぎましょう﹂
若い兵士がマガジンの弾数を確認しながら上官に提言する。
ガラケーをポケットから出し、開いて時間を確認したマック
ス・ディンガーは、軽く頷き、若者たちを一瞥した。皆、今日直面
した出来事が夢魔の如く思っているのと、身体的疲労から、顔に世
闇とは異なる影が差し込んでいた。
﹁2キロ先に休める場所があります。そこまで走り、朝を待ちまし
ょう﹂
何を言っているんだ、と言いたげに眼を剥き、上官を睨むよう
に見る若い兵士。
しかし神父は構わずに現代の若者たちを促し、瓦礫と塵のアス
ファルトを蹴飛ばすのだった。
﹁なんで俺がこんなめにあわにゃならねぇんだよ﹂
走り出してそうそうにイラート・ガハノフは愚痴を口に、ダラ
ダラと身体を動かした。
彼はいつもの朝を迎えていた。本当にいつもの朝である。今日
は大学へ行く日に当たっていた。といっても彼は毎日、大学へは顔
を出し、先輩や後輩と過ごしていたのだ。幼いときよりスポーツに
は万能で、何をしても人に負けることはなく、助っ人として部活に
呼ばれることもしばしばである。
現在は姉との2人暮らしだが、両親はイタリアで生活している
と、メシアは聞いていた。出身はロシアの姉弟は、イタリアへ移住
した後、この街の大学へは入学を機に2人で生活していたのだ。
そんな朝、いつものように姉に叩き起こされ、2人で地下鉄を
活用し、移動していた。その途中で地響きに襲われ、電車は脱線す
ると、なんとか乗客たちと脱出すると、あの駅へと避難したのだっ
た。
96
だから彼が捲き込まれた現実を恨むのは、当然のこと。
﹁うだうだ言わずにちゃんと走りなさいよ。生きる為には、走るし
かないのよ﹂
兄弟とはどこでも、いつの時代も、正反対になるもの。この姉
と弟も例外ではない。姉は常に何をやらせても優秀にこなし、人の
輪の中で中心になって会話を進めていく。
対する弟はスポーツはできるが勉学が苦手であり、他者へ対す
る態度が粗暴で、批難されることもしばしばである。また、この小
僧のような発言は、場を混乱させたり、物事を滞るらせたりしてい
た。
走る足が長く、何をさせても様になるファン・ロッペンは、そ
んな姉弟を視界の端にとらえ、いつものことだ、と口出しせず、黙
りを決め込んだ。
長身で面長のこの青年とメシアの出会いは、雨の日の午後であ
る。大学入学後まもなくのことだ。急に降ったどしゃぶりの雨に、
困惑していたメシアへ、声をかけた彼は、雨に濡れるのも楽しいも
のだよ、と傘もささずに歩き出した。独特の説得力は、この時も発
揮され、メシアは自然と雨の中に脚を出していた。が、この雨の中
の2人の顛末は、情けないものになった。2人揃って風邪をひいた
のだ。しかも行きつけの総合病院で偶然に待合室の長椅子に隣同士
で腰を下ろした。これが友情の始まりであった。
土がむき出しになった環状線を走り抜けた一行は、神父の足が
止まったことで、走るのを止めた。
膝に手をのせ、心臓がまだ走り続けるのを深呼吸で押さえよう
とする。
﹁今夜は倒壊はしないので、ここで休みましょう﹂
神父の視線を辿った先に、若者たちは外装にヒビが蜘蛛の巣と
なったマンションが、杖をついた老人のように、辛うじて立ってい
る。
こんなところで一晩をあかすのか。メシアは口の中で呟くも、
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目の前の神父はつかつかと躊躇いなくマンションの中へ進み入った。
﹁朝まで建ってるのか、これは﹂
メシアが手を引くマリアに言う。
﹁一緒になら、生き埋めも嫌じゃないよね﹂
と、マリアは微笑んだ。
2人は手を固く繋ぎ、埃っぽいマンションの、自動ドアが割れ
た入り口へ進んでいく。
ENDLESS MYTH第1話ー11へ続く
98
第1話︱11
11
マンションに入った一行は先ず、ライフラインがマンションに
来ているかを、手分けして探した。が、探ったところで無意味なこ
とを皆、突きつけられた。
ただ住民が放置して、逃げざるおえなかった食料を、壊れた扉
をこじ開け、各部屋へ入り、確保に勤めた。
﹁こんなことして、いいのかなぁ﹂
冷蔵庫からハムやチーズなど、調理をせずとも食べられる食料
を、これも部屋にあった布のバッグへ積めながら、マリアは自責の
言葉を口にした。
﹁生きるためにはしかたないでしょ。甘いことなんか言ってられな
いのよ﹂
棚を物色するエリザベスは、マリアの弱音を両断して、自らの
仕事を終わらせると、隣室の物色へと向かうのだった。
入れ違いにキッチンへメシアがやって来た。彼女の顔色の変化
をすぐに見てとった。
﹁エリザベスとなにかあったか?﹂
ここでマリアは初めて、メシアが横にいることに気づき、
﹁大丈夫、何でもない﹂
と、無理に作った笑顔を押し出した。
もうここには食べられそうなものがない、と言ったように、玄
関へ彼女は向かうのだった。
1時間後、一行は予定していた、15階建てのマンションの2
階に集合していた。
その部屋の住人は避難したのか、あるいはデヴィルズチルドレ
99
ンに喰われたのかは分からないが、室内は一瞥しただけで、慌て部
屋を出たのが、クローゼットの荒れ方、ダイニングの朝食の放置の
されかたなどで分かった。
リビングに集まった一行は、食料と逃亡に使えそうな衣服、毛
布などを広げた。
﹁たいしたものは残ってねぇなぁ﹂
そう軽口を叩くイラートと言えば、どこの少年が遊んでいたの
か、ベレッタM92のモデルガンを1つだけ、手にしていた。
これには全員が苦い笑みにしかならなかった。
エリザベスが、神父が手にする電気ランプの明かりでも分かる
ほど、顔を赤くして、手を振り上げた。
頬がひっぱたかれる音が高くなるとばかり思っていた一行はし
SVを構え、ベアルド・ブルはH&K
X
アンリミテッド
かし、全員が予期せぬ、ドアが開く音がし、緊張の糸がピーンと張
った。
ABS
マックス・ディンガー神父は愛用のMAXI8
リボルバー
M8の銃口を入り口へ向けた。
メシアは身構え、マリアの自らの背中に隠す。
ファン、エリザベスは今までの物色行為で発見したバール、金槌
を構えた。
イラートはというと、自慢げにモデルガンを構えるも、そこに脅
威は微塵も感じられない。
マンションの土台が傾いているせいもあって、開くドアは甲高い
金属音を響かせた。この場に化け物どもが殺到したら、窓から地上
へ落下するしかない。そのために神父はこの下手を選択したのであ
る。
今日見てきた、人肉の光景が全員の脳裡を、馬のように走り抜け、
いちじんの不安が風の如く胸を抜けた。
ドアがゆっくりと開き、脂汗の匂いが室内に充満すると共に、数
個の人影が室内へ入ってきた。緊張の度合いが加速度的に上昇した。
100
若い兵士が引き金に指先を掛けたその時、思いも掛けぬ声が人影
の中から上がった。
﹁マリア、マリアじゃないの?﹂
自分の名を思わぬ形で呼ばれたマリアは、小さい頭をメシアの後
ろから突き出す。
そこに見慣れた顔がランプで浮かび上がり、マリアが笑みが光
った。
﹁マキナ?﹂
戸惑いつつもメシアの背から出て、ボブヘアでロングスカート
えっ、どうして?﹂
の丸い顔をした、若い女性へ近づいていく。
﹁やっぱりマリアだ!
と、驚いた様子でこのマキナ・アナズは親友の生存を、眼を開
いて喜んだ。
しかし、マリアと一緒にいる面々には、伏し目がちに顔を合わ
せるだけで、特にメシアを見てとった時の表情は、いびつさが張り
付いていた。
彼もまた、彼女の出現が喜ばしくないと見えて、目尻がぎこち
なくつり上がった笑みを被っていた。
丸顔のこの女性は、マリアの親友である。街の教会保育所で、
むっつり黙り込んでいたマキナへ幼少のマリアが話しかけたのがき
っかけで、親友となった。
お互い、人間関係を広げる方ではないため、学生の頃にもお昼
を共にしたり、休息時間を共にするなど、仲がよかった。
ただ、同じくマリアと幼少の頃、教会で偶然知り合ったメシア
とは、互いに良くは思っていない。それが今の2人の間に流れた、
重たい空気の正体である。
﹁もう、大変だったんだから∼﹂
マキナは堤防が決壊したかのように、言葉の洪水をマリアへと
浴びせた。
﹁話は後だ。とりあえず中に入りなさい﹂
101
と、壊れたスピーカーとなりかけたマキナを笑顔で静止し、マ
ックス神父は一行を部屋へ引き入れた。
あ、神父さま、と言いかけてマキナは口をつぐんだ。マリアの
義理の父を彼女も好んでいる。よく教会へ遊びに行っていた。だが、
その物腰の柔らかい神父が手にリボルバーを所持するのを目撃し、
眼を剥きながら、後ずさるのだった。
これに押される形で、若い兵士の威嚇にも、怯えた羊の群れの
ように、人影は下がって行く。
﹁大丈夫、平気だよ﹂
このマリアの声色が、何故だか羊の群れへ安心感を与えた。自
然とマキナたち一行は、部屋へと殺到した。
瞬間、神父は本部へ意識転送し、部屋の周辺の次元遮蔽を提案、
認証された。
この時点で彼らの瓦解寸でのマンション一室は、3次元物理空
間から完全に遮断され、何人も出入りができなくなった。
ただ室内からの眺めは、3次元空間同様、何らかわりなく見え
ていた。
﹁食料はありますか﹂
神父はまず、人数分の食料確保がなされているかの確認をすべ
く、誰にともなくリボルバーをホルスターへ納めない、語りかけた。
﹁皆、考えは同じですよ﹂
と、1人の男性が進み出てきた。その手には獣を追い、身体を撃ち
抜くための猟用の散弾銃が構えられていた。
黒髪を坊主にした黒人。身長はメシアとさほど変わらない、平均
的な大きさだ。細身ながら身体に密着した白く汚れたTシャツから
も分かるほど、しなやかな筋肉を身体に鎧の如くまとっていた。
﹁ニノラ・ペンダースと言います﹂
ぶしつけにしゃしゃり出たのをわびるように、名を口にすると銃
口を床に下げ、青年は後ろに立つ東洋人系の顔をした男からバッグ
を受け取り、中の食料を見せた。
102
﹁ここへ避難する前に食料を拝借してきました。生きるためには仕
方の無いことですからね﹂
ニノラはそう言い、黒い顔に白い歯を顔に貼り付けた。
﹁ちょっと、後ろがつかえてるから、中に進んでくれない﹂
不機嫌にニノラの後ろから声が立ち上がった。声色は明白に不
機嫌で、甲高く耳に障る。
うんざりだ、と言いたげに、甲高い声の被害をもっとも被る、
声を放った小柄な女性の前にいた東洋系の、身体の大きな筋肉の塊
の男が、嫌悪の矛先を背中の後ろへ向けた。
﹁君は口を閉じることを覚えた方がいい﹂
今日、初対面なのだが状況が本音を引き出し、遠慮は忘却され
ている。アジアの顔をしたイ・ヴェンス。その言葉にも遠慮は皆無
だ。
﹁入り口の前にあたしを放置するなんて、男としてどうかしてるん
じゃない。気持ち悪いあの生き物に食べられたら、あんた責任とれ
んの﹂
イ・ヴェンスの太い、筋肉の丸太を叩き寄せ、堂々と室内へ入
ると、マリアとマキナを一瞥するなり、
﹁で、どうするのよ。いつまでも立ってるつもり﹂
小さい身体から発せられるエネルギーの膨大さに、唖然として
いる面々は、この自分を中心に世界を考えるジェイミー・スパヒッ
チに促されるように、リビングへ移動した。
神父、ファン、ニノラ、エリザベス、イが食料の配分を始め、
他のものは寝る場所を配分し始めた。
ベッドとソファは女性たちに譲る話をしていたが、ジェイミー
がベッドは自分1人が利用すると言い張り、イラートがジャンケン
だ、と自らも
権利を主張した。
このやり取りを尻目にマキナはマリアを独占し、2人でおしゃ
べりをしている。
103
その横では、ベアルドが全員が所有する武器を集め、状態をチ
ェックして、残弾がどれだけあるのかを調べていた。
メシアはマリアの横に寄り添いたかったが、マキナの依存のよ
うな姿は、メシアを遠ざけるようであった。
マリアも彼に近づきたかったが、友のおしゃべりは饒舌を極め、
横目で彼がベランダへ出ていくのを見るだけだった。
ベランダから望む世界は、今朝までの見慣れた街とは、根底か
ら変貌していた。各所で炎が摩天楼のように立ち上っていた。黒煙
が空を埋め、街に灯りが皆無だが、星空は分厚い黒煙で遮断されて
いる。
粘りの強い腐肉が地面を這うような音が闇に染み、固いものが
バリバリと砕け、液体が流れ落ちるような音は、数多の悲鳴と混じ
り、渦巻いていた。
人が喰われている音だ。ベランダに出てメシアは瞬く間もなく、
現実に理解させられた。
﹁現実とはおもえないでしょう﹂
肩に暖かい手を乗せ、神父が食料分配の手配を済ませ、ベラン
ダへいつもの穏やかな表情を闇に光らせながら出てきた。
﹁現実なんだろ﹂
確認するようにメシアは言葉を噛み締めた。
﹁入り口でしかないし、始まったばかりです。これからが人間の辛
い時代になるのですよ﹂
未来人らしい、悟りを舌に巻いている神父の瞳には、今日以後
のことが憂いとなってにじみ出ていた。
神父ら自らの憂いを払うように、丸い眼鏡を外した。
﹁昔は自分が眼鏡をかけるなど思いもしなかった。上司が同じ眼鏡
をかけていたのを、笑っていたものでしたがね。今ではわたしも必
要だ﹂
遠い昔は、上司と丘の上で会話をした夏を追憶していた。
が、メシアにはそれどころではない。現在を凝視するのが精一
104
杯だった。
﹁これはいつまでも、この苦痛はどこまで続く﹂
眼鏡をかけ直し、神父はこの質問に、少し間をあけて、1つ咳
払いをして、声を低くこたえた。
﹁人は戦いのなかで産まれ、戦争が日常となって、戦争の理由も知
らぬまま、死んでいきます。そうした時代が来るのですよ。
人類は神話の世界と戦争をするのです﹂
日常が平行なもので、安定していたのならば、あるいはメシア
も、神父も冗談を言うのか、と笑えただろう。
けれども日常は崩壊した。彼の前で。だから神父の言動は信憑
性をまとっていた。
﹁どれだけ続く?﹂
苦痛の入り口をメシアは探した。終わらない戦争はないはずで
ある。
神父は口ごもった。視線は階下へ焦点を合わせ、髪の毛を撫で
上げ、困った様子をみせた。
話しづらいことなのか、メシアはそんな空気を鼻孔で感じた。
﹁娘を、マリアをお願いしますね。あの子は強い子だ。だから強が
って我慢をします。弱いところを見せられるのは、甘えられるのは
君だけなのです。
娘を頼みます﹂
強めに言った神父の声音は、妙に遺言めいていて、彼の胸に不
安を吹き込んだ。
この様子を鋭く見るものがあった。ファン・ロッペンの針のよ
うな視線である。
彼はリビングから玄関へ向かう廊下の壁に立て掛けた角材のよ
うにもたれ掛かり、腕を組んでいた。
すると彼の横に、半開きだった扉が内側から開き、エリザベス・
ガハノフが凛とした様子で踏み出てきた。
﹁女性をトイレの前で待ち伏せるなんて、いい趣味とは言えないわ
105
ね﹂
壊れた個室に若い兵士が所持していた簡易トイレを置きトイレ
としていた。
エリザベスの態度に、片方の口を上げて、薄い笑みを浮き上が
らせたファン。
﹁どちら側につくか、考えはまとまったかい?﹂
いついつもと口調やニュアンスの異なる口ぶりは、粘液のよう
な邪悪さをはらんでいた。
だが様子が変わったことを感じていない様子で、エリザベスも
軽く笑みを唇に乗せた。
﹁運命の対峙。わたしたちの選択が全てを左右するのだから、迂闊
にはえらべないわよ﹂
シャツの裾を引っ張り、衣服を調えてベランダのメシアを一瞥
すると、彼女はファンの面長の顔を見上げ、静かに微笑んだ。
彼女は選択している。ファンは彼女の決断を見たのである。
ENDLESS MYTH第1話︱12へ続く
106
第1話︱12
12
電気ランプの灯りを囲み、神父は新しく加わった仲間へ、デヴ
ィルズチルドレンの葉梨を語り、自らが未来人だという言葉を並べ
た。
信じない、普段ならば。しかし彼らも世界が壊れるのを目撃し
た。そこから発生する説得力は、絶対的なものがあった。
さっきまでベッドのことでイラートともめていたわがままを、
人の形に固めたようなジェイミーですら、話を黙視で耳にしていた。
若者たちの憂鬱の沈黙を理解しながらも、神父だけは冷静と口
を、淡々と感情を置かずに、これからの行動を説明した。
﹁明朝、ここを離れ宇宙港へ向かいます。目的は軌道上のステーシ
ョンへの移動にあります﹂
若者の中に違和感の波紋が輪を広げたのを、神父も認め、それ
へ答えをしっかりした口調で提示した。
﹁月面へ向かうべきだと思うでしょう。よく考えてください。地球
がこのような状況にあるのです、月面が例外だとおもいますか?﹂
事前の説明、つまりデヴィルズチルドレンの襲撃に、神話の世
界からの強襲に、例外など存在しない。全宇宙は魑魅魍魎に食い散
らかされている。
翌朝まで、眠ることを神父は伝え、説明は終了した。が、眠れ
る者など1人として居なかった。身体を寄り添う者は不安を分かち
合い、そうでないものはただ、体現された地獄に耐えるしかなかっ
た。
やがて朝が訪れた。陽光は均等に朝を与える。そこが瓦解した
街であっても、獣に喰われた死骸の山積した通りでも。
107
火事現場と肉の焼ける悪臭が霧のように濃くなる外界へ、震え
る脚を伸ばした一行の前には、失われたはずの高機動車が、幌を風
に波打っていた。
神父が本部へ転送を依頼し、高速道路からマンションの前へと、
素粒子分解から再構築を行い、転送したのだ。
唖然とするメシアたちを神父は急かす。
﹁時間がない。乗りたまえ﹂
牧羊犬に追われる羊の群れのように、若者たちは幌の中へ詰め
込まれ、若い兵士がエンジンをかけ、ギアを入れて、ディーゼル音
を唸らせ、ひび割れたアスファルトをタイヤは蹴飛ばした。
﹁時間がないとは?﹂
ビニールが張られた幌の窓を通った陽光が、すでに真夏の汗を
かくニノラが、助手席の神父へ訊いた。
マックス・ディンガーは、アスファルトの波に合わせ飛ぶ高機
動車に揺らされ、ずれた眼鏡を上げてから、少し考えた素振りで、
口ごもりながら答えた。
﹁本日の午前11時35分、国連は未知の生命体、つまりデヴィル
ズチルドレンへ対し、加盟国家へ全面交戦を呼び掛け、そ同日の正
午すぎ、街には戦略核兵器が爆撃機によって投下されます。
このま街は地図上から消失する街の1つとなるのです﹂
﹁戦略核兵器﹂
あまりに現実を飛び越えた話に、誰もが呆然とする。ファンは
その中でも冷静に状況を捕らえていた。
ファンの声が全員を正気へ引きずり戻す。
﹁死ぬなんて、冗談じゃない﹂
明らかな動揺がジェイミーの、脳天から抜ける、耳障りな声に
乗っていた。
﹁だから逃げると言っている。いちいち騒ぐな﹂
アジア系の顔は表情の読み取りが難しく、イも怒っているのか、
注意するだけなのか理解できない。が、声色からはわがままな少女
108
的なジェイミーに、嫌悪を胸に抱いているのは聞き取れた。
そこからジェイミーのスイッチが入ったらしく、高機動車が海
辺から坂を登り山側へ、凄惨な遺体の踏み潰し進む最中、ずっとか
なぎり声を張り上げていた。
メシアは雑音に皆がうんざりする中にあり、ふと嫌な感覚に襲
われていた。酔ったとき、後頭部へ気持ち悪さが上がって来るよう
な、吐き気を喉に感じる感覚である。
外へ視線を下ろすと、市街地から離れると赤い砂地の砂漠が広
がる。街は海に面さてはいるが、10キロも離れれば砂漠の懐へ入
る1本のアスファルトが伸びていた。
高機動車はその直線を疾走していた。
砂漠に入ると熱波は激しく、地面が焼け、皆がうだる暑さに気
分を害していたが、メシアのはそれとは異質なものである。
本人も形容しがたい異変。まるで水面と水中の狭間にいるが如
く、半身は水にまみれ、もう半身は乾いたような、脳が混乱をきた
す感覚である。
後部でメシアがそうした異変に襲われていることなど知るよし
もない神父と若い兵士。が、突如、はっと眼を剥いた2人は、瞬間
的に顔を見合わせ、急ブレーキが全員の身体を床へ投げ出した。
﹁ってえなぁ。もっとしっかり運転しろよ!﹂
イラートが叫んだ。
けれども2人は耳に声など入らない様子で、外界を射る視線で
警戒していた。
デヴィルズチルドレンか!
若者たちは全員、熱波の渦中で汗は冷たくなった。
刹那、ディーゼル音だけが唸る砂漠に、鼓膜をつんざくけたた
ましい唸りが、砂漠を震わせた。
突っ伏していた若者たちは、跳ねる如く起きると、窓の外を刮
目した。
砂漠にそれは立っていた。骨格と間接が角張り、複数の脚がカ
109
サカサと高速で動き、鋭角な両腕は鎌のようである。弓なりに反っ
た細長い肉体の頂点、頭部には複数の眼球が赤く光を帯びていた。
巨大なカマキリに酷似した風貌はしかし、禍々しさをはらんだ
妖気に包まれていた。
﹁時空が加速度的に歪んでいるな。こんなものまでこの時代に来る
とは﹂
神父の顔には笑みが乗っているものの、喜びではなく呆れの笑
みである。
﹁ドラゴンズ﹂
息を飲むように横の兵士は、ライフルをさらに握りしめて、言
葉を口先に垂らした。
逃げるか、戦うか。神父は選択を迫られた。逃げてもこの不浄
な生命体は、瞬間に高機動車など蒸発させてしまうだろう。だから
といって、現代の兵器でドラゴンズと戦うほど無謀でもなかった。
苦い汁を無理に喉へ流し込まれた表情で、奥歯を神父は噛んだ。
が、意外な事態が一行の眼前で起こった。1つの人影が忽然と、
全長50メートルを越え、粘りの強い体液を砂漠へ口内から垂れ流
し、赤い土煙が風に舞い、酸性が強く焼ける音が立つ生命体の前に、
悠然と仁王立ちした。
夏の日差しで浮いた要望は、退治する生命体にも増して、異質
であった。
全身を筋肉で形作ったような曲線が滑らかなスーツを着用し、
外装を鉄板を切り出したような鋭角な板で覆っていた。頭部はヘル
メットを着用しているので、顔は不明だ。ヘルメットの表面にはヴ
ァイザーが突起している。
黒い対象物を認識した刹那、生命体は明白な嫌悪感を鳴き声に
絡め、空気を震動させた。突きだした下顎が左右に割れ、紫色に光
沢をおびた複数の球体が顎の奥には収納されており、露出させた生
命体は、それを黒い人影へ向けた。と、球体は眼を潰すほどの光を
発すると、空気を焼き、地面へ光線を放射したのだった。その光は
110
なんとも禍々しく、獣の臭いを漂わせていた。
放射の中に消失した人影。砂煙は舞うそばから粒子が崩壊して
消えていく。
人影も砂と同様の結末を迎えたものと、注視する一行は思った。
が、黒い影は熱気を裂き、中空へ張り付いていた。生命体の頭
上、70メートルは上空に跳ね上がっていた。
黒い光沢を陽光で照らし、人影は身体を縦に回転させると、空
気を蹴飛ばすように脚を動かすと、高速で生命体の頭上へ接近、脚
を大きく振り上げ、生命体の頭部へ踵を斧として降り下ろした。
巨体の頭部から脚爪先にかけ、衝撃が下り、生命体は壊れた鈴
のように唸ると、赤砂の上へ大音量と共に突っ伏した。
土煙が幕をはる。風はすぐに土煙を払いのけた。すると突っ伏
した生命体の前に人影は立ち、ヴァイザーが傾き、顔は生命体を見
下ろしていた。
その時、伏しながら鎌を薙ぎ、人影を切り刻もうとした。
けれども生命体の意図が叶うことはなかった。
人影の腕が動いたと思った刹那、生命体の森を他人振りで薙い
でしまうほどの鎌は、拳の一閃で見事なまでに砕け、緑色の蛍光し
た鮮血が血煙となった。
耳にする方も苦悶するほどの唸りを発した生命体は、砂のうえ
で苦悶に悶絶す。
それをあしらうかのように、人影は拳を天高く突き上げると、
直下めがけ、光のごとく一気に降り下ろした。
生命体の頭蓋は水風船の破れるそれに似た破裂を起こし、絶命
したのだった。
ENDLESS MYTH第1話ー13へ続く
111
第1話︱13
13
尋常ではない数が赤い砂漠の地上も天空も埋め尽くした。薄い
肉体を鱗と言うよりは、岩肌の地層のような大きい甲羅のようなも
ので覆われた、ドラゴンズの1種が地表に、中空へには無数の翼を
所持した、バラの遂げて形成されたような鱗で覆われたドラゴンズ
が、水飴のような輝きを反射する、布のように滑らかに動くその翼
を、上下に羽ばたかせていた。浮力をそれで得ているとはしかし考
えられず、重力に反発して浮遊しているかのようだ。
1匹を駆逐した刹那、これらのドラゴンズが空間を引き裂き、
地上へ放出されたのだ。
アクセルを底が抜けるほど踏み、ギアを入れ、一直線のアスフ
ァルトをタイヤは突っ走ろうとした。が、眼前の地面から腐肉の塊
が現出した。
アスファルトをかき分け、最初に蜘蛛の脚を連想させる角張った
物が突起した。続いて大腸のような触手が鞭をしならせるように這
い上がってくると、泥の肉がドロドロと溢れ出てくる。形を成して
いない全容が陽光に放出されると、相次いでデヴィルズチルドレン
が砂漠へ集結を開始した。
︵時間がないってのに︶
舌打ちし、心中で苛立ちを囁きつつ、ベアルド・ブルはギアを入
れ後ろへ高機動車を展開させると、ハンドルを切り、砂漠へタイヤ
を走らせた。
獲物を逃すまじ、とデヴィルズチルドレンは肉の波となり砂漠を
追ってきた。
が、ここで冷や汗で衣服を濡らした一行の前で予期しない出来事
112
が発生した。
ドラゴンズがデヴィルズチルドレンの群れを襲撃、交戦を始めた
のである。まるで共食いであった。
これをチャンスとばかりに若い兵士ブルは目的の方向へ、ハンド
ルを切りながら、化け物どもの中をうねるって走り抜けた。
人間など介入できない世界。それが砂漠全域へと広がるのであっ
た。
メシアは背後に消えゆく光景を、吐き気の印象と抱えつつ見た。
それを知ってか、ただ1つ、化け物の群れの中にたたずむ人間の
形をした人物は、ヘルメットをメシアの視線の上に置くのだった。
この時、メシアはいつかあの人物とまみえる気が、脳裡でうずい
ているのに気がついた。
共食いの戦場を抜けた高機動車の車内。誰1人、言葉を口にする
ものはいなかった。
昨日の朝から始まった悪夢。現実なのか夢なのかメシア・クラ
イストはまさしく虚実の渦の中で、自分がどこにいるのか、記憶す
ら不鮮明にちらついていた。あの朝から、酔いが未だにとれないよ
うな感覚が、延々と心身を金縛りにしていた。
﹁夢じゃないよね、全部、ほんとなんだよね﹂
気がつくと、彼の横に小さな身体を寄せ、震えているマリアの
が、身体の震えを声色に反映させた言葉を、彼へ手渡してきた。
小さな肩に腕を回すと、肩をさすりながら、安心を口に使用と
するも、メシアもうまく言葉にできず、無言ばかりが唇にぶら下が
った。
﹁マリアが無事なら、どこだって﹂
今日で全部終わっちゃうの
生きていられる。そこまでは言わずとも、2人の間は理解の空
世界が終わり?
気と時が流れていた。
﹁どうなるの?
?﹂
113
難しい質問をする。メシアは眉間に皺を作った。
自分でもマリアは難しい問をするもとだ、と感じていたが不安
を言葉にするのは、当然の反応だと思い、強く彼女を抱き締めるの
だった。
それを横目で見るエリザベス・ガハノフは美しく寝れ光る髪の
毛を耳にかけて、少し不機嫌そうに見ていた。
マリアの横に腰かけるマキナ・アナズも、お気に入りの人形を
取られた少女のような眼差しをメシアに、切っ先として向けていた。
幌内に様々な心境を渦としながら、高機動車は大きな曲がり角
を曲がると、街の方へと戻って行った。
﹁直接、宇宙港へ向かえばよかったのでは?﹂
イ・ヴェンスが白く太い首を神父へ向けた。
大学でアメフトに時間を注いだ結果の筋肉は、この場の誰より
も強靭であった。
﹁海底火山の活発化と海底地震に伴う津波が海岸線を水没させてい
ます。あのまま向かっていれば、我々も流されたでしょう﹂
にわかには信じられない話だが、現実に街に戻ったときそれは
眼前に繰り広げられた。まるで海が街を喰らうような、黒い海その
ものが街へ乗り上げるような、恐怖しかありはしなかった。
せりあがった海岸線ギリギリに、砕けた波が白く、渇いたアス
ファルトを濡らす道路を、速度をあげ高機動車は、若者たちの動揺
を乗せながら、疾走するのだった。
空港が蜃気楼のように、津波の向こう側に立ち上がったとき、
道路を揺さぶる揺れを一行は身体を登った。
地震だ!
しかも走行中の車内にいても身体に感じるほどだ。
女性人は悲鳴をそれぞれにあげ、マリアはメシアにしがみつき、
マキナはマリアの小さな背中に飛び付いた。
エリザベスは幌を支える鉄柱を握る。
男たちは自らの身体を守る行為をとる。
114
ブル兵士はハンドルを切るなり、アクセルを踏み、一気に道路
を駆け抜けた。海岸線を離れようと必死だったのだ。
高機動車は海が伸ばす津波の手をかわし、宇宙港の間近まで迫
った。が、揺れは振り幅をさらに大きくしたことによって、高機動
車の分厚いタイヤは中空に跳ねあげられ、横転した。
幌内に身を投げ出され、身体を打ち付けた若者たちは、瞬間的
に意識を失ってしまった。メシアもそれは例外ではなく、小さな手
で身体を揺さぶられたことで初めて、意識を取り戻した。
マリアの、擦り傷が頬に着いた顔がメシアを見つめ、彼の身体
を支えようとしていた。
頭の上に座席が位置し、車内の天地は逆転していた。
﹁太平洋プレートとインドプレートの狭間を震源とする大地震です。
早く立ちなさい、宇宙へ逃げないと、第2波、第3波が来ます。核
兵器の攻撃も迫っているのですよ﹂
苛立ちを神父は隠さない。崖の縁まで追い詰められているのだ
から。
若者たちは顔をあげて、全員の安否を心配する。不思議と誰一
人、負傷者は居なかった。
地面からの振動は、大きく左右に揺れ、未だにおさまりをしら
ない。
﹁宇宙港はすくそこだ、急げ﹂
ライフルのベルトを肩にかけ、ブルはすでに身を車外へ出し、
若者たちの脚を急がせる言葉を、遠慮なく突き刺した。
負傷者はないが全身を幌1枚の、クッションとしてアスファル
トに叩きつけられたのだから、すぐには身動きできなかった。
と、ブルは気づいた。人工島の上に、金属の土台を築き建設さ
れた宇宙港のゲートが閉じられようとしていた。
地震と津波による被害を防ぐべく、安全システムが作動したの
は明白で、ゲート前のチタン製の、長さ1キロの橋には驚く数の人
が列をなしていた。が、閉め出すように閉じられるゲートに、悲鳴
115
があがり、パニックに陥っている様子が、若い兵士には見えていた。
打ち身に全身が痺れたようになった若者たちが横転した高機動
車より這い出る間にも、ゲートは閉鎖していく。中へ入れた人々は
安堵に吐息を漏らし、今まさにゲートが閉鎖されようとするゲート
の、リフトアップする安全フェンスを越えて入ろうとする人々は、
遮蔽するゲートの、厚さ1メートル以上の鋼鉄ゲートに挟まれ、無
惨に死骸となるか、安全フェンスとゲートの間に開いた隙間から海
面へ落下した。
阿鼻叫喚のなかて、数名の人を巻き込み閉鎖したゲートは、生
命の遮断を、避難民たちの前へ突きつけた。
﹁どうすんだよ。地震は起こるし化け物はケツに噛みついてくるじ
ゃねえか。あげくの果ては核兵器だとぉ!
冗談じゃねぇぜ!﹂
あたしを誰か助けなさいよ!﹂
地団駄を踏むを表現したいように、イラートは騒いだ。
﹁なんなの!
と、ジェイミーも甲高い声を、真夏の蒼天へ飛ばした。
﹁騒ぐな。これも予定の内だ﹂
堂々とした態度は、偽りを表層的に覆い隠す、虚勢であった。
プランは崩壊に近い。目的地への接近は、予定通りとまではいかな
いがなんとか、この場にたどり着いている。綿密に過去の情報を集
積し、多角的に構築された計画も、予定外の出来事ばかりが突発的
に発生してばかりで、未来人たるマックス神父も、沈黙のなかに悲
痛を胸にしていた。
這い出た若者たちをつれ、陸上側のフェンスに駆け寄った。フ
ェンスから人工の島までの橋は人で埋まり、たとえネズミがあろう
とも向こう岸まで渡るのは難しいだろう。
若い兵士が銃を背負っていても、民衆は閉ざされだゲート、あ
るいは防波堤を乗り越えようとパニックになっていたから、見るも
のはない。
ベアルド兵士はフェンスの隙間、チタンの橋桁へ視線と指先を
116
示した。チタンで構えた、橋の両脇の格子。その一部が門になって
おり、階段が橋桁の下方へ続いている。そこには人が1人通れる連
絡通路が伸びて、人工島の地下まで至っていた。が、扉が地下への
道を閉ざしていた。
未来人2人が目指すのはそこであった。
XM8の銃口を尽きだした。一瞬、若者たちは彼が避難民に
橋の入り口、溢れて折り重なるようにはみ出た人々の背に、H
&K
向け、銃を乱射するものと思い、身体を身構えた。が、兵士は銃口
を空に突き上げると、数度、引き金を引いて音だけを雷鳴とした。
それまで自分が助かる事ばかりを考えていた人の中に、静けさと
戦慄が張り詰め、前方から背後へ意識のベクトルは180度動いた。
﹁道を開けてもらいたい﹂
あの混乱に声を張り上げたところで、海にペットボトルの飲料水
を流すようなもの。意味をなさなかっただろうし、道など開かれな
かったであろう。それを難なくこなしてしまうのが銃だ。殺傷ばか
りが武器ではなく、こうした使用のしかたもある。ベアルド・ブル
はそう言いたげに得意げな顔を若者たちへ向けた。
一行は死に神に触れたくない、とばかりに避ける避難民たちの間
を進む。視線は当然のことながら痛く、針のようである。誰もがゲ
ートにたどり着きたいと願い、他人を押しのけ、自らの家族、愛す
るものを先へ行かせようとしていた。それを最も強い力で正当化使
用としている彼らを、母親を子供を抱いて睨み、子供は泣きながら
恐怖に震え、父親はそうした家族を守ろうと、銃と至近距離に立ち、
かばっていた。
胸がひりひりと焼け、焦げるような罪悪感で、自然と膝に力が入
らず、視線も自然と伏し目がちになっていた。平然としているのは、
イラートとジェイミーくらいのものである。それと先頭を行くベア
ルドだけであった。
銃口はゲートへ一直線。誰もがそう思い、嫉みを唇に乗せ、卑怯
者たちめ、とぼそりと呟く老婆の姿も見られた。が、彼らの進行方
117
向がチタンのゲートではなく、橋の側面にある小さな門だと分かる
と、不信感がザワザワと波紋になる。
橋を目指した時、真っ先に誰もがそこに眼を止めた。門の先の階
段、そこから宇宙港内に入れないものだろうか? その証拠に彼ら
一行が門に近づくと、鍵は破壊され、門は開かれていた。
ベアルド兵士は平然と半開きの門を脚で蹴飛ばすと、若者たちを
先へと進ませた。
この先の扉は閉じられている。避難民は全員理解している事実だ。
が、そんなことなど知ったことではなく、一行が自分たちの進路を
妨害する者でないと理解した瞬間、再びゲートへ対する、生存への
手を伸ばし、人の波はゲートにベクトルを向けるのだった。
一行が階段を駆け下りると、点検用の細い、宙づり状態の通路が
人工島へつながっていた。
噴き上げる海風が足下の透けて下方が凝視できる恐怖と相まって、
内蔵が吹き上がる思いで脚をすくめる。
﹁時間がありません、急ぎましょう﹂
最後尾からマックス・ディンガー神父が平然と言う。
そんなことを言われたって。と先頭のイラートの脚は動きが鈍く、
後ろに着いた面々が団子のように詰まっていた。
﹁根性ないわね。あんた、本当に男?﹂
甲高いジェイミーの声色は、チタンの橋に響き、よけいに耳障り
であった。
﹁っるせぇな。走ればいいんだろ﹂
と叫ぶなりイラートの脚は意を決したように走った。
詰まっていた配管が流れ出すように、一行は連絡通路を走り抜け
ると、人工島の鋼鉄の壁面へとたどり着いた。
この人工島が建造されたのが、都市が誕生した20年前と同時期
であり、数年前に完成を見ていた。都市計画の中心たる宇宙開発の
拠点だけあって、政府は都市計画予算の大半をこの島へ投資してい
た。もちろんそれへ呼応するように、企業は宇宙開発事業へ乗り出
118
し、競争が現在では激化、それが良い意味で宇宙開発を後押しして
いた。
その結実がこの島の宇宙港なのである。
壁面へ到着したのは良いが、やはり壁面から人工島に入るチタン
の自動ドアはロックされていた。横に暗証番号、網膜スキャン、声
紋認証の端末が備えられている。
宇宙開発に対する避難が自然発生的にテロリストの現出を助長し、
この新しい宇宙港も他人事ではなかった。今年に入って、各地で宇
宙港を狙ったテロが20件以上発生しており、新時代のテロだとメ
ディアは騒いでいた。
そんな時勢を反映しての対策であり、大げさでもなんでもなかっ
た。
﹁入れねぇじゃん﹂
恐怖に身を震わせながら走ったかいがなく、ふてくされた声をイ
ラートは発した。
当然のように答える言葉はない。
するとマックス神父は端末の前に立ち、手の平をかざし瞼を閉じ
た。そして意識転送を本部へ時間の壁を越えて行い、ハッキングを
本部に依頼した。すると彼の手を介して本部は端末をハッキングす
ると、数秒と経たずにチタン自動ドアは空気が抜けるような音と共
に開いた。
﹁急いで中へ﹂
視線を若者たちに流すと、一行は逃げ場を見つけたネズミのよう
に素早く入っていく。
その時だった。再び地震が地下から突き上げたと思った刹那、海
原の彼方で爆発的な水しぶきの爆発が起こり、水柱が突き上がった。
そして複数の触手、島ほどのもある大きさの口が開き、生娘の悲鳴
の如き鳴き声が天空を切り裂いた。
ENDLESS MYTH第1話ー14へ続く
119
第1話︱14
14
﹁入れ!﹂
蹴飛ばすようなベアルド兵士の叫びが若者たちの背中を押すと
同時に、銃口を巨体に向けて鉛の矢を放射する。
この事態は彼らの上部で安全を掴もうとする避難民たつかん悲
鳴に変え、慟哭と懇願がゲートへ向けられていた。なんとか宇宙港
に入ろうとする者たち。しかし後ろでは宇宙への脱出を諦め、橋へ
通じる道を、あの地獄の街へ踵を返す者もいた。
誰しもが理解している。逃げ込める場所など何処にもないのだ
と。
連絡通路から人工島に若者たちを無理に押し込む若い兵士だっ
たが、空が暗くなったと思った時、空気を焼き切り、吸盤が牙のよ
うに生えた職種が、腐敗臭を散布しつつ、橋めがけ降り下ろされた。
チタンであろうとこれほどの重量と加速を受け止められはせず、
海面へと橋は落下したのだった。
﹁マリアァ!﹂
マキナの半狂乱した悲鳴が、脈動する触手に向けた。肉の壁に
しか見えないそれは、落下とは異なり、ゆっくりと大蛇が茂みへ隠
れるかのごとく、海面へと抜けていく。
するとなにを思ったわのか、巨体は海面に渦を巻くと白波を起
こし、海底へと沈んでいった。まるで満足したかのように。
デヴィルズチルドレンのいなくなった後には、橋に溢れていた
人々が波間に漂っていた。背中を丸め、頭を海面につけ、力は抜け
ている。そこに生命の鼓動はない。
ニノラが通路を見渡すと、メシア、マリア、神父、ブル兵士の
120
姿が見えなかった。
人が泡のように命を散らせていく。まるで無価値になったかの
ように。この嫌気が込み上げる現実を前として、ニノラはうわ言の
ように呟いた。破棄などはどこにもない。
﹁逃げよう。ここに居たところで、事態は解決しない﹂
頭を大きく、何度と横に振って、小柄のつかんマキナは彼の提
案を否定した。
﹁マリアを助けなきゃ。このままなんかにしてーー﹂
と、分厚く白い東洋人の手が小さな肩を掴んだ。意味は言うま
でもない。イ・ヴェンスは無意味なことだと、見上げた彼女の顔に
示した。
﹁こんなとこらから早く出ましょうよ。気味が悪いわ﹂
人の命が失われた。状況を見たところで、自らの思考をエゴイ
ズムの上に上げることを信念とするジェイミーは、平然と言っての
け、先へ進もうとする。
背後に立つ東洋人を押し退け、ニノラが冷静さを促すべく伸ば
した腕を払い、彼女はチタンを踏み鳴らした。
いちいちジェイミーの言動が腹立たしいイラートが素早く、彼
女の後ろへ回り込み苛立ちを彼女へ叩きつけた。
﹁どんだけ冷たい血がながれてんだよ。人が死んじまったんだぜ!﹂
小さな彼女の肩を、握りしめた少年のようなイラート。
﹁ったい!﹂
皮膚に食い込む指を彼女が振り払った刹那、衝撃で床のネジが
緩んでいたのか、海水を排水する大きな穴へ、イラート、ジェイミ
ーが抜け床とともに落下し、ジェイミーが思わず掴んだニノラの足
首も引かれ、彼もまた落下した。
ニノラはイ・ヴェンスに腕を伸ばした。
太い幹のような腕が黒人の腕をしっかりと握った。が、人間3
人の重さを支えられるほど、彼の筋力は強靭でなく、彼もまた落下
していった。
121
エリザベスは弟たちが落下した穴を、眼を剥いて見るとすぐさ
ま、牙のような視線をファンに移した。床の金具は劣化などではな
い事実を、彼女は理解し、それが誰の仕業かもハッキリと把握して
いるのだ。目の前に立つ面長の男の所業なのだと。
睨み付けるエリザベスの眼差しには、稲妻が浮かんだ。幻覚や
覇気などではない。本当の電気が瞳に走っていた。
ENDLESS MYTH第1話ー15へ続く
122
第1話︱15
15
口内が塩っ辛く、舌をつままれた気分でメシア・クライスト目
覚め、胃袋から込み上げる物を喉の奥から出した。海水である。
気を失う前に最後に覚えている光景は、クラーケンの小山のよ
うなトゲがびっしりと生えた触手に叩きつけられ、海面に落下した
ことと、真上からチタンの塊が降ってきて、人が海底に沈み行く光
景であった。マリアの姿を海底で探したが、そこで意識は暗闇に落
ち込んだのである。
周囲を見回すと、彼が横たわっていた場所が巨大なパイプの中
なのが分かる。彼の横たわっていた場所のすぐ隣の床に、焼ききれ
た格子が口を開けている。彼らが身を置くパイプと下方のパイプを
連結している通路であった。
マリアは!
自分の置かれている状況を理解すると、波のように押し寄せて
くる、最愛の人の安否への不安。周囲を見回すと、なんのことはな
く、彼のすぐ近くに座っていた。
濡れた衣服の気持ち悪さを引きずり、マリアに駆け寄ると、彼女
は蒼白に彼を見上げた。
海水に濡れた彼女の表情は、不謹慎だが彼には艶のある表情に見
え、無性に抱きしめたくなり、小さな肉の少ない身体を抱き寄せた。
海水に沈んだ事実は理解していたが、メシア同様、そこからの記
憶が途絶えているマリア。強く抱かれて苦しさを少し感じだが自然
と、彼の背中に腕が回っていた。濡れた肩越しに、父の神父独特の
襟が見えていた。父も無事だと、彼女は心中で安堵の溜息を漏らす
のだった。
123
﹁お取り込み中のところ申し訳ないが、ここにいつまでもこうして
座っては居られない。状況を理解してるよな﹂
2人の姿が伴侶としか見えず、分からないがベアルドの奥に不愉
快な雲が立ちこめ、表情にそれが浮き出て、声色も棘のあるものへ
と変化していた。戦場で抱き合う男女を見るのは不愉快だが、今回
はさらに気乗りのしない任務であり、若く初陣という事もあって、
気が張っている中に、そうした甘い蜜を垂らされても、今の若い兵
士には不快にしか映らない。
しかも2人をこの場へ運んだのも彼であった。チタン製の橋の落
下と共に、海水へ身を投げた瞬間、神父を含む4人の肉体を物理シ
フト要請により次元変換をもたらし、橋の落下とデヴィルズチルド
レンの触手より物理的被害を回避すると、島の海水を排水するパイ
プへしがみつき、小型バーナーで鉄柱を焼き切りそこへ2人を放り
込み、上官が侵入するのを待って、自らもようやく安全な内部へ侵
入した。そこから上部にさらに巨大なパイプが走っている事実を本
部への検索により判断すると、上部への排水口を発見するなり鉄柱
を再び焼き切って、若者を2人上部へ押し上げたのだ。そこからは
2人の身体のチェックを本部との連携で行い、損傷が皆無なのを上
官神父へ報告した。
一連のこうした尽力で2人の命は現世へ止まっていられる。そこ
で甘ったるい行為を見せつけられては、憤慨にもなるであろう。
臨時的に部下となったブル兵士の心情を察してか、神父は咳払い
をすると、MAXI8アンリミテッドリボルバーABSSVを濡れ
た衣服で海水を拭き取ると、シリンダー内部の銃弾を確認、シリン
ダーをガチャリと戻し、2人を見つめた。
﹁人工島には複数のこうしたパイプが蜘蛛の巣のようになっていま
す。ここを伝って行けば地上に出られるはずです﹂
と、娘に手をさしのべた。
思わずマリアは視線を俯き加減にする。この2日で父親を見失っ
ていた。
124
メシアが察するとすぐに、彼女の腰を抱き上げ、軽い身体を立た
せた。
ベアルドのライフルの先端に装備したビームライトがパイプ内
部を浮き立たせる。錆は一切なく、滑らかに濡れ光っていた。ここ
は嵐など、水位が上昇した際に活動するパイプらしい。この津波の
せいで、さっきまで海水で満水だったことをものがたっていた。
つまりこのままでは再び、海水に彼らが呑み込まれるということを
示唆していた。
時間がない!
4人は時間の馬に追われている。
ベアルドとマックス神父を先頭に、若者2人はパイプの内部を、
底知れぬ不安に身体を縛られながら進む。
窪みにたまった墨汁の海水とチタンを踏み鳴らす音が反響しあ
う。一種独特な空間と音に、目の前が歪むような気分になるメシア。
異空間の穴に落ち込んだような気分の2日、彼の体調は激しく悪か
った。
﹁また体調が悪いの﹂
力のないメシアの腕を抱き、彼女が問う。精神が不安定なのは
彼女も同じだが、彼の異常さは放っておけなかった。
メシアの青い唇はマリアの予想通り、大丈夫、の一言を耳に残
すだけだった。
﹁ねぇ、少し休ませて。メシアの具合がわるいの﹂
けして人と社交的に話す方ではないマリアにしては珍しく、し
かも強い口調でブル兵士に訴えかけた。
﹁僕なら平気だ。それより急いだ方がいい﹂
荒い吐息でメシアは脚を止めるのを拒んだ。
﹁その通りだ。またプレートが弾けて地震が発生する。津波がきた
ら、ここは沈む。その前に上に出たい﹂
と、言うなり3人を見つめ、彼は1人走りパイプが緩やかにカ
ーブしている場所を曲がると、すぐに舞い戻った。
125
﹁上に登る階段がある﹂
チタンで構成された梯子が上階に繋がり、分厚そうなチタンの
丸いハッチで境目が閉じられていた。
俊敏に梯子を駆け上がるなり、光るチタンのレバーを重そうに
開く。ハッチは油圧でゆっくりとベアルドの方へ下がった。
素早く上階に銃口を向け、下の者たちが上がって良いものかを
確認する。
﹁スマホで連絡を﹂
急に思いたったマリアが声を大きくする。別れた一行と連絡を
とろうもしたのだ。
が、マックス神父は首を横にはふり、無意味を提示した。
﹁通信網は崩壊しています。スマホはただの機械の箱になってしま
ったのです﹂
人間が消失しようとしている世界にあって、文明は意味をもた
ない。人類が築いた建物も法律も技術も秩序も、神話の世界が破壊
しようとしている。人類は紀元前の、類人猿の時代に戻ろうとして
いる。
スマホをポケットに戻すタイミングで、上部から兵士の声が降
ってきた。
﹁急いで﹂
速やかにマリアを先に行かせ、続いてメシア、神父の順番で上
の階層に張り巡らされたパイプへと移動した。
けれどもすぐ様、ベアルド兵士は訝しげに眉間を狭くするなり、
上官を見やった。
﹁見取図が本部のと異なっているようです﹂
報告を受け、神父も意識転送で、未来に位置する本部とやり取
りをする。ものの数秒で脳内に添付された見取図を認識すると、自
分達が立つ場所が明白に現時間の現在地と異なっているのが呑み込
めた。
﹁情報部は何をやってるんだ!﹂
126
不機嫌にブーツでチタンを蹴り鳴らす。ここが新米兵士たるゆ
えんである。
﹁情報を冷静に分析してください。我々には現状しかないのですか
ら﹂
冷静さを兵士に求める神父が促す。
﹁ルートを探します。ここで待機していてください﹂
そういうベアルドは、不機嫌さとイライラが混じる、苦味のあ
る表情で、チタンを蹴って走った。
ライフルのライトがないと、周囲を見ることすらままならない
暗さだ。さっきの穴蔵は海面からの反射光のおかげか、仄かに明る
かったものの、この階層まで光は届かないようだ。
スマホも通信はできないものの、ライトの機能は健在である。
メシア、マリアがスイッチを入れると、3人の顔が闇に浮かび
上がる。その中にあっても、メシアの顔の白さは目立つ。
手が震えるマリアの光は、連動して震えていた。
神父の黒い上着がマリアの小さな身体を包んだ。神父が上着を
脱いで、娘にかけたのである。
ワイシャツを袖をまくりあげ、中年にしては筋肉質の腕を露に
した。
﹁あの、ごめんね﹂
俯きかげんにマリアは父に、言いづらい様子で謝意を伝えた。
マリアが謝ることはなにもありませんよ。
濡れた眼鏡を指で押し上げ、神父は父の顔になる。
﹁なんのことです?
マリアは訝しく顔をかしげた。
それに謝らなければならないのは、わたしの方です﹂
なにを謝るのだろうか?
