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4.災害調査・事業報告 - 徳島大学 環境防災研究センター

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4.災害調査・事業報告 - 徳島大学 環境防災研究センター
4.災害調査・事業報告
①2012 年 7 月 12 日に発生した熊本県白川下流域の洪水災害
村田明広・西山賢一(徳島大学)・田村 実(熊本大学名誉教授)
②九州北部豪雨による阿蘇市周辺の浸水被害
宇野宏司(神戸高専)・高西春二・中野 晋・仁志祐太(徳島大学)
③2012 年 12 月 岩手県~宮城県の被災地視察報告
上月康則・井若和久(徳島大学)
④東日本大震災における高齢者施設の被害状況に関するヒアリング調査
金井純子(徳島大学)
⑤竜巻によるアスファルト剥離・飛散事例からの風速推定
野田 稔・長尾文明(徳島大学)
⑥和歌山県那智川流域における土石流の発生頻度
西山賢一(徳島大学)・若月 勉(防災科学技術研究所)
⑦中国三峡ダム貯水池地区で発生した大規模湛水地すべりの現地調査
蒋 景彩(徳島大学)・ 徐 光黎(中国地質大学)
⑧高知の藩政期の水防災対策の再評価
松尾裕治((一財)日本建設情報総合センター)・濱井宣明・中野 晋(徳島大学)
⑨「生物多様性とくしま戦略」の策定と推進にむけた協働
鎌田磨人(徳島大学,生物多様性とくしま会議)
⑩徳島市津田・新浜地区における津波避難支援マップの作成とその効果
田村隆雄・武藤裕則(徳島大学)・塚本 隆太(岡山県)
⑪環境防災研究センター視聴覚ライブラリの整備について
金井純子(徳島大学)
⑫徳島大学防災リーダー養成の取り組み
中野晋・村田明広・粕淵義郎・梅岡秀博・鳥庭康代 (徳島大学)
⑬「四国防災・危機管理特別プログラムに関するアンケート調査」の結果
金井純子(徳島大学)
⑭防災教育読み聞かせ』の取り組み
-幼児・児童を対象とした防災意識の向上について-
鳥庭康代(徳島大学)
- 27 -
2012 年 7 月 12 日に発生した熊本県白川下流域の洪水災害 ○村田明広1 西山賢一2 田村 実 3 徳島大学 2 徳島大学 3 熊本大学名誉教授
1
1.はじめに
2012 年 7 月 12 日未明から早朝にかけて,阿蘇地方を中心に時間雨量 100mm を超える豪雨が襲った。
阿蘇カルデラ北部にある AMeDAS 乙姫での観測によると,最大1時間降水量は 108mm,最大 24 時間降
水量は 507.5mm に達している 1)。 2012 年 7 月 12 日の阿蘇地方の豪雨は,午前 1 時頃から 7 時頃まで
にかけて集中的に降ったため,気象庁は 12 日早朝 6:41 に,
「熊本県の熊本地方と阿蘇地方,大分県の中
部と西部を中心に,これまでに経験したことのないような大雨になっています。
」という初めての表現で大
雨に対する気象情報を発表した。阿蘇地方では深夜から早朝であったため,避難などの情報伝達の対応が
遅れたことが報道等で指摘されている。
熊本市内を流れる一級河川の白川沿いでも龍田陣内四丁目(図1左)
,龍田一丁目などで,6 時頃には浸
水が始まり,逃げ遅れた住民がヘリコプターで救出されることになった。龍田陣内四丁目のリバーサイド
ニュータウンでは,全半壊 106 戸,床上・床下浸水 54 戸,龍田一丁目では,全半壊 41 戸,床上・床下浸
水 172 戸の被害が出た(熊日新聞より)
。
2.白川の河川地形の特異性 白川は阿蘇カルデラ内に源流があり,カルデラ南部の白川と北部の黒川が合流し,熊本市内を通過して
有明海に注いでいる。白川は,その中・下流でこれに合流する支流はわずか2つのみであり,カルデラを
集水域とする河川水がそのまま白川を流れ下るという非常に特殊な流域を持っている。そのため,熊本市
内ではたいした雨が降らなくても,阿蘇カルデラ内で大雨が降ると,3~4時間経ってから熊本市内の白
川が増水したり氾濫することが知られていた。
白川では, 1953 年 6 月 26 日に白川大水害(西日本水害)が発生しており,死者・行方不明 422 人,
全半壊 9,102 戸,床上浸水 11,440 戸,床下浸水 19,705 戸の大きな被害が報告されている(熊本河川国道
事務所 HP より)。また,1990 年 7 月 2 日の豪雨でも,白川流域で浸水被害が出ている。龍田陣内四丁目
のリバーサイドニュータウンは,1973 年以降に開発され,住居が増えていった。このニュータウンは,
1990 年 7 月 2 日の豪雨で堤防を越えて浸水被害が出たため,その後,堤防を約 1m かさ上げしていたが,
図1 左:対岸の保田窪面から見下ろしたリバーサイドニュータウン 右:ニュータウンから見た対岸
の保田窪礫層(中央部~左)と保田窪面(ガードレールのある位置)
Flood disaster in urban area of Kumamoto City in the Shirakawa River basin caused by heavy
rainfall on July 12, 2012 Akihiro Murata (Univ. Tokushima), Ken-ichi Nishiyama (Univ.
Tokushima) and Minoru Tamura (Kumamoto Univ.)
- 28 -
図2 左:リバーサイドニュータウンの攻撃斜面側 右:1990 年の浸水後,かさ上げされていた堤防
今回の豪雨ではこれをも越えてしまった(図2左,右)
。なお,ニュータウンの北東側の攻撃斜面側では堤
防が作られているが,南西側の部分では作られていないため(図1左の左側)
。住民への聞き取り調査によ
ると,最初の浸水はこの無堤部分から発生したとのことである。
3.龍田陣内四丁目・龍田一丁目周辺の地形・地質
熊本市の龍田陣内四丁目や龍田一丁目の周辺では,表層地質図「御船」2)によると,地形的に高い位置
に託麻砂礫層(約9万年前)が露出している。この砂礫層は,この付近では標高 45m 程度で,託麻面と
呼ばれる段丘面を形成している(図3)
。この託麻面を,古い時期の白川が蛇行を繰り返しながら幅約 1km
にわたって下刻し,そこに保田窪礫層(4~5万年前)が堆積した。保田窪礫層は,標高 35m 程度で,
保田窪面と呼ばれる段丘面を形成している。ただし,段丘面が地形的に画然と区分しにくい場所があるた
め,これらの河成段丘の区分については,研究者ごとの差異が認められる 3)。図3では,隣接する表層地
質図「菊池」4)との連続性を考慮して,白川右岸の段丘面を保田窪面として表示してある。この保田窪礫
層を,さらに白川が蛇行しながら下刻して現在に至っている。つまり,現在の白川は,約 1km の幅で形
成されている低い保田窪面の中だけで蛇行している。白川の流路のうち,リバーサイドニュータウン周辺
図3 龍田陣内四丁目・龍田一丁目付近の地形・地質(御船図幅に加筆)
- 29 -
では特に流路の蛇行が明瞭である。龍田陣内四丁目や,その北東側の龍田一丁目付近は,白川の蛇行の内
側にあたり(○で示されている)
,低地堆積物が分布するとされている(田村ほか,1984)
。この低地堆積
物は,白川が氾濫した時に,蛇行湾曲部の内側(ポイントバー)に砂礫が堆積することによって形成され
たもので,水面に近い低い位置にある。
図4は龍田陣内四丁目のリバーサイドニュータウンとその対岸の市営住宅付近の地形図である。蛇行湾
曲部の内側の太線で囲った部分は低地堆積物の分布する範囲であり,標高は 24.9m から 30.8m の範囲に
ある。その北東側の対岸の下南部住宅付近も低地堆積物の分布域であり,その標高は 28.3m から 31.8m
の範囲にある。それに対して,リバーサイドニュータウンの南東側は一段高い保田窪面という段丘面であ
り,標高 33.8m から 39.5m と高くなっている。そのため,リバーサイドニュータウン対岸の保田窪面か
ら,ニュータウンを見下ろすとその敷地が低いことがよくわかる(図1左)
。なお,地形図の南東隅には,
さらに一段高い託麻面という古い段丘面があり,標高は 45.5m 以上である。
図4に示されている区間は,白川中流域の大津方面に広がる託麻面の西端部に位置しており,白川下流
域の熊本市街地が広がる沖積低地との境界に近い。すなわち,託麻面を下刻した保田窪面をさらに下刻す
る流路が沖積低地に向かう傾斜変換部に位置しており,この種の河床勾配の変化が流路の蛇行に関与した
可能性がある。
図 4 龍田陣内四丁目周辺の地形
太線で囲った部分が,低地堆積物が堆積した地形的に低いところ。低地堆積物の両側に一段高い保田
窪面(段丘面)
,図の南東隅にさらに一段高い託麻面が位置する。数字は標高を示す。熊本市国土基本
図(1/2,500)に加筆。
4.空中写真に見る宅地開発の変遷 国土地理院の空中写真で,リバーサイドニュータウン周辺の土地利用を見てみると,1947 年の時点では
西側がおそらく畑地,東側が河畔林であることがわかる(図5)
。1953 年に白川大水害が発生したために,
1956 年撮影の空中写真では,河畔林が荒地化するとともに,畑地が荒れて耕作されていない様子が読み取
れる。1967 年撮影の空中写真でも,畑地が復活しているようには見えないので,荒地として放棄されてい
たと思われる。この付近は,1973 年頃に堤防が築かれ,リバーサイドニュータウンとして宅地開発された
とされている。
1975 年撮影の空中写真では,
蛇行湾曲部の西部に住宅が建っているのが確認される
(図5)
。
- 30 -
そして,1987 年の空中写真では,リバーサイドニュータウンは住宅でほぼ埋まっている。このニュータウ
ンでは,1990 年 7 月 2 日に水害が発生し,一部で床上浸水の被害が出ている。
図5 空中写真に見られる土地利用の変遷。 国土地理院発行の空中写真による。 5.土地利用における地形・地質の重要性
龍田陣内四丁目のリバーサイドニュータウンや,龍田一丁目付近は,白川の蛇行湾曲部の内側に位置し
ている。これらの場所は,白川の蛇行の進行に伴って,流路が移動していった背後に堆積物がたまってい
るところで,豪雨の時に氾濫することによって砂礫がもたらされた土地である。地形的にも低く,白川の
河道が狭い部分であることから洪水のたびに浸水してきた場所であることは,地形的・地質的特徴を見れ
ば明らかである。この付近は,1971 年に熊本県が開発を促す市街化区域に組み入れ,1973 年に第2種住
居専用地域に用地指定されたという。本来,田畑,河畔林もしくは遊水池とすべきような低い土地を,堤
防を作って宅地開発したことにそもそも無理がある。これら両地区は,市街化区域指定後に作成されたと
はいえ,熊本市が作成していた白川の洪水ハザードマップ(平成 22 年 3 月作成)では,洪水の危険性が
指摘されていた場所である。結果的に堤防は低く,また一部では堤防が作られていないため,増水すれば
浸水して当然の場所である。多少堤防を高くしても,あるいは,ショートカットの水路を整備しても,十
分安心して住める場所になるとは思えない。地形・地質的には明瞭な洪水危険地域において宅地開発を認
めた行政の責任は否定できないと思われる。今後は宅地開発にあたって,地形学,地質学の知見も十分考
慮されることが必要となろう。
主な文献 1) 気象庁,2012,平成 24 年 7 月九州北部豪雨.気象庁発表資料(平成 24 年 7 月 15 日)
.
2) 田村 実・渡辺一徳・谷村洋征,1984,5万分の1表層地質図「御船」
,国土庁.
3) 横山勝三・渡辺一徳,1992,熊本市および周辺地域の地形・地質の概要と研究課題.市史くまもと,
第2号,53-72.
4) 田村 実・渡辺一徳・谷村洋征,1982,5万分の1表層地質図「菊池」
,国土庁.
- 31 -
九州北部豪雨による阿蘇市周辺の浸水被害
宇野 宏司 1 中野 晋 2 高西 春二 3 仁志 祐太 4
神戸高専 1 徳島大学環境防災研究センター2 パシフィックコンサルタンツ 3 徳島大学大学院 4
7/11 0:00
7/11 3:00
7/11 6:00
7/11 9:00
7/11 12:00
7/11 15:00
7/11 18:00
7/11 21:00
7/12 0:00
7/12 3:00
7/12 6:00
7/12 9:00
7/12 12:00
7/12 15:00
7/12 18:00
7/12 21:00
1/13 0:00
1時間雨量(mm/h)
2.降雨の概要
表-1 阿蘇乙姫における期間降水量の記録更新
今回の豪雨は,積
単位:ミリ
項 目 最大1時間降水量 最大3時間降水量 最大24時間降水量 最大72時間降水量 日降水量
乱雲が風上(西側)
108.0
288.5
507.5
816.5
493.0
で繰り返し発生する
今回
7/12 5:53
7/12 5:00
7/12 13:20
7/14 16:20
7/12
ことで複数の線状降
85
189
452
673
448
水帯が形成され,東
既往最大
2006/7/5 0:30
1990/7/2 11:00
1990/7/2 23:00
1997/7/10 18:00 1990/7/2
シナ海上で大気下層
に蓄積された大量の
水蒸気が強い南西風によって持続的に九州に流入
阿蘇乙姫(7/11-12)
120
600
するバックビルディング現象によってもたらされ
1時間雨量
100
500
たものである.
累積雨量
80
400
これにより 7 月 11 日から 14 日までの総降
60
300
水量が福岡県八女市黒木で 649.0 ミリ(7 月の月
40
200
降水量平年値の 171.5%)
,熊本県阿蘇市阿蘇乙姫
20
100
0
0
で 816.5 ミリ(同 143.2%)
,大分県日田市日田で
462.0 ミリ(同 138.6%),佐賀県佐賀市川副で
375.0 ミリ(同 112.5%)となるなど,福岡・熊
本・大分・佐賀県の計 20 地点で 7 月の月平年値
を超える降水量が観測された.また,上記 4 地点
図-1 1 時間雨量と累積雨量(阿蘇乙姫)
を含む計 7 地点で 72 時間降水量が観測開始以来 1
位の値が更新されたほか,日降水量で計
5 地点,1 時間降水量で計 4 地点,3 時間
床上1120戸
降水量で計 7 地点、24 時間降水量で計 8
床下615戸
地点で,それぞれ既往観測値が更新され
阿蘇市役所内牧支所
た.阿蘇乙姫における期間降水量の記録
阿蘇市役所
を表-1 に,7 月 11 日から 12 日にかけて
の 1 時間雨量と累積雨量を図-1 に示す.
最大 1 時間,最大 3 時間雨量記録がとも
に早朝の時間帯に更新されており,
当時,
避難が極めて困難な状況であったものと
推察される.
図-2 阿蘇市黒川流域の浸水域
The flood damage in 2012 summer by heavy rain in Aso City, Koji UNO (Kobe City College
of Technology), Susumu NAKANO (Tokushima Univ.), Syunji TAKANISHI (Pacific
Consultants Co., Ltd.), Yuta NISHI ( Graduate school of Tokushima Univ.)
- 32 -
累積雨量(mm)
1.はじめに
2012 年7月 11 日から 14 日にかけて,本州付近に停滞した梅雨前線に向かって南から湿った空気が流
れ込み,西日本から東日本にかけての広い範囲では記録的な豪雨となった.熊本県阿蘇市においても例外
ではなく,
「これまでに経験したことがないような大雨」によって,市内各地で土砂崩れが発生し,河川が
氾濫した.本稿では,この豪雨における阿蘇市周辺の浸水被害と事業所等被災について報告する.
3.阿蘇市周辺の浸水被害
図-2 に阿蘇市黒川流域の浸水域を示す.前節で示した
とおり,阿蘇市では降り始めからの総雨量が 500 ミリを
超えたため,黒川及び周辺の農業用水路には火山灰を含
む大量の泥が流入し,浸水被害をもたらした.
同市では死者 22 名,行方不明者 1 名の人的被害とな
ったが,発生場所や新聞記事の証言などからいずれも土
砂災害によるものであると推定され,浸水による直接の
人的被害はなかったと判断される.
住家被害については,熊本県内全域での全壊 211 棟の
うち,阿蘇市はその約半数の 103 棟,半壊は県内全域
1,287 棟のうち,阿蘇市はその約 9 割の 1,120 棟を占め
ており,県内の自治体の中で最多の被害件数が記録され
た.写真-1に 7 月 12 日午前 11 時ごろの内牧温泉入口
交差点付近の様子を示す.同地区は温泉街として広く知
られるが,多くのホテル・旅館・商店が浸水し未曾有の
被害を被った.
阿蘇市では 1990 年にも水害に見舞われており,県は
これを機に図-2 に示すような遊水池の整備を進めてい
た.今回の豪雨では,遊水池からの溢水は確認されず,
その効果が発現された(写真-2)が,遊水池背後を流れ
る水路が詰まり,ここからの越水(写真-3)によって周
辺が浸水した.これにより遊水池に隣接する養護老人ホ
ーム(上寿園)も大きな被害に見舞われた(写真-4)
.同
施設は市営のため,従業員はすべて阿蘇市職員である.
平日(日中)が 9 名,夜間及び土日(終日)は 2 名の勤
務体制で入居者 44 名(特別養護老人ホームではないた
め,寝たきり入居者はいない.入居者の年齢は 65~97
歳)の養護に当たっている.深夜から早朝にかけての発
災だったため,当直 2 名で対応にあたった.施設は平屋
構造のために垂直避難もままならず,入居者達は足を濡
らしながら 5,6 時間も救助を待たねばならなかった.
当時,当直者はまず市に連絡したが,市は既に対応で
手一杯の状態であり,消防に救助要請するように指示が
あった.そこで,地元の消防に連絡したが,消防署も動
けないとのことであった.孤立する中,自衛隊が見えた
ので,その活動場所まで浸かりながら歩いて行き 44 名
を救出してくれと直接要請し,救助されるに至った.入
居者が避難できたのは水が引いた 14 時ごろのことであ
った.
職員は著者らのインタビューに
「初めての経験で,
助かったのが奇跡だと思う」と回答している.
4.事業所被災と対応に関するヒアリング調査
九州北部豪雨から 5 ヵ月後の 2012 年 12 月に,阿蘇市
内において浸水災害による事業所の被災と対応に関する
ヒアリング調査を実施した.調査対象地域は,甚大な浸
水被害に見舞われた内牧温泉街周辺(図-3 参照)である.
ヒアリング項目は,1) 被害概要,2) ライフライン,
3) 被災時の参集状況, 4) 被災施設・設備,5) 復旧状
- 33 -
写真-1 浸水した内牧地区(阿蘇市提供)
上寿園
遊水地
黒川
越流堤
図-2 阿蘇市小池の遊水池
写真-2 遊水効果を示す湛水跡
写真-3 水路からの溢水跡
写真-4 被災した養護老人ホーム
A銀行
C病院
D保育園
Bホテル
Eホームセンター
Fコンビニエンス
況,6) 事前対策,7) 今後
の対策である.各事業所に
おけるヒアリング調査結果
の概要を表-2,表-3 に示す.
これらの表に整理された
事項を踏まえて,水害時の
事業継続に必要とされる事
項について以下に考察する.
