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比較政治学における新制度論の可能性

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比較政治学における新制度論の可能性
比較政治学における新制度論の可能性
宮 本 太 郎
はじめに
Ⅰ.新制度論の展開と比較政治学
1.新制度論における「収斂」傾向
2.3つの理論交差と新制度論の視角
Ⅱ.新制度論と3つの理論的交差
1.多元主義・階級政治・新制度論:権力視角
2.経済合理性・歴史文化・新制度論:合理性視角
3.環境変容・制度・新制度論:動態視角
むすびにかえて
はじめに
コーリは、「比較政治学における理論の役割」というタイトルの興味深いシンポジウムの結
語を述べるなかで、(非制度論的)合理的選択論と文化理論の一見華々しい対決をよそに、シ
ンポジウムのパネラーたちがそのいずれにも還元されない「理論的コア」を支持するという点
で共通の傾向を示したことに注意を促し、これを「重要なそして驚くべき結論」であるとした。
この「理論的コア」をパネラーの一人エヴァンスは「折衷的な雑然とした中心eclectic messy
center」と呼んだ(Kohli, Evans, Katzenstein, Przeworski, Hoeber Rudolph, Scott, and Skocpol,
1995)。
本稿は、近年の政治学で様々に論じられあるいは活用されてきた新制度論のポジションを、
その「理論的コア」あるいは「折衷的な雑然とした中心」としての役割に見いだして、その権
力論的含意(権力視角)、合理性と歴史的規範的価値との関連(合理性視角)、環境と制度との
相互作用への視点(動態視角)という3つの視点からその特徴を検討する。
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政策科学8−3,Feb.2001
Ⅰ.新制度論の展開と比較政治学
1.新制度論における「収斂」傾向
まずここで新制度論を構成すると考えられる諸潮流についての整理が必要であろう。新制度
論についてはこれまでの業績を整理するレビュー・アーティクルもかなり出そろったが、比較
的早い時期に議論を整理したセレンとシュタインモは、新制度論を歴史的制度論と合理的選択
制度論に区分した(Thelen and Steinmo, 1992)。これに先だってオストロム(Ostrom, 1991)
が同様の整理をおこなっており、同じ二潮流をカッツェンシュタインは新制度論の「分厚い
thickヴァージョン」と「微細なthinヴァージョン」と表現している(Kohli, et al., 1995)。ホー
ルとテイラーはこれに社会学的制度論を加えて三潮流に整理し、また加藤は同様に組織論的制
度論を、さらにディマジオは社会構成主義的制度論を加えた三潮流を見出している(Hall and
Taylor, 1996; Kato, 1996; Dimaggio, 1998)。さらに建林は、歴史的制度論をステイティズムなど
の構造的制度論と区別している(建林, 1999)。
レビューをおこなった一連の論者たちの多くが共通して指摘しているのは、従来対立的にと
らえられがちであった歴史的制度論と合理的選択制度論の間に(あるいは制度論の他の潮流を
ふくめて)ある種の「収斂」傾向が生じていること、あるいは少なくとも相互の補完的関係が
認識されつつあるということである。
「収斂」ないし相互補完性を強調するレビューに対しては、ヘイとウィンコットによる批判
がある(Hay and Wincott, 1998)。たしかに、新制度論の諸潮流相互の対立が意味を失ったと
いうのは正しくはないし、論者たちの主張するところでもないであろう。とくに合理的選択制
