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うたき(御嶽)の文化遺産としての意義
シンポジウム報告/第 1 セッション 《第 1 セッション総括》 うたき (御嶽)の文化遺産としての意義 ──有形文化遺産と無形文化遺産の統合的保存をめぐって── 神野善治 武蔵野美術大学造形学部教授 はじめに 「うたき(御嶽)」は沖縄の島々に特有の聖なる空間である。その多くは、亜 熱帯の植物が茂る小さな森であり、集落を守る神々の祭祀の場として守られて きた。そこには祖先神や島々の英雄、樹木や穀類や動物、火や水、海などの自 然神、さらに旅や平和などの人の行為や観念にもわたる様々な神霊の存在が意 識されている。また、遥か遠方の神々の遥拝所である場合もある。おそらく古 代より数千年、数百年にわたり、沖縄の人々が心のよりどころとして信仰して きたものだろう。琉球王朝の時代には支配の体制に組み込まれて、王朝の精神 的な基盤にもなり、18世紀の『琉球国由来記』には約770の御嶽が紹介されて いる。これらは、いわば公認された御嶽の数であり、村々にはその数倍の小さ な御嶽が存在したに違いない。 沖縄は20世紀半ばに戦場となって荒廃し、戦後は軍事基地の設置や都市化の 進むなかで、多くの御嶽が失われた。にもかかわらず、沖縄諸島の島々には、 今日も御嶽の森が、まだ数多く守り続けられているのは奇跡的なことだと思え る。そこでは芸能や競技を伴う多彩な祭りが繰り広げられている。これらの祭 りを訪ねると、神々の世界が今も生き続けていることに驚きを覚え、村人のエ ネルギーに圧倒され、きっとその魅力の虜になるだろう。かく言う私もそのよ うなファンの 1 人である。 さて、今回の沖縄国際フォーラムでは、沖縄の聖なる空間である「御嶽」を 話題の中心にすえ、その特徴を浮き彫りにすることが第 1 の課題となる。そし て、東アジアの国々で同じ様にたいせつに守り続けられている「聖なる空間」 48 うたき(御嶽)の文化遺産としての意義 のあり方と比較しながら、この種の空間が持つ文化遺産としての意義を探るこ とが第 2 の課題である。以上を「第 1 セッション」のテーマとし、さらに、過 疎化、都市化の波のなかで、こられの聖なる空間を守り続け、まちづくりの現 実的な方策とともに語り合うのが「第 2 セッション」でのテーマである。これ らの議論が、世界の類似した文化遺産をとらえる手がかりとなることを目標と した。 御嶽での神秘体験 本題に入る前に、私の御嶽でのささやかな「神秘体験」を紹介したい。御嶽 は私のような旅人は、みだりに入ることができない場所だ。外来者とりわけ男 性の侵入を厳しく禁じている島もあるので、その掟には従わなくてはならない。 しかし、世界遺産に登録されている沖縄本島の「セーファーウタキ(斎場御嶽)」 のように、その森に私たちも、ある程度入ることが許されているところもある。 沖縄諸島の南西に位置する八重山諸島の島々では、御嶽はオンなどと呼ばれ ている。平常の誰もいない静かなオンをはじめて訪ねたときのことである。森 の中には珊瑚礁の白砂が敷かれた導入路があり、小さな中庭に至る。その奥は 「イビ」と呼ばれるとりわけ聖なる空間であるが、この島では、祭祀を司る女 性以外は入ることができない禁足地だ。ただ、拝所の石の門から「イビ」を望 み見ることができる。そこはクバ(蒲葵)やマーニ(黒つぐ)など亜熱帯の樹木 の茂みに囲まれた狭い空間である。私がその空間を見たとき、光が当たった大 きな扇状のクバの葉が、風も無いのに、あたかも私に向かってお辞儀をするよ うに揺れたのである。風も無いのに 1 枚だけ揺れたのは不気味だった。 別の御嶽では今度は細長いマーニの葉が葉先だけを振らして手招きをするよ うに動いた。その不思議な動きに背筋がゾクゾクする感覚を味わった。また、 手のひらほどもある大きな白い蝶(オオゴマダラ)が、まるで無重力状態で浮 遊する姿に「魂」の姿を見るような思いをしたこともある。いずれもきっとよ くある現象なのだろうが、私には十分神秘的であった。沖縄本島の「斎場御嶽」 では一番奥にある祭場の岩肌に、「ヒトダマ」を思わせるような小さな光明が 浮きあがり、たちまち消えていく光景を芸大の学生諸君と一緒に目撃した。き っと厚い樹林の隙間から夕日が差し込んだためではないかと想像したが、それ 49 シンポジウム報告/第 1 セッション にしても、かなり限定的な瞬間に立ちあえたことを思い興奮したものである。 このようなことが特に何も起こらないとしても、私が訪ねた御嶽の森は、そ れだけで霊気を感じさせるに十分な雰囲気を保っていた。