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宮脇 昭 - K

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宮脇 昭 - K
2009年度第4回物学研究会レポート
「植樹のこと、命のこと、社会のこと−生物社会のおきて−」
宮脇 昭氏
(植物生態学者、(財)地球環境戦略研究機関国際生態学センター長)
2009年7月22日
1
BUTSUGAKUResearchInstitute vol.136
第4回 物学研究会レポート 2009年7月22日
宮脇昭さんが目指す植樹は「鎮守の森の再生」です。それは、土地本来の特性に着目した「潜在自
然植生」の樹種を用い、自然の森の掟にしたがって「混植・密植」する植樹。その活動は、グローバ
リゼーションが進み、多民族、多宗教、多文化の共存、そして地球環境や資源の再生が求められる現
在の人間社会に対して、大きな示唆を与えています。 今回の物学研究会では、宮脇先生の取り組みや研究成果を通して、今、私たちが考えなければなら
ない「植樹のこと、命のこと、社会のこと−生物社会の掟−」をテーマにご講演をいただきます。以
下サマリーです。
「植樹のこと、命のこと、社会のこと−生物社会のおきて−」
宮脇
昭氏
植物生態学者、
(財)地球環境戦略研究機関国際生態学センター長
01;宮脇昭氏
●命を考える
ご紹介いただきました宮脇昭です。実はもう30年以上昔になりますが、まだ植樹とか環境が注目さ
れていない時代に、黒川雅之さんの兄上の黒川紀章先生とあるプロジェクトをご一緒しました。その
ときに紀章さんから、「建築は我々が、建物の回りの緑はあなたにお願いします」と言われたことを
懐かしく思い出します。今日はそんなご縁を感じています。
皆さんはデザインや建築の専門家と伺っています。製品や建築というものは、換言すれば「小さな
鉄の塊がいろいろな形に形象化されたもの」であり、人間しか持っていない感性や知恵、技術によっ
て生み出された「人工物」であるわけです。その基本である工学、建築学、理学といったさまざまな
学問の基は、哲学から派生したものです。つまり現代の学問は、長い時間を経てながら分化してきた
ものなので、部分的なことの解決は非常にうまい。例えば環境や公害問題では、SOx、NOx、カ
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ドミウム、有機水銀などの物質を細分化、個別化して捉え、それら一つひとつを基準量以下に抑える
といった部分的対応は実にうまく行われている。
現在、アメリカだけでも1年に200以上の新しい化学物質が開発されています。それは人間の欲求
を満たすために、企業や研究機関が行っているわけですが、それが本当に有効なのか、あるいは毒な
のかはそう簡単には分からない。100年程度うまくいったとしても、その子どもや孫の世代にどうい
う影響があるか、だれにも分かっていない。したがって、私たち人間は本来、未知の分野については
臆病であり、慎重でなければいけないはずなのです。学問や科学は、人間はもちろん、命あるモノの
ためにあるのですから・・・。今日はこのテーマを「命の分野」から見ていただきたいと思います。
●命の連鎖
昨年、アメリカに端を発した経済危機が世界に広まり、金融や企業は大騒ぎしています。が、私に
いわせれば、札束や株券がどこに偏っているかで、何をガタガタ大騒ぎなさいますか・・・と。40億年
という地球の命の歴史を見るときに、何百回もビッグバンといわれる大変動がありました。弱いも
の、愚かものはそこで絶滅しますが、危機はチャンスでもあるのです。
振り返ってみれば、40億年の大部分、生命は有害な紫外線などのせいで陸上では生きていけず、海
中で生活していた。それが4億年前の大異変の時期に、水際の一部の生命体がこれをチャンスとばか
りに陸上に這い上がることができた。やがて動物と植物に枝分かれし、ゆっくり進化していく。そし
て3億年前、ちょうど現在のように間氷期で温度が高くて雨がよく降った。そのお陰でシダ植物が生
い茂り大森林を形成するようになる。シダ植物は光合成によって空気中の二酸化炭素をどんどん吸収
し、含水炭素やリグニンとして林内に蓄えた。この大森林が次の大異変で土中に埋まってしまう。以
来3億年間、地球上の物質循環はバランスがとれていたわけです。それが150年前に起こった産業革
