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アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界
アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 新 井 光 吉 はじめに げている政策モデルとして国際的にも認知され 1 勤労福祉制度の起源と展開 つつあったからである。むろん、このようにカ ll 勤労福祉制度の実態 ナダやイギリスなどの諸国がウィスコンシン州 皿 全米の脱福祉就労動向 の福祉改革に追随する姿勢を見せている一方で、 IV 脱福祉世帯の現状 フランス、ドイツ、デンマークなどのヨーロッ むすび パ大陸諸国はアメリカ型勤労福祉制度 (workfare)を福祉国家に対する深刻な脅威と 受け止めているのである。 いずれにせよアメリカの勤労福祉制度は輝か はじめに しい成果を実証された政策として海外でも盛ん 溺れそうになった者が藁を掴もうとするかの に喧伝されている。というのも、オンタリオ州 ように、福祉費の膨張に悩まされている先進諸 などは勤労福祉制度を導入する根拠として海外 国は1990年代におけるアメリカの福祉改革実験 の目覚しい成功例を是非とも必要としていたか の餐に倣って厳格な勤労福祉制度の導入に向 らである。アメリカの勤労福祉制度は1980年代 かって動きつつあるように見える。 初頭頃までは福祉受給者が勤労によって給付相 例えば、カナダではオンタリオ州(ハリス州 当額を返済するという制度であったので福祉専 政権)がアメリカのウィスコンシン州脱福祉就 門家以外にはほとんど注目されなかったといわ 労プログラム(W−2)に倣って勤労福祉政策 れるが、クリントン大統領が1996年個人責任就 の名の下に福祉費削減、給付減額、登録抹消な 労機会調整法(PRWORA)に署名するに及ん どの広範なプログラムを導入した。イギリスで で福祉制度再編の重要な要素となったのである。 はJ・メイジャv・一・・保守党政権がこのハリス政権 その結果、福祉は戦後曖昧ながらも維持してき の改革実験に触発されて1996年秋に大胆な福祉 た「権利給付」としての地位を失い、求職・就 制度改革の一環として勤労福祉制度を試験的に 労プログラムと服務規律違反制裁を両輪とする 導入し、次のT・ブレア労働党政権も「ニュー 勤労福祉制度が受給者の脱福祉就労を強力に推 ディール」と呼ばれる脱福祉就労プログラムを 進することになった。確かにアメリカは福祉受 実施するに至ったのである。というのも、今や 給者が半減以上の大幅な縮小を見せるなど脱福 アメリカ流の勤労福祉制度は輝かしい成果を挙 祉政策の面では大きな成果を挙げてきたが、長 一一 @271 一一 経済学研究 第69巻第3・4合併号 期的就労や貧困脱却という政策面ではあまり成 代にかけての福祉改革論議の過程で民主党やリ 功を収めているとはいえなかった。 ベラル派からも容認されるようになった。1990 そこで、本稿はアメリカの勤労福祉制度が現 年に下院議長に就任した共和党のN・ギング 時点において福祉離脱者の就労や貧困脱却など リッチ議員はこうした政治的潮流を敏感に読み の課題にどれだけ対応してきたのか、また対応 取って福祉主義と勤労福祉主義を対置させ、前 できなかったとすれば、その理由は何かを明ら 者の原則や制度に対する徹底的な攻撃を開始し かにして行きたいと思う。そうすることによっ た。彼は1992年には「米国民との契約」を公約 て、アメリカがやや無軌道に進めている勤労福 に掲げ、福祉に代わる勤労福祉の導入を主張す 祉(脱福祉就労)政策に対する警鐘を鳴らすと るようになったのである。 同時に、主として財政的観点から自国への導入 この「米国民との契約」で提案された10法案 を目論んでいる他の先進諸国に対しても慎重な のうちの1つが福祉受給資格に2年の期限を設 考慮を促す手立てとなるかも知れないと考えて け、十代の母親や福祉母親に新たに産まれた子 いる。 供への給付を拒絶し、厳格な勤労要件に基づい て福祉計画の縮小と個人責任を促そうとする個 人責任法(PRA)であった。もちろん、クリン 1 勤労福祉制度の起源と展開 トン大統領も勤労要件、給付期限、親の責任重 視などの福祉改革パッケージを考慮しており、 [1]連邦の政策 共和党案は必ずしも印象から受けるほどには過 勤労福祉(workfare)は1960年代末のアメリ 激な内容のものとはいえなかったのである。 カで実施された福祉給付と交換に勤労を要求す このように民主・共和両党が共に福祉改革に るプログラムに起源を持っていた。1しかし勤 対して極めて過激で強硬な姿勢を示すように 労福祉が広く巷間に知れ渡るようになったのは なったので、勤労福祉政策は1996年の大統領選 レーガン政権発足直後のことであった。こうし 挙ではもはや大統領候補者を悩ますような二形 た経緯もあって勤労福祉という言葉は中身が甚 争点ではなくなっていた。実際、クリントンは だ曖昧であり、時と場所に応じて内容が大きく 1996年の年頭教書でアメリカの福祉制度は家族 変化しているといってよい。 や勤労の価値を却って蝕んできたと断罪した。 勤労福祉は初めは限られた試験的な福祉プロ 2両党はまた1980年代半ば以降、福祉改革問題 グラムとして開始されたが、やがて連邦の制度 に関して意見が一致したことを受けて、 「勤労 的な枠組みへと発展し、福祉主義(welfare)の 福祉合意」を形成することになったのである。 原則や制度の転換を主張する改革イデオロギー その結果、これ以降アメリカでは原理的にも実 の象徴となった。また勤労福祉はニューライト 践的にも福祉を擁護しようとする政治家がほと の重要なイデオロギーとしての地位を占めるよ 2 クリントンは期限、厳格な勤労要件、可能な限り 最も厳格な児童扶養強制などについて議会と合意し、 うになったばかりでなく、1980年代から1990年 また人々を福祉から就労に向かわせる超党派的福祉 改革を提出するよう議会に促しており、通過すれば 直ちにそれに署名する積もりだとも述べた(lbid., 1 J. PecK Workfare States, 2001.p.84. p.88)o 一一 @272 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 んど存在しなくなったといわれる。保守派もり たWINの手法はその後の勤労福祉論議において、 ベラル派も解決すべき課題は貧困ではなく福祉 リベラル派の多くが支持するサービス偏重の の終焉であると考えるようになった。というの 「人的資源重視」手法に対して「労働力化偏 も、福祉制度によって作り出された道徳的退廃 重」、乃至「勤労最優先」手法として知られる や勤労修練不足などの個人的行動の機能障害を ようになったのである。 矯正することこそが重要であると看倣されたか WINは給費職業訓練公開実験(SWD)や地域 勤労経験プログラム(CWEP)などの実験的な らである。 むろん、1996年PRWORA以前にも、州レベ 勤労プログラムを発足させ、福祉政策における ルでは福祉改革実験が連邦福祉規則の免除措置 勤労重視の姿勢を育むことになった。しかも、 に基づいて地方分権的に実施されていた。その こうした実験結果を監視・普及させるために外 過程で勤労福祉の構想やモデルがカリフォルニ 部評価機関として人的資源公開実験調査会社 ア州やウィスコンシン州などにおける地方的実 (Manpower Demonstration Research Corporation, 験から脱却して他所でも移植可能な普遍的な制 MDRC)が1974年に設けられた。もちろん、こ 度へと発展させられていったのである。なお、 れら初期の勤労福祉実験の結果は様々であった 勤労福祉という言葉の用例は1968年の公民権指 が、福祉改革に対してかなりのインパクトを与 導者J・C・エバースによるものにまで遡れる えた。例えば、カリフォルニア州ではR・レー が、連邦福祉改革という背景の中で使ったのは ガン州知事が福祉受給者を低級で不熟練の地域 ニクソン大統領を以って鳴矢とされている(家 奉仕職種に交代で就労させる制度を導入し、 族援護計画、FAP)。3 1980年忌に隆盛となる勤労福祉プログラムの先 しかも、この家族援護計画(FAP)案に対し 駆者となったのである。 てH・タルマッジ上院議員(ジョージア州選出 レーガンは大統領に就任すると、1981年包括 民主党)が既存の勤労奨励計画(WIN、1967年 予算調整法(OBRA)を成立させて「福祉に対 設置、1969年実施)の勤労要件を厳格化する修 する戦争」を宣言した。1981年OBRAはAFDC 正案を提出して1971年に議会を通過させ、その (要扶養児童家庭扶助)の受給資格を大幅に制 後30年間にわったてひたすら強化される勤労福 限して福祉支出を削減し、州が脱福祉就労プロ 祉主義の推進力となったのである。このタル グラムを導入する大きな誘引を与えた。これら マッジ修正は学齢児を抱えた福祉母親に対して の改革は景気後退の最中に導入されたにもかか も就労を要求し、教育・訓練サービスよりもむ わらず、約50万世帯を福祉受給者名簿から削除 しろ迅速な就職斡旋を重視していた。4こうし し、1970年代半ば以降に棚上げされてきた勤労 3 彼が福祉改革を提案した際に福祉から「勤労福 福祉政策を復活させることになった。というの 祉」への転換を唱えた(lbid.,p.90)。 4 J.T.patterson, Ameriba’s struggle against Poverty 1900− 1980, Second printing 1982,pp.174−176. R.K.Weaver, En4ing Welfare as We im lt, 2000,p.56. E.D. Berkowitz, America’s rVelfare Stateノ熟Om Roosevelt to Retrgan,pp.122−123,127−128,133. B.D.Call, Safety Net Welfare and Secial Security 1929−1979,pp.243−255,265− 266,271. も、同法は福祉受給者に低賃金労働への就労を 強制し、州が強制的勤労福祉プログラムを拡大 することを可能にしたからである。レーガンは 福祉の制限と削減、地方への権限委譲などの保 守主義的な福祉政策を追求したが、その主要な 一 273 一 経済学研究 第69巻第3・4合併号 遺産は勤労福祉プログラムの拡充であったと 全に無視された。 いってよい。例えば、22州が1985年までに強制 しかも続々と公表されるMDRCの詳細な分析 的勤労福祉プログラムを導入したが、それらの が勤労福祉に対する肯定的な評価を定着させる 大部分は地方的な公開実験であり、州全域にわ ようになった。議会はもはや勤労福祉の是非を たるものは僅か7州にすぎなかった。このよう めぐってではなく、勤労福祉法案の内容をどう な限界を持ちながらも、1981年OBRAは州や地 するかをめぐって議論するようになった。その 方が強制的勤労福祉を分権的に実施する素地を 結果、FSAは福祉と勤労を不可逆的なものとし 作る上で大きく貢献したといってよい。5 て結びつけることになったのである。6 レーガンは1986年の年頭教書でも依存を助長 しかしながらFSAに対する超党派的支持は保 する福祉プログラムを激しく非難し、最低限の 守派の労働力化重視手法とリベラル派のサービ 救済を必要としている貧困者のみを保護すると ス重視手法との微妙な妥協の上に形成されてい 宣言した。とはいえ、民主党支配下の議会が た。そのためにFSAは容赦のない勤労要件強制 レーガン提案をすんなり受け入れるとは考えら と教育・訓練・保育サービスの提供という両者の れなかったが、福祉をめぐる雰囲気が根本的に 要素を併存させることになったのである。また 変化し、強制的勤労福祉に対するコンセンサス JOBS(Job Opportunities and Basic Skills program, も形成されるに至ったために、1988年家族援護 雇用機会基本技能プログラム)は制度設計の細 法(Family Support Act,FSA)として結実したの 目について一定の裁量を認められた州によって である。特にMDRCの評価報告は従来懐疑的で 運営されることになった。7だが、JOBSは福祉 あった民主党議員の多くに強制的勤労要件の有 受給者を減少させることができず、むしろ増加 用性を納得させる上で非常に効果的であったと させる傾向を示して完全に立案者の期待を裏切 いわれる。 る結果となった。 しかし、福祉改革の成果は実は必ずしも深刻 マサチュセッツ州勤労福祉プログラム(Employment な福祉問題を抱えていた州や地方で達成されて and Training Choices program, ETC,雇用訓練選 いたわけではなかったのである。福祉依存や貧 択プログラム)は福祉受給者の減少という点で 困の問題はその多くが大都市スラム街で生じて は成果を挙げていたが、それは単に三州の労働 いたにもかかわらず、勤労福祉の実験はそれと 市場が逼迫していたという恩恵を蒙っているに 全く無関係な地域で実施される傾向が強かった。 すぎないと絶えず懐疑の目で見られていた。し 実験の大部分はウィスコンシンやミネソタなど かも膨大なMDRCのJOBS評価報告が公表され の農村州、小さな町や市、郊外地域、カリフォ る前に、1990年代初頭の景気後退に伴う福祉受 ルニアのリバーサイド郡などがその典型的な地 域となったのである。だが、この成果と問題の 地域的不整合は勤労福祉の擁護二丁によって完 5 Peck, op.ci’りp.91. M.Gilens,陥y A〃terio伽s伽陀 Welfare,1999,pp.181−182. M.Meeropol, Surrender, 1998,pp.86−88. 6 Peck, op.cit.,p.96. Berkowitz, oP.cit.,pp.145−147. Gilens, op.cit.,pp.182−183. Weaver,oP.ct’t.,pp.70−78. 7 Weaver,の6ゴ’.,p.102. JOBSは1995年までに福祉受給 者の20%を勤労福祉プログラムに従事させることし か州に要求していなかったので、州や地方は」OBSの 枠組み内で懲罰的、強制的、あるいは自発的なプロ グラムなど広範で多様な政策を追及することができ た(Peck, op.cε’.,p.97)。 一 274 一一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 る。9 唖者の激増と1992の年大統領選挙を契機に、反 そのため彼の改革プランは勤労福祉プログラ 福祉の気運と新たな改革への圧力が一層強まっ たのである。 ムの普及促進、若干の訓練サービス追加、服務 ところで、民主党の大統領候補ビル・クリン 規律違反に対する厳格な制裁、及び期限付き受 トンは州知事時代に先ずアーカンソー一 WORK 給資格などの要素からなっていたのである。特 プログラムを通じ、また後には全国知事会 に2年の給付期限条項は1993年目1994年におけ (NGA)福祉改革特別諮問委員会の委員長と る福祉改革案の作成過程でクリントン政権が最 して州レベルでの福祉改革に積極的な役割を果 も固執した点の1つであったといわれる。とい たしてきた。一方、現職のブッシュ大統領も再 うのも、それのみが「現行福祉の終焉」や公的 選を意識して1992年の年頭教書で福祉問題を取 扶助の新しい規律の確立、という彼の公約を守 り上げ、福祉規則の適用免除を州にスムーズに る根拠になっていたからである。確かにこの給 認める方針を明らかにした。ブッシュが既存の 付期限重視戦略はアナウンス効果としては満点 州改革を単に追認しただけなのとは対照的に、 であったが、クリントン政権は「福祉の終焉」 クリントンは「現行福祉を終焉させる」という というレトリックの虜となり、州のラディカル 大胆な提案によって政治的な優位を獲得した。 な改革を促して福祉受給者に対する苛酷な対応 しかも彼は福祉プログラム、特にFSAに対する を助長せざるを得なくなったのである。 国民の幻滅を巧みに利用した。ブッシュの福祉 特に共和党が1994年の選挙で議会両院を支配 改革戦略は再選失敗で頓挫したが、規則免除の 下に置くために「米国民との契約」を掲げてラ 累積的な効果はその後に重要な役割を果たすこ ディカルな福祉改革を巧みに選挙運動に利用し とになったのである。8 たことも、クリントン政権が福祉改革における クリントンの福祉や福祉改革に対する姿勢は 指導権を失う大きな要因となった。 「米国民と やや複雑ではあるが、本質的には勤労福祉主義 の契約」はクリントンが反福祉・親勤労福祉の の信奉者であったといってよい。しかし政権に レトリックを弄んでいることを利用して、限定 就くと、クリントンは選挙公約にもかかわらず、 的「権利給付」であるAFDCを廃止に追い込む 医療保険改革を優先するために福祉改革を先送 個人責任法を成立させて現行福祉の終焉を実現 りにし、この問題でリーダーシップを執る好機 してやろうと目論んでいたのである。 をみすみす逃すことになったのである。という 個人責任法案は支出上限や給付期限を設け、 のも、クリントンはレーガンやブッシュと同様 18歳以下の母親や市民権のない者への給付を禁 に当初から州レベルでの改革に期待をかけてお じ、福祉受給者の迅速な就労のために脱福祉就 り、その実験を促すことに固執していたからであ 労プログラムを拡充し、勤労参加要件などを課 していたが、ほかの点ではプログラムへの連邦 8 Weaver, oP.cit.,pp.131−133. Peck, oP.cit,,p.99. 9 C.Compbe11 and B.Rockman, 71ie Clinton Leegtzcy, の介入を排除する内容となっていた。こうして 2000,p.215.なお、州の規則免除申請の主要承認基準 共和党はFSA通過以降の政治的右傾化の潮流を は評価枠組みの整備と費用中立性であったが、これ らの基準は福祉改革プロセスにおける多くの歪みを 利用して反福祉・親勤労福祉の主張を福祉改革 生み出したといわれる(Peck,⑫鷹,pp.100−102)。 における主流的立場に据えることに成功したの 一一一 @275 一一 経済学研究 第69巻第3・4合併号 である。皮肉なことに1988年FSAは勤労参加を り返そうとでもするかのように州の実験を促そ 1995年までは完全には実施しないと規定してい うとしたのである。11 たのだが、その間に規則免除の円滑化、1992年 だが、上下両院は1996年7.月に福祉「権利給 のクリントンの大統領選挙運動、及び「米国民と 付」の廃止と州への一括補助金交付などの内容 の契約」などの新たな要素が加わった結果とし からなる福祉改革法案を再び通過させ、その成 て福祉改革の方向が大きく変化したのである。lo 否の判断を大統領に迫った。クリントンは三度 共和党の福祉改革案は州に対する大胆な権限 目の拒否権を行使するリスクを敢て冒すべきか 委譲を特徴としていたが、大きな矛盾も抱えて 否かを思案した後に、 「現行福祉を終焉させ いた。というのも、勤労プログラムの内容(例 る」というレトリックを弄んだツケを払うとい えば福祉離脱者に公的資金に基づく雇用を保証 う決断を行った。こうして民主党大会を目前に 等)次第では大きな財政負担を招くことになる した1996年8,月に彼は法案に署名し大統領選挙 ので、魅力的に見える勤労福祉政策も潜在的な での勝利を確実なものにしたのである。