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コヘレトの言葉 1 章 5-7 節

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コヘレトの言葉 1 章 5-7 節
2016 年 10 月 24 日(関)
日本基督教団伝道師
福井
智
回転的思考(コヘレトの言葉 1 章 5-7 節)
おはようございます。
ご紹介いただきました、伝道師の福井智と申します。
キリスト教の伝道師には、教会に従事している人、学校で勤務されている方な
ど、働きの種類はいろいろございますが、私は、文書伝道というのを専門にやっ
ております。文書伝道ってみなさん、あまり聞かれたことがないかと思いますが
想像はつくかと思います。文章を通じて、キリスト教を宣べ伝えるのでございま
す。
私は聖書をベースに書いた童話や物語を本にして多くの方々に読んでもらい、
キリスト教にふれていただいています。中部学院のキャンパスがあります関市
と各務原市の図書館にも私の作品がいくつかございますので、機会がありまし
たら、ご一読くださいますと幸いです。
さて、私は人から聞かれることがあります。いつ、童話や物語を思いつくかっ
ていうことです。自分でも考えてみたら、何か物語を空想しているとき、ぼくは
たいてい、グルグル自分の部屋を回っています。年老いた犬が、いつまでも同じ
場所をグルグル回っているときの、あんな感じです。
グルグル回るって、なんだか、人間にあっているんじゃないかって思います。
おおげさに言えば、宇宙や、自然のしくみに合致していると思うのです。
この世界には、見えないだけで、調べてみると、回転しているものがいかに多
いことでしょう。だからそんな環境に囲まれている人間も、グルグル回転すると
気持ちいい、リズムがあって、ひらめきを受けたり、想像力が発揮できるんじゃ
ないかなって思うんです。
たとえば、私が自分の部屋の中を、物語を考えながらグルグル回っているとき、
私がいます地球も回っていて、その地球は太陽を回っていて、太陽系の星は全部
いっしょに、銀河として渦をまいて回っています。
その回転している地球に、人間が生まれてくるときも、母親の産道を回転しな
がら産まれてきますし、最初に出てくる赤ちゃんの、頭のてっぺんにも旋毛があ
って、ちょうど、銀河のように回転しています。手にも指紋があり回っていて、
血液も、死ぬまで回り続けます。
人間が作り出したものにも、なんてグルグル回るものが多いことでしょう。野
球も、ボールが丸くて回り、それを打つバットも、野球部の方はご存知だと思い
ますが、回転させて打つとよく飛びます。打った選手は、ベースを回ります。大
学のキャンパスの木だって、どの木も切ってみても、年輪があってグルグルまい
ています。
さっき先生が、読んでくださった聖書の箇所にも、この世界は、グルグル回っ
ていると考えた人がおりました。川からいくら海に水が入っても、海の水はこぼ
れることがない。それは水が空に帰って、また降りて来て、回転しているからで
はないかと考えたのです。風もグルグル巡っていると考えました。そういえば宇
宙衛星からみた台風は、銀河みたいにグルグル回っていますね。
私は、この世界が回転しながら成長しているように、人の魂も、目には見えな
いだけで、回転しながら、成長を続けているんじゃないかなって思うのです。こ
のように考えてみることを私は「回転的思考」と呼んでいます。自分の思い通り
まっすぐ生きてやろうと思っても、なかなかそうはゆきません。
たとえば、朝の出かけに、家族とぶつかることがあり、学校で仲間とぶつかる
こともあり、くねくね曲がって、グルグルしながら、私たちは、大きく成長して
いるのではないでしょうか。
人の魂は、止まっているのではなくて、動いて、成長している。そんな考え方
に立っていたのが、イエス・キリストというかたです。ある瞬間、その人が罪を
犯したから、失敗したから、それがその人のすべてだと思ってはいけない、赦し
合おう、そう言われたんです。このことは、私たち自身の生き方にも役にたつこ
とでしょう。たとえ、今の自分がいやになることがあっても、永遠の魂の道のり
の、ほんのちょっとした、瞬間なのです。
人生において私たちは、人のいやなところや、自分のつまらないところを、こ
れでもかって、見せつけられることがあります。でも、回転的思考で乗り切ろう
ではありませんか。人も自分も、あっちに、こっちにぶつかっては、紆余曲折し
ながら生きている。成長段階。一部だけを切ってそれを、その人であり、また自
分だとは考えないで、ともに未来に向かって、成長していこうではありませんか。
どうもありがとうございました。
掲載元:中部学院大学・中部学院大学短期大学部_チャペルアワー
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