Comments
Description
Transcript
付 録 漢 文
付 録 漢 文 利用上の注意点 ⃝唐詩のまとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P 125 唐詩のまとめ ・唐詩の種類やきまり、代表的な作者についてまとめました。 126 唐詩のまとめ ①絶句 絶句は四句(四行)で成り立っており、一句の字数は五言(五字)と 唐詩の種類と構 成 漢詩は、唐代になってから、その表現形式について、厳密な規則が整 七言(七字)のものがある。また、絶句は「起承転結」という構成上の きん たい し 法則に従って作られている。 こ たい し 一句の字数 けいれん び れん がんれん けいれん び れん +二字+三字(四字+三字)で区切れる。 ※「首聯 頷・聯 頸・聯 尾・聯」とも表記する。 なお、原則として、五言詩の一句は二字+三字、七言詩の一句は二字 しゅれん 尾連(第七・八句)という呼び名がある。 の二句には首連(第一・二句)・頷連(第三・四句)・頸連(第五・六句)・ も起承転結の構成は生かされるが、それぞれ二句ずつとなる。それぞれ 倍であるが、一句の字数は絶句と同様、五言と七言である。律詩の場合 律詩は初唐に確立された詩体である。句数は八句(八行)で絶句の二 ②律詩 句)・結句(第四句)と呼ばれる。 絶句の四句は、それぞれ起句(第一句)・承句(第二句) ・転句(第三 結 → 全体をまとめて結ぶ 転 → 着想を一転させる 承 → 起句の内容を承ける う 備された。この規則にそったものは「近体詩」、それ以前から詠まれて 数や一句(一行)の字数などによって、次のように分類することができ る。 句の数 が ふ 四言・五言・七言など けっ く 不定 てん く 古詩 詩体 古体詩 がんれん しょう く 五言・七言など く 不定 き 楽府 ぜっ く しゅれん 絶句 四句 (起句・承句・転句・結句)五言・七言 りっ し 五言・七言 近体詩 律詩 八句 (首連・頷連・頸連・尾連)五言・七言 はいりつ 排律 十句以上の偶数句 おういん 古体詩は「古詩」と「楽府」 (楽曲に合わせて作られた詩)に分けら れる。古体詩は句数(行の数)が不定であり、一句の字数や押韻などの 規則が比較的緩やかである。 近体詩には「絶句」 「律詩」 「排律」の種類がある。なかでも絶句と律 詩は、それぞれの特徴をしっかりと区別して覚えておく必要がある。 起 → うたい起こす いた形のものは「古体詩」と呼ばれている。また、これらは句(行)の LT1002HR102BZ–01 126 五言 → ○○・○○○ 七言 → ○○・○○・○○○(○○○○・○○○) この区切れを、解釈の手がかりとするとよい。 ◆押 韻 「押韻」とは、一定の法則によって同じ響きの字を置くこと(韻を踏 むこと)である。漢詩では、原則として、五言詩は偶数句末に、七言詩 は第一句末と偶数句末に押韻する。 いちいんとうてい 一つの詩で最後まで韻を変えないことを「一韻到底」といい、途中で かんいん こうみどり やまあお とりいよいよしろ はな も こ こんしゅんみすみすまた す ひ 今 春 看 又過ぐ いづ 何れの日か是れ帰年ならん き ねん 山青くして花然えんと欲す ほつ 韻を変えることを「換韻」という。古体詩はこの両方の場合があるが、 ク もエント グ ナラン 江碧にして鳥 逾 白く 近体詩はすべて一韻到底で、韻が変わることはない。 【用法例】 〈五言詩〉 いよいよ 絶句 杜甫 みどり ニシテ ほつス 江 碧 鳥 逾 白 クシテ 山 青 花 欲 レ然 みすみす こレ 今 春 看 又 過 いづレノ カ 何 日 是 帰 年 全 訳 河の水は深いみどり色で、(そのためその上を飛ぶ)鳥はますます白く見 える/山は青葉につつまれて、そこに咲く花はいまにも燃え立ちそうに赤 ニ わうゐ 王維 タナリ 一 すす うるほ )」が押韻。 