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コミュニケーション様式と情報処理様式の対応関係

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コミュニケーション様式と情報処理様式の対応関係
文化・コミュニケーション・情報処理
社会心理学研究(印刷中)
コミュニケーション様式と情報処理様式の対応関係:
文化的視点による実証研究のレビュー
石井
敬子
(北海道大学大学院文学研究科)
北山
忍
(京都大学総合人間学部)
連絡先:
060-0810
札幌市北区北 10 条西 7 丁目
北海道大学文学部行動システム科学講座
Correspondence between communicative practices and information processing systems:
A review for experimental evidence on cultural perspective
Keiko Ishii
Graduate School of Letters, Hokkaido University
Shinobu Kitayama
Faculty of Integrated Human Studies, Kyoto University
Address correspondence to:
Keiko Ishii,
Department of Behavioral Science, Faculty of Letters, Hokkaido University.
N10W7, Kita-ku, Sapporo 060-0810.
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文化・コミュニケーション・情報処理
Correspondence between communicative practices and information processing systems:
A review for experimental evidence on cultural perspective
Available cross-cultural evidence was reviewed to determine whether there
is any correspondence between cultural practices in communication and the modes of
cognitive processing. This review suggested that both communicative practices and
cognitive processing are oriented toward verbal content in the West, but they are
oriented toward certain contextual cues in the East. This cross-cultural difference
was reliably identified only when on-line processing measures were examined. When
paper-and-pencil surveys were used, no interpretable pattern was identified.
Implications for future research and intercultural communications are discussed.
Key words: cultural psychology, culture and cognition, communicative
practices, information processing systems, behavioral measures
コミュニケーション様式と情報処理様式の対応関係:文化的視点による実証研究のレビュ
ー
関連の文献をレビューし、文化的なコミュニケーション様式と情報処理様式の間の対応
関係を検討した。コミュニケーション様式と情報処理様式の両者とも、西洋は言語内容重
視だが、東洋は文脈情報重視であると結論した。このような文化間の差違は、オンライン
処理を測定した場合に確かに見られた。一方、内省判断に基づく質問紙法では、解釈可能
なパターンは見られなかった。最後に、今後の研究と異文化間コミュニケーションへの展
望を示した。
キーワード:文化心理学、文化と認識、コミュニケーション様式、情報処理様式、
行動指標
2
文化・コミュニケーション・情報処理
コミュニケーション様式と情報処理様式の対応関係:
文化的視点による実証研究のレビュー
はじめに
アメリカの大学においては、同じ研究室のメンバーであれば、教授であろうと学部生で
あろうとみなファーストネームで呼び合うのが一般的である。これに対し、日本の大学で
は、同じ研究室のメンバーであっても、指導教官に対しては名字に「先生」をつけて呼ぶ
のが普通である。実際に、アメリカの大学から1人の学生がある日本の大学の研究室にや
ってきたときの話だが、最初、その学生は、日本人学生の言葉遣いを真似ながら、教官の
名字に「先生」をつけて呼んだり、ファーストネームで呼んだりしていた。しかしだんだ
ん研究室に慣れてくるに従い、その名字を呼び捨てにし始めてしまった。こうしたアメリ
カ人の言葉遣いが直感的におかしいと感じられるのはなぜだろうか。その理由は、日本語
のコミュニケーションでは、その言語内容に加え、それが発せられる文脈を考慮した表現
(例えば、敬語)が必要であり、聞き手もその事実を了解しているからである。この例か
らうかがわれるように、当該の文化のコミュニケーション様式を知り、かつそれを実際に
用いることを通じて、円滑なコミュニケーションは可能になると考えられる。
このような観察は、人の心理プロセスを、普遍的かつ静的なものではなく、文化の通念
や慣習によって構成されたものであるとする理論と符合している。つまり、推論、動機づ
け、対人感情などの比較的高次の心理プロセスは、ある特定の文化で各人が生きていくこ
とを通じて育まれ、結果として、その文化に適合したものとなる。したがって、心理プロ
セスのあるものは、その文化の意味構造に比較的固有である可能性がある。さらに、文化
に見合った心理プロセスを獲得する結果、人は、その意図にかかわらず、当該の文化を維
持、継承していく。よって、人の心理プロセスと人が生きる文化との間には、相互構成的
関係が生じ ると考えら れるわけで ある (Bruner, 1990; Cole, 1996; Fiske, Kitayama,
Markus, & Nisbett, 1998; 北山, 1997; 北山・宮本, 2000; Markus & Kitayama, 1991; Miller,
1999; Shweder, 1990; Tomasello, 1999)。このような理論的枠組みは、近年、文化心理学
として各方面の実証研究を促している。このような理論的前提に基づくと、文化のコミュ
ニケーション様式と人の情報処理様式の間にはある一定の対応関係が存在すると考えられ
る。
本論の目的は、コミュニケーション様式と情報処理様式に関わる実証研究をレビューし、
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文化・コミュニケーション・情報処理
それらの間に対応関係が生じていることの妥当性を検討することである。これにあたり、
本論では、洋の東西といった世界の諸文化を巨視的に比較する方法をとる。しかしその目
的は、
「コミュニケーション様式と情報処理様式における東洋と西洋の比較」を行うためだ
けではない。より重要なのは、そのような方法をとることによって、コミュニケーション
様式と情報処理様式との間に対応関係があるという仮説をより厳密に検証できるからであ
