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1 2章 電子空間における人間関係形成 日常生活の中で、メディア
2章 電子空間における人間関係形成 日常生活の中で、メディア・テクノロジーがより身近なレベルで普及するに と も な い 、主 に 業 務・研 究 用 な ど と し て 発 達 し て き た そ れ ら の テ ク ノ ロ ジ ー は 、 当初の目的にとどまらない、さまざまな用途を持つようになるという現象が見 られる。たとえばポケットベルは本来営業マンの業務連絡用などに利用されて い た も の が 、特 に 1990 年 代 の 半 ば ご ろ か ら 若 者 の 間 で 数 字 の 語 呂 合 わ せ な ど の 、 異なった形式をもったコミュニケーションの道具として利用されていった。そ こで見られたのは、ポケベルが連絡や待ちあわせといった何らかの目的のため にのみ利用されるのではなく、単なる挨拶の交換など、そこで展開している人 間関係の維持そのものが目的になったり、時にはそのメディアの上だけで人間 関係(ベル友など)が展開するという形での利用であった。 本章で注目したいのは、コンピュータ・ネットワークの普及により新たに拡 大してきた、人間関係の拡大や維持のための利用である。 特にコンピュータの場合、その人間関係がネットワークの上だけで展開する という形式も珍しいものではなく、そこでのコミュニケーションが文字だけで 行われ、お互いの顔が見えないといったことによって、他のメディアとは異な った様々な特徴を持つように考えられてきている。一方で、ネットワーク上の 犯罪やわいせつ情報の問題など、顔が見えないことによる反社会的な行動の蔓 延を危ぶむ声なども聞かれている。 本章では、これまでに行われた実証的知見を見ながら、コンピュータによる コミュニケーションの特徴に照らしあわせてネットワーク上の人間関係がどの ように展開しているのかについて概観していく。 1.CMCとしての電子コミュニケーション ▼さまざまなコミュニケーション形態 一口にコンピュータネットワーク上での電子的なコミュニケーションといっ ても、それは技術的側面あるいは社会的側面からの参加者形態の違いによって 様々なあり方が見られる。 1 こ こ で は 総 称 と し て C M C( C o m p u t e r -M e d i a t e d C o m m u n i c a t i o n)と い う 呼 び 方をするが、特に文字だけを利用したものとして現在最も一般的に行われてい る C M C に 、 電 子 メ ー ル ( E-Mail) と 電 子 会 議 と 呼 ば れ る も の が あ る 。 電子メールは基本的に手紙のやりとりのように一対一の人が通信を行なうこ とを可能にしている技術である。それに対し、電子会議では、特定の話題を共 有する人々の集まりについていくつかの「会議室」と呼ばれる共通の情報交換 の場を設定し、そこに利用者それぞれが発言を書き込み、基調となる発言に対 し て 別 の 発 言 を 積 み 重 ね る こ と に よ っ て 、コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を 行 な っ て い く 。 参加者は不特定多数で、基本的に誰でもその発言を読むことができ、発言内容 も自由なものとされている。電子会議はフォーラム、電子掲示板、ニュースグ ループと呼ばれる形態をとることもあるが、基本的な構造に大きな差はない。 しかしながら、これらの形態は必ずしも技術的に限定されるものではなく、 電子メールには一度に同一内容を複数の人に送る機能(同報性)があるため、 指定されたメンバーに対して転送することにより、電子会議を擬似的に行なう ことが可能になっている。 これに対し、実際の社会において意味を持ってくるのは、むしろ利用者自身 の参加形態であろう。いわゆる「パソコン通信」と呼ばれるものは、主に商用 ネットと呼ばれる、特定の企業や団体のホストコンピュータを介してその団体 と契約した「会員」が利用する「サービス」の一つとして行われている。した がって、パソコン通信では人々の個人的なコミュニケーションもまたホストコ ン ピ ュ ー タ に よ っ て あ る 程 度 管 理 さ れ 、制 限 を 設 け ら れ て い る の が 普 通 で あ る 。 こ れ に 対 し て 、「 イ ン タ ー ネ ッ ト 」と 呼 ば れ る も の は あ く ま で コ ン ピ ュ ー タ ど う しの間に位置する通信ネットワークそのものであり、そこでどのようなサービ スが行われるかは、その通信ネットワークにつなぐコンピュータ(とその利用 者)によって決まるものであり、インターネット自体は利用形態が限定される ことがない。 