命を機に、人間は、地熱や地圧で炭化、液化していた石炭、石油を地下から引っ張り出して燃やすこ
とを覚えました。燃やせばあっという間に化学反応を起こして炭素が出ます。それは空中のO2と一
緒になってCO2になって、地球温暖化など大きな環境問題を引き起こしている。
今、省エネ対策をはじめ、いろいろな分野で技術革新が進み、日本はその中心にいます。しかし省
エネをどんなに厳しく実践したとしても、エネルギー的には引き算です。そこで、引き算だけではな
く同時に足し算をしなさいと言いたい。苗木を植え、森をつくることは、炭素を森に閉じ込めるプラ
ス志向の環境対策です。私は「3000万本以上の木を植えた男」といわれますが、私一人ができるこ
となど限られている。だからこそ、1億2000万の日本人が、67億人の地球人が足元から木を植え
て、エネルギーの足し算をしていこうではありませんか。
今、地球のドラマは、私たち人間が主役です。人間が他の生物と違うことは何か。生きているこ
と、子孫を増やすことは他の生物と変わりありません。ただ、人間は異常に大脳皮質が発達し二本足
で歩くことを覚えたために、手を使えるようになった。そして初めは泥や石で、そして銅や鉄で、今
では原子力まで使って、物質的にもエネルギー的にも豊かですばらしい生活をしています。しかし同
時に、私たちは、そのもろさや危うさにも気づいている。だったら、その知性と感性を研ぎ澄ませ、
動物的な本能を蘇らせながら、破綻する前に積極的に未来に対して先手を打っていかなければならな
い。
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今の学説では人類の出現は500万年前です。500万年というのは、40億年という地球の命の歴史を
1年にすれば、除夜の鐘が鳴る2、3分間にすぎません。そして、500万年の499万年以上は、私た
ちの先達は森の中で猛獣におののきながら木の実や若草を採取し、小川の小魚や海岸の貝を拾って生
き延びてきたのです。今、私たちが生きているのは、原始の命が生まれてから40億年もの間細い細い
DNAと遺伝子の糸が切れることなく続いているからです。皆さんのおじいさんやおばあさん、お父
さんやお母さんが繋げてくれた、まさに奇跡の連続なのです。この遺伝子の糸をとぎらせることはで
きません。
●潜在自然植生
さて、私が植物生態学を専門とするまでのお話をしたいと思います。私は岡山県の農家の四男坊と
して生まれました。父は私を農業会の技術員にしようと考え、岡山県立新見農林学校に入れてくれま
した。その後、東京農林専門学校(現東京農工大)に入学しましたが、第二次世界大戦中でしたので
勉強はほとんど出来ませんでしたので、母校である新見農業高等学校で教師を務め、広島文理科大学
で生物学を勉強し直したのです。いよいよ卒業論文をまとめる段になって、私は「雑草生態学」を
テーマに選びました。敗戦後の日本では、農家の人は生産性を挙げるために非常な努力をしていたの
で、農薬を使わずに雑草を抑える方法を研究したいと思ったからです。指導教官の教授は「そんなこ
とをやったら一生日の目を見ないだろう。しかし、人があまりやってない分野なのでやりがいがあ
る。やるからには生涯かけるならやりたまえ」と励ましてくれたのです。
その後、東京大学大学院に入って、小倉謙先生の指導の下、雑草の研究をさらに掘り進めました。
日本では、畑の雑草は301種類、水田の雑草は91種類ありますが、いい畑には出てこないネザサ以
外、すべて帰化植物です。耕すという人為的干渉を続ける限り、雑草は畑や水田の主として繁茂し続
けます。
雑草の研究を続けていくうち、その土地がどのようなポテンシャルな生物生産能力を持っているか
が大きな問題であると思うようになりました。それは素肌・素顔の緑、「潜在自然植生」を見極める
ことです。今私たちを取り巻く植物のほとんどは、さまざまな人間活動の影響下に変えられた代償植
生、二次植生です。もともと日本の国土の98%は森でした。しかし、土地本来の植生といっても、時
間のファクターがあるので、まったく昔の森そのものと同じではありません。「潜在自然植生」と
は、もし今人間の影響をすべてストップしたときに、そこの自然環境の総和が支え得る終局的な緑で
す。どのような森を支える潜在能力がその土地にあるかを見極めることが重要なのです。
このことに気づかせてくれたのは、東京大学大学院を経て横浜国立大学の助手に採用され、1958
