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志願院の - サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

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志願院の - サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco
Joyful Communication !
SALESIAN
BULLETTIN
8
January 2012
No.
Ciao!
Essay
「ジョヴァンニ・ボスコ19歳。進路への葛藤の日々。」
世界のサレジオ家族だより
モンゴルの大地にて
サレジオ家族探訪
四日市サレジオ志願院/静岡サレジオ
連 載 インタビュー ドン・ボスコの教え子たち
石松伸一さん/佐野裕子さん
Info
お知らせ/国内ニュース
世界のサレジオ家族ニュース
読者プレゼント
ドン・ボスコゆかりの地を巡る
時を超えて紡ぐショートストーリー
言っときますけど…
ともだちへ
本のひととき
10
特 集
代の決心
Aspirant Life
志願院の暮らしガイド
しんぷ
神 父
シスター
元志願生
座談会
神父・シスターへの道
しんぷ
Message
Joyful Communication !
INDEX もくじ
サレジオ家族の皆様へ
ドン・ボスコの生涯を知ろう
~ 2015.8.16 ドン・ボスコ生誕 200 周年に備える~
サレジオ会日本管区長
アルド・チプリアニ神父
2
SALESIAN No.
BULLETTIN
4 ドン・ボスコゆかりの地を巡る ● キエリ
January 2012
5
015 年 8 月 16 に祝われるドン・ボ
ベラ少年(後のサレジオ会3代目総長)の告
スコ生誕 200 周年は、私たちサレ
解*を聴いている姿を写したものがありま
ジオ家族にとって特別な記念です。この
す。信頼しきった様子で語るアルベラ少
記念が実り豊かなものとなるよう、入念
年に、ドン・ボスコは真剣に耳を傾けて
な準備が必要です。
います。
サレジオ会 のチャーベス総 長は、
この姿は、ドン・ボスコを知る鍵で
徒への手紙一 11 章 1 節)
2011 年 8 月 16 日からの準備の 1 年目に
はないでしょうか。ドン・ボスコは子ども
これは使徒パウロがコリントの信徒に
「ドン・ボスコの生涯とその時代の人々
たちの心の叫び、不安や希望、苦しみ、
書いた手紙の言葉ですが、私たちもド
が置かれていた状況を知るように」と呼
喜びを受けとめ、導きました。一方、子
ン・ボスコにならうことによって、キリス
びかけています。幸いに、ドン・ボスコ
どもたちは、自分を受け入れ、共に人
トの愛に近づくことができます。神はド
自身が著した『自叙伝』をはじめ、生
生を歩んでくれるドン・ボスコを通して、
ン・ボスコを、父、師として私たちに与
涯を知るのによい本『ドン・ボスコ伝』
、
神に愛されている、人生には意味があ
えてくださいました。ドン・ボスコがキリ
あらわ
3 Message ●ドン・ボスコの生涯を知ろう
DVD『ドン・ボスコ』がありますので、
ると実感しました。若者のために父であ
ストの呼びかけに応えていった熱意を、
ぜひご活用ください。
る神、良き牧者キリストの姿となり、神
私たちも自分のものとし、聖霊に突き動
の愛の担い手となったドン・ボスコをこ
かされて成長していくことができますよう
この準備の 1 年目を呼びかけるポス
の写真に見ることができます。
に。扶助者聖母のとりなしを祈りつつ。
ターには、ドン・ボスコの生涯にまつわ
「わたしがキリストにならう者であるよ
うに、あなたがたもこのわたしにならう
2012 年 1 月 24 日
その中に、ドン・ボスコがパウロ・アル
( 新約聖書・コリントの信
者となりなさい。
」
聖フランシスコ・サレジオの記念日に
*告解:神に罪を告白し、ゆるしをいただく恵みのこと。
「ドン・ボスコを知る」ために─ おすすめの本・DVD
ドン・ボスコについての証言や
記 録、混 迷するイタリアの状
況を紹 介しながら、その人柄
と生涯を描く伝記の決定版。
新装・新価格
DVD ドン・ボスコ
夢見る少年ジョヴァンニ
青少年の友
ドン・ボスコ
DVD
ドン・ボスコ
ドン・ボスコ著 石川康輔訳
四六判 350頁 ¥1,260
キャサリン・ビーブ著 野口重光訳
新書判 221頁 ¥693
ロドヴィコ・ガスパリーニ監督
日本語吹替版 200分 ¥1,000
ジュゼッペ・ロランド監督
日本語吹替版 45分 ¥1,000
教皇の命 令により執筆された
自叙伝。幼少期から彼の事業
が軌道に乗るまでの 40 年間
の回想録。
少年たちの神父になったドン・
ボスコの魅力あるエピソードを
中心に紹介。小中学生にも読
みやすい新書判。
愛と信頼、強い心で少年たち
を育んだ真の教育者の姿が美
しい映像でよみがえる。イタリ
ア国営放送の感動の作品。
少年ジョヴァンニが 青 少年に
生涯をささげる司祭になるまで
の道のり。苦学しつつも喜び
をもって司祭の道をめざす。
お求め・お問い合わせは……ドン・ボスコ社 TEL 03-3351-7041 FAX 03-3351-5430 ネットショップhttp://www.donboscosha.com/
03
SALESIAN BULLETTIN January 2012 No.8
●
ホームシック/きまり
・規則の厳しさ/
思春期・反抗期を過ごして/
表紙の写真
神父・シスターへの道を歩む意味/
星美学園、中学生の教室
なぜ青少年期なのか/それぞれのその後
10 志願院の暮らしガイド ● 志願院の一日/志願院の様子/神父・修道士・シスターになるまで
12
Essay
「ジョヴァンニ・ボスコ19歳。
進路への葛藤の日々。
」
●
14 サレジアンの旬な一言 ● 言っときますけど…
15 Book Review ● 本のひととき
ドン ・ ボスコとは?
「青少年の友」と呼ばれ、見す
20
世界のサレジオ家族だより ● モンゴルの大地にて
22
インタビュー
26
テレジオ・ボスコ著 サレジオ会訳
A5判 540頁 ¥1,890
座談会
志願院に入ろうと思ったきっかけ/親の反応/
24
ドン・ボスコ自叙伝
●
16 世界のサレジオ家族ニュース
るいくつかの写真が配置されています。
完訳
ドン・ボスコ伝
10代の決心
神父・
シスターへの道
特集
信頼しきった様子で語るアルベラ少年に、真剣に
耳を傾けるドン・ボスコ
こた
8
ドン・ボスコの教え子たち
●
石松伸一
時を超えて紡ぐ ●
ショートストーリー
from 日向学院/佐野裕子 from 城星学園
ともだちへ
Ciao! サレジオ家族探訪
●
てられた若者たちのために生涯
を捧げた神父。1815 年イタリア
生まれ、名前はヨハネ(イタリア
語でジョヴァンニ。ドン ・ ボスコは
「ボスコ神父」 の意味)。青少
年教育に献身するサレジオ会を
創立。1888 年帰天。
文:ノゾエ 征爾 絵:おむらまりこ
四日市サレジオ志願院
静岡サレジオ
サレジオ家族とは?
ドン ・ ボスコの精神を受け継ぐ修
道者・信徒・協力者たち。世
界 130 以上の国で、28 団体、
40 万人以上のメンバーが、学
校、教会、社会生活のさまざま
30 Info ● お知らせ
な場面で青少年や貧しい人々の
31 読者プレゼント
ファミリーとも呼ばれる。
ために奉仕している。サレジアン
「ドン・ボスコの風」 について ─ 「ドン ・ ボスコの風」は、喜びを共にし、サレジオ家族の原点を見つめ、絆を深め、社会・世界に
羽ばたいて、その実りを分かち合うためのコミュニケーション誌を目指しています。「サレジオ精神」を多くの方々と共有し、新しいつながりに広
げていくきっかけとしてご活用いただければ幸いです。皆様からの情報提供とご支援をよろしくお願いいたします。
ドン・ボスコゆかりの地を巡る
恵みの聖母大聖堂の聖母像。
ジョヴァンニはこの像に祈って
司祭への道を決定した。
決心
神父 シスター 元志願生
座談会
軽業師と競争した道
代で神父・シスターになる道をめざし、
親元を離れて、志願院で共同生活する若者たち。
いったい、どんな暮らしなのだろう?
厳しい修行をしたりするのだろうか?
思春期や反抗期ならではの苦悩もあるのでは?
志願院での暮らし、成長、
人生について悩み考えたこと、
そして、今の生き方について、
●
編集部
志願院OB・OGの4人に尋ねてみた。
取材・文・写真
1831年の秋、 歳のジョヴァン
ニ・ボスコは勉 強 するために、トリノ
から ㎞離れたキエリ市へ向かい、2
16
1834年、 歳の時、親 友ルイ
ジ・コモッロに出 会って共に将 来につい
会へ入会しようとも思った。
段 下に泊まった。一 時、フランシスコ
でアルバイトをしながら、その狭い階
1833 年から 転々と 下 宿 を 変
え、生 活は苦しく、カフェ・ピアンタ
にも生き生きと描かれている。
したエピソードは有 名で、
『 自叙伝 』
ちの人気者となった。軽業師と競走
ポーツ、演 劇などを楽しみ、若 者た
日曜日は教会に通い、余暇の時間
に「 喜びの会 」 を作って、遠 足やス
中学3年間の課程を終えた。
た。 最 初の1年に2回も飛び級し、
成 績 優 秀 生 として学 費を免 除され
ルバイトをしながら、公立学校へ通い、
下 宿した。学 費や生 活 費のためにア
年 間、母の友 人ルチア・マッタの家に
15
神 学 校では優 秀な成 績で哲 学と
神学の勉強を修め、1841年6月
1835年の秋、神学校に入った。
力を得て、
高等学校を卒業してから、
ファッソ神 父に相 談し、 同 神 父の協
の聖 母マリアに熱心に祈った。母とカ
て語り合い、進むべき道について恵み
19
5日、トリノで司祭に叙階された。
Gaetano Compri
ガエタノ・コンプリ
●
文
ドン・ボスコが将来の道を決めた町
★ イタリア北部ピエモンテ州 ★
キエリ
Torino
Chieri
キエリの町の空撮
下宿していた
カフェ・ピアンタの階段下
Roma
神父・シスター への道
代の
04
SALESIAN BULLETTIN January 2012 No.8
05
特集
10
サレジオ会司祭。
チマッティ資料館館長。
座談会メンバー
Fシスター (サレジアン シ
・ スターズ修道女)
D神父 (サレジオ会司祭)
Cシスター (イエスのカリタス修道女会修道女)
Nさん (サレジオ会志願院OB、中1から高3まで在籍)
どんなきっかけで、
学 校 ( 夏 に 行 わ れ る キ ャ ン プ )で し た
ています。決定打は野尻湖の聖書
聞き手 / 「ドン・ボスコの風」 編集部
志願院 *に入ろうと
ね。 高 校 生 の 志 願 生 リ ー ダ ー た ち
で す。 志 願 院 に 入 る ま で そ れ か ら
たすらシスターになりたかったん
る の と 聞 か れ て、
「志願院に行く
小学6年生の時、母に将来どうす
気 持 ち が 自 分 の 中 に あ り ま し た。
よりも、なるのが当たり前という
いて、シスターになりたいと思う
C 私は、幼稚園の頃からカリタ
ス会のシスターにお世話になって
も、お兄さん的存在でしたし。
会の神父さんたちや神学生たち
F 私 は 小 さ い 頃 か ら 志 願 院 に 行
きたいと言っていたし、父は「神
あったのだと思います。
気持ちを尊重したいという思いが
しくなかったはずです。でも娘の
人娘だったので、本当は行ってほ
C とくに父は寂しそうで、かな
り顔に出ていました。父は私が一
たと思っています。
きていいよ」という感じがよかっ
た。私にとって「いつでも帰って
兄が途中でやめて、私が残りまし
んどありませんでした。私は野尻
D 志願院に入ってからは、楽し
かったので、ホームシックはほと
なりませんでしたか?
ホームシックに
親元を離れて、
した。
ともやめたとき、残念だとは言っ
幸せだと。だから、兄と私が二人
N 両親は、たんたんとしていま
したね。やりたいことをやるのが
仲間と一緒に生活する
期待感は大きい
デ ス ( 客 室 乗 務 員 )や お 花 屋 さ ん に
よ」と自然に答えました。
に身をささげて生きる修道生活が
湖の聖書学校に3回参加してい
の姿を見て憧れました。サレジオ
思ったのですか?
なりたいというのはありました
志願院に
一番の幸せだ」と思っているの
F 姉 や 兄 た ち が す で に シ ス タ ー
や神父への道を歩み始めていたの
が、 小 学 5 年 生 の 時、 志 願 院 に 行
入ることになって、
で、問題はありませんでした。で
くと決めました。
年 は あ っ て、 途 中 で ス チ ュ ワ ー
よ り、 3 歳 の 頃 か ら 私 は、 た だ ひ
で す が、 そ れ に 影 響 さ れ て と い う
D 私 も、 先 に 志 願 院 に 行 っ て い
た 兄 の 影 響 が あ り ま す。 そ の 時 点
親はどんな反応でしたか?
す。私は末っ子でしたから。だか
も母は寂しいと思っていたはずで
うが大きかったと思います。親か
仲間と一緒に生活する期待感のほ
の よ う な イ メ ー ジ が あ り ま し た。
て、志願院はその聖書学校の延長
ていましたが、引きずりませんで
で は、 神 父 に な り た い と い う 明 確
な 目 標 は な く て、 兄 貴 に そ の ま ま
D 両 親 は 兄 の ほ う が 神 父 に な る
と期待していて、私のほうは「ど
ら母の顔は見ないようにしていま
くっついて入ったという感じです
ね。
うせ帰ってくるんだろう」と親は
した。
志願院で生活して、
思 っ て い た み た い で す。 結 果 は、
できましたし。テレビ好きだった
どんなことを学び、
N 私 も 兄 の 影 響 で す。 5 年 生 の
文 集 に は、 神 父 に な り た い と 書 い
ので、テレビを見られなかったの
悩みましたか?