ストア
【検討1:人的資源】
ホテル,病院,コンビニ
図-3 阿蘇市内牧地区の浸水域とヒアリング調査地点
エンスストアのように 24
時間対応の事業所と,そう
表-2 事業所ヒアリング調査結果(1)
でない事業所では被災直後
項目/事業所
A銀行
Bホテル
C病院
の初動体制が大きく異なっ
・店内:膝下約30cm
・本館:62cm
店内:1m20
1)被害概要
・外壁:1m前後
・別館:1m12
てくる.被災した A 銀行に
・断水なし
・水道 3日間断水
・断水なし
2)ライフライン
おいては,午前 6 時に支店
・停電(当日夕方復旧)
・停電 4~5日
・停電
長を含む 3 名が出勤し応急
・当日20名程度(職員300
・当日3人(店舗人員16人)
・当日10名程度(従業員65名)
名)
3)被災時の参集状況
対応に当たったが,浸水が
・全員参集は1週間後
・宿泊客250名
・入院患者260名
既に始まってからの対応で
・店舗
・医療機器(MRIなど)
あったことと,思うように
・ATM両替機
・エレベーター
・宴会場 ・厨房 ・機械室
・事務端末
・自動車
4)被災施設・設備
人員が集まらなかったこと
・食器 ・自動車70台
・営業車
・カルテ
・重要書類
・透析用ポンプ
によって十分な対応ができ
・外来患者受け入れは一週
なかった.このような事業
・被災当日の夜中までに機器
被災から3ヵ月後にリニューア 間後
類を復旧
5)復旧状況
・カルテの天日干し2ヶ月
ルオープン
所では,非常時の参集状況
・翌日は最低限の操業開始
・調理場は4日目に復旧
について検討したうえで,
・支店長レベルの緊急連絡体
・災害対策マニュアル(火
・水害保険に加入
制の整備
災・火山).ただし,水害向
6)事前対策
災害時に現場対応できない
・顧客情報の管理
・災害備蓄品
けはない
場合の対策を考えておく必
・事務及び医療機器の防水
要がある.
対策
・土のうの手配
7)今後の対策
避難誘導時の拡声器設置
・警報時の職員参集方法
・自家発電機の嵩上げ
一方,24 時間体制の病院,
ホテル,コンビニエンスス
トアのような事業所では,
患者や客といった事業所あるいは周辺の土地事情に詳しくない者も一緒に被災するといった特徴がある.
その数は,
場合によっては事業所の従業員を上回ることもあり,
そうした人々を安全に誘導するためにも,
余裕をもった対応が必要となってくる.特に病院等の医療施設では,災害弱者となりうる高齢者や乳幼児
が多く滞在している.こうした立場の方々の避難誘導について,勤務時間帯と非番時のそれぞれにおいて
検討しておくことが重要である.また,水害は一般に夏季に発生する場合が多く,長期化した場合には衛
生面の確保が課題となってくる.本災害においても,B ホテルで片づけ作業の際に数名が破傷風となる事
例が報告されている.水害復旧では復旧活動が長期化することを踏まえ,従業員等の健康管理についても
十分な配慮がなされることがのぞまれる.このほか,D 保育園で見られたように,安否確認に必要な情報
については,事業所以外でも確認できるようにバックアップを確保しておくことがのぞましい.
【検討 2:ライフライン】
水害復旧で一番重要かつ時間を要する作業が「泥の洗い出し」である.土砂災害が多く発生した阿蘇地
域では,火山灰を含む大量の泥水が家屋や事業所を襲った.幸いなことに水道の復旧が早かったことと,
内牧温泉街地区では温泉水を使った泥の洗い出しを断続的に行うことができたため,衛生面もある程度確
保できていたと思われる.一方,電気に関しても事業所によっては一時的な停電がみられたが早期に復旧
に至っており,今回の水害に関しては大きな問題とはならなかった.しかし,医療施設等,業種によって
は一時たりとも停電することが許されないものもあり,そうしたところでは水没の恐れがないところに自
家発電機を配置する等の事前対策が必要である.
- 34 -
表-3 事業所ヒアリング調査結果(2)
項目/事業所
D保育園
Eホームセンター
Fコンビニエンスストア
1)被害概要
・床上浸水
・30cmもの泥が堆積
被害なし
外水氾濫により
1m弱の床上浸水
2)ライフライン
・断水なし
・被害なし
・断水なし
・災害時は不在
・当日16時に入園できた
数名が出勤に支障あり
3)被災時の参集状況 (園長)
(従業員29名)
・16名が参集(職員24
名)
夜間出勤のスタッフ1名
が対応
4)被災施設・設備
・事務用PC
・コピー機
・エアコン室外機
・床暖房
・畳
なし
5)復旧状況
・被災から2週間後に園
児受け入れ
・それまでの間は姉妹園
で受け入れ
・通常どおり営業
・災害時需要用品(食料品・
完全復旧まで2週間
飲料水・雨具・長靴・肌着)
の確保に追われた
6)事前対策
・1990年の被災を受け
て,水害保険に加入
特に行っていない
7)今後の対策
・ATM
・コピー機
・レジスター
・浸水した商品(全て廃
棄)
・事務及び医療機器の防
水対策
・安否確認の体制見直し
・警報時の職員参集方法 ・店舗間の応援体制確立
強盗対策マニュアルはあ
るが,水害についてはな
い
どうにもできない.また,
時間帯によっても対応に
違いが出てくると思って
いる.水害に対する認知
向上が必要
【検討 3:ハード対策】
企業が有する施設・設備
には莫大な投資費用がかか
っている.そのため,災害
から施設や設備を守るため
の事前対策が不可欠になっ
てくる.とりわけ C 病院等
で事例の見られたような医
療機器の損失は,金銭的な
損失だけでなく,患者の生
死に関わる問題であり,想
定される災害に対してはい
かなる状況であっても稼働
する万全の体制をとる必要
がある.また,E ホームセ
ンターのような事業所では,
自社が被災しなくとも,復
旧作業の進展にともなって
特定商品(長靴,ごみ袋等)
の需要が急増する場合もあ
るため,他店舗との連携を
生かした物資の供給体制の確立が求められる.
A 銀行や C 病院のような事業所では,顧客(患者)の日常の利便性を優先するため,1 階部分に機能が
集中する傾向が見受けられる.水害に見舞われる可能性のある事業所では,高額かつ重要な設備に関して
鉛直方向への移動を視野に入れたレイアウト変更についても検討しておくことがのぞましい.
【検討 4:ソフト対策】
阿蘇市では 1990 年にも水害に遭っており,当時の体験から氾濫のおそれのある地域のいくつかの事業
所では水害保険に加入されていた.著者らはこれまで様々な水害現場で同様の調査を実施してきたが,実
際に水害保険に入っているという話はこれまでほとんど聞いたことがなかった.浸水想定区域内の事業所
では,浸水することを前提とした備えの一つとして,水害保険に加入しておくことがのぞましい.
5.おわりに
平成 24 年 7 月に九州北部を襲った「過去に経験のない大雨」は,阿蘇市周辺に深刻な土砂災害.浸水
被害をもたらした.同地域では 1990 年にも水害に見舞われているが,今回の水害はそれをはるかに上回
る未曾有の大災害であった.本研究では,本豪雨災害の被害状況と阿蘇市内における事業所の被災事例か
ら,浸水災害に対する事業継続計画を策定する上で,重要と思われる課題について検討した.事業継続の
観点を踏まえた浸水対策としては,災害発生前から復旧作業までの間で「事前対策」
「初動対応」
「応急対
応」の 3 つが重要である.すなわち,
「事前対策」では,緊急連絡網の作成,そのバックアップの管理に
よって,事業所内外の安否確認,情報提供など,復旧対応に必要な人的資源の確保や顧客の安全安心の確
保に大きな役割を果たすことができるものと考えられる.一方,
「初動対応」は,被害を最小限にとどめ,
出来るだけ早い段階での通常業務に移行する上で重要である.発災時に現場に職員が居合わすことが困難
な事業所では,初動対応が遅れがちになるため,十分な事前対策がより必要になってくる.また「応急対
応」には,ライフラインの早期復旧,とりわけ,泥の洗い出し・衛生維持に必要な水の早期確保が非常に
重要である.また,災害復旧時に必要な資機材の調達体制を確立しておく必要がある.
参考文献
1)熊本県知事公室危機管理防災課(2012)
:
「熊本広域大水害の災害対応に係る検証」最終報告,117p.
2)阿蘇市(2012)
:大きな爪痕,阿蘇市を襲った豪雨災害,広報あそ No.91,pp.1-10.
3)国土交通省九州地方整備局:
「
(情報提供)平成24年7月九州北部豪雨について」
,24p.
- 35 -
2012 年 12 月
岩手県~宮城県の被災地視察報告
徳島大学環境防災センター
上月康則
徳島大学大学院博士後期課程
井若和久
1.目的
2011 年 7 月に第一回の被災地視察を行って以来,定期的に数地点の定点観測を行っている.次
の南海地震の被害を最小限にするために,今からできることを見つけるのが視察の目的である.
今回はその4回目の視察であり,その概略を報告する.
2.行程
2012 年 12 月 21 日~24 日
12/21
視察地
視察協力者
岩手県宮古市田老地区,
岩手大学
鍬ケ崎地区
元宮古市職員・吉水誠さん
柳川竜一助教
田老地区復興まちづくり協議会会長,小向源一郎さん
田老復興まちづく協議会副会長・前川邦夫さん
宮古市田老総合事務所元所長・上屋敷正明さん
12/22
岩手県釜石市,上閉伊郡大槌町
バイオディーゼルアドベンチャー・山田周生さん
はまなす商店街・小笠原辰雄さん
12/23
宮城県本吉郡南三陸町
入谷公民館館長・阿部忠義さん
歌津中学校前校長・阿部友昭さん
12/24
仙台市科学館
学芸員・長島さん,佐藤さん
3.内容
(1)「安全→安心→油断の問題はとっても深刻」宮古市鍬ケ崎地区
田老地区の南に位置する鍬ケ崎地区は,防潮堤などの津波防災施設のない地域だが,住民が自
ら津波を学び,避難の問題・課題を考えて避難行動に移すことができるような自主防災力の向上
に日々励んでいたという.その結果,今回の津波では住民 110 人のうち避難により 109 人が助か
った.一方の田老地区では,世界最高レベルの防潮堤を整備していたが,人口 4434 人のうち 200
人近い死者・行方不明者を出した.
防災施設を整備する時は,安全度を高めることが目的で,万全の備えでは無いのは承知のはず
なのに,
「安全」が「安心」に,さらに「油断」につながっている.過度な安心が油断にならない
ように気を付けないといけないが,誰がそれをチェックしていくのか?自主防災というけれどこ
の問題は根が深くて,社会の中でもっと議論が必要である.
なお,今年度の「ぼうさい甲子園」グランプリに当地区の鍬ケ崎小学校が選ばれました.後日,
聞いた話では,平成 22 年度に鍬ケ崎小学生作成した「津波防災避難マップ」は,地域住民に配る
直前に東日本大震災が発生したそうですが,その活動を通して避難することを学んだんだと思い
ます.
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しかし,その一方で,鍬ケ崎地区の復興では様々な問題があるようですが,これについては今
後も注意してみていきたいと思います.
参考:http://blog.goo.ne.jp/traum2011/e/c961a4dacca541ef6dd2f8a7bdeabff3
(2)「復興は全く新しいまちづくり」宮古市田老地区
地区の全員が安全な高台移転という意向ではない.元住んでいた所の付近を嵩上げして住むこ
とを選ぶ方がある.現時点で前者が 300 世帯,後者が 100 世帯ほどという.前者にしても,実際
に家を建てる,住む方はもっと減少して,この地区から出ていく方も多くなるだろうという.嵩
上げしてそこに住みたいという方は,“以前のままでいられる”と思っている人がいるとか.
最近では,
「商店街をどこに置くのか?」という問題で大議論がなされているそうです.住民相
手だけでは,商売の規模も限られている.地区外から多くの人が来てもらう必要があるので,高
台の中に店を置いてしまうのは問題がある.住民,特に高齢者にとっては,なるべく近くに商店
があって欲しいが,町の発展を考えるとそうもいかない.
参考:
「もう夢を語り合う時じゃない。早く復興を進めなきゃ」 http://tohoku-ganko1962.bbs.fc2.com/
(3)「防災と環境でまちづくり支援」釜石市
被災地には世界中から多くの方が来て,復興支援に関わっている.そんなユニークな活動をし
ている一人が山田周生さんです.以下にその活動「菜の花大地復興プロジェクト」を紹介します.
被災した農地や荒地,花壇などに菜の花を植えて,景観づくり,塩害などの土壌浄化,地域単
位のエネルギー生産のきっかけ作りを目指しています.
•地域住民と連携して菜の花を咲かせ、元気のでる明るい景観作りをめざす
•津波による塩害、荒廃している土地の瓦礫撤去と塩分除去により土壌浄化をめざす
•可能な限り菜の花から油を絞り、地産地消のエネルギー生産のきっかけ作りを行う
津波による被害を受けた岩手県の沿岸部だけでも,南北に 700km,725ha の農地が塩害を受け
た.土が流され,田んぼには汚い泥水が溜まり,瓦礫が散乱し,農機具も失い農業を続けられな
いといった状況が続いています.行政の対策を待つだけではなく,農家の復興を少しでも手伝い,
来年の春には黄色い菜の花で犠牲となられた多くの方へ花を手向けると同時に,地元の方々の生
活に彩りと安らぎを添えられたらという思いからこのプロジェクトを始めた.
菜種油は食用だけでなく,欧米では車や発電機の燃料(BDF)としても利用されている.菜の
花は非常時に食糧,電気,車の燃料にもなるバイオマス再生エネルギーにもなるので緊急時にも
役に立つ植物.(実際に山田さんは,この BDF を使って車を走らせている)支援だけが先走りす
ることのないよう,被災した皆様や地元の方々と話合い,自立できるよ うな形を模索して支援を
行っている.
山田さん達は,釜石市の内陸の限界集落で休耕地数haの田畑を借りて菜の花を植え,今年度
は1トンの種,油 300L を収穫するらしい.油にして天ぷら大会,精油して車を走らせるらしい.
(4)「3 月 12 日研修センターがオープンします」南三陸町
ボランティアの方に被災地で学ぶ場として,研修センターが建設中.来年の3月には,センタ
ーがオープンし,“被災地での森里海の連関”の体験型学習をする場となります.2~3 泊で,南
- 37 -
三陸の里山,里海での生活を体験できるプログラムが用意されています.研修センターの構想は,
多くのボランティアの方に助けられ,特に大学生が二日間ほどで,大きく成長するように変容す
るのをみて,ここでしかない学びの場を儲けようと考えられたものです.専従スタッフが4名も
おり,立派な施設です.
ここから,
『タコ』をコミュニケーションツールにして『南三陸発の新しい文化』を発信するの
だそうです.
(5)「若い人によるまちづくり起業を支援したい」南三陸町
「これからのまちづくりは,元に戻したいという考えではなく,若い人の発想で新しい街を作
って欲しい」
.若い人が街から出て行くと,残るのは年金生活者だけとなって,街は衰退する.若
い人には,コネ,カネがないが,それを我々年寄りがサポートして,新しい職業を創って欲しい.
そんな想いで,「歌津 MTB ドリームプロジェクト(http://www.wanpakudream.com/)」が始ま
ってます.
(6)「まだまだ蒲生干潟の環境は不安定」仙台市
本科学館では蒲生干潟の環境回復の経緯がモニタリングされている.最近では,アサリが回復
し,多数の個体が確認されたことが報告されている.
被災当初から地形が大きく変化し続け,一時は蒲生干潟の閉鎖度が高まり,塩分が 50psu にも
なったことがあった.またヨシの回復がまだまだだで,それに依存する生物の加入もあとになる
ようです.地形,底質,植物の定着といった3つの要素が大きく変化,作用しながら干潟の環境
が整っていくのを見ているよう.
我々には,震災前にデータをとっておき,事前事後で環境の変化を比較できるようにしておく
ことの大切さを何度も指摘された.また最後には,また干潟に人が帰ってきて欲しいとも言って
おられた.津波によって人が海や干潟に来なくなったらしい.たまたま私が持っていた「あさり
姫」
(竹筒であさりを育てる浜辺での環境学習プログラム)のプレゼン資料を紹介すると,大変喜
んでいただき,こちらでも是非やってみたいと行っていただきました.そんなことでも交流,支
援が始まれば嬉しいと思いました.
4.まとめ
・命を守るための基本は,油断せずに,防災意識を常に高く持つことであることが再認識された.
・町が流された地域においては,街の復元は不可能であるが,別の場所に新しい街をつくるため
には長い時間を要し,コミュニティは衰退,生活は窮する.復興を迅速に行うためには,地域の
人を中心にしつつも地域外の人の支援を積極的に呼び込むことや,発災前に復興の準備を整えて
おく必要がある.
・被災地は,支援の場だけではなく,互いに学びあう場でもある.
『災害ツーリズム』は始まって
おり,災害文化が生まれようとしている.
・津波による大規模な干潟の自然改変は自立的に回復するのか?回復過程,回復に必要な時間,
必要とされる適度な人為などが明らかにされようとしている.基本となるのは,平時からのモニ
タリングである
- 38 -
謝辞
なお,岩手大学の柳川先生には,盛岡市から宮古市までの行程を運んでいただきました.また多
くの方々には,ご多忙にもかかわらず,調査にご協力いただきました.この場を借りて,熱く御
礼を申し上げます.
タコの置物「オクトパス」が大ヒット!
休耕田を復田し,菜の花畑にした.
南三陸の復興のシンボルになっています.
春には一面黄色い菜の花で覆われる.
この施設の横に研修センターができる.
ボランティアの受け入れもしている.
(南三陸町入谷 Yes 工房)
(釜石市)
仮設商店街で売られている『釜石バーガー』
干潟に生き物が少しずつ戻ってくることが
午前中には売り切れてしまうヒット商品
報告されていました.
(釜石市まはなす商店街)
(仙台市科学館)
写真
復興の息吹(2012.12.21~24)
- 39 -
東日本大震災における高齢者施設の被害状況に関するヒアリング調査
~特別養護老人ホーム赤井江マリンホームの事例~
徳島大学環境防災研究センター
金井純子
1.はじめに
平成 23 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災(震源は三陸沖の深さ 24 ㎞,マグニチュ
ード 9.0)では,多くの高齢者施設が被災した.特に甚大な被害を受けた岩手県,宮城県,
福島県の高齢者施設では,52 箇所が全壊または半壊,入所者 485 名と職員 173 名が死亡・
行方不明となった(厚生労働省:平成 23 年 6 月 13 日).
本調査では,今後の高齢者施設の防災対策のあり方について知見を得ることを目的とし
て, 宮城県内の高齢者施設(1 箇所)を対象にヒアリングを行い,被害の実態について把
握し課題を整理する.ヒアリング結果から高齢者施設の防災・減災を考えるための多くの
有益な情報が得られた.
2.ヒアリング調査
平成 24 年 12 月 23 日に,宮城県の特別養護老人ホーム赤井江マリンホームを対象に,
事前対策,被害状況,応急対応,復旧状況等についてヒアリングを実施した.ここでは事
務長の鈴木氏から話を聞いた.鈴木氏の案内により,施設跡地,新施設建設用地,利用者
が仮入居している施設を訪問した.
3.
特別養護老人ホーム赤井江マリンホーム(宮城県岩沼市下野郷)
①施設概要
特別養護老人ホーム赤井江マリンホーム
特別養護老人ホーム赤井江マリンホームの位置
(昭和 56 年開設)は,鉄筋コンクリート造
の平屋で沿岸から 250m の低地に立地してい
た.利用者は長期入所者 46 名,短期入所者
11 名で要介護度は高く,職員は 23 名であっ
仙台空港
た.同敷地内にはデイサービスセンター等も
併設されており,震災当日は利用者 96 名,
職員 48 名,計 144 名が敷地内にいた.
写真-1 津波襲来時の様子
(出典:サンデー毎日緊急増刊に加筆)
②被害状況
地震の揺れ(震度 6 弱)による被害はほとんど無かったが,津波(10m)により全ての
建物は全壊し,設備は全損,重要書類や車両は多数流失した(写真-1).ただ,迅速に避難
したため犠牲者は出なかった.
③事前対策
2010 年チリ地震発生の際,被害は無かったものの,利用者の移送に手間取り避難完了ま
でに 90 分を要したこと,着の身着のままで避難しなにも持ち出せず寒さに困ったことや
- 40 -
備蓄していた食料を取りに戻り利用者に提供したものの嚥下困難なお年寄りにはとうてい
食べることが出来なかった等の反省から防災対策の見直しを行っていた.備蓄品として介
護用のゼリー状補助栄養食も購入していた.