マックス・ディンガーには任務がある。運命の、すべてにに抗
うための力を養い、次の者たちへ手渡す使命。そのためにこの時代
へやって来た。だが、思いもしなかった。ここまでいとおしい存在
になり、父親としての自覚が根底に芽生えるとは。
20年前の肌寒い4月の朝、マリアは教会の前の階段に置き去
127
りにされていた。まだへその緒がついた、産み落とされたばかりの
状態で。ただし名前だけは包まれていた毛布に刺繍されていた。
子供など育てたこともなければ、触ったこともなく、本部から
の情報を脳内で再生し、肉体で体言化する。けれども相手は人間の
子供であるから、セオリー通り、マニュアル通りにことは運ばず、
悩む日々だった。ミルクの与えかたから、オムツの交換。離乳食、
衣服の選び方、しつけ。もっとも困ったのは初潮の時だ。男には分
からず、対処に苦労した。
しかしそれらも今は懐かしい。楽しい日々だったと追憶するば
かりだ。
﹁上部へ上がりましょう﹂
チタンを歩く音すらも気づかず、ベアルド兵士の声で、彼が近
くに立っているのに気付き、自分が感傷に溺れている、老けた中年
になったことを、神父は実感した。
一行は若い兵士の案内で、さらに上部へ上っていった。
﹁この上が地上のはずです﹂
もうすぐだ。兵士の笑みが薄く浮かんだその時だ。チタンの奥
で蠢く黒い塊が這い寄ってくる物音が、歩行を止めさせた。
背筋に悪寒が張り付く。蠢く黒い塊が何であるか、明白故の凍
りつきであった。
﹁こんなところにまで侵食を﹂
愕然とする神父。
デヴィルズチルドレンの驚異が、肉の壁となり彼らへ迫ってい
たのであった。
ベアルドが発見、脱出ルートと考えていた梯子は、迫りくる腐
肉の奥から地上へと通じるのだ。
防弾ベストにくくりつけてあるグレネードの安全ピンを抜く
なり、3個連続でベアルドは肉の壁めがけ、投げつけた。
数秒の後、3つの爆発が連鎖し、爆風が一行をも飲み込もうと
する。が、若い兵士も計算の上で狭いパイプ内部でグレネードを使
128
用したのだ。彼らは熱を感じる程度で、被害を被ることはなく、現
状を見守ることができた。
黒煙が上層階へ自然と流れていく。本来、パイプ内部で火災を
検知すると、警報器がけたたましく耳をつんざくはずだが、回路に
異常があるのか電気が通っていないのか、警報は皆無だ。
黒煙がゆっくりながら確実に上階へ排気される。が、一行に安
堵の顔色はない。肉の壁は、じりじりと一行の首を締め付けるよう
に迫ってくる。
触手がチタンを血管のように這う。その触手からは泡のような
気泡が無数に中空へ放出させられる。肉の気泡は宙で変異、小さな
触手を出し、中央から2つに裂け、開口した。気泡生物へと変化し
たのだ。
銃弾の放射をベアルドが浴びせるも、それらの生命体の寸前で、
遮蔽壁が展開されているのか、弾丸はチタンを鳴らすばかりである。
絶対遮蔽か。歯ぎしりしつつ神父はリボルバーでデヴィルズチ
ルドレンを射撃し、改めて絶対遮蔽、永久的接触拒絶壁が化け物ど
もの周囲に展開し、弾丸がチタンの上に無様に落下するのを認識し
た。
物理シフトでパイプを抜けるか、あるいは後方へ戻り、新たな
るルート確保を急ぐか。神父は舌打ちに近い音をならして、唇を噛
んだ。
その悩みは次の刹那には、上から新たなる悩みが書き消した。
チタンのパイプも腐肉の壁も気泡生物も、すべてが雨で溶けた
風景画のように歪んだ。それは次第に原色の煙となり、上下も左右
も前後も認知できない、不可思議な空間が一行の前に現出したので
ある。
マリアが短い悲鳴をあげ、メシアに抱きついた。
が、メシアはこれまでにない息苦しさを感じたと思うなり、腹
部から込み上げるものを押さえられず、胃液を嘔吐してつんのめっ
て四つん這いになった。
129
こいつはまずい!
ベアルドが心中で叫んだ。けれども人類にこの状況を打破する
ことは、例え未来人だろうともできない。
﹁メシア!﹂
ベアルドの足元でマリアの叫び声がする。倒れた彼を必死に介
抱しようとパニックになっている。
﹁本部へ空間対抗を!﹂
ベアルドにメシアを気遣う余裕はない。上官へ打開策を提案し
た。
マックス神父の視線はだが、突っ伏したメシアに落とされ、強
い瞳で見つめていた。
昨日から現在に至るまで、身体の不調が相次ぎ肩を叩くメシア。
ここにきてついに不調は心身を劇的に襲い、眼前の歪んだ世界とは
また異なった、メシア自身の視覚が渦を巻くように揺れ、螺旋を描
き、発狂の叫びのように全身がかきむしられていた。
もう限界だ、耐えられない。僕がなにをしたって言うんだ。夢
もあった、愛する人もいる、仕事もあった。日常が、平凡な日常の
なにがいけないって言うんだ!
苦悶するメシアが心中で慟哭した。
その時、心底のさらに奥でなにかが瞬いた。微かに揺らめく白
い炎のような、陽炎が。
刹那、外界、心を包む彼の肉体は眩く、そして神々しいまでの
光が竜巻のように彼の身体を中心にして疾風と化した。
なにが!
3人が歪んだ蛍光色の空間の最中で愕然と眼をしばたたかせて
いた。
と、光の竜巻のなかに気がつくとメシアは立ち上がっていた。
四つん這いで苦悶していた同一人物とは見えない、凛とした立ち姿
だ。自らが巻き上げる熱風で髪の毛は逆立ち、身体は発するその覇
気のせいか、大きくなったようだ。
130
瞼は閉じられていた。が、それが開眼した瞬間、白熱した光が
瞳から空間に溢れ、爆風のような圧力が広がった。
高速で広がる風圧は3人の肉体を軽く中空へ枯れ葉のように跳
ねあげると、硬い壁へ叩きつけられた。
自分とメシア、周辺の空間になにが起こったのか混乱のうちに、
無駄な肉のない肉体が舞い挙げられ、叩きつけられたマリアは、背
中の痛みにうなされて眼を見開くと、原色と蛍光色が不気味に混じ
りあった空間は消失し、チタンパイプの中に一行は倒れていた。ヌ
ラヌラと這いよる腐肉の壁も、気泡生物もそこには居らず、焚き火
から巻き上げられたような火の粉がパイプの中を漂っていた。
彼女はしらない。あの空間がこれから人類が、全次元が向き合
う脅威の象徴なのだと。そしてそれらを吹き飛ばし、デヴィルズチ
ルドレンを灰とした。これがメシアの、人類が到達できない場所に
ある者の力なのだ。
呆然としたマリアだったが、ハッと顔を青く染めたと同時に、
倒れていた濡れたタオルのように投げ出されていたメシアのそばへ
駆けよった。
ENDLESS MYTH第1話ー16へ続く
131
第1話︱16
16
海水を進む一行の前には、闇しかない。排水パイプへ滑り落ち
たニノラ・ペンダースを先頭に、イラート・ガハノフ、ジェイミー・
スパヒッチ、イ・ヴェンスの順番に1列に並んだ一行は、小柄のジ
ェイミーが腰まで浸かる海水の闇をかき分け、前にすすんでいた。
未来人たちのごとく、意識転送による本部からの地図送信は、も
ちろん皆無ですあるから、無闇にかんに頼って、ここまで脚を進め
たのだった。
が、しかしである。ここまでの道すがら、壊れたラジオのようなジ
ェイミーが口を閉じるはずもなく、イラ立ちを嘴として尖らせた唇
から、怒りを吐き出すイラートと、口喧嘩をしどうしであった。
﹁いつになったら水から上がれるのよぉ﹂
﹁水じゃなくて、海水な﹂
2人のやり取りは中高生のそれとなんら変わりない。お互いの上
げ足をと会話だ。
﹁銃は使えそうか?﹂
最後尾から大男のくぐもった声がチタンに反響した。一応、この
場へ散弾銃を担いではきたものの、オクトパスの一撃の際に弾丸を
入れたリュックを海に落とし、銃に入れている2発だけが最後の望
みであった。
銃をコツンと1つ叩き、ニノラは黒い顔を背後の東洋人に向け、
首を横に振る。
﹁分からん。撃ってみないかぎりは﹂
昨日、2人は初めて知り合った。が、やり取りには慣れた口調だ。
﹁なによ、まだなにか出てくるって言うの?﹂
132
海水にうんざりした様子でジェイミーは海水を叩き、ニノラに言
い捨てた。その脳天から抜ける声音は、人の怒りの壁をいちいち逆
立てた。
﹁問題はねぇえさ。能力を使っていいんだろ? メシアは居ねぇぇ
んだし、使っちまうぜ﹂
小僧っぽくイラートが3人へ言い放った。
気まずそうに3人は口籠る。ここまで公に能力のことを口にした
ことがなく、なんと言い出せばよいのか、個々の言葉の泉に、言語
は浮かんでいなかった。
腰のベルト部に挟んだF92ベレッタのモデルガンを抜くと、ニ
タリ、不気味にニヤついた。
﹁能力は控えるべきだろう。事態は困窮している。何事が起こって
もおかしくない。能力はその時が来た時のために﹂
つまらなそうに不貞腐れた顔を闇に向けた少年のような若者は、
不意にモデルガンの銃口をチタンの上空へ突き出した。
ただならぬ気配、そして銃口の先端に煌めいた青い稲光を、3人
は眼を剥いて凝視した。
次と瞬間、発光した殺意の稲光は銃口を離れ、闇を一閃に焼き切
り、闇の彼方で弾けて、稲妻が闇に蜘蛛の巣のように弾けた。
肉が焼ける音が唸り、何かの断末魔の悲鳴が反響した。
稲妻の細い血管を未だに帯びたモデルガンを構えるイラートは、
唇を尖らせるなり口笛のように音を鳴らす。と、走っていった稲光
が応えるように、闇の先で狼煙となってゆらゆらと登った刹那、花
火になって弾け、闇に照明を設置した。
4人は光に浮かんだパイプ内部を認識し、絶句を体現した。
パイプ内部は直径が20メートルと広く、底部に海水が僅かにた
まり、そこを一行は進んでいたのだが、彼らを包むパイプは真っ黒
だ。チタンの白銀は姿を潜め、表面をびっしりとおおうそれらは、
紅の瞳をぎょろりと一行に向けた。
チタンのトンネルを全面埋め尽くす黒い塊。ゴキブリの如く蠢く
133
それは、小型の昆虫のようなデヴィルズチルドレンであった。
個体の大きさは30センチほどだが、大群は数千、数万とひしめ
き合って、全身が泡立つ不気味さを、強烈に放っていた。
稲妻のそれで視覚的認識を行えたニノラ、ジェイミー、イの3人
は、間髪を入れず身体を身構え、人外の生命体と格闘を視野に入れ
た体勢を整えるのだった。
いち早く巨大昆虫の如き群れを認識し、稲妻で先手を打ったイラ
ートは再び、唇を尖らせるなり空気を吸い込むと、笛の音を奏でた。
すると発光体と化して敵軍勢を浮き彫りにした照明代わりの稲妻を、
周囲に高速で散布した。
複数の肉の塊の昆虫生物へ稲妻が衝撃と共に衝突すると、肉が焼
け焦げる音と、悲鳴がトンネルに複数反響し、ドロドロに生命体は
溶け落ち、海水を沸騰させた。
これに仲間意識が刺激されたとみえ、群れは瞬間で彼らへ敵意の
ベクトルを向けるなり、背に伸びた灰色の羽根を、スズメバチのそ
れに酷似した唸りを立て、中空へと一斉に舞い上がった。あまりの
音に海水は震え、イラートとジェイミーは苦悶に歪んだ耳を耐えき
れず押さえる。
1人群れへ進み出て銃を肩に押し当て、狙いを定めるニノラは、
使えるか使えないかがはっきりしないライフルで狙いを定め、引き
金を引いた。
弾丸は放射された。が、狙いは的中し、一匹の腐肉虫が海水に落
下した。群れの中で落下した生命体は一匹。砂漠のコップの水と同
義語が連想された。
ライフルを海水へ捨てたニノラは、黒い顔に笑みをにじませた。
リミッターを解除してもよい状況に自分は置かれている。ここを切
り抜けなければ、大望への歩み、使命にたどり着けない。あれこれ
と考えるのを止め、頭の中をスッキリと整理した。
次ぎの瞬間、彼を中心に海水に波紋が幾重も腕を広げた。同時に
ニノラの肉体にも変化が生じている。特に変化が顕著なのは、頭部
134
である。鼻、口の一直線が前部へせり出し、顔がみるまに狼の如く
獣じみた。褐色の皮膚は血に濡れ、内部からあふれ出す筋肉の肥大
に耐えきれないで裂け、鈍いめりめりという音が羽音の中を突っ切
る。筋肉は見る間に彼を巨大化させた。
しかしながら筋肉肥大はまだ序の口であり、巨大化した彼の二の
腕はさらに肥大すると共に、硬化を始める。セメントが固まる現象
に酷似した肌質の腕は、1つの鈍器として獣の武器と化したのだ。
変化を終えたニノラは1つ咆哮を上げると、肉虫の群れへ地響き
と共に突進した。
昆虫はまたたく間に夥しい、物量で獣を攻め立てた。牙を剥き出
し、針を逆立て、毒液をほとばしらせながら、ニノラの表面を黒く
埋め尽くした。
が、獣と化したニノラの皮膚に腐肉虫の牙は突き立たなかった。
くっつくそばから昆虫をプレス機のような手で摘まみ、握りつぶし
た。酸性が強酸を遙かに超えている虫の体液が飛び散る。けれども
獣が危害を感じるそぶりも、殺傷される様子すらも微塵もなく、平
然と水風船を潰すようにニノラは虫を駆逐した。
だがこの数である。潰したところで砂漠にコップの水は相も変わ
らずだ。
するとこの事態を認識したらしく、獣はプレス機の手を休めると、
右腕を前方へ突き出した。と、腕部の肥大した鋼鉄の如き皮膚が開
いたと思った矢先、光が光速で照射された。
光線。それはこの言葉がまさしく当てはまる光の筋であった。
一閃は瞬間に数万の虫を駆除する光となり、奇形の化け物を薙ぎ
払った。
だが敵の数は未だ黒い渦となってパイプ内部を支配している。昆
虫には羽根がある。その羽根で光線をかいくぐり、獣の背後へ姿を
現すものも現れる。敵には知能がある!
獣の広い背中に回り込んだ肉虫の群れは、肉体に変化を生じさせ
た。黒いの外皮を泡立たせ、風船のように加速度的に膨張したので
135
ある。
瞬時にイ・ヴェンスは悟った。爆発の前触れの膨張なのだと。
叫びに口をイが開いたその時、彼の筋肉の鎧をすり抜け、白い物
が突っ切って虫の群れを覆い隠した。水蒸気、あるいは霧。アジア
人の眼にはそう見えた。それが膨張した虫の群れを包んでいる。と、
白い闇の中で光が明滅し、白いシルエットが一瞬、膨張した。が、
水蒸気の塊は爆発エネルギーを急激な圧縮力で押さえ込み、白い渦
の中に押し込めて、かき消した。
アジア系ののっぺりとした顔が背後を振り返った時、小柄な少女
が白い塊に身体を溶かし、氷河のそれに類似した、鋭く感情を排除
した瞳を小さく矢のようにして、腐肉虫の群れを見据えていた。
霧、水蒸気。真横のイラートはジェイミーの指先が白く濁り、ま
るで糸人形がほどけていくように消失していく様を見て気づいた。
雲。ジェイミーの肉体は白い雲となって膨れると、彼女の意思のま
まに肉虫の群れを圧迫したのだ。
肉体を水蒸気の塊へと変化させた肉体を、さらにパイプ全域へ押
し広げ、自らの世界へ肉虫の群れを引き込んだ。
これは効果が絶大であった。腐肉虫は肺呼吸であったがために、
雲で肺が満たされ、溺れるようにして窒息状態のままに、海水面へ
と落下していった。
背後の防備を万全としたニノラはこれに雄叫びで答えるなり、光
線を照射しつつ進軍を加速させた。
進軍はデヴィルズチルドレンを退避へと、思考を追いやった。生
半可に知能があると、恐怖心が生じ、考えるからこそ退避という選
択しも自然発生する。昆虫の羽音はパイプの彼方へと少しずつ引い
ていく。
これはいける、とイラートが感じながら、獣の進軍に身を任せパ
イプの折れ曲がった曲線ラインを抜けた刹那、一行の進軍はその圧
倒する数の嵐に阻まれた。
海水を一時的に蓄積するタンクの役目を果たす開けたドーム型の
136
空間。おそらくは人工島の地下で最大の空間であろうチタンのそこ
に、黒い闇と化した腐肉虫の群れが、蛇の如くうねりをつくって、
彼らを待ち受けていたのである。
計画通りってことかよ! 口の中で呟き、奥歯を噛むイラート。
しかし彼の前を行くニノラ、ジェイミーの焦りはそれを凌駕してい
た。前線で剣となり楯となるのは、2人なのだから。
これをどう駆除しろと。愕然と心中に落胆をこぼしたニノラ。獣
の顔は焦りに皺を深く、人間以上に感情を表に顕にした。
﹁先に進むしかないのよ!﹂
叫んで獣の前に突き出たジェイミーは、肉体を雲へ変ずる。
直後、八方に拡張すると、腐肉虫を握りつぶすていく。が、数の
劣勢はあまりに大きく
絶壁の壁の如くであり、雲の切れ間に顔を埋める彼女の小さな顔め
がけ、群れが大蛇となり空気を禍々しく歪めて迫った。
小さく悲鳴を上げ、恐怖で小ぶりな尻を海水につけて倒れたジェ
イミー。能力者の不安定さを反映させた雲は、瞬時に蒸発、消失し
た。
すると筋肉の塊が彼女の前に立った。イ・ヴェンスだ。
筋肉の鎧を更に妖気のような物が縁取り、アジア人をひと回りも
二周りも巨体に見せていた。
白い瞼を閉じていたがイはゆっくりと開眼した。黒いはずのアジ
ア系の瞳は、開眼と同時に虹彩が七色にふわりと広がった。
刹那のこと、腐肉虫の群れが突如、爆発の連鎖を引き起こし、瞬
く間に巨大空間は爆発の炎で満たされた。
爆発エネルギーはチタンの曲線を描いた滑らかな壁面すらも外側
へ押し出し、滑らかさを失わせるほどであった。それにも関わらず、
空間へつながるパイプのつなぎ目に立つ一行は無傷であった。
爆発の光景を呆然と眺めていたニノラは、肉体が風船をしぼむ光
景を思わせるふうに、獣の肉体は収縮すると、数秒と立たぬうちに、
黒人の人間個体へと還元されていた。
137
その顔を爆発で消失した腐肉虫たちの肉体が焦げて降る灰の雪の
中、アジア人に向けて白い歯を剥き出すのであった。
個々の能力を認識したのはこれが初めてであり、宿命を背負う彼
らの戦いが始まった狼煙とこれがなったのである。
ENDLESS MYTH 第1話ー17へ続く
138
第1話︱17
17
連絡通路を抜けた先に螺旋状に鋼鉄の階段が組まれた縦穴が現れ
た。チタンで形成されたこの縦穴の先に地上への出入り口があるは
ず。
ファン・ロッペンを先頭にエリザベス・ガハノフ、マキナ・アナ
ズと階段を踏んだ。
チタンの空間に靴が鋼鉄を鳴らす足音だけが響いた。
と、階段の中間地点にさしかかった時、地下から爆発的な振動が
3人を突き上げ、衝撃で女性2人は手すりに身体を預けるほどであ
る。
振動は数秒とたたないうちに静けさをまた取り戻した。
﹁派手にやってますね﹂
後方の2人をみやり、粘りのある笑みでファンは言う。皆の前で
見せた様子とは、月と泥ほども異なる笑みだ。
﹁互いに宿命と理解していながら、顔を会わせるのも今が初めて。
ましてや能力の詳細はさっぱりなのだから、警戒するのも無理はな
い﹂
訝しく、また怪訝に男を睨む女性2人への言葉であった。
エリザベスとは大学時分より知った仲で、運命に糸を引かれてい
たのを解釈した上での付き合いだったせいもあり、互いをどういっ
た人間なのか理解していた。
﹁あの娘が居ないと、だんまりなのね﹂
男の声色を無視するかのように、エリザベスがマキナの丸顔に視
線を落とした。
ボアの髪を耳に掛け、少し不機嫌に彼女は口を開いた。
139
﹁別にそういう訳じゃ・・・・・・﹂
瞳は斜線を描いている。
元来、彼女は人見知りだ。他者へ気持ちを話すこともなければ、
自ら率先して話題を提供する立場でもなく、誰かの話に頷きを返す
程度で、意見を求められても、分からない、というのが精一杯だ。
だから人と関わることをしない。大学ではマリアと常に行動を共に
し、帰宅はまっすぐにマンションへ直行する。外食は多少するもの
の、他者との会話、触れ合い極力省きた人間なのだ。
見ただけで彼女の性質を理解したのか、エリザベスは涼やかに言
葉を彼女へ放った。
﹁自分の意見を言えない人間は、これから生き残れないわよ。だん
まりで戦えるほど、甘くないんだから、ここからは﹂
自らの主張を言いたいだけ言うと、前の面長男を押しやり、自分
が先頭で階段を上っていった。
この様子を傍観するファンは、眉を引き上げニタニタとにやつき、
面白がっていた。
丸い顔をさらに不機嫌に膨らますマキナの顔色は、あまりの不愉
快さにリンゴの色となった。
そこから会話が飛び交うはずもなく、無言の上を足音が通り過ぎ
て行き、最上階へ到達するまで重たい空気は解消されなかった。
チタンの壁にタッチパネルが設置され、チタンの見るからに重厚
な扉はロックされていた。暗証番号画面がパネルに投影されている
が、番号など3人が承知しているはずはない。
﹁さてさて、いかがいたしましょうか?﹂
冗談半分に恭しくエリザベスにファンは視線のベクトルを向けた。
彼は彼女が事態を打開する能力を保有している事実を把握したうえ
で、わざと恭しく言い放ったのだ。
牙をむき出す瞳を男に向けるなり、彼女は長い黒髪を掻き上げる
と、パネルへ指をゆっくりと這わせた。猫を撫でる指先のように。
すると細く白い指先に細かく、静電気の青白い光が放射された。
140
その直後、分厚い扉のロックが解除去された音が、重たく床を這っ
た。
彼女は弟とその能力を同じくしており、ロックのシステムをショ
ートさせ、システムを初期化、再起動した瞬間にロックが解除され
た。
繊細な指先をパネルから離し、彼を無上げて軽く笑みをたたえて
言い放った。
﹁これでよろしいかしら?﹂
やり返す彼女の言葉が心中の心地よい場所に響くらしく、ファン
はにたりと笑った。その手で彼は重たい扉を身体を当てるようにし
て押し開いた。
真夏の生ぬるい熱波が一気に地下のひんやりとした静かな空気に
流入した。
皮膚を刺す日差しが薄闇を門を開くように照らした。
宇宙港はバケツをひっくり返した騒ぎと、パニックの坩堝と化し
ていた。避難を求める人、人、人は宇宙港の建物には入りきれずに、
チタン製の滑走路まで溢れる始末になっている。
残存する警察が人々の誘導を拡声器で試み、列を作るよう促して
はいるものの、オクトパスの現出が招くパニック状態は、警察官の
秩序の遙か上を激しく遠くまで飛ぶ。
モスバーグM500ショットガンを常備する警察官たちが威嚇射
撃をする銃声が至る所で破裂音となって立ち、群衆を牽制のロープ
で縛り上げようとするも、群衆の集団パニックの恐ろしさは現在も
過去も変わることのない恐怖の一種だ。歴史がバングラディッシュ
の工場で発生した800人もの集団パニックで照明しているように、
異常のない水に異常が発生したとのアナウンス1つが、それだけの
人間をパニックに陥れる。
今回は世界規模で原因不明、未知の恐怖、死の接近、異常自然現
象などの要因が人類を追い詰め、隣人の命が理不尽に失われる光景
141
など、人類は否応なしに突きつけられた恐怖で、パニックとなった。
それが伝染した結果の1つが、3人の前で繰り広げられる、警官を
押し倒して命の糸、生からの蜘蛛の糸にしがみつく、無限の亡者の
群れだ。
﹁浅ましいものだな、人間というやつは。おい、見てみろよ。あそ
こで子供を抱えている母親を。3歳、いや4歳くらいか。きっとあ
の母親に命を助ける代わりに子供を殺せと言ったら、喜んで首をし
めるぜ﹂
ほくそ笑むファンの顔を、横目で寒気をおびながらマキナは見つ
める。
心中に、この化け物と戦う宿命にある自分を慰める言葉が延々と
呟かれていた。
民衆の流れは洪水となって警察官を押しやり、決壊した泥を成す。
チタンの滑走路に直立する柱、シャトルは総数が20と少ない。
世界的に見るとアメリカのケネディ記念宇宙港は60を越え、中国、
フランス、ロシアなど先進国の数は、50を軒並み越える数が揃っ
ている。20という数は、やはり発展途上の都市ならではの数であ
る。
整備倉庫内部にモグラの如く現れた3人の前で、20あまりのシ
ャトルの座席を争い、パニックから一転、つかみ合い、殴り合いの
闘争が開始された。
生きることしか考えていない人間の、なんたるおぞましいことか。
子供、女性、老人、老婆に差別なく拳は顔を直撃する。
この場限りの事柄ではない。各大陸、各国家、都市、街、村。人
が存在するあらゆる所に、恐怖は爪をかけ、人の精神を鷲掴みに、
そして握り、壊した。愛するものに見捨てられ、家族は消滅し、兄
弟、姉妹は生存を欲して刃を胸に突き立てた。守るべきは自分のみ。
肉親の情は泥に沈んでいた。
3人が倉庫から脚をカオスの滑走路へ踏み出した直後、轟音がま
るで太鼓となって空気を震わせ、人々を中空へ人形のように弾く光
142
景が眼前で起こった。
紫色の木の根のような血管がむき出しになり脈打ちながら、だら
しなく垂れた灰色の脂肪を震わせ、その巨体をもつ人型のデヴィル
ズチルドレン。それが人を短い腕で叩き、脳髄をぶちまけさせ、体
当たりで人間をひき肉とした。
ある種、人間とは異なるのが満足の攻撃にも似た群れの来襲は、
もはや人間たちの自我を保っていられるほど、現実的ではなく、悲
鳴を上げて逃げる人間の中には、自ら抱く乳飲み子を投げつける母
親、突然笑いだし周囲へ暴力を振るう者など、人間らしい何かが切
れた。
﹁これが人間だ、エリザベス。秩序ある生活と国家の保護下にあっ
てこそ、人間は霊長類の頂点に立っていられる。ひとたび皮を剥い
て中身を出せば、鼻をつく悪臭にまみれた醜態を表す。獣と同じな
んだよ、人って奴は。所詮、動物なよさ﹂
と口でファンはいうが脳内からは、テレパシーとして思考が彼女
の脳へ直接的に会話を試みていた。
︻選択の定めにある女。汚物とも形容すべき人の行為を見せられて
も尚、彼を護ろうと、守護者とならうというのか。それが私的好意
で結論づけた結果だと、安易だとしてもか︼
︻どこかの誰かさんのように、人を諦めちゃいないのよ︼
冷静に自己分析してエリザベスは思念を返す。
とその時背後で爆発音が糸を張り、醜い巨体の群衆が倉庫の鉄板
を砕き、工具を撒き散らしながら迫ってきた。
﹁じゃまだぞ、けだもの﹂
暴走した特急車の如き群れへ、冷酷に縁取られた視線を落とした
ファンは、腕を腹部から頭上へ斜めに振り向きざまに振り上げた。
刹那、見えない凄まじい力で5メートルを越える巨体が次々と、
ボウリングのピンとなって弾け飛ぶ。
肉がチタンに溢れた音にまみれ倒れた化け物の群衆に、更なる追
い打ちがかかった。プレス機に潰されたかのように、チタンの地面
143
にクレーターを形成しながら、重力がのしかかり、押しつぶされミ
ンチになった。
生命力が強い。ゴキブリ、雑草など地球上には踏まれても生きる
生命体が存在する。クマムシなどは高温、低温に耐え、人間が爪の
先で押しつぶすという他者からの害意がなければ生きていける生命
体の一種だろう。
デヴィルズチルドレンにも生命体としての強靱さが兼ね備えられ
ていた。その多種多様な種類もさることながら、ファン・ロッペン
の重力を指定安易だけ増幅させ、重力による重圧でこのようにミン
チになってもなお、肉片からは内蔵や血管のような触手がウネウネ
とミミズのように這い、獲物と認識した3人へ地べたを這って、未
だに接近しようとしていた。
がそれを阻むのは、冷酷に塗られた面相を、虫けらに向けるよう
る視線と落としたエリザベス・ガハノフの指先から発せられる、青
白い一閃。
彼女の細い指から稲妻が落雷となって地上へ落ち、這いつくばる
肉片を焦がした。
﹁わたしは弟ほどのパワーは無いけど、ウジ虫を燃やすくらいはで
きるのよ﹂
と、視線をファンの面長な顔に矢のように向けた。
ウジ虫が単純にデヴィルズチルドレンを指しているだけではない
と理解しながら、ファンはニタリと不適に粘度の高い笑みを貼り付
けた。
棘のあるやりとりをしている間にも、滑走路は血の色に染められ
る。腹部は弾け内蔵が飛び、頭は水風船のように砕かれ、四肢は曲
がらない方向へねじれている。そんな人間ばかりが朽ちて横たわり、
まるで落ち葉を踏むように造作もなく、デヴィルズチルドレンは滑
走路を闊歩する。
見ていられない光景に顔を背けていたマキナだったが、不意に掌
を前へ突き出す。と、掌数センチ先の中空に黒い点が現れ、それが
144
一瞬にビー玉ほどの大きさへ拡大し、静止エネルギーから移動エネ
ルギーへ瞬時に変換されたように、黒点はデヴィルズチルドレンの
群れめがけ弾丸となった。
瞬間に中央まで移動した黒点は刹那、人間には想像を絶する吸引
の力で瞬く間にデヴィルズチルドレンの群れを吸引し始めたのだ。
もちろん化け物どもは踏ん張る。チタンに肉の塊を乗せて、皮膚
を引き裂きかぎ爪を伸ばしてチタンを鷲づかみにして。
だがそれで耐えられるほどの吸引力ではない。この世の自然現象
でこれほどの吸引を要する現象は1つしかなく、彼女はそれを生じ
させられる。
ブラックホール。
恒星が寿命を迎え内部へ激しい重力で自らがつぶれていく縮体現
象の先に発生する、永遠の重力。それをマキナは自在にマイクロブ
ラックホールとして発生させる。
しかも吸引の範囲、シュバルツシルト半径を自在に変化できた。
現にブラックホールが人工島に現出したらすべてが呑み込まれる
はずなれど、周囲20メートルのデヴィルズチルドレンと遺体以外、
吸引されることはなかった。
踏ん張りを効かせていたデヴィルズチルドレンたちも、自然現象
の最高位には太刀打ちできず、中空へ放り投げられると、小さな穴
めがけ肉体が吸引力で押しつぶされ、断末魔の悲鳴を発しながら消
滅していく。
周囲20メートルを掃除したマイクロブラックホールは、空間の
変動を元通りに修正するかのように、消滅したのだった。
人前で能力を発揮すること自体が初めてのマキナは、疲れた様子
でボブヘアを掻き上げた。
﹁重力の操作。わたしと貴女は同じ種類の能力のようですな﹂
ファンはニタニタとまた、不気味にマキナを見つめるのであった。
物静かなマキナもこれには嫌悪感しか胸になく、珍しくそれをは
き出そうと口を開いた。
145
が、声色は発することができなかった。彼に向ける嫌悪感を打ち消
すほどの嫌な、心臓を冷たい指先で捕まれた感覚が彼女に走ったか
らだ。
視線を感じ、そちらの方向を向く3人の前に、黒い影が、恐ろし
く黒い人の形が浮かび上がるのだった。
ENDLESS MYTH 第1話ー18へ続く
146
第1話ー18
18
妙な静けさにベアルド・ブルは気がついた。パイプの入り口を発
見して急ぎ頭をモグラとしてハッチ上へ押し開き突き出した。滑走
路の横に位置する格納庫内には、円柱状の巨体が横になっていた。
整備を終えたシャトルが滑走路への順番を待機していた。
生命体の気配を感じられない広大な格納庫へ素早く這い出る。
周囲を警戒し、脳内インターフェースを介して本部が格納庫内に
敵がいないのを確認すると、穴の中に安全を示す。
排泄物が押し出されるように、どさりっと下から突き上げられ、
メシアが力なく格納庫へ現れ、続けてマックス・ディンガー神父、
最後にマリア・プリースの小さな顔が出て、すぐさま旋風のように
メシアの頭を抱え上げた。
神父が抱えられたメシアの額に手を乗せ、首筋に指先を添えた。
﹁脈が不規則になっています。覚醒していないのにあれだけの力を
開放したのですから、身体がついてこなかったのでしょう。マリア、
彼をお願いしますね﹂
しっかりと娘の瞳を見つめ、肩に手を置くのだった。
マリアの頷きを見て微笑むと、神父はすぐに踵を翻す。そして銃
を腰のホルスターから抜き払うと、格納庫の入り口で待機するベア
ルドの横についた。
﹁こいつはヤバイですよ﹂
鼻の下、額、鼻の頭に汗の玉を作る若い兵士は、それとは異なる
冷たい汗を全身に塗っていた。
チタンのシャッター横、柱の端末で操作する作業員用出入り口。
チタン製なのだがその扉の上部に設置された分厚い、三重窓を覗き
147
込む視線の矢印は、滑走路に佇む1つの影に落とされていた。
部下のベルトを引き、強引に窓から剥がすと神父は顔を窓に突き
出し、眼鏡を押し上げた。が、すぐ様に窓から、逃れるように身体
を翻して頭を下げた。狼狽ぶりはその初老の顔に色濃く流れる。
﹁本部に人相照合を行いましたが、間違いありません﹂
冷や汗を袖で拭う兵士。
﹁︱︱アモン﹂
銃のグリップを握る腕が小刻みに神父は震える。
﹁あんな大物がなんで﹂
混乱と絶望に打ちのめされた、力のない顔でベアルドが脱力した
言葉をこぼした。
即座、神父は倒れているメシアを見やる。
︵すべての、物語の始まりってことか︶
神父は心中で焦燥の舌打ちをする。
その時、格納庫正面の閉ざされたチタン製シャッターが急激にひ
しゃげ、壮絶なる力で引きちぎられると、滑走路へ放り投げられた。
チタンの分厚い鉄板とは思えない、紙くずのように。
シャッターの破損と同時に破壊された壁も、形容しがたく破壊さ
れ、水飴のようだ。
遮蔽物がなくなった未来人たちの肉体は、露骨に剥き出しとなっ
た。
蛇に睨まれた蛙とはまさしくこの様子なのだろう2人は、逃げる
行為も隠れる逃避も、なにもできなくなってしまい、ただ呆然と立
つばかりに、強制的にさせられた。それだけアモン、デヴィルの放
つ禍々しすぎる妖気は、人間を金縛りにする。
﹁そこに隠れてたのかい? ネズミさん﹂
ゆっくり、耳元まで裂けんばかりに口角を押し広げ、激しい恐怖
と肉体、精神の拒絶反応を与える笑みをたたえ、アモンは黒い瞳を
ギョロリと2人の視線に向けるのだった。
視線が合う一瞬、辛うじて眼光を動かすことに成功したマックス・
148
ディンガーは、被害を被ることはなかったが、真横のベアルド・ブ
ルの視線はしっかりとアモンを捕らえた。刹那、身体が焼けるよう
な苦しみが彼の内から這い上がり、銃を手放しもんどり打って地面
に倒れた。芋虫が半身を奪われたようにもがきながら懊悩する彼は、
激しく咳き込んだ。すると喉の奥が裂けるような音と共に、複数の
黒い物体がはき出された。
神父は視線を合わせることなく彼に近づき、背中をさすりながら
その黒い物体を目視して、思わず胸の前で十字を切った。
複数の釘とカミソリの刃が血に濡れて地面に転がっていだのであ
る。
真夏の熱気の昼だというのに、暑さなど感じぬアモンはレザーの
コートをまとい、革靴をチタンで流しながらゆっくりと彼らの方へ
歩み始めた。
滑走路を埋めていた人間は、全員、ベアルドと同様の現象を発症
し、うめき声すら上げられず、チタンの地面を這いずり回っていた。
入り口の見えない苦痛が人類を強襲していた。
1歩また1歩と未来人へ近づいていくアモン。するとその足下に
足跡が地面に現れているではないか。しかも影などではなく、ペン
キやタールを流したような真っ黒で、粘度のある足跡なのだ。
ブーツの形に現出する足跡は、次第に形をとどめず、格段を始め、
勢いは加速度的になり、瞬く間に人々の足下が漆黒で濡れた。
それだけでもおぞましいというのに、異変は止まることを知らな
いらしく、黒く溢れた沼から溺れる人間たちが顔を出すように、黒
い顔面がびっしりと闇から突起したのだ。しかもこの世のものとも
つかぬうめき声を発しながら。
倒れたその地面に苦悶の顔がびっしりと、脚を下ろす隙間なく現
れたのだから、人間たちのパニックで壊れた自我はさらに崩壊を見
せ、滑走路が地獄と変化したその場所は、狂った笑いと自ら命を絶
つ者で狂気の空間へと変じた。
やがて蒼天の色も蛍光色を打ち上げた七色に変化し、いよいよこ
149
の世ではない怪奇に埋もれた。
﹁寝ている場合じゃねぇぜ、犬の王様﹂
皮肉、ジョーク。人を超越し極みの彼方から時空を見下す存在が
口走る一言ひとことは、人類、生命、地球その物に影響を及ぼした。
アモン現出後、世界は震えた。自然現象はますます活性化し、各
地の火山は噴火。地球のプレートは軒並み弾け、人類が経験したこ
とのない大地震をもたらした。また荒野を複数の竜巻が駆ける横で
は、複数のサイクロンが同時多発的に発生した。
天空を斬る稲妻が地上を甜め、隕石の雨が子人類の頭上に降り注
いだ。
ハルマゲドンを経験した人類は、絶望し、希望を嶬峨に求めた。
あるものは聖母にすがり、あるものは仏に手を合わさる。神だけが
救いを求める人類の、心の救済となった。が、聖母も仏もその瞳か
ら血の涙を迸らせた。すべてを憂うよう。
人類世界より隔離され、異変の中心地となっている宇宙港の異空
間。アモンの妖気はメシアをとらえた。
覚醒のまだないメシアの肉体は、マリアの腕から奪われ、中空へ
強引に引き上げられた。
最愛の人をその手から奪われ、驚愕に声も出ないマリアだが、こ
の時に顔を上げ初めて周囲の戦慄に意識を吸引された。それまでメ
シアにばかり意識を奪われていたので、周りの異変になど眼も行か
なかった。
二重、三重の衝撃に愕然となるマリアはしかし、すぐに最優先す
べき事柄に眼を向け、中空の彼の足首を捕まえた。
﹁邪魔をされるのは嫌いでね!﹂
歯をギリギリと鳴らしてマリアを睨みつけるアモン。 と、彼女の肉体が弾かれてチタンを滑り、工具が並ぶ鉄柱で構成
された棚へ激突。衝撃で工具が落下、マリアの上に降った。
﹁マリア!﹂
娘がゴミのように放り投げたデヴィルに、命の危機すらもかえり
150
みず、腰のホルスターからリボルバーを抜き払い、激しい闇を凝視
した。喉からの吐き気をやはり何人も想像を絶する脅威からは逃れ
られない。神父の喉を裂き、錆びついた釘が数本、口から出た。
口の端の糸のような血を拭い、震える銃口を、動かない身体を、
錆びついた歯車のように必死で動かした。そして中空のメシアめが
け、鉛の塊を発射した。
血煙が飛び、メシアの肩に血液の染みが広がる。
﹁起きろ!﹂
薄闇をつんざく誰かの悲鳴がメシアの耳に届き、波間に漂ってい
た意識が輪郭をくっきりとさせた。
誰の声だろう? どうして泣いているんだろうか?
