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テロ時代において、 我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか

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テロ時代において、 我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
四天王寺大学紀要 第 60 号(2015年 9 月)
テロ時代において、
我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
Japanese Humanitarian Assistance and National Interests in the Era of Terrorism
恵 木 徹 待
Tetsunaga EKI
我が国の人道支援の在り方を巡っては平和主義の流れを汲む「被害・加害意識」と「国際貢
献への使命感」が影響している。そしてこのような国民感情は、国連安保理常任理事国就任の
ために自衛隊の海外派遣実績を重ねたい外務省と、現場における人的貢献を求める米国の思惑
にも合致し、我が国ではこれまで自衛隊が人道支援任務の中心的役割を担ってきた。しかし、
テロの時代においては、人道支援目的が外交・安全保障政策の追求へと容易にシフトし中立的
立場の保持は困難になる。また、国際協調活動は乱れ、米国中心の対処行動が取られる傾向も
あり、それぞれの国が異なる行動原則の優先付けに苦労している。我が国では自衛隊の海外派
遣を通して平和主義、国際協調、対米追従の 3 つの原則を同時追求しようとする結果、米国の
庇護を期待できる、我が国の領土保全という国益には資する一方で、国民の安全の確保を始め
とするその他の国益はその多くを失っていくであろう。これまで人道支援という美名は「人道
支援なら日本は被害者にも加害者にもならない」という一国平和主義原則と、「人道支援なら世
界の困っている人を救済するために使命感をもってやらねばならない」という国際協調原則を
一挙に満たすことができた。しかも同盟国の米国もそれを歓迎した。こうして日本国民全体が「人
道支援」という呪文を唱えていったのである。しかし、主権国家に対してはある程度効力を発
揮したその呪文は、テロ組織には通用しないのである。
キーワード:人道支援、平和主義、国益、自衛隊、テロ組織
序
2015年 1 月、ISIS(イスラム国)に拘束されていた 2 名の日本人が無残に殺害された。それ
に先立ち、ISISは当時拘束していた上記 2 名の邦人殺害警告の理由として、安倍首相がカイロ
でおこなった同組織対策としての約 2 億ドルの支援表明を挙げた 1 )ことから、安倍首相の同
――――――――――――――――――
1 )「安倍首相の 2 億ドル支援が理由=日本人殺害警告でイスラム国」時事通信 2015.01.20 http://news.
yahoo.co.jp/pickup/6146643(2015.05.30入手)
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恵 木 徹 待
支援の発表方法や時期を巡り非難が集まった 2 )。一方ではこの日本人 2 名がジャーナリストで
あったことから、毎度のように自己責任論などの主張も一部でなされた。
安倍首相は衆参予算委員会において、上記の拠出は人道支援名目であり、こうした施策を変
える気はないと答弁し、テロに屈することなく今後も国際社会における日本の役割を果たして
いくと世界に向けて発信した 3 )。こうした人道支援名目における拠出自体には批判はあまり出
ていない。民主党の枝野幹事長は2015年 2 月 2 日の記者会見で「一般論として中東への人道的
支援は積極的に行うべきである」4 )と述べている。マスコミも「米英など有志連合の攻撃とは
明確に一線を画し、人道支援に徹するべきだ」5 )という論調である。外交や安全保障、そして
中東地域の専門家たちも口を揃えて、我が国は今後も人道支援分野で国際貢献を行うべきであ
る6 )と強調し、大方の国民もこれに首肯している。こうした国内の反応を受け、衆参両院本会
議でイスラム国によるテロへの非難決議が採択されている。そしてどちらの決議にも「中東・
アフリカ諸国に対する人道支援を拡充する」という文言が入れられている 7 )。
今現在(2015年 6 月上旬)も行われている国会における安保法制に関する審議において人道
――――――――――――――――――
2 )同年 2 月 2 日の参議院予算委員会で共産党の小池晃参院議員は邦人が拘束されている中でもっと慎重
な態度で対応するべきだったと批判した。同 2 月 2 日の衆議院予算委員会でも民主党の細野豪志衆院
議員からも同様の主張が行われた。また、現代イスラム研究センター理事長の宮田律氏は、テロとい
う言葉を頻繁に用いることで欧米の軍事作戦と一体となっている印象を与えかねないとの指摘を行っ
ている。
3 )http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001818920150204004.htm, http://kokkai.
ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/189/0014/18902020014002c.html(2015.05.30入手)
4)
「参院予算委 攻めあぐねる民主 『対決』封印 人道支援意義に同調」産経ニュース 2015.02.03 http://
www.sankei.com/politics/news/150203/plt1502030008-n1.html(2015.03.28入手)
5 )「〈社説〉イスラム国対策 攻撃ではなく人道支援で」琉球新報 2015.02.06 http://www.sankei.com/
politics/news/150203/plt1502030008-n1.html(2015.03.28入手)
6 )例えば、イスラム学者である中田考氏は「『イスラム国』の支配下にある地域の難民や戦争被害者へ
の人道援助を行うべき」、
「イラク、シリアで犠牲になった人たちの支援という条件を課すのが、受け
入れられるぎりぎりの選択と思う」と述べている。「日本人人質事件 中田考氏『イラク、シリアの
難民らへの人道支援を行うべき』The Page 2015.01.22
http://thepage.jp/detail/20150122-00000005-wordleaf?utm_expid=90592221-34.
fYfHxQptRyiK24SGMTdjrQ.0&utm_referrer=http%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2Furl%3Fsa%3Dt%26rct
%3Dj%26q%3D%26esrc%3Ds%26source%3Dweb%26cd%3D1%26ved%3D0CB0QFjAA%26url%3Dhttp%25
3A%252F%252Fthepage.jp%252Fdetail%252F20150122-00000005-wordleaf%26ei%3DM09pVeivJ-bvmAWT
koH4AQ%26usg%3DAFQjCNFypUVDEn1aRqqhm97j3_lKNof6gQ(2015.05.30入手)。
また、長氏は、独立・中立・公平・不偏不党の原則に則った人道支援の重要性を強調する。「新しい
安全保障法制を考える−『人間の安全保障』の視点と、人道支援に携わるNGOの立場から」AAR
Japan 2015.05.12
http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/2015/0512_1755.html(2015.05.30入手)
7 )http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/ketsugian/g18913001.htm, http://www.sangiin.
go.jp/japanese/ugoki/h27/150206-1-1.html(2015.05.30入手)
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テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
支援分野は拡大される方向で議論が進められている。ここで議論されているのも自衛隊による
人道支援名目による海外派遣の拡充についてである。
しかし、日本はこれまで人道支援名目で国際協力を行い、今回 2 名の邦人がテロ組織に殺害
されているにもかかわらず、これまでの施策を盲目的に継続・拡充するというのは少々合理性
に欠けはしないか。対テロ戦争において人道支援が有効であるという理論的枠組み、そして実
践例は残念ながら未だ確立していない。それにもかかわらず、なぜ我が国は対テロ対策として、
人道支援、それも自衛隊による人的支援の拡大にこだわるのか。そしてこのような施策はテロ
時代において国益に資するものであるのか。元内閣府官房副長官補の柳沢協二氏は、我が国で
はこうした国益の検証はこれまで行われてこず、そもそも「日本には太平洋戦争を含めて事後
的に検証しようとする文化がない」 8 )と述べる。その意味でも、今回我が国の安全保障政策に
おける国益の検証を試みる本稿の意義は多少なりともあると考える。
国益とは石川によれば、政治的独立・領土の保全、国民の安全、経済的厚生、資源供給源・
海外市場の確保、イデオロギー・理念の維持、国家の威信を指しており 9 )、本稿でもそれらを
使用したいと考えている。本稿では、テロ時代において我が国の人道支援政策は領土保全とい
う以外の国益には適わない、という仮説に基づいて検証を行っていく。
まず第 1 章で先行研究を提示した後、第 2 章から具体的な検証作業に入っていく。同章では、
我が国に人道支援という概念が根付いた経緯についてみていく。人道支援は、我が国の平和主
義の一部分を構成する考え方である、という小仮説に基づき、まず同章第 1 節で平和主義につ
いて、そして同第 2 節で平和主義と人道支援との関係性につき考察する。続く同第 3 節では我
が国の人道支援がこれまで自衛隊によって担われてきた事実につき 4 つの言説を紹介しながら
明らかにしていく。その後、第 3 章で軍隊による人道支援の一般的な特徴を4つの形態を示し
ながら説明したい。第 4 章ではテロ時代における人道支援の特徴につき更に考察を進めていく。
続く第 5 章ではテロ時代における人道支援への対処に同じく苦悩したノルウェーとドイツの事
例を紹介する。そして第 6 章でイラク戦争時の我が国の状況を取り上げ、上記海外事例に関す
る先行研究を模倣し、我が国で人道支援が議論される時にも 3 つの原則があったこと、そして
我が国ではそれらを同時に追求しようとしてきた事実を示したい。第 7 章では 3 つの原則を同
時追求しようとする際に国益のどの部分が達成され、どの部分が満たされないかにつき一定の
考えを提示したい。そして、テロ時代において我が国の人道支援という方策は一部の国益しか
満たすことができず、特に自衛隊員を含めた国民の安全に関しては守ることが困難になってい
るという結論を示したいと考えている。
――――――――――――――――――
8 )「特集ワイド:再び米国の言いなり?安保大転換、イラクの失敗『置き去り』」毎日新聞 2015.05.21
http://mainichi.jp/shimen/news/20150521dde012010003000c.html?ck=1(2015.06.02入手)
9 )石川卓 「パワーと国益 ‐ リアリズム、ネオリアリズム」、村田晃嗣・君塚直隆・石川卓・来栖薫子・
秋山信将 『国際政治学をつかむ』、有斐閣、2010、68頁。
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恵 木 徹 待
1 先行研究検証
人道支援につき考えていく際、その出発点は日本国憲法にあると考える。それは 9 条の解釈
という法的作業の面のみならず、憲法に宿る平和主義と国際協調という精神は人道支援という
概念に何らかの影響を与えていると考えるからである。
西による研究では、日本の平和主義は「国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄」と「国
際協和」を示すとされている10)。但し、世界では148にも及ぶ成文憲法で平和主義が言及され
ている11)。よって上記の、国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄と国際協和は必ずしも
我が国特有のものではないので、我が国の平和主義の特徴には成り得ない。
シピローワは戦後から今日までの我が国の主要新聞、特に 8 月15日の社説を比較しながら我