④応急対応
発災時,鈴木氏らは地震の規模がチリ地震より格段に大きかったため,計画されていた
避難場所では避難が間に合わないと判断し,仙台空港への避難を即決した.利用者 96 名
の移送については,福祉車両に加えて職員の自家用車も使用した.乗車人数を優先し車イ
スは運搬しなかった.空港到着後は空港職員の支援が得られたので,車は施設と空港を数
回往復することができ全員を移送できた.備蓄品については,薬,毛布,紙おむつ,3 日
分の食糧,購入したばかりのゼリー状補助栄養食等を持ち出した.避難先での対応につい
ては,利用者のバイタルチェック,食事提供,おむつ交換等のケアを継続した.また,救
出対応については,優先者リストを作成しその時に備えた.翌 3 月 12 日に,高岡消防署
員がボートで到着し,最初に人工透析と糖尿病の利用者を病院に搬送した.さらに,自衛
隊の大型ヘリによる移送が可能であったが,移送先不明,職員同行が条件であったため搬
送を断念した.なお,高齢者の介護情報は,救出の優先者を決める際や病院等へ受け入れ
要請する際に必要不可欠であった.脱出行動については,海水が一部引いた際に職員が脱
出ルートを啓開し,利用者全員を岩沼市総合福祉センターへ搬送した.
⑤復旧状況
被災した施設に入居していた利用者については,現在,同一法人が運営する 2 箇所の施
設(朝日サポートセンター・グループホームあぶくま)に分散して生活している.これら
の施設は認知症高齢者グループホームで,個人居室と共有スペースがあり,1ユニット 9
名の認知症高齢者が家庭に近い環境で介護を受けながら共同生活する施設である.しかし,
震災以降約 2 年間,利用者は,個室の居室を 2 人で利用せざるをえない状況が続いている.
管理者は,入居料を減額しているものの,震災によるサービス低下で利用者が他法人の施
設へ移ることを心配する様子も垣間見られた.幸いなことに,利用者の健康状態や認知症
の悪化は見られない.また,今まで個室での生活から 2 人部屋になることでのトラブルを
心配したが,逆に同室者とのコミュニケーションが増え精神面で良い面もみられるという.
建物については,平成 24 年 3 月にがれき
撤去を終えており,現在,岩沼市の内陸部に
新施設を建設中である(写真-2).また,介護
サービスの拡充も計画されており,平成 25
年中の本格復旧に向かって進んでいる.再建
費用については,災害復興予算や独立行政法
人福祉医療機構の低金利の融資制度を利用す
写真-2 建設用地
る予定である.
- 41 -
⑥支援
他県からの介護ボランティアについて,赤井江マリンホームでは,北海道や愛知県の団
体より照会があったが,宿泊場所の確保ができず要請ができなかった.ボランティアを受
け入れた施設の話では,移動に時間がかかり数日のみの滞在で雑用しかできなかったそう
である.支援を受ける施設側の負担を軽減し継続的な支援を実現するためには,コーディ
ネーターの存在やボランティア同士が上手く引き継ぎするしくみが必要である.
4.高齢者施設の課題
①施設の立地
特別養護老人ホーム赤井江マリンホームの事例は,
津波避難リスクの高い場所に立地された施設であった
にもかかわらず,迅速な避難行動により犠牲者が一人
も出なかった稀なケースである.
東日本大震災の被災地における社会福祉施設の立
地特性に関する研究(永家ら,2011)によると,東北
3 県の高齢者施設の位置(標高,海岸線からの距離,
高台までの最短距離)と浸水範囲の関係を分析した結
果,地形的に津波避難リスクの高い場所に立地する施
設,または高台までの避難が困難な施設が多数存在し
ていた(図-1).さらに,宮城県内の高齢者施設の死
亡・行方不明者数と照合した結果,施設の利用者およ
図-1 東北 3 県における福祉施設の
分布状況と特性(永家ら,2011)
び職員の避難に影響を与えたと推測れている.
高齢者施設は,海岸沿いの景勝地をこのんで立地されることが多いため,南海トラフ巨
大地震による大規模災害の発生が危惧される徳島県や高知県でも,沿岸部に立地する高齢
者施設は少なくない.また、徳島県は平成 24 年 12 月,地震や津波の危険性が高い地域へ
の土地利用規制を盛り込んだ震災対策推進条例を全国で初めて制定した.対象は「学校・
病院その他規則で定める建築物等」となっており,罰則等はない.しかし,そこには高齢
者施設については明記されていない.高齢者施設の立地問題について,津波被災リスクの
ない安全な場所へ建築・移転すべきという意見が多く見受けられるが,まずは,高齢者施
設の立地場所における地震・津波・土砂災害の災害リスクについて,ハザードマップと
GIS を使って検証してみたいと考えている.
②責任者の危機管理
特別養護老人ホーム赤井江マリンホームの事例では,避難状況下において,施設責任者
が即断即決せざるをえない場面が連続的に発生している様子が伺えた.施設責任者の危機
管理能力の必要性,役割の重要性を強く感じる.
平成 24 年 11 月香川大学と徳島大学は,文部科学省の事業採択を受けて「四国防災・危
機管理特別プログラム共同開設による専門家の養成」事業を開始した.主に自治体・学校・
- 42 -
病院・企業の職員を対象に専門性の高いカリキュラムを実施する.上記の事例からも分か
るように,災害時には知識だけでなく,判断力・決断力・調整力等が求められ,それらを
習得できるような教育方法・教材開発も課題の一つである.また,高齢者施設についても,
介護と危機管理のプロが核となって介護職員の指導を行えば,高齢者施設の防災対策が進
み被害軽減につながるはずである.
③防災対策と初期対応
高齢者施設には介護を要し自助避難できない高齢者が多数いる.そのような利用者の命
を守るためには,平常時の防災対策と初動対応が極めて重要である.主に,平常時の防災
対策では,実践的な避難訓練,防災計画の改善,ケアを維持できる最低限の備蓄品の準備
等が,初動対応では,的確な避難判断,避難支援の確保等が利用者の命に大きく影響する.
また,助かった命であっても必要なケアが継続できなければ状態悪化や死の危険が高ま
る.そのため,早期に利用者の受け入れ先を確保しなければならない.既に,山形県では「山
形県高齢者福祉施設防災ネットワーク」が構築されており,東日本大震災の際,山形県村
山市の特別養護老人ホームは 123 名を受け入れた.利用者受け入れに関する問題点として
は,受け入れまでの移送等のストレスによる被災高齢者の状態悪化,被災高齢者の情報不
足(既往歴・服薬等),ケアの質の低下,職員の心身の疲労,費用負担等が報告されている
(全老施,2012).
南海トラフ巨大地震による大規模災害の発生が危惧される徳島県や高知県においては,
高齢者施設各々の防災対策や災害時施設相互支援体制の検討は遅れている.まずは防災に
関心の高いいくつかの施設で取り組みを進め,多くの施設が参考にできるような環境づく
りが必要であると考える.
④復旧対応
特別養護老人ホーム赤井江マリンホームの事例では,新しい施設の再建に多額の費用と
3 年の月日を要している.その一方で再建の目処さえ立っていない施設も多い.特別養護
老人ホームのような入所施設は,厚生省が定める施設基準を満たした居住場所と介護度に
応じた介護サービスを提供することで収入を得ている.よって,建物が全壊した場合,被
災による損失,無収入,多額
の復旧費用,復旧期間の長期
化等,資金的なダメージが大
きい.
このようなことからも,施
設経営者が,財務的な側面も
考慮して防災計画や事業継続
計画を策定することが課題で
ある.
図-2 事業継続計画の概念図
- 43 -
5.おわりに
本調査では,以下の4つの課題が明らかになった.①高齢者施設の立地問題を考える上
で,まずは,立地場所の災害リスクを明らかにする必要がある.②危機管理を担う責任者
には,知識だけでなく,判断力・決断力・調整力等が求められ,それらを習得できるよう
な教育方法・教材開発が課題である.③平常時の防災対策では,実践的な避難訓練,防災
計画の改善,ケアを維持できる最低限の備蓄品の準備等が,初動対応では,的確な避難判
断,避難支援の確保,災害時施設相互支援体制等が極めて重要である.今後,防災に関心
の高いいくつかの施設で取り組みを進め,多くの施設が参考にできるような環境づくりが
必要である.④復旧対応には費用負担が大きいことから,施設経営者が,財務的な側面も
考慮して防災計画や事業継続計画を策定することが課題である.
謝辞
本調査では,特別養護老人ホーム赤井江マリンホームの鈴木氏に多大なご協力を頂いた.
鈴木氏の「高齢者に良くないのは,環境の変化もあるが介護の手が変わること」の言葉か
ら,30 年の歴史を持つ当該施設の介護理念のようなものを感じた.また,訪問した朝日サ
ポートセンターでは,貴重なお話をお聞きしつつ,傍らで利用者と介護職員の方々の和や
かな空気も感じられた.
参考文献
永家忠司,外尾一則,北川慶子,猪八重拓郎:東日本大震災の被災地域における社会福祉
施設の立地特性について.土木計画学研究講演集,44:181(2011).
北川慶子,宮本英揮:介護保険施設の自然災害経験と防災意識に関する研究
厚生労働省老健局:第 3 回災害医療等のあり方に関する検討会資料(2011)
公益社団法人全国老人福祉施設協会:災害時における特別養護老人ホームのリスクマネジ
メント調査研究事業報告書(2012)
一般社団法人日本医療福祉建築協会:東日本大震災における高齢者施設の被災実態に関す
る調査研究報告書(2012)
小野智一:東日本大震災における高齢者施設の被災実態に関する研究
- 44 -
竜巻によるアスファルト剥離・飛散事例からの風速推定
ESTIMATION OF WIND SPEED FROM A CASE OF REMOVEMENT OF ASPHALT BY A TORNADO
野田
稔 1)
長尾文明 2)
Minoru NODA1),
Fumiaki NAGAO2)
ABSTRACT
Three tornados made lots of damage for wide area belong to North
Kanto Region on May 6, 2012. Authors focused a case that asphalt of
road was removed by the tornado at Mashiko town in Tochigi
prefecture. In this case, the asphalt which was 50mm thin, 27m long
and 4m wide was removed by wind. The damage like this is very
rare as the example of tornado-induced damages. Therefore, the
wind speed, when the asphalt removed, was estimated assuming
some situation, such as pressure decrement of tornado center,
distribution of pressure in tornado model, and pressure
distributions on surface on the local terrain without or with a guard
rail. As the result of this estimation, the wind speed might be from
40m/s to 60m/s approximately.
Key Words: Tornado, Wind-induced disaster, Road damage
1.はじめに
2012 年 5 月 6 日の正午過ぎに茨城県北部から栃木県にかけた北関東一帯で発生した竜巻被害 1-3)は、
3つの竜巻がほぼ同時に発生し被害をもたらしたこと、被害長さが 17km~32km と非常に広範囲であ
ること、木造住宅がコンクリート基礎ごと横転した事例や、RC 造 5 階建ての集合住宅の全階層が被
災した事例、RC 造 3 階建ての小学校校舎を直撃した事例など、日本国内でも例を見ない被害が発生
した点で、過去に発生した宮崎県延岡市や北海道佐呂間町
4)
、愛知県豊橋市で発生した竜巻被害
5)
と
は異なる被害形態が認められる特徴的なものであった。
そのような今回の数多くの被害事例の中で、栃木県真岡
市から茨城県常陸大宮市にかけて発生した竜巻では、幅員
4m の道路のアスファルトが 30m ほどの長さにわたって飛
散するという被害が発生した(写真1)。日本におけるこの
ような被害事例は 2009 年 7 月 19 日に発生した岡山県美作
市の竜巻被害において古いアスファルト舗装が剥がれて移
動する例
6)
はあるものの、ここで取り挙げる被害に比べれ
ば軽微なものである。また、竜巻被害の多いアメリカ合衆
国の事例を探しても、インターネット上で竜巻によるアス
1), 2)徳島大学大学院ソシオテクノサイエンス研究部
写真1 栃木県益子町で発生した竜巻に
よるアスファルト剥離(杉浦雅尚氏撮影)
准教授、教授(〒770-8506 徳島市南常三島町 2-1)
- 45 -
ファルトの剥離事例を検索すると、写真2のような事例
7)
をいくつか見つけることができるが、いずれも F5 スケ
ールあるいは EF5 スケールの竜巻の事例として示されて
おり、今回気象庁が現地調査を元に発表している当該竜
巻のフジタスケール F1~2 というスケールからはかなり
乖離した事例と言える。そもそもフジタスケール
張フジタスケール
8)
や拡
9)
の定義に道路のダメージに関するも
のは存在しない。
そこで、今回確認されたアスファルト剥離の事例をも
とに、被害発生時の竜巻の挙動や現地で生じた風速の推
写真2
EF5 スケールの竜巻の被害事例 9)
定を試みた。
2.被害概要
本研究で取り挙げるアスファルトの剥離被害は、2012 年 5 月 6 日に北関東一帯で発生した突風被害
(図 1)の一つとして起こったものであり、発生した 3 つの竜巻のうちで最も北側の栃木県真岡市か
ら茨城県常陸大宮市までの全長 32km に渡って発生した竜巻 B による被害(図2)のうちの一つであ
る。被災場所は、図2に示す通り、被害地域のほぼ中央部である益子町の中にある町道である。写真
3に、被害の翌日に上空から撮影された現場付近の写真を示すが、写真の赤枠の部分において、町道
のアスファルトが剥離し、飛散していることが読み取れる。この写真は、現場からほぼ真北の位置か
ら南向きに撮影されているため、幅 4m の道路のアスファルトは 0.5~2m 程度までに砕けて北西方向
を中心に 30m ほど離れた位置まで飛散している。
図3に現地の平面図を示すが、北東-南西軸に沿った 4m 幅員の道路のアスファルトが剥離した部
分である。この道路は南西側でほぼ直角にカーブし、南東側に直線的に続いている。道路の南東側お
よび北東側には田園が広がっており、路面に比べて 25 ㎝程度低くなっている。また、道路と田園の間
には、幅およそ 3.5m、深さおよそ 1.3m の逆台形状の断面を有する水路が設置されており、水路と道
路の境には高さ 70 ㎝ほどのガードレールが設置されている。図中の黒い楕円は、写真3などを元にプ
ロットした飛散アスファルトの大まかな位置である。この剥離・飛散したアスファルト層は、通常の
車道規格である厚さ 50 ㎜であり、約 1kN/m2 の重量のものであった。アスファルト端部の処理は特に
行われておらず、また縁石等の端部保護処理はなされていない。
図1
北関東広域突風被害における被災地域図2
- 46 -
竜巻 B による被災分布状況2)と注目地点
写真3
北側の上空から撮影された現場周辺の様子(右は枠部分の拡大写真)(小林文明氏撮影)
飛散したアスファルトにより
破損したガードレール
y (m)
ール
N
ール
ガードレ
20
ガー
ドレ
30
写真4破損したガードレール
(杉浦雅尚氏撮影)
10
-20
-10
アスファルトが
剥離した部分
10
-10
曲がった標識柱
-20
ガ
ー
20
ド
レ
ー
x (m)
ル
水路
-30
図3
写真5被災場所にあった道路標識(北西方向
に曲がっている)
アスファルト剥離の状況と周辺地物
なお、アスファルトが剥離した現場の北北西側には飛散したアスファルトによって破損したガード
レールがあり、写真4に示すように、約 50 ㎝四方のアスファルト辺が残されていた。また、アスファ
ルトが剥離した現場のすぐ南側には道路標識が立っており、写真5のようにほぼ道路に沿う北西側に
傾いていた。この傾きは、支柱が曲がったことによるものであり、基礎そのものはしっかりとしてい
た。道路標識の設計風速が 40m/s であること 10)を考慮すると、この地点では最低でも 40m/s の風が吹
いていたことが伺える。
3.ガードレールの破損状況から推定される風速範囲
図3および写真4に示した通り、本事例では、飛散したアスファルトによってガードレールが破損
している。写真に残されている約 50cm 四方のアスファルト辺が原因とすると、その質量はおよそ 25kg
である。ここで、写真だけで判断すれば、アスファルト塊の寸法は 30cm 程度とも読み取れるが、風
速が過大評価とならぬよう周辺の破片も含めて大きめに想定している。一方、ガードレールの設計基
- 47 -
準では、最低の基準(種別 C)でも Ecr= 45kJ の衝突強度が要求されている 11)。そこで、この強度を衝
突したアスファルト辺の運動エネルギーが上回ったとして、考えられる衝突速度 V を求めると、次式
の通りとなる。
V  2 Ecr / m  2  45000 / 25  60 m/s
(1)
従って、場の風速が飛散物の速度以上であることを考慮すると、アスファルト辺の質量をかなり過大
に評価しても 60m/s 程度の風速に達していたことが推定される。
一方で、アスファルトの剥離した部分に沿ったガードレールは変形しておらず、この事実から、風
速の上限を推定することが可能と考えられる。防護柵の水平耐力は最低基準の C 種(設計曲げモーメ
ント 23kNm/m)で求めても 38kN となる 11)。この場合、風力係数 2.0 を想定して限界風速を求めると、
320m/s 以上となる。仮に、歩道用の群集荷重(水平荷重 2500N/m)を想定すれば限界風速は 83m/s と
なるが、車道のガードレールを静的に風圧力だけで破壊することは事実上困難である。
4.考えられるアスファルト剥離の原因
ここで、今回発生したアスファルト剥離のプロセスについて、考察する。図3に示したアスファル
トの剥離状況のうち、特に道路のカーブの部分に生じた「へ」の字の剥離形状と平均的なアスファル
トの飛散方向から、アスファルトの剥離開始時の風向は、ほぼ北西方向であったものと推定される。
また、アスファルト剥離域の境界は、南北軸にカーブしていることから、風向きは、ほぼ南南東~南
へと変化したものと考えられる。さらに、アスファルト剥離域の境界は西南西~東北東方向に急変し、
飛散したアスファルトの一部がアスファルトの剥離した領域から西側に残っていることを考えると、
風向はさらに東~北東に変化した可能性がある。従って、風向変化が連続的に起こったと解釈するの
であれば、非常に急激な風向変化が起きていることになり、竜巻の中心がまさにこの付近を通過した
可能性がある。この場合、アスファルトを持ち上げた力は、竜巻中心の圧力低下によって生じた可能
性も考慮する必要がある。一方で、各方向へのアスファルト飛散が連続的に起きたわけではないと考
えた場合には、水路から北西方向に路面に乗り上げる風の収束による圧力低下、あるいは、ガードレ
ールの存在による流れの収束による圧力低下がアスファルト剥離の原因として考えられる。
そこで、アスファルト剥離の原因として、竜巻中心の圧力低下、水路からの流れによる路面での圧
力低下、ガードレールの存在によって生じる増速がもたらす圧力低下の3つを想定し、単位面積重量
が 1kN/m2 のアスファルトを持ち上げるために必要な風速がどの程度になるかを検討する。
5.アスファルト飛散から推定される風速
5-1 竜巻の圧力低下による推定風速
松井らの研究では、竜巻の中心における圧力低下量は、竜巻の最大風速を U とした場合に、その速
度圧の 2 倍ほどの負圧が生じる結果が示されている 12)。また、風速が最大となるランキン渦の強制渦
外縁部分では、速度圧と同程度の負圧となる。ここで、空気密度は 1.2kg/m3 と仮定すると、竜巻中心
の圧力低下でアスファルトが持ち上げられたとすれば、その時の竜巻の最大風速は、
U  1000 / 2 / 0.6  28.9 m/s
(2)
となる。この数字は、道路標識の変形から推定される最低風速 40m/s やガードレールの破損から推定
される 60m/s に比べてかなり低い。一方で、強制渦外縁部分の風速が最大となった部分での圧力低下
でアスファルトが持ち上げられたとすれば、最大風速は、
U  1000 / 1 / 0.6  40.8 m/s
(3)
と試算される。この数字は、道路標識の変形による推定値と同程度であるが,ガードレールの破損か
- 48 -
ら推定される風速には及ばない。
5-2 水路から道路面へと乗り越える流れによる圧力低下からの風速推定
本節では、水路から道路面へと流れが乗り越えることによって生じる路面上の圧力低下について検
討し、その圧力低下を引き起こすのに必要な風速を試算する。
ここでは、被災現地の道路・水路・田園がなす形状を路面と田園の高低差を 25cm、水路深さが田園
から 1.2m、水路の幅を 3.5m として、図4に示すような解析格子を作成し、標準 k-乱流モデルを使っ
た定常流解析を有限体積法をベースとした OpenFOAM13)を用いて実施した。風向は、水路と軸を共有
する南東風に近い風向角 130°を基準に、風向を変化させながら、路面に生じる最低圧力の変化に注
目した。また、ガードレールによる増速効果を検討するために、ガードレールと外形寸法が同じ矩形
柱(幅 5cm、高さ 35cm)を道路と水路の間の空中に水平に設置した解析格子も用意し、路面の最低圧力
の変化を検討した。
ここでの解析では、注目する水路隅角部を原点とした 80m×80m×20m の直方体解析領域を作成し、
設定する風向から一様乱流(U=10m/s, Iu=6%)を流入させた。図5に一例として、風向角 130°における
ガードレール有りの状態における表面圧力係数の分布を示す。ガードレールがない状態では、風圧係
数の最低値(以下、最低風圧係数と呼ぶ)が水路隅角部付近に生じ、Cp=-1.31 となったが、ガード
レールを付けた状態における同じ風向での最低風圧係数は、Cp=-1.41 となり、ガードレールの存在
によって流れが収束し、路面の圧力低下を強化する結果となった。-90°から 180°までの風向角に
ついて、路面の最低風圧係数を求めると図6のような結果となり、水路よりも少し反時計方向に風向
を回転させた風向角 120°の時が最も低い風圧係数を示した。この最低風圧係数を使って風速を推定
すると、
U  1000 / 1.45 / 0.6  33.9 m/s
(4)
となる。しかし、飛散したアスファルトが最小でも 30cm
四方程度であることを考慮すると、局所的な最低風圧係
数から直接風速を求めることは現実的ではない。
10
そこで、最低風圧係数が生じた風向角 120°のケース
において、風向方向に路面端部から平均化範囲 L を設定
し、その L の範囲の平均揚力が同一範囲のアスファルト
5
10
0 x(m)
5
y(m)
0
の重量を上回るという条件を満たす風速値を図7のよう
に推定した。図中のは被災当初に水路に生えていた雑草
‐5
‐5
‐10
‐10
図4解析に用いた格子(地表面部分の拡大)
などの粗度による風速比を適当に想定したものである。
粗度による速度低下がない状態(=1)では平均化範囲が
1m で道路標識の変形から推定される 40m/s 程度となっ
ており、大きい破片の寸法である 2m 程度になると風速
Cpmin=-1.41
は 50m/s 程度までとなる。また、粗度によって実際に路
面を通過した風速が接近気流の 80%程度に低下したと想
定した場合(=0.8)には、L=0.5m に対する推定風速は
43m/s、L=2m に対しては 62m/s に達する。この数値はガ
ードレールの破損から推定される数値に近い。いずれに
Wind Direction
しても,これ以上は、実際のアスファルトの破壊プロセ
スや雑草による風速低下が明らかにならない限り、具体
的な数値に変換することは困難であると思われる。
- 49 -
図5 風向 130°における地表面部分の
平均風圧係数分布(ガードレール有)
5.まとめ
ここでは、2012 年 5 月 6 日に栃木県で発生したアスファルト
の剥離・飛散事例をもとに竜巻発生時の風速の推定を試みた。
標識の変形から読み取れる下限風速値 40m/s,ガードレールの
破損から推定される飛散アスファルトの衝突速度 60m/s,竜巻
の圧力低下から推定される 40.8m/s などの数値に対して,水路
とガードレールの作用による圧力低下からは想定する状態に応
じて推定風速が広く変化してしまい,具体的な数値を決定する
図6
風向角と最低風圧係数の関係
には至らなかったが,総合すると発災時には 40m/s~60m/s 程度
の風が吹いたものと思われる。この程度の風速であれば,過去



の竜巻の発生事例でも頻繁に発生しており,アスファルト飛散
の事例も頻繁に起こっていても良いはずだが,はじめに述べた
通り,このような事例は実際には稀である。このことは,今回
想定したアスファルト飛散のプロセスが実現象を十分に反映で
きていないことを示唆しているものとも考えられ,より詳しい
アスファルト飛散のモデルについて検討することが必要である。
図7平均化範囲と推定風速
謝辞
被災地の皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、調査にご協力いただきました方々に厚くお
礼申し上げます。なお、本研究は、この竜巻によってアスファルト剥離の被害が発生したことを知ら
せていただいたNHK宇都宮放送局の多大なるご協力を頂きました。また、竜巻被害発生直後の現地
調査においては、京都大学防災研究所自然災害研究協議会のご支援をいただきました。さらに、その
後の研究遂行においては、科研費特別研究促進費(2490001)の助成を受けました。一方で、本研究で
実施した解析は、徳島大学大学院先端技術科学教育部大学院生の二宮めぐみ氏に協力いただきました。
ここに記し感謝の意を表します。
参考文献
1) 水戸地方気象台, 東京管区気象台, 気象研究所, 現地災害調査速報「平成 24 年 5 月 6 日に茨城県常総市
からつくば市にかけて発生した突風について」,気象庁ホームページ, http://www.jma.go.jp/, 2012/5/11.
