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『月刊 言語』Vol.3. No. 9. (2001)

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『月刊 言語』Vol.3. No. 9. (2001)
す単俄ぃ考
な
り
旗 ﹂は擬態語
・
形を オノマトぺ につけて助詞を作るのに多用さ れることから
考えると、﹁はためく﹂もあるからやはり﹁
%オソフト ぺ の語種論と語源論
ぃオ
い 海
と
り
特集
十
し
。
八
-
12
ノ
な
は
ぺ
語
の
マ
、
な
種ト
私
マ
べ
めく﹂というよ
造う
語な
成分 ゃ、
緩語構成と オノマトぺ の境界画定
いま一つの問題は、﹁00
﹁はたはた﹂﹁どんどん﹂か
﹁らから﹂に見られる畳語構造と
オ
ぺ
と
うネ
目
徴
どという例もたくさんあるくらいだから、畳語 構造になって
﹂﹁木々﹂な
目定 条件を定めにく・い点にある。﹁我々﹂﹁山々
煎 々︵いよいよ︶チョーチョー難しい深みには まってしまついった 話構成を手がかりに 探 ってゆこうとしても、絶対的な
か? というような具合で益々︵ますまず︶﹁ 謎めく﹂ 1
楽
学な
的る
な。
証
だ
、という理屈に
範囲オ
でノ
の
み
だ
マ
と
ト画
ぺ定
でチ
きョ
る
る
。
チ
ョ
ーなどとい
オう
ノ単
マ
ト
ぺ
だ
皆語
かも
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、 ぅ
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野間秀樹⋮
」とおり、
じぺ
とちり っ
ぷ
を 言 nヒ 整が
か、﹁ざわめⅩ﹂、﹁さんざめく﹂に見える﹁
00 めく﹂。この
も
わ
り
埋
っ
﹁
昔と意味の轄びつ怒
き意
は的である﹂という言
学語
の教科害の最初歩の定理にさえ、
堂々と疑義を差しはさむキラキラのアウ
ーソ
、フト
そト
れロ
がオ
ぺだ。
日どこまでがオソフト ぺか 7
す
の
世
界
13
解
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う
き
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ラ
とい
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姪苧て、 了苦ザ扁燵つ
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語
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ト
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う
ぺ
か
は い
る
か
は
っ要
て 索
な
ト
かるからといって オノマトぺ であるわけではな
そんなこ
の
世
界
来話起源、﹁リンリン﹂、もしくは新しい時代に作られたもの
オ
んじやないの。あるいは日く 、 ﹁りんりん﹂と鳴く鈴虫の音
て、昔まで外来ってことな い
れない。だって べかはもともと﹁リンリン﹂ っ てなるじゃな
@が、これは危な @
ドた
Ⅰ@
。こんなふつに里
末わ
口れるかもし
りと書 @
さて、﹁リンリン﹂を外来語起源であるかのご とくにさら
翻外国語とオソフト ペ
とは、﹁常々﹂﹁重々﹂承知のはずでも、里
﹁ 々﹂ とか﹁寒々﹂である。﹁ ルシ ルン﹂
|
﹁楽々﹂といった例を見てゆくと、なんとなく ﹁徐々に﹂
オん
ノ﹂
マトぺに見えてくる。
﹁段々﹂﹁どんどん﹂﹁ずんず
語梢成も ﹁
