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のAtonement

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のAtonement
1
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nのA
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n
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m
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n
tにおける焦点化と他者の精神
岡
典子
I 序
2
0
0
1年 9月は、マキューアンにとって、小説のテーマと現実の世界が偶然
にも交錯した時期であると言える。 2
0
0
1年 9月1
1日のアメリカでの同時多発
0日にこの Atonementは出版されており、その出版直前の 9月
テロ直後、 9月2
1
5日付の『ガーデイアン J紙に彼は“OnlylρveandTh
enO
b
l
i
v
i
o
n
"というタ
イトルで同時多発テロについてのメッセージを掲載している。マキューアン
は、多くの犠牲者たちが、飛行機や炎に包まれたピルのなかから、死の直前
に家族や恋人に携帯電話で連絡を取り、最後に“1l
o
v
ey
o
u
"という言葉を残
したという事実に触れ、人間の普遍的な行為に胸を打たれたと語っている。
Atonementの日本語訳『蹟罪 j (
2
0
0
3
) の翻訳者である小山太一氏も「訳者
あとがき」でこの記事を取り上げ、作品のテーマである「愛を語る行為 j と
の関わりを指摘している。また、マキューアンは、同じ記事のなかで、
‘明市a
ti
fi
twasme?"と疑問を投げかけ、このように他人の身になって考え
ることこそが、“e
m
p
a
t
h
y
"の本質であると述べ、機内で一人の人聞が恐怖に
さらされる場面をあたかも実際に起こったできごとであるかのように詳細に
描いて見せる。ハイジャック犯が乗客の心の中を想像することができたなら、
犯罪を遂行することはできなかっただろうし、他人の身になってみるとどん
な感じがするのか、と想像することは人間性の核にあるものだと述べている。
この時期のマキューアンは、 Atonementに関するインタビューでも頻繁に
“
t
h
emindso
fo
t
h
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s
" という言葉を使っている。 9月 1
1日のテロに先立つて
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v
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"と“o
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s
"
書かれたこの作品の重要なキーワードとして、“1l
1
6
岡
典子
が使われていることと、この現実に起きた悲劇に対して、彼が同じ言葉を
イ吏って追悼文を寄せたことは、単なる偶然ではないはずで、ある。
かつてマキューアンは、初期の短編 S
o
l
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dGeomet
ゅで、幾何学の理論をも
とに妻を異次元の世界へと消し去る夫を描き、 90年代に入ってもなお、
B
l
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kDogsのなかで、新婚旅行中に悪の象徴である「黒い犬」と遭透したこ
とがきっかけで破綻する夫婦を描いている。しかし、 EnduringL
o
v
t(
19
9
7
)
では、初期の作品からのテーマである「日常に潜む突然の狂気」はそのまま
に残しながら、「永遠に続く愛」という新しいテーマを加えて、妄犯症を患
う人物ジ、エツド・パリーを生み出した。パリーを通して、誰にも奪うことの
できない自己の内部で完結する愛、それゆえに終わることのない「バ遠に続
く愛」を描いている。では、マキューアンが次なる愛の形を求めで書いた
Atonementでは、どのような物語の構造が採用されているかを見てみたい。
この作品は、主人公の作家ブライオニーが書いた 3部構成の小説と、小説
を書き終えた 1
9
9
9年現在の作家ブライオニーの様子を描いた“L
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n
d
cn1
9
9
9
"
というタイトルのついた章からなっている。この小説内にある「ブライオ
ニーの小説」は、三人称の語りが採用され、複数の焦点人物を通して語られ
る。具体的には、少女時代のブライオニー、姉のセシーリア、母れのエミ
8歳のブライオニーが焦点人物になっていふ。まず
リー、姉の恋人ロビー、 1
第 I部では、 1
9
3
5年のイギリスで、 1
3歳の作家志望の少女ブライオニー・タ
リスが、タリス邸での少女暴行事件の犯人を誤認し、菟罪に加担すみまでの
いきさつが描かれる。姉のセシーリアと幼なじみのロビーは、この事件の直
前にお互いの気持ちを知り、恋人同士となる。しかし、ブライオニーは、ロ
ビーが事件の犯人であると証言し、二人を引き裂いてしまうのであゐ。続い
て第 2部では、服役を短縮するために志願兵となったロビーの杭点から、
1
9
4
0年当時の戦地フランスでの出来事が描かれる。イギリス軍の撤退命令の
あと、ロビーは爆撃で死の恐怖にさらされながらも、セシーリアとの再会だ
けを願い、フランスの北端にある撤退の地ダンケルクへ辿り着く。さらに、
第 3部では、家を捨てた姉のあとを追い、看護師見習いとなった 1
8恥のブラ
lanMcEwanの A
t
o
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tにおける焦点化と他者の精神
1
7
イオニーの視点で、 1
9
4
0年にフランスから帰還した負傷兵を看護する様子が
描かれる。ロンドンに戦争の影が差しはじめたころ、ブライオニーは 1