2) 宇都宮地方気象台, 水戸地方気象台, 東京管区気象台, 現地災害調査速報「平成 24 年 5 月 6 日に栃木県
真岡市から茨城県常陸大宮市にかけて発生した突風について」, 気象庁ホームページ,
http://www.jma.go.jp, 2012/5/11.
3) 水戸地方気象台, 東京管区気象台, 現地災害調査速報「平成 24 年 5 月 6 日に茨城県筑西市から桜川市に
かけて発生した突風について」, 気象庁ホームページ, http://www.jma.go.jp/, 2012/5/11.
4) 日本風工学会風災害研究会, 2006 年台風 13 号および同年 11 月 7 日に北海道佐呂間町で発生した竜巻に
よる強風災害に関する調査報告書, 2007.
5) 豊橋市,竜巻の記録 1999.9.24 豊橋市を襲った黒い渦, 2000.
6) 喜々津仁密,奥田泰雄,「平成 21 年 7 月 19 日岡山県美作市竜巻被害調査報告」,p.10
7) T. Theodore Fujita, “Proposed Characterization of Tornadoes and Hurricanes by Area and Intensity, Satellite &
Mesometeorology Research Project Paper, No. 91, 1971.
8) Jim MacDonald, et al, “A Recommendation for an Enhanced Fujita Scale (EF-Scale)”, Wind Science and
Engineering Center, Texas Tech University, 2004.
9) http://www.examiner.com/article/the-finger-of-god-an-ef-5-tornado
10) 日本道路協会, 「道路標識設置基準・同解説」, 1987.
11) 日本道路協会, 「防護柵の設置基準・同解説」, 2008.
12) 松井正宏, 田村幸雄, 吉田昭仁, 「竜巻状旋回流中におかれた立方体に作用する風圧力と移動効果によ
る旋回流形成への影響に関する実験的研究」, 第 20 回風工学シンポジウム論文集, pp.319-324, 2008.
13) http://www.openfoam.com/
- 50 -
和歌山県那智川流域における土石流の発生頻度
○西山賢一 1・若月 強 2
2 防災科学技術研究所
1 徳島大学
1.まえがき
2011 年台風 12 号に伴う記録的な豪雨により,紀伊半島の各地では,大規模な深層崩壊とせき止め湖の発生
など,戦後最大級の土砂災害に襲われた.和歌山県那智勝浦町を流れる那智川の流域では,大規模な深層崩壊は
発生しなかったものの,斜面崩壊とそれに起因する土石流が集落まで流下し,28 名の犠牲者を出す惨事となっ
た.紀伊半島ではこれまでにも,1889 年十津川災害や,1953 年有田川災害といった土砂災害に襲われてきた.
一方,南海トラフを震源とする巨大地震による被害を受けてきた地域でもある.ところが,那智川流域では,歴
史時代の土砂災害に関する検討が行われていないことから,歴史時代およびそれ以前に発生した土砂災害の履歴
を解明していく必要がある.紀伊山地では,堆積物の年代推定が可能なテフラ(火山噴出物)に乏しいため,堆
積物に含まれる炭質物の 14C 年代に基づく斜面崩壊発生間隔に関する検討が必要であるが,既存の検討例は数例
のみである 1), 2).筆者らは,2011 年豪雨による崩壊土砂が流下した那智川流域の複数の河谷内を埋積する古い崩
壊堆積物中から,多数の材・炭質物を見出し,そのうち 22 試料の 14C 年代測定を行った.今回は,得られた測
定値に基づき,斜面崩壊に起因する土石流の発生頻度を検討した.
2.那智川流域の地形・地質概要
那智川は,高原状の地形を呈する大雲取山(966m)南側の山地から流下し,世界遺産に指定された熊野那智
大社背後の那智の滝を中流部にもつ.那智の滝より上流の那智川の河床勾配は,標高 500m を超える割に非常に
緩傾斜であり,谷密度が高い樹枝状の水系網をなす.那智川では,那智の滝以外にも多数の滝(例:陰陽の滝な
ど)が分布しており,いずれも,大雲取山と隣接する妙法山(750m)
・烏帽子岳(910m)などを構成する熊野
酸性岩類(中期中新世)の貫入岩体である花崗斑岩の急崖に位置する.花崗斑岩の下位には,下部中新統の熊野
層群(浅海域に堆積した砂岩・泥岩とその互層)が分布しており,花崗斑岩の急崖直下に明瞭な遷緩線を介して,
相対的に緩傾斜である.那智の滝より下流で那智川に合流する支流は,那智の滝より上流に見られる樹枝状の水
系網とは異なり,支流の分岐が少ないために谷密度がやや低いほか,熊野層群と熊野酸性岩との地質境界付近に
滝が存在することが多い.これらの支流の熊野層群分布域には数段の段丘状の緩斜面が形成されているほか.谷
口に沖積錐が成長している.那智勝浦町麓では,内の川の谷口から南に成長した沖積錐により,那智川の本流が
南西に偏流している.これらの段丘状の緩斜面・沖積錐は,主に花崗斑岩の径 1~3m 程度の巨礫を多く含む厚
さ 3~5m の淘汰不良の礫層から構成されており,旧崩壊堆積物からなると見なされる.地すべり地形は,熊野
酸性岩類の分布域には認められず,熊野層群分布域にわずかに分布する.那智の滝の南側に位置する熊野那智大
社~大門坂付近(熊野層群分布域)に,特に大規模な地すべり地形が認められる.
3.2011 年台風 12 号豪雨による斜面崩壊とそれによる土石流堆積物
2011 年台風 12 号により那智川流域で発生した斜面崩壊と,それによる土石流堆積物の分布を図 1 に示す.熊
野酸性岩の花崗斑岩からなる斜面で崩壊が発生したものが多く,熊野層群からなる斜面での発生例は少ない.斜
面崩壊のうち,もっとも大規模なものは那智川右岸の支流・金山谷で発生した.ここでは,2 つの滑落崖を持つ
崩壊が,花崗斑岩からなる 0 字谷で発生し,崩壊土砂の一部は谷壁内に樹木とともに厚さ 10m ほど残存してい
るが,大部分は下流へ 2.3km 流下し,那智川本流に達して河道をほぼ閉塞させた.このほか,那智の滝より下流
に位置する複数の支流から斜面崩壊起源の土石流が流下し,谷口に形成されていた沖積錐を覆って堆積,もしく
は那智川の河道内に突入してさらに流下した.
谷口に供給された土砂量が特に多かった渓流は,
金山谷川のほか,
陰陽谷川・平野川の計 3 渓流である.このほか,那智川左岸の若谷川・内の川・平野川,右岸の鳴子谷川・尻剣
谷川でも,斜面崩壊起源の土石流が谷口まで達した.いずれも,堆積土砂は花崗斑岩の巨礫(径 1~3m)を主体
とする淘汰不良の礫層である.なお,図 1 の那智川本流沿いの沖積低地の全域が土石流堆積物により埋積された
わけではなく,礫の少ない土砂流または洪水流として流下した範囲も含めて図示した.
Recurrence interval of debris flow in the Nachi River, Wakayama Prefecture, Japan
Ken-ichi NISHIYAMA ( Univ. TOKUSHIMA) and Tsuyoshi WAKATSUKI (NIED)
- 51 -
①
那智の滝
500m
③
②
④
⑤
熊野那智大社
渓流の名称
①:陰陽谷川
②:若谷川
⑥
③:内の川
⑦
④:樋口川
⑧
⑤:平野川
那智川
⑥:鳴子谷川
⑦:尻剣谷川
図 1 那智川流域における斜面崩壊起源の土石流の分布
⑧:金山谷川
金山谷の崩壊深は 5~10m と深いものの,それ以外は 1~2m 程度と推定され,ほとんどは表層崩壊である.
金山谷を除くと崩壊規模が比較的小さいのに比べて,下流へ運搬された巨礫の礫径が大きく,量も非常に多い.
このことは,地表付近に位置する花崗斑岩が風化すると,大きなコアストーン(未風化核岩)を形成しやすいた
め,地表直下のコアストーンが崩壊土砂として流下したことを反映する.それとともに,河床に堆積していた花
崗斑岩の巨礫を主体とした旧崩壊堆積物が侵食され,今回の崩壊土砂に巻き込まれて流下したことが影響したと
考えられる.加えて,金山谷川の中流域では,旧崩壊堆積物の上に施工されていた盛土が,深さ数 m に渡って
洗堀されて流下した.なお,那智川流域にわずかに存在する地すべり地形では,2011 年豪雨による顕著な変状
は生じていない.
4.年代測定試料の採取地点と測定結果
.2 試料は河道堆積物から,それ以
今回,14C 年代測定を行ったのは,6 渓流で採取した 22 試料である(表 1)
外はすべて河道側壁に露出した旧崩壊堆積物から見出された.渓流の源流部で採取したものが 1 試料で,中流部
で採取したものが 12 試料,下流部が 2 試料,谷口が 6 試料である.観察できる範囲における堆積物の厚さは 1.5
~8.5m,採取箇所の河床からの高さは 0.2~5.2m である.いずれも,最大径 1~3m にも達する巨礫を伴い,淘
汰不良で基質支持型の礫層であり,逆級化が認められることがある.基質はシルト分を欠くことが多いが,細砂
~粗砂からなる.以上の特徴から,支流の河道に分布するこれらの旧崩壊堆積物は,基本的には過去に生じた土
石流の堆積物と判断される.
図 2 に示す金山谷 1 の層相は,厚さ 0.5m 程度の礫混じりシルト層中に多数の材を挟在するとともに,その上
位は古土壌を介さずに,最大径 3m にも達する巨礫を含む礫支持型の礫層が累積する.この巨礫層は一般的な土
石流堆積物の層相とは異なっており,土石流以外の堆積プロセス(例えば,地震時に発生した山体崩壊による岩
屑なだれなど)の可能性も考えられる.堆積物中に古土壌が認められるのはまれであるが,金山谷川 3 では,紫
灰色を呈する厚さ 30cm 程度の古土壌を介して上下 2 層準に区分でき,試料は古土壌より下位の層準から採取し
た.試料は,堆積物中に散在する材または炭質物がほとんどであるが,鳴子谷川 4 は,堆積物最上部の土壌中の
炭質物である.保存状態が良好な試料は,パリノ・サーヴェイ株式会社に依頼して樹種と部位の同定を行った.
- 52 -
得られた年代値を表 1 に示す.14C 年代測定はパリノ・サーヴェイ株式会社および株式会社加速器分析研究所
に依頼し,AMS(加速器質量分析法)測定を行った.14C 年代は,δ13C により同位体効果の補正を行うととも
に,1950 年を基準とした暦年較正年代(yrs. BP)で表記した.測定結果のうち,3 試料(鳴子谷川 4,尻剣谷川
5,金山谷 2)が modern となったほか,鳴子谷川 1(62±22 BP)と尻剣谷川 4(62±23 BP)は,暦年較正プロ
グラムの適用範囲外となった.
図 2 金山地区で木片を採取
した露頭.
(金山谷 1)
.露頭
の高さは約 5m.試料採取層準
はシルト層.その上位には,
古土壌を介さずに,最大径 3m
にも達する巨礫を含む礫支
持型の礫層が累積する.その
上位は棚田の石垣.
木片採取位置
表 1 年代測定試料の採取位置の概要と測定結果
試料採取渓流名
測定番号
試料名
位置
標高(m)
露頭形状
種類
年代値(yrs BP)
陰陽谷川2
IAAA-120156
12042104-2
谷口
115
河道側壁
厚さ(m) 河床からの高さ(m) 試料の状態
1.5
0.5
炭化材
クスノキ
若谷川1
IAAA-120145
12041702
中流
125
河道側壁
4.5
1.5
生木
ツツジ科(根材)
若谷川2
IAAA-120146
12041704-1
中流
130
河道側壁
4
2.2
生木
コナラ属アカガシ亜属
2,692±25
5,762±29
5,422±27
若谷川3
IAAA-120147
12041705
中流
135
河道側壁
4
1.1
生木
クスノキ
2,415±25
若谷川4
IAAA-120449
12041701
中流
120
河道側壁
2
0.2
生木
モミ属
13,770±42
150±21
平野川1
IAAA-120457
12042103
中流
98
河道側壁
4.1
1
不明
同定不能
鳴子谷川1
IAAA-120148
12041901
源流
550
河道堆積物
2.2
2.2
炭化材
タニウツギ属
鳴子谷川2
IAAA-113042
麓地区
谷口
96
河道側壁
2
炭質物
同定不能
62±22
1,550±20
鳴子谷川3
IAAA-120450
12041801
中流
305
河道側壁
6
生木
モミ属
277±20
鳴子谷川4
IAAA-120451
12041803
中流
200
河道側壁
3
-
生木
トウダイグサ科(根材)
modern
鳴子谷川5
IAAA-120452
12041805
下流
150
河道側壁
4.2
2
生木
不明
鳴子谷川6
IAAA-120453
12041804
中流
195
河道側壁
1.5
0.3
炭質物
不明
148±20
141±22
尻剣谷川1
IAAA-120144
120303
中流
105
河道側壁
3.3
1.1
生木
ブドウ科
133±22
尻剣谷川2
IAAA-120151
12042005
下流
60
河道側壁
4.2
0.6
炭化材
ヒノキ
尻剣谷川3
IAAA-120150
1204202-1
谷口
46
河道側壁
8.5
5.2
炭質物
不明
尻剣谷川4
IAAA-120149
12042001
谷口
48
河道側壁
3.7
0.3
生木
広葉樹
6,266±27
9,923±36
62±23
尻剣谷川5
IAAA-120454
12042004
谷口
48
河道側壁
2.7
1.5
炭質物
不明
modern
尻剣谷川6
IAAA-120455
12042007
中流
150
河道側壁
5.1
1.9
炭質物
不明
尻剣谷川7
IAAA-120456
12042002-2
谷口
46
河道側壁
8.5
5.2
炭質物
不明
194±21
9,507±34
金山谷川1
IAAA-113041
金山地区
上流
215
河道側壁
5
-
生木
ヒノキ科(根材)
金山谷川2
IAAA-120153
12042010
中流
155
河道堆積物
1.6
0.7
生木
カキノキ属
3,650±30
modern
金山谷川3
IAAA-120154
12042012
中流
135
河道側壁
5
3.7
炭化材
コナラ属アカガシ亜属
6,218±27
- 53 -
5.得られた年代測定値の解釈
今回測定した年代値について以下に検討する.渓流河道付近に生育していた樹木が,斜面崩壊とそれに起因し
た土石流堆積物中に取り込まれ,堆積物の停止後に枯死・炭化した場合,得られた 14C 年代がほぼ崩壊発生年代
を示すとみなしてよいであろう.
一方,
土石流堆積物の定置後に,
堆積物の上面付近に根付いて生育した樹木が,
のちに枯死して堆積物中に炭質物として残された場合,得られた 14C 年代より,崩壊発生年代のほうが古くなる
可能性がある.後者の場合,採取した試料が根材の場合に,より可能性が高いと考えられる.また,渓流内で倒
木として枯死していた樹木を,崩壊起源の土砂が巻き込んで堆積した場合,得られた 14C 年代より崩壊発生年代
のほうが新しくなる可能性がある.今回の試料のうち,金山谷 1,若谷川 1,鳴子谷川 4 の試料が根材と同定さ
れたため,得られた 14C 年代より崩壊発生年代のほうが古くなる可能性があるが,これ以外の試料は樹木の部位
に基づく年代値の解釈は困難である.上記のような条件を考えると,同一イベント由来の年代試料であっても,
得られた年代値に数 10 年程度の誤差が生じることは避けられない.