沖縄本島北部の「海 神祭(ウンガミ)」や八重山諸島の「種子取祭(タナドウイ)」あるいは「豊年祭 (プーリ)」などの祭礼を訪ねると、現在でも「御嶽」の空間が地域住民の精神 生活の重要な拠り所として生き続けていることを実感できる。そして、その聖 なる空間で繰り広げられる神秘的な儀礼と鍛錬された多彩な芸能を堪能するこ とができるのである。 御嶽における自然と文化 沖縄の聖地を「うたき(御嶽)」とよぶのは、いわば公的な、あるいは学術的 な名称であり、地域ではウタキ・ウガン・グスク・ヤマ・オン・ワーなど様々 な名で呼ばれている。今回のフォーラムでは、このうちグスクとウタキの歴史 的関係について安里進さんが発掘調査の成果に基づいて論じている。約300の グスクと呼ばれる場所のうち、大型のグスクは城塞の遺跡であるが、首里城を のぞいて、その多くが近世以降、村落を代表する御嶽として信仰されていると いう。 このような遺跡と聖地の重層的関係の解明は、ちょうどカンボジアのアンコ ールの遺跡群でも重要な課題なのである。その広大な遺跡群の中に住む人々の 信仰生活を追求してきたアン・チュリアンさんが、この地に生き続けるさまざ まなタイプの聖地と遺跡との重層関係を論じている。たとえば、遺跡の構築物 が形成される以前からの聖地であった巨大な岩を寺院建築が取り込み、今日で は、半ば崩壊したレンガ造りのその建物からリンガ(男根)を思わせる巨大な 岩が露出し、信仰対象として生き続けているという事例は、いかにも遺跡と聖 地の重層性を象徴するものであった。 沖縄の御嶽の多くは、集落の中に、あるいは集落背後の丘陵の麓などに残さ れた小さな森である。居住空間と隣接していることもひとつの特徴だろうか。 しかし、御嶽の森は、鳥獣の保護区(サンクチャリ)のように、単に保護され た「小さな自然」ではない。それらは、ある程度、共通した構成様式をもって 形づくられた文化的な空間なのである。 50 うたき(御嶽)の文化遺産としての意義 たとえば、石垣や樹木などで一定の領域が示され、入口と導入路があり、中 に祭祀のための中庭があって、さらに奥に特に大切な聖域がある。大岩が並ん だり、洞穴があったりすることもあるが、そこは人工的なものは何も無い空間 である場合が多い。境界・区画を示す石垣や、祭祀のための建物や香炉などの 器などは、あくまでこの「場」の特殊性を象徴する最低限の人工物である。本 来は、祭りのときに設置され、終われば撤去されたものではなかったか。こう して、御嶽は意識的に残された「自然」と言えそうだが、全体的に見れば自然 そのものではなくて、人々が神秘を感じられる特別な場が選ばれ、長い年月の 間、特別な状態が保持されてきた人為的な空間なのだ。 自然環境が豊かな地域では、御嶽は周囲の自然に囲まれており、一見自然そ のもののように見えるが、そこが文化空間であり続けるためには、住民による 維持管理が徹底している必要がある。それがゆき届いていなければ、旺盛な繁 殖力を持つ野生の森が容易にこの小さな文化空間を呑み込んでしまう。 一方、都市化が進んだ地域では、御嶽は逆に住宅やビルの間に奇跡的に残さ れた僅かな自然空間に見えるが、それは、やはり住民による精神的な支持によ って維持されてきた文化空間である。しかし、その支持が薄れたときには、単 なる空地とみなされ、旺盛な開発力を持つ公共事業などに、容易に呑み込まれ てしまう可能性が強い。 要するに、御嶽の維持が簡単でないのは、御嶽の持つ自然遺産とも文化遺産 ともいえるような境界性と、次に紹介するような有形と無形の両側面の微妙な 関わりに起因することを改めて認識しなくてはならない。アジアやアフリカな どで聖なる空間として意識されている「場」の多くも、同じような課題を持っ ているのではないだろうか。 「場」が無形遺産の伝承の「要」 御嶽は、また沖縄の代表的な無形の文化遺産が定期的に姿を現わす空間であ る。普段は「何もない」森の空間が、年間を通じて繰り返し、神々を迎える祭 祀の場となり、神々にささげる芸能の舞台となる。一般に無形の文化遺産と言 われるものは、基本的には人間の身体と頭脳に蓄積された技芸や知識である。 これが世代を越えて継承されて、「時」と「場」を得てはじめて形を現わす。 51 シンポジウム報告/第 1 セッション しかも、出現したと思うと、踊りや歌のように瞬時に変化し消えていくことが、 「無形文化」の「無形」たるゆえんである。 しかし、それは繰りかえし特定の型を持った「形」で現われることが期待さ れている。つまり、無形といいながらも、必然的に有形的な側面を持っている。 