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第11号(平成25日3月31日)
北海道函館東高等学校関東青雲同窓会 会報11号 発行 平成 25 年 3 月 31日 発行責任者 幹事長 檜森兄元 〒 141-0032 東 京 都 品 川 区 大 崎 5 丁 目 7 番 14 号 五反田ロイヤルハイツ 105 号 檜森行政書士事務所内 関東青雲同窓会事務局 Tel. 03-3491-1765 Fax. 03-3491-2087 [email protected] 題字 揮 毫 : 「関東」= 山名昭二/「せいうん」= 中村隆俊 30 周年に向かって 会長 新山 春一 (東高 11 回生) 青雲同窓会の会員の皆様におかれましては、益々ご健 勝、ご活躍のこととお慶び申し上げます。平素は、同窓会 の発展にご協力いただき、厚く御礼申し上げます。 昨年は、政治経済、および外交問題等厳しい年でした。 経済は、円高デフレの長期化、欧州債務危機、竹島問題、 尖閣諸島問題で、韓国、中国との関係悪化から経済に大 きな影響がありました。昨年末には、総選挙があり、政 権交代による新しい日本再生を期待したいものです。 さて、昨年の総会は、昭和 55 年卒業の 30 期生が年度 幹事になり、総会は幹事期 42 名を含めて 134 名もの参 加がありました。素晴らしい企画のもと、楽しい会でした。 来賓の皆様からもお褒めの言葉をいただきました。 また、6 月からは 31 期生が年度幹事となり、8 月の納 涼会は、天王洲アイルにて「パーティとクルーズ」の夕べを 企画しました。猛暑の中、65 名の参加があり、パーティの 後、東京湾を 1 時間程涼しい風を受けながらクルージング、 素晴らしい一時でした。 しかし、一方では、前号でも申し上げましたとおり、年 会費の減少傾向に依然として歯止めがかかりません。特 に年度幹事終了後、翌年からの入金がなくなってしまうの が残念です。同窓会事務局としては、各期の同期会開催 時に補助金を渡し、同時に年会費の振込用紙も渡して協 力をお願いするなど、運営のための努力を行っております。 函館本部は、年会費制度はありませんが、札幌、東海、 関西各支部共に同じ問題を抱えているのが現状です。 昨年 6 月 3 0 日、函館に各支部長が集まり、本部役員と 初めての会合を持ちました。各支部の実情を話し、具体的 な案件について討議しました。 (下記参照) 最後になりますが、来年は関東青雲同窓会創立 30 周 年の節目を迎えます。先輩の築かれた歴史の重みを感じな がら、今年の総会をばねに、多くの人が参加されることを 願っています。今後も同窓会発展のため役員一同頑張りま す。皆様のご指導、ご協力お願い申し上げます。 役員総会懸案事項(2012.6.30) 1. 市立高校との合流の件 → 4 月に着任した校長と寺西会長面談するも、学校側の事情もあり、昨年末段階まで進展なし。 2. 同窓会本部事務局移転の件 →現在、市立高校の職員室にあるため、各支部からの連絡等に不備が出ることを考慮し、年内移転を確約。 3. 会則の改定の件 →本部役員で検討して提示する。問題点は、関東青雲からは提出済み。 4. 特別積立金の処理の件 →数年前から、東京、函館で総会の前日に討議するも解決にいたらず。今回も時間をかけ、支部費の増額を 検討するにいたるも、7 月 31 日の本部役員会で反故にされています。 本案件については、機会あるごとに寺西本部会長に対して問題提起し、解決に努めます。 1 K ANTOU SEIU N E S SAYS 「ありがとう」 ~戸田中央医科グループ(TMG)50 周年をむかえて~ 名誉会長 中村 隆俊 (市中2回生) 昭和 37 年に戸田中央総合病院が開院し、ここに半世 紀という長い歴史を経て、昨年 8 月、TMG はグループ創 立 50 周年を迎えることができました。この 50 年にわたり TMG を築いてきた個人としてはご同慶の至りで喜ばしい ことですが、必ずしも平坦でなかった歴史を振り返るとき 記念すべき 50 年を単に通過点とすることなく、次への 50 年に繋がるような展望を示すのが私に課せられた使命と感 じています。 振り返ると、この日を迎えるまでには幾多の難局があり ました。ただ不変なことと言えば「懸命に働く」を地道に 積み重ねてきたことです。開院当時は黒船来航と地元医師 会から非難され、艱難辛苦の手探りでのスタートでしたが 「患者様を第一」に、来れば断ることなく 「月月火水木金金」 ひたむきに日夜切磋琢磨し働いてまいりました。今でもそ の伝統 DNA「救急車を断らない」を貫き、救急病院とし ての役割を果たしていることが、発展に導けた一因である と考えています。常に「患者さまを第一に考えた医療を行 う」というグループ創成期からの行動規範を“TMG マイン ド”として今一度深く胸に刻みたいと思います。 私は、昨年 6 月、ソフトボール大会で職員を引き連れ、 故郷・函館に行ってまいりました。試合では工藤・函館市 長、高橋・せたな町長、そして大勢の青雲同窓生の仲間 たちが応援に駆けつける中、無事一勝して故郷に錦を飾 ることができました。試合翌日、約 70 名の職員と生まれ 故郷のせたな町・三本杉岩海岸を訪れた際、高橋町長が バーベキューを催してくださいました。小さい頃から三本杉 岩を見て育った私は、この三本杉岩を一度職員に見せたい と思っておりましたので、皆がそこで楽しむ光景を目にした 時は感慨無量でした。父の教えで「毛利元就の三つの矢」 のごとく「3 兄弟が手綱を組めば、この三本杉岩のように、 昭和37 年、戸田中央病院開院の日 (写真右端が中村名誉会長) 原点は、板橋中央病院 (写真右下が中村名誉会長) どんな荒波も乗り越えられる、だから仲良くしなさい」と 言われて育った私たち兄弟は、今でも弟・上尾と毎日電話 をする仲です。 昭和 25 年、北大卒業後東京に憧れ、インターンで上京 しました。当時の札幌は雪解け時期で、長靴を履いてい た私は、上野駅に到着した時、慌てて長靴をズボンで隠 したことを覚えています。上野公園で西郷隆盛の像を目に した時、私は「西郷隆盛は草鞋、中村隆俊は長靴で東京 に来た。俺も東京で頑張るぞ」と、心に誓ったことを今で も忘れません。 インターン後から 3 兄弟で病院を作る構想を持ち始め、 内科学の小宮教授に相談した時、 「医学は 3 年経てば古 くなる、日々研鑽しないと厳しいぞ」と言われました。開 設後もその言葉を忘れず、高度な医療を提供し続けるため に、大学との連携を密にしてまいりました。おかげさまで、 全国の患者様にご来院いただき、ダイヤモンド誌で、3,000 民間病院中、全国 15 位になりました。 50 周年記念式典では、お世話になった皆様一人ひとり と握手を交わし、言葉を越えた感謝の温もりを直接伝える ことができました。あの日以来、不安定だった体調も驚く ほど快調になり、体力にも自信がついてまいりました。こ うしてグループの成長・発展が実現したことを本当に誇り に思います。 「皆さん、ありがとう!」 新たな 50 年に向かってスタートを切った今、これを契 機として TMG が良き伝統 DNA を繋ぐのであれば、守り ではなく変革から伝統 DNA を生み出さねばなりません。 