思春期・反抗期に
はつらかったけど……。
ました。勉強もスポーツも音楽も
志願院は、きまりとか
いているのかなあ?」と(笑)
。
厳しいイメージが
C 厳しかったけれど、私も不満
はありませんでした。志願院から
ら離れるという寂しさはありまし
るようになりましたね。
あるのですが……
た が、 逆 に 親 へ の 感 謝 の 心 が も て
C 私 は ホ ー ム シ ッ ク は 結 構 あ り
ま し た( 笑 )。 甘 え ん 坊 だ っ た の
し た。 志 願 院 に 戻 れ ば、 そ こ の 生
たいという気持ちはありませんで
い ま し た。 だ か ら と い っ て、 や め
の夕方で、NHKの「大草原の小
一テレビが見られたのは、土曜日
て当然と思っていましたから。唯
シスターになる人には制限があっ
F い ろ い ろ 規 則 は あ り ま し た け
ど、厳しいとは思いませんでした。
と一致しやすかった。でも人間関
思います。制限があるぶん、仲間
D つらくても、志願院の仲間と
の生活が楽しかったから残れたと
らかったかな。
われても断ります。それが少しつ
りの友だちから帰りにいろいろ誘
公立の学校に通っていたので、周
分 に も あ る こ と を 学 び ま し た ね。
られました。人の嫌なところは自
ることによって、自分を見せつけ
元を離れ、違う環境、つまり自分
ないで生きてきました。けれど親
れて育って、あまり自分を見つめ
F 自分を初めて本当に見つめま
した。それまで家庭でかわいがら
で。 帰 省 の た び に、 親 の 前 で 泣 く
活をがんばることができましたか
さな家」
。みんな楽しみにしてい
と 心 配 さ れ る と 思 い、 が ま ん し て
ら。 今 は、 逆 に 親 と の つ な が り が
ましたね。
を知らない人たちと一緒に生活す
深められたと思っています。
が 向 い て い る と 感 じ て い ま し た。
N 私 は 志 願 院 の 中 の 人 た ち よ
り、 外 の 人 た ち と 交 流 す る ほ う
てくると思います。
自分はできない」という思いが出
ね。
「周りの人がやっているのに
まうと、不都合を感じるでしょう
うれしかったです。中学生の時は、
チャレンジすることができるのが
じ気持ちで、同じ目標に向かって
D 仲間や先輩が身近なモデルと
してありました。その人たちと同
いいと思いました。
いのなら、志願院にいないほうが
は寂しかったけれど、幸せではな
じた人はやめていきました。別れ
将来については本当にたくさん語
志願院は楽しくて充実している
先輩の高校生はすごいなあと思い
係 が 難 し い と き つ い と 思 い ま す。
F 私 は 1 度 も ホ ー ム シ ッ ク に な
り ま せ ん で し た。 帰 省 か ら 志 願 院
けど、何か無菌室の中にいるよう
ました。生活に規律を与えていた
り 合 い ま し た が、 こ の 人 は シ ス
で、いつまでも精神的に強くなれ
し、行事の企画などしっかりやっ
ターにはなりたくないんだなと感
ないと感じました。外の人たちと
ていて、自分もそうならなくては
それから外に興味がいって、自由
いたほうが、免疫をつけることが
と思いました。だから、いい先輩
がないということに目がいってし
で き る ん じ ゃ な い か、 そ の ほ う
D 厳 し か っ た け れ ど、 そ れ を
補ってあまりある充実感がありま
が 自 分 に は 合 っ て い る の か な と。
がやめていくのはつらかったです
したね。やることがいっぱいあり
それで院長に相談して、高校卒業
ね。これから同じ道を歩まないん
に 戻 っ て き た 夜、 み ん な 布 団 で 泣
まで残ってからやめる決断をし
だ、という寂しさはありました。
い て る ん で す よ。 私 は「 な ん で 泣
きまりは厳しくても、
毎日あまりある充実感
ました。
06
SALESIAN BULLETTIN January 2012 No.8
07
10
*志願院【しがんいん】神父・修道士・シスターへの道を志す者が、親元を離れて共同生活する場。中高生の場合、日中は近くの学校に通い、志願院に帰るとレクリエーション、自習、
祈りなどの時間割がある(詳細は p.10「志願院の暮らしガイド」、p.26「四日市サレジオ志願院」参照)
。社会人から入るシニア志願院などもある。
を 担 当 し た 時 に 思 い 出 し た の は、
や め て か ら、 教 会 学 校 の リ ー ダ ー
N 身 近 に 尊 敬 で き る 人 が い た と
い う の は 幸 せ で し た ね。 志 願 院 を
同時にやはり、召命に耳を澄ま
せる時期でもあると思います。神
確かにあると思います。
それがプラスに働くということは
離れ、仲間と共に共同生活をする。
中学生から養成するのは、
です。
す。チャレンジする価値のある場
志願院の存在意義はあるはずで
で活躍しています。そうであれば
レクリエーションを大切にしま
F 確かに大人では入りにくいか
もしれません。たとえば私たちは
もしれませんね。
も、ちょっと入りにくい雰囲気か
じて志願院に入りたいと思って
ら、社会人になってから召命を感
こた
志 願 院 の 先 輩 後 輩 の 関 係 で す。 エ
さまの呼びかけは、ある人が成長
青田買い・子飼いのような
それに応えていきました。ですか
スカレーター式に身近なモデルと
し た と き に だ け あ る の で は な く、
仲間が教会で、またそれぞれの場
して先輩にあこがれ続けて成長し
ずっとあるはずです。召命はタイ
ことが大事だと思います。親元を
て い く こ と。 こ れ は 子 ど も た ち を
気 が 合 う の が 友 だ ち で、 志 願 者 ど
は「友だち」じゃないと思います。
で し た ね。 志 願 者 ど う し と い う の
つらいことと感謝することは一緒
こそ、今の自分がいると思えます。
C 人 間 関 係 で ぶ つ か っ た 時 は つ
ら か っ た け ど、 あ れ が あ っ た か ら
られます。
り ま す。 嫌 で も 人 間 的 に 成 長 さ せ
ればいけないというのも勉強にな
気の合わない人とも一緒にいなけ
思います。もちろん共同生活では、
自分にとって成長の場でした。学
めましたが、志願院にいたことは
N それはありますね。自分はや
る。なかったら来ていないはず。
す。 呼 び か け が あ っ た か ら 来 て い
て次の段階でまた選びがあるんで
う人が入るところなんです。そし
していこう、識別していこうとい
決めた人が入るのではなくて、探
いいと思います。志願院は召命を
集まって歩んでいく場があっても
け を 大 切 に し、 そ の 声 に 従 っ て
を感じたのであれば、その呼びか
ミングなので、子どもが呼びかけ
者を育てていって、子どもたちも
びかけた子どもたちの中から後継
しょう。ドン・ボスコ自身が、呼
D そ れ は あ り ま す ね( 笑 )
。こ
れ は ド ン・ ボ ス コ か ら の 伝 統 で
私はドン・ボスコやマリア・マ
ザ レ ロ ( サ レ ジ ア ン・ シ ス タ ー ズ を ド
オ家族の精神なんですね。
うようです。でも、これがサレジ
る人は、なんでそんなことをしな
す。大人になってから入ろうとす
導いていくのに一番いい方法だと
イメージがありますが……
うしは兄弟とか姉妹といったほう
去る人もいますが、
神父やシスターへの道から
ます。
しても派遣されていることを感じ
活の中で生きています。やめたと
ら、 去 っ て い っ た 仲 間 が ダ メ だ っ
神さまから呼びかけられた
生き方を見つける場
ければならないのかと感じてしま
が近いように思います。
志願院の生活に
んだことが地元や社会、日々の生
どんな意義が
D 召命というものは、司祭・修
道者の召命だけでなく、信仰の視
たのではなくて、別のものを選ん
点で生き生きとした場を見つける
D 中 学、 高 校 の 時 期 は、 司 祭・
修道者への召命 *(神からの呼びかけ)
だということです。実際、やめた
あるのでしょうか?
の こ と も そ う で す が、 ま ず 人 間 と
と い う こ と だ と 思 い ま す。 だ か
し て 成 長 し、 信 仰 を 育 て る と い う
し
なくなると締められなくなってし
ゆ る ゆ る で す け ど( 笑 )
。祈りが
今 は そ う い う 生 活 で は な い の で、
緩 急 を つ け た 生 活 が あ り ま し た。
た。 祈 り で き ち ん と 場 が 締 ま り、
ターとして、力の限り果たしてい
れている使命をカリタス会のシス
かをしたいというよりも、与えら
ります」という気持ちでした。何
た時、「なりたい」というよりも「な
C 今、 と て も 満 足 し て い ま す。
シスターになると最終的に決意し
場が締まるということがありまし
まうんですね。
が、教会や社会の中では今、いろ
N 私の召命は、司祭・修道者に
なることではありませんでした
けたらと思います。
これからどのように
志願院OB・OGとして、
生きていきたいですか?
を 果 た し て い け た ら と 思 い ま す。
きないけれど、自分のできること
いろな働き手が求められていま
D 神 父 に な っ て よ か っ た こ と
は、たくさんの人、たくさんの若
それが神さまから与えられた生き
す。私は司祭・修道者としてはで
者たちに会えることですね。成果
方なのだと思います。★
続けていきたいです。
歳の時の決心
がどうかはわからないけれど、自
した。教会の神父は土日に教会に
歳の時、カロッソ神父と出会い、
ドン・ボスコ 分を通して、神さまをその人たち
につなげるきっかけが与えられて
行ったときに会う神父。サレジオ
若者と出会い、神さまと
人とをつなげていきたい
ン・ボスコと共に創立)の 雰 囲 気 を 小
います。それが喜びです。それを
さい頃から空気のように吸ってい
F 9歳の時にアフリカの貧しい
子どもたちの写真を見て、私はシ
た と 思 い ま す。 初 期 の 会 員 か ら 戦
いうものに触れられたのはよかっ
し た。 気 持 ち が 素 直 な 時 期 に そ う
C 志 願 院 の 生 活 の 中 に、 い つ も
カリタス会らしさがあふれていま
すぐに浮かんできます。
え る 時、 小 さ い 頃 に 聞 い た こ と が
としてどのように生きるべきか考
にあずかるということは、まさに
あと思っていましたが、毎日ミサ
中高生の時は、朝起きて眠たいな
は、 今 考 え る と 良 い 経 験 で し た。
院で毎朝ミサにあずかっていたの
だなと思います。それから、志願
の存在は当たり前ではなかったの
ジ。後でふりかえってみると、そ
一緒にご飯を食べて遊ぶイメー
学 校 の 延 長 で、 ミ サ だ け で な く、
ないことだと思います。呼びかけ
まからの呼びかけがなければでき
いいと思いました。もちろん神さ
シスターになって生きていくのが
底 し て 神 と 人 に さ さ げ る た め に、
分の命をかけて、つまり生涯を徹
できることですけれど、やはり自
人のために働くのは、結婚しても
に働きたいと思いました。貧しい
スターになってこの人たちのため
がいないから」
てしまうんです。 面 倒をみてくれる人
んな別に悪 党ではないのに、悪 党になっ
け、宗 教を教えてあげたいんです。み
「たくさんの友だちとつき合い、話しか
「司祭になってどうするつもり」
「司祭になるためです」
「なんのため勉強したいのかね」
会の神父のイメージは野尻湖聖書
争中の話を聞いて感動したことと
られたからには、応えていきたい
(『ドン ボ
・ スコ自叙伝 』より)
勉強したいかと尋ねられた時の会話。
か、とても心に残っています。
修道者の生き方だったんですね。
と思います。
D 地 元 の 教 会 の 神 父 と サ レ ジ オ
会の神父は違うなあと感じていま
N 司 祭・ 修 道 者 が い た こ と で、
ま し た。 サ レ ジ ア ン・ シ ス タ ー ズ
10
08
SALESIAN BULLETTIN January 2012 No.8
09
10
*召命【しょうめい】 神から与えられた使命・生き方。狭義では神父・シスターとしての生き方に神から呼ばれること。神父・シスターは、職業(job)ではなく、生き方(vocation)といえる。
つ
や
お
院・
帰
18:00
就学
8:00
おやつ・入浴・
洗濯
帰院
起床・掃除
朝の祈り
ミサ・朝
食
登校
16:30
5:35
6:00
6:20
7:35
8:00
サレジアン・シスターズ
笑顔の絶えない
お姉さんたち。
青少年と共に歩む
ため、
勉強に祈りに
励んでいます。
就学
サレジアン・
シスターズ
日 曜 日には 教
会 学 校の手 伝い
をします。
▼
楽しい遠足、奈
良にて。
せんとくん
と一緒に。
召命 司 牧 のた
めに教会を訪問。
歌声を披露。
▼
キャンプ(フォル
ティッシモ in 野尻
湖)
でのひとコマ。
▼
▼
聖書の勉強中。
▼
ピアノの先生も
一緒に誕生会。
スポーツの時間。
チ ェ チリア 祭
(志願院音楽祭)
でのひとコマ。演
劇 もお 手 のもの
です。
イエスの
カリタス修道女会
ゆかた姿 の 東
京 志 願 院の志 願
者たち。
▼
サレジオ会
▼
ここに掲載している内容はサレジオ会、
サレジアン・シスターズ、
イエスのカリタス修道女会の各日本管区担当者に取材し編集したものです。
各修道会、
神学校によって養成課程は異なります。
また、
誌面の都合上ご紹介しているのはごく一部です。詳細は各修道会にお問い合わせください。
※【ボナノッテ】
=就寝前
の短い話。
イタリア語で
「おやすみなさい」
の意。
就学
就寝
顔
イラスト
spirante
A
e
h
t
in
共 同 生 活の 内 側は 気になるところ 。
16:00
▼
●イエスのカリタス修道女会 管区本部 Tel. 03-3396-2171 ホームページ http://www.m-caritas.jp/
ミサ・
掃除
・朝
食
6:10
6:30
一日のスケジュールを 追ってみまし た 。
18:10
起床
別に
(個
ショ
ン
Day
a
・
おやつ
帰院・
)
事
入浴 習い
※その他様々あります。詳細は下記各々の担当へご連絡・ご確認ください。
●サレジアン・シスターズ 東京修学院 Tel. 03-3906-0170 ホームページ http://www.salesian-sisters.jp/ 就寝
ーション
夕食
e
n
e
c
S
志願院の一日。
起床
21:00
ミサ・
朝の
20:30 ボ
祈り
ナ
朝食
ノッ
朝 ・掃除 7:15
テ※
礼・
ロ
ザリオ
等
登
・
校
晩
の祈
8:00
り・夕
食
レクリエ
ーツ
スポ
中学生・高校生の平日の場合
Daily
(ここでは中学・高校生の志願者について紹介します)
22:30
り
返
り
振
、
り
祈
・近隣小教区での
日曜学校の手伝い
・地域教会での
ユースセンターの手伝い
・児童養護施設での
ボランティア体験
・小教区の教会学校の手伝い
就寝
22:00∼22:30
21:30
ドン・ボスコの子どもたちらしく 21:00
習
い
喜びと快活さをもって、
カテ 事・
ケ
シスター、
仲間と共に
レク ージ
リエ ス
ー ・
召命の道を歩んでいます。 19:15
仲 間 た ちとの日々の 暮 ら しの 中で 、
その他
らす、
志願院での生活をちょっぴり紹介します!