る。そのような証拠は、ある1つの文化に注目しても得られるが、しかしそれとは異なっ
た文化においてもそれらの対応関係が示唆されるのであれば、その場合に仮説の妥当性は
はるかに高くなることであろう。事実、一つの文化のみに注目した場合、そこで見いださ
れた結果の文化依存性を実証的に検証することは非常に難しくなる。そこで、本稿では、
最大限に異なった歴史的背景をもつ2つの文化において、それらの対応関係が見られるか
どうかを検討する。
加えて、コミュニケーション様式と情報処理様式との対応関係を検証するにあたり、以
下において、我々は、西洋文化と東洋文化を区分し、
「東洋は・・・である」や「西洋は・・・
である」といったこれら文化圏の特徴に注目するが、これは文化間における相違と同時に
存在している文化圏内の分散(例えば、日本語と韓国語の文法構造の違い:Horie, 2002; 英
語話者とドイツ語話者における要求表現の違い:House & Kasper, 1981; アメリカ文化に
おける南部と北部の違い:Nisbett & Cohen, 1996)を軽視しているわけではない。しかし、
このような文化内の差異を含めたコミュニケーションと情報処理に関わる包括的な理論を
導くためにはまず、文化を巨視的に見つめ、その特徴に注目することが必要であると考え
る。本論におけるコミュニケーション様式と情報処理様式との対応関係を検証する作業は、
こうした第一歩である。
理論的枠組み
近年、心理学及びその関連領域の研究より、洋の東西における心理プロセスの違いが明
らかになりつつある。加えて、その心理プロセスが当該の文化における価値観や規範を反
映しながらどのようにして形成されてきたかを理論化しようとする試みが頻繁になされて
いる。特に、コミュニケーションと情報処理に関して主だった理論を表1にまとめた。こ
れらの理論は、その主眼において異なる。まず、各文化で歴史的に育まれてきている人間
観をはじめとする価値観がある (自己観と価値観)。次に、コミュニケーションの慣習に注
目した分析がある (コミュニケーション形態と機能)。最後に、思考など情報処理様式に注
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文化・コミュニケーション・情報処理
目した枠組みがある。以下ではこれらを簡単に検討する。
自己観:相互独立と相互協調
Markus and Kitayama (1991) は、歴史的に共有されている自己についての素朴理論 (つ
まり自己観) が文化によって異なっていると指摘した。西洋における自己観は「自己=他
から切り離されたもの」という信念により特徴づけられる。そのため、西洋では、自分自
身の中に確固とした属性を見いだし、それを外に表現することで自己は形成される。Markus
and Kitayama (1991) は、このような自己観を相互独立的自己観とした。相互独立的自己
観によると、考えとは、自己内にある自己特性の一つである。よって、この自己観を持っ
ている人々にとって、考えとは、伝える必要のある情報であり、明示的に表現されて初め
て伝わるものである。こうした「考え」に対する見方は、人それぞれは情報的にも遮断さ
れているといった文化的常識と結びついていると考えられる。
これに対して、東洋における自己観は「自己=他と根元的に結びついているもの」とい
う信念により特徴づけられる。そのため、東洋では、他と関係を結び、社会的関係の中で
意味ある位置を占めることにより、自己は形成される。Markus and Kitayama (1991) はこ
のような自己観を相互協調的自己観とした。相互協調的自己観によると、考えとは、特定
の場ですでに共有された資源である。よって、この自己観を持っている人々にとって、考
えとは、たとえ明示的な表現がなくても知ることができるものである。こうした「考え」
に対する見方は、人それぞれは情報的にも相互に結びつき、浸透し合っているといった文
化的常識と結びついていると考えられる。
社会規範:個人主義と集団主義
Triandis (1989, 1995) は、西洋の個人主義と東洋の集団主義を対比した。Triandis は、
これらに通底する特性として、以下の3点を挙げた。第1に、個と集団の目標や利害が対
立した場合、個人主義文化は個を優先するのに対して、集団主義文化は集団を優先する。
第2に、個人主義文化では自己は私的な特性によって定義されがちであるのに対して、集
団主義文化では関係的特性によって定義されがちである。第3に、個人主義文化より、集
団主義文化の方が内集団、外集団の区別がより明瞭である。コミュニケーションと情報処
理に関しては、個人主義文化では、個の考えの表現に重きが置かれているため、集団の内
外といった状況要因に左右されないコミュニケーションの慣習と、それに対応した情報処
理様式が予測できよう。これに対し、集団主義文化では、考えの集団内の共有に重きが置
かれているため、集団の内外といった状況要因に十分に配慮したコミュニケーションの慣
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文化・コミュニケーション・情報処理
習と、それに対応した情報処理様式が予測できよう。
コミュニケーションの形態:文脈独立と文脈依存
自己観や価値観において見られる洋の東西の差違は、コミュニケーションの形態につい
ての Hall (1976) による理論的分析と一致する。Hall (1976) は、英語、ドイツ語など西
洋の言語では、情報伝達の主な経路が言語そのものであるが、日本語、中国語など東洋の
言語では、その経路として文脈的手がかりの果たす役割が相対的に高いことを指摘し、前
者を低コンテクスト (文脈独立) の言語、後者を高コンテクスト (文脈依存) の言語と呼
んだ。1例えば、英語では Yes は Yes というように、言語は発話意図を直接的に表すことが
多いが、日本語での「はい」は、文脈次第でいかようにもとれることが多い。低コンテク
スト言語のコミュニケーションでは、基本的に個人が所持しているものとして「情報」が
位置づけられている。そこには、正確に他者に情報を伝達しない限り、それを他者と共有
することはできない、つまり、発話意図の伝達は発話者の責任であるという前提が隠され
ている。一方、高コンテクスト言語のコミュニケーションでは、基本的に他者と共有され
ているものとして「情報」が位置づけられている。そこには、話者は正確に他者に情報を
伝達する必要はなく、むしろコミュニケーションの受け手が文脈的な情報に注意を向け、
そこから発話意図を察するべきであるという前提が隠されている。
コミュニケーションの機能:伝達と関係
Hall (1976) の分析は、文化圏によって言語が担う機能に差違があるとした Scollon and
Scollon (1995) の分析とも一致する。Scollon and Scollon (1995) は、言葉のやりとり
には、1) 情報を伝えるという機能と、2) 参加している人々に関係性をもたらすという
機能があるが、そのどちらを重視するかは文化により異なると指摘した。西洋文化では、
情報伝達機能が重視される。よって、重要な事柄を言語的に明瞭に伝えることが重要であ
り、それが達成されていないものは注意に値しないとされやすい。これに対して、中国や
韓国、日本などの東洋文化では、関係性維持機能が重視されている。さらに、関係性がす
でに存在しているという文化的前提のために、情報伝達は、明示的なコミュニケーション
なしに達成されるという考えが一般的である。この点は、
「以心伝心」という成語にも示さ
れている。
思考様式:分析と包括
他者に情報を伝達する様式において文化間の相違があるとしたら、それを理解し、それ
を 用 い て 物 事 を 考 え る 様 式 に も 差 違 が あ る と 予 測 で き る 。 Nisbett, Peng, Choi, and