実 際 の 傾 向 と し て 、97 年 現 在 パ ソ コ ン 通 信 ネ ッ ト に 加 入 し て い る 人 数 は 推 定 789 万 人 で あ り 、こ れ は 前 年 度 の 573 万 人 に 対 し て 37 % の 伸 び を 見 せ て い る( ニ 2 ューメディア開発協会による)が、パソコン通信としてのサービスを行なう局 数の増加は鈍くなっており、これに対してインターネットに接続する局が増加 するなど、インターネットへの移行が見られている(ニューメディア開発協会 [1997])。 図2−1パソコンネット局数の推移 パソコンネット局数 増加率 40 35 30 25 20 15 10 5 0 3,000 2,500 2,000 1,500 1,000 500 0 3.7 4.6 5.6 6.6 7.6 8.6 (平成 9 年版『通信白書』より作成) イ ン タ ー ネ ッ ト で は 、あ る 意 味 で 接 続 し て い る コ ン ピ ュ ー タ 全 て が 何 ら か の サ ー ビ ス を 提 供 す る「 ホ ス ト 」な の で あ り 、そ の 数 は 98 年 1 月 現 在 全 世 界 で 2 9 6 7 万 に の ぼ り ( N e t w o r k W i z a r d s h t t p : / / w w w . n w . c o m に よ る )、 日 本 で の 利 用 者 は 97 年 末 で 884 万 人 と 推 計 さ れ て い る ( 日 本 イ ン タ ー ネ ッ ト 協 会 調 べ )。 し た が って、インターネットでは全く不特定多数の人が会員資格等を問われずに自由 にコミュニケーションを行なう可能性を持ち、そこで行われているコミュニケ ー シ ョ ン の 形 態 も 、 W W W ( W o rld -Wide web ) と 呼 ば れ る 技 術 形 式 に よ っ て 、 図像や動画などの情報としてやりとりすることが可能になっている。特にホー ムページと呼ばれる形式での情報の公開は、不特定多数の人がお互いを知るこ となく情報を見るという点で、むしろマスメディアに近いような従来の形式と は 異 な っ た コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を 行 な っ て い る と 考 え ら れ る ( 池 田 編 [ 1 9 9 7 ])。 しかしながら、現状としてはインターネットにおいても、コミュニケーショ ンの形式としては電子メールや電子会議が多くを占めており、また、インター ネットに関して指摘される問題もその形式との関連を指摘されることが多いた 3 め、ここではむしろこれらの文字のみによるコミュニケーション形態を基本的 な特性としてもったものをCMCと考える。 ▼ CMCの特性 CMCに関する具体的な研究知見を見る前に、まずここでは従来に指摘され たCMCの特性と呼ばれるものを確認しながら、それらの特性を持ったものを そのままここで考察する対象として定義する。 スプロウルとキースラーは、CMCの持つ社会的特徴を6つの点で指摘し、 それらを基準とした他のコミュニケーション技術との比較を行なっている (Sproull & Kiesler [1992])。 ① 非同期性 メッセージに対して、発信者と受信者は同時に接触する必要がなく、時間 的な制約なしにコミュニケーションができる。これに対し、チャットなど と呼ばれる同期的な形式を持った技術もあるが、利用者は5%程度と一般 的 に 非 常 に 少 な い ( 橋 元 ほ か [1996])。 ② 迅速さ メッセージはほとんど数秒のうちに距離を越えてやりとりされる。 ③ 文字によるコミュニケーション メッセージが文字によって構成されることで、それは同時にノンバーバ ル・コミュニケーションと呼ばれるあいづちや視覚的な手がかりをもたな い こ と を 意 味 す る 。( 手 紙 の 場 合 で も 、筆 跡 な ど の 視 覚 的 手 が か り は 大 き い と 見 る こ と も 可 能 で あ る )。 ④ 同報性 複数の人が同一のメッセージを共有できるため、アクセスの資格やきっか けなどに制約が少ない。 ⑤ 外部記憶の存在 メッセージはコンピュータの記憶装置に記録されるため、やりとりを保存 し、後で再生することができる。したがって参加するものは参加開始の時 期などの制約を受けることがなくなる。 4 ⑥ 記憶の処理 記憶されたメッセージ内容はコンピュータによる処理が可能で、検索、複 写などが簡単に行われる。 こ れ ら に 基 づ い て 比 較 し た も の が 表 2 − 1 で あ る が 、こ こ で は こ う し た 性 質 を もつものとしてCMCを定義した上で、次にこれらがそこで展開するコミュニ ケーションの特徴にどのように関連づけられているか、について見ていく。 