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Title 二度語られた書評 - 慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)

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Title 二度語られた書評 - 慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)
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Abstract
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二度語られた書評 : Twice-Told Talesを読んだポウ
巽, 孝之(Tatsumi, Takayuki)
慶應義塾大学藝文学会
藝文研究 (The geibun-kenkyu : journal of arts and letters). Vol.58, (1990. 11) ,p.227(162)- 242(147)
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00580001
-0242
二度語られた書評
-Twice-ToldT
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sを読んだポウー
巽 孝 之
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l Hawthorne 第一短編集
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s の書評は,ホーソン研究の古典ともポウ自身の小説理
論の基礎とも位置づけられている。
だが,あらためて当の書評を検証してみるなら,ことはそう単純には収
拾されなし、。それには,正確なところ三種類のテクストがあるからだ。年
代的に再確認すれば,
ホーソンの『トワイス・トールド・テールズ』は
1
8
3
7年に AmericanS
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s’Campanyから初版が, 4
2年に増補再版
1年に第三版が発売された。ポウは 1
8
4
9年1
0月に没したから,
が,そして 5
7年版・ 4
2年版のテクストに限ってよし、。ところが,その書評
彼の対象は 3
の仕方がじっに奇妙きわまる。ポウの『トワイス・トールド・テールズ』
評は,
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2年 4月号に第一の書評が,同誌同年翌
月の 5月号に第二の書評が,そして奇妙にも 5年の間隔を経て,
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8
4
7年 1
1月号に第三の書評が,それぞれ発表されているの
である。つまり『トワイス・トールド・テールズJ初版時ではなく増補再
版時に第一書評が出るわけなので,事実上,ポウは同書増補再版というた
だひとつのテクストをめぐって三回も書評を加えたことになる D
ふつう,ひとりの人聞がひとつの書物を三回も評することがあるだろう
か。あるとすれば,いったいなぜ?
同書をめぐるポウの反復行動は,ホ
ーソンをめぐる不思議なこだわりを物語りつつ,反復そのものの不思議を
歴史化してし、く。
-242ー
(
1
4
7
)
三つの書評に支配的な文学原理が,きわめて図式化しやすい概念構成を
持つことは,周知のとおりだ。第一書評から第二書評にかけて小説の必要
条件とされる「多様性」( v
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y)「統一性」(u
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y)「独創性」(o
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y)。第三書評で明確化される「寓喰」(a
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y)と「効果」(e
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)
の二元論,および前者に後者が優越するというヴィジョン。このわかりや
すきを,ふつう我々はポウ自身の純粋なる文学思想の発露と読む。けれど
も,三つの書評の連鎖を読むほどに実感されるのは,必ずしも純理論的な
観念ではなく,むしろ文学作品外の動機を持つ,かなり不純な構図のほう
である。たとえば第一・第二書評に提示された三つの原理「多様性」
一性」
「統
「独創性」はあくまでホーソンという作家を肯定するためのものだ
ったのに,第三書評における「寓喰」と「効果」の対立項はあくまでホー
ソンを否定するために用いられている。まったく同ーのテクストについ
て,はじめ肯定的だった書評がのちに否定的と化すこと一一この趨勢に
は,どうしても一定の不純さと,その背景を演出したで、あろう政治的無意
、