12 高コスト要因を秘めていたからである。そこで、 思えば、地方分権的な勤労福祉の導入に強く 下院共和党は給付に伴う勤労要件、福祉権限の 固執したレーガン大統領でさえも権利給付の原 州への委譲、私生児への扶助停止、福祉の臨時 則については敢えて異議を挟もうとはしなかっ プログラム化、限定的「権利給付」としての福 た。だが、その16年後にクリントンがこの原則 祉の終焉、慈善や民間団体等の活用、などから を遵守しようとしても最早政治的に不可能と なる福祉改革案を提案したのである。 なっていた。1996年個人責任就労機会法は改革 これに対してクリントンは1995年中に上下両 の勢いがクリントン政権の目指していた比較的 院を通過した福祉改革:法案に2度の拒否権を行 穏やかな勤労福祉制度という枠組みを大きく超 使した。2度目の拒否権を発動した時にクリン えるに至ったことを示していた。クリントンが トンは福祉改革法案が貧弱な就労支援策しか盛 福祉その他の問題に関して共和党のアイデアを り込んでおらず、貧民を福祉から離脱させ就労 模倣したため「米国民との契約」の主要項目が事 させる上で効果が小さすぎるといって弁明した。 実上政策的な主流の地位を占めるようになり、 こうして福祉改革は1996年大統領選挙でも重要 リベラル派の反対や福祉擁護運動の力を消沈さ な役割を果たすことになるが、実際の福祉改革 せてしまったのである。勤労福祉制度はアメリ は既に州レベルでかなりの程度まで進展してい カの貧困の構造的要因に対処するのではなく、 た。知事が反福祉政策に熱心であったカリフォ ルニア、ウィスコンシン、マサチュセッツなど 11 S.F.Schram and S.H.Beer eds.,Welfare Reform:ARace の諸州は社会保障法第1115節の規則免除に基づ 会(NGA)も1996年2月に大統領に拒否された下院法案 き福祉改革実験に相次いで乗り出した。クリン 第4号を手本にクリントンの主張も採り入れた独自 の福祉改革案を発表して福祉改革の進展に重要な影 トンも福祉改革の指導権を執り損ねた失点を取 ホ。伽βo%oη¢P,1998,p.201. Peck, op.cit., p.113.全国知事 響を与えた。(lbid., p.115)。 12 S.F.Svhram, 、伽 Welfare’ ne Culture of Postindustrial Social R)liay,2000,pp.5,19. Peck, oP.cit., 10 Peck, oP. cit.,p.104. Campbell, op.cit.,pp.203−204. pp.116−117.ワシントンポスト紙は社説で同法案を極 C.Noble, vaelfare As We hnotv lt A Political Histo7 y of the 端に厳格な鞭と極端に少ない援護を提供する過酷な American Welfare State,1997,pp.124−128. 法律と呼び、大統領の拒否権発動を訴えた。 一 276 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 また貧困を減らすという確証もなかったが、四 この就労を重視したリバーサイド・プログラ 半世紀以上にわたって徐々に強化されてきた勤 ムが全国的に有名になったきっかけはMDRCに 労福祉レトリックの累積的な影響が「福祉終焉」 よる高い評価の結果であった。MDRCは3年間 の受容を無理のないもののように思わせたので にわたり実験(プログラム参加)グループと非 ある。13 実験(プログラム不参加)グループを追跡調査 した後、同プログラムが非実験グループと比べ [2]カリフォルニア州のリバーサイド・プログ て実験グループの福祉支出を平均で1,983ドル (即ち15%)削減する一方で、実験グループの ラム 平均収入を3,113ドル(即ち49%)増加させた リバーサイド・プログラムはR・レーガンに と発表したのである。政策立案者達が特に注目 よって構想されながらも実行には至らなかった したのはリバーサイド・プログラムに投資され 実質本位の勤労福祉制度であった。リバーサイ た公的資金1ドルにつき福祉費用2.84ドルの削 ド郡のプログラムは求職活動の強制、勤労最優 減と税収の増加という形での見返りがあった点 先、高い脱福祉就労率などから全米勤労福祉実 である。こうしてリバーサイドの成果はアメリ 験における最先端の位置を占めるに至った。リ カで最も素晴らしい脱福祉就労プログラムとし バ・一一・・一サイド郡福祉局は1990年代初頭に、第三者 ての評判を獲得した。そして連邦や州の政治家 評価機関がそのカリフォルニア州GAIN 達はリバーサイド・モデルを勤労福祉がうまく (Greater Avenues to lndependence,自活への大 機能することを実証した証拠と考えるように 道、1987年実施)プログラムの修正版に対して 「異例の福祉費節約やプログラム終了後の就労 なったのである。15 リバーサード郡は伝統的な手法(地域奉仕や を実現している」と高い評価を下したために、 公的雇用への参加強制)とは異なって、どんな 全国的な注目を集めることになった。MDRCが 低賃金や悪条件の下であっても迅速に民間労働 GAINプログラムに対する評価分析で研究対象 市場への参入を効果的に強制できる勤労福祉制 とした6郡のうちの1つであるリバーサイド郡 度を導入した。即ち、制裁をちらっかせながら は福祉受給者をどんな職種であろうとも可能な 就労を強制して福祉受給者を最小にするという 限り早期に民間雇用に就労させることに重点を 制度であった。しかもリバーサイド郡は福祉受 置いていた。この勤労最優先(work first)手法は 給者に対する教育・訓練を最小限に削減して比 カリフォルニア州の残りの58郡が擁護したサー 較的低い単位コストを実現したのである。 ビス重視手法とは対照的に、福祉離脱から就労 MDRCの研究対象6郡を通じて、 GAINプログ への移行を促す上で基礎教育や職業訓練サービ 15 Peck, oP.cit., p.170. MDRC, Evaluating Two Years スなどの役割を甚だ軽視したのである。14 晩伽¢一云0一陥陀P猶q脚〃2・4PProa‘hes:伽0一}「e〃1ゼ履㎎・ on義宛βLaber Force・4伽勧昭η’a”4魚〃嫌C妙吻1 ・DevelO伽藍P7りgrams伽 Three Sites,1997. 13 foid.,pp.118,120−121. 14 乃鼠,p.169. Weaver, Op.cit.,pp.158−159.J.Riccio and b1t!lz1(L!!oe1)!c:lus!g,grg(11gtp・//www・mdc・org/Rep1.rt−s/JOBS2approaches/JOBS2 Y.hansenfeld, “Enforcing a Participation Mandate in a patproachesWxsu−m.h.tml Legislative Welfare−to−Work Program,” Secial Secterity Review Gain Prograin, January 1995. (December 1996),pp.518−520. http://www.lao.ca.gov/cgss3.html 一一 @277 一一 Ana1yst’s Orace, 経済学研究 第69巻第3・4合併号 ラムの実験単位当たり純コストはリバーサイド なくなったのである。17 の最低1,597ドルからアラメダ(オークラン さて、カリフォルニア州は1995年に強制的求 ド)やロサンゼルスの最高5,789ドルまでの範 職活動優先、職業クラブや求職活動への長期間 囲に及び、平均では3,422ドルであった。なお、 従事、最貧困者向け給付優先の撤回などリバー 後者の2地域はリバーサイド郡よりも社会経済 サイド・プログラムの要素を多く導入した法律 的に不利な地位にある人口を抱えており、教育 を制定した。こうしてLFA重視のGAINプログ や訓練により多くの投資をせざるを得ないとい ラムの下で、福祉受給者は地域労働市場の隙間 う事情を抱えていた。16 へと駆り立てられることになったのである。も しかもリバーサイド・プログラムは福祉が臨 ちろん、このリバーサイド型プログラムの成否 時的なもの(期限付福祉)である点を徹底させ、 は短期的には低賃金職種を生み出す地域労働市 参加者に迅速な就労への動機付けを行った。そ 場の吸収能力に依存していた。しかし、アメリ の結果、同プログラムは参加者の福祉離脱を促 カ福祉制度のリバーサイド化は底辺労働力の供 したが、就労した者の賃金を必ずしも上昇させ 給を増加させ、賃金の低下、職の不安定化、労 なかった。これとは対照的にアラメダ郡はリ 働条件の悪化などを招く恐れがあったといって バーサイド郡よりも遥かにコストの高いプログ よい。18 ラム(就労支援サービス重視)を実施して、参 このリバーサイド型プログラムの優位はアメ 加者がより高い賃金職種に就けるように援助す リカの長い勤労福祉政策論争における分水嶺と ることに成功していたといわれる。因みにリ なり、マサチュセッツ州の雇用訓練選択 バーサイド型の労働力化重視(LFA)プログラ (ETC)のような柔軟で就労サービスを重視し ムと教育・訓練重視の人的資本開発(HCD) た勤労福祉プログラムを葬り去ることになった。 プmグラムが並行して実験されたミシガン州の リバーサイド型プログラムの優位に軍配を挙げ 評価研究でも同様に、この2つのグループが同 たのはMDRCの評価であった。 GAINに対する じ就労率を達成した一方で、LFAグループは労 調査研究評価は低コストで高い成果を挙げてい 働時間数が少なく収入も低いという結果を示し たリバーサイド・プログラムと比較してロサン ていた。しかしながらHCDプログラムは短期 ゼルスやアラメダのHCD手法(いずれも最も コスト計算の観点からはLFAプログラムよりも 扱いにくい長期受給者が集中し資金不足の大都 運営費が割高であるという欠点を内包していた。 市プログラム)に低い評価を下した。この評価 このためコスト削減圧力が強まるに伴ってロサ は勤労福祉を懲罰的なプログラムに再編成する ンゼルスやアラメダその他多くの郡はリバーサ 機会を与え、脱福祉就労プログラムの基準を定 イド型に転換し、HCD戦略を放棄せざるを得 めることになったといわれる。しかしながら MDRCの評価も、リバーサイド・プログラムが 16Peck, op.cit.,p.173.なお、リバーサイド郡は就労支 援サービスを最低に抑制して絶えずコスト引下げ圧 力を掛けていたが、カリフォルニア州8大郡の中で も制裁前の調停手続きの利用率がかなり高く、規律 福祉受給者の収入能力を変化させておらず、プ 17 lbid.,p.186. 181bid.,pp.188−189.これは当時のリバーサイド郡社会 違反に対する制裁率も最も高かったといわれる 福祉局長L・タウンゼンドを長とするGAiN特別調査委 (lbid.,P.175) 員会勧告に基づく法案である(IOid.,p.188)。 一一 @278 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 ログラムによって多くの人々が早期に職を得た の求職者(意欲と熟練度の高い者)を地域の就労 ものの、一般に良い職ではなく貧困から抜け出 待機組の最前列に押し出しただけであったとい すこともほとんどできていない点を認めていた。 われる。19 リバーサイド型モデルは全米のみならず海外 しかもカリフォルニア州は歴史的に郡政府が の福祉行政においても確固たる地位を占めるよ 給付のみならずプログラムの設計・実施・改変 うになっている。例えば、ミシガン、ニュー などにおいて重要な役割を果たす地方分権的な ジャージー、ジョージア、テキサス、ノースカ 福祉制度を採用してきた。またリバーサイド・ ロライナ、ミシシッピ、オレゴン、メリーラン プログラムは福祉擁護や反貧困政策の伝統がほ ドなどの州が勤労最優先や労働力化重視の手法 とんどなく、不労貧民に対する一般住民の共感 を導入している。PRWORAの通過前でも連邦 も希薄であったこの保守的な郊外居住地区にお や多くの州は福祉から脱却する優先的方法とし ける社会的政治的気質にも合致していた。それ て短期的な求職活動援助の方向へと転換し、 はまさに厳格な勤労福祉を実施するに相応しい MDRCも一貫してLFA手法を推奨していた。こ 場所であったといってよいのである。 のように勤労最優先は福祉改革における最善な だが、このLFA手法はカリフォルニアの近郊 方法の1つとして支持され、福祉行政において 都市では歓迎されても、北部や東部の大都市で も広範に実践されており、今や問題はなぜ勤労 はあまり上手く導入できなかった。というのも、 最優先を実施するのかではなく、どのように行 これらの大都市は中心部における職の不足や福 うのかということになっていたのである。 祉ニーズの高さなどの理由からHCDに依存す こうしてHCDプログラムが急速に信頼を る傾向が強かったからである。もしも勤労最優 失ったので、他の州もリバーサイド・モデルの 先プログラムを大都市で導入すれば、大きな社 方法や哲学を受容するようになった。だが、そ 会的混乱を招くかも知れなかった。そうした中 の良く出来たコピーでさえも福祉受給者を大幅 でボルティモアやロサンゼルスなどの大都市は に削減することは必ずしも容易ではなかった。 導入への方向に動いているが、市当局はそうし もちろん、リバーサイド・モデルは他の地域で たリスクを冒すことになりはしないかと懸念し はさほど目覚しい成果を挙げられない多くの理 てきた。しかしながらPRWORAは大都市でも 由を持っていた。つまり、その成否はかなりの 勤労最優先プログラムを導入せざるを得ないよ 程度まで特定の地方的な条件に基づいていたと うな環境を作り出しているのである。GAINは いってよい。というのも、GAIN登録者の多くは 僅かで不確かな業績しか挙げていなかったが、 地域労働市場の沈滞に伴って安定した雇用を 過大評価を受けて連邦の福祉政策に大きな影響 失った失業者であったので、リバーサイド・プロ を及ぼしているといってよい。20 グラムは一時的な雇用変動を利用して目覚しい しかもリバーサイド・プログラムは福祉離脱 成果を挙げたにすぎなかったからである。要す るにリバーサイド・モデルは初期の景気後退に 19弼4.,p.200.そうした欠陥は労働市場が堅調ではな く、貧困や人種差別主義や官僚主義的な行政などの 伴って失業した最も就職の容易な者の再雇用を 扱いにくい社会的政治的問題を抱えていた大都市で 単に早めたにすぎず、最近に解雇されたばかり 一 279 一一 最も顕著に現れたといってよい(伽4.,pp.196−198)。 経済学研究 第69巻第3・4合調号 者を就労させながらも貧困からは脱却させられ 全米で最も進歩的な部類に属していた。しかし なかった。実際、同プログラムは実験グループ 1990年代初頭に共和党知事ウィリアム・ウェル の月収を非実験グループのそれよりも僅か52ド ドが選出されると、連邦政治における反福祉主 ルしか改善しなかったのである。しかも実験グ 義の台頭と符節を合わせたように状況が一変し ループの2/3は参加3年目の面接時点では就労 始めた。ウェルドは過去の州福祉政策を徹底的 しておらず、約半分が3年間を通して全く就労 に批判し、同州を全米福祉改革運動の最前線に していなかった。もしも目標が福祉依存対策よ 据えるような一連の手段を講じたのである。22 りもむしろ貧困の終焉にあるとするのならば、 マサチュセッツ州は給付削減、就労を促す所 リバーサイドは何ら解決策を見出していなかっ 得控除インセンティブ、強制的な社会奉仕従事、 たといってよい。 就労強制、詐欺行為防止強化、福祉母親の出産 リバーサイド・モデルの最大の欠陥は福祉受 した私生児への給付禁止、子供の学校無断欠席 給者がよい職に就けず、貧困からも脱却できな や罹病予防を放置した場合の給付削減、福祉受 かった点にある。特に大規模なLFAプログラム 給者を採用する使用者への補助・税制上の優遇 がアメリカの大都市に与える影響も不確かなま 措置、父親の扶養責任強化、十代の親や高校卒 まに、その導入を促そうとするのは明らかに危 業無資格者への給付拒絶など、PRWORAの成 険な試みであった。21むろん、1990年代後半の 立直前における最も野心的な手段の多くを含ん 労働市場の活況がこの試みのスムーズな受容に だ福祉改革パッケージを実施した。同点は1980 大きく寄与していたので、不況期にも上手く機 年忌における任意就労サービス重視プログラム 能するかどうかは大いに疑問であったといえる。 の先駆者としての地位を放棄し、1990年代には 就労最優先政策の追随者となったのである。23 [3]マサチュセッツ州における改革の挫折と転 ところで、ニクソンが残した福祉改革の重要 換 な遺産は1970年代初頭におけるWIN(勤労奨励 策)の復活であった。24小規模な地方政府が必 マサチュセッツはニューディールから現代に 要最低限のものだけに限定した「厳格な勤労福 至る期間の大部分にわたりリベラルな社会的価 祉」プログラムを実施したが、大部分が早々に 値観や比較的寛大な福祉受給権を守ってきた州 運営上の問題から苦境に陥った。その後ニュー とされている。そのため高州の社会福祉制度は ヨーク、ニュージャージー、コネティカット、 マサチュセッツなど伝統的に福祉重視の北部諸 201bid.,p.201.リバーサイド型プログラムの導入は PRWORAを正当化し、 LFAの優位を強め、レーガンが 州もこれに追随するに至ったが、当時はユタ、 目論んだよう勤労福祉制度を定着させている (砺4.,P.204)。なお、大都市圏ロサンゼルス郡で1995 22 乃id,,p.130. Commonwealth of Massachusetts 年1月に実施された就労最優先GAIN(厳格な雇用重 視強制脱福祉就労プログラム)はPRWORAの哲学と 目標を先取りしていたが、その詳しい実態について Executive O伍ce of Health and Human Services はMDRC,77te Los.Atrgeles lobs一・First GAII>Evaluation’ amendment,April 2000,pp.4−6. Final RePort on a Work First Program in a Mal’or Urban 23 Peck, op.cit.,p.133. Schram and Beer,ρか。隔りp.199, Dpartment of Transitional Assistance, State Plan for TemPorary AssiStance fcr Needy Families(z闘 Center,June 2000を参照。 24 Patterson, oP.cit.,pp.193m194. Berkowitz, 21 Peck, op.cit.,p.204. ψ.6髭りpp.132−133. 一一 @280 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 テキサス、ノースカロライナなどの州が福祉改 導入された。キング知事は福祉受給者に就労を 革の最前線に立っていた。マサチュセッツ州も 求め、違反すれば即座に給付打切りの制裁を行 1975年に一般扶助(GA)名簿から労働可能者 うという厳しいプログラム(勤労訓練計画、 全員を削除し、ユタ州と同様の厳格で強制的な WTP)を実施した。