...

集会委員会主催のマダガスカルに参加して 倉井 登代 記

by user

on
Category: Documents
20

views

Report

Comments

Transcript

集会委員会主催のマダガスカルに参加して 倉井 登代 記
集会委員会主催のマダガスカルに参加して
倉井
登代
記
10 月 2 日バンコク乗替えアンタナナリブ(略称タナ)着、狭い喧騒の国際線、入国手続
き、荷物受け取りに1時間 30 分かかり深夜、空港近くのホテルに着いた。宿は標高 1500
mの高原、ベランダの下で早起きメンバーが、バラの木にいる2匹のカメレオン見つけ撮
っていた。1960 年にフランスから独立したことからか、朝食はフランスパン、クレープ、
スクランブルエッグと飲み物に民族音楽演奏つき。楽器は三種類で手作り、2枚の板を張
り合わせ共鳴箱に穴を開け、10 本の弦を張り、柱(じ)で音程を調節、両膝ではさみ立て
て弾く弦楽器、打楽器はアフリカで見るもの、音色は、東南アジア、アフリカ、アラブが
ミックスしたような哀愁があった。
サザンクロス街道941mを南下、中央高地棚田を行く
タナ郊外に出ると、河川敷は大勢の人が川で洗濯、川岸では華やかな色とりどり衣類を
広げて干してある。一方、同じエリアではレンガ造り、土を掘り一個一個型を整え、山状
に積み上げ、燃料の薪を運ぶ人、焼いている最中のレンガの山、道路沿いは焼きあがった
赤茶のレンガを即売する山、無数の赤レンガの山に驚いた。洗濯屋、レンガ屋、全て手仕
事、一大産業を目にした。その後も河川敷で洗濯風景と、水田の土でレンガ造りを何度も
目にした。中央高地の山は赤茶の土、斜面を利用した棚田が続く。棚田の所々に 3 階建て
の赤レンガ造りの家が5~6軒固まってある。これで村を形成している。電線がないから
写真を撮るのに好都合、忘れ去られた空気を感じたが、枯れ草の中にはビニール、プラス
チック系ごみが沢山絡んでいる。カーブが多い山間部では街道沿いに 10 袋位の袋詰めの炭
が並んで売っていた。このあたりの民家では 3 階で炭火で料理するらしく、小窓にすすの
跡がある。このような風景を繰り返す街道を4時間ぐらい走り続けて、第 3 の都市アンツ
ィラベに着いた。町にはカラフルな人力車が何十台も道路脇で客待ちし行き交う人達が明
るい。立派な大聖堂、ピンクサファイア、寄せ木細工、彫刻が有名な町。木造民家はベラ
ンダに彫刻が施され、ヨーロッパアルプスの雰囲気があった。次の日もサザンクロス街道
南下、街道沿い民家は平屋の土壁に変わり、軒先でミニトマト、ミニ玉葱、生姜などを一
山に重ね売る店、アルミのやかんに湯のみ茶碗を置いた店等が数十メートル続く、これで
ひとつの村。フランス人が経営するワイナリは高原にあり立地条件は良いと思ったが巨大
なコンクリートの中で熟成させる説明を受け驚いた。試飲したが酸味が強く、透明度がな
い。丘陵地帯を走りアンパラヴァウに着いた。明日からテントで3泊4日の登山。
(登山中の紀行は佐藤登代子さんが担当→後記)
山を降りてきて居心地の良いチャラソアキャンプ場(フランス人経営)に一泊して鋭気
を養う。大型トラックの荷台に荷物と一緒に1時間ぐらいゆられ、再びサザンクロス街道
を南下する。地平線を分ける1本の道がどこまでも続き 2 時間ぐらい走った。一枚岩のマ
ダガスカルエアーズロックと奇怪なゴッゴッした砂岩の山塊が続いた。時より牧童に導か
れた数十頭のコブ牛の群れが道路沿を土煙を立てながら歩いている。バオバブの木が見え
始めると直射日光と乾燥は一段と厳しい。このあたりはアフリカ系住民の村、家は身長よ
り低く、枝と草、直射日光がやっと避けられる程度の造りである。ここで車を止めバオバ
ブを撮ろうとした時、乳飲み子を布にまき、抱っこして現れた何組もの若き母親、食べ物
をねだる目が険しい乳飲み子は明らかに栄養失調、子供達も食べ物をねだる険しい目、車