9
3
5年
の事件以来、音信が途絶えていた姉を探し出して訪ねてゆく。すると、そこ
には無事に帰還したロビーが、偶然滞在していて、ブライオニーは謝罪の機
会を得る。ロビーは、ブライオニーに対して激昂しながらも、ブライオニー
に証言撤回の陳述書と、事件の詳細を書いた手紙を送るように依頼する。そ
してブライオニーを見送る二人の姿とブライオニ}の心境を語る“s
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"(
3
4
9
) という言葉で第 3部は終わる。この最後
9
9
9
"という作家のサインが記されていることから、
のページに“BTlρndon1
この第 3部までが、作家ブライオニーが書いた小説であることが明らかにな
る
。
さらに続く最終章の“いn
don1
9
9
9
"では、小説を書き終えて 7
7
歳の誕生日
を迎えたブライオニーの一日が、一人称で描かれている。ブライオニーは、
脳血管性認知症と宣告されたこと、誕生日の出来事などを語り、最後に衝撃
的な告白をする。この小説に描かれていることは事実ではなく、本当は、
1
9
4
0年にロビーはダンケルクに辿り着く前に亡くなり、その数ヵ月後、セ
シーリアもロンドン大空襲の犠牲になり、二人は再会を果たせなかった、と
真実を告げるのである。さらに、ブライオニーが、実はロビーを失った姉に
会う勇気がなかったと語ることから、ロビーから手紙を依頼される重要な場
面、つまり小説を書く動機になっている場面も事実ではないことが明らかに
なる。
f
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fのプロットと構造であるが、何より重要な特徴として、
以上が、 A
このプロットに組み込まれるように、ブライオニーが作品を完成させるプロ
セスが描かれているという点を挙げなければならない。具体的な「蹟罪」の
行為があるわけでもないのだから、おそらく小説を書く行為が「蹟罪」を意
味していると考えられる。主人公の作家ブライオニーが、小説を書くことで「臆
罪」を果たすためには、愛し合う恋人たちの感情、菟罪と戦争という不条理
1
8
岡
典子
な運命によって引き裂かれた二人の悲しみ、つまり「他者の精神」に同化す
る必要がある。これは、とりもなおさず、小説家に求められる資質であると
t
h
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rm
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n
d
s
"の意味を明確
言える。本稿では、作家マキューアンの考える“o
にし、「他者の意識から、物事を知覚する」ことと同義である「焦点化」と
いう小説技巧が、小説 Atonementのプロット自体にどのように組み込まれ
ているかを分析したいと思う。そして、蹟罪を果たすには、どのような物語
構造が可能なのか、そもそも作家は臆罪が果たせるか、という問題も考えて
みたい。
E 他者の精神
マキューアンは、 A
tonementの出版された 2
0
0
1年に OtherMindsという作
3
8部出版している口この作品は、 Atonementの第 1部の 1章と 3章が、
品を 1
l
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t
'
少し改訂されてはいるものの、ほぼそのまま使われている。また、‘a
という言葉は、‘a
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t
'と区切ると、「自分がもとの自分になる」とい
r
う意味にも読める。さらに派生して「他者とひとつになる J 離れだ者同士
がひとつになる j という解釈を加えると、効果的に小説の内容を示唆すると
tonementと O
t
h
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rMindsのタイトルに共通
同時に、この別々に出版された A
性があることがわかる。さらに、 A
tonementのプロットには、 1
8歳乃看護師
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O
lmt
α
, 仇と
見習いのブライオニーが、『ホライズン』誌に TwoF
いう短編小説を投稿するが不採用になる、というエピソードが含まれている。
この編集者からの不採用通知の手紙の内容から、 TwoF
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は
、 A
tonementのなかの「作家ブライオニーの小説」の 2章と 3章乃原型で
あることがわかる。さらに付け加えると、この不採用を知らせる手祇の差出
9
3
9年に『ホライズン J誌 (
1
9
5
0年廃刊)を創刊した実在の人物
人は、 1
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19
0
3
7
4
) であり、不採用通知には、作家 E
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がブライオニーの作品を読んで感想を寄せたことなどが、あたかも 1
9
4
0年当
時の歴史的事実であるかのように書かれている。このエピソードを小説の仕
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tにおける焦点化と他者の精神
1
9
掛けとして考えてみたい。短編 TwoF
i
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o
u
n
t
a
i
nについての編集者
の意見が反映されて出来上がったものが、この長編小説 Atonementである
と理解した瞬間に階層化された時間が現れてくる。つまり投稿した小説の不
採用通知を読むブライオニーがいる時間と、不採用となった作品が改訂され
ている事実が示す時間の経過である。さらに小説の最後の言葉が、“[…]
shewasreadyt
obegin [
t
ow
r
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t
e
J
.