年に西ドイツ国立植生図研究所所長のR.チュクセン教授から招かれて、ドイツ留学をしたときでし
た。彼は私に「潜在自然植生」を徹底的に教え込もうとした。ヨーロッパも日本も何千年もの間の人
間の影響で、緑はすべてニセモノになっている。今皆さんが見ている緑の大半は、土地本来の姿とは
かけ離れているわけです。
しかし私がドイツで学んだ「潜在自然植生」という概念は、61年に帰国して70年まで、だれにも
相手にされませんでした。注目されたきっかけは70年代初頭の公害問題だったのです。私は潜在自然
植生の樹種を植えて森をつくろうと提案し続けていたので、公害問題に頭を抱えていた企業は、その
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対策として「宮脇の言うように木を植えておこう」と考えたのでしょう。100社ぐらいから相談を受
け、1、2社とプロジェクトを進めました。そして現在に至るまで、国内で1450カ所、海外入れて
1600カ所以上で、皆さんのお力を得て森づくりをやっています。土地本来の森は、地域的には防
災・環境保全林、水源涵養林の役割を果たし、生物多様性を回復します。地球規模では、空気中の炭
素を吸収、固定して地球温暖化の抑制に寄与するなど、多様な機能をもっています。
皆さん、危機はチャンス。そして、今、生きているということは、本当に奇跡なんですよ。切れる
ことなく細い遺伝子が続いているから、皆さんが今ここにある。皆さんが未来に残すものは、大騒ぎ
している紙切れの札束や株券や物じゃないです。どうせ今いる人は100年もたない。死んだら骨まで
消えてなくなります。あなたの、あなたの愛する人の、人類の、40億年続いている遺伝子を未来に残
す一里塚として、100年足らず生きていらっしゃるわけです。土地本来の「ふるさとの木によるふる
さとの森」こそ、私たちのいのちと心、遺伝子を守る本物の森です。その森を足元からつくっていた
だきたい。
●鎮守の森の大切さ
植樹で大切なことは、植林による新しい森がその土地や地域本来の環境と共生することです。以前
ある調査の際に、愛知県の一宮のお寺ですばらしい鎮守の森を見つけました。日本独特の鎮守の森に
囲まれた境内こそ、長い間日本人の生活を支え、その悲喜こもごもを受け入れてくれた癒しの空間で
した。その鎮守の森に生育しているシイ、タブ、カシ類といった常緑広葉樹は、真っ直ぐな根を地中
深くまで伸ばすので、容易に倒れることもなく、地震や台風などの災害や火災から人々を守ってきた
のです。また、冬も常緑で水を含んでいるために火防木(ひふせぎ)の役割を果たします。日本人
は、縄文以来4000年、仏教が入って1400年以上、新しい集落や町を建設するときには必ず鎮守の森
をつくってきたのです。
そんな森がなぜ必要なのか、私はドイツ留学中に恩師であるチュクセン教授と、現地植生調査をし
ながら欧州19カ国を巡る旅でそのことを悟りました。ドイツには「森の下にはもう一つ森がある
(DerWaldunterdemWald)」という諺があります。これは「一見すると邪魔者にみえる下草や低
木などの下の森こそが、青々と茂る上の森を支えている」という意味です。ところが肉食であるヨー
ロッパ人は、有史以前から、家畜を林内に放牧して下草、つまり下の森を食い尽くして破壊した。そ
のために上の森も破壊され、森が失われてしまったのです。そのことが調査旅行でよく分かりまし
た。
そして驚くことに、この破壊された風景こそが、現在日本の行政がつくる都市公園の原型となって
いるのです。膨大な税金を掛けて作られる都市公園のモデルは、実はドイツ語の「パルクランドシャ
フト(Parklandschaft)」、訳すと「公園景観」ですが、これは、家畜の放牧で下草が食い尽くされ
て森が破壊された風景、荒れ野景観を意味しています。これに対して私が提案する21世紀の都市公園
の形とは、ひとつはニューヨークの真ん中にあるセントラルパークのような森の公園です。これこそ
が新しい時代の都市公園、都市の森(urbanforest)の姿であると思います。防災、環境、保全に役立
ち、人々が憩い、集い、癒される。いざというときは逃げ場所になる。
ところが残念なことに、ヨーロッパと同じようなことが中国でも起きています。北京から飛行機で
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北西に15分も行くと、禿山のような荒地が、広がっています。長年、牛、羊、カシミヤヤギを放牧し