祈り、
勉強、
スポーツ、
音楽…
ドン・ボスコにならい、
仲間と共に
信仰、
召命※を育む日々です。
6:00
イエスの
カリタス修道女会
信 仰と 召 命 を 見つめていき ま す 。
・各小教区の練成会
(サレジオ小教区、手取・
長与教会練成会、NYCCなど)
・青年練成会
・中高生合宿練成会
・よろこびの集い(小学生)
・奄美地区、五島、湯川教会、
手取教会の練成会
神さまから与えられた使命を問いかけながら暮
り
夕食
16:00
15:30
シスターをめざして共同生活する志願生たち。
習
自
17:30
人々と神さまのために生涯をささげる、神父・
サレジオ会
入浴・楽器練習
志願院の様子。
練成会
・志願院一泊体験
・地域の子どもたちの
ためのクリスマス会
・奈良北部ブロック
青少年交流会(年2回)
・Youth Festival
・祈りの集い
・女子信徒黙想会
・クリスマス会
20:00
19:30 晩の祈
18:30
中学生・高校生の場合
・野尻湖少年聖書学校
・三重南部ブロック
サマーキャンプ
・フォルティッシモ in 野尻湖
・関東サマー練成会
・湯布院サマー練成会
・カリタスサマースクール
(宮崎・東京)
SALESIAN BULLETTIN January 2012 No.8
※【召命 】=「 神からの
呼びかけ」の意。キリスト
の教え・救いを宣べ伝え
る者としての使命を与え
られること。
イベント
●サレジオ会 四日市サレジオ志願院 Tel.059-345-5609 ホームページ http://salesians.jp(リンクから移動)
11
22:00
自習
※【識別】
=神から与えられた召命・使命について祈りのうちに判断すること。
【修練期】
=徹底的な修道生活の体験を通
して正式な会のメンバーになるために準備する期間。
【ポスト・ノビス】
=修練期直後の養成期間のこと。
【誓願】
=貞潔・清
貧・従順の誓いを公に立てること。初誓願、有期誓願、終生誓願がある。
【叙階】
=カトリック教会の秘跡の一つ。聖職者と
して任命されること。
神さまに呼ばれた若者たちの家
祈り
前の
寝る
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e
n
r
u
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J
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i
L
t
n
a
r
i
p
s
A
志願院の暮らしガイド
習
自
晴れてシスターとして
様々な場所に派遣され、
人々と神さまの
ために働きます。
終生誓願
会員として使徒職に就き、
会のカリスマと精神を
深めながら、カリタスの
シスターとして
すべてを神と人に
ささげる決意を固めます。
有期誓願期
神父・修道士・
シスターになるまで。
有期誓願期
長 くて 険 しい道 程で す が 、
自 分の 生 き 方 を
シスターとして、
生涯を神さまと
青少年のために
ささげて生きます。
終生誓願
サレジアン・シスター
として働き、
ささげていきながら、
神さまに一生をささげる
決意を固める時期です。
初誓願
識 別 していき ま す 。
修道士養成または
哲学・神学課程前期
h
Walk wit
Jesus
▼
※
専門職習得または
哲学・神学課程後期
それぞれの場所に
派遣されて、
兄弟たちと共に
一生をささげます。
司祭叙階
神父・修道士
それぞれに必要な
知識・技術を
学びます。
終生誓願
哲学・神学を
学びながら、
召命の最終的な
※する時期。
識別 を
初誓願
修練期
夏のキャンプ
各修道会の志願院・
修道院に関するお問い合わせ
修練期
修道服を身に付け、
シスターと呼ばれる
ようになります。
誓願を立てる決意を
固める期間です。
修練志願期
実地課程
創立者の精神や
シスターとしての
生き方を学びます。
修練準備期
学校や施設に勤務し、
教育・司牧の
体験を積みます。
神さまとの関わりを
深めながら修練期に
向けて か月の
準備をします。
志願期
志願期
10
修練院の中で使徒的
活動に参加しながら、
神さまとの関わりを
深めていきます。
ちょっとだけ
体験してみたい!
ど ん な 、人 た ち がいて 、
ど ん な 雰 囲 気 なの か ?
気になる 人は 参 加 してみよ う !
e
Co&mS
ee
修道院の中で使徒職の
体験をしながら
共同生活をします。
中学生、高校生、
短大生はここから。
志願者たちで
共同生活をします。
修学志願期
正式な志願者となり、
修道生活に向けて
本格的な識別の
段階に入ります。
教会体験を
深めながら
リーダーシップを
養います。
修学院から学校に
通い、仲間と共に
共同生活をしながら、
キリスト者としての
養成を受けます。
イエスの
カリタス修道女会
ポスト・
ノビス※
修練準備期・
修練期※
志願院
学生志願院 (大学生・成人)
(中高生)
サレジアン・
シスターズ
※
シニア
志願院
初誓願
本格的な修道生活の体験、
会の精神の学びを通して、
自分を見つめ、初誓願に
向けて準備する期間。
ジュニア志願院の
養成の継続。
大学生、社会人は
ここからスタート。
中学生、高校生は
ここから。
同じ目標をもつ者
たちとの共同生活。
サレジオ会
ジュニア志願院
(中学・高校)
大学に復学して
卒業まで
勉学に励みます。
10
代の決心
神父・シスターへの道
特 集
10
キエリの街並み
ジョヴァンニ・ボスコ
19歳。
進路への葛藤の日々。
キエリ でのハード な 学 生 生活
歳の頃 、 北
ボスコ( ボスコ神 父
少 年 時 代のドン ・
の意 )は 「ジョヴァンニ」 と呼ばれてい
ました。ジョヴァンニは
の頃の彼の様 子を簡 単にまとめる
がんばる傍らバイトの毎日です。そ
費と生 活 費を稼ぐために、勉 強を
緒に。 家が貧 しかったので、 学
よりもいくつか年 下の生 徒と一
めるためにです。もちろん自 分
が、 中 学1年からの勉 強を 始
齢で小 学 校の課 程を終えた彼
にやってきます。やっとその年
という 比 較 的 大きな街に勉 強のため
イタリアの田舎ベッキ村から 「キエリ」
16
と 【 表 1】のような 感じになりま
す。
とです。
こで彼は彼の大 好きな友 人であるルイ
ですが、その後 何かと不 都 合が生じ
得て修 道 院に入ることになっていたの
じつはその頃、司 祭になることは経
済 的にはなかなかよい話でした。しか
ジ・コモッロにすべてを 打 ち 明けます。
て入ることができないでいました。そ
し、ジョヴァンニにとってそんなことの
この友 人にもまだ打ち明けていなかっ
いかがでしょうか。なかなか大 変な
境 遇です。でもその中で彼は精 一 杯
楽しく、がんばっていたのです。
彼はどんな性 格の少 年だったでしょ
うか。【 表2】にまとめてみました。
司 祭 にな る 夢
そんな 非 常に多 面 的 な 性 格のジョ
ヴァンニですが、ひと通りするべき勉 強
歳の時です。 単
を終えた後 、自 分の進 路を決める時
がやってきます。
る 面 も ある
け れ ど、 寝
ている時に見
た夢を単 純
に信じるわけ
にもいかない
し、 自 分 が
本 当に司 祭
としてちゃん
とやっていけ
る の か、 自
分の心をよ
寂しく不 安な気 持ちでいたようです。
その時にジョヴァンニはすぐ彼のことに
気づいて、彼に近づき、気をまぎらわ
せるためにいろいろ面 白おかしい話 を
し、ずっと彼のそばにいてくれたそう
です。そして、ジャコメッリはおかしな
このコモッロは彼の話をよく聞いたうえ
性 格をよく表していますが、ともかく
学校に入ることになったわけです。
て安 心したジョヴァンニは、いよいよ神
が記されていました。この手 紙を受け
生き方をまっとうできる、ということ
大 切にしているならば、しっかりした
このジャコメッリは司 祭になり、ずっ
ということです。
ジョヴァンニが自ら縫い直してくれた、
から茶 化されていたのですが、これも
形をした帽 子をかぶっていたために皆
徹 底してその道に生きたい、そして何
ささげることを 提 案 し、また 自 分の
ことが大切、彼はそういう人間でした。 で、「ノベナ」 という9日間の祈りを
よりも神さまの前で誠実な人間になる
叔 父の司 祭に手 紙で意 見を聞いてみ
進 路 に悩 み 、 祈 る
とドン ボ
・スコの友 人として残ります。
こっ かい
そしてお互いに告 解 ( 神に罪を告 白し、
関 係でもありました。
・スコの繊
このエピソードは、ドン ボ
細さ、心の優しさを表していると思い
祈りながら誠 実に物 事を運ぼうとす
るならば、必ず道は開ける、というこ
みをわかってそれを自 然な形で共にで
見られる人であったと同 時に、人の痛
ます。 彼は常に周りの状 況を冷 静に
があります。
あまり知られていない小さなエピソード
れている秘 訣であるに違いありません。
ひ けつ
そんなところが、今も多くの人に愛さ
賜 物が生まれたのでしょう。そして、
たま もの
神 学 校に入ってからのジョヴァンニの きる人だったのです。 子どもの頃から
ことで、私が個 人 的にとても好きな、 の苦 労 と 祈りの生 活から、その愛の
人の痛 み を 分 か ち 合 え る こ と
とを示してくれていると思います。
時、
その司祭から返事が届いたのです。 この話は、目先の利益にとらわれずに、
そこには、ジョヴァンニは修 道 院に入ら
ゆるしをいただく恵みのこと)を聞きあう
てくれることになったわけです。そし
そんな 彼の悩みの一つは、 本 当に
自 分の人 生 全 体を一 緒になって考え
てくれる大 人が周りにいなかったこと
あげ
でした。そこで一 人 悩みに悩んだ 挙
く
句 、彼は 「 修 道 会 」 に入ることに決
ず、教 区の司 祭をめざすほうがよいこ
めます。修道会に入る、
ということは、 と。 心 配しなくとも慎み深く祈りを
その頃のイメージでは、壁の中の修 道
院に入って世の中から離れる、という
ものでした。ですから彼も『 自叙伝 』
の中で 「 司 祭は司 祭でも、『 修 道 司
祭 』になろう。そして世を捨てて修
道 院にひきこもり、 勉 学と黙 想に専
念するのだ。そうすれば孤 独の中で、
ためローマに留学中。
彼より1年 遅れて、ジャコメッリとい
う神 学 生が入ってきました。本人(ジャ
現在ドン・ボスコ研究の
わたしはいくつかの『 欲 ( 欠 点 )』、
サレジオ会司祭。
コメッリ)がずっと後に思い出して語っ
ていることですが、 彼は訳あって皆よ
り1か月 遅 れて 神 学 校に来 たため、
知り合いもなく、少し皆からからかわ
れるような感じだったようで、かなり
うらた しんじろう
なかでも、 わたしの心の奥 底に深 く
ごうまん
根を張っている『 傲 慢 』と戦うことが
できるはずだ」 とその時の決 意を思
彼 は 実 際、 願 書 も 出 して 許 可 も
い出して書いています。
浦田慎二郎
てまさにその9日間の祈りが終 わった
このようにドン ボ
・スコも 進 路を決
めるために大いに悩みました。そして
えないことだったのです。なるならば、 たということは、彼の非 常に用心深い
祭に向いてい
が前に出てきます。「 自 分は確かに司
彼の真 面 目でストイック、誠 実な性 格
と考えていたのです。しかし、ここで
「 司 祭 ( 神 父 )になること 」 をずっ
た夢に従ったものです。ズバリ、 彼は
がありました。 それは9 歳の時に見
純に言って、彼には小さい時からの夢
19
浦田慎二郎
ために司 祭になることは、絶 対にあり
く 見ると 自 信がない……」 というこ
ジョヴァンニ直筆のノート
学生らしい落書きもある
キエリの神学校
12
SALESIAN BULLETTIN January 2012 No.8
13
Essay
●年齢より下の学年から勉強をがんばる
1年間で 2 学年も飛び級。
●下宿しながら、学費・生活費のためバイト
にも精を出す
家庭教師、喫茶店のバーテンダー。
●文学が大好き
イタリア古典文学、ラテン語の古典。
●多趣味・多芸
奇術、軽業、トランプ、楽器演奏…。
●自分の人生全体を導いてくれるような大人を
求めていた
2歳で父と死別、15 歳でカロッソ神父と死別。
●子どもや若者と過ごすのが大好き
時間があると彼らのために何かをする。
●
文
【表2】ジョヴァンニ(16~20歳頃)の性格的特徴
●熱い心
間違っていることを見たら黙っていられない。
時には手も出してしまう。
●でも基本的には慎重
様子を見ながら、慎重に行動する。
●情が深い
友情に厚い。相手のことをとても強く好きに
なる。
●没頭しやすい(高い集中力)
読書しながら気づいたら朝。
●誠実
目先の利益で動かない。友情への忠誠。強
い感謝の心。
●リーダーシップ
どこに行ってもリーダー。
●自分の長所を素直に認める
自分の頭のよさも、力の強さもよく知っている
し、それを隠さない。
●でも自分の足りないところも素直に認める
足りないところを反省して、自分で修正して
いく。大人になったドン・ボスコとの違いを
見れば実りは明らか。
●ストイック(自分に厳しい)
自分の夢・目標に向かって妥協しない。
ジョヴァンニが下宿していた
カフェ・ピアンタ
【表1】ジョヴァンニ(16~20歳頃)の様子
男
サレジアンの旬 な 一 言
言っときますけど
今 回の
︿ 言っとき ま すけど ﹀人 稲
川
…
孝子
︵サレジアン シ
・スターズ修 道 女 ︶
脅 威 と恐 怖に怯 え まし た。 この出 来 事
人 間 の 力 を は る かに 超 え た 自 然 の 力 の
自 然の恵みに満 たさ れ、 美 しい国 土
に住む日本人は、東日本大震災という、
自 分 自 身 を 信 じるこ とは難 しいかもし
若いゆ えに、 経 験 が浅 く、 知 識 も 少
な く、 自 立 で き て い ない 現 実 の 中 で、
くこと」 でもあります。
な た 自 身 は 一 人 し かいない事 実 に気 づ
身を信じること」 は、
この地球上で 「あ
信をもって前進することです。「自分自
つけ、 若 者の教 育 に一 生 を さ さ げ まし
ドン・ボスコは 「若いというだけで愛
する」 と言って、 自 分の 「 使 命 」 を見
してください!