表2−1 CMCと他のコミュニケーション技術との比較 会議 電話 手紙 FAX CMC 非同期性 迅速さ 文字のみ 同報性 外部記憶 × × × ○ ○ △ △ × ○ ○ × × × ○ ○ ○ △ △ ○ ○ × △ ○ ○ ○ 記憶の処 理 × × △ △ ○ ( ○ … 可 能 で あ る 、 △ … 状 況 に よ る 、 × … 不 可 能 に 近 い )( S p r o u l l & K i e s l e r [ 1 9 9 2 ] よ り 作 成 ) 2.人間関係形成過程としてのCMC ▼ CMCと対面コミュニケーションの比較 以上に見てきたような特性から、CMCがそこで行われるコミュニケーショ ンに何らかの影響を与えるのではないかと考えられ、主にCMCと対面のコミ ュニケーションを比較する形で実験的な方法による検討が従来行われてきた。 その影響についての見方として、CMCにおける「社会的手がかりの喪失」 と い う も の が 考 え ら れ て き た ( S i e g e l e t a l . [ 1 9 8 6 ] )。 こ れ は C M C の も つ 特 性により、性別や地位といった社会的な情報がコミュニケーションの中で欠落 することで、日常の対面コミュニケーションの前提となっているそうした情報 の影響を無視できるようになり、その結果それぞれのコミュニケーションは異 なった特徴を見せるというものである。 その特徴は端的に行って、二つの方向を持つ。一つは、CMCでは社会的な 地位を考慮せずに発言できるので、その分平等に参加できるコミュニケーショ ンが行なえるという方向で、もう一つは、CMCでは社会的な地位の影響がな くなることにより、社会的な規範を欠いた発言が行われ、その結果個人間の統 制がとれなくなるという方向である。 5 前者の場合、会議などで意見の交換が活発になると考えられる。CMCと対 面の会議を比較した実験では、異なった地位どうしで発言率がCMCの方で接 近 す る と い う 例 が 見 ら れ て い る ( 図 2 − 2 )。 図 2 − 2 メ ン バ ー に よ る 参 加 の 違 い ( Sproull & Kiesler [1992,p109]よ り ) 後者の場合は、CMCにおける感情的・攻撃的な発言の多さ(ケンカ状態) と し て 現 れ る 。 こ の 現 象 は 炎 が 広 が る 比 喩 か ら 「 フ レ イ ミ ン グ ( f l a m i n g)」 と 呼ばれている。フレイミングは単に地位といった情報の喪失から、相手への配 慮がなくなることの他に、会話のニュアンスを伝えるノンバーバルな手がかり (口調など)が失われているという点にも原因が考えられている。 ▼ 技術決定論への批判:コミュニケーション過程への視点 しかしながら、こうした技術的特性を元に実際のコミュニケーションへの影 響を見る考え方は、技術が一方的に人間の行動のあり方を決定するという「技 術決定論」として批判を受けると同時に、新たなCMCへの視点を生じること になった。 たとえばスピアーズらは、同様の実験手法において、参加者のグループを、 参加者のアイデンティティのよりどころとして、集団としての意識を高めた群 と個人としての意識を高めた群に分けて、それぞれ対面とCMCでのコミュニ ケーションの効果を比較したところ、確かに個人としての意識が高い場合は、 CMCの方が集団としての統制がとれない傾向が見られたが、集団としての意 識が元々高い場合はむしろCMCの方が集団としての統制がとれており、群に よ っ て 全 く 反 対 の 結 果 が 生 じ た ( Spears & Lea[1992,p49]、 図 2 − 3 )。 6 図 2-3 参加者の意識による違い(Spears & Lea[1992]) 1.5 集 団 と し て の 統 制 1.0 0.5 集団としての意識が高い場合 0.0 個人としての意識が高い場合 -0.5 -1.0 -1.5 -2.0 対面状況 CMC このことは、同じメディアの特性についても、参加者の状態によって全く異 なった結果を生じることを示している。 さらに、ウォルサーは2つの点でキースラーと異なる点を指摘している。一 つは平等性についての解釈であり、CMCで発言の機会が高まるとしても、各 参加者がむしろそれぞれで勝手なこと言っては議論ができないことになり、結 局はそれに対して誰かが支配的になる必要があるので、内容的にはCMCの方 で支配的な発言がより多く行なわれることになる。もう一つは時間の効果であ り、いったんそのようにして集団としての凝集性が作られれば、特に支配的な 発言が強く発揮される必要はなくなる。したがって、結果として支配的な発言 は 減 少 し て い く こ と に な る ( 図 2 − 4 )。 