が国の平和主義の特徴につき分析を試みている。彼女はこれまでの日本の平和主義は自らが被
害者になってはいけないという意識があったとしている12)。同時に日本の平和主義には加害意
識もみられ、加害者にならなければそれでよしとする平和主義について日本国際フォーラム政
策委員会の文書で指摘されている13)。筆者はこの日本人の「内向き」の平和主義、つまりは一
国平和主義と呼ばれるところの概念は未だ日本人の意識の深層に残り続けていると思ってい
る。
また、常岡論文では日本の平和主義は単に戦争の放棄だけではなく、世界中で困っている人
を助ける使命を負ったものであるという14)が、上記の被害・加害意識とともに、このような「使
命感」も日本人の国際貢献に影響を与えていると本稿では捉え、常岡の概念も借りていく。こ
れらのいずれの研究もテロ時代における言及や分析は見られないので、本稿ではこれらの先駆
者たちの研究成果の上に、テロ時代における検証を行っていきたいと考えている。
自衛隊の海外派遣に関しては庄司による研究15)に詳しい。そこでは国際平和協力法が成立
するまでの、そして人道支援目的で最初に海外派遣を行った村山内閣、またイラク戦争時に自
衛隊海外派遣を行った小泉内閣等における政策決定過程を特に外務省の動きに注目しながら分
析を行っている。久江16)や福山17)の著作には外交分野のみならず、安全保障政策における外
務省の影響力の大きさにつき言及がある。また、イラク派遣時の小泉内閣では、米国の強い意
――――――――――――――――――
10)西修 「世界の現行憲法と平和主義条項」、『駒澤大學法学部研究紀要』、第60巻、2002-2003、25頁。
11)同上、 1 頁。
12)シピローワ・アンナ 「国民アイデンティティとしての『平和主義』(一・完)」、『広島法学』、第27巻
4 号、2004、2 頁。
13)日本国際フォーラム政策委員会 「積極的平和主義と日米同盟のあり方」日本国際フォーラム第32政
策提言、2009、2 頁。
14)常岡(乗本)せつ子 「湾岸戦争における日本批判と日本国憲法の平和主義」、『フェリス女学院大学
文学部紀要』、第27巻、1992、114頁。
15)庄司貴由 『自衛隊海外派遣と日本外交』、日本経済評論社、2015。
16)久江雅彦 『日本の国防 米軍化する自衛隊・迷走する政治』、講談社、2012。
17)福山隆 『防衛省と外務省 歪んだ二つのインテリジェンス組織』、幻冬舎、2013。
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テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
向により同盟国としての鮮明な立場を打ち出す必要に駆られた。それらの経緯は先の庄司論文
や樋口論文18)、そしてGlenn D. Hook 及びKey-Young Son論文19)を参照する。神谷は、日本人は
冷戦後「日本の領域を越えた国際平和のための軍事力の役割を認めることには積極的にならな
かった」20)と述べており、自衛隊が非武装で海外の人道支援業務に携わる現在の形態に至っ
た経緯にはそうした世論の影響もあった。Aureliaはその背景には平和国家としての独自モデル
を手放したくない日本人の心情があった21)と述べている。一方で、自衛隊自身もソフトパワー
としての役割を当初より自認していたとする吉崎による研究22)には本稿は与しない。仮に自
衛隊にそのような意識があったとしてもそれは外からの押し付けにより生じたと考える。あく
まで、政治家、官僚、マスメディア、そして世論により自衛隊員の海外における人的支援が実
現したと仮定して論を進めていく。
テロ時代において人道支援を含めた軍隊の海外派遣が国内でどのように議論されていったの
かにつき、竹澤23)はノルウェーの事例、そして中村24)はドイツの事例を紹介している。両者
とも 3 つの原則の優先付けを巡る議論が国内であったと指摘している。本稿でもこの 、軍隊
の海外派兵時に考慮される「 3 原則」を我が国に当てはめながらその相互作用をみていきたい。
そしてそれが我が国の国益達成にどの程度資することができているのか、またできていないの
かにつき検証したい。
これまでの先行研究においては、テロ時代における自衛隊の海外派遣に関し、我が国特有の
3 原則の相互作用を分析し、また国益との関係から論じているものはない。そこで本稿ではそ
のような試みを行い、我が国の人道支援の効果につき一定の提示をしたいと考えている。
――――――――――――――――――
18)樋口恒晴 『「平和」という病 一国平和主義・集団的自衛権・憲法解釈の嘘を暴く』、ビジネス社、
2014。
19)Glenn D. Hook and Key-Young Son, Transposition in Japanese state identities: overseas troop dispatches and the
emergence of a humanitarian power? Australian Journal of International Affairs, Vol.67, No.1, 2013,pp.35-54.
20)神谷万丈 「日本の安全保障政策と日米同盟―冷戦後の展開と今後の課題」、久保文明編 『アメリカ
にとって同盟とはなにか』、中央公論新社、2013。
21)Aurelia George Mulgan, International Peacekeeping and Japan s Role: Catalyst or Cautionary Tale? Asian
Survey, Vol.35, No.12, 1995, p.1117.
22)吉崎知典 「平和構築における軍事組織の役割―日本の視点」防衛省防衛研究所編『平和構築と軍事組
織 ―21世 紀 の 紛 争 処 理 の あ り 方 を 求 め て 』、http://www.nids.go.jp/event/symposium/pdf/2008/j_12.pdf、
2009、118-119頁。(2015.05.27入手)
23)竹澤由記子 「ノルウェーの外交政策における対米関係と平和主義のジレンマ―イラク派遣のケース
を中心に−」、『大阪女学院大学紀要』、第 9 号、2012、59-77頁。
24)中村登志哉 「ドイツの安全保障規範の変容−1999年 ‐ 2011年の海外派兵政策」『言語文化論集』、第
15巻 1 号、2013、105-124頁。
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恵 木 徹 待
2 我が国における人道支援
2-1 日本の「平和主義」
これから検証を進めるように、我が国における人道支援という考え方は、当然のことながら
現行憲法と無関係ではない。しかし一方で、憲法に基づいて人道支援という方策が出来上がっ
たのではない。憲法が話題になる時、多くの場合はその第 9 条が注目される。集団的自衛権を
憲法が認めているか否か、また海外に派兵を行うことが可能か否かのような議論である。ただ、
これは法律論的要素が強い。実は憲法 9 条には別に平和主義という思想が深く溶け込んでいる。
我々はこの平和主義や現行憲法を世界の中でも稀有なものと考えがちである。そしてその結
果、一方ではそのような世界でも稀に見る「すばらしい」憲法を永久に護持せねばならぬとい
う護憲派と、もう一方ではそのような稀に見る「役立たず」の憲法は一刻も早く変えねばなら
ぬという改憲派に政治思想が二分されてくる。
しかし、西による2003年の研究によれば、世界で180以上存在する成文憲法で、平和主義を謳っ
ている憲法は148に及ぶという25)。西はそれらの国の憲法で規定のある平和主義の解釈を17通
りに分けている。因みに我が国の平和主義は、国際紛争を解決する手段としての戦争放棄及び
国際協和という分野に入れられている。前者は日本を入れて 5 か国、後者は同じく75か国存在
する。よって我が国の平和主義の特徴につきもう少し細かく検証せずに論を進めることは困難
となる。
本稿のテーマである人道支援を平和主義との関連で考える時、実は両者の結びつきの歴史は
浅い。シピローワ・アンナは主要新聞の社説の変遷を題材に、我が国の平和主義の移り変わり
につき論じている 26)。彼女は、戦後の米国による占領期が終わった1950年代からこれまでの40
年間を 4 つの時期に分けている。そして我が国の平和主義が国際貢献という文脈で議論され始
めたのは1990年代であるとしている。
1950年代には、戦後の国家再建を行うにあたって国内で様々な政治的対立が生じていた。こ
の現象自体は旧ソ連が撤退した後の東欧諸国の混乱などの例に見られるような、大国による占
領後の一時的混乱として通常のことである。そうした中、我が国において「平和主義のロジッ
クは、『国内の平和』、つまり激しい保革対立の調和への呼びかけへと転化していた」27)。つま
り、占領国米国の置き土産であった平和主義はそのまま国家再建へのスローガンとなっていた
のである。当時の日本国民にとって平和という呪文は長く続いた戦争への忌避として最も受け
入れやすかったキーワードであったのであろう。
続く1960年代には平和主義は被爆体験の想起と相まって、
「日本国民に特別な使命感を与え、
――――――――――――――――――
25)西、前掲書、2002-2003、1 頁。
26)シピローワ・アンナ 「国民アイデンティティとしての『平和主義』(一・完)」、『広島法学』、第27巻
4 号、2004、及び同「国民アイデンティティとしての『平和主義』(二・完)」、
『広島法学』、第28巻 1 号、
2004。
27)シピローワ・アンナ 「国民アイデンティティとしての『平和主義』(一・完)」、『広島法学』、第27巻
4 号、2004、15頁。
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テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
世界の中での日本の位置を確認するための概念という機能を備えていった」28)。そして平和国
家であることを自らのアイデンティティにした日本は、1970-1980年代において、
「資源を持た
ず軍備を持たないはずの日本が、これからの世界を生きていく道は、しょせん、平和しかない」
29)
、という言葉に表れているように、
「平和路線は、安全保障上重要なものとして論じられるだ
けではなく、経済的な繁栄を持続させるためにも不可欠なものとされた」30)。更には、
「今のよ
うな高度の経済成長政策をつづけるならば、当然のこととして資源の確保、市場の拡大がすす
められる。
(略)われわれが平和国家として繁栄を続けるためには、国際協調が必要である」31)
という論調も生まれてくる。このように、この時期には平和主義や平和路線は安全保障上の利
益とともに経済的利益の確保と結び付けられて議論されていたことが分かる。
しかし一方で同時期には「日本の被害だけを強調することの一面性が問題視され、日本によ
る加害責任の問題が指摘され始めてきた」32)。筆者は我が国の人道支援について考察する際、
この、被害と加害というそれぞれの意識につき理解を深めていくことが重要となると考えるた
め、この点につきもう少し明らかにしていきたい。
この被害、加害のそれぞれの意識を平和主義との関係で論じているものは様々である。シピ
ローワは上記論文の中で、「日本の平和主義は、平和を積極的に維持するという考え方と結び
ついているのではなく、その深層には、日本国民が被害者になってはいけないという意識があ
るのではないか」33)と述べている。また、加害意識に関しても、
「これまでの日本の平和主義は、
自国が加害者にならなければ『それでよし』とする平和主義だった」34)という見解がある。
このような両者の見解は狭量であると捉える立場であろうか、常岡は特に被害もしくは加害
という区分を明確にはせず、「日本国憲法の平和主義は一般に『戦争放棄の平和主義』として
語られることが多いが、実は単に戦争をしないというだけの平和主義ではなかったはずである。
(略)日本は恐怖や欠乏に苦しんで平和な状態に生きることのできない世界中の人々を助ける
使命を自ら負う決意をした。これが日本国憲法の平和主義だったのではなかろうか」 35)と主
張している。本稿ではこれを「使命感による平和主義」と呼びたい。常岡による平和主義のこ
のような捉え方は国内においては決して少数派ではあるまい。
ここまででおおよそ 3 通りの平和主義が出てきている。一つは、国益実現のための平和主義、
――――――――――――――――――
28)同上、20頁。
29)読売新聞、朝刊、1973年 8 月15日
30)シピローワ・アンナ「国民アイデンティティとしての『平和主義』(二・完)」、『広島法学』、第28巻 1
号、2004、47頁。
31)毎日新聞、朝刊、1973年 8 月15日
32)シピローワ・アンナ「国民アイデンティティとしての『平和主義』(二・完)」、『広島法学』、第28巻 1
号、2004、54頁 。
33)シピローワ・アンナ 「国民アイデンティティとしての『平和主義』(一・完)」、『広島法学』、第27巻