しかもWTPを運営する上 勤労福祉プログラムの導入を図った。だが、同 級管理者は実質本位の勤労福祉実験に関して長 州はユタ州とは異なって数多くの福祉受給者を い伝統を持っていたカリフォルニア州から採用 抱えており、1978年には福祉費や受給者比率に されたのである。だが、WTPは最初から挫折 おいて全米でも最高ランクを占めていた。また を運命づけられていた。キング知事が勤労福祉 同州は福祉受給権の擁護に関しても根強い伝統 に対する政権内の混乱から1982年の選挙で敗北 を持っていたのである。 してしまったからである。後継のデュカキス政 しかし福祉改革:は州レベルの実験のみではな 府は「貧困からの脱却」を旗印にして反WTP く、連邦の福祉規則修正によっても促進される 連合との密接な協力関係を築き、改革のための ことになった。例えば、1981年OBRA(包括予 特別委員会を設置した。州政府はその答申を受 算調整法)は州が福祉改革を前進させる手段と けて制裁に基づく就労強制を止め、就労支援 して新しい地域公開実験プロジェクトの実施を サービスを重視したプログラムを採用した。こ 奨励した。250BRAは勤労福祉の実施に必要な の柔軟な勤労福祉プログラムは雇用訓練選択 権限を州に与え、地方政府が勤労、訓練、地域 (Employment and Training Choices,ETC)計画と 奉仕などの要件を導入して福祉改革を進めるこ 呼ばれ、1983年から実施に移されたのである。26 とを可能にしたのである。むろん、これらのプ ETCは任意プログラムであり、、強制参加原則 ログラムは僅かな成果しか挙げられなかったが、 に基づくカリフォルニア型勤労福祉実験とはそ 1980年代に勤労福祉実験を地方レベルで劇的に の哲学を異にしていた。とはいえ、デュカキス 増加させ、AFDCプログラムの改革を迫ること は1970年忌には福祉に対して厳しい姿勢で臨ん になったといってよい。 でいたので、ETCプログラムは同州における過 OBRAは代替的な政策やプログラムに基づく 去の親福祉的政策の遺産を反映していたといっ 無数の実験を誘発したので、たとえ個々の実験 てよい。ETCの実績は当初かなり有望なもので、 の多くが失敗に終わっても、その累積的影響は 計画開始後18カ月間に労働市場の逼迫を背景と 州政府に対する強い改革圧力となって行った。 して1.5万人が有給雇用に就き、福祉受給者を こうしてOBRAはその後の福祉改革をめぐる政 8千人も減少させたのである。 治の方向を決定的に左右することになったので だが、このプログラムは訓練や就労サービス ある。 を重視していたので費用が嵩み、職業紹介1件 マサチュセッツ州の勤労福祉制度はデュカキ 当たり当初は3,000ドル、後には5,000ドルもの ス州知事が1978年の知事選挙で民主党保守派の コストを必要とした。多くの福祉離脱者は急拡 エドワード・J・キングに敗北した結果として 大した労働市場によって吸収されたが、そのほ 25 Peck, op.cit.,p.134. 26 lbid.,p.135. 一 281 一 経済学研究 第69巻第3・4合併号 とんどが低賃金職種であった。しかも1980年代 かった。もちろん、ETCは柔軟な勤労福祉プロ 半ばに子供2人を抱えながら福祉を離脱した母 グラムがうまく機能するというニュー・デモク 親は時給5ドルで就労すれば現金所得を2倍に ラットの信念を強化したが、他の多くのOBRA 増やせるだろうが、それと引き換えに医療扶助 公開実験とは違ってMDRCの科学的な研究評価 その他の給付を失うことになった。これらの損 を欠いていたので、依然として懐疑的な目で見 失を考慮すると、この母親はもしも保育サービ る議員達が多かったのである。 スを週25ドル未満で受けられなければ、就労す 家族援護法案(FSA)をめぐる論争の過程で ることによって却って生活を悪化させることに MDRCの評価報告が政治的な意味を持ち始め、 なった。それゆえ柔軟な勤労福祉プログラムは JOBSプログラムは最終的に支援サービスの発 決してうまく行っていたとはいえなかったので 展を可能にする柔軟性を残しながらも、任意主 ある。27 義を否定するに至った。というのも、議会は保 多くのOBRA公開実験群の中で、 ETCプログ 守派が支援サービス規定に反対せず、リベラル ラムはりベラル寄りの新しい勤労福祉計画で 派も強制原則を容認するという政治的な取引を あった。この勤労福祉計画は単に働いて給付相 行ったからである。もちろん、JOBSは実際に 当額を弁済することを受給者に求めるのではな は州の運用手続きが法的効果を和らげることに く、制裁と支援サービスを組み合わせて受給者 なり、FSAの規定が示唆するほどには強制的に の就労を促すという点に特徴があり、勤労福祉 施行された訳ではなかったが、任意主義やサー の擁護者を満足させるという利点もあった。例 ビス重視から決別しようとする動きが徐々に加 えば、求職活動に重点が置かれたので、経費が 速することになったのである。 従来の地域奉仕活動重視のプログラムよりも少 というのも、福祉受給者が労働市場の悪化に なかったし、プログラムも参加者が自らの努力 よって増加したので、失敗に瀕していながら費 によって貧困から離脱する新しい機会を提供す 用の嵩むサービス重視のJOBSプログラムに対 るものとして提示できた。1980年代半ばにはリ する政治的な反感が高まったからである。それ ベラル派も勤労福祉の原則を支持するか否かで までETCプログラムは受給者の減少を成功の論 はなくて、いずれの勤労福祉手法を選択するの 拠としてきたので、その増加によって信用を失 かという地点にまで追い詰められていたのであ 墜させることになった。またその間にもMDRC る。 がリバーサイド型プログラムを称揚する評価報 特に右派は経費節約的な勤労福祉の優位を主 告を公表し始めた。しかも民主党は強制的勤労 張し、MDRCの評価報告も暗黙のうちに厳格で 福祉原則を容認した後に、党の指導権が北東部 サービス軽視の勤労福祉制度を支持していた。 の伝統的リベラル派から南部の保守的ニュー・ しかもマサチュセッツ州の勤労福祉プログラム デモクラットに移り始めたのである。 は州内の活発な労働市場に大きく依存していた こうしてETCプログラムの理念はクリントン ので、必ずしも他の州でも成功するとは限らな 政権が発足する頃にはマサチュセッツ州でも死 滅していた。1991年の知事選が右傾化を示す一 27 IZ)id.,p.139. 方で、ETCに対する信頼感も州内経済の悪化に 一 282 一一一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 伴う受給者数激増によって損なわれた。新知事 行った。特に1990年代に福祉規則の免除が寛大 W・ウェルドは早々に強制的勤労制度を導入し、 化されると、同州は最も厳格な福祉改革パッ 公共福祉省(DPW)を過渡期扶助省(DTA) ケージを打ち出し、反福祉政策を先導する役割 と改称する改革を行った。彼の福祉改革プログ を担うに至ったのである。 ラムは就学福祉(learnfare,ウィスコンシン州) や家族成員数制限(ニュージャージー州)のよ 皿 勤労福祉制度の実態 うな政策手段を他州から借用しながら独自性と 革新性を付加したものであった。こうして皮肉 [1]勤労家族への影響 なことにマサチュセッツ州は1980年代にはりベ ラルな福祉改革運動で大きな役割を果たしたが、 (D 脱福祉後の生活 1990年忌には厳格で保守的な改革運動の先導者 アメリカの福祉受給者は対人口比で1994年∼ となったのである。特に1995年2月に州議会を 2000年6月に5.5%から2.1%へと大幅に減少し 通過した包括的な改革パッケージは2年の給付 た。多くの福祉離脱者が労働人口に加わり、児 期限導入など政策の徹底性によって全国的な評 童の貧困率も1993年∼1999年に低下を示してい 判を呼んだという。28 る。しかし、これらの成果は数百万人の福祉受 さて、マサチュセッツ州の福祉受給者は景気 給者や福祉離脱者の不安定な現状を覆い隠して 循環に伴って15%だけ変動するといわれている。 いるといってよい。実際、福祉離脱者の大部分 また経済政策研究所(EPI)によれば、二二の は常勤職種に就けず、1年間全く就労していな 低賃金労働市場は福祉離脱者の流入によって賃 かった。また大部分が時給6.00ドル∼8。00ドル 金が11.6%低下した。福祉離脱者は全米で最も しか稼得しておらず、家族を扶養するのに十分 厳しい制裁によって福祉離脱を促され、厳格な なだけの賃金を得ていなかった。確かに貧困率 労働規律を教え込まれていたのである。29 は全体的には低下しているものの、勤労世帯、 マサチュセッツ州は最もリベラル色の強い州 特に独身母親が家長である世帯ではむしろ上昇 として、福祉改革圧力が高まる中でもサービス していた。元々貧困であった世帯も最近数年間 重視・任意参加のETCプログラムを堅持して に貧困が更に悪化していたのである。 FSAの作成にもある程度の影響力を発揮してき このように受給者の減少は福祉改革の成功を たが、低コストで懲罰的な勤労福祉プログラム 測る尺度としては十分とはいえず、福祉離脱者 が重視されるようになると共に重要性を失って の雇用比率も同様であった。福祉世帯は定義に よれば、大部分が独身母親の家長からなる世帯 28 ウェルドは次年度の州福祉予算を半分に抑制する と脅しながらその通過を州議会に強制したといわれ とされる。福祉改革の成否を評価する基準はこ る(IOid.,pp.149−152)。 Massachusetts Department of れらの母親が家族の生活を支えるのに必要な雇 Transitional Assistance(MDTA),Alt7er Time Limits: A Study of Households Leaving Welfare Between December 1998σ%4角)規1999,November 2000,p.1.同法によって 福祉受給者は1995年2,月∼2000年8月目102,993人か ら42,166人に激減した。 29 foid.,p.160. 用に就き、維持できるようなプログラムを構築 できているかどうかに基づくべきだと考えられ る。また経済の好況は1990年代後半を通じて福 祉受給者を減少させたが、必ずしも一様に減少 一 283 一一 経済学研究 第69巻第3・4合併号 させた訳ではなく、多くの福祉受給者が大都市 ント、カリフォルニア、ワシントンDCの受給 部に滞留していたのである。 者数は40%弱しか減少しておらず、1993年にそ 周知のように個人責任就労機会調整法 れぞれ全米受給者数の17%と9%を占めていた (PRWORA)は戦後の歴史上で最も長期的な カリフォルニアとニューヨークは1999年には 経済ブーム期に施行された。それゆえに受給者 22%と12%を占めるに至っているのである。 減少の40∼80%は福祉改革よりもむしろこの経 もちろん、福祉離脱者の多くは就労したが、 済的ブームの成果に帰せられるといってよい。 貧困から脱却した者は稀であった。福祉離脱者 30この点はアメリカ経済が再び景気後退に陥っ の40%∼70%が全米で就労しており、福祉受給 た時にTANF(臨時貧困家庭扶助)の権限再承 者や福祉離脱者の就労は増加している。例えば 認について検討する際に重要な意味を持ってい 1994会計年度では、TANF成人受給者の8%の る。旺盛な労働需要は福祉離脱者が参入できる みが扶助を受けながら就労していたが、1999会 雇用を創出する上で重要な役割を果してきたか 計年度には28%が就労するに至ったのである。 らである。そこで、労働需要が将来に軟調にな 労働力化率は1989年∼2000年に独身母親の間で ることになれば、福祉離脱者が職に就き、維持 は9.6%増加したが、既婚女性の間ではより緩 することはより困難となるであろう。しかも福 慢にしか増加しなかった。高卒女性の労働力化 祉受給者は益々アメリカの大都市部に集中し、 率もこの間に6%増加したにすぎず、労働力化 1999年現在全福祉受給者の約60%が89大都市郡 率は一般に高熟練女性の間ではあまり変化しな 部(全米人口の33%を占める)に集まっている。 かったといってよい。 これは1994年以降で10%ポイントの増加であり、 ところで、2人の児童を抱えた片親世帯は基 10大都市郡部だけでも全米福祉受給者の約1/3 礎的な生活費を賄うために約3万ドルの収入を を占めるに至ったのである。 必要としているといわれるが、この金額は連邦 受給者数の減少も地域間で一様ではなかった。 貧困線水準の2倍以上に相当する。しかも福祉 例えば、1993年∼1999年にオクラホマ、フロリ 離脱者の平均所得は年間1万ドル∼1,4万ドル ダ、コロラド、ウェストバージニア、ミシシッ にすぎなかった。これはその大部分が1998年の ピ、ウィスコンシン、アイダホ、ワイオミング 3人家族当り13,133ドルの貧困線水準を下回り・ の受給者数は70%以上も減少した。しかし、 適当な住宅、食料、医療、児童保育、及び他の ニューメキシコ、ハワイ、ロードアイランド、 基本的必需品を購i入するには不十分であること ニューヨーク、ネブラスカ、アラスカ、バーモ を示唆していたのである。 そこで、福祉離脱者の生活が1990年代後半期 にどのように変化したのか、サンプル調査に基 30 以下の記述は“The effects of the Personal Responsibility and Work Opportunity Reconciliation Act on working families,”Vie吻)oint, Opinion pieces and speeches by EPI stuff and associates(This Testimony was given before the づいて検証しておこう。まずニューヨーク市で は、1997年11月に福祉給付を打ち切られた Committee on Education and the Workforce of the U.S. House of the Representatives on September 20, 2001) http://epine!,.ggglwg12!eptyggE!ylg!tRgU}1EtL!]A!〉!E.1!2E1ilp:org/webfeatures/viewpoints/TANF.testim ony.htmlに依拠。 6,092人のうち569人に関するサンプルは126人 のケースのみが使用可能な電話番号を持ってい たという。この調査対象126人のうち、58%が 一 284 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 主として就労によって家族の生活を支えている を超えるような賃金を得てはいなかった。例え と報告し、回答者の中位賃金は時給7.50ドルで ば、1998年には就労した福祉離脱者の29%が公 あった。貧困線水準を超える所得を得ていた者 式の貧困線水準を超える賃金を得ていたにすぎ は回答者の37%にすぎなかった。また福祉、児 なかった。しかも1999年には貧困がほとんど全 童保育及び失業保険に関する政府プログラムの ての人口統計グループの間で低下したにもかか 管理データを使ったメリーランド州についての わらず、独身勤労母親グループではむしろ増加 研究によれば、福祉離脱者の51%が福祉離脱直 している。独身勤労母親世帯の貧困率は福祉給 後の四半期に所得の増加を経験している。就労 付の受給前では1995年∼1999年に35.5%から に伴う平均賃金は福祉離脱直後の四半期で 33.5%まで低下しているが、福祉給付や租税を 2,384ドル、第2四半期で2,439ドル(年収では 勘案した後では1999年に19.4%であり、1995年 9,500ドル強)に達していたが、平均的な世帯 時点と実質的に変化がなかった。独身勤労母親 の所得は貧困線水準よりもかなり低かったので を家長とする世帯は1999年には1995年時点より ある。 も一層ひどい貧困に陥っており、貧困脱却の足 南カリフォルニアで無作為に抽出した福祉離 掛かりとなるような職に就くことの困難さを示 脱者グループに対する電話インタビューと家庭 していたのである。 訪問に基づく研究によれば、65%がインタ このように数百万人の福祉離脱者は経済的福 ビュー時点で就労し、平均時給6ドルの収入を 祉の改善を享受できているとはいえなかった。 得ていた。また1998年4月∼8,月にワシントン 受給者の減少は福祉改革の成果というよりは経 州でTANFを離脱した者についての調査では、 済的好況の恩恵と見るべきであり、この傾向は 離脱者の71%が平均時給8ドルで週平均36時間 やがて逆転する可能性もある。また多くの福祉 就労していたのである。 離脱世帯はブーム期後半においても安定した常 もちろん、PRWORAは福祉離脱母親が労働 勤雇用を維持できず、賃金が著しく低くかった 市場に参入した後に、徐々に職種の梯子を昇っ ので貧困から脱却することができなかったので ていくという暗黙の前提に立っていた。しかし、 ある。それゆえ経済的不況が勤労支援プログラ 教育程度の低い労働者の賃金水準はほとんど停 ムに影響を及ぼすようになった時には、福祉受 滞しており、未熟練労働者の賃金は年1∼ 給者がどれほど増加することになるかは予想も 2.6%しか上昇しなかった。また教育程度の低 出来ない状況にあった。 い労働者の賃金は同じ使用者の下で働いている 限りほとんど上昇しなかったが、この種の労働 [2]ウィスコンシン・モデルの虚実 者の多くが同一使用者の下で働き、あるいは新 しい使用者の所に移ってもむしろ実質賃金の減 『トロント・スター』紙はオンタリオ州地域 少を経験していたのである。 社会事業相ジャネット・エッカーがウィスコン 確かに最近のデータは貧困が全体として減少 シン州福祉改革プログラム(W一 2)を視察す していることを示していたが、福祉離脱者の大 るために1998年4月中旬にウィスコンシン州を 部分(福祉離脱者の90%が母親)は貧困線水準 訪問したことを伝えた。ウィスコンシン州は福 一 285 一一 経済学研究 第69巻第3・4合三号 祉受給者を10年間で70%も劇的に減少させると 追加されたので、以前のプログラムに比べて金 いう成果を挙げ、福祉改革のモデルとして喧伝 銭的に一層苦しくなっていた。生涯の参加最長 されてきた。同相もこの視察旅行を学習の機会、 期限も60ヵ月に制限された。ただし地域の労 あるいは恐らく失敗したオンタリオ勤労プログ 働市場の状況次第によっては延長が認められた ラムに対する改善策を探すために利用しようと のである。 考えていたのであろう。これに対して 『Workfare Watch Bulletin』誌はウィスコンシ (1)実 績 ン州福祉改革を再検討し、地域社会事業相エッ 1996年4,月から「自活最優先」や「実績に対 カーが見逃した重要な論点を明らかにしょうと する報酬」を標榜するプログラムが州内全域で している。31そこで、同誌に依拠しながらウィ 実施された。 「実績に対する報酬」は福祉受給 スコンシン・モデルの実態を明らかにしておく 者が必要な時間数の勤労福祉を実践できなかっ ことにしよう。 た場合には、時間数に比例して給付が減額され ウィスコンシン州脱福祉就労プuグラム(W るという原則であった。この原則は教室での活 −2)は資格要件を満たす全福祉受給者を次ぎ 動や求職活動にも適用された。これらの改革が の4プログラムのいずれかに配置している。