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文化・コミュニケーション・情報処理
Norenzayan (2001) は、西洋人の思考様式は分析的であるとした。つまり、対象やその要
素を同定し、それらの間の論理的、かつ直線的関係を定式化する傾向があるとした。これ
に対して、東洋人の思考様式は包括的であるとした。つまり、対象やその要素そのものに
注目するのではなく、それらの間の相互関係や全体的な布置を非直線的、かつ弁証法的に
定式化する傾向があるとした。彼らは、このような文化間の認識様式の相違は、それぞれ
の文化の社会関係のありかたを反映してきていると指摘している。つまり、西洋文明は、
個の自立を機軸に自然を理解、征服しようとしてきた。よって、最も重要な対象を文脈か
ら抜き出し、それに焦点をあてて操作するという分析的態度が顕著になった。これに対し、
東洋文明は、個と社会や自然との調和を重視し、個を社会や自然の一部として理解、制御
しようとしてきた。よって、いかなる個物も全体の中に埋め込まれたものであるとする包
括的態度が顕著になったと考えられる。
Nisbett et al. (2001) が提唱する分析・包括の概念はきわめて広いものであるが、特
にコミュニケーションの理解に関して、西洋における分析的な思考方法においては、コミ
ュニケーションの最も中心的属性、つまり言語情報に注目した処理がなされやすいのに対
し、東洋における包括的な思考方法においては、コミュニケーションの付加的、背景的側
面にも注意を向けた処理がなされやすいと予測できる。
まとめ
文化の5つの側面―自己観・社会規範・コミュニケーションの形態・コミュニケーション
の機能・思考様式―は互いに相関している。互いに独立した自己という相互独立的自己観は、
個人主義的規範と結びつき、文脈独立的な、伝達機能重視のコミュニケーションを促す。
そしてこのようなコミュニケーション様式は、分析的かつ論理的な思考様式に符合する。
これらの文化においては、言語情報重視のコミュニケーション慣習が根付き、同時に情報
処理も同様のバイアスを示すであろう。これに対して、互いに結びついた自己という相互
協調的自己観は、集団主義的規範と結びつき、文脈依存的な、関係性維持機能重視のコミ
ュニケーションを促す。さらにこのようなコミュニケーション様式は、包括的かつ弁証法
的な思考様式に符合する。これらの文化においては、背景情報重視のコミュニケーション
慣習が根付き、同時に情報処理も同様のバイアスを示すであろう。以下では、コミュニケ
ーション様式と情報処理の様式の2点に関して、既存の実証研究をレビューする。
表1を挿入
異なる種類のデータと、その比較文化的妥当性
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文化・コミュニケーション・情報処理
文献のレビューにあたって、様々な種類のデータの比較文化的研究の妥当性について考
察する必要がある。従来、比較文化研究では、個人主義、集団主義など、様々な価値基準
の重要性を被験者自身に問うという形での質問紙調査が頻繁に行われてきた。しかし、こ
のような調査の比較文化的妥当性には近年かなりの疑問が提示されてきている (Fiske et
al., 1998; Kitayama, 2002; Heine, Lehman, Peng, & Greenholtz, 2002; Peng, Nisbett,
& Wong, 1997)。
心理尺度の比較文化的妥当性
心理尺度の比較文化的妥当性は、異なる文化間で尺度の値の持つ意味が同等である場合
に成立する。例えば、
「私は、自分の意見はどんなときでも直接的に言う」という仮想項目
を考えてみよう。類似の項目は、個人主義ー集団主義 (Triandis, 1995) 、相互独立性ー
相 互 協 調 性 (Singelis, 1994) 、 直 接 的 な 伝 達 用 法 ー 間 接 的 な 伝 達 用 法 (Gudykunst,
Matsumoto, Ting-Toomey, Nishida, Kim, & Heyman, 1996) などの評定尺度に実際に見ら
れる。もしもある仮想項目に対し同じ回答をした人がいた場合、そこで念頭におかれた行
動内容が文化間で等価であるときに、この項目は比較文化的に妥当だと言える。
上のような判断項目の比較文化的妥当性を疑う主な理由には次の3つがある。第1に、
文化は実体ではなく、むしろそれは、日常的な習慣や社会規範、コミュニケーション様式
などに埋め込まれていると考えられる。この点において、文化はシンボルの総体である。
そのために、人は、日常生活を送るにあたって、
「ここに文化がある」という意識を持たな
い一方、日常的な習慣や社会規範、コミュニケーション様式などに従って行動することで、
無意識のうちに、シンボルとしての文化の使い手になっている。これは、人が通常意識し
ない領域に文化の影響は大きく存在し、故に、人がたとえ意識したとしても、その存在に
はなかなか気づきにくいことを示唆している。よって、判断項目を通じて意識的に自分自
身の態度を推測してみたところで、その反応から文化の影響を取り出すのは難しい
(Kitayama, 2002)。
第2に、「自分の意見」や「直接的に」といった概念に文化間で共通の基準が存在する
とは考えづらい。その具体的内容が文化間で異なっている場合、この項目に対する得点は、
文化間で全く異なる意味合いを持つことになり、その直接的比較は不可能である (Peng et
al., 1997)。
第3に、判断の多く、特に人物についての特性判断はほとんどの場合、特定の母集団の
分布と相対的になされる。例えば、身長 175cm の男性は、大学生としては「やや高い」ほ
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文化・コミュニケーション・情報処理
うだが、バスケットボールの日本代表選手としては「かなり低い」ほうであると判断され
よう。同様に「私は、自分の意見はどんなときでも直接的に言う」という項目に対する回
答も、周囲の人間と相対的になされるであろう。よって、文化間の比較においては、判断
対象と判断の基準 (つまり、当該の母集団の性質) とを切り離すことが非常に難しくなる。
よって、比較文化的妥当性を維持することも難しい (Heine et al., 2002)。
3種のデータとその比較文化的妥当性
上の観点から考えたとき、比較文化的データは次の3種に分類することができる。第1
は、行動指標である。第2は、行動の報告である。そして第3が、内省判断である。例え
ば、人々はどのくらい意見を直接的に言うかに関する傾向を調べるとしよう。この場合、
被験者に 20 分間、自由に討論をさせ、討論中どのくらい断定的な言明があったかをコード
化することができる。これが行動指標である。第2に、断定的な言明を過去1週間で何回
したかを報告させることができる。これが行動報告である。第3に、
「私は、どんなときで
も自分の意見を直接的に言う」ことにどのくらい同意するかを評定させるといったように、
被験者本人に自己の行動に対し内省させ判断を求めることができる。これが内省判断であ
る。
心理学的実証研究の比較文化的妥当性は、第1のデータの場合に最も高い。第2のデー
タの場合は、それはやや疑わしい。しかし、第3のデータの場合、その妥当性は疑問であ
る。したがって、比較文化的予測は、まず行動指標を用いたデータに主眼をおいて検証す
るべきであろうと考えられる。内省判断を用いたデータも、より具体的な状況設定をした
シナリオを用い、そこにおいてどのような行動をとるのかを考えさせる場合(後述の
Holtgraves & Yang, 1992 を参照のこと)には、有用ではあり得るかもしれない。しかし
その解釈は、行動指標による結果を考慮してはじめて明白になるであろう。そこで以下で
