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ヘ身を投げる女〉 の表象

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ヘ身を投げる女〉 の表象
︿身を投げる女﹀の表象
めた︿問い﹀にまつわることとして、である。
︿世紀転換期﹀における再生する古伝承1
鵬外と漱石1、近代日本文学の礎石を築いたこの二
これを換言すれば、︿西欧近代﹀が次第にそのく光V
直
人の稀有な個性には、東西の文化を高次に架橋しようと、
α興口Φ﹀とも称される例の︿世紀転換期冨﹃︸仁コαΦ目壁
に ながら、奇しくもその、日本人の心性を象徴する如き古
≦窪α①﹀の精神状況と鵬外・漱石がそれぞれに対峙し
を に意義深く生成した二つの重要なテクストに即すること
伝承と各個において向かい合い、その意義を蘇生・再生
探究となる。またそのことを通じて両者が、広く同時代
で考察してみたい。それは、﹁万葉集﹂の昔から、日本
︿身を投げる女﹀の古伝承に象徴的なかたちで体現され
的コンテクストを共有しつつ、見失われ行く古伝承にい
させようと試みた、正に、注目すべき痕跡をめぐっての
る、日本人にとっての、実に根源的となすべき伝承され
かなる変形を加え、かつ、そこに潜められた可能性をい
人の心性︵ヨΦ三巴詳︽︶の歴史に深く喰い入り続けた
れ得る。ここではその具体的なありようを、ほぼ同時期
られない応答し合う関係が、実は密やかながらに見出さ
と︿影﹀とを危機的に宿し始めた︿モデルネ∪鋤のζo−
記
共々に挑んだその創造行為の過程にあって、意外にも知
石
た倫理性へと、ほぼ同時的に両者が係わりを示しつつ深
77
大
前からの、元来は口頭によって長く伝えられた、文化の
ティへと深く突き刺さる、未だ文字化を伴わぬ遥かの以
どの国にあっても、その国に固有の文化のアイデンティ
ことなのでもあるー。
雑化する二一世紀初頭の現在時において問い返してみる
たかを、︿近代﹀以降の生の行き詰まりが一層深刻に複
かにして掘り起し、これをどのように継承しようと試み
際して、日本人なら必ずや誰しもが知っておくべき文学
文学の伝統の中で長らく正統であった古典和歌の教育に
現在でもそれは、学校教育制度の内部にあって、日本
それに他ならない。
まで受け継がれたものである。所謂︿処女塚伝説﹀が、
の中において繰り返し題材とされ、文字化されて今日に
固有の韻文ジャンルたる︿和歌﹀という伝統的表現形式
骸と化してしまっているとしても、である。
るべき真の意義は、今では殆ど、その内実が風化し、形
欧との出会い以前、すなわち、マックス・ウェーバ⊥言
紀転換期西欧﹀でホフマンスタールらに着目されて以来、
一方またそれは、日本の優れた古典芸能として、︿世
教材として採り上げられ続けている。それが受け継がれ
うところの︿普遍史﹀が、合理性の名の下、特殊的に志
ヨ 向された︿近代﹀︵﹁宗教社会学論集序言﹂︶という時代
世界的にもよく知られるに至った、あの濃密なる象徴性
が、それぞれに存在したであろう。日本にあっては、西
と当面し、経験することになる、その遥か以前より、そ
を帯びた演劇ジャンル、詩劇としての︿能﹀においても、
基層をなすような倫理を特徴的に表示する如き古き伝承
のようなものの代表として、日本人のメンタリティの奥
で演じられ、古典教育という実践目的とはおよそ離れた
の一つとして、﹁求塚﹂の名で伝えられ、今なお舞台上
ところで生き長らえ、保持され続けている事実も忘れら
その数多存在する台本、所謂︿謡曲﹀の最も重要なもの
れた古伝承が、正に、酒々たる水脈をなした。
れてはならない。その意味で、細々とではあれ、この古
ちの原型を鮮やに代表してみせる、連綿として受け継が
それは、そもそも、ほぼ日本全域に広まっていた口頭
伝承は、言わばく生きつづける伝説Vとして、今尚、日
底深くに喰い入っていた、人間の、一つの︿死﹀のかた
の心意を集約するかの如く編まれた、かの﹁万葉集﹂以
本人の心意の深層に深く潜行しつつ確実にその命脈を保
での言い伝えに基づきつつ、およそ二千年以前の日本人
来の、それ自体が、口承性をも色濃く残存させる日本に
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さて、その基となった口頭伝承とは、伝えられる際の
たれ続けている。
立つ特異なかたちの墳墓、すなわち︿塚﹀としても数多
示すものとして、日本の至る所に、三つの墓石が並んで
同時に注目すべきは、それが、言語化以前の伝承形態を
てきたことは言うまでもない。しかしそればかりでなく、
残されているという事実である。そもそも、この伝説の
出すれば、次の様にもなる。すなわち、ある国に住む一
言語的伝承の担い手となった古来の︿うたびと﹀たちは、
細部の違いを敢えて捨象して、その中核的要素のみを抽
人の美しい年若い︽処女︵おとめ︶︾が、姿かたちのよ
旅の途次にあって、こうした︿塚﹀の立つ場所を通過し
ていく折、しばしその場に停んで、あたかも死者の魂を
を受け、その板挟みの状態の中で深く悩み続けた挙句、
いずれの男からの求愛をも選び取ることをせず、その心
︽憐れみ︾、また、鎮めるように、優れた歌を詠み残すこ
く似た二人の男から、あるとき同時に、強く執拗な求愛
境を憐れ深い一首の歌に込あ、これを辞世の言葉の如く
の灘区、藍屋の地に、現在、︿処女塚﹀と呼ばれる大き
とを繰り返した。その代表として残る遺跡は、神戸は今
な古墳として存在し、各地に散在した伝承を正に集約す
いう話である。それは、古くから伝えられた数多の和歌
の、それぞれの成立事情を物語化して伝えた︿歌物語﹀
る場の如く祀られてある。このことから、その伝承名は、
残して、自ら進んで近くの川へと身を投げて果てる、と
なるジャンルを代表する、和歌説話の集成となる﹁大和