即 実施されてから7ヵ月間で、福祉受給者はミル ち、①補助金非交付雇用(非障害者全員が過失 ウォーキで14%、残りの地域では33%も減少し を理由に配置。参加者は勤労所得税額控除、食 たのである。 料スタンプ、医療扶助、児童保育や通勤費用融 もちろん、福祉受給者数が激減したのはウィ 資などの資格を有するが、現金給付はない)、 スコンシン州が幸いにも低い失業率(3∼4% ②見習作業(3∼6ヵ月間の補助金付き雇用。 の範囲内)に恵まれていた時期に当たっていた 使用者に月額300ドルの補助金支給)、③地域 からである。しかし、この低い失業率にもかか 奉仕作業(勤労福祉。参加者は勤労福祉を週30 わらず、W−2の参加者は職に就いても貧困か 時間まで、教育訓練を週10時間まで実施しなが らは容易に脱出することが出来なかった。例え ら最高月額555ドルまで受給。給付は作業時間 ば、1997年9月に民間職種に就いたW−2参回 に比例して支給)、④W−2移行期(対象は自 者の平均時間賃金は5.65ドルにすぎず、常勤職 活的な仕事に従事できない者。参加者は就労や 種に就いた者の比率も半分強にとどまっていた。 他の啓発活動に週28時間まで、また教育・訓練 しかもW−2(1997年9月現在州内全域で実 に週12時間まで従事し最高月額518ドルの補助 施)はT・トンプソン知事が主張するほどには を受給。給付は就労時間に比例)、などである。 うまくは行っていないと見られる不吉な兆候が W−2の給付は参加者に対してほぼ一律に支 あった。まずホームレス、避難所利用及び食料 給され、家族成員数に応じて増減されなかった。 援護などが劇的に増加していた。またAFDC世 多くの参加者は医療や児童保育に対する負担が 帯数は1988年∼1996年目19%減少したが、 AFDC世帯から里親制度への申請数も60%増加 31以下の説明は“Unmasking the Wisconsin Welfare していたのである。 “Miracle”,” Workfare Wateh BuUetin, http://www. welfarewatch.tronto.on.ca/wrkfrw/wrkwtch7.htmに依拠。 ミルウォーキー市では、勤労福祉は非営利企 一 286 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 業3社と営利企業2社によって実施されていた プ」の廃止を提案したのである。 が、その実績は必ずしも芳しくなかった。1997 またW−2の開始以降、メディケイドに登録 年11月にウィスコンシン法律運動(legal action された世帯数は州内全体で6%も減少した。と of Wisconsin, LAW)はミルウォーキー市で資格 いうのも、資格要件には何らの変化もなかった 認定や運営の責任を担っていた営利企業マキシ が、W一・2世帯はもはや自動的にはメディケイ マス社が「州の政策やW−2契約規定に継続的 ドに登録されず、別途に登録を行わなければな に違反している」と州当局に苦情を申し立てた。 らなくなったからである。 福祉世帯がAFDCを不当に打ち切られたり、W −2給付を拒否されたからである。 (2)奇跡の内実 LAWはマキシマス社を以下のような点で非 ウィスコンシン州の福祉改革は喧伝されるほ 難していた。即ち、①必要な接触も行わずに どの奇跡ではなかった。受給者の減少は教育や AFDC受給世帯の給付を打ち切り、②当該世帯 訓練を軽視し、人々を直ちに就労させる方法に と会うこともしないでAFDC受給世帯が就労可 よって達成されたものである。人々が福祉に登 能であり、W−2現金扶助の資格を有していな 録しようとするのを阻止したからである。しか いと誤った判定を下し、③個別的な評価、就労 し、同州の最も有名で独創的な制度の1つでも 可能なプラン、W−2合意書への署名などの手 ある就学福祉制度(learnfare)は惨めな失敗に 続きなしに受給者をW−2に移管し、④個別的 終わった。1年間の就学福祉制度実施後に、 な評価や就労可能なプランよりもむしろグルv・一・・ AFDC世帯の学齢期児童の47%が学校中退のた プ単位で実施しており、⑤AFDC受給世帯の給 めに制裁を科されたからである。 付を打ち切り、W−2見習作業グループに配置 福祉離脱者の多くがひどい低賃金で経済的不 して給付を支給せず、⑥受給者の電話呼び出し 況に脆弱な部門において就労をしていた。そこ に応答せず、⑦W−2の資格や職業紹介、及び で、1995年12.月に福祉に依存し、1996年1月∼ 現金給付について福祉世帯に適切な助言を行っ 1997年3,月まで時折就労していたAFDC受給親 ていない、などの点であった。 の就労職種に関する研究を見ると、以下のよう マキシマス社の活動についての調査によれば、 な特徴が明らかになる。即ち、①75%が1年後 105世帯が「就労準備中(job ready)グルー に失職し、17%のみが常勤賃金、4%のみが家 プ」 (給付を受けられず、補助金不交付雇用で 族の生活を支え得る賃金を得ており、②1995年 就労)に配置された時に誤って給付を失うこと 12,月時点で福祉に依存し1996年9月には福祉か になった。マキシマス社はある時点で150人の ら離脱していた独身親のうち、1996年10月∼12 受給者を「就労準備中グループ」に配置したが、 月には34%が無収入で、貧困線水準を超える収 調査後もこのグループに止まった者は僅か3人 入のある者は16%にすぎず、1996年12月までに のみであったという。この変更について同社は 15%が福祉に舞い戻り、55%が何らかの公的扶 明確な説明を行わなかった。そこで、W−2当 助に依存し、③1996年第1四半期以降に労働市 局や州議会の超党派グループは同州の受給者減 場に参入した単独家計支持親の半分は1年後に 少に大きく寄与している「就労準備中グルー は失業するか、限界的にのみ就労(同四半期に 一 287 一一 経済学研究 第69巻第3・4合併号 500ドル未満の所得)していた、のである。 40,790人分(33%)にすぎず、82,587人が職か このようにウィスコンシン州における福祉の らあぶれていた。ミルウォーキー市では、求職 奇跡は精査に堪え得るほどの説得力を持ってい 者と実際の就労者とのギャップは更に大きく、 なかった。受給者の劇的な減少は低い失業率、 就労可能な低熟練職種の7倍に相当する求職者 支援サービスなどの形でのアメと脅しとしての が存在していた。中心部地域以外の住民も雇用 ムチ、の結果として生じたといってよい。多く 機会の不足に直面していた。州南部のケナシャ の人々が福祉受給から離脱したが、経済が活況 郡と南西部のワシュバーン郡では、就労可能な を呈したウィスコンシン州においても容易には 低熟練職種の4倍に相当する求職者が存在し、 職に就けず、就労した者も依然として貧困から 山北西部全体でも就労可能な低熟練職種の3倍 は脱却できなかったのである。 に相当する求職者が存在していたのである。 しかも福祉改革は自活を促していたので、福 (3)自活の困難 祉世帯が家計必要額と就労関連費用を賄うのに 1980年代に形成された福祉コンセンサスは福 十分な賃金を支給する職種を確保できるように 祉が受給者の勤労倫理を蝕み、依存を助長して しなければならなかった。だが、第1表のよう いるので、給付に期限を設け、給付と引き換え に福祉受給者向けの適切な職種、特に生活可能 に就労を要求すべきだという信念に基づいてい 賃金を得られる職種が極端に不足していた。こ た。またそれは就労機会が十分にあり、勤労意 れは福祉改革を成功させるためには是非とも克 欲を持つ者がすべて容易に雇用されることを前 服しなければならない大きな障害があることを 提にしていた。しかし、高い経済成長が続いた 示していた。こうした事実は単に公的扶助受給 にもかかわらず、ウィスコンシン州の経済は福 者に就労を要求することだけで福祉制度を改革 祉受給者や低熟練失業者に十分な雇用機会を提 できると信ずる政策立案者に対する反証となる 供できるだけの職を作り出せなかったといって であろう。政策立案上達は現在、福祉受給者に よい。つまり福祉受給者の大部分を雇用できる 勤労道徳を植え付け、福祉依存を排除すること だけの職が存在しなかったので、福祉に期限を を主張している。しかし脱福祉就労政策を成功 設けて就労を要求するような近年の政策は決し 裡に実施していくためには、労働市場の厳しい て労働市場の現実に基づいているとはいえな 現実を直視し、生活可能賃金を得られる十分な かったのである。32 職の供給を創出することこそが先決なのである。 というのも、失業率は過去20年間で最低の水 1996年PRWORAはAFDCを州へのTANF一括 準に達しているが、福祉離脱者向けの職は依然 補助に代えることによって窮迫世帯に対する現 として不足していたからである。例えばウィス 金扶助権利給付を終焉させた。同法は福祉制度 コンシン州では、1997年に123,377人が低熟練 の設計に関する権限をほとんど全面的に州に委 職種を探していたが、利用可能な低熟練職種は 譲したが、州が5年を超えて成人に現金扶助を 支給するためにTANF資金を使うことを禁止し 32 P.Kleppner and N.C. Theodore, “Work after welfare: ていた。もちろん、州は5年よりも短い生涯給 Is Wisconsin’s Booming Economy Creating enough Jobs?,” 付期限を設定することもできたが、24ヵ月の 一 288 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 第1表 ウィスコンシン州の生活可能職種の利用可能性と求職者とのギャップ 低熟練職種求職者数 123,377人 最低で貧困水i準賃金を支払う職(3人家族で12,278ドル) 6,927人(18倍の求職者) 最低で貧困水準の150%を支払う職(3人家族で18,417ドル) 2,514人(49倍の求職者) 最低で生活可能賃金を支払う職(3人家族で25,907ドル) 1,682人(73倍の求職者) (資料)U.S Bureau of Census,“Poverty Thresholds in 1995,” TANF扶助を受給した親は就労するか、扶助を 受給し続けながら就労プログラムに従事するこ とを強制されたのである。 かったといってよい。 もう少し具体的に見ておこう。ウィスコンシ ン州の福祉受給者は1995年に214,404人(うち このPRWORAの政策は十分な数の職が存在 児童148,792人)おり、世帯平均成員数は3.2人 し、福祉受給者のほとんどが望めば容易に就労 で、中西部平均の3.1人よりも若干多かった。 セきるという前提に立っていた。ウィスコンシ 成人は福祉世帯人員の30.6%を占めるにすぎず、 ン州の失業率は1987年の6.9%から1997年4月 成人受給者の94.1%は女性が占めていた。福祉 に20年来の最低水準である3.4%にまで低下し 受給世帯では父母と同居する児童は2%未満に たので、当然に福祉受給者の就労に必要なだけ すぎず、残りの98%は片親のみ、あるいは別の の職が存在するものと三二された。そこで、三 家族成員と同居していた。このため福祉世帯の 州はこのように好調な経済に促されて福祉改革 成人は児童保育の責任から雇用機会を狭められ、 プラン(服務規律違反に対する制裁によって裏 容易に職を維持できなかったのである。また 打ちされた新しい脱福祉就労政策)を実施する ウィスコンシン州で福祉を受給していた成人の ことにしたのである。 45.4%は黒人であった。これに次いで白人が しかし、記録的なペースで経済が成長してき 44.1%、ラテンアメリカ系住民が10.3%を占め たにもかかわらず、ウィスコンシン州では多数 ていた。家長で福祉を受給している同誌の成人 の低熟練求職者が依然として失業したままで は他の中西部山州のそれよりも若干年齢が若か あった。堅実な経済成長が4年続いた後の1995 く、35歳以下が90.2%を占めていたのである。 年にも州内には依然として105,476人の失業者 さらに州内福祉世帯の成人家長は29.8%が高 が存在していたが、これら求職者のうち53% 校を中退し、33%は高校卒業証書しかもってい (56,369人)は低熟練職種にしか適性を持って なかった。こうした低い教育水準と児童保育の いなかった。このため福祉受給者が新たに低熟 責任のために彼らの50.7%は働いてはいなかっ 練職種に就くためにはこれら目下失業中の労働 たが、35.5%は就労していた。この就労者のう 者達と熾烈な就労競争をしなければならなかっ ち、34.1%がサービス職種、21.9%が重労働職 たのである。丁丁の福祉受給者は教育程度の低 種、11.9%が熟練職工、11。8%が販売職種、残 さや就労経験の少なさなどが障害となって、就 りの20.3%が他の職に従事していた。 労先が低熟練・低賃金職種に制限されているた 州内の福祉受給者は教育程度が低く就労経験 めに自活への機会をほとんど掴むことができな も乏しければ、低熟練職種にしか就けなかった。 一 289 一一 経済学研究 第69巻第3・4合併号 しかし福祉離脱者が参入しようとする低熟練市 この生活可能賃金をほとんど支払うことができ 場は求職者が過剰で、失業率が高水準に達して なかった。例えば、1997年に生活可能な賃金を いた。高卒以下の労働者の失業率は学士号取得 支払っていたのは州内の就労可能点熟練雇用の 労働者のそれの2倍以上であった。高卒資格の 4.1%(1,682)にすぎなかった。これに対して ない24∼34歳の女性は1996年3月の失業率が この種の職種を探している労働者は73,121∼ 15.4%で、全体の平均失業率の約3倍にも上っ 123,377人にも上っていた。つまり、求職者数 たが、黒人母親に限れば実に27.2%にも達して は州内の生活可能低熟練職種数の44∼73倍にも いたのである。結局、1990年代における失業率 達していたのである。なお、生活可能所得の尺 の低下にもかかわらず、ウィスコンシン州経済 度として公式の貧困線水準を用いた場合でも、 は低熟練職種を必要としている求職者全てに十 求職者数は1997年に州内で就労可能な低熟練職 分に提供できるだけの職を生み出すことができ 種数の11∼18倍にも上っていた。34 なかった。33 このようにウィスコンシン州は多くの福祉受 もちろん、福祉受給者全員が同時に労働市場 給者が成功裡に福祉から離脱して就労するのを に参入する訳ではなかった。PRWORAも州が 支えるために必要な雇用を十分には創出できな 1997年には福祉受給者の25%のみを就労させ、 かった。壱州には就労可能な低熟練職種数の2 その後毎年5%ずつ引き上げることを要求して ∼3倍の求職者が存在していたのである。就労 いるにすぎない。このためウィスコンシン州は 可能な職の数が不足しているだけではなく、就 1997年に73,121人の求職者を抱え、32,331人分 労者の多くに支払われる賃金も余りにも低すぎ の職不足に直面することになった。だが、2000 て家族を貧困から脱却させることができなかっ 年には福祉受給者の40%を就労させなければな た。両州では3人家族に対して生活可能な賃金 らないので、深刻な低熟練職種不足に直面する を支払っていたのは就労可能な低熟練職種数の ものと思われる。 4%にすぎなかった。福祉改革論争は就労可能 な職が無限に存在しており、福祉受給者が勤労 (4)生活可能賃金 意欲さえ持っておれば容易に職に就けるという 中西部の世帯が生活を維持するのに必要な所 誤った前提に基づいていたので、脱福祉就労を 得水準を推計するために、基礎的生計費が典型 促す方法として専ら制裁を重視することになっ 的福祉世帯(就労母親と就学前児童2人からな たのである。だが、福祉受給者に勤労要件や給 る家族)をモデルに平均家計必要経費と就労関 付期限を課しても、彼らが直面する厳しい労働 連経費に基づいて作成された。それによれば、 この3人家族が基礎的生計費を賄うためには年 34 同州の新しい職の72%は生活可能賃金よりも少額 しか支給していなかった(43%は生活可能賃金の 25,906ドルの税引前所得を必要としていた。州 1/2)。福祉離脱者は時給5.50ドル∼7.00ドル、年記 均11,410ドル∼14,500ドルで就労していた。3人世帯 の貧困線水準14,500ドルを超える所得を得ていたのは 内で就労可能な低熟練職種は3人家族に対して 28.8%だけだった(National Priority Project, Working 33 1997年に低熟練労働にしか就けない失業労働者と 成人福祉受給者123,377人に対して州内で提供できる Hard, Earning Less. 低熟練職は僅か40,790人分しかなかったという。 jobgrowth.html) . http://www.natprior一. org/.ttassrootsfactbook/]obgrowth/ 一一 290 一一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 第1図 AFDC/T州F月平均受給者及び世帯数の推移 16 募i4 受給者敷 12 10 8 6 受給世帯数 4 2 0 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 会計年度 (資料)Othce of P且anning, Research and Evaluation, Temporaりy/Assistance for」Needy Eamilies P「09「am Forth Annual I∼ePort to Q”rgress, Apri且2002 第2図 AFDC/TANF月平均受給者数の対米人ロ比推移 1煽 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 4 1 1 1 1 1 1 1 o 1 1 1 1 1 1 1 1 1 5 1 1 1 1 1 1 1 P 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 9 1 1 1 5 1 1 4覧 1 1 1 1 1 1 b 9 1 o 1 1 1 1 1 1 1 1 8 1 1 1 1 o 1 1 1 9 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1991 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 会計年度 (資料)Ofice of Planning, Research and Evaluation, op.cit. 市場の壁や深刻な低熟練職種の不足を何ら解決 まで急速に減少したのである。TANF/AFDC受 することには繋がらなかったといってよい。 給世帯数は1992年度9.0%、1993年度4.5%、1994 年度1.3%と増加し続けた後に、1995年度一3.5%、 皿 全米の脱福祉就労動向 1996年度一6.7%、1997年度一一 13.4%、1998年度 一18.7%、1999年度一16.4%、2000年度一15.0% アメリカのTANF/AFDC月平均受給者数及び と持続的に減少している。結局、受給世帯数は 世帯数は第1図のように1991年度から1994年度 ピーク時の1994年度から2000年度までに55.0% まで増加するが、その後は2000年度まで大幅か も減少したのである。 つ継続的に減少している。