との恵みを大切にし、自信をもって挑戦
自 身 」 は一 人 しかいない存 在で あるこ
者の時代」 を逃さず、この世で 「自分
に挑むパワーをもっています。 この 「若
があなただけに与えてくださった使命」
「 今 」 す ぐ に 行 動 を 起 こ し、「 神 さ ま
えてくださいます。 若者よ! 勇敢に、
前向きに、恐れずに、自分自身を信じて、
神 さ まはすべての人に 「 使 命 」 をお
与 えにな り、 そのた めに必 要 な 力 を 与
方 を 見つけるチャンスは 「 今 」 で す!
あ な たには、「 あ な た 」 にし かで き
ない生 き 方 があるはずで す。 その生 き
をもって生きる方法を教えたのです。
若者よ、自信をもってください!
り まし た。 人 間の生 き 様 を問 わ れ たの
は地球上のすべての人間への警告でもあ
れ ません。 し かし、 生 き るこ とは、 自
た。 彼 は若い時 から、 自 分に与 え られ
おび
で す! 生 き ていく う えで 最 も 大 切 な
ことは?
た能力をあらゆるチャンスに磨いていき
リ スト 教 や 聖 書 に 興 味 は あ る け
れ ど、 難 し そ う だし、 入 門 講 座
を まじ えて わ かり や す く 解 説。 ま ず 読
児 科 医 と し て 出 会った 子 ど も た
ちの中 の何 人 か を、 天 国 に 送 ら
です。(田中評)
と呼ばれる先 生のユーモアも魅 力の一つ
家 族のことを 「 うちのキリシタンども」
示 し な が ら も、一 人 仏 教 徒 を 貫 き、 ご
ルに 学 ば せる な ど キ リ スト 教 に 理 解 を
4人のお子 さ んたち をミッションスクー
か。 カトリック 信 者のご家 族 がおら れ、
しての奥深さが支えているからでしょう
が漂っているのは、 お遍 路 さん・俳 人 と
谷 先 生 の言 葉 の奥 に、 静 け さ と 安 心 感
ソー ド が 胸 を 打 ち ま す 。 そ れ を 綴 る 細
さいいのち」 たちと、そのご家 族のエピ
幸せを返しながら、天に昇っていった「小
かりとこの世に根付き、周りの人たちに
がいっぱい詰まった本です。短くてもしっ
なければならなかった悲しみとやさしさ
小
使のマンガかも? (編集部評)
ガエタノ コ・ンプリ 1470円 佼成出版社
2009年 232頁
細谷亮太
今、
伝えたい
「いのちの言葉」
1029円 ドン・ボスコ社
みたく なるのは、ユーモア たっぷりの天
キリスト者の生き方など、質問コーナー
験 が光っていま す。 聖 書の教 え、 歴 史、
ガエタノ コ
・ ンプリ神 父 (チマッティ資料館
館長)が長 年 学 校や教 会で教えてきた経
読める」 カトリック入門書です。 著者の
に答えてくれる、「若者も大人も楽しく
どう考えてるの?」 という質問にも明解
ういう 問 題について、カトリック 教 会は
報。 勉 強 会では尋ねにくいことや、「こ
に 行 く 時 間 は ないし …… とい う 人 に 朗
キ
を見つけてください。
分の足 で 歩み、 自 分の頭 で 考 え、 識 別
男の子が前向きに
なる子育て
2011年 191頁 こころにひかりを
し、 判 断 し、 決 定 し、 行 動 を起こ すこ
FMA国際ボランティアVIDES JAPAN顧問
ま し た。 そ し て、 若 者 た ち に 「 自 信 」
サレジアン・シスターズ修道女
とです。「若さ」 は、冒険、チャレンジ
稲川 孝子 いながわ たかこ
2011年 301頁
よくわかるカトリック入門
NEW
若者よ! あなたの「今」の生き方に、
あなたの未来がかかっています! 大切
なこ と、 そ れ は、 自 分 自 身 を 信 じ、 自
の子が、負けないタフさや起き上
がる力をもつ大人に育つための
のルール。 サレジオ会の学校で長年多く
の生徒や親たちと関わってきた河合恒男
PHP研究所
河合恒男 神 父 ( 日 本 カ ト リック 学 校 連 合 会 理 事 長 )が、
1260円
その豊かな経験をもとに、子育て中の親
たちに向けて、温かく、簡潔に語ります。
引っ込み思案、自信がない、自分で決め
られない……そんな男の子が伸び伸びと
育つようになる、親の態度。 ピンチをチャ
もち自立する関わり方など、具体的なア
ンスに変える導き方。 子どもがやる気を
ドバイスも。子どもたちのそばに寄り添っ
ャンルと し て は 絵 本 に 入 る の で
しょうが、一般的に子どもに読ん
作 出久根育 絵 ペンキや
(編集部評)
てきた著者の深い愛情に満ちています。
ジ
で 聞 か せ る 絵 本 と は 異 な り ま す。 あ な
梨木香歩
2004年 47頁
たは ま ず 表 紙 の 「 し ん や 」 の瞳 に と ら
えられるでしょう。 そして比較的文字の
1365円 理論社
田中 直美
●
多いページを読み進めていくうちに、す
て き な 「 色 たち 」 の深 みに沈 んでいく
でしょう。「ユトリロの白 」 をご存 じで
す か。 近 代フランスの画 家モーリス・ユ
トリロが描いた壁などは独特な白で有名
で す。 その 「 すべての色 を 含 ん だ 」 白
で船を塗ることを注文する白いドレスの
不 思 議 な 女 性。 最 後 はこの女 性 に 導 か
れて永 遠に旅 立っていく 「しんや」。 こ
の女性は一体だれなのでしょう。(田中評)
ほん
評者
たなかなおみ
サレジアン・シスターズ修道女
SALESIAN BULLETTIN January 2012 No.8
15
57
Book Review
ひととき
本の
インド
刑務所の青年たちを
ドン・ボスコが訪ねる
は刑 務 所 視 察 副 長 官 、 管 理 所 長 ら
タイ
サレジアニ・コオペラトーリ
アジア大会
2011年 月 ~ 日、タイの
バンコクで 第7回 サレジアニ・コオ
か国9管区から140名が集まっ
ティーを新たにしよう」 をテーマに
ばれている。 私たちのアイデンティ
レジアン シ
・ スターズの見城澄枝シ
スタ ー が 参 加。「 一 致 す る よ う 呼
オ会のアキレ・ロロピアナ神父、サ
た。 日本 からは 会 員5名 とサレジ
ペラトーリ・アジア大会が開催され
15
も列 席 。
意で輝いていた。
11
た。
~ 日は管区コーディネーター
と担当司祭・修道者の指導者会合、
日夕方から開会、ボナノッテ (就
寝 前の短い話 ) で は日本 管 区の丸
山和美コーディネーターが東日本大
震 災の状 況 を 話 し、 参 加 者 から感
動と励ましの言葉が寄せられた。
日から、コオペラトーリの会則
「 使 徒 的 生 活 の プロジェク ト 」 と
養 成、ア イ デンティティー、 歴 史、
ドン・ボスコの精 神、 自 立、コミュ
ドン・ボスコの学校訪問、新会員入
ニケ ー ション な どについて の講 話、
ランプを灯 す 式 が行 わ れ た。 式に
を迎 え 入 れ、 社 会 復 帰の手 助 けを
センターは解 放 さ れ た 少 年 兵 た ち
らは400名 近 くの若 者 た ち が 参
セスがより 確 保 さ れ る と 説 明 す る
とに。 政 府 は透 明 性 と民 主 的 プロ
る貴重な体験の機会となった。
インを学ぶ。
また、1週間前からサンティアゴ・
デ・コンポステーラをめざし100
10
この日のた めに歌 を 作 曲 し た 服
役中のブドゥデフ・メテは、涙を浮
かべな が ら 歌 を さ さ げ、 仲 間 が 民
族 太 鼓 タ ブラで 伴 奏。 その中、 囚
人 一 人 ひ と り が 聖 遺 物 に 近 づき、
合わせた人々に深い感動を与えた。
ドン・ボスコと触れ合う様子は、居
加し、サレジオ家族関係の卒業生・
教 会 の青 年 も 日 本 の公 式 巡 礼 団 に
加わって多数参加した。
大 会 期 間 中 は、 司 教による キリ
スト 教 講 座、 祈 り の集い、 ミ サの
ほか、交流イベントなど多数のプロ
グラムが行 わ れ た。 教 皇 と共にイ
万 人が参 加し、 教 皇
エスの受 難 を 黙 想 す る 「 十 字 架の
道 行 」 には
司 式 の閉 会 ミ サには100万 人 以
こた
上 が 参 列。 イエス・キ リ ストの 名
のもとに、教皇の呼びかけに応え、
言 語 や 文 化の違いを 乗 り 越 えて 一
つの場所に集まり、「一つの体、一
ワールドユースデーに
㎞歩 く 聖 地 巡 礼 のコースに 参 加 し
つの心 になる 教 会の体 験 」 をし た
100万人以上の青年が集う
た若者たちにとっては、歩きつつ仲
スペイン
たちと出会った司祭になりたてのド
2011年8月 ~ 日、スペイ
ン・マドリードでワールドユースデー
間・自 分 自 身・神 との対 話 を 深 め
若 者 たちの顔 は、 信 仰 を 証 する決
ン・ボスコが 「帰って」 きた。
が開催され、世界各地からカトリッ
12
「農村地域の貧しい生徒たちに教
育・職 業の機 会 を 広 げ、 学 ん だ 技
ドン・ボ スコ像 と 聖 遺 物 は、 サ
レジ オ 会 チームが指 導 す る 服 役 中
の若者たちによるドン・ボスコ・ブ
ク 信 徒 の青 年 が 集 まった。 日 本 か
14
11
している。 特に2008年にキヴ地
21
12
ワールドユースデーで日本とイタリアの若者たち
ち が ド ン・ ボ スコの 歌 を 歌 う 中、
ドン・ボスコをブラスバンドの演奏で迎える服役中の青年たち
ラ スバンドに 迎 え ら れ、 子 ど も た
かつてトリノの刑務所に通い、若者
は、ベルハンポーレ刑務所を訪れた。
2011年7月9日、コルカタ管
区を巡礼中のドン・ボスコの聖遺物
World Salesian Family NEWS
会式 (若者 名) と、多くを学び、
アジア大会に参加した
サレジアニ・コオペラトーリのメンバー
世界の
サレジオ家族
ニュース
そ れ ぞ れ の民 族 衣 装 で 歌 や 踊 り を
のカルチャーナイトでは、参加者が
分 か ち 合 う4日 間 だった。 最 終 日
団 体の拠 点 となった同センターは、
人の避 難 民 を受 け入 れ、 国 際 援 助
方 で 再 び 内 戦 が 始 まった 時、 数 千
週に上 告 裁で 棄 却 さ れ たこ とに抗
対 す る カト リック 教 会 の訴 え が 前
う。 こ のハンスト は、 同 条 例 に 反
の協 力 関 係 を 損 ないか ね ないとい
方 針に政 府 を 介 入 させ、こ れ まで
が、 学 校 側 によれ ば、 学 校の運 営
と 責 任 者 のサレ ジ オ 会 員アルベイ
の可能性を提供することをめざす」
ボ ジア や 外 国 の企 業 にオンラ イン
めにウェブコンテンツを制作、カン
術を活かして地元のマーケットのた
人の子 ど も たち を迎 え 入 れ、 教 育
ドン・ボスコ・センターは2万6千
重 な遺 産 を残 し た人々、 特に多 く
ゼン枢機卿は、「困難な時代に香
港の教 育のた めに身 を さ さ げ、 貴
議するもの。
プ ノンペンの
ユニセ フに よ れ ば、 農 村 地 域 の
人々の %が貧困に苦しんでおり、
ロ・ロダス神父は語る。
%に比べて高い。 カンボジアの人
歳の枢 機 卿は
カト リック 教 育 が 私 た ち の学 校 で
し ません。 神は歴 史の主。 本 当の
た ち は 悲 し んでいま す が、 失 望 は
認 めら れ な かったこ と は 残 念。 私
の国 の経 済 が 技 術 や 観 光 の分 野 で
きく前進させる。ロダス神父は「こ
し て、 従 来 のセンタ ーの役 割 を 大
デザイン・ウェブ・ハウスは、ドン・
ボスコ職 業 訓 練 センタ ーの一 部 と
口の %が農業分野で働いている。
急 拡 大 するなか、 農 村 地 域の若 者
た。 心 臓 病 を患 う