希望に満ちた実力派のグループとして、これからも信頼さ れる質の高い 21 世紀の医療サービスを提供できる病院を 目指し邁進してまいります。 TMG50周年記念式典にて 2 E S SAYS K ANTOU SEIU N 宮城青雲同窓会新年会 ~会の充実に向けて同窓生の紹介を~ 上口 孝之 (東高27 回生) 去る 1 月18日(金)、仙台市内の「ホテルユニサイト仙台」 で、宮城青雲同窓会の新年会が開催されました。宮城青 雲同窓会は、今から 30 年ほど前に設立されましたが、15 年ほど前に、 「函館臥牛会」 (函館市内の高校等の卒業生 を会員とする仙台市での集まり)への参加に活動を集約す ることになり、一時期、活動を休止していました。その後、 4 〜 5 年前に活動を再開し、現在、約 40 名の同窓生が会 員名簿に登録されていますが、会員の増と組織化が当面 の課題となっています。近年は、木村哲雄先輩(東高 4 回 生)が代表、渡辺敏之先輩(東高 14 回生)が幹事として、 会の運営を担当しています。 今回の新年会には、4 回生 1 名、11 回生 1 名、14 回 生 5 名、27 回生 3 名が参加しました。渡辺先輩が進行し、 木村代表の挨拶に続き、秋田から駆けつけた松田豊臣君 (27 回生)の乾杯で宴が始まりました。参加者全員が自己 紹介と近況報告を行い、和やかな雰囲気で懇談が進み、 思い出話に花が咲きましたが、あっという間に予定の時間 となり、瀬尾勝之先輩(東高 11 回生)の中締めで宴を閉 じました。その後、集合写真を撮影して散会となり、小雪 のチラつく中を家路につきました。 私は、関東青雲同窓会に籍を置いていますが、震災直 後の平成 23 年 4 月に仙台に赴任して、今回、初めて宮城 青雲同窓会に参加させていただきました。ほとんどが初対 面の先輩でしたが、とても暖かく受け入れて頂き、楽しい ひと時を過ごさせて頂きました。 仙台で勤務している間は、関東青雲同窓会での幹事の 経験を活かし、宮城青雲同窓会の発展に少しでもお役に 立ちたいと思っています。同窓生各位におかれては、宮城 県や東北地区在住・在勤の卒業生をご紹介頂ければ幸い です。 執筆者が、4 月 1 日付けで兵庫教育大学に異動になりました。 宮城青雲同窓会ならびに東北地区在住・在勤者についてのご連絡は下記まで。 木村哲雄(東高 4 回生) [email protected] 渡辺敏之(東高 14 回生) [email protected] 代表の木村哲雄さん 青雲魂はどこに行っても健在なり ワインで乾杯!さすが仙台はお洒落です 進行役の渡辺敏之さん 3 K ANTOU SEIU N E S SAYS 青雲同窓会 本部の近況報告 本部会長 寺西 隆経 (東高 28 回生) 関東青雲同窓会の皆様におかれましては、ますますご 健勝の事とお喜び申し上げます。平素は青雲同窓会本部 活動にご協力を賜り、誠に有難うございます。 いよいよ北海道新幹線函館新駅までの開通があと 2 年 に迫りました。函館新駅から現函館 JR 駅までの交通運営 や、 「新函館駅」の名称などの諸問題を抱えているものの、 着々と整備事業は行われております。開通すれば東京駅か ら新函館駅までの所要時間は約 3 時間です。函館までの 陸路移動もたいへん便利になります。 さて、青雲同窓会本部の近況をいくつかご紹介します。 まず、昨年 11 月に事務局を 45 回生の岸 寛樹君の会社に 移転しました。本部ホームページの管理も行っております ので宜しくお願い致します。また、今年の7月に姉妹校で あった函館市立北高校の解体工事が着工されます。それ に伴い、現在そこの物品室に保管されている東高の文化・ スポーツで活躍した証の品々や、一部青雲同窓会の資料 等を適切に移管するよう、函館市の教育委員会の協力を 得ながら現在の市立函館高校の敷地内にと検討いただい ております。さらに、今年は本部の会則見直しも行いま す。当然 8 月の総会に上程するまで本部役員 OB の方々や、 関東青雲同窓会の皆様にもご指導いただきながらと考えて おりますので、宜しくお願い致します。 近年、恒例の 8 月 14 日の本部総会にご出席いただける 同窓生の数が非常に少なくなってまいりました。会長の力 不足と反省し、函館はもとより、各地区・支部の地域の新 聞にも事前の広掲載を積極的に働きかけていく予定です。 また本部幹事年である 45 歳の同窓生とも事前活動の見直 しを行い、一人でも多くの同窓生が参加できるようにした いと思います。本部ならびに各地区の活動運営費について も充分考慮していきたいと考えております。 結びになりますが関東青雲同窓会のますますのご発展と 皆様のご健勝を心から祈念しております。 東海青雲同窓会の現状と将来展望 東海青雲同窓会 会長 澤谷 輝 (東高11 回生) の入会者数は 35 名前後。入会率は 41%で低くはないもの の、目下 40 名突破を目標にしていますので、当地区での お知り合いへのお声掛けに何卒ご協力ください。第 2 点 は、第 1 点から来る必然的な帰趨とも言えること、つまり 会員年齢層についてです。特に 40 代から 60 代の層が薄 く、現執行部全員が 60 歳以上という現状です。兄貴達の 会は、執行部の若返りが進みつつあるようですが、小会 の現状は厳しいところです。第 3 点は運営上の資金面です。 これも、母体数の少なさから来る避け難いことですが、当 初から想像し得たことでもあり、多くを語らずにおきましょ う。唯、兄貴達の会の総会出席等を中心とした諸交流に は可能な限りでのお付き合いをしたいと願っております。 東海青雲同窓会は、会員増の妙策のご伝授を切望し、 同窓諸氏のご提言をお待ちしています。宜しくお願い申し 上げます。 東海青雲同窓会は、愛知、岐阜、三重、静岡浜松以西 を中心として、平成 20 年 11 月 2 3 日に設立・発足しました。 設立に際し、中村名誉会長の暖かい激励並びに新山会長 をはじめとした貴会会員のご理解と、数々のご教示をいた だいたことに、まずは感謝申し上げます。お陰さまで、今 年 10 月 23 日には、第 5 回の定期総会を迎える歩みとなっ ています。函館本部、札幌、関東、関西に続く 5 男坊と 自称していますが、前 4 者の兄貴達の会から見れば、まだ 「幼稚園年長さんのレベル」の歩みでしかありません。しか し、幹事・役員会などでは、口角泡を飛ばしながらも和 気藹々とした運営を行っています。 さて、今回は東海青雲同窓会としての問題点と、会運営 の浅薄さを抱えたままで、将来の願望を述べさせていただ きます。第 1 点は、会員数についてです。東海地区の居住 者名簿が 85 名という極めて少ない母体数の中から、現在 4 E S SAYS K ANTOU SEIU N 同窓会の責務 青雲同窓会札幌支部長 佐藤 徹郎 (東高11 回生) 青雲同窓会札幌支部の支部長を仰せつかって 2 期目、 つまり 2 年余りになりますが、支部長を引き受けてみて、 いろいろ難しい問題にも遭遇する中で、時に「そもそも同 窓会とは何ぞや」という問いにも遭遇するところです。同 窓会の普遍的存在意義なるものが存在するかどうかはと もあれ、まずは自分たち自身、どんな同窓会にしていきた いのか、と考える方が現実的でしょう。