TANF/AFDC月平均 TANF/AFDC受給者数も1992年度8.2%、1993 受給者数の対米人口比率も第2図のように1960 年度3.8%、1994年度0.6%と増加した後に、 年代後半から急増して1970年代初頭にピークに 1995年度一4.0%、1996年度一7.4%、1997年度 達し、1970年代後半以降やや減少気味に推移し 一13.5%、1998年度一19.6%、1999年度一18。2%、 ていたが、1990年代初頭から増加に転じ、よう 2000年度一16.6%と持続的な減少へと転じたの やく1990年代半ば頃から1960年代前半の水準に である。また受給者数はピーク時の1994年度か 一 291 一一 経済学研究 第69巻第3・4合併号 第2表 門別AFDC/丁州F月平均受給者数の減少(1996∼2000年度、単位:%) 州 1減少率 州 1減少率 ワイオミング 192.3 ニュージャージー : 60.7 アイダホ i 90.2 ペンシルヴェニア !60.4 州 1減少率 ミズーリ 147.7 デラウェア 147.3 フロリダ i 77.8 マサチュセッツ i 59.9 ユタ !45.9 ウィスコンシン i 76.5 バージニア ! 59.8 ニューメキシコ } 44.5 1 コロラド 1 72.5 1 Eェストバージニア1 58.8 シシッピ i 72.3 1 jューハムプシャー144.2 Aラバマ i 53.3 eネシー ! 43.4 ルイジアナ 1 72.2 ケンタッキー 1 53.3 ワシントン i43.4 イリノイ 1 72.1 カリフォルニア i 53.2 ニニL一ヨーク i 43.2 オクラホマ 167.7 メイン i 53.2 バーモント i40.5 ノースカロライナ i 67.1 アラスカ i 53.0 ネブラスカ 1 39.8 <梶[ランド ; 66.9 Aーカンソー i 52.3 Aイオア !39.4 サウスカロライナ i66.2 ハワイ 1 38.9 ジョージア i 65.8 カンザス i51.9 アリゾナ i51.8 オハイオ i63.5 オレゴン i51.ア ミネソタ i 34.1 Rネティカット i 63.2 c塔^ナ i 50.6 mースダコタ i 33.フ シガン i62.9 eキサス i48.9 香[ドアイランド i 28.7 Tウスダコタ i60.9 lバダ i48.2 Cンディアナ i21.9 Dc i38.1 (資料)Ofice of Planning, Research and Evaluation, op. cit.より作成。 ら2000年度までに57.9%もの大幅な減少を示し るが、カリフォルニア州は全国平均を下回って ている。 おり、リバーサイドのような郊外地域ではとも アメリカの福祉受給者は1996∼2001年度の5 かく大都市部では思ったほどには受給者数を削 年間に720万人が福祉依存から脱却した。そこ 減できていないのである。 で、AFDC/TANF月平均受給者数の減少を州別 次に第3表に基づき、2001年度における福祉 (50州とDC)に示した第2表を見れば、この5 給付申請の承認率(承認数÷申請受理数)と拒 年間に福祉受給者数が70%以上減少した州は8 否されて受給終了となった率(受給終了数÷申 州、40∼70%減少した州は35州、40%未満の減 請承認数)を州別(DCを含みオクラホマを除 少にとどまった州は8州などとなっている。人 く50州)に見ておこう。全米平均は承認率が 口の集中する7大州の中で、1996∼2000年度の 54.4%、受給終了率が108.8%であった。全米 受給者数減少が全国平均の57.9%を超えていた 平均の承認率を下回る州は18州にすぎず、上回 のはフロリダ、イリノイ、オハイオ、ペンシル る州が32州にも上っていた。福祉受給に対して ヴェニアの4州であり、3大州でもあるカリ 厳格なスタンスを採っていると思われるこれら フォルニア、テキサス、ニューヨークはいずれ 18州のうち、承認率が極端に低いのはオハイオ も全国平均を下回っていた。勤労福祉(脱福祉 (0.6%)、アイダホ(14.3%)、ユタ(26.5%)、アーカ 就労)のモデルとして喧伝されてきたウィスコ ンソー(35.9%)、ジョージア(39.4%)などの5州 ンシン州は受給者数減少率では4位を占めてい である。特にオハイオはフロリダ(47.0%)やイリ 一 292 一一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 第3表 福祉給付申請の承認率と受給終了率(2001会計年度、単位:96) 州 全 米 一 一 一 一 騨 一 一 一 一 ■ 一 一 零 一 ■ 椰 o 一 一 幽 ■ アラバマ Aラスカ Aリゾナ 承認率1受給終了率 54.41 108.8 一一〇一一一一一一 u●一一一一一一一一一 94.41 48.6 1 Rロラド Rネティカット U7.3; 91.6 1 fラウェア cC tロリダ Wョー・ジア nワイ Aイダホ Cリノイ Cンディアナ Aイオア カンザス Pンタッキー 泣Cジアナ <Cン <梶[ランド }サチュセッッ シガン ネソタ シシッピ jユーハムプシヤー jユージャージー T8.2; 207.4 置 jューメキシコ jユ一頃ーク mースカロライナ mースダコタ U4.21 90.3 馳 T4。61 70.1 1 V4.0; 95.0 曇 Iハイオ Iレゴン S7.0; 103.0 1 R9.41 99.1 , yンシルヴェニア T3.11 87.8 , 香[ドアイランド P4.3; 99.1 1 Tウスカロライナ Tウスダコタ S9.81 273.0 1 U1.71 67.9 1 X3.61 140.8 eネシー 1 T0.5; 102.4 1 テキサス T9.91 101.O l ?タ oーモント oージニア X4.71 87.5 1 U4.91 100.0 1 純Vントン Eェストバージニア Eィスコンシン 純Cオミング S3.21 124.2 1 U4.01 100.6 1 S8.01 94.6 1 V7.31 97.2 i 承認率1受給終了率 61.4; 128.1 1 モンタナ lバダ S0.41 112.5 馳 R5.91 107.9 1 ミズーリ lブラスカ U1.71 106.9 3 A幽幽ンソー Jリフォルニア 州 96.21 10.2 1 T7.11 79.3 i T0.41 59.8 1 U2.1: 96.9 8 W1.61 112.2 9 U1.21 140.6 1 U2.71 78.1 1 U8.7: 137.6 1 V3.61 83.2 1 O.619790.3 1 V6.91 164.4 0 U8.81 58.4 「 S5,8} 314.O I S4.81 81.9 5 U1.51 97.6 1 U3.61 43.6 8 S0.11 92.3 「 Q6.51 238.5 1 T6.71 67.1 1 S9.0; 64.7 i T7.81 94.2 8 W6.81 67.0 1 T2.31 91.0 1 V5.1; 75.7 @ i U2.71 46.1 (資料)OMce・of・P且anning, Research and Evaluation, oρ. cit.より作成。申請承認率は承認数を申請受理数、受給終了数は受給終了数 を申請承認数でそれぞれ割ったもの。なお、オクラホマ州のデータは利用できない。 ノイ(49.8%)と共に7大州の一角を占めながら る厳格な福祉抑制を行っていた州がオハイオ も申請の承認を厳しく制限していたのである。 (9790.3%)、ロードアイランド(314.0%)、 しかし、ウィスコンシンの承認図は52.3%と全 イリノイ(273.0%)、ユタ(283.5%)、カリ 国平均よりもやや抑制的であったが、カリフォ フォルニア(207.4%)などの14州に上る一方 ルニア州の承認率は58.2%、マサチュセッツも で、全米平均を下回る州はモンタナ(10.2%)、 64.0%と全国平均を超えており、必ずしも福祉 テネシー(43.6%)、ミシシッピ(46.1%)、 抑制策が厳格に実施されている訳ではないよう アリゾナ(48.6%)、ペンシルヴェニア に思われる。 (58.4%)などの36州に達していたのである。 また受給終了率は全米平均の108.8%を超え さらに2001年度の月平均扶助給付額を州別 一 293 一 経済学研究 第69巻第3・4合併二 道4表 月平均扶助受給額(2001会計年度、単位:ドル) 州 全 米 曽殉縣一雪一陶鱒一騨轡一一一一一一昌■層噸 アラバマ アラスカ Aリゾナ Aーカンソー Jリフォルニア Rロラド Rネティカット fラウェア cC tロリダ Wョージア 月平均受給額 1世帯}1受給者 月平均受給額 1世帯11受給者 ミズーリ 252.561 94.80 131.66; 49.25 モンタナ 414.371 132.73 1 ネブラスカ 1 394.841 153.21 一需、一}噌一層『 u幽一騨曽嘱一}一隔一 U95.971239.39 1 jユーハムプシヤー Q75.851 115.37 1 jユージャージー U38.391 246.21 1 R44.041 134.91 「 S39.43; 189.22 1 Q44.341 107.20 1 R42.94: 129.Ol l Q25.421 94.53 1 インデイアナ Q76.271 98.74 ■ Aイオア Jンザス Pンタッキー 泣Cジアナ R21.361 120.02 1 mースカロライナ mースダコタ Q17.211 101.23 5 P66.891 56.67 Tウスカロライナ サウズダコタ eネシー eキサス Q30.311 88.52 , <Cン Q81.601 141.07 9 <梶[ランド R29.961 135.02 量 }サチュセッッ シガン ネソタ T98.871268.20 量 R98.911 146.49 1 S02.301 137.65 1 S06.431 162.33 9 S91.751 181.93 1 6 Q33.831 103.33 1 V4.521 198.90 1 jユーヨーク 香[ドアイランド Q93.05; 115.87 1 R22.021 123.55 1 R25.181 111.99 5 yンシルヴェニァ Q84.591 163.80 8 R40.521 135.72 1 jューメキシコ Iハイオ Iレゴン Q45.351 115.89 1 T11.531 163.89 1 旦 lバダ Q7LO31 108.92 量 nワイ Aイダホ Cリノイ シシッピ 州 R99.171 137.34 1 R22.081 137.34 1 S54.771201.92 1 R22.911 124.02 8 P04.111 32.68 1 U49.451237.60 1 Q88.45; 122.96 1 P67.51} 64.31 1 P81.001 67.83 1 ?タ R89.011 133.52 量 oーモント oージニア S96.591 182.14 1 Q53.51; 114.07 1 純Vントン Eェストバージニア S44.151 170.13 } Eィスコンシン 純Cオミング S27.751 188.92 1 R64.891137.70 1 P91.141 101.47 @ i P53.181 67.12 (資料)OMce of Planning, Research and Evaluation, op. cit。より作成。 (オクラホマを除きDCを含む50州)に示した (268.20ドル)、カリフォ・ルニア(246.21ド 第4表を見ると、全国平均は1世一当たり ル)、アラスカ(239.39ドル)、サウスカロラ 394.84ドル、受給者1人当たり153.21ドルで イナ(237.60ドル)、オレゴン(201.92ドル) あった。1世帯当たり給付額で全米平均を超え などの15州にすぎなかったのである。カリフォ ていたのはアラスカ(695.97ドル)、サウスカ ルニア、マサチュセッツ、ウィスコンシンなど ロライナ(649.45ドル)、カリフォルニア 1990年代に厳格な脱福祉就労政策を積極的に推 (638.39ドル)、マサチュセッツ(598。87ド 進してきた州が比較的に高い給付額を支給して ル)、ハワイ(511。53ドル)などの17州、同じ いたのはややつ意外な感じがするといてよい。 く受給者1人当たり給付額ではマサチュセッツ 次に2000年度のTANF受給者の勤労参加率を 一 294 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 第5表 TANF受給者の勤労参加率(2000会計年度、単位:%) 1両親同居全世帯 1世帯 1両親同居全世帯 1世帯 州 州 全 米 一 〇 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 } 一 一 曝 曽 アラバマ 34.0; 48.9 一一一一一一●一一 gー一卿一一偏層一嚇 37.71 a l Aラスカ Aリゾナ S2.11 46.4 1 Aーカンソー Jリフォルニア Rロラド Rネティカット fラウェア Q0.8; 19.2 1 cC R9.71 67.6 1 ミズーリ 1 モンタナ 68.21 89.2 1 lブラスカ Q2.61 a l lバダ R7.41 60.5 1 jユーハムプシヤー jユージャージー Q7.51 a I R6.61 46.9 ‘ S3.Ol a l Q7.61 a l Q4.41 22.5 8 34.0; 40.4 T3.1} 27.7 1 R7.81 a l jューメキシコ R6.91 37.9 5 jユーヨーク mースカロライナ mースダコ翌 R3.21 53.O l tロリダ Wョージア cnイオ nワイ Aイダホ Cリノイ Cンデイアナ yンシルヴェニァ Aイオア Jンザス eネシー eキサス Pンタッキー 泣Cジアナ ?タ Iレゴン 香[ドアイランド Tウスカロライナ Tウスダコタ P9.21 34.7 1 R5.7; a 「 T2.91 64.9 1 R3.91 a l P1.21 11.7 1 Q5.01 95.8 1 T4.01 78.4 8 S6.51 a [ R5.41 a I Q5.61 49.0 5 R1.11 a oーモント oージニア <Cン 純Vントン Eェストバージニア <梶[ランド }サチュセッツ Eィスコンシン 純Cオミング シガン ネソタ シシッピ (資料)OMce of Planning, Research and Evaluation, qρ. cit.より作成。 aは州が両親同居世帯向けTANFプログラムを設けていない。 bはデータ利用不可。 示した第5表を見ると、全米の平均勤労参加率 イリノイ(59.2%)、などは高い勤労参加率を は世帯全体では34.0%であったが、両親同唇世 示している。積極的な勤労福祉(脱福祉就労) 帯では48.9%にも達していた。州別(モンタナ 政策の実施で1990年代に名を揚げたウィスコン を除きDCを含む50州)で見ると、28州が世帯 シンやマサチュセッツは実に7割前後の福祉受 全体の勤労参加率で全米平均を超えていた。特 給者を就労させていたのである。しかし、メ にカンザス(77.4%)、ウィスコンシン リーランド(6.3%)、ペンシルヴェニア (73.4%)、インディアナ(72.3%)、マサ (11,2%)、ジョージア(12.2%)、ウェスト チュセッツ(69.2%)、モンタナ(68.2%)、 バージニア(17.1%)、ミシシッピ(17.80/o) 一一 @295 一 経 済 学研 究 第69巻 第3・4合併号 第6表 勤労活動種類別丁平均参加率(2000会計年度,対勤労参加者数,単位:96) 州 参力賭 補助金な 補助金付 補助金付 オ雇用 ッ問雇用 的雇用 勤労経験 事 米 39.7 24.1 一}一隔一一一騨}一一需一_一 卿一一一 一槻一一 23.6 0.4 アラスカ 39.9 25.2 アリゾナ 41.1 31.6 アーカンソー カリフォルニア 29.3 34.1 コロラド 45.0 23.0 0.0 L8 4.7 コネティカット 42.6 342 0.0 0.0 0.1 デラウェア 29.0 25.8 0.0 0.0 2.5 DC 34.5 29.7 0.2 0.1 フロリダ 39.3 26.7 0.1 0.2 ジョージア 20.1 8.3 0.1 46.2 38.1 0.0 86.1 28.1 アラバマ ハワイ アイダホ 36.5 0.3 3.9 一一需一 一一}鴨 0.1 0.0 0.0 0.0 10.9 0.9 24.8 0.1 0.2 OJT 0.1 求職 5.0 地域奉仕 職業教育 技能訓練 2.6 雇用関 A教育 学校通学 保育 活動参 ヘ晩除 その他 3.4 1.1 1.6 0.0 1.9 一騨一一 一唱脚騨 一曹一一 曽一一一 贈一一曽 一一讐層 3.5 7.3 0.0 0.0 2.2 0.0 0.0 1.1 8.9 0.4 3.3 0.3 0.1 1.5 0.0 0.0 0.0 0.6 3.9 0.1 8.5 0.9 0.7 1.6 0.0 0.0 LO 0.3 4.8 0.2 3.2 0.5 LO 0.8 0.0 0.1 0.3 0.1 4.5 5.1 9.2 0.0 0.0 5.2 0.0 0.0 0.0 0.3 10」 0.1 2.4 0.0 2.4 0.6 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 5.1 0.0 2.9 0.3 2.9 0.0 0.6 0.3 0.2 0.0 0.0 0.0 1.6 3.8 0.0 1.9 2.6 4.8 0.3 0.6 3.1 0.1 0.0 0.0 0.0 1.9 0.2 0.9 1.6 5.0 0.2 0.1 L5 0.0 0.0 2.7 0.0 7.6 0.2 6.4 0.0 3.4 0.2 0.0 0.4 0.0 0.0 0.0 0.2 0.0 6.1 0.0 31.4 3.1 23.6 0.0 0.5 2.1 0.0 0.0 38.0 一 一 一 騨 鼎一一囁 騨 一 一 嚇 藺 一 一 一 0.1 6.3 0.3 0.9 0.1 7.6 6.7 0.1 0.4 1.8 0.3 0.5 1.8 1.8 3.9 0.0 1.1 0.0 2.2 0.0 0.0 1.7 一 一 師 口 1.1 イリノイ 53.6 38.5 0.0 0.0 4.5 0.0 0.5 1.1 6.6 1.1 2.5 0.6 0.0 0.0 3.5 インディアナ 54.1 47.7 0.3 α0 0.3 0.1 1.8 0.0 0.9 0.3 正.9 0.2 0.0 7.6 0.0 アイオア カンザス 60.8 53.9 0.4 0.0 0.4 0.0 1.1 0.2 5.7 0.0 0.0 2.7 0.0 0.0 5.2 70.3 35.9 0.0 0.0 7.8 0.1 0.0 0.2 1.1 0.9 0.4 5.2 0.0 38.8 0.0 ケンタッキー ルイジアナ 30.5 16.3 0.1 0.0 2.0 0.1 0.8 4.5 6.5 0.6 0.7 0.0 0.0 0.0 1.1 33.8 22.5 0.0 0」 5.1 0.1 1.8 0.0 6.4 0.0 0.2 1.3 0.0 0.0 0.0 メイン 58.3 41.3 0.0 0.0 3.2 0.1 10.0 5.3 2.2 4.3 0.1 2.5 0.2 0.0 2.9 メリーランド マサチュセッツ 17.5 5.5 0.4 0.3 1.3 0.1 4.7 0.4 3.7 0.3 0.5 1.9 0.0 0.0 0.0 272 17.3 0.7 0.2 0.0 0.0 1.7 1.1 1.4 2.8 