叫び声の主は慟哭に近い鳴き声なのが彼の、未だに薄い意識にも
分かる。
︵誰、誰なんだ︶
気がつくと淡くけぶる森の中で、1人、メシアは立っていた。
杉木が連なり、以前、テレビで見た屋久島を思い起こさせる場所
だ。だが、自分がどうしてこんな霧に包まれた森の中で、しかも残
らでいるのかまるで理解できなく、周囲を見回した。
するとまた鳴き声が森の中に反響した。さっきまでの慟哭とは変
化し、幼い幼女の声になっていた。
苔のむした湿った地面を踏み鳴らし声の場所を探した。湿った空
気で喉が濡れるのを感じ、皮膚に湿気がまとわりついた。だが嫌で
はけしてなく、むしろ心地が良かった。
鳴き声は永続的に続き、声の主はすぐに発見できた。太い杉木の
影、そこでうずくまっている女の子。声の主はその子であった。
正直、子供が得意ではないメシアは、髪の毛を撫で、顔に当惑を
乗せた。森の中にノースリーブのワンピースを着た少女。これはき
っと夢なんだ。彼はそう思うからこそ、話しかけることができた。
現実でこうした状況下で声などかけない。
151
︵なにを泣いているの?︶
声は喉を震わせない。声量がないのだ。
この状態で意思が伝わるはずがない。そう思っていた彼の前で少
女は顔を上げ立ち上がった。
細い四肢は顔と同じく白く血管が透き通っている。涙を流した眼
はビー玉のように丸く透き通っていて、小さな手で拭ったのか、瞼
は赤い。
が、その顔を目撃した刹那、少女が誰なのかを咀嚼した。
︵︱︱マリア︶
上目で彼を見据える少女。睨んでいるのはすぐに分かった。
﹁助けてくれないの。どうして助けてくれないのよ﹂
ただ呆然と立ち尽くすメシア。
憤りを手にする少女は返答も待たず、立て続けに訴える。
﹁結局、貴方は誰も護れない。わたしも命も﹂
諦めに近い口調に手を伸ばし、指先で彼女の頬に触れようとした。
その指先は震えている。
その時、意識は渦の中に落ち込むように、遠のき、視界が暗転し
ていった。
左肩の激痛にうなされるようにメシアの意識は肉体に引き戻され、
マックス神父の叫び声が鼓膜に針となって刺さる。
水面から顔を出したようにぼやけ歪んでいた視界がクリアになる
に連れ、そこが混沌に燃えているのが分かった。
その場所が自分たちの目指す宇宙港であり、人々が悶絶し、もん
どり打っている。口から放出し続けるおぞましい汚物。
中空に十字架に貼り付けられたように浮かぶ自分の肉体。足元に
は狼狽し自らに震える銃口を向けている神父と、横で突っ伏してい
るベアルド。
しかし彼の肉眼を愕然と吸い付けたのは他でもない、レンチなど
の工具の下敷きになって意識を失い、切れたのか額から鮮血を白い
152
肌に流すマリアの姿だ。
マリア! 叫ぼうとするが途端に口の開閉が困難になった。押さ
えられているなどのレベルではなく、口を開く筋肉自体が力を失い、
開閉が困難とされたのだ。
見動きをしようとしたが、身体が縛られて指先1つ、動かせない。
ここで初めて自らの肩が赤くしみになり、肩に銃痕があるのを把
握した。が、皮膚を裂き、健を断ち、骨を砕いて背中に弾丸が抜け
た傷口は、治癒寸前にまで回復していた。
﹁ようやくお目覚めか? 犬の王様﹂
コートの裾を翻して自分の能力で破壊した倉庫の入り口からアモ
ンは堂々もメシアの前へと歩み寄った。
実に禍々しい笑みは、例の如く耳元まで口を先、ニンマリと情報
のメシアを見上げた、そして自らもまた、上昇を開始すると、メシ
アと同じ目線の高さまで浮上した。
﹁ようやくだ。ようやくお前を見つけたぞ﹂
嬉しそうに指先を伸ばすと、彼の頬をなぞった。
まるで死人の指先のように、頬を伝う感触は冷たく、メシアの身
体に寒いものを感じさせた。
﹁この無様な格好を見てみろ。血液が流れ、湿った肉が脈動する。
肺で酸素なぞを吸い、胸の中で筋肉を運動させなければ、肉体を維
持することすらもできない。しかも頭蓋の中には不気味極まる脳な
どという塊が這い入っている。これで考えなければ、肉体は愚か、
思考すらもできないとは、実に面倒ではないか。
こうした劣悪な環境に虐げられたのも、犬、お前のせいだぞ﹂
激しい嫌悪が根底に流れていても、口調は軽い。
アモンは指先をゆっくりと彼の頬から離す。と、対峙する宿敵の
視線が眼下に落下している事実に気づき、自らの眼球をも下方へ移
す。その行為すらもデヴィルの自分の本来の姿からしてみれば、劣
悪で嫌悪な行動でしかなかった。
メシアの視線は頭から血を流すマリアに向けられていた。
153
﹁生命体に好意を抱くとは、王にあるまじきだな﹂
そう言い放ったアモンの顔には、悪戯を思い浮かんだ悪戯小僧の
それに似た、嫌らしい笑みが満面に広がった。
すーっと滑るように地面へ着地するアモンは、爪先をマリアに向
けた。するとマリアの上に落下し、周辺に散らばった工具が瞬間的
同時に八方へ放射状に移動した。まるで磁石から砂鉄が離れるよう
に。
細い線のマリアの肉体は擦り傷と打撲で赤くなっていた。意識の
回復は未だない。
アモンは小枝のようなマリアの首へ細い指先を伸ばし入れ、小首
を軽く握った。
﹁さあ、想像しろ、王よ。愛する者の首が引きちぎられ、頭蓋が石
ころとして放り投げられる様を﹂
メシアの眼球が飛び出さんばかりに見開かれ、喉を潰すような叫
び声が発せられた。うめき声、雄叫び、言語を超えた慟哭がそこに
はあり辛うじて、やめろ! との主張だけだ叫びの中から突き上が
った。
四肢を駄々っ子のようにうごめかそうとするも、縛り付けたよう
に、一切の微動も許されなかった。
嘲笑い、腕を持ち上げたアモン。冷たい遺体のような手は、マリ
アを引き上げていた。首で全身を差冴えているせいか、顎の下にシ
ワがより、頬は歪んでいた。
ニタリと笑い、アモンは悪意の指先を動かそうとした。
が、刹那になにアモンの意識は別方角へ引き寄せられた。
アモンの右側から黒い物体が凄まじい速度で飛来したのだ。アモ
ンの絶対遮蔽が物体を自然的に遮断した。
物体はアモンの寸でで停止させられると、周囲に円を描き回転を
始めた。そして中央から上限へ細長い筋が描かれた。
マイクロブラックホールがシュバルツシルト半径を展開、ジェッ
トを噴射したのだ。
154
この距離でブラックホールが展開したならば、生命は瞬間に吸い
込まれ、肉体が砕けれながら、おそらくは吸い込まれるだろう。か、
あくまでも人間の話。デヴィルなる超越者は、展開するブラックホ
ールに腕を伸ばすなり、ソフトボール大のブラックホールをにぎり
しめ、特異点ごと握り崩した。
超越者には物理法則も超自然的現象も、摂理では説明できないの
だ。
気づけば、マリアの肉体は地面に捨てられていた。
明白にアモンの顔には不愉快さが花咲いていた。どこの愚か者が
自分の至高を邪魔するのか。アモンがゆっくりとマイクロブラック
ホールが飛んだ方向を、まさに悪魔の形相で目を見開き、睨みつけ
た。
複数の人影が異空間の歪んだ、蛍光色が吐き出される空を背負い、
宇宙港の屋上に立ち、滑走路全体を注視していた。
﹁定められし者どもか。ふっ﹂
人間を超越した、全てを超越した者に、生命体の枠組み内にいる
者を恐れる気持ちなど、微塵たりともない。
複数の影は屋上を1つ蹴ると、弧を描き宙を舞い、アモンを取り
囲むように倉庫の中へと瞬時に移動してきた。
﹁マリアを離しなさい!﹂
人が凛然とアモンと対峙した。マキナである。親友を護りたい一
心で超越者と向き合った。だがしかし蟻が巨象を前に立ち尽くすが
如く、生存本能がマキナに対してこの場からの逃走を促していた。
ロングコートを翻して、マキナを視線にとらえたアモン。不敵に
ニタリと笑ったその顔は、人間には理解もできぬおぞましさが浮か
んでいた。
四肢の感覚が痺れたようになり、マキナは瞬間的に顔が蒼白にな
った。
﹁威勢がいいのは最初だけかい?﹂
ゆっくりと、ニヤニヤしつつアモンは黒い足跡を刻み、マキナの
155
小さな身体へのっそりと近づいていく。
金縛りになったマキナ。アモンの能力などではない。恐怖、絶望、
不安感。それらが自らを縛り、また動きを制約した。
黒い足跡は滑走路のそれと同じく、漆黒の絨毯と化して倉庫内部
へ拡張、同時に顔が地面から突き出され、懊悩の慟哭が湯気のよう
に湧き上がってきた。
自らの世界に満足しつつ、マキナの恐怖の汗の匂いを鼻孔で嗅ぎ
分け、また一歩マキナのエリアへ脚を進めた。
次の一歩を踏み出そうとした瞬間、青びかりが滑走路から倉庫に
かけて駆け抜けた。
﹁おれを無視するんじゃねぇよ﹂
拳はチタンの床を大きくへこませ、その稲光はイラートの拳から
全身を小さな龍となっめ這い回っていた。
﹁おれは無視されるのが嫌いなんだよ﹂
と、拳を振り上て突き出す。狙いは明白にアモンの頭蓋である。
拳の先から稲妻がビームの如く中空へ走ると、倉庫の天井に焦げ
た大きな穴をポッカリと作った。
﹁よけんじゃねぇ!﹂
しかしながらイラートの狙いは外れ、アモンは俊敏な脚のさばき
で攻撃を無効とした。けれどもアモンの顔色は明らかに驚きの色を
している。
逆の腕を直角に突き上げ、アモンの顎めがけ稲妻を走らせた。が、
これも中空に散らばってしまい、漆黒の超越者の危害にはならなか
った。
視線を少年のようなイラートへ与えるた。
意識の矢印が向かっただけで、イラートの肉体はチタンへ這いつ
くばり、地面を滑走して、デヴィルから遠ざけられた。
﹁人が歯向かうってぇのは、驚きだな﹂
驚きは一瞬にしか過ぎず、自らの目の前で悠然と動き、牙を剥き
出しにする人間を、むしろ悦びとして受け止めた。
156
膝を立て、しっかりとした足取りで臨戦態勢を構えるイラートだ
った。が、超越者との接触が何を意味するのかすぐさま、理解の範
疇へ黒ぐろとした石が投げ込まれて気がついた。
突然、喉の奥に込み上がってくるものを感じ、口から血液の塊が
吐き出され、同時に剃刀の刃が溢れ出てきた。
強靭的精神力。それが能力を備え、定められし者たちの力であり、
同時にデヴィルへの唯一の対抗手段でもあったのだが、ここに来て
力尽きたのだろうイラートは、意識を失う瀬戸際まで一気に追い詰
められ、朽ちる樹木のように倒れ込んだ。
弟が倒れたことに動揺した様子でエリザベスが駆けつける。弟を
抱き上げたその瞳には稲妻が光を放ち、アモンへの敵意が露出する。
﹁やめなさい。ここでやり合ってもメリットはない。それに我々は
彼らと同じ地平に立っているのですよ﹂
面長で長身の男が彼女の肩に手を置く。
その手が汗で濡れているのが肩越しにもエリザベスに理解できた。
彼女はさらに視線をファンの後ろにやると、他の面々も能力を発
揮する素振りすら見せてはいる。が、強者を前にした猫の如く、背
中の毛を逆立てるだけであった。実際、アモンを眼前に対抗できる
人間など皆無なのだ。
﹁つまらないじゃねぇの﹂
不満げにデヴィルは革靴を鳴らした。超越者にとって全ては戯言、
遊戯なのだ。
やはり遊び相手は犬の王。考え直しマリアへ視線を落としたアモ
ン。
その刹那、異空間の闇、唸る顔が泡のように浮き出るアモンの足
跡から広がったそれが、掃き清められたかのように、一直線に消滅
する現象が発生した。
と、アモンは舌打ちすると、踵で地面を蹴飛ばす。
﹁ややこしい奴らがきやだったか。そりゃあそうだわな。運命の始
まりに、顔を出さねぇえわけないよな﹂
157
ふて腐れた子供の口調でアモンは言い放つ。
同時に彼の異空間をつんざき、光の粒が構築した、光子のトンネ
ルが延々と開通すると、倉庫の入り口に2つの影がトンネルを抜け
て現出した。
﹁困りますねぇ、楽しみの邪魔をされるのは﹂
丁寧な口調でありながら、不愉快さが糸を引く不気味な笑みは、
アモンの心情を表し、また新たに現出した登場人物を不快に睨みつ
けていた。
﹁不愉快なのはこちらとて同じ。立ち去りなさい、汚らわしいわ﹂
道端の汚物に嫌悪な矢印を向けるような口調で、トンネルから進
み出た初老の女性は、ほうれい線を深く、悪寒を感じるような苦痛
に歪めた。
﹁おれと対峙できるとは、偉くなったもんだなぁ、聖母さま﹂
小馬鹿にした口調がありありと分かるアモンの声。
すると聖母と称された初老の女性は、悠然と悪しき超越者のめが
け、声色を弾丸とした。
﹁科学は発展の途上にあり、未だ限界にはない。科学こそが貴様ら
汚らわしき存在を葬る唯一の方法だ!﹂
次の瞬間、デヴィルの周囲1メートルの範囲を、振動する透明な
エネルギーのカーテンが覆った。
黒いコートをマントのように翻すなり、アモンの表情に初めて、
苦い汁がひっかけられた。
﹁Dフィールドかっ﹂
迂闊だった、と心中で唸ったアモンはしかし、このデヴィルに対
抗するがためだけに開発されたフィールド内では、能力の性能を著
しくはぎ落とされのだ。
あれほど禍々しかった空の蛍光色は蒼天へ還元され、地上の黒い
闇から泡粒のように放出されていた顔も、チタンの地面へともどっ
た。
﹁このまま貴様を永劫に閉じ込めるのは造作もないぞ﹂
158
女性の後ろ、丸眼鏡を掛けた男が、アモンを射るように見やった。
苦々しくしながらも、どこか楽しんでいる雰囲気を湯気として身
体から発するデヴィルの、その笑みは2人を捉え、黒い漆黒の輪郭
が包むようだった。
凛然としつつもしかし、2人の眼差しの弓矢の奥では、激しく渦
巻くドロドロとした恐怖感がネバネバと糸を引き、今にも面相の表
へ這い出そうだった。が、1度でも1滴でも表面へ黒い闇の感情が
出たら最後、止めどなく溢れる感情は弱さを生み、デヴィルの術中
に陥っていまう。こうして退治していられるのも、彼らの組織が精
神強壮を科学的に行っている成果なのだ。
人を前におぞましき笑みを称えていたアモン。その手は今にも何
かを握りしめようかとするほどに力が入り、黒々と邪悪な水蒸気か
霧のような闇が、腕の周囲を蛇の如く巻き、アモンの内側から発散
されるそれは、今にも爆発しそうな勢いで、うねりの速度を加速度
的にましていた。
﹁ここは撤退を﹂
と、不意にアモンの足下から声が突き上がった。まるでアモンの
影が声を発しているかのように。
﹁撤退? 馬鹿をぬかせ﹂
禍々しい声は二重、三重に重なり合って、いよいよ人間離れした
雰囲気が巨大化していく。
神々しく立つ2人も、さすがにアモンが放つ雰囲気に圧倒され、
光のトンネル内部へ後ずさりする。
﹁犬どもの気配がします。ここは撤退するが良策かと思われますが﹂
またしても冷静に影はアモンをなだめる。
そこで瞬間的に燃える黒い炎の中に多少なりとも理性の水滴を垂
らすアモンは、確かに周囲に嫌悪感が満ち始めているのを感じ取っ
た。
﹁・・・・・・厄介になりやがった﹂
瞬間、アモンの腕を巻いていた闇は風に吹かれる煙のように消滅
159
した。そしてデヴィルの顔にこれまでとはことなる無表情が能面の
ように張り付いた。
﹁物語の始まりはすでに告げられた。第一幕はこれにて終了としよ
う﹂
感情の起伏が皆無の言葉をボソリと投げかけ、アモンは天空を見
上げた。刹那、デヴィルの肉体は黒い疾風に巻き上げられ、その場
から消失したのだった。
宇宙港は嵐の後のように、半壊した滑走路と格納庫、そして未だ
懊悩から立ち上がれない人々のうめき声がこだましていた。
﹁時間が無い。急ごう﹂
トンネルから出た初老の男性は、呆然とする初老の女性へと言葉
を掛けた。
ハッと我に返った彼女は、咳払いを1つすると未だ気を失うマリ
アの細身に眼をやった。
細長い腕を突き出す彼女の腕には、複数の傷跡が見て取れる。
﹁コアを回収します﹂
背後の男に確認するなり、彼女の掌から青白い光が放出されると、
瞬間的にマリアの肉体が光を放ち、その場からかき消されてしまっ
た。
事態の進行に面食らっているメシアは、様々な感情が噴出し、何
を先に処理すべきか、脳内は煮詰まった鍋のようである。
﹁状況終了。これより撤退する﹂
初老女性が腕を下ろすなり、背後の男性が言い放つと、地面に突
っ伏しているマックス・ディンガー、ベアルド・ブルを一瞥した。
﹁君たちの時間軸はここに固定されている。運命に組み込まれてい
るのだから、自らの使命をまっとうしなさい。ソロモンからの公式
命令はこれで最後です。これまでご苦労﹂
感情はそこにはない。ただ業務を果たした部下への労いを義務的
に放ち、男の視線はメシアへと今度は下りた。
しかし女性の方はマリアを見もせず、トンネルへ戻ろうと振り返
160
った。
﹁ちょっと待ってくれよ。なんなんだよ、なんで母さんと父さんが
ここに、マリアは、これは何なんだ・・・・・・﹂
混乱をそのまま口走ったメシア。何を尋ねれば良いのか、どんな
答えがほしいのか、未だ彼は状況を咀嚼できずにいた。
幾つもの感情が波のようにメシアを襲う。
歩みを止め、メシアの母は自らの息子を振り向く事も無く告げた。
﹁この時代においても、わたしの時代でも貴方の養育権は放棄しま
した。貴方との親子関係はありません。勝手に産まれてきた貴方に
母親と呼ばれるのは迷惑です。直ちに止めていただきたい﹂
親が子に言うセリフとは思えぬ言動の後、母親と呼ばれる事を否
定する女は、時空を貫き未来世界へ直結する時空トンネルへと姿を
消していった。
﹁メシア。わたし達のことは忘れなさい。自分の人生を生きるんだ﹂
丸い眼鏡を掛けた父親はそう言うと、静かに振り返りトンネルの
中に入っていく。瞬間、時空を変動させ時間軸を歪めたトンネルは
消え、空間は元通りとなった。
真夏の陽光はまた容赦無くチタンの地面から照り返し、もんどり
打ち人々を蒸した。
メシアは嵐が過ぎ去り凄惨さだけを残す宇宙港の中に1人、大事
なものを失った。
空しく蒼天の天空に彼の叫び声だけが響くのであった。
ENDLESS MYTH エピローグへ続く
161
エピローグ
エピローグ
それからの事柄をメシア・クライストは覚えていない。大事な人
を失い、子供の時以来、自分の前に現れた母から言い捨てられた現
実。それらが脳内を衛星のように周り続け、思考能力は皆無となっ
ていた。
気づいた時、彼はシャトルの席に縛り付けられるようにベルトで
固定され、何重にもなった丸い窓ガラスの外に広がる、地球の光景
をただ眼に焼き付けるだけだった。青々とした世界、へばりつく大
陸。その中を飛び交う飛行物体が落下すると同時に閃光が宇宙空間
に複数、ひらめいた。核攻撃が行われているのだ。
彼らがさっきまで立っていた大陸は幾つにも粉砕し、各大陸は震
えている。プレート地震が世界各地で発生し、宇宙空間からでも見
て取れる。地震の影響から火山噴火も見え、赤々と天空を貫くマグ
マの火柱は、空を引き裂いているように見えた。
﹁なんてことなの・・・・・・﹂
吐息のように漏れる声が彼の背後に落ちた。宇宙服を着用し、身
体が二倍の大きさになっているエリザベス・ガハノフが彼の横の座
席から、同じ窓を眺めていた。
ヘルメットのクリアヴァイザーを上げ、髪をすべて後ろへ流し、
額を出していつもと印象が違う彼女もまた、世界の終末を目の当た
りにして、言葉を失うことしかできなかった。
何もかも失った。
喪失感だけを抱え込み、彼は静かに眼を閉じた。地球圏を抜け無
重力に浮かぶ肉体を放り出し、ただ力なく浮いている。
もはや生きている意味など無い。世界は絶望に包まれたのだ。
162
ENDLESS MYTH 第2話へ続く
163
第2話−1
1
この先輩をジェフ・アーガーは好きにはなれず、いつもの朝の挨
拶の後の小言が矢のように突き刺さり、彼が店頭に並べる商品は、
いつものように素早く、すぐに裏へ戻りたい気持ちでせいていた。
それがまた先輩の皮肉を引き出す。
﹁もっと丁寧にならべなさい。商品に傷がついたら、責任をもって
取れるの? 何年になるんだか、仕事も覚えないで、いっちょ前に
遅刻してきて﹂
遅刻は2週間前の話だ。ステーションへの定期シャトルが気流の
影響で遅れたせいであり、よくある事象なのだが、先輩との日頃か
らの確執から、未だに言われ続けていた。
宇宙食のクッキーを元とし、ミルククリームを挟んだ名物として
日本のメーカーが発売した土産物を並べ終えると、すぐに先輩の嫌
味を払うように、明白な不愉快を顔にのせ、ドアを開け、右に行け
ば倉庫の通路を左へ折れ、事務室に入って行った。
荒くドアを開けたところに居合わせたチーフは、また朝から、と
いった感じに顔をしかめた。
﹁お客の前では笑顔でおねがいしますよ﹂
前々からあるトラブルだけに、大事にならないことも、2人との
面談で理解していたからこそ、敢えて口を挟まずにいた。
窓際から宇宙空間を見つめると、眼下一面に青い地球が広がって
いる。太平洋上空にステーションが達していたから、鮮やかなブル
ーが眼に鮮やかであった。
﹁もう耐えられないかもしれません﹂
普段から愚痴や弱音を口にして、相談をしていたチーフだからこ
164
そ、この中年男性には本音を口にできた。
ステーションで販売員を募集しているという広告に飛びつき、宇
宙へかねてから出たいと望みを胸としていたジェフは、これはと喜
んで飛びついた。雇用形態としては、短期だが、ステーション職員
としての採用も視野に入った雇用であった。イギリスの大学を卒業
した後の展望を考えていなかった彼は、これを進むべき道だ、と頑
張っていた。
しかし人間関係は甘くなく、胃の痛みを
伴うものとなっていた。
﹁君の気持ちも分かるが、向こうの言い分も分かるんだよ。彼の方
は南アフリカの貧しい地区の出身で、学びたくても学べず、大学も
行けなかったからな。だから君に嫉妬する部分もあるんじゃないか
な?﹂
﹁冗談じゃありませんよ。僕の家だってけして裕福じゃないんです。
奨学金をこれから返済していかなくちゃならないんです﹂
広大なレムリア大陸の南部を覆う強大な雲は、彼の今の心すらも
呑み込んでしまいそうに大きく、どことなく不吉に見下ろせた。
憤怒の中にも彼には雲がやけに印象深く、瞼の裏に焼き付いたの
だった。
﹁配置換えはできないんですか? バイトの身分でなんですけど、
先輩とうまくやっていく自信は、正直ありません﹂
チーフは困惑を眉に乗せた。大学を卒業するかしないかの若造に、
配置換えまで口にされるのは、アジア系の中年男にとって、不愉快
の神経を逆なでされるような気分であった。が、口にすることもな
くチーフは作り笑顔でその場を理性で押さえ込んだ。
﹁わたしに人事権はないけれど、君と彼のシフトをぶつからないよ
うにはできるが、あまり期待しないでくれ。君より彼の方が仕事が
長いのは事実だし、これからも人間関係でのトラブルはきっとある
だろうから、ここで学ぶのも1つだとわたしは思うがね﹂
忠告を最後に置いたチーフの顔には、気づくと険しさが滲んでい
165
た。
腑に落ちない様子で一応は理解した様相をていしたジェフはしか
し、不満と不愉快しか舌先には触れなかった。
先輩が待つ販売所へジェフは重い脚を進める。まるで根が生えた
ように彼には感じられた。いっそこの場でバイトを投げ出したい気
分になり、また自らが社会人としてこれからの人生、歩んでいける
のかという漠然たる不安も、心に爪を立てていた。それが増して彼
の足取りを鈍足にした。
﹁時間は待ってくれないぞ。しっかり働いてくれ﹂
少し口調に棘が入り始めたチーフの大きめの声に背中を叩かれ、
事務所のドアに手を掛けた。
刹那、足下から唸りような地響きが彼の背骨を伝い、脳天へ抜け
出ていった。
ステーション自体が激しく左右に揺らめいた。
取っ手に思わず身体の重心を置き、バランスを取ろうとするジェ
フ。
右斜め後ろでは、デスクの椅子から身体を中空へ放り投げられ、
小さな弧を描き、分厚い窓ガラスへ身体を叩き付けられるチーフの
姿が見えた。
地震!
ENDLESS MYTH第2話ー2へ続く。
166
第2話−2
2
揺れが縦揺れへと変じ、天井に埋め込まれた照明器具が明滅を始
めた。慌てドアを開き逃げ道を確保したジェフ。チーフの身柄を安
否は、この時、完全に飛んでいた。
揺れはおさまる気配もなく、床にしがみつくように彼は身体を這
わせた。自らの生命の危機を感じたその時、はめ込まれた窓ガラス
の端から真っ直ぐに、地球へ向け炎の塊が刃を突き立てるように、
蒼い地表へ走り抜けていった。
それと同時に身体を浮き上がらせる揺れは収束をみるのだった。
安全性が確保されたかも解らないまま、窓際へ跳ね起きて駆け寄
り心臓が本当に停止した。彼の、全人類の故郷たる太陽系第3惑星
地球。その美しき大地と大海をえぐるように、隕石がゆっくりと、
美麗を砕きながら落下していたのだ。
それだけの光景が目視だけでも複数の場所で同時に発生していた。
出る言葉はあるはずもなく、思考は真っ黒に遮断した。
思考以外にも、室内の照明設備が漆黒となり、地球を喰らう複数
の生物のような隕石群が引き起こす、閃光が唯一の光源となり、室
内を赤く照らすのだ。
﹁ここの照明は供給式だ。電気の供給が途切れたってことか﹂
主任が投げ出された身体を持ち上げ、黒い天井に視線を上げた。
先輩は!
妙なものであれだけ嫌悪感を胸から噴射していたはずのアーガス
は、脚を反転させて駆け出した。嫌悪感を抱きつつも、命を、知っ
ている人を助けなければという気持ちだけが、か若者の身体を後押
ししていた。
167
暗がりの中、かけ出ていったアーガスはしかし、視界をまったく
奪われてしまって、状況が分からない。興奮と、状況の訝しさに震
える手をポケットに突っ込み、スマホを抜き取ると、ライト機能を
入れて周囲を照らした。
光源の光量が高くとも、販売フロアが広いせいもあって、光は闇
に埋もれてしまった。
これじゃあお先真っ暗だな。冗談めいて身中で呟いた時、脚がな
にかにつまずき、前のめりに倒れ込んだ。
床のタイルが頬にぶつかった刹那、ヌルっと生暖かい液体が顔に
へばりついた。それが何かを彼はすぐに解釈した。最悪の事態を想
像すると、容易に理解できた。
それに倒れたことで転がったスマホのライトが照らす先に、倒れ
ている人体の爪先が見えた。
鮮血。流れるそれを払うように飛び跳ねたアーガスは、スマホを
取り上げると、足下の、消して想像したくない代物を闇に浮かび上
がらせた。
﹁先輩﹂
感情はない。ただ頭が真っ白になってしまい、反射的に口から彼
はこぼした。
どうしたんですか! と飛びつくように突っ伏す先輩の背中に手
を当てた。が、背部の黒いベストは濡れていた。血液なのは、調べ
ずとも突きつけられた。
ライトで先輩の頭部を照らすと、青白い顔と半開きの白い眼球が
死の臭いを彼の鼻孔へ届けた。
どうして、と横にライトを振るとひしゃげた鉄板が血に染まって
いる。
続けざまに天井を照らすと、天井に張り巡らされた鉄板の一部が
落下して、先輩の脳天を割り、脳髄を吹き出していたのである。
顔の筋肉が瞬間的に引きつり、喉を通るものを唇で抑える事はで
きず、胃液を嘔吐した。
168
不仲ではあるが見知った身近な人物の惨たらしい死に様は、若者
のキャパシティーを大きく超えるもの。反射的に彼は事務所へ身体
を反転するのだった。
暗がりを転がるように事務所の中になだれ込むと、主任めがけ声
量をぶつけた。
﹁背、先輩が、先輩が﹂
言語にならない唸りのような声は闇を引き裂く。が、主任の声は
返っては来なかった。
強い酸性と糞尿のような異臭が室内を覆っているのに、思わず鼻
を腕で覆い、臭気を体内から拒絶しようと試みるも、臭いか瞬間的
に彼のこめかみを針で指し、脳を酸欠にさせた。
重心が定まらない中を壁に手をついて支えた。が、壁紙の細かい
突起と掌の間になにか違和感が入った。
ライトで壁を光らせる。すると壁紙があるはずの壁面に、脈動す
るように波打つ有機的組織で構成された、肉片の塊のようなものが、
床から天井へ蔦の植物かと思える勢いでびっしりと生えていた。
僅か1分もしないうちの変化に、アーガスが訝しく首を傾げてい
ると、背後で主任のデスクがひっくり返る物音がすて、飛び上がる
と思わず肉片の壁に背をつけておののいた。
瞬く間に背中に液体がしみこむ、気味の悪い感覚を覚え、背中と
肉腫の間に隙間を作るも、粘度の強い粘膜質が衣服に糸を引いた。
頭を後ろにもたげ、気色悪い、と思うのもつかの間、前のデスク
をはねのけたそれが声を荒げた。まるで舟の汽笛のように低く、そ
れでいて神経を爪で引っ掻く不快さがある獣の如き声だ。
慌てスマホを音源に向ける。
するとそれは光に極度の反応を示したのだろう、彼の前に立ち上
がった。
曲線で描かれたヌラヌラとぬめる胴体から幾本もの、大腸のよう
な触手が這い回り、頭部らしき部分は膨れあがった肉の塊のようで、
そこから下方へ押し広げられた、開口する口からは腐敗臭が狭い事
169
務所全体に広がった。
臭気と狂気の姿に腰を脱がしそうになった彼だったが、足下に転
がる主任らしき、人の形をとどめていない肉片を見た刹那、異形の
それの横を通り抜け、彼は自分でも驚くほどに高速に室内から這い
出ていった。
﹁死に負けてたまるか!﹂
と、自然と彼は声を張り上げ、闇の泥へと走り抜けていった。
ENDLESS MYTH第2話ー3へ続く。
170
第2話−3
3
身体が座席から浮かび上がるのを止めるベルトは、身体を縛る拘
束具のようでエリザベス・ガハノフには触感があまり好きではなく、
外したい焦燥感で膨らみの大きな胸はいっぱいだった。ただそれよ
りもなおも気になる事柄は、横にまるで蝉が抜けた殻のように、座
るというよりも、うな垂れているメシア・クライストの精神的ダメ
ージの方であった。
まもなくシャトルは区画37ステーションに到着する。現に窓の
外には直径10キロの回転円盤が幾本もの鋼鉄チューブで連結され
た全体像がそこに見えていた。
ただ心がいたたまれないのは、その背後に本来は美しき祖国地球
が、今は白い光と複数の業火に赤く染まり、人間の住む世界ではな
いかの如く見えていたことだ。
﹁そろそろドッキングします、準備をしてください﹂
ヘルメットのバイザーを開き、宇宙服の、自らの腕が何倍もの膨れ
あがったような、パイプのように不格好な手袋でやりにくそうに眼
鏡をあげる神父は、全員を一瞥した。まるで言い方は引率の教師の
ようである。
﹁宇宙ってのはやっぱり、重力がないだけに、身体が変な気分だぜ﹂
世界が深刻な状況だというのを理解していない、軽々しい不用意
な発言をするのは、シートに腰はすでになく、両側に並ぶリクライ
ニングシートに分厚い手袋で覆われた両手を掛け、分厚いブーツの
脚をバタバタと中空に浮かせ、身体から重力の痕跡が抜けている不
可思議さを楽しんでいるイラート・ガハノフだ。
﹁シャトルが到着するまで座って﹂
171
姉として恥ずかしげに憤慨を後ろに向けるエリザベス。
﹁はしゃいでる場合じゃないでしょ! あれが見えないの﹂
短い腕を強引に伸ばして窓の外を示すジェイミー・スパヒッチは、
小僧っぽいくだらない青年の言動に、例語の如く腹立たしさを噴出
させた。が、それよりも彼女は自らの欲求に忠実に、脳天を抜ける、
ヘルメットをしている周囲の人々すら不愉快にさせる甲高い声で叫
ぶ。
﹁もういいかげん、これを脱ぎたいんだけどぉ﹂
民間宇宙航空会社の義務として、乗客には宇宙服の着用は徹底さ
れている。非常時、しかも乗員のいないいわば強盗のような行為で
このシャトルに乗った彼らですら、着用は怠らない。それが宇宙へ
進出した人類のモラルとなっていた。
化学繊維、金属蒸着フィルム、剛繊維、ケプラーなど幾重にも重
なり合った宇宙服は、保温効果に優れ、宇宙を浮遊する小さな隕石
から身体を保護する機能も含まれている。
内部には冷却下着が着用されているが、小型の冷却装置が不調ら
しく、彼らの宇宙服の内部温度はサウナ状態に近かった。
﹁それにこの嫌な物も早く外したんだけど﹂
ともぞもぞと内股で怪訝な顔をするジェイミーのいわんとすると
ころを、誰もが察していた。
大気圏を突破する際、シャトルは時速3000キロを越える、人
間の人体には3G、つまり地球上の体重の3倍の負荷、重力がかか
るのだ。もちろん腹部を圧迫されて排泄物が出る可能性は十分にあ
る。そこで吸引パッドを必ず装着する。どんなに﹁出ない、出さな
い﹂と豪語する人間であっても、必ず。これが宇宙航空法に定めら
れた義務だからだ。
﹁まさか漏らしたんじゃねぇよな﹂
デリカシーの欠片も内言い方はもちろん、イラートである。
これには誰1人として答える人物はいなかった。
172
シャトルは自動操縦で円盤が連結されたような形をするステーシ
ョンの円盤部へドッキング体勢へと入った。
ベアルド・ブルはコックピットの席に腰掛け、頭上に並ぶスイッ
チ類から迷わず通信スイッチを入れ、右横の壁際に設置された楕円
形のワイヤレスマイクを抜き取り、口元へ斜めに構えた。
﹁こちら地球より脱出してきた者だ。受け入れを願いたい﹂
地球から脱出したのだろう、複数のシャトルがすでにステーショ
ンの円盤から枝のように突起したチューブ型のタラップとドッキン
グしている。
中にはシャトルの外装が破損したものも見えた。
﹁繰り返す。地球よりの脱出艇だ。受け入れを願いたい﹂
複数のシャトルの様子から、内部は混乱しているとみたベアルド
は、数度にわたり受け入れ要請を送信した。が、それに答える音声
は返答をしなかった。
コックピットの認証式自動ドアを、未来の科学力の影響力を備え
た掌を、端末にかざすだけでロックを解除したマックス・ディンガ
ー神父が入室してきた。若者たちと乗客座席にいたのだが、タラッ
プが伸びる様子もないのを見かねて、部下の様子うかがいに出向い
てきたのだ。
﹁ステーションとの連絡は?﹂
ヘルメットのバイザーを上部へスライドさせ、眼鏡を指で押し上
げる神父が問う。
ベアルド・ブルもまたバイザーを上げたヘルメットを窮屈そうに
後ろへ向け、臨時の上官へ事情を説明した。
﹁もう一度、連絡をしてみてください。それで駄目ならば直接、ス
テーションへ取り憑いて、作業用ハッチから入るしかありません﹂
危険を承知のうえで、ステーションへの強行潜入を神父は提案す
るのだった。シャトルにこのまま乗っていたところで、状況の好転
はみられないのは明白だからの選択であった。
が、神父のプランは強行せずにすむ状況となった。チューブ型タ
173
ラップが植物のツタのように円盤部から伸びて、先端部がシャトル
へと向かってきていたのである。
﹁本当に乗り込みますか? 中はおそらく・・・・・・﹂
露骨に嫌悪感を若い兵士は口にした。未来人はこの先に何が待つ
のか、何が開口しているのかを、把握している。だからこその嫌悪
感であった。
﹁事態は最悪を極めています。援軍がくるまではここに止まるしか、
我々に選択しはないのですよ﹂
覚悟したふうに、今度は力強く神父は眼鏡を指で押し上げるのだ
った。
﹃ENDLESS MYTH﹄第2話ー4へ続く。
174
第2話ー4
4
鳥居は朱に塗り固められ、梵字が細かく刻まれている。その大き
さは太古よりの大樹よりも太く、たくましく、見上げたとて頂点を
拝むこともかなわないほどに、巨大であった。
その太い鳥居の間には幾十にも、蜘蛛の巣のように編み込まれた
標縄が奥へと通じる参道を封じる結界のように、外界よりの者を拒
んでいた。
周囲は漆黒に覆われ、視界は皆無である。ただそこに朱色が鮮や
かに存在感を主張し、鳥居の全面に刻まれた梵字が黄色く発光して
は、蛍のように明滅していた。
その鳥居の足下に陽炎のように突如として2つの影が、ぼうっと
蝋燭の火を灯したように現出した。
やがて2つの影の輪郭はくっきりと鮮やかになった。
2人は女性である。
1人は朱色の袴を穿き、白い着物に身を包む、日本の巫女のよう
な格好をしているが、身体に革の鎧を身につけ、巫女と言うよりは
戦士の風貌を呈し、長く伸びたまっすぐな黒髪が印象的だ。
もう1人は韓国の民族衣装チマチョゴリに似た服装をしているが
やはり、革の鎧をまとい戦士という印象を与える、長身の女性であ
る。
2人の顔立ちはアジア系であった。
長身の女性は黒髪の女性をじっと見つめる。瞳には怪訝に近い印
象の光が灯っていた。
﹁この場から幾人もの人物を見送ってきました。ですが帰った者は
1人としていませんでした。︻JYUスペース︼の出入り口である
175
大鳥居。ここをくぐって帰ってこそ、真に総師カイナー様の意を体
現することとなるのです。それを胸に刻み、外界へ赴きなさい、ポ
リオン・タリー﹂
ポリオンと呼ばれた黒髪の女性の顔は無表情であった。が、心中
には自らの上司であるミヒス・モナルが心から言葉を発していない
事は理解できていた。
2人の出会いは地球時間で十数年前である。まだ小さな子供だっ
たポリオンに、術を教え、︻KESYA︼の組織としてのあり方、
デヴィルに対する戦闘術を教え込んだ。けれども人間の考え方とは、
相容れぬことがしばしばある。2人の間にも師弟の関係と上司と部
下の関係がありながら、どこか距離がある。長年の考えの違い、小
さな積み重ねが、女性2人の間に大きな溝を形成していた。
﹁そうですね。カイナー様の意を受け、私はデヴィルを殲滅すべく、
外の世界へ赴きます。また私の使命をまっとうすべく、戦いに身を
投じます﹂
ポリオンの言葉が鳥居の間に蜘蛛の巣のように張り巡らされた標
縄の奥へ反響した。
ミヒスもまた、自らの部下で弟子が、口先だけで言葉を吐いてい
るのを知っていた。子供の頃より何を考えているのか結局、今日ま
で理解できないまま、前線へ、巨大な運命の流れへ送り出すのは、
師匠として、上司として自らをふがいないと感じていた。
﹁では行ってまいります﹂
ポリオンが振り向き、中空へ指先で円を描く。すると漆黒に青白
い光の輪が現れると、トンネル状に中が空洞化した。
彼女は振り向きもせず、無表情のままに和装に不似合いなヒール
を進めた。
弟子の後ろ姿に何か声を掛けようと考えるも、結局、ミヒスの口
から出る言葉はなく、ポリオンが描いた術のトンネルが消失し、漆
黒に彼女が消失するまで、師匠はその場から動かず、逆に部下の姿
が無くなると、ホッとした表情で再びJYUスペースへと、我が家
176
へ帰るようにその場から姿を消した。
今度は蝋燭の火を吹き消すように。
﹃ENDLESS MYTH﹄第2話−5へ続く
177
第2話−5
5
観光旅行で1度か2度、ステーションを訪れている程度の人物が
ほとんどで、一行、特に現代を生きる若者たちにとって、チューブ
状のタラップを無重力状態で移動するのは、幾度も壁に設置された
クッションにぶつかりながらの、大仕事であった。
ステーション内部に到着してからも、エアロックからウィルス洗
浄スペース、更衣室を通り、危険物を所持していないかのスキャニ
ングを受け、ステーション内ターミナルに入ったのは、到着後、2
0分の時間を費やしていた。
当然、不満の声は彼女から上がった。
﹁いつまでこんな部屋に閉じ込めておくのよ。早く出しなさいよ﹂
スキャンルームのアクリル板の向こうで、イライラと声を荒げる
ジェイミー・スパヒッチは、機械的音声で異常物を所持していない
ことを確認したとの報告に、
﹁当たり前よ﹂
と、不満を最後に残し、口を開けたアクリル板のドアを抜け、天
井が高く、自動受付、ナビコンソールなどがずらりと並び、普段は
数百万人で賑わっているであろう広大なターミナルへ脚を踏み入れ
た。
﹁最後の到着者は誰かなぁ?﹂
誰のせいで、到着がよけいに遅れているのか、嫌味っぽく行った
のはイラート・ガハノフである。彼の少年っぽい視線の先には、ま
だスキャンルームに立ち尽くす、メシア・クライストの姿が映って
いた。
アクリル板のドアが開いても、彼は自らの意思で脚を前に出すこ
178
とはなかった。
どうして、どうして彼女が・・・・・・。
地球で大切なマリア・プリースを失った瞬間の光景が、延々と頭
の中で渦巻き、ここにいながら彼の時間はマリアを消失したあの時
間、あの場所から離れられず、自分が今現在どこにいるのかすらも、
曖昧であった。
そんな彼を献身的に世話していたのが、エリザベス・ガハノフで
あった。スキャンを終えた立ち尽くす彼の腕を引き、スキャンルー
ムから出したのも彼女であり、その手を握って引くのも彼女であっ
た。
エリザベスの気持ちは誰の眼にも明らかであった。
弟のイラートがその光景を冷やかそうとした時である。
﹁すでにここも汚染されているようですね﹂
と、ベアルド・ブルが身構えながら周囲を警戒して、口にする。
﹁そのようですね。デヴィルズ・チルドレンがこのステーションを
放っておくわけがありませんからね﹂
マックス・ディンガーは神父の格好をしながらも、すでに神父の
雰囲気は完全に失われていた。彼もまた、実の娘ではないとはいえ、
育ててきたマリアを失ったのである、口調はしっかりしている風に
見えるが、どこか雰囲気には寂しさが漏れ出していた。
この時、マックス神父もベアルド兵士も武器を所持していなかっ
た。ベアルド兵士に関しては武装ベストも装着しておらず、黒い長
袖のシャツだけを上に着ていた。
ステーション内部は警備が厳重であるから、武器の持ち込みは厳
禁である。密閉した閉鎖空間でるからウィルス対策も万全であるか
ら、ターミナルまでの時間は必要以上に費やされたのである。
地球で活躍した武器はシャトルの中だ。もちろん若者たちが倒壊
寸前のマンションで袖手した、あるいは合流の際に所持していた武
器も、同様にステーション内への持ち込みはできなかった。
﹁武器を確保してきます。警備室にはなにかしらあると思いますの
179
で﹂
状況的に臨時の上官である神父へ告げると、ベアルドは1人、タ
ーミナルにブーツの足音を響かせて走って行った。
﹁1人で逃げる気?﹂
未来人の話など聞いているはずのないジェイミーが憤慨する。
と、横で黒人のニノラ・ペンダースが瞳をターミナル中に走らせ、
囁きながら嫌な顔をした。
﹁何か変だ。こんなに人の気配がないなんて﹂
イ・ヴェンスが大きく床から天井まで開けた、全長20メートル
はあるであろうアクリル性の窓から外を眺めると、無数のシャトル
が到着している。それだけの人がステーション内に流入しているの
は確かなのだ。
﹁確かに。人がいない。おかしいな﹂
皆が促されるように外を眺めると、地球が白い光を到るところで
明滅させ、火山の噴火らしき赤い光も複数、各国で見えていた。
人類が引き起こす核兵器の光と自然の火山噴火の光が、地球が悲
鳴を上げているように見えていた。
ENDLESS MYTH第2話ー6へ続く
180
第2話−6
6
震える手が引き金にかかっていた。
ジェフ・アーガーはバイト先での出来事から逃げ出した後、とに
かく光の方へ、と非常灯を頼りに、気づけばターミナル近くの警備
施設へ入っていた。
電源が落ちていたせいもあり、警備システムは働かず、彼は自然
と武器庫へと侵入することに成功した。
ステーションの警備システムは万全である。が、テロリストの襲
撃に備え、数年前に発足した国連の憲章にとって、国際ステーショ
ン内部での武器の所持が認められ、警備員は重武装で警備に当たっ
ていた。
未だテロとの戦いは終結をみず、ステーションへの旅行が一般化
された現在では、ステーションがいつターゲットにされるか分から
ない状況でもあることを考慮した、憲章締結であった。
憲章の恩恵を受けた警備室の武器庫には、無数の武器、弾薬、防
弾ベストなどの装備品が整えられていた。
転がり込むように武器庫へ殺到したアルバイト店員は、手当たり
次第に武器をかき集め、扱い方すら分からないそれらを目の前に並
べ、ベストを着用した。
土産品を売る店員の制服の上に防弾ベストは、端から見ると笑え
る姿形をしていたが、死が隣に迫った彼にとって、笑える状況では
なかった。
怪物が自分の前方に迫っている!
そう思い込んだ彼の行動は、自衛に走った。生存者の有無も、従
業員の有無も関係なく、自分だけの保身に全神経を注いだのである。
181
けれども緊張状態の中で1つだけ気がかりなことが、不意に頭上
へ浮かび上がった。
︵親父、お袋︶
心中で叫ぶなり、尻のポケットに押し込んでいたスマートフォン
を取り出して電源を入れた。ところが通話機能が完全に失われてい
る表示が出ていた。
メールは、とWi−Fi環境下での送信を試みるも、Wi−Fi
すら応答がなく、完全に通信手段は消されていた。
SNSでの外部連絡も試みるも、つながらない。
完全に彼は孤立したのである。
と、その時、警備室のドアが開く音がした。それに驚き手にして
いたスマートフォンを床に転がしてしまった。
当然、音に気づいたと思われる侵入者の足音が武器庫の方へ近づ
いてくる。
重厚を入り口へ向けて、震える指で引き金を引こうとした刹那、
ドアが蹴り開けられ、1人の若い男が仁王立ちに彼を見下ろした。
﹁だ、誰だ﹂
上ずった声に迫力など皆無。まるでライオンを前にした子猫のよ
うな気分であった。
﹁く、来るな! ち、近づくと撃つぞ!﹂
重いベストをひねり、アサルトライフルを構える。構えだけはモ
デルガンを所持していたこともあって、様になっていた。
けれども男は、頼りなくすごむ彼へ堂々と近づいてくると、1拍、
間をあけたと思った瞬間、ライフルの銃口をむんずと掴むと、間髪
を入れず彼からライフルを奪い取ってしまった。
﹁モデルガンでも持っているのか知らないが、構えは上出来だ。だ
が、実物のHK416をロックなしで武器庫に収めていると思うか
?﹂
と、ロックを外して男は自らの所持品のように扱った。
﹁お前、こんなところで1人で隠れてたのか?﹂
182
ひょうひょうと男はジェフへ尋ねた。
﹁化け物から必死で逃げて、何が何だか・・・・・・﹂
闇雲に逃げたところで、武器庫へたどり着く確率など、たかが知
れている。もしかしたら危機に際して鼻が利くのか?
男は心中で呟くと他の生存者の有無も尋ねた。
ジェフはただ、首を横に振ることしかできなかった。
﹁まあいい。お前がこうしているのなら、他にも生存者がいるかも
しれない。援軍が来るまでに、できるだけ1カ所に集めておかなく
ては﹂
援軍? と質問を口にしかけたが、矢継ぎ早に男が問いかけてき
た。
﹁あんた、名前は﹂
﹁ジェフ、ジェフ・アーガー﹂
名前を口にすると、男の顔色が瞬く間に変化した。
﹁ジェフ。確かか? 確かにジェフ・アーガーなのか﹂
彼の腕を凄い力で掴む。
その腕をふりほどき、ジェフは頷いた。
﹁そうか、ジェフか・・・・・・﹂
妙に嬉しげに男は微笑するのを彼は見るが、憤慨を隠せない。
﹁なんなんだよ。そっちこそ名前を名乗れよ﹂
不機嫌にジェフが言うと、男は咳払いを1つして、姿勢を正した。
﹁わたしはベアルド・ブルと申します。こうして会えて、光栄であ
ります﹂
敬礼を1つすると、ベアルドはジェフにアサルトライフルを返却
した。
﹁これから必要になる。持って着いてこい﹂
と言うベアルド・ブルの表情は、妙に嬉しそうにジェフの眼には
映ったのだった。
183
ENDLESS MYTH第2話−7へ続く
184
第2話−6
7
通常、ターミナルの出入り口となるスキャニングルームの、ター
ミナル側出入り口とステーション側出入り口には、重装備の警備員
が数名、必ず出入りする人間をチェックしていた。スキャニングゴ
ーグルを装着し、随時、不審物、危険物を所持していないかをチェ
ックしながら、銃を装備していた。
またお客側も複数あるスキャニングルルームの前に列を成して、
パスポートと荷物を手にイライラとする光景がここの常でもあった。
ところがマックス神父率いる若者たち一行がスキャニングルーム
前に来ると、警備員の姿もステーションへ入る人の姿も見られず、
円柱状のスキャニングルームのアクリル扉は、イ・ヴェンスの怪力
で容易く、手動で開いた。しかも内部の機能も失われているとみら
れ、彼らをスキャンする様子は微塵もない。
﹁生存者を1人、発見しました﹂
するとスキャニングルームのターミナル側出入り口から、ベラル
ド兵士の声が響き、ブーツの足音と、もう1つ、ぎこちない足音が
近づいてきた。
一行が振り向くと、再び装備品で身を固めた兵士と、その後ろに
重そうな黒いバッグを抱えた青年が1人、肩で息をしていた。
﹁体力がねぇなぁ。それをこっちに﹂
青年からバッグを奪うように取るベアルドは、ドサッとバッグを
鋼鉄の床に、金属音と共に下ろすと、ジッパーを素早く引き、中を
広げ全員の眼に中身を見せた。
中には戦争でも始めるつもりなのか、と言いたくなるほどの銃器
が山となっていた。
185
これではジェフが重そうに運び、息を切らすのも無理はない。
﹁ここからは武器が必要になる。俺もディンガー上官も自分の命を
保つだけで正直、いっぱいになると思う。自分の身は自分で護って
くれ﹂
サバイバルになる。これからは護衛はしないぞ。そう言っている
ような口ぶりのベアルド・ブル。
バッグの中身をのぞき込んだ一行はしかし、武器を手にすること
をためらった。彼らには口にしないが護身する術は備えている。超
常なる力を。だが誰1人、それを口にはしない。運命の歯車が動き
出すまでは、口にしないのが暗黙の了解だったのである。
﹁メシアはこれを持ってて﹂
ハンドガン、ベレッタPX4ストームを手に取ったエリザベスが、
肩と背中を猫のようにまるめ、うな垂れている彼へ手渡した。とい
うより、強引に銃を握らせた。
護身の術をまだ持たない彼には必要だと彼女は判断したのだ。
メシアには生きて欲しい、その願いが銃を握らせる手に力を込め
る。
﹁武器なんて扱えない﹂
これまであまり言葉を口にしなかったマキナ・アナズが久々に唇
を動かした。
マリア・プリースと過剰に仲が良く、彼女としか話さなかっただ
けに、不思議と一行の間に緊張感が走った。
﹁武器の扱いになれていないものが持つのは逆に危険です。自己責
任で扱う人は手に取りましょう﹂
眼鏡を指で押し上げ、冷静に神父が判断した。
結果、武器を所持したのはニノラ・ペンダースとイ・ヴェンスだ
けであった。
ニノラはM37DSショットガン、イ・ヴェンスはMP7A1サ
ブマシンガンを手にした。
最後に武器を手にしたのはジェフである。ジェフはさっきのベア
186
ルドとのやりとりを教訓に、ロックの位置を確認し、ベアルドと同
じHK416を装備した。
﹁紹介が遅れました。彼はジェフ・アーガー。この先のショッピン
グモール区画から逃げてきたようです﹂
上官に報告するベアルドの眼は、得意げであった。
青年の名を耳にした刹那、神父は驚きで顔色を一瞬変えたものの、
すぐさま平静を装い、咳払いすると一行に告げる。
﹁この先は何が起こるか分かりません。我々が相手にする敵は人智
を軽々と凌駕しています。追々説明しますが、くれぐれも単独行動
はしないでください。わたし達は崖の縁に立っているのと同じです。
油断すると少しの風で崖下に落ちてしまいます﹂
神父の強い口調は、命が本当に危険である事実を伝えるには、十
分だった。
一行はスキャニングルームを抜け、ショッピングモール区画へと
進んだ。
メシアは銃を片手にもう一方の腕をエリザベスに引かれ、引きず
られるように、運命の階段をまた1つ、登ったのであった。
ENDLESS MYTH第2話−8へ続く
187
第2話−8
8
静けさというよりも妙に張り詰めた空気がショッピングモール全
体を、重くのしかかるように支配していた。
まっすぐの鋼鉄の通路が伸びる両側にテンポが構えられている。
国籍は様々で、フランスのブランドショップ、アメリカのファスト
フードチェーン、インド料理店、アフリカの民族工芸品店と、ジャ
ンルを問わずまさしく世界見本市の様相を呈していた。
銃口の先に設置したサーチライトで周囲のテンポ内に生存者が隠
れていないかをチェックするも、人の姿は見当たらない。まるで神
隠しである。テンポ内部にはさっきまで人が居た様子は確かにある。
飲みかけのコーヒーカップ、食べかけの食事が入った皿、開店準備
中だとおぼしき段ボールが店の前に置きっぱなしの店舗もある、
﹁地球と同じ事が起こったと考えるのが妥当だな﹂
誰もが緊張感の糸を張り詰めさせる中に、ファン・ロッペンが言
葉を投げかけた。全員が不意にドキッと胸の奥で地球での大惨事を
思い浮かべていた。
ただ1人、地球での出来事を知らないジェフ・アーガーだけが、
首を傾げていた。
﹁そうだ、地球はどうなって。イギリスは? 僕の故郷はどうなっ
たか分からないか? 両親が居るんだ﹂
声を多少、大きくしたジェフの問いはしかし、沈黙の中に転がり
落ちた。
﹁なんにも知らないのね﹂
いつもの調子で甲高いジェイミーの声が広い通路を駆け抜ける。
﹁地球はもう終わりよ。イギリスだって︱︱﹂
188
と、言いかけた刹那に、歩を進めていたベアルドとマックス神父
の脚が静止した。
﹁シッ! 黙れ﹂
ベアルドの声は緊迫感を増していた。
﹁なによ、黙れとは﹂
憤慨した様子でジェイミーが頬に赤いものを登らせるたが、状況
は彼女の怒りなど、眼中にない状況になっていた。
先頭で前を照らすベアルドのライトの先に、人の影が見えたので
ある。
﹁生存者﹂
少年っぽい声色で、誰よりも早く生存者を救出し、英雄気分にな
いたいイラートが掛けだした。と、彼の胸を押すように腕でせいし
たベアルド。
なにすんだ。と言いたげに若い兵士を睨む青年。
﹁彼は君を助けたんです。あれは生存者などではありません﹂
横で憤慨して逆立ったイラートの気持ちを撫でて抑えるように、
マックス神父が冷静に呟いた。
ライトに現れたのはどう見たところで人間の女性である。白人で
髪は茶色く、シーンズに緑色のシャツを着ている。
未来人たちは何を言っているのかイラートには理解できなかった。
が、ものの数秒もしないうちに彼らが意図としているところを把
握せざるおえなくなった。
ライトに照らされた若い白人女性は、ゆっくりと一行の方へ近づ
いてきた。足取りは妙に重く、1歩がやっとといった風であった。
1歩、1歩と距離が縮まるにつれ、神父と若い兵士の間に緊張感が
高まる。
そして3メートルと距離が縮まった時、ベアルド・ブルは女性の
額めがけ引き金を引いた。
﹁おい!﹂
兵士の肩に驚きと憤慨で手を当てたイラート。
189
背後では現代の若者たちが全員、ぎょっと顔を蒼白にしている。
人を殺害した。誰もがそう思った時、当の銃弾を浴びた女性はし
かし平然とその場に立ち、血しぶきを噴き出した顔面は、鉛色をし
ているのがようやく、全員の把握できるところとなった。顔色は人
間の色ではない。
床に鮮血を流しながらまた1歩、彼らの近くへ接近する女性。と、
不意に女性の輪郭が歪み始めた。顔は瞬く間に膨張すると、水風船
のようにはじけ飛び、頭蓋、脳髄、目玉を周囲に散乱さた。そして
頭部が無くなった内部からは複数の、大腸のような触手が無数に放
出され、タコの足の如く蠢き、ミミズの如く這いずった。
女性陣は悲鳴を上げ、男性陣はおののき、神父、ベアルド兵士は
銃口を化け物にすかさず向けた。
﹁浸食とはここまで早いんですか﹂
この状況下、未だ新人のベアルド・ブルが臨時上官に尋ねた。
﹁これが我々の敵ですよ﹂
と、答えるなり神父は引き金を引き、ベアルドも併せて銃弾を放
射した。
そこへ背後でおののいていたニノラ、イ・ヴェンスも参戦し、化
け物へ銃弾の雨を降らせるのだった。
けれども最初の一撃が敵にとって皆無だったように、銃弾は化け
物にとって致死とはならず、肉片が地面やショーウィンドにこびり
つき、腕がちぎれたところでそこからは、肉の塊が樹木のように生
え、人の形をますます消失した化け物へと変化していくばかりであ
った。
﹁ジェフ君﹂
銃撃の最中、銃撃戦へ参戦すべく銃のロックを外すのに手間取っ
ていたジェフへ、神父が叫び声を発する。
顔をあげ神父を明滅する火花の中でジェフは見る。
﹁ここに隣接する区画はなにがありますか?﹂
唐突な質問に一瞬、脳内が混乱したジェフ。
190
﹁えーっと・・・・・・。居住区画と宿泊区画です﹂
思い出したように答える。
すぐさま神父は判断した。
﹁ここは引きます。我々のできることは逃げることです﹂
異論は誰にもなかった。これだけの銃弾を浴び、なおも化け物は
彼らへと近づいてくるのだから。
ENDLESS MYTH第2話ー9へ続く
191
第2話−9
9
ショッピングモール区画は湾曲した通路が1本しかなく、そこを
背後のターミナル方面へ1度もどり、そこから居住、宿泊区画へエ
レベータールームを使用して移動する。
一行は来た通路を走って戻る。
が、1人遅れる人物がいた。メシアである。エリザベスが手を離
してしまい、彼の動作はマネキンのように停止してしまった。
﹁おい、なにやってる。逃げないと死ぬぞ﹂
重たいHK416に装着したベルトを肩に掛け、食い込むベルト
を必死に手で押さえながら走り掛けるジェフが、逃げ遅れたメシア
を認め、荒く声をかけた。
﹁いい。僕はここでいいんだ・・・・・﹂
聞こえるか聞こえないかのギリギリのところで、虫の羽音のよう
な声でメシアが呟いたのを、ジェフは聴き取った。
妙な奴だ。と心の中で呟きつつも、死を前にした人間を見過ごす
ほど、人でなしではないジェフは、メシアの腕をむんずと掴むと、
強引に彼を引っ張って駆けた。
ショッピングモール区画の半ばほどまで来てしまっていたため、
戻る距離も長く、イ・ヴェンスが巨体を反転させ、走りながら振り
向くと、女だったが今はもはや形をなさない肉の塊の化け物が、変
化した腕をバタバタと大きく振り上げ、首から伸びた複数の触手を
ミミズのようにうねらせながら、俊敏に追いかけてきていた。
MP7A1サブマシンガンの弾丸を放射し、化け物へ対抗するも、
その手段が有効でない実証はすでになされていた。
﹁もぉ、なんであたしがこんなめに﹂
192
叫びつつバタバタと走るジェイミー。
その横でイラートが少年らしく笑った。
﹁だったら能力をつかっちまえばいいんじゃねぇのか?﹂
暗黙のルールを破ることを提案したイラート。
﹁まだまだ先は長い。ここでお披露目するのは得策ではないぞ﹂
面長の男が2人の間にヌルリと入り、妙に説得力のある声色で2
人を嗜めた。
﹁それに今は効果が薄い。やるのなら効果的に、確実なタイミング
で行う方が、物語としては面白いだろう?﹂
ほくそ笑む彼の瞳は、企みの霧がたちこめていた。
そうして3人を先頭に一行はターミナル出入り口へたどり着くと、
出入り口横のエレベータールームへ駆け込んだ。
エレベータールームは円柱状のフロアになっており、入り口横に
タッチパネル式のスイッチがあった。
最後に、引きずるようにメシアをフロアへ放り込み、操作方法を
熟知したジェフが隣接する居住、宿泊区画へ移動する操作をした。
アクリル製の分厚い二重扉がゆっくりと閉じて行く。と、扉が閉