nen さら つ やう くわん い いっぱい ぬ こ じん な 西の か た 陽 関 を 出 づ れ ば 故 人 無 からん にし 君に勧む更に尽くせ一杯の酒 きみ 客舎青青柳 色 新たなり かくしやせいせいりうしょくあら 渭城の朝雨軽塵を浥す ゐ じゃう てう う けいぢん )」と、第四句末の「年( zen ノ 一 ぢんヲ 一 せいニ 安 西 うるほス けい ヒスルヲあん 二 クセ カラン 無 二故 人 一 さけ い/今年の春もみるみるうちにまた過ぎていく/いつの日になったら故郷に帰れ るのだろうか じノ *第二句末の「然( げん 〈七言詩〉 ル 三 じやうノ 送 元 二 使 ゐ しや 渭 城 朝 雨 浥 二軽 塵 かく ニ ヲ 君 更 尽 一 杯 酒 レ ム 客 舎 青 青 柳 色 新 勧 陽 関 二 ノカタ いヅレバ ちり らし/旅館(の前)には青々と柳の葉の色が鮮やかである/さあ君に勧め ここ渭城の朝の雨は、軽やかに舞い上がる(街道の)塵をもしっとりと濡 西 出 全 訳 )」 、第四句末の「人 shin よう、もう一杯の酒を飲みほしてくれ/西へ行って陽関を出てしまえば、(ともに )」と、 第二句末の「新( jin 杯をかわす)親友もいないだろうから )」が押韻。 jin *第一 句末の「塵( ( 末に押韻していない場合(踏み落とし)もある。 ただし、五言詩でも第一句末に押韻している場合や、七言詩で第一句 付録 127 LT1002HR102BZ–02 がある) 。 【用法例】 シ リ と ほ 春 望 杜甫 レテ ニシテ くに やぶ しろ はる さん が あ さうもくふか 国 破 山 河 在 国破れて山河在り 対句 ニ ニモ ナリ ニモ そそギ ヲ ヲ とき レ ニ 一 かん うら ほうくわさんげつ か しょばんきん はな つら あた とり 三 月 烽火三月に連なり ニ 万 金 家書万金に抵る 一 かケバ レ ニ ク しんニ しん はく とう か すべ さら そそ こころ 勝 レ簪 渾て簪に勝へざらんと欲す ラント たヘ た おどろ ど貴重だ)/白髪頭をかけば、髪はさらに短く(うすく)なり/まったく冠をとめ るピンも挿せなくなりそうだ *この律詩では、頷連、頸連とともに、首連(第一・二句)も対句と なっている。首連、頷連、頸連は、それぞれの品詞の位置や、語相 互の意味が対応関係になっていることがわかる。 ・絶句(起句・承句・転句・結句の四句から成る) 【まとめ】 五言絶句(五文字×四句)→ 偶数句末に押韻 七言絶句(七文字×四句)→ 第一句末と偶数句末に押韻 ・律詩(首連 頷・連 頸・連 尾・連の八句から成る) 必ず対句になる 五言律詩(五文字×八句)→ 偶数句末に押韻 ス 対句では ない 月まで)続いており/家族からの便りは(ほとんど絶えて)一万金にも相当する(ほ 動かされる/(戦いの)のろしの火は何か月間にもわたって(*別の解釈‥春の三 花を見ても涙を流し/(一家の)離別を恨めしく思っては、小鳥の鳴き声にも心を 春を迎えて草や木が深く生い茂っている/このような時世に心を痛めては、 都は破壊されたが山や川は変わらずに存在している/(荒れ果てた)町も 渾 欲 レ不 尾連 全 訳 すベテ みじか ほつ 心 別れを恨みては鳥にも心を驚かす わか 涙 時に感じては花にも涙を濺ぎ レ カス 時 花 濺 ジテハ 感 レヲ レ くわ 別 鳥 驚 レ ミテハ ほう 恨 烽 火 連 二 あたル (律詩では頷連・頸連は必ず対句) 七言律詩(七文字×八句)→ 第一句末と偶数句末に押韻 二 対句 白 頭 掻 更 短 白頭掻けば更に短く 家 書 抵 対句 城 春 草 木 深 城春にして草木深し 首連 頷連 頸連 なみだ れぞれ必ず対句となる(頷連・頸連以外にも対句が用いられている場合 律詩では、第三句と第四句(頷連) 、第五句と第六句(頸連)が、そ 関連性があり、対称の関係になっている句どうしのことである。 