伝統を受け継ぎつつも、主に個人の才能において表明される舞台芸術のような 技芸は、条件さえ整えばいつでもどこでも公開が可能であるが、民俗文化に属 する祭祀儀礼や民俗芸能は、地域集団によって共有され継承されているために、 地域の自然環境(場と時)と社会関係(人)と切り離すことができない要素を 多く持っている。 とりわけ今回のテーマとなった御嶽における祭祀と芸能のように、特定の 「場」と特定の「時」に表明されてきた無形遺産は、 「場」の持つ自然環境が重 要な役割を果たすことが多い。これには天体、地形、季節ごとの気候、動植物 などが関わる。たとえば、月の出と月齢や潮の干満が重視されたり、舞台の構 築や踊りの衣装などに特別な樹木や草の葉が用いられたりすることがある。こ れらの自然に対する知識や技(たとえば祭りの空間を飾ったり、芸能に用いる造形 物をつくる技など)も無形の文化遺産のうちの大切な要素である。祈願の言葉や 儀礼の動作なども「場」と「時」の限定のなかで表明される。歌や踊りでも崇 拝対象の前だけで表明されることになっているものも少なくない。これらは舞 台芸術のようになかなか 1 人歩きできない。 「場」と「時」を移した公開を行う ために、現場から離れがたい儀礼や芸能は省略せざるを得ない。そして、現場 でも省略される可能性がでてくる。 また芸能に表現されている労働の型や諸道具などは、様式化されていること が多く、その本来の知識や技が失われつつある。この保持には地元の郷土資料 館などの役割が期待される。また、祭りに伴う芸能に登場するのと同様の労働 作業が行事の背後で行われていることがある。竹富島のタナドウイ(種子取祭) では、粟の収穫と種子取りの作業やスルという小魚の網漁が個人的に続けられ ているが、これらの作業を模倣した芸能だけが伝えられても、本来の知恵と技 は忘れられていくに違いない。このように無形文化遺産が表明される御嶽の 「場」は、有形・無形のさまざまな要素を総合的、包括的に統合する「要」の 役割を果たしているのである。 私は、御嶽という空間は、沖縄の人々が居住地に近い場所に設けた、超自然 52 うたき(御嶽)の文化遺産としての意義 の世界に通じる一種の「穴」であり「扉」のようなものだと考えている。祭り の日には、この「扉」を空けて、神々が来訪し、神と人が交歓する場となるの である。 以上に述べたように、御嶽は、自然遺産と文化遺産の境界に位置付けられる 遺産であり、有形遺産と無形遺産のふたつの側面の微妙なバランスによって保 持されてきた文化遺産の典型的な例だといえる。このように位置付けされる文 化遺産が、いわゆる「アニミズム」などと言われてきた自然崇拝や先祖崇拝を 基本にした霊魂観を持つアジア・アフリカなどの諸民族の間に、よく似た形で 存在することが想定される。 祭祀空間と生産空間 祭祀空間だけでなく、生産空間も無形の技術や儀礼の伝承の要である。今回 のフォーラムでは、生活空間・生産空間の遺産として、東アジアの水田農耕地 帯に広く見られる「棚田」が取り上げられた。壮大な「棚田」を一望する高台 に立つと、そこには巨大な城郭遺跡にも匹敵する石垣が重層する景観が展開し て感動させられる。しかし、棚田の文化遺産としての価値は、その石垣の構築 物だけではなく、そこで営まれる農耕生活によって蓄積されてきた総合的な無 形遺産の価値でもあることを忘れてはならない。 石垣構築の技術や水田の用水管理の技術はもとより、稲の栽培技術などが統 合的に機能して、はじめて美しい緑の苗が並ぶ棚田や黄金色の稲穂の棚田が実 現する。棚田を営む人々が伝える儀礼や芸能には、このような生産環境が反映 されている。このような様々な無形文化遺産が棚田という「場」に凝縮されて いるのである。棚田の景観が我々を感動させるのは、棚田が「生きた有形文化 遺産」であるからだ。無形文化による支持を失った石垣だけの「遺跡」にしな いためには、有形遺産の背後に伝承されてきた無形文化遺産を統合的にとらえ る方策が問われなくてはならない。 沖縄の御嶽は、特に都市化や公共事業による開発などで危機的状況にある。 とはいっても八重山の島々などでは、竹富島の場合のように、集落の伝統的な 景観が保たれるなかで、祭祀空間としての御嶽の環境が保持され、その場を要 53 シンポジウム報告/第 1 セッション として有形無形の文化遺産が、その伝承の担い手(人的資源)を含めて、活力 をもって継承されている地域がある。このような有形文化と無形文化が包括的、 総合的に保持された状況は、世界的に見ても文化遺産として、きわめて高い意 義を持つものだと思われる。自然と文化、有形と無形の文化遺産の「文化的統 合性」を評価する基準が設けられることで、同じような「聖なる空間」をめぐ る無形文化遺産を豊富に保有する地域の人々に強い力を与えることができない だろうか。 54