は、コミュニケーション様式や情報処理様式において言語情報及び背景情報を重視する度
合いに文化差が見られるという仮説を、まず行動指標を用いて検証する。そして、ここで
の結果が果たして内省指標でも確認できるかを検討する。
実証研究のレビュー
文化とコミュニケーション様式
コミュニケーションの慣習が文化に依存している点は、発話者の発話内容の分析や聞き
手の情報処理様式の分析のいずれにおいても指摘することができる。まず、発話者の発話
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文化・コミュニケーション・情報処理
内容の分析に関して、本論では、洋の東西におけるその用法の特徴、具体的には、1)要
求表現、2)話者の視点とコンテクスト、の2点に注目する。 2
要求表現 3
Brown and Levinson (1987) によれば、要求表現の丁寧さは、いずれの文化
においても、1) 相手が高地位であるほど、2) 関係が遠いほど、そして、3) 要求が大
きいほど高まると言える。しかし、もし言語内容は西洋の言語で特に重視され、背景情報
は東洋の言語で特に重視されるとしたら、これらの変数の効果は洋の東西で異なっている
ことも考えられる。つまり、要求内容が大きいほど丁寧度は高まるという現象は、西洋で
特に顕著にみられるのに対し、相手が高地位であったり、関係が遠かったりするほど丁寧
度は高まるという現象は、東洋で特に顕著にみられるであろう。
この点を検証するために、Holtgraves and Yang (1992) は、アメリカと韓国で、相手の
地位、相手との関係性の度合い、要求内容の度合いが両文化で同程度に異なるよう作られ
たシナリオを数種類用意した。被験者は、依頼者の立場で、それぞれの場面でどのような
ことを言うかを記述した。これらの記述を丁寧さの程度に関してコーディングしたところ、
予測通り、相手の地位、相手との関係性の度合い、要求内容の度合いがそれぞれ高まるに
つれて、丁寧さの度合いも増していた。しかし、この全般的傾向の程度は米国と韓国で異
なっていた。まず、アメリカ人も韓国人も、相手との関係性が遠くなるほど表現を丁寧に
する傾向が見られたが、この傾向は、韓国人の方が強かった。次に、相手の地位が高くな
るほど丁寧さが高まる傾向は韓国人には見られたが、アメリカ人には見られなかった。こ
れらの結果は、丁寧表現を行うにあたって韓国人の方がアメリカ人より関係性という背景
情報に敏感であるという予測に一致している。さらに、アメリカ人の方が韓国人より言語
内容に敏感であるという予測に一致して、要求内容が大きいほど表現が丁寧になる傾向は
アメリカにおいての方が強かった。
アメリカではコミュニケーションの表現様式がその内容に左右されやすいのに対し、韓
国では社会的な関係性に左右されやすいという点は、Ambady, Koo, Lee, and Rosenthal
(1996) によっても示されている。彼らの研究は、ある情報を他者にどのように伝えるかを
実際に演じさせ、言語的なコミュニケーションだけでなく、非言語的なコミュニケーショ
ンをも検討している点でユニークである。まず、韓国では株式仲買員を対象に、アメリカ
では大学院生を対象に、被験者が日常的に経験する良いまたは悪い内容のニュースを上司、
同僚、部下にどのように伝えるか、実際にロールプレイさせた。次いで、言語・非言語チ
ャネルでどのような情報が伝達されているかを見るために、ロールプレイの録画映像 (言
10
文化・コミュニケーション・情報処理
語的・非言語的なコミュニケーション)、録画のみ (非言語的なコミュニケーション)、音
声のみ (言語的なコミュニケーション) のテープと発言内容のトランススクリプトを用意
し、これらのそれぞれを同国人の観察者にコーディングさせた。
コーディングのカテゴリーは、先行研究を参考に 20 次元が想定されていた。これらの次
元への評定値を因子分析したところ、米韓ともに、(1) 他者志向的傾向 (例えば、相手に
賛同したり同調したりする表現、10 項目)、(2) 親密的傾向 (例えば、冗談やユーモアな
どの表現、3項目)、(3) 婉曲的傾向 (例えば、へりくだりや婉曲の表現、4項目) の3
因子が見いだされた。これらの傾向が表れる程度を両文化で比較したところ、伝達チャネ
ルに関わらず、仮説に一致した文化差は、全体の分散への因子寄与率の最も高かった他者
志向的傾向に関して見られた。まず、全体として他者志向性は韓国人で高い傾向にあるこ
とがうかがわれた。そして、韓国人は社会的な関係性を重視するという仮説に符合して、
伝達相手の如何によって他者志向性に違いが見られた。韓国人は、上司に対するとき特に
他者志向的になっていたが、そのような効果は、アメリカでは一切見られなかった。一方、
アメリカ人は言語内容重視であるとする仮説に符合して、伝える内容の如何によって他者
志向性に違いが見られた。具体的には、アメリカ人は悪い知らせを伝えるとき、他者志向
性が特に低くなっていたが、韓国人の場合にはこのような傾向は見られなかった。アメリ
カにおいては、コミュニケーションの言語内容が望ましくない場合、対人的関与度が減少
することがうかがわれる。加えて、因子寄与率の相対的に低い他の2つの表現については、
米韓で共通する結果が得られた。それによれば、親密的表現は地位が同等の相手に対して、
また、婉曲的表現は非言語的チャネルを通じてそれぞれ伝えられる傾向があった。以上よ
り、要求表現の丁寧さに関する文化差は、専ら、どのような場合に他者志向的な言い方を
用いやすいかにおいて確認された。そしてその側面における文化差は、西洋では言語内容
重視であり東洋では関係性重視であるとする仮説と符合している。
井出・荻野・川崎・生田 (1986) は、要求表現に代表されるような言語表現の丁寧さ
に関するルールに加え、そのような丁寧表現の使い方をコントロールするルールにも着目
し、それら2種類のルールを日英で比較した。井出らは、日英の話者に対し、1)
「ペンを
借りる」という状況において想定されるさまざまな敬語表現に対する丁寧度の程度、2)
日常の典型的な状況で接するさまざまな人物カテゴリー(例えば、
「研究室における指導教
授」や「家で話をしているときの兄・姉」)に対する丁寧度の程度をそれぞれ評定させ、最
後に、2)で用いられた人物から「ペンを借りる」際にどういった表現を用いるかを1)
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文化・コミュニケーション・情報処理
で呈示した敬語表現から選択させる課題を行った。日英の話者の反応を分析したところ、
文化にかかわらず、相手の人物カテゴリーや場面の性質に応じた敬語行動が確認された。
しかし興味深いことに、相手や場面に応じて表現を使い分ける程度に文化差が見られた。
具体的には、丁寧度の高い相手・場面に対して丁寧度の高い表現を使い、丁寧度の低い相
手・場面に対して丁寧度の低い表現を使うというルールが、英語話者よりも日本語話者に
おいて明確であった。このことは、日本語話者の敬語行動が英語話者のそれよりもむしろ
発話のコンテクストに依存し、かつそのようなコンテクストに沿った形で規則化されてい
ることを意味するだろう。これは、東洋における関係性重視の傾向と一致している。また
井出らは、補充調査として、英語話者を対象に相手や場面以外の要因による敬語行動の使
い分けを調べたところ、依頼内容が重いほど丁寧度が高くなる傾向が見られた。日本語話
者においても表現の丁寧さの程度と依頼内容の程度が対応するという知見が過去に報告さ
れていること(例えば Okamoto, 1991)、そして日本語話者に対する同様の補充調査が行わ
れていないために、両言語の話者がどの要因を相対的に重視しやすいかに関して分析でき
ないことなど留意すべき点はいくつかあるが、それでもこの英語話者による結果は、西洋
における言語内容重視の傍証と考えられよう。