努々︵ゆめゆめ
こ 軽んじてはならないのである。
ほオソフト ペ起源の漢語
いま一つ、日本語で何が オノマトぺ かを語ると
マ
ト
ぺ
れなど オノマトぺと 感じるだろうか。ここま で凝らなくと
もなく、 オノマトぺ のうち擬声語については、 一
言語の違いを
語外 現実の音が同じであれば、・
昔 そのものは 概 ね同じように
ある程度超えた共通するところがあることが 予恕 される。ョ
一口
んある。近時
っている単語もあれば、日本語なりに オノマト ぺらしき光を
典侍的な世界では、もう オノマト ぺらしさが感 じられなくな
ではま0*申
0︵
ノホェ︶が
狗接己 ︵コウ︶が 江 注目 ゅコ
毛
のゆコ% ︵ワンワン︶
、モンイコル
藝叩
犬 が日本語で﹁ワンフン﹂と鳴いている時に 、中国語では
聞こえるだろうからである。
﹁
糊 々︵らんらん︶と﹂輝かしている単語もあ るわけである。
乙笘オ革コ ペ ソこが 汗 せ 汗ヰ ︵ハウハこ と鳴く。そう
︵ガンガンⅠ トルコ語では
﹁
蝸 々と﹂のような、ラ行者 で始まる単語は 、 和語には元来
かと思うと英語では 隼0的が 丁0目,毛0毛 ︵バウワ ウ︶、ドイツ
語 では口目色︵フント︶が 毛害旧営 ︵
ヴァウヴ ァウスフラうなものだ。つまり一般に、名 づけられる対象と名づける 言
るように見えるにもかかわら ず、ただ擬声語にあってはそれ
驚 ソシユール と小林英夫と朝鮮語
p
ブh
ハブ︶ と鳴
︵く
ハ。朝鮮語までも極めて一部の単語につ いてのみ認められるのだと。
た係 わり、即ち 有 芙佐 は、どこ
が ヴ目 ぎ口︵バウバウ︶、ロシなりの 係 わりが認められるの である。ただしソシュールは こ
スロ しが
ゅ
1%
ヒ曲ヰ︵
グアウ グァウ Ⅰ イ
r岨
r仁
o年
ンス 軸旧
では 0汀の
コ ︵シヤン︶が0由由オ
0支い∼ワ
︶ワ
︵Ⅱスペイ語音との間は 、何ら必然的な 関係はない、 悉意 的なものであ
ン語ではせの
が ゴ目下
目 ︵
ガフガ フニチェコこでも抑制的である。こうし
印芙笘︵
nサ
oバ
ー乙が﹁ 咲 ﹁
タリア語では 8 号︵カーき
ア語では
轄スろ
語 ではせ
ケし が哺咽ョとョと ︵モシモン︶と鳴いてい
では刈ガ9 ︵
て
るし、国際人工語たるエスペラントでも・ ゴヒ印
コ
0 ︵フンド︶
二0世紀の言語学を方向付けたといってもよい 、ソシュー
倉知程
ヴ棺 ︵ボノボ ィ︶と鳴いている。
はち やんとす。Ⅱ
型の名で一
かめ ﹁一般言語学講義﹂二空させ、コ口語学掠め
九二八年、世界でもいち早く翻訳したのは、 小林 英夫であっ
れ
磯 言語の恐意性 と有契性
こうして見てくるとわかるように、﹁ 犬﹂とい ぅ 対象を命
卒 する単語は、よくもまあこれだけ違ったもの だと思えるほ
ど、言語ごと に随分異なっている。このことに 注目して、 言
語学者ソシュールは @ ま幅の窓
意性 ということを 力説した。 だ
か ﹁犬﹂という単語に比べると、﹁ワンワン﹂ など、その 鳴
き声を表す単語のほうは、どの 圭Ⅰ
ま巾もはるかに 似ている。 言
しず
の
鮮城
に
の
徴
つた
朝鮮朝鮮と、ノ
を
れ
平
る。
カ
野
六
詰朝 宗 郎 そ
さ
し
話
諮外 現実の音は同じであっても、それを写す 圭Ⅰ旺巾
土日吐
ぶ
甘口語
ご
とに異なる程度に 、鳴き声も言語上に異なって 現れているよ
さげ
日ま
l
ぺ
と
崔巨
なかったから、ラ行 昔で 始まる オノマト ぺは漢 語 あるいは 外
的に見れば、もとは中国語の オノマトぺ でも、 日本語内部の
ひょこ﹂など、日常語になったものもたくさ
も、﹁成体︵あいま い︶﹂﹁
潮刺 ︵はっも つこ ﹁紙 々︵ひょう
砂 々︵べう べこ 笑 ひたくなりし花野かな﹂蔽 辺水日︶。こを思え、鈴虫は外来のものなリヤ 。こんな話を持ち出すまで