4 号、2004、2 頁。
34)日本国際フォーラム政策委員会、前掲書、2009、2 頁。
35)常岡、前掲書、1992、114頁。
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恵 木 徹 待
二つ目は被害意識と加害意識の平和主義、そして最後に使命感による平和主義である。本稿の
結論を先取りすれば、平和主義の部分を人道支援に入れ替え、日本の人道支援にも国益実現の
ための人道支援、被害意識と加害意識の人道支援、そして使命感による人道支援の 3 通りの考
えがあると考えている。そこで次に平和主義と人道支援の関係性につきおさえておきたい。
2-2 平和主義と人道支援
前述のように、我が国においては1990年代に平和主義に関する議論が激変する。これまでの
平和主義を「一国平和主義」であるとし、国際社会において名誉ある地位を占めたい我が国と
しては、もっと「積極的に平和構造にかかわって行く必要がある」 36)と考えられるようになっ
てくる。つまり、これまでの被害意識と加害意識の平和主義と引きずりつつ、新しく生じた使
命感による平和主義との並走とでも言えようか。
当然のことながら1990年代に国内でこのような議論が始まったのは当時の世界情勢と密接な
関わりがある。1989年12月に地中海のマルタ島で、当時のゴルバチョフ大統領とジョージ・H・
W・ブッシュ大統領が会談し宣言された冷戦の終結、そして1990年 8 月 2 日にイラクがクウェー
トに侵攻したのに対し多国籍軍が1991年 1 月17日にイラクへの空爆を開始した湾岸戦争の 2 大
事変は、特に我が国の外交・安全保障政策の変更に大きな影響を与えた。
庄司は、「日本外交におけるODA以外の人的貢献を議論する際、そのほとんどが冷戦後の湾
岸危機、カンボジアの自衛隊派遣から始められる。だが、日本の人的支援は、米ソ冷戦終焉後
に突如として始まったわけではない」37)とし、我が国の人的支援は1989年のナミビア派遣に
始まるという。そしてそれ以降日本の主な人道支援は、国連平和維持活動、国際的な選挙監視
活動、そして人道的な国際救援活動へと拡充していくことになる。庄司はこの状況は少なくと
も九・一一米国同時多発テロ発生直後まで続いていく38)と述べている。このように、1990年
代に起こった平和主義に関する考え方の激変は我が国の海外における人的支援の拡充に大きな
影響を与えたということができよう。この意味において、日本の人道支援は平和主義の、被害
と加害、そして使命感という考え方に影響を受けながら生成してきたと言える。
2-3 人道支援の担い手としての自衛隊
さて、人道支援の担い手とは誰であろうか。上野は、それらは外国政府、国際機関、非政府
組織、個人に限られるという39)。ただ、
「外国政府は、現地で人道支援を展開している赤十字社、
国際機関、非政府組織に資金や物資を提供することが一般的である」40)。これは前項にもある、
ODAと呼ばれる各国政府による国際援助を指している。ゆえに、こと人道支援分野における
――――――――――――――――――
36)シピローワ・アンナ「国民アイデンティティとしての『平和主義』(二・完)」、『広島法学』、第28巻 1
号、2004、61頁。
37)庄司、前掲書、2015、23頁。
38)同上、210頁。
39)上野友也 『戦争と人道支援 戦争の被災をめぐる人道の政治』、東北大学出版会、2012、29頁。
40)同上、30頁。
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テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
人的支援というのは国際機関や非政府組織によって主に担われていることが通例である。しか
し、我が国においては人道支援の人的貢献は当初より主に自衛隊によって行われてきた。この
ことは世界の国々の中でも非常に稀有なケースである。いかなる経緯でこのような状況が生ま
れたのであろうか。このことを解明するために、以下主に 4 つの言説を紹介したい。
① 村山内閣時における外務省の関与
人道的な国際救援活動として最初に自衛隊の海外派遣を行ったのは村山内閣(1994年 6 月30
日―1996年 1 月11日)である(在任期間挿入は筆者による)41)。ちなみに、村山が就任する約
1 年前の1993年 8 月 9 日には、長く続いた自民党による55年体制が終わり、日本新党の細川護
熙が首相につき、その後羽田孜が64日という短期間の在任期間を終えた上での村山の首相就任
であった。
55年体制最後の宮澤内閣に引き継ぐ前の海部内閣では、1991年に発生した湾岸戦争において、
135億ドルの拠出をしたにもかかわらず国際社会の評価を正当に受けることができなかった苦
い教訓から、自衛隊の国際協力を明確に定める法整備が進められていた42)。海部自身は自衛隊
ではなく、青年海外協力隊のような組織の派遣を考えており43)、「自衛隊は使いたくない、人
的貢献の国際協力はあくまでシビリアンだけの組織で」44)と発言している。その後外務省は
自衛隊の半文民化構想まで打ち出すが結局本法案は廃案となった45)。
続く宮澤内閣において、宮澤はその高い支持率にも後押しされ、「自衛官の国際協力を見据
えた法案を再度国会に提出する意欲を滲ませ」46)、1992年に国連平和維持活動(PKO)協力法
が成立した。村山はそのような中で首相に就任したのである。因みに、当時の1990-1993年の
期間にはルワンダで大規模な虐殺事件が発生し、ザイールなどの隣国に200万人とも言われる
難民が流出していた。
久江は、PKO協力法の成立後は以下のような方程式が存在するようになった47)という。まず、
外務省が自衛隊の派遣に前向きな姿勢を示す。その後防衛省や自衛隊の反対により政府内で摩
擦が起きると、首相や官房長官の秘書官ポストを持つ外務省は政府首脳への根回しを行い、最
終的には思惑通りに事を運ぶというものである。こうした外務省の態度に対し、福山は「外務
省は、こと安全保障の分野にかぎっては、『外交の一元化』を主張し、防衛省や自衛隊を自分
たちのコントロール下に置こうとする」48)と述べている。我が国においては人道支援を自衛
隊が行っているという背景の一つがここにある。
――――――――――――――――――
41)庄司、前掲書、2015、3 頁。
42)久江、前掲書、2012、67頁。
43)海部俊樹 『政治とカネー海部俊樹回顧録』、新潮社、2010、123頁。
44)石原信雄 『官邸二六六八日―政策決定の舞台裏』、日本放送出版会、1995、62頁。
45)庄司、前掲書、2015、88頁。
46)同上、103頁。
47)久江、前掲書、2012、69頁。
48)福山、前掲書、2013、83頁。
− 155−
恵 木 徹 待
当時国連事務総長は、ルワンダ人難民キャンプでの襲撃事件が相次いだことを受け、人道支
援の見直しを検討している49)。このような状況にもかかわらず、非自民党出の村山は慣れない
政権運営の中で、何としても自衛隊を海外に派遣し実績を積み、国連安保理常任理事国への切
符を手に入れたい外務省の「方程式」にまんまとはまっていったのではないか。
② 「平和国家」と国際協調の両立
我が国の平和国家、平和主義の捉え方に激変が起こったのは冷戦後であるとの認識は神谷も
共有しており、彼は、日本国民は冷戦後の「平和国家としての日本の歩みの中に『二種類の消
極性』の深刻な欠陥が内在していたことに気づかされていく」50)と主張する。一つは、日本
自身が平和のために行動するという意思の欠如、二つ目は、平和を構築する上では軍事力を使
う意思が必要であるという認識の欠如である。前者に関しては上述の湾岸戦争において金銭的
貢献のみならず人的貢献が求められた。しかし後者に関し、「『日本の安全を守るための軍事力
の役割』は認め始めたが、『日本の領域を越えた国際平和のための軍事力の役割』を認めるこ
とには積極的にならなかった」51)。そして国際支援の中でも最も非軍事的行動要素が強いと認
識されている人道支援が好まれたのである。日本は平和国家という世界でも独自のモデルの放
棄に強いためらいがあり非軍事的貢献を頑なに維持し続けたのである52)。
③ 「平和国家」と米国同盟国という立場の両立
石塚は、日本の人的貢献の拡大は湾岸危機と九・一一同時多発テロという 2 つが大きな触媒
となった53)と指摘している。九・一一テロ発生後、当時のアーミテージ国務副長官に「Show
the Flag」と言われ、湾岸戦争時のような金銭的貢献だけではなく、対テロ戦争においては何
らかの人的貢献を求められた日本が行った精一杯の対応が自衛隊による後方支援や人道支援で
あった54)。このような人道支援目的での自衛隊の海外派遣は、平和国家としての地位と、一方
で米国の同盟国という立場を完全に合致させた(congruent)55)。しかしこの「平和国家として
の米国同盟国」という立場こそが九・一一テロ後長らく我が国の外交・安全保障政策に対する
呪縛となっていく。
――――――――――――――――――
49)Progress Report of the Secretary-General on the United Nations Assistance Mission for Rwanda, S/1994/1133,
October 6, 1994.
50)神谷、前掲書、2013、307頁。
51)同上、313頁。
52)Aurelia George Mulgan, op.cit., 1995, p.1117.
53)Katsumi Ishizuka, Japan and UN Peace Operations. Japanese Journal of Political Sciences,
Vol.5, No.1, 2004, p.138.
54)斎藤直樹「イラク復興支援への自衛隊派遣に関する一考察」、『21世紀社会デザイン研究』 第 3 巻 2004、16頁、19頁。
55)Glenn D. Hook and Key-Young Son, op.cit.,2013,p.46.
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テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
④ ソフトパワーとしての自衛隊
吉崎は、実は「創設以来、自衛隊は『公共福祉のための部隊』として、『民心を獲得する』
ための姿勢を貫いているのではないだろうか」56)として、イラク人道復興支援における自衛
隊の活動を「真心というソフト・パワー」57)と表現した当時の防衛庁長官の言葉を紹介して
いる。そして、当時の世論調査をもとに、世論も自衛隊には人道復興支援を中心とした役割を
期待していると述べている。
しかし、平成24年 1 月に発表された、同じ「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」では、自
衛隊に国際平和協力活動を期待する意見は国の安全の確保(外国からの侵略の防止)に対する
期待よりも少なく、前者が48.8%であるのに対し後者は78.6%となっている58)。更には82.9%
が災害派遣と回答し、同意見がトップを占めていることを鑑みれば、同世論調査はその時々の
社会情勢をまさに反映していると結論付けることができ、人道支援活動を自衛隊に期待すると
いう世論もその時々で変化すると考えられる。確かに、自衛隊にソフト・パワーを期待する世
論の影響を受けているのは間違いないであろうが、自衛隊自身も「真心のソフトパワー」であ
ると意識する必要はない。ましてや「公共福祉のための軍隊」とは本末転倒である。その意味
で吉崎による見解及び防衛庁長官発言には異議を唱えざるを得ない。
3 軍隊による人道支援
これまでみてきたように、我が国の場合、人道支援の主体は自衛隊である。そこで、自衛隊
による人道支援のどこが特殊であり、また特殊でないのかを検証する為に、一般的な軍隊によ
る人道支援の形態につき本章でまず確認しておきたい。
人道支援分野に軍隊が登場する時、その形態は主に以下の 4 つに分けられよう。一つ目は軍
隊が紛争当事者として行動する場合、二つ目が民間組織との協力関係を保ちながら人道支援の
補完業務を行う場合、三つ目が軍事行動を伴わない人道支援を行う場合、そして最後に軍事偵
察目的による人道支援を行う場合、である。上記 4 つの形態は必ずしも明確に分けられるとは
限らない。重複する場合もあるし、意図するかしないかは別にして他の形態に変化していく場
合なども考えられる。以下ではそれぞれにつきみていきたい。
3-1 人道支援の定義の曖昧さ
上野は、「人道支援(Humanitarian Assistance)
」を「自然災害・人為的事故・武力紛争の被災
者に対する援助と保護の提供である」59)と定義している。しかし、この人道(Humanitarian)
――――――――――――――――――
56)吉崎、前掲書、2009、118-119頁。
57)大野功統 「真心というソフト・パワーを発揮してーイラク人道復興支援」http://www.mmz.kantei.