識がうかがわれてならな L。
ここで,そもそも以上三つの書評がほんとうに書評の名に価するのかど
うかを検証してみよう。たとえば三頁にも満たない第一書評の第一パラグ
ラフにはこんな但書が読まれる。
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用者〉
つまり第一書評で「ホーソン短編集を一例に取り上げつつ小説形式論
(
1
4
8
)
-241-
をやる」計画というのは,あらかじめ「紙面の都面の都合で」第二書評へ
責任転嫁すべく目論まれていたのだ。それなら第二書評の現物はどうか。
しかし,我々は以下のようなくだりを発見して目を疑う。
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4,イタリクス引用者〉
何とポウは,今号でも「依然スペースがつまっている」ために「〈同書
二巻本の長所に見合わないほど簡潔かついし、かげんな発言にとどめなけれ
ばならないこと」を弁解しているのだ。さらに第三書評に至って一一
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,イタリクス引用者〉
ここでもポウはホーソン作品個々の評価については「もっと適当な機会
に譲る」といい,
「この作家の長所・短所のまとめを急ぐ」ことだけを考
えている。驚くべきか呆れるべきか,三つの書評すべてにおいて,ポウは
自分の書評が結局は純粋な意味での書評たりえない事実を告白してしまっ
ているのだ。まとめれば,彼は「ホーソンをダシにして小説論をやる」と
公約しておきながら,結局第二書評でも第三書評でも「ホーソンをダシに
することさえきちんと果たさなかった」ことになろう。三つの書評を通じ
て顕在化するのは,だから必ずしも高逼なる文学的理念の表明などではな
い,むしろポウがし、ちいち約束をしながら最終的にはのきなみ破棄してし
まうとし、う物理的「構造」の反復,これに尽きる。
-240ー
(
1
4
9
)
ホーソン短編集のタイトル『トワイス・トールド・テールズ」をくりか
えすように,ポウは同書への書評を二度くりかえした o
ここで“T
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john(1595)第三幕第四場,フランス皇太子がいう台詞「人生はありふれ
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た話のように退屈なもの」“L
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”の反復であった事実を思い出
もよい。当初“t
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”なる語は文字どおり「二度語られた」「反復さ
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”という形容詞
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”転じて即「ありふれた」
が付されたためだろうか,以後は“t
” という比験的意味を,
「陳腐な」“hackneyed
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”転じ
て即「語り古された物語」「ありふれた話」なる慣用的意味を帯びていく。
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”という,何の変哲もない形容詞。ところが,その生成は,
“T
最初まったく任意であった記号と意味の関係が,反復を経てむしろ必然の
仮面を被る歴史を典型的に表わす。この前提は,ポウ自身における「読む
こと」の本質に迫る。では,ポウははたしてどのような「立場」に立って
テクストを読もうとしたのか?
ポウが第一書評と第二書評で反復しているひとつの意見を復習しよう。
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ポウはまず‘ '
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”を含むタイトルがし、かに反復に耐えぬ下手な
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)
-239ー
ものであるかを述べ,それにつづけて‘' T
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”に関する形式論を展開して
いる。彼によれば,
『トワイス・トールド・テールズ』と銘打つかぎり,
ここには「短い物語」“t
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”が収められていて当然のはずだが,じっさ
い読んでみると“S
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”と呼べそうな
ものが多すぎるのだ。第一・第二書評でのポウは,作品内容からするかぎ
りホーソンの天才を積極的に認めつつも,惜しいかな短編集の顔ともいう
べき書名「トワイス・トールド・テールズ」のほうは,
「トワイス・トー