一時の邂逅を楽し むだけでもよし、同窓会に事寄せてレジャーを楽しむもよ し、母校や後輩に貢献して存在意義を示すもよし、でしょ う。しかし、だからと言って、やりたければやる、嫌になっ たら止める、ということで良い訳のものでもなく、少なくと も「函館東高」なり、 「青雲同窓会」なりの名称を標榜し、 然るべき会則を天下に曝し、その名によって会費を徴収し、 あまつさえ、卒業生が将来に期待を込めて支払った財源 に幾許なりとも依拠しているという現実がある限り、それ なりの期待と負託に応える責務があるものと思います。何 より肝心なことは、同じ高校に学んだ者同士が、卒業後も 生涯にわたって縁を結ぶ場が常に存在する、ということで すが、財政難、人材難、意見の不調和も容易ならざるも のがあり、 「そんなら止めたらいい」などという声も容易に 飛び出す中で、会を保ち続けるということは、言うほどた やすいことではなく、それ自体大きな責務であり、それが できればそれなりに立派な功績だろうと思います。 東高の思い出 関西青雲同窓会 会長 小林 正孝 (東高12 回生) 東高校を卒業し、函館を離れて早 50 年が経ちました。 生まれ育った家は既になく、両親の墓が函館山の麓の称名 寺にあるだけです。テレビや新聞で函館のことが報じられ るたびに懐かしく見ています。 私にとって東高校は、高校時代の 3 年間を過ごした場 所であり、いつも種々なことが蘇る場所です。裏手には湿 地帯が広がり、春は野草を採りに出掛け、6 月頃にはスズ ランが咲き揃う姿を見ることができ、夏にはドジョウやナマ ズを捕まえに行きました。昭和 23 〜 24 年頃には、母親に 頼まれて毎朝 6 時頃、薬缶を持って東高校の小屋に牛乳を 買いに行きました。薬缶一つで 5 円、小母さんがストーブ で沸かした薬缶から分けてくれたのを憶えています。また、 柏野小学校に入学した私は、昭和 25 〜 26 年頃の 1 年間、 東高校校舎の 1 階で勉強しました。当時は、 「お兄さん、 お姉さんが勉強しているから廊下を走ってはいけない」とよ 5 く言われたものです。 在学中のことも今では懐かしく思い出します。何回かの 停学を経て退学になるところ、先生、友人、教育委員会な どのお陰で退学処分から無期停学処分に変更されました。 その間、斉藤幹雄・律子(お二人共東高校の先生)先生 宅で毎日勉強を教えていただきました。また、60 年安保で 函館市内をデモ行進したこと、ヨット部の部活中、チリ地 震津波で函館港の底を見たことなど、今でも私の頭の中を たくさんの思い出が走馬灯のように駆け巡ります。そのよう な思い出がたくさんある東高校を、 「今蘇る」の校歌を作詞 した厚谷先輩の健康が回復されたら一緒に訪ねようと約束 していましたが、厚谷さんは残念ながら一昨年 12 月 3 日午 前 1 時頃亡くなられました。卒業後、東高校を一度も訪ね ていませんが、いつか訪ねてみたいと思います。私としては、 合併で校名が消えたことに今でもさみしさを感じます。 K ANTOU SEIU N E S SAYS 同窓会と私 副会長 笠巻 哲昭 (東高16 回生) 忘れた等の理屈をつけて同期会・同窓会の類いは一切出 席していませんでした。その後、 「東京 16 会」の名称で、 関東在住者の名簿を作成してみると、104 名の居所が判明 しました。卒業生 500 名の 2 割の方が関東圏に住んでい ることになります。会って仕事を聞いてみると、医師、教 員、自衛隊、警察、銀行、生保、金融、食品、建築、企 業経営者、IT 関連、コンサル等で活躍している面々です。 こんなつわものぞろいですが、思いやりがあり、いつも助 け合うメンバーです。もう再会から 15 年になりますが、平 成 24 年の「東京 16 会」は、4 月 26 日に池袋で実施しま した。42 名の出席者で大いに盛り上がり、これからは毎 年やろうとの話が誰からともなく飛び出して実施することに なりました。 「さて、今年はいつ頃にしようか」と、楽しみ な話が出る今日この頃です。 昭和 22 年生まれ、65 歳ほぼ皆が定年し、悠々自適(?) 生活に突入!考えてみると、定年して無くなるものが結構あ るものだと気付きました。定期券、小遣い、接待、出張、 歳暮、中元、仕事、肩書き、ボーナス、電話、手紙、人 脈、体力、自信、好奇心等…。これじゃあ定年病になる わと思います。会社というところが、いかにありがたいか、 いかに便利で居心地の良い温室であったかがよくわかりま すね。しかし、こんな悩みを同じようにもった昔懐かしい 仲間、高校同期と会うと、一瞬にして 46 年前に戻り、 「ホッ」 と、心地良い時間に戻れるものです。役職や仕事に関係 なく、いつの間にか当時の時代にタイムスリップ。なんでも 忌憚なく、気を張らずに話せる同期の仲間は、二度とつく ることはできません。 50 歳の時に関東青雲同窓会の幹事期で同期の仲間と再 会しました。それまでは仕事が忙しい、おっくう、もう顔も ふる郷との絆 日比野 朋子 (東高7 回生) 絆。様々な「絆」が今の幸せな私を形づくってくれている。 少しでも恩返し?と「函館観光大使」 「道南会会員」になっ ているが、全く役に立ってはいない。出身校である東高校 青雲同窓会の役員も何期か務めさせて貰ったが素晴らし い先輩後輩に感謝するのみである。後輩といえば附属中、 東高校、そして全日空での後輩である彼女との同窓会で の出会いがある。長い間私には一つの念願があった。そ れは函館出身の全日空の後輩との交流の場をつくることで あった。その願いを昨年彼女(現:柴田さんという)が主 力となって実現してくれた。企画力は衰えてないと自負する ものの、老化する体力と脳力で実行が出来ずにいた懸案 であり嬉しい限りである。かつての私がそうであったよう に、函館出身の CA が今日も故郷の上空を誇り高く飛んで いると想像するだけで何故か心がじんわりと潤む。 今年の誕生月でついに「後期高齢者」という年齢層に 括られることになった。本当に“つい”にである。一昨年 は湯の川温泉で大学卒業 50 年記念の会があった。勿論 物故者も多い。思えば随分長いこと生きてきたものだ。当 然その間には、辛いことも悲しいこともあったが、自分を 不幸だと思ったことは唯の一度もない。 (善き家族があり、 この年齢で仕事のオファーがあるという条件付きではある が)そう思える要因の一つに「ふる郷との絆」がある。東 日本大震災後、この「絆」という言葉が市民権を得てい るが、私個人にとっても重要な言葉である。今も函館で 元気に暮らしている姉二人、帰函する度に温かく宴を張っ て迎えてくれる同級生達、四季折々の自然と風。 「古谷さ ん(旧姓)今日はあなたの故郷の上を飛ぶよ」と千歳往き のコックピットに呼んでくれた今は亡きキャプテンとの心の 6 E S SAYS K ANTOU SEIU N ♪い〜ま 蘇る〜 総会の〜♪ 第 28 回総会を振り返ると、50 歳幹事期の青雲魂があ らためて見えてきた。2012 年 5 月 26 日、 「いざ出陣!」 と言わんばかりに、30 回生の青雲魂が、ロイヤルパーク ホテルに集結。 “思い出”という簡単な言葉では済ませら れない貴重な経験をさせていただいた。 