"(
3
4
9
) となっていることから、この不採
用通知の時点では、読者は改訂された作品を読んでいるのに、作品はまだ書
かれていないという逆説的な状態になっている。なぜ、これほどに複雑な手
順を踏む必要があるのだろうか。つまり、小説を書くプロセスが詳細にプ
ロットに組み込まれていることを考えると、この Atonementという作品は、
作家ブライオニーの罪を償うために書かれた小説であると同時に、作家が作
品を仕上げるまでの作業や、作家になるまでの成長のプロセスそのものが、
小説のプロットを成すメタフィクションとして読まれなければならない。「作
家の野心」と「臆罪」のどちらにも必要なものは、ともに「他者の精神」に
入って、他者の意識を感じて見ることなのである。そこで、まず、マキュー
アンの A
tonementと O
t
h
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rMinds、そして小説内に出てくるブライオニーの
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g
u
r
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sb
yαFount
α仇の共通部分である 3章を中心に分析してみた
短編 TwoF
,
し
瓦
。
3章では、姉とロビーが噴水のそばで誇いを起こす場面をブライオニーが
三階の子供部屋の窓から偶然目撃する。この「噴水の場面」は、作家志望の
少女が成長するための啓示であり、姉とロビーの関係が恋人に変化するため
に必要な場面になっている。その啓示に先立つように、まずブライオニーが、
「他者の精神」というものの存在に気づく場面がある。
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.(
3
6
)
1
3歳の作家志望のブライオニーが、「セシーリアであるというのは、ブライ
オニーであるのと同じくらいに生き生きとしたことなのだろうかJと身近な
姉を通して「他者の精神」について考え込むのである。大人になりつつある
ブライオニーにとって、最も身近な大人であるセシーリアは、まさにブライ
オニーの「鏡像」となっていると言える。また、「姉の身になってみる」と
いう発想は、実際に第 3部で、姉の後を追って看護師見習いとして働くとい
うくだりにも反映している。ブライオニーは、看護師の基礎訓練の初日に、
自分の名札が‘B
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'ではなく、間違って‘N.T
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' (275) となっている
と申し出ると、訓練担当の看護師は“YourC
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" (275) と答える。看護師は全員 N と
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いうイニシャルなのである。この場面から、同じ看護師として働く姉も、同
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'という名札をつけているであろうことが推測され、姉との同一
化あるいは「姉の立場になってみる j ということが示唆されていると考えら
れる。
作家として成長途上にあるブライオニーは、人間的な成長という点でも、
1
3歳という子供と大人の境界にいる。マキューアンは、あるインタビューの
なかで、小説と「他者の精神」について述べ、さらに自身の幼少時代の自己
発見について次のように語っている。
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マキューアンは、小説は、私たちが他者の心のなかに入る可能性を与えてく
れるものであり、また人間の発達過程において、他人も自分と同じく生きて
いると気づくことが、モラルの基礎となると語っている。つまり、人間的成
長と、作家としての成長のどちらにも共通する基礎の部分がこの「他者の精
神」ということになる。この作品において、主たる焦点人物として作家志望
の子供を使うことは、人間の成長と作家の成長を同時に描くためには非常に
効果的であると言える。
E 誤解のプロセスとプロットとしての「焦点化J
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tの冒頭には、 No
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yからの引用がエピグラフとして
掲げられている。ブライオニーという想像力過多の少女が、誤解を重ねてい
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yの主人公キャサリ
く過程は、罪の大小は別としても、この N
ン・モーランドの場合と似ていると言える。つまり、二人とも過去に読んだ
物語から深く影響を受けていて、想像力の豊かさが、現実を見る日を曇らせ
てゆき、ついには想像と現実の区別がつかなくなってゆくのである。エピグ
ラフとして引用されている箇所は、ヘンリー・テイルニーが、キャサリンの
過ちを指摘する場面である。
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これらの言葉は、そのままブライオニーにも当てはまる。しかし、ブライオ
