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ノーサンガー僧院 - 奈良教育大学学術リポジトリ
奈良教育大学紀要 第62巻 第1号(人文・社会)平成25年 Bull. Nara Univ. Educ., Vol. 62, No.1 (Cult. & Soc.), 2013 143 『ノーサンガー僧院』の換喩的構造 ―ゴシック小説のパロディとして読むことの誤謬について― 門 田 守 英語教育講座(英米文学) (平成25年 5 月 7 日受理) The Metonymic Structure of Northanger Abbey : On the Fallacy of Reading the Novel as a Gothic Parody Mamoru KADOTA (Department of English, Nara University of Education) (Received May 7, 2013) Abstract Jane Austen’s Northanger Abbey has been considered as a Gothic parody with a special connection with Mrs Ann Radcliffe’s The Mysteries of Udolpho. This essay calls into question this conventional view and explores the possibility that Northanger Abbey may have a metonymic structure as regards Catherine Morland’s psychological process of overcoming her obsession with Gothicism. Owing to Henry Tilney’s therapeutic treatment at the abbey, the heroine realises that her fancy for Gothic elements has been denying her an accurate understanding of others. Lifting the veil of Gothicism allows her to have a clear view of the world, and this simile of veil-lifting can be applied to the whole process of her growth. On her journey to Blaize Castle, for example, Catherine willingly lifts this psychological veil as seen in her conclusion that morality takes precedence over personal pleasure. The heroine has been trying to break the spell of Gothicism until its completion at the abbey, and her disillusionment there makes her realise that an economic nexus is binding the people around her and she herself is trapped in it. The abbey scene represents the whole process of the heroine’s psychological struggle to liberate herself from Gothicism and functions as a metonymy of the whole story. キーワード:オースティン, 『ノーサンガー僧院』,ゴシッ ク,構造,換喩 1 .はじめに Key Words:Austen, Northanger Abbey, Gothicism, structure, metonymy ただ、この小説をゴシック小説のパロディとしてのみ 片付けてしまうことには、何かしら腑に落ちない点があ ジェイン・オースティン (Jane Austen) の 『ノーサンガー る。実際、小説を動かしている力はゴシックの要素では 僧院』 (Northanger Abbey, begun in 1798 & published in けっしてないのだ。むしろ、キャサリンがバース(Bath) 1818)は、通常の解釈としてゴシック小説のパロディで で出会うジョン(John)とイザベラ(Isabella)のソー (1) あると考えられている。 それは確かに間違いではある プ(Thorpe)兄妹や、同地でノーサンガー僧院への招 まい。ヒロインのキャサリン・モーランド(Catherine 待話を持ち出すティルニー将軍(General Tilney)といっ Morland)はラドクリフ夫人(Mrs Ann Radcliffe)の『ユー た登場人物たちが織りなす経済的諸関係こそが、小説の ドルフォ城の怪奇』 (Mysteries of Udolpho, 1794)を始 動きを、そしてキャサリン自身の身の振り方を決定して めとするゴシック小説のマニアであり、彼女がそのゴ いるように思われる。小説中、ヒロインの将来を大きく シック愛好症から解放されることによって人間的成長を 左右するのは、彼女がフラトン(Fullerton)の実家に (2) 遂げることには間違いがないのだから。 追い払われて以降の事態の転換である。心が深く傷つい 144 門 田 守 た彼女を救いに、恋人のヘンリー・ティルニー(Henry して、せっかく舞踏会に出ても、キャサリンは何の反響 Tilney)が実家までやって来てくれるのだ。このヘンリー も生むことができない、若い男たちは誰一人として何の の到来という重要な事件に、ゴシックの要素は直接的に 関心も彼女に寄せない。オースティンは明らかにキャサ は何も関係していない。関係しているのは、父ティルニー リンを日常性の世界に閉じ込めようとしているのだ。 将軍の損得勘定だけである。そうであるならば、ゴシッ やがて恋人となるヘンリーとの出会いは、キャサリン クのパロディという要素は、キャサリンの成長の典型的 をして自らが住んでいるのは堅牢なる日常の世界である (3) なパターンを、換喩(metonymy) という形式で提示 こと認識させる。出会いの場面は18世紀のごく普通の男 する機能を果たすに留まると考えるべきではないであろ 女に相応しく「舞踏会」に設定されている。具体的に言 うか。 えば、バースのテラス・ウォーク(Terrace Walk)に面 『ノーサンガー僧院』において、ノーサンガー僧院は した、社交会場ローワー・ルーム(the Lower Rooms) すぐには姿を現さない。小説の 3 分の 2 を過ぎてから、 がその場面であった。キャサリンはポンプ・ルーム(the やっと当の僧院の描写が始まり、小説の最後では再びそ Pump Room)と呼ばれる高級社交室では話し相手もな の姿が消えてしまう。いわば、この僧院に関わる部分は、 く寂しい思いをし、舞踏会でも誰一人踊り相手が現れず キャサリンの人間的成長をパターン的に表す換喩的機能 虚しさを味わっていたのである。付き添いのアレン夫人 を果たしていると言えるのだ。 は服飾にしか興味がなく、あまり彼女の役に立ってくれ この論考は『ノーサンガー僧院』をゴシック小説のパ る人物ではなかった。舞踏会の司会者がヘンリーを紹介 ロディとする従来の解釈を完全に否定するものではな してくれたので、ようやく彼と踊ることができた。彼は い。ただし、その立場に固執するならば、何か大事なも 年の頃なら24-25歳くらいで、人当たりは良かったが容 のを見逃してしまう可能性―いわば、誤謬に陥ってしま 姿端麗というわけではなく、特別な魅力に溢れた青年と う危険性―を指摘したいのである。そして、ノーサンガー は言いがたかった。つまり、彼らはごくありふれた出会 僧院でキャサリンが体験するゴシックの克服は、小説中 いをしたにすぎなかったのである。 で見られる別の要素-社会における人間関係の実相を学 彼らの会話から浮かび上がってくるのは、ヘンリーの ぶという行為-の換喩として機能していると主張したい 率直な性格である。話は女性の手紙を書く能力に及び、 のである。 キャサリンは一般に女性が男性よりも手紙を書く能力に 秀でているという俗説に疑問を呈する。そのときのヘン 2 .キャサリンをめぐる日常的世界 リーの返答は興味深い。彼が言うには、女性は通常の場 合、三つの点を除いて完全無欠な手紙を書く能力に恵ま 僧院に関わる部分が現れるまでは、キャサリンをめぐ れているらしい。彼らの遣り取りを見てみよう。 る錯綜した人間的諸関係が描写されている。その人間的 “I have sometimes thought,” said Catherine, 諸関係を扱うに当たり、オースティンは故意に非日常的 doubtingly, “whether ladies do write so much better 要素を取り去り、当たり前の家庭生活を描き出そうとし letters than gentlemen! That is ― I should not think ている。この傾向は小説の始まりにおいて特に顕著であ the superiority was always on our side.” る。モーランド家は10人の子沢山で、キャサリンは 4 番 “As far as I have had opportunity of judging, it 目に産まれた長女である。さして器量が良いわけでも、 appears to me that the usual style of letter-writing 知能が優れているわけでもなく、ごく普通に育った17歳 among women is faultless, except in three particulars.” の少女である。小説の最初では、彼女をめぐるごく当た “And what are they?” (4) り前の日常的世界が現れている。 “A general deficiency of subject, a total inattention to キャサリンが18世紀の歓楽地バースに出かけるきっか (5) (7) stops, and a very frequent ignorance of grammar.” (13) けも、特に何の変哲もない事情にすぎない。 モーラン ヘンリーが挙げた三つの点とは「一般に主題が貧困な ド家の人々が住むウィルトシャー(Wiltshire)のフラト こと、句読点にまったく無頓着であること、あまりにし ン村の大地主に、アレン氏(Mr Allen)という人物がいる。 ばしば文法に無知であること」であった。これらの点を アレン氏はモーランド家の人々と懇意につき合う仲であ 除いて、女性は申し分のない手紙を書くことができるら る。このアレン氏が持病の痛風を治療するためにバース しい。しかし、これでは女性は実際上、まったくまとも への転地を医師に勧められ、この旅行にキャサリンが同 な手紙を書くことができなくなってしまう。これは女性 行したのである。日常性の強調はアレン夫人が上流地主 の怒りを買うことになりかねない発言である。ただし、 階級にありがちなように、衣装に大変に興味があり、キャ ヘンリーはキャサリンの怒りを買うことをまったく意識 サリンをどのようにバースの社交界にデビューさせたら していない。それほど、彼は率直であけすけな性格なの (6) よかろうかと思案する様子にも窺うことができる。 そ である。 『ノーサンガー僧院』の換喩的構造 これに対し、キャサリンはどんな返事をするのであろ うか。彼女は同じように率直に、自分についての事情を 145 起こさせる根拠になるはずである。 ヘンリーはキャサリンに日常性の世界に安住すること こう説明するのである。 の価値を教える役割を担っている。彼はアレン夫人のく “Upon my word! I need not have been afraid of だらない服飾に関する話にもつき合う忍耐心も持って disclaiming the compliment. You do not think too highly いる。