図2−4時間による効果(Walther[1995]) 3 支 配 2.8 的 な 発 2.6 言 CMC 対面 2.4 時点1 時点2 時点3 ウォルサーが指摘しているのは、結局CMCで形成される人間関係について、 平等である/支配的であるといった性格は、参加者がお互いについての情報を 処理していく過程の中に現れるもので、このような過程としてはCMCで行わ 7 れていることは時期によっても異なった特徴を見せるのであり、図4−4の値 が後半で接近しているように、常に一般的なものとして対面と異なった特徴を 見 せ る も の で は な い と い う 視 点 で あ る ( Walther[1995])。 このような技術の「特性」ではなく、コミュニケーションとして情報を処理 していく「過程」を見て行く考え方は、CMCについての「社会情報処理」ア プローチとして展開しており、時間のほかに親密さや相手への信頼度、課題志 向に対する社会的な志向などの変化がこのような過程に影響を与えることが示 さ れ て い る ( W a l t h e r & B u r g o o n [ 1 9 9 2 ])。 実 際 に S a u n d e r s e t a l . [ 1 9 9 4 ] に よ れば、発言の内容も結局のところ現実的な地位に従っていることが医者と看護 婦による電子会議の例で確かめられている。 こうした情報処理の過程は、個々の発言を内容についても確かめることがで きる。川上らは電子会議室の発言を分析し、その中にコミュニケーション的考 慮 に 基 づ い た ス タ イ ル の 違 い が 見 ら れ る こ と を 指 摘 し て い る( 川 上 ほ か [ 1 9 9 3 ] )。 コミュニケーション的な考慮とは、丁寧な言動や挨拶など、相手との距離を考 え た 言 動 を と っ た り 、ま た 擬 態 語 や 表 情 文 字( 例 : ( ^ ^ ; )と い っ た 記 号 で 笑 い を 表す)など、非言語的な情報を含ませることで、コミュニケーションを円滑化 さ せ よ う と す る も の で あ る 。 同 様 に 、 Hie ms t r a [1982] で は 、 相 手 を 尊 重 し て 相 手のフェイス(面子)を守る行動がCMCにおいて様々な言語的なストラテジ ーとして見られている。 このようなコミュニケーション的考慮の存在は、CMCにおいて社会的な情 報が手がかりとして単純にすべて失われるのではなく、むしろコミュニケーシ ョンを進行させるために選択的に作り上げられていることを示している。図2 −5は、異なったテーマの電子会議室で先に見たようなコミュニケーション的 考慮がどのように現れているかを示したものであるが、その現われ方は会議室 の内容によって大きく異なっていることがわかる。 図 2 − 5 会 議 室 に よ る コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 的 考 慮 の 違 い ( 川 上 ほ か [ 1 9 9 3 , p 9 9 ]) 8 池 田 は こ の よ う な 行 動 を 選 択 的 に 作 り 出 す 意 味 で「 カ ス タ マ イ ズ 」と 表 現 し 、 それぞれにおける人間関係を形成するための過程と見て、それが「文化」とし てそれぞれのメンバーにおいて共有されている可能性を指摘している(池田編 [1997,p57])。 ▼ 電子コミュニティにおける文化の共有 近年、CMCでの人間関係をとらえる用語としてしきりと使われる「電子コ ミ ュ ニ テ ィ 」も し く は「 ヴ ァ ー チ ャ ル・コ ミ ュ ニ テ ィ 」( J o n e s ( e d . ) [ 1 9 9 5 ]な ど ) と い っ た も の は 、先 に 見 て き た よ う な さ ま ざ ま な 過 程 を 得 て 、何 ら か の「 文 化 」 の共有をしている人々の集まりであると考えることができる。逆にいえば、C MCが行われる何らかの空間(サイバースペース)があれば、そこに必ず何ら かのコミュニティが存在するのではなく、あくまで人々の相互作用の過程の中 で コ ミ ュ ニ テ ィ が 作 ら れ・維 持 さ れ て い る の で あ る 。Q u e n t i n [ 1 9 9 7 ]は C M C 上 のコミュニティを基礎付ける条件として、①双方向性、②多様な参加者、③共 通の公共的空間、④メンバーシップの維持をあげ、これをヴァーチャル・コミ ュ ニ テ ィ に 対 し て ヴ ァ ー チ ャ ル ・ セ ツ ル メ ン ト ( v i r t u a l s e t t l e m e n t) と 呼 ん でいるが、このようなセツルメントを実際の参加者が作り上げることで、コミ ュニティがはじめて現れてくるといえる。 