写真とともに「総会川柳」で綴る1 ページへ、ようこそ。 7 前幹事期代表 横井 透 (東高30 回生) K ANTOU SEIU N E S SAYS 幹事期をむかえて 幹事期代表 柿本 大 (東高31回生) 平成 17 年の夏頃、ふとした機会に、東京で青雲同窓会 50 歳を迎える年が幹事期であることは知っていました があるので出席してはとお誘いを受けましたが、当時は愛 が、ずっと愛知県からの出席でしたので、多少のお手伝い 知県在住だったため都合がつかず、翌平成 18 年の 5 月、 程度と思っていました。しかし、東京在住となり 7 回連続 たまたま東京出張と重なった総会に出席させていただいた 出席していたこと、また東海青雲同窓会代表として函館の のがスタートでした。その時は、 同期はもちろん知人も不在。 本部総会にも出席していたことに加え、同期からの強い後 近い年代といえば 2 期上の先輩が 2〜3 名いるだけでした。 押しもあり、代表を引き受けることとなった次第です。しか 以来継続して出席していますが、1 期上の30 回生の先輩は、 し、幹事になっても関東在住の同期への連絡する術もなく 年々驚異的に出席者が増えていくものの、我ら 31 回生は、 困惑していたところ、同期の加茂さんが多忙にもかかわら 相変わらず自分一人だけの出席でした。住まいが愛知県 ず、積極的に連絡を取ってくれました。また、幸いにも平 岡崎市のため、私は、関東青雲同窓会へは越境出席です。 成 23 年 4 月、9 0 名近くが出席した函館の同期会で積極 しかし、何とか継続できたのは、名誉会長や会長はじめ、 的に告知し、函館在住者の協力も得て約 80 名の関東メン 役員各位の温かいお言葉と、数年にわたり 30 回生の皆さ バーに案内を出すことができました。その甲斐があり、16 んが同窓会後の同期二次会に誘ってくれたことが大きかっ 名出席のもと、都内で第 1 回の幹事準備同期会を開催す たと思います。 ることができました。 ある年の総会で、同じ愛知県から出席の澤谷さん(11 納涼会は今までにない東京ベイクルーズの企画で成功さ 回生)、山本さん(16 回生)とともに、 「名古屋でも同窓会 せることができ、新年会もメンバーシップシステムの施設で を開催したいですね」との会話になりました。その後、約 開催するなど、特色を出すことができたのは、同期の企画 1 年の準備期間を経て平成 20 年に東海青雲同窓会を設立 力や団結力の成果だと感じています。幹事期は、32 年振 することができました。私は、幹事長として選任され、同 りに出合った仲間とのセピア色の思い出から始まり、改め 窓会の拡大、発展、充実に尽力しなければならないと思っ てわかる故郷の良さ、母校の素晴らしさを痛感できる良い た矢先、2 回目の総会が行われた直後に東京転勤です。 機会です。ところが、またまた突然の札幌転勤。このよう 幹事長を辞任せざるを得ず、多大なご迷惑をおかけしまし な中、準備進行すべてを同期の仲間に任せ、迷惑をかけ たが、その後、第 4 回の定期総会が無事終了したことを ておりますが、愛校精神を共有して、今後も関東青雲同窓 耳にし、喜ばしく感じています。 会の発展、運営に力を注ぐ所存です。 8 E S SAYS K ANTOU SEIU N 皇国少年、定山渓に集う ~昭和 19 年入学仲間の同期会~ 小山 光 (市高 2 回生) 道南や遠く十勝まで出掛けた所謂「援農」、グラマ ン戦闘機による函館空襲、しばしばビンタを喰った 軍事教練の想い出などなど。終わりに高齢化も進 み、この集いもいつまで続けるのか?という深刻な 話となったが、戦時中の標語「鬼畜米英撃滅、最 後の一兵まで」を連想し、 「同期生、最後の 2 人まで」 集合写真 2012 年10 月16 日 継続という事に決定した。人間は生理学的に「125 「函館市高同期 19 会」が、10 月 16 日(火)札幌定山渓 歳」まで生存可能という事なので、元気でいればあと 40 温泉で開催され、昨年に引き続き 16 名が集まった。 数回は開催する事になる。 午後 6 時からの宴会開始に先立ってそれぞれ大浴場に 宴会の後、貸切り同様の大ホールでカラオケ大会となる。 駆け込むが、傘寿を既に過ぎたお互いの裸姿に目をやれ ナツメロを歌い尽くして校歌斉唱。 「とき肇國の源遠く、紀 ば、内臓手術などの大きな傷跡の仲間が散見され、中古 元二千六百年…」と続く歌詞に、若い日の血がたぎる。来 自動車さながらに修理を重ねてきた年輪が垣間見られた。 年も再来年も、この定山渓に集まった全員が元気で再会し 宴会での話題は、戦時中の学生生活が中心となった。 たいものである。 関東青雲同窓会の盛会を願って 釣谷 勝 (東高21 回生) 幹事期からちょうど 10 年、今年度還暦を迎えた 21 回 がスタート合図に合わせて一斉に飛び込みました。地震の 生の釣谷です。これまで事務局を支援する立場でありなが 影響で少し傾いてしまったプールも何年使用したのか不明 ら、まったく戦力になれず申し訳なく思っています。 ですが、その後撤去され、今はテニスコートになっている 我が母校も新しく生まれ変わり、ちょっと寂しい想いも ようです。 ありますが、自由で明るい雰囲気は、今も伝統として引き 私は東京に単身赴任して 15 年目になります。青雲同 継がれているようです。私が東高校に入学した昭和 46 年 窓会の主要行事は新年会、総会、納涼会の 3 回ですが、 は校区制が廃止されて 2 年目であり、また理数科が新設 最近の幹事期の皆様の企画力は、年々パワーアップして された年でもありました。入学してすぐ十勝沖地震に見舞 いて大変力強く感じています。幹事期を過ぎてからの同期 われ、ボロ校舎の集合煙突が崩壊し、ある先生の通勤用 の結束が、同窓会の行事を通じて再度強くなることを願っ バイクがつぶれました。全校生徒がグランドに避難してす ています。 ぐ帰宅しました。グランドの地面が波打って揺れていたの 最後に、関東青雲同窓会を創立以来、長年ご支援いた を鮮明に覚えています。その年に建設中だったプールが翌 だいている中村名誉会長に改めて感謝申し上げたいと思 年から使用できるようになり、竣工式で自分たち水泳部員 います。 9 K ANTOU SEIU N REUNION REPORTS 50 年振りの再会 同期会バスツアーで工場見学 杉本 常三郎 (東高 12 回生) 平成 24 年 9 月 14 日、我々昭和 37 年卒業の「卒業 50 周年の集い」が、大沼公園のグリーンピア大沼にて実施さ れ参加してまいりました。当日は「観光バスツアー」 「ゴル フ」 「パークゴルフ」のコースに分かれ、小生は観光バス ツアーに参加しました。観光バスツアーでは「鷲ノ木遺跡」 を見たり、大手食品メーカーの工場を見学しコロッケの試 食をしたりと楽しいひとときを過ごしました。大沼公園で は数十年ぶりに遊覧船にて大沼を巡り、夕方いよいよホテ ルに集合。6 時頃、久しぶりに旧友に会う宴会となりました。 ここで小生にとって卒業以来 50 年振りとなる二人の友人 に会ったのです。それは、高校卒業時海外へ出て行くと夢 を語っていた女性でした。一人は米国ロサンジェルスから の W 女史、もう一人は独国からの K 女史で、不思議にも 二人ともこの禿げ頭の小生の顔を見て即座に杉本を思い出 してくれたのには感激でした。