ルド」にしても「テールズ」にしても何とも場違いであることを指摘する
のである。
この時点で注目されるのは,ポウ自身は“t
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”をすぐさま慣用的
・比喰的に「ありふれた話」と解釈するような,いわばそれ自体ありふれ
た読みかたを決してしてはいない事実だろう。彼はこの表現を字義的に,
それこそ「二度語られた」という意味で読解する。ある人々は“t
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”
をあくまで比喰的に「語り古された」と読んだため本短編集を「買いあぐ
ねた」のだったが,ポウの場合,むしろあくまでこれを逐語的に「二度語
られた」と読むために,そこに潜む論理からするとホーソンは「タイトル
”と結論するしかない。
を付けまちがえている」“misnamed
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”
ただしポウはアイロニーの言語を駆使しているのではない,“t
という単語における逐語性と比喰性の分裂に注目して,むしろ言語のアイ
ロニーを露呈させようと試みたのだ。そしてこう考えてはじめて,ポウ白
身の「読むときの立場」は頭をもたげてこよう口彼は慣用的意味よりも逐
語的意味を選んだが,それはベつだん訓古学趣味でもなければ揚げ足取り
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”の言語的効果だけにこだわったにすぎない。
でもない,彼は“t
「二度語られた物語」というタイトルの本が増補再版すれば「三度語られ
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”( H
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3)ことになり,以後再版するごとにタイ
た」“t
トルを変更しなければならない,ゆえにホーソンは命名する際に効果を読
みまちがえている,というのが彼の主張だ。
言葉の意味ではなく言葉の効果を読みつむぐこのとき,たとえば名詩
一238ー
(
1
5
1
)
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eRaven" (
1
8
4
5)のリフレイン“nevermore
”が決定されたのは,
その意味ではなくその言語的音響に,及び詩というジャンルの内的論理に
鑑みてのことであった事 情が想起されるロポウのホーソン書評にしても同
d
じことだ。彼は書物というジャンノレ~こ必然、的な再版とし、う効果と,それに
伴う内的論理に着目して「トワイス・トールド・テールズ」というタイト
ルに落第点を与えたので、はないか。そして,そのような洞察を可能にした
「読むときの立場」は,作家でも文学批評でもない,ほかならぬ編集者/
ジャーナリストの立場ではなかったか。
ひとつのリフレインがじゅうぶんセンセーショナルかどうか,ひとつの
p
タイトルがじゅうぶんコマーシャノレかどうか一一それを評価するポウの顔
は,字義的にも比喰的にも作品を「買う」職業人のものであった。
『トワ
イス・トールド・テールズ』のタイトルを読んだポウは,批評家としてこ
れを買えない=評価できないという以上に,何よりも編集者として文字ど
おり買えない=商売の対象にならないという見解を表明したので、ある。
ポウが当時の雑誌文学制度にどっぷり漬かっていたことは,言うを倹た
ない。市場経済勃興期であった一九世紀初頭のアメリカは文学産業の開花
期にも相当し,マガジニズムはその花形だった。当時の作家にあっては,
単に自ら書きたいものを書くというよりも,むしろ雑誌それぞれの傾向や
読者層やフォーマットに準じて書かされるという一種の価値転倒こそ所与
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a”と総称される穴埋め原
の現実であり,げんに編集者ポウも“M
稿を書きまくっている。だが,いま重視したいのは,マガジニズムがさら
に,雑誌初出・単行本再録とし、う制度をいっそう促進した点だ。これは,
ポウのみならずホーソンにもいえよう。彼もまた,ポウとはちがうマーケ
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e ほかの新聞・雑誌メディア初出の作品群を,
ットながら S
あとで『トワイス・トールド・テールズ』に再録するという手続きを踏ん
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d”を文字
だからである。したがって,編集者としてのポウが“t
どおりに読んでみせたとき,彼はそこに雑誌初出・単行本再録の合意を前
提していた。ポウの編集感覚は,これら「二度語られた作品」を「二度印
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' としても読み,いったし、作品は二
刷された作品」“t
(
1
5
2
)
-237ー
度印刷されることでいったし、何を演じるか,この一点に留意したと推測さ
れる。
そもそもポウその人が,推理小説第二作“The Mystery o
f Marie
1
8
4
2)雑誌連載中に自らの推理の誤謬に気づき,あちこちに足
