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愛の伝え方 - ADHDの勝手口

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愛の伝え方 - ADHDの勝手口
や す おの 勝手口
愛の伝え方
「愛されなかったと考えている人が、人にどう愛を伝えるのか。愛を伝えることの苦手
な人が、どう愛を伝えるのか。」、この問いに答えたいと思います。
虐待の連鎖と言われるものがあります。我が子に虐待をする親は、小さい時に自分も虐
待を受けていたことが多い。虐待が、親から子に、子から孫に伝わるというものです。確
かにそういう傾向はあるようです。そうすると愛された経験のないモノは、愛することが
出来ない、というのと同じで、絶望的な感があります。しかし、私は、愛されなかった人
はいないと主張している訳です。松本先生の論文にもあるように「愛を受けなかった子は
、みんな死んでしまった。」のです。どんな人も、愛を受けていたのです。愛の多い少な
い、と考えるのも間違いです。愛に、大きい小さいはないのです。
たとえば、子育て。苦労と喜びを比較すると苦労の方が多いのではないでしょうか。苦
労が多い方が喜びも大きいと言う人もいます。ご主人の浮気に苦労した奥さんが、死の間
際に言われた「ありがとう、君がいて幸せだった」の一言で耐えて良かったと考える人も
います。暗闇の中の一条の光は、すばらしい輝きなのです。そもそも、比較や損得勘定は
下品な行為で、脳はそのように処理しないのです。脳は価値で判断します。比較や損得勘
定も価値の判断のひとつですが、脳はより高次な価値で動くように設計されているからで
す。
さて、話を先に進めます。虐待の連鎖を考えると絶望的になりますが、実は大きなから
くりがあります。お母さんに厳しく育てられた人は、「お母さんは厳しい」から「厳しさ
は、愛だ」と考えます。やさしいお母さんに育てられた人は、「お母さんはやさしい」か
ら「やさしさは、愛だ」と考えるようになります。どんなひどい親も、愛を子どもに伝え
ようとしているのです。そして子どもはそれを愛と考えるようになります。しかし後から
いろんな情報を得て、「愛はこうあらねばならない」と考えて、苦しむようになります。
大好きなお母さんが、世間の言う理想のお母さんと違い、理想のお母さんになって欲しい
と願い反抗を始めます。また、自分が理想とするお母さんになれないで、苦しむ人も多い
のです。比較することは、下品なことなのです。だったら、虐待をしてよいのかにはなり
ません。もっと合脳的な高次な愛があるからです。では、どうやって愛するのか?
友から 友へ
や す おの 勝手口
脳が出す答えは、記憶によってあらかじめ用意されていたものです。脳は、入っていな
いものは出ないのです。入っていない状態で、どうやって出そうかと考えても無理です。
「愛されなかった」と、考える人は「愛されていた」記憶を蘇らせると、脳が書き換わり
ます。愛したいけれど上手に愛せない人は、上手に愛してもらう経験が必要です。上手に
愛せない人も、愛することを求めます。しかし、その愛は自分が経験した愛なので、モノ
をあげるとか、どこかへ連れて行くことが愛だと考えてしまいます。今の若い人の遊びが
、カラオケ、映画、遊園地になってしまうことは、とても寂しいことだと私は思います。
野山で虫を追っかけること、小川で小魚を捕ること、これらは合脳的な愛の一つと思いま
す。そして、何よりも大切な愛は「そばに寄り添う」こと、出来れば話を聞くこと。何気
ない愛を何度も何度も経験することが大切なのだと考えています。
① まず、 気の張らない楽しいグループ、 出来るだけ少人数での集まりが必要です。 そ
こへ出かけることがうれしい。まずは、現在との和解です。
②つぎに、過去との和解。集団で行うこともありますが、個人的な集まりが多いですね。
苦しかったことを話し合い、認め合い、分かち合う。かなり高度な集まりです。
③ 最後が、未来への和解ですね。自信を持って歩めるように。その時のメンバーは、柔
軟に入れ替わる方が良いみたいです。
こういう作業をしながら、自分は愛されいるのだ、と気づき、自分が愛されているよう
に愛することを始めるのだと思います。
イエスは、「神が私たちを愛してくださったように隣人を愛しなさい」と、言います。
実に合脳的なことです。さらに、「では、隣人は誰ですか?」の問いに。良きサマリア人
の話をします。強盗に会い、けがをした人を介抱するサマリア人の話です。イエスは、「
この傷ついた人の隣人は、だれか?」と、問い返します。人々は、「サマリア人だ」と、
答えます。自分に親切にしてくれた人が、私たちの隣人なのです。だから「汝の隣人を愛
せよ」と、いう掟は難しいことではないのです。嫌いな人を好きになれ、と言っているの
ではなく、愛してくれた人を愛しなさいと言うのです。愛されていたことを思い出す作業
が必要なだけです。対象が我が子の時は、その子が生まれて喜んでいた自分の姿を思い出
しましょう。
友から 友へ
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