︿処女塚伝説﹀と、より一般化されることとなっている。
霊性を帯びたトポスに纏わるものとして、先述の通り、
三つの墓石が並び立つ、そのかたちとは、身を投げた
く知られる。︽すみわびぬ我が身投げてむ津の国の生田
物語﹂中に最も纏まったかたちで簡明に形象化され、よ
の川は名のみなりけり︾という例の古歌の成立を伝えた
女と、また、その跡を追って身を投げた二人の男たちの
語﹂の叙述に従えば、そのような特異なかたちに墓が並
空間的に配置されたものである。そして、先の﹁大和物
相継ぐ自殺行為をそのままに、古き物語を象徴する如く
説話ないし物語は、︽処女︾が身を投げた川の名に因み
︿生田川伝説﹀ともまた名づけられる。
本文学の極めて長きに亙る歴史において、多くのヴァリ
んで立てられたのは、後追い自殺した二人の男の親たち
この、いつの頃からか伝承され続けた古き伝説は、日
ァントをも生じつつ、また、様々な表現を生成させ続け
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は、特定の時代的道徳や宗教的規範性などという、言わ
ば、制度的に強いられた﹁自己犠牲﹂性とはおよそ異な
死﹀の物語を、深くその古層へと掘り下げていく時、実
る、むしろ具体的な人間同士の関係性における︿自死﹀
この、三つの墓石が並び立つ空間的配置が、それを目に
する者の内心に活き活きと古き世の日本人の生のかたち
のかたち、ないし他者との関係性において選択される生
が、その出来事を︽憐れ︾んでのこととして伝えられる。
への詩的想像力を喚起し、その都度、言語的表出を促し、
についての、恐らくは日本に固有のかたち、その表現と
してのより根源的なありかたが浮上する。それが、ここ
いつつ可能としてきたのである。
これは、言わば、日本に残された︿自死﹀に関する、
てきたもの、その起源すらもはや知りようもない、集団
で問おうとする︿処女塚伝説﹀として集約的に表現され
今日に伝わる、文字によっての定着を様々な変形をも伴
日本人と︿自死﹀というテーマは一般に、主として武士
正に、最古層に横たわった根源的な物語となる。さて、
道ないし儒教道徳との係わりという側面から、日本人の
または美学の歴史的表現でしかない。総じてそれは、ま
定化した、ある時代の特定の集団ないし共同体のモラル
しかしそれは、おおよそ中世期に端を発し江戸時代に固
︿死の美学﹀であるかのように好んで語られるのである。
あたかも日本的心性を最もよく代表する、不可解極まる
取り上げ方がなされる。曰く、﹁腹きり﹂や﹁殉死﹂は、
な人の心性のありようと深く係わった︿自死﹀の伝承が、
係における人間の死というのでない、より根源的で繊細
きは、何らかの実定的な社会的擬制︵陰O口O口︶との関
伝説は、内包し表示するからである。ここに問われるべ
明し切れないものを、この日本人が長らく好尚し続けた
が必要とされる。近代個人主義的主体概念によっては説
と呼ぶことは、余りに近代的に過ぎ、やはり慎重な留保
的表象としての︿自死﹀に他ならない。
る しかしそれを、何らかの﹁主体的﹂選択による︿自死﹀
るで日本文化の根底をなすものの如く、全体に対する個
に日本の文化的伝統の奥底にあって継承されてきたとい
まことに緩やかに、また気の遠くなる如き長い時間と共
存在様式の象徴ででもあるかの如く、ある種の禍々しき
の犠牲、という︿自死﹀の物語を安直にも惹起し、形成
うこと自体の意味である。それは、形式倫理的な硬い概
し続けたのである。
がしかし、時代を更に遠く遡り、日本人が伝えたく自
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念化を安易にしてはならないような、人間の生の具体性
ないことを充分に留意するとしても、である。
問題と係わる以上、やはり軽々に称揚されるべきもので
制度化を、それ自体が、そもそも拒むような、人の︿行
とこそ深く切り結んでいる。
量り、顧慮することで、これを未然の裡に回避しようと
為﹀そのものの根幹深くに備わる意味ではないか。それ
状し難いものとしての、また、安易な概念化、あるいは、
する、健やかでもあれば、また、慎ましくもある、人が
は、確かに歴史性を超脱し、民族性といった伝統的規範
むしろこの伝説が象徴的に表示するものは、容易に名
選び取る行為の、ある種の高貴さとも隣り合わせた生の
性を構成するものでもまたない。言わば、常に無名なる
を悲劇へと陥れる、その想定される可能性を前以て推し
かたちへの、言わば、不特定多数による願いが、いかな
者たちによるその都度の一回的な行為選択、その意図せ
︿処女塚﹀の伝説とは、敢えて言えば、具体的な他者
る厳格な制度的なるもの、どのようなイデオロギー性を
ざる反復、その堆積が、結果として、伝承というかたち
﹁主体﹂という契機を立てるとして、それは厳粛なる
もすり抜けて、伝えられるべき、語の正確な意味での、
﹁自己犠牲﹂なのでなく、言わば、悠然として連鎖され
それこそ普遍性へと開かれていく、人間にとって本来的
なる倫理性を形作るように受け継がれたものとして、実
た﹁自己否定性﹂とでも名づけるほかない︿何か﹀であ
をとって自ずと育まれたとすべきである。そこに強いて
に見過ごし難いものを内に孕んでいるー。
る。それは、恐らくは、人の行為の本源にまで遡るもの
としての︿利他性﹀という重い問題とこそ実は密接に係
マニスティックなものとも異なり、つまりは個的な欲望
や欲求ともまた切り離された、人間の内に、恐らくは、
わっている。しかし、敢えて断っておけば、︿利他﹀と
それは、︿近代﹀が措定した基本的人権に根を持つヒュー
としての倫理的なるもの、敢えて言うならば、ある受動
自ずからにして潜んでいる、自然性にも近いようなもの
する行為を、結果として他者を巻き込んだ赦されざる罪
ら、中世日本の仏教思想はこの伝承をして、処女の入水