得られた年代値のうち,いくつかの測定値は近接またはオーバーラップしている.尻剣谷川 2(6,266±27 BP)
と金山谷 3(6,218±27 BP)は,ともに 6,250 BP 程度のごく近接した値であることから,同一のイベントによっ
て崩壊が発生した可能性が高い.これに関して,那智川流域から北東に約 80km 離れた三重県宮川上流(秩父帯
の付加体堆積岩分布域)に現存するせき止め湖の形成年代が 6,250 BP とされており 2),上記の 2 渓流の値とほぼ
一致する.このことは,那智川の土石流堆積物の堆積と,宮川のせき止め湖の形成が,同一のイベントに由来す
る可能性を示唆する.その場合,紀伊山地の各地で斜面崩壊・地すべりなどを引き起こした可能性が考えられる
ことから,紀伊山地の他地域での編年を行うとともに,崩壊の誘因が豪雨か地震かに関する検討を行う必要があ
る.
このほか,(1) 陰陽谷川 1(2,692±25 BP)と若谷川 3(2,415±25)
,(2) 若谷川 1(5,762±29 BP)と若谷川 2
(5,422±27 BP)
,(3) 尻剣谷川 3(9,923±36 BP)と尻剣谷川 7(9,507±34 BP)の 3 グループも近接するが,い
ずれも 200~300 年程度のずれがあるため,同一のイベント由来かどうかは判断できない.この 3 グループはそ
れぞれ別の崩壊イベントと見なせば,過去約 13,000 年間に 13 回,3 グループをそれぞれ同じイベントと見なせ
ば,過去約 13,000 年間に 10 回の土砂供給イベントが発生したことになり,いずれも発生間隔は 1,000 年のオー
ダーとなる.ただし,1788 年以降 2011 年までに 3 回のイベントが生じていることから,1,000 年オーダーとい
う発生間隔の見積もりは,やや過小評価となっている可能性がある.この理由として,今回対象とした河道側壁
に残存する土石流堆積物は,堆積後の侵食によって失われる確率が高いことが考えられる.
近世における崩壊発生間隔を検討するに当たっては,近世以降に採掘が本格化した妙法鉱山(現在は閉山)の
鉱山開発による影響の有無を検討する必要がある.筆者らの現地調査では,金山谷川・尻剣谷川の流域に採掘坑
道・選鉱施設やズリが点在するほか,1976 年撮影の空中写真判読では,蛇ノ谷川・尻剣谷川流域に鉱山開発に
よる裸地が広がっている(2007 年以降の空中写真判読では,その裸地はほぼ森林化している)
.尻剣谷川の谷口
に堆積している 2011 年豪雨で流下した土砂の中に,褐色を呈するズリが混入していることも確認された.尻剣
谷川と金山谷川の流域では,現在も,ズリを埋積したダムが渓流に複数存在する.那智勝浦町史編さん委員会 3)
によれば,採掘されていた鉱区は上記の渓流に限らず,今回の対象地域全域よりさらに広い範囲にまたがってい
ることから,かつての採掘範囲はかなり広大であったことがわかる.広範囲にわたる採掘に伴う森林伐採・坑道
の掘削・ズリの廃棄といった人為的植生・地形改変は,森林斜面の不安定化に影響した可能性も考えられること
から,これらの影響についての検討が必要となろう.
6.歴史時代の災害記録と年代測定結果との対応
今回検討を行った土石流堆積物の発生要因について,歴史時代の災害記録に基づいて検討する.麓谷 1(62±
22 BP)と麓南谷 4(62±23 BP)は,いずれも暦年較正プログラムの適用範囲外ではあるが,1889 年十津川災害
の発生年代にほぼ一致した.
「和歌山県災害史」4)によれば,1889 年十津川災害で,那智川流域で土砂災害が起
こったとの記述はないものの,上記の 2 渓流では,集落に被害をもたらさない程度の土石流が発生したと考えら
れる.次に,150 BP 程度の年代値を示す試料が 3 渓流の 5 試料と多い(樋口南谷:150±21 BP,麓谷 5:148±
20 BP,麓谷 6:141±22 BP,麓南谷 1:133±22 BP,麓南谷 6:194±21 BP)
.この値に近い歴史災害としては,
1821 年豪雨・暴風と,1788 年豪雨の 2 つが挙げられる.
「和歌山県災害史」によると,1788 年豪雨では那智川
流域で斜面崩壊が多発し,26 名の犠牲者が出たほか,那智の滝の滝壺を巨岩が埋める被害が出たとされている
ことから,上記の 5 試料を含む土石流堆積物は,1788 年豪雨で発生した可能性が考えられる.今回の検討で少
なくとも 3 渓流で土石流が発生したことから,1788 年豪雨は,那智川流域で土石流を多発させる規模であった
- 54 -
とみなすことができ,これ以外の渓流でも発生した可能性がある.
南紀ではこのほかに,紀伊半島沖に延びる南海トラフで繰り返し発生してきた南海・東海地震をはじめ,被害
地震が多く記録されている.今回対象とした土石流堆積物が,これらの地震に起因して発生した可能性も考えら
れるため,
「最新版 日本被害地震総覧」5)に基づき,南紀で被害が発生した地震をリストアップした.その結果,
南海トラフを震源とする巨大地震としては,1944/1946 年,1854 年,1707 年,1605 年,1498 年,1360 年,1096/1099
年,887 年,684 年がある.このほかの被害地震としては,1778 年,1664 年,1529 年,1456 年,1408 年,1180
年,1038 年,938 年,922 年,734 年がある.これらの被害地震発生年代と,今回得られた年代値とを比較する
と,鳴子谷川 3(277±20 BP)が,1664 年地震(新宮・丹鶴城が一部破損)または 1707 年宝永地震(新宮で斜面
崩壊あり)に近い.1707 年宝永地震は,南海トラフの広域を震源とした巨大地震とみなされており,静岡県安
倍川源流域で発生した大谷崩や,高知県室戸市の加奈木崩れ,高松市の五剣山の岩盤崩壊など,大規模な斜面崩
壊・岩盤崩壊が発生したと考えられている 6), 7).紀伊山地における宝永地震による斜面崩壊についてはこれまで
調べられておらず,今後,よりくわしく検討する必要がある.
以上の結果をまとめて,歴史時代の主要な豪雨・地震イベントと,その時期に近い年代値が得られた試料を表
2 にまとめた.今回得られた測定値と,上記の複数の被害地震記録とは合致しないため,今回対象とした土石流
堆積物の多くは,歴代の南海トラフ巨大地震によって発生したものとは考えにくい.むしろ,1788 年や 2011 年
のような記録的豪雨によって繰り返し発生してきた可能性が高い.6,250 BP に発生した三重県宮川のせき止め湖
の成因として地震による山体崩壊が推定されているが 2),古文書記録のない時代の崩壊堆積物の規模と年代だけ
では,その発生原因が地震か豪雨かを特定することは概して困難である.そこで,堆積物の詳細な層相観察に基
づいて,土石流か岩屑なだれかの識別を試みるとともに,今後,紀伊山地から多くの崩壊堆積物を見出して編年
を行い,歴史時代の災害記録(特に歴代の南海トラフ巨大地震)との対応を検討する必要があろう.
陰陽谷川
若谷川
内の川
樋口川
平野川
鳴子谷川
尻剣谷川
金山谷川
-16000
-12000
-8000
-4000
0
2000
Calendar year BC/AD
図 3 那智川支流(8 渓流)における土石流発生時期の時空間分布.横軸は暦年,エラーバーは 2σ.
白抜きは 2011 年に土石流が発生した 8 渓流すべて.暦年較正プログラムの適用範囲外となった鳴子谷川 1(62
±22 BP)と尻剣谷川 4(62±23 BP)は,図から除外した.
- 55 -
表 2 歴史時代に発生した主な豪雨・地震イベントと,
その発生時期に近い年代値が得られた試料の一覧
イベント名称
年代
近い年代値の試料
昭和東南海/南海地震
1944/1946
なし
明治十津川豪雨
1889
鳴子谷川1,尻剣谷川4
安政東海・南海地震
1854
なし
那智川豪雨
1788
平野川1,鳴子谷川5,6,尻剣谷川1,6
宝永地震
1707
鳴子谷川3
慶長地震
1605
なし
明応地震
1498
なし
正平地震
1360
なし
永長/康和地震
1096/1099
なし
仁和地震
887
なし
白鳳地震
684
なし
7.おわりに
今回の検討結果では,少なくとも那智川の 3 つの支流で土石流が発生した 1788 年豪雨,および 2 つの支流で
土石流が発生した 1889 年豪雨の例を除くと,それぞれのイベントで土石流が多発したかどうかについては言及
できなかった.ただし,6,250BP の年代値を示す堆積物のように,紀伊半島の広域における対比を行った上で検
討すべき注目される年代値が得られた.今後,他地域との対比を進めていく必要がある.また,それぞれの土石
流の規模の見積もりも行えなかった.規模の見積もりは容易ではないが,試料採取位置における地層の厚さ,地
形的な位置(支流の源流,中流,下流,谷口の沖積錐)と河床勾配,含まれる礫の最大径などに基づいて,今後,
検討を進めていく必要がある.
参考文献:
1) 吉永秀一郎・小岩直人(1996)森林山地における更新世末期から完新世初頭にかけての地形変化.地形,17,pp. 285-307.
2) 植木岳雪・永田秀尚・小嶋 智・沼本晋也・飯島文男(2011)紀伊半島中部,宮川上流域における山体崩壊の発生時期と発生頻度:せき止
め湖堆積物を用いて.日本第四紀学会講演要旨集,41,pp. 44-45.
3) 和歌山県那智勝浦町史編さん委員会(1980)那智勝浦町史,pp. 255-262.
4) 和歌山県編(1963)和歌山県災害史,和歌山県,582p.
5) 宇佐美龍夫(2003)最新版 日本被害地震総覧.東京大学出版会,605p.
6) 中村浩之・土屋 智・井上公夫・石川芳治(2000)地震砂防.古今書院,190p.
7) 四国山地砂防事務所(2004)四国山地の土砂災害.国土交通省四国地方整備局四国山地砂防事務所,68p.
- 56 -
中国三峡ダム貯水池地区で発生した大規模湛水地すべりの現地調査
蒋 景彩1 徐 光黎2
1
徳島大学,2中国地質大学
1.まえがき
中国揚子江流域の中流地域に高さ 181m,堤頂長 2309.5m の世界最大級の三峡ダムが建設された。湛
水はダムの施工段階に合わせて,3 段階に分けて徐々に実施された。最初の湛水は 2003 年 6 月に実施さ
れ,水位が標高 95m から 135m に上昇した。2 回目は,2006 年に行われ,水位 135m から 156m を上
昇させた。3 回目の湛水は 2009 年に実施され,水位上
昇は最高の 175m にまで達した。その後,洪水調整と
発電機能,農業用水調達などによってダム湖の水位変
動幅は 40m 以上にも上る。ダム湖湛水・放水に伴う水
位変動によりダム湖周辺に多数の大規模な地すべりが
発生した 1)。著者らは,これらの地すべりの特徴を把
握すべく,三峡ダム湖周辺域で発生した大規模湛水地
すべり:千将坪地すべり(中国湖北省,秭帰県)およ
び黄土坡地すべり(同,巴東県)の現地調査を実施し
た。本稿はこれら二つの地すべりについて報告する。
写真-1 千将坪地すべり全景
2.千将坪地すべり(中国湖北省,秭帰県)
三峡ダム最初の湛水は 2003 年 6 月 1 日に開始し,
数週間かけて,
ダム上流水位を標高 95m から 135m に
上昇させた。この貯水位上昇に伴って,貯水池周辺の
斜面変動が活発化し,
湛水後約一カ月の 7 月 13 日に揚
子江の支流青乾河千将坪地区で大規模な地すべりが発
生した。写真-1-2 は地すべり発生直後の様子(2003 年
7 月 22 日)
を示しているが,
写真-3 は今回調査時(2010
写真-2 崩壊土砂による河道の堰き止め
年 9 月 23 日)の状況である。
この地すべりは三峡ダムから約 44km 離れた揚子江
の支流青乾河の左岸で発生している。地すべりブロッ
ク幅 1,000m,長さ 1,150m,崩壊土砂量 1,500 万 m3
に及ぶ大規模なものであった。すべり土塊は予想以上
に高速(最大移動速度 16m/s)長距離移動し,崩壊土
砂は青乾河までに突入し,最大で 24.5m の津波を誘発
すると共に,300m にわたって河道を堰き止めた。こ
の地すべりによる死者は 15 名,行方不明者 9 名,民家
129 軒と複数の工場建物は破壊された 1)。
千将坪地すべりの平面地質図を図-1 に示し,断面図
写真-3 千将坪地すべり全景
(2010 年 9 月 23 日撮影)
Field investigation on the two large landslides in the Three Gorges Dam Reservoir area, China
J.-C. Jiang (The University of Tokushima) and G. L. Xu (China University of Geosciences)
- 57 -
を図-2 に示す。地すべりは全体的に馬蹄形を呈している。周辺地質は砂岩,泥岩と頁岩からなっており,
泥岩と頁岩はすべり土塊の底部に分布している。当該地すべり土は典型的な流れ盤構造を持ち,地層の
走向は NE40,傾斜は約 20-30(滑落崖付近は 30,末端部は 18-20,図-2 を参照)である。地すべり
土塊はほぼ完全に土砂化しており(写真-4)
,その中にブロック状の岩石が混じっている。
1 第4紀残積土 2 第4紀すべり 3 紫色泥岩・灰色頁岩等
4 塊石混じり土
5 土混じり塊石
6 すべり土塊
7 基盤と第4紀境界線
8 すべり土塊内区分
9 すべり土塊境界線 10 クラック
標高(m)
標高(m)
図-1 千将坪地すべりの平面地質図 2)
図-2 千将坪地すべりの断面図 2)
- 58 -
(a)崩壊直後(2003 年 7 月 22 日)
(b) 調査時(2010 年 9 月 23 日)
写真-4 千将坪地すべり土塊内の様子
(a)崩壊直後(2003 年 7 月 22 日)
(b) 調査時(2010 年 9 月 23 日)
写真-5 千将坪地すべりのすべり面
すべり面の様子を写真-5 に示す。泥岩の層理面に沿ってすべり面が形成され,すべり面には鏡肌面が
形成されている。地すべり発生直後は,すべり方向と斜交している構造運動による擦痕が観察されてい
る 3)。千将坪地すべりは古い地すべりの再滑動によるものと思われる。
千将坪地すべり発生の直接的な原因は,
ダム湖の湛水により水没した斜面下部すべ
り土塊内の地下水位の上昇による土のせん
断抵抗の低下および浮力の増大である。当
該地すべりの発生素因は,斜面の特殊地形
と流れ盤の地質構造などが挙げられる。す
べり斜面の南西側(図-1 を参照)は傾斜角
が 60を超える急崖になっており(写真-6),
周辺地盤からの拘束が弱いと考えられる。
それ以外にも斜面頭部での水田農作による
水の供給や斜面末端部の煉瓦工場による土
砂の掘削等が地すべりの発生原因として考
えられる。
写真-6 すべり土塊南西部にある急崖
- 59 -
3.黄土坡地すべり(中国湖北省,巴東県)
黄土坡地すべりは 2006 年に行われた 2 回目の湛水期間中に発生した。2 回目の湛水は水位 135m から
156m を上昇させた。黄土坡地すべりは揚子江上流の湖北省巴東県の県庁所在地で発生しており,すべ
り土塊の上に多くの建物が建造されている(写真-7)
。住民はすべり土塊以外の安全の場所への移住を強
いられている。
写真-7 黄土坡地すべり全景(揚子江右岸から望む)
黄土坡地すべりは古い地すべりである。
地すべりブロック幅は 400-500m,長さは
1,100m,
土塊の厚さは 35m に達している。
地すべり全体の面積は約 44 万 m2,すべり
土塊の体積は1,540 万m3 にも上っている。
黄土坡地すべりの平面図を図-3 に示し,断
面図を図-4 に示す。すべり土塊は 4 つの大
きなすべりブロックから構成されている。
当該地すべりの動態観測によると,ダム水
位が 135m に達した 2003 年 6 月頃から
3-4cm/年の変位が観測されている 4)。
地すべり周辺の地形は傾斜角度約 25の
相対的緩い斜面となっている。地質は三畳
紀の地層であり,主な岩種は泥岩,泥質砂
岩および泥質石灰岩である 5)。すべり土塊
の中央に調査トンネルを掘削し,地質調査
図-3 黄土坡地すべりの平面図 4)
とすべり面の特定を行っている。写真-8 は
- 60 -
1 すべり帯 2 弱層 3 強風化岩 4 弱風化岩 5 岩塊 6 粘土混じり砕石
7 泥質石灰岩 8 泥岩+石灰岩 9 石灰岩 10 ボーリング 11 地下水位線
(a) 図-3 の I-I 断面
1 すべり帯 2 弱層 3 強風化岩 4 弱風化岩 5 岩塊 6 粘土混じり砕石
7 泥質石灰岩 8 泥岩+石灰岩 9 石灰岩 10 ボーリング 11 地下水位線
(b) 図-3 の III-III 断面
図-4 黄土坡地すべりの断面図 4)
調査トンネルで観察されたすべり面近くの地層を示したものである。すべり面付近の岩石が褐色になっ
ており,ほぼ土砂化していることがわかる。調査トンネルから採取したすべり面のサンプルを写真-9 に
示す。この写真からわかるように,すべり面は完全に粘土化しており,明瞭な擦痕が観察されている。
黄土坡地すべりの詳細については当日発表する。
- 61 -
写真-8 調査トンネルにおけるすべり面付近の様子
写真-9 すべり面から採集したサンプル(地すべり粘土)
参考文献
1) 肖 詩栄:三峡ダム湖における千将坪地すべりの機構及び崩壊予測判定基準に関する研究,武漢大
学博士論文,2007 年 11 月.
(中国語)
2) 楊 海平,王 金生:揚子江三峡ダム湖における千将坪地すべりの地質特徴と発生原因分析,応用
,第 17 巻,第 2 号,pp. 233-238,2009. (中国語)
地質学報(Journal of Engineering Geology)
3) 肖 詩栄,劉 徳富,胡 志宇:三峡ダム湖における千将坪地すべりの高速滑動機構に関する研究,
,第31巻,第11号,pp. 3531-3536,2010. (中国語)
岩土力学(Journal of Rock and Soil Mechanics)
4) 陳 松:三峡ダム湖における地すべりの変形過程の数値シミュレーションに関する研究,中国地質大
学博士論文,2008年3月.
(中国語)
5) 高 秀君,大久保 誠介,福井 勝則,金田 博彰:三峡ダム貯水池周辺の地すべりと構成岩石の特
性に関する調査結果,資源と素材,Vol.122,pp. 26-34. 2006.
- 62 -
平成25年自然災害フォーラム論文,2013年3月
高知の藩政期の水防災対策の再評価
○松尾裕治1・濵井宣明2・中野晋3
Yuji MATSUO,Nobuaki HAMAI,and Susumu NAKANO
1(一財)日本建設情報総合センター 2徳島大学大学院先端科学技術教育部博士後期課程
3徳島大学環境防災研究センター
1. はじめに
近年,全国各地で発生している災害などから,ハードの対策だけではなく,ソフトの対策の重要性が云
われている.今日の水防災を考える上では,ハードの対策と合わせ,ソフトの水防体制の充実が重要と
なっている.
我が国で古くから行われていた水防は,地域の特性に応じ,経験則の積み重ねの中から生まれ,自衛の
ための知恵が様々な形で,村落等を中心とする自治組織に伝承されてきた.いま,近代的な合理化思想の
中で水防のローテク技術は消えつつある.それでも地域は地域が守るという水防理念は,現在の自治的水
防組織(消防団等)が主体となった水防活動に生きている.筆者は,このことを裏付ける貴重な藩政期の
高知の水防に関する各種資料を,郷土史家などの協力を得て収集することができた.
本研究では,収集した藩政時代の高知の絵図,洪水記録,水防関連古文書等をもとに,高知城下町の
ハード水防災対策と水防に着目し,現地調査や補足調査を行った結果から,藩政期と今日の水防災を比較
し再評価するとともに,今後の水防災の取り組み視点について提案する.