度論と歴史的制度論の両者の間には、理論の構成や制度概念をめぐって依然として大きな懸隔
があることが指摘されている。方法論的には、合理的選択制度論が方法論的個人主義を基礎と
した帰納論的な方法に前面に出すのに対して歴史的制度論は演繹的な方法が顕著であり、また
制度の概念についても、合理的選択制度論が制度をミクロレベルでアクターの行為を規制する
決定ルールとみるのに対して歴史的制度論は制度をより全体的な構造に遡及させてとらえると
いう点などである(Hall and Taylor, 1996; Kato, 1996; 建林, 1995)。
しかし、にもかかわらず新制度論の2つのアプローチ(少なくともその一部)が関心を接近
させていることは否定できない。歴史的制度論の立場をとる論者たちからは、所与の制度が政
治を方向づけるその関係のみならず、アクターの戦略に焦点を当てることで歴史的制度の形成
過程をとらえようとする動きが現れている。たとえばロツシュタインは、スウェーデンの労働
運動の強さをうみだした制度的な背景として労働組合動が自ら管理するゲント制の失業保険制
度を挙げ、そのような制度をうみだした労働運動の(合理的な)戦略を分析の主題とするので
ある(Rothstein, 1990)。また、歴史的制度論を代表する論集の編者たちは、「制度的ダイナミ
クス」や「改変の対象としての制度」を研究の課題として挙げている(Thelen and Steinmo,
1992)。
他方で合理的選択制度論の側では、逆に合理性を方向づける歴史的制度への関心が強まって
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比較政治学における新制度論の可能性(宮本)
いる。たとえばエルスターは、政治行動の基準となる合理性が実際には社会規範や制度と密接
に融合していることを強調する(Elster, 1989)。またマーチとオルセンは、合理的な行為が成
立するためには、その行為の適切性や一貫性をめぐって制度的な与件との関係が問題となる、
と指摘する(March and Olsen, 1989)。
それでは、2つのアプローチの「収斂」化がすすむならば、新制度論のアイデンティティは
どうなるのであろうか。これまで歴史的制度論がもっていた大胆ではあるがシャープな問題提
起は後退し、また、合理的選択制度論のエレガントなモデルは輝きを失うのではないか。新制
度論のアイデンティティがどのように再定義されようとしているのかを見よう。
2.3つの理論交差と新制度論の視角
新たに新制度論に期待されつつある役割は、エヴァンスが言う意味での「折衷的中心」とし
てのそれであるように思われる。それはいかなる極の折衷であるのか。あるいは、あえて折衷
的であることの、とくに比較政治学にとっての意味は何か。ここでは新制度論を比較政治学に
おける3つの理論的な(相互に関連するがしかし相対的に独自の)対立軸の交点に位置づけて
考えてみたい。
ここでいう3つの理論交差の第一は、政治体制規定と権力概念をめぐる対立、より端的にい
えば、構造的権力論(典型的にはマルクス主義)と行動論的多元論との対立軸である。比較政
治学的な観点から政治体制の定義を試みる場合、議論の前提となる権力概念が異なっているか
ぎり、構造的権力に規定された階級政治か権力の分散を特徴とする多元主義か、議論は平行線
を辿る。新制度論の可能性は、こうしたジレンマを超える手がかりを与えることであると本稿
は主張する。
第二に、政治現象の理解をめぐる歴史文化的アプローチと経済的合理性アプローチとの対立
軸である。あらゆる政治体制は固有の歴史文化に基づくという点でユニークであるが、ただひ
らすらユニークuniquely uniqueというならば比較の試み自体が困難となる。逆に異なった政治
体制を共通の経済的合理性の観点のみから説明することには限界がある。この点にかんして本