てならないのは、 オノマトペ 起源の漢語の存在 である。﹁天
楽
し
説
ら
シ ル
て 引
い っ
に
、
あ 河
ュ
夫 あ 夫
は ろ は
マ
、
語
過
く
小一小
部材
英で英
オ
ま
一
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てま
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。 在 た
" さ の 小
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林
ソ ウ 造
芙佐ある
極ょ、
Ⅰが
か
と
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有か れでが
こ
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語芙展時
天聞
た
ュ
み
14
I5
特集
言
の
そ い 職 る 小判 っ,
し た
を き
て ふ て
と
意 ソ し い 学
枝
味 シ はた 者が し 誠
と
ュ携託 。 た
、 た 言己
の l ら 縁 ち そ こ が
昔
た
ソ
い
時
シ
れに 回 っ 枝
て 通大 た 誠
い 晩学 鐸記
触語帯
て
省
つ
綴音象徴と朝鮮語
﹁きらさら﹂の子音 s
zに交替させ﹁ざらざら
とすると、摩擦に対する
る種の抵抗感を感ずる。
た 母音 aをはに交替 さ
﹁するする﹂、﹁ずるずる
とすることもできる。こ
ように、昔の交替によっ
何らかの意味、昔 相 とい
たものの違いを組み立て
ゆくシステムを 昔象徴も
くは語音象徴という。﹁
好き﹂と﹁ だ l い好き﹂
関係のように、母音の長
を利用するのも、 昔象徴
特集
楽
い
し
オノ
マ
ト
べ
いかなるものか。ここでは試みに﹁赤い﹂と
ぅい
意味を表す
単語四つを見てみよう。
朝鮮語の子音のうち、閉鎖音の系列には、平
、首
濃土日乖
、倣
表@② は語頭が波音
昔と呼ばれる三つの系列がある。上の8
0%更、③④は証砧
明以平
が士日人っⅠとなってい
まる
た。
、爪り土日に
は湯母音と呼ばれるグループ
と陰母音と呼ばれるグループが
ある。これらの区別は日本語の表記では書き
せ表
ない0①③
は湯母音Ⅰ帥へを
用い、②④は陰母音へU
へを岡 いている。猿
のお尻が赤いのは①
、眠れなくて目が赤いのは
②、花嫁の頼
が赤いのは③、酒を飲んで顔が赤いのは④
、と いった目︵ムロに
使う。このように、母音と子音の交替によっ
微て
妙な二ュア
シスを描き分けることができるのである。
こうした交替のヴァリアントの数は日本語を
るは
かにしの
ぐ。いまここでは話を単純にするためにこ回
のつめ単語しか
提示しなかったけれども、﹁赤い﹂という系
の列
単語のヴァ
リアントだけでも、朝鮮語にはゆう一
に00あもとも三00
あるとも言われている。
容 詞、副詞の隅々にまで、こうした昔の交替に よる昔象徴のバイス︶が深く関わっている とするなら、言語の総体、その
ことは言語の中に生まれ来た単語が、たまたま 長い長い音韻
のほうが圧倒的に多いとソシュールたちは言う のだが、その
みよ、言語はそもそも昔なのだ。 昔 象徴などと は無縁の単語
たのではなかったか。考えても
。であるとするなら、言語 は、そもそもこうした 者 象徴の
システムが梢繊 にできあがっている。場合によ っては名詞や隅々に 昔 象徴が張り巡らされ ているということに 他 ならな
朝い
動詞にまで見られるほどである。とりわけ形容 詞 における
蝉語の 昔 象徴の世界は、 井母 証明話者にとっては
大 であっても、ついぞ達し得ぬ聖地のごとくで ある。
16
綿上に見えてくるかもしれない。く
言、
う語
ま彙
での
も世