2.藩政期の高知の水防災
(1)高知城下町の概要
山内一豊が入国した当時,高知は「河中」と呼ばれ,鏡川と江ノ口川に挟まれた 2 つの河の中に開けた
土地であった.このため土佐藩は,高知城下を洪水から守るため,堀や堤防の整備と水防の充実を図って
きた.
高知城下町の水害対策は,現在の航空写真,写真1で示すように,高知城の周辺に家臣を集め住まわせ
た郭中を中心とし,郭中の西に接して武家奉公人と町人の雑居の上町と郭中の東に接する商人と手工業者
の居住地の下町を対象としていた.土佐藩は,高知城下町の水害を軽減するために,城下町を始め近郷近
在に多数の堤防や堀・水路を設けた.特に北川(江の口川)と南川(鏡川)に挟まれた高知城下町の堀・
水路や堤防は,正保城絵図1)(1644~47年)や図1の明治39年及び40年測図之縮図2)などで概略,確認する
ことができる.
高 知
江の口川
雑魚場
唐人町
土居町
鏡川
郭中堰
写真-1 高知城下町の概略位置を示した写真
潮江山
図-1 高知城下の名残が残る地形図2)(一部上書)
以降,各種文献に登場する地名を現在の場所に特定するにあたっては,現地調査や住宅地図3) ,高知市
(2012)による『描かれた高知市 高知市史 絵図地図編』4) ,平凡社(1983)による『高知県の地名』5) ,
原田・他(1972)による『土佐国高知城下町絵図』6)を用いる.
Reevaluation of Flood fighting projects of hansei period in kochi
Yuji MATSUO(Japan Construction Information Center),Nobuaki HAMAI(The University of Tokushima)and
Susumu NAKANO(The University of Tokushima, Research Center for Management)
- 63 -
(2)藩政期のハード水防災対策
①高知城下町の川・堀
江戸時代には,幕府が諸藩に命じて正保元年(1644 年)に作成させた正保城絵図がある.この高知城下町
絵図には,城郭内の建造物,石垣の高さ,堀の幅や水深,堤の高さなどが詳細に記載されている.
その正保城絵図 1)から調べた高知城下町の川・堀と深さは,図-2 に示すように,鏡川の広い河川敷や川
原を除いた川幅(現在でいう低水路)は,20 間(38m)~38 間(73m),深さは 4 尺 5 寸(1.4m)~2 尺
(0.6m),江の口川の川幅・深さは、上流の常通寺橋 11 間(21m)・1 尺(0.3m),山田橋 22 間
(42m)・6 尺(1.8m)と下流に行くほど大きくなっている.また,西の外堀は,幅 8 間(15m)深さ 5 尺
(1.5m)となっている.この外堀は,城の防御と上町に浸入した洪水を郭中に入れる事なく江の口川に排
水する役目を持っていた.さらに東の外堀は、幅 10 間(19m)深さ 2 尺(0.6m)で,下町の竪掘,堀川に
つながっており,絵図には「満潮には小舟の出入りあり」「干潮水なし」とあり,感潮の影響を受けてい
たことがわかる.
②高知城下町の堤防
図-3 に高知城下町の正保城絵図 1)から調べた堤防高を,また,明治 39 年及び 40 年測図之縮図(図-4)
に高知城下周辺の堤防整備状況を示す.
図-3,図-4 から土佐藩は,高知城下町の建設に取り組むに当たって,洪水対策として城下町の周辺に高
い堤防(鏡川北岸の郭中で1間 3 尺(2.8m)高さの堤防)を築き,近郷近在の河川に霞堤や水越(越流堤)を
建設,内陸の平地には多くの中堤(水張堤)を設けて,重要な城下町の水害の軽減を図っていたことがわか
る。
図-4に示すように,高知城下の東側や北側の平地に流れ込む大きな川,国分川や舟入川には、霞堤や水
越(越流堤)を設けて,上流部で氾濫させて下流部での氾濫量を抑える工夫がされている.また人家と田
畑の境などに,中堤または水張堤と呼ばれ,氾濫後もその堤の高さまで水を張り,重要な場所を洪水や高
潮から守る堤防が築かれている.その他にも建設時期は不明であるが,図-4のように城下東方および北方に
は中堤,水越,霞堤が多く建設されている.
国分川の洪水をそのまま河口付近に流せば,鏡川の水位は上がり高知城下は大きく浸水する.高知城下
の水害をできるだけ少なくするためには,国分川の洪水を大津・高須の広い地域に流し込み,遊水地とす
る必要があったと考えられる.
大洪水のたびごとに下知から布師田・大津・介良の山麓にかけ,一面の泥海となるのは,すべて,高知
城下の水害から守るために,国分川や舟入川の水越(越流堤)や霞堤、周辺の中堤(水張堤)を設けたこと
からきている.当時は,毎年のように起こる程度の出水に対しては,堤防によりこれを防ぎ,大洪水はむ
しろ堤防を越水させ,遊水池により被害を少なく抑える「伊奈流」関東流と呼ばれる越流堤を設ける治水
方式が取られていたことがわかる.その名残が残る国分川,舟入川の周辺低平地の現在の様子を示した航
空写真-2である.
また,13年前の平成10年9月25日8)には,写真-3のように,98高知大水害と呼ばれた水害で,国分川,舟
入川の多くの周辺低平地を中心に大きな浸水被害を被った.「河中」(こうち)の地名の由縁を忘れた水
害ともいえ、自然界からすれば起こるべくして起こった災害といえる.
このように土佐藩は,高知城下町を洪水から守るために近隣近在に,犠牲を強いた水防災対策を実施し
ていたことがわかる.現在でもその象徴として,重要な場所を守るために築かれ,中堤,現在でいう2線
堤が,現在でも,写真-4,5のように田辺島や今土居などの現地に一部残っている.
図-2 高知城下町の川・堀と深さ(正保城絵図より)7)
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霞堤
水越
丹宮
国領
尾 目地
水越
舟入川
中堤
高須
宝永 堤
小高坂
田辺島
長崎中 堤
源兵 衛
水越
中堤
出 分中堤
紅水川
国分川
中堤
比島 中 堤
江の口中堤
今土居中堤
霞
菱池喩
久万川
霞堤
図-3 高知城下町の堤防の高さ(正保城絵図より)7)
霞堤
水越(越流堤)
中堤(水張堤)
図-4 藩政期の中堤・水越・霞堤の整備状況7)
※基盤図には、国土地理院:高知,2万5千分の1地形図(明治39年及び40年測図之縮図昭和8年修正測図)を使用
物部川
JR 大津駅
丹宮
江村
布師田
今土居
菱池喩
高知城
鹿児山
大津
田辺島
高須
源兵衛
田 辺島
国分川
大津バ イパス
国分川
久万川
介良
舟入川
高須
大津 バイパス
下知
江 の口
久万川
高知城下
写真-2 洪水を氾濫させる遊水地となっていた国分川、舟入川
周辺低平地の現在の様子
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写真-3 平成10年9月高知水害時の
国分川、舟入川周辺低平地
の浸水被害の様子8)
写真-4 現在も残る田辺島中堤の様子
写真-5 JR大津駅近くに残る今土居中堤の様子
(3)藩政期のソフト水防災対策(水防体制)
土佐藩は堤防を築き堀川を設けるとともに,洪水時の警戒体制を整えていた.鏡川北岸を始め江の口川
の南岸,郭中,上町,下町に至るまで,各人銘々の受け持ち区域を定め水防体制を取っていたと思われる
が,鏡川北岸の大堤以外の水防体制の記録は,ほとんどない.当時も水防の第一は堤防の決壊を防ぐこと,
洪水の侵入を防ぐこと,浸水した家屋から居住者を救出することなどであったと考えられる.
ここでは,記録が残っている鏡川北岸に関する水防資料等から,水防災の8つのキーワードに区分し,以
下にソフト水防災対策の内容を示す.
表-1 享保7年(1722年)の丁場の定め(皆山集)
①水丁場(みずちょうば)
丁場
責任者名等
組体制
丁場の範囲(丁場の境界)
各種普請の担当区域は丁場と呼ばれ,洪水対策
名
9)
組
頭
、
普
請
一
人
、
上の持ち場は,古文書 では丁場または水場・水丁
但し、この丁場思案橋より南東折
一番
一ノ明組
郷士二人、水道町
廻り通町五丁目堤中程印杭迄、
夫三十人
場(みずちょうば)などと記されている.水丁場
但し、この丁場通町五丁目堤中程
組頭、右同、通町
制度は寛文12年(1672年)に始まる,と御当家年
二番
二ノ明組
印杭より南奉公人町四丁御道具藏
夫三十人
裏印杭迄、
表などにあることから現在はこれが通説となって
但し、この丁場四丁目印杭より二
いる.寛文12年(1672年)の「洪水の節惣構堤請
組頭、右同、本丁
丁目越戸東堤印杭迄、一、二、三
三番
深尾兵部
の丁場三組分四丁目御蔵、郷士一
夫三十人
取丁場覚」9)によると全丁場が長さ141間(269.3m)
人、
組頭、右同、堺町
但し、二丁目印杭より一丁目堤中
で統一され,11分割されている.この時に五ノ丁
四番
山内隼人
夫三十人
程印杭迄、
場が無くなったと推察される.
但し、南奉公人町一丁目印杭より
東、御馬場西印杭迄、四、六、八
組頭、右同、蓮池
鏡川北岸堤防(大堤)の丁場以外では,十二ノ
六番
深尾木工
町夫三十人
の丁場三組分南片町御蔵、郷士一
人、
丁場の東雑魚場越戸の西から東の堤防の警戒,上
但し、御馬場西の印杭より東、違
組
頭
、
右
同
、
浦
戸
町・郭中・下町の江の口川堤の警戒、新町東の堤
七番
桐間将監
堤の印杭迄、七の丁場御馬場蔵、
町夫三十人
郷士一人
(宝永堤)の警戒,郭中への東西から洪水の侵入
組頭、右同、細工
但し、違堤印杭より東、南片町印
八番
山内左衛門
を防ぐ作業,水位の上がった堀川よりの下町に侵
町夫三十人
杭迄、
組頭、右同、新市
但し、関某前堤印杭より葛目某前
九番
柴田織部
入する洪水を防ぐ作業,浸水をした人家に取り残
町夫三十人
印杭迄、
組頭、右同、掛川
但し、葛目某前堤印杭より掛川町
された人々を救助する作業,上町の洪水対策など
十番
福岡内記
町夫三十人
越戸東印杭迄、
があり,これらはすべて丁場として,担当者が定
十一
山内喜左衛
組頭、右同、朝倉
但し、掛川町の越戸の東印杭より
番
門
町夫三十人
振買役所の裏堤印杭迄、
められていたと推測される.
但し、振買役所裏堤印杭より雑喉
9)
場越戸西印杭迄、九、十、十一、
皆山集 には,寛文から50年後の享保7年(1722
十二の丁場四組分掛川町御蔵、郷
十二
組
頭
、
右
同
、
種
崎
年)の丁場の定めがあり,寛文の丁場覚より詳し
五藤主計
士一人、掛川町御用意藏 普請方
番
町夫三十人
二人。真如寺橋越戸揃 新町夫三
く記されている.この定め(表-1)では,各組には組
十人。雑喉場御町方 甘代町夫三
十人。
頭,普請役1人,普請方の郷士2人,庄屋付き添い
の町夫30人が所属していたこと,および丁場用具
の収納御蔵,丁場の境界についても明らか
にしている.また,町夫の集合場所が,図5の ○ 印に示されているように,最上流の観
音堂から最下流の弘岡町東越戸まで,11箇
所,各丁場の別に定められていたことがわ
かる.
これより後,明治時代になって,明治政
府は,明治2年に観音堂から雑魚場までの鏡
川左岸堤防を六に分割(一ノ丁場から六ノ
丁場)して,藩政時代と同じ水防方式を
取っていたことがわかっている.
最上流の集合場所であった観音堂は,改
図-5 高知城下の丁場の境界と集合場所7)(一部上書)
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築されているものの現在も写真-6のように旧堤防沿いに残っている.
ぶん ぎ
天神橋
②分 木(量水標)
土佐藩は水防体制を取る上での指標として,真如寺橋(現天神
橋)川岸(写真-7)などに分木を設置して水位の測定をしていた.
享保7年(1722年)の分木図(図-6) 9)によると,
高さが1丈(約3m)で,地上より1尺(約30cm)毎
に大きなキザ(線)を,その中間にキザ(線)
を彫り,更に○△□の印を刻んだ量水標である。
また,「○印の上の7尺の線は惣出,6尺は奉
写真-6 観音堂と旧堤防の様子
行出場,5尺は仕置役,目付役出場,3尺は町奉
7尺
行,普請奉行出場,2尺は水場役出動」とあり,
分木を設置し
水位を測定し
6尺
洪水時には,時々刻々水位を測り水位の上昇す
た推定される
るに従い,下級役人から次々に上級役人の出動
5尺
を命じ最後には官民全員の総出動を行っていた
と考えられる.
3尺
以上から,藩政期には,洪水時に出動を要す
2尺
る水位をあらかじめ定め,現在にも通ずる洪水
鏡川
警戒体制が取られていたことがわかる.
③洪水警戒体制
その後,洪水の警戒体制は,○,△,□の3段
階から○,×,△,□の4段階の体制に変わって
図-6 享保の分木図 写真-7 現在の天神橋の様子
いる.
図-7に示す寛政7年(1795年)の分木の図に,
その4段階の洪水警戒体制の具体的な連絡・
出動内容が,記されている.それによると役
人の警戒体制は,洪水が分木の2尺の水位に
達すれば,まず御徒目付と水場役人の出勤と
なり,3尺では御普請奉行の出勤,4尺となれ
ば御仕置中と御目付中へ御郡方と御徒目付の
2ルートからの注進で万全を期している.5尺
では御仕置中と御目付中の出勤,6尺の線に
達すれば御奉行の出勤となっている.
また,本町(現在の本町2丁目)に屋敷が
あった,目付,森勘左衛門芳材の日記 9) には,
「享保元年五月二十五日(1716年7月5日)昨
夜以来大雨,四つ半頃三角の上大キザへ水来
たり候由注進あり,程無く出勤キザへ来たり
候と申し越す故出る.出来に水増し,九つ過
ぎ惣出の貝立て候様内蔵介殿より申し付け,
御目付より作配これ有り」とあり,図-7に示
すように,1716年7月5日,森氏は,午前10時
図-7 寛政7年(1795年)分木の図(森氏日記を加筆)
半頃に洪水位が4尺に達したとの通報を受け
たのち,間もなく目付出場の5尺の線に来た
との通知があり直ちに出勤,その後も洪水は増水し○印に達したので,奉行は12時過ぎに惣出を命じ,法
螺貝を吹き鳴らし,先に示した武士,町人の担当者全員に出動を命じていることになる.
このように役人も町人も分木の水位に従って待機や出動をしていたことは,現在の高知県水防計画書10)
における鏡川の水防団の待機・準備・出動等の発表基準(表-2)と,ほぼ同じように,段階的,洪水警戒体
制が取られていたということを示している.
表-2 高知県水防計画書における鏡川の水防団の待機・準備・出動等の発表基準
河川名
鏡 川
基準水位
観測所
待 機
準 備
出 動
情 報
築屋敷
はん濫注意水位3.80m
以上に達すると思われ
る時(水防指令1号相
当)
水防団待機水位2.80 mに
達し、なお上昇のおそれ
がある(水防指令2号相
当)
はん濫注意水位3.80 mに
達し、なお上昇のおそれ
がある時(水防指令3号
相当)
出水状況、河
川状況など
を適宜提供
する
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解 除
水防作業を
必要としな
くなったと
き
また,この図-7から,この時の鏡川の洪水は,1時間に50cm程度の水位上昇があったことがわかる。
このようなことから,○印の水位は,鏡川の水防を行う基準を示すもので,表-2の水防団の出動を命じ
る,現在の「はん濫注意水位」のようなものであったと考えられる.
④丁場守(水位観測人)
藩政時代も,非常時に人を集める方法など様々なことを定めていた.天和3年(1683年)には,惣出の合
図に法螺貝を吹き鳴らすように定められ,洪水は貝,火事は鐘太鼓と区別された.宝永4年(1707年)の覚
9)
には,惣出となる前に丁場に詰めていた御普請方の役人は堤防が危なくなった場合には,貝を吹くこと,
この時,諸組の居合わせた者は丁場に出ることは従来通りとある.また,人手不足で危なくなった堤防に
は東西南北の火消人夫の内二組が緊急の応援に出ることも定められている.
また,享保11年(1725年)等には,惣出の場合に家中の婦女子の城内への避難を許可し,門番には昼夜
の別なく門内に入れるように命じている.さらに小組頭や組頭の下には,丁場守が置かれ,丁場守の覚は,
降雨の状態を考えて丁場に行き洪水の状況により分木を設置し,大組小組頭や組頭に注進せよとある.先
述の常設の分木以外に洪水時のみに分木を建てていた丁場があったことがわかる.丁場守は,一つの丁場
に四人おかれ二人あての半年交代であったとされている.丁場守は,現在の水位観測人に相当する.
以上の様々な定めは,行政の災害時の職員の役割分担や動員方法等を定めている今日の防災業務計画に
あたるものであったと考えられる.
⑤救助船
土佐藩は城下の洪水に備えて各町に救助船を割り当て,洪水時には町々を乗り廻しすべての人を安全な
場所に運ぶことを指示していた.その記録,天明 8 年(1788 年)の覚 9)などに,家老用として御手船・漁船
7 艘,御侍用として9艘の舟の割り当てや,時代は不明だが,大堤(鏡川北岸堤防)の各丁場には艀二艘
宛,菜円場船賦所で渡すとの記録.町方には鰈舟・かんぞう舟・網舟・棚付舟取り混ぜて,通町 7 艘・水
道町 8 艘・本庁 6 艘・浦戸町 8 艘・朝倉町 9 艘・蓮池町 10 艘・堺町 4 艘・新市町 8 艘・種崎町 6 艘・掛川
町 4 艘・細工町 3 艘・甘代町 7 艘・新町 11 艘・農人町 10 艘と多数の舟が割り当てられていた記録があ
る.郭中だけでなく上町下町も含めた高知城下町の浸水対策として、救援活動のための救助船(避難船)が
配置され,現在でいう人の命を守る危機管理策を備えていたことがわかる.
⑥御道具蔵(水防倉庫)
表-3 今日と藩政時代の水防用具の比較
各丁場で使う諸道具は,享保7年(1722年)
水防用資材器具備蓄基準
御道具蔵水防用具
9)
今日と藩政時代の用具比較の考察
の定め では4カ所の御道具蔵に保管され各
資材・基材の名称
の名称と数量
①明俵は中身が空になった俵のこと
①明俵(あき‐だわ
郷士一人が管理していたとある.そのうち, 1)大型土のう
で、現在の土のう袋に相当する、土の
ら) 100俵、
2)土嚢
東の外堀と大堤の間の道脇にあった.掛川
う袋より大きく米60kgが入る。
②縄5束、
3)縄・ロープ類
②昔も今も縄は水防に必要である。
4)むしろ
町の御道具蔵に保管されていた十二ノ丁場
③杭は、大きさや材質まで明記してい
5)ビニールシート
③杭50本、
ないが、人力で作業ができる大きさの
6 ) 杉 丸 太 ( 小 口
の水防用具は次の17種類であった.
杉丸太でなかったと思われる。
10cm5m)
【鉄突5本,唐鍬3挺,鎌5枚,田鍬7挺,切
④、⑤は、夜の水防活動のため、水防
7 ) 杉 丸 太 ( 小 口
拠点などの 灯の燃料で、現在の大型
斧1枚,柄鎌4挺,鋤3挺,明俵100俵,縄5束, 10cm4m)
照明灯に相当するものであったと思わ
8 ) 杉 丸 太 ( 小 口
れる。
10cm2m)
砂取桶5,薪20把,明松187又は112丁,指合
⑥明松は、たいまつのことであり、現
9)杉丸太(小口6cm)
棒20本,持籠50挺,割松5把,懸矢5挺,杭
在の懐中電 灯に相当する。
10)鉄杭 鉄筋
⑦砂取桶(すなとりおけ)は、砂を桶
11)番線
50本,〆17廉.】他の丁場の水防用具も,
12)板類
ですくって 土のうに入れるためなど
④
薪
(
た
き
ぎ
)
20把
、
13)大型照明灯
に使われたと思われる。
これとほぼ同じであったと推測される.