た結果です。このように森が破壊されますと、もともと雨の少ない地域ではありますが、土砂が流れ
斜面崩壊が起こります。中国内陸の黄土地帯にはこういう半砂漠化が今もものすごい勢いで拡大して
いる。今こそ、鎮守の森の大切さ再認識し、何らかの手を打たなければなりません。
●生物社会の掟
また、自然には、人間の顔に譬えると、ほっぺのように触ったり叩いたりしても大丈夫な部分と、
眼球のように指一本で傷ついてしまう弱い部分があります。弱い部分とは、山のてっぺん、急斜面、
引っ込んでぬれている水際です。だから、尾瀬ヶ原の湿原なども人が足で踏むだけでも全部だめに
なってしまいます。
今、私たちが注目すべきは「潜在自然植生」が顕在化した土地本来の森です。例えば、かつての関
東地方以西では、海抜800mまで常緑のシイ、タブ、カシ類の森で覆われていました。日本の、少な
くとも弥生時代以降の歴史と文化は、シイ、タブ、カシ類の森で覆われた地域で育まれました。京都
学派の人たちは、日本文化を「照葉樹林文化」と呼んでいるほどです。では、こうした背骨となる土
地本来の森が今日本にどれだけ残っているか。われわれの40年かけた綿密な現地植生調査の結果によ
ると、本来の森はわずか0.06%しか残ってない。森づくりを進めて100倍にしたとしてもたったの
6%です。
なぜ私がシイ、タブ、カシ類を基本とした常緑広葉樹林にこだわるのか。それは日本に限らず、人
類文明が常緑広葉樹林帯に発展したからです。西の地中海地方の常緑広葉樹は、日本などアジアの常
緑広葉樹が照葉樹と呼ばれるのに対し、硬葉樹林帯といわれます。この地方は冬に雨が降り夏は雨量
が少ないために、オリーブのように葉は毛があって硬く、蒸散を防ぐようになっています。この硬葉
樹林域一帯にメソポタミア、エジプト、ギリシャ、ローマ帝国が生まれ、森を破壊して都市をつくり
文明を築いた。そして森を食いつぶしたときにすべての文明は滅んだ。その後当時ラテン系の人たち
に北方の野蛮人と見なされていたアングロサクソン、ゲルマン、スラブ系の民族に文化軸は移ってい
きます。ヨーロッパ大陸は落葉広葉樹林域で、つまりヨーロッパナラ(日本ではミズナラで関東では
海抜800 1600mまでに見られる)が主木となっています。現在世界文明の中心都市であるロンド
ン、パリ、ベルリン、フランクフルトとといったメトロポリスは、すべてこのエリアにあります。ア
メリカ大陸でも同様に落葉広葉樹のアメリカナラ帯に文化圏が形成され、ニューヨーク、ワシント
ン、ボストン、シカゴ、フィラデルフィアなどの都市が発達しています。今、世界じゅうの文明国で
常緑広葉樹林帯に大都市が存在しています。
日本では今日なお人口の92%以上が常緑広葉樹林域で暮らしているにも関わらず、命の基盤である
土地本来の森がたった0.06%しか残ってない。国も植林を国家政策として、日本文化の基盤である土
地本来の常緑広葉樹、照葉樹林再生に取り組むのは当然です。しかし今まで行政が行ってきたのは、
スギ、ヒノキ、マツなどの針葉樹の造林か、1本100万円もするような高価だけどその土地に何の縁
もない外来種の成木を植えるというような緑化です。当然、なかなか根づきませんから1本3000円も
するつっかい棒で苗木を支える。結局、植木屋さんを儲けさせるだけのことでした。こんなことをし
ていたらいくらお金があっても足りません。
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私たちの提案は「命を守る森」をつくること。それは即ち「大きくなる力」を持った潜在自然植生
の主木群の根群が充満したポット苗などを、自然の森のシステムにそって混植・密植することで可能
になります。例えば、東京湾岸の埋立地で行う森づくりであれば、すぐそばにある浜離宮や芝離宮に
植えられている木を参考にする。ここにはタブ、シイ、シラカシ、アラカシ、ウラジロガシ、それを
支える亜高木のヤブツバキ、モチ、ヤマモモ、シロダモなど、30種類ぐらいが混生して植えられてい
ます。生物社会は「競争」しつつ、同時に互いに少し「我慢」して「共生」する・・・これが健全な姿
です。我慢のできない生き物は一時も生きていけない。と同時に、生物社会の「共生」は、決して
「仲よしクラブ」ではないんです。40億年続いた生物社会の原則では、少々嫌なやつであっても、自
分が生き延びるためには、いかに共に我慢しながら一緒に生きていくか。これが、40億年続いてきた