言っても、大乗仏教的な意味でのそれではない。何故な
ける主体のそれとは、およそ別様の仕方で体現している
の如く、批判的なかたちで意味づけしたからである。
的なる意志選択のありようを、近代以降の個人主義にお
ように思われる。むろんそれが、人の︿死﹀という重い
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いては、人が、その内側から︿利他性﹀を発動させる折
ここでの本来の目的に議論を戻せば、日本の近代にお
︿世紀転換期西欧﹀からの鴫外の帰還の、正しく、その
︿近代﹀の問題が複雑に錯綜し一挙にして噴き上げた
強められた自我の意識が、統合不能に陥った個的欲望と
言い換えれば、﹁舞姫﹂の言説は、近代的に解放され
隣り合わせつつ、不穏なる利己心の無意識領域からの突
直後においてのことである。
て、つまりは、決して古きモラルの復権、ないしそこへ
き上げを経験することによって、愛すべき他者の犠牲を
の、具体的ありようが、正に、急速に強まり行く<利己
の回帰としてでなく模索された。その最も代表的な表現
悲劇的に招来してしまわざるを得なかったことをめぐっ
性﹀との厳しく拮抗する緊張関係における︿問い﹀とし
にして深い思索は、森鴎外の生涯を通じての、そもそも
ての深刻なる物語として生成を見た。私見によれば、日
︿自己﹀とは何か、をめぐっての︿問い﹀となって現わ
れた。そこには、自ずと︿他者﹀へ向けての視角が包摂
代化の出立に当たって、その基本的圏域を如実にも確定
いは、ここを象徴的な起点として、早くも日本文学の近
されている。
本においての︿自己と他者との関係性﹀をめぐっての問
るく西欧型近代小説︵Zo︿Φ一︶﹀受容の、正にその始発
鵬外は、︿近代﹀との出会いを、その始発点において、
され、︿自己と他者﹀の関係性という問題圏域が独自に
点となったモニュメンタルな小説テクスト﹁舞姫﹂︵一
言わば、︿肥大化する自我と、その犠牲に供される他者﹀
構成される。その最も早い尖鋭な現われは、日本におけ
らに愛を捧げた異国女性・エリスなる︿他者﹀を狂気へ
という︿問い﹀とともに経験し、これを生涯に亙って、
八九〇・一、国民之友︶においてである。そこでは、自
と陥れてしまったことへの固着化した暗諺なる自責が、
けた。そして、その長期に亙った潜行する思索過程に、
根源的なる倫理問題として深く内在化し、幅広く問い続
晴らしようのない強い罪障意識とともに、バイロンの戯
﹁舞姫﹂の生成から二〇年の時を経て現われる、殆ど知
最も感銘深く浮上したテクストとして銘記すべきなのは、
異様に緊密な言説化をみる。それは、一九世紀末の西欧
られないながらも、実は重要な位置を占める戯曲﹁生田
続ける、ある男の︿自己﹀をめぐる一人称の語りとして
曲﹁マンフレッド﹂︵一八一七︶におけるが如く抱かれ
社会、ここでの問題意識に即してより正確に言えば、
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川﹂︵一九一〇・四、中央公論︶であるに他ならない。
︿磁場﹀をこそ、近代化された舞台空間において興味深
くも現出させてみせる目論みと共に企てられたと見なさ
する表現世界の、原型としてこそ注視される。すなわち、
因みにそれは、西洋近代演劇史の重要な結節点となって、
れてポリフォニックな戯曲﹃ジョン・ガブリエル・ボル
ここにおいて鵬外は、古伝承をそのままに再生させるこ
れる。
クマン﹄︵﹁国民新聞﹂に連載、一九〇九・七・六∼九・
とによって、表現主体たる︿自己﹀なるものの過度な突
日本にも波及した︿自由劇場﹀運動の受容に際して、生
六。以下、﹃ボルクマン﹄︶をこそ選び取り、これを翻訳
出を、実に特徴的にも、殊更に抑止し管理してみせる。
そして、その制作に当たっての態度は、晩年の鵬外が
し提供するが、﹁生田川﹂はそれに次いで、その第二回
が、そうした表現方法を自覚的に採用しつつも、鵬外は
成をみることとなる。
試演︵一九一〇・五・二八∼九︶のために鴎外自らによっ
実は密かに、古伝承における︽処女︾の行為への自己の
次第に採用することになる︽歴史其の儘︾と鴫外自らが
て書き下ろされた台本となる。そしてその大枠は、正に、
解釈を、慎重、かつ効果的に忍び込ませてもいる。それ
鴫外は、その第一回試演︵一九〇九・一一・二七∼二
先に問題化しておいた︿生田川伝説﹀そのものに取材さ
は、二人の男からの執拗な求愛行為のいずれをも選択し
名付けた特異な表現方法、つまり、表現主体が偶然的に
れる。言わばそれは、日本において、二〇世紀の幕開け
ないことを︽処女︾が語るその真意をめぐってである。
八︶のための台本として、先ずは、ヘンリク・イプセン
に当たり、演劇の近代化が本格的に始動する時点で、か
そこに、日本の心性史にとって重要な位置を占める古伝
最晩年の、正しく<利己︵国的O一ω∋亘ω︶﹀と︿利他︵≧学
つての︿西欧型近代小説﹀の受容としての﹁舞姫﹂の場
承が、動乱する︿世紀転換期﹀を背景に、鵬外によって
て語らしめようとする高度な技術を駆使することで示現
合とあたかも軌を一にして、その始発の時を契機として、
テクスト化される意義が鮮やかに浮かび上がる。
遭遇する︽史料︾の内に宿された︽自然︾そのものをし
いみじくも、日本文化の古層に横たわって、その原基的
この戯曲において︽処女︾は、求愛者の一方を選択す
﹁三ωヨロω︶﹀という二つの倫理的価値が相圖ぎ合う、優
モラルを問題として生成させ続ける古伝承そのものの
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ることによって生ずるはずの、選ばれなかった者の死を
委ねていく、その特徴的な︿自己否定性﹀と見事にも相
鴫外が古伝承そのものへと、正に、その身を寄り添わせ、
︿自己﹀を開き、また委譲していく生のかたちが、実に
即するかの如くに、古層から︿到来してくるもの﹀へと