彼は社会的に期待されている義務をしっかりと of us in that way.”(13) 果たすのだ。そうした態度に惹かれてか、キャサリン 面白いのは、彼女が相手の返事を「お世辞」と表現して はもう一度彼と踊ることに同意し、彼に徐々に“a strong いることである。ヘンリーはけっして自分の主張を「お inclination for continuing the acquaintance” (15)を感じ始 世辞」として発言しているわけではないので、キャサリ める。ヒロインの抱く愛情の深化には教育的側面が含ま ンのこの発言はアイロニーを含んでいる。ただし、キャ れているのである。 サリン自身が女性の手紙を書く能力にもともと疑念を呈 していたので、いわばヘンリーは彼女の疑念を分析して 3 .ソープ兄妹との出会いとゴシックへの方向性 示したことになる。その分析に怒りも当惑もせず、彼女 はアイロニーで受け流す感性の鋭さを持っていたのであ る。 キャサリンがソープ兄妹と出会うことと、彼女がゴ シックへの傾倒を示すことは巧みにリンクしている。そ キャサリンがヘンリーの返事を、アイロニカルな意味 して、ゴシック的感性とは取りも直さず、現実の人間関 での「お世辞」として受け流すことには、別の解釈も成 係から目を逸らし、憶測や先入観を助長する想像力の世 り立つであろう。彼の返事がお世辞になることを心配す 界に逃避することをもたらす。ゴシック的感性はただ る必要がなかったということは、次のように考える余地 ノーサンガー僧院の場面でのみ働いているわけではな を残す。つまり、キャサリンは自分が何を言おうと、ど い。僧院内でのキャサリンの愚行は―そのはっきりとし うせ彼は女性の手紙を書く能力を買いかぶって返事をす た醜態にもかかわらず―基本的には自身に恥をもたらす るだろうと考えていたのではないであろうか。世の習わ だけのことである。しかしながら、僧院に赴くまでのソー しのとおり、男女間の軋轢を避けるために、女性は優れ プ兄妹との関わりで示されるゴシックへの愛着は、ヒロ ていますとあっさり言われるのが落ちだろうと、彼女は インにもっと大きな罪-基本的な人間関係の蹂躙-をも 考えていたのではないであろうか。これは丁寧な対応で たらしかねないのだ。 あろうが、「虚偽」と言わざるを得ない。虚飾に満ちて アレン夫人とソープ夫人は旧知の間柄であり、そのた いるはずのバースの社交界で、隠し立てのない、心の誠 めにキャサリンはジョンとイザベラのソープ兄妹と昵懇 から出た回答を得られたので、キャサリンは満足感を得 の仲になる。興味深いことに、オースティンはソープ兄 られたのではないであろうか。 妹と対称的にヘンリーとエリナー(Eleanor)のティル ヘンリーの発言はまことに論理的で教育的でさえあっ ニー兄妹を配している。前者はヒロインのゴシック的感 た。彼の女性の能力に関する説明はこのように続く。 性を助長し、後者は彼女を日常的世界に連れ戻す役割 “… Every body allows that the talent of writing を果たす。こうした関係にキャサリンの兄ジェイムズ agreeable letters is peculiarly female. Nature may have (James)、ヘンリーの兄フレデリック(Frederic)、ティ done something, but I am sure it must be essentially ルニー将軍たちが絡み、小説自体がゴシック小説のよ assisted by the practice of keeping a journal.”(13) (9) うな迷路的複雑性を増していく。 また、ジェイムズと ジョンはオックスフォード大学で友人同士であり、登場 “I should no more lay it down as a general rule that 人物たちの緊密な繋がりは、キャサリンを否応なく人間 women write better letters than men, than that they 関係の網目の中に捕らえ込んでいく。 sing better duets, or draw better landscapes. In every 最初、キャサリンはソープ兄妹の影響の下に置かれる power, of which taste is the foundation, excellence is ことになる。4歳だけ年上のイザベラの一挙手一投足に pretty fairly divided between the sexes.”(13-14) キャサリンはうっとりとし、このように憧れの眼差しを キャサリンが日記を付けていないことを告白し、女性は 向ける。 世間で考えられているほど手紙を書くのがうまくないと Catherine then ran directly up stairs, and watched Miss 思うと発言していることを、ここで考え合わせてみよう。 Thorpe’s progress down the street from the drawing- そうすれば、ヘンリーの発言には日記を付けて手紙がう room window; admired the graceful spirit of her walk, まくなることをキャサリンに勧めるという教育的要素が the fashionable air of her figure and dress, and felt (8) 含まれていることがわかる。 また、男女間における優 grateful, as well she might, for the chance which had 秀さの均等性を主張することも、キャサリンにやる気を procured her such a friend. (18-19) 146 門 田 守 運悪く、クレセント(the Crescent)と呼ばれる三日月 は、人間への正しい理解の目を曇らせるのである。『ユー 形の集合住宅街でも、社交会場のアッパー・ルーム(the ドルフォ城の怪奇』のことが頭にこびりついて離れない Upper Rooms)やローワー・ルームでも、キャサリンは キャサリンは、ジョン・ソープにまでこの作品について ヘンリーの姿を見つけることができない。アレン夫人と どう思うのか訊いてしまう。ゴシック-あるいは小説一 ソープ夫人が始終一緒にいるものだから、キャサリンは 般-に関心の薄いジョンは、ラドクリフ夫人がこれを書 逆らいようもなくイザベラとの友情を深めてしまう。そ いたことさえ知らない。訊く相手を間違えたキャサリン して、イザベラとの交流の中でこそヒロインのゴシック は、彼に恥をかかせないよう、その場を取り繕うことに 小説への偏愛が深まりを見せるのである。 四苦八苦する。ジョンはさらに小説について言葉を重ね、 実際、 『ユードルフォ城の怪奇』への言及が初めて小説 ファニー・バーニー (Fanny Burney) の 『カミラ』 (Camilla, (10) 中で為されるのは彼女たちの会話においてであった。 1796)は第一巻を斜め読みしただけで、もう内容は駄 交流を始めてから 8 - 9 日目の朝、ポンプ・ルームに 目だとわかったと断言する。小説に興味のあるキャサリ おいてイザベラはふとキャサリンに“Have you gone on ンにはこの評価は合点がいかない。すぐに物事を判断し、 with Udolpho?” (23)と声をかける。キャサリンは目が 曖昧な根拠に基づいて結論を下すジョンは信用のならな 覚めてからずっとこの小説を読み耽っていたのであり、 い人物である。さらに、彼は母親の帽子を見て、こんな ちょうど黒いヴェールのところまで読み進んでいた。そ 失礼な口の利き方をする。 こで、彼女は友人にこう返答している。 “… where did you get that quiz of a hat, it makes you “…Oh! I am delighted with the book! I should like to look like an old witch?” (32) spend my whole life in reading it. I assure you, if it had さらに、彼の妹たちへ口の利き方はこんなふうなのだ。 not been to meet you, I would not have come away … he asked each of them how they did, and observed from it for all the world.”(23) that both looked very ugly.(33) これに対し、イザベラは彼女のゴシック熱を煽るような 普通に解釈して、彼は失礼極まりない人物であり、交際 台詞で答える。彼女たちの遣り取りを見てみよう。 していく上で気をつけなければならない相手であると感 “Dear creature! how much I am obliged to you; and づくのが望ましい。キャサリンはこんな彼をあまり愉快 when you have finished Udolpho, we will read the な人物とは思わないが、あっさりと彼と交際を続けるこ Italian together; and I have made out a list of ten or とに同意してしまう。その理由はイザベラの存在ではな twelve more of the same kind for you.” いであろうか。イザベラというゴシックを通じて親密な “Have you, indeed! How glad I am! ― What are they all?” 間柄となった女のゆえにこそ、キャサリンはジョンへの 警戒心をなくしていくのではないであろうか。 “I will read you their names directly; here they are, イザベラはキャサリンのゴシックへの関心を掻き立て in my pocketbook. Castle of Wolfenbach, Clermont, てくれる、彼女にとって是非とも交際を続けていきたい Mysterious Warnings, Necromancer of the Black 女性である。そしてイザベラの兄であるのならば、ジョ Forest, Midnight Bell, Orphan of the Rhine, and Horrid ンとの交際も、当然ながら断りがたくなってしまう。ゴ Mysteries. Those will last us some time.”(23-24) シックで繋がったイザベラとの交流によって、キャサリ ラドクリフ夫人の『ユードルフォ城の怪奇』が済んだら ンの日常的判断力は徐々に鈍くなっていく。彼女の判断 同じ著者の『イタリアの惨劇』(The Italian, 1797)へ、 力の後退は、以下の場面において明快であろう。 その後は実際にあるのかどうかわからないような別の小 … he [John Thorpe] was James’s friend and Isabella’s 説群へと、イザベラのゴシックへの誘惑は続く。そして、 brother; and her judgment was further bought off by その働きかけが結果するのは、ヘンリーと会わなくても Isabella’s assuring her, when they withdrew to see the ゴシック小説があればいいという、キャサリンの次のよ new hat, that John thought her the most charming girl うな発言であった。 in the world, and by John’s engaging her before they “… I do not pretend to say that I was not very much parted to dance with him that evening. (33) pleased with him [Henry Tilney]; but while I have 貴方は「世界一美人の女の子」なのよという、見え透い Udolpho to read, I feel as if nobody could make me たお世辞を真に受け、ダンスの約束に心を許すとは実 miserable. Oh! the dreadful black veil! My dear Isabella, に愚かな反応であると言わねばならない。