go.jp/k/mm/192jy/honne.html (2015.03.22入手)
58)内閣府大臣官房政府広報室 『自衛隊・防衛問題に関する世論調査(平成24年 1 月調査)』http://survey.
gov-online.go.jp/h23/h23-bouei/zh/z10.html (2015.03.22入手)
59)上野、前掲書、2012、25頁。
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恵 木 徹 待
という言葉の世界共通の理解は未だ定着していない60)。また、援助と安全保障、武力行使の区
別を明確にしている国際法も存在しない61)、とマーク・アントワンは言う。
ここから派生して、組織がいったん紛争地域で活動を行えば完全な中立性を保つことは不可
能である62)、「人道支援は軍事・政治と密接に結びついている。純粋な人道支援などない」63)
などの見解も聞かれる。人道支援に携わる慈善事業者の中には人道(humanitarian)機関であ
るとレッテルを張られるのを拒む団体もあるほどである64)。
3-2 軍隊が紛争当事者として行動する場合
援助と保護が武力行使と結びつくもっとも極端な例が人道的介入である。人道的介入とは、
「人道目的の軍事介入、あるいは人道目的の武力行使を伴う介入」を指し、ある国で発生してい
る大規模な人道的危機に際して他国が軍隊を派遣したり、
空爆を行ったりすることである65)。
「人
道的介入は人道支援に対する紛争当事者による政治的干渉を抑制するために行われる場合も多
く」66)、元々は人道支援を滞りなく行うことが目的でなされる。
しかし、人道的介入においては紛争の当事者と成り替わる、もしくは相手にそのように解さ
れる恐れも高くなる。人道支援は紛争被災者の援助と保護を目的として行われるのであるが、
その形態はもう一方の紛争当事者への武力の行使として行われるので、相手方から見れば紛争
上の敵とみなされやすくなる。
上野は、アメリカ同時多発テロ以後、「大国の関心は人道的介入から対テロリズム戦争に移
行した」 67)と指摘している。人道的介入も対テロ戦争も、他国の軍隊が派遣され紛争当事者
になり替わるという点で共通しているが、前者は被災者への援助と保護が一応の主目的であっ
たが、後者はテロ組織への攻撃が主目的となる。そうなると、人道支援目的であっても、対テ
ロ戦争に参加するということは紛争当事者であると認識される恐れは更に高まるのである。
3-3 民間組織との協力関係を保ちながら補完業務を行う場合
「人道支援機関が紛争当事者や被災者に中立であると見なされるためには、人道支援機関と
――――――――――――――――――
60)Marc-Antoine Perouse de Montclos, The(de)Militarization of Humanitarian Aid: A Historical Perspective.
Humanities, Vol.3, 2014, p.240.
61)Ibid.
62)Ibid., p.238.
63)「安倍首相の人道支援表明がイスラム国を怒らせた」週プレNEWS2014.02.21
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150221-00043753-playboyz-pol(2014.03.23入手)
64)Marc-Antoine Perouse de Montclos, op.cit., 2014,p.240.
65)小松志朗 『人道的介入 秩序と正義、武力と外交』、早稲田大学出版部、2014、3 頁。
66)上野、前掲書、2012、183頁。
67)上野友也 「国際秩序と人命救助--冷戦終結以後の人道的介入の正当化に関する議論を中心に」『京都
女子大学現代社会研究』、第11巻、2008、145頁。
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テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
軍隊の役割を明確に分ける必要がある」68)ことは言うまでもない。しかし一方で、人道支援
機関は自己防衛手段を持たないまま活動地に入っていることが多く、大規模な人権侵害が発生
した場合に限らず、関係者の生命、ひいては受益者のニーズを滞りなく満たすためには「人道
支援機関ではない組織の助力を得ること」69)は選択肢の一つであろう。
このようなことから、「1990年代に入ると、一国内の人道上の惨事にPKOと多国籍軍が対応
することが大幅に増えてきた」70)。このような人道支援組織と軍隊の連携は「クリア・パルチ
ザンシップ(clear partisanship)
」と呼ばれ、冷戦終了後、1991年のイラク北部におけるクルド
難民支援において初めて実施された軍隊による緊急人道支援である71)。
ただ、このような民軍関係自体は決して新しい現象ではなく、1863年のIRC(国際赤十字)の
創設以来、国際人道支援機関にとって軍隊との関係性の是非は常に懸案事項であり続けてい
る72)。人道支援機関にとって援助者と被援助者の安全の確保と、中立性の維持は優劣を簡単に
付けられるものではない。このことは、軍隊を伴う人道主義(military humanitarianism)の是
非につきNGOの間でも考えが二分されていることにも示されている73)。
民軍関係に関しては、実は軍隊の方が前向き、かつ積極的である。イギリスのトニー・ブレ
ア元首相は軍隊を伴う人道主義連合の重要性を説き続けていた74)。米国のコリン・パウエル元
国務長官も、NGOは米軍にとって欠かせない増強要員(force multiplier)である75)、と述べて
いる。
また、世論も必ずしも民軍関係を無碍に否定するものでもない。フランスではルワンダ難民
救済に際し、軍隊との連携を拒否するMSF(国境なき医師団)やMDM(世界の医療団)の考
え方に対して世論は批判的であった。フランス軍の活動は安全の確保のほか、技術協力、動員
力、そして分け隔てなく難民を救護する公平性を示して国民とNGOにも頼れる印象を与え、
国民に好感をもって迎えられたのである。中立性に関しても、国連の承認あるいは要請のいず
れかでなされたこと、そして駐留期間も数カ月の短期間であることが明確に示されたことで好
意的に評価された。これは世論が、ソマリアのような武力行使による平和強制タイプの軍隊の
派遣ではなく、「あくまで難民救済を公平と公正の立場で行う応急処置を目的としたものであ
る」 76)ことに理解を示した結果でもあった。
一方で、この形態も第 1 の形態と同様、軍隊は一定の軍事力の保持及び行使を前提にしてお
――――――――――――――――――
68)上野、前掲書、2012、208頁。
69)同上、180頁。
70)小柳順一 「緊急人道支援のディレンマと軍隊の役割--国際人道組織との協働連携に関連して」『防衛
研究所紀要』、第 8 巻 1 号、2005、85頁。
71)同上、81頁。
72)Marc-Antoine Perouse de Montclos, op.cit., 2014, p.233.
73)Larry Minear Humanitarian action in the age of terrorism, Working paper to UNHCR, 2002, p.10.
74)Nicolas Torrenté, Challenges to Humanitarian Action. Ethics and International Affairs, Vol.16, No.2, 2002, p3.
75)Ibid.
76)小柳、前掲書、2005、102頁。
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恵 木 徹 待
り、「人道支援機関と護衛の軍隊や介入軍との協働は、人的空間と政治的空間の境界を曖昧に
するおそれがあり」77)、今なおNGOや世論にとって悩ましい課題であることも事実である。
3-4 軍事行動を伴わない人道支援を行う場合
3 つ目の形態は前述の 2 つの形態と異なり、軍隊が軍事行動を行わない例である。ウェイス
はこれを人道支援の「軍隊への外注(subcontracting)
」78)と呼んでいる。小柳はこれは「冷戦
後の人道危機で顕著に現れた国際対応の特徴であり」、「軍隊が自国防衛という伝統的な役割に
くわえて、武力を行使せずに国際社会の意思を相手に理解させようとする、いわば非伝統的な
役割を引き受けるようになった」79)、としている。
ただ、NGOでさえ物資供給に関し、人道援助と更なる暴力への扇動との明確な線引きに苦
労しており、担い手が軍隊になればなおさら純粋な人道支援なのか、それとも政治・軍事目的
による行動なのかを見分けるのは難しくなるであろう80)。
また、非常事態が発生した場合には武力行使を行うのか、もしくは他国の庇護を受けるのか
という点を事前に綿密に規定しておくことも重要となる。
3-5 戦略目的による人道支援
軍隊が行う人道支援には、人道支援が主目的ではないものもある。これが 4 つ目の形態であ
る。鈴木は「高度の政治的判断による国家安全保障の一環として、軍隊は人道支援や災害派遣
の作戦を遂行する」81)と述べる。主な活動内容は、人道支援物資の輸送の他、巡回診療、イ
ンフラ整備等の支援活動である。
このような軍隊による人道支援の特徴はいくつかあるが、第一に平和時において当該地域に
協力的に行われることが多いという点である(下線は筆者による)82)。第二に、軍隊はあくま
でも政府やNGO、政府間機関による支援活動に対し補完的役割を担っているという点である。
軍隊は「緊急人道支援のリーダーとしてよりも、あくまでサポーターと世話役としての役割に
徹している」83)。
ただし、このような民生活動や人道支援はあくまで名目に過ぎず、「軍隊の練度向上等、む
しろ軍事的な観点から導き出されている」84)。つまり、「同盟国・友好国との関係促進、部隊
――――――――――――――――――
77)上野、前掲書、2012、180頁。
78)Thomas G. Weiss, Military-Civilian Interactions: Intervening in Humanitarian Crises. Rowman & Littlefield
Publishers, 1999, p.26.
79)小柳、前掲書、2005、85頁。
80)Nicolas Torrenté, op.cit., 2002, p.4.
81)鈴木滋 「米軍の海外における災害救援と民生活動-『トモダチ作戦』の外交・軍事戦略的背景(特集
東日本大震災)」、『レファレンス』、第61巻 9 号、2011、70頁。
82)同上、68頁、71頁。
83)Thomas Weiss, op.cit., 1999, p.154.