生物社会の競争、我慢、そして共生の原則です。
●「最高条件」と「最適条件」
またついでにいいますと、生物社会では、「最高条件」と「最適条件」は違うんですよ。すべての
敵に打ち勝ち、すべての欲望が満足できる最高条件というのは、マンモスや恐竜の絶滅の例を見るま
でもなくむしろ危険な状態です。生理的な欲望をすべては満足できない、少し厳しい、少し我慢を強
要される状態が、実はエコロジカルな最適条件なのです。40億年の命の歴史を踏まえて、もし皆さん
が今最高のところにいらっしゃるなら、今晩どんでん返しを受けるかもしれない。十分注意していた
だきたい。ちょっとうまくいかないと思うときには、今、自分はエコロジカルな最適条件にいると確
信して、自信を持って、引き算しないで前向きに頑張っていただきたい。
このようにして、私はさまざまな場所に木を植え、森をつくってきました。例えば、東京湾の埋立
地にある東電扇島発電所のまわりにも、土地本来の潜在自然植生の主木群、シイ、タブ、カシ類など
の幼苗を1平米に3本ぐらい混植・密植しました。その上に落ち葉や敷きわらをして養生してやれ
ば、9年たつと立派な森ができます。15年で10m以上になっています。私が実践する森づくりの方
法は単なる小手先の技術ではありません。徹底的に現場にこだわります。現場、現場、現場です。私
たちは、そのために日夜、日本中、世界中の現場を踏査しています。ですから、皆さんがもし何らか
の形で植樹に関わることがあれば、どうか業者に丸投げしないでください。むしろ業者を使い切る程
度の科学的なシナリオを持っていただきたいと思います。
例えば将来、高生け垣や環境保全に有効なのはタブノキやシイ、カシ類です。そしてもうひとつ、
植物は根で勝負ですから、根がない木を植えてもだめですよ。これは目に見える太い根っこのことで
はなく、養分や水分を吸収する、土の中のルートへア、根毛です。植物は根毛から、水に溶けた形の
窒素や燐やカリを浸透圧で吸収するわけです。ですから私たちは植樹の際には、ドングリから根群が
容器内に充満しているポット苗を育成して、それを容器からはずして植えています。
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●生物社会の掟を尊重する
さて、とても長い前置きになりましたが、ここから本題である「植樹のこと、命のこと、社会のこ
と̶生物社会の掟̶」について、今まで私が手掛けてきた事例を挙げながらご説明したいと思いま
す。
・横浜国立大学キャンパス
最初の例は、私が長らく勤務した横浜国立大学のキャンパスです。ここは、かつての名門ゴルフ場
である保土が谷カントリーの跡地に建設されたので、緑の木々はまったくありませんでした。そこで
全体建築を任されていた河合教授が「緑のことはお願いします」と私に託されたのです。当初、正門
から事務局までの道には幅1.5m傾斜角45度の斜面に外国の牧草が植えられていたのですが、冬は枯
れてしまう。そこで私は森をつくることを提案しました。もちろん予算はありませんから、教授が
3000円、助教授が2000円、助手が1000円と募金をし、土は横浜市から整地であまったものを都合し
てもらいました。そして土地本来の主木群のポット苗を植えたのです。
本日は皆さんにこれだけは覚えていただきたいのですが、関東以西で海岸から標高800mまでの常
緑広葉樹林域の緑環境再生には、シイ、タブ、カシ類を主に植えます。浜離宮、芝離宮でも今から
250年前にタブが植えられましたが、150回も起こったといわれている江戸の火事にも、関東大震災
や第二次大戦の焼夷弾の雨にも生き残って、今日も東京砂漠のオアシスになっています。また、芝白
金の自然教育園に二百数十年前に植えられたシイの一種であるスダジイは、同様に火事や地震、台風
にも耐えて国の天然記念物になっています。カシ類にはシラカシ、アラカシ、ウラジロガシ、イチイ
ガシ、ツクバネガシなどいろいろありますが、シラカシが広く主木として植えられてきました。昔か
ら続いている集落を見てみると、関東地方では、北風を防ぎ、蚕を西日から守るために、屋敷の北側
と西側に深根性、直根性、常緑のシラカシなどを植えていました。南側や東側には、ケヤキ、高生け
垣には常緑のモチノキ、ネズミモチ、サザンカ、サンゴジュなど、下木にはカンツバキやサザンカ、
クチナシなど、まさに「潜在自然植生」を心得た木を植えているのです。