ジョンは兄 I am sure there must be Laurentina’s skeleton behind ジェイムズと学友である。そのことも手伝って、キャサ it.” (25) リンは兄にジョンのことを、うっかりと“I like him very ゴシックへの関心は、キャサリンをして彼女をめぐる much; he seems very agreeable.”と言ってしまうのであ 人間関係に対し迷妄状態に陥らせる。ゴシックへの偏愛 る。 『ノーサンガー僧院』の換喩的構造 147 彼女の判断力の喪失は、もう一つ大きな事態を見落と に言って、僧院に出発する前にバースにおいてこそ、ゴ したことにも、明確に見て取ることができる。つまり、 シックは大きな影響力を彼女に揮うのだ。バースにおい 兄とイザベラの並外れた関係を察知し損ねたことであ てこそ、ゴシックは彼女の成長に大きく影響しているの る。 である。 キャサリンが特にイザベラを名指ししつつ、ソープ もちろん、この小説をゴシックのパロディとして読ま 家の人々が大好きだとうっかり“Very, very much indeed: せる最大の要素は、ノーサンガー僧院内での彼女の愚行 Isabella particularly.” (33)と言ってしまった後で、ジェ である。だが、この愚行は後に見るように、あまりにも イムズは怒濤のようにイザベラを誉めそやす言葉を洩ら 子供じみた冒険的行為にすぎない。それはゴシック小説 し始める。 における恐怖の実態を暴く、コミック的な戯画とも読め “I am very glad to hear you say so; she is just the (12) る。 kind of young woman I could wish to see you attached バースにおけるゴシックは潜在的であるように見える to; she has so much good sense, and is so thoroughly が、僧院におけるそれよりも甚大な力を持ちうる理由は unaffected and amiable; I always wanted you to know こうである。バースにおいてゴシックの魅力に溺れる過 her; and she seems very fond of you. She said the ちは、ティルニー家とソープ家の面々との人倫的関係に highest things in your praise that could possibly be; (13) おいて、キャサリンを窮地に陥れる可能性がある。 そ and the praise of such a girl as Miss Thorpe even you, れに対し、僧院においてゴシックの影響力に身を委ねる Catherine,” taking her hand with affection, “may be ことは、彼女自身の愚かさを示すだけの所行に終始する。 proud of.” (33) 以下、キャサリンをめぐる 3 度の馬車による遠出の意味 これだけの褒め言葉を並べられたら、兄とイザベラの仲 を交えて、バースにおいてゴシックがどのような力を彼 を疑うのが当然ではないであろうか。しかしながら、彼 女に揮っているのか考察してみよう。 女はそれに気づかない。そして、キャサリンの知らない バースにおける描写の特徴は、キャサリンの行動が ところで、財産のほとんどないイザベラはジェイムズの ティルニー家とソープ家の影響力によって決定されてい 懐具合を探っているのである。そうであれば、ジョンが る点にある。両家の面々があたかも綱引きのように、ヒ 自分に接近してくる理由にも、愛情以外のものが絡んで ロインを自らの影響圏内に引きずり込もうとしているの いても不思議ではない。ソープ兄妹の急速で危険な接近 である。オースティンはこの相対峙する影響力に教育的 について、その理由を考えるべきときに―すなわち舞踏 (14) 意味を込めているに違いない。 というのは、ヒロイン 会の前に―キャサリンがやってしまうことはゴシック小 がティルニー家の動きに従うと倫理的方向に思考力が向 (11) 説の世界にのめり込むことであった。 彼女はこんなふ き、ソープ家の誘惑に従うと社会的ルールを犯すという うに自己陶酔の世界に落ち込んでしまう。 ことになってしまうのだから。 Catherine was then left to the luxury of a raised, 最初、キャサリンはヘンリー・ティルニーの妹エリナー restless, and frightened imagination over the pages of と親しくなり、彼女の姿形の美しさ、品の良い振る舞い、 Udolpho, lost from all worldly concerns of dressing and 飾り気のない人柄に惹かれる。それに比べ、イザベラの dinner… (34) 振る舞いは何かしら胡散臭い。一時はヘンリーに興味 自らを思考停止状態のように、想像力の暴走に身を委 津々だったイザベラは、徐々に彼に興味をなくしてしま ねてしまうこと、これこそがゴシックがもたらす害悪の う。これは彼があまりに謹厳実直な人柄なのを見て取り、 本質であった。 遊び相手としては自分に相応しくないと見て取ったから 『ノーサンガー僧院』をゴシックのパロディと解釈す であろう。それに加えて、彼が次男であり、当時の長子 ることは、ヒロインの愚行を僧院内でのそれに集約して 相続(primogeniture)または限嗣相続(entail)と呼ば しまう恐れをもたらす。実際には、ゴシックの要素は彼 れる制度の原則に照らして、遺産相続上不利な立場にあ 女が僧院に至る前の段階で既に機能しているのであり、 (15) ることを彼女は掴んでいたのかもしれない。 長子相続 彼女が僧院に至る前のゴシックの要素の方が彼女をめぐ 制度に従えば、ほぼすべての一家の財産はただ一人、長 る人間関係を破壊してしまう点でより危険性が高いので 男だけが相続することになっていた。ジェイムズは、実 ある。 入りは少ないとはいえ、モーランド家の長男なのである。 彼の父親は年400ポンドの聖職禄とその他の財産を長男 4 .馬車による遠出をめぐる人間関係 に与える権利を有していた。イザベラは舞踏会の会場で キャサリンの腕を引っ掴み、ティルニー家の面々との交 キャサリンに対するゴシックの影響力は、彼女がノー 流の場から無理矢理に彼女を引き剥がしてしまう。彼女 サンガー僧院に出発する前に既に始まっている。有り体 はこの17歳の乙女を自分の意のままにしたかったのであ 148 門 田 守 る。ジェイムズに接近するためには、当然ながら妹のキャ 氏がフラトンの大地主であり、キャサリンを大いに可愛 サリンと親交を深める必要があった。実は、兄のジョン がり、彼女を連れてバースに養生に来ていることは周知 はキャサリンを結婚相手に狙っているのである。その企 のことである。ジョンはアレン氏がキャサリンの名付け てを手助けする意味も、イザベラが強引にキャサリンを 親ではないかと訊いている。これは、この老人の彼女に 連れ回すことにはあったのであろう。 対する愛情の深さを確かめたいがゆえの発言である。ア しかしながら、キャサリンはエリナーと交際したいと レン氏は自分の死後、可愛いキャサリンにいくらかでも ずっと願っている。この意思は舞踏会の翌朝になっても 財産を分与するのではあるまいか―それをジョンは期待 変わらない。そして、またもこの意思を砕くのはイザベ しているに違いない。アレン氏からの財産分与の分け前 ラである。彼女はこのように馬車による遠出へとキャサ に与るために、ジョンがするべきことは明らかである。 リンを誘う。 それはキャサリンと結婚することである。妹のイザベラ “Going to? why, you have not forgot our engagement! がジェイムズを狙っているのだから、ソープ兄妹は二人 Did not we agree together to take a drive this morning? 揃ってモーランド家の遺産、さらにはアレン氏の財産の What a head you have! We are going up Claverton 一部をせしめようとしているのだ。 Down.” (43) このジョンはいかにもねじ曲がった性格をしている。 実のところ、小説中でイザベラがこんな計画を持ち出し 何でも自分の都合の良いように解釈して、それを譲らな た形跡は認められない。舞踏会の喧騒の中、二人の間で いのである。彼は自分の馬車、その装具、馬の逞しさを どこかに行く話が行われたのかもしれないが、この遠出 英国では最高クラスに属するものと自慢する。自分自身 はイザベラによる押しつけの可能性が高い。クラヴァト を誰にも負けない馭者であると吹聴する。そのついでに ン丘陵への遠出にはゴシック的要素は認められない。し 一緒に走っているジェイムズの馬車をがらくた呼ばわり かしながら、オースティンは重要な別の要素をこの遠出 して、こんなふうにこき下ろす。 に込めている。それはジョンによるキャサリンの誘惑で “Break down! Oh! lord! Did you ever see such a little ある。 tittuppy thing in your life! There is not a sound piece ジョンの腹黒さとねじ曲がった性格をこそ、クラヴァ of iron about it. The wheels have been fairly worn out トン丘陵への遠出は描出している。実は、ジョンはアレ these ten years at least ― and as for the body! Upon ン氏の財産を狙っているようなのだ。このことは、馬車 my soul, you might shake it to pieces yourself with の中でジョンとキャサリンが交わす会話において確認す a touch. It is the most devilish little rickety business ることができる。 I ever beheld! ― Thank God! we have got a better. A silence of several minutes succeeded their first short I would not be bound to go two miles in it for fifty dialogue; ― it was broken by Thorpe’s saying very thousand pounds.” (46) abruptly, “Old Allen is as rich as a Jew ― is not he?” この発言を真に受けたキャサリンは、兄はそんな馬車に Catherine did not understand him ― and he repeated 乗っていては危険だからすぐに止まるよう言ってくれと his question, adding in explanation, “Old Allen, the man ジョンに頼む。ところが、ジョンは先ほどの発言をまっ you are with.” たく違うことを叫び始めるのだ。 “Oh! Mr. Allen, you mean. Yes, I believe, he is very rich.” “Unsafe! Oh, lord! what is there in that? they will only get a roll if it does break down; and there is plenty “And no children at all?” of dirt; it will be excellent falling. Oh, curse it! the “No ― not any.” carriage is safe enough, if a man knows how to drive it; “A famous thing for his next heirs. He is your a thing of that sort in good hands will last above twenty godfather, is not he?” years after it is fairly worn out. Lord bless you! I would “My godfather! ― no.” undertake for five pounds to drive it to York and back “But you are always very much with them.” again, without losing a nail.” (47) “Yes, very much.” あの馬車でなら「 5 万ポンドくれても 2 マイル走るの “Aye, that is what I meant. He seems a good kind of だっていやだ」と言っておきながら、その舌の根も乾か old fellow enough, and has lived very well in his time, I ぬうちに「 5 ポンドくれたら、釘 1 本落とさずにヨーク dare say; he is not gouty for nothing. Does he drink his まで往復してみせる」と法螺を吹くとは、明らかにジョ bottle a-day now?” (44-45) ンは矛盾だらけの信用できない男である。