⑤割松(わりまつ)5把
14)懐中電灯
⑧唐鍬は、長方形の鉄板の一端に刃を
⑥
明
松
(
あ
か
し
ま
つ
)
また寛政八年(1796年)の五藤家文書の丁場
15)はしご
つけ、他の端に木の柄をはめたもの。
187、112丁、
16)バケツ
開墾や根切りに使う。
の図には,越戸の東西の堤防の上に「用意
⑦砂取桶5、
⑨は田を耕す、くわであり水防に使用
17)スコップ
された。
18)鍬(くわ)
の土置く所」とあり,明俵(土のう)に詰
⑧唐鍬(とう‐ぐわ)
19)鶴嘴(つるはし)
⑩鋤(すき)は竹で編んだ鋤簾(じょ
3挺、⑨田鍬7挺、
める土砂は惣出に際して運ぶのではなく常
れん)のことで、土砂などをかき寄せ
20)鋤簾(じょれん)
⑩鋤3挺、
21)鎌(かま)
るため使用した。
⑪鎌(かま)5枚、
に越戸付近に保管されていたと思われ,現
22)鋸(のこ)
⑪鎌(かま)は、縄などを切るためな
どに使用、
23)柄鎌・鉈
在の水防の土砂を保管している堤防側帯の
⑫柄鎌(えがま)4挺、
⑫柄鎌(えがま)は、木杭の先を整え
24)斧(おの)
⑬切斧(きりおの)1
ようにものを備えていたと推察される.
25)鳶口(とびぐち)
るために木を切る長い柄(え)の付い
枚、
26)掛矢(かけや)・ハ
た鎌(かま)である。
藩政期の水防用具がどのように変化し活
ンマー類
⑬切斧(きりおの)は、杉丸太などを
⑭懸矢(かけや)5挺、
27)胴突き たこ槌
切ったり、割ったり、削ったりして杭
かされているのかを見るため,御道具蔵の
⑮鉄突
28)しょうれん 梃子棒
を作るためなどに使用用された。
10 )
(金づち)5本、
水防用具と高知県の水防計画書 の水防用
29 ) ペ ン チ 番 線 カ ッ
⑭懸矢(かけや)や⑮鉄突(金づち)
ター
は、現在でも水防でくい打ちなどで使
資材器具備蓄基準とを比較し,考察したも
30)荷車・一輪車
用している。
⑯ 持 籠 ( も っ こ ) 50
31)にない棒
⑯持籠(もっこ)に石などを人れ天秤
挺、
のを表-3に示す.
32)救命胴衣
棒で担いで運んだ。現在は一輪車に
⑰指合棒(さしあいぼ
その結果,当時の17種類の水防用具は,
33)発動発電機
なっている。
う)20本、
34)チェーンソー
⑰指合棒(さしあいぼう)いわゆる天
俵が土のうに,明松(あかしまつ)が懐中
(※救助船)
35)船
秤棒に持籠 を引掛けて石などを運ん
だ。
電灯などになっている.このように用具の
進化により.名称は変わっているものの,総じて当時の水防用具は,現在に継承されていることがわかっ
た.また藩政当時に救援活動のための救助船も現在の水防用具に舟として明記されていることがわかる.
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⑦水防指揮所(出張幟、出張灯燈)
水防の際には,家老は現地の商家などに本陣(水防指揮所)を構えて水防の指揮を執り,町夫は,庄屋引
率の元に出夫していた.また,江戸時代の町夫の多くは文盲であったために,水火の時には,集合地点に
字ではなく絵の描く幟(夜は灯燈)を用いていたという記録が,皆山集9)の水火事変の節出張幟図にある.
幟には各町に関連のある絵が描かれていたので,文字を読めない人々は自分の町の絵を見て幟(のぼり)
の元に集合をしていたという.
現在の現地災害対策部であり,現地での即行指示により水防にあたっていたことがわかる.
⑧境界石柱(水防分担)
水丁場(みずちょうば)には,享保(1716~1736)年間の頃までは,水丁場の境界を示す印の杭が建てら
れていたが,その後,いつの時代か杭は石柱に建て替えられた.水丁場の境界は幕末,明治初頭に変更さ
れているが、境界の石柱はそのままにしていたらしく,明治以降の堤防工事などにより多くは取り除かれ
散逸したものの,現在も鏡川の旧堤防上などに一部が残っている.
高知市鷹匠町2丁目、柳原橋西の忠霊塔がある鏡川北岸の現地には,写真-8のように標柱案内板が設置さ
れ,「江戸時代,鏡川流域の洪水による災害を防ぐために設けられた受け持ち区域の境界を示す標柱であ
る」ことなどが記されている.石柱には,「従是西六丁場、従是東七ノ丁場」と刻まれ,この写真の石柱
は,六と七丁場の境界石柱であったことがわかる.現在では,受け持ち区域を決めた水防は行なわれてい
ないが,重要水防区域は,水防計画書などに記載され公表されている.
写真-8 鏡川北岸の柳原橋西にある案内板と六と七ノ丁場の刻字がある境界石柱
3.鏡川の藩政期の洪水
(1)藩政期の鏡川の洪水パターン
鏡川の洪水は,海抜高度ゼロメートル地帯から始まり,下流の下知地区が浸水,次いで横堀以東の下町
が浸水する.同時に,勾配が緩く水勢の弱い神田川などは滞水,増水が続けば洪水は鏡川南岸の低い堤防
を越え河ノ瀬や神田地区は一面の海
となる.さらに増水が続けば鏡川左
岸堤防南の唐人町の浸水が始まり,
国分川
舟入川
洪水は下町から郭中に入り,大洪水
となれば鏡川左岸堤防も危険な状態
吸江湾
下知地区
になる.このような状態になった時,
対岸の鏡川右岸堤防が決壊すること
横堀以東の下町
潮江地区
により,潮江地区に大量の水が流れ
江の口川
込み洪水は終息する.これが藩政時
唐人町
郭中
潮江堤防
代の一般的な鏡川大洪水のパターン
高知城
であった.鏡川中央に上流から撮影
した航空写真に,当時の地名の場所
を概略示したものが写真-9である.
この写真からも,今も,すり鉢状
に西から東から吸江湾に流入する河
川の洪水によって,河口水位(潮
神田川
位)の影響を受け,洪水被害を受け
鏡川
河ノ瀬地区
やすい地形がわかる.
写真-9 藩政期の鏡川洪水パターンイメージの航空写真
- 69 -
(2)鏡川右岸堤防の決壊記録
古文書 9) に残る藩政時代の鏡川右岸(潮江)堤防は,表-4のように,寛文1年(1661年)から安政4年
(1857年)の約200年間に17回の決壊記録が残っている.単純には12年に1回程度,決壊していたことにな
る.決壊場所は天神の森井流(水門)付近から役
表-4 古文書に残る藩政時代の潮江堤防の決壊記録
知にかけての堤防の決壊が多くなっている.潮江
決壊年月日
決壊記録の表現
堤防が決壊すれば「堤切れ水潮江へ押し込み申す
決壊場所
切れ
和 暦
西 暦
切る
に付き大川の水急に干る」と,大量の氾濫水が潮
る
寛文1年8月20日
1661年9月13日
潮江天神東堤切れる
○
江地区に流れ込み,鏡川は急速に減水して城下の
元禄15年7月28日
1702年8月21日
潮江堤切る
●
洪水は終息に向かう.土佐藩は高知城下を大洪水
元禄15年8月30日
1702年9月21日
堤切れ塩屋崎迄潮入
○
る
から守るために潮江堤防を破壊して鏡川の洪水を
宝永4年8月19日
1707年9月14日
潮江堤切る
●
潮江地区に流し込み,鏡川の水位を下げる方法を
元文4年6月8日
1739年7月13日
真如寺橋南側切る
●
1741年7月19日
真如寺橋堤切る
●
最後の手段として用意をしていたと云われている. 寛保1年6月7日
寛延2年5月21日
1749年7月5日
天神井流堤切れる
○
表-4には潮江堤や天神の森を「切る」という表現
安永7年月日不明
1778年- - 天神の森井流切れる
○
がある.城下が危なくなったので強制的に堤防を
安永8年7月1日
1779年8月12日
天神の森堤切る
●
安永8年7月23日
1779年9月3日
天神森水越堤切入
○
切ったことを示しているとも考えられる.その回
る、
役知堤切る
●
数は約200年の間に8回ある.しかし,表-4のよう
安永9年月日不明
1780年- - 天神森井流切れる
○
に潮江の堤防が再三決壊をしているのに対して,
天明2年7月18日
1783年8月26日
天神森井流切れる
○
天明2年7月23日
1783年8月31日
天神森切れる
○
城下の大堤(鏡川左岸堤)が,決壊したという記
天明8年7月22日
1788年8月23日
天神森、役知堤切る
●
録は見つからない.このことは,城下町を守るた
寛政7年8月29日
1795 年 10 月 11
天神森井流大橋南詰
○
日
切れる
め,潮江の堤防を鏡川左岸堤防なみに強く高く築
文化10年4月12日
1813年5月12日
天神森堤役知堤切る
●
くことをせず,城下側堤防よりも低く強度もいく
安政4年7月22日
1857年9月10日
天神橋上下切れる
○
らか弱めに築いていたと推察することができる.
(3)鏡川の水位記録と水防警報との関係
鏡川の天明8年(1788年)から文政9年
(1826年)までの38年間の水位記録が
甘代町庄屋の記録 9) に残っている.そ
の洪水発生記録と現在の鏡川の水防警
報の基準水位と比較したものを図-8に
示す.
図-8の鏡川の20回の洪水の最高水位
と発生年月日から,水位が惣出(全員
出動)の○印(6尺5寸)以上になった
洪水は,38年間で10回あり,この期間
の惣出(全員出動)となった頻度は,
およそ4年に1回の割合であったことが
わかる.また,潮江の堤防が決壊した
のは,表-4に示したように天明8年7月
22日(1788年8月23日),寛政7年8月
29日(1795年10月11日),文化10年4
月12日(1813年5月12日)の3回あった.
これから考えると潮江の堤防は,8
尺7寸程度の洪水で決壊していること
がわかる.
現在,鏡川では,表-5の「はん濫注
図-8 鏡川の藩政時代の水位記録9)(一部上書き)
意水位3.80m」で水防団が出動するこ
とから,藩政時代の惣出(全員出動)
表-5 鏡川の水防警報の基準水位観測所及び水位10)
○印水位相当として,比較すると,
基準水位
水防団
はん濫
避難
はん濫
図-8に示すように,現在の「避難判断
位置
観測所
待機水位
注意水位
判断水位
危険水位
水 位 4.3m 」 か ら 「 は ん 濫 危 険 水 位
河口より
築屋敷
2.80m
3.80m
4.30m
4.60m
4.6m」程度の水位で,当時の堤防が決
4km
壊していたといえる.
しかし,収集した水防関連古文書から鏡川左岸堤防が決壊したという記録がないのは,対岸堤防が決壊
していたことや,出水時には武士,町人らが協力して水防にあたる水防体制が整っていたことが要因で
あったと考えられる.
- 70 -
4.藩政期の水防災対策の再評価
(1)藩政期と今日の水防災対策の比較
藩政期のハード・ソフトの水防災対策が,
どのように変化し,現在の水防災対策に活
かされているかを前章のキーワード別に比
較して,現地調査結果等から考察する.
表-6,7にその表を示す.
表-6,7から堤防や掘などのハード水防
災対策や水丁場などの水防施策のソフト水
防災対策は,無くなってしまったものがあ
るが,その規模や内容が変化し,今日に引
き継がれ,今日の高知市の水害の被害軽減
に結びついている.
例えば,藩政期の水防用具や段階的な洪
水警戒体制などが,現在の高知県水防計画
書の水防警報や水防用資材器具備蓄基準に
継承されている.また,土のうに詰める水
防資材の土砂が,水防側帯という形で現在
の堤防構造の中に反映されている.さらに
は,水張堤の機能が,防御レベル超える超
過洪水対策として,現在の2線堤の整備な
どの流域総合治水対策などに結びついてい
る.
特に水防体制に関する諸策は,人を中心
とした今日の水防や鏡川の水防警報体制な
どに活かされている.
表-6 藩政期と現在のハード水防災対策の比較考察
藩政期の対
策(キーワー
ド)
①堀・水路
現在の
対策
排水路
②大堤
堤防
③霞堤
霞堤
④水越
越流堤
⑤中堤(水張
堤)
2線堤
現在の対策との比較考察
当時の外堀、竪堀などの多くは、現在、公園や道路な
どに変わっているが、横堀は新堀川として残ってい
る。今日もその排水の機能は活かされている。
鏡川北岸や江の口川南岸、上町との境等に郭中を守る
ための堤防で周囲の堤防より高かった。現在は左右岸
同じ高さの堤防になっている。
開口部をもつ堤防で、洪水を氾濫させ堤防決壊や下流
部での大氾濫を防ぐことを目的にしたもので、現在で
は締め切り堤防になっている。
水越堤は河川の水位が上昇すれば低い水越し部分から
田畑などに浸入する。内側には堀設け田畑に流入する
洪水の勢いを弱めが工夫もされていた。現在でも形を
変えて一部残っている。
中堤は、洪水や高潮が人家連担地に氾濫が拡大しない
ように重要な場所を守るため、人家や田畑の境などに
作られた堤防である。現在の2線堤である。現在も一部
が残っており、氾濫時に機能を発揮している。
表-7 藩政期と現在のソフト水防災対策の比較考察
藩政期
の対策
現在の
対策
①水丁場
水防の
持ち場
②分木
量水標
現在の対策との比較考察
水防の分担制度で、鏡川が危険になれば、武士、町人
の担当者全員に出動を命じるなどの水丁場が立つ際の
様々な規則が定められていた。現在、高知市の消防団
等が鏡川の左岸右岸の水防を担っている。
洪水時には、時々刻々水位を測り、出動する基準の水
位を、尺目盛りだけでなく○×△□印の分かりやすい
表示をしていた。現在の量水標に相当するものを設置
していた。
鏡川の洪水警戒体制を分木の観測に基づき、洪水時
に、出動を要する水位をあらかじめ3段階や4段階に定
めていた。現在の鏡川の水防警報基準水位に通ずる洪
水警戒体制が取られていた。。
丁場守は、降雨の状態を考えて丁場に行き洪水の状況
により分木を設置したり、大組小組頭や組頭に注進す
る役目があった。現在でいう水位観測人である。
もしもの時、住家浸水時の救援活動のための救助船が
配置され、現在の人の命を守るの危機管理策というべ
きものが施されていた。
水防用具が御道具蔵に17種類の用具が保管されてい
た。また、明俵(土嚢)に詰める土砂は惣出に際して
運ぶのでなく常に堤防近くに準備されていた。現在の
水防倉庫や堤防測滞に相当するものである
立宿、水防指揮所が設置され、町夫は幟(のぼり)が
立った集合場所には出夫いていた。現在でいう現地災
害対策本部であり、水防は現場での即効指揮が必要で
あったことがわかる。
境界石柱は、明治以降の堤防工事などにより多くは取
り除かれ散逸したものの、現在も鏡川旧堤防上などに
一部残っている。現在は、水防計画書に重要水防区域
が定められ水防が行なわれている。
(2)藩政期の水防災対策の今日的評価
③洪水警戒
水防警
体制
戒体制
表-6,7に示した藩政期の水防災対策は,
災害の防止や被害の軽減のための施設等,
水位観
④丁場守
ハード対策の整備と水防などのソフト対策
測人
の取り組みからなっている.そのため,こ
こでは,筆者が四国の水害史料や伝承を活
⑤救助船
避難船
用した防災啓発手法に関する研究 11) で考
案した方法から,水害に対して危険な状態
水防倉
6御道具藏
庫
を安全な状態にする物理的防災機能の向上
を図り,水害の発生頻度を下げる対策と,
現地災
それ以外の洪水時の住民の不安を安心に変
⑦立宿
害対策
水防指揮所
える水防の取り組みから考える.客観軸
本部
(安全)評価と主観軸(安心)評価の2側面か
重要水
らである.
⑧境印石
防区域
表-6,7に示した藩政期の水防災のハード,
ソフトの対策を,風土工学 12) の人の感性
を応用した安全と安心の2軸(客観軸と主観軸)の4つの窓に,現在の対策で考察した内容などから,筆者の
主観と防災経験にもとづいて,分類すると,図-9が作成できる.
図-9から水防災対策を評価すると,左上の窓「安全であるが不安である」に示した川・堀(①)や堤防
(②,③,④)などの整備は,高知城下町の水害発生頻度を下げるリスク(発生頻度×被害の大きさ)軽減
対策であり,堤防の防御機能までの洪水には安全性が高まる水防災対策である.この対策により,左下の
窓の「危険で不安を感じる」高知城下町の人は、左上の窓に移り客観軸の安全性が防御水準まで確保され
る.しかし城下町以外の堤防等が整備されていない地域の人は,左下の窓の「危険で不安を感じる」状況
にあることになる.このハード対策のみでは,城下町の住民も左上の窓の安心を感じない領域にある.
住民が安心を感じるためには,さらに氾濫水が人家連坦地区に浸入しないよう水張堤⑤(現在の2線堤)
を整備すると,右上の窓「安全で安心する」領域に移行できる.換言すると,現在も残る水張堤などの保
全・維持など,現在社会に活用されるべき機能は,異常な自然災害に対する施策として,捉えていく視点
が必要であると評価できる.
- 71 -
安全
安全であ
るが不安
と感じる
安全で
安心と感
じる
客観軸
ソフト水防災対策として図-9に示した①~⑧
の対策は,左下窓や右下窓に示している水防
に関する施策であるが,最も右側にある救助
船は最も安心と感じる施策である.これらの
ソフトがハード対策に加わって始めて住民は,
主観軸の安心を感じて右上の「安全で安心を
感じる」領域に到達することができる.
以上のことから,今後の水防災対策は,水
害に対して危険な状態を安全な状態にする物
理的防災機能向上対策と,超過洪水対策も考
慮した住民の不安を安心に変える取り組みを
加えたハード・ソフトのパッケージ型対策を
実施するなど,右上窓領域を目指した「備え
あれば憂いなし」の日本人の防災観を満たす
視点が必要である.
②大堤
⑤水張堤
ソフト対策
④水越
①川・堀
憂
不安
①水丁場
備
②分木
え
あ
れ
い
な
し
ば
主観軸
安心
⑤救助船
⑦水防指揮所
⑥お道具藏
④丁場守
⑦境界石
凡 例
ハード対策
③霞堤
③洪水警戒体制
危険であ
るが安心
と感じる
危険で不
安と感じ
る
危険
図-9 藩政期の水防災対策の二軸評価
5.おわりに
藩政時代の高知の水防災に関する各種資料から,水防災のキーワードを整理し,今後の水防災対策の取
り組みについて検討し再評価した.整理すると以下のとおりである.
1)高知の藩政期のハード・ソフト水防災対策の実態を大筋,明らかにすることができた.
2)藩政期に実践され,様々に工夫がなされた水防体制など,社会にあまり知られていない伝統的水防災対
策のキーワードを現代と比較し,紹介することができた.
3)藩政期の堤防や掘などのハード水防災対策や水丁場などのソフト水防災対策は,無くなってしまった
ものがあるが,水防用具や段階的な洪水警戒体制などの内容は進化し伝承され,今日の水防計画書や
水防警報などに活かされていることがわかった.
4)藩政期の水防災対策の今日的評価から,今後の水防災対策には,超過洪水対策も考慮したハード・ソ
フトのパッケージ型対策を考えていく視点が必要であることを提案した.
今後の課題としては,今回の分析資料は,郷土史家,間城龍男氏から提供いただいた資料と補足調査を
中心としているが,藩政期全ての水防災に関する資料を収集したわけではない.今後,新たな資料を見出
すことによって,もっと詳細な実態を明らかにし,日本の伝統的水防災対策を評価していきたいと考えて
いる.
