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1 佐々木禎子 さん(1943 年~1955 年) 広島平和記念公園にある
別紙1 1 さだこ 佐々木禎子さん(1943 年~1955 年) 広島平和記念公園にある『原爆の子の像』のモデルになった原爆の被爆者の少女。 1945 年 8 月 6 日 8 時 15 分、広島市内楠木町の自宅で 2 歳のとき被爆し、1955 年 2 月、小学 6 年生 12 歳の時に亜急性リンパ性白血病と診断され、広島赤十字病院に入 院しました。「千羽鶴を折れば、願いが届く」と祈りながら、同年5月から鶴を折り 始めましたが、同年 10 月に亡くなりました。当時、折り紙は高価なもので、折り鶴 は薬の包み紙のセロファンや見舞品の包装紙などで折られました。 2 折り鶴について 被爆による白血病の闘病中に折られた折り鶴は、約2センチ角です。 禎子さんの生誕70年に合わせ、平和を願うメッセージを伝えるため、禎子さんが折 った折り鶴は「平和の使者」として、国内外の戦禍や災害に見舞われた場所などに寄贈 されています。長岡への寄贈は、国内では沖縄、広島に次ぐ3か所目となります。 3 寄付の経緯 平成26年、書家の金澤翔子の母・金澤泰子さんを通して、佐々 ゆう じ 木禎子さんの甥の佐々木祐滋さん(NPO法人 SADAKO LEGACY の 副理事長)から、 「佐々木禎子が折った折鶴を長岡市に寄贈したい」 という申し出がありました。 このたびの寄贈は、長岡市が真珠湾で長岡花火を打ち上げるこ とを佐々木祐滋さんが知り、平和へのメッセ―ジを広げたいとの 想いから「折り鶴」の長岡市への寄贈が実現したものです。なお、 折り鶴は平成25年、ハワイ・真珠湾のビジターセンターにも寄 金澤翔子さん揮毫(きごう) 贈されています。 「長岡大花火」の文字 4 これまでの寄贈先(世界で6か所、うち国内では2か所) ・2007.9 ニューヨーク「トリビュート WTC ビジターセンター」 (正式な寄贈式典開催、展示開始は 2010.5) ・2009.10 シュタットシュライニング平和博物館(オーストリア・ブルゲンラント州) ・2012.9 アリゾナ記念館ビジターセンター(ハワイ州真珠湾)、展示は翌年 ・2013.9 沖縄市役所 ・2013.10 ファラビー映画財団(イラン国際児童映画祭) ・2013.10 広島市立幟町小学校 ・2015.8.1 長岡戦災資料館【予定】