また近年、Miyamoto and Schwarz (2003) も、日本では、要求表現における丁寧さが相
手の性質に依存するのに対し、アメリカではそうした傾向が弱いことを示している。
Miyamoto and Schwarz は、自分のクラスメートもしくは教授にある依頼をしなければなら
ない状況を設定し、実際に被験者にはそういった状況においてどのように留守番電話にメ
ッセージを残すかを実演させた。その際、被験者には、ある認知課題が与えられ、その認
知課題の遂行と同時に留守番電話にメッセージを吹き込むよう教示された。これは、留守
番電話にメッセージを残す行為にどれくらいの認知資源が割かれているかを見るもので、
それに認知資源が割かれるほど、同時に遂行しなければならない認知課題の処理は遅くな
ると仮定された。電話に残されたメッセージの内容を分析すると、伝達内容の正確さに関
しては日米において差は見られなかったが、しかし表現の丁寧さに関して、教授には丁寧
表現を用い、クラスメートにはくだけた言い方をする傾向が、アメリカよりも日本におい
てより顕著に見られた。加えて、同時に行われた認知課題における反応時間は、アメリカ
よりも日本において有意に長かった。ここから、相手に情報を伝達する行為に関し、アメ
リカ人は認知資源をあまり必要とせず、情報伝達だけを目的にかつ極めて自動的な処理を
するのに対し、日本人においては情報伝達に加えて関係性についての配慮をしていること
12
文化・コミュニケーション・情報処理
が伺える。これは、西洋におけるコミュニケーションは、東洋におけるそれよりも情報伝
達の側面を重視するという Scollon and Scollon (1995) の指摘と一致する。
話者の視点とコンテクスト
要求表現や敬語行動の知見より、日本人や韓国人においては、
丁寧さを示す表現が相手と自らの上下関係の如何によって決められがちであるのに対し、
アメリカ人においては、そのような傾向が弱いことが示唆された。これは、コミュニケー
ションにおいてコンテクストをどれだけ重視するかに文化差があることを指摘した Hall
(1976) と一致する。さらに、近年、井出 (井出, 1998; Ide, 2002) は、Hall (1976) の
議論を深め、こうした洋の東西におけるコミュニケーション様式の差異が、話者の視点の
違いによって生じていることを指摘している。井出によると、日本人の話し手の視点は、
コンテクストに埋没しているのに対し、アメリカ人の話し手は、全貌を客観的にとらえる
ような鳥瞰した視点を持っている。話し手が命題内容に対する自らの心的態度を表明する
際の言語表現(代表的なものとして、
「∼らしい」や「∼だろう」などの文末要素)はモダ
リティと呼ばれるが、話者の視点に関するそのような特徴をもつ日本語では、モダリティ
表現によって、話し手や聞き手などの人間関係や場面の改まりの程度が「指標化」されて
いると言える。例えば英語では “This is a rose”のようにモダリティ表現がなくても文
が成り立つのに対し、日本語では、
「これはバラだ」
「これはバラです」
「これはバラでござ
います」のように、話し手は、いくつかの表現法から人間関係や場面などのコンテクスト
要素と一致したモダリティ表現を選択しなければならない。それ故に、モダリティ表現は、
そのようなコンテクスト要素を標しているのである(井出, 1998)。よって、人間関係や場
面などのコンテクスト要素に対応した要求表現や敬語行動もその「指標化」の1つと言え
るだろう。こうした「指標化」は、Ide (2002) における「伊豆の踊子」の例において顕著
である。「伊豆の踊子」に、通りがかりの踊り子が学生を見て、「彼は高等学校の学生さん
よ」と言うシーンがある。一方、英語翻訳版におけるこの踊り子のせりふは “He is a high
school boy” である。井出によると、このような日本語の発話内容において、話者である
踊り子の視点は対象(学生)との関係性に置かれており、
「さん」によって学生への敬意が、
「よ」によって学生への親しみがそれぞれ「指標化」されている。しかし英語においては、
そのようなモダリティ表現は不可能である。このことは逆に、英語においては、対象その
ものに関わる命題そのものをいかに言語表現を駆使して明示的にするのかが重要であるこ
とを示唆する。以上の井出による分析は、欧米におけるコミュニケーションが言語内容を
より重視し、東洋におけるコミュニケーションが文脈情報をより重視するという見方と整
13
文化・コミュニケーション・情報処理
合性を保っている。
文化と情報処理様式
発話内容の用法においてうかがわれた、東洋における高コンテクスト・関係性維持重視
のコミュニケーション、西洋における低コンテクスト・情報伝達重視のコミュニケーショ
ンといった特徴に対応した傾向は、果たしてコミュニケーションの受け手の情報処理様式
にも見られるであろうか。ここでは、この問題に関連した近年の成果をレビューする。
発話理解における言語情報と語調情報の相対的優位性
欧米人は言語情報重視であり東
洋人は背景情報重視であるという仮説は、人の情報処理に注目した研究でも検討されてき
ている。北山と石井の一連の研究 (Ishii, Reyes, & Kitayama, 2003; Kitayama & Ishii,
2002) は、感情的発話を用い、ストループ効果の手続きに則って、上の仮説を検証した。
一般に感情的発話には、言語情報と語調情報が含まれる。これら2種の情報は、発話処理
にあたって、相互に影響しながらも統合される必要がある (Kitayama, 1996)。特に本論の
議論からすると、語調情報は、様々な背景情報の一つであると考えられる。すると感情的
発話を呈示された場合、欧米人は、語調情報ではなく言語内容を自動的に取り込みがちだ
が、東洋人は逆に、言語内容ではなく語調情報を自動的に取り込みがちであると予測でき
よう。
この予測を検証するために、Ishii et al. (2003) は、周到に統制された刺激を用いて
比較文化実験を行った。実験1の日米比較実験において、彼らは、単語の意味の快・不快
と語調の快・不快を操作した発話を日本語と英語で用意した。その際、意味の感情価と語
調の感情価が言語間でほぼ均等になるよう統制し、しかもバイリンガルの話者を用いるこ
とで、声の性質を言語間で可能な限り均質にした。そして日米の被験者は、次の2つの条
件のいずれかに割り振られた。まず、語調判断条件では、単語の意味は無視して語調の快・
不快を判断するよう被験者は求められた。この場合、無視すべき単語の言語情報が無視で
きないと、言語情報による干渉効果が生じるであろう。つまり、言語情報が語調に一致し
ている場合に不一致の場合より、正答率が高くなり、反応に要する時間も短くなるであろ
う。このような干渉効果は、言語情報を自動的に取り込みがちなアメリカ人で特に顕著に
みられるであろう。これに対して、意味判断条件では、語調は無視して単語の意味の快・
不快を判断するよう被験者は求められた。この場合、無視すべき語調を無視できないと、
語調による干渉効果が生じるであろう。つまり、語調が言語情報に一致している場合に不
一致の場合より、正答率が高くなり、反応に要する時間も短くなるであろう。語調による
14
文化・コミュニケーション・情報処理
干渉効果は、語調情報を自動的に取り込みがちな日本人で特に顕著にみられるであろう。
判断の正答率と反応時間を従属変数として分析したところ、結果は、予測と一致していた。
アメリカ人の場合、言語内容による干渉効果のほうが語調による干渉効果より大きい傾向
にあった。この結果は、アメリカ人の場合、言語情報と語調情報の「強さ」が同じでも相
対的に前者を優先的に処理しがちであることを示している。これに対し、日本人の場合は、
同様の条件で語調による干渉効果のほうが言語情報による干渉効果より大きかった。これ
は、日本における語調情報の処理の相対的優位性を示している。加えて、Ishii et al.