ニーの想像力が引き起こした過ちを正してくれるヘンリーのような人物が
Atonementには不在なのである。マキューアンの小説の特徴として、事件が
起こるときは、理性の象徴である父なる存在というものが不在であることが
多く、この A
tonementも例外ではないと言える。 B
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は自己言及的な結末を持つリアリズム小説であると解釈する批評家に対し、
最初から最後まで“t
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このエピグラフは次のような役割を果たしていると述べている。
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このように、マキューアンの書いたエピグラフが、単なるリアリズム小説と
してこの作品を読むのは間違いであるという読者への警告であるとするなら、
読書を通して蓄積されていく先入観から誤解を重ねるキャサリン、ブライオ
ニ一、読者が入れ子状態になっていることに気づかされる o Nげ t
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yについて、マキューアン自身は、インタビューで、次のように述べて
いる。
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ゴシック小説に没頭するあまり、妄想が膨らんでしまったキャサリンに比べ
て、作家になるという野望を持ったブライオニーの誤解は、非常ド複雑で、あ
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2
3
り、その誤解が招いた結果もはるかに罪が重いものとなっている。そこで、
ブライオニーの誤解のプロセスを辿ってみる。
先にも述べたが、 3章でブライオニーは作家として成長するためのひとつ
の啓示的場面を目撃する。この場面は、すでに 2章のなかで、当事者である
セシーリアを焦点人物として語られているので、二人の知覚のずれが明確に
なっている。まず、 2章で起きる実際の出来事は次の通りである。セシーリ
アが、母に頼まれ、客間に飾る花をマイセン磁器の花瓶に生けている。この
花瓶は、父の戦死した弟の遺品であり、戦禍に巻き込まれながらも、壊れる
ことなくタリス邸に届けらたものである。庭の噴水に花瓶の水を汲みに行っ
たセシーリアは、幼なじみロビーと偶然出くわすものの、最近の彼のよそよ
そしい態度に腹を立てており、水汲みを手伝うというロビーの申し出を断る。
二人は花瓶の取り合いになり、ついに口の部分が壊れて、二つの三角形の破
片が水盤のなかへと落ちてしまう。すると、ロビーに先を越されないように、
セシーリアはすぐさま服を脱ぎ下着姿になり、水に潜って破片を拾い上げる。
そして、服を身に着けると、ロビーを無視して去っていく。
この「噴水の場面」は、 EnduringL
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eにおける気球事故がそうであった
ように、物語が始まる合図のような出来事である。まだロビーへの恋心に自
分で気づいていないセシーリアの複雑な心境が表れていると同時に、菟罪や
戦争に巻き込まれて、壊れてしまう二人の関係を暗示している。また、マ
キューアンは、インタビューのなかで、 Atonementを書き始める瞬間に浮か
んだのが、この「噴水の場面」の原型となるイメージだ、ったと、次のように
語っている。
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つまり、作家志望のブライオニーにとっての啓示となる場面は、作家マ
キューアンにとっても、 A
tonementという長編を書き始める一種の啓示で、
あったことがわかる。
同じ「噴水の場面Jが、続く 3章では、ブライオニーを焦点人物として描
かれる。三階の子供部屋から二人を見ているブライオニーは、「貧しい男が
王女さまを助けて求婚する j という自分に馴染みのあるおとぎ話の知識から
推測して、ロビーがセシーリアにプロポーズでもしているのだろうかと想像
してみる。しかし、ここで不可解なことが起こる。ロビーが、セシーリアに
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服を脱ぐように命令し、ものすごい速さで下着姿になった姉は水η
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替ってしまうのだ。ブライオニーは、“Thesequencewasi
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3
9
) というように、この一連の場面は、おぼれる場面 ηあと救
出されて、プロポーズ、へと続くべきもので、筋が通っていないと考えている。
ブライオニーは、この自分の理解を超えた出来事を次のように解釈している。
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「もはやおとぎ話のお城や王女さまはありえない。ここ、そして今、という
不思議さや、人間の間で起こっていることの不思議さがあるだけ」と感じ始
め、「いかにすべてのことを誤解することが容易であるか」に気づくのであ
る
。 1
3歳のブライオニーは、これまでに、おとぎ話を模倣したものや、教訓