さらに、こうしたコミュニティは単に制度としてルールなどが作られること だけではなく、個別の具体的なやりとりの中でお互いの共通性が示されること 9 で維持されていく。ベイムはソープオペラ(いわゆるメロドラマ)のファンの ニュースグループを観察した結果から、発言の中にドラマの内容にちなんだ冗 談がしばしば現れていることを示している。それは、冗談というものがもとも と集団のコミュニケーションの中で、お互いが共通して持っている知識を参照 するという機能を持っているからで、参加者は相手を笑わせることそのものを 目的として冗談を言うだけでなく、同時にそのことで自分がドラマに対して持 っている知識や態度を示すことができ、そのことで他の参加者はより多くのこ と を 発 言 者 と 共 有 す る こ と が で き る の で あ る( Baym[1995] )。ま た 、一 般 的 な こ と ば の 問 題 と し て も 、 土 橋 [1998] は パ ソ コ ン 通 信 の 電 子 会 議 を 観 察 し た 結 果 か ら 、 あ る 発 言 に 対 す る 反 応 と し て 「 自 分 も 同 じ 経 験 を し た 」・「 同 じ こ と を 感 じ た 」と い う 共 感 の 表 明 が 表 さ れ る こ と が 非 常 に 多 い と し て 、こ の こ と に よ っ て 、 相手との「共通項探し」のゲームを行ないながら話を展開していくという特徴 を見出している。土橋やベイムからは、その他にも身辺雑事に関する「おしゃ べ り 」の 中 で 私 的 な 情 報 を お 互 い で 開 示 し て い く こ と な ど も 指 摘 さ れ て い る が 、 こ の よ う な 自 己 開 示 に よ る「 人 格 」と し て の 同 質 性 の 確 認 も 含 め て 、「 同 質 性 を 確認することによって関係性を創り出す」ということが、CMCにおけるコミ ュニティの一つの基盤になっている可能性が指摘できる。 以上に見てきたことから、CMCにおける人間関係の形成には、単純にCM Cが社会的な手がかりをメディア特性として減少(喪失)させるために、何ら かの平等性や共通性を成立させているのではなく、あくまで参加者がお互いに ついての情報を交換していく過程の中で、ある同質性を確認しながら、それら を集団の共同性として作り上げているという可能性が指摘できる。次節では、 この同質性を焦点に、CMCで行われている人間関係形成をより大きな集団過 程の中でとらえなおして見る。 3.CMCにおける集団過程 ▼ 同質性の構造 先に見たような電子コミュニティはメンバー自身が同質性を創り出している 10 過程として見ることができるが、このような同質性は集団が形成されていく過 程の中から特定の条件として現れてくるという側面がある。 たとえばラタネの実験では、電子会議において意見を交換しながらどういう 意見が多数派かを見抜き、その多数派の意見を自分の意見として表明する、と いうゲームを行なわせたところ、メンバーどうしのコミュニケーションに制約 がなく、参加者がさまざまな相手とランダムにコミュニケーションできる場合 について、最終的に少数意見の人が減少して意見が一致に向かう傾向が非常に 高 い と い う こ と が 示 さ れ た( L a t a n e & L’ Herrou[1996,p1224-1227] 、図 2 − 6 )。 限定がある場合 集団 個人レベルで見た場合 変動値A 変動値B 第1段階 最初の意見 第2段階 1回目の議論後 第3段階 2回目の議論後 第4段階 3回目の議論後 第5段階 最終議論後 ランダムな場合 第1段階 最初の意見 第2段階 1回目の議論後 第3段階 2回目の議論後 第4段階 3回目の議論後 第5段階 最終議論後 図 2 − 6 C M C に よ る 多 数 派 の 構 成 ( Latane & L’ Herrou[1996]よ り ) ※変動値Aは意見が変わった人の比率、変動値Bは少数派(黒)のうち多数派(白) に 変 わ っ た 人 の 比 率 を 示 す 。丸 の 下 の 数 字 は 各 個 人 が 接 触 し た 反 対 意 見 の 数 を 表 す 。 ランダムな場合は 9 割の少数派が多数派に寝返ったことになる。 このことは、インターネットをはじめとして、現在行われているCMCでは コミュニケーションよりランダムになる傾向があり、それだけ意見が多数派に 吸収されていく傾向が高くなる可能性が指摘できる。さらに、こうした意見の 表明そのものがコミュニティのメンバーとしての資格に直接関わるような場合、 11 コミュニケーションを開始したり話題を進めるきっかけそのものがすでに同質 化の傾向を促進するようなことになると、そのコミュニティは異質なものを排 除する傾向を持つことになる。 