稿では、新制度論を歴史文化的アプローチと経済合理性アプローチの交点に置くホールらの議
論を検討する。
さらに第三には、政治現象の叙述をめぐる制度論的アプローチと個人や組織の動態に焦点を
当てた変動論的アプローチとの対立軸である。比較政治学的な観点からいえば、異なった制度
が共通する環境変容に直面したときの動態が焦点となろう。本稿では、新制度論にこのような
動態分析が期待されつつあることに注目したい。
Ⅱ.新制度論と3つの理論的交差
1.多元主義・階級政治・新制度論:権力視角
まず、新制度論を構造的権力論と行動論的多元論の交点に置くということの意味についてで
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ある。この視点は、わが国における政治学、比較政治学の展開を念頭に置くならばとくに興味
深い。なぜならば、わが国の政治学、比較政治学においては、1980年代の半ばにいわゆる日本
型多元主義論の興隆をみた直後に、90年代に入った頃から若手研究者を中心として新制度論へ
の移行がすすんだからであり、2つの「世代」の関係については必ずしも明快な総括がなされ
ていないからである。
日本型多元主義論がすでにアメリカ政治学において過去のものとなったパラダイムに依拠し
たがゆえに陳腐化したのであろうか。おそらくはそうではあるまい。日本型多元主義は、わが
国における政治的利益表出の多元性を素朴に語ったわけではなく、しばしば「形容詞付き」の
多元主義といわれたように、利益表出が方向づけられるさまざまな制度的バイアスを強調して
いた。そのかぎりでは、新制度論の関心と日本型多元主義論の関心は大きく異なっていたわけ
ではない。実際のところ、合理的選択制度論の枠組みによる日本政治研究の発見は日本型多元
主義論の政官関係論とかなりの程度重なっていることが指摘されている(建林, 1995)。
では、当時すでに権力論やコーポラティズムというかたちでポスト多元主義の潮流が台頭し
ていたにもかかわらず、日本型多元主義論があえて「多元主義」の枠組みにこだわった理由は
何であったのか。それはいうまでもなく、官僚優位モデルあるいは階級政治モデルに対する方
法論的批判を鮮明にうちだし、政治学におけるパラダイム対抗の構図を明確にすることを意図
していたからであろう。
それでは、新制度論は、多元主義モデルと階級政治モデルというパラダイム対抗に対してど
のような位置に立つのであろうか。直感的に言うならば、歴史的制度論は政治的アクターの利
益表出に対する歴史的制度からの制約を説くことから階級政治モデルの流れを汲み、それに対
して合理的選択制度論の流れはアクターの個別の戦略にひきよせるという意味で多元主義モデ
ルに近いようにも思われる。しかし、歴史的制度論のなかには、スコッチポルらステイティス
トのように、自らの方法を、多元主義モデルとの緊張関係においてのみならず、階級政治モデ
ルの対抗関係のうちに位置づけようとする論者もいる。逆に合理的選択制度論の流れのなかに
あっても、エルスターやプシェボルスキのように階級政治モデルに近い論者が重要な役割を果
たしている。
このように新制度論は「旧」イデオロギーの視点からすれば雑居状態にも見えるが、そのア
イデンティティは何なのか。このことを考える時に有益なのはイマーガットの議論である。イ
マーガットは「新制度論の理論的核心」と題した論考のなかで、新制度論に共通する関心の所
在は、「人々の選好がそれが表明される制度的コンテクストによって根本的な影響を受ける時
に、人々が何を望んでいるのかを確定することの困難」にあるという(Immergut, 1998: 25)。
ここでイマーガットは新制度論を行動論的多元論とマルクス主義双方との緊張関係でとらえて
いる。
とはいっても、ステイティストが多元主義モデルと階級政治モデルをともに「社会中心アプ