この頭のおか ジョンはアレン氏が大金持ちであることを確認し、深酒 しくなりそうな発言でも十分なのに、ジョンはわずかの のために老い先が短いことを期待しているのだ。アレン 金で買った馬を高く売りつけて儲かったとか、競馬で 『ノーサンガー僧院』の換喩的構造 149 ばっちり勝ち馬を当ててやったとか、仲間と狩猟に行っ る。ただ単に城と聞いただけで、彼女のゴシック様式の て―自分は一発も当てなかったのに―誰よりも多くの鳥 建造物に憧れる想像力に火が付いてしまう。そして、実 を分捕った話などを矢継ぎ早にまくし立てる。男性とつ 際にブレイズ城は1766年建築のゴシック様式の城なので き合うことも少ない田舎娘のキャサリンではあるが、彼 ある-このことは彼女には知るよしもなかったであろう 女はジョンが注意すべき人物であることを悟るのであ が。彼女のゴシックへの熱情はこのように燃え上がる。 る。 “Blaize Castle!” cried Catherine; “What is that?” ソープ兄妹は経済的原理に基づいて行動している。し かし経済的勘に関しては、妹の方が上である。兄はむし “The finest place in England ― worth going fifty miles at any time to see.” ろ愚鈍で、馬車自慢の件でも窺えたように見栄っ張りな “What, is it really a castle, an old castle?” 面がある。イザベラは既にエリナーの家族状況に探りを “The oldest in the kingdom.” 入れており、知人のヒューズ夫人(Mrs Hughes)とい “But is it like what one reads of?” う人物から一定の情報を仕入れている。それによれば、 “Exactly ― the very same.” エリナーの母親は元ドラモンド嬢(Miss Drummond) “But now really ― are there towers and long という名前であり、結婚した際には父親から 2 万ポンド galleries?” の持参金と婚礼の衣装代に500ポンドをもらったらしい。 “By dozens.” 残念ながら、この母親は既に他界しており、エリナーが “Then I should like to see it; but I cannot ― I cannot 形見の品として豪華な一揃いの真珠を譲られているとい go.”(63) う話までイザベラは聞き及んでいた。ヘンリーが堅物で キャサリンの会話の相手はジョンであるが、すぐに彼の ない限りは、口説き落としたいところだが、イザベラは 返事がいい加減であることがわかる。ブレイズ城が英国 慎重に彼が一人息子かどうか探りを入れている。 で最古の城であるわけがない。ウィンザー城(Windsor こういった状況下で、馬車での遠乗りが 3 回行われる Castle)やロンドン塔(the Tower of London)を思い浮 のだが、それぞれに意味がある。第 1 回目の遠出は、ソー かべれば、すぐにわかるであろう。また、ゴシック小説 プ兄妹の実体―とりわけ兄の無軌道ぶり―をキャサリン でさえまともに読んだことのないジョンが、その様式が に知らしめる意味があった。第 2 回目はまさに、ソープ 小説で書かれているものと同じなどと言えるわけがな 兄妹がゴシックの力を借りてキャサリンを誘惑する意味 い。塔や回廊をダース単位で数える城など、ほとんどあ を持つ。実は第 2 回目の遠出の前日に、キャサリンは り得ない。ドーヴァー城(Dover Castle)でさえ、塔と ティルニー兄妹と翌日、田舎道を散歩する約束をしてい 名づけられた建築物はやっと 1 ダースほどである。こん た。12時に兄妹が、キャサリンの宿泊しているパルト なおかしな返答に対しても、キャサリンはまともに考え ニー通り(Pulteney-street)まで来てくれることになっ ているらしい。彼女はティルニー兄妹と約束しているか たのである。ここでキャサリンはこの約束を裏切らされ ら、行けないと真剣になって断っている。 る羽目に陥ってしまう。翌日の午前中はあいにく雨降り しかし、とうとうキャサリンはゴシックの魅力に屈し であった。12時を少し回って、ようやく小降りになって てしまう。理性的に考えればジョンの返答がおかしいこ きた。散歩を楽しみにしていたキャサリンは諦めきれず、 とが明確でも、彼女はそれに気づかない。ゴシックの城 まだティルニー兄妹を待っている。その場に、ソープ兄 が見たくてしょうがないからであろう。ジョンは自分の 妹とジェイムズを乗せた 2 台の無蓋馬車が押しかけてく 悪辣さを証明するかのように、ティルニー兄妹が馬車に るのである。イザベラは大急ぎでブリストル(Bristol) 乗って、ブロード通り(Broad-street)からランズダウ まで行こうとキャサリンをせきたてる。もちろん、キャ ン道路(the Lansdown Road)の方へ曲がっていくのを サリンは先約があるからとその誘いを断るのであるが、 見たと嘘をつく。ジョンはヘンリーの馬車は覚えている なかなかイザベラが後に引こうとしない。ソープ兄妹 し、彼の隣にはエリナーとおぼしき、可愛らしい女の子 は当日の朝食の席でふっとこの遠出を思いついたらし が座っていたとも言う。イザベラもそれに加勢して、キャ い。ブリストルの近郊地クリフトン(Clifton)まで行き、 サリンの説得工作に乗り出すと、彼女はあっさり参って そこで食事を摂り、時間があればキングスウェストン こんなことを言ってしまう。 (Kingsweston)まで脚を伸ばすという計画だった。キ “I should like to see the castle; but may we go all over ングスウェストンはブリストルの北西にある街である。 it? may we go up every staircase, and into every suite ジョンはふとブレイズ城(Blaize Castle)にだって行け of rooms?”(64) ると豪語する。その地名を聞いただけで、キャサリンの イザベラはこの問いかけに面倒くさそうに、城のすべて 態度が一瞬で変わってしまうのである。 を見学できると請け負うが、さして関心はなさそうであ キャサリンはブレイズ城が見たくてしょうがなくな る。ブレイズ城はキャサリンを連れ出すための口実にす 150 門 田 守 ぎないからであろう。 Blaize Castle remained her only comfort; towards キャサリンの心中では葛藤が渦巻いている。ティル that, she still looked at intervals with pleasure; though ニー兄妹に自分が蔑まれるようになってはならないとい rather than be disappointed of the promised walk, and う倫理感と、ゴシックの城を見てみたいという欲望の間 especially rather than be thought ill of by the Tilneys, の葛藤である。 she would willingly have given up all the happiness To feel herself slighted by them [Henry and Eleanor which its walls could supply ― the happiness of a Tilney] was very painful. On the other hand, the progress through a long suite of lofty rooms, exhibiting delight of exploring an edifice like Udolpho, as her the remains of magnificent furniture, though now for fancy represented Blaize Castle to be, was such a many years deserted ― the happiness of being stopped counterpoise of good, as might console her for almost in their way along narrow, winding vaults, by a low, anything. (65) grated door; or even of having their lamp, their only ユードルフォ城を現実のブレイズ城に重ねて見ようとす lamp, extinguished by a sudden gust of wind, and of るとは、まことに子供じみた試みであると言わねばなら being left in total darkness. (66) ない。ブレイズ城への遠出の一件において大事なこと ゴシックが人間との接触を断ちきり、非現実的かつ超越 は、キャサリンがゴシック的な想像力の世界よりも、現 的な闇の要素との交流を楽しむ心理傾向であるのなら (16) 実の社会道徳の世界が優先すると悟ることである。 い ば、確かにキャサリンは彼女の読んだ小説の中ではなく、 わば、17歳の少女が自分も大人の愛や恋の対象にもなり 現実に現れたゴシックの要素との出会いを楽しみにして うるし、経済優先の婚姻関係の対象にもなりうることを、 いる。しかしながら、ゴシックは一時的に心を震わせる 経験を通じて知るプロセスこそが『ノーサンガー僧院』 刺激にはなり得ても、永続的に心に満足を与えてくれる の主眼点なのである。ゴシック熱が引き起こした騒動を ものではない。キャサリンが「間を置いて」ブレイズ城 読者に楽しませることだけが、オースティンが狙ったこ との出会いを楽しみにしているのは、彼女の心にわだか の小説のモチーフではあるまい。 まりがあるからに相違ない。つまり、ゴシックなどは友 キャサリンは自らのゴシック熱を満足させることは人 情が永続的に与えてくれる心の満足感に比べれば、ごく 倫に悖る行為であると理解する。彼女は馬車の上からち わずかの喜びしか与えてくれないのだ。ティルニー兄妹 らりとティルニー兄妹の姿を認め、ソープ兄妹が自分を との友情を暖める機会を逸し、彼らを裏切ってしまうこ 騙していたことを知る。ただし、どんなに馬車を止めて とは何としても避けねばならない。友情を捨て、道徳を くれと懇願しても、ジョンは馬車を止めてくれない。あ 無視する愚行から逃れるためならば、ゴシックが与える たかも拉致されるように、彼女はゴシックの方向へと連 一時的な快楽など諦めても構わない。そういった倫理性 れ去られるのだ。彼女は怒り心頭に発し、我を忘れて、 を徐々にキャサリンは獲得していくのである。 このようにジョンに怒鳴り散らす。 ヒロインがゴシック的快楽から逃れて、道徳性へと向 “How could you deceive me so, Mr. Thorpe? ― How かうというプロット展開を、オースティンはちゃんと用 could you say, that you saw them driving up the 意していた。しかも、その展開は「偶然」という要素の Lansdown-road? ― I would not have had it happen so 介入によって実現されるのである。