印象的にも浮上させられている。正にこのとき、︿他者
前以て予期し、その︽影︾、言わば、︿死せるもの﹀が霊
幻視してでもいるかのように印象深く言明する。換言す
性﹀へと向けられて、鴫外の内に長く潜伏されてきた思
的に立ち現れ続けることへの懸念を、まるでそれを現に
れば、︽処女︾は、あたかも既視体験を語る人のように、
索は、次元を変え、古伝承に即しつつ、漸くにして、そ
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
に語るのである。そして宵闇の中、どこからともなく顕
招来される悲劇を、既に眼前にしているかの如く印象的
の︿顕現の場﹀を見出すのである。
ももはやリアリズムとして再現的には現われない。その
既に伝説世界が現出した舞台上には、いずれの︿死﹀
現してきた一僧侶の唱える、人間の意識の最深層へと下
す重要なる︿頒偶>iそれは、﹁唯識一二十頗﹂からの構
降していく、かの仏教哲学たる︿唯識思想﹀の根幹をな
外部へと排除されて、事実上、消失している。その意味
必然の帰結として、一切の︿悲劇的なるもの﹀が舞台の
では、古き伝承の大枠をそのままに留めながらも、古き
ア 伝承の宿る場たる︽生田の川︾へと処女がもはや選択の
︿自死﹀のドラマとしての再現はもはやなされることな
成的引用として示されるーの響き渡りを背景として、
ドラマは閉じられる。そこには、合理的、かつ現世的な
余地なく、言わば、当然の如く赴いていくことを以て、
り渡り支配する世界にあっての生をめぐるドラマへと変
行する時間性に代わるものとして、︿伝説の時間﹀が濫
く、また、︿筋=き巳o旨ひq>として示される継起的に進
が行為する、その生のかたちが、見事にも表象させられ
深層深くに潜んでいた︽智慧︾の到来する中にあって人
る。そして、その変形の原理を支えるもの、それは、正
換されている。ここに、古伝承の変形は十全なものとな
︽人智︾の支配を超脱する︽出世間智︾という、意識の
るのである。あるいは、伝承の中の︽生田川︾こそが、
によっての︿利他性﹀の発現である。ここに鴫外が、そ
しく<自己﹀の無際限なる突出を暗示的に抑止すること
︽処女︾を招き寄せるのでもあるように。
ここには、苛烈なリアリズム世界を生成する主体たる
︿自己﹀の発動を抑止していく特異な表現主体としての
84
の文学的出発以来密やかに問題化してきたことの、言わ
却困難な︿利己性﹀へ向けての一つの回答が、古伝承の
αΦpのoゴ鋒け︶の否定︾による︽美と平和と幸福の劇︾の
た、一九〇六年、これに先立って鴫外が、︽情熱︵いΦ学
原へと遡行するかのように、である。因みに、先の﹃ボル
の道徳規範が無効化する中で、︿倫理的なるもの﹀の始
して美的に試みられているー、︿神の死﹀以後、 一切
鮮やかなる再生と共に、︽葛藤を回避︾するテクストと
到来を、︽葛藤︾なき︽未来の劇︾として、︿世紀転換期﹀
き の神秘主義的思想家モーリス・メーテルランクの︽預言︾
劇上演に際しての前口上。﹃青年﹄、一九一一︶の如く、
ば、優れて︿美学的﹀な具現化が認められる。それはま
に同調しつつ宣言していたこと︵﹃ゲルハルト・ハウプ
の創設者勺鋤巳6。〇三Φ昌夢興の﹁﹃ボルクマン﹄評﹂中に
り 一∼四︶した、ドイツにおける︿自由劇場hお一Φbd魯=づΦ﹀
クマン﹄翻訳に先立って鴎外が︽∪一U>ω閑︾刀一︾︾︵11悲
トマン﹄大尾。一九〇六・一〇、春陽堂刊︶の、実践行
やはり﹁国民新聞﹂紙上に周到にも訳載︵一九〇九・七・
為となってこそ現れるのである。
もとよりそこには、︿世紀転換期﹀の鳥羽口にあって
を犠牲に供する悲劇性、また、そのことによる終わりな
ところで、このようにして生成した戯曲﹁生田川﹂に
深長にも選び取られ、呈示されてある。
おいては、︽倫理的天則︾︵圏点、引用者︶なる語が意味
ヘ ヘ ヘ ヘ へ
き自責行為、苦悶する自己内対話は封印され影をとどめ
先立つ一九〇六年−正に鴫外が︽情熱の否定︾を示唆
生成した小説テクスト﹁舞姫﹂において見られた、他者
ない。ここでの、ささやかだが重大な変形を施された古
深く揚言した年、奇しくもこの︿処女塚伝説﹀を等しく
未だ東洋にも西洋にもないもの︾との強い自負と共に漱
伝承の再生は、個人と個人との対立や葛藤による悲劇性
られていると目される。かねて古伝承の中核をなしてき
石によって世に問われる︵一九〇六・九、新小説︶。一
中心に据えた問題的な散文テクストが、︽天地開關以来、
け た処女の︿自死﹀行為も、ここでは直接的には現われる
トは、発狂して身を投げた︽オフエリア︾の水に浮かぶ
見して長閑かにも﹃草枕﹄と題されたその特異なテクス
を、本質的にも、未然に回避させるものとして機能させ
ことなく、象徴的に暗示されるのみである。ここに、鵬
溺死体、ジョン・エヴァレット:・・レーによってく世紀
外の企図したに違いない、一方で合理的因果性が追求さ
れるなかで、近代世界に止まることなく蔓延して行く脱
85
宿し続ける、西洋画家を以て任じつつ同時にその本来は、
せずにいることと密接に係わる。
その面貌に、苦悶を超えた然るべき表情を求めつつ見出
そのものである︽長良の処女︾なる入水した女の︽古雅︾
転換期﹀に描かれた著名な図像をこそその胸中において
なる物語を重ね合わせようと無意識的に願望する。あた
しくも︽那古井︾の里に伝承される、正に︿処女塚伝説﹀
︽現実世界︾を︽住みにくき人の世︾として忌避し、そ
その時、語り手は、興味深くも︽オフエリア︾に、奇
こを逃れるように、春の一日、︽那古井︾という名の人
かも両者が重なり合う時、疲弊し切った自らの心に︿治
東洋の一︽画工︾でもある厭世的な語り手の一人称世界
跡稀なる温泉場へと峻険なる山道を冒して、思索に耽り
するべき条件を備えた女・︽志保田那美︾と遭遇し、覚
癒﹀がもたらされるかの如くに。そしてその願望を実現
となっている。語り手は、生き難い︽二十世紀︾初頭の