0.7 2.2 0.0 0.0 0.0 ミシガン 45ほ 39.8 0.4 0.0 0.1 0.1 5.2 0.1 0.7 0.2 0.1 1.1 0.0 0.0 0.0 ミネソタ 51.9 35.6 0.0 0.0 0.0 0.0 12.6 0.2 2.7 0.1 1.8 5.2 0.0 3.7 0.0 ミシシッピ 30.1 20.2 0.0 0.0 3.5 0.0 4.0 3.6 0.9 0.0 0.6 0.7 0.0 0.0 0.0 ミズーリ 44.1 20.3 0.1 0.0 2.0 0.1 7.6 0.0 2.4 3.3 3.1 1.0 0.0 7.5 3.5 モンタナ 72.3 10.2 0.0 0.0 50.0 0.0 11.6 0.6 4.0 0.0 0.0 0.8 0.0 53.1 0.0 ネブラスカ 39.8 18.5 0.0 0.0 0.8 0.2 9.9 0.1 3.0 3.1 0.0 5.7 0.0 4.0 2.4 ネバダ 51.6 26.0 0.0 0.0 0.3 0.0 22.0 1.4 5.1 0.2 0.0 0.9 0.0 0.0 8.7 ニユーハムプシヤー ニュージャージー 46.0 23.6 0.0 0.0 1.3 0.1 16.1 0.0 1.6 5.1 0.0 5.8 0.0 10.1 0.0 46.3 20.1 0.0 0.0 18.2 0.1 7.2 0.1 10.6 2.1 5.7 0.7 0.0 0.0 0.0 ニューメキシコ 39.3 30.2 0.1 0.5 0.8 0.1 0.4 3.9 3.2 2.1 2.0 0.2 0.4 0.0 0.1 ニューヨーク 33.0 19.6 0.3 0.1 6.3 0.0 1.2 4.6 1.6 0.1 0.3 0.2 0.0 0.0 0.0 ノースカロライナ ノースダコタ 27.9 16.3 0.4 0.2 1.4 0.1 3.2 0.0 6.9 0.1 1.7 1.2 0.0 0.0 0.0 0.6 3.7 0.1 1.7 0.5 0.0 0.0 0.0 0.0 13.2 0.7 0.1 5.4 0.0 0.0 0.0 2.5 2.5 1.7 0.0 0.0 0.0 オハイオ オクラホマ オレゴン ペンシルヴェニア 29.9 69.2 54.0 66.8 29.0 15.5 31.1 19.9 11.3 24.9 0.0 0.1 0.1 3.2 α0 0.0 0.0 7.1 21.7 0.0 0.1 5.9 5.3 0.0 2.4 0.1 19.4 0.0 5.7 0.6 3.8 0.1 21.9 1.2 0.0 5.4 4.7 2.2 0.0 62.2 5.7 0.1 0.3 1.1 0.8 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 2.0 0.0 2.3 0.0 2.4 0.0 5.0 0.0 2.7 0.7 0.0 0.0 2.2 ロードアイランド サウスカロライナ サウスダコタ 40.7 29.6 0.3 0.0 1.5 38.6 22.5 0.1 0.0 1.1 0.2 2.7 0.0 2.8 1.2 0.0 2.9 0.0 11.1 0.1 62.0 15.8 ◎.0 0.1 0.0 1.8 4.9 39.8 3.5 1.0 5.5 1.1 0.0 0.0 0.0 テネシー 46.5 19.6 0.0 0.1 0.6 0.0 13.3 0.2 4.6 4.1 0.0 10.0 0.0 10.9 1.7 テキサス 14.8 6.4 0.1 0.1 0.5 0.0 6.2 0.1 0.8 0.1 L3 0.3 0.0 4.5 0.0 ユタ 78.1 23.1 0.0 0.0 1.4 0.3 15.5 0.0 3.1 10.6 2.1 1.3 0.0 0.0 52.7 バーモント バージニア 47.9 25」 0.0 0.7 1.8 0.1 12.4 0.0 7.7 0.9 0.0 4.5 0.0 0.0 10.7 34.9 27.0 0.2 0.0 1.2 0.5 10.9 0.0 0.1 1.0 0.3 0.1 0.0 0.0 0.0 4.7 9.1 ワシントン ウェストバージニア ウィスコンシン ワイオミング 87.9 24.7 88.9 47.4 35.5 6.2 7.7 15.4 1.1 0.0 0.1 0.4 4.3 0.1 0.0 0.0 9.3 42.2 1.0 5.7 1.4 0.0 0.0 0.2 3.3 5.9 1.9 0.0 2.0 0.2 0.0 0.0 0.0 56.5 0.0 12.7 10.3 4.2 26.0 18.2 17.1 0.0 0.0 0.0 23.7 L3 15.8 0.0 5.3 0.0 0.0 2.2 0.0 0.0 L8 3.9 7.6 0.2 (資料)OMce of Pianning, Research and Evaluation,ψ. Cit.より作成。参加は成人のみ。 一 296 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 などの州は参加率が20%にも達していなかった。 以下はメリーランド(17.5%)、ジョージア しかも人口が集中する7大州のうち全米平均を (20.1%)、ウェストバージニア(24.7%)、 上回る勤労参加率を達成していたのはイリノイ マサチュセッツ(27.2%)、ノースカロライナ とオハイオの2州のみであり、ペンシルヴェニ (27.9%)などとなっている。特に7大州はオ ア、テキサス(25.6%)、カリフォルニア(27.5%)、 ハイオ(69.2%)とイリノイ(53.6%)を例外 フロリダ(33.0%)、ニューヨーク(33.2%)の5 としてテキサス(14.8%)、ペンシルヴェニア (29.0%)、ニューヨーク(33.0%)、カリ 州は全米平均を下回っていたのである。 両親同居世帯に限れば、33州のうち17州が全 フォルニア(34.1%)、フロリダ(39.3%)な 米平均の勤労参加率を超えていた。特にロード どいずれも全米平均を下回る参加者比率しか達 アイランド(95.8%)、イリノイ(92.1%)、モンタ 成できていなかったのである。 ナ(89.2%)、マサチュセッツ(78.7%)、サウスカ 勤労活動従事者のうち、脱福祉就労政策の成 ロライナ(78.4%)などの州は高い参加率を達成 否に繋がる就労は全米では補助金なしの民間雇 していた。目立った特徴は厳格な勤労福祉(脱 用24.1%(勤労参加者比率39.7%の61%)、補 福祉就労)政策を追求してきたマサチュセッツ、 助金付民間雇用0.2%、補助金付公的雇用0.3% イリノイ、オハイオが世帯全体と両親同居世帯 にすぎず、他は就労準備のための勤労経験 の両方で高い参加率を実現している一方で、や 3.9%、OJTO.1%、求職活動5.0%、地域奉仕 はり7大州でもあるペンシルヴェニアがいずれ 2.6%、職業教育3.4%、技能訓練1.1%、雇用訓 でも10%程度の参加率しか達成できていない点 練教育1.1%、学校通学1.6%、活動参加免除 である。ニューヨークやテキサスは世帯全体の 1.9%、その他1.7%などとなっていたのである 参加率では全米平均を若干下回るが、両親同居 (重複参加あり)。 世帯の参加率では全米平均を上回っていた。こ 補助金なしの民間雇用に就いている者の比率 れは育児その他の問題を抱えて就労が困難な母 が全米平均よりも高かったのはアイオア 子家庭に対しては就労強制に手心を加える反面 (53.9%)、インディアナ(47.7%)、メイン で、比較的就労が容易な両親同居世帯に対して (41.3%)、ミシガン(39.8%)、イリノイ は厳しく就労を求めるといった配慮が働いてい (38.5%)などの24州であった。逆に全米平均 たものと思われる。 よりも低かったのはメリーランド(5.5%)、 2000年度の勤労活動種類別,月平均参加率を示 ウェストバージニア(6、2%)、テキサス した第6表を見ると、全米平均の参加者比率は (6.4%)、ウィスコンシン(7.7%)、ジョー 39.7%であるが、51州(DCを含む)のうち29 ジア(8.3%)などの27州である。人口が集中 州がこの水準を超えていた。参加者比率が最も する7大州に限れば、オハイオやイリノイは勤 高いのはウィスコンシン(88。9%)で、以下は 労参加者比率と補助金なしの民間雇用者比率の ワシントン(87.9%)、アイダホ(86。1%)、 両方で高く、カリフォルニア、フロリダ、ペン ユタ(78.1%)、モンタナ(72.3%)、カンザ シルヴェニアは勤労参加者比率では全米平均よ ス(70.3%)などの順となっている。逆に参加 りも低かったものの補助金なしの民間雇用者比 者比率が最も低いのはテキサス(14.8%)で、 率では高かったが、テキサスとニューヨークは 一 297 一一 経済学研究 第69巻第3・4合三号 第7表 独身母親と前年AFDC/丁ANF受給者の就労状況(単位:%) 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 既婚母親 6歳以下児童と同居 53.2 就 三 54.8 55.8 55.2 55.2 55.7 57.8 59.7 59.9 60.8 60.6 59.5 60.7 ? 一 R.5 Q.4 Q.8 S.0 S.2 R.7 R.6 R.3 Q.4 Q.8 Q.9 Q.3 Q.1 イ労働力 S3.1 S2.7 S1.2 S0.6 S0.4 S0.5 R8.4 R6.9 R7.6 R6.3 R6.3 R8.0 R7」 18歳以下児童と同居 就 労 60.9 62.3 62.7 62.1 62.9 63.3 64.7 66.4 66.8 67.6 67.1 67.1 67.7 ク 業 R.1 Q.5 Q.8 R.5 R.9 R.2 R.5 R.0 Q.4 Q.5 Q.7 Q.1 Q.1 R5.8 R5.1 R4.4 R4.3 R3.1 R3.4 R1.7 R0.5 R0.7 Q9.7 R0.1 R0.7 R0.0 38.4 35.8 35.3 36.0 38.5 39.1 39.0 39.7 41.2 39.3 42.3 労働力 貧困線水準200%以下の既婚母親 6歳以下児童と同居 34.7 就 忘 ク 業 労働力 38.3 U.0 S.3 S.2 U.1 U.8 T.9 T.9 S.6 S.2 S.4 T.2 R.9 R.9 T9.0 T7.4 T7.4 T8.0 T7.9 T7.9 T5.4 T6.3 T6.7 T5.8 T3.5 T6.6 T3.7 46.2 18歳以下児童と同居 就 労 40.4 42.7 42.6 40.5 41.0 41.8 43.7 44.2 44.4 44.6 44.5 43.4 ク 業 T.6 S.6 S.6 T.5 U.4 T.7 T.6 T.1 S.3 S.6 T.4 R.9 S.1 T3.8 T2.6 T2.7 T4.0 T2.6 T2.3 T0.5 T0.7 T1.3 T0.8 T0.0 T2.6 S9.6 6歳以下児童と同居 42.9 就 労 労働力 独身母親 44.5 47.8 46.0 44.0 45.8 46.4 50.1 52.6 57.6 58.8 61.9 64.5 ク 下 X.2 X.5 V.9 W.7 W.7 W.4 X.7 W.0 W.4 X.8 X.2 W.2 U.9 譏J働力 S7.8 S6.0 S4.3 S5.2 S7.3 S5.8 S3.7 S1.9 R9.1 R2.6 R2.0 Q9.8 Q8.5 18歳以下児童と同居 就 労 57.0 57.2 58.9 57.4 56.2 56.8 57.1 59.7 62.1 64.2 66.4 68.4 70.2 ク 業 V.3 V.3 V.2 V.4 W.0 V.3 W.1 U.9 U.7 W.2 V.2 U.1 T.6 R5.6 R5.5 R3.9 R5.1 R5.8 R5.9 R4.7 R3.4 R1.2 Q7.6 Q6.4 Q5.4 Q4.1 38.3 37.2 34.8 39.1 39.4 42.6 44.4 50.4 51.1 54.6 58.5 労働力 貧困線水準200%以下の独身母親 6歳以下児童と同居 34.7 就 労 36.4 ク 有 P0.4 P0.5 X.5 P0.0 X.8 X.1 P0.6 W.7 X.6 P1.8 P1.0 X.5 W.0 苻J働力 T4.8 T3.2 T2.1 T2.8 T5.5 T1.8 T0.0 S8.8 S6.0 R7.8 R7.8 R5.9 R3.5 60.8 18歳以下児童と同居 就 労 44.0 45.4 46.3 45.7 44.1 46.0 46.1 48.2 51.1 54.4 56.6 59.0 ク 藤 X.3 W.9 X.5 X.0 X.7 W.7 P0.0 W.3 W.6 P0.3 X.3 V.9 V.4 S6.7 S5.7 S4.3 S5.3 S6.2 S5.2 S3.8 S3.5 S0.4 R5.4 R4.1 R3.1 R1.8 ?労働力 (資料)OMce of Planning, Research and Evaluation, op. cit.より作成。 勤労参加者比率と補助金なしの民間雇用者比率 労政策を積極的に推進してきたにもかかわらず の両方とも全米平均を下回っていたのである。 雇用参加率では極端に低かったが、勤労経験で 勤労経験の比率はウィスコンシン(56.5%)、 は実に56.5%にも達しており、福祉離脱者が容 モンタナ(50.0%)、ワイオミング(23.7%)、 易に職に就けない状況を求職活動、地域奉仕、 オハイオ(21.7%)、ニュージャージー 技能訓練、雇用関連訓練、学校通学などと共に (18.2%)などの16州では全米平均(3.9%) 勤労経験によってカバーしょうとしていたと見 を超えていた。特にウィスコンシンは脱福祉就 てよい。またアイダホ、モンタナ、オクラホマ、 一 298 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 第8表 AFDC/TANF受給者の特徴(会計年度、単位:96) 1992 1990 1994 1996 1998 2000 人種別受給者 白 人 黒 人 39.1 38.9 37.4 35.9 32.7 31.2 39.7 37.2 36.4 36.9 39.0 38.6 ヒスパニック 16.6 17.8 19.9 20.8 22.2 25.0 ア ジ ア 人 アメリカ原住民 2.8 2.8 2.9 3.0 3.4 2.2 1.3 1.4 1.3 L4 1.5 1.6 年齢別 _ r _ 一 _ 一 一 一 一 一 『 一 一 20歳未満 20∼29歳 30∼39歳 39歳以 上 一 一 一 階 一 一 一 一 棚 } 一 一 層 一 一 一 一 一 曽 騨 層 髄 一 } 璽 一 鱒 一 r 一 薗 一 嘗 一 一 } 一 一 一 一 騨 嘗 一 7.7 7.1 5.9 5.8 6.1 7.1 46.3 45.9 44.1 42.3 41.4 42.5 32.5 33.3 34.8 35.2 33.8 32.1 13.4 13.6 15.2 16.5 18.6 胃 一 一 一 一 一 藺 一 一 幽 一 一 一 ρ 一 一 一 一 一 層 一 一 一 一 一 18.3 一 } 一 一 響 平均年齢(歳) 就 労 率 29.7 7.0 6.6 8.3 11.3 22.8 26.4 児童のみ世帯 11.6 14.8 17.2 21.5 『23.4 34.5 29.9 30.5 30.8 31.4 31.3 人種別児童 一 一 一 冒 ■ 一 一 一 一 一 } 一 一 白 人 黒 人 一 一 一 鼎 O 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 剛 一 一 一 一 ■ 層 一 甲 一一一一一 26.8 33.1 33.9 33.0 31.6 28.3 41.4 38.5 37.9 38.4 40.2 40.1 ヒスパニック 17.7 18.7 21.2 22.4 23.4 26.8 ア ジ ア 人 アメリカ原住民 3.9 3.9 3.6 3.8 4.2 2.8 1.3 1.6 1.4 1.4 1.5 1.6 (資料)OMce of Planning, Research and Evaluation, op. cit.より作成。 オレゴン、サウスダコタ、ユタ、ワシントン、 も40.4%から46.2%へと5.8%増加し、非労働力 ワイオミングなどの州もこの種のタイプに属す 率も53.8%から49.6%へと4,2%低下したのであ るものといえよう。 る。 そこで、前年に福祉(AFDC/TANF)を受給 これに対して独身母親世帯では、6以下の児 していた独身母親の就労状況(1988年∼2000 童と同居する母親の就労者比率は42.9%から 年)を既婚母親のそれと比較した第7表を見な 64,5%へと実に21.6%も上昇し(非労働力率は がら、その特徴を明らかにしておこう。既婚母 47.8%から28.5%へと19.3%低下)、6歳以下 親の就労者比率は1988年∼2000年に6歳以下の の児童と同居する既婚母親の就労者比率を 児童と同居する世帯では53.2%から60,7%へと 3.8%も上回るに至った。18歳以下の児童と同 7.5%増加し、非労働力率が43.1%から37.1%へ 居する独身母親の就労者比率も57.0%から と6%低下した。18歳以下の児童と同居する既 70.2%へと13.2%も上昇し(非労働力率は 婚母親の就労者比率も60。9%から67.7%へと 35.6%から24。1%へと11.5%低下)、やはり既 6.8%増加し、非労働力率も5,8%低下している。 婚母親のそれを2.5%も上回っていたのである。 貧困線水準200%以下の世帯に限れば、’6歳以 貧困線水準200%以下の世帯に限定すれば、 下の児童と同居する既婚母親の就労者比率は 6歳以下の児童と同居する独身母親の就労者比 34.7%から42.3%へと7.6%上昇し、非労働力率 率は34.7%から58.5%まで13.8%上昇し(非労 も59.0%から53.7%へと5.3%低下している。