を含んだ劇などを書いてきたが、それらが世界というものを正確に把握して
いないと考えるようになってゆく。このような作家志望の少女の意識のなか
lanMcEwanの Atonementにおける焦点化と他者の精神
2
5
で、セシーリアの複雑な心理状態が引き起こした噴水での出来事がひとつの
啓示になるのである。そして、その啓示は、「視点」というものの発見につ
ながってゆく。
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この「視点 Jの発見は、「他者の存在」を理解することなくしてはあり得な
いもので、作家としての成長と、子供の発達過程をあらわしていると言える。
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ブライオニーの見ている「三階」という高みを視点の位置と解釈するなら、
まさしく作家としての成長の瞬間が描かれていることになる。しかし、ここ
3歳らしからぬ視点というものが、少女の人
で、この作家志望の焦点人物の 1
物造型としては、リアリティを欠くのではないか、という問題も考えておか
なければならない。
1
3歳のブライオニーの視点と作家ブライオニーの視点が、分かちがたく混
在しているというのが、この小説の特徴である。成功した作家であるなら、
1
3歳のブライオニーの視点のみから描くことも出来るはずである。つまり、
3歳のブ
あえて不自然な言葉遣いによって、「作家ブライオニーが再現する 1
ライオニー」が、強調されていると考えるほうが妥当で、ある。また 3章には、
小説を執筆している作家が子供ブライオニーを介さずに語る箇所がある。「介
入する語り手j のように、語りのレベルと時間の枠外から、回想する時点の
書き手の心境が挿入されるのである。読者にとって、この小説の早い段階で、
語りのレベルを変えて挿入される書き手の声を読むことは、最後に記されて
9
9
9
" という作家のサインを待つまでもなく、これが作家
いる“BT1ρndon1
ブライオニーの小説であることを知る重要な手がかりになるはずである。読
者が物語最後に感じる意外性の効果を減じるにもかかわらず、 3章で提示さ
れているのはなぜだろうか。その書き手の声、つまり作家ブライオニーの声
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典子
は次の通りである。
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3歳のブライオニーがセシーリアとロビーの噴水の場面を見て、新しく物語
を書きたいという衝動に駆られる様子が語られていたかと思うと、作家ブラ
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0年後、自分は、 1
935年
イオニーが、回想する「意識」として登場する。 1
の酷暑のある特別な朝に、 1
3歳という年齢で、文学史全体を辿之ように、
ヨーロッパの民話の伝統から生まれた物語から始まり、単純な教訓そ含んだ
劇を通過し、自ら発見した偏りのない心理的リアリズムに到達したと語るこ
とになるだろう」というのである。ここは、ダーウイニズムを想起ぢせるよ
うな記述でもある。つまり、文学が長い年月をかけて発達してきた歴史が、
少女の作家としての成長という形で繰り返されている状況が、個体のなかで、
進化の歴史が繰り返されることを思い起こさせるのである。自分のヲ供時代
に受けた作家になる啓示が、脚色されて逸話的に語られていると言 λる。ま
た、ブライオニーは、“ [
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) と語ることで、この作品が「自分を認識した瞬間を合んだ成
長の物語」であることを自己言及的に示唆している。つまり、このブライオ
ニーの作品は、贈罪のための物語であると同時に、成功した作家の日伝的な
小説としての役割も担っていて、啓示の場面は誇張気味に描かれる必要があ
ると考えられる。また、最終章の作家ブライオニーの告白が、この作品をメ
タフィクションにしていると論じる批評家に対して、 H
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に指摘している。
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9世紀と 20世紀のイギリス小説が発展させた物語形式が、ブライオニーの作
家としての進化によって反復され、第一部に使われている点にメタフィク
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oは述べている。この考えに加えて言うなら、
ションの要素があると H
ブライオニーの声が介入して作品について言及する状況は、 1
8世紀の小説も
含めなければならないのではないだろうか。つまり、この A
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う作品全体は、 1
8世紀の小説から、リアリズムやモダニズム、さらにポスト
モダニズムまでの要素が散りばめられ、語りの形式の違いを意識させる点に
おいて、メタフィクションであると言える。
少女ブライオニーが誤解するにいたる過程は、先に述べた「噴水の場面」
と「ロビーの手紙Jと「タリス邸の図書室での密会j という三段階で書かれ
ており、それぞれ、事実とブライオニーの誤解とが焦点人物を変えて描かれ