じた瞬間、追いかけてきた化け物が透明なアクリル板にぶつかり、
血しぶきとなにか得体の知れない液体が扉にこびりついた。
と同時にエレベータールームは部屋ごと、上部へと浮上していっ
た。
ようやく一息ついた一行は、フロアの中央に設置されたソファに
腰掛けた。特にジェイミー、マキナ、イラート、エリザベス、ジェ
フの5人は、肩で息をしていた。
﹁導かれてますね﹂
若者たちに聞こえない声量で、上官へベアルドは告げた。
﹁君もそう思うかね?﹂
神父も気づいていた様子であった。
﹁ええ。ステーション全体の電源システムがダウンしているという
のに、シャトルへタラップは下りてきましたし、ターミナルへは入
193
れましたし、こうして我々の逃げ道となるエレベータールームはし
っかりと動いていることですし。間違いなく誘い込まれていますよ﹂
神父は少し考えた。デヴィルズチルドレンは知恵のある連中だか
らな、と心の中で1人言う。
﹁とりあえず先へ進みましょう。歴史通りならば︻イヴェトゥデー
ション︼の艦隊がまもなく姿を現すですからね﹂
援軍を信じ、神父は先に進むことを決断した。
神父とベアルドが打ち合わせをしていた時、ソファで座っていた
ジェフは、俯いてたたずむメシアを見ていた。
﹁あんたさぁ、何があったかは知らないけど、死ぬつもりだっただ
ろ。あれはいけないなぁ﹂
ジェフは未だに肩で息をしていた。
ようやく、メシアはジェフの瞳を見つめた。
初めて会った男に何が解る、と言いたげであった。
﹁死んだらお終いだって分かってるかい?﹂
﹁おれは、大切な、失っちゃいけない人を失ったんだ。あんたには
分からない﹂
力はないが、拒絶は明確にあった。
﹁失ったのはあんただけじゃない。僕の家族だってきっと。だけど、
だからこそ生きなきゃダメなんじゃないのか﹂
気持ちがコップの縁から溢れ出したジェフの声は、震えて眼は潤
んでいた。
強い口調になったジェフの言葉に、エレベータールームが目的の
区画に到着した、機械的な音だけが室内に響き渡った。
ENDLESS MYTH第2話−10へ続く
194
第2話−10
10
小さな街がそこに凛然と鎮座していた。
建造物内部だというのに、街があり、アスファルトが敷かれ、湖
や森までもそこにはあった。これが人類の新たなるステップなので
ある。
複数の大陸で爆発的に増加した人類の人口を、どのように制御す
るかが、近代的な国際連合の大きな課題となっていた。そこで建造
されたのがこのステーションである。
計画自体は1960年代、ジョン・F・ケネディ大統領が就任し
ていた時代、米ソの宇宙開発競争時、すでに立案されていた。それ
が近代になり実現した結果が、宇宙ステーションへの人口移住であ
った。
もちろん、ステーション1つでまかなえるほど、人類の増加率は
鈍足ではなく、ここにこうして建造された都市は、一種のテストモ
デルであり、観光客の宿泊をメインターゲットとした、観光産業が
参加企業の利益となっていた。
ステーションの建造は他にも複数行われており、複数企業、国家
での協力プロジェクト。または単独国家による事業としても、建造
され今や宇宙開拓時代とよばれるほどにまで、宇宙産業は成長して
いた。
現にメシアが住み、生活の拠点となっていた都市も、宇宙産業へ
参入する企業が建造した宇宙港を中心とした建造中の都市であった
のが、宇宙開発が現実に住民の生活へ入り込んでいる実例である。
こうしたステーションの建造と平行して、月面都市の建造も着実
に進行しており、今も月面への移住者が多く宇宙へ進出していた。
195
﹁こいつあ、すげぇな。建物の中に街があるなんて﹂
エレベータールームを出て最初に溜息のような声を上げたのはイ
ラート・ガハノフであった。
﹁ここに来たのは子供の時だからね。あんた、覚えてないでしょ﹂
エリザベスが弟の少年がそのまま大人になった顔を見て、多少の
微笑みを浮かべた。
﹁あの時はまだ、建造中だったから、ここには入れなかったのよ﹂
姉らしい顔である。
﹁人は宇宙に出てもなお、地上を懐かしみ、母なる懐の幻影を求め
るものか﹂
と、面長の顔が不意に妙なことを囁いた。
横に立つジェフが彼を見上げる。
﹁地上のまねをしないと、人間は住めないだろ? あんた、おかし
な事をいうな﹂
ファンは青年を見下ろし、少し眼を細めて尋ねた。
﹁人類が宇宙へ進出する意味は?﹂
漠然とした問いにジェフは窮した表情をした。
﹁おしゃべりはその辺して、先に進むぞ。やつらに見つかるぞ﹂
引率の先生のような口ぶりでベアルドが若者たちを先導する。
が、やはりメシア1人が遅れていた。
そこへエリザベスが戻り、彼の手を握って、引き連れてきた。
﹁彼はなんなんだ。まるで抜け殻じゃないか﹂
事情が分からないジェフが丁度、横に居合わせたマキナ・アナズ
に尋ねた。
﹁・・・・・・。貴方には関係のないことだから﹂
作り笑いでそういうと、そそくさと彼の横から逃げ去るように先
に彼女は進んだ。
妙な連中と一緒になったものだ、と内心で彼は苦笑いするのだっ
た。
都市の上空は夜の闇に覆われていた。天候システムが起動してい
196
る際は、気象データを元に、上空の映像パネルが天気を模倣し、空
中システムが都市の気温と湿度を自動で管理し、本当に地上にいる
状態を作り出していた。けれども現在はシステムがダウンしている
せいで、都市機能は完全に麻痺していた。
都市に住む人々、宿泊している観光客など、多くの人が都市には
存在するはず。だが、人の気配まったくなく文字通りのゴーストタ
ウンと化していた。
﹁隠れられる場所を探しましょう。今は逃げに徹するしか生き残る
術はありません﹂
神父はそういうと、近くの建造物に侵入を試みた。しかしセキュ
リティシステムがオフラインになった時点で、建物のロックがすべ
てオンになったと見え、住宅も宿泊施設も完全に閉鎖されていた。
それでも逃げ場所を探していた一行がたどり着いたのは、都市の
中でも特に外観がユニークな、ドーム型のホテルであった。
入り口の鋼鉄製の自動ドアが一行に反応して開き、まるで手招き
しているようだった。
一瞬、入るのをためらう神父と若い兵士。
が、何も考えない若者2人、イラートとジェイミーがズカズカと
入り口ロビーへとなだれ込んでいく。
﹁疲れちゃった∼﹂
ジェイミーは例の甲高い声色で言いながら小走りでソファへと走
って行った。
続くイラートは喉が渇いた、と言いたげに無料サービスの飲料メ
ーカーの前に走り寄って行った。
2人の様子に、神父は呆れた表情をするも、安全は確保されてい
るのが、事実上証明されたので、自らも脚を踏み入れるのだった。
神父の考えではここで、援軍を待つつもりでいた。ただ、招かれ
ている感覚をどうしても払拭することはできなかった。
ENDLESS MYTH第2話−11へ続く
197
198
第2話−11
11
2階まで吹き抜けたのロビーは、ホテルの顔であり、ホテルのイ
メージとなるものだが、ここのホテルが宿泊代金が高いことだけは、
すぐに理解できた。
天井から伸びる細長いシャンデリアのような照明機材。各所に設
置された間接照明。本物かどうかは定かではないが大理石のような
石の床は、鏡のように彼らの姿を映すほど、掃除が行き届いていた。
また次世代型のホログラムスクリーンが入り口近くに設置されて
おり、ステーションの各区画の説明や、音声解説が行われる。
飲料メーカーも最新式で、スイッチ1つで百種類以上の飲料水が
飲めるようになっていた。
照明設備、ホログラムスクリーンは生きているから、ホテル自体
の電源システムは生きている様子に、神父はますます訝しい悪臭を
鼻に感じた。
﹁エレベーターは動きません。どうやらここで攻めてくるつもりな
のでしょう﹂
上階へ登るエレベーターが幾つの並ぶエリアから戻ったベアルド
が、マガジンの弾数をチェックしながら上官へ報告をした。
﹁出た方がいいのでは?﹂
と進言もする。
神父はソファで疲れを癒やそうとしている若者たちを見つめ、瞬
間的に考えを巡らせた。
ここで何かあったら、歴史が変わってしまう。そう心中でマック
ス・ディンガーは囁く。
ベアルド・ブルも同様のことを思考していた。
199
﹁歴史的に重要な人物を2人も抱えているんですから、無理はしな
い方がいいのは分かっています。ですがどちらか1人でも失ったら、
歴史は大きく変わってしまいますよ﹂
ただ2人だけがこの先の歴史を理解している。だからこそ、この
場での行動が大河の一滴となることを解っているのである。
神父は頷いた。
﹁この区画から移動しましょう。できるだけ止まることを避けたほ
うがよいでしょう﹂
方針転換した神父は、水分補給する若者たちにその旨を伝えよう
としたその時、光が大きく揺れるのを影の具合で理解した一行は、
天井を見上げた。すると天井からぶら下がっている巨大で細長い照
明器具が大きく左右に揺れ始めていた。
けれども身体に感じる振動はなく、シャンデリアが勝手に動いて
いるのだ。
明白な異変にその場に立ち上がった若者たちは、少しずつ入り口
の方へ、ジリジリと移動を開始した。
﹁ここをでます﹂
緊迫した様子で神父が告げたのをきっかけに、若者たちはいち早
く入り口へ駆けた。
と、次の刹那、左右に揺れたシャンデリアの太い電源コードがち
ぎれ、彼らの頭上を横切ると、入り口の前にけたたましい音をたて
て落下。ガラスの破片が八方へ散乱した。
女性たちの悲鳴がガラスの割れる音と重なった。
神父は慌て、怪我人の有無を確認し、全員が無事であることを確
かめると、次に視線を入り口へ流すと、ホテルの入り口は完全にシ
ャンデリアの瓦礫で閉ざされてしまっていた。
仕掛けてきたか。神父は冷静に状況を判断した。
﹁どこでもいいですから開いている入り口を探してください﹂
呆然とする若者たちに指示する。
若者たちは一斉にその場から散り散りになり、フロントの裏、客
200
室乗務員出入り口、ロビーに隣接するレストランなど出られる場所、
逃げられる場所を探した。
が、どこもロックシステムが働き、ロビーは完全なる密室とされ
てしまった。
全員がロビーから出る方法を模索する中、ただ1人ソファの近く
で漠然とうな垂れていたメシア・クライストは、不意に背中に気配
を感じて振り返った。しかし後ろに人の姿はなく、周囲を見回すと
一緒に行動する連中は、出入り口を探して走り回っていた。誰も近
くに居るはずがない。
そう思い返し前に向き直った時、彼は自分に迫り来る真っ青な顔
を目撃した。
次の瞬間、四肢が痺れる感覚に襲われ、一気に意識が遠のいてい
く。その中で背中から冷たい水のような何かが自分の中に入り込ん
でくる感覚をおぼえた。
ENDLESS MYTH第2話−12へ続く
201
第2話ー12
12
異変に最初に気づいたのはジェフであった。投げやりな態度のメ
シアを妙に気にして、視界の端には常に入れていた彼が、ソファの
付近で呆然と立ち尽くしていたはずなのに、姿をけしていたのであ
った。
広いロビーを見回し青年の、力のない姿を探した。が、見当たら
ない。
﹁あいつは? いないぜ﹂
ようやくジェフは周囲へ異変を伝えた。
真っ先にロビーの中央へ駆け戻ったのは、エリザベスであった。
﹁メシア、メシアどこなの!﹂
黒髪を振り乱しながら周りを見渡す。が、メシアの姿は何処にも
見当たらない。
﹁トイレじゃねぇのか?﹂
取り乱す姉の様子を、からかう口調で弟は言う。
﹁馬鹿、メシアの状態を知ってるでしょ。何をするか分からないん
だから﹂
八方に散らばっていた一行は、エリザベスの周囲に集まった。
﹁最後に彼を見たのはいつです﹂
瞬間的に神父が聞く。
﹁さっきまではここに確かにいた。見てたから間違いない﹂
ジェフが気にしていただけあって、彼が消えたのがたった今だっ
たのを証言した。
﹁だったら近くに居るはずだ﹂
と言いつつ、異変は確実に生じていることを予測し、アサルトラ
202
イフルのロックをベアルドは外していた。
また変なこと考えなきゃいいが、とジェフはさっきのエレベータ
ールームでのやりとりを思い出していた。
その時、ジェフの視界が奪われた。気づかぬ内に眼前へ遮蔽物が
現れたからである。
﹁メシア・・・・・・﹂
そう、彼の視界を奪ったのはメシア本人であったのだ。けれども
足音もなく、誰に姿を見られることもなく急激に現出したメシアに、
首を傾げた。
安堵の吐息と心配させた彼の責任のなさに苛立ちがこみ上げたエ
リザベスが、もう、といった風に怒った様子で彼へ近づこうとする
と、ベアルドが凄まじい力でエリザベスの腕を引っ張った。思わず
転びそうになるほどの力だ。
﹁ジェフ君、メシアから離れるんだ!﹂
神父が叫んだ。
えっ? と神父の方に視線が移動した刹那に、ジェフは唐突に激
しい息苦しさを感じ、首に回った手の感触に驚いた。
メシアが両腕を伸ばしジェフの首を力任せに締め付けていたのだ。
声が出ず、喉が潰され、詰まった排水溝のような音を鳴らすジェ
フが、薄くなる視界に捕らえたのは、眼が落ちくぼみ、鉛色に変化
した、見る影もないメシアの別人のような、死人の顔であった。
﹁そうか、そういうことかよ﹂
ベアルド・ブルは自分たちがここに導かれた意味を納得した様子
で、薄く笑った。しかしその胸の中には、歴史の星空に浮かぶ2つ
の恒星が失われようとしている状況に、焦燥感を抱いていた。
﹁止めろ、止めるんだ﹂
巨漢のイ・ヴェンスが叫び筋肉質の腕をメシアの腕へ回す。が、
巨漢の腕に筋が浮き出すほどの力でも、腕を伸ばしたメシアを動か
すことはできなかった。明らかに人間の力ではない。
ニノラも応援に入り、2人でメシアの手をにて引く。
203
男が2人、しかも1人は筋肉質の大男であるのに、メシアの腕は
巨木に巻き付いたツタのように離れなかった。
このままではジェフの命が危うい。そう思ったベアルドは、ライ
フルの銃口をメシアに突きつけた。
﹁離れろ﹂
彼の指先は引き金を引いた。
ENDLESS MYTH第2話ー13へ続く
204
第2話−13
13
弾丸は発射された。銃口から噴き出された火花は数度にわたって
花びらを広げ、銃弾を放出した。
動線上にメシアの顔がある。ベアルド・ブルの新人が放つ弾丸に
しては性格に、メシアの額を捕らえ、このままでは間違いなくメシ
アの脳髄は弾け飛ぶ。
銃声が数度にわたってロビーに反響した時、エリザベスの悲鳴も
また、銃声とぶつかるように立ち上った。
気持ちを抑えることなく、メシアに向かう弾丸を、自らの能力、
稲妻を指先から放射し、鞭のように弾丸を叩き落とそうと、エリザ
ベスの指先は青白い閃光を一瞬帯びた。
が、彼女が能力を使うまでもなく、弾丸はメシアへは到達しなか
った。落ちくぼんだ瞼から2センチばかりのところで弾丸は、ゼリ
ーにでも食い込んだように中空で停止してしまったのである。まる
で何かの力に阻まれるように。
﹁やはりデーモンか!﹂
叫ぶベアルド。
﹁クハハハハハハ﹂
けたたましく背筋をかきむしるような笑いが周囲を渦巻く。誰が
笑っているのでも、声帯を震わせ声を発しているのでもない。誰で
もない何者かが発する、嫌味な笑い声であった。
﹁姿は現せというのは無理な話でしょうけれど、わたし達の救世主
を返していただけませんでしょうか﹂
妙に丁寧口調で言う神父は、胸の前で神父らしく十字をきる。
すると笑い声は途端に消えてしまい、メシアの身体に異変が起こ
205
った。むんずと捕まえていたジェフの首から手を離すなり、ジェフ
の腹部を蹴飛ばすと、そのまま壁際へ走り出し、壁をなんとそのま
ま走り登っていった。そして天井へ蜘蛛のようにへばりつくなり、
真っ青な顔はニタリと、まるで快楽殺人を犯した殺人鬼のような、
ゾッとする微笑みを浮かべる。
﹁なんなんだ、メシアはどうしちまったんだよ﹂
困惑するイラート。その手には自然と稲妻が握られている。能力
汎用性霊
を開放する時がきたのかもしれない、と心を身構えていたのだ。
と呼びます﹂
﹁アストラルソウルと我々は呼んでいますが、正確には
体
﹁なんだいそれは?﹂
倒れて、久しぶりの空気を肺に吸い込み、ようやく生き返った心
地のするジェフを引き起こすニノラが尋ねる。
天井を見上げ神父は眼鏡を指で押し上げた。
﹁簡単にいうと、人間を含めたすべての生命体が組み込まれた﹃因
果律﹄という籠の中で飛び回る鳥のようなものです。ですが、物理
空間、つまりこの世での行いが道を外れると、︻デーモン︼つまり
あのようになってしまいます。
聞いたことがあるでしょう、悪霊憑き、という言葉を﹂
咳き込み、首に青あざがクッキリと出ているジェフが、やっとの
ことでつぶれた喉から、しわがれ声をだした。
﹁メシアは取り憑かれたってことか﹂
神父は静かに頷いた。
誰も神父の言葉を咀嚼などできてはいない、だが、悪霊に取り憑
かれた事実だけは、メシアの姿を見て解釈していた。
﹁神父なのですから、悪霊を祓ってください﹂
面長の男は親友が天井をバタバタと這い回るの見上げ、冗談めい
てディンガー神父へ言い放った。
内心、彼はこの状況を楽しんでいた。救世主がこうしてデーモン
に取り憑かれ、天井を這い回るなど、実に滑稽な姿である。もし、
206
この場で自分の能力を使用し、メシアをハエ叩きで潰した風にでき
たとしたら、歴史どころかすべてが変わってしまう。自分の、この
手で何もかもを覆すことができるのだ。そう妄想するだけで、ファ
ン・ロッペンは身震いした。
と、その時である。ロビーのソファが急に光に覆われた。
今度はなんだ、と全員がソファの方角の目映い光源に視界を遮ら
れた。
﹁時代は正確なようですね﹂
光が消失し、視界にぼんやりと光に焼き付けられた残像を視界の
端によせながら、声の主を探した。
巫女のようにあでやかな袴。それに革鎧をまとった、不可思議な
アジア系女性が声の主であった。
光に空間がそぎ落とされたのか、ソファは光が放射された範囲、
形に切断されている。
女性と視線が合致したのは、マックス・ディンガーとベアルド・
ブルの2人だ。
﹁ソロモンの方ですね﹂
女性はそっと2人に尋ねる。しかし瞳から放射される輝きに油断
はなく、緊迫感が凝縮されている。
格好を見て女性を認識した刹那から、ベアルドは女性が何者なの
かすぐに把握し、アサルトライフルを構えた。
﹁KESYAの者か!﹂
叫ぶベアルドの警戒心は一気に上昇した。
それを冷静におさめるように、神父の手がライフルに乗り、銃口
を下げさせた。
﹁今は組織間の対立よりもこちらの方が先決です。貴女ならデーモ
ンを駆除できますね?﹂
女性を眺めた神父。
その視線を受け、彼女は天井を蠢くメシアの姿に視線の矢を突き
刺した。
207
ENDLESS MYTH第2話ー14へ続く
208
第2話ー14
14
天井を悠々と歩行するメシアの腕の一振りは、ホテルのロビーを
完全に破壊した。その一振りで、見えない爆風が鋼鉄製のホテルの
滑らかに湾曲した壁面内部から、爆発したようにへしゃげさせ、崩
壊へと導いたのである。
奮迅が周囲の視界を奪い去る中、ファン・ロッペンはじっくりと
周囲にテレパシーを放射した。
﹁救世主様がこれでは、物語も終わりだねぇ﹂
冗談めいた彼のテレパシーは、当然、超常的能力を持ち合わせた
若者たちにのみ響いていた。
彼は自らの周囲に不可視壁面を展開させ、爆風の瞬間も身を保護
していた。
﹁その口の悪さならば、無事な様子だな﹂
皮肉っぽくテレパシーが反響して返されてきた。ニノラの声色が
ファンの脳内に響く。
﹁ここで命絶えるようならば、運命を司る者として、物理空間へ移
動した意味がないのですからね﹂
ニタリと不気味な笑みをたたえた。
﹁生きているのであれば、全員、外へ出てここからの展開を楽しも
うではないか﹂
そういうと、爆風の中を瞬間的に移動した。まるで静止物が移動
物へ瞬間的に変異したような動きである。
ファンがホテルのロビーだった部分から外部へ向かって広がった
大きな穴を抜け出ると、すでに街の大通りにはファン以外の超常的
能力を保持した若者たちは、避難して並んでいた。
209
と、そこへ咳き込みながらベアルドが駆けだしてきて、続いて埃
が頭に積もった神父が軽く駆けだしてくる。
﹁全員、無事のようですね﹂
丸眼鏡を外し、眼を細めてピントを合わせながら全員の無事を確
認しつつ、眼鏡に着いた埃を袖口で拭き取った。それを再び顔へ戻
すと、エリザベスが少しすがりつくように神父へ尋ねた。
﹁メシアは?﹂
この問いに答えたのは、横で銃器がまだ使用可能かを確かめるベ
アルドだった。
﹁彼ならすでに戦いの渦中だ。これからデーモンを駆除して、彼を
救い出す﹂
そういうと、マガジンを再装填して、視線を街の空へ移動させた。
一行が彼の視線に促されるように、自らの視点も中空へもってい
くと、そこには2つの薄くぼんやりと暗がりに浮かぶ影があった。
メシアともう1つは巫女の格好をした女性である。
2人は街の上空に浮遊したまま静止して、直立しながら対峙して
いるのだ。
先に口を開いたのは、メシアに取り憑いたデーモンである。
﹁女を見ると妙に興奮する。ずいぶんとご無沙汰だからな﹂
そういうと股間を無造作に掴み、こねくりまわした。
その刹那、彼女の脳裡にビジョンが明滅した。少年の悲鳴、残忍
な殺害、そして人肉をむさぼる男の姿。
吐き気のするビジョンに女性は眉間の皺を寄せ、嫌悪感を剥き出
しに、メシアに取り憑いたデーモンを睨み付けた。
﹁ジェフリーって呼んでくれよ﹂
落ちくぼんだメシアの眼がニタリと笑った。
﹁殺人、死者への性的暴行、遺体損壊、食人。それではデーモンに
落ちても仕方ありませんし、この場で消えても文句はありませんね。
むしろ、ここで消えなさい!﹂
デーモンから送られてくる、人間界での蛮行を目の当たりにした
210
彼女の視線は、怒りに沸騰していた、
そして女性は人差し指と中指を顔の前で建てると、腕を一気に振
り上げる。その際、巫女の白い袖が大きく広がった。
するとメシアの周囲に光が複数現出するなり、それが人の形へと
変化していく。まるで彼を人間たちが輪になって囲んでいるようで
あった。
人の形が完全に形成あれると、彼女は懐から1枚の紙を抜き取り、
宙へ投げ上げた。細長い紙は中空を幾度も旋回してまるで生き物の
ように彼女の前へ舞い戻ると、文字のような物が墨で描かれた面を
メシアへ向けた。
﹁彼の肉体を離れ、真の姿を現しなさい!﹂
鞭のように彼女は叫ぶ。
するとメシアを取り囲んだ複数の人型の腕が樹木のように伸び、
彼の四肢を掴んだ。と、次の瞬間に、糸の切れた人形の如くメシア
の肉体は地上へと落下したではないか。
捕まれて残されたのは、半透明の醜い人型の、獣のような顔をし
た、形容しがたい物体、ともつかない何かであった。
﹁こんなことで俺を捕まえたつもりか?﹂
ガラガラという声の中に、辛うじてそう喋っていることを聴き取
った彼女。
逃げる、と思った時には、眼前の紙、札が発火して消滅してしま
い、デーモンを縛る人型も光となって再び消失してしまった。
ENDLESS MYTH第2話ー15へ続く
211
第2話ー15
15
埃のの煙が沈静化したホテルのロビーだった瓦礫の山の中から、
命を拾ったように這い出てきたのは、ジェフ・アーガーであった。
爆風が起こった瞬間、偶然にも床が崩れ、丁度、彼1人が隠れら
れるシェルターを形成、上に瓦礫が落下することもなく、身を護る
ことに成功していた。
1人、遅れてホテル外へ駆け足で出た時、一緒に行動を共にする
者たちがステーションの、天井と呼ぶにはあまりに高い上空を見上
げていたので、つられ見上げて見ると、光の人型が複数、メシアを
囲み腕を伸ばしているところだった。
と、メシアは不意に力が抜けたように、彼の肉体だけ重力が変化
したかのように、落下した。
これを目撃したジェフは、担いでいたアサルトライフルを放り投
げ、気づくと身体が勝手に走り出し、落下してくるメシアの直下へ
滑り込むよう入り込むと、両腕を広げた。
成人男性が数十メートル上空から落下するのである。地上と同様
の重力設定となっているステーション内。ジェフが受け止めて2人
とも無事であるはずはなく、誰が考えても無謀な行為だった。
けれども命を落とそうとしている人物を目の前にして、ジェフは
黙ってはいられなかった。
みるみるメシアの背中は大きく、ジェフへ接近してくる。
と、次の瞬間、ジェフは不可思議な現象を目撃した。メシアの肉
体が微量の輝きを放ったとみるなり、落下速度が急速に低下、ジェ
フの腕の中に入る頃には、まるで落ちる鳥の羽のように、フワリ、
フワリと捕まえるのに何ら苦労しない速度となっていた。
212
光が沈静化すると、メシアの肉体はジェフの腕の中にしっかりと
収まった。
自分は今、何をみたんだ? ここ数時間、不可思議な事ばかりが
おこり、ジェフ・アーガーの頭は混乱した。
そしてメシアという人物がなんなのか、気を失っている彼の顔を
のぞき込むのであった。
デーモンの動きは活発になる。
醜い半透明のぶったいは、次第にその色を黒く染め、形も歪んで
いく。やがて形は完全に崩壊するとまるで黒煙のように空中へ拡散、
拡大していった。
﹁本来の姿となりましたね﹂
アストラルソウル、汎用性霊体には本来、固有の形は存在しない。
そもそも物質ではないのだから。生命体となる場合は、その固有振
動数を低く保ち、物体化する。つまりアストラルソウルは生物には
計測できない振動を行っているその振動数を低下させることで、物
質として素粒子、あるいは超紐理論などで提唱される物質の最小単
位を発生させる。そうして物理世界へ誕生することを可能とする。
けれども本来は形がなく、可視するのも不可能である。デーモン
とはアストラルソウルから墜ちた存在であるから、本来はこうして
現実世界に在ることはできないのだが、無理矢理に自然界の摂理を
変化させ、自らを存在させているからこそ、黒煙のように人間の肉
感に反映されていた。
KEJYAの娘は再び白い巫女姿の懐から札を1枚抜き取ると、
またしても宙へそれを放り投げた。
すると今度は札から炎が噴出するなりみるみる巨大化すると、瞬
く間にそれが実体化した。まるで炎がそのまま固まったかのように
尖った鱗を数多備えた龍が彼女を中心にとぐろをまいていたのであ
る。
﹁お前の柔らかい肌を食いちぎり、陵辱を楽しむぞ﹂
213
言葉というよりテレパシーに近い、彼女にしか聞こえない声でデ
ーモンは叫ぶと、黒煙は彼女めがけて突進を開始した。
意思を持った気体とは不気味である。立ち上ることしかないもの
が、意思を持ち、自在に移動するのだから。
迫る黒煙の渦を前に、凜然と胸を張る彼女は、人差し指と中指を
顔の前で立てるなり、瞬時に指先を黒煙へと、切っ先を向けるよう
に突きつけた。
それを合図に龍は牙を剥きだし、黒煙へと迫ったのである。
龍と黒煙は2匹の蛇が絡み合うかの如く、中空でもんどり打ち、
龍の鱗がきしみ、ひび割れる鈍い音が小さい街に、幾度も響き渡っ
た。
﹁龍なんて、嘘だろ!﹂
地上でこの様子を眺めていた一行の中で、イラート・ガハノフが
興奮気味に叫んだ。それは台風を前にした少年の興奮に似ていた。
﹁龍に見えているだけですよ﹂
冷静に状況を分析したのは、マックス・ディンガー神父である。
﹁龍に見えるのは、彼女の意思が具現化したものに過ぎません。あ
そこで行われているのは、エネルギー体同士の衝突です。勝敗は両
者の精神力で決まるのです。彼女の精神力が強いのか、デーモンの
邪念が強固なのか。どちらかが怯んだ瞬間、勝敗は瞬間的に決定す
るはずです﹂
と、彼の言葉を実現するかのように、あっけなく勝敗は眼前で決
定した。
龍は黒煙から抜け出すなりその細長い肉体から光を照射する。
これを浴びた黒煙は、炎に焼かれるかの如く苦しむように、消え
ていくのであった。
彼女に言葉はなく、またデーモンにも言葉はない。
ただ勝敗を決した彼女の周囲に再びとぐろを巻いた龍は、役目を
終えたことを自ら認識して、ゆっくりと透明になりやがて姿を消し
214
たのだった。
﹁デーモンはどうなったの?﹂
マキナが神父の横で小さく呟く。
﹁消えたのです。アストラルソウルから墜ちたデーモンとは、生命
の元とも言える、因果律を行き来するもの。消えてしまえば、転生
も誕生もありません。本当の意味の死なのです﹂
一行の前で行われたのは、人智を越えた出来事。物理空間の外側
の話なのだ。
ENDLESS MYTH第2話ー16へ続く
215
第2話−16
16
瞼が開くとジェフ・アーガーのホッとした様子の顔が見えていた。
メシア・クライストは不思議と彼が助けてくれたことを認識して、
無意識にことばをついた。
﹁ありがとう、助けてくれたんだろ﹂
あの悪夢の中、身体をがんじがらめにされて柱にくくりつけられ
たような潜在意識で、彼は客観的に呪われた自分が見えていた気が
した。そして開放された時、受け止めてくれようとしたジェフのこ
とも、見ていたように思えた。
夢だったのか、現実だったのかメシア自身にも判断はつかない。
けれども、ジェフがこうして抱きかかえていることだけは紛れもな
く、真実であり現実なのだ。
﹁手を逃せば助けられるのに、放っておく人間なんかいないよ。あ
んたが目の前で苦しんでる、だから僕は手を伸ばしただけの話だよ﹂
と言いメシアを立たせた。
デーモンに取り憑かれていたにしては、平然とした顔をしていた。
﹁身体的に問題はなさそうですが、今だけかもしれません。何かあ
ったらすぐに言ってください﹂
心配した様子で神父が彼に言いながら歩いてくる。
一行もメシアの元へ歩み寄り、脅威が去った安堵感の表情をして
いる者もいた。
するとそこに風が吹き、紅の巫女の袴がゆっくりと着地した。
﹁おかげで助かりました。現状、ソロモンの支援でデーモンと戦う
のは不利でしたからね﹂
素直に頭を下げる神父。
216
これには彼女も驚いた様子で眼を丸くした。
﹁いいえ。これも私の仕事ですので﹂
恐縮したように言うと、改めて背筋を伸ばした彼女は自己紹介を
した。
﹁私はKESYAより光栄なる任務に任命されました、ポリオン・
タリーと申します﹂
と、メシアへ向き直る頭を深々と下げた。さながら神社にお参り
する巫女そのものである。
﹁お会いできまして光栄に存じます。貴方さまを命の限り、お守り
いたします﹂
突然、頭を下げて自覚のない事柄を口走られたメシアは、呆然と、
はぁ、と口にするしかなかった。
﹁挨拶はそこまでだ。あんたも気づいてると思うが、浸食は深刻な
レベルにまで達してる﹂
アサルトライフルを肩に担ぎ、少し乱暴に言葉を発したのはベア
ルド・ブルだ。彼はソロモンの人間としてどうしてもKESYAの
人間を毛嫌いする習性を隠しきれないで居た。
これに対応するように彼女もまた、無愛想に頷いた。
神父が街の端、街を囲むステーションの壁面を、眼を細めて注視
すると、粘液に覆われた内蔵の内側のような不気味な肉のツタが、
壁に生えていた。
デヴィルズチルドレンの浸食は予想以上に速いようですね。心中
で1人呟いた神父は、次に視線を下ろしたのはジェフの顔だった。
﹁ここを離れましょう。工業区画へ行き方をご存じですか?
神父はステーションの円盤のもう一つ、工業区画への避難を提案
した。が、状況は分からない。もしかするとこちらの区画よりも状
況はひどい可能性もある。それでも動いていなければ、再び運命の
救世主を危険にさらしてしまう可能性があり、賭けをするしかなか
ったのだ。
ジェフは頷き、一行は彼の後を追った。
217
ENDLESS MYTH第2話−17へ続く
218
第2話ー17
17
漆黒が覆い尽くす闇の中、スポットライトが1人の男の姿を浮か
び上がらせた。黒いレザーコートをまとい、地球でメシアたちを急
襲したデヴィル、アモンの姿である。
彼は漆黒の中を少し見回し、声を反響させた。
﹁片付けってのは、素早くやるものと決まってると思ってが、犬っ
ころを生かしているのは、あんたの差し金だろ?﹂
スポットライトがもう一筋、漆黒に筋を描き、スラリとした男が
現れた。
蛇側のパンツを身につけ、上半身には黒いワイシャツを着ている。
しかしボタンはとめず、その細い筋肉質の肉体が露わになっていた。
先の尖ったブーツで1歩ずつ、アモンへと近づいてくる。
﹁複数の少年を殺害した後に遺体を犯して食人した経緯で死刑とな
った男。デーモンの素性は見事な経歴だったのですがね。しかし所
詮は布石でしかありませんでしたから、結果は満足するものになっ
たはずですが?
君こそ犬の王様を逃がしたではありませんか﹂
ニタリと笑う男。
ばつが悪そうに腕組みするアモンはそれをポケットへ突っ込んだ。
﹁結局、遊びなんだよ。今までも、これからもな﹂
すると今度は別の方角から声色が響いた。漆黒は一言が妙に反響
する世界であった。
﹁お二人ともこれを遊びとは、美しくありませんねぇ。もっと優雅
に、大人の遊びをいたしませんと、面白くないではありませんか﹂
アモンともう1人、アイニは互いの顔を見やり、嫌気のさした顔
219
をした。
悠久の時の中で互いを信頼するなどという気持ちの欠片もない彼
ら。その中でももっとも信用のおけないデヴィルの登場に、2匹の
デヴィルは嫌悪感を抱いたのである。
スポットライトのような光が灯り、ベリアルは姿を露わにした。
肉体は人間なれど背後に黒い物体を備えている。翼だ。
﹁ブラフマーとの戦いに決着はついたのかい?﹂
と聞くアイニの声色もまた変化した。
アモンは心中で、人格がまた変わったか、と呟いた。
確かにさっきまでの青年の声色とは異なり、少年の甲高い声にな
っていた。
﹁素足で糞を踏むような戦いなど、私は興味ありません。勝敗など
は女の唇を舌で舐めるほども甘美ではないのですから、聞くだけ無
粋ではありませんか﹂
不機嫌なのは口調で理解できたが、やはりこのデヴィルの言い回
しには腹立たしさしか感じられなかった。
﹁ほ、他の人は、ど、どうしたんですか?﹂
またアイニの人格は変化したらしく、声色に今度はおどおどとし
た自信のない調子が出てきた。
﹁アスモデウスはメタルスペースで今もこつこつと宇宙を改造して
んだろうさ。ビヒモス、リヴァイアサンは相変わらずだろうぜ。ど
うせ宇宙を一千兆も二千兆も破壊して喰ってるんだろうさ。あいつ
等は破壊することしかしらねぇからな﹂
﹁意思は届いておる。姿を見せることが必ずしも談合ではない﹂
声色が先に荘厳さを響かせた。
硬い奴が来たか、とアモンは心中で思った。
するとスポットライトが再び閃光を一閃させ、彫刻のような肉体
美を備えた男が現出した。一糸まとわないその肉体美にはベリアル
もうっとりとしてしまった。
ただ本人はこうしてホモサピエンスとして姿を現し、物理空間に
220
存在するのを、激しく嫌っていた。
﹁アイニ、デーモンを使用するのは面白い考えであったが、いささ
か遊びが過ぎたな。我らが玩具を破壊されては困るのだぞ。覚醒ま
でまだ時間がかかる。今、壊れてもらってはこれまでの戦、気泡と
なってしまうぞ﹂
厳しい言葉を投げかけるのばベルゼバブであった。
﹁そんな言い方ないじゃない。わたしだって一生懸命なのよ。それ
に遊びって言ってるけど、覚醒しちゃったら、わたしたちが不利に
なっちゃうんじゃないの?﹂
口調と声色が女に今度は変化した。アイニの人格には女性も含ま
れているのだ。
と、ベリアルの羽根が微動すると、嫌味な口調が空間に響いた。
﹁女の腹に針を突き刺すほどの快楽を、無にされては困りますねぇ﹂
宿命の子
等の戦に入る。そこで覚醒が待っ
それを無視するかのように、ベルゼバブは3人の独特の顔を見回
した。
﹁犬の王はこれより
ているであろう。他の犬共を牽制しつつ。犬の王の覚醒を待って、
歯車を動かさなければ鳴らぬ。アモン、お主が先方を務めることと
なる。分かっていような﹂
厳格なる瞳は鋭くアモンを見やった。
幾千、幾億、幾千兆の時を共に過ごしたとろこで、ベルゼバブの
この瞳には、常に背筋が凍る思いをさせられる。
﹁ああ、分かってるさ。技量を確かめるよ﹂
ベルゼバブはそれを聞くなりゆっくりと頷き、スポットライトの
ような光は、ブレーカーが落ちるように瞬間的に消え、ベルゼバブ
の姿もまた消滅した。
続くように、ベリアル、アイニもまた姿を消失したのだった。
最後に残ったアモンは、静かに喉を鳴らした。自らが担った役割
の重みを、実感していたのである。
221
瞼を開くとそこは火山の火口のすぐ横である、生命体ならば間違
いなく焼けているほどの高温の中を、平然と溶岩の粒が沈殿した砂
利の上に片足を立てて座っていた。
意識だけの談合が終了すると、アモンはゆっくりと立ち上がった。
と、同時に眼前の火口からマグマの激しい噴射が起こった。凄まじ
い爆発は炎の柱を天空の雲まで立ち上がった。
﹁我らはこれよりいずこへ﹂
アモンの背後で声がするなり、黒い影がニュルリと立ち上がった。
人の形をしているが黒く毒々しく、明らかに人ではない。
﹁犬を追う。覚醒の時を待って襲撃だ﹂
﹁承知いたしました﹂
黒い人型はそう言うなり、ゆっくりと地面へしみこむように消え
ていった。
そして火山から地上を見下ろし、幾つも立ち上るキノコ雲を見な
がら、人類が繁栄を気づいた地球の地獄を見渡して呟くのだった。
﹁これからだ。物語りはこれから始まる・・・・・・﹂
ENDLESS MYTH第2話−18へ続く
222
第2話ー18
18
居住、宿泊区画からの移動がここまで大変だと誰が予想したであ
ろうか。エレベータールームの作動システムが完全にダウンしてし
まい、移動手段を検討した結果、連絡通路への梯子の移動が最善の
方法だと結論が出て、一行はメンテナンス作業員専用の分厚い鋼鉄
の扉のレバーを手動で回し、壁へ入り込んでいるロック棒を扉の中
へ収納すると、イ・ヴェンスの怪力で扉を開き、窓のない鋼鉄製の、
四隅が丸く滑らかになった対路を進んだ。
そこから数分進んだところに梯子があり、それを登ると、従業員
専用のフロアへ到着した。
メンテナンス作業員たちも、緊急用に使用するルートだけあって、
ステーションの避難訓練以外でこうして使用されるのは初めてであ
ったらしく、梯子を登り切った先の鋼鉄版のハッチは、まだ真新し
かった。
従業員フロアには、居住、宿泊区画の都市を制御するブースが中
央に配置され、その周囲を各部署の事務室が円を描くように配置さ
れていた。
制御ブースの周囲を回る円形状の通路へ出たベアルド・ブルは、
そのまま制御ブースへむかった。アクリル板の自動ドアは手動で開
くことが可能であった。
中に入ってすぐ、掌を端末にかざし、ソロモンの技術力でハッキ
ングを試みた。ステーションのシステムにハッキングできれば、動
きが有利になると考えたのである。が、システムが動いていなけれ
ばハッキングどころではなく、完全に停止したシステムをいくらハ
ッキングしようとしても、水のない河では泳ぎようがない。
223
戻ると神父に首を横に振って、無理だったことを示す。
﹁ここの電源ユニットは何処ですか?﹂
ジェフ・アーガーに視線が注がれる。
アルバイトとしてステーションで働いていただけの人間が、ステ
ーションの構造を熟知していること自体が不可思議なことであって、
ここまで一行を案内するのが精一杯だった彼の視線は、中空を流れ
た。バイトの中での会話を必死に思い出し、ステーション内部の説
明をされた時のことを脳裡に走らせた。
﹁確か製造区画の方だったと思います。連絡通路で電源が供給され
ているはずですから、向こう側がシャットダウンしていれば、こち
ら側にも電気がこないはずです﹂
本来は電源が供給されなくとも、独自の発電システムが準備され
ているはずである。それが稼働していないのは、意図があってのこ
とであり、これもまた誘導されている悪臭して、神父は多少嫌悪感
に陥った。
判断は彼の一存で行われる。どうするべきか。
﹁とにかく移動しましょう。ここに居てもさっきのようなことがま
た起きては、今度こそ危険です﹂
とメシア・クライストの顔を見るファン・ロッペン。
﹁そうだな、こいつも自分であるけるようになったしな﹂
そう言い、メシアの背中を強めに叩くのはジェフである。
デーモンに取り憑かれた事が一種のショック療法だったのか、落
ち込んで、世界が暗闇に包まれていたメシアの世界に、少しではあ
るが光が戻っていた。
この心境の変化はジェフの影響でもあった。初めてあったばかり
の人間をこうして救おうとする男を前に、自然と彼の気持ちの重り
が、溶けたような気分であったのだ。
妙に説得力のあるファンの言葉を耳にした神父は頷き、連絡通路
へ向かうことを決定した。
224
従業員フロアからエレベーターで下りればすぐの場所にある連絡
通路も、エレベーターが稼働していない今では、階段を使用するし
かなく、連絡通路フロアに到着した時には、例の如くジェイミーの
甲高い声が弱音を吐いていた。
﹁何処まで歩かせるつもりなのよ!﹂
不機嫌に頬を膨らませる彼女を尻目に、イ・ヴェンスが苛立った
様子で口を開いた。
﹁死にたくないだろう。口を閉じて歩け﹂
﹁なによ、偉そうに。あたしは女性なのよ。もっと丁寧に扱いなさ
いよね﹂
その甲高い声が巨大な連絡通路へと響き渡った。
連絡通路と言っても、地下鉄のトンネルほどもある巨大な通路で
あり、そこを移動するのはリニアモーターカーである。一行が下り
た先には地下鉄のホームの如きフロアが広がり、その眼前にリニア
モーターカーが横付けされていた。
この光景にニノラは嫌な考えが浮かんだ。
﹁電源が入っていないってことは、これも動かないってことだよな﹂
リニアモーターカーは電磁石の磁気によって浮上しながら移動す
る。電磁石は電気がなければ効果を発揮しない。
案の定、ベアルドがリニアモーターカーを調べたが、やはり電源
は供給されていなかった。
ここを歩いて渡っていくしかない。誰が言わなくともそれはすぐ
に全員の脳内で察しが付いた。
フロアには通常、案内板がホログラムとして出現しているのだが、
電源がなければホログラムシステムも作動していない。
神父は距離に関してジェフへ質問するも、流石にそこまでジェフ
も覚えてはいなかった。
﹁お姉ちゃんさぁ、さっきの龍をまた出して、乗せてってよ﹂
凜と立ち、周囲のやりとりを黙然と見ているポリオン・タリーへ、
ぶしつけにイラート・ガハノフが話しかけた。
225
顔は冷静に無表情だったが、心中は憤慨していた。が、訓練でそ
れを表へ出すことを禁じられてきたKESYAの彼女は、淡々とイ
ラートの提案を否定した。
﹁あれは乗り物ではありません。安易に人前で披露すること自体、
戒律で禁止されているのです﹂
これまでに出会ったことのない感覚の女性を前に、イラートはチ
ェッと言いたげに彼女のそばを離れていった。
﹁馬鹿なことばかり言ってないで、行くよ﹂
すでにベアルドはトンネル内部へと下りて行っていた。
と、それを静止する声をジェフが咄嗟にはき出す。
﹁忘れてた。連絡通路を徒歩で移動する時は、必ず宇宙服を装着し
てください。連絡通路内は気圧が変化しやすい構造になっているの
で﹂
ここにきて、彼のバイト時代の記憶が役立った。
気圧の変化がある場所へ生身で向かおうとした危険性を、ベアル
ドはよく知っていた。
﹁それを速く言え﹂
一行は再び従業員フロアへ戻ると宇宙服を装着、トンネルの暗闇
へと装備品のライトを点灯させ、脚を踏み入れたのだった。
ENDLESS MYTH第2話ー19へ続く
226
第2話ー19
19
トンネル内部のエナメルのように光沢のある金属製の壁面は、嘘
のように錆びが溢れ、宇宙服のバイザーに水滴が付着するほどの湿
度であった。
それでなくとも化学繊維を幾重にも重ねた宇宙服の重さは、12
0キロから近年、軽量化されたとは言え50キロを越える重さは変
わらず、女性陣の呼吸は荒く、常にオープンにしていた無線からは、
辛い息づかいが聞こえてきていた。
﹁少し休もう。向こう側に着くまでまだ距離がありそうだ﹂
ベアルドが肩に装着されたサーチライトで先を照らすも、暗闇の
向こう側に見えるものはなにもなく、闇が光を急襲しているようだ。
リニアモーターカーが移動する溝の出っ張りに腰掛けた若者たち
の息づかいは、呼吸困難に近かった。従って誰も口を開く者はいな
い。
﹁待ち伏せには絶好の場所ですよ。いっそ、外へ出てトンネルの外
壁を移動するのはどうですか? 奴らも宇宙空間を移動するとは考
えていないでしょう?﹂
神父にベアルドが提案する。
しかし神父は首を横に振る。ヘルメットの中で。
﹁奴らはかしこい。中を進もうと、外へ出ようと結果は同じです。
この先できっと待ち受けているはずです﹂
神父の覚悟は変わらない、援軍が来るまで、耐えしのぐしかない
のだ。
この時、息づかいの荒いジェフが横に同じく肩で息をするメシア
へ尋ねた。
227
﹁お前、家族は?﹂
過呼吸に近い息づかいの中、メシアはヘルメットの中で首を振る。
﹁そんなの、居ないさ。ずっと昔から﹂
と、ジェフは宇宙服の外側に設置されたポケットから、スマート
フォンを取り出す。もちろん圏外のまま、反応は一切皆無のままだ。
﹁僕には家族がロンドンに居るんだ。裕福じゃないけど、そんな家
で大学まで行かせてくれた親父を尊敬してる。いつも相談にのって
くれたお袋にも感謝してんだ。・・・・・・でもなぁ﹂
急にジェフの声が震えだした。
﹁あんたたち、どうしてそうして平然として居られるんだよ。家族
が居なくなって、大切な人を失って、こんな訳の分からないことば
っかり起きて。
さっきの龍は? デーモンってなんなんだよ!﹂
心のたがが外れたとでもいうのか、ジェフの感情は濁流となって
あふれ出してきた。
﹁メシアみたいに、あんたたちにも大切な人が居たんだろ? なん
で平然としてられるんだよ!﹂
無線は全員にオープンになっているから、全員がジェフの顔に視
線を浴びせた。
バイザーに付着した水滴が声で振動していた。
﹁あまり興奮するな。酸素カプセルが早くなくなるぞ﹂
冷静に言ったのは、ショットガンを装備していたニノラである。
武器の無意味さはここまでの道すがら理解してはいたが、万が一
のためにここまで装備してきていた。
ニノラの黒い顔をキッと睨み付け、ジェフが叫ぶ。
﹁あんた、家族はいないのかよ!﹂
そう叫んだ時である、錆びつくはずのない金属製のトンネルの錆
び染みが徐々にその版図を拡大していき、湿度も上昇しているらし
く、化学繊維の宇宙服が妙に重たくなってきた。
ベアルド、神父、ニノラ、イ・ヴェンスの4名は自らが選んだ武
228
器を構え、異変に対処しようとした。が、異変が起こる速度があま
りに俊敏すぎた。
動物のあばら骨のような物がトンネルの下方から上方へ這い上が
り、さらにそれを大腸のような肉のツタが這い広がっていく。
それを覆い尽くすかのように、粘度の高い液体が上方から雨のよ
うに溢れ始め、見る間にそこは内蔵の中のように不気味な空間への
変化した。
怒りに震えるジェフも流石に絶句し、自ら構えるアサルトライフ
ルをお守りのように握り占めた。
するとこの異空間の奥、暗闇の彼方から何かが迫ってくる音が聞
こえた。まるでウナギ無数にうねっているような、粘度質の音だ。
それが少しずつ近づいてくるのが聞こえ、一行は後ずさりする。
そして音の正体が眼前に現れた時、誰もが死の崖に立ったことを
理解した。
形容しがたい姿を敢えて形容するのであれば、ミミズ。しかもト
ンネルいっぱいの太さのある、巨大なミミズが彼らへ特急列車のよ
うに接近してくるなり、先端が3つにひび割れ、大きく開いた。そ
の開く顎の力が強すぎたせいで、浸食した得体の知れない浸食物が
押しつぶされ、錆びたトンネルが外側へ大きくへこんだ。
割れた顎の先端には巨体のイ・ヴェンスをも越えるほどの牙が幾
十も突き出し、体液で濡れ光っていた。そしてまた獣の咆哮として
高々と張り上げる叫びと共に放たれる口臭は、腐った鶏肉のようで
あった。密閉されているはずの宇宙服内部にもそれは入り込み、一
行を苦々しい表情とした。
銃撃するベアルド、神父、ニノラ、イ・ヴェンスの4名。
背後に逃げる他の者たち。
ジェフは銃器を所持しながら、逃げる事しかできなかった。
銃弾は巨大ミミズの口腔内に命中し、紫色の体液が飛び散る。が、
打撃と呼べるほどの効力は微塵もなく、大きく開いた口は、凄まじ
い風圧で閉じられ、巨大な木槌を打ち付けたような、音がトンネル
229
を振動させた。
風圧で倒れてしまう銃撃していた4名。
その時、ベアルドは次に起こる事態を察したのだろう、
﹁全員、無重力に備えろ!﹂
と叫んだ。
次の刹那、再度、顎を広げたミミズの化け物。その衝撃で1度外
側へへこんでいた鋼鉄のトンネルが弾け、トンネルは外側との気圧
差で、外側へと空気が吸い出されていった。
これに抗える人間は1人たりとも存在せず、一行は宇宙空間へと
放り投げられてしまった。
ENDLESS MYTH第2話ー20へ続く
230
第2話ー20
20
胃袋や内臓が中空に浮き上がってくるような感覚を、メシアは初
めて体感したわけではないが、何度体験してもこの感じには違和感
以外は感じられなかった。
四散したトンネルの破片と肉の破片、得体の知れないヌメヌメと
したものが宇宙空間に広がる中、眼前に高速で迫る鋼鉄版をかいく
ぐり、周囲を見回した。行動を共にしている連中が無事かと確かめ
たのである。
ここ数時間しか行動を共にしていないジェフのことすらも、彼は
気に掛けていた。
慣性の法則で発射と同じ速度を保ちつつ、あらゆる破片が飛び散
る中、トンネルから這い出てきたミミズの化け物は、その体液で濡
れ他肉体を一回転させてくねらせると、宇宙空間へ咆哮を発した。
﹁あいつ、無重力でも生きられるのかよ!﹂
驚きながらも、どこか興奮気味なのは、イラートだ。全員の無線
に彼の興奮度合いが反響していた。
﹁無事な者はジェットパックを使って、製造区画へ自力で移動しろ。
もしもの事があっても消して救出には行くな。自分の命を守ること
だけを最優先に考えろ﹂
雑音の入る無線機からベアルドの厳しい声が飛んだ。
ステーションへ侵入した際に宣言した通り、自分の身を護るのは
自分しかおらず、他人に関与していては、生きていけない。ベアル
ドの言葉通り、生きている人間たちは、全員、四散する瓦礫の中を、
背中に背負ったジェットパックのスイッチを入れ、エア噴射を使用
して飛行を開始した。
231
メシアもベルトに装着しているジェットパックの操縦スティック
を外し、トリガーを握った。すると背中から軽く前へ押し出す衝撃
を受け、身体が自然と前へと移動を開始した。
が、前進する方向には多くの瓦礫、何か分からない赤黒い物体な
どが漂い、破片同士が衝突して、いつ自らの方向へ高速で迫り来る
か分かったものではなかった。
眼前から迫る瓦礫、異物は直線的に移動するので、予測ができ、
スティックの操作スイッチを駆使して避けることは可能であった。
巨大な円盤型の製造区画まで、目測では1キロを切っていた。
もう少し。メシアがそう心中で呟いた瞬間、無線機から割れる叫
び声が彼に向かって響いた。
﹁避けろ!﹂
見づらいヘルメットを必死に左右へ移動させて、何が起こったの
か確認しようとした時、右側から激しい衝撃を受け、メシアの身体
は十数メートル移動した。
エアを噴射して移動を静止させ、改めて状況を確認するメシア。
彼の身体を抱きかかえていたのはジェフであった。
するとジェフの後ろ側を赤黒い20メートルはあるであろう肉の
塊のような、何か、が高速で飛んでいくのであった。
﹁ありがとう、助かったよ﹂
額の汗が流れ落ちるのを感じながらも、拭うことのできないメシ
アが、引きつった笑顔でジェフを見た。
しかしシェフの視線は別の方向を眺めている。まるで大切な物を
失っていくような瞳をしていた。
メシアも彼の見る方角に視線をスライドさせると、未だ核兵器の
光とハリケーンの雲と火山の赤い粉塵に包まれ、崩壊しつつある地
球の姿があった。
﹁・・・・・・﹂
言葉はジェフになかった。ただ本当に自らの故郷と家族が失われ
ている事実だけを見つめるのだった。
232
﹁行こう。製造区画はもうすぐだ﹂
ジェフの肩に力なく分厚い化学繊維の手袋で包まれた手を乗せる
メシアも、マリアを失ったあの瞬間を思い出し、胸の奥に針を突き
刺した思いがした。
が、彼らを見逃すほどミミズの化け物は容赦しなかった。
運命を司る2人が揃った瞬間を待っていたかのように、ミミズの
化け物は巣穴から出るように、宇宙空間にうねりながら高速で這い
出てくると、3つの顎を広げ彼らへと牙を剥きだし突進した。
宇宙空間を移動する原理は不明だが、異形の生物は宇宙空間で死
滅することはなかった。
化け物の巨体が移動したことに気づかぬはずはなく、いち早く気
づいたベアルドがライフルを構え、トリガーを引いて弾丸を乱射し
た。身体が銃の反動で移動してしまい、照準がうまく定まらない。
﹁逃げろ!﹂
右腕を力任せに振り、逃げろと叫ぶが明白に彼らの死は避けられ
ないように見えた。
が、彼らは死の淵で救われた。迫ってきたミミズの化け物が突如
として内部から、沸騰するかのようにヌラヌラとした皮膚を膨らま
せ、内蔵から爆発を起こしたのである。
身体をちぢこめたメシア、ジェフの周囲をバラバラになった牙が
飛び散っていく。
何が起こったのか、肉片の埃の中で茫乎とする2人。
﹁ぐずぐずするな、行くぞ﹂
と、ニノラの声色が2人を誘導する。
黒人青年は彼らより数十メートル先に居たが、その横には巨体の
イ・ヴェンスが掌を2人の方にかざしていた。アジア系の巨体の彼
の能力、熱エネルギーを操る超常的力で、2人は救われたのである。
この光景を斜め上方からニタリと笑いながら見ている視線があっ
た。面長の長身男は、横に居るエリザベス・ガハノフへとニタニタ
としならが目線を送った。
233
﹁良かったですねぇ、愛しい人が無事で﹂
嫌味なのは分かっていた。だから彼女は無視をした。だが、本心
はファン・ロッペンが言い放ったことが図星であったのだ。
ENDLESS MYTH第2話−21へ続く
234
第2話ー21
21
円盤型の構造物の外壁に取りついた時、一行の酸素残量は残り僅
かとなっていた。戦闘で酸素を急激に使用したせいもあった。
腕に装着したメーターの酸素残量メーターが赤いラインに達し、
危険水域なのを装着者に伝えていた。
イ・ヴェンスが取りついた壁面に丁度、扉がありそこから内部へ
侵入できるようになっていた。幸い、扉はレバーを右側に回転させ
ればロックが外れる仕組みになっており、重たい扉を開けると、全
員が中へ殺到した。
が、そこからが大変であった。自動のエアロックは電源システム
のシャットダウンで使用できず、1度、エアロックの小部屋へ入り、
アクリルの扉を閉めてから、内部の扉を開かなければ、気圧で彼ら
は再び宇宙空間へ吸い出されてしまう。
そうした面倒な手間を掛けてようやく、彼らは製造区画へ侵入し、
暑苦しい宇宙服の圧迫感から解放されることができた。
だが、宇宙服を脱いだところで、その場の空気が湿っぽく、身体
にへばり付くのがとれないことに、全員が嫌悪感を抱いた。
﹁日本の夏がこんな感じだったことを思い出す﹂
と、ファン・ロッペンが上着の袖を肘まで引き上げた。
﹁なんなのこの湿気は。ちょっと、何とかしてよ﹂
ジェイミーが相変わらずの無茶な言動を投げかける。
﹁電源入れて、施設全部の空調を動かせってかぁ。お姫様にも困っ
たものだぜ﹂
呆れたようにイラートが言う。
けれども高湿度の原因を空調だけのせいでないことを、ソロモン
235
の2人とKESYAの女性は理解していた。
﹁この区画は浸食がひどいようですね。ここへ来たのが間違いだっ
たのではありませんか?﹂
冷静に神父の判断を否定する巫女姿の女性。
組織が違うので上官でもなければ、宗教上のつながりもなく、平
然と彼を否定できた。
﹁援軍が来るまではここにいるしかありません。向こう側へ戻るに
も、通路は遮断されてしまいました。
神父は彼女に覚悟を求めた。
﹁もう1つの通路があるではありませんか。トンネルは2本あるは
ずです﹂
それでも食い下がる彼女。
と、その時の事だ、微動の振動が彼らの足下から突き上げてきた。
訝しく思った全員。と、彼らが外部から侵入した場所はメンテナ
ンスを行う技師たちの格納庫となっており、1つだけ窓が外側へ向
かって開いていた。
近くに居たマキナが分厚い、四隅が丸くなった四角い窓に丸顔を
近づけると、残されていた連絡通路が黒煙を上げ、真っ二つに引き
されてた光景が眼に飛び込んできた。
それを背後で見たベアルドは、アサルトライフルを床に無造作に
捨て、弾切れを示すと、脚に装着していたホルスターからハンドが
ンを抜き取り、
﹁退路は断たれた。ここで待つしかないぜ、姐さん﹂
と、冗談めいて巫女に言い放った。
不愉快そうに彼女は眉間に皺を寄せるも、沈黙でその場は口を結
んだ。
格納庫を出た一行の前に広がるのは、巨大な機械の山ばかり。た
だそれらのラインに絡みつくのは、生物の血管や内臓のような、生
物的肉のツルであった。
一行が見てきた浸食は、ここにきてさらに進行度を増していたの
236
であった。
﹁浸食の中心はここのようですね﹂
神父がそう呟いた時のこと。
﹁キャァ!﹂
背後でマキナの悲鳴が足音を鳴らした。
全員が振り向いた時、彼女の顔は暗闇でも蒼白になっているのが
分かった。
そして彼女が震えながら指さす方角に皆が視線を移動させた時、
背筋に毛虫が這うような気分を全員が舌先で味わった。
鋼鉄の冷たい床に腕が見えた。ただし身体から離れ、ちぎれた人
間の血まみれの腕が。
ENDLESS MYTH第2話ー22へ続く
237
第2話ー23
23
ちぎれた腕の傷口をまじまじと見るのはソロモンの男たちでも、
遠巻きに腕を眺める現代の 若者たちでもない。KESYAの巫
女、ポリオンである。
﹁これは人の仕業ではありませんね。腕は間違いなく人間の腕です
が﹂
冷静に状況を分析し、腕の前に屈んで、黒髪を耳にかけながらそ
ういう彼女は、どこか艶のある表情であった。
立ち上がると周囲の製造ラインを眺めつつ、暗闇の奥底から這い
出てくるような、妖気を彼女は感じ取ったように、瞼を一瞬閉じる
と、静かに神父を振り返り、正面を向いて、改めて初老のソロモン
第三工作機関の一員に尋ねた。
﹁対比すべきなのではありませんか? 先ほどのトンネルの爆発で
臨時システムが稼働したのでしょう、あらゆる出入り口はロックさ
れてしまったようですし。後ろのエアロックをもう一度開き、さっ
きの区画へ引き返すべきでは?