つつ登っていく。その時、︽画工︾によって多弁にも繰
えず、強く関心を引き寄せられる。が、その願いはやは
り広げられる思索過程にあっては、︽対立と葛藤︾とを
惹き起こす一切の他者との係わりを意図的に切断しよう
り容易に成就しない。何故なら、この山里において見出
された︽那美︾なる女は、そもそも夫を自ら離縁するこ
とする︽非人情︾なる、特異な心的態度が正に観念的に
とで︽那古井︾へと出戻って以来、村人たちから伝説の
つまり、︿身を投げる女﹀となることを期待され、そこ
乾坤︾の人為的建立が希求されるのである。
から懸命に身を逸らすように、︽悟りと迷い︾の間で引
考案されて、厭悪すべき︽現実世界︾とは相異なる︽別
らの病み疲れた心と身体とを悠然と解き放ち漂わせるこ
き裂かれつつ狂気を演じ続けているからである。︽那美︾
女と同じ運命を辿った先祖たちの系譜へと連なること、
とを春の山里において夢想する。が、本来的に不可能性
語り手は、︽出世間的︾な漢詩世界を憧れ、そこに自
を帯びる他者との関係性の遮断という語り手の企ては、
に対して︽画工︾が張り巡らす内心のバリア︵防御壁︶、
は、︽画工︾の秘められた願望を見透かすように、外界
すなわち、︽非人情︾の心的態度を嘲笑し様々に揺るが
遭遇する全ての人間を自然の点景に見立て、また、他者
行為を様々に試みながら、虚しくも成就されない。それ
してくるー。
との葛藤に苦しむ根本要因たる︽自己︾そのものの滅却
は、内心に巣食った︽オフエリア︾の水死体の図像の、
86
題が多くの矛盾を孕みつつ、思想・倫理・芸術等の諸領
す﹃草枕﹄もまた、正に、西欧的近代の抱え込んだ諸問
ざるを得ない︿他者﹀との関係性にあって試みられると
その奇異なる企ては、そもそも、近代個人主義以降の
おうとする︽非人情︾が、敢えて企てられた。
︽人情の糸︾、情緒的な関わり合いの一切を遮断してしま
点景︾と見立て、本来そこに生じかねない因果論的な
域において、普遍史的に混沌として噴き上げ、沸き立っ
シンクロ
ていた︿世紀転換期﹀の精神状況と鋭敏にも同期するか
いう点で、従来言われ続けたように、徒に︿ユートピア﹀
初期の漱石テクストに相応しく、自在なる実験性を示
の如く、一気呵成に生成を見る。その冒頭において、一
を志向するのみの、言わば、気散じ的な﹁美学﹂などと
いうものでは決してない。それは正確に、一つの尋常で
時代にあって、已み難くもそこに︽対立と葛藤︾を生じ
の挟間に正にその身を置く伝統美術の継承者たる︽画工︾
人称の語り手︽余︾、東洋と西洋とが激しく軋み合うそ
は、新たな世紀の幕開けと当面し、これを︽汽船・汽車・
ない倫理上の実験行為としての内実を備えもつ。︽画工︾
として遊ぶこと、などではありはしない。
権利・義務・道徳・礼儀で疲れ果て︾、︽睡眠/眠り︾を
快と嫌悪﹀とを、如実に言明してみせる。
そしてまた、︽二十世紀文明︾からの遁走者たる︽画
の期するところは、終始、︽空山一路の夢︾に︽酔興︾
春の山里の風景へと溶け込んでいくかの如く、︽那古
工︾によって選ばれた︽非人情︾の心的態度は、その尋
忘れ果てた︽文明︾と断じて、そこに生きることの︿不
こと 、それは表層的には、悠然としてのどかに見え
井︾という、かつて訪ねた土地へと山に分け入っていく
厭世の言葉をその脳中に充満させての︽二十世紀の文明︾
のことは、テクスト末尾に至り、漸く緊迫した語り口で
界︾の、差し迫った︿生き難さ﹀を自ずと指し示す。そ
麓︾に大きく口を開けて広がるはずの︽人の世11現実世
常でないことにおいて、正しく、その背景として︽山の
の生き難い現実からの逃避・脱出の行為を意味する。だ
語られる︽汽車論︾として、正に危機的で、強度ある思
ながら、実のところ、語り手たる︽画工︾にとっては、
からこそ、︽七曲り︾の山道を行く危険を冒しつつ、
索の言葉となって浮上する。そこで語られる、︽盲動す
る汽車︾に否応もなく監禁され運び去られることの身体
︽画工︾の内心には、迎接するすべての人間たちを、飽
くまで、ことごとく一幅の︽画中︾の存在、︽大自然の
87
圧しようとする︽鉄の濫穽︾としても表象される︽現今
としての︽自由︾を、新たな束縛の下へと再編入し、抑
感覚としての嫌悪。 一度︽解放︾されたはずの︽個人︾
十世紀︾の物質文明との、テクスト上、リニアに︽推移︾
な諸形象、それは、その背後に厳然として存在する︽二
よって希求・表象される悠揚とした、幾多の︽出世間的︾
テクストの深層に実は潜んでいる︿不穏なるもの﹀を優
だからこそまた、受容論的には、優れて共示的で、故に、
に感知させる、異様にも醸成される鮮やかな緊張関係の
する時間的プロセスにあっては必ずしも明示的でないが、
の椎Φ言ω冨ゴぎo﹁8ω○①げ餌¢ωΦ︾︵﹃プロテスタンティズ
裡に据え置かれてある。このように、言わば、前景/後
の文明︾1それはあたかも、︿世紀転換期﹀を代表する
ムの倫理と資本主義の精神﹄大尾、一九〇四∼五︶の論
景として、自ずから層をなすテクスト世界は、実は、単
思想家の一人、マックス・ウェーバーによる、あの︽鉄
にとって、正に深刻という他ない生の︽現実︾が、この
純な対抗史観、逃走的で、ポスト・モダン的な︿反.文
理を想起させるーそこに生かされざるを得ない︽個人︾
テクストの深層には暗然として伸び拡がり、控えている
初頭における︽個人︾の生のありようを巡り、正に一世
明﹀主義のそれには留まらない。そこには、︽二十世紀︾
紀を経た今日において尚、アクチュアルとなすべき深い
のである。そして、︽二十世紀︾の始発に際し、語り手
の偉人イプセン︾へのラディカルなる同調として、最終
は︽第二の仏蘭西革命11個人の革命︾の勃発を、︽北欧
さて、︽非人情︾の心的態度の対象とされる︿他者﹀
見られなければならないー。
︿問い﹀が、際立った焦眉性と共に呈示されてあったと
クライマックスにおける、漱石の全テクスト中、最も