「対句」とは、語数や意味、文法的構成(品詞の位置など)に同一性・ ◆対句 LT1002HR102BZ–03 128 唐詩の代表的な 作 者 と ほ 杜甫 □活躍時期……盛唐 おう い 王維 □活躍時期……盛唐 ま きつ □代表作品……「送元二使安西」「竹里館」など 歳のころ進士に及第、以降は宮廷詩人として名を成した。鋭い感受性の 字は摩詰。幼少時代から詩や絵画、音楽などの才能を発揮し、二十一 持ち主であり、特に自然を詠んだ詩(山水詩)に優れていた。さらに画 し び 家としても大いに才能を発揮し、のちに南宋画の祖と仰がれるようにな あざな □代表作品……「春望」 「旅夜書懐」など 字は子美。各地での遊歴や長安での浪人生活を経て、四十四歳でよう り、「詩中に画あり、画中に詩あり」と評された。 「香炉峰下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁」など らくてん こうざん こ じ すいぎん 字は楽天。号は香山居士、または酔吟先生。二十九歳で進士に及第し、 □代表作品……「八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九」 □活躍時期……中唐 白居易 はくきょ い 李白(「詩仙」)と並んで、「詩仏」と称せられている。 と言われている。このことから、同じく唐代を代表する杜甫( 「詩聖」) ・ 王維は仏教の熱心な信奉者であり、晩年に至るまで仏道修行に励んだ なんそう が やく官職に就くが、その年に安禄山の乱が起こり、長安に幽閉された。 あんろく この時期に作られたのが、不朽の傑作「春望」である。その後も左遷や 転居、放浪を繰り返し、最後は舟の中でその生涯を終えた。「旅夜書懐」 は、この最後の漂泊時期に書かれた作品である。 詩は「詩史」(詩によって叙述した歴史)と言われる。また杜甫は、その 杜甫は、現実的な視点で社会の実情を詠むことが多く、そのため彼の 儒家思想を体現した生き方、作風によって、「詩聖」と称せられている。 り はく 李白 □活躍時期……盛唐 □代表作品……「静夜思」 「早発白帝城」など 上級試験にも合格して官僚となる。越権行為が原因で左遷されたのちは じ 政治の中枢に関わることを避け、感傷の詩を多く作るようになった。 せいれん こ 過ぎてから官職を得たものの、わずか二年後には都長安を追われて流浪 字は太白。号は青蓮居士。二十代のころから各地を流浪し、四十歳を 氏文集(はくしぶんしゅう・はくしもんじゅう)』は平安時代以降の日 白居易の詩は、平易で伸びやかな作風が特徴である。自選の作品集『白 たいはく 生活に戻る。その後も各地で創作を続けて、多くの名作を残した。李白 本でも広く読まれ、日本文学に大きな影響を与えた。 の最期については、舟の上で酒に酔って、川面に映った月を取ろうとし でき し て溺死したという伝説も残されている。 李白の詩は、自由奔放で明るい作風が特徴である。また、道教を信奉 せられている。 し、神仙思想への傾倒を感じさせる作品が多いことから、「詩仙」と称 付録 129 LT1002HR102BZ–04 りゅうそうげん とともに「王孟韋柳」と称せられている。 い おうぶつ 自然を詠んだ詩に優れ、同じ自然詩人である王維、孟浩然、韋応物ら もうこうねん の詩の多くは、この左遷以降の時期に作られたものである。 に左遷。十年後に中央に復帰するが、再び左遷の憂き目にあう。柳宋元 字は子厚。若くして進士に及第して政治改革に尽力するものの、すぐ し こう □代表作品……「江雪」など □活躍時期……中唐 柳 宋元 LT1002HR102BZ–05 130