(2003) の実験2は、東洋文化の1つであるフィリピンにおいても、語調情報の処理の相対
的優位性を見いだした。
日本語における語調の優位性は、プライミング効果を用いても確認されている。Ishii
and Kitayama (2002) は、快または不快の意味の単語を快・中性・不快の3種類の語調で
読んだプライム刺激と快または不快の意味を持つ別の単語を中性的な語調で読んだターゲ
ット刺激を用意した。実験では、プライムに連続して、ターゲットが呈示され、被験者は、
プライムを無視してターゲットの意味の快・不快をできるだけ速く、かつ正確に報告する
よう教示された。もしも語調を無視できず、それに注意が自動的に向けられるとすれば、
プライムの語調の快・不快とターゲットの意味の快・不快が一致しているときの方が、不
一致のときよりも反応時間が速くなるであろう。一方、もしもプライムの意味を無視でき
ず、それに注意が自動的に向けられるとすれば、プライムの意味の快・不快とターゲット
の意味の快・不快が一致している場合の方が、不一致の場合よりも反応時間が速くなるで
あろう。
結果は、先行研究と一致し、日本語の話者は語調情報に対し注意を自動的に向けやすい
ことを示していた。つまり、プライムの語調が明らかに感情的である場合に、語調の快・
不快によるプライミング効果は有意に見られた。一方、プライムの意味によるプライミン
グ効果は一切見られなかった。興味深いことに、プライムの語調が感情的でない (つまり
中性的な) 条件では、意味によるプライミング効果が多少見られた。ここから、日本語の
話者は、発話の語調情報にも意味情報にも自動的な注意を向けることが示唆される。しか
し、発話に感情的な語調情報が含まれていると、語調情報に対する注意量のほうが多いた
めに、そのほうが優先的に処理されることがうかがわれる。つまり何らかの語調情報が検
知されると、言語的意味の処理は一時中断され、意味情報は抑制されるのであろう。日本
における語調優位の発話処理は、このようなメカニズムにより成り立っていると考えられ
15
文化・コミュニケーション・情報処理
る。
対応バイアス
欧米では言語情報を重視した情報処理が行われやすいのに対し、東洋では
背景情報を重視した情報処理が行われやすいとする仮説は、対応バイアスについての比較
文化的研究からも支持されている。対応バイアスに関する代表的な研究である Jones and
Harris (1967) では、キューバのカストロ政権に反対または賛成を示すエッセイをアメリ
カ人被験者に見せ、そのエッセイの書き手の態度を推測するように求めると、たとえ行動
には明らかな外的制約因(例えば、ある立場をとるようあらかじめ権威者から指示されて
いた)があっても、被験者は、エッセイの内容を割り引くことなく、書き手の態度はエッ
セイの内容に対応しているはずだと推論することが報告されている。このような認知的バ
イアスは、対応バイアスと呼ばれている (詳細は、Gilbert & Malone, 1995 を参照のこと)。
そして重要なことに、ここでいう行動とは、多くの場合、言語を用いて記述されたもので
ある。よって、このバイアスは、話者の発言の言語情報からその人物の発話意図を直接推
し量ってしまう傾向であり、このとき、状況要因といった背景情報は相対的に軽視されや
すいと考えられる。
対応バイアスについての近年の比較文化的研究では、エッセイの態度診断性と状況要因
の性質に注目し、ある条件においては、東洋においてそのバイアスが消滅することが報告
されている。例えば Miyamoto and Kitayama (2002) は、上記の態度推論課題において、
エッセイの内容が非常に説得力があるといったように、その書き手の行為そのものがエッ
セイの内容に対応した態度を非常に強く指し示している場合、たとえある外的制約因が存
在しても、被験者は、その書き手は指定された立場を自主的に擁護したに違いないと推論
するだろうと予測した。つまり、このような条件における対応バイアスは、合理的な因果
推論の結果生じてしまうのであって、必ずしも、言語情報を過度に重視するような認知的
バイアスやエラーの現われではないと考えられる。ここから、このような条件の下では、
文化にかかわらず被験者は、エッセイの内容に対応した態度を推論するであろうと予測で
きる。この分析に一致して、Miyamoto and Kitayama (2002) は、このような条件では日米
を問わず非常に強い対応推論が見られることを示した (同様の結果は、Krull, Loy, Lin,
Wang, Chen, & Zhao,1999 や Toyama, 1990 でも見られている)。
しかし、エッセイの内容が非常に短く説得力にも欠けるというように書き手の自主的意
思を指し示していない場合には、エッセイの内容は割り引くのが合理的だと考えられる。
Miyamoto and Kitayama (2002) は、過去の研究(例えば、Gilbert & Jones, 1986)を追
16
文化・コミュニケーション・情報処理
認し、たとえこのような条件の下でもアメリカ人被験者は、非常に強い対応バイアスを示
すことを見いだした。この結果は、アメリカ人の情報処理が過度に言語重視であるとする
本論の仮説に一致している。
興味深いことに、日本人に関しては、このような条件の下では対応バイアスは一切見ら
れなかった。さらに、Miyamoto and Kitayama (2002) は、態度推測課題後、被験者に対し
て予告なくその課題時に考えていたことを想起するよう求めた。その内容を分析したとこ
ろ、日本人はアメリカ人よりも外的制約を想起しやすいことが示唆された。以上の結果は、
対応バイアスの文化差は、アメリカ人に比べて日本人の方が状況要因に注目した推論をし
がちであることに因っているとする仮説と一致している。加えて、同様の文化差は、Masuda
and Kitayama (2003) によっても報告されている。
Miyamoto and Kitayama (2002) は、エッセイの態度診断性に注目したが、対応バイアス
の規定因はこれに限られるわけではない。Choi and Nisbett (1998)は、態度推論課題のも
う一つの要素である状況要因の性質に注目して、対応バイアスに東西の文化差が生じる条
件を特定してきている。標準的な態度推測実験パラダイムにおいては、被験者はエッセイ
を呈示され、その上で書き手に対する態度を推測するよう求められる。状況的制約要因は、
エッセイが書かれた時の条件として付け加えられているにすぎない。その結果、状況要因
よりエッセイの言語内容のほうがはるかに注意を引き付けやすくなっていると考えられる。
つまり、エッセイのほうが顕現性が高いと考えられる。その結果、文化にかかわらず被験
者は状況的制約要因を無視してしまったのかも知れない。そうであれば、一旦、状況要因
を十分に目立つようにしさえすれば、予測される文化による差違(つまり、西洋人におい
ては対応バイアスが検出されるが、東洋人においてはそれが消滅すること)が見られるだ
ろう。Choi and Nisbett (1998、実験2) は、この点をアメリカ人と韓国人の被験者を対
象に検討し、この仮説を支持するデータを示している。
分析的知覚と包括的知覚
言語情報重視の情報処理傾向は、Nisbett らのいう分析的思
考様式の一部である可能性がある (Kitayama, 2000)。分析的思考では、知覚の対象を背景
から分離し、その対象に注目した推論がなされやすい。よって、知覚の対象が言語情報で
はなくある人物の行為である場合にも、その行為のみに注目して背景情報を無視する結果、
行為の原因として刺激人物の内的属性を強く推論することであろう。例えば Miller (1984)
は、アメリカ人とインド人を対象に、知人による社会的に望ましい行為と逸脱した行為を
書かせ、その行為の理由を説明するように求めた。その記述の内容を分析したところ、ア
17
文化・コミュニケーション・情報処理
メリカ人は、その人物の性格特性を強く推測していた (例えば、もともと暴力的な性格を
していたから悪いことをした)。しかしインド人はその人物が置かれた状況要因を強く推測
していた (例えば、生活が貧窮していたから悪いことをした)。また、ある殺人事件の新聞
報道の内容をアメリカと中国で比較した Morris and Peng (1994) でも、アメリカのメデ
ィアは個人の内的属性に注目した報道をしたのに対し、中国のメディアは状況要因に注目
した報道をしていた。