さらに、ここで図2−3ですでに示した実験結果の意味を再びとらえなおし てみると、集団的な意識(同質性)の高いメンバーによってコミュニケーショ ンが行われる場合は、CMCは対面状況よりもそのメンバーの凝集性を高めて いるということになる。スピアーズらは、これを「没個人化」という概念と結 び つ け て 、C M C が も た ら し て い る 一 種 の 匿 名 状 況 か ら 説 明 し て い る( S p e a r s & Lea[1994])。 没個人化とは、本来騒擾や暴動といった匿名状態の人々における非理性的・ 非合理的行動を説明する概念として提唱されたもので、集団における匿名状況 が、個人と周囲の人との違いを失なわせ、その結果、個人内部において自己を 統制する意識がなくなり、ふだんでは見られないような非理性的な行動に移り やすくなる、というものである。 このことは匿名の時に人々がいろいろな制約から解き放たれて好き勝手に行 動できる、ということを単純に意味するのではなく、むしろ、匿名状況として 他人との違いを見失うがために、他人に過剰に同調する傾向が強くなるという ことを意味する。暴動というのは一件無秩序な行動に見えるが、たとえば店を 全壊させたり、車をひっくり返すような仕業がたやすくできてしまうのは、む しろ一糸乱れぬ形で人々が強く統制された形で行動しているために可能である と見ることができる。そのような強い統制状況は、匿名の状況であるからこそ 成立していると考えられるのである。 CMCでは、視覚的な情報をはじめとして、お互いに対する情報が得にくい 匿名状況が展開していると考えれば、行動の内容が非理性的であるかどうかは 別にして、そのために強く統制のとれた同質性の強い行動が生じていると考え られる。匿名状況といってもさまざまな場合があり、一般的に考えることには 慎重になる必要があるが、特定の集団意識に関わる場合は、それが特定集団と しての意識を強化し、異質な他者を排除する作用を持つ可能性はある。実際に 12 スピアーズらはこれをCMCの「隠された権力」として単純にネットワークが 平等性を実現するという「理想」に対して異を唱えている。 ▼ 沈黙のらせんとしてのROM 以上のようにCMCについて指摘される同質性の構造から、実際にどのよう な現象が現れていると考えられるだろうか。 一つは、こうした同質性が実際のメンバーに意識されることで、それぞれの 行動に制約を与えるという現象である。これは実際に特にネットワークの管理 者やシスオペなどと呼ばれる人にとって一種の「権力」として発揮されること もある。図2−4で、支配的な発言がCMCの当初において強く見られたよう に、このような同質性や凝集性を作り出すために、通常の場合よりも強い制約 がかけられることが推測できる。 それと関連して、ここではCMCについて指摘される一つの傾向を取り上げ て見たい。それは電子会議室における、ROMと呼ばれるメンバーを性格づけ ることば(カテゴリー)の存在である。ROMとは、いわばあだ名のようなも の で 、 由 来 も コ ン ピ ュ ー タ 用 語 か ら 来 て お り 、「 リ ー ド ・ オ ン リ ー ・ メ ン バ ー 」 と読み、会議室で発言をしないで他人の発言を読むだけのメンバーを指すこと ば と し て 使 わ れ て い る 。 図 2 − 7 は 、 あ る 電 子 会 議 の メ ン バ ー ( N=3580 ) を 対 図2−7 電子会議での発言(川上[1993]) 3回書き込み 1% 4回以上 6% 2回書き込み 2% 1回書き込み 7% 書き込みなし 84% 書き込みなし 1回書き込み 2回書き込み 3回書き込み 4回以上 象に発言回数をカウントしたものであるが、1 年半の期間において、全く発言 をしていない人が全体の8割以上を占めており、また発言したことのあるもの 13 の 中 で も 、1 、2 回 し か 発 言 し て い な い も の が 発 言 者 の 3 分 の 2 を 占 め て い る 。 このことから、非常に多くのネットワークの参加者がROMと呼ばれる状態に あることがわかる。 こ の よ う な 多 数 の R O M が 生 じ る 原 因 に は 、川 上 [ 1 9 9 3 , p 1 2 4 ]も 指 摘 す る よ う な発言の際に生じる心理的負担などさまざまな要因が考えられるが、集団過程 として考えた場合、やはりCMCにおける同質性が大きく関係していると考え られる。すなわち、積極的な発言をする少数のものが集団としての方向性を規 定し、それに対して大多数が沈黙という形で同意して、その方向性のもとにコ ミュニティに参加するという形式がこここでは成立していると見られる。