84)鈴木滋、前掲書、2011、72頁。
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テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
の即応力強化といった複合的な目的を有している」85)のである。
このような軍隊の軍事目的による人道支援の例として、鈴木は東日本大震災での米軍による
「トモダチ作戦」を挙げている86)。米国の安保戦略の中で人道支援が取り上げられたのはクリ
ントン政権時であるが、人道支援に米軍が投入される事態として以下の 3 つが挙げられている。
一つは米国の重大な国益に関わる時、第二に同じく国益に脅威が及ぶ時、そして人道上の重要
な利益に関する時である87)。これを見る限り、米国及び米軍では人道支援は国益保護の位置づ
けとして認識されていることが分かる。
3-6 自衛隊による人道支援の特殊性
我が国の自衛隊による人道支援は厳密に言えば上記 4 つのどの形態でもない。まず、第 1 の
紛争当事者となることには表向きは当然のことながら慎重になっている。また、第 4 の平時に
おける軍事偵察目的で行っている様子も確認できない。我が国の人道支援は第 3 の軍事行使を
伴わない人道支援の範疇に当てはまりそうであるが、これまで我が国の人道支援は非常事態へ
の対処につき武力の行使は容易に行うことができず、また他国の軍隊とも一緒にならないとし
てきた。現在(2015年 6 月上旬)国会で審議されている一連の安保関連法案においては武力行
使に関し、任務遂行が妨害された時には武器の使用を認めるとしており、また他国軍への駆け
つけ警護も規定された。しかし後述するように、戦闘が発生し、または発生が予測される場合
には活動を休止するというのが政府方針であり、有事における対応に関して不備が多すぎる。
また、我が国の特殊性は第 2 の民軍関係にも表れている。我が国ではそもそも人道危機に対
応できるNGOが他国に比べ少ない。更には人道危機に際して自衛隊と協働しようとするイン
センティブが働かないNGOも多い。木場・安富によれば、「日本のNGOと自衛隊との関係は、
他国の民軍関係よりもいっそう政治的あるいはセンシティブな要素を含んでいる」88)という。
自衛隊とNGOの連携案件が生まれた2010年のハイチへの自衛隊派遣を始め、2011年に南スー
ダンに派遣された陸上自衛隊の活動には「オールジャパン」という政府方針が反映されている。
しかし、日本のNGOは「国益に組み込まれてはならない」89)と考え、「ODAの下請けをしてい
るという意識よりもむしろ、受け入れ国の住民を代弁しているとの意識のほうが強い」90)と
いう。木場・安富は、このようなNGOの態度につき、「日本の国益のために支援をしている、
日本の評判を上げるために活動している、などと思われることは、NGOにとっては致命傷と
――――――――――――――――――
85)同上、73頁。
86)同上、92頁。
87)Bill Clinton, A National Security Strategy of Engagement and Enlargement. February 1995, p.12. http://www.
au.af.mil/au/awc/awcgate/nss/nss-95.pdf (2014.05.27入手)
88)木場紗綾、安富淳 「自衛隊による『オールジャパン』型国際協力の課題:NGOとの連携の事例から」
『国際協力論集』、第21巻第 1 号、2013、120頁。
89)同上。
90)同上、123頁。
− 161−
恵 木 徹 待
なる」91)と分析している。そしてこのような背景には「自衛隊と協力することが支援者(ドナー
や会員)の目にどのように映るかを懸念する見方がある」92)という。こうして自衛隊は単に
人道支援に従事させられていくだけでなく、有事における人道支援のすべてに携わらざるを得
なくなっていった。特に、1992年にUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)に文民警察官が
派遣された時に発生した、1 名が殺害され 4 名が重軽傷を負った事件をきっかけに「文民警察
官派遣が著しい停滞を迎え、自衛隊海外派遣が進められていくようになっていった」93)ので
ある。
4 テロ時代における人道支援
人 道 支 援 を テ ロ リ ズ ム の 文 脈 で 考 え て い く 時、 そ こ に 根 本 的 な 矛 盾(a fundamental
contradiction)が生じる94)。人道支援においては世界を善と悪に分け(divides the world into good
guys and bad guys)、 テ ロ リ ズ ム 領 域 に お い て は そ の よ う な「 不 当 な 差 別(invidious
distinctions)
」を嫌うという点である。これは「善」としての国際社会の合意が形成されにく
くなっていることを意味する。九・一一米国同時多発テロ以降、「米国を始めとする大国は他
国の人道危機に対する関心を弱めており」95)、「連帯主義的国際秩序は後退している」96)と上
野は指摘している。この結果、テロ時代においては国際社会の多様な見解が排除され、国連安
保理等を始めとする国際社会における政策立案過程では米国の意向が大きく反映されるように
なる97)。
冷戦時代に米国を支持することは、コミュニズムという異なる思想と対峙していくというこ
とに過ぎなかったが、テロ時代において対テロ戦争の当事者である米国と行動を共にするとい
うことは、テロ組織から見れば「紛争当事者」として対峙していくことになるのである。
こうなると、人道支援という目的は本来の目的から離れ、外交安全保障政策の追求へと容易
に変化していく98)。人道危機に瀕する多くの国々の中でイラクに人道支援が集中し、他の地域
が国際社会に忘れられている理由も、イラクが最も対テロ戦争への影響が大きいからである99)。
このような変化はこれまでの人道支援の各形態にも大きな影響を与える。国連機関やNGO
――――――――――――――――――
91)同上、131頁。
92)同上、128頁。
93)庄司、前掲書、2015、129頁。
94)Larry Minear, op.cit., 2002, p.14.
95)上野、前掲書、2012、204頁。
96)上野、前掲書、2008、145頁。他にもテロ時代における多国間主義の衰退を指摘しているものには、
Humanitarian Policy GroupによるHumanitarian action and the global war on terror : a review of trends and issues,
2003や、恵木 「国際関係と法」2014などがある。
97)恵木徹待 「国際関係と法」、後藤光男編著 『法学・憲法への招待』、敬文堂、2014、58頁。
98)John Cosgrave, The impact of the war on terror on aid flows. ActionAid, p.1, p.16.
99)Ibid., p.10.
− 162−
テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
等はテロ時代においてどのような立ち位置で活動を行うべきかに頭を痛めている100)。これは
軍隊でも同様であろう。民軍関係の中で補完業務を行うにしても、純粋に非武装で直接人道支
援業務に携わっていくにしてもテロとの戦いの中では危険性がどこに存在するのかまったく予
想ができない中での業務となってくる。このような中、皮肉にも対テロ戦争においては民軍の
協力関係が増加しているという。吉崎はこれを「対テロ戦争の時代精神を反映した例外的な現
象である」 101)という。
1990年代以降それまでの一国平和主義が見直され、国連決議の価値を重んじる国連中心主義
をとってきた我が国は今、対テロ戦争における対米追従を余儀なくされている。その難しさが
我が国に初めて直面したのがイラクへの自衛隊の海外派兵である。このような新たな課題は日
本だけでなく他国においても発生している。我が国の課題に向き合う前に、まずは同じくイラ
ク派兵に揺れ動いた他国の動向を次章で参照しておきたい。
5 他国の事例
ノルウェーは我が国と同じく平和国家を自認し、国連中心主義を掲げている。ノルウェーは
「イラク復興支援の国連安保理決議が採択された後、人道支援としてイラクに自国の軍隊を派
102)
遣するという政策決定を行った」
。竹澤論文ではこの際のノルウェーの意思決定過程につき、
ノルウェーの伝統的平和主義規範、海外派遣に際する国益をめぐる議論、そして派兵消極主義
的見解の 3 つの論点を織り交ぜながら考察を行っており、まさに本稿での試みを先行している。
ノルウェー政府は「同時多発テロ直後にはNATO加盟国として、米国への攻撃は西側諸国に
対する攻撃であるとし、集団的自衛権の発動を宣言している」103)。そして、実際にNATOによ
るアフガニスタンへの空爆に参加するとともに、国連治安支援部隊(ISAF)の下、治安維持
部隊にも軍隊を派遣した。一方でイラクに関しては、当初ノルウェーは「国連安保理決議さえ
あれば米国を支持したいという意向が強かった」104)が、結局安保理決議がないことで、平和
主義に基づき国内の派遣消極派の見解が増し、人道支援のみの派遣にとどまった。
このような過程を竹澤は、「現実主義(同盟関係と武装を含めた海外派遣)か理想主義(人
道支援のみの海外派遣や平和仲介外交など)か、というジレンマが常にあるだけでなく、ノル
ウェー政府はその二極性を並行させた独自の外交路線というものを明示しようとしている印象
が強く見受けられる」一方で、その議論は複雑である105)と結論付けている。
次にドイツの事例を紹介したい。先に、我が国では安保理常任理事国への切符を手に入れた
い外務省が特有の「方程式」を活用しながら自衛隊の海外派遣の実績を積もうとする画策があっ
――――――――――――――――――
100)Larry Minear, op. cit., 2002, p.11; Humanitarian Policy Group, op.cit., 2003, p.1.
101)吉崎、前掲書、2009、123頁。
102)竹澤、前掲書、2012、60頁。
103)同上、64頁。
104)同上、71頁。
105)同上、74頁。
− 163−
恵 木 徹 待
たことを述べた。ドイツも日本と同じく国連安保理常任理事国入りを目指している。そのドイ
ツではイラクへの軍隊の派遣に際し、どのような議論が行われたのであろうか。
中村は、ドイツの外交・安全保障政策の 3 原則として、単独主義の回避=多国間枠組みの重
視、不戦の原則、そして大量殺戮行為の阻止を挙げている 106)。このような基本原則は冷戦終
結後の統一ドイツでも引き継がれてきた。統一ドイツでは、連邦軍のNATO域外への海外派遣
につき法的確認をした上で、同盟国との国際協調の原則を不戦の原則に優先させてきた。
しかし、シュレーダー、そして現職のメルケルの時代にはこの 3 原則の優先順位が変わって
くる。ノルウェーと同様、ドイツもアフガニスタン戦争時においては、米国主導による「不朽
の自由」作戦に対し米国の要請を受け軍隊の派遣を行うとともに、国際治安支援部隊(ISAF)
への兵士の派遣を行っている。一方でイラク戦争において当時のシュレーダー首相は「ドイツ
は国連決議があろうとも、イラクへの軍事攻撃に参加しない」と主張し、多国籍軍によるイラ
クへの軍事攻撃には反対した。その結果、ドイツの外交・安保政策に「深刻な影響を与え、米
独関係を深く傷つけた」107)。また、シュレーダーの後任のメルケル現首相も2011年にリビア
情勢をめぐって採決された国連安保理決議案一九七三号に対し棄権を投じ、独自の政策を実行
してきた108)。
このことを中村は、「シュレーダー政権以降のドイツは一方で初めての軍事行動に踏み出
しながらも、併せて人道支援・民生支援を実施しており、それは国防白書で打ち出された『包
括的アプローチ』の政策に通底する」109) と述べている。中村はモラフチークによる「欧州
各国はシビリアンパワーを通じて(civilian instruments)国際的な影響力を発揮するべきであ
る」110) という言葉を引用しながら、イラク戦争時におけるドイツの行動は「ドイツ連邦軍
の軍事的国際協調活動を考えるにあたって、不戦の原則との矛盾に苦しむドイツの政治文化
にも合致した」111)と述べている。
一方で、シュレーダーやメルケルのこうした政策の舵取りに対し、
「ヨーロッパ人はヨーロッ
パ内でのみ行動するほうが良い」112)という見解もある。ドイツでは「ヨーロッパの地で弾圧
が行われているのであれば武力を行使してでも阻止することこそがドイツの責務である」113)
という考え方があり、この場合は不戦の原則よりも殺戮行為をやめさせるという原則が優先し
てくる。
――――――――――――――――――
106)中村、前掲書、2013、108頁。
107)同上、115頁。
108)同上、116頁。
109)同上、119頁。
110)Andrew Moravcsik, Europe: Rising Superpower in a Bipolar World. in Alan S. Alexandroff and Andrew F.
Cooper ed., Rising States, Rising Institutions, Washington D.C.: Brookings Institution Press, 2010, p.172.