それに先ほどから感じているのですが、彼らの邪気がここの区画
に入ってから分厚くなっています。事変の中心部はここにあるよう
です﹂
超常的能力。直感とでもいうべきなのだろう。彼女が所属する組
織は、彼女の衣服が示す通り呪術に長けた組織であり、そうした組
織のメンバーであるからこそ、他者には感じることのできない、邪
悪な瘴気を感じ取ることができのだった。
ソロモンとはことなった組織から派兵された者の言葉を、信用し
ないわけではないが、神父は首を縦に振ることはなかった。
238
こうした神父の姿は珍しく、一行のなかでもっとも長い付き合い
のメシアですら、驚くほどである。
﹁まずはどこかに隠れましょう。ここにこうしていては、我々も・・
・・・・﹂
と、ベアルドは床に転がった腕を見下ろした。
一行は移動しよとした。が、暗がりで先は見えない。スマートフ
ォンのライトを使用することも考えたが、全員、バッテリーがなく
なりかけていて、心許なく、ベアルドが所持していたライト1つで
は、全員をカバーするのは難しかった。
﹁お任せください﹂
巫女がそういうと、胸の前で星の形に指先を動かした。
すると彼女の正面に真っ赤な光の球体が現出すると、そのまま彼
女の頭上へ飛び、全員を照らすほどの光源となったのである。
﹁魔法使いみたい・・・・・・﹂
思わずマキナがポツネンと呟く。
これにポリオンは淡々と無表情で答えた。
﹁魔法とは概念が違います。私たちKESYAは五行道、陰陽道、
陰陽道、呪術、妖術を基盤とした独自の術式を持ち入りますので、
魔法とは道が全く相違なるものなのです﹂
と言われたところで、誰が理解できようか。
﹁講釈は良いから、先を進もうぜ﹂
科学的組織のソロモンのベアルドが言うと、これにはムッとした
様子で彼を睨み付けた。
と、彼女は睨んでいた顔を急に別の方角へ向けた。
そこは機械と機械が並び、縦のパイプが下の階へとつながる間を
通る鉄の橋がある場所だ。
鋭い、獲物の狙う猫の如き眼をしたポリオンは、直後、掌をそち
らの方へかざした。途端、中空にあった光球は高速で橋の方へと飛
行、橋の上部で停止すると、下方を煌々と明るく照らし出した。
﹁人だわ﹂
239
光の真下には無数の人影がひしめき合っていた。橋を埋め尽くす
ように。それを見つけたエリザベスが思わず声を漏らしたのである。
﹁違います﹂
眼鏡を指で押し上げ、神父が首を横に振った。
﹁あれはもはや人ならざるものへと変化してしまった者たちです﹂
そういうと胸の前で十字架を指で刻んだ。
﹁人じゃない? どう見たって人じゃねぇの。冗談はよしてくれよ﹂
どう見たところで確かに人がひしめき合って並んでいる光景にし
か見えなかった。イラートは神父の肩になれなれしく手を置いて、
ニタニタと笑った。
﹁冗談を言っている暇はないぜ﹂
少年っぽい顔をする彼の横に、黒い顔が近づいてきた。ニノラは
身構えているが武器は巨大ミミズとの戦闘で宇宙空間で失ってしま
い、武器にするものはなにもない。ただ、眼前の事実だけが彼の眼
には見えていた。
イラートが何のことだよ、と人混みに視線を戻した。するとそこ
には異形の光景が繰り広げられていた。
最も前に陣取るロシア人だろうか、大柄の男の腕が不意に地面へ
ボトリと落ちると、腕のあった場所からは、汚物のようなドロドロ
とした液体が流れ出てきた。
次に隣のイタリア人風の女性は腹部が赤く染まっており、そこか
ら無数の黒い、蟻のような何かが這い出てきて、女性の身体中を這
いずり回っていた。
その後ろのアジア人男性などは頭部が半分なく、脳髄が剥き出し
になっていた。そこから蜘蛛のような脚が複数本出て、カサカサと
動き回ってる。
身体のどこかが欠損している人間たちから、なにかが這い出てき
ていた。
これにジェイミーは視線をそらし、口を押さえて嘔吐感を堪える。
マキナは完全に後ろを向き、顔を両手で覆う。
240
エリザベスは注視しているが、身体は小刻みに震えていた。
女性たちは悪夢の光景を直視できずにいた。
﹁デヴィルズチルドレンに喰われたな。もうあれは人間じゃない﹂
冷静にベアルド・ブルは言い放つと、両手でハンドガンを構え、
いつでも銃撃できる体勢を取った。
ENDLESS MYTH第2話ー24へ続く
241
第2話ー24
24
銃声が3回、火花を散らしながら製造区画の金属に囲まれた広大
な空間に、乾いた音を響かせた。
弾丸が橋の先頭に立ち、大腸を引きずりながら、その腹部からゼ
リー状の物体を垂れ流し、それらが複数の眼で表面が覆われ、瞬き
していた。
そうした成人男性に見た目は似ている化け物めがけ、ベアルド・
ブルが弾丸を発射したのであった。
3発とも、男の頭部に命中し、出血も見られ、男の頭部は衝撃で
首が折れ曲がってしまうほどであった。ところが人間の皮など必要
ないかの如く、男の脚はゆっくりと、一行の方へ向きつつ、内蔵を
引きずり、目玉だらけの物体を排出し続けるのだった。
無意味なことは新人兵士も理解できていた。ただ、万が一にも効
果があることを願い射撃したのであった。
﹁意味を成さない行為に時間を費やしている暇はあるのですか?﹂
面長のファン・ロッペンが冷静に兵士に尋ねる。
と、巫女が不意に片腕を払いのけた。まるで目の前にある不要な
物を祓うように。
すると光源としていた光球が突如、それまでに無かった眩む光を
放射するなり、橋の真ん中で爆発を引き起こしたのである。
一瞬の閃光に眼を覆っていた手を一行が取った時、黒煙が橋の付
近で黒く立ちこめ、橋が完全に破壊されていたのが見て取れた。
脅威は去った。
自然と若者たちの顔に笑みが浮上してくる。が、それも途中まで
のこと。彼らの眼前で脅威は復活した。
242
太い2本のパイプの間を通っていた橋の直下は、深い谷ほどもあ
る溝になっていたのだが、そこに落下したデビルズチルドレンが、
這い上がってきたのである。
腕を無くし、肉体を半分失ってまでも尚、操られるがままに人間
たちは溝を這い上り、一行へと這いずって向かってくるのであった。
﹁あれって、ステーションの中に居た人々だよな﹂
おののき、身体が金縛りとなっているジェフへ、ニノラが尋ねた。
それがどうなのか最初は分からなかったジェフも、ある人影にニ
ノラの質問が的を射ている事実を認識した。
バイトで知り合った喫茶店で働く女の子が、這いずる化け物の中
に居た。見た目は大きく身体が腫れ上がり、女性なのか男性なのか
すらも判別できない、醜い姿をしていたが、腕に入れている蝶のタ
トゥーに見覚えがあったのである。
﹁人間を餌とするだけじゃ満足しないぜ、あいつ等は﹂
と、ベアルドが銃に効力が無いと理解しながらも、銃口を化け物
の群れへ向けたままに、彼らへと呟いた。
新人ながら彼は理解していた。自分が相手にしているモノがどれ
ほどの脅威なのかを。
その時、眼前ではなく周囲の暗がりから無数の物音が迫ってくる
のを、全員の耳が確認した。敵は眼前だけではない、周囲にも存在
する。
誰もが自分たちは獣の檻に入れられた餌なのだと実感していた。
﹁上の区画への出入り口はどちらにありますか?﹂
神父は冷静にジェフに質問を投げかける。
だがまったくの畑違いの場所へやってきたジェフに、ここからの
道案内は不可能であった。だからジェフは横に首を振り、自らの意
思を示した。
するとベアルドが自分たちが入ってきた出入り口の付近に見取り
図が貼られていることに気づき、走り寄って指先を見取り図に当て
ながら自分たちが居るところと上階へ登る方法を瞬時に見極める。
243
﹁向こうに非常用の階段があります。それで上の階層へ登れるはず
です﹂
神父は頷き、ベアルドの指が指し示す方角へ全員を促す。
﹁もう嫌、もう嫌﹂
甲高いジェイミーの声が聞こえてくる。
もはや誰にもジェイミーを注意する気力はない。体力も心の均等
も崩れる寸前まで彼らは追い込まれていた。
分厚いハッチを手動で開き、非常用の階段へ彼らは駆け込んだ。
分厚い鋼鉄の壁で外界の様子を知ることはできない。しかも暗闇
であり、目が慣れては来ているが、ほとんど手探りの状態で彼らは
必死に階段を駆け上がっていく。
﹁上の階まではどのぐらいかかるんだ?﹂
暗がりで辛うじて隣に居るのがジェフなのに気づき、メシアが問
いかける。
﹁分からない。この建造物全体が巨大な工場になってるからな。上
の階層にはだいぶ登る必要があるはずだ﹂
これには背後を登る少年っぽい例の声が悲鳴に近い声を発した。
﹁いいえ、その必要はないようです﹂
前の方で足音を止めたのは、神父だった。
﹁どうやら援軍が到着したようです﹂
と、神父が喋った刹那、全員の眼前が白い輝きに包まれた。
ENDLESS MYTH第2話−25へ続く
244
第2話ー25
25
目映い光が視界を白く潰す。何も見えず、何も感じられなくなり、
不意に足下が抜ける感覚に陥ったメシアは、慌て横のジェフの身体
にしがみつこうと、手を伸ばした。けれども横に人の感触はなく、
周囲に人の気配がまったく無くなってしまったことに気づき、自分
がまた不可思議な現象に襲われているのでは? と不安の指先が心
に忍び寄った。
とその時、彼の不安な気持ちを落ち着かせるように、肩に手がそ
っと置かせる感覚があった。
﹁眼を開けられても大丈夫ですよ﹂
力任せに閉じていた瞼をゆっくりと、声に促されるままにメシア・
クライストは開く。脚の裏に気かつくと地面の感触と重力の感覚が
戻っていた。
あまりに瞼を強く閉じたせいで視界が一瞬ぼやけていて、自分の
肩に手をあてがった人物の顔を見ることが叶わなかった。が、次第
に視界がクリアになるに連れ、その手の人物の顔が人間でないこと
を認識した。
折れ曲がった小さい嘴とまん丸く広がった瞳、顔から爪先までび
っしりと覆う羽毛。だが二足歩行で歩き、四肢は人間のそれに類似
している。けれどもどうみても人間ではなく、二足歩行する2メー
トルを超える人型の鳥、鳥人間と形容するのがもっとも適切な生命
体が、人間の言葉を嘴から発して、彼の肩に柔らかい羽毛に覆われ
た手を乗せていたのである。
﹁・・・・・・﹂
さすがに言葉という概念をなくし、頭を真っ白にしてしまったメ
245
シア。
それを笑うかのように丸い眼を急激に細くして、鳥人間は嘴を動
かす。
﹁貴方とあまりに形が違うので驚かれているでしょうが、安心して
ください。わたしは貴方を食べたりなどしませんよ﹂
腕を退け、ケタケタと梟のように笑う鳥人間。
これに呆然としているメシアは、鳥人間の背後で複数の笑い声が
こだまするのを耳にして、初めてそこが広大なる空間の一部である
ことに、視野が向いた。
先は見えない。ただ機械的な音ばかりが歪みとなって空間内を包
んでいた。先が見えないせいもあり、暗闇なのはステーション内部
となんら変わりはなかった。
違いはその足下にある。彼が立つ鋼鉄の床は、よく見ると20メ
ートルほどの巨大な機械的円盤型となっており、前後左右上下に同
様の円盤が複数、空間の中に浮遊しており、その上にも人影が複数
人見え、それらの人影が鳥人間の声に笑い声を発していたのだ。
が、人影と言っても、鳥人間と同じかそれ以上に奇っ怪な見た目
をしたものばかりが、揃っていた。
人型だがウエストが腕ほどの細さしかなく、四肢が以上に長い人
物は、全身を金属の鱗で覆われていた。
頭だけの人物もメシアには見えた。巨大なマシュマロのような色
をしており、鼻はなく、眼が4つ、口はない頭部からは頭と同系色
の触手が5本伸び、どういった原理か中空に浮遊しながら止まって
いた。
また球状のガラスのような浮遊物体内部に黄色い液体に満たされ
た、醜い肉の塊のような、生命体なのかすら分からないものや、虫
の如く細長い角張った間接を所持し、8本の四肢で肉体を支え、カ
タカタと言葉なのか喉の奥で何かを擦り鳴らすような音を立てるも
の、円盤内部に止まらず、翼を大きく羽ばたかせ、空中を常に滑空
する細長い生命体、身長が人間の平均よりも明白に小さく、50セ
246
ンチほどの緑色をしたタコのような生物など、ステーション内でメ
シアを襲ったデヴィルズチルドレンと遜色のない、異形の生命体が
溢れていた。
と再び彼の肩に背後から手が乗せられた。
全身の毛が逆立つような思いで振り返ると、神父を含め、命を共
にしてきた銘々が顔をそろえていた。
﹁心配は要りません。彼らが待ち望んでいた援軍です﹂
微笑みかける神父の顔には、ステーションでは見られなかった、
ホッとしたような気持ちが出ていた。
﹁援軍って、俺にはステーションの化け物と変わりのないように見
えるが﹂
と、堂々とイラート・ガハノフは平然と援軍を前に口走って、ま
じまじと周囲を興味深げに見渡すのだった。
﹁失礼でしょ!﹂
姉が弟の肩を叩き、自分たちを救いに来た者への無礼を、弟の変
わりに頭を下げて詫びた。
﹁無理もありません。地球人類は未だ、地球外の生命体との接触が
なされていないのですから﹂
鳥人間はまた梟のように微笑みをエリザベスへ返すのだった。
﹁地球外と言いますと、我々から見て、あなた方は宇宙人、という
ことになるわけですか?﹂
前に進み出ててきたのは、ファン・ロッペンの面長な顔である。
鳥人間の前に立ち、まじまじと鳥人間の、地球人であり得ない大
きさの眼を見つめて、興味をもった口調で尋ねた。
﹁そうなりますね。地球人が未だ、接触していない宇宙人。我々は
その連合軍といったところでしょうか﹂
丁寧に鳥人間はファンの問いに答えた。
﹁ここでお話するのもなんですので、移動しながらお話しましょう﹂
と、鳥人間が言った矢先、複数浮遊する円盤が一斉に水平方向へ
と移動を開始したのであった。
247
暗闇の中を進むため、どちらの方向へ向かっているのかも分から
ず、また最初の微動の震動だけで、あとは移動している感覚すらも、
メシアたちには感じられなかった。
ただしばらく円盤が進むと、遠くの方から青い光が少しずつ近づ
いてくるのが見えたが、すぐさま猛スピードで青い傾向ライトで形
成されたような巨大トンネル内部をくぐり抜け、円盤の群れは移動
を続ける。
﹁ここは建物の中ってことなのか?﹂
筋肉質のイ・ヴェンスの身体は、緊張のせいか、疲労感のせいな
のか、筋肉を硬直させながら鳥人間に尋ねる。
鳥人間はまん丸い眼を瞬間的な首の移動で、鳥らしくイ・ヴェン
スを見つめて、問いかけに穏やかな声色で答えた。
﹁建造物という意味では表現としては正確ですが、内部構造は亜空
間フィールドを形成しておりますので、三次元レベルでの認知は不
可能かと思われます﹂
一行のほとんどが何を言っているのか鳥人間の言葉の意味を解釈
できずにいた。
これを神父が噛み砕いて若者たちに説明する。
﹁外側は10メートルの建造物だとしても、内部はそれ以上に広大
に感じられる、別の空間になっているということです﹂
そう言われたところで、実感はまるで感じられなかった。
ただ若者たちの実感としては、時折、円盤の群れが通り過ぎる蛍
光色のトンネル介し、辛うじて高速で移送している実感を得ること
ができていた。
と、誰もが唖然とする中、鳥人間の顔は急激に深刻さを増したよ
うに、真顔へと変貌した。
﹁事態は我々が思う以上に深刻です。﹃MYTH・WARS﹄は我
々の知る歴史とは異なってきているのかも知れません﹂
これを聞いた未来人、マックス・ディンガーは眉間を狭め、新人
兵士ベアルド・ブルは動揺の戸惑いを顔に波紋として広げた。
248
歴史は残忍さをより一層深める結果となっていた。
ENDLESS MYTH第2話ー26へ続く
249
第2話ー26
26
鳥人間が深刻に言葉を紡いだ刹那、暗闇の中に波紋が広がるかの
ように、光がゆっくりと円がを描き、外界の光景が姿を現した。
一行はまるで巨大な窓の前に立ったかのように、視界のすべてが
宇宙空間、そして死滅に近づいていく地球で埋め尽くされていった。
未だ、地球の表面は核兵器の光が幾つも見え、火山噴火も終息し
てはいなかった。
﹁地球の現在時刻です﹂
と鳥人間が嘴を閉じるか閉じないかで、一行の前に再び巨大な物
が現出した。ホログラムなのだろうか、逆に巨大過ぎて見づらい、
デジタルの時間表記であった。
21時32分40秒を過ぎたところである。
これを爪が鷹のように鋭い指先でしまし、鳥人間は説明した。
﹁歴史の観点から申し上げれば、マックス・ディンガー氏の知る、
またベアルド・ブル氏が知る歴史はきっと、この時点での地球への
デヴィルの攻略は終結しているはずなのです。
そうですね?﹂
神父の顔を梟の丸い目玉が見た。
これには神父も口ごもってしまう。未来から来訪した物が歴史を
語る。これほど罪深いことはないからだ。
現代の若者たちを一瞥してから、神父は鼻の頭を搔き、ぎこちな
くしかし頷いてしまった。
﹁話すのですか!﹂
驚きの眼でベアルドは上官を見た。彼もそれが組織としてもっと
も行ってはならない行為だと自覚していた。
250
﹁あなた方の知る歴史は路線を変えてしまいました。すでに、あな
た方の時間軸は消滅しているはずです。問題はないともわれますが
?﹂
冷静な顔なのか鳥の顔をしているので判断はつかない。けれども
ベアルドを説得するには十分に説得力があったとみえ、若い兵士は
口を、嘴に突かれたように閉じた。
改めて、鳥人間は神父を一瞥する。
多少、溜息交じりに頷いた神父は、メシアを見てから、まるでメ
シアに語りかけるように物語を語った。
﹁歴史は数時間前に地球の侵略行動は終焉していることになってい
るのです。わたしと彼の知っている未来では、18時54分に人類
のデヴィルズチルドレンへの抵抗は停止、国連は完全崩壊していま
す。各大陸の大半は核兵器の破壊活動によって焦土化。生き残った
人類はそれ以前の三分の一となっています。そこから人類の残党と
の戦いが行われますが、七日間で人類は完全なる敗北を見るのです。
地球の敗北を受け、人類は暫定国際連盟を月面へ設置、デヴィル
ズチルドレンへの抵抗を開始すると同時に、人類の生存を賭けた脱
出船団を形成、同時に太陽系の外惑星へ人類の移民を開始するので
す。
そこから人類は太陽系、外宇宙へと版図を広げ、人類は宇宙の他
文明との交流が行われることとなり、結果的に人類は戦争と宇宙開
拓を同時進行する時代へと突入するのです﹂
話があまりに突拍子もなく、メシアを含め、ジェフと若者たちは
唖然と口を開ける思いであった。
これに鳥人間が頷いて付け加えた。
﹁そう。歴史はそうして物語を紡いでいくのです。人類は我々のよ
うな他種族と交流を持つことで同盟を結び、デヴィルに対する攻防
戦を展開していくのです。
ですが歴史は変わってしまいました。より深刻に﹂
と、鳥人間の爪は再び地球を指さした。
251
﹁戦闘は未だ終息していません。それどころかアメリカ、中国、ロ
シア、中東を筆頭に核兵器を中心とする大量破壊兵器、化学兵器を
使用した攻撃が増しております。さらには地球上での自然災害は歴
史を逸脱し、深刻になる一方です。すでに我々が探知したところで
は人類の死者数が史実を上回っております。このままでは地球、人
類双方の死滅が予想され、歴史が大きく変化してしまう恐れがあり
ます﹂
人類の滅亡。それはメシアたちに突きつけられた紛れもない現実
だった。
ENDLESS MYTH第2話−27へ続く
252
第2話ー27
27
どうにか人類を救うことはできないのか!
一行が鳥人間を問いかけるように見つめる。けれども鳥人間も周
囲の円盤に鎮座する異様な生命体たちも、彼らの要望に応えること
ができなかった。
﹁残念ですが、1つの種族を救うという行為はそう容易いことでは
ありません。我々が敵としている存在によって、どれだけの宇宙と
種族が消滅したか分からないほどです。きっと我々が把握していな
い種族、宇宙の消滅もあったことでしょう。
こうして最期を看取られることもなく、消えた種族すら存在する
のです。人類の運命が消滅する定めにあるのでしたら、それを見届
けるのもまた、我らの組織の役割であり、貴方の宿命なのです﹂
鳥人間の眼差しはメシアの戸惑いの顔に向けられた。
﹁何が定めだ!﹂
真っ先に人類以外の種族へ噛みつくように叫んだのは、ジェフ・
アーガーだ。デヴィルズチルドレンとの戦闘で、使用が結局できな
かったアサルトライフルの銃口を、鳥人間へと突きつけた。
﹁今すぐ人間を、地球を救ってくれ。これだけの事ができるなら、
人間だって救えるだろう!﹂
と、暗闇を未だ移動する円盤の周囲を彼は見やった。
﹁転送技術、亜空間フィールドの形成、重力操作などは基本の技術
に過ぎません。それと物質の分解もですね﹂
そう鳥人間が嘴を閉じた刹那に、ジェフの手からアサルトライフ
ルの姿が忽然と消失してしまった。
鳥人間はジェフを見下ろし、まるで笑うかの方に眼を細くする。
253
﹁素粒子を分解しました。貴方の原始的なる武器はもはやこの世に
は存在しません﹂
嬉しそうな鳥人間の声色である。
唖然としながらも、意思をしっかりと抱えた瞳には、赤い炎のよ
うな光があり、異種族を圧倒するほどの迫力があった。
ジェフが睨み付け、それを受け止める鳥人間が対峙する中、円盤
の群れは急激に目映い光の中に駆けだしたかのように、闇が消え、
トンネルを抜けた。
そこはこれまでに経験したことがないほどに広大な空間となって
いた。神殿の如く無数の柱のような円柱の光が眼の届く範囲を超え
て上下に伸び、太さも数キロは超えていた。1つの柱を通り過ぎる
のに通常時の人間の速度では数時間はかかるのだろうが、円盤の速
度は人間の視覚が追いつかないほどに、高速で移動しているせいも
あって、柱を瞬間的に通り過ぎていく。
その中にあって、メシアは光の柱の中に巨大な人影が直立してい
る事実に気づいた。
﹁街で化け物と戦ってた巨人だ﹂
脳裡に巨大な軟体生物と死闘を繰り広げていた巨人が浮上してき
た。
メシアの圧倒されながら呟く声に、若者たちはハッと思い出した。
﹁まるでマネキンが並んでるみてぇだな﹂
表現が子供っぽく、声色もまだ幼いイラート・ガハノフ。
﹁なんなんですか、これは?﹂
弟に続き姉のエリザベス・ガハノフが鳥人間に問いかけた。
ジェフとの対峙しから視線をずらし、黒髪の女性に素早く頭を移
動させた鳥人間。
が、問いかけに答えたのは鳥人間ではなく、人間のマックス・デ
ィンガーであった。
﹁﹃ホルス・マシン﹄通称﹃HM﹄と呼ばれてい対デヴィル汎用人
型兵器です﹂
254
これに横のベアルド・ブルが補助するかのように言葉を付け加え
た。
﹁人間ならざるもの、すべての敵なるものデヴィルとその忌まわし
き子供デヴィルズチルドレンを掃討すべく開発された巨大人型兵器、
それがHMだ。人型といっているがあらゆる形のものが製造されて
いる。ここに並んでいるのはイヴェトゥデーションが所有、管理す
るHMだ。君たちが街で戦闘を目撃したのは、我々ソロモンが所有
するHMになる。ここに並んでるHMの大きさはおそらくは20キ
ロを超えている軽量型だ﹂
平然とベアルドは説明しているが、20キロを超える巨大人型兵
器など、現代を生きる若者たちにはとうてい理解できるはずもなく、
ポカンとするばかり。
﹁そもそもデヴィルとかデヴィルズチルドレンとはなんなんだ。ス
テーションで僕たちを襲ったやつらのことなのか?﹂
未だ人類を救うことを願うジェフが、苛立ちに近い視線を向ける。
﹁それはわたしではなく、彼に語ってもらったほうがよいだろう﹂
と鳥人間が円盤の進む前方を見た時、1人の人間の姿が中空に浮
遊しながら現れた。
﹁彼等がこの宇宙最初の生命体であり、宇宙最初の対デヴィル組織
イヴェトゥデーションを組織した種族だ﹂
爪の先が中空の人間を指し示した。
ENDLESS MYTH第2話ー28へ続く
255
第2話ー28
28
人間?
誰がどう見たところで姿は人間である。頭はスキンヘッドで鼻の
上に口ひげが白く生えて整えられ、トーガに似た衣服を方から袈裟
懸けに掛けて、長い裾を右手に持ち上げていた。
光の柱の中にホルスマシンが無数に居並ぶ空間は、鋼鉄なのだろ
うか黒い黒曜石のような壁面で覆われ、天井も床あまりに広大すぎ
て見えず、ただホルスマシンが並ぶ壁面だけが見えていた。
そこの中央に男は直立のまま浮遊していたのだ。
﹁人間・・・・・・﹂
マリアが居なくなっていらい、無口なマキナ・アナズがポツネン
を呟く。
これに浮遊するスキンヘッド男本人がにこやかに、口を開いては
いるものの、動きと符合しない言葉で答えを返した。
﹁今は人間の姿を仮初めで借りていますが私は人間ではありません。
便宜上、あなた方が話しやすい姿をしているだけなのです﹂
声は声帯を震わせているのではなく、全方角から反響するように
聞こえていた。
﹁最初の生命体とは、貴方は何者なのですか﹂
黒人青年がショットガンをぶら下げたままに、スキンヘッドの顔
を見上げる。
男はニノラを見下ろしながらも、彼ではなく何処か別の場所を見
ているような、遠い眼差しをしていた。
﹁ビッグバン。宇宙誕生の瞬間から遅れること5億年。最初の恒星
が物質と数が溢れる暗闇の宇宙に産声を上げました。それからさら
256
と形容される存在なので
と形容していました。地球言
に10億年恒星系の誕生でした。我々はそこに誕生した最初の知的
ペタヌー
オリジナル・シード
生命体、我々の言葉では
語で例えるならば
す﹂
飄々とスキンヘッドの男は言うが、宇宙誕生は現在から400億
年も過去の出来事である。
﹁生命体種族のサイクルはそれほどに長くは持たないでしょう。地
球の歴史上、恐竜が栄えていた時期に、まさか哺乳類が地上を支配
すると、恐竜たち自身が予測しなかったように、地上とは常に生命
体が循環する物と持論をもっているのですが、それほどの長きにわ
たって絶滅を免れてきたとは信じがたいですね﹂
そう言い面長の顔の頬を指先で搔くのはファン・ロッペンである。
恐竜が地球を支配した期間は約2億年である。地球への隕石衝突
による絶滅が無ければ、恐竜は地球を支配していた。人類を含む哺
乳類がそこから繁栄を迎え、人類が地球に誕生して200万年程度
である。そうしたことを考慮するならば、ファンのいう意味での種
が生存する期間としては、あまりに男のいう言葉は荒唐無稽に聞こ
えた。
今度はファンに視線を落として、男の声が再び反響を示す。
﹁生命体とは貴方の言葉通り、常にサイクルがあるものです。誕生
し、栄えては、滅び、また次の生命体へ命を繋げていくものなので
す。ですが私たちペタヌーはそれを科学的に克服したのです。お産
の成功率100%化。成長の急速化。老化の停止。加齢の停止。不
死の技術、文明の繁栄。我々はあらゆる望みを科学力で叶えました。
ですが文明の崩壊は免れなかったのです。地球上で恐竜が絶滅し
たように、先の繁栄を自然的要因から断ち切られました。デヴィル
によって﹂
声色は淡々と今まで通り、表情も変わらずペタヌーは、自分たち
の種族の最期を語り始めた。
﹁文明を捨てる。最終的に生命体の進化の到達点とはそこになるの
257
でしょう。文明とは肉体の呪縛によって成立するもの。つまり肉体
があるからこそ生活という活動が生じます。それを補うのが文明で
あり、衣食住です。しかしながら我々ペタヌーは老化もなく死もあ
りませんでした。従って文明で補う部分が半数に軽減されていった
のです。そして最終的には肉体の放棄へと思想は発展していきまし
た。
戦争、紛争は不老不死となったところで終わりをみることはなく、
それらの正体が生命体の内側にこびりついた欲望の象徴だと結論づ
け、科学的肉体の放棄と精神的上位生命体への人工的なる進化を我
々はめざし、成功したのです。文明を放棄した瞬間でした﹂
言っている意味を理解できずにいるイラートがジェイミーを見る
が、彼女も首を横に振り、理解できていない表情をする。
ジェイミーは思考的援助をイ・ヴェンスに求めるも、巨体は硬直
してやはり理解できてはいなかった。
数名の離脱者を出しながらも、ペタヌーの物語は続く。
﹁精神生命体となったペタヌーは、意識体として空気中のあらゆる
物質と結合することを可能としました。つまり望む姿、望む場所、
望む物すべてが自らの手に収められるようになったのです。まさに
進化の絶頂だとあの時は思い描いていました。ところが先ほども言
った通り、自然的要因、つまりデヴィルの現出によって、ペタヌー
は絶滅したのです。
あれはなにも変わらぬ日でした。突如として現れた暗闇の意識体
により、我々は殺害されたのです。意識生命体の死とは実にあっけ
ないものです。デヴィルの意識体によって意識を消され、無、にさ
れるのですから。完全なる消失です。そうしていったいどれだけの
意識体が消滅したことでしょう。当時、宇宙全域に発展していた我
々ペタヌーの意識体は、そのほとんどが消滅させられたのです。た
った1つの意識体によって。
我々ペタヌーは絶滅を目前にしながら、進化の最終段階を決意し
たのです。意識体の単体化とより上位生命体への進化です﹂
258
ENDLESS MYTH第2話ー29へ続く
259
第2話ー29
29
﹁あり得ないことですね。貴方が言っているのは集団を個体として
進化させるという意味なのでしょうが、独立した個体を1つの単体
へ融合させるなど不可能です。そもそも意識体という概念すら疑わ
しい﹂
ペタヌーの言葉を鵜呑みにするほど、ファン・ロッペンは素直で
はなく、意識体という概念を信用するほど、地球人の知識はまだ進
歩していなかった。
反響音はファンに対して冷静に告げた。
﹁意識体を否定するのであれば、貴方自身の存在すらも否定するこ
とになる。地球人類もまた、肉体に縛られた意識体に過ぎないので
す﹂
そういうとスキンヘッドの男の肉体が光の粒となって突如、弾け
飛んでしまった。
目の前に浮遊していた男は消滅し、視線を向ける方向を若者たち
は失った。
が、肉体が消失しても尚、ペタヌーの声は巨大空間に反響する。
﹁肉体を消失したところで、意識体は消滅しません。これが証拠で
す。
話を元へ戻しましょう。我々ペタヌーは科学力によって意識体の
統合を果たしました。これもまた、私が証拠ということになるでし
ょう。デヴィルの意識体によって絶滅の危機に遭った我々は私とい
う単体へ進化することによって、種族的危篤状態からの開放をみた
のです﹂
そう言い終わった時、メシアたちの前に1つの青い光の球体が現
260
れた。
﹁可視化を体現したほうがあなた方人類には分かりやすいようです
ので、この姿を仮初めといたしましょう﹂
反響する声は淡々としているが、どことなく人間を見下している
雰囲気があった。
そうした人間の敵意を意識体は敏感に感じ取った。けれどもそう
した敵意に無反応のままに、反響する声色は彼らに語りを続けた。
﹁我々は逃げた。宇宙の隅々まで見知っている知識を生かし、あら
ゆる生命体と接触し、そして組織を設立いたしました。デヴィルに
対抗する組織を。このイヴェトゥデーションを﹂
円盤に苛並ぶ異形の者たちが一斉に人間たちを見つめた。
﹁ここに並ぶのは故郷を失った種族。この宇宙ばかりではありませ
ん。この宇宙の外側からやってきた種族もおります。デヴィルに故
郷の宇宙を奪われた種族がほとんどなのです﹂
ペタヌーの言葉が意図するところが分からず、イラートとジェイ
ミー、イ・ヴェンスはまたしても顔を見合わせた。
3人の疑問を代表するかの如く、ニノラ・ペンダースが問いかけ
をする。
﹁宇宙の外側とは、なんなのです﹂
黒人青年の問いに答えたのは、意識体ではなくベアルド・ブルで
あった。
多次元宇
という概念を。スウェーデン宇宙学者、マックス・デグマーク
﹁この時間帯にも理論だけはある。聞いたことはないか
宙
など、複数の学者が提唱している理論だ。M理論なども有名だがこ
うした理論が後の歴史数百年で実証される。人類は宇宙の外側にも
宇宙があることを知る。
つまり宇宙とは1つではない。宇宙の外側にもまた別の宇宙が存
在している﹂
科学者組織ソロモンの一員として明朗に語る青年。
﹁そう、宇宙とは多数にあるのです﹂
261
光の球体はベアルドから言葉を引き取った。
﹁宇宙とは泡のようなもの。あるいは膜のようなもの。外側には同
様の気泡が無数に存在しており、それらがまた1つのより巨大な宇
宙を形成しているのです。そしてまた巨大宇宙の外側にも同様の宇
宙が存在して無限に集まってまた宇宙を1つ形成する。その外側に
もまた同様の宇宙が、と無限に宇宙は外側へ連なっており、その中
には無限の種族、生命体が誕生しているのです。
そこからこうして集結した者たちこそがイヴェトゥデーションの
人員ということなのです﹂
光の球体は淡々と説明する。
しかし規模があまりに壮大すぎて、例の3人は理解せきず、ジェ
フもその一員に加わっていた。
﹁それほどの巨大なる宇宙が仮に存在したとしよ﹂
ファンが信用してはいない口調で光の球体へ話しかけた。
﹁無限の宇宙を破壊するデヴィルとは、なんなのです? すべてを
超越した意識生命体の貴方すらも越える生命体とでもいうのですか
?﹂
﹁デヴィルとは生命体ではありません﹂
と、沈黙していたマックス・ディンガー神父が不意に答えた。
﹁デヴィルとはその名の通り、神々と対立するヘルの住人。人類や
他の知的生命体の知恵では到底理解できない存在。貴方も見たでし
ょう、宇宙港での惨劇を。あれがデヴィルの力。あれがデヴィルに
遭遇した生命体の末路﹂
神父の顔はこれまでにないほど、深刻に落ちくぼんでいた。
﹁そう、デヴィルとは想像上の話でも信仰の大敵でもありません。
実在する生命体の最大の脅威なのです。すべてを克服した我々が唯
一克服できなかった存在なのですから﹂
光の球体の言葉に絶句するしかない若者たち。
眼前の存在と周囲の状況を見れば、すぐにイヴェトゥデーション
が人類では想像もつかない組織なのは理解できる。それらに属する
262
種族が高位次元にあることも。それらですら恐れるデヴィルという
存在。遭遇した自分たちの命があることすら、不思議な若者たちで
あった。
﹁それじゃあ、人類を救うことはできないってのか?﹂
人類の救助を懇願していたジェフは、遠回しに人類が見捨てられ
たのではないかと、落胆の色を顔に塗った。
が、鳥人間の見解とペタヌーの見解は合致しなかった。
﹁人類は絶滅しないでしょう。我々はそう考えています﹂
ENDLESS MYTH第2話ー30へ続く
263
第2話ー31
30
ペタヌーの見解は、不思議と皆を納得させる説得力に満ちていた。
すると漆黒の、先の見えない天井の付近にうっすらと望遠レンズ
で捕らえたような地球の姿が立体的に、ホログラムかの如く現出し
た。現在の地球の姿を表現していることはすぐに分かった。赤く引
き裂かれた大地。荒れる大海。その所々でフラッシュのように光る、
遠目から見ると美しいが死をもたらす光である核兵器の輝き。そし
て巨大なキノコ雲。人類が生存できる可能性があるとは思われなか
った。
﹁ン・タドは勘違いをしているようです。宇宙における地球人類の
役割は、貴方が思っている以上に重要であり、貴重なる存在なので
すよ﹂
ン・タドというのが鳥人間の名前なのだということは、鳥人間の
丸い瞳が光の球体へ向けられたことによって、すぐに皆が解釈した。
﹁ですがペタヌー。地球の惨状をご覧ください。我が種族が滅亡し
た姿にそっくりではありませんか?﹂
忌まわしい記憶がこのときン・タドの人間とは異なる構造ながら、
鳥の頭部に入っている脳髄に駆け上がった。
遠い宇宙での事。見た目通り、鳥の進化形として誕生したン・タ
ドの種族バキタリアンは、重力変動体質を要した種族であり、翼に
よる滑空といった、地球上の鳥類とは異なった、しかしながら空中
浮遊能力を有した種であった。そのため、地上が海面で覆われた惑
星で進化しながらも、空中に建造物を構築し、移動手段を空中移動
としていた。ところが繁栄はペタヌーの例と類似したかの如く、彼
らの種族は、彼らの母星標準時間で僅か数分の後、滅びた。デヴィ
264
ルズチルドレンの攻撃によって。残った種族は宇宙へ脱出し、自ら
の故郷が黒く、得たいの知れない生命体群に覆い尽くされ、まるで
喰われるかの如く爆発したのを目撃していた。
ペタヌーに救われたのは、それからすぐのことであった。
だからこそ、地球がこのままで終わるはずはない、とン・タドは
考えていた。
﹁すぐに地球表面はデヴィルズチルドレンに汚染され、地表も海面
も黒く塗りつぶされるとわたしは考えますが﹂
光の球体へ自らの意見を投げかけた。
﹁君の故郷を追憶しているのだろう。だがそれは間違いだ。地球人
類は滅びはしない。歴史が証明している﹂
と、淡々とペタヌーは語った。
その時である。微震ではるが円盤の底から突き上げる揺れと、僅
かながら遠くで響く、雷のような音が全員の聴覚、あるいは聴覚以
外の感覚を持った種族たちへ、異変を知らせた。
﹁何事です!﹂
ン・タドの丸い眼がさらにギョロリと丸くなり、中空へ叫んだ。
すると、ペタヌーとは声色の違う、何語かも分からない、おそら
くは言語であるだろう音声が広大なる空間へ響き渡った。
それを理解したン・タドは、マックス神父に視線を落とした。
﹁侵入者です。皆さんは避難を﹂
馬鹿な! そう言いたげに神父の眼がレンズの奥で剥き出しにな
る。
﹁次元域を深く潜っているはずではなかったのですか﹂
驚く神父へ、鳥は頷きを返す。
﹁それだけではありません。潜行フィールドで物理空間から完全に
隔絶されているはずですから、侵入なの不可能なのです﹂
嘴がそう断言する。
だがこれを否定する声色はすぐ近くから現出した。
﹁希望とは常に暗闇の中にあるからこそ、輝いて見えるもの。そう
265
ではありませんか?﹂
艶のある妙に色っぽい声の主は、ホルスマシンが居並ぶ大回廊
の真ん中を悠然と、中空を歩いて円盤群へと近づいてきた。その姿
は西洋の騎士の如く全身を振るプレートアーマーで覆われ、鉄板が
こすれる音がガチャガチャと、歩く度に広大な空間へ反響した。
円盤へたどり着いた時、自然とKESYAのポリオン・タリーが
メシアの前へ身体を入れ、甲冑男との前に壁となって立ちふさがっ
た。
男の腕には身の丈を優に越える槍が備えられ、その槍もまた金細
工や銀の装飾がちりばめられ、端正な顔立ちと相まって、美しく、
優雅に見えた。
だがしかし神父もベアルドもポリオンもン・タドも、それぞれの
組織を代表するかのようにこの場に集まる彼らの顔には、妙な焦り
の色が濃く浮き出ていた。
﹁貴方のような大物がこの時間軸にいたとは、誤算でした﹂
神父は額に冷たい汗を感じながら、ポツネンと男へと告げた。
そして横のベアルドが絶望感を否めない口調で囁いた。
﹁・・・・・・バジーザ・・・・・・﹂
ENDLESS MYTH第2話ー31へ続く
266
第2話ー30
31
間髪を入れず身体をひねった巫女は、白い裾を翻して腕を振り上
げた。瞬間、赤い閃光が中空を一閃、空気を焼き切った。
と、バジーザの眼前の空間が透き通った壁面へと変じると、その
閃光は苦も無く、まるで風船が破裂するように消えてしまった。
もしも物理的衝突が起こっていたならば、物質は焼失したであろ
う。
これもポリオンの呪術の1つであった。
﹁貴女レベルの能力者ではわたしと対峙するのは、早いですね。ま
た今度相手になりましょう﹂
そう言うとバジーザは視線を彼女のアジア的な顔に向けた。
刹那、彼女の肉体はまるで戸板のように身体が硬直して、金縛り
となった。
﹁に、逃げてください﹂
身体が縛られる感覚に陥りながら、ポリオンは辛うじて声を発し、
背後のメシアへ逃亡を促した。
これに反応したのは神父であった。
神父はン・タドに視線を送る。
するとメシアの肉体は光りの渦に包まれ、円盤の上部から消滅し
てしまった。
﹁転送ですか。亜空間のいずれへ転送しようとも、デヴィルズチル
ドレンは彼を捕らえますよ。それに︱︱﹂
と、次にバジーザが眼にしたのはジェフ・アーガーである。
﹁いけない!﹂
叫ぶとベアルドはジェフへ飛びついた。その時、ジェフが立って
267
いた空間が歪み、湾曲した。
ジェフがその場に居たならば、彼の頭は真空状態に巻き込まれ、
弾けていた。
ベアルドがそれを救ったのである。
﹁彼も転送を!﹂
ジェフの身体に被さりながら、ベアルドは大声を発する。
これに鳥人間は反応し、ジェフの顔を見下ろすと、光の渦が再び
現れ、ジェフとベアルドまでも巻かれ、2人の身体はその場からか
き消された。
2人とベアルドが消失すると、バジーザは不意に貼りの切っ先を
振り上げ、イラートを指し示した。
光が槍に反射すると、妖気のような死者が放つ腐敗の色が円盤上
の全員を照らした。
﹁運命の子供たち。今は時ではない。力を使うべき時に使いなさい﹂
指先に走った稲妻が瞬間的に凍り付いた。
イラートは初めて、背筋に冷たいものを感じ、これまでの人生の
中で最大級の死の臭いを覚えたらしく、顔色が蒼白になった。
﹁運命の歯車はすでに動き出しているのです。貴方たちも自らの役
割を果たしなさい﹂
そういうとバジーザは槍を切っ先を下ろすと、端正な顔立ちに冷
笑を浮かべ、ゆっくりと消失していった。まるでマッチの火が小さ
くなって消火されるように。
悪夢の嵐が過ぎ去ったかのように、重苦しい空気から開放された
一行は、自然と手に汗を握っているのに気づいた。
しかしマックス神父にそれを憂いている余裕はなく、すぐさま鳥
人間の顔に視線のベクトルを向ける。
﹁彼らは何処へ﹂
口早に彼は回答を求めた。
﹁我らの同胞が彼らを保護してくれます﹂
そう言いながらもン・タドの心理には、動揺が走り抜けていた。
268
今、消えた人の形をした化け物が何処へ向かったのかを、鳥人間は
十分に承知していたからだ。
ENDLESS MYTH第2話ー32へ続く
269
第2話ー32
32
身体が重力を失ったような感覚が全身を覆ったと思った時、再び
身体に重力が戻り、メシアの脚が地面を踏みしめた。
膝が身体の重みに一瞬、耐えられず、がくりっと膝が曲がった。
膝を伸ばして、周囲を見回すメシアは、そこが局面で覆われた球
体の空間なのが把握できた。金属の壁面の滑らかな光が彼の立つ橋
の影を湾曲して映していた。
橋は反重力装置で浮遊していた。
そこがどういった目的の広大な空間なのかメシアには理解できな
った。ただ無機質な印象は大きかった。
と、メシアの横に光の粒が流動的に集約したと思った時、2つの
人影が倒れ込んで現れた。
ジェフと彼の身体をかばうように覆い被さるベアルドが姿を現し
た。
ベアルドは実体化するとすぐさま跳ね起きると、周囲を警戒した。
数秒遅れてジェフも立ち、そこがあまりに大きな部屋なのに気づ
いた。
ただ呆然とするばかりのジェフと違い、メシアは周囲を警戒して
橋の上を行き来するベアルドへ質問を投げかけた。
﹁さっきの男は?﹂
周囲が安全なのを確認すると、同年代のメシアとジェフと交互に
みたベアルドは、1つ大きく息を吐いてから答えた。
﹁あれもデーモンの一種だ。ただステーションと会った奴とは格が
違いすぎる。バジーザ。それが彼の名前だ。
デーモンはそもそもアストラルソウルと同位体でありながら、ま
270
るで異なった悪しき存在だ。その中でもバジーザのような存在は、
格別に強大な力を持つ。デヴィルに最も近い﹂
この言葉にメシアの脳裡には、地球での光景がフラッシュバック
した。宇宙港で、中空に貼り付けにされた感覚は、あまりに鮮烈で、
忘れることなどできない経験である。
ベアルドは頭をかきむしり、唸るように言った。
﹁デーモンはさっきも言ったように、アストラルソウルと同位体だ
から物理攻撃は無効化されるから、今の装備じゃ戦えねぇんだよ﹂
困った顔でまた吐息を吐いた。
﹁そう、物理攻撃はわたしには通用しませんよ﹂
3人は顔を見合わせた。誰も声音を大きくした覚えはなく、声の
主がその場にいないのを、ゾッとする顔色になった。
空間の中央、橋が浮遊する領域が不意に暗闇に覆われた。まるで
その空間だけ何処か異空間へでも奪われたかのように。
﹁奴だ!﹂
2人に警戒を促すベアルド。
と、甲冑の金属がすり合う音がして、暗闇が人の形に変化した。
バジーザがニタリと微笑み、3人の前に姿を見せた。
﹁さあ、命をいただきましょうか﹂
槍を1つ振り、バジーザは切っ先をジェフ、そしてメシアへ移動
させた。
すぐにベアルドが彼らの前に立ち、バジーザから2人を守護する
体勢を整えた。
﹁第弐級援護を依頼する﹂
ソロモンへの援護許可を要請する声が発するベアルドだったが、
ソロモンの応答は脳内になかった。
隔絶空間か。苦い顔をベアルドはする。
彼に保護する力はなかった。しかしこの場で彼らを守れるのは自
分しかいない。
すべての宿命を担う2人を守護するため、ベアルドは拳をバジー
271
ザめがけ突き出す。それが無駄だと分かっていても。
甲冑に触れた拳は中空を空振りするかのようにバジーザなどいな
いかの如く、彼の背後へとベアルドの身体は抜けてしまった。
﹁ソロモンの貴方ならばそれが無駄だと分かっているでしょう。何
故、そうした無駄な行動をとるのですか?﹂
﹁無駄でもな、2人を守るのが俺の役割なんだよ﹂
と、今度は脚を横払いにバジーザを蹴り飛ばす。が、これもまた
霞の如く空振りするばかりだった。
こうした行動に付き合うのも一興、とバジーザが槍を振り上げた
刹那、切っ先が触れてもいないはずなのに、ベアルドの膝がカマイ
タチにでもあったかのように斬れ、血煙を噴いた。
傷口が深いのはベアルド自身にも理解できるほど、激痛に彼はも
んどり打って倒れ込む。
﹁おやおや。これでは遊びにもなりませんね﹂
端正な顔立ちに冷笑を浮かべ、甲冑を1つ鳴らすと、切っ先を今
度はメシアへと突きつけた。
﹁この一振りがすべての終わりです。物語の完結なのですよ﹂
そう言い終わるなり、高速で槍が突き出された。
血しぶきが放射される。
ENDLESS MYTH第2話ー33へ続く
272
ENDLESS MYTH第2話ー33
33
それが現実なのか、悪夢ではないのかとメシアは自らの眼を疑っ
た。
そんなことあるはずがない。絶対にあってはならないのだ!