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'’(
を運んで取材してから最終回を暖昧化したばかりか,短編集再録時には,
いかにも最初から自分の推理が初回より的中していたかのように長い脚注
さえ加筆した経歴を持つ。反復すること,再録=二度印刷することは,ポ
ウにとって因果転倒と同時に表面上の傷や矛盾を取り繕う,まさしく編集
者的レトリック発揮の場であった。
そのような視点から第二書評を読みなおすと,ひとつ気になる箇所が浮
上する。ホーソンは“Howe
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8年 5月号に発表したけれども, それを 1
8
4
3年 増 補 再 版 し た
『トワイス・トールド・テールズ』の第二巻へ再録している。さて,ポウ
l
窃といえなくもな
による同書への第二書評には,この短編がポウ作品の票j
い,と指摘している部分がある。もちろん第二書評までは彼は作家ホーソ
ンに肯定的だから,かなりやんわりした口調で。
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3
イタリグス引用者〉。つまり,ポウは自分の“W
illiamWilson
”(
1
8
3
9年
〉
をホーソンが「ハウ総督の仮面舞踏会」で剥窃した,というのである。人
物の衣装にせよ,最終的に決闘へ至る筋書にせよ,そっくりであると。け
れども,これがとんだ言いがかりであり,かつ言いがかりでしかないのは
明らかだ。というのも,
8
3
8年
「ハウ総督の仮面舞踏会」初出版の執筆は 1
だから,いうまでもなく「ウィリアム・ウィルスン」に一年も先行してお
り,たまたま二度目に印刷=短編集に再録されたのが「ウィリアム・ウィ
ルスン」より三年後, 1
8
4
3年だったにすぎない口事実関係からすれば,ポ
ウはホーソン作品の初出時期を知ってか知らずか,とにかく無視すること
で,この相手を盗作者として誹誘したことになる。二度印刷されるという
のは,少なくともポウにとって,初出の時期を忘却しつつ因果関係を崩
-236ー
(
1
5
3
)
し,自作の商品価値を増大させる効果さえ合わせ持っていた。
m
m
では,文学的商品価値をポウの秘めたる批評基準と仮定するとき,第二
書評で彼が持ち出す「(思想の〉独創性」「(ジャンルの〉多様性」「(効果
の〉統一性」とし、う三大原理は,どのように読みなおせるか。
まず「独創性」 D ポウは彼自身が「小説というよりはエッセイ」と呼ん
e
p
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e
”を認める。
だ「尖塔からの眺め」その他にある種の「落ち着き」“r
彼自身の「効果の統一」理論からすれば批判されてしかるべき要素だが,
第二書評の段階では彼はまだこの側面を善意に解釈しているロ
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5,イタリクス引用者〉。このような
「落ち着き」こそは,
o
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lcombinations
,,に代
「新奇な組み合わせ」“n
表される「独創性」と並存するものであり,やがて我々が読み進むうち
に,かっこれほど明瞭な思想は生まれたことも示されたこともなかったん
じゃなし、かという静かな驚き」
“a calm a
stonishment t
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(
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.) をもたらす。独創性, それは抽象的な文学原理どころか読者に
具体的にアピールする新奇な想像力の効果にほかならなし、。作品世界があ
くまで読者にとって斬新であるかどうか,盗品でなし、かどうか一一独創性
は,その一点を測る編集出版上の倫理的要請に近い。
つぎに「統一性」について,ポウは効果ないし印象の統一性に絞ってこ
う説明する。“… t
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6)。この前段で,ポウは神経を集中できる読書時聞を一時間と特定して
いるが,ここにうかがわれるのもまた,読者への意識転じて文学市場への
志説で、あろう。文学が商品たりうるために読者を惹きつけて放さないだけ
(
1
5
4
)
-235-
の短さと,それに伴うべき読後感としての印象の統一に配慮すること,こ
れは文学の人間工学をふまえた編集条件といえる。
さらに「多様性」について o これは,第一書評冒頭で提出された「短編
は詩よりも有利である」“I
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2)という命題と関係深 L、。ポウによれば,
美を扱う詩は韻律という加をはめられるために変化をつけにくいが,いっ
ぽう真実を扱う散文は,その伽がないぶんだけ無限に種類を増やすことが
できるロ詩と比べて,小説は形式上いくらでもそのサブジャンルを多様化
させていける,とし、う。このようにポウが考えた根拠はにわかにはつかみ
がたいが,第二書評が書かれた 1