なるものが、実は、唯に、人間存在のみでないことは、
的に宣告することになる。
てくる厭世を極めた深い思索。そこへと辿り着いた読者
激越なるトーンを帯びる、この︽汽車論︾として浮上し
れる。そこには、読者に過度の緊張を強いる様々な︿問
呈示された問題の奥深さを、更に増すものとして留意さ
題性︵勺﹁Oσ一Φ目P餌甘一罵︶﹀を拠り所に産出され続けるもの
は、これまで描出されてきた、のどやかで悠然とした風
汽車︾との尖鋭なるコントラストにおいて、再帰的に辿
として十九世紀的西欧芸術の代表となる文学ジャンル、
景の数々を、︽文明︾を象徴する︽お先真闇に盲動する
り返させられるー。︽那古井︾の里を彩る、︽画工︾に
88
︽画工︾は、テクスト中、例えば︽恋愛︾を典型とす
が大いに注目される。
未来を予見しつつ、︽筋︵プロット︶のない小説︾の出
接して、︿イプセン以後﹀に到来すべき二〇世紀文学の
激震とともに伝えられたイプセンの計報︵五。二三︶に
︽小説Zo<①畢さえもが、事実、対象化されてあること 学/問題戯曲︾に対して、折りしもこの年、一九〇六年、
る、登場人物間の︽対立と葛藤︾を主軸に、読者たちの
る︵﹁余が﹁草枕﹄﹂、一九〇六・一一、趣味︶。そこに
は、同じ年、先行して世に問われた、被差別部落問題に
現を、暗に待望してみせたことと見事に符号し合ってい
ト︶︾という特定の因果律︵8ロω巴詳︽︶に巻き込まれる
材を採った、島崎藤村の﹃破戒﹄︵一九〇六・一︶を高
ルに対しても、その重要な成立要件となる、︽筋︵プロッ
ことをさえ忌避し、正しく︽非人情︾的に、敢えてこれ
していた日露戦争後の日本の文壇内部での、世界文学的
く賞賛することによって、島村抱月たちが形成しようと
情動を強く揺り動かす︽小説︾という近代的散文ジャン
してみせる。それは単に二〇世紀末的テクスト論の根底
を寸断し、それとの努めて恣意的な係わり合いをも実践
二〇世紀初頭の同時代文学に対しての痛烈な批判となる。
働いていたー。
した戦略的な狙いを、暗に牽制してみせる意識が大いに
潮流とは正に逆行する、︽問題文芸︾導入を殊更に称揚
これを言い換えるなら、すべての受容者にとって、自
がしかし、﹃草枕﹄において、︿他者﹀はまた、︽余
にあった読者の私的︿快楽﹀とはおよそ異なる、正に、
己の倒壊をももたらしかねない、言わば、すぐれて危殆
の対話的関係性さえもが、︽画工︾にあっては、意識的
死した︽オフエリア︾という、無意識裡に固着した、ど
た。 ︽画工︾は、先に触れた、自己の内部に巣食う、溺
︵11自己︶︾にとって外部的にのみ存在するのではなかっ
に忌避されるのである。このことは実は、﹃草枕﹄執筆
こまでも世紀末的な、内在する心的図像/表象との係わ
なるジャンル、︽小説︾という、︿他者﹀の言葉の織物と
に先立って︵﹁夏目漱石氏文学談﹂、一九〇六・八、早稲
されてしまうことを、最も内心において危惧しつつ、回
りにおいて、それが自らのカンバス上に反映論的に定着
避する。そこにこそ、︽余︾が︽画工︾でありながら、
田文学︶、または、発表の直後において、作者・漱石自
た、熱情的で、煽情的な、中期イプセン流の︽問題文
らが、一九世紀文学を事実上、世界的に領導し、席捲し
89
い﹀を抱え込んだ︽余︾の存在様態、更には︽画工︾自
的成就を無意識的に回避する。そのことは、内深く<病
する如く、一見して悠揚と経巡り、さまよい、その具体
引き寄せられていく︽画題︾の周辺をあたかも︽低徊︾
浸透に執拗に晒された︿水に浮かぶ女人の表情﹀という、
として指定されるラファエル前派流の世紀末的ムードの
︽余︾の︽画筆︾はテクスト中、ミレーへの直接的言及
し試みられながらも、一枚の︽画︾さえも完成を見ない。
由はある。事実、携えられた︽写生帖︾上には、繰り返
テクスト中、終に一枚の︽画︾すらも描き得ぬ根源的理
ているのは、自称︽西洋画家︾たる︽画工︾の内に深く
きことを期待され、まなざされていた。そこで求められ
ヒロインたちの後商と看倣される事で、言わば、死すべ
村人たちによって、︽那古井︾に伝承される︽伝説︾の
の︿他者﹀となる那美は、そもそも、その存在自体を、
ところで、︽画工︾にとって︽那古井︾における唯一
矯な狂態を演じつつ執拗に働きかけるー。
ての︽非人情︾を、その根底から揺るがそうと様々に奇
対する︽余︾の情緒的自己抑制、または、自己防御とし
志保田那美はテクスト内を縦横自在に動き回り、外界に
の生だが、それは、先に述べた﹁万葉集﹂の時代から連
宿された︽オフエリア︾のそれと等しく<水死する女﹀
しく、証左となる。だからこそ、︽画︾の制作主体たる
綿として日本人の心性史にあって長く受け継がれた集団
身の︿水死願望﹀という潜められたコンプレックスの正
︽自己︾の徹底した滅却行為さえもが、実に危機的に試
してのそれである。東西︿伝説﹀中の︽オフエリア︾と
的表象としての︿処女塚伝説﹀の正確なヴァリアントと
︽長良の乙女︾という二表象は、共に︿水死する女﹀で
みられていた。
完成を正に遅延させられ続けるその心的図像/表象には、
︽画工︾の胸中深く抱かれた︿水に浮かぶ死せる女人﹀、
している。その欠損した︽表情︾を探し求める行為とし
することによって、そもそも、あるべき︽表情︾が欠損
決して等価でない。
ての両者は、それぞれの伝承において、むろんのこと、
り合おうとしながらも、しかし︿水死する女﹀の像とし
あるという点において、︽画工︾の内部でしばしば重な
ても、︽画工︾の︽那古井︾での行動と思索とは積み上
西洋において伝承された︽オフエリア︾は、知られる
︽痙攣的な苦悶︾を帯びた︽オフエリア︾の死相を拒絶
げられる。それを、言わば、誘発するように女主人公・
90
通り、ハムレットの演じる熱情に駆られた狂気じみた復
讐劇の傍ら、父を恋人に殺されて、発狂して身を投げる
︿伝説﹀の効力の発現を待望している。その意味で、︽二
