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講義メモ - 秋田大学
講義メモ 秋田大学国際資源学部特別講義 2015 年 5 月 25 日 我が国はエネルギー資源確保のため中東イスラーム世界とどうつきあってきたか ~歴史上どんなプレイヤーが活躍したか?将来どのような人材が必要とされるか? ~ 片倉邦雄 1 アラビア太郎と日の丸原油 わが国の原油開発、日の丸原油の歴史を語るとき、アラビア石油の創始者山下太郎を抜 きにして語ることはできない。山下太郎(1889~1967)は、秋田県横手市に生まれ、終生 秋田訛りが抜けず、故郷思いであった。 札幌農学校卒業後、起業家として試行錯誤を重ね、その後大陸に渡り「満州太郎」と呼 ばれたほど事業で大成功をおさめるも、敗戦により無一文になって内地へ引き揚げる。そ して中東において初の「日の丸原油」獲得等々、波乱万丈の人生をたどった。まさに冒険 そのものの人生だったといえよう。 戦後当初は、欧米メジャーの厚い販売網と対抗して山下は輸出ビジネスを展開しようと したが、その後、井戸元から欧米に独占されていた原油開発そのものに乗り出そうと考え た。 1956 年 7 月スエズ動乱(ナセルのスエズ運河国有化宣言に伴い英仏が出兵、アラブ民族 主義が盛り上がる)を機会に、サウジ王族筋から「フランスと交渉中の某石油開発利権が スエズ動乱でキャンセルとなった。日本が進出するチャンスではないか」と打診を受ける。 1957 年、三度立て続けにサウジ・クウェイトを訪れ、利権獲得交渉に乗り出し、約 1 年 の難交渉の末、両国から利権を獲得。 私は 1957~58 年、交換留学生として米国のダートマス(NH)大学にいたが、たまたま 中東動乱、アラブ民族主義の高まりの時期に当たり、イラクやイランなどからの留学生と つき合っていた。帰国して 1959 年外交官試験にパス、人事課長からアラビア語研修をやら ないかともちかけられ、 「やりましょう」と返事。外務省は当時、ナセル大統領などによる アラブ民族主義の提唱、アラブの資源ナショナリズムの高まり、そして山下太郎らによる 中東における初の「日の丸原油」開発の機運を見てとり、アラビア語を理解できる career diplomat を育成しようと考えていた。そこで、私がその第 1 号に選ばれたわけである。 サダム・フセインのクウェイト進攻とアラビア石油(株)の苦闘 1990 年 8 月 2 日、イラク軍が国境を越え、クウェイト領に侵攻した。サッダームは以前 からイラク・クウェイト国境にまたがるルメイラ油田をめぐり、クウェイトがイラクの油 を盗掘していると非難するのみならず、そもそもクウェイトはバスラ州の一部であるとの 1 元 駐アラブ首長国連邦大使(1986-88)・駐イラク大使(1990-91)・駐エジプト大使(1994-97) 元 大東文化大学 大学院教授(2000-05) 1 講義メモ 秋田大学国際資源学部特別講義 2015 年 5 月 25 日 歴史的クレームをもちだした。クウェイト・サウジ中立地帯で操業するアラビア石油(株) にとっては未曽有の試練となった。湾岸戦争が終結し、イラク軍撤退後、カフジ基地で復 旧作業に苦闘しながら、一方 2000 年に訪れるサウジ利権の期限を前にして、「ミニマムの 投資で最大の効果」をキャッチフレーズに、利権延長を前提にしたカフジ油田・フート油 田の再開発とその生産基地やインフラ整備のマスタープランの作成をすすめた。 他方、アラブ民族意識高揚を背景に、1976 年ごろからメジャー各社(エクソン、テキサ コ、ソーカル、モービル)とサウジ政府との間で国有化交渉が始まり、補償金額を巡って 延々と交渉が続けられた結果、1980 年 10 月に、1976 年まで遡っての国有化が決まってし まった。 このような経緯があり、 1995 年 8 月、サウジの石油大臣がナセルからヌアイミに代わり、 それ以後サウジの石油政策は実際的にサウジアラムコが仕切るようになった。アラビア石 油の事業は資源ナショナリズムを背景にしたサウジ側の度重なる契約更改により、ガバメ ントテーク(サウジ政府の取り分)が利益の約 98%にまで上昇しており、これに湾岸戦争 の特別費用などが加わり、財務状況は相当圧迫を受けていた。 サウジとの権益延長交渉は、最終的には日本政府とサウジ石油鉱物資源省の間での、鉄 道敷設をめぐる条件闘争に陥った挙句に決裂した。 日本・中東産油国間資源外交の架け橋再構築 アラビア石油の利権失効後、日本からサウジへの直接投資は少なくなっていたが、2005 年 8 月、住友化学とサウジアラムコ社はサウジ紅海側のラービグにおける世界最大級の石 油精製と石油化学の統合コンプレックス事業計画「ラービグ計画」に向けた合弁契約を締 結した。本計画の総投資額は 1 兆円以上に昇り、サウジの日本に対するエネルギーの安定 供給だけでなく、同国の産業育成や雇用創出にも貢献することが期待されている(ちなみ に 2004 年 7 月には、 サウジアラムコによる昭和シェル石油への 15%出資が決まっており、 これもレシプロカルな投資をベースにした相互依存関係の構築ということができよう。) さらに、画期的なことと言えるが、ごく最近(2015 年 4 月 27 日) 、国際石油開発帝石 KK(INPEX)は、アラブ首長国連邦アブダビで大型陸上油田の権益を取得したと発表した。 政府も資源外交で支援し、長い間欧米石油メジャーが独占してきた優良油田に風穴を開け た。獲得したのはアブダビの政府系企業であるアブダビ陸上油田操業会社(ADCO)が持 つ鉱区権益の 5%分。国内石油需要の約 3%にあたる日量 8 万―9 万バーレルを 40 年間に わたり調達できる。アブダビ国営石油(ADNOC)は今年 1 月 28 日、TOTAL との間で協 定に調印し、ADCO 鉱区の操業を支援するよう、新たな権益 10%を同社に与えている。今 回英蘭ロイヤルダッチ・シェルや 英 BP を抑え、仏 TOTAL に続き 2 番目に権益獲得を決 めた。 2