けれども現実は彼にまざまざと残酷な真実を突きつけた。
バジーザの突き出した美しい装飾を刻んだ切っ先は、死に濡れて
いた。だがメシアの鮮血を所望したデーモンの意図とは異なってい
たせいか、不服が滲んでいた。
﹁命を失うことを覚悟ですか﹂
腹から背中に抜け出た槍は、その人物が柄をしっかりと握りしめ
たことで、抜き取ることが困難になっていた。
それにも増して、バジーザがその悪趣味から、苦しむ眼前の人物
が激痛にもんどり打つ姿を堪能する思考があったのだ。
メシアが槍に貫かれた彼の背中に近づこうとした刹那、
﹁近づいてはなりません!﹂
男は声を出すのも苦痛であった。全身の感覚はすでになく、口か
ら溢れ出す生ぬるい血は、言葉すら濁らせる。
﹁神父﹂
マックス・ディンガーは槍を掴んで、最期の力を振り絞る。
﹁よく、聞きなさい!﹂
血の泡を吹きながら神父は叫ぶようにメシアへ言った。叫ばなけ
れば、言葉が出なかったのだ。
﹁マリアは、娘は生きています。あの子はわたしたちの組織、ソロ
モンの兵器として、貴方のご両親が保護しています﹂
大切な人が死したと思い込んでいたメシアは失ったと思っていた
273
光が蘇った気がした。
﹁これから貴方の身には、苦痛と苦悶が降りかかります。死よりも
辛い出来事がたくさん起こります。それでも、だからこそ貴方しか
救えない人たちが数多いるのです。
たがらお願いします﹂
一度、血を呑み、神父は薄れ行く意識をその場にとどめて、唸る
ように叫ぶ。
﹁大勢の人の中に、マリアも、娘も含めてやってください。あの子
は弱い。だから、支えが必要なのです。あの子を頼みます﹂
まるで遺言のように言い終えると、バジーザを睨みつけ、最期の
叫びを猛々しく上げた。
﹁第壱式攻撃術の開放を要請する﹂
と、叫んだ時、神父の身体は黄金の光を帯びて、肉体の表面に紋
章のようなものが複数、光のラインによって描かれ、それらが直線
で結合していく。
まるで魂の輝きが現れたかのようであった。
﹁ほほう。死ぬ覚悟ではなく、無、になる覚悟でしたか﹂
槍から光が光速で浸透していき、バジーザの肉体へと伝染してい
く。
﹁私を道連れというわけですか。デーモンとてアストラルソウルと
同位体。無、になればそれが死というもの。
しかしそこまでして救世主を守ろうというのですか﹂
﹁彼は守護するべき人物。最後の希望、なのですから﹂
と微笑みをバジーザへ神父は向けた。
﹁残念ですが、私は貴方と心中するつもりはありませんので、お先
に失礼させていただく﹂
そう囁いた瞬間、神父の腕は槍の感触を失い、槍は黄金に輝く肉
体から抜き払われ、一気に神父の肉体から血しぶきが放出されてい
く。命が流れ出すかのように。
暗闇は消失し、バジーザの肉体は蝋燭の炎が食えるかのようにゆ
274
っくりと消えていく。
﹁再び相まみえることを楽しみにいたしましょう﹂
メシア、ジェフに視線をしっかりと据えると、完全にデーモンの
姿は消えてしまった。
呆然としていたメシアだったが、黄金に輝く神父の肉体に慌て、
手を伸ばす。
しかし神父の感触はなくなった。指先が神父の腕に触れようとし
た時、マックス・ディンガーの身体は光の粒となって砕け散った。
自分の掌を見たメシア。
何が起こっているのか把握できないメシア。
そこへ脚の傷を上着を脱いで縛り、止血しながらベアルド・ブル
が呟く。出血が多かったせいか、唇が青くなっていた。
﹁・・・・・・マックス・ディンガーは消滅しました。上級上官の
みが使用できる第壱攻撃術。・・・・・・それはアストラルソウル
すら消滅させる最後の科学技術だ。マックス・ディンガーはもう因
果律にはいない。完全に無になってしまったんだ・・・・・﹂
神父が消滅した。マリア・プリースの父親が。
ENDLESS MYTH第3話ー1へ続く
275
第3話︱プロローグ1
プロローグ1
2人の男は静かに空を眺めていた。視線に力はなく、ただ空の流
れゆく雲をボーッと眺めるかのように。
1人は立ったまま砂の大地を踏みしめて、腕組みをしている。
もう1人は少し離れた大地からこぶのように突起した岩に腰掛け、
脱力しながらすべてを眺めていた。
2人は細身の肉体をしていて、全身タイツに近い茶色いスーツを
身につけ、けしておしゃれとは言いがたい格好をしていた。
緑色の瞳にはゆっくり壊れつつある地球の姿が映っていた。
﹁君はどちらだと思うかい? 地球はこのまま消滅すると思うかい
?﹂
岩に腰掛けた男の方がつらつらと言う。しかし関心は1ミリもな
い様子だ。
腕組みした男は少し考え込んでいる風だが、やはり関心は微塵も
ない様子で、掌を中空に向け、さっぱりだ、というようなジェスチ
ャーした。
地球から自らの立つ地へ視線を落とす腕組みした男は片足を何度
か上げ、地面を蹴飛ばす。
重力が地球とはことなる月面では、砂が一度中空へ飛ぶと、空へ
と飛び上がって行く。
﹁この衛星にまで手を伸ばした人類たる存在﹂
と、背後を振り向くと、2人が居る位置から数キロ先に光輝くド
ーム型のガラスのような物に覆われた都市らしき物が、地球のそれ
とは異なる静寂を保っていた。
﹁人類は生き残ることを宿命づけられているものなのだが、果たし
276
てそれが正しいと言えるのだろうか﹂
腕組みする男は月面都市を指さし、無表情で同類へ尋ねる。
月面を見やった岩に腰掛ける男の顔もまた、何にも感じていたい
様子で、また同類を見て、薄い笑みを浮かべた。
﹁さてさて。よちよち歩きの赤ん坊がようやく歩き始めたところな
のだから、どうなるかはこれからだ。人類はいずれ、我々を越える
種族だ。ここで滅びるはずはないだろう﹂
﹁歴史は常に流動的だ。ここで運命が消滅する可能性を秘めている。
彼らの戦争は常に決定的とは断定できない﹂
﹁それはそうだがしかし、多次元を生きる我々ですら、想像できな
いとは人類とは彼らに愛されているということなのかね?﹂
﹁それは論点が異なる。愛されようと、愛されなかろうと、人類の
運命は常に流動的だということだ。我々のように多次元生命体とな
ることなり、先が決定しているわけではないのだから﹂
腕組みする男は鼻で笑い、中空で幾つもの核の炎に包まれ、大陸
が赤くひび割れ、海が蒸発する地球を見た。
﹁人類が彼らに相当する存在となり得る。それは紛れもなき真実で
はあるが、選択の1つに過ぎないということだな﹂
そう言った刹那、地球と彼らが存在する月面との中間宙域に、黒
い細長い物体が突如としてヌボッと現れた。まるで宇宙空間という
湖から枯れ枝が浮き上がるかのように。
それがなんであるかを十分に解釈している2人は、顔を見合わせ
ながらうなずき合う。
そして岩に座る男が立ち上がった。
﹁イヴェトゥデーションの居城ですな。救世主の覚醒は未だという
ことですね﹂
ENDLESS MYTH第3話ープロローグ2へ続く
277
第3話ープロローグ2
プロローグ2
骨に食い込むように皮膚に張り付く甲冑を鳴らし、1人の男が駆
けだしてくる。石畳の階段を駆け上り、踊り場でぴたりと脚を止め、
片膝を突き、手の長槍をガラスの透明な踊り場へ置き、黒塗りの兜
を下げ、自らの主へと報告を、口囃子しかしながら滑舌に注意しな
がら、明瞭に状況だけを報告した。
﹁物見より報告。救世主、未だ生存とのことにござります!﹂
それだけを言い終えると、男は甲冑を鳴らしながら、踵を返し、
背中の旗印をなびかせながら階段を駆け下りていく。
旗印には黄色い生地に黒で複数の銭が描かれ﹃永楽銭通﹄とあっ
た。
黄金の髑髏を半分に切り、濁り避けを注ぎ、一気に飲み干す男は、
西洋と東洋の甲冑の特性を併せ持った甲冑姿で報告を頷き1つで頷
き、自らの天井に張り巡らされた階段を見上げていた。
つまり酒で喉を鳴らす彼の天井を重力とは関係なく、物見は真逆
に主へ報告を上げたのであった。
続き、さらにもう1人の男が石畳の階段を駆け上がり、今度は光
の板のような踊り場で脚を止め、拳と掌を重ね合わせ一礼する。
﹁救世主、イヴェトゥデーションと接触とのことにございます﹂
別の主へ報告した男は再びさっきの甲冑姿の男と同様、踵を返す
なり背中の旗を翻して階段を駆け下りていく。そこには﹃魏﹄の一
文字がたなびいていた。
鉄の板を革紐で結んだ甲冑を着て、顎のすらりと伸びだ髭をしご
き、もう1人の主は頷いた。
﹁救世主は生きていられると思うか、﹃ソワ﹄よ﹂
278
顔の頬を覆うように頭から黄金の王冠を被る男は、総髪の男を見
やる。
髑髏の杯を中空に放り投げると、そこにまるで何かの見えない台
があるかの如く、髑髏の杯は中空で浮遊して停止した。
﹁﹃ソヴィ﹄うぬはどう思う? 救世主が我らが大望の一翼となろ
うか?﹂
と、これに答えたのは壺のような大きな樽から酒を飲む、腹の出
た大男であった。見た目の剛胆さと相違ない口ぶりで豪快に笑い声
を1つあげてから、言う。
﹁小童が未だ覚醒しておらぬのであれば、話にならぬ。戦略とはそ
の者がいかに我が知略の内に入るかによって変わるもの。覚醒して
おらぬのであれば、大望に組み込むわけにもいくまい。それに、救
世主はこれより長き戦に入るのであろうから、我らの攻略に組み込
むわけにもゆくまい﹂
デールをまとい、白髪交じりの顎髭に酒の滴をつける男。
﹁﹃ソラ﹄の意見に一理あろう。戦力にならぬ者を数にいれること
に、意味などあるまい。あくまで戦況全域に眼を配らなければ、将
としてはつとまらぬ﹂
そういった男は冕冠から垂れるすだれのような紐の間から、ソワ
とソヴィを見据える。衣服は甲冑ではないが黄金で龍と孔雀が刺繍
されていた。
さらに1人が口を挟む。
﹁様子を見てはどうかね。﹃ソマ﹄の言い分はもっともだが、我ら
の最大の武器となる矛先が研ぎ澄まされるのを待つのもまた、一興
ではないかね?﹂
そういった男は黒い巻き髪、身体には彫刻を模したような革の鎧
を身につけていた。
﹁そのような悠長なことを言っている場合かね! 事態は切迫して
いるのですぞ!﹂
憤慨した様子の男は小柄ながら端正な顔立ちをしており、頭には
279
独特の二角帽子が大きく広がり、黒い軍服と白いズボン。その上か
ら赤いマントを身体に巻き付けている。
小男はもう一度、言い動を見やった。
﹁﹃ソユ﹄殿の意見も最もである。しかしながら我らに猶予が残さ
れているとは思われないが﹂
各時代から抜け出てきたような格好の男たちは、渋い顔をする。
と、そこへ不可思議な者が現れた。赤い光の鉄球を中心に2つの
光の筋が荒らせんを描くように回転している細長い、物体である。
﹁報告いたします﹂
と、その物体はなんと言葉を彼らに語りかけたのである。
﹁救世主、上級デーモンの襲撃を受けたもよう﹂
報告をするとその物体はその場から瞬間的に消滅した。まるでな
にもその場に無かったかのように。
ソワは再び髑髏の杯を手にする。というよりも杯自らが彼の手へ
移動するなり、泉の如く濁り酒がわき上がってきた。
それを一口に飲み干すと、ソワは立ち上がり、深紅のマントを翻
した。
﹁他の者にも意見を求めねばな。この﹃多次元界﹄、予の意見、う
ぬ等の意見だけでは動かぬ世界故になぁ﹂
これには他の王たちも頷く。
そしてそれぞれの玉座からそれぞれの居場所へと戻っていったの
だった。
ENDLESS MYTH第3話ープロローグ3へ続く
280
第3話ープロローグ3
プロローグ3
おおよそ人の作ったものではないであろう、死者や動物からその
まま抜き取ったかに思われる、生々しく濡れ光る骨で構築された長
テーブル。その長さもまた人間が作るそれとは、明白に長さが異な
り、長すぎるほど長かった。
テーブルには無数の影が左右につき、その周囲にも数多くの、大
小様々な影がひしめいていた。
上座にはレザージャケットを羽織った男から、レザーパンツのを
穿いた細長い脚をテーブルに乗せ、態度が良いとは言えない様子を、
全員へ押し付けていた。
影の分だけ声があり、その声はあまりにも雑音になっていた。
レザーの男の横には、黒い着流しに、白い墨を流したような着物
を着用した老人が、すっくと立ってテーブルにつく面々の顔を見据
え、手にある腰までの木製杖で、黒曜石の床を突き叩き、静粛を促
した。
﹁これだけの顔ぶれが集まるのは、第一次コルトキア星間大戦以来
ですな。そくさいでなにより﹂
老人の声色は枯れたススキの葉が擦れるような音であるも、眼光
は豹の如く鋭く、狼のように牙が鋭いように見えた。
﹁老体よ。挨拶は良い。話を先に進めよ﹂
その場に轟く雷鳴の如き声色が、場の空気を震わせた。
老人が天を仰ぐと、輝壁のようなものが全天を覆っている。
﹁見事な鱗、応龍殿ですな。大戦のおりはご苦労でございました﹂
それが無限に連なる鱗の群れの1枚に過ぎないことを、この場で
初めて見知ったものは、それから想像だにする巨体を考えるに、絶
281
句した。
﹁四霊に数えられる応龍を招くとは、︻ぬらりひょん︼、これはた
だ事ではなかろうな﹂
最前列、ぬらりひょんなる老人の横に座る、緑色の頭が動にその
ままへばり付き、四肢が雲のように複数存在する異形の者が尋ねた。
﹁はるばるエルセリア星区からのお越し、痛み入りまする、ベシリ
アンの代表、ギン・ベム殿﹂
と言うなり、ぬらりひょんは集結した妖怪世界の住人と各銀河、
宇宙域から集結した知的種族の代表を見回した。
人間の上半身のでありながら、下半身は毛羽だった針のような羽
毛で覆われた4足歩行を持つケンタウロス。
長テーブルの末席のさらに奥、巨大な触手をうねらせ、奥に落ち
くぼんだ、闇から凝視する数メートルはある目玉をぬらりひょん老
人に向けるクラーケン。
ライオンの如き頭部と蛇のような尾、コウモリのような巨大な翼
を羽ばたかせ、唸り声を発するキマイラ。
中には花嫁衣装を身につけた、美しい女性も居るが、その周囲に
は腐敗臭が漂い、顔色は明白に人間の血の気を失った鉛色をしてい
る。ルサールカという妖怪であった。
それら混じり合い、妖怪じみた様子をうかがわせるのは、各銀河
や別宇宙からこの場に集結した知的生命体たちだ。
人の形はしているが、そのサイズ感が明らかに人間のサイズ感で
はない、巨人の如き巨体を誇る種族が長いすの後ろに、ガシャドク
ロと並んで立っていた。
その前には人の形すらない、ゼリー状の物体が生命体と辛うじて
認識可能な範囲で呼吸をしていた。
またその横には肌色の、一見すると巨大な鳥の雛のような頭をし
ているが、そういったかわいげは微塵もない、中空に浮く肉の塊の
ような生命体が存在していた。
上座に態度を悪くして座る、﹃ロゼッタ・エジムンド﹄はこうし
282
た連中を前に、半分呆れた笑みを首の端に浮かべるのだった。
自分がこいつ等のボスであることは、紛れもない真実であり、こ
の連中の後ろに広がる幾兆、幾京の命が自らの手に握られているの
だと考えるだけで、改めて己が立たされた場所が、壮絶な山脈の真
上なのだと自覚せざるおえなかった。
﹁各妖怪代表ならびに各宇宙の種族を代表に集まっていただいなの
救世主
の覚醒が間近
は他でもない。︻レイキ︼との戦いはますます悪化を極めているの
は各位も存じていると思うが、ここにきて
となっていることをお伝えするためである﹂
瞬間、人間とは異なる音でざわめきが空間にどよめいた。
﹁救世主の覚醒はいつであるか﹂
天から今度は応龍とは異なった声色が空気を震わせた。
鱗の前に光の輝きが室内を照らす。これまで闇に覆われていたか
ら室内が見えなかったが、複数のねじれた柱が骨のテーブルを囲ん
でいる、広間となっていた。
鳥の形をした光、天空の光こそは四霊の1つに数えられる鳳凰で
あった。
﹁いつかはまだ分からない。だが俺たちがやることは1つ。奴らに
は奴らの世界でのやることがある。俺たちは俺たちがやるべきこと
をただ、やるだけだ。四霊なら分かるだろ﹂
ロゼッタは口悪く鳳凰を見上げた。
﹁レイキの軍勢、青の軍、黒の軍、黄色の軍はすでに500兆もの
宇宙を崩壊させている。手立てはあるのか?﹂
筋肉質の身体を甲冑で覆い、長い髪の毛から2つ突きだした角が
顕著にうかがえる酒呑童子が、ロゼッタ、ぬらりひょんを交互にみ
やる。
すでに彼らの敵レイキはここに居並ぶ種族、妖怪の代表たちを圧
倒していた。
﹁救世主なんぞに興味はねぇが、すべての鍵を握るのは、皮肉にも
あいつだ。俺たちは救世主がこの世界に来るまでの、壁ってわけだ。
283
やるしかねぇのさ、肉の一片になろうともな﹂
唯一の人間たるロゼッタの覇気は、まるで魔王を前にしたような
印象をその場にいる全員に与えたのだった。
ENDLESS MYTH第3話ープロローグ4へ続く
284
第3話ープロローグ4
プロローグ4
星々が消えゆく様を彼ら
ことだろうか?
8人
はいったいどれだけの数、見た
緑豊かな惑星が瞬間的に蒸発する瞬間、100兆もの人口を保持
する恒星系が超新星爆発に巻き込まれて、粉々になる瞬間、無数の
星系をまたいだ星間国家が争いの最終段階で最終兵器を使用して消
滅する瞬間。
幾億、幾兆もの瞬間を、世界が滅びる刹那を、宇宙が際を迎える
時を見届けてきた。
しかしまた今、1つの宇宙が消滅しようとしていた。自然現象で
はない。この世界の、次元の禍々しい者がその力で勝利をキバの加
えるところとしたからであった。
﹁いったい僕たちは何度、消滅と敗北を目の当たりにしなければな
らない。なあ、聴いているんだろ︻オルト︼﹂
8人
は彼らがその定めを全うするまで許されるこ
黒いエナメル質の裾の長い衣服をたなびかせ、ザトムが周囲を見
回した。
彼を含めた
とのない死から免れるべく、物理遮蔽壁の球体の中に身を置いてい
た。
元医師のザトムは何度となく周囲を見回すが、︻オルト︼の返答
は返ってくることはない。
﹁我々の目的はあくまでも傍観なのですから、仕方がないでしょう。
今更、何をいいだすのですか?﹂
小さい、まるで体毛のない猫の如き生命体は、小柄の専用円盤に
腰掛け、浮遊しながらザトムを見つめる。
285
アフタイは元は建築家であり投資家としての手腕も発揮していた
だけに、物事を客観的、合理的に見るのが得意なせいか、ザトムの
発言を少し、冷ややかな独特の猫のような眼で見据えたのだった。
元医師のザトムもまた人間とはほど遠い。人型であるのは間違い
のない事実だが、鼻はつぶれたように突起してなく、顔もノッペリ
として頭に髪の毛はない。耳は2つあり、首の左右にはエラ呼吸す
るための穴が複数、開閉を繰り返している。
声帯はあるザトムが声を荒げた。
﹁僕たちは死から少しでも人を救うためにここに集っている。少な
くとも僕自身はそういう考えでここに立っているんだ﹂
物理遮蔽壁の内側にザトムの声が反響する。
これを古さそうに耳を押さえたのは、ランドール・ベイスだ。元
は科学者として活躍していた経歴を持つ人物である。
彼の肉体もまた、人間とは異なっていた。まるまると太った緑色
の肉体をフォースフィールドで包み、まさしく肉体を丸めて球体と
なって浮遊していたのである。唯一、大きな顔に小さな口とそれに
似合わない巨大な3つに目玉だけが、他者へ自らの意思を伝える方
法として、常に正面を向いていた。
人間ではまず無理な体勢である。
﹁そう感情的にならないで。もっと冷静に物事にアプローチしまし
ょう。アフタイのいうように、我々の目的は観察なのです。これま
での救世主の行く末を見届けるのが役割なのですから﹂
﹁そうよ。難しく考えすぎなのよ﹂
と、紫色の髪の毛を方の後ろへ払いのけると瞬く間にその色が緑
色に変化した女性は、自らの肌の色までも緑色から淡い青へと変化
させた。
ヴァクニー・イェンは元歴史かである。あらゆる文明の崩壊を目
の当たりにしてきた彼女には、それが興奮材料のなにものでもなく、
ザトムとは感情的に真逆の作用が働いていた。
﹁いやいや。ザトムの意見、我は理解できるぞ。文明の崩壊、生物
286
の消滅。幾度経験しようとも慣れるものではあるまい﹂
カ・トロが独特のボサボサに破裂した針金と同じ性質の髪の毛と
髭をなで上げつつ、獣のような筋肉質の腕を大きく伸ばし、元々が
舞台監督だっただけに感情表現を豊かにして、ザトムの心情を理解
した。
けれどもその伸ばした腕もまた、人間とはことなり、肘と手首の
間にもう1つ、関節があり腕が自在に波打っていた。
﹁人の死なんぞは所詮、この程度ということだ。いちいち気にして
たらきりがないぜ。そうして俺たちはここまで来たじゃないか。今
更、なにをいってやがるんだ﹂
口悪く言ったのは、3メートルはある巨体が全身、金属に覆われ
たサイボーグの元兵士、ニック・マーであった。彼の大きな頭部の
半分は金属に覆われ、片方の眼は自在に動くレンズになっていた。
けれども他の種族から見た時、彼の肉体は非情に古風な技術であ
った。
﹁秩序ある世界が崩壊するのよ。やっぱり良い気分じゃないわ﹂
見た目は最も人間に近い。が、その全身を覆ったウェットスーツ
のような特殊素材の下は、ニック・マーと同じ機械の身体、つまり
アンドロイドなのである。
彼女は元電脳警察、つまり脳の中も機械化されたサイバネティッ
ク技術の集合体なのである。
7人はそれぞれの意見を口にしたその瞬間であった。最後の構成
が黒い煙に呑み込まれるかのように、彼らの下方で消滅した。最後
の灯火が消えたかのように周囲は真っ暗になる。
﹁これでこの世界はメサイタ︵終末︶したというわけです。我々は
最期をしっかりとこの眼で見届けました。それで良いのです。始ま
りは終わりへの道。いずれまた始まるのですから﹂
そう言い、全員の口を閉じさせたのは尖った耳が印象的なポルビ・
ライトである。
彼は彼の失われた世界の独自の言葉を使用していた。 287
﹁今はただ、静かに終わりをニーモ︵悲しみ︶するだけです﹂
そういうと彼は瞼を下ろし、まるで祈るかのように暗闇に意識を
集中させた。
と、その刹那である。瞳の奥に目映い輝きを見た。
慌て瞼を開け、背後の7人を見ると、全員が同様の感覚に包まれ
たのだろう、ハッとした様子で違いに、独特の風貌を見合っていた。
﹁ついに始まりましたね。最期の救世主の覚醒が・・・・・・﹂
ポツネンとポルビ・ライトは囁いた。しかしその胸中にはさっき
の言葉が幾度もこだました。
始まりは終わりへの道。
ENDLESS MYTH第3話ープロローグ5へ続く
288
第3話︱プロローグ5
プロローグ5
眼下は真っ赤に染まっている。血しぶきの波が寄せては、髑髏の
海岸線に血液の泡をたてる。
ここが死者が向かう﹁ヘル﹂であることを、波打ち際の髑髏の浜
辺に立ち、黒雲をたたえて、鉄壁のように重たい空を見上げ、そこ
から雨のように落ちてくる無限の人間たちを見ていた。
それが罪を侵した魂の成れの果て、残骸なのを彼女は知っていた。
と、彼女の白い頬を抜ける、生臭く生温い風は垂れ下がる黒髪を
なで上げ、黒髪に光る赤黒い光を一瞬、腐った空気に煌めいた。
﹁ほほぅ。これは珍しい﹂
黒髪に向けられた腐敗臭の吐息は、老人の声色を耳に届けきた。
振り向きざま、彼女の伸ばされた腕の先に、銃が握りしめられて
いた。
白く細い指先に黒いマニキュアが塗られた手にはおおよそ似つか
わしくない、シルバーに黄金の装飾が施された、銃身が長大なリボ
ルバーが握りしめられていた。
見た目はコルトパイソン357マグナムに類似しているも、毒々
しさと神々しさが隣り合わせた拳銃である。
太い銃口の先には腐った風にたなびかせ、おんぼろの布で細い身
体を包んだ老人が1人、ドクロの上に佇んでいた。
見た目で特に顕著なのは背負った櫂だ。まるで人の鮮血を今塗っ
たかと思うほどに、鈍く光っている。
﹁カローンか。あたしは渡し賃を持ってはいないぞ﹂
と、彼女が真っ赤な唇で囁いた刹那、銃はまるで腕に吸い込まれ
るように、消滅してしまった。
289
三途の川の防人は、しわくちゃの顔をニタニタとさせ、女の吸い
つくような肉感的な身体を、舐めるように上から下へと視線を落と
していく。
女の肉体は黒いライダースーツのような身体にピッタリと密着し
た衣服を身にまとっていた。
乳房と臀部が強調された立ち振る舞いだ。
﹁おぬしが死人でなく、ましてや因果律よりこぼれ落ちた悪質なア
ストラルソウルでないことは、一目瞭然じゃ。このようなことがで
きるものなど、そう多くなどなかろうて﹂
そういうとヘルの、実におぞましい光景、腐った腐肉の悪臭、鳴
り止むことのない死人、咎人の嘆き苦しむ悲鳴を全身で感じ取った。
﹁ヘルは物理空間ではない。このように儂も実体などない。何者か
がヘルを空間化、儂を擬人化したのじゃろう?﹂ ニタニタとまた彼女を見上げる老人であった。
女は老人の生臭い吐息から、再び血液が寄せる血の大海を眺め、
腐敗の臭いがする風を感じた。
刹那、波打つ鮮血の海面が突如として柱を複数、腐った空気中に
立ち上げると、おぞましきそれらが中空に現出した。
血しぶきをほとばしらせ、幾本も伸びた腕なのか脚なのか分から
ない、骨と筋だけの灰色の肉体に、無数の血管を浮き上がらせ、ま
るで見えない壁を這い上がるようい這い、妙に大きな頭を垂れ下げ
て、前方に突起した幾本もの牙を、不揃いにウネウネと波打たせた。
そうした化け物たちは、同時に腕らしき触手に無数の何かを巻き
付けていた。よくよくみるとそれは生物の内臓である。まるでアク
セサリーでも身につけ、着飾っているように、生々しい内臓を巻き
付けている。中には無数の目玉をコレクションのように肉体にちり
ばめている化け物もいた。
全長は大小若干の違いはあるが、大きさは200メートルを超え
ていた。
おぞましき化け物は彼女を目撃すると、即座に捕食行為に走った。
290
港内が鈍く光ったと思った刹那、無数の光の線が腐った空気を湾曲
しながら彼女めがけ一閃した。まるでレーザ︱の如く。
頭蓋の砂浜に着弾したそれは、とてつもない爆発を引き起こし、
果てしなく続いた海岸は灰となり、血液の海は蒸発し、海底の黒々
煉獄の姫
これもお前さんが想像した代物かのう?﹂
としたヘルの底が顔を出した。
﹁
頭蓋骨の砂浜を一蹴りで遙か上空へと跳ねた女。
その横に櫂をサーフィンのボードのように足下に横たえ、中空を
滑空するカローンの姿もある。
﹁ヘルの住人が自らの醜いアストラルソウルを具現化しただけだろ
う。私の趣味ではない﹂
鼻を鳴らした女は両腕を真上へ突き上げ。
途端、中空に小さな白い光球が現れたと思った刹那、それが瞬間
的に直径を50メートルほどに拡大すると、まるで恒星の如く輝い
た。
女はそれを腕を下ろすように軽く下ろすと、小さな恒星は高速で、
化け物たちに破壊されたヘルの地上へと落下していく。まるで隕石
の如くに。
津波を起こしていた血液の大海。その上空を獲物を求めて不気味
に浮遊するヘルの住人たち。
それら全てへ鉄槌の如く叩きつけられた光の球は、すべてを滅す
るかのように、素粒子の一粒にまで跡形もなく、熱で蒸発させた。
ヘルは彼女の現出させた小型の恒星により、瞬く間に崩壊へと変
じた。
血液の海は沸騰し、死者の遺体で構築された山脈は、砂の山のよ
うに突風に吹き消された。
渦巻く空は爆風で漆黒に染まった。
数秒後、あれだけの悲鳴と慟哭に包まれていたヘルには、静寂と
闇に覆われ、無となってしまった。
そこにはただ2つ、煉獄の女王と老人カローンだけが中空に立っ
291
ていた。
﹁自らが具現化した物理空間を消滅させるとは、遠慮がないのう﹂
そういいながら、圧倒的な彼女の力に、満足げに頷いていた。
老人はフクロウのように笑っていたが、見上げた彼女の不機嫌そ
うな、ツンとした表情に、勘が鋭く光った。
﹁救世主が気になるかね? そうであろうな、お主の立場としては
当然であろうな﹂
そう言い終えたと同時に老人の胸を白刃が貫いた。
彼女の手には西洋刀が鋭く光を帯びていた。
と、老人の肉体はまるで煙のようにするすると暗闇に消滅すると、
ヘルの闇に高笑いだけが響くのだった。
剣を腕から消滅させた女は、その妖艶な胸の膨らみの奥に、イラ
立ちと期待が混じった不可思議な気分が渦巻きのように、混じり合
っていた。
そして火物質化から開放され、もはや可視できなくなったヘルを、
転送能力であとにするのだった。
ENDLESS MYTH第3話ー1へ続く
292
第3話ー1
1
空間がひび割れた。メシア・クライストの悲しみが物理世界に伝
染していくかのように。
超科学の要塞たるイデトゥデーションの、外観が円柱状なれど、
外部は異空間が無限大に広がる本拠地は、その人智を超越した力の
暴走により、大きな揺れに巻き込まれていた。
各部、各空間では非常事態を告げる音波、あるいは光の明滅が起
こり、全宇宙、外宇宙、他次元から集結したあらゆる種族へ共通の
危険度を、あらゆる手段で認識させていた。
上空を飛翔する生命体、地を虫のように幾本もの脚で這う生命体、
壁に泥のようにへばりつき、黒曜石のような壁面の隙間から逃げ出
す生命体など、魑魅魍魎の跋扈としか思えぬ光景が、あらゆる場所
で展開していた。
瓦解する空間の震源地には、幼少の頃から親代わりのように接し
てくれたマックス・ディンガーを眼前で素粒子分解により失ったメ
シアが、四肢をだらりとぶら下げ、中空へと浮遊しつつあった。
事象の原因がメシアであることは火を見るより明らかで、さっき
までの光景を愕然と眺めていたジェフ・アーガーは、浮遊していく
メシアの脚へ腕を伸ばした。
﹁駄目だ! 触ったらお前もーー﹂
と、脚からの出血で手を真っ赤にしたベアルド・ブルが叫ぶ。
が、彼が予測した展開とは異なる事態に眼を剥いた。
暴走し、超科学の空間を今、瓦解せんとするメシアの肉体を、足
首を、一般の極ありふれた若者がむんずと掴み、メシアの身体を鋼
鉄の地面へ引き戻したのだ。
293
これには若い兵士も口を閉じるしかなかった。何が起こったのか
分からないから。
反重力で球状の空間に振るうする彼らの足場も、メシアの力によ
って不安定となり、揺れを激しくしていた。
上空に貼り付いていたメシアを引っ張り下ろしたジェフが彼の顔
を見るなり、思わず後ずさりした。
眼は見開かれているものの、眼球は内部から放射される光で見え
ず、意識があるのかすら定かではない。
よくよく見ると、カラダからも煙のようにオレンジ色の光の粒が
立ち上っていた。
﹁メシア、おいしっかりしろ!﹂
一瞬、躊躇が頭をもたげたが、それもすぐに引っ込み、ジェフは
その手をメシアへと伸ばした。
が、これの肩を掴んだ右手には、激しい激痛と、焼ける痛みが針
のように刺さり、思わず手を離してしまった。
﹁今の彼には触れるな。お前の命が危険だ﹂
そういうと、脚を引き釣りながらジェフの肩に手を乗せ、ようや
く立つことができたベアルドは、事象の中心を見つめ、運命の終焉
を予感せざるおえなかった。
が、運命の歯車は未だ動き出したばかりであった。
物理的絶食を拒むメシアの周囲に、不意と複数の影が現れた。
転送して来訪したのだ。
﹁救世主の肉体を繭で包み、外界への干渉を遮断する﹂
と低い、響く声色で言った人物は、大男であった。黒いケープに
身体は覆われているも、そのガッシリとした肉体は、外から見ても
分かる。
何よりも顕著なのは、その肉体全体に施された黒と赤の刺青であ
る。何らかの種族的イデオロギーの象徴なのだろうが、あまりに鮮
やかである。
またスキンヘッドの頭部には無数よ牙のような角が突起し、更に
294
それが首筋から全身におそらくは配置している様子であった。
ケープの下から角だらけの刺青をした腕を伸ばした刹那、メシア
の肉体は地面から急速に這い出てきた無数の黒い紐のようなものに
覆われ始めた。
まさしく繭にメシアは包まれたのだ。
が、時空の裂け目はその大きさを更に巨大化させ、開口していく。
﹁繭だけでは不十分ね。遮蔽壁を五千、いいえ一万は必要ね﹂
そう言ったのは、緑の皮膚が眼に鮮やかな女性らしき人型生命体
だ。
装飾の施されたビキニのような衣服。
緑の両腕を上げると、腕から無数の細く短い職種のようなものが
垂れる。が、蠢きはしなかった。
女が腕を上げた途端、繭の上を幾重にも光の繭が瞬間的に覆った。
その時、ようやく時空の裂け目は収まった。
﹁この施設の自動修復ですらも、ここまでの事象を修復するには時
間を要するでしょうね﹂
女性的な口ぶりとは裏腹に、桃色の皮膚に水色の渦巻き模様が入
った女性は、ウロコのような嘴で言った。
こうした者たちを見ていたジェフはしかし、妙なことに気づいた。
桃色の皮膚の女の前に、鏡に映ったもう1人の彼女が立っていたの
だ。
﹁鎮静物質を救世主の身体へ﹂
また職種のある女性が言ったと思った時に、さっきまで鏡に映っ
ていたかのような女性は今度、この職種の女性へと変化していた。
呆然とするジェフ。
﹁君は大丈夫かね﹂
と、こっちを向いた瞬間、その人物の姿はジェフ・アーガーの姿
へと気づいた時には変化してしてしまっていた。
ENDLESS MYTH第3話ー2へ続く
295
第3話−2
2
その空間が医療施設であることを認識したのは、ジェフが空間へ
ベアルド・ブルとメシア・クライストを包んだ繭と共に転送されて
から、地球の時間で10分ほど後であった。
転送されたので先は、大きな螺旋状の青い光の渦が延々と回り続
ける広大な空間の、中央に位置する中空である。
渦以外の部分は漆黒に閉ざされ、中空にもかかかわらず、足裏は
床をとらえていた。
転送と共に繭のフィールドが弾け、黒い繭の糸が1本いっぽん解
けるかのように溶けていき、浮遊して横たわるメシアの蒼白の寝顔
が現れた。
髪の毛はまるで蛍が明滅するように、金色に光っていた。
初めてメシアの異常を目撃したジェフは、眼を丸くするばかりだ。
﹁あれはどういう状態なんだ﹂
呆然とか横に居合わせた、現時点では部外者の同類であるベアル
ドに聞く。
と、ベアルドを見た時、あれだけ出血していたベアルドの怪我が、
まるで嘘のように、綺麗に完治していた。
新たな衝撃を受けるジェフの顔と、自らの脚を交互見比べる若い
兵士は、これがどういうことなのかを、平然と未来人の立場から説
明した。
﹁生命維持と治療に特化した空間が完成を見たのは、50世紀以降
の話になる。ナノマシンを利用した細胞レベルでの治療となるのだ
が、それを更に
発展させたのがこの空間になる。生命細胞を光子によって修復する
296
技術だ。同時に精神の安定を目的とした独自の周波数音波が発せら
れて、心身の両面から完治を目的としている﹂
そこから異変が続くメシアの姿に視線を落とし、彼が何者である
かを告げた。
﹁彼はこれから起こるすべての出来事の中心であり、すべての事件、
歴史、超常事にか関わる存在。今はそれだけしか言えない﹂
いったい自分の目の前でなにが起こっているのか、未だにわから
ぬまま、メシアを見たジェフ。
この間にもメシアの周囲では、例の異種族たちが彼の肉体を囲み、
会話を繰り返していた。
さっきよりもなお、人影は増えていた。
﹁固有振動数が上昇している。覚醒の前兆とは思われるが、このま
ま覚醒してしまっては、彼の自我が持ちこたえられない﹂
そう言葉を発したのは、一見すると人の形をしてはいるものの、
正面から見た時、その人物の背中の風景が透けて見えていた。まる
で透明人間を具現化したかのような姿であるが、煙を人型に押し込
めたような、靄が内部で浮遊していることにより、辛うじて人型に
見えていた。
﹁内蔵、循環器に異常、疾患は見られない。肉体的には問題はない
けど、このままだと自分の力に押しつぶされて、細胞崩壊する可能
性が高いわ﹂
そう言った女性は人の姿をしているが、皮膚は青白く、髪の毛は
紺碧色、瞳はオレンジ色と、人間から遥かにかけ離れた色、姿をし
ていた。
原色の種族が横を見ると、そこには大柄で肩と桃の筋肉が発達し
た、皮膚が茶色い、明白な硬化物質でできている男が立ち、頭部に
ある4つの瞳で、メシアを見下ろしていた。
﹁この宙域から離れるのはいつぐらいになりそう?﹂
そう原色の種族が鋼鉄の男に話しかけた。
4つの瞳が紺碧色の髪の毛を一瞥し、再びメシアへ4つの視線を
297
下ろし、唸るように考え込んだ。
﹁想定外の攻撃であったからな。流石にまだ動けんさ﹂
鋼鉄の男はその巨体に似合った、低い声色を出す。
﹁できるだけ早くしてもらわないと、救世主を敵の手から離さない
と﹂
危機感を口にしたのは、脱色したような、あるいは白塗りをした
かのような白色の皮膚と、額に盛り上がった蜘蛛のような皮膚のコ
ブが印象深い人物である。
鋼鉄の男は不機嫌そうに、白色の中性的な人物に4つの視線を向
けた。
﹁イタズラに時を弄しているわけではない! 修復を最大限の人員
で急いでおるわ!﹂
警備と施設管理を担う男は、不機嫌をその見た目通り岩のごとく
顕にする。
と、そこへまたしても別の人物が現れた。この中では逆に意外な
ホモサピエンスの姿をした、地球人である。
けれどもその女性の顔には、黒く光沢のあるレザーのマスクが装
着されていた。頬との接続部は金属の円盤でできていることが、す
ぐに理解できた。
﹁彼の状態は?﹂
機械で変性させられた、機内的な声音が空間に響く。
﹁状態は安定しているけど、今はここから出すわけには行かないわ
ね。いつ力が暴走するかわからないもの。次に暴走したら、全時空
が消滅してもおかしくないもの﹂
冷静に言うが緑色の皮膚をして、触手が垂れ下がる女性の内心は、
震えていた。冗談ではなく、本当に彼には全てを無にする力がある。
全ての中心なのだから。
マスクの女性は大きく、安堵の溜息を漏らすと、今度は事態を外
野から目撃していた男2人に視線を移動させた。
﹁ソロモンの援護はないのよね、やっぱり﹂
298
と、ベアルドを見て彼女は、目元だけで苦笑いした。
脚の傷の完治を自らも目視で確認したベアルドは、首を横に振り、
彼女の意見に同意の意思を示した。
﹁我が組織の最優先目的はコアの確保にありました。この時代、次
元での目的格果たされた以上、干渉することはありません﹂
断言した若い兵士。新兵が脳内へインプットされたこの時代での
目的であった。
頷いた彼女は横に立つジェフを一瞥ししてから、再びベアルドに
視線をスライドさせ、
﹁ここは医療関係者以外の立ち入りは原則、禁忌ですので、移動し
ましょう。そこで戦況と現状も説明します﹂
と、現状を把握していないであろう2人の男の肉体は、細胞が瞬
間的に分解されたのであった。
ENDLESS MYTH第3話ー3へ続く
299
第3話ー3
3
そこは手の届く小さな宇宙のようだった。漆黒の空間なのは相変
わらず変わらないのだが、周囲に広がる無数の銀河。その大きさは
3メートルほどしかなく、これも相変わらずの形容しがたい種族が、
そうした銀河の中心に立ち、銀河の星星を指先で触っては、何かを
チェックしたり、並び替えたりしていた。
転送したジェフは、そこがどういった意味を持つ空間なのかを把
握できなかった。
ただただ広大で先が見えず、雲霞の種族が密集しているのだけは
呑み込めていた。
レザーマスクの女性は、1人の現代人と1人の未来人から視線を
横に移動させた。
すると漆黒の空間に、原寸大の地球が現出したのである。
足下全体が例の如く悲鳴を上げている様子が、再び彼ら2人へと
突きつけられたのだ。
﹁地球は、世界が消えてしまう﹂
落胆に肩を落とすジェフ・アーガー。
﹁この次元のテラは救われました﹂
と、レザーの口元から機械的な声がジェフの顎を上げさせた。
﹁これを見て﹂
そう女性が言った直後、足元の地球へ急激に風景が落下すると、
またたく間にそこは地球内部の、破壊された都市の中心部へと変化
した。
﹁タイムズスクエアか﹂
一目でベアルド・ブルには認識できた。ニューヨークでもっとも
300
有名な、タイムズスクエアの交差点に、漆黒の空間は変貌していた
からだ。
けれどもそこに輝きはない。ビルは崩壊し、ネオンの光は失われ、
信号機は倒れた、人の姿は消えていた。
ただあるのは、瓦解した瓦礫と朽ち果てた遺体の山ばかりである。
﹁これは現在のニューヨーク。ご覧の通り、デヴィルズチルドレン
の姿はありません﹂
確かに魑魅魍魎の姿はない。
鋭い爪で地上に痕跡を残したが。
﹁地球は、世界は救われたと!﹂
すがるようにニューヨークの中心でジェフは、マスクの女性へ質
問した。
﹁それは短絡的な考えだと、貴方もご存知でしょう?﹂
ジェフが本心からそう言っているのだと、彼女は思っていなかっ
た。
彼女は鼻を鳴らすと瓦礫の山を、視線をジェフへ維持しながら指
先で、彼の意識をそこへと促した。
ジェフ、べアルドが瓦礫の山を見た時、瓦礫の隙間から黒い液体
がにじみ溢れた。
オイルかなにかの液漏れか?