3日 間 、 水 と 聖 体 だ け を と り な が
や 都 市の貧 しい若 者 たち が取 り 残
め、 香 港のサレジ オ 会 支 部の玄 関
らも、よい体調でハンストを終了。
ら れ ている。 イ タ リア 通 信 社 に寄
前で3日間のハンストを行った。
されるようなことがあってはならな
せ ら れ た イ タ リア 協 力 事 業 団のパ
い」 と強調している。
オロ・ウルバノ氏の報 告 による と、
年 教 育 改 正 条 例で 香 港のキリ
スト 教 学 校の管 理 は、 母 体 で あ る
農村の若者たちに
報 道 し、 多 くの信 徒 がゼン枢 機 卿
74
「戦争、残虐行為、苦しみのさなか、
バンコクの洪水を心配しながらの
大会であったが、参加者はドン・ボ
いる。
10
40
提 供 さ れ 続 け ま す ように」 と 語っ
25
こ の 間、 香 港 のメディア は 大 き く
特 に 北 部 の農 村 地 域 で 子 ど も た ち
教 会・修 道 会 から 引 き 離 さ れ、 政
ウェブデザインの職業教育
2011年 月、カンボジアのケ
プ国立公園に新しいドン・ボスコ技
カンボジア
を訪れて励ました。
の 誘 拐 が 続 い て お り、 逃 げ よ う と
府 直 轄の管 理 委 員 会に移 さ れるこ
問 さ れ た り 殺 さ れ た り し ている。
ユニセフやアムネスティーなどのN
ラ ムに 取 り 組 んでいる が、 状 況 は
が開 校。 農 村 部 出 身の
名の若 者
術訓練校デザイン・ウェブ・ハウス
10
がインターネット技術、ウェブデザ
20
GOが武装解除・定住・更生プログ
今も深刻だという。
ヨセフ・ゼン枢機卿
04
%、 他 の 都 市 部 の
スコの心をもってそれぞれの場で生
コンゴ民主共和国
中国
抗議のハンスト
ゼン枢機卿、国の教育政策に
日、 国の教 育 政 策に抗 議 す る た
79
解放された少年兵の
社会復帰を支援
19
中国のヨセフ・ゼン枢機卿 (サレ
ジ オ 会 ) は、2011年 月 ~
10
して 捕 まる と、 見 せし めとして 拷
在 も6千 人 が民 兵 組 織に従 属 させ
放されたが、ユニセフによれば、現
コンゴ民 主 共 和 国 で は 過 去 年
の間 に、3万6千 人 の少 年 兵 が 解
10
この状況の中、ゴマのドン・ボスコ・
カンボジアのドン・ボスコ技術訓練校
デザイン・ウェブ・ハウスの学生たち
22
きる喜びと決意を新たにした。
の 宣 教 師 た ち 」 を 思い、「 訴 え が
(子どもが
Los niños primeros
第一)賞を受賞。ユニセフ委員会は
09
し、 世 話 し、 養った 」 と 評 価 して
も喝采を浴びた。
りの編み笠を被っての 「阿波踊り」
披 露 し 交 流。 日本の着 物 姿に手 作
年スペイン・ユニセフ委員会から
35
16
SALESIAN BULLETTIN January 2012 No.8
17
16
13
60
SFN
World Salesian Family NEWS
World Salesian Family NEWS
うひと時をもった。
迎され、皆がドン・ボスコと語り合
厳 な 行 列、 楽 しい 余 興 によって 歓
あ ふれ ていた 彼 は、 Father Jolly
( 楽 しい 神 父 ) と 呼 ば れ 親 し ま れ
も あ たり、 快 活で 若 者 との友 情に
愛 を もたらして く ださい」 と励 ま
ど も た ち や 貧 しい人 々に イエスの
は、 地 上 で キリストの使 命 を 果 た
いつも 運 ぶ福 音 を 分 かち 合 うこ と
アフリカ・ケニア
ドン・ボスコの聖遺物
た。 韓 国 のテレビ 局KBSが 制 作
した。
イエスのカリタス修道女会
す こ と。 宣 教 師の心 を もって、 子
アフリカ巡礼始まる
語に訳され、世界各地で話題となっ
したドキュメンタリー番組は数か国
業 を 助 ける 「ヨハネ・リ 基 金 」 に
5人の宣教女を南スーダンへ派遣
スー ダンへの継 続 的 協 力 を 約 束
し て い た サ レ ジ オ 会 韓 国 管 区 は、
日、 南 スー ダン
シス・ソンと建築家のクララ・リ夫
ナ・キム夫 妻、エンジニアのフラン
医 師のマティアス・リュー とレジー
の共 同 体 と なる。 派 遣 さ れ るのは
同会にとって初めてのアフリカ大陸
2012 年 に創 立
クオーレ大聖堂で派遣式を行った。
に2年 間 派 遣 す る4人の信 徒 宣 教
妻。 4人 は定 年 を迎 え、 何 か意 義
下 崎 優 子 修 道 女 と韓 国 人 修 道 女3
部があるイタリア・ローマのサクロ
のあることをしたいと願っていたと
人、 ブラ ジル人 修 道 女1人。 彼 女
を南スーダンへ送るため、同会総本
ころ、 リ 神 父の生 涯 を 知 り、 彼 が
た ち は 言 語 習 得 とアフリ カでの生
周 年 を 迎 える
献 身 し たアフリ カで 働 き たいと 志
活に慣れるため、ケニアのサレジア
時 間、 才 能、 持 ち 物、 そ して 心 に
韓国管区長ステファン・ナム神父
は 派 遣 さ れ る 4 人 に、「 皆 さ ん の
受けた。
願。 韓 国 管 区 から1年 間の養 成 を
師 を 任 命。 派 遣 さ れ たのは、 共に
2011 年 7 月
2011年 月 日、イエスのカ
リ タス修 道 女 会 は、5人の宣 教 女
は3万人が関わっている。
ている。 スー ダンのサレジ オ 会 事
ドン・ボスコの聖遺物は、これか
らア フリ カ 各 地 で 難 民 キャン プ や
リ・ソテク神父の遺志を継いで
韓国
サレジオ家族が働いている。
ばん若くて貧しい国の人々と共に、
ど 整 備 さ れ ていない。 そ ん ないち
し、 経 済・交 通・教 育 な ど ほ と ん
民 族 間 を め ぐ る 長 年の内 戦 で 荒 廃
2011年7月に独立したばかり
の南スー ダン共 和 国。 石 油 資 源 や
南スーダンで働くサレジオ家族
世界一若くて貧しい国
南スーダン
族のもとを訪れる。
貧 しい人 々の中 で 働 く サレジ オ 家
月1
数 か 月 に わ たって 巡 礼 し た イ ン
ド・スリランカを後にし、ドン・ボ
スコの 聖 遺 物 は2011 年
日、 ケニアのナイロビ空 港に到 着。
アフリカ巡礼が始まった。
聖 遺 物 は東アフリカ管 区の管 区
長 館に直 行、 ジャンニ・ロランディ
管区長らサレジオ会員に迎えられ、
祈 りの時 を 過ごし た。 翌2日早 朝
から、エンブやマクユのサレジオ会、
サレジアン・シスターズの学校やセ
ンターを訪問。多くの会員、子ども、
若者、地方の村から駆けつけた人々
に 囲 ま れ、 各 地 域 の 司 教 に よ る ミ
人 の少
サ も さ さ げ ら れ た。 エンブのカ リ
ウ キ 司 教 に よる ミ サで は
年 が 堅 信 を 受 け、 ムランガのワ イ
ナニア 司 教 司 式 のミ サ 後 は 終 夜 礼
信徒宣教師をスーダンへ派遣
歳で 亡 く なったヨハネ・
2001年、韓国からスーダンに
宣 教 師 として 派 遣 さ れ、 年にが
んのため
リ・ソテ ク 神 父。 彼 は 医 師・音 楽
家・教 師・サレジオ 会 司 祭 として、
南スーダンの人々に生涯をささげ、
多 く の支 援 によ り 小 さ な 診 療 所 と
ブラスバンドを創設。ハンセン病の
治 療 や、 内 戦 で 荒 廃 し たトンジの
キ リスト 者 共 同 体・学 校 の再 建 に
日 本の皆 さ んはこのたびの大 震
災 で 大 き な 苦 しみ を 体 験 さ れ ま し
たが、勇気をもって知恵と助け合い
ン・シスターズの家でしばらく生活
した後、スーダン入りする。
南スー ダンは北 と 南 が平 和 協 定
し た 年 ま で 絶 え ず 紛 争 が 続 き、
口座番号 00100-7-412947
拝が行われた。 ドン・ボスコはマサ
イ 伝 統 の 歌 や 踊 り、 詩 の 朗 読 、 荘
国民の多くは平和を知らないため、
子 ど も た ち の 教 育 が 重 要 と な る。
かつての戦 地 で 支 援 が 特 に必 要 な
歳
ます。 私 は神 さ まと、 皆 さ んの寛
によって試練に立ち向かっておられ
大 なお心に信 頼 します。 私は
が、 最 後 までアフリ カの子 ど も た
で 片 足 が悪 く、 手 も 震 えています
ちのために働 き たいと願って おり、
こ の 思い は 私 を 幸 せ に し て く れ ま
のため」と明記してください。
首都ジュバと周辺地区で、サレジオ
会 は 男 子の職 業 訓 練 校、 サレジア
ン・シスタ ー ズが 女 子 教 育 に 携 わ
り、 イエスのカ リ タス修 道 女 会 は
医療施設の開設を計画している。
南スーダン宣教師
す。 皆 さ ん の た め に お 祈 り 致 し
ます。●
加入者名 「ドン・ボスコの風」編集事務局
南スーダンへ派遣される
イエスのカリタス修道女会の5人のシスター
スターズより
さい。「100校 プロジェクト」 に
23
75
郵便振替
! ありがとうございました。
みながら……。皆さまのお祈りに支えられて
協力をお願いしたいのです。100
10
払込用紙にて)
ご寄付をお願い申し上げます。
にはリズミカルな聖歌を口ずさ
るのです。昨日も、今日も、そして明日も、時
ドナーティ神父より HELP!
は、タクシーの運転手や一般の
05
く、喜びと希望の福音を告げ
の聖なる武器を手につまぐりながら、足取り軽
◆南スーダン100校プロジェクトのため
ご寄付のお願い
下記の振込口座まで(または本誌とじ込みの
づけられ、また聖母と共にロザリオ
私は、いつもあなたと共にいる」に勇気
難民キャンプで医師として診療所を開き、少年
ブラスバンドを創設、
“楽しい神父”
と呼ばれた
ヨハネ・リ・ソテク神父
84
患者のいるビヤマリアの貧民街
校 のプレハブ 校 舎 は、2 億 円 で ま
昼間でもアルコール、麻薬の
かなえる予定です。
が報いてくださる人知れぬ皆さ
いになり、人々の注目を集めています。神のみ
15
日々、成長させてくれています。
「100校プロジェクト」 に
年 代 スー
もたちの心を喜びで満 たし、
南スーダンの生徒たち
漠地帯の不毛の地は、今きれ
たします。長い間、人々から忘れられていた砂
ご協力を!
ヴィンチェンツォ・ド ナ ー ティ神
父 は、 かつて 宣 教 師 と し て 来 日。
1960年代に韓国へ派遣され、そ
奉 仕 し たい と 願 い 出 て
は、貧しく素朴な人々と子ど
10
ました。感謝を込めてお知らせい
園の保育室建築資金に使用させていただき
※通信欄に「南スーダン100校プロジェクト
ペルー・イエスのカリタス修道女会 シ
の後 「 最 も 貧しい子 ど も た ち 」 に
ダンへ渡 り、今日に至 る ま で 同 地
で 活 躍 し てい る 。
キリストのことば「恐れるな、
人々も行きたがらない場所です。 皆 さ ん もご 存 じのとおり、最 近
南スー ダンは 独 立 国 と な り まし た
が、人々の生 活は食 料、水、電 気、
コミュニケ ーション手 段、教 育 な ど
に事欠いています。職を求めて北に
移 住 していた 人 々が南 に戻 る 現 象
が起こ り 、人口が急 増 しています 。
学 校 が少 ないた め、 サレジ オ 会
は小 学 校の建 設 を始 めまし た。 ま
ず ご く 簡 単 な 造 り で、100校 を
建てる必要があると考えています。
た愛の支 援金は、 マリアタキ保育
前号で 紹介され、 皆さま方から贈られ
18
SALESIAN BULLETTIN January 2012 No.8
19
南 スー ダンの人 々、 子 ど も た ち の
吹いて!