ローチ」として括って、自らの「国家中心アプローチ」と対立させたのとは視角が違う。「収
斂」段階の新制度論にとっては、社会的利益と制度との相互浸透こそが重要であり、社会と国
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比較政治学における新制度論の可能性(宮本)
家を対立させる視点は後退している。ここでの問題は、インタレストの概念、表明された選好
と「本来」のインタレストとの関係という点にある。
まず想起されるのは、行動論的多元論と伝統的なマルクス主義は、この両者の関係について
対照的な議論をしていたという事実である。すなわち、CPS論争などで明確になった行動論
的多元論の立場は、明確な紛争や抑圧の痕跡がないかぎり表明された選好こそが人々の「本来」
の選好とみなすべきである、というものであった。これに対して、マルクス主義は、しばしば
表明された選好は階級政治のなかで誘導されていたり歪曲されている、という見方を示してい
た。すなわち、表明された選好とは異なる(労働者階級の)「真なる利益」が存在するという
のが、多くのマルクス主義的分析が前提としていた仮説であった。
併せて想起されるべきは、行動論的多元論とマルクス主義双方のこうした理論的構えに対し
ては、いわば双方の流れに近いところから修正的な見解が現れていたことである。行動論な多
元論に対しては、いわゆるポスト多元主義論の展開があった。たとえば、バクラックとバラツ、
あるいはルークスらの権力の二次元論、三次元論は、選好が表明される以前に政策決定過程へ
の接近を阻まれたり、第三者によって操作されている可能性について問題とした(Backrach
and Baratz, 1962; Lukes, 1972)。また、コーポラティズム理論が多元主義的政治学の仮説に対
置された時、そのポイントは、利益媒介の制度によって多様な社会的利益にとっての政策決定
過程への距離が異なってくるということであった(Berger, 1981)。だが、脱行動論的な権力論
やコーポラティズム論は、現代政治分析に大きな影響を与えつつも、それ自体がパラダイムと
しての自律性を獲得していたとはいえなかった。
マルクス主義の側から新制度論への接近を架橋したのは、方法論的構造主義を基礎としたプ
ーランツァス、ジェソップらのいわゆるネオ・マルクス主義国家論と方法論的個人主義を基礎
としたプシェボルスキ、エルスターらの分析的マルクス主義の流れであった。ネオ・マルクス
主義国家論は、資本制国家を権力装置に還元することなく、その構造的な制約のなかでも、多
様な社会的利益の影響力がどのように政策に反映しうるかをとらえようとする「関係論的アプ
ローチ」を打ちだした(Poulantzas, 1978; 田口、1979)。しかし、このアプローチは、理論的
には厳格な構造主義的方法論を基礎としていただけに、その政治分析が階級還元論を脱しえた
かといえば、むしろ構造的決定論とリアルな政治分析とのジレンマに苦しんだといえる。他方
で、分析的マルクス主義の形成については、オルソンら(非制度論的)合理的選択理論からの
マルクス主義への挑戦が重要な契機となった。これに対してエルスターやプシェボルスキは、
表明された選好と論理的に想定しうる階級的インタレストの落差を、所与の制度的な制約のな
かでの戦略的な選択の結果として見る視角を打ちだした(Elster, 1982; Przeworski, 1985)。
行動論的多元論およびマルクス主義双方からの展開の影響は、たとえば歴史的制度論を代表
するホールの議論に明白である。ホールはテイラーと共同執筆のレビューの中で、新制度論と
くに歴史的制度論は、「何年も前にコミュニティ権力をめぐる論争のなかで指摘された権力の
第二次元、第三次元を説明しようとする努力として読むことが有益」であると述べる(P. A.