ジェフはそう思ったのだが、それが液体ではなく、蟻のような小
さな生命体なのだと瞬間的に気づき、背筋に寒気を感じた。
蟻ではない。無数の脚を備えた、黒い目玉であった。
それがうじゃうじゃと蠢き、見るものに寒さを与えた。
﹁人類の戦争はこれからです。ホモサピエンスがテラに生を受けて
より250万年。本当の歴史はこれからなのです。果てしなく長く、
終わりが来るのかも分からない、敗北への戦争を知るのです﹂
ニューヨークの街は霧が晴れるように霞と消え、次に彼らの前に
現出したのは、南アメリカ大陸に位置するギアナ高地の圧倒的な自
然であった。
301
しかしそこに数日前まで広大に生息していた大自然は、跡形もな
く消えていた。
ただそこにあるのは絶壁の岩壁が崩壊して、緑が無残に押しつぶ
された、荒廃した世界である。
壊れた大自然を背景に、レザーマスクから再び機械的音声が流れ
た。
﹁世界は崩壊しました。人類の文明は再び再生しなければなりませ
ん。遠く、果てのない戦争と文明の再生、拡散、他種族との接触。
茨の道がこれから始まるのです﹂
うそぶいているとは到底おもえない彼女の言動を受け、ジェフは
思考回路が真っ白になってしまった。
﹁その中から多くの英雄が誕生する。敵はあまりに強大すぎる。だ
から他種族と協力して、戦わなければならない﹂
横の未来人がジェフへ言い放つ。
これを受け、突如として輝く光がギアナ高地の空に輝いた。
﹁しかしそれは物語の本当の流れにはない。全ては脇役にしかなら
ないのです﹂
イヴェトゥデーションの統率者の声色だ。
純エネルギー体は、姿を具現化することなく、平静に語った。
﹁救世主、全ては彼のために動くのです﹂
﹁メシア。彼は何者なんだ﹂
ジェフが間髪を入れずに問う。
が、皆は沈黙を持って、答えた。
今はまだ明かす時ではないかと意図する沈黙なのは、現代の若者
にもすぐに理解できた。
ENDLESS MYTH第3話ー4へ続く 302
第3話︱4
4
レンガの床を革靴の厚い踵で踏みつけ、不敵な笑みを周囲へと這
わせる。
そこには瓦礫の山があった。ただ普通と異なることがひとつ。重
力に従わず、中空を浮遊していたのだ。
ファン・ロッペンが立つレンガの地面。そこも割れた2メートル
程度の、石畳であった。
斜め、上下に回転する石畳には、重力場が固定されているせいも
あって、輝く霧が浮遊している広大な空間に放り出されることはな
く、不規則に回転する他の瓦礫と衝突することもなかった。
﹁これも襲撃の影響ですか﹂
微笑みの中に、不気味な鈍い光をまとった彼が、レンガにこぼす
ように囁いた。
﹁元は美しい街並みがこの空間には建っていたのだがね。住居空間
も通常は僅か2秒とせず復興するが、デーモンの悪臭が空間の自己
修復特性を妨げている。
まったく救世主がこれから彼らを含め、戦わければならない敵の
強大さは、ため息が出るほど巨大だねぇ﹂
他人事として、ヘラヘラと口にしたのは、昆虫のような肉体を持
つソフリオウなる、別に次元の宇宙から逃げ延びてきた種族である。
医療空間での様子とは別人の、軽い印象であった。
﹁その前座を務めるだけの存在とは、わたしたちも惨めな定めね﹂
塔の頂上が縦に割れた瓦礫に乗る昆虫生物の横、建物の窓枠だけ
が流れるその上に、緑色の皮膚、至るところから皮膚の余った皮が
触手のように垂れ下がった、遠い宇宙の果てで崩壊した種族、ミサ
303
イルラン人。医療空間とはやはり別人のように、ふてぶてしい態度
で窓枠に立っていた。
また口調が変化していたのは全身に赤、黒の民族的タトゥーを施
した大男、ブソナレロなる種族であった。
﹁世界を変えるのは俺たちなんだよ。前座じゃねぇ、これで終わり
だ。あいつを殺せば、俺たちの望みはすべて叶う﹂
欲望を剥き出しにする大男であった。
﹁救世主の覚醒、人類文明の復興、大戦の始まり。デヴィルのシナ
リオ通りですな。ただ我々の思惑とはいささか重ならない部分はあ
るようですが。我々の全滅、それがこの物語の、デヴィルの描くシ
ナリオですな﹂
ラーフォヌヌは透明な肉体の内部に赤い炎のような、蛍火の如き
光をたたえていた、これがこのラーフォヌヌなる別次元宇宙から生
存した種族の特性である。感情をこうした発光で外界へ伝達するの
である。
﹁デヴィルはデヴィル。俺たちは俺たちってことだ。救世主を屈辱
のもとに排除する。目的はただ1つ。もっとも我ら︻咎人の果実︼
の目的を逸脱している者もいるようだがなぁ﹂
そう言って汚らわしい視線を横に向けると、コンクリートの塊の
上に、黒髪をたなびかせるエリザベス・ガハノフが俯き、周囲の異
種族と瞳を合わせないようにしていた。
彼女の気持ちはすでに周囲には明白であり、それが自らの立場、
使命の妨げになることも理解していた。
﹁困るんですよねぇ。そういう態度では﹂
ダラリと垂れた皮膚を腕から、カーテンのように伸ばすミサイル
ラン人が困り顔でいう。表情は別次元の種族とはいえ、人間のそれ
と似たものがあった。
﹁わたしの感情が使命の妨げになることはけしてない。使命は必ず
まっとうする﹂
決意の視線を上げるエリザベス。
304
が、ファンはそれをニタニタとみていた。
﹁本当に貴女にできるのでしょうか? メシア・クライストを殺す
という行為が﹂
眼を見開き、真意を問い詰めるようにファンは言い放った。
﹁やってみせるわよ。例え心が破裂したとしてもね﹂
自らの気持ちを隠すことなく吐露するエリザベスの瞳の奥には、
鈍い決意の炎が見え隠れしていた。
しかしながらファンが彼女がどういった宿命の元に産まれたか、
存在理由と定めを理解していた。だからこそそこに興味とおもしろ
みを感じ、心底、楽しげに微笑みをその面長の顔にたたえるのであ
った。
﹁向こうの時代へ先に行っている連中からの知らせは?﹂
話の細先をエリザベスの私欲から使命へと向きを変えたのは全身
タトゥーの大男だ。
﹁戦場に支障はない。目的はぶれることはないんだからなぁ﹂
そう面長の男は微笑むと同時に、行動を起こす運命の日が近いこ
とを予見する瞳を、この場にたたずむ全員に向けるのであった。
﹁戦いはこれからだ﹂
ENDLESS MYTH第3話ー5へ続く
305
第3話−5
5
赤土がどこまでも広大に続き、星空が地平線の彼方に展開するそ
の場所は、まるで月面に立っているかのように、地平線の下から湾
曲した緑かかった惑星が頭を出し、これから日の出が始まるかのよ
うな風貌をしていた。
イラート・ガハノフのまっすぐに伸ばされた腕には、例のモデル
ガンが握りしめられ、銃口の先端は上る惑星へと矛先を向けている
のだった。
﹁地球なんてちいせぇ世界に引きこもって人間にとっちゃ、こんな
の信じられないよな。ここがどんな目的の空間なのかは知らねぇけ
ど、これだけのことをできる文明が、宇宙と宇宙の外にはわんさか
いるんだろうな﹂
感心する一方でどこか少年っぽい彼の口調には、感情らしきもの
が見えず、どこか他人事のようにいっていた。
彼の心はここにはなく完全に逸脱していた。心、思考の先端はす
でに、自らの大望、レゾンデートルのありかへと移動していたのだ
から。
オレンジ色の瞳、紺碧色の髪の毛。人間の姿をしていながら、皮
膚の色は蒼白と、人間の様相を呈しながら人間ではない宇宙の彼方
の種族トチスの女性もまた、上る巨大惑星を見つめる。
﹁ここは天文観測空間。この時間の宇宙、現在、過去、未来の宇宙、
別空間の宇宙など、あらゆる宇宙空間の観測を目的として設計され
た空間です﹂
イヴェトゥデーションに拾われてより長く、組織の施設内部を熟
知した様子の口ぶりであった。
306
﹁空間ってのは作れるのかい﹂
不思議そうにオレンジの眼球と視線を合わせるイラート。
﹁ええ。空間とは3つの次元と1つの時間で構成されているわけで
すから、次元の操作技術さえ確率してしまえば、次元構築を行い、
空間を形成するだけのことです。あとは空間という箱の中に時間軸
を設定してしまえば、時は砂のように流れてくれるだけですから。
人間が未だ解明できていない数式を解明してしまえさえすれば、人
間もいずれは空間構造を把握し、時間連鎖を操作するようになるで
しょう﹂
赤子の人間と言わんばかりに微笑むトチス人の女。
それを侮辱と受け取ったイラートが言い返そうとした時、
﹁科学講義はあとにしろ。咎人の果実はもう動いている。︻繭の盾︼
たるワシ等も対策を練らなくてはならないのではないのか﹂
茶色い金属の皮膚と巨大な筋肉に覆われ、額に瞳が4つある宇宙
の辺境惑星出身のノーブランの男が叫ぶ。
警備担当としての仕事と救世主を守護する︻繭の盾︼としての役
割に対する律義さ、頑固さ、短気さは、ノーブランの種族的イデオ
ロギーから発生するものであり、声量が大きいのもまた、ノーブラ
ンの特徴的な一部であった。
﹁警備体制に抜かりはないんだろ?﹂
大男に問いかけるのはニノラ・ペンダース。地球からメシアたち
と合流した黒人青年であった。
﹁ワシが指揮する警備体制を疑うか、人間!﹂
興奮するノーブラン。
それを黒い掌で軽く押さえ、その場に集結した︻繭の盾︼に属す
る面々の顔を一瞥した。それぞれがこれから始まる戦いのために生
を受けた生命体たちである。
﹁貴方を疑っているのではない。万全をきしても尚、万全にしなけ
れば。我らの置かれている立場を考慮すれば、万全であろうとも、
心配は尽きないのです﹂
307
自ら憤慨していた鋼鉄の男も、流石にこれにら鋼鉄の口をつぐむ
しかなかった。
﹁向こうの時間での準備は?﹂
誰に聞くでもなく、全員を見渡す若い黒人。
すると全身に渦巻き模様があり、鱗が2枚かさなったような嘴を
したニャコソフフ人がその、小さな嘴を上下させた。
﹁向こうの時代で︻咎人の果実︼とすでに交戦状態にあるそうよ。
あたしたちも急いで移動しないと、劣勢においこまれるばっかりだ﹂
粗暴な言い方をする彼女もまた、医療空間の呈したそれとは性格
が違っていた。
﹁だが救世主はまだ目覚めないぞ﹂
ニノラの横、ホモサピエンスにしては巨体で筋肉の鎧を身に着け
ているようなイ・ヴェンスが腕組みをした。
﹁あんな男のためにあたしたちが犠牲になる意味ってあるの?﹂
脳天から抜ける甲高い声は、相変わらずふてぶてしくこの場に立
つジェイミー・スパヒッチであった。
﹁ここに立つ意味はそこにある。永劫の過去から我々の魂はこの場
に存在するためだけにあった。神々がそう仕組んだのだから、彼を
守護するのが我々の宿命だ。放棄は許されない﹂
厳しい口調に自然となるニノラ。
﹁だって生きるってもっと自由のはずよ。それにあたしだけじゃな
いと思うけど、疑問をいだくの。そうでしょ、マキナ﹂
マリア・プリースの親友であり、彼女にだけは唯一、心を開いて
いたマキナ・アナズ。だがマリアの損失で埋められない穴を抱いた
まま、この場に立つも、親友以外とは言葉を交わすこともなく、む
っつりとしていた。
急に話を振られ、顔を上げたボブヘアの丸顔の女性は、戸惑いが
顔色にそのまま現れた。
﹁私的感情を考慮しているほど、今の我々に余裕があるとでも?﹂
わめくジェイミーに対して、少し不機嫌そうに言ったのは複数の
308
種族の混血であり、額に蜘蛛のようなコブがある色白な人物である。
それ以外を除けば性別が中性的にしか見えないところを省けば、ホ
モサピエンスといっても過言ではない風貌をしていた。
これに対してもう1人、ジェイミーの姿をした人物が口を開いた。
﹁救世主を守護する宿命を拒んでも、世界はいずれ彼を目撃する。
最悪の事態となった時、無に帰する世界を黙ってみることになる。
わたしたちに選択しは最初からないんだ﹂
何者かに常に化けている種族、デンコーホンがジェイミーに化け
つつ言い放つ。
﹁ちょっと、あたしに変化してそういうこというの、やめてくれる
?﹂
不快感を遠慮なくあらわにするジェイミー。
﹁とにかく、救世主の目覚めを待たなければならない。彼も事情が
分からないままに、付き合わされているのはきついだろうからね﹂
ジェイミーの金切り声に一瞬、苛立ちのにおいをさせた言葉を吐
き出したニノラは、巫女に類似した姿でこの宇宙空間を望む大地に
立つ女性に視線を移動させた。
﹁君の組織は我々をバックアップしてくれるんだろ?﹂
この異形の種族の中に在りながら、その存在感は人間以上のもと
を醸し、たたづまいも若者という概念では推し量れない、威風堂々
たる立ち姿をしていた。
KESYAから派兵された守護する者として、この場でのポリオ
ン・タリーの言動はKESYAの総意としての発言権をはらんでい
た。
それでも彼女は堂々と宣言した。
﹁KESYAは何事があろうとも、救世主を保護し守護する立場は
変わりません。時代、時空が変動しようとも、不動の意思のもと、
私たちは行動をおこしているのです﹂
強気な態度に半分笑ったニノラは、また全員の顔を一瞥するので
あった。
309
﹁時間は止まることを知らない。避けては通れない大波が眼前に迫
っている。我々がこの盾で救世主を狙う矛から守らなければ、すべ
てが終わってしまう。この命、この時のために・・・・・・﹂
と言い終えたニノラであったが、その顔には悲愴感がにじんでい
た。自らがこれから手をかける絶壁がどれほどまでに苦難なのかを
理解しているから。
ENDLESS MYTH第3話ー6へ続く
310
第3話︱6
6
地球大気圏外に停滞していた筒状の黒い浮遊物体は、その巨体を
少しずつ地球から距離を置き、逆に月面へと近づきつつあった。
1宇宙キロの基本単位をつっくりと移動するそれは、異種族宇宙
生命体の複合組織の建造物としては、申し分のない雰囲気を周囲に
振りまき、漆黒の闇に溶けこんでいた。
外面の穴はまるで小さい虫が集積したかのように、光子が集まっ
てきて修復してしまっていた。
また内部空間もすべての空間が修復を完了し、デーモンの強襲前
となんら変化のない空間集合体となっていた。
複数の空間を内部に内包するイヴェトゥデーションの、すべての
中心となる空間。ジェフ・アーガーとべアルド・ブルが黒いレザー
マスクの女性に案内されて訪れた、司令空間とでも形容すべきそこ
に、複数の影が転送されて現出した。現代の若者たちであるファン・
ロッペンたちである。
直径3メートルほどの銀河のような光の渦。そこがコンソールと
なっているのであろう、ファンたちと同時に転送してきた他種族た
ちも一斉に、宇宙空間が広大に眼前に広がる空間の中空を歩き、各
持ち場へ鎮座して、光の渦を自らの周囲に展開させた。
座ると言っても、そこも中空であって椅子らしきものは見当たら
ず、まるで空気椅子をしているかのようであった。
﹁座標を固定しました。移動を開始します﹂
タコ。形容するならばそう表現せざるおえない、不気味な複数の
触手がねじられたような様相をしている種族が、周囲に展開する光
のコンソールの粒を無数の触手で触れながら、周囲へ告げた。
311
﹁移動? 地球を離れるのか!﹂
驚くジェフがレザーマスクの女性を凝視する。
﹁この状況を、あの地球を放り出して逃げるっていうのか﹂
激高するジェフ。
これに答えたのはイヴェトゥデーションの最高責任者であり、肉
体を有することのない生命体であった。
﹁常に移動を。それがイヴェトゥデーションの方針です。デヴィル、
デーモン、デビルズチルドレン。敵は宇宙、空間、時間のあるゆる
ところに潜んでいます。生きをする、鼓動を打つだけで感知し、一
瞬で距離を縮められ、捕食される。それが我々が相手にしている敵
です。だから逃げるのです。1つのところに止まることを許されず、
移動を永劫に続ける﹂
﹁だからって人間を見捨てるのか﹂
興奮が収まらない様子で叫ぶジェフ。
だがこれに乗ることのない、冷めたような声色でペタヌーは諭し
た。
﹁冷静におなりなさい。人類はまだ生き続けている。しかし人類を
含む多くの生命体の命運を握っているのは、メシアなのです。彼の
灯が消失した刹那に、終わりなのです。そのためにも一か所にとど
まることは許されないのです﹂
と、ペタヌーが興奮する人間に冷静さを求めた時、目の前にある
地球は瞬間的に消失してしまい、次に現れたのはまるで異なる緑色
の惑星であった。
﹁固定座標を確認、各時空に異常確認できず。移動完了です﹂
さっきの軟体生物が淡々と報告したのだった。
眼前にあったはずの惑星の瞬間的に変化と、その周囲に展開され
る光景には、人類の救済を求めていたジェフの口すらも、紡いでし
まう圧倒的な力があった。
複数の黒い筒状の、全長が500キロは量がするであろう巨大建
造物が、黒曜石の如き輝きをまとい、惑星の周囲に広大に展開して
312
いた。まるでそれは目的地を目指す軍艦の群れのか、あるいはクジ
ラの回遊に似ている光景であった。
現代の若者たちは、それとは気づいていなかったが、周囲に数多
鎮座する建造物の外観は、彼らが足を置くイヴェトゥデーション本
拠地と、寸分たがわぬ外観をしていた。
見ると周囲では小さい光の明滅が幾つも起こり、宇宙で起こる花
火のような美しさが醸し出されていた。
﹁ここは人類文明圏が誕生した天の川銀河を含む宇宙の山脈グレー
トウォールから7つ、宇宙の漆黒領域ボイド領域を挟んグレートウ
ォールに属する惑星です。あなた達の前に広がるのは、人類がまだ
見ぬ外宇宙の彼方なのです。おそらく人類がこの場に到着するのは
数億年先の未来。ただし目の前の惑星はその時にはすでにありませ
んがね﹂
ペタヌーが丁寧に説明した。
するとジェフの横に立つベアルドが惑星を凝視する瞳で、声だけ
を彼へ向ける。
﹁地球では大気が光の青い部分を反射しているから空は青くなる。
大気成分が異なるあの惑星は、光の緑色の部分だけを反射するから、
空が緑色なんだ﹂
そしてまた別の方向から声がする。巫女の格好をしたKESYA
の一員、ポリオン・タリーである。
﹁貴方が見ているのは、人類が遠い彼方の未来で経験する戦争よ。
こうして爆発が物理空間にまで及んでいるけれど、実際の戦闘は亜
空間、超空間など違う次元、もっと高次元レベルにまで波及してい
るの。その爆発の漏れが見えているだけ﹂
と巫女が言った刹那、周囲の空間が瞬間的に、紙芝居のページを
抜くように変化した。
そこは緑の空の下、戦時下の渦中にある惑星内部の光景だった。
大気を映したかのように真緑の大海がうかがえる平野に彼らの司
令空間は風景を変えていた。この時、嵐が発生していたらしく、見
313
たこともない草が風になびき、緑色の大海は大きな波を砕いていた。
遠くには山脈が見えるが、岩石の成分が異なるのだろう、赤い山
脈が地平の無効に壁をなしていた。
空へ眼を転ずれば、黒い筒状の物体が緑色の雲の彼方にシルエッ
トとして見え、その下の大空を光が無数の飛び回り、爆発があちら
こちらで起こっていた。
﹁ここの戦場は原始的な戦をしておる。だからこうして可視可能な
のだ﹂
警護を担当するノーブラン人の鋼鉄の唇が動く。
﹁原始的って、これのどこがだよ﹂
愕然とするのは現代人の若者であるニノラ・ベンダースだった。
︻繭の盾︼たる彼でさえ、地球外の理をしりはしない。
﹁機械。意識を持ったロボットが戦争を担っている。君らの世界で
いうところのAIだな﹂
ロボット? そう頭を若者たちが傾げたその時、前方の山脈が震
えた。地震である。おそらく現地に実体化していたならば、彼らは
立っていられないほどの揺れを経験したであろう。それほどの揺れ
が見ただけで分かった。
山脈は揺れに耐えかねず大きくひび割れ、がけ崩れがあちこちで
起こる。
そしてそれは山脈の向こう側から現出した。巨大な指先を山脈に
ひっかけ、甲冑を持ち上げ、その腕に光で構成された槍を所持する
巨大なる兵士。
地球でタコの化け物と戦ったあの巨人と同じ類のものであった。
﹁あれは例外だがな﹂
と言ったノーブランの背後、大海の波しぶきをかき分け、これも
また数キロを超える蛇の胴体のような黒く長く、うねる物体が急浮
上して、中空で一度うねると、平原へと突進してきた。
これを迎え撃つかのように、平原の彼方から、四足歩行の豹、あ
るいはチーターの如き金属の獅子が光で連結されているロボットが
314
無数に現れ。全速力で迫ってきた。
そして傍観者たる彼らの眼前で2つの勢力は激突した。
散開する4足歩行ロボットに対し、海面から現出した黒い蛇のよ
うな物体は、あらゆる方角へ、砂をまき散らすように開いたのであ
る。
蛇のような物体を形作っていたのは、微小の小型ロボットだった
のだ。
小型ロボットと4足歩行型ロボットの激突は、平原に無数の爆風
を生み出した。
﹁どっちが俺たちのだい?﹂
こうした光景に興奮を抑えきれない様子のイラート・ガハノフが
誰に聞くでもなく叫ぶ。
﹁小型戦略兵器が我が方の攻撃部隊だ。陸上、海上、海底、上空、
異空間、超次元、別時間軸とあらゆる方面へ派兵している﹂
規模が大きすぎるノーブランの話に、困惑気味の若者たち。
そこに1つの疑問をもたげたイ・ヴェンスがぼそりと尋ねた。
﹁敵はこれまでの連中じゃないな﹂
無表情のアジア人の言葉に、ノーブランの太い首が立てに動く。
が、答えたのはペタヌーであった。
﹁すべての者が悪しき力を拒むことはできない﹂
ペタヌーは冷静に語った。
﹁ある側面から見た際、我々は正義である。壊滅した惑星、文明、
恒星系、星団、宙域、銀河から、または遥か時空の向こう側の別宇
宙からの種族を引き入れ、戦い方と知恵を授け、デヴィルとその配
下やデーモンと戦い続けていることは、確かにそうした人々の眼に
とっては正義かもしれない。だがしかしだ。ある種の側面から見て
しまえば、我々は逆に悪としてとらえられることもいなめない。わ
かるかね?﹂
ジェフは鼻を鳴らした。
﹁地球を、人間を虐殺した連中が正義だって。冗談じゃない。あれ
315
が正義なものか!﹂
口調は喋っているうちに激高し始めた。
﹁君に冷静さを求めたい。君が立つ場所が我々と同じ側であるから
こそ、デヴィルを悪と捕らえることしかできない。だが対岸に立つ
者の立場になってはどうかね?﹂
想像力を現代の若者に求めるペタヌーの言葉はしかし、若者の思
考力を働かせることはできなかった。
ペタヌーの声が光の奥深くに呑み込まれ、少しの時間が経過した。
この間、僅か数十秒のことだったが周囲の風景にまたしても異変
が生じた。マシン同時の攻防が繰り広げられている中、山脈をの向
こう側、緑色の空に再び想像を絶する巨大物体が現出した。見た目
は複数の機械的、幾何学的鋼鉄を合わせたようなピラミッド型の構
造物である。が、それの頂点に太陽の如き光が帯びた刹那、地割れ
やがけ崩れを起こす、地球のヒマラヤ山脈ほどもあろう巨大山脈が、
一瞬で蒸発、溶解してしまい、溶岩となったそれが津波の如く、緑
の草原へと流れ始めたのであった。
これに対して巨人は光の槍を振るい、ピラミッド構造物への攻撃
を開始したのである。
それは地球のエベレストをも凌駕するであろう巨大構造物同士の
衝突であるから、光の槍が構想物が展開する光のシールドに拒まれ
た衝撃は、衝撃はとなって周囲数十キロへ突風を巻き起こしたのだ
った。
こうした壮絶な攻防を背景に、ペタヌーは声量を再び響かせた。
﹁君が理解しやすいように地球の現状で例えよう。地球上には様々
な宗教が存在する。どれも信仰する神は異なる。そうした信仰心を
持つ者にとって、神とは絶対であり正義だ。ところが他の宗教でそ
れが必ずしも正義であるとは限らない。紛争を引き起こし、民族間
の争いに発展し、テロという惨事を起こす。テロリストにとり自ら
の行いは正義以外のなにものでもないのだよ﹂
﹁奴らを、地球を人間を喰らう連中を信仰する連中がいるってこと
316
なのか!﹂
むき出しの眼で興奮の声を荒げるジェフ。
その横でベアルドが肉体を持たないペタヌーの変わりに頷きを返
した。
そしてペタヌーが告げる。
﹁︽ムスカム︾我等イヴェトゥデーションが君が考えられぬ古より
対立し続けてきたデヴィルの信奉者たち﹂
と、周囲の風景が再び宇宙空間へ転じた時だった。恒星の光が陰
りを見せ、緑の惑星は全面を闇で覆われた。
恒星の光を遮断する物体が恒星と惑星の間にゆっくりと入ったか
らであった。
﹁ムスカムの機動司令要塞です﹂
生命体と思えない、細い針金のような物体で立方体を形成し、そ
の中央部に赤い水晶のような物体が浮遊する生命体が、司令空間へ
報告した。
空間の風景が切り替わり、そこに現れたのは、形を1つに固定し
ない、流動を続ける黒いガスの塊のような物体であった。
しかしその大きさだけは誰にでも把握できた。恒星と惑星の間の
距離いっぱいに広がるほどの、おそらく数千キロは凌駕するであろ
う大きさである。
司令空間に緊張の糸が張り詰めるのを、ジェフが感じ取った。周
囲の地球外知的生命体たちは、一斉にあわただしく自らの周囲に展
開する小型の銀河のような装置と接触を開始した。
周囲の状況と比例するかのように、ムスカムの機動司令要塞なる
ものは、流動的な外皮から触手を伸ばすかのように、大きさとは不
釣り合いなほどの高速で、黒い霧を周囲に放射した。
その刹那、筒状のイヴェトゥデーションに所属する建造物が瞬間
的に呑み込まれてしまい、瞬く間に数万を超える構造体が消えたの
であった。
﹁あれの原理は?﹂
317
ニノラが未来人で最も身近な、事態を把握しているであろうベア
ルドに尋ねた。
﹁時空連続体の断絶を目的とした空間の集合体だ。簡単に言えば素
粒子レベルで物体を消失させる空間の化け物だよ。あんなものまで
投入してくるとは、超銀河団レベルで破壊するつもりだな﹂
未来人の若者の言っている規模の大きさに、黒人青年は納得でき
ない顔をした。
﹁ここにとどまっていても無駄だ。移動の準備を始めろ﹂
ノーブランが厳格に周囲に告げた言葉は、同時にイヴェトゥデー
ションの全構造物へも伝達されていた。
それが証拠に、周囲から次々と構造物の群れは姿を消すのであっ
た。
この間にも流動状のムスカム機動司令要塞から放射される黒いガ
スは、腕を惑星へと伸ばしていく。そして惑星の大気に触れた直後、
黒いガスは本当に瞬間で惑星全土を覆ってしまい、緑色の惑星は黒
く変色してしまったのだった。
﹁1つの惑星が、多くの命と文明と歴史が失われた瞬間です﹂
ペダヌーが感情の起伏のない声色で告げた。
﹁あの惑星で暮らしていた生命体に生き残りは?﹂
不安感を隠さない表情でエリザベスは光の超越生命体へ質問を投
げた。
30センチほどの光の球体が彼女の前に現出した。フォースフィ
ールドで覆われたその球体の内部には緑色の海水が満ちており、そ
こに直径1センチにも満たない、半透明な白いスライム上の物体が
浸かっている。
﹁惑星最後の生存生命体です﹂
エリザベスは言葉を失った。
けれども眼前で起こった出来事が、永劫の果てのない同様の出来
事の一周であることを知るペタヌーは、平然と言葉を脳内へ放射す
る。
318
﹁あの惑星上には1千万種類の動物と7億種の植物が生息していま
した。ですがデヴィルズチルドレン、そしてデヴィルの信奉者の行
為によって、生き残ったのはこの二胚葉動物だけです。テラの動物
で例えるのでしたら、寒天状の中こう組織の類似点からクラゲと類
似しているでしょう。つまり、1千万種類の動物で救えたのはこれ
だけなのです﹂
そう光の彼方で超越生命体は言った。
﹁そう、これだけの科学力を有していたところで、デヴィルの前に
は無力に等しいの﹂
レザーマスクの中で籠った声が悲し気に言い放った。
と、その時である。30センチのフォースフィールドがふいに水
風船が砕けるように弾けると、中の海水が無残に空間に飛び散り、
クラゲのような生命体が見えない何かに押しつぶされるように、中
空でぺちゃんこになってしまったのである。
﹁これであの惑星の動植物は絶滅というわけだ。こっちのほうがす
っきりして、気持ちいいだろう﹂
片腕をかざし、自らの重力を操作する能力で最後の生命体を葬っ
たのは、面長のニタニタと笑うファン・ロッペンであった。
﹁もう能書きはいい。さぁ、始めるとしよう﹂
ENDLESS MYTH第3話ー7へ続く
319
第3話︱7
7
最初にうすぼんやりとした視界に飛び込んできた顔は、親友の面
長の微笑みであった。
うすぼんやりとした風景の中にファン・ロッペンの姿があるのは
すぐに理解できたメシア・クライストは、そこが光のらせんがどこ
までの伸びる、漆黒の広大な空間でり、自らの肉体が重力に反発し
て中空に横たわっている事実を、次第にぼやけた視界から目覚めて
いくについれて、認識していった。
﹁目が覚めたか、メシア﹂
囁くように言ったファンの顔には、悪意のない笑みがたたえられ
ていた。
﹁・・・・・・﹂
言葉なく、周囲を見回してから再び、ファンの顔を見る。
﹁・・・・・・神父は?﹂
脳裡にはっきりとマックス・ディンガーの死が焼き付いているの
に、彼はそれが夢であってほしいという小さな希望を込めてファン
に尋ねた。
﹁神父は死んだよ﹂
希望は指の間から砂のようにこぼれていった。
﹁・・・・・・また、大事な人間がいなくなった。・・・・・・僕
にはもう、誰も残ってない・・・・・・﹂
俯き、涙があふれそうになるメシア。
すると暖かい空気が彼を包み込んだ。ファンが彼を抱き寄せたの
である。
﹁俺がいる。エリザベスもイラートもいる。お前は1人じゃない。
320
お前はここで終わったらダメなんだよ﹂
励ますファン。
と、その時にふいに涙があふれそうになるメシアの視界の端に、
光の柱が数本見えた。複数名の人影が転送してきたのである。
﹁彼から離れろ!﹂
開口一番、叫んだのはニノラ・ペンダースである。
その背後には脚の関節が逆に曲がった、爬虫類のような、トカゲ
のような頭部をしていながら、顎が左右に引き裂けている人型の生
物と、全身が毛むくじゃらで、ゴリラのような容貌をした大柄の人
型生物が、滑らかな曲線で描かれたアーマーを装着していた。
それら複数の地球外知的生命体の間には、四肢が妙に長く、エナ
メルのように滑らかな金属物質で構成され、頭部が筒状に長く複数
の明滅する眼球のようなライトを装備したロボットの姿も見られた。
彼らはイヴェトゥデーションの警備の者たちであった。
﹁最後の忠告だ、メシアから離れろ!﹂
ゆっくりと強く主張するニノラ。
メシアの肩に面長の顔をうずめていたファン・ロッペンはゆっく
りと顔を上げ、ニノラたちを見た。その顔には凄まじいまでの悪意
に満ちた微笑みがたたえられている。
﹁ケダモノがケダモノを引き連れてどうしたっていうんだ。俺はこ
いつを護るためにここにいるだけだ﹂
平然とうそぶくファン。
﹁離れろと言っている!﹂
そう叫んだニノラは刹那、自らの肉体を獣へと変化させた。針金
のような太い体毛に覆われ、皮膚が引き裂け、頭蓋骨は前部へ突起
する。まるで狼のように。
太さが2倍となった獣の腕の先には、鋭く、鈍く光る白刃の如き
爪が伸びている。
黒い空間を1つ蹴ると、その巨体は中空に舞い上がり、ファンめ
がけその長い爪が中空を引き裂くように、振り下ろされた。
321
が、獣の肉体は瞬間的にファンの肉体へ触れる間もなく、激しい
重力に押し飛ばされ、医療空間にはいつくばってしまった。
呆然と、何が起こったのかわからないでいるメシアは、とっさに
親友の身体を押しやり、その場から離れた。
これを好機と、爬虫類、猿人、ロボットに類似した人型の警備兵
たちは、ファンを中心にエンジンを組むように展開すると、腕に所
持、あるいは装着した流線形の、武器らしきものの先端をファンへ
突きつけた。
先端には紫色に近い赤い10センチほどの球体がエネルギーを充
満させ、放射の機会を待ち望んでいる。
人の言葉ではない言語を話す爬虫類に類似した種族。それに間髪
を入れず叫ぶ類人猿に類似した種族。2つの種族とも言語は異なり、
ファンやメシアには何を口走っているのか、想像すらできない。
するとロボット兵士たちの一体がようやく、彼ら現代の地球人の
理解の範疇にある言語を、機械的に発言した。
﹁ファン・ロッペン。アナタノミガラヲコウソクシマス。オトナシ
ク、トウコウシテクダサイ﹂
片言の言語にも聞こえるが、降伏を促すにしてはその両腕に、ガ
トリングガンのような大型の武器を所持して、銃口をしっかりとフ
ァンへ向けていた。
﹁獣の次は機械か。おもしろい﹂
不敵に笑みをたたえたと思ったその時、ファンの腕が警備兵たち
の方角へかざされた。すると激しい重力場に覆われた生命体の肉体
は、蛍光色の強い黄色と、青の体液を放射しながら押しつぶされ、
機械の兵士たちの肉体は、さび付いた放置されたガラクタのように、
粉々に分解されてしまった。
ファンの重力を操作する能力は、一瞬でイヴェトゥデーションの
警備兵たちを、駆逐してしまったのである。
﹁さぁ、うるさい奴らはいなくなった。ここから出よう﹂
そう言いファンは細長くしなやかな指をメシアへ差し出すのだっ
322
た。
目の前で何が起こっているのか、眼前の現象がなんなのか、メシ
アは事態を把握できずただ茫然とするばかりである。
﹁この手を掴め、メシア。俺たちはここから出るんだ。全部、ここ
から始まる。ここを出て、もう一度最初からやり直すんだ﹂
いつもの妙に説得力のある口調は、自然とファンの手へメシアの
手を伸ばさせた。
が、指先に痺れる痛みを感じ、メシアは反射的に手を引っ込めて
しまう。
﹁そいつと一緒にいっちまったら、終わりだぜ﹂
少年っぽい口ぶりは一回耳にしただけで誰の声色なのかすぐに分
かった。
イラート・ガハノフが暗闇の中から、楽し気な笑みを持って現れ
た。その身体には青白い電気を帯びている。
少年の顔はこれまで、メシアが目撃したことのない、凜々しいも
のとなっていた。
ファン・ロッペンは、少し怪訝そうに腕を引っ込め、イラートに
細めた視線を向けた。
﹁ずいぶんの速いお着きですなぁ。俺の張った結界を破ってくると
は、お前もなかなかやるじゃないか﹂
上からの目線で少年っぽい青年を見やったファン。
﹁結界ならば専門分野ですので﹂
と、暗闇に現れ螺旋を描く、空間唯一の光源から発せられる光に
浮かび上がったのは、巫女の姿をした女性である。
﹁空間を遮蔽したところで、階層の異なる次元を移動することで、
問題は解決します。すべての次元からのアクセスを拒否するなどで
きないのですから﹂
ポリオン・タリーは凜然と胸を張る。
これにもやはり目線を受けからにするファンは、
﹁遮蔽が崩されるのは分かっていたからなぁ。これも想定内のでき
323
ごとだ﹂
そういうなり掌をメシアへ向けた。
﹁逃げろ!﹂
叫ぶと同時にイラートが腕を振り上げ、稲妻を中空に走らせた。
が、イラートの行動は1拍遅れた。
メシアへ向けられた面長の男の顔がニタリと微笑んだ瞬間、凄ま
じい衝撃がメシアの肉体へと襲いかかり、自らの体重で肉体が押し
つぶされそうになった。
だがこの時のことである、眼が焼けるほどの激しい輝きが周囲を
包み込むと、誰もが視界を奪われてしまったのである。
ただ、誰もが最後に聴いた声は、ファンの高笑いする満足げな笑
い声であった。
ENDLESS MYTH第3話−8へ続く
324
空を覆っていた。
そして
黒雲の間から
ここがどこなのか
メシアにはわからなかった。
巨大な廃墟を映し出していた。
メ
一人の
作られたのか、
ただそこに放り出された
どういった目的で
稲妻の光は、
なのかも
稲光が激しく
第3話ー8
8
いつ
地上を照らし出す
一体それが何なのか、
シアには何も分からなかった。
だが稲妻は激しくなり続けて
。
降り始めてはいない。
大きさをしていた。
しかしメシアの知っている植
姿、
草が生い茂っている。
ちっぽけな人間に過ぎないのだから
雨はまだ
いた。
地上には
物とはまるで違った、
草はメシアの背丈をゆうに超えており、針山のように嵐になびい
ている先端を尖らせていた。
とりあえずこの場から
何とかして逃げ出さなければと思
前の見えないメシアは、両手で草をかき分けながら先に進んでい
った。
う気持ちが先走っていた。
建物の大きさはメシ
またひとつ轟音が空を駆け抜けた時、青白い輝きの向こうにそれ
巨大な建物である。だが、
は現れ、メシアの前に凛然と立っていた。
シルエットは
彼の頭は
彼の眼には
激しく混乱した。
壁にしか見えなかった。
それが建
アが知っている建造物のそれとは、明らかに異なった異次元の大き
さであった。
最初見たとき
物だと気付いた時
さっきまで見ていた宇宙空間それもまた驚愕ではあったが、建物
の大きさはそれら宇宙空間同様の驚きを、与えるに十分な大きさで
325
あった。
自分がいったいどこにいるのか
発狂する寸前であった。 ここがちきゅうなのか、それと
もまた別の空間なのかメシアは混乱し、
メシアはもう一度自分に
何が起こ
とにかくここから逃げなければならない。その思いばかりが彼の
脚を前へすすめた。
草の壁をかき分けながら
ったのかを考えた。
光につつまれる前メシアが最後に覚えているのは親友であるファ
ンが掌をかざされ、激しい重力に押さえつけられたのを覚えていた。
あることに気づい
誰にも
あれがどういった現象なのかメシアにはわからなかった。ただ
メシアは
何かが起こっていることだけは
進んでいた
自分の知らないところで
理解できていた。
壁のような草むらを
た稲妻が空を覆う眼下に広大に広がる地上には植物が生い茂ってい
虫の一匹もいても不思議では
た。だが不思議なことに虫1匹いる気配がなかったのである。 これだけの草むらがあったならば
周囲に
前方に見える建物には、光のひとつもなく人の気
ない。それなのに虫は一切いなかったのだ。それどころか生物の気
配すらなかった
配は全くない。
けれどもメシアは目の前の建物を目指すしかなかった。
近づいてこない。
他の建物はなく、文明らしきものは目の前の建造物だけだった。
歩いても歩いても、壁のような巨大な建造物は
メシアはとうとう歩くのをやめ
冷たかった。この世界では孤独でしかなく、誰も
いったいどれだけ歩いたのだろう
た。
したたる汗は
助けには来ず、先が見えなかった。
イナズマが地上に走り抜け柱を作
このままどこにも辿り着けないのではないか、そんな嫌なこと考
えが頭から離れなかった。
次に草むらをかき分けた時、
った。そしてメシアはある事実に衝撃を受けた。
326
彼が目標にして目指していた巨大な建造物
それがいつしか建造
物ではなく、自然の構造物に変化していたことに気づいた。
巨木だ。しかもメシアが想像を絶する、天を貫く程の巨木がそこ
にそそり立っていたのだ。
稲妻が再び地上光の雨を降らせ時、彼は気付かされた。
巨大構造物の横に巨大な木が雲を持ち上げていたのである。
いったいここはなんなのか?
愕然とするしかないメシア。
と、その時に生温い風が吹き抜け、彼の鼻孔に生臭さが針を刺し
た。
へ続く
そして草むらに急激な気配が立ち上がったのである。
ENDLESS MYTH第3話ー9
327
第3話︱9
9 自分の足音ではない。明らかに他者の足音が周囲を走り回ってい
るのがわかった。
前方にいたと思ったら背後から音が聞こえて
虫が這い回っているような細い足音。
しかも動きが早く
きた。
草を足が噛む音が聞こえてくる。
誰だ! 誰かいるのか﹂
カサカサと
﹁
彼は叫んだが返ってくる声はなかった。
ただあるのは急に周囲に立ち込め始めた高い湿度と、魚を腐らせ
たような生臭い臭気だけだ。
危険だ!
すぐに彼は理解した。自分の命が危機に晒されていることを。
長く太い、尋常ではなく高い背丈の雑草を両手で必死にかき分け
ながら、その場から逃げ出した。眼に見えない脅威から逃れ、生き
延びるために。
そして脳裡にはあった。マリアの笑顔が。神父が最期に言った言
葉。
﹁マリアは生きている﹂ それを信じ、再び大切なものを手にするため、生き延びる。
メシアの決意は、踏み出す脚の一歩一歩に力を込めた。
メシアを追って
先に何があるのか分からない。
そこしかなかったのだ。
建物を目指しメシアは走った。
しかし目指すところは
稲光は容赦なく地上に降り注ぐ。まるで逃げる
くるようだ。
328
建物
この先を進むに
遠回りして
阻まれた
いつしか地上の草むらには赤いものが、ゆらめき始めた。
稲妻が草むらに炎を蒔いたのだ。
カーテンに
あるいは
必死に考えた。
避けて進もうとした時、彼の眼前
どうすれば生き残れるか
炎のカーテンをくぐり抜けるか
草むらを走る足が炎の
は
彼は
炎のカーテンを
に向かうしかない
しかしながら
放出者たる
人物であった。
に立ちふさがったのは、腐敗臭の根源であり湿度の
異質な
ボロボロになっていた。
フードに覆われて見ることが出来なかったが、全身を覆う、
指で引きちぎられたように
顔は
黒い布は
彼を捕まえようとその腕を伸ばし
プロテクターに覆われていた、灰色の
プロテクターは
その間から覗く腕や脚は
鋼鉄にも似た
てきた。
触られたら逃げられない。落ちてはいけない所に落ちてしまうそ
んな気がした。
のばされた腕を必死に振り払いながら、彼はその場から逃げ出そ
。
うとした。しかしなんという速さだろうか、振り向いた時、黒い影
はもうその場に立っていた
そしてプロテクターを腰に回すと、腰にぶら下げた西洋刀を抜刀
したのである。
もちろん彼は丸腰である。死の臭いに圧倒されて自然と後ずさり
する。彼は炎のカーテンに身体を押し付けられ、完全に逃げ場を失
不意に炎の中から腕が伸びてきて、彼の腕を掴
っていた。どうすることもできず、踏み切れない死を覚悟せざるお
えない状況の中、
み炎の中に引きずり込んだのだ。
炎に身体が焼かれる。熱い、死んでしまう。死ぬのは嫌だ、死ぬ
のは嫌だ!
心中で叫んだメシアはけれど、死は未だ肩に手をかけられはしな
落ち着きなさい﹂
かった。
﹁
329
状況
。それは彼が初めて出会う人間以外の種族であっ
周囲を見回して認識しようとする彼の前に、オレンジ色の瞳が
女性の声が彼を冷静な自分に戻させたり。自分の置かれた
を
2つ輝いていた
た。
気絶している間、このトチス人が自らの能力の暴走を食い止めて
くれたのをメシアが理解できるはずもなかった。
周囲を見回すとまるで複数の絵の具を溶かしたような異質な空間
が広がり、縦も横も斜めも、自分が立っている場所すら認識できな
ここはわたしの空間です。わたしが構築した空間ですので、外
い不可思議な場所であった。
﹁
部からの干渉は一切受け付けません﹂
オレンジ色の瞳を周囲に這わせ
トチス人が冷静に彼に言い放つと、周囲を見回して何かを必死に
感知しているように、その独特の
君は、ここは﹂
た。
﹁
ただ呆然とするだけの彼を再び凝視したオレンジ色の瞳は細長く
縮められた。
まだ覚醒はしていない様子なが、安心はできない。そう心中で彼
女は思っていた。
彼が覚醒したら自らの力でさっきのような異形の者など、蹴散ら
ある意味では
していただろう。しかし今ここにいる彼はちっぽけな1人の青年に
過ぎない。
覚醒して全てを超越した存在には見えないのだ。
ど
彼を守る立場として保護しづらい部分もあった。自らを護身する
ことができないまるで赤子のような存在だからだ。こちら側が
んな力を尽くしたとしても、自らを守れない者を保護するほど、自
分たちは万能でない事実を彼女は十分に理解していた。
と、彼女は突如、針で背中をつつかれたように、身体を大きくの
けぞらせた。
すふと周囲の彼女の能力で構築された空間は瞬間的に消滅し、再
330
び草の生い茂る世界へと彼と彼女は放り出されたのである。 そして雨が土砂降りで降りしきり始めた中、稲妻に浮かび上がっ
た二人の前に立つ影は、明白な敵意をむき出しにしていたのであっ
た。
ENDLESS MYTH第3話ー10へ続く
331
第3話−10
10
恐ろしいまでに彼らに敵意を向け雨に濡れるの
人間であった。目の前に立つ男は、頬がこけ痩せ細っていた。
しかしその目は
男に押されるように
も厭わず、その場に立ち、ゆっくりと細い足を一歩ずつ、彼らに向
け歩み出したのだ。
何らかの能力者だとわかっトチス人は、
後ずさりした。
背中にメシアを背負う形で守らなければならなくなり、相手の能
力がどういったものかもまだわからない中で、非常に危険な戦いを
強いられるのは誰が見ても明らかであった。
トチス人は戦略上不利な立場にあった。
彼女が自ら作ったフィールドを破壊するほどの能力者。その能力
者の能力を理解しないままで戦うということは、見えない刃をどこ
から突き出されるか分からない戦を強いられることなのだ。
安全だと彼女は考えていた。だが
戦略的に、彼女が取れる最善の戦略は、メシアを再び構築した空
間に放り込み、守る方法が最も
しかしそうした考えなど能力者にとっては当たり前の戦術であり、
前方へと離れ、近づいてくる男に意
ギョロリとした眼差しの男が考慮していないはずはなかった。
すると彼女はメシアの前か
外な行動だと思わせた。
現に男は驚いた表情で立ち尽くし雨の中で彼女をじっと凝視した。
と、突如オレンジ色の瞳をしたトチスの女性は、重力反発して中
空は飛び上がると、そのまま天高く飛行して行く。
誘われている事実を理解していながらも、敢えて獲物を前にしな
がら誘いに乗るように、細みの男もまた、重力に反発して、空へと
332
飛行した。
空中で対峙した2人は、雨の中で睨みあった。
彼女は心の中では震えていた。敵の能力がどういったものなのか
さっぱり分かっていないからだ。
男に
普通の人間では
怖がっている。彼女が怖がっているのは、見ているだけで
も感じ取れた。
恐怖心を抱えるものなのだ。 能力者にとって、相手の能力がわからないのは
想像を絶する
人間ではないトチス人はなぜ、空中へ男を誘い出したのか。狙い
は救世主から男を引き離すこと、この瞬間を彼女は狙っていたのだ。
彼女の濡れた紺碧色の髪の毛が嵐になびいた時、救世主の身体の
周囲に七色のリングが形成された。それは彼女が作り出した別空間
敵から保護するのが彼女の最優先事
彼女の首筋に
青白い皮膚と同じ
目的としない能力者である彼女が、戦いの中で出来る最
この中に閉じ込め
への入り口となっていた。
救世主
項だ。
攻撃を
善の選択肢であった。
目的は完了したそう思った時
色の血煙が風に舞った。
なにが起こったのか。
どんな能力なのかすら分からないうちに、彼女は攻撃を受けたの
である。
さらに悪いことに、彼女が能力で形成したリングが一刀の白刃で
斬り消され、不気味な腐敗臭を醸したプロテクターの人物が、黒い
霧のように草むらに現れたのだ。
すべてが裏目に出た。
彼女が離れたことで、逆にメシアは孤立して異形の者に襲撃され
満足そうに
笑った
細い頬をニカリと引き上げ、実に嬉
る、彼女も能力が不明な相手を前に、金縛りにされてしまっていた。
男は
しそうだ。
333
トチス人は
感覚を
。
鋭く研ぎ澄ませた。
感覚を研ぎ澄ませる
ことによって敵がどのような攻撃をしてくるのか、みきわめをよう
としたのだ
すると彼女のオレンジ色の瞳が、男の細い骨と皮だけの指先が微
動したのを感じた。 次の瞬間、背後に寒いものを感じて彼女は振り返ると、雨の雫が
ひとつの塊となって彼女に迫り来るのを目撃し、慌て周囲に念動力
シールドを展開させ、雨水の砲撃を防いだのだ。
が、その衝撃は凄まじく彼女の身体は中空てよろめいた。
そこめがけて無数の水の雫がまるで弾丸の雨となり、彼女を襲っ
た。
身体中を雨で貫かれ、青白い血しぶきにまみれ、トチス人の肉体
は草原に放り投げられた。
男の能力。それは液体を攻撃道具とするものだったのだ。
つまり男にとって豪雨の天候は、世界中が武器になっているよう
なものだった。
草原に血反吐を吐き、トチス人は倒れた。
その真横では異形の者の切っ先がメシアに迫っていた。
ENDLESS MYTH第3話ー11へ続く
334
第3話ー11
11
﹁どこまで飛ばされちまったんだよ﹂
少年ぽい口調が不機嫌に、黒雲の下に響いた。
彼を含め︻繭の盾︼もまた、この世界へ飛ばされていたのだ。
不機嫌に言う
どこなのよここは。草だらけじゃないのよ﹂
アジア人の男に向かって
ちょっと
あいかわらずの口調で
であった。
﹁
のは、やはりジェイミー
言われるほうの大男、イ・ヴェンスにとっては迷惑なことである。
彼らが飛ばされた場所もやはり、無数の草に覆われていた。植物
は彼らの知っている大きさではなく、近くにはビルをはるかに凌駕
ほど小さくちっぽ
する巨木の森があった。周囲には植物以外には何もなく、広大な大
自然がどこまでも続いていた。
岩場に立つ彼らの影は、大自然の中では昆虫
けな存在に思えた。
けれども本物の昆虫の姿はまるでなく、生物の気配は一切なかっ
た。
﹁メシアを探さなければ﹂
ピンク色の皮膚に緑色の渦巻き模様を施したニャコソフフ人は、
うるさく口を動かす2人にはめもくれず、本来の目的である救世主
の保護を第一として考えた。
﹁アニラ・サビオヴァが彼と一緒のはずだけど﹂
ニャコソフフ人の姿をした、もう1人の人物、誰か他人に擬人す
る種族デンコーホンのバスケス・ドルッサが、メシアと行動を共に
しているはずのトチス人のことを口にした。
﹁気配は確かにある。わたしにもそれは分かるが、どこにいるかま
335
では﹂
サイラントイランの特徴である、蜘蛛のような額の出っ張りを、
降り出した雨に濡れさせ、サンテグラ・ロードは周囲に眼を配った。
全員がそれは感じていた。同じ宿命を背負った者どうし、気配で
近くにいるのは感じられる。が、距離が遠ければ遠いほど、気配は
薄れてしまう。
アニラはそうしたギリギリの距離にいるようなのだ。
﹁とにかくこうしていても始まらない。この時のためにわたしたち
は産まれたのだ。これから我らの本番なのだから、救世主を探しに
行こう﹂
イヴェトゥデーションの本拠で、ファン・ロッペンの能力を受け
たニノラ・ペンダースは、痛む肩に軽く手を添えた。
﹁あなた達の運命はここで終わりよ﹂
と、雨と共に中空から降ってきた声に、全員が身構えた。
空は分厚い黒雲が今にも落下してくるほどに垂れ込めていた。
その下に稲妻に照らされた人の形をした人物の皮膚は、触手のよ
うに垂れ、薄い緑色の皮膚を覆う衣服は、妙に色気を香っていた。
岩場に居た全員が身構えた刹那、ミサイルラン人のミンチェは腕
を振り下ろした。
すると岩場の周囲が突如、地面が抜けたように重力を失うと、岩
場に居た全員の身体が落下したように感覚に陥った。
いけない! と中空に飛翔した人影が居る一方で、そのまま口を
ポッカリ広げた地面の穴に落下していった者たちの姿もあった。
中空に立っていたのはイ・ヴェンス、ジェイミー・スパヒッチ、
マキナ・アナズ、ニノラ・ペンダースだけである。残りの6人の姿
は完全に地面に呑まれ、そのポッカリと開いた穴はすでにふさがっ
ていた。
﹁あら、しぶといネズミが4匹も居るのね。こういうの、テラだと
ドブネズミっていうのかしら﹂
イヴェトゥデーションの施設で見た彼女の印象とはずいぶんと異
336
なった口調であった。
イ・ヴェンスが手のかざし空間に爆発を引き起こそうとしたその
一瞬、彼らの背後に再び別の殺気が立ち上がった。
大男の腕がそのまま背後へ振り向き、中空で大爆発を引き起こし
た。
が、どうしたことだろうか、彼の能力の爆発は、まるで小さな花
火が爆発したかのような、さほども爆発を引き起こさなかったのだ。
掌ほどの爆発が発生したその後ろに立つのは、身体が透けて背後
の風景が見えているラーフォヌヌ人のドヴォルだ。性別すら分から
ない、不可思議な種族である。
﹁爆発とは空気。炎とは酸素。爆発周辺の酸素を二酸化炭素へ変換
してしまえば、爆発が広がることはありません。貴方の能力は、わ
たしの前では無意味なわけです﹂
そう冷静に言い放った時、透明な眼球がギョロリと開いたように
見えた。するとその場に居た4人は突然として息苦しさを感じた。
それどころか空気を吸うという基本的な行為すらできない。
空の上で彼ら4人は窒息したのだ。
ENDLESS MYTH第3話ー12へ続く。
337
第3話−12
12
空気を操作する。これがラーフォヌヌ人のドヴォルの能力。
急激にニノラたちの周囲の空気中の酸素を瞬間的に二酸化炭素へ
変化させ、彼らを窒息に追い込んだのである。
他愛もない。
そう言いたげな嘲笑で見下された4人。
すると体内の酸素が不足し始めたのか、意識が薄れる4人。
しかしそうした中で自分がこうした状況に置かれたことへ対する
イラ立ちを、歪む表情へ乗せたジェイミーは、掌を透明な異星人の
方向へ向ける。
と、ドヴォル、ミンチェの周囲に白い靄が発生し、それは急加速
度的に濃度を増して、またたく間に2人の視界を奪った。
雲だ。ジェイミーの能力で発生した水蒸気の塊である雲が、2人
の周囲にだけど限定的に発現した。
舌打ちをしたミンチェが雲を突っ切り、高速で前方へ飛行して、
視野の確保をしたのだが、その場に4人が居るはずもなく、姿をか
んぜんに見失ってしまった。
﹁何処に隠れようと、命はいただくわよ﹂
そう余裕の笑みをたたえた刹那、自分の周りの空気の温度が上昇
していることに気づいた彼女は、慌て雲からゆっくりと顔を出した、
透明なスライム状の人型生命体へ視線を向けた。そしてその場から
自分だけが飛翔して逃げたのだ。
皮膚が垂れた女性が何を意図して飛行したのかすぐに察したドヴ
ォルは、周囲の空気を二酸化炭素へ変化させたのだが、一拍の時が
足りず、熱エネルギーを利用した爆発に巻き込まれた。
338
この時、地上では天に向けて掌をかざすイ・ヴェンスの姿が凛然
と仁王立ちでそこにあった。
仕留めたか!