十世紀の文明︾を忌避し厭悪して︽山︾へと分け入った
然のうちに回避・封殺して、自らが自己否定的な生を選
狂気のうちに入水する女と、予期される他者の悲劇を未
絶つ女である。恋人ハムレットの狂躁の犠牲となって、
愛を受けて、いずれをも選ぶことなく自ら入水して命を
直線的に︽推移︾する継起的時間が浸透し浸漸する余地
時間的トポスである。そこには、︽汽車︾に代表される、
て︽二十世紀︾の文明世界から切り離され守られた脱・
︽那古井︾の里は、峻険なる︽七曲り︾の行路によっ
実は、引き寄せられかけている。
︽画工︾は当初、反・文明的な︽伝説︾の力能の方へと、
択する女と。後者の形象は、日本において、︿憐れ深い﹀
がない。そして、その中心には、︽古へ︾より、多くの
女であり、かたや、︽長良の乙女︾は二人の男の強い求
女の代表として、その心性史上、長らく愛好され伝承さ
ど静誼に横たわっている。その水面を、かつて身を投げ
入水した女たちを呑み込んだ︽鏡が池︾が、不気味なほ
た多くの女たちの血の如く、永遠に落ち続ける霧しい数
れた。しかし、那美は、集団的に期待されるく憐れ深き
否むように、殆んど神経症的に狂気を演じ続けるのであ
の︽落ち椿︾が真っ赤に染め上げる。︿伝説﹀に縁取ら
死Vを死ぬことを宿命の如く背負わされつつも、それを
る。
きことを那美は、村人たちの集合的無意識の、あるいは、
れた、その︽鏡が池︾の新たな︿蟄︵にえ︶﹀となるべ
︿伝説﹀に結び付けられた︽運命︾を生かされようとす
︽画工︾は、そのような、日本人の心性に根源的な
られている。
︿伝説﹀の物語の暴力的でさえある拘束力によって強い
に、︽古雅なる︾︽憐れ︾の表情が浮かび、回復される瞬
る那美の、擬態と焦慮とに縁取られた︽不統一︾の面貌
間を待ち受ける。︽画工︾は自らの内なる︿水死する女
︿伝説﹀的時間を悠然と湛えて、テクストの中核に据え
置かれる。その意味で、それは正に、個人の生を抑圧す
︽鏡が池︾なる求心的トポスは、それ自体に固有の
︽表情︾の到来を、那美の面貌の上に期待する。その点
る︽二十世紀文明︾の継起的時間性からの解放を予兆す
人﹀の心的図像/表象に完成をもたらす、見出しがたき
で︽画工︾は、︽那古井︾の村人たちと共に、密かに
91
︽文明︾の現実の中で傷付き︽那古井︾へと回帰してき
る時空である。がしかしそれはまた同時に、皮肉にも、
の、︽瞬時︾の立ち現れを認める。︽画工︾の︽胸中の画
から解き放たれた面貌に、待望し続けた︽憐れ︾の表情
れていく離縁した夫を︽荘然︾と見送る那美の︿自意識﹀
題︾は、ここに漸くにして︽成就︾を見るi。
た那美の個的な生を、反復的で永続的な︿大きな時間﹀
の中へと引き摺り込もうとする、もう一つの暴力的な
︽長良の乙女︾の︿伝説﹀の物語的枠組への回収を意味
は、那美に固有の人生の経験を背景としてこそ現れ、
れてしまうことを懸命に拒否し、拒絶する。
しない。那美は、︿自己忘却﹀とともに、自らの過去の
クライマックスにおいて那美の面貌に浮上する︽憐れ︾
︽画工︾の︽胸中の画面︾成立のために追い求められ
の擬態と焦慮の生からの脱却を果たす。︽那古井︾にお
具体的経験への︽瞬時︾の︿追想/追憶﹀を通じ、現在
︿場﹀でもある。それは、実時間と異なる時空を不逞な
る︽憐れ︾なる︽表情︾は、しかし、︽鏡が池︾が体現
ほどに現前させる。那美の︿身体﹀は、そこへと吸引さ
する︿伝説﹀の物語的時間の中へと那美が呑み込まれる
いて︿伝説﹀の物語を伝承し続ける、実は誰のものでも
ない︿集合的記憶﹀の外側へと、那美の︿追想﹀の力は
ことによっては決して現れない。狂態を演じ続ける那美
と、︽非人情︾の心的態度に籠城する︽画工︾とは、戦
ニッサンス︶﹀なるものの現前は、この時、優れて個的
働く。追憶の時間、かけがえなき︿無意識的記憶︵レミ
なものとなる。そして、歴史上繰り返し、多くの女たち
き北の国︾へと出征していく那美の甥・久一との現実的
争によって血塗られた︽満州の野︾、︽遠き、暗き、物凄
で、危険極まる太き︽運命の縄︾によって︽因果︾的に
で、神に尤も近き人間の情︾たる︽憐れ︾なる︽表情︾
もまた、それぞれに積み上げられた個別的経験に裏打ち
それぞれの面貌に浮かんでは消えてきた︽神の知らぬ情
そして、そこにおいて、︽文明の象徴︾たる︽のたく
された、正に、具体的な生にあってのそれ、であったは
︽絡み付けられ︾、引き摺り出される如く、︽現実世界︾
る如く︾動く︽鉄車︾︵H︽文明の長蛇︾︶との当面によっ
してない。
ずであり、徒に︿伝承﹀の物語の再現・反復なのでは決
へと︽山を降りる︾。
にしばし耽った︽画工︾は、その直後、︽汽車︾に運ば
て、先述の、︽文明︾をめぐる欝勃として激越なる思索
92
︽成就︾の時を迎える。重要なのは、︽余︾の携える︽写
生帖︾が、︽画題︾成就のための媒介として、正にその
女たちは、それぞれの固有の記憶を伴った︿生︵11経
験的時間の堆積︶﹀を生きるのであり、︿伝説﹀の枠組の
の完成は、二次元的な︽写生帖︾への意図的な対象把握
有効性を失効させられてあることだ。希求された︽画︾
としてでなく、︿他者﹀との︽対立・葛藤︾を深く憂慮
はない。︽画工︾は、過去の経験という︿厚みと深み﹀
とを伴った、那美のみの所有に帰する個別具体的な、故
して、自己の内部に厳しく封印してきた︽画工︾の、
中で、酷薄に、誰のものでもない物語を生かされるので
にこそ、尊ばれるべき︽憐れ︾を、携え来たった︽写生
︿他者﹀の生を共感し得る本来の機能が偶然的に回復さ
を来たしつつ断ち切ってきた︿他者への想像力﹀が、活
く︽離縁︾した前夫との永遠の別離に際し、過去への
に︽載せ︾られ血塗られた︽大陸︾へと運び去られてい
︽画工︾の︽胸中︾なるカンバスの機能回復は、︽汽車︾
れた︽胸中︾への定着となってこそ現れる。そして、
帖︾ならざる自らの︽胸中︾においてこそ捕える。この
き活きと甦る。もはや︽画工︾は、那美を幾ばくも、画