Hall/ R. C. R. Taylor, 1996: 940-941)。つまり、歴史的制度論は制度のバイアスによって社会集
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団間に権力が不均等に配分される仕方にとくに関心を寄せるのである。とはいっても、ホール
によれば、ステイティストのように制度の自律性を強調してそこに権力の問題を還元するのは、
実は新制度論の本流とは言い難い。問題は、制度を(社会的集団からの圧力に還元することで
はなく)社会との相互作用のなかで位置づけていくことである。ここでホールはそのような方
向での展開を図る素材として、プーランツァスなどネオ・マルクス主義国家論の資本ー国家関
係分析を位置づける(Hall, 1986: 15-19, 233)。
以上のような経緯を振り返るならば、イマーガットが、新制度論を行動論的多元論および社
会決定論(マルクス主義)との関係で表1のように位置づける理由が理解できる。
表1 他のパラダイムとの対照でみた制度論アプローチ
リベラル
インタレスト
制度論的
行動論/功利主義的
社会的決定論/マルクス主義的
個人あるいは集団のインタ
主観的インタレスト:選好
客観的インタレスト:社会
レストの起源の多様性;制
はビヘイビアを通して現れ
集団 /階級にインタレスト
度がインタレストの政治的
る;各個人が彼ないし彼女
は由来する
表出、現れを方向づける
のインタレストの最良の判
断者
利益統合の問題;政治過程
政治過程
の形態が政治参加の質やそ
選好の効率的な伝達を伴っ
の結果を規定する
た功利的な利益統合(政治、 に対応している
政治過程は社会/ 階級構造
市場および利益集団市場に
おける)
進展的民主主義:形式的手
規範志向
続きをとおしての実質的公
形式的民主主義:過程の公
実質的民主主義:社会調和
正
正さが結果の適切さを保障
と有機的連帯:階級間での
する市場/ 政治へのオープ
搾取関係終焉
ンアクセス競争擁護
(出所)Immergut, 1998: 12 一部簡略化
新制度論内部の諸潮流に沿って言うならば、合理的選択制度論は、戦略的選択の内容は選好
秩序とはイコールではなく、制度(この場合決定ルール)のバイアスが戦略的選択に影響を及
ぼしていることを強調する。また、歴史的制度論の場合は、制度(この場合はルール、手続き、
規範、遺制)がインタレストの内容をより積極的に構成することに注目する。さらに、組織論
的制度論の場合は組織の制度(この場合は情報加工ルーティン、分類システム等)が浮上する
インタレストを規定することを明らかにする。組織論的制度論の例として念頭に置かれている
のはゴミ缶モデルである。このように、新制度論は功利主義的公準(一般的利益=Σχi、χi
は選好)も社会構造決定論的公準もともに拒否するのである。ただしイマーガットは、合理的
選択制度論は功利主義的公準に、歴史的制度論は社会構造決定論的公準に、それぞれ逆戻りす
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比較政治学における新制度論の可能性(宮本)
るような傾向も時にみられると指摘する(Immergut, 1998)。
いずれにせよ、新制度論をこのように行動論的アプローチと社会決定論的アプローチを共に
を超えて、アクターの戦略的選択を捉える枠組みとして位置づけると、新制度論と権力資源論
との制度分析の方法における共通項が浮き彫りになる。権力資源論、とりわけコルピやロツシ
ュタインもまた、ナイーブな階級政治論からの離脱を強く意識しながら、既存の制度的な枠組
みのなかでのアクターの戦略的選択をとらえることを課題としたからである。その戦略的選択
の焦点は、とくに労働運動にとってより有利なオプションを提供するような新たな制度形成に
向けた資源の動員であった。そして、こうしたアプローチをとおしてコルピやエスピン・アン
デルセンは、同じケインズ主義的福祉国家とよばれる呼ばれる政治経済体制のなかでも、労働
運動がその影響力を拡げることに成功した体制と、むしろ自由主義勢力や保守主義勢力のイニ
シアティブの前にそれを阻まれた体制とを区別し、類型化していくのである(Korpi, 1983;
Esping-Andersen, 1990)。
2.経済合理性・歴史文化・新制度論:合理性視角