同様 な も の と し て マ ス コ ミ に よ る 世 論 形 成 の 過 程 に つ い て「 沈 黙 の ら せ ん 」( ノ エ ル −ノイマン)という概念があり、それによると、自分の意見が多数派の意見で あ る と 認 知 す る も の は 、そ の 考 え に し た が っ て 発 言 を よ り 多 く す る こ と に な り 、 逆に発言が少数派に属すると認知するものはだんだんと発言しなくなる。その 結果少数の人々の発言が大多数を支配することになり、ひいては世論が全く統 一 化 さ れ る 可 能 性 も 生 じ る と い う ( N o e l l e -N e u m a n n [ 1 9 8 0 ] )。 世 論 の 場 合 、 多 数 派/少数派という認知を分ける有力な手がかりとなるのがマスコミ報道なので あるが、そのような手がかりのないCMCにおいてもやはり同様の傾向がある こ と が 確 か め ら れ て い る ( 池 田 編 [ 1 9 9 7 , p 1 3 6 ])。 む し ろ 、 そ れ が C M C の よ う に集団のメンバーがランダムにコミュニケーションする可能性が高い場合ほど、 そのような多数派についての認知が特に高まるという傾向があることは先に述 べた通りである。 ▼ 伝達過程における意図せざる結果 以上に見てきた例は、参加者自身の多数派であることへの意識が問題になっ ているが、ここではさらにそうしたものとは別のレベルでの「多数派」の問題 としてCMCにおける集団過程について見る。 近 年 イ ン タ ー ネ ッ ト の 普 及 に よ っ て 問 題 に な っ て い る も の に 、ネ ッ ト 上 で の 「うわさ」というものがある。それは従来の一般社会に見られていたうわさや デマのCMC版であると見ることもできるが、内容としては多少違った様相を 14 見せている。 図 2 − 8 チ ェ ー ン メ ー ル の 例 ( 川 上 ほ か [1997,p73])」 たとえば、図2−8は核実験反対のための署名運動として行われたメールの 送信で、いわゆる「チェーンメール」と呼ばれるものであるが、この例のよう に善意から行われたものであっても、そういった善意とは別に情報が一人歩き し、実はうわさやデマと同じような結果を生じる可能性をもつのである。実際 に あ っ た 例 で あ る が 、あ る コ ン ピ ュ ー タ・ウ イ ル ス を 警 告 す る た め の チ ェ ー ン ・ メールがインターネットをめぐったのであるが、それは実は根拠のない「うわ さ」であった。結局は否定情報がWWWページなどとして公開され、うわさの 15 伝播は終息したのであるが、類似したうわさはその後も度々現れているという ( 川 上 ほ か [1997,p89])。 このような現象について、うわさを信じること自体に関しては抑止力がない わけではないが、たとえばこうしたうわさの信憑性を同じようにネット上で確 かめたり、あるいは否定しようとする動きがあった場合、それもまたそのうわ さに関する話題と考えれば、どのような意図がそれに付与されているにも関わ らず、このうわさがネット上を走るという現象自体はむしろ拡大を続けること に な る 。実 際 に こ の よ う な う わ さ を 否 定 し よ う と し た 人 が 、「 こ の よ う な メ ー ル を見たことがある人は多いだろうから、他の人にも教えてあげた方がよい」と い う メ ー ル を 送 信 し た と こ ろ 、「 そ れ 自 身 が チ ェ ー ン メ ー ル に な る 可 能 性 が あ る」という返答が送られ、さらにそれに対する釈明としてメールが交わされ、 「これ以上この話題を続けると、このやりとりがチェーンメールになってしま います」という意見が出された、という例を筆者自身も見たことがあるが、こ うしたやりとりはすべてメーリングリストで行われたので、それだけでもこの うわさは無数の人を瞬時に巻き込むことになった。 このような形で、本来人々が持っている意図にしたがって行動すればするほ ど 、そ の 意 図 と は 逆 の 結 果 が 生 じ る こ と を「 行 為 の 意 図 せ ざ る 結 果 」と い う が 、 個人レベルでの心理を離れて、社会全体の現象として見た場合、このような意 図せざる形で「うわさの伝播」などが行われてしまうことは、特にネット上に 限らず見られることではある。 実際のところ、インターネット上にあるうわさはそれほど多くなく、あって も特定の電子会議上であったりと、不特定多数の人に拡大することは少ないと いわれている。しかしながら、ある情報がうわさであるか否かということは、 一般に決めることは難しく(うわさを否定する情報に根拠がないことが分かれ ば 、そ れ 自 体 も う わ さ に な る 危 険 が あ る )、そ れ が ど の 程 度 の 他 の 人 に 信 じ ら れ ているか、ということについても一般には不明確である。