ている。「ロビーの手紙」の場面では、ロビーが間違って、セシーリアへの
欲望を書き連ねた書き損じを封筒に入れてしまい、セシーリアに渡すように
ブライオニーに託す。しかし、この狼薮な手紙をブライオニーは読んでしま
い、ロビーの人間性を誤解するのである。この場面は、ロビーとブライオ
ニーのそれぞれの視点で描かれていて、比較して読むと、この手紙は、単純
にブライオニーに託されたわけではないことがわかる。ロビー視点では、偶
然タリス邸の庭にある橋の上にいたブライオニーに出会い手紙を託したこと
になっているが、実は、ブライオニーは、啓示を受けた直後、現実の世界で
何かが起こることを橋のところで、待っているのである。ブライオニーは、一
人になってタリス邸の庭を歩きながら、思うさま白昼夢にふけっていたが、
啓示を受けた今となっては、本当の現実のほうが重要だと考え始めている。
夕暮れ時、家に帰る気にもならず、次のような決意を固めている。
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.(
7
7
)
こうして、ブライオニーが「自分の空想ではなく、現実の出来事」を求めて
頑なに待っていると、ロビーが橋のところにやってきて、手紙をプライオ
ニーに託すのである。のちに、ブライオニーは、手紙を勝手に聞けで読んだ
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) と表現している。ここに、
啓示を受けて作家になったブライオニーの「全てを知ること Jへの関心が見
て取れる。この作品は、焦点の変化を特徴としているだけでなく、「焦点」、
特に「全知の視点」の機能そのものが、少女ブライオニーの行為に置き換え
られて、プロット自体に組み込まれていると考えられる。つまり、作家とし
て「全てを知る」という野心が、この一連の事件を引き起こしてい之}のであ
る
。
さらに、自伝的要素を含んだ小説を書くのに必要な「記憶」が、小説のな
かの事実を歪める重要な「焦点」としての機能を持っていると考えられる。
脳血管性認知症と診断され、近い将来には記憶を失うと宣告された7'7歳のブ
ライオニーにとっては、作りものであろうと、事実であろうと、いずれ判断
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lこそが、
が出来なくなる。そうなれば、作品として「外部的 Jに記される記'
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事実なのであるとも言える。“w
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1
) と作家ブライオニーが語っているように、実際に起こったことは、も
はや「記憶Jという焦点なしでは、語り得ないものであることを強制してい
る
。 1
3歳のブライオニー、記憶を辿り創作する 1
8
歳のブライオニー、その後
77
歳まで改稿を重ねるブライオニーは、それぞれ書いている時点の作家ブラ
イオニーにとって、すでに他者であると言える。
lanMcEwanの A
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tにおける焦点化と他者の精神
2
9
以上のように、焦点化が特徴であるこの作品は、焦点そのものがプロット
に大きな影響を与えていることがわかる。ここで、ブライオニーの「全知 J
への野心という観点から、宗教的な意味を含む‘a
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'という言葉につ
いて考えてみたい。確かに、ブライオニーは償いようのない重大な罪を犯し
たが、「蹟罪 Jに相当するようなブライオニーの行為は描かれていない。小
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説を書くという行為自体が「贈罪」であるなら、‘ a
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' と呼ぶことへのマキューアン流の皮肉
全知の語り手を‘o
と考えられるのではないだろうか。 EnduringL
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'という視点を指す
デイという要素を取り入れていて、たとえば、‘b
言葉を茶化すかのように、実際に小説の冒頭の気球事故を烏のノスリの視点
から描いている。つまり、 Atonementは、小説を書くという行為自体がプ
ロットに組み込まれているという点において、文学理論のパロディとして読
める可能性があり、メタフィクション的な側面を持っていると言える。
N D
責罪
作家というものは、小説の登場人物の運命を操る神のごとき力を持ってい
るが、果たして、作家ブライオニーは、「購罪」を果たせたのだろうか。そ
もそも臆罪の物語を書く動機は、自分の過ちで引き裂いた二人が、物語のな
かで永遠に生き延びて愛し合うことができるようにすることにある。つまり、
蹟罪が果たせるとすれば、物語を書く行為自体でしか成し得ないのである。
そこで、生涯をかけて、二人の永遠の愛にふさわしい物語の形をブライオ
ニーは追求している。
では、小説のなかで、二人の愛の「永続性j は、どのように表現されてい
るだろうか。最終章の“ London1
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9
9