「収斂」傾向を見せる新制度論に期待されている第二の役割は、比較政治学における歴史文
化的アプローチと経済合理的アプローチの対立を越えることである。ダウンズの政党論やオル
ソンの利益集団論のような「ハード」な合理的選択論に対して、前述のように合理的選択制度
論の論者たちはむしろ合理性の限界、ともいうべき点に関心を寄せる(March, 1986: 147-150)。
ただし、合理的選択制度論の主張の中心にあるのは、そのような社会規範や制度との相互浸
透にもかかわらず、合理性の核心は解体してしまうのではなく社会規範や制度によって方向づ
けられながらも確実にとらえることができる、という点である。しばしば引かれるベイツの議
論でいうならば、アフリカ農村部、たとえばザンビアの牛飼いたちが経済合理性の観点からす
るとあまりに大きな牛群を維持しその売買に消極的に見えるのも、放牧地の所有権の構造から
放牧のコストが見かけほどかからないことや、半乾燥地の風土のなかで牛を育てるというリス
クを考えるとその規模には合理性があるからである。ところが、これを伝統的文化の観点から
説明することが一般的であったために、実は牛の売買を現実よりも少なく報告している政府統
計の誤りが気づかれないできた(Bates, 1990: 31-35)。
ベイツの事例が比較政治学の中心イッシューからやや遠いように見えるならば、アフリカの
大型牛群ではなく、北欧の大型福祉国家の経済合理性について考えてみても良い。たとえば、
スウェーデンの福祉国家がなぜ経済成長と両立し、また通常は大きな政府に反対すると見られ
てきた新中間層の支持をなぜ得ることができたのかを考えるためには、その経済合理性の所在
を捉える必要がある。スウェーデン労働運動の福祉国家戦略は、労働パフォーマンスと福祉給
付を結びつけることで、ホワイトカラーの福祉国家への支持を動員することであった。とりわ
け60年代以降は、社民党政権は所得比例型の福祉プログラムを拡大した。その結果、スウェー
デンの普遍主義的福祉は、通常の理解とは異なり、労働市場への持続的参加を事実上その要件
とし、その給付水準は労働市場におけるパフォーマンスに比例するものとなった。また、付加
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年金や両親保険などいくつかのプログラムについては、市民の労働インセンティブを高めたこ
とが実証的に明らかにされている(Aronsson and Walker, 1997)。
ハーバードの経済学者フリーマンらは、独自のリサーチを通してこのスウェーデン福祉国家
の経済合理性を理解し評価したうえで、それはウェルフェアwelfareというよりもワークフェ
アworkfareと呼ぶのがふさわしい仕組みであるという。ワークフェアとは通常、福祉国家の自
由主義モデルを代表するアメリカにおいて、AFDCなどの選別主義的プログラムの受給者の
福祉依存を許さないために、受給資格として一定の労働を義務づけるなどの措置を指す。フリ
ーマンらは、スウェーデンにおいても労働市場参加が様々な給付の条件となっていることを知
り、ここに巨大福祉国家の秘密を見いだした。つまり、歴史制度的には自国とまったく異なっ
た巨大福祉国家のただ中で、自国とも通底する経済合理性の核心を発見したわけである
(Freeman, 1997)。
逆に言えば、アメリカとスウェーデンの制度は、それぞれ経済的合理性を核心に持ちながら
も、相互の歴史的文化的な背景と政治的な力関係の相違のなかで大きく異なった体系を生みだ
していったことになる。したがって、ミルナーに倣っていうならば、福祉反動を象徴する減税
提案プロポジション13に賛成するカリフォルニア州のホワイトカラーも、重税路線の社民党に
投票するスウェーデンのホワイトカラーも、投票行動としては合理的なのである(M i l n e r ,
1994)。両者の投票行動が表面上は対照的であるのは、彼らが置かれた制度的文脈が根本的に
異なるからに他ならない。カリフォルニアのホワイトカラーにとって福祉は独立心を欠いた困
窮層への「捨て金」に近いものとして受け取られるのに対して、スウェーデンのホワイトカラ
ーにとって福祉は自らの生活設計に必要なものと判断されたのである。
このように、新制度論は、合理性の核心をそれを方向づける歴史的制度の相違という観点か