さらに先人たちは、同じ種類の木だけを植えることはしなかった。数種類を混生させていく。また
何を植えてもよいわけではない。にせものは植えないほうがいいんですよ。土地本来の潜在自然の主
木群を中心に植える。私は、日本はもとより世界の38カ国を実地に見て回っているので、現場に出て
一目見れば偽者か本物か分かります。
植物は根が勝負です。そして、自然の森のおきては混植・密植です。生物社会は競争しながら、少
し我慢して共生している。これが一番いい状態なのです。アマゾンでは1平米に500本ぐらいの植物
が生えていますが、人工的な植樹ではそれは無理なので、1平米3本ぐらいづつ異なる木を植えま
す。死んだ素材で出来た新しい建物や施設の周りに、いかに生物多様性を再生・回復するか。そのた
めに潜在自然植生の構成種群の中から目的に応じていろいろな樹種を選んで混植・密植します。そし
て最後に敷きわらを敷きます。このようにして、キャンパス内でも植樹していきました。写真は20年
たったものです。木は、人間も同じですが、最初の10数年はどんどん上に向かって成長し、15年く
らいたつと上高生長はゆっくりになり、幹や枝が太くなっていきます。
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・豊島区緑化プロジェクト
次はぜひ注目していただきたい豊島区の緑化プロジェクトです。同区は現在世界でもっとも人口過
密なエリアで、26万人います。その豊島区の高野之夫区長が何かの機会に私の活動を知って、「豊島
区内を緑化したいが、する場所がない」と言って来られたんですね。私はその言葉に対し、「区長、
その豊島区を緑化できれば世界の規範になります。本気で取り組めば出来ますよ」と答え、区内を徹
底的に調査しました。そして手始めに今年4月28日に、豊島区内31の小中学校で森づくりを実施しよ
うということになりました。中には反対される校長もいましたが、私は何度も通って説得して回り、
何とか予定通り植樹祭を実施することができました。区内に9650人にいる小中学生が1万本の苗を植
えてくれたのです。子どもたちにとってははじめての経験で、少し緊張していたようですが、夢中で
1本1本ていねいに植えてくれました。
植物にとって一番大切なのは根です。まず敷地によい土壌を作りそこに穴を掘って、大きくなる可
能性のある根群の充満したポット苗を植えていきます。そして敷きわらをして、風で飛ばないように
押さえます。その後、あんまり水をやらなくてもいいと指導はするのですが、子どもたちは一生懸命
に自分たちが植えた苗に水をやる。生物社会にとって「過多」はよくない。水でも肥料でも少し足り
ないくらいがいいんだけど、みんな自分の苗が立派に育つようにと思う余り過保護にしてしまうので
す。
・横浜市北部下水処理場
横浜市の北部下水処理場の工事は住民の反対で10年間できませんでした。そんな時に、当時の西郷
市長から協力を求められ、現場に赴きました。するとコンクリートのかけらがそこら中に放置された
ままでした。そこで私はこのかけらを再利用しようと考えました。毒物と分解困難なもの以外はすべ
て地球資源ですから、それを利用しない手はない。そして、処理場の周りに深さ1m、幅6mの穴を
掘り、水はけを良くするためにコンクリートのかけらや廃材、廃木などの有機物を混ぜて土壌を作り
ました。そして表土を20cmほどかぶせ、そこに土地本来のポット苗を植えつけて最後に敷きわらを
しました。1年もたつとこれらの苗木は確実に生長し、5年たつと4m、10年たつと9mの森ができ
ました。ここは海岸沿いで、いつ津波が来るかわからない場所です。あれほど反対した住民たちです
が、根が3mも5mも地中深く入っている常緑の火防木の森で囲まれているから、津波が来ても高波
が来ても大丈夫と、今では喜んでいます。危険なところをむしろプラスの方向に持っていく、事実を
隠さないで、ということを行政にもいっています。
・神戸のポケット公園
阪神淡路大震災の際、土地本来のカシノキの木やシイノキの木が植えられていた小さいポケット公
園が、住民の一時的な逃げ場所や逃げ道になりました。震災後の火事で葉っぱは焼けてしまいました
が、木は生き続けていたのです。この地震で、巨額な費用と最先端技術を駆使した高速道路も新幹線
は大きな被害を受けました。しかし先達が植えた鎮守の森の木は倒れることなく人々を守ったので
す。
こうしてやっと、国交省も鎮守の森や潜在自然植生の重要性を認め、神戸市では一部の小学校の授