対象重視の分析的傾向と背景重視の包括的傾向は、社会性のない刺激に対しても見られ
るのだろうか。非社会的知覚における文化差は、ロールシャッハ反応を分析すると東洋人
は全体の刺激布置に注目した「全体反応」をしがちであるとする Abel and Hsu (1949) や、
ある対象を認識する際に、東洋人は背景の内容を無視せずにむしろ背景との関係性を手が
かりにしやすいことを示したいくつかの研究 (Kitayama, Duffy, Kawamura, & Larsen,
2003; Masuda & Nisbett, 2001)などで報告されている。そしてこれらの研究は、非社会的
知覚においても本論で見たのと同様の文化差が存在することを示唆している。コミュニケ
ーション様式を反映した情報処理の傾向が非社会的知覚においても見られるとして、それ
らが具体的にどのように関わり合っているのかを探るのは、今後の課題である。
情報処理における言語・文化相対性
これまでの実証研究から、文化的な概念とコミュニ
ケーション様式、および個人の認知システムが密接に関わっていることを示した。文化心
理学の考え方によれば、このような関わりこそ、人間の心とその人間が生きる文化とが互
いに構成し合っていることの表れを示唆する。しかし、文化とは、そこで使用されている
言語と深く結びついているために、ここで示した文化間の相違が果たして「文化」による
ものなのか、「言語」によるものなのかという疑問は避けては通れない。
認知における言語相対性は、各言語における語彙や文法規則がその言語の話者の習慣的
思考を形成し、その結果、異なる言語の成員間にはその認知に違いが見られることを示唆
した Whorf の知見(Whorf, 1956) を出発点とし、これまで、色彩に関する語彙や仮定法な
どの文法構造が色の知覚認識や条件推論に影響を与えるかという関心から知見が積まれて
きた。それらの領域における言語による影響は、Bloom (1981) や Roberson, Davies, and
Davidoff (2000) では報告されているが、その一方でこの領域における言語的影響が極め
て限られているとする研究もあり(e.g., Au, 1983; Heider, 1972; Takano, 1989)、Chomsky
や Pinker など一部の言語学者は、言語相対性仮説の妥当性そのものに疑問を投げかけてい
る (Chomsky, 1992; Pinker, 1993)。
18
文化・コミュニケーション・情報処理
しかし近年、認知における言語相対性を再考しようとする動きが見られる。この新たな
流れの研究では、認知における言語相対性を扱ってきた研究の領域およびその方法が極め
て限られたものであるため、この仮説を否定する結果の一般性は必ずしも明白ではないと
主張されている (Hunt & Agnoli, 1991; Lucy, 1992; Krauss & Chiu, 1998)。中でも今井
(2000) は、空間認知、自然物の分類、言語処理などさまざまな異なる領域において、この
問題に関する実証的証拠を検討した上で、認知における言語による影響がどの認知領域で
見られるのかどうか、そして、人の認知のどのレベルではそうした影響が見られ、どのレ
ベルではそうした影響が見られないのかをはっきりさせることが必要であると述べている。
とりわけカテゴリー形成と分類に関する研究では、基礎レベル(例えば個体と液体の区別、
動物と植物の区別など)の認識において人々は普遍的であるが、しかし基礎レベルよりも
包括的なレベルにおいて事物を分類したり、曖昧な事物に対して基礎レベルを用いて分類
したりする際の情報処理に言語・文化的な影響が存在することが明らかにされている(e.g.,
Hatano, Siegler, Richards, Inagaki, Stavy, & Wax, 1993; Imai & Gentner, 1997; Lopez,
Atran, Coley, Medin, & Smith, 1997)。ここから、環境におけるさまざまな情報を人々は
どのように取捨選択していくかに、言語や当該の文化における素朴理論が影響を与えてい
ることが示唆される。
注意したいのは、ここでの言語とは「当該の文化における言語用法のルール」を指し示
している点である。これは、本論で扱ってきたコミュニケーション様式の文脈においては、
文化内で慣習化されたコミュニケーションのルールと同義であろう。よって、外来の言語
(例えば英語)が母語とともに公用語として用いられている文化(例えばフィリピンや香
港)に注目してみた場合、人々の情報処理に影響を与えるのは、外来の言語および母語に
元々備わっている言語の性質ではなく、むしろその文化において慣習化されたコミュニケ
ーションのやり方であると予測できよう。
Ishii et al. (2003, 実験 2) は、フィリピン文化で生まれ育ち、タガログ語と英語の
バイリンガルであるフィリピン人を対象に、タガログ語もしくは英語の感情的発話を呈示
し、その発話の意味の快・不快の判断もしくは語調の快・不快の判断のいずれかを行うよ
う求めた。フィリピンでは、その歴史的な経緯により、学校教育の場では英語が公用語で
あり、母語のタガログ語と併用して、日常のさまざまな場面で英語が用いられている。ま
た、そのコミュニケーション様式は、一般に高コンテクストであると言われている。以上
より、もしも人々の情報処理様式がそのコミュニケーション様式を反映するものであれば、
19
文化・コミュニケーション・情報処理
言語の如何にかかわらず語調に対する一種の注意バイアスが確認されるだろう。一方、も
しも使用される言語に対応した情報処理様式が存在するのであれば、タガログ語に対して
は語調に対する注意バイアスが、また英語に対しては意味に対する注意バイアスがそれぞ
れ生じるだろう。結果は、まずタガログ語において、日本における結果同様、語調による
強い干渉効果が見られた。しかし、意味による干渉効果は一切見られなかった。次いで英
語においても結果は全く同じだった。 この結果は、人の情報処理様式が、当該の文化にお
いて慣習化されたコミュニケーション様式により育まれていることを示唆するだろう。
行動指標と内省判断
ここまでレビューした研究はすべて、実際の行動を観察したデー
タに基づいている。そしてそれらは、本稿における仮説への証拠を示している。では、同
様の結果は内省判断でも得られるだろうか。Gudykunst らは,コミュニケーションの伝達や
理解の様式に関するさまざまな内省判断の質問項目を作成し、文化間でそれに対する回答
が 異 な っ て い る か ど う か を 検 討 し て き て い る (Gudykunst et al., 1996; Hasegawa &
Gudykunst, 1998)。例えば Gudykunst et al (1996) は、コミュニケーション様式に関す
る 158 の項目、文化的自己観に関する 94 の項目、個人主義―集団主義に関わる 44 の項目か
らなる質問紙調査をアメリカ、日本、韓国、オーストラリアの4カ国で実施した。被験者
は、それらの項目に対し、どれくらい同意できるかを7点尺度を用いて答えた。コミュニ
ケーション様式の項目を因子分析したところ、発話意図を鋭敏に推測する能力 (例えば、
相手がたとえ間接的なものの言い方をしても、その発話意図を推測することができる)、劇
的な物の言い方 (例えば、写実的な表現をしがちである)、行為と態度の一貫性 (例えば、
どのような行為をするかは、自らの感情状態によって決まる)、開放的な物の言い方 (例え
ば、裏表なく物を言いがちだ)、明瞭な物の言い方 (例えば、他者とのコミュニケーション
は的確であるのが望ましい) といった低コンテクストなコミュニケーションに関する因子
と、曖昧な物の言い方 (例えば、間接的な表現をしがちである)、関係性への鋭敏さ (例え
ば、相手との調和をはかりながらコミュニケーションしやすい)、コミュニケーションにお
ける沈黙への好意 (例えば、会話中の沈黙には、苦痛を感じない) といった高コンテクス
トなコミュニケーションに関する因子が得られた。しかし、個人主義文化とされるアメリ
カやオーストラリアでの評定平均値が、日本や韓国よりも、高コンテクストなコミュニケ
ーションに関わる項目で高く、かつそれらの評定値が項目間で一貫する傾向は見られなか
った。同様に、集団主義文化とされる日本や韓国での評定平均値が、アメリカやオースト
ラリアよりも、低コンテクストなコミュニケーションに関わる項目で高く、かつそれらの
20
文化・コミュニケーション・情報処理