このような時に先の 例 の よ う に「 自 分 は 信 じ て い な く て も 、他 の 人 は( 特 に 知 ら な い 人 は ど こ か で ) 信じているだろう」という意味での「多数派」に関する認知が生じれば、結果 16 的にそのうわさは多くの人を巻き込むことになる。こうした例から、意図せざ る結果としてCMCが人々を同質化させる可能性を持つことが指摘できる。 ▼ ネット外との相互作用 以上のように考えた場合、CMCがネットワークとして持つ力は非常に強大 な も の と し て 考 え ら れ る が 、実 際 単 純 に C M C に よ っ て 全 て の 人 々 が「 同 質 化 」 するわけではないし、ネットワークによって現実世界が一変するような事態が 生じているわけではない。そのようにならないのは、当然のことながら、たと えインターネットであっても、必ずそれを利用する人々の間に「ネット外」の 世界が広がっていることによる。そのことを次のような例で確かめて見る。 図2−9は、ある大きなニュースがどのように人々の間を伝播したかについ て、実際にニュースをネット上で伝達した人を対象に調査した結果である(池 田 編 [ 1 9 9 7 , p 1 6 5 ])。 そ の ニ ュ ー ス は パ ソ コ ン 部 品 の ト ッ プ メ ー カ ー が 製 品 に 欠 陥を持っているというもので、最終的には製品の全面回収となる大きな事態を 引き起こした。非常に特徴的であるのは、この事態がネットワークでの伝達に より生じたということである。実際にこの事件がマスメディアで報道されたの は 外 国 で 11 月 22 日 ・ 日 本 で 11 月 29 日 で あ り 、 図 か ら 報 道 前 に 7 割 の 人 が す でにネット上でこの事件を知っていた。ここにネットワークの伝播力を見るこ とができるが、マスメディアの報道後海外と国内の時間差が縮まっていること から、ネット外におけるマスメディアの役割も大きいことが指摘できる。 さらに、この事件を知った人がとった最初の行動・2 回目の行動の多くは、 それをただちにネット上に伝えることではなく、まず身の回りの人と会話をす マスコミ報道開始 海外 国内A 国内B 17 る と い う こ と で あ っ た ( 図 2 − 10)。 図 2 − 9 ニ ュ ー ス を 聞 い た 人 の 分 布 ( 池 田 編 [1997]よ り ) ここに、ネットで流れている情報がそのまま純粋にネット内だけを経由する のではなく、ネット外の世界と相互作用していることが指摘できる。つまり、 いかなる情報であっても、それはネット外の世界という「フィルター」を通し て接触されているのであって、それであるからこそ、現実の人々は単純に同質 化しているわけでないといえる。同時にそのことは、こうしたネット上での現 象も、外部の世界との相互作用から見ていかなければならないことを示してい る。 図2−10 事件後にとったコミュニケーション(池田編[1997,p166]より) 80 海外(1) 70 国内A(1) 国内B(1) 60 50 海外(2) 国内A(2) 40 国内B(2) 30 20 10 0 友人との会話 家族との会話 電子メール 電子会議 ※ネットの加入者別に表した。1は 1 回目の行動、2は 2 回目の行動を表す 4.まとめ C M C は 、人 間 関 係 や 社 会 に つ い て 、新 し い 技 術 と し て そ の 序 列 を 変 え る( た とえば平等化する)ような力を持っているように一般的なイメージが作られ、 また初期の実験もそのようなことの立証の意味で利用されてきたことが多いよ うに思われる。しかし、実際はそのような強大な力というものはなく、そこで コミュニケーションを行なっていく中で情報を形成していく過程によって、現 れてくる結果というのも変化するものであった。 一方、大きな集団過程として見た場合、それは参加者の意識としても、また 18 ネットワークの構造としても、同質化という傾向が見られており、現実的には ROMという沈黙した大衆の存在や、意図せざる結果としてのうわさの拡大な どとして考えられた。 ネットワークにおけるコミュニケーションはネット外の世界によって大きな 影 響 を 受 け て お り 、あ く ま で 現 実 の 人 々 は そ の よ う な 世 界 と の 相 互 作 用 の 中 で 、 それぞれがネットワークに向かっているのである。 とはいえ、特に国内の研究ではまだまだ実証例が少ないのがCMC研究の現 状である。それぞれの点について明らかにした上で、社会全体としての相互作 用の過程として見ていくことが重要であるように思われる。 <引用文献> Baym,N. 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