111)中村、前掲書、2013、120頁。
112)ラルフ・ボルマン(村瀬民子訳)『強い国家の作り方 欧州に君臨する女帝 メルケルの世界戦略』、
ビジネス社、2014、136頁。
113)中村、前掲書、2013、113頁。
− 164−
テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
ドイツも武力を行使する場所、その理由付け、また米国の軍事力に対比してのヨーロッパの
外交・安全保障戦略、そしてその中におけるドイツの役割等につき国益の観点からベストな選
択を模索し続けていることがよく分かるのである。
6 イラクへの自衛隊派遣をめぐる我が国の状況
我が国ではイラク戦争に際し、前章で取り上げたノル
ウェーやドイツのような原則はいかなるものだったのであ
ろう。本稿におけるこれまでの考察から筆者の結論を先に
平和主義
示せば、我が国でも同じく平和主義、国際協調、そして対
米追従という 3 つの原則があったと考える。しかしノル
ウェーやドイツのように、国益の下にそれらの原則間の優
国際協調
対米追従
先順位を検討する訳でもなく、我が国では 3 つの原則すべ
てを満たそうとしていたと言えるのではないだろうか(図
1 )。以下詳細に検討したい。
(図 1 )
第 2 章第 2 節で検証したように、日本では1990年代からそれまでの「『一国平和主義』に決
別し、国連の旗の下に自衛隊が海外で平和回復活動に参加する」114)ことを奨励する世論が登
場する。これは一見、先のノルウェーやドイツと共通するように見えるが、この場合の国際協
調とは上記 2 国のような軍事能力を保持する軍隊を派遣するか否かといった種類のものでもな
く、またドイツのように地域的多国間組織にペースを合わせていくといった議論でもない。
もちろん、国連決議の有無は当初日本が国際貢献を行う上での前提条件とされていた。しか
し小泉は国連決議が出されなかったにもかかわらず対米追従の意思を早々に表明している。小
泉のこの判断は当時国民の64.8%が国際テロに対する自衛隊の活動を支持した115)ことにも後
押しされているのだが、この時「平和国家」の国民は何を支持したのであろうか。非戦闘地に
派遣した小泉の判断か、武器を持たず国際貢献を行う自衛隊の姿か、それとも民間人ではなく
自衛隊を派遣した安心感か。当時の、そして今の世論はいかに回答するのであろうか。
一方で小泉は、「日本外交の基本でもある『日米同盟』と『国際協調』の両立をいかに実現
するか」「懸命にもがいていた」116)。そして、2002年 8 月27,28日に第 1 回日米戦略対話が開
催され、当時の竹内行夫外務次官とアーミテージ国務副長官との会談が行われた。会議の席上、
竹内はイラク問題に関し 3 点提起した。一つは外交的解決の模索、二つ目が、米国対イラクで
はなく、国際社会対イラクの構図にすること、そして三つ目がフセイン政権以後に民主的国家
を建設するという青写真の作成、であった。アーミテージは「日本のメッセージはよく分かっ
た。まさに我々も国際社会との協調に努力しているところだ」117)と返答している。その是非
――――――――――――――――――
114)読売新聞、朝刊、1992年 8 月15日
115)内閣府大臣官房政府広報室 『自衛隊・防衛問題に関する世論調査(平成15年 1 月調査)』、2003、36頁。
116)読売新聞政治部 『外交を喧嘩にした男 ‐ 小泉外交二〇〇〇日の真実』新潮社、2006、152頁。
117)同上、152-153頁。
− 165−
恵 木 徹 待
はともかく、ここでは日本が当初国際協調と対米追従原則の中で懸命にそのバランスを取ろう
と努力していたことが理解できる。
同時に官邸では並行して「イラク戦後復興支援を見据えた新法作成がにわかに、そして水面
下で進められていた」118)という。自衛隊を戦時に派遣することも検討されたが、「フランス、
ドイツなどが米国の軍事力支援行使に反対の姿勢を明確にする中で、日本が攻撃中の米軍など
に支援することに関して、国民の理解を得ることが困難であると予想されたことなどから、政
府部内の支援策の重点は、イラク戦争後の復興支援に傾いていた(下線は筆者による)
」119)。
この時に、我が国の 3 原則はどのような優先付けがなされたのか。本当に国民の理解が困難
であるのならば、国際協調も対米追従もあきらめ、平和主義原則が最優先にあるべきではない
だろうか。しかし、そこまでの世論の盛り上がりが当時あった訳でもなく、一方で政府が国内
世論を完全に無視して施策を進めたという訳でもない。実はそこにはドイツのような不戦という
形の平和主義ではなく、シピローワが指摘している「日本国民が被害者になってはいけない」120)
という一国平和主義がまだ生き続けていたのではないか。
小泉は、国連新決議がないまま、対米追従という原則に引っ張られていった。一方で、復興
支援しかも非戦闘地への派遣を行うことで国際協調と平和主義原則もうまく混在させている。
さすがに対テロ戦争においてはそれまでの自衛隊の海外派遣要件であった停戦合意の有無に関
してまでは固執せず、「派遣先における停戦合意の状態に囚われない派遣方式」を新たに生み
出し、「小泉内閣は新たな歴史を刻んだ」121)。
しかし、当然のことながら対テロ戦争においては非戦闘地という概念を持つべきではない。
テロというのは基本的に突発的に発生することが多く、戦闘地、非戦闘地の別をつけることは
ナンセンスだからである。それでも日本政府は非戦闘地であれば自衛隊員の被害は減少すると
いうまったくの誤解を抱いていた。
それに加えて、今度は加害意識も想起され、自衛隊の武器使用基準の見直しも行われなかっ
た。「国際基準では、任務妨害への威嚇射撃が可能だが、イラクに派遣される自衛隊の武器使
用は、緊急避難と正当防衛に限られた」122)のである。更には、「特別措置法に基づく活動でも
『非戦闘地域』において、他国の武力行使と『一体化しない』ことが求められている」123)。
このように我が国の 3 原則を同時に追求する、そのスケープゴートとして利用されたのが人
道支援であったと筆者は考えている。「人道支援ゆえに中立性も担保され得る」124)、こうして
日本人だけは被害者にも加害者にもならずに国際貢献ができ、そして同時に同盟国である米国
のご機嫌も取ることができると、外務省はルワンダ派遣当時から相も変わらず同じように考え
――――――――――――――――――
118)庄司、前掲書、2015、231頁。
119)森本敏編 『イラク戦争と自衛隊派遣』、東洋経済新報社、2004、261頁。
120)シピローワ・アンナ、前掲書、2004、2 頁。
121)庄司、前掲書、2015、248頁。
122)森本、前掲書、2004、275頁。
123)吉崎、前掲書、2009、120頁。
124)庄司、前掲書、2015、209頁。
− 166−
テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
ていたのかも知れない。
7 日本の人道支援の「 3 原則」と国益
ここでは前章で提示した 3 つの原則(平和主義、国際協調、対米追従)の 2 項目を対立させ、
それらを同時に追求し満たそうとした場合に、国益のどの部分を満たすことができ、どの部分
を失うのかにつき検証したい。
7-1 平和主義と国際協調の同時追求
様々な問題を抱える世界各地において、日本として何とか国際貢献を行いたいという使命感
と、一方で日本人だけは被害に遭いたくないという被害者意識は当初は金銭面での貢献という
形で結実していた。
これまで考察してきたように、1990年代以降、我が国は国際協調の手段として人的支援とい
う概念が登場するわけであるが、当然のことながら金銭的支援の方も年代を問わず国際協調の
手段として行われてきている。金銭的支援は主にODA(政府開発援助)という項目で行われる。
外務省のホームページによれば、ODAが使用される課題別エリアとして、貧困削減、持続的
成長、地球規模課題への取組、そして平和構築の 4 分野が挙げられている125)。平和構築分野は
更に 3 つの領域に分かれており、和平プロセスの促進、治安の確保、緊急人道支援となってい
る。2015年 1 月に安倍首相はISIS対策として 2 億ドルを拠出すると発表し、これを理由にISIS
側は 2 名の邦人人質を殺害した126)が、この拠出などはまさに人道支援名目の金銭的貢献であっ
た。
このような人道支援名目を含むODAという金銭的支援は、元々は我が国の戦時賠償金とし
て連合国によって1951年のサンフランシスコ講和条約で義務づけられたものであった127)。但
し前述のように、途上国への金銭的支援はそれらの国との貿易関係や友好関係の維持・発展に
も寄与し、我が国の国益にも合致していた。しかしこのような金銭的支援は日本の利益のみを
考えた商業主義的手段であるとの批判が1980年代後半から起こり128)、1990年代からは人的支
援にも目が向けられていったのである。
政府開発援助(ODA)と陸上自衛隊による人道復興支援は車の両輪として連携させられて
いき、それが最初に行われたのがイラク支援時においてである129)。自衛隊が派遣されたサマー
――――――――――――――――――
125)外務省「ODAホームページ 分野別開発政策」http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/bunya/index.html
(2015.03.21入手)
126)時事通信、前掲書、2015.01.20
127)米澤慶一 「わが国ODAの歴史的展望と課題」『ニッセイ基礎研所報』第20巻、2001、55頁。
128)国際協力NGOセンター 『国際協力NGOのネットワーキングについての調査研究∼より効果的な国際
協 力 の 実 現 に 向 け て ∼』2002、9 頁。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/shien/ngo_
nw/
129)木場・安富、前掲書、2013、119頁。
− 167−
恵 木 徹 待
ワの人々は、「人道復興支援だけでなく、雇用の創出などを含む経済支援も期待しており、そ
の期待に応えようとするなら自衛隊の能力を補う政策が必要であった」130)。ここでも現地の
人々の期待に応えようとする「使命感」が先に立ってしまう。
しかし、テロ時代にあっては相手国への金銭供与は当該国の経済的社会的発展としてという
よりも、テロ組織による当該国、そしてドナー国への脅威、恨みとして跳ね返ってくる131)。
もちろん、米国などを始め、軍隊(米軍)とODA(USAID)との連携は進められているが、
それはあくまでODAをいかに国家安全保障政策として結びつけるかという視点で行われてい
る132)。日本の自衛隊による活動は「武力を伴わない人道支援」として理解され、その一環と
してODAが行われるのであるから、それはどちらも国際貢献という外交政策上行われたこと
で、安全保障政策上のものとは性質を異にしている。各国では対テロ時代の援助計画及び決定
は人道目的よりも外交・安全保障政策の観点から行われるようになってきている133)にもかか
わらず、我が国では依然そのような意識はない。世界でも有数のODA大国であった我が国は、
ODA拠出に関しては裏付けの無い自信を抱いているようである。よってテロ時代においても
ODAを減額、もしく再考しようという意識が働かない。ODAは外務省の管轄事項なので、テ
ロ時代においてODAと人的人道支援を結び付けるということは安全保障分野における外務省
の関与を更に強くさせていく恐れもある。当然であるが、外務省は安保政策を所轄する官庁で
はない。
また、ODAと人的支援を並行して行うことで日本人は「ODAを拠出している国(例えば日本)
の人的支援要員は狙わないであろう」との錯覚が生まれる。そしてそこには加害者意識も露呈
する。吉崎は、「治安が不安定な状況にあってもなお、一発も撃たず一人の犠牲も出さない自
衛隊の姿勢が、人道復興支援活動という形で一定の『機能』を果たしていると解釈することが
可能である」134)と好意的に評価を行っているが、特にテロ時代にあってはこのような考え方
こそが国民(当然自衛隊員も含まれる)の安全の確保という国益に反する結果につながってい
くと危惧する。
そしてこのような考え方は国際的に見ても特殊である。国連PKO局による「キャップストー
ン・ドクトリン」では、これまでの最小限の武器使用という考えから一歩進んで、マンデート
の遂行のための武器使用を容認する姿勢が示されている135)。また、「人道支援任務を妨害する
敵対行動に対する武器の使用を前提にした緊急人道支援のディレンマの解決という役割も軍隊
――――――――――――――――――
130)小嶋信義 「防衛駐在官からみた中東と自衛隊」『軍事史学』、第42巻第 3 ,4 号、2007、194頁。
131)OECD, Is it ODA? Factsheet November 2008.