8
4
2年当時といえば彼がちょうど創作の比
客血
重を詩から小説へ移していたころだ。同年一月に愛妻ヴァージニアの l
により生活も困窮をきわめはじめたとし、う伝記的事実を重んじることも,
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,,で懸賞小説に最初の当選を果たした彼は,単
純に詩よりも小説のほうがカネになると思いはじめたのではないか,と見
ることも可能だろう。いずれにしても,小説の多様性を享受するポウの筆
には,美学理論のみならず商品理論そのものが着色されていた。
以上三つの文学原理は,ゆえに編集者ポウが作家ホーソンの文学的商品
価値を判断するための道具だったのである。そして当初のポウは,ホーソ
ンの「多様性Jについては留保しつつも,彼の「独創性」と「統一性」に
ついては申しぶんなしと述べ,その天才についてほとんど手放しの褒めよ
うなのだ。
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だからこそ一一このように第一・第二書評においてはポウがホーソンに
高い評価を与えているからこそ一一我々は第三書評における辛謀なる評価
-234ー
(
1
5
5
)
への豹変ぶりに,そこはかとない不思議を感じてしまう。
では,ポウ書評はどのように百八十度転換したか。まず「独創性」概念
が再吟味される。彼は第二書評ではホーソンの独創性に積極的評価を与え
ていたが,第三書評になるとホーソンには最初から独創性などなかった,
とでもし、いたげなトーンに変わる。このようなアクロパットを可能ならし
めたのは,ポウがここで独創性と似て非なる概念「特異性」“p
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を持ちだし,むしろこちらのほうこそホーソンの特徴としてふさわしいと
決断していく手順であった。
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通としての知識人ばかりにわかる新奇さではなく,いかにも新奇と見え
る新奇さを表現すること。たとえそれが見かけ倒しの新奇さであっても,
わかりやすくさえあれば,読者大衆はそれを作者の独創であるばかりでな
く自分たち読者の独創でもあると考えるようになる(同頁λ こ こ に , 編
集者ポウのマスマーケット戦略がある。そしてこれを基準とするならば,
ホーソンにはそのように商品価値のある独創性はない,単に特異性がある
だけだ。そして特異性とは単調さの別名であるがゆえに,ホーソンは決し
て幅広い人気を勝ち得ることができないのだ,とポウは宣告する。
前述のとおり,彼は独創性と統一性を連関させて捉え,多様性を実現す
るために単調さを何よりも嫌っていたから,ここでポウがホーソンは独創
的ならずと断定したのは,とりもなおさず第二書評までのホーソン評価と
く1
5
6
)
-233-
ともに,そこで彼が提起した文学原理までも全面撤回したことを意味して
し、る。
N
かくして,ポウは独創性・統一性・多様性など,第二書評で確立したこ
れらの文学原理を抜本的に修正する必要に迫られた。その成果が,第三評
で編み出された「寓喰」と「効果」の二大原理である。ホーソンにあるの
は独創|生ならぬ特異性であり,特異性は単調さを免れず,そうしたメカニ
ズムの要因はすべてホーソンの寓喰趣味にある,と措定する恐るべき三段
論法。そのあげく,ホーソンの寓喰的な書きかたこそは作品の効果を薄め
る元凶と考えるポウは,このように断定した。“ Undert
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ただし,ホーソンへの評価が一八 O度転換したからといって,ポウその
人のマガジニズム的理念までが根本から転覆したわけではなかった。すで
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に第一・第二書評において,ポウは“t
た話」と文字どおりに読むことにより,
「言語の効果」に着目している。
そして,この点を意識したからこそ,ポウはこの短編集の増補再版を指し
て「二度ならず三度語られた=印刷された物語」と皮肉ったばかりか,白
らその構造を反復して「二度ならず三度語られた書評」に手を染めたので
はなかったか。すなわち,もともと第一・第二書評の時点から潜在してい
た言語の「効果」への興味が第三書評に至って顕在化し,その瞬間,それ
はホーソンを斬るための絶好の武器と化したのではなかったろうか。
そのときに効果原理を一気に浮上させた文脈の正体こそ,本論の最終的
8
4
2年と第三書評
な標的である。具体的には,第一・第二書評が書かれた 1
8
4
7年の間に,何らかの決定的事件が介在したのだと思われる
の書かれた 1
-232-
(
1
5
7
)
一一それも,必ずしも美学的ではなく,むしろ政治的とさえ呼べるよう
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5年いわゆるくポウ vsロングフェロー論争>(‘' TheLongfellow
War'’〉が起こった。この論争は,ポウが
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のアンソロジ− Waifを批判した E
veningMirror誌1