米国からの W 女史は、不 ふ 動産関係の仕事をしているとのこと、また、独国からの K 女史は、日本語の普及活動に人生をかけているとのことで、 色々と話が弾み楽しいひとときでした。 小生は、昭和 38 年に上京し、大学、就職、結婚とと もに住居を東京中で 7 ~ 8 ヶ所転々としましたが、皆様ご 存じの 50 歳になった時、関東青雲同窓会の幹事を担当す るにあたり、卒業以来、初めて高校時代の旧友から連絡 を受け、同窓会の会合に参加するようになりました。今で は、東京はもちろん、函館での同期会や同窓会等々の会 合には出来るだけ参加しています。このような楽しい人生 での人との交際を持てたことは、青雲同窓会のお誘いが あったればと、本当に現在感謝の気持ちで一杯です。こ れからもこの活動が末永く続くこと、また同窓会の皆様の ご健康を祈念してこの筆を置きます。今後とも、何卒宜し くお願い申し上げます。 み 二三の会 〜年に1度、東高生に戻るひと時〜 函館東高 23 回生(昭和 48 年卒)関東同期会は平成 17 高橋 喜宣 年の関東青雲同窓会総会後に生まれた。それまで同期会 (東高23 回生) は関東で行われたことはない。同期生は関東青雲同窓会 変わった」 「出席者が年々仲良くなっている」という間柄に の幹事期(50 歳)に当り、初めて 16 人が集合した。納涼 なってきている。毎回、 全員が近況を語る場を設けている。 会、新年会、総会と 3 回の同窓会を無事に終了。その打 ち上げの際、 「ぜひ同期会もやろう」という話が持ち上がり、 早い定年を迎えたという声も聞かれるこの頃だ。第 1 回か ら世話人代表として活躍してきた佐藤周君が他界し、皆で 同年 10 月に同期会を開いた。 葬式に出向いたことも忘れられない。 今まで同期会を 7 回開催、毎回 30 人以上の参加者が 「1 年に一度、東高生に戻るひと時」を楽しみにしている。 集う。同期卒業生は 420 人。関東地区に住む同期生 85 人の名簿を作り、個別に参加を呼びかけた。函館から恩 師の先生 2 人が駆けつけてくれたこともあった。また、参 加できない人や先生方にも、同期会の報告と「皆さんの一 言」を集め送っている。会の名前も「二三(ふみ)の会」 と決め、新年会や忘年会も行っている。 「学生時代はお互いに話をしたいことがない人が多い」 「隣に座った人の顔はなんとなく見たことあるけれど、今 回初めて話をした。話をすると、意外に自然と会話できる のが驚き」という関係から「ちょっと見かけた人が旧友に 「二三の会」で 10 代の気分を満喫 10 REUNION REPORTS K ANTOU SEIU N 24 回生 関東同期会開催報告 気が置けないの仲間たちと渋谷で 滝田 俊実 (東高24 回生) 平成 24 年 10 月 28 日(土)、東高 24 回生の関東同期 会を渋谷で開催しました。今回で 8 回目となりますが、きっ かけは、やはり関東青雲同窓会の幹事期にあたり、以前 から携わっていた同期生が関東在住のメンバーに声をか け、賛同したメンバーが再会して幹事を手伝ったことです。 私自身もその時の一人ですが、同窓会の存在を知っていた ものの、それまで参加したことはなく、函館で理数科のク ラス会に 1 ~ 2 回参加しただけで、東京では同期生との 交流もありませんでした。しかしながら、卒業以来会った こともなかった同期生からのメールに、懐かしさと、わざ わざ声を掛けてくれた嬉しさで、ついつい幹事のお手伝い を受けてしまったのが始まりです。初めて打ち合わせに参 加した時は、名前も知らない、顔も覚えていない同期もい るのに幹事の手伝いなんか出来るのか不安だらけでした が、いざ再会した時は、時間の経過、知っている顔、思 い出せない人、などは関係なく、高校時代の思い出が蘇り ました。まるでタイムスリップしたような、不思議で懐かし い感覚でした。その後、何度か打ち合わせを重ね、無事 に同窓会も終了。打ち上げの席上、今度は他の仲間にも声 をかけて同期会をやろうということになったのは、集まった メンバーが、少なからず私と同じ感覚を共有したからだと 勝手に思っています。 そんなこんなで始まった同期会も、多少マンネリ感も漂 うようにもなってきていますが、そこが気を遣わなくて良い ところでもあり、いまだに新たに参加してくれる仲間もいま す。これからも、末永く続けたいと願うと同時に、あの時 声を掛けてくれた同期の仲間に感謝しています。これから もよろしくお願いします。 26回生同期会報告 遅まきながら、昨秋、開催した関東東高 26 回生同期会 (昭和 51 年卒)の報告です。平成 24 年 9 月 29 日(土曜 日)午後 5 時半から、帝国ホテル東京「雅の間」にて開催 されました。私たちの同期会は、長年開かれていたわけで はなく、関東青雲同窓会幹事期(平成 20 年)をきっかけに、 不定期ではありますが、2 年に 1 回程度の割で会を催して きました。今回は一昨年来となり、総勢 26 名の方々が参 集しました。内訳は、A 組 2 名、B 組 3 名、C 組 2 名、D 組 6 名、E 組 2 名、F 組 3 名、G 組 1 名、H 組 3 名、I 組 3 名、J 組 1 名です。現在、関東地区に在住している同 期は、住所を把握している方々が 84 名ですので、約 3 割 が出席した勘定となります。毎回、 この割合を維持しており、 この数字は、割と良いのではないかと思っています。 会場では、一昨年、函館で開催された 35 周年同期会 総会のビデオや修学旅行(菅原先生撮影)のビデオ(8㎜ テープからデジタル化)の放映や、それぞれの近況報告な どを行い、約 3 時間の楽しい時間を過ごしました。二次会 は、幹事の不手際で特に予定していなかったので、とにか 11 佐藤 司 (東高26 回生) く新橋へ繰り出し、ホテルの雰囲気とは一転かわり居酒屋 に。ほとんどの方がそのまま参加。結局、 みんな歳を忘れて、 最終電車の時刻が気になるまで新橋ガード下で三三五五。 しばし、約 40 年前の気分に浸った一夜でした。 今回もそうでしたが、東高卒業後、初めて同期会に参加 してくれる仲間がいます。同期の輪を広げ、維持するため、 次回の予定は流動的ですが計画したいと考えています。開 催決定の際には、同期の皆さん、是非、ご参加ください。 待ち遠しかった、久しぶりの同期会(帝国ホテルにて) K ANTOU SEIU N E S SAYS 納涼会報告 幹事期 松田 広司 (東高 31 回生) 出てからは、企画会社との予算交渉、船に弱い人への対 応、ご高齢の参加者の乗下船時の対策、記念写真や船内 飲食物手配、悪天候時の対応、料金前払規定への対応 などに追われました。中でも、最も苦労したのは最低保障 30 回生からバトンを引継いでの我ら 31 回生の初仕事。 人員 60 名の参加へ向けた大作戦です。当初、会場スペー 年 3 回のイベントの中で夏休みの“遊び”の要素を盛り込 スから申込者が多数の場合、どうしようかと心配していた める唯一の企画。仕事柄また自分も楽しめるものとし のが、なんと 7 月末時点で 50 名にも達しない状況でした。 