午前中の雨降りの影 for the world. ― They must think it so strange; so rude 響であまりにも出発時刻が遅くなったために、その日の of me! to go by them, too, without saying a word! You do うちに目的地で遊楽に耽った後に、戻ってくるには時間 not know how vexed I am ― I shall have no pleasure at が足りないようなのだ。これにはジェイムズの馬車の調 Clifton, nor in anything else. I had rather, ten thousand 子が悪く、思ったように速度が上がらないことも影響し times rather get out now, and walk back to them. How ていた。ジョンはえらく不機嫌に陥るが、遠出の中止に could you say, you saw them driving out in a phaeton?” 同意せざるを得なかった。結局、小旅行は 2 時間程度で (65-66) 終わってしまう。もともとジョンの馬車の古さは小説中 クリフトンだろうが、ブレイズ城だろうが、キャサリン で言及されていたので、この「偶然」はさほど読者に違 にとって、心が通い合った友人たちを裏切ることと比べ 和感をもたらすことはないであろう。強制的に特定の事 て何の価値もなかった。ブレイズ城は慰めにはなろうが、 情を導入して馬車の進行を止めさせてしまえば、オース 友情の代わりにはなり得ないと、キャサリンは自覚して ティンは教条的にヒロインに道徳性を教え込むというパ いる。そして、ゴシック小説を読むことによって頭の中 ターンに陥ってしまっていたかもしれない。その謗りを に詰め込んだ種々の古城の要素―城壁、家具、地下道、 免れるために、あり得そうな「偶然」を持ち出すことは 格子戸、ランプなど―は友情を守るためなら喜んで捨て 有効に機能している。 てもいいと、彼女は結論するのである。 キャサリンはティルニー兄妹に約束を反故にしたこと 『ノーサンガー僧院』の換喩的構造 を謝りに行くのだが、その際にもオースティンは前者が 後者に一方的に謝罪するわけではなく、同時にお互いの 151 であろう。 しかし同じ劇場で、キャサリンがまったく予期してい 関係が深まるようプロット展開に工夫している。翌朝、 ない事態が始まっていた。彼女とヘンリーの誠実な関係 アレン夫人の許可を得た上で、キャサリンはティルニー が進行する裏側で、ジョン・ソープがティルニー将軍に 家が宿泊しているミルソム通り(Milsom-street)へと出 キャサリンが大資産家の娘であると耳打ちしたらしいの かける。同家の宿所に到着してエリナーとの面会を求め だ。腹黒いが、愚鈍なところのあるジョンは、妹が資産 ると、しばらくして出てきた使用人が言うには、お嬢様 家の息子ジェイムズ・モーランドと婚約しそうだと告げ は留守にされているとのことだった。しかし、通りの端 る。虚言癖のあるジョンは大した根拠もなしに、ジェイ まで歩いて偶然に振り返ったキャサリンの目に、戸口か ムズは大変な遺産を相続しそうだと吹聴しまくる。妹に ら父親と一緒に外出しようとするエリナーの姿が留ま 資産が転がり込んできて、自分もそのおこぼれに与れる る。明らかに居留守を使われたことをキャサリンは察知 ことを自慢したくてしょうがなかったのであろう。財産 する。しかし、これは前日の自分の無礼に対する仕返し を殖やすことしか頭にないティルニー将軍は、それなら なのだろうか、自分の無礼はこのような仕打ちを受ける ば次男のヘンリーとキャサリンを結婚させれば、いくら ほど悪質なものなのだろうか、一体自分の無礼は社会の かでもモーランド家の遺産を手に入れられるであろうと 常識に照らしてどの程度の酷さに当たるのだろうか―こ 算段するのである。 んなことをキャサリンは考え続ける。これは明らかに、 このような経済至上主義の連中がバースの社交界で蠢 自らを社会の常識に順応させる、あるいは自ら「社会化」 く中で、無垢で誠実なヒロインがまさに無垢で誠実であ の道をたどるプロセスだと言ってよい。エリナーの側に るからこそ、種々の苦難を潜り向けて幸福を手にするこ も、何か自分の行動を弁明せねばならない事情が生じた とになる―そういった純粋さの称讃こそを、第 3 回目の ようである。この際、ヘンリーはどのような立場を取る 遠出は表している。ソープ兄妹にしては、金蔓のモーラ べきなのであろうか。三者三様に立場があり、それぞれ ンド家の兄妹と是非とも親交を深めることを望んでい の立場を取ることによって三人の関係は深まっていく。 る。ところが、キャサリンがティルニー兄妹と散歩に出 キャサリンが謝罪にやって来た騒動は、意外な副産物 かける約束の日の前日になって、ソープ兄妹は彼女にま を生むように思われる。それはヘンリーがキャサリンに たもやクリフトン行きを持ちかけてくる。クリフトンか 好意を持ち始めることである。晩方、芝居を見にアレン らブレイズ城までは 3 マイルほどであり、馬車で行けば 夫人と劇場を訪れたキャサリンは、向こう桟敷にヘン さほど遠くはない。今回は、キャサリンは自分の行いは リーと父親の姿を認める。彼女は劇どころではなく、ずっ 正しいという信念を曲げず、親友のエリナーを裏切るこ とヘンリーの姿を見守るばかりである。彼はようやく彼 とはできないので、クリフトンには行けないと断言する。 女と視線が合い、軽く会釈をしてくれる。劇の幕が下り しかし、兄ジェイムズでさえ敵側に回り、キャサリンを た後、彼は自ら進んで彼女の席まで来てくれた。キャサ 強情な娘だと責め立てる。イザベラは泣きそうになって リンは無我夢中になって、約束を破ったことを謝罪する。 いる。しばらく席を外していたジョンは帰ってくるなり、 “Oh! Mr. Tilney, I have been quite wild to speak to you, エリナーに面会してキャサリンとの散歩の約束を取り消 and make my apologies. You must have thought me so し、先方は納得して散歩の延期を受け入れたと告げる。 rude; but indeed it was not my own fault, ― was it, キャサリンの意思とは違う、まことに強引な行動をジョ Mrs. Allen? Did not they tell me that Mr. Tilney and his ンは取ったのだ。 2 回も約束を違えることは、社会性を sister were gone out in a phaeton together? and then 身につけてきたキャサリンには耐えがたいことであっ what could I do? But I had ten thousand times rather た。彼女は自らエリナーに面会し、ジョンが取り消した have been with you; now had not I, Mrs. Allen?”(71) 約束を元に戻してくるのだ。ブレイズ城の見学などはど 身振り手振りを交えつつ、あまりに熱心に謝るので、彼 うでもよいことであるし、自分にはジョンの側に立つ連 女は隣のアレン夫人のガウンをくしゃくしゃにしてし 中に逆らう正当な理由があると思えたのである。 まったことにも気づかない。この素直さに強くヘンリー She had not been withstanding them on selfish は惹かれたようだ。彼は愛想の良い、自然な微笑みを顔 principles alone, she had not consulted merely her own に浮かべつつ、妹がキャサリンの義理堅さを信じていた gratification; that might have been ensured in some ことと告げる。 degree by the excursion itself, by seeing Blaize Castle; With a yet sweeter smile, he said everything that need no, she had attended to what was due to others, and to be said of his sister’s concern, regret, and dependence on Catherine’s honour.(71) 確かにヘンリーは彼女に好感を抱き始めていると言える her own character in their opinion. (78) 「他者に対して適切なこと」を行い、「他者の心に自分が どう映るか」に注意を払うことは、正しい社会性の獲得 152 門 田 守 に繋がるであろう。 3 回目の遠出には、キャサリンは参 サリンが僧院内とフラトンでの日常生活に戻っても、彼 加していない。無垢で誠実であることは、ヒロインに正 女の内的変化を除いては何の変化も小説中起こらない。 しい人たちと交際し、誤った交際を続けることを避けさ 僧院でのキャサリンの醜態を経た後で、読者に明確に示 せたのである。 されるのは、ティルニー将軍の経済至上主義、彼の長男 3 回の馬車旅行のうち、特に 2 回目のものにはゴシッ フレデリック(Frederick)の享楽主義、ソープ兄妹の クの要素が多く含まれている。ブレイズ城に本当に行く 金銭欲などである。これらはキャサリンが僧院に到達す 可能性があったのは、 2 回目のものである。キャサリン る前においても部分的に展開されているために、小説の はいまだに現実のゴシック的風景に出会っていない。そ 終盤部と論理的に辻褄が合うように構成されている。 うではあっても、彼女は非常に大切な体験をしている。 以上のようであるために、ノーサンガー僧院内でのゴ ゴシックを追い求めれば、利己的な悦びの世界に惑溺す シック的要素とヒロインの愚行は、端的に言って小説中 る傾向を醸成し、自分にはけっしてためにならない。そ では「浮いてしまう」ように思えてならない。キャサリ れに対し、ゴシックを諦めれば、正しい友人関係を構築 ンの動きは、ゴシックに取り憑かれた女性が示す行動を することに繋がる。ノーサンガー僧院に至る前の、ゴ 戯画化しているのである。『ノーサンガー僧院』という シックを選択するか否かの問題には、人倫の道を選ぶか 小説において―タイトルが僧院名自体であることも手 否かの主題が関わっている。それゆえ、僧院におけるゴ 伝って―ノーサンガー僧院での一件は、小説全体を換喩 シックよりも僧院に到達する前のゴシックの方に、我々 的に表すような機能を帯びている。したがって、僧院内 はもっと関心を寄せるべきなのである。 での事件はヒロインが行う種々の行動の背後にある心理 を、それ自体が「代表例」となって表した換喩である。 5 .ノーサンガー僧院におけるゴシック 小説がヒロインの行動を追っているだけに、僧院内での 彼女の行動の典型的パターンが小説全体の換喩として機 ノーサンガー僧院へとキャサリンを招待するのは、も 能しているのだ。僧院内での事件はゴシックのパロディ ちろん当主のティルニー将軍である。キャサリンを資産 というよりも、ゴシックの換喩と呼んだ方が正しいので 家の娘と誤解し、彼女と次男ヘンリーを結びつけようと ある。 する意図が将軍にはあった。経済的要因がヒロインの与 一つ見落としてはならない点がある。それはキャサリ り知らぬところでプロット展開を導いており、彼女は否 ンをゴシック的愚行に導いたことに大いに貢献したの 応なく生きた「動産」として扱われてしまう。しかしな は、実はヘンリーが彼女のゴシック熱を煽ったことなの がら、個々の登場人物たちの経済的思惑の絡み合った糸 だという点である。バースを後にして、グロスターシャー を解きほぐすことが、この小説の主題ではない。 (Gloucestershire)にあるノーサンガー僧院に向かう二 この小説の主題は、あくまでもヒロインであるキャサ 頭立て馬車の中で、ヘンリーとキャサリンは親密に会話 リンの人間的成長を措いて他にはない。そこでゴシック を重ねる。ゴシック小説にも精通した多読家のヘンリー は彼女の成長を促す、越えられるべき壁、あるいは捨て は、おそらくキャサリンを楽しませるために、僧院内の られるべき価値観のごとき役割を果たす。この小説をゴ 様子をゴシックの常套手段を使って長々と描写してみせ シックのパロディとして読み解くことは、この教育的主 る。 (17) 題を見落とすことに繋がってしまうのである。 “… Will not your mind misgive you, when you find ノーサンガー僧院においてキャサリンが行う愚行は、 yourself in this gloomy chamber ― too lofty and ゴシック小説にあるヒロインの行動をそのまま実行する extensive for you, with only the feeble rays of a single だけのことである。これは画に描いたような愚行であ lamp to take in its size ― its walls hung with tapestry り、あまりにあけすけなゴシックのパロディそのもので exhibiting figures as large as life, and the bed, of dark ある。そして、あまりにも画に描いたような愚行である green stuff or purple velvet, presenting even a funereal がゆえに、そのまま笑いとばしてもさしたる影響はない appearance? Will not your heart sink within you?”(124- ように思える。僧院におけるキャサリンの愚行において、 25) 唯一悪質に思えるのは、ティルニー将軍を妻の殺害者で 薄暗く、陰気で、誰かそこで亡くなったような雰囲気の はなかろうかと疑うことであろう。ただ、これにしても 部屋は、間違いなくキャサリンのゴシックを求める感性 あまりにも根拠が薄弱な推測にすぎず、一笑に付されう を刺激するであろう。ヘンリーが可愛いキャサリンを怖 るような憶測の域を出ない。 がらせたい思い―おそらくは悪戯心―は留まるところを 『ノーサンガー僧院』のプロットを動かす経済的要因 知らない。ご丁寧なことに家政婦のドロシー(Dorothy) と、僧院内でのゴシック的要素とヒロインの不品行は直 という人物を登場させて、彼は部屋の細々した様子まで 接何の関係もない。僧院内での事件を経験した後、キャ 描写し続ける。 『ノーサンガー僧院』の換喩的構造 153 “How fearfully will you examine the furniture of ところで、ノーサンガー僧院にはゴシック的雰囲気は your apartment! ― And what will you discern? ― Not ほとんど何も認められなかった。僧院は予想したよりも tables, toilettes, wardrobes, or drawers, but on one side 背が低い建物で、馬車が番所の門をくぐって構内に入っ perhaps the remains of a broken lute, on the other a ても、古風な煙突一つ見当たらない。門から建物への道 ponderous chest which no efforts can open, and over も平坦で小砂利を敷いた道で、回りに厳めしい建物一つ the fireplace the portrait of some handsome warrior, ない。門自体が近代的なものだった。僧院内部はいっそ whose features will so incomprehensibly strike you, う近代的であった。キャサリンは自分が僧院内に入って that you will not be able to withdraw your eyes from it. いることを疑うほどだった。家具は近代的で優美であり、 Dorothy, meanwhile, no less struck by your appearance, 煖炉はこぢんまりとして、装飾物は陶器が上に置いてあ gazes on you in great agitation, and drops a few るだけであった。よくよく探せば、ゴシック式のものは unintelligible hints. To raise your spirits, moreover, she ないことはなかった。窓は確かにゴシック式だが、窓ガ gives you reason to suppose that the part of the abbey ラスは大きくて煌々と日が差し込んでいる。重々しい石 you inhabit is undoubtedly haunted, and informs you 造りの仕切りもない。実に機能的で快適な様子だった。 that you will not have a single domestic within call. …” つまり、ノーサンガー僧院にはゴシックはほぼ不在であ (125) ると言ってよい。 中世の吟遊詩人を連想させるような「リュート」、何が 僧院に滞在中に、キャサリンは不在のゴシックを実在 入っているのかわからない「重厚な箱」、不可解な表情 するものと考え始めるのだから、彼女のゴシック熱はた を浮かべた「騎士の肖像画」、そして召使いの幽霊話、 だ想像力が生み出したものにすぎないことがわかる。お …ヘンリーが意図的にゴシックのお膳立てを並べ立てて あつらえ向きに夜は嵐になり、彼女の泊まる部屋には怪 いることは明らかであろう。ヘンリーのゴシック的雰囲 しげな箪笥がある。ヘンリーの語りと同じ展開である。 気の捏造は冗談の域を超えて、さらなる具体性を帯びて、 おそらく、彼は彼女の泊まる部屋に古い箪笥があること 延々と続いていく。嵐の夜の描写を細かくした後、彼は に気づいていたのであろう。思わず、彼女は箪笥の引き キャサリンがつづれ織りの裏にある仕切り戸を開け、丸 出しを探し回り、古い書類の束を発見する。蝋燭の灯が 天井の部屋への階段を上がっていくのだという。丸天井 消えてしまったので、翌朝になってそれを調べてみると、 の部屋で彼女が見つけるものは、恐ろしいことに短剣と 馬鹿馬鹿しいことに洗濯物の目録にすぎないことがわか 床に残った血痕と拷問道具の数々だった。恐怖に打たれ る。こんなゴシックに対する熱情は、他者に害を及ぼす て彼女は自室に戻るが、途中で古風な黒檀と黄金ででき ことはない。単純にヒロインの愚かさの証明になるだけ た飾り箪笥が目に留まる。否応なくその箪笥に引きつけ (19) のことである。 しかも、今回は誰にもこの愚かさは露 られ、次々にその引き出しを開ける。ダイヤモンドがどっ 呈していない。早朝、煖炉に薪をくべに来た女中が床に さり見つかるが、秘密のバネに手が触れ、仕切り板から 落ちた目録の一部に気づいたかもしれないが、これは後 巻物が現れる。巻物にはいろんなことが書いてあるが、 になっても特に何の影響もなかった。誰にも気づかれな 薄暗くてよく読めない。そうした宝物を持って、彼女は いうちに、ヒロインはゴシック熱から解放されていれば 自室に戻ろうとするが、運悪くランプの灯がふっと消え よかったのだが、実はそううまくことは運ばなかった。 てしまい、漆黒の闇に包まれてしまう、…こういう嘘話 キャサリンが本当に恥をかく前に、オースティンは をヘンリーは17歳のゴシックかぶれの少女に語って聞か ノーサンガー僧院がゴシックからほど遠いものであるこ せるのだ。怖いものを求める彼女の心が燃え立たないわ とをさらに強調する。ティルニー将軍に連れられてキャ けがなかろう。 サリンとエリナーは屋敷を散策するが、菜園はアレン氏 キャサリンが僧院内でゴシックを求める愚行を犯して のものよりも二倍は大きく、温室は一つの村に匹敵する しまうことには、ヘンリーが彼女の心の奥底にたゆたっ ほどの巨大さであった。ここでは何でも近代的かつ合理 ていたゴシックへの憧れに火を付けたという側面があ 的に運営されていたのである。将軍は情緒的なところが る。責任の一端はヘンリーにあるのだ。ただし、キャサ なく、何でも実益第一に運営することを好んだのである。 リンの愚かな振る舞いには、彼女に良いことをもたらし 父親とは違って、エリナーは豊かな情緒性を持った娘で たという側面もある。ゴシックへの熱情を燃え立たせ、 あった。彼女はキャサリンの感受性の深さを理解でき、 僧院内をうろつき回ることによって、彼女はゴシックの 父親が勧める果樹園の整理された道を外れて、老木の密 実体とはただの空想上の虚像にすぎないことを悟る。彼 生した曲がりくねった小道を進んで行く。その道こそエ 女の心に残っていたゴシックの残滓は燃え尽きてしま リナーが母親と一緒に歩くのを好んだ道であった。しか う。つまり、ヘンリーの語りにはヒロインのゴシック祓 し、将軍はこの道が嫌いらしい。エリナーが言うには、 (18) いに手を貸したという側面があるのだ。 亡くなった夫人の肖像画さえ、将軍は応接間に掛けさせ 154 門 田 守 ないらしい。将軍は急逝した妻のことを思い出したくな 実にしなやかに音も立てず戸は開いてくれる。キャサリ いから、妻のことを思い出させるものを避けていると考 ンの目に飛び込んできたのは、こんな光景であった。 えるのが普通ではないであろうか。彼は再婚もしていな She saw a large, well ― proportioned apartment, an いのだ。しかし、キャサリンは将軍が資産家の実家から handsome dimity bed, arranged as unoccupied with 嫁いだ妻を殺したのではないかと疑い始める。僧院に何 an housemaid’s care, a bright Bath stove, mahogany のゴシック性もないのに、彼女は勝手にゴシック的要素 wardrobes, and neatly-painted chairs, on which the を創り出すのである。彼女は明らかに迷いの目で僧院を warm beams of a western sun gaily poured through two 見つめているのである。 sash windows! (155) キャサリンの注意力はティルニー夫人が亡くなった部 部屋は女中によって常に整理整頓され、家具調度品も 屋に集中する。将軍は使用人たちの家事用の部屋こそ、 ちゃんと整備されており、西日が燦々と降り注いでいた。 その利便性のゆえに自慢の種であったが、そんなことは 部屋には誰もおらず、何の謎めいたところもなかった。 キャサリンにはどうでもよいことであった。 9 年前から 瀕死の夫人がベッドに横たわっているわけでもなかっ 夫人の居室には何の変化も加えていない。そのこと自体 た。ごく普通のお屋敷の快適な一室であった。ちょうど が、将軍が妻の記憶を大切にしている証ではないであろ その瞬間、階段から廊下に誰かがさっと上がってきた。 うか。この禁断の部屋を見学する機会を逸したキャサリ 庭から自室に向かおうとするヘンリーの姿がキャサリン ンは、この上もなく愚かなことに、ティルニー夫人はま の目に映る。万事休すのヒロインは自分がいかに愚かで だ生きていて、あの部屋に監禁され、夫の手からわずか あり、恥ずかしい行為をし、蔑むに足る存在であるかと な食物を与えられているのだと勝手に思い込んでしま 痛感するのである。 う。ゴシック的感性はキャサリンの合理的判断力を麻痺 しかしながら、ヘンリーの態度は教育者のそれであっ させてしまう。夫人が急逝したとき、息子たちも娘も不 た。彼は彼女の罪悪や愚鈍さを追求するのではなく、実 在だったらしい。将軍は夜も眠らず仕事をするらしい。 に丁寧に次のような説諭を行ってくれる。 彼には眠りにつけない理由があるのだろう。そんなこと “If I understand you rightly, you had formed a を考えているうちに、夫人の監禁説をキャサリンは勝手 surmise of such horror as I have hardly words to ― にでっち上げてしまうのだ。しかし、その原因はなんで Dear Miss Morland, consider the dreadful nature of the あろうか。彼女の考えでは、それは将軍のこんな性格で suspicions you have entertained. What have you been あった。 judging from? Remember the country and the age in Its origin ― jealousy perhaps, or wanton cruelty ― which we live. Remember that we are English, that was yet to be unravelled. (151) we are Christians. Consult your own understanding, 「嫉妬」か「理不尽な残虐性」かもしれないが、そんな your own sense of the probable, your own observation ことは後から考えればよいではないか-これは実にいい of what is passing around you. ― Does our education 加減な推論である。