"で、一人称の語り手が、「ブライオ
tonementを読み終えた読者
ニーの小説」は真実を語っていないと告げる。 A
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か
は、小説的事実を信用する拠り所を失ってしまうことになり、“Wha
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7
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) と問いかけたくなることだろう。この疑問が、小説の再
3
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読をうながす効果を持っとすれば、 E
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能を持つ「終わりが始まり」の形である。さらに、 A
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tの中にめる「ブ
ライオニーの小説Jも、これから原稿を書き始めるというところで終わって
いる点が、「終わりが始まり」という時間的な永続性を作り出している。ま
た、これまで述べてきたように、三人称の語り手が、複数の焦点人物を通し
て同じ出来事を語ることが、唯一の真実はありえないことを示唆している。
つまり、この小説は、その語りの信用性、焦点、物語の形から、虚椛である
ことを主張していることがわかる。さらに、作品の冒頭で描かれるプライオ
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αがその「永続性」の獲得にどのように
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関わっているか見てみたい。
最終章では、ブライオニー 77歳の誕生日のパーテイが、旧タリ λ邸で行
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われる。タリス邸は、ホテルに変わり、 N
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4年前の夏に、上溝中止に
因んで、 T
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なった 1
3歳のブライオニーが書いた劇 T
戚の子供たちによってついに上演される。パーテイのあと、部屋に反ったブ
ライオニーは、小説の真実を語り始める。小説の「最終稿」だけに、二人が
再会するという幸せな結末が描かれていて、本当は「二人は再会す之 ことな
1
く亡くなった Jと告げ、読者を驚きと悲しみに突き落とすのである。しかし、
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) と、ブライオニーは、この最終稿が残っている限り、二人は生き延び
愛し合う、と「現在形」で、語っている。二人の関係は、永遠に変わ月ないこ
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αの主人公の幸せな結
とを示唆しているのである。この T
末を二人に重ねあわせ、おとぎ話的な普遍性を二人の運命に付与していると
言える。この最終章での作家ブライオニーによる解説は、彼女の小説の結末
tonement
の意図を説明する役割を果たすと同時に、マキューアンの小説 A
の結末に、救いようのない悲劇と、「愛の力」という希望の両方をもたらし
ている。恋人たちを描くにあたり、「他者の精神」と同化するためじて「全知
lanMcEwanの A
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tにおける焦点化と他者の精神
3
1
の視点」を獲得しようとしたブライオニーの生涯の物語、それが A
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である。私たちが、プライオニーの悲しみと苦悩に共感し、真実を知ったあ
とでも、ブライオニーを見送る恋人たちの姿が心に残るとすれば、ブライオ
ニーは、「他者の精神」に入って小説を書き得たのであり、その行為は、「蹟
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n
tの最後に、ブラ
罪」と等価であると言えるのではないだろうか。 A
イオニーは、この作品がまだ発展の余地を残しているかのような作家の野望
を語っている。姉とロビーへのブライオニーの「臆罪」は終わることはない
のである。
タリス邸の図書室で、二人の恋人が愛し合い、自他の区別を超えてひとつ
になったように、姉への愛から蹟罪の物語を書こうとするブライオニーの姿
もまた、自他の区別を超えるのは、愛の力であることを示している。さらに、
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マキューアンは、インタビューのなかで、“1thinka
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るが、これは、作家が登場人物という「他者の精神」に入って獲得したリア
リティの確かさを物語っていると言えるのではないだろうか。
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