132)Thomas Baltazar and Elisabeth Kvitashvili, The Role of USAID and Development Assistance in Combatting
Terrorism. Military Review, March-April 2007, p.39.
133)John Cosgrave, op. cit., p.1.
134)吉崎、前掲書、2009, 128頁。
135)Department of Peacekeeping Operations/ Department of Field Support, United Nations Peacekeeping
Operations: Principles and Guidelines, 2008, p.31.
− 168−
テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
に要請されるようになってきている」136)。
我が国の場合、自らの防衛認識を誤った挙句、自らに被害が及ぶ状況になると今度は(一国)
平和主義原則を優先させるがゆえに国際協調原則が損なわれるという矛盾が発生してくる。イ
ラクにおいては、1100名のオランダ軍も多国籍軍に参加していたが、「武力紛争が起こった場
合はイギリス軍が指揮する南東部多国籍師団の支援を得る点で日本と共通した」137)。しかし、
「オランダ軍が治安回復・安定化と人道復興支援の二つを軸としたのに対し、自衛隊は『人道
復興支援活動を中心とした対応措置』を行なう」138)とされていた。この場合、同じ状況にあっ
てもイギリス軍にとってはオランダ軍よりも日本の自衛隊への支援の方がより負荷がかかる。
このような状態で海外に出ていっても、かえって他国に迷惑をかけることになる。そのためか、
イラク特措法に関する基本計画には「現地で復興支援を行う自衛隊の安全確保は自ら行う方針
が盛り込まれていた」139)のであるが、もし政府が国際貢献を行う時に他国に迷惑をかけない
という思いでこのような基本計画を策定したのだとしたら今度は日本国民が被害者になっては
いけないという(一国)平和主義原則に支障をきたしてくる結果となるのである。
そして最終的にはカンボジアへの文民警察官派遣時に日本が行ったように、任務遂行中の「安
全地帯への配置換え」を国際社会に要請することに陥る。こうした身勝手な行動によって同じ
く「軍隊や警察官を派遣した各国政府が弱気になってしまい、自国軍隊を撤退させてしまう」140)
事態を招く恐れがある。そうなれば国際協調や国際貢献どころではなくなり、当該地の国民の
利益に資するどころか、自国の国家威信まで大いに傷つけることになりかねないのである。
今回のPKO法改正案では上記のキャップストーン・ドクトリンは満たされる予定だが、駆け
つけ警護任務が課され、また現に戦闘が行われていない場所以外では後方支援業務も行われる
ため、イラク派遣時と比較し自衛隊のリスクが一段と高まることは確実である。これは、国際
協調と平和主義の総括は行われないままでいることに主要因があると言ってよい。
以上、我が国の国際協調と平和主義の同時追求と国益実現の関係性は以下のように表すこと
ができよう。
――――――――――――――――――
136)小柳、前掲書、2005、103頁。
137)吉崎、前掲書、2009、128頁。
138)同上、114頁。
139)同上。
140)明石康 『忍耐と希望−カンボジアの五六〇日』、朝日新聞社、1995、83頁。
− 169−
恵 木 徹 待
特殊性
①平和主義と国際協
調の同時追求(人
的支援)
(金銭的支援)
イラク戦争以後
(金銭的支援)
1990 年代以前
国 益
経済的厚生、 海外市場
政治的独立・
国民の安全
資源供給源 の 確 保
領土の保全
イデオロギー・
国家の威信
理念の維持
○
×
×
×
×
×
△
△
○
○
○
△
○
○
○
○
△
×
7-2 国際協調と対米追従の同時追求
イラク派遣に関する我が国の政策は米国と歩調を合わせるイギリス型でも無ければ、米国と
は異なるアプローチをとる欧州の一国としての立ち位置を確保するようなドイツ型でもない。
表向きは武装を伴わない人道支援目的における自衛隊による独自の海外活動であるが、これ
までみてきたように、対テロ戦争においては紛争当事者である米国への追従という面も隠せな
い。日本の外務省は人道支援目的であれば中立の立場を保つことができると考えているようで
あるが、上杉は、「9.11以降の世界秩序の中では、選択肢は米国の味方かテロリストかの二つ
しかない。少なくとも米国や国際テロ組織には、そう見ている節がある。中立を貫くことが不
可能な政治状況は、国際的な平和活動の現場にも影を落としている。人道・開発援助における
民軍関係も、その例外ではない」 141)と明快に述べている。春名は、安倍首相による中東外交
を非難する立場から「『イスラム国』と闘っている国への援助だから、必ずしも軍事援助か、
人道援助か明確にされていないことになる」142)と不信感を表明している。
そしてこの人道支援は更なる厄介な使命感と誤解を日本人に生み出している。朝日新聞の社
説は次のように述べる。
日本はこれまで各国の軍事作戦とは一線を画し、人道的な支援に取り組んできた。その
実績には中東一円で高い評価がなされている。その親日感情の資産を守りつつ、今後も進
めるべきは各国政府や国際組織との連携である。(中略)アラブ諸国、イスラエル、イラ
ンのいずれとも対話ができる日本には、米国にはない独自の立場をとる余地がある143)。
要するに、米国による対テロ方針とは異なる路線をとるべきだとの主張がなされているが、
テロ組織から睨まれ、その上対テロ戦争の中心的存在である同盟国米国の行動に反してまで、
対テロ戦争で独自路線を取る我が国の覚悟と能力はどの辺にあるのか。この点朝日は具体的に
――――――――――――――――――
141)上杉勇司 「9.11以降の民軍関係の課題」、『IPSHU研究報告シリ-ズ』、第38巻、2007、233頁。
142)春名幹男「『軍事援助』か『人道援助』か?:『イスラム国』に付け入られた言葉」新潮社Foresight
2015.01.22 https://www.fsight.jp/32372(2015.03.26入手)
143)朝日新聞、朝刊、2015年 2 月 3 日
− 170−
テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
述べることは避けている。
近隣国との政治関係が安定しない日本はドイツと異なり、欧州のような地域共同体を持た
ないため、超大国米国の意向に反した外交・安全保障行動を取りにくい立場にある。我が国
としてはあくまで日米同盟堅持という立場なのであろうが、同時に人道支援という名目での
国際協調を進め、国際貢献を鋭意行うべきであるという使命感から来る外交政策では、仮に
米国に反旗を翻された時には軍事・政治分野のみならず貿易分野等の経済分野にもその代償
が及んでくる。現に米国は日本に自衛隊の海外派遣を促す一方で「第三国」への配慮をしな
がら綱渡りを行っている144)という主張もあり、この「第三国」とは中国や韓国等を指してい
ることは明白である。そうなると、今現在少なくとも近隣諸国防衛で力になってくれそうな
米国に対し対テロ戦争において協力を行っていても、今後の近隣情勢の変化次第では領土保
全という国益の達成にまで影響が出かねない。
一方で、あくまで対米追従姿勢を続けていくのであれば中東諸国との関係の維持も困難にな
る時がやってくる。人道支援を中東諸国に続けることでその不安が払拭できればよいのである
が、湾岸戦争の時のように結局は多額な援助資金を吸い取られて終わるかも知れない。
このような風見鶏的な外交姿勢では国際社会は我が国の政治理念を正確に理解することが難
しくなる。対テロ戦争においては未だ米国が主役である様相を保っているが、イスラム国との
戦いにみることができるように、国際社会の足取りはそろっておらず145)、米国はテロ組織だ
けでなく、ロシア、中国、イラン等の国々に対しても影響力を失っている。このような状況の
中で今後も対米追従を続けるのか、我が国の外交・安全保障政策策定への先見性が問われてい
る。
以上、我が国の対米追従と国際協調の同時追求と国益実現の関係性は以下のように表すこと
ができよう。
特殊性
②対米追従と国際協
調の同時追求
国 益
経済的厚生、 海外市場
政治的独立・
国民の安全
資源供給源 の 確 保
領土の保全
△
×
△
△
イデオロギー・
国家の威信
理念の維持
×
×
7-3 対米追従と平和主義の同時追求
対テロ戦争において対米追従を続けるということは間接的に紛争当事者となることであるか
ら、日本人への被害が増加することは避けられない。本年(2015年)1 月にイスラム国によっ
――――――――――――――――――
144)Edward J.L. Southgate, From Japan to Afghanistan: The U.S.-Japan Joint Security Relationship, the War on
Terror, and the Ignominious End of the Pacific State? University of Pennsylvania Law Review. Vol. 151,
No.4, 2003, p1637.
145)詳細は、恵木徹待 「テロ組織『ISIS』の特異な戦略と主権国家体系への影響について」、『四天王寺
大学紀要第60巻』、2015を参照のこと。
− 171−
恵 木 徹 待
て 2 名の邦人人質が無残にも殺害された時、マスメディアでは多くの論者たちが「イスラム国
対策に 2 億ドルを寄付した安倍政権の罪である」やに声高に叫んでいた146)が、対テロ対策に
おいて対米追従を行ったということは即ちテロ組織の敵であるという宣言をしたのも同然なの
であるから、テロ組織による日本人への不信感は九・一一テロ発生直後から生じていたという
より他ないのである。そして結果として日本国民が被害者になってはいけないという、 3 原則
の原点である平和主義原則も満たすことはできないでいる。
筆者は、シピローワが指摘するように、日本の平和主義の概念には「日本人だけは被害者に
なりたくない」という彼女が形容するところの一国平和主義の要素は多分にあると認めている。
そのような中で今後我が国は対米追従と平和主義の同時追求という課題を国益の観点からいか
に捉え、今後の外交・安全保障政策を形成していくのか。辰巳の言うように、「自衛隊や対外
情報機関の役割について大局的な観点から考えていくべき」であり、「一時の感情に任せて、
対処療法的な観点から議論するべきではない」。その意味で「今回の湯川・後藤両氏の拘束・
殺害事件は、日本政府だけでなく、日本国民に対して『積極的平和主義』への覚悟が今一度問
われた事件である」147)という主張に対し、それが問われた契機はイラクへの海外派遣時に遡
るべきである148)という留保をつけながらも全面的に賛同する。これまで人道支援目的による
自衛隊の対テロ戦争への投入を「当たり前(take for granted)」149)と捉えてきた日本の政治家、
そしてマスメディアの罪は大きい。
以上、我が国の対米追従と平和主義の同時追求と国益実現の関係性は以下のように表すこと
ができよう。
特殊性
③対米追従と平和主
義の同時追求
国 益
経済的厚生、 海外市場
政治的独立・
国民の安全
資源 供 給 源 の 確 保
領土の保全
○
×
−
イデオロギー・
国家の威信
理念の維持
−
○
○
7-4 我が国の人道支援の危うさ
本章におけるこれまでの考察結果を一覧で示すと以下のようになろう。
――――――――――――――――――
146)前述の野党や学識経験者の批判を参照のこと。
147)辰巳由紀「『ISIL』邦人殺害事件から考える日本の『積極的平和主義』への覚悟」キャノングローバ
ル戦略研究所 2015.02.09 http://www.canon-igs.org/column/security/20150209_2944.html(2015.03.26入手)
148)当時もイラク・サマーワに自衛隊を派遣した我が国の外交・安保政策に反発が起こり邦人 3 名は人質
となっている。
149)Glenn D. Hook and Key-Young Son, op.cit., 2013, p.51.