なる。いわゆる音義説である。そして昔をめぐる
界を逸脱して、これはもう文法の世界である。な感じは、あるいは太古の昔に遡れば、人類の
なものだったのではないか。これが言語の起源
さらに進むとこんな仮説を抱きた。
く妻
な叩
る
だ
ハ彙
リ
ノろ
㍉う
オ
ト
ぺ
水
徴
ほ ついての土日
17
吾
一口ま巾に普遍的
こうした様々
の言霊学派は 、 一つ一つの音節に意味が宿ると まで言って い
のる
、流
すよ
るも
のな
を感
じると言った。江戸時 代後期、日本
い青
う
象よ
徴う
のな
延時
長間もれ
﹂勒の
う
で
いもの、Ⅱ晋類 には硬いもの、 lやⅠ昔類 には何か滑らかな
るて
と考
、え
日本 変化を蒙ってきたからに過ぎないのではないか 。 オノマトペ
さて、こう昔
し象
た徴をさらに推し進め
詰め﹁こそあど﹂にみられる距離感
、徴
隔の
絶よ
感う
も 起源でも、もはや オノマトぺと 感じられなくな ってハムワ単藝叩
昔象
︵の
長団
い鼠
て何
コ
% ︵より が多々あるということは、逆に 、多かれ少なか れ全ての単語
なものだといえる。ドイ昆
ツ語
比較世 、田㎎
コの︵︵最@
も
最長
上い
級︶
長い@
のようウ
なム がオノマトペ 起源であった可能性を示唆するの かもしれない
による語幹母音の交
昔替
象な
徴ど
そのの
もだといってではないか。多くの言語学者が、爪音 類 には何 かしら柔らか
ラウト
麒昔象徴から言語の起源 へ
界
世
0
昔研究の契機となった朝鮮語の
小林英夫の象徴
昔象徴とは
中で注目した。小林はさらに日本語メ
のソマトぺを題材にし一種である。
れ
た ﹁国語象徴昔の研究﹂へと進んでかく。
れ
を
あ 」
ま
せ
って の」
て
し
の短の大
① ポルゴッタ
② ポ ルゴッタ
里柑引
i110。 [。 1
世召可
Ⅰ
p
Ⅰ
Ⅰ
@り Ⅰ。 ["a
Ⅰ
p
ⅠⅠ
陰母音
大きく鈍い、
好感が持てない
③パルか,タ
①パルガッタ
れコ
[l) llna'
Ⅰ。
い
れ
せせ叶
せ せ目
陽母音
コ
7p @lo@["a
Ⅰ
/j、 さく可愛い、
好怒が持てる
子音が平吉
子音が濃昔
朝鮮 語 では、擬声語、擬態語は言 うに 及ぼす 、色彩 語や形ステムだけでなく、文法のシス テム も昔 象徴という装置︵ デ
拙く 、 鮮やか,求心的 弱く 、 穏やか、拡散的
日什
ソシュールや小林英夫だけでなく、現代の言 ま而
学 はどこまで
*特集・最適性理論の可能性を探る
象徴税 である。だが毒口語の起源に関する
昔象徴 説 に対して、
も控えめで、そして概ね否定的である。
最適性理論から普遍文法を探る深澤は
言語獲得と最適性理論太田
制約はいくつあるのか建蘭
我男
下宮忠雄
連破・小谷野敦の恋のことば⑨小谷野致
連載,シベリアを歩く③異人
リレー連磯 ,ことばというパスボート⑨ルーマニア語
鈴木倍音
リレー達眼,方言研究への招待⑨ダニエル・ ロ ング
佐藤米作
塚谷 裕一
リレー逆戟,日本の方言探訪⑬愛媛緬
リレー連職 ・魏書日記⑯
光
"
司
井唯
"
迎鵬
勉
述職・チンバンジーの子育て・人間の子育て③・・・・
正・
之・田中
・文の理解②坂本
へ日本言語学会第辺国大会︶報告風間 仲 次郎
イブと幼いクリスチーネ
巻頭エッセイ松尾大・宮崎正司・舘野
﹁コラムロ認知科学と最適性理論北原
日 功
言語変化・変異研究と最適性理論日比谷 潤子
哨夫
﹁コラム
ロ アフリカネ アメリカ人の文法変異・・・・・
訓・
次松
郎田
真冬
眞浩
理一
ム
﹁、なぜ最適性理論が必要とされるのか
P. スセレンスキ
るか
光彦
オノマトぺ は、 限られた単語群であるにもかか わらず、 言
語 に関する根源的な問い な誘発する装置である 。圭口語をⅠしれ
ほどまでに彩りながら、 オノマトぺ はこうした 様々な問いに