8
4
5年 1月1
4日号
にはじまり,彼の論争終結宣言が載る BroadwayJ
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l の同年 4月 5
日号までつづく
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ポウ側の批判の論旨は,相も変わらぬ詩人の盗作批判な
のだが,この論争においてじっさいポウの相手をしたロングフェローなら
ぬ「ウーティス」( Out
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, ギリシャ語で noone)と名乗る論客がなかな
かの強者だったため,ポウは自説をゆるめる必要にかられ「独創性と盗作
癖というのは,じつは容易にはみわけがたい」とし、う論旨へ移行するまで
に譲歩する。
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詩人は他者の考えに取り尽かれるあまり,やがてそれが自分の所有物で
あるかのように思いはじめ,出典さえ忘却してしまうこと一一ここでの詩
人と他者の関係論を焼き直したのが,じつは先ほど検討された第三書評に
おける真に独創的な作家と一般読者の関係論だったというわけだ。
もうひとつの要点として,ポウがロングフェローの教訓癖を寓喰志向の
別名とみなしつつ批判している部分も見逃せない。
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…Butdidacticismistheprevalenttoneofhissong”( H, XI, 69。)
こうした教訓癖批判が,やがてホーソン作品における寓喰への批判という
かたちで再現されてし、く。
当時のロングフェローといったらアメリカ文壇そのものの化身である。
デラーマンス
いわゆる「お上品な伝統」を担い「ポストン知識人」の典型としてハーヴ
ァード大学教授」という地位も得ていたこの「文壇の中心」は,さらに自
分の位置するニューイングランド地方を図らずも「文学の中心」と思わせ
る中央集権幻想の再生産者だったロそして,ロングフェロ一周辺の作家た
ちが,まさしくその保守的傾向のために,結局ヨーロッパの模倣に終始し
こ見えたのもたしかなことであったロこの状況が,たとえばポ
ているよう I
ウのように,当時アメリカ国民文学の確立と,その実現のための本格的な
文学批評の樹立を目論んでいた作家にとって,きわめていらだたしい事態
と映ったのは想像に難くなし、。伎が一個の文学作品が独創的か盗作的かと
l
生を
いうことに神経を悩ませたのは,いわばアメリカ国民文学一般の独自j
際うがゆえのことだったのである。
したがって,対ロングフェロー論争を経たポウは,ホーソンさえ論敵周
辺の人物として見るようになっていたのだ。ここで,ホーソン作品の古典
的地位じたいが,まさに文学的必然というより文壇的偶然であったかもし
れないとする志見は傾聴に値しよう。 J
aneTompkins は,その傍証とし
8
3
6年以降のホーソン売り出しに際し当時いちばん権威のあ
て,たとえば 1
った年刊 TheT
oken誌の編集長 SamuelGoodrichがし、かに尽力したか,
7年版『トワイス・トールド・テールズ』が高い評価を得るに際
たとえば 3
し編集者はじめ,それこそホーソンとは Bowdoin大学でクラスメートだ
った大御所ロングフェロー当人がし、かに協力したかを挙けやている。ポウが
看破したのは,まさにそのような東部文壇の政治網そのものであった。か
くして第三書評末尾に至り,彼はこのように絶叫する。
-230ー
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ここでのポウは,ホーソンを叩くその同じ手でロングフェローら保守主
義者もエマスンら革新主義者も一気に叩き,ニューイングランド中心の北
米文壇を一挙に壊滅させようと試みている D むろん,今日の読者は芸術至
上主義者ポウを前提とするあまりに,上の一節に違和感を覚える向きも多
いだろう。それは,もはやこのくだりに対して,当時の読者が持ちえたよ
うな同時代的共感を覚えられないという事情に拠るだろう。にもかかわら
ず,アメリカ文学における言語的効果を唱道したポウが,この結末でアメ
リカ文壇における同時代ならではの政治的効果を想定していなかったとは
考えにくいロ彼の純美学的な文学原理は反復される=二度語られることで
分解し,政治的修正を余儀なくされたが,それを“t
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”という記
号の演技として辿りなおすことは,逆に雑誌文学ジャーナリスト・ポウに
おける文壇批判が,し、かに彼の文学批評の本質と相互交渉するものであっ
生を再考する放ー会を導く。ェドガー・アラン・ポウが「寓
たか,その二重l
喰よりも効果」へ向けて美的再表現を構築する姿勢じたい,すでにして寓
喰=教訓l
癖過剰なほどの政治的再編集を経た結果で、ある可能性は,このよ
うな視点を得てこそ洞察されるのではあるまいか。
Notes
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) ポウのテクストは以下の全集版とし,略称 Hと巻数・頁数を併記する。 J