らとらえるという点で、合理性か文化かへの還元論に陥らず、有意味な比較研究の枠組みを提
供する可能性をもっている。もっとも合理的選択制度論においては経済合理性の視点が優位で
あることは否めないし、また他方では ダグラス、ヴィルダフスキー流の文化理論の立場から
の新制度論批判も現れている(Grendstad and Selle, 1995)。このようななかで、ホールとテイ
ラーは、歴史的制度論こそが両アプローチの総合という点で戦略的に重要な位置にあるとして
いる(図1)。
図1 経済的合理性志向と歴史・文化志向の接点としての新制度論
←経済的合理性志向
「折衷的中心」
歴史・文化志向→
(非制度論的)合理的選択論 合理的選択制度論 歴史的制度論 社会学的制度論 文化理論
初期公共選択論
(出所)Hall and Taylor, 1996を参考に作成
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比較政治学における新制度論の可能性(宮本)
このような新制度論の視角を仮に合理性視角と呼ぶならば、それは合理性の核心に歴史や文
化に応じて「自然に」制度が肉付けされていくことを決して意味しない。ここでいう歴史とは
政治的な闘争の歴史であり、合理性の核心に制度が形成されていく過程とは、その合理性をい
かなる規範と制度によって方向づけるかをめぐる、諸勢力の政治的対抗の過程でもあるのであ
る。ロツシュタインが言うように、福祉国家の制度は、いったん成立すると経済的合理性と社
会規範の結びつけ方を方向づけるのであるから、この経済合理性をいかなる制度によって吸収
し方向づけるか、という点には、先に挙げた権力視角とここでいう合理性視角の接点があるの
である(Rothstein, 1994: 162-175)。
3.環境変容・制度・新制度論:動態視角
さらに新制度論の第三の可能性は、制度論がしばしば陥りがちな静態論を避け、環境変容に
起因する動態と、その動態を媒介する制度の役割との関係を明らかにしていくことである。問
題を新制度論の動態アプローチが比較政治学にもたらす可能性という水準で考えると、セレン
と ロ ッ ク の い う 「 対 応 関 係 的 比 較 」 Matched Comparisonsか ら 、「 制 度 文 脈 的 比 較 」
Contextualized Comparisonsへの移行という問題提起が想起される(Loche. and Thelen, 1995)。
つまり、グローバル化や産業構造の変容といった環境の変化が異なった制度とぶつかると、そ
のインパクトは個々の制度をとおして内部のアクターのインタレストに伝播するために、異な
った制度に属するアクター間では環境変容の意味が異なってくるし、環境変容に対応する選択
肢の幅も異なってくる。
近年、このような動態視角が応用されている最も興味深い例は、グローバリゼーションとい
う環境変容のなかで今日の福祉国家体制が被るインパクトをめぐる論争である。この議論では、
一方においてはミシュラのようにグローバリゼーションによって経済政策の自律性や労働運動
の影響力が浸食され、すべての福祉国家が衰退の道を辿る、という見方がある一方で、ピアソ
ンのように、いったん成立した福祉国家はその制度に固有のインタレストをうみだすために、
簡単に浸食されるものではないという立場もある(Mishra, 1999; Pierson, 199)。こうしたなか
で、近年の議論は、福祉国家の制度のあり方によって、グローバリゼーションのインパクトが
どのような影響をもたらすかが異なり、またそれに対応する制度的選択肢も違ってくる、とい
う点を主張する傾向にある。
たとえば、エスピン・アンデルセンによれば、福祉国家の3つの類型、すなわち北欧の社会
民主主義レジーム、アメリカなどの自由主義レジーム、ドイツなどの保守主義レジームは、同
じグローバリゼーションの波をくぐりながらも、その制度のあり方によって環境との相互作用
が大きく異なってくる。グローバリゼーションに適応力を示すのは、自由主義レジームばかり
ではない。大きな政府を特徴とする社会民主主義レジームであっても、女性の労働力化をすす
め、また人々のライフチャンスを拡大してそのマンパワーを引き出す政策展開によって、ポス
ト産業社会に適合的な労働市場を発展させていくことができる(Esping-Andersen, 1996a)。ギ