眼を剥くアジア人。
だがしかし彼の身体は突如として異変をきたした。
視野が狭くなり、分厚く大きな筋肉は痙攣を始めた、息苦しくな
り、激しい吐き気に襲われ、胸部の痛みまで襲ってきた。
なんだ、どういった攻撃だ。
アジア人は、苔の産した大地に突っ伏して薄れる意識の中でつぶ
やく。
﹁酸素とは生物には必要不可欠な物質。ところがそれが有毒である
ことを、無知なる人は知らないのです﹂
黒煙が消え姿を現したドヴォルは、平然と高みから、苦悶するイ・
ヴェンスの巨体を見下す。
爆発に巻き込まれる瞬間、酸素変換能力から、念力シールドの展
開へと方針を変えたことによる、無傷であった。
﹁貴方の周囲の酸素濃度、酸素分圧を変更しました。貴方は急激な
酸素中毒に陥ったのですよ﹂
と、お得意の嘲笑をするのであった。
丁寧に自らが行った能力の作用を説明するところが、イ・ヴェン
スには逆に腹立たしかった。
薄れる意識の中で、しかし身体の動かないアジア人にはどうする
こともできない。熱エネルギーによる爆発を引き起こそうとしても、
四肢が痙攣した状態では、能力を発揮することもできなかった。
﹁まずは1匹、害虫駆除というやつですな﹂
透明な腕を伸ばして更にドヴォルは酸素の数値を変動させ、大男
を酸素中毒という地獄へと追いやっていった。
と、急激に地上から上昇してくる大きな殺意を感じたドヴォルは、
意識をアジア人からそらした一刹那、凄まじい衝撃を脇腹に受ける
と、そのまま中空から落下、地面の岩場が砕けるほどに地面へと叩
339
き付けられた。
黒人青年、ニノラ・ペンダースが中空めがけ飛翔したのだが、そ
の腕が顕著に変化していた。右腕の肘から先が大きく肥大し、黒い
剛毛に覆われた熊の腕となっていなのだ。見た目ばかりではなく、
怪力は拳を受けたドヴォルの姿が物語っていた。
酸素中毒の呪縛が未だ肉体に残るイ・ヴェンス。けれども常人で
はすでに致死となっているところを、驚異的な快復力で苔の上に脚
を立て、筋肉を大きく広げて立ち上がっていたのだ。
これを苦く見ていたのは、緑色の皮膚を垂らしているミサイルラ
ン人である。今ならば自らの能力から逃れられまい。そう考え腕を
踏み上げようとした。が、背後で思わぬ出来事が発生した。
ENDLESS MYTH第3話ー13へ続く
340
第3話−13
13
マクロの黒い球体。大きさはビー玉ほどしかないその無数の球体
は、中空から地上から数キロ四方にびっしりと敷き詰められたよう
に現れていた。
ミンチェはそれが何なのか、一瞬では理解できなかったものの、
その黒い球体が起こした現象を眼にしてすぐに、自らが置かれてい
る状況の危険性を咀嚼した。
黒い球体のひとつひとつが、上下に白い糸のようなものを放射す
ると、周囲に半透明な円盤のようなものを展開させ、ぐるぐると時
点を開始した。
すると凄まじい吸引力を発揮、周囲の空気、植物、岩、土などあ
らゆるものを、体内へ吸い込んだのだ。
﹁ブラックホール!﹂
思わず叫んだとも時、彼女の緑色の肉体はすでに、シュヴァルツ
シルト半径の影響下に置かれ、凄まじい力で、近くのマイクロブラ
ックホールに吸引された。
ブラックホール。そのシュヴァルツシルト半径内部に落ちたもの
は、例え光であっても抜け出すことはできず、空間に生じた穴であ
り、光すらも吸収してしまうからこそ、黒く見える。
その周囲の空間は湾曲して見えている。
マキナ・アナズ。自然界最大の現象を自らの能力で引き起こす能
力者。
ミンチェが草むらの中に、丸顔の少女を発見した時、能力を発揮
する間もなく、彼女の垂れた皮膚は吸引されていった。
肉体よりも先に緑の皮膚が黒い穴に落ちていく。
341
神経が削られていくのを感じた彼女は、苦悶に悶絶する顔を顕に
した。
が、吸引される寸前、突然として黒いブラックホールの群れは、
黒ぐろとしたその球体面が白く濁り、コンクリートのように凝固す
ると、惑星の重力の影響を受けて、地面へと次々に落下した。
吸われた皮膚を手刀で切り取り、落下する固まったブラックホー
ルを切り離し、流れる紫色の血液を緑色の掌で抑え、彼女は苦い顔
をする。
﹁何を、グズグズやってんだ。ブチ殺せ!﹂
昆虫的な容姿をした青い皮膚のソフリオウ人のゴーキン・リケル
メンが転送してくるなり、イラ立ちを顕にした声色で叫んだ。
中空に現れた昆虫的な人物は、4本の指を開き、腕を振り上げた。
と、草むらに潜んでいたマキナの足元が急速に動きを鈍らせない、
なにが起こったのか彼女は瞬間的にパニックに陥った。
丸い顔の視線を足元に落とすと、脚がコンクリートのように、土
とくっつき、固まってしまっていたのだ。
物体を凝固させる能力の持ち主たるゴーキンは、あらゆる物質を
硬くする、つまり凝固させる力を所持していた。
実に攻撃的な口調である。
﹁こんな劣化動物にいつまで手こずってる。こうして、殺すんだよ﹂
そういった時に、さっき凝固させた数多のマイクロブラックホー
ルを、鉄球のように、片腕を動かすだけで、ふわりと浮遊させると、
一気にマキナめがけ突撃させた。
八方から高速で散弾銃の弾丸のような、自らの凝固したブラック
ホールが迫るのだ、なんと皮肉なことだろうか。
そんな後悔をする余地もなく、小さな塊は高速で接近した。
念力の防護壁を展開させたところで、これだけの数の高速体を阻
止などできるはずもない。
が、生きることを本能的に選択した彼女は、周囲に防護壁を構築、
亀のように身体を硬直させるのであった。
342
その刹那、無数の高速体は突如、爆発を起こした。まるで無数の
爆竹が空中で爆発するような連鎖である。
身体の酸素中毒症状を、驚異的な速度で緩和したイ・ヴェンスが
熱エネルギーを利用して、爆発させたのである。
大きく舌打ちをした昆虫的な生命体は、巨漢を今度は固まらせよ
うと、彼の方へ視線を向ける。
けれども凄まじい殺気が迫るのを感じ、すぐにそちらへ視線を向
ける。
すると牙を剥いた獣と人間が混じったような容姿のニノラが飛翔
してくるのである。
﹁今はそのぐらいでいいでしょう。始まったばかりだ﹂
まるで両陣営の攻防を制するように、全員の脳内に声が反響した。
ファン・ロッペンの声である。
ENDLESS MYTH第3話ー14へ続く
343
第3話−13
13
マクロの黒い球体。大きさはビー玉ほどしかないその無数の球体
は、中空から地上から数キロ四方にびっしりと敷き詰められたよう
に現れていた。
ミンチェはそれが何なのか、一瞬では理解できなかったものの、
その黒い球体が起こした現象を眼にしてすぐに、自らが置かれてい
る状況の危険性を咀嚼した。
黒い球体のひとつひとつが、上下に白い糸のようなものを放射す
ると、周囲に半透明な円盤のようなものを展開させ、ぐるぐると時
点を開始した。
すると凄まじい吸引力を発揮、周囲の空気、植物、岩、土などあ
らゆるものを、体内へ吸い込んだのだ。
﹁ブラックホール!﹂
思わず叫んだとも時、彼女の緑色の肉体はすでに、シュヴァルツ
シルト半径の影響下に置かれ、凄まじい力で、近くのマイクロブラ
ックホールに吸引された。
ブラックホール。そのシュヴァルツシルト半径内部に落ちたもの
は、例え光であっても抜け出すことはできず、空間に生じた穴であ
り、光すらも吸収してしまうからこそ、黒く見える。
その周囲の空間は湾曲して見えている。
マキナ・アナズ。自然界最大の現象を自らの能力で引き起こす能
力者。
ミンチェが草むらの中に、丸顔の少女を発見した時、能力を発揮
する間もなく、彼女の垂れた皮膚は吸引されていった。
肉体よりも先に緑の皮膚が黒い穴に落ちていく。
344
神経が削られていくのを感じた彼女は、苦悶に悶絶する顔を顕に
した。
が、吸引される寸前、突然として黒いブラックホールの群れは、
黒ぐろとしたその球体面が白く濁り、コンクリートのように凝固す
ると、惑星の重力の影響を受けて、地面へと次々に落下した。
吸われた皮膚を手刀で切り取り、落下する固まったブラックホー
ルを切り離し、流れる紫色の血液を緑色の掌で抑え、彼女は苦い顔
をする。
﹁何を、グズグズやってんだ。ブチ殺せ!﹂
昆虫的な容姿をした青い皮膚のソフリオウ人のゴーキン・リケル
メンが転送してくるなり、イラ立ちを顕にした声色で叫んだ。
中空に現れた昆虫的な人物は、4本の指を開き、腕を振り上げた。
と、草むらに潜んでいたマキナの足元が急速に動きを鈍らせない、
なにが起こったのか彼女は瞬間的にパニックに陥った。
丸い顔の視線を足元に落とすと、脚がコンクリートのように、土
とくっつき、固まってしまっていたのだ。
物体を凝固させる能力の持ち主たるゴーキンは、あらゆる物質を
硬くする、つまり凝固させる力を所持していた。
実に攻撃的な口調である。
﹁こんな劣化動物にいつまで手こずってる。こうして、殺すんだよ﹂
そういった時に、さっき凝固させた数多のマイクロブラックホー
ルを、鉄球のように、片腕を動かすだけで、ふわりと浮遊させると、
一気にマキナめがけ突撃させた。
八方から高速で散弾銃の弾丸のような、自らの凝固したブラック
ホールが迫るのだ、なんと皮肉なことだろうか。
そんな後悔をする余地もなく、小さな塊は高速で接近した。
念力の防護壁を展開させたところで、これだけの数の高速体を阻
止などできるはずもない。
が、生きることを本能的に選択した彼女は、周囲に防護壁を構築、
亀のように身体を硬直させるのであった。
345
その刹那、無数の高速体は突如、爆発を起こした。まるで無数の
爆竹が空中で爆発するような連鎖である。
身体の酸素中毒症状を、驚異的な速度で緩和したイ・ヴェンスが
熱エネルギーを利用して、爆発させたのである。
大きく舌打ちをした昆虫的な生命体は、巨漢を今度は固まらせよ
うと、彼の方へ視線を向ける。
けれども凄まじい殺気が迫るのを感じ、すぐにそちらへ視線を向
ける。
すると牙を剥いた獣と人間が混じったような容姿のニノラが飛翔
してくるのである。
﹁今はそのぐらいでいいでしょう。始まったばかりだ﹂
まるで両陣営の攻防を制するように、全員の脳内に声が反響した。
ファン・ロッペンの声である。
ENDLESS MYTH第3話ー14へ続く
346
第3話−14
14
熊のような拳が、鳴る稲妻の如き閃光を一閃した。
ニノラの豪腕はだが反重力によって剥がされるように、高速で弾
かれた。
面長の男の重力を操作するちからが獣の力を所持す黒人青年を、
自らに触れさせる前に弾き返したのだ。
空中で体制を立て直せなかったニノラは、そのまま数キロ先の森
の、ビル程もある巨木に身体を打ち付け、広大な幹の上に崩折れた。
それが常人場馴れした視力で見えるファンは、自らの能力を誇ら
しげに、鼻を優越感で鳴らすと、苦戦する、同じ定めの沼に浸かる
者たちを一瞥した。
﹁なにも今、ここで焦燥的に戦わなくてもいいだろ? 狙いは1人
だ。それを叩けばいい﹂
余裕の笑みを浮かべるファンの言葉には、やはり妙な説得力があ
る。
彼の言う狙いとはもちろんメシアのことである。
戦いに視野の狭さを露呈した両陣営は、能力の発動を一度、停止
すると中空に立ち止まった。
大木の幹に這わされたニノラが転送して、マキナのそばに転送し
てきた。
ファンを睨みつける黒人の眼には、嫌悪感と敵意が炎を成り瞳を
縁取っていた。
ファンは面長の顔を眼下の黒人に嘲笑の眼を落とした。
﹁護れるか、俺の親友を﹂
親友という部分を強調するように、嫌味にいう男を、更なる敵意
347
で睨みつける、自然と力が入る腕には、獣のごう毛が逆だって生え
てきた。
ニタリと笑んだファンは真っ先に転送してその場から消滅した。
続けて異形の異星人たちも続けて転送して、その場から消滅する
のだった。
︻咎人の果実︼が姿を消しても、未だに黒雲が分厚くなっている虚
空を見上げた。
そこへ転送してイ・ヴェンスがニノラの横へ現出した。
﹁あの口ぶりだと、救世主が危ないんじゃ﹂
視線を苔が覆う大地に視線を落とし、ゆっくりと呼吸を整え、腕
の獣の化を沈静化させたニノラは、大男を見上げた。
﹁メシアを探そう。奴の言い方だと、近いはずだ﹂
﹁で、でもいなくなった人たちは﹂
小声でマキナがいうと、転送してきた小柄なジェイミーが、脳天
から抜ける声で言った。
﹁大丈夫でしょ? それよりここから早く移動しましょうよ。雨に
濡れるの嫌よ﹂
と、自らのことばかり言うのだった。
ニノラは稲妻が走る空をもう一度見上げて、大きくため息を漏ら
すのであった。その吐息には、これからの戦いへの憂いがこもって
いた。 ﹁他の連中なら大丈夫。まだ彼らの意識を感じる﹂
そういうとニノラは中空へ飛行して行く。黒雲のスレスレで停止
すると、下に広がる変異した世界を望んだ。
ビルほども高く伸びて、小さい街ほどもある巨大な幹。
それらが大地を生い茂り、森が圧倒的な自然をその眼に突き付け
てくる。
そしてその間には、もはや遺跡と化した、ニノラが見たこともな
い巨大なビルが点在していた。
この広大な大地のどこかに、自らが求める救世主がいる。それを
348
見つけなければ物語は終わりを告げ、すべてが消えてしまうのだ。
ENDLESS MYTH第3話ー15へ続く
349
第3話ー15
5
目の前の怪物がひとつ呼吸をする度、メシア・クライストの嗅覚
は、不快な腐敗臭に襲われた。
破けた黒いケープ。それから伸びるフードで覆われた頭。ケープ
の隙間からはプロテクターが覗き、腕には重厚な剣がしっかりと握
りしめられていた。
自らの背丈より高い雑草の壁で、化物を必死に追い払おうと、背
後に駆け出すメシア。
足場は豪雨のせいでぬかるみ、浅い沼のようになっていた。
素手で濡れた草をかき分けると、表面の鋭さから、指先が切れる
のを感じた。
草露と指先から出る血で濡れた掌でしかし、メシアは懸命に逃げ
た。
すると背中にまるで猛犬のような唸り声が近づいてくるのが分か
った。
脚を必死で、まさに死にものぐるいで上げて逃げようとするも、
ぬらせかるみは予想に反して深みになり、彼の動きを鈍らせた。
そこへ猛犬の足音とプロテクターよきしみが徐々に耳に接近して
きた時、不意に雨音の中に獣の吐息が掻き消えた。
脚を止め、ゆっくりと背後を振り向くメシア。
周りに腐敗した臭いはない。
命を拾った。
そうメシアが安堵の吐息を漏らした刹那、雑草の間に一陣の旋風
が巻いた。そして周囲の草が風に飛んでいく。
背の高い雑草は、途中から真っ二つに切れてしまったのだ。
350
周囲の雑草の目隠しがなくなったそこには、無防備な人間独りが
ただ、雨に濡れているだけであった。
フードから滴る雨の雫が、下の牙の生えた、どす黒い口元が開く
横を流れ落ち、剣は天高く突き上げられた。
稲妻が地上に降り、剣が真一文字に振り下ろされた。
が、腰を抜かし尻をぬかるみについたメシアが腕で顔を覆った時、
獣の声が燃え1つ、草むらから飛び出した音が聞こえ、慌て顔を上
げた。
すると筋肉に覆われた灰色の獣が、4足歩行でフードの化物に襲
いかかると、そのまま巨大な顎で首をまるまる噛ると、首と胴体を
引きちぎって、雨の中に頭部を吐き出したのである。
頭部を失った肉体はぬかるみに倒れたまま痙攣し、首からは激し
い勢いで黒い液体が放出されていた。
中空を弧を描き飛んだ頭部は、ぬかるみに落ちると、そのまま泥
の中へと沈みゆくのだった。
それを見たメシアは、背筋に戦慄を覚えた。
獣のような口の上には鼻も眼もなく、汚れた布が巻かれていた。
まさしく獣のような化物だ。
自らを救ったもう一匹の獣は、みるみる目の前で縮んで行くと、
黒人青年へと姿が還元された。
﹁生きていたのが奇跡だな﹂
安堵して笑みを浮かべたニノラ・ペンダース。
そこへ転送の光に包まれ、3つの影が現れた。2人の女性と1人
の大男である。
﹁戦力として4人では君を守れない。まずは逃げるのが先だ﹂
3人を一瞥してニノラが言った時、メシアはあることに気づいた。
﹁上!﹂
警戒心を解いたところに突如として激しい激痛が5人を包んだ。
雫が、雨の雫が突如として皮膚に食い込み、まるで縄のように締
め付けてきたのだ。
351
天空には頬が痩けた細身の、骨のような四肢を持つ男が、糸に釣
られた人形のように浮かんでいた。
﹁駄目だ、駄目だ、駄目だ! 君たちはここから逃がさないよ﹂
震えるような声で細身の男は叫んだ。
彼の操る水は、弾丸にも刃にも変化する。今は針金のように5人
を巻き取り、金縛りにしていた。
その光景を見ていたのは、先に水滴の餌食となり、地べたに這い
ずっているオレンジ色の瞳をした異星人であった。
しかしその身体は未だダメージから、身動きできずにいた。
ENDLESS MYTH第3話ー16へ続く
352
第3話−16
16
漆黒に黄色い光が幾度か明滅を繰り返したともあと、ボウっと篝
火のように黄色い球体が光源となって闇を照らした。
そこに浮かび上がったのは、5つの顔である。
己の能力である稲妻を光源として利用したイラート・ガハノフを
中心に、異星人の顔が並んでいた。
﹁参っちまったなぁ。ここはどこなんだ?﹂
頭を右手で掻きながら、左手の数センチ上に稲妻の球体を浮遊さ
せながら、少年っぽい口調が当惑を表す。
5人は自らの能力を発するまもなく、敵の能力によって、地のそ
こへと呑まれた。
永劫とも思える落下の中、互いにテレパシーで連絡を取り合い、
中空て急ていしして、こうして集合していた。
つまり6人は今、底のない闇の中で空中に浮かんでいるのである。
青白い顔の額に、大きな蜘蛛のようなコブのあるサンテグラ・ロ
ードは周囲に視線を飛ばす。けれども周囲に生命体の気配どころか、
物理的空間の気配すらもありはしない。
﹁なんらかの能力によって、閉じ込められたようですね﹂
白い顔を4人に向けて言う。
﹁こわせねぇもんかな﹂
と、手の球体を暗闇に向けて投げようとする青年腕を、ノーブラ
ン人のボロア・クリーフが、4つよ目玉を細め、人間ではありえな
い筋肉のつき方をした、鋼鉄の腕て掴んだ。
﹁余計な真似はするな。なにが起こっても、不思議ではない敵の空
間だ。もっと慎重に動け﹂
353
説教じみた言葉に、明白な不機嫌をイラートは、露骨に表現した。
﹁出口を見つけるためには、行動しかねぇだろ、おっさん﹂
と、ボロアの筋肉に少し力が入り、イラートの表情は苦悶に歪ん
だ。腕が引きちぎれそうな痛みである。
﹁口に気をつけろ、小僧。ワシはお前の何百倍も生き、多くのこと
を知っている。目上のものには経緯を払え﹂
そう言うと、彼にとっては小枝ほどの青年の腕を手放した。
﹁ったく、こんなおっさんとこれからやっていくのかよ﹂
ぼそぼそとイラートはつぶやき、痛む腕を振った。
﹁彼の無茶に賛同するわけじゃないけど、あたしも行動するのには
賛成よ。こうしてたって埒が明かないわ﹂
全身をうずが巻き、ピンク色の皮膚をした、嘴が鱗のようにある
ニャソフフ人のホウ・ゴウがイラートの意見に賛同した。
しかしながら周囲がこうも暗くては、先に進むどころではなく、
光源であるイラートの稲妻がなければ、互いの顔すら認識できない
のだ。
先の見えない不安。これほど恐ろしい物はない。
と、その時である。彼らの張り巡らされた思念の糸に、なにか引
っかかるものを、全員が認識した。
後ろを振り向き、光源でそれを照らした刹那、暗闇は、紙芝居の
場面転換のように、瞬間的に空間が変異した。
そこは木の根のようなものが這い回り、足元に水が蓄積された場
所となった。
木の根は腐っているのか、異臭を放ち、束になった根が、柱のよ
うに天高くから垂れ下がっていた。
どこなんだここは?
先の見えない広大な空間となったそこに、誰もがそう思った矢先、
水面が突如として波打ち、5人は立っていられないくらいに地面か
ら振動が突き上げてきた。
それは金属を鋭いもので掻きむしるような悲鳴を轟かせて現れた。
354
人間の肋よりも遥かに巨大な骨に包まれた、全長が数キロを超え、
太さが200メートルはあろうか。
頭部は頭蓋を寄せ集めたような骨で構築されている。
蛇のような巨大な化物が彼らの前に姿を表したのである。
ENDLESS MYTH第3話ー17へ続く
355
第3話−17
17
とぐろを巻く巨大生物は、腐った根の大木を骨で構成された尾で
薙ぎ、一気に悪臭が周囲に充満した。
鼻と口を抑え、臭気による脅威を防ごうとした。
が、そこで動きが鈍くなった5人に、巨大な蛇の化け物が襲いか
かる。
顎を大きく開き、ワニを連想させる牙を剥き出し、骨で構成され
たその肉体に、へばりつくような筋肉で顎を一気に閉じた。
真横になって薙ぐように水面付近を、カミソリの如く刈ろうとす
る。
これを跳ね上がり根の柱をどこまでも中空へと登っていった。
けれども先は見えず、5人の足元からは大顎を広げた化け物が迫
ってきた。
地獄の入り口が尻にかじりつくかのように登ってくるのを、怪訝
にみたイラートは、中空て飛行するのを停止すると、掌を化け物め
がけて振り下ろした。
瞬間、中空に稲光が轟き、化け物を覆うほどの巨大な稲妻が落ち
た。
通常の落雷は最大でも50万アンペアであるが、この時、彼が起
こした凄まじい稲妻は、200万アンペアを凌駕していた。
これは生物が黒焦げになるには十分な電流である。
おれの能力なら、簡単に殺せる。
そう言いたげな小僧の笑みを浮かべたイラート。
だったが、黒煙の中から巨体は黒煙の糸を引き、イラートへ突撃
してきた。
356
余裕の少年の表情はまたたく間に蒼白になり、その場から疾風の
ように飛行して逃げていく。
しかし化け物の滑空速度は尋常ではなく、肋に覆われた蛇は、枝
に巻き付くように、根の大木を巻きながら、腐った風を切る。
この光景が数百メートル規模で起こるのだから、壮大も極みの光
景だ。
必死に速度を上げ、逃げようと飛行する5人。
と、その先にあった暗闇が突如として白い壁に覆われた。
が、それを壁でないのに気づいたのは、鋼鉄の大男だ。
﹁なんと、でっかい手か!﹂
そう、彼らの身体を全身覆ってもまだ、あまりがあるほどの、数
キロにも及ぶ白い掌。
それが2つ現出するなり、彼らをはたき落とそうとする。
これに急ブレーキして発泡に散る5人。
ところが両側に開いた白い掌は、凄まじい速度で両側から迫り、
まるで虫を無慈悲に叩き潰すように、潰した。
その衝撃は隕石の衝撃波の如く、腐った根の大木を複数破壊して、
腐った木片を飛び散らせた。
押しつぶされた。
︻繭の盾︼が散った。そう思った時に、白い掌が左右に、万力を開
くように、ゆっくりと押し広げられた。
ノーブランの怪力である。
人類にはとうてい耐えられない重力下で文明を構築したノーブラ
ン。
その重力の影響から、次第に筋肉の発達と皮膚の強靭化。その可
決として進化したのが現在の姿なのだ。
怪力で白い巨大な壁を押し広げる。そして手首の返しだけで、巨
大な掌を1つ放り投げると、もう片方の掌をむんずとつかむと、4
人の眼に映らない速度で暗闇を移動、気づいたときには、下方から
迫る蛇の巨大な化け物めがけて、掌を投げつけていた。
357
手をぶつけられた蛇は、奇声を発しながら崩れていく。
が、その掌を押しのけ、化け物は再び、上昇してくるのだった。
﹁しつこいのは、嫌いなのよ﹂
そう叫んだホウ・ゴウが腕を回転させて、叩きつけるように掌を
かざした瞬間的、周囲の大規模な空間が一瞬のうちに白く濁り、表
面に霜がついた。
化け物もこれは例外ではなく、動きを鈍らせやがて止めたのだっ
た。
これに間髪を入れずに、鋼鉄のげんこつが目に止まらぬ速さ、と
はそのことであるかのように、瞬間に移動してくると、叩きつけて、
怪力が凍りついた化け物を粉砕した。
ニャコソフフ人の能力は、物体を組織レベルから氷結させ、絶対
的な凍結を行うこと。
ノーブラン人の男の能力は、亜光速で移動すること。
初めて仲間の能力を目の当たりにしたイラートは、唇を尖らせ鳴
らして、驚いた様子をみせるのだった。
と、その刹那である。彼ら5人の肉体は急激な重力に縛られ、地
上へと肉体が落下し始めた。
こいつはまずい!
そう心中でイラートが叫んだ時、5人の身体は泥の中に落下した。
そこは草が生い茂り、土砂降りの雨の世界。
﹁戻ってきたようですね﹂
そういったのは、イラートの肉体を擬似的に真似するバスケス・
ドルッサであった。
だがこの時、彼らの思念はすでに地上へ残った仲間の危機を察知
し、バスケスの言葉尻を聞くか聞かないかのうちに、5人は転送能
力の光に身を委ねていた。
ENDLESS MYTH第3話ー18へ続く
358
第3話ー18
18
意識は潰えようとしていた。土砂降りの雨粒が身体にスライムの
ようにまとわりつき、鋼のように二ノラ・ペンダースたちの身体を
締め上げていた。
首に纏わりついた雨水は特に、首をねじ切るのではないかという
ほど、︻繭の盾︼を縛り切ろうとしていた。
メシア・クライストは中空をもがくように、掻きむしるかのごと
く何かにすがろうとする。
けれども目の前に立つのは1人と男の、面長い顔である。
悲しげでもあり、しかしどこか楽しげてもあるそこ顔には、メシ
アへ対する多くの感情が渦巻いているように見えた。
転送してきたファン・ロッペンがメシアの前に、雨に打たれなが
らたたずんでいた。
﹁君を失うのは心苦しい。お前との日々は実に有意義なものだった。
だが、ここで終わる。それもまた有意義なことなんだよ、メシア。
分かるかい?﹂
水滴に縛られた、芋虫のような彼の姿を凝視して、面長の顔を近
づけたファンは、その時ばかりは楽しげに、悪意に満ち溢れた笑み
を称えるのだった。
どうしてこんなことを? そう心中で問うメシアの声はしかし、
拗じられた首から出ることはなかった。
護らなければ!
雨水の弾丸で貫かれ、鮮血に塗れるオレンジ色の瞳がメシアを見
た。が、自分の今の状態ではどうすることもできないことは、自分
が最も理解していた。
359
二ノラが自らの肉体を獣へと変化させようとしたが、身体を縛る
雨水が更に皮膚へ食い込んでくるばかりであった。
﹁終わりだなぁ、メシア。全部がここで終了だぁ。残念だよ、非常
に﹂
面長の顔は更にメシアへ近づいてきて、優越感を笑みの上に、メ
ープルシロップのごとく濃厚に乗せた。
と、その時であった。上空の黒雲から稲妻とともに落下し続ける
雨粒が、ふいにその動向を停止すると、中空で白く濁り、塊となっ
て静止した。
雨水が凍っている。
ファンが周囲を見回すと、落下するそばから雨水が凝結している
様子がすぐにわかった。
それを目視して、蒼白になったのは、雨水を弾丸とし、刃とし、
はたまた金縛りにしているロープへ変化させていた、頬のこけた男
である。
凝結したのは雨水ばかりではない。メシアたちを縛る雨水もまた、
氷となり瞬間的に砕け散ったのだった。
すぐさま面長の男は殺気に気づき、上空へと飛び去った。
その直後、ファンのいたはずの地面が砕け、ゴリラのような巨大
な拳に腕を変化させたニノラの拳が突き立った。
﹁おっと、あぶない。威勢がいいことだ﹂
嘲笑の眼差しが天空から、まさしく獣のように眼が鋭くなった黒
人青年へ投げ下ろしていた。
その背後では部厚い黒雲が明らかな人為的な、超常的な動きで消
滅していく。
それを横目で見たファンは、ニヤリと不敵に笑むのだった。
敵の能力だということを把握しての、敢えての笑顔であった。
﹁だから言ったのよ、任せなさいって﹂
皮膚が触手のように垂れた種族の女性は、不機嫌そうにファンの
横で、苛立ちを口にした。
360
それは頬がこけた男も同じらしく、ぎょろりとした瞳を、ファン
の面長の顔に投げつけるように向けた。
﹁始まったばかりではないか。そう焦ることもない。楽しもうでは
ないか、この時を﹂
さっきとは真逆の、遊ぶという言葉にメシアは、自らの首を掌で
なでながらファンを見上げた。
﹁メシア。これは果てしなく続く物語の序章だ。お前が生きること
で物語は前へ進む。たがお前が死ぬことで物語は終わるんだ。
これは遊びなんだ、大きな歯車を動かすか壊すかの。お前はその
要。お前を殺せば全てが崩れる。だから俺たちはお前を殺すんだ。
そう定められて産まれたんだからなぁ﹂
眼を剥き出しにしながら、次第に語気を強くしたファンは、まる
で自分の知るファンとは違うことに、メシアは驚きの眼差しを向け
た。
それに対して、大きく反応を示したのは、黒人青年、ニノラ・ペ
ンダースである。
気付いたとき、メシアとニノラの周囲には、多くの人影がある。
異世界から抜け出してきたイラートたちが、転送して来ていた。
﹁お前たちが要を外す定めなら、俺たちは要を護る。絶対にメシア
は殺させない。この身体の細胞の1つひとつが消滅したとしても、
俺たちはメシアを守護する﹂
ニノラの断言と同時に、上空のファンの周りにも複数の影が転送
してきた。
その中にはエリザベス・ガハノフの姿もあった。
エリザベス!
ハッと顔を硬直させたメシア。
これはファンの望む表情だったのどろう、面長の顔を優越感で満
たし、両腕を天空へルアー振り上げると、一気に顔の前へと振り下
ろした。
刹那、メシアは横のニノラに抱えられ、重力に逆らって上空へと
361
舞い上がった。
何が起こったのか分からなかった。ただ地上数帰路に渡り隕石が
落下したかのように地面が落ちくぼみ、土煙が上がっていたのだけ
は、理解できた。
﹁これは始まりの合図だ。油断するなよ。お前たちは宇宙一大切な
宝をスプーンの上に乗せているようなものなんだからなぁ﹂
と、高笑いを響かせて、ファンはその場から消えたのだった。
これに応じて不服そうな︻咎人の果実︼たちは、転送した。
エリザベスはメシアのことを一瞥することもなく、俯いたままに、
その場から消失したのだった。
僕は、僕の身になにが。
心中でただそう呟くことしかメシアにはできなかった。
ENDLESS MYTH第3話ー19へ続く
362
第3話ー19
﹃繭の盾﹄ 種族:ホモサピエンス 能力:電撃 ニノラ・ペンダース 種族:ホモサピエンス 能力:獣人への
変化
イラート・ガハノフ サンテグラ・ロード 種族:サラントイラン人とホモサピエン
スのハーフ 能力:短時間の時間操作 バスケス・ドルッサ 種族:デンコーホン人 能力:金属原子
の生成、操作 能力:物
イ・ヴェンス 種族:ホモサピエンス 能力:熱エネル
種族:ニャコソフフ人 ギー操作による、爆発作用 ホウ・ゴウ 能力:水蒸
体を氷結、凝固させる能力 ジェイミー・スパヒッチ 種族:ホモサピエンス 種族:ノーブラン 能力:亜高
気を操作し、雲を意のままに操る
ボロア・クリーフ 速移動、加速能力
アニラ・サビオ 種族:トチス人 能力:自らが創
造する自空間へ他者を幽閉する
マキナ・アナズ 種族:ホモサピエンス 能力:空間の物
能力:重力操作
理理論を書き換え、ブラックホールを自在に誕生させられる
﹃咎人の果実﹄
ファン・ロッペン 種族:ホモサピエンス 363
エリザベス・ガハノフ 種族:ホモサピエンス 電流操作
ドヴォル 種族:ラーフォヌヌ 窒素、二酸化炭素など空気操作
能力:汎用的
能力:酸素、
能力:物体の
ロベス・カビエデス 種族:ホモサピエンス 能力:光子操作
ゴーキン・リケルメン 種族:ソフリオウ人 凝固能力 能力:迷宮の
アンナ・ゲジュマン 種族:ホモサピエンス 能力:肉体から
種族:ミサイルラン人 己が生成した装備を自在に放出できる
ミンチェ 種族:ブソナレロ 能力:炎の操作
生成。内部へ落下した者は、永久の悪夢にうなされる
サホー・ジー 種族:ホモサピエンス 能力:水分
種族:ホモサピエンス 能力:
ガロ・ペルジーノ 子の操作
カロン・カリミ サイバー空間へのアクセス、操作
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不機嫌な顔をして痩けた頬を撫でるのは、先にこの時代を訪れ、
メシア・クライストの襲撃を企てていた男は、最初の襲撃であそこ
まで獲物を追い詰めながらも、仕留められなかった事に対する不満
を露わに、足下に転がる黒く太い電源ケーブルを蹴り上げ、ふてぶ
てしく周囲にそのギョロリとした視線を転がした。
そこには太い配線と分厚い鉄板の管が高い天井を何処までも登り、
周囲にも機械類、配線が散乱していた。床は鋼鉄で構成されている
様子だが、つなぎ目が一切ない1枚の鉄板のようである。しかも分
厚いのか、エナメル質の革靴をはくガロ・ペルジーノの足下には、
鉄板が響く音など、微塵もしなかった。
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﹁お前がなにを考えてるかは知らないし、知りたくもない。だがな
ぁ、あそこで獲物を仕留めるのを止めた理由ってやつを聞かせても
らいてぇものだ﹂
明白な不機嫌を中空に向けるガロ。
すると中空に浮遊したまま直立し、ポケットに手をつっかんだま
まのファン・ロッペンは、室内を物色する視線を眼下へと静かに落
とした。
そしてゆっくりと滑らかに鋼鉄の床へと降下してきて、静かに着
地した。
﹁あそこでお前が奴を仕留めたら、この戦いは終わったからなぁ。
それを止めるため、とでも言っておこう﹂
半分笑った顔で面長の男は質問に答えるのだった。
﹁殺戮を楽しむってのは嫌いじゃない。だが目的を忘れてないか?
我々がここにこうして集う意味は、殺しを楽しむためじゃ無い。
それぞれの目的成就のため、悲願を決するためにここに居る﹂
ガロは不機嫌そうに面長の顔へやつれて眼球をギョロリとした顔
を近づけた。
するとこの緊張の糸を緩めるような声色が広く薄暗い室内にこだ
ました。
﹁喧嘩するのはいいですけど、まずここを掃除しません? 古代の
遺跡とは言っても、汚すぎませんか?﹂
と、ほがらかに声を発したのは、ロベス・カビエデスである。ホ
モサピエンスの彼は、10人の︻咎人の果実︼でも見ためが最も若
く、とてもメシア・クライストの命を狙うような人物には見えない、
穏やかさ残す巻き髪の短髪であった。
﹁ここ何年ぐらい経ってるんでしょね﹂
何処か間の抜けた笑みをたたえ、ロベスがファン、ガロを交互に
一瞥して、足下の太いケーブルを見下ろした。
殺意に満ちたにらみ合いはそこで打ち切られ、唾を吐くようなふ
てぶてしさで、ガロはファンから離れると、近くに転がった鉄の塊
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に腰を下ろした。
それを注視していたファンは、1つの落ち着きを見せたガロの態
度を半笑いで見てから、ロベスへと視線を移動させた。
﹁最期の文明が崩壊して年号は消滅したからなぁ。正確な時間は把
握できない。地球に時間概念が消失して、天文学的年月が過ぎてい
るはずだが﹂
言い放ったファンが薄暗い天空の猥雑な機械の世界へ眼を転じた
時、幾つものケーブルが不意に生き物のようにウネウネと波打ち、
その中央から1つの小さな顔がひょっこりと出てきた。まるで小動
物が穴蔵から出てくるそれに似ている光景である。
顔は女性である。人間の。
﹁システムは古いけど生きてるわ。復旧にはそれでも時間がかかる
わね。ここを拠点にするのであれば、暗いのは少し我慢してもらう
しかないわ﹂
機械的な声色が空間内部に反響した。彼女の顔からではなく、機
械自体が喋っているかのようである。
彼女はこのとき、大きく開かれた口から、医療用のチューブのよ
うに配線を呑み込み、身体中の穴に機械の配線が入り込み、眼の部
分は黒いスキンシートで覆われて、まるで目隠しをされているかの
ような姿である。
表現するのであれば、SMプレイの器具で身体を縛られているそ
れに似ていた。
彼女の中では意識はシステム、サイバー空間と直結されており、
意識の前を横切るのは、電子の情報の河と空気であった。彼女は情
報の海の前に立っていたのである。
少しの間、顔を覗かせていたカロン・カリミは、再び機械の中に
埋もれていく。
そして次の瞬間、ファンの斜め向かい側の機械で柱のようになっ
た機械の塊から、ささった棘が排出されるかのように、カロンは現
れた。
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目隠しをされていた瞳は開き、代わりに耳に設置された丸い円盤
型の装置から伸びるレザーのマスクが口元を覆っている。
そう、彼女はイデトゥデーションの本拠地に居た、例の女性だっ
たのだ。
﹁イデトゥデーション内部で多くの科学技術を目撃しちゃうと、な
んだかおもちゃにもならないわね、ここのシステムは﹂
と、つまらなげにマスクの向こう側に籠もった声を発した。今度
の声色は、しっかりと人間の物である。
﹁それで、この汚いがらくたの山以外に、この時代での収穫は?﹂
ガロ、ロベスを交互に見やった彼女には、その独特の風貌とマッ
チした無機質な口調が投げ込まれた。
﹁もちろん仕事はしましたよ。イデトゥデーションがタイムリープ
させた工作員は排除しましたし、彼らが根城にするであろう場所の
検討もつけてあります﹂
巻き髪の少年がニコリと微笑む。
﹁それだけじゃないわ﹂
そう言って転送してきた小柄で短いスカートをひらりとさせて、
鉄板に着地した女性が言う。アンナ・ゲジュマンだ。
彼女は濡れた前髪を掻き上げ、ファンを見つめた。
﹁救世主は地球の裏側に逃げたみたい。居場所はすぐに特定できる
わよ﹂
すると複数の光がファン・ロッペンの周囲に現出し、そこに︻咎
人の果実︼が全員、顔を合わせる形となった。
﹁どこに逃げたかは問題ではない。彼らに極上の苦痛を与え、もが
き苦しみ、のたうち回っているところを、踏みつぶすのが快感につ
ながるんだ。それだけが目的で我々はここにいる。それだけが唯一
無二の存在理由だ﹂
と、全員の顔を見回し、ファンは言い放った。
これにはさすがのガロ・ベルジーノも、さっきまでの勢いを潜め
てしまうほどの、ギラギラとした面長の男の顔であった。
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﹁それにしたって、もう少し片付けておいてほしかったわね。これ
じゃあ貴方たちの地球で言うネズミと変わらないじゃない。好きな
んでしょ、ネズミってこういうところが﹂
肘を抱え、少しツンとした顔で言ったのは、ミサイルラン人のミ
ンチェである。
垂れた触手のような皮膚を露出させた衣服は、胸のところが大き
く開き、深い谷間が見えていた。
挑発的な口調と衣服の彼女に言われ、ガロは露骨な不機嫌を見せ
た。
すると薄暗い機械だらけの空間に光がほとばしり、鋭いものがミ
ンチェの首のとに光速で近づいた。それは彼女が能力で対抗するよ
りも速く、反射神経では対応できないほどであった。
ミンチェの喉元に突きつけられたのは、白刃だ。しかも先端は薄
く紫色に、血液を吸ったような、刃独特の輝きでミサイルラン人を
照らした。
﹁あんたになにがわかんのさ。こんな朽ちた世界にあんな男と一緒
に放り込まれて、楽しいと思う? 野宿しないだけでもありがたい
と思いなさい﹂
苛立ちを隠しきれないアンナの視線は、一瞬、ガロを一瞥した。
ギョロリとした眼光の男との時間は、彼女にとって誰も経験できな
いほどの苦痛であったのだ。
ミンチェもしかしガロとの少しの時間を経験しているからこそ、
アンナの切っ先の苛立ちを理解していた。
﹁冗談も通じないのかしら﹂
ミサイルラン人はそういうと、独特の肌色の顔をニコリとさせた。
そこにはけれども顔とは裏腹に、すぐにでの能力発動をするであろ
う指先に、力が込められていた。
﹁そんな、ひどいじゃないですか﹂
と、唐突に間抜けな声を発したのは、巻き髪の少年ロベスだ。
﹁僕たちは、うまくやってたじゃありませんか。楽しかったでしょ、
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色々と冒険して﹂
本心からそう思っているらしく、少年の瞳は、苛立つアンナの鋭
い眼光を見やっている。
切っ先を下ろし、血を払うように剣を振ると、あまりに純朴すぎ
る彼の言葉に、喉を詰まらせたかのような顔で、アンナは己の能力
で放出した剣を、光の粒にしてその場から手品のように消失させた。
﹁さかりのついた猫とでも表現せざるにおえない光景ですな﹂
半透明なドヴォルの身体から、低い声が薄暗い機械の空間に反響
した。
﹁目的の実行性が著しく低下しているように見えるのですが?﹂
と、面長の顔をドヴォルは半笑いで見やった。
何処か知的でありながら、この場に居並ぶ全員と同様、危うさを
抱えた瞳を半透明な種族はしている。
面白げに笑いを面長の顔に浮かべたファンは、9人の種族をそれ
ぞれに見る。そしてニヤリと不気味とも喜びともつかない顔つきで
両腕を広げた。
﹁実行性に優れているさぁ。それぞれの目的、それぞれの考え。し
かし目標は救世主1人。これほど実行性にすぐれている集団はない、
そうは思わないか?﹂
そういうとファンの視線は集団から少し離れた位置に転がってい
るパイプの上に腰掛けたエリザベス・ガハノフへと向けられた。
彼女がこの戦いの鍵となることを、ファンは理解しているような
視線と口ぶりである。
﹁ぐずぐずしてていいのか。敵に逃げられるぞ﹂
視線を足下にそらしながら、後ろめたいようにも見える表情でエ
リザベスは言う。
彼女の心情など微塵も分かっていない昆虫をそのまま大きくして
二足歩行にしたかのようなサホー・ジーが彼女の提案に、殺気だっ
た口調で叫ぶ。
﹁そうだ! 奴を殺すにはすぐに動くことを先決だ!﹂
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が、これに異議が声が上がる。
﹁無闇に動かずとも、良いでしょう﹂
ドヴォルだ。彼はどこか昆虫生物を下に見るような視線を向けて
から、実質的集団のリーダーであるファンに顔を向けた。
﹁奴らの行動原理は救世主を守ること。ならば先手を打ってくるの
は向こうでしょう。憂いを排除すれば、救世主を守るのも容易くな
りますから﹂
半透明な生命体の言葉は、ファンの説得には十分すぎるほどの根
拠があった。
﹁救世主はいずれこの手で消す。物語はこの場面で終幕。二度と再
開することはない﹂
そういったファンの顔には、遊びで興奮する子供の様子に類似す
る感情が溢れていた。
ENDLESS MYTH第3話ー20へ続く
370
第3話−20
20
雨に濡れた犬のようなメシアが倒れ込むように、壁に空いた穴か
ら建造物の中に飛び込んだのは、夜も深まってからのことである。
ニノラ・ペンダースに担がれて飛ぶこと数時間、彼の身体は完全
に冷え切っていた。
しかしメシア・クライストよりも更に深刻だったのは、彼を守護
すべく敵と対峙したトチス人の女性アニラ・サビオヴァ。その身体
はボロ雑巾のように瓦礫の上に落ち、全身を弾丸で射貫かれたよう
に、皮膚が破裂し、出血していた。
敵の能力は水。まさかこの状態を見て水滴が弾丸の如く襲ってき
たとは誰が予想できるだろうか。
溢れ出る血液を近くにある布で押せる。が、その布はいつからそ
こにあったのかすら分からず、吸水性を失い、血液がすぐに身体か
らあふれ出してくる。
﹁どうするのよ。何とかしてよ、この状態を!﹂
悲鳴に近い叫び声は、ジェイミー・スパヒッチの甲高い叫び声で
ある。
その横では耳をふさぐように、少年っぽいイラート・ガハノフが
どうしてよいのか分からず、ただ事態を傍観するばかりであった。
傷口を押さえるニノラ・ペンダース、ニャコソフフ人のボウ・ゴ
ウ。そして痛みに苦悶に顔を歪め、オレンジ色の瞳を歪めつつ暴れ
るアニラの身体を、バスケス・ドルッサが目の前のニノラに擬態し
た姿で押さえ込んでいた。
その後ろにはマキナ・アナズと専門外のノーブラン人ボロア・ク
リーフが立っている。
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するとそこにサンテグラ・ロードが人間ともサイラントイラン人
ともつかない、異星人と人間のハーフが雨の中を、室内へ飛び込ん
できた。
﹁これを﹂
そう言うと中空へソフトボールほどの鉄球を放り投げた。と、そ
の球体は瞬間的に光のカーテンのドームのように負傷したアニラの
身体を包んだ。
途端、彼女は苦しみから解放された、落ち着きを取り戻した。
医療キッドは、即効性の鎮静効果と、負傷時の精神安定、完治を
即座に行う。イデトゥデーションの技術だ。
押さえ込んでいたニノラは、汗とも雨粒ともつかない額のものを
袖で拭い、瓦礫と埃にまみれた、コンクリートのような物質で形成
されている床に、尻を落とした。
ここにきてようやく、一行に一息が訪れたのだった。
ただポカンと、この様子を眺めるしかなかったメシアに、この一
時の安堵を破る言葉はなかった。
と、そこに轟音の稲妻がこだました。
﹁ちょっと、ゆっくりできるところはないわけ﹂
不機嫌に甲高い声を上げたのは、例のごとくジェイミーである。
その髪は濡れてボリュームを失い、彼女の不機嫌さをさらに加速
させた。
しかし彼女が周囲を見回しても、その部屋に出入り口らしきとこ
ろはなく、完全に密閉された1つの四角い部屋であった。
しかも部屋を見回せば天井も床も継ぎ目がなく、本当に1つの素
材で床から天井までが構築された真四角の部屋なのだ。
未来的な構成に、ジェイミーは興味すらなく、ただこの濡れた空
気と陰気な雰囲気にから逃げ出したい気持ちでいた。
すると壁の前へ突如として踏み出して近づくノーブラン人の男は、
その拳で壁を1つの叩いた。
刹那、壁は粉々に砕け散ると、そこに強引に開いた出入り口が口
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を開いたのだった。
砕けだ壁をまじまじと眺め、ノーブラン人は鼻を鳴らして軽く、
皮肉に笑った。
﹁惑星ノドスで同じ技術を見た覚えがある。システムが稼働してた
なら、壁が口を開き、出入り口は自動でできたのだろうがな。文明
が崩壊してどれだけの時間が経過したのやら﹂
と、言い終えると男はその脚で一番先に、壁を抜けて外へと出た
のだった。
続いて不機嫌なジェイミー。彼女とは真逆に妙に楽しげたイラー
ト・ガハノフが続いた。
メシアもそれに続き部屋を出ようとするも、倒れているアニラが
気になって振り向いた。
﹁彼女なら心配ない。イデトゥデーションの医療キッドで傷は直ぐ
に完治する。君も少し休んでくるといい﹂
そう黒人青年はメシアを気遣う言葉を口にした。
背中を押されながらも、気になりつつ、壁を抜けたメシア。
その眼前には広大な空間が広がった。
高さにして建物30階ぶんは抜けてるであろう吹き抜け。横の広
さは1つの町ほどもあり、植物がびっしりと生い茂り、その中央に
は1つの居僕が凛然直立して、吹き抜けを貫いていた。
吹き抜けの周囲は格子状になっているがガラスははめ込まれてい
ない。そのせいで風と雨は遠慮を知らない。
眼を剥いて驚くメシア。
﹁すげぇえよなぁ。ここがビルの中だなんて信じられねぇよ﹂
ポケットに手をつっこみ、天空を見上げるイラートの表情には、
ワクワクが散らばっていた。
建物の中にこんな?
メシアが知る限り世界最大の建造物はドバイに建設中のドバイシ
ティタワーと、日本の東京バベルタワー、ロシアのロシア宮殿を思
い起こさせた。
373
彼はどれも眼にしたことはないものの、その巨大さは、テレビや
ネットで知っていた。
しかしここにある、彼が立っているその建物のスケールは、その
どれとも異なる、圧倒的なものがあった。
呆然と立ち尽くすメシアを尻目に、ジェイミーは自らの不快感を
消し去る方法を探すべく、中空に浮遊するなり、そのまま滑らかに
空中へと飛行して行くのであった。
改めてこれを目の当たりにしたメシアは、今更ながらこれが現実
なのか夢なのか分からなくなり、頭を片手で押さえ、思わず壁際に
後ずさりすると、その場に座り込んでしまった。
彼が座り込んだのは、吹き抜けの空間をぐるりと一周するように
壁に設置されたバルコニーのような場所であり、その広さもまた、
メシアの感覚を遙かに超える巨大なものだ。
しかしそれをぐるりと見回した彼は、あることにふと気がついた。
バルコニーであるのは確かなのだが、階下に下る階段らしきものも、
エレベーターらしき出入りする場所も見当たらない。ここに暮らし
ていたであろう人々は、どのようにこのバルコニーと階下を行き来
したのか? そんな疑問が瞬間的に浮かび上がる。
﹁文明の頂点がこの風景ってことになるな﹂
無理矢理ノーブラン人が拳で広げた壁の穴から黒い顔を出した黒
人青年は、吹き抜けを上からゆっくりと見下ろしてくると、階下の
植物の生い茂る床を見下ろした。
﹁文明の頂点・・・・・・﹂
どういった意味を持つ言葉なのか、メシアには想像すらできない。
﹁本当に人が住んでたのかねぇ﹂
と、ニノラの言葉に腕組みをするイラートが口先で言った。
﹁人間が暮らしてたとはかぎらねぇぜ。人間はほろんじまって、別
の種族が地球を支配してたかもしれねぇし、もしかすると地球の知
的生命体は滅んで、宇宙から来た文明があったかもしれない。まぁ、
どっちにせよ、今の俺たちにそれを知ることはできないけどな﹂
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メシアはその言葉で初めて、ここが地球であるのだと理解し、驚
きを瞼に乗せて見開いた。
﹁地球・・・・・・なのか?﹂
そうニノラの顔を見上げてメシアが問いかける。
黒人青年はゆっくりと頷いて、力強い視線で彼を見下ろしたのだ
った。
﹁そうここは地球だ。ただし時間はメシア、君がいた時間よりも遠
い遙かな彼方の未来になる。きっと君の時間概念では想像もできな
いほどに遠い﹂
と、黒人の背後からピンク色に渦巻き模様を入れたニャコソフフ
人がぬっと出てきた。
﹁人間かは分からないけれど、生物って不思議よね。あたしが住ん
でた惑星でも同じだったわ。文明が発達して進化するにつれて、都
市機能は1つになって効率的にエネルギーを消費できるこういった
巨大な建物を建設してみんなで暮らすようになってた。知的生命体
は宇宙に無限といるはずなのに、こうして文明発達のラインは似て
くる﹂
そういわれてメシアは再び、吹き抜けを貫く巨木を眺めた。
その時、メシアの前髪を微風が吹き抜けると、真横にさっきまで
は居なかったはずのノーブラン人のボロア・クリーフが、その巨大
な岩のような身体を立たせていた。
﹁最上階まで行ってきたが、こいつはいかんな。防衛には向いてい
ない。せいぜい広い空間を利用して逃げ回ることしかできまい﹂
そうノーブラン人の彼の能力は亜光速移動。さっき壁に穴を開い
てよりこの短時間の間に、亜光速で20キロはあろうかという建物
の隅々まで走り回り、拠点をチェックしてきたのだ。
﹁勢いでここへ入ってきましたが拠点を変えるべきでしょうか?﹂
と壁を抜け出てきたのは、ニノラ・ペンダースの姿へ変化したバ
スケス・ドルッサだ。
何度見てもメシアはこの他者に変化する彼に慣れることはなかっ
375
た。
すると本物のニノラは自分と同じ顔をしたバスケスを横目で見て、
首を横に振った。
﹁無駄に動かないほうがいい。この時代のことはなにひとつ分かっ
ていないんだ。それにデヴィルがまた何を仕掛けてくるかも分から
ない。我々の敵は︻咎人の果実︼だけじゃないからな﹂
そういうと黒人青年は座り込んだメシアを一瞥した。その心中で
は本当に救世主を守れるのか、という自分への疑心暗鬼がすきま風
のように不安となっていた。
しかしそれを払いのけたのは、脳内に響いた声であった。
︵聞こえるか、ニノラ︶
イ・ヴェンスの声である。彼がテレパシーでニノラに呼びかけて
きたのだ。
︵ちょっと来てくれ。イデトゥデーションの連中を発見した︶
眉を上げてニノラは軽く頷くと、周囲の仲間をみやって、
﹁少し離れる。なにかあったらすぐに擦らせてくれ﹂
と言うなり黒人青年の身体は光の粒子に包まれると、その場から
転送た。
ENDLESS MYTH第3話ー21へ続く
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n9971cl/
ENDLESS MYTH
2017年1月23日15時21分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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