謝辞
本調査の実施にあたり,貴重な藩政時代の高知城下町の水防災に関する資料や情報を提供いただきまし
た間城龍男氏に謝意を表します.また,高知市の絵図・地図や写真を提供いただいた国土交通省高知河川
国道事務所,高知県,高知市,昔の地名に関する資料や古文書・絵図を閲覧させていただいた高知県立図
書館,論文をまとめるにあたってアドバイスを頂いた徳島歴史洪水研究会の方々、石柱などの現地調査に,
ご協力下さった郷土史家,住民の方々に,ここに記して感謝いたします。
参考文献
1)正保高知城絵図:国立公文書館デジタルアーカイブ
(http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000274)2012年10月28日閲覧
2)国土地理院:高知,2万5千分の1地形図(明治39年及び40年測図之縮図昭和8年修正測図)
3)セイコー社:まっぷ高知市,2005.
4)高知市:描かれた高知市
高知市史
絵図地図編,219p.,2012.
5)平凡社:高知県の地名,日本歴史地名大系第四〇巻,pp.323-389,1983.
6)原田伴彦・西川幸治:日本の市街古図【西日本編】,17高知,土佐国高知城下町絵図、鹿島研究出版社、1972.
7) 間城龍男:高知城下町の水防と洪水,51p.,2006.
8)四国地方整備局:先人の教えに学ぶ
四国防災八十八話, pp.84-85,2008.
9)古文書史料:(山之内家史料,森氏日記,五藤家文書,間日雑集,土佐国大地震并御城下大火事且潮入之実録之事,皆山集,山内
氏時代史初稿,藩志内篇,土佐史談,高知市史(大正15年))
10)高知県:高知県水防計画書(平成24年度)242p.,(http://www.pref.kochi.lg.jp/uploaded/attachment/73883.pdf),2012年
12月1日閲覧.
11) 松尾裕治:四国の水害史料や伝承を活用した防災啓発手法に関する研究,pp.140-142,2011.
12)竹林征三:風土工学序説,技報堂出版, pp20-74,1998.
- 72 -
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徳島市津田・新浜地区における津波避難支援マップの作成とその効果
徳島大学 正員 ○田村 隆雄
徳島大学 正員
岡山県
塚本 隆太
武藤 裕則
1.背景と目的 徳島市津田・新浜地区(東西 3km,南北 1km,2.4km2,1.6 万人,ただし木材工業団
地を除く)は徳島市臨海部にあり,東は紀伊水道,北は園瀬川,南は勝浦川に囲まれた地域である.
東南海・南海地震が発生した場合,地震発生後約 40 分で当地区に津波の第一波が到達し,最大津波高
は 3.3m と想定(平成 16 年)されている.地区の住宅地域の標高は 2m 以下であり,避難所としては津
田小学校や津波避難ビルが指定されているものの十分とは言えない.また地区中央に津田山(標高
78m)があるものの急峻で,多くは土砂災害(特別)警戒区域に指定されている.そこで平成 23 年 8
月から 12 月にかけて津田コミュニティー協議会,
津田・新浜地区自主防災会連絡協議会,
津田中学校,
徳島大学,および徳島市の協働で地域の避難支援マップを作成した.本報告ではマップの特徴を紹介
し,その期待される効果について中学生を対象としたアンケート調査から分かったことをまとめる.
2.津田・新浜地区津波避難支援マップの概要 避難マップとは,行政が定めた指定避難所のほかに,
地域住民が独自に設定した避難所や,主な避難ルートなどが記載されたものである.地域や目的によ
って防災マップ,避難支援マップなどの様々な呼び方があるようである.津田・新浜地区のマップは
地震・津波に対して,
“住民一人一人が的確な判断と迅速で安全な避難行動がとれるような情報が盛り
込まれた地図”というコンセプトで作成したことから,支援マップ(以下,マップ)という呼称を採
用した.そのため,津波来襲以前の地震による被災や地域の地理的特性などを考慮して,避難地とル
ートの他,①避難地となりうる津田山周辺の土砂災害(特別)警戒区域,②避難ルート上の可燃物取
扱所,③防災倉庫,④海岸縁の主な地点から避難所までの距離と避難所要時間,⑤主な場所の標高,
を記載した.図1に完成したマップを示す.まず今回の作業でスーパーや神社など新たな緊急避難所
を設定することができた.そして緊急避難所を周知するためにマップの下に写真と標高を載せた.次
に避難所までの所要時間であるが,これは災害時要援護者や家屋倒壊,道路閉塞を想定し歩行速度
0.5m/秒 1)で概算したものである.これより短い時間で避難できる可能性もあるが,津田・新浜地区は
徳島市の中で最も津波が早く到達する地域であることや,
津田山を除いて地域の大半が標高 2m 未満で
あること,そして隣接する他地区への避難が困難であることを考慮して,速やかな避難行動を喚起す
る目的で記載した.最後に,本
マップにはハザードマップにあ
るような浸水域・浸水深は記さ
なかった.これは地区の大部分
が浸水想定区域であることも大
きな理由であるが,想定区域外
や想定浸水深の浅い地域に居住
する住民の先入観による避難遅
れを防止する目的が強い.
3.マップに期待される効果
本マップは現状の防災資源等を
集約して地図上に示すことで,
“地域の防災意識の向上”
や
“避
難訓練の充実化”を目指したも
図1 津田・新浜地区津波避難支援マップ
- 85 -
のであり,平成 24 年 3 月から地域の
全家庭と事業所に配布することにな
っている.その期待される効果を評価
するために,マップ配布前の平成 23
年 12 月に 津田中学校に協力を依頼
して全生徒(385 人)を対象にアンケ
ートを実施した.回収数は 349(91%)
であった.回答者の年齢層が限定され
図2 予定避難先
ているのが問題ではあるが,校区が津
田・新浜地区と一致していることや,
平成 23 年 3 月 11 日の震災後,各家庭
で地震時の対応について少なからず
話し合う機会があったと思われる事
から,地域住民を代表する情報を収集
できたと判断する.質問項目は,①自
宅位置,②予定避難先,③避難ルート,
与茂田港
④ルート上の危険箇所,⑤避難先まで
の予想所用時間,⑥自由記述である.
図3 自宅から小学校までの避難予想所要時間
以下で最も特徴的な結果が得られた
避難先と避難時間,自由記述について考察する.
3.1. 避難先 図2に避難先として回答された場所を示す.生徒の 68%が指定避難場所で,うち 93%が
津田小学校と回答した.回答者の自宅位置を確認すると,津田山西側に自宅があって小学校を避難所
に考えている生徒が 20%(45 人)もいた.津田山の西側に新たに設定した緊急避難場所をマップで周
知することで,より迅速な避難や,数少ない指定避難所の混雑の緩和などの可能性が示唆された.
3.2. 避難時間 図3に津田小学校を避難先と考えている生徒の自宅の所在と予想所要時間の分布を
示す.例えば与茂田港から津田小学校までの距離は 1300m 程度,マップ記載の所要時間は 40 分程度で
あるが,
地図上の黄色丸印の多さから付近に居住する生徒の多くが 11~20 分で避難できると考えてい
ることが分かる.津田・新浜地区全体を見ても予想所用時間は短めである.成人の平常時歩行速度(1m/
秒程度)ならば十数分で避難可能なことから,地震による家屋倒壊,道路閉塞の影響をほとんど考慮
していないようである.マップの配布は地震発生時の状況や迅速な避難行動の必要性を改めて考える
機会になると思われる.
3.3. 自由記述 避難場所に対する不安や要望で最も多かった回答は
「津田山に登れるようにしてほし
い」
(29%)であり,以下「家の近くに高い避難場所が欲しい」
(20%)
,
「津田小学校・津田山が本当に
安全か分からない」
(13%)と続き,安全な避難場所の確保に対する要望が強く表れた.作成したマッ
プでは緊急避難地として 7 カ所を新たに設定できたことや土砂災害(特別)警戒区域を示したことか
ら,地域住民の要望に対してある程度答えられるマップになり得るのではないかと期待される.
4.今後の課題 避難先は新たな緊急避難先を加えても十分な量とは言えない.今後,徳島市環状道
路,四国横断自動車道の整備も進み,地域は大きく変化する.常に見直しを行う必要がある.最後に,
本マップの作成に参加して下さった方やアンケートに協力して下さった皆様に感謝致します.
参考文献 1) 消防庁,市町村における津波避難計画策定指針,津波対策推進マニュアル検討報告書,pp.37
~38,平成 14 年 3 月.
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環境防災研究センター視聴覚ライブラリの整備について
当センターでは、災害の歴史資料や防災関連の書籍や映像資料等を収集・保管し、研究活動に利
用しています。今年度は、特に、東日本大震災関連の報告書や映像資料を中心に収集・整理を行っ
ています。学校・企業・病院・自治体等の被害状況や災害対応、こども達の作文集、被災地の写真
など、幅広い分野に関係する内容です。
学外の研究者や一般の方が防災研究や啓発活動のために借用を希望される場合には対応できるよ
うに、資料リストを当センターのホームページに掲載しています。蔵書及び DVD のリストはこちら
でご覧ください.http://envdp.ce.tokushima-u.ac.jp/library%202.html
今後も、より多くの方々にご利用いただけるよう環境整備をしていきたいと思います。
【蔵書数】
分類
DVD
分類
図書
東日本大震災
260
東日本大震災
66
伊勢湾台風
19
南海地震
9
関東大震災
29
その他災害
12
チリ地震
7
一般
10
南海地震
22
新潟県中越沖地震
23
日本海中部地震
13
濃尾地震
11
阪神淡路大震災
163
その他災害
30
BCP
24
一般
336
合計(冊)
合計(枚)
97
(注)DVD は貸し出ししておりませんが、
当センターで視聴できる環境整備をしています。
937
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徳島大学防災リーダー養成の取り組み
中野
晋,村田明広,粕淵義郎
梅岡秀博,鳥庭康代
1.はじめに
徳島大学では 19 年度から自然災害やその対策に正しい知識と技能を持ち,いざという時に速やか
に対応できる人材を育成することを目指して,防災リーダー養成講座が設置されている.この講座
は全学共通教育の教養科目に位置づけられるもので,「災害を知る」(前期 2 単位)
,「災害に備え
る」(後期 2 単位)の 2 科目で構成され,この 2 科目の修得者を「徳島大学防災リーダー」として環
境防災研究センターが認定している.また,(特)日本防災士機構の研修プログラムに認定され,講
座修了生には,防災士の受験資格が与えられるという特徴がある.さらに本講座の特色は従来の大
学教育とは異なり,徳島県から推薦された自治体や自主防災組織の社会人約 30 名を無償で受け入れ,
学生と一緒に防災教育を行っている点である.
2.カリキュラムの内容
平成 24 年度「防災士」養成カリキュラムでは「いのちを自分で守る(自助)」について 12 時間,
「地域で活動する(協働・互助)」について 11 時間,「災害発生のしくみを学ぶ(科学)」について 9
時間,「災害に係わる情報を知る(情報)」について 8 時間,
「新たな減災や危機管理の手法を身につ
いける(予防・復興)」について 8 時間,「いのちを守る(救急)」3 時間,合計 51 時間の講義や実
習が必要とされる.本講座でも標準カリキュラム構成に従い,表 1 のようなカリキュラムを作成し
た.前期科目の担当教員は大学院ソシオテクノサイエンス研究部(工学部)教員5名,大学院ソシ
表1 徳島大学防災リーダー養成講座の内容(平成 23 年度)
災害を知る(前期)
講義内容
1 開講式/防災士とは/最近の災害について
2 風水害
3 土砂災害・火山災害
4 地震災害
⑤ 阪神・淡路大震災の体験を通して
6 地震と地盤災害について
7 強風・竜巻災害
⑧ 津波災害
⑨ ★意思決定訓練(クロスロード)
10 医学と災害
⑪ 火災
12 ライフライン被害
⑬ 災害医療
14 被災者の心理ケア
15 商店街の被災と復興
○ ★普通救命講習(希望者のみ)
○数字は学外講師が担当,★実習または演習
災害に備える(後期)
講義内容
1
2
3
④
⑤
⑥
7
⑧
⑨
10
⑪
⑫
13
⑭
⑮
16
公助・共助・自助
建物の耐震化
企業防災
自主防災活動の進め方
災害と保険
体験談からよみ解く南海地震の揺れ
地盤の震動とそれに対応する方法論
防災情報システムとすだちくんメール
海溝地震・津波研究の最前線 -JAMSTEC の挑戦-
★防災グループ演習(図上訓練編)
地震情報と気象予警報
緊急地震速報とその活用
土砂災害危険情報
★くらしと水防工法
洪水予報
特別講演/防災リーダー講座修了式
防災士認定試験(日本防災士機構が実施)
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オ・アーツ・アンド・サイエンス研究部(総合科学部)教員4名,ヘルスバイオサイエンス研究部(医
学部)教員 1 名,自治体職員 2 名,団体職員1名,その他専
門家 1 名,後期科目は大学院ソシオテクノサイエンス研究
部(工学部)教員5名,環境防災研究センター客員教授 1
名,国および自治体職員5名,団体職員1名,その他専門
家1名が担当した.また,平成 20 年度から講義をビデオ
に収録し,受講生には後日講義内容等を確認することが可
能となった.
3.学生と社会人がともに学ぶ防災教育
本センターでは徳島県の要請を受けて,平成 17 年度と
平成 18 年度に徳島県地域防災推進員養成講座(各 6 日間,
25 時限)を共同で開催し,約 70 名の防災リーダーの養成
を行ってきた.平成 19 年度以降は、防災に関心を持つ人
写真 1 徳島大学防災リーダー認定証
を授与される受講生
(2013 年1月 15 日)
の裾野をできるだけ広げる努力が必要であることから,大
学の教養教育を通して,毎年一定数(100 名程度),防災士
レベルの防災知識を持つ優秀な卒業生を継続的に育ててい
きたいとの想いから防災リーダー養成講座を開設した.
本学でこの講座が開設されるのを受け,徳島県から社会
人の受講生受入要請があり,学生収容人数にあまり影響を
与えない範囲で市町村などから推薦を受けた一般の方 30
名程度を受け入れることとなった.また平成 20年度から
実施してきた DVD ビデオ収録によるオフライン授業を本
年度から取り止め、短期防災リーダー養成講座(前期・後期
各 4 日間 32 時限)を実施しすることとし,40 名程度の受講
写真 2 「災害の知る・救命講習」,防災リ
ーダーを目指して救急救命講習に取り組
む受講生の様子(2012 年7月7日)
生を受け入れることとした。
平成 24年度は、防災リーダー養成講座,前期(災害を知る)が 132 名定員で学生 112 名,県推
薦社会人 20 名,後期(災害に備える)は学生 114 名,県推薦社会人 21 名が受講した.また、短期防
災リーダー養成講座には受講生 38名が受講した。このうち徳島大学防災リーダーとして認定され
た学生 41 名,県推薦社会人 49 名の合計 90 名に認定証が授与(写真 1)された. また,徳島大学防災
リーダー認定者と防災士(日本防災士機構)認定者の推移を表 2 に示す.
徳島県推薦の社会人には自治体職員,消防などの防災関係の OB,自主防災組織のリーダーなど,
防災知識や経験を有する人が多く,グループ演習(写真 2)や水防工法などの実習では積極的に質疑を
行うなど,学生だけの講義とは違った空間が形成されることが多かった.
表 2 徳島大学防災リーダーと防災士認定者の推移
平成19年度
徳島大学防災リーダー
防災士(日本防災士機構)
79 名
62 名
平成20年度
平成21年度
平成22年度
平成23年度
平成24年度
120 名
72 名
114 名
62 名
98 名
66 名
126 名
78 名
90 名
61名
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「四国防災・危機管理特別プログラムに関するアンケート調査」の結果
徳島大学環境防災研究センター
技術補佐員
金井純子
四国防災・危機管理特別プログラムに対して、8 割以上の団体が関心を示している。カリキュ
ラム構成についても 7 割以上の団体が『よい』と回答しており、その理由として「コース撰択が
できる」「内容が多彩で自社では学べない内容である」等があげられている。カリキュラムに入
れて欲しい内容としては、福祉分野に関するものがいくつかあげられている。
受講については、約 3 割(45 団体)が「受講したいと思う」と回答している一方で、それを上
回る約 4 割が「受講できない」としている。その主な理由は「業務等で忙しく時間が確保できな
い」「講義の時間帯に都合が合わない」であり、
「時間」が阻害要因になっていると思われる。
経費については、「経費の全額を負担することはできないが一部に経費負担は可能」と回答した
団体が比較的多かった。金額の目安が示されていなかったことも撰択に影響していると思われる。
1.調査概要
(1)目的:平成 25 年度「四国防災・危機管理特別プログラム」の開講にあたり、防災・危機管理
の専門家養成に対するニーズを把握し効果的なプログラムにするため。
(2)実施期間:平成 25 年 2 月 22 日~3 月 8 日
(3)対象:香川県内と徳島県内の自治体、病院、福祉施設、企業等、計 554 団体(有意抽出法)
(4)回収率:32.6%(181 団体)(香川県 107 団体、徳島県 74 団体)
(5)方法:郵送法
表-1
2.結果
防災・危機管理を担当する人材の数
担当者数
いない
29.3%
回答数
56
43.8%
2人
25
19.5%
3人
16
12.5%
4人
9
7.0%
13
10.2%
10人以上~20人未満
3
2.3%
20人以上
3
2.3%
無回答
3
2.3%
128
100.0%
5人~9人未満
いる
70.7%
合計
図-1
構成比(%)
1人
防災・危機管理を担当する人材の有無(N=181)
関心なし
13.3%
わからない
29.8%
関心あり
86.7%
図-2
受講したい
と思う25.4%
受講できない
と思う44.8%
プログラムに対する関心(N=181)
- 90 -
図-3
受講希望の有無(N=181)
表-2
カリキュラムに入れて欲しい内容
障害者や社会的弱者に関するもの
わからない
24.8%
非常によい
15.9%
介護に重点を置いたプログラム
福祉施設における対応
やや
悪い
2.5%
2.5%
災害ボランティアの管理・運営
危機管理における広報
よい
56.7%
手や体を動かす参加型のカリキュラム
県市町の防災担当職員と意見交換する機会
図-4
カリキュラム構成の評価(N=157)
0%
20%
40%
60%
職員が自主的に教育サブプログラムを受講することを支援する
60.9%
職員を教育サブプログラム受講生として派遣する
43.5%
職員が自主的に大学院に入学することを協力・支援する
17.4%
職員を大学院生として派遣する
6.5%
その他
図-5
19.6%
受講する(させる)場合の方法(複数回答)(N=46)
0%
20%
40%
60%
80%
業務等で忙しく時間が確保できない
54.3%
適任者がいない
18.5%
遠方のため行けない
12.3%
職場の理解が得られない
6.2%
前例がない
4.9%
その他
12.3%
受講できない(させられない)理由(複数回答)(N=81)
0%
10%
20%
30%
経費の全額を負担することはできないが
一部の経費負担は可能
29.8%
経費負担は不可能
23.8%
経費負担は可能
19.9%
その他
無回答
図-7
100%
80.2%
講義の時間帯に都合が合わない
図-6
80%
17.7%
8.8%
経費負担について((N=181)
- 91 -
40%
『防災教育 読み聞かせ』の取り組み
~幼児・児童を対象とした防災意識の向上について~
技術補佐員
鳥庭
康代
今年度、当センターでは防災関連の図書整備を行ったが、その中では幼児・児童向けの防災
紙芝居や絵本の収集も行っている。これらの図書を活用して、幼児や児童を対象とした読み聞
かせ活動を開始した。
幼児・児童に『地震』・『津波』・『災害』のイメージを分かりやすく具体的に伝えていくには
工夫が必要である。緊急災害時に幼児・児童が少しでも早く自分自身で安全を確保し、速やか
に正しく避難できるようになるためには、身近な紙芝居や絵本の使用が有効である。また、被
災についての体験談などについては、対象年齢や心身の成熟度に合わせて選択するなどの配慮
が必要である。
こうした取り組みにより、幼児・児童の防災意識を向上させ、緊急時の対応について普段よ
り考えられるきっかけになればと期待している。
今後は、徳島県防災人材育成センターと連携し、教育機関だけでなく、地域に密着している
自主防災リーダー等への貸し出しもできるよう整備していく予定である。
【絵本・紙芝居リスト】
小学校読み聞かせ〇「あわてない
あわてない」
「いなむらの火」H25.2.18(低学年)
,H25.2.25(中学年)
〇「いなむらの火」
「四国防災八十八話
- 92 -
~第十九話
大水がくるぞ」H25.3.4(高学年)
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