て「クルーズ」企画を調べ始めたのは前幹事期の新年 それからは、同期有志で函館を含め、あらゆる連絡網を 会が終わった頃でした。しかし、屋形舟は予算オーバー。 駆使して同期の参加を 18 名まで増やすことができました。 クルーズは、予算は勿論、貸切では人数も限定され N G。 先輩にも協力いただき、次年にバトンを引き継ぐ 32 回生 私の持っている業界情報網では誰もが難しいという声ばか の出席も可能になり、総勢 65 名の参加になりました。今 りです。さらに同期に相談したところ、当日遅れて来る人へ にして思えば、私は前日までの準備でエネルギーの 90%を の対応ができない企画は難しいのではとの声もあり、やは 消費してしまった感じがします。そして当日は、雲一つない り無理かと思い始めていた頃、偶然ネットで「運河の見え 絶好の天気に恵まれ、一致団結できた幹事期の皆と一緒 るレストランパーティー&ミニクルーズ」の文字が目に留まり に、残り 10%のエネルギーを燃やし尽くしてしまいました。 ました。ビビビッ!その時から、半ば諦めかけていた私の 一度下見で乗船してはいたものの、船上から改めて見るレ 気持ちに一気に火が付き、先輩や同期を巻き込んだ生涯 インボーブリッジのイルミネーションは素晴らしく、デッキ 忘れられない 50 歳の夏の大イベントがスタートしました。 で目を輝かせながら写真を撮り合い、はしゃいでいる諸先 百聞は一見に如かずと思い、新山会長はじめ役員の方々 輩の笑顔は今でも目に焼き付いています。あっという間の にパーティ会場とクルーズ船をご覧いただき、GO サインが 2 時間半。下船時、お礼の挨拶をしていると、参加された 大先輩から「楽しかったよ」 「船から 夜景を見て青函連絡船から見る函館 の夜景を思い出したよ、最高!」とい うお言葉をいただき、私も思わず先 輩の手を握り胸が熱くなってしまいま した。久々の完全燃焼、その後、二 次会から翌日の記憶はほとんどあり ません。来年の幹事期は、次の夏に どんな夢を見せてくれるのでしょう。 最後に、このような企画を取り上 げていただき、バックアップくださっ た新山会長はじめ、役員および諸先 輩の皆さまに対し、幹事期 31 回生 一同より心から感謝申し上げます。ま た、今回ご参加いただきました皆さ ま、本当にありがとうございました。 無事終了!後片付けの前に幹事期だけでパチリ! 12 E S SAYS K ANTOU SEIU N 新年会報告 幹事期 菊地 美升 (東高 31 回生) 平成 25 年 2 月 2 日(土曜日)、関東青雲同窓会の新年 「ウラク青山」様のご配慮で各テーブルにセットすることに 会が青山の会員制クラブ「ウラク青山」で行われました。 なりました。美味しいと評判だったお料理とともに、会話 今年度の幹事を務めます私たち東高 31 回生(昭和 56 をゆっくりと楽しむことができたのではないでしょうか。し 年卒)は、納涼会の後、松田君、加茂さん、宇野さん、 ばしのご歓談の後、恒例の抽選会です。今回も皆さまより 大山さんを中心に会場を探し、特に当会場利用にあたって たくさんのご協力をいただき、故郷函館の物産品、中村 は、宇野さんに尽力してもらい決定することができました。 名誉会長賞として脳ドックやマンモグラフィ受診券、ウラク その後、同期代表幹事の柿本君の札幌転勤や、加茂さん 青山ペアディナー券などなど、69 個の景品が当たる大抽 の怪我などありましたが、11月から打ち合わせを始めまし 選会となりました。 た。納涼会のクルーズ企画が、大好評であったため、次の 楽しい時間はあっという間に過ぎ、校歌、応援歌の斉 企画はどうしようかと悩みましたが、会場自体が「おもてな 唱です。東高 34 回生で、在校時応援団長だった袴田君が しの心」をコンセプトにしていることから、新年会は会場 登壇。さらに、東高 30 回生で副団長をつとめた吉村先輩 の質の高さだけでも喜んでいただけるので、シンプルにい が鎖骨骨折にもかかわらず、壇上に駆け上り、会場全体を こうということに落ち着きました。 リードするシーンも見られました。 さて、当日です。当初、60 名くらいの参加予定で企画し 中締めは、檜森幹事長によってご協力頂いた 「ウラク青 ていましたが、ふたを開けてみれば 89 名参加の大盛会と 山」 様への感謝の言葉が綴られ、無事お開きとなりまし なりました。会に先立って恒例の集合写真撮影です。皆様 た。中村名誉会長の出席を楽しみにしていた方も多かった には会場いっぱいに並んでいただき、少し時間を要してし ので、今回、欠席されたことは残念でしたが、次回の総 まいご迷惑をおかけしました。また、この日の東京は、季 会には元気な御姿を見せてくれることと思います。その総 節外れの 20 ℃という外気温。それに加え、大勢の参加で 会は 5 月 25 日(土曜日)、神保町の學士會館が会場です。 開宴前から熱気ムンムンで、空調を下げて欲しいという 皆様のご参加をお待ちしています。 声を何度かいただくほどでした。 抽選 ! 抽選 !! 抽選 !!! 札幌から駆け付けた柿本幹事期代表の開宴の辞に続 き、新山関東青雲同窓会会長、澤谷東海青雲同窓会会長 の挨拶、そして、東高 1 回生の五十嵐英壽先輩が乾杯の 発声を行いました。食事は、当初ブッフェスタイルを予定 していましたが、予想を上回る参加者の席を確保するため、 久しぶりの仲間と大いに盛り上がりました。お料理も GOOD! よっ、応援団!いつもありがとう! 13 K ANTOU SEIU N REUNION REPORTS 同期会(古希の会)報告 瀬尾 勝之 (東高 11 回生) の開催はこれまで 20 回以上を数えますが、遠くに住む仲 間を訪ねて、沖縄やベトナムのハノイまで出掛けたこともあ りました。残念なことに、 「函館東 36 会」の生みの親と言 うべき岩佐章夫君が体調を崩されて昨年 9 月に他界されま した。衷心よりお悔やみを申し上げます。 さて、 「函館東 36 会」は平成 23 年に卒業 50 周年を迎 え、同年 10 月に函館ロイヤルホテルにて盛大に記念式典 を開催し、恩師も含め 110 名が集いました。また、去る 11 月 29 日に開催した函館本部の総会は、奇しくも 36 回目と なりました。そして、我々の仲間は今年度で 70 歳の「古希」 を迎えます。我々関東支部では、これに因んで第 31 回総 会を 12 月 1 日の午後から高輪プリンスホテル「古稀殿」 において「古希の会」として開催し、29 名が参加しまし た。総会では新山支部長の開会挨拶に続き、2 日前の函 館本部総会に出席した私から本部総会の報告を行いまし た。その後、各自が古希を迎えての心境や近況報告、並 びに友人情報等の報告を述べ、福引などのイベントを行っ て、最後は恒例の校歌、応援歌を斉唱。約 2 時間の楽し い宴を終了しました。総会が散会しても久し振りで再会し た仲間とは別れ難く、同ホテルの喫茶店での二次会には、 ほとんどの方が参加し、その後は新山支部長の馴染みの 築地の寿司屋で食事をし、2 月 2 日に行われる関東青雲 同窓会新年会での元気な再会を約束しました。 我々11 回生は、昭和 36 年の卒業です。我々の仲間は、 同期会をその卒業年次に因んで「函館東 36 会」と称して います。