ャレットは、これを裏付けるように、各国政府の政党政治上の構成や社会的支出の規模とその
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経済成長率、財政赤字等の間に有意な相関が見られないことを明らかにしている(Garret, 1998)。
キッチェルトらはこのような議論をふまえて、福祉国家体制の今日的変容をめぐる解釈をめ
ぐって、これを新保守主義的な方向への新しい収斂が開始されたとする見方に対して、新制度
論の視点からはむしろ分岐が持続するという見通しが現れていることを強調する(Kitchelt,
Lange, Marks and Stephens, 1999)。すなわち、図2にあるように、戦後の先進諸国の政治経済
体制は、レジームごとにそれぞれ一定の懸隔を置きながらも石油ショックまでの第一期は福祉
国家体制への収斂傾向が見られた。図3のそれぞれの軌跡のうち、①は社会民主主義レジーム
に、②は保守主義レジームに、③は自由主義レジームに、ほぼ対応している。それに対して、
石油ショック以降には、その対応をめぐって社会民主主義レジームのようなコーポラティズム
的な対応と英米の自由主義レジームのような新保守主義的な対応が分かれ、保守主義レジーム
のいくつかの国ではその2つが混合して現れた。これに対して、福祉国家変容の現局面は、い
ずれのレジームも新保守主義的な方向へ転換を開始したという図2aのシナリオと、第2期に
現れた分岐は(社会民主主義レジームでナショナルなコーポラティズムの後退が見られたもの
の)基本的には持続している、という新制度論的な視角からの図2bのシナリオが対立してい
ることになる。そして、少なくとも現在のところ、少なからぬ実証的研究が後者のシナリオを
支持しているのである(Garret, 1998)。
図2 資本主義変容をめぐるネオ・リベラルモデルと新制度論モデル
ネオ・リベラルモデル
新 制 度 論 モ デ ル
高
稀少資源の
配分をめぐ
る政治的コ
ントロール
の程度
低
第1期
第2期
第3期
第1期
第2期
第3期
第1期 戦後資本主義の黄金期 1950-1973
第2期 第1次石油ショックと危機 1973-1982
第3期 先進資本主義経済の変容 1982∼?
(出所)Kitchelt, Lange, Marks and Stephens, 1999
だが、この傾向がどこまで持続するかは、そこで展開される新しい福祉政治のあり方に依っ
ている。この点を考える上で、権力視角、合理性視角が示唆するものは大きい。すなわち、権
力視角から窺われるように、福祉国家の制度と環境との適合性はアクターの戦略的選択、とく
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比較政治学における新制度論の可能性(宮本)
にその制度戦略によって大きく変化するのであり、たとえば社会民主主義レジームの持続力は、
今後の制度形成によるところが大きい。その際、新しい環境のもとでは、これまでの労使関係
や労働組合のコレクティブな動員力を前提にした制度戦略はそのままでは持続力をもたなくな
っている。したがって、新しい戦略の有効性は、市民の経済合理性をいかなる新しい制度条件
のもとに埋め込むか、という点にかかってくるのである(宮本、2000)。
むすびにかえて
本稿は新制度論を1つの独立したパラダイムというよりも、今日の諸政治理論が交錯する
「折衷的な雑然とした中心」とする見方をふまえて、比較政治学におけるその可能性を検討し
た。そして、新制度論の折衷性をむしろ積極的に受け止めながら、それを権力視角、合理性視
角、動態視角の3つの視角から整理した。同時に、新制度論的な比較福祉国家研究の最近の展
開をふまえて、最後に3つの視角が連携することの重要性についても触れた。
ただし、新制度論がこのようなかたちで浮上したことは、比較政治学における理論的対抗の
終焉を告げるものではあるまい。そうではなく、新制度論の台頭によって、比較政治学の諸理
論は緊張感をはらんだ対話の場を獲得したことというべきであろう。
〈付記〉本稿は、日本比較政治学会第二回大会(1999年)、分科会「新制度論の射程」に提出し
たペーパーの一部に大幅に加筆、修正したものである
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