時、︽画工︾にも、︽非人情︾を標榜することで自己疎外
材の如く突き放し、客体化しない。ここにおいて、︽文
︿追想﹀とともに現前した那美の内心深く封印されてき
︽画工︾には感受し得なかった、生身の︿他者﹀として
明︾の拘束からも、︽伝説︾の物語的暴力からも自由な、
の那美が背負う過去ーテクストの中核にぽっかりと口
た情感の、︽瞬時︾の︿顕われ﹀にこそ因った。そこに
和尚の存在によって代表される、禅的な、既成の宗教的
を開き、多くの薄倖の女人たちを呑み込み続けた幻想的
言わば、死の気雰の漂う世紀末的状況を生き抜くための
境地によってはもたらされないー。
トポス・︽鏡が池︾に湛えられた︽長良の乙女︾にまつ
に対し、孤り︽夢見る︾ことに立て篭もり自閉してきた
﹃草枕﹄において厳しく設定された︽非人情︾の心的
は、︽非人情︾という擬態によって粉飾し、︿他者の生﹀
態度は、語り手が那美に︽関心︾を手繰り寄せられるこ
わる無人称的な︿伝説﹀へと、言わば、非人格的に回収
︿想像力﹀が、︽画工︾の内部に健全に回復されてある。
とで、終局へ向けて次第に突き崩され、そのことによっ
されることなき個別具体的な経験的過去こそが、甦って
救済は、例えば、テクスト中、︽観海寺︾の住人・大徹
てのみ、︽余︾の描き得なかった︽画題︾は、最終的な
93
た内なる︿危機﹀、あるいはまた、テクスト中、︽東西文
ことで、︽非人情︾の擬態によって辛うじて封印し続け
いる。そこに︽画工︾は図らずも共感的に立ち会わせる
意義あるものとして背後に控えた、個別の︿記憶﹀と共
を押し拡げる。写されるべき︽生︾は、具体的な過去を
もの、またはその経験的世界へ向けて、その︿奥行き﹀
の方法は、明らかにその対象領域を、︿他者﹀の生その
にあるものとなる。
明︾の対立として抱え込まれてきた内的葛藤状況からの
延させてきた︿危機﹀を、最後的に回避することを得る。
介として、日露戦後の状況に表現者として子規の遺志を
鵬外は、早世した子規への自らの密かな深い敬愛を媒
り テクスト末尾に描き出される︽瞬時︾において︿追
にあって﹃万葉集﹄の復権をこそ唱えた子規が理想とし
継承しつつ出現した漱石の存在に、短歌革新の推進過程
︿快癒﹀を自らの饒舌なる言葉の撒き散らしによって遅
になる那美の︽ 然︾と停立する忘我する形姿 、そ
て抱いた、言わば、日本人の生に即した文学の正統なる
想/追憶﹀の時間を、言わば、︿縦深的に﹀生きること
こに浮かび上がる︽憐れ︾が、先に述べた通り、︿伝説﹀
継承者の面影を認め、﹃草枕﹄にこそ、それが優に具現
する様相を見出す。そこに意義深くも内包された︿処女
の物語の中で語り伝えられてきた、言わば、︽長良の乙
塚伝説﹀、それを東と西の文化を止揚する契機としよう
志。そこに応じる責務を鴫外は、先述した﹁生田川﹂制
︽個人︾にとって、不逞なほどにも居座る古伝承的な
作によって果たす。その背景には、両者にあって高次に
女︾という、日本の精神史的伝統の中核に、解放された
共有された思索が、実は意義深く存在した︵拙著﹃鴎外・
とした漱石によって示された近代日本の表現者としての意
︽憐れ︾でないことこそが重視されなければならない。
性を︿反復される話型﹀の裡へと封殺した無人称的な
漱石ーラディカリズムの起源﹄参照、二〇〇九、春風
︿表象﹀に付着・付随する、かつて女人たちの生の個別
正に、個別具体的な︽那美︾︵11刹那の美︶という一人
社︶。
け の女の生の息の吹き返し、その際の主体の一回的な情感
動乱する︿世紀転換期﹀に、日本に固有の古伝承がそ
の根底において有した︿他者への想像力﹀の再生が、鵬
ゆ るのである。
としてこそ︽憐れ︾は、︿いま・ここ﹀において顕現す
この時、漱石が盟友・正岡子規から継承した︽写生︾
94
外・漱石それぞれの仕方で営まれたことの意義。個的利
欲を絶えず誘発し駆動し続ける︿近代﹀という時代が絶
えず抱え込まざるを得ない︿出口なき﹀対立・葛藤状況
からの脱却の試みが志向性として、正にそこにあったこ
とを、近代日本の表現史上の忘却してはならない重要な
痕跡としてここに示すことーそしてそれが、未来へ向
けての何らかの射程を拓くよすがとなることを期待して、
一先ずは、ここに筆 を 欄 く 。 ︵ 了 ︶
︵5︶ 鴎外は、ことに、︿小倉左遷﹀時代において倫理学へ
九︶
︵6︶﹁歴史其の儘と歴史離れ﹂︵一九一五・七、心の花︶
の傾斜を深めていた。
︵7︶ 小倉時代における﹃成唯識論﹄受容を通じてのものと
︵8︶ 彰U器∋oαΦヨΦU茜ヨ翼︵﹁現代戯曲論﹂、一九〇四︶
推察される。
︵9︶ ﹃ゲルハルト・ハウプトマン﹄︵一九〇六・一〇、春陽
︵10︶ 霊ωo汀9版イプセン全集︾田巳Φ一ε⇒σq︽からの訳出。
堂︶
︵11︶ ﹁余が﹃草枕﹄﹂︵一九〇六・一一、趣味︶
鴎外の思想が濃厚に滲み出ている。
︵12︶ 11一Φ言けNΦ#
︵13︶ ﹁鴎外漁史とは誰ぞ﹂︵一九〇〇・一・一、福岡日日新
︵14︶ 拙稿﹁鴫外文学のアクチュアリティーあるいは、
聞︶
︿模倣﹀と︿創造﹀、その抗争様態をめぐってー﹂︵﹁文
学・語学﹂第二〇一号、二〇一一・一一︶、参照。
95
*本稿は、ストラスブールでの国際シンポジウム﹃日本のア
イデンティティを︿象徴﹀するもの﹄︵二〇一一・一一・
四∼六︶においての口頭発表に基づくものである。
のドラマ﹂︵﹁芝学園国語科研究紀要﹂第一号、一九八二・
︵4︶ 例えば、古郡康人﹁﹃生田川﹄論−主体的行動決意
すず書房、一九七二︶
︵3︶ 大塚久雄・生松敬三訳︵﹃宗教社会学論選﹄所収、み
︵2︶ 上山安敏﹃神話と科学﹄︵岩波書店、一九八四︶。
る︵﹁鵡栩掻﹂︶。
時代的にこれに着目し、︽現今主義︾の訳語を与えてい
︵1︶ 未だ定訳はない。鵬外は早く一八九六年の時点で、同
註
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