業として「宮脇方式」の植樹を行っています。植えた当初は高さ30cmほどのポット苗も10年も経て
ば10メートルの大木に育ちます。私たちは工場や高速道路を建設しなければならないが、一方で、人
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間の命の共生者としての生きた緑の構築材料をどう使い切るかが勝負であります。
ではこれからどうやって日本も森を再生していくか。以前、日本では、植林と言えばスギやマツな
どように生長が早く、木材として価値の高い木が有用であると、針葉樹の単植造林を行ってきまし
た。けれどもそんな時代はもう終わりです。土地本来の木であるシイ・タブ・カシ類のような広葉樹
のほうが、斜面保全、防災環境保全の役割を果たし、カーボンを吸収・固定する。水源涵養にもなる
し、大きくなってから切れば、1本が何百万円もする。同じ広葉樹のケヤキなどは、大きい木は
1000万以上するというんです。ですから、すぐには商売にならないけれども、ドイツのように80年
伐期、120年伐期にすれば十分使える。林野庁では、島田泰助次長(現林野庁長官)の英断で、風倒
被災地、地滑り被災地などで潜在自然植生に基づいた土地本来の森づくりを行うことになりました。
2009年6月、広島県呉市野路山国有林にカシ類などの広葉樹が植えられました。
・マレーシア
さて、世界の状況をみてみましょう。
私は38カ国で現地植生調査を行いましたが、ブラジルのアマゾンも、アフリカも、東南アジアも厳
密な意味での原生林はほとんど残っていません。森は全体のバランスが取れていれば多少のことには
へこたれない強靭さをもっています。しかし一旦バランスが崩れてしまうとアッという間に衰弱しま
す。例えば道路1本つくっただけで、破壊ははじまります。今、生物社会では、一番遅く地球に現れ
た人間が一番威張っていますが、人類が生き延びるために本物の森をつくらなくちゃいけない。
女性は男性と比べて環境問題に敏感で、地球のためにと化学石けんではなく有機洗剤を使ったりしま
す。いいことをしていると思うでしょう?しかし有機洗剤製造のために、日本でヤシ油が高く売れる
ので、ボルネオなどでは最後の熱帯雨林までどんどん伐採してアブラヤシのプランテーションをつ
くっているという事態が起きています。
1991年にマレーシア農科大学が所有する800haの焼き畑跡地で最初の植樹祭を行いました。延べ
2000人が参加しましたが、手で穴を掘るという作業もあって6000本しか植えることができませんで
した。それでも5年たてば7mの森になり、15年後には、世界初の植樹による本物の熱帯雨林が形成
されています。私が手掛ける以前はオーストラリアのユーカリやアメリカマツ、あるいはアカシアや
アフリカの木などが植えられていたのですが、ことごとく失敗していたようです。しかし土地本来の
苗を植える、さらに混植・密植して競争原理を持ち込むことによって、植物同士の競り合い効果で共
生しながら見事な熱帯雨林を形成しつつあります。
・アマゾン
健全な生物社会とは、老大木から若い木までいろいろな種類のいろいろな樹木が混生し生物多様性
を維持している社会。いがみ合いながらも互いに少し我慢して、ともに生きている、これが一番健全
な状態です。老大木を切っても、若木を全部切ってもだめです。多様性こそ、最も強い自然の表現
力。生物多様性が維持される限り、森はびくともしません。しかし強そうに見える森も実はとても弱
い。焼けば一晩で丸裸、今のアマゾンの状態であります。そこで、私たちは三菱商事の協力を得なが
ら、地域の人たちや子どもたちによる植樹活動を行っています。もともとこの土地にあったビローラ
という木の苗が中心です。この木は生長に時間を要しますが、主役を取り違えないことが大切です。
早く育つのは、早くだめになります。何千年も生き延びてきた土地本来の本物の木を皆さんが植えて
10
いる。そして年月がたてば、だれが植えても10m、20mの森ができるわけです。
・万里の長城
万里の長城です。これはイオン環境財団の支援を受けて、3年間で日中のボランティアを募り万里
の長城の周りに40万本植えようというものです。そのプロジェクトに「宮脇メソッド」が採用されま
した。まず植生調査を行い、この地域の主木がモウコナラであることを突き止めました。実は北京市
長は私に「日本からあんまり木を植えに来てほしくない」と本音を語ってくださった。理由は「いく