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のはホーソンの謙譲ばかりではない。
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) ポウは「トワイス・トールド・テールズ』増補再版を「三度語られた物語」
と形容して 1
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1年 TheToken 初出〉は 1
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9年に別刷りパンフレットとしても自費出
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版されており,すでにそのときのサブタイトルが川A T
と読める。ポウ書評における 1~!~1訟の文句じたいが,
皮肉にもホーソン自身が
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3(December 1
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)
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6
.
6
) この論争の経緯を最も詳細に考察した文献として,
以下のものがある。ー力
秀雄「怒れるポ一一一いわゆる LongfellowWar について」,「人文論集J
(早稲田法学会) 2号( 1
9
6
5年 1月
)
, 71-99
頁
。
7
) ポウはちょうどロングフェロー論争と重なる 1
8
4
5年 1
0月1
6日に,偶然 Boston
Lyceum に招かれて“TheRaven,,の朗読会を行なっているのだが,その
折の発言でも,
自分がボストンに生まれたことを恥じてみせるとともに,ロ
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ングフェロー批判の正しさを誇って議らなかった。
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)
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. なお,
本稿脱雨後に入手したため参考にはで、きなかったが([付
J
記]参照〉,同ーの点について別の視点より正統的な分析を加えたものに, J
下の論文がある。松山信直「Poe と Hawthorne の関係」(「同志社大学史
-228ー
(
1
6
1
)
語英文学研究」 4
7∼5ン
号
= 1989年 3月・ l
O月・ 1
9
9
0年 1月号に 3同庁載[4
7
•4
8ば合併号])。
8
) JaneTompkins,S
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)
,
8∼9
.
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付記]
本稿の発想、は, 1
9
8
6年 8月,弓書房刊行の教科書 TheWorldofEdgar
Allan Poe のため,ポウ論文への注釈に従事していた折に獲得された(同
ales,,及び注釈部分 91-97頁を参
年1
0月出版の同書収録" Twice-ToldT
照〉。その注釈は,
のちに筆者が 1
9
8
7
年 8月米国コーネル大学に提出した博
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士号請求論文の第二章に発展し (
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cofEdgarAllanP
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,UMI請求番号 8725822),それに
1月2
1日(土〉, 日本アメリカ文学会京京支部
準拠した日本語版草稿が同年 1
月例会(於・慶応義塾大学三田校舎〉での口頭発表で読まれている。前掲注
沢喜の筆頭編者・刈田元司教授とともに,論文指導・最終審査;こあたった
JonathanC
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d の各教授に広話したい。
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d 教授の助言がなければ,筆者の d
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e な着想、が
とりわけ F
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m の展開を採ることはありえなかった。また,前掲口頭発
表直後に質疑応答に参加して下さった諸兄姉に深謝したい。諸兄姉の適切な
御意見 l
こ啓発されていなければ,何よりも本稿がこのように「二度語られる」
ことはありえなかった。
(
1
6
2
)
ー
2
2
7ー
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