実際、推論にさえなっていない。そ prepare us for such atrocities? …” (159) うしたいい加減さで、ヒロインは夫人の部屋こそすべて ここはゴシック小説の舞台ではなく、ただのイギリスの の謎を解く鍵であると思い込んでしまう。 片田舎である。悟性、推理力、観察力を働かせれば、キャ ゴシック的謎を勝手に創り上げ、キャサリンはその謎 サリンが思い描くような、残虐な事件など滅多にあるも を解く鍵である夫人の部屋に許可も得ず入ろうとする。 のではないことはすぐにわかるはずだ。ヘンリーはキャ これは訪問客の守るべき規範を逸脱する行為である。そ サリンにゴシック的感受性を抑制し、日常的倫理の世界 して、規範を逸脱するからこそ、そうした違反行為を正 (20) に目覚めるよう教えているのだ。 す教育的主題が前景化してくる。ゴシックの魅力を追求 いったんロマンスの幻影が去れば、キャサリンは簡単 したヒロインを待ち受けていたものは、恋人による教育 に現実に目覚めてしまう。自分の空想の途方もなさを自 であった。このことはゴシック熱を焚きつけたのも、そ 覚し、彼女はこんな結論に至る。 の熱を鎮めたのもヘンリーであるという事実によって確 Charming as were all Mrs. Radcliffe’s works, and 認できる。ノーサンガー僧院での騒動は、その起こりと charming even as were the works of all her imitators, it 終焉をヘンリーが取り仕切っているがために、ヒロイン was not in them perhaps that human nature, at least in の成長を促す教育的側面を強く持っていると言えよう。 誰にも見られないよう廊下を抜け、キャサリンは夫人 the midland counties of England, was to be looked for. (160) の部屋に近づき、音を立てないようゆっくりと戸を開け これ以降、ゴシックの魔力はキャサリンを惑わすことは る。禁断の部屋ならば、戸が施錠されていないことさえ ない。アルプスやピレネーの山岳地帯が見せる荒々しい おかしい。しかも、誰も使っていないにもかかわらず、 地形、さらにはイタリア、スイス、フランス南部に広が 『ノーサンガー僧院』の換喩的構造 155 る優美な風景は、かつてそうであった魅力を彼女に及ぼ yours! Could you have believed there had been such すことはない。それらは小説の世界に封じ込められてし inconstancy and fickleness, and everything that is bad まったのだ。イギリス中部地方の日常こそが彼女が生き in the world?”(164) るべき世界であり、彼女はそこにおいてこそ自らを磨き、 しかし、まだキャサリンはこの件の実態を理解していな 大人になっていかねばならない。 い。ヘンリーは兄フレデリックがイザベラと結婚するこ 煎じつめて言ってしまえば、ノーサンガー僧院におけ とはまずあり得ないだろうと断言する。なぜなら、キャ るキャサリンの愚行と恥辱は、彼女にとってゴシック熱 サリンが知っているとおり、イザベラにはほとんど財産 からの治療の一環を成していたのである。僧院に至る前 がなく、ティルニー将軍が我が子を無一物のような相手 に行われた 3 回の馬車旅行の場面を経て、彼女はゴシッ と結婚させるわけがないからである。ティルニー将軍の クを諦め、友情を守ることの大切さを学んだ。しかしな 財産欲を考え合わせると、そうかもしれないとキャサリ がら、心の奥底に宿ったゴシック熱は完全に克服された ンには思われる。しかし、同時にそれはヘンリーの場合 わけではなかった。このいわばゴシックの病(やまい)は、 にも当てはまるので、自分とヘンリーの結婚もあり得な ゴシック的ではまったくないノーサンガー僧院という特 いのではと、彼女には悲しく思われる。このようにして、 定の場所で、最高度に燃え上がらせて、捨て去る以外に ゴシックの呪縛が解かれたヒロインには、いろいろな人 克服する方法がなかったのである。 間関係の実相がわかってくる。 ゴシックの病からの治癒という視点を導入すれば、 『ノーサンガー僧院』をゴシックのパロディとして見て ヘンリーが牧師館のあるウッドストン(Woodston) に去った後、キャサリンははっきりと自分の内面に変化 しまうことは、誤解を生じさせる恐れがあると理解され が訪れたことを自覚する。 るであろう。パロディとしての解釈は、この小説の娯楽 She was tired of the woods and the shrubberies ― 性に重きを置きすぎることに繋がってしまう。むしろ、 always so smooth and so dry; and the Abbey in itself この小説は全体として、ゴシックの治療の過程とヒロイ was no more to her now than any other house. The ンの成長を扱っているのである。そのため、ゴシック治 painful remembrance of the folly it had helped to 療のクライマックスである僧院での場面は、ヒロインの nourish and perfect, was the only emotion which could 治療過程全体を代表する換喩的機能を帯びるであろう。 spring from a consideration of the building. What a revolution in her ideas! (171) 6 .謎解きの過程 既に僧院は、彼女に対して完全に魔力を失っている。僧 院のことを考えても、頭に浮かんでくるのは自分の愚鈍 ノーサンガー僧院でキャサリンの現実世界への覚醒が な振る舞いのことだけだ。彼女の興味は僧院ではなく、 行われた後、小説は一気に謎解きの過程に突入する。キャ 確実にそこの住人に向けられている。特に、ヘンリーが サリンの回りで経済原理に基づく、プロット展開が行わ いなくなると本当に寂しくて耐えられなくなる。ゴシッ れていたことが続々と判明していく。ゴシックの魅力に クを乗り越えた彼女は、自分に本当に必要な人がわかる よって目を曇らされていたキャサリンが、はっきりと回 ようになるのだ。 りの状況を把握するようになるということを、オース ティンは示したいのであろう。 謎解きはまだ続く。ティルニー将軍やエリナーと共に、 ウッドストンを訪れる機会に恵まれた折り、キャサリン まずは、僧院のキャサリン宛に兄ジェイムズからの手 は牧師館の応接間にする予定の部屋に通され、思わずそ 紙が届く。その中で、兄はイザベラが自分との婚約を解 の部屋の造りや庭に面した見晴らしの素晴らしさに感激 消し、ティルニー大尉(Captain Tilney)と婚約を交わ してしまう。すると、将軍はこのような意味深な受け答 したと告げていた。ティルニー大尉とはヘンリーの兄フ え方をする。 レデリックのことである。キャサリンはティルニー家に “I trust,” said the General, with a most satisfied smile, 居づらくなるだろうから、ティルニー大尉の婚約が公 “that it will very speedily be furnished: it waits only for になる前にフラトンに戻るのがよいとも書かれていた。 a lady’s taste!” (172) ティルニー兄妹とは隠し立てをしたくないキャサリン この部屋には、次男の新妻となるキャサリンの趣味に合 は、すべてを彼らに打ち明ける。そして、バースで薄々 うように早急に家具をしつらえますよ―そのように将軍 感づいていたイザベラの無節操な性格について、キャサ は示唆しているのだ。この時点では、彼はキャサリンの リンはヘンリーに向かって、はっきりとこう宣言するの 持参金が手に入ることにほくほくとしている。キャサリ である。 ンは複雑な気分に陥り言葉を失うが、内心は嬉しくて “… Isabella ― no wonder now I have not heard from しょうがない。この小説の底流を成している経済関係の her ― Isabella has deserted my brother, and is to marry 変化に、ヒロインは捕らえ込まれてしまうのだ。 156 門 田 守 登場人物間の経済関係は、小説のプロットを動かし続 On his return from Woodston, two days before, he ける。ほどなくキャサリンは、イザベラから錯綜した内 had been met near the Abbey by his impatient father, 容の手紙を受け取る。うんざりするような内容であった。 hastily informed in angry terms of Miss Morland’s ヘンリーが予想したとおり、ティルニー大尉はイザベラ departure, and ordered to think of her no more. (198) との婚約をあっさりと解消したらしい。そして、イザベ オースティンは、金銭欲に取り憑かれた人間が男女愛 ラは自分から振ったはずなのに、ジェイムズと縒りを戻 の価値に目覚めるというような突然の変化を描いてはい すのにキャサリンの協力を仰いでいる。キャサリンはイ ない。あくまで風俗小説的に小説の最後をまとめている。 ザベラという女は相手にすべき人間ではないと悟り、兄 ティルニー将軍は娘のエリナーが資産家と結婚したので と彼女の間に立つことを拒絶する。人間理解について、 機嫌が良くなり、モーランド家も予想に反して金が全然 ヒロインはさらに見識を深めていく。 ないわけではないことに気づく。年間400ポンドの聖職 もう一組の人間関係の糸の縺れが、お互いの経済関係 禄と幾分かのモーランド家の遺産相続に与れること、ま の変化によって解かれていく。ティルニー将軍とジョン・ たアレン家からの遺贈も見込まれることなどによって、 (21) ソープの関係である。 イザベラとジェイムズの関係が 将軍はヘンリーとキャサリンの結婚に同意する。倫理的 破綻すると、ジョンはロンドンで再会したティルニー な愛は偶然の助けによって、現実的な経済関係の基盤の 将軍にモーランド家の財産自慢をする必要がなくなる。 上に成り立つのである。 ジョンがモーランド家の本当の懐具合を話すと、ティル 7 .結語 ニー将軍は腹立たしくなり、エリナーにキャサリンを即 座に追い出すよう手紙を書く。これもキャサリンの与り 知らぬところで起こっている人間関係の変化である。 オースティンの『ノーサンガー僧院』は、ゴシック小 経済関係こそが、キャサリンのバースにおける友人関 説のパロディであるというのは常識に近い解釈である。 係を結びつけていたように見える。経済関係が解けてし この小論では、その常識に敢えて疑問を投げかけてみた。 まうと、キャサリンの回りには誰もいない。彼女はエリ その際に、この小説はゴシック小説のパロディというよ ナーに旅費だけ貸してもらい、ノーサンガー僧院からフ りも、換喩ではなかろうかという視座を提供した。その ラトンの自宅まで一人で帰らなければならなくなる。70 理由は次のようである。 マイルにも及ぶ長い旅路であった。 しかし、最後に残った人間関係こそがキャサリンに パロディとして解釈すると、僧院におけるヒロインの 愚行の場面に読者の注目が向けられてしまう。すると、 とって最も大事なものであった。フラトンに帰宅した 3 僧院に至る前にゴシックと人倫のいずれを選ぶかとい 日後、ヘンリーが父親の失礼な振る舞いを詫びに、そし う、ヒロインの内的問題と彼女の成長が無視されてしま て正式にキャサリンに求婚をしに来てくれたのだ。謎解 う。パロディは実は、作品の一部にしか適用できない概 きは最終段階に至る。キャサリンは自分が僧院を追放さ 念である。作品全体がパロディの対象とはなり得ないの れた理由を知らされ、自分が生きた「動産」として回り で、僧院の場面の前後にあるプロット展開の繋がりが検 の人間たちに取り扱われてきたのだと理解する。