評定値が項目間で一貫する傾向は見られなかった。この結果は、東洋においては高コンテ
クストなコミュニケーション様式が優勢であり、一方西洋においては低コンテクストなコ
ミュニケーション様式が優勢であるとする本論の前提と一致していない。
Gudykunst らの研究は、洋の東西でコミュニケーション様式に違いがあることの妥当性
に疑問を投げかけているとする見方もあろう。しかし、行動指標を用いた研究からの知見
を考慮すると、むしろ、内省判断指標の比較文化的妥当性がかなり限られていること示し
ていると解釈するのが妥当であろうと思われる。
同様の事情は、他の領域にも見られる。例えば、行動指標を基準にすると、東洋人の自
己観は相互協調的で、西洋人の自己観は相互独立的であるとする仮説にはかなりの根拠が
あるが (例えば、北山・宮本, 2000), このような証拠を質問紙を用いた内省判断指標で得
ることは難しい (Heine et al., 2002)。加えて、心理プロセスへの文化による影響は、日
常的な行為を通じて及ぼされるため、その過程は専ら、行為者である人間には意識されな
い(Kitayama, 2002; Nisbett & Wilson, 1977)。
以上より、内省判断を指標にした結果のみからその比較文化的妥当性を疑わずに結論を
導くのは、非常に大きな問題を孕むと言えよう。そして今後の比較文化研究では、内省判
断だけでなく行動指標に注目した上で、果たして文化と人間の心理プロセスとが関わって
いるとする仮説が妥当であるかどうかを検討していくことが重要であろう。
結論と今後の展望
本論では、当該の文化における自己観や価値観とそこで日常的に行われているコミュニ
ケーション様式、さらにそのようなコミュニケーションに参加している個人の認知システ
ムとが密接に関わっているという可能性を既存の文献のレビューにより検証した。特に、
洋の東西を巨視的に比較した場合、西洋では、個の独立が尊重され、個人は情報的に遮断
されているという暗黙の信念がある結果、コミュニケーション様式と情報処理様式も言語
情報重視となると予測した。これに対し、東洋では、他者との関係性が尊重され、関係性
の中では情報が共有されているという暗黙の信念がある結果、コミュニケーション様式と
情報処理様式の両者とも背景情報を重視して成り立っていると予測した。
既存の実験的研究は、これらの予測に合致していた。英語など、欧米の言語における丁
寧さの表現は、言語内容により左右されるのに対し、韓国語など東洋の言語では相手との
関係性の性質により左右される。また、欧米人は、言語内容を優先的に取り込むことによ
21
文化・コミュニケーション・情報処理
り発話意図を判断するが、東洋人は状況や語調など背景的な情報により敏感である。もち
ろん、ここでの全体的傾向は、同じ文化圏とされる文化間での分散やある単一文化内の分
散と同時に存在している。今後は、洋の東西といったマクロなレベルにおける差違に加え、
よりミクロなレベルにおける文化間の差違や文化内の分散を示し、かつそれらをまとめて
解釈できるような理論的枠組みを模索していく必要があるだろう。こうすることにより、
文化の意味構造と人の心理プロセスとの対応関係が、どのようにして成り立っているのか
についての相互構成的な過程をより綿密に検討することが可能になろう。
我々は本論で、認知システムは文化的な観念によって構成されているとした。本論にお
ける文化と認知にかかわる実証研究によれば、1つの可能性として、文化による影響は、
認知システムの中でも注意において生じると推測される。なぜなら、注意という処理段階
は万人に備わっているものの、とりわけどのような情報に注意を向けるかに関し、コミュ
ニケーションの運用に代表される日常的現実が反映されると考えられるからである。そし
て文化間で人々は異なる情報を選択しそれを取り込むとしたら、注意段階以後の情報処理
様式に一定の差違が生じるであろう。これは、従来普遍的と見られた人の情報処理機構の
少なくとも一部は、文化相対的であるとことを示唆する。しかしながら、現在のところ、
具体的に文化的観念が人の認知機構のどこに反映され、その結果、どのような文化固有の
情報処理の様式が確立しているかは不明である。この点を詳細に検討していくことは今後
の課題である。
最後に、コミュニケーション様式と情報処理様式に見られる文化的差違の分析は、心と
文化についての学問的理解に貢献するばかりでなく、異文化間コミュニケーションや異文
化の理解とその受容といった今後重要性を増す多くの実用的分野にも貢献することができ
よう。今回のレビューをもとにすると、異文化間コミュニケーションの訓練は、他文化の
コミュニケーション慣習に慣れ親しむばかりでなく、その文化で特に必要とされる認知能
力 (例えば、英語の場合、言語情報から発話意図を即座に推測する能力、また、日本語の
場合、言語情報と背景情報を組み合わせる能力など) に焦点を当てた訓練が有効であろう
と考えられる。
22
文化・コミュニケーション・情報処理
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文化・コミュニケーション・情報処理
脚注
1
Hall (1976) における高コンテクスト文化・低コンテクスト文化の基準は、どれだけ情報
をコード化された言語に依拠するかどうかである。この基準に即す限り、後述の「文化と
情報処理様式」の章で扱う「言語情報と文脈的手がかりの1つである非言語情報を重視す
る度合いが高コンテクストもしくは低コンテクストという文化の区分にどう対応するか」
という問いは妥当であると思われる。しかしながら、Hall (1976) によるコンテクストの概
念は極めて広範である。そこにおいてコンテクストとは、受け手の背景にあらかじめプロ
グラミングされた反応と場面から成っている。よってコンテクストは、非言語情報そのも
のを意味していない。このことは、言語情報を重視しないことが、即、非言語情報を重視
することを意味するとは限らないことを示唆するだろう。またこの定義によれば、コンテ
クストそのものに、欧米では言語情報を重視するような反応や場面が優勢で、一方東洋で
は非言語情報を重視するような反応や場面が優勢であるとする性質が備わっており、それ
が個人の認知に内在化している可能性もある。このような可能性によれば、コンテクスト
の高低そのものを考慮する妥当性があるかどうかは疑わしい。いずれにしても、このよう
な曖昧さは Hall によるコンテクストの定義によるものであり、定義そのものの吟味が今後
必要であろう。
2
本論において我々は「コミュニケーション様式」を言語学における「語用論」と同義の
ものとして扱う。語用論については、Leech (1983) が「文法の使用によってコミュニケー
ションを首尾よく遂行するための一連の方略と原理」と定義しており、本論も同様の立場
をとる。そしてそのような一連の方略と原理は、当該の文化において維持されていくこと
を通じ、その文化における自己観や社会規範などを反映しながら慣習化されたと考える。
その意味において、コミュニケーション様式は、1つの文化的慣習とみなすことができよ
う。また Leech (1983) は、こうした語用論についての定義づけの中で、語用論とともに言
語の構成要素をなす「文法」も、語用論的な原理の作用を促進するという特性を有してい
る限りにおいて語用論と同様に機能的、つまり社会的な現象であると述べている。事実、
文法構造が当該の文化における自己観や社会規範の傾向と矛盾していないことは、いくつ
かのデータから示唆される(e.g., 池上, 1983; Kashima & Kashima, 1998; 鈴木; 1973)。
3
本論では触れないが、要求表現において日本語および英語で見られる傾向は、それを包括
した敬語行動に限らず、謝罪表現においても見られることがいくつかの研究 (例えば、
Blum-Kulka, House, & Kasper, 1989) より紹介されている(謝罪表現に関する詳細なレビ
ューは、平賀・藤井, 1998 を参照のこと)。
29
文化・コミュニケーション・情報処理
表1 文化的な観念と個人の情報処理様式との関わり
東洋
西洋
自己観
相互協調
相互独立
社会・文化規範
集団主義
個人主義
コミュニケーション形態
高コンテクスト
低コンテクスト
コミュニケーション機能
関係性の維持
情報伝達
情報処理様式
文脈重視・包括的
言語の意味内容
重視・分析的
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