− 172−
テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
特殊性
①平和主義と国際協
調の同時追求(人
的支援)
(金銭的支援)
イラク戦争以後
(金銭的支援)
1990 年代以前
②対米追従と国際協
調の同時追求
③対米追従と平和主
義の同時追求
国 益
経済的厚生、 海外市場
政治的独立・
国民の安全
資源供給源 の 確 保
領土の保全
イデオロギー・
国家の威信
理念の維持
○
×
×
×
×
×
△
△
○
○
○
△
○
○
○
○
△
×
△
×
△
△
×
×
○
×
−
−
○
○
それぞれの記号を以下のように点数化して、①∼③(金銭的支援を除く)を合計してみたい
(○= 1 点、△= 0 点、×=− 1 点)。
政治的独立・
領土の保全
2点
国民の安全
−3 点
経済的厚生、
資源供給源
−1 点
海外市場
の 確 保
−1 点
イデオロギー・
理念の維持
−1 点
国家の威信
−1 点
ここから分かることは、我が国の人道支援政策で達成される国益は、政治的独立・領土の保
全のみであるということである。これはどういうことか。イラクやアフリカ大陸へ自衛隊を派
遣して我が国の政治的独立、領土の保全を直接達成するということはあり得ないわけであるか
ら、これは自衛隊を海外派遣することで、同盟国への貢献として米国や米軍からの評価を得、
間接的に近隣諸国の脅威から我が国の領土を米国に保全してもらう、と解釈することができよ
う。その代わり、国民の安全には大きく影響が出てくることになる。現に今次の邦人人質殺害
事件のような案件が発生している。更には今後自衛隊員のリスクも増していくことは間違いな
い。
そしてその背景には対米追従というファクターがこのマイナス数値を引きあげているという
事情が存在する。なぜこのようなことが起こるのであろうか。その理由は、テロ時代において
は国際機関ではなく米国が主導役を果たし、しかもその米国が昨今の対テロ戦争において戦果
を出せずにいるからである。
我が国はこれまでも平和主義と国際協調、そして国際協調と対米追従という選択肢の中でそ
の時々に難しい選択を強いられてきた。しかし、こと対テロ戦争においては対米追従というベ
クトルに引っ張られる力が自ずと強くなる。しかもこれまでのように対米追従によって一国平
和主義が満たされていた時代とは異なり、対米追従と一国平和主義という 2 項対立が露見する
ようになっているのである。
そしてその犠牲を負わされたのが他でもなく「自衛隊員」だった。樋口の、「日本は、終始、
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恵 木 徹 待
中東を見ずに米国の顔と国内世論のみを見て紛争への対処方法を模索した」(下線は筆者によ
る)150)と明快な指摘をしている。白井は我が国でイラク戦争の検証が行われない理由として、
「米国の強引な手法や判断ミスで自衛隊が危険な目に遭う可能性が高いことがわかる。それで
は今後、日本は米国に追随できないという困った事態になってしまう」151)からであると指摘
している。
そして人道支援という美名が更に自衛隊の犠牲を高める結果となっている。自衛隊のイラク
派遣時には国民の64.8%が国際テロに対する自衛隊の活動を支持し152)、現在でもこのような自
衛隊の国際協力の仕方に関しほぼ同数の国民の65%が再考でも見直しでもなく、現状維持を望
んでいる153)。その理由は、現状維持であれば「人道支援なら日本は被害者にも加害者にもな
らない」という一国平和主義原則と、「人道支援なら世界の困っている人を救済するために使
命感をもってやらねばならない」という国際協調原則を一挙に満たすことができるといまだ誤
解しているからではなかろうか。しかも米国もその「誤解」をこれまでの所歓迎している。こ
うして日本国全体が人道支援という呪文を唱えていったのである。しかしこれまで述べてきた
ように、これまでは他の主権国家に対してその呪文はある程度効力を発揮してきたが、テロ時
代においてテロ組織にはその呪文は通用しないのである。
このような現実にそぐわない、まやかしの「呪文」は現役閣僚や政権与党によっても唱えら
れていく。岸田外務大臣は、今回の人質殺害事件を受けての今後の我が国のテロ対策の「 3 本
柱」として「『中庸が最善』の実践」を掲げている 154)。しかし、本稿でも再三述べているように、
対テロ戦争において、米国に追従している我が国が中庸であることは不可能である。これが今
回のテロ事件を受けての政府方針であるとすればまったくテロリズムというものを理解してい
ない上での発言であり、施策である。
本章執筆時(2015年 6 月上旬)も目下、国会では安保法制の議論が盛んに行われている。自
衛隊員の安全確保に関し、与党自民党は以下のように説明している155)。
戦闘行為が行われている現場では実施しないこととしています。自衛隊が支援活動を実
施する場所、その近くで戦闘行為が行われるに至った場合はもちろんですが、戦闘行為が
予測される場合も、現場の部隊長などの判断で、直ちに活動を休止・中断することとなっ
ています。これは、自衛隊員の安全確保の観点からも当然の対応です(下線は筆者による)。
――――――――――――――――――
150)樋口、前掲書、2014、235頁。
151)毎日新聞、前掲、2015.05.21。
152)内閣府大臣官房政府広報室、前掲書、2003、36頁。
153)「国際協力『現状維持』65%=自衛隊活動拡大に慎重−内閣府調査」時事通信 2015.03.07 headlines.
yahoo.co.jp/hl?a=20150307-00000093-jij-pol(2015.03.07入手)
154)外務省 「邦人殺害テロ事件を受けての今後の日本外交(3本柱)」http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/
release/press3_000074.html (2015.03.27入手)
155)自由民主党安全保障法制整備推進本部「切れ目のない『平和安全法制』に関するQ&A」2015.05.15
http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/127735_01.pdf(2015.05.30入手)
− 174−
テロ時代において、我が国の「人道支援」は本当に国益に適うのか
中谷防衛大臣はゆえに「いささかも(自衛)隊員のリスクを高めるものではない」156)との
答弁を繰り返している。
繰り返しになるが、テロ行為を「予測する」ことは不可能であり、このことにより、イラク
において米軍が死傷者の続出に悩んでいることは周知の事実である。それにもかかわらず「い
ささかもリスクを高めない」との楽観的認識には驚く他ない。
自衛隊の国際活動の中では最も過酷だったと言われているルワンダ難民支援活動において指
揮官だった神本光伸氏は、「派遣される側としては、国会の議論に不信感を持ちました」 157)と
当時を振り返っているが、そのような声は今もって政府や政治家たちにはまったく届いていな
いようである。
上記の表で言えば、1990年代までは唯一金銭的支援のみが国家の威信は失うものの、多くの
国益を実現している。ただし、テロ時代においては金銭的な支援でさえ紛争当事者として標的
になる可能性が高まる。人的支援であるならばなおさらであり、しかも本章の第 2 節で検証し
たように、金銭的支援と人的支援が一緒に行われれば更に危険は高まるのである。
対テロ戦争において我が国が紛争当事者となり、多くの日本人、特に自衛隊員が海外で殺害
されるリスクが高まっているこの時期に国家の威信を保ってでも達成したいものとは何なので
あろうか。日本の国益を守るためには再度一国平和主義に復帰することも視野に入れて議論す
るべきではないか。そしてやはり国際貢献の道、そして対米追従路線を引き戻せないという国
民の総意があるのならば、自衛隊員や海外にいる邦人のリスクを下げるための現実的かつ具体
的な外交・安全保障政策の策定が必要となる。そのことすら考えること無しに人道支援の呪文
を唱え続ける我が国の状況に危うさを感じずにはいられないのである。
結語
以上これまで、第 2 章において、我が国の人道支援の概念は平和主義の考え方の流れを汲む
ものであり、被害・加害意識と国際貢献への使命感の二つの感情に影響されていることを示し
た。そしてその人道支援は国連安保理常任理事国に早期に就任したい外務省の思惑、現場にお
ける人的貢献を求めていた米国の思惑、そして「自己完結能力」158)を持つであろう自衛隊に
海外での貢献を求める一方でソフト・パワーとしての貢献をも求めた世論が相まって自衛隊に
白羽の矢を立てた経緯を述べた。続く第 3 章において、一般的に軍隊が人道支援に携わる場合
には紛争当事者という立場で行うケース、民間人道組織の補完業務を協働で行うケース、軍事
行動を伴わない軍隊が直接人道支援に携わるケース、そして戦略的目的による人道支援のケー
スの 4 つを紹介した。第 4 章では、テロ時代においては人道支援目的が外交・安全保障政策の
――――――――――――――――――
156)「安保関連法案:防衛相改めて『自衛隊のリスク高まらない』」毎日新聞 2015.06.01 http://headlines.
yahoo.co.jp/hl?a=20150601-00000026-mai-pol(2015.06.02入手)
157)「現場を無視した国会の議論」中央公論 2014年 6 月号 http://www.chuokoron.jp/2014/05/post_238_3.
html (2015.03.27入手)
158)庄司、前掲書、2015、199頁。
− 175−
恵 木 徹 待
追求へとシフトし中立的立場の保持は困難になること、国際協調活動は乱れ米国中心の対処行
動が取られる傾向にあることを述べた。第 5 章ではノルウェーとドイツの事例を紹介し、両国
ともテロ時代における人道支援の在り方をめぐって複数の価値観や行動理念が対立し、対外関
係に影響が生じても在るべき優先付けを模索し続けていることが分かった。第 6 章で、対テロ
時代における我が国の 3 原則は平和主義、国際協調、対米追従であることを示したうえで、続
く第 7 章において、それぞれの関係性やそれらを同時追求することで達成される国益、そして
達成できない国益につき詳細に検討した。そしてその結果、我が国の 3 原則の同時追求は政治
的独立や領土保全という国益には資する一方で、国民の安全の確保を始めとする多くの国益は、
1990年代以前のいわゆる物資面のみにおける人道支援時よりも失っていくことが分かった。そ
の理由は、対テロ時代において、もはや米国は頼れる存在ではないだけでなく、たとえ人道支
援名目であっても米国と行動する同盟国はテロ組織からは狙われるべき存在となってしまうこ
とが考えられた。加えて、対テロ戦争において非戦闘地は存在しなくなるにもかかわらず、相
変わらず戦闘が行われていないと「みなされる」地域へ自衛隊を送りつづけ、それを野党、マ
スメディア、そして多くの国民が強く後押ししている事情があることなどが挙げられた。
これまでの研究では、対テロ時代の現在においても我が国で自衛隊による人道支援目的での
派遣が拡充されている背景に関してはあきらかにされておらず、対テロ対策において我が国の
対処の仕方として人道支援を継続し続けることを政治家、マスメディア、有識者、そして国民
が疑うことのない現状は変わらずにいた。本稿がテロ時代における我が国の対処方針に関し国
民的議論が再度行われるための一助となれればよいと考えている。
最後に、本稿では対テロ対策と近隣諸国防衛との関係性については踏み込むことができな
かった。この点は今後の課題として今後も引き続き鋭意研究を行っていきたいと考えている。
――――――――――――――――――
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