は集団に囲まれ危くなってくる。何と厳しい人生なのか。この村を1kmぐらい離れた所
には携帯用電波等がある。草原のかなたまで焼畑の跡、左手の草原に目新しい平屋の大き
い建物が見える。アメリカ人のとうもろこし畑とのこと。こうしてタナからトゥリアーラ
までサザンクロス街道941kmを走破した。
タナの街にて
沼を中心にして栄えた街、人々の移動は階段を利用するかミニバスに乗って移動するか。
膨大な数のミニバス、フロントガラスに番号がついている。車掌が後ろのドアーをあけ料
金を受け取る。混雑しているのに信号がない。貧富の差もすさまじい。自家用車で登下校
する子、年長の人と一緒に登下校する子、清潔な服を着ている。かたや大きいお腹の幼児、
ビニール、プラスチックのごみが目立つ路地裏生活、目は不安そうなうつろな表情。教育
を受けられる子は都市で50%だそうだ。喧騒の街を出て東へ、水田が広がる、田植えの
季節らしく、耕す、代掻き、植えつけ、全て人の手でやっている。驚いた。街道沿いでは
山積みパイナップル、バナナ、野菜、鉢植えの欄まで売っていた。車も大型トラック、タ
ンクローリーが目立つ、車種はベンツがなぜか多い。ミニバスもベンツだった。サザンク
ロス街道とはかなり違った。2009 年にクーデターがあり現在は暫定政権、来年は大統領選
挙が行われるそうだ。この国の平均寿命は女性 53 歳、男性 57 歳だとのこと。我らグルー
プの平均年齢は 60 才後半、ピックボビー峰に 10 人も登頂した。この国の人達は我らグル
ープの成果をどう見るだろうか。
マダガスカル第 2 高峰 ピックボビー(2658m)に登頂して
佐藤
登代子
記
出発して 4 日目(10 月 5 日)にアンバラバオ(標高 1000m)から4WD 車でアンドリンギ
チャ国立公園の中のアンタニフツィ(標高 1600m)へ向かい登山を開始する。標高 2000m
のキャンプ地まで登る。テント生活 1 日目の夜は思いのほか寒く、気温 5 度以下のようだ。
オールシーズンの寝袋では薄く震えた。これでもこの国では心のこもった温かい寝袋のよ
うだった。夜は星空観察、どこにいても満天の星空・・・天の川、南十字星が輝き、その
光をまるで浴びているかのように近くに感じながら眺めた。
5 日目(10 月 6 日)いよいよ登頂の日、ここでは毎日雲一つない真っ青の空が続く。7 時
出発、アンドリアンポツー(2050m)のキャンプ地まで約 1 時間 15 分なだらかな道を歩く。
キャンプ地からはー歩一歩石段を踏みしめ、岩山をマダガスカル語で「ムーラ・ムーラ」
(ゆ
っくり)と登る。太陽が高くなればなるほど日差しが痛いほどに照りつける、気温もうな
ぎのぼりだ。熱中症に弱い人もいて、途中弱音を吐く人も出るが、お互いに励ましあう。
この山頂上附近は岩陵だが、滑ることは無く歩きやすい。12 時ついにピックボビー(PIC
BOBY・犬の名前とか)登頂。三角点はなく大きな石でできたピラミットがあり、横に 1956
年フランスの人の登頂記念のプレートが埋め込まれていた。頂上からの景観は花崗岩の山
また山の連続、どこを見ても岩山、素晴らしい眺望だ。現地ガイド曰くこの山では「日本
人初登頂」とのこと。日本山岳会が初登頂(?)「やったー!」この感激は忘れられない。
13 時下山を始めるが気の緩みか急に足が重くなる。1 時間ごとに日陰を求めて休憩し、
16 時過ぎキャンプ場へ帰着。テント 2 日目は共同だがトイレも完備、シャワー(水)もあ
る。夜はポーター達がかがり火を囲んで歌・踊りも披露してくれ楽しかった。
6 日目(10 月 7 日)昨日登頂した山の麓の山々を横に見ながら歩く。イアンタラノンビ
ー(標高 1683m)を経由してチャラソア(標高 1100m)までの下山と長丁場の平地を 25km
歩く。4万歩弱、暑い中歩いても歩いても着きません。やっとの思いでバンガローに辿り
着く。おとぎの国のような可愛いレンガ造りのバンガローでビールがおいしかった。
以上
Fly UP