「ドン・ボスコの風」はペルーのスラム街に
ケニアの人々に歓迎される
ドン・ボスコの聖遺物
置 かれ ている 状 況 を 見に来 て く だ
金
ま一人ひとりの心からの 愛のあふれである献
47
ペルーより感謝のお便り
12
16
80
World Salesian Family REPORT 世界のサレジオ家族だより
モンゴルの大地にて
度出会っただけで家族の一員のよ
サレジアン・シスターズ修道女。
2009年よりモンゴル国で宣教女として活動。
こじま はなこ
サレジアン・シスターズ修道女からの便り
で習う物語『スーホの白い馬 』に
うに受け入れてくれる温かい国民
小島 華子
出てくる民 族 伝 統 楽 器 “ 馬 頭
です。
本からのシスターたちで構 成され
国、フィリピン、オーストリア、日
おなじみですし、小 学 校の国 語
歴史の教科書では“元寇”でも
物が立ち並ぶ風景も見られます。
の名 残を思わせるソビエト式の建
都ウラーンバートルには旧ソビエト
りでしょうか? テレビで紹 介さ
れているとおり大草原があり、首
はモンゴルに足を運んだことがおあ
道女会の経営する幼稚園で保育
への奉 仕と、シャルトル聖パウロ修
年委員会のメンバーとしての若者
こく、 人々はとても親 切で、 一
合わせた国。子どもたちは人懐っ
い、ちょっと不思議な文化をもち
ヨーロッパに属しているとも言えな
アジアの中にありながらアジア
色を色 濃くもたない、かといって
は民主化の道を選びました。
との盟 友 関 係から離れ、この国
特 徴を生かしながら宣 教 活 動を
この国の必 要 性に応じて各 自の
信徒宣教者、計 名で構成され、
(
名の教 区 司 祭 と
ンゴルカトリック教 会は2012
た。国際色豊かな共同体で、韓
女として3年 前に派 遣されまし
ば とう
琴”(モンゴル語でモリンホール)の
国際色豊かな
ています。さらに来 年はインド人
と折り紙の授業をしていました。
きん
国です。1990年のペレストロイ
のシスターがメンバーとして加わる
カトリック小学校建設は
はく ほう
予定です。未だ、独自の事業を
資金難に直面
しょうりゅう
宣教者たちと一緒に
もっていない私たちは、語 学を学
行っています。
びながら自分のできることを探し
私たちは修道会の最初の事業
として、モンゴル第2の都市、ダル
名の修 道 者
周年を迎えます。5
て毎日の務めに励んでいます。サ
ハン市に幼 稚 園を設 立する予 定
の 修 道 会 )、そして6 名の
年で宣教
レジオ会の専 門 学 校の英 語や秘
でしたが、なんと神さまは、司教
とんどなく、中 国から輸 入しな
す。モンゴル国には建 築 資 材がほ
不足という問題に見舞われていま
ていない今の時点で、すでに資金
かし、まだ小 学 校 校 舎が完 成し
望をおもちでいらっしゃいます。し
高 校、大 学を建 設するという展
校を建て、続いて幼稚園、中学、
もっておられ、まず手始めに小学
多くの人に伝えるという 意 向を
とおして神と共に生きる喜びを
トリック一 貫 校を作り、教 育を
司 教は幼 稚 園から大 学までのカ
が私たちにゆだねられたのです。
なぜ宣教できたのか
ザビエルは
ているとも言えそうです。
るのかは、私たちの手 腕にかかっ
を行っていけば福音宣教の場とな
う経 営し、どのように教 育 活 動
素を出せないカトリック学 校をど
できないのです。カトリックの要
これでは思ったように宣教活動が
教の自由を認めていると言っても、
することを許可していません。宗
字 架を飾ったり、宗 教の授 業を
お祈りをしたり、マリアさまや十
モンゴル政府は教会外での宗教
活動を禁止しているので、学校で
を賭けていきたいと思います。★
現するための一つの道具として命
がある中でも神さまのお望みが実
ざしつつ、たくさんの限 界や障 害
育 法をとおして全 人 間 教 育をめ
る私たちが、ドン・ボスコの予防教
な教 育を使 命としていただいてい
国にあって、人間形成に一番重要
政治、経済、教育など、すべて
の面で今から発展していくモンゴル
の偉大さを実感させられます。
んの問いが生じてくると同時に彼
して生きられたのか等々、たくさ
代に、どのように生きた神の証と
時代よりも不便なことがあった時
ていったのか、いろいろな面で今の
ような工夫をして福 音 宣 教をし
日本人に理解しやすいようにどの
やって神さまを伝えていったのか、
辞 書 も本 もなかった時 代にどう
の偉 大さを身にしみて感じます。
開始され、私は第4回目の宣教
地に足を踏み入れて宣 教 活 動が
私たちサレジアン・シスターズは、
2006年に最初の宣教女がこの
書コースの教師、ゴミ処理場の周
の学 校の運 営に当たるという 違
ければなりません。 建 築 予 算を
カトリック教会の土台が浅い中
での福 音 宣 教の大 変さ、難しさ
※通信欄に「モンゴルの小学校建設のため」
と明記してください。
げん こう
りに住んでいる貧しい人々への物
うご計 画をもっていらっしゃいまし
大 幅に超えて、今 資 金をどう工
は、私の予 想を超えていました。
郵便振替 口座番号 00100-7-412947
加入者名 「ドン ・ ボスコの風」編集事務局
20
今、本当に聖フランシスコ・ザビエル
下記の振込口座まで(または本誌とじ込みの
振込用紙にて)
ご寄付をお願い申し上げます。
61
72
11
面しようかと頭を悩ませておられ
ます。
モンゴルの小学校建設のため
ご寄付のお願い
するモンゴル初のカトリック小学校
資 援 助、教 会 活 動への奉 仕など
ダルハン教会での夏のキャンプで子どもたちと
た。2012年9月からスタート
あさ
カ(ソビエトの政治改革運動)を
JAPAN
朝青龍や白鵬でおなじみのモン
ゴル国。草原のイメージが定着し
CHINA
きっかけに、 年に及ぶ旧ソビエト
MONGOLIA
たチンギス・ハーンの国。みなさま
Сайн
байна уу?
Ulan Bator
Darkhan
1992年にモンゴルの地に最初
の宣 教 師 団が到 着してから、モ
サエン バエノ~?お元気ですか?
冬は−40℃近くまで冷え込むことも
です。 私はカトリック教 会 青 少
70
20
SALESIAN BULLETTIN January 2012 No.8
21
幼稚園児に折り紙の授業
サレジオ会の養護施設で音楽を教える
ミサの後で若者たちと
留学生の歌のコンテストで銀賞を受賞!
(右から2番目)
ダルハンにて小島華子シスター。
なった きっかけは?
─ 医 者 、 し かも 救 命 救 急 医 に
実 感できます。
が働いているんだろうなということを
して洗礼を受けました。後輩に伝え
て学 校で教えられた神さまを思い出
るとすれば、神さまは、一人ひとり
でわかる人 もいるし、 一 生かけてよ
─ 日 向 学 院 で 培った こ と で 今 生
習ったことで今でも役立っているも
のもありますが、一 番はあの学 校は
うやく見つける人がいるかもしれませ
になんらかのタレントを与えてくださっ
試 験のやさしい私 立 大 学の医 学 部
神さまを教えてくれたこと。この仕
ん。でも、必ずなんらかの自分のタレ
き ていることは何 で しょう?
に入りました。 卒 業 近くになって将
事を始めた時、あまりにつらくてやっ
ントがあります。それを探し出して
実 家が産 婦 人 科の開 業 医でした
から、 親や 周 囲の期 待はありまし
来どうしようと思った時に、自 分の
ていられないと思いました。その時に
最大限に生かしてほしいですね。★
ていると思います。人によっては数年
家を継ぐより別の道を選びたかった
救いを求めたんだと思います。そし
た。 でも あ まり 勉 強 せず、 結 局 、
のです。考えた末 、これまで自 分が
自 分の卒 業した大 学の病 院には救
番 忙しい科に行こうと考えました。
てきたのだから、 医 者になったら一
苦 労することをせずぬくぬくと生き
「必ずなんらかの
自分のタレントがある。
」
命 救 急センターがあり、3日に一 度
は当 直で、同 級 生よりも倍 以 上 仕
事をするかわり一 人 前になるのが早
年 間、 救 命
いと聞いていたのでそこだ、と。
─ そ の ま ま ずっと
救急の現場にいて感じることは?
世の中 不 条 理だなと感じること
がたくさんあります。 救 急 救 命は、
急 病 、 事 故 などでの死の現 場に立
ち会います。とてもいたたまれなく、
つらいです。 逆によく助かったなとい
うことがあります。でも、その時も
自 分たちが助けたという 思いは一つ
★サレジオ歴★
城星学園小学校・中学校・高等学校卒業
もなくて、 助かるべく何かほかの力
─ バレエを 始 めた きっかけは?
身 体の柔らかかった私を見て、宝
塚 歌 劇 団が大 好きだった祖 父がバレ
エを勧めてくれたのをきっかけに4歳
から始めました。 法 村 友 井バレエ団
付 属のバレエ学 校で週4回のレッスン
日向学院中学校・高等学校卒業
★
す。きっと、
道は開けていくはずです。
意 志をもって進んでほしいと 思いま
目 を 気にせず、 自 分 を 信 じ、 強い
と 身についているはずです。 他 人の
ます。 学 園で学んだことはしっかり
かし、いつも見ていてくださる方がい
ないという 子が多いと聞きます。し
プロフィール
は厳しかったですが、仲 間たちと作
ます。 私の踊りは他の人にない温か
年 間 穏やかに育つ
さ、優しさがあると言われます。そ
れはこの学 園で
ことができたおかげかもしれません。
私は無口で大 人しい生 徒でしたが、
これを私らしい個 性として表 現でき
るバレエを続けているのだと思います。
現 在 、 将 来に希 望がもてず 夢が
さん
佐野 裕子
さの
品を作り上げ舞 台に立つことが楽し
く、
続けることができました。
しかし、
プロになるには厳しい世 界 、バレエ団
に入れるとは夢にも 思いませんでし
聖路加国際病院
宮崎県宮崎市大和町 110
www.hyugagakuin.ac.jp
大阪府大阪市中央区玉造 2-23-26
www.josei.ed.jp
た。 母は宝 塚 音 楽 学 校を勧めてく
プロフィール
1981 年生まれ。1999 年中国上海市舞踊学校留学。上海バレエ団の舞
台に出演。帰国後、法村友井バレエ団入団。ソリストとして数々の舞台に
出演。法村友井バレエ学校で指導に携わり、外部スタジオでも講師、ワー
クショップを行う。趣味はバレエ以外の舞台鑑賞(バレエも観ますが…)。
城星学園中学校・高等学校
れ、 私 もミュージカルの世 界に挑 戦
しましたが、やはり幼い頃から生 活
の一 部 となっていたバレエを 続けてい
きたいと 思い、 高 校 卒 業 後 、 中 国
帰 国 後 、団 長の勧めで法 村 友 井バレ
い自 分を作り上げなければいけない
時 もあります。 任された役 割を妥
協せずに追 求 することがプロとして
忘れてはいけないことだと思います。
─ 後 輩 た ちへのエールを 。
© 尾鼻文雄
22
SALESIAN BULLETTIN January 2012 No.8
の上 海 市 舞 踊 学 校に1 年 間 留 学 。
エ団に入 団しました。
─ バレエ ダ ン サ ー と し て 大 切 に
し ていることは?
見に来ていただくお客 様は、その
日が初めてで最 後かもしれません。
お客 様にはそのひと時を喜んでいた
うに舞台を大切にしたいと思っていま
だけるよう、感 動をお届けできるよ
バレエは身 体ひとつで伝えなければ
いけません。 同じ作 品でも踊る人の
性格が表れ、全く違うものに生まれ
さん
石松 伸一
ゆうこ
No.
★サレジオ歴★
柔らかい眼差しの奥に
芯の強さを感じる語りが
印象的だった
日向学院中学校・高等学校
1959 年生まれ。宮崎県都城市出身。
聖路加国際病院救急部部長。救命救急センター長。
しんいち
いしまつ
5
23
す。そして、芸 術には完 成がありま
せん。はまり役の時もあれば、新し
聖路加国際病院救急部部長・医師
法村友井バレエ団・ソリストダンサー
教え 子たち
ドン・ボスコ
4
© 尾鼻文雄
バレエ教室の生徒たちに
レッスン中
27
の
DB
「いつも見ていて
くださる方がいます。
」
No.
12
連載インタビュー
時を超えて紡ぐ
ショートストーリー
文・ノゾエ征爾
た け ど、 結 局、 君 は、 本 当 に 一 緒 に ゴ ー
ルしてくれました。
ち ゃ ん と 聴 い て み る と、 す ご く か っ こ よ
に 君 は、 本 来 の 順 位 よ り だ い ぶ 下 が っ て
げ で 最 後 ま で 走 り き る こ と も で き た。 逆
絵・おむらまりこ
こんにちは。
く て、 部 屋 で 一 人 興 奮 し た の を 覚 え て い
あ の 時 は 本 当 に 嬉 し か っ た。 君 の お か
僕 で す。 君 が 東 京 を 離 れ て し ば ら く 経
し ま っ た 。 あ の 時 も 、「 あ り が と う 」と「 ご
そ の あ と、 何 度 か C D を 貸 し 借 り し た
で も、 君 に は 君 の、 仲 良 し の と も だ ち
をすごく悔やんでいます。
めんなさい」をちゃんと言えなかった事
ます。
僕 は と 言 う と、 風 邪 を ひ き ま し た。 今
り 、何 度 か 一 緒 に 帰 っ た り 、二 度 ほ ど ボ ー
ちますが、お元気ですか?