卒業時の同期生は 9 クラス、約 450 名で、卒業 後に各々就職や進学などで東京や札幌を中心に全国へ散 りました。その後、帰郷者も含めて当時の函館には 1/3 に 当る約 150 名が居られたと思います。当時の仲間達が家 族や友人の伝手を辿り、全国から情報を集め同期の名簿 を作成し、卒業後 15 年を経た昭和 51年に「函館東 36 会」 が発足しました。それ以降も卒業生名簿の更なる充実を図 り、仲間の 90%の所在が確認できました。その中心となっ てご尽力されたのが函館在住の岩佐章夫君や関東青雲同 窓会の新山春一会長など、湯の川中学校の出身者と伺っ ています。 「函館東 36 会」の発足以降は、函館で毎年定期総会を 開催していますが、当時は開催を全国から帰郷する仲間が 集まりやすい時期として毎年 8 月12 日と決めていました。 しかし、この時期は交通運賃が割高であるとして、最近は 秋頃に開催しています。また、 「函館東 36 会」には支部も あります。函館本部の 5 年後に設立した関東支部は 11 ~ 12 月に、札幌支部は 6 月に総会を開催しています。函館 本部では総会の他に新年会も開催していますが、平成 2 年以降は「函館東 36 会・旅の会 in ○○」と称して、東北、 北海道、関東方面を巡る旅行も実施しています。旅行会 36 会東京支部会 古希の会集合写真 2012 年 12 月 1 日 14 COLUMNS K ANTOU SEIU N 【 部活の思い出 】 弓道部の思い出 副会長 村田 学 (東高29 回生・理数科 9 回生) 「学、東に入ったら弓道部へ入れ。弓はいいぞ」 。中学 校の恩師、上田正人先生に言われるまま、私は弓道部へ 入部しました。色々な思い出はありますが、やはり最初に 的に向かい矢を放った時の事が一番の思い出として心に 残っています。当時の弓道場は野球部のグランドに隣接し、 安土(あづち:的を立て、矢を受けるために土を盛ったとこ ろ)のすぐ後ろには野球部の部室がありました。初めて射 位(射場の中で、射を行なう場所)に立ち、矢を放つ日の 時でした。一本目は、地面をすりながら安土に刺さり、二 本目は少し狙いを高くし放ったところ、野球部の部室の屋 根に当ててしまいました。1 年生が初めて的前で引く弓で すから、張力の弱い弓で、矢の速度も先輩たちのそれと は比較になりません。野球部の方々には 1 年生の弓道部員 の引く弓は恐怖だったかもしれません。私は高校 3 年間だ けで弓は止めてしまいましたが、先輩、同期、後輩の中には、 大学から社会人になっても弓を引き続けている人もいます。 射法八節「足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け、会、 離れ、残心(残身)」に則り、毎日の練習を積み重ね、自 分が納得できるだけの 「射」を求め掴もうとした過程は、皆、 正に弓(求)道者だったのかもしれません。顧問だった対 馬先生から 3 年の最後に贈られた言葉は、 「心の中でも良 いから、皆、生涯において弓を引きなさい」という深いも のでした。人生経験 だけは積み重ねてき た自分自身、今はど んな弓を引いている のか、迷い戸惑いな がらの毎日です。 「道 に終わりなし」でしょ うか。 緊張の一瞬。静寂の中、弓を引く 軽いノリで参加しました! 宮川 博昌 (東高34 回生) と応援歌まで、あっという間のひとときが、青春時代へと プレイバックさせてくれました。 上京してきてから標準語を話さなければ…。そう意識し ながら暮らしてきましたが、この日を境に訛りながら飲め る仲間を感じることができ、関東青雲同窓会との出合い に感謝です。 私は、帰省するたびに仲間 10 名程度でミニ同期会 をやっています。もちろん、東京でも頻繁に同期で集まっ ています。しかし、関東青雲同窓会を知る機会はありませ んでした。私は、このような楽しい同窓会をもっと多くの 卒業生に知ってほしいと思いました。この歳になれば、共 通の話題が多くなってきます。上京してからの生活の方が 長くなり、日々楽しみが少なくなっていく中で、大きな楽 しみが一つ増えたようです。 ひょんな御縁から同窓会の存在を知り、昨年 5 月の総 会に参加しました。同窓会というと、幹事期となる学年の 方々(50 歳)が一番若い参加者というイメージがありまし た。ですから、私たち 46 ~ 47 歳の 34 回生が出席者の 中で一番若いだろうと思っていましたが、予想はズバリ的 中でした。初参加ということもあり、列席者の全員が先輩 もしくは先生なので、最近では経験したことのない心地良 い緊張感の中で時間を過ごしました。桜が咲く東高新入 学の頃のワクワク感を、一夜限りでしたが楽しむことが できました。 総会そのものは本当にたいへん楽しいパーティで、毎 年このような会が行われていたとは驚きです。正直に申し 上げれば、同期会は盛り上がりますが同窓会は果たして? という思いでした。ところが、 「おばんです」の挨拶から 始まり、故郷函館の特産品が当たる抽選会、最後の校歌 15 K ANTOU SEIU N COLUMNS 【 同窓生紹介 】 追 悼 ~故小寺真知子(東高 18 回生)を偲んで~ 幹事長 檜森 兄元 (左)赤い靴の少女像と小寺氏 (下)檜森幹事長とともに (東高16 回生) 彼女の広い人脈、魅力溢れる人柄がうかがえる。 彼女は、東京、函館、札幌、大阪等を転院しながら治 療に専念していた。勿論、中村名誉会長の病院の紹介状 等もあった。 「これで最後のガン治療を終えたらイタリアへ 帰ります」この言葉が、今でも幾度となく頭をよぎる。そ の後、訃報に接した時は頭が真っ白になり、何も考えられ なかった。彼女が逝って一ヶ月後、函館で「小寺真知子を 私は、突然大切な人を失った。我々は、益々活躍でき 偲ぶ会」が催された。元東高美術教師である梅谷先生の る芸術家を失った。現代具象彫刻家で世界に誇る逸材を 「マチコ、真知子、MACHIKO」という悲痛な叫びが耳に 失った。東高同窓生でもあり、個人的にも長い交流を持 残っている。早過ぎる、余りにも急ぎ過ぎた人生であった。 たせていただいた方であった。幾度も帰国し、治療を受 「ペリー米提督像」 「土方歳三像」 「赤い靴の少女像」 けていたが、薬石効せずイタリアで逝ってしまわれた。 など、200 ~ 300 体とも言われる作品の数々、それを通し 彼女が度々帰国した際、私は他言無用の約束で治療の て君は我々に何を問いかけるのか…。小寺真知子よ、君 事実を知らされたが、それほど病が進行しているとは思 は素晴らしい作品を残し、語りかけてくれるのはわかるが、 わせないほど明るく接してくれた。作品造りにおける徹底 あまりにも悲しい。さざ波のように今でも悲しみが押し寄 した探究、納得してから手掛ける頑固さは、世界的彫刻 せてくる。すばらしい芸術家であり、彫刻家であり、そし 家の情念、あるいは執念なのかもしれない。在日時の拠 て人間的にも魅力ある小寺真知子、私は、ただ御冥福を 点は弟子宅で、イタリアで彼女に弟子を志願し認められた 祈るのみである。 10 歳以上歳上の元芸大教授の家だった。このことからも、 合掌 【 我が恩師 】 恩師の思い出 吉川 範明 (東高24 回生) 昭和 46 年に東高 24 回生として入学し、1 年の担任は 数学の川辺先生でした。