彼女が 討されないことになってしまう。また、パロディは喜劇 ゴシックにかぶれている最中、回りでは財産目当てのと 的要素を重視する傾向があり、作品の持つ教育的側面が んでもない人間関係が進行していたのだ。逆にいえば、 無視されてしまう。 ゴシックにかぶれていたからこそ、その醜い取引のよう 換喩とする解釈は二つの要素を持つ。一つ目は作品の な人間関係に首を突っ込まずに済んだのかもしれない。 タイトルが『ノーサンガー僧院』であることに関係す ゴシックがヴェールのように不毛な人間関係をぼやか る。タイトルの関係から、読者は否応なく僧院の場面こ し、隠していたからこそ、キャサリンは純粋さを保てた そが、他の場面を代表していると解釈する。部分が全体 という逆説も成り立つのである。ゴシックは彼女を子供 を代表するという換喩の関係が成立する。二つ目はキャ のままにしておいてくれ、必要なときにそのヴェールを サリンの内面に関係するものである。本論はこちらを中 落として人生の実相を見せてくれたのである。 心に扱っており、この件については以下に詳説する。 キャサリンをめぐる人間関係の謎解きは、最後に美し 僧院におけるキャサリンのゴシックからの目覚めは、 い対称的構図を示している。彼女が散歩の約束を破った ヘンリーが彼女に行うある種の治療的行為によって実現 ので、ティルニー兄妹に謝りに行ったことを思い起こそ される。これは彼が彼女のゴシック愛を発現するように う。小説の最後で、ヘンリーは父親の無礼を謝りにフラ 仕向け、ゴシックを求めることは愚行であることを彼女 トンへとやって来る。恋人間の倫理的関係がしっかりと に体験させ、治癒をもたらすというプロセスをたどる。 保たれている。彼は父親の次のような反対を押しきって、 これは作品の前後関係から浮いたような場面であり、ゴ 実家を訪れてくれたのだ。 シック祓いという性格を持つ。ヒロインの内面に巣くっ 『ノーサンガー僧院』の換喩的構造 たゴシック愛を排除し、現実の倫理的な人間関係への目 覚めをもたらすという機能を僧院での場面は持つ。この 場面は一気にヒロインの覚醒をもたらし、ゴシック愛を 捨て去る典型的パターンあるいはそうした場合の心理の 典型的な動きを表している。その意味で、これは作品全 体におけるヒロインの心理の動きを代表しており、換喩 的機能を持つ。 僧院に至るまでのゴシックへの対応は、ヒロインが主 体的にゴシックと人倫のどちらを選ぶかという側面を持 つ。具体的には 3 回の馬車旅行の場面がこれに対応する。 僧院での場面に比べ、人倫という要素が入ってくるため に、こちらの場面の方が現実生活においては重要な意味 を持つ。僧院での場面ではヒロインは受動的にゴシック に立ち向かい、こちらの場面では彼女は能動的にゴシッ クに立ち向かう。ヒロインは意識的にゴシックを諦める 心構えができているが、本質的にゴシックを捨て去ると ころまでは目覚めていない。ちょっとした刺激で、彼女 のゴシック熱は発現してしまう。そこで、本質的な意味 でゴシックの無価値さを感得する、僧院でのゴシックの 治療が必要なのである。 経済的側面はこの小説のプロットを押し進める力を提 供している。ヒロインはゴシックのヴェールによって目 を曇らされているときには、自分を取り巻く人間たちの 経済的諸関係に気づいていない。そして、ゴシックから 目覚めたときに自分は生きた「動産」であることを理解 する。経済的側面とゴシック愛は本来ならば相容れない 関係にある。しかし、この小説をゴシックの換喩の観点 から見れば、僧院の場面を経てからヒロインが自分を取 り巻く経済的諸関係に目覚めることが説明されうる。ゴ シックは見なくてもいい経済関係を隠す機能を帯び、換 喩的かつ儀式的な僧院の場面を経て-つまり、ヒロイン の心理面の準備が整ってから-彼女に経済関係を見せる ことになるのである。 『ノーサンガー僧院』はゴシックのパロディとしてよ りも、その換喩として読んだ方が合理的な説明がつきや すい。また、オースティンの本質的な部分である、ヒロ インの成長や教育という側面についても、ゴシックの換 喩としての観点は有益な視座を提供しうると思われる。 注 ( 1 )『 ノーサンガー僧院』をゴシック小説のパロディとし て 解 釈 す る こ と はMichael Williams, Jane Austen: Six Novels and Their Methods (Basingstoke: Macmillan, 1986) 10-30に詳しい。 ( 2 )ヒロインの成長という観点から見た『ノーサンガー僧院』 の 分 析 はSusan Morgan, In the Meantime: Character and Perception in Jane Austen’s Fiction (Chicago: U of Chicago P, 1980) 51-76に詳しい。 ( 3 )換 喩 に つ い てJ. A. Cuddon, A Dictionary of Literary Terms (Harmondsworth: Penguin, 1982) 394には“A figure 157 of speech in which the name of an attribute of a thing is substituted for the thing itself. Common examples are ‘The Stage’ for the theatrical profession; ‘The Crown’ for the monarchy; ‘The Bench’ for the judiciary; ‘Dante’ for his works.”とある。 ( 4 )キャサリンを日常性に特徴づけられたヒロインとする 考察はAlan D. McKillop, “Critical Realism in Northanger Abbey,” Jane Austen: A Collection of Critical Essays, ed. Ian Watt, Twentieth Century Views Ser. (Englewood Cliffs: Prentice-Hall, 1963) 52-61を参照。 ( 5 )キャサリンが退屈や歓楽に影響を受けやすく、受動的 な 性 格 で あ る と い う 分 析 はJane Nardin, “Jane Austen and the Problem of Leisure,” Jane Austen in a Social Context, ed. David Monaghan (London: Macmillan) 12242を参照。 ( 6 )バースの社交界におけるキャサリンの行動分析はDavid Monaghan, Jane Austen: Structures and Social Vision (Basingstoke: Macmillan, 1980) 16-41を参照。 ( 7 )テキストはJane Austen, Northanger Abbey, Lady Susan, The Watsons, and Sanditon, ed. John Davie, the World’s Classics Ser. (Oxford: Oxford UP, 1980) による。 ( 8 )教 育 者 と し て の ヘ ン リ ー の 解 釈 はH. R. Dhatwalia, Familial Relationships in Jane Austen’s Novels (New Delhi: National Book Organisation, 1988) 55-56を参照。 ( 9 )ゴシック小説を含む当時の小説との関連で見た『ノー サンガー僧院』ついての議論はJan Fergus, Jane Austen and the Didactic Novel: Northanger Abbey, Sense and Sensibility and Pride and Prejudice (Basingstoke: Macmillan, 1983) 11-38を参照。 (10)登場人物間の会話の妙という観点からの分析はW. A. Craik, Jane Austen: The Six Novels (London: Methuen, 1966) 7-31を参照。 (11)ゴシック小説の世界にのめり込んでしまうことの原因と してA. Walton Litz, Jane Austen: A Study of Her Artistic Development (London: Chatto & Windus, 1965) 67は、 キャサリンにおける共感的想像力の過剰さを挙げてい る。 (12) 『 ノー サ ン ガ ー 僧 院 』 の 戯 画 的 側 面 に つ い て の 議 論 はHenrietta Ten Harmsel, Jane Austen: A Study in Fictional Conventions (London: Mouton, 1964) 14-36及び Mary Lascelles, Jane Austen and Her Art (Oxford: Oxford UP, 1963) 59-65を参照。 (13)キャサリンは過ちを犯しても、愛情と常識によって必ず 立ち直ることができるよう設定されているとする解釈は Margaret Kirkham, Jane Austen, Feminism and Fiction (Brighton: The Harvester P, 1983) 88を参照。 (14)キャサリンが種々の人物たちの影響を受け、正しい振 る舞いを学習していく過程の分析はJane Nardin, Those Elegant Decorums: The Concept of Propriety in Jane Austen’s Novels (Albany: State U of New York P, 1973) 62-81を参照。 (15)長子相続や限定相続はLawrence Stone, The Family, Sex and Marriage in England 1500-1800 (Harmondsworth: Penguin, 1985)の全体にわたって論じられている。 (16)想像力の世界から現実の世界に戻ってくるヒロインと してキャサリンを見る分析はDarrel Mansell, The Novels of Jane Austen: An Interpretation (Basingstoke: Macmillan, 1973) 22-45を参照。 (17)『ノーサンガー僧院』を教育に関する小説とする解釈は Howard S. Babb, Jane Austen’s Novels: The Fabric of 158 門 田 守 Dialogue (Ohio: Ohio State UP, 1962) 86-112を参照。 (18)ヒロインがゴシックへの熱情を捨て去る過程として 『ノーサンガー僧院』を解釈した論考はDiane Hoeveler, “Vindicating Northanger Abbey: Mary Wollstonecraft, Jane Austen, and Gothic Feminism,” Jane Austen and Discourses of Feminism, ed. Devoney Looser (London: Macmillan, 1995) 117-35に見られる。 (19)キャサリンがほとんどヒロインと呼ぶに相応しくなく、 機 能 的 な 登 場 人 物 で あ る と す る 解 釈 はRobert Liddell, The Novels of Jane Austen (London: Longmans, 1966) 8-10を参照。 (20)キャサリンの感受性の鋭さをヘンリーの寛大さが修正す るとする考察はBernard J. Paris, Character and Conflict in Jane Austen’s Novels: A Psychological Approach (Detroit: Wayne State UP, 1978) 196-97に見られる。 (21)Alistair M. Duckworth, The Improvement of the Estate: A Study of Jane Austen’s Novels (Baltimore: The Johns Hopkins P, 1971) 84はジョンとティルニー将軍をゴシッ ク的悪漢として分析している。