と っ て も 寒 い し 寂 し い で す。 風 邪 の 寝 床
リングに行ったりして。
が い て、 僕 に も そ れ は い た。 な の で、 僕
の‘ と も だ ち ト ッ プ 5’ に は、 君 は い ま
時、 僕 が「 彼 女 が 可 哀 想 じ ゃ ん 」 と 言 う
の女子高の子と合コンしようとしていた
う 感 じ で 受 け る 事 に。 大 雪 の そ の 朝、 僕
君 の 第 一 志 望 の 大 学。 僕 も 記 念 受 験 と い
そ う し て あ の 日 で す。 大 学 受 験 の 日。
せんでした。
と 、君 は 「 お ま え 硬 い ん だ よ 」 と 少 し 怒 っ
通 ら な く て 。僕 は 寒 く て 怖 く て 孤 独 で … 。
は 雪 に 滑 っ て、 頭 を 強 く 打 ち ま し た。 体
今 思 う と、 僕 は 君 と、 ど こ か 頑 張 っ て
そ こ に 偶 然 現 れ た の が、 君 で し た。 倒 れ
た よ う に 言 い ま し た。 僕 は、 君 に 嫌 わ れ
君 が、 彼 女 が い る に も か か わ ら ず、 別
は、すごく嬉しかったです。
君 と、 と も だ ち に な れ た 気 が し て、 僕
の中で、君のことを考えていました。
君 と 出 会 っ た の は、 中 学 一 年 生 の 時。
僕 の 前 の 席 の 、授 業 中 よ く 寝 て い る 男 が 、
君 で し た。 当 時 は、 全 然 と も だ ち で は あ
りませんでしたね。
中 学 の 思 い 出 は た く さ ん あ り ま す。 部
活や、学園祭や、勉強合宿や。
そ の ど の 思 い 出 に も、 君 は い ま せ ん で
僕 は 真 面 目 グ ル ー プ、 君 は や ん ち ゃ グ
「 と も だ ち 」で い よ う と し て い た 気 が し ま
て い る 僕 を 見 て、 笑 っ て い ま し た。 な ん
が 動 か な く て、 声 も 出 な く て、 人 も 誰 も
ル ー プ に い た か ら で す。 君 ら の 煙 草 が 先
す。 好 か れ た い。 嫌 わ れ た く な い。 そ う
て 非 情 な 奴 だ と 思 っ た け ど、 君 は、 そ の
た気がして、ちょっと落ち込みました。
生 に 見 つ か っ た 時 は、 ざ ま あ み ろ と 思 っ
い う こ と ば か り を 考 え て、 接 し て い た 気
ままずっと、そばにいてくれました。
した。
たものです。
がします。
と 同 じ 高 校 に な り ま し た ね。 高 校 の 最 初
君 は 成 績 が よ か っ た に も か か わ ら ず、 僕
け そ う に な っ て い た と こ ろ、 不 意 に 君 が
マ ラ ソ ン 大 会 の 時、 僕 が、 今 に も く じ
でも君は、もっと自然だった。
で し て く れ た の か。 君 は「 と も だ ち だ か
君 が、 な ぜ、 僕 な ん か の た め に そ こ ま
そんな素行が原因かは分からないけど、
の 日、 君 が 同 じ ク ラ ス に い た 時 は、 か な
横 に 来 て 、「 一 緒 に ゴ ー ル し よ う ぜ 」 と 言
ら 」 と 言 っ て い た け ど、 そ の 時 は よ く 分
僕 は と て も 遅 い か ら、 き っ と 君 は、 い
そうして君は、四国の大学に行くこと
した。
そ し て 君 は、 第 一 志 望 の 受 験 を 逃 し ま
り驚きました。
いました。
貸 し て く れ ま し た。 ビ ー ト ル ズ で し た。
ずれ先に行ってしまうだろうと思ってい
い つ に な る か 分 か ら な い け ど 、僕 が そ っ
そ ん な あ る 日、 君 が 突 然 C D を 一 枚
な ん で 今 頃 ビ ー ト ル ズ? と 思 っ た け ど、
見てしまいます。
かりませんでした。
に な り、 僕 は 今、 東 京 の 平 凡 な 大 学 生
ち に 行 く 時 に は、 こ れ ま で ち ゃ ん と 言 え
泣 き ま し た。 君 の 有 難 さ を よ う や く 実 感
聞 い て い ま す。 ビ ー ト ル ズ を 聞 き な が ら
と て も 寂 し い 気 持 ち で す。 ビ ー ト ル ズ を
今 、僕 は 、部 屋 で 一 人 、風 邪 に う な さ れ 、
は「ともだち」だったんだね。
助 け た お じ さ ん も、 き っ と、 君 に と っ て
て し ま っ た 君。 君 が、 身 代 わ り に な っ て
い ま せ ん。 四 国 に 行 く 前 に、 天 国 に 行 っ
そ し て ま た、 C D の 貸 し 借 り と か し ま
たくさん、たくさん、ありがとう。
ごめんなさい。そして、
で も、 君 は、 も う い ま せ ん。 四 国 に も
し て 泣 き ま し た。 君 こ そ が 本 当 の「 と も
と も だ ち よ。 そ ち ら は ど う で す か?
君のことだから、きっとすぐに、たくさ
です。
だ ち 」 だ っ た の だ と 泣 き ま し た。 今 に も
ん の「 と も だ ち 」 が で き て い る こ と で
なかった言葉を言わせてください。
君 が、 み か ん で も 持 っ て 部 屋 に や っ て 来
しょう。
その時は盛大にお祝いしよう。
ドン・ボスコの言葉 〜完訳ドン・ボスコ伝 P.164〜
ともだち代表・僕より
のぞえせいじ
ノゾエ征爾
目黒星美学園小学校 図工科教諭。 武蔵野美術
大学院修了。絵本に「はいいろのこひつじ」「たいせ
つなおくりもの」「ヨハネ・ボスコ たいせつなゆめ」。イ
ラストに「森本千絵うたう作品集」。
サレジオ学院中学校・高等学校卒業。脚本家、演
出家、
俳優。大学在学中より劇団「はえぎわ」を主宰。
舞台、映画、テレビ、ラジオ等で活躍中。
www.haegiwa.net
おむらまりこ
もだち」と楽しくお過ごしください。
し ょ う 。 ど う か そ れ ま で 、た く さ ん の 「 と
る の で は な い か と、 何 度 も 部 屋 の ド ア を
私は天国でみんなが会えることを望んでいるよ。
24
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ともだちへ
Vol.2
ドン・ボスコ、
ついて行きます !
三重県四日市市
いし やく し
ないかと思われるかもしれません。しかし、
親元を離れて生活するのは早すぎるのでは
す。 中 高 生の段 階でそのように決 意し、
レジオ会の修 道 院で共 同 生 活をしていま
父)もしくは修道士になることを望み、サ
「志願生」(小神学生)と呼ばれるこれ
らの中高生は、将来サレジオ会の司祭(神
親元を離れ、自分と向き合う
四日市サレジオ志願院
四日市はその昔から東海道の宿場町と
して発展してきました。旧東海道の史跡
しゅく
が現在も多く残っています。四日市から京
ひ なが
都寄りの次の宿・石薬師に向かう中間点
付 近には、「日永の追 分 」 と呼ばれる東
海道と伊勢街道の分岐点があります。か
つて草 津・京 都へ向かう旅 人はここから右
へ進み、伊 勢 神 宮へお参りする人は左へと
巡 礼の旅を続けました。その追 分のすぐ
たちを成長させます。
い現代において、共同生活の体験は子ども
ぶつかりあって自 己を形 成する機 会に乏し
について真剣に考える環境を提供し、人と
ての決断を先延ばしにすることなく、人生
をするのが志願院です。自分の将来につい
をより深く見つめ成熟させるための手助け
神の呼びかけに年齢の制限はありませんか
そばに四日市サレジオ志願院はあります。
ら、青 少 年の段 階でもその呼びかけを感
サレジオ会員が四日市にやってきたのは今
こた
から 年前の1995年。野球やサッカー、 じ、応えることは可 能です。ただし、容
易な決断ではありませんので、その気持ち
フェンシングなどで知られる海 星 中 学 高 等
学校の母体であるエスコラピオス会の修道院
を間借りしてジュニア志願院を開設。5名
の志願生で始まった志願院は2006年に
は 名を数え、多くの方々の寛 大な協 力
名の中 高 生が共に
により翌 年には高 校 棟が新しく建ちまし
た。2011年 度は
生活しています。
が家」 を感じることのできる場所づくりを
心がけています。くつろぎ、和んだ雰囲気
を味わうと同時に、一人ひとりが責任感を
もって役割を担い協力する一つの家をつくっ
ものすごくたくさんの祈りの時間があるわ
くじけない喜びの精神を培う
れません。
けではありませんが、若者らしく元気よく
に指導しています。
に仕えよう」 とドン・ボスコは言いました。
ふれています。「 聖なる快 活さのうちに主
れを人々に分かつことができるよう私たち
求めます。「私たちが真の知恵を求め、そ
らぬよう、いつも勉 強 前に次のように祈り
そして、得た知識が自己のためだけで終わ
くじけない喜びの精神を培っていきたいもの
ドン・ボスコがもっていた、困難に出会っても
べての青少年にそのように望んでいました。
ではないのかもしれません。ドン・ボスコはす
四日市サレジオ志願院
三重県四日市市追分 1-8-26
http://www.donboscojp.org/sdbyokkaichi/
(文・写真/四日市サレジオ志願院提供)
です。
「 運 動 場 」 という要 素もあります。体
を動かして遊ぶことです。ほぼ毎日、サッ
カーかバスケットをしています。夏にはソフト
ボールもしますし、海や川で泳ぐこともし
ばしばです。スポーツのない志 願 院は考え
られません。若者のもっているたくさんのエ
ネルギーが弾けます。元気で健康な体づく
りと同時に、互いにぶつかりながらチームワー
クも身につけるでしょう。
もう一つは「家庭」です。志願院は「わ
ブログ http://sdbyokkaichiasp.blog114.fc2.com/
の心を清めてください。
」
など、様々なことを学ぶことは大 切です。 き方というのは、何もそんなに難しいこと
心から喜んで自 分をキリストにささげる生
次に「学校」です。勉学を大事にします。
この世 界の成り立ち、人々の思 想・理 想
祈り、日々の出来事を祈りにつなげるよう
志 願 院 全 体は明るい雰 囲 気に包まれて
います。若者らしい陽気さ、賑やかさにあ
ストとの関 わりなしには成り立ちません。
司 祭・修 道 者をめざす者の生 活は、キリ
つの要素を今もよく受け継いでいます。ま ています。同じ釜の飯を食った仲間は時と
ず 「教会」。すなわち、祈りの生活です。 して兄弟以上の絆を結ぶこともあるかもし
志 願 院の生 活は、ドン・ボスコが始めた
オラトリオ( 祈りの家、寄 宿 学 校 )の4
教会・学校・運動場・家庭
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サレジオ家族探訪
教会の子どもたちの 1 泊錬成会でリーダーをする志願生
ソフトボール
登山
2011 年 2 月、ドン・ボスコの聖遺物を四日市に迎えた
際のイベント(アカデミア)で出し物
サッカー
料理の真っ最中
!
o
a
i
C
Salesian Family Visit
!
オ
チャ
チェチリア祭(年に 1 度志願院で行う文化祭・感謝の集い)でのバンド演奏のひとコマ
Salesian Family Visit
ドン ・ ボスコの精神を受け継いで、日本各地で活動するサレジ
オ家族の修道院・学校・教会・施設などを探訪。各地の「ド
ン ・ ボスコらしい、サレジオ家族らしい風景」をお届けします。
祈り、人の役に立つ
喜びを大切に
静岡県静岡市
(幼稚園・小学校・中高一貫教育学校・高等学校)
母祭、ロザリオの祈り、慰霊の集い、創立
始める伝 統があります。年 間を通じて聖
教の授業、大きな行事などは必ず祈りで
朝 礼・職 員 会 議、生 徒 朝 礼・終 礼、宗
めに奉 仕できる環 境を整え、対 人 関 係の
自分を大事にし、仲間を思いやり、人のた
や諸 活 動で成 功 体 験を積み重 ねながら、
かる 「 中 期 」( 小5~中2)では、学 習
やる心を育みます。発達上多くの壁にぶつ
幼稚園から大学まで、一貫してカトリック
と無 気 力の闇に揺れる若 者たちに、どん
ぐる状 況は大きく変 貌しています。不 安
ドン・ボスコが日本を駆け巡った2011
年2月。富士山を仰ぐ静岡の地でも、盛
大な全校ミサが執り行われました。ひびき
わたる天使のような子どもたちの歌声に、
ドン・ボスコもきっとほほえんだことでしょう。
「夢に見た富士山のふもとでも、わたしの
心が生き続けている」 と。
幼小中高生が
遊び・学び・祈りの空間を共有
終戦後間もない1947年、静岡サレジ
くさ なぎ
オは駿 府 城のお堀 端から現 在の草 薙の地
に移 転し、その7年 後に現 在の学 園の基
本型となる幼小中高の4校種からなる総
合学園となりました。以来、家庭的雰囲
気の中で、
校訓の「誠実・勤勉」をモットー
に教育活動に励んでいます。
幼 小 中 高が同じ敷 地にあると、こんな
光 景が。 中 高 体 育 祭では小 学 生や幼 稚
園 児がグラウンド脇で黄 色い声 援を送り、
クリスマス会では幼稚園児が演じる聖劇を
観賞した中高生がその純粋さに心洗われ、
幼稚園の預かり保育ではボランティア体験
で顔 見 知りになった中 高 生が園 児の人 気
者として活躍しています。遊び・学び・祈
りの空 間を共 有しながら、千 名を超える
発達段階の異なる児童・生徒たちが、日々
幅広くかかわり合っています。
祈りとボランティア活動
本 校は祈りを大 事にしています。 職 員
静岡県静岡市清水区中之郷 3-2-1
が2012年度入学者より設定されます。
静岡サレジオ小中高校はこれに伴い、従
来の6 ─3 ─3型の教 育システムから、4 ─
4 ─4制( 前 期・中 期・後 期 制 )へと移
行します。「 前 期 」( 小1~小4)では、
記念ミサとクリスマスの集い、ドン・ボスコの
悩みなどを乗り越えていけるように教職員
学びの基礎・基本と学習習慣、人を思い
集い、卒 業を控えた高 校3年 生の静 修の
はチームワークを密に生徒を支えます。
「後
と落ちついた学 級 風 土の中で学 業に集 中
日などの宗教行事があります。このような
が浸透していきます。
し、個性に見合った進路達成と自己実現
と応 援してくださるでしょう。 子どもた
きる若者のニーズに応えていけるよう、きっ
時のしるしに敏 感だったドン・ボスコは、
この新たな挑 戦をとおして現 代 社 会に生
現代の若者たちに、希望とビジョンを
をアシストします。
人の役に立つ喜 びを 体 験できるボラン
ティア活動も奨励しています。暑中見舞い
やクリスマスカードを作って近隣の高齢者施
設に届けたり、あしなが募 金 活 動に参 加
したり、フィリピンへ海 外ボランティアに出
掛けたりなど、精力的に活動しています。
カトリック学校で学ぶ人材を世界へ
学校に学び、その精神を身につけ、宗教教
な希望や明るいビジョンを育めるか、静岡サ
へん ぼう
静 岡サレジオは新たな挑 戦の一 歩とし ちは物心がつく前から携帯電話やインター
て、上智大学との教育提携を始めました。 ネットに囲まれ、家 庭、学 校、社 会をめ
育を土台に論理・表現・コミュニケーション力
レジオの挑戦は始まったばかりです。
(文・写真/静岡サレジオ提供)
を伸ばし、国際貢献できる人材を育成す
ることを目標に、上智大学への特別推薦枠
静岡サレジオ
(幼稚園・小学校
中高一貫教育学校・高等学校)
国吉健二園長と園児たち
期 」( 中3~高3)では、心身の安 定 感
2011 年 5 月、 上智大学と
静岡サレジオが教育提携を結んだ
機 会をとおして、謙 虚な心、感 謝する心
静岡サレジオ
フランシスコ・サレジオの肖像画の 「つまようじアート」。
全校生徒で 2 年間かけて作成。使ったようじは 96,900 本!