温厚でやさしい先生で、当時下 宿の側の銭湯で出会った時など、湯につかりながら、下宿 生活のことや友人の話などをさせていただきました。2 年 の担任は国語の高瀬先生でした。まだ独身で若々しく、と ても親しみのある先生でした。3 年の担任もやはり国語の 伊藤(義)先生で、理数科なのに 2 年連続で国語科の先 生が担任なので、今まで不思議に思っていましたが、先年 同期会に出席いただいた義ちゃんに伺ったところ、理数科 の担任の希望者がいなく、仕方なく引き受けられたと聞き、 当時の理数科はそんなに扱いにくい生徒が多かったのか と、自分もその一員ながら驚いた次第でした。義ちゃんは とてもユーモアがあり授業も面白く、当時から人気のある 先生で、担任と分かった時はとても喜んだ記憶があります。 他にも各教科で多くの先生に教えていただきました。特 に部活(放送部)の顧問が、英語のサタン木村(スージー) 先生・社会の黒沢先生で、木村先生が部室に来られた時 は、思わず直立不動になってしまいました。また、黒沢先 生には高校 3 年間で唯一ビンタをされた先生として記 憶に残っております。今となってはすべてが良い思い 出です。先生方、3 年間本当にお世話になりありがとう ございました。 16 R E GU L AT ION S K ANTOU SEIU N 17 K ANTOU SEIU N A DV E RT ISE M E N T S 18 A DV E RT ISE M E N T S K ANTOU SEIU N 19 K ANTOU SEIU N A DV E RT ISE M E N T S 20 A DV E RT ISE M E N T S K ANTOU SEIU N 21 K ANTOU SEIU N A DV E RT ISE M E N T S 22 TOPICS K ANTOU SEIU N 世代を超えて共に歩こう、フェアウェーを。 函館地区 3 校(中部高・西高・東高)の関東同窓会では、 「巴会」と称し、 有志によるゴルフ会を開催しています。毎回、幹事校が持ち回りでコンペ運営 等の作業を行い、和気藹々とゴルフを楽しんでいます。 東高独自でもゴルフ好きが集まり、プレーする機会がありましたが、最近で は久しく行われておりません。ゴルフは、年齢差なく、年輩の方と若手が一緒に プレーできる数少ないスポーツと言われています。関東青雲同窓会では、この 機会に有志によるゴルフ会を開催する方向で企画を進めてまいりたいと考えてい ます。企画内容等、皆様からのご意見を事務局までお寄せください。 年度に 1 度の補助金を利用しましょう。 関東青雲同窓会では、4 月から翌年 3 月までの 1 年間に限り、同期会開催の補助金を提供しています。これは、同期会をきっ かけとして、一人でも多くの在関東地区の卒業生の皆様が会員登録していただくために、数年前から取り入れられた制度です。 僅かな補助金ではありますが、皆様の一助になっていただければ幸いです。詳しくは事務局までお問い合わせください。 同期会補助金の内容 • 補助金額 1 万円(必ず開催前にお申し出ください) • 当年 4 月 1 日〜翌年 3 月 31 日までの 1 年度に 1 回限り ※翌年への繰り越しはありません。単年度ごとに 1 万円のご提供です。 • 10 名以上の同期会開催とします。 • 会員未登録の方が参加する場合を想定し、年会費の払込票をお渡ししていますので、 補助金受取時に事務局までご連絡ください。 • 会報にて「同期会報告」の原稿を依頼する場合がございますのでご協力ください。 23 第 29 回 関東青雲同窓会 総会・懇親会のお知らせ 来る 5 月 25 日(土)、學士會館にて第 2 9 回の総会・懇親会を開催します。同会館は、都営三田線・ 都営新宿線・東京メトロ半蔵門線「神保町」駅より徒歩 1 分という、交通アクセスが便利な場所 にあります。また、アカデミックかつモダンで重厚な雰囲気漂う建物は、80 年以上を経た今も大事に 継承されており、平成 15 年 1 月、国の有形文化財 に登録されています。 今年は東高 31 回生(昭和 56 年卒)が幹事期 を務め、クルーズという初めての試みを行った 8 月の納涼会、2 月の会員制施設でのおもてなしの 新年会と、新しい企画を進めてまいりました。 次回の総会につきましても、東高校名物の凧先 生である梅谷先生のご協力を得て、皆様に喜んで いただける企画を準備しております。 皆様の多数のご参加をお待ちしております。 開催概要 日時 5 月 25 日(土) 〈交通〉 ・地下鉄都営三田線 / 都営新宿線 / 東京メトロ半蔵門線 「神保町」駅下車 A9 出口徒歩 1分 17 : 15 受付 開始 18 : 00 総会 18 : 30 懇親会 ・東京メトロ東西線 「竹橋」駅下車 3a 出口から徒歩 5 分 会場 學士會館 2 階 210 号室 東京都千代田区神田錦町 3-28 ・ 「東京」駅北口からタクシーで 10 分 新規会員の登録と同窓会年会費ご協力のお願い 関東青雲同窓会では、毎年 5 月に開催する総会・懇親会 何卒、会員登録のお勧めをお願いできれば幸いです。来年は、 のご案内に、年会費の郵便払込票を同封しています。お陰 関東青雲同窓会創立 30 周年の大きな節目を迎えることから、 様で、毎年多数の皆様から年会費のご協力を賜り、運営に 皆様の一層のご協力をお願い申し上げます。 役立てることができています。本誌面をお借りして、厚く御礼 年会費の内容 申し上げます。 1 年ごとのお支払い:2,000 円 しかし、幹事期以降の卒業期の行事参加が少ないことな 5 年分一括のお支払い:8,000 円 どから、より多くの皆様に会員登録していただくお願いを申 20 年分一括のお支払い:30,000 円 し上げるとともに、改めて年会費のお知らせをさせていただ きます。同期会開催等で未登録の方がいらっしゃいましたら、 編集後記 昨年に引き続き、 「関東せいうん」第 11 号を発行することができました。第 10 号は平成 20 年以来の発行でしたが、今回の 11 号は 2 年連続の発行で、些かエネルギーを要したものの、編集委員会がそれなりのノウハウを習得して臨んでいることが実 感できる進行でした。 巷では、ツイッター、フェイスブックなどの SNS(Social Networking Service)で、インターネットを利用したコミュニケーショ ンが至極当然に行われています。電車でも、喫茶店でもスマートフォンやタブレット端末で、人差し指と親指の運動をしている人 たちばかりです。しかし、原稿依頼〜執筆〜デザイン〜編集〜印刷という紙と活字との戯れを基本とする会報作成作業に接し ていると、なぜか「表現」の原点回帰を演出してくれるようにさえ思えます。 制作作業の過程では、様々な意見交換があります。同期会報告はどの卒業期に依頼するか、部活や恩師の思い出コラムはど うするかなど、酒を酌み交わしながらここでも別な SNS が繰り広げられます。 “Seiun Nomikai Survival”、フェイスブックよりも 「い いね!」かもしれません。今、関東青雲同窓会は、来年の創立 30 周年に向けてエネルギー全開です。 副幹事長 横井透(東高 30 回生) 24