18 働力率は54.8%から33.5%へと11.3%低下)、 歳以下の児童と同居する既婚母親の就労者比率 18歳以下の児童と同居する独身母親の就労者比 一一 @299 一一 経済学研究 第69巻第3・4合併号 第9表 人種別TANF受給世帯構成比(2000会計年度、単位=%) 州 全 米 口 贈 , 一 一 層 輔 一 一 鵯 隔 一 一 一 ロ 一 幽 一 一 アラバマ ヒスハ 白 人 黒 人 二“ク 25.0 一騨一一一 31.2 一 囁 摩 一 一 アメリカ 州 β、 38.6 1.6 甲一一騨堺 輪一一囎鱒 ヒスハ 白 人 黒 人 二・ク アメリカ ,、主 ミズーリ 1.3 48.4 49.8 0.0 モンタナ 2.2 50.5 0.8 46.3 0.3 25.4 73.9 0.1 アラスカ 3.3 44.6 8.8 38.7 ネブラスカ 14.1 48.9 29.0 7.0 アリゾナ 40.6 29.4 9.8 18.8 ネバダ 12.0 41.9 28.0 2.6 1.7 33.5 63.8 0.1 ニユーハムプシヤー 3.3 93.3 2.8 0.1 カリフォルニア 44.6 24.6 23.8 0.3 ニュージャージー 26.2 13.6 59.4 0.1 コロラド 37.0 40.2 16.0 0.9 ニューメキシコ 62.1 19.3 4.5 14.0 コネティカット 37.8 27.3 34.0 0.2 ニューヨーク 37.7 19.1 42.0 0.1 デラウェア 8.4 28.3 62.2 0.1 ノースカロライナ 3.6 26.8 62.0 2.4 DC 1.1 0.2 97.8 0.0 ノースダコタ 1.9 38.1 1.8 57.5 21.5 26.6 51.6 0.0 オハイオ 3.1 44.2 52.3 0.1 ジョージア 1.3 20.6 77.6 0.1 オクラホマ 4.0 41.2 37.2 9.4 ハワイ 1.0 15.8 1.4 0.2 オレゴン 7.3 79.0 8.5 2.4 アイダホ 12.7 77.9 1.3 6.9 ペンシルヴェニア 12.5 34.5 50.3 0.0 イリノイ 8.8 15.4 73.1 0.4 ロードアイランド 28.4 44.5 13.5 0.3 インディアナ 5.1 47.2 46.5 0.0 サウスカロライナ 0.6 23.7 74.1 0.3 アイオア 3.9 76.7 16.7 0.8 サウスダコタ 0.8 18.0 1.6 79.4 カンザス 9.6 57.9 29.7 1.7 テネシー 0.5 37.5 61.6 0.1 ケンタッキー 0.5 76.8 21.9 0.1 テキサス 49.9 19.9 29.3 0.2 ルイジアナ O.4 14.0 85.1 0.2 ユタ 15.4 70.5 3.4 8.6 メイン 0.5 93.5 2.0 1.7 バーモント 0.5 97.1 1.6 0.3 メリーランド 1.1 20.3 75.5 0.2 バージニア 3.8 29.8 65.6 0.2 31.5 44.8 17.3 0.2 ワシントン 12.4 61.7 12.3 5.1 ミシガン 3.2 46.2 48.2 1.0 ウェストバージニア 0.0 88.5 10.7 0.0 ミネソタ 6.9 43.5 30.7 9.8 ウィスコンシン 6.3 25.4 50.5 3.1 ミシシッピ 0.2 15.1 84.5 0.1 ワイオミング 12.1 63.0 4.2 20.2 アーカンソー フロリダ マサチュセッッ (資料)OMce。f・Planni・g,・R・・ea・ch and Eva1・・ti・n,・P. cit.より作成. 後者よりも高くなったものと思われる。 率も44.0%から60.8%まで16.8%上昇しており (非労働力率は46.7%から31.8%へと14.9%低 では、福祉(AFDC/TANF)受給者はどのよ 下)、同一条件の既婚母親よりもそれぞれ うな特徴を持っていたのであろうか。まず、人 16.2%、14.6%ほど就労者比率が高かった。結 種別構成比を見ると、1990年頃2000年に白人は 局、独身母親は経済的により不利な状態に置か 39.1%から31.2%へと7.9ポイント、黒人も れ、1988年には既婚母親よりも就労者比率がむ 39.7%から38。6%へと1.1ポイントと縮小してい しろ低かったが、1990年代に州・地方が強制的 るのに対して、ヒスパニックは16。6%から な勤労福祉(脱福祉就労)実験を実施したため 25.0%へと8.4ポイントも増大している。また に就労へと駆り立てられ、2000年には就労率が 年齢別受給者構成比を見ると、最大グループで 一一一 @300 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 ある20∼29歳層が46.3%から42.5%へと3.8ポイ しかも7大州はすべて白人以外の人種が最大 ント減少し、20歳未満層と30∼39歳層もほとん の福祉受給者となっていた(白人が第2位の ど変化を見せず、39歳以上層のみが13.4%から 44.2%と高率なオハイオはやや例外)。ウィス 18.3%へと4.9ポイントも増加を示している。 コンシンやカリフォルニアなど厳格な勤労福祉 その結果、受給者の平均年齢は29.7歳から31.3 制度を導入した州はどちらかといえば白人受給 歳へと1.6歳ほど上昇したのである。 者の割合が低かった。白人が44.8%で最大の受 就労率も7.0%から26.4%に上昇した。また 給者となっていたマサチュセッツはやや例外的 受給者が児童だけの世帯も11.6%から34.5%に ではあるが、そのことが勤労福祉プログラムの 上昇している。そこで、児童受給者の人種別構 導入をめぐる同州の紆余曲折とある程度関連が 成を見ると、白人が33.1%から26.8%へと6.3ポ あるのかも知れないのである。 イント、黒人も41.4%から40.1%へと1.3ポイン ト、それぞれ減少したが、逆にヒスパニックは W 脱福祉世帯の現状 17.7%から26.8%へと9.1ポイントも増加してい [1]概 観 るのである。 そこで第9表を見ると、2000年度の人種二 一‘ ETANF受給世帯の構成比は黒人38.6%、白人 (1)福祉離脱者の特徴 31.2%、ヒスパニック25.0%となっており、黒 PRWORA成立以降における福祉受給者の劇 人の比率が最も高いが、州によっては白人やヒ 的な減少とそれに伴う就職準備、就労、及び結 スパニックが高い比率を占めている州も見られ 婚は貧困な親の福祉依存を終焉させることに繋 る。例えば、バーモント(白人比率97.1%)、 がるものと受け取られている。そこで、NSAF メイン(93.5%)、ニューハムプシャー (93.3%)、ウェストバージニア(88.5%)、 (アメリカ家族全国調査)のデータを見ると、 福祉離脱者と非福祉受給者はいくつかの共通点 オレゴン(79.0%)、アイダホ(77.9%)、ケ を持っていることが分かる。35まず両者の大多 ンタッキー(76.8%)、アイオア(76.7%)、 数は生活を就労によって支えていた。しかし、 ユタ(70.5%)などの24州では白人が最大の受 福祉離脱者は非福祉依存の貧困近傍及び低所得 給者となっていた(9州では受給者の7割以 母親と同様に底辺労働に従事して低い時間賃金 上)。ヒスパニックもニューメキシコ や月収を得ていたのである。また福祉離脱者の (62.1%)やテキサス(49.9%)などの5州で 1/4以上、貧困近傍及び低所得母親の大部分は は最大の受給者となっている。もちろん、黒人 夜間に働き、半分以上が児童保育と仕事のスケ もワシントンDC(97.8%)、ルイジアナ ジュール調整のために苦闘していた。 (85.1%)、ミシシッピ(84.5%)、ジョージ だが、NASFによれば、福祉離脱者の約20% ア(77.6%)、メリーランド(75.5%)、サウ は就労もせず、勤労配偶者も持たず、公的障害 スカロライナ(74.1%)などの20州では最大の 受給者となっており、その人口比率に比べて福 35 P. Loprest, “How FaTnilies That Left Welfare Are 祉受給者が多く、福祉改革の標的にされてきた。 h.tt−p://newfederalism.urban.org/html/seres−b/anCb 1.html Doing: A National Picture,” Urban lnstitute, 一 301 一一 経済学研究 第69巻第3・4合併号 第10表 福祉離脱者の離脱理由(単位:96) 収入増加や新しい職 69 管理上の問題や喧嘩 10 必要なし・不参加 7 家族状況の変化 6 他の源泉からの所得 5 新しい郡・州へ移動 4 その他 6 (資料)Loprest, op.cit.より作成。 第11表 最低1人の親が就労している世帯の比率(単位=96) 片親世帯の割合 両親の揃った世帯の割合 福祉離脱世帯 66 90 n困近傍世帯 U6 X1 瘴鞄セ世帯 V1 X4 (資料)Loprest, op.cit.より作成。 給付も受給していなかったので、何に依存して や低所得の母親と多くの類似点を持っていた。 生活しているのかが不明であった。また1995年 しかし、福祉離脱母親は他の2グループと同数 ∼1997年に最低1ヵ月間以上にわたり福祉を離 の児童を抱えていたものの、より幼い年少児童 脱した者のうち、約30%は福祉に舞い戻り、 を抱えていた。しかも福祉離脱母親は独身ない 1997年には給付を受給していたのである。 し配偶者なしが2/3で、貧困近傍や低所得の母 ところで、福祉離脱母親の特徴を明らかにす 親の1/3と比べて2倍にも上っていたのである。 るためには次のような最近2年間にわたり福祉 もちろん、福祉改革(脱福祉就労)の成否は に依存せずに貧困な生活を強いられていた母親 貧民の自活にあったので、福祉離脱母親やその と比較することが必要である。即ち、 (1)貧 配偶者の就労が重要な問題であった。福祉離脱 困近傍母親(18歳以上の児童を抱え家計所得が 母親は第10表のように69%が就労や収入増加の 公式の貧困線水準の150%以下)と(2)低所得 ために福祉から離脱していたが、それは貧困近 母親く家計所得が貧困線水準の200%以下)で 傍母親の50%や低所得母親の54%と比べても高 ある。なお、これら貧困近傍母親と低所得母親 かった。しかし、福祉離脱母親と非福祉受給グ は児童を抱えた母親全体のそれぞれ1/4と1/3を ループを家族のタイプ別に分ければ、両者の就 占めていた。 労率にはほとんど相違がなくなるといわれる。 福祉離脱母親は約2/3が高卒以下の学歴しか 福祉離脱母親の就労はサービス(全体の3/4)、 持たず、約15%が就労を困難にするような精神 販売や事務・管理職など、貧困近傍や低所得の 的・肉体的な状態に陥っているなど、貧困近傍 母親と同じ職種に集中していた。貧困近傍や低 一 302 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 第12表 世帯当たり月収額(単位:ドル) 第25百分位数 中位数 第75百分位数 福祉離脱世帯 776 1,149 1,921 n困近傍世帯 T81 P,031 P,694 瘴鞄セ世帯 U96 P,240 P,894 (資料)Loprest, op;cit.より作成。 第13表 非現金給付の受給(1997年、単位:%) 食糧スタンプ メディケイド受給成人 メディケイド受給児童 福祉離脱世帯 31 34 47 n困近傍世帯 P8 P7 R1 瘴鞄セ世帯 P3 P2 Q4 (資料)Loprest, oρ.cit.より作成。 所得の母親が自営業に福祉離脱母親よりも2倍 もいくぶん高かった。また福祉離脱勤労母親の ほどの割合で就労していることが職種における 平均月収は貧困近傍母親よりもやや多く、低所 最大の相違点であろう。というのも、非福祉グ 得母親よりもやや少なかった。例えば、福祉離 ループでは第11表のように両親の揃った世帯の 脱勤労世帯の中位月収は第12表のように貧困近 比率が高く、自営業が就労配偶者の所得に対す 傍勤労世帯の1,031ドル、低所得勤労世帯の る格好のパ・一・一・Lトタイム的補完となっていたから 1,240ドルと比較して1,149ドルであった。これ である。なお、福祉離脱母親の就労時間は貧困 は貧困近傍や低所得の母親の多くが就労中の配 近傍母親のそれよりも長時間に及んでいた。 偶者を持っていたという事情を反映していたの 福祉離脱母親は非福祉受給グループよりも在 である。 職期間が短かった。例えば、福祉離脱者の3/4 だが、福祉離脱母親の25%は就労しておらず、 は貧困近傍母親の1/2、低所得母親の1/2弱と比 配偶者がいないか失業しているかのどちらかで べて同一使用者の所で1年未満しか働いていな あったという。また無収入の福祉離脱者は44% かった。これは使用者負担の健康保険が貧困近 が少なくとも2年間就労しておらず、3%が一 傍や低所得の勤労母親の約1/3と比較して、福 度も就労したことがなかったのである。就労し 祉離脱母親では1/4弱にしか適用されていな ない理由は約1/3が家事、家族の世話、通学な かったことにもよるといわれる。 どの勤労以外に従事し、約1/4が病気、障害、 福祉離脱勤労母親の中位時間賃金は6.61ドル 労働不能などの状態にあった。他の約1/4は仕 で、全国最低賃金(調査時点で4.75ドル)より 事がなく、児童保育、交通や遠距離などの困難 もかなり高く、貧困近傍や低所得の母親のそれ な問題を抱えていたといわれる。なお、就労も (各中位時間賃金が5.83ドルと6.06ドル)より せず病気でも障害者でもない母親の69。4%は積 一 303 一一 経済学研究 第69巻第3・4合併号 極的に仕事を探していたのである。 く、大部分が時給6∼8ドルで働いており、平 非就労福祉離脱母親の半分弱は児童扶養手当、 均的福祉世帯(母親と子供2人)はたとえ常勤 社会保障(被保険者の遺族や扶養家族)、SSI 雇用に就いていても連邦貧困線水準を下回るよ (補足的保障所得)の3つの主要な所得源泉の うな所得しか得られなかったのである。福祉改 最低1つから収入を得ていた。児童扶養手当は 革:の成否は独身母親が勤労所得だけで自活でき これら世帯の所得源泉の34%、社会保障は17%、 るかどうかに懸かっていたが、女性の賃金、特 SSIは23%を占めていたのである。しかし、福祉 に母親の賃金は男子の賃金をかなり下回ってい 離脱母親の12%は何の収入もなく、これら3つ たのである(常勤雇用者の男女賃金比率は81%、 の源泉からも何の所得も得ていなかったという。 母親の収入は父親の2/3弱)。この賃金格差は なお、公的給付には食料スタンプ、住宅手当、 女性、特に福祉から離脱したばかりの女性が低 児童保育手当やメディケイドなどの現物給付制 賃金で、昇進の困難な介助職(caring 度も存在していた。福祉離脱世帯は第13表のよ professions)に集中し勝ちであったことから生じ うに貧困近傍や低所得の世帯と比較して遥かに ていた。しかも女性の多くが就く職種は賃金が 多くの公的現物給付を受給していたのである。 低いばかりでなく、仕事と家事を両立させるた めに不可欠な使用者負担医療保険のような重要 な就労支援を享受できなかったのである。 (2)福祉離脱世帯の困難 PRWORAは2002年に期限満了となるので、 議会が再承認するか、修正を行う必要があった。 (3)就労後の貧困 しかもPRWORAが導入した給付期限に基づき 1996年PRWORAは貧民が福祉を離脱して自 福祉から脱却させられた福祉離脱者の大部分は 活できるように就労を援護すると謳っていたが、 その後就労したが、必ずしも家族の生活を支え それは5年後に至ってもあまり成果を挙げては るに足るだけの収入を得ていなかった。その主 いないといってよい。なるほど福祉離脱者の約 な原因は男女賃金格差が福祉離脱母親の多くに 2/3は力強い経済のお陰で福祉名簿からは離脱 不利に働いていたからである。しかし、福祉離 し、少なくとも短期間だけならば労働市場にも 脱母親にとって幸運だったのは脱福祉就労改革 参入することができた。しかし、こうした好条 が最近40年間で最長の経済的好況の最中に実施 件の下においても、就労した福祉離脱者が貧困 されたために、低失業率が維持され、彼女達の から抜け出すことは困難だった。というのも、 50∼60%が少なくとも何らかの雇用に就けた点 彼らが就労する低賃金職種は安定した見苦しく である。36 ない生活水準を維持できるだけの賃金を支払っ もちろん、良いニュースばかりではなかった。 てはくれなかったからである。その結果、1990 福祉離脱母親の全てが常勤職に就いていた訳で 年忌末の経済ブーム期においても約3,700万人 も福祉離脱後に一貫して就労していた訳でもな が食料、住居や医療などの基礎的な必需品を十 分には享受できず、幼児を抱えた勤労世帯の 36 H.Boushey,“Congress Must Do More Support Mothers,” The PhiladelPhia lnquirer, August 22, 2001(Viewpoint, Economic Policy lnstitute) 1/3が収入だけでは十分に暮らしていけなかっ たのである。 一 304 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 ところで、EPI(経済政策研究所)は連邦貧 上の深刻な困難(生命の脅威に晒される困難) 困線水準が尺度として不十分であった点を改善 を経験したのである。また子供2人の片親世帯 するために、全米の各地域について「基礎的家 はその70%が家族生計費水準を下回っていた。 族生計費」を試算した。家族生計費は家族構成 独身母親世帯は困難に直面する可能性が最も高 や居住地に基づいて住居、保育、医療、食料、 く、福祉受給者の9割が独身母親であることを 交通費やタクシー代を含めて1世帯が必要とす 勘案すれば、近年の福祉改革はこれらの世帯が る全生活費目のコストを網羅していた。もちろ 物質的な困難を回避するために必要としている ん、家族生計費概念の重要な目的は家族が雇用 援護を無視してきたといってよい。 によって自活する上で必要とする所得を測定す 福祉離脱就労世帯は経済が好況であった1990 る点にあった。37 年代末においても物質的な困難を軽減されな その結果、片親と12歳以下の児童2人からな かった。実際、福祉離脱後間もない家族は最低 る勤労世帯の基礎的家族生計費はハッティス 1回以上の危機的な困難を経験した世帯の比率 バーグ(ミシシッピ州)の21,989ドルからナッ が34%から44%に却って増加している。2回以 ソー・サフォーク郡(ニューヨーク州)の 上の危機的な困難を経験:した世帯の比率も8% 48,606ドルの範囲内にあると推定された。また から12%に上昇していた。これとは対照的に福 基礎的家族生計費は全国的に見て連邦貧困線水 祉に留まった家族は困難を経験した世帯の比率 準のおよそ2倍に相当していた。従って、アメ が1997年∼1999年までほとんど変化しなかった リカの貧困定義は基礎的家族生計費の約1/2を のである。 カバーするにすぎなかったので、生活困窮家族 の比率を著しく過小評価することになっていた。 (4)経済的好況の限界 実際、1990年代記に12歳以下の児童を1∼3人 1990年代末に経済は完全雇用に近づき、底辺 抱えた勤労世帯は28%が基礎的家族生計費水準 労働者の賃金も上昇した。中位及び底辺労働者 を下回っていた。また困窮に陥る家族の割合は の賃金は15年以上にも及ぶ低下の後に1995年∼ 経済ブームのピーク期である1997年∼1999年に 1999年に急上昇した。例えば、最底辺労働者 おいてもほとんど減少しなかったのである。 10%のインフレ調整後賃金はこの時期に9.3% 家族生計費水準にある世帯の約30%は1990年 も上昇している。この底辺労働者の賃金上昇に 代末に最低1回以上の危機的な困難(家族の生 よって1970年代に拡大した賃金格差は鈍化した。 活状態に長期的不利益をもたらす困難)に直面 しかし2000年に景気が再び後退したために、低 している。しかも、その72%以上は最低1回以 賃金労働者は就職が困難どなったばかりではな く、再度の賃金低下に見舞われる恐れが生じて 37 H.Boushey, “The needs of the working poor:Helping working families make ends meet,” This Testimony was presented by EPI economist Heather Boushey before the U.S. Senate Committee on Health Education, Labor and Pension, on Thursday February 14,2002 (Viewpoint, Economic Policy lnstitute).生活費には大学や退職後に 備えた貯蓄、レジャー活動資金のような「贅沢な費 用」は含まれていなかった。 きた。実際、家計を支える女性の失業率は2000 年12月∼2001年12月に5%から8%にまで上昇 している。