︵東京外国語大学/朝鮮言語筆
が
数
りⅩⅡ 木 千草にば や しちく さ )
答えないーそれほただ語るだけだ。
㊨
日本で最も大部な国語辞書である﹁日本国語大辞
典 ロ 初版︵小学館︶に、﹁ミレニアム ニ の項目はなな
い。﹁広 辞苑︶第五版は、一九九八年一一月刊であ
せんん
わ
せんト人せっ
に、﹁千年説﹂があり、宗教語 と明示した 上 で
るが、﹁ミレニアム﹂はない。ただし、﹁千年﹂の 項
昆 ﹁守田㏄
ョ﹂という原語が示されている。
﹁ョヨの
⑧
五
朝日新聞を検索すると、一九九 0年 七月一二日朝
新会社﹁ミレニアム﹂設立﹂とあり、一九九一年
刊に ﹁若い女性の感覚にまかせます東急百貨店
月一一日夕刊に﹁世界文化ウオッチング﹂とし て
が 登場。一九九二年に二件、一九九三年に二件、
い
﹁世紀末の 記念祭プーム﹂記事の中に﹁ミレニアム
年 とんで一九九 セ年に九件、一九九八年に十件と
マークされていなかったことであろう。
ぅ出現状況であるから、﹁ 広 辞苑﹂編集時点では、
⑧
、
ところが、一九九九年、新聞どころか、町には
生
ニO
﹁ミレニアム﹂の文字があふれた。特に夏が過ぎ、
たちに、﹁ミレニアム﹂について簡単なアンケー
十 、十一、十二月と加速されてゆく。その頃、学
なしてみた 0 正しく説明できた者は少ない。﹁
い
る
、
は 昧
性周
二わ「
り咋も
ム
学
ニ
点を二目早
8
であ
] 次号 (9 月号 ) 子き [8 月 15 日 発売コ
青き
n
回 ミレニアム一点か 線か
の
フランスヘ撮影旅行に行ってきた。パリを
ほど前にダイエーの
前オーナー中内氏がこ
午
ハ
起点に二五日囲で一九都市をまわるという
0店に来たとき、神戸にあるホテルの料理長
|ドスケジュール。器材をかつい辿
で日形助
を頼まれて五年はどそこで
倣 いていたとのこ
しなければならない一人旅、しかもフランス と。ここまで日本を出て十日用まったく日本
詔はできないし初めての土地ばかりとあっ
語を話す機会がなく,久しぶりの日本語での
て,いかに旅似れた私といえども相当の心理 会話に、緊張していた気持ちがいっぺんは
に
的立圧がかかった。
ぐ
れていくようで、とても嬉しくなった。
早速搬形の予定を尋ねると・﹁今晩も予約
がゲっぱ いで忙しいので、明日の朝料理を用
薫ずる﹂ということになった。ついでム
に
﹁
晩
店の様子を批りたいと頼むと央
・く引き受け
てくれた。午後八時に店に行くとぽ
は満席
らてきたロべ|ルが﹁
ご馳走
忙しい厨房か,出
しますから,好きなものを食べてください﹂
という。私はアスパラガスのスープと牛レ
の
バ目 それに極上のワインをお願いしm
,
小い
もよらぬ暖かなもてなしに感激した。
翌日のタ暮れ時、リヨンの大聖堂が建丘
つ
で、心安らぐめぐり会いな心の中で反掬しな
がら・街の夜景を撮影した。
わたなべまこ/と
写真家︶
楽しい オ / マトぺの世界
パリを出発して八日目にリョン到
に若。ソ
ョンはフランス第二の郡市で・古くから商
業 ・文化の栄えた町だが、美食の町としても
世界中の食通に知られている。今回の旅の目
的のひとつに、ここに古くから伝わフ
るッシ
ョンと呼ばれる郷土料型の撮影があった牛
。
の宵袋の煮込みなどが代表的なもので・この
搬形のために、東京のフランス政概
府北周に
紹介してもらい、市内の
ガー ユトン通りにあ
る レストラン﹁グィ バレ﹂のオーナーシェ
フ、ロベール・デュフオー氏を訪ねた。
彼は私の顔を見るなり、日本語で﹁よぃ
く
らっしやいました﹂と手を差し伸べてきた。
驚いた私がどこで覚えたのかと尋ねると十
、
特集
吹
息
の
球、
地
旅 先 でめ ぐり会っ たォ アシス
字典とも
汀藍辺 マコト
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