幼稚園児から高校生まで一緒に(聖堂で)
祈りを大切にする伝統
www.ssalesio.ac.jp/
中高クリスマス会の様子
2011 年 2 月、ドン・ボスコの聖
遺物が静岡を訪問。 たくさんの子
どもたち、 教職員、 同窓生たちに
囲まれて
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!
o
a
Ci
Salesian Family Visit
!
オ
チャ
サレジオ家族探訪
会 管 区 長アルド・チプリアニ神 父の司 式
2011年7月 日、 扶 助 者 聖マリア
の会 (ADMA) の入会式が、サレジオ
扶助者聖マリアの会 (ADMA) 発足
深めた。
祈 り とミサのう ちに神 と互いとの一致 を
母 に導 かれ る 信 仰 生 活への理 解 を 深 め、
いて公演や体験の証があり、参加者は聖
の犠 牲 者 鎮 魂 ミ サが 行 わ れ た。 仙 台 教
2011年 月9日、福島県南相馬市
のカトリック原町教会で、東日本大震災
東日本大震災犠牲者鎮魂ミサ
生 司 教 は じ め、 原 町 教 会 と 松 木 町 教 会
名が入会の約束を立てた。 ADM
の司祭・信徒、サレジオ家族からサレジ
区 の 平 賀 徹 夫 司 教、 東 京 教 区 の 幸 田 和
被災者支援チャリティーコンサート
れ、
バー、サレジオ会の山野内倫昭神父・鳥
アニ・コオ ペラ ト ー リ とADMAのメン
10
17
に よ り サレ ジ オ 会 管 区 長 館 聖 堂 で 行 わ
チャリティーコンサート」 を開 催。 会 場
2011年 月8日、 イエスのカリタ
ス友 の会 は 「 東 日 本 大 震 災 被 災 者 支 援
Aはドン・ボスコが扶 助 者 ( キリスト者
徒の会として創立。 日本で事業が始まっ
10
の助け) 聖マリアへの信心を促進する信
80
名 が 参 加。 被 災 で
望を願う祈りの歌をささげようという気
越政晴神父、サレジオ学院の中3生徒2
名足らずになった原町教会にミサの祈り
持ちで歌ったという。 校長の森内直子シ
名 を含 む総 勢 約
と聖歌が響き渡った。 震災後、被災者で
スターは 「ここまでのプロセスで子ども
道院講堂は約300名の来場者で満席と
なった。 瀬田の丘ゴスペルファミリー、西
被災の現場で犠牲者への祈りをささげる
のイエスのカリタス修道女会管区本部修
田ファミリー、同会シスターたちのスモー
ある福 島 市の松 木 町 教 会の信 徒 たちは、
こ と を 切 望。 原 町 教 会 で の 鎮 魂 ミ サの
た時 代には各 地にADMAのグループが
十 年 ぶ り に 再 発 足。 入 会 式 には サレ ジ
ルクワイアが出演。 心と体、力と祈りと
続けてきたが、カトリック共同体として
より 困 難 な人々へのボランティア活 動 を
た。被災地ボランティアの報告も行われ、
たちが大きく成長したことにこそ大きな
75
あったが、いった ん 途 絶 え、このたび数
オ会山野内倫昭神父とサレジアン シ
・ス
ターズのテレジーナ松本シスターも立ち
思 う 心 が一 体 と なったコンサート と なっ
がこめられた音楽と、来場者の被災地を
会った。
被災者のために祈り、来場者全員で歌う
成果があり、子どもの心や思いが聞く人
http://salesians.jp/method/tsubuyaki-liray/
前に、津波ですべてさらわれた南相馬市
いることを好評つぶやき中!
の北 泉 海 岸で 花 束 をささ げ、アヴェ・マ
サレジアンのつぶやきリレー
サレジオ会員の生活・考えて
万円が被災地に義援金と
A5判上製 479頁 定価1,890円
http://salesians.jp/youthbook/
場面も。 チケット代と寄付金、ミニバザー
──激動の昭和史を生きた宣教師──
日本を愛した宣教師、
チマッティ神父の約1万通にのぼ
る書簡や文書から師の生涯をたどる。
「ほほえみ、慈愛と
祈りの人」
として知られる師が、困難、貧困、無理解に耐
える不屈の精神によって、激動の時代の荒波を越えて
いく姿を知ることができる。
投稿・相談してみよう!
収益の全額約
本人が書かなかった自叙伝(上)
ネットでできるココロのはなし。
に伝わったのでしょう」 と児童たちの成
ガエタノ・コンプリ 編訳
ユースブック
リアを歌い祈った。
チマッティ神父
サレジオ会のホームページ salesians.jp
して寄付される。 イエスのカリタス修道
A5判並製 301頁 定価1,029円
長と受賞を喜んだ。 ●
旧約・新約聖書の教え、救いの歴史、
キリスト者の生き
方などのカテキズムを、聖書をひも解きながら、質問コー
ナーをまじえ、
わかりやすく解説。
11
女 会ではこのほか、シスターズリレーへ
ガエタノ・コンプリ 著
10
星美学園小学校聖歌隊
若者も大人も楽しく読める
わかりやすいカトリック入門書。
音楽コンクール全国大会小学校の部で金
よくわかるカトリック入門
星美学園小学校聖歌隊 (東京都北区)
が2011年 月9日、NHK全 国 学 校
こころにひかりを
賞 を 受 賞。 あ わ せて 日 本 放 送 協 会 会 長
NEW
賞、 文 部 科 学 大 臣 賞、 内 閣 総 理 大 臣 賞
アル!
リニュー
を受賞し日本一となった。 同校の金賞は
www.donboscosha.com/
〒160-0004 東京都新宿区四谷1-9-7 TEL. 03-3351-7041 FAX. 03-3351-5430
校が出
本誌掲載の記事、写真、
イラストの無断転載を禁じます。
© カトリック・サレジオ修道会 2012
ネットショップ
キリスト教書籍・聖具・聖品
選に参加した全国909校から
編集・デザイン制作 ドン・ボスコ社
印刷所 日之出印刷株式会社
ドン・ボスコ社
いつも よいものを─
3 年 ぶ り2 回 目。 こ の 全 国 大 会 に は 予
「ドン・ボスコの風」編集事務局
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-9-7
ドン・ボスコ社内
電話:03-3351-7041 F a x:03-3351-7042
Eメール:[email protected]
未来を信じ、 復興への願いをこめて。
スモールクワイアによる歌
本誌表題そばに従来イタリア語で表題(Bollettino Salesiano)
と発行年月を表記していましたが、
読者からのご意見により、今号からわかりやすく英語表記に変更いたしました。
場。 星 美 学 園 小 学 校 は、 課 題 曲 「 ぼ く
編集人 山野内 倫昭
発行人 アルド・チプリアニ
発行所 カトリック・サレジオ修道会
次号No.9は2012年夏発行予定です。
「ドン・ボスコの風」バックナンバーは、
サレジオ会ホームページ http://salesians.jpでご覧いただけます。
トップページの「ライブラリー」→「ドン・ボスコの風」
らは仲間」と自由選曲「学校へ行きたい」
SALESIAN BULLETTIN January 2012
2012 年 1月31日発行(年2回発行)
5名様
の2曲を合唱。 出場した児童たちは、東
8
5名様
(いずれもドン・ボスコ社提供 www.donboscosha.com)
の修道女の派遣、南三陸町など被災地で
5名様
NHK全国学校音楽コンクールで金賞
イタリア製 9.5×9.5㎝
ADMA に 17 名の入会式。数十年ぶりに再発足
のミニコンサートを継続して行っている。
ガエタノ・コンプリ編訳
A5判上製 479頁
本 か ら も3 人 の 会 員 と 山 野 内 倫 昭 神 父
ロドヴィコ・ガスパリーニ監督
日本語吹替版 200分
25
2011年8月3~6日、 ポーランド
で開催されたADMA国際大会には、日
ハート型に天使と幼子が描か
れた、イタリア製のかわいい板
絵。 壁に掛けても、スタンド付
きなので立てかけて飾ることも
できます。
か国 から
日本最初のサレジオ会宣教師、
チマッティ神父の約 1 万通の
手紙と貴重な写真から、その
生涯と日本での事業の草創期
をたどる。
( 組 曲『 きっと ほ ん と はみ ん な 』 よ り )
No.
天使と幼子
ハート型卓上
板絵
日本大震災で被災された方々に勇気と希
ドン・ボスコ生誕200周年を迎える準備期間に入り
ました。彼の人生には幼い時から多くの困難があり
ましたが、聖母マリアの助けにより神さまが望まれた
夢を徐々に実現していきました。まず母親のマルゲ
リタからジョヴァンニ少年に宗教心が深く伝えられ、
学校に通いながら模範となる仲間や司祭と出会いま
した。今号の「ドン・ボスコの風」では様々な方がどの
ように神さまから与えられた使命を実現しようとして
いるかが紹介されています。私たちの夢が、イエスさ
まが宣言した神の国の実現と一致するよう祈り、ま
た同伴してくださる方の助けを求めましょう。 (M)
C
愛と信頼、強い心で少年たち
を育んだ真の教育者、ドン・
ボスコの姿が美しい映像でよ
みがえる。イタリア国営放送
の感動の作品。
当選者の発表は、賞品の発送をもってかえさせていただきます。
ご応募いただいたお客様の個人情報は賞品の発送のみに使用し、
その他には一切使用致しません。
編集後記
本人が書かな
かった自叙伝(上)
プの 代 表 者 が 出 席 し、 世 界
新装版
チマッティ神父
お知らせ
が 参 加。 サレ ジ オ 家 族 の 様 々 な グ ルー
応募締切:2012年3月31日消印有効
B
ボスコの扶 助 者 聖マリアへの信 頼、 サレ
【Eメールの場合】
[email protected]
【ハガキの場合】
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-9-7 ドン・ボスコ社内
「ドン・ボスコの風」 編集事務局
DVD
ドン・ボスコ
1100人が集まった。今大会では、
ドン・
応募方法:
お名前
(フルネーム)
・住所・年齢・ご職業とご希望のプレ
ゼント(A・B・C)いずれか一つを明記し、本誌のご感
想をお書き添えの上、Eメールまたはハガキで下記宛先ま
でお送りください。
A
Info
ジオ 家 族にとっての扶 助 者 聖マリアにつ
PRESENT
ドン・ボスコの風
読者プレゼント
17
10
NHK 全国学校音楽コンクール全国大会で金賞を受賞した
星美学園小学校聖歌隊
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サレジオ家族
年間目標
2012
8
No.
2012年1月
SALESIAN BULLETTIN
January 2012 年2回発行
わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、
羊のためにいのちを与える。
(ヨハネによる福音書10章11節)
発行:カトリック・サレジオ修道会 「ドン・ボスコの風」編集事務局 〒160-0004 東京都新宿区四谷1-9-7
TEL: 03-3351-7041 FAX: 03-3351-7042 E メール:[email protected]
若者のために神の愛をあかししたドン・ボスコを知り、
ドン・ボスコにならい、 若者とともに熱意をもって歩もう。
2015 年のドン・ボスコ生誕 200 周年に向け、私たちは今年、ドン・ボスコの生涯を知る
ことに焦点を当てます。19 世紀のイタリアで、政治的動乱や産業革命のあおりを受け、社
会に見すてられた青少年のために、神の愛を伝えたドン・ボスコの姿を学びましょう。
救い主イエス・キリストは、羊に豊かないのちを与えるために自分のいのちを与える「よ
い牧者」にたとえられます。ドン・ボスコの生き方は、まさによい牧者イエスにならうもの
でした。「わが貧しい子どもたちのために、最後の息に至るまで自分を使い果たすことを神
に約束しました。」
私たちもドン・ボスコを知ることによって、ドン・ボスコを愛し、ドン・ボスコにならう
ことができます。さまざまな苦しみ、貧しさの中にある若者、人々のために、いのちをかけ
て共に働くよう、神は今日も私たちに呼びかけておられます。
サレジオ会総長 チャーベス神父
2012 ストレンナ解説より
上の絵は、ドン・ボスコが 9 歳の時に見た夢の場面。詳しくは『完訳ドン・ボスコ伝』p.22 〜 24 参照。
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