ら植樹してもらっても、結局3年たったら看板とつっかい棒しか残らない。私たちは黄砂を防ぎ、水
をためることのできる本物の森が欲しいのです」と。私は「その本物の森をつくるためにここにきて
いるんですよ」と答えました。私たちは毎年30万個以上のモウコナラのドングリを拾って、それで
ポット苗を作って植えることになりました。初めは半信半疑であった中国側も、私たちのやり方を理
解してくれて最終的には全面的に協力してくれました。その勢いがまたすごい。
さて、植樹されたモウコナラのポット苗ですが、重要なのは、地上部は30cmほどしかなくても
根っこが1mあることです。根群が容器内に充満したポット苗であれば一度根がつけば、何があろう
とびくともしない。これがスギ、ヒノキ、マツなどは、裸苗を植えてパッパッと足で押さえればつき
ますけれども、浅根性なのですぐ倒れてしまいます。日本からは合計3900人のボランティアたちが
自ら17万5000円もの費用を払って、万里の長城に植樹に来てくれました。
2000年に行われた第3回目の植樹祭では1700人ものボランティアの皆さんは早朝4時半にたたき
起こされ、バス90台で植栽地まで行って、35℃の暑さのところで一生懸命、1人が10本20本植えて
くれました。東京から来た若い娘さんに、向こうのレポーターが聞いていました。「何で身銭を切っ
て中国まで来て木を植えるのか」と。今でも覚えていますが、汗をふきながらにっこり笑って、「一
生に一遍ぐらいよいことをしてみたかったです。これで少し落ちつきました」と。中国からも1800
人が参加してくれました。
中国では他に寧波にある雲林禅寺の周辺、上海、マーアンシャンの製鉄所のまわりなど、たくさん
のプロジェクトを実施しています。
・ケニア
ノーベル賞を受賞したワンガリ・マータイさんは、毎日新聞の対談の折に、私に「宮脇さんの植樹
メソッドを教えてほしい」とおっしゃいました。彼女も3000万本の木を植えたそうですが、現実に
はあまり育っていない。私は早速現地に赴き、本来の木を見極めるための植生調査を行いました。ケ
ニアではイギリスの植民地時代に森がほとんど伐採され、木材としてイギリス本国に持ち帰られてし
まった。その後はユーカリなどの木が植えられていましたが、元に戻ることは決してなかった。調査
には小銃をもったレンジャーが付き添ってくれるなど、なかなかスリルある現場でした。
・トヨタインド工場
トヨタのインド工場でも植樹を行いました。やはりその土地の主木を見極め、ポット苗を作ること
から始めます。もちろん土壌づくりも同時に行います。企業が発展するためには、最新の技術やデザ
インも重要ですが、同時にそのベースになるもの、心に響くものをつくることも大事なんじゃないで
しょうか。
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どんな人も、人間である限り、その生物的な本能から、人間である限りアフリカであろうと、インド
であろうと、中国であろうと、あるいはブラジルであろうと、みんながこうして汗にまみれて、大地
に木を植えているわけです。それをどのように世界に広げていくかが大切です。
●まとめ
最後に、現在私たちが出来ることは、最高の技術と最良の緑環境の共生、その中での持続的な経済
発展を目指すことです。未来に向かって命と心と遺伝子を支える本物のふるさとの森を、皆さんの力
で東京から日本へ、そして世界へと広げていこうではありませんか。ともに額に汗し、大地に手を接
して、すべての市民が魅力を感じる土地本来のふるさとの森を、エコロジーの脚本に従ってつくって
いってください。総監督は科学技術者、行政、企業の皆さん。市民、NPOを巻き込んで、足元から
ともに本物のふるさとの森をつくる。デザインの活性も、あるいは経済的な活性も、基本は命の森づ
くりであると確信しています。時間を相当オーバーしてしまいましたが、最後までご清聴いただきま
して、ありがとうございました。
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2009年度第4回物学研究会レポート
「植樹のこと、命のこと、社会のこと−生物社会のおきて−」
宮脇 昭氏
(植物生態学者、(財)地球環境戦略研究機関国際生態学センター長)
写真・図版提供
01;物学研究会
編集=物学研究会事務局
文責=関康子
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