特に福祉離脱者の多くは就労歴が短 いので、不況の際には最初にレイオフの対象と なる可能性が極めて高かったのである。 一一 @305 一 経済学研究 第69巻第3・4合記号 もちろん、福祉離脱者の多くはもはや福祉に 1,440万人をピ■・・一クに2001年9月には530万人と 戻ることができなかった。というのも、福祉受 63.2%も減少したのである。1994年3,月以降に 給世帯は既に2002年1月までに36州において給 おける全米の.月平均受給者数の減少は3/4以上 付期限の満了を迎えていたからである。 がTANF導入以降に生じている。これはアメリ PRWORAは最長5年の生涯給付期限を課して カの公的扶助プログラムの歴史における最大の いたが、8州は更に短い生涯期限を導入し、14 減少であった。しかも2001年度のTANF受給者 州は連続受給期間を短くする政策を実施してい 数540万人は1967年度以降で最低の数字であり、 た。しかも就労した福祉離脱者は低賃金や断続 また1961年度以降で最低の扶助受給比率(対人 的な就労などのため失業手当の受給資格を得る 口比)でもあったのである。 のに必要な勤務歴を積むことが難しかったので 勤労参加率は全米平均では1999年度∼2000年 ある。今後、仮に現金扶助の必要性が増加して 度に38.3%から34.0%へと4.3ポイントも低下し も、州はほとんど対応できないであろう。一括 ている。しかし、その約63%は参加率算入基準 補助金は州に必要とは無関係に毎年TANFプロ である必要参加時間数が25時間から30時間に引 グラムの下で同額の福祉資金を交付する制度で き上げられた結果であったといわれる。また両 あった。多くの州が過去5年間にわたって 親の揃った世帯の参加率も全米平均で1999年度 TANF資金を保育や通勤などのプログラムに注 ∼2000年度に54.7%から48.9%まで低下してい ぎ込み、その多くが福祉に依存してない貧困世 る。なお、州別では2000年度の勤労参加率は21 帯によって利用されてきたからである。例えば、 州で上昇し、32州で低下した。両親の揃った世 全米ではTANF一括補助金の43%のみが現金扶 帯の勤労参加率も15州で上昇し、19州で低下し 助に使われていたのである。 たのである。38 とはいえTNFF受給者及び福祉離脱者の雇用 は劇的に増加している。TANF受給者の就労率 [2]TANFの現状 は1996年度∼2000年度に11%から33%に上昇し 2000年度のTANF支出総額(連邦資金と州努 た。しかも2000年度には、勤労TANF受給者の 力維持(MOE)資金の合計)は前年度より14 大多数が有給雇用に従事し(勤労受給者の80%、 億ドル多い240億ドルに上った。このうち現金 全受給者の26%)、残りは勤労経験や地域奉仕 扶助支出額は115億ドルで前年度よりも19億ド などに就いていたのである。また勤労TANF受 ル減少したが、TANF受給世帯向け保育支出額 給者の月収も1996年度466ドル、1998年度533ド は12億ドル増加して32億ドルに達している。就 ル、1999年度598ドル、2000年度668ドル、とそ 労支援活動支出額も前年度より5億ドル多い23 れぞれ14%、12%、12%の増加を示している。 億ドルとなっていた。 3832州とDC、グアム以外の州・三州には両親の揃っ た世帯向けプログラムがない。15州は両親の揃った もちろん、TANF受給者数の減少は2001年度 も続いている。同年度末のTANF受給者数は 540万人で、1996年度のAFDC受給者数を56% も下回っていた。受給者数は1994年3月の 世帯を別のプログラム・努力維持(SSP−MOEプログラ ム)の下に配置していた。なお、2000年12月には28州 がTANFプログラムの下で、就労参加率や労働力化率( 職の保持と収入増加率)などの基準に基づき高実績奨 励金を交付されている。 一 306 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 児童貧困率は1996年∼2000年に20.5%から ている。なお、2000年度には約160万人が父親 16.2%にまで低下し、1978年以降で最低の水準 として認定され、扶養責任を義務付けられた となった。もちろん、児童貧困率は親の婚姻状 (1996年度の110万人より47%増)。この養育 況や人種などによって大きな相違があった。例 強制プログラム(CSE)は2000年度には対前年 えば、貧困率は既婚夫婦世帯の児童では8.2% 度比12%増の180億ドルを徴収したいう。 にすぎなかったが、女性家長世帯の児童では 州は福祉受給者の困窮が予想される場合には、 40%にも達していたのである。黒人やヒスパ 罰則なしに受給者の20%まで60カ月間の制限を ニックの児童貧困率は依然として白人非ヒスパ 超えて連邦資金による扶助を継続することがで ニック児童の3倍以上に上っていたが、過去6 きた。40現在、38州が生涯60カ月間の給付期限 年間に劇的に低下した。 を導入しているが、6州(カリフォルニア、 私生児出生率も1995年∼1998年にDC(4.13%)、 DC、メリーランド、ネブラスカ、ニューヨー アリゾナ(1.38%)、ミシガン(1.34%)、アラバマ ク、ロードアイランド)は期限満了後に成人受 (0.29%)、イリノイ(O.02%)などの5州で低下 給者の扶助が打ち切られた後にも当該世帯の児 し、1億ドル(各州2,000万ドル)の奨励金を 童に対しては扶助を継続していた。サウスダコ 交付された。とはいえ未婚出産率は数十年間の タとコロラドも条件付ながら児童に給付を続け 急増後に1990年代後半に至ってようやく横這い ている。さらに3州(アーカンソー、コネティ (32∼33%)状態となったにすぎなかった。39 カット、アイダホ)が24カ月以内、4州(デラ TANF世帯の人種的特徴は2000年度において ウェア、フロリダ、ジョージア、ユタ)が36カ もほとんど変化が見られなかった。即ち、 月∼46カ月の生涯給付期限を設けていた。対照 TANF世帯に占める比率はそれぞれ黒人39%、 的にマサチュセッツとミシガンの2州は生涯受 白人31%、ヒスパニック25%の割合であった。 給期限を設けておらず、州資金を使って60カ月 それ以外では、アメリカ原住民が1.6%、アジ を超える現金給付を行っていたのである。 ア系が2.2%を占めていた。新規に認定された TANF世帯でも、黒人が39%、白人が37%、ヒ [3]ブッシュの福祉改革案 スパニックが20%をそれぞれ占めており、ほと んど変化がなかったといってよい。 1996年PRWORAは全国的な福祉政:策におけ 家族構成を見ると、TANF世帯には福祉受給 る転換点を画することになった。新しい政策は 児童が平均で2人いた。成人受給者はTANF世 就労を促し、私生児出生率を減らし、婚姻を奨 帯の60%で1人、4%で2人以上いたが、35% 励することによって個人責任を鼓舞しようとし では全くいなかったという。福祉受給児童のみ ていたのである。もはや労働可能な成人は就労 の世帯は過去数年間に絶対的にも相対的にも増 加し、1996年度∼2000年度に約20万人も増加し 40 アリゾナ、コネティカット、デラウェア、ハワイ、 インディアナ、ネブラスカ、オレゴン、サウスカロ ライナ、テネシー、バージニア、バーモントの11州 は特定の世帯に対して期限満了を免除したり特定の 39TANFの家族形成活動は限られていたので、アリゾ ナ、オクラホマやユタのように独自な取り組みを始 状況下で扶助受給月を期限に算入せずに受給者の 20%枠に抵触せずに60ヵ月を超えて現金扶助を行っ める州もあった(結婚奨励金など)。 ていた。 一一 @307 一 経 済 学 研 究 第69巻 第3・4合併号 せずに福祉に依存し続けることができなくなっ 58%から73%に上昇している。しかも就労の増 た。福祉受給者は福祉から脱却して就労する強 加は低所得の母親の間で最も顕著であった。特 い金銭的誘引を与えられ、保育や医療などの就 に未婚母親は教育水準が最も低く、就労経験も 労支援サービスも提供されることになった。ま 最も乏しかったので、10年以上にわたって福祉 た州・地方政府は福祉に関して以前よりも大き に依存し続けることが多かった。だが、未婚母 な権限を与えられ、様々な就労支援策を実施で 親の就労率は1995年∼2000年に46%から66%に きるようになったのである。 まで上昇し、史上最高の水準に達したのである。 これらの結果として福祉受給者は未曾有の減 このように福祉改革が福祉受給者の減少と就 少を示し、低所得世帯家長の雇用や収入も増加 労の増加に成果を挙げてきたことは明白である し、児童(特に黒人児童)の貧困率も低下を続 が、就労の増加が女性家長世帯の経済的福祉を けている。また私生児出生率が最近数世代で初 十分に向上させたかどうかについては疑問の余 めて横這いとなり、最近5年間に限ればほぼ一 地が残っている。母親家長世帯は1993年∼2000 定にとどまっている。そこで、ブッシュ政権は 年に福祉収入が減少する一方で、勤労所得が増 1996年PRWORAの実績に基づき、その権限を 加した。例えば、これらの世帯は現金や食料ス 再付与するために就労促進、片親世帯の援護と タンプからの福祉所得を2,500ドル失ったが、 婚姻促進による家族の強化、社会計画の権限と 勤労所得やEITC(勤労所得税額控除)からの 責任の州・地方委譲などの柱からなる詳細なプ 収入増加(平均5,300ドル)によってそれを相 ランを作成した。41 殺し、結局1993年∼2000年に所得を25%以上増 福祉からの脱却は1990年代半ば以降の好況期 加させたといわれる。しかし、所得増加がその に顕著になったので、2001年3月以降の景気後 程度に留まるならば、就労に伴って保育や医療 退に伴って逆転現象が起こるかも知れないと懸 の費用が増加するので、女性家長世帯が生活水 念されきた。確かに福祉受給者数は1990年代半 準を向上できるかどうかは疑問といわざるをえ ば以降で初めていくつかの州で増加に転じたが、 なかった。 全米の福祉受給者数は2000年9,月∼2001年9月 また福祉改革は児童の貧困化を招くのではな にも僅かながら減少傾向を維持している。この いかと懸念されたが、雇用と所得の増加に伴っ ように景気後退に伴って福祉受給者数の減少に て児童貧困率はむしろ低下した。児童貧困率は もブレーキが掛かっており、今後も減少傾向が 1993年∼2000年に22.7%から16.2%まで3割も 続くかどうかは予断を許さない状況になってい 低下し、1978年以降で最低の水準に達したので るといえよう。42 ある。もちろん、黒人児童の貧困率も同様に最 女性家長の就労も1990年代半ばから劇的に増 低水準にまで低下している。確かに女性家長世 加した。1995年∼2000年に独身母親の就労率は 帯の児童貧困率は既婚夫婦世帯のそれの5∼6 倍と高水準にある。女性家長世帯の児童貧困率 41 Working Totvard lndePendence,p.1. はその児童数が1970年代初頭以降増加傾向を 42 ブッシュ政権は最近、失業率の上昇に見舞われた 州に追加資金を交付するために20億ドルの偶発損失 辿った結果として上昇し、1993年には過去30年 積立基金を設けることを提案した。 間で最高水準の23%に達した。しかし1990年代 一 308 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 半ば以降、女性家長の多くが就労して勤労所得 じた余裕資金を使って就労支援や家族形成i援助 を得るようになると共に児童の貧困率も低下し などを実施することができたのである。 始めたのである。 これらの実績を踏まえ、1996年PRWORAの さらに1996年PRWORAは福祉依存や暴力な 権限再承認に際して、ブッシュ共和党政権は どの社会問題の原因ともなっていた私生児出生 TANFの成果や連邦と州の協力体制を維持する や片親世帯の問題にも初めて取り組むことに ために以下のような提案を行った。まず連邦政 なった。州は連邦資金を使って私生児出生を減 府は現行TANF一一・括補助金額を維持し、2003∼ らし、両親の揃った世帯の児童数を増やすプロ 2007年度について年166億ドルの支出権限を認 グラムを実施する大きな裁量権を与えられた。 める。一方、州は努力維持(MOE)要件に基 こうして父親確認規則の強化、児童養育強制プ づく拠出の継続に同意する。因みに1996年 ログラムの整備、10代の母親の学校通学強制、 PRWORAは州がマッチング・ベースでTANF支 禁欲教育プログラムなどが実施されるに至った。 出額の最低80%を拠出することを義務付けてい その結果、未婚母親の出生率は横這いとなり、 た。ただし州が指定勤労参加率を達成すれば、 10代の母親の出生率も1991年以降逓減傾向を示 この金額は75%にまで減額された。これら両方 し、2000年には1960年代の水準にまで低下した の特徴は1996年PRWORAの権限再承認に際し のである。 ても維持される。また補足的補助制度が人口の 以上のようにアメリカの勤労福祉制度(脱福 急増に見舞われたり、歴史的に福祉支出が低 祉就労政策)は①制裁や期限に裏打ちされた就 かった州を援護するために設けられていたが、 労要件と、②低所得勤労世帯を援護するための 2001年度末に廃止されるに至った。ブッシュ政 プログラム(メディケイド、保育、児童扶養税 権はこの補足的補助を復活させ、2001年度と同 額控除、EITC及び食料スタンプ等)43、を通じ 水準の年3.19億ドルの充当を提案した。さらに て福祉母親の求職や就労を支援し、福祉受給者 「扶助」と「非扶助」の項目区分を明確化する 数を過去30年間で最低の水準に減らし、独身母 ことによって、州が福祉に依存しない失業者に 親の就労を史上最高の水準に押し上げてきた。 「非扶助」とされた保育その他の就労援護サー 特にPRWORA施行に伴うTANFの導入は連邦と ビスをより提供しやすくする措置なども提案し 州の新しい協力体制を作り出すことになったの たのである。 である。連邦政府は福祉受給者の自活を促すと いうTANFの目標を達成するために合理的に資 むすび 金を支出する広範な裁量を州に与えた。一方、 州政府は一括補助金の裁量的運用と引き換えに、 アメリカの福祉受給者数は1990年代半ば以降、 受給者が増加した場合の追加的費用負担という 経済の好調にも助けられて劇的な減少を示して 財政的なリスクを引き受けた。幸いにもTANF きたが、2001年3.月以降の景気後退に伴って逆 は順調に機能し、州は受給者の激減によって生 に増加に見舞われる州が続出している。経済的 43これらのプログラムの給付は最低賃金職を時給8ド ル支給の職種と同等のものに押し上げた。 好況はこれまで受給者の福祉離脱と就労を促進 してきた最大の要因でもあり、今やその条件が 一 309 一一 経済学研究 第69巻第3・4合併号 失われようとしているのである。しかも、福祉 目覚しい成果を挙げてきたので、特に修正の必 受給者数は1990年代後半の激減の結果、福祉爆 要がないと看倣されたものと思われる。しかし 発前の1960年代半ば頃の水準にまで減少し、就 ながら、給付期限(一生涯5年)は1996年 労可能な者の大部分が既に福祉から離脱してい PRWORAの制定時には福祉依存を撲滅し福祉 たので、そもそも受給者数を更に圧縮すること 離脱と就労を促進するための切り札と考えられ は極めて困難な事といわざるをえなかった。そ ていた。またそれゆえにPRWORAは5年の時 の意味で、アメリカの勤労福祉制度(脱福祉就 限立法とされ、州に対する一括補助金も5年間 労)は現在、剣が峰に立たされているといって だけ定額で維持することとし、その後は大幅に よい。 削減することを予定していたのである。しかる 例えば、全米の福祉受給者数は2000年12,月∼ にブッシュ政権は2002年に失効する1996年 2001年12Aに5.4%減少したが、州別(ワシント 置RWORAの権限を再承認するに当たって、 ンDCを含む51州)で見ると、ネバダ(44.8%増)、 2003∼2007年度も従来の一括補助金額を維持す アリゾナ(32.9%増)、サウスカロライナ(23.8% ることを表明した。恐らく同政権も2001年以降 増)、インディアナ(22.1%増)、モンタナ(19.5% の経済停滞がアメリカの勤労福祉制度の前途に 増)などの25州は受給者数を却って増加させて 暗い影を投げ掛けていることを敏感に感じ取っ いる。その中にはウィスコンシン(13.4%増) ていたのであろう。 やマサチュセッツ(3.7%増)など従来厳格な いずれにせよ21世紀に入って、アメリカ型勤 勤労福祉制度を実施して成果を挙げてきた州な 労福祉制度が曲がり角に来ていることは疑いな ども含まれている。一方、福祉受給者数を減少 い。というのも、就労可能な福祉受給者の大部 させている州はニューヨーク(30.7%減)、イ 分は既に就労を強いられており、残された福祉 リノイ(25.8%減)、ニューメキシコ(23.6% 受給者はほとんどが就労困難な人々であるから 減)などの26州であった。2001年9月∼12月の である。また2001年初頭からの経済停滞が労働 時期に限れば、全米では受給者数が1.0%減少 市場の縮小を招き、福祉受給者の就労を困難に しているが、35州ではむしろ増加傾向が見られ しているからでもある。これまで述べてきたよ たのである(減少15州、増減なし1州)。 うに、1990年代後半以降における福祉受給者の こうした折も折、1996年PRWOR(1997年7 激減は何よりもまず経済的好況の恩恵に帰せら 実施)が2002年6月に5年の時限立法の満期を れなければならない。つまり勤労福祉制度の成 迎えることになった。もちろん、同法は一括補 否は経済の好不況によって大きく左右されるざ 助金の大幅減額などの修正後に延長することが るを得ないのである。しかも勤労福祉制度が単 当初から予定されていたが、2002年にブッシュ なる財政赤字対策のための福祉切捨てを目的と 大統領が行った提案は補助金の減額を行わず、 しているのではなく、福祉世帯の自活を目指し 基本的に1996年PRWORAの権限をほぼそのま ているのだとすれば、福祉離脱者に生活可能な まの形で再承認する内容となっていた。追加・ 賃金を保証しなければならない。この点ではア 修正される重要項目はほとんどなかったのは同 メリカ型勤労福祉制度は輝かしい成果を挙げた 法に基づく勤労福祉制度(脱福祉就労政策)が とされる1990年代後半においても何ら見るべき 一 310 一 アメリカ型勤労福祉制度の成果と限界 実績を示して来なかった。 に願っているのだろうか。単なる財政赤字対策 このようにアメリカ型勤労福祉制度は厳しい としての福祉切捨てを狙っているだけなのであ 制裁をテコに専ら経済的好況という天佑を得て ろうか。 受給者数を激減させるという成果を挙げてきた また、経済的好況という条件は存在するのだ が、福祉世帯の自活という点では失敗している ろうか。等々と次々に疑問が沸き起こってくる。 といわざるをえない。にもかかわらずカナダや この疑問に答えるためにもこれらの諸国の勤労 イギリスなどの諸国は相次いでアメリカ型勤労 福祉制度を分析する必要があるが、それは次稿 福祉制度を導入しようとしている。これらの諸 に譲らなければならない。 国はいったい何を目的としてその導入を図ろう 〔九州大学大学院経済学研究院教授〕 としているのだろうか。福祉世帯の自活を真摯 一 311 一